多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 心が激しく揺れ動く程の感銘と言うのは、そう中々に出会えるものでは無い。これ程沢山のマンガやアニメに触れてきた中でも、心が激しく揺れ動いた経験はそう多くない。しかしながら、それ故に激しく揺れ動いた瞬間と言うのは、どんなに月日が経っても忘れないものだ。

 そうやって感銘を受けて、今に至るまで「好き」と言う気持ちを持ち続けているマンガやアニメは、別の言い方をするなら私にとって「人生の私信」ともなり得る存在となっている。無論、ごちうさもその1つで、今でこそ「熱意が......」と思う事も多くなったし、正直「嘗て程の熱意はもうない」と言うのだって容易くはなった。だが、昔培った「糧」と言うのは、私自身の気持ちがどうなろうと無くなる事は無い。その糧があるからこそ、私は今でもごちうさに対して一線を画した想いを持つ事が出来ているし、今でも感想・考察文をブログに書きしたためようと思い立つ事も出来ている。己が勝ち得たものと言うのは、そう簡単には廃らない。その想いを裏切る事は、少なくとも今の所はしないつもりである。

 尚、一方では「好き」と言う気持ちを持ち続けながら、読み返したいかと聞かれれば、思わず返答に戸惑う程の地獄を見たマンガと言うのも存在はしている。とは言え、その地獄と言うのは、確かに絶対的な地獄展開も存在する事もあるにはあるが、それ以上に「自分がある展開を『地獄』だと思ったショック」が心に刻み付けられ、自分が思う地獄と向き合えないかもしれないと言う「心の弱さ」が大きく関わっている。今回は後に「弱さを知る事で得られる強さ」と言う題目を真剣なる想いで書き出しているのに、書き出した本人がこのザマとは、正に滑稽以外の何物でもないが、己の弱さと向き合うと言うのは、どんなに理論武装したって決して簡単ではないと言う事である。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は心愛ちゃん達の文化祭にお忍びに訪れていたモカさんと千夜ちゃんとの物語が骨子となる回であり、雰囲気としてはかなり内省的。今までに積み上げてきたものが試される回でもあり、故に「これまでのストーリーやメッセージ性を知っている事が前提」となる回と言う印象が強い。初心者には些か厳しいと思わなくもないが、ごちうさ単行本にして12巻目が発売決定している程の長期連載作品なので、ある程度は仕方ないのだろう。

 

※注意※

最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 幾度となく積み上げてきたものの再確認。今回のお話から感じる事はそれだった。それを準えるのは、モカさんと千夜ちゃんと言う珍しい組み合わせ*1であり、珍しいものが見れると言う意味でも面白みがある。ただ、雰囲気は前述の通りかなり内省的なものであり、具体的には「メンタルの弱い自分との向き合い方」「相手の強みを見て自分に足りないものを悟る」等々である。また、その様な要素に至るまでにはごちうさの面々が如何にして今の自分を構築していったのか」が要となっている為、前提を知らないと「?」となる可能性も否定できないし、苦手な人はとことん苦手なジャンルでもある。先程「初心者には厳しい面もある」と称したのはこの為である。

 今回の扉絵は、千夜ちゃんとモカさん2人が仲睦まじい姿を見せて佇んでいるというもので、普段見ないイレギュラーな組み合わせが見られる意味ではかなり貴重である。また、良く見ると背景にパンと甘味のメニュー表も描かれており、それぞれの特徴を抜き出した遊び心ある内容でもある。

 今月号は先も指摘した様に「この物語が積み上げてきた前提を知っているかどうか」で抱く印象が全く変わる回だと捉えており、幅広く知っている人なら感銘を受けやすいが、そうじゃあないと理解するのに手間どる可能性がある。また、積み上げてきた物語が前提となると言う事は、言い換えれば「これまで描かれてきたものを再び見せ付ける」と言う事でもある為、新規性に富むかと言われればそう言う訳では無く、前回同様真新しさはさほど感じない。とは言え、これまで積み上げてきたものが再び花開くと言う構図は、何度観ても感慨深いものがあるし、趣深いものがあるのも事実なので、こういう魅力こそごちうさの良い所と言えるだろう。正直モチュベーションの維持には苦労するが......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出したい。今回は特段テーマに苦労している訳では無いが、真新しさに感銘を受けている訳でも無いと言う状態な為、割に淡々とした内容にはなると思うが、書くべき事は書くので安心して欲しい。

他者への羨望

 人の行動や言動を見て、自分の言動や思想がどの様なものかを顧みる事。これが言い表せられるのは「人の振り見て我が振り直せ」「内省」などが挙げられるが、今回のごちうさは正にそんな感じ。モカさんと千夜ちゃんによる「内省物語」と言う側面で描かれるストーリーは、コミカルな雰囲気であっても「これまで培ってきたものを顧みる」と言う性質が終始漂っており、良くも悪くも「内面的な方向性に振った回」とも言える。

 モカさんと言えば、明るくて社交的で、何でも器用にこなせて包容力もあって、一見すると正に「スーパーお姉ちゃん」と言うに相応しいだけの能力を持った人物に映る。実際、末っ子の心愛ちゃん含めた4人の兄弟姉妹の姉だし、能力の高さも実証済みである。だが、モカさんとて最初から何でもできる天才肌ではなく、幾多のトライ&エラーを積み重ねて今の自分がある訳で、その意味では「いぶし銀の努力家」と言った方がいい。なので、彼女とて他者からの羨望を真っ直ぐに受け止められる程凄い人間では無いし、彼女に憧れを抱くなら、その「陰で愚直なまでに努力を積み重ねて、それを決して表には見せない強さ」を知る事が何よりの肝要となる。何でも完璧にこなせると言う上辺だけを見て評価してはいけない、さもないと本質を見誤ると言ういい例でもある。

 ただ、陰では必死に努力していると言っても、それを表立っては見せない様に尽力している以上、モカさんの内面を限りなく深く知っている人でもない限り、彼女の本質や性質がどの様な形なのかを正確に窺い知るのは難しいと言うもの。それを証明する様に、今回モカさんとガッツリ同行していた千夜ちゃんも、モカさんが果たして「完璧なお姉ちゃんなのか、それとも実は自分とさほど変わらない程にメンタルの弱い人物なのか」どっちかが良く分からず、混乱する場面もあり、この事からモカさんの客観的イメージは「何でも臆せずこなせる完璧な人」と言うのが強い事が窺える。

 千夜ちゃんはモカさんと違って「実はメンタルが弱い」と言う一面があり、本人もその事に自覚がある事から、モカさんの様に身内(心愛ちゃんの事)が自分の元から離れても、自分にできる事を精力的にこなすモカさんが輝かしいと言うか、自分には無いものを持っている存在として憧れるのは当然の摂理とも言える。しかしながら、実際にはモカさんとて弱い一面はあるし、そのモカさんにしても千夜ちゃんの「いかなる状況からでも強かに甘兎庵を繁盛させる施策を練れる所」「派手な格好をしたまま街を練り歩ける所」等に「自分には出来ない強心ぶりや策士ぶり」に対する憧れを抱いているので、結果的にモカさんも千夜ちゃんも、自分にはない部分に羨望を抱いている事が良く分かる。早い話が「隣の芝生は青い」と言うやつである。

 隣の芝生は青いと称するのは、モカさんも千夜ちゃんもお互いが持っている強さに感化されるがあまり、自分が持つ「強み」に自分でも良く気付いていない節があるからで、これはそのまま「自己肯定感の高い低い」にももろ関わってくるので、そう簡単に笑い飛ばせる程軽い話ではない。しかも2人共に「お互いの強みが何なのか。具体的に感じた事は心にとどめている」事から、自分の今後の教訓にするには有効かもしれないが、他者から教わる自分の強みなるものが十分に手に入っていない様に見える事が絶妙に引っ掛かる。今はまだ大丈夫だろうが、これが肝心な時に誇張抜きで笑えない程の致命傷にならないか心配ではある。

 とは言っても、モカさんにしろ千夜ちゃんにしろ、お互いに普段中々話を交わせない人から意見を募ったり、普段なら絶対に出来ない事を2人で出来たりしたと言うのは、間違いなく貴重な経験だし、それで「お互いに普段感じた事のない人の強みや意外な一面」を感じられたと言うなら御の字(大いに有り難い)でもある。今回ここでの題目を「他者への羨望」と称したが、これは「敢えてそうした」のであり、この2人に存在する感情が羨望だけではない事位解っている事は書いておこう。

ストーリーテラー冬優

 話の筋道を紹介したり、物語の面白さを引き立てたりして、読み手や聞き手をその物語の世界観へと誘う存在。それがストーリーテラーと言った所だろうか。私としては、ストーリーテラーと言えば「ミステリー小説」のイメージが真っ先に思い浮かぶが、そういう存在は別に小説に限ったものではない事位解っているし、抑々今回の題目に「ストーリーテラー」と付けたのも、話の展開から「これはストーリーテラーの役回りが見出せるのではないだろうか」と思った事が切っ掛けである。

 今回そのストーリーテラーの役回りを担っていたと思うのは、智乃ちゃんの友人にしてブラバ組が1人の冬優ちゃんその人である。今回彼女は物語の最初の出だし役と、物語の最後の大オチ役に徹しており、物語本編には基本的に関わっていないが、物語の引き込み役を担う意味では正にストーリーテラーであり、出番は少ないながらも重要な役割を持っている。

 彼女は引っ込み思案ながらも思慮深さがあり、いざと言う時に行動を起こせる気概の持ち主である一方、初見の物事に遭遇した際にどこかズレた方向性で解釈したり、普通では考えられない発想を展開したりする等、奇抜とも独創的とも受け取れる大胆な発想の持ち主でもある。その様な性質は、1つの物語を展開する際に「これはどんな物語なんだ」と言う読み手の好奇心を嗾けるのにうってつけな上、思いもしない角度から飛んでくる大胆不敵な発想に感服する事も往々にしてあり得る。そして、それは即ち「読み手が今回のお話に引き込まれている」と言う事でもある為、冬優ちゃんはストーリーテラーとしての役回りも思いの外似合っているのだと思った訳である。

 余談だが、冬優ちゃんがモカさんと出逢った際、彼女はモカさんと実際に会った事が無かった為に、モカさんの事を成長した心愛ちゃんと誤解して、事もあろうに「ドッペルゲンガー」だとか考えて、あらぬ方向性へと行く展開を見て、思わずジョジョPart7「スティール・ボール・ラン」の「ファニー・ヴァレンタイン大統領」のスタンド能力D4Cをイメージしている。これは「D4Cの能力の特性を知っている事が前提」となる為、人を選ぶものにはなってしまうが、ドッペルゲンガーの特性と冬優ちゃんの発想を組み合わせたら、私にはもうそれしか思い浮かばない。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望な想いを強めた内容を書き出したい。今回も前回程ではないにしても、比較的深淵なテーマ性を扱っていくので、注意してほしい。

己の弱さの受容

 己が持つ弱さを認める事。それこそが今回千夜ちゃんとモカさん2人のやり取りから見えてくるもう一つのテーマなのではないかと思った。別にこれまでの2人の事を「自分が持つ『弱さ』さえも認められない弱さを持った人間」だとは思ってもみなかったし、今後もそんな事を言うつもりは一切ないが、2人のやり取りを見るに、モカさんも千夜ちゃん(特に千夜ちゃん)も、私が今まで気付かなかっただけで「自分だけが解っている己の認められない弱さ」はあるのだと思った。

 千夜ちゃんがあれでいてメンタルが決して強くない事は既に知っていたし、本人としてもそれを自覚していたのまでは良いのだが、まさか彼女がそんな自分を無理矢理にでも何とかしなければならないと考えていたとまでは気付かなかった。確かに今の千夜ちゃんの状態のままだと、来たる「別れの時」の際に多大なる精神的ダメージを負う事になるのは明白なので、それを何とかすべきだと言うのはそうなのだが、そんなメンタルの弱い自分を受容しようとしていなかったとは思っていなかった。

 だが、メンタルの弱い自分を克服したいのなら、まずは「弱さ」を知らなければならない。「己が持つ弱さ」について知らなければ話にもならないし、その為には「弱い自分をまずは認める事」をしなければならない。その意味では、千夜ちゃんがそれまで「弱い自分を受容し切れなかった」と言うのは、仕方が無い事とは言え、メンタル強化の観点ではむしろ逆効果である。モカさんとの出逢いと言うのは、千夜ちゃんにとっては単に心愛ちゃんのお姉さんとの貴重な思い出作り及び貴重な意見を募れただけでなく、己の弱さとの向き合い方を是正する意味でも非常に重要だったと言えるだろう。

弱さを知る事で得られる強さ

 強さと言うのは、あらゆる観点から弱さを知り尽くす事で手に出来る概念ではないのかと考えている。決して弱さを無くす事が強さではなく、弱さを知り、その弱さと向き合う事で得られるもの。私が思う強さの理想は、即ちそういう事である。

 先の「弱さ」の題目でもそうだったのだが、この様な考えに至った背景には、私が大好きなジョジョの奇妙な冒険シリーズが多分に影響している。ジョジョシリーズが見せ付けてくれる「恐怖との向き合い方」や「勇気の図式」、他にも「過酷な運命にも負けない意思の強さ」に「精神の成長」等々、その影響は数多くあるが、今回最も影響があったのは「己の弱さを知っている事も強さ」と言うものである。とどのつまり、今回私が立てた「強さ」と「弱さ」と言うのは、云うならばジョジョがもたらしたインスピレーションにあやかったものにはなるが、それだけ私にとってジョジョは「私信」だと言う事である。

 では、実際に「弱さを知る事が強さに繋がる」と言うならば、それは一体どういう事を表すのか。私が考えているのは「弱さを知る事は自分を知る事。自分を知っている者程強いと言うならば、弱さを知っている事も強さ」と言う事である。ジョジョシリーズに限らず、プリキュアシリーズやきらら系統作品、それに百合姫掲載作品を見ていて思うのだが、強いとされている人にだって絶対的な弱さはあるし、その弱さを自分にはどうする事もできない事だってあると気付く機会は多い。ともすれば、強い人にも弱い一面があると言う事は、その人は本当に強いのか。はたまた強がっているだけで、本質的には弱い人なのかと思うかもしれない。

 しかしながら、人間は完全無欠な強さを持っている訳では無い。誰にだって弱さの1つや2つはあるし、どうやったって克服できない弱さだってある。だが、それ故にその弱さを知ろうとする事、弱さがどうにもならない事を知った上で、それでもその弱さを受け容れて前へと進もうとする意思が光り輝く。それこそが「弱さを知る強さの根幹」であり、決して無碍にしてはならない矜持にもなる。

 今回千夜ちゃんは終盤にて、モカさんと出逢った事で「己の弱さを受け容れても良い事」を知り、それを胸中深くに収めている。それは即ち、千夜ちゃんも「弱さを知る事による強さ」を得た事を意味しており、絶対的な強さを得た事を示唆している。それまでメンタルの弱い自分を気にしていた千夜ちゃんにとって、それがどれ程大きな意味をもたらしているのか。それは最早推して知るべきだろう。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はかなり文量を少なくしてまとめているが、これは意図的に行っているのも若干あるとは言え、一番は「そんな大量に書き出せる時間も気力も無かった事」が大きく関わっている。後はシンプルに「真新しい事を書こうと思ってもそこまで思いつかなかった」と言うのもあり、これが結局の所直接的な要因にはなってしまう。

 ここ最近の記事ではほぼ毎回の様に似た様な事を書き出してきたが、今の私は、正直に言うともうごちうさが今後どうなっていくのか。最終的な結末がどうなるのか。その結末を迎えるまでにどの様な展開が待っているのか。その何れもが全くもって分からないし、考えたくもなくなってきている。もう何を考えたって脆くも砕かれるのがオチだし、正直既にある程度は自分なりの考えを張り巡らせている事情も重なって、今はもう無理にどうこうしたいと言う感情はまずもってない。尤も、それが今回の文量の少なさに直接起因している訳でも無いのだが、少なくともモチュベーションの維持に苦労しているのは事実である。

 ただ、冒頭でも書いた様にモチュベーションの維持にこそ苦労しているとは言え、ごちうさに対しては「今まで培ってきた絶対的な糧」があるのも事実であり、その糧があるからこそ突き進んでいられる。また、ごちうさ単体だと熱意はかなり無くなっているのは否めない一方、ごちうさを含めたきらら全体の熱意はかなり高い所で安定しており、その意味ではごちうさを読まなくなる心配もまずもってない。この様な事を思えば、今の私がごちうさに対する熱意を徐々に落ち着いたものへとさせているのは、私がごちうさファン」から「きららファン」へと変貌したのがあまりにも大き過ぎるんだと思う。こればかりはどうにもならない。それが自分が選んだ道なのだから。

 これ以上は更に悲愴的な内容が飛び出しかねない為、今回はこの辺で区切らせてもらうが、私とて今年でごちうさを読み始めてより6年が経過し、雑誌にしても連続購読4年目に突入しているので、遅かれ早かれ今の様な状態にはなっていたと思う。それを思えば、今の状態になった事に悩みなんて無いし、前向きに受け容れて進んでいった方がずっと良いと考えられる。今後もそんな感じで楽観的な感じで突き進んでいく一方、真剣に書く時は真剣に書くと言う事は、ここで改めて書いておきたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ20枚分である。今回は今までの記事全般と比べてもかなり字数が少なく、故に手堅くまとめているとも言えるが、まさかここまで少なくなるとは思ってもみなかったというのが正直な所。ただ、書き出す内容そのものは真剣な想いをもって書き出しており、そこはブレていないので安心して欲しい。

*1:抑々モカさん自体決して登場頻度が多くない事を鑑みれば、どの組み合わせでもある程度そう言えるが。

HUGっと!プリキュアを視聴した感想

 この巡り合わせは全くの偶然か、それとも約束されていた宿命か。熱烈な布教を受けて視聴したその世界観は、私にとってあまりにも重厚な意味を持ち、その世界観の深さを思い知らせるには十分過ぎたと思う。

 その作品とは、2018年から2019年にかけて放送されたHUGっと!プリキュアと言う、プリキュアシリーズ15周年記念作品にして、プリキュアシリーズの中でも非常に評判が高い作品である。私自身、プリキュアについては勿論知らなかった訳では無いが、言っても昔に2013年から2014年のドキドキ!プリキュアと、2014年から2015年のハピネスチャージプリキュア!(シリーズ10周年記念作品)の2シリーズを追った位で、少なくともこの年になってからは全く観ていなかった。尤も、すっかり観なくなってからも、何かとプリキュアシリーズを目にする機会は無くはなく、昔取った杵柄と言わんばかりに昔プリキュアシリーズを観ていた経験もあるので、全くの無関心でも無かったが......。

 そんななので、観る前には「本当に合うのだろうか......?」と言う不安もなくはなかった。でも、観始めてしばらくしたら、そんな不安はどこかの彼方へと行ってしまっていた。正直、その威力たるや、まさかここまで感銘を受けるとは思ってもみなかった程だった。人間なら誰しも抱えたり、直面したりするであろう「心の弱さ」「挫折」、そして「信念が交錯し合う重厚且つシリアスな物語」に、どんどん惹き込まれていく自分がいたものである。

 今回はそんなHUGっと!プリキュアを観て抱いた感想を、自分が書きたい事を中心にした題目に分けて書いていこうと思う。久々となるごちうさ感想・考察以外の題目記事故に、どうなるかは分からないが、どうか最後まで見届けて欲しい。

 

※注意※

 HUGっと!プリキュア本編のネタバレを多分に含むものなので、ご了解をお願い致します。特に中盤の題目では、最終回にまつわる内容のネタバレを含むので特に注意して下さい。また、ここで書き出した内容は全て個人の感想・推察となります。

 

1.はじめに

 20年以上にわたってプリキュアシリーズが紡いできた想いと言うのは、大変に膨大なものがあり、ここで全てを書き切る事など到底できないと思う程である。実際、今回の「HUGっと!プリキュア」の感想を書くにあたっても、自分が特に書き出したいと思った事に注力して書いており、私としてもプリキュアシリーズに懸ける想いと言うのは、少なくともはぐプリを観る前に比べれば大きくなったと思っている。とは言え、まだまだ至らない点もあるとは思うので、どうか寛大な目で見ていただけると幸いである。

 また、語気の強い言い回しを度々使ったり、時には厳しい事をバッサリ書いている所もあるが、これはそれだけ「HUGっと!プリキュア」に対して真剣なる想いを持っているからである。尤も、それを加味しても些か語気が強過ぎると思う事も無くは無いが、下手に誤魔化してお茶を濁す位なら、多少の痛みも覚悟でその想いを書き出した方が良いと言うのが、私の考えである(2024/2/12 追記)。

 

2.感想本題

暗き未来に立ち向かう物語

 何があっても折れない意思。どんな困難があっても決して諦めない意思。過酷な未来が待ち受けていたとしても、明るい未来を掴む為にならば決してへこたれない強き意思。作中に込められていた数々の場面から、真っ先に思う事はそれだった。

 はぐプリは「希望を失い、時が止まった未来へとさせない為に、明日への希望を信じ続ける意思を育む物語」と言うのが骨子としてあり、全体的な雰囲気は楽しいシーンも多いとは言え、割とシリアス寄り。話が進むにつれてシリアスな展開により磨きがかかる様になり、特に「ハリハム・ハリーやリストル、ビシンにまつわる過去」は、強大な力に対する己の無力さ、絶対的な運命がもたらす残酷な現実、絶望に染まりゆく中で希望を持つ事が如何に難しいのか等々、作中でも特に非情でハードボイルド色の強い内容で、どうする事もできない非情さと冷酷さ、そして残忍さに対して、思わず雁字搦めにさせられた......。

 プリキュアが戦うべき相手となる対立組織は、明日への希望を奪い、止まった時の中で永遠の幸福を提供しようとするクライアス社だが、そのクライアス社も、よくある「世界を我が物にしようとする悪の組織」ではなく「絶望に染まった未来をこれ以上悪いものにはしない」という、未来への希望を失い、絶望へと染まっていくしかないと悟った者に対する、ある種の「救済」として機能しようとしている点が興味深い。ただ、やっている事は「皆の未来を強引に奪い取る事」に他ならない為、プリキュア達とは「分かり合えない組織」とはなってしまうのだが......。

 そして、もう一つの特徴として「生きとし生ける者なら誰もが持つ感情が生々しく描かれている点」がある。怪我をきっかけに簡単には乗り越えられぬ恐怖(=トラウマ)を刻まれたり(ほまれ ≪キュアエトワール≫)、自分だけの夢や目標が持てない現実に対してもどかしい思いが募り、己の無力さをどうしようもないまでに嘆いた結果、未来への希望さえも失う事態へと発展したり(はな ≪キュアエール≫)、自分らしさを追い求めようとしても、それを周りが簡単には許してはくれない現実を思い知らされたり(えみる ≪キュアマシェリ≫、ルールー ≪キュアアムール≫等)、自分が本当に目指したい夢は何かを考えた時、あらゆる期待に対して言いきれないもどかしさを抱えたり(さあや ≪キュアアンジュ≫)等々、枚挙に暇はない。これがはぐプリをより重厚な物語へと変貌させている一方、人間が持つ「弱さ」「ジレンマ」とも向き合わせてくる構図が、己の心に少なくない重荷をもたらすのも事実。その生々しい感情の数々が、より深い感触と悲哀さえもたらすのである......。

 ただ、生々しい感情によって傷付く事もあるが、決してそれだけではない。残酷とも言える現実に何度打ちのめされようとも、どんなに自分がちっぽけで無力な存在である事を思い知らされたりしても、絶対に諦めたりしないその強き意思。その意思が、はぐプリは物凄く強く輝いている。何があるか分からない未来に対しても、決して今の幸せがずっと続く訳では無いと解っていても、未来へと歩む意思を曲げない強さ。その強さに、私は心惹かれたのだった。

 尚、はぐプリでは大きく分けて野乃はな達がいる「現代」の時間軸と、クライアス社やはぐたん、そしたハリー等々がいた「未来」の時間軸の2つが存在しており、物語は基本的に「はな達がいる現代の時間軸」によって繰り広げられる。また、未来では既にトゲパワワと呼ばれる、明日への希望を失わさせる力*1によって町は壊滅状態となり、時も既に止まっている*2そして、その中でクライアス社が永遠の幸福の為に活動していると言う状態になっている。その為、はぐたんやハリーは、いわばその様な絶望に染まった未来から逃れ、待ち受ける絶望の未来を変える為に過去へとタイムスリップした存在であるが、実ははぐたん、ハリー共に序盤では伏せられていた秘密があり、その秘密が明かされた時は思わず驚かされた。

奇跡を見せ付けたルールー

 ルールー・アムール。プリキュアとしての名は、キュアマシェリと2人1組と成す愛のプリキュア「キュアアムール」。元はクライアス社の一員(アルバイト)であり、その正体はクライアス社の科学者ドクター・トラウムによって作られた高性能アンドロイド。同じクライアス社の面々からは、その高い能力故に重宝されていたが、同時にアンドロイド故に「人間とは違う」と言う目を注がれており、ルールーもそれを疑う事は無かった。徹底した合理主義を持ち、人間の様な感情を持つ事を「非効率的」と考えていた頃は......。

 そんな彼女だが、私はこのハグプリの中ではルールーが一番のお気に入りである。ルールーは作中序盤の終わり頃に、当作品の主人公「野乃はな」(キュアエールの家へとプリキュア調査の為」に潜入する*3のだが、その過程でルールーは「人間が持つ心や感情」について知っていき、最初は「非効率的」と言ってそれら感情を切り捨てていたが、次第にルールー自身にもそれら感情や心が芽生えていき、ある段階からは最早人間と変わりない感情と心を宿したと解る構図があまりにも良かった。

 その様な経緯から、ルールーが明確に人間と変わりない感情と心を発露していくのは、後述のプリキュア達との戦いにおいて、これまで築き上げてきた仲間達との信頼や絆をルールー自身が呼び起こし、クライアス社と完全に袂を分かたってからと考えられる中で、私はそれ以前から、何だったらはな達と接していく中、人間が持つ感情や心を少しずつ知っていく過程で、実はルールー自身にも解らない所で、既にその様な感情や心が少しばかりでも芽生え始めていたんじゃあないかと思っている。無論、実際の所は分からないと言えばそうだが、そんな夢のある展望を持っても良いんじゃあないかと私は思う。

 ただ、事実問題としてその様なルールーの変遷ぶりを危惧したクライアス社側が、ルールーをクライアス社に収容して改造を施し、ルールーがそれまでプリキュア達ひいては、はな達と共に築いてきた記憶や信頼を全てデリート、つまり削除されてしまう事態になってしまっている。それに対してプリキュア達が(今までずっと騙されていたと解った事も相まって)動揺するシーンもある。しかしながら、本当に凄いのはここからで、自分達は騙され続けたと知っても尚、ルールーを信じる気持ちを捨てなかったエールもといプリキュア達の意思や、記憶を全て抹消されたにも関わらず、今まで築き上げていた想いまでは完全に失っておらず、己を取り巻く感情や葛藤と戦い、とうとう人間と同じ様な心と感情を完全に我が物とした、ルールー自身が掴み取った奇跡が、私の心を突き刺した。人知を遥かに超えた奇跡を前にして、最早何も言う事は無かった。

 その後も、キュアマシェリこと愛崎えみるを筆頭に、仲間達と共に確固たる友情と愛情を、時にぶつかったり時に不器用になりつつも、着実に築き上げていく様がとても美しかった。他にも自分の信念をもって突き進んだり、自分の特性を最大限に使った分析や立ち振る舞いをして、友達(戦友)との確固たる信頼関係を更に強固なものにしたりと、ルールーが辿った軌跡には思わずシビれるものがあった。

 余談だが、ルールーは回を追うにつれて「食べる事」が何よりも好きとなった様で、後半になると食べ物に度々夢中になる場面が散見される様になった印象が強くある。私自身元々「美味しいものを幸せそうに食べる事」に対して、それが何よりの幸せだと考えている様な人であり、自分自身としても食事を楽しみの1つにしている事もあって、ルールーのそういう一面はとても気に入っていた。やっぱり日々の生活において切っても切り離せない「食事」に対しては、摂食よりも喫食*4であった方が良いと思うし、プリキュアシリーズは度々「食事を楽しむ」と言う事に力が入れられている作品*5なので、こういう一面は凄く良いと思った。

人間味溢れる科学者

 正義の心を持つプリキュア達とは敵対しながらも、何処か憎めない魅力を持つと言うのがクライアス社の面々の特徴でもある*6が、その中でも特に独創的な魅力に溢れていると思う社員が1人いる。ルールー・アムールの設計者にして、クライアス社の科学者であった「ドクター・トラウムその人である。彼は飄然とした雰囲気の持ち主で、自身の発明品にファンシーな要素を盛り込みながらも、目的の為には手段を選ばない冷徹さをも併せ持っている。また、敵ながら赤ん坊達の邪魔にならない様に気遣う一面を見せたり、自身が開発したルールーを我が子の様にこよなく溺愛したりする*7等、所謂子煩悩的な一面もある。プリキュア達が旅行に出かけていると知れば、自分も旅行に出て疲れを癒すなど、割に自由奔放な所がある人だが、必要に応じて目的を果たそうとする真面目な所も。

 そんなドクター・トラウムだが、個人的にはクライアス社の面々の中でも最も好きなキャラクターであり、特に「人間味溢れる一面の数々」に心惹かれている。彼はクライアス社の一員として、明日への希望を奪って時を止めようとする会社の行動に加担している一方で、どこかプリキュア達が魅せる「明日への希望を信じる姿」に一縷の望みを託そうと感じられる態度が見受けられたり、プリキュア達に対しても、ジェロスやリストル、そしてビシンの様に「何があろうと分かり合えないし、分かり合いたくもない『目の敵』」としている訳では無く、どこか「会社の理念の為に行動している」と感じ取れたりする等、敵でありながら温情ある一面を見せる事が多い。この「正義にも悪にも染まり切れないどっちつかずな状態」に対して、本人も言う様に「人間は矛盾を抱えているもの」と称したのが、私としても凄く共感できたし、それこそ「人間の弱い所」であり「人間が人間たる部分」だとも思った。

 トラウムは数々の言動や様相からして、それ相応に長い人生を歩んできた人物である事は明白で、それ故に人間が持つ弱さも良く知っているだろうし、自分が決して真っ当な真人間なんかじゃあない事も自覚している、いわば「酸いも甘いも噛み分けてきた」の様な人生を歩んできた人物だと捉えている。実際、彼は自分が発明した数々の発明品を用いて、クライアス社の理念である「時を止めて永遠の幸福を提供する」と言うのを遂行すべく活動した事も数多く、その過程の中では時に冷酷とも思える行動をとったのも事実である一方、ルールー達にジョージ・クライの行動原理を教えたり、プリキュア達によって浄化されずとも、己の意思でクライアス社の理念から背く行動を取ったりと、行動の軌跡だけを見るならば「彼は一体どういう理念に基づいているのだ?」とならなくもない。良く言えば柔軟な思想の持ち主、悪く言えば一本筋がないとなる。

 しかしながら、これこそ「トラウムが人間味溢れる所以」だと思っている。幾度となく希望をへし折って絶望に染め上げようという理念をもってして、プリキュア達を倒そうとしても、決して諦める事なく立ち上がり続ける姿を見て、何時しか「未来は絶望しかない。だから時を止める事が幸福なんだ」と思っていた自分の心の中にも「もしかしたら未来にも希望があって、自分でもそれを掴めるかもしれない」と思い始めて、最終的にはプリキュア達の方につく事を自ら選ぶ。これは本人も言っている様に、綺麗な人間がとる行動とは決して言えないし、矛盾を切り捨てられなかった弱さである事にも違いない。だが、真っ直ぐな信念に突き動かされて、何時しか自分の考えも変わってしまっていたと言う事は、人間ならば誰しも起こり得る事だし、どうにもならないジレンマの中で苦渋の決断をしなければならない局面なんぞ、人生何度でも起こり得る。それを思えば、トラウムひいてはクライアス社のメンバーが最後の最後に決断した事は、困難多き未来を歩んでいく為には必要な事であり、とても前向きな事だったんじゃあないかと思う。

ジョージ・クライの矜持

 クライアス社の代表取締役社長にして、本作における俗に言う「ラスボス」に相当するジョージ・クライ。社長と言う肩書から「プレジデント・クライ」と呼ばれる事もあり、本作の主人公「野乃はな(キュアエール)」とは価値観が色んな意味で正反対にある人物。己の人生経験から「幸せは永遠には続かない、何時かは不幸がやって来る」と言う事を学び、ならば「不幸な未来がやってこない様、幸せな時を永遠に過ごせる様に」と言う矜持を持つに至っており、これが「時を止める」と言う事に繋がっている。ただ、ジョージ・クライ自身はトラウム曰く「何もしない人物」と称されており、この事からジョージ・クライ自身は「時流に合わせてクライアス社の社長に就いた」とも見て取れる。その為、一般的に悪役でイメージされやすい「悪の力で世界征服」や「悪の力を用いて利己的な願望を遂げようとする」といった感じがジョージ・クライには無く、一線を画す魅力がある。また、彼の経緯に関しては意図的にぼかされている所が多く、謎を解こうにも解けない側面もある。とは言え、彼が未来への希望を失う様な事態を経験している事はほぼ疑いない事実だと見て取れる。

 彼が実行している事は「時を止めて今の幸せな状態を担保させる」と言う事である為、人によっては「更なる不幸に襲われずに済む」と言うメリットを見出せなくもない。しかしながら、赤ん坊であるはぐたんの成長や、様々な人との出逢いを通じて、未来には絶望だけでなく希望も詰まっていると理解しているプリキュア達にとっては相反する思想である事に変わりなく、その上クライアス社のやっている事は、言ってしまえば「誰彼構わず止まった時の中で永年の幸福を享受させる」と言う構図である為、1つの価値観を無理矢理全員に押し付けていると言う意味で独善的且つ短絡的と言わざるを得ない。私としても、ジョージ・クライの考えている事は解らなくもないが、やはり「考え方の1つに過ぎない思想を全員に半ば無理矢理押し付けている」と言う構図がどうしても受け容れ難い。

 ただ、一方でジョージ・クライがいた未来では、クライアス社が時を止めたと言うより「人々が絶望に染まった事で時が止まった」と言う背景事情があり、故にジョージ・クライが自発的に何かの手段を用いて絶望を唆したとは言い難いとも見て取れる。それを思うならば、ジョージ・クライがやった事は一概に「邪悪なる存在」とは断じて言えず、手段こそ非道な一面もあるとは言え、捉え方によっては寧ろ「悪の救世主」と言えなくもない。とは言え、当然ながらそれが正義の心を持つプリキュア達、特にあらゆる意味でジョージ・クライとは正反対の価値観を持つ野乃はなにとって、果たして納得して受け容れられるかどうかについては全くの別問題で、ルールーやトラウムをはじめとして、当初は敵としてプリキュア達と対峙してきた面々が、数々の戦いを経て味方となっていった本作では珍しく*8最後の最後まで敵として立ちはだかり、敗北した後もキュアエールの信念を認めつつも、最後まで決してプリキュア達の考え方には染まらないスタンスを持ったままどこかへと姿をくらませてしまった*9為、作中ではあまり見ない「最後までプリキュア達とガッツリ手を取り合う事は無かった存在」でもある。理念がまるっきり違うので、しょうがないと言えばそうなのだが......。

紡がれる未来、運命的な巡り合わせ

 はぐプリの最終回は、色んな意味で衝撃的な事の連続だった。まず最終回ではぐたんやルールー等々の未来からやって来た人達が、トラウムが開発したマシンで未来へと帰還する流れは理解できたが、驚きなのはその後未来に帰還した後の様相が一切描かれていないどころか、現代にいるはな達にしても、はぐたん達が未来へと帰還した直後に何を思ったのか。果たしてどの様な心境にあったかが全く描かれていない点と言う意味で特異的であり、とどのつまり「未来へと帰還した所で、連続した時間軸の描写に1つのピリオドが打たれた」と言う構図に、私は驚きを隠せなかったのである。

 だが、これはまだまだ序の口。はぐたん達が未来へと帰った後に描かれた場面は、なんと「2030年」と表記されていた。はぐプリはメタ視点においては2018年から2019年に放送された作品であり、作中でも現実の西暦と同年代として設定されていると解る事、最終回にて野乃はなの年齢がそれまでの「13歳」から「14歳」になっている事、その野乃はなの誕生月は「1月」である事を勘案すると、最終回にて時間軸が大幅に進む直前の年代は「2019年」であると推測される。そして、そこから2030年へと時が進んだのなら、作中における経過時間は「11年」と言う事になり、最終回後半で描かれた2030年は、言い換えるならはぐたん達と別れてより11年後の物語と考えられる訳である。

 この様な事から、最終回後半では「大人になった野乃はな達」が描かれており、各々の活躍ぶりは大変目覚ましいものがある。その過程でどの様な事を経験してきたかについては、最早当人達以外にとっては想像する事しかできないが、恐らく簡単に誰でも歩める一本道では無かった事だけは確かだと思う。悩む事もいっぱいあっただろうし、なによりはぐたん達との別れに対して、少なくない悲しみを背負っていた事も想像に難くないので、大人になったはな達が魅せる世界観と言うのは、正に「多くの困難や悲しみを乗り越えて掴んだ世界観」だと言えよう。

 そして、最もインパクトが強かったのは、大人になった野乃はなが、最終回の終盤にて我が子を授かる場面が描かれた事であり、これに対しては「自分達が築き上げてきた想いは、次の世代へ着実に受け継がれていく」とも「はな達の世代が紡ぐ想いの集大成」とも受け取る事の出来る、正に世代を超えて紡がれていく美しき物語だと受け取っている。また、はなは授かった我が子の名前に「はぐみ」と言う名前を付けているのだが、これはほぼ間違いなく「はぐたん」を意識して付けた名前だと考えられ、もっと言うとはぐみははぐたんによく似た様相をしていたので、これは時を超えたある種の奇跡であり、運命なのではないかとすら思う。

 ここで気になる事が1つ浮かび上がってくる。それは大人になった野乃はなの旦那さん、つまり「はぐみのパパは誰か」と言う事であるが、作中ではそれらしき人物いる事自体は明確に描写されていたものの、それが誰なのかに関しては意図的に伏せられていた。その為、はなの未来の旦那さんが誰かについては、観る者それぞれの考えに委ねられていると言えるが、作中での描写や行動を推察する限り、私が思うにその可能性が最も高いのはな達と同じ時間軸にいるジョージ・クライ、即ち「現代のジョージ・クライ」だと考えている。ここで現代のジョージ・クライと称するのは、作中のラスボスとして君臨していたジョージ・クライは「未来からやってきた存在だから」である。

 現代のジョージ・クライについては、一瞬しか描かれていないので明確な事は殆ど解らないが、それでも野乃はなの旦那さんだと思った要因は、野乃はなと未来からやって来たジョージ・クライとの最終決戦中にて、唐突に(恐らく)学校のとある一室に焦点が当たる描写が差し込まれており、そこでは男性2人が野乃はなの強烈なメッセージに心打たれると言うくだりにある。そして、その男性2人とは、私が見た限りでは、野乃はな達と同じ時間軸に生きているであろうドクター・トラウムと、ジョージ・クライの2人だと捉えているのだが、ここで抑々論としてジョージ・クライが何故明日への希望を捨て、止まった時の中で永遠の幸せを望む様になったのかと言うのが重要になってくる。

 未来におけるジョージ・クライは元々「自分に希望を与えてくれていた存在を失った事で、明日への希望を無くし、これ以上の不幸を避ける為に、絶頂のままでいられる様に時を止めようとした」と言う経緯が、彼自身の発言やモノローグから推察できる。そして、その希望を与えてくれる存在として、キュアエールの名を持つ野乃はなの様に「自分の事を後回しにしてまでも他人の幸せを願い、全力で行動できる。その上、未来を最後まで諦めずに信じ抜く意思の強さ」を持つ人が挙げられる事は想像に難くない。事実、クライアス社の社長としてのジョージ・クライは、トゲパワワを集める為にあらゆる手段を尽くさんとしつつも、野乃はなが持つ「明日への希望に対する矜持」に興味を示しており、実際に彼は自分の正体を掴まれない様、掴み所のないミステリアスな男性として、野乃はなに対して何度か接触している事からも窺える*10。尤も、ジョージ・クライとしては、野乃はなが持つ「明日への希望」に対する考え方に対して、あくまで「それでは不幸への道は避けられない。そんな不幸に染まる位なら、私が不幸なき世界へと導いてあげたい」と言う魂胆で接触していた可能性は十分にあるが、たとえそうだとしても、僅かながらでも野乃はなが持つ「希望に対する矜持」に何か懸けてみたいと言う想いはきっとあったのだろうと思っている。

 つまり、クライアス社の社長になる前のジョージ・クライは、明日への希望をすっかり失くしてしまった、云うならば「既に枯れてしまった存在」ではなく、明日への希望を強く与えてくれる人に自分の想いを託したいと思っていた人ではないのかと、私は思っている。そこから色んな想いを張り巡らせた結果、最終決戦中に現代のジョージ・クライが見せた、野乃はなが持つ矜持に思わず圧倒された彼の姿があり、野乃はなの様に明日への希望を決して捨てず、どんな過酷な未来が待っていようと決して諦めず立ち向かっていける強い気概を持つ人に対して心惹かれるものを覚え、未来でのジョージ・クライと同じ様に、明日への希望を強く持つ者に対して、最終回のラストシーンにて大人になった野乃はなひいてははぐみに対して、深淵な意味を持った花言葉を込めた花束を贈る、野乃はなと同じ時間軸を生きた、ジョージ・クライその人こそ、大人になった野乃はなと旦那さんなのではないのかと、そう思ったのである......。

 ここまで重厚な内容を書き出したが、大前提としてこれら上記の内容は「私が思う仮説の1つ」に過ぎない。作中で明確な答えが明かされていない以上、この様な仮説は正に人の数だけあると思うし、仮説によっては私の立てたものとは全く相反するものもあると考えている。しかしながら、それ故に物語の想像がより膨らみ、それぞれにとってはぐプリを更に印象深いプリキュア作品へと仕立て上げているとも考えている。この限り無き想像を、私も含めて是が非でも大切にしなければならないと思うものである。

 

3.第一のあとがき

 ここまではぐプリに対する熱烈な想いを書き出してきた。個人的にはぐプリにおける敵対組織「クライアス社」は、ジョジョの奇妙な冒険で言う所のPart6「ストーンオーシャン」のラスボスエンリコ・プッチと、同Part7「スティール・ボール・ラン」における最大の敵*11「ファニー・ヴァレンタイン大統領」が持つ理念や矜持にも重なるものがあると捉えている。

 この2人は、どちらも「理念を成し得る為ならあらゆる犠牲を厭わず、その為なら弱者を切り捨てる事も、人を駒の様に使う事さえ躊躇しない」と言う意味で「絶対的な悪」ではあるが、その一方で「人類或いは国民の為に正しい事を成し得ようとする」と言う理念を持ち、その為ならば己の身を犠牲にする事さえ厭わない意思を持っている。それは、クライアス社にとっても同じ事が言え、クライアス社も「目的の為に少数派の意見を切り捨てる」と言う意味では紛う事なき邪悪だが、大多数の人が絶望に染まった未来にて「人々がこれ以上絶望に染まらない様に、永遠の幸福を提供しようとする」と言う姿勢は、一概に邪悪として切り捨てるにはあまりにも惜しいもので、私としては「せめてそれを誰彼構わず押し付けようとしなければ......」と思う程には勿体無いと考えている。

 思えばこのはぐプリにおいて、最もお気に入りのプリキュアがキュアアムール、即ちルールー・アムール、最もお気に入りの敵サイドキャラがドクター・トラウムと言う、どちらもクライアス社に関わりがある者に対して特に心惹かれていると言う共通点があった事に気付いた。これ自体はまったくの偶然なのだが、この様な事からも私がクライアス社の持つ理念や行動、そして軌跡(奇跡)に対して深く心に刺さるものがあったと言えるだろう。尤も、その理念に加担するのかと聞かれれば、私は「その信念に一定の理解は示せど、決して加担する気は無い」と答えるが......。

 最後に、はぐプリに登場するキャラクターは、敵味方問わず魅力に溢れるキャラクターが多く、1人1人に今まで歩んできた軌跡があり、その奇跡に基づいた、確かな理念を持った姿に感銘を受ける事が多かった事は、ここで改めて書いておこう。視聴している最中は、キャラクターがとる数々の言動に、こちらも思わず熱くなり過ぎて「今ここでそんな事言うのは違うんじゃあないのか」とか「言わんとしている事は解るが、それでも私はどうしても納得できない」とか、中々に尖った事を一時的にでも思ってしまった事もしばしばあったが、これは私とてそれだけ「作品に対して真剣な想いが芽生えていたから」である。とは言え、思わず熱くなり過ぎてしまう所は良くない点だが、そうやってぶつかっていったからこそ、今の篤き想いがあるのもまた、事実なのである。

 

 

4.更なる感想本題(2024/2/10~2/11追記)

 当初は上記の「3.終わりに(現:第一のあとがき)」をもってこの感想題目の締めとしていたが、後になってこのはぐプリにおいて欠かせない存在である「はぐたん」の事や、最早プリキュアだけの事には留まらない題目にはなるが、それぞれが持つ「正義のぶつかり合い」等、書き出し切れなかった題目が存在している事を指摘された。その事を踏まえて、私としても「更に納得のいく感想を書きたい」と言う想いに熱が入り、これまで書き出した題目から付け足す形で書く事を決意した次第である。

 ここからの題目においても、これまで同様ネタバレを含むだけでなく、シビアな内容をふんだんに含むものとなる上、言ってしまえば「どうしようもない非情な対立」「何処まで行っても救いようのない現実」にも踏み込んでいく内容がある為、読む際にはどうか注意してほしい。

 

核心を握る赤ん坊

 「HUGっと!プリキュア」において、はぐたんと言う赤ん坊は、物語にとってもプリキュアにとっても、そして「明日への希望を信じ続ける意味」でも絶対に欠かす事の出来ない重要人物と言うのは間違いないだろう。その純真無垢な可愛さは、何かと重厚な展開が多く、時には心が大きく揺れ動いたり、どうしようもない傷を背負い込む事も少なくないはぐプリにおいて、どんな時でも決して揺らがない安心と安らぎを与えてくれるだけでなく、同時に「この純真さを守る為にも、私達はどんな事にも諦めず前向きに進まなければならない」と言う形で、守る者達に勇気と希望を与えてくれる存在でもある。

 また、子供世代にとっては自分よりも小さい赤ん坊がいる事で「今の自分の目線から赤ん坊の未来や希望を守る事を考える契機」へと繋がり易く、子供にとっては難解且つ実感が湧きにくいテーマも少なくない中でも「自分でも考えられる、解る事がある」と感じやすくなると考えている。それを思えば、プリキュアの様に「子供世代と親(大人)世代両方に響く様に作らなければならない作品」においては、子供にとっても大人にとっても「観ていて面白い、惹き込まれる」と感じて貰う事を往々にして意識しなければならないと考えられる中で、はぐたんという赤ん坊がいる事で、子供世代と大人世代の橋渡しとなり、幅広い世代に愛されるだけの作品へと昇華させたはぐプリは本当に凄いと思う。

 作中ではその愛くるしい見た目と、赤ん坊である事から基本的に皆から寵愛される的となっているが、中でもほまれ(キュアエトワール)から特に寵愛されている。普段は大人っぽくて凛とした雰囲気を持つほまれだが、はぐたんを可愛がる際には、その可愛さに心を射抜かれている様子を度々見せており、普段とはまるで別人の様でもある。当初は赤ん坊故に言葉を話せなかったが、話が進むにつれて簡単な単語を話す様になったり、人の名前を読んだりする様になったり、自分だけで立つ事が出来る様になったりしており、赤ん坊の成長を体現する存在でもある。

 そんな愛らしいはぐたんだが、終盤で明かされた正体はかなり衝撃的なものだった。その正体は「未来世界におけるプリキュアが1人にして、プリキュア達にとっての最後の希望」であり、女神様の力の寵愛を受けたプリキュアでもある「キュアトゥモロー」。はぐたんと言うのはそのキュアトゥモローが、共に戦ってきた仲間達を次々と失い、どうにもならない状況にまで追い込まれ、最後の手段として、クライアス社を裏切ったハリーと共に絶望によって時が止まる前の世界へとタイムスリップする際に、女神様から賜った力を殆ど使い果たした事で、プリキュアから赤ん坊へと変貌したものだったのである。要するに「はぐたんは元々プリキュアだった赤ん坊」と言う事で、ここからはぐたんが「特殊な力を持った赤ん坊である訳」の説明もつく。

 ここでしれっとハリーの事を「クライアス社を裏切った」と説明しているが、これはハリーが元々はクライアス社側のメンバーだった為であり、ハリーとてクライアス社の理念を追い求めたくなる程の絶望的な運命に打ちのめされた過去を持っていたのである。実際、絶望的な運命を前にしたハリーは自暴自棄に陥り、己どころかクライアス社にとっても制御が利かない程の力を持った凶暴な姿へと変貌してしまうのだが、そこで助けてくれたのが「キュアトゥモロー」だった訳である。トゥモローが持つ希望の想いにいたく感銘を受け、絶望から救い出してくれた事への恩義から、ハリーはクライアス社を裏切り、プリキュア達が持つ「明日への希望を信じる心」を最大限信ずる様になり、はぐたんを何よりも大切に想う理由にもなっている。

 因みに、そんなハリーとは基本的に正反対の立場にあるのがクライアス社が1人のビシンで、ビシンは絶望的な運命に立たされた経緯から明日への希望をこれっぽっちも信じておらず、全てを壊したいと言う破壊願望を持つ存在として立ち振る舞っている。ただ、ハリーと共通している部分として「実は仲間想い」な点があり、明日への希望を信じる心を体得してクライアス社を去った、嘗ての仲間だったハリーを何度も強引に自分の仲間(=クライアス社)に引き込もうとした。当然、ハリーからは「二度とクライアス社には戻らない」と拒絶され、それはビシンが最終決戦中に改心するまで終ぞ変わる事は無かった。哀しい話ではあるが、こればかりは「決して交わる事などない信念のぶつかり合い」なので、結局は「もう諦めろ。ハリーはもう昔の様に希望を捨てる事は無い。それを無理矢理変えようとしても、傍から見れば惨めな行いにしか映らないぞ」としか思えなかったのが正直な所だった。冷酷な宣告かもしれんが、ビシンとて改心するまで「他人の考えの変化を一切受け付けない上、自分と他人とでは価値観の違いがある事を受け容れようとしない。にも関わらず自分の考えを他人に否が応でも押し付けようとする」と言う、世間では一切の例外なく「どうしようもない『最悪』」或いは「真の『邪悪』」*12と突き放される程の絶対的な落ち度があったので、悪いがそこはバッサリ割り切らせてもらう。

自分らしい生き方の追求

 自分らしく生きる事。誰が何と言おうと、自分の進みたい道を貫き通そうとする事。別の表現をするなら「多様性」であり、この「HUGっと!プリキュア」だけでなく、プリキュアシリーズひいては「人生における矜持」にも通ずる程壮大且つ繊細なテーマでさえ描かれると言うのが、はぐプリの凄まじい所。幾つものマンガやアニメに触れていく過程の中で、その様なテーマ性を持つ作品にも沢山触れてきた私にとっては、それ自体は特段驚くべき事では無いが、それをプリキュアで描いてくる」と言う事実に、震える程の想いと限りなき敬意を表しようとなった。

 作中でも特にそれを体現する存在としては、中性的な雰囲気を纏った、スケート王子と形容される程の人気を誇るスケート選手の「若宮アンリ」と、プリキュアが1人「キュアマシェリ」こと「愛崎えみる」の2人が真っ先に挙げられる。無論、この2人以外とて「自分らしい生き方や、自分が進みたい道に対して悩み、そしてもがく場面」はあるが、それを勘案しても上記2人は頭一つ抜けていると思う。

柔軟且つ自由な想いを秘めしスケート王子

 まずは若宮アンリくんから書き出す。アンリくんはほまれと同じスケート選手であり、彼女とはお互いに気の知れた、切磋琢磨し合う仲間。スケート「王子」と称される事からも解る通り、男の子だがその雰囲気は極めて中性的で、凛とした淑やかさと、王子らしい爽やかさが共存した雰囲気の持ち主。普段はどこか飄然とした態度を見せる事が主だが、内に自分の信念を強く持っている人物でもあり、時にはほまれたちと考え方の違いから衝突する事もあったが、他人の強き信念を尊重できる一面も併せ持ち、信念が人それぞれ違う事に対する理解は高い。

 彼は「自分がしたい事、なりたい事に付き従って生きる」と言う考え方がベースとしてあり、故に中学校の制服でもネクタイではなくリボンを付けたり、中性的な雰囲気を持つ事を活かして、女性向きのファッションを難なく着こなして見せたりと、全体的に「画一的な枠組みに囚われず、柔軟な発想による立ち振る舞い」を体現している。これに対しては、現実でも肯定的に捉える人もいれば、快く思わない形で捉える人も当然いるもので、作中でもそういった意見の相違はちゃんと描かれている。アンリくんとしては「どうやっても分かり合えない事に無駄な気力は割きたくない」と考えている様で、一見すると冷徹な考え方に見える。しかし、現実問題として「どんなに譲歩しようとも、分かり合えない事の1つや2つはある」と言うのは、世の中においては最早避ける事の出来ない絶対的な事実であり、その場合は「曲解してまでも分かり合う」と言う態度よりも、アンリくんの様に「分かり合えない事に対して一々目くじらを立てない」と言う態度の方が、下手に争うよりも結果的に共存できる可能性が上がる事もある。ともすれば、アンリくんの考え方に一理あるとなるには十分であり、何かと色んな事でせめぎ合う世の中において、達観した考え方を持ちつつ、自分の信念を貫き通す意思には目を見張るものがある。

 また、アンリくんも達観的な視点を持つ一方で、世の中に存在する「どうやっても分かり合えない事」から目を背けている訳では断じてない。作中においても、アンリくんとは同年代にあたる「愛崎正人」(えみるの兄)から「中性的なファッションをする事」に対して懐疑的な意見を投げかけられた際も、最初は自分の信念に則ってそういう意見を「撥ね除ける」姿勢をとっていたが、正人くんが持つ考え方を知った際には、真っ向から否定する事なくまずは受け容れてあげる態度を見せており、とある事から正人くんが考え方を変化させようとした際には、その変化を後押ししてあげる姿勢を見せている。この事から、アンリくんには「分かり合えない事実ともきちんと向き合えるだけの気概はある」と言え、それは彼が持つ大きな強みと言えよう。

不撓不屈の精神を持つ小学生

 次はキュアマシェリこと愛崎えみるである。彼女は野乃はなの妹「野乃ことり」のクラスメイトであり、学年は小学6年生。絶対音感の持ち主であり、楽器はピアノとギターを軽く弾きこなしてみせる程の高い腕前。だが、ギターについては兄が理解してくれない事もあって、家では見つからない様に隠れながら弾いていた。家は豪邸であり、彼女は所謂「令嬢」に当たるが、本人はそれを鼻にかける事は一切ない。気さくで頑張り屋さんだが、度が過ぎる程の心配性でもあり、時にはそれで周りを振り回してしまう事もある。

 彼女は一言で表すと「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神の持ち主」であり、小学生とは思えぬ程の強い精神力を持った言動や行動で、周りを大きく突き動かすだけの力を持つ人物と言える。それを体現しているのは、自身が好きとする「ギター演奏」であり、えみる自身はギターで演奏する事を「自身の精神の発露」と言わんばかりの熱い想いを持っているものの、兄は「ギターなんて女の子がする事では無い」と考えていた事もあって、その想いを発露するには些か難しい環境にあった。しかし、そんな中でも想いを捨て切らず、ギターに対する熱い想いを、当時まだ人間の様な心を会得している最中だったルールーにぶつけた事で、ルールーはその様な想いを受け容れてくれ、ここからえみるとルールーに確かな信頼関係が生まれていき、それが花開いた形の1つとしてあるのが「キュアマシェリ「キュアアムール」と言う奇跡なのは、また別のお話。

 ギター演奏に対する兄の指摘から解る様に、えみるもまた「画一的なものの見方に囚われている1人」と言え、えみるとてめげはしなかったが、兄が中盤までギター活動に対して理解が無かった事は、少なからず枷にはなっていたと推測される。ただ、兄とて別に妹の自由を奪いたいとかそう言うのではなく、単純に「ギターが女の子が弾くと言うイメージが持てなかった」と言う事や「お淑やかな人に、ギターは似合わない」と言った、彼なりの考え方が有ってこそだと考えられるので、決して考えなしに反対していた訳では無い事は窺える。但し、それにしても兄がやろうとした事が「些か強引過ぎる程強引だったのは事実」であり、何より「人の気持ちを尊重する前に、世間体を押し付けようとしたのは悪手」なのも事実であろう。

 でも、そんな兄もある出来事をきっかけに態度を少しずつ軟化させていき、ルールー達が何れは未来へと帰らなければならない事態に直面し、えみるが雁字搦めの想いに囚われてしまった際には、その様ながんじがらめの想いに囚われる事になったのはギターのせいだと決めつけ、えみるの活動を止めさせようとしたえみるのおじいちゃん*13を、兄として説得する程に妹の良き理解者となっており、ここに至るまでには妹のえみると、同年代のアンリくんと言う、世の中に存在する「画一的なイメージを超えようとする2人」がいたからこそだと思うと、凄まじく感慨深くなる。

小まとめ

 こうして書き出してみると、改めてはぐプリが如何に濃密なメッセージ性を持った作品であるのか。制作陣がどれ程の想いを込めて作られた作品であるのか。それをまざまざと感じさせられる様だった。今回はアンリくんとえみるちゃん、そしてえみるの兄たる正人くんに焦点を当てたが、前述した様にはぐプリでは、この3人以外に焦点を当てても重厚な想いは山の様に出てくるし、その1つ1つがめちゃくちゃ考えさせられるものになっている。

 今回はアンリくんとえみるちゃんそれぞれが持つ「自分が心からやりたい事」と、それに対する「周りの人の意見」を対比して取り上げ、その対比要素として「価値観の違い」「多様な価値観を認める姿勢」なるものに注目した。これらは昨今では往々にして唱えられる「多様性の尊重」を強く思わせるものであり、中々にデリケートなテーマではあるのだが、同時に「曲がりなりにも知ろうとしなければ、本質は永遠に掴めないテーマ」でもあると考えており、故にその様なテーマにも臆さず切り込んでいったプリキュアは、ただの子供向けアニメにはとどまらず、大人の心さえも掴み取る大きな魅力を持ったシリーズとさえ思う程だった。

 ここまで書いてこなかったが、私が持っている「多様な価値観に対する考え方」と言うのは、ズバリ「たとえ自分と違う価値観を理解できずとも、無闇に目くじらを立てず、またそれを頭ごなしに否定しない様に心がける」と言うものである。自分と違う価値観をすべて理解できるかと言えば、正直に書くとそれは「出来るなんて烏滸がましい事は、例え嘘でも言えない」と言うのが答えだし、目くじらを立てたくなる事が全くないとも言えない。しかしながら、世の中には「自分が理解できずとも、世間一般では問題ない価値観」もあるし、自分が腹の立つ事でも、別の人から見れば何ら腹の立つ事では無いと言うのもザラにある。となれば、せめて「己の価値観だけで世の中の全てを決め付ける」と言うのだけでは避けたいと言うのが私の想いであり、その様な想いを打ち立てた矜持こそ、上記の様な多様性に対する考え方と言う訳である。

 但し、言うまでも無い事だが「多様性を盾にして悪に手を染める事」「己の価値観を絶対とし、他者に問答無用で押し付けようとする独善的な思想」は、たとえどんな事情があったとしても、私は「『多様性』と言う概念をもってしても、それらの悪しき行動の免罪符には決してならない」と考えている。「認められるべき価値観を理解して貰おうとする態度」と「認められるべき価値観を無理矢理押し付けようとする態度」は全く別物であり、それ故に如何なる場合においても、その線引きを恣意的に運用する事は、多様性を尊重する態度として、決してあってはならないのである。

誰かの為に全力を出せる事の凄さ

 誰かを心から応援する事。どんな事があっても決して自分の目指したい未来や夢を諦めない事。他人の事でも自分事の様に捉え、後押しできる強さを持っている事。このはぐプリの主人公キュアエールこと「野乃はな」が持つ真骨頂は、この様な言葉で言い表せられるのではないかと思う。

 野乃はなは、言ってしまえば決して高い能力を持った人間ではない。勉強や運動が特別秀でている訳では無いし、他のプリキュアメンバーの様に、何かしらの「自分だけにしか持てないもの」を(表立っては)持っている訳でも無い。応援する事が何よりの強みだとは言っても、それも「応援は誰にだってできる」と言われれば強みとしては幾分弱まってしまう。実際、はなはそんな「無力な自分」に絶望し、一時的にプリキュアになる為の力さえ失ってしまう程の状況に追い込まれた事もあるし、自分が強みとしている「応援の意義」について、幾度となく考え苦しんだ事もある。

 だが、野乃はなの強みである「応援」には、彼女は気付いていない圧倒的な部分がある。それは彼女の応援に込められた「誰かの為になら、自分が持つ想いの全てを懸けられると言う強き意思」である。これは応援が誰にでも出来ると言われる中で、断じて「誰もが気軽に持てるものでは決して無い部分」でもあり、野乃はなが持つ唯一無二のポテンシャルにして、彼女自身にさえその全容を掴めていない恐ろしい部分でもある。

 誰かを心から応援するっていう事は、正に「言うは易く行うは難し」の良い例だと考えている。口ではどんだけ上手い事言おうとも、いざやろうとすると全然理想とは程遠い形でしか出来なかったり、「応援が時には責め苦に変貌する」と言う、ただ応援してれば良いと言う安易な考えを完膚なきまでに打ちのめす地獄を味わったりして、大抵は心が折れる事になる。また、誰かを応援するには「応援する対象を誰よりも想い、誰よりも信じてあげる気概と覚悟」が必要になる事もあるが、これも中途半端な意思ならあっという間に精神が磨り減らされていき、最後は気概も覚悟も潰えて意思半ばで応援から身を引く事となる。要するに「応援」と言うのは「開始は簡単だが、継続するのは非常に困難」と言う訳であり、しかもその事実は「誰もが始められるから」こそより際立って見える。

 この様な事が考え得るからこそ、野乃はなが持つ「誰かの為に、自分の持つ想いを懸けて応援できる」と言うのは、それだけで「誰もがそう簡単に持つ事は出来ない彼女特有の強さ」となるし、そこに「どんな事があっても決して諦めず、未来は希望溢れるものだと信じ抜こうとする意思」が加わる事で、彼女が得意とする「応援」は、一般的に言われる「誰もが出来るもの」から「そう簡単には真似できない彼女独自の強さを持ったもの」へと変貌を遂げる。その強さと言うのは、決して誰にでも体得できるもんじゃあない、野乃はなが持つ「強き意思」があって初めて持ち得るものなのだ。

 そして、誰かの為に全力と出せると言う意味では、野乃はなの「転校前のエピソード」を取り上げない訳にはいかないだろう。はなは明るく人当たりが良く、何があってもすぐに立ち直る前向きな性格だが、転校前のはなはとてもそうは見えない程暗い雰囲気を帯びた描写が目立っていた。と言うのも、クラスの中でイビりに遭っていたクラスメイトを助けた事で、報復措置としてはなを孤立状態にさせるように仕向けられた為だと思われる。とは言え、はなの過去の描写は本当に一瞬だけしかないので、これはあくまで「私の推測」を多分に含むものだが、断片的ながらもそういうくだりが描かれていたので正確性は高いと思う。

 この時はなが抱えていたであろう心情の全てを慮る事が出来るとは言わない。その時の辛い想いは本人にしか分からない事も当然あるし、安易に辛い気持ちが全て分かると言う事程、非常に危うい詭弁もそうは無いのだから。でも、辛い気持ちがあった事は間違いなかっただろうし、色んな想いがぐるぐると駆け巡る中で、自分が持つ正義感に付き従った行動を自分自身で問い質したくなる程の報復措置を受けた可能性もあるだろう。そんな中、自分の娘がとった行動を「自分が正しいと思ってやったことを後悔しないで欲しい。あなたは何も間違っていない」と言えるはなのお母さんは、本当に立派な人格者だと思った。あの時の母親の言葉があったからこそ、はなはどんな事があっても決して負けない強い意思を信じる様になったと思う。

 はなが持つ強さと言うのは、一見しただけでは分かりにくいものであり、加えて普段から表立って窺えるものでも無い為、彼女自身も陥った事がある様に「秀でた強さもとりえもない」と映る可能性もなくはない。しかしながら、彼女の真価は「己の信念を貫き通す事を試される時」に表れ、それは何があっても決して諦めない強い意思と、誰かの為に己の持てる力を全て発揮しようとする応援の意思によって担保される。それこそ、彼女独自の強さの賜物であり、圧倒的なポテンシャルなのである。

 

5.第二のあとがき(2024/2/11~2/12追記)

 以上が追記内容を含めた「HUGっと!プリキュア」の感想である。当初は12300文字前後で纏めていた内容だったが、追記する切っ掛けを掴んだ際に、自分の中でメラメラと燃え上がる想いに駆られ、自分の持てる想いを出来得る限り書き出した結果、最終的には21000文字を超える内容にまで膨れ上がった。とんでもない膨れ上がりぶりだが、それだけはぐプリに対する想いは篤かったと言う事である。

 追記題目では、元々書き出していた内容よりも更にテーマ性が深化した節が強くあり、特に「自分らしい生き方」「個人の唯一無二の強さ」に対して激しい想いを滾らせている。これにははぐプリの影響だけでなく、ジョジョシリーズやコミック百合姫掲載作品の影響が多分に関わっており、何れも「絶望的とも思える窮地や状況の中で輝く意思」が、私の心をいたく響かせ、どこまでも突き動かす原動力にもなっている。尚、ジョジョシリーズや百合姫掲載作品では、時には「目的の為なら冷酷非情な選択さえ厭わない漆黒の意思」「悲しむ暇さえないハードボイルドな現実が絶え間なく襲い掛かってくる」と言うのもあるが、プリキュアシリーズにおいてはここまで非情な描写になる事は少ないので、そこは助かっている。無論、作品によってはその「ジョジョシリーズ」や「百合姫掲載作品」にも肉薄する程の、重厚且つ壮絶な展開を内包した作品がある事を、私とて知らぬ訳では無いが......。

 さて、他のプリキュアシリーズの特色や作風を知るにつれて、はぐプリが如何に高度なバランス感覚の上に成り立っている作品なのだと気付かされる事も度々ある。無論、他のシリーズとてどれをとっても面白いのはそうだし、現在私が配信で観ている「スター☆トゥインクルプリキュア」(2019~2020)も、はぐプリに負けず劣らず面白い作品だし、最新シリーズたる「わんだふるぷりきゅあ!」(2024~)だってめちゃくちゃ面白い。しかしながら、はぐプリが持つ物語構成のバランスの上手さや、物語の盛り上がりの配置の上手さ、そして物語全体における取っ付きやすさ及びメッセージ性は、正直歴代プリキュアでも一二を争うハイレベルさを誇ると思っている。そんな作品を最初に勧めて来てくれた事をどう思えば良いのか。そんな事を思う事もある。

 だが、私がプリキュアシリーズの持つ魅力の真髄に気付けたのは、間違いなくHUGっと!プリキュア」を完走した事にあるのだ。もし他作品のプリキュアから入っていたとしたら、恐らくここまでプリキュアが持つ魅力にハマる事は無かっただろうし、連続して他シリーズを観ようとも思わなかっただろう。それを思えば、私を「HUGっと!プリキュア」と引き合わせてくれた友人には、心から感謝の意を示したい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙31枚分(凡そ12300文字強)となった。今までにないチャレンジだけあって、書き始める前はどうなるのか分からない不安はあったが、書き終えてみれば、一定の完成度は担保されているんじゃあないかと思える程の出来になったので、一安心である。

だが、そこから熱烈たる想いを更に書き出した結果、最終的には400字詰め原稿用紙58枚分(凡そ22800文字強)にまで膨れ上がった。これは歴代の記事でも三本指に入る程の文量で、最近の記事の平均文量の2倍弱に当たる。恐ろしき情熱だが、こういった事を曲がりなりにもやり続けた結果、今の文章構成力と洞察力、そして感受性があるので、決して無碍には出来ないであろう。

*1:言い換えれば「未来への絶望」を元にした力。

*2:時が止まっている範囲についての詳細は、作中にて明確な言及がない為不明。ただ、恐らくその範囲は非常に広大なものだと思われる。

*3:その際母親には暗示をかけて、怪しまれない様にする徹底ぶり。その際「これ、どこかエニグマの少年戦(ジョジョPart4「ダイヤモンドは砕けない」に登場する敵キャラ「宮本輝之助」が使うスタンドの事)みたいだね」と思ったのは内緒。

*4:簡単に言えば「生きる為に食をする」(せっしょく)と言うより「食そのものも楽しむ」(きっしょく)と言う姿勢。

*5:実際、そういう事に主題が置かれている様なシリーズ作品もある。

*6:抑々クライアス社の理念からして、希望を失った人々の未来がその後どうなっていくかを案ずれば、幸せな時を永遠なくさせない様にする為に時を止める事は、悪は悪でも「邪悪」とまでは言い切れない側面もある。

*7:当のルールーからはあしらわれたり、邪険に扱われたりしてしまう事が多かったが、これはトラウムの接し方が多少なりとも強引な所がある為で、内心は好いてくれている。

*8:尤も、味方になったのが実質的に最終決戦中と言う極めて遅い例もあるが。

*9:しかもその後どうなったかは一切不明。ここは結構気になる点でもある。

*10:尚、中盤からは野乃はな側もその正体を知っている状態になる。

*11:ラスボスと称さないのは、Part7にて戦う最後の敵対勢力がヴァレンタインではない為である。

*12:ジョジョPart6「ストーンオーシャン」においては、気弱な性格ながらそういう邪悪な一面を持ったサンダー・マックイイーンが、実際にホワイトスネイク(プッチのスタンド。後に「C-MOON」を経て「メイド・イン・へブン」へと進化する)から「最悪」だと評される一幕がある。尤も、その最悪と評した奴(プッチ神父の事)とて、その後「自覚なき最もドス黒い悪」と評される程の「邪悪」ではあるが、元々は決してそんな奴じゃあなかった事も言っておこう。

*13:所謂「重鎮」に当たる人物であり、相当な社会的影響を持っている事を窺わせる。尚、おじいちゃんがえみるの音楽活動を明確に認めた描写は、結局最後まで描かれる事は無かった。本筋ではない為仕方ない側面もあるが、気になる部分ではある。

きらま2024年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 2024年になっても百合作品が好きな私。最近でも中々に強烈な百合SM描写を持ち、色んな意味で話題沸騰中の魔法少女にあこがれて」に対して、強烈なまでに心惹かれる感触を覚えた。元々この作品は、百合作品について調べていく内にアニメの存在を知った作品であり、特に「百合SM」と言う要素に期待して観たのだが、実際に観てみると想像以上に強烈且つ過激な百合SMの内容で、誇張抜きで「これは本当に良いのーー!」と、攻め色の強い特色に思わず歓喜を覚えた。実際、アニメ第1話を見た後ソッコー原作マンガを買う事を決意し、その後本当にマンガの方も購読し始めているので、2024年になって初めて新しく惹かれた百合作品は「魔法少女にあこがれて」と言う事になる。何とも強烈な話だが、これもまた「運命」だろう。

 他にも予てから気になっていた作品であり、今年の4月からは遂にアニメ放送が始まる、ガールズバンドものにして王道百合作品「ささやくように恋を唄う」(ささ恋)についても、今年になって遂に購読した。内容に関しては正に期待通りの王道百合であり、特に1巻~3巻にかけて、ひまりと依の恋路模様が丁寧に描かれ、4巻でそこから緩やかに広がっていく物語構成が採られていたのが良き所だった。

 しかしながら、5巻以降になるとテーマ性、雰囲気共にシリアス且つ重厚な方向性へと深化していき、それに付随して「運命的な人と人の出逢い」や「たった一つの出逢いが、その後の人生を良くも悪くも大きく変えてしまった」と言った要素が出始めた為、人間ドラマとしての側面により拍車がかかった一方、一義的な物の見方では決して片付ける事なんぞ出来ない非情な現実を目の当たりにする場面が多くなった印象がある。ここではこれ以上触れる事はしないが、ささ恋は少なくとも「1巻~4巻」と「5巻~8巻」では、雰囲気、テーマ性、読了後の衝撃の大きさその何れもが大きく異なり、総じて後者は油断していると、普通に思わぬ衝撃に翻弄されかねない。そこは控えめに言ってもコミック百合姫掲載作品の宿命」と言う事なのだろう。

 この様に油断ならない側面もあるが、これ程重厚な展開が描かれると言う事は、言い換えるならそれだけ濃密な人間ドラマ及びGL物語が体感できると言う事でもある。また、ささ恋は基本的に王道路線をゆくGL作品なので、どれ程過酷な展開が待ち受けていようとも、最終的には「きっとGLが花開く方向性へと進んでくれる」と言う期待もある程度持ちやすく、詳しくは言わないが、実際にそうやって良い方向性へと成就した展開もあったので、大きな物語としてシリアス一辺倒のまま終わってしまわない様に上手く創られている絶妙さがある。

 なので、少しでもささ恋が気になったと言うのなら是非読んで欲しい。5巻以降重厚なシーンが増えるとは言っても、ひまりと依の甘々な関係性が描かれている場面も多く、前述する様にシリアス一辺倒では無いし、何より1巻~4巻はGL展開としてもテンポよく進むので、ささ恋が持つ世界観に対してのめり込む様に堪能する事が出来る。重ね重ねにはなるが、百合姫が誇る圧巻のガールズバンドラブストーリーを、是非その目で体感して欲しい。......後、決して油断だけはしない様に。これだけは本当に軽視してはいけない事だし、舐めてかかって無事でいられる程百合姫は甘くないので、そこは宜しく頼む。

 

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は2022年のエイプリルフール企画ネタだった「ごちハピ」を下地にしたお話であり、嘗ての「ナナラビ」や「クロラビ」を思わせる回でもある。そのさなかで主軸となっているのは神沙姉妹2人であり、よくよく考えてみれば、先月に引き続いて神沙姉妹2人に焦点が当たったお話が続いている事にもなっている。だが、悲しい事にそれに気付いたのは当記事執筆中のタイミングであり、肝心の本誌を読んでいたタイミングでは全くと言っていい程気付いていなかったのだが、そんな事言っても仕方が無い。

 

※注意※

最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は「幸せの捉え方」「死生観」にまつわる内容等、シビアなテーマを含む小題があるので、それらが苦手な人は十分注意して下さい。尚、その様な内容がある小題にも個別に注意書きを置いています。

1.はじめに

 今回は前半が2022年エイプリルフール企画「ごちハピ」のセルフオマージュ、後半が神沙姉妹2人にとって大きな鬼門となっていた「ブラバアルバイトへの道」と言った所であり、言ってしまえば「それまでの物語を飾る1つの山場」と言う側面が強く、故に真新しいお話かと言われればそうでもない。その為、その意味では新鮮味に欠ける感触は些か否めなかったが、物語の山場と言う事で、それまで積み上げてきた物が指し示す一つの答え的な物が見えてもいる。総合的に見れば手堅くまとめられていたと言え、強烈なまでに目を引き付ける要素こそ無いが、堅実な面白さと安定的なストーリーに支えられた、良いお話だったと言えよう。

 今回の扉絵は、ブラバ組3人と智乃ちゃんを合わせた計4人が、ごちハピを思わせる様な雰囲気の中で、まるでこちらを見つめるかの様な視線を送っていると言うもので、4人の背中にはそれぞれごちハピに登場していた「天使の羽」の様なものがあり、扉絵で描かれる世界線は、ほぼ間違いなくごちハピを指し示していると思われる。ただ、その中で冬優ちゃんだけ羽の色が暗めの青みがかった色合い*1になっているが、これは冬優ちゃんが俗に言う「堕天Tシャツ」を好んで着ている事に起因しているのだろう。正直、パッと見た際には特にどうとも思わなかったが、扉絵を自分なりに分析する為に改めてじっくりみてみると、色んな発見があるものだ。しかもその発見に対して結構嬉しく思う事も多いので、今でもこういう分析を続けるのも悪くないのかもしれない。

 今月号は物語進行の予測が立て易い構成をしていた為、良くも悪くも読んでいる最中は緊張感が殆ど無く、先の読めない展開や唐突に差し込まれる衝撃的な台詞に心押し潰される恐怖も無かったが、他方でアッと驚く様な場面も少なかったと言うのが正直な所だった。それ故、最初はここ最近のごちうさを読んだ後にありがちな例に漏れず「何を思えば良いのか良く分からない......」と言う厄介な感情がつきまとっていた。しかし、ごちうさと同じ掲載誌であるきらまにて掲載されている他のマンガや、百合姫掲載のマンガを読むにつれて、なんと今月のごちうさにおいてもなにを軸にしたら良いのか。そのヒントとなる要素が沢山舞い込んできて、このブログを本格的に書く頃には自分の中で答えが定まっていた。

 ただ、その定まった答えと言うのは、ストレートな言い方をするなら「幸せの捉え方」や「死生観」にも関わる事であり、それらにまつわる内容はかなり重厚なものになる。その様な内容を含む小題の冒頭でも改めて書いておくが、くれぐれもこの手のテーマが苦手な人は本当に注意してほしい。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は前半と後半で全く世界観が異なる事と、どちらの世界観もこれまでのごちうさを辿って行けば、自ずと緩やかに繋がっていくものなので、キャッチーではあるが、いざ細かく書き出そうとすると地味に苦労する所でもある。まぁ、これまで通り何とかするだけだが。

ごちハピを踏襲した世界

 まずは今月号前半の内容について書き出したい。前半は2022年のエイプリルフール企画だった「ごちハピ」がモデルとなったお話であり、モデル通りに神沙姉妹2人が、幸せの青い鳥を探していくと言うストーリーが主となっている。正直、ごちハピ自体は2022年のエイプリルフール企画をやった身からすれば、当然の事ながら既視感ある内容なので、別に「わぁ、こんな真新しい皆が見れるなんて......!」とは嘘でも言えないし、既視感ある内容と言う事で展開も概ね想像できるので、良くも悪くも緊張感が殆どないままに読み進めていた。

 ただ、緊張感こそ無かったとはいえ、今思えば結構懐かしいとも言える内容だったのではないかと思っている。ごちハピは2022年のエイプリルフール企画なので、ごちうさ全体の歴史からすればまだまだ新しい方だが、冷静に考えてみれば現時点でも約1年と9ヶ月も前の企画な訳であり、毎月きらまで新しいお話を読み続けている身としては、まるで遠い昔の記憶の様に感じられる側面も無くはなく、その意味での楽しみ方を見出せばよかったのではないかと、このブログを書きながら思い立った。まぁ、今更後悔しても遅いのだが......。

 また、私の理解力不足故なのか、2022年のエイプリルフール企画で見たごちハピのイメージに引っ張られ過ぎたが故なのか、神沙姉妹2人が辿った一連の流れを見た際に、2人が如何にして幸せの青い鳥の意味とは何かを理解したのか、幸せとはどの様なものだと思ったのか。その幸せを2人がどの様にして捉え、どんな幸せを胸に秘めて大空へと羽ばたいていったのか。それが解った様な解らなかった様な、正直自分でも「ちゃんと理解しているのか」と聞かれれば「チンプンカンプンでは無いが、ビジョンがハッキリ見える訳でも無い為、自分でもちゃんと理解できているか良く分からない」とならざるを得ない。因みに今でも良く分かっておらず、こういう事情も私がごちうさに対する熱意を削がれている理由の1つにはなってしまっている。ただの言い訳とも言うが。

 こんな感じで前半部分の理解や分析に関しては、正直地に足が着き切っていない感触が目立つと言うガタガタぶりだが、神沙姉妹2人が幸せの形をハッキリ見つけた事、神沙姉妹2人も何時しか幸せを届ける青い鳥と呼べる存在になっていた事等が、2人にとってどれだけ大きな意味を持つ事であり、それはきっと木組みの街の住人達との出逢いによって掴んだ、正に「運命的な奇跡」である事はきちんと認識している。

 それまで2人だけの世界に閉じこもらざるを得なかった神沙姉妹2人にとって、やっぱり木組みの街の住人達との出逢いは相当大きかっただろうし、同じブラバ組の冬優ちゃんとの出逢いもあって、「自分達でも幸せは掴めるし、幸せを与えられる人にもなれる」と解った事。それが、2022年のエイプリルフール企画もとい、今回のごちうさの前半部分の主軸だった「ごちハピ」の真骨頂の1つでは無いのかと思う。

ブラバ面接からの......!

 ここからは今月号後半の内容について書き出したい。後半は神沙姉妹2人が、予てからの鬼門にして念願とも言える「ブラバのアルバイト面接」へと挑戦していく構成が採られており、嘗てブラバのアルバイト面接を受けた際、採用枠が1人分しかなかったが為に、双子ちゃんどちらか一方だけを採用するのは忍びないと言うオーナーさんの裁量により、仕方ない理由とは言え2人共に一度上手くいかなかった経験がある2人にとってはリベンジでもある。

 大きな流れとしては、ブラバの面接前にして緊張している神沙姉妹2人を、周りの人達がそれぞれの方法で支えて送り出してあげると言うもので、言ってしまえばごちうさの常套句」とも言うべき構成で、別の言い方をするなら「ベタ中のベタ展開」ともなる。その為、当然の事ながら先の読めないサスペンスとは無縁の展開であり、何かとサスペンスを欲してしまう私としてはちょっと物足りない感もあったが、こういうベタな展開があるからこそ、ごちうさにおいては「友達を皆で一緒に支え合っている事」「誰かの悩みに寄り添える優しさ」が光る訳であり、ベタだから良いと言えるのだろう。

 そんな感じでお膳立てをされた構成だったので、私としては「これは神沙姉妹2人共にちゃんと受かるだろうなぁ~」とは思ったし、実際その通りになったので、そこは純粋に「念願のブラバ店員になれて良かったよ。神沙姉妹2人共に」と称賛の気持ちを送った。ただ、そのおめでたい報告を知った理世ちゃんが、前述したブラバ1人分の採用枠と言う名の椅子に座った結良ちゃんに対して「結良の奴が何かやったんじゃないだろうか」と、何かを案じる様な素振りを見せている事に、私としても思う所はあった。

 理世ちゃんが案じた結良ちゃんの行動で考えられるのは、神沙姉妹2人の為に、敢えて自分がブラバの椅子から降りる事をした、結良ちゃんがオーナーさんに働きかけて、2人分の採用枠を作って貰った等が考えられ、平たく言えば「自分が身を引いた(ブラバのバイトを辞めた)」若しくは「自分が無理を言う覚悟で働きかけた」と言う事になる。ただ、今回はあくまで「理世ちゃんの懸念」しか明かされていないので、ここで立てた見識は「推測の域を出ない」のは当然の事である。しかしながら、結良ちゃんの行動を予測した理世ちゃんとしては、結良ちゃんの事を「幸せを運んでくる青い鳥」と一瞬考えたらしく、本人は即座に取り消しているが、そう考えたと言う事は、つまりは「結良ちゃんが神沙姉妹2人の為に一肌脱いだ」と考えられる可能性が一気に高くなる訳で、真相は後の展開次第となるだろうが、私としては「早くその真相を知りたい」と思っているのは言うまでもない。

 また、その「青い鳥」をめぐっては、ココチノ2人が青い鳥と言う物語の流れを相互に確認し合う傍ら、嘗てティッピーに魂が入り込んでいた智乃ちゃんのおじいちゃんの事を思わせる様な気になる台詞を智乃ちゃんがこぼしており、その後に発した心愛ちゃんの、幸せの青い鳥に対する前向きな考え方も相まって、ここから私は前述した様な「例の考え方」にも関わる事を思ったのである。ただ、ここではまだ「注意喚起をしていない」ので、その手の内容は約束通り「注意喚起を記載した後」に書き出す事にする。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回はここから一気にテーマ性を深化させ、前述した「幸せの捉え方」「死生観」にも関わる内容をも扱っていく。その為、書き出す内容が一気にハードになるので、本当に注意してほしい。

 

前に進み続ける事の意味

 

※注意※

ここの小題では、死生観にも関わってくる様な刺激的な内容を含みます。その様な内容が苦手な方は十分注意してください。

 

 

 智乃ちゃんが青い鳥の物語に対してふと発した言葉を、私は忘れる事は出来なかった。その忘れられない言葉とは「幸せは自分の身近な所にあると気付くお話」と、青い鳥の物語について語る心愛ちゃんに対して、その幸せに対して智乃ちゃんが「幸せを与えてくれた存在は、気付いた時にはいなくなっていたと解った事が悲しい」と言う趣旨の発言である。そしてその際、智乃ちゃんはティッピーをぎゅっと抱きしめており、智乃ちゃんが「悲しい」と言う存在が誰なのか。それが解る様になっている構図に、思わず何とも言えない感情が込み上げてくる様だった。

 この「誰」と言うのは、間違いなく智乃ちゃんが心愛ちゃんの実家帰省に同行した帰りに、智乃ちゃんの確固たる意思を聞いて安心してサキさんの元へと旅立っていった、智乃ちゃんのおじいちゃんの事だと考えている。そうじゃなければ智乃ちゃんがティッピーをぎゅっと抱きしめた行動の説明がつかないし、智乃ちゃんにとっておじいちゃんは、自分の周りには多くの幸せがある事を教えてくれた大切な存在の1人でもある為、智乃ちゃんが見せた悲しみの表情は、自身のおじいちゃんの事を指していると見て疑いないと思う。

 そして、この事実が指し示す事は、智乃ちゃんは今でもおじいちゃんが完全にいなくなってしまったショックから完全に立ち直っている訳では無いと言う事である。ただ、どの程度乗り越えているかは智乃ちゃん本人にしか分からないし、そんな事を本人から聞き出そうとするのはあまりに酷な話なので、私としてはこれ以上むやみやたらに本人から探るつもりもなければ、智乃ちゃん本人に対してとやかく言うつもりも一切合切ない。あくまで「客観的に見てその様に感じられた」と言う事であり、ここから書き出す事は「自分ならこう思う」と言う事で、決してそれを智乃ちゃんに押し付けるつもりではない事はここでハッキリ言っておく。

 まず智乃ちゃんがこの様な悲しみを背負っている事について、私としてもちゃんと理解出来る。亡くなってからも約3年前後にわたってティッピーを通じて智乃ちゃんを支え続けてくれていたおじいちゃんが、自分に対して何も言わないままにサキさんの元へと旅立ったと言う事実についても、もし私が同じ立場だったら、きっと智乃ちゃんと同じ様に悲しむだろうし、同時に「どうして何も言わずに旅立っていったの......」と思うだろう。別におじいちゃんの事を恨みたい訳じゃないし、事実としておじいちゃんは既に亡くなってしまっているので、本来あるべき所に魂が導かれていったと言えばその通りだ。でも、やっぱり旅立ってしまった事実は悲しいし、頭では「受け止めなければならない事」とは分かっていても、心がついていってくれる訳では無い。智乃ちゃんの悲哀の表情は、きっとそんな複雑な心境を覗かせているのだと思う。

 しかしながら、智乃ちゃんのおじいちゃんが旅立ってしまったのは、おじいちゃんが「孫である智乃が、自分が居なくともしっかり前を向いて歩いて行ける」と確信したからで、それはサキさんの元へと旅立つ直前に遺した言葉をみれば解る通りである。厳しい現実にはなるが、智乃ちゃんには「おじいちゃんが創ってくれたもの。遺してくれたを、更に前へと進めなくてはならない使命がある」と捉えている。でも、それはおじいちゃんからの押し付けではない。あくまで「智乃ちゃん自身の夢の為に」である。その為になら、どんなに悲しみに暮れようとも、自分の足で前に進むしかない。自分の夢や未来を切り開く為には、最後はやはり「己の意思」が必要だから。そうでなければ、夢は夢のまま永遠に掴み取る事など出来ない。それが、一歩を踏み出せなかった者に待つ非情な現実としか言えない……。

 私としては、智乃ちゃんには「自分の夢の為にも、おじいちゃんばかりに囚われず、おじいちゃんの遺志を受け継いでほしい」と思っている。まだまだ子供の内に2人の肉親を亡くしてしまっている智乃ちゃんの気持ちが完全に分かるかと言えば、それは正直に「完全に分かるなんて、そんな無責任且つ軽々しい事は絶対に言えない」となるが、それでも智乃ちゃんには「自分の人生をしっかり自分の意思をもって歩んで欲しい」と思っているし、おじいちゃんだって「自分の人生は自分で切り拓いていくもの」だと、孫に説く場面は何度かあったので、おじいちゃんの遺志を尊重する意味でも自分の人生を自分の足で歩いてほしいと思う。誰かの夢をただ後追いするのではない、自分が心から切り拓きたいと思う道を、彼女にしか歩めない道を、智乃ちゃんには歩いて欲しいのだ......!

幸せを掴み取る考え方

 

※注意※

ここの小題では「幸せの捉え方」に関する題目を扱っています。ここではあくまで「一個人が思う事」を書き出す事が趣旨なので、賛同するもしないも個人の自由です。ただ、冷静な判断だけは失わない様にして下さい。何卒お願い致します。

 

 何気ない日常から沢山の幸せもとい青い鳥を見つけ出そうとする事は、果たして「強欲」と称されるべきなのか。私はそうは思わなかった。何故なら、幸せと言うのは自分から「幸せな事は何かを知り、それを掴み取りにいくから解る事」なのであって、待っているだけでは幸せは舞い降りてこないし、ましてやその幸せが何なのかなんて解る筈が無い。ならば、たとえ周りから欲張り(=強欲)と言われたとしても、幸せを運んでくるものが何かを分かろうとしたり、掴み取ったりしようとする姿勢が必要な時もある。そう考えたからである。

 この様な事を思い立った背景は、先の小題でも扱った様に、青い鳥の物語に準えて今の自分が持つ悲しみを言い表していた事に対して、心愛ちゃんが「智乃ちゃんと歩いていると言う何気ないこの瞬間も幸せだ」と言う趣旨の発言をした後に、続けて「青い鳥(幸せを運んでくるもの)は沢山いる」と言う趣旨の発言をした事にある。心愛ちゃんのこの様な考え方に対して、私は凄く同調した。幸せなんて、美味しいご飯を食べる事、好きな趣味に興じる事、好きな人と一緒の時を過ごす事、安心した気持ちで過ごす事等、些細な事でも細かく挙げだしたら枚挙に暇なんか無いし、故に何気ない日常の行動から「幸せを運んでくるもの=青い鳥」を見付けようとする姿勢は、この人生を楽しく幸せに生きようとするには正にうってつけの考え方だと思っている。なので、最早否定しようと言う気さえ起きなかった。

 そんななので、上記の様な心愛ちゃんの幸せを運んでくる青い鳥の考え方に対して、智乃ちゃんが発した「強欲」と言う一言に、私はどうしても「納得」がいかなかった。ただ、智乃ちゃんとしても心愛ちゃんが自分には到底できない幸せに対する考え方に、多少なりとも思う所があったと考えられる事や、心愛ちゃんは2021年のエイプリルフール企画たる「ナナラビ」にてグリード、即ち「強欲」と言う罪の名を背負っていると言う経緯があった事を踏まえると、智乃ちゃんが強欲と発した事自体は、でっち上げでもなんでもなく、ちゃんと地に足ついた見識に基づいた言葉だとは解っている。なので、智乃ちゃんが「強欲」と発した事そのものを否定するつもりは一切無いし、その様な考え方も存在する事もちゃんと受け容れるべきだと考えている。それが「思想の自由」を尊重する事だから。

 でも、例え「強欲」と言う考え方が存在する事を受け容れる事が出来ようとも、今でも私は心愛ちゃんの発した幸せに対する考え方を「強欲」と称する考え方に、決して賛同する事はできない立場をとっている。これはどうやっても譲る事は出来ない。たとえ「自分にとってのイチ推しの発言を反対するのか」とか言われようとも関係ない。申し訳ない気持ちもなくは無いが、私にだって譲れない考え方の1つや2つはあるのだから、そこは自分が感じたものを貫く姿勢で行かせていただく。

 もし、諍いの種を蒔く様な真似を働いているとしたならば、それはきちんと詫びる。ここで私が言いたいのは「ココチノ2人のやり取りに対して自分はこの様に考えた」と言う事であり、それ以上の事は何も無い。普段の小題と比べてもなお、語気がかなり強めだったのは、ここでは立場をハッキリさせておかないと、自分がどの様な考え方を持っているのか分からず、ぼやけた思想しか持っていない軽薄な人間に映る可能性があった上、そうなると非常に不味いテーマだったからである。世の中、時には思想をハッキリ展望しない方が良い時も沢山あるが、当然ながら思想をハッキリ展望しないと、周りから「中途半端な人間」と言う烙印を押され、ハッキリと立場を表明した時よりも扱いが酷くなるケースも沢山ある。その狭間に揺れ動く中、常に正しい判断をし続ける事は大変難しい事ではあるが、今回私は「幸せの捉え方」と言うのに対して、普段よりも強めな想いを抱いていたので、ここではハッキリ言うべきだと思ったのである。

 幸せの捉え方については、正に「人の数だけの捉え方がある」と思っているし、実際に今回私は心愛ちゃんが展望した幸せに対する考え方に賛同する立場をとっているが、私とて心愛ちゃんと全くもって一緒の考え方を持っている訳では無いし、心愛ちゃんとは違う考え方の部分も当然ある。でも、今回こうして「幸せの捉え方」に対して真剣に向き合う事で、ごちうさを通じて「人生における幸せの掴み方、幸せをもたらしてくれる存在」について少しでも考える事が出来たので、そこは純粋に有り難い事だと思っている。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は2024年初のきらまなので、必然的に2024年最初のごちうさと言う訳にもなるが、そこから書き出した感想・考察の内容は正に重厚そのもので、小題によっては個別に注意書きを入れる程のものになった。我ながら、2024年最初からかなり飛ばしていると思うが、ちゃんと全て「私が書きたいと思った事」ではある。因みに注意書きを入れたのは、その様な配慮をした方が良いと思う題目を扱っていると感じるものがあった為。普段はそこまで思う事が無いので入れていないが、今回は誇張抜きで「入れないとちょっとヤバいなぁ......」と思ったので入れた。

 ここまで重厚な内容になったのは、沢山のマンガを読む過程の中で、それらのマンガで描かれていた内容やメッセージ性に強い感銘を受けた為で、その中でも特に人間ドラマにも通ずる「心の成長」「心の弱さ」、或いは壮絶な運命を覗かせる「ハードボイルドな展開」などに凄まじく影響されている。その為、ごちうさにおいてもそういった「ハードボイルドな運命」「前向きな事ばかりではない現実の厳しさ」と言った、世の中決して良い事ばかりでは無いと言う着眼点を持ちやすく、今回はそれが凄まじい勢いでごちうさにおいても反映されたと言う訳である。ちょっとやり過ぎてしまった感もあるにはあるが、嘘偽りなき想いを書き出す為には、最早こうするしかなかったので、どうしようもなかった。正直、厳しい事から目を背ける為に、嘘で全部塗り固めてしまう事だって可能だったが、それだけは絶対にやりたくなかった。そんなごちうさの世界観に対しても冒涜を働くような真似をするくらいなら、痛みを伴う内容覚悟で思った事を素直に書き出す方がずっとマシだった。それが私の中での答えだった。

 以前から私は、ごちうさに対しても何かと今回の様な厳しい見解を打ち立てたり、世界観に少しばかり似合わないと思う程に重厚且つ壮絶な見解を書いたりしてきたが、これが果たして本当に正しい道なのか。それは正直分からない。ただ、その様な内容も「私が書き出したい内容」である事は紛れもなき事実だし、その様な内容を含んでいるからこそ、私の中でのごちうさは確立される事情もある。なので、今更後戻りなんぞ出来ない。これが「今の自分が歩むべき運命」だと言うなら、自らの意思で歩むまでである。

 思えば冒頭に「2024年も百合好きな私」と称しておきながら、今回のブログ記事ではごちうさから見出す形で導き出した「百合」にまつわる小題が無かった事に気付いた。これまで2ヶ月連続で百合にまつわる小題を書いていただけに、ちょっと寂しい気持ちが募ってくるが、2ヶ月連続で書き出した例が特殊だった訳で、致し方ないとは思っている。こんな感じで2024年最初の記事は、中々にパンチが強い尖った内容にはなったが、今年も走り続けるだけ走り続けるつもりだし、毎回の様にここまで重厚な内容ばかりを書き連ねるつもりも無いので、どうか宜しく頼む。

 

 

おまけ

今回の文量は、400字詰め原稿用紙のべ29枚分であった。今回は兎に角重厚な内容を書き出す事に注力したので、書く内容には特に苦労していない一方、シビアなテーマをどの様に扱うべきか。そこで苦慮した。また、2024年最初の記事から内容がかなり重厚なものになった事に対しても多少思う所はあるが、書きたい事を書く為にはこうするしかなかったので、後悔はしていない。何だったらそれを気にして書きたい内容じゃあない事を書いていた時の方がもっと後悔していた。そんな気さえしてならない気分でもある。

*1:私が思うに「群青色」と言った所だろうか。実際には恐らく違うだろうが。

きらま2024年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 2023年も年の瀬。私は2022年に続けて、2023年でも無事に12回(12ヶ月)分のごちうさの感想・考察ブログをしたためる事が出来た。他にも「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを、Part1「ファントムブラッド」(PhantomBlood)から、Part8「ジョジョリオン」(JoJolion)まで全て読み進めた上で、最新シリーズたるPart9「The JOJOLands」(ザ・ジョジョランズ)を読んだり、2022年に読んだ「アネモネは熱を帯びる」をきっかけに、一気にその世界に魅了された「百合マンガ」にドハマりしたりと、マンガに関しては大きな変化を遂げた年となった。

 こうして漫画の世界観を大きく広げたのは良かった。だが、世界観を広げるにつれて、ごちうさに対する熱意は徐々に落ち着いたものへとなっていき、今となってはごちうさが掲載されているまんがタイムきららMAXにおいても、ごちうさ以外の作品を読む為に買っている側面が大きくなってきた程。身も蓋もない事を言ってしまえば、「熱意が無くなりつつある」と言う事だが、この事に対して戸惑いはない。正直こうなってしまうのは「宿命」だったと考えているし、何時かはこうなると思っていた。なので、今では「この熱意を絶やさない事」を意識している。熱意は小さくなっても、完全に消え去りさえしなければ案外何とかなるもので、現にこの感想・考察ブログを書き続けていられるのは、熱意が完全に消え去っていない証でもある。

 また、世界観を広げるにつれて、マンガで心が震撼したり、恐怖に慄く機会も圧倒的に増える様になった。特に2023年上半期の終わり頃から読み始めた「コミック百合姫」に対しては、読み始めの頃から既に心震える機会が多かった雑誌だったのだが、今となっては更なる恐怖に押し潰されそうになる事さえ生じる様になり、挙句に「読みたいのに読みたくない!」「助けてくれるなら助けて欲しい!」と、百合姫を読む事が一種の恐怖と化してしまう状態にまで発展してしまった程。こうなると「痛い目に遭うと解っていて、何故あなたは百合姫を読み続ける?」となりそうだが、これはひとえに「百合が好きだから」「懸命なる想いを知って、そこから逃げる事はしたくないから」と言う想いがあるから。今月も百合姫掲載マンガ「君と綴るうたかた」にて、その衝撃的な結末に、完膚なきまでに打ちのめされていたが、それでも私は負けない。抑々として百合姫を読もうと決断したのは、他でもない「自分自身の堅牢なる意思」である以上、戻りたくても、もう戻る事は出来ないのだから......。

 ところで私がよく好きなマンガのジャンルとして「サスペンスホラー、ハードボイルド、クライムサスペンス」の3つを挙げる事がある。これらは全てジョジョの影響故なのだが、最近百合マンガにおいても、この3つの要素の何れかが含まれる展開を含むマンガと出逢う事がある為、正直物凄くワクワクする。ちゃんと「心が磨り減らされる」と言うダメージも負う訳だが、結局私はそういう要素が含まれたマンガが好きなんだと思う。故に恨むならそんな世界観を好きになってしまった自分を恨むしかない。何処まで行っても、自分が選んだ道だ。傷も後悔も、己の手でどうにかしていくしかないのだ......!

 こんな感じでマンガ道を突き進む私だが、今でもクラシック音楽は継続して好きな状態であり、12月には久々にクラシック音楽CDを購入している。その中でもお気に入りなのは、かのモーツァルト(1756-1791)作曲の「セレナード第9番 ニ長調 K.320『ポストホルン』」であり、とりわけカール・ベーム(1894-1981)指揮:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏録音が好き。他にもモーツァルトクラリネット協奏曲 イ長調 K.622」(ベーム指揮:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏)の録音もお気に入りである。

 因みにベームと言えば、私の中ではずっとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏録音を多く遺している」と言うイメージが強くあった。今回私が買った「ポストホルン」収録のCDには「セレナード第13番 ト長調 K.525 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』」の録音も一緒に収録されており、そちらがウィーン・フィルとの演奏であった為、当初はこのポストホルンもウィーン・フィルとの演奏だと勘違いしてしまっていた。何ともお恥ずかしい話だが、今はちゃんと「ポストホルンはベルリン・フィルとの演奏!」と頭に叩き込んでいるので、勘違いはもう起こらないだろう。

 

 

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は神沙姉妹2人及びココチノ中心に焦点が当たった回だが、その際心愛ちゃんが映月ちゃんの姉役となり、智乃ちゃんが夏明ちゃんの姉役になる*1と言うやや特殊な構図となっている。もう考えてもしょうがないので、いっそ「今回はそういうスタンスで行くんだ」と思った方が楽と言う事で、ここではこれ以上深掘りしないが、こういう事が出来る関係性が相当に貴重なのは間違いない。

 

※注意※

最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回はココチノ2人及び神沙姉妹2人による姉妹交換から「姉妹と言う関係性の素晴らしさや美しさ」を説く回と言う認識が強くあり、平たく言えば「日常の延長線上にある回」と言える。尤も、このタイミングでこの様な特殊な雰囲気を纏ったお話が出てきた事には驚いたが、それでびっくりしてたって最早しょうがないだろう。

 今回の扉絵は、ギャルみたく雰囲気を醸し出した状態で、心愛ちゃんと映月ちゃんが2人仲良くお揃いの格好でポージングを決めていると言うもので、私からすれば「額面通りに分かる事以上に言える事が見つからない」となってしまったが、今回は2人の純粋な可愛さに魅了されるだけと言うのも悪くないのかもしれない。これで何か重要なメッセージが隠されていたとするなら、私はもう「お手上げだー!」としか言えんが......。

 今月号は正直話の路線が読み辛いが、強いて言えば「固定された関係性から脱却する事で、今まで見えなかったものが見えてくる」と言う印象で捉えるべきかと思っている。物々しい書き方だが、要は「姉妹関係を変化させる事で気付きを得る」と私は考えていると思ってくれればよい。正直に書くと、今月はきらまにしろ百合姫にしろ、フォワードにしろ、衝撃的な展開を内包したお話と対峙しなければならない機会が多く、それに伴い神経が磨り減る勢いも激しかった為、ごちうさに対してもあまり深く考えられなかった。故にこんな単純な見識しか立てられなかった訳である。もうどうしようもなかったのだ......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回はココチノ2人と神沙姉妹2人による姉妹交換と言う図式があり、故に「今まで見えなかった関係性や一面が見える」と言う意味で興味深いものがあると言えよう。

ココエルの図式

 最初は心愛ちゃんと映月ちゃん2人による姉妹関係について書き出したい。この2人はそれぞれ「智乃ちゃん、夏明ちゃんの姉」にあたる2人であり、ココエル2人の場合は「心愛ちゃんが姉、映月ちゃんが妹」と言う構図になっている。共におおらか且つマイペースなのが特徴であり、どちらかと言えばどっちも妹の方がしっかりしている印象もあるが、2人共に「やる時はやる」一面もある。

 そんなココエルだが、最初の導入からして強烈であり、起きない心愛ちゃんをいい事に、映月ちゃんが心愛ちゃんのベッドに潜り込んでいたと言う導入から始まるのである。これは単純に「心愛ちゃんと一緒に寝てみたかったから」と言う映月ちゃんのかわいい願望があったのだろうが、ベッドに入ってきた事に全く気付かない心愛ちゃんもちょっと危なっかしいし、心愛ちゃんにしても都合よく妹に仕立て上げようとする思考回路を見せ付けており、色々と不安になる立ち上がりではある。

 また、この姉妹関係映月ちゃんのストレート且つ忌憚のない物言いがかなり目立っており、心愛ちゃんの妹になりたいと思ったのは事実であっても、心愛ちゃんから理想の姉に見えるのかと聞かれた時はハッキリ否定する言動をとったり、姉妹でも智乃ちゃんが心愛ちゃんの事を「さん付け」する関係性にある事を心愛ちゃんが言及した際には、映月ちゃんは一切の躊躇いなく「それは(心愛ちゃんと智乃ちゃんが)本当の姉妹じゃないからじゃないの」と言ったりしており、いくら映月ちゃんが「言いたい事は割とハッキリ言う方であり、その上事実を包み隠さず述べるタイプ」とは言っても、それは流石にちょっとデリカシーと言うものが無さ過ぎるんじゃあないかと思う程。

 特に「姉妹の関係性が云々」に関しては、人によっては聞いた瞬間にたちまち「そんな事二度と軽率に言うもんじゃあない!」と、烈火の如く激怒しかねないデリケートな部分でもある為、幾ら心愛ちゃんが一時的な姉妹関係を抜きにしても確かな信頼関係で結ばれた「仲間」であり、今回に至っては「姉妹関係」を結んだ間柄とは言っても、そういう発言は流石に控えた方が良いんじゃあないかと思った次第でもある。尤も、そういう事にも切り込んでいかなければ、姉妹と呼べる様な関係性にはなれないと言う考え方もあるし、時には怒られる覚悟でそういった事情も聞かなければならない時もあるので、一概には絶対に「こういう時は○○すべし」と断言できない難しい問題ではある。

 こういう気になる点は幾分かあるが、姉妹関係自体は終始極めて良好であり、映月ちゃんが前述した様なストレートな物言いの後、心愛ちゃんの事を「姉様」と呼んで心愛ちゃんの自尊心を回復させたり、2人してパン作りに仲良く励んだりと、遠慮のない良き関係性が見えていたのは普通に良い所である。そして、この関係性で最も輝いていたのは「映月ちゃんの勇気を真正面から受け止めた心愛ちゃん」と言う構図であり、双子の妹である夏明ちゃんの為に一肌脱ぐ行動を見せ付けた映月ちゃんを、姉としてだけでなく、1人の人間として称賛していた所に、この姉妹関係の真髄が見えてくる様であった。そう思うと、夏明ちゃんの為に思い切りのいい行動を起こせる映月ちゃんは流石と言った所だろう。

チノナツメの図式

 ここからは智乃ちゃんと夏明ちゃん2人による姉妹関係について書き出したい。この2人はそれぞれ「心愛ちゃん、映月ちゃんの妹」にあたる2人であり、こちらは2人共に同い年且つ同学年である*2が、智乃ちゃんからいろいろ学びたいと言う夏明ちゃんのお願いにより、智乃ちゃんが姉役を担う事になっている。普段はマイペースな姉を持つ妹であるが故、2人共にしっかり者だが、とりわけ姉と言われた智乃ちゃんは、姉に対して憧憬意識を抱いているのが丸分かりの場面があると、年相応に無邪気な所もある。

 そんなチノナツメの2人だが、この2人組も最初から強烈な導入があり、それは智乃ちゃんの服装が俗に言う「地雷系ファッション」だった事である。智乃ちゃんはどちらかと言えば清楚系の私服を好むタイプであり、地雷系ファッションなんぞ、自らの意志で手に取る様な人ではなく、今回地雷系の服を着ていたのも映月ちゃんからの借り物だそうで。そうなると「映月ちゃんってそういう地雷系ファッションを好む趣味もあるんだ」とならなくもない*3が、実際に智乃ちゃんの地雷系ファッションを拝見した所、私としては「思いの外様になっていて可愛いと思った」と言うのが正直な所である。何と言うか、ちょっと別物にはなるが、地雷系ファッションが似合う智乃ちゃんなら、ゴスロリファッションも似合うんじゃあないかと思った程であり、智乃ちゃんのコーディネートの新たなる視点を目撃した様な、そんな気がしてならなかった。

 この姉妹がメインに行った事は、木組みの街で根付いている「シスト」*4であり、作中でもこれまで何度も描かれてきた。その難易度は物によってまちまちらしく、今回のシストは難易度が高い方だったらしく、苦難の末に残念ながら宝箱の場所までたどり着く事は出来なかったそうだが、それでも「姉だからと言って『つねにちゃんとしなちゃ』と気負い過ぎなくてもいい」「姉を支えてあげるのも妹の務め」と言う夏明ちゃんの助言もあって、結果的にシストを通じて「姉と妹」の関係性の在り方を熟考していくにあたって、大きな糧となる経験が出来たと見ている。

 また、この2人は基本的にしっかり者なので、今回のお話においては心愛ちゃんと映月ちゃん程インパクトのある展開を起こした訳では無い。しかしながら、智乃ちゃんが珍しく夏明ちゃん相手に呼び捨てで話しかけたり、普段は無いレアな関係性に多かれ少なかれ浮足立っていたりと、この2人とてココエルと同じ様に姉妹交換を楽しんでいる様子が解るのが良き所と言えよう。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回は今まで程特別な想いを抱いた訳でも無い上、今月は百合姫にて己の心情を砕かれかねない程の衝撃を受けた事もあって、正直ごちうさに対してあれこれ考える程の余裕はなかった。ただ、例の如く「百合」の雰囲気を感じる場面があった事や、あれこれ考える余裕は無くとも、全くもって考える事ができない訳でも無いので、書きたい事はちゃんと書けると思う。

イレギュラーな構成と一面

 姉妹交換を筆頭に、普段なら絶対見られない一面を多く拝見する事が出来た事。それが、今月号を読んだ後に最も印象に残った事だった。これが、仮にもごちうさを単行本で読み始めてより5年、きらまでも3年以上連続して読み続けている人の感性なのかと言われるかもだが、単行本1冊分ならいざ知らず、1話1話毎に前回、前々回の様な重厚な感想を書けるだけの感性を働かせ続ける事は、正直言って無理に近い事なのだ。もしそれが可能だとするなら、それ自体は「一種の才能」だと思って良い。こういう事は誰しもが出来る事では無いのだ。

 こんな事を言っているが、特定分野に対する見解の深さなら案外何とかなる。一例をあげるとこの後書くつもりである「百合」や「好きなマンガに引っ掛けた内容」等であり、最近はそういう事ばかりやっている節が強くあるが、これで何とかなるなら御の字である。今回はそれで「姉妹交換」から見える意外な一面に着手した訳だが、個人的にその様な流れから気になった一面は、何と言っても智乃ちゃんの地雷系ファッションと、映月ちゃんの良くも悪くも一切物怖じしない発言だった。前者に関しては、単純に「可愛い」や「思いの外似合っている」と言う好意的な意見を投げかける事が出来たが、後者に関しては、内容が内容だけにちょっと難しい所だった。

 映月ちゃんの「言いたい事はハッキリ言う」一面は、決して嫌いじゃあないし、目的の為ならどんな困難でも乗り越えようとする行動力の高さと決心の強さも好きなのだが、今回の「ココチノ2人の関係性の核心を突きかねない発言」は、流石に本気でマズイんじゃあないかと思った。確かに映月ちゃんの問いかけた内容は、客観的に見て「事実は事実」だし、間違った事は何一つ言っていないのもそうなのだが、それらを考慮しても尚、聞き方があまりにもストレート過ぎるし、悪意は無くてもそれがきっかけで禍を招いてしまう可能性も十分ある為、今回は角が立たずに収まったとは言え、何でもかんでもストレートに聞くのも些か考えものだと思った。ただ、私自身映月ちゃんのストレートな物言いが悪いと言っている訳では無く、TPOさえ弁えれば長所になると言う事で、彼女には「言いたい事はハッキリ言う一面をうまく活かしてほしい」と思っているので、ここは勘違いしないで欲しい。

 他にも私がイレギュラーだと思った一面は、ココチノ2人と神沙姉妹2人が姉妹交換した事を知って、嫉妬心を剥き出しにしていた冬優ちゃんであり、この際冬優ちゃんは普段の彼女からは想像できない程の流暢さで、姉妹交換の詳細を詰問しようとしていたのが印象的だった。尤も、冬優ちゃんは以前から何かと嫉妬心を見せ付ける事はあったので、嫉妬心を見せた事自体はさほどイレギュラーではないが、嫉妬心の見せ方が明らかに「ずるい......、ずるい......、私だってそんなことやりたい......」と解るものなのが、個人的にはちょっと怖かった......。

恍惚させる百合の魅力

 思わず心奪われてうっとりする事。恍惚とはそういった事を表すと言えば良いだろうか。つまりこの小題は、今回描かれた百合によって思わず恍惚めいた心情を書くと言う事で、言ってしまえば「百合のこじらせ話」ともなる訳だが、それも多くの百合マンガに触れて、百合の魅力に感化された者の宿命と言う事だろう。

 今回ごちうさを読む中で、私は「これは百合の魅力を感じる!」と強く思ったのは、姉妹交換をした一日を終えたココチノ2人が、2人でその日あった事を話し合う流れから発展して「お互いの事を試しに呼び捨てで呼んだ事」であった。元々百合マンガにおいては、それまで上の名前で呼んでいたのを、ある事をきっかけに下の名前で呼ぶ様になる事や、口調が敬語からタメ口に変わる事、呼び方に敬称が無くなる事(ココチノ2人の例)等々が現れる事に対して、個人的には正に「距離感が一気に縮まり、相手に対する『好き』と言う気持ちが大きく膨れ上がった事の証」だと思っていて、今回ココチノ2人がやった事は、その筋書きをもろ則るものであった為、そう思うのは必然だった様にも思う。

 しかも、その際心愛ちゃんは余裕溢れる表情だったのに対して、智乃ちゃんは明らかに照れを隠し切れない表情を浮かべており、その表情とセリフ回しは、正にガチの百合マンガ若しくはGLマンガを彷彿とさせるものであった為、これで百合を思い浮かべないと言うのが無理な話だった。その後、2人共に顔を真っ赤にして必死に取り繕った様な言葉を並べているが、そのやり取りも初々しさを感じる百合であるのも良き所。ココチノ2人は、現時点でもう2年以上一緒に暮らしている訳だが、基本的に2人はお互いを呼び捨てで呼び合うなんて事は無かったので、あんな初々しい反応になるのも納得できる。

 これら一連の百合を見て、私は当然の事ながらその魅力に恍惚めいた感情を覚え、そして惹き込まれた。元々ごちうさに対しては他の作品、例えば私にとっては百合の魅力を教えてくれた作品であり、今に至る百合好きのきっかけを作ってくれた、フォワード掲載のマンガにして、学生王道百合展開が心惹くアネモネは熱を帯びる」や、目を背けたくなる様なSMプレイや悲愴的な描写の数々が、背徳感と緊張感、そして恐怖感を際限なくそそり、お互いにお互いの事を罵り合っても、結局はお互いに離れる事なんて出来ないと言う、共依存と倒錯*5した感情に満ち溢れた百合と言うなら他の追随を許さないと思う程の魅力があり、私にとってはこの作品がきっかけで、百合マンガひいてはマンガそのものの好みさえ多大なる影響を与えた、百合姫コミックスの「きたない君がいちばんかわいい」等々に比べれば、百合の魅力を探す事に重きを置いていた訳では無かった。

 しかし、時間の経過とともに百合が持つ魅力にハマり、それに伴い百合を示唆する様な描写を見付ける審美眼(?)なるものが鍛えられるにつれて、ごちうさに対しても百合の魅力を見出す事に躍起になる様になった。実際、私がごちうさに対して百合の魅力を見出した例として、今月号におけるココチノ2人のやり取りだけでなく、直近のリゼユラ2人のやり取りも挙げられ、故に2ヶ月連続して「百合の魅力について書き連ねる」みたく、百合好きとしての感情をこじらせる事になっている。後悔は全く無い。ただ只管に「自分が書きたいと思ったから書いた」と言うだけの話である。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は日常の雰囲気をベースに、姉妹交換と言う中々突飛な発想が乗っかっているお話なので、正直捉え方には困ってしまった。ただ、突飛な発想とは言っても、結果的には普段だと中々お目には掛かれない一面を見る事が出来たし、他にも2ヶ月連続にはなるが、今月も百合の雰囲気をごちうさでも堪能できたので、満足度そのものは高い。これできらま、百合姫フォワードの3つによって心を砕かれていなければ、もっと内容を洗練できた可能性はあったが、もし心を砕かれていなくても、結局はあまり変わりはなかった様な気もするので、どちらにしても「これが私の運命」だったのかもしれない。

 因みにきらま、百合姫フォワードの3つによって私の心が砕かれたと言う事で、ジョジョPart4「ダイヤモンドは砕けない」(Diamond is Unbreakable)のラスボス「吉良吉影」のスタンド「キラークイーン」が持つスタンド能力に準えて、心砕いた三つの雑誌をそれぞれ「第一の爆弾」「第二の爆弾(シアーハートアタック)」「第三の爆弾(バイツァ・ダスト)」として捉えると言う、半ば冗談めいた事を思ったりもしている。尚、この3つの中で最もダメージが大きかったのは百合姫であり、次いでフォワード。きらまは最もダメージが低かったものの、そのきらまを最初に読んだ事もあって、後々めちゃめちゃきつい思いをする羽目になってしまった。一応、フォワードは発売がこの3つの中では最後なのでこれは致し方ないが、百合姫ときらまは百合姫の方が1日違いながらも発売が早いのだから、これに関しては何とかなったんじゃあないかと思う所。まぁ、結局はハードボイルド色全開の過酷な運命を先に見るか後に見るか。どちらであってもその先に待つのは「地獄を見せられ、絶望の淵に叩き落される未来」に変わりは無いのだが......。

 ハードボイルド色全開による過酷な展開によって地獄を見せられ、絶望に叩き落されるとは書いたが、今回フォワードにて連載されている薪窯のパンドラ」と言う作品を読んだ際、新手の「しんどいと思うパターン」に遭遇している。それは「地獄に叩き落す程の絶望は無いが、ギスギスした展開の連続によって精神的にじわじわ追い詰められていく」と言うもので、不穏な雰囲気が小出しになって絶えず襲い掛かってくると言う意味では、一気に絶望の淵に叩き落されるよりダメージが大きいとさえ思う程。

 ただ、ギスギスしがちな雰囲気になってしまっていた背景はちゃんと描かれているし、その理由を鑑みたら「これはしょうがない......。時にはこんな日もある......」とは思えるし、今回のお話はそういう「何をやっても上手くいかない不調の日」をコンセプトにして作られていたとも考える事もできる。しかしながら、それを加味しても尚、今回のギスギスぶりは流石にマズイと感じる程だった*6ので、思わぬ角度からダメージを受ける格好になってしまった事も相まって、流石にビビってしまった。とは言っても「薪窯のパンドラ」にてここまでギスギスした雰囲気が描かれたのは今まで殆ど無かったし、繊細な心理描写を多分に含むとは言え、基本的にはわちゃわちゃした雰囲気が中心のマンガなので、次回には多分ギスギスも解消されているんじゃあないかと思っている。後、色々言っても面白いマンガなので、フォワード系統のマンガが好きな人は是非、パン屋さんを通じて繰り広げられる物語を読んで見て欲しい。今月の様にビックリするお話もあるが、基本的にはサクサク読み進められるマンガなので。

 最早自由気ままに書き綴っているが、今月はごちうさ以外の作品に神経を切られており、ごちうさにおいては姉妹交換に係る意外な一面や、それに付随した今までにない雰囲気の百合を見るのが精一杯みたいな所があった為である。ただ、もしごちうさに集中を注げていたとしても、今月の内容からでは先月や先々月の様な重厚な内容を書き出すのは難しかったと思われ、それは「毎月全力を出し続けられる訳では無いから」のと、今月で描かれていた内容には「これまでのごちうさを読む中で、何度も書き出してきた内容も多くあったから」いう言い訳はさせてもらうが、歯がゆい結果に終わったのは己の責任にあると言うのは、当然認識している事実である。

 2023年最後のごちうさ感想・考察記事は、きらま13作品分、百合姫11作品分をそれぞれ3時間以上かけて読み終えた後に書き始め、その途中でフォワード14作品分にして、2話掲載分を計上した合計15話分を4時間かけて読んで、作品数にして40作品弱、時間にして10時間以上かけてマンガを読み切った末に完成させている。尚、百合姫フォワードの間には、フォワードを読む前に「これだけは読んでおきたい!」と思っていた、私が大好きな百合マンガ「アネモネは熱を帯びる」の単行本6巻を読んでおり、正に「マンガずくめ」な数日だった。こんな感じで、残りの2023年ひいては2024年も走り続けていく所存なので、拙い所も沢山ある私だが、どうか宜しく頼む。

 

 

おまけ

今回の文量は、400字詰め原稿用紙のべ28枚分である。今回は2023年最後の記事にして、内容を書き出すにはとても苦労した。ただ、筆自体は早い方で、20日に執筆開始してから4日程度で完成に漕ぎつけている。尤も、書き出そうとしても頭が働かずに苦労したり、前述の様にどの様な内容を書くか。それが曖昧だった事もあって、このくらいの日数が限界だった節はあるが......。

*1:簡単に言えばココチノ2人が姉、神沙姉妹2人が妹。

*2:ココエルの場合は、心愛ちゃんが映月ちゃんよりも2学年上。

*3:尤も、映月ちゃんの趣味趣向がかなりクセモノなのは、以前から散見されていた事なのだが......。

*4:端的に言えば「宝探し」と「宝交換」を混ぜた様なゲームであり、地図を頼りに宝箱を探し、宝箱を見付けたら、その中に入っている宝物を1つ貰える代わりに、自分が今持っている一番の宝物を宝箱の中に置いていくと言うもの。簡単に言えば「宝物の交換」である。

*5:社会的な規範から外れた嗜好を示す事。

*6:しかもそこまでマズくなった原因が、正に「火に油を注ぐ」格好となってしまった不用意な発言や、不調故のイライラが発端となった、必要以上に居丈高な発言に大きな関わりがあるので、それがまた......。

きらま2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 最近の私は、何かと「星の輝き」という言葉をマンガやアニメの感想文を書く際に使いたがる。この「星の輝き」と言うのは、ジョジョの奇妙な冒険シリーズ、とりわけPart6「ストーンオーシャン」(StoneOcean)の主人公「空条徐倫」及び、まんがタイムきらら連載の「星屑テレパス」の作風に影響され、私が「いかなる時でも逆境に負けじと前を向き続ける」「未来に待ち受ける運命や道筋を自分で切り拓く意思を持ち続ける」と言った意味合いで言及している言葉だ。どんなに辛い事が待ち受けていようと、どんなに厳しい道のりになろうとも、決して希望を捨てず、何ならその苦難さえも自分達の糧としてしまう。私はそういうタフで屈強な精神が好きだから、こういった言葉で表現したくなる。しかも両作品共に「星(スター)」と深き関わりを持つ作品だ。これは最早「宿命」なのだとすら思う。

 如何なる時でも希望を信じ続ける意思が「どんな過酷な運命にも負けず、最後まで諦めず、何か自分にとって大切なものを思い続けようとする意思」だとするなら、私が好きな百合マンガで好む作風もこれが多分に含まれているケースが少なくない。別に照準を絞っている訳でも無いが、私は何かと「過酷な運命が待ち受けている事も理解した上で、自分が好きな人を最後まで本気で思い続ける意思」が込められた百合マンガに心惹かれる事が多い。無論、そういうマンガを読んでいる最中は、過酷な運命に心を引き裂かれる様な思いが走ったり、無情過ぎる現実を前に、己の無力さ、運命の残酷さを恨み、そして呪いたくなる様な感情に苛まれる事はザラにある。時にはその様な苦しみに耐えかねて、自分の感性さえも恨みたくなる程の絶望に追い込まれる事もある。

 しかし、これはあくまで私が自分の意思で選んだ道なのだ。自分で選んだ道ならば、この様な残酷な現実も受け容れなければならない。初めからこんな痛みにぶち当たる事も覚悟の上で歩まなければならなかったのなら尚更だ。その事を思えば、私にとって今の「百合好き」としての道を歩む事を選んだ事実に、後悔は一切ない。私はもう何年も前から「百合」と言う概念がある事を知っていたので、今思えばその時から「何時かは百合の魅力に魅せられるのは運命」だったろうし、実際その道を歩いてみて、時に苦しみ時に泣き叫ぶ様な事があったとしても、無事にここまで歩いてこられた。

 でも、これからの事は全く分からない。これから書き出すごちうさの感想・考察でも言及するかもしれないが、私は「未来の事はやっぱり誰にも分からない」と思っていて、実際私も今となっては百合をこよなく愛する人となったが、これを数年前の自分に言っても、多分当時の自分は信じない(信じ切れない)だろうし、抑々想像すらできなかっただろう。未来の事を想像しようにも、それはやっぱり「今の自分が知っている範囲の想像図」だと思っていて、この先の時を歩んでいくとともに掴んでいくであろう新たなる見識とか、今まで自分が全く知りもしなかったものを想像する事なんて、今を生きる地点では出来ない事を思えば、完璧なる未来予想は不可能なんじゃあないかと私は思う。

 しかしながら、それ故に人生は面白いものだとも思っている。想像できない未来を歩む事に、時に苦しんだり、時に「未来が分かっていればいいのに......」と思う事も、私とて無きにしも非ずだとは言っても、やっぱり「未来には無限の可能性が広がっている」と思えた方が良い。どんなに人生と言う名の歩みを進めたとしても、何時までも「まだ見ぬ世界や見方が待っている」と思えて、未来を歩む事の好奇心が育まれ、良き人生を歩む事の契機になるのなら、私は「未来は分からないから面白いし、未来は自分で切り拓くものだから良いんだ」と言う考えを持つ事に躊躇いはない。何故なら、これこそ私が信ずる「星の輝き」と言うものだから。光りゆく未来に向けて、歩み続ける事なのだから......!

 

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は作中随一のトリックスターにして、未だその素性に謎が多い狩手結良ちゃんに焦点が当たった展開であり、雰囲気としては先の展開が読めないサスペンスチックな所がある印象だった。しかし、実際の所はサスペンス展開と言うよりシュールなコメディー展開であり、初見で観た時は思わず「どう捉えたら良いのかようわからん......」となってしまったが、結良ちゃんの今まで殆ど見せてこなかった意外な一面や、その謎多き素性が垣間見えた事は疑いなく、その意味ではかなり貴重な回とは考えている。尤も、サスペンス展開が好きな私にとっては「折角ならサスペンス展開もあった方がもっと面白かったのに」とも思ってしまったが、そんな事言ってもしょうがない。

 

※注意※

 最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前述した様に未だその素性に謎が多かった狩手結良ちゃんに焦点が当たった回であり、セリフ回しや場面構成も「読者側を意識した構成」(つまりメタ視点)になっている場面がある等、これまでのごちうさの中でも明らかに異色なテイストが含まっている。結良ちゃんは理世ちゃんとは幼馴染で、高校生時代は吹き矢の部長*1を務め、理世ちゃんと同じ高校及び大学に通っている等、一見すると距離感の近い幼馴染に見える。しかし、実際の所は「つかず離れず」と言った距離感であり、根底ではお互いに全く遠慮しなくても良いと言う信頼関係があるし、ましてや険悪な仲と言う訳では断じて無いのだが、表立っては別に仲良しこよしをする訳でも無く、同じ幼馴染である千夜シャロやマヤメグとは明らかに異なる雰囲気がある。

 今回の扉絵は、人を誑(たぶら)かす様な雰囲気を纏った結良ちゃんが、うさぎ若しくはバニーガールじみた衣装を身に纏って1人君臨していると言うもので、周りには理世ちゃん、紗路ちゃん、それに心愛ちゃんの人形が散りばめられている。よく見ると、それらの人形は結良ちゃんが操作するマリオネット(操り人形)である事が解り、結良ちゃんにとって「この3人は是が非でも自分の手中に収めたい」と言う願望が見え隠れしている様にも感じられる。ただ、実際の所紗路ちゃんはともかくとして、理世ちゃんと心愛ちゃんには逆に振り回されたり、返り討ちに遭ったりする事も多い訳だが、それを結良ちゃん本人がどう思っているのかは不明。抑々「実際に手中に収めたい」と本気で思っているのかも良く分からず、今回は人形とは言え、たまたまマリオネットになっていたからそう解釈したものの、真相は全く分からないのが実情である。だが、正直今となってはもう分かんなくても「ああ、そうか......。自分が力不足なだけなんだな......」としかならない。ただ単に「私には分からなかった」と言う事実がそこにあるだけの話なのだ。

 今月号は「ミステリアスな人物の素性」が垣間見えたのが何より重要であり、私としては「ここに来てそう出てくるの?!」と、この局面に来てこの様なテイストのお話が投げ込まれた事に、思わず意表を突かれた気分にもさせられているが、他方で「今まで謎が多かった人の素性が解る事の重要性」も解っているので、何も問題はない。思えば、ごちうさはほのぼのとした日常を描く傍ら、登場人物それぞれの内面を深く描き、一人一人の成長の軌跡や心境の変化、それに秘めたる内面にも迫る様なテイストを持つ作品*2なので、この様なテイストのお話が出てくる事自体は全くもって珍しい事では無い。ただ、それを結良ちゃんに対しても行ってくれると言うのがポイントであり、ごちうさが持つ凄みを改めて魅せ付けてくれた印象がある。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は結良ちゃんに終始焦点が当たった構成なので、二面性があった前回とは違い、基本的に一本筋を通す事になりそうだが、今まで素性が分からなかった結良ちゃんの意外なる一面が紐解ける絶好の機会と捉えて推し進めたいと思う。

ミステリアスな軌跡

 最初は結良ちゃんが「楽しかった事」と語る事象を踏まえて、原作前半の範囲から彼女のミステリアスな軌跡について書き出したい。今回は初っ端から狩手結良ちゃんが登場するのは前述した通りだが、まず目につくのはその「特殊な雰囲気」である。元々結良ちゃんは飄然とした態度と、それに付随する形で「ミステリアスで魔性の雰囲気を持った女性」というイメージが先行しがちだが、以前から「普通にしていれば上品な淑女」と言った雰囲気も兼ね備えている。ただ、今回は初っ端から持ち前の「魔性の雰囲気」がふんだんに醸し出されており、正にミステリアスな女性と言うに相応しい色気と魔性の雰囲気を持っている。

 そんなミステリアスな雰囲気が前面に押し出された結良ちゃんが語る「楽しかった事」の数々は、総じて「結良ちゃん自身の手によって人を誑かしたり、誑かされた相手の反応を楽しんだりしている」と受け取れる場面が殆どで、その事に対して結良ちゃん自身は「楽しい」だの「面白い」だの言っている。しかし、彼女の心情や表情をよく見ると、幼馴染である理世ちゃんを誑かし過ぎて、彼女が拗ねて口をきいてくれなくなってしまった事を内心凄く気にしていたり、自分の事を周りの人達が過剰に反応する事を無理に笑い飛ばしていたりしているのではないかと見えなくもなかったり、実は会った人を図らずも怖がらせてしまう事を気にしていたりと、トリックスターらしく道化師的な立ち振る舞いを自ら行っている面もありながら、実は繊細な心情の持ち主且つ気にしいな一面が窺える。また、幼馴染たる理世ちゃんが、年下であるマヤメグ2人に慕われているのを見て羨ましがったり、それを見て結良ちゃんの図星を指す様な言及をしてきた冬優ちゃんを思わず威圧してしまったりと、飄然とした雰囲気とは裏腹に「人から好かれたい」と言う情に飢えていると思える一面もあった。流石に「情に飢えている」は我ながらちょっと言い過ぎな気がするが、少なくとも「人間関係」に対して結良ちゃんが全くの無頓着では無く、寧ろそういった事を影ながら凄く気にしている事はこれでハッキリ解る。

 例外は神沙姉妹2人に対してであり、この2人は転校が多かったが故に人との距離感の取り方がよく分からない事情があった事、結良ちゃんが嗾けてくる様な「怖がらせ」に対してもある程度共感した事から、この2人に対しては普段と違う反応を見せていた。また、転校が多かったが故に人との距離感が分からないと夏明ちゃんから聞かされた際、結良ちゃんは何やら神妙な面持ちをしており、結良ちゃんとしても神沙姉妹2人の事情に対して何か思う事があったのを示唆している。尤も、結良ちゃんはその後すぐに自分のペースに神沙姉妹2人を持っていっているが、よく考えてみれば、それも神沙姉妹2人をこれ以上ナーバスにさせないと言う結良ちゃんなりの優しさとも言えるのかもしれない。人に手玉を取られるよりも、自分が手玉に取る事を好んでいる結良ちゃんからしてみれば、ある種願ってもみない好機だったとも言えるが。

 尚、今回神沙姉妹2人が「転校」に対してナーバスになっていた事や、その場面におけるセリフ回しも鑑みると、神沙姉妹2人は「現在でも『転校』と言う事実を唐突に突き付けられてもおかしくない事実」が読み解け、さりげなくながらも確実に「先の未来が分からぬ事の残酷さ」を示唆している。無論、現時点で神沙姉妹2人が転校する事実は一切ないので、これはあくまで「もしも」の話には収まるが、転校の可能性も「ゼロ」では無いのが容赦ない......。

深淵に潜む本心 

 ここからは原作後半の範囲から、結良ちゃん及び幼馴染である理世ちゃんそれぞれが持つ内なる本心、終盤で見せた結良ちゃんの意外なる一面について書き出していきたい。後半からは小説家の青山さんが登場し、実は今までの場面構成が、青山さんのもう一つの顔と言える「ラビットハウス勤務」にて、青山さんが自ら時折行っている「人生相談窓口」の一環として進んでいた事が判明し、そこではあくまでごっこと言う範疇であったとは言え、結良ちゃんの核心のつくものだったと言うのだから恐ろしい。因みに結良ちゃんは「ノンアルコール」でその雰囲気を体感しており、決して法に抵触する様な事はしていないので、そういう意味でも安心して見られる。

 結良ちゃんは後半部分では前日の睡眠不足から、自分が抱えるものを目一杯曝け出した暁には、そのまま転げ落ちる様に眠ってしまっており、理世ちゃんから若干悪態を突かれている。しかし、青山さんは結良ちゃんの隠された本心を見抜いており、それは「理世ちゃんとケンカした事を後悔している」と言う、結良ちゃんが実は人間関係に対して繊細であり、不器用である事を裏付ける様なものだった。だが、そうなると「結良ちゃんは何故理世ちゃんに対して、素直に謝らなかったんだ?」ともなるが、これは「それが簡単に出来たらこんなに苦労しない」と考えるべきで、初めから素直に謝れるなら、今回の前半部分の様なバータイムごっこなる事をやってまで、自分の行動を洗い浚い話す事なんてしなくてもいい筈だし、もし素直に謝れなかったとしても、理世ちゃんの言う様にここまでまどろっこしいなんてしなくても良かった筈である。

 恐らくだが、結良ちゃんの言ってしまえばこういうちょっと面倒な一面に、結良ちゃんが持つ内なる本心が見え隠れしているんじゃあないかと考えている。結良ちゃんが幼馴染である理世ちゃんに対してここまで面倒な事を仕掛けるのは、多分そうすれば「理世ちゃんは私だけを見てくれる」と解っているからで、遠回しに「時々で良いから自分の事だけを考えて接してきて欲しい」と言う、結良ちゃんが理世ちゃんに対して持っているであろう一種の独占欲の願望と、同時に自分が苦労している「人に好かれる事」で上手くいっている理世ちゃんが少なからず羨ましいと言う、理世ちゃんに対する嫉妬心の表れがあるんじゃあないかとも感じている。

 実際、結良ちゃんは今までも2人きりの局面になると、理世ちゃんに対して「心愛ちゃんに対する嫉妬心」を理世ちゃんにぶつける形で壁ドンを仕掛けた例や、心愛ちゃんに対して持ち前の魔性の雰囲気に加えて妖艶な雰囲気を混ぜ込んで、心愛ちゃんに「たまには自分だけのものになりなよ」と誑かした(心愛ちゃんには断られた)例と言った感じで、明らかに何かしらの「嫉妬心」若しくは「独占欲」を滲ませる様な行動をとった過去があり、何れも当時から「掴み所のない性格の結良ちゃんの本心を窺い知れる貴重な機会」として捉えていたが、今月号のくだりを見て、それは最早「疑念」から「確信」へと変わった*3。結良ちゃんは普段でこそ飄然とした立ち回りを見せ、人間関係を含めた様々な事象に対して気にかけていないと思わせる雰囲気を装っているが、本当は内に様々な事柄に対する「羨望」を持っていて、それは人間関係も例外では無いんだと思う。でも、実際には苦労も多くて、多分結良ちゃんは想像以上に人間関係に対して思う所があって、それは意図せずしてやってしまう「怖がらせ」や、自分の本心を素直に言えない「頑固さ」「不器用さ」等が起因しているんだと考えている。

 とどのつまり、結良ちゃんはその「不器用すぎる程に不器用な立ち振る舞い」と、全体的な立ち振る舞いから見えてくる「翻弄するのは得意だが、翻弄させられる事には苦手意識がある」のが要因となって、ああいったまどろっこしい事をしないと、自分の本心が上手く伝えられない事になってしまっているんだと考えている。何と言うか、結良ちゃんなりに本心を伝えようとする方法が、結果的に「不器用に不器用を重ねる」様な形になってしまっているのが何とも心苦しい所だが、そういう一面はある意味で「誰よりも人間らしい一面」でもある為、ミステリアス且つ飄然とした立ち振る舞いを採るが故に本心を窺い辛い傾向がある結良ちゃんの事を理解する過程にとっても非常に有難い、素直に共感できる所でもあるし、理解できる所でもある。

 この様な結良ちゃんの本心及び行動原理に対し、彼女の幼馴染である理世ちゃんとしては、表立ってこそやや素っ気ない態度を見せているが、前述した様なまどろっこしい方法を採った彼女を心配したり、彼女が素直な気持ちを言い表せば理世ちゃんとしても快く応じる気概を見せたりと、本心では幼馴染である結良ちゃんの事をちゃんと想っている素振りがしっかり読み解ける。尤も、理世ちゃんとて譲れない一面はある様で、彼女に誑かされた事をその時点でも根に持っていて、その事を彼女の方から謝るまでその気持ちには応えてあげないと、ある種当然でもあるが、意外と強情な一面を覗かせている。ただ、そういった事を言いながら結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる巻き付けると言う可愛い一面も見せており、理世ちゃんとて「結良ちゃんの事は何だかんだ言っても好き」である事と、その幼馴染には「もっと素直になって欲しい」と言う本心がある事を窺わせている。

 尚、後半部分では基本的にずっと眠りこけていた結良ちゃんは、神沙姉妹2人の手によって起こされる事になるのだが、その際この2人は普段結良ちゃんがやっている様な「怖がらせ」のマネと言わんばかりに、結良ちゃんをたたき起こした瞬間に神沙姉妹2人共が間近に映る様にすると言う、所謂「寝起きドッキリ」ながら、普通にホラー展開でもありそうな、仕掛けられたら誰でも恐らくはビックリするであろう事を実行している。実際に結良ちゃんは起きた瞬間に2人の顔を間近で見て、ビックリして思わず警戒心剥き出しの様相を見せると言う、普段の彼女なら絶対に見せないであろう姿を見せており、この時点で「翻弄するのが得意な一方、翻弄される事には慣れていない事」が窺えるが、おまけに神沙姉妹2人の手によって、結良ちゃんの寝顔まで撮られている事が判明した際には、恥ずかしい面が映っていた事もあって思わず絶叫していたと言う一面まで見せており、これらの事から「嗾けるのは得意な一方、嗾けられるのがとことん苦手」なのが結良ちゃんの特徴だとハッキリ解り、これは今までハッキリ断定できるものでは無かった事から、私としても「これは意外なる一面」だと捉えている。

 

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。前回ではここの小題でありったけの想いを書き出した訳だが、今回はその方向性ではやや抑え気味にいこうかと思う。代わりにと言っては何だが、今回からはより自分の想いを素直に綴ったスタイルにして、どちらかと言えば抒情詩(叙情詩)的な文体にしようと思う。

秘めし一面の開放

 今までミステリアスだった人の意外な内面が知れるかもしれない。私が今月号全体を通じて思った事はそれだった。別に結良ちゃんが今まで何もかもが窺い知れないベールに包まれているとか、そこまで極端な事を言うつもりはないが、今までの結良ちゃんは「その『行動原理』をなんとなーく理解する事は出来るが、ハッキリと窺い知るにはちょっと難しいものがあった」と言う感触があったので、今回彼女の意外な内面がハッキリと知れた事は、率直に言えば嬉しかったし、どこか安心する面もあった。

 今回は全編を通じて狩手結良ちゃんに主軸が置かれていた訳だが、私はその昔「狩手結良ちゃん」と言う登場人物に対して、自分が思う彼女の心情や行動原理、それに「私自身が持つ彼女に対する想い」をこのブログにてありったけ書き出した事がある。もう2年と半年以上前の事にはなるが、改めて振り返ってみた所、流石に文章構成力は我ながら「今見ると拙い部分が非常に多い」*4と思わざるを得ないものだったが、書き出している内容は非常に重厚で、正直「昔の自分の方が分析力に長けていたんじゃあないのか?」と思う程だった。流石にそれは冗談だが、あの頃の情熱が今見ても尋常じゃあなかった事は確かである。

 思い立つ様に振り返ってみて思ったのは、私自身当時から結良ちゃんのミステリアスな部分に注目しつつも、他方で今と殆ど変わらない視点をもって結良ちゃんの「秘めし内面」や「中々素直になれないしがらみや不器用さ」をアプローチしようとしていた事だった。これは私が当時抱いていた結良ちゃんに対する想いや感情が、今に至るまで一貫して続いている事を示唆していると捉えていて、私としても「ああ、私はあの頃から結良ちゃんの事をもっと知りたいと思っていたんだな......」と、何とも言えない感慨深さを覚えた。まぁ、そこの真相に触れるまでに2年と半年以上かかっている訳で、正直当時の自分が何を思っていたのか、今となってはもう忘れてしまった部分も多いが、こうして昔抱いていた感情を思い起こし、2年と半年以上越しにその時思った事が実を結ぶ時が来るとは。本当に全くもって有難い事だし、喜ばしい事でもある。

百合との思いがけぬ遭遇

 「アネモネは熱を帯びる」と言う、まんがタイムきららフォワードにて連載されている王道学生百合マンガを手に取った事をきっかけに、私が「百合」に急速に魅せられて早1年と2ヶ月程度になる。今となっては毎月の様に百合マンガを購入しては、そこに描かれている百合を堪能すると言うのが半ばルーティンとなり、そこでは百合マンガとほぼ同時期に魅せられて、単行本を続々大人買いしていた「ジョジョの奇妙な冒険シリーズ」にて「人間が持つ美しさ、気高さ」や「人間ドラマの魅力」そして「最後まで決して諦めない、自分が倒れても後の者にその遺志を託す」等々が描かれていた事にいたく感銘を受けた影響もあり、百合マンガに対してもそういった「どんなに過酷な運命だろうと、決して折れない諦めない美しく気高き意志」「お互いがお互いの事を真剣に想い合っているのがしみじみ伝わってくる『百合』」等々を凄く好む様になった。ただ、それ故「破滅的で残酷な運命」や「世の不条理」と言った要素と向き合わなければならない機会も圧倒的に多く、時にはあまりの不条理さに憤りが隠し切れなかったり、どこまでも決して味方なんかしないし、一片の慈悲さえもない運命の残酷さに打ちのめされたりする事も少なくないが、今となっては「それも承知の上」である。

 そんな感じで今や私の読むマンガにおいては最早外せない存在となった「百合」だが、今回終盤にて描かれていた、眠っている結良ちゃんに対して幼馴染である理世ちゃんが、普段は言わない結良ちゃんに対する率直な本音と素直な想い、それに結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる回している所を見て、咄嗟に「これは百合なのでは!?」と思わずにはいられなかった。冷静に考えてみてみれば、あの場面は百合だとしてもライトな百合だし、こんな事を書くと若干語弊があるかもしれないが、事実として私自身普段からもっと距離感の近い百合は当たり前の様に観ているので、なまじそこまで驚く事でも無かった気がしない訳でも無いが、私はその一連の流れに対して「百合」だと思ったのは紛れもなき事実なのだ。

 今回結良ちゃんと理世ちゃんとのやり取りの中で、私がここまで「これは百合だ!」と思ったのは、直接的なきっかけは「理世ちゃんが幼馴染である結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる回していた事」だが、それ以上に「お互いがお互いの事を想い合っていると解る構図」「幼馴染故の『特別な関係性』が見え隠れしていた」のが大きかったのだろう。百合と言うからには、やっぱり何かしらの特別さを求めてしまいたくなるものだし、それはなにも「幼馴染」じゃあなくても、例えば「一目惚れした側とされた側」とか「相手の好意に触れる内に自分も好意を抱く様になり、両想いの関係性になった」とか、他にも「色んな壁を乗り越えて掴み取った唯一無二の関係性」もあるだろうし、挙げ続けたらキリが無い位だが、今回「幼馴染」と言う関係性が、その「特別な関係性」と合致していた事もあって、私の目に「これは百合の雰囲気である」と刷り込ませた。本当に疑ってやまない感覚があった。

 その様な感覚に派生する形で、私自身「リゼユラ2人の『百合の雰囲気』はどんなのだろうか?」と思い立ってもいる。この2人の場合、前提として「幼馴染」なので、お互いの事は良く知っている仲柄であるのは想像に難くなく、実際に遠慮しない関係性であるのは今月号の描写からも明白である。ただ、その一方で「2人共素直な気持ちを出すのが恥ずかしい」と言う照れ屋気質な所がある為、雰囲気としては恐らく「お互いに『素直になれない感情』が交錯し合うツンデレ百合」と言った所になるだろうか。実際の所どうなるかは見てみないと分からないが、満更でもないのは多分間違いないと思う。

 ただ、1つ怖いのが理世ちゃんも結良ちゃんも「お互いに素直になれない」のが災いして「お互いがお互いを想う気持ちが双方共にうまく伝わり切らず、結果的に最悪な方向性へ擦れ違ってしまう事」であり、私としても「まさかそんな事にはならないよねぇ。ここは『ごちうさ』なんだから」とは思っているが、そんな展開になって「思わず目を背けたくなる程の残酷な展開」を見た事は、これまで何度もあるので、警戒心を完全にゼロにする事はできない。我ながら、なんと哀しいサガを持ってしまったのかとも思うが、これも「あらゆる経験を積んだ事による一種の代償」と思えば割り切れはする。人生経験を積んでいく過程を鑑みれば、ある程度はやっぱり「仕方ないと思うしかない」のである。

 実はこの様な思想が、私が「この世の中には『知らない方が幸せに生きられる事』の1つや2つはある」と言う考えを持つ要因でもあるのだが、こんな思想を持っても幸せには生きられているので、どんな思想も考え次第と言った所か。或いは、私が単に根が明るく楽観的な性格故か。世の中「なんでも楽観的にいれば済む訳なんてない」のは既に解っているが、それでも「悲観的なのも楽観的なのも、自分が『どう捉えるか』に大きく左右されている面もある」のを思えば、私はじゃあ楽観的で捉えたい。ちょっとでも前を向ける可能性が広がるなら、その方が絶対に良いからとなる訳であって......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はミステリアスな部分を多分に持つ狩手結良ちゃんが主軸となる物語であり、物語の回しもメタ視点を意識したり、結良ちゃんの本質に迫る内容だったりと、冒頭だけを見ると先の読めない、どうなるか分からないサスペンスチックで異質な雰囲気を漂わせている。しかし、実際の所はシュール且つコメディチックな展開が大半を占めると言った所であり、時々に受け手をビビらせる様な展開もあるにはあるものの、結良ちゃんの立ち振る舞いを知っている者からすればそれも「想定内」と言えばそうなので、初見時は「どう思えば良いのか良く分からん......」とならざるを得なかった。まぁ、これは完全に私がミスリードをやらかしたが故に起こった現象なので、普通に読めばこうはならなかったんだろうが......。

 今回は中盤までがミステリアスな結良ちゃんが持つ意外な素性の探求、終盤ではリゼユラ2人が持っているであろう百合の雰囲気の考察と、場面によって書く内容の振れ幅がかなり大きいが、別に狙ってやった訳でも無く、本当に「書きたい事を書いていたらこうなった」と言った感じである。あと、後半からの局面では多少なりとも自分の気持ちを率直に書き出そうと意識していたので、手法として抒情的(叙情的)な感情を乗せながら書こうと思い立ったが、実際にやってみると確かに普段と比べて幾分軟化した面こそあるものの、全体的にはそれでも硬派な雰囲気がベースにあったと見ている。意地でも「ガチガチな構成にしてやる!」と意気込んでいる訳でも無いのに、こうなってしまうのは宿命故か......。

 私の中で結良ちゃんのイメージは、以前からトリックスターと言うのも存在していて、今月号にて青山さんがその様な事を言った時、私としても「やっぱりそんな感じだよねー」と思った。ただ、トリックスターがもたらすイメージが「飄然した態度から放たれる、ミステリアスで底の知れない行動原理」とするなら、青山さんも十分トリックスターとしての条件を満たしている訳であり、ともすれば「これは既存の『トリックスター』が新たなる『トリックスター』を認定した瞬間なのでは!?」とも思えてきた。そして、それが妙に「怖い」と思うのは私だけだろうか......。

 抑々トリックスターは、登場するだけで物語が変幻自在に引っ掻き回されるだけでなく、トリックスターとされる人物も「行動原理が分からず、何をするか全く分からない」が通説だし、おまけに人間は「未知のもの、実態が把握できないものに限りなき恐怖を抱く傾向」がある生き物なので、1人いるだけでもそのインパクトは絶大なのに、今回それが2人もいる訳で、そうなれば一体どうなるのか。考えただけでも末恐ろしいから「怖い」と思うのである......。こんな事を最後の一幕で書いても仕方ない気もするが、何れにしても2人の「トリックスター」がそろい踏みした今回のごちうさは、その筋ではかなりヤバい回でもあったと思う。単に「私がこう思うだけの事でしかない」だろうが。

 こんな感じで、今回も自由気ままにごちうさの感想・考察を綴ったが、まさか2年以上連続して毎月の様に書き続ける事が出来ているとは、書き始めた当初は想像していなかった。根に情熱的なものが確かにあっても、その「情熱」を焚き付けるまでに「どこか気だるい」と思ってしまう私にしては良く出来ていると思うが、これは「始めるまでが気だるげ」な一方で「軌道にさえ乗れば後は只管続けたいと思う」と言う、所謂気分屋的で調子のいい感情があるからだと思う。別に私は普段気分屋の性分でも無いし、ましてや調子のいい奴でもないのだが、こと自分の趣味分野となると、そんな傾向が見え隠れするなんて、本当人間って分からないなぁと我ながら思う。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ33枚分であり、記述にかかった時間は、きらま発売日を「1日目」と換算すると「8日分」である。ただ、今月はきらまを読んでから、このブログ記事を記述し始めるまでに若干タイムラグがあり、それを勘案すると「6日分」となる。何れにしても、今回は若干筆が遅かった節があるが、これは色々とやるべき事があったからである。

*1:名前が解る前は、肩書きをとって「吹き矢部長」等と呼ばれていた。しかしながら、名前が判明した後も周りから名前で呼ばれる事は少なく、結良ちゃんに起こった事象に絡めた呼ばれ方をするケースが圧倒的に多い。

*2:尤も、これはごちうさだけでなく、多くの日常系作品に対して言える事でもあるし、日常系以外のジャンルでもまた然り。

*3:余談だが「それは」より後のセリフ回しは、ジョジョPart1「ファントムブラッド」(Phantom Blood)の主人公「ジョナサン・ジョースター」が、後に1世紀以上にわたってジョースター家にとっては運命の宿敵となり、ジョナサンにとっては「青春」を共に過ごし、最期には奇妙な友情を抱く事にもなる「ディオ・ブランドー」(Part3「スターダストクルセイダース」≪Stardust Crusaders≫以降では「DIO」)を、とある事をきっかけとして問い詰めた際に発した台詞を意識している。

*4:こう思えるのも、私が昔と比べてちょっとは成長した証と言えるだろう。

きらま2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。今回からは注意書きを除いて初っ端から「~だ・~である」調の常体での記述とさせて頂く。よく考えてみれば、最初だけ「~です・~ます」の敬体で、途中から常体のみだなんて、書体として不揃いだし、「最初だけ」と言うのも、ハッキリ言えば「不揃いである事の言い訳」でしかないので、敬体と常体では書くニュアンスが全然違う事も相まって、ここで常体に統一する事にした所存である。

 今回は最初から重い話を書き出していくので注意してほしい。最近も私は例によって百合マンガを中心に読んでおり、先月末も当然の事の様に百合マンガを購入したのだが、その購入したマンガと言うのは、前から度々書き出していた、ゆあま先生の「君と綴るうたかた」(既刊5巻)と、あおのなち先生の「きみが死ぬまで恋をしたい」(既刊6巻)と言う2作品である。先に書いておくが、この2作品共に「私自身の意思」で手に取っており、前者はコミック百合姫で観た時の衝撃が忘れられなかった事」から、後者は「百合マンガを探している時、その強烈なタイトルに目を奪われ、何時かは手に取りたいと思っていた事」がきっかけだった。

 そうして購入した2作品だが、別に隠してもしょうがないから正直に言わせて欲しい。2作品共に読む前から既に読むのがすっごく怖かったのだ。と言うのも、タイトルや表紙から既に「作品が持つ雰囲気が概ね想像できたから」で、その想像から導き出された内容を思えば、とても普通の心意気で立ち向かうことなどできなかった。この時私は「嗚呼、己の心情に嘘は付けないんだ......。」と、この時の私が恐怖によって完全に打ち震えていた事を如実に示す様な事を思い浮かべている。だが実際には、その時感じた恐怖の予想なんぞ、あまりにも甘い事この上ないものだったとしか思えない。恐らくはあの時の自分に「油断」もあったのだろうが、正直言ってどんだけ苛烈なる恐怖を予想しようとも、圧倒的な世界観の前では全くもって無力だったとしか言いようがない。つまりは「恐怖に打ちのめされる運命から逃れる術なんぞ、初めから無かった」と言う事で、手に取った時点で後述するような事態になるのは最早必須の運命だったのであろう。

 そして、実際に読んでみればその予感は的中するどころか、私の想像を更に超える凄まじい世界観が待っており、きみつづの方ではその衝撃的且つ悲愴的な展開に打ちのめされつつも、事前に雑誌で読んでいた事もあってなんとか耐えていたが、初見だったきみ死ぬの方は最早どうにもならなかった。どちらのマンガも、とにかく心苦しくなる展開がしんどく、きみ死ぬに至っては正にハードボイルドを地でいく展開が山の様にあったので、己が持つマンガの価値観はおろか、己が持つ死生観でさえ変えてしまいかねない感触に、私はただ只管に圧倒されるしかなかった。とにかく苦しかった。己だけが持つ、何か強い考えを持たなければならない事も解っていたのだが、それさえも全然持てなかった。否、そういう考えを持っても、あっけなく崩れそうになるまで追い込まれいたと言う方が正しいだろう。極限の状況では、普段はどれ程屈強なる考えを持っていたとしても、それがあっけなく崩れる事は大いにあり得る事なのだから......。

 あまりに壮絶な展開に対して「もし逃げても許されると言われたら、私は多分逃げ出してしまうんだろうな......。」と思った程で、それに対しては「逃げてどうする。この手の事は一度踏み出したら、もう後には引けないと言う覚悟さえも持たなけばならなかった筈だ。弱さはあっても良いが、ここで逃げるのは違うんじゃあないのか。と、己を鼓舞する形で何とか乗り切ったが、普段からシリアス展開にも比較的耐性があり、怯えても前に進めるだけの気概をも併せ持っている私にとっては、この2作品によって受けたショックは大きく、読み終わった後もこの2作品の事を考えると、途端にちょっとナーバスな気持ちになる程で、今でも正直複雑な気持ちが蠢いている。尤も、シリアス耐性があると言ってもそれは「衝撃を受けた後の立ち直りが早い」と言う意味で、断じて「何があっても動じない」と言う意味ではなく、寧ろ衝撃自体には比較的脆い側面もあるのだが......。

 でも、きみつづにしろきみ死ぬにしろ、これだけは言える。それは「どんなに恐怖に打ちのめされようとも、どんなに心情がぐちゃぐちゃになろうと、読んだ事を後悔する事は絶対にしない」と言う事。本当にこれだけは譲れないし、周りから何を言われようと、曲げるつもりは一切ない。きみつづもきみ死ぬも、過酷な展開を含むマンガである事に違いはないが、同時に「過酷な環境だからこそ輝く矜持」「何があっても決して折れ切らない心の強さ、諦めの悪さ」がもの凄く印象に残るし、何より「相手の事を何があろうと想い続ける」と言う、百合作品としても凄くキーポイントとなる「真剣な想いを、真剣な恋の気持ちを、どんな運命が待っていようと大切にする」と言う所に心惹かれる。それを思えば、ちょっとやそっとの事で折れ切る訳にはいかないとなるし、どんな事があっても「己が決めた意思は最後まで大切にしよう」と心から思える。

 ここまで中々にヘビーな内容を書き出したが、何故この様な事を書き出したかと言えば、最近になって更にその熱意を高めている「百合」と言うものに対して、これ程衝撃を受けた百合マンガの事を書かない訳にはいかなかったからである。勿論、敢えてこの場では語らない選択肢もあったのだが、私としては1人の百合好きとして、これ程感銘を受けた百合マンガの事を書かない選択肢を採るのはあまりに酷な事だと思った為、ここで書き綴ったのである。これが正解かどうかは私にも分からない。だが、自分にとって一番後悔しない選択肢だったのは間違いない。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。ここまで百合マンガに対する真剣な想いを綴ってきたが、ごちうさに対しても最近では熱意こそ全盛期に比べれば幾分少なくなってきたとは言え、その真剣な想いに関しては変わらずであり、その真剣な想いの最たる例として、今に至るまで書き続けているこの感想・考察ブログ記事でもあったりする。尤も、何時まで書き続けられるかなんて分からないと言うのが正直な所だが、余程逼迫しない限りはどんなに時間が掛かっててでも書き続けていくつもりである。

 

※注意※

最新話及び原作11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は多少なりともえぐみある内容を含むかもしれないので、そこもご注意ください。実際に書いていると、中々にえげつない一面をのぞかせたものとなりましたので......。

1.はじめに

 今回のお話はこれまで続いてきた文化祭直後の局面にあたり、主たる舞台はラビットハウスである。そこでは普段の日常と何ら変わらないやり取りを窺う事ができ、智乃ちゃんの様子が何時もと若干違う事以外には、何やら特段変わった事は無い様に思えてくる。しかし、今回のお話は序盤の中程から中盤にかけて、何やら心愛ちゃんが特殊な世界に迷い込む場面があり、ここの場面は明らかにテーマ性、雰囲気共にシリアスな方向へと深化している為、この時点で「今回は普通の日常回では無かった」と気付かされる。また、セリフ回しも全体的に「シンプルに受け取れば普通だが、ひとたび見方を変えると違う意味が浮かんでくる上、意味深長な雰囲気さえ感じ取れる」と言う内容のものが多く、その意味では「時の経過による人当たりの変化」を窺う事もできるが、何れにしても今回のお話は「二面性を持つ場面が多い」と言え、油断すると思わぬ角度から飛んでくる展開によってダメージを受けかねない。尤も、ダメージは受けるとは言ってもガチでえぐい展開を含むマンガに比べたら全然マシではあるのだが......。

 今回の扉絵は、おとぎ話(恐らく不思議の国のアリス)に出てくる様な雰囲気をモチーフにした心愛ちゃんが鏡の上で寝そべっていると言うものであり、これだけなら至って普通に見える。しかし、この扉絵では普通とは違う要素があり、それは「鏡に映る姿が、心愛ちゃんをそのまま映すミラーになっていない*1であり、ホラー系統では最早お約束とも言える「直後に待ち構えるおぞましい展開への布石」*2ともなっている事から、不気味な雰囲気は拭い切れない。まぁ、ごちうさではそんなおぞましい事にはならないだろうと思っていたら、まさか今月号でホラー作品程の恐怖ではないにしても、それに近いホラーテイストの展開を観る事になるとは、この扉絵からは想像だにしていなかったのは言うまでもない......。

 今月号は「昔と何ら変わらない日常のやり取り」「人なら誰もが持つ『人には簡単には言い出せない過去』の追想と言う二面性が特徴的であり、かたや懐かしい感触を感じる一方、かたや「人には言えない秘密を抱える事とは」と言う非常に難しい問題さえも考えさせてくる構図になっている。尤も、後者は「私ならそう思う」と言うだけの事ではあるのだが、個人的な主観を抜きにしても、今回の展開はただでは済まされない重厚な展開だと考えており、それは「今の智乃ちゃんからは想像だに出来ない程の過去」にある。ただ、智乃ちゃんの過去に関しては「初期の頃から現在に至るまでのごちうさを読んでいる人なら自ずと知る事」である為、内容自体は想像に難くないものではある。では、それを踏まえても尚ただでは済まされないとなるのは「その様な展開をストレートに描く事が、ごちうさではそこまで多くない寧ろ少ないから」であり、ここに来てストレートに描写された事実そのものも加味している。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は二面性を持つ物語と称している様に、場面によってテイストが大きく異なり、それに伴い己が感じる質感も全然違う事から、題目によって書く振り幅がかなり大きくなる事が予想されるので、どうか気を付けて欲しい。

変わりないやり取り漂うラビットハウス

 最初は今月号全体の骨子を成す「ラビットハウスにおける数々のやり取り」について書き出したい。今月号は全編にわたってラビットハウスが舞台となっており、特に序盤と終盤にかけてが、ごちうさ初期及び近年のごちうさどちらにも存在する「日常的な雰囲気」を色濃く体現している。

   まずは前者から記述する。前者はごちうさ初期からあるノリそのものであり、構図としては心愛ちゃんが振り回し役兼ボケ役、智乃ちゃんがそんな心愛ちゃんに振り回されるクールなツッコミ役、理世ちゃんがそんな2人を見守りつつも基本ツッコミ役*3となるのが基本となっている。今や「ラビットハウス3姉妹」と言われる事もある程仲が良い3人だが、そのノリは結構独特であり、若干ながらも人を選ぶ節はあるとは思う。観ている分には面白いが。

 そんなラビットハウス3姉妹だが、今回も例に漏れず「心愛ちゃんが智乃ちゃんの機嫌を損ねてしまったのか?!」と言う導入が用いられており、実際には全くもってそんな事はなかった(本当に心愛ちゃんの責任に帰さない事だった)とは言え、この手の導入が用いられる事に何の違和感も持たないのは、それだけ心愛ちゃんが何かと智乃ちゃんの機嫌を損ねたり、思わず呆れさせたりしてしまう様な事をこれまで再三にわたってやってきてしまっている証左とも言える。実際、この事に対して理世ちゃんも全くもって手慣れた感がもの凄く表れている態度を見せており、ある意味で最早「日常の一部」と化している事が窺える。また、私としても最初の頃はこの様なやり取りに対して「智乃ちゃんももうちょっとお手柔らかに......。」とか「心愛ちゃんももうちょっとしっかりした方が良いのでは?」とか思った事もあるが、今となっては特段変わった事は何も感じておらず、私とて理世ちゃんと同じ様に「いつもと変わらない事だ。」と思う様になった事を思い知らされている。

 尚、今回の理世ちゃんは心愛ちゃんに対して地味ながらも耳の痛くなる発言を飛ばしているが、私としては理世ちゃんの性格的にサバサバしたストレートな物言いが多い印象があったので、まさかやんわりとしつつ、ちょっとした毒を含む発言を飛ばすなんて「理世ちゃんもそういう事を言うんだな。」と思った。まぁ、理世ちゃんとて昔馴染みの結良ちゃんに対しては結構容赦ない毒味ある言葉を飛ばす事は少なくないので、私が気付かなかっただけの事も十分あるだろうし、心愛ちゃんにしても終盤智乃ちゃんの心情の真相を見抜けなかったのにもかかわらず、心愛ちゃんをしれっと攻撃する様な事を言った理世ちゃんに対して、心愛ちゃんも正にそのまま「ブーメラン」の如く、理世ちゃんめがけて毒のある一言を投げ返しているので、たまにはこういう事もやっているんだろうなぁとは思わなくもない。この様な事が出来るのも信頼関係があってこそなので、これもある意味「お互い気の知れた仲である事を示す事例」ともなるのかもしれない。無論、普段からお互い毒を含む言葉の応酬に明け暮れる心愛ちゃんと理世ちゃんを見たいかと言われれば、私はそれだけは絶対に見たくないと言わせてもらうが......。

 ここから後半範囲を記述する。後半のラビットハウスでは先の文化祭にて心愛ちゃんが披露したもちもちパンを求めて、ブラバ組と青山さんがラビットハウスに押し掛けると言う展開が描かれており、そこでは冬優ちゃんを除いて心愛ちゃんが作るもちもちパンの完全なる虜になっている事が窺える。流石は心愛ちゃんと言った所だが、ここに至るまでは多くの努力と苦労があった事が予想される中、心愛ちゃんはその事を全然表立って出さず、常にパン作りと言うものに真剣に向き合い続けている側面をも窺えるので、色んな意味でストイックな心愛ちゃんが凄いと思う所でもある。

 また、後半では中盤の展開を踏まえた展開もあり、ここだけを見ると何でもない日常的なやり取りの範疇に収まっている節はある。しかしながら、ひとたび中盤の展開を鑑みると、ハッキリ言って「これを何でもない日常的な範疇で済ませるのは些か無理がある。」と思わざるを得ず、深読みすればするほど何もかもが意味深長な展開を含むものに見えてきてしまう。尤も、改めて読み返してみれば、意味深長な雰囲気はそれほど感じなくなってきているが、少なくともサラっと受け流せる程易しい展開ではないとは思う。

ラビットハウスに秘められた過去

 次に今月号中盤の展開である「過去のラビットハウスでの出来事」について書き出したい。今月号中盤においては、鏡の前で何気なくおとぎ話に登場する呪文に準えた言葉を発した所、突然鏡が呼応して心愛ちゃんが昔のラビットハウスに迷い込むと言う展開があり、この様な展開は終盤にて「白昼夢」と称されているが、白昼夢と言うにはあまりにも内容がリアル過ぎる為、私は「この一連の出来事を白昼夢と言うには些か無理がある」と考えている。しかしながら、世の中一般の普遍的な概念で説明するなら、その白昼夢と言うのが最も適格である事も否定しない。何が言いたいのかと言えば、今回起こった事は「既存の概念では説明し難い事なのではないのか」と言う事であり、大元からし現実的な概念を超越したものだと捉えている。

 じゃあこれは一体何なのかと言われれば、それはあまりにも非科学的な事にはなるが、恐らくは「何らかの超常現象(魔法が一番有力か?)によって引き起こされた、時間さえも超えた観測」だと考えている。正直自分でも「そんな事が果たして起こり得るのか?」と考えているし、心のどこかではその様な現象を信じ切っていない自分がいるのも事実である。だが今回起こった出来事は、夢か現実かは分からないにしても、心愛ちゃんの身に降りかかった出来事であるのは紛れもない事実なのだ。これに関しては、一連の描写を見れば、どんなに信じ難いと言っても一旦はそう受け取るしかない。だって、仮に否定しようとしても、その否定するに足り得るだけの根拠もないのだから......。

 そして、今回は描かれた内容そのものにもかなり重いものが含まれている。今回心愛ちゃんが突然迷い込んだ時間軸で広がっていたのは、物語開始当初よりも昔のラビットハウスであり、そこには当時のマスターであった智乃ちゃんのおじいちゃんと、幼少期よりも大きく、恐らく中学生時代よりは幼い智乃ちゃん2人と、智乃ちゃんに抱きかかえられたティッピーがいたのである。この時点で心愛ちゃんが迷い込んだ時間軸が「智乃ちゃんのおじいちゃんがティッピーに乗り移る前、つまり存命時のラビットハウス」である事が解り、もっと平たく言えば「過去のラビットハウス」に来訪した事が読み解ける。

 そこでは主に智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとのやり取りが描かれているのだが、話のやり取り以上に気になるのは「智乃ちゃんが非常に暗い事」であり、物語開始当初のクールでやや素っ気ない雰囲気だった時とも違う、明らかに「何か哀しい事を抱えている様相」を漂わせているのである。この哀しい事と言うのは恐らく......、というか確実に「智乃ちゃんのお母さんであるサキさんが、智乃ちゃんがまだ幼くして亡くなってしまった事」だと考えられ、おじいちゃんの前では「寂しくない」とは言っていても、心の奥底では「寂しい」と言う感情が募っている事は、過去へと来訪した心愛ちゃんが間近で観た「暗い雰囲気を帯びていた智乃ちゃん」を見れば火を見るよりも明らかである。

 ただ、同時にこの時の智乃ちゃんは、おじいちゃんとの会話や時間を何よりも楽しそうにしていると言う一面をも見せており、これはそのまま智乃ちゃんが如何におじいちゃんっ子であったかを示す傍ら、智乃ちゃんにとっておじいちゃんと言う存在がどれ程大きかったのかも示している。これを思えば「智乃ちゃんのおじいちゃんの魂は何故ティッピーに乗り移ったのか」の理由が、また一つ理解させられるし、ティッピーからおじいちゃんがいなくなった後に、智乃ちゃんがどの様な心境に陥っていたのか、それが彼女にとってどれ程衝撃的な事であり、どれ程決心していてもなお簡単には受け止め切れない程の哀しき事実であったのか。読み手としても改めて思い知らされるものがある。

 他方で心愛ちゃんに関してだが、ある意味当然と言えば当然だが、彼女は当初何故この様な事態になったがよく理解できず、そそっかしい一面も相まって意図せず狼藉を働いてしまう場面もある。だが、途中から何が起こっているかに気付き始め、元の世界に戻る直前には、遂に嘗てのティッピーから発せられていた声の主が、智乃ちゃんのおじいちゃんであった事に勘付いた様子も見せており、その真意については物語の構成上、分からず仕舞いではあったものの、心愛ちゃんはこれまでもティッピーの正体について何か勘付いているような素振りを見せていた事から、私としては「心愛ちゃんは多分、ティッピーの声の正体に気付いたであろう。そしてそれは、例え確信を持ったものでは無かったとしても、時間を経るにつれてきっと自分の中で『そうとしか思えない』と言う確固たる意志になり得る。」と考えている。ただ、心愛ちゃんが直面した「過去を知った経緯」に対しては、私としてもただならぬ想いがあるのだが、それは後に記すとしよう。

 尚、終盤にて智乃ちゃんとしても、文化祭以来心愛ちゃんに対して機嫌を損ねているように心愛ちゃんから受け取られてしまっていた事を知り、智乃ちゃんからきちんと謝罪する局面があるのだが、その際に心愛ちゃんは今月号中盤で目撃した事を踏まえた発言を送っている。無論、智乃ちゃんは心愛ちゃんが何を見てきたのかを知らない為、智乃ちゃんとしては良く分からなかっただろうし、実際そういう反応を見せていたが、これは「もう嘗ての様に智乃ちゃんが暗くなる様な事にはならない」と言う意味だと考えている。無論、それを智乃ちゃん本人が理解しているかどうかが一番重要なのは言うまでもないが......。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は場面によって受けた感情と言うもののふり幅が非常に大きく、故に嘗ての様な真っ直ぐな想いは正直全然抱けていないのだが、その代わりとして今回はかなり真面目且つ真剣な想いを馳せており*4、テーマ性・雰囲気共にシリアスな方向性へと深化する事も多くなったごちうさに対して、状況に応じたスタンスを柔軟にとる様にしている。そうでもしなければ今頃こんな事は出来ていない。

軽快さと重厚感漂う雰囲気

 まずは今月号全体の印象について書き出したい。今月号は先月まで続いていた「文化祭」と言うフェーズから遂に場面が完全に切り替わっており、文化祭の余韻を残すくだりもあるにはあるものの、基本的には文化祭後のストーリーとなる。その様な局面だけにあって、どの舞台でどの様な展開が繰り広げられるのかは気になる所だが、今回は全編にわたってラビットハウスが舞台となっており、さながら原点回帰色が漂う。内容もラビットハウス3姉妹が魅せる、昔と何ら変わらないくだりがあったり、先の文化祭で披露した心愛ちゃんのもちもちパン目当てにラビットハウスに押し掛ける面々がいたりと、所謂「日常的なやり取り」を思わせるものが主体で、ここだけを見るなら普通の日常回の様に感じられる。

 しかし、今月号中盤にて描かれる過去のラビットハウスでの出来事については、それまでの雰囲気から一変して暗い哀しみを帯びており、今回のお話が普通の日常回では無かったと思うには十分すぎる程の衝撃がある。また、今回の過去世界の描写は、心愛ちゃんが鏡に対して何気なく言葉を発した事がトリガーとなっているのだが、その際鏡の向こう側の心愛ちゃんが、無表情のままただ只管に現実の心愛ちゃんを一点に見つめていたと言う局面があり、これはこれで不気味且つ不穏なものを感じてやまない。過去世界編においても、年端もいかない内からおじいちゃんの為に尽力しようとする健気な強さを見せる智乃ちゃんや、智乃ちゃんとおじいちゃんの仲睦まじさが解るやり取り等、哀しみ一辺倒では断じてなかった事も解るのだが、いかんせん智乃ちゃんの過去に関わる事は、これまでのごちうさでもここまでガッツリ描かれた事は早々無かった為、そういった「衝撃」の方が強く印象に残っている節はある。

 この様な事から、今回のお話は一見すると普通の日常回に見えるが、ひとたび踏み込むと、人なら誰しも1つや2つは抱えているであろう「例え家族や家族同然の人が相手であっても言い出しにくい過去」に直面すると言う「二面性」があると捉えている。それ故今回のお話も近年のごちうさの例に漏れず、テーマ性や雰囲気がシリアスな方向性へと深化しており、深く捉えれば捉える程、深化していくテーマ性のドツボにハマっていき、やがて抜け出そうにも抜け出せなくなると言う事態にもなりかねない。実際にはここまで深刻な事態にはまずならないとは思われるが、油断していると本当にドツボにハマりかねない為、ある程度は気を付けた方が良いだろう。

過去を知りし心愛ちゃん

 最後に今月号中盤にて、鏡から過去のラビットハウスへと迷い込んだ心愛ちゃんが知った事について私が思った事を書き出したい。前述した様に、今月号中盤にて心愛ちゃんはふとした事から過去のラビットハウスの時間軸へと誘われ、そこで彼女は過去の智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんの関係性及びやり取りを直接目撃しただけでなく、真相は不明ながらも嘗ての銀河鉄道回の青山さんの時と同じ様に、心愛ちゃんもティッピーの声の主の正体が智乃ちゃんのお爺ちゃんであった事に気付いた節を見せていた。これだけでも中々に衝撃的な事だが、それで私が真っ先に思った事は「心愛ちゃんはラビットハウスに込められた過去を......、これまで触れられなかった『秘密』を知ったんだ。この事は、彼女は人には決して容易には言い出せない『秘密』を抱えた事を意味しているのではないのか。」と言うものだった。

 何故「秘密がどうのこうの......」と言う様な事を咄嗟に思ったのか。それはティッピーの声の主がおじいちゃんである事は、これまでごちうさの世界の中では徹底的に秘匿されていた事と、智乃ちゃん自身自分の過去を積極的に語る性格ではない事から、心愛ちゃんとしても今回明かされた「秘密」をこれまで知らなかった、と言うより知る由がなかった可能性が高かったと、私の中で想定された為である。そんな中で、今回心愛ちゃんは過去のラビットハウスにまつわる出来事に触れ、そこで過去の智乃ちゃんがどういう状態になっていたのか。智乃ちゃんのおじいちゃんが、自分の孫である智乃ちゃんに対してどれ程の想いを抱いていたのかを知った。そして、これは確証を得ているかどうかまでは分からないが、腹話術だと思っていたティッピーの声が、実は智乃ちゃんのお爺ちゃんではなかったのかと言う事に気付いた節を見せた。これらは正に「心愛ちゃんがラビットハウスにまつわる『秘密』を知った事に他ならない事案」であり、そしてそれは同時に「例え家族同然の人や親友であっても、簡単には言い出せない『秘密』を抱えた事にも他ならない」事から、私は思わず「秘密」との向き合い方に関する考えに囚われてしまったのである。

 先に書いておくが、これは「心愛ちゃん自身が考えてどうにかするべき事」であり、私ができる事と言えば、言ってしまうと「心愛ちゃんの決断を信じて見守る事」しかない。しかしながら、物語の根幹にも関わる「秘密」を知った心愛ちゃんを前にして、私としても黙っている事などできる訳も無く、どこまでいっても自分が持つ論理の展望にしかならない事も承知の上で、今回心愛ちゃんが知った「秘密」との向き合い方に関するあれこれを考えている。尚、今月号終盤にて、心愛ちゃんが中盤にて起こった出来事そのものは「白昼夢」として智乃ちゃん達にも共有されているが、そこで何が起こったかについての詳細を話している様子は「今月号の展開を観る限りは」描かれていないので、恐らくは今回心愛ちゃんが知った「秘密」は言及されていないものとする。

 私が思うに今回知った「秘密」との向き合い方は、1つ目は「誰1人にも『秘密』を知った事実を言わず、正に『秘密』を保持する事」、2つ目は「同年代の親友や家族同然の人に対して『秘密』を明かす事」、そして3つ目はタカヒロさんや青山さんと言った『大人』に対してだけ『秘密』を明かす事」の3つがあると考えている。前提として、これは「絶対的な正解は存在しない」ものであり、どの選択肢を選ぶにしても、その道を選ぶ勇気と覚悟は絶対に要るし、選んだ後は「その道を選んだ事を後悔してはいけない」と言う強い精神力が必要になる。

 1つ目の選択肢を選んだ場合、「その事実は何があっても、誰にも打ち明ける事は許されない」と言う重荷を背負う事になるので、その心の負担は並大抵のものでは無い。2つ目の選択肢は、この中では一番打ち明ける範囲が広いので、打ち明けるにはかなりの勇気がいるが、一度打ち明けてしまえば、信頼出来る仲間や家族同然の人と『秘密』を共有でき、心の負担はずっと軽くなると言う利点がある。3つ目の選択肢は、大人に打ち明ける事になる事から、同年代若しくは下の年代には相談しにくい事や、打ち明けにくい事でも相談したり、打ち明けたりする事の出来る可能性はある。但し「打ち明けた後」にどうなるかが読み辛く、考え方によっては「同時に同年代の人達にも打ち明けた方が良い」と諭される事もあるし、抑々事例によっては「大人相手だからこそ打ち明けられない」と言う難しさもあるので、ある意味では一番難しい選択肢とも言えなくはない。

 これらを踏まえた上で、私がもし心愛ちゃんと同じ様な形で過去のラビットハウスでの出来事を目撃し、且つ「ティッピーの声の主がおじいちゃんである事実が、この過去の出来事に触れるまで結び付かなかった」と言う前提*5があるとするなら、私は1つ目の「誰にも『秘密』を打ち明けずに保持し続ける」と言う選択肢を採る。何故なら、この様な事実は打ち明けるにしても、一体誰から話せばいいのかと言った順番の問題や、抑々打ち明けられた相手は一体何を思うのか。それを推し量るだけでも相当な困難を伴うのは想像に難くないし、ましてや当事者たる智乃ちゃんからしてみれば「どうやってその事実を知ったのですか?!」となるのはほぼ確実だし、もっと言えばティッピー周りの真実が白日の下に曝される事で、今まで腹話術と思っていたもの*6が、実は全然違うものだったと言う事実を目の当たりにした際の反応がどの様なものになるのか。それらを鑑みると、打ち明けるで生じるであろうリスクがあまりにも多過ぎる上に、リスク自体も高過ぎるのは想像に難くない事で、それを思えば、打ち明ける選択肢は、私にはとても取れないのだ......。

 なのでこれは正直「何でも打ち明ける姿勢は時に人を、人との関係性に大きく傷を付ける事もある。世の中には『分かった上で敢えて語らない』と言う選択肢が必要になる事もあるんだ......!」と言う考えの下、自分の中でその『秘密』を保持するべきだと私は思わざるを得ない。この考えに関しては、自分でも客観的に見て本当に正しいのかと言われれば、それは正直に「客観的に正しいかは分からない。」と言う。何が正しいかなんて、もし初めから分かっているならここまで苦悩しないし、ここまで真剣に悩む事もないだろう。しかしながら、分からないからこそ真剣に考えなければならないと思うし、分からないからこそ「自分が採るべき道を自分で掴み取る事が大切」なのだとも考えている。世の中「絶対的な正解がない中で選択を迫られる場面」なんて、成長するにつれて山の様に直面するし、どんなに苦しい中でもその「選択⇒決断」をしなければならない局面は多い。それを思えば、例え決断後にどれ程厳しい結果を背負う事になったとしても、己の意思なきまま時の流れに身を流されてしまう位なら、確かなる己の意思をもって突き進む方が私は良いと思う。

 繰り返しにはなるが、ここまでの事は「私ならこの様にする」と言うだけに過ぎず、この事態に対して何かする事が出来るのは、今回鏡から引き込まれてた過去のラビットハウスを唯一体感した心愛ちゃんその人だけである。先も言った通り、一読者に過ぎない私はその心愛ちゃんの選択を信じて見守る事しかできず、それはどう足掻いたって変わらない。でもだからこそ、心愛ちゃんひいては心愛ちゃん達を信じたい。これからどんなに過酷な運命が待っていようと、力を合わせて、支え合ってきっと乗り越えていくであろう彼女達の道筋を......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は直近の文化祭後のフェーズにあたるお話であり、全体的な舞台もラビットハウスとなっている。その為極普通の日常的な雰囲気を覗かせる局面も多いが、一方で中盤にはふとしたことから心愛ちゃん1人だけが過去のラビットハウスの時間軸に誘われ、そこで嘗ての智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとの関係性を目撃したり、その上で終盤の展開を踏まえると、何気ない発言が何やら意味深長なものに見えてきたりと、どう考えても普通の日常の空気感にはまず存在しないであろう要素もあり、全体的に物語に何かしらの「二面性」がある様に感じる。

 今回は昔と変わりない日常の雰囲気に着眼したと言うより、時を経る毎に雰囲気・テーマ性共にシリアスな方向性へと深化しゆく部分に着目した節が非常に強くあり、それは題目で言う所の「過去を知りし心愛ちゃん」で顕著に表れている。またこの題目を抜きにしても、今回は全体的に重厚な内容を書き出した部分が多く、結果的に文化祭篇の時の感想・考察記事よりも内容が遥かにえげつなくなっている。さながら私が昔書いていた、今や懐かしき「きららファンタジアメインシナリオ第2部『断ち切られし絆』」の感想・考察ブログ記事に匹敵する程のえげつない内容だとも我ながら思う所はあるが、今回の記事はそれらの記事に比べればまだマイルドにはなっている。ごちうさの感想・考察ブログ記事としてはかなり尖った内容が含まっている事には変わりないが。

 また、今まで通り今月もごちうさ以外のきらま作品も沢山堪能しており、今月で特に印象的だったのは先月で「次号最終回」と書かれていた、相崎うたう先生の「瑠東さんには敵いません!」(既刊2巻、完結巻となる3巻も発売予定との事)と言う作品で、先月号では最後の最後に衝撃的な事実が判明し、最終回となる今月号ではその衝撃的な事実から物語が始まるので、一体どうなるのかと言う不安があった。ところが実際に読み始めてみると、最初こそ重苦しい感触を抱く悲痛な展開があったものの、和村ちゃんが瑠東さんの為に思い切って今自分が持っている、瑠東さんに対する気持ちを伝えると決心してからは、一転して光り輝く2人の人間物語が映し出されはじめ、最終的にはお互いの気持ちを確かめ合い、その関係性はより一層深いものになったと言う、正に美しき集大成を魅せつけてくれたのである。勿論、完結した事に寂しさはあるし、きらまの中でも結構好きだった作品なので尚更そうではある。でも、一方で「完結をこの目で見届ける事が出来た」と言う事で胸がいっぱいにもなるし、物語自体は終わるとは言っても、瑠東さん達の日常は終わらない事を鑑みるなら、完結と言う事実も前向きに受け止められるものである。

 今回は最近のごちうさ感想・考察ブログ記事の中でも内容が特に重厚なものになった上、今回からはド頭から基本的に文面を常体書きに変えた事で、最初から最後まで硬派な内容となった。ただ、今回はいつも以上に真剣なる想いをもって書き出した所存であり、特に「過去を知りし心愛ちゃん」では、最近の記事の中ではかなりガチな方の展望を記したつもりである。それ故、私としても「今回はちょっとハードな内容となったなぁ......。」とは思っているが、それも真剣な想い故である事は改めて書いておきたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ37枚分である。今回はここ最近のブログ記事の中でも特に文量が多くなり、内容もかなり重厚となったが、書き始めた時には、まさかここまでになるとは正直思ってもみなかった。恐るべきは己に秘められし熱意と言った所か......。

*1:要は「鏡の中に映し出されているものが違う」という事。

*2:一番ベタだと思うのは「鏡の中から得体のしれない怪物が襲ってくる」だが、他にも「鏡の中へと引き摺り込まれ、そのまま閉じ込められる」と言ったものも思い浮かぶ。何れにしても、観た瞬間背筋が凍る様な恐怖が襲い掛かってくるものであり、ホラーにおいてはそれが面白味でもある。

*3:但し、何かのはずみに心愛ちゃんと一緒になって調子に乗る事も少なくなく、そこを心愛ちゃん共々智乃ちゃんに咎められた事もある。

*4:尤も、この手の記事を書く時にはいつも真面目に向き合う様には意識しているが。

*5:この様な前提を設けるのは、読者としては「ティッピーの声の主が智乃ちゃんのおじいちゃん」である事は最早周知の事実であるが、心愛ちゃん達からすればその様な事実を基本的に知る由がなかった為。

*6:但し、腹話術と言い切るには些か怪しい場面も少なくなかったが。

きらま2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。複数のマンガ雑誌を毎月キッチリ読んでいくのがすっかり板についた今日この頃ですが、それによって昔に比べて作品愛が随分と変遷したと思っています。例に挙げると、昔はほぼごちうさ一辺倒だったのが、今やジョジョの奇妙な冒険を筆頭に、様々な作品を愛する様になったと言った具合です。まぁ、今月ではそれ故ちょっと予想だにしない事態も発生してはいるのですが、それは後程。

 また、最近でも百合マンガに対する興味関心は依然強く、機会があれば新しいマンガを買う事はしょっちゅうです。ただ、手に取るマンガの傾向が傾向なので、ある心意気を持たなければならないと自分の中で定める事もあるのですが、それは「読むからには、壮絶、衝撃、シリアス等々、これら何れかの展開が来てもちゃんと受け止める事ができる様に、強い意思で読まなければならない。」と思う事。と言うのも、そうしないと咄嗟に刺激の強い展開が到来した際、予想だにしなかった事態故に、心に突き刺さり過ぎて、作品を読む余裕が一気になくなるだけでなく、その後回復する時間も必要以上にかかってしまうと言う事態になりかねないからです。

 現に今月の「まんがタイムきらら」を読んだ際、最初の方は割と楽しく読み進められていたのですが、前述した心意気が足りなかったばっかりに、心の深淵まで突き刺してくる様な、深くもシリアスな雰囲気を持ったお話と出逢った際、予想だにしなかった展開が故に結構大きめなショックを受け、その後作品を読む際の心意気が一気に変わったと言う事態が起こりました。これに関しては、予測が足りなかった私が完全に悪いのですが、それ故に前述の心意気に幾らかの説得力が加わる訳なのです。本当、心意気が持てている状態でシリアス展開に直面した場合と、心意気が不十分な状態でシリアス展開に直面した場合とでは、心に受けるショックの度合いが全然違ってくるので、事前に持てる覚悟があるのなら、それは持っておきたいんです。そうしなければ、今頃これ程のマンガは読めていません。

 ただ、その様な心意気をしっかり準備していたとしても、自分の予想を遥かに超える壮絶な展開と直面した際は、もろにショックを受けてしまう事もあります。過去にはコミック百合姫にて掲載されていた、まにお先生の「きたない君がいちばんかわいい」(全5巻)と言うマンガにて、最終巻である5巻を読んでいた際、その1巻分を読み切る前から、想像を遥かに超えるショックを受けて、感情が一気に抑えられなくなって十数分号泣してしまい、中々先の展開を読み進める事ができなくなり、それを乗り越えても、最後まで読み切ったら読み切ったで、そのあまりにも悲愴的な結末に再び号泣してしまう事もありました。本当に、あの時ほど「泣き叫ぶ」と言う表現がこれ程的確な事も無かったです。

 それ以外にも、コミック百合姫にて掲載されている、ゆあま先生の「君と綴るうたかた」(既刊5巻)と言うマンガを、私が雑誌にて初めて読んだ際に、深い哀しみを感じずにはいられなかった展開に対して、思わず半泣き状態になるまで心が痛んだ事もあります。因みにどちらも「深い哀しみと悲愴感に堪え切れなくなった号泣」なので、その時の涙は今でも心に深く刻まれています。今後、年を重ねてその時の記憶がどんどん薄れていっても、あの時味わった感覚を完全に忘れる事は恐らく無いでしょう。

 色々書きましたが、シリアス展開に対して自分なりの心意気を持つのも、その心意気さえも越える展開に思わぬショックを受けても尚、その様な展開を内包するマンガを読み続けるのも、ひとえに「マンガと言うものをこよなく愛しているから。」でありまして、これらは云わば「私が持つマンガに対する美学の1つ」なんです。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していきたいと思います。今回は遂に心愛ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられており、一連の文化祭の流れの大トリを飾るに相応しい展開と言えます。尤も、私としては前半のハチャメチャ感漂う展開を見て思わず「訳が分かんないよ......。」となってしまいましたが、中盤~後半の展開はとても分かり易く、皆の友情と一連の文化祭の流れが非常に美しく描かれていたので、そこは安心しました。

 

※注意※

最新話及び原作11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は文化祭本番の大トリとも言うべき立ち位置にあり、満を持して心愛ちゃん達のクラスの出し物がお見えになる。先々月では戦々恐々じみた雰囲気さえ感じさせる、個性溢れるお化け屋敷の千夜ちゃん達のクラスの出し物、先月では基本と言うものに忠実に沿った世界観が展開されていた、智乃ちゃん達のクラスの出し物だった訳だが、今回の心愛ちゃん達のクラスの出し物は、屋台とフリーステージの組み合わせと言う、これまでとは一線を画した造りになっている。心愛ちゃん自身がフリーステージに出演している為、主軸はフリーステージの方にはなっているが、組み合わせ自体は中々面白い。

 今回の扉絵は、沢山の背景画に囲まれた中にココチノ2人がそれぞれ頭を寄せ合って、それぞれポージングをとっていると言うものである。ただ、正直に書くと、今回の扉絵は「ココチノ2人の仲睦まじい雰囲気を感じる。」というもの以上に、どの様に捉える事が可能なのか。それが全く形として実を結ばず、故にここから一体何を思えば良いのか、私の理解力、発想力では最早形付ける事が出来なかったと言うのが、今回の扉絵を繰り返し拝見した上での切な本音となってしまった。まぁ、強いて言うなら心愛ちゃんから「手品師」みたく雰囲気を感じると言えばそうだが、それもそこから先が上手く思い浮かばないので、結局は同じ事である。何とも煮え切らない結果に終わっているが、分からなかったものは分からなかったものなので、どうか勘弁してほしい所である......。

 今月号は前半と後半で展開のノリが大きく異なっており、前半は先月号終盤で、心愛ちゃんと智乃ちゃんがそれぞれ文化祭にて使う帽子を、学校に行く前に慌てて用意していた事が原因となって、間違えてお互いがお互いの使うべき帽子を逆に持って来てしまった*1事に起因する、木組みの街の住人達が次々に出演していくと言うドタバタ展開が続く寸劇、後半はフリーステージを終えて、改めて文化祭を楽しんでいく傍ら、皆々の友情と結束を確かめ合う展開となっており、ここでは「日常の中の特別な日」と言わんばかりの世界観に溢れており、正に文化祭本番の大トリを飾るに相応しいと言える。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は物語の前半と後半でテイストが異なっている為、その意味では区分けして書きやすいとは言えるが、前半の項目に関しては、どの様にして捉えていけば良いのか分からなかったと言う現実があった。だが、人間とは不思議なもので、見方や考え方を変えると、案外スッと新しい見解が掴める事もあるものである。

変遷激しき展開と確かな友情

 最初は今月号前半にて存在感を発揮していた「心愛ちゃん達のクラスのフリーステージ」について書き出したい。このフリーステージと言うのは、そのまま心愛ちゃん達のクラスの出し物と同義であり、題目としては今月号からも先月号からも読み解ける様に、心愛ちゃんが何かしらの手品を披露すると言うものであった事は間違いない。ただ、前述した様に心愛ちゃんが本来使う筈の帽子を間違えて智乃ちゃんが持って来てしまったと言うトラブル故、題目を変更せざるを得なくなった事で編み出されたのが、今回の文化祭における土台作品「不思議の国のアリス」の場面を抽出して行う参加型劇場と言う訳である。尤も、元々の題目でも参加型だった可能性は十分にあるが、確かめようがないので何とも言えない。なのでこれ以上この事について詮索する気は基本無い。

 この咄嗟に編み出された参加型劇場に関してだが、時間がない中で編み出したものにしてはかなりクオリティが高く、ブラッシュアップすればそれだけでも1つの完成されたステージとして成立するのではないかと思う程。ただ、途中から木組みの街の住人達が次々に舞台上に出演しては、何とかその場を持たせられる様に寸劇を披露し続けると言う、正に「先の読めないハチャメチャ展開」が舞台上を支配する様になり、初見で見た際には正直「何が何やらさっぱり分からないよ......。」となってしまっている。ただ、後から思い返してみれば、この様な寸劇を行った根底には「友達の危機を何とかしたい!」と言う友達想いな気持ちがあったが故なのは明白であり、それを思えば、今回の寸劇は展開自体は突拍子もないかもしれないが、見方を変えれば何かあっても皆で手助けし合って乗り越えていくと言う、友情の固さ、尊さが表れていたとも言えるのかもしれない。何でこういう事に初見で気付かないの......、とならなくもないが、一度凝り固まってしまうと、バイアスがかかってしまうが為に時間を空けなければ見えない事も多いし、抑々そういった事に初見で気付く事自体簡単ではないのだが。

 そして、この前半部分において最も印象的なのは心愛ちゃんの機転の利かせぶりの上手さである。元々心愛ちゃんは大抵の事なら何でも前向きな方向性に持っていけると言うポジティブさが強みであり、今までもそれを活かして幾度となく窮地やピンチを楽しい事や、前向きに歩んで行ける事に塗り替えてきた訳だが、今回ではその機転の利かせぶりが神がかっており、智乃ちゃんの杞憂を一挙に吹き飛ばしただけでなく、咄嗟に編み出された参加型劇場を最高の形で花開かせたのである。もうこれだけでも歓喜ものだが、ここに至るまでは心愛ちゃんの日々の努力と、友達の窮地を救おうと尽力した木組みの街の住人達の活動があったからで、もしどれか一つでも欠けていれば、きっと今回の様な成功をお目にかかる事は叶わなかったと考えている。それを思えば、これは紛う事無き「皆で創り上げた一つのセカイ」と言うのだろう。本当、初見時に「訳が分からない......。」と言っていた自分が情けなくなってくるが、同時にごちうさに対する熱意は未だ滾るものがしっかりとある事にも気付いているので、私の熱意もまだまだ捨てたもんじゃあないともなっている。

 余談だが、心愛ちゃんが咄嗟の機転が利くと言う事で、私はジョジョPart2「戦闘潮流」(Battle Tendency)の主人公にして、機転の利いた策略や相手の意表を突く頭脳戦を得意とし、先読みの才覚をも持つジョセフ・ジョースターを思い浮かべている。ジョセフを思い浮かべたのは言わずもがな、私がジョジョ好きだからなのもあるし、機転を利かせぶりと来れば、歴代ジョジョの中でも一際ジョセフのイメージが強かったのもある。因みにジョセフはPart3「スターダストクルセイダース」(Stardust Crusaders)及び、Part4「ダイヤモンドは砕けない」(Diamond is Unbreakable)にも登場しており、そちらでは年を重ねて老年の域に入っているが、機転の利きぶりと、気高き黄金の精神は若い頃(Part2の時)から変わっていない。尚、Part8「ジョジョリオン」(JoJolion)にも、ジョセフ(仗世文)・ジョースターは登場しているが、こちらは別世界(つまり別人)のジョセフである。

特別な日常にて光り輝く世界観

 次は今月号後半にて大きなインパクトを残していった「文化祭を通じて光り輝いたもの」について書き出したい。今月号後半においては、フリーステージ後~文化祭終了後の一幕と言う構成になっており、ここでは普段の日常と何ら変わらないやり取りを覗かせる局面があったり、文化祭と言う特別な場だからこそ出来る「あったかもしれない日常」等、全体的に近年のごちうさに多い構図がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれている。その為、長期にわたってごちうさを読み続けている人にとっては「最早見慣れつつある光景」と言えばそう*2なのだが、例えそうなったとしても、何時見てもその様な世界観が持つ美しさに感銘を受けるのには変わりはないと言うのだから凄い。

 ここで光り輝いていたものと言うのは、やはり文化祭には欠かせないとも言える「あったかもしれない日常」もそうだし、他にも先月の回にて、智乃ちゃんの為に一肌脱ぐ活躍を見せた神沙姉妹2人の功績を真正面から褒め称え、冬優ちゃん達の学校のクラスメイトに受け容れて貰えた事が代表例の「学校の違いを超えた繋がりの表れ」、心愛ちゃんを主導とした、ココチノ2人による手品披露から見える、心愛ちゃんの母親ちょこちゃんと、智乃ちゃんの母親サキさんの世代から、心愛ちゃんと智乃ちゃんの世代へと繋がっていく「世代を超えて受け継がれる繋がり」等々、正に「文化祭と言う場故に輝いたもの」と位置付けている。

 ただ、これらは基本的にこれまでの場面においてもこれとほぼ同等の輝きを示していた場面はあるし、神沙姉妹2人が冬優ちゃん達の学校でも明確に受け容れられたケースについても、それ自体は全くの初出だが、神沙姉妹2人は以前から心愛ちゃんや冬優ちゃんをはじめとした、かけがえのない仲間達にはちゃんと受け容れられていたので、今回光り輝いていたものと言うのは、見方を変えれば「それまで輝いてきたもの、輝きが花開いたものを再認識する時」と言う側面を持っているとも考えている。要するに「今回が全くの初めてと言う訳では無い」と言う事である。

 しかしながら、その様な輝きをこの特別な日常の場で再認識させて来ると言う事は、読み手の心のより深淵の部分にまで、その輝きを改めて届けていく役割さえ持つとも考えている。ただの掘り返しには決して留まらず、改めて輝きを放つからには、読み手の心に改めて刻み込める何かを込める。そして、その輝きを見た時、改めてこの作品が持つ真髄に気付く事が出来るなら、今回の再認識には大きな意味がある。後半のごちうさのお話の雰囲気からは、そんな力さえ感じてならないのだ。尤も、何だか良く分からない事を書き連ねていると思われるかもしれないが、単純に「『輝きの再認識』と言う過程は、輝かしい場面を形を変えて繰り返し描く事で、その輝きが如何に凄いかを認識させる役割があると捉えている」と言う事を、訳の分からない風に説明していると思ってくれても全く構わないし、抑々論として、鍵括弧の説明でさえ結局は難解なものになってしまっているので、どう思われてもある程度は仕方ないと受け入れるしかないのだ。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は前半部分が初見時理解不能となってしまい、後半部分は心に沁みたものの、全体的に初見時は「私の熱意も変遷の時なのかも知れない......。」と、ごちうさ好きからきらら好きへと変貌したが故の悩みにストレートにぶち当たりもしたが、冷静になって考えてみると、あれだけ訳が分からなかった前半部分も、いとも簡単に理解の糸口を掴めたので、最終的には自信を取り戻している。私とて伊達にごちうさを雑誌で3年、単行本で5年も読んではいないのである。

1つの集大成を見せ付けた文化祭篇

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号はここ最近のごちうさの流れとして存在していた「文化祭」の集大成となる回であり、ここで文化祭と言う名のフェーズは一区切りを迎えた事になる。今回は満を持して心愛ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられており、全体的な構成は先月の時と同様、前半にてクラスの出し物がお披露目、後半にて文化祭には最早欠かせないとも言える「あったかもしれない日常」を体現する場面が幾つも登場すると言うものである。そして、今回の後半部分は、ごちうさと言う世界が持つ輝かしい友情や結束、そして世代を超えて受け継がれる意思や想いがより色濃く表れているのが特徴的であり、文化祭の集大成を彩るには正にうってつけと思う他ない。

 今回は前半部分がとにかくハチャメチャな展開だと言う印象が強く、何度も言う様に初見時は、説明もそこそこに矢継ぎ早に展開が切り替わる様(さま)に、思わず「理解が追い付かない......。」と首をかしげてしまった。ただ、後から考えてみれば、あれは友達の危機に対して、自分がどうにかしてあげたいと言う優しき意思の表れでもあり、あのドタバタ展開はその意思に付き従った結果とも言える為、初見時はマジで混乱してしまったが、後から思えば「実際に形となった寸劇がどうであれ、あれは友達を想う優しき心に溢れた局面だったのだ。」と、混乱している最中には絶対思い付かなかったであろう見識を立てている。正直、これが本当に正しい見解なのか、理論的にしっかりと説明できる見解なのか。自分でも100%の自信は無いのだが、自分で「納得」*3出来るなら己の見識としてはそれでも良いのかと思っている。これぞ「主観的な意見」の典型例であるが、もとよりそのつもりで書いているので、どうか割り切って欲しい。

 後半部分に関しては、近年のごちうさでは定跡となりつつある心温まる展開があり、皆から認められる美しき展開があり、そして世代を超えて受け継がれていく想いがありと、非常に分かり易い展開になっていたのが印象的である。また、展開上心の深淵まで突き刺さる様な内容になっているとも特徴的であり、前半部分は訳の分からないとなってしまっていた初見時でも、後半部分の深淵まで突き刺してくる内容は普通に理解できたし、何よりここでもごちうさが大切にしている雰囲気をこれでもかと見せ付けてくれたのが良かったのである。

止めどない日常の日々

 最後に文化祭後に描かれていたココ千夜2人ひいてはそこに加わったチノフユ2人のやり取りから感じた「止めどなき日常」に対して思った事を書き出したい。ここで書き出す事は、云わば「当たり前の様に続いていく日常」に対して思う事を書き出す事になる為、作中に直接関係のある内容を書く訳でも無いが、ごちうさひいては日常を歩んでいく事に関連はしているので、どうかその辺りは見逃してほしい。

 文化祭最後にココ千夜2人は、文化祭後の片づけをおサボりする形*4で2人だけで駄弁っている様子が描かれている。そして、そこで話されている内容自体は、今回の文化祭の振り返りと言った内容にはなっているとは言え、その内容を見て「あぁ、きっとこの2人は今後もずっと仲良しの関係性であり続けるんだな。」と思っている。また、その後やって来たココチノ2人のやり取りをプラスして見た所、ココ千夜2人だけでなく、この木組みの街の住人達全員が、文化祭の後も変わりない関係性を魅せ付けてくれるのだろうと認識している。本当、やり取りとしては他愛のないものなのだが、それ故に輝かしい日常がこの先も続いていくと予見できると言うか。そういう所が良いと思う所存なのである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はここ数回にわたって描かれてきた文化祭篇の集大成であり、前回の智乃ちゃん達のクラスの出し物の流れを踏襲した「前半⇒出し物、後半⇒あったかもしれない日常」を更に強化した構成になっている。そして、結果的に1羽ずつ割く形で千夜ちゃん達のクラス、チノフユ2人達のクラス、心愛ちゃん達のクラスの、それぞれの出し物がお披露目されていたので、その意味でも非常に満足のいく文化祭の内容だったと認識している。

 今回は今でこそ非常に印象深い回として捉えているが、初めて読んだ時は誇張抜きで前半部分のドタバタ展開の訳が全くもって分からず、それをして「私のごちうさの熱意にもそろそろ果てが見えてきたかな......。」と、一時的なものであっても、内容を理解できなかった事実から、自分の熱意の強さに対して諦観的な発想を張り巡らせる状況までに発展している。ただ、初見で内容を全て理解できない事は何も珍しい事では無いし、寧ろ「初見では理解不能」と呼ばれる展開も、世の中には割と普通に存在している。もっと言うと「内容を理解できないから熱意が無い」と言う事自体、今考えてみれば「それはあまりにも因果関係の繋げ方が無理矢理過ぎるんじゃあないのか?」と、我ながらそういう理論が「過程と結果」の精査をすっ飛ばした、言ってしまえば机上の空論の域を出ないものである事を思えば、何もそこまでナーバスになる必要性はどこにもなかった訳である。事実、今では改めて理解が進んだ事もあるが、この様な危機はほどなくして回避しており、心配は要らない。

 それよりも色々と衝撃的だったのは「今月のきらまそのものに対して」である。と言うのも、今月のきらま掲載作品の中で話の雰囲気が一気にシリアスな方向性に深化した作品があったからで、最初に書き出した「ちょっと予想だにしない事態が起こった」と言うのは、この事を指している。その作品と言うのは、相崎うたう先生の「瑠東さんには敵いません!」(既刊2巻)という作品で、何がびっくりしたかって「それまでの雰囲気を根底からひっくり返しかねない衝撃事実が判明した事」であり、それをして「一体どうなってしまうんだよ......。」と、思わずショックを受けたのである。尚、瑠東さんは「次号最終回」と言う、これまた衝撃的な情報もあったのだが、当の私は終盤で明かされた衝撃事実に心が持っていかれてしまった為、正直最終回と言う事実にたじろぐ余裕すら無かった。なので最初は驚く程冷静だったが、時間が経つにつれてやはり寂しさが込み上げてきたものである。

 でも、この瑠東さんと言う作品に対しても「衝撃的な事実が明らかになろうと、最終回を迎えようとも、私は絶対に逃げ出しはしない!」と言う、一種の覚悟を私は既に決めている。勿論、私としても結構好きなマンガだったが故に、最終回を迎える事、その最終回で衝撃的な事実が明らかになる事に対しては、不安もショックもあるが、私がどれ程たじろごうと、私がどれ程ショックを受けようとも、現実にやって来る事実は変えられない事を思えば、私にできる事は「自分の進むべき道に向けて覚悟を持つ事」となる訳であり、それで上記の様な決心を持つに至ったのである。

 そして、この一件をもって私の中で決心が付いた事がもう一つあり、それは先月の記事にて書き出していた「雑誌を読む際の心意気」に対し、まんがタイムきららMAXにしろ、きらまと発売日が近いコミック百合姫ウルトラジャンプにしろ、私が読んでいる全ての雑誌にしろ、何を読むにしても「しっかりとした心構えと強き意思を持つべきだ。」と言う事。先月の記事にて「『きらまだから』と油断していると、そのきらまでしんどい思いをする事になる」と自分自身でも懸念していたが、今月にて正にその懸念通りの事例に遭遇してしまった現実がある*5以上、しっかりとした覚悟と決心を持った方が良いのは自明の理であり、それ故に先月の記事にて言及していた心意気なるものを、今月号のこの場面においても適応した次第である。

 ここまで様々言及してきたが、今でもごちうさに対する熱意は決して潰えてはいない事、マンガを通じて色々考える事はあっても、マンガが好きだと言う気持ちは一貫している。これからも深化しゆくテーマ性に対して、時には驚愕したり、時にはショックに打ちのめされたりする事もあるだろうが、自分が好きになった世界観に対する拘りひいては熱意は、そう簡単には消え失せないと言う事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ26枚分である。今回はペースが早いのか遅いのか。いまいちピンと来ない感触だったが、客観的に見れば早い方だとは思う。ただ、書く内容にはかなり苦戦しており、題目によって文量の振れ幅が大きいのはその為。

*1:一方向だけ表すと、智乃ちゃんが心愛ちゃんが使う筈の帽子を持って来てしまったと言う事。逆もまた然り。

*2:主に私がそう思う事もあるだけとも言うが。

*3:この「納得」がとても重要で、何事にも己が「納得できるかどうか」に懸かっている事による。因みにこの見識はジョジョPart7「スティール・ボール・ラン」に登場する「ジャイロ・ツェペリ」の影響をもろに受けている。

*4:それをして「まずサボるのはどうなんだ?」と思う事もあるかもだが、作中でこれ以上深掘りされていない以上、外野からとやかく言っても仕方ない側面はあるだろう。

*5:ただ、先月の懸念では「百合姫ときらま、どっちを先に読むべきか」と言う前提があった上で論を展開していたので、厳密に言えば今回の事例は、100%正確に私が案じていた懸念事項が的中している訳では無いが、きらまを読んで思わぬショックを受けた事実には違いないので、今回しっかり取り上げるに至っている。