多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。複数のマンガ雑誌を毎月キッチリ読んでいくのがすっかり板についた今日この頃ですが、それによって昔に比べて作品愛が随分と変遷したと思っています。例に挙げると、昔はほぼごちうさ一辺倒だったのが、今やジョジョの奇妙な冒険を筆頭に、様々な作品を愛する様になったと言った具合です。まぁ、今月ではそれ故ちょっと予想だにしない事態も発生してはいるのですが、それは後程。

 また、最近でも百合マンガに対する興味関心は依然強く、機会があれば新しいマンガを買う事はしょっちゅうです。ただ、手に取るマンガの傾向が傾向なので、ある心意気を持たなければならないと自分の中で定める事もあるのですが、それは「読むからには、壮絶、衝撃、シリアス等々、これら何れかの展開が来てもちゃんと受け止める事ができる様に、強い意思で読まなければならない。」と思う事。と言うのも、そうしないと咄嗟に刺激の強い展開が到来した際、予想だにしなかった事態故に、心に突き刺さり過ぎて、作品を読む余裕が一気になくなるだけでなく、その後回復する時間も必要以上にかかってしまうと言う事態になりかねないからです。

 現に今月の「まんがタイムきらら」を読んだ際、最初の方は割と楽しく読み進められていたのですが、前述した心意気が足りなかったばっかりに、心の深淵まで突き刺してくる様な、深くもシリアスな雰囲気を持ったお話と出逢った際、予想だにしなかった展開が故に結構大きめなショックを受け、その後作品を読む際の心意気が一気に変わったと言う事態が起こりました。これに関しては、予測が足りなかった私が完全に悪いのですが、それ故に前述の心意気に幾らかの説得力が加わる訳なのです。本当、心意気が持てている状態でシリアス展開に直面した場合と、心意気が不十分な状態でシリアス展開に直面した場合とでは、心に受けるショックの度合いが全然違ってくるので、事前に持てる覚悟があるのなら、それは持っておきたいんです。そうしなければ、今頃これ程のマンガは読めていません。

 ただ、その様な心意気をしっかり準備していたとしても、自分の予想を遥かに超える壮絶な展開と直面した際は、もろにショックを受けてしまう事もあります。過去にはコミック百合姫にて掲載されていた、まにお先生の「きたない君がいちばんかわいい」(全5巻)と言うマンガにて、最終巻である5巻を読んでいた際、その1巻分を読み切る前から、想像を遥かに超えるショックを受けて、感情が一気に抑えられなくなって十数分号泣してしまい、中々先の展開を読み進める事ができなくなり、それを乗り越えても、最後まで読み切ったら読み切ったで、そのあまりにも悲愴的な結末に再び号泣してしまう事もありました。本当に、あの時ほど「泣き叫ぶ」と言う表現がこれ程的確な事も無かったです。

 それ以外にも、コミック百合姫にて掲載されている、ゆあま先生の「君と綴るうたかた」(既刊5巻)と言うマンガを、私が雑誌にて初めて読んだ際に、深い哀しみを感じずにはいられなかった展開に対して、思わず半泣き状態になるまで心が痛んだ事もあります。因みにどちらも「深い哀しみと悲愴感に堪え切れなくなった号泣」なので、その時の涙は今でも心に深く刻まれています。今後、年を重ねてその時の記憶がどんどん薄れていっても、あの時味わった感覚を完全に忘れる事は恐らく無いでしょう。

 色々書きましたが、シリアス展開に対して自分なりの心意気を持つのも、その心意気さえも越える展開に思わぬショックを受けても尚、その様な展開を内包するマンガを読み続けるのも、ひとえに「マンガと言うものをこよなく愛しているから。」でありまして、これらは云わば「私が持つマンガに対する美学の1つ」なんです。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していきたいと思います。今回は遂に心愛ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられており、一連の文化祭の流れの大トリを飾るに相応しい展開と言えます。尤も、私としては前半のハチャメチャ感漂う展開を見て思わず「訳が分かんないよ......。」となってしまいましたが、中盤~後半の展開はとても分かり易く、皆の友情と一連の文化祭の流れが非常に美しく描かれていたので、そこは安心しました。

 

※注意※

最新話及び原作11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は文化祭本番の大トリとも言うべき立ち位置にあり、満を持して心愛ちゃん達のクラスの出し物がお見えになる。先々月では戦々恐々じみた雰囲気さえ感じさせる、個性溢れるお化け屋敷の千夜ちゃん達のクラスの出し物、先月では基本と言うものに忠実に沿った世界観が展開されていた、智乃ちゃん達のクラスの出し物だった訳だが、今回の心愛ちゃん達のクラスの出し物は、屋台とフリーステージの組み合わせと言う、これまでとは一線を画した造りになっている。心愛ちゃん自身がフリーステージに出演している為、主軸はフリーステージの方にはなっているが、組み合わせ自体は中々面白い。

 今回の扉絵は、沢山の背景画に囲まれた中にココチノ2人がそれぞれ頭を寄せ合って、それぞれポージングをとっていると言うものである。ただ、正直に書くと、今回の扉絵は「ココチノ2人の仲睦まじい雰囲気を感じる。」というもの以上に、どの様に捉える事が可能なのか。それが全く形として実を結ばず、故にここから一体何を思えば良いのか、私の理解力、発想力では最早形付ける事が出来なかったと言うのが、今回の扉絵を繰り返し拝見した上での切な本音となってしまった。まぁ、強いて言うなら心愛ちゃんから「手品師」みたく雰囲気を感じると言えばそうだが、それもそこから先が上手く思い浮かばないので、結局は同じ事である。何とも煮え切らない結果に終わっているが、分からなかったものは分からなかったものなので、どうか勘弁してほしい所である......。

 今月号は前半と後半で展開のノリが大きく異なっており、前半は先月号終盤で、心愛ちゃんと智乃ちゃんがそれぞれ文化祭にて使う帽子を、学校に行く前に慌てて用意していた事が原因となって、間違えてお互いがお互いの使うべき帽子を逆に持って来てしまった*1事に起因する、木組みの街の住人達が次々に出演していくと言うドタバタ展開が続く寸劇、後半はフリーステージを終えて、改めて文化祭を楽しんでいく傍ら、皆々の友情と結束を確かめ合う展開となっており、ここでは「日常の中の特別な日」と言わんばかりの世界観に溢れており、正に文化祭本番の大トリを飾るに相応しいと言える。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は物語の前半と後半でテイストが異なっている為、その意味では区分けして書きやすいとは言えるが、前半の項目に関しては、どの様にして捉えていけば良いのか分からなかったと言う現実があった。だが、人間とは不思議なもので、見方や考え方を変えると、案外スッと新しい見解が掴める事もあるものである。

変遷激しき展開と確かな友情

 最初は今月号前半にて存在感を発揮していた「心愛ちゃん達のクラスのフリーステージ」について書き出したい。このフリーステージと言うのは、そのまま心愛ちゃん達のクラスの出し物と同義であり、題目としては今月号からも先月号からも読み解ける様に、心愛ちゃんが何かしらの手品を披露すると言うものであった事は間違いない。ただ、前述した様に心愛ちゃんが本来使う筈の帽子を間違えて智乃ちゃんが持って来てしまったと言うトラブル故、題目を変更せざるを得なくなった事で編み出されたのが、今回の文化祭における土台作品「不思議の国のアリス」の場面を抽出して行う参加型劇場と言う訳である。尤も、元々の題目でも参加型だった可能性は十分にあるが、確かめようがないので何とも言えない。なのでこれ以上この事について詮索する気は基本無い。

 この咄嗟に編み出された参加型劇場に関してだが、時間がない中で編み出したものにしてはかなりクオリティが高く、ブラッシュアップすればそれだけでも1つの完成されたステージとして成立するのではないかと思う程。ただ、途中から木組みの街の住人達が次々に舞台上に出演しては、何とかその場を持たせられる様に寸劇を披露し続けると言う、正に「先の読めないハチャメチャ展開」が舞台上を支配する様になり、初見で見た際には正直「何が何やらさっぱり分からないよ......。」となってしまっている。ただ、後から思い返してみれば、この様な寸劇を行った根底には「友達の危機を何とかしたい!」と言う友達想いな気持ちがあったが故なのは明白であり、それを思えば、今回の寸劇は展開自体は突拍子もないかもしれないが、見方を変えれば何かあっても皆で手助けし合って乗り越えていくと言う、友情の固さ、尊さが表れていたとも言えるのかもしれない。何でこういう事に初見で気付かないの......、とならなくもないが、一度凝り固まってしまうと、バイアスがかかってしまうが為に時間を空けなければ見えない事も多いし、抑々そういった事に初見で気付く事自体簡単ではないのだが。

 そして、この前半部分において最も印象的なのは心愛ちゃんの機転の利かせぶりの上手さである。元々心愛ちゃんは大抵の事なら何でも前向きな方向性に持っていけると言うポジティブさが強みであり、今までもそれを活かして幾度となく窮地やピンチを楽しい事や、前向きに歩んで行ける事に塗り替えてきた訳だが、今回ではその機転の利かせぶりが神がかっており、智乃ちゃんの杞憂を一挙に吹き飛ばしただけでなく、咄嗟に編み出された参加型劇場を最高の形で花開かせたのである。もうこれだけでも歓喜ものだが、ここに至るまでは心愛ちゃんの日々の努力と、友達の窮地を救おうと尽力した木組みの街の住人達の活動があったからで、もしどれか一つでも欠けていれば、きっと今回の様な成功をお目にかかる事は叶わなかったと考えている。それを思えば、これは紛う事無き「皆で創り上げた一つのセカイ」と言うのだろう。本当、初見時に「訳が分からない......。」と言っていた自分が情けなくなってくるが、同時にごちうさに対する熱意は未だ滾るものがしっかりとある事にも気付いているので、私の熱意もまだまだ捨てたもんじゃあないともなっている。

 余談だが、心愛ちゃんが咄嗟の機転が利くと言う事で、私はジョジョPart2「戦闘潮流」(Battle Tendency)の主人公にして、機転の利いた策略や相手の意表を突く頭脳戦を得意とし、先読みの才覚をも持つジョセフ・ジョースターを思い浮かべている。ジョセフを思い浮かべたのは言わずもがな、私がジョジョ好きだからなのもあるし、機転を利かせぶりと来れば、歴代ジョジョの中でも一際ジョセフのイメージが強かったのもある。因みにジョセフはPart3「スターダストクルセイダース」(Stardust Crusaders)及び、Part4「ダイヤモンドは砕けない」(Diamond is Unbreakable)にも登場しており、そちらでは年を重ねて老年の域に入っているが、機転の利きぶりと、気高き黄金の精神は若い頃(Part2の時)から変わっていない。尚、Part8「ジョジョリオン」(JoJolion)にも、ジョセフ(仗世文)・ジョースターは登場しているが、こちらは別世界(つまり別人)のジョセフである。

特別な日常にて光り輝く世界観

 次は今月号後半にて大きなインパクトを残していった「文化祭を通じて光り輝いたもの」について書き出したい。今月号後半においては、フリーステージ後~文化祭終了後の一幕と言う構成になっており、ここでは普段の日常と何ら変わらないやり取りを覗かせる局面があったり、文化祭と言う特別な場だからこそ出来る「あったかもしれない日常」等、全体的に近年のごちうさに多い構図がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれている。その為、長期にわたってごちうさを読み続けている人にとっては「最早見慣れつつある光景」と言えばそう*2なのだが、例えそうなったとしても、何時見てもその様な世界観が持つ美しさに感銘を受けるのには変わりはないと言うのだから凄い。

 ここで光り輝いていたものと言うのは、やはり文化祭には欠かせないとも言える「あったかもしれない日常」もそうだし、他にも先月の回にて、智乃ちゃんの為に一肌脱ぐ活躍を見せた神沙姉妹2人の功績を真正面から褒め称え、冬優ちゃん達の学校のクラスメイトに受け容れて貰えた事が代表例の「学校の違いを超えた繋がりの表れ」、心愛ちゃんを主導とした、ココチノ2人による手品披露から見える、心愛ちゃんの母親ちょこちゃんと、智乃ちゃんの母親サキさんの世代から、心愛ちゃんと智乃ちゃんの世代へと繋がっていく「世代を超えて受け継がれる繋がり」等々、正に「文化祭と言う場故に輝いたもの」と位置付けている。

 ただ、これらは基本的にこれまでの場面においてもこれとほぼ同等の輝きを示していた場面はあるし、神沙姉妹2人が冬優ちゃん達の学校でも明確に受け容れられたケースについても、それ自体は全くの初出だが、神沙姉妹2人は以前から心愛ちゃんや冬優ちゃんをはじめとした、かけがえのない仲間達にはちゃんと受け容れられていたので、今回光り輝いていたものと言うのは、見方を変えれば「それまで輝いてきたもの、輝きが花開いたものを再認識する時」と言う側面を持っているとも考えている。要するに「今回が全くの初めてと言う訳では無い」と言う事である。

 しかしながら、その様な輝きをこの特別な日常の場で再認識させて来ると言う事は、読み手の心のより深淵の部分にまで、その輝きを改めて届けていく役割さえ持つとも考えている。ただの掘り返しには決して留まらず、改めて輝きを放つからには、読み手の心に改めて刻み込める何かを込める。そして、その輝きを見た時、改めてこの作品が持つ真髄に気付く事が出来るなら、今回の再認識には大きな意味がある。後半のごちうさのお話の雰囲気からは、そんな力さえ感じてならないのだ。尤も、何だか良く分からない事を書き連ねていると思われるかもしれないが、単純に「『輝きの再認識』と言う過程は、輝かしい場面を形を変えて繰り返し描く事で、その輝きが如何に凄いかを認識させる役割があると捉えている」と言う事を、訳の分からない風に説明していると思ってくれても全く構わないし、抑々論として、鍵括弧の説明でさえ結局は難解なものになってしまっているので、どう思われてもある程度は仕方ないと受け入れるしかないのだ。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は前半部分が初見時理解不能となってしまい、後半部分は心に沁みたものの、全体的に初見時は「私の熱意も変遷の時なのかも知れない......。」と、ごちうさ好きからきらら好きへと変貌したが故の悩みにストレートにぶち当たりもしたが、冷静になって考えてみると、あれだけ訳が分からなかった前半部分も、いとも簡単に理解の糸口を掴めたので、最終的には自信を取り戻している。私とて伊達にごちうさを雑誌で3年、単行本で5年も読んではいないのである。

1つの集大成を見せ付けた文化祭篇

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号はここ最近のごちうさの流れとして存在していた「文化祭」の集大成となる回であり、ここで文化祭と言う名のフェーズは一区切りを迎えた事になる。今回は満を持して心愛ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられており、全体的な構成は先月の時と同様、前半にてクラスの出し物がお披露目、後半にて文化祭には最早欠かせないとも言える「あったかもしれない日常」を体現する場面が幾つも登場すると言うものである。そして、今回の後半部分は、ごちうさと言う世界が持つ輝かしい友情や結束、そして世代を超えて受け継がれる意思や想いがより色濃く表れているのが特徴的であり、文化祭の集大成を彩るには正にうってつけと思う他ない。

 今回は前半部分がとにかくハチャメチャな展開だと言う印象が強く、何度も言う様に初見時は、説明もそこそこに矢継ぎ早に展開が切り替わる様(さま)に、思わず「理解が追い付かない......。」と首をかしげてしまった。ただ、後から考えてみれば、あれは友達の危機に対して、自分がどうにかしてあげたいと言う優しき意思の表れでもあり、あのドタバタ展開はその意思に付き従った結果とも言える為、初見時はマジで混乱してしまったが、後から思えば「実際に形となった寸劇がどうであれ、あれは友達を想う優しき心に溢れた局面だったのだ。」と、混乱している最中には絶対思い付かなかったであろう見識を立てている。正直、これが本当に正しい見解なのか、理論的にしっかりと説明できる見解なのか。自分でも100%の自信は無いのだが、自分で「納得」*3出来るなら己の見識としてはそれでも良いのかと思っている。これぞ「主観的な意見」の典型例であるが、もとよりそのつもりで書いているので、どうか割り切って欲しい。

 後半部分に関しては、近年のごちうさでは定跡となりつつある心温まる展開があり、皆から認められる美しき展開があり、そして世代を超えて受け継がれていく想いがありと、非常に分かり易い展開になっていたのが印象的である。また、展開上心の深淵まで突き刺さる様な内容になっているとも特徴的であり、前半部分は訳の分からないとなってしまっていた初見時でも、後半部分の深淵まで突き刺してくる内容は普通に理解できたし、何よりここでもごちうさが大切にしている雰囲気をこれでもかと見せ付けてくれたのが良かったのである。

止めどない日常の日々

 最後に文化祭後に描かれていたココ千夜2人ひいてはそこに加わったチノフユ2人のやり取りから感じた「止めどなき日常」に対して思った事を書き出したい。ここで書き出す事は、云わば「当たり前の様に続いていく日常」に対して思う事を書き出す事になる為、作中に直接関係のある内容を書く訳でも無いが、ごちうさひいては日常を歩んでいく事に関連はしているので、どうかその辺りは見逃してほしい。

 文化祭最後にココ千夜2人は、文化祭後の片づけをおサボりする形*4で2人だけで駄弁っている様子が描かれている。そして、そこで話されている内容自体は、今回の文化祭の振り返りと言った内容にはなっているとは言え、その内容を見て「あぁ、きっとこの2人は今後もずっと仲良しの関係性であり続けるんだな。」と思っている。また、その後やって来たココチノ2人のやり取りをプラスして見た所、ココ千夜2人だけでなく、この木組みの街の住人達全員が、文化祭の後も変わりない関係性を魅せ付けてくれるのだろうと認識している。本当、やり取りとしては他愛のないものなのだが、それ故に輝かしい日常がこの先も続いていくと予見できると言うか。そういう所が良いと思う所存なのである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はここ数回にわたって描かれてきた文化祭篇の集大成であり、前回の智乃ちゃん達のクラスの出し物の流れを踏襲した「前半⇒出し物、後半⇒あったかもしれない日常」を更に強化した構成になっている。そして、結果的に1羽ずつ割く形で千夜ちゃん達のクラス、チノフユ2人達のクラス、心愛ちゃん達のクラスの、それぞれの出し物がお披露目されていたので、その意味でも非常に満足のいく文化祭の内容だったと認識している。

 今回は今でこそ非常に印象深い回として捉えているが、初めて読んだ時は誇張抜きで前半部分のドタバタ展開の訳が全くもって分からず、それをして「私のごちうさの熱意にもそろそろ果てが見えてきたかな......。」と、一時的なものであっても、内容を理解できなかった事実から、自分の熱意の強さに対して諦観的な発想を張り巡らせる状況までに発展している。ただ、初見で内容を全て理解できない事は何も珍しい事では無いし、寧ろ「初見では理解不能」と呼ばれる展開も、世の中には割と普通に存在している。もっと言うと「内容を理解できないから熱意が無い」と言う事自体、今考えてみれば「それはあまりにも因果関係の繋げ方が無理矢理過ぎるんじゃあないのか?」と、我ながらそういう理論が「過程と結果」の精査をすっ飛ばした、言ってしまえば机上の空論の域を出ないものである事を思えば、何もそこまでナーバスになる必要性はどこにもなかった訳である。事実、今では改めて理解が進んだ事もあるが、この様な危機はほどなくして回避しており、心配は要らない。

 それよりも色々と衝撃的だったのは「今月のきらまそのものに対して」である。と言うのも、今月のきらま掲載作品の中で話の雰囲気が一気にシリアスな方向性に深化した作品があったからで、最初に書き出した「ちょっと予想だにしない事態が起こった」と言うのは、この事を指している。その作品と言うのは、相崎うたう先生の「瑠東さんには敵いません!」(既刊2巻)という作品で、何がびっくりしたかって「それまでの雰囲気を根底からひっくり返しかねない衝撃事実が判明した事」であり、それをして「一体どうなってしまうんだよ......。」と、思わずショックを受けたのである。尚、瑠東さんは「次号最終回」と言う、これまた衝撃的な情報もあったのだが、当の私は終盤で明かされた衝撃事実に心が持っていかれてしまった為、正直最終回と言う事実にたじろぐ余裕すら無かった。なので最初は驚く程冷静だったが、時間が経つにつれてやはり寂しさが込み上げてきたものである。

 でも、この瑠東さんと言う作品に対しても「衝撃的な事実が明らかになろうと、最終回を迎えようとも、私は絶対に逃げ出しはしない!」と言う、一種の覚悟を私は既に決めている。勿論、私としても結構好きなマンガだったが故に、最終回を迎える事、その最終回で衝撃的な事実が明らかになる事に対しては、不安もショックもあるが、私がどれ程たじろごうと、私がどれ程ショックを受けようとも、現実にやって来る事実は変えられない事を思えば、私にできる事は「自分の進むべき道に向けて覚悟を持つ事」となる訳であり、それで上記の様な決心を持つに至ったのである。

 そして、この一件をもって私の中で決心が付いた事がもう一つあり、それは先月の記事にて書き出していた「雑誌を読む際の心意気」に対し、まんがタイムきららMAXにしろ、きらまと発売日が近いコミック百合姫ウルトラジャンプにしろ、私が読んでいる全ての雑誌にしろ、何を読むにしても「しっかりとした心構えと強き意思を持つべきだ。」と言う事。先月の記事にて「『きらまだから』と油断していると、そのきらまでしんどい思いをする事になる」と自分自身でも懸念していたが、今月にて正にその懸念通りの事例に遭遇してしまった現実がある*5以上、しっかりとした覚悟と決心を持った方が良いのは自明の理であり、それ故に先月の記事にて言及していた心意気なるものを、今月号のこの場面においても適応した次第である。

 ここまで様々言及してきたが、今でもごちうさに対する熱意は決して潰えてはいない事、マンガを通じて色々考える事はあっても、マンガが好きだと言う気持ちは一貫している。これからも深化しゆくテーマ性に対して、時には驚愕したり、時にはショックに打ちのめされたりする事もあるだろうが、自分が好きになった世界観に対する拘りひいては熱意は、そう簡単には消え失せないと言う事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ26枚分である。今回はペースが早いのか遅いのか。いまいちピンと来ない感触だったが、客観的に見れば早い方だとは思う。ただ、書く内容にはかなり苦戦しており、題目によって文量の振れ幅が大きいのはその為。

*1:一方向だけ表すと、智乃ちゃんが心愛ちゃんが使う筈の帽子を持って来てしまったと言う事。逆もまた然り。

*2:主に私がそう思う事もあるだけとも言うが。

*3:この「納得」がとても重要で、何事にも己が「納得できるかどうか」に懸かっている事による。因みにこの見識はジョジョPart7「スティール・ボール・ラン」に登場する「ジャイロ・ツェペリ」の影響をもろに受けている。

*4:それをして「まずサボるのはどうなんだ?」と思う事もあるかもだが、作中でこれ以上深掘りされていない以上、外野からとやかく言っても仕方ない側面はあるだろう。

*5:ただ、先月の懸念では「百合姫ときらま、どっちを先に読むべきか」と言う前提があった上で論を展開していたので、厳密に言えば今回の事例は、100%正確に私が案じていた懸念事項が的中している訳では無いが、きらまを読んで思わぬショックを受けた事実には違いないので、今回しっかり取り上げるに至っている。

きらま2023年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。気付けばきららMAX(以下、きらま)を購読し始めてから、今月で丁度3年が経っていました。3年前つまり2020年の8月、当時はまだごちうさに対して複雑な感情を持っていた状態から脱し切れてはいなかった頃で、そんな最中で「複雑な感情を解消する要因が、ごちうさの最新話を雑誌(きらま)で読む事にあるのではないか」と思った事が、きらまを購入する大きなきっかけでした。結果的に言えば、それは正に運命のターニングポイントとなり、以降ごちうさに対して複雑な感情を抱く事は無くなり、時に多少なりとも悩む事はあっても、己が培ったものに裏付けられた確かな意思を持つに至りました。

 そして、今となってはきらまだけでも多くの作品を嗜む様になり、きらま以外にもフォワード、キャラット、無印きらら、そしてコミック百合姫に、ウルトラジャンプもといジョジョの奇妙な冒険Part9(第9部)「The JOJOLands」と、きらま購読開始から3年の月日を経た現在、きらまを含めて6雑誌、作品数にして40作品前後を、毎月の様に購読すると言うのが恒例となりました。これに関しましては、私自身の趣味の1つであるクラシック音楽にて「それぞれの作曲家が紡ぐ世界観を堪能したい」と言う心意気があり、それをマンガに対しても適応したいと思っていた経緯があったので、今の状態は正に「私の理想を適えられている状態」なんです。

 因みに今でもクラシック音楽趣味は継続していて、最近ではまた嘗ての熱意が戻ってきてもいます。その中で最近のちょっとした楽しみとしているのは、ラジオとりわけFMにてクラシック音楽を流すと言う事。ラジオは凄く頻繁に聴取すると言う訳では無いのですが、何かと流す機会も結構あって、そんな時にクラシック音楽を聴取するのが楽しくて好きなんです。尚、別に「高尚な人に思われたいから」と言う理由で聴取しているのではありません。単に「好きだから」と言う理由で聴取しているのです。ただまぁクラシック音楽を聴いている事で、人から高尚に思われたら、それは普通に嬉しいでしょ?」と言われれば、それは図星なのですが......。人間やっぱり褒められたら嬉しいもんなんですよ。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していきたいと思います。今回は智乃ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられており、設定上戦慄に満ちた雰囲気だった前回とはうって変わって、雰囲気としては正に不思議の国のアリスを象徴するものになっていますが、今回は嘗て原作5巻における文化祭を思わせる、心温まる描写が度々あったので、かなり印象的なお話になっていたと思います。

 

※注意※

最新話及び原作11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は文化祭本番の続編と言う立ち位置にあたり、今回は智乃ちゃん達のクラスの出し物が主軸となっている。先月の千夜ちゃん達のクラスの出し物では、ホラー好きな千夜ちゃんの手によって中々な趣向が凝らされたお化け屋敷となっていたが、智乃ちゃん達のクラスでは割に不思議の国のアリスの世界観に忠実な設定となっており、先月が強烈だった分オーソドックス故の安心感がある。なので、今回はサスペンスホラー系統の雰囲気は鳴りを潜め、代わりにあるのは、嘗て原作5巻における文化祭でも重要な要素として機能していた「あったかもしれない日常」即ち「ifの世界線である。個人的な感触にはなるが、嘗ての原作5巻における文化祭であった要素を、今回の文化祭にも採用されていたのを見て、一種の「ノスタルジー」をも感じてもいる。

 今回の扉絵は、嘗てのチマメ隊の3人が手を取り合った状態で、各々ポーズをとっていると言うもので、一見した雰囲気は高校生の青春を思わせる感じだが、背景にあるトランプや、手前に描かれている鍵や装飾品を思うと、これもやはり文化祭の延長線上にあると思わせられる。ここまで来ると、最早特段不思議に思う事も無くなってきたチマメ隊3人組の組み合わせではあるが、高校生となった現在は智乃ちゃんとマヤメグで別の高校に通っている為、抑々論として中学生時代の3人組から付けられたチマメ隊の図式とは根本から違う訳で、その意味では「懐かしい」と言えばそうである。尤も、この3人組を見て「チマメ隊」と思い浮かんでいる時点で、3人共高校生になった今でも「この3人が揃えばチマメ隊と思っている現状がくっきり浮かぶので、懐かしいもなにも「過去のイメージのままなんだから、そうなるのは当然」となってしまう運命だろうが......。何を言っているのか良く分からなかったらすみません......。

 今月号は先月号に引き続いて文化祭本番の流れがあり、今回智乃ちゃん達のクラスに焦点が当たったのは、先月号終盤の流れを鑑みれば至極真っ当と言える。ただ、一方で先月の感想・考察記事にて私は「この文化祭は、色んな意味でちゃんとして心して読み進めないといけない」と称し、実際に先月号では千夜ちゃんの戦慄に満ちた演技をはじめとして、私の想定した意図とは別物であったとはいえ、心して読まないと思わずショックをうけかねない様な描写はあった。しかし、今月号ではその「心して読み進めないといけない」と言う意味が、完全に良い方向になっており、それはごちうさらしい心温まるお話を全力で受け止めるべき」と言うものである。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今回はチマメ隊3人組の、中学生時代から変わらない3人の友情を色濃く反映した描写が何より印象的だが、それをお膳立てしたブラバ組の尽力と言うものも見逃せないだろう。

嘗てと変わらぬ友情とifの世界線

 最初はチマメ隊が見せた「昔と変わらない友情」について書き出したい。抑々チマメ隊と言うのは、ノ、ヤ、グ、それぞれの名前の頭文字から理世ちゃんが命名したものであり、中学生時代の3人を象徴するユニット或いは小隊*1を指す。その為、3人共高校生となった今では、中学生時代とはまた違った意義若しくは構図を持つ事になると考えても何らおかしくはないのだが、個人的には今でも「今も昔も3人集まればチマメ隊と言うイメージは強くある上、チマメ隊自体も「3人の固き友情の象徴」とも言える概念にまでなっているので、四の五の言う必要性は最早なく、何時までもチマメ隊の名を大切にしていきたいと、思っているのが一番良いのかもしれない。それが絶対的な正解かどうかは分からないが、少なくとも自分はそう思う。

 そんなチマメ隊だが、今回は中学生時代と何ら変わらない3人の友情が色濃く表れており、そのまま昔の中学生時代を思い浮かべる懐かしい雰囲気を漂わせている。とは言っても、今の彼女達は成長著しい高校生である為、中学3年生時代ならともかく、それ以前ならまず見る事は出来なかったであろう一面を、智乃ちゃん中心に見せているので、図式としては嘗てのものでも、今と昔では意味合いが違うとまざまざ感じさせられる面もある。とは言っても、それが成長する事なのだから、寂しいとばかり言っていられないのもそうである。難しい所ではあるが、昔の友情を大切にしている事、その中でも成長し続けている証が浮かび上がっている事と言う2つの観点を鑑みれば、自ずとどうするべきかは分かってくるものだろう。

 今回のチマメ隊の図式は、そのまま嘗て原作5巻における文化祭にて描かれていた「あったかもしれない日常」を彷彿とさせており、もしもチマメ隊が心愛ちゃん達の学校に皆して通う事になっていたらこうなっていたのだろうと、しみじみ思わせてくれるのが良き所である。ただ、現実問題としてチマメ隊の3人には、3人共に今の学校に望んで通う決意をしていると言う大前提があり、唯一麻耶ちゃんだけは、学校がバラバラになる事に憂う面も見せていたものの、理世ちゃんをはじめとした周りの人物の後押しもあって、しっかり自分の意思で自分の道を切り拓いた過去がある為、この様なお話を見ると、3人の意思はきちんと尊重するべきだと理解しているとは言え、心のどこかではやっぱり「ifだけに留まらず、実際にこうなっていたらなぁ......。」と、ちょっとした寂しさを募らせるのも正直ある。

 でも、最後にはやっぱり「ifはifだから良いんだ。この3人は自分達の意思で、自分の進むべき道を切り拓いたんだ。それはきちんと尊重されなければならない。」と思える。何故なら、彼女達だって「3人共に一緒なら」と考えた事は想像に難くないし、その上で「別々の道を歩む決断をした」と言うのだから、それを思えば、個人的な感情で四の五の言うのはやっぱり違うのではないかと思わされるから。これに関しては、人によって考え方は正に多種多様だと思うが、私はやはり「3人の意思を尊重する姿勢」であり続けたいのである。

 思えばチマメ隊の高校生になった際の呼び方に関して、原作10巻にてブラバ組に対抗して「ラビハ組」と言うのが存在している事を、この小題を書き終えてから思い出した。なので今現在はチマメ隊の事をラビハ組と称しても良い事になるのだが、私自身この小題を書いている時は、ラビハ組と言う呼称がある事をすっかり忘れてしまっていた。その為、今回智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人をラビハ組ではなくチマメ隊と称したのは、私の中ではそちらの方が馴染み深かったと言う事の証明にはなっていると思われる。尤も、単純に「ラビハ組と言う呼称を君が忘れていただけだろ?」と言われれば、全くもって「はい、その通りです。どうもすみませんでした......。」としか言えなくなるのだが......。

粋な立ち振る舞いを見せるブラバ組

 次にまたしても粋でカッコ良い立ち振る舞いを見せてくれたブラバ組について書き出したい。ブラバ組と言うのは、ブライトバニーにてアルバイト勤務をしている冬優ちゃん、ブライトバニーの社長令嬢の神沙映月、神沙夏明の計3人から成るグループであり、ラビハ組(チマメ隊)とは良きライバル関係兼友好関係と言った立ち位置にある。内気ながらも成長著しい冬優ちゃん、おっとりしつつも芯は強い映月ちゃん、しっかり者でいて実は内弁慶かつ繊細な所がある夏明ちゃんと、性格や性質がラビハ組と共通している点が多いが、個人的には「似ているとは言っても同じと言う訳ではない。」と思っており、ブラバ組にはブラバ組の事情があり、個性があると思っている。ある意味でジョジョの奇妙な冒険Part1~Part6の世界線と、Part7以降の世界線との関係性にも似ているが、こちらは前者と後者では世界線そのものが別物*2である。

 そんなブラバ組だが、今回の文化祭ではチマメ隊(ラビハ組)の為に一役買って出ており、またしても粋なカッコ良さを読者に見せ付けている。またしてもと言うのは、ブラバ組には以前にも海シスト編にて、アルバイトのシフトの関係で皆の予定が合わず、一時は皆でシストを探求する事自体が困難な状況になっていた最中に、自分達がシフトの代替を買って出て、結果的に皆を送り出す大きなきっかけを作った過去があったからである。

 今回の文化祭では、他校の生徒も来校できる文化祭と言う場を活かして、チマメ隊(ラビハ組)3人で文化祭を楽しんでもらうと言う計画を冬優ちゃん主導で立てていたが、クラスメイトの予期せぬダブルブッキング*3によって、その計画が危うく破綻しそうになった事に発端がある。これに関しては、人間なら誰しもあり得るミスなので、それ自体は致し方ない側面はあるが、これにより外部の助けなしでは計画の遂行は実質不可能と言う状態に陥る。だが、その様な状況の中で助け舟を出したのが、他でもないブラバ組の一員である神沙姉妹の2人であり、冬優ちゃんが立案した計画を完遂させる為、本来ならば来客と言う立場でありながら、ラビハ組3人の為に文化祭の出し物の働き役に買って出たのである。更に言うと、そこにはリゼシャロ2人の後援部隊付きでもあり、一丸となってラビハ組の為に尽力する友情と言う構図は、正に粋なカッコ良さを体現していると考えている。

 この様に粋なカッコ良さを持つブラバ組だが、肝心の接客に関しては不安要素を募らせており、何と言うか「相変わらずだなぁ......。」と思う所ではある。ただ、見方を変えれば「自分達の不安要素にも臆せず、ラビハ組の為に尽力する決断をした、仲間想いの3人組」とも言え、肝の部分に不安要素がある事は、絶対的な尺度としては如何ともし難いとはなってしまうが、自分達が抱える不安要素に流されず、友達でもあり、恩人でもある人達の為になら、是が非でもと行動できるカッコ良さと度胸強さを持っている事は間違いないと言えよう。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は時間の都合上簡潔にまとめたいと思うが、その想いの強さは今でも決して無くなってはいないので、その事を忘れずに書き出していきたいと思う。だが、実際に書き始めてみると、最近の私が読んでいるマンガの雰囲気に影響を受けた内容が多くなっている気がしてならないが......。

心温まる内容の文化祭篇

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号は先月号から始まった文化祭の続きと言った所であり、2回目ともなると説明もそこそこにいきなり本題から入っている。今回は智乃ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられているが、前回と違うのはそれで1羽の大部分を割く訳では無く、クラスの出し物のくだりから、チマメ隊(ブラバ組)のあったかもしれない日常に繋がっている点であり、出し物にしてもオーソドックスな設定である事も相まって、今月号のごちうさ全体的にほのぼの心温まる雰囲気をしており、先月号の様な緊張感溢れるくだりはほぼ存在しない。また、懐かしさと心温まる雰囲気を感じ取れるのも今月号の特徴であり、ごちうさが持つ「温かく優しい雰囲気」を、ここにきて大いに体現している。

 今回は全体的に過去の文化祭(原作5巻)のセルフオマージュを感じさせる展開が多く、色々と懐かしい感触にもさせてくれる。それを象徴するのが「チマメ隊(ラビハ組)による『あったかもしれない日常』」であり、これは嘗て高校生組4人*4が、もしも皆が心愛ちゃん達の学校に通っていたらと言うものに発端がある概念であり、今回はそれをラビハ組3人で体現してくれたと言う格好である。これに対する私自身の感触は前述した通りだが、こうやって「ifの日常」を断片的に、前向きな形で見せてくれる事は、今思えば大変に幸せな事だと思う。だって、ifの日常と言うからには、そこには幸せも不幸せもあって然るべきであり、ごちうさでは常に前向きかつ希望を持たせてくれる形での「if」を描いてくれているので心配は要らないと思うが、場合によっては絶望の淵に容赦も慈悲も無いまま叩き落としにかかり、そこではどうしようもない程に負の感情と不幸の境遇にまみれた、正に地獄の様な「if」に直面するかも知れないのだから......。まぁ、こんな怖い事ばっかり書いても仕方ない気もするが、もし本当に地獄の様な「if」に直面した時は、恐らく「自分の想像など、本物の前には甘過ぎた......。」となり、どれだけ予防線を張ろうとも、圧倒的な世界観の前では正に無力な事を、否が応でも思い知らされるのだろうが......。

 前述した様に今月号は、先月号の様な戦慄と緊張感走る展開は鳴りを潜めているので、サスペンスホラー系統の雰囲気を好む私にとっては「今月号はサスペンスホラー系統の雰囲気が無いから、心温まる話に満足とは言え、ちょっと寂しいかも。」と言う感情を心のどこかで抱いている。無論、ごちうさは本来日常系であってサスペンスホラーでは無いので、先月号の雰囲気が特殊だった事は解っている。ただ、サスペンスホラーが持つ雰囲気に魅了されている私としては、その様な寂しさも無い訳では無いと言う事で。因みにサスペンスホラーと言うのは、マンガの感想において私が、不気味若しくは恐怖に思う感情を表現する上で何かと使いたいと思う表現の1つでもあり、他の表現としてはハードボイルドやブラックユーモアと言うものもある。尤も、実際にそう書き記しているケースはあまり多くないのだが、そう遠くない内にそうも言ってられなくなる感触がしてならない。まぁ、高い緊張感に支配され、先の読めない展開が魅力と恐怖をもたらし、えげつないまでの心理描写がこれでもかと盛り込まれたマンガを多く読んでいるので、そりゃそう思うでしょとしかならんだろうが......。

波乱の予感の文化祭

 次に今月号終盤の展開について思った事を書き出したい。今月号終盤では、先月号最後の展開に倣って、次回にお披露目されるであろう心愛ちゃん達のクラスの出し物に関して、緩やかな繋がりを意識させる描写がある。だが、そこの描写は正に「ドタバタ劇」と言うに相応しい内容であり、なまじ中盤までが懐かしさと「ifの可能性」を示唆した心温まる展開だっただけに、そのテイストの違いには驚かされる。コメディの観点から見れば面白いが、今月のきらまを読んでいく中で、火力も破壊力もえげつなく強いハチャメチャ描写と出逢っているので、爆発力はそちらに譲ると感じている。尤も、ごちうさには安定的な面白さがあり、それが良い所なのだし、抑々笑いや面白さの好みは人によって全く違うのは当然の摂理だが。

 そんなドタバタ展開以外にも、心愛ちゃん達のクラスの出し物が成立し得なくなると言う危機的状況を象徴するかの様な、どう考えても悪い前兆を予感させるテンプレートとも言える、緊張の汗をかきつつもなんとか明るく振舞おうとする心愛ちゃんや、普段のイメージからは中々に想像できないアクセサリーを付けて、文化祭の雰囲気に完全に馴染んでいる上に、そのアクセサリーが思いの外凄く似合っているタカヒロさんと理世ちゃんの親父さん等、次から次へとやって来る展開の忙しなさも加わり、終盤の展開は中々にカオスな様相を醸し出している感触がある。何と言うか、まさかここに来て初期の様なカオス展開を目撃する事になるとは正直思ってみなかった*5ので、時間が経てばたつ程じわじわ驚きが増していく感覚を覚えるが、それはこういう見方をする事も、時には大切だと言うおぼし召しだろうか。多分そんなんではないとは思うが......。

 こうもドタバタ展開が終盤にかけて続くと忘れそうになるが、やはり気になるのは「心愛ちゃん達のクラスの出し物」である。これまで千夜ちゃん達のクラスが「不思議の国のアリスをモチーフにしたお化け屋敷」、智乃ちゃん達のクラスが「不思議の国のアリスに登場する一幕を舞台にした喫茶店」と来ているので、この2つとは違った角度から来るとは思いたいし、実際に今月号終盤のドタバタ展開を見るに、心愛ちゃん達のクラスの出し物は「心愛ちゃんが手品を披露する」と言う場面が入っている様なので、恐らくは2人のクラスの出し物とは異なるテイストを持っているだろうし、心愛ちゃんが手品を披露する回は、往々にして何か重要な意味を持つ事もあったので、次回の展開が非常に楽しみである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は文化祭の直接的な続編であり、前回の千夜ちゃん達のクラスの出し物を1羽分かけて描かれた流れを踏襲する形で、智乃ちゃん達のクラスの出し物を丁寧且つ懐かしみを感じる様に描かれているのがポイントである。となると、次回は心愛ちゃん達のクラスの出し物を1羽分かけて描いてくれるであろうと言う期待が生まれるものであり、今回は前回の期待に見事に応えてくれるものであった為、その期待はかなり大きいものがある。

 今回は千夜ちゃん達のクラスの出し物から感じられる「オーソドックス故の安心感と良さ」と、原作5巻の文化祭を代表する「あったかもしれない日常」を思わせるとともに、中学生時代と何ら変わらない友情と関係性を見せてくれたチマメ隊(ラビハ組)3人が印象的である。その為、サスペンスホラー或いはサイコスリラーさえも思わせる異質な雰囲気があった前回とはうって変わり、何時ものごちうさを思わせる日常的な雰囲気に、懐かしさを感じさせる心温まる展開と言った印象が強く、時には時の流れを経るごとに、友達が過去と比べて大きく前向きに変遷しゆく事に対して、ちょっと寂しさを覚えるくだりもあるが、それも含めての成長と思えば、寂しさはあっても受け容れる事は割に容易い。時と場合によってはそうではないかもしれないが......。

 今の私は前述した様に6雑誌を毎月の様に購読している訳だが、きらまの場合コミック百合姫と、ウルトラジャンプとの発売日が非常に近い*6事もあって、ウルトラジャンプを読むタイミングは基本的に決まっているものの、きらまとコミック百合姫「どっちを先に読もうかな。」と、読む順番に関して悩む事がある。発売日を考えるなら、コミック百合姫を先に読むのが順当なのだが、コミック百合姫は言ってしまえば「これはしんどいよぉ......。」となる展開が描かれる事も多く、しかもその度合いが質と量、両方の観点から「油断してかかると確実に痛い目を見る。読む際には一種の『覚悟』を持ってから読まなければならない。」と、僅か2カ月足らずで思い知らされている程である為、百合姫にもコミカル且つ楽しい展開が描かれる事は、当然の事ながら山の様にあるとは解っているとは言え、シリアス展開もといしんどい展開のインパクトが半端なものでは無い事から、心の負担のバランスを上手くとる為にも、今後もコミック百合姫を読み続ける為にも、割と真剣に悩む事もしばしばある。

 ただ、コミック百合姫が雑誌全体の傾向として、時にしんどい雰囲気を内容した作品がどうしても多くなる事があるとは言っても、可能性自体はきらまでも同じ事が言える訳であり、実際私自身も「きらまの方を先に読んだら、きらまによってしんどい思いに遭った。『きらまなら大丈夫』と思っていたのが大きな間違いだった。」となる事も想定はしている。なのでそれを思えば、読む順番がどうのこうのと言うのは実はそれほど重要ではなく、本当に重要なのは「それぞれの雑誌の傾向を掴み、予めどの様な心構えをするべきなのかを模索する事」なのだと考えている。大仰(大げさ)かもしれないが、私にとってコミック百合姫とは、確かにしんどい展開にビビる事もあるとは言え、百合の魅力が多分に内包され、女の子同士の想いとは何かを見せ付けてくれている存在なので、百合好きとして百合姫は今後も是が非でも読んでいきたいのである。

 今回は小題によって書く内容のふり幅が大きく、内容自体も時間の関係でコンパクトにまとめたが、内容そのものに熱を込める事には変わりはない。これに関してはきらまを購読し始めて3年、ごちうさの感想・考察ブログにしても連続して2年以上書き続けている今でも決して無くならない想いである事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ26枚分である。今回は時間の都合上急ピッチで書く必要があったのだが、書き終えてみた所、前回とほぼ同じ文量になっていたので、結果的に本気を出せばこれ位早く書けるのだと思った。色んな意味で大変にはなるが......。

また、今回の記事ではチマメ隊(ラビハ組)と言う様に、チマメ隊若しくはラビハ組を書き表す際に、両方の表記を使う様にしているが、これが途中からになっているのは、記事を書いていく上で「どのタイミングで私がラビハ組の呼称を思い出したのかを明確に残しておくため」である。

*1:命名者の理世ちゃんが軍人気質である事から、彼女自身何かとそういう区分けをしたがる一面があるに由来する。ただ、最近ではそういう一面はあまり見なくなったが。

*2:所謂「パラレルワールド」であるが、厳密には非常にややこしく複雑な関係性である。

*3:その理由に関しては、嘗て原作5巻における文化祭のそれを彷彿とさせる。

*4:心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃん4人の事。学生組は現在全員高校生以上なうえ、理世ちゃんは大学生である為、チマメ隊と違って今では定義を限定しないと、昔の意味では通じなくなっている。

*5:尤も、最近のごちうさもドタバタした展開自体はあったと思うが、如何せん私にはその様に感じる機会が少なかった事が起因している。恐らくドタバタ展開慣れ(?)しているのが大きいのだろう。

*6:きらまが毎月「19日」発売が基本なのに対し、百合姫は毎月「18日」発売が基本である。ウルトラジャンプに至ってはきらまと同じ毎月「19日」発売が基本である。

きらま2023年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。先月に引き続いて、ジョジョの奇妙な冒険Part8(第8部)ジョジョリオン」(JoJolion)15巻から27巻(8部最終巻)まで読み進め、これで遂にジョジョの奇妙な冒険Part1「ファントムブラッド」(Phantom Blood)から、Part8「ジョジョリオン」まで全て読んだ事になりました。現時点でも単行本にして累計130巻以上にもなるジョジョシリーズですが、改めて振り返ってみると、それぞれの部において異なる面白みと凄味があり、それを探求していく事が何よりの面白みだったのはないかと思っています。尚、ジョジョリオン15巻~27巻に関しましては、相変わらずの緊張感溢れる展開に加え、先の読めない展開にドキドキさせられる場面が多く、更に23巻以降の展開に至っては「これどうなってしまうんだぁー!」となり、最後にしても「これは結構しんどいよ......。」となっていました。それ故、シリーズの中でも随一の、何とも言えない後味の悪い感触を抱く結果となりましたが、ジョジョシリーズが持つテーマ性を踏まえれば、この様な結末も受け容れるべきであろうと思っています。

 私がここまでジョジョシリーズに魅せられたのは、ひとえに「この作品が描く『人間の素晴らしさ、美しさ』と言うものに大きく感銘を受けたから」だと思っており、無論、Part3「スターダストクルセイダース」(Stardust Crusaders)から登場するスタンド(幽波紋)能力*1や、シリーズを通してバトル要素が含まれている事、あらゆる手段によって行われる頭脳戦も、この作品に惹かれた理由ではありますが、やはり「人間の素晴らしさ、美しさ」が一番の理由でした。そんな事もあって、今となってはきららマンガの「星屑テレパス」がその代表に挙げられるのですが、他のマンガ作品の感想を書く際も、ジョジョシリーズの影響をもろに受けた感想を書く事もしばしばですし、百合マンガが好きになった理由も「人を好きになる事、人と人の繋がりを丁寧に描いてくれる所」と言う位で、あらゆる所でジョジョシリーズの影響を受けるに至っています。

 また、百合マンガ好きとしての活動も精力的に行っており、その主たる例としてコミック百合姫にて連載されている「私の百合はお仕事です!」(既刊12巻+公式アンソロジー1巻)を、今年4月から6月にて放送・配信されていたテレビアニメ版から視聴し、そこから原作1巻から12巻、それに公式アンソロジー1巻全てを購入した事です。このわたゆりに関しましては、言ってしまうと作風はかなり重め*2であり、苦手な人は注意しなければなりませんが、百合マンガらしく女の子同士でのスキンシップや、お互いを想い合う熱烈な気持ちの描写も多く、シリアス展開を乗り越えた後の楽しい展開にて感じられるカタルシスはひとしおなので、深淵たる心情描写を好む人にはうってつけのマンガだと思っています。なのでジョジョ好きな私が、わたゆりにもハマるのはある意味運命だったと言えるかも。尤も、わたゆりが正直決して明るい展開ばかりとは言えない作風である事を鑑みると、この運命に対してなんて思えば良いのか......、と思う所ではありますけど......。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回からはいよいよ文化祭本番となり、心愛ちゃんのクラス、千夜ちゃんのクラス、そしてチノフユ2人のクラスと言う、正に三者三様の様相を呈していくのは想像に難くない訳ですが、今回はその中でも千夜ちゃんのクラスに焦点が当てられており、その中で描かれる描写が中々にインパクトがあるものだったので、結構衝撃を受けたものです。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話はいよいよ文化祭本番となっており、構成としても今まで続いていた文化祭準備編の答え合わせをも成す重要な局面と言える。また、雰囲気も不思議の国のアリスに代表される様なメルヘンチックなものと、そのアリスの世界観を下地に、ホラー及び悪戯好きな千夜ちゃんによってホラー色全開なものに仕立て上げられたものと、中々に両極端なものになっており、後者に至ってはホラーと言うより最早サイコスリラー若しくはサスペンスホラーじみた雰囲気さえ醸し出していると思う場面もある程。ごちうさにしてはかなり刺激の強い雰囲気ではあるが、本当にえげつなくどうしようもない展開になる訳では無いので、そこは凄く安心できる所である。

 今回の扉絵は、おとぎ話を思わせる雰囲気を帯びた理世ちゃんと千夜ちゃん、それに紗路ちゃんの3人がいると言うもので、理世ちゃんは仰向けに寝そべり、千夜ちゃんは片膝を立てた座り方をし、紗路ちゃんは横向きに寝そべっている。また、今回は色合いがやや特殊な印象を受けており、それをして個人的には、色合いが場面や時期によってしばし変化する事をしてジョジョみたいな感じだなぁ。」と思った。因みにそれは良い意味で位置付けており、決して今回の色合いが肌感に合わないとかそう言う訳では無いのであしからず。

 今月号からは文化祭本番に突入した為、今までの文化祭準備期間の答え合わせとも言えるフェーズに突入したとも言えるし、故にこれまでのごちうさでは見なかった新たなる一面を目撃する事になる可能性もある。現に今月号においても千夜ちゃんが、文化祭の出し物の一貫としてであり、それ即ち演技項目として行った事ではあるとは言え、今までにない程の恐ろしい雰囲気を纏った様相を見せており、それが何故なのかは断定できないが、確実に言える事は、今月号を含めて、この文化祭は色んな意味でちゃんと心して読み進めないといけないと言う事だけだろう。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今回は千夜ちゃんが見せた衝撃的な姿に突き動かされている節があり、サイコスリラーともサスペンスホラーとも受け取れる、演技とは雖も(いえども)その緊迫感溢れる姿と、常軌を逸した言動が、私に緊迫とある種の原動力を与えたのである。

新境地の文化祭

 最初は純粋にいよいよ始まった「文化祭での軌跡」について書き出したい。今回のお話では心愛ちゃんと千夜ちゃん、それにチノフユの4人は全員出し物の運営係に回っており、必然的に招待状を貰って来校したリゼシャロ、マヤメグ、それに神沙姉妹2人に焦点が当たっている。そして、初っ端から印象的なのは神沙姉妹2人であり、なんとこの2人、映月ちゃん提案の下、まんま不思議の国のアリスのアリスを彷彿とさせる格好で文化祭へと来たのである。これは映月ちゃんが「文化祭とはそういう格好をするもの」と認識していたからであるが、どちらかと言えばそれは仮装の代表例たる「ハロウィン」の方だと思われ、現にリゼシャロ、マヤメグは普通の私服で来ていたので、結果的にそういう格好をするのに乗り気ではなかった夏明ちゃんが危惧していた様に、初っ端からド派手に浮いてしまう事になったのである。ただ、浮いているとは言っても格好としては凄く様になっている上、後述する様な心愛ちゃん達の出し物との雰囲気のマッチングも(ある意味当たり前だが)抜群なので、そういう視点では凄くプラスに働いていると言えよう。

 神沙姉妹2人による一展開の後は、心愛ちゃん、千夜ちゃん、そして智乃ちゃんによる三つ巴対決が繰り広げられ、その目的は勿論「自分達のクラスの出し物に来てもらう為」だが、ここでは心愛ちゃんと智乃ちゃんがちょっとした諍いを繰り広げている間に、千夜ちゃんが頭脳プレーで制している*3。その為、今回のお話では千夜ちゃんのクラスの出し物から巡っており、以降これが終盤までの主軸となる。

 千夜ちゃんのクラスの出し物は、ホラー好き且つ悪戯好きな千夜ちゃんによってホラーテイストに仕上げられた不思議の国のアリスである。そして、それをマヤエル、メグナツメ、リゼシャロと言う3ペアでそれぞれ順番に体感していくと言うものだが、ここで興味深いのは「マヤナツメの2人より、メグエルの2人の方がホラー耐性がある事」であり、普段はどちらかと言えば前者2人の方が先導的で頼りになる印象なのだが、こういう場面になると後者2人の方が圧倒的な強さを見せていたので、なるほど興味深いと思った訳である。尚、リゼシャロの2人に関しては、2人共にしっかりしつつも実は怖がりな所がある事に加えて、紗路ちゃんが怖がりとは言っても理世ちゃんを相手にすると「先輩が居るから」と言う事で、恐怖さえも打ち克つ気力を発揮出来る面があるので、ある意味一番バランスが取れていると言える。

 そして、終盤では例のサイコスリラー若しくはサスペンスホラーじみた千夜ちゃんの迫真の演技が待ち構えており、初見でなくてもビビらされるほどのクオリティを誇っている。この様な事から、前述の様に今月号のごちうさ今までになく刺激的な展開となっており、怖いのが苦手な人にとっては戦々恐々とする構成となっているが、そこはごちうさなので、怖いままで終わらない様に絶妙に調整されており、その意味では優しい構成と言える。ビビらされる事に変わりは無いが。

迫真と戦慄の演技を纏いし少女

 次は今月号ひいてはごちうさ全体の中でもトップクラスの迫真と戦慄に満ちた演技を魅せていた千夜ちゃんについて書き出したい。抑々今回の千夜ちゃんは、自分達のクラスの出し物における登場人物の一人としての役回りがメインであり、その役回りとしてはアリスである。ただ、アリスとは言ってもメルヘンチックさ全開ではなく、再三記述した様に最早サイコスリラー若しくはサスペンスホラーの雰囲気を帯びたものであり、ホラー好きな千夜ちゃんがその様に解釈し、お化け屋敷としての演出の1つとして挿入したものなのだろうが、そのクオリティがあまりにも高過ぎるが故の恐ろしさを感じずにはいられなかった。正に「演技に存在するリアリティを見せ付けてきた」と言う訳なのだろうが、それにしても刺激が強過ぎるのも確かだろう。

 尚、この千夜ちゃん迫真と戦慄の演技が読者の前にハッキリと初披露されるのは、一番最後に千夜ちゃん達のクラスの出し物を体感する事になったリゼシャロのタイミングなのだが、そこで判明したのは「作中で描かれた千夜ちゃん迫真と戦慄の演技は、これまで千夜ちゃんが行ってきた演技の中でも特に気合が入っていた事」であり、これが意味するのは「千夜ちゃんとしても紗路ちゃん相手に何かただならぬ想いを持っている事」であるのに他ならない。幼なじみだから当然と言えばそうなのだが、千夜ちゃんは自分の本心を簡単には見せない人なので、余計印象的になるのだろう。

 千夜ちゃんが見せた演技の内容を端的に言うと「自分の世界から離れて欲しくない」と言う事であり、本編ではそれをサイコスリラー色若しくはサスペンスホラー色に仕立て上げ、半ばヤンデレじみた雰囲気で発露している為、捉え様によっては変な意味になってしまう可能性もあるが、心情としては「寂しい気持ちが溢れんばかりになっている」と言う事である。そして、その寂しい気持ちは恐らく紗路ちゃんに対して向けられていると思われ、紗路ちゃんが都会の国立大学に進学し、自分(千夜ちゃん)としてもその事に対して応援するとは決めていても、内なる気持ちとして寂しさがあるのは想像に難くないものであり、故にリゼシャロ2人に対しては、自分の内なる気持ちを大きく発露させた為に、他の人と比べて気合が入った演技になっていたと考えられよう。

 ただ、紗路ちゃんが都会の国立大学に行く事に千夜ちゃんが寂しさを覗かせているとは言っても、千夜ちゃんとしても紗路ちゃんが都会の国立大学に行く事に反対している訳では無いし、寧ろ前述の通り紗路ちゃんが決めた進路を応援する気概を見せている為、今回見せた演技は「それでどうにかして欲しい訳では無いが、自分の内なる気持ちは表したい」と言う千夜ちゃんの気持ちの表れだったのではないかと考えている。世の中どうにもならないと解っていても、自分の心情として「これだけは言いたい表したい」と思う事は、何かしらの形で存在しても何らおかしくないのが人間のサガと言うものであり、今回千夜ちゃんが見せた迫真の演技は、そんな人間味ある面に裏付けされたものだったと考えられるのかもしれない。真相は本人にしか分からんがな......。

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は前回と違って題材探しにはそこまで苦労していないが、別に苦労していないからと言って、何か良い事がある訳でも無い。ただ、苦労はしないで済んでいると言うだけの事であり、それ以下でもそれ以上でもない。

和気藹々、戦々恐々の文化祭幕開け篇

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号からは遂に文化祭本番となっており、1発目と言う事もあって展開としては和気藹々(あいあい)とした楽しげなものとなっている。また、一番最初に巡る事になった千夜ちゃん達のクラスの出し物にしても、お化け屋敷をコンセプトにしているもの故に多少なりとも不気味な雰囲気はあるものの、コミカルな描写が要所に挟まれる事もあってそこまで身構える必要性はない。だが、中盤に出てくる千夜ちゃんの迫真の演技だけは相当に戦々恐々するものがあり、ここだけを見るなら普通にサスペンスホラーやサイコスリラーにも匹敵する怖さと不穏さを兼ね備えている。しかしながら、終盤になると再び和む雰囲気が戻ってきており、最後の最後にも戦々恐々とする場面はあるが、総じて見ると「コミカル」と「ホラー」のバランスが上手く取られていると言える。それでも、怖いのが苦手な人は注意が必要だと思うが......。

 今回は千夜ちゃん達のクラスの出し物に焦点が当てられている為、心愛ちゃん達のクラス及びチノフユ達のクラスの出し物に関しては次回以降に持ち越しと言う形になっている。しかしながら、今回1クラスの出し物に丸々1羽を割いたと言う事実は、そのまま心愛ちゃん達のクラス及びチノフユ達のクラスの出し物においても、それぞれ1羽を割く可能性が浮上してきたと言う事でもあり、その意味では今後も楽しみがいがあると言う事でもある。尤も、実際にどの様な構成になるかは、その時まで分からないが。

 またしても今まで書き出していなかったが、今回のお話には、私の記憶が確かならば旅行編以来となる千夜ちゃんのお母さんが登場しており、ヤンデレじみた千夜ちゃんの浄化をする傍ら、クールでいて実は悪戯をかけられる事や、怖いものが苦手と言う茶目っ気ある様子を見せている。まぁ千夜ちゃんのお母さんは、以前にも昔から交流のある紗路ちゃんのお母さん*4に対して、ちょっとしたからかいをしてみせる一面を覗かせていたので、今思えば想定内と言った所だろうか。因みに千夜ちゃんのお母さんの「怖いものが苦手」「ビックリする仕掛けを施すと、結構いいリアクションを見せてくれる」と言う一面が、千夜ちゃんが悪戯好き兼怖いもの好きになったきっかけでもある事が判明している。その為、千夜ちゃんのお母さんからすれば色々と複雑かもしれないが、それをして千夜ちゃんを本気で咎めている様子も無いので、お母さんとしても最終的には「本人の好きな様にすれば良い」と思っているのかもしれない。

 また、今月号終盤ではあの千夜ちゃんの迫真と戦慄に満ちた演技は結良ちゃん考案のものである事も判明しており、決して千夜ちゃん一人で考えていた訳では無かった事も分かっている。とは言っても、結良ちゃんはあくまで「提案した」に過ぎず、実際にそれを文化祭に採用したのは千夜ちゃんの意思である事は言うまでもないだろう。因みに結良ちゃんに触発される形で披露する事になった、あの千夜ちゃんの迫真と戦慄に満ちた演技は、個人的には「演技でありながらそれとは思えない怖さがどこかにある」と言う意味で結良ちゃん以上に怖いとすら思う。底知れぬ何かを持つと言う意味では、結良ちゃんも千夜ちゃんも同じだと言うのに......。まぁ、それ以上に恐ろしい雰囲気や展開を持つマンガを知っている私からすれば、どうしようもなき大事に発展しないであろうと言う信頼が、ごちうさにはあるだけマシだと思ってしまうのもまた、揺るぎなき事実なのだが......。

奇抜なセンスに裏付けられた出し物

 次に今月号にてお披露目となった、千夜ちゃんの達のクラスの出し物である、不思議の国のアリスをモチーフにしたお化け屋敷に対して思った事を書き出していきたい。何故この様なテーマで書き出そうかと思ったかと言えば、シンプルにこれ以外に良いテーマが何も思い付かなかったからと言う、身も蓋も無いもの。たとえ感想であっても文を書く以上、決して楽ではないのである。

 肝心の本題だが、千夜ちゃん達のクラスが創り上げたのが、不思議の国のアリスをモチーフとしたお化け屋敷と知った時、私としては「このセンスには敵わないなぁ。やっぱり千夜ちゃんは凄いなぁ。」と純粋に思った。確かに不思議の国のアリスと言えば、私の感覚としては多少なりとも不安を覚える要素も無くは無かったり、幼い頃に読んだらちょっと怖いと思ったりする場面も存在するイメージがあるとは言え、それを大胆にもお化け屋敷として落とし込んだと言うのだから、これ感服ものである。少なくとも、私にはこんな発想絶対に思い付かなかっただろうし、思い付いたとしても実行にはとても移せない。だからこそ、千夜ちゃんが持つ奇抜なセンスと、その奇抜なセンスから放たれる世界観を一丸となって創り上げてみせたクラスメートの面々には、最早平伏する以外に無かった。そこに悔しいとか妬ましいとかそんな感情は無かった。見事なまでの圧倒的な解釈だと私は思う。

 また、出し物の中身としても、原作に登場する要素を自分たちなりに昇華した形にしていたり、自分達にまつわる要素を原作の世界観にバンバン入れていたりと、自分達のクラスとしての色を存分に発揮している形に仕上げられているのも良き所である。紗路ちゃんも言及している事だが、千夜ちゃん達にとっては今年が高校最後の文化祭になる訳であり、故に私としては、ならばその文化祭を後悔の無い様に、存分なまでにやりたい事をやりたい様にすれば良いと思っている。勿論、何事にも限度と言うのはあるが、それは余程常軌を逸した場合のみであり、それで言うと今回千夜ちゃん達のクラスがやっている事は、多少尖ったテーマ性とは言っても、出し物としては全然許容範囲だと認識している。何が言いたいかと言うと「千夜ちゃん達のクラスの出し物は素晴らしい」と言う事であり、高校最後の文化祭を最高の出し物で見せ付ける姿には、何か心響くものがあると言う事である。

 そして、今月号中盤にて千夜ちゃんが見せていた、あのヤンデレじみた雰囲気に関しては、初めて見た時は「ホラーを超えて最早サスペンスホラー若しくはサイコスリラーにも匹敵する怖さ。千夜ちゃん凄すぎるし、怖すぎるよ......。」と思った。元々ジョジョPart4「ダイヤモンドは砕けない」(Diamond is Unbreakable)の影響もあって、サスペンスホラー系統の作風は凄く好みとは言え、まさかごちうさでここまでの描写が待ち構えているとは思ってもみなかった。無論、以前にも結良ちゃんを筆頭にこの様な不穏な雰囲気も無くは無かったが、それを考慮して尚凌駕する程のパワーがある。でも、最終的には自身の母親によって無事に浄化されていたので、そこは安心できた所である。まぁ、だからと言ってそれで安心し切っていると、思わぬ所で痛い目に遭わされてしまうのだろうが......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回からはいよいよ文化祭本番と言う事で、それぞれのクラスの出し物をめぐっていく傍ら、ここからは今までの文化祭準備で描かれていた事の花開きとでも言うべき構成になっていると考えている。また、今回は千夜ちゃん達のクラスの出し物を1羽分かけて丁寧に描いていた事から、今回の文化祭も非常に緻密な描写がなされると窺える点も見逃せないであろう。

 ならば書き出す内容にも苦労しないと考えるのは普通であり、実際に今回は感想・考察を書いていく上で強い原動力となったテーマも存在していた。しかし、蓋を開けてみると前回は勿論の事、前々回よりも書き出す内容に苦労する結果になってしまっている。何故なら、今回は原動力となった千夜ちゃんの迫真と戦慄に満ちた演技に対する衝撃があまりにも強過ぎたが故に、他の見識もろともそれに持っていかれてしまった上に、それに抗うだけの見識も見いだせなかったからであり、結果的に「強い原動力があるが故に視野狭窄を招いた」と言う事になってしまった。何ともほろ苦い事になった今月号の感想・考察だが、長きにわたって書き続けていると、この様な事も避けられないのであろう。

 今回は再三にわたる記述の通り「千夜ちゃんの迫真と戦慄に満ちた演技」があまりにも印象的であり、この場面だけを見るならサイコスリラー若しくはサスペンスホラーにも匹敵する怖さを持っていると思っている。そして、その様な心理的不安をそそる恐怖描写と、先の読めない緊張感の高い展開は、ごちうさとしてはあまり例を見ない異色な展開が故に、初めて見た時こそ驚いたが、個人的にはマンガの展開構成として、先の読めない緊張感の高い展開は凄く好みである為、終わってみれば割に受け容れられていた。もう完全にジョジョPart4「ダイヤモンドは砕けない」及びPart8「ジョジョリオン」の影響を受けた感性となっているのが目に見えて分かるが、これはもうどうしようもない。

 最近になって自分が手に取るマンガの読む傾向を考えてみた事があるのだが、どうも私は「人間の心の内なる部分が露呈する様な、読めば読む程『人間の持つ魅力』が読み解ける作品」が、手に取って一番心惹かれやすい事に気付いた。無論、これもジョジョシリーズの影響故なのだが、こればっかりはジョジョシリーズの影響があったからこそ、人間の心の内なる一面の凄みに深くまで気付ける様になったと言うか。もしジョジョシリーズに出逢って無ければ、多分今の私が持つマンガ好きの形は無かっただろうし、百合マンガに対しても、ここまで「人と人の繋がり」に対して心惹かれるものも覚えなかっただろう。やはり、繋がりと言うのは「運命」なのかも知れない......。なんか、個人的にはジョジョPart6「ストーンオーシャン」(StoneOcean)のラスボス「エンリコ・プッチ」を思わせる概念なのが(エンリコが独善的な奴である事もあって)若干複雑だが、こればっかりはエンリコの言い分も一理あると言わざるを得ない。エンリコの思想が「悪」としてはある意味好きだが、「真っ当な人間」としては絶対に好きにはなれない(なってはいけない)とは言ってもな......。

 また、上記の様な傾向の他にも「何かと過酷な展開若しくは描写を含んだ作品」にも度々巡り逢うケースも少なくなく、誇張抜きで今回の千夜ちゃんが見せた迫真と戦慄に満ちた演技でさえ「恐怖は恐怖だが、あれでもまだマシな方なんだよね......。」と思ってしまう程の、正しく地獄の様な展開にも巡り逢った事もある。その為、今回のごちうさに関しても、本音を言うと「更なる過酷な展開を知っているが故に、そう驚くに驚けない」と言うのが正直に抱いた気持ちである。ただ、これは単に「今回のごちうさ以上に恐ろしい展開もある」と言うだけの事で、思わず驚かされたのも事実である。

 最後の最後に難解な内容が中心となってしまったが、この様な状態でもごちうさの感想・考察を書く熱意は、嘗て程ではないにしても存在はしている。今回は特に内容を書き出すのに苦労したが、何時もこの様に苦労している訳では無い事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ26枚分である。今回は前回に比べると幾分少なめだが、本来はこれでもかなりの文量な訳であり、長きにわたって書き続けているが故の感覚の変化が表れている。とは言っても、今でも多くの文章を書くのは普通に大変なのだが。

*1:Part1「ファントムブラッド」及びPart2「戦闘潮流」(Battle Tendency)では「波紋」と呼ばれる特殊能力が骨子となっている。

*2:尚、ジョジョとは全く別ベクトルの重さです。

*3:所謂「漁夫の利」であり、映月ちゃんが正にそう指摘している。

*4:この親同士の交流関係が、そのまま千夜シャロの幼なじみと言う関係性に繋がっていると言える。

きらま2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。6月上旬になって、遂にジョジョの奇妙な冒険Part8(第8部)ジョジョリオン」(JoJolion)の単行本を購入致しまして、現時点では全27巻中、1巻から14巻までを購読したのですが、序盤からして緊張感の高い雰囲気と先の読めない展開に、読み始めて早々に「何だこの展開はッ!こんな展開が続いたら、ドキドキで心が持たないぞッ!」となる程に、その圧倒的な世界観に魅了されました。また、序盤では東方定助(8部の主人公)の周りに起こる不穏な展開の数々から、思わず「一体何を信用すればいいんだ……!」とまで思いましたが、巻数を重ねるにつれて「良かった……、信用していい所は信用してもいいんだな……。」と思える様になったので、そこは精神的な意味で助かりました。因みに8部の「ジョジョリオン」と言う副題は、ジョジョシリーズの中で一番語感の響きが好きな副題だったりします。なんか「リオン」と言う響きが良いんですよね。

 また、5月末には最近の百合マンガ好きが高じて、嘗てコミック百合姫にて連載されていた、まにお先生の「きたない君がいちばんかわいい」(全5巻)と言う作品を全巻一気買いして読んでみたのですが、1巻からして百合SM*1を彷彿とさせる様な、歪んだ性癖に満ち溢れた描写が出てくる光景には、そういう描写が出てくるマンガに対しても比較的耐性がある私とて驚きましたし、この時点で「あっ、このマンガは今まで私が読んできたマンガの中でもえげつない方だ。」と思いました。まぁ、実際には私が想像していたよりも遥かにえげつなかった訳ですが......。

 巻数を重ねるにつれて徐々に破滅的な愛情が剥き出しになっていき、3巻の展開に関しては、正直あまり思い出したくない程に凄まじく、また悲愴的な展開であり、多くの因果が絡み合って起こった出来事だったと認識しています。なので、それはもう単純な概念で話せるものではありませんが、刺さる内容であったのも事実です。尚、個人的には全5巻の内、3巻が一番インパクトが強い上にしんどい展開が一番多いとも認識しています。最終巻も辛いは辛いのですが、順当に読み進めると3巻が一番ヤバかったです......。

 最終巻である5巻の最終話を読んだ時には、そのあまりにも悲愴的な結末に、それまでの感情が堰を切った様になだれ込んできて、只管に泣き喚きました。10分以上はそんな状態だったと記憶しています。本当に「こんな……、こんな結末だなんて……。」と、正に感情も顔もぐちゃぐちゃになるまでの錯綜した想いが込み上げてきて、何とか立ち直るまでに1時間近くはかかりました。こんな事は今までマンガを読んできた中で経験した事はありませんでした。それだけショックを受けたと言う事です。

 ただ、作品としては非常に名作だったと認識しており、悲愴的な結末故に読む際にはかなりの覚悟が必要となると言うのが正直な所ですが、例え歪んだ形であったとしても、例え全てを失う結果になったとしても、お互いに歪んだ愛を信じて貫き通す事を選んだ2人の軌跡は、一般的な理屈を超えた(或いは常軌を逸した)何かを持っているのも事実なので、私は最終巻を読んだ直後こそ、あまりに衝撃的な結末故に「最終巻だけは読まない方が良かったかも……。」とは正直思いましたが、今では「最終巻含めて読んだ事に後悔はない。」と思えています。但し、感情がぐちゃぐちゃになったトラウマが無くなる事は決して無いですし、あの結末を完全に受け容れられたかと言えば、今でもそうではないと言うのが正直な所ですが......。

 尚、私が最近読んでいる百合マンガで特に好きなのは、きたかわと同じ百合SM要素を含みつつ、各々の葛藤や心情が丁寧に描き出されているが故に、ちょっと(と言うよりかなり)背徳感のある百合を堪能できる上にマンガとしても読みやすい、COMIC FUZにて連載中の、みら先生の「百合SMでふたりの気持ちはつながりますか?」(既刊3巻)と、1人の女の子が、とある経緯故に嫌いから始まった女の子を好きになる過程と努力が丁寧に描き出されており、私にとっては正真正銘の百合好きとなったきっかけを作ってくれた、まんがタイムきららフォワードにて連載中の、桜木蓮先生のアネモネは熱を帯びる」(既刊4巻、今年7月には5巻が発売予定)の2作品です。勿論、他にも好きな百合マンガは沢山あるのですが、この2作品には強い思い入れがあるのです。

 色々と書き連ねましたが、ここからは恒例のまんがタイムきららMAX2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していきたいと思います。今回は前回からの文化祭の準備の流れを汲むと言う事で、私が思い浮かべている事で最早恒例化してきた「濃密な人間物語」と言う概念を適応したくなるような場面も沢山あり、正直な所毎回の様にあり過ぎて、その様な場面を見てもあまり心が動かなくなりつつある(=慣れが生じてきている)のも事実だったりはしますが、それでもこれまでの経験に裏打ちされた感情があるが故に、今月号においても感じ取る事の出来るものはきちんと存在しているので、今回も出来る範囲で書き出していこうと思います。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前回に引き続き、心愛ちゃん達の文化祭の準備回と言った立ち位置にあり、前回と違うのはお話のキーパーソンがチノフユから、同じ学校の上級生たるココ千夜に変化している事、お話の本軸としても文化祭がガッツリ関わる様になっている事等がある。その為、前回と違って嘗て原作5巻の文化祭との繋がりがよりハッキリと見える様になっており、その意味では嘗てとの繋がりを意識した、昨今のごちうさらしい作風と言える。まぁ、個人的には嘗ての繋がりひいては「時や世代をも超えた繋がり」と聞くと、世代を超えた物語たるジョジョの奇妙な冒険を思い浮かべるのが常なのだが、ジョジョを知っていると、ごちうさが内包する「人との繋がり」「世代を超えた繋がり」と言うものの理解が更に深淵なものとなる*2ので、物は何でも活かし様と言う訳である。

 今回の扉絵は、お互いに大人びた雰囲気を見せているココ千夜2人が、心愛ちゃんが奥の方で、千夜ちゃんが手前側にいると言うもので、2人の手元にはそれぞれ赤い糸が絡み付いており、これは嘗てマヤメグの扉絵にも描かれていたのだが、これらは「2人の強固な繋がり」を示していると言え、今後一時的に離れ離れになる事があっても、心までは離れ離れにはならない(=友情は無くならない)と言う暗示とも捉えられる。ただ、私としては今回の扉絵で一番印象的だったのは千夜ちゃんが見せた雰囲気そのものであり、まるで百合マンガの表紙に出てきそうな雰囲気を身に纏った彼女に思わずびっくりしたのである。本当、違う百合マンガならば良くも悪くも何の違和感もなく受け容れられたのだろうが、ごちうさにおいてここまで百合マンガを彷彿とさせる様な千夜ちゃんを見た事は、少なくとも私の記憶では無かった為に、完全に不意を突かれた格好になってしまった。

 更に言うと、扉絵における「瞳」の雰囲気に対しても、私の中では多少なりとも引っ掛かるものを覚えており、心愛ちゃんの瞳の雰囲気の方はそれ程懸念する事は無かったのだが、千夜ちゃんの瞳の方は、個人的には見れば見る程「恐怖」とまではいかなくても、どことなく「不安」になる雰囲気を帯びている様に感じられたのである。もっと言うと、扉絵に描かれた千夜ちゃんの瞳を見てどこか不安な雰囲気を感じたのはこれが初めてでは無い。以前も恵ちゃんと一緒にいる形で千夜ちゃんが描かれた扉絵を見た時、千夜ちゃんのどこか儚げな感触を思わせる瞳の雰囲気に、やはりどことなく不安を感じた事があり、その時には私の思い込みが多分に入っていたと思う(「思いたい」とも言う)のだが、今回に関しては大人びた雰囲気が故の悲哀を感じさせるものである為、過去の記憶が引き摺り出される形で不安げな感触を抱いたのである。正直、扉絵に描かれた千夜ちゃんの瞳を見て、何でここまで不安に駆られているのか自分でも全く分からないのだが、考えてみればその「何の理由で不安に駆られるのかが分からないと言う事実」が恐怖の要因なのだろう。シンプルな理由だが、これが結構えげつないのだ......。

 今月号は文化祭準備期間特有とも言える、どこかわちゃわちゃした雰囲気と、ココ千夜2人にとっての文化祭ひいては同じものは一つとてない日常の日々をどの様に彩っていくのか。その2つが混在した回であると言え、故に前半と後半では同じ文化祭の準備であったとしても、受け取る印象はだいぶ違うと考えている。とは言っても、私としては先月号の様に「感想・考察を書いていく為の原動力」を今月号では上手く捉えられていない為、書く内容には相当に苦心惨憺*3している様(ザマ)ではあるが、こんな事は過去に何度もあった為、今回も「長くやっていればそんな事もある。」と思いながら、何とか書きまとめたい。ここまで来ると、どんなに苦労しても簡単に諦めようとは思えないんだよねぇ......。往生際が悪いと言うのか何と言うか。今となっては大分変わったけど、やっぱりごちうさには色々と思い入れがあるからね。それを簡単に手放す事程勿体ない事は無いと思うんだよ。

 それに、一度手放したら例え後に復帰する事があっても、多分嘗ての様には二度と戻れないと思う事も、簡単にごちうさを手放したりしない理由としてあるんだと思う。まぁ、嘗ての様には二度と戻れないとは言っても、他方で「一度手放して、再び戻ってきたからこそ得られるものもある」と言うのもまた事実だし、そこから「一度は手放さなければ絶対に得られないものも、世の中には存在する」という言説を己自身にも構築する事だって出来るのだが、私にはそれをする事が出来なかった。自分が築き上げてきたものを自ら崩してしまう事が怖かったのだろう。こうして今日に至るまで走り続けてきた事を「悩みつつも手放さなかった判断は素晴らしい」と受け取るか。はたまた「ただの優柔不断が引き起こした、どっちにも舵を切れなかった情けない姿」と受け取るか。私としてはどちらにも自覚があるので別に何でも良いし、どちらにしても結果は「今でもごちうさファンであり続けている」と言う事には変わらないのだから、過程に対しては四の五の言う事はあっても、今この瞬間もごちうさを好きである事こそが、結果的には一番の幸せであるのかもしれない......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。先月も書いた事だが、最近のごちうさは濃密な心情描写が描かれる機会がとても多く、しかもそれが連続して描かれるが故に、それらの描写に対して何時しか慣れが生じてきて、結果的に動じる事が無くなっていっているのが私の現状でもある。しかしながら、慣れが生ずるとは言っても琴線に触れる感覚を失った訳では無い。単にものの見方が変わったと言うだけの事である。あと思い当たる節があるとするなら、サスペンスホラーテイストのマンガ作品の観過ぎ故に、驚きや恐怖に対する感覚が変化しているせいだろうか......。

ハチャメチャさと精細さの共存

 まずは今月号の要たる「文化祭準備期間における軌跡」について書き出したい。今回の文化祭準備期間は、兎に角ハチャメチャな雰囲気が目立っていた部分と、ココ千夜2人が持つ繊細な心情が色濃く描き出されていた部分の2点が骨子(こっし)になっていると考えており、前者は嘗て原作5巻で行われた文化祭の流れを、後者は原作5巻の文化祭及び原作8巻から9巻にかけての旅行編の流れを汲んでいると思われる。

 ハチャメチャな雰囲気と言うのは、前提として心愛ちゃん達が通う学校には、学年が上がる度にクラス替えが存在する事が関係している。流れを言うと2年生(原作5巻時の文化祭)の時に同じ仲間だったクラスメイトが、3年生(今回の文化祭)には違うクラス即ちライバル関係になり、ライバル関係になったからには、互いに1歩も引かないせめぎあいの精神を持つ事を意識するようになり、それが今回のハチャメチャな雰囲気にも繋がっているという訳である。まぁ、別のクラスになったからせめぎ合い云々とは書いたが、何と言うのか、クラスは変わっても根底にある信頼関係は強固なままなんだなぁと思う関係性でもある。

 ハチャメチャさを具体的に言えば、ココ千夜2人が接触しようものなら、実際にはノリの範疇(はんちゅう)とは言っても、どこぞの不良マンガの雰囲気みたく一触即発の雰囲気を出したり、ノリとは知らず(?)に同じ学校同士でギスギスしあう雰囲気を制止しに来た委員長が、事実を知った途端、およそ委員長と言う立場の人が言う事ではないセリフを飛ばしたりと言った感じで、一見すると「これやばくねェか?!」とならなくもないし、抑々そういうノリはごちうさにおいてはあまり見ないが故に、その意味でも意外性を感じてならない*4。だが、それは逆を言えば日常系のノリで、ちょっとした不良マンガの雰囲気をも堪能出来る絶好の機会ともなる為、ここは1つのマンガに様々な雰囲気を採り入れ、尚且つそれらを絶妙に落とし込んでいるごちうさの強きポテンシャルと言うべきだろう。私としてはそんなの見せられると、ジョジョ4部「ダイヤモンドは砕けない」を思い浮かべるのは言うまでも無いが。

 中盤からはココ千夜2人を中心とした物語像へと変化しており、途中同じ学校の年下のチノフユや、理世ちゃんの同級生にして未だ素性に謎が多い結良ちゃん等も登場し、何れも心愛ちゃんよりも千夜ちゃんに対してより大きな影響を与えている。ただ、あくまで軸となるのはココ千夜2人の「心情」にあり、その心情において共通している事の中で重要なのは「誰かの為に何かをする事に喜びを感じている事」「『この喜びの時がずっと続けば良いのに......』、と思う事もある事」で、前者はそのままごちうさが持つ「受け継ぐ物語」にも通ずるもので、後者は将来的にほぼ確実に直面するであろう「一時的に別々の道を歩む事」に通ずるものである。

 前者に関しては、原作5巻における文化祭や、原作8巻から9巻にかけての旅行編に挙げられる様に、自分から何かをする事で、相手の成長を促したり影響を与えたり、巡り巡って相手から自分に影響を与え返して貰ったりする事で、これは言わずもがなではあるが、ごちうさの物語の根幹をなす要素の1つであり、この要素があったからこそ、智乃ちゃんや冬優ちゃんは大きく成長を遂げた訳だし、心愛ちゃんや千夜ちゃんにしても、精神的に大きく成長を遂げてきた訳でもある。

 しかし、これらは「同じ時と空間を共有している事」が非常に重要な要素として機能している為、どちらか一方が欠けると今まで同じ様にはいかなくなるのも事実であり、現実問題として心愛ちゃんと紗路ちゃんは、高校を卒業した暁には、心愛ちゃんはパン作りの更なる精進の為に、紗路ちゃんは都会の国立大学に進学する為に、それぞれ木組みの街を離れる事がほぼ確実視されている為、今回の文化祭の準備も含めて「今この瞬間しか出来ない大切な日々」と言う事実が、ココ千夜2人ひいては木組みの街の住人には存在している訳である。そしてそれは、できる事なら無くなって欲しくないずっと続いてほしいと願うのは至極当然のものでもある為、結果的に「今この時がずっと続けばいいのに......。」と願う事にも繋がるのであり、これが後者の「将来的には一時的とは言えど別々の道を歩む事実」を引き寄せるのである。

 だが、一方でココ千夜2人は「自分達の活躍を見てくれている人の為にも、支えてくれている人の為にも、前に進まないといけない」と言う意思も見せており、これが何気に重要だと認識している。何故なら、先の現実に対して多少なりとも狼狽える事はあっても、その様な覚悟に裏付けられた意思があるならば、自ずと進むべき道も切り拓けるからであり、ココ千夜2人にもその様な意思が備わっていると分かる事は、繊細な気持ちを持ちながらも前へと進む気概と覚悟がある事の根拠ともなる意味で重要だと思うのである。最早当たり前の様にジョジョ5部「黄金の風」の主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」の影響をあっぴろげにしているが、この様な概念を説明する際に、ジョジョ5部にてジョルノが展望した概念程的確なのも早々存在しないのだ。

一線を画し続ける者の到来

 次はこのごちうさにおいて、同級生にして昔なじみの理世ちゃんをはじめとして、皆とは一線を画し続ける者、もとい狩手結良ちゃんが見せた動向について書き出したい。結良ちゃんと言えば、理世ちゃんと同じお嬢様学校の高校生時代には吹き矢部長を務め、現在は理世ちゃんと同じ大学に通う傍ら、理世ちゃん宅にて奉仕活動に勤しんでいると言う人物であり、第一印象としては容姿端麗な淑女と言った所である。また、理世ちゃんとは昔なじみでもあり、現在でもその縁で同じ大学に行ったり、理世ちゃん宅に奉仕活動する事にも繋がっていると言える。

 しかしながら、掴み所のない性格に加えて、普段から何を考えているのか良く分からないが故に、彼女が起こす行動はしばしば(一時的なものとは言え)混沌をもたらしたり、ごちうさにおいては異色とも言える雰囲気をもたらす事も多い。更に言えば、彼女自身も自分の事を積極的に見せようとせず、それでいてあくまで自分独自の路線を貫き続けている様な姿勢も相まって、結果的に「作中随一のトリックスターとなっている印象が強くある。その為、混沌と不気味な要素をもたらす人物として描かれる事もしばしばだが、一方で何者にも染まらず、自分独自の色を持ち続ける結良ちゃんは、正に「皆とは一線を画し続ける者」と言えよう。

 そんな結良ちゃんだが、今回は文化祭の題材に関して滞っていた千夜ちゃんを手助けする形になる......、のだが、そこに至るまでの経緯も彼女らしい颯爽(さっそう)とした雰囲気故に掴み所のない様子が見え隠れしており、どこにいっても変わらない結良ちゃんには最早安心感すら覚える。ただ、今回の千夜ちゃんとのやり取りにおいて、今までと違った事として「妙に緊張感あふれる雰囲気にならなかった事」があり、結良ちゃんはその掴み所のない雰囲気に加えて、何を考えているのか分からない飄々(ひょうひょう)とした言動で、理世ちゃんをはじめとした木組みの街の住人達を多少なりとも圧倒する事もしばしばあった*5のだが、今回の千夜ちゃんに関しては、一部を除いてその様な雰囲気は存在していなかったので、ある意味このカップリングは稀有なものなんだと思った。まぁ、私としては結良ちゃんの何を考えているのか分からないミステリアスな雰囲気は、何だかんだ言っても凄く好きなので、今回の大人しめの雰囲気はちょっと寂しい(?)と思わなくもないが、世間一般ではそういう感覚の方がコアでニッチだと思われる訳で......。

 結良ちゃんが皆とは一線を画す存在であり続ける事は、私自身彼女が何故にそうしているのかさっぱり分からないのだが、考えられるとするなら「本来は別の色を持ちながら、自分から敢えてそういう色を演じている」か、若しくは「自分にとって一番性に合った色がそういうのだから」と言う2つが挙げられる。簡単に言えば、前者は「素の自分とはまるで違う、正に演技をしている自分を見せている」と言う事で、後者は「素の自分に限りなく近い姿を見せている」と言う事だが、この2つはあくまで「私なら結良ちゃんの雰囲気をその様な観点で捉える」と言う事に過ぎないので、個人の憶測の域を出る事はないと思われる。でも、そのキャラしか持っていない独自の色を考えてみると言うのは、やはり大切な事なのである。

 ところで結良ちゃんと千夜ちゃんが楽しそうにしているのを見て、理世ちゃんと紗路ちゃんは思わずその空間に入れずにいたと言うくだりもあり、ここは「何時もの結良ちゃん」を思わせる雰囲気だが、他方で「相変わらずだなぁ。」と思う所でもある。普通に考えて紗路ちゃんはともかくとして理世ちゃんは結良ちゃんとは昔馴染みなのだから、別にそこまで戦々恐々とする事も無かったんじゃあないのかと思うが、それはある意味「幼馴染が認める恐るべきミステリアス、それが狩手結良の魅力」とも表現できるのかもしれない。些かこじ付けがましい気はするが......。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回は書き出しにおいてどの様なテーマで書き出すべきか。その事について悩ましい思いをした為に、今回こちらのテーマにおいても果たして書き出していけるのか。多少なりとも不安はあったのだが、いざ書き出してみると現時点でも割と上手くいっているので、あまり不安に思う事も無かったのかもしれない。

嘗てと今を思う上世代の高校生

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号は先月号に引き続いて文化祭の準備期間の流れになっており、故に先月同様「過去と現代の違いと成長」を思わせる構成になっている。ただ、過去から更なる成長を遂げ、自分のやりたい事や進みたい道に向けて邁進していくチノフユ2人に対し、今回のココ千夜2人は、チノフユ2人と同じ様に自分のやりたい事や進みたい道に向けて邁進する様子もありつつも、他方で「今この時をずっと堪能していたい」と言う、未来に進む事に対する寂しさを覗かせる場面もあり、ここは高校を卒業した暁には、一時的にでもそれぞれ別々の道を歩んでいく事実をひしひし物語らせていると考えている。要するに今回のココ千夜2人からは、ある種の「悲哀」さえ感じさせる雰囲気があると言う事であり、前向きに未来へと邁進していく気概も持っているとは言え、チノフユ2人とは異なる様相がある訳である。

 今回は文化祭の準備に主たる焦点が当てられており、前半は心愛ちゃんと千夜ちゃん、それぞれのクラスメイトとわちゃわちゃしつつも楽しそうな雰囲気を色濃く覗かせ、中盤以降はココ千夜2人の心情に改めて深く迫っていくと言う構成が、読めば読む程その凄みが解ってくる印象がある。こう書くのは、最初読んだ時には、正直今回の内容に対してあまりピンと来ず、感想・考察を書く為に何度か読み返していく内に、今回の内容も今までのごちうさ同様確かな凄みに溢れていると理解したからで、それをして「やはり何度か読み返す事で解る魅力はあるよなぁ......。」と思った所存である。本当、ジョジョをはじめとして、多数のきらら系作品や百合系マンガと触れる様になり、ごちうさに対するウエイトも正直かなり減少してきているとは言っても、今でもごちうさに対する想いは失っていないのだと思えるのが何より良い事だと思うよ。

 思えばこれまで書いてこなかったが、今月号前半においては千夜ちゃんがやたら喜怒哀楽のふり幅が激しい印象がある。例えば、何時もの明るい雰囲気をはじめとして、クール且つダークな雰囲気を帯びたカッコいい姿、威勢の良い事を言った後、必ずと言って良い程に自ら威勢負けをしてしまう姿、年下のチノフユ2人に声を掛けられて、思わず声を上げるまでにビックリしていた姿等々、挙げ出すと枚挙に暇がない。特に一番最後の思わずびっくりした際に上げていた驚きの言葉に関しては、私としては正直何をもってこの様な言葉が飛び出してくるのかさっぱり理解できない有様だったが、千夜ちゃんにとってはそれだけ驚く様な事だったと言う訳なのだろうし、言葉の内容は理解できずとも、腰を抜かす程の驚きであった事は理解できるので、それはそれでいいのかもしれない。惜しむらくは、私に謎な言語を楽しむセンスが些か足りていなかった事だろうか......。そんな事実を突き付けられても、どうしようもない気もするが......。

未来へと邁進しゆく意思

 次に終盤にて見せていた「ココ千夜2人の、迷いを抱えつつも確かに存在する未来へと邁進(まいしん)しゆく意思」について思った事を書き出したい。これに関しては先の部分でも書き出した事ではあるが、ここでも改めて書き出すのは、その様な意思がそれだけ重要だと思っているからである。

 ココ千夜2人が進もうとしている未来と言うのは、ココ千夜2人だけでなく、現在登場している登場人物全員にも深く関わってくる事でもあり、その題目は「心愛ちゃん達の代が高校を卒業した暁には、今の環境からガラリと変わる事」である。判明して既に久しくなりつつあるが、心愛ちゃんは己のパン作りの腕前を更に向上させる為、紗路ちゃんは都会の国立大学に進学する為に、それぞれ木組みの街から一時的に離れる事を決断している現状があり、それは即ち今の環境は「有限」であると言う事を示している。ともすれば、一時的なものとは言っても心愛ちゃん達は離れ離れになる訳であり、そうなれば今のように気軽に会いに行く事もできなくなれば、何気ない日々を同じ時と空間で共有する事も非常に難しくなる訳で、心愛ちゃん達は「それも承知の上」でこの様な進路を決断している事は至極当然とは言っても、やはり寂しさは募るものであり、故に今回ココ千夜2人が「今の楽しい時がずっと続けばいいのに......。」と思うのはある意味当然だとも思っている。解っていても、楽しい時がずっと続くならそうであって欲しいと思うのは極普通の事なのだから。

 でも、ココ千夜2人は確かに上記の様な意思は覗かせつつも、私達の活躍を見てくれる人の為に、私達を支えてくれている人の為に、前へと進まなければいけないと言う意思を持っている。これは先も書き出した通り本当に大事だと思っていて、それには抑々論として「そう言う意思がなければ前には進めない」と言うのもあるのだが、それ以上に現状でも一定の凄みを既に持ち得ていながら、それに驕らず更なる精進と成長を望み、今自分達が構築しているかけがえのない環境を、一時的なものであったとしても、少なからず大きな影響を与えるまでの変化を覚悟してまでも行動を起こそうとしているその意思があまりにも素晴らしいのである。何と言うか、その様な意思を持っていれば、どんな事があっても決してめげない強さにも繋がると思うし、それならば最早2人には敵わないなぁ......って、思えてくるよ。人としての強みに溢れていると言う意味でも、気概と覚悟を持った憧憬すべき人と言う意味でも。

 そして、その様な2人を見ると、自分としても「迷いがあっても、自分がやりたいと思う事、やらなければならない事があるならば、最後はきっちりと前に進んでいかなくちゃあいけないなぁ。」とも思うんだよね。こう思うのは、以前から要所でそんな事を意識しながら日々を過ごしている事もあるのだろうが、単純にそういう思想を見ると、改めて気が引き締まると言うか何と言うか、地に足つく形で確かな歩みを続けていく事はやっぱり大切だと思うのが大きいんだと思う。まぁ、これは「私の場合は」と言うだけの事だが、こんな形でごちうさの影響を昇華する形もあると言う事で。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は前回に引き続いて文化祭の準備期間にあたるお話であり、前回よりも更に直接的に文化祭絡みの描写が描かれている上、主軸としても現在の高校3年生組たるココ千夜2人になっている為、先月とはまた違った形で文化祭に向けた過程を見る事ができたのが印象的である。また、先月号までは現在の高校1年生組に主軸が当たったお話が多かった中で、今回は高校3年生組であるココ千夜2人に焦点が当たっていたのも、お話の流れを考えれば順当と言え、ココ千夜2人のファンにとっては嬉しい所でもある。

 今月号はお話の捉え方に苦労した回でもあり、一番初めに読んだ時は確かにその重厚な人間物語に心動かされる場面もあったものの、先月と比べると明らかに内容を推し量る勢いが無かったのが正直な所だった。尤も、そこから感想・考察を書く為に読み返していく内に、今回のお話も最近のごちうさの要素を兼ね備えた回であると認識した為、結果的には「今月号も素晴らしい内容だった。」と言う見解に落ち着いている。但し、感想・考察ブログに関しては、終盤になって再び書く内容に手間取ってしまう事態に陥ったが、紆余曲折あっても最後には「今月号もやっぱり良かった。」となるのは有難い事なのだろう......。

 今回は何かと「未来に対する気の持ち様や、未来に対して向き合う際の考え方」に対して書き出す事がしばしばあったが、これはシンプルに「私がそういう見解を好んでいるから」である。また、私が好きな考えである「未来に対する気の持ち様や、未来に対して向き合う際の考え方」の骨子つまり重要な構成要素となっているのは、現在ではジョジョの奇妙な冒険となっているが、ジョジョを知る前からこの様な見解はずっと持ち続けており、それこそごちうさが1番の骨子だった時もあるし、それ以外にも「自分自身の人生の軌跡や経験」と言うのもある。要するにこれまでの自分が触れてきたものから構成していると言う訳であり、それこそ心愛ちゃんの様な考え方でもあるが、時系列としては心愛ちゃんがそういう考えの持ち主である事を、私が知るから私自身持っていた考えなので、そこはあしからず。まぁ、心愛ちゃんみたく根が明るく楽観的な考え方をしていると言われて否定はしないが。

 最近になってきらら系や百合マンガ、それにジョジョといった沢山のマンガを読んでいる事実を鑑みて、我ながら「相変わらず嗜むジャンルが広いなぁ。」とか思う事もしばしばあり、特にゆるふわな日常系と緊張感溢れるサスペンスホラー系みたいに、およそ全くかけ離れた特性や雰囲気を持つ作品を近いタイミングで嗜むと、我ながら「心を癒したいのか、心を緊張させたいのかどっちなんだ。」と、セルフツッコミみたく思う事もある。まぁ、答えとしては「癒しと緊張、その両方を体感したいので両方あるのが良い。」と言うものなので、客観的に見るとかなり変わった感性の持ち主となるのだろうが、好きなものは仕方が無い。一応、緊張感あふれる作品を連続で摂取すると、癒される作品が欲しくなると言うごく普通の感覚もあるが、それにしたって......、と言った所にしかならないか......。

 そして、今回のブログ記事の冒頭にて書き出した事でもある、6月上旬になってから、ジョジョの奇妙な冒険第8部「ジョジョリオン」の1巻から14巻を読んだ事に関しては、私としては「本当にここまで来たんだな......。」とは思ったものだった。第1部「ファントムブラッド」(単行本1巻~5巻)や第2部「戦闘潮流」(単行本5巻~12巻)を読んでいた頃には、ジョジョリオンなんて本当に「何時になったら辿り着くのか......。」と思っていたし、実際辿り着くまでには半年以上かかったのだが、それでも1部から累計して100巻以上の巻数を経て、今こうしてジョジョリオンを読んでいると言う事実を思うと、アニメの方も1部から6部全て*6を視聴した事も相まって、やはり感慨深いものがある。尤も、現時点ではまだジョジョリオンの全てを読んでいる訳では無いし、なにより今は第9部「The JOJOLands」(ザ・ジョジョランズ)がウルトラジャンプにて連載中なので、まだまだジョジョを追いかけていく所存でもある。

 最後までフリーダムな内容となったが、現状でも数多くのマンガ作品を読んでいる上、この感想・考察ブログにしても長期間にわたって書き続けている事、ごちうさに対する熱意にしても、良くも悪くも落ち着いたものになっている事もあり、こうでもしないと中々取っ掛かりが掴めないのである。また、きらまを読む意義にしても、嘗てと今では全く別物に変貌している*7為、今後は書く取っ掛かりを掴むのに苦労する機会は更に増えると思われるが、それでも書き続ける為の熱意を完全には絶やさない所存である事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙35枚分である。今回も書き上げるスピードは相当に速かったが、流石に先月の様にはいかなかった模様。とは言っても文量を考えると、それに匹敵する速さではある。また、最近は書きたい事を詰め込んでいく傾向が強くなっているが、それも多くのマンガを読んでいる環境が故と言う事で。

*1:後述するマンガの方ではなく、そう言う概念の方である。

*2:ただ、私の場合同時にジョジョシリーズの影響をもろに受ける様にもなったが。

*3:くしんさんたん。非常に気苦労する事といった意。

*4:但し、心愛ちゃん達の学校のクラスメイトが見せるノリに限れば、この手のノリは実の所案外珍しくはないのだが……。

*5:尤も、理世ちゃんの場合は圧倒されてばかりでも無く、普通に結良ちゃんに対抗する事もしばしばだが。

*6:尚、こちらも全て合わせるとかなりの話数である。

*7:昔は「ひとえにごちうさを読む為」だったが、今では「自分の好きな沢山のマンガを読む為」になっている。

きらま2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。つい先日予てから読みたかったジョジョの奇妙な冒険第7部「STEEL BALL RUNスティール・ボール・ラン)」の単行本を遂に購入致しまして、執筆開始時点で全24巻中15巻まで読んでいる*1のですが、読んでいる最中は「これぞ凄味だッ!」となる場面が多く、改めてジョジョの凄さに打ちひしがられている所存であります。そして、現時点で「7部のここにシビれたァッ!」と言うのは、私としてはやはり「リンゴォ・ロードアゲイン」との戦いは外せません。戦いと書く様に、リンゴォ自体は敵として現れるのですが、正しく1人の男の美学を体現した様な思想に、終始正々堂々たる姿勢を貫き、敵対する人物であっても敬意を払う事を忘れず、敗北した際にも最後の最後まで自分の美学に付き従った姿を見せ付けたその姿には、私としても「カッコイイと言うのは、きっとこういう人の事を言うのだろう......。」と思い、敵味方の垣根を越えた、1人の人間としての矜持に対して敬意と尊敬の念を示したいと思った程でした。本当、思わず泣きそうになる位にカッコイイんですよ......。

 私自身ジョジョの奇妙な冒険に関しては、私が観ている他のマンガやアニメと比較しても尚、圧倒的な頻度で何度も涙腺を緩まされてきた経験をしてきており、先ほど挙げた7部のリンゴォ・ロードアゲインもそうですが、1部「ファントムブラッド」はジョナサン・ジョースターの最期、2部「戦闘潮流」はシーザー・アントニオ・ツェペリの誇り高き勇士と、柱の男「ワムウ」が貫いた漢の美学、3部「スターダストクルセイダース」はモハメド・アヴドゥル及びイギーが見せた誇り高き精神と、騎士としての風格溢れるカッコ良さと悲哀を持つポルナレフ、4部「ダイヤモンドは砕けない」は虹村形兆が見せた涙、5部「黄金の風」はブローノ・ブチャラティの最後の最後まで変わる事のなかった偉大なる精神、6部「ストーンオーシャン」はウェザー・リポートにまつわる壮絶な過去と、最期に明かされる壮絶な人生の中でも幸福だった空条徐倫との出逢い等々、今でも思い返しただけで涙しそうな場面は沢山あります。無論、その中には心苦しくなるものもありますが、その苦しささえを超えた何かを強く感じさせられる事もあります。ただ、その苦しみを超えた何かと言うのは、最早単純な言語では説明できないものとなってしまっているのですが、その様な中でも一つ言える事はジョジョの奇妙な冒険と出逢って、私は本当に変わった。」と言う事です。本当、この漫画と出逢った事で、私のマンガに対するあらゆる思想が本当に変わった事は屈託なき確かなんです。

 長くなりましたが、今回もまんがタイムきららMAX2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は原作9巻以降の雰囲気として私が度々思い浮かべている「濃密な人間物語」と言う流れを踏まえつつ、かなり概念的な書き方にはなりますが、作品全体を俯瞰して見ると、何時ものごちうさらしい日常的な雰囲気をも覗かせる構成になっているので、その意味では結構安心して見られるのではないかと思っています。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は嘗て原作5巻にて、智乃ちゃんの進路を心愛ちゃんと同じ高校に行く決定打として大きく作用した文化祭絡みの展開が登場しており、故に大筋としては文化祭絡みとなっている。ただ、今回のメインは文化祭に直接関係する事では無く、文化祭実行委員へと立候補した智乃ちゃんと冬優ちゃんが、文化祭にて行う出し物のヒントを掴む為にフルール・ド・ラパンに職場体験する事にあり、端的に言うと「チノフユのフルール職場体験」と言うのが今回のメインとなる訳である。無論、そこはごちうさなので普通の職場体験に留まらず、智乃ちゃんの確かな信念や、冬優ちゃんの大きな成長等、しみじみする場面は多い。

 今回の扉絵は、お淑やかなお姫様をイメージした冬優ちゃんと、勇ましき戦士(騎士)をイメージした智乃ちゃんの2人が、お互いに肩を寄せ合って仲睦まじい姿を見せ付けていると言うもので、まんがタイムきららフォワードにて連載されている百合マンガアネモネは熱を帯びる」をきっかけとして百合に魅せられ、そこから百合マンガを多く読む様になった身としては「この距離感でも良いんだけど、2人してもっともーっと、仲睦まじく尊い姿を見せ付けてくれても良いんだよ。」と、普通に百合好きとしての願望丸見えな感情を抱いてもいるが、チノフユの距離感としてはこれが絶妙なのかも知れない。尚、冬優ちゃんの手には(物騒だが)毒リンゴが、智乃ちゃんの手には剣が握られているので、これらのモチーフは本編中にも出ている様な童話である事は明らかだと思われる。

 だが、私としてはどういう訳か「うわぁぁ。私にジョジョ6部『ストーンオーシャン』にて登場する、DIOの息子が1人、ウンガロのスタンド『ボヘミアン・ラプソディー(自由人の狂想曲)』を思い起こさせないでくれぇぇぇ。」となってしまっている。と言うのも、このボヘミアン・ラプソディーと言うスタンド能力、簡単に説明すると「絵本やマンガ、そして童話と言った空想上の物語を現実のものとする能力」だからであり、ジョジョをこよなく愛する私にとっては、今回の扉絵とマッチングするものを見出してしまったからである。尚、このスタンドは攻撃を受けた者の肉体と精神を強制的に分離させる能力もあり、更に分離させた者の精神だけをその空想上物語の筋書きに組み込んでしまう*2と言う恐ろしい側面もあるのだが、勿論私はその様な事にはなっておりませんので悪しからず。本当にそんな事になったら怖いのなんの......。

 今月号はチノフユの2人とりわけ智乃ちゃんが顕著に見せる「過去の出来事を踏まえた上で、自分の足で進むべき道を歩んでいくと言う意味での成長」が特に輝いていると思う回であり、その意味ではやはり原作9巻以降顕著になった「新たな日常における一歩」を体現していると言える。また、先月では散々悩んだ末に取っ散らかった内容になってしまった「お話をどの様に捉えていくか」についてだが、今回は迷いなく「新たな日常の一部」だと自信をもって言えるだけの自負を持っている。と言うか、今となっては「なんで先月号はあんなに悩んだんだ?冷静になって考えてみりゃあ、別にそうドツボにハマる様な事でも無かったのに......。」となっており、そう思うと私は今のごちうさに対して「積み上げてきた日常や経験をもって、確かな成長を伴いながら新しい日常へと突き進み続けている」と言う信念を、迷いがあった時でも実はしっかり持っていたと言えるのだろう。

2.購読した感想・考察

 

今回の内容に対する感想・考察

まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今月号は最近のごちうさには最早欠かせない概念とも言える濃密な心情描写を元手にした成長の歩みが印象的であり、ここまでくるとそれが当たり前過ぎて動じなくなってくる程だが、濃密な世界観と言うのは、色々言っても何かしら琴線に触れさせてくるのである。

勇気ある前進

 まずは今月号序盤において智乃ちゃんが見せ付けた勇気ある行動について書き出したい。今月号序盤においては来たる文化祭に向けて実行委員を誰にするかを立候補で決めようとするくだりがあり、これは当然ながら責任が問われる事でもある為、そう簡単に立候補できる程簡単な事では無い。だが智乃ちゃんはその様な重役に対して怯えがありつつも、自ら実行委員をやると名乗りを挙げた訳であり、それに追従する形で実行委員に名乗りを挙げた冬優ちゃんも含めて、この勇気ある行動は2人の大きな成長と変化を指し示していると思った次第である。

 智乃ちゃんも冬優ちゃんも、性格的には内気で積極的に前に出ていく事は不得手なタイプではある為、以前の彼女達なら恐らくやりたいと思う事も無かった可能性は十分にあるし、やりたいと思っても勇気が足りず、結果的に出来ないまま終わっていた可能性も十分にあった。それが今回2人共に多少なりとも怯えつつも実行委員に立候補したと言う事は、前述の様に彼女達が勇気ある一歩を踏み出せる様になった証でもあるし、物語を俯瞰して見ると「過去にそれで輝かしい人達を見てきたからこそ、今度は自分達がやりたいと思った」と言う、いわば先人達(と言っても1年・2年の先輩だが)の想いを自分達が継ぐ構図があるのも良きポイントだと思う。

 この先人達と言うのは、智乃ちゃんと冬優ちゃんにとっては言わずもがな心愛ちゃん達高校生組4人の事を指し示しており、心愛ちゃん達は嘗て原作5巻にて、学校の垣根さえ超えた友情と結託を見せ付けており、これは後にごちうさにおいては最早十八番とも言える「あったかもしれない日常」を体現するお話として、私としても今でも相当なターニングポイントとして印象に残っている。そして、智乃ちゃんはその心愛ちゃん達の奇跡とも言える関係性をずっと間近で見てきた訳であり、故に智乃ちゃんとしても本人からも度々言っていた様に「何時かは心愛さん達の様な人になりたい」と言う願望があった事は想像に難くなく、今回の立候補は、そんな智乃ちゃんの内なる憧憬を自分の手で獲得する第一歩でもあるのではないかと思った。

 また、その勇気ある一歩を切り開いた智乃ちゃんに追従する形で、普段の内気な自分を打ち破る程の勇気ある行動を示した冬優ちゃんに関しては、彼女は原作8巻の旅行編以降にて登場した人物である為、智乃ちゃんと比べると心愛ちゃん達と共に過ごした時間こそ少なめなのは事実である。しかしながら、冬優ちゃんは心愛ちゃん達だけでなく、その心愛ちゃん達に感銘を受けて既に大きな成長を遂げつつある智乃ちゃんやマヤメグと共にしている為、嘗ての智乃ちゃん達と比べると成長の切っ掛けを掴むのが圧倒的に早いと言う傾向があると考えており、今回の勇気ある行動は、自分よりも先に成長を遂げる事の意味を知っている智乃ちゃんを支える為の行動でもあったと捉えており、そこには成長の切っ掛けを掴むのが早い冬優ちゃんの強みが活かされているとも思う。尤も、冬優ちゃんとしては「智乃ちゃんが自分じゃない人と一緒に実行委員をやる位なら、自分がやる」と言わんばかりの意思を見せていた為、どちらかと言えば智乃ちゃんを他の人にはとられたくない心情が大きかったようにも思えるが、それはそれで私としては「親友をとられたくないから実行委員を名乗り出るなんて、冬優ちゃんも可愛い所あるじゃん。」となる案件でもある。やっぱり普段から仲良くしている友達なり親友なりが、自分と違う人と仲良くしようとする光景を見ると「友達をとられたようで面白くないッ!」と、それが何処までも一方的なやきもち焼きでしかないとは分かっていても、そう言った心情は少なからず生まれるものなのだろう。

フルール・ド・ラパンで掴んだもの

 次にチノフユの2人が職場体験先として選んだフルール・ド・ラパンにて、2人がそれぞれ掴んだものについて書き出したい。抑々フルール・ド・ラパンと言うのは、紗路ちゃんが主たるアルバイト先*3をしているハーブティーを専門とした喫茶店であり、制服がロップイヤーにメイド服を彷彿させるものと中々に趣向性の強いものではあるが、お店としては普通に雰囲気の良い喫茶店*4であり、個人的には趣向性さえ理解すれば後はとんとん拍子に楽しめるタイプのお店だと思う。尚、これらの趣向性の強い雰囲気は基本的に店長考案のものらしく、嘗ては紗路ちゃんがそう言及するのみに留まっていたが、今月号を含め最近になって店長本人が登場する事もあり、一見するとお淑やかで物腰柔らかい雰囲気を持ちながら、紗路ちゃんの言及通り強烈なまでに個性的な価値観を持った人で、人より若干ズレた感覚の持ち主である事も相まって中々にぶっ飛んでいる*5。ただ、ハーブティーに対する熱意は本物であり、それは嘗てブラバにどんなに良い買収案を持ちかけられても決して自分の意思を曲げなかった(=フルールの看板を捨てなかった)事や、今月号の智乃ちゃんに対する約束事からも窺える。

 そんなフルール・ド・ラパンだが、今回はチノフユ両者の確かなる成長とそれに付随する意思が明確に描かれており、特にそれまで笑顔を見せようにも顔が強張ってしまい、上手く笑顔を見せる事ができなかった中で、今回フルールにて紗路ちゃんと智乃ちゃんの幸福論を聞いて、ハッピーとは何かについて自分なりの答えを掴み、遂にお客さんに対しても美しき笑顔を見せられる様になった冬優ちゃんの成長は著しいものがある。本当、私自身人間はきっかけ1つで大きく自分を変えられると信じている*6とは言え、まさかここまで成長した姿を見せ付けてくれるとは思いもよらなかったし、ここに至るまでは冬優ちゃんの不断の努力があってこそだが、何と言うのか、個人的には「そういう美しき笑顔を見せてくれてありがとう。」と言う気持ちが芽生えている。

 一方の智乃ちゃんは今までの自分の成長の軌跡を見せ付ける様な姿を見せつつ、文化祭の実行委員として「自分達がやるべきものとは何か」を明確に見付けた姿が印象的であるが、他方で初期の頃の智乃ちゃんではまず考えられなかった姿も多く見受けられており、正直に言うと「まるで別人だ......。」とすら思う程である。何と言うか、智乃ちゃんが感情豊かな人物へと変化し始めたのは割と早い段階からだったのに、原作11巻も越えて未だその事実に戸惑いがあるのは、私自身何年経っても昔の智乃ちゃんのイメージが未だ残り続けている事を指し示している様で情けない気持ちにはなる。まぁ、今の智乃ちゃんが過去とは比べ物にならない位に成長したのは事実だし、その成長スピードも中々に早い事も事実なので、ここはひとつ「智乃ちゃんの成長に追いつけない者の心情」として思っておいて欲しい。

 色々と書きまくっているが、今回の智乃ちゃんは冬優ちゃんを勇気づけるとともに、自分だって屈強な人間ではなく、普通にプレッシャーがかかる人間だと冬優ちゃんに告げる所が凄く印象的且つカッコイイ所だと思っており、ここから智乃ちゃんは「先導者だからと言って完璧な姿でいる必要は無い」と考えている事と「自分にも不安がある事を伝える事が、友達を勇気づける事にも繋がる」と考えている事が良いのである。そう思えば、フルール・ド・ラパンにおける智乃ちゃんが見せ付けたのは、彼女が思う友達に対する矜持の一端とも言えるのかも知れないし、自身にとっては姉同然の存在たる心愛ちゃんとは大きく違う点でもある。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今となっては前半、後半共に主観的な展望をちょくちょく入れ込んでいる為、この様な区分けをする意味も薄れてきている気はしない訳でも無いが、他の区分として前半は具体的な題目をもった記述、後半は抽象的若しくは俯瞰的な題目をもった記述となっているので、今後はその様な区分の方が合っているのかもしれない。今の所はどうこうしようと言う気は特段無いし、今回に限ってはその区分さえも曖昧な気がするが......。

新境地へ馳せゆく新世代の高校生

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号は嘗て原作5巻で開催されていた文化祭が、1年の時を経て再び準備期間に突入すると言う流れになっている為、今後の物語の骨子としては原作3巻と6巻にあったクリスマス回、原作5巻と先月号のマラソン大会回等々を彷彿とさせる「過去と現在の違いと成長」を色濃く感じさせるになるのではないかと思っている。ただ、今月号時点では文化祭のくだりが云々と言うより、フルール・ド・ラパンの職場体験にて新境地へと飛躍していく切っ掛けを掴んだ2人の高校生の方が印象的かつ重要だと思っており、それを思えば今回は文化祭回における重要な下地を構成した回とも言える。

 今回はフルール・ド・ラパンにおける2人の高校生の躍進も印象的だが、それ以上に今年も文化祭の描写がある事の方が個人的には驚いた。と言うのも、正直な所「季節的には文化祭の描写があってもおかしくはないけど、今年も文化祭を描写する可能性はあるのかなぁ......。」と、2年連続文化祭が描写される事に確信も根拠も無かった為で、前提として「文化祭回を見たくないと言う訳では無かった」のは当然だが、他方で文化祭が描写されると言うビジョンが見えていた訳でも無かったので、結果的に驚きの感情をもって、今回の文化祭実行委員の立候補の描写を見ていたのである。ただ、結果論にはなってしまうが、私としても最終的には「今年も文化祭の描写があって良かった。」となっており、理由は言わずもがな智乃ちゃん達新世代の高校生の更なる躍進が見られる事がほぼ確実となった為であり、現金な自分に対して我ながら「単純」と思わなくもないが、新世代の高校生の更なる成長が見られると言うのなら、別に細かい事はもう気にならない。極論を言うなら、気にしても最早時間と気力の無駄である。

 思えば心愛ちゃん達が嘗て文化祭にて大活躍していた姿を見て、智乃ちゃんとしても心愛ちゃん達と同じ様になりたいと言う事で文化祭実行委員に立候補するなんて、智乃ちゃんの行動力は凄いなぁと思ってもいる。尤も、心愛ちゃんみたく何の恐怖感も感じさせない程力強い立候補ではなく、元々が内気な彼女を色濃く反映するかの様に多少なりとも恐怖心を感じさせるものではあったが、個人的には「例え恐怖心があっても行動に移せるのが凄い。」と思っており、そこには「人間頭で分かっていても、(私も含めて)そう簡単には行動に移せはしない」と言う、私自身の経験則としても世間一般論としても身に沁みる程解らせられてきている厳しい現実が関係しているが、今回に限ってはその厳しい見解があるが故に智乃ちゃんの凄みを称賛できるので、そこは利点と言えよう。

理想像への邁進

 次は今月号終盤にて智乃ちゃんが見せ付けた文化祭に対する意気込みと、智乃ちゃん自身がやろうとしている事に自ら思いを馳せていた事に対して思った事を書き出したい。これまでも度々書き出してきた様に、智乃ちゃんは今回の文化祭に対して熱烈たる想いを見せ付けており、それは勇気を出して文化祭の実行委員に立候補した事からも明らかだが、個人的には今月号終盤で見せた「去年の心愛ちゃん達の姿に憧れて立候補した」と言う事実も非常に重要だと思っており、それに対して智乃ちゃんは恥ずかしそうな態度を見せていたが、個人的には「去年の心愛ちゃん達に触発されて今年は自分が積極的に文化祭を推し進めたいなんて、智乃ちゃんも自分の道を歩み進めているんだな。」と思っている。

 また、智乃ちゃんは終盤にてフルール・ド・ラパンに職場体験に行った事、そのフルール・ド・ラパンにて自分が推し進めたい新たなセカイを開拓した事を思い浮かべ、これがもしおじいちゃんがこの場にいたらこう言っていただろうと思いを馳せていたのも印象的であり、その際の智乃ちゃんがさほど悲観的な印象を受けなかったのも印象的だった。ただ、後者に関しては智乃ちゃんの明確な感情表現がある訳では無いので、智乃ちゃんの気持ちを文章で表されたものから吸い上げたに過ぎないが、前後関係や当該文章を見る限りは、智乃ちゃんが悲観的な状況に陥っているとはとても思えないし、何より智乃ちゃんは根底に確かな強さを持った人間なので、そこは彼女の強さを信じたい。

 そして、個人的に気になったのは、智乃ちゃんとしてもおじいちゃんに対して「コーヒーへの拘りが強いあまり、他の喫茶店と協力したがらない」と言う認識がある事である。これに関しては智乃ちゃんのおじいちゃんは元来コーヒーに対して強い拘りを持つ職人気質であったので、おじいちゃんの事を良く知る智乃ちゃんがそう思うのはある意味普通ではあるし、おじいちゃんとしても智乃ちゃん達が新たに創り上げようとしているものに対して、自分が創ったものを変えられていく事に時たま寂しさを覗かせる事はあっても、真っ向から否定する事はなかったので、私としてもおじいちゃんが他の喫茶店と協力したがらなかった事そのものは、彼の強き信念として理解しているし、智乃ちゃん達がやろうとしている事にもきちんと理解を示してくれていた以上、それに対してどうこう言うつもりは毛頭ない。

 では、何がそこまで私の気を引き留めたのか。それは智乃ちゃんとしてもおじいちゃんの信念をよく理解した上で、彼女はおじいちゃんとは違う道を進む事を胸に秘めていると言う事実である。これに関しても、智乃ちゃんが自分の理想像を持っている事を確かめたからこそ、おじいちゃんはサキさん*7に導かれたと言う経緯がある為、今月号における描写は「智乃ちゃんが持つ理想像の再確認」となる訳だが、私としては例の花火回において、おじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまった事に対して智乃ちゃんが少なからずショックを受けていた事に対して鮮明に刻み付けられるものがあった為、今回智乃ちゃんが持つ理想像を改めてみて、私としても「一時的に悲しみに打ちひしがれる事はあっても、彼女は強い信念に基づいた理想像がある。彼女はもう昔の心を閉ざした彼女には戻らない。」と思えたのはあまりに大きいものがあり、これがそのまま私の気を引き付けた理由なのである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は嘗て智乃ちゃんの進路を決定付けるターニングポイントとして、あったかもしれない日常を体現するものとしてその名をほしいままにしている文化祭が、1年の時を経て再び始動すると言う流れになっており、その意味では原作12巻範囲における中盤から後半の見せ所の始まりにあたるのが今月号になるのだろう。また、ここ最近のごちうさは、先々月号のメグエル、先月号のマヤナツメと言う様に、新世代の高校生組に焦点が当たったお話が多く、今月号もその流れを汲む様にチノフユ2人に焦点が当たっていたので、その意味でも順当な流れを踏んでいると見ている。尤も、今後は文化祭へとシフトしていくと思われるので、その道筋は分からないが、個人的には色々な人にスポットが当たった方が、物語としてはやはり面白いと思う。

 今月号も最近のごちうさの例に漏れず「濃密な人間物語」と思う描写が少なくなかったが、慣れと言うのはやはり恐ろしいもので、読んでいて心のどこかで「今回は先月号や先々月号に比べて濃密さは若干鳴りを潜めているかな?」と思いもした。客観的に見れば、今月号も先月号や先々月号にひけを取らないレベルで濃密な人間物語が描かれているのだが、そう感じさせないのが人間の感覚のある意味で凄い所であるし、恐ろしい所でもある。

 今回は智乃ちゃんの理想像を改めて裏付ける様な展開が登場したのが印象的だったのだが、私としては、自分自身のも含めた人間が持つ「理想像」に対しては2つの展望を持っており、大きく分けて「理想像があるならそれに邁進すべき」と言うのと「理想ばかり見ていても、現実に落とし込むには困難が多い」と言うのであり、いわば「理想像に対して肯定的な自分」「理想像に対して多少なりともストッパーをかける自分」がいる訳である。こういう事になっているのは、私が常日頃から複数の見解を持つ様に意識しているからで、今回の智乃ちゃんの展望に対しても、基本的には彼女の理想像に対して「目指したい世界があるならそれを目指すのが一番。」と思っているが、他方で多少なりとも「嘗ての特徴を残したまま、その上に新たな特徴をラビハに取り込もうとする事は、果たして本当に可能なのだろうか?」と言う懸念もあり、そこは理想と現実のせめぎ合いとなっている。

 しかしながら、私としては「諦める事で分かる事もあるし、理想を捨てる事も強さの一つ。」とは思いつつも、突き詰めると「最終的に己が立てた理想像を掴み取るのは、現実を見つつも最後まで己の理想像を捨てなかった者だけだ。」とも思っており、故に現実を見て打ちのめされる事はあっても、それで理想像を捨ててしまえばその先の道は開けないと言う立場をとっている人間でもある。その中で、今の智乃ちゃんが採っている行動は、正しく「自分の成し遂げたい事に向けてのもの」である事は明らかである為、私としては「智乃ちゃんなら将来きっと自分が立てた理想像を、多少形が変化する事はあってもきっと掴み取れる。」と思っており、そこは私としても譲れはしない信念でもある。

 今回は序盤においてはジョジョの影響を強く受けた内容となったが、進むにつれてごちうさオンリー色が強くなっていった*8と言う結果になった。正直何でこうなったかは自分でも良く分からないし、それを正当化するつもりも無いのだが、それ位フリーダムに書いているからこそ、今まで書き続けられている様にも思えている。だからかどうかは分からないが、今回はこれまででも一二を争うレベルの執筆スピードだった事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙28枚分である。今回の感想・考察記事の執筆スピードは歴代でも随一のものだが、今回に限らず最近の記事は大体数日で書き上げる事が多いので、意外とお手のものだったり。尚、ここまで素早く執筆するのは「記憶が無くならない内に書きたい」と言うのもあるが、一番は「他にも沢山のマンガを気兼ねなく読みたいから」と言うのが大きかったり。今やきらら連載作品だけでも20以上読んでいるなんて、このごちうさ感想・考察記事を書き始めた頃には考えられなかったが、あの時から大きく変化したのだ。

*1:完成時点では24巻まで全て読み終えていました。面白くてとんとん拍子に読んでいたもので。

*2:例えばごちうさに引き込まれた場合、ごちうさに登場するキャラクターの誰かと全く同じ行動を辿る事が決定付けられると言った具合である。こう言えば聞こえは良いかも知れないが、原作を読めば分かる通り、実際にはそんな甘い話ばかりでは無い訳で......。後、非常に難解なスタンド能力なので、解釈違いがあったらすみません......。

*3:紗路ちゃんは度々アルバイトをフルール・ド・ラパン以外にも掛け持ちしている様子がある為。ただ、基本的にはフルールが主たるものらしい。

*4:恐らく好立地でもあると思われ、後述する様にブラバサイドが喉から手が出る程欲しがるのも納得できる。

*5:ただ、人よりズレた感覚の持ち主なのは、ごちうさにおいてはフルールの店長以外にも多数該当する事ではあるが......。

*6:無論、そこには「良い意味でも悪い意味でも」と言う両方の観点があるのは言うまでもない。これに関しては現実を踏まえた見解でもある為、嘘をつく事はできない。

*7:智乃ちゃんのお母さんの事。智乃ちゃんが幼い時に亡くなってしまっているが、智乃ちゃんはその事実を乗り越えている。

*8:但し水面下ではジョジョの影響をもろに受けており、あくまで顕在化した形で表れた頻度が減少したに過ぎない。

きらま2023年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近もジョジョの奇妙な冒険が大好きである事には依然変わりがなく、この間遂にジョジョの奇妙な冒険第9部「The JOJOLands」(ザ・ジョジョランズ)の第1話を読んでみたのですが、読んでいる最中はその展開にずっと興奮しており、改めて私がジョジョ好きである事をひしひし感じる出来事となりました。ホント、マンガを読んでいてここまで興奮するのはジョジョ位なものですよ。なので、お金の関係で7部「スティール・ボール・ラン」と8部「ジョジョリオン」を読めていない現状を思うと、中々に困りものです。まぁ、多趣味故に何かとお金がかかる自分が悪いと言えばそうですし、今でも1部「ファントムブラッド」から6部「ストーンオーシャン」までは全て読んでいるので、ちょっとは我慢しろと言われれば、最早受け入れる他ないですけど......。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年6月号掲載のごちうさ感想・考察を書き出したいと思います。今回も前回に引き続き濃密な人間物語と言うテイストが強くあり、それをして最近の私は「ジョジョみたく人間の良い所が深く描かれているのは凄く良いッ!」と思う事もしょっちゅうなのですが、そう言っているからには、私としては「今月号もとても素晴らしいお話だったッ!」と思っている訳でして、まったく最近のごちうさは、めちゃくちゃ粋な事をしてくれるじゃあないかと感銘を受けている所存でもあります。尤も、既に何を言っているのか良く分からなくなりつつあるので、この辺で切り上げたいと思いますが、ここからは真面目に書き出していきますのでご安心下さい。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は嘗て原作5巻に描かれていたマラソン大会が登場している為、嘗てのオマージュ要素が多いと思いきや、私が見た感じ嘗てのオマージュは若干控えめな印象を受けており、代わりに濃密な人間関係ひいては心理模様が描かれている。そして、その心理描写が一際目立っているのはブラバ組の一人にして、映月ちゃんの双子の妹である夏明ちゃんであり、その夏明ちゃんと深い関わりを持つ麻耶ちゃんとの関係性も相まって、今月号は先月号でスポットが当てられていたメグエルに対比する形で、マヤナツメと言うカップリング及び夏明ちゃんの心情変化が構成されていると言える。

 今回の扉絵は、大人びた雰囲気をふんだんに醸し出している格好をした麻耶ちゃんと夏明ちゃんの2人が手を取り合い、2人にて一定の雰囲気を向いていると言うもので、全体的な雰囲気は色合い含めて先月号の対比となる様に構成されているのも印象的。因みに今回も神々しい雰囲気の扉絵だった事をして、個人的には「ごちうさの扉絵の趣旨は、新手の絵画展来会なのか!?」と言う印象も抱いている。尤も、絵画展覧会と言うのは完全に私の勝手なるイメージだが、私としても他のマンガも色々読む様になって、ごちうさが一際扉絵の美しさが(毎月の様にセンターカラーである事も相まって)際立っている事を鑑みた上での見解なので、断じて何の根拠も無いでっちあげを書いている訳ではない事は言っておく。

 今月号は夏明ちゃんの内なる心情の変化と、それを支えた友達との関わりが光り輝いている回であり、広い目で見れば先月号でも称した「新たな日常の一部」となるのだろうが、今回は夏明ちゃんの内なる心情に大きく踏み込んでいった事に大きな意味を持っている為、私としては単に日常の一部と括るには惜しい、人としての大いなる魅力に溢れている回だと思っている。ただ、最近のお話に共通する雰囲気をもって、自分で「新たな日常の一部」と言う括りを作っておきながら、今月号ではその括りに入れたいのか入れたくないのか。どうにもはっきりさせられないのは我ながら良くない......否、ハッキリ言うと駄目な事だとは分かっている。しかしながら、ごちうさに限らず、人生における出来事と言うのは「点で見れば印象的な事でも、年単位の長い目で見れば正に日常の一部を切り取った一瞬の事」となるので、ここはそう簡単に割り切る事なんてとても出来ないのだと理解して欲しい。本当、何でも簡単に割り切れるなら人生苦労はしないよ......。些か大仰な気がするけど......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今月号は先月号以上に濃密な心情描写と、そこに付随する人間関係の美しさが非常に魅力的であり、その魅力は私の深淵たる情熱を突き動かすには十分である。

ラソン大会を通じて見える友情

 まずは今月号の主軸と言えるマラソン大会から見えてきたものについて書き出していきたい。抑々マラソン大会と言うのは、嘗て原作5巻にて心愛ちゃん達が通う高校で行われていた行事であり、この時は紗路ちゃん達が通うお嬢様学校の方では、マラソン大会が開催されている描写は特に無かったが、今回はお嬢様学校も合同と言う形でマラソン大会に参加しているらしく、必然的に大学生となったリゼユラ及び大人組を除いた面々が参加する格好となっている。ただ、その中でスポットが一際当たっているのは、前述の夏明ちゃんと麻耶ちゃんであるが、それに関してはのちほど詳しく書き出すとする。

 その事もあって、常識的に考えてみれば基本的には大人数でマラソン大会に向けた特訓に励む事になる訳なのだが、マイペースコンビたる心愛ちゃんと千夜ちゃんは、朝が弱い傾向にある為に度々特訓をすっぽかしてしまったり、冬優ちゃんと麻耶ちゃんは、特訓に参加するからにはきちんと参加している様だが、2人共早朝故にどこかぼんやりした様子を浮かべていたりと、良くも悪くも各々が割と自由な立ち振る舞いを見せており、改めて「木組みの街の住人達は個性が強い。」と思うには十分である。

 そんな個性豊かな面々によるマラソン大会の特訓だが、ここでは「友達の為に尽力を尽くす光景」が改めて見受けられており、早起きする事に不安がある心愛ちゃんに対して、夏明ちゃんが起きられる様にモーニングコールを提案*1してあげたり、マラソン大会や姉である映月ちゃんの事に関して色々ともどかしい思いを抱えている夏明ちゃんに対して、姉と妹どちらにも憧憬意識を持つ心愛ちゃんが発破をかけたり*2と、総じて友達と助け合う事を前提とした立ち振る舞いが多く見受けられており、木組みの街の住人達の固い絆及び信頼関係を如実に示している。

 また、マラソン大会本番では神沙姉妹2人と麻耶ちゃんがちょっとした熱いバトル展開を繰り広げており、そこでは夏明ちゃんが抱える「一人勝ちに対する戸惑い」が見え隠れしているが、それに対して映月ちゃんと麻耶ちゃんは挑発的な態度で夏明ちゃんを嗾け、結果的に夏明ちゃんの前に出たくても出切れない状態を吹っ切らせると言う、正に「バトルを通じて熱い友情が更に確固たるものになり、また当該人物の気持ちさえも変化させた」と思わせる展開は激アツものである。因みにその場面では普段おっとりしている映月ちゃんが、夏明ちゃんに対して結構強烈にかましていたので、思わず「映月ちゃんにもそういう一面あるんだね。」となったが、映月ちゃんは普段おっとりしているとは言っても、ここぞという時の芯の強さと度胸、そして闘争心は本物なので、案外様になっているのかも知れない。現にちょっとムカつく感触こそあるにはあるが、嫌な気は全くしないし、寧ろ嬉々とした雰囲気でその様なかましさえできてしまう事にある種の魅力さえ感じる位である。尚、その様な嗾け合いもあってか、麻耶ちゃんと神沙姉妹の順位は普通に上位であり、普通に身体能力の良さを披露している。

 尚、他の面々については本編においてガッツリ描かれている訳では無かったので、どの様な様子かを逐一窺う事は難しい。ただ、コマとしては描かれているので、そこから察する事は出来るが、総じて言うと「ちょっとぉ......。色んな意味でもっとしっかりしないと駄目だよぉ......。」と言った感じであり、特に心愛ちゃんと千夜ちゃんに関しては「去年から何も変わっていねぇじゃあねぇかッ!しかも何だったら去年より悪化してねぇかッ?!」と、思わずお笑い的なノリのツッコミを入れたくなるものだった。つまりお世辞にも結果が振るったとは言えない訳であり、色んな意味で心配にもなる有様だったが、当の本人達はガチガチの勝負に拘っていた訳ではない様なので、それでよいのかも知れない。尤も、それにしても心愛ちゃんと千夜ちゃんの面倒見をする羽目になった紗路ちゃんは気の毒だが......。

夏明の内なる心情と後押しした麻耶

 次に今回のマラソン大会にて一際スポットが当てられていた夏明ちゃんが秘めていた内なる心理と、その夏明ちゃんを大きく後押しさせた麻耶ちゃんの言動について書き出したい。抑々夏明ちゃんと麻耶ちゃんのコンビと言うのは、お嬢様学校高校1年生組においてはメグエルと双璧を成す存在であり、普段はお互いに負けん気が強い性格故に何かについて言い争いをしたり、お互い素直になれない性格が災いして意固地になったりする事もしばしばだが、心の底ではお互いの事を認め合っており、その気になった時の相性はとても良い事から、いかにもバトルマンガに出てきそうな「良き理解者であり、良きライバル」と言う構図を感じさせるコンビである。

 そんな夏明ちゃんと麻耶ちゃんのコンビだが、今回は夏明ちゃんの内なる心情にスポットが深く当てられており、夏明ちゃんは以前麻耶ちゃん達から「内弁慶」と称された様に、一見すると威勢が良い様に見えるが、実はかなり臆病な所があるのだが、今月号ではその臆病さが彼女の弱さもとい「自分を出し切れない要素」として描かれている節があり、今回はその臆病な部分をどの様にして克服していくのか。その部分に焦点が当てられていると言える。また、夏明ちゃんには良く言えばどんな時でも他人思いで優しい、悪く言えば勝負事においても非情になり切れないと言う面もあり、麻耶ちゃんからは夏明ちゃんのそういう一面をして、勝負事においても他人に慈愛を見せられるのは、その気になれば自分が何時だって勝負を制する事ができると思っているからと言う意味で「自惚れ屋」と称されているが、個人的には「言う程自惚れ屋なのか?」と思っており、確かに夏明ちゃんが人には負けないと心のどこかで思っている自信家である事は否定しないが、自惚れ屋と言う程調子乗りには見えない*3上、如何なる状況においても優しさを示せる事が、直ちに自惚れに繋がるとも思えない為、私としてはちょっと賛同しかねる節があった。とは言え、ここは夏明ちゃんのそういう一面を控えめに言っても遠慮なき言葉で突き刺し、夏明ちゃんの秘められしスイッチを入れさせた、色々な意味で人から可愛がられたり、人を嗾けたりするのが上手い策略家「条河麻耶」(麻耶ちゃんのフルネーム)の戦略勝ちと言った所か。恐るべき魔性の人物である。

 今回の夏明ちゃんと麻耶ちゃんの関係性と立ち回りで重要だと思ったのは、マラソン大会を始めとした勝負事や、自分一人で積極的に動き回る事に対して「自分だけが独り勝ちしても良いのだろうか......。自分の意思だけで動き回って、周りの友達や映月*4はどう思うのだろうか......。」と、周りがどう思うかが気になって二の足を踏んでいた*5夏明ちゃんを、持ち前の気遣いの上手さと物怖じしないストレートな言動をもって後押しをした麻耶ちゃんと言う関係性にあると考えている。事実、麻耶ちゃんから嗾けられた後は、映月ちゃんからも嗾けられた事も相まって、それまでの臆病で友達や姉妹に対しても、思いやりがあるが故にどこか煮え切れない所があった彼女から一転、勝負事に対して一切の妥協も遠慮もせず、自分が望む道に向けて一気に駆け上がる、エネルギッシュで勝負事に対して熱血な彼女へと変貌しており、マラソン大会の勝負こそ持ち前の優しさにつけ込んだ麻耶ちゃんの奇策によって、それに便乗した映月ちゃんの2人の前に敗北したものの、その後も自分のしたい事を友達に対してガンガン提案し、無理矢理にでも誘い込もうとすると言う多少なりとも強引且つ激情的な一面をも覗かせており、このマラソン大会を経て、夏明ちゃんは大きく変化したと言うには十分である。

 夏明ちゃんのこれらの変化に対して、彼女は以前にも理世ちゃんにピアノを教えた時に代表される様に、その気になればエネルギッシュ且つ熱血な一面を発現させていた事があった為、変化自体はさほど驚かなかった。ただ、変化のレベルに関しては「まさかここまでとは......。」と言う形で完全に驚かされており、特に自分がやりたい事に関して友達を誘う際に「乗ってくれるよねッ!そうだよねッ!」と言わんばかりに是非賛同して欲しいと、奇策にハメられて負かされた事が余程悔しかった事も相まってか、半ば興奮しながらガンガン詰め寄っていたのには「周りが受け容れてくれているから良いが、流石にやり過ぎと違わないか?!」と思わなくもなかった*6が、逆に言えばそれらはそれまで自分を出し切れずにいた夏明ちゃんが、周り(特に麻耶ちゃん)からの助言を受けて吹っ切れつつある証拠でもある為、総合的には自分を遠慮なく出せる事を覚えた夏明ちゃんに対しては賛同の立場をとっている。つまり「どんどん自分を遠慮なく出していけば良いんだよ。夏明ちゃんッ!」と言う立場に私はある訳である。但し、心愛ちゃんが朝起きられずに特訓をすっぽかした際に見せた夏明ちゃんの所作に関しては、正直に言うと「それ、周りには極力見せない方が良いよ......。最初は受け容れてくれていてもその内絶対に引かれるから......。」と思ってしまったが......。

 また、夏明ちゃんの内なる心情に引き出させ、彼女の煮え切らない一面を正に煮え切らせた麻耶ちゃんの功績は、最早称賛以外の何物でもないだろう。麻耶ちゃんは言いたい事はハッキリ言う性分でありながら、友達の心情を汲み取った上での行動が上手く、過去にもチマメ隊の先駆的な役割を担い、今ではチマメ隊を超えた影響を与える事も多い存在なので、夏明ちゃんの枷を解き放つには正にうってつけの人物ではある。しかしながら、麻耶ちゃんの凄い所は「物事を運んでいく際の絶妙なバランス感覚」であり、今回も夏明ちゃん相手にいつもの調子で発破をかける事もあれば、彼女を心から理解していないと中々掛けられない気遣いを見せる事もあった訳が、この際に心の許せる友達として遠慮のない物言いをしながらも、心の底では相手を尊重し、相手の尊厳を決して踏みにじらない様にしつつ、それでいて相手の為を思って一歩進んだ発言を何気ない形でかけられる事ができると言うのは、本来そう簡単には出来ない事であり、色んな意味で物事の調律を図るバランス感覚が優れている麻耶ちゃんだからこそできる芸当だと考えている。故に麻耶ちゃんのそういう一面が凄いと思っているのであり、夏明ちゃんの本音を引き出した功労者として、麻耶ちゃんの事を称賛したい。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。先月は全体的に言いたい事がまとまらなくなってしまった題目だが、自分の想いを言語化して書きまとめると言うのはそう簡単な事では無いので、今思うとそれが原因かと思う所存である。

前に向けて走りゆく気概

 まずは今月号の印象について書き出したい。前述した様に、今月号は嘗て原作5巻にて登場したマラソン大会を踏襲している為、原作9巻以降度々描かれているセルフオマージュの要素が多く含まれていると思いきや、実際には確かにセルフオマージュも含まれているとは言え、それ以上に先月号にも引けを取らない濃密な人間物語が印象的であり、メグエルにスポットが当てられていた先月号と対比する様に、夏明ちゃんと麻耶ちゃんの心理模様が描かれていたのがとにかく強烈だった。また、作中において今年からマラソン大会が、心愛ちゃんが通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校による二校合同になった事も地味ながら結構重要な点だと思っており、個人的には「この二校ってどういう関係なんでしょうね。心愛ちゃんが3年生になってから度々合同行事開いているけど。」ともなるが、合同開催になったからこそ今回のお話は成立する訳なので、そこは合同開催に尽力してくれた人々に純粋に感謝すべきだろう。

 今回は良くも悪くも友達や姉妹に対してもどこか遠慮しがちで、勝負事に対して非情になり切れない一面や、他人想いが故に自分を出し切れていなかった一面があった夏明ちゃんが、麻耶ちゃんと映月ちゃんからの嗾けをきっかけに、勝負事なら友達や姉妹であっても一切容赦しない冷徹さと、多少強引であっても自分がしたい事を友達と一緒にしたいと願う、良い意味で強情さと遠慮のなさを発揮できる様になった事に大きな意味があると思っており、これはある事をきっかけにして性格が大きく変貌したり、隠された一面が顕在化したりする展開が好きな私らしい視点でもある。ただ、その様な変化のきっかけは何も今回の夏明ちゃんの様に、何も良い方向性に向かうものばかりではなく、それがきっかけで果てしない絶望の淵に堕ちていってしまったり、身も心も悪魔の様になってしまったりする事だってある事も知っている為、結果的に「人生を変える出逢いがもたらすものは、何も良い事ばかりではなく、それがきっかけで果てしない闇へと引き摺り込まれてしまう可能性だってある。」と言う思想を持ってもいる。しかしながら、私自身ごちうさに関しては「何が起ころうとも、あってはならない程の悪い方向には決して転がりはしない。」と言う信頼を寄せており、故にごちうさに対しては、今後も何があっても必ず前へと進んでいくと言う高い信頼を置くつもりでいる。

 思えば今回のお話はマラソン大会が主体と言う事で、全体的に前向きな気持ちになれる展開が多かった印象もあり、それをして「前に向けて走り続ける」と言う、マラソン大会と気持ちの持ち様をかけた、お笑いとしては取るに足らない事を思い付いてもいる。ただ、取るに足らないとは言っても思想としてはあくまで真面目に考えており、その意味としては「前向きに走り続ける事の難しさを知っているので、夏明ちゃん達には何が起こっても、マラソンの様に長く前向きに走り続けて欲しい」と言うのがある。まぁ、こうやって書き起こしてみると、改めて自分の考えの拙さが見えてくる様だが、少なくともその想いに関しては嘘偽りない真実である。

皆で勝ち得ゆく未来

 次は前回同様、今月号ひいては最近のごちうさを読んで私が度々思う事について書き出したい。私自身最近のごちうさを読んでいて、度々「濃密な人間物語が描かれる事が多くなった。」と思う事があり、具体的には先月号のメグエルと、今月号における夏明ちゃんと麻耶ちゃんが見せた物語や、ティッピーもといおじいちゃんと智乃ちゃんの関係性、心愛ちゃん達は将来的に進むべき道をどの様に考えているのか等々がそれに当たる。そして、それらは原作9巻以降に顕在化しているものが多い為、それをして「最近のごちうさはテーマ性が深化してきている。」と思う事も多く、故に嘗ての様に可愛さが前面に押し出されているイメージは正直かなり薄れているのだが、テーマ性が深化しているお陰で長期的なモチュベーションは寧ろ保たれているので、個人的には今の作風の方が好きであり、好みにも合っていると思う次第である。まぁ、実の所初期のココチノの関係性が嘗てそんなに好きじゃあなかった事も、今の確かな信頼関係を感じさせるごちうさの方を好む要因ではあるのだが......。

 また、原作9巻以降それまでのごちうさではあまり描かれてこなかった「乗り越えなければならない運命」が度々描かれている事にも着目しており、これは将来的に木組みの街を離れる人物がいる事、更なる成長の為には、心の拠り所にしていた人物との別れをも乗り越えなければならない事等が該当すると捉えている。そして、こちらは明確に「哀しみ」がある為、これらが描かれる時のお話は、何時ものほのぼのした雰囲気は鳴りを潜め、代わりに「シリアスな雰囲気」がそこかしこに漂う緊迫した傾向にあると見ている。

 ここで一番大切なのは「如何にしてその様な哀しみを乗り越えていく事」だと思っているのだが、ごちうさでは細かくは違うとは言え、大筋としては「哀しみを覆う程の楽しい事で、現在進行形における自分の心持ちを覆い尽くす」「哀しみや不安を皆で一緒に乗り越えていく」等が挙げられると見ており、前者は心愛ちゃん、後者は智乃ちゃんが代表的だと考えている。尚、これらは「友達の事を想った上で、楽しい事や支える事を意識しているならどちらも正解」だと思っており、ここは純粋に心愛ちゃん達を尊敬している部分でもある。

 そして、この様な事を最近になって思い浮かべる機会が多くなった理由は、私がジョジョ好きになった事と大いに関係がある。個人的には5部「黄金の風」の「ブローノ・ブチャラティ」と、6部「ストーンオーシャン」の「ナルシソ・アナスイ」の2人が、作中でも言及されていた事もあってとても印象的なのだが、ジョジョでは度々「廃れゆくしかなかった心が、ジョジョ(歴代主人公の愛称)との出逢いによって希望がもたらされ、何かを成し得たいと思う気概が生まれた」と言う展開があり、この2人の場合は原作を知っている人なら分かる通り、最終的に辿る運命(さだめ)は現実の無情さを感じずにはいられないものではあったものの、その様な残酷な運命にも臆さず、覚悟をもって突き進んでいく姿には、何と言うか、最早「自分の人生を駆け抜けていく上で大きなメッセージが込められている」とまで思う程である。そこからその様な姿に激しく影響を受けた結果が、ごちうさに対してもジョジョが持つ「運命に対する向き合い方」「運命を知りつつ、その運命に立ち向かっていく意思」を往々にして適応しようとする私な訳だが、そのお陰でごちうさの解像度がまた一つ上がったのも事実であるし、ジョジョの理解度アップにも一役買っているのだから、これもある意味「運命の巡り合わせ」と言うのだろう。

 思えばこのテーマにおける表題についての言及をしてこなかったが、この表題には「乗り越えなければならない厳しい運命も、一時的にもバラバラになる境遇も、心の内では皆と何時も一緒に居る事を意識しつつ、自分の力を存分に発揮して乗り越えていき、その先にある素晴らしき未来を掴み取って欲しい」と言う意味を込めており、さながらサクセスストーリーの如く、皆で最高の未来とセカイを掴み取って欲しいと言う私なりの願望でもある。因みにサクセスストーリーと言うのも、ジョジョ5部の影響をもろに受けた見解である。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は先月号のメグエルと対比するかの様に、夏明ちゃんと麻耶ちゃんの関係性及び切磋琢磨が行われていたのが印象的であり、更におっとりしたメグエルと違って、良くも悪くも少々荒っぽい所もある2人なので、細かく見れば見る程、その対比関係が絶妙なものになっている事が分かるのも凄い所だと思う。尤も、それを考慮しても夏明ちゃんと麻耶ちゃんが、お互いの事になると多少なりとも口が悪くなりがちな点に関しては少々複雑ではあるが、これもリゼユラに比べれば全然可愛いものではある。無論、これでは口が悪くなるのだって上には上があると言っている様なものなので、余計複雑な気分にはさせられるが......。

 今月号も先月号に引き続いて「濃密な人間物語」と思う程、人間関係が織りなす物語が強烈なメッセージ性を帯びており、新たな日常で描かれるテイストに感銘を覚える一方、色んな意味であらゆる既存趣味の勢いを遥かに凌駕するジョジョの影響をもろに感じさせる見識を展望する事は、私自身とて「こんな感じで良いのかな?」と、自分が行っている事に待ったをかける事もゼロではない。しかしながら、それでも決して歩みを止めないのは「それが自分の信ずる道だから」であり、今回も自分の信念ひいては「やりたい事」に付き従っている。やはり、こればかりはどうやっても譲れないのである。

 今回は前回よりかは書くネタに困る事は無く、割とサクサク書き進められた。なので、結果として「先月は何故にあんなに悩まされたんだ?」と自分でも思いたくなるが、先月は多分メグエルの2人が魅せた美しき光景に感化されて、そこから「何か凄い事書かなきゃ!」と言う想いが空回りした結果な気がしてきた。まぁ、実際には本当に書くネタに困窮していただけで、別に凄いものが書きたいとかそういう訳でも無かったのだが、人間頭ではそうだと思っていても、無意識の内に「良く見せたい」と言う願望が往々にして働くものなので、無意識に働いていた意識が、感覚を多少なりとも狂わせていた可能性もゼロではないと思っている。えっ、都合の良い言い訳を並べていると?そう言われると、全くもって「その通り。」としか言えない......。ただ、もとより何としてでも言い逃れをするつもりも無いのだが......。

 色んな意味でごちうさジョジョをはじめとしたマンガの影響が著しい私だが、一方で集中的にきらら系マンガを読んでいる今の環境をして「これぞ、私の求めていたものだッ!」*7と思う事も多く、故に純粋に幸せを感じる事も多い。因みに好きなマンガのジャンルはバトルアドベンチャー、百合マンガ、アクションアドベンチャー、日常系マンガ、コメディーマンガ、サスペンスホラー、サイコホラー、ホラーアドベンチャー、ラブコメ等々多岐に渡っており、ここはクラシック、ロック、パンク、プログレ、ジャズ、ブルース、アニソン、ポップミュージック等々、私が様々な音楽ジャンルを好んでいる感覚とほぼ同じである。何と言うか、沢山のジャンルを好きでいる事に一種の喜びを覚えるのであり、沢山の世界に触れてみたいと言う好奇心が成す業なんだと思う。尚、この様なスタンスはあくまで「自分がそうしたいからやっているだけ」の事なので、「そういう考え方も世の中にはある」と言う形で理解して頂けるなら幸いである。

 今回もかなりフリーダムな構成となり、最初から最後まで自分が言いたい事を詰め込んだ内容となっているが、元々私はこの感想・考察ブログ記事を「自分の想いを展望する」と言う目的で書き始めているので、今の方針はある意味既定路線ではあるし、やりやすいスタンスでもある。なので、今回もスピーディーに書き進められた事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙29枚分である。今回は極めて安定的に書き上げており、生活スタイルの変化に上手く適応させながら書き進められている事が何よりも良きことだと思っている。

*1:その結果はと言うと......、それは各々お察し下さいとしか......。

*2:ただ、その発破の掛け方は気持ちこそ理解できるが、些か暑苦しいのが否めず、個人的には「急にアツくなってもなぁ......。」となってしまった。私とて内に秘める情熱は相当なものなのに、なんだか申し訳ない。

*3:これもまた、夏明ちゃんが外では威勢の良い所を発揮できない内弁慶である事を示している。

*4:夏明ちゃんは姉である映月ちゃんの事は基本呼び捨てで呼んでおり、反対に映月ちゃんは妹である夏明の事は基本ちゃん付けで呼んでいる。

*5:ただ、これは同時に夏明ちゃんが他人想いの優しい子である事の証明でもある。

*6:尤も、夏明ちゃんの例なんぞ全然可愛く見える事例が当たり前の様に登場する作品を好んでいる身としては、正直「まぁ、もっとヤバい例なんてなんぼでもあるから......(震え)」となるのも事実だし、実は言う程気にしていないのだが。

*7:この言葉でさえ、ジョジョ5部の影響を受けているかと思うと、最早マンガの影響は底知れない......。

きらま2023年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。この度3月中旬に「ジョジョの奇妙な冒険 アニメ10周年記念展」の名古屋会場に行ってきまして、そこで制作陣や声優さんのジョジョにかける熱い想いを拝見し、思わず「嗚呼、ジョジョを好きになって良かったッ!」と思いました。また、最近ではジョジョの奇妙な冒険のテレビアニメで使われているEDの影響から、プログレッシヴ・ロックやガレージロックにもハマりつつあり、特に「Yes」や「The Bangles」はお気に入りです。尤も、こんな調子故に「私は一体どこに行こうとしているのか......。」となっていますが、私が向かう先は多分「あらゆる分野を嗜むオタク若しくはマニア」だと思います。断定はできませんけど......。

 また、最近度々思うのですが、ジョジョは作風上結構おぞましいシーンも多く、場合によっては普通にトラウマになりかねない衝撃と破壊力を持つものもあるのですが、これらに対しては恐怖意識を抱いても、何だかんだ言って見返す事もできます。なのに、きらら系作品においてトラウマに感じる様な事があった場合、恐怖心によって見返したくても見返せなくなる事が度々あるのは何故なのでしょうか。トラウマになるレベルの強さで言うならジョジョの方が基本的に上なのに、この不釣り合い感が何だか怖いんですよね。まぁ、トラウマ耐性自体はかなりある方なので、特段の心配は要らないんでしょうけど。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年5月号掲載のごちうさ感想・考察を書き出したいと思います。毎度ここまで連続して書き続けていくと、次第に当該作品がどの様な段取りを取りつつ進行するのか、単行本で言う所の序盤、中間、終盤には大体波が立つ展開が待っている事が多いとか、基礎的な事は分かってくるのですが、1つ1つがどの様な構成でやって来るかについては正直全く分からず、今回もその内容には色んな意味で驚かされました。そう思うと、毎月書き出していくのって、結構良い事なのかなって思ったりはします。勿論、大変な事は大変ですし、最近ジョジョを始めとして、多くの好きなマンガを同時並行で読んでいる上、こなさなければならない事も以前より確実に増えている事から、ごちうさに割いている時間は正直めっきり減っているので、決して安泰ではありませんが、可能な限り突っ走り続けたいとは思います。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は主にお嬢様学校高校1年生組に焦点が当てられ、内容は原作で嘗て取り上げられた事のある「演劇」が軸となっている。そして、演劇には必要不可欠な、身体を存分に使った表現力に優れている恵ちゃんと映月ちゃんが、一つの椅子をめぐって華やかながらも熱意溢れるバトルを繰り広げると言う、要素としてはごちうさと親和性が高いながら、その表現は今までのごちうさとは一味違う構成はポイントであり、特に普段はおっとりしている2人が、まるで別人の様に闘争心を剥き出しにしていた部分*1はある意味必見である。

 今回の扉絵は、ファンタジックな雰囲気を色濃く表した様な装いをした恵ちゃんと映月ちゃんが、絵の中に散りばめられた額縁を超えて2人で手を寄せ合わせていると言うもので、その美しさは最早言う事無しだが、私自身相変わらず絵画には明るくない上、正直雰囲気重視の見方故に自分で感じた事を言語化するのがかなり難しい為、これ以上の言及は難しいのが実情である。尤も、感想はシンプルに「恵ちゃんと映月ちゃんがとにかく可愛い」と言っても、そこに強い気持ちがこもっていれば立派に成立するものだし、抑々感想自体むやみやたらに難解な事を書き連ねればいいってものでも無いので、これで御勘弁願いたい所である。

 今月号も「新たな日常の一部」としてのニュアンスが濃い回であり、これは先月号及び先々月号もそうだったので、これがある意味新たなデフォルト的な所はあると思われるが、なまじ原作10巻、11巻が中々に衝撃の強い回が少なくなく、それに伴い作品に対するイメージも「日常系」から大きく変化した為、正直に言うと戸惑いもなくはない。ただ、同じ作品でも時間の経過とともにニュアンスや作風が変化していく事はある意味必然の理であり、その変化が新しい風を巻き起こす事を思えば、戸惑いがあってもついていくのを断念すると言う発想にはならず、寧ろ「ここまで追いかけてきたのだから、これからもずっと追って行こう」となるのが私のサガなので、余計な心配は要らないのだろう。尤も、それだけでどうにかなると思ったら、いくら何でも我ながら見通しがあまりにも甘すぎるとも思うが、人生時には只管楽観的に考える事も、精神的な負担を考えるなら必要な事である。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今月号は今までにない展開や美しさが魅力的だったので、ここでのテーマも比較的熱意をもって書き出せると考えている。尤も、そう書くと「普段は熱意を込めていないのか?」と詰問されかねないが、あくまで普段から熱意はそれなりに保っており、今回は普段よりも少しばかり溢れていると言うだけの話であるし、もし本当に熱意がないのなら毎月の様に記事を書いていないとは言っておきたい。

熱意から見える信念とリスペクト

 まずは今月号を見る上で特に目を見張るものがあった「恵ちゃんと映月ちゃんがそれぞれ持つダンスに対する熱意とリスペクト」について色々と書き出したい。抑々この2人は嘗て原作8巻の旅行編において、お互いに面識があまりない状態ながら、ダンス勝負で正に互角の闘いを繰り広げた事があり、故に2人共にダンスの実力はかなり高い上、おまけに2人共に感受性が高く、その高い感受性を表現する力もそれ相応に持っていると、色んな意味で芸術的表現に対してハイスペックな一面がある。今月号ではその2人の高い実力を推薦する形で、麻耶ちゃんは映月ちゃんを、夏明ちゃんは恵ちゃんを演劇部の助っ人に推し、その助っ人1人の椅子をかけて、2人がダンスに対する熱意をバチバチに光らせると言うのが下地にあり、言うならば「お互いに負けられない闘いが、そこにはあった」と言う訳である。

 ただ、恵ちゃんも映月ちゃんも共通して言えるのは「おっとりした性格で争い事を好まない」と言う点であり、事実恵ちゃんと映月ちゃんは、お互いに素直になれない性格である事、本心を突かれる事を何よりも恥ずかしがる事、自分の主張を強硬に曲げようとしない事、2人共にどちらかと言えば好戦的で勝気な面が強い事から、正に「ケンカする程仲が良い」を地で行くまでに、何かにつけて言い争いやケンカをする*2麻耶ちゃんと夏明ちゃんとは対照的に、ケンカはおろか、ちょっとした言い争いをする事もまずもってなく、普段からそのおっとりした雰囲気を存分に発揮した立ち振る舞いを見せており、お互いに波長もよく合う事から、良くも悪くものんびりしたマイペースコンビと言う印象が強くある。

 そんなマイペースコンビの2人だが、今月号では2人共に周りの後押しや仕込み(特に心愛ちゃん)があったからとは言え、お互いに得意としているダンスをめぐって、普段のお淑やかな雰囲気からは凡そ想像できないまでに熱意に溢れる姿を見せ付け、その熱意溢れる姿たるや、まるで「2人が持つ精神的な力が、そのまま表立って現れた」と思わんばかりのものであった為、それをして私は「これは一種のスタンド(幽波紋)バトルだッ!」と、最早清々しいまでにジョジョの影響をもろに受けた見解を思い付いたものである。尤も、もしスタンド使いになる可能性があるとするなら、良くも悪くも気性が激しめな麻耶ちゃんと夏明ちゃんの方が高い気がしない訳でも無いが、これはあくまで「私がそう思っただけの事」である為、想像は個人の自由と言う事で悪しからず。

 話が脱線したが、これらの事実から私は恵ちゃんと映月ちゃんには、2人共ダンスに関してはお互いに決して譲れないものがあることと、2人共ダンスもとい表現美に対する信念は篤いものがあると言う事を見出しており、前者に関しては、発破をかけた当事者として、2人の仲に亀裂を生じさせたのではないかと心配で様子見をしていた麻耶ちゃんと夏明ちゃんを、思わず震え上がらせるまでの圧倒的熱意溢れるダンスバトルがそれを物語っており、後者は「自分が得意とする『身体表現による芸術美』をもって、多くの人を感動させられるだけの存在になりたい」とも言える様な、助っ人としてやるからには全力を尽くしたいと言う、中々に熱い信念が見え隠れしていると考えている。

 また、見逃せない点として恵ちゃん、映月ちゃん共にお互いリスペクト意識が高い事で、バトルと言う性質上、多少なりとも相手の事を挑発したり、お互いに負けん気を強めたりするのはある意味当然の成り行きだが、それと同じ位に2人共お互いの技量を認め合うくだりが多い印象があり、勝負事ゆえに譲歩はしないのは前提として、熱意溢れる姿を見せつつも、お互いに技量を素直に認め合えるのは、個人的には凄く良い事だと思う。因みに最終的にはダブル主役と言う形で、恵ちゃんと映月ちゃん共に助っ人として推薦してくれたと言うオチになっており、2人が如何に熱いものを持っていて、それが如何に甲乙つけがたいものだったかを物語っている。

 もっと言えば、今回2人が見せた熱いダンスバトルは、勝手に推薦した麻耶ちゃんと夏明ちゃんを驚かさせると言う目的もあった様で、つまり半分演技が含まっていた事になる訳だが、作中を見る限り全くそうは見えず、それがある意味一番怖い。普段麻耶ちゃんと夏明ちゃんがやっているケンカが全然可愛いものであると思うには十分であり、2人共にその演技力の高さに思わずビビるのも納得ものである。

後押しする仲間達

 次に恵ちゃんと映月ちゃんがダンスバトルをする後押しをした仲間たちの動向について書き出したい。これはお互いに演劇に推薦されたからには役を全うしたいと言う気持ちがありながら、椅子に座れるのは1人だけと言う事実に対して、どうすれば良いのか分からず、どこか煮え切らない気持ちがあった2人を後押しした、ラビットハウス組と甘兎庵組の軌跡についてであり、ラビットハウスに相談したのが恵ちゃん、甘兎庵に相談したのが映月ちゃんとなっている。

 細かくは違っているものの、どちらも共通しているのは「2人共に1つしかない椅子に座る事に躊躇いはありつつ、勝負自体はしたいと思う本心があった事を周りが見抜いていた事」であり、流石は気の知れた仲だと思うばかりだが、その様にして周りの人達が上手くお膳立てをして、当人達にとってより良い結果になる様に考えてあげる事が、こんなにも良い事なのかとも思う。

 ただ、この場面は今月号の中でも思わず謎に思う若しくは「えぇっ......。」に思うくだりが多く、とにかく展開のふり幅が大きい事がそう思う理由なのだが、一番そうなったのは、恵ちゃんの本心を知った心愛ちゃんが、恵ちゃんに対して本来経るべき過程を殆どすっ飛ばした提案をした場面であり、これには「これ、キング・クリムゾン*3によるスタンド攻撃?」ともなったが、心愛ちゃんは良くも悪くも大雑把な所があり、この様な提案はある意味彼女の十八番的な所がある為、作中の人物は恵ちゃんの挑発的な予告文章を見て、皆(冬優ちゃんでさえ)直ぐに心愛ちゃんが仕組んだ事だと気付いたと言うオチである。皆、心愛ちゃんの特性が解っていると言うのか何と言うのか、それ自体は仲睦まじいと言う事で収まるのだろうが、経るべき過程をすっ飛ばすと、相手からとんでもない誤解を受けたり、明らかに「説明不足」だと窘められたりする危険性がある為、ここは普通にお灸を据えた方が良いのではないのかとも思うが......。

 因みにこの場面では多くの人物が他の自分になり切るつまり演技する場面が度々出て来ており、総じて演技力もそれなりに高い為、なるほど木組みの街の住人達は演技力も一定以上のものがあるのだと思う。ただ、これも良い見方をすれば「多種多様な個性を持った自分を演じる事ができる」となる一方、悪い見方をすれば「自分を偽り隠し通せてしまう」となる為、そう楽観的に捉えらえる様な事でも無いとなってしまうのも実情である。しかしながら、普段から圧倒的に演技する事が少なく、一見すると自分を明け透けにしている様に感じられるが、その実本心がどうなっているのか窺う事が難しく、結果的に何を考えているのか、実の所一番よく分からない心愛ちゃんの方が、演技している人達よりも実は遥かに恐ろしいのではないかとさえ思ってしまう。尤も、彼女達には明確な「信頼」と言うものがあり、その信頼はちょっとやそっとの事では最早ビクともしないものにまでなっている為、そこまで心配する必要は無いかも知れないが。あくまで「そういう火種が誕生する可能性もある」と言う話である。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。ここまでくると最早様式美になってくるが、何時もと変わらない様に進めていく事も大事だと思う。

美しき闘いから見えるもの

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号はお嬢様学校の高校1年生組に焦点が当てられている為、全体の雰囲気としてもどこか華やかな印象が強く、それは恵ちゃんと映月ちゃんによるダンスバトルにおいても例外では無かったと感じている。更に言えば、元々恵ちゃんも映月ちゃんも、おっとりした淑女と言ったイメージが強い人だが、その2人が普段の雰囲気とは真逆とも言える「闘争心を剥き出しにしたダンスバトル」を見せ付けたその姿は、美しき2人による美しくも熱い闘いと呼ぶに相応しく、華やかさと美しさ、そして闘志を燃やすかっこよさを兼ね備えたその姿は、正に「演技派のお嬢様」だったと思う。

 尚、淑女同士がちょっとしたバトルをちらつかせると言う構図は、幼馴染でありながら特異的な雰囲気を持つリゼユラが印象的だが、こちらはお互いに辛辣とも皮肉ともとれる言葉で牽制し合ったり、時には多少過激な応酬が繰り広げられたりと、お世辞にも美しき闘いとは言えないものであり、特に原作7巻においては、屈強なボディーガードらしき人物を多少なりとも圧倒させる程の牽制合戦を繰り広げた事もある程。その為、同じバトルと言ってもその質は全く別物と言え、故に美しき闘いと言えば恵ちゃんと映月ちゃんの右に出るものはいないと思う。

 また、夏明ちゃんが恵ちゃんを、麻耶ちゃんが映月ちゃんを推薦した事実や、ダンスバトルを通じて親睦を深めていくメグエル2人の姿を見て、多少なりとも「嫉妬」*4の感情が芽生えていたのもポイントだと思っており、前者に関しては結果論にはなるが「お互いに身内びいきはしない」とも見て取れる為、一概に悪い訳では無いが、それでも「自分にとって一番身近な存在からは推薦されたかった」と言う感情を浮かび上がらせ、後者は結果的に麻耶ちゃんと夏明ちゃんが如何に相性が良く、息が合うのかをハッキリさせた為、嫉妬からこの様な人間関係の良さを露呈させるテクニックは本当に凄いと思う。

変化と不変の日常

 次は今月号ひいては先月号、先々月号のごちうさを読んできた中で、純粋に私が思った「移り変わりながらも変わらない日常について思った事」を書き出したい。これは前提として、きらま2023年1月号、2月号に掲載されたごちうさのお話が骨格を成している事、今のごちうさが嘗てと比べて人間物語的な側面を強めている事に伴い、登場人物の迷いや葛藤、そして成長が色濃く描かれる様になったと言う解釈を私がしている事をご了解願いたい。

 ここから本題に入る。抑々私がこの様な事を思った背景には、前述の通り最近のごちうさが日常系と言うより人間物語的な側面が強くあると感じた事が発端であり、その例は枚挙に暇はない程である。そして、その様な話を見るにつれて、徐々にごちうさを日常系としての感情を抱く事が薄くなり、2023年1月号及び2月号では、ティッピーの中に居たおじいちゃんが遂にサキさんに導かれた事で、智乃ちゃんとしても大きな覚悟を背負い込んだ事から、ごちうさをシリアスな視点で見る事が半ば必須事項だと思う様になり、それ故にそれ以降のお話も、程度の差はあってもシリアス味ある展開があるのだと思い込む傾向があった。

 だが、先々月号と言い、先月号と言い、そして今月号と言い、そこで待っていたのは、嘗てとは違う形になったとはいえ、その骨格は以前と何ら変わらない日常の雰囲気そのものであり、自分の運命にも大きく関わってくるような出来事を経ながらも、基本的な世界観は以前と変わらず日常を突き進んでいくその構成には、思わず感銘を受けるものがあった。何と言うか、これこそ「変化と不変」の表れだと思うには十分な訳だが、幾多の変化を遂げつつも、根底の部分は初期の頃から殆ど一貫している姿が良いと思うのである。

 ところでごちうさが人間物語的な側面を持っていると思い立った背景には、やはりと言うか何と言うか、私が大好きなジョジョの影響がもろに存在している。ジョジョ「過酷な運命を知りつつも、怯まず立ち向かう」「自分で進むべき道を切り開く」と言った側面が作中を通して描かれる事が多いのだが、ごちうさにおいても同じ事が言えると思う事が多く、とりわけ最近ではごちうさ「自分の運命を受け容れた上で、皆で一緒に乗り越えていく事」「進むべき道を皆と一緒に切り開いていく」と言った場面がちょくちょくある為、もろにジョジョの影響が表れるのである。因みにそういった形でジョジョに影響される過程の中でも、3部「スターダストクルセイダース」と5部「黄金の風」の影響は特に大きく、私が一番好きな4部「ダイヤモンドは砕けない」は意外にもその次と言うのは内緒である。

 私が言いたい事をとにかく詰め込んだ結果、我ながら「何が言いたいのか分からない」と思われる可能性が大いにある題になってしまったが、兎にも角にも「幾多のシリアス展開があっても、ごちうさの日常の根幹は受け継がれていると私自身感じている」と理解して貰えれば幸いである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はとにかく恵ちゃんと映月ちゃんが魅せた、華やかなまでに輝かしくも熱いダンスバトルが印象的であり、なまじ普段争い事とは全く縁を感じさせないまでにおっとりした2人なので、その意味では所謂ギャップ萌えなるものもある気はするが、残念ながら(?)私はその意味では捉えていない。まぁ、それで言うと麻耶ちゃんと夏明ちゃんが見せていた嫉妬に関しても、ガッツリ深く捉えていたのかと言えばそうでもなく、単純に「仲が良い2人であり、大事な人を本当に大事に想っているんだなぁ」と思った位である。それでも十分だと思うが。

 今月号も先月号、先々月号に引き続いて新しい雰囲気はありつつも、大筋は嘗ての様な日常的な感触を思わせるものであり、ある意味それが原作12巻範囲における既定路線と言われても、今の所は殆ど違和感はない。尤も、原作10巻及び原作11巻を見るに、このまま新たな日常の雰囲気だけで突っ走り続けるとはとても思えず、何時かはまたシリアス展開が待っているのだと思ってやまないが、今は取り敢えずこの新たなる日常を謳歌するのが賢明だと言えよう。

 今回も最近の記事の例に漏れず、要所でジョジョの影響を醸し出している場面が多かったが、今回はそれ以上に「書くネタが思い付かなくて困る」となってしまった場面がかなり多かった。ただ、こうなったのはある意味必然の理で、抑々この手の記事を2年近くも毎月の様に書いていれば、何時かはこうなる事は火を見るよりも明らかだったし、何より以前から少しずつ読むマンガを増やしてきた事により、マンガに対するタスクやウエイトが以前より大きく変化した為、何時はこうなるとは薄々でも分かっていた。なので、この様な事態になった事に驚きも焦りも、ましてや後悔や迷いも特段無かった。ただ「来たるべき運命が導かれる様にしてやってきた」*5と言うだけの話である。

 こんな感じでごちうさにおいてもジョジョの影響下にある様な思想が張り巡らされているが、実の所これでもまだ全然可愛い方で、きらら本誌で連載されている「星屑テレパス」や、嘗てフォワードで連載されていた「がっこうぐらし!」等は、ジョジョの影響が更に大きく顕れており、特に前者に至っては3巻を読んだ際に、自分の中で勝手ながらもジョジョに通ずるものを感じた程であり、百合作品のつもりで見た私の心を一気に書き換えてしまった位である。勿論、今でも星テレの百合描写には良さを覚えているし、百合路線で見ても相当に魅力的な作品なのだが、私としてはそれ以上に「それぞれの特性や行動をめぐって衝突する事はあっても、最後は共に歩みを進めていく姿」に、ジョジョとの共通点を見いだし、思わず感銘を受けたのである。

 今回は今までにない程に書くネタに苦労した為、全体的にフリーダムな構成となり、書きたい事をとにかく自由に書き出している。その為に内容が読み取りにくかったり、全体的に深い所まで掘れていない節が否めないが、どんなに苦節した状況でも、書き続ける事に意味があると思っているので、無理矢理にでも完成にもって行った所存である。その為、書き始め自体は遅かったが、書くスピードはかなり早かったので、その意味では良かったと考えている事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙24枚分である。今回は多忙気味な事に加えて、書く項目の捻出にもかなり苦労した為、図らずもコンパクトな事になっているが、書き続けているだけ及第点と言う事で、そこはあしからず。

*1:因みにそれを見た麻耶ちゃんと夏明ちゃんは、思わず2人の熱気に圧倒されていた。

*2:ただ、傍から見ると言葉は悪くなるが、正直「どっちもどっちな泥仕合」と思わざるを得ない事もしばしばだが、それもある意味本当は仲が良く、息も良く合う証拠なのだろう。

*3:プログレを代表するバンド名にして、第5部「黄金の風」のラスボス「ディアボロ」のスタンド名。スタンドに関しては、未来予知に加えて時を消し飛ばす事ができると言う、ラスボスに相応しい絶大な能力を持つ。

*4:個人的には「やきもちを焼く」と言った方が、可愛げのある印象があって良いと思うのだが、麻耶ちゃんと夏明ちゃんはともかく、メグエルの2人は明らかに心情が複雑そうであった為、マイナスイメージがありながらもより的確な表現として「嫉妬」としている。

*5:勿論、この発想もジョジョ5部「黄金の風」及び6部「ストーンオーシャン」の影響が多分にある。