多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」3章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部3章を走っていった中で抱いた感想と考察について書きたいと思います。全体的にシリアス且つ重めのシナリオたる第2部ですが、それ故に考えさせられる事も多いものだと個人的には考えていて、今回もその様なシナリオを読み進めて思った事、考えた事を素直に書き出したいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、リコリスに関する部分は内容も少し重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回も括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。そして「○○章若しくは第2部○○章」メインシナリオ第2部の章を指し「第1部○○章」の場合、メインシナリオ第1部の章を指します。

1.はじめに

  「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。しかし、その旅はかつてない程の危機と、壮絶なまでの運命に翻弄される事になっていく……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、闇を滲ませる雰囲気も多く出てくる。第2部の敵対組織であり、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界*1を正す為に活動し、ひいては禁呪「リアライフ」を用いて聖典の世界を破壊しようと目論む「リアリスト」にしても例外では無く、組織内であっても深い闇が蠢いている様に思える描写が多く見受けられる。それ故に普段は割と気軽に楽しむ事のできるストーリーも多いきららファンタジアの中でもかなり異彩な雰囲気を放っているが、その分深みが他のシナリオよりも大きく、考えさせられる場面も多い。何も身構えずに読むと思わず精神的にくるものがあるが、よくよく読み込むと深い本質が見えてくるシナリオでもあり、その意味ではきららフォワードの「がっこうぐらし!」や、元々はオリジナル作品であるが、原作者にきらら作家がいる「魔法少女まどか☆マギカ*2にも通ずるものを感じている。そして、その観点から見るとこのメインシナリオ第2部は非常に上質なシナリオだと思う。

 これ以上書くと長くなるので、私がこのメインシナリオ第2部そのものに対して一通り思った事を書きまとめた過去の記事を貼っておく。この記事は第2部2章についてまとめたものだが、「1.はじめに」の欄に第2部について感じた事を書きまとめている。やや短めの内容だが、是非見て欲しい。

 

chinoroute63.hatenablog.com

2.第2部3章の感想・考察

3章とは

 3章は1章と同様にきららファンタジア参戦作品から「リアライフで呼び出されたクリエメイトを中心とした物語」であり、メインシナリオ第1部・第2部を合わせた中でも異色だった2章とは異なり、第1部を含めた第2部1章までの同様の構成をしており、簡単に言えば「禁呪魔法によって呼び出されたクリエメイトときらら達が行動を共にし、同じく禁呪魔法によって呼び出され、囚われたクリエメイトを助け出し、クリエメイトをもとの世界に返す事を目的とする内容」である。今回呼び出された作品はGA(芸術科アートデザインクラス)であり、3章の舞台も「芸術の都」となっている等、全体的に「芸術」を強く意識したシナリオ構成になっている。

 この章もメインシナリオ第2部の例に漏れずに中々に壮絶な物語であるが、芸術が持つ正と負、聖典が持つ力について考えさせられる物語でもあり、読んでいて心に来るものがある。そして、この3章ではリアリストの幹部たる「真実の手」が左手の「リコリス」が本格登場した話でもあるのだが、このキャラも中々な曲者で、思わず様々な感情が思い巡ったものである。この記事ではリコリスをはじめとしたキャラに焦点を当てつつ、本質的に迫れる様な感想と考察を書きだしたいと思うが、その前にこの3章においてのうつつちゃんの軌跡や心境変化について軽く書き出したい。

3章におけるうつつちゃん

 第2部における重要人物である住良木(すめらぎ)うつつ。どの聖典にも載っておらず、自身もエトワリアに来るまでの記憶を失っている。その為、どこの世界の住人なのか、出自はどうなのか、抑々彼女は何者なのか、それらの事が本人も含めて全く分からない。ただ、それ故に只者では無い事は明白であり、このメインシナリオ第2部のキーパーソンの1人だと認識しても大方問題無いと思う。

 性格は極度の根暗且つネガティブであり、何かにつけては自分の能の無さに繋げてしまう程に自分に自信が絶対的に無く、それ故に自分の事を卑下(ひげ)してしまう事も少なくない。他にも何かと悲観的なものの見方をしたり、後ろ向きな事を言ったりする事もしばしばであり、根っからのネガティブ体質なのが窺える。また、毒舌家である事を窺わせる一面があり、人(特に「リアリスト」)や自分自身に対して辛辣なコメントをする事があるが、これも彼女の自信の無さが多かれ少なかれ関係している。ただ、その一方でなんだかんだ言っても人の価値観を全否定しないで尊重したり、大切な人の為なら自分が出来る事を尽くしたい*3と考えたり、決して許す事のできない敵陣営(リアリストのこと)であっても自分と重ね合わせて行動理念を慮ったりするなど、根は心優しく且つ思慮分別がかなり深く、更に言えばいざという時には決して折れない芯の強い一面も持っており、ちょっとネガティブ思考が強過ぎる点を除けば根は良い人*4である。

 そんなうつつちゃんだが、3章においてはネガティブ思考こそ相変わらずだが、以前とは違う成長が垣間見える場面も見受けられる様になっていた。やはり2章におけるスクライブギルド長「メディアちゃん」との出逢いがうつつちゃんに多大なる影響をもたらしているという事なのだろう。そんな成長の中でも特に印象的なのが「誰かの為に自分の特殊能力を発揮させたい」と言う他人を救いたいと言う前向きな想いをうつつちゃん自らが積極的に抱き始めた事である。そもそもうつつちゃんは「ウツカイ」と呼ばれる敵陣営が使う文字をきらら達サイドの中では唯一解読する事のできる特殊能力を持っている*5のだが、2章からはそれに加えてリアリストの幹部達の会話を聞く事のできる能力にも目覚めている(但し、後者は3章時点でも自由にコントロールする事はできない)。この特殊能力に対して彼女は最初こそ後ろ向きだったのだが、この特殊能力が結果的に人を助ける事に繋がる事が分かり始めていくと、次第に彼女自身も変化していき、恐怖はありながらも前向きに自分から人を助けたい、役に立ちたいと言う意思を見せる事が多くなってきた様に感じている。根っからのネガティブ思考そのものは変わらないにしても、誰かに尽くしたいと言う想いや、自分の思う事、したい事を人に対して悲観的にならずにはっきり言う強い想いを徐々に表面化させていくうつつちゃんは、個人的には前向きな方向で大きく成長していると思っているし、とても良い事だと思っている。今後どの様にうつつちゃんが変化していくのかは未知数だが、良い方向に変化していくだろうと考えている。 

 ここからはリアリストが1人、リコリスの事について考えた事を記述する。そして、ここからのリコリスに関する部分は少々重い内容が含まれている為、特に注意して欲しい。

リコリスについて

※注意※

ここから「芸術の捉え方」の手前まで少々重い内容含まれています。 

 リコリスリアリストの幹部組織である「真実の手」が左手であり、真実の手の中でも下っ端と自ら称するヒナゲシちゃんがお姉様と慕う存在である。真実の手の左手と言うだけあって実力はリアリストの中でも指折りであり、ハイプリス様も信頼を置いている。但し、リコリス本人は表向きにはハイプリス様に慕っているが、裏ではハイプリスの事を嫌に思う事をボヤいている一面もあり、リコリスにとってハイプリス様「絶対的な上司」と言う訳でも無い様子が見受けられており、ここは「真実の手」が右手であり、ハイプリス様「絶対的な存在」と慕っているサンストーンとは異なっている。ただ、人と人の繋がり「パス」を断ち切る事のできる能力を持つサンストーンがハイプリス様を「完全に」慕っていると言い切るのは、個人的には一考の余地があると思うのだが……。

 特筆すべきはその性格と性質であり、一言でまとめると、言葉は相当悪いが「氷の様な心を持った冷血な女性」と言うものにまとめられる。短気で自己中心的な性格であり、気に入らない事があると直ぐに人(主にヒナゲシ)に当たったり、自分の意向に沿わない様な他人の価値観、才能や長所を頭ごなしに全否定したりと、兎に角冷血且つ我儘(わがまま)な一面が目立っており、それは自身をお姉様と慕うヒナゲシちゃんに対しても同様であり、良くて皮肉じみた嫌味、悪くてただの罵詈雑言を彼女に浴びせており、何かともっともらしい理由をつけて当たる事もしょっちゅうである。自信過剰且つ独り善がりな性格でもあり、ヒナゲシちゃんに対して「私に従っていれば良い。」と言わんばかりに独善的な事を言ったり、それに加えてヒナゲシちゃんに対して「お前みたいな奴は私しか面倒を見ない。」と言ったりする恩着せがましい面もある。因みにリコリスは相手に対して「自分だけが必要としていると相手に思わせ、相手を支配する」と言う手法を使っている場面が散見され、それをクリエメイト以外の、本来なら志を共にする味方である筈のヒナゲシちゃんにもやっているのが読み解ける。因みにリコリスの横柄且つ横暴な態度に対してヒナゲシちゃんは「怒られるのも乱暴されるのも嫌だが、捨てられるのはもっと嫌」と言っており、乱暴を働かれてもリコリスを慕い続けるのには、それ相応の確固たる理由故だと見る事ができる。

 但し、彼女には「優しさが全くないのか」と言えばそうでもなく、失敗続きのヒナゲシの事をフォローしたり、無邪気な一面を覗かせるヒナゲシを見てなんだかんだ愛着がある事を匂わせる反応を見せたりと、彼女とて「人としての良心や優しさはきちんと存在している」事を窺わせる描写も少ないながらも存在しており、それ故に「元々はそこまで冷血な人では無かったのが、彼女自身に募る屈辱とともに性格が変貌してしまった」可能性も十分に考えられる。彼女自身の内面が明かされている部分が非常に少ない為にここで断言する事は難しいが、あながち頓珍漢な考えとも言えない様にも感じている。

 自分自身が聖典を理解できなかっただけでクズみたいな扱いを受けた」経緯から聖典心から憎んでおり、それ故にリアリストの中でも特に聖典の世界を破壊することを望んでいる。この事に対して「聖典を心から愛し、同時に聖典が誰もが理解できる様な物である事」を誰よりも理解しているランプは思わず戸惑っていたが、リコリスは全く聞く耳を持とうとはしなかった。リコリスからしてみれば「世間ではどんなに上質なものと言われようとも、自分が理解できないものは破壊の対象でしかない。」という事なのだろうが、これは結局の所リコリス「自分が読めない様に出来ている聖典が悪い!」と責任転嫁をしている事に過ぎず、それを聞いたうつつちゃんからは「なんで、怒りを他人に向けるのよ……。」とそこはかとなく毒を吐かれている*6。因みにうつつちゃんは極度のネガティブ思考ではあるものの、そのネガティブの矛先は基本的に自分自身であり、他人に対しては主に根拠のない様なポジティブ思考に毒を吐く、所謂毒舌家な一面こそあるが、基本的に「他人が全て悪い」とは考えない一面があり、思慮分別は割にしっかりしている。その事を思えば、うつつちゃんが「リアリスト」に対してこの様な毒舌を飛ばした事には、うつつちゃん自身も何か思う事があった事の裏返しだと言えるだろう。

 そんなうつつちゃんの辛辣な言葉に対してリコリスは「世界が私を拒絶したのよ!居場所なんて、どこにもなかった!」と激高し、うつつちゃんに対しても「私と同じ様なものでしょ!」と責め立てている。言うまでも無い事だが、うつつちゃんとリコリスは全く違っており、リコリスの言う様に「2人は同じ様なもの」と言うのは成立しない。何故なら、リコリスが何を言っても「リコリスは他責(他人が悪い)だが、うつつちゃんは自責(自分が悪い)」だと言う事実は変わらないからである。それでもリコリスがこう言い散らすのには、後述する様なリコリス自身の心の弱さが背景にあるのだと思われる。勿論、リコリスが言う事も分からなくはないのだが、それでも流石に無条件にリコリスの言い分を受け取る事はできないであろう。

 この様にリコリスはお世辞にも性格が良いとは言えないどころか、寧ろ悪いと言わざるを得ない部分が目立っているのだが、その一方で「自分が1人になる事に恐怖を抱いている」一面があり、この事はリコリスヒナゲシちゃんの事をどうやっても見捨てられない理由ともなっている。つまりリコリスは精神的に弱い一面があるという事であり、この事はそのまま「自分が世界で受け容れられない事に対する強い不安と怒り」にも直結してくるとも考えられる。更に言えば、この様な弱さを抱えているが故にリコリスが上記の様な乱暴を働く理由ともなっている可能性があるとも考えられ、ここからリコリスが乱暴を働く理由として「世界が私の事を受け容れない事に対する不安と怒り」が大きな要因だと推測する事もできる。因みにリコリスと同じく「既存(聖典)の世界に居場所はない」と強く考えているヒナゲシちゃんにしても、細かくは違えど大筋はリコリスと同じ様な理由と経緯でリアリストの活動に勤しんでいるのが考えられる。どんなにリコリスから乱暴を働かれても、ヒナゲシちゃんがリコリスから見捨てられるのが嫌だと言う理由としても……。

 そんなリコリスだが、3章においてはヒナゲシちゃんとともにGAの登場人物であるキサラギを捕らえた上でリアライフをかけ、その上で「怒りと悲しみと絶望」と称する作品を描かせ、それを聖典に見立てる事で「芸術の都」にばら撒き、街を絶望に突き落とすと言う中々に悪辣且つ残忍な事を行っている。序盤はヒナゲシちゃんが表立って暗躍して、リコリスはそこから一歩引いた位置にいるが、再三ミスをするヒナゲシちゃんに痺れを切らした物語の中程から徐々に顕在化していき、きらら達にも直接接触する様になり、終盤になると彼女が持つ負の感情をむき出しにして行動する様になる。また、全般的に怒りの言動が目立っており、横暴な振る舞いも相まって見る人によってはリコリスの振る舞いに対して強い怒りを抱く可能性は否定できない。この事からただでさえ凄惨な一面を秘めている者が大半の「リアリスト」の中でも特に尖った性質を持つ人物だと言える。と言うか「リアリスト」の中で比較的まともなのは、現時点では「ハイプリス様」位だと個人的には思っているのだが……。

 これだけをみると基本的には「とことん利己的な奴」にしか見えないリコリスだが、何故彼女がここまで性格を黒く染め上げるまでになってしまったのか。その事を考える事も重要だと思っている為、ここからは何故彼女がここまでなってしまったのかを中心に考えたいと思う。とは言ってもそれで彼女の数々の横暴が水に流せるかと言えばその様な事は無いのだが……。

リコリスが持つ痛みと悲しみ

 前述の通りリコリスは短気且つ自己中心的な一面が強く目立っているが、その一方で「一人になるのが怖い」「聖典が理解できないだけで駄目な奴扱いされる世界が憎い」と言った心の弱さを滲(にじ)ませる一面を持っている。その理由について断言する事は、現時点ではリコリス周りの事情があまりにも少ない為に難しいが、そんな中でも「彼女が聖典を理解できない」と言うのは個人的には重要なポイントだと考えている。単純に考えてみても聖典ありきの世界であるエトワリアにおいて「聖典を理解できない」と言うのは明らかに異質な状態であり、何故理解できないのかその理由については3章では細かくは明かされてはいないとは言え、この事を無視する道理は最早無いと考えた私は、ここから「何故リコリス聖典を理解できなかったのか」と言う理由について、自分なりに考えてみたいと思い立った。

 まずはリコリス聖典を理解できなかった理由として私が思い浮かべるものは2つあり、それを箇条書きで示したいと思う。その内容こそ、下記の2つである。

  • リコリスが育った環境においては、聖典が重要視される様な環境に無かった為、聖典の意味を知る機会が無かった。
  • リコリスの価値観にしてみれば「聖典に読む事は、生きる糧を得る事である」という事の意義が良く理解できなかった。

 1つ目は「育ちの過程において、聖典が重要視される様な環境に無かった為に聖典の意義を知る事が無く、結果的に聖典を理解できない様になってしまった」と言うものである。抑々エトワリアにおいて聖典「生きる為に必要なもの」である事は言うまでも無いのだが、実の所その価値観はどこで築き上げられるものなのかについては明言されていないため、それ故に育ちによっては聖典の重要性を知る機会が無いと言う可能性もゼロとは言えない。そう思うならば、リコリス聖典の重要性や意義を知る機会が無かったが故に「聖典を理解できない」となった可能性もあり得ると言え、これは私がそのまま1つ目の仮説として採択した根拠ともなっている。明かされている事が少ないが故に間違いとも正しいとも言い難いが、知る機会が無かったが故に「理解できない」様になった可能性は、個人的には十分にあり得ると考えている。

 2つ目はリコリスの価値観にとっては『聖典がエトワリアの人々にとって生きる糧となる』と言う意義が良く理解できない」と言うものである。これは1つ目と異なりリコリス聖典の意義を知る機会はあったが、彼女の価値観にとって理解できる代物ではなかった」という事であり、言うならば結論こそ1つ目と同じとは言え、そのプロセスが異なっている。個人的にはこちらの方がよりあり得る仮定だと考えていて、その理由として「物事そのものは知ってはいるが、その意義は理解できていない状態」を形容する様な仮定になっていると言うのがある。言うならば「物事の本質を理解できていない状態」を表している為、この事が何らかの学びを進めていく過程の中で誰もが経験することだと言える事も思えば、誰にでも起こり得る事象として採択する価値は十分にあると考えている。

 また、リコリスが言っていた聖典を理解できないだけで駄目な奴扱いされる世界が憎い」と言うものは、1つ目・2つ目の仮定どちらであっても同じ論説が導けると私は考えており、これは「エトワリアにとって、聖典を理解できない事はあり得ない事であるが故に、理解できない人は変わり者扱いされる」と言うのが導けると考えている。恐らくはリコリスが言う様な聖典を理解できない奴はエトワリアにおいては一切の例外なく除け者扱い」と言った極端なものでこそ無いとは思うのだが、それでも「聖典を理解できない者は変わり者扱いされる傾向」はあったと思われ、それがリコリスにとっては何よりも受け入れ難い事実だった事が、リコリスがリアリストに加担した大きな理由だと考えている。つまりリコリス「絆や聖典等と言う、彼女にとってはどうやってもその意義や重要性を良く分からない概念に辛酸をなめさせられた過去を持つ」*7事は恐らく明白であり、それが彼女の性格をも大きくねじ曲げてしまった可能性も十分にある。

 これが、私が考える「彼女が持つ痛みと悲しみ」であり、これを思えばリコリスが「とことん利己的な奴」だと一概には思えなくなってくる。無論、彼女の横暴な行為・言動は客観的に見て決して看過されるものでは無く、彼女にも責任があるのは事実だが、それでも彼女が辿ってきた経緯や環境を思えば、一口に「彼女だけが悪い」と思うのもまた、現時点では早計なのは事実であろう。その事を鑑みて、彼女の事を見定められる様になるのは「今後の展開次第」という事になると思われる。

 ここからは大きくテーマを変えて、3章の大きなテーマとも言える「芸術」について3章の描写から感じた事を記述する。3章は元々「芸術の都」を舞台としている事もあって、芸術に関する事象が多く登場しており、3章における登場作品も芸術をテーマとしているGAになっている。それ故に3章を説くにあたって個人的には「芸術が要となる」と考えていて、ここではそんな芸術の「光と闇」ひいては哲学・美学的な事柄について個人的な考えを書き出したいと思う。

芸術の捉え方

 抑々この3章における芸術は大きくみて「元々華やかで美しいものだったが、リアリストにより闇と破壊の雰囲気をもった暗いものに塗り替えられ、そこから光を取り戻すために奔走し、最終的に光を取り戻す事に成功し、更に闇もとい暗い雰囲気と、光の雰囲気を調和した芸術をも新たに生み出した」と言う流れが存在しており、この中でも所謂「光と闇」がクローズアップされたのが印象的である。因みにここにおける光と闇は云わば「希望と絶望の対比」を暗に指し示した構造にもなっていると考えている。

 作中においてはうつつちゃんが闇の側面を持った暗い芸術にどことなく惹かれ、光の芸術を良しとするランプちゃんがそれを否定すると言う流れがある様に、うつつちゃんが闇の側面を持つ暗い芸術に惹かれ、一方でランプちゃんが芸術は光即ち「希望」と考えていると言うある種の対立構造が存在しており、事実闇の側面を持った暗い芸術にどことなく魅力を見出すうつつちゃんを、ランプちゃんが「そんなの気にする必要は無いです!」と声高に否定するシーンも存在している。ランプちゃんがこの様な事を言ったのには「リアリストの思念が込められた様な芸術を気に留める必要は無い」と言った意味合いも含まれていた事は容易に想像できる為、何もうつつちゃんの事を貶す為に言った訳では無い事は理解できるが、それでも後に頭ごなしに否定してしまった事をランプちゃんはうつつちゃんに対して謝っている。これに対してうつつちゃんはそこまで気にしていない反応を見せており、うつつちゃんの優しさと器量の大きさが垣間見えている。因みにGAの登場人物も「闇の側面を持った暗い芸術に対して理解を示す者」と、どちらかと言えば「光ある芸術を良しとする者」に分かれており、前者がナミコさんとキョージュ、後者がノダミキに該当する(トモカネはさほど言及してはいない)。ただ、暗い芸術が存在する事そのものについては全員が理解を示しており、最終的には好みの問題とも言える。

 芸術が持つ「光と闇」について私としてはどちらかと言えばうつつちゃん若しくはキョージュ寄りの考え方をしており、私も「闇を持った暗い芸術」はどこか惹かれゆく魅力を持つものとして認識している。元々私は負の感情もとい暗い魅力を持つ様な芸術作品に対しては独特の拘りを持っており、何故(なにゆえ)か負の感情を多分に秘める作品を好む傾向が強く存在している。例えば私はクラシック音楽が好きなのだが、その中において長調よりも短調の方が好みの曲として多く挙がる上、短調の中でも特に「内面に秘めしメランコリック(憂鬱)な雰囲気を多分に感じさせる様な曲調」に心を奪われる傾向にあり、その中でもメランコリック且つ絢爛豪華(けんらんごうか)な雰囲気と、天才的なリズムセンスを持つチャイコフスキー作曲の交響曲第6番ロ短調「悲愴」Op.74は、独創的な作曲構成と作曲者のあらゆる感情・思想が込められた、恐るべき雰囲気を持つ交響曲として正に私の心を射抜く芸術作品だと認識している。「悲愴」は虚無な雰囲気と不吉な結末を暗示させる事から決して明るい曲では無く、正に暗い側面を持った曲なのだが、それ故に私は心惹かれる。何故結末を不吉な未来を暗示させる様なものにしたのか。その様な事を考えるだけでもどんどん心奪われていく。無論、痛みは多分に伴うのは承知の上だが、明るい概念にとどまらない、暗くも独創的な境地を探求する事に意味を見出している私にとっては、最早多少の痛みくらいは驚かなくなってきている。尤も、人並みに喜怒哀楽は兼ね備えているつもり*8だが、こと芸術的感性は独創的なものになりつつあるのだろう。

 また、私は芸術と言うものを往々にして「その創造物を創り出した者の、その時のあらゆる感情・思想が一挙に込められたもの」だと捉えている。今回の3章においても創造者の想いを探る場面は存在している*9のだが、それと同じ様な感覚、或いはそれ以上だと言えるもので、一つの創造物から創作者の意図や思想、その作品に込められた強き想いを勘ぐる事を意識しつつ、芸術作品を堪能するのである。尤も、私はプロの芸術家では無いので、言ってしまえば一般的な感覚・視点を元手に芸術的感性を研鑽(けんさん)している事にすぎないのだが、それでも芸術作品をよくよく読み込んでいけば、プロの芸術家の人達が持つ様な深淵たる領域には程遠くとも、少なくとも今までの自分とは全く違った自分を築き上げる事ができるうえ、今までの自分では気付かなかった視点が見えてくるものだと考えている。更に言えば、芸術作品に込められた創造者の強き想い、意図、思想等を深く読み解く様に、芸術を堪能する事の意義は誰であっても見いだせるとも考えていて、ひいては芸術の限りない創造性は創り手だけに留まらず、受け手一人一人の感性も加わって生み出されるものだと思っており、それ故に自分は素人だからと芸術を堪能する事を躊躇(ためら)う必要は無いとも考えている。思う事は様々あっても、やはり個人の芸術的感性を存分に発揮してほしいと言うのが、私個人の想いでもある。

 そして、その見出した意義が対象とする芸術が「光輝く明るい芸術」でも、はたまた「闇が蠢く暗い芸術」のどちらであっても私は良いと思っている。自分が見出した芸術の美学がたまたま「暗い成分を多分に含んでいた」としても、その芸術に自分が大いなる魅力を見出したのなら、それは立派な芸術的感性だと考えている上、その感性に対して好き好みはあっても、誰にも否定する事は出来ないとすら考えている。見る人、聴く人によって様々な感触を抱くのが芸術の醍醐味だと思うなら、この様に考えるのもある意味必然の成り行きだと思うが故なのだが、その一方で多くの芸術的世界観・センスを見聞きしてみたいと言う私自身の想いの強さも関係しており、この2つが重なり合う事によって、私が持つ「芸術の美学」の根幹をなしている。

 以上の事から、私としては芸術が持つ「光と闇」についてはそのどちらも「大いなる魅力を秘めしもの」として理解を示している上、私としても芸術が持つ「光と闇」についてはどちらに対しても強い興味をそそられる。つまり私は、芸術的感性に限って言うなら「光に満ち溢れる様な明るい芸術を好む傍ら、闇が蠢く様な暗く底知れぬ芸術も同じ位に好み、尚且つ他者に対してもその様な芸術的センスを理解できる器量を兼ね備えている」という事になり、ひいて言うなら「芸術は往々にして創り手と受け手の芸術的感性が融合して生み出されるもの」だと認識している事にも繋がっている。尤も、実際の所は多くの芸術的センスに触れていく内に価値観は徐々に更新されていくものである上、私が言う様な「人の数だけの芸術的感性が存在する」のなら、私の価値観では到底理解できそうにないと思わず感じてしまう程の芸術的感性に出会ったり、逆に私が秘めている芸術的感性が周りから中々理解されなかったりという事は当然のことながらあり得る事象でもある。これは何も芸術的感性に限った話では無いのだが、多くの価値観に触れていく事が必ずしも良い事ばかりでも無いと言うのは自ずと理解している事ではある。

 ただ、上記の事は意識する事は大切だと認識しているが、これをもって「己が持つ根幹の芸術美学を何もかも変えてしまう必要性はない」とも考えている。どんなに苦難な事が待ち受けていたとしても、自分が大切だと思った価値観は自分だけが最後まで大切に出来るものなのであり、それを思うなら自分だけが持つ価値観を大切にして欲しいと思うが故なのだが、勿論現実には様々な事情故にこの様な綺麗事ばかりでは済まない事もあるのは重々に承知している。しかしながら、各々が持つ個性的な価値観やセンス、独創的な境地をも示す芸術的感性は、誰にも真似する事のできない唯一無二の魅力を持つものでもある。それをどうするのかは個人の自由だとは痛い程分かっているのだが、それでも私としては「自分だけが持つ感性を簡単に捨てずにどうか大切にして欲しい」と常々思うのである。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部3章で考えた事である。この3章もメインシナリオ第2部らしく中々にシリアスな内容ながら、それ故に考えさせられる事も大いにあるものだったと認識している。言うならば、章を追うごとに少しずつ変化していく何かを追い求めていく様に、このメインシナリオ第2部を体感している事である。

 その様にして体感した今回の3章は、芸術と深い関わりを持つ舞台設定に、芸術をテーマとする作品が登場したり、シナリオそのものも芸術理論を思わせる様な内容も多数登場したりしてきた事に想いを馳せつつも、その一方で根底にある闇を確実に露呈しゆくリアリストをどの様に捉えるべきなのか、中々に難儀した章であったと自認している。抑々メインシナリオ第2部は全体的にシリアス且つ重めの雰囲気が特徴的であり、人によって感じる事も思う事も大きく違ってくるとは考えているのだが、その様な中で私は一体何を思うのか。その事を書き出す事を今回は特に意識して書いている。尤も、その結果がメインシナリオ第2部3章の感想・考察の枠を超えて、最終的には最早哲学・美学の話になったのは流石に行き過ぎたと思う所もあるのだが、これは前述の事を意識して書いた結果でもあるので、ある意味私の想いを特に率直に書き出せた事を証明しているとも考えている。

 3章において存在感を遺憾なく発揮した「リアリスト」の「真実の手」が左手のリコリスだが、表立っては完全にヴィラン(悪役)の性質そのものであり、過激な性質・言動も相まって良い印象を抱けないと言うのは疑いようのない事実だと言わざるを得ないとは感じている。だが、それでも彼女のヴィランたる性質に隠された内面性を思えば、私の心は大きく揺れ動く。抑々私は「リアリスト」の人物に対して思う所が全体的に見ても多くあるのだが、リコリスはその「リアリスト」の中でも特に尖った性質をしている事もあって特に思う所がある。それで言うならば、私は前章である2章の感想・考察においても「リアリスト」や「真実の手」のヒナゲシちゃんに対して感じる深き想いについて叙述したものだが、それは3章においても同様であり、2章で感じた数々の想いに勝るとも劣らない「リアリスト」についての感想・考察を書き出し、リコリスについては特に深く想いを馳せつつ書き出している。今後その想いがどう変化していくかは未知数だが、少なくとも現時点ではリコリスヒナゲシ、ひいては「リアリスト」に対して「ただならぬ想いをもって考察する」と言う意思に揺らぎはない。何故なら、私は既にメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」を、どんな事があっても、どんなに辛い展開があっても、最後まで読み込みたいと、固き意志を築き始めているのだから……。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部3章で私が抱いた感想・考察である。3章はリコリスと言う圧倒的存在感を持つキャラの本格登場により、個人的には大きな何かを掴むきっかけにもなるとも感じており、今後の展開にもつながる重要な要素も含まれていると感じている。私としてはそれらのついての想いを持ちつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

 今回の文量は400字詰め原稿用紙35枚分となり、これは当時過去6番目の多さとなっている。

*1:世界とはエトワリアの事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。

*2:因みにどちらも「ニトロプラス」が原作に関わっている。

*3:2章におけるスクライブギルド長「メディアちゃん」が最たる例であり、それは3章でも同じ様な事が窺える。

*4:この事は、後述するうつつちゃんとリアリストが「同じ思想を持つ人間だと成立しない根拠」にもなっている。

*5:この特殊能力をめぐっては、2章においては七賢者が1人、フェンネルから「実はリアリストの仲間ではないのか」なとど懐疑の目を向けられたが、最終的にはフェンネルもうつつちゃんを認め、友好を深めている。フェンネルも本来は話の分かる人なのだが、元々は傭兵だった自身の経緯故に見知らぬ人に対して容易に警戒を解かない傾向にあり、自身の真面目な性格(但し、その一方でメインシナリオ第1部におけるきらら達を言葉巧みに騙して利用する狡猾さならびに任務を果たす為ならどの様な手段も厭わない冷酷な一面をも併せ持っている。ただ、この時はきらら達とフェンネルはまだ打ち解け切れていなかった事と、お互いに色々誤認且つ誤解していたのもあるのだが……。)と立場も相まって中々警戒を解くに解けなかった事情は容易に察せる為、少々堅物過ぎた点は問題だったとしても、ある程度は致しなかったとも言える。

*6:このコメントはリコリスだけでなく、リアリスト全体に対して向けられており、うつつちゃんの毒舌センスが遺憾なく発揮されている。

*7:これは『真実の手』が右手たるサンストーンも恐らくだが同じ事が言えると考えており、3章におけるキサラギとのやり取りからも推察する事ができる。

*8:但し、喜怒哀楽は普通に兼ね備えていても、感性が人と大きく違うなら全くもって話は変わってくるが。

*9:これは囚われの身となったキサラギを助け出す手掛かりを掴む大きなきっかけにもなっている。

きらま2021年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。この頃ダークな魅力に改めて惹かれつつあるが故に、ごちうさにもそう言った属性を持つ存在が居たら良いなと思っていましたが、その条件に合致する存在が1人居ましたね。その事に私は今月の16日つまりきらま購読その日に気付きましたよ。これでごちうさをもっと好きになれる……!

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年9月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今回は個人的にはごちうさのダーク且つ異質な魅力を一挙に引き受けているとまで考えている狩手結良ちゃんが大々的に登場するので、ダークな魅力を好みとする私としては、結良ちゃんが持つダークな魅力を強調して書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回はややダーク色が強めな内容となっています。少々インパクトの強い内容も含まれているので、インパクトの強い内容が苦手な方はご注意下さい。

1.はじめに

 今回のお話は理世ちゃんの幼なじみにして同級生でもある狩手結良ちゃんが大々的に登場してきたお話であり、それまで登場回数の少なさ故に謎が多かった彼女の一面が垣間見える事が大きなポイントになっている。また、今回はそんな結良ちゃんが「以前理世ちゃんに対して『嫉妬する』と明かしていた」心愛ちゃんに対して主に魅せてくるダークな一面が大きな魅力であると個人的には考えており、総じて言うならば「可愛さもダークさも兼ね備えた心震える回」だと言えよう。

 ただ、今月号のお話はごちうさにしてはかなり異質な回でもあったと個人には感じ取っている。ダークで異質な魅力を持つ結良ちゃんが登場しているのだから、ある意味当然とは言えるのだろうが、それを抜きにしても結良ちゃんの行動が、普段のごちうさキャラの思わぬ影たる一面が暴かれていく様な感覚には少々興奮と恐怖を覚えた。しかしながら、それでもごちうさの基本理念を破壊されると言う懸念を全く覚えていないのは、ある意味私にとってのごちうさ「既に常識が通用しない異質な概念をも秘めている存在」となりつつあることの証明でもあるし、それはそれで少々怖い気もするのだが、それ以上にごちうさが既に「確固たる世界観を築き上げている証」でもあるのだろう。それ故に少々異質な存在が居たとしても世界観もろとも破綻(はたん)する事は無いし、結良ちゃんがごちうさの世界で馴染める理由でもあると思われる。尤も、それは私が後述する様な作中の結良ちゃんと同じ様に、単に「物事の道理をあまりにも都合よく考え過ぎている」とも言われかねない側面も孕んでいるのは疑いないだろうが……。

 因みにそんな狩手結良ちゃんに対して、嘗て私が2カ月以上かけて書きまとめた記事がある。ただ、この狩手結良ちゃんについてまとめた内容、全て合わせると400字詰め原稿用紙59枚分と、私が書いたブログ記事全体の中で最も多い文量となっている。一応結良ちゃんの特性重視で書き出した部分は全体の中でも最初の方に集約させているのだが、それでもかなり文量は多くなっている。尤も、最近のきらま掲載のごちうさ感想文も400字詰め原稿用紙にして51枚分の文量はあるのだが……。

 今回は狩手結良ちゃんの様々な特性については文量が必要以上に膨大になる観点から省いているので、狩手結良ちゃんについてどんな人なのか気になった人は、是非下記の記事も閲覧してみて下さい。特性については記事の前半で一通りまとめていますので。

chinoroute63.hatenablog.com

2.購読した感想・考察

異質な感覚

 今月号のお話は、何と言っても結良ちゃんが大々的に登場する事が大きなポイントなのだが、ミステリアスな魅力を持つ彼女らしくその行動は大きく飛んでいた。このお話は基本的な筋道として「妹が増えてきたが故に意識を改革しようかと思い悩んでいる心愛ちゃんを結良ちゃんが色々とコーディネートする」と言うのが存在しているのだが、その時の結良ちゃんが起こした数々の行動の異質さと、その結良ちゃんの異質な行動を超える反応には驚きを隠せなかった。

 まず心愛ちゃんと初めて対面した際に結良ちゃんは「いきなり後ろから手を使って心愛ちゃんの口元を覆い被せ、その状態で『だぁ~れだ?』と問いかける」と言う奇怪且つ異質極まりない行動をとっている。その行動に対する心愛ちゃんの反応としては、まず匂いで結良ちゃんだと当ててみせ、結良ちゃんから「ソムリエココアちゃん」だと褒められていると言うものだが、どう考えてもお互い異質な応対である。抑々何故に「だぁ~れだ?」と結良ちゃんがあてっこゲームなるものを心愛ちゃんに仕掛けたのかすら個人的に理解し難いのは否めないが、それをあっさり当てる心愛ちゃんも心愛ちゃんで「どういうセンスしているの?」となるので、結良ちゃんの一連の行動を見て嫌な気こそしないものの、やはりまともに理解する事は困難だと言うのが本音ではある。

 また、後日結良ちゃんは心愛ちゃんにした事と同じ事を理世ちゃんにも仕掛けているのだが、それをした途端に理世ちゃんに咄嗟に放り投げられてしまっている。軍人気質が強い理世ちゃんらしく「正体不明の存在が危害を加えようとした時(勿論結良ちゃんは本気で理世ちゃんに危害を加えようとは思っていない)の自衛行動」と言えばそれまでだが、それを至って普通の環境下にある自宅で行うのは、常識的に考えるならやはり異質な応対であろう。普通に考えても「いきなり口元を覆い隠されたから放り投げる」と言う発想には至らないし、抑々何故にその様な事をしなければならないかと言う意味でも、理世ちゃんの行動には理解し難い面がある。尤も、結良ちゃんの行動も一般的には理解し難いものであるため、結果的に私の中では「双方共に理解し難い行動が飛び交っている」と言うカオス(混沌)な事になっている。ある意味「幼なじみの交流」の一端なのだろうが、その交流が変である事は言うまでもない。因みに投げられた結良ちゃんは「ココアちゃんもやばいけど、リゼもやばぁ。」と言っていて、それに対して理世ちゃんは「ヤバいのはお前だ。」と言い返しているが、私からすれば「心愛ちゃんも含めて3人共にヤバい所あるよ……。」と言いたくもなる……。そりゃ「口元を覆い隠くし『あてっこゲーム』なるものを仕掛ける人(結良ちゃん)と、それに対して乗り気であっさり回答してしまう人(心愛ちゃん)と、仕掛けるや否や放り投げる人(理世ちゃん)」を見たら、誰一人まともな対応をしているとはお世辞にも思えないものだと思うのだが……。

 他にも結良ちゃんが提案した「悪な女ぶる事」を心愛ちゃんが「楽しそうな事」だと受け取ったり、その「悪な女」も一般的に呼ばれる「悪女像」とは全然違うものだったりと、異質な感覚を思わせる要素は特に多い様に感じたのだが、これは言うならば「結良ちゃんや心愛ちゃんの感覚が、世間一般とは良くも悪くもかなりズレている事」を示唆している様にも思える。それは決して悪い事では無いのだが、感覚があまりにも世の中とズレているとそれはそれで苦労する事も良く分かっている事と、独創的な思想を持つが故に異質な感覚が理解できる事もあって、私には特に目立って見えたのだろう。尤もそれは完全に「人の事を言えない立場」なのを明白にしているとも言えるが。

 最終的にはお互い異質もといズレた感覚を持ちつつも結良ちゃんと心愛ちゃんは2人で仲良く「悪な女」を楽しむ事になる*1のだが、当たり前だが2人共に本当に悪い事(法に抵触する行為)はしていない。あくまで普段の自分とは違った自分を引き出すと言った意味合いであり、その意味では「悪女」と言うより「イメチェン」に近いものがある。その意味では心愛ちゃんも結良ちゃんも世間一般とはズレているとは言え、本質的には比較的健全な感覚なのは明白だが、ズレるのは感覚だけに留まず、言葉の意味までズレが生ずる事になる。

言葉の意味の擦れ違い 

 何かとズレつつも結良ちゃんと心愛ちゃんは悪女もとい「大人の女性」を楽しんでいたのだが、その中において私は要所における「一つの言葉が指し示す意味が絶妙にズレていく」のが妙に気になり、同時にとても面白く興味深いとも感じ取っていた。見方によっては「今月号の心愛ちゃんと結良ちゃんを凌ぐ位に奇妙な感覚」と言う風に映るかもだが、所謂「言葉遊び」ごちうさでは珍しくなく、言葉好きにとっても面白いマンガでもあり、個人的にはその「言葉遊び」に結良ちゃんが絡むと途端に異質な雰囲気を纏うのが何とも言えず、好きでもある。今回はそんな「言葉遊び」について私が気になったもの3つを取り上げる。

 1つ目は「匂い」である。これは一般的に「香りや雰囲気(オーラ)」として扱われるものであり、ごちうさにおいても最初は心愛ちゃんと結良ちゃんの最初のやり取りにある様に「香りや雰囲気(オーラ)」と言った意味合いで使われている。だが、結良ちゃんが理世ちゃんに対して携帯で心愛ちゃんの「イメチェン」を報告した時にも「匂わせ~」と、あからさまに「匂い」が包括されている単語を言っているのだが、ここでの「匂わせ~」は「香りや雰囲気(オーラ)」ではなく、誰かに対して「○○を匂わせる発言をする」と言う使い方がある様に「それとなく分かる。理解する事ができる。」と言った意味合いで使われている。これこそ私が考える一つ目の「一つの言葉が指し示す意味が絶妙にズレていく」事象であり、最初は「香りや雰囲気(オーラ)」と言った意味合いで使われていたのに、急に「それとなく分かる。理解する事のできる」と言った意味合いに同じ言葉なのに変化すると言う違和感と面白さが同時に襲ってくる感覚があった。しかしながら「匂い」と言うのは、一応「匂い」と「匂わせる」と言う風に意味合いが変われば言葉尻もそれに応じて異なっている事もあって、普通に考えたら「同じ言葉でも意味合いが違う事は比較的容易に想像できるもの」になっている為、特段特別視すべきものでもないのかも知れない。

 2つ目は「盛る」である。これは多義的な意味合いを持つ言葉として日常的に使われているものだが、ごちうさにおいてはまず「胸の大きさを盛る」事から使われている。この使用場面は胸の大きさにコンプレックスがある紗路ちゃんが、胸の大きさにポテンシャルがある心愛ちゃんに向けて毒づいている場面であり、その後も紗路ちゃんの胸の大きさを揶揄ってきたり、悪意が無いとは言えど*2暗に小バカにしてきたりする友達(特に千夜ちゃん)に対して遂にキレて飛び出してしまうのだが、 この展開はごちうさを初期から読んでいるなら既存の展開であり、実はそこまで飛んでいる内容でも無く、ある意味「仲が良く、心から信頼し合っているからこそ言い合える事」だとも言える。その後も「盛る」と言う言葉が使われているが、ここでは今までと違い「話を盛る」と言う意味で使われている。つまり「事象を過大表現する」意味は同じながら「その対象が異なる」と言う少し変化球になっている。この手の変化球はごちうさではさほど珍しくないが、個人的にはごちうさの面白い点だと思う。

 そして3つ目は「ワル」である。これは今月号の異質な雰囲気を引き起こす程のズレを引き起こしている根幹だとも考えており、特に結良ちゃんが考えている「ワル」と、心愛ちゃんが考えている「ワル」があまりにもズレているのは最早恐怖すら感じる程。この事は下記において詳しく説明する。

凍てつく魅力と先進の視点

 抑々心愛ちゃんと結良ちゃんは、基本的に相性そのものは良く、噛み合う部分も多いのだが、一つだけ噛み合っていないものがある。それが前述の「ワル」に対する考え方であり、このズレは中々に恐怖を覚えている。そんなズレが牙をむくのが心愛ちゃんと結良ちゃんにとっての刺激的な日が一段落した時であり、結良ちゃんの本性が襲い掛かってくる場面でもある。

 場面的に言えば「お姉ちゃんをやっている私にとって息抜きになった」と言った心愛ちゃんに対して、結良ちゃんが「それはお姉ちゃんを演じる事につかれた事だ。」と言い放ち、その上で「どうしてそんなに『お姉ちゃん』に拘るの?」と心愛ちゃんに問いかけているのだが、その顔が所謂「美形悪役の魅力のそれ」であり、如何にもヴィラン(悪役)全開の特性をしている。それだけだと単に「怖い」だけなのだが、更にその上で心愛ちゃんに対して「私(結良)といる時くらい、皆の事は忘れて妹になりなよ」と、心愛ちゃんに対して凍てつく様な感情をもって本気で問い詰めている場面を観たら、最早恐怖を通り越して「カッコイイ」とすら思えてきた。元来私はヴィラン特有の凍てつく様な魅力、人を惹きつける様な雰囲気にカッコ良さを見出しているのだが、結良ちゃんにも同じ様なものを感じている。

 結良ちゃんに対しては元々「明るい感情を持っている傍ら、冷酷とも思える様な感情」を秘めていると言う両極端な一面があると感じてはいたのだが、所謂「美形悪役」の魅力については最近まで全く感じていなかった。ただ、それが今月号において心愛ちゃんに対して「悪魔の様な雰囲気で心愛ちゃんに対して悪魔の囁きをする」と言う行動を見て「美形悪役の魅力」を急激に感じる様になり、やがて「お姉ちゃんなんてしんどい事は忘れて、自分の妹になってしまえば良いよ。」と言う結良ちゃんの誘惑にどんどん惹き込まれていく事で「美形悪役の魅力」を更に見出す様になり、それがひいては今月号において結良ちゃんが秘める「ワル」な部分が存分に出た場面とも思える様にもなってしまった。また、冷たき魅力を前面に押し出して心愛ちゃんを誘い込もうとするのは正に「魔性の魅力」とすら思えてきており、最早私は結良ちゃんその人の「悪魔の様な魅力」に心を蝕まれ続ける運命にあるのかも知れない……。

 ただ、これはごちうさにしては異例であり、それ故に結良ちゃんが「異質な雰囲気を持つ異端児」として扱われる理由にもなっているとも考えている。しかしながら、その異質な結良ちゃんが提示した問いに対する心愛ちゃんの反応もまた、違った意味における「異質」な面があり、まず結良ちゃんが提案した「自分の妹になれば良い」と言う事に対して心愛ちゃんは確固たる意志をもって否定しているが、実はその表情は明かされていない。この点も気になる部分ではあるのだが、そんな心愛ちゃんは結良ちゃんに対して何と「結良ちゃんみたいな妹は大歓迎」とまさかの逆アプローチをすると言う異質な返しを行っている。これには流石の結良ちゃんもタジタジになってしまい、その後結良ちゃんは「悪い子は私だけで十分だ。」と言い、心愛ちゃんは悪い子を無理に演じる必要は無いと助言した上、心愛ちゃんに対して揶揄った事を謝っている。ただ、それに対する心愛ちゃんの反応はかなり変わったものであり、それは簡潔に言えば「結良ちゃんの行動は悪い子の行動ではなく、良い子の行動だ」と言うものなのだが、この事をもって結良ちゃんは「軽率にそう言う事を言ってしまう心愛ちゃんはやっぱりワルい子」だと言っている。この事から「自覚なく人の気持ちを自身に惹きつけ、悪い考えですら好意的に受け止めてしまう無意識の特性」*3が心愛ちゃんの「ワル」な部分だと言えるが、ズレにズレて最終的には丸く収まると言うのはごちうさの常套句でもあり、結良ちゃんと心愛ちゃんと言う異質なコンビにおいてもそれが生きているのは安心の点だと言える。

 但し、この一連の反応を観て私は手放しに喜ぶ事は出来なかった。何故なら結良ちゃんがこの様な反応をしたのには暗に「人の真意を少しも疑う事をしない心愛ちゃんの事を心配している」のが含まれている様に感じたからである。心愛ちゃんは良くも悪くも「人の事を疑ったり、悪く思ったりしない」と言う大らかで人の悪い所を気にしない一面があり、それは結良ちゃんに対しても例外では無く、本来結良ちゃんが心愛ちゃんに対して見せている行動の裏には「揶揄ったり、邪魔立てしたりする為に裏工作を嗾(けしか)けている」のが存在している中で、結良ちゃんの一連の行動を心愛ちゃんは「自分を励ます為に結良ちゃんが働きかけてくれた」と好意的に解釈し、結良ちゃんが少なからず持っている悪意に対しては、知ってか知らずか全く気に留めようとしない所があった。これは決して悪い事では無いのだが、これが結良ちゃんにとっては「面白くない」と言うより「人の想いを少しばかりポジティブな方向に捉え過ぎな人」だと映った可能性が考えられ、その意味で結良ちゃんが心愛ちゃんの事を「ワルイ子」だと考えたのには「人を全く疑わず、出会ってすぐに信用して自分の領域に人を引き入れようとしてやまない特性がある事」を見抜いた事が背景として存在する可能性すら浮上してくる。人の事を少しも疑う事無くすぐに自分の領域に引き込もうとする(=人の気持ちが読めずとも一気に距離を縮めようとする)事が、結良ちゃんとしては「人と親密な関係性を築き上げようとする事をあまりにも軽く考え過ぎている」と言う意味合いで「軽率なワルイ子」だと言った可能性があるという事であり、それはある意味「結良ちゃんが心愛ちゃんの性質を鋭く見抜いている事の裏返し」とも言えるのかもしれない。単に私が斜に構えた見方をし過ぎているだけの可能性も十二分にあるが……。

 しかしながら、心愛ちゃんとて全く人を疑わない程分別が無い人では決して無い上、心愛ちゃんが例え知らない人でも親密な関係性を急進的に築き上げている事にしても、心愛ちゃんは単に軽い気持ちで「人と仲良くしたい」と考えてやっているのではなく、本気で「人の気持ちを理解したい」と言う想いをもって行っている事なので、結良ちゃんの見立ては単なる杞憂に終わる可能性は否定できず、結良ちゃん自身にしても「人の真意をきちんと理解しないで人との距離感を縮めても碌な事にならない」と言う類の思い込みが彼女の心に強く存在している事が否定できない格好になる可能性は否めない。無論、人と交流する時は相手の事をよくよく理解する必要があるのは当然であり、碌に知りもしないで人との距離感を縮める事はリスキーでもあるため、結良ちゃんの考え方自体は間違っていない。にも関わらずやたらと尖って見えるのは、結良ちゃん自身のダークな性質と、彼女が少々異質な立ち位置にいる事が関係しているのかも知れない。

 何れにしても、結良ちゃんが考えている事は、細かく見ると決して無視できない問題はあれど「他の人とは一線を画す形での心愛ちゃんの深淵たる部分に差し迫った考え」だと言え、結良ちゃんが心愛ちゃんに対して考えている事は、そのままごちうさの真理にも差し迫る事だと言う可能性は十分に秘めている。抑々単純に「人付き合い」の事であそこまでの尖った雰囲気を出せるのはごちうさの中では狩手結良ちゃん位なものであり、その意味では「独創的な境地にいる孤高の存在」だと言え、そこから真理に差し迫る価値は十二分に引き出せる。尤も、テイストがごちうさにしては過激でもある為に少々受け入れ難いものではあるが、今となっては結良ちゃんの影響を全くもって無視することは最早不可能になりつつある。今後の展開によっては、ごちうさキャラの中でも特に癖の強い狩手結良ちゃんから逃れる事はどう足掻いても出来なくなるのかも知れない……。尤も、結良ちゃんは決して嫌な奴では無いと私は思っているのだが……。ある意味「『個性』と『欠点』は紙一重という事なのだろうか。

結良ちゃんの心境考察

 ここで少し結良ちゃんが心愛ちゃんに対して投げかけた「『姉を演じる事に疲れたのなら、私(結良)といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ』と提案したこと」と、それを心愛ちゃんが否定した際に「どの様な表情をしていたのか」について考察してみたいと思う。

 前述の通り今月号においては「結良ちゃんが心愛ちゃんに『どうしてそんなにお姉ちゃんに拘るの?』」「妹になりなよ。私といる時くらい。皆の事は忘れて。」と問いかけているのだが、ごちうさにおいては言うまでも無く「お姉ちゃん」は非常に重要な意味を持つ概念であり、心愛ちゃんにとっては育ち故に智乃ちゃんと出逢った時から憧れている存在*4でもある。それを問いかけてくるのはそのままごちうさの根幹を問いかけている」とも言って良いとすら思うのだが、結良ちゃんがこの様な問いを心愛ちゃんに投げかけた理由として、私は2つ考えている。

 1つ目は「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を揶揄う意味で、心愛ちゃんの真意を試した」と言うものである。元々結良ちゃんは「理世ちゃんに対する壁ドン」に代表される様に他人に対して人の真意を試す様な仕掛けを施す事があったのだが、心愛ちゃんに対してもそれらの一環として嗾けた(けしかけた)可能性があるという事である。結良ちゃん自身がこの様な人の真意を試す仕掛けを施す際、前述の「美形悪役の雰囲気」を思わせるダークな雰囲気を纏うのだが、今回もその様な描写があった事が主な理由となっていて、また、結良ちゃんは以前「心愛ちゃんに対して『嫉妬する』事」を幼なじみである理世ちゃんに明かしており、この事も今回1つ目の仮定に採用した大きな理由となっている。これは自分にとって嫉妬する存在を揶揄いたくなるのはある種の人間のサガとも言える中で、結良ちゃんは正にそれを地で行っているという事でもあり、この事は私が「結良ちゃんはごちうさの中でも特に人間らしい人間」である根拠も一つともなっている。

 この理由なら、結良ちゃんが心愛ちゃんに「どうしてお姉ちゃんに拘るのか」と言うのは「心愛ちゃんは心から本当にお姉ちゃんになりたいと思っているのか?」と問いかけている事になり、「私といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ」と言うのは「もしお姉ちゃんを演じる事に疲れたら、無心で結良ちゃんと言うお姉ちゃんに、心愛ちゃんは妹としてただただ頼れば良いんだよ。」と問いかけている事になるだろうと私は考えている。要するに心愛ちゃんを試しているという事であり、私の様な「ワルイ子」の誘いを受けた時にどのような返しをするのか、その反応を見てみたかった。その様に考えられるのである。因みにこの事は「結良ちゃんが自らヒール(悪役)を演じている」事にもつながる。元々結良ちゃんは敢えて自ら影の演者を振舞っている事がしばしば目立っており、心愛ちゃんに対して「悪い子は私だけで十分だ」とも言ったのも、自分が「ワルイ子」としての立ち振る舞いを行っていると分かっていると思うのなら、今回この様な誘いかけを行ったのも納得がいく。

 この場合の心愛ちゃんが「どの様な表情をしていたか」については、恐らくは「神妙な面持ちをしていた」と思う。どんな時でも明るく天真爛漫な心愛ちゃんだけにあって、抑々硬い表情をする事自体少ないのだが、そんな中でも心愛ちゃんが比較的固めな表情をする事や、悔しそうな表情をする事は普通に描写されている中で、今回表情が伏せられていたのには、恐らく今までにない位に心愛ちゃんのイメージとはあまりにかけ離れている為に敢えて表情を伏せたという理由が考えられたのが、今回「神妙な面持ちをしていた」と考えた主な理由であり、恐らくは心愛ちゃんの強い意志を示唆しているのだと考えている。誰に言われたとしても、自分が決めた拘りを譲る事は出来ない。その様な意志を感じ取ったのである。

 2つ目は「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を2人きりの時だけでも良いから独り占めにしたかった」と言うものである。結良ちゃんは以前理世ちゃんに対して「愛されている理世を見ると思わず独り占めしたくなる願望が表れる」と打ち明けているのだが、それが心愛ちゃんに対しても表れたという事であり、これは心愛ちゃんと「2人だけしか知らない様な親密な関係を築いてみたい」と言う結良ちゃんの願望の裏返しとも言える。元々結良ちゃんは人間関係に大なり小なりコンプレックスがある様に感じられ、特に2人だけの親密な関係性に強い拘りがあるのが窺えるのだが、それ故に心愛ちゃんに対してこの様な勧誘を行ったと言うのなら合点がいく。これもある意味人間らしい人間の特性を持つ結良ちゃんらしい特性だとは思うし、誰かを独り占めにしたいと言うのはある意味結良ちゃんの「やきもち妬きな部分」にも繋がってくるので、ある意味可愛らしい一面とすら思っている。少々異質な考え方だとは自覚しているが。

 この理由の場合「どうしてお姉ちゃんに拘るの?」と言う結良ちゃんの問いかけの真意を探るのは少々難しくなるが、恐らくは「お姉ちゃんに固執する必要は無いのだよ。」とさり気なく心愛ちゃんの心を揺さぶる言葉として投げかけたのではないかと考えていて、「私といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ」と言うのは「結良だけにしか見せない様な心愛ちゃんを見せてみてよ。私は心愛ちゃんと2人だけの秘密の関係を作りたいから。」と問いかけていた様に私は感じ取っている。要するに2人だけの秘密な関係性を作ってみたいという事であり、1つ目の「心愛ちゃんの真意を試す為に揶揄った」と言うものより一歩踏み込んだものになっていると思う。元々2人だけの親密な関係性に強い憧憬(しょうけい)がある結良ちゃんなら全然あり得る上、それを心愛ちゃんに嗾けるのも「結良ちゃんだからこそ可能な事」を思えば、私としては最早異論はない。

 この場合の心愛ちゃんが「どの様な表情をしていた」についてだが、これは結良ちゃんの問いかけの真意を探るよりも更に難しくなる。1つ目と違ってやや違った観点から仮説を立てているので、王道路線の見識を適応する事が中々困難な為なのだが、それでも考えるなら恐らくは「やや柔和な雰囲気をもった真面目な表情」だと思う。やや曖昧な表現で断定し切れていないのが否めない事は分かっているが、それだけ説明が難しいのだ。何を前面に押し出して説明するべきなのか、私も良く分からない。それほど複雑に絡み合っているという事なのだが、それでも心愛ちゃんは「結良ちゃんの真意を無下にする様な人では無いことと、心愛ちゃんには確固たる姉の目標を持っていること」を糸口にして何とか見出した答えが上記の内容なのである。これが正しいのか間違っているのか、それは私にも分からないが、少なくとも心愛ちゃんは結良ちゃんを突き放す様な表情はしていなかったと考えている。この仮説からは、心愛ちゃんの「お姉ちゃんとしての意志の強さと優しさ」が垣間見える様にも思える。

 以上の内容が、私が考える「結良ちゃんが上記の様な問いを心愛ちゃんに投げかけた理由」の考察である。1つ目は比較的今までのごちうさの流れに準拠した考察になっていると自分では考えており、気持ちとしても淡々と読み込んだ上で思う事を記述したテイストだったのだが、2つ目は我ながら結構攻めた考察になっていると考えており、気持ちとしてもより人間らしさを意識した上で思う事を記述したテイストになっている。その様な事情もあってどちらかと言えば1つ目の方が物語には即していると私も思うのだが、それでも2つ目の仮定を考えたのは「結良ちゃんの人間らしさと意外な一面により迫った考察をしたい」と言う私の想いがあったが故であり、考察する意義はあったと認識している。多少気恥ずかしい内容ではあるが、これが今回結良ちゃんと心愛ちゃんが深く交わる事でどの様な心境になったかの考察である。

相互影響がもたらす変化

 この様に心愛ちゃんと結良ちゃんの「ワルイ子」コンビは、今までのごちうさには無い切れ味を持つ存在である事は明白なのだが、ごちうさに限らず異なる人間同士が交流し合う事は、しばしば「新たな特性を相互影響的にもたらす事」を意味しているものであり、それは心愛ちゃん結良ちゃんのコンビも例外では無い。ただ、その形は今までのごちうさには無い異質なものだったが……。

 まず心愛ちゃんは、結良ちゃんに受けた「ワルイ子な部分」をそのまま智乃ちゃんにも振舞っている(背中から急に近付いている)のだが、智乃ちゃんからは「心愛さんではない。」全否定されている。天真爛漫な心愛ちゃんとは無縁とも言えるワルな雰囲気を急に持ってこられたら誰だって驚くものだが、育った環境*5故に元々匂いには敏感な智乃ちゃんにとってはかなりのものだったらしい。これには心愛ちゃんも思わずびっくりして、その後も「匂いが変化している」事を理由につけて色々と意地悪を言ってくる智乃ちゃんに対して、心愛ちゃんも心愛ちゃんで「意地悪だの悪い子だの」結構な事を言っているが、実は智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して意地悪を言うのも「心愛さんは今までの心愛さんらしくいて欲しい」と言う想いの裏返しがあり、別に心愛ちゃんの事が嫌いだから言っている訳では無い。智乃ちゃんは元々「人に素直な気持ちを伝えるのが苦手」と言う不器用な一面*6があり、それ故にあの様な毒舌気味になっているのである。ある意味智乃ちゃんがどんなに精神的に成長しても毒舌の切れ味は鳴りを潜めないという事なのだろうが、これは暗に智乃ちゃんとしては「ワルな影響を受けた大人な心愛ちゃん」よりも「何時も明るくてマイペースな心愛ちゃん」の方が好きだと言う事の表れな様にも思える。

 何れにしても、智乃ちゃんとしては心愛ちゃんには「急に雰囲気を変えて欲しくない」と言う想いが少なからずあると言え、それには智乃ちゃん自身が「知らない匂いを苦手としている事」が関係している。智乃ちゃんには元々人見知りの傾向がある事を思えば想像に難くないが、それ以上に「身近な大切な人が、急に全く違う雰囲気を持った人になる事は考えたくない」と言う想いも存在していると思われる。そうでなければ雰囲気が様変わりした心愛ちゃんを見て咄嗟に「心愛さんじゃない。」とイメチェンした心愛ちゃんを全否定する様な事は言わない筈だからである。そしてその言葉が咄嗟に出るという事は、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんが「最早欠かす事のできない大切な人」である事を示唆していると言え、言うならば「心愛ちゃんが結良ちゃんのワルな影響を受けた事により、智乃ちゃんが元々の天真爛漫な心愛ちゃんを心から好きである事を改めて証明した」格好にもなっているとも考えている。やや変化球である事も事実だが、ココチノの絆が改めて認識できたのは素晴らしい機会なのではないかと思う。

 次に結良ちゃんは、まず前述の通り心愛ちゃんに仕掛けたドッキリを理世ちゃんにも仕掛けて投げられるのだが、その少し前に「結良ちゃんに心愛ちゃんが『妹になった』と送られて理世ちゃんが悶々している様子」が描き出されている。突拍子の無い事を突然送り付けられれば誰だって思い悩むものなので、これは理解できるのだが、その後ドッキリじみた事を嗾けた結良ちゃんを放り投げる事は未だに理解できていない。何度考え直しても、どの様な視点から考えを試みようとしてもたどり着く答えは「異質」であり、そこから全く変わる事が無い。最早この放り投げた場面に限って言えば「そういうものだ」と割り切った方が良いのかも知れないが、何れにしても「異質」な事には違いないだろう。

 話が少々脱線したが、そんな理世ちゃんと結良ちゃん2人のやり取りの中で重要だと言えるのは「結良ちゃんが理世ちゃんに嫉妬させようと嗾ける為に、今回心愛ちゃんと接触をした」と言うのもあるが、一番は「結良ちゃんが心愛ちゃんの天真爛漫な属性の影響を受けている変化」であろう。結良ちゃんは元々ダークな性質を色濃く持つキャラをしており、それ故に心愛ちゃんの様な天真爛漫な明るさとは真逆の立ち位置にいたのだが、そんな結良ちゃんが「お花パワー」と称する明るい属性を心愛ちゃんから影響を受けたと言うのは興味深い変化だと言え、それを結良ちゃんにとっての幼なじみたる理世ちゃんに対して割に嬉しそうに言っているのは、結良ちゃんにとって「心愛ちゃんとのワルイ子の時間が思いの外楽しかった」という事の証明でもあると考えている。この事は以前心愛ちゃんに対して「嫉妬する」と明かしていた結良ちゃんにとって非常に意味のある描写だと言え、結良ちゃんにとって心愛ちゃんが「嫉妬の対象」から「ワルイ一面をも共有し合った、特別な関係を持つ存在」として変化しつつあることを示唆している様にも思える。

 因みにそんな結良ちゃんと心愛ちゃんの関係性を象徴したものが今月号のごちうさの最後のコマに描写されているのだが、その姿は「同じ飲み物を持った心愛ちゃんと結良ちゃんが、お互い内側の目を閉じる様にウインクをして、髪の分け目もそれぞれ内側に寄せている姿」をして写真に写っており、2人の仲睦まじい様子が窺える。ただ、その様子を結良ちゃんは(恐らくワルイ子を共有し合った関係と言う意味で)「共犯者だもん」だと言っていて、それに対して理世ちゃんは「妹じゃないのか」と質問しているが、それに対して結良ちゃんは「今のところはね~」と何やら意味深な言葉を述べており、やはり結良ちゃんはただ者ではない様子も窺える。尤も、その様子は「心愛ちゃんを引き込もうとする悪魔的な結良ちゃん」と言うより「純粋に心愛ちゃんとの距離をもっと縮めたいと思う純真たる結良ちゃん」と言う印象であり、孤高な印象が強い結良ちゃんも少しずつ理世ちゃんの友達の影響を受けている感触を覚える。これが今後どの様な変化をもたらすかは現時点では未知数だが、多少のダーク要素は持ちつつも明るい方向には向いていると思う。

3.あとがき

 以上がきらま2021年9月号のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回はごちうさの中でも特にミステリアス且つダークな魅力を持った狩手結良ちゃんが全面的に登場してきた回であり、それ故に可愛さだけに留まらないダークテイストが、ごちうさの更なる魅力に花に添える回だったとも考えている。その事を端的に言えば最初にも書いた様に「可愛さもダークさも兼ね備えた心震える回」という事になるのだろうが、こう思う理由として結良ちゃんは何もダーク気質だけに留まらず、女の子らしい可愛らしさも存分に持っている人と言うのがある。今回はそんな結良ちゃんのダークな面を主点として書き上げたのだが、前述の通り結良ちゃんはダークさだけでなく、女の子らしい可愛さも十分に兼ね備えている。実は結良ちゃんの心境考察における2つ目の仮定も、ダーク色が強めながらも結良ちゃんの意外な一面を主にピックアップして編み出したものである。

 ごちうさの中でも特に異質な雰囲気を纏っている狩手結良ちゃんの事を考える事は、実は今でも悩ましい要素が付きまとう事があるのだが、だからと言って結良ちゃんの異質な雰囲気や行動に多少戸惑う事はあっても、思い詰めてしまう事は殆どなくなった。抑々狩手結良ちゃんがごちうさにおいて絶大な影響を示し始める前からごちうさに対して思い悩んでいた私からすれば、結良ちゃんがちょっとやそっとの異質な行動をしても最早驚く事は無いし、驚いたとしてもそれを自分の中で上手く考察をして、ごちうさの世界観に落とし込むだけである。ある意味嘗て思い悩んだ経験が、今なおごちうさの世界観では異質な存在である狩手結良ちゃんをしっかりと受け止められるきっかけにもなったのだろう。

 また、今月号も先月号に続いて心愛ちゃんが非常に重要な役目を果たしていたと考えているのだが、今月号の心愛ちゃんは「ワルイ子」と言う今までの心愛ちゃんからは想像する事も出来ない異質な雰囲気を纏っていたのがキーポイントだと考えている。対比要素としては先月号ではそれまで孤立していた存在だった神沙姉妹を女神の如く先導する役目をしていたのに対し、今月号では女神とは真逆とも言える悪魔的な雰囲気を身にまとって結良ちゃんと行動を共にしていた事から、正に「天使と悪魔」と呼べし構図になっているのだが、実はもう一つ「心愛ちゃんが相手の雰囲気の影響を強く受けているかどうか」も対比になっていて、先月号では神沙姉妹の雰囲気の影響を受けていたのはさほど感じられなかったのに対して、今月号ではがっつり結良ちゃんの雰囲気の影響を受けているのがその最たる例である。この違いが何を意味しているのは現時点では良く分からないが、少なくとも心愛ちゃんは更に多くの人の色を汲み取って、更なる存在へと進化していくのだろう。

 最後に、今回私は狩手結良ちゃんのダークな魅力を中心として今回の感想考察文を構成させているのだが、文中にも度々書いた様に結良ちゃんの魅力は決してダークな魅力だけには留まらない上、今回は取り上げなかった結良ちゃんの奥底知れぬ魅力と言うものもまだまだ存在している。異質な雰囲気を持つが故に人を選びがちな結良ちゃんだが、その魅力はごちうさの中でも特に奥深いと認識していて、更に言えばその魅力をどの様に拵えるかは正に千差万別であり、人の数だけの魅力があるとも思っている。癖が強いからこそ存在する魅力と言うものを、私はもっともっと見てみたいと言う願望を書いて、この感想考察文の締めとする。

 

おまけ

今回の文量は過去5番目にして、400字詰め原稿用紙40枚分である。尚、過去最高が60枚分である。今回はやや少なめだが、これは狩手結良ちゃんの様々な特性をこの記事に書くのを敢えて省き、嘗て私が書いた記事を貼り付けたのが関係している。もし今回も特性を書き出していたら、恐らく原稿用紙50枚分近くの文量になっていたかもしれない。

*1:結良ちゃんに関しては最早何もせずとも普段の行動、立ち位置を見ると、既に「魔性の女」だと思わなくもないが。

*2:尤も、悪意が無いという事は「冗談ではなく、本気で言っている事の証明」にもなるが。

*3:ある意味心愛ちゃんが「女神」の様だと言われる所以でもあろう。

*4:心愛ちゃんは四兄弟の末っ子という事もあり、所謂お兄ちゃんお姉ちゃんに憧憬意識が強く存在している。

*5:智乃ちゃんは幼い頃からバリスタとして活躍する祖父の事が好きでずっと見てきており、それ故に自身もバリスタを目指していて、その情熱たるやコーヒーの銘柄を匂いで判別できる程。ただ、原作1巻の時点では所謂ブラックコーヒーは飲めなかった(抑々当時13歳でブラックコーヒーが飲める事自体異例だと言えるが)が、現在はどうなっているのかは不明。

*6:その一方で、自分がおかしいと思った事をストレートに一切の容赦なく口に出す辛辣な一面もあり、初期の頃はこれが顕著だった。

きらま2021年8月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。次々にごちうさの新情報が飛び込んできて、正直どういう風に受け止めれば良いのか分からなくなる程に喜ばしいのが本音ですね。時には長きにわたって思い悩む事もありましたけど、ごちうさを今まで好きであり続けて本当に良かったと最近より強く思うばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年8月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月は何と言っても神沙姉妹の活躍が目立つ回だったのでその事を中心に書き出したいと思いますが、他の人達もしっかりと見つめた上で思った事を丁寧に書き出したいと思っていますのでご安心ください。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は旅行編からの登場であり、チマメ隊と冬優ちゃんの同級生にしてマヤメグと同じお嬢様学校に通っている、喫茶店ブライトバニーの社長令嬢でもある神沙(じんじゃ)姉妹に焦点が当たったものであり、今回はその神沙姉妹に隠された謎に迫っていくのが一つのポイントになっている。また、今回はそんな神沙姉妹を温かく迎え入れている友達の熱き友情物語も必見であり、今回は全体的な主役は神沙姉妹である事は疑いないが、その神沙姉妹と友達である存在にも目が離せない回だと言えよう。

 今回のお話は神沙姉妹の一日の始まりから描写がスタートし、心愛ちゃんと紗路ちゃんによるちょっとした楽しい登校のひと時、マヤメグとの学食タイム、恵ちゃんと映月ちゃんと言うのんびり且つマイペースコンビによるフルール・ド・ラパンの物語と続き、フルール・ド・ラパンを巡ったちょっとした諍い(いさかい)を乗り越えて、改めて姉妹の大切さと友達の大切さを再認識させられる描写をもって締めとなるものであり、この中でも重要なのはフルール・ド・ラパンを巡ったものからの流れだと思うのだが、それは後に記載する。

 また、個人的には最も重要な事だと思うのだが、それまで謎に包まれていた神沙姉妹の姉妹関係が遂に満を持して明らかになった回でもある。どちらが姉で妹かはこの後の文章を読み解けば分かる事だが、私としては「衝撃」の一言に尽きた。一体何がどうだったのか。今回は嘗て私が昔考えていた神沙姉妹の人柄を元手に人物像をさらに深掘りして、そこから本編の物語にどのような影響を与えたのか、その事に対する考察も交えながら記載したいと思う。

2.神沙姉妹それぞれの人柄について

双子のお嬢様姉妹

 前述の通り今回のお話は神沙姉妹に焦点が当たっているのだが、まずはこの2人について、私が知る限りの事を丁寧に書き出したいと思う。神沙姉妹とは原作コミックス8巻の旅行編で初出したキャラクターであり、アニメには冬優ちゃん共々未登場。名前はそれぞれ神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)と言い、双子の姉妹*1である。双子故に非常に似ている為、彼女達を良く知らない人は外見だけで判別する事は難しいが、判別ポイントとして髪が長い方が映月ちゃん、短い方が夏明ちゃんと言うのが最も分かり易いポイントだろう。

 喫茶店ブライトバニーの社長を父に持つ、所謂社長令嬢であるが故に育ちが良く、幼少期から英才教育の手ほどきを受けてきた印象が見受けられる。しかしその一方で親の仕事の都合故なのか転校が非常に多く、それ故に同年代の人達と深い関係を築く事ができず、またその同年代の人にしても自分達より家柄を見ていた傾向も相まって、2人共に人と関わるのを極端に避ける姿が目立っていた。確かに友達を作ろうとしても、やっと仲良くなり始めたと思ったらすぐに転校してしまうわ、抑々周りの人達が人柄よりも家柄ばかり見ているわとなれば無理はないのだが、周りの人にしても神沙姉妹のキャッチー(注意を引く様な)な一面として家柄があり、そこから彼女達を知ろうとしていた可能性も考えられる上、周りの人達にしても転校が多い神沙姉妹と仲良くなり切る前に関係性が遠のいてしまった事も十分に考えられる。つまり神沙姉妹が思っている程周りの人達はそれ程冷たい人ばかりでも無かった可能性があった(何なら良い人達もいた)という事なのだが、こう考える背景には、神沙姉妹からの視点からしか知らず、神沙姉妹が言う周りの人達の言い分を全く知らない為に、神沙姉妹の言い分だけを聞いて判断する事自体不適切であると考えているからである。偏った意見だけを吸い上げて判断しようとしても真理には近つけず、寧ろ遠のいてしまう事を思うなら尚更である。勿論、神沙姉妹の気持ちは痛い程理解できるし、人を見ずに属性ばかり見ようとする周りの人達にも問題が無い訳では無い事も分かっているのだが、それでも私としては神沙姉妹の意見だけを汲み取って、一方的に周りの人達が全て悪いと思う事はやってはいけない事だと考えている。難しい問題ではあるのだが、私は色々な意見を聞いて、そこから立場を明確にして述べるべきだと考えている。

 また、神沙姉妹が人と関わることを避けていたという事は、必然的に姉妹関係が親密になっていく事を意味していたとも言え、事実姉妹仲がとても良く、何時も2人一緒に行動している事が多い。2人で行動している時は、のほほんとしている事が多い映月ちゃんをしっかり者の夏明ちゃんが引っ張っていく事が多く、その事から私は夏明ちゃんの方が姉だと思っていた。無論、蓋を開けてみると見事なまでに間違っていた訳なのだが……。

 2人共自分の本心を積極的に見せる様な人ではなく、特に夏明ちゃんがこの傾向が顕著にある。これも前述の経緯が関係している可能性があると考えられるが、普段から喜怒哀楽を見せない訳でも無く、寧ろ感情豊かな面があり、この辺りは嘗ての智乃ちゃんとも今の冬優ちゃんとも異なっている。また、2人共人柄が良く、本当は争い事を好まない心優しい性格をしているのが読み込めるため、誤解されやすい面こそあるものの、本来は人から好かれる人柄をしていると言って良いと私は考えている。

 ここからはそんな神沙姉妹それぞれの特性について書き出したいと思う。

のんびりとしたお姉さん

 ここで少し思い返してみよう。今回のお話は神沙姉妹の姉と妹が判明する回だと書いたが、その内容が私としては「衝撃」だったと書いた。何故なら、しっかり者の夏明ちゃんが姉では無く、のんびりマイペースな映月ちゃんの方が姉だったからだ。別に映月ちゃんの方がお姉さんだった事実に対して異論は全く無い*2のだが、如何せん一般的なお姉さん像とは全く無縁の姿しか見せていなかった為、てっきり夏明ちゃんが姉なのかと思っていた為に意外だった。とは言っても「マイペース且つのんびり屋なお姉さん」ごちうさの中でも唯一無二と言っても良い立ち位置*3なので、私としてはマイペースでのんびり屋な映月ちゃんがしっかり者たる夏明ちゃんのお姉ちゃんであっても全然良いと思っているし、寧ろお姉さんである事でより映月ちゃんの魅力が深まった様にも感じている。

 そんな映月ちゃんだが、性格は何度も書いてきた様におっとりしたマイペース且つのんびり屋で、普段からガツガツ前に出る様な事は無く、かなり控えめな印象を受ける。普段から周りに対して過剰とも言える程に気を張っている夏明ちゃんと違って、映月ちゃんは気を殆ど張っておらず、何時ものほほんとしていると言う、所謂呑気者な一面がある。それ故かどうかは分からないが、しっかり者たる妹の夏明ちゃんと比べてどこか抜けており、且つややだらしのない面があり、特に朝に弱い一面が窺える。更に言えば、その様子は姉のマイペースな性質としっかり者の妹と言う事も相まってココチノを思わせる*4ものであり、不思議なシンパシーを感じるものにもなっている。これに限らずごちうさにおいては立ち振る舞い的な意味でのキャラクターにおいてもしっかり者が妹で、マイペースなのが姉と言うケースが多いが、これは何故(なにゆえ)なのだろうか……。

 所謂良家出身のお嬢様且つお姉ちゃんではあるが、普段はそこまでお嬢様とは感じられない上に、地位や名誉に対して執着心は全く無い様に感じられ、世間一般的に言われるお嬢様とはかなり違った人柄*5をしているのが窺える。しかしながら、その一方で自分が思った事を一切の躊躇なく人に話す事ができる度胸の大きさと、何があっても決して折れない芯の強さを併せ持っており、物怖じせずに思った事をストレートに言う特性は時に人を困惑*6させてしまう事もあるが、一方で後述する様に大人をも動かす力をも秘めている。その為、映月ちゃんは「普段はおっとりしていて且つのんびりとしているが、他方では誰かの為なら大人相手に物申す事も全く厭わない*7芯の強さを併せ持った、実は気概*8に溢れる人」だと言える。つまり可愛さとカッコ良さを兼ね備えた人だという事であり、女の子としての可愛さと、人情味溢れるカッコ良さ、その両方を併せ持つ意味では理世ちゃんにも通ずるものがある。ただ、理世ちゃんと大きく違うのは普段の特性であり、理世ちゃんは「普段はサバサバした男勝りのカッコ良さ即ち姉御肌気質だが、その内には誰よりも女の子らしい可愛らしさを持つ」のに対して、映月ちゃんは「普段はマイペースでお淑やかな可愛さを持つお姉さんだが、その一方で何があっても決して折れ切らない芯の強さを持った、気概に溢れる精神力を内に秘めている」のであり、普段の特性と内面の特性が逆の関係性にある。ただ、お互いにとても良い人なのは共通している。

 感情性豊かな一面があり、何時も物腰柔らかな雰囲気も相まってお姉さんの様な雰囲気を醸し出していると言え、実際にお姉さんだと判明した今となってはその見方は更に強まると考えられる。千夜ちゃん程では無いが独特の感性の持ち主でもあり、甘兎庵のあの独特のメニュー名をサラッと解読してしまう程の感受性の高さも相まって千夜ちゃんからはかなり気に入られている*9。更に言えば、感受性が高いが故なのかは分からないが、よく目をキラキラさせている印象が強く、割に好奇心旺盛な一面があるのではないかと考えている。

 人間関係に関して言えば、元から新しく形成する事を諦観*10していた面も否めなかったが、夏明ちゃんとは異なり拒絶意識こそそこまで目立ってはいなかったものの、それでも今までの経緯から何時しか「自分たちの様な転校ばかりのいわばよそ者が今更親密な関係を創れるはずが無い」と心の何処かで思う様になり、且つそれを受け容れる様になっていた様で、積極的に人間関係を構築しようと頭の中で考えたとしても、それを実際に行動に移す姿は木組みの街に来るまではあまり見受けられなかった。彼女の今までの経緯を考えればそうなってしまうのも無理はないのだが、まだ10代半ばにしてその様な状態になってしまった心境は察するに余りある。だって誰だって人から好かれたいとは願うものだし、まして嫌われても良いとは思いたくないものであると言うのに、それを強引に歪ませて「自分には夏明ちゃんが居るから平気だ」とまで思わなければならなくなってしまったのだから……。しかしながら、それを木組みの街の人々が持つ温かき人情が少しずつ変えていったのは言うまでも無い。この事は、元々は普通の友達関係を普通に築きたかったであろう映月ちゃんにとってどれほど喜ばしい事なのか、その真相は彼女にしか分からないが、私には幸せそうな彼女の姿が映っていると感じている事は言っておこう。

しっかり者の妹さん

 ここからは神沙姉妹の妹である夏明ちゃんの方に焦点を当てたいと思うが、その前に書き出したい事がある。もう何度も記載している事だが、今回のお話で夏明ちゃんが妹だと判明した訳である。私はこの事実を知る前は夏明ちゃんが姉だと考えていた面があったのもご明白である。勿論夏明ちゃんが姉だと言う根拠は全く無かった上、明確に明らかになっていない姉妹関係を断定する事をするつもりも全く無かったのだが、ごちうさ好きたるもの、客観的には分からずとも考えなければ話にならないと私自身思っていたのもあったので、間違っているのも覚悟の上で予想を立てていたのである。結果は見事に見当違いであったが、こうなる事は客観的に信頼できる判断材料が何一つない中で姉妹関係を断定しようとする事が土台無理な話だった事を思えば簡単に予想出来た事だったと言えるため、どうであっても受け入れる覚悟はできていた。尤も、実際にはそんな大層な話では無いのだが、この様な経緯を踏まえて、夏明ちゃんについて思う事を改めて書き出したいと思う。

 夏明ちゃんは映月ちゃんの双子の妹であり、のんびり屋でマイペースな姉とは対照的にしっかり者且つ常識人であり、実質的に夏明ちゃんが映月ちゃんの事を引っ張っていく事もしばしば。周りに対してかなり気を張っている事が多く、強気とも高飛車とも見て取れる言動も相まってやや近寄り難い雰囲気を醸し出しているのは否めないが、これは無理に演じている面も強く、実際には割とフレンドリー且つ、優しい人柄をしている。無理をしてまで気を張っているのは、実はナイーブで傷付きやすい一面があるからなのかも知れない。また、生真面目で何事にも一生懸命な人でもあり、この事は夏明ちゃん自身あまり表に出さないが、そう言った点があるからこそ、人から信頼される理由であるとも言える。因みにかなりの熱血な一面もあり、過去にはピアノを教えて欲しいと年上のプライドを捨ててまで頼んできた理世ちゃんに対してスパルタ教育じみた形で教えた事もある*11様に、やるからにはとことんやると言うスタンスが見受けられる。

 良家のお嬢様らしく、育ちが良いと感じる一面は姉同様に見受けられるが、姉と違うのは「夏明ちゃんはお嬢様特有の振舞いを意識、理解した上で周りに振舞っている一面がある」事であり、それ故に良くも悪くもごちうさの登場人物の中でも一番お嬢様らしい振る舞いをする事が多い。但し、前述の通り本人は好きでお嬢様らしい振る舞いをしているというよりかは「自分自身を護る為に振舞っている」側面がある為、実際には大分堅苦しい思いをしているのも否めないと思われ、事実ごちうさにおいては良家のお嬢様と言う意味では理世ちゃん、神沙姉妹が該当する*12が、その中でも一番堅苦しい思いをしている様にも思えてくる。

 生真面目で常識人という事で礼儀作法にもシビアな一面があり、普段から礼儀正しい対応をする為に気を張っているのが見受けられる上、特に年上等の目上の人に対する言葉遣いにシビアで、実際に旅行編においては姉である映月ちゃんに対して、年上に対する礼儀として「年上には敬語!」と注意した事がある程で、ごちうさにおいてここまで言葉遣いに神経質なのは夏明ちゃん位*13なものである。これには育ち故に礼節には特に厳しく言われてきた経緯があると思われるのだが、その割に姉の映月ちゃんは礼節に堅苦しくなく、何時も物腰柔らかな対応を取っているので夏明ちゃん自身の性格が大きいと思われる。ただ、その一方でテンパリ屋なのが否めず、自分の事に関して図星を指される*14事を人に言われると途端に平常心を失い、慌てふためく姿がしばしば見られる。また、感情が表に出やすいタイプでもあり、同時に人に感化されやすい一面を持っており、それ故に実は傷つき易い所がある様に感じられる。更に感情性豊かな面もあり、姉程では無いがセンスに溢れている面がある。その為、夏明ちゃんは「普段は真面目で気を張っている事からやや近寄り難い雰囲気もあるが、実はナイーブでデリケートな精細な感性と心を持つ人」だと言える。つまり姉と違って決して芯が強い人間では無いのである。

 人間関係に関しては姉以上に諦観意識が強く目立っており、更に単純に人間関係を新しく形成する事を姉同様の理由から避けていただけでなく、彼女はそれに付け加えて「私は人間関係を形成する事を避けてきたから、今更人間関係を形成する事を望んではいけないし、周りもきっと受け入れてくれない」と、今までの経緯からそう考えていた面が木組みの街に来たての頃まで目立っていた。真面目な性格故に「私はずっと人間関係と向き合わずに姉の存在に逃げてきたから、他人に対して深く求める事はしてはいけない」と、自分で見切りをつけてしまっていたのであろう。確かに人間関係の在り方について真摯に考える事は悪い事では無いのだが、それでも自分で自分を更に追い込む様な考えに陥ってしまえば本末転倒なのは明白であり、それは夏明ちゃん自身も良く分かっていたと思われる。なのにその本末転倒の状態になってしまっていたのには、彼女のただならぬ心境と経験が強く関係していると言えよう。そして、木組みの街に来た当初もそのスタンスを貫こうとした姿が見受けられたのだが、旅行先で出逢った木組みの街の住人と奇跡とも言える再会を経て、彼女は大きな変化を遂げる事になった。現段階でこそその変化は微々たる様に思えてくるが、時が経てばより明確に分かってくるであろう。

 ここからはいよいよ本格的な感想・考察に入りたいと思う。今回書き出したい事は神沙姉妹に関係する事はもちろんの事、紗路ちゃんがアルバイトとして勤めているフルール・ド・ラパンにまつわる事についても考えている。それらについて自分としてはどう思ったのか、改めて率直に書き出すとする。

3.購読した感想・考察

逆転の姉妹関係

 いきなり先の内容と被る所があるものだが、神沙姉妹がまだまだ謎な一面が多い中で、姉妹関係が今月号で唐突に明らかにされた時から「本来は妹である夏明ちゃんが姉に思われ、本来は姉である映月ちゃんが妹に思われるか」と言うのは正直自分の中で大きく圧し掛かってきた。今月号の作中内でも「映月ちゃんが姉」だと思っていた人は誰一人としていなかった*15し、私としても「映月ちゃんが姉」だとは前述の通り正直思ってもみなかったからである。

 何故こうなったかと言えば、私としては「映月ちゃんがお姉ちゃんらしく思えない性質をしているから」だと考えている。先に書き出した映月ちゃんの性質を見ると、どれも表立っては姉だと一目で分かるものはない上、妹である夏明ちゃんがしっかり者と言う表立って姉っぽく思える性質をしている事も相まって余計に姉っぽく思えなくなっていると思われる現実が存在している。また、それ以上に「何時も前に出てリードしているのが夏明ちゃん」と言う事実が、映月ちゃんが姉として見られない大きな要因なのだと思えば合点がいく。更に、ごちうさにおいての「姉」と言う存在は、心愛ちゃんやモカさんに代表される様にマイペースな一面はもちながらも「皆を導く先導者の性質を併せ持つ」立ち位置である事が多く、それは必然的に積極的に誰かを引っ張ろうとする事が求められる事を意味している。その観点からも、映月ちゃんはマイペースなのは満たしているが、彼女は積極的に誰かを引っ張っていると言うより、完全に夏明ちゃんに引っ張られている現実が存在している*16事を鑑みるなら、やはり映月ちゃんが姉とは思えないとなってしまう。尤も、これらの特性も姉妹関係が正式に判明した今となっては、お姉さんでありながらそれを隠しているとも見て取れる「唯一無二の特性を持ったお姉さん」だと言えるのだろうが、それも正式に判明したからこそ言える事であり、判明していないとなれば中々「映月ちゃんが姉」とは思うに思えなかったのが私の結論だった。勿論これは私の考えであり、実際には姉妹関係が正式に判明する前から「映月ちゃんが姉」だと予測していた人は絶対にいたと思うし、確固たる意志をもって映月ちゃんが姉だと考えた人もいたとも思っている。でも私は映月ちゃんがお姉さんとは思っていなかった。この事をもし映月ちゃん本人に言ったのならば、恐らくはきらま8月号107ページ一番右下コマに描かれている「飾り目のショック顔」を私にも直接披露された事だろう。全くお恥ずかしい話である。

 しかしながら、前述の通り映月ちゃんが姉だと思っていなかったのは作中の登場人物も例外では無かった。今月号で描かれている限りでは紗路ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんは確実に映月ちゃんが姉だとは思っていなかった様で、マヤメグにその事を言われた時に前述の「飾り目をしたショック顔」を見せたのである。紗路ちゃんやマヤメグが、映月ちゃんが姉だとは思わなかった理由には、やはり神沙姉妹の普段の振る舞いと関係性があるとは思うのだが、もう一つの理由として心愛ちゃんと言う姉の存在があった可能性がある。何故なら、2年以上にかけて明るく積極的で、尚且つ皆を導く行動力も、先導者としてのセンスもある「心愛ちゃんと言う姉」を見ていれば、例えその姉の肩書きが自称であっても多かれ少なかれ影響を受けてくるものであり、事実心愛ちゃんの周りにいる大切な人達は心愛ちゃんの影響を多少なりとも受けている一面が散見*17され、特に智乃ちゃんが心愛ちゃんに触発されて今の豊かな自分自身の礎を築き上げたきっかけとなったのは最早疑いない事を慮るなら、心愛ちゃんと一緒に大切でかけがえのない時と空間を長きにわたって共にしている人達は、無意識の内に「心愛ちゃんの様な人が姉みたいな人だ」とどこか思う様になっていた可能性が私の中で浮上したのである。ただ、紗路ちゃん、マヤメグどちらにしても映月ちゃんが姉だと思わなかった要因に「心愛ちゃん」は入っていなかった上、抑々心愛ちゃんを引っ張り出して神沙姉妹の姉妹関係を推察しようとする事自体無理が否めない為、自分でも正直突拍子も無い考えだとは感じ取っているし、正直あまりにも突拍子が無さ過ぎる為、この考えは文面から消し去ろうかとも本気で考えた。しかしながら、人間の価値観は往々にして変化するものであり、特に身近にいる人から影響を受ける事が多いのが兄弟(兄妹)、姉妹関係であると私は考えている。ならば心愛ちゃんと言う姉の振る舞いが、周りの人間に多かれ少なかれ価値観の変容を引き起こしてもおかしくないと思ったのなら、自分の価値観をもって、ありのままに書き出す事に意味があると思い、消し去る事を止めて残す事にした。何が正解か分からないのが考察なら、何を思い、何を書き出すのかも自分次第。ただ只管(ひたすら)に恥ずかしい話なのだが、どうか理解して欲しい。

 この様に映月ちゃんは「彼女がお姉ちゃんらしく思われない性質をしている」事と「妹である夏明ちゃんが普段から映月ちゃんの事を先導していた」事が要因となり、私は姉とは思う事は基本的に無かったし、それは作中の大半の登場人物も同様だったと言える。尤も、映月ちゃんの事を姉だと思わなかった事実について作中の登場人物は仕方ないと思うが、私に関して言えば如何ともし難い事態である事は疑いないとは思う。しかしながら「どの様な性質を持つ人が姉だと思うのか」については人によってバラツキが生ずるのは明白であり、それに伴い「どの様な人柄を姉に相応しいか」と思うのは個人の自由と言う事にも繋がる為、そもそも「姉っぽくない性質をしているから姉とは思わない(思えない)」等と言う判断基準が誤っていた面は正直あったと思う。良く「人を見かけで判断するな」と世間では言われるが、それは姉妹関係を推し量る場合でも同じ事なのだろう。何と言うか、改めて人の特性・立場・出自を理解する事は容易では無いと思うばかりである。

 しかしながら、映月ちゃんとてお姉さんと思われる事は少なくとも、全くお姉さんらしさが無い訳では無い。こう書くと「実際にお姉さんなのだから、幾ら周りからお姉さんとは思われなくとも、お姉さんらしさが少しはあって当たり前なのでは?」となるが、映月ちゃんのそれは他の人のお姉さんらしさとは一線を画すものであり、カッコ良さすら感じてしまう程である。その様な姿は今月号で確認できるのだが、その前にフルール・ド・ラパンについて新たに分かった事を考察したい。

フルール・ド・ラパンの物語

 抑々フルール・ド・ラパンとは紗路ちゃんと麻耶ちゃんがアルバイトをしているハーブティー専門の喫茶店であり、店員さんがロップイヤーと呼ばれるうさぎの耳を模した装着品を頭の上に着けているのが特徴で、制服も喫茶店と言うよりかはメイド喫茶寄りのテイストになっている。この様なテイストになっているのは紗路ちゃん曰く「店長の趣味」だそうで、その店長さんは長らく未登場だったのだが、今月号でサラっと登場し、女の人だった事が判明している。その店長さんだが、見た目は狩手結良ちゃんを思わせる容姿をしており、雰囲気もどこか独特であるが、個人的には良い人そうだと感じ取っている。

 そんなフルール・ド・ラパン(以下、フルール)だが、今月号は中々重要な役目を担っている。抑々今月号の舞台そのものにしても中盤はフルール中心になるのだが、まずは恵ちゃんと映月ちゃんと言うのんびり且つマイペースコンビによるフルール・ド・ラパンの物語が始まる。展開としては少し悩み事を抱えている映月ちゃんを見かねて、恵ちゃんが気分転換として連れていく形となって2人でフルーツフェスタを堪能するのだが、なんと2人共財布を忘れてお金が払えなかった為に、フルールの店長から皿洗いをさせられる*18と言う、ちょっと飛んでいる内容になっている。因みにこの様な展開、漫画やアニメでは度々ある展開ではあるうえ、このごちうさにおいても店長が直々に皿洗いと言う名目で仕事をさせると言う形で描写されているが、現実においては当然ながら無銭飲食に当たり、然るべき対処を怠り支払い義務を逃れた場合、刑事罰及び民事請求を受ける可能性が発生するのでくれぐれも御注意を。また、もしその様な事態に遭遇しても当方では責任を一切負いかねるので念のため悪しからず。

 こうして2人はフルールで働く事になったのだが、今回は恵ちゃんには殆ど焦点が当たっておらず、映月ちゃんに集中的に向けられている。そんな中、思わず「ダメな子……」とボヤいた映月ちゃん*19に対して紗路ちゃんがフォローをしてあげ、少し話し合いをしている姿が存在している。だが、そのやり取りの内容が個人的には気になる所が一つあり、それは紗路ちゃんがフルールで働き始めた理由がまさかの「お会計時にお金が足りなくて皿洗いをさせられた」(実はメグエルの事を全く言えない立場だった)と言うものも衝撃的だが、それを紗路ちゃん自身が彼女特有の気品オーラ全開で映月ちゃんに打ち明けると言うのもびっくりものであった。因みに紗路ちゃんがフルールで働いている理由が明確に明かされたのもこの場面である。元々カフェイン酔いしやすい体質故にラビットハウスの様なコーヒーを専門に取り扱う喫茶店では「仕事にならないどころか、迷惑をかける事にもなる」と言った理由で、継続的な働き場所として選ばなかった事は明らかになっていた*20のだが、何故にフルールを選んだのかは明らかになっていなかった。と言うのも、紗路ちゃんがフルールで働く事になった事情を自ら秘匿(ひとく)していたからである。確かに「お金が足りなくて皿洗いさせられたのがきっかけ」とは、親しき仲であればある程言いづらい事ではあるので、言いたくない気持ちは理解は出来るのだが……、それでも親しき仲だからこそ、言った方が良い気がするのもまた事実であろう。ただ、その事をきっかけになんだかんだ2人共打ち解けつつある様な様子は見受けられるので、その点では良かったとは言えるし、抑々本人の意思を尊重する事は大原則なので、ある程度は致し方ない事だとも言える。また、紗路ちゃん本人も「秘密はいつかバレるもの」という事を経験則で解っている為か、自身の秘密を知られた事に対して「やれ見返りがどうだの、約束を反故*21にしたらどうだの」そう言う事は言わない優しい一面があり、事実映月ちゃんに対しても対価は求めておらず、助言程度に留めている。今後どうなるかは未知数だが、少なくともシャロエルはお互いに良い人同士なので、良好な関係性が築けるとは言えるだろう。

 ここからはフルールにおける映月ちゃんの「芯の強さとお姉さんらしさ」を発揮した部分を中心に考察したいと思う。

気概に溢れたお姉さんと父親

 フルールにおいて、映月ちゃんが持ち前の「芯の強さとお姉さんらしさ」を発揮したのは「フルールが神沙姉妹の父親が社長を務める喫茶店ブライトバニーによって買収される計画が検討されている事を知った時」である。買収を検討し始めた理由は「立地条件が良い事」で、ブラバの社員が何度も駆け寄り、しかも条件を釣り上げている事から立地場所として相当好条件なのが窺える。当然ながら、フルールの店長は断っているのだが、ブラバの社員とて本気なので引くに引けないと言う、所謂膠着状態になってしまっているのであった。

 この事実を知った時、映月ちゃんは結構な形相で驚いていたが、この事から神沙姉妹の父親は娘たちに喫茶店事業は殆ど教えていないのが窺い知れると私は考えている。何故ならあの時の映月ちゃんの反応は「本当に知らなかった時の反応に他ならない」と即座に感じられる程の顔つきになっていたからである。映月ちゃんは所謂ポーカーフェイスでは無く、割と思った事がはっきりと出るタイプであり、もしフルールが買収される事を知っていたのなら、あそこまでの驚きの顔を見せない筈だが、今回結構な形相で驚いていたのは「彼女が本当に知らなかった」事を示唆していると言える。ともすれば、何故に神沙姉妹の父親は「娘達に事業を殆ど教えないのか」となるが、これは抑々「事業問題は社外秘である事から、例え自分の娘であっても教える事は出来ない」と言うものや「そう言った事業を教える年では無い」といった至極真っ当な理由が考えられるため、別に特段おかしい事でもないだろう。

 尚、この買収計画に対して紗路ちゃんは割と理解を示しており、理解を示しているのはブラバの「懸命な企業努力で発展してきた会社」と言う経緯を知っているが故*22なのだが、この時「コーヒーが駄目なのにブラバの店員になりそう」だと冗談めいた事を飛ばしてもいる。この事に対して私は「仮にもフルールの店員が軽はずみに冗談を言うのでは無い」と正直思ったのだが、この様な冗談を飛ばした真意として、紗路ちゃんは今回の買収計画に対して「自分達の様な立場ではどうする事も出来ない事」と言う非情且つ冷血な現実*23を良く理解しているのが関係している可能性があるからではないかと考えている。聡明な紗路ちゃんの事なので、恐らく「買収計画はどう足掻いても避けられない運命にあるのかも知れない」事を頭の何処かでやんわりとは分かって、その上で覚悟を決めていて、それでも今までの思い出や経験がある手前、どう言い表せば良いのか分からなくなり、普段シリアスな物事に対して軽はずみな冗談を言わない紗路ちゃんが、今回冗談路線に突っ走った可能性がある。無論、紗路ちゃんもフルールは無くなって欲しくないのが本心なのだが、大切な居場所が無くなってほしくない自分の想いと、どう足掻いても買収計画は逃れられないかもしれないと言う非情な現実とで板挟みになり、どう言えばいいのか分からなくなってしまったのだろう。こう言った事になったら、誰だって路頭に迷うものである。

 そして、そんな話を聞いた映月ちゃんの心には火が点いた。もしここでフルールの買収計画を許せば、ラビットハウスや甘兎庵までもブラバの買収計画に挙げられ、それまで人との関わりを極端にまで避けてきた私達神沙姉妹にとって、やっと巡り逢えたかけがえのない人達の居場所が消滅の危機に瀕する事になる。その様な事を思ったのであろう。そして、映月ちゃんは遂に交渉現場に乗り出す事を決意する。今までののんびりマイペースだった映月ちゃんとはまるで別人とも言える、誰かの為になら大の大人相手にも怯まない芯の強さを持った、気概に溢れた性質をもって怖気る事無く切り込んでいくそして、この案件がこの場で決められないと言われれば、自分の父親と直接交渉に乗り出すと言うとんでもない提案*24をし、それを本当に実行してしまう。結果的には怒られながらも再検討してくれる事になった(つまりフルールの買収計画は一旦保留になった)と言うが、この恐るべき行動を普段マイペースでぽわぽわしている事の多い映月ちゃんがやっているのである。何と言うか、普段とのギャップもそうなのだが、まだ高校1年生なのにこんな事をやってのけてしまうとは、なんて凄い人……。

 映月ちゃんのとったこの一連の行動に対して、私としてはここで今まで書き続けていた「映月ちゃんは相当な気概を持つ、芯の強いお姉さん」と言う印象を抱いた。散々書いた事ではあるが、抑々映月ちゃんが上記の様な一連の行動をとった動機として「やっと巡り逢えたかけがえのない人達の居場所が消滅の危機に瀕する事になってしまうのは嫌」と言うのは間違いないと考えているし、その根拠も十分にある。ただ、その為に社長である父親相手に対等に物申す事を決断、実行すると言う、映月ちゃんの様な高校生はおろか、大人でもそうそうできない事*25を実行しているのがミソなのであり、そう言う意味では映月ちゃんは「高校1年生とは思えない程に芯が強く、並の大人を凌駕し得る程の気概を秘めるお姉さん」だと言っても良いと思っている。尤も、映月ちゃんとて高校1年生にしてはメンタルがかなり強い方だと思われるとは言え、鋼の如く強い訳では無いので、この行動をとった後に周りからどんな目で見られる事になるのかかなり不安視する様子が見受けられると言う、良くも悪くも年相応らしい面もあるのだが、夏明ちゃんを始めとした映月ちゃんの周りにいる人達は皆映月ちゃんの事を大切に想っているうえ、自分たちの大切な居場所でもある喫茶店が無くなってほしくないと言うのは夏明ちゃんにしても、他の皆にしても同じ事を思っている。なので、映月ちゃんとしてはこれからも心配する事無く、己が持つ素晴らしきものを存分に発揮して欲しい。

 また、フルールの買収計画を止める様に進言した映月ちゃんの事を叱りながらも買収計画を再検討すると判断をした、神沙姉妹の父親でもあるブライトバニーの社長は「人として器量の大きい人物」だと個人的には考えている。社長たるもの、事業拡大の為にあらゆる手段を尽くすのは当然だが、同時にその事業拡大により不都合が生ずると言う意見を提唱する者がいるのならば、その意見を真摯に受け止めると言うのも社長には必要な事だと私自身考えている中で、この社長さんは怒りながらも自分の娘が提唱した意見と真摯に向き合った結果を下したと言う事実は私の心に深く突き刺さった。尤も、考え様によっては「自分の娘の意見だからその様な決断をした」と言う見方も出来なくも無いが、世の中の社長さんが全員自分の娘ひいては身内の言う事を無条件に真摯に受け止めるかと言われれば、そうではないだろう。ビジネススタイルは人それぞれであり、その中には「たとえ身内の進言であっても基本的には考慮しない」と言う独善的なスタイルもあるだろうし、或いは「どんなに些細な意見であっても、意見があるからには反映させなければならない」と言う大衆に広く開かれたスタイルもあると私は考えている。ただ、一番重要なのはスタイルそのものでは無く、そのスタイルを掲げている人が「どの様な信念をもってそのスタイルを掲げているか」なのであるとも考えていて、言うならば、スタイルそのものが善し悪しを決めるのではなく、そのスタイルを扱う人がどの様な理念をもって取り扱うかで初めて善し悪しを判断できるものだとという事であり、ブライトバニーの社長がどの様なスタイルをもって懸命な企業努力の末、今の様な大企業にのし上がったのは分からないが、少なくとも「人の意見や忠告を一切合切聞き入れない」と言うスタイルは採っていない事が今回の再検討の決断から窺えると私は思っている。そう思っているからこそ、今回私がブライトバニーの社長に対して「人として器量の大きい人物」だと思えるし、それはきっと娘である神沙姉妹にも受け継がれているのだとすら思う程である。神沙姉妹とて他人に対して軽薄な事は全く無く、寧ろ「他人を深く思い遣る事のできる、優しい人」だと個人的には確信しているのだが、それも親からの好影響だと思うと、中々に興味深いと言えるだろう。

再来の日常

 この様にフルールでの一件をめぐっては大活躍だった映月ちゃんだが、一日経つとまた夏明ちゃんに引っ張られるのんびり映月ちゃんに戻ってしまう。映月ちゃんにとってはのんびりなのがある意味平常運転なのだが、如何せんギャップが大きすぎる。それが彼女の魅力と言えばそれまでだが。因みにここでの日常と言うのは今月号における最初の物語の事であり、暗に日常が繰り返される事を暗示していると言える。尤も、本当の意味での同じ日常(所謂無限ループ)が繰り返される訳では無いのはごちうさを読み込んでいる人ならすぐに分かる事だろう。

 この場面においても重要な要素がいくつかあると考えており、それは映月ちゃんが心配していた「周りからどんな目で見られるのか分からない」と言うのが、実際にはマヤメグも何も変わらず接してくれたと言う事実*26もその一つなのだが、もう一つ欠かす事のできないものとして「心愛ちゃんが映月ちゃんの事をお姉ちゃんだと直感で見抜いた事」であろう。それまでも心愛ちゃんと神沙姉妹は何度も会ってはいるのだが、心愛ちゃんが神沙姉妹の姉妹関係を知っている訳では無く、まして心愛ちゃんは神沙姉妹の姉妹関係が判明したやり取りを直接は知らない事から、本人が「同じ波長を感じたから」と語っている通り所謂直感で見抜いたと考えられる事になる訳だが、冷静に考えて直感で双子の姉妹関係を自然と見抜いてしまうのは異例な事であり、普通の人なら到底出来ない事である。これは心愛ちゃんがややもすると「実は誰も敵わない非凡な才能(鬼才*27)を持っている」事を体現しているとすら考える事が出来ると個人的には思うのだが、その事を抜きにしても「何故そんな事が可能なのか」と個人的にはなるのだが、これは心愛ちゃんが「普段から姉としての風格を心得ている事」「人の感性を読み解くのに優れている事」があるからだと考えている。

 心愛ちゃんは天才的なセンスを持ちながらも努力家としての一面も凄く、どんな苦難があっても目標の為なら簡単には折れない強い精神を兼ね備えており、それはお姉ちゃんとして皆から慕われるために努力する事でも同じ事であり、どんなに苦難があっても心愛ちゃんは全く折れる事無く、己が信じた道を突き進み続けてきた経緯を持っている。また、心愛ちゃんも流石に千夜ちゃん程では無いとは言え、人の気持ちを汲み取るのに優れており、これまで多くの人の気持ちに寄り添い、人の気持ちを良い方向に変化させてきた経緯も持っており、言うならば「人の感性、属性を汲み取る事に優れた(特に姉妹関係関連に秀でた)特性を持っている」事が読み解けるのであり、この事実こそ今回私が心愛ちゃんが姉妹関係を見抜いた理由として採用したきっかけともなっている。何とも客観的根拠に乏しい理由だとも思うのだが、私としても言ってしまえば「何故に心愛ちゃんが波長で姉妹関係を見抜けたのか、その客観的根拠なんて分かり様がない」と言い切っても良いと考えている上、それ以上に心愛ちゃんが言う感覚を信じたいと言う純粋な想いもあって、上記の様な理由を採用するに至った。

 それにしても波長から姉妹関係を見抜いてしまう程の天才的なセンス、天性の高いコミュニケーション能力、何事にも決して折れず簡単には諦めない精神的な強さ、目標のためならどんな努力も惜しまない努力家な一面、恐るべきパンへの情熱と理数系分野の驚異的な理解能力(特に暗算がずば抜けて早い)等々と、数々の並外れた能力と情熱、そして気概を持つ心愛ちゃんは一体何者なのだろうか……。これだけでも鬼才と呼ぶには十分なのだが、それでいて可愛さにも溢れ、更に教養も兼ね備えていて、人望にも溢れている。こうなれば最早鬼才と言う言葉ですら生温く思えてくる程である。尚、心愛ちゃんは以前理世ちゃんのずば抜けた能力の高さに対して「人間わざじゃないよ」と言った事があるのだが、個人的には心愛ちゃんも理世ちゃんと同じくらい……否、最早理世ちゃんを超えるまでに心愛ちゃんも十分人間離れした能力を持っていると思う。心愛ちゃんと理世ちゃんは割と合った2人だと個人的には前々から思っていたのだが、こうも才能面を見比べると……お互いに凄すぎる……。ある意味唯一無二の鬼才センスを持つお姉ちゃんコンビだと言えよう。

 勿論心愛ちゃんとて所謂完全無欠では無く、文系が苦手、マイペース故によく人を振り回す、天然でやらかしてしまう事(どちらも心愛ちゃんに悪気は一切無いのだが)がしばしばある等の短所、弱点はあるが、長けている部分があまりにも凄すぎる為、個人的には最早欠点が霞んで見えてくる。 ごちうさでは心愛ちゃんが度々女神の様に扱われる事があるが、これらを思えば私も納得する程のものであり、それは神沙姉妹にしても同じ事なのだろう。

4.あとがき

 以上がきらま2021年8月号のごちうさを読んだ私の感想である。今回遂に映月ちゃんが久々に登場しただけでなく、神沙姉妹の姉妹関係も明らかとなり、更に言えばただでさえ上質なお話のクオリティが今回は一段と高くなっており、正にごちうさの権化たるお話」だったと考えている。この事を普通は「神回」と呼ぶ事は分かっており、私としてもその凄さを「神回」だとは感じ取っており、実際にそうやって表現してみたいと思う事もあるのだが、所謂言葉遊びが好きな側面がある私は敢えて「神回」とそのまま言わずに「神回」と分かる様な代わりの表現をしたいとも考える事があり、それ故に要らぬ苦労をしているのも事実である。もっと気楽に「神回」だと言えば良いとは自分でも幾度となく思う事も多く、我ながら不器用な愛し方だと思うのだが、そんな不器用な愛し方だったからこそ見つけられた世界観も多い。尤も、その不器用な愛し方故に危うく私の中の世界観を苦悩の渦に染め上げ切りかけた事もあったのだが……。

 神沙姉妹の姉妹関係については、まさか映月ちゃんの方がお姉ちゃんだとは思わなかったのは今までも書いてきた通りだが、今月号を読み進めていくと映月ちゃんの事を「立派なお姉さん」だと思う傾向が強くなっていった。元々旅行編からの登場キャラである冬優ちゃん、神沙姉妹の3人の中でも映月ちゃんは私の中ではかなり好きな方であったのだが、今月号で映月ちゃんの様々な一面が明らかになったのは勿論のこと、今までの好きと言う感情に「お姉さん」と言う属性が加わる事で更に好きになった。因みに私が映月ちゃんの事を「お姉ちゃん」ではなく「お姉さん」と書いているのは、映月ちゃんの様なおっとり且つマイペースな性格では「お姉さん」と言うイメージの方がより似合っていると個人的に考えているからである。私としては「お姉ちゃん」か「お姉さん」で全く異なったイメージを付加させると考えた上で言い分けていて、勿論「お姉ちゃん」と呼ぶ事もあるのだが、あくまで私としては「映月ちゃんはお姉さんの方がより合っている」と言うイメージを持っている。好みの問題と言えばそれまでだが、私としては「お姉さん」と「お姉ちゃん」とでは何か違うものがあると考えているのも事実である。

 また、途中に「心愛ちゃんは一体何者なのか」と言ったスタンスで書き連ねた部分があったが、これは今月号における心愛ちゃんの特性について考えていく内に、徐々に心愛ちゃんの凄い部分に改めて心惹かれていったからである。神沙姉妹を中心に考えていく事を目的とした今回の路線方向を鑑みると、言ってしまえば完全に脱線している事になるのだが、心愛ちゃんは言うまでも無くごちうさの中心人物であり、それ故に彼女を抜きにしてごちうさを語る事は出来ないとも考えていて、今月号もかなり重要な描写がなされていたためにそう考えた次第なのである。とは言ってもその内容は「心愛ちゃんの鬼才的な才能について改めて考えてみた」とでも言うべきものであり、やっぱり少々暴走気味なのが否めないのだが、私としては心愛ちゃんが「波長から神沙姉妹の姉妹関係を見抜いた」描写を観た時から心愛ちゃんの凄さについて考える事で頭がいっぱいになり、上記の様な内容を書き出したのである。少々恥ずかしいのだが、思いをひた隠しにしても良い事なんて一つも無かった苦い思い出があるので、勢いに乗って只管(ひたすら)書き出した。やはり自分の伝えたい想いは少々恥ずかしくても伝えるのが大切なのであり、それがひいてはごちうさ好きを続けていく為の答えでもあったと、私は考えている。因みにこの文章の文量は過去3番目である。

 最後に、今回の神沙姉妹は非常に魅力的であった事と、個人的には旅行編からの新キャラである冬衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃん、神沙姉妹の神沙夏明(じんじゃなつめ)ちゃん、神沙映月(じんじゃえる)ちゃんの3人の中で、今月号のお話を経て神沙映月ちゃんが一番好きになった事は改めて言っておこう。ただ、映月ちゃんが一番好きだとは言っても、冬優ちゃんや夏明ちゃんの事も基本的に好きであり、その中でも少しだけ好きと言う気持ちが高いだけである。これはごちうさ全体に対しても同じ事が言えていて、私にとってごちうさと言うのは最早「好きと言うのは前提」のものである事も言っておきたいと思う。

*1:一卵性か二卵性、どちらなのかは現段階では不明。

*2:抑々異論を出そうにも、姉妹関係に対しての異論が私には思いつかない。

*3:心愛ちゃんはマイペースではあるがのんびり屋では決して無く、寧ろ溌溂(はつらつ)している部分が目立っている。心愛ちゃんの姉であるモカさんにしても確かにマイペースな一面こそあるが、やはりのんびり屋かと言えばそうではないだろう。

*4:特にマイペースな点や、朝に弱い点が心愛ちゃんと映月ちゃんでは良く似ている。実は誰よりも気概(何があっても決して折れない、諦めない心の強さ、骨太さ)に溢れる点も含めて。

*5:これに関しては、後述するブライトバニーの会社発展の経緯が大きいと言える。

*6:特に妹の夏明ちゃんが困惑させられる事が多い。

*7:嫌に思わない。ためらない。

*8:何があっても決して折れない、諦めない心の強さ、骨太さ。

*9:これをもってして、恵ちゃんからは「甘兎庵としての自分の立場が危うくなる」と、センスの良い映月ちゃんに対してある種の危機意識を持たれている。ただ、映月ちゃんは人を貶めようとは絶対にしない人なので、大丈夫だとは思うのだが。

*10:諦めをもって物事を見据える事。

*11:但し、これにはかつて夏明ちゃん自身が習っていたピアノの先生の指導方法が厳しかった事が関係している可能性が非常に高い。

*12:他にも狩手結良ちゃんが該当する可能性があるが、はっきりとした描写がないため、現時点では断定不能

*13:理世ちゃんも大人組と同級生の結良ちゃんを除いては一番の年長者故に言葉遣いにはそれなりに厳しい一面があるが、その厳しい一面がどうも一般常識とは少しズレている点(本人に悪気は無いのだが……)がある上、たとえ少しズレている点を抜きにしても、理世ちゃん自身が言葉遣いや礼節に関して「お互いに気持ち良く過ごせれば必ずしも定型に拘る事は無い」と柔軟且つ寛容に捉えている面がある為、夏明ちゃんには遠く及ばない。夏明ちゃんにしても少々杓子定規が過ぎる節があるとも言えるが……。

*14:一般的には「図星」と言われるものである。

*15:紗路ちゃんも「夏明ちゃんが姉」だと考えている発言をしていたし、マヤメグも同様。ただ、映月ちゃんも映月ちゃんで戸惑いこそしたが、それを真っ向から否定する発言は一切しなかった。

*16:実際には映月ちゃんも人を引っ張る力は十分持っているのだが、如何せんそれを発揮する事が映月ちゃんの場合殆どない。

*17:特に一緒に居る時間が長い智乃ちゃんと理世ちゃんが顕著。

*18:厳密に言えば皿洗いをしたのは映月ちゃんであり、恵ちゃんはホールを任されている。

*19:因みに妹である夏明ちゃんも「映月ちゃんよりピアノを先に辞めてしまった事」を引き合いに出して「ダメな子」だと自認した事がある。双子の姉妹、似た者同士と言えばそれまでだが、これは暗に2人共「自己肯定感が低い事」を示している可能性がある事を思うと、決して軽視する事は出来ないであろう。

*20:ただ、甘兎庵はコーヒー専門店では無いので、候補としてもあってもおかしくはない筈なのだが、紗路ちゃんは甘兎庵で働きたいとも考えていない模様。一見変に思えるが、その理由として「千夜ちゃんにそこまで頼りすぎるのも良くない」と、紗路ちゃん自身が考えている可能性が考えられる。抑々紗路ちゃんが甘兎庵で一緒に暮らさないのも、千夜ちゃんに甘えすぎる自分が居る事を自分自身で解っているのが理由として存在しており、紗路ちゃんとしては何時もお店の為に頑張っている千夜ちゃんに負けない様な幼なじみで居たいと言う想いがあるのだろう。

*21:ほご。約束をはじめから無かった事にすること。

*22:ブラバの社長令嬢である映月ちゃんが居た事も理由の一つの可能性もあるが。

*23:現実においても買収計画と言うのは、アルバイト・パート等の所謂非正規雇用者はおろか、そうそうたる位を持つ正規雇用者であったとしても、物言いはそう簡単には出来るものでは無い。

*24:この提案に対して紗路ちゃんと恵ちゃんは、映月ちゃんもとい神沙姉妹が実はブラバの社長令嬢だった事に驚いていた。

*25:現に映月ちゃんの双子の妹の夏明ちゃんは「もし私がその場にいたら出来なかったかも知れない」と映月ちゃんに語っている。

*26:他にも紗路ちゃんも優しく接していたことが分かる描写もある上、他の人にしても映月ちゃんの事を敬遠する事にはならないだろう。

*27:この世のものとは思えない、人間離れした才能のこと。

きらま2021年7月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。先日ごちうさ10周年の詳しい情報が入って、かなり沸き立っているのが感じ取れますね。ごちうさの利点は「コンスタントにコンテンツが提供される事」であるのは間違いないですが、同時にその事がどれ程大変な事なのかを思うと、やっぱりごちうさは別格なのだとひしひしと思わされるばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年7月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月も中々に思う事が多いお話だったと感じ取っていますが、今月も今までと変わりなく、率直な想いを書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、鍵括弧付きの「あんこ」は全て甘兎庵の兎の事を指します。『あんこ』の鍵括弧も同様です。断じて小豆のあんこでは無いので悪しからず。

1.はじめに

 今回のお話は千夜ちゃんが看板娘として働いている甘兎庵が中心舞台であり、登場人物も甘兎庵にゆかりのある人物が大半だが、今回は旅行編からの登場であり、智乃ちゃんにとって同じ学校の同級生でもあり、喫茶店ブライトバニーの店員さん(アルバイト)でもある冬衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃんも登場しており、今回はそんな冬優ちゃんと千夜ちゃんの関わりが一つのポイントとなっている。また、甘兎庵の象徴的存在でありながら、これまでその素性は殆ど明らかになっていなかったうさぎの「あんこ」の素性の一部が明らかになるのも重要であり、全体的に見れば千夜ちゃん中心ではあるが、千夜ちゃんと関わる人々の動向も同じくらい見逃せない回だと言えよう。

 また、今回は甘兎庵にスポットライトが当たった回なので、幼なじみである千夜シャロの昔話も登場する上、前述の通り「あんこ」の素性も興味深い事例が明かされる。幼なじみに限って言えば、夫婦漫才とまで称される程に仲睦まじい千夜シャロと言う幼なじみが今月号に出てくる事は、ある意味先月号の中心とも言えたリゼユラとは幼なじみ同士の距離感と言う意味で対比の関係性にある*1のも中々興味深い点だが、そこはあまり触れない方が良いのかもしれない。尤も対比とは言っても大げさなものでは無く、リゼユラも仲が悪い訳では無く、あくまで普通の幼なじみとは一線を画しているだけ*2である為、そこまで心配は要らないだろう。

2.購読した感想

すれ違いの甘兎庵

 今回のお話は甘兎庵における仮面(マスク)Dayと称した遊び心満載の仕掛けをもって千夜ちゃんが店を構える所から始まる。冒頭からいきなり飛ばしている印象を受けるが、元々彩る事が好きな千夜ちゃんなので、ある意味既定路線と言うべきなのかもしれない。それを既定路線と言い切るのも変な気はするが。

 そんな甘兎庵に来店したのが今回の重要人物とも言える冬衣葉冬優ちゃんである。来店した理由は甘兎庵の看板うさぎである「あんこ」がカラスに連れ去られていた所*3を偶々見つけて届けに来たと言うものだが、来店して早々高圧的な顔立ちで千夜ちゃんをにらみつけてしまい、思わず千夜ちゃんを「ふざけた接客してごめんなさい」と言わしめている程である。尚、高圧的な顔立ちになってしまったのは、冬優ちゃんがかなりの緊張しい且つ恥ずかしがり屋だからであり、そこに緊張すると顔が引きつってしまう自身の特性が加わったが為にああなってしまっただけであり、別に本当に怒っている訳でも無く、寧ろ冬優ちゃん本人は面白がっているくらいだが、恥ずかしがり屋な性格が災いして言葉をもって自分の気持ちを上手く他人に伝えられない事も相まって、人からあらぬ誤解をされやすいのが痛い点であり、事実千夜ちゃんは冬優ちゃんが中々笑ってくれない事を親友の心愛ちゃんに相談している。その際心愛ちゃんは、嘗て智乃ちゃんが現在の冬優ちゃんと同じ様に感情が表情に表れなかった事*4を引き合いに出して説明しようとするが、智乃ちゃんの目の前で彼女自身の感情変化と言う恥ずかしい事を平然と千夜ちゃんに暴露したため、智乃ちゃんから大目玉を食らってしまうが、その際千夜ちゃんは「本人の目の前で話しちゃダメよ」と諭している。と言うか、幾ら心から信頼し合える関係性にあったとしても、誰だって自分の恥ずかしい内面を他人(心愛ちゃん)にベラベラと第三者(千夜ちゃん)に話されたら嫌なものなので、言ってしまえば心愛ちゃんの自業自得。ただ、心愛ちゃんもバカにしている訳では無く、寧ろ智乃ちゃんの少ない変化から感情を読み解く技法を伝えようとしていただけなので、悪気は全く無いのだが……。

 そんなココチノだが、心愛ちゃんに代わって智乃ちゃんが電話を取ると、千夜ちゃんに対して冬優ちゃんはすこしばかり緊張しているだけと断った上で「人は見た感じが全てではないとよく言いますし」と、何やら名言集(誉め言葉)に載りそうな言葉を投げかけ、実際に言動と態度が良い意味で一致しない事が多い*5理世ちゃんを例に出して千夜ちゃんを納得させている。因みにこの時、理世ちゃんは結良ちゃんと一緒に居たのだが、その際「人に噂されるとくしゃみが出る」と言う、科学的根拠も何も無いにも関わらず、どの時代においてもまことしやかに囁かれている迷信(?)を律儀になぞらえる様な反応をして、噂した奴を問い詰めてやると意気込んでいたが、その表情はやはり喜びを全く隠せていなかった。単純と言うか隠し事が出来ないタイプと言うか、やっぱり不器用且つ分かり易い人である。尤も理世ちゃんのそういう所が皆から可愛がられたり、信頼されたりする理由でもあるのだが……。

 何はともあれそれらのアドバイスを聞いた千夜ちゃんは、冬優ちゃんに対して冬優ちゃん自身が連れて来てくれた「あんこ」を話のつかみにして話始め、冬優ちゃんも応じてくれたが、その際冬優ちゃんは「あんこ」の仏頂面(不愛想で愛嬌が無いさま)にシンパシー(同感、共感)を感じる事を言ったうえで、それでも可愛さがある「あんこ」を見て羨んだり、千夜ちゃんの明朗で接客に自信があるさまを羨んだりしている事を千夜ちゃんに直接言っている。何故この様な事を思ったのか、その細やかな理由は後述するが、これに対する千夜ちゃんの返しは意外なもので「招き兎のあんこがいたお陰」だと言ったのである。一見すると変な話だが、冬優ちゃんは割と興味津々であり、ここから「あんこ」と甘兎庵との関係性が分かっていく。

「あんこ」との出逢い

 甘兎庵の看板兎である「あんこ」だが、その出逢いは意外にもこれまで全く明らかにされておらず、長年謎のままだった。その為、10周年を迎えたタイミングで唐突に明かされた事実は正に超展開と呼ぶに相応しいと思われるが、出逢った経緯もこれまた意外なものだった。

 その出逢いは千夜ちゃんがまだまだ子供(恐らく10年程前)だった頃、甘兎庵の初めてのチラシ配りに挑戦した時の事である。年の割にはかなり大胆な行動だが、元々緊張しいだった千夜ちゃんはうまく話す事が出来ず、途方に暮れていた。そんな時に「あんこ」に頭を占拠されてしまった紗路ちゃん*6がやってきて、千夜ちゃんに助けを求めるのだが、その際に「あんこ」に千夜ちゃんの頬を撫でられたのが、千夜ちゃんにとって現在の姿に繋がる原点となった。千夜ちゃんにとって「あんこ」に頬を撫でられたのは「あんこ」が慰めてくれたと思った事がきっかけで「あんこ」に対する信頼を寄せる契機にもなり、チラシ配りにしても紗路ちゃんとのコントじみたやり取りで大衆の気を惹き、見事に成功させている。つまり「あんこ」は千夜ちゃんにとって昔から心の支えとなってくれた大切な存在なのであり、紗路ちゃんにとってはトラウマを植え付けさせられた存在ゆえに手放しには喜べないだろうが、それでも幼なじみを影で支えてくれた存在である事に違いは無いので、そう言う意味では紗路ちゃんも喜ばしいと思われる。尤もそれはアイロニー(皮肉)な因果関係とも言えるのだが……。千夜ちゃんには今に続く人格の礎を、紗路ちゃんには今に続くトラウマ意識を「あんこ」がもたらすとは、割に罪作りな因果関係である。

 また、千夜ちゃんはこの事を引き合いに出して冬優ちゃんに優しい言葉を投げかけているのだが、その事は冬優ちゃんに対して「そこまでかしこまらなくても良い」事を伝えようとしているのではないかと感じ取った。如何にも人の気持ちを鋭く読み解き、寄り添った言葉をかけてあげられる千夜ちゃんらしいが、その際に甘兎庵の勧誘も忘れないと言うのもやっぱり千夜ちゃんらしかった*7。ある意味これがお笑いもといコメディの基本なのだろうが、冬優ちゃんにとってはどう映ったのか、心配ではある。ただ、メタ視点から見れば「良い話をして最後にひっくり返す」のはコメディにおける一種のお約束なので、千夜ちゃんのやっている事はお笑いの基本とも言える。それにしても4コマの基本であるオチの笑いも、人間関係が紡ぎ出す感動も一挙に表すとは、正に恐るべきはごちうさと言う事か……。

甘兎庵の仮面(マスク)Day

 前述の通り甘兎庵では仮面(マスク)Dayを行っていたのだが、その折に心愛ちゃんと智乃ちゃんが甘兎庵に遊びに来て、さらに盛り上がる事になる。その時には冬優ちゃんも甘兎庵の恰好になって、甘兎の仕事体験を実行していたのだが、ここからマスク祭りと言わんばかりに自由にマスクを着用したり、千夜ちゃんのおばあちゃん特製青汁を用意したり*8と正にやりたい放題。実行しているのが千夜ちゃん故に問題は無いとは言え、「看板娘がこんな事して良いのか?」とも思わなくもないが、この様な事を店主若しくはその近親者以外が勝手にやろうものなら大目玉を食らう事はほぼ確実であるため、個人事業主(?)の看板娘だからこそ成しえる業なのだろうが、何れにしても皆楽しそうだからそれで良い気もしない訳でもない……。とは言っても、千夜ちゃんがやっている事は現実には実現困難若しくは不可能な事が多い事に変わりはなく、それ故に甘兎庵がどれ程自由な彩りができて、それが彼女にとってどれほど幸せな事かを物語っているとも言え、それはある意味ユートピア(理想郷)でもある。因みに千夜ちゃんのおばあちゃんもかなりノリの良い人で、千夜ちゃん達の更に斜め上を行く様なセンスを持っている。甘兎庵があれだけ自由なのはそれ故とも言えよう。

 そんな自由気ままな甘兎庵の雰囲気に冬優ちゃんは思わず笑みを浮かべ、千夜ちゃんを思わず脱力させていた。千夜ちゃんが脱力したのは単純に冬優ちゃんに引かれていなかった事が分かったからであるのだが、その際千夜ちゃんが逆に冬優ちゃんに励まされている。これはある意味冬優ちゃんによる他者への愛情注ぎであり、冬優ちゃんの心境変化を窺わせるものになっている。その後冬優ちゃんは恥ずかしさからその場を立ち去ってしまうが、この事実は冬優ちゃんの意思変化を強く示唆する内容になっていると考えている。冬優ちゃんもまた、優しい仲間に支えられて少しずつ変化しているのである。

 そして、冬優ちゃんが外に出たタイミングで紗路ちゃんと出会うのだが、兎が苦手な紗路ちゃんは冬優ちゃんが付けていた兎柄の仮面を見て思わず失神してしまう。その夜、事実を知った紗路ちゃんは当然と言うべきか、千夜ちゃんに対して「冬優ちゃんを甘兎カラーにするのではない」と机を勢いよく叩きつけるまでの怒りをぶちまける。ただ、当の千夜ちゃんは別に気にし過ぎる事も無く紗路ちゃんの言い分を受け止めており、紗路ちゃんにも冬優ちゃんに対して言った様な事を言うが、紗路ちゃんにはどうにも伝わっていない印象が否めなかった。ただ、紗路ちゃんと千夜ちゃんは幼なじみで「あんこ」との出逢いの経緯もお互い良く知っているので、必要以上に言う事も無いのかもしれない。正に幼なじみだからこそ分かる事であり、通じ合う事なのである。

 ところでこの仮面(マスク)について、私としては結構色々な事を考えているのだが、それは後述する。

3.購読して思う事

※注意※

これは2.購読した感想の内容から私が特に深く考えた事をピックアップしています。先にそちらから読む事をお勧めします。

千夜ちゃんと冬優ちゃんそれぞれの性質について

 今回のお話は千夜ちゃんと冬優ちゃんの関係性が特にピックアップされているが、この関係性の中で私が気になったものとして2人の絶妙な思い違いとすれ違いがある。抑々ごちうさにおいては友達関係や人間関係に非常にウエイトが置かれている、ある種の人間物語の側面を持っているのだが、千夜フユにおいてもそれは例外では無い。今回はそんな人間物語としての千夜フユにおいて、私が思った事を書き出そうと考えているが、前提として千夜フユの関係性を丁寧に探る為にも、まずはそれぞれの人柄をまとめる必要があると考えている。なので、今回はそれぞれの人柄を書きまとめた上で、私が今回のお話で気になった千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違いを書き出したいと思う。

 まず千夜ちゃんの人柄については最早周知の事実とも言えるが、物腰柔らかでおっとりとした、心優しい大和撫子である。それでいて良い意味で奇抜なネーミングセンスの持ち主でもあり、甘兎庵の独創的なメニュー名を編み出す事が好き且つ生きがいである。また、お笑いが好きなノリの良い人でもあり、普段から人を楽しませる為にボケを考えたり、甘兎庵を世界進出させる事を計画する等スケールの大きい企画を考えたりする事も多く、今回の甘兎庵の仮面(マスク)Dayも恐らく彼女が発案者だと思われる。宣伝に対して余念がない人でもあり、事あるごとに甘兎庵の宣伝を仕掛ける、ある意味での宣伝娘でもある。

 他人や友達に対して非常に献身的で、自分の事よりも他人の事を優先しようとする面がある為、人からお節介に思われたり、逆に心配されてしまったりする事もあるとは言え、普段から一歩引いて周りを見渡せる視野を持っている事もあって周りからの信頼は厚く、頼りにされる事も多い。また、人の気持ちを読み解く事と慮る事が非常に上手く、僅かな態度の違いから人の心情を見抜き、弱っている人に対して下手に傷つかせる様な事をせず、寄り添って同じ様に考えてあげる事の出来る、正に皆のお姉さん的な存在である。そして、この様な性格故に努力家でもあり、目標の為なら自分他人問わず労力をかける事を惜しまない気前の良さと根気強さもあって、何事にも一生懸命な人でもある。

 しかしながら、その一方で実はかなりの寂しがり屋且つ甘えたがり屋でもあり、孤独になる事に人一倍強い恐怖感を抱いているのが散見される。にも関わらず千夜ちゃんは人にはその素振りを全くと言って良いほど見せない為、周りの人達は彼女の本心に気付きにくく、結果的に思い詰めてしまう事もしばしば。これには理由があり、それは千夜ちゃん自身、自分自身の気持ちを他人に伝える為に表現するのが実は不得意な事がある。彼女は人に対して「自分自身の事で過度に心配してほしくない」と考えている事もあって、積極的に自分の事を話したがらない傾向*9が少なからず存在しており、それ故に他人と彼女自身の事でうまく相談する事ができず、一人抱え込んで我慢してしまう事が多くなってしまうのである。また、実はメンタルがそこまで強くなく、楽しそうでいて内心実は不安を抱えやすいのも千夜ちゃんが思い詰めやすい要因となってしまっている。

 まとめると、千夜ちゃんは広い視野をもって他人を慮る事が上手な、献身的でおっとりとした優しい皆のお姉さん的な女の子であるが、その一方で自分の気持ちを他人に打ち明けるのは不得意であり、それ故に一人で思い詰めてしまいやすい面があると言える。また、メンタルも本当はさほど強くない為、周りに認められて初めて実力を発揮できるタイプとも見て取れる。それなのに周りに気を遣って自分の事を極力表立たせないので、結果的に千夜ちゃん自身が必要以上に苦労してしまうケースも少なくない。その為、普段から頼られる人故に気持ちのコントロールは上手い様に見えるのだが、自分自身に限って言えば実は下手だと言う意外と不器用な面がある。ある意味理世ちゃんと似ているのだが、理世ちゃんと違うのは彼女の場合自分自身の気持ちの整理が比較的上手く、他人の対する接し方が不器用なのに対して、千夜ちゃんは他人に対する接し方が上手く、自分自身の気持ちの整理が不器用な点である。つまり得意不得意が真逆なのだが、それ故にペアとしてはお互いの利点欠点がうまく噛み合っている事から理想的だと言える。リゼ千夜の大人びた雰囲気は、そういった気持ちの部分での補い合いが大人の様な落ち着きを生み出すが故なのかも知れない。

 一方で冬優ちゃんの人柄はと言うと、抑々冬優ちゃん自身が旅行編からの登場である為にまだまだ分からない部分は多いのだが、ざっくりと言うならば所謂内向的な性格であり、積極的に新しい世界に飛び込んでいく事に苦手意識がある、いわばインドアタイプである。極度の恥ずかしがり屋でもあり、人見知りな性質も相まって警戒心がかなり強く、知らない人と話す事や仲良くする事を極端に苦手としており、それ故に新しい人間関係を構築する事に戸惑ってしまう事も少なくない。とは言っても人柄そのものは優しく人を大切に出来る温かい心の持ち主である為、本人は表情がどうしても仏頂面になってしまう事を気にしている*10面はあるが、周りの人達は冬優ちゃんが表立ってはどうしても不愛想になりがちな事をきちんと理解した上で、彼女の本質を見ている。

 他人や友達に対してはかなり控えめで、自分から積極的に友達に話しかける事は少なく、それ故に自分の気持ちを人に話す事もあまりない。また、緊張すると持ち前の警戒心の強さもあってか表情が強張ってしまうため、人からあらぬ誤解をされてしまう事もしばしば。但し、恥ずかしがり屋且つ警戒心が強い故に積極的では無いとは言え、千夜ちゃんと違って自分の本心を話す事自体は意外とある為、実は結構フレンドリーな面もある女の子である事が窺える。もっと言うと、根は優しい人である上、物事を俯瞰する視野も広い事もあって人の気持ちを慮る事も中々に得意であり、洞察力もそれなりに鋭い。但し、その一方で自分自身の気持ちを己自身で把握する事に関しては、自分にとって大切な人が中々構ってくれない事に対して嫉妬している事に全く自覚がない程に鈍感な面もある。

 この様な性質故に冬優ちゃんにとって同じ高校の同級生である智乃ちゃんとは性格が割と似ている*11事もあって一見似た者同士と考えられ、実際表情が分かりづらい面等似ている部分はあるのだが、あくまで両者は別人格の人間である事は忘れてはいけないだろう。無論、嘗て智乃ちゃんが皆に愛されて明るく表情豊かな人に変化していった様に、冬優ちゃんもそうなる可能性はあるが、別な人間である以上どうなるかは誰にも分からない。尤も、智乃ちゃんをはじめとした良い人達に囲まれた環境であるが故に悪い方向になるとは全く考えておらず、冬優ちゃんもきっと表立ってでも明るい存在になるとは考えている。因みに冬優ちゃんの容姿はチマメ隊元気担当の麻耶ちゃんとよく似ている。性格は正反対と言って良い程異なるが。

 まとめると、冬優ちゃんは自分から進んで前に出る事を苦手とする、内気で内向的な性格の女の子だと言え、その性質は嘗ての智乃ちゃんと酷似する。その為、智乃ちゃんにとっては嘗ての自分と重ね合わせる存在でもあるが、智乃ちゃんとしても自分とは異なる一面が多い事は承知しているとは思われるし、なにより智乃ちゃんと冬優ちゃんは仲の良い2人なので、きっと良い友達として良き関係性を育んでいくに違いないと思われる。尤も、言ってしまえばどうなるかなんて誰にも分からないのだが……。

千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違い

 ここから前述の本題に入るが、まず「千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違いとは何か」について、これは千夜ちゃんが甘兎庵に来店した冬優ちゃんを招いた時から、冬優ちゃんが笑顔を見せるまでの千夜フユの絡みの核の部分とも言えるもので、千夜ちゃんから見た冬優ちゃんと、冬優ちゃんから見た千夜ちゃんの絶妙な思い違いが生み出す気持ちのすれ違い劇を指す。具体的に言えば、千夜ちゃんから冬優ちゃんとしては「甘兎庵のノリに対して実際には面白がるまでに楽しんでいた*12のに、千夜ちゃんは冬優ちゃんが厳(いか)つい顔つきをしていたのでドン引きされたと思い込んでしまった事」、冬優ちゃんから千夜ちゃんとしては「実際にはそこまで自信満々でもないのに、自信ある人に見えた事」が挙げられると思うのだが、この様にお互い悪気が無いのに、気持ちがずれて相手に伝わってしまうと言う、絶妙な思い違いが生み出す奇妙なすれ違いは正に技巧的であると言えよう。

 千夜ちゃんと冬優ちゃんのすれ違いと思い違いが何かと分かった所で、今度は「この様なすれ違いと思い違いが発生した理由は何か」となるが、これはお互いに人となりをまだよく知らなかった事が起因していると思われる。冬優ちゃんが千夜ちゃんをはじめとした皆と関わり始めたのは旅行編からであるため、お互いに人となりをよく知らないのは当然ではあるのだが、それはお互いに考えている事が良く分からない為に相手の気持ちが読み解きにくく、それ故に相手の気持ちを誤解しやすい事を意味しており、これはいくら口数が少なくとも僅かな感情表現の違いから人の気持ちを読み解き、人に対して献身的に接する事が出来る千夜ちゃんも決して例外では無い。と言うか、千夜ちゃんの様な10代後半の場合、冬優ちゃんの様な性質の人を人となりも良く知らない状態で感情を正確に読み解く事は困難なのはある意味当たり前*13なので、千夜ちゃんの内心の戸惑いは至って普通の反応だと言える。因みに千夜ちゃんが実年齢以上に優れた洞察力を紗路ちゃんを始めとした幼なじみや仲の良い友達に発揮できるのは、千夜ちゃん自身が仲の良い友達や幼なじみに対して常日頃から気に掛けていて、尚且つそれが長期間に亘っているため、ある程度他人の感情を事細かに理解できる様になっているからであると思われる。そうでなければ最早手放しには褒められない程に千夜ちゃんの洞察力は年の割に少しばかり優れ過ぎている様にも感じられる。洞察力が優れている事自体は決して悪い事では無いので難しい問題ではあるのだが、行き過ぎても良い事は無いので心配である。

 私としては千夜ちゃんが冬優ちゃんに対して、冬優ちゃん自身本当は「面白いと思うまでに甘兎庵のノリを気に入っていた」のにも関わらず、「いい加減なノリと接客態度故に厳つい顔をされた(=ドン引きされた)」と思い込んでしまった事については、冬優ちゃんの特性を良く知らなかったから仕方が無いと思いつつも、「これは千夜ちゃんがいけないのではないか?」とも正直思った。確かに冬優ちゃんの厳つい顔は怒っている訳でもドン引きしている訳でも無く、ただ緊張して顔が強張っただけなのは事実なのだが、それを見て千夜ちゃんが「いい加減な事をしたから怒った」と思い込んだのは「自分の態度に非があった」と認めた事にほかならず、これは暗に自分がふざけた態度をとってしまった事を悔いているのを意味している。その為、結果的に問題は無かったとは言え、千夜ちゃんが冬優ちゃんに対して行った接客のノリはハッキリ言って不味かったと考えている。千夜ちゃんも楽しませる為に行っている事は十分理解しているが、それでもTPOは弁えるべきであっただろう。しかしながら、千夜ちゃんが上記の様に思った事は言い換えるとそれだけ「冬優ちゃんにも甘兎庵の雰囲気を気に入って欲しかった」と言う感情が存在していた事も意味しており、それは「千夜ちゃんが甘兎庵においてふざけた態度を冬優ちゃんにとったのは、冬優ちゃんを軽く見ているからではなく、畏まらないで自然体でいて欲しい」事を暗に願っていた事が背景にあると考えている。そう思うと、千夜ちゃんのふざけた態度は手放しに褒められるものでこそ無いものの、千夜フユのわだかまりを無くすきっかけともなった事を思えば、直ちに「ふざけた態度をとった千夜ちゃんが全面的に悪い」と断定できるものでは決して無いであろう。私自身もそこを弁えた上で今回千夜フユを見つめている。

 また、冬優ちゃんが千夜ちゃんに対して「実際にはそこまで自信満々な人でもないのに、自信がある人に見えた」と思い込んだ事について、これは冬優ちゃん自身が自分に自信のない引っ込み思案な性格だった事もあると思われるが、一番は「看板娘たる喫茶店で活き活きと輝いている」千夜ちゃんを見た事が要因としてあると思われる。元来表立っては決して明るい人では無かった冬優ちゃんは恐らく自分に自信が無い事が多く、その為に自分のやる事に自信をもって取り組む事が得意では無く、寧ろ苦手だったと思われるのだが、それ故に交友関係も狭かっただろうし、普段から明るく活き活きした人を見る機会もさほど無かったのだろう。だからこそ、活き活きと接客してきた千夜ちゃんを自信のある人だと思ったのだと考えられる。言ってしまればただの思い違いなのだが、その一方でこの様な思い違いをした事には、冬優ちゃんにとってそれだけ千夜ちゃんには憧憬できる(憧れを抱ける)一面がある事を意味しており、自分もこうなってみたいと思うに相応しい人であった事でもある。それは全然いけない事では無いし、その様な些細な憧れから本格的な人間関係に発展する事もざらにあるので、思い違いから始まる千夜フユと言うのも案外悪くないのかもしれない。

 そんな思い違いから始まった千夜フユの本格的な関係性だが、既に述べた様に千夜フユは甘兎庵の看板兎「あんこ」をきっかけにお互いに思い違いを抱えつつも親交を深めていき、最終的にはお互いに誤解を解き合っている。兎によって人間関係が育まれるとは何ともごちうさらしいが、私としては「あんこ」がどれ程絶大な影響を与えているのかその事が気になった。ここからは、そんな甘兎庵の看板兎である「あんこ」について考えた事を書き出す。

「あんこ」がもたらしたもの

 今回は甘兎庵が中心舞台という事で、絶対に外せない存在が私の中ではいた。甘兎庵のマスコット兎であり、看板兎でもある「あんこ」である。普段は仏頂面とも見て取れる表情をしている上に自分からは殆ど動かないで机の上に鎮座している*14ので、一見何を考えているのか分からない兎に思えてくるが、その実誰よりも人を見ている兎でもあり、それ故になのかは分からないが人の僅かな感情変化にも鋭く、特に昔から見守ってきた千夜シャロ双方の感情変化に鋭い。但し、紗路ちゃんにとっては兎を苦手とするきっかけとなった張本人(張本兎?)でもある為、心から嫌ってこそいない*15ものの、懐かれる事をあまり良しとしていない。 とは言っても「あんこ」も別に悪気がある訳では無いので、兎に苦手意識が無い人達(=紗路ちゃん以外の人達)は「あんこ」を可愛がっている事が多い。

 そんな「あんこ」だが、実は昔から何気に登場人物に影響を与えてきた存在でもあり、嘗ては己自身の心の暗さ(或いは闇)が大きい故にかティッピー以外の動物が全く懐かなかった*16智乃ちゃんにとって初めて自分から逃げなかった兎であったり、千夜ちゃんにとっては前述の通り挫け(くじけ)そうな時に仏頂面ながらも寄り添ってくれて、幾度となく勇気と気概を与えてきた兎であったりするために、私自身今月号のお話で「あんこ」の事が人の心に寄り添い、自分からは突き放さない優しさを持っている一面をもって、結果的に人の気持ちを突き動かし、変化させる事の出来る兎だとも思う様になってきた。なお、千夜ちゃんも「あんこに何度も励まされ救われてきた」経験から「あんこ」に対してかなり特別な感情を持っているのだが、詳細は違えど「あんこ」が与える影響と言う観点から鑑みると、私自身の「あんこ」に対する見識については千夜ちゃんが持つ「あんこ」に対する愛情に対してシンパシーを感じるものがある。何ともこじ付けがましいのは理解しているが、「あんこ」がくれた様々な贈り物もとい宝物の事を思えば、千夜ちゃんと同じ様な想いを抱くのはある意味当然の成り行きなのかも知れない。それだけ自分なりに真剣に「あんこ」の事を考えている証でもあるのだろう。

 但し、兎である以上「あんこ」が本当に上記の太字の様な事を思っているのかは分からないし、ややもすると「私が」都合良く「『あんこ』の数々の行動は人を勇気づける為に行っていた事だった」と好意的に解釈していただけだった可能性も十分にある。正直に言ってしまえば私自身、動物の気持ちを完璧に読み解く事は「言葉を話せる人間ですら相手の気持ちを完璧に読み解く事は至難の業である以上、どれ程努力しても完全に読み解けていると私自身ではとても断言できない」と思っているのだが、実の所「私は『あんこ』の事を都合よく解釈している可能性がある」と考えたのもそれが原因で、果たして「あんこ」が何を思って数々のアクションを起こしてきたのか、それにはどんな意義があった或いは無かったのか、それを自分の中で断言そして提言するだけの自信も根拠も持てないがためにこんな事になってしまっている。つまり言ってしまえばただの意気地なしなのだが、他にも一度イメージ付けをしてしまえば例え後からそのイメージ付けが間違っていた事に気付いたとしても修正するのは中々難しい事を思い知られているのもある。要するに一度思い込む事で形成された考えの修正は思った以上に難しい事を思い知られているが故に戸惑っている面もある事であり、平たく言えば意固地故の悩みである。つまり意気地なしな一面もありながら意固地な一面も持つと言う私自身が持つ複雑な特性が、今回「あんこ」でこれ程思い悩んでいる事になっている大きな理由なのであり、その背景には「あんこ」の事を真剣に考えている事が関係している。しかしながら、普段動物の気持ちを読み解く事を「非常に難解な事」と考えている私にとって人間並みに捉え解釈しようとする事がどれ程大変な事であるかは想像に難くない事とは言え、自分なりでも真剣に考えなければ意味が無いので痛みは受ける覚悟で書いている。正直ごちうさ私の中で喜びも悩みも痛みも請け負っていた作品である為に最早何があっても走り続ける覚悟を決めていて、今回も例外では無い。その為、書き出した内容こそかなり重苦しいのは否めないが、その一方でその事を受け止めた上で気持ちのコントロールを上手くやっているため、心配は要らないので安心してほしい。

 因みに「私が」と太字鍵括弧で強調したのは上記の項目に「私の考え方は千夜ちゃんの考え方にも通ずるものがある」と言った趣旨の内容を書いたのだが、これでは上記の様な逆説的な項目の際に、千夜ちゃんも「あんこ」の事を私と同じ様に都合良く解釈している事になってしまうと考え、そこで私の考えにあたる部分に対して太字鍵括弧を用いて強調する事で「あくまで私と千夜ちゃんの考えは別物」と表現したかったからである。気を遣い過ぎて寧ろお節介と言えばそうなのだが、文面は会話と違って細かなニュアンスがダイレクトに伝わりにくい為、細かく書かなければ思わぬ誤解を招きかねない。だからこそそういった誤解を防ぐためにも細かに書いている訳なのだが、結論として私としてはやはり出来る事なら千夜ちゃんに対しては「彼女自身が『あんこ』の事を少しばかり都合良く解釈し過ぎている」とは思わないで欲しいのである。

 色々と書いて内容が多くなったが、ここからは本題である「あんこ」がもたらしたものについて書き出したい。まずは千夜フユと「あんこ」について率直に思う事についてだが、まず何と言っても「あんこ」をきっかけに千夜ちゃんと冬優ちゃんの距離が少しずつ縮まってきた事を外す訳にはいかないであろう。そもそも千夜フユはお互いに全く知らない相手では無いとは言え、出逢ってからまだ日が浅い上に2人だけの関係性は作中を見る限りほぼ絶無に等しく、その為にお互いの人間性を互いに殆ど知らず、それ故にどう接すれば良いのかお互いに分からずに煮詰まってしまう姿が今月号では目立っていた様に思う。2人共自分から積極的に人に話しかけるタイプでは無い*17ので煮詰まってしまうのも無理はないのだが、そんな2人の距離を近付けた存在こそ「あんこ」なのであり、そこから2人の関係性が育まれていった事を考えると「あんこ」は絶対に外せない存在となる。冬優ちゃんが千夜ちゃんの事を憧憬するに至ったのも、千夜ちゃんと「あんこ」の美しき出逢いがあったからであり、そこから冬優ちゃんが木組みの街にもっと馴染みたいと思う切っ掛けになったと思えば尚更である。

 また、上記の内容を端的にまとめると
「千夜ちゃんは『あんこ』との出逢いのお陰で自分に自信を持てる様になり、今の自分を創り上げられた」⇒「その事を身をもって受け止めた冬優ちゃんは、もっと木組みの街に馴染みつつ、何時か千夜ちゃんの様な人になりたいと強く誓った」
と言う事になるのだが、ここで重要な事が一つ浮かび上がってくる。それはズバリ千夜フユの確固たる関係性の形成の背景には「あんこ」の存在が非常に大きかった事である。前述の通り「あんこ」は千夜ちゃんに対して多大なる影響を与えているのだが、その影響は千夜ちゃんと「あんこ」だけに留まらず、千夜ちゃんの人間関係にも多大なる影響をもたらしている。その為、もし「あんこ」に出逢わなければ千夜ちゃんは今の様な性格では無かった可能性が非常に高く、そうなれば例え今の様な皆との関係性が無事に形成されたとしても、千夜ちゃんは他人に対して自分の行動をもって勇気付けて後押ししてあげる事もままならなかっただろうし、人から「ああいう人になりたい」と憧憬(しょうけい)される事も難しかったと考えられる。そうなれば、冬優ちゃんから憧れる事も恐らくは無かっただろうし、大体「あんこ」が居なければ抑々甘兎庵を訪れるきっかけが無いと言う事から千夜フユが確固たる信頼関係を築き合えたのかどうかすら疑念が生まれたと思われる。勿論冬優ちゃんと千夜ちゃんは学年こそ違うとは言え同じ高校なので、「あんこ」が居なくとも同じ学校のよしみで関係性を構成していた可能性こそあるが、それでも今回のお話の様な濃密且つ強固な信頼関係の構築は難しかったと考えられる。何故なら、接点自体はあってもそこから進展が無ければ意味が無く、結局は同じ場所にいるだけの顔見知り程度の関係に落ち着いてしまい、深い関係性には至らなくなってしまう事が容易に想定できるからである。その事からも、千夜フユの関係性には「あんこ」が持つ人の心に寄り添い、自分からは突き放さない優しさを持っている一面をもって、結果的に人の気持ちを突き動かし、変化させる事の出来る特性は欠かせないものだったと言え、結果的に「あんこ」によって強固な信頼関係が結ばれたと言っても過言ではないだろう。

 更に言うなら「あんこ」がもたらした影響は千夜フユだけでなく、幼なじみである千夜シャロにもあると考えている。元々「あんこ」に出逢う前から現在の様な関係性が既に確立していた2人であった*18うえに、今月号のお話ではどちらかと言えば千夜ちゃんと「あんこ」の出逢いの方に重きが置かれている為、千夜シャロと「あんこ」と言う観点からはさほど描かれてはいないのだが、それでも千夜シャロと言う幼なじみを彩ったり、見守ったりする存在として「あんこ」が居る事は想像に難くなく、千夜ちゃんと紗路ちゃんでは「あんこ」に対する考え方が(紗路ちゃんにとっては兎に対するトラウマ意識を植え付けられた存在と言う事も相まって)かなり異なっているが、紗路ちゃんとて嫌っている訳ではなく、寧ろ「あんこ」が居た事に感謝を示す事も少なからずある位である。この事から、古い付き合いである千夜シャロにおいても「あんこ」に好影響を与えられたと考える事が容易にできると言えよう。

 以上が今月号のごちうさを読んだ上で私が考えた「あんこ」がもたらした事についての内容である。兎から登場人物についての考察はいくら兎が重要なウエイトを占めるごちうさと言えど経験があまり無かったが、いざやってみると今までの視点からは見えなかった様々な事柄が見えてきて、なかなか興味深い考察内容となった。また、甘兎庵においては「あんこ」以外にも気になったものがある。それは甘兎庵の仮面(マスク)Dayである。ここからは最後の題材として甘兎庵の仮面(マスク)Dayについて率直に思った事を書き出す。

仮面(マスク)Dayのマスクについて思う事

 今月号のお話は何度も述べて来た様に甘兎庵が舞台だが、その甘兎庵では一風変わった装飾が施されていた。それが仮面(マスク)Dayであり、その内容は「店員がカラーサングラスやマスク、アイマスク等を装着して接客にあたる」と言うものなのだが、私としては仮面(マスク)にただならぬ感情を抱いた。この様な感情を抱いた背景には昨今のご時世も関係しているのだろうが、私の場合はそれ以上に仮面(マスク)が示す意味に対して興味を惹かれた。

 抑々仮面はペルソナとも呼ばれるもの*19であり、元々はあらゆる場面において求められる姿を演じる為に何かしらの仮面を被り、全く他の役になりきると言った意味合いを持つものであり、仮面は別に物理的なものでなくとも本来の自分とイメージを変えるものなら十分に成立するものでもある。こう考えるならば、恐らくは甘兎庵の仮面(マスク)Dayもこれを踏襲したものだと思われるのだが、実はごちうさにおいては何かになりきる事で普段の自分とはかけ離れた姿が出る描写が結構ある。智乃ちゃんの文化祭における兎の被り物、紗路ちゃんの怪盗ラパン、理世ちゃんのガーリー姿たるロゼちゃん等がその代表例であり、これらは普段の性質からは信じられない程にキャラが変化した姿を見せていたのが印象的でもあるのだが、これらは全て仮面(ペルソナ)を被る事で異なる自分を出せている事も非常に重要である。そのままの素の状態では恥ずかしさ故に全面的に自分を発揮できないが、何かしらの仮面を被る事で本来の自分とは異なる存在になりきる事で、そのままでは恥ずかしさ故に出せない本当の自分も前面に出せる様になると言う事であり、この事はごちうさにおいては普段から日常生活を送る上で何気なく行っている事だとは言え、実はそれが結構キーポイントになると考えられる。

 今回の甘兎庵における仮面(マスク)Dayにおいて私が特に気になった点は仮面(マスク)Dayに対する冬優ちゃんの心情変化であり、仮面姿を見た千夜ちゃんを面白がりつつも戸惑いを隠せなかった初対面から「あんこ」との交流を経て、冬優ちゃん自身も甘兎庵のノリに染まると言った意味合い*20で仮面(マスク)を被って客をもてなす側に立つと言う流れは正にごちうさの十八番と言える「精神面における小さな成長」を丁寧に描き出していると感じ取った。元々ごちうさにおいて成長は裏のテーマと言っていい程に散りばめられながらも確実に描写がなされている事が多いのだが、今回もその一つと言え、その内容としては「冬優ちゃんの勇気を持った小さな前進」と言った表現が合っていると思われる。何故なら、元々内気で人に対して自分を出す事を極端に苦手としていた冬優ちゃんが、甘兎庵の仮面(マスク)Dayに出逢って仮面の力を借りつつ接客をする事で、今までの内気な自分のままでは到底体感できなかったであろう世界観を体感し、新しき世界(木組みの街)に生身の自分で深く踏み込む事にも勇気を出してやってみたいと思える様になったと彼女自身の反応から読み取れるからである。全く未知の世界に飛び込む事は例え恥ずかしがり屋で内向的な性格で無かったとしても簡単な事では無い*21し、まして内向的な性格たる冬優ちゃんが未知の新しき世界に飛び込む事は、幾ら新しき世界に嘗て旅行先で知り合った人達(智乃ちゃんや心愛ちゃん達の事)が居たからと言っても怖くて難しい事に変わりは無く、実際に冬優ちゃんは旅行先で知り合った人達がいたお陰で幾分気持ちが楽になった面が窺えた一方で、やはり自分をどう見せれば良いのかで戸惑いがある事は否めず、馴染み切れていなかった印象もあった*22中で、今回甘兎庵の仮面(マスク)をつけて接客に望んていたのは、彼女の中で何か強い切っ掛けを生み出したものであったと考えている。何気ない仮面(マスク)だが、冬優ちゃんにとっては何か大きなきっかけを掴むものだったと思ってやまない。

 この様に、甘兎庵の仮面(マスク)Dayには私としては冬優ちゃんにとって木組みの街にもっと馴染みたいと思えるきっかけとなったのと同時に、その背景には本当の自分と異なった自分を演じる事ができる仮面の特性が関係していたと考えている。尤も仮面(ペルソナ)は社会生活を営む者なら誰しもが往々にして求められるものではある*23のだが、ことごちうさにおいてはそれが精神的な成長、内面的な恥ずかしさを丁寧に描き出す要素としても機能しており、それは冬優ちゃんも例外では無かったという事である。思えば冬優ちゃんが智乃ちゃんと出逢った当初に見知らぬ人と会話する事に対する恥ずかしさから「猫による腹話術」を用いたのも、ある意味仮面(ペルソナ)を被っていたと言えるのかも知れない。

3.あとがき

 以上がきらま2021年7月号掲載のごちうさを読んだ私の感想である。前回が理世ちゃん中心のお話に旅行編からの新キャラである夏明(なつめ)ちゃんが登場、サポートした事を踏まえると、今回のお話は夏明ちゃんの姉妹である映月(える)ちゃん*24が何かしらの場面において登場してくるお話だとやんわりながら思っていたのだが、実際は映月ちゃんでは無く、同じく旅行編で出逢った冬優ちゃんに焦点が当たったお話だったのは正直少し意外だった。とは言ってもお話としては可愛さあり友情ありと、何時ものごちうさだったので結果的には良かったと考えている。ただ、それでも映月ちゃんが好きな人からしてみると複雑な心境なのは間違いないだろうし、かく言う私とて映月ちゃんは旅行編からの新キャラの中ではかなり好きな方なので、映月ちゃんが全然出てこない事には寂しさを覚えているのだが……。

 今回最も重要だったと思うのは甘兎庵とりわけ「あんこ」であり、それまで千夜ちゃんを始めとした皆と絡みを見せておきながらその素性に関しては謎が多かった「あんこ」の詳しい素性が垣間見えたのは、10周年と言うターニングポイントを迎えたごちうさにとっても非常に意味のあるものだったと考えている。よくよく考えてみれば、タイトルからして「ご注文はうさぎですか?」と言うのも、兎に対して明らかに何かしらのただならぬ意識・意味付けがある事を思えば、兎である「あんこ」はもっと物語に深い意味を持たせる存在であっても全然おかしくないため、このタイミングで「あんこ」が直接的に関与するお話が出てきた事はある意味当然の理だったのかも知れない。無論私は一読者に過ぎないのでこれはあくまで推察なのだが、このお話には読者の想像の遥か上を行く、何か大いなるメッセージが隠されているのかも知れない。

 そして、甘兎庵の仮面(マスク)Dayについてだが、実は仮面(マスク)Dayの意味に関して言えば、私は真の意味での正しい見方が分からない。それ故に今回私が考えた「仮面=ペルソナ」と言う解釈が本当に正しいのかなんて言ってしまえば全然分からない。そもそも創作物の解釈に万人が納得する正解が存在しているのかすら私には分かりかねていると言うのだから、こうなってしまうのはある意味当然なのだが、ごちうさに限って言えば、一つだけの正解を求めようとする事自体が最早不可能となりつつあるのかも知れない。勿論創作物には何かしらの結末があるのは紛う事無き(=疑いようのない)事実ではあるのだが、ごちうさにはそれを超える何かがあるのかも知れない。途方も無い話なのだが……。

 あとがきにして最終的には哲学じみた話にもなったが、それだけ最近のごちうさには考えさせられる事が多い事の裏返しでもある。考えさせられる事が多い事は私が書く感想・考察の文量にも表れており、この文も過去2番目に文量が多くなった*25。ただ、私としては「考察・感想を書くなら文量が多くないといけない」とは全く思っていない事は声を大にして言いたい。勿論、考察や感想を沢山書ける事は良い事だとは考えているし、それができる事は素晴らしい事だと考えている。でも、それは絶対では無いし、強制的にさせられる様な事でも無い。自分がやっていて楽しいと思える様なスタイルがあるなら、固定概念に対して変に縛られる必要は無いと思っている。自分だけが持つ世界観や価値観、そしてスタイルをもって、ごちうさを堪能できるのならそれを大切にして欲しい。なぜならそれは、自分しか持つ事のできない宝物なのだから……。

*1:リゼユラは幼なじみでありながら特異な点が多く、千夜シャロの様な夫婦漫才どころか、マヤメグの様なお互いを想い合う様子もあまり見受けられず、どことなく冷たい雰囲気を醸し出している。

*2:但し、その一線を画す要素があまりにもごちうさの世界観、常識を逸脱しているのも事実である為、結良ちゃんを受け容れられるか否かで評価が真っ二つに割れてしまいやすい。立ち振る舞いでここまで意見が分かれる結良ちゃんは、ある意味ごちうさの登場人物の中でも特に人間らしい人間である事を示唆している様にも思えてくる。

*3:「あんこ」は何故かカラスに(恐らく「あんこ」の頭の上に載っている王冠に反応して)良く連れ去られる事が多く、それ故に急に上空から現れる事もしばしば。

*4:今の智乃ちゃんからは最早信じられなくなってきているが、心愛ちゃんと出逢った頃の智乃ちゃんは非常に暗く、感情が無かった訳でこそ無かったものの、それが殆ど表情に表れなかった。言い換えるなら仏頂面である。

*5:威勢のいい口調とは裏腹に、喜びの感情を隠し切れていない事が多いため。

*6:紗路ちゃんは元々動物全般に懐かれ易いタイプなのだが、特に兎に懐かれ易い。しかし、当の本人は何という運命のいたずらか「あんこ」に弄(いじ)られた事がきっかけに兎が苦手となってしまう。

*7:勿論その時の表情は真剣そのものだが、どこか妖艶な魅力を放ってもいる。

*8:千夜ちゃんは皆が集まると決まって特製青汁を使ったロシアンルーレットを持ちかける事が多い。ロシアンルーレットはともかく、何故青汁なのかは謎なのだが……。

*9:紗路ちゃんとの会話が顕著だが、千夜ちゃんは相手の話を引き出す事が多く、自分の話をそこまで引き合いに出さない。普段はボケの一環として捉えられる事も多いが、その裏には千夜ちゃん自身が自分の事を話すのが苦手なのも要因としてあると思われる。

*10:作中でも甘兎庵の看板兎であり、普段は仏頂面でもある「あんこ」を改めて見て、「あんこ」と違って仏頂面で愛嬌も無い自分自身をコンプレックスに思っている姿が見られる。実際の所、仏頂面になりがちなのはともかく愛嬌は普通にあると思うのだが……。

*11:自分が大切な人に対して嫉妬している事実に自覚がない点も含めて。

*12:この事は、冬優ちゃんの感性が千夜ちゃんの感性と共感できる部分が多い事を示唆している。

*13:もっと言うと、千夜ちゃんの様な年頃では千夜ちゃんが普段すんなりとやっている様な心情理解も全く容易ではない。

*14:本当に動かないので、兎だと知らなければまるで本物そっくりの「置物」だと勘違いしてしまう程。

*15:寧ろ気に掛ける事もしばしば。元々人や動物が持つ優しさの気持ちを無下にできない人なのだが、それが苦手な兎に対しても同じなのはある意味彼女が持つ天性の慈悲深さが表れていると言える。

*16:但し、ティッピーは物語開始時点から既に智乃ちゃんの祖父の遺志を継いだ、云わば姿だけが変わった祖父でもあるが故に普通の動物とは抑々が全く異なる存在である為、純粋な動物には全く懐かれなかったと言う事になる。また、そのティッピーにしても祖父が存命中の時には当然ながら普通の兎だった事になるが、その頃から懐かれていたのか否かの描写は一切ないし、抑々心が暗くなる前(恐らく母親が亡くなる前)の智乃ちゃんは動物に懐かれていたのかどうだったかも全く描かれていない。但し、描写されていない事については単に説明不足と言うより、既に説明できるがそこを敢えて秘匿していると言った印象が非常に強い上、抑々ティッピー関連はごちうさにおける核心部分にも深く関わっている事は容易に想像できる為、これから明らかになっていく可能性は高いと思われる。

*17:「冬優ちゃんはともかく、千夜ちゃんはそうでも無いのでは?」となるかも知れないが、千夜ちゃんも実は人に積極的に自分から話しかけるタイプでも無い様に思える面がチラホラあり、知らない人と話すのが実はさほど得意とも言えない所がある点がその代表格と言える。

*18:母親同士が良き交友関係にあるために幼い頃から千夜ちゃんと紗路ちゃんにも交友関係が存在しており、それ故に親子揃って仲が良い関係性になったと考えられる。とは言っても千夜ちゃんと紗路ちゃんならたとえ親同士の交友関係が無かったとしてもきっと仲良しになっていた気がしてならないが。

*19:ゲームの「ペルソナ」で無い事は注意。そもそもペルソナは仮面の意味を持つ言葉であり、他の意味としては「人」や「個別性」と言ったものがあるが、キリスト教で用いられる宗教用語でもある。因みに仮面の中で「アイマスク」は和製英語だと言う。

*20:そこには千夜ちゃんの勧誘を無下にしない冬優ちゃんの優しさも含まっているとは思われるが。

*21:底抜けに明るく外向的な心愛ちゃんですら、新しき世界に飛び込む事は必ずしも楽しみばかりでは無かったと打ち明けている程。

*22:それでも木組みの街を訪れた当初よりは幾分馴染めている。

*23:何か他の役職になりきる事も仮面(ペルソナ)を被る事だと言えるため。

*24:夏明ちゃんと映月ちゃんは双子の姉妹であり、苗字は神沙(じんじゃ)。ただ、どちらが姉なのかは現時点では分かっていない。私の予想としては夏明ちゃんの方がお姉ちゃんだと思うのだが、本当にそうだと言う確証はどこにもない。

*25:因みに1位は狩手結良に関してまとめたものである。

きらま2021年6月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。色々とやる事が立てこもると、たとえ時間が出来ても時間と労力を割く趣味事にまで気力が割けない痛さを痛感しています。とは言っても趣味事自体はどんな時でも心ゆくまで楽しんでいるので「単純にやる気の問題」とでも言われそうです……。情けない話ですよね。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年6月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月はまんがタイムきららMAXが記念すべき通巻200号と言う事で、かなりめでたい月になる訳ですが、今回もごちうさを読んで感じたこと思ったことを丁寧に書き出したいと思います。

※注意※

 最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今月のごちうさのお話は先月の球技大会で未登場だった理世ちゃんを中心とした構成であり、小学校の先生(=教師)を目指している理世ちゃんが、自身が今まで殆ど触ってこなかったであろうピアノの練習をし、上達する事が今回のお話の本筋としてある。(ある意味当然だが)お世辞もピアノの腕前が良いとは言えなかった理世ちゃんが周りの人々の力を借りつつ、如何にして少しずつ上達していったのか。それが主軸になるのは自明の理だが、それだけに留まらないのがごちうさクオリティ。ピアノ以外にも理世ちゃんのピアノ練習を巡った人間関係の交錯や、友達の意外な一面も垣間見る事ができるお話に仕上げられている。

 今回は理世ちゃん中心にスポットライトが当てられている為ラビットハウスと理世ちゃん宅が中心で、中には登場していない登場人物もチラホラいるが、その一方でごちうさの中でも異彩な存在感を持つ狩手結良ちゃんが久々に登場する。今回異色部分は大分抑えられているが、それでも彼女のみが持つ独特の味は出している。

 他にも双子姉妹である夏明ちゃんと映月ちゃんから、夏明ちゃんが1人で理世ちゃんのピアノ練習の為に中々に精を出していて、中々に貢献している。また、ここで私は少しばかり引っかかる事があったのだが、それは後々。

2.購読した感想

憧憬と現実

 今回のお話では理世ちゃんがピアノの練習をする事にフォーカスが当てられているのだが、そもそも何故理世ちゃんが教師として必ずしも必須ではないピアノ*1を弾ける様になりたいと思うのか。その理由としては「ピアノが弾ける事に対する憧憬があるから」が挙げられる。また、本人は大して表に出していないが、元々子供好きな所があるので「ピアノが弾ける先生で、子供達から好かれたい」想いが故なのかもしれない。何にしても、ピアノが弾ける様になりたいと言う理世ちゃんの想いは、楽器好きである私としては共感出来る面も多く、私も理世ちゃんがピアノを弾ける様になるなら喜ばしい事であると思っている。

 そして、ピアノに限らず楽器を練習する上で肝心なのはやる気だと思われるが、理世ちゃんはやる気こそ十分なものの、経験が無かったのもあるのだろうが、結良ちゃんから「うさぎのうめき声」と称されてしまう程に腕前はからっきしであった。当然理世ちゃんは反論するが、それに対して結良ちゃんは反論に対するお返しの如くピアノをあっさり弾きこなしてみせ、これに対しては理世ちゃんも思わず愕然とするしかなく、苦肉の策として結良ちゃんのド下手分野である吹き矢を引き合いに出した毒舌(と言うよりただのやっかみ)を吐くのが精一杯であった。お互い貶し合う幼なじみとは一体……。

 この様に理世ちゃんはお世辞も腕前が良いとは言えず、ラビットハウスで心愛ちゃんにアコーディオンを借りて練習した時でさえも、当の本人はドヤ顔で自惚れた(うぬぼれた)事を言ったりしていたが、肝心のラビットハウス組は全然良い評価をしなかった上、智乃ちゃんに至っては「心愛さんみたいな事をするなんてどうしちゃったのですか」と軽く引いてすらいた。智乃ちゃん本人はあくまで心配しているつもりで声をかけたのだろうが、そこはかとなく心愛ちゃんも理世ちゃんも軽くディスるとは、智乃ちゃんも中々な毒舌家である。因みに一番年上故にしっかり者に見える理世ちゃんだが、実は結構なお調子者で、心愛ちゃんとは年が近い事*2もあってか一緒になって悪ノリする事がしばしばある*3ので、智乃ちゃんが思っている以上に理世ちゃんは心愛ちゃん寄りの人なのかもしれない。理世ちゃん、普段ツッコミだけど意外と人の事言えない……。

 そんな理世ちゃんに対して智乃ちゃんは前述の通り引き気味だった*4が、心愛ちゃんは献身的であり、一度は何とか理世ちゃんのサポートをしようとするものの、自分が満足に教えられる腕前で無い現実に憂う結果になってしまい、理世ちゃんに対して自分が無力である事を詫びるまでにひどく落ち込む結果に終わってしまった。ただ明るいだけでなく、実は滅多な事ではめげないタフな器量を持ち合わせている心愛ちゃんにしては割と珍しい光景だが、理世ちゃんはそんな心愛ちゃんに対して嫌味の一つも言わずに、ただアコーディオンを貸した事を感謝する言葉を送った。本当は誰にも負けない位に優しい心を持つ理世ちゃんらしい言葉である。

 ここまで纏めると「理世ちゃんはピアノを弾く為に周りの人達の助けを借りながら努力するものの、悉く徒労に終わる結果になってしまっている」のが目立つが、同時に理世ちゃんのピアノ上達の為に優しく付き合ってあげているのも目立っている。これは非常に有難い事であり、友達の夢のためにここまでしてあげる事が、一見簡単そうに見えて実は中々難しい事を思うと良く分かる。形や結果はどうであれ、人の事を想うのはその人が大切だからこそできる事なのであり、ここまででもそれは十分に感じ取る事ができる。とは言っても大きく行動に移しているのは心愛ちゃんくらいだったが、別に行動に移す事が必ずしも正義なのではない。お互いに貶し合う結良ちゃんにしろ、何かと怖がれがちな智乃ちゃんにしろ、どの様な形であっても理世ちゃんは、表立っては少しムッとする事はあっても、嫌味な態度をあからさまに示す事は無く、心からしっかり受け止めている。これは別にお世辞でもなんでもなく、彼女が本心から望んでやっている事であると、私は考えている。何故そう思えるかと言えば「理世ちゃんは人を信じる事の出来る人間である」と確信しているからである。彼女が見える器の大きさを見ているからこそ、こう思えるのであり、ひいて言うならそれは彼女が周りから信頼される理由の一つだとも言える。

一縷の光と蠢く闇

 周囲の人の努力もむなしく腕前が向上せず、悶々としていた理世ちゃんのもとに現れたのは双子の姉妹が1人、夏明ちゃんだった。夏明ちゃんは初めこそ理世ちゃんに教えるのを渋っていたが、結局教えてくれる事に。が、その方法がかなりえげつなく、さながらスパルタ教育を地で行く熱血教師もので、理世ちゃんにして「ナツメは鬼教官」とまで思わせた程である。とは言ってもその甲斐あって理世ちゃんの腕前は大分向上した。正直夏明ちゃんがここまで熱血な面があるのには驚いたのだが、それだけ熱情的な想いがあったからこそ、理世ちゃんの腕前が向上したと思うと中々熱いものがある。

 しかしながら、夏明ちゃんがなぜここまで理世ちゃんにピアノを教えられたか。それは自身も嘗てピアノを習っていたためである。元々理世ちゃんと同じ良家育ち*5なので、ピアノを習うのもある意味既定路線みたく所はあったのだろうが、先生が厳しかった事もあって長続きせず辞めてしまっている。この事を夏明ちゃんはかなり気にしていて、双子の姉妹である映月ちゃんより先に辞めてしまった事実も相まって「私はダメな子です」と自虐していたが、それを聞いた理世ちゃんは「ナツメはダメな子じゃないよ」と優しく諭しながら頭を撫でた。人の気持ちに寄り添い、優しく受け止めてあげられる理世ちゃんは正に先生の鏡であり、夏明ちゃんも「リゼさんみたいな人が先生だったら続いていたかも」と言っている。この言葉自体は理世ちゃんにとってとても嬉しい言葉だと思われるが、その一方で言い換えるなら夏明ちゃんが嘗てピアノを習っていた先生に対してそれだけ良い印象が無い事をも暗に示している。私が今月のごちうさの中で引っかかった数少ない要素はこれである。

 引っかかった事について詳しく説明すると、夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、習っていたピアノを映月ちゃんより先に辞めてしまった事を「ダメな子」だと自らを卑下した事にある。個人的には辛い事を無理に続ける必要性は無いと思っているので、夏明ちゃんが選んだ選択が自ら卑下するまでに駄目だったとは全く思えず、やけに気になっていた。確かに夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、逃げ出してしまった事に対して心の弱さと言う名の負い目を感じるのは分からなくも無いが、この場合最も問題になるのは「上達の早さもメンタルの強さも一人一人異なるのは当然である筈の生徒の事情や心境を一切考慮せず、スパルタ教育を施した事」なのであり、夏明ちゃん自身にたとえ心の弱さはあったとしても、彼女に非は一切無い。しかしながら、問題点が多いとは言え「厳しい教育に耐えてこそ、一人前の精神が得る事ができる」と言った考えが存在するのも事実であるため、ピアノの先生が夏明ちゃんに対しての指導方法に幾らか問題点があったとは断定できても、直ちに先生として資質が無いとまでは言えない。勿論その場合でも、たとえ厳しい教育をする事が人のためになると本人は考えていたとしても、本当の意味で人の気持ちを考えているのかは全くの別問題なのは当然のこと、抑々所謂スパルタ教育を容認する事自体、指導者としてはかなり厳しい立場に追いやられてしまう可能性は高い。当たり前の事なのだが、人を想うが故に厳しく指導する為には、指導者にもそれ相応の覚悟と気概が必要になる上、厳しく指導するのにあたってきちんとした考えを持つ事が必要になってくる。また、意味もなくデタラメに厳しく指導してはいけない事を念頭に置く事も大前提なのである。その為、意味もなくデタラメに厳しくしているのなら指導者として疑念を向けざるを得なくなるのは言うまでもないが、現実においては、普段はスパルタ教育みたく厳しくとも周りからは確かな信頼を得ている人も沢山いる。人に対して厳しい事そのものが悪なのでは無く、人の気持ちを一切考慮しない事が悪なのである。これらを鑑みると、本質的に考えて「私が悪いだの先生が悪いだの」そんな短絡的な思想では到底片付かないのである。

 これらを考慮すると、夏明ちゃんと嘗て習っていたピアノの先生は「お互いに馬が合わなかった」と言うのが正しい見方であろう。誰が悪いかその責任はどうなるのかと言われれば、それは指導者であり大人である先生になってしまうのは事実だが、それ以前に人としてうまく噛み合わないなら例え先生が厳しくなくとも長続きする事は無かったと思われる。いくら先生と呼ばれる存在であっても人間である事に違いは無いので間違う事だってあるし、指導方法によっては夏明ちゃんの様に耐えかねて辞めてしまう人もいるかもしれない。これらはデリケートな問題ではあるが、少なくとも生徒の立場にあり、それ以上に子供である夏明ちゃんが「ダメな子」だと思い込む程に深刻に捉える必要は無いと私は思う。理由はどうであってもピアノを辞めたのは自分の意思であるのだから、当時は辞めるしか方法が無いと思ったのならそれで良いし、そもそも嫌な事から逃げ出しただけで夏明ちゃんが言う様に直ちに「ダメな子」になってしまうのなら、世の中どれ程完璧な人間がいるのかと言う話になってしまう。世の中何一つ失敗も現実逃避もしてこなかった完璧な人間などまずいないものであり、人間は大なり小なり挫折を経験して大人になっていくものだと私は考えている。ともすれば夏明ちゃんが言う様に、何かを諦める事が直ちに「ダメな子」になる訳では決してないし、寧ろ諦めた即ち挫折した経験が無いと、人間は本当の意味で成長できないとすら考えている。但し、その成長が何をもたらすかは当人次第である。成長次第では周りから尊敬される立派な人格者にも、人からただ恐れられるだけでしかない畏怖の存在即ち悪魔にもなり得る。尊敬と畏怖は何時だって紙一重なのである。

 ではなぜ夏明ちゃんが自ら「ダメな子」だと言うまでに習っていたピアノを辞めてしまった事を気にしているのか。それは単純に夏明ちゃんが生真面目で実は何事にも一生懸命な性格だからであろう。夏明ちゃんは普段の強気とも高飛車ともとれる言動からは分かりづらいが、実は何事にも一生懸命且つ几帳面だと思われる面がしばしば見受けられるし、それこそ理世ちゃんに対して自らも疲労する程に熱血指導を行ったのも、夏明ちゃんがピアノを一生懸命やっていた裏返しだと言える。尤も理世ちゃんも思った様に「単にスパルタ指導の影響」の可能性も否定できないが、あれ程熱情的な想いを人からの影響だけで形成する事はまず不可能だと思われる為、夏明ちゃんが単に「努力してきた事に対しては熱血になる一面がある」と考えるのが良いだろう。何れにしても、真面目である事が駄目な訳では無いし、寧ろ真面目で何事にも一生懸命な一面は夏明ちゃんの良い所であると思うのだが、それ故に裏目に出てしまっている面がある。真面目な性格故に自分の弱さを痛烈に感じ取ってしまいやすく、自分を必要以上に責めてしまいがちなのである。そう思うと、理世ちゃんは夏明ちゃんのそういう一面を察した上で「そこまで気を揉む事は無いのだよ」と言う意味合いを込めて頭を撫でたと思われる。理世ちゃんも真面目で思い詰めやすい所があるので、夏明ちゃんの気持ちは痛い程理解できるのであろう。

 以上が今回私自身読んでいて引っかかった事の全てである。夏明ちゃんの真面目で努力家故に自責の念に駆られる痛みは良く理解できる事である一方、彼女を取り巻く闇の一種であるとも認識している。夏明ちゃん自身がまだ不可解な点が多い為、断言こそ困難だが、例え真面目な努力家タイプであったとしても理世ちゃんとも紗路ちゃんとも被らない、良くも悪くも一癖も二癖もある相当に強い個性を持っている人である事は間違いないだろう。また、そこには夏明ちゃん自身が人間関係に対してドライになり切れない確固たる優しさを持っている事も含まれている。

嫉妬の友情

 夏明ちゃんの指導の甲斐もあって理世ちゃんのピアノの腕前も上達し、2人で和気藹々としていた時、麻耶ちゃんが「チノに続いてリゼまで籠絡するつもりかー!」と、2人の中に割って入ってきている。籠絡(ろうらく。篭絡とも。)とは「相手を上手く丸め込んで自分の良い様に操る事」を意味する言葉で、要するに麻耶ちゃんは夏明ちゃんに対して「智乃ちゃんだけでなく、理世ちゃんも自分の良い様にする為に言葉巧みに丸め込んで操ろうとしているのか!」と言っているのである。因みに籠絡のニュアンスは「相手を賢く手なずけて良い様に従わせる」と言った狡猾(こうかつ。ずる賢い事。)なイメージを持っている。つまりストレートに言えば知的さを気取った悪口であり、それ故にちょっとした口論に発展しているのだが、この事は麻耶ちゃんが夏明ちゃんに対してどの様な先入観を抱いていたのかを影ながら物語っている。

 麻耶ちゃんとしては恐らく「理世ちゃんを始めとした友達は私達がずっと長い時をかけて築き上げた大切な財産だから、それをどことも知らぬ高慢且つ高飛車の様に見える双子姉妹に何もかも奪い去られたくない」と言う想いがあるのだろう。とは言っても夏明ちゃんも映月ちゃんも悪気は一切ないし、実際2人共に本当は高慢でも高飛車でもない、心根が良く人を思い遣る事の出来る優しい人達なのだが、自分たちの目的を遂行する為なら手段を選ばない点*6があるので、麻耶ちゃんも少々決め付けがましいのは否めないとは言え、元々お嬢様や堅苦しいものに対して苦手意識がある彼女がある程度その様な意識を抱いてしまうのには無理もないのであろう。

 但し、麻耶ちゃん自身夏明ちゃん映月ちゃん双子姉妹に多少苦手意識があり、特に夏明ちゃんとはいがみ合う事がしばしばあるとは言え、彼女らの事が嫌いな訳では無く、寧ろ麻耶ちゃん特有のフレンドリーさで2人に対してあっさり心開いているくらいである。一見つじつまが合わない様に見えるが、麻耶ちゃんにはお嬢様に苦手意識があるのは確かな事実である。では何故この様な事になるのかと言えば、それは彼女が「お嬢様はこんな奴らしかいない」と、確証バイアスがかかっている*7のがあると考えている。クレバー(賢明)な一面がある為、何でも明晰している様に見える麻耶ちゃんだが、その反面物事に対して確証バイアスがかかっているのがしばしば散見される*8。まだ10代半ばなのでバイアスがかかってしまっている事に気付かないのはある程度致し方ない面はあるのだが、大人になってもバイアスがかかる場面が人間関係には多い事に気付く事ができない場合はかなり問題となる。麻耶ちゃんの場合、先入観があってもそれを是正する事が出来ているのでそこまで危機意識を持つ必要は無いだろうが、バイアスがかかっている事に気付いている訳では決して無い為、ある程度の危機意識は持つ必要性そのものはある。尤も、「全てが可愛い」ごちうさにバイアスの話を持ってこられても「コメントに困る」に帰結するのみだろうし、バイアスの事を言うなら麻耶ちゃんだけでなく、他の皆にも言える事*9な訳だし、そもそもこんな事言っても仕方ないとは思うのだが、それを敢えて書いているのは、私自身麻耶ちゃんの事が少しばかり心配だからである。心優しく尚且つ思慮深い麻耶ちゃんに限ってそんな事は無いと思うのだが、人を自身の勝手な思い込みで判断して後に大きな後悔を背負い込む様な事にはなって欲しくないのである。

 他にも麻耶ちゃんが他の人に比べてバイアスにかかっている場面が多く見受けられるのも心配する理由としてあるが、バイアスの心配自体は麻耶ちゃん以外の人にも基本的に存在していて、特に「お嬢様」に関するバイアスが強い様に感じている。理世ちゃんが抱いているガーリーでお淑やかな姿(所謂ロゼちゃん。ロゼはフランス語で「バラ」を意味する。)に対する悩みや、紗路ちゃんのお嬢様の見た目とそれとは全く違う生活状況に対する悩み意識等が正に「お嬢様」に対する確証バイアス*10によるものであり、何れも「お嬢様としての理想形に対しての自分達のギャップ」が大きなポイントになっている。理世ちゃんならお嬢様には思われない自分の性格・性質に対して、紗路ちゃんならお嬢様の様な見た目と庶民的な暮らしぶりのギャップの大きさに対してそれぞれ悩まされていると言え、初期の頃は特にその傾向が大きかった様に思える。現在はバイアスに対する悩みは克服していると言えるが、バイアスそのものが解消されている訳では無い(そもそもバイアス自体、解消する事が非常に難しいものだったりするのだが)為、どうも気になる所である。

 何が言いたいのかと言えば、夏明ちゃん・映月ちゃん姉妹にも「お嬢様」と言う観点から何かしらのバイアスはかかっていると思われる事である。尤もバイアスそのものはこのごちうさの世界観だけでなく、人間社会なら当然の様に存在しているものである為、バイアスがもたらす何らかの影響は別としてバイアスがかかる事自体はある種の自然摂理的なものであるとも言える為、四の五の言っても全くの無駄とまではいかなくとも、やはり大した意味はなさない事なのかもしれない。それ故に素直に言ってしまえば余計なお節介である上に突飛な発想も良い所だと我ながら思っているのだが、この様な発想を抱いたのはごちうさを愛するが故」だと言う事は声を大にして言いたい。もし私が本当にごちうさを愛していないと言うならこの様な発想に辿り着く事も無かっただろうし、この様な事を思い立った所でどうも思わなかっただろう。表立ってはごちうさに対してやや冷淡な物の見方をしている面があるのは正直自覚しているのだが、それでも全くの冷血では無いし、心中では普段から純真たる熱き想いを滾らせている。冷淡な外殻を持つ熱血とは我ながら不器用だとは思うが、それが私なりの「何があっても折れ切らず、ごちうさを愛し続ける方法の答え」なのである。

 話がかなり脱線したが、前述の通り麻耶ちゃんは夏明ちゃんとちょっとした口論になったのだが、その際理世ちゃんが仲介役として割って入り、「よしよし」と麻耶ちゃんの頭を撫でている。ただ、当の麻耶ちゃんは理世ちゃんの行為に対して「安易に頭撫でるなー!」「何もわかってない」と涙目になりつつ多少怒り気味に手を払いのけている。これには理世ちゃんも「どうしろと」と困惑気味だったが、これに関しては理世ちゃんが間違った対処をしたわけでは決してないのだが、麻耶ちゃんからしてみると「私達に対しても夏明ちゃん達に対しても分け隔てなく接する理世ちゃんに対して少しばかり妬けてくる」のであろう。勿論理世ちゃんの行いは道理的に至極当然の事であるので、麻耶ちゃんもそれはきちんと承知しているのは容易に推察できるが、やはり自分達より付き合いの時間が浅い人達に友達(理世ちゃん)の気を惹きつけられるのは、頭で分かっていてもどこか面白くなく、それが嫉妬となって表れているのであろう。この事は、智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して抱いた嫉妬の感情や、結良ちゃんが心愛ちゃん達に対して抱いた嫉妬の感情とほぼ同等のものだと言え、見方を変えると麻耶ちゃんにとってそれだけ理世ちゃんは「自分にとってかけがえのない人」なのであり、だからこそ「もっと私だけを目掛けて欲しい」「理世ちゃんは私だけに特別な感情を持っていて欲しい」と言った感情が彼女の心に渦巻かせる。しかし、理世ちゃんは特定の誰かをあからさまに贔屓する事を基本的にしない人*11なので、麻耶ちゃんが思う様な事には基本的にならないのが宿命である。そして、思い通りにならない事自体は甘んじて受け入れられても、理世ちゃんが私の気持ちを(私から見て)本当はまだまだ分かっていない癖に、不器用にも理世ちゃんなりに私の事を受け止めようとしてくれているのが嬉しくももどかしいのだと思われる。麻耶ちゃんにとって理世ちゃんは「私の事を受け止めてくれる人であるのと同時に、もっと自分の事を目掛けて欲しいと思っている存在」なのである。

 この様に理世ちゃんと麻耶ちゃんそれに夏明ちゃんの関係性はかなり複雑に絡み合っているのだが、互いにやきもちを焼く事はあれど憎悪は一切なく、高い信頼関係を築き上げている*12。3人共実は真面目な努力家と言う様に性格が似たり寄ったりなのでちょっとした事で諍い(いさかい)になり易い面はある*13が、同時に周りが良く見える人達なので心配はあまりない。その辺りは正に高い信頼関係が感じられるからだと言える。

温かき友情

 理世ちゃんと麻耶ちゃん、夏明ちゃんが少しばかり揉めつつもわいわいと楽しんでいた時、心愛ちゃんは落ち込んだままであった。それだけ人の為に何もできない無力な自分が大いに嫌だと言う証であるが、同時に何も出来ずとも最後まで夢を見届けたい想いも秘めており、ある意味心愛ちゃんが人から好かれる理由が垣間見えている。が、3人がわいわいしている所を見るや否な途端に何時もの調子に戻って3人の輪の中に飛び込んでいるので、智乃ちゃんからはあまり良い印象を持たれていない。しかしながら、その方が心愛ちゃんらしいので全然悪い気はしないし、何よりずっと落ち込んだ感情を引き摺ったままウジウジしている心愛ちゃんよりかはよっぽど何時もの元気で好奇心旺盛な心愛ちゃんの方が智乃ちゃんも内心好いとは思っているだろうけど。

 何はともあれ3人のもとに飛び入り参加した心愛ちゃんは、早速いつも通りに調子の良い事を言いながら*14マラカスを持ち出し理世ちゃんに詰め寄っている。すると詰め寄った矢先、昔駄菓子屋でよく見かけたあの息を吹きかけている間「ピー」と笛の音が鳴りながら巻かれていた紙が伸びる、昔懐かしき紙の巻取り笛*15を鳴らし、理世ちゃんを驚かしつつも楽しませている。心愛ちゃん自身も楽しませるつもりでやった様で、理世ちゃんに「でも楽しくなったでしょ?」と尋ねている。これに対して理世ちゃんは「別の意味でな」と若干はぐらかしているが、それでもその後心愛ちゃんと2人で夏明ちゃんにして感銘を受けさせるほどに鮮やかな演奏をしているので理世ちゃん自身も心から楽しい気分になれたのは間違いないだろう。また、その後心愛ちゃんが呼び寄せた紗路ちゃんと千夜ちゃんも2人の演奏に参加して、理世ちゃんの頑張りに一役買っているが、その際紗路ちゃんは理世ちゃんに対して称賛の言葉をかけているのに対して、千夜ちゃんは心愛ちゃんが吹いていた笛を吹きながら〔甘兎(甘兎庵のこと)でも演奏して〕と理世ちゃんに伝えると言う中々にしたたかな一面を見せている。紗路ちゃんに関しては理世ちゃんを心から尊敬しているので如何にもといった感じだが、千夜ちゃんは流石名うての看板娘*16と言った感触である。ただ、個人的には2人共それぞれの特性を発揮しているので全然良いと思っているし、理世ちゃんも概ね同じだとは思われるが、これもある意味固き友情の賜物である。

 尚、この様に皆でわいわいしていた時にむくれていた人が1人いる。それは智乃ちゃんである。とは言っても店を放置した事を怒っているのではなく、自分だけ理世ちゃんの夢に対して応援できない結果的に除け者にされている事を不満に思っているのである*17。そんな智乃ちゃんに対して理世ちゃんと心愛ちゃんは「智乃ちゃんが歌で理世ちゃんのピアノとセッションすれば良い」と提案し、智乃ちゃんもまんざらでもない反応を示している。その際、心愛ちゃんは「昔チノちゃんのお母さん〔咲(サキ)さんのこと〕達がやっていた様にすればいい」と言った趣旨の話をしており、かつてラビットハウスの経営難を救ったジャズを彷彿とさせるものになっている*18。このかつてラビットハウスで行なわれていたジャズのセッションに関しては原作ならコミックス5巻、アニメならOVAであるSFY(Sing For You)で詳しく知る事が出来る。因みに心愛ちゃんが自分の実家に帰るお話もコミックス5巻であり、アニメなら映画であるDMS(Dear My Sister)にあたる。

  ここまで見ればわかる通り、心愛ちゃんにしろ智乃ちゃんにしろ基本的に理世ちゃんの周りの友達は人の夢を応援できる温かき心を持つ人達である事が良く分かる。ただ「友達の夢を応援すること」と言う一見友達なら当然の様にするべきだと思われる事を態々「温かき心を持つ」と思うまでに私が特別視しているのか。理解し難い人はいると思われるし、実際私も「友達なら友達の夢はどんな夢でも基本的に応援するべき」だと考えている。ではなぜこうなるのか。それは、今まで何度も書いた様に人の夢を応援する事は決して簡単な事では無いと私自身考えているから。人の夢を応援する事は、何時だって現実的な夢ばかりを応援するのではない。先ほど夢を応援する事に「どんな夢でも基本的に」と書いたが、時には壮大で無謀とも思える様な夢を応援する形になる事もあるかもだし、自分には全く理解できない夢を応援する形になるかもしれない。そんな時、私も含めてなのだが、相手を一切疑う事無く、このごちうさに出てくる人達の様に真っ直ぐ応援してあげる事が果たして出来るのだろうか。そう考えると、少なくとも私は「友達の夢はどんな夢でも応援するべき」と言うのが、簡単そうに見えて実はどんなに難しい事なのかをひしひしと思い知られる。それと同時に「人の夢を応援する事」を簡単に易々と口に出来るものでは無い事だと強く思わされる。何だか冷徹にも思えてくるが、かと言って簡単に人の気持ちを嘲る様な、無責任且つ不誠実な発言は厳に慎むべきである。友達関係は非常に難しい事は周知の事実だが、本当に友達の事を想うのなら、やはりいい加減な事は言うべきでないと思う。

 しかしながら、だからこそ「友達の夢を応援できるのはその友達を本気で想っている証拠」にもなるのだと私は考えている。正直ごちうさでここまで真面目な事を書き出すのが良いのか悪いのか私には分からないが、少なくとも今回の理世ちゃんの夢(憧れ)に対する皆の反応は「理世ちゃんの事をしっかり想っているのが良く感じられる」ものであったと考えている。生半可な気持ちでは絶対に出来ない彼女達の想いは正に本物の友情であり、同時に温かき友情でもあるのだと、私は思う。

少し変わった信頼関係

 それらの出来事から数日後、理世ちゃんは結良ちゃんに対して皆で結託して会得した、向上したピアノの腕前を披露している。その際結良ちゃんは上達した事について褒めてはいたものの、その褒め方については相変わらず顔色を殆ど変えない(=嬉しいのか悔しいのか全く分からない)冷淡な褒め方で、早速異彩ぶりを見せつけてくる。更に結良ちゃんは「まぁリゼに悔しがって貰うために努力したからね~」と言い放ち、その上「私のおかげで理世ちゃんが上達できたから喜ばしい」と言わんばかりの事を理世ちゃんに言い放ち、理世ちゃんを困惑させている。尤も理世ちゃんは冗談と認識している様で、結良ちゃんも半分冗談で言ったつもりなのだろうが、割と本気で言っている面は確実にあると思う。

 結良ちゃんが上記のような反応をしたのは、そもそも結良ちゃんが理世ちゃんにピアノの事で悔しがらせた事から始まっているのだと私は考えている。結良ちゃんとしてはピアノで理世ちゃんを悔しがらせる為だけでなく、多分「理世ちゃんを私の手で悔しがらせて理世ちゃんの気を惹いて、私に関心を向けさせる」のもあったのだと思う。以前結良ちゃんは理世ちゃんに対して「幼なじみでありながら全く普通の幼なじみの関係性になれない事に対する嫉妬と羨望」をぶつけているので、幼なじみである理世ちゃんとの何かしらの真っ当な関係性を望んでいる可能性は高く、もしそれが本当だとするなら結良ちゃんが理世ちゃんに対してピアノで悔しがらせたのも「幼なじみである理世ちゃんの関心を惹かせるため」にやったと考えても何らおかしくはないし、あの顔色を殆ど変えない皮肉じみた褒め方についても、彼女としては理世ちゃんの気を惹かせる事が第一の目的で、腕前の向上については嬉しくもあるが、どうも妬ける部分があると考えればある程度納得がいく。

 但し、結良ちゃんは手の内を容易には明かさない所謂飄々(ひょうひょう)としている人物であるため、実際に彼女がどう思っているかは正直全く分からない。私が今回彼女のあらゆる反応を「冷淡な反応」と捉えたのも、彼女が理世ちゃんに対してただならぬ特別な感情を抱いている事を明確に捉えているからであり、もし彼女が嫉妬も特別な感情も抱いてなかったとするなら、こんな事を思う事はきっと無かったであろう。ある意味私も結良ちゃんに対してただならぬ想いを持っている事になるのだろうが、これは別に特殊な事でもなんでもなく、ごく普通の事だと私は考えている。何かとごちうさの中で異彩を放っている存在だと見做されがちな結良ちゃんだが、私は結良ちゃんのそういった異彩な面を含めて好きである。

 ここまで色々と書いたが、上記の様に飄々とした結良ちゃんにも悩みもといコンプレックスはあり、それは「人を好きになる程逃げられる」事である。抑々結良ちゃんは理世ちゃんと同じく将来は学校の先生を目指しており、その理由に理世ちゃんも指摘している様に、理世ちゃんと同じ子供好きな点*19が挙げられる。結良ちゃんが子供好きとは少し意外な気もするが、何が好きなのかどうかは人の自由なので、他人がどうこう言える道理はないのは自明の理。ただ、個人的には結良ちゃんが子供好きなのはそのまま彼女の良い所だと思っていて、結良ちゃんが明確な意思をもって先生を目指しているならそれは立派な事である。

 肝心の結良ちゃんの悩みについてだが、その原因として理世ちゃんが「視線がねちっこいんだよ」と指摘している様に結良ちゃんの他人に対する接し方にある。実は結良ちゃん、人との接し方がかなり不器用且つ異質で、自分が好きな人をねちっこく見守ったり、何の前触れもなく突然現れたりするので人から距離を置かれがちなのだが、本人にはまるで自覚がない。つまり、これは中々に深刻な問題だったりするのだが、当の本人は理世ちゃんの指摘に対しても何時もののほほんとした口ぶり*20で理世ちゃんにアドバイスを求めている。尤も理世ちゃんにはにべにも無く断られてしまっているが、その際結良ちゃんはあしらわれた事を気にも留めず「お互い前途多難だね~」と発言して、理世ちゃんにも何やらただならぬ事情がある事を匂わせている。尤も当の理世ちゃんは否定しているが、何れにしても理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろ、越えなければいけない壁はまだまだ高い事は間違いないだろう。

 この様に理世ちゃんと結良ちゃんの関係性はお互いにしばしば悪態を突く事を言い合ったり、核心部分をはぐらかしたりする事が多い為、他のごちうさ2人組に比べて異質に感じられる場面が多く、実際異質な面は多い。しかしながら、理世ちゃんと結良ちゃんは異質さこそあれどお互い信頼する事の出来ない仲柄では決して無く、幼なじみであり、夢を共に目指す友達であり、お互いを想い合う仲間である。理世ちゃんと結良ちゃんとではごちうさの目立つ要素とも言える仲睦まじい様子こそ少ないが、2人共お互いを大切な存在だと思っている事に偽りはなく、リゼユラも「お互いを想う気持ち」は確かに存在している。理世ちゃんも結良ちゃんも元々根が優しい人*21なのである意味当然の成り行きとも思えるが、もし幼なじみと言えど相手の事が本当に嫌いだの信用に値しないだのそんな状態だったとするならば、ここまでの付き合いには絶対にならず、どこかで縁は切れていた可能性が高かったと思われる。世の中そこまでお人好しな人はいないものである。その事を加味するならば、リゼユラは異質な面こそあれど、お互いを想い合う確かな友情と絆を持ち合わせていると言えるだろう。

3.あとがき

 以上がきらま2021年6月号掲載のごちうさを読んだ私の感想である。今回は読んでいて気持ちの変遷が特に激しかった回でもあり、正に玉石混淆*22の心境だったと言える。「全てがかわいい」と言うキャッチコピーを持つごちうさにおいてこの様な心境は相応しいのか私には分からないが、私が一つ思う事として、可愛いだけを存分に堪能していたのなら多分ごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったと考えている。私はごちうさに可愛いだけに留めるのは勿体無いと思い、登場人物それぞれの人間性や関係性、内に秘めし本心やただならぬ願望等々、様々視点を広げて、そして思い悩んだ過去がある。

 ただ、視点を様々広げるのは作品を楽しむ為には欠かせない事であるし、視点を広げる事で見える世界が多いのも事実である。しかし、私の場合それはなにもプラスばかりには働かなかった。色々考えを広げていく内、次第にごちうさファンとしての理想像を見失っていき、最早ごちうさに何を求めているのか良く分からなくなり、遂には原作もアニメも観るのが怖くなった。だが、その頃でもごちうさのグッズはコンスタントに買っていたし、どんなにストーリーを追うのが怖くても、毎日の様にごちうさそのものを堪能する事には全く変わりなかった。どんなに思い悩んでも、ごちうさの魅力溢れる世界を手放してしまうのは勿体無いと思い、ごちうさから離れる事はただの一度もなかった。そして苦節を経てごちうさの事が改めて心から好きになり、自分の気持ちや想いを書き出そうと思い始めた。そこから今に至るまで、私が考えた事、想った事を書き出す事を続けているのである。

 これらの経緯が多分私に結良ちゃんや夏明ちゃんといった、一見すると一癖も二癖もある人物の心情理解をたきつけるのであろう。勿論心情理解そのものは冬優ちゃんや映月ちゃん、ひいてはごちうさの登場人物全員に対して示していきたいと考えているが、表立っては素性が良く分からず誤解されやすい人物の場合それはより顕著なものになる。ごちうさと言う作品を心から理解し、そして愛すると言うのならある種当然とも思えてくるが、私は心情理解を決して容易い事とは考えていない。だからこそ、ごちうさの登場人物の仲睦まじい関係性がどれ程凄い事なのかまざまざと思えるのかもしれないし、或いはその睦まじい様子に少し嫉妬を覚えるのかもしれない。何れにしても、これらは私がごちうさを心から愛している事の裏返しとも言える為、気にし過ぎる事は無いのだろう。

 これらを思えば、可愛いだけを存分に堪能していればごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったのだろうが、同時にここまでごちうさに対して愛する事の出来る感情を持つ事は多分無かったと思う。そう考えると、思い悩んだ過去も無駄では無かったのだと、今になって私は強く思う。そして、その強き思いを内に秘め、新しきごちうさの世界を待ち続けるとする。

*1:必須でないとは言っても、現実問題として弾けるに越した事は無いらしい。

*2:結良ちゃんを除けば基本的に学生組の中では年上の2人である。それでいて2人してふざける事も多いのは仲が良い証拠なのだろうが、年上としてはどうなのか……。

*3:この事は理世ちゃんが普段どれ程本心をコントロールしているのかを示唆している。真面目な性格故に普段から相当自分の気持ちを抑え込んでいる為、一度リミッターが外れると自分ではもう止められない。この辺りは紗路ちゃんにも同じ事が言え、ある意味箍(たが)が外れる怖さを示唆している。

*4:とは言ってもフォローの言葉はかけている。

*5:自身の父親が喫茶店ブライトバニーの社長をしている。

*6:智乃ちゃんが淹れたコーヒーが美味だからと言って自分達の専属バリスタに召し上げようとしたり、何か問題が発生したら解決手段としてお金を持ちかけたりしようとする等。何と言うか、所謂社長令嬢なのである程度は致し方ない面があるとは言え、お金で物事を解決しようとするのはお金持ちの人のイメージが悪くなるので止めた方が良いだろう。

*7:心理学用語(心理学以外でも普通に用いられているが)であり、主に認知の歪み、思い込みの状態を指す。

*8:バリスタを「矢を打ち込む兵器」だと思い込んだり、お嬢様は「ごきげんようのお高くとまった堅苦しい存在」と思い込んだりする等。ただその一方で本当にお嬢様である理世ちゃんに対しては全く嫌悪意識は無く、お互いに厚い信頼を寄せ合っているのだが、これも「理世ちゃんがお嬢様には見えない事」がバイアスとしてかかっている事も否定できない。

*9:特にココチノがバイアス関連では目立っている様に感じる。

*10:厳密には無意識(アンコンシャス)のバイアスもかかっている。

*11:特定の誰かをあからさまに贔屓しないのには「彼女自身が友達の中では基本的に一番の年長者だから」もあるのだろうが、彼女自身が誰かを贔屓する事を苦手としているのも大きいのだろう。実は同級生組の中では一番年上である(=誕生日が早い)心愛ちゃんとは正反対である。

*12:嫉妬と言っても良い気もするが、嫉妬は本来「相手を憎む気持ち」と言うマイナスな意味合いを含む言葉である為、ちょっと使いづらい気がしなくもない。

*13:性格が似ている人と一緒に居ると合いやすいとは言うものの、それは適度な距離感が保たれている場合の話。性格が近い者同士(特に真面目で意志が固い人同士若しくは我が非常に強い一匹狼同士)の場合、距離感が近すぎるとお互いの嫌な所がやたら目に付く、互いに似た性格故に融通が利かない若しくは何事も決まらない等逆に上手く行かなくなる事も多い。当然、そこから絶交(交友関係を断つ事)にまで発展する事も断然あり得る。

*14:但し先ほど失敗した事についてはきちんと言及している。調子の良い人と言う印象が強い心愛ちゃんだが、失敗した事を隠蔽(いんぺい)しようとする事はあまりない。尤も失敗を平気で隠蔽する様な人は、最早調子の良い人では済まされないだろうが。

*15:正式名称失念。でも今はすっかり見かけなくなっているのは確か。これには抑々駄菓子屋自体今では中々見かけなくなってしまっているのもあるのだが、個人的に駄菓子屋の雰囲気はもう子供ではなくなった今でも好きであるので少々寂しい話である。他にもめんことかベーゴマ等が今はめっきり見なくなった昔懐かしき玩具だろうか。とは言っても物自体は中々奥が深く、長きにわたって愛され続けている。

*16:千夜ちゃんは看板娘なのは確かだが、名うては少々言い過ぎかもしれない。ただ、千夜ちゃん自身ノリが良過ぎるまでに良い人なので、案外さまになるのかもしれない。

*17:なら余計に駄目な気がしないでもないが。

*18:冷静に考えると、ジャズで経営難が救われるとは中々なサクセスストーリーである。これは暗にラビットハウスの経営は喫茶店よりバーの方が人気があると言う事なのかもしれないし、現にそれを示唆する描写もチラホラ見受けられる。尤も、物語が進むにつれてあまり関係なくなりつつある面が見受けられるが。

*19:理世ちゃんが子供好きだと明確に言及されている訳では無いが、本心的な思想や言動を見るに子供好きで間違いないと思われる。

*20:感情が読み取りにくい意味では中々に笑えない側面はあるのだが。

*21:結良ちゃんは明確に優しい一面を見せた訳でこそ無いが、根は優しい人だと個人的には考えている。

*22:ぎょくせきこんこう。良いものと悪いものまたは優れたものと劣ったものが同時に入り混じっていること。

きらファン「断ち切られし絆」第2部2章の感想と考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアの第2部2章を完走したのでその感想と考察を書きたいと思います。第2部はかなり重めなストーリーですが、それ故に考えさせられる事も多いので、今回初めてブログで書き出してみたいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

第2部「断ち切られし絆」とは

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの特殊能力を手掛かりに彼女の故郷を探し求めて新たな旅に出ると言うのが主な流れである。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、メインシナリオ第1部と比較して序盤から壮絶な場面が多い。第1部では序盤では割と朗らかな雰囲気が漂っている事も多く、終盤ではシリアスな展開になるものの、それでも壮絶な運命に翻弄される事は無い*1為、全体的に見ると悲壮的な物語では決してなく、王道路線をゆく感触に仕上がっている。また、きらら達と対立する側の陣営も一部を除いてそこまで壮絶なしがらみを持っていない為、そこまで気を揉む事無くストーリーを楽しむ事が出来る。

 しかし、第2部では最序盤からシリアス色全開であり、対立陣営も底知れない闇を滲ませている、悲愴的な物語である。この時点で既に重いのだが、進めていけばいく程に闇は更に露呈していくストーリー構成はゾクゾクすらしてくる。現時点では2章までだが、1章からして壮絶で凄惨な物語であるし、恐らくこれから更に壮絶さは増していくと思われる。

 きらら達と対立する存在はハイプリスが筆頭で率いる「リアリスト」であり、彼女達は「真実の手」と呼ばれる所謂幹部を率いて、欺瞞(ぎまん)に満ちた*2この世界(エトワリアのこと)を正す為に活動を始める。そして、ハイプリスは「オーダー」以上の禁呪である「リアライフ」を用いて聖典の世界を破壊しようともしている。何故そのような事をするかは謎だが、それは今後の展開次第で分かる事であろう。

 因みに「リアライフ」とは負の感情を絶望のクリエに変える魔法であり、絶望のクリエはクリエメイト*3の命そのものを削る程に危険なものであり、更に絶望のクリエを吸い上げられ切ってしまったクリエメイトは消滅してしまうと言う、この上なく凄惨且つ残忍な顛末を遂げる事になる。果たして禁呪の魔法として恐れられる訳である。なお、同じ禁呪魔法である「オーダー」は、術者にも多大なリスクを背負う事になるのだが、「リアライフ」も現時点では明確な発言、描写が無いとは言え、ハイプリスの発言から察するに「オーダー」と同じ様に術者にもリスクはあるものだと考えられる。

何故第2部がここまで重いと感じるのか

 それはズバリ「人間の心の弱い部分が全面的に出ているから」である。まず第2部で登場する住良木うつつからして超が付くほど驚異のネガティブ思考の持ち主であり、何事も異常なまでに諦観*4している。また、かなりの捻くれ者でもあり、人の言葉を素直にポジティブな方向に受け取ろうとしない。ただ、極度のネガティブ思考なだけで根は決して悪い人では無く、寧ろ優しい所も沢山あるのだが、何れにしてもうつつちゃんのネガティブ思考はそのまま「人の心の弱さと、それに伴うエゴイズム(利己主義。自分本位な考え方。)」を体現していると言える。

 また、きらら達と対立する存在である「リアリスト」も中々に一筋縄ではいかず、特に「真実の手」が1人「ヒナゲシ」の存在がリアリストに影を落としている。ヒナゲシは「弓手」の異名を持つが、「真実の手」の中で一番の下っ端であり、それ故に「無能」と判断されて切り捨てられてしまう事を極度に恐れている。更にそれだけにとどまらず、ヒナゲシは自分自身の能力がパッとしない事に強いコンプレックスも抱いており、自分と同じ様な境遇*5でありながら自分と違って不幸でない人に対して激しい憎悪を見せ、その様なクリエメイトを執拗に闇に引き摺り落そうとする悪辣非道な一面を持つ。しかしながら、ヒナゲシ自身も壮絶な運命を背負っている事は明白であり、心の弱さを滲ませながらリアリストとしての活動を全うしようとしている姿は見ていて痛々しいものがある。だからと言って、リアリストがやっている事は到底看過できないのは至極当然だが、ヒナゲシがあそこまで精神的に追い詰められている事を鑑みると、リアリストには「同じ志を持つ仲間にすら冷酷無比な態度を容赦なく突き付ける」と言う様などうしようもない闇を抱えているとも言える。個人的には、身内にすら容赦なく牙をチラつかせる組織が何かしらの計画を遂行させようとしても上手くいくとは到底思えないのだが……。

 他にも色々あるのだが、兎にも角にも「人の心の弱さが全面的に感じられる」と言うのが大きい。しかしながら、これら心の弱さは見る者に対してメッセージを大いに投げかけるのも事実であり、今後の展開には目が離せない。ただ、あまりにも重過ぎて、目を背けたくなる気も分からない訳では無いのだが……。

2.第2部2章の感想

2章とは

 この2章はこれまでの第1部(外伝を除く)を含めて異例な点が一つあり、それは「オーダー若しくはリアライフで呼び出されたクリエメイトが登場しない」事である。今までは何かしらのきらら作品から選ばれた一つの作品の登場人物がエトワリアに実体をもって呼び出され*6、それを解決する為にきらら達が奔走するものだったのが、今回はスクライブと呼ばれる聖典の写本生*7をめぐるストーリーと全く異なっている。

 そして今回も新キャラが登場し、それは「スクライブギルド長『メディア』」である。スクライブギルドは街の名前であり、メディアはそこのギルド長を務めている。2章はこのメディア含めたスクライブが大きなキーポイントとなる。

メディアとうつつ

 ギルド長であるメディアだが、性格はとても明るく快活な人である。聖典が大好きで、自分がいる世界とは異なる世界がどんなものなのかを知る事が何よりも喜ばしい事だと認識している為、異世界に対する好奇心も強く、時に突っ走ってしまう事もしばしば。ただ、本質的には優しい人であり、相手の気持ちやペースを考え、持ち前の気質を活かして人を励ます事も多い上に、人の気持ちを汲み取るのも上手く、そういう意味では同じ志を持つ仲間にすら冷酷無比な感情が見え隠れするリアリスト達とは全くの正反対と言える存在でもある。また、ギルド長である事からスクライブを統率する事も役目であり、自身もスクライブとして聖典を写本する事に精力している。また責任感も強く、自分が果たさなければならない事を全うする為なら全力を尽くす人でもある。

 そんなメディアちゃんが、ネガティブ思考且つ消極的だったうつつちゃんの心を温かく受け止めていたのには、メディアちゃんが持つ心からの優しさを感じた。うつつちゃんは初めこそ「陽キャの考える事は意味わかんない……」と言って拒絶していたのも否めなかった*8が、次第に彼女に対して強い信頼を寄せる様になり、最終的にはうつつちゃんが身を挺してメディアちゃんの事を守ろうとする程に、うつつちゃんにとってメディアちゃんは最早失う事の出来ないかけがえのない存在になった。うつつちゃんにしてもメディアちゃんの様な存在は確かに自分とは全く違うが、無碍(むげ)にする事無く純真に接するメディアちゃんの底抜けの明るさと優しさに感化されたと言え、メディアちゃんと親交を深めていくと同時に、うつつちゃん自身も徐々に変化しているのが強く感じ取れた。うつつちゃん自身も自他問わず毒舌気味な点は見受けられるが、人の気持ちを何の罪の意識も無く平気で嘲笑ったり、馬鹿にしたりする様な事はしない人なので、メディアちゃんの純真な点に何か思う事があったのだろう。

 そして、うつつちゃんの変化を印象付けるものとして、メディアちゃんを純粋に助けたい強い意思の芽生えが代表的だと個人的には思う。うつつちゃんは前述の通り超が付くほどのネガティブ思考であり、それ故に何事にも諦観的で、おまけに全く素直じゃない捻くれた一面もあって1章では性格に難ありと言った印象が否めなかったが、2章においては言動こそ相変わらずなものの、誰かの為に自分が出来る事、やらなければならない事を何があっても貫き通したいと思う意志の強さが現れ始めているのがはっきりと確認できる。勿論こうなったのには一筋縄ではいかない事情があり、メディアちゃんとの親交を深めた事や、メディアちゃんを救いたい一心が大きいのは当然の事ながら、ギルド長メディアの護衛についていた、筆頭神官アルシーヴの側近である七賢者が1人、フェンネルとの確執*9や、それをめぐった摺り合わせ等、人間関係をめぐった対立とそれを乗り越える意志の強さを磨かれてた事が大きいと思う。自分の事を快く思わない者、快く受け入れてくれる者、それら様々な思想を持つ人たちと触れ合い、うつつちゃんは間違いなく変化してきている。この様に様々な観点からメディアちゃんの存在が与えたものは計り知れないものがあり、人望と言う観点からも正にギルド長に相応しいと言える。

 実はメディアちゃんもヒナゲシちゃんの質問に対する反応から元々は女神候補生だった1人と思われ、その事は意志が強いメディアちゃんの数少ない心の弱みとなっている。ただ、ヒナゲシちゃんとの対立を乗り越えて彼女の意思は更に強いものとなっている。今後もギルド長として活躍する事は期待できるであろう。

ヒナゲシが持つジレンマ

 2章においても1章の時同様「真実の手」が1人、ヒナゲシが主導となって立ちはだかり、今回は「汚染された聖典を写本によって広める」為に、スクライブをひっ捕らえ絶望に染め上げると言うかなりえげつない方法を用いている。そして本人の感情もえげつなく、ハイプリス様に切り捨てられる恐怖心からかなりの人海戦術を用い、計画を遂行する為なら敵を欺く事も厭わず、目的を達成しハイプリス様やお姉さまに認められるのなら、後は何も望まないと言わんばかりの感情であり、挙句メディアちゃんを連れ去らって闇の巫女に仕立て上げようとした時には「スクライブが元女神候補生も多い」事を突いて「君は女神候補生だったのに、挫折して、スクライブで我慢してる……。でしょでしょ?」等と悪魔の様な事を言って人の弱みに付け込んだ悪辣な精神攻撃を仕掛ける等、1章より更に卑劣且つ憔悴している面が目立っている。最早彼女にとって周りの人は「結果を出さないと一切の慈悲なく見捨てる。誰も、役に立つものしかそばに置きたくないから。」と言った認識が強過ぎる為にこの様になっていると思われるが、幾ら彼女が尋常ならざる過去を抱えていたとしても、どれ程彼女が辛い思いを抱えていたとしても、彼女がメディアもといスクライブに対してやっている事はハッキリ言って人としてどうなのかと言わざるを得ない。例え彼女が壮絶な痛みを背負っていたとしても……。

 しかしながら、ヒナゲシがここまで追い詰められた様な姿になっているのは「本心と行動が完全には一致していないからなのでは?」とも感じていて、早い話がジレンマ即ち板挟みである。抑々ヒナゲシちゃんがリアリストの活動に勤しむ背景には「自分が頼りにしている人から認められたい」感情が強く存在していると確信していて、その理由として彼女は追い詰められると度々「頼りにしている人から見限られると私はもう終わってしまう」と言った類の言葉を発している事にある。しかもそれ故にヒナゲシちゃんは自分の本心を押し殺してしまっている節があり、本当はやっていて辛い事でも「リアリストに見捨てられたくないから」仕方なくやっている面がある様な気がしてならない。無論、ヒナゲシちゃんもリアリストが掲げる理念には同意しており、実際に計画を遂行している為、彼女が望んでリアリストの活動に勤しんでいるのは事実だと思う。ただ、その一方でリアリストもとい「真実の手」のメンバーにおいて、能力がいまいちパッとしない事にコンプレックス意識が強くある事を示唆する様な姿も多く、実はリアリスト内においても彼女にとっては心から望んでいる様な安心できる場所だと言い切れない事情も大きく関わっているのかも知れない。言うならば「ヒナゲシちゃんにとって『リアリスト』は自分が憎んでいる聖典の世界を破滅させようとする人達が集まる理想の集まりだが、一方でその中でも周りから役立たずと思われる程に自分の能力が無い事実が、最早リアリスト以外に居場所がない彼女を窮地に追い込んでいる。言い換えると、自分が望んでいる世界に救われても苦しめられてもいる。」と言った事である。

 また、ヒナゲシちゃんには自分と同じ様なコンプレックスを抱えておきながら幸せそうな人に激しい憎悪を滲ませる面もある。実はこれも一種のジレンマであり、彼女は「大切な人に見捨てられたくない」と考えていて、それ故にリアリストの活動に勤しんでいる面があると思うのだが、実は私自身「人に見捨てられたくない願望は、本当は人から自分の事を認められたい事の裏返しである」とも思っている。言うならば彼女自身も不遇な環境でありながらも幸せを掴み取りたい願望が存在していると思うのだが、当のヒナゲシちゃんは自分と同じ様な境遇の人が幸せを獲得している人を見ると、本当は自分も望んでいる理想像である筈なのに、一方的に激しい憎悪が込み上げてきて、「何もかも破滅させてやりたい」願望が彼女を支配する。ただ、勿論その様な事をしても彼女は本当の意味での幸せは得られない。何故なら、他人の幸せを破壊した所で得られるのは一時的な欲求不満解消と長期にわたって続く虚無なのであり、何一つ創造性も持たないものである事は明確だからである。本人は欺瞞を正す為に正しい事をしているつもりであったとしても、その自分自身も実は欺瞞を働いてしまっている面がある事に気付かなければ、何時まで経っても苦しみから逃れられる事は無いのである。

 この様なジレンマを彼女が抱えているのには、恐らく「どこの世界にも、自分が幸せになれる事は無かった」と言う彼女の経緯が関係していると思う。ヒナゲシちゃんは1章、2章の発言から「自分はへっぽこだったから、ずっと幸せになりたくても幸せになれなかった」事を示唆する描写が多く、それ故に聖典の世界の破滅を望む、自分と同じへっぽこなくせに幸せそうにしているのを全く許せなくなっていると思われるのだが、その様なコンプレックスを抱える状態が長期にわたって続いた事で何時しか彼女の感情や思想をも徐々に歪ませていき、遂には自分も望んでいる様な幸せで人を憎む様にまでなってしまった。その様な痛みやジレンマを抱える事になってしまったヒナゲシちゃんの壮絶な想いは筆舌に尽くしがたい痛みを伴うものがある。

 更に、これは完全なる私の想像なのだが、もしかすると「彼女が持つ負の感情をリアリストに都合が良い様に利用されている結果」とも見る事もできるのではないかとも考えている。これは彼女自身がコンプレックスを抱いていた所に、彼女と利害関係が一致するリアリストがそれを都合の良い風に引き出させたのだと位置付ける仮定論であり、こう解釈しても彼女が抱えるジレンマが何故存在するのか一応説明する事は出来る。どういう事かと言えば、「ヒナゲシ聖典の破壊と汚染を望んでいるが、それは自身にとって聖典の世界が全く望みが無い憎しみの世界だからであり、関係性そのものを何もかも失わせたい訳では無く、本心から繋がりを示す全ての概念の破壊や汚染を望む様な人では無いのだが、その複雑な心境をリアリストに付け込まれ、『不遇の人が幸せになる事はいけないなのに、聖典の世界ではそれが当たり前の様に存在している。』と教え込まれた」と言う様な事である。元々彼女は自分を大切にしてくれている人から認められたいだけだったのに、何時しか心の闇を組織に良い様に利用させている面があるとも思えてくる事を仮定したものである。ただ、我ながら突拍子も無い考えではあるとは思うし、実際には恐らくあり得ない考えだとは思うのだが、現段階ではそんな気もしてならない。最早ヒナゲシちゃん以上に悪魔な気がしてならないが……。

 ここまでヒナゲシちゃんが抱える心境をジレンマの観点から考察してきたが、もし彼女が一切のコンプレックス意識を持っていなかった若しくは、持っていたとしてもそれこそ分け隔てない優しさを持つギルド長のメディアちゃんやきららちゃん達、そして実は人の心に寄り添える確固たる器量を持っているうつつちゃんなりが真っ当な方法で彼女を認めていたとするならば、聖典に対して多少の憎しみはあったとしても、「リアリスト」がやっている事の様な破壊的で凄惨たる道を歩む事も無かったのかもしれないし、あの様な最低な手段を使って何もかもかなぐり捨ててしまうまでに、自分が望むものを掴み取ろうとする必要性も無かったのかもしれない。何故なら、ヒナゲシちゃんにとって何よりも嫌な現実は「誰にも自分自身を全く認めてもらえない」事であるのだから、1人でも自分の事を無条件に認めてくれる人がいれば、態々自ら破滅の道を歩みかねない様な事までしなければならない程に追い詰められる事も無かっただろうし、それに、誰にも認められないのが嫌だと言うのならば「例え自分が理想とする世界を生み出そうとしているリアリストが望む計画を完遂する事が出来たとしても、認めてくれる人が1人もいなければヒナゲシちゃんにとっては嫌な世界である事に変わりはない」事だって十分にあり得る話である。

 しかしながら、ヒナゲシちゃんは明確なコンプレックスを持っている為、例えリアリストの一員では無かったとしても聖典の世界の破壊と汚染を望んだ可能性は高いが、何れにしても彼女がやっている事はただの身勝手な八つ当たりであり、短絡的なものである。しかし、その短絡的かつ身勝手な手段を用いなければならない程に今の聖典の世界が憎たらしく、この手であの憎い聖典の世界を破滅させたい願望が、彼女をどうしようもないジレンマに叩き落している可能性がある事を私は睨んでいる。彼女が本当はどうしたいのか、今は良く分からないが、章が進むにつれて判明すると思うので、今後のヒナゲシちゃんの動向からは目が離せない。彼女は本当は何を望んでいるのか、それを見極める為にも……。

サンストーンときらら  

 ハイプリスが最も信頼を寄せる存在である「真実の手」が1人、サンストーン。「右手」の異名を持ち、人と人の繋がりである「パス」を断ち切る事の出来る能力がある。ハイプリス様に対しては絶対的な忠誠心の持ち主であり、心からハイプリス様の下にあると公言している。尤も彼女は人と人の繋がりを断つ事の出来る能力を持っているので、見方によってはハイプリス様でさえ平気で裏切る事だって容易に出来る事を意味するし、更に飛躍させれば「絆を断つ事の出来る能力を持つが故に、普通の人以上に人間関係に対する悲しみと痛みを背負わなければならない壮絶な運命を課せられている」とも言える。勿論彼女がそれら諸事情をどう捉えているかは良く分からないのだが。

 また、2章ではサンストーンと共にリアリストの1人である「スイセン」と共に行動している。このスイセンも中々に癖のある人物で、性格や物事の考え方はお世辞にも良いとは言えず、言動もとても馴れ馴れしく、人によっては苛立ちを隠せない若しくは生理的に受け付けられないタイプであると思っているきらいが私自身存在している。要するにスイセンは人を選ぶ性格をしている事*10になるのだが、一方で根っからの悪い人では無いとは思う。これにはどうもリアリストに所属している事が相当に悪影響を与えている様で、これは所謂「無意識のバイアス」である。ここでは「無意識のバイアス」については詳しく触れないが、この作用はしばしば物事の見解を狂わせるものである事は把握した方が良いだろう。

 そんなサンストーン達だが、2章の終盤にて「スイセン」と共にきらら達の前に立ちはだかる。が、これはあくまで戦略的撤退と言うものであって、実際にサンストーンと交戦はしていない。尤もスイセンとは交戦しているが、勝利してもさっさと撤退してしまう*11。その為、きらら達にとっては今まで基本的な関わりが無かった者達なのだが、きららだけが何故かサンストーンに対して、最早有耶無耶になった過去の記憶に縛られ、胸がきつく締められる苦しさを覚え、挙句きらら自身も訳の分からないままに涙を流していた。どうもサンストーンときららにはただならぬ事情がある様で、それはハイプリスでさえサンストーンに対して「君はそれでいいのかい?」「きららは君のー」等と気に掛けていた事がそれを裏付けさせる結果となっている。尤も当のサンストーンは「その絆はとうに『切れて』います」と答え、全く懸念する必要は無い事を示す態度をとっている。絆を断つ事の出来る能力を持つ者である事もそうなのだが、それ以上にハイプリス様に最も信頼を置かれている存在なので、そう答えるのはある意味当然の道理ではある。 

 きららとサンストーンの関係性についてだが、2章では正直断片的な情報なのもいい所で、こうだとハッキリ言える要素は存在しない。しかしながら、断片的な情報から考えられるとするならば私は主に下記の2つがあると思う。

  • 昔は深い関係性にあったが、サンストーンが自らの能力で断ち切った昔なじみ若しくは元々近しい存在
  • 赤の他人同士だったが、互いに強いインパクトを刻み付ける出逢いを経験した過去を持つ関係性

 1つ目はもしこれが本当ならば残酷且つ悲愴的なものであり、出来る事ならこうであって欲しくないと願いたくなる程の考えである。この考えの背景には、きららちゃんは「人と人の繋がりの『パス』を感じ取れる」人であり、『パス』を断つ事の出来る能力を持つサンストーンとは真逆の能力を持っている事実が深く関係している。

 これを仮定するならば「きららちゃんとサンストーンは嘗ては深い親交を持っていたが、次第にサンストーンはきららちゃんの事が何らかの事情で気に入らなくなり、自分の能力を用いてきららちゃんとの絆を一方的に断ち切った」となるだろう。当然ながら、昔なじみと一切合切絶交する事は相当な心身の痛みを伴うものであり、ましてや人の繋がりを感じ取れるきららちゃんなら尚更である。ただ、サンストーンの能力は「抑々繋がっていた事すら忘れさせてしまう」ものである為、普通の人は抑々痛みを覚える事すらできない筈である*12のだが、きららちゃんは前述の通り「パスを感じる能力」があるので、何らかの理由でかつてあった筈のものを失っている事実に本能が気付き、自分の意思とは関係なくサンストーンに引き寄せられ、失ったものに対する痛みと悲しみが込み上げ、涙した可能性がある。勿論これはあくまで仮定論なので、今後の展開次第では全くの思い違いである事が判明する可能性も十分にあるが、きららちゃんもサンストーンも特殊能力を持っているので、普通なら考えられない様な事があり得たりする可能性もある為あながち間違いとは思えない。

 2つ目に関して言えば、正直言ってきららちゃんとサンストーンの関係性についての真相にたどり着ける材料になれる可能性は低いであろう。この考え方は、言うならば「人生を変える様な出逢い」を根拠にしたものなのだが、この場合サンストーンが「きららちゃんとの絆を切った」動機が比較的短絡的なものになってしまう上に、きららちゃんがサンストーンと対面した時に、抑々何故に嘗てそこまで親密な関係性も無かった人に対して涙するまでに困惑したのかその理由に戸惑ってしまう。幾らきららちゃんが人の繋がりを感じ取れるとは言え、今まで出逢ってきた個々人を明確に思い起こせるものでは無いので、この観点からきららちゃんとサンストーンの関係性を勘ぐるのは正直無理があると思う。

 となると、やはり1つ目の仮定論である「きららちゃんとサンストーンは昔から何かしらの関係性を持っていたが、サンストーンがそれを断ち切った」可能性がより高くなると思うのだが、何れにしても2章で明らかになった事が少なすぎる為、ここで断定する事は難しい。抑々きららちゃん自身も出自が謎な面が多く、きららちゃんとサンストーンがどの時期に出逢っていたのかすら良く分からない。もしかするとそれ程遠くない昔に出逢っていた可能性も考えられるし、或いは赤の他人に毛の生えた程度の関係でしかない様な可能性も考えられる。もっと言うなら、私が提唱した2つの推察を組み合わせたものこそ、実は最も真理に近づくものの可能性だって十分あり得るし、どれをとっても全くの頓珍漢な考えだったと判明する可能性もある。

 ただ、きららちゃんとサンストーンの関係性はただならぬものだと言うのは確かだと言え、その関係性の真相はきららちゃんとサンストーンだけでなく、ランプちゃんやうつつちゃん、果ては「リアリスト」にも多大な影響を及ぼす可能性も考えられる。現時点では如何ともし難いが、この2人の動向を完全に無視する事は最早できないだろう。

3.まとめ

 今回のメインシナリオ第2部2章のシナリオは、様々考えさせられるものであったと思う。ギルド長メディアちゃんとうつつちゃんの正反対ながら心開き合った仲柄に、そんな仲柄を憎み絶望に染め上げようとするヒナゲシちゃん、スクライブギルドを巡った「リアリスト」の思惑、そして謎が謎を呼ぶきららちゃんとサンストーンの関係性等々……、一つ一つ挙げていけばキリがない。それ程複雑に絡み合っている。

 私が思うにこの2章に限らず第2部と言うのはそんな複雑に絡み合った関係性一つ一つに実は強いメッセージなるものが込められていて、それを紐解いていく事で様々明らかになっていくのだと考えている。第2部は全体的にシビアな展開が多く、読む者の心に大きく訴えかけるものがあるが故に中々気楽に楽しめるものでは無いのだが、その分内容が非常に濃いものになっている。ストーリーが濃密なのはのめり込む様に読み進める事が可能になる事もあって個人的には好きであり、それ故にメインシナリオ第2部のテイストは気に入っているのだが、正直に言うと同時に重い話だと言うのは感じ取っている。壮絶な話をどう解釈するのかそれが大きな分かれ目となるのはきらら作品で当てはめるなら、かの「がっこうぐらし!」が代表的になる*13のだろうが、私は「がっこうぐらし!」をきちんと読んだ事もアニメを観た事も無いのであくまで推察ではある。なお、アニメ「がっこうぐらし!」の脚本(4話と11話)と、きららファンタジアメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」のシナリオは何れもきらら作品「ライター×ライター」の原作者である深見真先生が担当している。アニメ「がっこうぐらし!」の脚本を担当したのと同じ人がシナリオを担当しているのが理由だと思うのだが、過酷な運命を背負っている状態や、イレギュラーな事態だからこそ問われる人間の本質と言うものはきららファンタジアのメインシナリオ第2部においても通ずるものがあると私は考えていて、もっと言うならその熱時たる想いを汲み取っていく事こそ、私にとっては数多ある読者像における一つの姿であるとも考えている。

 また、全体的に見ると暗いテイストが多いとは言え、明るいテイストもしっかり用意されていて、2章で言うならスクライブギルド長であるメディアちゃんがその筆頭格である。彼女が持つ純真たる明るさは間違いなく本物であり、それはそのまま人々の心を明るく照らしてくれている。その明るさをもってあの超が付くほどのネガティブ思考であるうつつちゃんの心を動かし、うつつちゃんが変化したのは2章の中でもとても印象的であり、その変化はそれまでうつつちゃんの事を半信半疑で接していたフェンネルの心をも動かす事になった。この変化にはメディアちゃんの明るさはさることながら、うつつちゃん本人の気持ちの変化が大きく関わっているのは言うまでも無いが、この様に過酷な状況が続く中で心の変化と成長を感じ取る事の出来る構成は心に沁みわたるものがある。

 そして「リアリスト」が1人、ヒナゲシちゃんについては所謂敵対組織と言える立場でありながら自分自身について思い悩む描写がしばしば散見され、サンストーンに至ってはきららファンタジアの主人公であるきららちゃんと何か特殊な関係性を匂わせる等、敵側陣営においても一筋縄ではいかない事情が蠢(うごめい)ているのが感じ取れる。単なる勧善懲悪にとどまらないストーリーそのものはメインシナリオ第1部においてもそういう傾向にあるのだが、あちらは中盤以降にその流れが見えてくるのに対して第2部では序盤から既に片鱗が見え始めている。今後「リアリスト」の理念が明らかになるにつれて更にとてつもない事実を突きつけられる可能性は高いと思われるが、それと同時に何か特殊な感情が芽生える可能性も十分に考えられる。「リアリスト」そのものについてはこれから明らかになるものが増えていっても、感じるものが人によって大きく分かれる可能性は高いが、何か響かせるものがあると私は確信している。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部2章で私が抱いた感想と考察である。この先の展開次第では誰も予想できない様な全く予想外の方向に突き進む可能性も十分にあり得るが、私としてはどんな展開を迎えても楽しみであるので、今後の展開を早く見られる事を楽しみに置いておきながら、気長に待つ事にする。

*1:展開こそ中々に壮絶だと思う面もあるが。

*2:この場合、嘘と偽りに満ちた世界と言った意味合い。

*3:クリエを生み出す者と言う意味であり、クリエはエトワリアの世界の人々にとって、生きる力の根源である。

*4:諦めの気持ちをもって物事を見据える事。

*5:1章のシャミ子こと吉田優子が顕著な例。

*6:きららが用いる「コール」はあくまで力を借りるものであり、別世界の人をそのまま召喚する訳では無い。

*7:なお、写本した聖典は写本生が祝福を掛けないとクリエを生み出す聖典とは言えないらしい。この為、写本生は巫女でもあり、もっと言うなら元々は女神候補生だった人も多い。

*8:メディアちゃんとうつつちゃんは性格が正反対である事も起因している。

*9:フェンネルも決して悪い人では無く、寧ろ物事に対して真面目過ぎる程誠実な人であり、絶対的な信頼を置ける人なのだが、それ故に融通が利かない部分が玉に瑕となっている。とは言っても最終的にうつつちゃんの事を認めている。

*10:尤も「人を選ばない性格なんてあるのか?」と言われると微妙な話なのだが。

*11:このためフェンネルは「この卑怯者め!恥を知れ!」と彼女を罵っている。

*12:サンストーンに「パス」を断ち切られた者は、それまでの良き交友関係を忘れ、憎しみに駆られる事が大半な為。絆が無ければ憎悪に支配されるとは、何とも形容し難い痛みが読み手にも伴ってくる。

*13:がっこうぐらし!」はきらら系の中ではかなりの異色作ながら同時に名作とも謳われている。

きらま2021年4月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。最近ごちうさに関する事をまとめようにも時間が取れず、中々まとめられない時が続いていますが、本当はもっと手短にまとめようと思えばいくらでもできるのですけどね。変な拘りを持つと苦労するばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年4月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月のごちうさにははっきり言って驚かされる事ばかりだったのですが、今回はその事について流れを追って書き出したいと思います。

※注意※

 ネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで出てくる様々な推測や考察は個人的な見解も含まれている事もご了解お願い致します。

1.読んだ感想について

複雑な心境

 今月のごちうさのお話は生徒会長の計らいで心愛ちゃん達が通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校が合同となって球技大会を行うと言うのがメインテーマだった。ごちうさの球技大会と言えば心愛ちゃんが高校3年生である今の時系列から見て2年前つまり高校1年生の時の球技大会があった時以来で、この時はまだ合同では無かったうえ、高校2年生の時は抑々球技大会の「き」の字も無かったので正直驚いた。でもきっと今月も楽しいと思える様なお話なのだろうと期待していた。しかしそれは正しい期待であったが、同時に甘すぎる想定でもあった。何故なら、実際に読んで私自身が感じたのは、楽しい微笑ましいだけでなく、何も思わない程にぼんやりとした心境と、久々にもどかしさ全開と言わんばかりに複雑な感情に苛まれた心境も含められていたのだから・・・。

 今回のごちうさの感想は一言で言うなら「衝撃と失意」。衝撃は今まで中々なかった路線で展開された物語に抱いた素直な感情。失意は凄まじい勢いで変わりゆく展開に正直全くついていけそうにないと悟った感情である。最近怒涛のラッシュで良い展開が続いていた為、先月の時点で「今後は展開が少し変わっていくだろう。」とある程度は推察していたのだが、いざ今月を迎えて読んでみると、あまりの展開に当初内容が正直全く頭に入ってこなかった。この時点で「あの忌まわしき記憶*1」が脳裏をよぎったのは言うまでも無く、闇を引きずり込まれるのだけは駄目だと持ち直し、改めて内容について考える事にした。

どことないもどかしさ

 私が気になったのは兎にも角にも何故に今月のごちうさに対して「あの忌まわしき記憶」が脳裏をよぎる程にそこまで複雑な心境に至ったのかであり、そこ事を突き止めなければまた悪夢の再来だと本気で思った為、そこはかとなく真面目に考えた。そして、改めて読んでみる内に原因にはなんと心愛ちゃんと千夜ちゃん、それに紗路ちゃんと言う同級生組が関係している事が分かり、そこから精査してみるととりわけ紗路ちゃんの心情に引っ掛かる点が多い事に気付いた。

 気付いた要因としてあったのは球技大会に対する紗路ちゃんの切実たる心情故にあった。折角同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんの学校と球技大会が出来るのに、2人が選ぶであろうバレーボールは自分の中で無い(=出場しない)と割り切っていて、まるで2人の事を避けている様にコンタクトを取るのを嫌に忌避していたのが気になり、「本当に嫌だと言う訳では無さそうなのに、嫌と言うのは何故なのか」と私の中で引っ掛かった。よくよく考えれば気付く事だが、これ以前にも紗路ちゃんは心愛ちゃんと千夜ちゃんのやる事に呆れる事もありつつも仲睦まじい事に対してどこか羨ましそうにしているだの、なんだか私だけ爪弾きにされているとモヤモヤしていると感じ取れることも少なくなかったので、この時点で「同級生組の関係性に何か理由があるのでは?」と勘ぐっていたのだが、その予感は的中する事になる。

 紗路ちゃんの心情に対して何故引っ掛かった事自体は早い段階から勘ぐれるものではあったのだが、その理由がはっきりと分かったのは実際にバレーボールの試合を行っている場面だった。抑々紗路ちゃんはバレーボールには参加する予定では無かったのだが、欠員が出たという事で本人は当初こそあの2人の事もあって躊躇っていたが、周りの期待に応える形で急遽出場する事を決意し、図らずも心愛ちゃんと千夜ちゃんと対決する事になったのである。因みに欠場自体は2年前での球技大会でもあったものであり、この時は千夜ちゃんがドッジボールに出場していた。幼なじみ同士、奇しくも同じ欠員の応援役に買って出ると言う運命を辿る辺り何かあるのだろう。

 そしてチマメ隊とナエちゃん、そしてフユちゃんと言う高校1年生組の声援を受けてバレーボールの試合が始まったのだが、紗路ちゃんが打ったサーブをココ千夜の2人が「ダブルブロック」と称して止めた*2時に紗路ちゃんが見せた表情が明らかにおかしく、まるで仲良しこよしな2人を妬んでいる様にも思える陰湿な表情に見えて驚いた。そしてこの事こそ紗路ちゃんに対して抱いた違和感の根源であり、普段滅多に人に対して妬み嫉みを陰湿な印象をもって出したりしない紗路ちゃんがそんな事をしたとあって、「あの紗路ちゃんがあんな陰湿な印象をもって同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんを見つめるなんて・・・」と思ったものである。

 抑々紗路ちゃんはどちらかと言えば自分から積極的に親友や友達に対して前に出る事を不得手としている人故に自分の想いを上手く人に言えない面があり、変に溜め込んでしまいやすい所があるのだが、今回感じた違和感にそれは関係なかった……否、正確には無関係では無いのだが、主要因では無いと言う方が正確だろうか。では何が主要因として関係していたかと言えば、それは「紗路ちゃんが11人*3の中で唯一同じ学校に心置きなく接する事の出来る同級生がいない」事だった。思えば紗路ちゃんはココ千夜やマメナエ*4、チノフユ、リゼユラの様に同じ学校に心置きなく接する事の出来る同学年のペア若しくはトリオ*5がいない(異学年にはいる)のだが、実際問題それ自体はチマメ隊が中学生2年生時代の時からそうであったため、もっと早くに不満がはちきれても全くおかしく無かったはず。にもかかわらず何故に2年も経ったこのタイミングで突然あからさまに不満を見せたのか気になった。ここまで気になった背景に紗路ちゃんはそういう不満をあからさまに人にぶつけたりしない人であると言う変なレッテルを私が勝手に貼っていたのが関係していたのだろうし、単純に紗路ちゃん自身そこまで孤独に喘いでいる様には見えなかったのもあったのかも知れない。言ってみるなら、心の中で意識せずとも勝手に決め付けていたのである。

 しかしながら、冷静に考えてみれば紗路ちゃんも中学生の時*6は幼なじみである千夜ちゃんと同じ学校であり、紗路ちゃんにも同学年に心置きなく接する事の出来る友達がいた時期があるのを無視する事は出来なかった事から、彼女があからさまに不満を見せた理由が分かっていく。そして、その理由が分かった大きなきっかけは、紗路ちゃんとしては「本当なら高校でも千夜ちゃんと同じ高校が良かった」と望んでいたのではないかと言う事だった。抑々彼女がお嬢様学校に通う事になったのも経済的な事情による所が大きかった事が要因としてあるだろうし、経済的事情すら無ければ紗路ちゃんだって千夜ちゃん達が通う学校に通う事だって多分問題無かったと思えるのだから、こういう考えに行きつくのはある意味当然の成り行きなのだろう。誰だって心置きなく接する事の出来る友達と同じ学校に通えるなら、それを望むものなのだから。

 しかし、現実はあくまでも無情だった。高校生になり、別の学校に通う様になり、2人共孤立した状態になってしまった*7。それだけでもお互い相当にショックが大きいのに、新しく街にやってきた心愛ちゃんが千夜ちゃんと同じ学校だった事により、自分だけ取り残された様になってしまった。尤も心愛ちゃんと出逢ったこと自体はそこから交友関係が広がった事もあって何も問題視はしないのだろうし、紗路ちゃん本人も「千夜にとって波長の合う心愛がいるのは有難い事だと思う。」などと心愛ちゃんに言ったりもしているので、別に千夜ちゃんが新しく親友を作れた事には何の恨みも無いのだろうが、紗路ちゃんとて「交友関係が広がれば広がる程、自分だけ同じ学校の同級生で心置きなく接する事の出来る仲の人がいない」と言う逃れられない現実に少なからず妬みを感じていたに違いないし、それに今思えば紗路ちゃんが心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して少なからず不満を抱いている様に見える場面はしばしば散見された。言ってみるなら、同級生組ひいては3人組と言うもの自体が抱えている影な一面である。

同級生組が持つ影な一面

 前述した様に紗路ちゃんはバレーボールの時に仲良しこよしのコンビネーションを見せる心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して陰湿とも見てとれる表情をしていたのだが、その時に紗路ちゃんはなんと珍しく2人に対して「別に寂しいわけではないのだけど、私の事気にもせず楽しそうに・・・」と言うかなり不満ながら切実な本音を内心秘めているのが分かったのは衝撃的だった。そして、言葉を聞いて私は思わず「これはトリオが抱える闇な一面」だと思った。どれ程仲良しだってトリオと言うものは一度その中で2人組が出来てしまうと残りの1人はポツンと孤立するものであり、しかもその状態は一度固定化されてしまうと中々改善しにくい。紗路ちゃんの本音は正にそんな状態の心情を指し示しているのだと感じた。

 私としては心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんの所謂同級生組3人の仲自体はこれ以上ないくらいに良いと思うのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんとではやはり「通う学校が違っている」事もあってかどうしても紗路ちゃんだけポツンと孤立する傾向にある様に感じる事が多かった。ただ、そう感じるのには他にも単純にボケとツッコミの役割分担の関係もあるのも考えられるし、抑々あの天然ボケたる2人組をしっかり者のツッコミ担当が相手をする関係上、紗路ちゃんだけ良い意味でも悪い意味でも別枠に見えるのはある意味必然とも言えるのだろうが、なんにせよ紗路ちゃんだけ心愛ちゃんと千夜ちゃんとはかなり違った色をしているのは間違いないし、それ故に孤立を感じやすい面はあるのだろう。

 また、この3人組は更に細分化される組み合わせとしてしばしば「心愛ちゃんと千夜ちゃん」「千夜ちゃんと紗路ちゃん」と言うそれぞれ「親友兼同じ学校の同級生」と「昔からの幼なじみ」と言った縦割りになっている印象が強くあり、この場合千夜ちゃんが両方に跨っている事が影響して、3人揃った場合に2人組で会話等をすると「心愛ちゃんと紗路ちゃん」どちらかはあぶれてしまう事が起こり得る構造が成立する。そして、心愛ちゃんと千夜ちゃんは同じ学校と言う事情もあってどうしてもこの2人組になる事が自然と多くなりがちであり、決まって紗路ちゃんがあぶれてしまう事になるのである。これが同級生組の中で紗路ちゃんが2人に対して決まって「心なしか私だけ除け者にされている様でつまらない」と言った様な不満が芽生える理由として考えられるものであり、これはたとえどれ程心愛ちゃんと千夜ちゃんが意識して気を付けていたとしても完全に防げるものではない。

 抑々この3人組内部での孤立と言うものは恐ろしく難解且つ複雑な問題だと個人的には考えていて、解決するのは不可能だと言っても良い。何故なら早い話、3人集まったら何から何まで常に3人で行動をピッタリ合わせでもしない限り、2人組と1人と言う構図はごく当たり前に起こり得るものだからだ。例えば3人組の中で2人だけで行動したり、会話をしたりする事もあるだろうが、この場合ですら1人だけ孤立は仕組み上成立している。しかしながらある意味当然ではあるのだが、いくら3人組で行動しているからと言って、常に3人共全く同じ動作、情報を共有すると言うのはまずあり得ない事であり、同級生組も勿論例外では無い。人間である以上各々の意思はあくまで尊重すべきなのが鉄則なのであり、もし3人共全く同じ動作、情報を共有させるなら一つの思想にガチガチに束縛させる必要性が発生してくるが、これは当然ながら意思尊重の原則に反する。しかし、だからと言って逆に各々の我が強過ぎると今度はその場にただ集まっているだけの統率も連携も無いものとなり、所謂烏合の衆となってしまう。これが問題の解決が不可能と言っても良いと思う理由なのであり、人の事を大切に思うのなら3人組の中においてもある程度の自由は認めるのは当たり前、でもそれが行き過ぎると2人組と1人と言う構図が常態化する恐れを孕んでいる、若しくは烏合の衆の如くただの集合体になってしまう可能性があると言うシビアな問題に直結している。

 では上記の組み合わせの中で唯一存在が無かった「心愛ちゃんと紗路ちゃん」を日常的に組み込んだならある程度は改善するのかとなるし、実際組み込んだらある程度は形として変わる事は変わると思う。但し、実際にはかなり難しいものがあるだろう。そう思う背景には抑々「心愛ちゃんと紗路ちゃん」は同じ学校でも無ければ昔からの幼なじみ、知り合いでも無いのでやや距離感がある様に感じられるのが否めなかったのが理由としてある。尤も実際には「心愛ちゃんと紗路ちゃん」共に実は大のお人好しで、尚且つ根っから心優しいと言った人間的な面が共通しているので一緒にいて嫌に思う事は無いと思うし、もっと言うなら2人だけの親交を深められても全然おかしくないとすら思うのだが、やはり2人だけの接点や機会が少ない事が仇となっているのか普段から際立って目立つ様なペアとまではなっていないし、抑々これを言ったら止めを刺す事になるのだが「新しいペアを作った所で、同級生組3人が集まった時に決まって特定の人が孤立しやすい状況は何も変化しないと思う」と言ってしまればそもそもが無意味となってしまう。心愛ちゃんと紗路ちゃんの仲自体はこの上なく良いのだが・・・。

 ただ、何度も重ねて言う様に同級生組の仲は3人共とても良好であり、心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんの気持ちを一切無視する気は無いのは2人を見ていればはっきりと分かる事であるし、寧ろ2人共紗路ちゃんの事をかなり気に掛けている*8。しかしながらそれでも2人だけが仲睦まじそうにしている所を見ると「私だけ除け者にされている」と言う様な焼き餅を紗路ちゃんが焼くとのは何と言うか、実は相当な寂しがり屋である事の裏返しでもあると思うし、何ならそれを下手に隠そうとするから余計にジェラシーが強くなってしまうのは自明の理なのに態々自分から無理をしてしまっているとすら感じられる。尤も私もそういう傾向はあるので気持ちは分かるのだが、何とも不器用な紗路ちゃんである。

同級生組が持つ輝く一面

 同級生組の中でも特異的な立ち位置にいる紗路ちゃんであるが、前述にもあった通りバレーボールの試合中に心愛ちゃんと千夜ちゃんの仲睦まじさに珍しくあからさまに嫉妬を見せていたのだが、その際嫉妬に気を取られ過ぎた為に、ボールが紗路ちゃんの方に向かって飛んできているのに気付かず、見事にボールが直撃した。しかも飛んできたボールは心愛ちゃんがトスを上げてそれを千夜ちゃんがスパイクで打ったもので、よりによって心愛ちゃんと千夜ちゃん2人で連携して打ったボールがその2人に対して嫉妬を抱いている人に当たってしまう、何とも皮肉且つ奇妙な展開である。

 ボールが当たった紗路ちゃんは嫉妬の念を抱いていたのもあって完全にノーガードだったためにもろに顔面直撃と手痛い結果に。当然そのまま試合続行とはいかないので保健室に連れて行こうとなったのだが、その際に真っ先に名乗り出たのは他でもない心愛ちゃんと千夜ちゃんの2人組だった。しかもこの2人、紗路ちゃんを抱えるや否や直ちに紗路ちゃんを助けようと言わんばかりの必死の形相*9で保健室に連れて行かせようとしていた*10のがとても印象的であり、その場面を見ていた生徒会長は「これが学校の垣根を超えた友情」と称していた辺り、やっぱりこの同級生組3人はただの仲良し3人組なんかじゃないのだと改めて認識させられた。因みにこの「周りからの見え方や評価を知る事で再認識に至る価値観」たるや、正直私としては自分の想いや感情の錯綜を招きかねないのを懸念しているが故に闇雲に進んで取り入れる事は避けているのだが、この場面においては殊更取り入れる以外の選択肢は無かった。それだけハッキリ刻まれるものがあったのである。

 では同級生組の一体何が凄いとなるのか。普通に考えてみるならば、確かにわざとでは無いとは言えボールをぶつけたのは連携してボールを放った千夜ちゃんと心愛ちゃんの2人な事に違いないので、2人が紗路ちゃんを保健室に連れていくのはある意味当然の道理であり、周りから特段称賛される様な事では無いと扱われる事も当然ながらあり得た筈である。なのに周りは称賛した。何故なら、それは「学校の垣根を超えた友情の証」を体現するものであったから。これこそが同級生組の凄さの根幹なのであり、最早それ以外に早々答えは見つからないであろう。

 この学校の垣根と言うものは現実問題として、些細な問題事の様に思えて実際にはかなり大きな問題事であり、垣根とは名ばかりにその実態は最早塀だと言っても差し支えないかもしれない程に厚く険しい面がしばしば存在する。尤も学校の垣根と言ってもその形態は多岐に渡るが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんと言う同級生組の様に、他校の人同士で仲良くなると言うものであっても、同校の人と比べて絶対的な接点が少ないと言う関係上良好な関係性を生み出し継続する為には相当の努力を要する。最近では携帯電話やスマホ、インターネットを用いたコミュニケーションツールの隆盛もあって人と人が直接出会わなくても関係性を認識し合い、保つ事は昔よりずっと容易になったとは言え、それでも努力を要する事には変わりない。どんなに便利なツールが誕生して人間関係を創り出し、維持する事が容易になっても最後は「お互いに人として信頼出来るか」に大きく懸かっている事には変わりないのだから。

 これらを勘案すると、同級生組3人がどれ程凄い関係性なのか良く分かってくるものなのだが、良さはそれだけには留まらない。同級生組の良さは大小様々あるのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃんが紗路ちゃんを保健室に連れて行った*11後も2人が紗路ちゃんの為に(やり方のスタイルはどうであれ)献身していたのがこの場合最も象徴的であると言える。普段紗路ちゃんの事を良くも悪くも振り回し続ける心愛ちゃんと千夜ちゃんだが、大切な人が怪我をしたと言う事態において真っ先に心配し献身する態度を取った事は2人が紗路ちゃんの事を心の底から大事に思っている証拠と言え、それは逆もまた真なりなのだが、何にしても同級生組の信頼関係の強さを示している物として最早不足は無いだろう。なお、紗路ちゃんのケガは幸いにも大したものでは無く、涙も怪我とは全く関係なかったのだが、その事が分かった途端に2人は保健室のベッドに寝かしつけた紗路ちゃんの両脇に2人共寝転んでいる。正しく「同級生組だけが共有する時間と空間」となった訳だが、2人がこの行動をとったのには理由があり、しかもその理由は紗路ちゃんがそれこそ2人に対して抱いていた嫉妬の感情に深い関わりがある。

 紗路ちゃんが2人に対して抱いていた「どこか仲間外れにされている」と言うべき類の感情は、実は球技大会においては心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんに対して抱いており、これは紗路ちゃんがテニスの試合でかの理世ちゃんを彷彿とさせるフォーメーションで試合を沸かせた*12際、その試合終了後に紗路ちゃんの学校の友達に紗路ちゃんを取られてしまい、話しかけられなかったのが要因としてある。勿論紗路ちゃんの学校の人達は紗路ちゃんを独占しているとかそんな事は全く無く、単純に学校が違うから発生した事案であるのだが、2人はどこか寂しい感情を抱いていた。やはり普段から密接な関わりを持つ人とその場の感情を直ぐに分かち合えないのは寂しいのが良く分かる事例である。この事を千夜ちゃんは紗路ちゃんに向けて彼女特有の不満そうな表情を浮かべて「友達に囲まれて話しかけられなくて寂しかった」と言っているが、紗路ちゃんは何故か嬉しそうにしていた。これは紗路ちゃんからしてみれば「2人も私と同じ様な寂しい感情を覚えていた」と理解できたからである。尤もこの事を2人は知る由は無い*13のだが、何れにしてもお互いの手の内を心から安心して知れ合う仲であるのは良く分かるのだから、それで良いのかもしれない。

 因みにこの時心愛ちゃんは理世ちゃんのお土産話として「同級生組3人で保健室で球技大会をサボった」事を報告しようとしたが、カッコ悪い姿を先輩に曝す形になってしまうので当然と言うべきか、紗路ちゃんに制止されている*14。そして智乃ちゃん達にもっとかっこいい所見せようと提案した紗路ちゃんにより、3人共にまた球技大会の舞台に戻りに行く所で終わりとなっていた。舞台に戻る時も3人は何時もの調子で掛け合いをしているので、次回も期待に溢れるものになると予想できる終わり方なのが印象的だった。

2.感想のまとめ

 今回は心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんと言う同級生3人組に焦点が当たったお話だった訳だが、元々千夜ちゃんが理世ちゃんと肩を並べる程に特に好きな私*15にとって喜ばしいお話だったのは言うまでも無かった。私がそう思うのには軽快なボケツッコミの掛け合いがあるのも一因として存在するが、一番は人間的な意味での良さが特に表れる関係性なのが大きい。尤も3人共性格がとても良いので良さが出てくるのは当然だと思われるかもしれないが、幾ら普段から性格が良い人だと言っても、友達関係と言う環境下において人から性格が良いと常に思われる様にするには相当な困難がつきまとう。何故なら、人間である以上感情の起伏による気分の変化は日常茶飯事であるが、それ故に例え友達に対してであっても例外では無いからである。ただ、友達関係に部外者があれこれ口出しするのは不適当だと思う所はあるし、私がここで思っている事は完全に余計なお節介なのだが、この同級生3人組の関係性に関してはお節介である事は承知の上で本当に素晴らしい関係性だと思っているし、それは今回の球技大会においても揺らがなかった。

 一見するとボケツッコミのトリオにも見える*16のだが、その実3人共に互いを信頼し合える固い絆があり、信頼も同様に厚く、有事の際にはあらゆる物事の垣根を超えて助け合う。周りから見ても正に理想的とも言える様な友達(親友)関係で、正直こんな3人組を持てたら人生幸せなのだろうとすら思う程である。

 今回のごちうさは人間関係を如実に描き出しているスタイル故に思い悩む事が多かったのは事実だが、それ故に時間が経つにつれて思い悩んでいた事が、何時しか心から好ましきものに変化するのだと思えるのだと言える。それらを勘案すると、今回の同級生組を中心とした球技大会は正にごちうさの良き一面の一端を担うものとして名を馳せるのであろう。やっぱりごちうさは凄い作品なのである。

3.余談(私がこの様な感想を抱いた背景)

 ここからは私自身が「なぜ今回のごちうさのお話においては中核とも言える同級生組=トリオに対して並々ならぬ想いを馳せた」のか。その事について記す。

 

 今月のごちうさは何故だか複雑な心境に苛まれてしまった訳だが、その原因にはトリオ即ち3人組の難しい側面を理解し経験していた事が大きかったのかもしれない。と言うのも元々私は一時期、とは言ってもまだまだ子供の頃だったが、3人組で行動すると心なしかどこか置いてけぼりにされてしまう事が多かったからだ。何時も他の2人で楽しそうにしているのを只々見ている若しくは何となく一緒に行動しているだけ。尤も見方を変えるとそれだけでも小規模ながら団体行動出来るのだから、ある意味3人組は幸せなのかもしれないが、私はそれが兎に角嫌だった。そこにいるのは確かに3人なのに、何だか自分だけそこにいない様な感触がするからその理由だった。勿論他の2人だって3人いる内の2人だけで楽しみ過ぎない様にするべきだと考えてくれてはいただろう。でもそれは何処までも思い上がりも甚だしく、まだまだあどけない子供には高過ぎる理想でしかなく、現実はあくまでも厳しかった。しかし当時の私は子供故にそんな事は経験不足故に良く分からなかったので、今思えばある程度は仕方がない面もあったのだろうが、自分なんて3人組の中においてはいてもいなくても同じ様なものだと自分勝手に思う事すらあった。

 でも、月日を経て客観的に考える力と余裕が身について来て、改めて昔の事について考えてみたら、それは当然の結果だったと思わされた。だって3人組において他の2人に積極的に自分の意見や考えを言ったりしなかったのは他でもない自分だったから、はっきり言って除け者扱いにされたって文句を言う資格なんてある訳が無くて当然だった。自分の事は何も言わない癖に人には良くしてもらおうなんていくらなんでも厚顔無恥が過ぎる。昔から近親者には「自分から積極的に話しかけないと人は気に掛けてくれない」と言われてきたものだが、漸くそれが痛い程理解できた。昔の自分はそんな言葉を聞いても「自分の事を何も分かろうとしていない。自分をただ傷付けようとしているだけなのだ。」と思い込んで子供ながらに全く聞く耳を持とうとしなかったのだが、今考えると利己的な考えも甚だしいと思うばかりである。人の事を考えていないと思っていた自分自身が実は一番自分本位な考えを持っていたのだから孤独になるのは当然の事だった。

 ただ、私が自分の事を言わない背景には、人と話すのが極度に恥ずかしいからと言うのと、これは私の単なる勝手な思い込みなのだが、人がなんて言い返すか分からなくて傷付くのが怖いからと言うのが理由としてあって、本当は人に上手く話しかける事が出来ない事と、私の勝手な思い込みとは言え人に傷つけられる事を極度に怖がっている事に対して理解を得て貰えたらまた違った結果になったのかもしれない。それでも「自分の意見を言わないのを恥ずかしがり屋だからとか、傷つくのが怖いからと言って、自分の意見を言う事から逃げたりするのは狡い。」とは言われただろうが、同時に自分の課題について親身になって考えてくれていたのかもしれない。勿論どうなっていたのかは分からないが、どんな事柄も悩みもまずは人に打ち明けないと何も進展しないのであり、人に打ち明けさえすれば何か新しい道が開けたかもしれないと言うのに、私は何ら改善しようとしなかった。「人に頼らなくても自分で何とか出来る。たとえ辛くても無理矢理にでも何とかしてやる。」と高を括っていただけでなく、意固地にもなっていたのが原因であり、実は頑固者でもあった私は月日の経過で心境が変わりつつあっても、このままでは駄目だと分かっていても、根本的な部分は何が何でも変えようとはしなかったし、できなかった。元来真面目で几帳面な性格であるが、その一方で変な所で我慢するだの頭が固過ぎる面があるのと、所謂頑固者な面も半端じゃなかった事が重なって出来た「自分で決めた事を途中で変えるのは意志が弱い証拠だ」と言う自分の昔からの考え方が悪い方向に働いてしまった結果だった。そんな自分が只々情けなかった。その後に頑固な考えはきちんと改められたのだが、この愚かと言うべき考えは自分の心に深い訓戒と失意を刻み付ける事になった。

 だが訓戒と失意は必ずしも悪い事ばかりでは無かった。何故なら、この経験があるお陰で3人組の中で1人だけ輪に入れていない辛さもどかしさがちゃんと理解できる様になれたのだし、自分の考えている事は例え恥ずかしくても、自分の勝手な思い込みで傷ついてしまうのが怖くても、きちんと言わないと人には伝わらない事も改めて身をもって思い知られたし、勝手な思い込みで人を判断してはいけない事も痛い程思い知らされた。その事は本当に大きかった。この事をまだまだ子供の内にある程度理解した事は多分今後の人生においても少なくない糧になると思われるし、何より人の気持ちを汲み取る若しくは理解する上で非常に活かされている。それ故にこれを書いている現在では上記の様な利己的な考え方は基本的に良しとしていない事はここで明言しておく。

 この様にごちうさを通じて正しく人として心の成長を遂げている事を私はまざまざと思い返している訳だが、一方で心の成長に際限は無いと言うのが通説である為、これからも人としてどの様にすれば良いのか模索していく事になると思われる。その模索の結果どの様な人格者になるのかは未知数だが、少なくともごちうさにある様な優しさと思いやりをもった人にはなりたいと常々考えている事はきちんと明言する。これは、元々人から優しい人だと言われる事に対して嬉しさもありつつ「本当にこれで良いのだろうか」と疑問も抱いていた所に、ごちうさに可愛さだけでなく、優しい人間でいる事の大切さと必要性を私は学ばされたことが背景としてある。やはり人に優しくする事は人付き合いにおいては何よりも大切な事なのである。

 思えば私が智乃ちゃんがイチ推しなのも人間関係に対してこの様な考えを持っているが故なのではなかったかもしれないと思いを馳せつつ、この本文を終わりとする。

*1:私が嘗てごちうさに対して抱いていた心苦しい感情の事。

*2:但し6人制バレーボールの場合、相手のサービスをブロックするのはれっきとした反則行為にあたる。

*3:この11人は、現在の大学生組の理世ちゃん、結良ちゃん(何れも大学1回生)の2人と、高校生組の心愛ちゃん、千夜ちゃん、紗路ちゃん(ここまで何れも高校3年生)、智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃん、夏明ちゃん、映月ちゃん、冬優ちゃん(何れも高校1年生)の9人を指す。

*4:細かくは麻耶ちゃんと夏明ちゃん、恵ちゃんと映月ちゃんだが、4人全員仲がとても良い。

*5:尤もチマメ隊がバラバラになった事により、現在この区分におけるトリオは消滅している。カルテット(4人組)は新しく創設されているが。

*6:小学校も同じ学校だったかは明確な描写が無いが、恐らくは同じ学校だった可能性が高い。但し、小学生時代は紗路ちゃんは黒歴史扱いしている。

*7:しかしながら、8巻の旅行編で千夜ちゃんが紗路ちゃんの事について「本当は仕事の都合でここ(輝きの都のこと)に引っ越すつもりだったが、お嬢様学校に受かったからあの街に残った。」と、かなり衝撃の事実を言っているので、紗路ちゃんにとって学校選びは色々な意味でまさしく運命の分岐点だったと言える。都会に引っ越すのは恐らくそうした方がもっと稼ぎが良くなるからと言うものだろうが、仮にそうなったのなら紗路ちゃんは心愛ちゃん達と出逢う事も、心から分かり合う事も無かったに違いなかっただろう。ただ真面目な話、金銭事情を勘案すると街に残ったのはお嬢様学校に特待生で受かったからと言うべきだと思うし、他にも紗路ちゃんが中学生の時、両親は何処でどうしていたのだと、疑念をあげるとキリがない。ただ、その辺りの事情は敢えてぼかされているとも思う為、無理に根掘り葉掘り探るのは野暮だろう。

*8:と言うか、あの3人に限ってそんな事は無いと思うのだが、あれだけ気に掛けておいて実は仲が悪いだの心から嫌悪しか感じないだのその様な事を言われたら只管恐怖でしかない。

*9:千夜ちゃんに至っては目に涙を浮かべていた。

*10:ただ、その際に紗路ちゃんに保健室の場所を尋ねたのはどうなのかとならなくもないが、元々球技大会の会場が紗路ちゃんの学校の方なので致し方ない面はある。心愛ちゃんも千夜ちゃんも紗路ちゃんの学校の保健室の場所は詳しく把握は出来なかった事情も容易に察する事が出来るので。

*11:理由は不明だが、保健室を担当している先生はどういう訳かいなかった。

*12:こういう事が出来るのも理世ちゃんと深い親交があるからこそなのは当然だが、もう一つの要因として本編内でも言われている様に、実は理世ちゃんに勝るとも劣らない身体能力の高さを紗路ちゃんは持っているのもあると思われる。そうでなければ高い身体能力を持つ理世ちゃんが放つ技を見よう見まねであっても全く成立しないと思われ、現に2年前には智乃ちゃんが中学校のバドミントンの試合において理世ちゃん直伝の技(因みにアニメではこの技で理世ちゃんは誤ってラケットを飛ばしてしまい、自分の家のガラスと父のコレクションワインを誤って割ってしまっている。尚、原作でもワインは割ってしまっているが、理由は「身近な虫(通称、G)が突然出てきた故の咄嗟の対応の為」と言うものであり、アニメとは異なる。が、いくら理世ちゃんが大の苦手とする虫が突然出てきたからと言って、ワインで攻撃するとはやっぱりやる事がお嬢様には思えない・・・。)のサーブを切り札として発動するものの、元々運動が不得手だった事が災いし、サーブ自体は空振りしなかったのだが、打った先でシャトルがネットに引っ掛かってしまい失敗に終わっている。

*13:実際問題、嬉しそうな紗路ちゃんの反応を見た千夜ちゃんは悔しそうな反応をしている。

*14:抑々折角の球技大会に「3人で保健室でサボっていました。」なんて報告しようものなら理世ちゃんから確実に制裁を下される事になるだろうが。

*15:私自身最推しは智乃ちゃんなのだが、それと同じ位に理世ちゃんと千夜ちゃんも好きである。

*16:個人的にはこの3人組で漫才若しくはコントをすると周りから中々に好評なのではとすら思っている。ただ、ツッコミたる紗路ちゃんの負担が大変そうだが、心愛ちゃんが実はボケツッコミどちらもそつなくこなせる天才肌なので割に心配ないのかもしれない。