多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 心が激しく揺れ動く程の感銘と言うのは、そう中々に出会えるものでは無い。これ程沢山のマンガやアニメに触れてきた中でも、心が激しく揺れ動いた経験はそう多くない。しかしながら、それ故に激しく揺れ動いた瞬間と言うのは、どんなに月日が経っても忘れないものだ。

 そうやって感銘を受けて、今に至るまで「好き」と言う気持ちを持ち続けているマンガやアニメは、別の言い方をするなら私にとって「人生の私信」ともなり得る存在となっている。無論、ごちうさもその1つで、今でこそ「熱意が......」と思う事も多くなったし、正直「嘗て程の熱意はもうない」と言うのだって容易くはなった。だが、昔培った「糧」と言うのは、私自身の気持ちがどうなろうと無くなる事は無い。その糧があるからこそ、私は今でもごちうさに対して一線を画した想いを持つ事が出来ているし、今でも感想・考察文をブログに書きしたためようと思い立つ事も出来ている。己が勝ち得たものと言うのは、そう簡単には廃らない。その想いを裏切る事は、少なくとも今の所はしないつもりである。

 尚、一方では「好き」と言う気持ちを持ち続けながら、読み返したいかと聞かれれば、思わず返答に戸惑う程の地獄を見たマンガと言うのも存在はしている。とは言え、その地獄と言うのは、確かに絶対的な地獄展開も存在する事もあるにはあるが、それ以上に「自分がある展開を『地獄』だと思ったショック」が心に刻み付けられ、自分が思う地獄と向き合えないかもしれないと言う「心の弱さ」が大きく関わっている。今回は後に「弱さを知る事で得られる強さ」と言う題目を真剣なる想いで書き出しているのに、書き出した本人がこのザマとは、正に滑稽以外の何物でもないが、己の弱さと向き合うと言うのは、どんなに理論武装したって決して簡単ではないと言う事である。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は心愛ちゃん達の文化祭にお忍びに訪れていたモカさんと千夜ちゃんとの物語が骨子となる回であり、雰囲気としてはかなり内省的。今までに積み上げてきたものが試される回でもあり、故に「これまでのストーリーやメッセージ性を知っている事が前提」となる回と言う印象が強い。初心者には些か厳しいと思わなくもないが、ごちうさ単行本にして12巻目が発売決定している程の長期連載作品なので、ある程度は仕方ないのだろう。

 

※注意※

最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 幾度となく積み上げてきたものの再確認。今回のお話から感じる事はそれだった。それを準えるのは、モカさんと千夜ちゃんと言う珍しい組み合わせ*1であり、珍しいものが見れると言う意味でも面白みがある。ただ、雰囲気は前述の通りかなり内省的なものであり、具体的には「メンタルの弱い自分との向き合い方」「相手の強みを見て自分に足りないものを悟る」等々である。また、その様な要素に至るまでにはごちうさの面々が如何にして今の自分を構築していったのか」が要となっている為、前提を知らないと「?」となる可能性も否定できないし、苦手な人はとことん苦手なジャンルでもある。先程「初心者には厳しい面もある」と称したのはこの為である。

 今回の扉絵は、千夜ちゃんとモカさん2人が仲睦まじい姿を見せて佇んでいるというもので、普段見ないイレギュラーな組み合わせが見られる意味ではかなり貴重である。また、良く見ると背景にパンと甘味のメニュー表も描かれており、それぞれの特徴を抜き出した遊び心ある内容でもある。

 今月号は先も指摘した様に「この物語が積み上げてきた前提を知っているかどうか」で抱く印象が全く変わる回だと捉えており、幅広く知っている人なら感銘を受けやすいが、そうじゃあないと理解するのに手間どる可能性がある。また、積み上げてきた物語が前提となると言う事は、言い換えれば「これまで描かれてきたものを再び見せ付ける」と言う事でもある為、新規性に富むかと言われればそう言う訳では無く、前回同様真新しさはさほど感じない。とは言え、これまで積み上げてきたものが再び花開くと言う構図は、何度観ても感慨深いものがあるし、趣深いものがあるのも事実なので、こういう魅力こそごちうさの良い所と言えるだろう。正直モチュベーションの維持には苦労するが......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出したい。今回は特段テーマに苦労している訳では無いが、真新しさに感銘を受けている訳でも無いと言う状態な為、割に淡々とした内容にはなると思うが、書くべき事は書くので安心して欲しい。

他者への羨望

 人の行動や言動を見て、自分の言動や思想がどの様なものかを顧みる事。これが言い表せられるのは「人の振り見て我が振り直せ」「内省」などが挙げられるが、今回のごちうさは正にそんな感じ。モカさんと千夜ちゃんによる「内省物語」と言う側面で描かれるストーリーは、コミカルな雰囲気であっても「これまで培ってきたものを顧みる」と言う性質が終始漂っており、良くも悪くも「内面的な方向性に振った回」とも言える。

 モカさんと言えば、明るくて社交的で、何でも器用にこなせて包容力もあって、一見すると正に「スーパーお姉ちゃん」と言うに相応しいだけの能力を持った人物に映る。実際、末っ子の心愛ちゃん含めた4人の兄弟姉妹の姉だし、能力の高さも実証済みである。だが、モカさんとて最初から何でもできる天才肌ではなく、幾多のトライ&エラーを積み重ねて今の自分がある訳で、その意味では「いぶし銀の努力家」と言った方がいい。なので、彼女とて他者からの羨望を真っ直ぐに受け止められる程凄い人間では無いし、彼女に憧れを抱くなら、その「陰で愚直なまでに努力を積み重ねて、それを決して表には見せない強さ」を知る事が何よりの肝要となる。何でも完璧にこなせると言う上辺だけを見て評価してはいけない、さもないと本質を見誤ると言ういい例でもある。

 ただ、陰では必死に努力していると言っても、それを表立っては見せない様に尽力している以上、モカさんの内面を限りなく深く知っている人でもない限り、彼女の本質や性質がどの様な形なのかを正確に窺い知るのは難しいと言うもの。それを証明する様に、今回モカさんとガッツリ同行していた千夜ちゃんも、モカさんが果たして「完璧なお姉ちゃんなのか、それとも実は自分とさほど変わらない程にメンタルの弱い人物なのか」どっちかが良く分からず、混乱する場面もあり、この事からモカさんの客観的イメージは「何でも臆せずこなせる完璧な人」と言うのが強い事が窺える。

 千夜ちゃんはモカさんと違って「実はメンタルが弱い」と言う一面があり、本人もその事に自覚がある事から、モカさんの様に身内(心愛ちゃんの事)が自分の元から離れても、自分にできる事を精力的にこなすモカさんが輝かしいと言うか、自分には無いものを持っている存在として憧れるのは当然の摂理とも言える。しかしながら、実際にはモカさんとて弱い一面はあるし、そのモカさんにしても千夜ちゃんの「いかなる状況からでも強かに甘兎庵を繁盛させる施策を練れる所」「派手な格好をしたまま街を練り歩ける所」等に「自分には出来ない強心ぶりや策士ぶり」に対する憧れを抱いているので、結果的にモカさんも千夜ちゃんも、自分にはない部分に羨望を抱いている事が良く分かる。早い話が「隣の芝生は青い」と言うやつである。

 隣の芝生は青いと称するのは、モカさんも千夜ちゃんもお互いが持っている強さに感化されるがあまり、自分が持つ「強み」に自分でも良く気付いていない節があるからで、これはそのまま「自己肯定感の高い低い」にももろ関わってくるので、そう簡単に笑い飛ばせる程軽い話ではない。しかも2人共に「お互いの強みが何なのか。具体的に感じた事は心にとどめている」事から、自分の今後の教訓にするには有効かもしれないが、他者から教わる自分の強みなるものが十分に手に入っていない様に見える事が絶妙に引っ掛かる。今はまだ大丈夫だろうが、これが肝心な時に誇張抜きで笑えない程の致命傷にならないか心配ではある。

 とは言っても、モカさんにしろ千夜ちゃんにしろ、お互いに普段中々話を交わせない人から意見を募ったり、普段なら絶対に出来ない事を2人で出来たりしたと言うのは、間違いなく貴重な経験だし、それで「お互いに普段感じた事のない人の強みや意外な一面」を感じられたと言うなら御の字(大いに有り難い)でもある。今回ここでの題目を「他者への羨望」と称したが、これは「敢えてそうした」のであり、この2人に存在する感情が羨望だけではない事位解っている事は書いておこう。

ストーリーテラー冬優

 話の筋道を紹介したり、物語の面白さを引き立てたりして、読み手や聞き手をその物語の世界観へと誘う存在。それがストーリーテラーと言った所だろうか。私としては、ストーリーテラーと言えば「ミステリー小説」のイメージが真っ先に思い浮かぶが、そういう存在は別に小説に限ったものではない事位解っているし、抑々今回の題目に「ストーリーテラー」と付けたのも、話の展開から「これはストーリーテラーの役回りが見出せるのではないだろうか」と思った事が切っ掛けである。

 今回そのストーリーテラーの役回りを担っていたと思うのは、智乃ちゃんの友人にしてブラバ組が1人の冬優ちゃんその人である。今回彼女は物語の最初の出だし役と、物語の最後の大オチ役に徹しており、物語本編には基本的に関わっていないが、物語の引き込み役を担う意味では正にストーリーテラーであり、出番は少ないながらも重要な役割を持っている。

 彼女は引っ込み思案ながらも思慮深さがあり、いざと言う時に行動を起こせる気概の持ち主である一方、初見の物事に遭遇した際にどこかズレた方向性で解釈したり、普通では考えられない発想を展開したりする等、奇抜とも独創的とも受け取れる大胆な発想の持ち主でもある。その様な性質は、1つの物語を展開する際に「これはどんな物語なんだ」と言う読み手の好奇心を嗾けるのにうってつけな上、思いもしない角度から飛んでくる大胆不敵な発想に感服する事も往々にしてあり得る。そして、それは即ち「読み手が今回のお話に引き込まれている」と言う事でもある為、冬優ちゃんはストーリーテラーとしての役回りも思いの外似合っているのだと思った訳である。

 余談だが、冬優ちゃんがモカさんと出逢った際、彼女はモカさんと実際に会った事が無かった為に、モカさんの事を成長した心愛ちゃんと誤解して、事もあろうに「ドッペルゲンガー」だとか考えて、あらぬ方向性へと行く展開を見て、思わずジョジョPart7「スティール・ボール・ラン」の「ファニー・ヴァレンタイン大統領」のスタンド能力D4Cをイメージしている。これは「D4Cの能力の特性を知っている事が前提」となる為、人を選ぶものにはなってしまうが、ドッペルゲンガーの特性と冬優ちゃんの発想を組み合わせたら、私にはもうそれしか思い浮かばない。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望な想いを強めた内容を書き出したい。今回も前回程ではないにしても、比較的深淵なテーマ性を扱っていくので、注意してほしい。

己の弱さの受容

 己が持つ弱さを認める事。それこそが今回千夜ちゃんとモカさん2人のやり取りから見えてくるもう一つのテーマなのではないかと思った。別にこれまでの2人の事を「自分が持つ『弱さ』さえも認められない弱さを持った人間」だとは思ってもみなかったし、今後もそんな事を言うつもりは一切ないが、2人のやり取りを見るに、モカさんも千夜ちゃん(特に千夜ちゃん)も、私が今まで気付かなかっただけで「自分だけが解っている己の認められない弱さ」はあるのだと思った。

 千夜ちゃんがあれでいてメンタルが決して強くない事は既に知っていたし、本人としてもそれを自覚していたのまでは良いのだが、まさか彼女がそんな自分を無理矢理にでも何とかしなければならないと考えていたとまでは気付かなかった。確かに今の千夜ちゃんの状態のままだと、来たる「別れの時」の際に多大なる精神的ダメージを負う事になるのは明白なので、それを何とかすべきだと言うのはそうなのだが、そんなメンタルの弱い自分を受容しようとしていなかったとは思っていなかった。

 だが、メンタルの弱い自分を克服したいのなら、まずは「弱さ」を知らなければならない。「己が持つ弱さ」について知らなければ話にもならないし、その為には「弱い自分をまずは認める事」をしなければならない。その意味では、千夜ちゃんがそれまで「弱い自分を受容し切れなかった」と言うのは、仕方が無い事とは言え、メンタル強化の観点ではむしろ逆効果である。モカさんとの出逢いと言うのは、千夜ちゃんにとっては単に心愛ちゃんのお姉さんとの貴重な思い出作り及び貴重な意見を募れただけでなく、己の弱さとの向き合い方を是正する意味でも非常に重要だったと言えるだろう。

弱さを知る事で得られる強さ

 強さと言うのは、あらゆる観点から弱さを知り尽くす事で手に出来る概念ではないのかと考えている。決して弱さを無くす事が強さではなく、弱さを知り、その弱さと向き合う事で得られるもの。私が思う強さの理想は、即ちそういう事である。

 先の「弱さ」の題目でもそうだったのだが、この様な考えに至った背景には、私が大好きなジョジョの奇妙な冒険シリーズが多分に影響している。ジョジョシリーズが見せ付けてくれる「恐怖との向き合い方」や「勇気の図式」、他にも「過酷な運命にも負けない意思の強さ」に「精神の成長」等々、その影響は数多くあるが、今回最も影響があったのは「己の弱さを知っている事も強さ」と言うものである。とどのつまり、今回私が立てた「強さ」と「弱さ」と言うのは、云うならばジョジョがもたらしたインスピレーションにあやかったものにはなるが、それだけ私にとってジョジョは「私信」だと言う事である。

 では、実際に「弱さを知る事が強さに繋がる」と言うならば、それは一体どういう事を表すのか。私が考えているのは「弱さを知る事は自分を知る事。自分を知っている者程強いと言うならば、弱さを知っている事も強さ」と言う事である。ジョジョシリーズに限らず、プリキュアシリーズやきらら系統作品、それに百合姫掲載作品を見ていて思うのだが、強いとされている人にだって絶対的な弱さはあるし、その弱さを自分にはどうする事もできない事だってあると気付く機会は多い。ともすれば、強い人にも弱い一面があると言う事は、その人は本当に強いのか。はたまた強がっているだけで、本質的には弱い人なのかと思うかもしれない。

 しかしながら、人間は完全無欠な強さを持っている訳では無い。誰にだって弱さの1つや2つはあるし、どうやったって克服できない弱さだってある。だが、それ故にその弱さを知ろうとする事、弱さがどうにもならない事を知った上で、それでもその弱さを受け容れて前へと進もうとする意思が光り輝く。それこそが「弱さを知る強さの根幹」であり、決して無碍にしてはならない矜持にもなる。

 今回千夜ちゃんは終盤にて、モカさんと出逢った事で「己の弱さを受け容れても良い事」を知り、それを胸中深くに収めている。それは即ち、千夜ちゃんも「弱さを知る事による強さ」を得た事を意味しており、絶対的な強さを得た事を示唆している。それまでメンタルの弱い自分を気にしていた千夜ちゃんにとって、それがどれ程大きな意味をもたらしているのか。それは最早推して知るべきだろう。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はかなり文量を少なくしてまとめているが、これは意図的に行っているのも若干あるとは言え、一番は「そんな大量に書き出せる時間も気力も無かった事」が大きく関わっている。後はシンプルに「真新しい事を書こうと思ってもそこまで思いつかなかった」と言うのもあり、これが結局の所直接的な要因にはなってしまう。

 ここ最近の記事ではほぼ毎回の様に似た様な事を書き出してきたが、今の私は、正直に言うともうごちうさが今後どうなっていくのか。最終的な結末がどうなるのか。その結末を迎えるまでにどの様な展開が待っているのか。その何れもが全くもって分からないし、考えたくもなくなってきている。もう何を考えたって脆くも砕かれるのがオチだし、正直既にある程度は自分なりの考えを張り巡らせている事情も重なって、今はもう無理にどうこうしたいと言う感情はまずもってない。尤も、それが今回の文量の少なさに直接起因している訳でも無いのだが、少なくともモチュベーションの維持に苦労しているのは事実である。

 ただ、冒頭でも書いた様にモチュベーションの維持にこそ苦労しているとは言え、ごちうさに対しては「今まで培ってきた絶対的な糧」があるのも事実であり、その糧があるからこそ突き進んでいられる。また、ごちうさ単体だと熱意はかなり無くなっているのは否めない一方、ごちうさを含めたきらら全体の熱意はかなり高い所で安定しており、その意味ではごちうさを読まなくなる心配もまずもってない。この様な事を思えば、今の私がごちうさに対する熱意を徐々に落ち着いたものへとさせているのは、私がごちうさファン」から「きららファン」へと変貌したのがあまりにも大き過ぎるんだと思う。こればかりはどうにもならない。それが自分が選んだ道なのだから。

 これ以上は更に悲愴的な内容が飛び出しかねない為、今回はこの辺で区切らせてもらうが、私とて今年でごちうさを読み始めてより6年が経過し、雑誌にしても連続購読4年目に突入しているので、遅かれ早かれ今の様な状態にはなっていたと思う。それを思えば、今の状態になった事に悩みなんて無いし、前向きに受け容れて進んでいった方がずっと良いと考えられる。今後もそんな感じで楽観的な感じで突き進んでいく一方、真剣に書く時は真剣に書くと言う事は、ここで改めて書いておきたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ20枚分である。今回は今までの記事全般と比べてもかなり字数が少なく、故に手堅くまとめているとも言えるが、まさかここまで少なくなるとは思ってもみなかったというのが正直な所。ただ、書き出す内容そのものは真剣な想いをもって書き出しており、そこはブレていないので安心して欲しい。

*1:抑々モカさん自体決して登場頻度が多くない事を鑑みれば、どの組み合わせでもある程度そう言えるが。