多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2021年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。きらま勢になってごちうさを毎月楽しく読み進める事が習慣となりましたが、今月はそんな悠長に楽しむ余裕を見せるには少々見立てが甘かった訳であり……。とまぁ、その内容は追々書き出すとして、この様な状態でもごちうさ購読は先月にも書いた通り、辞めるつもりは全く無いので私としては過度に心配する事も無いでしょう。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年11月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号の内容は先月号にあった高校1年生組(ブラバ組とラビハ組)によるラビットハウスでのお泊り会と対応する形で、甘兎庵における年上組(元来の高校生組4人)の勉強会を中心としたものですが、先月号と違って真面目な話が非常に多く、全く異なるテイストになっているので、今回は先月号との違いを意識して書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は真面目な内容だけでなく、比較的重い内容も含まれているので、読み進める際にはその事を了解の上でお願いします。
なお、高校生組4人とは心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの4人を指します。理世ちゃんは既に大学生ですが、今回はお話の構成上高校生組4人が中心となっている為、便宜上含めています。

1.はじめに

 今回のお話は元来の高校生組たる心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃん4人による甘兎庵における勉強会が主であり、そこで様々な事柄が巻き起こっていくと言うのが大筋である。また、先月号であったラビハ組とブラバ組の「懐かしさも新鮮味もある」と言える様な回帰を思わせるラビットハウスのお泊り会と比べてテイストが全く異なっており、今月号は高校生組4人の「大きなターニングポイント」を意識させる様なテイストになっている。

 今月号の特徴は心愛ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの高校生3年生組3人の将来のターニングポイント(主に高校卒業後の進路選択)が描かれている事と、久々に高校生組4人のやり取りが勉強会と言う形で見られる事が主に挙げられる。この時点でも既に先月号にあったラビハ組とブラバ組によるラビットハウスでのお泊り会の時とはテイストが異なっているのは明白だが、大きく違うのは、今までのごちうさと比べてみても、思わず目を疑う様な衝撃発言が多かった事であり、故に「今までのごちうさとは一線を画す」テイストになっている。

 そして、今月号のごちうさの感想・考察を書く上で絶対に外せないのが上記にもある通り、思わず目を疑う様な衝撃発言である。尤も、過去にも思わず目を疑う様な衝撃発言は幾つもあったのだが、それでも多少の紆余曲折はあったとしても最終的には丸く収まるケースが大半だった。しかし、今月号の衝撃発言は到底丸く収まらないどころか、ごちうさの世界観そのものにも多大なる影響をもたらす程のものであり、故に今月号は読んだ者を思わず混沌の世界に引き摺り込ませる程の力を持っている。今回はそんな衝撃発言やごちうさの今後について考察していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

衝撃の勉強会

 今月号は先月号のラビットハウスにおける「ブラバ組とラビハ組」のお泊り会との対比として、甘兎庵における「高校生組4人」のお泊り会もとい勉強会が主な内容になっており、つまりは同一の時間軸に起こった出来事を別視点から描写されている。

 ただ、今月号の内容は初めからいきなり衝撃的なものであり、私としても思わず混乱してしまい、しばらく不安定な心境に陥ってしまった*1ものである。先ずはそんな不安定な心境に陥った事を書き出したい。

空虚が見据えるもの

 いきなり衝撃的な項目だが、これは紗路ちゃんからの衝撃的な告白を受けた千夜ちゃんの反応をもとにしたものである。と言うのも勉強会に年上の理世ちゃんが参加する事から、勉学が捗るとして紗路ちゃんが「都会の国立大学行く為に私頑張ります!」と言うある種の衝撃発言を至って普通に話した時の千夜ちゃんの反応が、私にとってはあまりにも衝撃的だったのだ……。

 まず一番印象的だったのは、紗路ちゃんの衝撃的発言を聞いた直後に千夜ちゃんが見せた、奥底が全く知れない空虚(=虚ろ)な目だった。その虚ろな目は千夜ちゃん本来の明るさと優しさを全く感じさせず、代わりに我が耳を疑うと言わんばかりの戸惑いと、幼なじみと離れ離れになってしまう事を瞬時に悟ったと思える様な暗さが、彼女の瞳を支配していた。なお、私がこの様に思ったのは、雷鳴が轟(とどろ)いたと同時のタイミングだった為に、彼女の劇的な気持ちの変化と雷鳴を重ね合わせたのが大きかった。

 これを見て、私としては千夜ちゃんがあの様な空虚な目を見せたのには、千夜ちゃんにとって紗路ちゃんはそれだけ「何時いかなる時でも近くにいて欲しい大切な存在」である事が感じ取れた。事実、千夜ちゃんは紗路ちゃんと同じ大学に行くと言っており、この時はすぐに心愛ちゃんに甘兎庵の事でツッコまれ、本人も「ボケ」だと弁明し、紗路ちゃんにしても少々懐疑的ながらも「ボケ」として捉えているが、千夜ちゃんのトーンからして、実際の所は決して全くの冗談ではなく、ある程度は本気で考えていたと思われ、それだけ千夜ちゃんにとって紗路ちゃんは幼なじみを超えて、最早心の支えであるのは明白なのが読み解けるし、それは紗路ちゃんから千夜ちゃんの場合にしても本音としては同じだと考えられる。

 何れにしても、千夜ちゃんがみせたあの空虚に満ちた様な瞳の感触は早々見かけないものであり、あの空虚な瞳をきらまの告知タイムの時に紹介されたコマで見た時、私自身しばらく焦燥していた事は記憶に新しく、心が痛む様な感覚だった。決して頭から離れる事が無く、あの瞳に込められた想いを考えれば考える程に言葉は無くなっていく。本来ならセクシーな魅力溢れる高校生組4人の扉絵すらも、何だか千夜ちゃんだけ心なしか空虚な雰囲気を纏っているとすら思った時は、最早言葉にもならなかった。元々彼女が実は動揺に弱い事は知っていたのだが、いざそれを目の当たりにすると、簡単に受け止められる様なものでは無かった。やはり普段気丈に振舞っている事が多く、いかなる時でも自分の手の内を簡単には見せない*2千夜ちゃんだけに、目に見えて戸惑っている千夜ちゃんを見るのがショックだったのだろう。

 その後も心愛ちゃんと理世ちゃんが紗路ちゃんの進路選択を応援する一方で、1人何も考えがまとまっていなさそうだった千夜ちゃんがとても印象的だったし、私としても千夜ちゃんが普段からやっているやり取りが1ページ8コマに渡って連続で描かれていると言うのに、何時もの様に明るく楽しむだけに留めおく事は出来なかったが、それは作中の高校生組も同じだった様で、上記の1ページ8コマを見ると、千夜ちゃん以外の面々も千夜ちゃんの事が心配そうな様子を感じる事ができた。尚、この時の様に何かで悩んでいる時、困っている時に心配してくれる友達がいるのは幸せな事だと思うのは、大体このような場面に遭遇した時である。

頼れる上官

 この項目は紗路ちゃんの衝撃告白に動揺と無理が隠せない千夜ちゃんを見兼ねた(=心配した)理世ちゃんが、2人きりで話す場として「理世ちゃんと風呂で進路相談」と言う名目で千夜ちゃんに見事な助け舟を出した、理世ちゃんの優しさを見て付けたものである。尚、理世ちゃんがこの様な事を考えたのには、理世ちゃんは3人より1つ年上*3なのもあると思われるが、それ以上に重い空気の中で思い切った事を提案できる強さを理世ちゃん自身が持っている事が大きいと考えられる。そして、この場面において千夜ちゃんは困惑しぱなっし(当たり前だが)であり、心愛ちゃんは何とか場の空気を変えようと全く違う事を自らの行動で提示し、それを広めようとするが全く上手く行かず、紗路ちゃんはそんなココ千夜を見て戸惑っていると言う状況であった為、理世ちゃんの提案は正に英断だったと言えよう。

 因みに2人でお風呂に入ると言うのは先月号のラビットハウスお泊り会でも行われたものであり、この時は智乃ちゃんと冬優ちゃんのやり取りが印象的なものだった。同じ空間や時を共有する者同士、図らずも考える事は似ると言う訳である。

空虚な瞳の真実

 先の様な提案をした理世ちゃんは、空虚に思える様な瞳を見せるまでに気が動転していた千夜ちゃんを最初の相談相手とし、最初こそ理世ちゃんの真意を知った千夜ちゃんに「リゼちゃん絶対良い先生になれるわ」と、逆に励まされる等の振り回されている場面もあったが、やがて千夜ちゃんは赤裸々な本音を理世ちゃんに対して語り始め、そこでは幼なじみである紗路ちゃんと離れ離れになる事はいつかやってくるとは思っていたが、いざ聞くとやっぱり気が動転してしまう事と、紗路ちゃんが私と離れ離れになる事を対して気に留めていない様に感じられた事を気にしている事を理世ちゃんに語っていた。これに対し理世ちゃんは紗路ちゃんが離れ離れになる事を気に留めていない訳が無いと、千夜ちゃんの懸念を力強く払拭しようとしていたが、同時に私(理世ちゃんのこと)とも同じ進路にならない事に対して寂しさを浮かべてもおり、これが千夜ちゃんにとって「理世ちゃんが寂しさを共感してくれた」と、少しすっきりした表情を見せていた。尤も、当の理世ちゃんはどっちが励まされているか分からないとやや消化不良気味だったが、これは元々リゼ千夜が最終的には理世ちゃんの方が励まされる事も多い為であり、千夜ちゃんにしても弱った隙を不用意に見せないからなのだが、何れにしても千夜ちゃんにとっては嬉しかったに違いない。

 私はこの一連の場面を見て、千夜ちゃんはやはり幼なじみの紗路ちゃんと離れ離れになるのは「頭では受け入れられても、それが現実味を帯びるとやっぱり動揺してしまう」程に、できる事ならあって欲しくない事だと言うのが良く分かるものだと考えていて、それは千夜ちゃんにとって紗路ちゃんはできるならずっと私のそばにいて欲しいと思える程に、大切な幼なじみだと言うのが読み解ける内容だと感じ取っている。それを思えば、紗路ちゃんが私と離れる事をあまり気に留めていない様な反応をした事を凄く気にしていたのも理解できるし、彼女がそれだけ幼なじみ想いだからこそ、紗路ちゃんの衝撃的な発言に対してあの様な空虚な瞳を見せたと思えば私自身納得がいく。

 無論、上記にある様に千夜ちゃん本人もいつか紗路ちゃんとは離れ離れになってしまう可能性がある事は理解しており、その事を理世ちゃんにも打ち明けている。だが、実際にその事を紗路ちゃんから告げられると、千夜ちゃんは彼女の意思に反して動揺してしまい、それをして千夜ちゃん自身は「やっぱり動揺しちゃってだめね」と、自分で決めた覚悟すらまともに貫き通せない自分自身を自ら卑下(ひげ)していたが、そんな千夜ちゃんに対して私は「いくら幼なじみ相手だとは言え、自分自身を卑下するまでに思い詰めなくても良い」と言いたいと思わず考えたものである。勿論、幼なじみに限らず、友達想いの千夜ちゃんだけにあって、友達や幼なじみの決断を動じることなく尊重し、送り出す事を想うのは良く分かるし、打たれ弱い面もあると言っても、簡単にすぐ諦念(ていねん)してしまう様な弱腰とは全く違う事も、大切な人を心から大切に想っているからこそ、その友達や幼なじみに対して不安な思いをさせたくないと言う千夜ちゃんの強い想いがある事も理解している。

 しかしながら、私としてはだからこそ千夜ちゃんには友達や幼なじみの事で自分自身を必要以上に追い詰めて欲しくないと考えている。その訳は自分自身を必要以上に追い詰めてしまっても良い事は何も無いからなのだが、そんな風にしてどんどん心を痛めていく千夜ちゃんは私自身見たくないのも存在している。思う事は色々あれ、やはり千夜ちゃんには何時も優しいお姉さんとして、心に余裕をもって居て欲しいと言うのが私の願いなのである。

幼なじみの本音

 次の相談相手は千夜ちゃんの幼なじみであり、理世ちゃんにとっては高校時代の直属の後輩でもある紗路ちゃんであるが、彼女は最初からいきなり「先輩は私が街を出ると言っても驚かないんですね」と、ある種理世ちゃんを試す様な発言をしている。これは紗路ちゃんが人の反応や動向に対して気にしい*4な所がある為で、裏を返すと紗路ちゃん自身も街を出る事に対して気になる事項があるのを意味している。これに対し理世ちゃんは確かに少し驚いたが、紗路ちゃんらしいと思った事と、旅行から帰ってきた後の切り替わった紗路ちゃんを見ればある意味納得のいく決断だったと答えており、これには紗路ちゃんも思わず返す言葉が無かった様で、先輩には敵わないと答えている。

 その後紗路ちゃんは理世ちゃんに対して町の外の大学に行こうと思い立った理由として「その方が将来千夜ちゃんの仕事をサポートできるのではないのか」と述べている。ただ、その事を千夜ちゃんには言わず、理世ちゃんにも秘密にする様に頼んだのには、本人曰く「言ったらつけ上がるに決まっているから」らしいが、本当の理由として恐らくだが「この事を千夜ちゃんに言えば、千夜ちゃんは絶対私に無理にでも合わせようとすると考えたから」*5だと思われ、紗路ちゃんにしても彼女なりに千夜ちゃんの事を想って街の外の大学に行く事を決意した事が良く分かる場面になっている。尚、紗路ちゃんは理世ちゃんに対して終始緊張気味で、それをして理世ちゃんから「もっと心を開いてほしい」と言われてもいるが、紗路ちゃんにとって理世ちゃんは「尊敬する先輩であり、憧れの対象でもある」為、多少よそよそしくなってしまうのは仕方ないとも言える。ただ、理世ちゃんはそんな紗路ちゃんの複雑な心境がどうやっても理解できなかった様で、紗路ちゃんに対して直接「分からん」と言っている。この違いは理世ちゃんがサバサバしているのも大きいのかも知れない。

 私はこの一連の場面を見て、紗路ちゃんはやっぱり千夜ちゃんに負けず劣らず「人(幼なじみ)想い」で、その幼なじみの為に自分は何ができるかを自分なりに考えた結論が、今月号の衝撃発言の一つでもある「都会の国立大学を目指す事」だったと理解した。尤も、例えこの様な真実に触れていなかったとしても、紗路ちゃんの事だから何か絶対に深い訳があるとは何となくでも察しが付いたのだろうのだが、何れにしてもあの様な衝撃発言の後だった為、明かされた真実が余計に印象的だった。

 また、紗路ちゃんが何故都会の国立大学に行こうと思い立ったのか。その理由を事細やかに千夜ちゃんには言わないのも、表向きには「つけ上がるに決まっているから」と、余計なお節介をされるのを避けようとしている理由にしているが、本当は千夜ちゃんに正直に告げると、彼女が「自分の事をそっちのけにしてまでも私に合わせようとする」と紗路ちゃんが考えたのが大きいと私は感じている。理由としては、千夜ちゃんは世話焼きでどこまでも人想いな女の子であり、それ自体は彼女の利点なのだが、時に彼女は自分の事よりも他人の事を優先し過ぎてしまう傾向にあり、それを幼なじみ故に良く知っている紗路ちゃんは、千夜ちゃんの事を想って敢えて真意を告げないと決めたと私自身考え付いた為であり、ごちうさを深く知りゆく中で「千夜シャロという幼なじみが、お互いを想い合う深い絆と尊重がある事」を思えば、この様な考えに行き着くまでそう時間は掛からなかった。無論、これらは私の推察なのだが、千夜シャロの確かな絆と信頼を鑑みるならば、自ずと答えは見えてくると考えている。

 尚、紗路ちゃんが理世ちゃんに対して終始緊張気味だった事と、それをして理世ちゃんから紗路ちゃんに「もっと心を開いてほしい」と発言した事についてだが、これは紗路ちゃんからして理世ちゃんは「尊敬する先輩であり、憧れの人」である為に、どれ程親しい関係であっても紗路ちゃんの性格上多少なりとも気を遣ってしまう事と、2人だけで空間を共有する事にどうしても緊張してしまう事が大きいと考えている。その為、紗路ちゃんは理世ちゃんに対して心を開いていない訳では無く、寧ろ普通に開いているのだが、そんなデリケートな事を怖気づく事無く本人に直接聞くとは、理世ちゃんは度胸があると言うのか勘が鈍いと言うのか。何れにしても、紗路ちゃんの雰囲気の変化に鋭く勘付いていた理世ちゃんが、紗路ちゃんの人間関係に対する心境や照れに関しては割と鈍いと言うのも少し意外である。

聞きそびれた本音

 最後の相談相手はごちうさの中心人物であり、ラビットハウスに下宿している女の子である心愛ちゃんだが、長くお風呂に入り続けていた事が原因となって理世ちゃんがのぼせてしまい、まともにやり取りができないままに終了してしまう事になってしまう。因みにその後理世ちゃんは同級生組3人に団扇で扇がれて涼まされているので直ぐに立ち直っている。

 その為、心愛ちゃんの本音は中途に終わる事になるのだが、その本音はかなり意味深なもので、これは今月号の最終局面で大きなカギを握る事になる。そのポイントは、後から思えば彼女が言った「シャロちゃんに先越されたから言いにくかったんだよね」に隠されていたのだろう。

高校生組のやり取り

 この項目は理世ちゃんとの進路相談を終えた後の高校生組のやり取りを文字通り書き出している。内容としてはそれまで比較的シリアスな内容が多かった中で、ここでは真面目な内容ながらもごちうさらしい雰囲気で、元来の高校生組4人のやり取りを見る事ができる様になっている。また、ここでは先月号と今月号がリンクしている場面や、今月号の内容の山場が描かれており、それ故にここまでの答え合わせと言える重要な局面にもなっている。 

同級生組3人の優しさ

 千夜ちゃん、紗路ちゃん、心愛ちゃんの進路相談と称して、それぞれの心の負担を軽くしようと奮起したためにのぼせてしまった理世ちゃんは、その後その3人に助けられて元に戻るのだが、その際に理世ちゃんはちゃんと相談に乗れなかった事で「教師志望失格」とまで称する程に悔いていた。何と言うか、いくら何でも極端すぎる様にも思えるが、理世ちゃんは生真面目で自分に厳しい人なので、この様に考えるのも無理はないのだろう。しかしながら、それでも3人は理世ちゃんに対する感謝の想いを各々の言葉で伝えており、その想いに対して理世ちゃんは助けられた事と、皆が明るくなってくれた事に対する喜びの感情として、目に嬉し涙を浮かべながら笑顔を見せていた。皆の年上である理世ちゃんだが、やはり皆の優しさには救われているのである。

 その後、心愛ちゃんは智乃ちゃんに電話をすると言って電話をかけているのだが、この場面、心愛ちゃんの台詞を見るに先月号に描写されていた、智乃ちゃんと心愛ちゃん2人の電話でのやり取りを心愛ちゃん側からの視点で描いているものとみて間違いないと思われ、心愛ちゃんの心境について探る事ができる場面になっている。尚、心愛ちゃんとしては智乃ちゃんの事を「私がいなくて寂しくても強がるのだろう」と考えていた様で、先月号の様な成長した智乃ちゃんの話を聞いて圧倒されていた。普通に考えれば微笑ましいと言えるのだろうが、なんだか気にはなる場面でもある。そして、その気になる予感は後々思わぬ形で的中する事になる。

想いの交差

 衝撃発言に多少なりとも揺れ動いていた千夜シャロだが、就寝体制に入った時に紗路ちゃんは千夜ちゃんに対して起きている事を確認した上で、あの様な進路にした理由こそ伏せた*6と言え、進路の事で動揺させてしまった事をはっきり自分の言葉で謝ったのである。この言葉に対し千夜ちゃんは柔和な表情で受け容れ、その上で紗路ちゃんの事を応援し、信頼する事を告げている。やはり千夜ちゃんは幼なじみ想いの優しい人なのである。但し、他方で「でも落ちたら甘兎の従業員になっていいのよ?」と、紗路ちゃんを嗾(けしか)ける様な発言もしており、これに対し紗路ちゃんは思わず布団から身を起こすまでに怒りを露わにし「絶対受かってやるから余計な気遣いは要らない」と言う趣旨を千夜ちゃんに言い放つ。傍から見れば結構な言い争いの様にも感じるが、これも本来の千夜シャロの姿の一つなのであり、事実そんなやり取りを隣で寝ていたが故に聞いていたココリゼにして、心愛ちゃんが「いつもの二人に戻ってよかったね~」と言わしめている事からも見てとれる。

 因みにそんなココリゼに勘付いた千夜ちゃんは、目を光らせながら夜更かしの提案をしており、これには紗路ちゃんとの友好の証に言い合いをした事が要因となり、言い合いをする内に目が覚めてしまった事でその様な提案をしたと考えられる。そんな提案に対して心愛ちゃんは乗り気だったが、リゼシャロは「早く寝ろ」と一蹴している。尤も、興奮状態に陥ればそんな簡単に寝られるとは思えないのだが……。

 この一面の場面に対して私としては、端的に言えば「千夜シャロはやはり千夜シャロだった」と言う印象を強く抱いた。やはり千夜シャロにとって激動の連続だった今月号において、千夜シャロがお互いに気持ちを確かめ信頼し合った後に何時もの千夜シャロのノリが見られたのは、私にとっても安堵ものだったのである。因みに千夜シャロの何時ものノリの中で私が特に印象的だったのは、千夜ちゃんが紗路ちゃんに対して言い放った「でも落ちたら甘兎の従業員になっていいのよ?」であり、千夜ちゃんの揶揄い好きな一面が遺憾なく発揮されていた事が特に印象に残った理由だった。ただ、それを言われて思わずブチ切れた反応を見せた紗路ちゃんは中々に鬼気迫るものであった為、その意味でも印象に残ったのかも知れない。しかしながら、千夜ちゃんが紗路ちゃんに対して、言ってしまえば失礼極まりない物言いをしたのも、その方がある意味紗路ちゃんが俄然やる気になると分かって敢えてやったとも感じ取れるので、その様に思えるのも千夜シャロの凄さなのかも知れない。尤も、それならば何を言っても許されるとはならないのは当然だが……。

再訪の衝撃

 ここまでは高校生組4人による甘兎庵の勉強会が描かれていたが、今月号の終盤8コマはそんな勉強会も無事に終わり、ラビットハウスに帰宅した心愛ちゃんと、同じくラビットハウスにおけるお泊り会を無事に終えた智乃ちゃんとのやり取りが中心的になっている。その為、普通に考えれば「お互い過ごした中で得られた経験や糧を話し合う」様なほっこりした光景が思い浮かべられるだろうし、実際にそんな風に思える描写も存在している。

 しかし、最後の最後で待ち受けていた事実は、今月号に出てきたどんな衝撃や、今までごちうさで存在していた衝撃的な描写と比べてみても尚、勝るのではないかと考える程に衝撃的な内容だった……。因みにこの様な描写を最後の最後に持ってくるのは他ジャンルではさほど珍しくないが、日常系たるごちうさにしてはかなり異例の事だと思う。

衝撃の宣告

 今月号の最終局面たる8コマの流れとしてはココチノがそれぞれのお泊り会*7についてそれぞれ語り合うもので、最初は心愛ちゃんと智乃ちゃんがそれぞれ今回のお泊り会であった事をチェス*8をしながら話し合うのが描写されており、ココチノのみならず、先月号と今月号を購読した読者にとっても思い入れある内容となっている。尚、ここでの智乃ちゃんは普段とは全く異なる饒舌(じょうぜつ)ぶりであり、その事を心愛ちゃんに指摘されると思わず赤面していたが、それだけ心愛ちゃんに対して話したい事があった事が認識できる様にもなっている上、ココチノが今や本物の姉妹の様にお互いを想い合い、大切にしたいと心から思っている事がはっきり分かる様にもなっている。その為、ここまでだけを見るなら完全に何時ものごちうさであり、とても目を疑うような衝撃展開が待っている様には思えない。だが、衝撃の事実と言うのは、何時だって思わぬ所からやってくるものなのである……。

 一連のやり取りが一段落した頃、心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「私がいなくても問題なかったか~」という何気ない言葉を掛けたのである。これに対して智乃ちゃんは自信たっぷりに「当然です!」と答えており、智乃ちゃんが1人で何でも出来る様に成長できた事を窺わせる内容になっている。だが、そんな智乃ちゃんの言葉に「そうだよね」と言いながら安心した心愛ちゃんが次に言葉は、予想だにしなかった衝撃的な内容だった。何故なら、何時もの様に晴れ晴れとしたにこやかな表情をしていた心愛ちゃんがかけた言葉は「じゃあ安心してこの街を離れられるよ!」と言う、一瞬我が目を疑う言葉だったからであり、これに対して智乃ちゃんは当然ながら戸惑いの言葉しか出てこず、その直後に心愛ちゃんの言葉に何か思う事を察した様に見えるティッピーと、智乃ちゃん相手にチェックメイト*9をする事ができて、智乃ちゃんにチェス勝負で勝つ事ができるまでに実力が上がった事に対する喜びと、明日からも頑張ろうと決意を露わにした心愛ちゃんの描写をもって、今月号は締められている。

錯綜と冷静の狭間

 この今月号における最後にして最大の衝撃とも言って良い内容を初めて読んだ時、私はあっけにとられた訳でも無く、悲しみに打ちひしがれた訳でも無く、正直自分自身この様な衝撃的な内容に触れてどう思ったのか、はっきり言って自分でも良く分からなかった。恐らくは幾多の衝撃を連続で受け続けた事によって、最早感覚が麻痺していたのだろうし、或いは突然告げられた衝撃の事実に体が思わず拒否反応を示していたのかも知れないし、はたまた自分自身を騙してでも「私の中では想定内」だと思い込みたかった結果なのかも知れないが、何れにしても今月号にあった数々の衝撃に打ちのめされてきた私の感情は、最後にして最大ともいえる衝撃に対する考えを整合する気力も、自分はどう思ったのか考えを張り巡らす想いも、抑々この衝撃的な内容をシンプルに受け止める力すら削られていたと言える。

 その様にして、既にあらゆる感情を削られていた私は結局「心愛ちゃんはそういう考えを持っていたのか。」と、ある意味一周回った形でしか受け容れる事が出来なかった。と言うか、あの時私は何を思ったのか、その記憶が初めて今月号のごちうさを読んでから全然経っていないと言うのに、もう殆ど思い出せない。その為、上記の括弧書きの内容とて最早「断片の中の一かけら」とも言うべき記憶の内容でしかなく、全貌は最早自分自身にも分からなくなってしまっている。どれ程記憶を手繰り(たぐり)寄せようとしても、もう戻る事は無いだろう……。

 だが、時が経てば少しずつ冷静な感情は戻ってくるものであり、それに伴い、初めて読んだ時はまともに受け止める事すらままならなかった心愛ちゃんの大きな決断も、こと冷静にしっかり受け止める事ができる様になった。そして、冷静になって考えてみれば、心愛ちゃんが街を出ていく決断をする事が、何も突飛な話でも何でもないと気付くのに時間は掛からなかった。

 抑々心愛ちゃんは元来の木組みの街の住人では無く、高校進学を機にラビットハウスもとい香風家に下宿している身である。つまり高校を卒業してしまえば、現実問題として今の様な事情や立場でラビットハウスに下宿する意義がなくなる事実が存在する訳であり、それを機に彼女がラビットハウスを出て木組みの街で一人暮らしを始める事や、或いは木組みの街自体を去りゆく事だって、冷静に考えてみればあり得る話である。勿論、木組みの街にある大学に通う等してラビットハウスに継続して下宿する理由を作ると言う方法も無くは無いのだろうが、心愛ちゃん自身はあくまで自分の夢の為にも木組みの街を出る選択も視野に入れているという事なのだろう。

 また、心愛ちゃんは以前にも自分の夢や将来やりたい事*10の為に将来的には木組みの街の外に身を置く意思を度々見せた事があり、特に旅行編における心愛ちゃんの「パン作りの為にこの街(都会)に残る」と言う趣旨の発言は印象的である。尤も、何れも友達(特に智乃ちゃん)から本気で止められている*11為、今まで心愛ちゃんは木組みの街から離れていなかったが、それ故に自分が高校卒業と言う節目時に改めて街を離れる選択を取って置く決断をした可能性も十分あり得る話であり、同時に心愛ちゃんが木組みの街から離れる理由の裏付けにもなる。

 尚、心愛ちゃんのこの様な決断に対して、香風家の一人娘にして、心愛ちゃんによってかけがえのない経験や財産を授かり、大きく成長を遂げた智乃ちゃんは、これまでは時に怒りを露わにするまでに心愛ちゃんを窘める*12事もあった*13が、今回は今までとは異なり、あまりの衝撃発言に只々言葉が出てこない様子であったのがとても印象的だった。普段何かと心愛ちゃんに対してお灸を据える様な態度を示す事も少なくない智乃ちゃんだが、本心では心愛ちゃんを大切な存在として捉えているのが良く分かる内容だと言え、彼女のあっけにとられたような反応と同時に描かれていたティッピーに関しても、心愛ちゃんに対しては特別な想いを抱いていた事は、想像に難くない内容だと感じ取っている。

 つまりこの衝撃発言から分かる事を大きくまとめると、心愛ちゃんが自分の夢の為になら将来木組みの街をも離れる覚悟を持っている事と、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんは最早かけがえのない存在にまでなった事であり、この2つは恐らく間違いない事だと思われる。しかしながら、今月号だけでは智乃ちゃんが「将来木組みの街を離れようと検討している心愛ちゃんの事をどう思ったのか」が殆ど分からない為、個人的にはこの事も今月号を読んでもどかしい思いに駆られる理由の一つになっているのは間違いないと考えている。

これからの想い

 この様に今月号最後にして最大の衝撃描写に対して何とも言えない状態になってしまった私だったが、内に秘める想い自体は初めて今月号を読んだ時から今に至るまで一貫しており、それは「これから何があってもごちうさを読み進める事を決してやめない」という事である。

 抑々私はごちうさに対して紆余曲折した想いの変遷があり、本格的に知ったのが今から約3年前にも関わらず、今までもごちうさを読み進める事に苦悩を覚えた事は正直2年前の2019年に発売されたOVAのSing For You(SFY)の頃から度々あった。僅か1年でごちうさから目を逸らしたくなる程の苦悩を抱え、事実原作もアニメも恐怖感から全く視聴できなくなってしまった時期もあった(現在は平気である)が、その間に実はごちうさの二次創作小説を書いたり、ごちうさの絵を模写したりする事にチャレンジしており、現在はどちらも鳴りを潜めているとはいえ、この2つのお陰でごちうさを好きでいる気持ちは変わらず持ち続けていられた。もしこの2つ共やっていなければ、今ほど深い想いを持つ事は出来なかったかも知れない。

 それから2020年になり、ブログで考察や想いを書き出す様になってから大きく変わっていき、この年の8月に単行本勢からきらま勢になってからその変化は決定的なものとなった。ごちうさを読み進める事に対して迷いがなくなり、苦悩や恐怖を乗り越え更なる境地へと邁進(まいしん)できたからだ。そして、そんな自分自身の変化のさなかにアニメ3期が始まり、素直な気持ちで3期を堪能する事ができた事で、自分の中でごちうさを見守りたい、見届けたいと言う想いがより一層強くなり、それはアニメ3期初回放送から1年近く経った現在に至るまで一貫して続いている。

 この様な経緯故に、ごちうさに対する想いは私の数多くの趣味の中でも特に強く、そこから上記の太字鍵括弧の様な強い拘りを持つまでに至った為、今月号の内容にどれ程揺り動かされようとも、どれ程受け容れたくない様な運命や現実が待ち望んでいようとも、心に深く根付いた想いが変わり切ってしまう事は基本的にあり得ないと言える。勿論、これらは決して楽な事では無いのだが、最早今に始まった事でない事実が私を突き動かす。また、今更引き返そうにも、深淵たる世界に足を踏み入れた以上、もう戻る事は出来ないと考えているし、その事実にもめげない覚悟を持っている事も後押しする上、そして何より今の私が意識している「着飾らない想いを書き出す事」を実行するなら、その時の自分が思った事を極力ありのままに書き出すのが一番良いと考えているのが大きい。

 その為、今月号にあった幾多の衝撃事実・発言に対しても、初めて見た時にこそショックはショックだったものの、それでも進路と言う誰しもが経験する大きなターニングポイントに対して同級生組3人が真剣に検討した上での意思表明だと思えば、不思議とショックも和らいでいき、次第に彼女達が選んだ決断をしっかりこの目で確かめたい、見届けたいと言う想いが強くなった。尤も、その背景には私自身「新たな描写を受け容れられずに目を逸らしても描かれている事実は変わらない」と言う中々に厳しい考えを持っている事も大きいのだが、何れにしても私の中でのごちうさを最後まで読み続ける意思」は堅牢なのである。

3.あとがき

 以上がきらま2021年11月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は先月号のラビットハウスにおけるお泊り会の続きとも言える回である為、先月号が「ラビハ組とブラバ組の親交を深める回」だった様に、今月号は「高校生組4人の友情を改めて確かめあう回」テイストに共通点があると認識している。しかしながら、ごちうさの根幹たる友情を改めて再認識するテイストは共通している一方で、全体的に「高校1年生組の新たな友情の結束」がテイストとして強かった先月号とはうって変わって、今月号は「嘗ての高校生組4人が進路問題に多少なりとも揺れ動く」と言うはっきりとした違いもあり、総合的には先月号との対比も含めて非常に印象深い回だと考えている。

 今月号は何と言っても紗路ちゃんと心愛ちゃんの2人に関して「将来木組みの街を離れる進路を考えている事が明かされた」のが衝撃的且つ印象深い内容であり、しかも紗路ちゃんに関しては今月号である程度展開が描かれていた為、今後の予測がある程度立て易くなっているが、心愛ちゃんに関しては最後の最後に唐突に明かされた為、今月号だけでは今後の展開が予想し辛くなっているのも見逃せない点だと考えている。私としてもこの衝撃的な内容に対して色々と考えを張り巡らせたものだが、実の所きらまタイムで紗路ちゃんのだけを知った時は「今までに無く壮絶な内容になる」とすら予想し、そして覚悟していた為、今回書き出した内容以上に重い考えを張り巡らせてもいた。だが、いざ本編を読んでみると、簡単には受け止められる内容では無かった上、あまりの衝撃に平静さを失くしてしまっていた時もあったとは言え、それでもまだ耐えられる内容ではあった*14為、重い考えの大半は書き出す事を止めたのだが、もしその時の予想が100%的中していたらと思うと、私は自分自身が怖くもある。

 だが、ここで迷っても仕方が無い。何故なら衝撃的な事実が明かされたとはいえ、ごちうさにはまだまだ謎が多く残されているからだ。例として今月号最大の衝撃たる「心愛ちゃんが何故木組みの街を離れるのか」や、よくよく考えてみれば連載開始から10年という歳月の中で、これまで全くと言っていい程明かされていない「理世ちゃんの母親の事」*15もそうだし、旅行編でチラッと仄めかされたとは言え、殆ど素性が分からない「千夜ちゃんと紗路ちゃんの父親」について等々、枚挙に暇がない。一応紗路ちゃんの父親は、紗路ちゃんの母親と同じく陶器職人らしく、千夜ちゃんの父親は、千夜ちゃんの祖母と同じ和菓子職人だと言及されているが、これはこれで私としては千夜ちゃんが言うお婆ちゃんとは、千夜ちゃんの父親が和菓子職人である事から、千夜ちゃんにとっては「父方の祖父」になるのだろうかとなるし、地味な事だとは言え、ごちうさの登場人物の父親は「何故そこまで喫茶店と縁深いのか」*16ともなる。この様に私にはまだ多くの謎が残されている以上、ここで挫けて立ち止まっている場合では無い事も大きな強みとなり、苦節あれども今までごちうさ好きとしてここまで走って来られているし、これからも走り続けようと思える原動力にもなっている。

 最後に、これからのごちうさがどうなるのか私には最早分からないが、これからもごちうさ好きとして出来る限り最新話を追い続けたいと考えている事は書いておきたい。これには色々な想いがあるのだが、大きな要因として2021年8月26日に発売された完全版たるComplete Blend1巻と、同年9月27日に発売されたComplete Blend2巻を、一時期原作・アニメ共に恐怖意識故に全く見られなくなってしまったのが嘘の様にのめり込んだのがあり、結局1巻・2巻共に読み終えるのに3時間弱程度掛かってしまった程。色々あるとは言っても、やはりごちうさ好きとしての私の想いは変わらないのである。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙41枚分であり、これは現時点で過去5番目の文量である。先月号の感想・考察記事と比べても字数にして3000字以上増えており、枚数にして9枚分も増えている辺り、如何に今月号で混沌とした気持ちになっていたのか、客観的に見ても良く分かる。

因みに上位10位をランキング付けすると下記の通り。

1位 400字詰め原稿用紙 59枚分

2位   以下同文     51枚分(文量が上)

3位            51枚分

4位            42枚分

5位            41枚分(今回の記事)

6位            39枚分

7位            38枚分

8位            35枚分

9位            34枚分

10位          32枚分

*1:それでも嘗てに比べれば幾分マシだった。

*2:ただ、本当は友達(特に紗路ちゃん)からも見透かされている事も少なくない。

*3:但し、理世ちゃんは早生まれ(2月14日が誕生日)な為、厳密に言えば一学年上の方が適切。

*4:何かと気にし過ぎる事。

*5:実際に千夜ちゃんは、先の様に紗路ちゃんが都会の国立大学に行きたいと思った理由や経緯を話す前から紗路ちゃんと同じ進路に進みたいと言い出している事も裏付けとなる。

*6:これは前述の通り、彼女自身が持つ強い想い故の敢えての行動である。

*7:厳密に言えば高校生組4人は勉強会だが、広義で言えばお泊り会でも間違いではない。

*8:智乃ちゃんの趣味の一つであり、実力は大人顔負けの腕前。また、元々チェスに馴染みが無かった心愛ちゃんも智乃ちゃんに触発されて、徐々に腕前を上げてきている。因みに智乃ちゃんの親友である冬優ちゃんもチェスがとても強く、腕前は智乃ちゃんと互角。

*9:所謂詰み{相手のチェック(将棋で言う王手)をどうやっても回避不能な状態}であり、こうなるとそれ以上ゲームを継続する事が不可能になる為、即対局終了(チェックを宣言した方の勝ち)となる。

*10:実家がパン屋さんであるが故にパン作りの修行や、兄妹が弁護士や憧れの存在であるが故にその兄妹に近づく為に努力する等々。

*11:抑々心愛ちゃんはまだ高校生在学中である為、余程の理由が無ければ実行しない方が良いとも言える(学業に影響が避けられない為)。ただ、友達が引き止める理由はシンプルに「大切な友達だから離れて欲しくない」と言う想いが強いが故だとも考えている。

*12:たしなめる。軽く叱ること。

*13:これは智乃ちゃんにとってそれだけ心愛ちゃんが大切な存在である事の裏返しでもある。

*14:とは言え心愛ちゃんが木組みの街を離れると言い出した時に動揺はあった。あくまで受け入れられない程のショックには至らなかったと言うだけである。

*15:因みに初期組5人の中で、両親の事が全くといい程明かされていないのは理世ちゃんの母親のみ。

*16:智乃ちゃんの父親のタカヒロさんはラビットハウスのバータイムのマスター、千夜ちゃんの父親は和菓子職人、神沙姉妹の父親は喫茶店ブライトバニーの社長である事から。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」4章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部4章を完走したので、その中で抱いた感想と考察について書きたいと思います。この第2部に関しては、私の中では続きを読むのが楽しみな反面、少し怖くもあると言う程に特別な立ち位置を持ったシナリオになっているのですが、それ故にしっかりとした想いを抱けると考えているので、今回もシナリオを読み進めて考えた事を素直に書き出したいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオ第2部のネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。しかし、その道中壮絶な運命に翻弄される事の連続だった……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、一筋縄ではいかないストーリー展開も多い上、第2部の敵対組織であり、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界*1を正す為に活動し、ひいては禁呪魔法「リアライフ」を用いて全ての聖典とその世界を破滅させようと目論む「リアリスト」にしても、蠢く深き闇や壮絶な過去を思わせる展開が多く、特に4章ではそれが顕著に表れている。その為、きららファンタジア全体だけでなく、メインシナリオ第2部に絞っても特に重いシナリオが特徴的なのだが、その分ストーリー展開は先がどうなるのかどきどきしながらものめり込む様に楽しむ事ができる様になっており、また重いシナリオだけでなく、感動するシナリオも多く含まれており、総じて言えば今回も非常に読み応えのあるシナリオだと感じ取っている。

 今回はそんな読み応えのあるシナリオを、新キャラであるスズランとロベリアを中心とした観点と、最後にして以前から気になっていたハイプリス様の右腕たるサンストーンときららの関係性を中心とした観点の大きく2つを中心に、4章を読んで私が思った事を書き出したいと思う。

2.第2部4章の感想・考察

4章とは

 4章は2章と同様にリアライフによって呼び出されたクリエメイトが登場せず、オリジナルキャラクターによるストーリー展開となっている。また、この章では七賢者が1人であるカルダモンが登場しており、4章の重要人物となっている。そして、何故クリエメイトが登場する章と、登場しない章があるのか。それを解読するための足掛かりも存在しているのが4章の特徴だと推察している。

 この章はこれまでと比べても特に壮絶な章であり、いわれも無い様な噂によってきらら達が物理的に引き放され、うつつちゃんが今までにない程の絶望に苛まれるのを筆頭に、物語の中程までは身構えずに読むと思わずショックを受けるまでの描写が多く存在している。しかし、それ以降は再びきらら達が物理的に集まり、より絆を深める様子を窺う事ができる事を筆頭に、うつつちゃんの事を七賢者やアルシーヴ様、ひいては女神ソラ様全員が信じている事を記した手紙を読み上げる場面や、それ等を受け止めたうつつちゃんが新たな決意を胸に秘める等、心動かされる場面も多い。尤も、終盤はまた壮絶なテイストが復活するが、序盤と違うのは数多くの謎が少し明らかになった事と、また新たな深き謎が生み出された事である。

 また、この4章においてはリアリストが何故聖典とその世界の破壊を目論んでいるのか、その事を理解・考察する故で重要な事が明かされた章でもあり、総合的に見ればメインシナリオ第2部を解くに当たって重要な章である事は間違いない。ただ、何度も読み込むには強い意思がいるまでに過酷なストーリーである事もまた、間違いない真実だと思うのだが……。

4章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部における重要人物である住良木(すめらぎ)うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「住良木うつつ」という自身の名前と「16歳の女子高生」と言う自身の年齢・属性以外の記憶を失っている。その為、自らが何者なのかを周りの人も彼女自身も良く分からず、多くが謎に包まれている。性格は極度のネガティブ思考故に根暗だが、きらら達と一緒に旅をする事で、言動こそ変わらないと言えど、前向きな事を提案したり、挫けそうな時にも励ます事も忘れなかったりと、彼女自身も確実に変化している。また、いざという時に折れ切らない芯の強さも併せ持っており、教養も時に実年齢以上のものを感じさせる程。更に、彼女はリアリストの人間では無いが、ウツカイが使う文字を解読する特殊能力持ちであり、他にも特定条件下でリアリスト幹部の会話を聞き出せたり、リアリストの面々ですらあらゆる手段をもってしても呼び出せない強力且つ特別なウツカイを己自身の力で呼び出せてしまったり(但し、この能力はロベリアの分析である為、うつつちゃん自身に自覚は全く無く、きらら達もこの能力は知らない。)と、潜在的なポテンシャルの高さが恐ろしいまでに優れている人でもある。

 4章においては、序盤においてはネガティブ思考こそ変わらないものの、きらら達の旅路に同行する事で楽しみを見いだしている様子を覗わせている。うつつちゃんもきらら達の事を信頼している事の証左であり、この信頼と言うのは後のうつつちゃんを大きく左右する事にもなる。

 しかし、4章において彼女は窮地に瀕する事になる。水路の街においてうつつちゃんは何故か「ウツカイを呼び出す張本人」扱いされ、どこに行っても全く相手にしてもらえない。後から分かる事だが、これはリアリストが仕組んだ悪辣極まりない罠であり、本人は「これこそ住良木うつつ絶望計画」だと考えている。そして、リアリストの罠により、うつつちゃんは孤独に追いやられ、自分は一体どうするべきなのか苦悩する事になってしまうのだが、その際になんとリアリストですら召喚出来ない強力かつ特別なウツカイを絶望のクリエも無しに召喚すると言う、ロベリアも驚愕の技を成し得てしまう。尤も、その事をうつつちゃん自身は知る由も無かったのだが、うつつちゃんは一体何者なのか……。

 そして、その後なんとかきらら達と再会し、きらら達はうつつの事を信じているとハッキリ告げたが、うつつちゃんはそれでも再び同行する事を渋っていた。ただ、その理由としてうつつちゃんとてきらら達の事が嫌な訳では無く、寧ろきらら達の事は好きなのだが、うつつちゃん自身が水路の街で疎まれている現状を鑑みて、きらら達にも迷惑をかける事になるかも知れないと、彼女なりに気にしていたのがあった。そんなうつつちゃんに対して、七賢者が1人カルダモンは「アルシーヴ様からの手紙」と称して、うつつちゃんに手紙を渡したのだが、その手紙には「うつつを信じる」と記されてあった。また、そこには「女神ソラ様や七賢者*2もうつつを信じているから負けるな」とも記されており、それを読んだうつつちゃんは自分の事を信じている人がいる事を知って思わず泣いてしまっていたが、同時にきらら達と再び旅をする事を決断し、新たに決意を大きく固める事にも成功している。

 決意を秘めてからと言うもの、以前より人の心配をする様子が多く見受けられており、本人は恥ずかしさから何かと理由を付けて誤魔化そうとしているが、うつつちゃんも確実に変化・成長しているのである。また、陰湿な手口ばかり使うリアリストに対して、遂に我慢の限界を超え、珍しく怒りを滲(にじ)ませる場面も存在しており、うつつちゃんが以前より人に対して感情を抱く様になったのもポイントだと思う。尤も、うつつちゃん自身の根っこは変わっていないのだが、それも味だときらら達からは評価されており、絶対的な個性と認知されている。

 また、最後の場面においては、衝撃的な展開続きに参り気味だったきらら達を励ます役目も果たしており、この事から全体的に自分は一体どうするべきなのか、その事を悩み、受け入れそして成長して、自分なりに前に進んでいく姿が、4章におけるうつつちゃんの特徴と言える。

スズランとロベリアについて

 「魔手(ましゅ)」の名を持つのがスズランであり、一人称は「オレ」。また、「妙手(みょうしゅ)」の名を持つのがロベリアであり、一人称は「私」。言ってみるならスズランが実行役、ロベリアが軍師(策士)なのだが、連携意識こそ持っているものの仲はお世辞にも良いとは言えず、ロベリアは「根暗」だとバカにするスズランを快く思っていない上、お互いに価値観が全く違うと言うのに、その擦り合わせも碌にしようとしない。性格は2人共にリアリストの例に漏れずかなりの曲者であり、所々に傲岸不遜*3な面が目立っている。

 スズランは「生きるのに必要なのは金」と言うまでに金に目がなく、それ故にあらゆる行動原理が報酬を得る為となっており、ロベリアからは「強突く張り」*4と称されている。リアリストに所属しているのも「キラキラなアクセサリーをリアリストの活動の見返りに沢山入手するため」と、他のリアリストと比べて思想や行動原理が明らかに異なっている。それ故に他のリアリストに比べれば、根本的な思想は変わらないと雖も(いえども)まだマシな部類であるが、金以外のものや概念(無性の愛や感謝の気持ち等)に対して全くと言っていい程慈しみを持ち合わせていない為、結局は五十歩百歩である。また、言うならば「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」*5を地で行く様な人である為、リアリストに金の魅力が無くなればリアリストをも離反する可能性も否定はできない。だからと言って、たとえリアリストにいる意義をスズランの中で失ったとしても、きらら達に寝返るとは到底思えないが。

 また、頭の回転が速いが故に物事の呑み込みも早く、戦闘能力及び魔力もリアリストの中でも高い実力持ちで、それでいて冷静な判断能力もきちんと持ち合わせている事から、策士且つ陰湿なロベリアさえもその部分は一目置いている。ただ、前述の通り目的の為に見返りをしつこく要求する程の金至上主義な所と、やや短絡的な所があるのが欠点。因みに冷静な判断能力があるという事は、力ある者を認める事にも繋がっており、最終的にきらら達を強敵だと認めている。

 尚、スズランが金に執着する理由としては「金は裏切らない」という本人の信念があるからであり、これは「人や聖典よりも、ものを信じている」という事を意味するのだが、それがよりによって人が価値を付けたものである「金」と言うのは何なのだろうか……。もっと言うなら、作中を見る限り「金」と言うより「宝石」に目が無いようにも見える。因みに金以外のものに対しては絆のみならず、地位や名誉、手柄をあげる事にも興味が無い様子で、地位を渇望しているロベリアとは正反対である。

 一方、ロベリアは陰湿且つ根暗な性格で、目的の為なら人を騙す事も罠に嵌める事も平然と行い、他人の不幸を呪詛(じゅそ)を唱えながら望んだり、他人の不幸は蜜の味と言わんばかりに他人の不幸を喜んだりする等、リアリストの中でも特に陰険さと負のオーラに満ちた人である。その為、リアリストのメンバーである「エニシダ」からは「根暗女」と疎まれている。また、前述した様に根暗だと周りからは評されている*6が、本人は否定している。ただ、客観的に見て「呪ってやる」が口癖な人を見て、根暗なのを否定するのは難しいと思うのだが……。

 スズランと異なり「金」には興味がなく、代わりにハイプリス様に対して強い羨望意識と信仰意識があり、ゆくゆくはハイプリス様の右腕になる事を目論んでいる。その為、現在右腕の座に就いているサンストーンの事を目の敵にしており、何とか手柄を挙げて右腕の座を奪おうと企んでいる。また、地味に嫌な不幸や、不吉を暗示させる様な呪詛を並べたてる事も多いのも特徴的であるが、どれもみみっちいものばかりで、陰湿とは雖も、どことなく愛嬌を感じなくもなく、どこか憎めない性質を醸し出している。とは言え実力は「妙手」と呼ばれるだけあって中々のもので、特に策力に関してはハイプリス様にして「失う程惜しい事は無い」とまで称している程。

 最終的にはどちらかと言えば直接戦闘よりも策を講じるのを得意としている彼女もきらら達と直接対決を繰り広げる。尚、倒されると「人を呪わば穴二つってわけ……?」という台詞を言う事があるのだが、これは「人を呪う者は、自らもその呪いを受ける覚悟をしなければならない。」と言う意味を持つ戒めの諺であり、この様な台詞がある理由としてロベリアは「呪ってやる」が口癖な程、事ある毎に人に対して呪詛を唱えているためだと考えられ、彼女自身も呪詛を唱える事の恐ろしさは自覚している事が窺える。

 水路の街においては、スズランはロベリアの立てた策略の実行役として、ロベリアからの見返りの報酬を条件にきらら達に立ちはだかり、ロベリアは影からあらゆる策略を練り、その策略を円滑に遂行させるための策士(軍師)としてきらら達に立ちはだかる。その為、実質的には2人一組での活動なのだが、表立って活動するのがスズランだけである関係上、きらら達はスズランは物語の中程から認識していたが、もう一人のロベリアの存在については終盤まで知らなかった。そして、水路の街に術式をかけ、外部からの転移による侵入と通信を拒ませる(=使えなくさせる)作戦を実行した張本人でもあり、策略を立てたのはロベリアだが、実行者はロベリアとスズランのやり取りを見るにスズランと思われる。そして、その作戦があえなく失敗すると、今度はプランBと称して聖典との繋がりが強い神官達を嵌めようとする(実際には既にロベリアが魔法をかけていたが)。結局プランBは、ロベリアが七賢者が1人カルダモンを絶望の対象に決め、カルダモンの弱みにつけこんで絶望に堕とす事を行う事になったと読み解ける。理由としては「リアリストと一番近いのがカルダモンだから」という事らしいが、これはカルダモンも元々は長らく動乱地域に過ごしてきた経緯や、七賢者になってからも調停者として世界の多くを知っている事から、リアリストと同様に「世の中は幸せな事ばかりではない」という真実を知っている事が背景にある。勿論リアリストのこの様な理論は人の心を弄ぶとんでもないものであり、結局はもっともらしい事を並べただけの、ただの横暴論に過ぎない。だが、それでもカルダモンも支配するには十分であり、結局彼女は神官とともにリアリストの手に堕ちてしまう……と思いきや、カルダモンは呪詛に完全には掛かり切る事は無かった*7。その為、最終的には正気になっており、自身の役目でもある「調停者」としてリアリストの真実と、うつつちゃんの真実をリアリスト内部から詮索する役を買って出ているのだが、カルダモンを少し正気に引き戻すきっかけがうつつの声だったと本人が述懐しているのは非常に興味深い。

 最終的にはスズランもロベリアもきらら達に苦心惨憺(くしんさんたん)の末、窮地に陥る事になるが、そのタイミングでサンストーンが助けに入って撤退をはかる。尚、その際にサンストーンは、恐れながらも自身に立ち向かおうとしたうつつちゃんの勇気*8に免じて「クリエメイトのパスを断ち切るだけでなく、自分自身の絆をも断ち切った」とうつつに向けて話し、そして、その後きららに向けて「・・・・・・さよなら、姉さん」と意味深な事を宣告している。しかし、きららとの絆を完全に断ち切る事は出来ず、結局きらら達、サンストーン達共に不本意さを残しつつ、この対決にひとまずの終止符が打たれる事になった。

 この様に4章においてスズランとロベリアは実質的に2人一組で行動している為、一見するとリコリスヒナゲシの様に何かしらの関係がある様に思えるが、リコリスヒナゲシとつるんでいる事をスズランは「一銭の得にもならない」と言い、ロベリアは「我らリアリストにふさわしくない見せつけようだった」と言っている事から、リコリスヒナゲシと同じ様な関係は無いと言って良い。正にビジネスライクな関係である。

リアリストの目的とその目的について思う事

 ここからはリアリストに対して個人的に考えている事、思っている事を中心に書き出しています。重い内容も含まれているので、それを了承の上読み進めて下さい。

リアリストの目的について

 4章はリアリストの真の目的が垣間見えた意味でも重要な章でもあり、スズランとロベリア以外にも、4章そのものに深く絡んでいる訳では無いが、リアリストのメンバーとしてエニシダダチュラが登場してくる。尤も「エニシダ」と「ダチュラ」は、前述の通り4章には直接的に関わっている訳では無いので、ここでは詳しくは触れないでおくが、4章を読んだ人なら「エニシダ」の言動には衝撃が走った事だろう……。

 ここから本題に入る。抑々リアリストは聖典を汚染して、聖典とその世界の破壊を目論んでいるのだが、深淵たる領域としてこの世界(エトワリア)と聖典の世界を破壊して、この世界の「絆」を断ち切る事を真の目的としていると4章では明らかになった。要するに「エトワリアに存在する「絆」と言う名の繋がりを断ち切る事」を真の目的としているのであり、これが部下曰く「ハイプリス様の望み」だという。これにより、リアリストがクリエメイトをリアライフで呼び出し、絶望のクリエを集めるだけでなく、エトワリアの根源たる聖典と深い関わりを持つスクライブギルドや神官をも絶望に引き摺り込もうとする理由がより明確になったと言え、この物語を解く上重要な手掛かりになるのは疑いない。因みにリアリストが言うには聖典を汚染し、世界を破壊したその先にあるものが「絆」の喪失」らしく、言い換えればエトワリアと聖典の世界の絆は相当堅牢なものだと言える。

 また、ロベリアによれば聖典との繋がりが深い存在たるスクライブと神官では求めている役割に差異がある様で、スクライブは「汚染された聖典を模写する事で汚染を広げる」役割、神官は「汚染された聖典を受け入れ、憎悪を滲ませる様になる」役割を期待していると言う。つまり聖典をスクライブを使って効率良く汚染させ、神官がその汚染を増幅させて世界中に広めさせる事で、効率的に聖典を汚染させ、世界を絶望に染め上げていくと言う事であり、ここでリアリストがスクライブギルドと神官を狙った理由がはっきりと理解できる様になっている。

 では、リアリストは何故聖典を汚染させ、聖典の世界を破壊したいと思うまでに聖典を憎んでいるのか。それは聖典の描かれている内容は、リアリスト達からしてみれば「世の中をソラ様の都合の良い様に描き出し、それを真実だと偽らせ、人々を騙す形で希望を与え、自分(ソラ様)の都合の良い様に世界を操る為の偽りの書物だから」だと明らかになっている。つまりリアリスト達は聖典に描かれている様な幸せな世界とは程遠い、厳しい現実に生きてきたと言うのに、それを意味のないものとして無視扱いする聖典を正す為に聖典を汚染させ、そして聖典の世界を破壊する事で、エトワリアに『世の中幸せな事ばかりではない』と言う世界の真実を突き付ける事」を最終的な目標にしていると考えられる。何だか腑に落ちる様で落ちない様にも感じられるものだが、何れにしてもリアリストがただならぬ過去を抱えているのは間違いないのだろう。

リアリストに対して思う事

 4章においてリアリストの様々な一面が明らかになった事はここまで書き出してきた内容の通りなのだが、私としてはこれらの内容について、正直どう捉えるべきなのかがよく分からなかった。何故なら、リアリストの思想について深く考えれば考える程、一概に否定できるものでも無いと思い知らされるからである。勿論、リアリストのやっている事は決して許される様な事では無いのだが、リアリストの思想を辿ると、決して見過ごしてはいけないものがあるのも事実である為、板挟みとなってしまい、結果的に思い詰める事になってしまうのである。

 抑々リアリストがどうして聖典とその世界を破滅させようと望んでいるのか、その理由を知った時も衝撃が走ったものである。端的に言えば「エトワリアに幸せばかりではない、厳しい現実を思い知らせる為に聖典を闇に染め上げて、幸せの供給源たる聖典との絆を断ち切り、世界の真実を見せつけさせる」と言うのだから、驚くのはある意味当然だったのだが、同時に時間が経つにつれてそれがどれ程切ない事なのか、ひしひしと思い知らされるようになってきた。何故切ない事だと思い知らされたかと言えば、冷静に考えてみて、リアリストが聖典を憎む理由として聖典が幸せな事しか描いていない(=辛い現実を無視している)偽りの書物」と言うのは、リアリストの面々が暗に「昔から聖典に載っている様な幸せとは程遠い、厳しく切ない現実ばかりに直面してきた事」を示唆している可能性があると思い立ったためである。元々リアリストに対しては、1章の時からただならぬ何かを感じていたのだが、章が進むにつれてそのただならぬ何かが徐々に明らかになっていくとともに、リアリストの深く悲しみに包まれた闇がどんどん見えていくのも感じ取っている。この2つの要素をどう捉えるかによって、リアリストに対する印象は大きく変わってくると考えている。

 また、4章までのリアリスト達の台詞をよくよく汲み取っていくと、リアリストの面々が抱えている事情として下記が挙げられると考えている。

  • リアリストの面々は絆を重んじておらず、それ故に断ち切る事を目的としているが、その背景に絆をめぐって余程の痛い過去を持っている事が関係している可能性があり、それはリアリストの面々が口にしている「絆は下らないもの」若しくは「絆は理解できないもの」という発言が裏付けとなる。
  • リアリストに所属している多くが過去に辛く厳しい出来事を経験している事から、それ故に現実世界の厳しさ辛さが基本的に描かれていない聖典に対して「私達の様な描かれない存在を無視している」として激しく憎んでおり、これがリアリストが聖典を汚染させて、聖典の世界とエトワリアの絆を断ち切りたい大きな理由にもなっている。
  • リアリストの面々は一癖も二癖もある性質持ちが殆どなのだが、これも今まで過酷な環境に置かれていた為に、性質をも歪ませてしまった可能性も十分あり得る。つまり元々は尖った人達では無かったのだが、環境が彼女達を豹変させてしまった、という事である。

 1つ目は「リアリストが絆を重んじない理由」について考えたものであり、考えた理由としてリアリストは「聖典の世界とこの世界(エトワリア)絆を断ち切る事」を目的としており、それはハイプリス様をはじめとして、真実の手の面々やそれ以外の人達全員が望んている事だと本編では読み解ける中で、冷静に考えてみても、聖典の世界との絆を生きる気力を得る為の何よりの拠り所としているエトワリアにおいて絆を断ち切ると言うのは、たとえ絆に対して甚(いた)く屈辱的な経験があっても、実行にまでは中々移せない事なのは想像に難くないのに、リアリストは何故そのような事を実行にまで移せているのか、それを自分なりに理解したいと言うのが存在している。そして、その仮定に対する自分なりの答えが上記の箇条書きと言う訳であり、今回の4章を読んだ上で改めて思い立たせた考えでもある。

 2つ目は「リアリストが聖典を嫌う根拠」について考えたものであり、これは個人的に一番気になっていた事でもある為、4章においてその真意に迫れる場面があった事には思わずドキドキしたものである。結果的には色々知れた気持ちと、また新しい悩みが出来た気持ちの両方が芽生えた訳なのだが、それでも今まで分からなかった多くの事が明らかになった為、大幅な進歩となったのは言うまでもなかった。また、私は3章に対する感想・考察を書いた記事の中で「何故リコリス聖典を理解できないのか」と称してリアリストが聖典を理解できないのかと言う内容の考察を書いたのだが、その推察内容と今回の4章を見比べてみると、結論から言えば「当たらずとも遠からず」であり、特に「リアリストの価値観にとって聖典は理解できる代物では無かった」と言うのは、抽象的ながらも大筋を掴めてはいた事を示していると、個人的にはそう捉えている。

 3つ目は「リアリストの面々は何故一癖も二癖もある性質持ちなのか」について考えたものである。これに関しては個人的に最も突き詰めたい項目で、リアリストのメンバーを見ていると、すんなりと受け止める事の出来る性質をしている人は殆どおらず、一人一人は異なりながらも共通して恐ろしく尖った性質を持っていると感じているのだが、それ故にその様な性質になった経緯を考えたいと意識している。と言うか、そうでもしなければ、今後私はこのメインシナリオ第2部をどの様にして読み進めていけば良いのか、全く分からなくなってしまう。何故なら、この項目は私がこのメインシナリオ第2部を読み進めていく中において、心に激しく揺さぶりをかけてくる要素でもある為であり、ある意味メインシナリオ第2部における私にとっての大きな鬼門の一つにもなっている。ただ、心を揺さぶる分、メインシナリオ第2部における私にとっての大きな考察点の一つともなっており、このシナリオを読んで一体何を思うのか。その事を大きく突き詰めていく分野にもなっている。

 そして、私にとってはこれら3つに共通して言える信念があり、それは「リアリストの真意をあらゆる観点から考察し、そして見極めたい事」である。何故この様に考えるかと言えば、私はリアリストの動向を章ごとに追っていく中で、次第にリアリストに対して「もっと彼女達の真意や目的に対して理解を深めたい。もし理解を深めなければ、リアリストだけでなく、恐らくこの物語全体を通しての真実からも遠ざかる事にもなる。」と意識する様になってきているからであり、それはこの記事を書いている時も変わらない。

 ただ、一方でリアリストに対して「何故聖典をそれ程憎むのか……。」とか「何故リアリストは仲間意識を持ち、同志を労わる事ができないのか……。」と言う様に、リアリストに対して私自身決して看過する事は出来ない事象も確かに存在しており、それ故に私とて断じてリアリストの事を全て無条件に受け容れる事はない。どんなにリアリストに対して理解を示す様に意識して読み進めていても、どれ程寛容な心をもって読み進めていても、看過できない事を見過ごす事は出来ないのである。

 だが、リアリストが置かれてきた環境やリアリストに所属している面々の過去、そして彼女達が抱えているであろう闇や影を思えば、リアリストの事を無条件に否定する事も断じてない。何故なら、リアリストとて人間の集まりであるが故に、一義的な見方をもって断定する事は出来ない程の複雑な事情が絡み合っていると考えているからであり、それだけリアリストに対して深淵たる見識をもって、私はあらゆる事柄を見極めたいと考えているのである。

サンストーンときららの関係

 サンストーンはハイプリス様が最も信頼を寄せる存在であり、自身もハイプリス様に絶対の忠誠を誓っている。リアリストの「真実の手が右手」でもあり、人と人の繋がりである「パス」を断ち切る事の出来る能力を持っている。メインシナリオ第2部における「パスの喪失」は彼女の能力によるものであり、それ故にリアリストにとって「計画遂行のためには必要不可欠な人物」でもある。

 そんなサンストーンだが、4章においては終盤まで表舞台には登場しない上、登場する意義もあくまで「仲間を助けるため」であり、きらら達と対峙する為に現れた訳では無い。だが、サンストーンと再び対面したきららは、何故かまた勝手に涙を流した。何故またかと言えば、2章においてきららとサンストーンが対面した際もきららは勝手に涙が流れたからである。尚、2章においてきららが涙を流したのは「昔のはっきりしない記憶を急に呼び起こされ、胸が苦しくなる感覚を覚えたため」であり、これは4章でもほぼ同じである。その為、私としてはサンストーンときららの関係性は2章を見た時点からずっと気になっており、今回4章でサンストーンときららが邂逅(かいこう)した事により、この2人の関係性を知る何かしらのきっかけが掴められるのではないかと考えた。だが、その様な考えは、4章において明らかになったサンストーンときららの関係性を理解するには少々覚悟が足りなかった……。

 まずサンストーンが「絆など・・・・・・必要ないのだ。」ときらら達に対して言い放ったのも中々にショックであったが、それ故にサンストーンはクリエメイトの絆を断ち切るだけでなく、自分自身の絆をも断ち切ってしまったと知った時、私は思わず言葉を失くしてしまった。サンストーンがクリエメイトの絆を断ち切るだけでなく、自分自身の絆を何もかも断ち切ってしまったと思い込んでしまったからである。勿論これは誤解であり、サンストーン本人が言うには、自分自身の絆と言うのは「きららとの絆」であり、自分自身の絆を何もかも断ち切った訳では無い事だと分かり、ひとまず冷静さを取り戻した。が、その後のサンストーンがきららに対して発した「・・・・・・さよなら、姉さん。」という言葉に、私は今度こそ言葉を失う程の衝撃を受ける事になってしまった。

 私は色々と思い知らされた。サンストーンときららは本当に近しい関係性だった事、サンストーンはきららとのパス(絆)を自身の能力で本当に断ち切っていた事もそうなのだが、なによりかつて私がメインシナリオ第2部2章の感想・考察を書き記した際に仮定した「嘗ては深い関係性にありながら、サンストーンが自らの能力を用いて絆を断ち切った昔なじみ若しくは近しい存在」と言うサンストーンときららの関係性の内容と、今回明らかになったサンストーンときららの関係性の内容とで合致する部分が多かった事に対して一番ショックが大きかった。理由としては、私がこの仮定論を書いた項目の中に「もし本当ならば残酷且つ悲愴的なものであり、出来る事ならこうであって欲しくないと願いたくなる程の考え」と記す程に、メインシナリオ第2部の新章をこの目で見るまで決して信じたいとは思えなかったのが大きかった。

 ただ、私がこの様な考察を思い立った時点で、実は既に心の何処かでもしかすると、きららとサンストーンは私の想像以上に深い関係性があるのかも知れない」と気付いていたのだろう。そうでなければ、私が2章で書いた様なきららとサンストーンの関係性の仮定論は恐らく思い立たなかっただろうし、書き出す事も無かっただろう。結果的にはサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼ぶまでに2人は普通の関係性では無かった訳だが、よくよく考えてみれば私がきららとサンストーンの関係性を考察した時点でこうなる事も承知の上でやるべき事だったと言えるのだろうし、私もそれを理解していたので後悔はない。なのでショックはショックだったものの、それで心が折れる様な事はもう起こり得ない。あり得るのは、きららとサンストーンの関係性の真理を想像する事だけである。

 ところでサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼んでいた事についてだが、きらら本人は「妹がいると言う事実に対して自認は無く、周りの人達からも妹の事は聞かされていない」*9と言っており、きららからしてみればサンストーンが妹だと言う認識は今まで無かった事を窺わせているが分かる。しかしながら、きららにしてもサンストーンと対面するとなぜか涙が零れると言う状況があった為、何とも言い難い靄(もや)がかった感覚があったが、4章においてサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼んだ事と、サンストーンが「きららとの絆が完全には断ち切れていなかった事」を示唆する発言をした事で、サンストーンときららがどの様な経緯や事情があれど、サンストーンがきららの事を「姉さん」と呼ぶまでに深い絆が存在した関係だった可能性が高くなったと言え、同時にきららがサンストーンと対面すると「サンストーンに対して掴むに掴めないもどかしさに胸が締め付けられ、涙が零れる」のも「サンストーンがきららとの絆を断ち切ったが、実は完全には断ち切れておらず、パスを感じる能力を持つきららにとっては不完全に断ち切られた絆を感じて涙を流している」と考えれば合点がいく。

 つまりサンストーンときららは、嘗ては「絆を断ち切る能力を持つ者と、絆を感じる能力を持つ者の深き関係」だったが、サンストーンがきららとの絆を一方的に断ち切った事により、きららはサンストーンに関する絆や関係をすべて忘れてしまったが、絆は完全には断ち切れておらず、それによりきらら特有の絆(パス)を感じる能力で微かに残るサンストーンとの絆を感じる事で、きららはサンストーンと出逢うと涙を流してしまう様になったと、私は考えている。4章で言及されたのが主にサンストーンである事と、きららはサンストーンとの関係性について殆ど分からない事もあって、視点がどうしてもサンストーン側に偏ってしまうのが個人的にはもどかしいが、それでもサンストーンときららの関係性はただならぬものだった事が明白なのは疑いなく、それ故に今後の章が更に目が離せなくなったと言えよう。

 サンストーンときらら。一方は絆(パス)を断ち切る能力を持ち、絆を破壊する者、もう一方は絆(パス)を感じる能力を持ち、絆を愛する者。相反する能力を持つこの2人の関係性の真実とはいかに……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部4章で私が考えた事である。この4章は今までのメインシナリオ第2部1章・2章・3章と比べても特にシリアスであり、それ故に心にのしかかってくる重荷が今まででも随一だったが、その分読み応えのあるシナリオは心に残る場面も多く、総じて言えば喜びも悲しみもふんだんに込められた内容だったと考えている。

 尚、私が上記の様に考える理由としては、4章はうつつちゃんの成長をはっきりと感じ取る事の出来る場面を代表する様な前向きな描写も多いが、その一方でリアリストに存在する隠し切れない闇が露呈する場面を代表する様な暗い描写も多かったからである。その為、理解のとっかかりを掴む事が難しく、それ故に内容の推し量る事も決して容易では無いのだが、その様な状況でも私はあらゆる観点からこのメインシナリオ第2部4章の内容を推し量る事を意識している。勿論、シリアスな内容故に内容を推し量れば量る程精神的にも負担が増していくのは否めない上、考えた先にあるのが何も喜びだけでは無い事も理解している。だが、それでも私はメインシナリオ第2部を深く考える事に意義を見出しているので、どの様な事があっても推し量り続けようと考えている。

 また、4章に対する考えとして「リアリストの核心にも迫る様なシナリオだったと認識している」と記したが、他方でリアリストを紐解く上で重要な事柄として私の中で大きく蠢いている。元々リアリストに対しては1章の時から様々な思いが錯綜(さくそう)しており、それ故にリアリストをどの立場から考察するべきなのかはっきりさせられずにいるのだが、4章でリアリストの真の目的が垣間見えた事により、リアリストが秘めている真の意味での真実を見極めたいと思い立った。勿論、客観的に見てリアリストが決して褒められる様な存在では無い事も、決して許される事では無い様な事を遂行している事も分かっているが、それでも私はリアリストの真実をこの目で確かめたい。何故なら、このメインシナリオ第2部に限った話では無いが、創作物をどの様に受け取るか、それを最終的に決断するのは、何時だって自分自身の意思に委ねられているのだから……。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部4章で私が抱いた感想・考察である。4章は今までの章の中でも特に印象的な場面が多く、メインシナリオ第2部の真相にも迫る様な題材が散りばめられていたとも捉えている。私はそれらを胸に秘めつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

 今回の文量は400字詰め原稿用紙38枚分であり、これは現時点で過去6番目の多さにあたる。徐々に字数の多い記事が増えていく事で、ランキング順位も多少変化しているのだが、1位から3位は今の所変化しそうにない。何故なら3位以上は全て400字詰め原稿用紙50枚分以上(つまり20000文字以上)であり、1位に至っては400字詰め原稿用紙59枚分にも及ぶのだから。

*1:世界とはエトワリアの事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。

*2:勿論その中には2章において確執が否めなかったフェンネルも含まれており、フェンネルもうつつちゃんの事を信じてくれている。

*3:ごうがんふそん。威張っていて人を見下している事。

*4:業突く張り(ごうつくばり)とも言われるもので、非常に欲が深く、意地汚い事を意味する。

*5:世の中金があれば大抵解決できると言う意味で、金の力は絶大だと言う例え。

*6:この事は、リアリストの仲間に対する尊敬意識のなさを示唆しているとも考えられる。

*7:とは言え危うく掛けられそうになったのは事実らしく、本人曰く「一時は本気でリアリスト側からソラ様を見極めようと思い立った」らしい。

*8:ただ、サンストーン本人は「情けない勇気」と冷たい言葉をうつつちゃんに送っているが。

*9:ただ、その一方で「サンストーンなら今まで謎に包まれていた私の両親の事を何か知っているかもしれない」ともきららは言っている。

きらま2021年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。きらま勢になって丁度1年が経ち、ごちうさに対して一体何を追い求めるべきなのか、今一度考える時が来たのかも知れないと感じている今日この頃です。具体的には日々趣味を堪能しゆくにあたって新しい嗜みを常に取り入れていく事を強く意識している私にとって、ごちうさは自分の中でどの様な位置付けで扱い、どの様に考えていくべきなのか。それを改めて考える時なのだと感じています。尤も、ごちうさ好きを辞めようとは全く考えていないので、あくまで自分の中でごちうさを再確認したいという事です。こうもしないと満足しない気質持ちなので……。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年10月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。このきらま2021年10月号のごちうさは、旅行編からの新キャラを掘り下げる内容ながらも構成や展開が初期の頃のごちうさを思わせる内容が多く、新しくも原点回帰的な雰囲気が漂うお話になっているので、今と昔の違いも意識しながら書き出したいと思います。

※注意※

 最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。更に、今回のお話は仕組み上、初期の頃の構成ネタバレも一部ありますのでご注意下さい。尚、文中の高校生組は心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの4人を指し、ラビハ組は智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人を指します。

1.はじめに

 今回のお話は旅行編からの新登場キャラである冬衣葉冬優(ふいばふゆ)、神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)の3人(ブラバ組)が、雷を伴った大雨が降っている事からチマメ隊*13人(ラビハ組)が店番をしていたラビットハウスに泊まる事になり、更に心愛ちゃん率いる高校生組が、新キャラ3人と同様の理由で千夜ちゃんの甘兎庵で泊まる事になった為、結果的に新高校生組6人によるラビットハウスで色々楽しみながらも親睦を深めていくと言うのが大まかな流れであり、今月号はラビットハウス即ち新高校生組6人に焦点が当てられている。

 今月号の特徴(と言うより旅行編後の単行本9巻後半辺りからその傾向は表れている)は何と言っても回帰であり、今月号の作中展開は過去に登場した場面・構成を同じ様に踏襲している部分が今までより多く、同じ場面・構成(特に構成)でも絶妙な変化が付けられる*2事も少なくないごちうさとしては少し異色ではある。ただ、構成そのものは回帰を思わせる部分が多いとは言っても登場人物が異なっている事や、既存の登場人物が過去と比べて大きく成長しているが故に中身は別物であり、故に「懐かしさも新鮮味もある」と言う仕上がりになっている。

 つまり今月号のごちうさは、大きく言えばごちうさの根幹たる緻密な構成を維持しつつ、新キャラの新鮮味も初期の雰囲気を思わせる懐かしさまで網羅すると言う構成を持つお話になっている。この事から最終的には最早回帰を超えた新しい構成になっていると言っても過言では無いとすら思うのだが、今回はそんな「回帰」について思う事を中心に、新キャラの魅力についても考察していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

ブラバ組の新たな魅力

 前述の通り、今月号のごちうさのお話はラビットハウスにチマメ隊(ラビハ組)3人とブラバ組3人の計6人が天候の都合上泊まる事になると言う、所謂「お泊り会」を主軸にしたものだが、今までブラバ組とラビハ組は同じ学校の付き合いこそあった*3が、異なる学校同士の付き合い*4はあまりなく、実際に智乃ちゃんが神沙姉妹がブラバの社長令嬢である事を知らなかった*5様に、お互いに知らない部分も多かった。そんな2つの組がお泊り会と言う形で交流し、親睦を深める事は、それだけでも大きな進展なのだが、個人的には新キャラの新たな魅力が発掘された事が大きいと考えている。ここからは、そんなブラバ組1人1人の新たな魅力について書き出したい。

冬優ちゃんの変化

 まずはブラバでアルバイトをしている、智乃ちゃんと同じ学校の同級生にして友達を超えた仲でもある冬衣葉冬優ちゃんである。彼女は内気且つ内向的な性格で、恥ずかしがり屋故に他人に対する警戒心がとても強く、同じ学校の智乃ちゃんや智乃ちゃんと深い親交のあるマヤメグとは比較的打ち解けてきているものの、神沙姉妹とは社長令嬢という事もあって警戒心を解くのに難儀している様子が見受けられ、実際に本人の口から智乃ちゃんにそう伝えてもいる位である。ただ、冬優ちゃんは神沙姉妹ともっと交流を深めたいと考えており、神沙姉妹に対して警戒心こそあるものの、嫌悪感は無い様子を窺う事ができる。

 そんな冬優ちゃんだが、このお泊り会でも途中まで神沙姉妹に対して苦手意識が強く存在していた。やはり恥ずかしがり屋故に打ち解ける為の一歩が中々踏み出せないのだろう。この部分はかつての智乃ちゃんにも重なるものがある。しかし、智乃ちゃんが時間節約のためにと提案した、お風呂を交代で2人ずつ一緒に入ると言う場面から徐々に変化していく。冬優ちゃんは智乃ちゃんと一緒にお風呂に入る事になったのだが、その際に智乃ちゃんから「距離を置くのはあのふたりも寂しいんじゃないでしょうか」とハッキリ言われたのである。あのふたりと言うのは勿論神沙姉妹の事であり、智乃ちゃんからの「遠慮はいらないと思います!」と言う後押しもあって、冬優ちゃんは神沙姉妹に対して気恥ずかしさはあっても、勇気を出して神沙姉妹と親交を深めようと決意を表した。なお、この決意には冬優ちゃん自身が「智乃ちゃんに気を使わせて申し訳ない」と言う気持ちが芽生えた事も関係しており、自分を応援して気遣ってくれている人の為にも頑張らないといけないと言う、冬優ちゃんの強い意思を感じ取る事ができる。

 それからの冬優ちゃんは気恥ずかしさこそあったものの、自分と言う特性を遺憾なく神沙姉妹に見せつけていた。智乃ちゃんの中学生時代の制服を着て顔を赤らめている*6夏明ちゃんや、心愛ちゃんが実家(?)から持ってきた、可愛らしい服を着ている映月ちゃんをみて、腹話術を用いて「ふたりとも思ったより威厳ないね」本当に遠慮もなければ容赦もないコメント*7を出したり、ボードゲーム対決でラビハ組とブラバ組に分かれ、ブラバ組には負けられないと闘争心を剥き出しにする智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんがその気ならと言わんばかりに冬優ちゃんも勝負の為に闘争心を滾(たぎ)らせ、神沙姉妹を統率したりする等、持てる自分を時に智乃ちゃんの力も借りながら発揮していたのである。何とも凄い力だが、その様な力を秘めていた冬優ちゃんは勿論の事、その特性を引き出した智乃ちゃんも中々に成長していると言える。

 まとめると、今回のお泊り会で冬優ちゃんは「神沙姉妹とはもっと交流を深めたいと思っている事や、気恥ずかしささえなければ、誰であっても交流・統率できる程の強い意志を持っている事」が判明したと言え、特に神沙姉妹に対してもっと交流を深めたいと思っていた事が明確に確認できたのは非常に大きいと言える。人間は、他人に対してどう思っているかで交流を深める事の難しさが往々にして大きく変わるものだと私は思っているのだが、今回冬優ちゃんが神沙姉妹に対して気恥ずかしさはありつつも好意的な感情を抱いていたという事は、今後冬優ちゃんと神沙姉妹の距離を縮めていく上で有利に働くと思われ、今月号の終盤にある様なブラバ組3人だけのやり取りがもっと増えていく事も考えられる。

 これらの冬優ちゃんに対する神沙姉妹の反応としては、結論から言えば「少し戸惑いはありつつも冬優ちゃんの意志を尊重する」ものだったと考えている。つまり冬優ちゃんの事を認めるという事であり、神沙姉妹とて冬優ちゃんとはもっと交流を深めたかった事が分かる様になっている。ここからは視点を変えて、神沙姉妹から見た魅力を書き出したい。なお、神沙姉妹はこのお泊り会ではほぼ全ての場面で2人一緒に行動している*8為、今回は2人共一挙に書き出すものとする。

神沙姉妹の歓喜

 次に書き出す魅力はブラバことブライトバニーの社長を父に持つ、所謂社長令嬢の神沙姉妹である。姉妹関係は姉が映月ちゃん、妹が夏明ちゃんであるのだが、普段は夏明ちゃんが映月ちゃんを引っ張っている事が多い事や、夏明ちゃんの方が普段からしっかりしている事から、本来の姉妹関係を知らずして姉妹関係を見抜く事は中々に難しい。尚、神沙姉妹は今までの経緯から2人で一緒に行動している事が多く、長らく2人だけの孤立した世界しか無かったが、旅行編において木組みの街の人々と出逢い、そこから自分達も木組みの街の住人になる事で徐々に世界観が広がりつつあり、それは2人にとって非常に大きな糧になっていると思われる。

 性格は、映月ちゃんは普段の時はマイペース且つのんびり屋で、おっとりした性質を持った穏やかで物腰柔らかな人であり、それ故にお姉さんと言うより妹キャラと言う印象が強めだが、その実自分が思った事を躊躇なく人に言える度胸の強さと、何があっても決して折れない芯の強さを併せ持っており、優しさだけに留まらない姉御肌的な気質をも持っている。やはりお姉さんはお姉さんなのである。また、その性質故に同じおっとりした性質たる恵ちゃんと仲が良く、普段から気が合った様子である事が多い。

 一方夏明ちゃんは普段の時はしっかり者且つ常識人であり、はきはきとした性質故にのんびり屋なお姉ちゃんを引っ張っている事が多いのだが、その実ナイーブで寂しがり屋な一面も併せ持っている。また、客観的に自分がどう見られているのかを気にしがちな人でもあり、良くも悪くも普段から立ち振る舞いを意識しているのが他の人以上に目立っている。実は熱血な一面もあり、自分の使命を果たす為には時に燃え上がる一面も持っている。学校では麻耶ちゃんと仲が良く、お互いに照れ屋な性質持ち故に無理に意地を張って言い合いになる事も少なくないが、なんだかんだ言ってもお互いを認め合っている。

 そんな神沙姉妹だが、このお泊り会では会そのものを智乃ちゃんから提案された時から前向きであり、戸惑い気味だった冬優ちゃんとは対照的にマヤメグ以上の乗っかり具合を見せていた。何故この様な反応を示したかと言えば、神沙姉妹は旅行編において美味しいコーヒーを智乃ちゃんが淹れてくれたことから、智乃ちゃんが住むラビットハウスに強い関心があり、かねてからラビットハウスに来訪してみたいと言う願望があって、それがお泊り会と言う形でより深く適えられる絶好のチャンスだと思ったからだと考えられる。その為、終始友達の家に泊まれる事に対する楽しげな様子が窺える場面が多いが、その一方で、ボードゲーム対決で冬優ちゃんとチームを組む前は、冬優ちゃんが私達(神沙姉妹)に対して引き気味である事を気にかける様子もあった。これは良くも悪くも神沙姉妹が友達に対して割とグイグイ行きがち(裏を返せば友達と積極的に関わりたいとも言える)な事*9が、内気で内向的な冬優ちゃんにとっては苦手だと言うのが大きく、実際の所は冬優ちゃんも神沙姉妹に対して好意的な感情を抱いているのだが、仕方ない事だとは言え、冬優ちゃんの心境を知る術もなかった神沙姉妹は冬優ちゃんに対して気にかける様子がしばしば見受けられていた。

 しかしながら、ボードゲーム対決においてブラバ組で冬優ちゃんと一緒のチームになった時から、状況は一変する。前述の通り冬優ちゃんは智乃ちゃんに触発されて闘争心を滾らせ、神沙姉妹に対してリーダーシップを発揮すると言う状況に、神沙姉妹は乗り気な反応を見せているのだが、心なしか表情が嬉しそうに見えるのである。これは神沙姉妹にとってどこか距離を取られている様に思えた冬優ちゃんが、自分から私達と距離を縮めてくれた事に対して嬉しく感じている為だと思うのだが、何れにしてもボードゲーム対決でブラバ組として3人が一緒になれたのを契機として、冬優ちゃんと神沙姉妹の距離感が縮まったのは確実だと言え、今月号の終盤には前述の通り、ブラバ組で会話する様子も見受けられる。今後どの様になるかは未知数だが、きっとブラバ組もより距離が近い関係性になると思われる。

 まとめると、今回のお泊り会で神沙姉妹は「冬優ちゃんともっと交流を深めたいと考えているが、どうしたらもっと距離を縮められるか悩んでいる面」が判明したと言え、結果的に言えば冬優ちゃん・神沙姉妹共にお互いもっと距離を縮めたい即ちもっと親交を深めて仲良くなりたいと考えていた事になる。この事からも今後冬優ちゃんと神沙姉妹はもっと親交が深まっていくと予測できるうえ、ひいてはお互いに様々な一面を知りゆく事で、かけがえのない関係性が構成されていく事も十分に考えられると言えよう。今後のブラバ組の動向に注目したい。

ラビハ組の覚醒した魅力

 ここまでは旅行編からの新キャラ3人であるブラバ組に焦点を当てていたが、ここからは古くはチマメ隊であり、今月号はラビハ組と紹介された智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人が持つ、ずっと変わらない魅力と新たな成長について書き出したいと思う。

智乃ちゃんの魅力と成長

 まずはラビットハウスのマスター(祖父)の孫である智乃ちゃんから書き出したい。智乃ちゃんは嘗てはクールと言うよりどこか素っ気ない雰囲気の持ち主であり、何事に対しても感情の起伏をさほど表さない淡白な人だったが、その実マヤメグと友達になってから少しずつ変わり始めており、心愛ちゃんを始めとした高校生組と出逢った事で変化は決定的なものになり、それからの智乃ちゃんは様々な人の特性を採り入れ、自身の良き特性を前面に発揮した、感情豊かな明るい人へと変化・成長した。因みにこの変化・成長だが、原作だと大きくは4巻以降、アニメなら2期の中程から見えてくると考えている。ただ、細かく見るなら原作だと3巻、アニメでも1期の終盤から既に智乃ちゃんの変化は所々に表れていたとも考えられる為に悩ましい面もあるが、何れにしても智乃ちゃんは心愛ちゃんと出逢った時から今までの自分とは確実に変化し始めていたと思われる。もっと言うなら、智乃ちゃんの母親の性質を見るに、智乃ちゃんも元々は明るい特性を持っていた人だったと言え、心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない人との出逢いが、嘗ての明るいとくせいを持った自分を呼び起こす事に繋がったとも言えよう。

 そんな智乃ちゃんだが、このお泊り会においては大きく成長、変化した智乃ちゃんを見せつけていた。事あるごとに感情をオーバーなまでに表に見せる様になった*10のもそうなのだが、自分から率先して友達を誘ったり、友達の悩みを聞いてあげた上で後押ししてあげたりと、お泊り会企画の発起者ならびに頼れるお姉ちゃんとして、他の5人を率先して引っ張っていたのである。また、これ以外にも以前は甘えたがり屋な一面がありながらも気恥ずかしさから中々甘える事の出来なかった自身の父親(タカヒロさん)にも甘える事ができる様になったり、事あるごとに何かと人に対して気に掛けたりと、細かな成長もこのお泊り会からは沢山読み解く事ができる。

 しかし、これらは一昔前とりわけ中学2年生時代前半(原作初期)の頃ならまず考えられなかった事であり、それ故に智乃ちゃんの大きな成長と変化をひしひしと感じる事の出来る場面の一つになっている。一つと書いたのは、これ以外にも智乃ちゃんの大幅な成長を感じ取る事の出来るお話が数多く存在するためで、これ以外にも智乃ちゃんが成長したと感じる事の出来る要素はまだまだ存在する。ただ、その中でも今月号の成長は智乃ちゃんの成長の中でも特に大きなものである事は間違いなく、智乃ちゃんが高校生組のあらゆる個性や良い所をふんだんに採り入れて、大きく変わろうとしている事を見せつけてきた。そして、その事実が一体どれ程凄い事なのか、最早全てを推し量る事は困難になりつつあるのだろう……。そんな未知数の成長を遂げる智乃ちゃんは、今後ラビハ組とブラバ組を合わせた6人の中でも、高校生組をも凌ぐ程の能力を発揮していくに違いないと個人的には考えている。

 ところで高校生組についてだが、智乃ちゃんはラビットハウスに心愛ちゃんが下宿している事や、そのラビットハウスに理世ちゃんも働きに来ている事から、マヤメグやブラバ組と同じ学年ながらも年上である高校生組との関わりが他の5人より圧倒的に突出しており、現在ではあまり見なくなったが、最初の頃は高校生組4人に中学生の智乃ちゃん5人と言う組み合わせの方が良く見られた程。その為、智乃ちゃんは高校生組の影響を特に色濃く受けており、ここから今回のお泊り会で見せた智乃ちゃんの数々の行動は、高校生組が智乃ちゃんに対して見せてくれた数々の行動や友情、他人を想う事の大切さや尊さを参考にして行ったものだと見る事ができ、それは智乃ちゃん自身が心愛ちゃんとの通話越しに「ある人達をお手本にがんばりました」と語っている事から推測できる。尤も、智乃ちゃん本人は「ご想像にお任せください」と、どの人達を参考にしたのかについてはぼかしているのだが、智乃ちゃんにとって年上である高校生組が自分の手本となり得る様なものをどれ程見せてくれたのか。その事を思うならば、自ずと答えは見えてくるものだろう。

 ここからはチマメ隊(ラビハ組)の幼なじみコンビ、マヤメグについての魅力を書き出したいと思う。

マヤメグの魅力について

 マヤメグは幼なじみコンビである麻耶ちゃんと恵ちゃんの2人を指し、麻耶ちゃんはボーイッシュな魅力を持つ元気っ子で、持ち前の好奇心旺盛を活かしてチマメ隊における企画発案者として2人を引っ張っていく事も多く、持ち前の好奇心を活かしたクレバー(賢い)な一面も持つ傍ら、実は寂しがり屋で人想いな一面を持ち、人の気持ちを誰よりも気遣える優しい一面もあり、友達を愛し、友達に愛されと言う女の子である。一方恵ちゃんは元気っ子たる麻耶ちゃんとは対照的におっとりしたのんびり屋な女の子であり、チマメ隊の中では癒しキャラ的な立ち位置にいる事が多いが、実はマイペースながら何事もそつなくこなせる器用な一面を持っており、頭の良さも相まってチマメ隊の中でもトップクラスの潜在的な能力の高さが光る女の子である。

 そんなマヤメグだが、ラビットハウスにおけるお泊り会前後を描く今月号においては他の4人に比べて描写がやや少なめだが、それでもラビハ組を構成するメンバーとして外せない存在感と可愛さを見せており、智乃ちゃんと心愛ちゃんのパジャマを借りたマヤメグの場面において、麻耶ちゃんが普段のボーイッシュさと真逆の女の子らしい可愛さを放ち、恵ちゃんは心愛ちゃんのパジャマを借りてふわふわした可愛さを見せたり、ボードゲーム対決においてはマヤメグ共に智乃ちゃんの熱血さに同調し、特に恵ちゃんは智乃ちゃんの熱意に触発されて燃え上がったりと、要所でパンチのある一面を見せてくる。

 また、マヤメグはブラバ組がラビットハウスに訪れる前と後で主たる存在感を発揮しており、抑々マヤメグの2人がラビットハウスにいたのも「ラビットハウスにおける2人のバイト始め」だからであり、その際にチマメ隊の団結力をもってお客さんをおもてなししようと一念発起したのもマヤメグの提案であり、その存在感を遺憾なく発揮している。更にお泊り会後にブラバ組がラビットハウスから去った後、昨日十分に働けなかった挽回策として、気合を入れ直すと言う提案をしたのもマヤメグであり、そこからラビハ組もといチマメ隊は智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人が揃って初めて完全体になり得ることを証明した格好になっているとも捉える事ができる。この事から、マヤメグは成長を続ける智乃ちゃんを同学年として支え続ける良き親友としての立ち位置を今月号で改めて見せつけてきたと言える。因みに気合を入れ直した時にチマメ隊が各々声を上げているのだが、その掛け声はバラバラになってしまっている。尤も、バラバラであっても想いは一つと言うのはチマメ隊らしい友情の形だと言えよう。

 ここからは今月号もとい最近のごちうさを形成している要素でもある「回帰」について個人的に考えている事を書き出したいと思う。

回帰について思う事

 私自身、ごちうさを語る上で外せない要素の一つだと考えているのが回帰(かいき)。回帰とは「繰り返すこと、一回りして元に戻ること」を意味する言葉で、最近のごちうさは原作初期にあった様な出来事や描写を思い起こす様な場面構成や描写が所々に登場している事からそう定義付けたのである。

 では、何故今月号を読む事で「回帰」について思いを馳せたのかと言えば、何度も言う様に今月号のごちうさはラビットハウスでのお泊り会が主軸なのだが、今回のお泊り会は原作初期・前期にあった、高校生組4人と智乃ちゃんの5人によるものと、チマメ隊3人によるラビットハウスでのお泊り会を強く想起させる展開・場面が多く、それに加えて過去のエピソードをそのまま持ってくるコマも多く存在している事から、回帰の流れが強くなった昨今のごちうさの中でもそのコンセプトが特殊だと言う印象を抱くものになっていたからである。先にも述べた事だが、ごちうさにおける回帰と言うものは往々にして絶妙な変化を付けられる事が多く、今月号の様にある一つのコマをそのまま持ってくる事は無くは無いが少ない為、それがふんだんに盛り込まれていた今月号に対しては何か特殊な想いを抱いた。尤も、冷静になって考えてみれば特殊と言うまでに変わった想いと言うのとはまた違うのだろうが、何にしても今月号を読んで心動かされるものがあったのは事実である。

 思えばチマメ隊(ラビハ組)が名実ともに高校生になった原作9巻中盤からと言うもの、原作のテイストがそれまでと若干変化した事は私自身感付いてはいた*11。今思えばそれが私の言う様な「本格的な回帰の流れの始まり」なのであり、その要因としては旅行編からの新キャラであるブラバ組の3人が本格的に登場したタイミングと重なっているのもあると思うのだが、一番はチマメ隊3人全員が大幅に成長している姿や一面が、高校生になってより際立つ様になったためだと考えている。普段何気なく読んでいても、高校生になったラビハ組を見ると、過去と比べて明確な成長を遂げたのを感じる事は多く、しかもその表し方が昔高校生組4人が当時中学生だったチマメ隊にお披露目した事を、今度は成長したラビハ組(チマメ隊)が新しく木組みの街の住人となったブラバ組にお披露目すると言う中々に粋な継承の姿を表している事も多く、ここから私は「回帰」を編み出している。尤も、この様な形を回帰と言うのが適切かどうかは私には分からないが、ごちうさ私にとって日常系の面白さ、輝かしさの真髄を教えてくれた作品でもある為、最早一義的な言葉では表す事の出来ない特別な何かに突き動かされているのだろう。

 そして、上記の様な形の回帰の描写が多くなっている事は、ごちうさにおいては同時に新しい人間関係の描写を促す事をも意味していると捉えており、実際にラビハ組の高校生生活が本格描写されてから今月号まででもチノフユ、マヤナツメ、メグエルと、ラビハ組とブラバ組の同級生交流が描かれており、他にも千夜フユ、リゼナツメ、シャロエル等といった高校生組4人とブラバ組との交流や、ココアユラ等の異色な交流も描かれている。この様に多くの成長を描く為に嘗てを思わせる様な回帰描写を用いるだけでなく、そこに新しい人間関係の交流を加えて描く事で、古くからのファンにも新鮮味を提供してくれると言うのは、ごちうさが特に深き魅力を持つ理由の一つにもなっていると私は考えている上、その魅力はこれからも増大していくと予測している。因みに新しい人間関係を描き出すと言うのは原作初期から今に至るまでコンスタントに描かれてきた事でもあり、ここでも回帰の要素は入っていると言える。

 ただ、私には回帰について気にしている事が1つあり、それは「回帰の流れが進むにつれて、今後どの様にごちうさが進んでいくのか最早私には分からなくなっている」事。昨今のごちうさが昔を思わせる回帰の流れが存在している事は自分なりには理解しているのだが、その構成があまりに緻密な為に毎月ごちうさを読み進めるにつれてどの様に展開が進んでいくのかが徐々に分からなくなってきており、それ故に直近のきらま掲載のごちうさを読む時、私は敢えて先の展開を殆ど考えないままに堪能する事が多くなっている。尤も、見方を変えてみれば最早容易に先の展開が読めなくなった作品を、いかにして楽しむ事の真髄を見出すのか、その絶好のチャンスだとも言えるのだろうが、私にはどうも引っ掛かってやまないのだ。

 しかしながら、我ながら細かい事を深刻に捉え過ぎていると思っているし、実際にこの細かい事を気にし過ぎる性格故に、ごちうさに対して良い意味だけでなく、悪い意味でもど壺にはまってしまった事もある*12為、そこまで気にし過ぎない方が良い事もよく分かっている。その事を思うならば、この先の展開が分からなくとも変に気を揉まずにごちうさを純粋に楽しむ気持ちをもって楽しむのが適切だと言うのは自明の理だろうし、それこそ自分自身にも「自分がごちうさを知りたての頃の気持ちに回帰してみる」と言う風に課して、ごちうさを象徴するものたる「かわいい」を全力で堪能していた頃の気持ちを呼び起こし、ごちうさは可愛い世界なのだから無理に気を揉む必要は無いと思い起こすのも良いと考えているが、何れにしても、無理のない範囲で楽しむ事を意識するのが一番良いと言えるのだろう。

 この様に回帰という考え方は、私にとっては今月号のごちうさにおいて強く感じ取った概念としてだけでなく、私自身がごちうさに対して思い悩む事があった時に、ごちうさの純真たる楽しさを呼び起こす概念としても機能していたとも言え、ある意味昔からごちうさに対して私が何となく抱き、時には知らず知らずの内に助けられていた概念だったと言える。その様な概念が今回急に表舞台に呼び起されたと言うのは、何とも不思議な感覚だが、それを何の違和感もなく受け止められると言うのも、私がごちうさに対して特別な感情を抱いているが故なのだろう。

3.あとがき

 以上がきらま2021年10月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は旅行編からの新キャラ3人たるブラバ組と、古くはチマメ隊であり、今月号ではラビハ組とも称された3人が一緒になって、高校1年生組6人でラビットハウスでお泊り会をする回であり、言うならば高校1年生組6人の結束を高め、親交を深める回だったと認識している。その為、全編にわたって異質な雰囲気があった先月号とはうって変わり、何時ものごちうさらしい構成となっているが、よくよく読み込んでいくと新しい展開にも懐かしさを感じる描写が多く含まれており、それ故に嘗てとは一線を画す構成になっている事は見逃せないだろう。

 お話の構成上高校1年生組6人を中心に焦点が当てられている中で、特にブラバ組の心境や意外な一面が明らかになったのは、個人的には大きなキーポイントだと考えている。無論、それまでもブラバ組の3人が少しずつ木組みの街に馴染んでいく様子は多く存在しており、馴染んでいく過程の中で木組みの街の住人やその人達が構成する空間にも大きな影響を与えてもいる*13のだが、今回ラビハ組3人とお泊り会と言う形で交流する事で、今までの馴染んでいく過程では見られなかったブラバ組3人の意外な内面性や心境が明らかになった事は、ブラバ組3人がより木組みの街の住人としての色を付けるにあたって非常に意味のあるものだと考えていて、ともすれば今後このお泊り会が大きなキーポイントになる可能性も十分に考えられる。勿論、そう簡単に断言できるものでも無いのは承知の上だが、何らかの可能性を秘めたお話である気がしてやまないのは事実である。

 また、今月号ではお話の構成を見て「回帰」と言う概念を強く意識したと書き出したが、実はここまで「回帰」を意識する作品と言うのも私の中では珍しく、またごちうさ程概念の定義付けを意識しないと、現在まで読み進められなかった可能性が高かった作品も今まで無かったと言うのもあって、ごちうさにおいてこの様な見識が合っているのか、今でもふと立ち止まる事がある。幾らごちうさに対して全力で読み込む事を意識しているとは言っても、悩ましい事はあるものである。ただ、全力で読み込んだ結果回帰と言う概念を強く思い起こしたと言うのなら、悩む事があってもそれを貫き通す事も大事だと考えている。まだまだ分からない事も大いにあるのだが、現時点では貫ける所まで貫き通したいと考えている。

 最後に、今月号のブラバ組とラビハ組を合わせた6人はとても輝かしいものだったという事は改めて書いておきたい。特にラビハ組の場合、原作初期を知っていると、その輝きがより分かる様になっているのもポイントである。思えば、2021年8月26日にはごちうさの完全版であるComplete Blendの1巻が発売されたが、これは通常版の1巻・2巻が収録されており、9月27日にはComplete Blendの2巻が発売予定となっている事を踏まえると、原作最新話が回帰を思わせ、懐かしさを感じる構成になっているのも、ある種のファンサービスと言えるのかもしれない。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙32枚分であり、これは現時点で過去8番目の文量である。毎月の様にここまで安定して書けると言うのもごちうさ愛がなせる業だと言えるのだろう。

*1:ノ、ヤ、グという名前から一文字ずつ取って理世ちゃんが名付けた、いわば小隊の通称名。因みに提案された最初こそは3人共乗り気ではなかったが、今では作中に留まらず、読者ファンにも広く浸透しており、3人も普通にチマメ隊と自称するまでに乗り気になっている。

*2:球技大会やクリスマスが最たる例であり、どちらも過去2回登場しているが、1回目と2回目の繋がりを意識した描写こそ多い反面、2回共に殆ど合致する様な構成・場面は意外と少ない。ただ、2回描写された行事・出来事の構成・場面に絶妙な変化が設けられているのは「同一登場人物の心境変化と成長を表すため」だと言えよう。

*3:心愛ちゃん達の高校である智乃ちゃんと冬優ちゃん、紗路ちゃんの高校であるマヤメグと神沙姉妹は同じ学校故に良き仲である。

*4:冬優ちゃんとマヤメグ、智乃ちゃんと神沙姉妹。

*5:この事実を知った時、智乃ちゃんは神沙姉妹がブラバの社長令嬢だった事に驚愕していた。

*6:これは嘗て高校生組と智乃ちゃんの5人で行ったお泊り会の時の理世ちゃんを彷彿とさせるもので、顔を赤らめているのも、わざわざ智乃ちゃんの中学生時代の制服を着た理由も同じである。

*7:冬優ちゃんは腹話術を用いると、内向的で躊躇いがちな普段とは打って変わり、自分の思った事を相手に対して一切の遠慮も躊躇もなくストレートに言う様になるのだが、ここから冬優ちゃんは「物の力を借りると恥ずかしさと物怖じを振り払う事ができる」と言える。

*8:これに限らず神沙姉妹は2人一緒に行動する事が多く、それ故に単独で行動する事もあると言えど、神沙姉妹は常に2人一緒に居ると言うイメージが湧きやすい。

*9:特に映月ちゃんが顕著であり、他にも言いたい事を躊躇いなく言う事から周りを驚かす事もしばしばである。尤も、2人共に人が嫌と思う様な事は基本的にしない良い人である。

*10:神社姉妹が社長令嬢だった事を知った時の反応が顕著な例。

*11:尤も、原作のテイストが絶妙に変化するターニングポイントは原作9巻以前にも存在しており、その一つ一つがごちうさの良さを更に引き立てている。

*12:しかしながら、そんな悪い意味でど壺にはまってしまった時でも、ごちうさの可愛さを忘れてしまう事は一切無く、寧ろ可愛さにどんどん魅了されていた。この事から私が思い悩んでいた頃には、ごちうさは私の中では既に別格な存在だったのだろう。

*13:きらま2021年8月号の映月ちゃんがその代表格。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」3章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部3章を走っていった中で抱いた感想と考察について書きたいと思います。全体的にシリアス且つ重めのシナリオたる第2部ですが、それ故に考えさせられる事も多いものだと個人的には考えていて、今回もその様なシナリオを読み進めて思った事、考えた事を素直に書き出したいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、リコリスに関する部分は内容も少し重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回も括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。そして「○○章若しくは第2部○○章」メインシナリオ第2部の章を指し「第1部○○章」の場合、メインシナリオ第1部の章を指します。

1.はじめに

  「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。しかし、その旅はかつてない程の危機と、壮絶なまでの運命に翻弄される事になっていく……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、闇を滲ませる雰囲気も多く出てくる。第2部の敵対組織であり、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界*1を正す為に活動し、ひいては禁呪「リアライフ」を用いて聖典の世界を破壊しようと目論む「リアリスト」にしても例外では無く、組織内であっても深い闇が蠢いている様に思える描写が多く見受けられる。それ故に普段は割と気軽に楽しむ事のできるストーリーも多いきららファンタジアの中でもかなり異彩な雰囲気を放っているが、その分深みが他のシナリオよりも大きく、考えさせられる場面も多い。何も身構えずに読むと思わず精神的にくるものがあるが、よくよく読み込むと深い本質が見えてくるシナリオでもあり、その意味ではきららフォワードの「がっこうぐらし!」や、元々はオリジナル作品であるが、原作者にきらら作家がいる「魔法少女まどか☆マギカ*2にも通ずるものを感じている。そして、その観点から見るとこのメインシナリオ第2部は非常に上質なシナリオだと思う。

 これ以上書くと長くなるので、私がこのメインシナリオ第2部そのものに対して一通り思った事を書きまとめた過去の記事を貼っておく。この記事は第2部2章についてまとめたものだが、「1.はじめに」の欄に第2部について感じた事を書きまとめている。やや短めの内容だが、是非見て欲しい。

 

chinoroute63.hatenablog.com

2.第2部3章の感想・考察

3章とは

 3章は1章と同様にきららファンタジア参戦作品から「リアライフで呼び出されたクリエメイトを中心とした物語」であり、メインシナリオ第1部・第2部を合わせた中でも異色だった2章とは異なり、第1部を含めた第2部1章までの同様の構成をしており、簡単に言えば「禁呪魔法によって呼び出されたクリエメイトときらら達が行動を共にし、同じく禁呪魔法によって呼び出され、囚われたクリエメイトを助け出し、クリエメイトをもとの世界に返す事を目的とする内容」である。今回呼び出された作品はGA(芸術科アートデザインクラス)であり、3章の舞台も「芸術の都」となっている等、全体的に「芸術」を強く意識したシナリオ構成になっている。

 この章もメインシナリオ第2部の例に漏れずに中々に壮絶な物語であるが、芸術が持つ正と負、聖典が持つ力について考えさせられる物語でもあり、読んでいて心に来るものがある。そして、この3章ではリアリストの幹部たる「真実の手」が左手の「リコリス」が本格登場した話でもあるのだが、このキャラも中々な曲者で、思わず様々な感情が思い巡ったものである。この記事ではリコリスをはじめとしたキャラに焦点を当てつつ、本質的に迫れる様な感想と考察を書きだしたいと思うが、その前にこの3章においてのうつつちゃんの軌跡や心境変化について軽く書き出したい。

3章におけるうつつちゃん

 第2部における重要人物である住良木(すめらぎ)うつつ。どの聖典にも載っておらず、自身もエトワリアに来るまでの記憶を失っている。その為、どこの世界の住人なのか、出自はどうなのか、抑々彼女は何者なのか、それらの事が本人も含めて全く分からない。ただ、それ故に只者では無い事は明白であり、このメインシナリオ第2部のキーパーソンの1人だと認識しても大方問題無いと思う。

 性格は極度の根暗且つネガティブであり、何かにつけては自分の能の無さに繋げてしまう程に自分に自信が絶対的に無く、それ故に自分の事を卑下(ひげ)してしまう事も少なくない。他にも何かと悲観的なものの見方をしたり、後ろ向きな事を言ったりする事もしばしばであり、根っからのネガティブ体質なのが窺える。また、毒舌家である事を窺わせる一面があり、人(特に「リアリスト」)や自分自身に対して辛辣なコメントをする事があるが、これも彼女の自信の無さが多かれ少なかれ関係している。ただ、その一方でなんだかんだ言っても人の価値観を全否定しないで尊重したり、大切な人の為なら自分が出来る事を尽くしたい*3と考えたり、決して許す事のできない敵陣営(リアリストのこと)であっても自分と重ね合わせて行動理念を慮ったりするなど、根は心優しく且つ思慮分別がかなり深く、更に言えばいざという時には決して折れない芯の強い一面も持っており、ちょっとネガティブ思考が強過ぎる点を除けば根は良い人*4である。

 そんなうつつちゃんだが、3章においてはネガティブ思考こそ相変わらずだが、以前とは違う成長が垣間見える場面も見受けられる様になっていた。やはり2章におけるスクライブギルド長「メディアちゃん」との出逢いがうつつちゃんに多大なる影響をもたらしているという事なのだろう。そんな成長の中でも特に印象的なのが「誰かの為に自分の特殊能力を発揮させたい」と言う他人を救いたいと言う前向きな想いをうつつちゃん自らが積極的に抱き始めた事である。そもそもうつつちゃんは「ウツカイ」と呼ばれる敵陣営が使う文字をきらら達サイドの中では唯一解読する事のできる特殊能力を持っている*5のだが、2章からはそれに加えてリアリストの幹部達の会話を聞く事のできる能力にも目覚めている(但し、後者は3章時点でも自由にコントロールする事はできない)。この特殊能力に対して彼女は最初こそ後ろ向きだったのだが、この特殊能力が結果的に人を助ける事に繋がる事が分かり始めていくと、次第に彼女自身も変化していき、恐怖はありながらも前向きに自分から人を助けたい、役に立ちたいと言う意思を見せる事が多くなってきた様に感じている。根っからのネガティブ思考そのものは変わらないにしても、誰かに尽くしたいと言う想いや、自分の思う事、したい事を人に対して悲観的にならずにはっきり言う強い想いを徐々に表面化させていくうつつちゃんは、個人的には前向きな方向で大きく成長していると思っているし、とても良い事だと思っている。今後どの様にうつつちゃんが変化していくのかは未知数だが、良い方向に変化していくだろうと考えている。 

 ここからはリアリストが1人、リコリスの事について考えた事を記述する。そして、ここからのリコリスに関する部分は少々重い内容が含まれている為、特に注意して欲しい。

リコリスについて

※注意※

ここから「芸術の捉え方」の手前まで少々重い内容含まれています。 

 リコリスリアリストの幹部組織である「真実の手」が左手であり、真実の手の中でも下っ端と自ら称するヒナゲシちゃんがお姉様と慕う存在である。真実の手の左手と言うだけあって実力はリアリストの中でも指折りであり、ハイプリス様も信頼を置いている。但し、リコリス本人は表向きにはハイプリス様に慕っているが、裏ではハイプリスの事を嫌に思う事をボヤいている一面もあり、リコリスにとってハイプリス様「絶対的な上司」と言う訳でも無い様子が見受けられており、ここは「真実の手」が右手であり、ハイプリス様「絶対的な存在」と慕っているサンストーンとは異なっている。ただ、人と人の繋がり「パス」を断ち切る事のできる能力を持つサンストーンがハイプリス様を「完全に」慕っていると言い切るのは、個人的には一考の余地があると思うのだが……。

 特筆すべきはその性格と性質であり、一言でまとめると、言葉は相当悪いが「氷の様な心を持った冷血な女性」と言うものにまとめられる。短気で自己中心的な性格であり、気に入らない事があると直ぐに人(主にヒナゲシ)に当たったり、自分の意向に沿わない様な他人の価値観、才能や長所を頭ごなしに全否定したりと、兎に角冷血且つ我儘(わがまま)な一面が目立っており、それは自身をお姉様と慕うヒナゲシちゃんに対しても同様であり、良くて皮肉じみた嫌味、悪くてただの罵詈雑言を彼女に浴びせており、何かともっともらしい理由をつけて当たる事もしょっちゅうである。自信過剰且つ独り善がりな性格でもあり、ヒナゲシちゃんに対して「私に従っていれば良い。」と言わんばかりに独善的な事を言ったり、それに加えてヒナゲシちゃんに対して「お前みたいな奴は私しか面倒を見ない。」と言ったりする恩着せがましい面もある。因みにリコリスは相手に対して「自分だけが必要としていると相手に思わせ、相手を支配する」と言う手法を使っている場面が散見され、それをクリエメイト以外の、本来なら志を共にする味方である筈のヒナゲシちゃんにもやっているのが読み解ける。因みにリコリスの横柄且つ横暴な態度に対してヒナゲシちゃんは「怒られるのも乱暴されるのも嫌だが、捨てられるのはもっと嫌」と言っており、乱暴を働かれてもリコリスを慕い続けるのには、それ相応の確固たる理由故だと見る事ができる。

 但し、彼女には「優しさが全くないのか」と言えばそうでもなく、失敗続きのヒナゲシの事をフォローしたり、無邪気な一面を覗かせるヒナゲシを見てなんだかんだ愛着がある事を匂わせる反応を見せたりと、彼女とて「人としての良心や優しさはきちんと存在している」事を窺わせる描写も少ないながらも存在しており、それ故に「元々はそこまで冷血な人では無かったのが、彼女自身に募る屈辱とともに性格が変貌してしまった」可能性も十分に考えられる。彼女自身の内面が明かされている部分が非常に少ない為にここで断言する事は難しいが、あながち頓珍漢な考えとも言えない様にも感じている。

 自分自身が聖典を理解できなかっただけでクズみたいな扱いを受けた」経緯から聖典心から憎んでおり、それ故にリアリストの中でも特に聖典の世界を破壊することを望んでいる。この事に対して「聖典を心から愛し、同時に聖典が誰もが理解できる様な物である事」を誰よりも理解しているランプは思わず戸惑っていたが、リコリスは全く聞く耳を持とうとはしなかった。リコリスからしてみれば「世間ではどんなに上質なものと言われようとも、自分が理解できないものは破壊の対象でしかない。」という事なのだろうが、これは結局の所リコリス「自分が読めない様に出来ている聖典が悪い!」と責任転嫁をしている事に過ぎず、それを聞いたうつつちゃんからは「なんで、怒りを他人に向けるのよ……。」とそこはかとなく毒を吐かれている*6。因みにうつつちゃんは極度のネガティブ思考ではあるものの、そのネガティブの矛先は基本的に自分自身であり、他人に対しては主に根拠のない様なポジティブ思考に毒を吐く、所謂毒舌家な一面こそあるが、基本的に「他人が全て悪い」とは考えない一面があり、思慮分別は割にしっかりしている。その事を思えば、うつつちゃんが「リアリスト」に対してこの様な毒舌を飛ばした事には、うつつちゃん自身も何か思う事があった事の裏返しだと言えるだろう。

 そんなうつつちゃんの辛辣な言葉に対してリコリスは「世界が私を拒絶したのよ!居場所なんて、どこにもなかった!」と激高し、うつつちゃんに対しても「私と同じ様なものでしょ!」と責め立てている。言うまでも無い事だが、うつつちゃんとリコリスは全く違っており、リコリスの言う様に「2人は同じ様なもの」と言うのは成立しない。何故なら、リコリスが何を言っても「リコリスは他責(他人が悪い)だが、うつつちゃんは自責(自分が悪い)」だと言う事実は変わらないからである。それでもリコリスがこう言い散らすのには、後述する様なリコリス自身の心の弱さが背景にあるのだと思われる。勿論、リコリスが言う事も分からなくはないのだが、それでも流石に無条件にリコリスの言い分を受け取る事はできないであろう。

 この様にリコリスはお世辞にも性格が良いとは言えないどころか、寧ろ悪いと言わざるを得ない部分が目立っているのだが、その一方で「自分が1人になる事に恐怖を抱いている」一面があり、この事はリコリスヒナゲシちゃんの事をどうやっても見捨てられない理由ともなっている。つまりリコリスは精神的に弱い一面があるという事であり、この事はそのまま「自分が世界で受け容れられない事に対する強い不安と怒り」にも直結してくるとも考えられる。更に言えば、この様な弱さを抱えているが故にリコリスが上記の様な乱暴を働く理由ともなっている可能性があるとも考えられ、ここからリコリスが乱暴を働く理由として「世界が私の事を受け容れない事に対する不安と怒り」が大きな要因だと推測する事もできる。因みにリコリスと同じく「既存(聖典)の世界に居場所はない」と強く考えているヒナゲシちゃんにしても、細かくは違えど大筋はリコリスと同じ様な理由と経緯でリアリストの活動に勤しんでいるのが考えられる。どんなにリコリスから乱暴を働かれても、ヒナゲシちゃんがリコリスから見捨てられるのが嫌だと言う理由としても……。

 そんなリコリスだが、3章においてはヒナゲシちゃんとともにGAの登場人物であるキサラギを捕らえた上でリアライフをかけ、その上で「怒りと悲しみと絶望」と称する作品を描かせ、それを聖典に見立てる事で「芸術の都」にばら撒き、街を絶望に突き落とすと言う中々に悪辣且つ残忍な事を行っている。序盤はヒナゲシちゃんが表立って暗躍して、リコリスはそこから一歩引いた位置にいるが、再三ミスをするヒナゲシちゃんに痺れを切らした物語の中程から徐々に顕在化していき、きらら達にも直接接触する様になり、終盤になると彼女が持つ負の感情をむき出しにして行動する様になる。また、全般的に怒りの言動が目立っており、横暴な振る舞いも相まって見る人によってはリコリスの振る舞いに対して強い怒りを抱く可能性は否定できない。この事からただでさえ凄惨な一面を秘めている者が大半の「リアリスト」の中でも特に尖った性質を持つ人物だと言える。と言うか「リアリスト」の中で比較的まともなのは、現時点では「ハイプリス様」位だと個人的には思っているのだが……。

 これだけをみると基本的には「とことん利己的な奴」にしか見えないリコリスだが、何故彼女がここまで性格を黒く染め上げるまでになってしまったのか。その事を考える事も重要だと思っている為、ここからは何故彼女がここまでなってしまったのかを中心に考えたいと思う。とは言ってもそれで彼女の数々の横暴が水に流せるかと言えばその様な事は無いのだが……。

リコリスが持つ痛みと悲しみ

 前述の通りリコリスは短気且つ自己中心的な一面が強く目立っているが、その一方で「一人になるのが怖い」「聖典が理解できないだけで駄目な奴扱いされる世界が憎い」と言った心の弱さを滲(にじ)ませる一面を持っている。その理由について断言する事は、現時点ではリコリス周りの事情があまりにも少ない為に難しいが、そんな中でも「彼女が聖典を理解できない」と言うのは個人的には重要なポイントだと考えている。単純に考えてみても聖典ありきの世界であるエトワリアにおいて「聖典を理解できない」と言うのは明らかに異質な状態であり、何故理解できないのかその理由については3章では細かくは明かされてはいないとは言え、この事を無視する道理は最早無いと考えた私は、ここから「何故リコリス聖典を理解できなかったのか」と言う理由について、自分なりに考えてみたいと思い立った。

 まずはリコリス聖典を理解できなかった理由として私が思い浮かべるものは2つあり、それを箇条書きで示したいと思う。その内容こそ、下記の2つである。

  • リコリスが育った環境においては、聖典が重要視される様な環境に無かった為、聖典の意味を知る機会が無かった。
  • リコリスの価値観にしてみれば「聖典に読む事は、生きる糧を得る事である」という事の意義が良く理解できなかった。

 1つ目は「育ちの過程において、聖典が重要視される様な環境に無かった為に聖典の意義を知る事が無く、結果的に聖典を理解できない様になってしまった」と言うものである。抑々エトワリアにおいて聖典「生きる為に必要なもの」である事は言うまでも無いのだが、実の所その価値観はどこで築き上げられるものなのかについては明言されていないため、それ故に育ちによっては聖典の重要性を知る機会が無いと言う可能性もゼロとは言えない。そう思うならば、リコリス聖典の重要性や意義を知る機会が無かったが故に「聖典を理解できない」となった可能性もあり得ると言え、これは私がそのまま1つ目の仮説として採択した根拠ともなっている。明かされている事が少ないが故に間違いとも正しいとも言い難いが、知る機会が無かったが故に「理解できない」様になった可能性は、個人的には十分にあり得ると考えている。

 2つ目はリコリスの価値観にとっては『聖典がエトワリアの人々にとって生きる糧となる』と言う意義が良く理解できない」と言うものである。これは1つ目と異なりリコリス聖典の意義を知る機会はあったが、彼女の価値観にとって理解できる代物ではなかった」という事であり、言うならば結論こそ1つ目と同じとは言え、そのプロセスが異なっている。個人的にはこちらの方がよりあり得る仮定だと考えていて、その理由として「物事そのものは知ってはいるが、その意義は理解できていない状態」を形容する様な仮定になっていると言うのがある。言うならば「物事の本質を理解できていない状態」を表している為、この事が何らかの学びを進めていく過程の中で誰もが経験することだと言える事も思えば、誰にでも起こり得る事象として採択する価値は十分にあると考えている。

 また、リコリスが言っていた聖典を理解できないだけで駄目な奴扱いされる世界が憎い」と言うものは、1つ目・2つ目の仮定どちらであっても同じ論説が導けると私は考えており、これは「エトワリアにとって、聖典を理解できない事はあり得ない事であるが故に、理解できない人は変わり者扱いされる」と言うのが導けると考えている。恐らくはリコリスが言う様な聖典を理解できない奴はエトワリアにおいては一切の例外なく除け者扱い」と言った極端なものでこそ無いとは思うのだが、それでも「聖典を理解できない者は変わり者扱いされる傾向」はあったと思われ、それがリコリスにとっては何よりも受け入れ難い事実だった事が、リコリスがリアリストに加担した大きな理由だと考えている。つまりリコリス「絆や聖典等と言う、彼女にとってはどうやってもその意義や重要性を良く分からない概念に辛酸をなめさせられた過去を持つ」*7事は恐らく明白であり、それが彼女の性格をも大きくねじ曲げてしまった可能性も十分にある。

 これが、私が考える「彼女が持つ痛みと悲しみ」であり、これを思えばリコリスが「とことん利己的な奴」だと一概には思えなくなってくる。無論、彼女の横暴な行為・言動は客観的に見て決して看過されるものでは無く、彼女にも責任があるのは事実だが、それでも彼女が辿ってきた経緯や環境を思えば、一口に「彼女だけが悪い」と思うのもまた、現時点では早計なのは事実であろう。その事を鑑みて、彼女の事を見定められる様になるのは「今後の展開次第」という事になると思われる。

 ここからは大きくテーマを変えて、3章の大きなテーマとも言える「芸術」について3章の描写から感じた事を記述する。3章は元々「芸術の都」を舞台としている事もあって、芸術に関する事象が多く登場しており、3章における登場作品も芸術をテーマとしているGAになっている。それ故に3章を説くにあたって個人的には「芸術が要となる」と考えていて、ここではそんな芸術の「光と闇」ひいては哲学・美学的な事柄について個人的な考えを書き出したいと思う。

芸術の捉え方

 抑々この3章における芸術は大きくみて「元々華やかで美しいものだったが、リアリストにより闇と破壊の雰囲気をもった暗いものに塗り替えられ、そこから光を取り戻すために奔走し、最終的に光を取り戻す事に成功し、更に闇もとい暗い雰囲気と、光の雰囲気を調和した芸術をも新たに生み出した」と言う流れが存在しており、この中でも所謂「光と闇」がクローズアップされたのが印象的である。因みにここにおける光と闇は云わば「希望と絶望の対比」を暗に指し示した構造にもなっていると考えている。

 作中においてはうつつちゃんが闇の側面を持った暗い芸術にどことなく惹かれ、光の芸術を良しとするランプちゃんがそれを否定すると言う流れがある様に、うつつちゃんが闇の側面を持つ暗い芸術に惹かれ、一方でランプちゃんが芸術は光即ち「希望」と考えていると言うある種の対立構造が存在しており、事実闇の側面を持った暗い芸術にどことなく魅力を見出すうつつちゃんを、ランプちゃんが「そんなの気にする必要は無いです!」と声高に否定するシーンも存在している。ランプちゃんがこの様な事を言ったのには「リアリストの思念が込められた様な芸術を気に留める必要は無い」と言った意味合いも含まれていた事は容易に想像できる為、何もうつつちゃんの事を貶す為に言った訳では無い事は理解できるが、それでも後に頭ごなしに否定してしまった事をランプちゃんはうつつちゃんに対して謝っている。これに対してうつつちゃんはそこまで気にしていない反応を見せており、うつつちゃんの優しさと器量の大きさが垣間見えている。因みにGAの登場人物も「闇の側面を持った暗い芸術に対して理解を示す者」と、どちらかと言えば「光ある芸術を良しとする者」に分かれており、前者がナミコさんとキョージュ、後者がノダミキに該当する(トモカネはさほど言及してはいない)。ただ、暗い芸術が存在する事そのものについては全員が理解を示しており、最終的には好みの問題とも言える。

 芸術が持つ「光と闇」について私としてはどちらかと言えばうつつちゃん若しくはキョージュ寄りの考え方をしており、私も「闇を持った暗い芸術」はどこか惹かれゆく魅力を持つものとして認識している。元々私は負の感情もとい暗い魅力を持つ様な芸術作品に対しては独特の拘りを持っており、何故(なにゆえ)か負の感情を多分に秘める作品を好む傾向が強く存在している。例えば私はクラシック音楽が好きなのだが、その中において長調よりも短調の方が好みの曲として多く挙がる上、短調の中でも特に「内面に秘めしメランコリック(憂鬱)な雰囲気を多分に感じさせる様な曲調」に心を奪われる傾向にあり、その中でもメランコリック且つ絢爛豪華(けんらんごうか)な雰囲気と、天才的なリズムセンスを持つチャイコフスキー作曲の交響曲第6番ロ短調「悲愴」Op.74は、独創的な作曲構成と作曲者のあらゆる感情・思想が込められた、恐るべき雰囲気を持つ交響曲として正に私の心を射抜く芸術作品だと認識している。「悲愴」は虚無な雰囲気と不吉な結末を暗示させる事から決して明るい曲では無く、正に暗い側面を持った曲なのだが、それ故に私は心惹かれる。何故結末を不吉な未来を暗示させる様なものにしたのか。その様な事を考えるだけでもどんどん心奪われていく。無論、痛みは多分に伴うのは承知の上だが、明るい概念にとどまらない、暗くも独創的な境地を探求する事に意味を見出している私にとっては、最早多少の痛みくらいは驚かなくなってきている。尤も、人並みに喜怒哀楽は兼ね備えているつもり*8だが、こと芸術的感性は独創的なものになりつつあるのだろう。

 また、私は芸術と言うものを往々にして「その創造物を創り出した者の、その時のあらゆる感情・思想が一挙に込められたもの」だと捉えている。今回の3章においても創造者の想いを探る場面は存在している*9のだが、それと同じ様な感覚、或いはそれ以上だと言えるもので、一つの創造物から創作者の意図や思想、その作品に込められた強き想いを勘ぐる事を意識しつつ、芸術作品を堪能するのである。尤も、私はプロの芸術家では無いので、言ってしまえば一般的な感覚・視点を元手に芸術的感性を研鑽(けんさん)している事にすぎないのだが、それでも芸術作品をよくよく読み込んでいけば、プロの芸術家の人達が持つ様な深淵たる領域には程遠くとも、少なくとも今までの自分とは全く違った自分を築き上げる事ができるうえ、今までの自分では気付かなかった視点が見えてくるものだと考えている。更に言えば、芸術作品に込められた創造者の強き想い、意図、思想等を深く読み解く様に、芸術を堪能する事の意義は誰であっても見いだせるとも考えていて、ひいては芸術の限りない創造性は創り手だけに留まらず、受け手一人一人の感性も加わって生み出されるものだと思っており、それ故に自分は素人だからと芸術を堪能する事を躊躇(ためら)う必要は無いとも考えている。思う事は様々あっても、やはり個人の芸術的感性を存分に発揮してほしいと言うのが、私個人の想いでもある。

 そして、その見出した意義が対象とする芸術が「光輝く明るい芸術」でも、はたまた「闇が蠢く暗い芸術」のどちらであっても私は良いと思っている。自分が見出した芸術の美学がたまたま「暗い成分を多分に含んでいた」としても、その芸術に自分が大いなる魅力を見出したのなら、それは立派な芸術的感性だと考えている上、その感性に対して好き好みはあっても、誰にも否定する事は出来ないとすら考えている。見る人、聴く人によって様々な感触を抱くのが芸術の醍醐味だと思うなら、この様に考えるのもある意味必然の成り行きだと思うが故なのだが、その一方で多くの芸術的世界観・センスを見聞きしてみたいと言う私自身の想いの強さも関係しており、この2つが重なり合う事によって、私が持つ「芸術の美学」の根幹をなしている。

 以上の事から、私としては芸術が持つ「光と闇」についてはそのどちらも「大いなる魅力を秘めしもの」として理解を示している上、私としても芸術が持つ「光と闇」についてはどちらに対しても強い興味をそそられる。つまり私は、芸術的感性に限って言うなら「光に満ち溢れる様な明るい芸術を好む傍ら、闇が蠢く様な暗く底知れぬ芸術も同じ位に好み、尚且つ他者に対してもその様な芸術的センスを理解できる器量を兼ね備えている」という事になり、ひいて言うなら「芸術は往々にして創り手と受け手の芸術的感性が融合して生み出されるもの」だと認識している事にも繋がっている。尤も、実際の所は多くの芸術的センスに触れていく内に価値観は徐々に更新されていくものである上、私が言う様な「人の数だけの芸術的感性が存在する」のなら、私の価値観では到底理解できそうにないと思わず感じてしまう程の芸術的感性に出会ったり、逆に私が秘めている芸術的感性が周りから中々理解されなかったりという事は当然のことながらあり得る事象でもある。これは何も芸術的感性に限った話では無いのだが、多くの価値観に触れていく事が必ずしも良い事ばかりでも無いと言うのは自ずと理解している事ではある。

 ただ、上記の事は意識する事は大切だと認識しているが、これをもって「己が持つ根幹の芸術美学を何もかも変えてしまう必要性はない」とも考えている。どんなに苦難な事が待ち受けていたとしても、自分が大切だと思った価値観は自分だけが最後まで大切に出来るものなのであり、それを思うなら自分だけが持つ価値観を大切にして欲しいと思うが故なのだが、勿論現実には様々な事情故にこの様な綺麗事ばかりでは済まない事もあるのは重々に承知している。しかしながら、各々が持つ個性的な価値観やセンス、独創的な境地をも示す芸術的感性は、誰にも真似する事のできない唯一無二の魅力を持つものでもある。それをどうするのかは個人の自由だとは痛い程分かっているのだが、それでも私としては「自分だけが持つ感性を簡単に捨てずにどうか大切にして欲しい」と常々思うのである。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部3章で考えた事である。この3章もメインシナリオ第2部らしく中々にシリアスな内容ながら、それ故に考えさせられる事も大いにあるものだったと認識している。言うならば、章を追うごとに少しずつ変化していく何かを追い求めていく様に、このメインシナリオ第2部を体感している事である。

 その様にして体感した今回の3章は、芸術と深い関わりを持つ舞台設定に、芸術をテーマとする作品が登場したり、シナリオそのものも芸術理論を思わせる様な内容も多数登場したりしてきた事に想いを馳せつつも、その一方で根底にある闇を確実に露呈しゆくリアリストをどの様に捉えるべきなのか、中々に難儀した章であったと自認している。抑々メインシナリオ第2部は全体的にシリアス且つ重めの雰囲気が特徴的であり、人によって感じる事も思う事も大きく違ってくるとは考えているのだが、その様な中で私は一体何を思うのか。その事を書き出す事を今回は特に意識して書いている。尤も、その結果がメインシナリオ第2部3章の感想・考察の枠を超えて、最終的には最早哲学・美学の話になったのは流石に行き過ぎたと思う所もあるのだが、これは前述の事を意識して書いた結果でもあるので、ある意味私の想いを特に率直に書き出せた事を証明しているとも考えている。

 3章において存在感を遺憾なく発揮した「リアリスト」の「真実の手」が左手のリコリスだが、表立っては完全にヴィラン(悪役)の性質そのものであり、過激な性質・言動も相まって良い印象を抱けないと言うのは疑いようのない事実だと言わざるを得ないとは感じている。だが、それでも彼女のヴィランたる性質に隠された内面性を思えば、私の心は大きく揺れ動く。抑々私は「リアリスト」の人物に対して思う所が全体的に見ても多くあるのだが、リコリスはその「リアリスト」の中でも特に尖った性質をしている事もあって特に思う所がある。それで言うならば、私は前章である2章の感想・考察においても「リアリスト」や「真実の手」のヒナゲシちゃんに対して感じる深き想いについて叙述したものだが、それは3章においても同様であり、2章で感じた数々の想いに勝るとも劣らない「リアリスト」についての感想・考察を書き出し、リコリスについては特に深く想いを馳せつつ書き出している。今後その想いがどう変化していくかは未知数だが、少なくとも現時点ではリコリスヒナゲシ、ひいては「リアリスト」に対して「ただならぬ想いをもって考察する」と言う意思に揺らぎはない。何故なら、私は既にメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」を、どんな事があっても、どんなに辛い展開があっても、最後まで読み込みたいと、固き意志を築き始めているのだから……。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部3章で私が抱いた感想・考察である。3章はリコリスと言う圧倒的存在感を持つキャラの本格登場により、個人的には大きな何かを掴むきっかけにもなるとも感じており、今後の展開にもつながる重要な要素も含まれていると感じている。私としてはそれらのついての想いを持ちつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

 今回の文量は400字詰め原稿用紙35枚分となり、これは過去6番目の多さである。因みに過去7番目は400字詰め原稿用紙34枚分である。

 因みに文量をランキング付けすると以下の通り。

1位 400字詰め原稿用紙 59枚分

2位   以下同文   51枚分(文量が上)

3位          51枚分

4位          42枚分

5位          39枚分

6位          35枚分(今回の記事)

7位          34枚分

*1:世界とはエトワリアの事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。

*2:因みにどちらも「ニトロプラス」が原作に関わっている。

*3:2章におけるスクライブギルド長「メディアちゃん」が最たる例であり、それは3章でも同じ様な事が窺える。

*4:この事は、後述するうつつちゃんとリアリストが「同じ思想を持つ人間だと成立しない根拠」にもなっている。

*5:この特殊能力をめぐっては、2章においては七賢者が1人、フェンネルから「実はリアリストの仲間ではないのか」なとど懐疑の目を向けられたが、最終的にはフェンネルもうつつちゃんを認め、友好を深めている。フェンネルも本来は話の分かる人なのだが、元々は傭兵だった自身の経緯故に見知らぬ人に対して容易に警戒を解かない傾向にあり、自身の真面目な性格(但し、その一方でメインシナリオ第1部におけるきらら達を言葉巧みに騙して利用する狡猾さならびに任務を果たす為ならどの様な手段も厭わない冷酷な一面をも併せ持っている。ただ、この時はきらら達とフェンネルはまだ打ち解け切れていなかった事と、お互いに色々誤認且つ誤解していたのもあるのだが……。)と立場も相まって中々警戒を解くに解けなかった事情は容易に察せる為、少々堅物過ぎた点は問題だったとしても、ある程度は致しなかったとも言える。

*6:このコメントはリコリスだけでなく、リアリスト全体に対して向けられており、うつつちゃんの毒舌センスが遺憾なく発揮されている。

*7:これは『真実の手』が右手たるサンストーンも恐らくだが同じ事が言えると考えており、3章におけるキサラギとのやり取りからも推察する事ができる。

*8:但し、喜怒哀楽は普通に兼ね備えていても、感性が人と大きく違うなら全くもって話は変わってくるが。

*9:これは囚われの身となったキサラギを助け出す手掛かりを掴む大きなきっかけにもなっている。

きらま2021年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。この頃ダークな魅力に改めて惹かれつつあるが故に、ごちうさにもそう言った属性を持つ存在が居たら良いなと思っていましたが、その条件に合致する存在が1人居ましたね。その事に私は今月の16日つまりきらま購読その日に気付きましたよ。これでごちうさをもっと好きになれる……!

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年9月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今回は個人的にはごちうさのダーク且つ異質な魅力を一挙に引き受けているとまで考えている狩手結良ちゃんが大々的に登場するので、ダークな魅力を好みとする私としては、結良ちゃんが持つダークな魅力を強調して書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回はややダーク色が強めな内容となっています。少々インパクトの強い内容も含まれているので、インパクトの強い内容が苦手な方はご注意下さい。

1.はじめに

 今回のお話は理世ちゃんの幼なじみにして同級生でもある狩手結良ちゃんが大々的に登場してきたお話であり、それまで登場回数の少なさ故に謎が多かった彼女の一面が垣間見える事が大きなポイントになっている。また、今回はそんな結良ちゃんが「以前理世ちゃんに対して『嫉妬する』と明かしていた」心愛ちゃんに対して主に魅せてくるダークな一面が大きな魅力であると個人的には考えており、総じて言うならば「可愛さもダークさも兼ね備えた心震える回」だと言えよう。

 ただ、今月号のお話はごちうさにしてはかなり異質な回でもあったと個人には感じ取っている。ダークで異質な魅力を持つ結良ちゃんが登場しているのだから、ある意味当然とは言えるのだろうが、それを抜きにしても結良ちゃんの行動が、普段のごちうさキャラの思わぬ影たる一面が暴かれていく様な感覚には少々興奮と恐怖を覚えた。しかしながら、それでもごちうさの基本理念を破壊されると言う懸念を全く覚えていないのは、ある意味私にとってのごちうさ「既に常識が通用しない異質な概念をも秘めている存在」となりつつあることの証明でもあるし、それはそれで少々怖い気もするのだが、それ以上にごちうさが既に「確固たる世界観を築き上げている証」でもあるのだろう。それ故に少々異質な存在が居たとしても世界観もろとも破綻(はたん)する事は無いし、結良ちゃんがごちうさの世界で馴染める理由でもあると思われる。尤も、それは私が後述する様な作中の結良ちゃんと同じ様に、単に「物事の道理をあまりにも都合よく考え過ぎている」とも言われかねない側面も孕んでいるのは疑いないだろうが……。

 因みにそんな狩手結良ちゃんに対して、嘗て私が2カ月以上かけて書きまとめた記事がある。ただ、この狩手結良ちゃんについてまとめた内容、全て合わせると400字詰め原稿用紙59枚分と、私が書いたブログ記事全体の中で最も多い文量となっている。一応結良ちゃんの特性重視で書き出した部分は全体の中でも最初の方に集約させているのだが、それでもかなり文量は多くなっている。尤も、最近のきらま掲載のごちうさ感想文も400字詰め原稿用紙にして51枚分の文量はあるのだが……。

 今回は狩手結良ちゃんの様々な特性については文量が必要以上に膨大になる観点から省いているので、狩手結良ちゃんについてどんな人なのか気になった人は、是非下記の記事も閲覧してみて下さい。特性については記事の前半で一通りまとめていますので。

chinoroute63.hatenablog.com

2.購読した感想・考察

異質な感覚

 今月号のお話は、何と言っても結良ちゃんが大々的に登場する事が大きなポイントなのだが、ミステリアスな魅力を持つ彼女らしくその行動は大きく飛んでいた。このお話は基本的な筋道として「妹が増えてきたが故に意識を改革しようかと思い悩んでいる心愛ちゃんを結良ちゃんが色々とコーディネートする」と言うのが存在しているのだが、その時の結良ちゃんが起こした数々の行動の異質さと、その結良ちゃんの異質な行動を超える反応には驚きを隠せなかった。

 まず心愛ちゃんと初めて対面した際に結良ちゃんは「いきなり後ろから手を使って心愛ちゃんの口元を覆い被せ、その状態で『だぁ~れだ?』と問いかける」と言う奇怪且つ異質極まりない行動をとっている。その行動に対する心愛ちゃんの反応としては、まず匂いで結良ちゃんだと当ててみせ、結良ちゃんから「ソムリエココアちゃん」だと褒められていると言うものだが、どう考えてもお互い異質な応対である。抑々何故に「だぁ~れだ?」と結良ちゃんがあてっこゲームなるものを心愛ちゃんに仕掛けたのかすら個人的に理解し難いのは否めないが、それをあっさり当てる心愛ちゃんも心愛ちゃんで「どういうセンスしているの?」となるので、結良ちゃんの一連の行動を見て嫌な気こそしないものの、やはりまともに理解する事は困難だと言うのが本音ではある。

 また、後日結良ちゃんは心愛ちゃんにした事と同じ事を理世ちゃんにも仕掛けているのだが、それをした途端に理世ちゃんに咄嗟に放り投げられてしまっている。軍人気質が強い理世ちゃんらしく「正体不明の存在が危害を加えようとした時(勿論結良ちゃんは本気で理世ちゃんに危害を加えようとは思っていない)の自衛行動」と言えばそれまでだが、それを至って普通の環境下にある自宅で行うのは、常識的に考えるならやはり異質な応対であろう。普通に考えても「いきなり口元を覆い隠されたから放り投げる」と言う発想には至らないし、抑々何故にその様な事をしなければならないかと言う意味でも、理世ちゃんの行動には理解し難い面がある。尤も、結良ちゃんの行動も一般的には理解し難いものであるため、結果的に私の中では「双方共に理解し難い行動が飛び交っている」と言うカオス(混沌)な事になっている。ある意味「幼なじみの交流」の一端なのだろうが、その交流が変である事は言うまでもない。因みに投げられた結良ちゃんは「ココアちゃんもやばいけど、リゼもやばぁ。」と言っていて、それに対して理世ちゃんは「ヤバいのはお前だ。」と言い返しているが、私からすれば「心愛ちゃんも含めて3人共にヤバい所あるよ……。」と言いたくもなる……。そりゃ「口元を覆い隠くし『あてっこゲーム』なるものを仕掛ける人(結良ちゃん)と、それに対して乗り気であっさり回答してしまう人(心愛ちゃん)と、仕掛けるや否や放り投げる人(理世ちゃん)」を見たら、誰一人まともな対応をしているとはお世辞にも思えないものだと思うのだが……。

 他にも結良ちゃんが提案した「悪な女ぶる事」を心愛ちゃんが「楽しそうな事」だと受け取ったり、その「悪な女」も一般的に呼ばれる「悪女像」とは全然違うものだったりと、異質な感覚を思わせる要素は特に多い様に感じたのだが、これは言うならば「結良ちゃんや心愛ちゃんの感覚が、世間一般とは良くも悪くもかなりズレている事」を示唆している様にも思える。それは決して悪い事では無いのだが、感覚があまりにも世の中とズレているとそれはそれで苦労する事も良く分かっている事と、独創的な思想を持つが故に異質な感覚が理解できる事もあって、私には特に目立って見えたのだろう。尤もそれは完全に「人の事を言えない立場」なのを明白にしているとも言えるが。

 最終的にはお互い異質もといズレた感覚を持ちつつも結良ちゃんと心愛ちゃんは2人で仲良く「悪な女」を楽しむ事になる*1のだが、当たり前だが2人共に本当に悪い事(法に抵触する行為)はしていない。あくまで普段の自分とは違った自分を引き出すと言った意味合いであり、その意味では「悪女」と言うより「イメチェン」に近いものがある。その意味では心愛ちゃんも結良ちゃんも世間一般とはズレているとは言え、本質的には比較的健全な感覚なのは明白だが、ズレるのは感覚だけに留まず、言葉の意味までズレが生ずる事になる。

言葉の意味の擦れ違い 

 何かとズレつつも結良ちゃんと心愛ちゃんは悪女もとい「大人の女性」を楽しんでいたのだが、その中において私は要所における「一つの言葉が指し示す意味が絶妙にズレていく」のが妙に気になり、同時にとても面白く興味深いとも感じ取っていた。見方によっては「今月号の心愛ちゃんと結良ちゃんを凌ぐ位に奇妙な感覚」と言う風に映るかもだが、所謂「言葉遊び」ごちうさでは珍しくなく、言葉好きにとっても面白いマンガでもあり、個人的にはその「言葉遊び」に結良ちゃんが絡むと途端に異質な雰囲気を纏うのが何とも言えず、好きでもある。今回はそんな「言葉遊び」について私が気になったもの3つを取り上げる。

 1つ目は「匂い」である。これは一般的に「香りや雰囲気(オーラ)」として扱われるものであり、ごちうさにおいても最初は心愛ちゃんと結良ちゃんの最初のやり取りにある様に「香りや雰囲気(オーラ)」と言った意味合いで使われている。だが、結良ちゃんが理世ちゃんに対して携帯で心愛ちゃんの「イメチェン」を報告した時にも「匂わせ~」と、あからさまに「匂い」が包括されている単語を言っているのだが、ここでの「匂わせ~」は「香りや雰囲気(オーラ)」ではなく、誰かに対して「○○を匂わせる発言をする」と言う使い方がある様に「それとなく分かる。理解する事ができる。」と言った意味合いで使われている。これこそ私が考える一つ目の「一つの言葉が指し示す意味が絶妙にズレていく」事象であり、最初は「香りや雰囲気(オーラ)」と言った意味合いで使われていたのに、急に「それとなく分かる。理解する事のできる」と言った意味合いに同じ言葉なのに変化すると言う違和感と面白さが同時に襲ってくる感覚があった。しかしながら「匂い」と言うのは、一応「匂い」と「匂わせる」と言う風に意味合いが変われば言葉尻もそれに応じて異なっている事もあって、普通に考えたら「同じ言葉でも意味合いが違う事は比較的容易に想像できるもの」になっている為、特段特別視すべきものでもないのかも知れない。

 2つ目は「盛る」である。これは多義的な意味合いを持つ言葉として日常的に使われているものだが、ごちうさにおいてはまず「胸の大きさを盛る」事から使われている。この使用場面は胸の大きさにコンプレックスがある紗路ちゃんが、胸の大きさにポテンシャルがある心愛ちゃんに向けて毒づいている場面であり、その後も紗路ちゃんの胸の大きさを揶揄ってきたり、悪意が無いとは言えど*2暗に小バカにしてきたりする友達(特に千夜ちゃん)に対して遂にキレて飛び出してしまうのだが、 この展開はごちうさを初期から読んでいるなら既存の展開であり、実はそこまで飛んでいる内容でも無く、ある意味「仲が良く、心から信頼し合っているからこそ言い合える事」だとも言える。その後も「盛る」と言う言葉が使われているが、ここでは今までと違い「話を盛る」と言う意味で使われている。つまり「事象を過大表現する」意味は同じながら「その対象が異なる」と言う少し変化球になっている。この手の変化球はごちうさではさほど珍しくないが、個人的にはごちうさの面白い点だと思う。

 そして3つ目は「ワル」である。これは今月号の異質な雰囲気を引き起こす程のズレを引き起こしている根幹だとも考えており、特に結良ちゃんが考えている「ワル」と、心愛ちゃんが考えている「ワル」があまりにもズレているのは最早恐怖すら感じる程。この事は下記において詳しく説明する。

凍てつく魅力と先進の視点

 抑々心愛ちゃんと結良ちゃんは、基本的に相性そのものは良く、噛み合う部分も多いのだが、一つだけ噛み合っていないものがある。それが前述の「ワル」に対する考え方であり、このズレは中々に恐怖を覚えている。そんなズレが牙をむくのが心愛ちゃんと結良ちゃんにとっての刺激的な日が一段落した時であり、結良ちゃんの本性が襲い掛かってくる場面でもある。

 場面的に言えば「お姉ちゃんをやっている私にとって息抜きになった」と言った心愛ちゃんに対して、結良ちゃんが「それはお姉ちゃんを演じる事につかれた事だ。」と言い放ち、その上で「どうしてそんなに『お姉ちゃん』に拘るの?」と心愛ちゃんに問いかけているのだが、その顔が所謂「美形悪役の魅力のそれ」であり、如何にもヴィラン(悪役)全開の特性をしている。それだけだと単に「怖い」だけなのだが、更にその上で心愛ちゃんに対して「私(結良)といる時くらい、皆の事は忘れて妹になりなよ」と、心愛ちゃんに対して凍てつく様な感情をもって本気で問い詰めている場面を観たら、最早恐怖を通り越して「カッコイイ」とすら思えてきた。元来私はヴィラン特有の凍てつく様な魅力、人を惹きつける様な雰囲気にカッコ良さを見出しているのだが、結良ちゃんにも同じ様なものを感じている。

 結良ちゃんに対しては元々「明るい感情を持っている傍ら、冷酷とも思える様な感情」を秘めていると言う両極端な一面があると感じてはいたのだが、所謂「美形悪役」の魅力については最近まで全く感じていなかった。ただ、それが今月号において心愛ちゃんに対して「悪魔の様な雰囲気で心愛ちゃんに対して悪魔の囁きをする」と言う行動を見て「美形悪役の魅力」を急激に感じる様になり、やがて「お姉ちゃんなんてしんどい事は忘れて、自分の妹になってしまえば良いよ。」と言う結良ちゃんの誘惑にどんどん惹き込まれていく事で「美形悪役の魅力」を更に見出す様になり、それがひいては今月号において結良ちゃんが秘める「ワル」な部分が存分に出た場面とも思える様にもなってしまった。また、冷たき魅力を前面に押し出して心愛ちゃんを誘い込もうとするのは正に「魔性の魅力」とすら思えてきており、最早私は結良ちゃんその人の「悪魔の様な魅力」に心を蝕まれ続ける運命にあるのかも知れない……。

 ただ、これはごちうさにしては異例であり、それ故に結良ちゃんが「異質な雰囲気を持つ異端児」として扱われる理由にもなっているとも考えている。しかしながら、その異質な結良ちゃんが提示した問いに対する心愛ちゃんの反応もまた、違った意味における「異質」な面があり、まず結良ちゃんが提案した「自分の妹になれば良い」と言う事に対して心愛ちゃんは確固たる意志をもって否定しているが、実はその表情は明かされていない。この点も気になる部分ではあるのだが、そんな心愛ちゃんは結良ちゃんに対して何と「結良ちゃんみたいな妹は大歓迎」とまさかの逆アプローチをすると言う異質な返しを行っている。これには流石の結良ちゃんもタジタジになってしまい、その後結良ちゃんは「悪い子は私だけで十分だ。」と言い、心愛ちゃんは悪い子を無理に演じる必要は無いと助言した上、心愛ちゃんに対して揶揄った事を謝っている。ただ、それに対する心愛ちゃんの反応はかなり変わったものであり、それは簡潔に言えば「結良ちゃんの行動は悪い子の行動ではなく、良い子の行動だ」と言うものなのだが、この事をもって結良ちゃんは「軽率にそう言う事を言ってしまう心愛ちゃんはやっぱりワルい子」だと言っている。この事から「自覚なく人の気持ちを自身に惹きつけ、悪い考えですら好意的に受け止めてしまう無意識の特性」*3が心愛ちゃんの「ワル」な部分だと言えるが、ズレにズレて最終的には丸く収まると言うのはごちうさの常套句でもあり、結良ちゃんと心愛ちゃんと言う異質なコンビにおいてもそれが生きているのは安心の点だと言える。

 但し、この一連の反応を観て私は手放しに喜ぶ事は出来なかった。何故なら結良ちゃんがこの様な反応をしたのには暗に「人の真意を少しも疑う事をしない心愛ちゃんの事を心配している」のが含まれている様に感じたからである。心愛ちゃんは良くも悪くも「人の事を疑ったり、悪く思ったりしない」と言う大らかで人の悪い所を気にしない一面があり、それは結良ちゃんに対しても例外では無く、本来結良ちゃんが心愛ちゃんに対して見せている行動の裏には「揶揄ったり、邪魔立てしたりする為に裏工作を嗾(けしか)けている」のが存在している中で、結良ちゃんの一連の行動を心愛ちゃんは「自分を励ます為に結良ちゃんが働きかけてくれた」と好意的に解釈し、結良ちゃんが少なからず持っている悪意に対しては、知ってか知らずか全く気に留めようとしない所があった。これは決して悪い事では無いのだが、これが結良ちゃんにとっては「面白くない」と言うより「人の想いを少しばかりポジティブな方向に捉え過ぎな人」だと映った可能性が考えられ、その意味で結良ちゃんが心愛ちゃんの事を「ワルイ子」だと考えたのには「人を全く疑わず、出会ってすぐに信用して自分の領域に人を引き入れようとしてやまない特性がある事」を見抜いた事が背景として存在する可能性すら浮上してくる。人の事を少しも疑う事無くすぐに自分の領域に引き込もうとする(=人の気持ちが読めずとも一気に距離を縮めようとする)事が、結良ちゃんとしては「人と親密な関係性を築き上げようとする事をあまりにも軽く考え過ぎている」と言う意味合いで「軽率なワルイ子」だと言った可能性があるという事であり、それはある意味「結良ちゃんが心愛ちゃんの性質を鋭く見抜いている事の裏返し」とも言えるのかもしれない。単に私が斜に構えた見方をし過ぎているだけの可能性も十二分にあるが……。

 しかしながら、心愛ちゃんとて全く人を疑わない程分別が無い人では決して無い上、心愛ちゃんが例え知らない人でも親密な関係性を急進的に築き上げている事にしても、心愛ちゃんは単に軽い気持ちで「人と仲良くしたい」と考えてやっているのではなく、本気で「人の気持ちを理解したい」と言う想いをもって行っている事なので、結良ちゃんの見立ては単なる杞憂に終わる可能性は否定できず、結良ちゃん自身にしても「人の真意をきちんと理解しないで人との距離感を縮めても碌な事にならない」と言う類の思い込みが彼女の心に強く存在している事が否定できない格好になる可能性は否めない。無論、人と交流する時は相手の事をよくよく理解する必要があるのは当然であり、碌に知りもしないで人との距離感を縮める事はリスキーでもあるため、結良ちゃんの考え方自体は間違っていない。にも関わらずやたらと尖って見えるのは、結良ちゃん自身のダークな性質と、彼女が少々異質な立ち位置にいる事が関係しているのかも知れない。

 何れにしても、結良ちゃんが考えている事は、細かく見ると決して無視できない問題はあれど「他の人とは一線を画す形での心愛ちゃんの深淵たる部分に差し迫った考え」だと言え、結良ちゃんが心愛ちゃんに対して考えている事は、そのままごちうさの真理にも差し迫る事だと言う可能性は十分に秘めている。抑々単純に「人付き合い」の事であそこまでの尖った雰囲気を出せるのはごちうさの中では狩手結良ちゃん位なものであり、その意味では「独創的な境地にいる孤高の存在」だと言え、そこから真理に差し迫る価値は十二分に引き出せる。尤も、テイストがごちうさにしては過激でもある為に少々受け入れ難いものではあるが、今となっては結良ちゃんの影響を全くもって無視することは最早不可能になりつつある。今後の展開によっては、ごちうさキャラの中でも特に癖の強い狩手結良ちゃんから逃れる事はどう足掻いても出来なくなるのかも知れない……。尤も、結良ちゃんは決して嫌な奴では無いと私は思っているのだが……。ある意味「『個性』と『欠点』は紙一重という事なのだろうか。

結良ちゃんの心境考察

 ここで少し結良ちゃんが心愛ちゃんに対して投げかけた「『姉を演じる事に疲れたのなら、私(結良)といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ』と提案したこと」と、それを心愛ちゃんが否定した際に「どの様な表情をしていたのか」について考察してみたいと思う。

 前述の通り今月号においては「結良ちゃんが心愛ちゃんに『どうしてそんなにお姉ちゃんに拘るの?』」「妹になりなよ。私といる時くらい。皆の事は忘れて。」と問いかけているのだが、ごちうさにおいては言うまでも無く「お姉ちゃん」は非常に重要な意味を持つ概念であり、心愛ちゃんにとっては育ち故に智乃ちゃんと出逢った時から憧れている存在*4でもある。それを問いかけてくるのはそのままごちうさの根幹を問いかけている」とも言って良いとすら思うのだが、結良ちゃんがこの様な問いを心愛ちゃんに投げかけた理由として、私は2つ考えている。

 1つ目は「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を揶揄う意味で、心愛ちゃんの真意を試した」と言うものである。元々結良ちゃんは「理世ちゃんに対する壁ドン」に代表される様に他人に対して人の真意を試す様な仕掛けを施す事があったのだが、心愛ちゃんに対してもそれらの一環として嗾けた(けしかけた)可能性があるという事である。結良ちゃん自身がこの様な人の真意を試す仕掛けを施す際、前述の「美形悪役の雰囲気」を思わせるダークな雰囲気を纏うのだが、今回もその様な描写があった事が主な理由となっていて、また、結良ちゃんは以前「心愛ちゃんに対して『嫉妬する』事」を幼なじみである理世ちゃんに明かしており、この事も今回1つ目の仮定に採用した大きな理由となっている。これは自分にとって嫉妬する存在を揶揄いたくなるのはある種の人間のサガとも言える中で、結良ちゃんは正にそれを地で行っているという事でもあり、この事は私が「結良ちゃんはごちうさの中でも特に人間らしい人間」である根拠も一つともなっている。

 この理由なら、結良ちゃんが心愛ちゃんに「どうしてお姉ちゃんに拘るのか」と言うのは「心愛ちゃんは心から本当にお姉ちゃんになりたいと思っているのか?」と問いかけている事になり、「私といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ」と言うのは「もしお姉ちゃんを演じる事に疲れたら、無心で結良ちゃんと言うお姉ちゃんに、心愛ちゃんは妹としてただただ頼れば良いんだよ。」と問いかけている事になるだろうと私は考えている。要するに心愛ちゃんを試しているという事であり、私の様な「ワルイ子」の誘いを受けた時にどのような返しをするのか、その反応を見てみたかった。その様に考えられるのである。因みにこの事は「結良ちゃんが自らヒール(悪役)を演じている」事にもつながる。元々結良ちゃんは敢えて自ら影の演者を振舞っている事がしばしば目立っており、心愛ちゃんに対して「悪い子は私だけで十分だ」とも言ったのも、自分が「ワルイ子」としての立ち振る舞いを行っていると分かっていると思うのなら、今回この様な誘いかけを行ったのも納得がいく。

 この場合の心愛ちゃんが「どの様な表情をしていたか」については、恐らくは「神妙な面持ちをしていた」と思う。どんな時でも明るく天真爛漫な心愛ちゃんだけにあって、抑々硬い表情をする事自体少ないのだが、そんな中でも心愛ちゃんが比較的固めな表情をする事や、悔しそうな表情をする事は普通に描写されている中で、今回表情が伏せられていたのには、恐らく今までにない位に心愛ちゃんのイメージとはあまりにかけ離れている為に敢えて表情を伏せたという理由が考えられたのが、今回「神妙な面持ちをしていた」と考えた主な理由であり、恐らくは心愛ちゃんの強い意志を示唆しているのだと考えている。誰に言われたとしても、自分が決めた拘りを譲る事は出来ない。その様な意志を感じ取ったのである。

 2つ目は「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を2人きりの時だけでも良いから独り占めにしたかった」と言うものである。結良ちゃんは以前理世ちゃんに対して「愛されている理世を見ると思わず独り占めしたくなる願望が表れる」と打ち明けているのだが、それが心愛ちゃんに対しても表れたという事であり、これは心愛ちゃんと「2人だけしか知らない様な親密な関係を築いてみたい」と言う結良ちゃんの願望の裏返しとも言える。元々結良ちゃんは人間関係に大なり小なりコンプレックスがある様に感じられ、特に2人だけの親密な関係性に強い拘りがあるのが窺えるのだが、それ故に心愛ちゃんに対してこの様な勧誘を行ったと言うのなら合点がいく。これもある意味人間らしい人間の特性を持つ結良ちゃんらしい特性だとは思うし、誰かを独り占めにしたいと言うのはある意味結良ちゃんの「やきもち妬きな部分」にも繋がってくるので、ある意味可愛らしい一面とすら思っている。少々異質な考え方だとは自覚しているが。

 この理由の場合「どうしてお姉ちゃんに拘るの?」と言う結良ちゃんの問いかけの真意を探るのは少々難しくなるが、恐らくは「お姉ちゃんに固執する必要は無いのだよ。」とさり気なく心愛ちゃんの心を揺さぶる言葉として投げかけたのではないかと考えていて、「私といる時くらい皆の事は忘れて妹になりなよ」と言うのは「結良だけにしか見せない様な心愛ちゃんを見せてみてよ。私は心愛ちゃんと2人だけの秘密の関係を作りたいから。」と問いかけていた様に私は感じ取っている。要するに2人だけの秘密な関係性を作ってみたいという事であり、1つ目の「心愛ちゃんの真意を試す為に揶揄った」と言うものより一歩踏み込んだものになっていると思う。元々2人だけの親密な関係性に強い憧憬(しょうけい)がある結良ちゃんなら全然あり得る上、それを心愛ちゃんに嗾けるのも「結良ちゃんだからこそ可能な事」を思えば、私としては最早異論はない。

 この場合の心愛ちゃんが「どの様な表情をしていた」についてだが、これは結良ちゃんの問いかけの真意を探るよりも更に難しくなる。1つ目と違ってやや違った観点から仮説を立てているので、王道路線の見識を適応する事が中々困難な為なのだが、それでも考えるなら恐らくは「やや柔和な雰囲気をもった真面目な表情」だと思う。やや曖昧な表現で断定し切れていないのが否めない事は分かっているが、それだけ説明が難しいのだ。何を前面に押し出して説明するべきなのか、私も良く分からない。それほど複雑に絡み合っているという事なのだが、それでも心愛ちゃんは「結良ちゃんの真意を無下にする様な人では無いことと、心愛ちゃんには確固たる姉の目標を持っていること」を糸口にして何とか見出した答えが上記の内容なのである。これが正しいのか間違っているのか、それは私にも分からないが、少なくとも心愛ちゃんは結良ちゃんを突き放す様な表情はしていなかったと考えている。この仮説からは、心愛ちゃんの「お姉ちゃんとしての意志の強さと優しさ」が垣間見える様にも思える。

 以上の内容が、私が考える「結良ちゃんが上記の様な問いを心愛ちゃんに投げかけた理由」の考察である。1つ目は比較的今までのごちうさの流れに準拠した考察になっていると自分では考えており、気持ちとしても淡々と読み込んだ上で思う事を記述したテイストだったのだが、2つ目は我ながら結構攻めた考察になっていると考えており、気持ちとしてもより人間らしさを意識した上で思う事を記述したテイストになっている。その様な事情もあってどちらかと言えば1つ目の方が物語には即していると私も思うのだが、それでも2つ目の仮定を考えたのは「結良ちゃんの人間らしさと意外な一面により迫った考察をしたい」と言う私の想いがあったが故であり、考察する意義はあったと認識している。多少気恥ずかしい内容ではあるが、これが今回結良ちゃんと心愛ちゃんが深く交わる事でどの様な心境になったかの考察である。

相互影響がもたらす変化

 この様に心愛ちゃんと結良ちゃんの「ワルイ子」コンビは、今までのごちうさには無い切れ味を持つ存在である事は明白なのだが、ごちうさに限らず異なる人間同士が交流し合う事は、しばしば「新たな特性を相互影響的にもたらす事」を意味しているものであり、それは心愛ちゃん結良ちゃんのコンビも例外では無い。ただ、その形は今までのごちうさには無い異質なものだったが……。

 まず心愛ちゃんは、結良ちゃんに受けた「ワルイ子な部分」をそのまま智乃ちゃんにも振舞っている(背中から急に近付いている)のだが、智乃ちゃんからは「心愛さんではない。」全否定されている。天真爛漫な心愛ちゃんとは無縁とも言えるワルな雰囲気を急に持ってこられたら誰だって驚くものだが、育った環境*5故に元々匂いには敏感な智乃ちゃんにとってはかなりのものだったらしい。これには心愛ちゃんも思わずびっくりして、その後も「匂いが変化している」事を理由につけて色々と意地悪を言ってくる智乃ちゃんに対して、心愛ちゃんも心愛ちゃんで「意地悪だの悪い子だの」結構な事を言っているが、実は智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して意地悪を言うのも「心愛さんは今までの心愛さんらしくいて欲しい」と言う想いの裏返しがあり、別に心愛ちゃんの事が嫌いだから言っている訳では無い。智乃ちゃんは元々「人に素直な気持ちを伝えるのが苦手」と言う不器用な一面*6があり、それ故にあの様な毒舌気味になっているのである。ある意味智乃ちゃんがどんなに精神的に成長しても毒舌の切れ味は鳴りを潜めないという事なのだろうが、これは暗に智乃ちゃんとしては「ワルな影響を受けた大人な心愛ちゃん」よりも「何時も明るくてマイペースな心愛ちゃん」の方が好きだと言う事の表れな様にも思える。

 何れにしても、智乃ちゃんとしては心愛ちゃんには「急に雰囲気を変えて欲しくない」と言う想いが少なからずあると言え、それには智乃ちゃん自身が「知らない匂いを苦手としている事」が関係している。智乃ちゃんには元々人見知りの傾向がある事を思えば想像に難くないが、それ以上に「身近な大切な人が、急に全く違う雰囲気を持った人になる事は考えたくない」と言う想いも存在していると思われる。そうでなければ雰囲気が様変わりした心愛ちゃんを見て咄嗟に「心愛さんじゃない。」とイメチェンした心愛ちゃんを全否定する様な事は言わない筈だからである。そしてその言葉が咄嗟に出るという事は、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんが「最早欠かす事のできない大切な人」である事を示唆していると言え、言うならば「心愛ちゃんが結良ちゃんのワルな影響を受けた事により、智乃ちゃんが元々の天真爛漫な心愛ちゃんを心から好きである事を改めて証明した」格好にもなっているとも考えている。やや変化球である事も事実だが、ココチノの絆が改めて認識できたのは素晴らしい機会なのではないかと思う。

 次に結良ちゃんは、まず前述の通り心愛ちゃんに仕掛けたドッキリを理世ちゃんにも仕掛けて投げられるのだが、その少し前に「結良ちゃんに心愛ちゃんが『妹になった』と送られて理世ちゃんが悶々している様子」が描き出されている。突拍子の無い事を突然送り付けられれば誰だって思い悩むものなので、これは理解できるのだが、その後ドッキリじみた事を嗾けた結良ちゃんを放り投げる事は未だに理解できていない。何度考え直しても、どの様な視点から考えを試みようとしてもたどり着く答えは「異質」であり、そこから全く変わる事が無い。最早この放り投げた場面に限って言えば「そういうものだ」と割り切った方が良いのかも知れないが、何れにしても「異質」な事には違いないだろう。

 話が少々脱線したが、そんな理世ちゃんと結良ちゃん2人のやり取りの中で重要だと言えるのは「結良ちゃんが理世ちゃんに嫉妬させようと嗾ける為に、今回心愛ちゃんと接触をした」と言うのもあるが、一番は「結良ちゃんが心愛ちゃんの天真爛漫な属性の影響を受けている変化」であろう。結良ちゃんは元々ダークな性質を色濃く持つキャラをしており、それ故に心愛ちゃんの様な天真爛漫な明るさとは真逆の立ち位置にいたのだが、そんな結良ちゃんが「お花パワー」と称する明るい属性を心愛ちゃんから影響を受けたと言うのは興味深い変化だと言え、それを結良ちゃんにとっての幼なじみたる理世ちゃんに対して割に嬉しそうに言っているのは、結良ちゃんにとって「心愛ちゃんとのワルイ子の時間が思いの外楽しかった」という事の証明でもあると考えている。この事は以前心愛ちゃんに対して「嫉妬する」と明かしていた結良ちゃんにとって非常に意味のある描写だと言え、結良ちゃんにとって心愛ちゃんが「嫉妬の対象」から「ワルイ一面をも共有し合った、特別な関係を持つ存在」として変化しつつあることを示唆している様にも思える。

 因みにそんな結良ちゃんと心愛ちゃんの関係性を象徴したものが今月号のごちうさの最後のコマに描写されているのだが、その姿は「同じ飲み物を持った心愛ちゃんと結良ちゃんが、お互い内側の目を閉じる様にウインクをして、髪の分け目もそれぞれ内側に寄せている姿」をして写真に写っており、2人の仲睦まじい様子が窺える。ただ、その様子を結良ちゃんは(恐らくワルイ子を共有し合った関係と言う意味で)「共犯者だもん」だと言っていて、それに対して理世ちゃんは「妹じゃないのか」と質問しているが、それに対して結良ちゃんは「今のところはね~」と何やら意味深な言葉を述べており、やはり結良ちゃんはただ者ではない様子も窺える。尤も、その様子は「心愛ちゃんを引き込もうとする悪魔的な結良ちゃん」と言うより「純粋に心愛ちゃんとの距離をもっと縮めたいと思う純真たる結良ちゃん」と言う印象であり、孤高な印象が強い結良ちゃんも少しずつ理世ちゃんの友達の影響を受けている感触を覚える。これが今後どの様な変化をもたらすかは現時点では未知数だが、多少のダーク要素は持ちつつも明るい方向には向いていると思う。

3.あとがき

 以上がきらま2021年9月号のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回はごちうさの中でも特にミステリアス且つダークな魅力を持った狩手結良ちゃんが全面的に登場してきた回であり、それ故に可愛さだけに留まらないダークテイストが、ごちうさの更なる魅力に花に添える回だったとも考えている。その事を端的に言えば最初にも書いた様に「可愛さもダークさも兼ね備えた心震える回」という事になるのだろうが、こう思う理由として結良ちゃんは何もダーク気質だけに留まらず、女の子らしい可愛らしさも存分に持っている人と言うのがある。今回はそんな結良ちゃんのダークな面を主点として書き上げたのだが、前述の通り結良ちゃんはダークさだけでなく、女の子らしい可愛さも十分に兼ね備えている。実は結良ちゃんの心境考察における2つ目の仮定も、ダーク色が強めながらも結良ちゃんの意外な一面を主にピックアップして編み出したものである。

 ごちうさの中でも特に異質な雰囲気を纏っている狩手結良ちゃんの事を考える事は、実は今でも悩ましい要素が付きまとう事があるのだが、だからと言って結良ちゃんの異質な雰囲気や行動に多少戸惑う事はあっても、思い詰めてしまう事は殆どなくなった。抑々狩手結良ちゃんがごちうさにおいて絶大な影響を示し始める前からごちうさに対して思い悩んでいた私からすれば、結良ちゃんがちょっとやそっとの異質な行動をしても最早驚く事は無いし、驚いたとしてもそれを自分の中で上手く考察をして、ごちうさの世界観に落とし込むだけである。ある意味嘗て思い悩んだ経験が、今なおごちうさの世界観では異質な存在である狩手結良ちゃんをしっかりと受け止められるきっかけにもなったのだろう。

 また、今月号も先月号に続いて心愛ちゃんが非常に重要な役目を果たしていたと考えているのだが、今月号の心愛ちゃんは「ワルイ子」と言う今までの心愛ちゃんからは想像する事も出来ない異質な雰囲気を纏っていたのがキーポイントだと考えている。対比要素としては先月号ではそれまで孤立していた存在だった神沙姉妹を女神の如く先導する役目をしていたのに対し、今月号では女神とは真逆とも言える悪魔的な雰囲気を身にまとって結良ちゃんと行動を共にしていた事から、正に「天使と悪魔」と呼べし構図になっているのだが、実はもう一つ「心愛ちゃんが相手の雰囲気の影響を強く受けているかどうか」も対比になっていて、先月号では神沙姉妹の雰囲気の影響を受けていたのはさほど感じられなかったのに対して、今月号ではがっつり結良ちゃんの雰囲気の影響を受けているのがその最たる例である。この違いが何を意味しているのは現時点では良く分からないが、少なくとも心愛ちゃんは更に多くの人の色を汲み取って、更なる存在へと進化していくのだろう。

 最後に、今回私は狩手結良ちゃんのダークな魅力を中心として今回の感想考察文を構成させているのだが、文中にも度々書いた様に結良ちゃんの魅力は決してダークな魅力だけには留まらない上、今回は取り上げなかった結良ちゃんの奥底知れぬ魅力と言うものもまだまだ存在している。異質な雰囲気を持つが故に人を選びがちな結良ちゃんだが、その魅力はごちうさの中でも特に奥深いと認識していて、更に言えばその魅力をどの様に拵えるかは正に千差万別であり、人の数だけの魅力があるとも思っている。癖が強いからこそ存在する魅力と言うものを、私はもっともっと見てみたいと言う願望を書いて、この感想考察文の締めとする。

 

おまけ

今回の文量は過去5番目にして、400字詰め原稿用紙39枚分である。尚、過去最高が59枚分、2番目と3番目はどちらも51枚分、4番目は42枚分である。今回はやや少なめだが、これは狩手結良ちゃんの様々な特性をこの記事に書くのを敢えて省き、嘗て私が書いた記事を貼り付けたのが関係している。もし今回も特性を書き出していたら、恐らく原稿用紙50枚分近くの文量になっていたかもしれない。

*1:結良ちゃんに関しては最早何もせずとも普段の行動、立ち位置を見ると、既に「魔性の女」だと思わなくもないが。

*2:尤も、悪意が無いという事は「冗談ではなく、本気で言っている事の証明」にもなるが。

*3:ある意味心愛ちゃんが「女神」の様だと言われる所以でもあろう。

*4:心愛ちゃんは四兄弟の末っ子という事もあり、所謂お兄ちゃんお姉ちゃんに憧憬意識が強く存在している。

*5:智乃ちゃんは幼い頃からバリスタとして活躍する祖父の事が好きでずっと見てきており、それ故に自身もバリスタを目指していて、その情熱たるやコーヒーの銘柄を匂いで判別できる程。ただ、原作1巻の時点では所謂ブラックコーヒーは飲めなかった(抑々当時13歳でブラックコーヒーが飲める事自体異例だと言えるが)が、現在はどうなっているのかは不明。

*6:その一方で、自分がおかしいと思った事をストレートに一切の容赦なく口に出す辛辣な一面もあり、初期の頃はこれが顕著だった。

きらま2021年8月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。次々にごちうさの新情報が飛び込んできて、正直どういう風に受け止めれば良いのか分からなくなる程に喜ばしいのが本音ですね。時には長きにわたって思い悩む事もありましたけど、ごちうさを今まで好きであり続けて本当に良かったと最近より強く思うばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年8月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月は何と言っても神沙姉妹の活躍が目立つ回だったのでその事を中心に書き出したいと思いますが、他の人達もしっかりと見つめた上で思った事を丁寧に書き出したいと思っていますのでご安心ください。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は旅行編からの登場であり、チマメ隊と冬優ちゃんの同級生にしてマヤメグと同じお嬢様学校に通っている、喫茶店ブライトバニーの社長令嬢でもある神沙(じんじゃ)姉妹に焦点が当たったものであり、今回はその神沙姉妹に隠された謎に迫っていくのが一つのポイントになっている。また、今回はそんな神沙姉妹を温かく迎え入れている友達の熱き友情物語も必見であり、今回は全体的な主役は神沙姉妹である事は疑いないが、その神沙姉妹と友達である存在にも目が離せない回だと言えよう。

 今回のお話は神沙姉妹の一日の始まりから描写がスタートし、心愛ちゃんと紗路ちゃんによるちょっとした楽しい登校のひと時、マヤメグとの学食タイム、恵ちゃんと映月ちゃんと言うのんびり且つマイペースコンビによるフルール・ド・ラパンの物語と続き、フルール・ド・ラパンを巡ったちょっとした諍い(いさかい)を乗り越えて、改めて姉妹の大切さと友達の大切さを再認識させられる描写をもって締めとなるものであり、この中でも重要なのはフルール・ド・ラパンを巡ったものからの流れだと思うのだが、それは後に記載する。

 また、個人的には最も重要な事だと思うのだが、それまで謎に包まれていた神沙姉妹の姉妹関係が遂に満を持して明らかになった回でもある。どちらが姉で妹かはこの後の文章を読み解けば分かる事だが、私としては「衝撃」の一言に尽きた。一体何がどうだったのか。今回は嘗て私が昔考えていた神沙姉妹の人柄を元手に人物像をさらに深掘りして、そこから本編の物語にどのような影響を与えたのか、その事に対する考察も交えながら記載したいと思う。

2.神沙姉妹それぞれの人柄について

双子のお嬢様姉妹

 前述の通り今回のお話は神沙姉妹に焦点が当たっているのだが、まずはこの2人について、私が知る限りの事を丁寧に書き出したいと思う。神沙姉妹とは原作コミックス8巻の旅行編で初出したキャラクターであり、アニメには冬優ちゃん共々未登場。名前はそれぞれ神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)と言い、双子の姉妹*1である。双子故に非常に似ている為、彼女達を良く知らない人は外見だけで判別する事は難しいが、判別ポイントとして髪が長い方が映月ちゃん、短い方が夏明ちゃんと言うのが最も分かり易いポイントだろう。

 喫茶店ブライトバニーの社長を父に持つ、所謂社長令嬢であるが故に育ちが良く、幼少期から英才教育の手ほどきを受けてきた印象が見受けられる。しかしその一方で親の仕事の都合故なのか転校が非常に多く、それ故に同年代の人達と深い関係を築く事ができず、またその同年代の人にしても自分達より家柄を見ていた傾向も相まって、2人共に人と関わるのを極端に避ける姿が目立っていた。確かに友達を作ろうとしても、やっと仲良くなり始めたと思ったらすぐに転校してしまうわ、抑々周りの人達が人柄よりも家柄ばかり見ているわとなれば無理はないのだが、周りの人にしても神沙姉妹のキャッチー(注意を引く様な)な一面として家柄があり、そこから彼女達を知ろうとしていた可能性も考えられる上、周りの人達にしても転校が多い神沙姉妹と仲良くなり切る前に関係性が遠のいてしまった事も十分に考えられる。つまり神沙姉妹が思っている程周りの人達はそれ程冷たい人ばかりでも無かった可能性があった(何なら良い人達もいた)という事なのだが、こう考える背景には、神沙姉妹からの視点からしか知らず、神沙姉妹が言う周りの人達の言い分を全く知らない為に、神沙姉妹の言い分だけを聞いて判断する事自体不適切であると考えているからである。偏った意見だけを吸い上げて判断しようとしても真理には近つけず、寧ろ遠のいてしまう事を思うなら尚更である。勿論、神沙姉妹の気持ちは痛い程理解できるし、人を見ずに属性ばかり見ようとする周りの人達にも問題が無い訳では無い事も分かっているのだが、それでも私としては神沙姉妹の意見だけを汲み取って、一方的に周りの人達が全て悪いと思う事はやってはいけない事だと考えている。難しい問題ではあるのだが、私は色々な意見を聞いて、そこから立場を明確にして述べるべきだと考えている。

 また、神沙姉妹が人と関わることを避けていたという事は、必然的に姉妹関係が親密になっていく事を意味していたとも言え、事実姉妹仲がとても良く、何時も2人一緒に行動している事が多い。2人で行動している時は、のほほんとしている事が多い映月ちゃんをしっかり者の夏明ちゃんが引っ張っていく事が多く、その事から私は夏明ちゃんの方が姉だと思っていた。無論、蓋を開けてみると見事なまでに間違っていた訳なのだが……。

 2人共自分の本心を積極的に見せる様な人ではなく、特に夏明ちゃんがこの傾向が顕著にある。これも前述の経緯が関係している可能性があると考えられるが、普段から喜怒哀楽を見せない訳でも無く、寧ろ感情豊かな面があり、この辺りは嘗ての智乃ちゃんとも今の冬優ちゃんとも異なっている。また、2人共人柄が良く、本当は争い事を好まない心優しい性格をしているのが読み込めるため、誤解されやすい面こそあるものの、本来は人から好かれる人柄をしていると言って良いと私は考えている。

 ここからはそんな神沙姉妹それぞれの特性について書き出したいと思う。

のんびりとしたお姉さん

 ここで少し思い返してみよう。今回のお話は神沙姉妹の姉と妹が判明する回だと書いたが、その内容が私としては「衝撃」だったと書いた。何故なら、しっかり者の夏明ちゃんが姉では無く、のんびりマイペースな映月ちゃんの方が姉だったからだ。別に映月ちゃんの方がお姉さんだった事実に対して異論は全く無い*2のだが、如何せん一般的なお姉さん像とは全く無縁の姿しか見せていなかった為、てっきり夏明ちゃんが姉なのかと思っていた為に意外だった。とは言っても「マイペース且つのんびり屋なお姉さん」ごちうさの中でも唯一無二と言っても良い立ち位置*3なので、私としてはマイペースでのんびり屋な映月ちゃんがしっかり者たる夏明ちゃんのお姉ちゃんであっても全然良いと思っているし、寧ろお姉さんである事でより映月ちゃんの魅力が深まった様にも感じている。

 そんな映月ちゃんだが、性格は何度も書いてきた様におっとりしたマイペース且つのんびり屋で、普段からガツガツ前に出る様な事は無く、かなり控えめな印象を受ける。普段から周りに対して過剰とも言える程に気を張っている夏明ちゃんと違って、映月ちゃんは気を殆ど張っておらず、何時ものほほんとしていると言う、所謂呑気者な一面がある。それ故かどうかは分からないが、しっかり者たる妹の夏明ちゃんと比べてどこか抜けており、且つややだらしのない面があり、特に朝に弱い一面が窺える。更に言えば、その様子は姉のマイペースな性質としっかり者の妹と言う事も相まってココチノを思わせる*4ものであり、不思議なシンパシーを感じるものにもなっている。これに限らずごちうさにおいては立ち振る舞い的な意味でのキャラクターにおいてもしっかり者が妹で、マイペースなのが姉と言うケースが多いが、これは何故(なにゆえ)なのだろうか……。

 所謂良家出身のお嬢様且つお姉ちゃんではあるが、普段はそこまでお嬢様とは感じられない上に、地位や名誉に対して執着心は全く無い様に感じられ、世間一般的に言われるお嬢様とはかなり違った人柄*5をしているのが窺える。しかしながら、その一方で自分が思った事を一切の躊躇なく人に話す事ができる度胸の大きさと、何があっても決して折れない芯の強さを併せ持っており、物怖じせずに思った事をストレートに言う特性は時に人を困惑*6させてしまう事もあるが、一方で後述する様に大人をも動かす力をも秘めている。その為、映月ちゃんは「普段はおっとりしていて且つのんびりとしているが、他方では誰かの為なら大人相手に物申す事も全く厭わない*7芯の強さを併せ持った、実は気概*8に溢れる人」だと言える。つまり可愛さとカッコ良さを兼ね備えた人だという事であり、女の子としての可愛さと、人情味溢れるカッコ良さ、その両方を併せ持つ意味では理世ちゃんにも通ずるものがある。ただ、理世ちゃんと大きく違うのは普段の特性であり、理世ちゃんは「普段はサバサバした男勝りのカッコ良さ即ち姉御肌気質だが、その内には誰よりも女の子らしい可愛らしさを持つ」のに対して、映月ちゃんは「普段はマイペースでお淑やかな可愛さを持つお姉さんだが、その一方で何があっても決して折れ切らない芯の強さを持った、気概に溢れる精神力を内に秘めている」のであり、普段の特性と内面の特性が逆の関係性にある。ただ、お互いにとても良い人なのは共通している。

 感情性豊かな一面があり、何時も物腰柔らかな雰囲気も相まってお姉さんの様な雰囲気を醸し出していると言え、実際にお姉さんだと判明した今となってはその見方は更に強まると考えられる。千夜ちゃん程では無いが独特の感性の持ち主でもあり、甘兎庵のあの独特のメニュー名をサラッと解読してしまう程の感受性の高さも相まって千夜ちゃんからはかなり気に入られている*9。更に言えば、感受性が高いが故なのかは分からないが、よく目をキラキラさせている印象が強く、割に好奇心旺盛な一面があるのではないかと考えている。

 人間関係に関して言えば、元から新しく形成する事を諦観*10していた面も否めなかったが、夏明ちゃんとは異なり拒絶意識こそそこまで目立ってはいなかったものの、それでも今までの経緯から何時しか「自分たちの様な転校ばかりのいわばよそ者が今更親密な関係を創れるはずが無い」と心の何処かで思う様になり、且つそれを受け容れる様になっていた様で、積極的に人間関係を構築しようと頭の中で考えたとしても、それを実際に行動に移す姿は木組みの街に来るまではあまり見受けられなかった。彼女の今までの経緯を考えればそうなってしまうのも無理はないのだが、まだ10代半ばにしてその様な状態になってしまった心境は察するに余りある。だって誰だって人から好かれたいとは願うものだし、まして嫌われても良いとは思いたくないものであると言うのに、それを強引に歪ませて「自分には夏明ちゃんが居るから平気だ」とまで思わなければならなくなってしまったのだから……。しかしながら、それを木組みの街の人々が持つ温かき人情が少しずつ変えていったのは言うまでも無い。この事は、元々は普通の友達関係を普通に築きたかったであろう映月ちゃんにとってどれほど喜ばしい事なのか、その真相は彼女にしか分からないが、私には幸せそうな彼女の姿が映っていると感じている事は言っておこう。

しっかり者の妹さん

 ここからは神沙姉妹の妹である夏明ちゃんの方に焦点を当てたいと思うが、その前に書き出したい事がある。もう何度も記載している事だが、今回のお話で夏明ちゃんが妹だと判明した訳である。私はこの事実を知る前は夏明ちゃんが姉だと考えていた面があったのもご明白である。勿論夏明ちゃんが姉だと言う根拠は全く無かった上、明確に明らかになっていない姉妹関係を断定する事をするつもりも全く無かったのだが、ごちうさ好きたるもの、客観的には分からずとも考えなければ話にならないと私自身思っていたのもあったので、間違っているのも覚悟の上で予想を立てていたのである。結果は見事に見当違いであったが、こうなる事は客観的に信頼できる判断材料が何一つない中で姉妹関係を断定しようとする事が土台無理な話だった事を思えば簡単に予想出来た事だったと言えるため、どうであっても受け入れる覚悟はできていた。尤も、実際にはそんな大層な話では無いのだが、この様な経緯を踏まえて、夏明ちゃんについて思う事を改めて書き出したいと思う。

 夏明ちゃんは映月ちゃんの双子の妹であり、のんびり屋でマイペースな姉とは対照的にしっかり者且つ常識人であり、実質的に夏明ちゃんが映月ちゃんの事を引っ張っていく事もしばしば。周りに対してかなり気を張っている事が多く、強気とも高飛車とも見て取れる言動も相まってやや近寄り難い雰囲気を醸し出しているのは否めないが、これは無理に演じている面も強く、実際には割とフレンドリー且つ、優しい人柄をしている。無理をしてまで気を張っているのは、実はナイーブで傷付きやすい一面があるからなのかも知れない。また、生真面目で何事にも一生懸命な人でもあり、この事は夏明ちゃん自身あまり表に出さないが、そう言った点があるからこそ、人から信頼される理由であるとも言える。因みにかなりの熱血な一面もあり、過去にはピアノを教えて欲しいと年上のプライドを捨ててまで頼んできた理世ちゃんに対してスパルタ教育じみた形で教えた事もある*11様に、やるからにはとことんやると言うスタンスが見受けられる。

 良家のお嬢様らしく、育ちが良いと感じる一面は姉同様に見受けられるが、姉と違うのは「夏明ちゃんはお嬢様特有の振舞いを意識、理解した上で周りに振舞っている一面がある」事であり、それ故に良くも悪くもごちうさの登場人物の中でも一番お嬢様らしい振る舞いをする事が多い。但し、前述の通り本人は好きでお嬢様らしい振る舞いをしているというよりかは「自分自身を護る為に振舞っている」側面がある為、実際には大分堅苦しい思いをしているのも否めないと思われ、事実ごちうさにおいては良家のお嬢様と言う意味では理世ちゃん、神沙姉妹が該当する*12が、その中でも一番堅苦しい思いをしている様にも思えてくる。

 生真面目で常識人という事で礼儀作法にもシビアな一面があり、普段から礼儀正しい対応をする為に気を張っているのが見受けられる上、特に年上等の目上の人に対する言葉遣いにシビアで、実際に旅行編においては姉である映月ちゃんに対して、年上に対する礼儀として「年上には敬語!」と注意した事がある程で、ごちうさにおいてここまで言葉遣いに神経質なのは夏明ちゃん位*13なものである。これには育ち故に礼節には特に厳しく言われてきた経緯があると思われるのだが、その割に姉の映月ちゃんは礼節に堅苦しくなく、何時も物腰柔らかな対応を取っているので夏明ちゃん自身の性格が大きいと思われる。ただ、その一方でテンパリ屋なのが否めず、自分の事に関して図星を指される*14事を人に言われると途端に平常心を失い、慌てふためく姿がしばしば見られる。また、感情が表に出やすいタイプでもあり、同時に人に感化されやすい一面を持っており、それ故に実は傷つき易い所がある様に感じられる。更に感情性豊かな面もあり、姉程では無いがセンスに溢れている面がある。その為、夏明ちゃんは「普段は真面目で気を張っている事からやや近寄り難い雰囲気もあるが、実はナイーブでデリケートな精細な感性と心を持つ人」だと言える。つまり姉と違って決して芯が強い人間では無いのである。

 人間関係に関しては姉以上に諦観意識が強く目立っており、更に単純に人間関係を新しく形成する事を姉同様の理由から避けていただけでなく、彼女はそれに付け加えて「私は人間関係を形成する事を避けてきたから、今更人間関係を形成する事を望んではいけないし、周りもきっと受け入れてくれない」と、今までの経緯からそう考えていた面が木組みの街に来たての頃まで目立っていた。真面目な性格故に「私はずっと人間関係と向き合わずに姉の存在に逃げてきたから、他人に対して深く求める事はしてはいけない」と、自分で見切りをつけてしまっていたのであろう。確かに人間関係の在り方について真摯に考える事は悪い事では無いのだが、それでも自分で自分を更に追い込む様な考えに陥ってしまえば本末転倒なのは明白であり、それは夏明ちゃん自身も良く分かっていたと思われる。なのにその本末転倒の状態になってしまっていたのには、彼女のただならぬ心境と経験が強く関係していると言えよう。そして、木組みの街に来た当初もそのスタンスを貫こうとした姿が見受けられたのだが、旅行先で出逢った木組みの街の住人と奇跡とも言える再会を経て、彼女は大きな変化を遂げる事になった。現段階でこそその変化は微々たる様に思えてくるが、時が経てばより明確に分かってくるであろう。

 ここからはいよいよ本格的な感想・考察に入りたいと思う。今回書き出したい事は神沙姉妹に関係する事はもちろんの事、紗路ちゃんがアルバイトとして勤めているフルール・ド・ラパンにまつわる事についても考えている。それらについて自分としてはどう思ったのか、改めて率直に書き出すとする。

3.購読した感想・考察

逆転の姉妹関係

 いきなり先の内容と被る所があるものだが、神沙姉妹がまだまだ謎な一面が多い中で、姉妹関係が今月号で唐突に明らかにされた時から「本来は妹である夏明ちゃんが姉に思われ、本来は姉である映月ちゃんが妹に思われるか」と言うのは正直自分の中で大きく圧し掛かってきた。今月号の作中内でも「映月ちゃんが姉」だと思っていた人は誰一人としていなかった*15し、私としても「映月ちゃんが姉」だとは前述の通り正直思ってもみなかったからである。

 何故こうなったかと言えば、私としては「映月ちゃんがお姉ちゃんらしく思えない性質をしているから」だと考えている。先に書き出した映月ちゃんの性質を見ると、どれも表立っては姉だと一目で分かるものはない上、妹である夏明ちゃんがしっかり者と言う表立って姉っぽく思える性質をしている事も相まって余計に姉っぽく思えなくなっていると思われる現実が存在している。また、それ以上に「何時も前に出てリードしているのが夏明ちゃん」と言う事実が、映月ちゃんが姉として見られない大きな要因なのだと思えば合点がいく。更に、ごちうさにおいての「姉」と言う存在は、心愛ちゃんやモカさんに代表される様にマイペースな一面はもちながらも「皆を導く先導者の性質を併せ持つ」立ち位置である事が多く、それは必然的に積極的に誰かを引っ張ろうとする事が求められる事を意味している。その観点からも、映月ちゃんはマイペースなのは満たしているが、彼女は積極的に誰かを引っ張っていると言うより、完全に夏明ちゃんに引っ張られている現実が存在している*16事を鑑みるなら、やはり映月ちゃんが姉とは思えないとなってしまう。尤も、これらの特性も姉妹関係が正式に判明した今となっては、お姉さんでありながらそれを隠しているとも見て取れる「唯一無二の特性を持ったお姉さん」だと言えるのだろうが、それも正式に判明したからこそ言える事であり、判明していないとなれば中々「映月ちゃんが姉」とは思うに思えなかったのが私の結論だった。勿論これは私の考えであり、実際には姉妹関係が正式に判明する前から「映月ちゃんが姉」だと予測していた人は絶対にいたと思うし、確固たる意志をもって映月ちゃんが姉だと考えた人もいたとも思っている。でも私は映月ちゃんがお姉さんとは思っていなかった。この事をもし映月ちゃん本人に言ったのならば、恐らくはきらま8月号107ページ一番右下コマに描かれている「飾り目のショック顔」を私にも直接披露された事だろう。全くお恥ずかしい話である。

 しかしながら、前述の通り映月ちゃんが姉だと思っていなかったのは作中の登場人物も例外では無かった。今月号で描かれている限りでは紗路ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんは確実に映月ちゃんが姉だとは思っていなかった様で、マヤメグにその事を言われた時に前述の「飾り目をしたショック顔」を見せたのである。紗路ちゃんやマヤメグが、映月ちゃんが姉だとは思わなかった理由には、やはり神沙姉妹の普段の振る舞いと関係性があるとは思うのだが、もう一つの理由として心愛ちゃんと言う姉の存在があった可能性がある。何故なら、2年以上にかけて明るく積極的で、尚且つ皆を導く行動力も、先導者としてのセンスもある「心愛ちゃんと言う姉」を見ていれば、例えその姉の肩書きが自称であっても多かれ少なかれ影響を受けてくるものであり、事実心愛ちゃんの周りにいる大切な人達は心愛ちゃんの影響を多少なりとも受けている一面が散見*17され、特に智乃ちゃんが心愛ちゃんに触発されて今の豊かな自分自身の礎を築き上げたきっかけとなったのは最早疑いない事を慮るなら、心愛ちゃんと一緒に大切でかけがえのない時と空間を長きにわたって共にしている人達は、無意識の内に「心愛ちゃんの様な人が姉みたいな人だ」とどこか思う様になっていた可能性が私の中で浮上したのである。ただ、紗路ちゃん、マヤメグどちらにしても映月ちゃんが姉だと思わなかった要因に「心愛ちゃん」は入っていなかった上、抑々心愛ちゃんを引っ張り出して神沙姉妹の姉妹関係を推察しようとする事自体無理が否めない為、自分でも正直突拍子も無い考えだとは感じ取っているし、正直あまりにも突拍子が無さ過ぎる為、この考えは文面から消し去ろうかとも本気で考えた。しかしながら、人間の価値観は往々にして変化するものであり、特に身近にいる人から影響を受ける事が多いのが兄弟(兄妹)、姉妹関係であると私は考えている。ならば心愛ちゃんと言う姉の振る舞いが、周りの人間に多かれ少なかれ価値観の変容を引き起こしてもおかしくないと思ったのなら、自分の価値観をもって、ありのままに書き出す事に意味があると思い、消し去る事を止めて残す事にした。何が正解か分からないのが考察なら、何を思い、何を書き出すのかも自分次第。ただ只管(ひたすら)に恥ずかしい話なのだが、どうか理解して欲しい。

 この様に映月ちゃんは「彼女がお姉ちゃんらしく思われない性質をしている」事と「妹である夏明ちゃんが普段から映月ちゃんの事を先導していた」事が要因となり、私は姉とは思う事は基本的に無かったし、それは作中の大半の登場人物も同様だったと言える。尤も、映月ちゃんの事を姉だと思わなかった事実について作中の登場人物は仕方ないと思うが、私に関して言えば如何ともし難い事態である事は疑いないとは思う。しかしながら「どの様な性質を持つ人が姉だと思うのか」については人によってバラツキが生ずるのは明白であり、それに伴い「どの様な人柄を姉に相応しいか」と思うのは個人の自由と言う事にも繋がる為、そもそも「姉っぽくない性質をしているから姉とは思わない(思えない)」等と言う判断基準が誤っていた面は正直あったと思う。良く「人を見かけで判断するな」と世間では言われるが、それは姉妹関係を推し量る場合でも同じ事なのだろう。何と言うか、改めて人の特性・立場・出自を理解する事は容易では無いと思うばかりである。

 しかしながら、映月ちゃんとてお姉さんと思われる事は少なくとも、全くお姉さんらしさが無い訳では無い。こう書くと「実際にお姉さんなのだから、幾ら周りからお姉さんとは思われなくとも、お姉さんらしさが少しはあって当たり前なのでは?」となるが、映月ちゃんのそれは他の人のお姉さんらしさとは一線を画すものであり、カッコ良さすら感じてしまう程である。その様な姿は今月号で確認できるのだが、その前にフルール・ド・ラパンについて新たに分かった事を考察したい。

フルール・ド・ラパンの物語

 抑々フルール・ド・ラパンとは紗路ちゃんと麻耶ちゃんがアルバイトをしているハーブティー専門の喫茶店であり、店員さんがロップイヤーと呼ばれるうさぎの耳を模した装着品を頭の上に着けているのが特徴で、制服も喫茶店と言うよりかはメイド喫茶寄りのテイストになっている。この様なテイストになっているのは紗路ちゃん曰く「店長の趣味」だそうで、その店長さんは長らく未登場だったのだが、今月号でサラっと登場し、女の人だった事が判明している。その店長さんだが、見た目は狩手結良ちゃんを思わせる容姿をしており、雰囲気もどこか独特であるが、個人的には良い人そうだと感じ取っている。

 そんなフルール・ド・ラパン(以下、フルール)だが、今月号は中々重要な役目を担っている。抑々今月号の舞台そのものにしても中盤はフルール中心になるのだが、まずは恵ちゃんと映月ちゃんと言うのんびり且つマイペースコンビによるフルール・ド・ラパンの物語が始まる。展開としては少し悩み事を抱えている映月ちゃんを見かねて、恵ちゃんが気分転換として連れていく形となって2人でフルーツフェスタを堪能するのだが、なんと2人共財布を忘れてお金が払えなかった為に、フルールの店長から皿洗いをさせられる*18と言う、ちょっと飛んでいる内容になっている。因みにこの様な展開、漫画やアニメでは度々ある展開ではあるうえ、このごちうさにおいても店長が直々に皿洗いと言う名目で仕事をさせると言う形で描写されているが、現実においては当然ながら無銭飲食に当たり、然るべき対処を怠り支払い義務を逃れた場合、刑事罰及び民事請求を受ける可能性が発生するのでくれぐれも御注意を。また、もしその様な事態に遭遇しても当方では責任を一切負いかねるので念のため悪しからず。

 こうして2人はフルールで働く事になったのだが、今回は恵ちゃんには殆ど焦点が当たっておらず、映月ちゃんに集中的に向けられている。そんな中、思わず「ダメな子……」とボヤいた映月ちゃん*19に対して紗路ちゃんがフォローをしてあげ、少し話し合いをしている姿が存在している。だが、そのやり取りの内容が個人的には気になる所が一つあり、それは紗路ちゃんがフルールで働き始めた理由がまさかの「お会計時にお金が足りなくて皿洗いをさせられた」(実はメグエルの事を全く言えない立場だった)と言うものも衝撃的だが、それを紗路ちゃん自身が彼女特有の気品オーラ全開で映月ちゃんに打ち明けると言うのもびっくりものであった。因みに紗路ちゃんがフルールで働いている理由が明確に明かされたのもこの場面である。元々カフェイン酔いしやすい体質故にラビットハウスの様なコーヒーを専門に取り扱う喫茶店では「仕事にならないどころか、迷惑をかける事にもなる」と言った理由で、継続的な働き場所として選ばなかった事は明らかになっていた*20のだが、何故にフルールを選んだのかは明らかになっていなかった。と言うのも、紗路ちゃんがフルールで働く事になった事情を自ら秘匿(ひとく)していたからである。確かに「お金が足りなくて皿洗いさせられたのがきっかけ」とは、親しき仲であればある程言いづらい事ではあるので、言いたくない気持ちは理解は出来るのだが……、それでも親しき仲だからこそ、言った方が良い気がするのもまた事実であろう。ただ、その事をきっかけになんだかんだ2人共打ち解けつつある様な様子は見受けられるので、その点では良かったとは言えるし、抑々本人の意思を尊重する事は大原則なので、ある程度は致し方ない事だとも言える。また、紗路ちゃん本人も「秘密はいつかバレるもの」という事を経験則で解っている為か、自身の秘密を知られた事に対して「やれ見返りがどうだの、約束を反故*21にしたらどうだの」そう言う事は言わない優しい一面があり、事実映月ちゃんに対しても対価は求めておらず、助言程度に留めている。今後どうなるかは未知数だが、少なくともシャロエルはお互いに良い人同士なので、良好な関係性が築けるとは言えるだろう。

 ここからはフルールにおける映月ちゃんの「芯の強さとお姉さんらしさ」を発揮した部分を中心に考察したいと思う。

気概に溢れたお姉さんと父親

 フルールにおいて、映月ちゃんが持ち前の「芯の強さとお姉さんらしさ」を発揮したのは「フルールが神沙姉妹の父親が社長を務める喫茶店ブライトバニーによって買収される計画が検討されている事を知った時」である。買収を検討し始めた理由は「立地条件が良い事」で、ブラバの社員が何度も駆け寄り、しかも条件を釣り上げている事から立地場所として相当好条件なのが窺える。当然ながら、フルールの店長は断っているのだが、ブラバの社員とて本気なので引くに引けないと言う、所謂膠着状態になってしまっているのであった。

 この事実を知った時、映月ちゃんは結構な形相で驚いていたが、この事から神沙姉妹の父親は娘たちに喫茶店事業は殆ど教えていないのが窺い知れると私は考えている。何故ならあの時の映月ちゃんの反応は「本当に知らなかった時の反応に他ならない」と即座に感じられる程の顔つきになっていたからである。映月ちゃんは所謂ポーカーフェイスでは無く、割と思った事がはっきりと出るタイプであり、もしフルールが買収される事を知っていたのなら、あそこまでの驚きの顔を見せない筈だが、今回結構な形相で驚いていたのは「彼女が本当に知らなかった」事を示唆していると言える。ともすれば、何故に神沙姉妹の父親は「娘達に事業を殆ど教えないのか」となるが、これは抑々「事業問題は社外秘である事から、例え自分の娘であっても教える事は出来ない」と言うものや「そう言った事業を教える年では無い」といった至極真っ当な理由が考えられるため、別に特段おかしい事でもないだろう。

 尚、この買収計画に対して紗路ちゃんは割と理解を示しており、理解を示しているのはブラバの「懸命な企業努力で発展してきた会社」と言う経緯を知っているが故*22なのだが、この時「コーヒーが駄目なのにブラバの店員になりそう」だと冗談めいた事を飛ばしてもいる。この事に対して私は「仮にもフルールの店員が軽はずみに冗談を言うのでは無い」と正直思ったのだが、この様な冗談を飛ばした真意として、紗路ちゃんは今回の買収計画に対して「自分達の様な立場ではどうする事も出来ない事」と言う非情且つ冷血な現実*23を良く理解しているのが関係している可能性があるからではないかと考えている。聡明な紗路ちゃんの事なので、恐らく「買収計画はどう足掻いても避けられない運命にあるのかも知れない」事を頭の何処かでやんわりとは分かって、その上で覚悟を決めていて、それでも今までの思い出や経験がある手前、どう言い表せば良いのか分からなくなり、普段シリアスな物事に対して軽はずみな冗談を言わない紗路ちゃんが、今回冗談路線に突っ走った可能性がある。無論、紗路ちゃんもフルールは無くなって欲しくないのが本心なのだが、大切な居場所が無くなってほしくない自分の想いと、どう足掻いても買収計画は逃れられないかもしれないと言う非情な現実とで板挟みになり、どう言えばいいのか分からなくなってしまったのだろう。こう言った事になったら、誰だって路頭に迷うものである。

 そして、そんな話を聞いた映月ちゃんの心には火が点いた。もしここでフルールの買収計画を許せば、ラビットハウスや甘兎庵までもブラバの買収計画に挙げられ、それまで人との関わりを極端にまで避けてきた私達神沙姉妹にとって、やっと巡り逢えたかけがえのない人達の居場所が消滅の危機に瀕する事になる。その様な事を思ったのであろう。そして、映月ちゃんは遂に交渉現場に乗り出す事を決意する。今までののんびりマイペースだった映月ちゃんとはまるで別人とも言える、誰かの為になら大の大人相手にも怯まない芯の強さを持った、気概に溢れた性質をもって怖気る事無く切り込んでいくそして、この案件がこの場で決められないと言われれば、自分の父親と直接交渉に乗り出すと言うとんでもない提案*24をし、それを本当に実行してしまう。結果的には怒られながらも再検討してくれる事になった(つまりフルールの買収計画は一旦保留になった)と言うが、この恐るべき行動を普段マイペースでぽわぽわしている事の多い映月ちゃんがやっているのである。何と言うか、普段とのギャップもそうなのだが、まだ高校1年生なのにこんな事をやってのけてしまうとは、なんて凄い人……。

 映月ちゃんのとったこの一連の行動に対して、私としてはここで今まで書き続けていた「映月ちゃんは相当な気概を持つ、芯の強いお姉さん」と言う印象を抱いた。散々書いた事ではあるが、抑々映月ちゃんが上記の様な一連の行動をとった動機として「やっと巡り逢えたかけがえのない人達の居場所が消滅の危機に瀕する事になってしまうのは嫌」と言うのは間違いないと考えているし、その根拠も十分にある。ただ、その為に社長である父親相手に対等に物申す事を決断、実行すると言う、映月ちゃんの様な高校生はおろか、大人でもそうそうできない事*25を実行しているのがミソなのであり、そう言う意味では映月ちゃんは「高校1年生とは思えない程に芯が強く、並の大人を凌駕し得る程の気概を秘めるお姉さん」だと言っても良いと思っている。尤も、映月ちゃんとて高校1年生にしてはメンタルがかなり強い方だと思われるとは言え、鋼の如く強い訳では無いので、この行動をとった後に周りからどんな目で見られる事になるのかかなり不安視する様子が見受けられると言う、良くも悪くも年相応らしい面もあるのだが、夏明ちゃんを始めとした映月ちゃんの周りにいる人達は皆映月ちゃんの事を大切に想っているうえ、自分たちの大切な居場所でもある喫茶店が無くなってほしくないと言うのは夏明ちゃんにしても、他の皆にしても同じ事を思っている。なので、映月ちゃんとしてはこれからも心配する事無く、己が持つ素晴らしきものを存分に発揮して欲しい。

 また、フルールの買収計画を止める様に進言した映月ちゃんの事を叱りながらも買収計画を再検討すると判断をした、神沙姉妹の父親でもあるブライトバニーの社長は「人として器量の大きい人物」だと個人的には考えている。社長たるもの、事業拡大の為にあらゆる手段を尽くすのは当然だが、同時にその事業拡大により不都合が生ずると言う意見を提唱する者がいるのならば、その意見を真摯に受け止めると言うのも社長には必要な事だと私自身考えている中で、この社長さんは怒りながらも自分の娘が提唱した意見と真摯に向き合った結果を下したと言う事実は私の心に深く突き刺さった。尤も、考え様によっては「自分の娘の意見だからその様な決断をした」と言う見方も出来なくも無いが、世の中の社長さんが全員自分の娘ひいては身内の言う事を無条件に真摯に受け止めるかと言われれば、そうではないだろう。ビジネススタイルは人それぞれであり、その中には「たとえ身内の進言であっても基本的には考慮しない」と言う独善的なスタイルもあるだろうし、或いは「どんなに些細な意見であっても、意見があるからには反映させなければならない」と言う大衆に広く開かれたスタイルもあると私は考えている。ただ、一番重要なのはスタイルそのものでは無く、そのスタイルを掲げている人が「どの様な信念をもってそのスタイルを掲げているか」なのであるとも考えていて、言うならば、スタイルそのものが善し悪しを決めるのではなく、そのスタイルを扱う人がどの様な理念をもって取り扱うかで初めて善し悪しを判断できるものだとという事であり、ブライトバニーの社長がどの様なスタイルをもって懸命な企業努力の末、今の様な大企業にのし上がったのは分からないが、少なくとも「人の意見や忠告を一切合切聞き入れない」と言うスタイルは採っていない事が今回の再検討の決断から窺えると私は思っている。そう思っているからこそ、今回私がブライトバニーの社長に対して「人として器量の大きい人物」だと思えるし、それはきっと娘である神沙姉妹にも受け継がれているのだとすら思う程である。神沙姉妹とて他人に対して軽薄な事は全く無く、寧ろ「他人を深く思い遣る事のできる、優しい人」だと個人的には確信しているのだが、それも親からの好影響だと思うと、中々に興味深いと言えるだろう。

再来の日常

 この様にフルールでの一件をめぐっては大活躍だった映月ちゃんだが、一日経つとまた夏明ちゃんに引っ張られるのんびり映月ちゃんに戻ってしまう。映月ちゃんにとってはのんびりなのがある意味平常運転なのだが、如何せんギャップが大きすぎる。それが彼女の魅力と言えばそれまでだが。因みにここでの日常と言うのは今月号における最初の物語の事であり、暗に日常が繰り返される事を暗示していると言える。尤も、本当の意味での同じ日常(所謂無限ループ)が繰り返される訳では無いのはごちうさを読み込んでいる人ならすぐに分かる事だろう。

 この場面においても重要な要素がいくつかあると考えており、それは映月ちゃんが心配していた「周りからどんな目で見られるのか分からない」と言うのが、実際にはマヤメグも何も変わらず接してくれたと言う事実*26もその一つなのだが、もう一つ欠かす事のできないものとして「心愛ちゃんが映月ちゃんの事をお姉ちゃんだと直感で見抜いた事」であろう。それまでも心愛ちゃんと神沙姉妹は何度も会ってはいるのだが、心愛ちゃんが神沙姉妹の姉妹関係を知っている訳では無く、まして心愛ちゃんは神沙姉妹の姉妹関係が判明したやり取りを直接は知らない事から、本人が「同じ波長を感じたから」と語っている通り所謂直感で見抜いたと考えられる事になる訳だが、冷静に考えて直感で双子の姉妹関係を自然と見抜いてしまうのは異例な事であり、普通の人なら到底出来ない事である。これは心愛ちゃんがややもすると「実は誰も敵わない非凡な才能(鬼才*27)を持っている」事を体現しているとすら考える事が出来ると個人的には思うのだが、その事を抜きにしても「何故そんな事が可能なのか」と個人的にはなるのだが、これは心愛ちゃんが「普段から姉としての風格を心得ている事」「人の感性を読み解くのに優れている事」があるからだと考えている。

 心愛ちゃんは天才的なセンスを持ちながらも努力家としての一面も凄く、どんな苦難があっても目標の為なら簡単には折れない強い精神を兼ね備えており、それはお姉ちゃんとして皆から慕われるために努力する事でも同じ事であり、どんなに苦難があっても心愛ちゃんは全く折れる事無く、己が信じた道を突き進み続けてきた経緯を持っている。また、心愛ちゃんも流石に千夜ちゃん程では無いとは言え、人の気持ちを汲み取るのに優れており、これまで多くの人の気持ちに寄り添い、人の気持ちを良い方向に変化させてきた経緯も持っており、言うならば「人の感性、属性を汲み取る事に優れた(特に姉妹関係関連に秀でた)特性を持っている」事が読み解けるのであり、この事実こそ今回私が心愛ちゃんが姉妹関係を見抜いた理由として採用したきっかけともなっている。何とも客観的根拠に乏しい理由だとも思うのだが、私としても言ってしまえば「何故に心愛ちゃんが波長で姉妹関係を見抜けたのか、その客観的根拠なんて分かり様がない」と言い切っても良いと考えている上、それ以上に心愛ちゃんが言う感覚を信じたいと言う純粋な想いもあって、上記の様な理由を採用するに至った。

 それにしても波長から姉妹関係を見抜いてしまう程の天才的なセンス、天性の高いコミュニケーション能力、何事にも決して折れず簡単には諦めない精神的な強さ、目標のためならどんな努力も惜しまない努力家な一面、恐るべきパンへの情熱と理数系分野の驚異的な理解能力(特に暗算がずば抜けて早い)等々と、数々の並外れた能力と情熱、そして気概を持つ心愛ちゃんは一体何者なのだろうか……。これだけでも鬼才と呼ぶには十分なのだが、それでいて可愛さにも溢れ、更に教養も兼ね備えていて、人望にも溢れている。こうなれば最早鬼才と言う言葉ですら生温く思えてくる程である。尚、心愛ちゃんは以前理世ちゃんのずば抜けた能力の高さに対して「人間わざじゃないよ」と言った事があるのだが、個人的には心愛ちゃんも理世ちゃんと同じくらい……否、最早理世ちゃんを超えるまでに心愛ちゃんも十分人間離れした能力を持っていると思う。心愛ちゃんと理世ちゃんは割と合った2人だと個人的には前々から思っていたのだが、こうも才能面を見比べると……お互いに凄すぎる……。ある意味唯一無二の鬼才センスを持つお姉ちゃんコンビだと言えよう。

 勿論心愛ちゃんとて所謂完全無欠では無く、文系が苦手、マイペース故によく人を振り回す、天然でやらかしてしまう事(どちらも心愛ちゃんに悪気は一切無いのだが)がしばしばある等の短所、弱点はあるが、長けている部分があまりにも凄すぎる為、個人的には最早欠点が霞んで見えてくる。 ごちうさでは心愛ちゃんが度々女神の様に扱われる事があるが、これらを思えば私も納得する程のものであり、それは神沙姉妹にしても同じ事なのだろう。

4.あとがき

 以上がきらま2021年8月号のごちうさを読んだ私の感想である。今回遂に映月ちゃんが久々に登場しただけでなく、神沙姉妹の姉妹関係も明らかとなり、更に言えばただでさえ上質なお話のクオリティが今回は一段と高くなっており、正にごちうさの権化たるお話」だったと考えている。この事を普通は「神回」と呼ぶ事は分かっており、私としてもその凄さを「神回」だとは感じ取っており、実際にそうやって表現してみたいと思う事もあるのだが、所謂言葉遊びが好きな側面がある私は敢えて「神回」とそのまま言わずに「神回」と分かる様な代わりの表現をしたいとも考える事があり、それ故に要らぬ苦労をしているのも事実である。もっと気楽に「神回」だと言えば良いとは自分でも幾度となく思う事も多く、我ながら不器用な愛し方だと思うのだが、そんな不器用な愛し方だったからこそ見つけられた世界観も多い。尤も、その不器用な愛し方故に危うく私の中の世界観を苦悩の渦に染め上げ切りかけた事もあったのだが……。

 神沙姉妹の姉妹関係については、まさか映月ちゃんの方がお姉ちゃんだとは思わなかったのは今までも書いてきた通りだが、今月号を読み進めていくと映月ちゃんの事を「立派なお姉さん」だと思う傾向が強くなっていった。元々旅行編からの登場キャラである冬優ちゃん、神沙姉妹の3人の中でも映月ちゃんは私の中ではかなり好きな方であったのだが、今月号で映月ちゃんの様々な一面が明らかになったのは勿論のこと、今までの好きと言う感情に「お姉さん」と言う属性が加わる事で更に好きになった。因みに私が映月ちゃんの事を「お姉ちゃん」ではなく「お姉さん」と書いているのは、映月ちゃんの様なおっとり且つマイペースな性格では「お姉さん」と言うイメージの方がより似合っていると個人的に考えているからである。私としては「お姉ちゃん」か「お姉さん」で全く異なったイメージを付加させると考えた上で言い分けていて、勿論「お姉ちゃん」と呼ぶ事もあるのだが、あくまで私としては「映月ちゃんはお姉さんの方がより合っている」と言うイメージを持っている。好みの問題と言えばそれまでだが、私としては「お姉さん」と「お姉ちゃん」とでは何か違うものがあると考えているのも事実である。

 また、途中に「心愛ちゃんは一体何者なのか」と言ったスタンスで書き連ねた部分があったが、これは今月号における心愛ちゃんの特性について考えていく内に、徐々に心愛ちゃんの凄い部分に改めて心惹かれていったからである。神沙姉妹を中心に考えていく事を目的とした今回の路線方向を鑑みると、言ってしまえば完全に脱線している事になるのだが、心愛ちゃんは言うまでも無くごちうさの中心人物であり、それ故に彼女を抜きにしてごちうさを語る事は出来ないとも考えていて、今月号もかなり重要な描写がなされていたためにそう考えた次第なのである。とは言ってもその内容は「心愛ちゃんの鬼才的な才能について改めて考えてみた」とでも言うべきものであり、やっぱり少々暴走気味なのが否めないのだが、私としては心愛ちゃんが「波長から神沙姉妹の姉妹関係を見抜いた」描写を観た時から心愛ちゃんの凄さについて考える事で頭がいっぱいになり、上記の様な内容を書き出したのである。少々恥ずかしいのだが、思いをひた隠しにしても良い事なんて一つも無かった苦い思い出があるので、勢いに乗って只管(ひたすら)書き出した。やはり自分の伝えたい想いは少々恥ずかしくても伝えるのが大切なのであり、それがひいてはごちうさ好きを続けていく為の答えでもあったと、私は考えている。因みにこの文章の文量は過去3番目である。

 最後に、今回の神沙姉妹は非常に魅力的であった事と、個人的には旅行編からの新キャラである冬衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃん、神沙姉妹の神沙夏明(じんじゃなつめ)ちゃん、神沙映月(じんじゃえる)ちゃんの3人の中で、今月号のお話を経て神沙映月ちゃんが一番好きになった事は改めて言っておこう。ただ、映月ちゃんが一番好きだとは言っても、冬優ちゃんや夏明ちゃんの事も基本的に好きであり、その中でも少しだけ好きと言う気持ちが高いだけである。これはごちうさ全体に対しても同じ事が言えていて、私にとってごちうさと言うのは最早「好きと言うのは前提」のものである事も言っておきたいと思う。

*1:一卵性か二卵性、どちらなのかは現段階では不明。

*2:抑々異論を出そうにも、姉妹関係に対しての異論が私には思いつかない。

*3:心愛ちゃんはマイペースではあるがのんびり屋では決して無く、寧ろ溌溂(はつらつ)している部分が目立っている。心愛ちゃんの姉であるモカさんにしても確かにマイペースな一面こそあるが、やはりのんびり屋かと言えばそうではないだろう。

*4:特にマイペースな点や、朝に弱い点が心愛ちゃんと映月ちゃんでは良く似ている。実は誰よりも気概(何があっても決して折れない、諦めない心の強さ、骨太さ)に溢れる点も含めて。

*5:これに関しては、後述するブライトバニーの会社発展の経緯が大きいと言える。

*6:特に妹の夏明ちゃんが困惑させられる事が多い。

*7:嫌に思わない。ためらない。

*8:何があっても決して折れない、諦めない心の強さ、骨太さ。

*9:これをもってして、恵ちゃんからは「甘兎庵としての自分の立場が危うくなる」と、センスの良い映月ちゃんに対してある種の危機意識を持たれている。ただ、映月ちゃんは人を貶めようとは絶対にしない人なので、大丈夫だとは思うのだが。

*10:諦めをもって物事を見据える事。

*11:但し、これにはかつて夏明ちゃん自身が習っていたピアノの先生の指導方法が厳しかった事が関係している可能性が非常に高い。

*12:他にも狩手結良ちゃんが該当する可能性があるが、はっきりとした描写がないため、現時点では断定不能

*13:理世ちゃんも大人組と同級生の結良ちゃんを除いては一番の年長者故に言葉遣いにはそれなりに厳しい一面があるが、その厳しい一面がどうも一般常識とは少しズレている点(本人に悪気は無いのだが……)がある上、たとえ少しズレている点を抜きにしても、理世ちゃん自身が言葉遣いや礼節に関して「お互いに気持ち良く過ごせれば必ずしも定型に拘る事は無い」と柔軟且つ寛容に捉えている面がある為、夏明ちゃんには遠く及ばない。夏明ちゃんにしても少々杓子定規が過ぎる節があるとも言えるが……。

*14:一般的には「図星」と言われるものである。

*15:紗路ちゃんも「夏明ちゃんが姉」だと考えている発言をしていたし、マヤメグも同様。ただ、映月ちゃんも映月ちゃんで戸惑いこそしたが、それを真っ向から否定する発言は一切しなかった。

*16:実際には映月ちゃんも人を引っ張る力は十分持っているのだが、如何せんそれを発揮する事が映月ちゃんの場合殆どない。

*17:特に一緒に居る時間が長い智乃ちゃんと理世ちゃんが顕著。

*18:厳密に言えば皿洗いをしたのは映月ちゃんであり、恵ちゃんはホールを任されている。

*19:因みに妹である夏明ちゃんも「映月ちゃんよりピアノを先に辞めてしまった事」を引き合いに出して「ダメな子」だと自認した事がある。双子の姉妹、似た者同士と言えばそれまでだが、これは暗に2人共「自己肯定感が低い事」を示している可能性がある事を思うと、決して軽視する事は出来ないであろう。

*20:ただ、甘兎庵はコーヒー専門店では無いので、候補としてもあってもおかしくはない筈なのだが、紗路ちゃんは甘兎庵で働きたいとも考えていない模様。一見変に思えるが、その理由として「千夜ちゃんにそこまで頼りすぎるのも良くない」と、紗路ちゃん自身が考えている可能性が考えられる。抑々紗路ちゃんが甘兎庵で一緒に暮らさないのも、千夜ちゃんに甘えすぎる自分が居る事を自分自身で解っているのが理由として存在しており、紗路ちゃんとしては何時もお店の為に頑張っている千夜ちゃんに負けない様な幼なじみで居たいと言う想いがあるのだろう。

*21:ほご。約束をはじめから無かった事にすること。

*22:ブラバの社長令嬢である映月ちゃんが居た事も理由の一つの可能性もあるが。

*23:現実においても買収計画と言うのは、アルバイト・パート等の所謂非正規雇用者はおろか、そうそうたる位を持つ正規雇用者であったとしても、物言いはそう簡単には出来るものでは無い。

*24:この提案に対して紗路ちゃんと恵ちゃんは、映月ちゃんもとい神沙姉妹が実はブラバの社長令嬢だった事に驚いていた。

*25:現に映月ちゃんの双子の妹の夏明ちゃんは「もし私がその場にいたら出来なかったかも知れない」と映月ちゃんに語っている。

*26:他にも紗路ちゃんも優しく接していたことが分かる描写もある上、他の人にしても映月ちゃんの事を敬遠する事にはならないだろう。

*27:この世のものとは思えない、人間離れした才能のこと。

きらま2021年7月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。先日ごちうさ10周年の詳しい情報が入って、かなり沸き立っているのが感じ取れますね。ごちうさの利点は「コンスタントにコンテンツが提供される事」であるのは間違いないですが、同時にその事がどれ程大変な事なのかを思うと、やっぱりごちうさは別格なのだとひしひしと思わされるばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年7月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月も中々に思う事が多いお話だったと感じ取っていますが、今月も今までと変わりなく、率直な想いを書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、鍵括弧付きの「あんこ」は全て甘兎庵の兎の事を指します。『あんこ』の鍵括弧も同様です。断じて小豆のあんこでは無いので悪しからず。

1.はじめに

 今回のお話は千夜ちゃんが看板娘として働いている甘兎庵が中心舞台であり、登場人物も甘兎庵にゆかりのある人物が大半だが、今回は旅行編からの登場であり、智乃ちゃんにとって同じ学校の同級生でもあり、喫茶店ブライトバニーの店員さん(アルバイト)でもある冬衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃんも登場しており、今回はそんな冬優ちゃんと千夜ちゃんの関わりが一つのポイントとなっている。また、甘兎庵の象徴的存在でありながら、これまでその素性は殆ど明らかになっていなかったうさぎの「あんこ」の素性の一部が明らかになるのも重要であり、全体的に見れば千夜ちゃん中心ではあるが、千夜ちゃんと関わる人々の動向も同じくらい見逃せない回だと言えよう。

 また、今回は甘兎庵にスポットライトが当たった回なので、幼なじみである千夜シャロの昔話も登場する上、前述の通り「あんこ」の素性も興味深い事例が明かされる。幼なじみに限って言えば、夫婦漫才とまで称される程に仲睦まじい千夜シャロと言う幼なじみが今月号に出てくる事は、ある意味先月号の中心とも言えたリゼユラとは幼なじみ同士の距離感と言う意味で対比の関係性にある*1のも中々興味深い点だが、そこはあまり触れない方が良いのかもしれない。尤も対比とは言っても大げさなものでは無く、リゼユラも仲が悪い訳では無く、あくまで普通の幼なじみとは一線を画しているだけ*2である為、そこまで心配は要らないだろう。

2.購読した感想

すれ違いの甘兎庵

 今回のお話は甘兎庵における仮面(マスク)Dayと称した遊び心満載の仕掛けをもって千夜ちゃんが店を構える所から始まる。冒頭からいきなり飛ばしている印象を受けるが、元々彩る事が好きな千夜ちゃんなので、ある意味既定路線と言うべきなのかもしれない。それを既定路線と言い切るのも変な気はするが。

 そんな甘兎庵に来店したのが今回の重要人物とも言える冬衣葉冬優ちゃんである。来店した理由は甘兎庵の看板うさぎである「あんこ」がカラスに連れ去られていた所*3を偶々見つけて届けに来たと言うものだが、来店して早々高圧的な顔立ちで千夜ちゃんをにらみつけてしまい、思わず千夜ちゃんを「ふざけた接客してごめんなさい」と言わしめている程である。尚、高圧的な顔立ちになってしまったのは、冬優ちゃんがかなりの緊張しい且つ恥ずかしがり屋だからであり、そこに緊張すると顔が引きつってしまう自身の特性が加わったが為にああなってしまっただけであり、別に本当に怒っている訳でも無く、寧ろ冬優ちゃん本人は面白がっているくらいだが、恥ずかしがり屋な性格が災いして言葉をもって自分の気持ちを上手く他人に伝えられない事も相まって、人からあらぬ誤解をされやすいのが痛い点であり、事実千夜ちゃんは冬優ちゃんが中々笑ってくれない事を親友の心愛ちゃんに相談している。その際心愛ちゃんは、嘗て智乃ちゃんが現在の冬優ちゃんと同じ様に感情が表情に表れなかった事*4を引き合いに出して説明しようとするが、智乃ちゃんの目の前で彼女自身の感情変化と言う恥ずかしい事を平然と千夜ちゃんに暴露したため、智乃ちゃんから大目玉を食らってしまうが、その際千夜ちゃんは「本人の目の前で話しちゃダメよ」と諭している。と言うか、幾ら心から信頼し合える関係性にあったとしても、誰だって自分の恥ずかしい内面を他人(心愛ちゃん)にベラベラと第三者(千夜ちゃん)に話されたら嫌なものなので、言ってしまえば心愛ちゃんの自業自得。ただ、心愛ちゃんもバカにしている訳では無く、寧ろ智乃ちゃんの少ない変化から感情を読み解く技法を伝えようとしていただけなので、悪気は全く無いのだが……。

 そんなココチノだが、心愛ちゃんに代わって智乃ちゃんが電話を取ると、千夜ちゃんに対して冬優ちゃんはすこしばかり緊張しているだけと断った上で「人は見た感じが全てではないとよく言いますし」と、何やら名言集(誉め言葉)に載りそうな言葉を投げかけ、実際に言動と態度が良い意味で一致しない事が多い*5理世ちゃんを例に出して千夜ちゃんを納得させている。因みにこの時、理世ちゃんは結良ちゃんと一緒に居たのだが、その際「人に噂されるとくしゃみが出る」と言う、科学的根拠も何も無いにも関わらず、どの時代においてもまことしやかに囁かれている迷信(?)を律儀になぞらえる様な反応をして、噂した奴を問い詰めてやると意気込んでいたが、その表情はやはり喜びを全く隠せていなかった。単純と言うか隠し事が出来ないタイプと言うか、やっぱり不器用且つ分かり易い人である。尤も理世ちゃんのそういう所が皆から可愛がられたり、信頼されたりする理由でもあるのだが……。

 何はともあれそれらのアドバイスを聞いた千夜ちゃんは、冬優ちゃんに対して冬優ちゃん自身が連れて来てくれた「あんこ」を話のつかみにして話始め、冬優ちゃんも応じてくれたが、その際冬優ちゃんは「あんこ」の仏頂面(不愛想で愛嬌が無いさま)にシンパシー(同感、共感)を感じる事を言ったうえで、それでも可愛さがある「あんこ」を見て羨んだり、千夜ちゃんの明朗で接客に自信があるさまを羨んだりしている事を千夜ちゃんに直接言っている。何故この様な事を思ったのか、その細やかな理由は後述するが、これに対する千夜ちゃんの返しは意外なもので「招き兎のあんこがいたお陰」だと言ったのである。一見すると変な話だが、冬優ちゃんは割と興味津々であり、ここから「あんこ」と甘兎庵との関係性が分かっていく。

「あんこ」との出逢い

 甘兎庵の看板兎である「あんこ」だが、その出逢いは意外にもこれまで全く明らかにされておらず、長年謎のままだった。その為、10周年を迎えたタイミングで唐突に明かされた事実は正に超展開と呼ぶに相応しいと思われるが、出逢った経緯もこれまた意外なものだった。

 その出逢いは千夜ちゃんがまだまだ子供(恐らく10年程前)だった頃、甘兎庵の初めてのチラシ配りに挑戦した時の事である。年の割にはかなり大胆な行動だが、元々緊張しいだった千夜ちゃんはうまく話す事が出来ず、途方に暮れていた。そんな時に「あんこ」に頭を占拠されてしまった紗路ちゃん*6がやってきて、千夜ちゃんに助けを求めるのだが、その際に「あんこ」に千夜ちゃんの頬を撫でられたのが、千夜ちゃんにとって現在の姿に繋がる原点となった。千夜ちゃんにとって「あんこ」に頬を撫でられたのは「あんこ」が慰めてくれたと思った事がきっかけで「あんこ」に対する信頼を寄せる契機にもなり、チラシ配りにしても紗路ちゃんとのコントじみたやり取りで大衆の気を惹き、見事に成功させている。つまり「あんこ」は千夜ちゃんにとって昔から心の支えとなってくれた大切な存在なのであり、紗路ちゃんにとってはトラウマを植え付けさせられた存在ゆえに手放しには喜べないだろうが、それでも幼なじみを影で支えてくれた存在である事に違いは無いので、そう言う意味では紗路ちゃんも喜ばしいと思われる。尤もそれはアイロニー(皮肉)な因果関係とも言えるのだが……。千夜ちゃんには今に続く人格の礎を、紗路ちゃんには今に続くトラウマ意識を「あんこ」がもたらすとは、割に罪作りな因果関係である。

 また、千夜ちゃんはこの事を引き合いに出して冬優ちゃんに優しい言葉を投げかけているのだが、その事は冬優ちゃんに対して「そこまでかしこまらなくても良い」事を伝えようとしているのではないかと感じ取った。如何にも人の気持ちを鋭く読み解き、寄り添った言葉をかけてあげられる千夜ちゃんらしいが、その際に甘兎庵の勧誘も忘れないと言うのもやっぱり千夜ちゃんらしかった*7。ある意味これがお笑いもといコメディの基本なのだろうが、冬優ちゃんにとってはどう映ったのか、心配ではある。ただ、メタ視点から見れば「良い話をして最後にひっくり返す」のはコメディにおける一種のお約束なので、千夜ちゃんのやっている事はお笑いの基本とも言える。それにしても4コマの基本であるオチの笑いも、人間関係が紡ぎ出す感動も一挙に表すとは、正に恐るべきはごちうさと言う事か……。

甘兎庵の仮面(マスク)Day

 前述の通り甘兎庵では仮面(マスク)Dayを行っていたのだが、その折に心愛ちゃんと智乃ちゃんが甘兎庵に遊びに来て、さらに盛り上がる事になる。その時には冬優ちゃんも甘兎庵の恰好になって、甘兎の仕事体験を実行していたのだが、ここからマスク祭りと言わんばかりに自由にマスクを着用したり、千夜ちゃんのおばあちゃん特製青汁を用意したり*8と正にやりたい放題。実行しているのが千夜ちゃん故に問題は無いとは言え、「看板娘がこんな事して良いのか?」とも思わなくもないが、この様な事を店主若しくはその近親者以外が勝手にやろうものなら大目玉を食らう事はほぼ確実であるため、個人事業主(?)の看板娘だからこそ成しえる業なのだろうが、何れにしても皆楽しそうだからそれで良い気もしない訳でもない……。とは言っても、千夜ちゃんがやっている事は現実には実現困難若しくは不可能な事が多い事に変わりはなく、それ故に甘兎庵がどれ程自由な彩りができて、それが彼女にとってどれほど幸せな事かを物語っているとも言え、それはある意味ユートピア(理想郷)でもある。因みに千夜ちゃんのおばあちゃんもかなりノリの良い人で、千夜ちゃん達の更に斜め上を行く様なセンスを持っている。甘兎庵があれだけ自由なのはそれ故とも言えよう。

 そんな自由気ままな甘兎庵の雰囲気に冬優ちゃんは思わず笑みを浮かべ、千夜ちゃんを思わず脱力させていた。千夜ちゃんが脱力したのは単純に冬優ちゃんに引かれていなかった事が分かったからであるのだが、その際千夜ちゃんが逆に冬優ちゃんに励まされている。これはある意味冬優ちゃんによる他者への愛情注ぎであり、冬優ちゃんの心境変化を窺わせるものになっている。その後冬優ちゃんは恥ずかしさからその場を立ち去ってしまうが、この事実は冬優ちゃんの意思変化を強く示唆する内容になっていると考えている。冬優ちゃんもまた、優しい仲間に支えられて少しずつ変化しているのである。

 そして、冬優ちゃんが外に出たタイミングで紗路ちゃんと出会うのだが、兎が苦手な紗路ちゃんは冬優ちゃんが付けていた兎柄の仮面を見て思わず失神してしまう。その夜、事実を知った紗路ちゃんは当然と言うべきか、千夜ちゃんに対して「冬優ちゃんを甘兎カラーにするのではない」と机を勢いよく叩きつけるまでの怒りをぶちまける。ただ、当の千夜ちゃんは別に気にし過ぎる事も無く紗路ちゃんの言い分を受け止めており、紗路ちゃんにも冬優ちゃんに対して言った様な事を言うが、紗路ちゃんにはどうにも伝わっていない印象が否めなかった。ただ、紗路ちゃんと千夜ちゃんは幼なじみで「あんこ」との出逢いの経緯もお互い良く知っているので、必要以上に言う事も無いのかもしれない。正に幼なじみだからこそ分かる事であり、通じ合う事なのである。

 ところでこの仮面(マスク)について、私としては結構色々な事を考えているのだが、それは後述する。

3.購読して思う事

※注意※

これは2.購読した感想の内容から私が特に深く考えた事をピックアップしています。先にそちらから読む事をお勧めします。

千夜ちゃんと冬優ちゃんそれぞれの性質について

 今回のお話は千夜ちゃんと冬優ちゃんの関係性が特にピックアップされているが、この関係性の中で私が気になったものとして2人の絶妙な思い違いとすれ違いがある。抑々ごちうさにおいては友達関係や人間関係に非常にウエイトが置かれている、ある種の人間物語の側面を持っているのだが、千夜フユにおいてもそれは例外では無い。今回はそんな人間物語としての千夜フユにおいて、私が思った事を書き出そうと考えているが、前提として千夜フユの関係性を丁寧に探る為にも、まずはそれぞれの人柄をまとめる必要があると考えている。なので、今回はそれぞれの人柄を書きまとめた上で、私が今回のお話で気になった千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違いを書き出したいと思う。

 まず千夜ちゃんの人柄については最早周知の事実とも言えるが、物腰柔らかでおっとりとした、心優しい大和撫子である。それでいて良い意味で奇抜なネーミングセンスの持ち主でもあり、甘兎庵の独創的なメニュー名を編み出す事が好き且つ生きがいである。また、お笑いが好きなノリの良い人でもあり、普段から人を楽しませる為にボケを考えたり、甘兎庵を世界進出させる事を計画する等スケールの大きい企画を考えたりする事も多く、今回の甘兎庵の仮面(マスク)Dayも恐らく彼女が発案者だと思われる。宣伝に対して余念がない人でもあり、事あるごとに甘兎庵の宣伝を仕掛ける、ある意味での宣伝娘でもある。

 他人や友達に対して非常に献身的で、自分の事よりも他人の事を優先しようとする面がある為、人からお節介に思われたり、逆に心配されてしまったりする事もあるとは言え、普段から一歩引いて周りを見渡せる視野を持っている事もあって周りからの信頼は厚く、頼りにされる事も多い。また、人の気持ちを読み解く事と慮る事が非常に上手く、僅かな態度の違いから人の心情を見抜き、弱っている人に対して下手に傷つかせる様な事をせず、寄り添って同じ様に考えてあげる事の出来る、正に皆のお姉さん的な存在である。そして、この様な性格故に努力家でもあり、目標の為なら自分他人問わず労力をかける事を惜しまない気前の良さと根気強さもあって、何事にも一生懸命な人でもある。

 しかしながら、その一方で実はかなりの寂しがり屋且つ甘えたがり屋でもあり、孤独になる事に人一倍強い恐怖感を抱いているのが散見される。にも関わらず千夜ちゃんは人にはその素振りを全くと言って良いほど見せない為、周りの人達は彼女の本心に気付きにくく、結果的に思い詰めてしまう事もしばしば。これには理由があり、それは千夜ちゃん自身、自分自身の気持ちを他人に伝える為に表現するのが実は不得意な事がある。彼女は人に対して「自分自身の事で過度に心配してほしくない」と考えている事もあって、積極的に自分の事を話したがらない傾向*9が少なからず存在しており、それ故に他人と彼女自身の事でうまく相談する事ができず、一人抱え込んで我慢してしまう事が多くなってしまうのである。また、実はメンタルがそこまで強くなく、楽しそうでいて内心実は不安を抱えやすいのも千夜ちゃんが思い詰めやすい要因となってしまっている。

 まとめると、千夜ちゃんは広い視野をもって他人を慮る事が上手な、献身的でおっとりとした優しい皆のお姉さん的な女の子であるが、その一方で自分の気持ちを他人に打ち明けるのは不得意であり、それ故に一人で思い詰めてしまいやすい面があると言える。また、メンタルも本当はさほど強くない為、周りに認められて初めて実力を発揮できるタイプとも見て取れる。それなのに周りに気を遣って自分の事を極力表立たせないので、結果的に千夜ちゃん自身が必要以上に苦労してしまうケースも少なくない。その為、普段から頼られる人故に気持ちのコントロールは上手い様に見えるのだが、自分自身に限って言えば実は下手だと言う意外と不器用な面がある。ある意味理世ちゃんと似ているのだが、理世ちゃんと違うのは彼女の場合自分自身の気持ちの整理が比較的上手く、他人の対する接し方が不器用なのに対して、千夜ちゃんは他人に対する接し方が上手く、自分自身の気持ちの整理が不器用な点である。つまり得意不得意が真逆なのだが、それ故にペアとしてはお互いの利点欠点がうまく噛み合っている事から理想的だと言える。リゼ千夜の大人びた雰囲気は、そういった気持ちの部分での補い合いが大人の様な落ち着きを生み出すが故なのかも知れない。

 一方で冬優ちゃんの人柄はと言うと、抑々冬優ちゃん自身が旅行編からの登場である為にまだまだ分からない部分は多いのだが、ざっくりと言うならば所謂内向的な性格であり、積極的に新しい世界に飛び込んでいく事に苦手意識がある、いわばインドアタイプである。極度の恥ずかしがり屋でもあり、人見知りな性質も相まって警戒心がかなり強く、知らない人と話す事や仲良くする事を極端に苦手としており、それ故に新しい人間関係を構築する事に戸惑ってしまう事も少なくない。とは言っても人柄そのものは優しく人を大切に出来る温かい心の持ち主である為、本人は表情がどうしても仏頂面になってしまう事を気にしている*10面はあるが、周りの人達は冬優ちゃんが表立ってはどうしても不愛想になりがちな事をきちんと理解した上で、彼女の本質を見ている。

 他人や友達に対してはかなり控えめで、自分から積極的に友達に話しかける事は少なく、それ故に自分の気持ちを人に話す事もあまりない。また、緊張すると持ち前の警戒心の強さもあってか表情が強張ってしまうため、人からあらぬ誤解をされてしまう事もしばしば。但し、恥ずかしがり屋且つ警戒心が強い故に積極的では無いとは言え、千夜ちゃんと違って自分の本心を話す事自体は意外とある為、実は結構フレンドリーな面もある女の子である事が窺える。もっと言うと、根は優しい人である上、物事を俯瞰する視野も広い事もあって人の気持ちを慮る事も中々に得意であり、洞察力もそれなりに鋭い。但し、その一方で自分自身の気持ちを己自身で把握する事に関しては、自分にとって大切な人が中々構ってくれない事に対して嫉妬している事に全く自覚がない程に鈍感な面もある。

 この様な性質故に冬優ちゃんにとって同じ高校の同級生である智乃ちゃんとは性格が割と似ている*11事もあって一見似た者同士と考えられ、実際表情が分かりづらい面等似ている部分はあるのだが、あくまで両者は別人格の人間である事は忘れてはいけないだろう。無論、嘗て智乃ちゃんが皆に愛されて明るく表情豊かな人に変化していった様に、冬優ちゃんもそうなる可能性はあるが、別な人間である以上どうなるかは誰にも分からない。尤も、智乃ちゃんをはじめとした良い人達に囲まれた環境であるが故に悪い方向になるとは全く考えておらず、冬優ちゃんもきっと表立ってでも明るい存在になるとは考えている。因みに冬優ちゃんの容姿はチマメ隊元気担当の麻耶ちゃんとよく似ている。性格は正反対と言って良い程異なるが。

 まとめると、冬優ちゃんは自分から進んで前に出る事を苦手とする、内気で内向的な性格の女の子だと言え、その性質は嘗ての智乃ちゃんと酷似する。その為、智乃ちゃんにとっては嘗ての自分と重ね合わせる存在でもあるが、智乃ちゃんとしても自分とは異なる一面が多い事は承知しているとは思われるし、なにより智乃ちゃんと冬優ちゃんは仲の良い2人なので、きっと良い友達として良き関係性を育んでいくに違いないと思われる。尤も、言ってしまえばどうなるかなんて誰にも分からないのだが……。

千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違い

 ここから前述の本題に入るが、まず「千夜フユの絶妙な思い違いとすれ違いとは何か」について、これは千夜ちゃんが甘兎庵に来店した冬優ちゃんを招いた時から、冬優ちゃんが笑顔を見せるまでの千夜フユの絡みの核の部分とも言えるもので、千夜ちゃんから見た冬優ちゃんと、冬優ちゃんから見た千夜ちゃんの絶妙な思い違いが生み出す気持ちのすれ違い劇を指す。具体的に言えば、千夜ちゃんから冬優ちゃんとしては「甘兎庵のノリに対して実際には面白がるまでに楽しんでいた*12のに、千夜ちゃんは冬優ちゃんが厳(いか)つい顔つきをしていたのでドン引きされたと思い込んでしまった事」、冬優ちゃんから千夜ちゃんとしては「実際にはそこまで自信満々でもないのに、自信ある人に見えた事」が挙げられると思うのだが、この様にお互い悪気が無いのに、気持ちがずれて相手に伝わってしまうと言う、絶妙な思い違いが生み出す奇妙なすれ違いは正に技巧的であると言えよう。

 千夜ちゃんと冬優ちゃんのすれ違いと思い違いが何かと分かった所で、今度は「この様なすれ違いと思い違いが発生した理由は何か」となるが、これはお互いに人となりをまだよく知らなかった事が起因していると思われる。冬優ちゃんが千夜ちゃんをはじめとした皆と関わり始めたのは旅行編からであるため、お互いに人となりをよく知らないのは当然ではあるのだが、それはお互いに考えている事が良く分からない為に相手の気持ちが読み解きにくく、それ故に相手の気持ちを誤解しやすい事を意味しており、これはいくら口数が少なくとも僅かな感情表現の違いから人の気持ちを読み解き、人に対して献身的に接する事が出来る千夜ちゃんも決して例外では無い。と言うか、千夜ちゃんの様な10代後半の場合、冬優ちゃんの様な性質の人を人となりも良く知らない状態で感情を正確に読み解く事は困難なのはある意味当たり前*13なので、千夜ちゃんの内心の戸惑いは至って普通の反応だと言える。因みに千夜ちゃんが実年齢以上に優れた洞察力を紗路ちゃんを始めとした幼なじみや仲の良い友達に発揮できるのは、千夜ちゃん自身が仲の良い友達や幼なじみに対して常日頃から気に掛けていて、尚且つそれが長期間に亘っているため、ある程度他人の感情を事細かに理解できる様になっているからであると思われる。そうでなければ最早手放しには褒められない程に千夜ちゃんの洞察力は年の割に少しばかり優れ過ぎている様にも感じられる。洞察力が優れている事自体は決して悪い事では無いので難しい問題ではあるのだが、行き過ぎても良い事は無いので心配である。

 私としては千夜ちゃんが冬優ちゃんに対して、冬優ちゃん自身本当は「面白いと思うまでに甘兎庵のノリを気に入っていた」のにも関わらず、「いい加減なノリと接客態度故に厳つい顔をされた(=ドン引きされた)」と思い込んでしまった事については、冬優ちゃんの特性を良く知らなかったから仕方が無いと思いつつも、「これは千夜ちゃんがいけないのではないか?」とも正直思った。確かに冬優ちゃんの厳つい顔は怒っている訳でもドン引きしている訳でも無く、ただ緊張して顔が強張っただけなのは事実なのだが、それを見て千夜ちゃんが「いい加減な事をしたから怒った」と思い込んだのは「自分の態度に非があった」と認めた事にほかならず、これは暗に自分がふざけた態度をとってしまった事を悔いているのを意味している。その為、結果的に問題は無かったとは言え、千夜ちゃんが冬優ちゃんに対して行った接客のノリはハッキリ言って不味かったと考えている。千夜ちゃんも楽しませる為に行っている事は十分理解しているが、それでもTPOは弁えるべきであっただろう。しかしながら、千夜ちゃんが上記の様に思った事は言い換えるとそれだけ「冬優ちゃんにも甘兎庵の雰囲気を気に入って欲しかった」と言う感情が存在していた事も意味しており、それは「千夜ちゃんが甘兎庵においてふざけた態度を冬優ちゃんにとったのは、冬優ちゃんを軽く見ているからではなく、畏まらないで自然体でいて欲しい」事を暗に願っていた事が背景にあると考えている。そう思うと、千夜ちゃんのふざけた態度は手放しに褒められるものでこそ無いものの、千夜フユのわだかまりを無くすきっかけともなった事を思えば、直ちに「ふざけた態度をとった千夜ちゃんが全面的に悪い」と断定できるものでは決して無いであろう。私自身もそこを弁えた上で今回千夜フユを見つめている。

 また、冬優ちゃんが千夜ちゃんに対して「実際にはそこまで自信満々な人でもないのに、自信がある人に見えた」と思い込んだ事について、これは冬優ちゃん自身が自分に自信のない引っ込み思案な性格だった事もあると思われるが、一番は「看板娘たる喫茶店で活き活きと輝いている」千夜ちゃんを見た事が要因としてあると思われる。元来表立っては決して明るい人では無かった冬優ちゃんは恐らく自分に自信が無い事が多く、その為に自分のやる事に自信をもって取り組む事が得意では無く、寧ろ苦手だったと思われるのだが、それ故に交友関係も狭かっただろうし、普段から明るく活き活きした人を見る機会もさほど無かったのだろう。だからこそ、活き活きと接客してきた千夜ちゃんを自信のある人だと思ったのだと考えられる。言ってしまればただの思い違いなのだが、その一方でこの様な思い違いをした事には、冬優ちゃんにとってそれだけ千夜ちゃんには憧憬できる(憧れを抱ける)一面がある事を意味しており、自分もこうなってみたいと思うに相応しい人であった事でもある。それは全然いけない事では無いし、その様な些細な憧れから本格的な人間関係に発展する事もざらにあるので、思い違いから始まる千夜フユと言うのも案外悪くないのかもしれない。

 そんな思い違いから始まった千夜フユの本格的な関係性だが、既に述べた様に千夜フユは甘兎庵の看板兎「あんこ」をきっかけにお互いに思い違いを抱えつつも親交を深めていき、最終的にはお互いに誤解を解き合っている。兎によって人間関係が育まれるとは何ともごちうさらしいが、私としては「あんこ」がどれ程絶大な影響を与えているのかその事が気になった。ここからは、そんな甘兎庵の看板兎である「あんこ」について考えた事を書き出す。

「あんこ」がもたらしたもの

 今回は甘兎庵が中心舞台という事で、絶対に外せない存在が私の中ではいた。甘兎庵のマスコット兎であり、看板兎でもある「あんこ」である。普段は仏頂面とも見て取れる表情をしている上に自分からは殆ど動かないで机の上に鎮座している*14ので、一見何を考えているのか分からない兎に思えてくるが、その実誰よりも人を見ている兎でもあり、それ故になのかは分からないが人の僅かな感情変化にも鋭く、特に昔から見守ってきた千夜シャロ双方の感情変化に鋭い。但し、紗路ちゃんにとっては兎を苦手とするきっかけとなった張本人(張本兎?)でもある為、心から嫌ってこそいない*15ものの、懐かれる事をあまり良しとしていない。 とは言っても「あんこ」も別に悪気がある訳では無いので、兎に苦手意識が無い人達(=紗路ちゃん以外の人達)は「あんこ」を可愛がっている事が多い。

 そんな「あんこ」だが、実は昔から何気に登場人物に影響を与えてきた存在でもあり、嘗ては己自身の心の暗さ(或いは闇)が大きい故にかティッピー以外の動物が全く懐かなかった*16智乃ちゃんにとって初めて自分から逃げなかった兎であったり、千夜ちゃんにとっては前述の通り挫け(くじけ)そうな時に仏頂面ながらも寄り添ってくれて、幾度となく勇気と気概を与えてきた兎であったりするために、私自身今月号のお話で「あんこ」の事が人の心に寄り添い、自分からは突き放さない優しさを持っている一面をもって、結果的に人の気持ちを突き動かし、変化させる事の出来る兎だとも思う様になってきた。なお、千夜ちゃんも「あんこに何度も励まされ救われてきた」経験から「あんこ」に対してかなり特別な感情を持っているのだが、詳細は違えど「あんこ」が与える影響と言う観点から鑑みると、私自身の「あんこ」に対する見識については千夜ちゃんが持つ「あんこ」に対する愛情に対してシンパシーを感じるものがある。何ともこじ付けがましいのは理解しているが、「あんこ」がくれた様々な贈り物もとい宝物の事を思えば、千夜ちゃんと同じ様な想いを抱くのはある意味当然の成り行きなのかも知れない。それだけ自分なりに真剣に「あんこ」の事を考えている証でもあるのだろう。

 但し、兎である以上「あんこ」が本当に上記の太字の様な事を思っているのかは分からないし、ややもすると「私が」都合良く「『あんこ』の数々の行動は人を勇気づける為に行っていた事だった」と好意的に解釈していただけだった可能性も十分にある。正直に言ってしまえば私自身、動物の気持ちを完璧に読み解く事は「言葉を話せる人間ですら相手の気持ちを完璧に読み解く事は至難の業である以上、どれ程努力しても完全に読み解けていると私自身ではとても断言できない」と思っているのだが、実の所「私は『あんこ』の事を都合よく解釈している可能性がある」と考えたのもそれが原因で、果たして「あんこ」が何を思って数々のアクションを起こしてきたのか、それにはどんな意義があった或いは無かったのか、それを自分の中で断言そして提言するだけの自信も根拠も持てないがためにこんな事になってしまっている。つまり言ってしまえばただの意気地なしなのだが、他にも一度イメージ付けをしてしまえば例え後からそのイメージ付けが間違っていた事に気付いたとしても修正するのは中々難しい事を思い知られているのもある。要するに一度思い込む事で形成された考えの修正は思った以上に難しい事を思い知られているが故に戸惑っている面もある事であり、平たく言えば意固地故の悩みである。つまり意気地なしな一面もありながら意固地な一面も持つと言う私自身が持つ複雑な特性が、今回「あんこ」でこれ程思い悩んでいる事になっている大きな理由なのであり、その背景には「あんこ」の事を真剣に考えている事が関係している。しかしながら、普段動物の気持ちを読み解く事を「非常に難解な事」と考えている私にとって人間並みに捉え解釈しようとする事がどれ程大変な事であるかは想像に難くない事とは言え、自分なりでも真剣に考えなければ意味が無いので痛みは受ける覚悟で書いている。正直ごちうさ私の中で喜びも悩みも痛みも請け負っていた作品である為に最早何があっても走り続ける覚悟を決めていて、今回も例外では無い。その為、書き出した内容こそかなり重苦しいのは否めないが、その一方でその事を受け止めた上で気持ちのコントロールを上手くやっているため、心配は要らないので安心してほしい。

 因みに「私が」と太字鍵括弧で強調したのは上記の項目に「私の考え方は千夜ちゃんの考え方にも通ずるものがある」と言った趣旨の内容を書いたのだが、これでは上記の様な逆説的な項目の際に、千夜ちゃんも「あんこ」の事を私と同じ様に都合良く解釈している事になってしまうと考え、そこで私の考えにあたる部分に対して太字鍵括弧を用いて強調する事で「あくまで私と千夜ちゃんの考えは別物」と表現したかったからである。気を遣い過ぎて寧ろお節介と言えばそうなのだが、文面は会話と違って細かなニュアンスがダイレクトに伝わりにくい為、細かく書かなければ思わぬ誤解を招きかねない。だからこそそういった誤解を防ぐためにも細かに書いている訳なのだが、結論として私としてはやはり出来る事なら千夜ちゃんに対しては「彼女自身が『あんこ』の事を少しばかり都合良く解釈し過ぎている」とは思わないで欲しいのである。

 色々と書いて内容が多くなったが、ここからは本題である「あんこ」がもたらしたものについて書き出したい。まずは千夜フユと「あんこ」について率直に思う事についてだが、まず何と言っても「あんこ」をきっかけに千夜ちゃんと冬優ちゃんの距離が少しずつ縮まってきた事を外す訳にはいかないであろう。そもそも千夜フユはお互いに全く知らない相手では無いとは言え、出逢ってからまだ日が浅い上に2人だけの関係性は作中を見る限りほぼ絶無に等しく、その為にお互いの人間性を互いに殆ど知らず、それ故にどう接すれば良いのかお互いに分からずに煮詰まってしまう姿が今月号では目立っていた様に思う。2人共自分から積極的に人に話しかけるタイプでは無い*17ので煮詰まってしまうのも無理はないのだが、そんな2人の距離を近付けた存在こそ「あんこ」なのであり、そこから2人の関係性が育まれていった事を考えると「あんこ」は絶対に外せない存在となる。冬優ちゃんが千夜ちゃんの事を憧憬するに至ったのも、千夜ちゃんと「あんこ」の美しき出逢いがあったからであり、そこから冬優ちゃんが木組みの街にもっと馴染みたいと思う切っ掛けになったと思えば尚更である。

 また、上記の内容を端的にまとめると
「千夜ちゃんは『あんこ』との出逢いのお陰で自分に自信を持てる様になり、今の自分を創り上げられた」⇒「その事を身をもって受け止めた冬優ちゃんは、もっと木組みの街に馴染みつつ、何時か千夜ちゃんの様な人になりたいと強く誓った」
と言う事になるのだが、ここで重要な事が一つ浮かび上がってくる。それはズバリ千夜フユの確固たる関係性の形成の背景には「あんこ」の存在が非常に大きかった事である。前述の通り「あんこ」は千夜ちゃんに対して多大なる影響を与えているのだが、その影響は千夜ちゃんと「あんこ」だけに留まらず、千夜ちゃんの人間関係にも多大なる影響をもたらしている。その為、もし「あんこ」に出逢わなければ千夜ちゃんは今の様な性格では無かった可能性が非常に高く、そうなれば例え今の様な皆との関係性が無事に形成されたとしても、千夜ちゃんは他人に対して自分の行動をもって勇気付けて後押ししてあげる事もままならなかっただろうし、人から「ああいう人になりたい」と憧憬(しょうけい)される事も難しかったと考えられる。そうなれば、冬優ちゃんから憧れる事も恐らくは無かっただろうし、大体「あんこ」が居なければ抑々甘兎庵を訪れるきっかけが無いと言う事から千夜フユが確固たる信頼関係を築き合えたのかどうかすら疑念が生まれたと思われる。勿論冬優ちゃんと千夜ちゃんは学年こそ違うとは言え同じ高校なので、「あんこ」が居なくとも同じ学校のよしみで関係性を構成していた可能性こそあるが、それでも今回のお話の様な濃密且つ強固な信頼関係の構築は難しかったと考えられる。何故なら、接点自体はあってもそこから進展が無ければ意味が無く、結局は同じ場所にいるだけの顔見知り程度の関係に落ち着いてしまい、深い関係性には至らなくなってしまう事が容易に想定できるからである。その事からも、千夜フユの関係性には「あんこ」が持つ人の心に寄り添い、自分からは突き放さない優しさを持っている一面をもって、結果的に人の気持ちを突き動かし、変化させる事の出来る特性は欠かせないものだったと言え、結果的に「あんこ」によって強固な信頼関係が結ばれたと言っても過言ではないだろう。

 更に言うなら「あんこ」がもたらした影響は千夜フユだけでなく、幼なじみである千夜シャロにもあると考えている。元々「あんこ」に出逢う前から現在の様な関係性が既に確立していた2人であった*18うえに、今月号のお話ではどちらかと言えば千夜ちゃんと「あんこ」の出逢いの方に重きが置かれている為、千夜シャロと「あんこ」と言う観点からはさほど描かれてはいないのだが、それでも千夜シャロと言う幼なじみを彩ったり、見守ったりする存在として「あんこ」が居る事は想像に難くなく、千夜ちゃんと紗路ちゃんでは「あんこ」に対する考え方が(紗路ちゃんにとっては兎に対するトラウマ意識を植え付けられた存在と言う事も相まって)かなり異なっているが、紗路ちゃんとて嫌っている訳ではなく、寧ろ「あんこ」が居た事に感謝を示す事も少なからずある位である。この事から、古い付き合いである千夜シャロにおいても「あんこ」に好影響を与えられたと考える事が容易にできると言えよう。

 以上が今月号のごちうさを読んだ上で私が考えた「あんこ」がもたらした事についての内容である。兎から登場人物についての考察はいくら兎が重要なウエイトを占めるごちうさと言えど経験があまり無かったが、いざやってみると今までの視点からは見えなかった様々な事柄が見えてきて、なかなか興味深い考察内容となった。また、甘兎庵においては「あんこ」以外にも気になったものがある。それは甘兎庵の仮面(マスク)Dayである。ここからは最後の題材として甘兎庵の仮面(マスク)Dayについて率直に思った事を書き出す。

仮面(マスク)Dayのマスクについて思う事

 今月号のお話は何度も述べて来た様に甘兎庵が舞台だが、その甘兎庵では一風変わった装飾が施されていた。それが仮面(マスク)Dayであり、その内容は「店員がカラーサングラスやマスク、アイマスク等を装着して接客にあたる」と言うものなのだが、私としては仮面(マスク)にただならぬ感情を抱いた。この様な感情を抱いた背景には昨今のご時世も関係しているのだろうが、私の場合はそれ以上に仮面(マスク)が示す意味に対して興味を惹かれた。

 抑々仮面はペルソナとも呼ばれるもの*19であり、元々はあらゆる場面において求められる姿を演じる為に何かしらの仮面を被り、全く他の役になりきると言った意味合いを持つものであり、仮面は別に物理的なものでなくとも本来の自分とイメージを変えるものなら十分に成立するものでもある。こう考えるならば、恐らくは甘兎庵の仮面(マスク)Dayもこれを踏襲したものだと思われるのだが、実はごちうさにおいては何かになりきる事で普段の自分とはかけ離れた姿が出る描写が結構ある。智乃ちゃんの文化祭における兎の被り物、紗路ちゃんの怪盗ラパン、理世ちゃんのガーリー姿たるロゼちゃん等がその代表例であり、これらは普段の性質からは信じられない程にキャラが変化した姿を見せていたのが印象的でもあるのだが、これらは全て仮面(ペルソナ)を被る事で異なる自分を出せている事も非常に重要である。そのままの素の状態では恥ずかしさ故に全面的に自分を発揮できないが、何かしらの仮面を被る事で本来の自分とは異なる存在になりきる事で、そのままでは恥ずかしさ故に出せない本当の自分も前面に出せる様になると言う事であり、この事はごちうさにおいては普段から日常生活を送る上で何気なく行っている事だとは言え、実はそれが結構キーポイントになると考えられる。

 今回の甘兎庵における仮面(マスク)Dayにおいて私が特に気になった点は仮面(マスク)Dayに対する冬優ちゃんの心情変化であり、仮面姿を見た千夜ちゃんを面白がりつつも戸惑いを隠せなかった初対面から「あんこ」との交流を経て、冬優ちゃん自身も甘兎庵のノリに染まると言った意味合い*20で仮面(マスク)を被って客をもてなす側に立つと言う流れは正にごちうさの十八番と言える「精神面における小さな成長」を丁寧に描き出していると感じ取った。元々ごちうさにおいて成長は裏のテーマと言っていい程に散りばめられながらも確実に描写がなされている事が多いのだが、今回もその一つと言え、その内容としては「冬優ちゃんの勇気を持った小さな前進」と言った表現が合っていると思われる。何故なら、元々内気で人に対して自分を出す事を極端に苦手としていた冬優ちゃんが、甘兎庵の仮面(マスク)Dayに出逢って仮面の力を借りつつ接客をする事で、今までの内気な自分のままでは到底体感できなかったであろう世界観を体感し、新しき世界(木組みの街)に生身の自分で深く踏み込む事にも勇気を出してやってみたいと思える様になったと彼女自身の反応から読み取れるからである。全く未知の世界に飛び込む事は例え恥ずかしがり屋で内向的な性格で無かったとしても簡単な事では無い*21し、まして内向的な性格たる冬優ちゃんが未知の新しき世界に飛び込む事は、幾ら新しき世界に嘗て旅行先で知り合った人達(智乃ちゃんや心愛ちゃん達の事)が居たからと言っても怖くて難しい事に変わりは無く、実際に冬優ちゃんは旅行先で知り合った人達がいたお陰で幾分気持ちが楽になった面が窺えた一方で、やはり自分をどう見せれば良いのかで戸惑いがある事は否めず、馴染み切れていなかった印象もあった*22中で、今回甘兎庵の仮面(マスク)をつけて接客に望んていたのは、彼女の中で何か強い切っ掛けを生み出したものであったと考えている。何気ない仮面(マスク)だが、冬優ちゃんにとっては何か大きなきっかけを掴むものだったと思ってやまない。

 この様に、甘兎庵の仮面(マスク)Dayには私としては冬優ちゃんにとって木組みの街にもっと馴染みたいと思えるきっかけとなったのと同時に、その背景には本当の自分と異なった自分を演じる事ができる仮面の特性が関係していたと考えている。尤も仮面(ペルソナ)は社会生活を営む者なら誰しもが往々にして求められるものではある*23のだが、ことごちうさにおいてはそれが精神的な成長、内面的な恥ずかしさを丁寧に描き出す要素としても機能しており、それは冬優ちゃんも例外では無かったという事である。思えば冬優ちゃんが智乃ちゃんと出逢った当初に見知らぬ人と会話する事に対する恥ずかしさから「猫による腹話術」を用いたのも、ある意味仮面(ペルソナ)を被っていたと言えるのかも知れない。

3.あとがき

 以上がきらま2021年7月号掲載のごちうさを読んだ私の感想である。前回が理世ちゃん中心のお話に旅行編からの新キャラである夏明(なつめ)ちゃんが登場、サポートした事を踏まえると、今回のお話は夏明ちゃんの姉妹である映月(える)ちゃん*24が何かしらの場面において登場してくるお話だとやんわりながら思っていたのだが、実際は映月ちゃんでは無く、同じく旅行編で出逢った冬優ちゃんに焦点が当たったお話だったのは正直少し意外だった。とは言ってもお話としては可愛さあり友情ありと、何時ものごちうさだったので結果的には良かったと考えている。ただ、それでも映月ちゃんが好きな人からしてみると複雑な心境なのは間違いないだろうし、かく言う私とて映月ちゃんは旅行編からの新キャラの中ではかなり好きな方なので、映月ちゃんが全然出てこない事には寂しさを覚えているのだが……。

 今回最も重要だったと思うのは甘兎庵とりわけ「あんこ」であり、それまで千夜ちゃんを始めとした皆と絡みを見せておきながらその素性に関しては謎が多かった「あんこ」の詳しい素性が垣間見えたのは、10周年と言うターニングポイントを迎えたごちうさにとっても非常に意味のあるものだったと考えている。よくよく考えてみれば、タイトルからして「ご注文はうさぎですか?」と言うのも、兎に対して明らかに何かしらのただならぬ意識・意味付けがある事を思えば、兎である「あんこ」はもっと物語に深い意味を持たせる存在であっても全然おかしくないため、このタイミングで「あんこ」が直接的に関与するお話が出てきた事はある意味当然の理だったのかも知れない。無論私は一読者に過ぎないのでこれはあくまで推察なのだが、このお話には読者の想像の遥か上を行く、何か大いなるメッセージが隠されているのかも知れない。

 そして、甘兎庵の仮面(マスク)Dayについてだが、実は仮面(マスク)Dayの意味に関して言えば、私は真の意味での正しい見方が分からない。それ故に今回私が考えた「仮面=ペルソナ」と言う解釈が本当に正しいのかなんて言ってしまえば全然分からない。そもそも創作物の解釈に万人が納得する正解が存在しているのかすら私には分かりかねていると言うのだから、こうなってしまうのはある意味当然なのだが、ごちうさに限って言えば、一つだけの正解を求めようとする事自体が最早不可能となりつつあるのかも知れない。勿論創作物には何かしらの結末があるのは紛う事無き(=疑いようのない)事実ではあるのだが、ごちうさにはそれを超える何かがあるのかも知れない。途方も無い話なのだが……。

 あとがきにして最終的には哲学じみた話にもなったが、それだけ最近のごちうさには考えさせられる事が多い事の裏返しでもある。考えさせられる事が多い事は私が書く感想・考察の文量にも表れており、この文も過去2番目に文量が多くなった*25。ただ、私としては「考察・感想を書くなら文量が多くないといけない」とは全く思っていない事は声を大にして言いたい。勿論、考察や感想を沢山書ける事は良い事だとは考えているし、それができる事は素晴らしい事だと考えている。でも、それは絶対では無いし、強制的にさせられる様な事でも無い。自分がやっていて楽しいと思える様なスタイルがあるなら、固定概念に対して変に縛られる必要は無いと思っている。自分だけが持つ世界観や価値観、そしてスタイルをもって、ごちうさを堪能できるのならそれを大切にして欲しい。なぜならそれは、自分しか持つ事のできない宝物なのだから……。

*1:リゼユラは幼なじみでありながら特異な点が多く、千夜シャロの様な夫婦漫才どころか、マヤメグの様なお互いを想い合う様子もあまり見受けられず、どことなく冷たい雰囲気を醸し出している。

*2:但し、その一線を画す要素があまりにもごちうさの世界観、常識を逸脱しているのも事実である為、結良ちゃんを受け容れられるか否かで評価が真っ二つに割れてしまいやすい。立ち振る舞いでここまで意見が分かれる結良ちゃんは、ある意味ごちうさの登場人物の中でも特に人間らしい人間である事を示唆している様にも思えてくる。

*3:「あんこ」は何故かカラスに(恐らく「あんこ」の頭の上に載っている王冠に反応して)良く連れ去られる事が多く、それ故に急に上空から現れる事もしばしば。

*4:今の智乃ちゃんからは最早信じられなくなってきているが、心愛ちゃんと出逢った頃の智乃ちゃんは非常に暗く、感情が無かった訳でこそ無かったものの、それが殆ど表情に表れなかった。言い換えるなら仏頂面である。

*5:威勢のいい口調とは裏腹に、喜びの感情を隠し切れていない事が多いため。

*6:紗路ちゃんは元々動物全般に懐かれ易いタイプなのだが、特に兎に懐かれ易い。しかし、当の本人は何という運命のいたずらか「あんこ」に弄(いじ)られた事がきっかけに兎が苦手となってしまう。

*7:勿論その時の表情は真剣そのものだが、どこか妖艶な魅力を放ってもいる。

*8:千夜ちゃんは皆が集まると決まって特製青汁を使ったロシアンルーレットを持ちかける事が多い。ロシアンルーレットはともかく、何故青汁なのかは謎なのだが……。

*9:紗路ちゃんとの会話が顕著だが、千夜ちゃんは相手の話を引き出す事が多く、自分の話をそこまで引き合いに出さない。普段はボケの一環として捉えられる事も多いが、その裏には千夜ちゃん自身が自分の事を話すのが苦手なのも要因としてあると思われる。

*10:作中でも甘兎庵の看板兎であり、普段は仏頂面でもある「あんこ」を改めて見て、「あんこ」と違って仏頂面で愛嬌も無い自分自身をコンプレックスに思っている姿が見られる。実際の所、仏頂面になりがちなのはともかく愛嬌は普通にあると思うのだが……。

*11:自分が大切な人に対して嫉妬している事実に自覚がない点も含めて。

*12:この事は、冬優ちゃんの感性が千夜ちゃんの感性と共感できる部分が多い事を示唆している。

*13:もっと言うと、千夜ちゃんの様な年頃では千夜ちゃんが普段すんなりとやっている様な心情理解も全く容易ではない。

*14:本当に動かないので、兎だと知らなければまるで本物そっくりの「置物」だと勘違いしてしまう程。

*15:寧ろ気に掛ける事もしばしば。元々人や動物が持つ優しさの気持ちを無下にできない人なのだが、それが苦手な兎に対しても同じなのはある意味彼女が持つ天性の慈悲深さが表れていると言える。

*16:但し、ティッピーは物語開始時点から既に智乃ちゃんの祖父の遺志を継いだ、云わば姿だけが変わった祖父でもあるが故に普通の動物とは抑々が全く異なる存在である為、純粋な動物には全く懐かれなかったと言う事になる。また、そのティッピーにしても祖父が存命中の時には当然ながら普通の兎だった事になるが、その頃から懐かれていたのか否かの描写は一切ないし、抑々心が暗くなる前(恐らく母親が亡くなる前)の智乃ちゃんは動物に懐かれていたのかどうだったかも全く描かれていない。但し、描写されていない事については単に説明不足と言うより、既に説明できるがそこを敢えて秘匿していると言った印象が非常に強い上、抑々ティッピー関連はごちうさにおける核心部分にも深く関わっている事は容易に想像できる為、これから明らかになっていく可能性は高いと思われる。

*17:「冬優ちゃんはともかく、千夜ちゃんはそうでも無いのでは?」となるかも知れないが、千夜ちゃんも実は人に積極的に自分から話しかけるタイプでも無い様に思える面がチラホラあり、知らない人と話すのが実はさほど得意とも言えない所がある点がその代表格と言える。

*18:母親同士が良き交友関係にあるために幼い頃から千夜ちゃんと紗路ちゃんにも交友関係が存在しており、それ故に親子揃って仲が良い関係性になったと考えられる。とは言っても千夜ちゃんと紗路ちゃんならたとえ親同士の交友関係が無かったとしてもきっと仲良しになっていた気がしてならないが。

*19:ゲームの「ペルソナ」で無い事は注意。そもそもペルソナは仮面の意味を持つ言葉であり、他の意味としては「人」や「個別性」と言ったものがあるが、キリスト教で用いられる宗教用語でもある。因みに仮面の中で「アイマスク」は和製英語だと言う。

*20:そこには千夜ちゃんの勧誘を無下にしない冬優ちゃんの優しさも含まっているとは思われるが。

*21:底抜けに明るく外向的な心愛ちゃんですら、新しき世界に飛び込む事は必ずしも楽しみばかりでは無かったと打ち明けている程。

*22:それでも木組みの街を訪れた当初よりは幾分馴染めている。

*23:何か他の役職になりきる事も仮面(ペルソナ)を被る事だと言えるため。

*24:夏明ちゃんと映月ちゃんは双子の姉妹であり、苗字は神沙(じんじゃ)。ただ、どちらが姉なのかは現時点では分かっていない。私の予想としては夏明ちゃんの方がお姉ちゃんだと思うのだが、本当にそうだと言う確証はどこにもない。

*25:因みに1位は狩手結良に関してまとめたものである。