多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2021年6月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。色々とやる事が立てこもると、たとえ時間が出来ても時間と労力を割く趣味事にまで気力が割けない痛さを痛感しています。とは言っても趣味事自体はどんな時でも心ゆくまで楽しんでいるので「単純にやる気の問題」とでも言われそうです……。情けない話ですよね。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年6月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月はまんがタイムきららMAXが記念すべき通巻200号と言う事で、かなりめでたい月になる訳ですが、今回もごちうさを読んで感じたこと思ったことを丁寧に書き出したいと思います。

※注意※

 最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今月のごちうさのお話は先月の球技大会で未登場だった理世ちゃんを中心とした構成であり、小学校の先生(=教師)を目指している理世ちゃんが、自身が今まで殆ど触ってこなかったであろうピアノの練習をし、上達する事が今回のお話の本筋としてある。(ある意味当然だが)お世辞もピアノの腕前が良いとは言えなかった理世ちゃんが周りの人々の力を借りつつ、如何にして少しずつ上達していったのか。それが主軸になるのは自明の理だが、それだけに留まらないのがごちうさクオリティ。ピアノ以外にも理世ちゃんのピアノ練習を巡った人間関係の交錯や、友達の意外な一面も垣間見る事ができるお話に仕上げられている。

 今回は理世ちゃん中心にスポットライトが当てられている為ラビットハウスと理世ちゃん宅が中心で、中には登場していない登場人物もチラホラいるが、その一方でごちうさの中でも異彩な存在感を持つ狩手結良ちゃんが久々に登場する。今回異色部分は大分抑えられているが、それでも彼女のみが持つ独特の味は出している。

 他にも双子姉妹である夏明ちゃんと映月ちゃんから、夏明ちゃんが1人で理世ちゃんのピアノ練習の為に中々に精を出していて、中々に貢献している。また、ここで私は少しばかり引っかかる事があったのだが、それは後々。

2.購読した感想

憧憬と現実

 今回のお話では理世ちゃんがピアノの練習をする事にフォーカスが当てられているのだが、そもそも何故理世ちゃんが教師として必ずしも必須ではないピアノ*1を弾ける様になりたいと思うのか。その理由としては「ピアノが弾ける事に対する憧憬があるから」が挙げられる。また、本人は大して表に出していないが、元々子供好きな所があるので「ピアノが弾ける先生で、子供達から好かれたい」想いが故なのかもしれない。何にしても、ピアノが弾ける様になりたいと言う理世ちゃんの想いは、楽器好きである私としては共感出来る面も多く、私も理世ちゃんがピアノを弾ける様になるなら喜ばしい事であると思っている。

 そして、ピアノに限らず楽器を練習する上で肝心なのはやる気だと思われるが、理世ちゃんはやる気こそ十分なものの、経験が無かったのもあるのだろうが、結良ちゃんから「うさぎのうめき声」と称されてしまう程に腕前はからっきしであった。当然理世ちゃんは反論するが、それに対して結良ちゃんは反論に対するお返しの如くピアノをあっさり弾きこなしてみせ、これに対しては理世ちゃんも思わず愕然とするしかなく、苦肉の策として結良ちゃんのド下手分野である吹き矢を引き合いに出した毒舌(と言うよりただのやっかみ)を吐くのが精一杯であった。お互い貶し合う幼なじみとは一体……。

 この様に理世ちゃんはお世辞も腕前が良いとは言えず、ラビットハウスで心愛ちゃんにアコーディオンを借りて練習した時でさえも、当の本人はドヤ顔で自惚れた(うぬぼれた)事を言ったりしていたが、肝心のラビットハウス組は全然良い評価をしなかった上、智乃ちゃんに至っては「心愛さんみたいな事をするなんてどうしちゃったのですか」と軽く引いてすらいた。智乃ちゃん本人はあくまで心配しているつもりで声をかけたのだろうが、そこはかとなく心愛ちゃんも理世ちゃんも軽くディスるとは、智乃ちゃんも中々な毒舌家である。因みに一番年上故にしっかり者に見える理世ちゃんだが、実は結構なお調子者で、心愛ちゃんとは年が近い事*2もあってか一緒になって悪ノリする事がしばしばある*3ので、智乃ちゃんが思っている以上に理世ちゃんは心愛ちゃん寄りの人なのかもしれない。理世ちゃん、普段ツッコミだけど意外と人の事言えない……。

 そんな理世ちゃんに対して智乃ちゃんは前述の通り引き気味だった*4が、心愛ちゃんは献身的であり、一度は何とか理世ちゃんのサポートをしようとするものの、自分が満足に教えられる腕前で無い現実に憂う結果になってしまい、理世ちゃんに対して自分が無力である事を詫びるまでにひどく落ち込む結果に終わってしまった。ただ明るいだけでなく、実は滅多な事ではめげないタフな器量を持ち合わせている心愛ちゃんにしては割と珍しい光景だが、理世ちゃんはそんな心愛ちゃんに対して嫌味の一つも言わずに、ただアコーディオンを貸した事を感謝する言葉を送った。本当は誰にも負けない位に優しい心を持つ理世ちゃんらしい言葉である。

 ここまで纏めると「理世ちゃんはピアノを弾く為に周りの人達の助けを借りながら努力するものの、悉く徒労に終わる結果になってしまっている」のが目立つが、同時に理世ちゃんのピアノ上達の為に優しく付き合ってあげているのも目立っている。これは非常に有難い事であり、友達の夢のためにここまでしてあげる事が、一見簡単そうに見えて実は中々難しい事を思うと良く分かる。形や結果はどうであれ、人の事を想うのはその人が大切だからこそできる事なのであり、ここまででもそれは十分に感じ取る事ができる。とは言っても大きく行動に移しているのは心愛ちゃんくらいだったが、別に行動に移す事が必ずしも正義なのではない。お互いに貶し合う結良ちゃんにしろ、何かと怖がれがちな智乃ちゃんにしろ、どの様な形であっても理世ちゃんは、表立っては少しムッとする事はあっても、嫌味な態度をあからさまに示す事は無く、心からしっかり受け止めている。これは別にお世辞でもなんでもなく、彼女が本心から望んでやっている事であると、私は考えている。何故そう思えるかと言えば「理世ちゃんは人を信じる事の出来る人間である」と確信しているからである。彼女が見える器の大きさを見ているからこそ、こう思えるのであり、ひいて言うならそれは彼女が周りから信頼される理由の一つだとも言える。

一縷の光と蠢く闇

 周囲の人の努力もむなしく腕前が向上せず、悶々としていた理世ちゃんのもとに現れたのは双子の姉妹が1人、夏明ちゃんだった。夏明ちゃんは初めこそ理世ちゃんに教えるのを渋っていたが、結局教えてくれる事に。が、その方法がかなりえげつなく、さながらスパルタ教育を地で行く熱血教師もので、理世ちゃんにして「ナツメは鬼教官」とまで思わせた程である。とは言ってもその甲斐あって理世ちゃんの腕前は大分向上した。正直夏明ちゃんがここまで熱血な面があるのには驚いたのだが、それだけ熱情的な想いがあったからこそ、理世ちゃんの腕前が向上したと思うと中々熱いものがある。

 しかしながら、夏明ちゃんがなぜここまで理世ちゃんにピアノを教えられたか。それは自身も嘗てピアノを習っていたためである。元々理世ちゃんと同じ良家育ち*5なので、ピアノを習うのもある意味既定路線みたく所はあったのだろうが、先生が厳しかった事もあって長続きせず辞めてしまっている。この事を夏明ちゃんはかなり気にしていて、双子の姉妹である映月ちゃんより先に辞めてしまった事実も相まって「私はダメな子です」と自虐していたが、それを聞いた理世ちゃんは「ナツメはダメな子じゃないよ」と優しく諭しながら頭を撫でた。人の気持ちに寄り添い、優しく受け止めてあげられる理世ちゃんは正に先生の鏡であり、夏明ちゃんも「リゼさんみたいな人が先生だったら続いていたかも」と言っている。この言葉自体は理世ちゃんにとってとても嬉しい言葉だと思われるが、その一方で言い換えるなら夏明ちゃんが嘗てピアノを習っていた先生に対してそれだけ良い印象が無い事をも暗に示している。私が今月のごちうさの中で引っかかった数少ない要素はこれである。

 引っかかった事について詳しく説明すると、夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、習っていたピアノを映月ちゃんより先に辞めてしまった事を「ダメな子」だと自らを卑下した事にある。個人的には辛い事を無理に続ける必要性は無いと思っているので、夏明ちゃんが選んだ選択が自ら卑下するまでに駄目だったとは全く思えず、やけに気になっていた。確かに夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、逃げ出してしまった事に対して心の弱さと言う名の負い目を感じるのは分からなくも無いが、この場合最も問題になるのは「上達の早さもメンタルの強さも一人一人異なるのは当然である筈の生徒の事情や心境を一切考慮せず、スパルタ教育を施した事」なのであり、夏明ちゃん自身にたとえ心の弱さはあったとしても、彼女に非は一切無い。しかしながら、問題点が多いとは言え「厳しい教育に耐えてこそ、一人前の精神が得る事ができる」と言った考えが存在するのも事実であるため、ピアノの先生が夏明ちゃんに対しての指導方法に幾らか問題点があったとは断定できても、直ちに先生として資質が無いとまでは言えない。勿論その場合でも、たとえ厳しい教育をする事が人のためになると本人は考えていたとしても、本当の意味で人の気持ちを考えているのかは全くの別問題なのは当然のこと、抑々所謂スパルタ教育を容認する事自体、指導者としてはかなり厳しい立場に追いやられてしまう可能性は高い。当たり前の事なのだが、人を想うが故に厳しく指導する為には、指導者にもそれ相応の覚悟と気概が必要になる上、厳しく指導するのにあたってきちんとした考えを持つ事が必要になってくる。また、意味もなくデタラメに厳しく指導してはいけない事を念頭に置く事も大前提なのである。その為、意味もなくデタラメに厳しくしているのなら指導者として疑念を向けざるを得なくなるのは言うまでもないが、現実においては、普段はスパルタ教育みたく厳しくとも周りからは確かな信頼を得ている人も沢山いる。人に対して厳しい事そのものが悪なのでは無く、人の気持ちを一切考慮しない事が悪なのである。これらを鑑みると、本質的に考えて「私が悪いだの先生が悪いだの」そんな短絡的な思想では到底片付かないのである。

 これらを考慮すると、夏明ちゃんと嘗て習っていたピアノの先生は「お互いに馬が合わなかった」と言うのが正しい見方であろう。誰が悪いかその責任はどうなるのかと言われれば、それは指導者であり大人である先生になってしまうのは事実だが、それ以前に人としてうまく噛み合わないなら例え先生が厳しくなくとも長続きする事は無かったと思われる。いくら先生と呼ばれる存在であっても人間である事に違いは無いので間違う事だってあるし、指導方法によっては夏明ちゃんの様に耐えかねて辞めてしまう人もいるかもしれない。これらはデリケートな問題ではあるが、少なくとも生徒の立場にあり、それ以上に子供である夏明ちゃんが「ダメな子」だと思い込む程に深刻に捉える必要は無いと私は思う。理由はどうであってもピアノを辞めたのは自分の意思であるのだから、当時は辞めるしか方法が無いと思ったのならそれで良いし、そもそも嫌な事から逃げ出しただけで夏明ちゃんが言う様に直ちに「ダメな子」になってしまうのなら、世の中どれ程完璧な人間がいるのかと言う話になってしまう。世の中何一つ失敗も現実逃避もしてこなかった完璧な人間などまずいないものであり、人間は大なり小なり挫折を経験して大人になっていくものだと私は考えている。ともすれば夏明ちゃんが言う様に、何かを諦める事が直ちに「ダメな子」になる訳では決してないし、寧ろ諦めた即ち挫折した経験が無いと、人間は本当の意味で成長できないとすら考えている。但し、その成長が何をもたらすかは当人次第である。成長次第では周りから尊敬される立派な人格者にも、人からただ恐れられるだけでしかない畏怖の存在即ち悪魔にもなり得る。尊敬と畏怖は何時だって紙一重なのである。

 ではなぜ夏明ちゃんが自ら「ダメな子」だと言うまでに習っていたピアノを辞めてしまった事を気にしているのか。それは単純に夏明ちゃんが生真面目で実は何事にも一生懸命な性格だからであろう。夏明ちゃんは普段の強気とも高飛車ともとれる言動からは分かりづらいが、実は何事にも一生懸命且つ几帳面だと思われる面がしばしば見受けられるし、それこそ理世ちゃんに対して自らも疲労する程に熱血指導を行ったのも、夏明ちゃんがピアノを一生懸命やっていた裏返しだと言える。尤も理世ちゃんも思った様に「単にスパルタ指導の影響」の可能性も否定できないが、あれ程熱情的な想いを人からの影響だけで形成する事はまず不可能だと思われる為、夏明ちゃんが単に「努力してきた事に対しては熱血になる一面がある」と考えるのが良いだろう。何れにしても、真面目である事が駄目な訳では無いし、寧ろ真面目で何事にも一生懸命な一面は夏明ちゃんの良い所であると思うのだが、それ故に裏目に出てしまっている面がある。真面目な性格故に自分の弱さを痛烈に感じ取ってしまいやすく、自分を必要以上に責めてしまいがちなのである。そう思うと、理世ちゃんは夏明ちゃんのそういう一面を察した上で「そこまで気を揉む事は無いのだよ」と言う意味合いを込めて頭を撫でたと思われる。理世ちゃんも真面目で思い詰めやすい所があるので、夏明ちゃんの気持ちは痛い程理解できるのであろう。

 以上が今回私自身読んでいて引っかかった事の全てである。夏明ちゃんの真面目で努力家故に自責の念に駆られる痛みは良く理解できる事である一方、彼女を取り巻く闇の一種であるとも認識している。夏明ちゃん自身がまだ不可解な点が多い為、断言こそ困難だが、例え真面目な努力家タイプであったとしても理世ちゃんとも紗路ちゃんとも被らない、良くも悪くも一癖も二癖もある相当に強い個性を持っている人である事は間違いないだろう。また、そこには夏明ちゃん自身が人間関係に対してドライになり切れない確固たる優しさを持っている事も含まれている。

嫉妬の友情

 夏明ちゃんの指導の甲斐もあって理世ちゃんのピアノの腕前も上達し、2人で和気藹々としていた時、麻耶ちゃんが「チノに続いてリゼまで籠絡するつもりかー!」と、2人の中に割って入ってきている。籠絡(ろうらく。篭絡とも。)とは「相手を上手く丸め込んで自分の良い様に操る事」を意味する言葉で、要するに麻耶ちゃんは夏明ちゃんに対して「智乃ちゃんだけでなく、理世ちゃんも自分の良い様にする為に言葉巧みに丸め込んで操ろうとしているのか!」と言っているのである。因みに籠絡のニュアンスは「相手を賢く手なずけて良い様に従わせる」と言った狡猾(こうかつ。ずる賢い事。)なイメージを持っている。つまりストレートに言えば知的さを気取った悪口であり、それ故にちょっとした口論に発展しているのだが、この事は麻耶ちゃんが夏明ちゃんに対してどの様な先入観を抱いていたのかを影ながら物語っている。

 麻耶ちゃんとしては恐らく「理世ちゃんを始めとした友達は私達がずっと長い時をかけて築き上げた大切な財産だから、それをどことも知らぬ高慢且つ高飛車の様に見える双子姉妹に何もかも奪い去られたくない」と言う想いがあるのだろう。とは言っても夏明ちゃんも映月ちゃんも悪気は一切ないし、実際2人共に本当は高慢でも高飛車でもない、心根が良く人を思い遣る事の出来る優しい人達なのだが、自分たちの目的を遂行する為なら手段を選ばない点*6があるので、麻耶ちゃんも少々決め付けがましいのは否めないとは言え、元々お嬢様や堅苦しいものに対して苦手意識がある彼女がある程度その様な意識を抱いてしまうのには無理もないのであろう。

 但し、麻耶ちゃん自身夏明ちゃん映月ちゃん双子姉妹に多少苦手意識があり、特に夏明ちゃんとはいがみ合う事がしばしばあるとは言え、彼女らの事が嫌いな訳では無く、寧ろ麻耶ちゃん特有のフレンドリーさで2人に対してあっさり心開いているくらいである。一見つじつまが合わない様に見えるが、麻耶ちゃんにはお嬢様に苦手意識があるのは確かな事実である。では何故この様な事になるのかと言えば、それは彼女が「お嬢様はこんな奴らしかいない」と、確証バイアスがかかっている*7のがあると考えている。クレバー(賢明)な一面がある為、何でも明晰している様に見える麻耶ちゃんだが、その反面物事に対して確証バイアスがかかっているのがしばしば散見される*8。まだ10代半ばなのでバイアスがかかってしまっている事に気付かないのはある程度致し方ない面はあるのだが、大人になってもバイアスがかかる場面が人間関係には多い事に気付く事ができない場合はかなり問題となる。麻耶ちゃんの場合、先入観があってもそれを是正する事が出来ているのでそこまで危機意識を持つ必要は無いだろうが、バイアスがかかっている事に気付いている訳では決して無い為、ある程度の危機意識は持つ必要性そのものはある。尤も、「全てが可愛い」ごちうさにバイアスの話を持ってこられても「コメントに困る」に帰結するのみだろうし、バイアスの事を言うなら麻耶ちゃんだけでなく、他の皆にも言える事*9な訳だし、そもそもこんな事言っても仕方ないとは思うのだが、それを敢えて書いているのは、私自身麻耶ちゃんの事が少しばかり心配だからである。心優しく尚且つ思慮深い麻耶ちゃんに限ってそんな事は無いと思うのだが、人を自身の勝手な思い込みで判断して後に大きな後悔を背負い込む様な事にはなって欲しくないのである。

 他にも麻耶ちゃんが他の人に比べてバイアスにかかっている場面が多く見受けられるのも心配する理由としてあるが、バイアスの心配自体は麻耶ちゃん以外の人にも基本的に存在していて、特に「お嬢様」に関するバイアスが強い様に感じている。理世ちゃんが抱いているガーリーでお淑やかな姿(所謂ロゼちゃん。ロゼはフランス語で「バラ」を意味する。)に対する悩みや、紗路ちゃんのお嬢様の見た目とそれとは全く違う生活状況に対する悩み意識等が正に「お嬢様」に対する確証バイアス*10によるものであり、何れも「お嬢様としての理想形に対しての自分達のギャップ」が大きなポイントになっている。理世ちゃんならお嬢様には思われない自分の性格・性質に対して、紗路ちゃんならお嬢様の様な見た目と庶民的な暮らしぶりのギャップの大きさに対してそれぞれ悩まされていると言え、初期の頃は特にその傾向が大きかった様に思える。現在はバイアスに対する悩みは克服していると言えるが、バイアスそのものが解消されている訳では無い(そもそもバイアス自体、解消する事が非常に難しいものだったりするのだが)為、どうも気になる所である。

 何が言いたいのかと言えば、夏明ちゃん・映月ちゃん姉妹にも「お嬢様」と言う観点から何かしらのバイアスはかかっていると思われる事である。尤もバイアスそのものはこのごちうさの世界観だけでなく、人間社会なら当然の様に存在しているものである為、バイアスがもたらす何らかの影響は別としてバイアスがかかる事自体はある種の自然摂理的なものであるとも言える為、四の五の言っても全くの無駄とまではいかなくとも、やはり大した意味はなさない事なのかもしれない。それ故に素直に言ってしまえば余計なお節介である上に突飛な発想も良い所だと我ながら思っているのだが、この様な発想を抱いたのはごちうさを愛するが故」だと言う事は声を大にして言いたい。もし私が本当にごちうさを愛していないと言うならこの様な発想に辿り着く事も無かっただろうし、この様な事を思い立った所でどうも思わなかっただろう。表立ってはごちうさに対してやや冷淡な物の見方をしている面があるのは正直自覚しているのだが、それでも全くの冷血では無いし、心中では普段から純真たる熱き想いを滾らせている。冷淡な外殻を持つ熱血とは我ながら不器用だとは思うが、それが私なりの「何があっても折れ切らず、ごちうさを愛し続ける方法の答え」なのである。

 話がかなり脱線したが、前述の通り麻耶ちゃんは夏明ちゃんとちょっとした口論になったのだが、その際理世ちゃんが仲介役として割って入り、「よしよし」と麻耶ちゃんの頭を撫でている。ただ、当の麻耶ちゃんは理世ちゃんの行為に対して「安易に頭撫でるなー!」「何もわかってない」と涙目になりつつ多少怒り気味に手を払いのけている。これには理世ちゃんも「どうしろと」と困惑気味だったが、これに関しては理世ちゃんが間違った対処をしたわけでは決してないのだが、麻耶ちゃんからしてみると「私達に対しても夏明ちゃん達に対しても分け隔てなく接する理世ちゃんに対して少しばかり妬けてくる」のであろう。勿論理世ちゃんの行いは道理的に至極当然の事であるので、麻耶ちゃんもそれはきちんと承知しているのは容易に推察できるが、やはり自分達より付き合いの時間が浅い人達に友達(理世ちゃん)の気を惹きつけられるのは、頭で分かっていてもどこか面白くなく、それが嫉妬となって表れているのであろう。この事は、智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して抱いた嫉妬の感情や、結良ちゃんが心愛ちゃん達に対して抱いた嫉妬の感情とほぼ同等のものだと言え、見方を変えると麻耶ちゃんにとってそれだけ理世ちゃんは「自分にとってかけがえのない人」なのであり、だからこそ「もっと私だけを目掛けて欲しい」「理世ちゃんは私だけに特別な感情を持っていて欲しい」と言った感情が彼女の心に渦巻かせる。しかし、理世ちゃんは特定の誰かをあからさまに贔屓する事を基本的にしない人*11なので、麻耶ちゃんが思う様な事には基本的にならないのが宿命である。そして、思い通りにならない事自体は甘んじて受け入れられても、理世ちゃんが私の気持ちを(私から見て)本当はまだまだ分かっていない癖に、不器用にも理世ちゃんなりに私の事を受け止めようとしてくれているのが嬉しくももどかしいのだと思われる。麻耶ちゃんにとって理世ちゃんは「私の事を受け止めてくれる人であるのと同時に、もっと自分の事を目掛けて欲しいと思っている存在」なのである。

 この様に理世ちゃんと麻耶ちゃんそれに夏明ちゃんの関係性はかなり複雑に絡み合っているのだが、互いにやきもちを焼く事はあれど憎悪は一切なく、高い信頼関係を築き上げている*12。3人共実は真面目な努力家と言う様に性格が似たり寄ったりなのでちょっとした事で諍い(いさかい)になり易い面はある*13が、同時に周りが良く見える人達なので心配はあまりない。その辺りは正に高い信頼関係が感じられるからだと言える。

温かき友情

 理世ちゃんと麻耶ちゃん、夏明ちゃんが少しばかり揉めつつもわいわいと楽しんでいた時、心愛ちゃんは落ち込んだままであった。それだけ人の為に何もできない無力な自分が大いに嫌だと言う証であるが、同時に何も出来ずとも最後まで夢を見届けたい想いも秘めており、ある意味心愛ちゃんが人から好かれる理由が垣間見えている。が、3人がわいわいしている所を見るや否な途端に何時もの調子に戻って3人の輪の中に飛び込んでいるので、智乃ちゃんからはあまり良い印象を持たれていない。しかしながら、その方が心愛ちゃんらしいので全然悪い気はしないし、何よりずっと落ち込んだ感情を引き摺ったままウジウジしている心愛ちゃんよりかはよっぽど何時もの元気で好奇心旺盛な心愛ちゃんの方が智乃ちゃんも内心好いとは思っているだろうけど。

 何はともあれ3人のもとに飛び入り参加した心愛ちゃんは、早速いつも通りに調子の良い事を言いながら*14マラカスを持ち出し理世ちゃんに詰め寄っている。すると詰め寄った矢先、昔駄菓子屋でよく見かけたあの息を吹きかけている間「ピー」と笛の音が鳴りながら巻かれていた紙が伸びる、昔懐かしき紙の巻取り笛*15を鳴らし、理世ちゃんを驚かしつつも楽しませている。心愛ちゃん自身も楽しませるつもりでやった様で、理世ちゃんに「でも楽しくなったでしょ?」と尋ねている。これに対して理世ちゃんは「別の意味でな」と若干はぐらかしているが、それでもその後心愛ちゃんと2人で夏明ちゃんにして感銘を受けさせるほどに鮮やかな演奏をしているので理世ちゃん自身も心から楽しい気分になれたのは間違いないだろう。また、その後心愛ちゃんが呼び寄せた紗路ちゃんと千夜ちゃんも2人の演奏に参加して、理世ちゃんの頑張りに一役買っているが、その際紗路ちゃんは理世ちゃんに対して称賛の言葉をかけているのに対して、千夜ちゃんは心愛ちゃんが吹いていた笛を吹きながら〔甘兎(甘兎庵のこと)でも演奏して〕と理世ちゃんに伝えると言う中々にしたたかな一面を見せている。紗路ちゃんに関しては理世ちゃんを心から尊敬しているので如何にもといった感じだが、千夜ちゃんは流石名うての看板娘*16と言った感触である。ただ、個人的には2人共それぞれの特性を発揮しているので全然良いと思っているし、理世ちゃんも概ね同じだとは思われるが、これもある意味固き友情の賜物である。

 尚、この様に皆でわいわいしていた時にむくれていた人が1人いる。それは智乃ちゃんである。とは言っても店を放置した事を怒っているのではなく、自分だけ理世ちゃんの夢に対して応援できない結果的に除け者にされている事を不満に思っているのである*17。そんな智乃ちゃんに対して理世ちゃんと心愛ちゃんは「智乃ちゃんが歌で理世ちゃんのピアノとセッションすれば良い」と提案し、智乃ちゃんもまんざらでもない反応を示している。その際、心愛ちゃんは「昔チノちゃんのお母さん〔咲(サキ)さんのこと〕達がやっていた様にすればいい」と言った趣旨の話をしており、かつてラビットハウスの経営難を救ったジャズを彷彿とさせるものになっている*18。このかつてラビットハウスで行なわれていたジャズのセッションに関しては原作ならコミックス5巻、アニメならOVAであるSFY(Sing For You)で詳しく知る事が出来る。因みに心愛ちゃんが自分の実家に帰るお話もコミックス5巻であり、アニメなら映画であるDMS(Dear My Sister)にあたる。

  ここまで見ればわかる通り、心愛ちゃんにしろ智乃ちゃんにしろ基本的に理世ちゃんの周りの友達は人の夢を応援できる温かき心を持つ人達である事が良く分かる。ただ「友達の夢を応援すること」と言う一見友達なら当然の様にするべきだと思われる事を態々「温かき心を持つ」と思うまでに私が特別視しているのか。理解し難い人はいると思われるし、実際私も「友達なら友達の夢はどんな夢でも基本的に応援するべき」だと考えている。ではなぜこうなるのか。それは、今まで何度も書いた様に人の夢を応援する事は決して簡単な事では無いと私自身考えているから。人の夢を応援する事は、何時だって現実的な夢ばかりを応援するのではない。先ほど夢を応援する事に「どんな夢でも基本的に」と書いたが、時には壮大で無謀とも思える様な夢を応援する形になる事もあるかもだし、自分には全く理解できない夢を応援する形になるかもしれない。そんな時、私も含めてなのだが、相手を一切疑う事無く、このごちうさに出てくる人達の様に真っ直ぐ応援してあげる事が果たして出来るのだろうか。そう考えると、少なくとも私は「友達の夢はどんな夢でも応援するべき」と言うのが、簡単そうに見えて実はどんなに難しい事なのかをひしひしと思い知られる。それと同時に「人の夢を応援する事」を簡単に易々と口に出来るものでは無い事だと強く思わされる。何だか冷徹にも思えてくるが、かと言って簡単に人の気持ちを嘲る様な、無責任且つ不誠実な発言は厳に慎むべきである。友達関係は非常に難しい事は周知の事実だが、本当に友達の事を想うのなら、やはりいい加減な事は言うべきでないと思う。

 しかしながら、だからこそ「友達の夢を応援できるのはその友達を本気で想っている証拠」にもなるのだと私は考えている。正直ごちうさでここまで真面目な事を書き出すのが良いのか悪いのか私には分からないが、少なくとも今回の理世ちゃんの夢(憧れ)に対する皆の反応は「理世ちゃんの事をしっかり想っているのが良く感じられる」ものであったと考えている。生半可な気持ちでは絶対に出来ない彼女達の想いは正に本物の友情であり、同時に温かき友情でもあるのだと、私は思う。

少し変わった信頼関係

 それらの出来事から数日後、理世ちゃんは結良ちゃんに対して皆で結託して会得した、向上したピアノの腕前を披露している。その際結良ちゃんは上達した事について褒めてはいたものの、その褒め方については相変わらず顔色を殆ど変えない(=嬉しいのか悔しいのか全く分からない)冷淡な褒め方で、早速異彩ぶりを見せつけてくる。更に結良ちゃんは「まぁリゼに悔しがって貰うために努力したからね~」と言い放ち、その上「私のおかげで理世ちゃんが上達できたから喜ばしい」と言わんばかりの事を理世ちゃんに言い放ち、理世ちゃんを困惑させている。尤も理世ちゃんは冗談と認識している様で、結良ちゃんも半分冗談で言ったつもりなのだろうが、割と本気で言っている面は確実にあると思う。

 結良ちゃんが上記のような反応をしたのは、そもそも結良ちゃんが理世ちゃんにピアノの事で悔しがらせた事から始まっているのだと私は考えている。結良ちゃんとしてはピアノで理世ちゃんを悔しがらせる為だけでなく、多分「理世ちゃんを私の手で悔しがらせて理世ちゃんの気を惹いて、私に関心を向けさせる」のもあったのだと思う。以前結良ちゃんは理世ちゃんに対して「幼なじみでありながら全く普通の幼なじみの関係性になれない事に対する嫉妬と羨望」をぶつけているので、幼なじみである理世ちゃんとの何かしらの真っ当な関係性を望んでいる可能性は高く、もしそれが本当だとするなら結良ちゃんが理世ちゃんに対してピアノで悔しがらせたのも「幼なじみである理世ちゃんの関心を惹かせるため」にやったと考えても何らおかしくはないし、あの顔色を殆ど変えない皮肉じみた褒め方についても、彼女としては理世ちゃんの気を惹かせる事が第一の目的で、腕前の向上については嬉しくもあるが、どうも妬ける部分があると考えればある程度納得がいく。

 但し、結良ちゃんは手の内を容易には明かさない所謂飄々(ひょうひょう)としている人物であるため、実際に彼女がどう思っているかは正直全く分からない。私が今回彼女のあらゆる反応を「冷淡な反応」と捉えたのも、彼女が理世ちゃんに対してただならぬ特別な感情を抱いている事を明確に捉えているからであり、もし彼女が嫉妬も特別な感情も抱いてなかったとするなら、こんな事を思う事はきっと無かったであろう。ある意味私も結良ちゃんに対してただならぬ想いを持っている事になるのだろうが、これは別に特殊な事でもなんでもなく、ごく普通の事だと私は考えている。何かとごちうさの中で異彩を放っている存在だと見做されがちな結良ちゃんだが、私は結良ちゃんのそういった異彩な面を含めて好きである。

 ここまで色々と書いたが、上記の様に飄々とした結良ちゃんにも悩みもといコンプレックスはあり、それは「人を好きになる程逃げられる」事である。抑々結良ちゃんは理世ちゃんと同じく将来は学校の先生を目指しており、その理由に理世ちゃんも指摘している様に、理世ちゃんと同じ子供好きな点*19が挙げられる。結良ちゃんが子供好きとは少し意外な気もするが、何が好きなのかどうかは人の自由なので、他人がどうこう言える道理はないのは自明の理。ただ、個人的には結良ちゃんが子供好きなのはそのまま彼女の良い所だと思っていて、結良ちゃんが明確な意思をもって先生を目指しているならそれは立派な事である。

 肝心の結良ちゃんの悩みについてだが、その原因として理世ちゃんが「視線がねちっこいんだよ」と指摘している様に結良ちゃんの他人に対する接し方にある。実は結良ちゃん、人との接し方がかなり不器用且つ異質で、自分が好きな人をねちっこく見守ったり、何の前触れもなく突然現れたりするので人から距離を置かれがちなのだが、本人にはまるで自覚がない。つまり、これは中々に深刻な問題だったりするのだが、当の本人は理世ちゃんの指摘に対しても何時もののほほんとした口ぶり*20で理世ちゃんにアドバイスを求めている。尤も理世ちゃんにはにべにも無く断られてしまっているが、その際結良ちゃんはあしらわれた事を気にも留めず「お互い前途多難だね~」と発言して、理世ちゃんにも何やらただならぬ事情がある事を匂わせている。尤も当の理世ちゃんは否定しているが、何れにしても理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろ、越えなければいけない壁はまだまだ高い事は間違いないだろう。

 この様に理世ちゃんと結良ちゃんの関係性はお互いにしばしば悪態を突く事を言い合ったり、核心部分をはぐらかしたりする事が多い為、他のごちうさ2人組に比べて異質に感じられる場面が多く、実際異質な面は多い。しかしながら、理世ちゃんと結良ちゃんは異質さこそあれどお互い信頼する事の出来ない仲柄では決して無く、幼なじみであり、夢を共に目指す友達であり、お互いを想い合う仲間である。理世ちゃんと結良ちゃんとではごちうさの目立つ要素とも言える仲睦まじい様子こそ少ないが、2人共お互いを大切な存在だと思っている事に偽りはなく、リゼユラも「お互いを想う気持ち」は確かに存在している。理世ちゃんも結良ちゃんも元々根が優しい人*21なのである意味当然の成り行きとも思えるが、もし幼なじみと言えど相手の事が本当に嫌いだの信用に値しないだのそんな状態だったとするならば、ここまでの付き合いには絶対にならず、どこかで縁は切れていた可能性が高かったと思われる。世の中そこまでお人好しな人はいないものである。その事を加味するならば、リゼユラは異質な面こそあれど、お互いを想い合う確かな友情と絆を持ち合わせていると言えるだろう。

3.あとがき

 以上がきらま2021年6月号掲載のごちうさを読んだ私の感想である。今回は読んでいて気持ちの変遷が特に激しかった回でもあり、正に玉石混淆*22の心境だったと言える。「全てがかわいい」と言うキャッチコピーを持つごちうさにおいてこの様な心境は相応しいのか私には分からないが、私が一つ思う事として、可愛いだけを存分に堪能していたのなら多分ごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったと考えている。私はごちうさに可愛いだけに留めるのは勿体無いと思い、登場人物それぞれの人間性や関係性、内に秘めし本心やただならぬ願望等々、様々視点を広げて、そして思い悩んだ過去がある。

 ただ、視点を様々広げるのは作品を楽しむ為には欠かせない事であるし、視点を広げる事で見える世界が多いのも事実である。しかし、私の場合それはなにもプラスばかりには働かなかった。色々考えを広げていく内、次第にごちうさファンとしての理想像を見失っていき、最早ごちうさに何を求めているのか良く分からなくなり、遂には原作もアニメも観るのが怖くなった。だが、その頃でもごちうさのグッズはコンスタントに買っていたし、どんなにストーリーを追うのが怖くても、毎日の様にごちうさそのものを堪能する事には全く変わりなかった。どんなに思い悩んでも、ごちうさの魅力溢れる世界を手放してしまうのは勿体無いと思い、ごちうさから離れる事はただの一度もなかった。そして苦節を経てごちうさの事が改めて心から好きになり、自分の気持ちや想いを書き出そうと思い始めた。そこから今に至るまで、私が考えた事、想った事を書き出す事を続けているのである。

 これらの経緯が多分私に結良ちゃんや夏明ちゃんといった、一見すると一癖も二癖もある人物の心情理解をたきつけるのであろう。勿論心情理解そのものは冬優ちゃんや映月ちゃん、ひいてはごちうさの登場人物全員に対して示していきたいと考えているが、表立っては素性が良く分からず誤解されやすい人物の場合それはより顕著なものになる。ごちうさと言う作品を心から理解し、そして愛すると言うのならある種当然とも思えてくるが、私は心情理解を決して容易い事とは考えていない。だからこそ、ごちうさの登場人物の仲睦まじい関係性がどれ程凄い事なのかまざまざと思えるのかもしれないし、或いはその睦まじい様子に少し嫉妬を覚えるのかもしれない。何れにしても、これらは私がごちうさを心から愛している事の裏返しとも言える為、気にし過ぎる事は無いのだろう。

 これらを思えば、可愛いだけを存分に堪能していればごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったのだろうが、同時にここまでごちうさに対して愛する事の出来る感情を持つ事は多分無かったと思う。そう考えると、思い悩んだ過去も無駄では無かったのだと、今になって私は強く思う。そして、その強き思いを内に秘め、新しきごちうさの世界を待ち続けるとする。

*1:必須でないとは言っても、現実問題として弾けるに越した事は無いらしい。

*2:結良ちゃんを除けば基本的に学生組の中では年上の2人である。それでいて2人してふざける事も多いのは仲が良い証拠なのだろうが、年上としてはどうなのか……。

*3:この事は理世ちゃんが普段どれ程本心をコントロールしているのかを示唆している。真面目な性格故に普段から相当自分の気持ちを抑え込んでいる為、一度リミッターが外れると自分ではもう止められない。この辺りは紗路ちゃんにも同じ事が言え、ある意味箍(たが)が外れる怖さを示唆している。

*4:とは言ってもフォローの言葉はかけている。

*5:自身の父親が喫茶店ブライトバニーの社長をしている。

*6:智乃ちゃんが淹れたコーヒーが美味だからと言って自分達の専属バリスタに召し上げようとしたり、何か問題が発生したら解決手段としてお金を持ちかけたりしようとする等。何と言うか、所謂社長令嬢なのである程度は致し方ない面があるとは言え、お金で物事を解決しようとするのはお金持ちの人のイメージが悪くなるので止めた方が良いだろう。

*7:心理学用語(心理学以外でも普通に用いられているが)であり、主に認知の歪み、思い込みの状態を指す。

*8:バリスタを「矢を打ち込む兵器」だと思い込んだり、お嬢様は「ごきげんようのお高くとまった堅苦しい存在」と思い込んだりする等。ただその一方で本当にお嬢様である理世ちゃんに対しては全く嫌悪意識は無く、お互いに厚い信頼を寄せ合っているのだが、これも「理世ちゃんがお嬢様には見えない事」がバイアスとしてかかっている事も否定できない。

*9:特にココチノがバイアス関連では目立っている様に感じる。

*10:厳密には無意識(アンコンシャス)のバイアスもかかっている。

*11:特定の誰かをあからさまに贔屓しないのには「彼女自身が友達の中では基本的に一番の年長者だから」もあるのだろうが、彼女自身が誰かを贔屓する事を苦手としているのも大きいのだろう。実は同級生組の中では一番年上である(=誕生日が早い)心愛ちゃんとは正反対である。

*12:嫉妬と言っても良い気もするが、嫉妬は本来「相手を憎む気持ち」と言うマイナスな意味合いを含む言葉である為、ちょっと使いづらい気がしなくもない。

*13:性格が似ている人と一緒に居ると合いやすいとは言うものの、それは適度な距離感が保たれている場合の話。性格が近い者同士(特に真面目で意志が固い人同士若しくは我が非常に強い一匹狼同士)の場合、距離感が近すぎるとお互いの嫌な所がやたら目に付く、互いに似た性格故に融通が利かない若しくは何事も決まらない等逆に上手く行かなくなる事も多い。当然、そこから絶交(交友関係を断つ事)にまで発展する事も断然あり得る。

*14:但し先ほど失敗した事についてはきちんと言及している。調子の良い人と言う印象が強い心愛ちゃんだが、失敗した事を隠蔽(いんぺい)しようとする事はあまりない。尤も失敗を平気で隠蔽する様な人は、最早調子の良い人では済まされないだろうが。

*15:正式名称失念。でも今はすっかり見かけなくなっているのは確か。これには抑々駄菓子屋自体今では中々見かけなくなってしまっているのもあるのだが、個人的に駄菓子屋の雰囲気はもう子供ではなくなった今でも好きであるので少々寂しい話である。他にもめんことかベーゴマ等が今はめっきり見なくなった昔懐かしき玩具だろうか。とは言っても物自体は中々奥が深く、長きにわたって愛され続けている。

*16:千夜ちゃんは看板娘なのは確かだが、名うては少々言い過ぎかもしれない。ただ、千夜ちゃん自身ノリが良過ぎるまでに良い人なので、案外さまになるのかもしれない。

*17:なら余計に駄目な気がしないでもないが。

*18:冷静に考えると、ジャズで経営難が救われるとは中々なサクセスストーリーである。これは暗にラビットハウスの経営は喫茶店よりバーの方が人気があると言う事なのかもしれないし、現にそれを示唆する描写もチラホラ見受けられる。尤も、物語が進むにつれてあまり関係なくなりつつある面が見受けられるが。

*19:理世ちゃんが子供好きだと明確に言及されている訳では無いが、本心的な思想や言動を見るに子供好きで間違いないと思われる。

*20:感情が読み取りにくい意味では中々に笑えない側面はあるのだが。

*21:結良ちゃんは明確に優しい一面を見せた訳でこそ無いが、根は優しい人だと個人的には考えている。

*22:ぎょくせきこんこう。良いものと悪いものまたは優れたものと劣ったものが同時に入り混じっていること。

きらファン「断ち切られし絆」第2部2章の感想と考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアの第2部2章を完走したのでその感想と考察を書きたいと思います。第2部はかなり重めなストーリーですが、それ故に考えさせられる事も多いので、今回初めてブログで書き出してみたいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

第2部「断ち切られし絆」とは

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの特殊能力を手掛かりに彼女の故郷を探し求めて新たな旅に出ると言うのが主な流れである。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、メインシナリオ第1部と比較して序盤から壮絶な場面が多い。第1部では序盤では割と朗らかな雰囲気が漂っている事も多く、終盤ではシリアスな展開になるものの、それでも壮絶な運命に翻弄される事は無い*1為、全体的に見ると悲壮的な物語では決してなく、王道路線をゆく感触に仕上がっている。また、きらら達と対立する側の陣営も一部を除いてそこまで壮絶なしがらみを持っていない為、そこまで気を揉む事無くストーリーを楽しむ事が出来る。

 しかし、第2部では最序盤からシリアス色全開であり、対立陣営も底知れない闇を滲ませている、悲愴的な物語である。この時点で既に重いのだが、進めていけばいく程に闇は更に露呈していくストーリー構成はゾクゾクすらしてくる。現時点では2章までだが、1章からして壮絶で凄惨な物語であるし、恐らくこれから更に壮絶さは増していくと思われる。

 きらら達と対立する存在はハイプリスが筆頭で率いる「リアリスト」であり、彼女達は「真実の手」と呼ばれる所謂幹部を率いて、欺瞞(ぎまん)に満ちた*2この世界(エトワリアのこと)を正す為に活動を始める。そして、ハイプリスは「オーダー」以上の禁呪である「リアライフ」を用いて聖典の世界を破壊しようともしている。何故そのような事をするかは謎だが、それは今後の展開次第で分かる事であろう。

 因みに「リアライフ」とは負の感情を絶望のクリエに変える魔法であり、絶望のクリエはクリエメイト*3の命そのものを削る程に危険なものであり、更に絶望のクリエを吸い上げられ切ってしまったクリエメイトは消滅してしまうと言う、この上なく凄惨且つ残忍な顛末を遂げる事になる。果たして禁呪の魔法として恐れられる訳である。なお、同じ禁呪魔法である「オーダー」は、術者にも多大なリスクを背負う事になるのだが、「リアライフ」も現時点では明確な発言、描写が無いとは言え、ハイプリスの発言から察するに「オーダー」と同じ様に術者にもリスクはあるものだと考えられる。

何故第2部がここまで重いと感じるのか

 それはズバリ「人間の心の弱い部分が全面的に出ているから」である。まず第2部で登場する住良木うつつからして超が付くほど驚異のネガティブ思考の持ち主であり、何事も異常なまでに諦観*4している。また、かなりの捻くれ者でもあり、人の言葉を素直にポジティブな方向に受け取ろうとしない。ただ、極度のネガティブ思考なだけで根は決して悪い人では無く、寧ろ優しい所も沢山あるのだが、何れにしてもうつつちゃんのネガティブ思考はそのまま「人の心の弱さと、それに伴うエゴイズム(利己主義。自分本位な考え方。)」を体現していると言える。

 また、きらら達と対立する存在である「リアリスト」も中々に一筋縄ではいかず、特に「真実の手」が1人「ヒナゲシ」の存在がリアリストに影を落としている。ヒナゲシは「弓手」の異名を持つが、「真実の手」の中で一番の下っ端であり、それ故に「無能」と判断されて切り捨てられてしまう事を極度に恐れている。更にそれだけにとどまらず、ヒナゲシは自分自身の能力がパッとしない事に強いコンプレックスも抱いており、自分と同じ様な境遇*5でありながら自分と違って不幸でない人に対して激しい憎悪を見せ、その様なクリエメイトを執拗に闇に引き摺り落そうとする悪辣非道な一面を持つ。しかしながら、ヒナゲシ自身も壮絶な運命を背負っている事は明白であり、心の弱さを滲ませながらリアリストとしての活動を全うしようとしている姿は見ていて痛々しいものがある。だからと言って、リアリストがやっている事は到底看過できないのは至極当然だが、ヒナゲシがあそこまで精神的に追い詰められている事を鑑みると、リアリストには「同じ志を持つ仲間にすら冷酷無比な態度を容赦なく突き付ける」と言う様などうしようもない闇を抱えているとも言える。個人的には、身内にすら容赦なく牙をチラつかせる組織が何かしらの計画を遂行させようとしても上手くいくとは到底思えないのだが……。

 他にも色々あるのだが、兎にも角にも「人の心の弱さが全面的に感じられる」と言うのが大きい。しかしながら、これら心の弱さは見る者に対してメッセージを大いに投げかけるのも事実であり、今後の展開には目が離せない。ただ、あまりにも重過ぎて、目を背けたくなる気も分からない訳では無いのだが……。

2.第2部2章の感想

2章とは

 この2章はこれまでの第1部(外伝を除く)を含めて異例な点が一つあり、それは「オーダー若しくはリアライフで呼び出されたクリエメイトが登場しない」事である。今までは何かしらのきらら作品から選ばれた一つの作品の登場人物がエトワリアに実体をもって呼び出され*6、それを解決する為にきらら達が奔走するものだったのが、今回はスクライブと呼ばれる聖典の写本生*7をめぐるストーリーと全く異なっている。

 そして今回も新キャラが登場し、それは「スクライブギルド長『メディア』」である。スクライブギルドは街の名前であり、メディアはそこのギルド長を務めている。2章はこのメディア含めたスクライブが大きなキーポイントとなる。

メディアとうつつ

 ギルド長であるメディアだが、性格はとても明るく快活な人である。聖典が大好きで、自分がいる世界とは異なる世界がどんなものなのかを知る事が何よりも喜ばしい事だと認識している為、異世界に対する好奇心も強く、時に突っ走ってしまう事もしばしば。ただ、本質的には優しい人であり、相手の気持ちやペースを考え、持ち前の気質を活かして人を励ます事も多い上に、人の気持ちを汲み取るのも上手く、そういう意味では同じ志を持つ仲間にすら冷酷無比な感情が見え隠れするリアリスト達とは全くの正反対と言える存在でもある。また、ギルド長である事からスクライブを統率する事も役目であり、自身もスクライブとして聖典を写本する事に精力している。また責任感も強く、自分が果たさなければならない事を全うする為なら全力を尽くす人でもある。

 そんなメディアちゃんが、ネガティブ思考且つ消極的だったうつつちゃんの心を温かく受け止めていたのには、メディアちゃんが持つ心からの優しさを感じた。うつつちゃんは初めこそ「陽キャの考える事は意味わかんない……」と言って拒絶していたのも否めなかった*8が、次第に彼女に対して強い信頼を寄せる様になり、最終的にはうつつちゃんが身を挺してメディアちゃんの事を守ろうとする程に、うつつちゃんにとってメディアちゃんは最早失う事の出来ないかけがえのない存在になった。うつつちゃんにしてもメディアちゃんの様な存在は確かに自分とは全く違うが、無碍(むげ)にする事無く純真に接するメディアちゃんの底抜けの明るさと優しさに感化されたと言え、メディアちゃんと親交を深めていくと同時に、うつつちゃん自身も徐々に変化しているのが強く感じ取れた。うつつちゃん自身も自他問わず毒舌気味な点は見受けられるが、人の気持ちを何の罪の意識も無く平気で嘲笑ったり、馬鹿にしたりする様な事はしない人なので、メディアちゃんの純真な点に何か思う事があったのだろう。

 そして、うつつちゃんの変化を印象付けるものとして、メディアちゃんを純粋に助けたい強い意思の芽生えが代表的だと個人的には思う。うつつちゃんは前述の通り超が付くほどのネガティブ思考であり、それ故に何事にも諦観的で、おまけに全く素直じゃない捻くれた一面もあって1章では性格に難ありと言った印象が否めなかったが、2章においては言動こそ相変わらずなものの、誰かの為に自分が出来る事、やらなければならない事を何があっても貫き通したいと思う意志の強さが現れ始めているのがはっきりと確認できる。勿論こうなったのには一筋縄ではいかない事情があり、メディアちゃんとの親交を深めた事や、メディアちゃんを救いたい一心が大きいのは当然の事ながら、ギルド長メディアの護衛についていた、筆頭神官アルシーヴの側近である七賢者が1人、フェンネルとの確執*9や、それをめぐった摺り合わせ等、人間関係をめぐった対立とそれを乗り越える意志の強さを磨かれてた事が大きいと思う。自分の事を快く思わない者、快く受け入れてくれる者、それら様々な思想を持つ人たちと触れ合い、うつつちゃんは間違いなく変化してきている。この様に様々な観点からメディアちゃんの存在が与えたものは計り知れないものがあり、人望と言う観点からも正にギルド長に相応しいと言える。

 実はメディアちゃんもヒナゲシちゃんの質問に対する反応から元々は女神候補生だった1人と思われ、その事は意志が強いメディアちゃんの数少ない心の弱みとなっている。ただ、ヒナゲシちゃんとの対立を乗り越えて彼女の意思は更に強いものとなっている。今後もギルド長として活躍する事は期待できるであろう。

ヒナゲシが持つジレンマ

 2章においても1章の時同様「真実の手」が1人、ヒナゲシが主導となって立ちはだかり、今回は「汚染された聖典を写本によって広める」為に、スクライブをひっ捕らえ絶望に染め上げると言うかなりえげつない方法を用いている。そして本人の感情もえげつなく、ハイプリス様に切り捨てられる恐怖心からかなりの人海戦術を用い、計画を遂行する為なら敵を欺く事も厭わず、目的を達成しハイプリス様やお姉さまに認められるのなら、後は何も望まないと言わんばかりの感情であり、挙句メディアちゃんを連れ去らって闇の巫女に仕立て上げようとした時には「スクライブが元女神候補生も多い」事を突いて「君は女神候補生だったのに、挫折して、スクライブで我慢してる……。でしょでしょ?」等と悪魔の様な事を言って人の弱みに付け込んだ悪辣な精神攻撃を仕掛ける等、1章より更に卑劣且つ憔悴している面が目立っている。最早彼女にとって周りの人は「結果を出さないと一切の慈悲なく見捨てる。誰も、役に立つものしかそばに置きたくないから。」と言った認識が強過ぎる為にこの様になっていると思われるが、幾ら彼女が尋常ならざる過去を抱えていたとしても、どれ程彼女が辛い思いを抱えていたとしても、彼女がメディアもといスクライブに対してやっている事はハッキリ言って人としてどうなのかと言わざるを得ない。例え彼女が壮絶な痛みを背負っていたとしても……。

 しかしながら、ヒナゲシがここまで追い詰められた様な姿になっているのは「本心と行動が完全には一致していないからなのでは?」とも感じていて、早い話がジレンマ即ち板挟みである。抑々ヒナゲシちゃんがリアリストの活動に勤しむ背景には「自分が頼りにしている人から認められたい」感情が強く存在していると確信していて、その理由として彼女は追い詰められると度々「頼りにしている人から見限られると私はもう終わってしまう」と言った類の言葉を発している事にある。しかもそれ故にヒナゲシちゃんは自分の本心を押し殺してしまっている節があり、本当はやっていて辛い事でも「リアリストに見捨てられたくないから」仕方なくやっている面がある様な気がしてならない。無論、ヒナゲシちゃんもリアリストが掲げる理念には同意しており、実際に計画を遂行している為、彼女が望んでリアリストの活動に勤しんでいるのは事実だと思う。ただ、その一方でリアリストもとい「真実の手」のメンバーにおいて、能力がいまいちパッとしない事にコンプレックス意識が強くある事を示唆する様な姿も多く、実はリアリスト内においても彼女にとっては心から望んでいる様な安心できる場所だと言い切れない事情も大きく関わっているのかも知れない。言うならば「ヒナゲシちゃんにとって『リアリスト』は自分が憎んでいる聖典の世界を破滅させようとする人達が集まる理想の集まりだが、一方でその中でも周りから役立たずと思われる程に自分の能力が無い事実が、最早リアリスト以外に居場所がない彼女を窮地に追い込んでいる。言い換えると、自分が望んでいる世界に救われても苦しめられてもいる。」と言った事である。

 また、ヒナゲシちゃんには自分と同じ様なコンプレックスを抱えておきながら幸せそうな人に激しい憎悪を滲ませる面もある。実はこれも一種のジレンマであり、彼女は「大切な人に見捨てられたくない」と考えていて、それ故にリアリストの活動に勤しんでいる面があると思うのだが、実は私自身「人に見捨てられたくない願望は、本当は人から自分の事を認められたい事の裏返しである」とも思っている。言うならば彼女自身も不遇な環境でありながらも幸せを掴み取りたい願望が存在していると思うのだが、当のヒナゲシちゃんは自分と同じ様な境遇の人が幸せを獲得している人を見ると、本当は自分も望んでいる理想像である筈なのに、一方的に激しい憎悪が込み上げてきて、「何もかも破滅させてやりたい」願望が彼女を支配する。ただ、勿論その様な事をしても彼女は本当の意味での幸せは得られない。何故なら、他人の幸せを破壊した所で得られるのは一時的な欲求不満解消と長期にわたって続く虚無なのであり、何一つ創造性も持たないものである事は明確だからである。本人は欺瞞を正す為に正しい事をしているつもりであったとしても、その自分自身も実は欺瞞を働いてしまっている面がある事に気付かなければ、何時まで経っても苦しみから逃れられる事は無いのである。

 この様なジレンマを彼女が抱えているのには、恐らく「どこの世界にも、自分が幸せになれる事は無かった」と言う彼女の経緯が関係していると思う。ヒナゲシちゃんは1章、2章の発言から「自分はへっぽこだったから、ずっと幸せになりたくても幸せになれなかった」事を示唆する描写が多く、それ故に聖典の世界の破滅を望む、自分と同じへっぽこなくせに幸せそうにしているのを全く許せなくなっていると思われるのだが、その様なコンプレックスを抱える状態が長期にわたって続いた事で何時しか彼女の感情や思想をも徐々に歪ませていき、遂には自分も望んでいる様な幸せで人を憎む様にまでなってしまった。その様な痛みやジレンマを抱える事になってしまったヒナゲシちゃんの壮絶な想いは筆舌に尽くしがたい痛みを伴うものがある。

 更に、これは完全なる私の想像なのだが、もしかすると「彼女が持つ負の感情をリアリストに都合が良い様に利用されている結果」とも見る事もできるのではないかとも考えている。これは彼女自身がコンプレックスを抱いていた所に、彼女と利害関係が一致するリアリストがそれを都合の良い風に引き出させたのだと位置付ける仮定論であり、こう解釈しても彼女が抱えるジレンマが何故存在するのか一応説明する事は出来る。どういう事かと言えば、「ヒナゲシ聖典の破壊と汚染を望んでいるが、それは自身にとって聖典の世界が全く望みが無い憎しみの世界だからであり、関係性そのものを何もかも失わせたい訳では無く、本心から繋がりを示す全ての概念の破壊や汚染を望む様な人では無いのだが、その複雑な心境をリアリストに付け込まれ、『不遇の人が幸せになる事はいけないなのに、聖典の世界ではそれが当たり前の様に存在している。』と教え込まれた」と言う様な事である。元々彼女は自分を大切にしてくれている人から認められたいだけだったのに、何時しか心の闇を組織に良い様に利用させている面があるとも思えてくる事を仮定したものである。ただ、我ながら突拍子も無い考えではあるとは思うし、実際には恐らくあり得ない考えだとは思うのだが、現段階ではそんな気もしてならない。最早ヒナゲシちゃん以上に悪魔な気がしてならないが……。

 ここまでヒナゲシちゃんが抱える心境をジレンマの観点から考察してきたが、もし彼女が一切のコンプレックス意識を持っていなかった若しくは、持っていたとしてもそれこそ分け隔てない優しさを持つギルド長のメディアちゃんやきららちゃん達、そして実は人の心に寄り添える確固たる器量を持っているうつつちゃんなりが真っ当な方法で彼女を認めていたとするならば、聖典に対して多少の憎しみはあったとしても、「リアリスト」がやっている事の様な破壊的で凄惨たる道を歩む事も無かったのかもしれないし、あの様な最低な手段を使って何もかもかなぐり捨ててしまうまでに、自分が望むものを掴み取ろうとする必要性も無かったのかもしれない。何故なら、ヒナゲシちゃんにとって何よりも嫌な現実は「誰にも自分自身を全く認めてもらえない」事であるのだから、1人でも自分の事を無条件に認めてくれる人がいれば、態々自ら破滅の道を歩みかねない様な事までしなければならない程に追い詰められる事も無かっただろうし、それに、誰にも認められないのが嫌だと言うのならば「例え自分が理想とする世界を生み出そうとしているリアリストが望む計画を完遂する事が出来たとしても、認めてくれる人が1人もいなければヒナゲシちゃんにとっては嫌な世界である事に変わりはない」事だって十分にあり得る話である。

 しかしながら、ヒナゲシちゃんは明確なコンプレックスを持っている為、例えリアリストの一員では無かったとしても聖典の世界の破壊と汚染を望んだ可能性は高いが、何れにしても彼女がやっている事はただの身勝手な八つ当たりであり、短絡的なものである。しかし、その短絡的かつ身勝手な手段を用いなければならない程に今の聖典の世界が憎たらしく、この手であの憎い聖典の世界を破滅させたい願望が、彼女をどうしようもないジレンマに叩き落している可能性がある事を私は睨んでいる。彼女が本当はどうしたいのか、今は良く分からないが、章が進むにつれて判明すると思うので、今後のヒナゲシちゃんの動向からは目が離せない。彼女は本当は何を望んでいるのか、それを見極める為にも……。

サンストーンときらら  

 ハイプリスが最も信頼を寄せる存在である「真実の手」が1人、サンストーン。「右手」の異名を持ち、人と人の繋がりである「パス」を断ち切る事の出来る能力がある。ハイプリス様に対しては絶対的な忠誠心の持ち主であり、心からハイプリス様の下にあると公言している。尤も彼女は人と人の繋がりを断つ事の出来る能力を持っているので、見方によってはハイプリス様でさえ平気で裏切る事だって容易に出来る事を意味するし、更に飛躍させれば「絆を断つ事の出来る能力を持つが故に、普通の人以上に人間関係に対する悲しみと痛みを背負わなければならない壮絶な運命を課せられている」とも言える。勿論彼女がそれら諸事情をどう捉えているかは良く分からないのだが。

 また、2章ではサンストーンと共にリアリストの1人である「スイセン」と共に行動している。このスイセンも中々に癖のある人物で、性格や物事の考え方はお世辞にも良いとは言えず、言動もとても馴れ馴れしく、人によっては苛立ちを隠せない若しくは生理的に受け付けられないタイプであると思っているきらいが私自身存在している。要するにスイセンは人を選ぶ性格をしている事*10になるのだが、一方で根っからの悪い人では無いとは思う。これにはどうもリアリストに所属している事が相当に悪影響を与えている様で、これは所謂「無意識のバイアス」である。ここでは「無意識のバイアス」については詳しく触れないが、この作用はしばしば物事の見解を狂わせるものである事は把握した方が良いだろう。

 そんなサンストーン達だが、2章の終盤にて「スイセン」と共にきらら達の前に立ちはだかる。が、これはあくまで戦略的撤退と言うものであって、実際にサンストーンと交戦はしていない。尤もスイセンとは交戦しているが、勝利してもさっさと撤退してしまう*11。その為、きらら達にとっては今まで基本的な関わりが無かった者達なのだが、きららだけが何故かサンストーンに対して、最早有耶無耶になった過去の記憶に縛られ、胸がきつく締められる苦しさを覚え、挙句きらら自身も訳の分からないままに涙を流していた。どうもサンストーンときららにはただならぬ事情がある様で、それはハイプリスでさえサンストーンに対して「君はそれでいいのかい?」「きららは君のー」等と気に掛けていた事がそれを裏付けさせる結果となっている。尤も当のサンストーンは「その絆はとうに『切れて』います」と答え、全く懸念する必要は無い事を示す態度をとっている。絆を断つ事の出来る能力を持つ者である事もそうなのだが、それ以上にハイプリス様に最も信頼を置かれている存在なので、そう答えるのはある意味当然の道理ではある。 

 きららとサンストーンの関係性についてだが、2章では正直断片的な情報なのもいい所で、こうだとハッキリ言える要素は存在しない。しかしながら、断片的な情報から考えられるとするならば私は主に下記の2つがあると思う。

  • 昔は深い関係性にあったが、サンストーンが自らの能力で断ち切った昔なじみ若しくは元々近しい存在
  • 赤の他人同士だったが、互いに強いインパクトを刻み付ける出逢いを経験した過去を持つ関係性

 1つ目はもしこれが本当ならば残酷且つ悲愴的なものであり、出来る事ならこうであって欲しくないと願いたくなる程の考えである。この考えの背景には、きららちゃんは「人と人の繋がりの『パス』を感じ取れる」人であり、『パス』を断つ事の出来る能力を持つサンストーンとは真逆の能力を持っている事実が深く関係している。

 これを仮定するならば「きららちゃんとサンストーンは嘗ては深い親交を持っていたが、次第にサンストーンはきららちゃんの事が何らかの事情で気に入らなくなり、自分の能力を用いてきららちゃんとの絆を一方的に断ち切った」となるだろう。当然ながら、昔なじみと一切合切絶交する事は相当な心身の痛みを伴うものであり、ましてや人の繋がりを感じ取れるきららちゃんなら尚更である。ただ、サンストーンの能力は「抑々繋がっていた事すら忘れさせてしまう」ものである為、普通の人は抑々痛みを覚える事すらできない筈である*12のだが、きららちゃんは前述の通り「パスを感じる能力」があるので、何らかの理由でかつてあった筈のものを失っている事実に本能が気付き、自分の意思とは関係なくサンストーンに引き寄せられ、失ったものに対する痛みと悲しみが込み上げ、涙した可能性がある。勿論これはあくまで仮定論なので、今後の展開次第では全くの思い違いである事が判明する可能性も十分にあるが、きららちゃんもサンストーンも特殊能力を持っているので、普通なら考えられない様な事があり得たりする可能性もある為あながち間違いとは思えない。

 2つ目に関して言えば、正直言ってきららちゃんとサンストーンの関係性についての真相にたどり着ける材料になれる可能性は低いであろう。この考え方は、言うならば「人生を変える様な出逢い」を根拠にしたものなのだが、この場合サンストーンが「きららちゃんとの絆を切った」動機が比較的短絡的なものになってしまう上に、きららちゃんがサンストーンと対面した時に、抑々何故に嘗てそこまで親密な関係性も無かった人に対して涙するまでに困惑したのかその理由に戸惑ってしまう。幾らきららちゃんが人の繋がりを感じ取れるとは言え、今まで出逢ってきた個々人を明確に思い起こせるものでは無いので、この観点からきららちゃんとサンストーンの関係性を勘ぐるのは正直無理があると思う。

 となると、やはり1つ目の仮定論である「きららちゃんとサンストーンは昔から何かしらの関係性を持っていたが、サンストーンがそれを断ち切った」可能性がより高くなると思うのだが、何れにしても2章で明らかになった事が少なすぎる為、ここで断定する事は難しい。抑々きららちゃん自身も出自が謎な面が多く、きららちゃんとサンストーンがどの時期に出逢っていたのかすら良く分からない。もしかするとそれ程遠くない昔に出逢っていた可能性も考えられるし、或いは赤の他人に毛の生えた程度の関係でしかない様な可能性も考えられる。もっと言うなら、私が提唱した2つの推察を組み合わせたものこそ、実は最も真理に近づくものの可能性だって十分あり得るし、どれをとっても全くの頓珍漢な考えだったと判明する可能性もある。

 ただ、きららちゃんとサンストーンの関係性はただならぬものだと言うのは確かだと言え、その関係性の真相はきららちゃんとサンストーンだけでなく、ランプちゃんやうつつちゃん、果ては「リアリスト」にも多大な影響を及ぼす可能性も考えられる。現時点では如何ともし難いが、この2人の動向を完全に無視する事は最早できないだろう。

3.まとめ

 今回のメインシナリオ第2部2章のシナリオは、様々考えさせられるものであったと思う。ギルド長メディアちゃんとうつつちゃんの正反対ながら心開き合った仲柄に、そんな仲柄を憎み絶望に染め上げようとするヒナゲシちゃん、スクライブギルドを巡った「リアリスト」の思惑、そして謎が謎を呼ぶきららちゃんとサンストーンの関係性等々……、一つ一つ挙げていけばキリがない。それ程複雑に絡み合っている。

 私が思うにこの2章に限らず第2部と言うのはそんな複雑に絡み合った関係性一つ一つに実は強いメッセージなるものが込められていて、それを紐解いていく事で様々明らかになっていくのだと考えている。第2部は全体的にシビアな展開が多く、読む者の心に大きく訴えかけるものがあるが故に中々気楽に楽しめるものでは無いのだが、その分内容が非常に濃いものになっている。ストーリーが濃密なのはのめり込む様に読み進める事が可能になる事もあって個人的には好きであり、それ故にメインシナリオ第2部のテイストは気に入っているのだが、正直に言うと同時に重い話だと言うのは感じ取っている。壮絶な話をどう解釈するのかそれが大きな分かれ目となるのはきらら作品で当てはめるなら、かの「がっこうぐらし!」が代表的になる*13のだろうが、私は「がっこうぐらし!」をきちんと読んだ事もアニメを観た事も無いのであくまで推察ではある。なお、アニメ「がっこうぐらし!」の脚本(4話と11話)と、きららファンタジアメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」のシナリオは何れもきらら作品「ライター×ライター」の原作者である深見真先生が担当している。アニメ「がっこうぐらし!」の脚本を担当したのと同じ人がシナリオを担当しているのが理由だと思うのだが、過酷な運命を背負っている状態や、イレギュラーな事態だからこそ問われる人間の本質と言うものはきららファンタジアのメインシナリオ第2部においても通ずるものがあると私は考えていて、もっと言うならその熱時たる想いを汲み取っていく事こそ、私にとっては数多ある読者像における一つの姿であるとも考えている。

 また、全体的に見ると暗いテイストが多いとは言え、明るいテイストもしっかり用意されていて、2章で言うならスクライブギルド長であるメディアちゃんがその筆頭格である。彼女が持つ純真たる明るさは間違いなく本物であり、それはそのまま人々の心を明るく照らしてくれている。その明るさをもってあの超が付くほどのネガティブ思考であるうつつちゃんの心を動かし、うつつちゃんが変化したのは2章の中でもとても印象的であり、その変化はそれまでうつつちゃんの事を半信半疑で接していたフェンネルの心をも動かす事になった。この変化にはメディアちゃんの明るさはさることながら、うつつちゃん本人の気持ちの変化が大きく関わっているのは言うまでも無いが、この様に過酷な状況が続く中で心の変化と成長を感じ取る事の出来る構成は心に沁みわたるものがある。

 そして「リアリスト」が1人、ヒナゲシちゃんについては所謂敵対組織と言える立場でありながら自分自身について思い悩む描写がしばしば散見され、サンストーンに至ってはきららファンタジアの主人公であるきららちゃんと何か特殊な関係性を匂わせる等、敵側陣営においても一筋縄ではいかない事情が蠢(うごめい)ているのが感じ取れる。単なる勧善懲悪にとどまらないストーリーそのものはメインシナリオ第1部においてもそういう傾向にあるのだが、あちらは中盤以降にその流れが見えてくるのに対して第2部では序盤から既に片鱗が見え始めている。今後「リアリスト」の理念が明らかになるにつれて更にとてつもない事実を突きつけられる可能性は高いと思われるが、それと同時に何か特殊な感情が芽生える可能性も十分に考えられる。「リアリスト」そのものについてはこれから明らかになるものが増えていっても、感じるものが人によって大きく分かれる可能性は高いが、何か響かせるものがあると私は確信している。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部2章で私が抱いた感想と考察である。この先の展開次第では誰も予想できない様な全く予想外の方向に突き進む可能性も十分にあり得るが、私としてはどんな展開を迎えても楽しみであるので、今後の展開を早く見られる事を楽しみに置いておきながら、気長に待つ事にする。

*1:展開こそ中々に壮絶だと思う面もあるが。

*2:この場合、嘘と偽りに満ちた世界と言った意味合い。

*3:クリエを生み出す者と言う意味であり、クリエはエトワリアの世界の人々にとって、生きる力の根源である。

*4:諦めの気持ちをもって物事を見据える事。

*5:1章のシャミ子こと吉田優子が顕著な例。

*6:きららが用いる「コール」はあくまで力を借りるものであり、別世界の人をそのまま召喚する訳では無い。

*7:なお、写本した聖典は写本生が祝福を掛けないとクリエを生み出す聖典とは言えないらしい。この為、写本生は巫女でもあり、もっと言うなら元々は女神候補生だった人も多い。

*8:メディアちゃんとうつつちゃんは性格が正反対である事も起因している。

*9:フェンネルも決して悪い人では無く、寧ろ物事に対して真面目過ぎる程誠実な人であり、絶対的な信頼を置ける人なのだが、それ故に融通が利かない部分が玉に瑕となっている。とは言っても最終的にうつつちゃんの事を認めている。

*10:尤も「人を選ばない性格なんてあるのか?」と言われると微妙な話なのだが。

*11:このためフェンネルは「この卑怯者め!恥を知れ!」と彼女を罵っている。

*12:サンストーンに「パス」を断ち切られた者は、それまでの良き交友関係を忘れ、憎しみに駆られる事が大半な為。絆が無ければ憎悪に支配されるとは、何とも形容し難い痛みが読み手にも伴ってくる。

*13:がっこうぐらし!」はきらら系の中ではかなりの異色作ながら同時に名作とも謳われている。

きらま2021年4月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。最近ごちうさに関する事をまとめようにも時間が取れず、中々まとめられない時が続いていますが、本当はもっと手短にまとめようと思えばいくらでもできるのですけどね。変な拘りを持つと苦労するばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年4月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月のごちうさにははっきり言って驚かされる事ばかりだったのですが、今回はその事について流れを追って書き出したいと思います。

※注意※

 ネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで出てくる様々な推測や考察は個人的な見解も含まれている事もご了解お願い致します。

1.読んだ感想について

複雑な心境

 今月のごちうさのお話は生徒会長の計らいで心愛ちゃん達が通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校が合同となって球技大会を行うと言うのがメインテーマだった。ごちうさの球技大会と言えば心愛ちゃんが高校3年生である今の時系列から見て2年前つまり高校1年生の時の球技大会があった時以来で、この時はまだ合同では無かったうえ、高校2年生の時は抑々球技大会の「き」の字も無かったので正直驚いた。でもきっと今月も楽しいと思える様なお話なのだろうと期待していた。しかしそれは正しい期待であったが、同時に甘すぎる想定でもあった。何故なら、実際に読んで私自身が感じたのは、楽しい微笑ましいだけでなく、何も思わない程にぼんやりとした心境と、久々にもどかしさ全開と言わんばかりに複雑な感情に苛まれた心境も含められていたのだから・・・。

 今回のごちうさの感想は一言で言うなら「衝撃と失意」。衝撃は今まで中々なかった路線で展開された物語に抱いた素直な感情。失意は凄まじい勢いで変わりゆく展開に正直全くついていけそうにないと悟った感情である。最近怒涛のラッシュで良い展開が続いていた為、先月の時点で「今後は展開が少し変わっていくだろう。」とある程度は推察していたのだが、いざ今月を迎えて読んでみると、あまりの展開に当初内容が正直全く頭に入ってこなかった。この時点で「あの忌まわしき記憶*1」が脳裏をよぎったのは言うまでも無く、闇を引きずり込まれるのだけは駄目だと持ち直し、改めて内容について考える事にした。

どことないもどかしさ

 私が気になったのは兎にも角にも何故に今月のごちうさに対して「あの忌まわしき記憶」が脳裏をよぎる程にそこまで複雑な心境に至ったのかであり、そこ事を突き止めなければまた悪夢の再来だと本気で思った為、そこはかとなく真面目に考えた。そして、改めて読んでみる内に原因にはなんと心愛ちゃんと千夜ちゃん、それに紗路ちゃんと言う同級生組が関係している事が分かり、そこから精査してみるととりわけ紗路ちゃんの心情に引っ掛かる点が多い事に気付いた。

 気付いた要因としてあったのは球技大会に対する紗路ちゃんの切実たる心情故にあった。折角同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんの学校と球技大会が出来るのに、2人が選ぶであろうバレーボールは自分の中で無い(=出場しない)と割り切っていて、まるで2人の事を避けている様にコンタクトを取るのを嫌に忌避していたのが気になり、「本当に嫌だと言う訳では無さそうなのに、嫌と言うのは何故なのか」と私の中で引っ掛かった。よくよく考えれば気付く事だが、これ以前にも紗路ちゃんは心愛ちゃんと千夜ちゃんのやる事に呆れる事もありつつも仲睦まじい事に対してどこか羨ましそうにしているだの、なんだか私だけ爪弾きにされているとモヤモヤしていると感じ取れることも少なくなかったので、この時点で「同級生組の関係性に何か理由があるのでは?」と勘ぐっていたのだが、その予感は的中する事になる。

 紗路ちゃんの心情に対して何故引っ掛かった事自体は早い段階から勘ぐれるものではあったのだが、その理由がはっきりと分かったのは実際にバレーボールの試合を行っている場面だった。抑々紗路ちゃんはバレーボールには参加する予定では無かったのだが、欠員が出たという事で本人は当初こそあの2人の事もあって躊躇っていたが、周りの期待に応える形で急遽出場する事を決意し、図らずも心愛ちゃんと千夜ちゃんと対決する事になったのである。因みに欠場自体は2年前での球技大会でもあったものであり、この時は千夜ちゃんがドッジボールに出場していた。幼なじみ同士、奇しくも同じ欠員の応援役に買って出ると言う運命を辿る辺り何かあるのだろう。

 そしてチマメ隊とナエちゃん、そしてフユちゃんと言う高校1年生組の声援を受けてバレーボールの試合が始まったのだが、紗路ちゃんが打ったサーブをココ千夜の2人が「ダブルブロック」と称して止めた*2時に紗路ちゃんが見せた表情が明らかにおかしく、まるで仲良しこよしな2人を妬んでいる様にも思える陰湿な表情に見えて驚いた。そしてこの事こそ紗路ちゃんに対して抱いた違和感の根源であり、普段滅多に人に対して妬み嫉みを陰湿な印象をもって出したりしない紗路ちゃんがそんな事をしたとあって、「あの紗路ちゃんがあんな陰湿な印象をもって同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんを見つめるなんて・・・」と思ったものである。

 抑々紗路ちゃんはどちらかと言えば自分から積極的に親友や友達に対して前に出る事を不得手としている人故に自分の想いを上手く人に言えない面があり、変に溜め込んでしまいやすい所があるのだが、今回感じた違和感にそれは関係なかった……否、正確には無関係では無いのだが、主要因では無いと言う方が正確だろうか。では何が主要因として関係していたかと言えば、それは「紗路ちゃんが11人*3の中で唯一同じ学校に心置きなく接する事の出来る同級生がいない」事だった。思えば紗路ちゃんはココ千夜やマメナエ*4、チノフユ、リゼユラの様に同じ学校に心置きなく接する事の出来る同学年のペア若しくはトリオ*5がいない(異学年にはいる)のだが、実際問題それ自体はチマメ隊が中学生2年生時代の時からそうであったため、もっと早くに不満がはちきれても全くおかしく無かったはず。にもかかわらず何故に2年も経ったこのタイミングで突然あからさまに不満を見せたのか気になった。ここまで気になった背景に紗路ちゃんはそういう不満をあからさまに人にぶつけたりしない人であると言う変なレッテルを私が勝手に貼っていたのが関係していたのだろうし、単純に紗路ちゃん自身そこまで孤独に喘いでいる様には見えなかったのもあったのかも知れない。言ってみるなら、心の中で意識せずとも勝手に決め付けていたのである。

 しかしながら、冷静に考えてみれば紗路ちゃんも中学生の時*6は幼なじみである千夜ちゃんと同じ学校であり、紗路ちゃんにも同学年に心置きなく接する事の出来る友達がいた時期があるのを無視する事は出来なかった事から、彼女があからさまに不満を見せた理由が分かっていく。そして、その理由が分かった大きなきっかけは、紗路ちゃんとしては「本当なら高校でも千夜ちゃんと同じ高校が良かった」と望んでいたのではないかと言う事だった。抑々彼女がお嬢様学校に通う事になったのも経済的な事情による所が大きかった事が要因としてあるだろうし、経済的事情すら無ければ紗路ちゃんだって千夜ちゃん達が通う学校に通う事だって多分問題無かったと思えるのだから、こういう考えに行きつくのはある意味当然の成り行きなのだろう。誰だって心置きなく接する事の出来る友達と同じ学校に通えるなら、それを望むものなのだから。

 しかし、現実はあくまでも無情だった。高校生になり、別の学校に通う様になり、2人共孤立した状態になってしまった*7。それだけでもお互い相当にショックが大きいのに、新しく街にやってきた心愛ちゃんが千夜ちゃんと同じ学校だった事により、自分だけ取り残された様になってしまった。尤も心愛ちゃんと出逢ったこと自体はそこから交友関係が広がった事もあって何も問題視はしないのだろうし、紗路ちゃん本人も「千夜にとって波長の合う心愛がいるのは有難い事だと思う。」などと心愛ちゃんに言ったりもしているので、別に千夜ちゃんが新しく親友を作れた事には何の恨みも無いのだろうが、紗路ちゃんとて「交友関係が広がれば広がる程、自分だけ同じ学校の同級生で心置きなく接する事の出来る仲の人がいない」と言う逃れられない現実に少なからず妬みを感じていたに違いないし、それに今思えば紗路ちゃんが心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して少なからず不満を抱いている様に見える場面はしばしば散見された。言ってみるなら、同級生組ひいては3人組と言うもの自体が抱えている影な一面である。

同級生組が持つ影な一面

 前述した様に紗路ちゃんはバレーボールの時に仲良しこよしのコンビネーションを見せる心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して陰湿とも見てとれる表情をしていたのだが、その時に紗路ちゃんはなんと珍しく2人に対して「別に寂しいわけではないのだけど、私の事気にもせず楽しそうに・・・」と言うかなり不満ながら切実な本音を内心秘めているのが分かったのは衝撃的だった。そして、言葉を聞いて私は思わず「これはトリオが抱える闇な一面」だと思った。どれ程仲良しだってトリオと言うものは一度その中で2人組が出来てしまうと残りの1人はポツンと孤立するものであり、しかもその状態は一度固定化されてしまうと中々改善しにくい。紗路ちゃんの本音は正にそんな状態の心情を指し示しているのだと感じた。

 私としては心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんの所謂同級生組3人の仲自体はこれ以上ないくらいに良いと思うのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんとではやはり「通う学校が違っている」事もあってかどうしても紗路ちゃんだけポツンと孤立する傾向にある様に感じる事が多かった。ただ、そう感じるのには他にも単純にボケとツッコミの役割分担の関係もあるのも考えられるし、抑々あの天然ボケたる2人組をしっかり者のツッコミ担当が相手をする関係上、紗路ちゃんだけ良い意味でも悪い意味でも別枠に見えるのはある意味必然とも言えるのだろうが、なんにせよ紗路ちゃんだけ心愛ちゃんと千夜ちゃんとはかなり違った色をしているのは間違いないし、それ故に孤立を感じやすい面はあるのだろう。

 また、この3人組は更に細分化される組み合わせとしてしばしば「心愛ちゃんと千夜ちゃん」「千夜ちゃんと紗路ちゃん」と言うそれぞれ「親友兼同じ学校の同級生」と「昔からの幼なじみ」と言った縦割りになっている印象が強くあり、この場合千夜ちゃんが両方に跨っている事が影響して、3人揃った場合に2人組で会話等をすると「心愛ちゃんと紗路ちゃん」どちらかはあぶれてしまう事が起こり得る構造が成立する。そして、心愛ちゃんと千夜ちゃんは同じ学校と言う事情もあってどうしてもこの2人組になる事が自然と多くなりがちであり、決まって紗路ちゃんがあぶれてしまう事になるのである。これが同級生組の中で紗路ちゃんが2人に対して決まって「心なしか私だけ除け者にされている様でつまらない」と言った様な不満が芽生える理由として考えられるものであり、これはたとえどれ程心愛ちゃんと千夜ちゃんが意識して気を付けていたとしても完全に防げるものではない。

 抑々この3人組内部での孤立と言うものは恐ろしく難解且つ複雑な問題だと個人的には考えていて、解決するのは不可能だと言っても良い。何故なら早い話、3人集まったら何から何まで常に3人で行動をピッタリ合わせでもしない限り、2人組と1人と言う構図はごく当たり前に起こり得るものだからだ。例えば3人組の中で2人だけで行動したり、会話をしたりする事もあるだろうが、この場合ですら1人だけ孤立は仕組み上成立している。しかしながらある意味当然ではあるのだが、いくら3人組で行動しているからと言って、常に3人共全く同じ動作、情報を共有すると言うのはまずあり得ない事であり、同級生組も勿論例外では無い。人間である以上各々の意思はあくまで尊重すべきなのが鉄則なのであり、もし3人共全く同じ動作、情報を共有させるなら一つの思想にガチガチに束縛させる必要性が発生してくるが、これは当然ながら意思尊重の原則に反する。しかし、だからと言って逆に各々の我が強過ぎると今度はその場にただ集まっているだけの統率も連携も無いものとなり、所謂烏合の衆となってしまう。これが問題の解決が不可能と言っても良いと思う理由なのであり、人の事を大切に思うのなら3人組の中においてもある程度の自由は認めるのは当たり前、でもそれが行き過ぎると2人組と1人と言う構図が常態化する恐れを孕んでいる、若しくは烏合の衆の如くただの集合体になってしまう可能性があると言うシビアな問題に直結している。

 では上記の組み合わせの中で唯一存在が無かった「心愛ちゃんと紗路ちゃん」を日常的に組み込んだならある程度は改善するのかとなるし、実際組み込んだらある程度は形として変わる事は変わると思う。但し、実際にはかなり難しいものがあるだろう。そう思う背景には抑々「心愛ちゃんと紗路ちゃん」は同じ学校でも無ければ昔からの幼なじみ、知り合いでも無いのでやや距離感がある様に感じられるのが否めなかったのが理由としてある。尤も実際には「心愛ちゃんと紗路ちゃん」共に実は大のお人好しで、尚且つ根っから心優しいと言った人間的な面が共通しているので一緒にいて嫌に思う事は無いと思うし、もっと言うなら2人だけの親交を深められても全然おかしくないとすら思うのだが、やはり2人だけの接点や機会が少ない事が仇となっているのか普段から際立って目立つ様なペアとまではなっていないし、抑々これを言ったら止めを刺す事になるのだが「新しいペアを作った所で、同級生組3人が集まった時に決まって特定の人が孤立しやすい状況は何も変化しないと思う」と言ってしまればそもそもが無意味となってしまう。心愛ちゃんと紗路ちゃんの仲自体はこの上なく良いのだが・・・。

 ただ、何度も重ねて言う様に同級生組の仲は3人共とても良好であり、心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんの気持ちを一切無視する気は無いのは2人を見ていればはっきりと分かる事であるし、寧ろ2人共紗路ちゃんの事をかなり気に掛けている*8。しかしながらそれでも2人だけが仲睦まじそうにしている所を見ると「私だけ除け者にされている」と言う様な焼き餅を紗路ちゃんが焼くとのは何と言うか、実は相当な寂しがり屋である事の裏返しでもあると思うし、何ならそれを下手に隠そうとするから余計にジェラシーが強くなってしまうのは自明の理なのに態々自分から無理をしてしまっているとすら感じられる。尤も私もそういう傾向はあるので気持ちは分かるのだが、何とも不器用な紗路ちゃんである。

同級生組が持つ輝く一面

 同級生組の中でも特異的な立ち位置にいる紗路ちゃんであるが、前述にもあった通りバレーボールの試合中に心愛ちゃんと千夜ちゃんの仲睦まじさに珍しくあからさまに嫉妬を見せていたのだが、その際嫉妬に気を取られ過ぎた為に、ボールが紗路ちゃんの方に向かって飛んできているのに気付かず、見事にボールが直撃した。しかも飛んできたボールは心愛ちゃんがトスを上げてそれを千夜ちゃんがスパイクで打ったもので、よりによって心愛ちゃんと千夜ちゃん2人で連携して打ったボールがその2人に対して嫉妬を抱いている人に当たってしまう、何とも皮肉且つ奇妙な展開である。

 ボールが当たった紗路ちゃんは嫉妬の念を抱いていたのもあって完全にノーガードだったためにもろに顔面直撃と手痛い結果に。当然そのまま試合続行とはいかないので保健室に連れて行こうとなったのだが、その際に真っ先に名乗り出たのは他でもない心愛ちゃんと千夜ちゃんの2人組だった。しかもこの2人、紗路ちゃんを抱えるや否や直ちに紗路ちゃんを助けようと言わんばかりの必死の形相*9で保健室に連れて行かせようとしていた*10のがとても印象的であり、その場面を見ていた生徒会長は「これが学校の垣根を超えた友情」と称していた辺り、やっぱりこの同級生組3人はただの仲良し3人組なんかじゃないのだと改めて認識させられた。因みにこの「周りからの見え方や評価を知る事で再認識に至る価値観」たるや、正直私としては自分の想いや感情の錯綜を招きかねないのを懸念しているが故に闇雲に進んで取り入れる事は避けているのだが、この場面においては殊更取り入れる以外の選択肢は無かった。それだけハッキリ刻まれるものがあったのである。

 では同級生組の一体何が凄いとなるのか。普通に考えてみるならば、確かにわざとでは無いとは言えボールをぶつけたのは連携してボールを放った千夜ちゃんと心愛ちゃんの2人な事に違いないので、2人が紗路ちゃんを保健室に連れていくのはある意味当然の道理であり、周りから特段称賛される様な事では無いと扱われる事も当然ながらあり得た筈である。なのに周りは称賛した。何故なら、それは「学校の垣根を超えた友情の証」を体現するものであったから。これこそが同級生組の凄さの根幹なのであり、最早それ以外に早々答えは見つからないであろう。

 この学校の垣根と言うものは現実問題として、些細な問題事の様に思えて実際にはかなり大きな問題事であり、垣根とは名ばかりにその実態は最早塀だと言っても差し支えないかもしれない程に厚く険しい面がしばしば存在する。尤も学校の垣根と言ってもその形態は多岐に渡るが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんと言う同級生組の様に、他校の人同士で仲良くなると言うものであっても、同校の人と比べて絶対的な接点が少ないと言う関係上良好な関係性を生み出し継続する為には相当の努力を要する。最近では携帯電話やスマホ、インターネットを用いたコミュニケーションツールの隆盛もあって人と人が直接出会わなくても関係性を認識し合い、保つ事は昔よりずっと容易になったとは言え、それでも努力を要する事には変わりない。どんなに便利なツールが誕生して人間関係を創り出し、維持する事が容易になっても最後は「お互いに人として信頼出来るか」に大きく懸かっている事には変わりないのだから。

 これらを勘案すると、同級生組3人がどれ程凄い関係性なのか良く分かってくるものなのだが、良さはそれだけには留まらない。同級生組の良さは大小様々あるのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃんが紗路ちゃんを保健室に連れて行った*11後も2人が紗路ちゃんの為に(やり方のスタイルはどうであれ)献身していたのがこの場合最も象徴的であると言える。普段紗路ちゃんの事を良くも悪くも振り回し続ける心愛ちゃんと千夜ちゃんだが、大切な人が怪我をしたと言う事態において真っ先に心配し献身する態度を取った事は2人が紗路ちゃんの事を心の底から大事に思っている証拠と言え、それは逆もまた真なりなのだが、何にしても同級生組の信頼関係の強さを示している物として最早不足は無いだろう。なお、紗路ちゃんのケガは幸いにも大したものでは無く、涙も怪我とは全く関係なかったのだが、その事が分かった途端に2人は保健室のベッドに寝かしつけた紗路ちゃんの両脇に2人共寝転んでいる。正しく「同級生組だけが共有する時間と空間」となった訳だが、2人がこの行動をとったのには理由があり、しかもその理由は紗路ちゃんがそれこそ2人に対して抱いていた嫉妬の感情に深い関わりがある。

 紗路ちゃんが2人に対して抱いていた「どこか仲間外れにされている」と言うべき類の感情は、実は球技大会においては心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんに対して抱いており、これは紗路ちゃんがテニスの試合でかの理世ちゃんを彷彿とさせるフォーメーションで試合を沸かせた*12際、その試合終了後に紗路ちゃんの学校の友達に紗路ちゃんを取られてしまい、話しかけられなかったのが要因としてある。勿論紗路ちゃんの学校の人達は紗路ちゃんを独占しているとかそんな事は全く無く、単純に学校が違うから発生した事案であるのだが、2人はどこか寂しい感情を抱いていた。やはり普段から密接な関わりを持つ人とその場の感情を直ぐに分かち合えないのは寂しいのが良く分かる事例である。この事を千夜ちゃんは紗路ちゃんに向けて彼女特有の不満そうな表情を浮かべて「友達に囲まれて話しかけられなくて寂しかった」と言っているが、紗路ちゃんは何故か嬉しそうにしていた。これは紗路ちゃんからしてみれば「2人も私と同じ様な寂しい感情を覚えていた」と理解できたからである。尤もこの事を2人は知る由は無い*13のだが、何れにしてもお互いの手の内を心から安心して知れ合う仲であるのは良く分かるのだから、それで良いのかもしれない。

 因みにこの時心愛ちゃんは理世ちゃんのお土産話として「同級生組3人で保健室で球技大会をサボった」事を報告しようとしたが、カッコ悪い姿を先輩に曝す形になってしまうので当然と言うべきか、紗路ちゃんに制止されている*14。そして智乃ちゃん達にもっとかっこいい所見せようと提案した紗路ちゃんにより、3人共にまた球技大会の舞台に戻りに行く所で終わりとなっていた。舞台に戻る時も3人は何時もの調子で掛け合いをしているので、次回も期待に溢れるものになると予想できる終わり方なのが印象的だった。

2.感想のまとめ

 今回は心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんと言う同級生3人組に焦点が当たったお話だった訳だが、元々千夜ちゃんが理世ちゃんと肩を並べる程に特に好きな私*15にとって喜ばしいお話だったのは言うまでも無かった。私がそう思うのには軽快なボケツッコミの掛け合いがあるのも一因として存在するが、一番は人間的な意味での良さが特に表れる関係性なのが大きい。尤も3人共性格がとても良いので良さが出てくるのは当然だと思われるかもしれないが、幾ら普段から性格が良い人だと言っても、友達関係と言う環境下において人から性格が良いと常に思われる様にするには相当な困難がつきまとう。何故なら、人間である以上感情の起伏による気分の変化は日常茶飯事であるが、それ故に例え友達に対してであっても例外では無いからである。ただ、友達関係に部外者があれこれ口出しするのは不適当だと思う所はあるし、私がここで思っている事は完全に余計なお節介なのだが、この同級生3人組の関係性に関してはお節介である事は承知の上で本当に素晴らしい関係性だと思っているし、それは今回の球技大会においても揺らがなかった。

 一見するとボケツッコミのトリオにも見える*16のだが、その実3人共に互いを信頼し合える固い絆があり、信頼も同様に厚く、有事の際にはあらゆる物事の垣根を超えて助け合う。周りから見ても正に理想的とも言える様な友達(親友)関係で、正直こんな3人組を持てたら人生幸せなのだろうとすら思う程である。

 今回のごちうさは人間関係を如実に描き出しているスタイル故に思い悩む事が多かったのは事実だが、それ故に時間が経つにつれて思い悩んでいた事が、何時しか心から好ましきものに変化するのだと思えるのだと言える。それらを勘案すると、今回の同級生組を中心とした球技大会は正にごちうさの良き一面の一端を担うものとして名を馳せるのであろう。やっぱりごちうさは凄い作品なのである。

3.余談(私がこの様な感想を抱いた背景)

 ここからは私自身が「なぜ今回のごちうさのお話においては中核とも言える同級生組=トリオに対して並々ならぬ想いを馳せた」のか。その事について記す。

 

 今月のごちうさは何故だか複雑な心境に苛まれてしまった訳だが、その原因にはトリオ即ち3人組の難しい側面を理解し経験していた事が大きかったのかもしれない。と言うのも元々私は一時期、とは言ってもまだまだ子供の頃だったが、3人組で行動すると心なしかどこか置いてけぼりにされてしまう事が多かったからだ。何時も他の2人で楽しそうにしているのを只々見ている若しくは何となく一緒に行動しているだけ。尤も見方を変えるとそれだけでも小規模ながら団体行動出来るのだから、ある意味3人組は幸せなのかもしれないが、私はそれが兎に角嫌だった。そこにいるのは確かに3人なのに、何だか自分だけそこにいない様な感触がするからその理由だった。勿論他の2人だって3人いる内の2人だけで楽しみ過ぎない様にするべきだと考えてくれてはいただろう。でもそれは何処までも思い上がりも甚だしく、まだまだあどけない子供には高過ぎる理想でしかなく、現実はあくまでも厳しかった。しかし当時の私は子供故にそんな事は経験不足故に良く分からなかったので、今思えばある程度は仕方がない面もあったのだろうが、自分なんて3人組の中においてはいてもいなくても同じ様なものだと自分勝手に思う事すらあった。

 でも、月日を経て客観的に考える力と余裕が身について来て、改めて昔の事について考えてみたら、それは当然の結果だったと思わされた。だって3人組において他の2人に積極的に自分の意見や考えを言ったりしなかったのは他でもない自分だったから、はっきり言って除け者扱いにされたって文句を言う資格なんてある訳が無くて当然だった。自分の事は何も言わない癖に人には良くしてもらおうなんていくらなんでも厚顔無恥が過ぎる。昔から近親者には「自分から積極的に話しかけないと人は気に掛けてくれない」と言われてきたものだが、漸くそれが痛い程理解できた。昔の自分はそんな言葉を聞いても「自分の事を何も分かろうとしていない。自分をただ傷付けようとしているだけなのだ。」と思い込んで子供ながらに全く聞く耳を持とうとしなかったのだが、今考えると利己的な考えも甚だしいと思うばかりである。人の事を考えていないと思っていた自分自身が実は一番自分本位な考えを持っていたのだから孤独になるのは当然の事だった。

 ただ、私が自分の事を言わない背景には、人と話すのが極度に恥ずかしいからと言うのと、これは私の単なる勝手な思い込みなのだが、人がなんて言い返すか分からなくて傷付くのが怖いからと言うのが理由としてあって、本当は人に上手く話しかける事が出来ない事と、私の勝手な思い込みとは言え人に傷つけられる事を極度に怖がっている事に対して理解を得て貰えたらまた違った結果になったのかもしれない。それでも「自分の意見を言わないのを恥ずかしがり屋だからとか、傷つくのが怖いからと言って、自分の意見を言う事から逃げたりするのは狡い。」とは言われただろうが、同時に自分の課題について親身になって考えてくれていたのかもしれない。勿論どうなっていたのかは分からないが、どんな事柄も悩みもまずは人に打ち明けないと何も進展しないのであり、人に打ち明けさえすれば何か新しい道が開けたかもしれないと言うのに、私は何ら改善しようとしなかった。「人に頼らなくても自分で何とか出来る。たとえ辛くても無理矢理にでも何とかしてやる。」と高を括っていただけでなく、意固地にもなっていたのが原因であり、実は頑固者でもあった私は月日の経過で心境が変わりつつあっても、このままでは駄目だと分かっていても、根本的な部分は何が何でも変えようとはしなかったし、できなかった。元来真面目で几帳面な性格であるが、その一方で変な所で我慢するだの頭が固過ぎる面があるのと、所謂頑固者な面も半端じゃなかった事が重なって出来た「自分で決めた事を途中で変えるのは意志が弱い証拠だ」と言う自分の昔からの考え方が悪い方向に働いてしまった結果だった。そんな自分が只々情けなかった。その後に頑固な考えはきちんと改められたのだが、この愚かと言うべき考えは自分の心に深い訓戒と失意を刻み付ける事になった。

 だが訓戒と失意は必ずしも悪い事ばかりでは無かった。何故なら、この経験があるお陰で3人組の中で1人だけ輪に入れていない辛さもどかしさがちゃんと理解できる様になれたのだし、自分の考えている事は例え恥ずかしくても、自分の勝手な思い込みで傷ついてしまうのが怖くても、きちんと言わないと人には伝わらない事も改めて身をもって思い知られたし、勝手な思い込みで人を判断してはいけない事も痛い程思い知らされた。その事は本当に大きかった。この事をまだまだ子供の内にある程度理解した事は多分今後の人生においても少なくない糧になると思われるし、何より人の気持ちを汲み取る若しくは理解する上で非常に活かされている。それ故にこれを書いている現在では上記の様な利己的な考え方は基本的に良しとしていない事はここで明言しておく。

 この様にごちうさを通じて正しく人として心の成長を遂げている事を私はまざまざと思い返している訳だが、一方で心の成長に際限は無いと言うのが通説である為、これからも人としてどの様にすれば良いのか模索していく事になると思われる。その模索の結果どの様な人格者になるのかは未知数だが、少なくともごちうさにある様な優しさと思いやりをもった人にはなりたいと常々考えている事はきちんと明言する。これは、元々人から優しい人だと言われる事に対して嬉しさもありつつ「本当にこれで良いのだろうか」と疑問も抱いていた所に、ごちうさに可愛さだけでなく、優しい人間でいる事の大切さと必要性を私は学ばされたことが背景としてある。やはり人に優しくする事は人付き合いにおいては何よりも大切な事なのである。

 思えば私が智乃ちゃんがイチ推しなのも人間関係に対してこの様な考えを持っているが故なのではなかったかもしれないと思いを馳せつつ、この本文を終わりとする。

*1:私が嘗てごちうさに対して抱いていた心苦しい感情の事。

*2:但し6人制バレーボールの場合、相手のサービスをブロックするのはれっきとした反則行為にあたる。

*3:この11人は、現在の大学生組の理世ちゃん、結良ちゃん(何れも大学1回生)の2人と、高校生組の心愛ちゃん、千夜ちゃん、紗路ちゃん(ここまで何れも高校3年生)、智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃん、夏明ちゃん、映月ちゃん、冬優ちゃん(何れも高校1年生)の9人を指す。

*4:細かくは麻耶ちゃんと夏明ちゃん、恵ちゃんと映月ちゃんだが、4人全員仲がとても良い。

*5:尤もチマメ隊がバラバラになった事により、現在この区分におけるトリオは消滅している。カルテット(4人組)は新しく創設されているが。

*6:小学校も同じ学校だったかは明確な描写が無いが、恐らくは同じ学校だった可能性が高い。但し、小学生時代は紗路ちゃんは黒歴史扱いしている。

*7:しかしながら、8巻の旅行編で千夜ちゃんが紗路ちゃんの事について「本当は仕事の都合でここ(輝きの都のこと)に引っ越すつもりだったが、お嬢様学校に受かったからあの街に残った。」と、かなり衝撃の事実を言っているので、紗路ちゃんにとって学校選びは色々な意味でまさしく運命の分岐点だったと言える。都会に引っ越すのは恐らくそうした方がもっと稼ぎが良くなるからと言うものだろうが、仮にそうなったのなら紗路ちゃんは心愛ちゃん達と出逢う事も、心から分かり合う事も無かったに違いなかっただろう。ただ真面目な話、金銭事情を勘案すると街に残ったのはお嬢様学校に特待生で受かったからと言うべきだと思うし、他にも紗路ちゃんが中学生の時、両親は何処でどうしていたのだと、疑念をあげるとキリがない。ただ、その辺りの事情は敢えてぼかされているとも思う為、無理に根掘り葉掘り探るのは野暮だろう。

*8:と言うか、あの3人に限ってそんな事は無いと思うのだが、あれだけ気に掛けておいて実は仲が悪いだの心から嫌悪しか感じないだのその様な事を言われたら只管恐怖でしかない。

*9:千夜ちゃんに至っては目に涙を浮かべていた。

*10:ただ、その際に紗路ちゃんに保健室の場所を尋ねたのはどうなのかとならなくもないが、元々球技大会の会場が紗路ちゃんの学校の方なので致し方ない面はある。心愛ちゃんも千夜ちゃんも紗路ちゃんの学校の保健室の場所は詳しく把握は出来なかった事情も容易に察する事が出来るので。

*11:理由は不明だが、保健室を担当している先生はどういう訳かいなかった。

*12:こういう事が出来るのも理世ちゃんと深い親交があるからこそなのは当然だが、もう一つの要因として本編内でも言われている様に、実は理世ちゃんに勝るとも劣らない身体能力の高さを紗路ちゃんは持っているのもあると思われる。そうでなければ高い身体能力を持つ理世ちゃんが放つ技を見よう見まねであっても全く成立しないと思われ、現に2年前には智乃ちゃんが中学校のバドミントンの試合において理世ちゃん直伝の技(因みにアニメではこの技で理世ちゃんは誤ってラケットを飛ばしてしまい、自分の家のガラスと父のコレクションワインを誤って割ってしまっている。尚、原作でもワインは割ってしまっているが、理由は「身近な虫(通称、G)が突然出てきた故の咄嗟の対応の為」と言うものであり、アニメとは異なる。が、いくら理世ちゃんが大の苦手とする虫が突然出てきたからと言って、ワインで攻撃するとはやっぱりやる事がお嬢様には思えない・・・。)のサーブを切り札として発動するものの、元々運動が不得手だった事が災いし、サーブ自体は空振りしなかったのだが、打った先でシャトルがネットに引っ掛かってしまい失敗に終わっている。

*13:実際問題、嬉しそうな紗路ちゃんの反応を見た千夜ちゃんは悔しそうな反応をしている。

*14:抑々折角の球技大会に「3人で保健室でサボっていました。」なんて報告しようものなら理世ちゃんから確実に制裁を下される事になるだろうが。

*15:私自身最推しは智乃ちゃんなのだが、それと同じ位に理世ちゃんと千夜ちゃんも好きである。

*16:個人的にはこの3人組で漫才若しくはコントをすると周りから中々に好評なのではとすら思っている。ただ、ツッコミたる紗路ちゃんの負担が大変そうだが、心愛ちゃんが実はボケツッコミどちらもそつなくこなせる天才肌なので割に心配ないのかもしれない。

狩手結良の魅力と彼女のキャラソンについて思う事

 こんにちは。新年早々やらないといけない事に追われる日々が続いて中々想いをまとめる事が出来ませんでしたが、漸く書く時間を取れる様になったので少しずつ書き進めていけたら良いなと思っています。

 今回書くものは吹き矢部長こと狩手結良ちゃんです。結良ちゃんと言えば何と言ってもその不可思議さが特徴的で、何を考えているのか良く分からない即ち言い換えるならば掴み所が無い故の魅力がある人ですが、その本心は意外と素直な面もあり、個人的には多岐にわたる特徴を持つ人だと思っています。今回はそんな謎多き結良ちゃんの表面性質と本音を純粋に読んだ視点から思った事と、そこから更に自分はどう思うのかと言うスタンスの下、深く考える視点と言う大きく2つの視点から考察したいと思います。 あと、ネタバレを含むものなのでその事も十分注意して下さい。

狩手結良の想いについて

1.狩手結良が持つ魅力について

狩手結良とは

 軍人を父に持つ女の子であり、初登場は原作4巻だが、名前が判明したのは原作7巻とかなり後の方である。結良ちゃんの父と理世ちゃんの父は知り合いでもあり、同じ軍人でもある事もあって理世ちゃんとは昔なじみでなおかつ同級生でもある。容姿は長髪である事、髪の色や瞳の色は理世ちゃんと似ているが、理世ちゃん程髪の色は紫色が濃く無く、瞳の色もどちらかと言えば青みがかった色合いをしていると言った違いがある。とは言っても理世ちゃんと似ているのは事実で、差異点が細かい事もあって原作9巻においてラビットハウスの制服を理世ちゃんから借りて理世ちゃんに扮装した事があるのだが、その際今までずっと一緒に居た時間が長かった心愛ちゃんや智乃ちゃんですらすぐには気付かなかった程である。とは言っても理世ちゃんが髪を下した姿であるロゼちゃんが理世ちゃんと同一人物である事すら年単位で気付かなかった2人なので、ある意味当然とも言えるのだが・・・。

 登場自体が非常に少なく、原作でもアニメでも片手で数えられるくらいしか登場していない上、原作はアニメより更に登場が少なく、アニメでは高校説明会の時にも登場していたが、原作だと登場していない程。そのためいま一つはっきりしない部分も多いが、理世ちゃんとは高校、大学と同じ所に通っていて、高校では吹き矢部長を務め、勧誘や吹き矢勝負を持ちかける事もしばしばあったが、肝心の腕前はハッキリ言ってからっきし(下手)で、そのからっきし度たるや、まともに的の中心部に命中させられない程で、吹き矢名人たる千夜ちゃんの祖母直伝の腕前を持つ紗路ちゃんには(ある意味当然だが)何時も負かされていて、その図式は結良ちゃんが高校を卒業した後も全く変わらなかった。抑々相当の腕っぷしを誇る紗路ちゃんに吹き矢勝負を仕掛けること自体無謀なのだが、何故に繰り返すのか、大体結良ちゃん自身の腕前が何故向上しないのか、そしてなぜ結良ちゃんはあれだけ下手でも部長を務められたのか*1と謎は深まるばかりである。

 理世ちゃんとは幼なじみであり、昔なじみでもある*2ため最も仲良しの様に思えるが、実際の所理世ちゃんはともかく結良ちゃんの態度を見ると仲が悪い訳では決してないが、凄く仲良しでも無い様に感じる事がしばしばある。表立っては仲が良いのか悪いのかはっきりしないが、本当は心が通い合わせる事が出来る程凄く仲良しだと言うのはココチノを始めとした他の2人組にも言える事だが、理世ちゃんと結良ちゃんに関しては確かに仲良しなのだろうが、明らかに他の2人組とは違うどこか冷たい感触を覚える。謎多き結良ちゃんなのでそうだと断定する事はできないが、少なくとも結良ちゃんは人間関係に関して理世ちゃんをはじめとした他の皆とは違う何者にも染まらない考え方をしているのが伺える。しかしながらここでハッキリと言うと、先ほどの考え方は謂わば綺麗事を言っているだけに過ぎず、何者にも染まらない考えが人付き合いが下手だと言う免罪符にはなり得ない事は明らかであるとは思われる。

 まとめると狩手結良ちゃんは可愛い女の子である事には違いないが、同時に比類なき底知れぬ性質と本音を持つ人だと言え、その性質と本音は分からない面が多く、ミステリアスな魅力すら感じさせていると言える。またそれ故に周りと比べて異質であるために非常に浮いた存在になりやすく、どこにも染まる事の出来ない孤高な雰囲気をも醸し出している。それ故に本当の狩手結良ちゃんの姿があるのか中々見当をつけるのが難しく、これが表面性質の掴み所が中々ない事にも大きく関わっている。

掴み切れない表面性質

 一見すると普通のお嬢様の様に見える結良ちゃんだが、積極的に自分の事を語ろうとしない故に何を考えているのか分かりにくく、普段から一見するとのほほんとしている様に振舞っている事も相まって素性が全く掴めない。性格も分かりにくく、優しい人なのだか厳しい人なのだかはっきりしない面があり、やはり掴み所が無い。所謂神出鬼没を地で行く人でもあり、急に現れるのでますます惑わされる。また、理世ちゃんとは前述の通り同級生且つ昔なじみであるがその関係性は他のごちうさの2人組には無い冷たさが感じられる。この冷たさを感じる最たる例として、結良ちゃんも理世ちゃんと同じ学校に通っている*3のにもかかわらず、結良ちゃんから理世ちゃんと積極的に関わっている様子はあまり見受けられず、寧ろ1学年下である紗路ちゃんの方に話しかけに行っている印象が強い事が挙げられる。普通に考えるなら、いくら同じ学校に通っているとは言え、同学年の人よりも異学年に積極的に話しかけに行くこと自体イレギュラーで、しかも課外活動での関係性も無い所謂友達の友達と言える様な人に話しかけるのなら尚更である。もともと学年の差があまり気にならないごちうさ*4とは言え、結良ちゃんの行動はただならぬ信念が無いと中々行動には出来ない事であり、彼女の並々ならぬ想いを感じると同時に、理世ちゃんと結良ちゃんの間には埋める事の出来ない距離感がある様にも感じる。詳しくは後述。

 また、その掴み所の無さから他の人には無いかなり独特の雰囲気を醸し出しているのも特徴的で、ごちうさ登場する人物の人格が細かくは違えどライトで素直な印象を持つ者が多く、素直じゃない時があるにしてもそれは親しい人であっても弱い部分や甘えている部分を見せるのが恥ずかしい故だと言うのが多い中で、結良ちゃんはダークな雰囲気且つ誰に対しても容易には言えない様な奥底知れない何かを持ち合わせている。ダークで奥底知れない面は初期の智乃ちゃんや今の冬優ちゃん、神沙姉妹にもあるにはあるが、智乃ちゃんは皆との出逢いにより少しずつ変わって明るくなっていったので奥底知れない面は大分少なくなっている*5し、冬優ちゃん、神沙姉妹にしても出逢ってからまだ日が浅い事もあって当人らの事を良く知らない故に奥底知れない部分が発生すると言う仕方ない面もあるので、存在を知ってから特段日が浅い訳でも無い*6結良ちゃんのはより際立って見え、これは彼女の異色な雰囲気の裏付けに一役買っている。

 そのアクの強い雰囲気故に本人の性質を完全に理解するのは個性的なごちうさの登場人物の中でも特に難しく、抑々登場シーンが少ない事も起因しているのだが、掴み所のない性質も相まって中々理解が深まらない。智乃ちゃんが以前何かと(悪気が無いとは言え)人を振り回す、天然な言動をとる等の心愛ちゃんの事を呆れと皮肉を込めて「混沌の使者」だと評した事があったのだが、それすら結良ちゃんに比べたら最早子供騙しに過ぎない。本当の意味での「混沌の使者」と言うのは結良ちゃんがそう呼ばれる為に存在しているのだと言っても良い。最早そんなレベルである。但し他の人も掴み所のない面があるが故に性質を理解するのが難しい事自体は、積極的に自分の本心を他人に打ち明けたりするのが苦手な千夜ちゃんを代表にそうだと言えている面も確かにある。ただその場合においても性質を理解するのに支障をきたす程顕著なものではなく、強いて言うなら性質を理解するのがやや難しい面もある千夜ちゃんにしても本人が言わずとも紗路ちゃんとの関わりから掴める面も多く、抑々千夜ちゃん本人が自分の事よりも他人の事を優先して行動する人だと言う面が大きいと言う理由があるのに対して、理世ちゃんと言う身近な昔なじみの存在が居ながら、良く言えば誰にも染まらないが故の独創的な雰囲気、悪く言えば誰も本心を理解できないが故の孤独な雰囲気を持っていて、尚且つ見た所自分の本心を打ち明けるのがそこまで苦手でもなさそう*7なのに、性質を理解するのが特に難しくなっていると言う状況にある結良ちゃんは登場回数の少なさを鑑(かんが)みてもやはり他の人とは違う異彩な雰囲気を感じる。しかもその異彩な雰囲気ですら彼女の場合表面的なものに過ぎず、本心は結局誰にも分からない。

 表面的な部分の掴み所の無さは間違いなく他の人の比では無い狩手結良ちゃん。理解しようとしても全く掴み所を見せず、漸く掴めたと思ったらまた新たな一面それもすぐに流す事の出来ない程のものを理解しようとする人の心に刻み付け、彼女はまた掴み所を見せなくなる。そんなミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由でもあるのだが、これは後述。

謎多き彼女の意外な一面

 掴み所が無い故に謎が多い狩手結良ちゃんだが、本音だと思わせる様な言動は度々見せていて、特に原作9巻で登場した時には本音だと思わせる様な言動を多々とっている。しかしながら何れもごちうさとしては異色に感じるものなので戸惑いを感じるのは正直否定できない。裏を返せばそれだけ結良ちゃんが不器用な面があるという事でもあるのだが、素直じゃない方法で本心を伝えようとすると人から誤解されやすいのが世の常と言うもの。誤解されやすい面がある事は原作7巻の時点で既に察しが付く事であり、どうにもうまくいかないのを見ているのはもどかしささえ感じられる。言い換えるなら人間味に溢れている人間だとも言える。

 そんな結良ちゃんだが、原作7巻では卒業式の時に、紗路ちゃんに理世ちゃんの制服のボタンのスペアを渡したりしている*8。人気者である理世ちゃんの制服のスペアボタンを持っているとあって周りの人からはかなり怪しまれていた上、いくら相手が昔なじみとは言え、理世ちゃんの制服のボタンのスペアなんてどうやって入手したのかと言う疑念こそあるものの、結良ちゃんとてまがりなりにも全く人の気持ちを考慮せずに踏み倒してしまう人では無い事は伺える。方法こそ正統派とはかけ離れているとは言え、結良ちゃんとて人の為に何かをしたいと言う想いがあるという事であるとは考えられ、それは7巻後半の理世ちゃんが旅に出る時に結良ちゃんが理世ちゃんの家の給仕のバイトを率先して行ったり、ラビットハウスの穴埋めにも行った事にも関係していると思われる。勿論これは私の想像に過ぎないので本心は分からないが、結良ちゃんも本当は良い人だと思ったからこそ、こういう事を読んで思ったのである。

 そして結良ちゃんの更なる意外な一面が明らかになったのは9巻である。9巻で結良ちゃんは理世ちゃんに扮装した状態で理世ちゃんの友達と関わるのだが、抑々結良ちゃんが理世ちゃんに扮装した理由には多くの良き友達に囲まれている理世ちゃんが羨ましかったのだと本人の口から語られている。他にも親の立場を気にしている様な発言をしたり、自分は理世ちゃんの昔なじみと言うよりかは所謂理世ちゃんの護衛役としての役割の方が強かったと言う自認識があったと言わんばかりの事を言ったり、理世ちゃんを守るために吹き矢をやり始めた事を窺わせる様な事も言ったりしている。つまり結良ちゃんは普段から自分と言う存在を前面に出すと言うよりかは、自ら積極的に一歩引いて誰かのバックに回る様な振る舞いをしていると言う事であり、その事は心愛ちゃんからも指摘されている。因みに心愛ちゃんは誰か(理世ちゃんの事)のふりをする様な結良ちゃんでは無く、そのままの結良ちゃんを見たいという事を何時ものながら屈託なきにこやかな顔で結良ちゃん本人に伝えており、本人は戸惑い気味だったが、心愛ちゃん以外の後押しもあってかその顔は今まで見せた事の無かった柔和(にゅうわ)な表情だったのが印象に残っている。

 他にも理世ちゃんと2人きりになると心の底から分かり合える友達関係を築き上げた理世ちゃんに向けて突然壁ドンを仕掛け、腐れ縁*9とかじゃない普通の幼なじみに憧れがあった事、皆から愛される理世ちゃんを見ていると思わずひとり占めしたくなる願望が表れる事、誰とでも隔たり無く仲良くできる心愛ちゃん達に対して嫉妬する事等を打ち明けている。これらから考えられるのは結良ちゃん自身の強いコンプレックスであり、普段はのほほんとした結良ちゃんだが実のところ人間関係をうまく構築できない事に対して少なくない劣等感を抱いている事や、ひいて言うなら実は精細な面がある事を窺わせるものともなっている。結良ちゃんとて多感な時期故に人間関係に無神経であり続ける事は出来ないのである。なお、当の理世ちゃんはそんな結良ちゃんに対して「腐れ縁もとびきりの親愛の証」と言い、結良ちゃんも含めてみんな大切なのだと告げていて、もっと言うなら、理世ちゃんは結良ちゃんに対して面と向かって「お前(結良)も含めて大切だと思っているんだ」と多少怒り気味に言っている。尤も本当に怒っている訳では無い*10のだが、それだけ理世ちゃんにとって身近な人には「自分(理世)の事は信用しても良い存在」だと思って欲しいと言う事であると思われる。現実においても一考すると腐れ縁だと思う様な間柄の人こそ、色々と思う事はあってもここぞと言う時には実は一番頼りにしていたり、なんだかんだで息の合う気の知れた仲柄だという事は少なくは無いと思われるのだが、それ以上に実は誰よりも人に対して優しく気遣える器の広さを持っている理世ちゃんだからこそ、あくまでも上記の様な言葉を投げかけるのを可能にしているのであり、そんな理世ちゃんの事を良く知っている結良ちゃんが「私の事もきちんと考えてくれていた」と安堵の表情を浮かべていたのは非常に印象的だった。きっと結良ちゃん自身も理世ちゃんに気にかけてくれていた事は素直に嬉しかったのだろう。

 なお、結良ちゃん自身は理世ちゃんの反応に対して「揶揄った(からかった)つもりなのに真面目に返された」と顔を赤くして訴えたりしているが、壁ドンをしてまで言った事が初めから全て揶揄うつもりで言ったという事は正直考えにくい。更に言うなら、結良ちゃんはその後紗路ちゃんにも壁ドンを仕掛けて「紗路ちゃんは私にとってからかいがいがある大切な後輩。」だと何時もの調子混じりに言っているのだが、ここでも結良ちゃんにとって壁ドンが本音を言うルーティンかどうかは分からないし、そもそも何故に壁ドンをする必要があるのかどうかすら不明である。しかしながら、壁ドンと言う普通に考えるなら滅多にしない行動*11をするという事は、ただ普通に言うだけでは物足りない心の本音を言いたい事にも繋がるとも考えられるため、壁ドンをしながら言っている事は必ずしも全て結良ちゃんの本音だと言えなくても、一つも結良ちゃんの本音では無いとは考えにくいだろう。

 

※ここから先は自分がどう思ったのか深く考える視点となります。

2.狩手結良について思う事

何故結良ちゃんに惹かれるのか

 先において「ミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由」と叙述したが、これにはそもそも私自身結良ちゃんの様に決して手の内を完全には見せない様な人は結構好きである事と、そういうミステリアスな雰囲気を表立って醸し出している人は、実は心奥深く人には容易に言えない様な人間関係の悩みあれこれを抱えている事が多いと言うのが何となく理解できるからと言うのが関係している。但し前者はともかくとして後者は現実には考えにくい事なので、言ってしまえば私自身が考えている創作ロジックに当てはめていると言う事になるのだが、結良ちゃんに関してはロジック云々に関わらず昔からどんな人なのか気にはなっていた。単純にごちうさに新しい人が舞い込んできたと言うのもあったのだろうが、それ以上に掴み所が無いその表面性質に心惹かれたと言うのが大きな理由である。何故なら、表立って見せない性質と言うものの多くがその人の本心である事が多く、表面性質に掴み所が無いと言うのはそれだけ内に秘めし本心があるという事だと考えているからである。つまり結良ちゃんには何かとてつもない本心を秘めていると考えそんな一面に心惹かれたのだと言う事であり、それは今も昔も好きな理由として変わっていない。そして、たとえミステリアスな面があっても、どれ程ごちうさの中で異色な雰囲気を持っていようとも、その想いが揺らぐ事は無かった。それだけ結良ちゃんを想う気持ちに偽りは無かったという事である。

 纏めると、結良ちゃんに心惹かれた理由とは彼女が持つミステリアスな雰囲気と、内に秘めし本心に何かごちうさにおいて何物にも染まらない凄い力を持つものになり得ると感じたからである。尚、上記の事は主に9巻を読む前に思っていた事であり、9巻を読んでからは彼女の本心についてある程度推察できる様になった為に更に惹かれていく事になる。詳しくは下記にて。

他とは一線を画す幼なじみ

 今まで度々述べた様に結良ちゃんは理世ちゃんとは両方の父親の関係性から幼なじみであるのだが、その関係性は千夜シャロの様な「普段は振り回す振り回される漫才コンビの様な関係性だが、本当は誰よりもお互いを大切に想い合っている」ものでも無ければ、マヤメグの様な「一見片方がぐいぐい引っ張っている様に見えるが、本当はお互いに助け合っている様な関係性」でも無い。簡単に言うなら「陽の当たる幼なじみを陰から見守る関係性」と言うものであり、千夜シャロとマヤメグと言う2組の様な仲の良さや気の知れ様とはかなり一線を画しているものである。光の理世ちゃんと影の結良ちゃんと言う交わろうにも交わり切れない、しかし同時に切り離す事もできない表裏一体の概念*12を持ちながら、根底にあるどうにも超える事の出来ない距離感はさながら冷酷非情な命運を抱えた奇特な幼なじみだとすら思う事もある。なまじ千夜シャロとマヤメグが根が明るい幼なじみなのもリゼユラの暗き一面に拍車を掛けている要因となっている。

 但し、距離感自体は表立っては言われていないとは言え、ごちうさにおいては半ば当たり前の様に存在するものであり、(嘗ての)中学生組と高校生組ですら絶妙な距離感があった*13上に、抑々普段から何時も一緒に過ごす事の多い友達だとは言っても、基本的には四六時中一緒に居る訳では無いので実は結構距離感そのものはあったりする。しかしながら、その距離感と言うものがリゼユラの場合とそれ以外とで質が違っている様に感じられ、ごちうさの距離感と言うものは多くの場合物理的な距離感が多く、心理的な距離感においても友達関係には殆ど支障をきたさない若しくは解決できるものが多い中、リゼユラの場合物理的距離感こそあまり違和感は感じないが、心理的距離感に対する違和感が大きく、特に結良ちゃんが抱いている理世ちゃんに対する意識が深い溝で埋まり切っていない様に感じる事が多く、しかもそれがずっと変わっていない。更に言うと埋まり切らない溝はリゼユラと言う幼なじみの関係性にも影を落としており、たとえ腐れ縁でもそれは最高の親愛の証と考える理世ちゃんと、腐れ縁ではない普通幼なじみの関係性を憧憬(しょうけいまたはどうけい。憧れていること。)している結良ちゃんとでリゼユラと言う幼なじみに対する価値観がかなり異なっている事を始めとして、一番痛いのは「心から理解し合える友達関係を築き上げどんどん変化を遂げていく理世ちゃんに対して、幼なじみにすら本心を聞き出す事に強い躊躇いがあり、一人強いしがらみを抱え続ける結良ちゃん」と言う致命的な差異がある事により、結良ちゃんは何処までも自分をひた隠しにする等、最早当人同士のみではどうにもできないもどかしさを幾つも抱えている。理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろお互いに嫌い合っている犬猿の仲と言う訳では無いが、その仲柄が与える印象は限りなく冷たいものになってしまっている。

 上記の様な事からリゼユラに対しては正直負の印象をも感じていると言うのが私の本音であり、はっきり言って千夜シャロやマヤメグの様な「仲良しで気の知れあった良き幼なじみ」だとはリゼユラの場合素直にそうだと言えないし、言ってはいけないとすら思う事もある。そう思う理由に親同士の立場と言う複雑な事情と、理世ちゃんと結良ちゃんで心情理解がずれている事が、他の幼なじみとは違っていると言うのが大きな要因として存在しており、しかも大きく違う要因が悉く(ことごとく)マイナス方面に働いてしまっているのも痛い。更に心苦しいのがごちうさにおいては通常千夜シャロやココチノに代表される様に親子で仲が良いと言う良さがあったり、心情理解のずれが思わぬ良き結果を生み出したり、幾つものかけがえのないものを創り上げたりしていると言うのに、リゼユラは悉くそれらに一筋縄ではいかない事情を抱えていたり、望まぬ軋轢(あつれき)を生み出してしまっている事実が存在する事であり、それ故に「リゼユラは他とは違うどこか冷たい雰囲気がある」と言うのが私自身の心情に蠢いていた「非情だが紛れのない現実」なのである。

 しかしながら、私自身当人(理世ちゃんと結良ちゃん)らには何の落ち度も無いと理解している。これはリゼユラをとりまく環境は当人ではどうすることもできない(もしくはできなかった)ものも多く、結良ちゃんが影に隠れがちなのも理世ちゃんに対して多少なりとも「自分みたいな人が表立ってずっと付き合っていて良いのだろうか?」と言う懸念があるからではないかと私自身考えている為である。つまり結良ちゃんの心には理世ちゃんに対するどことない不安とも言える懸念が渦巻いていると言え、これさえ本人が克服できれば理世ちゃんとも何のしがらみも無く普通に仲良くできると考えていて、この事は結良ちゃんの幼なじみに対する考え方や、理世ちゃんと本当はどう接したいのかと言った様な言動や本音を汲み取ればある程度は裏付けできる。勿論結良ちゃんが本当に上記の様な事を考えてそれを切に望んでいるのかどうかまでは断定できないが、少なくとも理世ちゃんも結良ちゃんもお互いを軽視している訳では無いとは言える。本当に軽視しているならお互いに腫れもの扱いしているだろうし、結良ちゃんにしても理世ちゃんに拘る必要性は皆無なのだから。

 纏めるとリゼユラは千夜シャロやマヤメグの様な他の幼なじみとは一線を画している点が多く散見されるのは確かな事実であり、その一線を画す事情も腐れ縁と称する程に一筋縄ではいかない背景が存在しているとは言え、決して不仲では無いと思っていて、個人的には幼なじみだからこそお互いにもっと気兼ねなく距離を縮めてみると上手くいくのではないかと考えていて、結良ちゃんにしても理世ちゃんとは何の変哲もないしかし仲良しである様な幼なじみの関係性を求めている様な面があると感じている。この事は彼女の本心として下記により詳しく叙述している。

幼なじみ故の嫉妬心と本心

 結良ちゃんの本心は色々あると思うがその中でも「理世ちゃんとは腐れ縁じゃない普通の幼なじみでありたい」と言うのと「私(結良)にも皆(理世ちゃんの友達)の前で見せている様な理世ちゃんをありったけ見せて欲しい」と言うのが本心としてあると考えている。そして、その事を思わせるのが前述の原作9巻における理世ちゃんに対しての壁ドンであり、心愛ちゃん達に嫉妬してしまうのも、皆に愛される理世ちゃんを見ると独り占めしたくなるのも「幼なじみの私には見せた事のない一面を友達には見せているのは狡い。私にも友達に見せている様な一面を見せて欲しい。」と言う本心から口に出たのだと思うと(本人は揶揄ったのだと言っているとはいえ)ある程度は整合が付く。となると結良ちゃん本人は理世ちゃんに対して「心愛ちゃん達に対して嫉妬している」と言っているが、実際には理世ちゃんに対する嫉妬心も少なからず存在するという事になるだろうと私は考えている。何故なら結良ちゃんが心愛ちゃん達に嫉妬する理由として「幼なじみの私には見せた事のない様な理世ちゃんを引き出せているのが羨ましい」と言うのがあると考えられると前述したが、その一方で当然ではあるのだが、人に対してどういう立ち振る舞いをするのか最終的に決めるのは自分自身であり、心愛ちゃん達の前で見せている理世ちゃんと言うものは当然ながらあくまで理世ちゃん自身の意思によるものである。つまり立ち振る舞いと言うものはどんなに周りの人が提言しても最終的には自分が決める事だと言う事であり、この場合どれ程心愛ちゃん達周りの人が理世ちゃんに影響を与えたとしても、最終的にどうするかは理世ちゃんの意思に委ねられていると言う事である。

 この様に考えると、結良ちゃんが理世ちゃんに強く影響を与えている心愛ちゃん達に嫉妬するのは理世ちゃんを昔から知っている彼女からしてみればある意味至極当然だと確かな理解が得られる上に、「その影響を受けている事を分かった上で立ち振る舞っている(=理世ちゃん本人も自身の友達の前で今まで結良ちゃんには見せた事のない立ち振る舞いをする事を受け容れている)」理世ちゃんに対しても実は嫉妬しているとも考えられる事に繋がる。結良ちゃんからしてみれば今まで私(結良)には見せなかった一面を友達に対しては見せている理世ちゃんに対しても「何で友達には新しい一面を見せて、私(結良)には見せてくれないの?」と、言ってしまえばやや利己的な面があるとはいえ、やはり幼なじみとして長く関わってきた者としては多少なりとも嫉妬心を持ってしまうものだと言うのが私自身の個人的な見解である。また、その様な見解の根拠を示すものとして、ごちうさには代表的な幼なじみコンビとしてリゼユラ以外にも千夜シャロとマヤメグが存在するのだが、実はこの2つのコンビにも上記の様な嫉妬心と言って良い様な要素は存在しているのが挙げられる。

 まず千夜シャロの場合は、6巻の生徒会推薦や5巻の文化祭のお話に代表される様に紗路ちゃんが千夜ちゃんに対してやきもちを焼く事が多く、親友である心愛ちゃんや学校の仲間たちと連携し合ってどんどん自分の挑戦したい事を実践していく千夜ちゃんに対して紗路ちゃんは学校が違う事もあって「千夜が元気にやっているのは嬉しいけど、私の事も忘れずにきちんと構って欲しい」とやきもちを焼いているし、他にも学校が違うからこそ起こる事なのだが、千夜ちゃんが行っている行事関連の事について「どんな事をするのか私にも教えて欲しい」と紗路ちゃんが聞くと、千夜ちゃんは「(幼なじみである)紗路ちゃんにも教えられない私のクラスだけの秘密事」だと言い、すると紗路ちゃんは思わず「楽しそうな事しているのに私には教えてくれないなんて狡いっ!」と言わんばかりに顔をぷくーっと膨らませてあからさまに不満そうな態度を取った事もある*14し、逆に千夜ちゃんが紗路ちゃんに対してやきもちを焼く事も中学生組の職場体験など結構ある。なお、この時千夜ちゃんは紗路ちゃんに対してやはり膨れ顔で不満そうな態度を取っている。因みに時期で言えば職場体験の方が全然先*15なのだが、時期の違いに関係なくお互いやきもちを焼く事もあると言うのはどれほど仲良しであっても相手が羨ましいと思う事は別に珍しくない事を意味していると思われ、嫉妬心を持つ事が幼なじみの仲柄において駄目な事では決して無い事の裏付けとしても機能している。どれ程心の底から信頼出来る様な幼なじみ相手だとしても、相手のする事に全く嫉妬しないと言い聞かせるのは非常に困難な事なのである。

 幼なじみ相手に全く嫉妬心を持たない事が非常に困難だと感じ取れるのはマヤメグでも同じ事であり、マヤメグの場合は一見すると突き抜けた個性を持ち、好奇心旺盛で物怖じしない麻耶ちゃんに対して、これまた一見すると突き抜けた個性が無く、周りに比べて平凡になりがちな恵ちゃんがやきもちを焼くが多いと思われ、事実そうである事が多い。しかし実際には麻耶ちゃんが恵ちゃんに嫉妬している部分も多く、特に恵ちゃんの芯が非常に強く簡単にはめげない折れてしまわない部分や、目指す理想像に向けて確実に歩んでいる部分に麻耶ちゃんは嫉妬しているきらいがある。物怖じしなそうに見えて実は怖気づいてしまう事も少なくなく、本当は芯がそこまで強くない麻耶ちゃんにとって恵ちゃんの芯の強さはどんな時でも助けてくれる心の救いであるのと同時に、妬み嫉みの諸悪の根源にもなり得る危険性も孕んでいる。もっと言うなら複雑な感情に絡めとられ、どういう立ち振る舞いをすれば良いのか分からなくなり、誰が悪い訳でも無い為にやり場の無い怒りに苛まれる可能性も十分考えられ、メンタルがそこまで強くない麻耶ちゃんにとっては無視出来ない問題ともなり得る。
 しかしながら麻耶ちゃんは決して妬み嫉みに呑まれてしまう事は無いと思われる。何故ならマヤメグはお互いの利点欠点を上手く噛み合わせた絶妙なコンビネーションを持っているからである。コンビと言うのはお互いの良い所をもって互いの欠点を補え、且つそこから互いを尊重し合える関係性が長期間に亘って円滑且つ仲良しである為の何よりの秘訣であると思うのだが、マヤメグの行動面では麻耶ちゃんが恵ちゃんを引っ張り、心の部分では麻耶ちゃんが引っ張っている様に見えて実は恵ちゃんが麻耶ちゃんを引っ張っていると言うバランスの良いコンビネーションはお互いを認め合い、嫉妬をも超える事の出来る友情を育くめる最大の秘訣であると考えられ、この事は性格もタイプも違う2人の人間が何時までも仲良しでいる為のキーポイントだとも思われ、それはマヤメグにしろ千夜シャロにしろ、もっと言うならば全ての人間関係においても変わらない大切なものであると思う。

 この様にどんなに仲の良い幼なじみでも嫉妬心を持つ事は普通にある事であり、幼なじみ相手には嫉妬心を抱いてはいけないとは全く思わない。幾ら長年知り合いの人が相手でも嫉妬する時はするものだし、別にその感情を無理に押し殺してしまう必要性は無い。尤も結良ちゃん本人は幼なじみである理世ちゃんに対して嫉妬心があるとは直接的には言っていないが、実は理世ちゃんに対する本音を敢えて言っていないという可能性も十分考えられる。どうにも煮詰まりそうで煮詰まらないものになっているが、言ってしまうと9巻まででは推察できる要素が多くない故にどんなに考えてみてもどうしても埋まらない部分が存在するためにどう足掻いても100%この通りだと断言できないから。でも、もし結良ちゃんが理世ちゃんに対して本当に興味が無いと言うのなら、抑々理世ちゃんが誰と関わり、その結果どうなろうとも何の興味も湧かないだろうし、それ故に理世ちゃんに親しい人に対して嫉妬心を抱く必要性も全く無いのだから、理世ちゃんに対する嫉妬心が皆無だとは考えにくい。ただ、何度も述べた様に嫉妬する事=悪では決して無いと思っていて、その理由としては前述の通り嫉妬は心の反応として普通に想定できる反応だと言うのがあり、それ故に嫉妬そのものは問題ないと考えているから。ただ、普通の幼なじみに憧れていたと言う本心は結良ちゃんにとってかなり大きいものである事は容易に想像がつき、その事を9巻で知った時には「彼女はこんな事を思っていたのか」と思ったものである。また、それまで殆ど掴み所が無かった彼女においてより深く理解するために重要な役割を担うと思ったのは言うまでも無く、彼女に益々心惹かれる決定打ともなった。そう言う事もあってか、リゼユラに関してはどんなに嫉妬心があふれるものであろうと嫌いにはならないと思われる。この強い意思に関しては色々賛否が存在するだろうが、自分が一度こうだと決めたら変えない意志もまた、大切なものなのである。

結良ちゃんに対して抱く想いと共感

 結良ちゃんに対してはミステリアスな面が相まって昔から心惹かれる存在だった事もあってか早い段階から好意的な感情を抱いていて、それは最近になって更に増してきている。更には彼女には余計なお世話ながら幸せになって欲しいと思う事もしばしば。折角ごちうさと言う素晴らしい世界にいると言うのだから、幸せになれる様な切っ掛けを掴んで欲しいと思うのは何も結良ちゃんだけでは無いのだが、彼女に対しては智乃ちゃんと同様他の人より少しばかり抜きんでて思う事が多い。これは「前置きをしないと本心を中々言い出せない」智乃ちゃんにしろ、「壁ドンをしないと本心を中々言い出さない」結良ちゃんにしろ本心を人に伝えるのが下手過ぎる点が共通しているからと言うのが理由として挙げられるが、一番は私自身も人に本心を打ち明けるのが苦手故に人に本心をうまく伝えられないもどかしさを理解できる事にある。私自身も人に本心を打ち明けるのが凄く苦手で、その理由は「人に自分の弱い面を見せるのが怖いから」と言うもの。要するに人の失望を買って離れられてしまうのを異常なまでに恐れていると言う事であり、それ故に自分の弱い面が如実に表れる可能性がある所謂共同作業に苦手意識があるのだが、同時に共同作業が人のあらゆる一面を知り、より深い関係性になれる可能性を持つ機会である事も十分に理解しているので余計心苦しくなる事も多い。尤も結良ちゃんがどう思っているかは分からないが、私からしてみるとかなり心苦しそうにしている様に見える。と言うのも幼なじみたる理世ちゃんに対しても中々自分の事がどう思われているか分からなさそうで不安そうにしているのが多々感じ取れるからであるのと、理世ちゃんの本心を聞き出そうにも様々な事情故に聞き出せずに悶々と悩んでいるのも何となく感じ取れるからである。結良ちゃんも結良ちゃんで普段はのほほんとしているけど、本当は色々と思い悩んでいる事あるのだと思うと色々と共感できるものがある。言ってみるなら「自分もこういう面があったから理解できるし、分かってあげたい」と言う事である。

 また、人に本心をうまく伝えられず、あらぬ勘違いされてしまうもどかしさを痛い程思い知らされているからこそ特別な感情が芽生えるのであり、それはごちうさにおいても例外では無い。実際私自身ごちうさの登場人物の中で人に本心を伝えるのが下手では無いと思うのは大人を含めても心愛ちゃんや恵ちゃん等極少数だと思っていて、正直な所本心を伝えるのが(どちらにしても結局同じ事だが)下手若しくは不器用な人が多いと思う事が往々にしてあるのだが、だからこそ人として好きになれたりもする。別に本心を打ち明けるのが下手だから駄目だという事では決して無いと思うし、寧ろそういう面があるからこそ私自身智乃ちゃんや理世ちゃん、千夜ちゃんが自分自身が好きなごちうさの中でも一線を画(かく)して特に好きだと言う理由の一つにもなっているし、ひいては結良ちゃんに惹かれ続ける十分な理由にもなっている。しかしながら、どんな事があっても受け入れられる様になりつつあるとは言え、無条件に何でもかんでも好きになれると言う事や、何があっても直ぐに許せる寛大な心を持てる訳では無い事は分かって欲しい。確かに何があってもすぐに受け入れてあげられる様な心構えが出来た事に越した事は無いのだが、どんなに理解しようとする姿勢を心掛けていても急に新しきものが現れると戸惑ってしまうのは仕方のない事である。でもだからこそ、受け入れるのに個人差があると言う事情を鑑みて、時間が掛かっても急かさない寛大な心をもつ事も重要だと思う。

 そしてもう一つ重要な事として、私自身結良ちゃんは結構本心が素直な面があると思っていて、自分が心から思っている事を着飾る事無くそのまま人に伝えられれば分かってもらえる人だと思っている。結良ちゃんが人から警戒されるのは表立っては何を考えているのか良く分からない即ち掴み所が無い為で、そうなる理由として人は心理的に自分が確証を持てない掴めない様な存在を窺い知れないものを警戒する傾向にあるから。でもだからこそ、自分が思っているありのままの本心を素直に伝えて、「私はこういう者です。」と言うのを少しでも人に伝えられたら、人は結良ちゃんと言う人がたとえ表立っては良く分からない人でもその理由を理解できる様になるので受け入れる心の準備をする事が出来る様になると考えている。勿論そうする為には本人の努力が不可欠なのは当然の事なのだが、本心を伝えるのが様々な事情故に苦手意識がある人には中々容易には出来ない事であるのも私自身本心を打ち明けるのが苦手故に良く分かる。でも人から自分と言う存在をきちんと知ってもらい、分かってもらう為には自分から人に本心を打ち明けるしかなく、そうしなければいつまでも人から勘違いされたままになってしまう事にも繋がってしまう。しかしながら、人に分かってもらう為に無理してまで自分の本心を打ち明ける事をしなくても大丈夫だと考えていて、自分のペースでゆっくりでも良いから相手に自分の本心を打ち明ければ、幼なじみである理世ちゃんをはじめとして理世ちゃんの友達も含めて誰一人結良ちゃんの事を取り付く島もないと言わんばかりに突き放したりする事は絶対ないと思っている。何故そう思うかと言えば、理世ちゃんは正直に言うと所々きつい部分が存在するが本心は非常に心優しく、人を簡単に見捨てたりしない人であると言うのが感じ取れるからであり、理世ちゃん以外の皆にしても同じ様なものであると確信している為である。ハッキリ言えば何の客観性も持たせずに相手を全面的に信頼しているという事*16になるのだが、私自身ごちうさの皆は平気で人の気持ちを踏みにじる様な事をしたり、一切の罪の意識の欠片もなく友達や大切な人を裏切ったりする事は絶対にしないと本気で思っていて、そう思う理由としては普段の関わり合いの仲睦まじさにあって、普段から仲良し且つそれでいてお互いに尊重し合っていると言う仲柄を見れば、上記の様な感情を持つにあたって最早これ以上の理由は要らないだろう。こう思えるからこそ私としても皆を相当に信頼できる人だと思うのであり、結良ちゃんにしても信頼を寄せてみても大丈夫だと思うから是非に心を寄せて見て欲しいと思うのである。

想いの統括(狩手結良に対する想いのまとめ)

 ここまで狩手結良ちゃんに対する想いを様々な観点から叙述したが、正直想う事が膨大過ぎて中々上手くまとめられないもどかしさを感じていた。なので今回は丁寧に構成して書いたと言うよりかは、膨大な想いをどうやったらうまく伝えられるのか苦心しながら書いたものだと言え、事実その文量は今まで私が書いてきた他のあらゆるごちうさに対しての想いの文や感想文の追随を許さぬものとなったし、また今回は言いたい事をとことん追求しているので他の様々な比較要素を交えた過去に無かった想いの内容ともなった。それだけ結良ちゃんに対して本気で考えていた事の表れでもあるのだろう。

 言ってしまれば物語のメイン人物では決してない結良ちゃんだが、想う事がここまで膨大なのはそれだけごちうさを本気で愛している事の裏返しでもある。こんな事は自分で言う事では無いと思っているが、ごちうさは様々な意味で私自身影響を受けている作品である為、別に言っても構わないとも考えている。これは想いを無理にひた隠しにしてもその先に待っているのは「思い詰めるが故の苦悩」であり、どこにも発散する事の出来ない想いはやがて自分自身を苦しめ蝕んでいく存在にもなりかねず、最悪苦しみに耐えかねてファンである事も辞めてしまう可能性すらあり得ると私自身危惧している為である。実際に私は嘗てごちうさに対する自分の想いをどこにも発散する事ができずに抱え込み過ぎた上に、また好きであるが故に作品の事を深く考える様にもなったのだが、月日が経つにつれて「可愛いらしくて仲睦まじい」とは全く縁遠い負の側面、闇の一面に囚われてしまう事が多くなってしまった*17為に、一時期心苦しい感情を抱き続ける事になってしまった事があり、今は脱却しているとは言え何時だってまた苦悩に逆戻りするリスクが消える事はハッキリ言って無いと思っている。一度抱えてしまった負の側面はどう足掻いても完全には消え去る事は無いと言うのが一種の悲しき宿命で、たとえ全く気に留めようとしなくても、もう気にならなくなったとしても、事実そのものは永遠に付きまとい続けるのだから。

 この様に中々にシビアな話なのだが、それ故に「ごちうさが限りなく好きである事は同時に何時だって下手をすればごちうさが好きだと言う感情に心を蝕まれる危険性だってある」事を理解しているし、リスクがあるとは言っても今の様にごちうさに対しての感想や想いを度々Twitterやブログに書いている現在ではまず苦悩に苛まれる事は起きり得ないとも考えている。私の場合、結局の所「無理なくごちうさが好きであるためにはどうすればいいのか」と考えて様々な事をする様になったのが結果的にターニングポイントだったのであり、今ではごちうさに対する膨大な想いを上手くコントロール出来ている。でもまさかごちうさに対して本格的に好きになってたった1年程度でここまで激しい葛藤とも言える様な強い想いを持つ事になるとは想像だにしていなかったし、2年以上たった今では15年以上前から好きだったゲームや道路、クラシック音楽等の情熱にも最早全く引けを取らないまでになった。もしごちうさもそれこそ連載当初から10年来知っていたのならまた違った結果になったのだろうが、その場合多分ここまで好きになる事は無かったと思うし、抑々そんな事を考えてもどうにもならず、最早何も生み出さないのでこの場合正に机上の空論である。ごちうさが好きだと言う想いに年月の長さはさほど影響してこないし、寧ろどれ程昔から好きであったとしても途中でかなぐり捨ててしまえば何もならない。大切なのは「純粋にごちうさ(○○)が好き」だと言う各々が持つ想いなのであり、その事に関して私の意思が揺らぐ事は最早無いであろう。

 

※キャラ個人としての想いの叙述はここまでとなり、ここからは狩手結良のキャラソンである「Foooo are you?」の感想となります。

キャラソンの感想

3.狩手結良のキャラソン「Foooo are you?」の感想

題名について思う事 

 理世ちゃんの幼なじみにして「吹き矢部長」の異名をとる狩手結良唯一のキャラソンである「Foooo are you?」。この題名は歌詞にも使われている「Who are you?」と掛けられていると思われるのだが、実際の所この「Who are you?」と言うのは言語辞書で調べてみるとどうも「あんた誰?」と言った他人行儀的なニュアンスを持つものらしく、英語圏の人にとってこのフレーズを親しい間柄に使うのはいかなる場面、状況においても失礼にあたるのだと言う。日本語を母国語とする者にとっては実感が湧きにくいものだが、知っておかないと失敬を買う事態にもなりかねないので注意が必要だと思う。しかしながら、ただでさえ理世ちゃんと紗路ちゃん以外親しみが殆ど無い結良ちゃんの場合、正に状況を体現するものになっており、良くも悪くも彼女のどことない疎外感を表すのに一役買っている。

 因みに「Foooo are you?」と検索すると一番上にごちうさの「大西沙織と狩手結良の曲」と出てきた。大西沙織さんとは狩手結良の担当声優さんであり、如何にも「ごちうさのキャラソンで生み出されたものですよ」と言わんばかりの検索結果だったが、どうもFoooo自体はオノマトペつまり擬音語・擬声語と言ったニュアンスを持つものであり、それも基本的にはあまり使われる事の無いのが要因としてあるようで、辞書には載っていない単語と言う扱いのものもあった。何れにしても独特な題名だという事には間違いないだろう。

一線を画す曲調に感じる事

 この曲を聴いていの一番に思った事は、ごちうさ楽曲の中でもメロディーセンスが自分好みだと言う事だった。私は元々アップテンポ調のハイスピードリズミカルな曲が好きで、尚且つテンポ重視と言う拘りを持っているのだが、この結良ちゃんのキャラソンはそんな私の好みにドンピシャだった。それ故に個人的には結良ちゃんのイメージにバッチリ合っている曲調だと感じていて、彼女の事が更に好きとなるきっかけともなった。尚、上記の様な曲調はごちうさではあまり見られないものだと個人的には思うのだが、そんな曲調に出来るのも狩手結良だから可能だと思う事に異論は無かった。しかしこれはかなり異例な事であると思っている。

 そもそもごちうさは普段の何気ない日常から生まれるかけがえのない友情や友達との大切な居場所を丁寧に扱う事にコンセプトが置かれている作品である為、実際にはカッコイイ曲調の曲も多いし、誇張抜きに様々なジャンルの曲が存在しているとは言え、あくまで快活な曲調であっても、よくよく読み込んでみると感慨深い詩情をもつ曲が多い。そんな感触が基本的なイメージとして個人的には存在していて、特にOP・EDにその印象が強くあるのだが、そのイメージとは一線を画していると感じる曲もまた多く存在していると考えていて、「Foooo are you?」もまた、その一線を画すイメージを持つ曲の一つである。一線を画していると言っても「Foooo are you?」の場合、結良ちゃんのミステリアスな面がそうさせている節があるのも事実だが、既存の枠組みにとどまらない世界観はごちうさの世界観を更に広げるものとして機能するに違いないと個人的には思う。他の人とは違う世界観を持つからこそ生み出せる結良ちゃんの魅力。その事は曲調からもはっきりと理解する事が出来る。

 また、少し本筋からは外れるが、ごちうさの中でも一線を画すイメージを持つ曲と言えば個人的にはやはり青山さんの楽曲である「うさぎになったバリスタ」は外せない。この曲の場合全てが一線を画していると言っても過言ではなく、智乃ちゃんの祖父が抱えていた喫茶店の経営難と言う苦悩から、どんなに経営難であっても決して廃らなかった家族に対する強い想いと愛情*18、早世した*19母親の代わりに自分が智乃ちゃんを見守っていかないといけないと言う強い意思が彼をうさぎにさせたのだと考えさせる様な構成だったり等と、枚挙に暇(いとま)がなく、ごちうさの中でも特に一線を画している名曲であると考えているし、青山ブルーマウンテン役である早見沙織さんの歌声もこの厳しく悲しい過去を見事に受け止め、優しく包み込む様な不思議な感触を生み出しているのだと考えている。大人である青山さんが歌い上げる独特且つ深淵*20たる世界観を覗かせるには十分である。

 そして、「Foooo are you?」にしろ「うさぎになったバリスタ」にしろ、他とは雰囲気が異なっているとは言え曲の質は非常に高く、どちらも人の繋がりを大切にしている名曲であると思う。ごちうさにはこの2つ以外にも一線を画す様な楽曲は沢山あるが、個人的にはこの2つが特にお気に入りである。

歌詞に感じる事

 この「Foooo are you?」の歌詞に関して言えば、結良ちゃんの人柄が良く読み込む事の出来るものであると感じている。具体的に言えば一見すると掴み所が無くてちょっとあざといとも思えるけど、一方で無邪気な面があると言わんばかりに純真無垢だとも思えてくる内容も多く含まれていて、読めば読む程に彼女の気前の良さと根底にある人柄の良さが見えてくると言うものである。定まらない立ち位置故に疎まれる事も少なくない結良ちゃんだが、私自身昔から結良ちゃんの事をどうやっても悪く思う事は出来なかった。悪く思えない事自体は私自身の性格も関わっているのだが、それだけでは人を悪く思わない理由にはならない。幾ら優しいと言っても嫌なものは嫌だと思うのが人間だし、実際私も悪く思うとまではいかなくても苦手なタイプの人はごちうさのキャラでさえいた位*21である。でも、歌詞を読み込んでみるとそんな苦手意識や嫌悪意識が晴れる事だってある。この曲はそんな可能性を秘めているのだと感じている。

 全体的な歌詞構成としては吹き矢部長たる結良ちゃんらしく吹き矢関連の歌詞が多く登場するものとなっていて、そこからきっと誰かと吹き矢勝負をしているのかと想像させるものとなっているが、随所に出てくる彼女の心の本音らしき部分が何とも言えないロマンチックさに花を添えていて、その本音と言える歌詞を読み込んでいくと、彼女だって仲が良い人と何のしがらみもわだかまりも持たず、只々無邪気にずっと楽しい事を友達とやっていたいと考えていると言う本音を伺う事が出来る。普段からミステリアスな雰囲気を醸し出している彼女からは一見想像できないものだが、所謂建前と本音と言う関係性はそんなもので、一見すると口調がきつく少し関わりにくそうに見える人でも、実は誰よりも情に厚く優しかったりする*22様に、結良ちゃんにも純真無垢とも思える様な本音があってもおかしくは無いのであり、その事が読み解けるこの曲の歌詞は私にとって深淵たる世界観への誘いとなっている。

 そして、これは結良ちゃんのキャラソンに限らずごちうさ楽曲の歌詞を見て常々思う事なのだが、歌詞を読み込んでいると、ふとその楽曲の歌詞を紡いだ人のごちうさに対する想いや愛情が浮かび上がってくる様に感じる事がある。何とも突拍子も無い話だが、歌詞を読み解くと言うのは私にとって「歌詞を書いた人が秘めている想いへの探究」と言った事と同じで、歌詞を紡いだ人がどんな想いや感情を込めて書いたのかそれを考察する事だと考えている。その熱き想いを汲み取ると感情が込み上げてくる事もしばしばあるし、それは結良ちゃんのキャラソンだって同じ事である。想いの探究は歌詞考察も例外では無いのであり、キャラ考察にしても歌詞考察にしても、ごちうさが好きだと言う想いをもって行うのが何よりも大切だと思う。

 

余談

 狩手結良に関しては想う事がただでさえ多かった上に登場が極めて少ない為、その心情を読み解いたり考えたりするのに独自解釈をかなり含めないといけない位に想いをまとめ上げるのに苦労した。冒頭で「新年早々・・・」と書いているが、これは書き始めたのが1月上旬からだった為である。そこからまとめ上げる為に必要な時間も思考力も中々取れないと言った事や、他にもやりたい事の兼ね合いも考えていたらと様々な理由により遅々として進まず、気付けば2月中旬も後半に差し掛かっていた。ここまで掛かってしまったのも初めてである。また、書いた文量自体も多く、今までと比較しても圧倒的に多くなった。それほどまでに彼女に対して想う事があったという事である。

 狩手結良が巷でどういう風に見られているのかはある程度はきちんと把握していて、その上で私は結良ちゃんを好きだと言っている。別に周りがどう言っていたとしても、好きだと言う気持ちに嘘をつくつもりは余程の事が無い限り基本的に無いと言うのが私の意見である。勿論どういう意見でもむやみやたらに否定したりしないでまずは受け容れるのが原則であるが、同時に私は自分自身が思っている事はちゃんと言うべきだと考えているのでこうして公表しているのであり、それ以外にも色々思う事はあるが、あくまで各々が好きなものを自由に好きだと言える様な環境に出来たらそれで良いと言うのが私の思う楽しむためにおいての理想像である。

*1:人望や目標達成努力等人間として求められる事は沢山あるので、実力のみで部長が決められる事は考えにくいとは言え、部長たるものある程度は実力も必要不可欠であると思われるため。

*2:厳密に言うと昔なじみと幼なじみは定義付けが異なる(昔なじみは主に古くからの付き合いを指すが、幼なじみは子供の頃からの付き合いを指す事が一般的)ものではある。

*3:高校は勿論のこと、大学も同じである。

*4:気にならないとは言っても9巻で智乃ちゃんの当たり前の様に行っている異学年交流をクラスメイトは「凄い」と称賛している辺り、この場合当たり前の感覚が変化してきていると言った方が正しい。但しこの当たり前の感覚の変化を手放しに喜んで良いのかは分からない上に、これはある意味当然なのだが、いくらごちうさが年の差が気にならない関係性だからと言って、現実でも年の差事情に全くもって無神経になるのは厳禁である。

*5:但し、完全になくなっている訳では無い点には努々(ゆめゆめ)留意する必要があり、しかもその少ない部分がかなり強烈なインパクトを持つ事が予想される。

*6:特に理世ちゃんとは結良ちゃんと昔馴染みであるので尚更。

*7:実際の所は苦手と言うより忌避(きひ。嫌って避けること。)していると言う方が正しい。

*8:その際結良ちゃんは自分の制服のボタンはいらないかと紗路ちゃんに聞いているが、先輩(理世ちゃん)のボタンが手に入った事に夢中になっている紗路ちゃんには届かなかった。しかしながら結良ちゃんにしても紗路ちゃんに対して本気で自分の制服のボタンをあげたいのなら理世ちゃんのより先に自分のを出せば良いだけの話であり、結良ちゃんの行動はいまいちどうしたいのか良く分からない。

*9:一般にはどんな事があってもしぶとく続いている、縁を切ろうにも切れない悪縁の間柄・仲柄の事を揶揄的に指し示すものである。それ故にお世辞も良いイメージを持つとは言えない言葉なのだが、そんな言葉を用いた結良ちゃんには幼なじみに対して相当なコンプレックスがある事を示唆している。

*10:因みに何故に私が理世ちゃんの事を良く怒っていると思う事が多いのかと言うと、実は私自身昔から理世ちゃんに対しては「どこか怒りっぽい」と言うイメージがあるためであり、こうなった要因にサバサバした口調や硬派気味の表情等に対して「怒りっぽく気難しくて少しばかり怖い人」と言うイメージを先行して抱いてしまい、そのまま第一印象として固定されてしまったのがある。勿論本当は非常に心優しい事も、人をむやみやたらに傷つける様な事を絶対しない様な人なのも分かっているし、怒りっぽく見えるのも実は理世ちゃんが普段から気を張って強がって無理をしているからで、本当の意味で決して心の強い人なんかじゃないと言うのも感じ取っているし、ひいて言うなら不器用だが実は心優しく精細な部分が理世ちゃんが人として好きだと言う大きな理由にもなっているので、「怒りっぽくて怖い」と思っていた自分が正直恥ずかしくも思う。

*11:ごちうさにおいては原作でもアニメでも壁ドンは殆ど無く、しかもアニメの壁ドンには原作には存在しないアニオリ展開のものもある。

*12:無理矢理繋げるなら、表裏一体の関係性は一種の腐れ縁の証だとも言えてしまう。

*13:意識してみないと意外と気付きにくい事であるのだが、よく見ると中学生組と高校生組で行動が分かれている事が結構あり、そうでなくても絶妙な隔たりがある。尤も今となっては全員高校生以上なのでこの区分がおかしいのは明白だし、もっと厳密に言うなら学年差による距離感だと言った方が正しいのだろう。学年差なら進学による呼称変化の影響は無いので。因みに理世ちゃんと結良ちゃんは大学生で他は全員高校生なので、新たに高校生組と大学生組と設ける事はできる。尤も今後どうなっていくかはまだ良く分からない部分が多いが。

*14:アニメで顔を膨らます場面があったかまでは正直はっきり覚えていないが、少なくとも原作ではそういう場面がある。

*15:生徒会推薦も文化祭もチマメ隊が中学3年の話だが、職場体験はまだ中学2年の時である。しかしながら、そもそも文化祭も生徒会推薦も描写自体が中学2年の時には無く、これに限らずマラソン大会や花火大会等も中学2年の時には無かった(なお、花火大会はDMSにおいて「去年は雨のため中止だった」と青山さんが言及している。因みに中学2年の時にあった写生大会、球技大会等の話は逆に中学3年では言及されていない。)。因みに中学2年から3年に上がるタイミングは原作だと4巻の半ばくらい、中学卒業は7巻の終盤にあたるが、アニメと原作では構成が良い意味で別物と言える程異なっているが故に、時系列にも大なり小なり異なりが生じているので原作とアニメを比較する時は注意が必要。

*16:相手を全面的に信頼するので、万が一裏切られた時のダメージが非常に大きくなる。

*17:全てが可愛いと称されるごちうさだが、甘くない所は冗談にもならない程甘くない。見方によっては極端な事を言えば一種のハードボイルドだとすら感じられる。

*18:今考えるとこれも当時まだ幼かった心愛ちゃんの何気ない言葉が迷いを晴らさせ、その意思を確固たるものにさせたのかもしれないし、もっと言うならばこじ付けがましい面はあるが、その言葉が香風家の運命を変えた大きなきっかけだったのかもしれないとすら思えたりもする。

*19:そうせい。若くして亡くなること。

*20:しんえん。奥底知れない深みを持つこと。

*21:特に苦手意識があったのは今や人としても惹かれる面の大きい理世ちゃんであり、どうも口調がややきつい部分が中々慣れなかった。別に口調がきついからと言って嫌いにはならないのだが、怒られるのが頗る(すこぶる。「非常に」「とても」と言った意味合いを持つ。)嫌な私にとってはどうしても少しばかり苦手だと言う感情が働いてしまいやすい。

*22:これ完全に理世ちゃんの事を言っているのが丸わかりである。他にも麻耶ちゃんや夏明ちゃんがこれに当てはまる所があると思っている(特に夏明ちゃんが顕著)。

ごちうさBLOOM第10~12羽の感想とBLOOMについて思う事

 ごちうさの中でも重要なお話を構成するクリスマス回であった10羽と11羽。原作だと6巻にあたるお話で、ごちうさの中でも特に感動するストーリーとして名高い。何と言うべきか、彼女らの友情と言うものの真髄全てはこのクリスマス回に詰まっていると言っても過言では無いと思う程で、普段中々見られないペアリングや意外な一面も含めて尊きものとなっている。

 10羽は心愛ちゃんと紗路ちゃんがクリスマスに向けての資金をためる為にアルバイトを掛け持ちするものから、青山さんのサイン会に向けて皆で盛り上げるお話があり、マヤメグと理世ちゃんの絡みがあり、最終的には智乃ちゃんに視点が当たる構成となっている。この羽は云わばクリスマスの前哨戦にあたるものであるが、インパクトはかなりのものである。
 11羽は出だしから良い意味で飛ばしてきている。新しき制服でみんなが交代しながらラビットハウスに手伝いに行くと言うものだが、制服が完成した経緯や想いの継承を知れば知る程感極まるものがあり、後半にそんな制服姿が一挙に集まると言う圧巻の光景は正に七色の奇跡である。ここからはそんな感極まる要素が盛り沢山のクリスマス回において私自身が感じた事について書く。
 また、クリスマス回の感想の後には最終羽である12羽の感想とBLOOMを観て思った事を書きまとめる。

1.クリスマス回の感想

1.ココシャロの仲睦まじさについて

 心愛ちゃんと紗路ちゃんのペアであるココシャロ。普段からこのコンビに脚光が当たる事は多くはないうえ、性格も全く違う上に抑々2人だけと言う接点がさほど無いのでイメージには浮かびづらいが、いざ合わさると非常に息の合った仲良しコンビとなるのが特徴的で、これは心愛ちゃんと紗路ちゃんは実は性質が似ているからとか周りからは言われていて、確かにその傾向があるのは事実だが、実際は気配り上手な心愛ちゃんが紗路ちゃんの事をすごく気にかけていて、紗路ちゃんは紗路ちゃんで心愛ちゃんの事が心配である一方、自身の幼なじみである千夜ちゃんの良き友達としていてくれるのが嬉しいからと言うのが大きい。

 このお話はそんな実は仲良しこよしな2人がクリスマスに向けてバイトで資金を貯めると言うものなのだが、2人共資金を貯める理由が単純に資金枯渇(こかつ)故で、しかも枯渇した理由が3期の1羽にあったブロカント(古物市)で2人共に買い込み過ぎたからだと言う割と切ない理由。何と言うか、後に千夜ちゃんにも言われる事なのだが、紗路ちゃんが金銭難な理由に単純に裕福では無いだけでなく、こういうブロカント等で一気に散財してしまうのが一因としてあると思われる。極度な節約は逆にお金が貯まりにくくなるとしばしば言われるが、その理由が普段我慢している分の反動がハレ(非日常)の日に一挙に襲ってくるからだと言うのは紗路ちゃんを見れば納得である。とは言っても2人共クリスマスに向けての熱情は本物で、バイトを掛け持ちすると言う事を率先してやっているのもその証とも言える。まぁ単純にクリスマス商戦期は書き入れ時だから需要も給与も多いと言うのもあるだろうが、そういう現実主義な事はごちうさの世界観ではこれ以上探らない方が良いだろう。

 この2人の魅力が多分に表れているのは10羽であり、同じバイトをこなしていく事で徐々に心愛ちゃんなしの環境が考えられなくなっていく(=心愛ちゃんがいないと寂しいと言う感情が芽生えつつある証)紗路ちゃんが凄く印象的だった。普段紗路ちゃんが心愛ちゃんと接する時はどちらかと言えば厳しめの事が多いので紗路ちゃんが心愛ちゃんを心からいて欲しいと思う事の稀少さが余計目立っている感こそあるものの、紗路ちゃんは以前心愛ちゃんが実家に帰省する時でも涙を浮かべながら自分の想いを心愛ちゃんに伝えているので、紗路ちゃんにとって心愛ちゃんは普段は騒がしくて世話が焼けるけど、本当はいてくれるだけで有り難い大切な人だと思っている事が分かる。だったら普段からもっと優しくしろとなる気もするが、紗路ちゃんの性格上そうする事が苦手なので態度がきつくなる可能性もある。まぁそれが免罪符になると思ったら大間違いだが、紗路ちゃんは人を傷つける事を平気で言ったりしないので心愛ちゃんも大して気にしていないのだろう。そう考えるとココシャロは他のコンビにありがちな変な気遣いが無い故に緩い関係だと言え、特に紗路ちゃんの緩み具合が激しい。他にも10羽の中だけでも心愛ちゃんが紗路ちゃんにご褒美としてメロンパンを引き合いに出して釣り上げようとしたり、漫才のお手本の様なボケツッコミをしたりと、他のコンビ以上にじゃれあっている印象が強い。
 しかしながら、普段からじゃれあっていると言う事はそれだけ変に気を遣わないでたとえ下らない事でも全力で楽しめる事を意味していて、それ故にお互い素を出して関わる事も容易で、だからこそプレゼント交換等も気が進みやすかったりする面があるのだろう。尤もこの条件がかみ合うのは紗路ちゃんが主で、心愛ちゃんの場合誰に対してもフレンドリーな面があるのであまり意味をなさないのだが・・・。とは言っても最終的に11羽でシークレットサンタがココシャロとなった時に心愛ちゃんが紗路ちゃんからもらったプレゼントで心愛ちゃんが大喜びしていた時の紗路ちゃんの反応を見るに、お互い気を遣わないでいられる仲であるからこそ分かちあえるものもあるのかもしれない。普段から紗路ちゃんの不器用な面が目立っているココシャロだが、気遣いなく接せる程仲が良いという事は見ていて悪い気はしないであろう。

2.マヤメグが魅せる人としての器量

 10羽、11羽共にマヤメグの存在感は非常に大きな役割を果たしていたと思う。10羽では理世ちゃんに子供の如くねだってみたり、11羽では智乃ちゃんを思わず涙させる程に心の受け皿となったりと大きな存在感を見せていた。特に11羽で新しき制服を着て、これからもラビットハウスで働いていけると智乃ちゃんに言って、それを聞いた智乃ちゃんが思わず涙したのが非常に大きな衝撃だった。マヤメグと言う2人は智乃ちゃんにとって一体どれ程心の救いとなっているのだろうかと思うには十分だった。

 私としてはあの智乃ちゃんの涙は今まで我慢して堪えてきたものが耐えられなくなったのだと瞬時に感じ取った。そして同時に智乃ちゃんが今まで抱えていたものの大きさにも想いを馳せた。マヤメグに受け止められて号泣している智乃ちゃんを見て、何も思わないはずが無かった。あんなに泣いている智乃ちゃんを見るとこっちまで心苦しくなってきたのを覚えている。きっと智乃ちゃんはもっと泣きたかったに違いない。だって幼くして最愛の母親と死別し、自分の尊敬していた祖父も亡くなってしまうと言う、最愛の人との早過ぎる別れを2度も経験しているのだから・・・。2度にわたる最愛の人との別れは智乃ちゃんにとって大きなショックだった事は想像に難しくなかったし、智乃ちゃんの母親であるサキさんが生きていた頃に見せていた智乃ちゃんの無邪気な笑顔や幸せそうな顔を知っていたので尚更だった。
 抱えきれない程の悲しみを背負い、次第に表情も感情も暗くなっていった智乃ちゃんの前に突然現れたマヤメグと言う存在。始めは戸惑いを隠せなかったが、次第にマヤメグと言う2人に連れられて、新しき世界観に踏み出していった智乃ちゃん。勿論智乃ちゃんが本格的に新しき世界に踏み出せたのは心愛ちゃんを始めとした高校生組あってこそだが、同級生で高校生組もとい心愛ちゃんより長い付き合いであるマヤメグには特別な想いがあったのであろう。マヤメグにしても、出会った当初は非常に暗かったであろう智乃ちゃんに対して見捨てる事無く友達であり続けた。この事はマヤメグが智乃ちゃんのあらゆる面を受け止めて心から分かってあげられる存在になっている事が非常に素晴らしく感じる事も繋がっている。あの光景を見て、マヤメグは智乃ちゃんにとって心から大切な存在なのだと強く感じた。

3.聖夜の日に輝く七色のハーモニー

 10羽、11羽を通して新しき色の制服が作られていくのも印象的だが、一番印象的なのはやはり11羽でラビットハウスの七色の制服が揃う所であろう。ティッピーこと智乃ちゃんの祖父をもってして、「智乃の母親が想像していた以上の光景」だと言わしめる程の光景は荘厳さすら感じる。普段はバラバラの7人が一ヶ所それも同じ制服を着ると言う光景は特別なものだと思うし、ましてそれが聖夜を飾ると言うのだから特別で無い訳が無い。心打つものであったことは言うまでも無く、この当たり前の様でいて特別な光景と言うものは何と素晴らしいのであろうかとしみじみ思う事もしばしばである。題名にも書いた七色のハーモニーと言うのは異なった色の調和であるのと同時に、その異なる色はどんなに他の色(人)に染まっても個性を保ち続けるものとしてあると考えている。個々人の輝きを失う事無く人々を繋げるものとして素晴らしいと思うばかりである。

4.クリスマス回の感想まとめ

 10羽11羽の所謂クリスマス回は非常に心に残る回だったと記憶している。元々ごちうさにおけるクリスマス回は非常にウエイトが大きいものだったのである程度は想像できていたのだが、いざ観ると圧巻された事を覚えている。尤もそもそもが理想郷とも言えるごちうさの世界観においても特に理想的だと言えるであろうクリスマス回を観て何も思わないのも酷な話だと思われるが、私自身その昔(と言っても半年前位)、ごちうさの世界観をじっくりと心豊かに考える余裕が無く、思い詰めながらごちうさを読んでいた頃だったので仕方がないものもあるとは言え、原作で初めて観た時には碌(ろく)に良い事を思い浮かべられなかったし、今となっては当時一体何を思い浮かべて読み進めたのか殆ど覚えていないと言う悲惨な実態があるので、今回純粋に楽しめたのが何より嬉しかった。

 そして、全体として良かったと言える事は、やはり皆の友情の大きさと温かさである。この2つを柱として様々な事が展開されていくそんな図式が思い浮かべられる様で心温まる回だったと思う。

 

 ここから先は最終羽の12羽の感想と、3期BLOOMを観て思った感想を書く。

2.12羽(最終羽)の感想

5.美しき姉妹愛とアニオリの真骨頂

 12羽の前半はココチノやココモカ等、姉妹愛に溢れた内容が豊富だったと思う。ド頭から心愛ちゃんと智乃ちゃんが姉妹の様に仲良くしているものや、皆と仲良しそうにしている心愛ちゃんから送られた写真を見て羨ましがるモカさんなど、姉妹愛を多分に感じられるものであった。そして、アニメオリジナルの構成が最大限に活かされた回であったとも感じた。

 心愛ちゃんと智乃ちゃんに関しては、智乃ちゃんが笑顔で心愛ちゃんと接していたのが印象的だった。智乃ちゃんは別に笑顔を全く見せない様な能面では無いのだが、昔の暗かったイメージが多分に強いが故に多少違和感を覚えるのは否めないのはある。ただ、違和感が否めないと言っても智乃ちゃんが急激に明るい人になった様に見える事により多少なりとも戸惑いがあるだけで、智乃ちゃんの笑顔は見ていて非常に微笑ましい。智乃ちゃんが幼き頃の様な無垢な笑顔を再び見せる様になったのも心愛ちゃんと言うお姉ちゃんがいたからこそだったのかなぁなんて思うと感慨深いし、何より人として大好きで尊敬できる心愛ちゃんと智乃ちゃんが他愛もない様な事でも笑顔で語り合い、分かち合っているのが嬉しい。また、この2人に関しては姉妹関係が入れ替わっても違和感を感じない程仲が良いので、そういう面でも喜ばしく思える。

 些細な事でも喜び合える姿を見るのが嬉しいのは何も心愛ちゃんと智乃ちゃんだけでは無い。それは実の姉妹である心愛ちゃんとモカさんでも同じ事である。モカさんは心愛ちゃんから送られてきた、皆と仲良く映る写真を見て「私も輪の中に入りたい」とかなり寂しそうにしていて、事実ラビットハウスごっこをしたりするのも妹である心愛ちゃんがいない寂しさの埋め合わせをしているからだと言える。モカさんとて強靭なメンタルを持つ万能な人では無い*1ので、本人はあくまで姉としてそういう弱い面は見せられないとかなり強がっているとは言え、心愛ちゃんと離れて過ごす事に寂しさを覚えている様で、木組みの街で楽しそうにしている心愛ちゃんの事を思い浮かべると、昔姉妹でずっと一緒だと思っていた事を思い出したのちバラバラだと言う現実に引き戻されて寂しさに苛まれると言う、まるで心にぽっかり穴が開いている様子が伺える。やはり最愛の妹と一緒に居られないと言う寂しさを誤魔化す事は出来ないのである。まぁ実際問題上の子と言うのはそういう面があるものだとは個人的には思うのだが・・・。
 そんなモカさんだが、上記の様になるのも妹である心愛ちゃんの事を本気で大切に想っているが故であり、普段から心愛ちゃんの見本となる様に努力を重ねていく事を厭わない精神力は本物であり、そんな陰で頑張り続けるお姉ちゃんを見てきてからこそ、心愛ちゃんも努力家な人*2になったのだと思うと、心愛ちゃんとモカさんの姉妹関係の真髄は2人の母親も言っていた「離れている2人だから、高め合えるのかもしれない」と言う事に集約されるのだろう。そんな関係性は憧れ意識を持つには十分である。

 また、今までの姉妹関係とは別物だが、モカさんとモカさん(と心愛ちゃん)の母親とのやり取りの中で、智乃ちゃんの母親であるサキさんとは「姉妹のように仲が良かった」と言うのは原作を見ていた私には普通に受け取れたのだが、実は少し驚いた事があった。「あだ名がうさぎちゃん」と言うのがこのタイミングで語られた事と、智乃ちゃんが心愛ちゃんの中学時代の制服を見た事をきっかけに自分の母親のアルバムを見て、母親がずっと木組みの街で居た訳では無かった事を知った事である。そして、この事はアニメオリジナルの真骨頂を知るきっかけでもあったのである。
 抑々心愛ちゃんとモカさんの母親の昔話もとい智乃ちゃんと心愛ちゃんの母親同士の親交が明らかになるお話は、原作では単行本6巻の最終話にあたるものなのだが、「サキさんの渾名(あだな)がうさぎちゃん」と言うのは単行本9巻それも最終話*3で分かる事であり、更に言うならばアニメではモカがいた場面で語られているが、原作ではモカさんは旅行編で心愛達が滞在していたホテルに行っているのでモカさんは知る由が無かった上、アニメで描かれた智乃ちゃんが母親のアルバムを見返して母親がずっと木組みの街にいた訳では無かったと言う事実は同じタイミングの原作では無かった*4ものである。つまり原作とアニメが全く違うものになっているという事であるが、そもそもBLOOMはそれまでもアニメオリジナルの展開が多くあった*5のでそれほど違和感は無かった。それどころかアニメだからこそ活かせる持ち味をもって皆の成長や変化を最大限に活かせるものとしているので、原作を知っている人でも油断していると涙腺が思わず緩みかねないものにまでなっている。詳しくは後述の「心動かす物語」にて。

6.再び見るアニオリの力

 12羽の後半は原作7巻であったガレット・デ・ロワ*6のお話が中心であり、原作でもあった理世ちゃんの大学合格のお話もあったが、やはり印象的なのは智乃ちゃんが外の世界をみてみたいと皆に頼みかける所が非常に印象的だった。皆の友情が固いものであるという事の再確認と言う意味でもうまく機能しているし、アニメにおいても原作の旅行編を示唆するものを入れてきたと言う意味でも素晴らしいと思った。
 しかし、ここでの真骨頂はやはりアニオリなのである。そもそもこの場面でもアニオリは数多く存在していたが、まず智乃ちゃんが王*7となる展開は原作通りだが、アニオリな点は最終的な王の命令が原作のかなり先のお話を意識したものとなっている事である。原作では割と当たり障りない展開になっていたガレット・デ・ロワもアニメでは原作の旅行編ひいては作品そのものの根幹にも迫る様な重要な要素になっているし、これは却下されたが智乃ちゃんが発した最初の命令(と言うより願望)もやはり作品を紐解いていく上で非常に重要なものとなっている。なお最終的な命令は「ラビットハウスで朝まで遊ぶ事」と言うものであるが、これも実は原作の旅行編の終盤に発した命令を意識したものである。
 更に別のアニオリとして智乃ちゃんの父親であるタカヒロさんとそのタカヒロさんの旧友である理世ちゃんの親父さんが再びジャズ演奏のために話し合っている場面がある。詳しくはOVAであるSFY(Sing for you)を観ると分かるのだが、ラビットハウスは嘗て経営難の危機に陥った事があり、その時経営難を救ったのがタカヒロさんとサキさん、そして理世ちゃんの親父さんのトリオでのジャズ演奏だった*8。サキさんが亡くなってしまった後は披露する機会が無くなってしまったと予想されるが、成長していく智乃ちゃんを始めとした皆を見て思う事があったのだろう。こういう想像が膨らむのもアニメならではであると思われる。
 そして12羽最後つまり3期最後のシーンも特徴的なのだが、その内容は智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して今まで沢山良い事をしてくれたお礼を言うものだった。言い方こそ実は恥ずかしがり屋な面もある智乃ちゃんらしく素直になり切れないものだったが、その言葉が意味することは今まで原作を追い続けた人も3期から観始めた人も関係なく心打つものだったと思う。

3.3期BLOOMを観た感想

7.温かき人間関係

 3期を1羽から12羽全て観てまず思ったのは、大切な人を思い遣ったり受け止めたりできる温かい心や優しさが今まで以上に溢れていた事である。ごちうさには元々優しさに溢れている事には気付いていたが、BLOOMではそれがあふれていた印象が強くあった。はっきりと分かる優しさから気付きにくい優しさまで幅は広いが、その優しさは全て相手を大切に想い合っている証である事が証明されていくのが観ていて微笑ましかった。そしてその優しさを観て自分も優しい人間でいても良いのだと思えるのが余計嬉しかった。自分で言うのも変なのだが、私は元々人から優しい人だと良く言われてきたのだが、その実優しい事は本当にいい事なのだろうかと疑問に思った事もあった。勿論優しいに越した事は無いと思うのだが、世の中優しいだけでは駄目なのだと思う事が多かった故に疑念が絶えなかった事がある。BLOOMの優しさや温かさはそんな疑念を解消するのにも一役買った。自分が持っている優しい心はそのまま大切にすればいいのだと皆の優しさに触れれば触れる程思う様になっていった。
 実は私自身、そう言う経緯もあってかごちうさの登場人物の中で本当に優しくない人は一人もいない*9と思っていて、形がそれぞれ違うとは言え根が本当に優しい人の集まりである事が良く分かるのがBLOOMの良い所であるとずっと思っている。人間が持つ優しさや温かみに触れる事で、心温まる感触を実際に確かめる事が出来る。そんな事を強く思ったのである。彼女達はこれからもその優しさと温かさで多くの人の心を動かしていく事だろう。

8.上質なアニオリ展開

 BLOOMを語る上で外せないのはやはりアニオリ(アニメオリジナル)展開であろう。そもそも原作とアニメが違ってくるのはそう珍しい事でもない*10のだが、ごちうさとりわけBLOOMでは良い意味であまりにもアニオリの効果が活き過ぎていて原作を事前に読んでいた私も驚きを隠せなく、遂には原作とアニメは別物だと考えた方が良いと思う程であった。制作陣は一体どれ程読み込んでいるのかと思ったし、既にあるものを再構築する事の難しさを鑑みると、制作陣は何処まで素晴らしいを地で行く様な事をし続けるのかと称賛の一言に尽きるしかなかった。
 ごちうさのアニメは元々原作とアニメではお話の展開の組み立て方が違っていた事にはかなり前から気付いていて、それに伴い原作とアニメでどんな展開の違いがあるのかそんな事を楽しみながら観ると言う事もできたのだが、今回のBLOOMは少しばかり別格だった。DMSとSFYと言う劇場版とOVAを経て更に進化した表現力と構成力をもって更に上質なアニオリ展開を見せつけてきたのだから。その上質なアニオリ展開は正に恐るべきまでの読み込みと場数を踏んできた制作陣が大切にしてきたごちうさ愛の集大成と言っても良いものであると思う。読み手以上に制作陣がごちうさについて読み込んで、読み手の想像を遥かに超えるものを提供すると言う凄さ。私はこれ程凄い作品に出逢った事は今まで無かったと振り返ってみてもなお思うし、これからもごちうさ程凄い作品に出逢う事はそうそうないだろう。

9.心動かす物語

 ごちうさは可愛さに溢れているのと同じ位に大切な人がいる事の有難みや喜び、そして感動を伝えてくれるものだと思っているのだが、BLOOMはそういう面でも今までのごちうさアニメを超えるものだったと感じている。無論今までのごちうさアニメにおいても感動する展開は数多くあったのだが、今回は文化祭、クリスマス回をはじめとして些細な事に至るまであまりにも心動かされるものが多過ぎた上に、アニメだからこそ可能な持ち味をもって最大限に皆の成長や心の変化が描かれていた事も相まって、原作を読んでいて事前に内容をある程度知っているのにアニメの展開に追いつけないと言う状態になってしまった。
 これこそがBLOOMが心動かす物語としても感動する物語としてもごちうさ史上一二を争うものになっている最大の理由で、緻密(ちみつ)に計算され尽くされた構成になす術もなく心を奪われてしまうのである。そしてその緻密な構成を可能にしている原作のストーリーそのものも非常に重要であり、BLOOMはこの二大巨頭によって観る人の心をも動かすものに仕上がっている。
 なお、私自身は感動しても涙を流す事が無い人故に1羽から12羽を通して涙を流した事こそ無かったものの、その緻密且つ丁寧に構成され、アニメだからこそ持てる強みや良さを最大限詰め込んだ一つ一つのお話には思わず心を奪われた。昔原作で読んだ時はあれ程思い悩んだ過去があったと言うのに、アニメで再び観た時にはもう昔の様な事にはならなかった。これは多分アニメの丁寧な作りに感銘を受けたのと、自分の中でごちうさをどう扱っていけば良いのかをはっきりさせる事が出来たからだと思われる。ごちうさ3期を視聴していく中で私も変化していったのだろう。観る人をもごちうさワールドに引き込むその力には感服の一言に尽きる。

4.最後に

 私にとってごちうさ3期はリアルタイムで観る初めてのテレビアニメ版ごちうさだったので、非常に楽しみでありながらも今まで私自身のごちうさに対する想いの変遷を思うと「3期を観て、また長きにわたって思い悩む事になってしまうのでは?」と言う不安もあった。しかしその不安は見事に払拭された事は本当に嬉しかった。確かに成長し続ける皆を何のしがらみも無く微笑ましく見守れる喜びは思い悩んできた過去があってこそだったと思うと昔の苦悩の経験も無駄では無かったと思うが、それでもごちうさを追い続ける余裕が無くなった事も度々あった。しかしながらそれでも完全に離れてしまう事は無かったのは、多分色々思い悩んでいた頃から既にごちうさの事が既に心から好きになっていて、何より可愛らしい皆の事を思い浮かべるとこんな美しいものを手放してしまうのは勿体無いと思っていたからこそ、どんなに辛くてもごちうさと向き合い続けたのだろう。ごちうさが思い悩む原因になってしまって、それでもごちうさを好きであり続けたなんて我ながらごちうさとの向き合い方が不器用だとは思うが、結果的には上手くいっているので良かったと思う。

 思えば私が本格的にごちうさを愛そうと思ったのは2018年にOVAと3期制作が決定した事が発表された頃*11だった。本当にタイミングに恵まれていたと思っていて、もしタイミングがずれていたらここまでごちうさは好きにはなっていなかったと思う。と言うのも、ごちうさが好きだとは言っても私自身多くの趣味持ち*12故にごちうさ以外でも十分に心を満たす事は可能だと思っていたし、何より2018年は私にとって現在も大きなウエイトを占めているクラシック音楽の趣味が興味を持ってから10年以上の時を経て一気に躍進した時でもあったので、たとえごちうさを知らずとも十分満足して生きていけたと考えられるからである。しかし、現実はどうだろうか。私自身は紆余曲折*13を経ながらもごちうさを確固たるものとし、クラシック音楽共々今までもう2年以上も毎日嗜む(たしなむ)程にまで愛する様になった。ここまで愛せる様になったのは可愛さに心を癒されたのは勿論のこと、優しさや成長しゆくものをずっと見守っていこうと言う意識が強く芽生えたが故だと思っている。少し変わった感覚だとは思うが、これでこれからもごちうさをずっと愛せるのなら全然問題は無いと思う。

 最後に、ごちうさBLOOMは本当に素晴らしかったと言う事を書いて締めたいと思う。この様な世界観を生みだした制作陣は本当に素晴らしいと言う一言に尽きる。これからのごちうさにも期待して待っていたいと思う。

*1:寧ろ妹である心愛ちゃんよりも実はメンタルが弱い面があって、人から褒められたり慰められたりすると直ぐに涙目になってしまう辺り、多分モカさん自身本当はかなり心が弱い人なのだが、それを悟られない様に相当我慢しているのだと思う。

*2:普段からマイペースで移り気激しいので物事が長続きしづらい人に見えがちだが、心愛ちゃんは自分が目指したいと思う姿になる為ならどんな苦難も厭わない努力家な面があり、マイペースな性格に反して意思は結構堅牢である。

*3:きらまだと2020年11月号、つまり2020年9月発売のきらまに掲載されていたものであり、BLOOM放送直前で判明した非常にタイムリーな事なのである。

*4:原作でも中学生時代の制服を心愛ちゃんが披露する展開はあるが、智乃ちゃんがアルバムを見る展開は無い。

*5:天々座親子が仲直りするものや、青山さんと凜さんの学生時代のからのつきあいを振り返るもの等多数。これらも原作では一切無かったものである。

*6:パイの中に指輪を入れた状態で切り分けて、指輪が入っていた人がその年の王として他の人に命令できると言うもの。近いものが王様ゲームだろうが、多分色々違っているのはガレット・デ・ロワ王様ゲームどちらも全くと言っていい程知らない(=興味が殆どない)人間である私ですら思うのだが・・・。

*7:素朴な疑問として智乃ちゃんに限らずみんな女の子なのだから女王にしないとおかしいのでは?とならなくもないが、最早突っ込んではいけないだろう。

*8:なお、原作でも明らかにされていないサキさんの具体的な死亡時期だが、この事からラビットハウスが経営難だった時には生きていた可能性は高いと言え、もしそれが正しいならば智乃ちゃんの祖父がまだ幼い心愛ちゃんと会った時はまだ祖父が経営難に思い悩んでいる頃なのでサキさんは生きていたと推測できるが、如何せん判断材料が少ない故にあくまで個人的考察の域を出ない点にはご留意を。

*9:強いて言うなら昔は理世ちゃん、最近では結良ちゃんが若干厳しい人かと思った事もあったが、今は2人共心優しい人だと思っている。

*10:長寿アニメなら当たり前の様にあるし、もっと言うなら原作とアニメでキャラの性格や設定が全く違う事も結構ある。

*11:それ以前もごちうさ自体は知っていたが、あくまで存在を知っているだけで別に世界観を知っていた訳でも無かった。

*12:ざっくりと数えても10以上は持っているし、細かく数えるならもっとある。

*13:うよきょくせつ。事情が複雑で色々と込み入っている事。

ごちうさBLOOM第9羽の感想

 今回のごちうさ9羽は全体的に友情や絆を強調しているものが多かった印象がある。幼馴染で昔から思いを共有し合っていた千夜シャロ、イメチェンから試されるラビットハウス3姉妹の友情等様々だったが、それらを見てやっぱり仲睦まじい関係なんだと改めて思った。細かく見通せば更に仲睦まじい事である事の素晴らしさが見えてくるものなのだが、大雑把に見ても伝わってくると言うのだから驚きである。

 今回のお話は生徒会に千夜ちゃんと紗路ちゃんが推薦されたのと、理世ちゃんが千夜ちゃんに頼んでイメチェンして心愛ちゃんと智乃ちゃんの動向を探ると言うもので、前者は原作6巻、後者は原作7巻に当たるお話であり、今羽から原作7巻のエピソードも出てきている。先ずは後者から感想を書く。

1.ラビットハウス3姉妹の温かき友情

 このお話は、理世ちゃんが心愛ちゃんと智乃ちゃんに何時ものと違う姿所謂ロゼちゃんで現れ、何時正体に気づくか試すと言うものなのだが、結局心愛ちゃんも智乃ちゃんも全然気付かずじまいで、理世ちゃん自身割と寂しかった様だが、最終的に理世ちゃんだと気付いた心愛ちゃんがかけた言葉は人のどんな個性も否定しない温かなものだったと思う。元々心愛ちゃんは意識せずとも人の心にグッとくる様な言葉をかけてあげられる人なのだが、今回それが全面に出たと考えている。そしてそこから見えるものは、底抜けとも言える様な明るい性格の心愛ちゃんが持っている、人を思い遣る事の出来る優しい心。これは心愛ちゃんが何故あれだけ人から愛される人なのかと言う理由を解き明かすには十分過ぎるものだし、心愛ちゃん自身が親身になって人と接する事の出来る女の子である事も意味している。そしてそれは、最早見よう見まねでは絶対に真似出来ない心愛ちゃんの才能がなせる業とも言える。何故なら、普通ならあらゆる個性を否定しないと発言する時はもっと神妙な面持ちをするものであるのを、彼女は満面の微笑みを以て伝えているからだ。それも一切の邪念を感じさせないものを引っ提げて。この様な事はたとえ方法が分かっていても実行するのは至難の業で、どんな性質の人も受け容れられる器の大きさはもちろんの事、人の気持ちを思い遣れる事、そして親身になって人に寄り添える優しさ。これら一つでも欠けていると人に本心は伝わらない事が多いからである。しかし、心愛ちゃんはその高い壁を超える事が出来ている。それは周りの心愛ちゃんに対して抱いている温かな心情が証明している。

 とは言え、普段から楽観的でマイペースな事も相まって、人に本当に気を遣えるのか分かりにくい心愛ちゃんだが、人に本心を伝える時は満面の笑みを浮かべていても言葉にはしっかりとした想いを込めている事が多く、それは本当に人の気持ちを慮(おもんばか)る必要がある時に絶大な効果をもたらす。普段から楽観的な人の想いを込めた一言と言うのは想像以上に心に刺さるものがあるからだ。しかしながら、きっと心愛ちゃんはここまでは意識していないと思う。何故なら心愛ちゃんが人に発した大切な言葉を心愛ちゃん自身は憶えていない事が多く、これは人の心に突き刺さる言葉と言うものは、心愛ちゃんにとっては普段から人に対して何気なく想っていたりする事を口にしているだけである可能性も考えられ、何も意図的に人の心に刺さる言葉を吟味して発言しているとは断定できない為である。つまり心愛ちゃんは意識して人の心に刺さる様な言葉をかけているのではなくて、純粋に彼女自身が思った人の良い所をそのまままっすぐ伝えているという事だが、これは何も悪い事では無いと思う。心愛ちゃんの様に明るく真っ直ぐな人がそのまま伝える言葉は、言葉を吟味しなくても既に人の心に刺さるものとして十分であり、無理に言葉を選ばなくても純粋に伝えてくれるだけでも人にとっては有難いものだと思うからである。

 そんな心愛ちゃんの普段と変わらない笑顔から発せられた個性を認めてくれた温かな言葉は理世ちゃんにとってどんな感じだったのだろうか。あれだけ長い間ずっとそばにいて、一緒に様々な事を楽しんで、色々な困難も一緒に乗り越えてきた謂わば苦楽を共にした親友或いは戦友(?)とも呼んでもいい様な心愛ちゃんに、少しイメチェンしただけで全く気付いてもらえなくて(しかもロゼちゃん姿で会ったのは初めてでは無い)、内心泣きたくなる様な寂しさがこみあげてきていたのかもしれない。表立ってはロゼちゃんと理世ちゃんが同一人物だと気付いてもらえない事を逆手にとって心理戦を用いた作戦を立てて楽しんでもいた理世ちゃんだが、だからと言ってそれが理世ちゃんの本当の気持ちとは言い切れない。人の本心なんて正確には誰にも分からないのだから。それでも本当は寂しがりな理世ちゃんの事だから心愛ちゃんのみならず、智乃ちゃんも全く気付いてくれなかった事には多少なりともショックだったとは思う。ただ、心愛ちゃんと智乃ちゃんには何の悪気も無いのはもちろんの事、抑々「ロゼ」と言う名前自体も理世ちゃんがお淑やかな姿でそれこそ心愛ちゃんと智乃ちゃんに鉢合わせした時に心愛ちゃんから「理世ちゃんなの?」と聞かれて、正体を打ち明けるのが恥ずかしくて咄嗟に名乗ったものなので、2人からしてみればガーリーな理世ちゃんはロゼちゃんと言うそっくりの別人という事になっていただけだった。そう言う意味で考えると、理世ちゃん自身も心愛ちゃんと智乃ちゃんが人を疑わない素直な人*1である事と、2人がロゼちゃんが理世ちゃんが別人であると思い込んでいる発端を理世ちゃん自身が作ってしまった事も手伝って、本当は多少なりとも恐怖心があった可能性はある。些細なすれ違いが原因とは言え、結果的に心愛ちゃんと智乃ちゃんに嘘をついてしまった責任を理世ちゃんは感じていた可能性がある。でも心愛ちゃんは理世ちゃんに対して一切の怒りの感情をぶつける事無く、満面の笑みをもって温かな言葉を投げかけてくれた。それらを鑑みると、ロゼちゃん=理世ちゃんである事に気付いた心愛ちゃんが理世ちゃんにかけた温かな言葉に理世ちゃんは心の中で、自分自身の個性を大切な人に認めてもらえた喜びと、結果的にロゼちゃん=理世ちゃんを自分の口から直接心愛に遂に打ち明けられなかったばかりか、一度は確証が無いとは言え正体を見抜いた心愛に対して嘘をついてしまった事を心愛ちゃんは分かった上で受け止めてくれて、その上優しく接してくれたと言う器の広さに感慨無量になっていたのかもしれない。

 

 話を少し巻き戻して、智乃ちゃんの視点から見たロゼちゃんについての感想を書く。智乃ちゃんにしても理世ちゃんがいないラビットハウスは寂しい様で、その事を智乃ちゃん本人は気付いていないとは言え、理世ちゃん*2に話している場面があって、これは智乃ちゃん自身にとっても理世ちゃんは仕事仲間を超えたかけがえのない大切な存在であると同時に、そんな大切な人とは少しの時間も離れたくないと言う切な願いでもあると感じた。これは普段本心はさほど明かさない智乃ちゃんだが、理世ちゃんは心愛ちゃんが木組みの街に来る前にラビットハウスに来ているので付き合いが長く、それ相応に親近感と安心感を持っていたという事であり、智乃ちゃんにしても理世ちゃんのいない世界観は考えられなくなりつつあることを意味している。

 そんな智乃ちゃんの本音を聞いて、普段あれだけ同じ仕事場にいるのに聞けなかった本音と言うものが聞けて理世ちゃんも思う事はたくさんあったと思う。理世ちゃんが初めて会った頃の智乃ちゃんと比べてみれば圧倒的に変わったのは明白であり、成長している姿を見て一体何を思ったのだろう。以前に比べてアクティビティになった事だったり、心愛ちゃんとラビットハウスで日向ぼっこで競い合う様になる等良くも悪くも心愛ちゃんと似てきた事*3だったり、自分の意思を明確に人に言える様になれた事だったり、様々あると思われる。ただ何れにしても良い意味での成長を遂げていく智乃ちゃんを見て、私自身も一番年上として、仕事仲間として、そして大切な人に一緒に居て楽しくてずっと一緒に居て欲しいと思える様な人としてしっかりしないといけないと心に思ったと考えている。勿論理世ちゃん本人はそんな事は直接は言っていないのだが、今までの関係性や理世ちゃん自身の性格、そしてこれからも様々な面において大切だと思える人と一緒に居たいのであろうと感じ取れる事を考慮すると、上記の様に思っているのであると予想する事が出来る。智乃ちゃんが成長している事は、他の人にも影響を与えているのである。

 

 最後に、今回のお話のラビットハウス3姉妹について感想を書く。理世ちゃんはラビットハウスで働いているので、智乃ちゃんと心愛ちゃんとは他の人達よりも同じ時間空間を長く共有している事もあって3人共に非常に仲が良く、心愛ちゃんが3姉妹と言う程のものなのだが、その3姉妹たる心愛ちゃんと智乃ちゃんが「理世ちゃん=ロゼちゃん」と言う事実に最後まで気付いていなかったと言う点はかなり引っ掛かっていた。あれだけ仲が良く、何気ない事も共有し合っているのに、理世ちゃんがお淑やかになると途端に別人だと思い込むと言うのもなんだか不思議なものだと思っていた。もし理世ちゃんと親しい人全員が正体に気付いていないならまだしも、理世ちゃんと最も接点が多い2人以外が気付いていて、よりによって肝心の心愛ちゃんと智乃ちゃんが気付けてなかったと言う事実もそれを助長させていた。

 ただ、心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体が理世ちゃんだと気付かなかった理由は上記の通り理世ちゃんが咄嗟にロゼちゃんと誤魔化した事をそのまま真に受けた為なので、結果的に2人は人を無闇に疑わない人だという事を示している事になっている。理世ちゃんにその辺りの事情を根掘り葉掘り聴かなかったのも、2人の思いやり故だった可能性も否定できない。そういった事を鑑みると、心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体が理世ちゃんと気付かなかった事は、別に理世ちゃんの事が2人にとって本当は心の底から大切だとは思っていなかったと言う訳では無く、寧ろ心の底から大切な人だからこそ、無神経にデリケートな事を聴き出して、理世ちゃんの事を無闇に傷つけたくは無かった故だったと言えると思った。つまり3姉妹たる心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体に気付かなかったのは3姉妹の間にある温かな関係性を重んじるが故だった可能性があると考えたのである。結果的に言えばその思いやりが皮肉にも悪い方向に進んでしまう事に箔を付けたのは事実だが、友情的・姉妹的には寧ろプラス効果だったと思う。誰が悪かったと言う問題でも無いし、そもそも3人共に全然事を深刻に捉えていなかった*4のもあったのだが、何よりも理世ちゃんの正体がロゼちゃんである事に気付かなかったのを、人はイメチェンすると何時も身近にいる人でも気付かないと分かったのを良い事に、一件落着した後に心愛ちゃんと理世ちゃんが調子に乗って*5智乃ちゃんを揶揄って一番年下である智乃ちゃんに怒られたりしている事が何があっても3人は仲睦まじい関係性なのだという事を証明している。別に必ずしも証明していなかったとしても、年上2人が節操も無く調子に乗って一番年下に怒られたりしているのを見たら「あれだけ年下が年上にものを言える位だから大丈夫だ」と私自身はなると思うが。

2.幼なじみだから持つ想い

 このお話は幼なじみである千夜ちゃんと紗路ちゃんがそれぞれ生徒会に推薦されるものであり、推薦された事を巡って様々な事が展開されていくお話*6である。とは言っても最終的には2人共に推薦は辞退しているのだが、ここで大きく関わってくるのは千夜ちゃんと紗路ちゃんが幼なじみであると言う事実そのものであり、幼なじみだからこそ抱く感情が多く存在するものになっている。しかしながら、抑々千夜ちゃんと紗路ちゃんは幼なじみと言えど当然ながら別人格の人間なので、性格や価値観はまるで別物である事は留意する必要がある*7。ただ、性格や価値観は違っていてもお互いに上手く擦り合わせられるのが幼なじみの凄さであると思っている。別に擦り合わせ自体は幼なじみでなくても普通に出来る事だが、幼なじみは何か特別な感触がするのだ。そう思うのは幼なじみは読んで字のごとく幼い頃からの知り合いなので、ある程度成長してからはどれだけ足掻こうと培う事は絶対不可能な事が関連しているのだろう。

 

 ここから本題に入る。千夜ちゃんと紗路ちゃんはそれぞれ生徒会の推薦に選ばれたのは前述の通りで、選ばれた理由は千夜ちゃんは文化祭でリーダーシップを発揮してクラスを統率するために努力している経緯を見て信頼されたからであり、紗路ちゃんの方は本人は何も語っていない為良く分からないが、普段から気配りできる人である事や真面目で何事にも手を抜かない一生懸命な所が信頼されたからだと思われる。どちらにしても人から信頼される人間性なのは明白であり、そう言う意味でくるなら人望溢れる幼なじみだと言える。

 ただ、千夜ちゃんはかなり乗り気でスピーチの内容を考えたりするなど熱の入れ様も本物だったが、紗路ちゃんはどうにも乗り気では無かった。それもそのはず紗路ちゃんは千夜ちゃんには直ぐには言いそびれたとはいえ既に推薦は辞退していた為である。紗路ちゃんが辞退した理由はそもそも私生活の多忙さから生徒会まで出来る余裕がないと言うのもあったが、紗路ちゃんが千夜ちゃんの生徒会推薦に乗り気でなかったのはもう一つの理由である幼なじみだからこそ持てる理由があった。

 紗路ちゃんが千夜ちゃんの生徒会推薦に乗り気でなかったのは、その時点では千夜ちゃんは忘れていた事だったが、その昔2人がまだ幼い頃に千夜ちゃんが将来の展望として甘兎庵の社長になって各地で(良い意味で)名を轟かせる*8と言うのを紗路ちゃんに誓っていて、その事を紗路ちゃんがずっと覚えていた事にある。紗路ちゃんとしては生徒会になって活躍する千夜ちゃんも別に嫌では無かったと思われる*9が、本心としてはやはり甘兎庵で活き活きとしながら活躍する千夜ちゃんで居て欲しいと言うのが切望する願いだったのだろう。ただ、その本心を紗路ちゃんは千夜ちゃんに直接打ち明けてはいない。理由としては自分(千夜ちゃんの事)が言った事だから自分で思い出してと言う紗路ちゃんの願いもあったのだろうが、言ってしまうと紗路ちゃん自身の願望でしかない事を千夜ちゃんに無理に押し付ける事になってしまう紗路ちゃん自身の想いを千夜ちゃん本人に言い出しにくかった可能性も考えられる。幼なじみの間柄とは言え、折角人から信頼されて貰った推薦をわがままで駄目にしてしまう事だけは人の意思を完全無視する事になるので絶対にやってはいけない事であり、これを考慮すると紗路ちゃんのとった行動は自分がどう思ってもあくまで相手の意思を尊重すると言う紗路ちゃん自身の強い意思を感じられ、同時にお互い幼い頃に誓った約束は忘れて欲しくないと言うジレンマをも強く感じ取れる。ただでさえ千夜ちゃんに対しては空回り気味の紗路ちゃんだが、この時はいつも以上に空回りしていた様に感じたのもジレンマ故だったのかもしれない。

 そんな紗路ちゃんに千夜ちゃんは初めは昔の記憶を忘れていた為、何の事か良く分からなさそうだったが、紗路ちゃんが生徒会の推薦を辞退した事に関してはきちんと理解を示していた。千夜ちゃんにしても想いは一緒で、あらゆる場面において活躍する事は喜ばしい事ではあるが、無理だけはして欲しくないと言う想いが強くある事が伺える。千夜ちゃんは紗路ちゃんの事を普段は揶揄う事が多いのだが、紗路ちゃんの想いを踏みにじったり、尊厳を傷つける様な事は絶対にしたりしないのも紗路ちゃんの事を大切に想っているからである。揶揄う理由に関しては単純に悪戯好きな面があるからだと思われるが、紗路ちゃんには揶揄う事が出来る程信頼できる人だと千夜ちゃんが考えている証拠でもあるかも。人を揶揄う事は相当仲良しで無いと通じない事もしばしばだし。

 そして、昔の記憶を忘れていた千夜ちゃんが思い出したきっかけは甘兎庵の看板うさぎである「あんこ」に付けている飾り付けが無くなってしまった事であった。個人的には「何故にうさぎで思い出すきっかけをつかめるのだ?」となるが、これは千夜ちゃんと紗路ちゃんにとってあんこと言ううさぎは幼い頃にずっと一緒に過ごした存在だった事が大きい*10。2人共に両親が仕事や経済上の都合でそれぞれ千夜ちゃんと紗路ちゃんと一緒に居られる時間が少なかった事が主な要因だが、それも千夜ちゃんと紗路ちゃんが並みの幼なじみの仲良さ以上に仲が良い事の理由なのだろう。そんな2人にとって特別な存在であるあんこに付けていた装飾品を巡って千夜ちゃんは過去に忘れていた記憶を呼び起こし、紗路ちゃんは思い悩む事もあれど、最終的には千夜ちゃんと言う幼なじみとの素敵な記憶をまた共有し合えると言う何ともロマンチックな展開になっている。まぁロマンチックな展開はアニメ劇中にもあったお花の種類や紅白饅頭等も関係しているが、如何せん私はその手の分野には感想考察できる程の知識がないのでノータッチとする。しっかりした知識も持たずに色々展望する事はあまり良くないので。ただ、ロマンチック展開そのものは好きなのでこのお話全体に相当心打たれた挙句、私自身も視聴後にロマンチックな思想を展開したのは言うまでも無かったのだが・・・。

 

 最後に、千夜ちゃんと紗路ちゃんの幼なじみ関係について今回のお話から思った事を書く。元々幼なじみとして心から分かり合った関係であった千夜ちゃんと紗路ちゃんだが、今回それが強調されていた回だったと思う。まず幼い頃に誓い合った約束ですら幼なじみだからこそであり、様々な事を巡って最終的な答えを合致させたのもお互いの事を大切に想っているからであり、最終的に2人共推薦を辞退して他の人の推薦祝いに参加する等、仲の良さで来るなら誰にも負けないものを感じた。今までも千夜ちゃんと紗路ちゃんと言う幼なじみの関係性は相当に気を惹かれていて、それ故に様々な可能性について考えてきたのだが、今回のお話を見て「この2人はこれからもずっと心の底から信頼し合える仲良しでいられる」と思った。どうか幼なじみの友情をずっと大切にしていってほしいと思うばかりである。

 

 次の10羽も非常に楽しみです。と言うか当日なんですけどね(12月12日なので)。

*1:心愛ちゃんと智乃ちゃん以外は、理世ちゃんとロゼちゃんが同一人物である事は気付いていた。尤も心愛ちゃんと智乃ちゃんからしてみれば、本人がロゼちゃんと言っているからこれ以上詰問するのは良くないと言う優しさもあったと思われるが、それが結果的に理解のすれ違いを招く羽目になってしまった。

*2:この時点では智乃ちゃんはロゼちゃんだと思っている。

*3:これを聞いた理世ちゃんは怒る事は無かった。怒ると理世ちゃんである事がバレるのも理由の一つだろうが、それ以上に智乃ちゃんが以前は絶対しなかった事を積極的にやろうとするそんな姿に感銘を受けていたのかもしれない。尤も智乃ちゃんが心愛ちゃんに影響されてきているのは実は原作3巻から見えていたのだが。

*4:一般的には悪い意味となる事が多いが、この場合は良い意味の方である。

*5:心愛ちゃんが割と調子に乗る事が多いが、実際は理世ちゃんもかなりの調子乗りであり、特におだてると直ぐにその気になる。理世ちゃんも心愛ちゃんも大人を除くと一番年上の2人なのだが・・・。

*6:ここで私は「そもそも生徒会メンバーは立候補で決める事が多いから、推薦で決めるものなのか?」と原作で初めてこのエピソードを見た時からずっと思っている。まぁそう思うだけ野暮と言うものだし、別に推薦で候補者を決めるのはいかんと言う気も無いが、純粋に気になる点ではある。

*7:これ自体はこちらも幼なじみである麻耶ちゃんと恵ちゃんにも同じ事が言える。

*8:こんな壮大な目標を立てたのは、バイヤーとして各地を飛び回っている千夜ちゃんの母親の影響の可能性が考えられる。無論その事は直接的な手掛かりは無いが、幼い頃に突拍子も無く世界進出関連の言葉を人に誓う事は考えにくく、母親の影響の可能性は否定できない。

*9:現に千夜ちゃんに推薦を辞退しろとは迫っていない。人の気持ちを全く考えずに自分の意思を押しつける事はしたくなかったのであろう。

*10:ただし、紗路ちゃんがうさぎにトラウマ意識がある理由もあんこなのだが。

きらま2021年1月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。ごちうさに対して真面目に考える事が多くなればなるほど、どの視点から見つめれば良いのか本気で考える事が多くなっていきます。元々自分としては人とは少し違った視点からアプローチする事をなるべく心掛けていて、それ故に躓(つまづ)く事も多いのですが、悲観的に考えても仕方ないので前向きに頑張りたいと思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年1月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。先月号に続いて新キャラに焦点が当たった回なので新鮮味溢れるものだったと記憶しています。今回の感想も新キャラを中心とした焦点のあてがい方をしたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上読んでいただくと幸いです。宜しくお願い致します。

1.今月のごちうさを購読した純粋な感想

 今回のごちうさを読んでまず重要だと思ったのが、ナツメ、エル姉妹*1の事について事細かく知れた事である。元々夏明・映月姉妹の事は単行本8巻で存在は知っていたが、事細かく知っている訳では無かった。2人共そこまで素性を積極的に明かすような人ではない事が主な理由なのだが、それ以上に私自身が8巻以降の話をきらまで購読していない故にブランクが存在する為でもある。因みに姉妹という事はどちらが姉でどちらが妹かとなるが、そこまでは情報に乏しく完全には分からなかった。これももしかするとブランクが影響している可能性がある。ただ、夏明ちゃんの方が映月ちゃんを引っ張っている面は良く見受けられるので夏明ちゃんの方が姉貴感はあるし、夏明ちゃんは映月ちゃんの事を呼び捨てしているが、映月ちゃんの方は夏明ちゃんの事をちゃん付けで呼んでいる為、夏明ちゃん方がお姉ちゃんだと言う可能性はある。尤もそれだけでは姉妹関係を断定する事は到底不可能なのだが・・・。

 そんな状態の私だったが、純粋な感想としては素晴らしい関係の織り合わせと言う一言に尽きた。言ってしまれば語彙力のごの字もない上に創造力にも乏しい様な陳腐(ありふれていてつまらないこと)な感想だが、ごちうさに限って言えばそんな言葉でまとめてしまうしかない程に濃密だからだと言える。要するに一言でまとめ上げるのが困難だという事であり、下手に独自性のある様な感想のまとめ方をしようとすると却って形が崩れる危険性が高いという事である。
 これ以上の細やかな説明はさておき、なぜ素晴らしい関係の織り合わせだと考えたかと言うと、夏明・映月姉妹の2人と麻耶と恵と言う幼馴染の2人と言う掛け合いが素敵なものだと思ったからである。元々2人だけの世界で生き続けてきた夏明・映月姉妹だったが、麻耶ちゃんと恵ちゃんの2人が同じ高校でそれぞれ心を通わせられる存在になった事はどれほど大きい財産なのか分からない。尤も麻耶ちゃんと恵ちゃんを始めとした皆には旅行先で出会っているので全くの初見でこそ無いが、当然ながらその時にはまさか再び出逢えるとは思っても見ない事であり、夏明・映月姉妹にとって皆との出逢いは確かに狭い世界に差し込んだ一筋の光だった事は疑いないとは言え、所詮は一時のものだと考えていた事は容易に窺い知れる上、本人らもその様に考えていたのが確認できる。だからこそ、この出逢いが益々素晴らしく見えるのであろう。

 まとめると、境遇も関係性も異なる2人2組の関係性の良さが素晴らしいという事である。ここからはそんな2組の今回見つけた様々な点を書き出す。

2.夏明・映月姉妹の人間関係について思った事

 前述の通り今回のお話は夏明・映月姉妹中心の構成となっているが、まず転校が多い故に友達が出来にくくそれ故に2人だけの世界観で生きていく事を余儀なくされ、更に関わってくれる人もどちらかと言えば家柄を見ていた上に、更には今まで所謂レールに敷かれた道を行くだけだった人生だったとあったのを見て何とも言えない気持ちになった。とは言っても転校が多いのも家庭の都合と考えれば納得がいくし、本人達よりも家柄を見られていた事も想像に難しくないが家が裕福であるが故であり、別に本人達が嫌われている訳でも、ましてや本人達に非がある訳でも無さそう*2だが、それらの要因はやはり人付き合いの大きな障壁ともなってしまっていたのは間違いないのだろう。
 その為か2人共(特に夏明ちゃん)にややドライな態度が目立つ印象が以前から存在した。本人達からしてみれば転校が多い故に友達を作っても直ぐに離れ離れになってしまうわ、そもそも友達を作ろうにも周りの人は家柄ばかりを見て私達の事は全然見ようとしないわで諸々重なった結果、人間関係を作ろうとする事が却って苦痛の種となってしまっていたのだろう。それ故にクールで近寄り難い雰囲気をまとう事で人を寄せ付けず、事前に苦痛の種をまかないようにしていたのであろう。
 ただ、周りの人は家柄ばかりを見ていたとは言っても、本人達は転校が多い故に編入も多いと推測される為、周りの人達からしてみれば夏明・映月姉妹の事を知ろうにも知れなかった*3事情もあったと考えられるため、一概に誰が悪いと言った責任問題には出来ない。周りの人達が家柄を見ていたのも夏明・映月姉妹の事で一番目立つのは育ちの良さだった故の可能性も十分に考えられ、2人の事をきちんと知ろうにも家柄を見つめる行程は避けられなかった可能性もある。勿論本当に家柄だけを見ていた人もいた可能性は十分にあるし、夏明・映月姉妹の気持ちも良く分かる事だとは言え、一概には結論を出せない事だと思われる。しかしながら、ただ一つ言える事とすれば、周りの人達は全員敵だと言ったそういう極端な考えに陥らないようにする為にも、冷静に状況を判断していく事が必要だという事であろう。極端な決め付けでは誰も幸せにはならないのだから・・・。

3.夏明・映月姉妹の人柄について思う事

 人間関係について長くなったが、ここからは夏明・映月姉妹を見て思った事を中心について書く。とは言っても人間性中心だが・・・。

 夏明ちゃんは普段から気を張っている事が強く、やや近寄り難い雰囲気を出していたのも否めなかった。ただ、本来は別に関わりにくい人では無いため、無理に演じていたと言える。その理由に少なくとも映月ちゃんと一緒にいる時には攻撃的な雰囲気は感じないし、基本的にはしっかりしている事から場に合わせて対応できる人である事等が挙げられる。そのため非常識な人では無く、寧ろ常識人だとも言える。このため夏明ちゃんはそのままでも十分人から好かれるとは思われるため、何故誤解される様な虚勢を張っていたかとなるが、恐らく実はかなりナイーブで傷付き易いタイプである事が関与している可能性がある。今までの経験から安易な人付き合いは厳禁だと思う様になって、それで人を寄せ付けないようにしていたという事だが、あくまで予想である。
 また、実は結構テンパリ屋な面があり、図星を指された時にはいつも慌てている。人に自分の気持ちを読み当てられる、面識ある人の動向には過剰に反応してしまう面があるのかも知れない。あとかなり感情が出やすいタイプで、見た目喜怒哀楽は割とはっきりしている。見た目と書いたのは夏明ちゃんは自分の本心を積極的に他人に見せる様な人ではない為である。とは言っても自己防衛のためなのである程度は仕方ない。気を張る為に無理をしていたらいつの間にか自分が分からなくなってしまった可能性も考えられるが・・・。

 他にも麻耶ちゃんと気質が似ている為か何だかんだ気が合う。2人共割に恥ずかしがり屋な面があるので、映月ちゃんや恵ちゃんが仲が良いと言うと互いに言い争う事もあるが、基本的にはお互い一緒にいて嫌だという事は無さそう。また、麻耶ちゃんは人の気持ちを考えずに軽はずみな事を言ったりしないので、夏明ちゃんとしてはそんな麻耶ちゃんの優しさに惹かれている*4のかも知れない。尤も普段は意地でも直接本人には言わないだろうが。

 一方映月ちゃんはと言うと、夏明ちゃんとは大きく異なりのんびりとしていて結構マイペース。普段はガツガツ来るような事も無く、全体的に控えめな印象が強く、また夏明ちゃんの様に気を張っている様子もあまりない。性格も基本的には穏やかで接しやすいタイプだが、物怖じせずに言いたい事はハッキリ言うので夏明ちゃんを含めた周りの人を驚かせることもしばしば。言い換えればそれだけ芯が強いという事でもあり、簡単には折れる様な人では無い事を窺えさせる。
 また、夏明ちゃん同様に感情性豊かだが、夏明ちゃんとは違ってテンパリ屋や面は見受けられない、何時でも物腰柔らかな雰囲気であり、人から好かれるタイプだと思われる。また同時に独特の感性の持ち主でもあり、感受性もかなり高い。あと、よく目をキラキラ輝かせている印象も強い。これに関しては好奇心旺盛と捉えるべきか夢溢れる人だと捉えるべきか分からないが、見ていて幸せそうなのが伝わると言う意味では良い点だとは言える。

 そののんびりとした気質は恵ちゃんと似ている為に気が良く合い、更に麻耶ちゃんと夏明ちゃんとは違いお互い言い争う事無く仲良くしている事が多い。2人共に感受性が優れている事や、争い事を好まないタイプだという事がその理由と思われるが、それ以上に一緒に居て気が合うのだろう。恵ちゃんにしても麻耶ちゃんとは幼馴染で仲良しとは言え、性格は異なっているので、波長が合っている映月ちゃんとは麻耶ちゃんとは違った楽しさがあるのであろう。私も恵ちゃんと映月ちゃんは良い2人組だと思うし、息も合っているので仲が悪くなる事は無いと思われる。ただ、2人共感性が良いが故に千夜ちゃんに才能があると見込まれている為、千夜ちゃんに影響される可能性は高いだろう。尤も千夜ちゃんとて悪気は無いし、寧ろ映月ちゃんならあっと言う間に仲良くなりそう。

 総じて言うならば、性格も気質も大分違うとは言え2人共基本的に人柄が良く、本当は誰とでも仲良くできるタイプだとは思う。強いて言うならば所謂温室育ちなので、世間とは多少なりともズレた感性だという事が玉に瑕となり得る*5が、2人共私が見る限りでは決してズレた感性がマイナスに働いている感じはしない。そもそも温室育ちだから必ず世間とズレている訳でも無いし、ましてやそれで多くの人と馬が合わなくなる事と言うのは私は絶対に無いと思っている。確かに環境は人の性格や気質に大きく影響するのは事実だとは思うのだが、だからといって環境が人の性格や気質を100%決めると言うのは言い過ぎで、どんな環境にいても人柄が良い人は良いし、言い方は良くないが、その逆もまた然りであるとは思う。大切なのは、環境で人を決めつけるのではなく、人をしっかり見つめてからその人の事を考えても遅くはないという事を意識する事である。夏明ちゃん・映月ちゃんの様な育ちの良い人はどうしても勘違いされやすい事も多いが、周りがどうこう思うよりも自分はこう思うから良いと言う確固たる意志をもつ事が重要だろう。

4.夏明・映月姉妹とチマメ隊の関係について思う事

 1月号のごちうさを読んでいて思ったのが、夏明ちゃん映月ちゃん共にやたらと智乃ちゃんにコンタクトを取りたがっているシーンが目立っていた印象がある事である。私は8巻以降のストーリーをまだ知らないので詳細は良く分からないのだが、1月号のごちうさを読む限りでは智乃ちゃんが淹れたコーヒーが相当に美味だった為にもう一度淹れてもらいたいという事なのだろう。それ自体は2人共味に詳しいとも言えるし、智乃ちゃん自身も2人に美味しいと言ってもらえた事を喜んでいるので良いのだが、どうしても堪能したいのかやや強引な手段(と言っても智乃ちゃんを家に招待して淹れてもらうと言うものなのだが・・・。)を用いようとする面がある。しかしその手段は現実的には無理があるものがあり、この辺りはどうしても思う所は多いのかも知れない。
 とは言ってもそうしようと麻耶ちゃんと恵ちゃんに持ちかける理由として智乃ちゃんの働いている場所であるラビットハウスを麻耶ちゃんと恵ちゃんが教えてくれないが故*6も理由の一つとしてはあって、2人共悪意がある訳では決して無く、この場合は単純に世間知らずなだけなので2人を無闇に責めるのも酷な話ではある。そして麻耶ちゃんと恵ちゃんにしても智乃ちゃんが働いているラビットハウスの事を教えないのは、夏明ちゃんと映月ちゃんが智乃ちゃんと私達より仲良くなってしまうと悔しいからと言う、智乃ちゃんとずっと仲良しだからこそ芽生える嫉妬があるが故であり、結果として両方共に気持ちが良く分かる事例であるために結論を出すのが非常に難しい事になっている。尤も高校生と言う年頃を考えるとある程度は仕方がない面もあるのだが・・・。
 しかしながら、最終的には麻耶ちゃんは夏明ちゃんと、恵ちゃんは映月ちゃんとそれぞれ打ち明け合っているので、外野が今更どうこう言う事も無いと思う。当事者同士できちんと心から分かり合ってより打ち解け合えたのならばそれで良いし、これ以上口出しする資格は最早誰にもないだろう。よって私としては優しく見守る。これが筋であろう。

 肝心の関係性に関してだが、何だかんだ言っても良い関係性が作れると思う。ここからは私の推測だが、チマメ隊としては夏明ちゃんと映月ちゃんの事は色々思う事はあっても悪くは思っていないし、それは夏明ちゃんと映月ちゃんからチマメ隊に関しても同様の事が言えるためである。チマメ隊にしても夏明ちゃん、映月ちゃんにしても全員人柄がとても良いので、きっとお互いの良い所を見つけ合って仲良くなれると思う。そんな気がしてならないのだ。勿論それは智乃ちゃんと深い関わりを持つフユちゃんも例外では無い。ひいてはチマメ隊を筆頭とした高校生組をも凌ぐグループとなる可能性も、もしかするとあるのかも知れない。勿論高校生組を交えた一つの仲良しグループとなる可能性も十分に秘めている。実際どうなっていくかはまだまだ未知数だが、皆が打ち解け合って仲良くなっていくと言うごちうさの良い所を前面に押し出した様な人間関係になってくれたら良いと言うのが、ささやかながら私の願いでもある。

5.今回のまとめ

 今回2回目となるきらま掲載のごちうさの感想を書きましたが、前回に次いでキャラの誕生日に合わせて書き上げると言う個人的なミッションを課した上で書きました。ただ、2回とも誕生日のキャラが主役じゃないのが若干引け目を感じてしまう要素としてありますね・・・。

 今回重視したのは人間関係と人間性についてで、元々私自身人間関係や人間性について思う事が多々あって、ごちうさでも例外では無かったのですが、今回それが顕著に表れたと思います。人間関係や人間性は一言でまとめ上げるのが非常に困難な分野で、それについて思う事は人の数だけあると考えています。そのため、一概に○○が正しいと言い切る事は非常に難しいのですが、それでも自分なりの考えはまとめてみたので見ていただけたならば幸いです。色々思う事はまだまだありますが、ごちうさが今後どんな風になっていくのか楽しみで仕方ありません。

 最後に投稿したのが12月4日という事で、香風智乃ちゃん。お誕生日おめでとうございます。

*1:本名はそれぞれ神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)と言い、双子の姉妹である。2人共難読の名前であり知らないと中々正しくは読めないが、個人的には好きなセンスの名前である。

*2:そもそも出自の事も転校の事も本人らの責任に帰させるのはあまりにも酷である。

*3:しかも知った時にはまた転校してしまう事も多かったのであろう。

*4:本編中にもハーブティーの優しさに包まれている場面がある。この事から夏明ちゃんは感受性豊かな面も窺えさせているが、これは同時に打たれ弱い面がある事にも繋がる。人の気持ちが分かると言う面では良いのだが、行き過ぎると苦痛の種にもなり得る。

*5:特に映月ちゃん。

*6:夏明ちゃんと映月ちゃんは見る限り高校生になってから高校生組と関わっている事が殆ど無いが故に、マメの情報が唯一の手掛かりとも言ってよい。一応紗路ちゃんとは同じ学校故に関わりは皆無では無いのだが、学年が違う故に難しいだろう。となると高校生組でも学年が1つ上である理世ちゃんはどうなるのかとなるが、寧ろそちらがイレギュラーだと言える。