多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

狩手結良の魅力と彼女のキャラソンについて思う事

 こんにちは。新年早々やらないといけない事に追われる日々が続いて中々想いをまとめる事が出来ませんでしたが、漸く書く時間を取れる様になったので少しずつ書き進めていけたら良いなと思っています。

 今回書くものは吹き矢部長こと狩手結良ちゃんです。結良ちゃんと言えば何と言ってもその不可思議さが特徴的で、何を考えているのか良く分からない即ち言い換えるならば掴み所が無い故の魅力がある人ですが、その本心は意外と素直な面もあり、個人的には多岐にわたる特徴を持つ人だと思っています。今回はそんな謎多き結良ちゃんの表面性質と本音を純粋に読んだ視点から思った事と、そこから更に自分はどう思うのかと言うスタンスの下、深く考える視点と言う大きく2つの視点から考察したいと思います。 あと、ネタバレを含むものなのでその事も十分注意して下さい。

狩手結良の想いについて

1.狩手結良が持つ魅力について

狩手結良とは

 軍人を父に持つ女の子であり、初登場は原作4巻だが、名前が判明したのは原作7巻とかなり後の方である。結良ちゃんの父と理世ちゃんの父は知り合いでもあり、同じ軍人でもある事もあって理世ちゃんとは昔なじみでなおかつ同級生でもある。容姿は長髪である事、髪の色や瞳の色は理世ちゃんと似ているが、理世ちゃん程髪の色は紫色が濃く無く、瞳の色もどちらかと言えば青みがかった色合いをしていると言った違いがある。とは言っても理世ちゃんと似ているのは事実で、差異点が細かい事もあって原作9巻においてラビットハウスの制服を理世ちゃんから借りて理世ちゃんに扮装した事があるのだが、その際今までずっと一緒に居た時間が長かった心愛ちゃんや智乃ちゃんですらすぐには気付かなかった程である。とは言っても理世ちゃんが髪を下した姿であるロゼちゃんが理世ちゃんと同一人物である事すら年単位で気付かなかった2人なので、ある意味当然とも言えるのだが・・・。

 登場自体が非常に少なく、原作でもアニメでも片手で数えられるくらいしか登場していない上、原作はアニメより更に登場が少なく、アニメでは高校説明会の時にも登場していたが、原作だと登場していない程。そのためいま一つはっきりしない部分も多いが、理世ちゃんとは高校、大学と同じ所に通っていて、高校では吹き矢部長を務め、勧誘や吹き矢勝負を持ちかける事もしばしばあったが、肝心の腕前はハッキリ言ってからっきし(下手)で、そのからっきし度たるや、まともに的の中心部に命中させられない程で、吹き矢名人たる千夜ちゃんの祖母直伝の腕前を持つ紗路ちゃんには(ある意味当然だが)何時も負かされていて、その図式は結良ちゃんが高校を卒業した後も全く変わらなかった。抑々相当の腕っぷしを誇る紗路ちゃんに吹き矢勝負を仕掛けること自体無謀なのだが、何故に繰り返すのか、大体結良ちゃん自身の腕前が何故向上しないのか、そしてなぜ結良ちゃんはあれだけ下手でも部長を務められたのか*1と謎は深まるばかりである。

 理世ちゃんとは幼なじみであり、昔なじみでもある*2ため最も仲良しの様に思えるが、実際の所理世ちゃんはともかく結良ちゃんの態度を見ると仲が悪い訳では決してないが、凄く仲良しでも無い様に感じる事がしばしばある。表立っては仲が良いのか悪いのかはっきりしないが、本当は心が通い合わせる事が出来る程凄く仲良しだと言うのはココチノを始めとした他の2人組にも言える事だが、理世ちゃんと結良ちゃんに関しては確かに仲良しなのだろうが、明らかに他の2人組とは違うどこか冷たい感触を覚える。謎多き結良ちゃんなのでそうだと断定する事はできないが、少なくとも結良ちゃんは人間関係に関して理世ちゃんをはじめとした他の皆とは違う何者にも染まらない考え方をしているのが伺える。しかしながらここでハッキリと言うと、先ほどの考え方は謂わば綺麗事を言っているだけに過ぎず、何者にも染まらない考えが人付き合いが下手だと言う免罪符にはなり得ない事は明らかであるとは思われる。

 まとめると狩手結良ちゃんは可愛い女の子である事には違いないが、同時に比類なき底知れぬ性質と本音を持つ人だと言え、その性質と本音は分からない面が多く、ミステリアスな魅力すら感じさせていると言える。またそれ故に周りと比べて異質であるために非常に浮いた存在になりやすく、どこにも染まる事の出来ない孤高な雰囲気をも醸し出している。それ故に本当の狩手結良ちゃんの姿があるのか中々見当をつけるのが難しく、これが表面性質の掴み所が中々ない事にも大きく関わっている。

掴み切れない表面性質

 一見すると普通のお嬢様の様に見える結良ちゃんだが、積極的に自分の事を語ろうとしない故に何を考えているのか分かりにくく、普段から一見するとのほほんとしている様に振舞っている事も相まって素性が全く掴めない。性格も分かりにくく、優しい人なのだか厳しい人なのだかはっきりしない面があり、やはり掴み所が無い。所謂神出鬼没を地で行く人でもあり、急に現れるのでますます惑わされる。また、理世ちゃんとは前述の通り同級生且つ昔なじみであるがその関係性は他のごちうさの2人組には無い冷たさが感じられる。この冷たさを感じる最たる例として、結良ちゃんも理世ちゃんと同じ学校に通っている*3のにもかかわらず、結良ちゃんから理世ちゃんと積極的に関わっている様子はあまり見受けられず、寧ろ1学年下である紗路ちゃんの方に話しかけに行っている印象が強い事が挙げられる。普通に考えるなら、いくら同じ学校に通っているとは言え、同学年の人よりも異学年に積極的に話しかけに行くこと自体イレギュラーで、しかも課外活動での関係性も無い所謂友達の友達と言える様な人に話しかけるのなら尚更である。もともと学年の差があまり気にならないごちうさ*4とは言え、結良ちゃんの行動はただならぬ信念が無いと中々行動には出来ない事であり、彼女の並々ならぬ想いを感じると同時に、理世ちゃんと結良ちゃんの間には埋める事の出来ない距離感がある様にも感じる。詳しくは後述。

 また、その掴み所の無さから他の人には無いかなり独特の雰囲気を醸し出しているのも特徴的で、ごちうさ登場する人物の人格が細かくは違えどライトで素直な印象を持つ者が多く、素直じゃない時があるにしてもそれは親しい人であっても弱い部分や甘えている部分を見せるのが恥ずかしい故だと言うのが多い中で、結良ちゃんはダークな雰囲気且つ誰に対しても容易には言えない様な奥底知れない何かを持ち合わせている。ダークで奥底知れない面は初期の智乃ちゃんや今の冬優ちゃん、神沙姉妹にもあるにはあるが、智乃ちゃんは皆との出逢いにより少しずつ変わって明るくなっていったので奥底知れない面は大分少なくなっている*5し、冬優ちゃん、神沙姉妹にしても出逢ってからまだ日が浅い事もあって当人らの事を良く知らない故に奥底知れない部分が発生すると言う仕方ない面もあるので、存在を知ってから特段日が浅い訳でも無い*6結良ちゃんのはより際立って見え、これは彼女の異色な雰囲気の裏付けに一役買っている。

 そのアクの強い雰囲気故に本人の性質を完全に理解するのは個性的なごちうさの登場人物の中でも特に難しく、抑々登場シーンが少ない事も起因しているのだが、掴み所のない性質も相まって中々理解が深まらない。智乃ちゃんが以前何かと(悪気が無いとは言え)人を振り回す、天然な言動をとる等の心愛ちゃんの事を呆れと皮肉を込めて「混沌の使者」だと評した事があったのだが、それすら結良ちゃんに比べたら最早子供騙しに過ぎない。本当の意味での「混沌の使者」と言うのは結良ちゃんがそう呼ばれる為に存在しているのだと言っても良い。最早そんなレベルである。但し他の人も掴み所のない面があるが故に性質を理解するのが難しい事自体は、積極的に自分の本心を他人に打ち明けたりするのが苦手な千夜ちゃんを代表にそうだと言えている面も確かにある。ただその場合においても性質を理解するのに支障をきたす程顕著なものではなく、強いて言うなら性質を理解するのがやや難しい面もある千夜ちゃんにしても本人が言わずとも紗路ちゃんとの関わりから掴める面も多く、抑々千夜ちゃん本人が自分の事よりも他人の事を優先して行動する人だと言う面が大きいと言う理由があるのに対して、理世ちゃんと言う身近な昔なじみの存在が居ながら、良く言えば誰にも染まらないが故の独創的な雰囲気、悪く言えば誰も本心を理解できないが故の孤独な雰囲気を持っていて、尚且つ見た所自分の本心を打ち明けるのがそこまで苦手でもなさそう*7なのに、性質を理解するのが特に難しくなっていると言う状況にある結良ちゃんは登場回数の少なさを鑑(かんが)みてもやはり他の人とは違う異彩な雰囲気を感じる。しかもその異彩な雰囲気ですら彼女の場合表面的なものに過ぎず、本心は結局誰にも分からない。

 表面的な部分の掴み所の無さは間違いなく他の人の比では無い狩手結良ちゃん。理解しようとしても全く掴み所を見せず、漸く掴めたと思ったらまた新たな一面それもすぐに流す事の出来ない程のものを理解しようとする人の心に刻み付け、彼女はまた掴み所を見せなくなる。そんなミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由でもあるのだが、これは後述。

謎多き彼女の意外な一面

 掴み所が無い故に謎が多い狩手結良ちゃんだが、本音だと思わせる様な言動は度々見せていて、特に原作9巻で登場した時には本音だと思わせる様な言動を多々とっている。しかしながら何れもごちうさとしては異色に感じるものなので戸惑いを感じるのは正直否定できない。裏を返せばそれだけ結良ちゃんが不器用な面があるという事でもあるのだが、素直じゃない方法で本心を伝えようとすると人から誤解されやすいのが世の常と言うもの。誤解されやすい面がある事は原作7巻の時点で既に察しが付く事であり、どうにもうまくいかないのを見ているのはもどかしささえ感じられる。言い換えるなら人間味に溢れている人間だとも言える。

 そんな結良ちゃんだが、原作7巻では卒業式の時に、紗路ちゃんに理世ちゃんの制服のボタンのスペアを渡したりしている*8。人気者である理世ちゃんの制服のスペアボタンを持っているとあって周りの人からはかなり怪しまれていた上、いくら相手が昔なじみとは言え、理世ちゃんの制服のボタンのスペアなんてどうやって入手したのかと言う疑念こそあるものの、結良ちゃんとてまがりなりにも全く人の気持ちを考慮せずに踏み倒してしまう人では無い事は伺える。方法こそ正統派とはかけ離れているとは言え、結良ちゃんとて人の為に何かをしたいと言う想いがあるという事であるとは考えられ、それは7巻後半の理世ちゃんが旅に出る時に結良ちゃんが理世ちゃんの家の給仕のバイトを率先して行ったり、ラビットハウスの穴埋めにも行った事にも関係していると思われる。勿論これは私の想像に過ぎないので本心は分からないが、結良ちゃんも本当は良い人だと思ったからこそ、こういう事を読んで思ったのである。

 そして結良ちゃんの更なる意外な一面が明らかになったのは9巻である。9巻で結良ちゃんは理世ちゃんに扮装した状態で理世ちゃんの友達と関わるのだが、抑々結良ちゃんが理世ちゃんに扮装した理由には多くの良き友達に囲まれている理世ちゃんが羨ましかったのだと本人の口から語られている。他にも親の立場を気にしている様な発言をしたり、自分は理世ちゃんの昔なじみと言うよりかは所謂理世ちゃんの護衛役としての役割の方が強かったと言う自認識があったと言わんばかりの事を言ったり、理世ちゃんを守るために吹き矢をやり始めた事を窺わせる様な事も言ったりしている。つまり結良ちゃんは普段から自分と言う存在を前面に出すと言うよりかは、自ら積極的に一歩引いて誰かのバックに回る様な振る舞いをしていると言う事であり、その事は心愛ちゃんからも指摘されている。因みに心愛ちゃんは誰か(理世ちゃんの事)のふりをする様な結良ちゃんでは無く、そのままの結良ちゃんを見たいという事を何時ものながら屈託なきにこやかな顔で結良ちゃん本人に伝えており、本人は戸惑い気味だったが、心愛ちゃん以外の後押しもあってかその顔は今まで見せた事の無かった柔和(にゅうわ)な表情だったのが印象に残っている。

 他にも理世ちゃんと2人きりになると心の底から分かり合える友達関係を築き上げた理世ちゃんに向けて突然壁ドンを仕掛け、腐れ縁*9とかじゃない普通の幼なじみに憧れがあった事、皆から愛される理世ちゃんを見ていると思わずひとり占めしたくなる願望が表れる事、誰とでも隔たり無く仲良くできる心愛ちゃん達に対して嫉妬する事等を打ち明けている。これらから考えられるのは結良ちゃん自身の強いコンプレックスであり、普段はのほほんとした結良ちゃんだが実のところ人間関係をうまく構築できない事に対して少なくない劣等感を抱いている事や、ひいて言うなら実は精細な面がある事を窺わせるものともなっている。結良ちゃんとて多感な時期故に人間関係に無神経であり続ける事は出来ないのである。なお、当の理世ちゃんはそんな結良ちゃんに対して「腐れ縁もとびきりの親愛の証」と言い、結良ちゃんも含めてみんな大切なのだと告げていて、もっと言うなら、理世ちゃんは結良ちゃんに対して面と向かって「お前(結良)も含めて大切だと思っているんだ」と多少怒り気味に言っている。尤も本当に怒っている訳では無い*10のだが、それだけ理世ちゃんにとって身近な人には「自分(理世)の事は信用しても良い存在」だと思って欲しいと言う事であると思われる。現実においても一考すると腐れ縁だと思う様な間柄の人こそ、色々と思う事はあってもここぞと言う時には実は一番頼りにしていたり、なんだかんだで息の合う気の知れた仲柄だという事は少なくは無いと思われるのだが、それ以上に実は誰よりも人に対して優しく気遣える器の広さを持っている理世ちゃんだからこそ、あくまでも上記の様な言葉を投げかけるのを可能にしているのであり、そんな理世ちゃんの事を良く知っている結良ちゃんが「私の事もきちんと考えてくれていた」と安堵の表情を浮かべていたのは非常に印象的だった。きっと結良ちゃん自身も理世ちゃんに気にかけてくれていた事は素直に嬉しかったのだろう。

 なお、結良ちゃん自身は理世ちゃんの反応に対して「揶揄った(からかった)つもりなのに真面目に返された」と顔を赤くして訴えたりしているが、壁ドンをしてまで言った事が初めから全て揶揄うつもりで言ったという事は正直考えにくい。更に言うなら、結良ちゃんはその後紗路ちゃんにも壁ドンを仕掛けて「紗路ちゃんは私にとってからかいがいがある大切な後輩。」だと何時もの調子混じりに言っているのだが、ここでも結良ちゃんにとって壁ドンが本音を言うルーティンかどうかは分からないし、そもそも何故に壁ドンをする必要があるのかどうかすら不明である。しかしながら、壁ドンと言う普通に考えるなら滅多にしない行動*11をするという事は、ただ普通に言うだけでは物足りない心の本音を言いたい事にも繋がるとも考えられるため、壁ドンをしながら言っている事は必ずしも全て結良ちゃんの本音だと言えなくても、一つも結良ちゃんの本音では無いとは考えにくいだろう。

 

※ここから先は自分がどう思ったのか深く考える視点となります。

2.狩手結良について思う事

何故結良ちゃんに惹かれるのか

 先において「ミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由」と叙述したが、これにはそもそも私自身結良ちゃんの様に決して手の内を完全には見せない様な人は結構好きである事と、そういうミステリアスな雰囲気を表立って醸し出している人は、実は心奥深く人には容易に言えない様な人間関係の悩みあれこれを抱えている事が多いと言うのが何となく理解できるからと言うのが関係している。但し前者はともかくとして後者は現実には考えにくい事なので、言ってしまえば私自身が考えている創作ロジックに当てはめていると言う事になるのだが、結良ちゃんに関してはロジック云々に関わらず昔からどんな人なのか気にはなっていた。単純にごちうさに新しい人が舞い込んできたと言うのもあったのだろうが、それ以上に掴み所が無いその表面性質に心惹かれたと言うのが大きな理由である。何故なら、表立って見せない性質と言うものの多くがその人の本心である事が多く、表面性質に掴み所が無いと言うのはそれだけ内に秘めし本心があるという事だと考えているからである。つまり結良ちゃんには何かとてつもない本心を秘めていると考えそんな一面に心惹かれたのだと言う事であり、それは今も昔も好きな理由として変わっていない。そして、たとえミステリアスな面があっても、どれ程ごちうさの中で異色な雰囲気を持っていようとも、その想いが揺らぐ事は無かった。それだけ結良ちゃんを想う気持ちに偽りは無かったという事である。

 纏めると、結良ちゃんに心惹かれた理由とは彼女が持つミステリアスな雰囲気と、内に秘めし本心に何かごちうさにおいて何物にも染まらない凄い力を持つものになり得ると感じたからである。尚、上記の事は主に9巻を読む前に思っていた事であり、9巻を読んでからは彼女の本心についてある程度推察できる様になった為に更に惹かれていく事になる。詳しくは下記にて。

他とは一線を画す幼なじみ

 今まで度々述べた様に結良ちゃんは理世ちゃんとは両方の父親の関係性から幼なじみであるのだが、その関係性は千夜シャロの様な「普段は振り回す振り回される漫才コンビの様な関係性だが、本当は誰よりもお互いを大切に想い合っている」ものでも無ければ、マヤメグの様な「一見片方がぐいぐい引っ張っている様に見えるが、本当はお互いに助け合っている様な関係性」でも無い。簡単に言うなら「陽の当たる幼なじみを陰から見守る関係性」と言うものであり、千夜シャロとマヤメグと言う2組の様な仲の良さや気の知れ様とはかなり一線を画しているものである。光の理世ちゃんと影の結良ちゃんと言う交わろうにも交わり切れない、しかし同時に切り離す事もできない表裏一体の概念*12を持ちながら、根底にあるどうにも超える事の出来ない距離感はさながら冷酷非情な命運を抱えた奇特な幼なじみだとすら思う事もある。なまじ千夜シャロとマヤメグが根が明るい幼なじみなのもリゼユラの暗き一面に拍車を掛けている要因となっている。

 但し、距離感自体は表立っては言われていないとは言え、ごちうさにおいては半ば当たり前の様に存在するものであり、(嘗ての)中学生組と高校生組ですら絶妙な距離感があった*13上に、抑々普段から何時も一緒に過ごす事の多い友達だとは言っても、基本的には四六時中一緒に居る訳では無いので実は結構距離感そのものはあったりする。しかしながら、その距離感と言うものがリゼユラの場合とそれ以外とで質が違っている様に感じられ、ごちうさの距離感と言うものは多くの場合物理的な距離感が多く、心理的な距離感においても友達関係には殆ど支障をきたさない若しくは解決できるものが多い中、リゼユラの場合物理的距離感こそあまり違和感は感じないが、心理的距離感に対する違和感が大きく、特に結良ちゃんが抱いている理世ちゃんに対する意識が深い溝で埋まり切っていない様に感じる事が多く、しかもそれがずっと変わっていない。更に言うと埋まり切らない溝はリゼユラと言う幼なじみの関係性にも影を落としており、たとえ腐れ縁でもそれは最高の親愛の証と考える理世ちゃんと、腐れ縁ではない普通幼なじみの関係性を憧憬(しょうけいまたはどうけい。憧れていること。)している結良ちゃんとでリゼユラと言う幼なじみに対する価値観がかなり異なっている事を始めとして、一番痛いのは「心から理解し合える友達関係を築き上げどんどん変化を遂げていく理世ちゃんに対して、幼なじみにすら本心を聞き出す事に強い躊躇いがあり、一人強いしがらみを抱え続ける結良ちゃん」と言う致命的な差異がある事により、結良ちゃんは何処までも自分をひた隠しにする等、最早当人同士のみではどうにもできないもどかしさを幾つも抱えている。理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろお互いに嫌い合っている犬猿の仲と言う訳では無いが、その仲柄が与える印象は限りなく冷たいものになってしまっている。

 上記の様な事からリゼユラに対しては正直負の印象をも感じていると言うのが私の本音であり、はっきり言って千夜シャロやマヤメグの様な「仲良しで気の知れあった良き幼なじみ」だとはリゼユラの場合素直にそうだと言えないし、言ってはいけないとすら思う事もある。そう思う理由に親同士の立場と言う複雑な事情と、理世ちゃんと結良ちゃんで心情理解がずれている事が、他の幼なじみとは違っていると言うのが大きな要因として存在しており、しかも大きく違う要因が悉く(ことごとく)マイナス方面に働いてしまっているのも痛い。更に心苦しいのがごちうさにおいては通常千夜シャロやココチノに代表される様に親子で仲が良いと言う良さがあったり、心情理解のずれが思わぬ良き結果を生み出したり、幾つものかけがえのないものを創り上げたりしていると言うのに、リゼユラは悉くそれらに一筋縄ではいかない事情を抱えていたり、望まぬ軋轢(あつれき)を生み出してしまっている事実が存在する事であり、それ故に「リゼユラは他とは違うどこか冷たい雰囲気がある」と言うのが私自身の心情に蠢いていた「非情だが紛れのない現実」なのである。

 しかしながら、私自身当人(理世ちゃんと結良ちゃん)らには何の落ち度も無いと理解している。これはリゼユラをとりまく環境は当人ではどうすることもできない(もしくはできなかった)ものも多く、結良ちゃんが影に隠れがちなのも理世ちゃんに対して多少なりとも「自分みたいな人が表立ってずっと付き合っていて良いのだろうか?」と言う懸念があるからではないかと私自身考えている為である。つまり結良ちゃんの心には理世ちゃんに対するどことない不安とも言える懸念が渦巻いていると言え、これさえ本人が克服できれば理世ちゃんとも何のしがらみも無く普通に仲良くできると考えていて、この事は結良ちゃんの幼なじみに対する考え方や、理世ちゃんと本当はどう接したいのかと言った様な言動や本音を汲み取ればある程度は裏付けできる。勿論結良ちゃんが本当に上記の様な事を考えてそれを切に望んでいるのかどうかまでは断定できないが、少なくとも理世ちゃんも結良ちゃんもお互いを軽視している訳では無いとは言える。本当に軽視しているならお互いに腫れもの扱いしているだろうし、結良ちゃんにしても理世ちゃんに拘る必要性は皆無なのだから。

 纏めるとリゼユラは千夜シャロやマヤメグの様な他の幼なじみとは一線を画している点が多く散見されるのは確かな事実であり、その一線を画す事情も腐れ縁と称する程に一筋縄ではいかない背景が存在しているとは言え、決して不仲では無いと思っていて、個人的には幼なじみだからこそお互いにもっと気兼ねなく距離を縮めてみると上手くいくのではないかと考えていて、結良ちゃんにしても理世ちゃんとは何の変哲もないしかし仲良しである様な幼なじみの関係性を求めている様な面があると感じている。この事は彼女の本心として下記により詳しく叙述している。

幼なじみ故の嫉妬心と本心

 結良ちゃんの本心は色々あると思うがその中でも「理世ちゃんとは腐れ縁じゃない普通の幼なじみでありたい」と言うのと「私(結良)にも皆(理世ちゃんの友達)の前で見せている様な理世ちゃんをありったけ見せて欲しい」と言うのが本心としてあると考えている。そして、その事を思わせるのが前述の原作9巻における理世ちゃんに対しての壁ドンであり、心愛ちゃん達に嫉妬してしまうのも、皆に愛される理世ちゃんを見ると独り占めしたくなるのも「幼なじみの私には見せた事のない一面を友達には見せているのは狡い。私にも友達に見せている様な一面を見せて欲しい。」と言う本心から口に出たのだと思うと(本人は揶揄ったのだと言っているとはいえ)ある程度は整合が付く。となると結良ちゃん本人は理世ちゃんに対して「心愛ちゃん達に対して嫉妬している」と言っているが、実際には理世ちゃんに対する嫉妬心も少なからず存在するという事になるだろうと私は考えている。何故なら結良ちゃんが心愛ちゃん達に嫉妬する理由として「幼なじみの私には見せた事のない様な理世ちゃんを引き出せているのが羨ましい」と言うのがあると考えられると前述したが、その一方で当然ではあるのだが、人に対してどういう立ち振る舞いをするのか最終的に決めるのは自分自身であり、心愛ちゃん達の前で見せている理世ちゃんと言うものは当然ながらあくまで理世ちゃん自身の意思によるものである。つまり立ち振る舞いと言うものはどんなに周りの人が提言しても最終的には自分が決める事だと言う事であり、この場合どれ程心愛ちゃん達周りの人が理世ちゃんに影響を与えたとしても、最終的にどうするかは理世ちゃんの意思に委ねられていると言う事である。

 この様に考えると、結良ちゃんが理世ちゃんに強く影響を与えている心愛ちゃん達に嫉妬するのは理世ちゃんを昔から知っている彼女からしてみればある意味至極当然だと確かな理解が得られる上に、「その影響を受けている事を分かった上で立ち振る舞っている(=理世ちゃん本人も自身の友達の前で今まで結良ちゃんには見せた事のない立ち振る舞いをする事を受け容れている)」理世ちゃんに対しても実は嫉妬しているとも考えられる事に繋がる。結良ちゃんからしてみれば今まで私(結良)には見せなかった一面を友達に対しては見せている理世ちゃんに対しても「何で友達には新しい一面を見せて、私(結良)には見せてくれないの?」と、言ってしまえばやや利己的な面があるとはいえ、やはり幼なじみとして長く関わってきた者としては多少なりとも嫉妬心を持ってしまうものだと言うのが私自身の個人的な見解である。また、その様な見解の根拠を示すものとして、ごちうさには代表的な幼なじみコンビとしてリゼユラ以外にも千夜シャロとマヤメグが存在するのだが、実はこの2つのコンビにも上記の様な嫉妬心と言って良い様な要素は存在しているのが挙げられる。

 まず千夜シャロの場合は、6巻の生徒会推薦や5巻の文化祭のお話に代表される様に紗路ちゃんが千夜ちゃんに対してやきもちを焼く事が多く、親友である心愛ちゃんや学校の仲間たちと連携し合ってどんどん自分の挑戦したい事を実践していく千夜ちゃんに対して紗路ちゃんは学校が違う事もあって「千夜が元気にやっているのは嬉しいけど、私の事も忘れずにきちんと構って欲しい」とやきもちを焼いているし、他にも学校が違うからこそ起こる事なのだが、千夜ちゃんが行っている行事関連の事について「どんな事をするのか私にも教えて欲しい」と紗路ちゃんが聞くと、千夜ちゃんは「(幼なじみである)紗路ちゃんにも教えられない私のクラスだけの秘密事」だと言い、すると紗路ちゃんは思わず「楽しそうな事しているのに私には教えてくれないなんて狡いっ!」と言わんばかりに顔をぷくーっと膨らませてあからさまに不満そうな態度を取った事もある*14し、逆に千夜ちゃんが紗路ちゃんに対してやきもちを焼く事も中学生組の職場体験など結構ある。なお、この時千夜ちゃんは紗路ちゃんに対してやはり膨れ顔で不満そうな態度を取っている。因みに時期で言えば職場体験の方が全然先*15なのだが、時期の違いに関係なくお互いやきもちを焼く事もあると言うのはどれほど仲良しであっても相手が羨ましいと思う事は別に珍しくない事を意味していると思われ、嫉妬心を持つ事が幼なじみの仲柄において駄目な事では決して無い事の裏付けとしても機能している。どれ程心の底から信頼出来る様な幼なじみ相手だとしても、相手のする事に全く嫉妬しないと言い聞かせるのは非常に困難な事なのである。

 幼なじみ相手に全く嫉妬心を持たない事が非常に困難だと感じ取れるのはマヤメグでも同じ事であり、マヤメグの場合は一見すると突き抜けた個性を持ち、好奇心旺盛で物怖じしない麻耶ちゃんに対して、これまた一見すると突き抜けた個性が無く、周りに比べて平凡になりがちな恵ちゃんがやきもちを焼くが多いと思われ、事実そうである事が多い。しかし実際には麻耶ちゃんが恵ちゃんに嫉妬している部分も多く、特に恵ちゃんの芯が非常に強く簡単にはめげない折れてしまわない部分や、目指す理想像に向けて確実に歩んでいる部分に麻耶ちゃんは嫉妬しているきらいがある。物怖じしなそうに見えて実は怖気づいてしまう事も少なくなく、本当は芯がそこまで強くない麻耶ちゃんにとって恵ちゃんの芯の強さはどんな時でも助けてくれる心の救いであるのと同時に、妬み嫉みの諸悪の根源にもなり得る危険性も孕んでいる。もっと言うなら複雑な感情に絡めとられ、どういう立ち振る舞いをすれば良いのか分からなくなり、誰が悪い訳でも無い為にやり場の無い怒りに苛まれる可能性も十分考えられ、メンタルがそこまで強くない麻耶ちゃんにとっては無視出来ない問題ともなり得る。
 しかしながら麻耶ちゃんは決して妬み嫉みに呑まれてしまう事は無いと思われる。何故ならマヤメグはお互いの利点欠点を上手く噛み合わせた絶妙なコンビネーションを持っているからである。コンビと言うのはお互いの良い所をもって互いの欠点を補え、且つそこから互いを尊重し合える関係性が長期間に亘って円滑且つ仲良しである為の何よりの秘訣であると思うのだが、マヤメグの行動面では麻耶ちゃんが恵ちゃんを引っ張り、心の部分では麻耶ちゃんが引っ張っている様に見えて実は恵ちゃんが麻耶ちゃんを引っ張っていると言うバランスの良いコンビネーションはお互いを認め合い、嫉妬をも超える事の出来る友情を育くめる最大の秘訣であると考えられ、この事は性格もタイプも違う2人の人間が何時までも仲良しでいる為のキーポイントだとも思われ、それはマヤメグにしろ千夜シャロにしろ、もっと言うならば全ての人間関係においても変わらない大切なものであると思う。

 この様にどんなに仲の良い幼なじみでも嫉妬心を持つ事は普通にある事であり、幼なじみ相手には嫉妬心を抱いてはいけないとは全く思わない。幾ら長年知り合いの人が相手でも嫉妬する時はするものだし、別にその感情を無理に押し殺してしまう必要性は無い。尤も結良ちゃん本人は幼なじみである理世ちゃんに対して嫉妬心があるとは直接的には言っていないが、実は理世ちゃんに対する本音を敢えて言っていないという可能性も十分考えられる。どうにも煮詰まりそうで煮詰まらないものになっているが、言ってしまうと9巻まででは推察できる要素が多くない故にどんなに考えてみてもどうしても埋まらない部分が存在するためにどう足掻いても100%この通りだと断言できないから。でも、もし結良ちゃんが理世ちゃんに対して本当に興味が無いと言うのなら、抑々理世ちゃんが誰と関わり、その結果どうなろうとも何の興味も湧かないだろうし、それ故に理世ちゃんに親しい人に対して嫉妬心を抱く必要性も全く無いのだから、理世ちゃんに対する嫉妬心が皆無だとは考えにくい。ただ、何度も述べた様に嫉妬する事=悪では決して無いと思っていて、その理由としては前述の通り嫉妬は心の反応として普通に想定できる反応だと言うのがあり、それ故に嫉妬そのものは問題ないと考えているから。ただ、普通の幼なじみに憧れていたと言う本心は結良ちゃんにとってかなり大きいものである事は容易に想像がつき、その事を9巻で知った時には「彼女はこんな事を思っていたのか」と思ったものである。また、それまで殆ど掴み所が無かった彼女においてより深く理解するために重要な役割を担うと思ったのは言うまでも無く、彼女に益々心惹かれる決定打ともなった。そう言う事もあってか、リゼユラに関してはどんなに嫉妬心があふれるものであろうと嫌いにはならないと思われる。この強い意思に関しては色々賛否が存在するだろうが、自分が一度こうだと決めたら変えない意志もまた、大切なものなのである。

結良ちゃんに対して抱く想いと共感

 結良ちゃんに対してはミステリアスな面が相まって昔から心惹かれる存在だった事もあってか早い段階から好意的な感情を抱いていて、それは最近になって更に増してきている。更には彼女には余計なお世話ながら幸せになって欲しいと思う事もしばしば。折角ごちうさと言う素晴らしい世界にいると言うのだから、幸せになれる様な切っ掛けを掴んで欲しいと思うのは何も結良ちゃんだけでは無いのだが、彼女に対しては智乃ちゃんと同様他の人より少しばかり抜きんでて思う事が多い。これは「前置きをしないと本心を中々言い出せない」智乃ちゃんにしろ、「壁ドンをしないと本心を中々言い出さない」結良ちゃんにしろ本心を人に伝えるのが下手過ぎる点が共通しているからと言うのが理由として挙げられるが、一番は私自身も人に本心を打ち明けるのが苦手故に人に本心をうまく伝えられないもどかしさを理解できる事にある。私自身も人に本心を打ち明けるのが凄く苦手で、その理由は「人に自分の弱い面を見せるのが怖いから」と言うもの。要するに人の失望を買って離れられてしまうのを異常なまでに恐れていると言う事であり、それ故に自分の弱い面が如実に表れる可能性がある所謂共同作業に苦手意識があるのだが、同時に共同作業が人のあらゆる一面を知り、より深い関係性になれる可能性を持つ機会である事も十分に理解しているので余計心苦しくなる事も多い。尤も結良ちゃんがどう思っているかは分からないが、私からしてみるとかなり心苦しそうにしている様に見える。と言うのも幼なじみたる理世ちゃんに対しても中々自分の事がどう思われているか分からなさそうで不安そうにしているのが多々感じ取れるからであるのと、理世ちゃんの本心を聞き出そうにも様々な事情故に聞き出せずに悶々と悩んでいるのも何となく感じ取れるからである。結良ちゃんも結良ちゃんで普段はのほほんとしているけど、本当は色々と思い悩んでいる事あるのだと思うと色々と共感できるものがある。言ってみるなら「自分もこういう面があったから理解できるし、分かってあげたい」と言う事である。

 また、人に本心をうまく伝えられず、あらぬ勘違いされてしまうもどかしさを痛い程思い知らされているからこそ特別な感情が芽生えるのであり、それはごちうさにおいても例外では無い。実際私自身ごちうさの登場人物の中で人に本心を伝えるのが下手では無いと思うのは大人を含めても心愛ちゃんや恵ちゃん等極少数だと思っていて、正直な所本心を伝えるのが(どちらにしても結局同じ事だが)下手若しくは不器用な人が多いと思う事が往々にしてあるのだが、だからこそ人として好きになれたりもする。別に本心を打ち明けるのが下手だから駄目だという事では決して無いと思うし、寧ろそういう面があるからこそ私自身智乃ちゃんや理世ちゃん、千夜ちゃんが自分自身が好きなごちうさの中でも一線を画(かく)して特に好きだと言う理由の一つにもなっているし、ひいては結良ちゃんに惹かれ続ける十分な理由にもなっている。しかしながら、どんな事があっても受け入れられる様になりつつあるとは言え、無条件に何でもかんでも好きになれると言う事や、何があっても直ぐに許せる寛大な心を持てる訳では無い事は分かって欲しい。確かに何があってもすぐに受け入れてあげられる様な心構えが出来た事に越した事は無いのだが、どんなに理解しようとする姿勢を心掛けていても急に新しきものが現れると戸惑ってしまうのは仕方のない事である。でもだからこそ、受け入れるのに個人差があると言う事情を鑑みて、時間が掛かっても急かさない寛大な心をもつ事も重要だと思う。

 そしてもう一つ重要な事として、私自身結良ちゃんは結構本心が素直な面があると思っていて、自分が心から思っている事を着飾る事無くそのまま人に伝えられれば分かってもらえる人だと思っている。結良ちゃんが人から警戒されるのは表立っては何を考えているのか良く分からない即ち掴み所が無い為で、そうなる理由として人は心理的に自分が確証を持てない掴めない様な存在を窺い知れないものを警戒する傾向にあるから。でもだからこそ、自分が思っているありのままの本心を素直に伝えて、「私はこういう者です。」と言うのを少しでも人に伝えられたら、人は結良ちゃんと言う人がたとえ表立っては良く分からない人でもその理由を理解できる様になるので受け入れる心の準備をする事が出来る様になると考えている。勿論そうする為には本人の努力が不可欠なのは当然の事なのだが、本心を伝えるのが様々な事情故に苦手意識がある人には中々容易には出来ない事であるのも私自身本心を打ち明けるのが苦手故に良く分かる。でも人から自分と言う存在をきちんと知ってもらい、分かってもらう為には自分から人に本心を打ち明けるしかなく、そうしなければいつまでも人から勘違いされたままになってしまう事にも繋がってしまう。しかしながら、人に分かってもらう為に無理してまで自分の本心を打ち明ける事をしなくても大丈夫だと考えていて、自分のペースでゆっくりでも良いから相手に自分の本心を打ち明ければ、幼なじみである理世ちゃんをはじめとして理世ちゃんの友達も含めて誰一人結良ちゃんの事を取り付く島もないと言わんばかりに突き放したりする事は絶対ないと思っている。何故そう思うかと言えば、理世ちゃんは正直に言うと所々きつい部分が存在するが本心は非常に心優しく、人を簡単に見捨てたりしない人であると言うのが感じ取れるからであり、理世ちゃん以外の皆にしても同じ様なものであると確信している為である。ハッキリ言えば何の客観性も持たせずに相手を全面的に信頼しているという事*16になるのだが、私自身ごちうさの皆は平気で人の気持ちを踏みにじる様な事をしたり、一切の罪の意識の欠片もなく友達や大切な人を裏切ったりする事は絶対にしないと本気で思っていて、そう思う理由としては普段の関わり合いの仲睦まじさにあって、普段から仲良し且つそれでいてお互いに尊重し合っていると言う仲柄を見れば、上記の様な感情を持つにあたって最早これ以上の理由は要らないだろう。こう思えるからこそ私としても皆を相当に信頼できる人だと思うのであり、結良ちゃんにしても信頼を寄せてみても大丈夫だと思うから是非に心を寄せて見て欲しいと思うのである。

想いの統括(狩手結良に対する想いのまとめ)

 ここまで狩手結良ちゃんに対する想いを様々な観点から叙述したが、正直想う事が膨大過ぎて中々上手くまとめられないもどかしさを感じていた。なので今回は丁寧に構成して書いたと言うよりかは、膨大な想いをどうやったらうまく伝えられるのか苦心しながら書いたものだと言え、事実その文量は今まで私が書いてきた他のあらゆるごちうさに対しての想いの文や感想文の追随を許さぬものとなったし、また今回は言いたい事をとことん追求しているので他の様々な比較要素を交えた過去に無かった想いの内容ともなった。それだけ結良ちゃんに対して本気で考えていた事の表れでもあるのだろう。

 言ってしまれば物語のメイン人物では決してない結良ちゃんだが、想う事がここまで膨大なのはそれだけごちうさを本気で愛している事の裏返しでもある。こんな事は自分で言う事では無いと思っているが、ごちうさは様々な意味で私自身影響を受けている作品である為、別に言っても構わないとも考えている。これは想いを無理にひた隠しにしてもその先に待っているのは「思い詰めるが故の苦悩」であり、どこにも発散する事の出来ない想いはやがて自分自身を苦しめ蝕んでいく存在にもなりかねず、最悪苦しみに耐えかねてファンである事も辞めてしまう可能性すらあり得ると私自身危惧している為である。実際に私は嘗てごちうさに対する自分の想いをどこにも発散する事ができずに抱え込み過ぎた上に、また好きであるが故に作品の事を深く考える様にもなったのだが、月日が経つにつれて「可愛いらしくて仲睦まじい」とは全く縁遠い負の側面、闇の一面に囚われてしまう事が多くなってしまった*17為に、一時期心苦しい感情を抱き続ける事になってしまった事があり、今は脱却しているとは言え何時だってまた苦悩に逆戻りするリスクが消える事はハッキリ言って無いと思っている。一度抱えてしまった負の側面はどう足掻いても完全には消え去る事は無いと言うのが一種の悲しき宿命で、たとえ全く気に留めようとしなくても、もう気にならなくなったとしても、事実そのものは永遠に付きまとい続けるのだから。

 この様に中々にシビアな話なのだが、それ故に「ごちうさが限りなく好きである事は同時に何時だって下手をすればごちうさが好きだと言う感情に心を蝕まれる危険性だってある」事を理解しているし、リスクがあるとは言っても今の様にごちうさに対しての感想や想いを度々Twitterやブログに書いている現在ではまず苦悩に苛まれる事は起きり得ないとも考えている。私の場合、結局の所「無理なくごちうさが好きであるためにはどうすればいいのか」と考えて様々な事をする様になったのが結果的にターニングポイントだったのであり、今ではごちうさに対する膨大な想いを上手くコントロール出来ている。でもまさかごちうさに対して本格的に好きになってたった1年程度でここまで激しい葛藤とも言える様な強い想いを持つ事になるとは想像だにしていなかったし、2年以上たった今では15年以上前から好きだったゲームや道路、クラシック音楽等の情熱にも最早全く引けを取らないまでになった。もしごちうさもそれこそ連載当初から10年来知っていたのならまた違った結果になったのだろうが、その場合多分ここまで好きになる事は無かったと思うし、抑々そんな事を考えてもどうにもならず、最早何も生み出さないのでこの場合正に机上の空論である。ごちうさが好きだと言う想いに年月の長さはさほど影響してこないし、寧ろどれ程昔から好きであったとしても途中でかなぐり捨ててしまえば何もならない。大切なのは「純粋にごちうさ(○○)が好き」だと言う各々が持つ想いなのであり、その事に関して私の意思が揺らぐ事は最早無いであろう。

 

※キャラ個人としての想いの叙述はここまでとなり、ここからは狩手結良のキャラソンである「Foooo are you?」の感想となります。

キャラソンの感想

3.狩手結良のキャラソン「Foooo are you?」の感想

題名について思う事 

 理世ちゃんの幼なじみにして「吹き矢部長」の異名をとる狩手結良唯一のキャラソンである「Foooo are you?」。この題名は歌詞にも使われている「Who are you?」と掛けられていると思われるのだが、実際の所この「Who are you?」と言うのは言語辞書で調べてみるとどうも「あんた誰?」と言った他人行儀的なニュアンスを持つものらしく、英語圏の人にとってこのフレーズを親しい間柄に使うのはいかなる場面、状況においても失礼にあたるのだと言う。日本語を母国語とする者にとっては実感が湧きにくいものだが、知っておかないと失敬を買う事態にもなりかねないので注意が必要だと思う。しかしながら、ただでさえ理世ちゃんと紗路ちゃん以外親しみが殆ど無い結良ちゃんの場合、正に状況を体現するものになっており、良くも悪くも彼女のどことない疎外感を表すのに一役買っている。

 因みに「Foooo are you?」と検索すると一番上にごちうさの「大西沙織と狩手結良の曲」と出てきた。大西沙織さんとは狩手結良の担当声優さんであり、如何にも「ごちうさのキャラソンで生み出されたものですよ」と言わんばかりの検索結果だったが、どうもFoooo自体はオノマトペつまり擬音語・擬声語と言ったニュアンスを持つものであり、それも基本的にはあまり使われる事の無いのが要因としてあるようで、辞書には載っていない単語と言う扱いのものもあった。何れにしても独特な題名だという事には間違いないだろう。

一線を画す曲調に感じる事

 この曲を聴いていの一番に思った事は、ごちうさ楽曲の中でもメロディーセンスが自分好みだと言う事だった。私は元々アップテンポ調のハイスピードリズミカルな曲が好きで、尚且つテンポ重視と言う拘りを持っているのだが、この結良ちゃんのキャラソンはそんな私の好みにドンピシャだった。それ故に個人的には結良ちゃんのイメージにバッチリ合っている曲調だと感じていて、彼女の事が更に好きとなるきっかけともなった。尚、上記の様な曲調はごちうさではあまり見られないものだと個人的には思うのだが、そんな曲調に出来るのも狩手結良だから可能だと思う事に異論は無かった。しかしこれはかなり異例な事であると思っている。

 そもそもごちうさは普段の何気ない日常から生まれるかけがえのない友情や友達との大切な居場所を丁寧に扱う事にコンセプトが置かれている作品である為、実際にはカッコイイ曲調の曲も多いし、誇張抜きに様々なジャンルの曲が存在しているとは言え、あくまで快活な曲調であっても、よくよく読み込んでみると感慨深い詩情をもつ曲が多い。そんな感触が基本的なイメージとして個人的には存在していて、特にOP・EDにその印象が強くあるのだが、そのイメージとは一線を画していると感じる曲もまた多く存在していると考えていて、「Foooo are you?」もまた、その一線を画すイメージを持つ曲の一つである。一線を画していると言っても「Foooo are you?」の場合、結良ちゃんのミステリアスな面がそうさせている節があるのも事実だが、既存の枠組みにとどまらない世界観はごちうさの世界観を更に広げるものとして機能するに違いないと個人的には思う。他の人とは違う世界観を持つからこそ生み出せる結良ちゃんの魅力。その事は曲調からもはっきりと理解する事が出来る。

 また、少し本筋からは外れるが、ごちうさの中でも一線を画すイメージを持つ曲と言えば個人的にはやはり青山さんの楽曲である「うさぎになったバリスタ」は外せない。この曲の場合全てが一線を画していると言っても過言ではなく、智乃ちゃんの祖父が抱えていた喫茶店の経営難と言う苦悩から、どんなに経営難であっても決して廃らなかった家族に対する強い想いと愛情*18、早世した*19母親の代わりに自分が智乃ちゃんを見守っていかないといけないと言う強い意思が彼をうさぎにさせたのだと考えさせる様な構成だったり等と、枚挙に暇(いとま)がなく、ごちうさの中でも特に一線を画している名曲であると考えているし、青山ブルーマウンテン役である早見沙織さんの歌声もこの厳しく悲しい過去を見事に受け止め、優しく包み込む様な不思議な感触を生み出しているのだと考えている。大人である青山さんが歌い上げる独特且つ深淵*20たる世界観を覗かせるには十分である。

 そして、「Foooo are you?」にしろ「うさぎになったバリスタ」にしろ、他とは雰囲気が異なっているとは言え曲の質は非常に高く、どちらも人の繋がりを大切にしている名曲であると思う。ごちうさにはこの2つ以外にも一線を画す様な楽曲は沢山あるが、個人的にはこの2つが特にお気に入りである。

歌詞に感じる事

 この「Foooo are you?」の歌詞に関して言えば、結良ちゃんの人柄が良く読み込む事の出来るものであると感じている。具体的に言えば一見すると掴み所が無くてちょっとあざといとも思えるけど、一方で無邪気な面があると言わんばかりに純真無垢だとも思えてくる内容も多く含まれていて、読めば読む程に彼女の気前の良さと根底にある人柄の良さが見えてくると言うものである。定まらない立ち位置故に疎まれる事も少なくない結良ちゃんだが、私自身昔から結良ちゃんの事をどうやっても悪く思う事は出来なかった。悪く思えない事自体は私自身の性格も関わっているのだが、それだけでは人を悪く思わない理由にはならない。幾ら優しいと言っても嫌なものは嫌だと思うのが人間だし、実際私も悪く思うとまではいかなくても苦手なタイプの人はごちうさのキャラでさえいた位*21である。でも、歌詞を読み込んでみるとそんな苦手意識や嫌悪意識が晴れる事だってある。この曲はそんな可能性を秘めているのだと感じている。

 全体的な歌詞構成としては吹き矢部長たる結良ちゃんらしく吹き矢関連の歌詞が多く登場するものとなっていて、そこからきっと誰かと吹き矢勝負をしているのかと想像させるものとなっているが、随所に出てくる彼女の心の本音らしき部分が何とも言えないロマンチックさに花を添えていて、その本音と言える歌詞を読み込んでいくと、彼女だって仲が良い人と何のしがらみもわだかまりも持たず、只々無邪気にずっと楽しい事を友達とやっていたいと考えていると言う本音を伺う事が出来る。普段からミステリアスな雰囲気を醸し出している彼女からは一見想像できないものだが、所謂建前と本音と言う関係性はそんなもので、一見すると口調がきつく少し関わりにくそうに見える人でも、実は誰よりも情に厚く優しかったりする*22様に、結良ちゃんにも純真無垢とも思える様な本音があってもおかしくは無いのであり、その事が読み解けるこの曲の歌詞は私にとって深淵たる世界観への誘いとなっている。

 そして、これは結良ちゃんのキャラソンに限らずごちうさ楽曲の歌詞を見て常々思う事なのだが、歌詞を読み込んでいると、ふとその楽曲の歌詞を紡いだ人のごちうさに対する想いや愛情が浮かび上がってくる様に感じる事がある。何とも突拍子も無い話だが、歌詞を読み解くと言うのは私にとって「歌詞を書いた人が秘めている想いへの探究」と言った事と同じで、歌詞を紡いだ人がどんな想いや感情を込めて書いたのかそれを考察する事だと考えている。その熱き想いを汲み取ると感情が込み上げてくる事もしばしばあるし、それは結良ちゃんのキャラソンだって同じ事である。想いの探究は歌詞考察も例外では無いのであり、キャラ考察にしても歌詞考察にしても、ごちうさが好きだと言う想いをもって行うのが何よりも大切だと思う。

 

余談

 狩手結良に関しては想う事がただでさえ多かった上に登場が極めて少ない為、その心情を読み解いたり考えたりするのに独自解釈をかなり含めないといけない位に想いをまとめ上げるのに苦労した。冒頭で「新年早々・・・」と書いているが、これは書き始めたのが1月上旬からだった為である。そこからまとめ上げる為に必要な時間も思考力も中々取れないと言った事や、他にもやりたい事の兼ね合いも考えていたらと様々な理由により遅々として進まず、気付けば2月中旬も後半に差し掛かっていた。ここまで掛かってしまったのも初めてである。また、書いた文量自体も多く、今までと比較しても圧倒的に多くなった。それほどまでに彼女に対して想う事があったという事である。

 狩手結良が巷でどういう風に見られているのかはある程度はきちんと把握していて、その上で私は結良ちゃんを好きだと言っている。別に周りがどう言っていたとしても、好きだと言う気持ちに嘘をつくつもりは余程の事が無い限り基本的に無いと言うのが私の意見である。勿論どういう意見でもむやみやたらに否定したりしないでまずは受け容れるのが原則であるが、同時に私は自分自身が思っている事はちゃんと言うべきだと考えているのでこうして公表しているのであり、それ以外にも色々思う事はあるが、あくまで各々が好きなものを自由に好きだと言える様な環境に出来たらそれで良いと言うのが私の思う楽しむためにおいての理想像である。

*1:人望や目標達成努力等人間として求められる事は沢山あるので、実力のみで部長が決められる事は考えにくいとは言え、部長たるものある程度は実力も必要不可欠であると思われるため。

*2:厳密に言うと昔なじみと幼なじみは定義付けが異なる(昔なじみは主に古くからの付き合いを指すが、幼なじみは子供の頃からの付き合いを指す事が一般的)ものではある。

*3:高校は勿論のこと、大学も同じである。

*4:気にならないとは言っても9巻で智乃ちゃんの当たり前の様に行っている異学年交流をクラスメイトは「凄い」と称賛している辺り、この場合当たり前の感覚が変化してきていると言った方が正しい。但しこの当たり前の感覚の変化を手放しに喜んで良いのかは分からない上に、これはある意味当然なのだが、いくらごちうさが年の差が気にならない関係性だからと言って、現実でも年の差事情に全くもって無神経になるのは厳禁である。

*5:但し、完全になくなっている訳では無い点には努々(ゆめゆめ)留意する必要があり、しかもその少ない部分がかなり強烈なインパクトを持つ事が予想される。

*6:特に理世ちゃんとは結良ちゃんと昔馴染みであるので尚更。

*7:実際の所は苦手と言うより忌避(きひ。嫌って避けること。)していると言う方が正しい。

*8:その際結良ちゃんは自分の制服のボタンはいらないかと紗路ちゃんに聞いているが、先輩(理世ちゃん)のボタンが手に入った事に夢中になっている紗路ちゃんには届かなかった。しかしながら結良ちゃんにしても紗路ちゃんに対して本気で自分の制服のボタンをあげたいのなら理世ちゃんのより先に自分のを出せば良いだけの話であり、結良ちゃんの行動はいまいちどうしたいのか良く分からない。

*9:一般にはどんな事があってもしぶとく続いている、縁を切ろうにも切れない悪縁の間柄・仲柄の事を揶揄的に指し示すものである。それ故にお世辞も良いイメージを持つとは言えない言葉なのだが、そんな言葉を用いた結良ちゃんには幼なじみに対して相当なコンプレックスがある事を示唆している。

*10:因みに何故に私が理世ちゃんの事を良く怒っていると思う事が多いのかと言うと、実は私自身昔から理世ちゃんに対しては「どこか怒りっぽい」と言うイメージがあるためであり、こうなった要因にサバサバした口調や硬派気味の表情等に対して「怒りっぽく気難しくて少しばかり怖い人」と言うイメージを先行して抱いてしまい、そのまま第一印象として固定されてしまったのがある。勿論本当は非常に心優しい事も、人をむやみやたらに傷つける様な事を絶対しない様な人なのも分かっているし、怒りっぽく見えるのも実は理世ちゃんが普段から気を張って強がって無理をしているからで、本当の意味で決して心の強い人なんかじゃないと言うのも感じ取っているし、ひいて言うなら不器用だが実は心優しく精細な部分が理世ちゃんが人として好きだと言う大きな理由にもなっているので、「怒りっぽくて怖い」と思っていた自分が正直恥ずかしくも思う。

*11:ごちうさにおいては原作でもアニメでも壁ドンは殆ど無く、しかもアニメの壁ドンには原作には存在しないアニオリ展開のものもある。

*12:無理矢理繋げるなら、表裏一体の関係性は一種の腐れ縁の証だとも言えてしまう。

*13:意識してみないと意外と気付きにくい事であるのだが、よく見ると中学生組と高校生組で行動が分かれている事が結構あり、そうでなくても絶妙な隔たりがある。尤も今となっては全員高校生以上なのでこの区分がおかしいのは明白だし、もっと厳密に言うなら学年差による距離感だと言った方が正しいのだろう。学年差なら進学による呼称変化の影響は無いので。因みに理世ちゃんと結良ちゃんは大学生で他は全員高校生なので、新たに高校生組と大学生組と設ける事はできる。尤も今後どうなっていくかはまだ良く分からない部分が多いが。

*14:アニメで顔を膨らます場面があったかまでは正直はっきり覚えていないが、少なくとも原作ではそういう場面がある。

*15:生徒会推薦も文化祭もチマメ隊が中学3年の話だが、職場体験はまだ中学2年の時である。しかしながら、そもそも文化祭も生徒会推薦も描写自体が中学2年の時には無く、これに限らずマラソン大会や花火大会等も中学2年の時には無かった(なお、花火大会はDMSにおいて「去年は雨のため中止だった」と青山さんが言及している。因みに中学2年の時にあった写生大会、球技大会等の話は逆に中学3年では言及されていない。)。因みに中学2年から3年に上がるタイミングは原作だと4巻の半ばくらい、中学卒業は7巻の終盤にあたるが、アニメと原作では構成が良い意味で別物と言える程異なっているが故に、時系列にも大なり小なり異なりが生じているので原作とアニメを比較する時は注意が必要。

*16:相手を全面的に信頼するので、万が一裏切られた時のダメージが非常に大きくなる。

*17:全てが可愛いと称されるごちうさだが、甘くない所は冗談にもならない程甘くない。見方によっては極端な事を言えば一種のハードボイルドだとすら感じられる。

*18:今考えるとこれも当時まだ幼かった心愛ちゃんの何気ない言葉が迷いを晴らさせ、その意思を確固たるものにさせたのかもしれないし、もっと言うならばこじ付けがましい面はあるが、その言葉が香風家の運命を変えた大きなきっかけだったのかもしれないとすら思えたりもする。

*19:そうせい。若くして亡くなること。

*20:しんえん。奥底知れない深みを持つこと。

*21:特に苦手意識があったのは今や人としても惹かれる面の大きい理世ちゃんであり、どうも口調がややきつい部分が中々慣れなかった。別に口調がきついからと言って嫌いにはならないのだが、怒られるのが頗る(すこぶる。「非常に」「とても」と言った意味合いを持つ。)嫌な私にとってはどうしても少しばかり苦手だと言う感情が働いてしまいやすい。

*22:これ完全に理世ちゃんの事を言っているのが丸わかりである。他にも麻耶ちゃんや夏明ちゃんがこれに当てはまる所があると思っている(特に夏明ちゃんが顕著)。