多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」7章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部7章を読み進めていく中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、最早どの様な観点から捉えるべきなのか分からなくなる程に錯綜たる想いに駆られている側面がありますが、それでも私の中での嗜み方と信念は固く存在しているので、今回も「私が思う事」を大切にしながら書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的且つ壮絶な展開の連続であり、これまでも幾度となく数々の事実が明らかになってきたが、7章では途轍もない展開が待ち受けていたのである……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力はきららファンタジア全体の中でも随一である。そして、個人的にはそんなメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶だと感じているのは「欺瞞に満ちた世界*1を正す為に禁呪魔法『リアライフ』に手を染めてまで暗躍するが、その根底には蠢く悲しき闇と決して消える事のない痛く悲しい過去が滲み出ている『リアリスト』そのものの存在」であり、知れば知る程に悲惨な実態や心境が見えてくる痛みは筆舌に尽くし難い。ただ、それでもうつつちゃんが見せる精神的な変化や、どんなに悲愴的な状況に陥っても決して希望を捨てないきらら達を見れば、胸が熱くあるのは当然の事ながら、聖典そのものが抱えている問題について深く考えていく事等、きらファンメインシナリオ第2部には「私にとっては心惹かれてやまない要素が多く存在」しており、それ故に新章が出る度に凄まじいまでの感想・考察を書いている所存である。

 今回もそんな読み応えのあるシナリオを読んだ感想・考察を書き出していく訳だが、前回の6章があまりにも肥大化し過ぎていた為、今回は幾分コンパクトにまとめようと考えている。勿論、コンパクトとは言っても書き出す内容に妥協をするつもりは無いのは当然である。

2.第2部7章の感想・考察

 まずはこれまで同様、7章そのものについてや、その7章から読み解ける事を中心に書き出したいと思う。内容はメインシナリオ第2部の例に漏れず重い内容になっているので、注意して欲しい。

7章全体の感想・考察

7章とは

 7章はメインシナリオ第2部2章及び4章同様、メインシナリオ第2部の世界観そのものが深く掘り下げられているものであり、冒頭から6章終盤に明かされた「リアリストの次なる標的は七賢者」に対する対抗策を練る場面から始まっている辺り、いよいよ激動の展開に突入していく事が窺い知れる。

 その様な事もあってか、この章は序盤から「神殿チームVS真実の手」と言う構図の激しい応戦が繰り広げられており、冒頭からいきなり波乱の展開を迎えている。だが、序盤は完全にリアリスト達が一枚上手であり、神殿チームは七賢者が新たに3人も毒牙に蝕まれ、きららちゃん本人に遂にサンストーンの手によって彼女が見えるパスが断ち切られ、更に6章時点で既に毒牙を喰らっていたカルダモンも毒が完全に治癒していなかった事から、一時は窮地に立たされる事になってしまう。

 正しく悪夢のような状況下に、ただ一人きららちゃんとの絆を覚えていたうつつちゃんは、自分の無力さと不甲斐なさに対して激しい自己嫌悪に陥ってしまうが、スクライブギルドのギルド長であり、うつつちゃんにとっての親友でもあるメディアちゃんの励ましによって再び希望を取り戻し、更にうつつちゃんに秘められていた強い想いが、彼女に新たな力を授ける事になった。そしてここから、七賢者の中でも特殊魔法の使い手であり、人の夢にも入る事の出来る力(夢幻魔法)を持つハッカの計らいによって、うつつちゃん達はきららちゃんを救う為にきららの夢の世界に乗り込む事を決意する。

 夢の世界においては、新たな力を会得したうつつちゃんの手によって、きららちゃんは自分の能力で絆を取り戻し、きららちゃん本人が見ていた悪夢から解放する事に成功する。因みにサンストーンからしてみればこれは大誤算だった様で、真実の手の面々は思わず憤りと焦りを隠せなかった様だが、直ぐに平静を取り戻している。また、7章中盤では「悪夢の魔法をかけられたきららと七賢者を助ける事」が主軸となっているが、ここでは敵のスズランが一目置く程の実力を持つ七賢者「ハッカ」の存在もあって神殿チームが反撃に転じる事に成功し、リアリスト側が徐々に追い詰められていく事になる。そして、リアリストの抵抗を乗り越えて遂に全員の悪夢を開放する事に成功するが、未だダチュラによって蝕まれた毒が残っており、依然として予断は許さない状況下にありつつも、神殿チームは解毒の為に奔走する事を決意する。

 解毒の為には高純度の星彩石が必要だと言うが、それは既に真実の手が1人であるダチュラの手に奪われていた。しかしながら、ロベリア達が企画していた作戦は失敗に終わったと本人の口から告白した辺り、リアリスト側も追い詰められているのが窺える。そして、神殿チームが黙って手を拱いている筈もなく、ダチュラを追う為に奔走し続け、その過程で真実の手が1人、エニシダと邂逅し、きらら達はこれを退ける事に成功する。ただ、敵の抵抗も凄まじく、道中幾多の困難がありつつも、きらら達は遂にダチュラの下に辿り着く事を果たし、ダチュラの手から星彩石を取り戻す事にも成功する。だが、ダチュラが見せた雰囲気は、今までのリアリストは無かった悲しみを帯びていた……。

 星彩石を手に入れた神殿チームは、早速ダチュラの毒に侵された面々を救う為に神殿に持ち帰り、無事に処置を果たす事に成功する。だが、その矢先にエトワリアのあちらこちらでリアリスト達が仕向けた刺客に襲撃されていると言う情報が入り、緊迫の展開のままに7章は唐突に終わりを告げる。つまり、7章は、言ってしまえば「『七賢者VS真実の手』におけるほんの序曲に過ぎなかった」訳であり、今後の章で更なる壮絶な展開が待っているのだろう……。

 全体的に見れば、7章は「真実の手VS神殿チーム」という対立構造が全編にわたって意識されている事からも、リアリスト側もいよいよ本気で聖典及び神殿を潰しにかかっているのがハッキリと分かり、それ故に全編にわたって高い緊張感が漂っている。また、7章は全体的に見て物語の進行スピードが、今までと比べて多少なりとも速くなっている印象があり、これも「7章は劇的な展開が休む間も殆どなく続いている」という印象に花を添えていると考えている。因みに7章のシナリオの雰囲気そのものについてだが、7章は凄まじいまでの悲愴的で過激な展開こそ無いものの、全編を支配する高い緊張感や、7章で本格登場したダチュラが抱える悲しき境地を鑑みれば、7章も今までの章と変わらない重さが含まれていると言える。

 また、7章では6章と違ってメインシナリオ第2部の根幹にも関わる程に重要な要素が明らかになる側面は控えめになっているのだが、それ故に「7章では七賢者に狙いを定めたリアリスト達が本気で襲い掛かってきている事実」ダチュラが抱える悲しみの境地」がより印象に残りやすくなっている。また、7章中盤においてうつつちゃんが更なる境地へと歩みを進めている描写もあるのも見逃せない点であり、ここからはこのメインシナリオ第2部7章で重要だと思った事を中心に書き出していくが、まずはうつつちゃんとダチュラについて書き出したい。

7章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部の重要人物たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「名前と年齢と女子高生である事」以外は全て記憶を失くしてしまっている。その為、現時点でも彼女は一体何者かは分からず仕舞いな訳だが、7章においてリアリスト達も彼女の奥底知れない特性に戸惑いを隠せなかった辺り、彼女の全てを知る者は殆どいないのだろう。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に度々後ろ向きな発言をする事がしばしば見受けられるが、きらら達と冒険を重ねている事と、自分の事を心から理解してくれているメディアちゃんの存在や、出逢うクリエメイトの存在が、彼女を精神的に大きく成長させており、今でもネガティブキャラである事を自負しているとはいえ、フェンネルやアルシーヴからも一目置かれる程に立派な人物へと変化している。そして、7章では後述の通り、彼女の強い想いが彼女独自の強みを持つ事に繋がっている。

 物事を見つける際の視野の広さや、言葉選びの巧みなセンスが持ち味でもあり、7章においてはどちらも6章に比べると控えめとはなっているものの、高い緊張感が続く7章においても彼女が見せるその様な雰囲気によって多少なりとも緊張が解れるのは言うまでも無く、良い特性を発揮していると考えている。因みに彼女はその巧みな言葉選びに裏付けされた毒舌センスも度々感じさせているのだが、これも7章においては控えめになっている。尤も、彼女の毒舌は中々に切れ味が鋭い為、鳴りを潜めていた方が良い様な気もするのだが……。

 そんなうつつちゃんだが、7章においては数々の劇的な展開を迎える事になる。まずはアルシーヴとセサミが気付いていた「うつつは一定以上のネガティブ感情になると、本人の意思とは関係なくウツカイを召喚する」と言うものであり、この事実に彼女は思わず狼狽えてしまっていたが、アルシーヴは「それも(うつつ本人の事を知る上で)手掛かりになる」と付け加えた上で、ウツカイを召喚するからといって敵視する事はない(=うつつを変わらず信じ続ける)とうつつ本人に告げており、それ故にうつつちゃんとしてもその言葉に救われたものはあったと捉えている。

 次に「うつつちゃんにとってはかけがえのない存在でもあるメディアちゃんの励ましによって、彼女は新たな力に目覚めた」と言うものである。これは7章中盤において絶望的な状況下にも関わらず、自分には何もできない事に対して自己嫌悪に陥ってしまう中で、メディアちゃんに凄まじい勢いで励まされた事で自己嫌悪から脱し、改めて前を向く決断をした際に表れたものであり、その際にメディアちゃんとの絆を象徴する「2章におけるペンが光り輝いた」と言うのは、色々な意味で輝かしいの一言に尽きる。

 この様な事から、うつつちゃんは全体的に「7章においては、一度は闇に呑まれかけるものの、最終的には光を手にしていく存在」としての一面があると捉えており、彼女の変化は非常に輝かしいと言えるが、この事実はここから叙述していくダチュラ」が抱えている影との対比をより明確なものにしており、それは同時に運命の残酷ささえも示唆している。

ダチュラについて

 「真実の手」が1人であり、毒手の異名を持つ、リアリストが1人、ダチュラ。一人称は基本的に「ワタシ」であり、話し方が片言なのも彼女の特徴。その異名通り自分の手で毒を生産できると言う恐るべき特殊能力を持っているが、彼女はその能力故に自分ではどうする事も出来ない無情な現実にも立たされている。尚、毒の用途法は7章を見る限り様々存在する様だが、どうやら「強力になればなる程、準備の手間暇や生産性の効率低下が表れる様になる」という欠点がある様で、7章ではその弱点をカバーする為にダチュラ以外の真実の手の面々が協力して「毒で相手を弱らせ、スズランの夢幻魔法で悪夢を見せさせ、エニシダの歌声でどこまでも絶望に叩き落す」と言う陰湿且つ悪辣な手口を使っている。

 その能力故にリアリストの中でも実力はかなりのものとは言えるものの、当の本人は大の寂しがり屋で、スキンシップで得られる温もりを求めている一面がある。しかし、ダチュラが持つ能力は作中を見る限り「本人の意思で毒を体外に放散するかコントロール出来る」ものでは無く、「本人の意思とは関係なく、体外には常に毒を帯びている」ものである事が窺え、それ故に彼女には誰も触れる事が出来ないと言う。何故なら、ダチュラに触れようものなら毒によってそのまま命までも奪われてしまうからであり、リアリストの面々がダチュラの事を褒める事はあっても、ダチュラがどんなに雰囲気を醸し出していたとしても頑なにスキンシップに応じないのは、リアリストの面々もダチュラの毒に蝕まれてしまう事実が存在しているからだと見てとれ、それはエニシダが見せた反応が裏付けとなっている。

 この様な事情から、ダチュラ本当の意味で打ち解け合える仲間内がいない(即ち孤独)と言う状況に追い込まれており、それ故にリアリスト内でも孤独感を滲ませている。また、彼女は自身が立たされている境遇故に人と人の繋がりを激しく憎んでおり、故に人と人が密接に繋がっているのが狡いから世界を破壊したいと言う願望を強く滲ませているのも大きな特徴であり、その悲愴度はリアリストの中でも群を抜く。因みに特殊能力が原因でやり場のない怒りと悲しみを抱える事になってしまっているのは、ダチュラの他に「自身の歌声に呪いがかけられている」エニシダも該当するが、エニシダはまだ仲間を作ろうと思えば作れる余地は残されているのに対して、ダチュラ「毒故に触れる事さえできない」と言う特性上、仲間内を作る事すらままならないと言う境遇に立たされている為、ダチュラの方がエニシダと比べても遥かに悲愴的且つ無慈悲な運命を課せられていると言える。

 彼女はリアリストにおける「真実の手」の一員ではあるものの、悲愴的な命運を抱えている事や、他のリアリストとは明らかに違う境遇に立たされている事から、リアリストに対しては基本的に寛容的な態度を見せない*2きらら達も、7章で彼女と初めて直接対峙した際に彼女が見せた悲愴的な現実に思わず悲しみを覚えており、きらら達にとってもダチュラが抱える悲愴的な境地は痛々しいものであった事は明白である。その為、ダチュラはリアリストの中でも一線を画す存在だと言えるが、今後どうなるかは現時点では分からない……。

7章について思う事

ここからはいよいよこのメインシナリオ第2部7章で私が重要だと思った事、思わず心打たれた事を中心に書き出していきたいと思う。ここからも重い内容が含まれているので、注意して欲しい。

急進の展開と鬩ぎ合い

 まずは7章全体の印象について書き出したい。7章は大きく「七賢者VS真実の手」の構図が存在している為、序盤から波乱の展開が続き、それが終盤まで続く展開となっており、それ故に私としては終始その高い緊張感に呑まれながら、劇的な展開に痺れていくと言う構図が存在していた。ただ、私自身実際に7章を読み進めていく前は、正直この様なビジョンは見えておらず、それ故に驚きと戸惑いが隠せないままにどんどん進んだ印象があったのだが、元々私は今回の7章の様な展開を好みとしていた為、さほど支障は出なかった所存である。

 また、7章は劇的な事実や展開が立て続けに出てきたのも印象的であり、特に印象的だったのは「七賢者があっという間に『真実の手』の搦め手に嵌められる」・「きらら自身の絆がサンストーンによって一時的ながらに断ち切られる」・「紆余曲折を経て、うつつちゃんが更なる力を会得する」・「七賢者と『真実の手』がお互いに激しく削り合う」と言うものであり、とりわけきららちゃんの絆が断たれてしまった事と、うつつちゃんが新たな力を会得した事は衝撃的であり、正直展開が急進的すぎて良く分からなかったのも否めなかったが、この事実が今後のメインシナリオ第2部において多大なる影響をもたらす事はほぼ間違いないとみている。

 更に、7章において本格登場したダチュラの存在は、彼女が抱えている悲愴的な境地や命運を鑑みて、彼女はリアリストの中でも突出して悲しいものを抱えていると思うのと同時に、7章ではうつつちゃんが大きく光り輝いたものを手にしていたのを鑑みれば、うつつちゃんとダチュラ「7章における光と影の対比になっているのではないか」とも捉えている。尤も、これは完全に個人的な観点なのだが、7章ではきらら達が数々の危機がありつつも、協力して乗り越えて更に強いものを手にしている一方、リアリスト達は最初こそ優勢だったものの、徐々に劣勢を強いられて最終的には一時撤退を余儀なくされている事からも、何かしらの対比構造があるのは明確である為、今回この様な仮説を立てた訳である。

 この様な事から、私の中で7章は前回の6章と比べてコンパクトにまとめているとはいえ、今回も「終始激震走る目まぐるしい展開」と「新たな境地に達する者と(最終的に一時撤退しているとはいえ)追い込まれた者」を始めとして心打つ展開が多い印象があり、それ故にこの7章もメインシナリオ第2部に相応しいものが多く詰め込まれていると認識している。また、7章では神殿側、リアリスト側共にやたら気になる台詞が多かったのも見逃せないポイントであり、色々な意味で今後の章において表れるのが楽しみでもある。

輝きたる新境地

 7章を読み進めた上で私が感じた若しくは考えた事を叙述していくにあたって、7章で今まででも指折りの凄まじい成長と意気込みを見せた住良木うつつちゃんの事を省くわけにはいかないだろう。彼女は7章において、敵の策略によって自分が無力である事を自ら責める様な状況に追い込まれ、元来のネガティブ思考も相まって半ば自暴自棄気味の思考に陥ってしまった際、自分にとってかけがえのない存在でもあるメディアちゃんによって励まされた事と、その励ましによって、きらら達と一緒に旅をしていく中で育まれてきた強い意思を取り戻し、絶望的な状況を打開しようとしてありったけの想いを解放した所、その想いに呼応するかの様に、うつつちゃんがメディアちゃんと初めて出逢った2章で登場したあの時のペンが光り輝き、うつつちゃんは新たなる力を手にしているのだが、その時の流れが凄まじいまでに印象に残るものであり、後になって振り返ってみれば「あの時うつつちゃんは遂に自分の強い意思を具現化たるものにした」と思える様になった。それ位、あの時のうつつちゃんは凄かったのである。

 個人的にはうつつちゃんがこの様な力を手にした事実は、うつつちゃん自身が人を思い遣る事の出来る優しい心の持ち主である事、大切な人の為に自分が力になりたいと考えていた事、リアリストとはやはり共感できないと考えている事の3つが明確になったと捉えており、それは同時に自分に自信が無い一面が目立つうつつちゃんにとって確固たる信念の指標ともなり得るだけでなく、未だに彼女の素性が本人も含めて分からない中で、うつつちゃんはリアリストとは一線を画す信念を持つ事の証明にもなり得る。勿論、本当の所は明らかになってみないと分からないのは当然だが、それでも彼女にとって相当な心の救いとなっているのは間違いないと思われる。

 また、うつつちゃんは7章において確固たる想いを築き上げるまでに凄まじいまでの気持ちの乱高下を見せつけていた事から、私はそれをして「一度は闇に呑み込まれかけたうつつちゃんだが、メディアちゃんの励ましや自分が持つ強い意思の再認識もあって、闇を脱し確固たる光の輝きを会得した」と過程付けており、ここから私はうつつちゃんの事を「7章において光を手にした人物」という位置付けにしている。ただ、彼女は元来ネガティブ思考の持ち主であるが、ここで重要なのは「元々ネガティブな傾向が強かった彼女が、自らの想いと自らを大切に想う友達の想いをもってして、光り輝くものを手にしている事」である為、今回の事例はより一層意味のある事だと捉えている。

 ところで光があるならその対比の存在たる影(闇)があるのも当然の摂理だが、7章においては光り輝くものをうつつちゃんが担っていたのに対して、暗く闇を滲ませるものを感じさせていたのは、下記において詳しく書き出している「リアリストもといダチュラが抱える悲愴的な境地」であり、しかもその闇はまるで7章におけるうつつちゃんが手にした光に対比するものだと思う程に、どこまでも無慈悲で冷酷だったのである……。

心の甘さと非情な運命

 ここからは上記の項目で(詳しくは後述する)と書いた、エニシダがきらら達を称するうえで「彼女達は甘い」と言い放った事と、ダチュラが抱えている悲愴的な境地について思う事を書き出していきたいと思う。ここから非常に重い内容が含まれているので、特に注意して欲しい。

 

 まずはエニシダが仲間内に対して言い放った「彼女達(きらら達の事)は甘い」と言うものである。これはダチュラの毒を治す為の星彩石をダチュラの手によって奪われ、それをきらら達が取り返しに来るのを迎え撃つ際の作戦会議の中で言及されたもので、実の所言葉自体はそれ程スポットライトが当てられていた訳では無かったのだが、私としては「それは一体どういう意味だ?」と気になってやまなかった。尤も、エニシダが元来傲慢且つ高飛車な人なのは6章時点で既に分かっていた事であり、故にこの様な事を発するのはある意味既定範囲ではあった為、別に怒っている訳では無く、ただ単純に「きらら達の事を『甘い』と称する理由は何なのか?それを明らかにしなければ」と思い立っただけなのだが、何れにしてもエニシダがきらら達の事を軽く見ているのは事実である為、私なりに少し解き明かしてみたいと思った所存である。

 何れの場合にしても、ここで気になるのは「抑々きらら達がどの様な意味で甘いのか」という事である。これに関しては抽象的な題目故に断定する事は難しいのだが、恐らく「きらら達が世の中の厳しさを良く分かっていない」と言う意味で言い放った側面があると捉えている。リアリストとりわけ「真実の手」の面々は、その自暴自棄且つ破滅的な思想が先行しがちとは言え、元々は「現実の非情さや聖典の無力さに絶望して、聖典の破壊を望む様になった」「抑々聖典を理解できない様な環境下にいた中で、聖典ありきの世界は現実の厳しさから目を背けていると思う様になった」と言った過去を持つ者が殆どであり、それは曲がりなりにも「現実の厳しさ」はその身をもって解らせられている事を意味する。但し、解らせられているとは言っても、真実の手の面々の言動や行動を見る限り、彼女達の思想にはかなりの曲解及び思い込みが入っているのは否めず、それ故に「本当の意味で彼女達は現実を分かっている訳では無い。」と思う面はあるのも事実だが、何れにしてもリアリスト達がきらら達と比べて「現実の厳しさそのもの」を知っているのもまた事実である為、エニシダがきらら達を見下す発言をしたのも、歪んでいながらも確かな根拠があってこそとは言えよう。

 ここで整理すると、エニシダがきらら達を軽視する様な発言をした事に対して私としてはエニシダを含めたリアリスト達は良くも悪くも現実の厳しさを知らされるような経験をしてきているが、その様な経験をしていないきらら達は、私達リアリストと比べて考え方が甘いと見縊(みくび)っていたから」という推察をしている訳であり、エニシダがその様な発言をしたのは「彼女が傲慢且つ高飛車な一面があるから」と見ている訳だが、ここできらら達はエニシダが思っている程甘い人達では断じてない事だけでは言っておきたい。無論、きらら達にも甘さがあるのは事実であり、7章においてもその甘さが原因で危うい状況に陥ってしまった事も何度かあったのだが、それでもきらら達は数々の旅の中で培ってきた多くの経験があり、また多くの人々との確かな繋がりを持っている。更に言えば、きらら達もリアリスト達が抱えている様な悲惨な現実から目を背ける様な人達では無く、厳しい現実にも目を向けられるだけの覚悟と度胸を持ち合わせていると思わせるものは必ずあると考えている上、何よりきらら達も「何でもかんでも無批判に受け止める様な人達では無く、ここぞと言う時にダメなものはダメだとハッキリ言えるだけの器量はある」とも感じている。

 この事から、私としては「きららちゃん達は、エニシダひいてはリアリストが思っている程甘い人達ではない。」と言う意見を持っており、幾ら私がエニシダもといリアリスト達が抱えている事情に対しても理解を示そうと意識しているとしても、きらら達にもエニシダが言う様に甘さがあるのは疑いない事実だとしても、やっぱり私としては「きららちゃん達がどこまでも甘い人達だと思いたくないし、実際リアリストが思う程甘い人達では断じてない。」と思ってやまない訳であり、そこには強い信念が確かに存在しているし、もっと言うなら、きらら達を殊更に見下したエニシダひいてはリアリストにしても、その壮絶な人生経験故に人間的に大きく成長する可能性を秘めておきながら、頭ごなしに聖典は破壊しなければならないもの」だと思い込んでいる時点できらら達を見下す資格はないと思っている。結局のところ、何かにつけて殊更に人を見下そうとする事を、私としてはどうであっても看過できないのである。

 

 次はダチュラが抱えている悲愴的な境地についてである。これは「自身の特殊能力故に誰も彼女に触れる事が出来ず、寂しがり屋な彼女にとって、どこに行っても何をしても埋める事の出来ない寂しさを抱え続けている」と言うものであり、ここから私自身ダチュラに対して「彼女はリアリストと言う仲間内に対しても、ヒナゲシ同様本当の意味で自分の居場所は見つけられていない可能性が高い事」「彼女もまた、エニシダ同様自身の特殊能力によって苦しめられている側面がある事」の2つを思い浮かべているが、この様な考えに至ったのはある程度冷静になって考えられる様になってからで、初見ではその悲愴的な境地に思いを馳せながら、その痛みを嚙み締めるので手一杯だった事は先に言っておく。

 話を戻して、ダチュラに対して上記2つの様な事を思い浮かべた事を詳しく説明したい。まず一つ目の「リアリスト内でも彼女は本当の意味で自分の居場所を見つけられていない」と言うのは、彼女はその特殊能力故に「真実の手」でも実力は確かなのにも関わらず、「真実の手」の中でもどこか孤独じみた雰囲気を醸し出しているのが見受けられ、故に同じ志を持つ仲間と共にいながら、その心の溝が全く埋まっていない様に見えた事から考えたものである。ただ、彼女には「毒」があるが故に誰にも触れる事が出来ないと言う事情を抱えている為、物理的な観点で捉えるなら致し方ない側面もあり、実際に彼女が寂しさを抱いているのには「誰も私の事を物理的に抱きしめる事は、私自身が『毒を持つ』が故に不可能だから」と言う理由がある。

 しかしながら、私が本当に気になったのは、ダチュラは物理的な観点だけでなく、精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出していた様に感じられた事である。幾ら彼女が毒を生み出す特殊能力を持つが故に物理的な接触は不可能だとしても、物理的な接触を伴わない(=毒の影響を受けない)精神的な観点から心を通わせたり、心の距離を近付けたりする事(早い話が対談による心の通わせ合い)は可能な筈だからであり、実際にダチュラは片言混じりの話し方とは言え、仲間内では会話を交わす場面も普通に見受けられている為、ダチュラも精神的な観点から心を通わせたり、極端な事を言えば自身が抱える寂しがりな面を紛らわす事だって可能な筈である。その事から、身体的な意味での孤独を醸し出すのはある意味必然だとしても、精神的な意味でも孤独な雰囲気を醸し出していたのが妙に気になって仕方なかったのである。

 このダチュラが精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出している」に対する私の考えは2つあり、1つ目は「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がいない上、その心情を理解しようとしてくれている人も殆どいないから」と言うもの、2つ目はダチュラは精神的な観点からと言うより、身体的な観点における人の温もりに意味を感じている可能性が考えられるから」と言うものであり、これだけならどちらにしろ「私は重い事実を頭の中で思い描いている」となるが、この様な考えを抱いたのにはきちんとした理由がある。

 まず1つ目の「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がおらず、その心情を理解しようとしている人も殆どいないから」と言うのは、これまでリアリストの面々が嫌という程見せ付けてきた「同じ志を持つ仲間に対しても慈愛が殆ど無く、何かに理由を付けては容赦なく攻撃する上、その事に対して反省や後悔する様子も殆どない」(ロベリア、リコリスが顕著)・「仲間の心情や気持ちさえまともに推し量る事をせず、自分の思い込みで人の心情や気持ち、そして物事の因果関係を勝手に決め付ける」スイセンリコリスが顕著だが、「真実の手」の大半はこの傾向にある)・「同じ志を持つ者が集まっているのにも関わらず、自分の存在意義を明確にできていない」ヒナゲシダチュラが顕著)と言うのが主な根拠となった考えであり、これらに対しては私自身「そう簡単に許せる筈もない」と言う怒りの思いも正直あるが、一方で彼女達はその壮絶な経緯から「他人の心情を知る事に意味を見出せなくなったケースも多い」と考えられる事から、私としても結局の所「嗚呼、この無情な運命をどの様にして捉えるべきなのか……。」となってしまうのだが、何れにしてもダチュラは明らかに仲間内に対してもどこか疎外感を醸し出しており、その理由として「精神的な意味での理解者が仲間内にいないから」と言う可能性が高く考えられる為、この理由を採用したのである。

 但し、何度も言う様にダチュラ「誰にも触れる事が出来ない存在」であり、それ故にリアリストの面々にしてもどうやっても越えられない壁が存在しているのも事実である為、リアリストの面々にも致し方ない事情が存在している事はきちんと考慮しなければならない事も忘れてはいけない。無論、リアリストの面々としてもダチュラの事を良く知ろうとしていない様に見える思想を醸し出している事自体は決して褒められはしないが、抑々ダチュラを含めてリアリストの面々が「絆や聖典を破壊しようと望んでいる事」を思えば、ある意味「こうなる事も覚悟しなければならない事」でもある為、何とも言い難い話ではあるが、何れにしてもダチュラにとって現状が決して良いものでは無い事は明らかである。

 そして、2つ目の「ダチュラは精神的観点よりも身体的な観点における人の温もりにこそ意味を感じている可能性があるから」と言うものは、もしこれが本当なら彼女が本当の意味での温もりを感じられる事は、自身が抱える特殊能力故に皆無に等しいと言えてしまう程に残酷なもので、私としてもダチュラの希望を為す術なく削っていく様な、正に己が持つ悪魔的な考え方を積極的に想像する事に思わず躊躇いを感じる程である。その為、私としてもこの様な考えを展開していく事は、最初は平気でも段々と己の心から人間味溢れる感性がなくなっていき、それを埋める様に悪魔的な思想が徐々に心を染め上げられていく危険性があることからも推奨できないのだが、四の五の言ったところでダチュラの真意を知りたければ、この様な残忍且つ冷血な思想すらも展開できるだけの勇気を持つほか道はないのも事実であり、相当なジレンマがそこには存在している訳である。

 また、私自身2つ目の考えに関しては正直確証がそこまで無く、言っても曖昧な感覚が存在しているのが否めず、これは抑々論としてダチュラ「精神的な観点から寂しさを覚えているのか、身体的な観点から寂しさを覚えているのかすら良く分からないから」なのだが、それでも7章における彼女の言動を見る限りは「身体的な観点」である可能性が高く、如何なる場合であっても「そこに深き闇が存在しているのは事実」だろうが……。

 この様にダチュラに対しては私自身リアリストの面々の中でもかなり複雑な感情を抱いており、温情にも非情にもなり切れないもどかしく、ある意味人間らしい想いがそこには存在しているが、これはダチュラサンストーンの様に目的の為なら手段を選ばず、対峙する存在を無慈悲にいたぶる事さえ厭いがない冷酷な一面を持ちながら、リコリスエニシダの様に底知れぬ感情にものを言わせる様な感傷的な想いも強く持っている為であり、この「冷酷さと感傷さの混在」が私の心を際限なく突き動かすのである。尤も、突き動かされている感情があまりにも複雑な為、最早自分でも一体どうしたいのかさえ分からない面もあるが、ただひとつ分かる事は「私はリアリストに対しても凄まじい想いを持っている事」であり、これがリアリストを「単なる敵対組織」と捉えられなくなり、あらゆる一面や思想を模索する様になった私の答えでもあるが、その成れの果てはいかに……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部7章で私が考えた事である。7章は6章、5章と比べると精神を抉るまでにストレート且つ壮絶な展開や、じわじわと痛みが襲い掛かってくる展開は幾分マイルドになっている一方、7章には6章終盤で明かされた衝撃的な展開から地続きとも言える高い緊張感が7章全編にわたって存在している事や、リアリストの「真実の手」が「七賢者」を相手に直接嗾けた事、7章で本格登場したダチュラが持つ壮絶な命運等々、今までの章と比べて「激動の展開が終始続く」と言う意味では5章、6章を上回っている。また、7章はうつつちゃんが「新たな力を会得した」と言う意味で大きな一線を越えた事でも重要であり、総じて7章は「新たなる局面の幕開け」という印象が強くある。

 その様な事から、7章は今までの章と比べて心の負担は、読み進めている最中は少なめであり、高い緊張感を裏付けされた重厚なシナリオ構成にのめり込む様に読み進めており、全てクリアした際には「あれ、もう終わってしまったの?」と、それだけシナリオに入り込んでいた事を証左する様な事を思った程である。ただ、太字で「読み進めている最中は」と書いているからも分かる通り、7章は深く考えれば考える程に心の負担が途端に増大する感覚を覚えており、決して甘くはなかった事実を見せ付けられている。やはりメインシナリオ第2部は「いかなる時でもシリアスで壮絶なテイストからは逃れられない」と言う訳だが、読み進めている最中は本当に心の負担が(5章、6章と比べて)少なめと考えていたのは事実である。尤も、その見立てはいささか甘かったのは言うまでも無かったが……。

 また、私自身7章は所謂「対比関係」がメインシナリオ第2部の中でも色濃く表れているとも見ており、私が特に意識しているのは「多くの経験や出逢いを経て、新たなる力と自分に目覚めたうつつちゃん」と、「壮絶な命運と悲劇的な過去を持ち、7章において更に救いのない境地へと追い込まれるダチュラもといリアリスト」と言う構図であり、言わずもがな前者が光、後者が影を表している。私は元来あらゆる物事に対して「光があるから影があり、影があるから光がある」と言う所謂「表裏一体」を意識した考えを展開する傾向にあり、今回それが前面に出た格好な訳だが、7章はそれだけ両者の違いがハッキリと表れたからでもある。

 そして、7章において本格登場したダチュラに対しては、リアリストの中でも特異的な境遇に置かれている事、自分にはどうする事もできない悲愴的な運命を抱えている事から、ダチュラに対して私自身例にも漏れず「単にきらら達神殿側と敵対する人物」とは思えず、凄まじい想いを馳せたものである。メインシナリオ第2部も7章ともなると、リアリスト側の思想もかなり分かってくるものなのだが、どうもリアリストの面々に対して複雑な想いを抱え続ける傾向は一向に変わらない為、最早これが私の宿命かも知れない……。

 最後に、この7章は今までになく劇的な展開と終始高い緊張感が支配するシナリオ構成に、多くの人々が迎える事になる新境地が光る構成は非常に心打つものであり、メインシナリオ第2部らしくのめり込む様に読み進められた事は改めて書き出しておきたい。そして、その衝撃的な終わり方故に今後の章からますます目が離せなくなった事をもって、今後の章を待つ事としたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙39枚分であり、前回の6章に比べるとかなりコンパクトになった訳だが、その想いの強さは健在であり、今までの章と比べても決して見劣りしない。と言うより、前回はあまりにも膨大になり過ぎた為、今回程のまとめ方が丁度良い気もするのも事実である。

*1:世界とは「エトワリア」の事であり、欺瞞とは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。ただし、それは「リアリストからすれば」という事を忘れてはいけない。

*2:ただ、7章においてエニシダはきらら達の事を「彼女達は甘い」と称しているが、この事は後述。

きらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。4月と言えば新生活の始まりと言う訳ですが、私自身は環境こそそこまで大きく変化していないものの、色々とやらなければならない事が増えた為に中々ゆっくりと時間が取れないなぁと思う事があります。ただ、暇なよりかは何かしていた方がなんだかんだ言っても楽しいと考えている様な人なので、結局の所は幸福に満ちているとは思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は青山ブルーマウンテンこと青山翠(みどり)さんが中心となる回ですが、その青山さんの周りに起こった出来事の衝撃度が半端なものでは無く、その威力たるやごちうさの物語の中でも屈指の美しさと衝撃さ、そしてどことない儚さを誇っていたのは疑いないと思う程で、故に今月号は圧倒的な描写に思わず良く分からなくなってしまった回でもありましたが、それでも素直な想いは確実に存在していたと思うので、今回もその素直な想いを率直に書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は重い内容も含まれているので、その点もご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は青山さんが中心となる回であり、それ故に今月号は全体的に「大人ならではの視点や経験」と言うのが多分に意識されており、この時点でも普段と異なった雰囲気だと言えるのだが、それ以上に今月号は「目を見張るまでに美しく圧倒的な光景」「避けられない命運が確実に迫っている事」「青山さんが普段明かす事のない心境が明かされた事」等、正に特異的と呼ぶに相応しい描写が盛り沢山であり、それは一見しただけでもその圧倒的な描写に思わず言葉を失ってしまうとすら言える程である。

 また、今回は扉絵に対しても特異的な感情を抱いており、全体的な雰囲気としては所謂銀河鉄道を思わせるものの中に、智乃ちゃんと青山さんが描かれていると言うものなのだが、今月号はその銀河鉄道」が重要なキーポイントとなっており、しかも現れた理由がかなり凄まじいものである為、今月号の内容を知らずして見るのと、今月号の内容を知ってから見るのとでは、その扉絵を見た際に抱く感情や想いがまるで変化すると確信した。何と言うか、私自身これまでもこの様な芸術的表現に思わず心惹かれた経験は幾度となくあるのだが、今回の扉絵も今月号の真意を知った後に見た際にはこれとほぼ同等の感触を抱いており、「やはりごちうさは凄まじかった」と言う想いを再認識するには余りにも十分過ぎるものだったし、同時に「私の中においては、ごちうさが日常系の見方を教えてくれた作品である事がどれ程幸せな事なのか」にも想いを馳せている。

 この様な事から、今月号のごちうさに対しては私自身相当な想いを抱いており、その想いの強さは最近のごちうさの中でも随一である。尤も、想いが強過ぎるあまりに取っ掛かりを掴むのが難しいと言う無視できない問題が生じるのも事実なので、一概に喜んでばかりもいられない訳でもあるが、今月号に関しては私の中でそれらの諸問題を無視できる程の強さがあるのであまり関係はない。しかしながら、それならば態々ここで言及する必要性も薄い訳だが、私には想いのコントロールをめぐってはかなり苦い経験があるので、自戒も込めて書き出した所存である。

2.購読した感想・考察

青山さんの物語

 今月号では何がどうなっても青山さんの存在は絶対に外す事は出来ないのは最早当然だろう。今月号は彼女が魅せてくれる様々な心境や胸の内に秘めし想い、そして彼女が持つ決して小さくないが、他の人には中々言い出せない悩みが合わさる事で凄まじい世界観が築き上げられており、その世界観は最早至高の領域に達していると思う程である。また、その世界観には度々彼女が抱える寂しさや引け目、そして絶対的な運命を悟っている節がそこはかとなく表れており、これには「大人ならではの悩み」が含まれていると捉えているが、それは同時に「普段の青山さんなら決して見せない弱さが存在している事の裏返し」でもある為、中々に考えさせられるものがあるとも認識している。

 その様な事から、今月号で魅せつけてくれた青山さんの世界観は、控えめに言っても普段のごちうさとは一線を画している特異的なものであり、その特異さはかの10巻終盤から11巻序盤にかけて表れていた世界観と同等若しくはそれすらも上回る程だと思われるが、今回は全体的に神々しいと思うまでに輝かしい展開や描写と、その輝かしさの裏返しとも言える暗さを感じさせる展開や逃れられない宿命を意識させられる描写そのどちらも多く存在しているのが特徴的でもあり、それ故に真面目に分類しようとすると何処までも混沌とした世界に連れていかれる危険性はあるものの、全体的に見れば「小説家の青山さんが見た美しき世界に果てしなく魅了される」のは疑いなく、前半はそんな青山さんが魅せた世界観について書き出していきたいと思う。

過去の記憶と変遷大きな現状

 今月号は冒頭からしていきなり学生時代の青山さんが、小説家としてのペンネームの案をマスターに依頼するシーンから始まる為、今月号も10巻終盤及び11巻序盤の話にあった様な「夢と現実による複合構成」である事は明白だが、今回は「夢」よりも重要な要素が登場する為、その趣旨はかなり異なっている。因みにここでのマスターは智乃ちゃんにとっての祖父を指し、このシーンではペンネームをマスターに付けて欲しいとせがむ青山さんに対して中々に粋な言葉を送っており、私としては以前から抱いていた想いも相まって「智乃ちゃんの祖父は結構粋な人で、人としても凄くかっこいい人だったんだな」と言う想いを馳せた。

 ただ、その様な夢を見ていた青山さんの現状は決して軽く済まされる様なものでも無く、結論から言えば大事には至らなかったとは言え、小説のスランプからの寝不足が祟ってラビットハウスで原稿の仕事*1をしていた際に倒れてしまったと言う状態であり、結果的に周りの人達(特に凜ちゃん)を心配させる状況を作ってしまっている。無論、これに関しては「青山さんが大事に至らなかった事が何よりも僥倖(ぎょうこう)だったのは明白」である為、私としても安堵に尽きた訳だが、同時に私も人の事は全然言えない身であるとは言え、青山さんには自分の身体も十分に労わって欲しいとも思った。理由は言わずもがな「倒れてしまう」と言う下手をすれば取り返しのつかない大事にも繋がりかねない事象を二度と起こして欲しくないからであり、私とて青山さんが倒れてしまうなんて言う事態は出来る事なら見たくないのである。

 そんな青山さんだが、今月号においては多少疲れが出た位でそれ以外は全くもって支障はなく、それ故に智乃ちゃんから「念のために」とラビットハウスに泊まる事になったとはいえ、本人は至って何時ものと変わらない調子を見せており、心からホッとする様になっている。また、ここから今月号の核心とも言える「幻想的な体験」が登場しているのもポイントであり、それは青山さんがお見舞いの品として、自身が行き詰まっていた題目たる「怪奇短編」に活かせるものである「皆様の幻想的な体験談」を注文した事から始まっている。何とも無茶な質問だが、今までごちうさを読み続けている人なら、彼女達が既に「その身で実際に経験した事すら思わず疑ってしまう程に摩訶不思議な体験」をしているのは直ぐに分かる事であり、事実今月号においても麻耶ちゃん、恵ちゃん、心愛ちゃんの3人がそれぞれ経験した「幻想的な体験」を難なく語っており、ごちうさが持つ摩訶不思議な世界観の一端を担っていると言える。尚、ここでは千夜ちゃんも登場しているのだが、彼女は青山さんに対して「幻想的な体験を聞かせて欲しい」とまさかの逆質問かましており、これ自体は千夜ちゃんらしいと言えばそれまでだが、これを4コマ漫画の構成的な視点としてみると、「千夜ちゃんは4人目として登場している⇒4コマ目つまり『オチ』の役目を担っている」と推察すれば合点がいく辺り、ここでもごちうさの恐るべき強みが隠れていると思う。

 また、ここでは学生組が自身が体験した「幻想的な体験」について語る一方で、大人たる凜ちゃんが深き意味を持つ言葉を発したのも重要だと考えている。ただ、その言葉は「大人になるにつれて想像力が育み辛くなる事で、昔なら気付けたものにも気付かなくなってしまった物が多くある事の儚さ」をストレートに表したものである為、私としてはそれをして「凜ちゃんが抱える心の寂しさを体現している」と思うのと同時に、それ故に「青山さんの事が小説家としても、人としても大好き」なのだと思った。何と言うのか、この事実は「大人としての知識や経験が豊かになればなる程、多くの現実が分かる様になる反面、知識や経験が豊かになった事で逆に見えなくなったものも確実に多く存在している」のを意味していると思うのだが、何れにしてもここで見せた凜ちゃんの心境は、大人になった事の矜持を指し示すものとしても捉えており、そこには凜ちゃんが持つ「大人としての諦観」「諦観故の歓び」が色濃く表れていると思う。

 ただ、凜ちゃんからは「今の私では見えなくなってしまったものを見せてくれる」と言った趣旨の言葉さえも賜った程の青山さんの書く小説だが、当の青山さん自身は凜ちゃんには絶対言えない様な後ろめたさを抱えており、しかもそれが凜ちゃん以上にえげつないインパクトがある点も無視できない。また、自身が抱えている後ろめたさに思いを馳せていた時の青山さんの表情と、青山さんが描く小説に対して誰よりも無垢な喜びを表していた凜ちゃんの表情を照らし合わせてみると、掴み所が無く子供っぽい感性を多分に持っている青山さんとて、どう足掻いても本質は凜ちゃんと同じ「大人」なのだと否が応でも思わせられるのもポイントであり、それ故に「大人である事で超えられない壁が存在している」と言う厳しい現実が見え隠れしていると言えるが、その様な一面はそれまでの青山さんが見せてきた事は殆ど無かった為、私としてもかなりインパクトのある内容であり、同時に「青山さんも多くの葛藤を抱えていたのか……。」と言う想いを馳せてもいた。

小説家としての悩みと一抹の不安

 ここからは青山さんが抱える小説家としての悩みの側面や、智乃ちゃんが明かした不安に思う事について書き出していきたい。先程の項目でも結構叙述しているのだが、青山さんは周りの友達や昔からの親友には中々言い出せない様な悩みを抱えている様子が今月号ではかなり見受けられており、しかもそれが中々にインパクトのある内容だった為、今回ここで事細やかに書き出そうと思い立った所存である。

 早速ではあるが、まずは青山さんが抱えている悩みについて書き出したい。青山さんは前述のような経緯からラビットハウスに泊まる事になっていたのだが、その際に心愛ちゃん達から聞いた「幻想的な体験談」が彼女のやる気に火を点ける事になり、そこから夜な夜なティッピーの制止を振り切って小説を嬉々としながら書き出そうとしているのだが、その際にふと漏らした本音がえげつなかったのである。何故なら「小説家としての私の発想は、何時も心愛ちゃん達からのアイデアに助けられているだけで、自分自身の経験に基づいた発想が殆ど無い」と言うものだったからであり、これには思わず言葉を失くす他なかった。因みにここでは「本物の不思議な体験に自分自身が巡り逢えない事に対する憂い」として青山さんの悩みがブラッシュアップされている為、今回の定義も「『幻想的な体験談』を元手にした小説を私自身の経験では生み出せない」と言う可能性も十分に考えられるが、後述する様な青山さん執筆の小説の特性や共通点を鑑みれば、恐らく「青山さん自ら執筆している小説全般」の事を指していると考えられる。

 思えば青山さんの小説と言えば、私が思い付くだけでも「うさぎになったバリスタ」や「怪盗ラパン」、それに「Seven Rabbits Sins(ナナラビ)」があり、他にも数多くのヒット小説を生み出している訳だが、私が思い付いた3つの小説には一つの共通点があり、そしてその共通点こそ彼女の悩みを解くキーポイントになっていた。そのキーポイントとは「全て青山さんが出逢った人達をモデルした小説」という事であり、言うならば「青山さんから見た光景を小説に落とし込んだ」訳である。そして、これが意味する事は「彼女だけの発想では数々のヒット小説は生み出せなかった可能性が高かった」という事であり、これが彼女が抱える「私には自分自身の経験に基づく発想が殆ど無い」と言う悩みもとい後ろめたさに繋がっていると考えている。因みにこの様な「自分自身を拠り所にした発想や思想の有無」と言うのは、私としても青山さんとは別分野ながらも悩んでいる事実そのものは多少なりともあり、もっと言うならこの手の悩みは人間なら誰しも少なからず抱えている可能性がある悩みでもあると思う。

 しかしながら、小説に限った話ではないが、この手の創作は「題目(テーマ)」が周りから与えられたからと言って、優れたものを生み出す為にはそれなりの技量が必要になってくるのは当然であり、それ故に「題目」が決まっていても誰しも簡単にできる様な事では無いのは当然の摂理である。その為、これまで数々のヒット作を生み出し、多くの人の心を掴んできた経緯を持つ青山さんは、私からしてみれば誰が何と言おうと十分な素質と腕を持った小説家なのであり、故に「嗚呼、そこまで自分の事を悲観に思わないで欲しい……。」とも思いもした。無論、青山さんの気持ちも大いに分かるのだが、私としては「悲観に暮れるより、少しでも前を向ける様な考えを持つ方が良い」と言う思想を強く意識している為、やはり青山さんには悲観に暮れる様な考えに嵌って欲しくないのである。

 話を戻して、ここまで悲観に暮れる様な一面をも見せていた青山さんだが、ここから「幻想的な体験」をその身で体感する事になり、己の中で再び自信を取り戻す事にも繋がっていく。その為、ここから更に重要な要素が飛び出してくる訳だが、そんな青山さんの「幻想的な体験」を書き出す前にココチノの2人が見せたお話の内容について書き出しておきたい。ココチノの2人のお話は、全体を俯瞰してみると「青山さんの心境変化における境界の位置」に存在していながら、その内容は今月号の根幹にも繋がってくる程に重要なものであり、絶対に外す事は出来ない訳である。

 肝心の内容についてだが、端的に言えば「智乃ちゃんは最近夜中に一瞬ながら光り輝く時があるのを知り、しかもそれが日に日に近付いている事から、『もしかしたら……』と言う不安に駆られている」と言うものであり、これだけでも智乃ちゃんが何やら不穏な予感を感じ取っているのは否が応でも分かる訳だが、この後に描写される今月号の流れを見ると、智乃ちゃんが不安に思っている事は「智乃ちゃんの祖父の『お迎えの時』が差し迫っているのでは……」と言う事なのは間違いなく、故にここで彼女が不安に思っているのは「おじいちゃんが完全にいなくなってしまった後でも、私は本当に自分が進むべき道を歩いていけるのか」という事だと分かる訳だが、この事実は「智乃ちゃんとしては、今でもおじいちゃんが完全にいなくなってしまうのが不安で仕方ない事」を意味しており、心に重く圧し掛かるものがあるのは最早言うまでもない。

 その様な事から、客観的に見て「現状の智乃ちゃんはおじいちゃんを必要としている」のは明白だと言えるが、抑々論としておじいちゃんが現世に留まり続けているのは、ひとえに「孫である智乃ちゃんがある程度成長するまで見守っていかなければ」と言う強い想いがあった故であり、それは青山さんのキャラソン「うさぎになったバリスタ」の歌詞を読み解けば見えてくる。そして、これが意味するのは「智乃ちゃんがある程度成長すれば、おじいちゃんは完全に『お迎え』の時を迎える」と言うものであり、この事から今月号の一連の描写は「智乃ちゃんは確実に成長しているのを表している」とも考えており、もっと言うなら今月号で智乃ちゃんが明かした不安は、智乃ちゃんにとって「この先も成長し続けていく為には必ず向き合わなければならない事」だとも考えている。

 ただ、智乃ちゃんが今まで経験してきた事を鑑みれば、彼女が強い不安に駆られる事を痛い程理解できるのもある意味当然の理であり、それ故に仮にも智乃ちゃんがイチ推しである私としてはどうあるべきなのか、自分が取っている立場が本当に良いのかと未だ悩む事も多いのだが、一読者である私としては「どんな時でも智乃ちゃんの選択を出来る限り尊重する」のは当然だし、ともすれば私が取るべき選択と言うのは既に決まっているのだろうし、恐らくは私自身も分かっているとは思うが、それでも迷いが完全になくなる事はない。人の心境を詳しく深掘りすると言うのはそういう事である。

幻想的な光景と青山さんが気付いたもの

 ここからも青山さん主軸の構成である事には変わりないものの、ここからは今月号の中でも絶大な威力を誇る「青山さんが見た幻想的な光景」や、物語全体のキーポイントでもある「ラビットハウスの『秘密』に対して何かに気付いた青山さん」について書き出していきたい。

幻想に対する想いと青山さんが持ちし想い

 ここまで智乃ちゃんが抱えている不安について書き出してきたが、ここからは遂に青山さんが誘(いざな)われた「幻想的な世界観」について書き出していきたい。これは青山さんが夜空に光る星々を眺めていた際に、ティッピーが突如ラビットハウスの屋上に出た事で始まる体験談であり、そこで青山さんが見たのは正に「幻想的」と呼ぶに相応しい光景なのだが、その光景は所謂銀河鉄道を思わせる様な幻想的な雰囲気で、それは正に「芸術」と呼ぶに相応しく、その場面で描かれた数々の事実も相まって、この場面を読んだ際には最早言葉にもならない程の衝撃が走り、あらゆる感情が手玉に取られる感覚すら覚える程である。因みにこの様な感覚は、私はクラシック音楽に対して覚える事が割と頻繁にある感情であり、こちらもやはり「言葉にすらできない程の衝撃に対して、最早音色に身を任せる様な感覚を覚える」と言った感じであるが、私が特に好きとするクラシック音楽「感情が激しく揺り動かされる曲調」*2である為、時に「心すらも乗っ取られてしまう程の恐怖と感銘を覚える」事もしばしばである。何故「感銘と恐怖」両方の感情が存在するのかと言えば、私自身も正直良く分かっていないのだが、恐らく「際限なくどこまでも見入ってしまう程に美しい世界観に対して、『どこまでもその美しさに見入っていたい(=何もかも奪われてしまいたい)と思う自分』『心すらも奪われてしまうと感じる美しさが少しばかり怖いと思う自分』の両方がいるから」だと思われ、ある意味「心酔と理性の狭間に立たされる程、その芸術が持つ魅力に心惹かれている事の証明」にもなっていると思う。要するに「その美しさが心から好き」なのである。

 ただ、実の所私は今回のごちうさにおける「青山さんが見た幻想的な雰囲気」に対しても、上記の様な「感銘と恐怖」両方の感情が存在しており、その圧倒的な雰囲気に最早心すらも乗っ取られる程の感銘を覚えている訳だが、やはりここでも何故「感銘と恐怖」両方の感情が芽生えたのかは自分でも良く分からない。作中の青山さんの様に「頭で理解する事が追い付かず、訳も分からないままにその幻想的な雰囲気に呑まれた事」が、冷静に考えてみると怖くなったが故なのか、この「幻想的な場面を読み解けば読み解く程に見えてくる衝撃的な事実」に対して一抹の不安と恐怖が脳裏を過ったが故なのか、はたまたその両方なのか。この様に心当たりは思いつくものの、果たしてそれが本当に正しいのかが自分でも良く分からないばっかりに、結局は自分が抱いている感情のくせに、自分自身でも良く分かっていない事になってしまうのである。変な話だと言えばそうなのだが、好きなものに対する感情と言うのは、時にして理論では説明する事が難しい程複雑なのだ……。

 かなり長くなってしまったが、今回青山さんが見た「幻想的な光景」と言うのは、それだけどの様な捉え方が正確なのか掴み辛く、それ故にどの様に捉えていけば良いのかすら良く分からなくなってくるのである。何故なら、青山さんが見た光景は、言うならば「智乃ちゃんのおじいちゃんが出来るならずっと秘密にしたかった事」であり、その中には「銀河鉄道の様に現れた列車に乗車していた女性」・「ティッピーの声の主がマスター(智乃ちゃんのおじいちゃん)な事」も含まれている事から、ここから作中を見る限り青山さんは「マスターの魂がティッピーに乗り移っている事」・「列車に乗っていた女性がサキさん(智乃ちゃんの母親)である事」に気付いたと考えられると言う、途方もないまでの衝撃的な事実が考察できる様になっているからであり、要するに話のインパクトが強過ぎる事が要因となって混乱してしまう事で、何が正確なのかすら良く分からなくなってしまうのである。

 しかしながら、冷静になってから作中の青山さんの言動や表情を捉えた上で、彼女が果たして衝撃的な真実にどこまで気付いているのかを考察してみた所、どの様にして考えてみてもこの「幻想的な体験」を経て、ラビットハウスもとい香風家が持っている「秘密」について自分なりにある程度気付いた(理解した)のは明白だと言う考えに行き着いた為、混乱して良く分からなくなりながらも仮定した考え方は、確証こそ無かったものの中々に核心を突いていた事になるのだろう。

 また、青山さん本人にしても数々の幻想的な光景から浮かび上がってきた事実関係や「秘密」を確かめようとして、マスター(ティッピー)に向けて質問攻めをしていた事からも、青山さんがラビットハウスやマスターが持つ「秘密」に関してある程度気付いている事は明白だと言える。尤も、当のマスターは「秘密」に対して興味津々の青山さんに対して黙秘を貫いていた為、青山さんが目に見える形で確証を得ている訳では無いのだが、他方でこの後度々見せる青山さんの口ぶりや、ティッピーに対して「様々な要因から、彼女がこれまで言えなかったありったけの想いを心を込めて言っている」のを見るに、彼女はこの幻想的な光景で見たものや、自分が知った事実に対して自分なりに確証を得ている可能性は十分にあると言え、この観点からもやはり青山さんは何かに気付いたのは間違いないと言って良いだろう。

 色々と書き出したが、結論をまとめると「青山さんは『ティッピーにマスターの魂が乗り移っている事』・『あの銀河鉄道の列車に乗っていた女性が智乃ちゃんの母親(咲さん)である事』に気付いた可能性が十分にある」という事であり、彼女が客観的にも分かる形で何かしらの確証を得た様子こそ描かれてはいないものの、青山さん自身の言動や、青山さんがマスターに対する感謝の気持ちを伝えられた事を嬉しく思う感情をティッピーに対して見せていたのを見るに、少なくとも彼女がティッピー=マスターだと捉えている事は明白であり、この事実からも青山さんは恐らくラビットハウスの「秘密」に対して何かしらの発見を得た事が考えられる訳である。

 余談だが、何だか最初で「どの様に捉えていけば良く分からない」と書いたのが嘘の様に思えてくるまとまり様だが、混乱してしまうと冗談抜きで普段ならまとまる考えも全くまとまらなくなり、普段ならすんなり理解できる事すらも全然理解できなくなるものである為、混乱は本当に恐ろしいのである。尤も、そんな状況でもあの美しい銀河鉄道及びミルキーウェイ*3はダイレクトに心を震撼させるのだが、冷静に考えてみて頭は混乱しているのに美しさには呑まれていると言うのも中々に怖い話……。

何かを悟りし青山さん

 ここからはその様な幻想的な体験を経て殆ど元通りになった青山さんが見せた「何か秘密を知っている」のを感じさせる一面について、私が思った事を書き出していきたい。

 これは昨夜の幻想的な体験を経て、ほぼいつも通りにラビットハウスの席に着いていた際に展開される話であり、この場面では昨夜青山さんが「幻想的な体験」をした事を「体調が悪かったからそんな光景を見たんだ」と言って、恐怖に慄く(おののく)心愛ちゃんと理世ちゃんを見て、2人が提唱した仮説に便乗する形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様な冗談をいつも通りほんわかしながら言って、2人を更に困惑させていたのが印象的だが、ここで私が気になったのは冗談(と言うかそう思いたい)を言う前の青山さんの反応であり、何故気になったかと言えば、本人は「多分」と付け加えていたとは言え、その反応がまるで「あの幻想的な光景が、自分ではなくティッピーに乗り移ったマスターを『お迎え』する為に現れた事を悟ったものだったから」である。つまり、彼女は「あの銀河鉄道は恐らくマスターを『お迎え』する為に現れた」と理解している訳であり、ここで私としても「青山さんはあの時の体験を経て、やはり『秘密』に対して何かしら気が付いた事がある」としみじみ思わされた訳である。

 ただ、そうなると個人的には「何故青山さんは、心愛ちゃんと理世ちゃんが提唱した話に対してそのまま乗っかる形であの様な冗談を言ったのだろうか」となる訳だが、これは抑々論として「この様な発言を青山さんがする事の意義」について考える必要があると思っており、それを紐解く重要なキーポイントとして、青山さんが少し考えた末にこの場では口を噤んだ「ティッピーの秘密」が存在していると推察している。どういう事かと言えば、青山さんはあの「幻想的な体験」を経て、恐らく「ティッピーと智乃ちゃんの祖父の秘密についても何か気付きを得たと考えられる訳だが、この事は当然ながらマスター(おじいちゃん)にとって「余計な心配をかけさせない為にも、できる事なら極一部の人だけが知っている、正に「秘密」として隠し通したい」と考えているのは、今まで本人の口から「ティッピーにおじいちゃんの魂が乗り移っている事」を明かしていない事や、その事実を知っている智乃ちゃんや智乃ちゃんのお父さんも、周りに対しては例え家族同然の大切な人であっても秘密を明かしていない事を見れば明白だと言え、青山さんにしてもその事は良く分かっていると考えている。つまり青山さんは秘密をバラしてはいけないと悟り、どうにかしてマスターの「秘密」に関わる様な視点を逸らそうとして、あの様な事を発したと考えられるのだ。

 この事から、青山さんが「お迎え」の件について「寝不足故に自分がその様な光景を見たのかも知れない」と、心愛ちゃんと理世ちゃんの仮説に対して肯定する形で冗談じみた事を発したのも、恐らくだが「智乃ちゃんの祖父が持つ『秘密』については何があっても言ってはいけない(=秘密を守らなければならない)と咄嗟に思い、それからそっと口を噤んでその上で敢えて視点をずらす様な事を発した」と考えられる訳であり、その事を鑑みれば、単に青山さんが何時もの様に掴み所のない事を言っただけでは無く、その発言に隠された青山さんのマスターに対する強き想いも見えてくるのである。

 因みに青山さんのこの様な立ち振る舞いに対して、コーヒーをせっせと淹れていた智乃ちゃんが何やら懸念を示していたのも気になるポイントだが、それに対するおじいちゃんの「何も変わっていない」と言うコメントも中々に考えさせられるものだった。この「何も変わらない」と言うのは、私が思うに「マスターと青山さんの関係性は、何時までも変わる事はない」と言う意味だと捉えており、要するに「マスターとしては、青山さんとはこれからも会話を敢えて交わさず、ただ只管に見守り続ける事の意思表示」な訳だが、それでも青山さん自身はマスターの「秘密」に対して何かしらの気付きを得ているのは事実であり、その意味では青山さんは変わった事にはなるのだが、マスターもとい智乃ちゃんのおじいちゃんとしては、今までと変わりなく青山ブルーマウンテンを見守る存在であり続ける。私はそんなおじいちゃんの意思を感じた所存である。

 また、今月号において青山さんが体験した「幻想的な光景」をして、心愛ちゃんと理世ちゃんが2人して「体調不良故にもしかして……」と慄いていた所に青山さんが乗っかる形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様なコメントを、あの青山さん特有のほんわかした雰囲気を見せながら言った事に対しては、元々所謂「ブラックジョーク」に対しても興味関心及び耐性があり、実際に青山さんのそういったコメントに対して、これまで割とすんなり受け止められていた私も今回のコメントには流石に顔が引きつった。と言うか、自分に関するブラックジョークをあんなにこやかな表情で言っているを見てビビらない筈が無いのだが……。

ペンネームの意味

 ここまでは青山さんの心境を中心に書き出してきたが、ここからは抑々論として、青山さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に込められた意味や由来について書き出していきたい。これは今月号の最後にして、今月号序盤に出ていた「マスターの粋な真相」が明らかになる局面であり、踏み込んで言えば「青山ブルーマウンテン」と言うペンネームにはどの様な想いが込められているのか、それが遂に明らかになる訳だが、ここではマスターの孫(智乃ちゃんのおじいちゃん)である智乃ちゃんが、高校生時代の青山さんに対して粋な想いを込めたペンネームを授けたマスターを彷彿とさせる様な言葉を送っているのがポイントであり、単純に見ても「やはり血は争えない」となる訳だが、それ以上に名称に対して厚い心意気を持っている事に対して熱くなるものがある。

 肝心の「ブルーマウンテン」の由来についてだが、これは私が思うに智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとでは、厳密には細かな部分は違っていると感じているものの、2人に共通しているのは「青山さんが誰からにも愛される様な小説家になって欲しい」と言う想いが込められている事だと考えており、それ故にバリスタらしくコーヒーの王様と呼ばれるブルーマウンテンの名称を使い、青山さんには幅広い層から絶大な支持を受ける様な小説家になって欲しいと言う想いからそう名付けたと思われる訳だが、個人的には「ブルーマウンテン」という名称を使ったのには、マスターが青山さんの小説家像について想いを馳せた時に、前述の様な「幅広い年代から支持を受ける様な小説家になって欲しい」以外にも、「誰にとっても親しみやすい存在であるように」と言う願いを込めて名付けたのではないかと考えており、それは智乃ちゃんにしても同じ事だと考えている。

 ただ、読者から「幅広い層から支持を受ける」のと、読者に対して「親しみやすさを覚えて貰う」のは往々にして深く結び付いているのも多い事から、態々きっちり分けて考える必要性はさほど無いのではとなるかも知れないし、事実その様な考え方も一理あると考えている。しかしながら、私としては周りの人達から支持をして頂けている事と、親しみをもって頂けている事は、やはりきちんと分けて考えるべき事だと考えており、それ故に結び付ける考え方もきちんと尊重している事は前提の上で、私は「それぞれに別の意味が込められている」と考えており、それがここで書き出した2つの項目と言う訳である。

 まとめると、私は「ブルーマウンテン」と言うペンネームに込められた意味を「誰からも愛される様な小説家になって欲しい」のと「誰にとっても親しみを覚えて貰える様な存在であり続けるように」の2つがあると捉えている訳であり、この内前者はマスター(おじいちゃん)や智乃ちゃんが提示していた考えであり、後者は言ってしまえば私の願望が色濃く表れている考えであるが、どちらの考えも私にとっては同じくらい重要であり、どちらか一方をとる事など、私にはとてもできない。それだけ青山さんのペンネームには名付け親の強い想いが込められていると感じられるからであり、正に今月号を締め括る場面に相応しいと言えよう。

 思えば青山翠さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に対しては、私自身「かなり変わったペンネームだ」と知った当初は思っていたが、時が経つにつれて段々ペンネームが私の中でも自然と馴染んでいく様になり、今となっては今月号における描写も相まって、凄く良い名前だと思う様になった程である。やっぱりペンネームと言うのは不思議なもので、最初はどこか変わっていると感じても、徐々に馴染んでいくとそれが絶対的な良さを持つものへと変貌していって、でも本質的には最初から全く一緒だった事に気付かされる。私にとってはそんな感覚だった。

3.あとがき

 以上がきらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は全体的に色々な意味でインパクトのある展開や描写が盛り沢山であり、故にその圧倒的な美しさと衝撃度はごちうさ全体の中でも随一だと思う事に異存はなく、あまりの衝撃の大きさに読んだ当初はどの様にして捉えていけば良いのか暫く分からなかった程である。尤も、いざ始めてみれば書きたい事が次々に思い浮かび、今回もいつも通り重厚な内容になった訳だが、私が今月号に対して凄まじい衝撃を受けたのは紛れもない事実であり、それは今回の内容がそれまでのごちうさ感想・考察とはやや違ったテイストになっているのが証左となっている。

 今月号は小説家の青山さん中心の回である為、普段のごちうさとは一線を画した展開が数多く存在していた印象があり、前半は青山さんの担当さんにして、学生時代からの旧友兼親友でもある凜ちゃんともども「大人から見た世界観」「大人であるが故の悲壮感」を感じさせていた点、後半はごちうさ全体でも有数の「幻想的な光景」「小説家としての洞察力と大人としての立ち振る舞い」がその例に当たっていると考えている。尚「幻想的な光景」を除いて共通しているのは「大人からの視点をもろに感じさせる描写である事」であり、高校生~大学生(嘗ては中学生~高校生)の視点が基本のごちうさにおいて、大人からの視点はかなり興味深いと考えている訳である。

 また、今月号は何と言っても圧倒的なまでに美しい描写が特徴的であり、銀河鉄道を思わせる幻想的な光景と、夜空に光り輝く星々の光景ときたら、それは正に「芸術たる至高の領域」と言っても全く差し支えなく、どれ程見入っても、その圧倒的な美しさを言葉で精巧に表現するのは困難を極めるとすら思う程である。因みにこの問題は語彙力不足で発生している側面もあると思うのだが、私が思うに語彙力が不足している以上に目の前に存在している圧倒的な芸術表現を余すところなく感受し、それを言葉巧みに表現するだけの感性がどうやっても手に入らないから発生していると考えており、言うならばボキャブラリーが足りない」のも理由としてあるが、それ以上に「圧倒的な芸術的表現の前に、抑々私自身が持つ感受性がどんなに頑張っても追い付けない」訳である。その為、私としては「語彙力と感受性」両方を向上させていきたい所存だが、現実はそう簡単にはいかないものである。

 ただ、この様に色々思う事はあっても今月号のごちうさに対して、近年のごちうさの中でも随一の魅力と衝撃を受けたのは事実であり、それ故に今月号に対しては最早言葉がまとまらなくなる程の感銘を受けている。つまり「今月号はあまりにも素晴らし過ぎた……。」と思った訳であり、最近きんモザ、スローループ、RPG不動産、ぼざろ等々のきらら系作品と、きらら系以外の趣味分野にも改めて力を入れ始めている私にとって、改めて「毎月ごちうさの最新話を読み続ける事の意味や有難み」についてもしみじみ考えさせられる機会にもなっており、この経験から今後の私は「上記に挙げたきらら作品と、きらら系以外の趣味分野、それにごちうさと、多趣味な私らしくあらゆる趣味分野に対して精力的に関心をもち続けようと思い立っている。尤も、その道のりは決して平坦では無いし、甘いものでも無いと理解しているが、それも承知の上で意識し続けるのが私のスタイルなのである。

 先月号の記事同様、最後まで深淵たる内容が続くものになったが、これも私がごちうさに対して煮え滾る想いを持ち続けている証左である事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙39枚分である。今回はややコンパクトにまとめている傾向にあるが、これは現時点では執筆途中のきらファンメインシナリオ第2部7章の感想・考察を13000文字当たり書いた時点で一旦書くのを中断して、地続きに当ブログ記事を作成した為であり、あまりにも膨大な記事を書いていると、時間が掛かり過ぎると判断したのも理由として存在している。尤も、当記事も1週間と少しで書き上げている上、この記事も普通に文量はかなりある為、感覚が多少なりとも麻痺しているのもあるだろうが……。

*1:青山さんは小説家としての仕事たる原稿の執筆を喫茶店で良く行っており、大抵は「甘兎庵」にいる事が多い様だが、ラビットハウスにいる事も多い。

*2:主に「短調(マイナー)」の曲が好きであり、その中でも「ロ短調」(B Minor)がお気に入りである。

*3:英語で「天の川」の意味なのだが、ごちうさならばフランス語の方が良い気もしないでもない……。ただ、そうは言っても私はフランス語表記の天の川は良く分からないのだが……。

きらま2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。毎月の様に「ごちうさの最新話をきらまで読んでは、その感想と考察をブログにて書き出す」のを繰り返している内に、いつの間にか19日が近付くと「そろそろ今月号のごちうさを読んだ感想・考察を書く時が近付いてきた。」と思う様になってきました。私のちょっとしたルーティンとなりつつある訳であり、毎回の様に自分なりに楽しみながら書き進めている所存です。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は元々は同じ高校の先輩後輩であり、理世ちゃんが大学生になった現在でも、昔と全く変わりなく親密な関係にある「リゼシャロ」ペアが中心となる回であり、そこから見えてきた様々な魅力は正に感銘の一言に尽きる訳ですが、その一方で私としては最近のごちうさでは度々盛り込まれる事も多い「変化と不変」が今月号においても重要な要素として存在していた事や、理世ちゃんの幼なじみである狩手結良ちゃんがまた新たな一面を見せてきた事にも大きく惹かれた経緯がある為、今回は様々な要素を詰め込んだものになると考えられますが、今回もいつも通り率直に書き出していきたいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話はリゼシャロが中心となる回であった為、最近のごちうさにおいて度々見かける「どことない異質な雰囲気」は大分控えめになっており、それ故に今回は概ね何時ものごちうさらしい日常だと言える様になっていると感じたが、それでも異質な雰囲気そのものは今月号においてもきちんと存在しており、理世ちゃんの幼なじみである狩手結良ちゃんが見せたリアリスト(現実主義)としての一面や、木組みの街の住人の中でも随一の異色な雰囲気を纏う結良ちゃんに対して、人見知り故に警戒心を剥き出しにしてビクビク怯えていた冬優ちゃんがその最たる例である。因みに結良ちゃんに対して警戒心を剥き出しにしていた冬優ちゃんの怯えぶりは、嘗て冬優ちゃんがまだ木組みの街に対して殆ど慣れていなかった頃に見せていたものとも大分異なるものであるが、それでも冬優ちゃんが結良ちゃんに対して抱いていたであろう怖さは何となくでも伝わってくる上、その恐怖度は折り紙付きな事も中々に笑えない。ある意味「ブラックユーモア」*1である。

 また、今月号は扉絵に関しても先月号とは全く違った感触を抱いており、先月号は神沙姉妹が見せた悪魔的な雰囲気に対して、深く考える事も出来ないままに惹き込まれた*2訳だが、今月号は割と冷静さを保ったままに扉絵と向き合う事が出来たと自負しており、そこで私は今月号の扉絵に対して「紗路ちゃんと結良ちゃんにとって、理世ちゃんはこれからもずっと大切な存在。」だと感じ取った。ただ、素性が掴みにくいが故に何を考えているのか良く分からない結良ちゃんが、この関係性に対してどう思っているのかと考えたくもなったが、もしそれを実行した場合、少しでも判断を間違えると訳も分からない恐怖と不安に追い回されると考えた為、今回は止めておいた。当たり前の事だが、訳の分からない恐怖や不安程、恐ろしいものも早々無いものであり、故に回避できるなら回避するべきである為、今回は回避した形を取った訳だが、結良ちゃんに対しても屈託なき想いを持つ私にとっては、正に気持ちを整える為の一時しのぎに過ぎず、何れは逃げられずに呑み込まれゆく、或いは自ら覚悟を決めて飛び込んでいく運命にあるかも知れない……。

 そこはかとなく尖った内容になったが、これはあくまで私自身がその様な考えを持っているだけであり、今月号はリゼシャロの高校時代から変わらない良好な関係性や、ラビットハウスの変わらない雰囲気等、思わず安心する展開も多く、また異質な雰囲気があるとは言っても、10巻終盤から11巻序盤にかけてのそれと比べれば、私が思うに正直かなりマイルドであり、故に今月号は最近のごちうさの中でも比較的穏やかな展開だと捉えている。つまり今月号においては異質な雰囲気は少なく、ほのぼのとした雰囲気の方が多い訳なのだが、これを「一時的ながらも結良ちゃんが見せた雰囲気に根こそぎ持っていかれた人」が書くとこうなってしまうのである。尤も、後半部分は完全に私の主観なので、そういう見方もあると言った感触で捉えてもらえると幸いである。

2.購読した感想・考察

リゼシャロユラが魅せる関係性

 今月号を語る上で外せないのは、何と言ってもリゼシャロの存在であろう。リゼシャロは2人共に同じお嬢様学校に通っていた頃から、学年の垣根を超えた親友であり、それは理世ちゃんが大学生となった今でも全く変わらず、良好な関係性を保ち続けている。また、紗路ちゃんにとっては自身が苦手とするうさぎと膠着状態になっていた際に、たまたま通りかかった理世ちゃんの手によって助けられた経緯から、自分にとっての大いなる憧れでもあり、彼女が理世ちゃんから「別に先輩と呼ばなくても良い」と言われながら、頑なに「先輩」と言う呼称を外さないのも、単純に理世ちゃんは自分より年上(理世ちゃんは早生まれの為、厳密には一学年上)だからというだけでなく、「彼女にとって理世ちゃんは憧れの先輩故に、先輩抜きでは呼べない」と言う彼女の信念がある為であり、理世ちゃんもそれはきちんと理解している。

 そんなリゼシャロだが、今月号においては正に主軸と呼ぶべき存在感を発揮しており、故に大学生になった理世ちゃんと高校生の紗路ちゃんと言う、今までとは一線を画した関係性がより深く見えてくる意味でも重要なのだが、今月号では更に理世ちゃんの幼なじみであり、ごちうさの登場人物の中でも独特の雰囲気を持つ結良ちゃんが少しながらも割って入る事で、今までのリゼシャロとは一線を画した雰囲気を見られるのが最大の特徴であり、前半はそんなリゼシャロを中心に思った事を書き出していきたいと思う。

新しくなった関わり方

 今月号は冒頭いきなり理世ちゃん周りの関係性の変化について言及されており、そこから大学生になって多少なりとも人間関係の変化は理世ちゃんにもあったのだと思いもしたが、そこで一番気になったのはやはり「大学生になってから、結良ちゃんが理世ちゃんに対して絡みを増やしてきた事」だろう。尤も、結良ちゃんは理世ちゃんとは幼なじみである為、本来そこまで違和感は無い筈なのだが、これが「私が知らないだけなのか、本当にそうだったのか」は、抑々の描写や言及自体が少ない為に分からないものの、理世ちゃんと結良ちゃんは幼なじみでありながら高校時代は変に絡みが少なかった印象があり、故に大学生になって急に絡みを増やしてきた事に対して少なからず違和感を覚えた。

 これに関しては、恐らく結良ちゃん自身が抱えている一種のコンプレックスが関係していると考えている。結良ちゃんは原作9巻で理世ちゃんに対してかなり衝撃的な事実を告白しており、それは私が思うに「上下関係や立場の違いも関係ない、対等な幼なじみの関係性になりたかった」と言う想いが込められていると捉えている。ただ、言っても結良ちゃんは何を考えているのか良く分からない性質故に、彼女が大学生になってから何故に理世ちゃんとの絡みを増やしたのかは分からないが、他方で結良ちゃんは最近になって理世ちゃん宅にてメイド服姿で御奉仕している一面があり、これを鑑みると「結良ちゃんは理世ちゃんとの特別な関係性を見出す為に絡みを増やしているのではないのか。」と思えなくもなく、結良ちゃんにとっての特別な関係性が正に幼なじみとの普通の関係性だと言うならある程度は納得できる。そして、そこに大きく関わっているのが心愛ちゃん達の存在であり、理世ちゃんは心愛ちゃん達との出逢いを経て大きく変化しているが、結良ちゃんは心愛ちゃん達の世界観に深く染まっている訳では無い為、結良ちゃんは理世ちゃんとのある種の距離感を感じている可能性も高く、その距離感を埋める為に理世ちゃんとの2人の時間をより密接なものにして、幼なじみとの関係性を改めて強固なものにしたいと願っている事もあり得る。

 つまり結良ちゃんが理世ちゃんとの絡みを大学生になってから急に増やしたのは、結良ちゃんにしても幼なじみの理世ちゃんとの関係性を現状維持のままではなく、もっと深淵たるものにしたいという願望の表れではないかと言う訳であり、これだけならさほど逸脱している様には見えず、故に私が違和感を覚えたのも変な気がしてくるが、結良ちゃんは自分が願うものの為ならあらゆる手段も辞さない所があり、詳しくは後述するが今月号においても理世ちゃんを嗾ける様な発言を見せたり、今までも理世ちゃんに対して妬み嫉みを滲ませた本音を本人相手に躊躇いなくぶつけたり、理世ちゃんの世界観を大きく変えた存在でもある心愛ちゃんに対しても自分の手中に収めたいと言わんばかりに誑(たぶら)かしたりと、他の登場人物なら恐らくできないであろう事も、殆ど臆する事なく実行に移せる一面があり、これが彼女を「異質な雰囲気を持つだけでなく、他の人とはあらゆる意味で違っているミステリアスな人物」と言うイメージにさせているのであろう。

 ただ、これらは言い方を変えると「結良ちゃんも理世ちゃんと幼なじみらしいもっと親密な関係性を築きたいと思っている事」でもあり、故に結良ちゃんがミステリアスな雰囲気の中でも度々見せる本心は、結良ちゃんも本当なら仲睦まじい関係性を真っ当に築き上げたいと考えている事の表れでもあると考えている。結良ちゃんは人間関係に関しては決して器用な人物ではなく、人間関係をめぐっては順風満帆では無い事は直ぐに分かる上、本人も周りの人達をどんどん自分の世界に取り込んでいく心愛ちゃんに対してどことなく嫉妬が芽生える事を言及していたが、これも結良ちゃん自身紆余曲折無く、スッと人間関係を育んでいく事に憧憬意識があるからだと思えば、結良ちゃんに対するイメージも大きく変わるものである。

 ここまでリゼシャロと言うよりリゼユラになったが、ここからはリゼシャロといきたい。リゼシャロは理世ちゃんにとってもリゼユラと異なり「高校時代から変わらない良好な関係性」と位置付けており、今月号においてもそれは強調されている場面が多くある。また、元々は同じお嬢様学校の先輩と後輩と言う関係性である為、理世ちゃんが大学生となった現在でも紗路ちゃんは一貫して理世ちゃんの事を「先輩」と付けているが、その距離感は異学年同士である事を鑑みるととても近く、結良ちゃんが多少なりとも揶揄いたくなるのも納得である。

 そんなリゼシャロだが、今月号においては「不変の関係性」として扱われており、全般的に高校時代から変わらない2人の関係性と言うのが良く分かる構成となっている。ただ、冒頭においては変化した理世ちゃんの髪型と、高校時代から変わらず元来のくせ毛の紗路ちゃんをめぐってかなりあたふたした様子が見受けられていたが、今思えば「不変の関係性の象徴たる2人でも、昔と変化している部分がある事の序曲になっていた。」と考えている。因みにその変化とは、理世ちゃんは今までも度々言及されてきた様に「大学生になってから髪型をチェンジ」している事であり、紗路ちゃんは変化してゆく理世ちゃんに引けを取らない様に、自分が出来る範囲でオシャレに磨きをかけていきたい事であるが、今月号でも後述される様にイメージチェンジに伴う知識や、オシャレのトレンド(流行)に対する知識は紗路ちゃんの方が上である為、それをして「色々あってもリゼシャロはやっぱり良い関係性だ。」と思うばかりである。

意気込みと嗾けと空回り

 今月号はリゼシャロが中心となる回である事は先も言及した通りだが、その2人が合流して最初に立ち寄った「ブライトバニー」で結構衝撃的な事実が判明しており、それは「神沙姉妹が落ちたブラバの面接に結良ちゃんが受かっていた」と言うものである。先月号にて詳しく言及されているが、神沙姉妹がブラバの面接に落ちたのは「採用人数が1人の所に仲睦まじい2人が来た事により、どっちを採るのか天秤にかける事などできる筈がなかったため」であり、要は神沙姉妹の事を想った店長が見せた一種の優しさだった訳だが、現実問題としてアルバイト採用と言う名の椅子に誰か1人が座るのに変わりは無く、結果として今回その椅子に座ったのが結良ちゃんその人だった事が判明した訳である。

 そんな結良ちゃんだが、ブラバ勤務時には持ち前の独特な雰囲気と愛想の良さを武器に中々な接客術を見せており、リゼシャロ2人の接客を行う場面では、幼なじみと同じお嬢様学校の後輩故に2人の事を良く知っている事*3を利用して、理世ちゃんに対して一種のマウント(優越性)をとる一面を見せている。また、ただマウントをとるだけに留まらず、理世ちゃんに対して「後輩がいつまでも慕ってくれると思わない方が良い」と、正に悪魔の囁きと言うに相応しい魔性の雰囲気をもって、理世ちゃんにだけ聞こえる様にヒソヒソ話していたのは印象的であり、私としてもここで見せた結良ちゃんの悪魔的な雰囲気に一時根こそぎ持っていかれてしまった。尤も、結良ちゃんが一体どの様な趣旨をもってあんな事を言ったのかは分からず仕舞いだが、可能性としては恐らく2つあり、一つは「自分が先輩だからと驕っていると、人は簡単に幻滅して離れていってしまうから、驕らず精進し続ける意思は絶対に忘れるな」と言って理世ちゃんに対して一種の警鐘を鳴らすもので、もう一つは「慕ってくれるからって油断しているなら、紗路ちゃんの事を私の方に気を惹かせる様にするよ」と言って理世ちゃんを嗾けるもので、どちらにしても一種の牽制になる訳だが、前者は抑々理世ちゃんが驕りを見せる様な人物では無い事と、流石に思想がえげつないものとなってしまう為、恐らくは後者だと思われる。と言うか、実の所前者の思想は「出来るならあって欲しくない仮定論」として私自身位置付けている為、寧ろ外れていた方が有難いのが正直な所である。

 そして、そんな結良ちゃんの言葉を聞いた理世ちゃんは思わず冷静さを失くしたのか、その後の紗路ちゃんとの行動では「自分が先輩としてエスコートしようとするが、買い物先が紗路ちゃんの得意分野たる食器店だった為、あっけなく失敗に終わる」・「紗路ちゃんが何を考えているのか良く分からず、思わず平静さを失くした行動をとる」と言った感じでらしくない空回りぶりを披露しており、完全に結良ちゃんの言葉に踊らされた格好となってしまっている。その為、ブラバ直後からのリゼシャロはいつも通り理世ちゃんが先導をとっているものの、その先導者がいまいち空回りしているのが否めず、結果的に先輩らしさはあまり発揮できていないが、それでも年上らしい一面は覗かせており、それは「新たな客層の為に、ラビットハウスや私自身を変化させていく」と言う理念であり、これが理世ちゃんが食器を買いに行った理由でもある。

 ただ、その様な理世ちゃんの理念に対して紗路ちゃんはかなり複雑な様相を呈しており、その理由として紗路ちゃんとしては「理世ちゃんが昔の理世ちゃんでは無くなっていくのが寂しい」と言う想いがあったからなのだが、この事を紗路ちゃんは理世ちゃんにハッキリ伝えるのに抵抗を感じていた風に見えたのも印象的である。恐らく紗路ちゃんとしても「大学生になってからどんどん変化を遂げていく先輩が嬉しくもあるが、それ故に昔の先輩では無くなっていくのがやっぱり寂しい」と言う心の葛藤があり、それ故に理世ちゃんに対して自分の本心を伝える事に対して気が進んでいる訳では無かったと思われる。また、紗路ちゃん本人も先輩の成長や変化を自分の勝手な意思で阻害してはならない事は重々承知していたと考えられる事や、紗路ちゃんとしても恐らくながら「私が言ってどうにかなる様な事でもない」と分かっていた事と思われ、その事も本心を明かす事に躊躇いを生じさせていたのだろう。

 しかしながら、紗路ちゃんが大学生になってから更に成長しゆく理世ちゃんに対して一抹の寂しさを覚えているのが事実な一方、どんどん大人になっていく先輩を嬉しく誇りに思っているのもまた事実であり、元々オシャレに対するセンスが良い紗路ちゃんが更にオシャレに磨きをかけていたのも、今月号において元来のくせ毛を気にかけていたのも、今月号においては偏(ひとえ)に「大人な雰囲気を持つ理世ちゃんの傍にいて恥ずかしくない自分であるため」であり、これは紗路ちゃんが大人な雰囲気を帯びていく理世ちゃんをきちんと受け止め、自分の中でしっかり呑み込まなければ出来ない事でもある為、紗路ちゃん本人としても理世ちゃんがどんどん大人になっていく事に対して一抹の寂しさや迷いはあっても、その事実から完全に目を背ける事はしない覚悟を決めていると言えよう。

 因みにそんな気概を持った紗路ちゃんの事を知った理世ちゃんは、紗路ちゃんに対して「お前みたいな可愛い後輩をもって、私は幸せだ。」と言わんばかりに紗路ちゃんの事を可愛がって彼女を思わず困惑させている。思えば先輩と後輩とは言っても1学年差であり、しかも理世ちゃんは早生まれ*4な為、2人の年の差は凡そ5ヶ月*5しか無く、故に抑々論として「リゼシャロが魅せる良き先輩と後輩と言う関係性」に対してどこか不思議な感覚を抱く事もあるが、もし理世ちゃんが紗路ちゃん達と同学年だった場合、今月号の様な関係性はおろか、今の理世ちゃんが築き上げた関係性も全く違っていたものになっていたのはほぼ確実だったと考えられる為、今の先輩と後輩という図式があるのも一種の奇跡なのだろう。

変化と不変の象徴

 前半では今月号を語る上で外せない要素として「リゼシャロの存在」を挙げたが、後半では主たる舞台のラビットハウスの雰囲気ひいては最近のごちうさにおいて度々登場してくる「変化と不変」が非常に重要な要素として機能していると見ており、それは今月号の後半の至る所に散りばめられていると考えている。尤も、私としては急に「変わっているのに変わらない」なんて言われると、思わず「変化しているのかそうでないのか分からなくなる」となって混乱しそうになるので、それを避ける為に私は「『変わっているのに変わらない』の意味」について考えを馳せており、最終的に「変化と不変」の意味について私は「中身は変化しながらも骨格は変化せずに保たれていると言う意味」だと位置付けて答えを出している。これは言うならば「例え一部が変化しても全体は変わらない」と言う事であり、今月号のラビットハウスが魅せつけた新たな雰囲気と言うのはそういうものに位置付けられていると個人的には考えている。尤も、これはあくまで「私ならこう考える」と言うだけのものである為、この考え方がどうなのかは人それぞれ意見があると思うし、まして「これが本当に良い結果をもたらす選択なのか」と言うのも非常に難しい話ではあるが、私としては「この様な意見もある」と思ってくれれば幸いである。

 ここから一気に話題が変わるが、後半からは私自身今月号の要と称したリゼシャロの関係性にも変化が生じており、前半においては多少頼りない部分はありつつも、基本的に理世ちゃんが先導をとると言ういつも通りのスタイルであったのに対して、後半においてはカフェイン酔いを起こした紗路ちゃんによって完全に立場が逆転し、それまで先導を切っていた理世ちゃんが、カフェインに酔った紗路ちゃんによって逆に懐柔されてしまうと言う、いつもと立場が完全に逆転したリゼシャロを見る事が出来るのも特徴的であり、前半との対比と相まって印象的なものとなっているといえよう。

変化と不変の雰囲気

 今月号後半において外せない要素と言うのは、何と言っても智乃ちゃんの祖父が建てた喫茶店であるラビットハウスなのは先にも説明した通りだが、肝心の内容についてそれぞれ解釈を入れると、変化は「最近増えてきたお客さん(特に子供さん)のニーズに応えるために中身を少しずつ変化させている事」で、不変は「高校生時代の理世ちゃんにとってはある種のチャームポイントでもあったツインテを始めとした、ラビットハウスの骨格を変えずに維持している事」だと捉えており、どちらも今後のラビットハウスの世界観を創り上げていく上で大変重要な要素だと認識している。因みにこの事実は言うならば「今まで築き上げた世界観を残しつつ、今後私達が創り上げていかなければならないラビットハウスを模索している事」も意味している為、この事は智乃ちゃん自身の喫茶店創りにも大きく影響するものがあると思う。

 また、今月号においては理世ちゃんのツインテが割と頻繁に取り沙汰されているが、そのツインテをめぐっては私自身興味深い事が一つあり、それはツインテ即ち今まで通りの理世ちゃんの方が子供さんには好評な事」である。抑々最近のラビットハウスは元来のシックで落ち着いた雰囲気から一転して、多くの「楽しい」で溢れた喫茶店へと変化しつつある事や、「ラビットハウス3姉妹」を始めとしたキュートでほんわかした印象が、雑誌や周りからの評判等々を通して世間一般に広まった事もあってか、何やら新しい客層として子連れさんが増えている様で、故に子連れのお客さんにも楽しんでもらえる様にする為の新しい工夫が随所になされており、それ故に今月号で度々出て来ている様に、細やかな部分が正に「変化」していく事にも繋がっているのだが、理世ちゃんのツインテだけは例外的に「昔の雰囲気を残したままの方が新しい客層には好評」と言う事実があり、細かな理由は何であっても「不変の方が新しい人達にも受け容れて貰いやすくなる」と言うのは中々に興味深かったし、単純にツインテの方が子供受けが良いと言うのは、子供好きな一面を持ち、将来は小学校の先生になると言う夢を持つ理世ちゃんにとっても(本人は照れ隠すと思われるが)嬉しいと考えている。

 その為、現在のラビットハウスは「変化した方が良い場合と、敢えて変化させない方が良い場合もあるのが混在している」と言え、今月号においてもそれが意識された構成となっているが、個人的にはそれ故に「ラビットハウスは中身が変化しても骨格は変わらない」とも捉えており、それが与える安心感は紗路ちゃんが見せた反応が証明していると思う。尤も、その紗路ちゃんはコーヒーを飲んでやはりと言うか何と言うか、カフェイン酔いを起こしてしまう事になるのだが、それは後述。

逆転の関係性

 ここからはラビットハウスにおけるリゼシャロの関係性について書き出したい。今月号前半においては、度々逆転している部分はありつつも理世ちゃんが先導をとり、紗路ちゃんがそれに追従すると言う体裁が保たれていたのに対して、後半においてはカフェイン酔いを起こした紗路ちゃんの手によって完全に逆転し、理世ちゃんが紗路ちゃんの手によって調子を狂わされ、紗路ちゃんから自分の本心をストレートに言われて思わず赤面すると言うレアな展開が多くあり、色々な意味で可愛さが溢れる展開になっている。因みに紗路ちゃんがカフェインに酔いやすい体質*6だと言うのは昔からなのだが、彼女は自ら「カフェインを摂取しても大丈夫」だと言いながらカフェイン入りの喫食物を摂取して、結果的にカフェイン酔いを起こしてしまう事もある。ただ、これは「友達の想いを無下にする様な事はしたくない」と言う彼女なりの優しさと固い意思故である事も少なくない為、彼女の友達想いな一面が良く表れている。

 そんな一面を持つ紗路ちゃんだが、今月号においてもカフェイン酔いを起こしやすい一面は健在であり、今回も諸事情あってカフェイン酔いを起こしてしまう訳なのだが、紗路ちゃんはカフェイン酔いを起こすと普段の紗路ちゃんとはまた違った面が表れる特徴があり、例を挙げると「自制心が弱くなり、自分の気持ちに正直な言動をストレートに取る様になる」・「テンションが桁違いに高くなり、周りを振り回す事もしばしば」・「ノリが普段とは比べ物にならない程良くなり、普段からノリの良い心愛ちゃんや千夜ちゃんですら凌駕する程」等々があるが、今回のリゼシャロにおいて良く見えていたのが「自分の気持ちに正直な言動をストレートに取っていた事」であり、仕事姿が昔のままの理世ちゃんの事を「さっきのお返し」と言わんばかりに手懐けて、彼女を思わず赤面させたり、自分の素直な気持ちを理世ちゃんに伝えて、やはり彼女を恥ずかしさでいっぱいにさせる等、普段のリゼシャロからは想像もできない様な場面が連続して登場しており、挙句の果てには紗路ちゃんが理世ちゃんの事を多少ながらも揶揄っている面すらも表れている為、私としては驚かされる事ばかりであった。

 この様な事から、後半のリゼシャロは完全にカフェインに酔った紗路ちゃん優位のペースになっているケースが大半なのだが、個人的にはそれ故に前半との対比を成しているだけでなく、紗路ちゃんが「先輩である理世ちゃんや、皆の憩いの場たるラビットハウスが変わらない一面を備えている事に対して安心感と歓びを覚えている事が良く分かる」と捉えている。紗路ちゃんは今月号の前半において明かしていた様に、先輩がどんどん大人になっていくにつれて、先輩の昔の雰囲気や特徴が見られなくなっていく事に少なからず寂しさを覚えていた為、彼女が変わらぬものを見て安心感や歓びを覚える事は、普段以上に重要な意味を持つのは明白であり、紗路ちゃんが珍しく理世ちゃんの事を少しばかり揶揄っていたのも「彼女が変わらないものに対して安心感を覚えている証拠」だとするならば、ラビットハウスで見せたリゼシャロの関係性はある意味「不変の意義、ここにあり」となる訳だろう。

 ところで、個人的には紗路ちゃんがいくらカフェイン酔いの状態だったとは言え、先輩である理世ちゃんの事を手懐けたり、揶揄ったりして大丈夫なのだろうかと一瞬過りもしたが、当の理世ちゃんは後輩から懐柔させられる事で恥ずかしそうにしていたり、揶揄われる事で照れ隠しに走ったりしていたものの、この様な事に対して本気で怒りを覚えた様子は一切無く、寧ろ満更でもない様子を見せていたので、理世ちゃんとしても表立っては恥ずかしさ故に上手く表現できないとは言っても、本心では紗路ちゃんから「昔のツインテのままの方が良い」のをハッキリと言われたり、ツインテであり続ける事を喜んでくれたり、ちょっとからかってくれたりした事が嬉しかったと言えよう。そう考えると、リゼシャロはやっぱり良き先輩と後輩なのだと思う。

 尚、抑々理世ちゃんが紗路ちゃんに対して頼りない一面が出ていたのも、結良ちゃんの言葉によって心が少なからず動揺していたからなのだが、この頃には結良ちゃんから言われた言葉の内容をすっかり忘れてしまっていた事が明らかになっており、結果的に曖昧模糊な結果に終わっている。

幼なじみ故に持つ特性

 今月号は基本的にリゼシャロが中心となる回であるが、最後の局面はブラバで結良ちゃんと千夜ちゃん、それに冬優ちゃんの3人が登場するものであり、これだけでもかなり異色な組み合わせだと思うのだが、内容も例によって異色であり、流石はミステリアスな雰囲気を持つ結良ちゃんの存在ありと言った所である。また、個人的には今月号序盤において結良ちゃんを書き出し、今月号終盤においても結良ちゃんを書き出すとは、今月号の構成上そうなるのは明白だったとはいえ、それを律儀にしっかり書き出している私としても、それだけ結良ちゃんの事がお気に入りなのだろう。

 この最終局面では意外な事実が明らかになっており、それは結良ちゃんが明かしていた「幼なじみを相手にするといつも揶揄い過ぎる節がある事」であり、これには同じく幼なじみコンビを擁する千夜ちゃんも同調している。元々千夜ちゃんは紗路ちゃんに、結良ちゃんは理世ちゃんに対して他の友達や親友にも見せない一面や言動を度々見せており、どちらも己の内面がもろに表れている為、2人共に「幼なじみだからこそ見せられる一面がある事」は何となくでも察しはついていたが、今回本人の口からそれが語られた事で正式に裏付けが取れる様になり、同時に結良ちゃんが顕著に見せる「異質な立ち振る舞い」に対して、一定の根拠をもった説を設ける選択肢が広がった意味でも重要である。尤も、それで結良ちゃんが見せた数々の衝撃的な行動例えば9巻後半で見せた「理世ちゃん相手に嗾けた壁ドン」の説明が出来るのかはまた別の話な上、今月号においては深く掘り下げると言うよりは、話の流れを端的に説明すると言った流れであった為、私としてもこれ以上の事は何とも言えないが、何れにしても幼なじみ相手だからこそ見せられる一面が、ごちうさにおける幼なじみコンビにも存在している事実が明らかになった事は、何か意味があると思うし、今月号では登場していないマヤメグと言う幼なじみコンビにも同じ事が言えると思う。

 但しこの様な意外な一面を見せたとて、今月号では主に理世ちゃんを引っ掻き回した結良ちゃんが異質な雰囲気そのものを持っている事には変わりなく、冬優ちゃんが結良ちゃん相手にビクビクしていたのがその根拠である。尤も、冬優ちゃんはその場に居た千夜ちゃんも言及していた様に、人見知り故に人と話す事が苦手な一面があり、実際に異質な雰囲気とは無縁とも言える心愛ちゃんや智乃ちゃん相手にも出逢った頃は警戒心を緩める事はそこまで無かった事から、例え結良ちゃんが異質な雰囲気を持っていなかったとしても、冬優ちゃんはある程度警戒していた可能性もあった為、冬優ちゃんと同じく人見知りな面がある私としては、冬優ちゃんが結良ちゃんに対して警戒していたのは、確かに結良ちゃんが異質な雰囲気を持っていた事もあったのは紛れもない事実だと思うが、単純に冬優ちゃんが人見知りなのが大きかったと考えている。人見知りな人からしてみれば、単純に良く知らない人に対して自分から積極的に話したり、関わったりするのが苦手なのであり、相手がどの様な特性および雰囲気を持っているのかはまた別である為、冬優ちゃんがどう考えているかは分からないとは言え、少なくとも私から見ればこう思った訳である。

 因みに今月号後半においては人見知りな一面を強く見せていた冬優ちゃんだが、腹話術を用いると途端に言いたい事はハッキリと言う様になる一面も健在であり、これは「仮面を被る事で恥ずかしさが少しでも払拭できる」とも「年上相手でも物怖じせずに指摘できる様になる」ともとれるが、何れにしてもこの時の冬優ちゃんのコメントは的を射たものであり、その的確なコメント力は千夜ちゃんと結良ちゃん相手でも普通に納得させている事が証明している。この事を思えば、冬優ちゃんと結良ちゃんのコンビは冬優ちゃんが本領発揮さえすれば案外バランスが取れるのかも知れないが、本領発揮の結良ちゃんはかなりの迫力がある為、実際の所は分からない……。

3.あとがき

 以上がきらま2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は全体的にほのぼのとした雰囲気であった為、実の所今までの様に素早く取っ掛かりを掴むのが難しかった印象があったものの、私も日常系作品に対して後れを取らない為にも自分が持つ見識に磨きをかけている上、ことごちうさに対してはどんなに苦労する事があっても、自分の想いをしっかり表現する事を忘れないと言う意識が強くある為、結論から言えば今回も前半と後半では書式が多少変化しているとは言え、今までと比べても遜色ない様に纏められたと考えており、故に私としては満足たる所存である。

 今月号は同じ高校の先輩後輩のペアたるリゼシャロが中心な回であり、その高校時代から今に至るまで全く変わらない強固且つ良好な関係性は正に「尊き関係性」の一言に尽きる訳だが、今月号では更に理世ちゃんが先導を切る先輩主導の構成だけでなく、紗路ちゃんが理世ちゃんの事を可愛がってみせる後輩主導の構成もあると言う中々に贅沢な組み合わせが披露されていた為、私としては最早これ以上ない位の良き関係性を観察できたと捉えており、また色々な意味で激震走る展開も度々表れてくる最近のごちうさにおいて、ここまで昔と変わりない関係性を見られた事も嬉しいものだと感じている。尤も、今月号とて決して異質な雰囲気と無縁な訳ではない事も忘れてはいけないが、それを考慮してもなお今月号のリゼシャロは良き雰囲気に満ちていたと思う。

 また、今月号においても最近のごちうさでは度々表れる「変化と不変」がきちんと登場してきた事も中々に重要だと考えており、今月号では主に「リゼシャロとラビットハウス」が「変化と不変」に対する何かしらの関わりを見せていた傾向にあったが、個人的にはそのどちらも「称賛」の一言に尽きる程のクオリティであったのは勿論の事、そこから改めてごちうさにおける変化と不変とは何かについて意識していかなければならない」と思い浮かべてもいる。尤も「変化と不変」は極めて抽象的な概念でもある為、その答えに辿り着くのは至難の業ではあるのだが、それでも事あるごとに意識を張り巡らせるのは、偏にごちうさに対してどんな事でも自分の考えを馳せ続けようと考えている私の矜持故であり、私が持つ限りない情熱故でもある。

 そして、今月号において限定的ながらも登場していた理世ちゃんの幼なじみにして、ごちうさの中でも特異的な雰囲気を持つ結良ちゃんの存在は、個人的には色々な意味で「劇的な程に効果てきめん」であり、結良ちゃんが魅せる異質な雰囲気と立ち振る舞いと、私自身結良ちゃんに対して並々ならぬ想いを持っている事が相まって、今月号においては最早リゼシャロと肩を並べる程の想いを叙述した訳であるが、これは私自身結良ちゃんが特異的な雰囲気を持ちながら、その内心は誰よりも人間味溢れる所が好きだからであり、そこには確固たる信念が存在している。ただ、その信念は「特異的な雰囲気を帯び続ける事に対する畏敬(若しくは畏怖)」或いは「孤高な雰囲気に対する心酔」なのか、それとも「純真たる想いの結晶ゆえ」なのか、はたまた「複雑に絡み付いた恐るべき想いから」なのか、何を拠り所としているのかは良く分からないが、それでも分かる事があるとするなら「私が持つ狩手結良に対する想いは、良くも悪くも最早一義的な物では説明できない程に複雑なものになってしまった事」だけであり、その錯綜たる心意気は他の追随を許す事はないだろう……。

 最後の項目でも中々に深淵たる内容になったが、これも私自身ごちうさに対する屈託なき想いがあるが故であり、今後もその想いが揺れ動く事があっても、ごちうさを読み続ける事には変わりは無い事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙37枚分である。今回は正直内容を推し量るのが難しかった為、ここまで書くのは容易ではなかった。やはり何気ない日常から何かを読み解いていく事程、簡単そうに見えて実は難しいものも早々無いのであろう。

*1:笑いの後に恐怖が走る事。

*2:これには私が悪魔的な雰囲気を好みとしているのが大きいが、それは同時に悪魔的な雰囲気に触れた際に冷静さを失いやすい事を意味する為、扱いには我ながら気を付ける必要があると思う。

*3:ここでは紗路ちゃんがオシャレのトレンドに詳しい事と、理世ちゃんが紗路ちゃんとは対照的にオシャレのトレンド(と言うかトレンド全般)に弱い事。

*4:因みに理世ちゃんの幼なじみである結良ちゃんも早生まれであり、もっと言うなら智乃ちゃんの親友たる冬優ちゃんも早生まれである。

*5:尚、4月生まれの心愛ちゃんに至っては僅か2ヶ月程度の差しかない。

*6:コーヒーは勿論の事、カフェインが少量でも入っているならお菓子でも酔う。

きらま2022年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近私自身の生活環境が変化した事もあって、以前より時間に余裕がある訳では無くなり、それに伴い趣味事だけに時間を割くと言うのは中々に厳しくなりましたが、どれ程多忙になってもこの様な趣味事を完全に辞めてしまうつもりは毛頭ないので、以前より感想・考察を書き出すペースが多少遅くなると思いますが、何卒宜しくお願い致します。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年4月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号はブラバ組が誇る神沙姉妹が中心となる回であり、それ故に神沙姉妹の様々な一面がより深く明かされる様になっていますが、そこから見えてくるものが、何と言うか私の心に凄い勢いで刺さる様なものだったので、今回は書式を今までとは少し変化させて、より私自身が持つ心情を率直に書き出そうと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は神沙姉妹を主軸として描かれているお話であり、それ故に今月号も大筋は日常系らしい展開だと言える。だが、一つ一つの内容自体の起伏はかなり大きく、また単行本10巻以降に現れる様になり、とりわけ単行本10巻終盤から単行本11巻序盤にあたるお話にかけて多く存在している「独特な異質さ」を少なからず感じる場面そのものは存在しており、その独特な雰囲気は、どことなく「絶対に逃れられない運命は、ゆっくりでも確実に差し迫っている。」とも感じ取れる。その為、私としてはどの様に捉えるべきなのか、それが自分でも正直良く分からないと言うのが本音ではある。

 また、今月号の扉絵に対しても、私は「悪魔的とすら感じるまでの妖艶な雰囲気に対する心酔」と、「悪魔的な雰囲気を持つ妖艶な2人に心までも奪われてしまうかも知れないと言う恐怖」と言う二種類の感情を抱いており、ある意味悪魔に対して私が持っている「恐怖と心酔」と言う両極端な価値観が如実に表れている。因みにこの様な両極端な価値観は、悪魔とは対比の存在である「天使」に対しても私には存在しており、天使の場合は「その輝かしい雰囲気に対する癒し」と、「その奥底知れない輝かしさに対する一抹の恐怖」と言う、やはり悪魔同様「心酔と恐怖」と言う形で存在している。どうも私は際限なき魅力を心酔と恐怖と言う観点から捉えるのが好きな様で、私が所謂「美形悪役」若しくはそれに準ずる雰囲気に惹かれやすいのもここから来ているのかも知れない。

 話が色々とややこしくなったが、要するに私は今月号のごちうさに対して深く心酔する一方、どこか引っかかる感触を抱いている訳であり、これだけ聞くと何やら物々しく思えてくるかも知れないが、これらはあくまで私が何となく抱いている感触であり、一通り読み終えた後には、何時もの様に「今月号掲載のごちうさも良かった……。」と思えたものである。故にここで書き出した内容はそこまで重要では無いのだが、私がこの様な感触を抱いたのも疑いなき事実である為、その事を忘れない為にも書き残しておく必要があると考え、記載した所存である。正直私としてもこれで良いのかさっぱり分からないが、私にはごちうさに対する気持ちを無理に隠したが為に、危うく取り返しのつかない事態を招きかねなかったまでに苦労した経緯がある為、私としてはこれで良いと言う確信はある。

 ここからはいよいよ今月号のごちうさを読んだ感想・考察の本題に入りたいと思う。今回は前述の通り、今までとは少々書式を変化させ、自分の感じた事を率直に認める(したためる)様にして書き出したいと思う。

2.購読した感想・考察

神沙姉妹の苦悩と歓び

 いきなり衝撃的な項目となったが、これは今月号前半の神沙姉妹を見て私が率直に感じた事であり、この部分における神沙姉妹が見せた立ち振る舞いが、私には「2人が抱える葛藤や苦悩が滲み出ている」と感じずにはいられなかった事が所以となっている。

 彼女達はブライトバニーの社長令嬢である事から、育ちの環境そのものはかなり恵まれているものの、親の仕事の都合で転校が多いが故に固定的な人間関係が作りにくかっただけでなく、周りの人達からは夏明ちゃんと映月ちゃんの2人よりも、その2人が持つ裕福な家柄の方を見るケースも多かった為、木組みの街で旅行先で出逢った心愛ちゃん達と奇跡の再会を果たすまでは、実質的に「神沙姉妹の世界観は自分達だけの閉鎖的なもの」にならざるを得ない状況に追い込まれており、それ故に2人共「これ以上人間関係の事で傷つかない為にも、周りの人達を寄せ付けない立ち振る舞いをする様になった」と考えられる程、彼女達には人間関係に対する辛い経緯があったと私自身ひしひしと感じており、今回も冒頭でその嘗ての2人を思わせる様な雰囲気が出ていた為、何やらただ事ではないと気になったのである。

 そして、そうして私は神沙姉妹のみに何があったかを知る為に、神沙姉妹の心境を辿る事にした訳だが、そこで待っていたのは、私が考えていた様な事を遥か上を行く内容だった訳だが、途中からその真実が明かされていくにつれて、悲愴的な感情から徐々に喜びを伴った明るい感情へと変化していき、これが後半の「神沙姉妹の歓び」と言うものに繋がっている。その為、ここの項目では感情の振れ幅が非常に大きくなっている事には留意して欲しい。

偽りの外面と溢れ出た本音

 悪魔的な雰囲気を持つ神沙姉妹の扉絵に迎えられ、今月号を読み進め始めた私だったが、冒頭いきなり私の気を揉む程に気になった事があった。それは神沙姉妹の2人共が見せた「極端なまでの閉鎖的な雰囲気」であり、その雰囲気からは、2人が木組みの街の学校に通う様になって見せ始めたありのままの自分とは程遠い、嘗ての自分達の世界観に閉じこもらざるを得なかった頃の2人を強く感じさせる雰囲気であり、それ故に2人共に映月ちゃんは心愛ちゃんから、夏明ちゃんは理世ちゃんからそれぞれ話しかけられても、まるで社交辞令的な対応で、その雰囲気からは「クール」を通り越して最早「他人に冷たく閉鎖的」と思わざるを得ない程だった。

 ただ、2人共に好きで閉鎖的な自分を演じていた訳では無く、それどころか相当無理をしていたのに気付くのは、そう時間は掛からなかった。何故なら、神沙姉妹の2人の異変に気付いた心愛ちゃんと理世ちゃんが、それぞれ2人の事を心配して保護していた事から、神沙姉妹にとって「閉鎖的な立ち振る舞いが2人にとっても望まざる形だったのは明白だったから」である。そして、保護された2人が見せた様子は、今までになく深刻なものであり、映月ちゃんも混乱の末に実際にやろうものなら大問題に発展しかねない事を口にすると言う精神状態だったが、とりわけ「理世ちゃんに自分の閉鎖的な立ち振る舞いについてコメントされ、悪意は全く無かったとはいえ、閉鎖的な立ち振る舞いをした事に対する罪悪感に耐え切れず、思わず目に涙を浮かべていた夏明ちゃんの様子」が、私にとっては心が突き刺されるものだった。元々夏明ちゃんが「気丈に見えて実はデリケート」と言うのは私自身ある程度読み解いてはいたのだが、今回あくまで心配の意で言葉を投げかけた理世ちゃん相手でも、本心では無かったとはいえ、友達に対して不義理な事をしてしまった罪悪感に耐え切れず、思わず目に涙を浮かべ、更にはラビットハウスに着いてからも、最早どの様な立ち振る舞いで生きていけば良いのか分からず、悲観に暮れて泣いてしまっていた辺り、夏明ちゃんがとても精細な心の持ち主だと思い知らされるには十分だった訳である。

 何れにしても、気になるのは「何故神沙姉妹の2人がここまで精神的に不安定になってしまったのか」だが、その答えはやはりと言うか何と言うか、2人が受けたブライトバニーのアルバイト面接に落ちてしまった事であり、それが2人にとっては「ありのままの自分を認めて貰えなかったからダメだった」と、自分達の素の人格が良くなかったから落とされたと思い込み、それ故にどの様な立ち振る舞いを人前で見せれば良いのか分からなくなり、昔の様に傷付いてしまう事に対する恐怖から、あの閉鎖的な立ち振る舞いをしようとした訳である。私もアルバイトの面接で普通に落ちてしまった苦い経験がある為、ある程度は分かるのだが、落とされた際には本当に「自分の何がいけなかったんだ。はっ!もしかして自分は、ありのままの自分ではダメなのか……。」と、神沙姉妹の2人の様に自責の念が働き過ぎてしまうが故に、必要以上に自分自身を追い詰めてしまう事も、経験が少ない内は十分あり得るものであり、それ故に私としても神沙姉妹の2人が見せた混乱ぶりが痛い程良く分かった。尤も、私の場合は今回神沙姉妹が見せた様な極端な発想までには至っていないのだが、それは私が「たまたま神沙姉妹の様にはならなかっただけ」で、私自身の立場や性格、そして置かれている状況が違えばどうなっていたのかは全く想像がつかず、故に私も神沙姉妹の様に視野狭窄に陥り、冷静に考えてみればあり得ない発想に囚われてしまっていた可能性は十分にあったと思う。

 また、今月号序盤における神沙姉妹の立ち振る舞いを見ていて、彼女達は自暴自棄気味な事を口に出していたとは言え、本当は2人共「ありのままの自分でいられるのが何よりも嬉しく思っている事が分かる」のが、個人的には凄く嬉しくもあり、凄く安心したものである。繰り返す様に神沙姉妹は前述した様な経緯から、長らく自分の気持ちを偽る様な人生を送っていた為、本来の自分を周りにもきちんと見せながら生きていく事に対して恐怖心や抵抗感を抱いていないかと、私自身懸念が少なからずあったのだが、今月号において他者からの評価に対する恐怖心はあったとしても、どれ程自分を偽り続けていた過去があったとしても、神沙姉妹は自分を偽る様な生き方は望んでおらず、ありのままの自分を見せられる人生を送りたいと考えていた事が分かったのは、私にとっては心に突き刺さる様な内容であるだけでなく、長らく私自身の心のどこかで抱えていた、根拠不足故に肯定も否定も出来ないと言うもどかしい懸念を払拭してくれる様な有り難い内容でもあった訳である。

 しかしながら、この時点では神沙姉妹の本来の性質が、育ち故にやや世間とズレている点を除けば基本的に良き人格者である事が判明したのと同時に、その本質が否定されてしまったと言う構図が成立していた為、私としてはかなり複雑な気持ちだった。勿論、私は「本来の神沙姉妹が真っ当な人格者なのだから、素の性質が相応しくなかった為に面接に落ちてしまったなんてあり得ない」と思っていたし、実際に神沙姉妹の性質が問題で面接に落ちてしまった訳では無かったのだが、この時点ではまだ知る由は無く、複雑な気持ちである事から脱却するのは叶う筈もなかった。

真実を知る恐怖と真実を知る重要性

 ここまで序盤で見せた神沙姉妹が陥ってしまった憔悴ぶりについて書き出してきたが、抑々神沙姉妹がここまで憔悴する羽目になってしまったのは、神沙姉妹の2人が面接に落ちた理由をお店側から聞く前に、真実を知る事に対する恐怖故に逃げ帰ってしまったからなのだが、神沙姉妹は真実を知る事に対して恐怖を感じている一方、真実から逃げてはいけないとも自覚している事から、如何なる場合でも2人を責める事は出来ない。私もそうなのだが、真実を知るべきだと分かっていても、いざ知ろうとすると途端に知るのが怖くなってしまうのは良くある事であり、私としても神沙姉妹の様に「真実はどんなに怖くても知るべきだ」と意識していても、いざ知ろうとすると「やっぱり真実を知るのは怖い。逃げられるなら逃げたい……。」と思う事はザラにあるし、何なら「このまま知らない方が人生幸せに生きられるよ」と、自分の中で真実から完全に目を背ける事を正当化してしまいたいと思う事すら、条件が重なれば全然あり得ると思う。無論、そんな正当化は本当に一時しのぎなもので、本質的には全然意味をなさない行為である為、私としてはそんな逃げの手は出来るなら使いたくないのだが、真実を知る恐怖と言うものは、時に自分の中で固く誓った価値観すら都合良く解釈を変えてしまればどんなに楽かと思う程凄まじく、また文字通り恐ろしいものなのである。

 だが、今月号の中盤で神沙姉妹が面接に落ちた本当の理由が明かされた時、私としては改めて「真実を知る事の重要性と、そこから逃げてはいけない理由」について考えさせられたと思う。何故なら、明かされた本当の事実と言うのは、神沙姉妹がブライトバニーの採用面接で落ちた理由に「彼女達の性質の問題」と言うのは一切無く、本来は「店長が見せたある種の優しさ故」だったからだ。これがもし神沙姉妹が真実を知る事から恐怖故に何時までも逃げ続け、それ故に彼女達が何時までも「ありのままの自分がいけなかったんだ……。」と言う誤った思い込みをやり続けていたらどうなっていたのか……、想像するだけでもかなり恐ろしい話であり、私としては私自身の考えがあまりにも悲愴的である事から、ごちうさは所謂「もしも」の話が豊富にあるとは言え、容易には記事に書き出せないと思う程である。

 尚、自分達が面接に落ちた本当の理由を知った神沙姉妹は、「ありのままの自分達を見せた事が原因で落とされた訳では無かった事」を知れた事で、思わず堰を切った様に涙を流しており、お互いがありのままでも良いのだと噛み締めていたが、これもある意味「真実を知る事から完全に目を背けなかったから知れた事」であり、そこに至れたのには、神沙姉妹にとっては自分達の人生を大きく変えてくれた存在でもある「心愛ちゃん達の協力」があってこそだったのは言うまでも無いだろう。尤も、神沙姉妹としては友達に自分達の悩みや何か自分が躓いている事を共有させるのは迷惑にならないかと考えている節があり、私もその気持ちは良く分かるが、心愛ちゃん達にとっては「悩みや何か自分が躓いている事を気軽に相談できる相手こそが、自分達を大切に想ってくれる友達」である為、神沙姉妹としてはもっと気軽に友達の事を頼って良いと私は考えている。

 また、「神沙姉妹としても友達に対して自分の悩み事に関する事で頼っても良い」と言う事に関しては、冬優ちゃんが智乃ちゃんとの電話で見せた反応が象徴的であり、冬優ちゃんとしても同じブラバ組として、神沙姉妹が何かに躓いているのなら力になりたいと考えているのだが、当の神沙姉妹は「自分達が面接に落とされた理由が分からず悩んでいる事」を冬優ちゃんには直接相談してはいなかった為、冬優ちゃんがそれをしてかなり不満そうな心境を智乃ちゃんにぶつけていたのである。私としては「冬優ちゃんの気持ちも分かる」と言った限りだが、神沙姉妹は「たまたまそれぞれ心愛ちゃんと理世ちゃんに引き止められたから話せたとはいえ、もし誰にも引き止められなければ、恐らく自分達が抱えている悩みを誰にも話す事はなかった」と言った事が、今月号の流れや彼女達が明かした心境からある程度は想定できる為、神沙姉妹に悪気は一切無かったと私は考えているが、一方で同じブラバ組でありながら気軽に相談してこない事に対して不満に思う程に神沙姉妹2人の事を考えてくれる友達がいる事は、神沙姉妹にとっては凄く幸せな事実である事を物語っているとも考えている。その為、今回の件でブラバ組が多少言い合いになる可能性こそあるものの、真実をきちんと話せば、本格的な争いとまでは至らずに丸く収まるとは思う。

神沙姉妹が見据える境地

 真実を知る事に対して恐怖に慄きながらも、友達と共に聞くと言う形で真実を知る道を選び、最終的には元の自信を取り戻した神沙姉妹だが、そんな2人を見て私が凄いと思ったのは、どの様な理由にしても、ブライトバニーの面接には落ちてしまい、次に採用されるチャンスが何時になるかすら分からないにも関わらず、神沙姉妹の2人はそれでも諦めずに更なるリベンジを誓った事である。私の場合、神沙姉妹の2人の様に「たとえ何度落ちてしまっても、諦めずに同じ所に挑戦し続ける」という発想をとても実行には移せないと思うし、それこそ「際限なく落ち続ける可能性が常につきまとう恐怖」を考えれば、やはり私にはとても無理だと思ってしまう為、神沙姉妹の2人は凄いと思った訳だが、神沙姉妹も全く理由なくその様な誓いを立てている訳では無く、しっかりとした信念があるからこそ、その様な事が可能になる訳であり、その理由に関しては、映月ちゃんと夏明ちゃんでは少々異なっているとはいえ、共通しているのは2人共に「2人してブライトバニーで働く事こそ、今の自分が目指したい理想の境地」という事であり、それに向けてはどんな努力も苦労も惜しまないのがはっきりと分かる様になっており、その事を思えば、神沙姉妹にとってブライトバニーで採用されると言う事は、自分達にとって大きな意味を持つ事であるのは明白だと言える。

 ただ、この時の神沙姉妹は2人共に「ありのままの自分でいても良い」と認められた事を知れた悦びもあってか、今月号前半で見せていた様な悲観的な姿が嘘かの様に、浮かれ気味且つ自信過剰気味な姿を見せていた為に理世ちゃんから心配されており、私としてもその浮かれぶりから理世ちゃん同様「こんな調子で本当に大丈夫?」と心配になったものだが、一方で「神沙姉妹が見せる様な自信を持った方が、物事は案外上手くいきやすいものだ」という考えも私にはある為、結局の所私は理世ちゃんと違って、自信満々の神沙姉妹に対して、多少は心配に思いつつも最終的には「そうだよ。その意気だよ!」と言う考えに行き着いた為、理世ちゃんからはお灸を据えられそうだが、私はなんだかんだ言って根が楽観的なタイプなので、神沙姉妹が過剰なまでの自信に満ち溢れているのが純粋に喜ばしかった上、誇張もボケも抜きで「本人達がその位自信があるならそれで良いと思う。」と言う結論に行き着いたのである。

 思えば神沙姉妹は「ブライトバニーの社長令嬢」である為、父親(社長)からしてみれば必然的に娘達2人が、自分が社長と務めている会社に(アルバイトとは言え)入社しようとしている構図が成立する事から、ブライトバニーの社長としてもそうだが、神沙姉妹の父親としても2人の事をどう思っているのか少々気になる所ではある。私としては、何だかんだ言っても神沙姉妹の父親が、厳しそうに見えて実はとても家族想いな所が度々現れているを思えば、色々思う事があっても最終的には2人が選んだ道を尊重してくれる(と言うかそうあって欲しい)と考えているが、真相はいかに。

皆で作り上げる新境地

 今月号の後半では、心愛ちゃん達の尽力もあって元の自信を取り戻した神沙姉妹の2人が、自らの夢の実現のために尽力する姿がとても印象的であり、しかも神沙姉妹の2人の為に心愛ちゃん達が「神沙姉妹の猛特訓の計画」を立ててあげており、これは神沙姉妹もといブラバ組が、木組みの街の住人にとっては「かけがえのない友達」である事を改めて感じさせる場面としても機能していると考えている。

 ただ、私としてはここでも気になった事がいくつかあり、一番大きかったのは、心愛ちゃんが言う「神沙姉妹の猛特訓と言うのが何か、その詳細が本人の口から読み手に分かる形で言及されていない事」であるが、実の所これまでも重要な場面で心愛ちゃんの心境が伏せられる事は少なくなく、今回も本人の口からは「何故その様な計画を思い立ったのか、またその意義は何か」と言った具体的な言及が、読み手に直接分かる様な形では言及が無かった事で、心愛ちゃんの計画の真意を探るのが難しくなっている訳だが、今回も伏せられているが故に興味深い考察が出来る様にもなっている為、私としては正直「敢えて大事な所を伏せてくれて有難うございます。」と言う気持ちも無くは無いのだが、何れにしても今回の「神沙姉妹の猛特訓」は、「友達を想い、友達の為にできる事は何か、それをよく考え、全力で行なっていく」と言うごちうさの良さが前面に表れた内容だと考えており、非常に尊き内容になっていると捉えている。

 そして、今月号の最後では、智乃ちゃんとティッピーが対話をすると言うシーンがあるのだが、個人的には「そこで語られた内容こそ、この物語の真髄を体現すらしている」と思う程に考えさせられる内容であった為、個々の場面で明かされた内容についても考察を深めてみたいと考えている。因みにティッピーは、作中を見る限り「元々は普通のうさぎだったが、何らかの理由によって智乃ちゃんの祖父の魂が乗り移った存在に変化した」となるのだが、何故ティッピーに智乃ちゃんの祖父の魂が乗り移ったのか、その事については物語開始から現時点での最新話に至るまで一切言及されていない為、ティッピー周りに関する真相は殆ど分からないのが現状である。しかしながら、青山さんのキャラソンである「うさぎになったバリスタ」では、孫である智乃ちゃんの事を強く想う祖父の心境が見え隠れしており、私としては「このキャラソンには、智乃ちゃんの祖父が何故うさぎになったのかと言う問いに対する、何か重要な答えが隠されている」と思う程、謎を解く重要なカギとして捉えており、故に「全くもって解き明かす術がない訳ではない」のは明白だと思う。尤も、それでも非常に難解なのは事実だが……。

猛特訓の真意

 今月号後半においては、神沙姉妹がブライトバニーの面接合格を勝ち取る為に、心愛ちゃん発案のもと、心愛ちゃんが甘兎庵の看板娘である千夜ちゃんと、フルール・ド・ラパンでアルバイト勤務をしている紗路ちゃんに働きかける形で協力を依頼し、それぞれの喫茶店の合意*1を経て、神沙姉妹の猛特訓計画を遂行するものであり、私は「これで神沙姉妹の面接スキルがさらに向上するのだろうなぁ。」等と考えていた。因みに甘兎庵では恵ちゃんが、フルール・ド・ラパンでは麻耶ちゃんが既にアルバイト勤務を始めており、今月号においてもそれぞれ神沙姉妹の猛特訓に協力しており、これも中々に心打つ内容となっている。

 だが、私が立てた上記の様な考えは本編を読み進めていくにつれてどんどん陰りが見える様になり、最終的には「これは一体何の特訓なのだ?私にはもう全然分からないよ。」と、思わず困惑を隠さずにはいられなかった。と言うのも、神沙姉妹が面接に受かる為に猛特訓をすると言うのだから、私はてっきり「『面接官と面接を受ける側』と言う構図を見立てた上で練習を積み重ねる、所謂よくある面接対策の猛特訓」かと思っていたのだが、本編を見る限りでは、どちらかといえば「喫茶店における接客や、接客の際に見せる態度や笑顔に関する特訓」が中心に描写されていた為、言うならば「喫茶店で働く事そのものの特訓」という趣旨が強くあり、それ故に自分が想像していたものと違っていたと言う印象が強く刻まれたからである。しかしながら、冷静になって考えてみれば、今月号で描写されていた様に「喫茶店で働く事を見据えた特訓」を中心に行う事は、茶店で実際に働く為に必要なスキルや意気込みをより実践的な形で経験を積めると言う事に繋がっている為、今月号で行っていた事の方が、私が想像していた方法より遥かに理に適っているのは明白であり、それ故に最終的には「単に私が早合点をしていただけだった」と言う情けない結果に終わった訳だが、同時にそれをして「心愛ちゃんはなんて凄い提案力の持ち主なのだろう。」と考えたものであり、ここから「詳細が伏せられている、心愛ちゃんが提案した猛特訓の内容の真意」について考察してみようと思い立ったのである。

 そして、私は「抑々心愛ちゃんがどの様な真意を込めて、神沙姉妹に計画を提案したのか」と言うものを考察してみる事にしたのである。ただ、これに関しては、明かされている情報が少ないが故に解き明かすのが難しく、私としてもかなり悩ましかったが、それでも心愛ちゃんの計画を聞いた千夜ちゃんと恵ちゃん、紗ちゃんと麻耶ちゃんそれぞれの喫茶店組が見せた行動を読み解けば、心愛ちゃんは「神沙姉妹にガチガチの面接対策を施したかった」と言うより、神沙姉妹には「面接に受かる様な訓練だけでなく、実際の喫茶店で働く経験を通して、喫茶店で働く事の楽しさを知って貰いたかったのではないのか」と思えてやまない。何故なら、これにより神沙姉妹は「より面接に受かる為のスキルアップができるだけでなく、喫茶店で働く事の楽しさや境地を知れる」と考えられるからであり、この事はそれぞれの喫茶店組が見せた猛特訓の内容を見れば大方推察できると捉えている。

 つまり、私は心愛ちゃんが発案した「神沙姉妹の猛特訓の真意」と言うものを「神沙姉妹には実際の現場で経験を積む形で『喫茶店で働く事の意義』をその身で体感して、その経験を活かして面接のスキルアップに繋げてくれれば良いのではないか」と言う形で捉えている訳であり、この根拠は前述の通り「今月号における猛特訓の内容が、単に面接に受かる為の対策とは一味違うものだった」と言う所から来ている。その為、私としては「心愛ちゃんとしては、神沙姉妹には実際の喫茶店で働く楽しさを教える形で、面接に向けて頑張ると言う意思をもって欲しかったのかな。」とも感じ取っているのだが、本当の所は心愛ちゃんのみぞ知る事であり、私はそれを推察しているだけに過ぎない。しかしながら、今月号の流れを見るに、心愛ちゃんには神沙姉妹の猛特訓に対してただならぬ想いがあったのはほぼ間違いないだろうし、神沙姉妹にしても心愛ちゃんが込めた思いが伝わっているとは感じている。尤も、最終的にはどうなるか現時点では全く分からないが、個人的には神沙姉妹が良い結果を勝ち取れる様に願っている。

神沙姉妹の意外な素性

 ここまで心愛ちゃんが立てた「神沙姉妹の猛特訓」について考察した内容を書き出してきたが、この他にも個人的にはその猛特訓中に見せた「神沙姉妹2人の意外な一面」も見逃せなかった。その意外な一面と言うのは、映月ちゃんなら「接客の際のノリがかなり良く、それぞれの喫茶店が持つ独自の雰囲気にもいとも簡単に馴染める事*2、夏明ちゃんなら「紗路ちゃんと麻耶ちゃんの前では威勢の良い面持ちだったのに、いざ接客となると途端に舌足らずになって狼狽えてしまうと言うかなりの内弁慶ぶりを見せた事」であり、どちらの場合も2人がその様な傾向にある事自体は今までもちょくちょく見えていたとは言え、今回この様な形ではっきりと突き付けられた事は、私としては「何か意味が込められている事かな。」とも感じている。

 また、神沙姉妹が見せた意外な一面に対して私としては、映月ちゃんの場合は「ノリが良く、店の雰囲気に染まりやすい事は良い事だと思うし、心配に思う事があるとするなら、ノリが良過ぎるが故に却って支障をきたしてしまう事がある事位。」なもので、故に「映月ちゃんなら大丈夫だと思う。」と言った所だが、夏明ちゃんの場合は全く別で、「気を張り過ぎていると感じられるし、それ故に裏方では威勢よく出来ているのに、いざ表に出ると途端に舌足らずになっているから、もう少し普段からリラックスして接客に望んだほうが良いのでは?」と思う程、夏明ちゃんに対しては心配に思う事が沸き起こったものである。ただ、夏明ちゃんに関しては元々「普段から気丈に振舞っているが、実はそこまで気が強い訳では無い」と言うのは分かっていた為、ある意味この猛特訓で夏明ちゃんの素性がもろに出た事になるのだろうが、それ故に自分の特性を推し量る良い機会と巡り逢えたとも考えられる為、夏明ちゃんが生真面目且つ面倒見の良い性格故に気をどうしても張りがちなのは理解できるのだが、喫茶店で勤務をする時位は自分の無理なく、映月ちゃんの様にのびのびと望んで欲しいと思うばかりである。

 更に言えば、甘兎庵で特訓した映月ちゃんにとっては恵ちゃんと、フルール・ド・ラパンで特訓した夏明ちゃんにとっては麻耶ちゃんと言う同学年と一緒に頑張っていると言う構図があるのだが、映月ちゃんと恵ちゃんはお互いに波長が合う事もあってか、今回も普段通りおっとり仲良しな雰囲気が中心的だったのに対して、夏明ちゃんと麻耶ちゃんに関しては、本来はお互いの事を想い合った良き友達関係なのだが、お互いに「負けず嫌い」と言う部分が似ている事と、性格が似ているが故にどうしても意地を張りがちな事もあってか、お互いが自分の主張を一切曲げずにヒートアップして、そのまま言い争いに発展する事も少なくなく、今回の特訓においても例に漏れず、お互いに接客態度についてダメ出しされる事にイライラしながら言い争いをして、先輩である紗路ちゃんを思わず複雑な気持ちに追い込んでいる。ただ、それでも恐らく紗路ちゃんも麻耶ちゃんと夏明ちゃんの関係性については、自分にとっての幼なじみたる千夜ちゃんとの関係性の事もあって良く理解しているとは思うのだが、やはり麻耶ちゃんと夏明ちゃんは同学年と言う事もあって、お互いに「麻耶(夏明)だけには言われたくない!」と言う気持ちがどうしても芽生える上に、同学年があるが故にお互いに大人な対応を見せにくくなり、更にお互いに中々素直になれない性格なのも相まって、本当はお互いに友達として大切に想っているとは言え、2人の性格上どうしても言い争いになってしまう事があるのも、ある程度は仕方ないのだろう。

 そんな神沙姉妹だが、この色々な意味で盛り沢山な猛特訓を経て「絶対にブライトバニーの面接に受かってみせる」と言う決意を新たにした様で、2人共に冬優ちゃんに向けて「いつか必ず3人でブライトバニーで勤務しよう」とメッセージを送っていたのは大変に印象的であり、この事実は神沙姉妹にとっても冬優ちゃんは大切な存在である事と、冬優ちゃんと神沙姉妹2人を合わせたブラバ組を神沙姉妹も大切に想っている事が良く分かると捉えている。今月号において冬優ちゃんは、神沙姉妹に対して自分の事をどう思ってくれているのか不安に思っていた場面があった為、この様な事実は冬優ちゃんにとっても凄く嬉しかったと思うし、今後ブラバ組が更なる成長を遂げていくのは明白だと考えており、総合的に見るならば、神沙姉妹の猛特訓はブラバ組の結束を高める意味でも大成功だったと思う。

目指すべき理想像

 今月号は基本的に「神沙姉妹の奮闘」が中心となっているが、終盤の局面は例外的に「智乃ちゃんと、ティッピー(智乃ちゃんの祖父)の対談」となっており、ここでは個人的に「人生観」について本気で考えさせられるものがあると思う程、ティッピーから放たれた言葉にいたく感銘を受けた。と言うのも、自分(智乃ちゃんにとってのおじいちゃん)がずっと掲げていた理想を大切に慮り、どの様な事があってもその意思を継ごうとする智乃ちゃん相手に智乃ちゃんの祖父は、「目指すべき理想像は人それぞれあるのではないか」と言った趣旨の言葉を投げかけたからであり、これに対して智乃ちゃんはその抽象さ故に困惑気味だったが、私としては「これこそごちうさの根幹にも関わる思想だ……!」と感じるほかなかったからである。

 抑々智乃ちゃんの祖父は、喫茶店に対する理想像を所謂「隠れ家的な喫茶店に置いており、ラビットハウスがシックで落ち着いた雰囲気をイメージして調律されているのも、正に智乃ちゃんの祖父の理想像が込められている証であり、故にその様な環境で育ち、祖父の影響を受けてバリスタになる事を夢みた智乃ちゃんが「祖父の理想像が込められた喫茶店を守りたい」と思うのはある意味当然の成り行きだっただろうし、またその事を智乃ちゃん自身の意思で決めていた事に、智乃ちゃんの祖父としても嬉しかったのはまず間違いなかったと考えている。

 しかしながら、智乃ちゃんは現在の高校1年生の時から遡る事2年前(つまり物語開始時点)、自身にとって最早欠かす事など出来ない存在であり、人生の大きな分岐点ともなった心愛ちゃんとの出逢いを経て、心身共に大きく成長し、そして嘗てとは見違える程様変わりした。勿論、智乃ちゃんは今でも現在進行形で成長を遂げているのは言うまでも無いが、彼女がその成長の過程を歩んでいく事に伴う形で、昼間のラビットハウスの雰囲気も「シックで落ち着いた雰囲気」から、徐々に「沢山のまほうで溢れた、幸せを象徴する賑やかな空間」*3に変化した事で、智乃ちゃんの祖父は徐々に「自分が持っていた喫茶店の理想像と、智乃ちゃんがやるべき喫茶店の理想像は全く違うのではないか」と考える様になり、今月号において智乃ちゃんが「喫茶店の理想像」についての話を持ちかけた事で、遂に智乃ちゃん本人に向けてあの様な事を言ったのではないかと私は考え、そして同時に私はこの様な考えに至った事で、智乃ちゃんの祖父が智乃ちゃんに向けて送った言葉を「これこそ正に豊富な人生経験に裏付けされた言葉であり、人生観をも覗かせる力を秘めている。」だと考えた訳である。

 色々と長くなったが、まとめると私は今月号における智乃ちゃんの祖父の発言を、簡単に言えば「智乃は自分(智乃ちゃんの祖父)とは違う理想像の喫茶店を作っても良い、寧ろ作るべきなんだ。」と捉えた訳であり、その様な事を祖父が発した理由として「今まで智乃ちゃんが心愛ちゃんと出逢ってから作りあげてきた数々のラビットハウスの姿を見て、智乃ちゃんには智乃ちゃんにしか作れない喫茶店の理想像があると考えたから」と言うのが考えられる訳である。ただ、当の智乃ちゃんは自信の祖父がくれた言葉に対して、その難解さ故に困惑の色を隠せていなかった訳だが、これに関しては智乃ちゃんも成長著しいとは言え、それでもまだ高校1年生の10代半ばである為、ある意味良く分からないのが普通なのであり、故に私としても違和感は殆どなかったし、同時に「これから智乃ちゃんが大人になった時、この時自身の祖父からかけられた言葉の意味をその身をもって理解すれば良い」と考えている。そして、その時彼女はどんな想いを抱くのか、それは現時点では誰にも分からないが、きっと彼女にとって感慨深いものになると思う。

3.あとがき

 以上がきらま2022年4月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は前回同様「ほのぼのとした雰囲気」が中心的ながらも、近年のごちうさにおいて度々表れている「独特ながらも異質な雰囲気」がそこはかとなく存在していたとも感じ取っており、故に今月号においてもどの様な角度から捉えるべきなのかを推し量るのが難しかった面があったのだが、その一方で今月号も非常に心温まる結末が待っていた事から、何だかんだ言っても最終的には「今月号もとても良き内容だった。」となったのは言うまでもなく、総じて言えば今月号もごちうさらしい上質なお話だったと捉えている。

 今月号は神沙姉妹の2人が中心的な回であり、それ故に神沙姉妹の様々な一面が見えてきた回でもあったと考えているが、個人的にはその内容全てが凄く意味のある事だと考えており、その中でも今まで2人がさほど見せてこなかった本心からの想いや、偽りの自分を演じるより、ありのままの自分でいる事の方がよほど楽しく幸せだと言う想いをはっきりと知る事が出来た時、私はとても喜ばしかったのと同時に、神沙姉妹もこの様な想いをずっと秘めていた事を知って何処か安心した想いもあった。何故安心したのかと言えば、神沙姉妹が本当にこの様な想いを持っているのかハッキリと分かったからというのもあるが、それ以上に神沙姉妹も長らく不本意な環境下に置かれ続けながらも、根本に持ち続けていた想いは、今に至るまで変わる事はなかった事に感銘を受けたのが大きかったからである。

 そして、今月号の最後では智乃ちゃんと智乃ちゃんの祖父が「目指す喫茶店の理想像」について対談をしていたが、個人的にはこの場面にはごちうさと、ごちうさにおける人生観の真髄にも通ずる何かがある」と思う程に感銘を受けた一方、智乃ちゃんの祖父にしても高校1年生の智乃ちゃん相手にその様な「理想ひいては人生観にも通ずる話」を持ちかけてくるのも中々凄いとも思った。無論、私には智乃ちゃんの祖父がどの様な心境や想いをもって智乃ちゃんにあの様な話を授けたのかを知る由はない訳だが、どの様な事情があるにしても「何か深い意味がある」と考えるにあたって不足はないだろう。

 最後に、今月号では神沙姉妹がとても感情性豊かで様々な一面を見せてくれたのがとても印象的だった事と、終盤の展開に秘めた「人生観と理想像」について考えさせられる事はとても感銘を受ける内容だった事を改めて強調して、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙39枚分であり、前回の3月号のごちうさを読んだ感想・考察に比べると多少増えた結果となった。毎度の事だが、ここまで安定して書き出せているのも私が持つごちうさ愛がなせる技だと思えば、私としても感慨深い。

*1:フルール・ド・ラパンなら店の店長だと言及されているが、甘兎庵に関しては特に何も言及されていないのが地味に気になる点である。尤も、あのノリの良い看板娘と、実はその看板娘をも超えるノリの良さを持つ千夜ちゃんの祖母の事だから、何だかんだ言ってもあっさり快諾するのは容易に想像できるが。

*2:但し、あまりにも馴染み過ぎたが故に支障をきたしていた場面も見受けられる為、一長一短気味なのが玉に瑕。

*3:ラビットハウスにおける2度目のクリスマスパーティーや、ラビットハウスで開かれる誕生日会が代表的であるが、他にも度々開かれる「集まり会」でもその雰囲気は十分兼ね備えていると思うし、他にも挙げれば枚挙に暇がないと思う。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」6章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部6章を読み進める中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、私の中ではのめり込む様に読み進められる気持ちと、その壮絶な背景や過去からくる痛みに多くの迷いが生じる気持ちが錯綜していますが、ある意味それが私なりのきらファンメインシナリオ第2部の嗜み方でもあるので、今回も「今思う事」を大切に、シナリオを読み進めて考えた事を書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、今回は前回の5章とは別ベクトルで重い内容になっているので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探すために新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的かつ、壮絶な展開の連続だったのである……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力は時に大きな痛みを伴った凄惨な展開*1もある程で、それ以外にも欺瞞に満ちた世界*2を正す為に禁呪魔法「リアライフ」を用いて暗躍する、第2部の敵対組織「リアリスト」の根底に蠢いている悲しき闇等、並の言葉では最早言い表せないと思う程に重い展開が印象的である。しかしながら、シリアスで壮絶な展開が続くからこそ、ドキドキしつつものめり込む様に楽しめる感覚が芽生える側面もあり、また感動的な場面も多い為、総合的に見れば非常に上質なシナリオであると私は感じ取っている。

 今回はそんな読み応えのあるシナリオを、前回の5章で採用した時と同じ様に、まずは今回の6章の展開をざっくりと書き出した上で、メインシナリオ第2部の重要人物と、敵対組織である「リアリスト」からと言う、大きく2つの視点を中心として、その後に6章を読んで私が思った事を纏めて書き出したいと思う。

2.第2部6章の感想・考察

6章全体の感想・考察

 まずは前回の5章同様、6章そのものについてや、その6章から読み解けることを中心に書き出したいと思う。内容としては前回の5章程重くはないが、それでも比較的重めな内容も含まれているので、注意して欲しい。

6章とは

 6章はこれまでのメインシナリオ第2部偶数章の様に「クリエメイトが一切登場せず、メインシナリオ第2部の世界観そのものを深く掘り下げていく」と言う構成とは異なり、これまでのメインシナリオ第2部奇数章と同様「禁呪魔法によって呼び出されたクリエメイトを助け出し、クリエメイトを元の世界に返す為に、きらら達がクリエメイトと行動を共にする」ものになっており、今回呼び出された作品はけいおん!である。また、6章の舞台はその「けいおん!」に因んで「音楽の都」となっており、前回の5章同様「クリエメイトに深い所縁があるもの=第2部における舞台」となっている。

 この章は序盤からリアリストの魔の手が既にエトワリアの広域範囲に伸びている事が判明しており、いきなり衝撃的な事実を突き付けられるが、その最中にこのメインシナリオ第2部2章における重要人物たるメディアちゃんとその護衛を務めるフェンネルと再会する。直ぐに分かる事だが、メディアちゃん達が「音楽の都」に向かっている事実は、そのまま「今やあちこちの地域に根ざしている聖典が酷く汚染され始めている」と言う事を意味しており、結果的に一瞬で2つの意味でリアリスト達の手によって聖典が破壊され始めている事を突き付けられてしまう。また、街に辿り着いても、既に街はリアリストの手に堕ちており、5章程凄惨ではないにしても、別ベクトルで絶望を叩き付けられる様になっている。

 街に着いてからは、エニシダの呪いによって記憶を改変されたクリエメイト達を順番に助け出していくのが主であり、最初は澪ちゃんと律ちゃんそれぞれの呪いを解き、その上で幼なじみ2人の絆を取り戻す事にも成功する。尚、その絆を取り戻したきっかけは、彼女達がずっと行っていた放課後ティータイム」と言う名称のバンド活動にあり、お互いの記憶がない中でも簡単なセッションを行う事でメンバーが持つ音楽に対する感情や想いを共有させ、それが無くしていた絆を再び呼び起こす事に繋がった訳である。そしてそれは、その後紬ちゃんや梓ちゃんとも邂逅し、彼女達を取り巻く呪いは払えても、その絆までは思い出す事は出来なかった中で、4人合わせて楽器のセッションを行う事で4人の絆を取り戻す事に成功する事にも大きく繋がっている。この事から、例え絆を断ち切られたとしても、音楽を通じて育まれた想いは決して断ち切る事の出来ないものである事は明白だと言えよう。

 そして、残すは唯ちゃんのみとなったが、聖典が汚染された影響により、クリエメイト達は疲労が募っており、きらら達一行は一旦「音楽の都」の神殿で一泊する事を決意する。そして、その夜中にうつつちゃんとメディアちゃん2人が、良く寝付けない事を理由に2人で話し合うシーンがあるが、そのシーンにおいて2章で発覚していた「メディアちゃんが嘗て女神候補生であった事」に加えて、リアリストの首謀者であるハイプリスは、嘗て「メディアちゃんと同じ女神候補生として学びを共にしていた」と言う衝撃的な事実が発覚する。また、この場面ではうつつちゃんとメディアちゃんに加えて「ランプちゃん」の3人が聖典の意義や聖典の在り方そのものについて考え合うシーンがあり、そのシーンはこの6章ひいては聖典そのものの意義について考えさせられるものとなっている。

 その様な経緯を経ながらも、一行は再び唯ちゃんを助けるために活動を再開するが、その道中は苦節が多く、中々そう簡単にはいかないと苦戦する最中、エニシダから言われた「『楽しい』だけの音楽なんて認めない」と言う言葉に対して悶々と悩む姿もあったが、「楽しい音楽があっても良い」と言うきらら達の励ましもあって乗り越え、その後も多くの不安はありながらも、唯ちゃんを救うためにライブの練習に勤しみ、遂にライブ当日を迎える。そのライブにおいては、きらら達はエニシダからの激しい猛攻に苦戦しつつも、うつつちゃんが上手く機転を利かせてエニシダもといリアリストの猛攻を上手く掻い潜り、遂にエニシダから唯ちゃんと唯ちゃんの大切なギターたる「ギー太」を取り返す事に成功する。そして、満を持して「放課後ティータイム」のライブは無事に始まり、あらゆる意味で万策尽きたエニシダは撤退する。その後、きらら達は完全に救い出した「放課後ティータイム」のメンバー達とひと時の完全たる平和を謳歌し、別れを告げる。そして、クリエメイト達を元の世界に返したきらら達は、リアリスト達が企てている驚愕の計画をリアリストの元から辛くも脱出したカルダモンから聞かされて、6章は幕を閉じる。

 全体的に見れば、6章は5章に比べれば多少マイルドな展開になっているとは言え、それでも展開が重いと言う事実そのものには全く変わりなく、あくまでメインシナリオ第2部らしいシリアスさは健在ではあるが、今までと大きく違うのは「クリエメイト一人一人の絆がサンストーンによってそれぞれ断ち切られた事」であり、今までの様に1人だけ絆がサンストーンによって断ち切られた訳では無く、その意味ではリアリスト達もいよいよ本気になっているのが窺える。また、6章はハードな展開が多い一方で結構ゆるい展開も要所で存在しており、「放課後ティータイム」のメンバー4人(唯ちゃんを救出してからは5人)が見せるゆるい雰囲気が特徴のやり取りや、メディアちゃんとうつつちゃんが見せるやり取りがその代表例である。ただ、その一方でこの2組共にしっかりした関係性である事を改めて印象付ける様な真面目なやり取りもしっかり用意されており、一義的な印象では留まらない仕掛けが施されている。

 更に、この6章ではこのメインシナリオ第2部の根幹にも関わる程に重要な要素が次々に明らかになった章でもあり、具体的には「聖典そのものの存在意義」や「リアリストの首謀者ハイプリスの過去」そして「リアリストが本気の計画に乗り出している事」等々であり、どれも今後の章ひいてはメインシナリオ第2部やエトワリアそのものにも深く関わってくる程重要なものばかりだと認識している。ただ、その一方でこれらの重要要素の多くは「只ならぬ何かを持つものばかり」である為、私自身も今後どうやって扱えば良いのか答えが出し辛い分野ではある。しかしながら、5章でも言った様にそれで私自身蹲ってそのまま何も行動できなくなれば何もならないので、今回の6章でも「私が思った事を率直に書き出す事」を意識して、ここからはメインシナリオ第2部の重要人物や、6章で登場したリアリストを中心とした感想・考察を書き出す事とする。

6章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部の重要人物の1人たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も名前以外の記憶は「自身が16歳の女子高生」である事以外は、何らかの要因で全て失ってしまっている。その為、きらら達ひいてはうつつちゃん本人にも「うつつ自身が抱えている本当の命運や定め」が分かっていない一方で、リアリスト達はうつつちゃんの事について何か知ってそうな素振りを見せているが、何れにしても現時点では確かめる術は何もない。しかしながら、6章において「うつつちゃんの記憶が無いのは、サンストーンに絆を断ち切られた可能性があるからだと推察されており、現時点ではまだ断定できないとは言え、それが本当なら真実へと大きく近付く事が出来る様になる。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に事あるごとに自分の事を卑下する様な発言をしがちな傾向にあるが、これは単に後ろ向きな性格だと言うだけでなく、彼女にとっては「自分自身に対する自信のなさの表れと、ある種の照れ隠し」とも言える特性で、本当は他者を想い合う事の出来る優しい心の持ち主であり、きらら達やメディアちゃん、そしてクリエメイトと親交を深めていく毎に、うつつちゃんが精神的にも大きく成長していく姿が印象的である。また、ネガティブ思考の持ち主故にポジティブ思考な人と一緒に居るのが苦手とは言え、完全に嫌がっている様子はなく、寧ろそう言うポジティブさを尊重している一面もある。

 物事を見つめる際の視野がかなり広く、聖典が必ずしも万人の希望にはなり得ない事や、聖典の意向に逆らった者は一体どうなるのかと言った、スクライブギルド長のメディアちゃんや女神候補生にして、聖典をこよなく愛するランプでも答えの出すことの難しい事に対しても臆せず思考を張り巡らせている。その為、その思考力と教養は実年齢以上のものであり、内に秘めた彼女の想いは果てしないものがある。また、その教養の高さと視野の広さに裏付けられている切れ味抜群の毒舌センスを持つ一面があり、自分自身に対する保険をかける時や、リアリストに対して容赦ない言葉を投げかける時にそのセンスが遺憾なく発揮されている。更に、6章においては「にんじんが嫌い」と言う特徴が判明しており、これがきっかけで6章ひいては聖典そのものに対する深い問いかけへと繋がっていく。

 6章では序盤からうつつちゃんにとって大切な存在であるメディアちゃんと再会したが、メディアちゃんはうつつちゃんとは正反対の性質を持った人物である為、うつつちゃんは思わず隠れると言う茶目っ気ある一面を見せている。その後、基本的にうつつちゃんはメディアちゃんと心を通わせているのが分かる描写が度々登場しており、それらからもうつつちゃんが精神的に大きく成長しているのが見てとれる。また、後半において律ちゃん達が唯ちゃんを救うためのライブに関して、上手く行くかどうかわからなくなってきて、悲観に暮れていた際には、思わず我慢ならなくなって檄(げき)を飛ばし、皆の弱気を吹き飛ばす役目を果たしており、うつつちゃんとしては「クリエメイト達には明るくいて欲しい」と言う彼女なりの想いや優しさがある事が改めて分かる様になっている。

 そして、6章終盤では「自分ができる事を全力で果たす」と言う事を思い起こしながら、唯ちゃんにとって大切なギターである「ギー太」をエニシダもといリアリストの元から取り返し、唯ちゃんの絆を取り戻す役割を果たしているが、この様な行動は嘗ての彼女なら、恐らく恐怖心故にやりたくてもやれなかったであろう行動なのは想像に難くなく、彼女の成長ぶりが改めて印象付けられる。尤も、怖いものはやはり怖いらしく、逃げ腰気味になる事もしばしばあるが、それでも最後は逃げずに自分ができる事を全力で果たそうと行動を決意するあたり、うつつちゃんもきらら達やクリエメイト達に触発されて、大きく変化を遂げようとしている事が読み解ける。

 尚、6章で彼女はエニシダがかけた呪いを目視で捉える事ができ、尚且つその呪いを外せる特性」を打ち明けており、彼女はきらら達にはそれが見えない事に困惑を隠せない様子を見せていた。他にもうつつちゃんには「ウツカイの字を読む事が出来る」・「リアリストの幹部の会話が突然聞こえる様になる(特定の条件下のみ)」・「リアリストの幹部ですら容易には生み出せない様な強力なウツカイを自身の力のみで呼び出せる(但し本人は無自覚で、この事実を知るのはロベリアのみ)」等、彼女特有の特殊能力が現時点でも複数判明しているが、何れも彼女にしてみれば何故この様な能力が自分に備わっているのか全く分からない為、真相は未だ謎に包まれているが、このうつつちゃんが持つ特殊能力は、このメインシナリオ第2部を解き明かす上で重要な要素になる事は想像に難くない為、恐らくこのまま完全に謎なままでは終わらないと個人的には考えている。

 また、うつつちゃんは6章の中程において、信頼出来る友達だからこそ聞ける事でもあり、うつつちゃんがずっと気になっていた事として「このエトワリアにも貧困や戦争があるのか」とメディアちゃんに尋ねており、メディアちゃんの口から聖典を信じない様な地域にそういった実例が多いと知り、彼女は口数は少ないながらも何か思う事があるような素振りを見せていた。元々彼女は5章において「エトワリアと言う世界は、少し神殿に依存し過ぎているのでは?」と言った懸念を抱いていた事が判明している為、うつつちゃんとしてもリアリスト達や世界の実情を見て、聖典によって必ずしも世界が救われるとは言えないのではないか」と考えてみる様になり、それに対する意見を自分にとって友達且つ神殿にも深く関わりがあるメディアちゃんに聞いてみたかったと思われるが、何れにしてもこの場面におけるやり取りは、このエトワリアの世界に対する深い問い掛けなのは間違いない。

メディアについて

 聖典を写本する役割を持つスクライブギルドのギルド長であり、女神候補生のランプと同じ位に聖典を愛しているのがメディアちゃんその人である。普段はスクライブギルドの一員として聖典を写本し、エトワリア全体に聖典の加護が届く様に勤めているが、メインシナリオ第2部においては聖典そのものの危機に対して、スクライブギルドのギルド長としての責務を全うする為に、自らの強い意思で「音楽の都」に赴く。その為、6章における重要人物の1人であり、彼女の意思や行動はこの6章において大きな影響をもたらす事になる。

 性格は基本的に明るく好奇心旺盛であり、誰に対しても分け隔てなく接する優しい女の子である。また、普段から自身が大好きな聖典の世界やその聖典の世界の住人に対して強い憧れと好奇心を寄せていると言う、所謂筋金入りの聖典オタクであり、それ故に同じく筋金入りの聖典オタクであり、聖典に対する学の高さが特に秀でているランプちゃんとは聖典関連の話が良く合い、共に聖典に対して高い愛情と尊敬の念を抱いているが、メディアちゃんはランプちゃんと異なり、聖典以外の分野に対しても幅広い知見を兼ね備えている。ただ、メディアちゃん自身は謙虚な姿勢を貫いており、それも人から愛される理由だと言える。

 正義感と責任感が強く、それ故にどの様な危機的状況でも自分のできる事を全力でやり遂げようとする、自分が決めた事は何があっても折れない等、非常に強い意思の持ち主でもある。また、その責任感の強さはスクライブギルドのギルド長としての姿勢にも表れており、自分がギルド長として果たさなければならない事は何かをよく考えた上で、その為なら多少のリスクも辞さないと言う心意気がその例である。尤も、メディアちゃんは自身が持つ正義感や責任感を他人には一切押し付けず、あくまで「自分と他人は別」と言う線引きはしっかりしている。

 6章においては「音楽の都」に危機が迫っている事を知り、スクライブギルドのギルド長としてできる事をすると言う意気で、メディアちゃん自ら「音楽の都」に乗り込む決断をする。そして、6章序盤においてうつつちゃんと再会してからは、うつつちゃんの良き理解者として彼女との親交を更に深めていく事になる。また、中盤にはスクライブギルドとして聖典の汚染をこれ以上悪化させないように食い止める」と言う役割も率先して請けており、それ故にきらら達とは一時別行動になる事もあるが、その際もきらら達に対する気配りは一切抜かりがなく、徳の高い人物である事が目に見えて分かる様になっている。

 6章終盤においても持ち前の正義感と責任感の強さは揺らいでおらず、どの様な状況でも怯まず立ち向かう強さを見せている。そして、クリエメイト達を完全に救出した後には、聖典オタクとしての一面を全開にして、ランプちゃん共々「放課後ティータイム」の演奏ややり取りを心から歓迎している。その為、終盤に見せる彼女の様々な一面は色々な意味で秀でており、彼女の良さが前面的に押し出されていると考えている。

 そんなメディアちゃんだが、嘗ては女神候補生として学んでいた過去があり、その持ち前のひたむきな姿勢から優等生に位置付けられる程に優秀だったのだが、何らかの事情で女神になる事は諦めざるを得なくなり、自分自身が持つ夢を別の形で果たす為にスクライブギルドとなった経緯を持つが、スクライブギルドはメディアちゃんに限らず女神候補生だった人が就任するケースも多い為、彼女の様なケースは特段珍しい訳でも無い。しかしながら、この事実は彼女にとっては数少ない弱みとなっており、普段はその様な弱みを見せないとは言え、心の底ではやはり弱みとして残されている様子が見受けられる。

 また、6章中程におけるうつつちゃんからの「エトワリアにも貧困や戦争はあるのか」と言う質問には、メディアちゃんとしても相当に気掛かりな事の様で、うつつちゃんに対して神妙な面持ちで終始トーンを変えず、自分が思う事を全てそのままに話している。メディアちゃんはその学の広さから、聖典の良さについてだけでなく、聖典が抱える幾多の問題についても理解が深く、それ故に彼女としても「今の聖典では救い切れない様な動乱地域もきちんと救われる様な聖典を生み出せる様になりたい」と言う心意気が強くある為、その言葉には説得力がある一方、彼女が抱えている葛藤を思わせる痛みをも感じ取れる。

エニシダについて

 「真実の手」が1人であり、「歌手(かしゅ)」の異名を持つ、リアリストが1人、エニシダ一人称は基本的に「ワタクシ」であり、その異名通り歌を歌う事を得意としているが、その歌には彼女が持つ呪いの魔法がかけられており、聴いた者をどんどん絶望に叩き落す効力が存在している。また、その呪いの魔法には「記憶を改変する事の出来る能力」も存在しており、故にこの2つの特性を上手く使う事で、エニシダは人々を絶望の淵に追い込み、且つそれを外部に悟られない様にする事が可能になる訳であり、その事を鑑みるなら、エニシダリアリストの中でも特に恐ろしい能力の持ち主だと言える。因みにこの2つ能力は、極端な話「エニシダが、自身の能力で絶望に叩き落した人々の記憶から、そのエニシダによって絶望に叩き落された記憶」エニシダの手によって上手く改変さえしてしまえば、後は『何事もなかった』と見せかける事だって出来る」とも考えられるが、エニシダ本人としては自身が持つ能力をリアリストの目的の為に惜しみなく使用する一方、内心では自身が持つ能力に対してコンプレックスと嫌悪感を抱いている節がある(詳しくは後述)。

 リアリストの中でもプライドが特に高く、それに裏付けられた自信家である事を窺わせる面が見受けられており、何でも一人でこなせると豪語する*3程で、それ故にきらら達にクリエメイト達を正気に戻されても殆ど動揺せず、恰も何事もなかったかの様にどっしりと構えている様子が描かれている。また、唯ちゃんをリアライフにかけて絶望のクリエを奪うと言う行動に出ているが、他のリアリストとは異なり「必要以上にクリエメイトを罵らない」と言う特徴があり、その代わりに「クリエメイトに対して執拗に『どうせあなたは何もできないから』と言い聞かせる」と言う用意周到且つ陰湿な手口を使っているが、何れにしても他のリアリストとは一線を画す様子は見受けられる。

 所謂「適材適所」(或いは「縦割り主義」)を意識した物の考え方をしている傾向が見受けられ、自分が得意とする分野は思慮深く考案するのに対して、他のリアリストの方が向いていると見做した分野は必要以上に深く考案しない所がある。ただ、その分「自分の役割は全力で果たすべき」と言う完璧主義な傾向があり、自分の役割を完璧に遂行出来なかったのなら、たとえサンストーン相手でも一切容赦のないダメ出しをする一面を見せる一方、その完璧主義な一面は彼女自身にも向けられており、自分の失敗を言い訳もせずあっさり認められる器量や、それに伴う罰を受ける覚悟も持ち合わせている。

 歌を歌う事が大好きだと言う一面があり、それ故に音楽に対して強い拘りがある。また、エニシダは前述の様な性格から、自分の歌に対して絶対の自信を持っており、それ故に「楽しい」だけの音楽を音楽として認めない節が見受けられるが、これはエニシダ自身が血反吐を吐く程の努力を積み重ねているのにも関わらず、自分の芸術(歌)が認められない事に激しい憤りを覚えているのが大きな理由であり、言うならば逆恨みなのだが、エニシダからすればこの事実が「けいおん!」の聖典を破壊しようとする動機と深く関わっているだけでなく、自身の抱える運命に対する怒りもある為、複雑なものがある。また、エニシダ「誰とも絆が得られなかった」経緯があり、その事もあってか、エニシダの歌い方は唯ちゃんからも苦しいと称される程に痛みを伴うもの*4となっている。

 6章においては「音楽の都」を根城として、自身が持つ特性を込めた歌を街の住人に聴かせる事で絶望を植え付け、またその歌を聴かせる住人に聖典を持ってこさせる事で、効率良く聖典を汚染させると言う中々に狡猾な手口を使って聖典を汚染させている。また、放課後ティータイムのメンバーにとって絶対に欠かす事の出来ない中心的存在である*5唯ちゃんを捕らえ、絶望のクリエを搾取して聖典の世界を破壊しようと目論んでいる。そして、6章においてもその絶対的な自信は終始全く揺らがず、如何なる状況になっても自分のペースは全く崩さない。その為、少なくとも5章で登場したリアリストのヒナゲシリコリススイセン、そしてサンストーンが見せた様な完膚なきまでの悪辣非道さは無く、それ故に(高飛車な点を除けば)リアリストの中でも比較的人格者であると言えるが、その思想は他のリアリスト同様聖典ありきの世界に対する復讐」に加えて「自身の音楽を分かろうとしない者に対する妬み嫉み」が滲み出ている為、やはりリアリストらしい一面は抜かりなく兼ね備えている。

 彼女は中盤まではその余裕綽々な雰囲気を殆ど崩す事はなかったが、終盤になって「自分の音楽が認められず、彼女が言うただ『楽しいだけの音楽』が大衆に喜ばれていた」際には、一転して彼女は動揺が隠せない様子を露わにしたばかりか、自身が持つ能力である「呪いが掛けられた歌声」に対して自ら恨み節を言う一面までも見せていた。この事実はエニシダにとっては「自分の音楽が認められない事が何よりも嫌な事」なのは勿論の事、自身が持つ特殊能力についても「それは自分が必ずしも望んで手にした能力では無かった事」を意味しており、それ故にエニシダある種の悲しき宿命を背負っているのを示している可能性がある。この事を思えば、彼女があそこまで強がっているのも、自身が持つ悲しき運命故なのかも知れない……。

ハイプリスについて

 リアリストの首謀者であり、聖典の世界の破滅を目論んでいるハイプリス。全体的に破滅的且つ退廃的、そして自暴自棄気味の思想を持つ者が多いリアリスト*6の中では珍しく、達観的な思想に裏打ちされた冷静な立ち振る舞いを主としており、その立ち振る舞いからは奥底知れない聡明さを感じさせ、同時に憧憬の的となり得るカリスマ性をも備えている。また、仲間内に対しては寛大な一面も持ち合わせており、部下である「真実の手」の幹部が再三失敗を重ねても、絶望のクリエが集められているのは事実である事から、必要以上に部下を咎めず、寧ろその働きを褒める事が多いのがその例である。そして、リアリストの名の通り、リアリストに所属するメンバーが現実主義に基づいた思想を持つ者が多い*7のに対して、ハイプリスは意外にもロマンチストな所が見受けられており、故に元々は理想主義を根底とした思想の持ち主だった様にも感じられる。

 上記の様な性質から、ハイプリスはリアリストの中でも比較的穏やかな人柄であり、それ故にどの様な事があっても決して波風を荒立てず、冷静に対処する事が殆ど。ただ、その様な穏健派(ハト派)の性質故か、リコリス等のどちらかと言えば急進派(タカ派のリアリストの幹部からは(思想が噛み合わない事も相まって)快く思われていない面もあるが、ハイプリス本人はその事実を知ってか知らずか、その事について気にかける様子は殆ど見せていない為、彼女の本当の心境は現時点では良く分からない。尤も、聡明で達観的な姿勢を貫き続けている彼女からしてみれば、例えどの様な事があっても聖典の世界を破壊すると言う計画そのものが揺らぐ事はまずないと思われる。また、幾らハイプリスの人柄が比較的穏やかとは言っても、その思想は冷酷非道を地で行く様なものに変わりはないのは言うまでもなく、言ってしまえば団栗の背比べである。

 自身の目的を果たす為にならあらゆる手段を尽くしてやまない面があり、その為になら労力を惜しみなく割く事を厭わない。また、その俯瞰的な物の見方から「あらゆる状況を想定した上で計画を練り上げていく事」にもある程度長けており、今回の6章においてカルダモンにリアリストの計画を知られた上で逃げられた際も、ハイプリスは意にも介さず「カルダモンに計画を知られたと言う前提を手早く組み込んでいる」辺りに良く表れている。その為、ハイプリスはあらゆる状況にも対応できる様にする為の頭の柔らかさと、どの様な状況になってもむやみやたらに焦らない冷静さを兼ね備えていると言え、多少の欠点はあっても流石はリアリストの首謀と言った所である。

 6章においては、ハイプリス自身がきらら達と直接接触する訳では無いとは言え、それまで謎に包まれていた彼女を取り巻く事情が一部遂に明らかになった重要な局面となる。その重要な局面についてだが、その一つに「各地にいる七賢者全てとの絆を断ち切る」と言う壮大な計画を策略している事があり、これは「リアリストが聖典の破滅に向けていよいよ本気で取りかかろうとしている事」を意味しており、その際に聖典との繋がりも深い七賢者の絆そのものを全て断ち切ろうと画策している辺り、ハイプリスもといリアリストの用意周到さが目に見えて分かる。尤も、その計画はスパイとして詮索していたカルダモンに知られるが、ハイプリスは全く怯まず、上記の様にカルダモンに知られた事を見越した計画を立てる事を示唆しているが。

 そして、6章で明らかになったハイプリスのもう一つの重要な事として、嘗ては自身も女神候補生として学んでいた過去があった事と、その際にスクライブギルド長のメディアちゃんと学友だった事であり、これは6章中盤において「メディアちゃんの女神候補生時代の記憶が呼び起こされた事」によって判明している。ハイプリスはメインシナリオ第2部でこそリアリストのトップとして聖典の破壊を目論んでいるが、嘗てはランプちゃんやメディアちゃんと同様、ハイプリスも聖典に対しては誰にも負けない程の底なしの愛と尊敬の念」を心から抱いており、リアリスト時代とは全く異なり聖典の世界に対して深い理解を示していたのである。また、ハイプリスもメディアちゃんと同じ優等生だったらしく、今の聖典が必ずしも全員の希望にはなっていない事実を知った際には、2人共に深き悩みを抱えつつも将来「自分が女神になった暁には、必ずそういった人達をも救える様な聖典を書ける様になりたい」と言う夢は共通していた。

 しかし、現実はあくまで厳しく、2人共に結局女神になる事は叶わず、ハイプリスは辺境で聖典の布教に努める神官となる事を、メディアちゃんはスクライブとなる事をそれぞれ決断し、お互いが持った夢に対して違う道から進む事を決断した格好となった。だが、時が流れたメインシナリオ第2部において2人は全く違う運命を辿る事になり、メディアちゃんはスクライブギルドのギルド長として聖典を写本する役割をする人達をまとめる存在になった一方、ハイプリスは今の聖典に何らかの事情で失望し、自分の理想の世界の為に聖典の破壊を望む存在の首謀者になり、それ故にかつて共に優等生として聖典に対して深い理解を示し、限りない程の憧憬意識を持っていたメディアとハイプリスは、何時しか聖典を愛そうとする事」と、「聖典を破壊しようとする事」の2つの相反する価値観によって分断されてしまった訳が、この事に関しては私が感じた事、思った事を交えて後述する。

6章について思う事

 ここからは6章全体に対して個人的に考えている事、思っている事を中心に書き出していく。ここはかなり重めな内容が含まれている為、注意して欲しい。

変化しゆく想い

 まずは6章全体の印象について書き出したい。6章は個人的には前回の5章に比べれば心の負担はある程度少なかったものの、それでもシリアスで重厚な内容は中々に刺さるものであり、特にリアリスト達が抱える壮絶な運命や切なき過去が明らかになった時は、ある程度予想のできた事だった*8とはいえ、いざ突き付けられた際にはショック以外の何物でも無かった。また、中盤でメディアちゃんとうつつちゃんのやり取りから明らかになった聖典の問題点や限界」に関しては、私としても容易には結論を出せないながらも良く考えるべき内容だと思いつつも、やはり事実そのものに対する衝撃はかなり大きく、そう易々と考えを張り巡らせられるものでは決して無かった。その為、6章もメインシナリオ第2部らしいシリアスさは健在であり、決して心の負担が全くない程甘くは無いのである。

 ただ、6章は心が重くなる様な展開が少なくない一方、メインシナリオ第2部の中でも特に思わずほっこりする様なゆるい展開が印象的な章でもあり、うつつちゃんとメディアちゃんの仲睦まじいやり取りや、「放課後ティータイム」のメンバーが魅せるゆるいやり取りがその代表格である。そして、私としてもその様なゆるいやり取りには思わずほっこりとした事も度々あった上、シリアスでハードな展開が多いメインシナリオ第2部において、ゆるいやり取りがどれ程私の心の緊張を解してくれたか分からなかった。元々私はほのぼのとした和やかな展開が好きなのは勿論の事、シリアスでハードな展開のシナリオにもある程度強い耐性と、他の趣味分野にも引けを取らない強い興味関心があり、故にこのメインシナリオ第2部のシナリオに対しても強い興味関心を今日に至るまで抱き続けているが、それでも私の心に全くダメージを負わない訳では無く、シリアス且つハードな展開を絶え間なく触れ続ければ、少なからず心にショックを受けるのは事実ではあるので、6章の様にゆるいやり取りが随所に登場してくれる事で心の負担が幾分軽くなる為、私としても相当に有り難かったのである。

 また、ゆるい展開が随所に登場すると言う事は、それだけキャラクター同士の楽しそうな掛け合いが多く見られる事でもある為、6章はメインシナリオ第2部の今までの章と比べてキャラクターの楽しそうなやり取りが一際目立っていた様に感じている。ただ、今までの章でもゆるい展開は随所に存在しており、それはメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶だった5章においても同じ事である為、何故6章を見た時にその様な感触を抱いたのか些か戸惑いがあったのだが、恐らく前回の5章が「メインシナリオ第2部随一のカタルシスを感じられるとは言え、途中までの展開がメインシナリオ第2部でも随一の壮絶さ*9と言う印象が強かった事もあって、6章も決してゆるい展開ばかりでは無く、重い場面はしっかり重いとは言え、それでも5章と比べて相対的にマイルドな展開だと感じたのが大きかったと考えられる。その為、「6章はゆるい展開がメインシナリオ第2部全体の中でも目立っていた」と言うのは、私自身の相対的な主観が多分に含められている事が否めないが、ただ一つ言える事として6章は前回の5章と比べて絶対的にマイルドである事は間違いないと考えている。

 この様な事から、私自身が6章に対して抱いている想いは実に多岐に渡り、一義的な見方に落とし込むのが非常に難しい状況になっているのが実情であるが、6章は個人的に「前回の5章に比べてシリアスでハードな展開は多少マイルドになり、メインシナリオ第2部の中でもゆるい展開が印象的である一方、本気で考えさせられる部分の内容はメインシナリオ第2部の中でも随一の重さ」があると捉えている為、私自身如何なる場合においても、自分自身が持つ多岐に渡る想いによって心が揺らいでいたと思う。言ってしまえば、6章全体の振れ幅があまりにも大き過ぎる為、どの様な視点や心構えをもって、この6章を受け止めれば良いのかさえ私には全然分からないのである。個人的には、この様な錯綜した心境から抜け出せない事に対して情けない限りだが、迷いがあっても想いそのものは堅牢なので、最早錯綜する想いすら強力な武器に変えてしまう程の強い意思をもっていきたいと思う。

やり場のない宿命と悲しき運命

 ここからは上記の項目で(詳しくは後述)と書いた、エニシダ本人が思わず見せた一面たる「自身が持つ特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感」と、元女神候補生にして、女神候補生時代には共に優等生として良き関係だった「メディアちゃんとハイプリス」について思う事を書き出していきたいと思う。

 

ここから先はこの記事全体の中でもトップクラスに重い内容が含まれているので、特にご注意ください。

 

 まずはリアリストの「真実の手」が1人であり、「歌手」の異名を持つエニシダが抱えているであろう「自身が持つ特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感」についてである。これは終盤に「放課後ティータイム」の演奏によって大衆の関心を根こそぎ奪われ、窮地に追い込まれた際に、エニシダ自身の特殊能力に対する憤りを露わにした言動を見せた事から考えたもので、正直私としては、この様な彼女の言動を見て「これはエニシダが抱える非情な運命を痛々しく体現するもの」と感じ取る以外に思う術がなかった。何故なら、エニシダ「自分の歌を周りの人達にも認められたいと願っているのに、自身が持つ呪い(特殊能力)故に、例え彼女が血反吐を吐くほどの努力を重ねたとしても、彼女が持つ呪いが効力を持ち続ける限りは認めて貰えないと言う、彼女が抱える「自分ではどうする事も出来ない非情な現実」を感じ取らずにはいられなかったからである。

 ただ、エニシダ「自身の特殊能力を使って」絶望のクリエを集めると言う行動に出ていた為、彼女には「自ら積極的に自分の能力を使っている一面がある」のも事実であり、それ故に一種の矛盾が生じている*10様にも考えられるが、エニシダ自身の願望と特殊能力を掛け合わせると「自分の音楽を認められたいと欲する事は、同時に周りの人達を否が応でも絶望に叩き落す事を意味する」と言う構図になる為、彼女は抑々ある種のジレンマを抱え続ける事を宿命付けられていると言え、故にどう足掻いても矛盾がほぼ避けられないと言う悲しき運命を背負う事に繋がってしまっている。つまり、彼女が自分の能力を積極的に使う事は、彼女にはそれだけ世の中の不条理に対する怒りや、自分自身に課せられたどうにもならない呪いに対する悲しみがあると言う事であり、表面的には矛盾が生じている様に見えて、その実態はエニシダが抱える深き闇を体現している訳である。

 また、エニシダ「自分の歌を周りの人達にも認めて欲しいし、喜んで貰いたい」と言う、人間なら誰しも少なからず望むであろう願望を持つ一方、自身の歌声には人々を絶望に追い込み、記憶すら改変できる特殊能力がある(呪いとも)と言う事実そのものも、私からしてみればあまりにも冷血かつ悲愴的な運命だと考えている。だって彼女の歌には、彼女自身が持つ呪いのせいでエニシダ本人の意思とは関係なく絶望に叩き落としてしまうわ、記憶を改変してしまうわの有様で、これだけでも既に彼女の歌を聴いて喜ぶ人間は殆どいない事が確定する為、「自分の好きなものが認められる可能性は絶無に等しい」と言う絶望に打ちのめされると言うのに、彼女はそれに加えて現在置かれている絶望的な状況から抜け出す為の方法が殆どなく、最早一縷の希望を抱く事すらまともにできないと言う八方塞がりな状況下に置かれている訳であり、これを思えば、エニシダが彼女自身に課せられた運命や特性を呪う事に対して僅かでも頷けるだろうし、なにより自分が大好きなものを、よりによって自分自身の能力で蔑ろにしてしまっている事実程、残忍で冷血な運命だと言うのも早々ないのだから。

 そして、これらを思えば、私が終盤におけるエニシダの憤りを見た際に、「彼女には自分の特殊能力に対するコンプレックス及び嫌悪感があるのではないのか」と確信付いたのはある意味当然だったとも思う。何故なら、エニシダは終盤に自暴自棄になり、自身がこよなく愛するだけでなく、誰にも負けないと思える程の自信とプライドに満ち溢れていた「歌」に対しても、破滅的で退廃的な思想を剥き出しにする事すら厭わない程に粗野粗暴な精神状態になっていたが、あれは彼女が抱える特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感が自分自身でも押さえ込めなくなった結果であり、同時に彼女が「本当は歌を純粋に認められたかっただけなのに、それを呪いのせいで自分の意思には関係なく叶わぬ物にされた」と言う怒りと悲しみを体現している事に他ならないと容易に考えられるからであり、これらの諸事情を思えば、エニシダが普段高飛車なのも「自身が抱えるコンプレックスと嫌悪感を周りには隠し通す為」だとも見てとれる。

 纏めると、私が考えているエニシダのコンプレックスと嫌悪感と言うのはエニシダが持つ特殊能力(呪い)に対して、エニシダ本人にとっても『自分の好きなものを周りには認められないものにする諸悪の根源である事』に対して憤りを覚えている」と言う事であり、これが果てしなき苦悩の呪縛としてエニシダを苦しめる要素として機能し、やがてエニシダ本人の思想にも多大な影響を及ぼす様になり、遂にリアリストの「真実の手」の「歌手」として、自分の歌を否が応でも聴衆に認めさせようと、過激な手段をもって人々を絶望に追いやる様になってしまったと考えられる訳である。尤も、これがどこまで真実に迫れているかは自分自身でも分からないのだが、エニシダが自分の歌に対して抱えている悲愴的な想いを思わずぶちまけたのは紛れもない事実である為、その真相が明らかになった時、手放しに喜べる事は恐らくないだろう……。

 また、この様なエニシダの心境から分かるもう一つの事例として、突き詰めると「特殊能力を持つ者全員が、各々望んでいた様な能力が備わっている訳では無い事や、抑々特殊能力を宿す事自体望んでいなかった事」を体現しているのではないかとも私自身捉えている。抑々私が言う特殊能力とは、基本的にはある特定の人でしか扱う事の出来ない特殊な力の事であり、私が思うその特殊能力をまとめると下記の通り。尚、ここではメインシナリオ第2部に深い関わりがある人物をピックアップしている。

  • きらら⇒「聖典の世界の登場人物の力を借りる為、エトワリアに実体を伴わない形*11で召喚するコール(きららが伝説の召喚士たる所以)や、人と人の繋がりを表すパスそのものの感知及び再度繋がりかけたパスの再接続」
  • サンストーン⇒「パスの強制断絶(即ち人と人の絆や繋がりを断ち切る能力)」
  • うつつ⇒「ウツカイが書いた文字の解読、強力なウツカイを自力で召喚(特定の条件下のみ)、エニシダの呪いを目視及び解除可能(解除については例外パターンあり)、リアリスト幹部の対話が突然聞こえてくる(特定の条件下のみ)」
  • エニシダ⇒「自身の歌声を聴いた者を絶望に追い込み、歌を聴いた者の記憶を改変する呪い」

 この様にこの4人は何れも(少なくとも物語上明言され、且つメインシナリオ第2部の時間軸においては)自分だけにしか備わっていない様な特殊能力を持っており、同時にそのどれもがメインシナリオ第2部ひいてはきららファンタジアの世界観そのものにも深い関わりを持つ重要なものなのだが、実の所現時点では「これら特殊能力をどうやって手にしたのか、抑々特殊能力を手にする条件は何なのか」と言うのが殆ど分かっていない為、特殊能力の真意は実にミステリアスなベールに包まれている訳だが、私はそんな特殊能力に対してどこか楽観的に捉えていた節があり、特殊能力によって運命の歯車が狂わされている人がいるとは、よもや思ってもみなかった。

 しかし、その様な楽観的な思考は、メインシナリオ第2部6章に登場したエニシダによって完全に崩壊した。エニシダ自分自身の特殊能力によって自分の好きな歌を周りには到底受け容れられないものにされ、且つ自分の運命さえも自身の特殊能力によってかき乱されていたからである。しかしながら、この事実は同時に今まで何度も書き出してきた様な「特殊能力を持つ者全員が、望んで能力を運用している訳では無い事や、抑々特殊能力を宿す事自体望んでいた訳では無かった人もいる事」に気付かせてくれた重要なきっかけともなり、結果的にエニシダの「特殊能力を持つが故の悲愴的な境遇を考える事」にも至れた訳である。

 

 次に「メディアちゃんとハイプリス」についてである。この2人はメインシナリオ第2部でこそ、かたや聖典を深く愛する者」と、かたや聖典を破滅に追い込もうと画策する者」と言う全く正反対の価値観を持った構図になっているが、元々は同じ女神候補生の優等生2人組にして、2人共にお互いの事をよく理解し合う良好な関係であるのと同時に、2人共に聖典を深く愛し、将来的にはエトワリア全域に届く様な聖典を生み出していきたいと志していた過去があり、故にメインシナリオ第2部の様な対立構図となってしまう気配は微塵も無かった。その為、私としても「あれほど仲が良く、お互いに聖典を深く愛していた過去があったと言うのに……、そんな残酷な話があるのか……。」と、この様な衝撃的かつ悲愴的な事実を信じたくはなかった気持ちも無くは無かったが、メディアちゃんの神妙な面持ちを見れば、最早信じる以外の選択肢は残されていなかった。何故なら、私にはメディアちゃんが勇気を出して打ち明けた事実を否定する事なんて、どう足掻いても出来ないと言うのだから……。

 この様に「メディアちゃんとハイプリス」の関係性や価値観の相違については、私としても心を強く揺さぶるものがあるのだが、その問題とは別に抑々「何故ハイプリスは自身が愛していた聖典を破壊しようと思い立ったのか」と言うのも気になったものである。元々私自身としては、5章以前からハイプリスに対して「元々は真っ当な思想を持ち、多くの人を惹きつける魅力があった人」と言う認識があり、5章で明かされた「ハイプリスも嘗ては聖典を深く愛していた」と言う事実を知った事でその想いは確固たるものとなった経緯があり、それ故にハイプリスは、同じリアリストに所属するリコリスを代表する様に聖典に対して抑々理解が示せなかった」のを理由に聖典を破壊しようと目論んでいる訳では無いとは何となくでも分かってはいた。その為、今回6章で明かされた事実は、私にとっては「やはりハイプリスは単に聖典が嫌いで破壊しようと画策した訳では無かったと確信できた」と言う意味でも重要なのだが、そうなってくると、「ハイプリスが聖典を破壊しようと言う考えを持つに至ったのは何故なのか」と言う疑念が益々尽きなくなる。

 だが、6章ではなんとご丁寧な事に、ハイプリスが「何故聖典に失望したのか」を辿る為の道がある程度示唆されている。尤も、本人の口から語られた訳では無く、メディアちゃんが見せた素振りからある程度は推察できると言うものだが、その様なものを見せられて黙っていられる様な私ではなく、自分の頭の中で色々と考えを張り巡らせたものである。そして、そうやって考えを張り巡らせた結果、私が思うにハイプリスが聖典に失望したのは、6章中盤で語られていた様な「現状の聖典では、エトワリア全域を救済しているとは言えない現実がある事」に訳が隠されていると言う考えに行き着いたのであり、その考えを箇条書きにすると以下の通り。(ナンバリング順となっています)

  1. ハイプリスは女神候補生時代に聖典が抱える問題を知り、自分はその様な問題も解決した聖典を生み出せる様になりたいと誓い、女神にはなれなかったものの、神官として聖典に対する拘りは貫いていた。
  2. しかし、彼女は「単に聖典の信仰を広めようと努力しているだけでは、何時まで経ってもエトワリア全域に届く様な聖典を作り出す事は不可能」と、現状の聖典の限界を悟る様になり、徐々に考えを変化させる様になる。
  3. 考えが変化した末、彼女は最終的に現状の聖典を破壊し、このエトワリアと言う世界の真実を、現状の聖典によって救われていた地域を含めたエトワリア全域に知らしめた後に、新たに誕生する世界の創造を望む様になった。

 箇条書きの構成があまり上手くないとは思うが、端的に言えば「ハイプリスは神官として過ごしていく内に、個人の信仰に頼り切った現状の聖典では、エトワリア全域を救える様にはなれないと悟り、それを解決するには現状の聖典を一度帳消しにして、現状の聖典に代わる新しい物を作らなければならないと考える様になった」と言うのが私の考えであり、私としてはこう考える事でハイプリスが聖典の破壊を望んている理由や、メディアちゃんとハイプリスで進んだ運命が分かたれた事も整合が付く訳である。尤も、この様な事を言うものでは無いが、ハイプリスが本当はどうだったのかをきっちり当てられているとは自分でも到底思う事は出来ないのだが、6章時点ではハイプリス本人の口から彼女自身の経緯について語られている訳では無い為、致し方ない面はある。

 ただ、ハイプリスが元々は聖典に対してメディアちゃん並みに深い理解があったのは紛れもない事実である為、ハイプリスが聖典に望みを失う形で聖典の破滅を望む様になったと言うのは恐らく間違いないと考えている。そうでなければ、彼女は態々「リアリスト」と言う組織体を作ってまで聖典の破壊を遂行する必要は無い訳であり、6章において明かされた衝撃の真実は、このメインシナリオ第2部の根幹にも関わる要素である事は疑いないと思われる。

 因みにメディアちゃんとハイプリスは、メインシナリオ第2部においては「聖典を愛する者と、聖典の破滅を望む者」と言う価値観が全くもって相違する2人となった訳だが、この事実をハイプリスはどう思っているのかは個人的に気になる所である。考えられるものは「メディアちゃんの様に、嘗てとの豹変ぶりに心を痛めている」か、或いは「過ぎ去った過去は最早顧みる事もない」と言うのがあると思うが、ハイプリス本人の言動を見るに、恐らくは後者の傾向が強いと思われ、もしそれが本当ならそれ程悲しい話は無い訳だが、私はハイプリスの人柄全てを知っている訳では無い為、6章時点で全てを決め付けるのは些か早合点だろう。

現状の聖典の限界

 最後に6章中盤でメディアちゃんとうつつちゃん、そしてランプちゃんの3人のやり取りから見えてきた「現状の聖典の限界」について私が思った事を書き出したいと思う。聖典の限界と言うのは「現状の聖典ではエトワリア全域に聖典の加護を届ける事は出来ない」と言う事であり、これは6章中盤におけるメディアちゃんとうつつちゃんのやり取りの中で明かされた聖典が信じられていない地域では、動乱や貧困と言った問題が根深く存在している」と言うものが裏付けとなっており、この問題を打ち明けた際のメディアちゃんとうつつちゃん、そしてその問題を少し遅れて聞き耳を立てたランプちゃんの3人が見せた神妙な面持ちは非常に印象的である。

 この様な聖典の限界をはっきり宣告された事に対しては、私としてもかなり複雑な心境なのだが、実の所メインシナリオ第2部は6章以前から、初登場の3章時点から「聖典の内容が理解できない」と宣告しているリコリスや、5章における聖典の信仰を捨ててリアリスト側に寝返った人物等、聖典が必ずしも万人の救いになっているとは言えないと感じさせる様な描写は確実に存在していた為、6章において聖典は必ずしも万能ではない」と宣告された事に対する驚きと衝撃こそ隠せなかったものの、私自身心のどこかで分かってはいたと思う。尤も、6章で宣告されるまでは聖典にはどうしても限界がある」と考える事に対してとても前向きにはなれなかったのも事実であり、ある意味6章で放たれた宣告は私にとって「狼狽えるな。自分の考えを信じて貫き通せ。」と言われた様なものだと思う。

 そんな吹っ切れた想いがあるからこそ言える事なのだが、私は聖典にはどうしても限界が存在し得る事実」に対して「ある程度は避けられない宿命」だと捉えている傾向がある。何故なら、聖典に記載されている内容を万人の価値観に迎合させる事は非常に困難なのは明白である上、聖典の内容をどの様に解釈するかは読み手の自由である事を思えば、聖典の内容が理解できないと考える人が一定数いる事はある意味当然の道理と考えられるからであり、端的に言えば「エトワリアに在住する人全員が、聖典の内容に対して理解を示す訳では無い」と考えている訳である。そして、その仮説を裏付けるものとして「メインシナリオ第2部において聖典の破壊を目論む『リアリスト』の存在」聖典の内容が理解できないと公言するリコリス、そして「エトワリアにおける動乱地域の大半は、聖典が信じられていない地域である事」等々が挙げられ、最早聖典にはどうしても限界がある事を思わざるを得ない実態が浮き彫りになっていると言わざるを得ないであろう。

 しかしながら、私はこの様な実態を聖典を生み出す存在である女神様や神殿関係者が黙っているとは到底思えないとも考えており、現時点でもその実態は殆ど描写されていないとは言え、女神様や神殿関係者としても「現状の聖典の限界に対する何かしらの対策」を講じていると考えている。だが、それでも聖典の問題は何故一向に解決されないかと言えば、女神様や神殿関係者としても聖典の問題に対して真剣に向き合っているが、問題が問題だけに有効な解決策が中々見つからずに苦慮しているから」だと考えており、もどかしい実態があるが故だと捉えている。

 また、元々は優秀な女神候補生であり、聖典には幾多の問題がある事を女神候補生時代に受けた授業で知り、それからその聖典の限界を克服出来る様な聖典を生み出せる様な存在になりたいと誓ったメディアちゃんとハイプリスにしても、メディアちゃんはスクライブギルドのギルド長として聖典の写本に精を出すも、聖典の問題に対しては中々もどかしい想いを抱え続けており、ハイプリスに至っては既存の聖典を見切りをつけ、リアリストの首謀として聖典の破壊を目論む様になった結果、今回のメインシナリオ第2部の事件を引き起こすまでに至った辺り、どんなに知見に溢れる人でも聖典の問題を解決する事が極めて難しいのを改めて印象付けさせている。

 この様な実態を鑑みれば、私としても現状の聖典が抱える問題の解消は非常に難しいと言う考えに異論はなく、その様な現状を鑑みれば、ハイプリスの様に「聡明で聖典に深き理解ある人物であっても、問題を解決する為には現状の聖典を一度チャラにしなければならない」と言う急進的な思想に至り、そして実行に移す事もあり得ないとは言い切れないと考えている。無論、その様な急進的な行動を実行する事は、出来れば無いに越した事はないと思うし、現状の聖典を維持したまま問題点を解決できるのが理想形であるのも事実だと思うが、言ってしまえばそれが出来たのなら、今回のメインシナリオ第2部の様なエトワリアの根幹を揺るがすまでの事態にはならなかった訳であり、それ故に今回の騒動は聖典はこのままで良いのか?」と言う長年の課題が急進的な形で表れている側面があるとも捉えている。

 ただ、それらの事情を加味しても、メインシナリオ第2部においてリアリスト達が遂行しようとしている聖典の破壊」は、エトワリアや聖典の世界に与える影響がはかり知れず、また多くの人の幸せや権利を無慈悲且つ身勝手な形で奪ってしまう事にも繋がってしまう事や、リアリストに所属する人々の思想があまりにも退廃的且つ自暴自棄が目立つだけでなく、私利私欲の為に聖典の破壊を望んでいる面が否めない事もあって、どう足掻いても許される様な行為ではないと言わざるを得ないと思われる。しかしながら、リアリストの行為が決して許される様なものでは無いとは言っても、リアリストの面々の様な現状の聖典に対して不満を抱く者や、抑々聖典に対して理解が示せない者もいるのもまた事実であり、メインシナリオ第2部ではその様な不満が「聖典の破壊への渇望」として具現化した側面がある為、リアリストが取った行動によって、結果的には聖典に対する課題や意義が大きく変わる可能性も考えられるのではないかと捉えている。尤も、6章時点でどうなるのかは正直まだまだ分からないが、最終的には聖典に対する何か大きな答えが示されると考えている訳である。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部6章で私が考えた事である。6章は前回の5章に比べると、想像を絶する程の痛みや悲しみ、そして怒りが迸る(ほとばしる)までにストレートできつい描写は幾分マイルドになっており、これに加えて6章ではメインシナリオ第2部でも随一のゆるい展開が全般的に見受けられている*12為、5章よりもかなりマイルドに進められる様になっているが、6章はもう一つの一面として精神的な意味でのシリアスさとハードさ加減がメインシナリオ第2部の中でも随一と言う面があり、特にリアリストのエニシダとハイプリスが抱える悲しき経緯や宿命、そして聖典をめぐってエトワリアに存在する問題点は、メインシナリオ第2部の根幹にも関わる内容なのも相まって、考えれば考える程に心がどんどん重くなっていく痛さを醸し出している。その為、6章はほんわかした展開と悲愴感溢れる展開との振れ幅が非常に大きいのが特徴的だと言え、全体的に見れば5章よりかはマイルドなものの、その恐るべき潜在力はメインシナリオ第2部の中でも随一である。

 その様な事から、6章はどの様に捉えていけば良いのか、その糸口を掴むのが悍ましいまでに難しく、捉え様によって「メインシナリオ第2部の中でもマイルドでゆるい展開が印象的だった」とも「よくよく考えてみれば、今までの章の中でも実はトップクラスに悲愴的な事実が散りばめられていた」ともなる振れ幅の大きさは、最早頭を抱えるほかなかった。なまじ前回の5章のインパクトが強烈過ぎるまでに強烈だった為、中々気付きにくかったが、6章も5章とは別ベクトルながらも本気で心を抉りにかかっていた訳であり、更に5章と違ってえげつなさが表立って表れにくい点を思えば、6章はある意味陰の実力者であり、その実力は5章すら上回る可能性すらあると思う程だが、今後の章で5章、6章よりも更にハード且つ悲愴的な展開を引っ提げたシナリオがやってくる可能性も否定できないと思わせてくれる点も、このメインシナリオ第2部の恐ろしい点であり、魅力的な点でもあると思う。

 また、私としてはこの6章でメインシナリオ第2部の根幹にも関わる情報が遂に示唆され始めてきたとも見ており、それ故に今後の章ではエトワリアを揺るがす程の重要な真実が見えてくるだけでなく、未だその全貌が見えないリアリストの存在意義や抑々の結成に至るまでの経緯、そしてうつつちゃんがエトワリアに来た経緯や、サンストーンときららの関係性等々、メインシナリオ第2部を取り巻く謎にも切り込んでいく様なシナリオが待っているのではないかと考えている。尤も、私には最早このメインシナリオ第2部がどの様な展開を迎えていくのか良く分からないのが正直な本音だが、私としてはどの様な展開になっても最後までメインシナリオ第2部を読み進めていく所存である。

 最後に、この6章は全体的に「音楽」と深い結び付きが感じられるシナリオ構成故に、様々なジャンルの音楽が好きな私にとっても、6章の舞台の「音楽の都」の人々や、きららちゃん達とりわけ聖典に対する深き愛を持つランプちゃんとメディアちゃんが「放課後ティータイム」の生演奏を大いに楽しみ、そして感銘を受けた場面や、感情的になりながらも自分の音楽に対する拘りを捨てなかったエニシダの熱き姿勢等々、心に直接響くまでに深き感銘を受ける様な内容が様が多かったのは改めて書いておきたい。そして、今回は非常に長い内容となったが、それもひとえにメインシナリオ第2部に対してそれだけ本気で向き合っている事だと思いつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

今回の文量はこのきらファンの感想・考察としても、私のブログ記事全体としても過去最大の400字詰め原稿用紙63枚分にもなった。今回は個人的に書きたい事が盛り沢山だったとはいえ、ここまでの文量になるとは正直私でも予想外であった為、今後の章ではここまで膨大な文量になる可能性はそこまで高くないと思われるが、次はどうなる事やら……。

*1:現時点では5章が最も顕著に表れていた印象があり、あの時の痛みは相当なものだった記憶がある。

*2:世界とは「エトワリア」の事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。ただ、それはあくまで「リアリストからすれば」と言う事を忘れてはいけない。

*3:但し、これは彼女自身「人間は所詮ひとりで生きていくしかない」と考えているのが大きく、ある意味強がっている可能性もある。

*4:恐らくエニシダ本人の特殊能力と、本人が抱える「運命に対する怒りと悲しみの感情」がそうさせている。

*5:抑々彼女の担当は「ギターボーカル」である為、その観点からもバンドには必要不可欠だと言える。

*6:特に5章で登場した「ヒナゲシリコリススイセン」が顕著であり、5章が凄まじくシリアスでハードな展開になっているのも、この3人が破滅的な思想に基づいた行動をとっている影響が大きい。

*7:世の中は金ありきと考えるスズランや、精神的な救いがあっても腹が膨れなければ意味が無いと考えるスイセンが顕著な例。

*8:ハイプリスが過去に聖典を愛していた事実そのものは、前回の5章最終盤で本人の口からうっすらながらも語られていた為。

*9:抑々5章がメインシナリオ第2部の中でも随一のカタルシスが感じられる事自体、その想像を絶する程の壮絶さに拠る所も大きいとは思うのだが……。

*10:エニシダが望む「自分の歌を周りの人達にも認めて貰いたい」と言うのは、彼女が6章で見せた様な「人々を絶望に追い込んだり、人々の記憶を改変させたりする」行為では到底望めない為。

*11:実体を伴う形での召喚は「オーダー」や「リアライフ」であり、どちらもエトワリアと聖典の世界に与える悪影響が計り知れない為、禁忌魔法としてその使用はいかなる場合でも固く禁じられている。つまり、メインシナリオはどちらも「世界の危機を救う為の冒険」と言う面が深く存在している。

*12:ゆるい展開自体はメインシナリオ第2部全体を見ても(5章も含めて)結構存在しているが、6章は特にそれが印象的である。

きらま2022年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。2022年最初のきらまの発売日を迎えましたが、私は2022年になってから、パンク・ロックひいてはロックに対するマイムーブメントを更に強めています。その為、徐々に趣味の軸が移りつつある状況にありますが、ごちうさ含めた日常系に対する熱意はこれからも継続させていく所存なので、何卒宜しくお願い致します。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年3月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号は先月号同様、一貫した時間軸の中で物語が進んでいく「何時ものごちうさ」と言ったテイストになっていますが、その中でも中々「これは重要だな」と思わせてくれる要素も散りばめられているので、今回は私が重要だと思った所を中心に書き出していきたいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は正に日常系を地で行く様な構成であり、それ故に激震が走る展開も少なくなかった最近のごちうさの中で「ほのぼのしたごちうさが中心的に表れてきた」と述懐させられる印象が強くあるが、その一方で「確実に成長している皆の姿」「運命の分岐点には確実に近付いている」と思わせる様な描写もしっかり用意されており、総じて言うなら、今月号は「全体を見るなら比較的大人しめだが、こと焦点を絞ると重要な何かが見えてくる」と言う中々に奥が深い構成になっていると考えている。

 また、今月号は主に「チノフユ」に焦点が当てられたお話になっているが、他の登場人物に関しても今まで見せなかった意外な一面を見せる場面も登場しており、その要素も個人的には絶対に外せないと思える程重要なものだと捉えている。今回は最初に大筋を書き出した上で、途中からは「私が重要だと思った事」を書き出すものとする。

2.購読した感想・考察

お弁当から見える想い

 今月号は心愛ちゃん達が通う学校において「お弁当を食べ合う」事から始まるのだが、今月号のキーポイントはその「お弁当」なのは明白であり、お弁当をめぐっては今後終盤まで非常に重要な要素として機能している。尚、お弁当を食べ合う場面で様々な一面が見えているが、その中で一際目立っていたのは冬優ちゃんであり、彼女は他の4人がお弁当を食べているのをよそに一人小さなベーグル一個だけを頬張っているのである。普通に考えても、お昼に小さなベーグル一個だけではいくら何でも流石に足りないと思われるが、冬優ちゃんはどうも「食に対して興味があまりない」らしく、故に冬優ちゃんからしてみれば、小さなベーグル一個だけでも別にそこまで気にする様な事でも無いのだろう。何だか心配にもなるが、千夜ちゃん達のお弁当を貰う際には普通に喜んでいた為、冬優ちゃんは抑々「食事そのものが嫌い」な訳では無く、単純に「食に対して興味があまりないだけ」だと思われる。

 そんな中、千夜ちゃんが手作りお弁当を交換し合うのはどうかと持ちかけるが、この手作りお弁当を交換し合う事は今月号の主軸であり、その展開は今月号の終わりまで続いている。尚、手作りお弁当の交換し合う組み合わせは、双方向は「ココフユ」、一方向は確認できる限り「理世ちゃんから心愛ちゃん」「紗路ちゃんから理世ちゃん」「心愛ちゃんから千夜ちゃん」「千夜ちゃんから紗路ちゃん」と言う構図になっており、それぞれ自分が作ったお弁当を食べて貰う為に奮闘する様子が窺える。また、組み合わせを見ると「心からの親友」「同じバイト仲間にして良き親友」・「同じ高校の先輩と後輩」*1「昔からの幼なじみ」とバラエティー豊かであり、改めてごちうさが魅せる人間関係の広さが良く分かる。

 そして、その中でも特にフォーカスが色濃く当てられているのは「チノフユ」であり、お互いに手作りお弁当で喜んでもらう為に尽力しようとする中で、2人共に理由は違えど「私が本当に上手く出来るのか」と思い悩む場面もあるのだが、そんな2人に対して智乃ちゃんには心愛ちゃんと理世ちゃんが、冬優ちゃんには千夜ちゃんと紗路ちゃんがそれぞれサポートしてあげており、それ故に手作りお弁当の為に友達が集結し、尽力すると言う形で「友達を想い合える優しさ」が目に見えて分かる様になっている。ただ、智乃ちゃんと冬優ちゃんではそのサポートの受け方に違いがあり、この違いに智乃ちゃんと冬優ちゃんそれぞれの現在の成長度や、木組みの街が持つコミュニティに対してどの程度馴染んでいるかが色濃く表れていると言える。しかしながら、全体を通してみれば「お弁当を通じた繋がりの再認識が非常に意味のあるもの」なのは明白であり、ここからはそんな「お弁当」を中心とした繋がりを読み込んでいく中で、私が特に重要だと考えた事を書き出したいと思う。

チノフユの想い合い

 まず今月号においては、何があっても「手作りのお弁当を作り合う事」に対して最も描写が多かったチノフユを外す訳にはいかないであろう。チノフユは「同じ高校の同級生にして大切な親友」であり、その関係性は旅行編を経て10巻で更に深められている様子が描かれている。性格は両者で共通している部分も多いが、智乃ちゃんが精神的な成長の甲斐あって、あらゆる物事に対して割と能動的なのに対して、冬優ちゃんは内気さ故にやや受動的だと言う違いがある。ただ、その構図は智乃ちゃんにとって「自分の事を妹の様に可愛がってくれている心愛ちゃんとの関係」を思わせるものである為、その事も2人の仲をより深めていく中でプラスに作用していると思われる。また、2人共にチェスが強いと言う共通点があり、特に冬優ちゃんは大人顔負けの腕前の持ち主だが、2人共に嫉妬の感情に駆られると、途端に本来の実力を発揮できなくなると言うのも共通している。

 そんなチノフユだが、この「お弁当の作り合い」に対しては2人共に前向きであり、とりわけ食に対する興味が全然ない冬優ちゃんが興味を示したのは非常に意味がある事だと考えている。何故なら私からしてみれば、自分が興味がない分野に対して「友達が何やら楽しそうな事をやっているからやってみたい」と思えるのは非常に凄い事だと考えているからと言うのもあるが、それ以上に冬優ちゃんが「智乃ちゃん達がやっている事に私も飛び込んでみたい」と言う意思を持っているのが改めて確認できるからである。10巻で目まぐるしい成長を見せた冬優ちゃんだが、元々は恥ずかしがり屋且つ引っ込み思案な性格である為、木組みの街に来たばかりの頃だったら、恐らく今月号の様な事は中々難しかったのではないかと考えている。つまり、今月号での冬優ちゃんの行動は、それだけで「彼女の成長を示している」訳なのである。

 ただ、こと「お弁当作り」に関しては2人共に中々苦慮していた様子を見せていたのが印象的であり、苦慮していた理由は、智乃ちゃんは主に「どうやっても自分の父親のお弁当作りの腕には敵わない事*2であり、冬優ちゃんは主に「抑々食に興味がない故に、どの様なお弁当を作れば良いのか全く分からなかったから」なのだが、その様な形で苦慮していたのも「冬優ちゃん、智乃ちゃん共にお互いの事をきちんと想い合っているが故」なので、それだけ「美味しいお弁当を食べて貰いたい」と言う想いが存在している証でもある。ここからはそんな2人のお弁当作りについて、私が重要だと考えた事を書き出したいと思う。

 智乃ちゃんのお弁当作りに関して私が重要だと考えた事は、前述の内容とかなり被っているが、智乃ちゃん自身が「冬優ちゃんには自分が作った最高のものを食べて貰いたい」と言う妥協なき想いが強く存在している事である。何故智乃ちゃんには「妥協なき想いがある」と考えたかと言えば、抑々智乃ちゃんは料理上手な事もあって、心愛ちゃんと理世ちゃんからはそこまで心配されていなかった中で、智乃ちゃんはそれでも「自分の父親にはどうしても敵わない為に、自分の作ったお弁当が、果たして冬優ちゃんに満足して貰えるか不安」と言う心境を明かしていたからである。これが意味する所は智乃ちゃんが「やるからには、例え自分の父親であっても負けない物を作りたい想いがある事」であり、智乃ちゃんの負けず嫌い且つ一切の妥協を許さないストイックな一面が垣間見えている訳である。

 また、智乃ちゃんは心愛ちゃんと理世ちゃんとも相談をした上で、最終的にキャラ弁を冬優ちゃんに作ってあげるが、智乃ちゃんは芸術感性がドラスティックとも、オルタナティブとも呼べる程に超個性的なものである為、冬優ちゃんを思わず驚かせた上で彼女を圧倒させている。尤も、そんな冬優ちゃんをよそに智乃ちゃんは自信に満ち溢れた良い表情を見せているのだが、これは智乃ちゃんが「自分の芸術的感性に自信を持っている証」であり、私としても非常に重要な意味を持つ場面だと考えている。と言うのも、一昔前の智乃ちゃんはそのドラスティックな芸術的感性を気にしていた為であり、それ故に今回の智乃ちゃんの自信に満ち溢れた表情が、彼女自身が持つ芸術的感性に絶対の自信を持てた事の表れになっているからである。勿論、そこに至れたのは智乃ちゃんにとって大切な人達の尽力があったからなのだが、その意味では心愛ちゃんと、智乃ちゃんの母親であるサキさんは、智乃ちゃんの芸術感性を同じ様な観点から絶賛している事実があり、心愛ちゃんはその事を知る由は無く、智乃ちゃんも「同一のものでは無い」と否定していたとは言え、智乃ちゃんが見せたその時の表情は和やかなものであった*3為、今思えば心愛ちゃんにもその独創的な芸術感性を褒められた時から、智乃ちゃんの中でも少し変化が起こり始めたのかも知れない。

 一方冬優ちゃんのお弁当作りに関して私が重要だと考えた事は、本人は半ばその場の勢いで、自分の興味関心について良く考えずに決めてしまったと焦っていたとは言え、抑々「食に興味があまりなかった彼女が、親友の為にお弁当作りに励もうと決意した事」である。何故なら、最早説明するまでも無いと思われる程に当たり前の事だが、自分にとって興味が全くと言って良い程無かった事をやりたいと決断するには、それ相応の強い決意が必要になるからであり、それ故に半ば勢いに助けられたとはいえ、冬優ちゃんの決断にはそれだけ「智乃ちゃんと色んな事にチャレンジして、どこまでも親交を深めたい」と言う確固たる想いが込められていると感じさせられたからである。

 ただ、それでも「お弁当を誰かの為に作る事」が、冬優ちゃんにとっては智乃ちゃんとそう言った約束を付けるまで興味が無かった事が災いして、智乃ちゃん以上にお弁当作りに苦戦している様子が見受けられ、一時は最早分からなさ過ぎて「カップラーメン」を手に取りながら悩んでいた程である。手作りのお弁当を作ろうと言うのに、カップラーメンを手に取りながら悩むとは、冬優ちゃんがそれ位「食に興味が無かった事」が良く分かるが、それにしてもインスタント食品を手に取るとは驚く。そして、路頭に迷った彼女は、偶然同じスーパーに買い物に来ていた紗路ちゃんに頼る事を決め、ここから冬優ちゃんは紗路ちゃん(この後直ぐに千夜ちゃんと合流して千夜シャロ2人)と一緒にお弁当作りに励む訳だが、私としては勇気を出して紗路ちゃんに助けを求められたのも冬優ちゃんの大きな成長の一つだと感じている。私も恥ずかしがり屋な傾向があるが故に経験があるのだが、恥ずかしがり屋な傾向にある人は、咄嗟に人に話しかける事に恥ずかしさから戸惑いが生じて、そのまま話しかけられずに終わってしまうケースが起こり得る事が多く、それ故に私もそれでかなり苦労した過去がある*4が、今回冬優ちゃんは恥ずかしくても勇気を出して紗路ちゃんに助けを求める事が出来た訳である。それは、恥ずかしがり屋な冬優ちゃんにとっては大きな一歩だと思うには、私にとっては十分なのである。

 そんな冬優ちゃんだが、紗路ちゃんに助けを求めて後に千夜シャロと一緒にお弁当作りの練習に励む事になるが、ここでも冬優ちゃんはそれまで食に興味が無かったが故なのか、お弁当作りに悪戦苦闘する様子が見受けられ、そんな中でも冬優ちゃんが一生懸命に作った試作品は、作った本人ですら驚いてしまう程の見た目であり、味にしても自他共に認める程の愛想笑いの達人である紗路ちゃんでさえ、思わず笑顔が崩れてしまう程のものとなってしまったが、それでも冬優ちゃんは、千夜シャロが見せた優しさと2人のお互いを想い合ったやり取りを見て「友達の為にお弁当作りに励む事に対して、喜びと楽しみを覚えた様子」を見せており、例え失敗を重ねても、出来るまでずっとサポートしてくれる千夜シャロに対して感謝の気持ちを込めた言葉を送っているのは印象的であり、私としても「冬優ちゃんの熱意や友達を想う気持ち、そして自分の事を思ってくれる友達に対する想い」が汲み取れる事が重要な事だと認識しているし、やはり「新しい事をまずはやってみる事が大切」と思わされる限りである。

 そして、冬優ちゃんは最終的に自分なりの全力を尽くして智乃ちゃんへのキャラ弁を完成させるが、その見た目は智乃ちゃん程では無いにしても、結構ドラスティックな傾向が強めに表れたものになっていた。やはり誰かの為に料理を作る興味が今まで無かったが故に苦慮が大きかった事が窺えるが、智乃ちゃんはそんな冬優ちゃんの涙ぐましい努力を感じ取ったのか、冬優ちゃんが作ったキャラ弁のキャラクターが何かを一発で当てて、冬優ちゃんを感動させているのである。何というか、正にこれ以上ない位の友情であり、想い合いと言うに相応しい場面であると思うばかりだが、それ以上に「想いが込められていれば、見た目のクオリティは問題にならない」と、改めて突き付けられた様な感触であり、私としても新しい事にも怖気づいて蹲っているのではなく、勇気を出して精進しなければならないと思うばかりである。

多種多様な関係性から見える想い合い

 ここからは「ココリゼ」・「リゼシャロ」・「ココ千夜」・「千夜シャロ」の構図の中で私が重要だと感じた事を書き出したいと思う。因みにこの4ペアだが、それぞれ「異学年同士のバイト仲間にして良き親友」・「同じ高校の先輩と後輩」・「同じ学校の心からの親友」・「昔から苦楽を共にしてきた幼なじみ」と言った感じで、十人十色の構図を成している。

 まずはココリゼから書き出したいと思う。ココリゼは「同じラビットハウスで働いているバイト仲間にして良き親友」であり、基本的には自由でマイペースな心愛ちゃんを真面目且つ几帳面な理世ちゃんがツッコミを入れる事が多いが、理世ちゃんもお調子者な一面がある為、心愛ちゃんと一緒になる若しくは心愛ちゃん以上に調子に乗る事もしばしばあり、結果的に年下である心愛ちゃんや、場合によっては2人共智乃ちゃんから窘(たしな)められる(=軽く怒られる)事も少なくない。その為、ココリゼはある種のお姉ちゃんコンビ*5でありながら子供っぽい所が目立っていると言えるが、これはそれだけココリゼの2人が学年の違いを超えた仲良しである事の裏返し*6でもあるが。

 そんな2人は今回のお弁当作りにおいては、アドバイスを懇願してきた智乃ちゃんに対して的確なサポートを行っているが、この2人にもお弁当作りの構図は存在しており、それは「理世ちゃんが心愛ちゃんのお弁当を作ってあげる」と言うものである。因みに心愛ちゃんは当初理世ちゃんに作ろうとしていたが、理世ちゃんはこの時紗路ちゃんから作ってもらう約束を付けていた為、結果的に「理世ちゃんから心愛ちゃん」の一方向になっている。

 ただ、ココリゼは今月号において表立った描写が他のペアに比べてそこまで多くない為、それ故に様々な事を洞察するのは容易では無いのだが、そんな中でも個人的に良かったと感じたのは「通っている学校も違う異学年同士でありながら、気軽にお弁当作りの約束をし合える事そのもの」である。これは言うならば「異学年同士とは思えない位に仲が良い」という事であり、我ながら「今更それを言うのか」と言った感じではあるが、冷静に考えてみても理世ちゃんは他の高校生組より1学年先輩である為、それ故にある程度距離感が生まれてもおかしくない筈な中で、こと心愛ちゃんと理世ちゃんは、元々学年若しくは年の差がそこまで気にならないごちうさの中でも、ココチノ程では無いにしても、元々誕生日が2カ月程度しか離れていない*7のもあってか、ココリゼは特に距離感が近い異学年同士の2人組と言う印象が強くあり、今回もそんな2人の距離感の近さが如実に表れていた為、今回私はココリゼの「異学年の壁を超えた仲の良さ」を重要な事として取り上げたのである。

 次はリゼシャロである。リゼシャロは元々「同じお嬢様学校の先輩と後輩」と言う関係性であり、紗路ちゃんにとっては憧れの人でもある。ただ、理世ちゃんは既に大学生となっている為、「同じ学校に通う先輩後輩」と言う構図は既に無くなっているが、紗路ちゃんが理世ちゃんの名前を出す時は、一部の例外を除いて現在に至るまで一貫して名前の後ろに「先輩」を付けている。その為、他のペアに比べて距離感が若干ある様に見えるが、これはあくまで「他のペア」と比べてであり、常識的に考えてみればリゼシャロの距離感はかなり近く、それは他の学校の同級生の反応を見れば一目瞭然と言える。因みにリゼシャロは2人共に容姿端麗且つ頭脳明晰、更には運動神経も良い事から、お嬢様学校の中でも有名な存在であり、紗路ちゃん自身にその自覚はあまりない様だが、今やリゼシャロ共に憧憬の的となっている。また、この様な構図はお嬢様学校にはもう一つ存在しており、それが巷では伝説とも称される「青山さんと凜ちゃん」と言う訳である。

 そんなリゼシャロだが、今回は「紗路ちゃんが進学の為に勉強を理世ちゃんから教えて貰っている事に対する恩返しとして、理世ちゃんからお弁当作りをリクエストされた」という事で、彼女は半ば浮かれているとも言える程に張り切っており、お弁当作りに関して教えを請いた冬優ちゃんに対してもそんな浮かれ気味のテンションを見せていた。確かに憧れの人から直々にリクエストを受けた暁には、誰だって多少なりともテンションが上がって浮かれ気味にはなるものだが、それにしても紗路ちゃんのテンションの上がり具合は些か突出していると思う。ただ、紗路ちゃんのその様な心境は、それだけ「理世ちゃんの事を憧憬し、同時に大切に想っている事の表れ」でもあり、それはそのまま冬優ちゃんが気付いた「友達の為に何かをする事の楽しさ」にも大きく関わっている為、結果的には非常に重要な意味を帯びていると考えている。つまり、紗路ちゃんが持つ「世話焼きとも、人想いとも言える程、人に対して何かをする事に対して一生懸命さと楽しさを見せられる」と言うのは、普段はそこまで顕在化する事はないかも知れないが、友達の心には確実に響いているのである。

 尚、そんな紗路ちゃんが理世ちゃんの為に作った弁当だが、紗路ちゃんの幼なじみであり、仕掛け(細工)を施すのが好きな千夜ちゃんと作った事により、ロシアンルーレットなる仕掛けを千夜ちゃんの手によって施される。だが、その仕掛けに嵌まったのは理世ちゃんでは無く、理世ちゃんの昔なじみ且つ大学の同級生の、私にとってはごちうさ界のオルタナティブ的存在」とまで捉えている狩手結良ちゃんであり、結良ちゃんは揶揄い半分に理世ちゃんのお弁当からひょいとおかずを摘まんだばっかりに、千夜ちゃんの細工に見事嵌まってしまったのである。正に「因果応報」と言う訳だが、その時の結良ちゃんのリアクションが中々に良かった為、私としては「結良ちゃんはリアクション芸に向いているのでは?」と思う反面、心の何処かでは「これは千夜ちゃんに直接見られなくてよかったかも……。」とは思った。何故なら、この様な反応を千夜ちゃんに見られたら最後、結良ちゃんはノリが良いターゲットとして千夜ちゃんからその様なロシアンルーレットを頻繁に嗾けられる様になるのは明白なのだから。尤も、千夜ちゃんには悪気も悪意も一切合切ないのだが……。

 3番目はココ千夜である。ココ千夜と言えば「同じ高校に通う大親友」であり、お互いに波長が合ったマイペース名コンビであるが、2人共に天然ボケ気質が強く、そのマイペースさ故に突拍子も無い様な言動を突然する事も少なくない為、図らずも周りの人達を振り回す事もしばしばある。ただ、2人共に悪意がある訳では無い上、振り回されている方にしても「振り回されていても楽しいから良い」と言う意思が確かに存在している為、結果的に多くの楽しいを生み出す原動力となっている。また、2人共マイペース且つ天然ボケな気質が強いとは言っても、その洞察力や言霊力は目を見張るものがあり、それ故にその2つに裏打けされた心愛ちゃんと千夜ちゃんの真面目な言動は、時に友達の人生観や価値観にも大きく影響を与える事すらある程のもので、そのインパクトさでこの2人の右に出る者は早々いない*8その為、このコンビは「単にマイペースだけに留まらない、あらゆる可能性を秘めた恐るべきコンビ」とも言える。

 そんなココ千夜だが、今回のお弁当作りでは「心愛ちゃんが自らの意志で千夜ちゃんの為にお弁当を作った」と言う形になっており、その為に心愛ちゃんが千夜ちゃんに対してその様な趣旨を込めた態々メールを送っている程。因みにココ千夜のお弁当作りに関しては、メールのやり取りや学校で見せたココ千夜のやり取りを見るに「元々緻密な計画の上で練られたものでは無く、半ば突発的に練り上げたもの」だと思われるが、個人的には「だからこそ見えてくるものもあるのではないか」と考えている。どういう事かと言えば、心愛ちゃんにとって「誰かの為に何かをしてあげる事は、別に事前計画を必要とする事ではない」という事であり、心愛ちゃんの良さが前面的に表れていると言う訳である。

 ただ、今回のココ千夜において最も重要なのは、心愛ちゃんの手作りのお弁当を受け取った千夜ちゃんが発した言葉であり、この言葉に対して心愛ちゃんは「どういう事?」と言った感じで良く分からなさそうな反応をしていたが、私にとっては「今回の手作りお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と捉えたのだが、この事は後述する。

 最後は千夜シャロである。千夜シャロと言えば「幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた幼なじみ」であり、普段はボケ気質で悪戯好きな千夜ちゃんに対して紗路ちゃんが振り回されたり、ツッコミを入れたりする姿が印象的であり、それ故に所謂漫才コンビ*9の様な立ち振る舞いが多い千夜シャロだが、それは「2人がお互いの事を心から大切に想い合っている事の証」であり、2人の仲は非常に良好且つ強固なものである。抑々千夜シャロが漫才コンビの様な立ち振る舞いが出来るのも、2人の確かな信頼関係があってこそであり、その意味でも絆の固さは紛れもなく本物だと言える。

 そんな千夜シャロだが、今回のお弁当作りでは半ば唐突に「千夜ちゃんから紗路ちゃんに作ってあげる」事になったのだが、実は今月号において紗路ちゃんがその千夜ちゃんが作ったお弁当を喫食(きっしょく)するシーンはどういう訳か描写されていないのである。その為、果たして紗路ちゃんが食べた千夜ちゃんお手製のお弁当がどの様なものだったのかを直接的に知る術は無いのだが、それにより千夜ちゃんはロシアンルーレットを仕込もうとして、紗路ちゃんは当然ながらそんな事はするなと拒否する展開があったのだが、それも結局どうなったのかは、今月号においては描写が無い為分からず仕舞いである。その為、謎だらけと言えばそうなのだが、その中でも千夜シャロの2人が「友達の事を想ってお弁当のメニューを考えている事」はハッキリと分かる事であり、それは冬優ちゃんの価値観にも「友達を気遣う事の大切さと喜ばしさ」と意味で大きく影響を与えている。分からない事が多くても、分かる事がはっきり意味を持っているならそれで良いのである。

 ここまで「ココリゼ」・「リゼシャロ」・「ココ千夜」・「千夜シャロ」の4ペアが見せたお弁当作りに関して書き出してきたが、それぞれが全く違う姿を見せているのが特徴的であり、そこから多かれ少なかれ他の人物にも影響を与えてもいる。今回はあくまでチノフユが主軸である所が大きい為、チノフユ以外のペアはチノフユに比べると一歩引いた立ち位置になっていると思うが、その影響力は確かなものがあり、それ故に決して外す事の出来ないものなのである。

千夜ちゃんの発言について思う事

 今月号を読んで私が重要だと思った事の最後として、先の部分で「後述する」と記述した「心愛ちゃんの手作りのお弁当を受け取った千夜ちゃんが発した言葉」について、私が感じた事、思った事を書き出したいと思う。また、その言葉は私にとって「今回の手作りのお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と称した理由についても書き出すものとする。

 抑々今回私が重要視した千夜ちゃんの言葉は、お弁当交換について心愛ちゃんと学校で話し合っていた場面で発せられたものであり、内容としては「お弁当交換から見える友達の輪」を意識したものである。前述の通り、この言葉を聞いた心愛ちゃんはその様な千夜ちゃんの言葉に対して良く分かっていなさそうな反応を見せていたのだが、こと私にとっては千夜ちゃんの優れた洞察力や卓越した言葉のセンスに改めて驚かされるとともに、全体的にほのぼのしていた今月号の中でも特に私の心に刺さった言葉として印象に残っていた。因みにこの様な優れた洞察力を窺わせる発言が、私がココ千夜の2人を「あらゆる可能性を秘めた恐るべきコンビ」と評している理由の一つでもある。尤も、それが表立って表れる事は決して多くは無い(特に心愛ちゃん)が、いざ表れた時の力は一際目立っている。

 ただ、私は今月号において千夜ちゃんが提唱した「お弁当から見える友達との繋がり」についてだが、私は「お弁当以外でも、今月号の様な繋がりは見えてくるのではないか」と考えている。抑々私は今回の「お弁当」を「人と人との繋がりを意識する為のツール」として捉えている側面があり、それはどういう事かと言えば「人との繋がりを意識する為なら、どの様なツールでも他人を想う気持ちがあればきちんと成立する」という事である。とどのつまり、他人との繋がりをきちんと意識できるなら、そのツールはどの様な物でも良いと言う訳である。勿論、今回の「お弁当」も私自身尊重している事はここで改めて記載しておく。

 私が思う繋がりを意識する為のツールの例として、遠い友達や知り合いとのやり取りの代表格として昔から存在していた「手紙」があり、今やTwitterFacebook等のSNSや、LINEやMessenger等の「メッセージアプリ」に取って代わられた傾向こそあるものの、依然として特別な意味を持つやり取りの手段だと私は考えているのだが、私自身その手紙でも今月号の様な繋がりは成立すると考えているという事である。因みにSNS」や「メッセージアプリ」でも手紙と同じ様に成立すると私自身考えているが、SNSやメッセージアプリの特性を考えると、手紙と同じ様な効力を持つかは時と場合による所が大きいとも考えている。ただ、何れの場合も大切なのは「友達や他人の事をしっかり想っているかどうか」であり、その気持ちさえあればどの様な手段でも本質的なものはきちんと見えてくると思う。

 また、ここまで繋がりを意識する為の例について書き出したが、抑々私が何故今月号の様な繋がりは「お弁当以外のツールでも成立する」と思ったのか。それは「千夜ちゃんの発言を見て、この様な事象は様々な事に当てはめられるのではないのかと純粋に考えたから」である。早い話が私自身の好奇心であり、ごちうさの実例から普遍的にも使える捉え方も出来るのではないのかと考えて行った訳である。私はこの様な「一つの事象から、何か普遍的な物の見方、捉え方に活かせないか」とはごちうさ以外の日常生活でも度々意識する傾向にあり、それが私自身が持つ幅広い知見にも深く関わっているのだが、これを意識している理由は「その様な物の捉え方を意識する事で、幅広い知見を育むとともに、多くの捉え方を理解できる様になるから」であり、それは私にとっては欠かせないものである。

 そして、私はお弁当交換に対する千夜ちゃんの本質を迫る様な言葉を「今回の手作りのお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と私が称した理由については、その様な千夜ちゃんの発言は「友達との繋がりを改めて意識する過程において非常に興味深い言葉だと認識したから」である。元々千夜ちゃんは物事の本質を突く様な言葉を紡ぐ事が誰よりも優れている傾向にある為、今までも千夜ちゃんが紡ぐその様な言葉に思わず考えさせられた事は多く、今回もその一環で考えさせられた訳だが、何れの場合も共通している事として「千夜ちゃんが見据えるその本質蠢く世界観に何時も驚かされ、そして心惹かれた」と言うのがあり、これが上記の理由を裏付ける要因である。言うならば「千夜ちゃんの言葉によって、私は改めて人との繋がりとは何かを意識する事になった」という事であり、再三同じ事の繰り返しで最早食傷気味ではあるが、私にとってはそれだけ千夜ちゃんの言葉に改めて気付かされる事が多かった経緯があり、それ故に今回も重要な要素として、どの様な事があっても外す訳にはいかなかったのである。

3.あとがき

 以上がきらま2022年3月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は全体的にほのぼのしたお話だと言う印象が強く、それ故に私自身「激震が走る様な展開も少なくなかった最近のごちうさにおいて、ここに来て急に全体にわたって大人しめな展開が中心の回が到来してきた」と感じたのは最初に紹介した通りだが、読み進めた後には「細かく見れば重要なものが多く散りばめられた回」と言う印象に取って代わられたのも最初に紹介した通りである。何が言いたいのかと言えば、今月号はほのぼのした展開の中からも、何かごちうさの重要な本質が改めて見えたのではないかという事であり、今回はそれを意識して本文を書き出してきたつもりである。尤も、それにしては後半部分が些か混乱気味になったのは否めないが、それについては勘弁願うばかりである。

 今月号で重要だと思うのは、何と言っても今月号の大部分を担っていた「手作りのお弁当交換」であるのは明白だが、私自身としてはこの様な案が提唱された時点でごちうさの登場人物が凄く良い関係性である事が表れている」と感じたものである。よくよく考えてみれば、登場人物の関係性が凄く良好なのは、もうごちうさを数年にわたって本気で好きであり続けている私にとってもこれまで何度も何度も見てきた筈なのに、今回の「お弁当交換」と言った友達同士のやり取りを見ると改めて「やっぱりいい関係性だなぁ」と思うのは割と不思議な事だと思う気もするが、それだけ私がごちうさに対して強い想いを持っている事の証拠でもあるとも思えば、ある意味持つべくして持った不思議な想いとも言えるのだろう。

 そして、今月号は個人的に「千夜ちゃんの言葉にまたしても考えさせられた回だった」と認識している。元々私自身物事の本質を突く様な言質が好きであり、それ故に千夜ちゃんに限らずその様な言質を見た暁には、それだけでも「意味のあるものを知る事が出来た」と思う事すらある位なのだが、今月号において千夜ちゃんが提唱した「お弁当交換で見える人との繋がり」と言うのは、正に私の心に響くものであり、印象に残るものであったのは言うまでもなかった。その為、今後どの様な事があっても千夜ちゃんのそういう詩的な一面を好きであり続けているのだろうと思う位である。

 最後に、今月号の大半を占めていた「手作りお弁当交換」は、ほのぼのとした展開ながらも、その本質は最近のごちうさにおいて度々提唱される様な重要な何かを含んでいたと感じた事は書き出しておきたい。また、最近のごちうさは時に異質な雰囲気を纏う事もあるが、それでも多くの重要な事が存在している事を私自身まじまじと感じている事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙36枚分である。今回はややコンパクトとなった訳だが、普通に考えればこれでも十分多い方だと思うし、私としてもこのブログで書き始めた当初はこんなに多く書く事はまず無かった。つまり、ごちうさの影響力は私にとっても最早計り知れない程大きいのである。

*1:現在理世ちゃんは同級生である狩手結良ちゃん共々大学生だが、高校時代は紗路ちゃんと同じ学校に通っていた。因みに結良ちゃんも理世ちゃんと同じ高校に通っており、そこで吹き矢部の部長を務めていた。

*2:タカヒロさんの料理の腕前はかなりのものであり、お弁当作りでは誰もが目を見張り、お菓子作りに至ってはあの千夜ちゃんですら思わずその美味に動揺してしまう程。

*3:因みにこの時の智乃ちゃんは、現在の様な姿とは全く異なり、今の様な和やかで感性豊かな一面を表立って見せる事は殆ど無い位に暗かった。その為、この時の和やかな表情は今以上に意味のあるものだったと思う。

*4:尤も、今でも私自身恥ずかしがり屋な傾向は残っているが、昔程ではない。

*5:理世ちゃんが1学年上である事と、心愛ちゃんがリゼユラを除いて最も誕生日が早い事から。

*6:因みに心愛ちゃんはまだ木組みの街に住み始めたばかりの頃、理世ちゃんが自分より年上である事に全く気付いていなかった事が判明しているが、これもある意味2人が年の差をあまり感じない要因なのだろう。

*7:理世ちゃんが2月14日生まれであるのに対し、心愛ちゃんは4月10日生まれである。

*8:いるとするなら、ごちうさの中で別格な存在感と立ち位置を持つ狩手結良ちゃんただ一人だけだろうが、結良ちゃんの場合インパクトがあまりにも強過ぎる事や、抑々見据えている世界観が他の友達とは大きく違い過ぎる事から、抑々比較対象として成立するのかどうかすら怪しい。

*9:千夜シャロの場合、基本的に千夜ちゃんがボケ担当、紗路ちゃんがツッコミ担当であり、ボケとツッコミが入れ替わる事は、他のコンビに比べると普段は少なめだが、紗路ちゃんがカフェイン酔いをおこした時は別である。

ごちうさ単行本10巻を読んで思う事

 こんにちは。今回はごちうさ10巻を読んだ純粋な感想・想いを書き出したいと思います。尚、私はきらまが発売されて最新話のごちうさが明らかになると、毎月の様に凄まじい想いと文量をもって感想・考察を書き出していますが、今回は敢えてコンパクトにまとめ上げたいと考えています。元々きらま勢になってから「単行本が発売された暁にはどんな感想を書こうかな」と考えていたのですが、今回は本当の意味でシンプル且つ率直に、そして短めに書き出したいと思います。

※注意※

ごちうさ10巻のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

表紙に対して思う事

 ごちうさ10巻はごちうさ連載10周年の節目年に発売された単行本であり、表紙には大人びた雰囲気を帯びた初期組5人が出迎えているが、5人共に後ろを振り返る様な形で描かれており、まるであらゆるものを顧みる(振り返る)様な雰囲気を提示している。また、コントラストが全体的に明るくなっており、暗に「明るい未来に向けて5人が踏み出し始めている」事を印象付けている様にも感じる。

 ただ、この様な表紙に対して私は、きらまでごちうさの最新話を常に追い続けている身であるが故に、ごちうさ10巻に収録されるお話も既にきらまで読み、その内容を知っていた為、正直な話「10巻でこの様な表紙を持ってくるとは、一体どう言う訳なのだろうか?」と、疑問を隠せなかった。と言うのも、私自身「表紙と10巻収録の本編のお話との繋がりを上手く見いだせなかったから」であり、結果的に「表紙と本編の内容に乖離(かいり)が見られるのかな?」と、あらぬ誤解(と言うか勘違い)をしていた為である。言うならば、私は私自身が恐れている「知識があるが故の思い違いや誤解」を地で行く様な真似をしてしまった訳であり、ある種の「一番恥ずかしいミス」恐れていながらやってしまった事から、誤解が無くなった今でもちょっと情けない。

 この様に私はごちうさ10巻の表紙をめぐっては、自分でも情けなくなる様なミスをやってしまった訳だが、それらの諸問題を全て解決してから心機一転、改めて「この10巻の表紙の意味は何だったのだろうか?」と、自分自身でもう一度考えてみた所、この表紙はごちうさ10巻の全体的な雰囲気でもある「回帰と成長に繋がっているのではないのか」と思い立った。これは私がきらまでごちうさ10巻収録分を読んでいた頃から度々思っていた事なのだが、10巻は「新しくもあり、懐かしくもある描写や展開が登場する事が多い」のである。これが意味する所は「過去にも経験した事を、成長した自分がもう一度経験する」と言う事であり、それ故に過去の自分と、今の自分との違いが如実に表れ、それに伴い彼女達の成長や変化がはっきり見える様になる。これを思えば、10巻表紙に描かれている5人がどこか大人びた雰囲気を帯びているのは「過去を踏まえて彼女は少しずつ成長している事を表している」と考える事が出来る上、5人が後ろを振り返る形で表情を見せているのも、彼女達が「もう後戻りはできない過去や決断を胸に、何があっても前に進んでいく事を暗示している」と思えば納得がいく上、全体的なコントラストが明るめなのも「彼女達が明るい未来に進もうとしている」と考えてみると整合がつく。

 つまり10巻の表紙を改めて考えてみて、私は「彼女達の確かな成長と、最早変える事の出来ない過去を鑑みながら、明るい未来を切り開くまでに力強い彼女達の歩み」を表していると感じた訳である。勿論これが合っているかは分からないし、何か絶対的な答えを持っている訳でも無い。しかしながら、私自身10巻の表紙を見て、上記の様に考えた根拠そのものは存在している。それは10巻の収録内容そのものであり、ここからはそんなごちうさ10巻の全体的な収録話の雰囲気や、それに対して思う事を簡潔に書き出したいと思う。

10巻の全体的な雰囲気について思う事

 10巻に収録されているお話が持つ全体的な傾向として、単刀直入に言えば私は「回帰と成長」が存在していると考えている。回帰と言うのは、10巻には主たる行事として「心愛ちゃん達が通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校の合同球技大会」が2話分、「年上組と年下組に分かれたお泊り会」が2話分、計4話分収録されているが、どちらも「過去のごちうさにも描写された事がある」*1ものであり、どちらのお話もその過去を意識した描写が多く差し込まれているのも特徴である。

 その為、これら回帰の要素を持つお話では、主に「今までの木組みの街の住人7人の成長」が良く見えてくると考えている。抑々10巻は9巻後半に引き続き「新しく木組みの街にやってきたブラバ組3人との交流や、ブラバ組3人が木組みの街に慣れ親しんでいく様子」が色濃く描かれており、個人的には回帰の印象が強い「球技大会」「お泊り会」でもそれは例外では無い。だが、それ故に「今までの木組みの街の住人7人の変化や成長がはっきり見える」と捉えている。そして、全員が成長していると考えているのは前提として、その最たる例だと個人的に考えているのが智乃ちゃんであり、嘗ては心愛ちゃんを筆頭に周りの人がやる事についていくばかりで、自分から率先して意見を出したり行動を起こしたりする事がさほどなかった智乃ちゃんが、この10巻ではブラバ組とりわけ冬優ちゃんを相手に自分から率先して意見を出したり、自発的な行動を起こしたりしているのである。正直これ以上言う事はないと思う位の成長ぶりだが、智乃ちゃんも周りの大切な人達との時間や経験を共にする事で大きく変化していたのである。尚、ここでは主に智乃ちゃんについて書き出したが、他の6人についても全く引けを取らない成長を見せており、特に新しく木組みの街にやってきたブラバ組3人との交流から見えてくる成長は、見ていて何か感じるものがあると思う。

 また、10巻ではブラバ組3人の成長や変化も目覚ましく、ブラバの社長令嬢である神沙姉妹に関しては、姉である映月ちゃんは、木組みの街の住人ひいては私達神沙姉妹にとっても大切な場所であるフルール・ド・ラパンを守るために一肌脱いだり、妹の夏明ちゃんは、嘗ての経緯に想いに馳せつつも、自分達をきちんと見てくれる人達に心を許していき、最終的には良い影響をもたらしていたりする等が印象的である。嘗て自分達2人だけの世界しか無かった神沙姉妹も、木組みの街の住人との奇跡的な再会を経て、確かな成長を遂げているのである。

 そして、私としては特に冬優ちゃんの成長が際立っていると考えている。元々冬優ちゃんは内気で引っ込み思案な性格で、それ故に新しい街での新しい出逢いに対して強い恐怖感があったのだが、嘗て旅行編で出逢った木組みの街の住人との奇跡的な再会を経て、その木組みの街の住人との交流を深めていく事で徐々に打ち解けていき、10巻の後半になると、元来の内気さと恥ずかしがりこそそのままだが、友達に対して何か自分から見て気がかりな事があれば、自ずと率先して声を掛けてあげたり、他人に対して変に強張らずに接する事が出来る様になったりと、冬優ちゃんの大きな成長が目に見えて分かる様になる上、しかも冬優ちゃんにその様な成長をもたらした人に「智乃ちゃん」がいるという事も、智乃ちゃんの嘗ての性質*2を思えば中々に胸が熱くなる。

 また、10巻に収録されている中で最後のお話は、前半が嘗て2021年のエイプリルフール企画としてお披露目された「ナナラビ」が衝撃の本編登場を果たすと言う驚きの展開を見せる。エイプリルフール企画の世界観が本編にも登場するのは、単行本9巻収録のお話に登場し、恵ちゃんが体感した2019年エイプリルフール企画初出の「クロラビ」以来であり、今回の「ナナラビ」においては「冬優ちゃんの夢の中」のお話であり、ここで彼女の意外な一面を知る事が出来る様になっている。そして後半部分が凄く熱い展開になっており、ここで後述する様な「心愛ちゃんのある発言に込められた真意について」知る事になるのだが、ここで見せた冬優ちゃんの優しさや行動に彼女の確かな成長がはっきり表れており、見る者の心に彼女の成長を印象付ける様になっている。何というか、これ以上いう事はないと言う程の感情であり、私としても凄く印象的だった。

 ここまで「回帰と成長」について書き出してきたが、実はこれらこそ、私が「10巻の表紙に対して思った事の根拠」となっている。巡り廻る時の中で、過去の自分を振り返りながら、彼女達が確かな成長を遂げているとまざまざと感じ取る訳であり、この部分は大きな根拠としても機能している。

 だが、10巻はこれだけでは無いのである。ここからは、そんな10巻のもう一つの一面について書き出したいと思う。

10巻の異質な雰囲気について思う事

 10巻は先の様に「回帰と成長」を思わせる様な、前向きで力強い部分が多いが、その一方で10巻は異質な雰囲気が度々目立つ巻でもあると考えている。それは10巻で描かれた、数多くの「波乱とも言える回」であり、例を挙げると「結良ちゃんと心愛ちゃんを中心とした、ワルイ子が引き立つ回」「進路問題に年上組が衝撃を受ける回」であり、後者は先の「お泊り会」で判明した事でもある。また、全体的に見て「嫉妬」が浮かび上がってくる回が10巻には度々あり、これもまた、10巻が持つ異質な雰囲気に一役買っている。

 例えば結良ちゃんの回では、主に心愛ちゃんが自分自身の意識改革の為に「妖艶な雰囲気を纏ってみたい」と考えた事を結良ちゃんが聞きつけて、結良ちゃん共々「少しワルイ子じみた雰囲気になる」流れがあるのだが、その終盤に「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を、私と2人だけの時位は自分だけの虜にさせたいと考えている」描写があり、これに対して心愛ちゃんはその提案を断っているが、その表情については一切明らかになっていない為、彼女が結良ちゃんの悪魔の様な誘いを断る際にどの様な意思を込めていたのが分からず、それ故にやや不穏な雰囲気を漂わせている。尤も、心愛ちゃん自身はそのあとすぐにいつもと同じ様な調子で、引き込もうとしてきた結良ちゃんの事を逆に自分が引き込んでいる位*3なので、過剰な心配は要らないだろうが、何れにしてもこの様な「独占欲的な感情を露わに出す」のはごちうさにしては異質*4であり、他にもこの結良ちゃん回は異質な雰囲気が多く漂っており、ある意味「人間の本質」が試されているとも言える。

 因みにそんな異質な雰囲気を纏う結良ちゃんを見て、私は最早「『ワルイ子』すら凌駕する、本物の美形悪役特有の美しさ」さえも結良ちゃんに対して覚え、心から恐怖に喘ぐ感情と、どこまでも暗く冷たい雰囲気に心を奪われていく感情と言う2つの感情に襲われたものである。無論、結良ちゃんは本物の悪人では断じてなく、寧ろ根底は木組みの街の住人と同じ「優しい心を持った良い人」なのだが、如何せんこの時は「ワルイ子」の雰囲気も相まって、彼女が持つ独特な雰囲気の虜となってしまっていた。やはり私自身「悪役が持つ、恐怖や憎悪を超えた、最早美しいとすら思う魅力が好き」な事が大きく影響しているのだろう。所謂「ヒーロー・ヒロインの美しさや魅力」があるのなら、悪役には「悪の美しさや魅力」がある様に、私は結良ちゃんが持つ「魔性の魅力の虜」となってしまった。言うならば「美魔女の虜」である。

 他にも「進路問題で年上組が衝撃を受ける事になる」お泊り会では、「都会の国立大学に進学する」と言う紗路ちゃんの将来の進路の都合上、心愛ちゃん達が高校を卒業すれば「(一時的ながらも)皆はバラバラになってしまう」と言う衝撃的な事実が判明し、紗路ちゃんと幼なじみである千夜ちゃんが相当に動じてしまっていたのが印象的であり、私自身もきらまで読んだ時には「心が痛くなるまでに」動じていた記憶がある。そして、この回の極めつけが「心愛ちゃんも高校卒業後に木組みの街を離れる事を決断していたと言う事実」であり、これには思わず言葉を失くしてしまった記憶がある。ここまでくると最早「異質」と言うより「波乱若しくは衝撃」だが、何れにしても10巻は「回帰の中で見える確かな成長」だけでなく、「異質な雰囲気が度々現れたり、様々な現実問題に揺れ動いたりする」側面があると言え、そこには成長の明るい面だけでなく、暗い面が確かに存在している。

 ただ、この様な「異質な雰囲気」を纏ったお話においても、最終的には何時ものごちうさらしい「優しさ」「悦び」が待ち構えているものであり、私自身10巻の異質な雰囲気を纏ったお話に対しても、多くの感情がせめぎ合いながらも最終的には「色々あったけど、皆の温かさや絆の強さを再認識できて良かった」となっていた。しかしながら、唯一心愛ちゃんの衝撃的な宣告で終わったお話に関しては、私自身も中々前向きに捉える事は難しかったものの、後に10巻収録分の最後のお話で明かされた心愛ちゃんの確固たる真意を知ってからは、それまでどことなく覆っていた悲観的な感情は一切なくなった。無論、私自身も心愛ちゃんの「高校卒業後に木組みの街を離れる」と言う決断に対して、寂しいと言う感情が全く無くなった訳では無いが、抑々街を離れると決めたのは他でもない心愛ちゃん本人であり、その決断には最早何物にも代えられない彼女自身の覚悟の意思が込められている。その事を思えば、私としても今後待ち受ける事実に対して一心に受け止めようと思えるし、最後まで心愛ちゃん達の選択を尊重し、見守り続けようと決意を固める事も出来る上、何よりごちうさの事を何があっても最後まで愛し続けようと、改めて思う事が出来るのである。

 ここまで10巻が持つ「異質な雰囲気」について書き出してきたが、個人的には10巻の雰囲気が持つ異質な雰囲気はごちうさ単行本1巻から10巻の中でも随一だと捉えており、それ故に様々な想いが駆け巡ったものだが、後々考えてみれば、10巻でこの様な描写が増えた事は、見方を変えれば「異質な雰囲気の中には、彼女達の成長の賜物と言う側面も備えているのではないのか」と考える様にもなった。これは成長を重ねていく中で、今まで見えなかったものが見える様になったが故に、それまでのごちうさでは考えられなかった異質な雰囲気も多く出てくる様になったという事であり、ひいては「異質な雰囲気が目立ったのも、彼女達が日々成長している事の証」でもあると捉えているという事である。尤も、これらはあくまで個人的な見解に過ぎないが、私としては「この様な見解もある」と、一瞬でも何か考えてくれるだけで十分に嬉しい。

あとがき(ごちうさ10巻の感想を書き出して思った事)

 以上が、今回ごちうさ単行本10巻を読んだ純粋な感想・想いの叙述である。今回は初めに書き出した様に「シンプルかつ率直な、短めの文章」を意識して、今まで私がきらま勢として、ごちうさの最新話を常にきらま本誌で購読し続けていた頃から秘めていた想いも思い起こしながら、単行本10巻の内容を「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と、個人的な観点からカテゴライズした上で、今回のブログ記事を書き出してきた。それ故に今回の記事は普段の記事よりずっとコンパクトになっており、内容も普段よりもずっと自由な構成になっているが、個人的にはこの様なサッパリした構成も悪くないと考えている。尤も、よくよく読んでみれば普段と全然変わりない書体でガチガチに書いている様な気がしない訳でも無いが、それは見逃して欲しい。

 ここから話は一気に変わるが、ごちうさ10巻は連載10周年の節目年に発売された単行本であるのと同時に、私自身にとっても「私が完全なるきらま勢になってから初めて迎える事になった新たなる単行本」と言うタイミングに当たっていた為、どの様にして書き出したらいいのか本当に悩ましかった。が、私自身単行本を読んだ感想をブログでも書こうと試みたのは、実はこれが初めてでは無いのだ。今だからこそ言える事だが、実は私自身ごちうさ単行本9巻を読んだ時も、今回と同じ様な「単行本を読んだ上での感想」を書き出してみたいと言う構想そのものは持っていた。ただ、あの時は2021年の年明け早々に書き始めながらも、書き上げるまでになんと2カ月近くも要し、現在でも私のブログ史上最も文量が多い「狩手結良ちゃんに対する想い」の叙述に手一杯で、その後も他の「きらファンメインシナリオ第2部」「きらま掲載のごちうさ最新話」等の感想・考察に追われている内に、段々ごちうさ9巻の内容をどの様に書き出せば良いのかも分からくなっていき、最終的には「もう時間的にもモチベーション的にも、ごちうさ9巻の感想を書き出す事は最早不可能だ……。」と悟り、遂にあえなく断念してしまったのだ。

 しかしながら、9巻でこの様な経緯を抱える事になってしまったが故に、この10巻では「何としてでもやり遂げたい」と言う想いが強くあり、10巻を読んだ上での感想をどの様に書き出そうか悩んでいた時から、「時間が掛かっても良いから、自分なりの答えは絶対に書き上げたい」と言う想いだけは捨てようとは思えなかった。ただ、実際には私自身単行本を読んだ感想を書き出す事に夢中で、意識的にどうしようかという事にはそこまで気が回っていなかったのだが、それでももし本当に「どうしよう。ドツボに嵌まって抜け出せない……。」となった時でも、あえなく諦めてしまう事だけはしなかったと思う。何故そのように思えるのかは自分でも良く分からなく、ただ一つ分かるのはごちうさ9巻の感想をブログで書き出す事を諦めた時に感じた屈辱的且つ虚無的な想いは、もう二度としたくないと考えていた事」だけだが、最早それが全てなのだろう。単純な事かも知れないが、私にとってはそれだけ大事だった。

 そして、この様な経緯を経て私は、このごちうさ10巻を読んだ上での感想を、まず「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と言う3つの大きな概念にカテゴライズした上で、今までになく「シンプルかつ率直な、短めの文章」を意識して書き出す事にした。「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と言うのは、私が「きらまでごちうさの最新話を追い続けていた頃から感じていた概念」であり、10巻が全体的に「過去と意図的に結び付けた様な物語の展開や描写が多く、それに伴い『過去との違い』を表す事で皆の成長を印象付ける展開が多い」事も、その見解を後押しする事に繋がった。また「異質な雰囲気」と言うのは、10巻収録話で度々見られた「何時ものごちうさとは一線を画す描写や雰囲気」を指し、具体的には「結良ちゃん回」や「進路選択の回」が挙げられる。これらに関しては当然ながら扱いが難しくなるが、私はだからこそ「普段からどれだけ異質な雰囲気に対する見解を自分なりにでも張り巡らせてきたと思っているんだ」と、怯む事無く立ち向かった。

 つまり私は「きらま勢としてごちうさの最新話を追い続けていた頃から秘めていた想いを、そのままごちうさ10巻の感想を書き出す時の指針にする事」にした訳であり、またきらま勢として書いた感想・考察と一線を画す要素として「シンプルかつ率直な、短めの文章」で単行本を読んだ感想を書き出す事を意識したのである。その為、それがどの様に映るのかは初めての試み故に分からないが、個人的には「想いの整理になった」と考えている。私自身きらまでごちうさの最新話を追い続けている時は、我ながらびっくりする様な文量と情熱をもって毎月の様に感想・考察を書き出しているので、単行本の時には敢えて「シンプル且つコンパクトにまとめる」のも良いのではないかとは考えていたのだが、実際にそうしてみると思った以上に上手く行った様に感じた。本当の意味で「書きたかった事をシンプルに書き出せた」と言うか、普段以上に素直に書き出せたのではないかと実感しているし、他にもきらまでごちうさの最新話を追い続けていた時には気持ちの整理が付かずに中々無理があった「進路選択の回」についても素直な気持ちを書き出せる様になった事も追い風となり、総じて言うなら「初めてのごちうさ単行本を読んだ感想にして私が完全なるきらま勢になってから初めて迎える事になった新たなる単行本』の感想の構成は上出来だった」と捉えている。

 内容が重厚なものになったが、それだけ私自身「好きなものに対する情熱が大きい」という事でもあり、とりわけごちうさに対しては色々な意味で特殊な想いを持っている。実の所その特殊な想いの中には、なにも良い事や明るい事ばかりではなく、ごちうさを愛していくが故の苦悩や暗い影も含まれており、事実その暗き想いに対して苦しむ羽目になってしまった期間もあったが、それら苦悩や暗い影を自分の中で全て乗り越えてからは、暗い感情すらごちうさを紐解いていく為の強力な武器へと変貌し、ごちうさに対して苦しむ事なく、純粋に好きでいる事が可能になった。つまり「暗い感情を解消した」のではなく、「敢えて暗い感情をそのまま持ち続ける事にした」訳なのだが、これには下記の様な理由がある。

 実の所私は考察・感想を書く原動力は、正直に言えば「明るい感情を呼び起こして書き出すより、暗い感情を呼び起こして書き出す方がより深い内容を生み出せる」と言う性質が少なからず存在している。ただ、だからと言って「暗い展開だけしか好まない」と言う訳では無く、寧ろ「明るい展開の方が私にとっても精神的には良い」のだが、その一方で暗い展開は時に私にとって「心に宿る感情がじわじわと締め付けられ、そのまま握り潰される恐怖すら覚える程の痛み」「血気迫る様な怒りの感情や負の感情を呼び起こす事」があり、これらは一歩間違えれば自分の気持ちにも多大なる悪影響を及ぼしかねない危険性も孕んでおり、正しい使い方をするのが難しいのが難点だが、いざこれを上手くコントロールさえすれば、明るい感情をベースにして書き出した感想・考察以上に絶大な感情と想いを込めた、血気溢れる感想・考察を書き出す事ができる様になり、その内容は私にとって「燃え上がる想いを本当の意味でストレートに書き連ねた、その時の想いの結晶ともなり得る」と考えている。正に「怒りや負の感情がもたらす恐るべき原動力」と言う訳だが、これは使い方次第で「どこまでも恐れられるだけでしかない人望なき存在」にも「何者にも負けない程の原動力やカリスマ性を持った人望溢れる存在」にもなる可能性を常に秘めている。その為、一歩間違えれば「己の気持ちそのものにも多大な悪影響をもたらす危険性」も大いにある為、本当は明るい感情のみからでもこの様な血気溢れる想いを生み出せたら良いとは思うのだが、私の場合ここまで書き出してきた様な諸問題を抜きにしても、ごちうさに対しては「暗い感情を無理に抑圧し過ぎても、己の気持ちに多大なる悪影響を及ぼす事が判明した」為、最早どんな方法をとるにしても多少なりともリスクは避けられないのだ。ある意味「私が本気でごちうさを愛するが故の結果」でもあるのだが、それならば、ある程度のリスクは承知の上で、明るい感情と負の感情をバランス良く入り混じらせる様にするのが私には一番合っていると判断しており、それが上記の様な思想を生み出す事に繋がっているのだ。

 この様な経緯故に、私にとってごちうさを好きでいる為には「無理に可愛さや明るさだけに目を向けようとするのではなく、敢えて自分が思うままに暗さや苦悩をも取り込んでいく事も必要だった」と考える事も私自身少なくない。抑々私はあらゆる作品や芸術に対して「その作品の明るい所も暗い所も全て受け容れて、自分でも考えていこう」と言う思想を持っており、それはごちうさに対しても同じだった。勿論、作品の暗い部分を見つめる事は、当然の事ながら決して良い気分には全くと言って良い程ならないし、時には「思わず目を背けたくなる」様な場面に遭遇したり、「最早自分でも恐怖に打ち震える様な想像に辿り着いてしまったりする」事も少なくなく、それ故に私にとっては「明るさや可愛さが前面的に押し出された」ごちうさでもその様な「暗さや苦悩を取り込んでいく事」を実行していくのは中々容易な事では無く、それに伴い暗い感情をどの様に扱っていくかに困る様になり、結構な期間にわたって思い悩んだ訳である。

 ただ、冷静に考えてみればごちうさにも「苦悩」は少し言い過ぎでも、新しい人間関係を構築する事、見知らぬ世界へと飛び込んでいく事に対する不安、友達関係そのものに対する不安、友達に対するやきもち焼き、そして自分自身の将来の進路に対する不安等々、言うならば「人間なら誰しも少なからず持っている弱い部分」もきちんと描写されており、事実その様な感情や不安を前面に押し出したり、散りばめたりしているお話や場面も割と普通に存在している。これらを思えば、ごちうさに対して「暗さや苦悩を取り込んでいく事」は、何も全くもっておかしな事では無いのは明白であり、それよりも大切なのは「明るさと暗さの上手なバランス取り」だったのだが、私自身ごちうさ様な明るさや可愛さが前面的に押し出した作品に対しても、この様な「暗さや苦悩を取り込んでいく視点」を図らずしも持った事に対して「嗚呼、自分はこの様な視点からはいかなる場合でも逃れられないんだ……。」と思わずショックを大きく受けてしまい、それ故に本質を見失ったまま思い悩んでしまった上、改めて本質を探っていく余裕も無くしていた為、乗り越えるのに時間が掛かってしまった。

 その為、今見ると「昔の自分はある筈もない壁を勝手に作り、そこでずっと蹲っていたなんて、何やってたんだろうなぁ……。」と思うばかりだが、同時に「もしこの様な苦悩を私が一切経験しなかったとするなら、ごちうさに対して今の様な見識や情熱を持つ事は恐らくなかっただろうと思う事も多い。何故なら、今の私がこうしてごちうさに対して凄まじい熱意を持っているのも「あの時の苦悩があったが故」なのは当然の事ながら、あの苦悩で得た経験は計り知れない物があるからである。しかしながら、それは「結果的に上手く乗り越える事が出来たから」と言うのが大きい上、必要な苦悩だと言うのは少しばかり威力が強過ぎた様にも感じている。その事を鑑みれば、やはり「何事もバランスが大事」と言うのは明白だと思う。結局の所私自身「上手くバランスを取って明るい部分と暗い部分を取り込んでいけば、見識や情熱を持ち続ける為に多少の苦悩に苛まれる事はあっても、私が経験した程の重い苦悩に苛まれる事は無く、今の様な見識や情熱を持てた可能性もあった」訳であり、ある意味ごちうさを好きになって良かったと思うには色々な意味で十分であった。

 最早あとがきと言うより一つのカテゴリーとして成立する位に長くなったが、最後にごちうさ単行本10巻は本当に尊く、素晴らしい関係性によって輝いていた事は書き出しておきたい。尤も、今後の展開に関しては、きらま勢故に毎月の様にごちうさの最新話を追い続けている身であるとは言え、まだまだ分からない事が多いのだが、そんな中でも今の様な輝かしい関係性がもっと拡張されていき、尚且つそれが何時まで経っても続いて欲しいと願っている。そして、私としてはそんな彼女達の輝かしい世界観を素直な気持ちで見守る事が出来るなら本望である。尤も、不器用な私の事だから、この先もきっと真っ直ぐな道のりで彼女達の成長や決断を見守るなんて事は出来ないだろうけど、どんな紆余曲折があっても、この輝かしい世界観を、何時までも見守れるなら……。

 

おまけ

今回はコンパクトな文量を意識して書き出していこうと考えていたのだが、終わってみれば結局今回も400字詰め原稿用紙30枚分となった。本当なら10枚台半ばから後半位になれば良いと考えていたのだが、あとがきの部分があれよあれよと増えていき、気付いたら全部で30枚分になっていた。誇張抜きであとがきだけで全体の半分位になってしまった為、今後は気を付けなければ。

*1:球技大会は単行本2巻、お泊り会は単行本1巻や3巻等多数。

*2:智乃ちゃんも昔は10巻中盤までの冬優ちゃんを思わせる様な性質で、最近の智乃ちゃんが見せる様な誰かを引っ張る様な特性には程遠かった。

*3:これに対して結良ちゃんは思わず戸惑い気味なのを隠し切れなさそうな様子を見せていた。

*4:無論、ごちうさにおいても独占欲自体は描かれているが、結良ちゃんはそれを「嫉妬と深く絡ませているのをあからさまに滲みださせている点」が、他の登場人物との大きな違いである。