多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年4月号掲載のごちうさ、単行本11巻の感想・考察

 こんにちは。色々なマンガを追いかけると言うのは楽しいもので、ごちうさと同じきらまだと「ななどなどなど」や「瑠東さんには敵いません!」が最近特にお気に入りなマンガであり、新連載では「性別不明な殺し屋さんがカワイすぎる。」と言う作品が凄く気に入っています。また、今月からウルトラジャンプにて遂にジョジョ9部の連載が始まったので、ウルジャンがきらまと同じ2月17日発売だった事も相まって、きらまと並行してずっと「遂にジョジョ9部が始まった!是非読んでみたい!」となっていました。尤も、9部は8部までを読了した後、単行本から読み始めようと考えているので、実際に読むのは結構先な話となりそうです......。楽しみが増えると言う意味では良いですけど。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年4月号掲載のごちうさの感想・考察と、2月22日に発売される単行本11巻の感想・考察を書きたいと思います。何故この様な構成をとるのかと言えば、きらま発売から単行本11巻の発売のスパンが5日間と短い為、同一の記事としてまとめた方が良いと判断したからであり、故に記事が完成するのは2月終わり頃となりそう*1ですが、個人的にはこの方が良いと考えています。記事の内容的にもそこまで膨れ上がる事は無いでしょうし。

 尚、今回の記事は2本立てとなっており、前半にきらま2023年4月号掲載のごちうさの感想・考察、後半に単行本11巻の感想・考察と、基本的に前後半で書く内容を完全に分けようと考えています。また、単行本11巻の方に関しては、感想・考察と言うより感想中心の構成になると思いますが、元々きらまにてさんざんっぱら感想・考察を記事にて書いている身なので、単行本ではゆったりした感触にまとめる位が丁度良いと言う事でどうかご勘弁を。以前単行本10巻のブログ記事を書いた時、想定していたより妙に内容が多くなってしまった過去もあるので......。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

そして、単行本11巻の収録範囲を確認した所、きらま2023年2月号掲載話からは単行本12巻範囲にあたるようなので、ここで書き出す4月号掲載のごちうさ感想・考察は、単行本11巻以降のネタバレになっている事もご留意ください。

1.ごちうさ最新話の感想・考察

 今回のお話は主に「腹話術」が深く関わっている構成をしており、腹話術と言えばおじいちゃんがいた頃のティッピーを思い浮かべるが、今月号ではその事に関しては直接的には触れられていない。しかしながら、おじいちゃんがサキさんに導かれた事と関係がある雰囲気は感じられる内容になっており、その意味で今までとの繋がりが色濃く描かれている。また、お話の内容も「優しさ」「思いやり」そして「信頼できる人がいる事の温かみ」を深く感じさせるものであり、ごちうさが持つ「賛美」が色濃く表れていると感じる。

 今月の扉絵は、白色のうさぎをイメージした被り物を着た理世ちゃんと、黒色の猫をイメージした被り物を着た冬優ちゃんが、2人してそれぞれ腹話術に用いるであろう人形を片手にはめ、仲良くポージングを決めていると言うもので、これは今月号にてそれまで2人だけで絡んだ経験がそこまで無かった理世ちゃんと冬優ちゃんが、2人で一緒に何かをする事(腹話術)の示唆とも言え、実際に今月号(特に前半)はリゼフユが結構色濃く描かれているので、お話にも合ったとても上質な扉絵だと思う。後、純粋に2人共可愛いのもポイントである。

 今月号は先月号と同様「新生ティッピーになってからの日常回」と言う立ち位置にある印象が強く、その中でも特に「優しさ」や「思いやり」等のごちうさが持つ美しさ」が色濃く描かれているのが印象的である。また、今月号は理世ちゃんが凄く良い立ち振る舞いを見せる場面が多く、皆より一つ上の年上として、厳しくも優しい一面を持つ者として、彼女が持つ「優しさ」と「強さ」には大きく魅せられたものがあり、今回もそんな輝かしい内容をゆったりマイペースに綴っていきたいと思う。

 

今月号の内容に対する感想・考察

 今回も「今月号の内容の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今回は色々な意味で美しいと思う内容が盛り沢山だったが、それを書き出していくのも中々に楽しいし、なんだか嬉しくも思うものである。

腹話術から繋がる関係と運命

 まずは今月号の中でも特に存在感を発揮していた「腹話術」について、リゼフユの深まる交友関係と絡めながら考察してみたい。抑々腹話術と言えば智乃ちゃんがダンディーな声を発するティッピーの事を「腹話術」と説明した事から始まったものであり、本来はティッピーに乗り移ったおじいちゃんが自ら意思をもって発していたのは、ティッピーの正体を知る者からすれば御周知の通りだが、作中でティッピーの正体を知る、若しくは勘付いていた者は極少数*2である為、腹話術として通っていた経緯がある。ただ、おじいちゃんの魂は既にサキさんによって天国へと導かれ、現在のティッピーは本来のティッピーである事から、腹話術としての定義付けにも変化が生じるには当然の摂理であり、それ故に今月号にて「腹話術」が登場したと言えるのだろう。

 前置きはその辺りにして、今月号は腹話術を得意とする冬優ちゃんが、理世ちゃんに誘われる形で理世ちゃん邸にて腹話術を理世ちゃんに教える事が軸となっており、リゼフユはそれまでも大きな集まりで言う所の関係性はあり、客観的に見れば十分な関係性が構成されていると言えるが、2人だけで何かをしたり、2人だけの友情を育むと言うのはそれまで殆ど見かけなかった為、シンプルに「それまであまり見かけなかった関係性が一気に進展する」と言う意味で捉えても面白いが、ここで重要なのは「腹話術から繋がるリゼフユの関係性」「喜ばしい理由で腹話術を身に付けた訳では無かった冬優ちゃんに対して理世ちゃんがかけた言葉」である。

 リゼフユは前述の通り2人だけの関係性がそれまで深くあった訳では無かった事と、理世ちゃん自体理世ちゃんの人となりを良く知らない人からは、彼女が持つ軍人気質に裏付けされたちょっと怖い雰囲気を見て、思わずどこか勘違いされてしまう性質を持っている事*3もあって、今月号時点でも理世ちゃんから誘われた冬優ちゃんは「何か気に障るような事したのかな......。」と言わんばかりに、理世ちゃんに誘われた事に対してすっかり怯えた様子を見せており、少なくとも仲良しこよしな雰囲気があるとは言い難い様子が見受けられていた。尤も、理世ちゃんと冬優ちゃんは3つ年の差がある上、冬優ちゃん自身人見知りを凄くする人である為、冬優ちゃんも本心から理世ちゃんに対して怯えている訳では無いが......。

 しかしながら、冬優ちゃんが得意とする腹話術を理世ちゃんが教わりたいと言ったあたりから状況は一変し、自分が得意とする腹話術をもってして逆に理世ちゃんを圧倒させ、思わず理世ちゃんを辟易させる一面を見せたり、理世ちゃんとしても冬優ちゃんに圧倒されつつも、冬優ちゃんが気兼ねなく自分を発揮出来る様子を見て悪くなさそうな様子を見せたりと、形はちょっと特殊ながらもリゼフユの距離が急激に接近している様子が描かれているのである。個人的にはこれを見るだけで「リゼフユは距離感を一気に近付け、3つの年の差さえもはねのけ始めている」と思えるし、何より年の差を超えて共同作業に取り掛かる様子が非常に素晴らしいと思っているので、リゼフユ2人共にお互いの中を深め、2人だけの関係性が深められたと言う意味でも、今回の腹話術の練習は相当な意義を持つものだと思う。

 また、冬優ちゃんが腹話術を身に付けた経緯が今月号にて明かされ、それに対して理世ちゃんがかけた言葉が、ごちうさが持つ「優しさ」が色濃く表れた瞬間だったと個人的には思っている。抑々冬優ちゃんは腹話術を身に付けた経緯が「孤独だったから」と告白しており、孤独だった理由として「彼女が内気且つ積極的に話しかけられる性格では無かったから」なのはほぼ間違いないが、一方で彼女とて「孤独でも大丈夫」な人間である筈では無かった事と、それを鑑みると、彼女が腹話術を身に付けた理由に「寂しさを紛らわす為」と言うのがあっても何らおかしくはない為、彼女が言う様に「望んで会得した特技では無かった」と言うのも無理はないし、理世ちゃんに対しても「決して自分は凄くなんかないから」と、お世辞も明るい理由で会得したとは言えない特技なんて褒めなくても良いと言う態度を見せていた事からも窺える。

 ただ、そこで刺さるのが理世ちゃんが見せた優しさであり、理世ちゃんはそんな冬優ちゃんのネガティブな意見に対して、寧ろその特技があったからこそ私達は巡り逢えたと、冬優ちゃんが身に付けた特技をポジティブな方向性で褒め讃え、しかもその後に冬優ちゃんを誘った理由を明け透けに告白したのである。これは思わずごちうさが持つ優しさが色濃く表れたシーンだ」と感じ取ったものであり、どんなに自己評価が低い個性や特技を明かされても決して否定せず、寧ろその特技や個性があったから私達は惹かれあったと言える、理世ちゃんが持つ器量の大きさと深い優しさが激しく心を突き刺した場面でもある。何と言うか、これは「物事は何でも捉え様で良くも悪くもできる」と言う、如何にも心愛ちゃんが発言しそうな概念ものではあるが、この様な発言を普段は真面目且つしっかり者の理世ちゃんが言う事によって、心愛ちゃんとはまた違った良さと重みをもつ発言として機能しているのが良きポイントなのであり、個人的には「年上の人が肯定してくれた事の安心感と自信の高揚」がその一例だと思っている。

 そして、腹話術で繋がる運命と言うのは、かの理世ちゃんの優しさを体現する様な発言と、ジョジョの奇妙な冒険を読み進める中で構築していった概念であり、シンプルに表すと「リゼフユは冬優ちゃんの特技『腹話術』によって深き繋がりを勝ち得た。これは冬優ちゃんが手繰り寄せた運命だ。」と言う事である。ただ、冬優ちゃんは前述の通り腹話術は決して望んで身に付けた概念ではない為、このままでは冬優ちゃんにとって良き運命とは映らないと思うかも知れない。しかしながら、そこで活きるのが理世ちゃんの優しさを伴った発言であり、この発言があるお陰で過去の冬優ちゃんのもがいた努力が肯定されるだけでなく、その努力は後にかけがえのない人達と巡り逢う運命に繋がっていたと整合をとる事ができる様になると言う、正に「腹話術」があったからこそここまで手繰り寄せられた運命と見る事ができる訳であり、それはそれまで自分の特技に自信が無かった冬優ちゃんにとって、理世ちゃんと2人きりで巡り逢うと言う名の運命に救われたと言えるのかも知れない。

 尚、リゼフユがガッツリ絡んだ場所が理世ちゃん邸だったと言う事で、今月号前半では理世ちゃん邸に度々奉仕している狩手結良ちゃんも登場しており、作中では冬優ちゃんにメイド服を着させる*4、理世ちゃんと冬優ちゃん両者をからかう等、相変わらず変わらない立ち振る舞いを見せているが、それがある意味彼女の既定路線である為、昔に比べて大分馴染んでいる雰囲気もある。また、結良ちゃんもしれっと服を使って腹話術を披露しているのもポイントであり、他にもピアノが弾けたり、理世ちゃん邸で奉仕活動に勤しんだりするなどと、大抵の事は割とそつなくこなせる様子が窺える。それならば何故吹き矢の腕前はからっきしなのかとなるが、それが結良ちゃんにとっての不得手分野と言う事なのだろう。人間誰しも苦手の1つや2つはあるものなので。

 

新たな道を切り開く腹話術

 次に「腹話術」によって新たな道が切り開かれた事について考察してみたい。これは新生ティッピーになった事で、これまでのダンディーな声で喋るティッピーが事実上不可能になった中、智乃ちゃんが一生懸命練習した腹話術によってラビットハウスに新たな道が切り開かれた事を指しており、腹話術を練習しているのは理世ちゃんも同じだが、ここではマスターの孫である智乃ちゃんが、店の半ば名物と化していたティッピーの腹話術を自らの意志で継いでいく事に大きな意味があると捉えている。因みに「何かしらの手段や意思をもって新たな道を切り開く」と言う概念は、ジョジョ3部のホウィール・オブ・フォーチュン戦や、ジョジョ5部のジョルノ・ジョバァーナの影響を多分に受けたものであり、我ながらジョジョ好きとしての一面が存分に発揮されていると思う。尤も、前者は別な意味で話題に上る事が多い気がするが。

 ここから本題に入る。今月号前半では理世ちゃんが冬優ちゃんに教わる構図があり、ここではリゼフユが腹話術を通じて2人の友情や関係性を構成していく事が重要になってくるが、後半は智乃ちゃんが腹話術を一生懸命練習した事実が重要になっており、具体的に言えば理世ちゃんの努力に触発された智乃ちゃんが、ラビットハウスの名物となっていたティッピーの腹話術を受け継いでいく為に、自らの意志をもって腹話術に磨きをかけていくと言うものである。

 ここで重要だと思うのは「智乃ちゃんが自らラビットハウスの名物を受け継いでいき、新たな道を切り開く心意気を持っている事」であり、ラビットハウス自体、単行本11巻範囲の頃から大元のシックな雰囲気は残しつつ、新しいお客さんにも来て貰える様な雰囲気へと変化させていく流れが明確に確立されている。それに対して、智乃ちゃんとしても環境や境遇の変化を受け止め、新たな道を切り開いていく為に、自らの意志で駒を進めていく意思がある事は、彼女としてもおじいちゃんが完全にいなくなってしまった事によるショックを隠せない心境も正直存在する中で、彼女としても「どんな哀しみがあったとしても、それさえを乗り越えて自分達が更に先へと進めなければならない事は分かっていると言う事の証明」*5になる上、シンプルに彼女の精神的な成長を表してもいる為、新生ティッピーになったタイミングにおいて、彼女が明確に名物の腹話術を受け継いでいく意思がある事として重要だと考えている訳である。

 また、今月号後半では名物だったティッピーの腹話術を何とかして受け継いでべく、智乃ちゃんや理世ちゃんが2人して会得したての腹話術であれこれ試行錯誤を重ねていく場面があるのだが、個人的にはこれも凄く意味がある事だと思っている。何故なら、かなり乱暴な意見にはなってしまうが、ダンディーな声を発するティッピーが、おじいちゃんがサキさんに導かれた以上不可能になってしまった事を機に、ティッピーの腹話術自体にピリオドを打つ道、即ち腹話術そのものに幕を下ろす道があっても何ら不思議では無かった中、智乃ちゃんや理世ちゃんが腹話術を一生懸命努力していたと言う事は、そのまま「ラビットハウスの伝統を、形が変わっても何があっても継続させようとする意志」が、彼女達には存在している事の表れになるからであり、これはそのまま様々な経緯から細かい部分は変更する事があっても、楽しみにしてくれている人が1人でもいる限り、当該スタイルを完全に破棄する事は無いと言う彼女達の意思にも繋がる為、個人的には凄く良いと思うのである。

 尚、心愛ちゃんだけは3人の中で唯一腹話術を練習している描写が無く、本人の言動を見るに彼女は現時点でも腹話術を使える訳では無い様だが、心愛ちゃんにはその旺盛な行動力を活かした「企画の立案」を得意とする事と、多くの人の架け橋となり得る「コミュニケーション能力」に、友達を後押しできるだけの「胆力」等々の強力な個性があるので、ある種バランスが良く取れているとも言える。勿論、そこに腹話術が加われば鬼に金棒なこと間違いなしだが。

 因みにそんな心愛ちゃんは智乃ちゃんが陰で一生懸命腹話術の練習をしていた事を知っており、その事に対して智乃ちゃんから恥ずかしさ故の罵りを喰らっていたのだが、当の心愛ちゃんはその罵倒を嬉しそうに受け容れていると言う、智乃ちゃんから更に引かれかねない反応かましており、この場面を見て私は「まるで『紡ぐ乙女と大正の月』の藤川紡と一条雪佳みたいなやり取りだ」と思ったものである。尚、紡ちゃんと雪佳ちゃんの場合、年上の紡ちゃんが年下の雪佳ちゃんに対して何かと調子に乗りがちな事*6と、紡ちゃんが遠慮なしにズケズケと距離感を縮めてくる事もあって、雪佳ちゃんは紡ちゃんに対して基本的に塩対応で、あまりにしつこい場合は容赦なく殴りにかかる事もある等、行動が過激な節がある。ただ、何かと世話焼きであり、自分のあらゆる面を受け容れてくれる紡ちゃん*7に対して、雪佳ちゃんも内心では凄く好いている一面を見せた事もあり、その点はココチノと同じである。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回も以前と同様コンパクトにまとめると言う事で、何卒宜しく願いたい。

絶妙な所を突くテイスト

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号では何と言っても「腹話術」がキーワードとなる構成をしているのもポイントだが、全体的に見ると「構成が絶妙な所を突いてくる」となる場面が多い印象があり、例を挙げると「それまで2人だけのしっかりした絡みがほぼ無かったリゼフユの絡みがある」「腹話術を通じて冬優ちゃんの境遇や運命が読み解ける」「仲間に触発されて広まるごちうさの構図が良く活きている」「ラビハにおける腹話術の在り方の変化から、おじいちゃんがいなくなった後のラビハの姿が窺える」等々と、読めば読む程その凄みが読み解けるだけでなく、人によっては「正にその場面展開が見たかったんだッ!」となる程に、今月号は全体的に細かな描写をもって、様々な需要を拾っている傾向が強くあると思う。

 また、今月号も絶妙な笑い所が多く仕掛けられており、最早お約束とも言える定石の笑いに、ごちうさならではのシュール色の強い笑いに、思わず笑いながらツッコミを入れたくなる場面にと、思わず笑いの感情をくすぐられる展開は多かった様に感じている。ただ、結良ちゃんがガッツリ登場する場面に関しては、嘗て程ではないとは言っても、人によっては「面白い」と言うより「怖い」と映る可能性は幾分ある様にも感じるが、私自身彼女の魅力はその異質な雰囲気をひっくるめてのミステリアスさにあると思うので、難しい所ではあると思う。後、単純に私が結良ちゃん並み或いはそれ以上に恐ろしく且つ魅力的な雰囲気を持ったキャラを多く知っているが故に、感覚が半ば麻痺している影響もあるのだろう。正に「慣れ」が一番恐ろしい訳である。

 全体的に見ると、コメディリリーフもとい単行本8巻以前の日常的な雰囲気を多分に感じさせるテイストが強かった先月号と比べ、今月号はその色は若干鳴りを潜めているが、代わりに「絶妙な匙加減をもって拵えた場面構成」が幅を利かせており、こちらは単行本9巻以降顕著に表れる様になった「新しい関係性」「変化と不変」を意識した内容と言える。また、理世ちゃんを始めとしてごちうさが内包している優しさひいては美しさをもろに感じさせる台詞が多い事」も特徴的だと思っており、その意味では今月号のお話は中々粋な回だと思う。

ごちうさが持つ優しさについて

 次に今月号を読んでいく上で印象的だった「理世ちゃんが見せた優しさ」について、純粋に思った事を書き出したい。抑々理世ちゃんひいてはごちうさが持つ優しさとは「相手の特性や個性を頭ごなしに否定せず、相手のあらゆる一面や事情を知った上で受け止める事」だと個人的には思っており、これは相手がどんなに意固地になって自分の個性や特性を前向きに捉えようとしなくても、その事実を否定する事無く、敢えて違った角度からアプローチを投げかける事で、結果的に他者の過去や思想を無闇に傷付けず、相手の心の雪解けを促す事にも繋がると言う、正に「寛大な心で包み込む事の象徴」だと捉えている。そして、ごちうさの世界ではその様な優しさがある事によって、智乃ちゃんやブラバ組を始めとした、言ってしまえば過去に辛い記憶が覆いかぶさっていた人達の心を動かし、今では智乃ちゃんやブラバ組も誰かの心を動かすだけの優しさを与える事の出来る存在になった経緯があり、それは他者に対する抜群の信頼の上で成り立つ、正に輝かしい事実そのものだと捉えている。

 この様な前提がある事から、今回理世ちゃんが冬優ちゃんにかけた言葉を見た時、私は「これこそごちうさが持つ優しさと美しさの一例だ!」と思ったものであり、3つ年上のお姉さんが年下に掛ける言葉としても、純粋にかけがえのない友達にかける言葉としても、これ以上ないまでの美しさが内包されていたと感じている。尤も、その事に気付けたのはごちうさ以外にも沢山のマンガを読んでいたから」だと思っており、もし現時点で未だにごちうさ一筋だったとするなら、良くも悪くもごちうさの価値観に対して「一種の慣れと絶対的信頼」が生じ、それに伴いどうしても特別さと有難みが薄れてしまうのは想像に難くない為、そうなっていたならば、恐らく今月号になって改めてその美しさにここまで感銘を受ける事も無かっただろう。本当に沢山のマンガを読もうと思った過去の自分に感謝である。

 また、沢山のマンガを読む過程で「優しさや美しさと言ったものは、それ自体が必ずしも明るい方向性に導く訳でも無ければ、抑々論として『それが100%良い結果をもたらすとは限らない』のも事実。大切なのは『それらをどの様に用いていくのか』なんだ」と言う、冷静に考えれば至極当然な事を、ジョジョを始めとしたマンガを通じて改めて考えさせられてきた経緯がある事にも大きく影響されており、これによってごちうさに対しても価値観の変化が結構起こっている。しかしながら、そんな中でごちうさ今までと全く変わらない優しさもとい美しさをもって、今月号でも私の心めがけて飛び込んできたのであり、そこにはごちうさが内包している確かな信念をも感じ取っている。だからこそ私は改めて感銘を受け、そこから今月では改めてごちうさの優しさ美しさに少しでも触れてみようと思ったのであり、それは結果としてごちうさ好きであった事の意味」を再検討する良い機会になったと思う。

 

 

2.単行本11巻の感想・考察

ここからは単行本11巻の感想・考察を書き出していきたいと思う。前述の通り、感想・考察と言うより感想中心の内容にはなると思うが、そこはご了解いただきたい。また、前回10巻の感想・考察記事を書いた時、本編もさることながらあとがきがかなり長くなってしまったので、今回はそんな事が無い様に気を付けたいと思う。

新たな門出の雰囲気

 まずは11巻の表紙の印象について書き出したい。11巻はココチノとブラバ組3人が、何れもどこか駅員さん若しくは船員さん的な雰囲気をもって描かれる中で、11巻のテーマに通ずる要素がそこかしこに散りばめられていると言う構図になっており、それはどこか「新たな門出」を思わせる美しさを内包している。

 ただ、私としてはこの表紙を見た時に思った感想は「統一感のない雰囲気が妙に怖い」と言うものであり、言葉ではうまく説明できないのだが、11巻の要素が様々散りばめられている事によって、どこかアンバランスな雰囲気を感じ取ってしまい、アンバランスさ故の不安や落ち着かない雰囲気がどこか怖いと思ってしまったのである。尤も、時間とともに人間慣れが生じてくるもので、今となってはそこまで不安を感じなくなっている。それがある意味一番恐ろしいとも思うが......。

 この様に私の中では複雑な事になっているが、表紙に描写されている物を客観的に見ると、「ラムネの瓶」は海シスト編を思わせ、上部に時計が設置されている「行先標識」は、ブラバ組ひいては心愛ちゃん達全体の今後の進路や行き先を暗示する機能がある*8と言え、行き先が書かれた「チケット」は、11巻中盤の銀河鉄道回」及び終盤に起こった、ティッピーもといおじいちゃんの運命や行き先を示唆する様な内容を思わせる等、全体的に「具体的な内容を示唆する描写が多い印象」がある。また11巻の表紙は、性質上未来に向けての雰囲気を強く描いていた10巻とは一線を画していると言え、今思うと「10巻には無かったアンバランスさが怖い!」となるより「内容に踏み込んだ描写が散りばめられているのが美しい......。」とならなかったのが惜しい気もする。

 表紙とは別カテゴリーにはなるが、11巻をめくって最初に出てくる映月ちゃんがとにかく良い雰囲気をしており、ブラバ組もとい神沙姉妹2人の軌跡や成長が色濃く表れた11巻に相応しいと思う限りだが、純粋にとても可愛らしいのが一番のポイントである。ただ、良く見ると外面モード時の映月ちゃんも描かれており、流石は抜け目のないKoi先生だと思うばかりである。

 更に余談だが、どういう訳か今回の11巻表紙を見て私は度々ジョジョ8部ジョジョリオンを思い浮かべたのだが、私自身ジョジョリオンは主人公やヒロインの名前、大まかな世界観は、ジョジョを調べていく過程で知る機会があった一方、原作に関してはまだ読んでいないので、何故にこんな事が起こっているか全く理解できないでいる現状がある。尤も、仮に理解したとしても「自分でもさっぱり分からない」となるのが関の山だと思えない......。本当に感覚でそう思ったとしか言えないので......。

美しさと怖さの共存

 11巻全体の印象として私は「美しさと怖さを内包した雰囲気が今まで以上に多くなっている」と言うものがあり、10巻以降新たに木組みの街の住人になったブラバ組が大きく躍進を遂げていき、心愛ちゃん達既存の木組みの街の住人組にしても、今まで以上に精神的な成長を遂げていき、特に「自分の進むべき道や、道を進む為に乗り越えなければならない壁を乗り越える意思を構築していく姿」は、正にごちうさの美しさが大きく投影されていると考えており、そのアプローチが様々あった事も相まって、今まで以上に成長による美しさが良く表れていると捉えている。

 ただ、一方で「銀河鉄道回」に付けられているサブタイトルに「憂鬱」を意味する「メランコリ」が入っている事、結果的には良い方向に進んだ事も多いとは言え、結良ちゃんが持つミステリアスな雰囲気が図らずもどこか不気味な方向に作用しているケースが少なくなかった事、智乃ちゃんやブラバ組を筆頭に精神的な成長を躍進的に遂げていく一方で、未だ気持ちの覚悟が付き切れておらず、何れ受け容れなければならない未来に対してどこか恐怖に思う気持ちが散見される事等々、全体的に美しさと対比する様に怖さが描かれている印象もある。しかしながら、これらは見方を変えると「成長している部分とそうでない部分」が対比されていると思えるだけでなく、美しさを強く感じさせる部分で描かれる「純粋に高校生と言う年頃故の『大人への成長の過渡期』」を示唆する様な構成になっていると言う捉え方もできる為、捉え様によっては怖いと思える要素を、決してそのまま怖いだけでは終わらせない構成は本当に凄いと思う。

 尚、10巻は終盤にかけて「うわっ......、こんな現実が待っていたなんて......。」と、思わず唐突にショックを受けかねないシリアス展開が目立つ一方、11巻は「哀しい事だが、何れは受け容れなければならなかった事は分かっていた運命。私達は遂にその様な運命をも乗り越えなければならない時を迎えたのだ。」と、哀しみを背負っても尚、前を向いて進み続けなければならない事を指し示すシリアス展開が多くなっている印象があり、結果的に「厳しい運命に直面しても尚、前を向いて歩き続ける意思が備わりつつある」のが描かれている様にも感じている。

補完された繋ぎの部分

 最後に単行本によって追加された「お話とお話の間に挟まれる挿絵」の中で、私が「これは凄く印象的だった」と思う挿絵に対する感想を書き出したい。抑々太字で紹介した挿絵と言うのは、単行本化されて差し込まれる事のある絵を指しており、普段はお話の後日談、補完が主となっているが、物によっては雑誌掲載時では1話毎にぶつ切りになっているが故に、お話の繋がり及び前後関係を余す事無く理解するのが難しかった部分が、挿絵のお陰で幾分読み解ける様になったり、挿絵によって物語に存在する因果関係に明確な裏付けができたりする事もあったりと、普通に本編の解釈を深めるにあたって絶対に外せない程挿絵が重要になる事もあるので、中々侮れないと思う訳である。

 そんな挿絵において、11巻の中でも特に重要だと思ったのは「ココチノの実家帰省編における、ちょこちゃん(心愛ちゃんとモカさんのお母さんの事)と智乃ちゃん2人による、ちょこちゃんにとっての思い出のアルバムをめぐったやり取りの一幕」であり、挿絵自体もちょこちゃんと智乃ちゃんが2人一緒にアルバムを見ている所を背後からひっそりと、智乃ちゃんのお母さんであり、ちょこちゃんの親友でもあったサキさんが見守っている*9と言う、中々に良い構図が表れているのだが、それ以上に雑誌掲載時はお話の合間だったが故に詳細な内容が窺い知れなかった内容を知れたのが大きく、これにより智乃ちゃんは「例のアルバムをちょこちゃんと一緒に見ている」と確証を得られただけでなく、最終的に智乃ちゃんとちょこちゃんの2人はどの様な経緯を遂げているのか。それが挿絵によって読み解ける様になっているのがあまりにも有り難く、今回重要なポジションに据えた所存である。因みにこのくだりの挿絵は2枚あり、2枚目の描写は色んな意味で必見である。

 余談だが、11巻の挿絵の中で一番インパクトが強かったのは「ブラバ組3人が見せるそれぞれのハートマークのポーズ姿」で、とりわけ例の睨み付ける様な目をもって威圧的な雰囲気を醸し出させ、ポーズもかなり特徴的な冬優ちゃんがあまりにも印象的だった。尚、神沙姉妹2人に関しても夏明ちゃんは恥ずかしさ故に顔が強張り、尚且つ視線も外していると言う状態であり、映月ちゃんは3人の中では一番ハートマークをノリノリで作っているが、ノリが良過ぎて逆にちょっと怖い節が出ており、総じて「3人共に一癖も二癖もある」と言う状態が完成している。ただ、その癖のある個性がそのままブラバ組の大きな魅力に繋がっている為、個性としてはそのままでも全然良いと思っている。流石に接客の際は、最低限のTPOを弁える形にするべきだとは思うが......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年4月号掲載のごちうさ、及び単行本11巻の感想・考察である。今回は最早毎月恒例となったきらま掲載のごちうさ感想・考察だけでなく、2月22日に発売された単行本11巻の感想・考察も、1つの記事として合わせて書き連ねると言う、これまであまりしてこなかった手法を用いて書いており、内容も完全に分ける手法を取った為、本当に上手く作れるのか不安が無かった訳では無かったが、最終的には両分野ともに上手く1つの記事に落とし込めたので、そこは純粋に良かったと思っている。

 今月号のごちうさごちうさが内包している『美しさ』が強く顕在した回」と言う印象が強くあるが、それ以外にも新生ティッピーになった事による環境の変化も描きつつ、そのティッピーに深く関わりがある「腹話術」を用いて冬優ちゃんの過去にも触れつつ、それさえも優しさで包み込んでいくと言う、正にごちうさの十八番とも言える丁寧な物語展開と緻密な心理描写がそこかしこに存在する為、色んな意味でごちうさを好きであればある程堪らない構図がそこにはあると考えている。また、その腹話術からラビットハウスの新たな道筋が見えてくるのも興味深いポイントである。

 今回の記事でもジョジョを読んでいる事による影響は多分に出ており、特に3部「スターダストクルセイダース」と5部「黄金の風」の2つの影響が強い。また、ごちうさの感想・考察を書き進めたり、ごちうさを読み進めたりしている時でも「ジョジョ」を意識する事は度々起こり得るものであり、今回はジョジョ以外にもつむつきを思い浮かべると言う事案も起こっている。尤も、前述した様に最近ではそのおかげでごちうさの良さに改めて気付けると言う過程も生まれており、今月号において軸とした「優しさ」や「美しさ」もその恩恵に依る所が大きい為、結果的にはこの様なスタンスで良かったと言える。

 一方単行本11巻の感想・考察の方は、前半とは異なりごちうさ以外の作品を思い浮かべた機会はかなり少なく、せいぜい「美しさと怖さが共存している様な世界観」と位置付けた際に、世界観そのものは全く違っていながらも「平穏に見える日常の中に不穏がある」と言う意味で接点があるジョジョ4部「ダイヤモンドは砕けない*10を思い浮かべた位である。また、前半部分の記事執筆から日数が経っている事もあってか、書いている最中にごちうさ以外の世界観が突然飛び込んでくる事も殆どなく、終始割と一つの世界観に染まっていた気がしている。尤も、記事執筆時には何かしら音楽をかけている事が殆どなので、如何なる状況でも本当の意味で完全にごちうさだけの世界になっている訳では無いが、それはそれと言う事で。

 また、単行本11巻の感想・考察の方は、書く内容を編み出すのにも苦戦しており、理由は言わずもがな、普段からきらまでごちうさガッツリ読んでいる為、改めて内容を推し量ろうとしても限界があるからである。その為、今回は単行本特有の要素に着目して書き進めており、これが後述する超スピード執筆にも繋がっている訳だが、内容自体は書きたい事を盛り込めているので、これでも及第点である。

 今回は前後半共に記事の量をコンパクトにまとめる事を意識している為、特に後半は前回の単行本10巻の感想・考察に比べても幾分コンパクトにまとまっているが、その代わりに執筆スピードをかなり上げており、結果的に前半のきらま掲載のごちうさ感想・考察の部分は3日・4日で、後半の単行本11巻の感想・考察だけだと僅か数時間でほぼ完成に持っていくと言う状態になった。我ながら結構ハイスピードに仕上げたと思うが、ごちうさへの想いはしっかりと書き出せたと言う事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙38枚分である。今回は複合記事である為、コンパクト化を意識する前の文量を思わせる位にはなっているが、それぞれの項目自体は割とコンパクトにまとめている。

*1:実際には2月23日には完成していましたが......。

*2:今月号時点でも、その正体を明確に知る者は智乃ちゃんにタカヒロさん、それに銀河鉄道回にて感付いた節を見せた青山さん位なもので、他にもその正体に気付いている素振りが見受けられる人物こそいるにはいるが、それを証明するだけの客観的描写がない為、現時点では何とも言えない。

*3:実際に智乃ちゃんからも、理世ちゃんと出逢った当初はその軍人気質さ故に若干怖がられていた経緯がある。但し、智乃ちゃんの場合初対面からどこか物騒な雰囲気をもって話しかけられていたので、恐怖を抱いても無理はなかった事情はあるが......。

*4:冬優ちゃんは最初こそ照れくさそうにしていたが、最終的にはマヤメグの2人に指摘されるまで、メイド服を着たまま帰路についていた事に気付かない程に、メイド服を着た状態でもごく自然な感じになっていた。

*5:尚、これもジョジョ5部終盤のジョルノの言動に多大なる影響を受けている。

*6:紡ちゃんは雪佳ちゃんの事を心から気に入っており、もっと雪佳ちゃんとの距離感を近付けたい表れでもある。因みに紡ちゃんが調子乗りなのは本人の性格に依る所が大きい。

*7:彼女は元々誰に対しても分け隔てない接し方をする人だが、雪佳ちゃんに対してはそれが顕著に出ている傾向がある。

*8:それが私の中では一抹の恐怖をもたらしてもいるのだが。

*9:その際、サキさんは結構大きめなリアクションを見せている。

*10:因みにこの4部主人公「東方仗助」が着用している改造学ランは、私自身結構かっこいいと思っているし、好きなデザインでもある。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」8章・最終章・外伝の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部8章・最終章・外伝を読み進める中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。ただ、8章・最終章に関しては、このブログ執筆時点でも実装されてからかなり時間が経ってしまいましたが、これは今まで新章を読破する度に記事を制作してきた中で、この8章と最終章だけは何故か書くタイミングを逸していたからで、その中では色々と悩む事もありましたが、この度外伝が公開されると聞いて、これまでずっと書き続けてきた事に一つのピリオドを打つべきと思い、改めて書く事にしました。尤も、結果的に外伝も公開後時間が経ってしまいましたが......。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的且つ壮絶な展開の連続であり、これまでも幾度となく数々の事実が明らかになってきたが、この度遂に終止符を打つ事になる……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力はきららファンタジア全体でも随一である。私はそんなシナリオを2章から7章にかけてずっとブログ記事にて感想・考察を書き続けていた訳だが、私とてこの「メインシナリオ第2部の世間体」を一切気にしないでいられる訳では無かった為、時にはこの第2部に対して迷いが生じる事もあり、8章及び最終章の記事を長らく書けなかったのもその迷いが一因にはなっている。ただ、結果として私は迷う事があっても「好き」と言う気持ちがブレる事が無かったのも事実であり、正直第2部には色々と問題点がある事も分かっていたのだが、それでも私は「どうして嫌いになれようか!」と言う切実な気持ちがあり、それは外伝まで無くなってしまう事は終ぞ無かった。やはり、自分の気持ちは裏切れないのである。

 今回はそんな複雑怪奇な気持ちを書き出すと言うより、どんな形であっても最終章を迎え、外伝も公開されたメインシナリオ第2部に対する純粋な気持ちを率直且つシンプルに書き出していきたいと思う。

2.第2部8章・最終章・外伝の感想・考察

8章・最終章・外伝自体の感想・考察

まずはこれまで同様。8章・最終章・外伝そのものについてや、そこから読み解ける事を書き出したいと思う。内容は今までの例に漏れず、重い内容が含まれているので注意して欲しい。

8章・最終章・外伝の軌跡

 8章はリアライフによってエトワリアに召喚されたクリエメイトも登場する上、メインシナリオ第2部の世界観も深く掘り下げられており、更には「きららのパスが断ち切られる、ランプがリアリスト達の支配下に置かれる」と言ったイレギュラー要素も満載と、正に最終局面に繋がっていくに相応しい章であり、時系列としては激動の展開続きだった7章から割と地続きとなっている。

 この章は前半が「リアリスト達によって奪われた人々を救出する中で、数々の困難や苦悩と向き合っていく展開」が中心となり、後半は「リアリストの幹部『真実の手』との決戦とクリエメイトの完全なる救出」が中心となっており、前半では割と絶望的とも思える展開も少なくないが、苦節あってもあらゆるものを取り戻していく流れにある後半では、うって変わって勇ましい展開も多く、各々が秘めし「心の強さ」「めげない根性」が見え隠れするのもポイントである。

 また、8章は構成上「真実の手」が揃い踏みする章でもあり、その癖のある性格は相変わらずだが、きらら達と邂逅し敗れると、人物にもよるとは言え、今まで見せなかった意外な一面を僅かながら露わにしており、彼女達の行いはどう足掻いても悪辣非道なものだった故に赦すのはかなり難しいが、少なくとも「真実の手」の面々も「最初から聖典に対する信仰心が全く無かった訳では無かった」と言える。尤も、エトワリアは聖典の力で生きる活力を得ている世界」なので、当然と言えば当然だが、外伝のシナリオを観た後では、多少なりとも見え方も変わるものである。

 最終章は8章から完全に地続きのシナリオとなっており、構成としては「8章にて逃れたハイプリスとサンストーンと対峙し、この一件にピリオドを打つ為に、きらら達は残されたクリエメイトであるかおすちゃんと、かおすちゃんの担当編集である網沢さんと共に最後の決戦に臨む」と言うものであり、この章は1章から8章と比べると、章立て自体はかなり少ないものの、内容は負けず劣らず重厚であり、特に「うつつちゃんの正体」「ハイプリスの行動原理」が明かされた点がその最たる例である。

 その様な事もあって、最終章は8章前半とは別ベクトルで痛々しい展開が存在しており、特に「うつつちゃんの正体をめぐった言動」「ハイプリスの自暴自棄な立ち振る舞い」はかなり痛々しく、後者に関しては完全に因果応報とは言え、彼女が辿った運命を考えると中々に残酷である。尚、最終的にハイプリスは全ての力を使ってきらら達に挑むも、あらゆる力を授かったきらら達の前には力及ばず、そのままあえなく敗北してしまい、サンストーンはそんなきらら達に対して、ハイプリスに先立ってきらら達を倒そうとして襲い掛かるものの、きららが持つ輝かしい力の前に最早手も足も出ず、退けられた拍子に言の葉の樹から落下してしまい、そのまま最終章の表舞台からフェードアウトしてしまうと言う、両者共に凄惨な結末を遂げている。因みにサンストーンは最終章では最後まで生死不明のまま終わってしまったが、外伝にて樹がクッションとなった為に助かっていた事が判明している。

 そして、2人との最終決戦を終えたきらら達は、多くの謎を残しつつもこの一件にとりあえずピリオドが打てた事を振り返る場面が入り、この2部にて主軸だったうつつちゃんは、同じく2部における重要人物である、スクライブギルドのギルド長たるメディアちゃんと共に暫く住む決断をし、ここで最終章はピリオドが打たれている。

 外伝は端的に言えば「リアリスト達が進む軌跡を見届ける」と言うもので、2部の事件以降すっかり改心したハイプリスが、真実の手達が元々持っていた「聖典への憎悪」を拡張する形で利用していた事を清算し、自分が進むべき事の為に奔走するのが中心的である。また、最終章終盤にて行方が分からなくなっていたサンストーンも無事だったのが判明しており、彼女もまたハイプリスの意思を添い遂げる形で穏やかな性格になっており、故に外伝はそれまでの2部とは大きく異なるテイストになっている。

 外伝においては「真実の手のそれぞれの過去」が明らかになっており、何れも大切な人に裏切られたり、信頼していた人に騙されたり、使い物にならないと理由で捨てられたりと、何れも悲惨な過去を抱えている事が判明しているが、その中でもリコリス聖典を理解できないが故に大切な人を救えなかった」と言う悲愴的な過去を持っており、真実の手が何故聖典を憎んでいたのかが理解できる訳だが、真実の手達もハイプリスの手によって新しい未来に進む決断をし、嘗ての様に聖典の破滅を目論む様子は見せなくなっており、真実の手も改心する兆しが見える様になっている。

 最終的にはハイプリスが辺境の神殿にて再び聖典を広く伝えに行く決心を胸に、辺境に向けて旅立つ場面にて終了しており、2部本編では後味の良くない終わり方も多かった中で、外伝は未来に向けて明るい終わり方を見せているのも印象的である。

うつつちゃんの正体

 メインシナリオ第2部の重要人物たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「名前と年齢と女子高生である事」以外は全て記憶を失くしてしまっている。その為、7章まででも部分的に正体を仄めかす様子はあったものの、彼女が何者かを断言できる要素は無かった訳だが、最終章にて遂に正体が明らかになっており、その意味でも非常に重要となっていた。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、初期の頃は何かにつけて悲観的な事を述べたり、自虐的な事を述べたりする事が常だったが、きらら達と冒険を重ねるにつれて精神的に成長を遂げていき、メディアちゃんと親交を深めてからは、後ろ向きな事を言いつつも満更でもない表情を浮かべたり、大切な人には自分がどうなっても構わず突入していったりと、気丈な一面が見られる様になっていった。終盤には己の強い想いから新しい力を会得しており、彼女独特の強みが光る人物へと成長している。ただ、根暗且つ後ろ向きな所も変わっておらず、それ故に明朗快活なメディアちゃんに半ば強引に引っ張られているケースも多く、その事に対して表立っては四の五の言いつつも、本心ではメディアちゃんに対して感謝の念を抱いている事が殆どである。

 物事に対する鋭い洞察や、言葉選びのセンスが持ち味であり、彼女独自のセンスに裏付けられた語録は、高い緊張感が絶え間なく続く様になった本編終盤において「リラックスできる要素」として機能している。また、意外にも毒舌家でもあり、自分のネガティブ特性に対して余計な口添えをする者*1や、共感できない思想に目の当たりにした際に、中々に容赦がない毒を吐く事があるが、基本的には人の気持ちを鑑みる事ができる優しい人物であり、恥ずかしがり屋な性格故に普段は中々素直になれないものの、自分にとって大切な人の好意は大切に想っている。

 そんなうつつちゃんだが、最終章にて遂に彼女の正体が明らかになる。その正体は「消滅する筈だった『クリエメイト』」であり、これは聖典の世界が生み出される為には、聖典を構成する為の特殊なエネルギーを持つ事が条件であり、特殊なエネルギーを持てなかった聖典世界はやがて消滅してしまうのだが、うつつちゃんはその「特殊なエネルギーを持たなかった為に、最終的には聖典にならずに消滅する世界にいたクリエメイトだった」のである。だが、それならば何故エトワリアにやって来られたかと言えば、後述するハイプリスを今回の第2部の騒動を引き起こさせる様に唆した「混沌の使者」の手によって消滅世界から救い出されたからであり、この様な経緯から、彼女は消滅世界に居たが故の強大な絶望のクリエと、その絶望のクリエを根源としたウツカイを生み出せる能力を持っており、また抑々が消滅する運命にあった世界の出身であった為、エトワリアに来るまでの自分自身の記憶が殆ど無かったのである。その事を突き付けられたうつつちゃんは大変に絶望してしまうが、その場に居たきらら達によって再び気概を取り戻し、その後は絶望に苛まれる事無く、最後まで気丈な立ち振る舞いを持ったうつつちゃんであり続けていた。その事は彼女の大きな成長を物語っているだろう。

 メインシナリオ第2部全体を振り返ってみれば、うつつちゃんは終始ネガティブ思考且つインドア派な思想は一貫しているものの、後ろ向きで根暗だった自分を決して見捨てずに親身であり続けたきらら達と、誰に対しても明るく優しい雰囲気を見せ、うつつちゃんに対して誰よりも理解を示していたメディアちゃんとの親交を経て、最初はネガティブ思考且つ弱気であるがために勇気が出ず、本人も気にする程に情けない事になってしまうのも少なくなかったが、最終的には後ろ向きな所はあっても精神的な芯の強さを持ち、自分の大切な人の為に勇気を出せる立派な人物へと成長しており、メインシナリオ第2部における紆余曲折が、彼女を強く逞しく、そして深い慈悲を持つ人物へと変化を促したのは最早疑いないだろう。

 余談だが、うつつちゃんと彼女の親友メディアちゃんとの会話から分かる側面として、うつつちゃんは規則正しい生活が好きでは無く、それ故に夜更かしが好きで、おまけに食べ物の好き嫌いも多いのがあり、他にもうつつちゃんの独白から人参が嫌いと言う一面も明らかになっており、これでは一緒に住むメディアちゃんが多少なりとも気遣いをする事になりそうだが、性格が正反対故に気が合っている2人なので、余計な心配をする必要もないだろう。

ハイプリスの結末と未来

 リアリストの首謀者にして、聖典の世界の破滅を目論んでいるハイプリス。元々はメディアちゃんと同じ優秀な女神候補生であり、メディアちゃんとは同じ学び舎で研鑽を積む良き理解者であり、ハイプリス本人も聖典に対して深き愛を持ち、彼女は後に辺境の神殿に勤める神官として、聖典をエトワリアのあらゆる地域に届ける事を目標としていたが、ある事(後述)を境に聖典に対する考え方を変貌させていき、第2部開始時点で聖典を破滅させようと目論み、リアライフを用いた計画を実行する。

 普段は冷静な判断力と知識を持った人物であり、リアリストの首謀者として「真実の手」を率いるだけの統率力とカリスマ性を見せており、特にサンストーンとロベリアが篤い忠義心を見せているが、リコリスやスズランの様にハイプリスの事をあまり忠義していない人もいる。また、比較的気性が荒く、思想も退廃的な面々が少なくないリアリストの中ではかなり穏やかな人柄でもあり、部下の失敗を咎めず、自分がなせる事を果たしてくれればそれでよいと言った器の大きさを持っている。ただ、他方で最終章終盤にて聖典が持つ底力を見せ付けられた時、ハイプリスは怒りを露わにしながらきらら達に襲い掛かっている為、実はキレると感情が抑えられなくなる凶暴な一面を持っている様にも思えるが、後に分かる事として彼女は聖典をめぐって悲愴的な過去を抱えており、それ故に聖典に絶望した経緯があった為、視野狭窄に陥っていた当時の彼女からしてみれば「信じていてもどうせ裏切られるだけの聖典に、何故これ程の力がある!」となるのも無理はない事から、普段の冷静さを失うまでにキレてしまうのも納得は出来る。尤も、それにしては感情を爆発させすぎな様にも思えるが、それだけ彼女に燻っていた、聖典に対する怒りや憎しみは相当なものだったと言う訳である。

 計画の為ならどんな事でも厭わない強情な一面があり、メインシナリオ第2部本編でも禁呪魔法に手を出してまで聖典の世界の破滅を望んだり、過去には大切な人を失ってしまった反動から、やはり禁呪魔法や闇魔法に手を出し、問題を起こした為に辺境の神殿を追放されたりと、行動がかなり過激且つ危険な印象を受けるが、これは嘗て自身の身の回りに不幸が連続して襲い掛かる中で、彼女の中で何時しか「どうすれば誰も失わない世界に出来るのか」と言う思想に憑り付かれる様になり、その過程で過激な手段すら辞さない様になったからであり、故に過激な行動の裏には、客観的な判断を欠いた思想が彼女の中で支配的になった事と、後述する「混沌の使者」に唆されたと言う背景が大きく関係しており、そこには「最早この身がどうなっても構わない」と言う覚悟さえ見え隠れしている。

 そんなハイプリスだが、彼女は8章及び最終章と、外伝では様相が大きく異なっており、前者はリアリストの首謀者としてきらら達との決戦に臨み、決戦を制した上で自身の目的たる「聖典の世界の破壊」を成し遂げる為、聖典に対しては基本的に何の慈愛も持たず、性質も正に「悪の首謀者」に相応しい冷徹さと冷酷さを併せ持った雰囲気だが、後者は、結果的に聖典を破滅させようとしても破滅させられなかった事から、事件の首謀者として神殿に囚われた中で再び聖典に対して向き合う気持ちを見出し、嘗ての凶暴性及び冷酷さはすっかり鳴りを潜め、以前の女神候補生及び神官として聖典に対して深き愛情を持ち、何者にも分け隔てなく接する立派な人格者へと変化しており、完全に聖典を信じ切れる様になった訳では無いとは言え、元々は聖典を信じていた身でありながら聖典に疑念を抱き、一度は聖典の完全破滅を望んだ事に対する贖罪*2として、再び聖典を広める為に尽力するまでに更生している。何とも凄まじい切り替えの早さだが、ハイプリスは元々が優秀な女神候補生であり、神官になってからもその才覚で多くの活躍をしていた為、それに付随した思考力と頭を良さを兼ね備えている事は想像に難くなく、切り替えの早さもその頭のよさ故と思えば合点はいく。

 また、最終章にてハイプリスが何故元々が聖典を深く愛していた身でありながら、聖典の破滅を望む様になった経緯について女神ソラ様の口から語られており、そこからハイプリスの素性を知る事ができる。ハイプリスは女神候補生から神官になった後も聖典を布教する活動に打ち込んでいた様だが、その最中で自身の両親と、自身と同じく聖典の布教に尽力していた友人を事故で亡くしてしまうと言う不幸に見舞われてしまい、その事がきっかけで豹変*3し、やがて禁呪魔法に手を出して神殿を追放され、さながら浮浪者と化していた事が判明している。尚、ハッキリとした時系列は不明だが、ハイプリスがウツカイを生み出す力を持ち、聖典の破滅を望んだ直接のきっかけは、うつつちゃんを消滅世界から救い出した「混沌の使者」との接触にあり、混沌の使者から聖典に頼らずに強いエトワリアを生み出せれば、大切な人が理不尽にいなくなる事も無くなる」等と、ハイプリスが持つ弱みにつけ込んだ様な発言でハイプリスを唆し、それをハイプリスが承諾した事により、混沌の使者はハイプリスに対してウツカイを生み出す能力及び、聖典を破滅に追い込む為には必要不可欠の絶望のクリエを多分に持つうつつちゃんをコントロールできる様にする力を与えた事で、ハイプリスは今回のメインシナリオ第2部本編における行動を引き起こすに至ったと言う訳である。尚、これは一種のリンクと言える構造の為、2部本編にてうつつちゃんがハイプリスの会話を聞き出せた事も、混沌の使者が与えた力の副次的効果と思えば納得できる。

 一方外伝では前述の通りすっかり更生しており、女神ソラ様からの赦しを受けて、監視付きながらも以前の様に聖典を広める為の活動に勤しむ決心をしており、その前に自分がした事の清算に奔走する姿を見る事ができる。思想もかなり穏やかなものになっており、そこに嘗ての凶暴性はまるでなく、彼女が嘗ては立派な人物だった事を証明するには十分であり、外伝ではそんな嘗ての自分を取り戻した彼女を見る事ができる。尤も、それで本編の蛮行を許せるかどうかは別問題だが、本人も外伝にて本編の蛮行を反省しているので、絶対に許さないといけないと言う訳では無いが、多少なりとも配慮はすべきだろう。

サンストーンの正体

 ハイプリスが最も信頼を寄せている人物であり、リアリストの幹部「真実の手」が「右手」であるサンストーン。人と人の繋がり「パス」を断ち切る事ができる能力を持ち、メインシナリオ第2部における「パスの喪失」は彼女の能力によるものである。その為、第2部でも特に重要人物でありながら、本編では彼女にまつわる情報が少ない事もあって、リアリストの中でも謎多き人物でもあったが、外伝にてその素性が明らかになる(それは後述)。

 信頼する人物に対して絶対の忠誠心を持ち、ハイプリスを悪く言う者は例え仲間内であっても咎める事を厭わず、常にハイプリスの移行に添い遂げられる様な行動をとる事を理想としている。実力も非常に高く、常に冷静な立ち回りで隙を見せず、鋭い言動で相手の信条に揺さぶりをかけつつ、圧倒的な実力で相手を追い詰める等、正にハイプリスの右腕と呼ぶ相応しい盤石さを持っているが、他方であらゆる慈悲を捨てて強硬手段に出たり、ハイプリスが止めなければ、最早己の身がどうなってでも彼女の意向を添い遂げようとしたりする等、ハイプリスの意向を成し遂げる為なら手段を選ばない強硬さも併せ持っている。その為、ハイプリスを快く思っていない者からすれば、サンストーンも「目の敵」となり得る存在だが、サンストーン自身はあくまでハイプリスの意向を添い遂げる事を心情としている為、自分の事を目の敵にされるのはあまり気にかけていない様子が見受けられる。

 目的の為にならあらゆるしがらみを捨てられる覚悟が備わっており、本編でもきららと何かしら重要な関わりを示唆しておきながら、サンストーン本人はその事に対して(悲愴的な事とは言え)見切りを付けていたり、真実の手としてのサンストーンにとっての主君ハイプリスの為に全てを捧げる覚悟を秘めていたりと、一度捨てた物を自ら振り返らない決心の固さと、信頼する主君に添い遂げる意思の強さはリアリストの中でも随一である。しかしながら、その過程で彼女は絆さえ自身の能力で捨ててしまっている上、自身の過去を頑なに語ろうとしない性格でもある為、きららとの対面の際にきららが無意識に涙を流した事を筆頭に、目標の為に余計なものを捨てる事ができる覚悟が備わっているが故の弊害があるのも事実である。

 そんなサンストーンだが、彼女はハイプリスの側近として8章・最終章・外伝何れの章においても、基本的にハイプリスと行動を共にしており、これ自体はそれまでのメインシナリオ第2部と変わらない。そして、彼女の主な任務も「クリエメイトやきらら達のパスを切る事」及び「ハイプリスの目的を成し遂げられる様に尽力する事」が主と、ここも今までと大きく変わっている面はなく、挙句彼女は最終章終盤にてきららが持つ聖なる力にあえなく敗北し、外伝にて生還していた事が判明するとはいえ、本編ではきららに敗北した拍子に物語の舞台からそのまま脱落してしまう結末を辿っている為、彼女は本編だけでは一体何者だったのか、どの様な思想を持っていたのかを詳しく窺う事ができず、結果的に本編では謎多きキャラクターとなってしまったのだが、外伝では彼女が何者かがきちんと掘り下げられている。

 外伝においては、前述の通り基本的にハイプリスと行動を共にしているが、サンストーンとハイプリスが邂逅した時点でハイプリスはすっかり改心し、嘗ての立派な人格者だった頃の人格になっていた事から、サンストーンもそれに感化されるかの様に、本編で見せた冷酷さはすっかりなくなっており、ハイプリス同様穏やかな性格へと変化*4している。また、自分の中で割り切った過去は振り返らない性格故に、外伝においても途中までは自分の事を語ろうとしなかったが、ハイプリスと共に辺境の神殿に旅立つ前日に、きららに直接会いに行き、きららに対して自分の素性を全て話しており、ここでサンストーンの素性が明らかとなる。

 サンストーンの正体は「きららの実の妹」であり、サンストーンがきららの事を「姉さん」と呼んでいたのは「サンストーンにとってきららは実の姉だったから」で、きららがサンストーンが妹である事を覚えていなかったのは、ズバリ「サンストーンがきららとの絆を自身の能力で断ち切ったから」で、絆を断ち切った理由は姉妹で絆に対する能力が正反対だった故に、サンストーンは何時しか「自らの手で簡単に断ち切れる『絆』に対して失望の念を覚えたから」と言うものだった。尚、きららがサンストーンと出逢う度に訳も分からないまま涙を流していたのは、きらら自身も気付かない内に「実の妹とのパスが断ち切られている」と言う事実を本能的に察知していたからだと思われ、持っていた能力がなまじ正反対だった故の哀しい姉妹の運命を物語っている。

 だが、外伝終盤にてサンストーンときららは両者の計らいで、遂に姉妹の絆を取り戻し、以降は両者の間にも深い信頼関係が蘇っており、細かくは違うとは言え、きららもサンストーンも「過去と今は別」と考える性格である事から、両者の間に深い溝は存在しておらず、サンストーンがあくまでハイプリスに対して絶対の忠誠を誓っており、ハイプリスの意思を添い遂げる事が、今の彼女にとって何よりの信条としている事から、きららとの絆を取り戻した後も、サンストーンは彼女自身の意思でハイプリスについていく道を選んだ事に対しても、きららはそれをいとも簡単に承諾しており、この事からも2人が如何に良好な関係性を構成したのかが窺える。

 尚、きららは自分の両親の事も分からないと言う事情を抱えており、きらら本人としてはサンストーンが何か知っているのではと以前から勘ぐっており、サンストーンとは実の姉妹だった事が判明した事で、きらら本人としても少なからず期待を寄せたと思われるが、残念ながらサンストーンも両親の事は分からないと言う事であり、この事実は「サンストーンが両親との絆を断ち切ったのではない」と言う証明にもなるが、何れにしてもきららとサンストーンの両親の事は、この外伝においても分からず仕舞いであり、明かされるかどうかも先行き不透明であるが、それでも外伝においては、分かたれた運命を歩き続けていたきららとサンストーンが再び絆を取り戻し、実の姉妹としての絆を再び大きくさせていく運命を確立させた事に大きな意味を見出せるだろう。

8章・最終章・外伝について思う事

ここからは8章から外伝を踏破していく中で思った事を率直に記載したい。ここからも多少なりとも重い内容が含まれているので注意して欲しい。

雌雄を決する時と新たな門出

 まずは8章から外伝全体の印象について書き出したい。8章、最終章、外伝では、8章から最終章(本編)の聖典を護ろうとするきらら達神殿サイドと、聖典を破壊しようとするリアリスト達の決戦」と、外伝の「完膚なきまでに打ちのめされたリアリスト達が、自分を変える為に新たな決心と旅立ちを決意する」と言う2つに大別される事と、外伝では未来に向けて比較的明るい終わり方になっていた一方で、本編の方は最終章と事実上地続きになっていた8章はともかくとして、最終章でも締め方こそ前向きなものになっているとは言え、謎な部分が多いまま終結を迎えたが為に後味は決して良いものでは無い*5事から、本編と外伝では最早別物として捉えた方が良いとすら思う事もある一方で、本編における結末が、外伝におけるリアリスト達の改心のきっかけとなった事も間違いない為、全体的な流れとして8章から外伝は聖典をめぐって人はどの様な思想と行動を見せ、そして一連の騒動が集結した後に人は何を思うのか」と言う流れが凝縮されている様にも感じている。

 メインシナリオ第2部においては付き物でもある「シリアスさ」についてだが、結論から言うと8章、最終章、外伝共にシリアス要素は存在するし、パンチが強い要素も普通に含まれているが、それでも何れの章も他の章(特に1章及び5章)と比べれば幾分控えめと言った感じであり、これには私のシリアスに対する感覚が多少なりとも麻痺しているのもあるのだろうが、それに関してはメインシナリオ第2部自体、人間なら誰しも持っている「心の弱さ」や、容赦ない問題として付き纏ってくる「絆の脆弱さ」等々、精神的にじわじわと追い詰めにかかってくる話題が何れの章においても多かれ少なかれ含まれている為、一々過剰に反応すると身が持たなくなる事に対する防衛策として思って貰えれば幸いである。尤も、私自身シリアス展開に対する耐性が何だかんだ言っても強い事も絶対にあるのだろうが......。

 8章から最終章は、リアリスト達が聖典の破滅を実行し、1章から7章にかけて続いていた「聖典の汚染」にピリオドを打つ為にかなり過激な行動を見せている事から、云わば「雌雄を決する時」と見て概ね違いないだろうと思う一方、聖典が持つ真の力を見せ付けられ、それまでの平静さとはうって変わって狼藉を働いたハイプリスや、何を言っても最後まで聞く耳を持たなかったサンストーンを見て、私は改めてリアリスト達が如何に聖典に対して深い恨みを持っているのか、いかに聖典と言うものに失望していたのかを見せ付けられた様な気がして、リアリスト達側にも多くの非があるとは言え、一概に答えは出せない感触に駆られたものである。

 また、神殿側とリアリスト側で聖典に対する考え方が全く違う事が分かるシーンとして、ソラ様が言う「更なる絶望に苛まれる事があっても、人々にある希望の心を最大限に信用しているからこそ、希望の源である聖典は必要なもの」と、ハイプリスが言う「下手な希望(聖典の事)が更なる絶望を生むのなら、希望(聖典)そのものを根絶やしにすべき」と言うのが8章にて存在しており、両者共に聖典にはどう足掻いても限界がある事を知った上でこの答えを出している為、言ってしまえば「どちらが正しいと言える次元ではない」事になる訳だが、同時にそれは「どう足掻いても交わる事はない主張」と言う事実をただ只管に掲示させる為、ある種のもどかしさと闇深ささえも垣間見える場面だと認識している。尤も、現実問題としてエトワリアにおいては聖典=生きる為には必要不可欠な活力」とされている為、その聖典を排除したならば、その先どの様な運命が待っているかはハイプリスもといリアリスト側も知っている筈だが、聖典と己の無力さに絶望し、聖典の破滅を心から望んでいた頃の彼女からしてみれば、最早その様な運命にも躊躇する事は無かったのだろう。

 ただ、外伝では一転してリアリストの首謀たるハイプリスが改心した事と、そのハイプリスが真実の手達に新しい道を進む様に進言した結果、皆々が聖典を完全に信じ切る事ができる様になった訳では無いとは言え、少なくとも悲しみと怒りにまみれた自暴自棄な思想は鳴りを潜め、過去の贖罪及び過去の自分を変える為に新しい道を進み始めていた事から、リアリスト達が抱えていた悲愴的な過去のインパクトはかなり大きいものの、少なくとも未来が暗い訳では無いのは明確であり、人によっては外伝の展開に簡単に納得できる訳では無いと思うが、個人的には本編の内容が内容だったので、外伝はこれで良かったのではないかと思う。

謎多き者たちの正体

 次に8章から外伝と言うメインシナリオ第2部終盤の局面を駆け巡る事で明らかになった「うつつちゃんとサンストーンの正体」に対して思った事を書き出したい。うつつちゃんもサンストーンも、どちらもこのメインシナリオ第2部における重要人物でありながら、8章以前は断片的な示唆こそあったものの、ストレートに「正体」が読み解ける場面が皆無に等しく、それ故に2人共に一体何者なのか、それが分かりたくても分からないと言うもどかしい思いがあったが、この度うつつちゃんは最終章にて、サンストーンは外伝にて明確に彼女達が何者なのかを知る事ができる場面が存在していたので、それ自体は判明して良かったと思った反面、うつつちゃんに関してはハイプリスから責め苦を与えられる様な形で告げられていた為、その意味では痛々しい想いも存在したが、何れにしても「分からない」「分かる」になった事は、登場人物に対する理解を深めていく事で必要不可欠である為、総合的には「知る事ができて良かった」と思えている。

 うつつちゃんの場合は「消滅世界に居たが、そこから混沌の使者によって救い出されたクリエメイト」と言うかなり複雑な経緯持ちである事が明らかになった事と、悪用したハイプリスに問題があるとは言え、本人が望んで会得した訳では断じてない自分の能力をもって、結果的にリアリスト達にとって都合の良い様に自分の能力が利用されていた事実を知った事で、うつつちゃんが相当に思い詰めてしまう場面があった為、私としても「もしかすると自分の正体を知らない方が幸せな事もあるかもしれない」と思わなくもない。ただ、他方で彼女は8章までで培ってきた精神力で自分の出自さえも受け止め、その後もしっかり地に足ついた姿を見せ付けているので、結果論にはなってしまうが、今回のうつつちゃんの正体が明らかになった事は、同時にうつつちゃんがきらら達と旅を続ける中でどれ程の精神力と胆力を培ってきた事の証明にもなっているとも考えており、複雑な出自と自身の性格に裏付けられたような特殊能力を持つが故に、これからも多くの壁にぶち当たっていく可能性は十分にあるが、メインシナリオ第2部における旅を通じて培ってきたかけがえのない仲間達と、怖気づいてしまう事はあっても、最後は何事にも諦めずに立ち向かっていける胆力があれば、彼女の未来はきっと明るい何かが見えているものになると思う。

 サンストーンの場合は「きららとは実の姉妹関係ながら、姉とは正反対に『絆を断ち切れる能力』を持っていた事で、絆の脆弱さに失望して姉(きらら)との絆を断ち切った人物」と、こちらも中々に悲愴的な経緯持ちだが、彼女はうつつちゃんと違って「己が決めた目標の為なら迷いを捨て、過去も基本的に振り返らずに猛進し続ける」と言う一面がある上、彼女にとってその一面を存分に生かせると思える存在である「ハイプリス」が居た為、サンストーン本人だけに目を向ければ大した問題はなかった様にも思えなくもない。しかしながら、サンストーンとの絆を断ち切られたきららは、実の妹との絆を無くしてしまった事に対して無意識の内に涙を流していた為、結局の所サンストーンの決断は周りの大切な人達の心に傷を付けるものだったと言わざるを得ず、その意味で「サンストーンはとんでもない事をした」と思う訳だが、他方で外伝にてサンストーンは絆を断ち切った姉のきららに対して、今までの蛮行を洗い浚い話した上できららから赦しを受け、妹との絆を繋ぎ直す事を承知した姉から姉妹の絆を再びものにしてくれているので、いかにきららちゃんが寛容且つ器量の深い人物なのかが分かる様だが、サンストーンにとって関係が深い人物の1人であるきららちゃんが赦しているのなら、外野がこれ以上とやかく言う事ではないだろう。

精神的な弱さと強さ

 最後に8章~外伝もといきららファンタジア第2部全体にも繋がってくる「精神的な強さと弱さ」に対して思った事を書き出したい。ここで書く内容はシンプルに「根底にあるめげない部分」に関する事であり、焦点を当てるのは普段は気弱且つ極端なネガティブだが、友達の為ならどんな事でもめげない強さを持つうつつちゃんと、普段は気丈且つ冷静な立ち振る舞いだが、窮地に追い込まれた際にそれまでの冷静さを失い、怒りや憎しみの感情に流されるままに、自暴自棄とも言える行動をとったと言う意味で精神的な弱さが露呈したハイプリスである。

 うつつちゃんに関しては、第2部開始当初は比類なきネガティブ思考の持ち主であり、窮地に追い込まれた際もまだ真正面から立ち向かう事は出来ず、逃げる事を思い浮かべては更なる負のスパイラルに陥ってしまうと言う、正に精神的な弱さをもろに露呈していた人物だった。しかし、彼女はきらら達と旅を重ね、自分の良き理解者となるメディアちゃんと親睦を深め、あらゆる危険や危機を経験するにつれて、徐々に困難に立ち向かう意思や友達を守りたいと言う意思が芽生え始め、それが転じて精神的な強さにも繋がったと言う経緯がある。そして、8章以降の終盤になるとネガティブ思考こそ変わらないものの、根底には「困難に怯えても、友達の為にも逃げ出したくない」と言う意味で精神的な強さを備える一面が窺える様になった事からも、うつつちゃんは「精神的な強さを持った人」だと考えている。

 一方ハイプリスの場合は、元々は優秀な女神候補生であり、結果的に女神になる事は断念したが、それでも聖典を更に布教する為に神官になったと言う経緯の持ち主から、普段はその優秀さに裏付けられた様な精神的な強さを持っており、それは聖典を激しく憎む様になってからも基本的には変わらなかった。だが、きらら達によって聖典の底力を見せ付けられ、今まで自分が行ってきた事を否定された様な格好に陥った際、彼女は聖典をめぐって起こった不幸による怒りと悲しみの感情を抑え込む事ができなくなり、結果的に冷静さを失ってきらら達ひいては聖典を只管感情任せに罵倒し続けると言う意味で精神的な弱さが露呈しており、これに関しては同情の余地があるとは言え、それまでの聡明な彼女との落差も相まって驚きを禁じ得なかった場面でもある。

 この2つから考えられる事は沢山あるが、ここで私が思うのは「どんな人にも精神的な強さがあり、一方で精神的な弱さも持っている」と言うものであり、ごく当たり前の意見と言われればそれまでだが、うつつちゃんの様に「普段は後ろ向きだが、いざとなればめげずに立ち向かう」若しくはハイプリスの様に「普段は聡明且つ冷静だが、窮地に追い込まれると感情任せな行動に走る事がある」と言う様な具体的な例を持ち出せば、この「どんな人でも精神的な強さと弱さが共存しているもの」と言うのが当たり前の様で実は結構重要であると思えるきっかけになると考えている。

 また、精神の強さ弱さと言うのはかなり流動的な物だと思っており、強さが目立つ事もあれば弱さが露呈される事もザラにある。普段精神的な強さが見えない人でも、内側に秘めるものから確かな精神的な強さを思い知る事もあるし、反対に普段精神的に強そうな人でも、それは見せかけで本当は精神的に強くもなんともないと言うケースだってあると思う。このきららファンタジア第2部は、そんな「精神的な一面が如何に流動的であり、時と場合によって変化するものなのか」を表している面もあると考えている。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部8章、最終章、外伝で私が考えた事である。これらはそのまま「メインシナリオ第2部の集大成及び後日談」となっている為、メインシナリオ第2部で登場した要素が満遍なく盛り込まれており、一つ一つの火力は最大限でなくともそのインパクトは中々であり、第2部らしく最後まで油断ならない構成となっている。しかしながら、外伝ではうって変わって明るい兆しが見える締められ方になっているのも特徴的であり、結果的に最終章の後味の良くない感触を払拭する役割を果たしていると言える。

 メインシナリオ第2部には付き物と言える心の負担に関しては、8章、最終章共に5章、6章と比べればまだマシな気がしない訳でも無いが、メインシナリオ第2部の例に漏れずシリアスな描写はかなりのものである事には変わりなく、油断していると普通に痛い目に遭うし、特に最終章がお世辞も明るい終わり方とは言えない事がそれに拍車を掛ける。外伝でも本編同様正直厳しい雰囲気がある事に変わりは無いが、外伝が本編と違うのは「終わり方に希望が見える構図になっていた事」であり、本編では何かと後味が良くなかったり、結末まで重いまま終わってしまう章も少なからず存在していた為、外伝は締め方としては良かったと思う。

 この8章から外伝の感想・考察を書くにあたっては、今までの様にメインシナリオ第2部を読み進めて私が思った事を率直に書き連ねる方針は貫いた一方、メインシナリオ第2部そのものが評価の割れる作風でもあり、それに対して多少なりとも思う事があった事や、他のマンガを読み進める事を意識した事、私生活そのものも決して暇が多かった訳では無かった事から、ある程度書き進めては手が付かなくなる状態が長期化し、漸く書き終える頃には既にきららファンタジアのサービス終了が間近に迫ったタイミングにまでなっていた。えらく時間がかかってしまった訳だが、メインシナリオ第2部1章の頃からそのシリアス味溢れるシナリオの雰囲気や、決して一筋縄ではいかない敵側リアリスト達の思惑や壮絶な運命に引き寄せられるものを覚え、その惹かれゆく力を糧にする様にして、2章から外伝に至るまで毎回の様にこの感想・考察ブログ記事を書き続け、今回漸く8章から外伝までの感想・考察ブログ記事を完成にまで漕ぎ着けられたので、それだけでも本望である。

 この様な事から、メインシナリオ第2部自体世間的には賛否両論ある事はある程度の段階から知っているし、その重過ぎる作風故に受け付けられない流れが存在する事も知っている上で、私としてはメインシナリオ第2部は1章から外伝まで、一貫して何か惹かれるものがある好みな作風と捉え続ける形で今日まで来た所存であり、その想いの詳細は2章から書き続けてきた感想・考察ブログ記事にて綴ってきたつもりである。尤も、綴りゆく過程で色々と悩む事はあったし、本編の壮絶な展開に対して否が応でも煮え滾る激情的な感情を、理論的且つ冷静な形で文章に落とし込む上でどの様にすべきなのかと思う事も多々あったが、少なくとも最後まで書き続けられた事は印象深くあり、心の荷が下りる様な感覚でもある。

 最後に、私が始めた2019年から今日2023年2月に至るまで、このメインシナリオ第2部を筆頭にメインシナリオ第1部や作家クエスト、数々のイベントクエストに数々の参戦作品にキャラクターをもって大いに楽しませてくれたきららファンタジアに対するお礼の気持ちを表したい。きららファンタジア自体は2023年2月末にサービス終了が決定し、私も最終盤に来て以前ほど集中して出来る環境ではなくなってしまったとは言え、きらファンをきっかけに多数のきらら作品を知り、そこからきんモザを筆頭に心から好きだと思える作品にも出逢えたので、このきららファンタジアを追い続けた期間は相当な充足感に満ちたものであった事をもって、このきららファンタジアメインシナリオ第2部8章から外伝の感想・考察ブログ記事、ひいてはメインシナリオ第2部全体の感想・考察ブログ記事の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙44枚分である。このメインシナリオ第2部において結果的に最も文量が多くなったのは6章であり、今回の記事は5章とほぼ同じ文量となった。ただ、今はここまで走り続けられた事実を嚙み締めたい所存である。

*1:基本的にランプに対して痛い一言を飛ばす事の多いマッチであるケースが殆どで、更に自分に対しても毒を飛ばしてくる事も度々ある為、うつつちゃんはマッチのそういう一面を好んでおらず、マッチを呼ぶ際も彼女は名前で呼ばなかったり、基本的にマッチに対しては塩対応な所がその一例。

*2:罪を償う事。

*3:豹変した理由は語られていないが、恐らく今の聖典の無力さに怒りと憎しみを滲ませたものだと思われる。

*4:但し、ハイプリス様が貶されると怒りを隠し切れないのは依然として変わっていない。尤も、それは彼女がハイプリスの事を心から大切に想っている証拠でもある。

*5:尚、最終章を初めて観た当初は後味が良くないどころか、普通に悪いとすら思っていたものである。

きらま2023年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。2023年になって最初のきらまが発売された訳ですが、最近になって多数のきららマンガやジョジョの奇妙な冒険を読んでいる現状を鑑みると、ほぼごちうさ一本に心血を注いでいた頃の様にはいかないと痛感しております。だからと言ってごちうさファンを辞める事は現時点では考えていませんが、以前に比べると確実にごちうさとの向き合い方が変わっているのも事実で、最近は良くも悪くも無理に噛り付いてまで追う事も無いと思っているんですよね。尤も、毎月の様にきらまをキッチリ読んでいる人が言う事ではない気はしますけど、昔と違って今はごちうさ以外にも読みたいきらま作品があるので、何もごちうさだけの為にきらまを読んでいる訳では無いと言えばどうでしょうか。説得力は相変わらずそこまで上がりはしないでしょうけど。

 ただ、昔の様にガッツリ追う精神はもう無いと言っても、マイペース且つゆったりとごちうさを追いかけたいと思う気持ちは依然として強くあって、私としてもこれから私生活が更に多忙になる事も鑑みれば、ここで思い切ってごちうさとの向き合い方を変えてしまうのも一興かと考えています。と言う事で、以前の様に文量をガッツリ持たせたごちうさ感想・考察ブログ記事を執筆する機会は少なくなると思いますが、ブログ記事を書く事自体は継続するつもりでいるので、何卒宜しくお願い致します。

 さて、ここからは本題のまんがタイムきららMAX2023年3月号掲載のごちうさ感想・考察といきたいと思います。今回はカフェイン酔いを起こしやすい体質の紗路ちゃんが、青山さんから提示された催眠療法を使ってカフェイン酔いを克服しようとするお話で、故に波乱続きだった最近のごちうさの中ではコメディリリーフ*1的な立ち位置にあたる印象がありますが、内容自体はとても印象に残るものなので、今回からは書き方の方針を変えながらも、率直な想いを書き出したいと思います。

※注意※

原作及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話はこれまでも物語において度々登場した要素であり、仲間内の間でも半ば語り種とされている「紗路ちゃんのカフェイン酔いを起こしやすい体質」に着眼点が置かれており、テーマからしてシリアス展開にはならなそうな感触がある通り、本編も近年シリアス味が強くなっているごちうさの中では、嘗てのごちうさに近いほのぼのした雰囲気となっている。その為、割にコメディリリーフの役割をも担っている印象が強い。

 今月号の扉絵は、割にイケイケの華奢な格好をした紗路ちゃんが、何処かふくれっ面をしながらこちらを見据えていると言うもので、背面には大型のぬいぐるみがあるのも特徴的である。また、私自身紗路ちゃんのポージングを見て、ジョジョのスピンオフ作品「岸部露伴は動かない」の掲載にあたってウルジャン(ウルトラジャンプ)の表紙に掲載された、ジョジョの奇妙な冒険第4部「ダイヤモンドは砕けない」にて登場する漫画家、岸辺露伴の表紙姿*2を思い浮かべており、それをして「今回紗路ちゃんが見せたポージング、どこか岸辺露伴のポージングを思い浮かべるものだな」と思ったものである。尚、ごちうさジョジョ共に知っている人なら分かる通り、2人の性格は全くもって異なっている。

 今月号はシリアス展開が強く現れる事もある近年のごちうさの中では、嘗てのごちうさの主流だったほのぼのした雰囲気が主流となっていると言う、今となってはある意味稀有な回であり、冷静に考えると中々に恐ろしい要素も無い訳では無いが、それは深読みをした場合のみであり、普通に受け取ればさほど暗い印象は持たないつくりになっていたと認識している。たまに思うのだが、深読みする事も大切だと思う一方で、純粋に額面通り受け取るだけの素直な読み方を実践する事も大切だと感じており、深読みを意識し過ぎたあまり、最早マンガの純粋な楽しみ方が良く分からなくなってきた時にはかなり効く。そんな感じで、このコメディリリーフ色の強い回を純粋に楽しむのも悪くないかも知れない。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の内容の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出したい。今回からは書き方の方針を変えて、内容のコンパクト化の為にもいきなり考察を始めたいと思う。

催眠療法の効果

 まずは今月号において重要な要素でもある催眠療法について、紗路ちゃんのカフェイン酔い事情と絡めながら考察してみたい。抑々催眠療法はラビットハウスにお邪魔していた青山さんが提案したものであり、方法としては作中を見る限り対象の人物に催眠をかけ、その人物の自己暗示を促す形で深層意識を引き出し、その人が普段抑え付けているものを解放させるものらしいが、私も催眠療法に対しては、ここまで分析をしておいてなお紗路ちゃん同様胡散臭いのが否めないと思っており、結局の所私とてきちんと(?)疑り深い所があるんだと思ってしまう次第である。尤も、私とて実際にかけられた時には多分満更でもない反応をするのだろうが。

 そんな催眠療法だが、少なくとも作中では効果は抜群(本当は心愛ちゃんを除いて演技)であり、特に心愛ちゃんが尋常じゃないまでの効果を示しており、客観的に見ると効き過ぎて最早怖くなってくるレベルである。そして、あれだけ催眠療法に対して疑りにかかっていた紗路ちゃんも、実際に催眠をかけられるといともたやすくかかってしまっており、普段なら僅かなカフェイン成分でもカフェイン酔いを引き起こしてしまう彼女だが、催眠を掛けられた状態に限っては、カフェイン成分がかなり濃いとされるエスプレッソを摂取してもまるで平気な顔をしていた*3ので、思わず何とあっけないとなるが、ここで気になるのは「紗路ちゃんは何故にカフェイン酔いを急に克服したいと思い立ったのか」と言う事である。

 紗路ちゃんはカフェイン酔いを起こしやすい体質である事は原作初期から言われてきた事だが、一方で言い換えれば「カフェインにさえ気を付けていれば大きな問題はない事」でもある。その為、紗路ちゃん本人は誤ってカフェインハイテンションにならない様に対策を講じており、実際に不慮の事態によってカフェイン酔いを起こしてしまう*4事以外に大きな問題は起こっていなった為、紗路ちゃんとしても抜本的にどうにかしようと表明した事は無かった。それが今月号になっていきなり「カフェイン酔いをどうにかしたい」と本人から言い出してきたので、何故いきなりそうなったとなるのはある意味当然の宿命だと思うが、その理由は端的に言えば「カフェイン酔いを引き起こす事で、幼馴染たる千夜の邪魔になり続ける事を懸念したため」と言う、普段は中々に素直になれないが、実はかなりの幼馴染想いひいては友達想いと言う、お人好しな紗路ちゃんらしい理由であり、結果的には催眠療法は一過性なものに終わり、抑々紗路ちゃんが自らカフェインを摂取せざるを得ない要因になっていた「夜勉強中に襲い掛かる眠気」の原因も、紗路ちゃんが行っていたリラックス療法が、図らずも安眠誘発効果を持つものばかりだったと言う、完全に紗路ちゃんが赤っ恥をかいてしまう結果に終わってしまった訳だが、幼馴染である千夜ちゃんの事を思って、自身のカフェイン酔いを起こしやすい体質をどうにかしたいと思う気持ちは本物だったと思う。

 因みに夜に勉強をしていたのは、紗路ちゃんと千夜ちゃん共にほぼ間違いなく「今後の進路に向けて」と思われ、千夜ちゃんは特に明言されていないので詳しくは分からないが、少なくとも紗路ちゃんは都会の国立大学に行くと言う明確な進路目標があるので、その受験勉強だと考えれば合点がいく。尚、紗路ちゃん自身はカフェインに酔っても勉学には支障はないそうで、ある意味一番凄いと思える事実だが、千夜ちゃんにはかなりの影響があるそうで、それを何とか是正する為にもカフェイン酔いの克服を決意した辺り、ここでも紗路ちゃんが実はかなりのお人好しである事が窺える様である。尤も、本人は「千夜が路頭に迷う結果になると困るから」等と言って、千夜ちゃんにはその本心を簡単には明かさないのだろうが、それは照れくさいからと言うものである。

 尚、今月号の千夜シャロを見て、千夜シャロは今までどちらかと言えば紗路ちゃんの方が、千夜ちゃんに対して何かと語気荒めに強く出る事が多い印象があったが、実際には千夜ちゃんも紗路ちゃんに負けじ(?)と、紗路ちゃんに対して中々に強烈な当たりをかましていた事に気付かされ、特に「本来両手をたたけば催眠は解ける筈なのに、何故か紗路ちゃんに対して普通に強烈な張り手打ちをする千夜ちゃん」や「紗路ちゃんのカフェイン酔いの事を、マイルドながらも本人めがけて辛辣な言葉を飛ばす千夜ちゃん」を見た時は、後に「なるほど千夜シャロはお互いに信頼関係があるからこそ、お互いに結構容赦ない事もできる(=多少過激でも心では許せる)んだな」と、良いんだか悪いんだか自分でも良くは分からない感想を抱いたが、何れにしても千夜シャロは本気でぶつかっていける程にお互いを信頼している上、それ故に仲もとても良好と言う事なのだろう。

催眠療法から見える「信頼」

 次に今月号の重要要素たる催眠療法から見えてきた「信頼」について考察してみたい。抑々この様な事を思い立ったのは、催眠術と言うのは信頼関係があるから成立すると千夜ちゃんが言及していたのを見て、青山さんの催眠療法と深層心理の関係の言及と合わせて「催眠術から人に対する信頼度が見えてくるのって、ちょっと怖いな......。」と思ったからで、この発想をめぐっては今月号終盤で判明した「少なくとも心愛ちゃん以外は催眠術にかかるフリをしていた」と言う事実も相まって、多少なりとも恐ろしさに駆られたものだが、時間を空けて冷静になってみると、過剰なまでに恐ろしさを感じるものでも無いと思えているので、ここで書く事はちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないが、そこは留意して欲しい。

 抑々催眠術からその人をいかに信頼しているのか読み解ける事が怖いのがどういう事かと言えば、これは千夜ちゃんと青山さんの言及を組み合わせて、結果的に「催眠術はかけてくる相手に対して、自分はどの様な事をされても良いと言う信頼が無ければ成り立たない」と言う事実そのものを指しており、もっと簡略化すると「相手を信頼していないと催眠はかからない」と言う訳である。つまり催眠がかからないと言うのは、そのまま催眠をかけてきた人に対する信頼が今一つ足りない事を図らずも証明する格好になってしまう訳であり、故に催眠が一種の「信頼測定」にもなりかねない所に怖さを抱いてしまうのである。

 また、今月号終盤で明かされた「本当に催眠術にかかっていた心愛ちゃん以外は全員催眠の演技をしていた事実」も、完全に狐につままれた気分で正直「ええぇ......。」となってしまったものであり、全くもって訳が分からなかったものである。ただ、良く考えれば「演技し合えるのも確かな信頼関係があってこそ」とは言えるし、抑々催眠の演技をしたのもそう言ったものに対して誰よりも疑り深い紗路ちゃんに対して、確かな催眠効果を持たせる為と言う名目があったので、これに関しては紗路ちゃんが催眠にかかった事で、何だかんだ言っても紗路ちゃんは友達や幼馴染の事を心から信頼している事の証になったと思えば、紗路ちゃん共々私も見事に騙されてしまった事も別に悪い気はしない。尤も、そんな形で何度も騙され続けたら何れは人間不信に陥りかねないのも事実なので、何度も繰り返すのは止めて欲しい所である。

 こんな感じで紗路ちゃん共々催眠術にはかなり振り回されているが、総じて言えば千夜ちゃんの言及をもって「催眠術は信頼関係が大事。それ故に催眠術にかかる事は、その人を信頼している事の証」だと思えており、それをして信頼があるのを良い事に催眠術を悪用される恐ろしさはあるものの、心愛ちゃん達に限ってかけがえのない信頼を使って、催眠術をもってかけがえのない友達を自分の私利私欲の為に欺く事はしないと信じているので、私としては催眠術の下りから皆の信頼関係が見えただけでも満足である。

 ところで唯一本当に催眠術にかかった様相を見せていた心愛ちゃんだが、1回目の青山さんの催眠術に関しては、理世ちゃんも言及している様に心愛ちゃんの慢心が入り込んでいる可能性が否めない為、本当なのかは若干怪しいものがあり、これに関しては他の皆と同様半分演技でかかった可能性がある。ただ、2回目の智乃ちゃんがかけた催眠術に関しては、演技と呼ぶには些か無理があるレベルでかかっていた為、こちらは本当にかかっていたと考えて間違いないと言え、ここに先程の理論を定義付けすると、心愛ちゃんは智乃ちゃんに対して格別の信頼を置いている事になる訳だが、これに関しては私自身「ある種究極の理想形」と称しつつも、心愛ちゃんなら智乃ちゃんに対して「この人からなら何をされても構わない」と思うまでの信頼を置いている可能性も十分に考えられる為、もしこれが本当なら想像を絶する凄さである。無論、それを信じるか信じないかは各々次第だが、ココチノの関係性を鑑みると、この様な想像もできる事は純粋に凄い事だと思う。

 但し、ココチノの催眠術から見えてきた確固たる関係性には懸念点が一つ存在しており、それは意図的に伏せられていた「智乃ちゃんが心愛ちゃんにかけようとした催眠の内容」である。これに関しては「分からない」が故に、現時点ではどんなに考えても正直仕方が無いし、抑々催眠は対象者が深層心理で望んでいない事はかけられない*5と青山さんが言及しているので、少なくとも「人が決して望んでいない事を、催眠を悪用する形で無理矢理強要させる」と言う物騒な事にはならない事を思えば、そこまで気を揉む必要もないだろうが、伏せられた催眠の内容は、言い換えれば「智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して、自分のエゴである事を承知の上で、出来るなら心愛ちゃんにはこうして欲しいと願っている事」でもある為、この出来事はそう易々とスルーできる事では無いだろう。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回からは以前よりもコンパクトにまとめると言う事で、ここでも簡略的にまとめる方針で行く所存なので、何卒宜しくお願いする。

コメディリリーフ色の強い展開

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号はとにかくコメディリリーフ的な性格を持つお話と言う認識が強くあり、お話の雰囲気自体は原作8巻以前の主流とも言えるほのぼのテイストなので、嘗てのごちうさを知っている人からすれば慣れ親しんだ光景ではある。ただ、近年のごちうさとりわけ原作9巻以降は、皆の精神的な成長を表す傾向にある事と、更なる成長の為に背負わなければならない哀しみを意識した場面も少なくない*6事から、往々にしてシリアス展開になる事も多く、中には客観的に見てもえげつないと思うまでに重い展開もあったので、今月号も全てが明るい展開になっている訳では無いとは言え、少なくとも思わず「あっ!」となる程のシリアス描写は無かったので、ここ最近劇的な展開が連続していた中での純粋なほのぼの回と言う事で、コメディリリーフ的な立場にあるお話と捉えた所存である。

 また、先月号と同様に今月号も中々にシュールだと思う展開が多く、思わず「何故にそうなるの!?」となったり「それはいくら何でも鬼畜な所業だろ」となったりと、相変わらず常人離れした感覚を持つ人物(主に千夜ちゃん)から繰り出される独特の世界観はびっくりものだが、ごちうさの楽しみ方として「常人の感覚では思い付かない角度から殴り込まれる突飛なボケを、どの様にしてツッコむのかを考えたり見たりする」と言うのがあると思っており、この様に楽しむにはちょっとコツがいるが、ハマればすごく楽しいものである。尤も、私とてその手の笑いも好きとは言え、結局は声に出してゲラゲラ笑ってしまう様な展開が一番好きなのはご愛嬌。シュールな笑いと言うのは、中々に頭を使うものなので......。

 因みに今月号がコメディリリーフ的な立ち位置にあったお話と言う事で、作品全体においてコメディリリーフの役割を持つ事が多いキャラは誰かについても少し考えており、元気いっぱいな麻耶ちゃんや、暗い気分を吹き飛ばしてくれる気概や発破の強さを持っている紗路ちゃんのイメージも湧いてくるが、ここはやはり明朗快活な心愛ちゃんが一番合っているだろうか。これがジョジョだったら1部から5部までなら大体は定められるのだが、ごちうさだと中々に難しい。理由は単純で、そういった考えをもって作品を読んだ事がほぼ皆無だから。今までやった事がないのをいきなり形にするのはやはり厳しいものがある。

紗路ちゃんが秘めし本心

 次に今月号最後で明かされた紗路ちゃんが秘めている本心について書き出したい。これは今月号終盤にて幼馴染の千夜ちゃんが、ネタバラシをした後も尚催眠を使って紗路ちゃんの心を揺さぶろうとした際に、表立ってこそ「意地でも催眠にはかかってあげない!」と言わんばかりに、普段の雰囲気からは凡そ信じられないまでに子供っぽさ全開であからさまに拒絶していたが、本当は催眠とか関係なく千夜ちゃんの事をちゃんと想っている事が良く分かる局面を見て強く思った概念であり、要するに紗路ちゃんが千夜ちゃんの事を凄く大切に想っている事の表れと言う訳である。

 千夜シャロは個人的なイメージとして、実は2人共にお互いをきちんと想っている本心を明かすのが照れくさいと思っているタチと言う認識が強く、ここは智乃ちゃんに対する愛情を明け透けにしている心愛ちゃんもといココチノとは大違い*7な訳だが、それ故に千夜シャロの2人は何かとお互いに意見のぶつけ合いになる印象があり、前述の様にお互い当たりが中々に強い印象もあるのだが、その本心は今月号終盤で紗路ちゃんがぼやいた様に「お互いに相手の事をきちんと想った良好な関係性」となっており、今月号では無かったが、千夜ちゃんも紗路ちゃんの事は特段頼りにしている様子は印象的である。

 その様な事情から、今月号終盤に明かされた紗路ちゃんの本心を見て「紗路ちゃんとしては別に催眠関係なく幼馴染たる千夜ちゃんの事を信頼し、好きでいるんだな」と思ったものであり、幼馴染としても、友達としても良好な関係性にある紗路ちゃんと千夜ちゃんは素晴らしいと思う。尤も、そんな友好的な幼馴染が、普段は何かにつけて弄り倒そうとしてにべにもなく拒絶されたり、訳も分からないままに振り回されて、思わず激情的になってしまったりしている様は正に奇妙な光景だが、そんな所も含めて千夜シャロの良さと言える。

 余談だが、紗路ちゃんの「普段は冷静だが、振り回されたりボケられたりすると途端に激情的な側面が発現する」*8と言う一面を見ると、ジョジョ好きの私としては3部主人公の空条承太郎や、4部主人公の東方仗助を思い浮かべる。何と言うか、普段は冷静沈着なのに意外と感情に駆られやすい所(つまり激情家)や、穏やかそうでいて実情はかなりキレやすい所がそう思わせるのだ。尤も、かく言う私も普段は温厚且つ寛容だが、実の所どちらかと言えば頭に血が上りやすい所があるのは自覚しているので、全然人の事言えたタチではないのだが、世の中「人の振り見て我が振り直せ」と言うので、自戒の為と思えば結構有用ではある。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は前回までとは異なり、多数のきららマンガやジョジョを読んでいる現状や、最近になって良くも悪くも必死に噛り付くより、少し余裕をもってごちうさ好きであり続けていた方が効率的且つ合理的だと思う様になった事を鑑みて、思い切って内容を一気にコンパクトにした所存だが、今月号は嘗ての日常的な雰囲気を強く汲む内容であった為、抑々論として書くテーマを見出す事自体かなり難しかったので、結果的に丁度良いタイミングでの方針転換だったと思っている。

 今月号はとにかくコメディリリーフとしての印象が強く、何かとシリアスな雰囲気になる事も少なくなかった近年のごちうさにおいて、若干のブラックユーモアを含みつつも、気軽に楽しむ事ができるテイストになっていたのは特筆すべき点である。また、催眠術を使って紗路ちゃんのカフェイン酔いをどうにかしようとしたり、催眠術からラビットハウスがカオスな雰囲気になったりと、突飛且つ奇天烈な要素が満載なのも特徴的で、これに関しては先月号にも似たような展開があったが、今月号も正直全くもって訳が分からないシュールな展開が登場してくるとは、まったく恐れ入ったものである。

 因みに私自身最近はごちうさにおいて道理も訳も分からない展開が出てきたら、素直に「なんか良く分からないけど、楽しそうなら良いか」と、最早その訳の分からないのが何なのかを考えるのは諦めている節があり、理由としては仮にもし長い目で見れば後に活きる展開だったとしても、現時点ではどうやっても訳が分からない事を真面目に考えても、有益な答えが出る可能性はほぼ皆無だからである。なので、訳の分からない事に神経を無駄に磨り減らす位なら、いっそ雰囲気重視で楽しんでしまった方がマンガとしても楽しめるし、時間も精神も下手に磨り切られる事も無いと言う事で、上記の様な手段を採っている訳である。

 また、今月号のきらま発売前にジョジョ第4部「ダイヤモンドは砕けない」のアニメ版を最終話まで一気に視聴していた事と、きらま発売前後にジョジョ第5部「黄金の風」の単行本を遂に読み始めた事*9から、今月号のごちうさ感想・考察もジョジョで培った価値観の影響を多分に受けており、催眠術から見い出した「信頼」と、今月号全体の雰囲気として提示した「コメディリリーフ」と言うのは、どちらもジョジョから見い出したものである。これを見れば分かる通り、私は完全にジョジョに魅せられた人間であり、今後もその影響は更に強まっていくだろうが、他方できららマンガも続々と読み進めているし、その中には「がっこうぐらし!」や「星屑テレパス」の様に、ただでさえ興味があった中でジョジョを読んでいた為により深く好きと言う感情を持ったマンガもあるし、何より今でもごちうさへの情熱は決して無くなってはいないので、個人的には全然大丈夫である。

 今回からは前回までと比較して内容を一気にコンパクト化した上で、書く内容もゆったりとした感触で書き連ねる事を意識してみたが、これもこの先長くごちうさ感想・考察を書き続けるための策である事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙25枚分である。今回からは内容のコンパクト化を意識している為、過去の記事と比べても一気に文量を少なくしたが、これでも相当な文量になるのだから驚きものである。

*1:シリアス展開若しくは暗い雰囲気の中で、暗くなり過ぎない様に明るい雰囲気をもたらしてくれる登場人物や展開の事。この言葉もジョジョを調べていく内に知ったものである。

*2:因みに第4部の主人公「東方仗助」と「岸部露伴」の2人は、作中においては馬が全然合わない場面が度々描かれている。と言うのも、2人の間は出逢い初めからして因縁を生んでしまう事があり、その後も因縁を深めてしまう出来事があったからである。

*3:その後千夜ちゃんの荒療治によって催眠が解かれた事により、無事に(?)カフェインハイテンション状態になってしまうが。

*4:多くは気付かずに摂取してしまうケースだが、時にはこの特性を逆手に取る(或いは利用される)事もしばしば。

*5:つまり「何でもありではない」と言う事。

*6:先月号及び先々月号が顕著。

*7:尤も、今となってはその心愛ちゃんが実は本心を誰よりもひた隠しにしている節が見受けられるが。

*8:何気ないボケに対して思わず感情を思いっ切り乗せたツッコミを放ったり、普段言わない事をその場の感情任せに言ってしまったりする事が少なくない等。要は喜怒哀楽の表現が実は誰よりも激しいと言う事。

*9:現時点で単行本53巻まで到達。

きらま2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。遂に今年最後のきらまが発売され、2022年も終わりに差し掛かってきましたが、このタイミングで私が書き連ねたごちうさ感想・考察を振り返ってみた所、2022年はこれまで書かなかった月がただの一度も無かった(11か月分全て書いていた)様で、我ながら「よくもまあ毎月の様に続けてこられたなぁ」と思っていますが、この手の事はある一定の段階を超えると、最早書く事に対する特別意識も薄まってくるものなので、書いている時の悩みは相変わらず解消される事は無いとは言え、書く事を辞める発想は基本浮かばないものです。尤も、これはあくまで趣味の範疇での話であり、これで飯を食っていくとするならそうはいかないだろうと考えています。知らない世界とは言え、趣味と仕事では、同じ事でも気持ちの持ち様と責任が全く違うものになる事くらいは分かるので。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は原作5巻及び劇場版エピソードDMSに登場した「花火大会」のセルフオマージュを軸とした回であり、中盤までは割と日常的な雰囲気に沿った構成をしていますが、終盤になると先月号最後で見せ付けられた衝撃的な展開を復唱させる様に、今月号の随所に散りばめられた意味がどの様な形を示しているのか。先月号にて突き付けられた「事実」に対してどの様な心境になっているのか。それが一気に解放されているので、その衝撃はかなり強い訳ですが、そこに込められたメッセージ性はあまりにも凄まじいものがあるので、今回も中盤までと終盤とでテイストを変える形で書き出したいと思います。

※注意※

原作及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は物語上非常に重大な展開を迎えた先月号から地続きの内容である為、物語上重要な局面が多く含まれている事にはご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は原作5巻の範囲で描かれた「木組みの街の花火大会」のセルフオマージュ的な流れが強くあり、全体の流れとしても嘗ての花火大会の時を彷彿とさせる描写が多いが、大きく違うのは原作8巻から登場したブラバ組3人が加わっている事と、先月号終盤で木組みの街に帰還したココチノを含めて、最初から木組みの街の住人が揃い踏みしている点であり、先月号同様ごちうさの登場人物の殆どが登場しているのも特徴である。

 今月号の扉絵は、浴衣姿の心愛ちゃんと冬優ちゃんと智乃ちゃんが、大人びた雰囲気を帯びながらもそれぞれ違った表情を浮かべているのが中心にあると言うものだが、全体的にその表情はどこか儚げであり、暗に先月号終盤の出来事を経て揺れ動く心境と、それを受け止めて成長していく姿を物語っている様にも見える。また、この扉絵で目立つのは彼岸花と呼ばれるヒガンバナリコリス)であり、ギラギラと刺々しく光る真っ赤な雰囲気は、個人的には初めこそ美しく感じるが、他方でヒガンバナは有毒植物でもある事や、その真っ赤に燃え上がる様な花の形が、まるでこちらの事を冷酷且つ無慈悲に蝕んでくる様な雰囲気がある事によって、徐々にヒガンバナに対して恐怖を抱く様になり、故に最終的には一種の拒絶反応すら覚えかねない程に美しく、また残酷な雰囲気さえも暗示させる花だと言う認識に落ち着く事が多い為、今月号のリコリスにもそれ相応に美しさと不気味さの両方を覚えており、しかもそれが智乃ちゃんの浴衣にも描かれているのを見ると、彼女が先月号の展開を経て一体どの様な心境に陥っているのか、それが否が応でも読み解ける様で、その意味でも暗い影を落としている。尤も、ヒガンバナ花言葉は何もマイナスな意味で塗り固められている訳ではないが。

 今月号は中盤までの中心たる「セルフオマージュが豊富な日常の延長たる雰囲気」と、終盤の「運命の厳しさと、それさえも乗り越えていく信念が感じられる雰囲気」に大別されると考えており、特に終盤の雰囲気に関しては、それ自体はジョジョを読んでいる影響もあってそこまで珍しい認識は無いものの、ごちうさでは雰囲気からしてかなり異色なものであった為*1、読んでいる際の衝撃も結構あったものだが、他方でこの様な運命は最初から分かっていた(と言うより、本来ならば既に受け止めなければならなかった)ではある上、定められた運命を如何にして乗り越えていく事も今後のごちうさにおいては重要なテーマになってくる事から、最早逃れる事は出来ないとも認識しており、今回もその部分はしっかりと書き出していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容全体の感想・考察

 まずは「今月号全体について及びそこから読み解ける事」にを中心に書き出したい。今回は前回程では無いにしても、刺激の強い内容及びネタバレが含まれている為、注意して欲しい。

花火大会と来たる運命

 今月号は先月号までの連続的な展開から少々時間が経っている印象があり、冒頭からして原作5巻以来となる木組みの街での花火大会に伴う浴衣をめぐるエピソードである事からも、先月号の展開から地続きにはなっていない事は明らかであり、故に今月号からまた新たなフェーズに入ったと言える。しかしながら、先月号終盤にて描かれた「ティッピーの中に居たおじいちゃんが、サキさんに導かれた(=天国に導かれた)」と言う展開は智乃ちゃんに凄まじい影響をもたらしており、先月号の出来事が夢ではなく現実である事を物語るだけでなく、智乃ちゃんにとっておじいちゃんが現世から完全にいなくなった事実がどれ程の事なのかをも物語っている。その為、今月号は深い哀しみを帯びた雰囲気を感じさせる場面が少なくなく、ごちうさの中でもかなり異色な雰囲気を醸し出していると言える。

 序盤は前述の通り皆の浴衣姿のお披露目から始まり、浴衣姿と言えばハレの日、つまり非日常を象徴する姿でもある為、雰囲気としては比較的明るめに仕上がっており、最初は浴衣姿になる事に乗り気ではなかった神沙姉妹2人も、実際に千夜ちゃんに浴衣姿を着つけて貰った途端にはしゃぎ出した一方、智乃ちゃんの浴衣姿ときたら、とても15歳とは思えない程の艶かしさと、彼女の深淵にある深い哀しみを感じさせる驚異的な雰囲気を身にまとっており、明朗快活な性格の心愛ちゃんが選んだクールな浴衣姿を遥かに圧倒していたが、一方で智乃ちゃんが見せた雰囲気は、明らかにおじいちゃんがいなくなってしまった事と深い関係がある事を示唆するものである為、見れば見る程形容し難い複雑な感情が襲ってくる感覚を覚える点は、決して無視する事は出来ないであろう。

 中盤は花火大会に伴って開かれている屋台めぐり(所謂「縁日」)が中心であり、些細なトラブルやてんやわんやな出来事はちょくちょく起こっているとは言え、何れの内容も「かけがえのない思い出作りになった」なり「友達との絆を深められた」なりに持っていける内容にはなっている為、今月号の中ではごちうさにおける微笑ましい日常的な雰囲気を感じる場面の一つとなっている。ただ、その後すぐに描かれる青山さんと凛ちゃんの局面では、かの銀河鉄道回でティッピーの秘密に気付いた青山さんが、智乃ちゃんの浴衣に「ヒガンバナ」が描かれていた事を気にかける様子があり、暗に青山さんも智乃ちゃんの精神状態が不安定ではないのかと気にしているのが読み解ける様で、中々に刺さるものがある。因みに凛ちゃんは青山さんと違ってティッピー周りの事情を良く知らない為、青山さんの話にきょとんした顔を浮かべていたが、私としては、それは「知っている若しくは気付いている人と、そうでない人とで伝わる意図が全く違ってくる」と言う事象に意図せずして繋がってしまっている事から、何とも複雑な気持ちだった。

 終盤になると深い哀しみを帯びた雰囲気がピークに達する場面があり、打ち上がっていく花火を見ながら、おじいちゃんがいなくなってしまった事実に対して思わず涙を流した智乃ちゃんはその最たるものである。そして、この時心愛ちゃんは智乃ちゃんの肩に手を乗せようとしたが、手を重ね合わせる事に変えた様子が映し出されており、この時心愛ちゃんは何を思ったのか。それは本人にしか分からない事である。

 ただ、哀しみを帯びた雰囲気を象徴するような出来事ばかりでも無く、本来のティッピーが急に鳴き声を上げ、それに共鳴されるかの様に共鳴合戦が始まり、智乃ちゃんの頬を思わず緩めたり、心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して大人っぽい粋な言葉をかけたりする等、シュールな展開から粋な展開までと言った感じで展開のふり幅が大きく、途中気になる場面はあるものの、最終的な締め方は何時ものごちうさらしく明るい雰囲気を感じさせるものとなっている。

 全体的に見れば、今月号は智乃ちゃんのおじいちゃんが完全に現世からいなくなった後に描かれる最初の物語である事から、原作9巻以降顕著になったセルフオマージュを今月号においても「木組みの街の花火大会」と言う形で採り入れられつつも、智乃ちゃんの雰囲気はどこか深い哀しみを帯びており、物語としても新たな局面に入った事と、智乃ちゃんにとっておじいちゃんがいなくなってしまった事がどれ程衝撃が大きかったのかを物語っている。その為、緩い日常的な雰囲気が特徴的なごちうさとしてはかなり異色*2だが、そこでも今までのごちうさの雰囲気が崩れていない所は流石ごちうさだと思う。

 また、個人的に今月のごちうさからは「運命」「覚悟」、そして「勇気」に関わりを見出せる見識を打ち立てており、この様な見識は言ってしまうと私が大好きな「ジョジョの奇妙な冒険」の影響を大きく受けたものだが、これは私自身ジョジョの奇妙な冒険を好きになっていく過程の中で、ジョジョで描かれる「運命」や「覚悟」そして「勇気」の具体像が、ごちうさにおける感想・考察に対しても、何か活きるものがあるのではないかとしばしば考える事があるからであり、普段はごちうさジョジョはあくまで別物として考えているのは前提とは言え、己の深淵たる思想を構築していくにあたっては、この様に自分が読んでいる複数のマンガをかけ合わせていくのも一つの手だと考えている。

儚げさと悲しみを帯びた少女

 ここからは今月号全体に存在していた深い哀しみを帯びた雰囲気に大きく関わる「おじいちゃんがいなくなってしまった後の智乃ちゃんの心情」について考察したい。抑々智乃ちゃんは自身がまだ幼い時に母親のサキ(咲)さんを、物語開始時点の1年前におじいちゃんをそれぞれ亡くしており、それ故に元々は明るい雰囲気だった彼女は、物語開始当初には暗く心を閉ざしてしまっていたのだが、おじいちゃんに関しては、孫である智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと分かるその時まで、自分が傍で見守っていないといけないと言う強い意思があった事で、亡くなった後にその魂がティッピーに乗り移り、以降先月号終盤に至るまで智乃ちゃんをうさぎの姿に変えながら支え続けてきた経緯があり、それは青山さんのキャラソン「うさぎになったバリスタ」の世界観に深く描かれている。

 当の智乃ちゃんは心愛ちゃんとの出逢いをきっかけに、かけがえのない友達ひいては姉妹とともに少しずつ新しい一歩を踏み出していき、その過程で徐々に過去の哀しみをも受け入れられる様になった事で、昔の明るく感情豊かな自分へと変化していき、原作9巻以降は心愛ちゃんの手本にしつつ、ブラバ組を先導する役割を担う様になり、先月号終盤では自分がやりたい喫茶店の理想像をおぼろげながらも掴み取り始める等、嘗てとは最早別人と呼べるまでに成長著しい姿を見せ付けたのである。ただ、それはおじいちゃんにとっては「自分の孫は最早わしが傍にいなくても大丈夫なまでに成長した」と言う事でもある為、先月号終盤にておじいちゃんが一番聞きたかった「孫が持つ理想の喫茶店像」を孫の口から聞けた事で、智乃ちゃんは自分が傍に居なくても大丈夫と判断し、サキさんに導かれる形で遂にティッピーの元から去ったのである。

 ここから今月号の内容に入る。ここまで説明した様におじいちゃんはティッピーの元からもいなくなり、故に今月号からはおじいちゃんは完全に天国から孫を見守っている事になったのだが、その事実に対して智乃ちゃんは、何時かは受け容れなければならなかった事だったとは言っても、あまりにも突然の別れにどこか元気がない様子であり、今月号において智乃ちゃんが度々儚げ且つ深い哀しみを帯びた雰囲気を醸し出していたのも、作中では明確に語られていないとは言え、おじいちゃんがいなくなってしまった為だと見て間違いないと考えており、幾ら彼女が心愛ちゃんとの出逢いを経て、嘗てとは見違える程に成長したとしても、自分の夢に向けて自分で歩みを出せるだけの精神力を構築したとしても、おじいちゃんがいなくなってしまった事実をすんなりと受け止められるものでは無い事を示しており、彼女が如何におじいちゃんを頼りにしていたかが窺える。

 また、智乃ちゃんがヒガンバナが描かれた浴衣を着ていた事については、青山さんが言う様に敢えてその様な選択をしたのか、それとも偶然選んだ浴衣がその様なデザインだったのか、真相は本人にしか分からない。だが、それでも客観的に見れば、花言葉「独立」「故人」と言った今の智乃ちゃんに迎合する意味がある事や、何よりあの世を意味する「彼岸」の名が付いた花がデザインされた浴衣を、普通に考えて何の考えもなしに自分が着る浴衣として選択するとはとても思えない為、恐らくは「いなくなってしまったおじいちゃんの事と、自分が将来的に立派なバリスタとして歩みを進める事」の2つを、今回智乃ちゃんの浴衣に描かれたヒガンバナは暗示していると考えており、それは彼女が抱く喪失感と、彼女の根底にある未来に向けた強い意思を強く滲ませている。

 そして、智乃ちゃんのおじいちゃんに対する想いが溢れ出た場面である「花火が打ち上がるシーン」については、それだけで智乃ちゃんが持つおじいちゃんに対する想いが一挙に読み解けるものである為、態々細かく書き出す事も無いのだが、この場面はごちうさの中でも特に深い哀しみを帯びており、打ち上がる花火を見て、いなくなってしまったおじいちゃんを想って涙が頬を伝っていく智乃ちゃんと、それを見た心愛ちゃんが肩に手を乗せようとして、何を思ったかは分からないが肩に手を乗せるのではなく、下がっていた智乃ちゃんの手を重ね合わせる様にして、何も言わず寄り添いながら2人で同じ花火を見ていた光景は、今までにない哀しみの雰囲気を帯びながらも、その悲しみに寄り添う優しさを感じさせる、今月号屈指の名場面だと思う。

揺れ動く妹を見守る姉

 次は「儚げな雰囲気を帯びていた智乃ちゃんを傍で見守っていた心愛ちゃん」について考察したい。抑々今月号における心愛ちゃんは、儚げな雰囲気を帯びていた智乃ちゃんとは対照的に、何時通りの彼女らしい明朗快活な雰囲気が漂っていた印象が強くあるが、クールさを感じさせる浴衣を選んだつもりだった本人からしてみれば、周りからクール若しくは妖艶な雰囲気を纏っていると思ってくれない事に対してかなりショックだった様で、それを知った智乃ちゃんからは「自分だけ仲間外れにされるとすぐにいじけたり、機嫌を損ねたりする所は直した方が良い」と言わんばかりに呆れられているが、抑々論として普段の雰囲気を突然変える事は難しい事や、智乃ちゃんが帯びていた儚げな雰囲気は、前述の通り決して本人が望んで醸し出しているとは言い難いものである事を思えば、私としても智乃ちゃんの様に呆れるとまではいかなくても、そう悲観的になる様な事でも無いと思わざるを得ないが......。

 そんな心愛ちゃんだが、今月号終盤においてはその真価を存分に発揮しており、特に前述の花火を見て涙を流していた智乃ちゃんに寄り添う場面と、自分の事で周りに心配をかけさせてしまったのではないかと憂う智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんに対して心愛ちゃんらしい優しい言葉をかける場面は、智乃ちゃんを導く先駆者としての心愛ちゃんと、智乃ちゃんを妹の様に可愛がっているお姉ちゃんとしての心愛ちゃんが一挙に表れた場面でもあるが、その際に良い意味で気になったのは、花火を見て涙を流している智乃ちゃんに対して、心愛ちゃんは言葉を何もかけずにただ寄り添う選択を採った事であり、本人はあくまで「自分の手が寂しかったからやったまで」と言っていた為、その選択は心愛ちゃんにとって恐らく後悔の無いものだとは思うが、個人的には気になる所だったのである。

 心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して声を掛けずにただ寄り添う選択を採った理由として考えられるのは、1つは「傍で寄り添う事で、何も言わずとも私はそばで智乃ちゃんを支える事を示すため」と言うもの、もう1つは「智乃ちゃんが背負っている哀しみは、私がどうこう言える様な事では無いと判断し、ここは敢えて黙って寄り添うのが最適解だと考えたから」と言うものであり、どちらであっても心愛ちゃんは智乃ちゃんを支えるお姉ちゃんであり続ける事を示している事に違いは無い。ただ、大きく違うのは「智乃ちゃんが背負っている重い運命に対する考え方」であり、これに関しては心愛ちゃんがどう考えているのかが分からない為、推測の域を出ないものにはなるが、後者の場合は前者に比べて心愛ちゃんが「あまりにも窺い知れない事は首を深くまで突っ込まず、あくまで本人の意思に寄り添う姿勢を採る」と考えている事を強く滲ませるものとなる為、心愛ちゃんが智乃ちゃんの心中を深くまで察した上での行動と読み解く事ができる様になる上、作中の心愛ちゃんは「一旦は智乃ちゃんの肩に手を置こうとするが、何かを察すると手をつなぐ事に変更する」と言う行動を見せている事からも、心愛ちゃんが花火を見て涙を流している智乃ちゃんに対して、自分から声を掛けずにただ智乃ちゃんの傍に寄り添う選択を採ったのは、自分が智乃ちゃんに対してどうこう言える様な事では無いと心愛ちゃん自身判断していたのが大きいと考えられる。

 また、心愛ちゃんは今月号終盤にて自分の事で周りに心配をかけたのではないかと憂う智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんは何も心配しなくても良いと、如何にも心愛ちゃんらしい優しい言葉をかけており、これは「自分の事で周りの人達に心配を(できる事なら)かけさせたくはない」と思う智乃ちゃんの気持ちを汲み取っての行動だと思われる。ただ、その際に心愛ちゃんは「花火大会前後で見せた儚げな雰囲気を智乃ちゃんが身にまとっていた事」には一切言及していない点が非常に気になる所であり、理由は言わずもがな「智乃ちゃんが明らかに異色な雰囲気を纏っていた事(心配になる要素がある事)を知りながら、それを隠した事に他ならないから」だからであり、姉だからこそこっそりと「心配になる様子はあったけど、今はもう心配いらないよ。」と、正直な事をハッキリと言う道もあったと思う私からしてみれば、心愛ちゃんが取った行動に対して多少なりとも疑問符が付く事は否めないのである。

 ただ、今回心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してとった行動は、心愛ちゃん自身も真剣に考えた上でのものである事は明白である事と、私が思う様に事実をひた隠しにする事が必ずしも良い事をもたらすとは限らないのは事実とは言え、他方で諺(ことわざ)に「嘘をつかねば仏に成れぬ」がある様に、常に真実のみを伝える事が、必ずしも良い事でもないのもまた事実である事を思えば、疑問に思っても咎めようとは思えないものであり、ここはひとつ、心愛ちゃんの智乃ちゃんを真剣に思う気持ちをそっと見守るべきなのではないかとも思っている。言ってしまえば絶対的な正解は無い様な事なので、そうなるのはある意味で必然だとは思うが、今回に関しては強く思う所である。 

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回も前半は割と刺激的な内容となっていた様な気がするが、後半からは割と明るい内容にも触れていきたいと思う。

花火大会を謳歌する住人達

 まずは今月号の主軸とも言える花火大会において、その花火大会を謳歌していた木組みの街の住人達について書き出したい。今月号は前述の通り、智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんの手によって天国へと導かれた後の最初のお話にあたる為、智乃ちゃんだけはどこか儚げな雰囲気を帯びていたものの、その智乃ちゃんも含めて全体的には和気藹々とした雰囲気を持っている事が大半だった印象があり、特に最初は浴衣を着る事に全然乗り気ではなかった神沙姉妹の2人が、実際に千夜ちゃんに浴衣を着つけて貰った途端に乗り気になってはしゃぎだすと言う現金な一面が見えた場面と、智乃ちゃんの下駄の鼻緒が切れてしまった*3際に、友達総出で智乃ちゃんの為に縁日の景品にあった下駄を獲得しようと躍起になっていた場面は、皆の和気藹々さを良く感じる事の出来る場面として印象的である。

 また、今月号は比較的シュールなネタが多いと感じるごちうさの中でも特にシュールな展開が多かった印象があり、下駄の鼻緒が切れた事で歩く事に支障が発生し、万が一縁日の景品たる新しい下駄を獲得できなかった時(結果的には獲得できたのだが)に智乃ちゃんを助けるべく、ブラバ組とマヤメグがそれぞれ別の騎馬隊を結成し、智乃ちゃんを騎馬隊上にして運ぶ事を画策する場面や、新生ティッピーが突然鳴き出した事を見て、心愛ちゃんを先駆けに鳴きまねが伝染していく様にして、傍から見れば謎な鳴き声を上げている様にしか見えない集団と化した場面*4など、要所で「なんでそうなるの!?」なり「なんだこれ!訳が分からないけどなんか面白い!」となる場面がいつも以上に多かった印象だが、これらが凄いのは「友達を想うが為の行動」と「思わず笑ってしまう程に可笑しさに溢れている」が見事に掛け合わされている所であり、結果的に「笑える上に確固たる友情をも感じられる」と言う、ごちうさを上質な作品たらしめている要素に繋がっている所は流石だと思う。

 因みに今回の木組みの街の花火大会は、原作5巻における木組みの街の花火大会及び原作9巻の旅行編での花火大会が、何れもセルフオマージュとして取り入れられているが、どちらかと言うと舞台が同じの原作5巻の花火大会の展開が豊富に取り入れられていた印象があり、原作9巻の方もロマンチック且つ儚げな場面として印象的だが、前提としてどちらの花火大会も全く知らなかったとしても普通に楽しめる内容になっている為、改めて新規の人でも昔からファンの人でも楽しめるのがごちうさなのだと思わされる限りであった。

心愛ちゃんの意味深な言動に込められたもの

 次に今月号の心愛ちゃんが見せた意味深な言動について思った事を書き出したい。抑々心愛ちゃんは、その明朗快活な性格に違わず言動も比較的ストレートであり、故に普段は彼女の言動に対して良くも悪くも勘繰りを入れる必要は無いのだが、彼女は時々明朗快活な雰囲気のまま、私は何かを知っていると言わんばかりの意味深な口ぶりを見せたり、今月号終盤の様にあくまで「自分がやりたかったから」とは説明しつつも、良く考えてみれば明らかに他者を配慮若しくは意識した行動を起こす事があり、しかもそれらが全て何かしらの重要な意味を持った意味深な行動であるケースが少なくない為、これまでもその心愛ちゃんが見せる意味深な言動に注目した事はあったのだが、今月号においても彼女は明らかに意味ありげな行動に出ていた為、あらためて注目してみたいと思った次第である。

 今回心愛ちゃんが見せた言動の中で気になったのは、これまでも書き出してきた様に「智乃ちゃんに余計な心配をかけさせまいとして、敢えて彼女が気にしていた部分には触れずに、彼女の意思を尊重した優しい言葉をかけた事」や「花火を見て涙を流していた智乃ちゃんを見て、後に心愛ちゃんが『手が寂しかった』と称して智乃ちゃんの手をそっと繋いだ」等もそうなのだが、ここで取り上げたいのは、今月号終盤において心愛ちゃんが新生ティッピーに対して、まるでティッピーに起きた変化に気付いているかの様な感触で、改めてティッピーによろしくの挨拶をしていた事であり、それに対して智乃ちゃんも少し疑問に思いながらもスルーしていた事もあって、本当に心愛ちゃんがティッピーの正体及び変化に気付いていたと言う明確な確証こそ無いとは言え、ごちうさの核心にも繋がる事でもあるので、私としても決してスルーする事は出来ないのである。

 心愛ちゃんは香風家に居候をしている身である為、おじいちゃんがいた時のティッピーの頃から、図らずもティッピーと境遇を共にする機会が智乃ちゃんの次に多く、実際に智乃ちゃんがいない時は心愛ちゃんの上にティッピーもといおじいちゃんが乗っている事もしばしば見受けられたので、心愛ちゃんとしてもティッピーとは何かしらのシンパシーを感じていた可能性は十分にある上、普段からティッピーと触れ合っていく内にふと「ティッピーの正体」について、自分なりに思いを馳せていても不思議では無かった事から、個人的には心愛ちゃんもティッピーにおじいちゃんが乗り移っていた事、今月号時点でおじいちゃんは既にいなくなっている事に気付いていても、強ちおかしな話とは思えないと考えており、詳しい事は一切分からないが、今月号の明らかに何か知っている事を示唆する様な口ぶりを見れば、そう勘繰りたくなるものである。

 また、最近になって心愛ちゃんがみせる数々の意味深な言動に対して、かの狩手結良ちゃん並みに何を考えているのか分からないとなってしまう事もしばしば発生してきており、しかも結良ちゃんの場合は如何にも何を考えているのか分からないミステリアスな雰囲気を持っている為、ある意味でそれが彼女の既定路線だと解釈できる一方、心愛ちゃんは普段隠そうとしても隠せないと言う形で明け透けな事が多い事もあって「何を考えているのか分かり易そうで全然分からない」となりがちな為、分からない事に対する一種の恐ろしさが芽生えてくるのも特徴的であり、故に心愛ちゃんが時たま「作中人物の中で実は一番何を考えているのか分からない事がある」と私の中で定義付けられる事もあるが、他方で心愛ちゃんがその様な意味深な言動を取る時は、基本的に嘘偽りない彼女の真剣な想いが込められているとも思っているので、今回の意味深な言動にも彼女の真剣な想いが込められていると信じている。

厳しい運命と運命を乗り越える覚悟

 最後に私がジョジョ好きになっていく過程で強く意識する様になった「運命」「覚悟」に関わる事について思った事を書き出したい。ここで言う「運命」と「覚悟」とは、どちらも智乃ちゃんに深く関わる事であり、智乃ちゃんにとっては決してすんなりと受け容れられるものではなかった「おじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまった事」に関するものである。

 改めて説明すると、先月号終盤にて智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんに導かれる決断をしたのは「わしがいなくても孫はちゃんとやっていける程に成長したと確信できたため」であり、これは言ってしまえば「何時かはやって来る運命だった」のだが、たった15歳にして母親とおじいちゃんを亡くしている*5智乃ちゃんにとって、おじいちゃんがティッピーからもいなくなってしまった事を早々にして受け止められるものではない事は想像に難くなく、実際に今月号の智乃ちゃんはどこか儚げな雰囲気を身に纏っている事が度々あり、打ち上がる花火を見ていた際に思わずおじいちゃんの事を思って涙が溢れていた場面もあった事を思えば、彼女にとっておじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまったと言う事実が、見方によっては「おじいちゃんからお墨付きを貰うまでに成長した証」にもなる一方で、彼女にとっては「簡単には受け止められない厳しい運命」なのかを物語っている。

 智乃ちゃんが背負っている厳しい運命に関しては、何れは受け止めなければならなかった事は以前から分かっていた事だった為、客観的に見れば受け容れる心構えはしておいていた方が、実際に受け入れる際にその衝撃を緩和できるとは言及できる。ただ、事実問題としてその運命の当事者たる智乃ちゃんはかなりのショックを受けていた事を思えば、その様な言及をする事自体いささかお門違いな気がしない訳でも無いが、他方で私とて「大切な人がいなくなる哀しみ」がどれ程のものなのかは、当事者程ではないにしても理解はしているので、色々ややこしい事を書いてはいるが、ストレートに言うと「運命をめぐって哀しみに暮れる智乃ちゃんを見ると、客観的な冷静な意見を持ちながらも、彼女の感情も良く理解できる為、こちらも多少なりとも衝撃が走る」と言う訳であり、一言で表すと「あんなに儚げな姿を見て、何も思わない訳が無い」のである。

 ただ、智乃ちゃんにはその厳しい運命さえも乗り越えられるだけの「覚悟」があるとも思っており、これは智乃ちゃんはこれまでも心愛ちゃんを始めとした、かけがえのない人の存在のお陰で徐々に明るく前向きになった過程で「勇気をもって、自分が知らない外の世界を切り開く事の意味を知ったから」と言うのが主たる根拠であり、言うならば智乃ちゃんの中で「道を切り開く勇気が、そのまま自分の運命を乗り越える覚悟にも繋がっている」と言う事をもって、彼女には覚悟が備わっていると信じるものである。尤も、智乃ちゃん本人がどこまで自分にその覚悟があるのか、抑々智乃ちゃん自身その様な覚悟に気付いているのかどうかは未知数だが、彼女にはこれまでも大切な人との関わりをもって、自分の運命をも乗り越えてきた経緯がある為、今回も戸惑う事はあるとは言え、最後は成長した精神力と確かな覚悟をもって、更なる成長を遂げていくと信じている。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は「木組みの街の花火大会」及び「おじいちゃんが完全にいなくなってしまった後の智乃ちゃん」に着目が置かれている為、大きく分けて「セルフオマージュが豊富な場面」と「深い哀しみを帯びた雰囲気を大いに感じさせる場面」と言う、場面によって中々に感情の起伏が激しい作りになっており、特に智乃ちゃんが帯びていた儚げな雰囲気は、その背景も相まって強烈な印象を与えていたと思う。

 今月号は先月号同様、中盤までと終盤で物語の雰囲気が少々異なっており、中盤までは日常の延長線上みたいな雰囲気で花火大会を謳歌する様子が中心で、儚げな雰囲気も「大人っぽい雰囲気」として見られている一方、終盤になると深い哀しみをもった智乃ちゃんが直面する厳しい運命や、それに心愛ちゃんがどの様にして寄り添うかどうかに焦点が当てられており、儚げな雰囲気の意味も「おじいちゃんがいなくなってしまった事に対する深い哀しみ」となっており、それ故に先月号よりかは若干マイルドな印象はありながら、そのインパクトは中々に強烈だが、一方で今月号は心愛ちゃんの智乃ちゃんを真剣に思う気持ちも見られたので、その意味では精神的に助けられるものがあったと考えている。

 また、これは完全なる余談だが、今月号のごちうさ感想・考察を執筆する前に、今月のごちうさが比較的シュールに思える場面が多かった事をして、私自身ふと「ごちうさを読んでいる時は、作中のツッコミに対して笑い声をあげる事もありつつも、どちらかと言えば『何故にそうなる!?』『いや、そうはならんだろ!』などと、思わず作中のツッコミに対して更にツッコミに重ねる事が多い様な......?」と気付かされており、もっと言うとこんな感覚はきらら作品を読んでいる時はあまりないもので、他のきらら作品では声をあげて笑う事も多い事も相まって、随分と不思議な感覚を覚えたものである。まぁ個人的には声を上げるまでに笑いながら楽しむ事も、ごちうさを読む時の様に、半ば特殊な感覚をもって楽しむ事も、どちらも凄く楽しいマンガの読み方だと思えるタチなので、やっぱり何でも楽しんだもの勝ちとして殆ど気にしていない。単にそういう傾向があると言うだけの事である。

 更に言えば、今月号のごちうさ感想・考察においては、私が最近大好きになった「ジョジョの奇妙な冒険」に影響を受けた見識も幾分か入れてみたが、これは「ごちうさにも何か活かせるものがあるのではないのか」と思ったのもそうだが、それ以上に「単純に私自身ジョジョが大好きだから、好奇心でごちうさの感想・考察にも入れてみたかった」と言うのが大きく、最近もジョジョ原作41巻から47巻*6を購入し、それを読み進めた事に影響されているのが見透かされる様だが、好きなものは仕方ない。

 今回は前回のあとがきの書き方を引き継ぐ様にして、前回以上にあとがきをフリーダムにする様に意識したが、本編はあくまで真面目に書き出す事を意識している事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙35枚分である。今回は書く内容をどの様にして形付けるべきか悩む事もあったが、結果的にはハイスピードで完成させられた為、結果としては上出来である。

*1:ただ、実の所巻を重ねるにつれてその様な雰囲気を含ませるのは度々登場している事から、今更過度に驚けないと言えばそうなのだが。

*2:シリアスな雰囲気も増えてきた原作9巻以降に限ってみればそこまで異色でもないかもだが、深い哀しみを帯びた雰囲気は一部を除きさほど無かった。

*3:一般的に下駄の鼻緒が切れると不吉と言われている。

*4:これを見た智乃ちゃんは、今までの鬱々とした雰囲気からうって変わって思わず笑みをこぼしていた。

*5:但しおじいちゃんは亡くなった後にティッピーに乗り移り、智乃ちゃんを長らく支え続けた。

*6:4部「ダイヤモンドは砕けない」後半から5部「黄金の風」冒頭まで。

きらま2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近も新しいきらら作品を堪能したり、ジョジョの奇妙な冒険を大いに堪能していたりしていますが、今月号から「ごちうさ」と「ななどなどなど」に加えて、遂に「ぼっち・ざ・ろっく!」もきらまで読む決断をした次第であり、このブログ記事執筆時点で何れも読了していますが、どれも凄く面白い作品であり、特に「ななどなどなど」は個人的に大好きな作品でもあります。また、今月号のぼざろ特別編に関してはかなりシリアスな内容なので、決して気軽に読める内容ではありませんでしたが、伊地知姉妹が如何にしてバンドに対する心情を持つ様になったのか、姉妹の過去に何があったのか、そして今でも伊地知姉妹が、2人してバンドを大切に想う理由とは何か、それらが一挙に読み解ける内容になっていたので、ぼざろが好きなら是非お勧めだと自信をもって言えます。特にこれを読めば、虹夏ちゃんの姉である星歌さんに対する解釈と理解が大きく変わります。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は先月号の「ココチノ2人の実家帰省」の完結編とも言うべき内容で、中盤まではハプニングはあっても、あくまで日常的な雰囲気の延長線上にあるテイストになっていますが、終盤になると物語の根幹にも関わる程の展開が待っており、それは「ティッピー」もとい「智乃ちゃんのおじいちゃん」に起因するものですが、その内容はあまりにも凄まじく、また印象的だったので、今回は中盤までのある意味日常の延長にある展開と、終盤の凄まじい展開の2つを中心として、後者の凄まじい展開を深く掘り下げる形で書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は物語上非常に重大な展開を迎えている為、刺激がかなり強い内容になる事と、物語上重要なネタバレが存在する事にはご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は前回の「心愛ちゃんの実家帰省」の流れを汲むものであり、先月号から続いてモカさんやお母さんと共に保登ベーカリーの手伝いや実家帰省を満喫する姿が主軸となるが、先月号と違うのは「木組みの街組もきちんと登場している事」であり、故に先月号には無かったごった煮感が存在しているが、それでもごちうさの世界観が全く崩れていない点は流石だと思う。

 今月号の扉絵は、まほうつかいの様相をした心愛ちゃんが、まだ幼い智乃ちゃんを抱きかかえているのを中心に、美しい背景がバックにあると言うもので、これは嘗て智乃ちゃんが幼い心愛ちゃんを抱きかかえていた扉絵と逆の構成をしている訳だが、当の私は正直それ程興味を掻き立てられた訳ではない為、単純に「今月号の扉絵も印象的だ」と言う当たり障りのないシンプルな感想しか思い浮かんでいないが、絵から様々な事を思い浮かべる事は純粋に楽しい事である為、私もそれなら思い浮かべられるが、パッと思い付いたのが星形を見てジョースターが連想されたと言うものである為、いかに私がジョジョの奇妙な冒険好きになったのかを改めて思い知らされる結果になった。

 今月号は中盤までと終盤の2つで大きくテイストが違っており、中盤までは「実家帰省から見えてきた絆と結託力」、終盤は「これからの過程において乗り越えなければならない事」と言う意味で重要な要素が存在していると認識しており、前者はそのまま絆や結託力の深さと直結する為、割と褒めやすい内容ではあるが、後者は言ってしまえば容赦ない現実をもろに反映したものである為、悲しみだけで終わってしまう道では無いとは言え、直ぐに前を向いて進めるとは限らない内容でもある。ただ、どちらも「決して避けては通れない道」であり、それらを乗り越えられなければ更なる成長は最早望めない為、今月号も真面目に書き出す所は真面目に書き出したいと思う。

 

2.購読した感想・考察

 

今月の内容全体の感想・考察

 まずは「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出したい。今回は刺激の強い内容も含まれている上、ごちうさと言う物語を紐解く上で非常に重要なネタバレも含まれている為、この2点は注意して欲しい。

実家帰省の続きと一つのピリオド

 今月号は先月号から開始した「実家帰省編」の直接的な続きであり、先月号では智乃ちゃんが心愛ちゃんのお母さんであるちょこちゃんが持っていた、学生時代のちょこちゃんと、自身の母親であるサキさんとの思い出のアルバムを観た所で終結していたが、今月号は唐突に智乃ちゃんが自身の幼い時の夢から始まっており、その後も先月号終盤の展開には一切触れられないまま、ココチノ2人の心愛ちゃんの実家での活動の続きが描かれている為、結果的に私には今月号と先月号の繋がり方がイマイチ良く分からなかったが、ごちうさは単行本化されると、お話の合間に雑誌掲載時には無かった挿絵が描かれる事があり、その挿絵でお話とお話の間の流れを把握できるケースもある為、ここは今一つ単行本化を待つべきだろう。

 そんな今月号だが、あくまで一つのお話としては極めて高いクオリティを誇っており、序盤では前述の通り智乃ちゃんが幼い頃の夢を見る展開があるのだが、この展開は今月号終盤において大きな意味を持っており、絶対に外せない局面でもある。その後は再び「実家帰省編」の本筋の物語となっており、そこでは心愛ちゃんの実家のパン屋さんの制服を身にまとった智乃ちゃんの姿が印象的であり、他にもコーヒーを淹れる腕前が未だ壊滅的にも関わらず、見栄を張って自身の母親から辛辣なコメントを送られるモカさんや、先月号に引き続いて町の人々から好かれるココチノ2人等、全体的にほのぼのした内容のお話が多くなっており、移り変わりの局面ではココチノ2人が「嘗ての夢」について語り合うシーンもあるが、この内智乃ちゃんの「おじいちゃんの跡継ぎになる事」と言う内容は終盤に繋がる重要な要素の一つとなっている。

 中盤からは木組みの街組がどうしているのかが描かれており、端的に言えば「ココチノ2人がいない事でそれぞれ困っている事がある」と言うので、まず理世ちゃん筆頭のラビットハウスでは、心愛ちゃんがいない為にパンの焼き加減が分からず、パン作りが全く上手く行かない事態に直面しており、一方の冬優ちゃん筆頭の甘兎庵では結良ちゃんが物騒な話をして困っている事態に直面している事が判明しており、この事がココチノ2人を木組みの街へと帰還させる大きな契機付けとなる。因みに中盤では大人組2人を除いて木組みの街組全員が登場しており、それぞれ良くも悪くも普段と変わらない立ち振る舞いを見せているが、その中でも結良ちゃんの物騒な誘いに興味津々の映月ちゃんと千夜ちゃん2人は特に印象的であり、2人が持つ良い意味で常人離れした発想力と価値観が存分に生かされている場面と言える。

 終盤では木組みの街へ向かう列車の中でココチノ2人が実家帰省の事を振り返るシーンから始まり、ここで遂に智乃ちゃんが目指すべき喫茶店についても触れられる事になり、まだ漠然としながらも智乃ちゃんが自分だけの道を歩み始めるだけの体制が整っている事如実に示している。そして、それに呼応する様にティッピーが反応を見せ、ココチノ2人が列車の中で眠りについたのを見計らって、孫を想う気持ちは変わらないのをひしひしと感じさせる言葉を遺し、ティッピーの中に居たおじいちゃんが、サキさんの手に引かれて本来の世界へと導かれていく様子が描かれており、ごちうさと言う物語にも一つの大きなピリオドが打たれた所で今月号は幕を閉じている。尚、ティッピー自体はおじいちゃんの魂がサキさんに導かれた後も健在であり、元のメスうさぎに戻った事が示唆されている。

 全体的に見れば、今月号はあらゆる意味で「大きなターニングポイントを迎えた」と捉えており、特に智乃ちゃんが自分の進むべき道を漠然としつつも見出している事を聞いたティッピーもといおじいちゃんが、遂に智乃ちゃんの傍から離れる時が来た事はかなり衝撃的であり、今後の物語の展開にも大きな影響を与える事は間違いないと思われる。ただ、冷静になってみると、智乃ちゃんのおじいちゃんは物語開始の1年前に他界していた事が智乃ちゃん本人の口から語られていた為、本来ならば物語開始時点で既に智乃ちゃんの傍にはいない筈の人であった訳であり、それ故に「今までが奇跡の様な日々だった」となるのだが、現実には物語開始から2年以上にわたっておじいちゃんはティッピーに乗り移って智乃ちゃんを支え続けていた事実があり、それは作中において半ば当たり前の様に描かれていた為、ゆくゆくは智乃ちゃんの傍から離れる事は確実だったとはいえ、いざ別れの時を迎えると、やはり寂しい気持ちが心に沸き出てくるのである。

 だが、去り際にティッピーもといおじいちゃんが口にしていた様に、智乃ちゃんは自分がやりたい理想の喫茶店を見付けており、彼女はあのマスターが認める自慢の孫でもあり、何より智乃ちゃんには心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない人達がいる訳であり、最初こそおじいちゃんが完全にこの世からいなくなった事実に悲嘆する可能性は大いにあるが、智乃ちゃんはもう孤独では無い*1これからもずっと一緒に道を歩んでいく大切な人もいるし、何よりも智乃ちゃんには自分が成し得たい夢が出来ている。それを思えば、おじいちゃんが言う様に智乃ちゃんはきっと別れの事実も乗り越えられると私は心から信じている。

智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店

 いきなり重厚な内容になったが、ここからは今月号にて智乃ちゃん本人もその道筋を掴んでいた「智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店とは何か」について考察してみたい。抑々智乃ちゃんがこの様な事を考えたきっかけと言うのは、以前のお話にて智乃ちゃんが「ラビットハウスの跡継ぎとして、おじいちゃんが大切にしてきたラビットハウスを大切にしたい」とおじいちゃんに持ちかけた際、おじいちゃんから「智乃は自分の喫茶店をやるべき」と言われた事がきっかけであり、これは客観的に見るなら「智乃ちゃんはおじいちゃんがやってきたスタイルのラビットハウスをそのまま受け継ぐのではなく、智乃ちゃん自身がやりたいスタイルに変化させた上でラビットハウスを受け継いでいくべき」と言う事だと思われ、言うならば「智乃ちゃん自身がやりたいと思う喫茶店のスタイルに変えても良いと言うおじいちゃんの優しさ」が垣間見える言葉でもあるのだが、これは非常に抽象的な概念を多分に含む事から、15歳の智乃ちゃんにとってすんなり理解できるものとは言い難く、実際に彼女はこれまでその答えを出せずにいたが、今月号にて彼女は漠然した形であるとは言え、自分がやってみたい喫茶店がある事に気付いており、これを契機におじいちゃんはサキさんの元へと導かれる決断を固めた訳だが、ここで気になるのは智乃ちゃんの新たな夢となった「彼女がやりたい喫茶店の具体像」である。

 智乃ちゃんは渋い雰囲気を持つおじいちゃんがマスターを務める、シックな隠れ家的喫茶店であるラビットハウスにて憧れのバリスタ像を築き上げている為、彼女の根底には「誰もが落ち着いてコーヒーを楽しめる喫茶店があるのは疑いなく、故におじいちゃんから指摘を受けるまでは、おじいちゃんが大切にしていたシックな隠れ家的雰囲気を大切にした喫茶店を受け継ぐべきだと考えていたと思われ、彼女としてもそれを疑う事はまずなかったと考えている。

 しかしながら、明朗快活で行動力がある心愛ちゃんがラビットハウスにやってきたタイミングから、ラビットハウスは落ち着いた雰囲気と言うより、良い意味で和気藹々とした賑やかな雰囲気へと変化していき、また喫茶店で働く店員が全員可愛らしい事と、まるで姉妹の様に仲がとても良い事に着目して、雑誌を通じて宣伝をする事でシーズンによってはお客さんで賑わう事も増え、同時に度重なる工夫で子供ウケも良いお店へと変化した事から、最早ラビットハウスは昔の様な雰囲気とは全くの別物になったと言っても過言ではなく、その様な喫茶店へと変えた最初のきっかけは心愛ちゃんにあるとは間違いないが、智乃ちゃんも変化していく喫茶店の雰囲気を愛していたのもまた紛れもない事実だったと思われ、事実最初こそ変化していくラビットハウスに戸惑いを示す事も少なくなかった智乃ちゃんも、時が経つにつれて賑やかになったラビットハウスに馴染んでいく様になり、最近では率先してラビットハウスの賑やかな雰囲気に一役買う行動に出る事もある事からも、智乃ちゃんも「賑やかで楽しい雰囲気の喫茶店に良さと憧れを見出した事は疑いない事実だと言える。

 だが、ラビットハウスには変えてはいけないものがあるとも思っており、それはラビットハウスがシックな雰囲気を持つ喫茶店である以上、賑やかで楽しい雰囲気を採り入れつつも、他方で「ここに来れば何時でもコーヒーが落ち着いて楽しめると思える空間を維持する事」であり、これはおじいちゃんが大切にしていた理念とも重なる内容である為、理想としてはおじいちゃんが大切にしてきた理念を残しつつ、新しい要素を採り入れていく事が一番良いのだが、智乃ちゃんとしてはおじいちゃんが大切にしてきた理念も大切である一方、心愛さんがもたらしてくれた賑やかで楽しい雰囲気も大切だと思っている中で、それらをどの様に調合していくべきなのか、一体何が正解なのか、自分ではそれをどう折り合わせていけば良いのか良く分からないとなっていた可能性が考えられ、故に「自分では理想の喫茶店が分からない」となっていた可能性も十分にあると考えている。

 では、最終的に何が智乃ちゃんを決断させたのか。それは私が思うに原作11巻後半の内容である「海シスト編」から、今回の「実家帰省編」までの一連の流れの中で、自分達の夢に向けて確かな歩みと覚悟を見せる仲間達を見て、智乃ちゃん自身も「自分が本当にやりたいと思っている事をやるべき」と思える様になり、その結果が智乃ちゃん自身がやりたい理想の喫茶店の全体像を漠然としながらも掴むと言うものだったと見ており、その理想の喫茶店に関しては具体的に分かる要素は今月号時点ではまだ判明していないが、彼女は恐らくおじいちゃんの意思を受け継いで「誰にとっても何時でもコーヒーが楽しめる雰囲気」を維持しつつも、心愛さんを始めとした自身にとってかけがえのない友達ひいては家族同然の人と一緒に培ってきた「誰にとっても気軽に喫茶店に立ち寄りたいと思える賑やかで楽しい雰囲気」を採り入れていき、昔からの良さと新しい良さを調合したラビットハウスを目指していきたいと言う夢があると考えており、これが私が考えている「智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店」についてである。

おじいちゃんが知りたかったもの

 次は「智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんに導かれる前に知りたかったもの」について考察したい。抑々智乃ちゃんのおじいちゃんは、喫茶店ラビットハウスを開業した初代マスターであり、おじいちゃん子だった智乃ちゃんにとっては憧れの存在であり、家族としても大切な存在であったが、物語開始時点(心愛ちゃんが香風家に初めて来訪した時)で既に他界してしまっている事が智乃ちゃんの口から語られており*2、これ自体は心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「お姉ちゃん」と思って欲しいと思った直接のきっかけ*3でもあるが、現実には詳細な経緯は終ぞ語られなかった*4とは言え、おじいちゃんが亡くなった後も、その魂はティッピーに乗り移っており、物語開始時点で「ティッピー=おじいちゃん」として、智乃ちゃんを支える存在として見守っていた経緯がある。尤も、ティッピーにおじいちゃんの魂が乗り移った事を正確に知っていたのは智乃ちゃんとタカヒロさんのみで、他には原作11巻中盤にあたる「銀河鉄道回」で青山さんが自力で答えに辿り着いた位で、抑々智乃ちゃんもティッピーが喋る事を「腹話術」として周りには通していた事もあって、心愛ちゃん達もふと疑問に思う事はあったと思われるが、結局の所最後まで周知の事実では無かった訳である。ただ、何れにしてもティッピーもといおじいちゃんは高校1年生の夏に至るまでの3年以上にわたって智乃ちゃんを支え続けたのである。

 説明が長くなったが、今月号にておじいちゃんは遂に智乃ちゃんの元から離れ、サキさんに導かれていった(天に昇っていった)訳であり、それは「自分が一番知りたかった言葉を智乃ちゃんが発した事で、自分が智乃の傍から離れても大丈夫だろうと確信した事」でもあるのだが、そうなると、おじいちゃんは何故今まで現世に留まる必要があると思っていたのか、おじいちゃんが最後に聞きたかった智乃ちゃんの言葉とは何だったのか。その事が改めて気になってくるのであり、前者に関しては青山さんの楽曲「うさぎになったバリスタ」を聴けばある程度読み解く事ができ、それをして私はおじいちゃんが「智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと思えるその時まで、自分が傍で見守っていないといけないと思っていた事」が、おじいちゃんがティッピーに乗り移ったきっかけだったと考えているのだが、後者に関しては原作11巻の範囲に至るまで殆ど推察できる要素が無く、故に内容に沿った考察しか思い浮かばないが、これは恐らく「智乃ちゃんがやってみたいと思う喫茶店に起因していると考えている。

 おじいちゃんは以前(とは言っても原作11巻範囲だが)智乃ちゃんに対して「智乃は自分がやりたい喫茶店をやるべき」だと説いており、これは先程考察した様に「智乃ちゃん自身がやりたい喫茶店を創り上げれば良い」と言うおじいちゃんのメッセージである事は間違いない訳だが、この様な言葉を智乃ちゃんに投げかけた理由として、智乃ちゃんはおじいちゃんのバリスタ姿に相当な憧れを抱いてバリスタになりたいと思い立ち、将来的におじいちゃんの様な存在になりたいと考えている訳であり、それ自体は紛れもなく智乃ちゃんの意思だが、当たり前の事として智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんはそれぞれ違う人間と言う前提があり、それに付随して智乃ちゃんとおじいちゃんとでは、物事に対する価値観や性格、将来的に目指したい理想の喫茶店の姿や、周りの人達から求められているものに至るまで、何もかも異なっているのは明らかである為、それを思うならば、智乃ちゃんには単におじいちゃんの様な立派なバリスタになりたいと思う意思に加えて「智乃ちゃん自身が考える理想の喫茶店像」なるものが必要になる訳であり、それは「単におじいちゃんの意思を継ぐだけでなく、そこから彼女はどうしたいのか」という事でもあるが、彼女は原作11巻中盤においても、ラビットハウスを将来的に継ぎたいと言う意思は明確にあっても、自分がやりたい理想の喫茶店については、まだ15歳故に仕方ない面も大きいが、大まかな構図すら掴めずにいた為、おじいちゃんとしても「智乃は本当にわしの喫茶店を受け継いでいける程に成長しているのか。このまま安心して天に導かれて良いのだろうか。」と、心の何処かで心配していた節もあったからこそ、智乃ちゃんに自分がやりたい夢(理想の喫茶店)を持ち、友達の助けを借りながらも彼女一人の力でも夢を目指して歩める事を見せ付けて貰う為に上記の様な言葉を投げかけたと考えており、それは智乃ちゃんの更なる成長を促すだけでなく、結果的におじいちゃんが傍に居なくても、智乃ちゃんが歩みを進められる事への試金石にもなっていたと捉えている。

 つまり、おじいちゃんが知りたかったものとは「智乃ちゃんが自分の意思をもって考えた理想のラビットハウス像を持っているかどうか」と言う訳であり、今月号にてまだ曖昧な面も大きいとは言え、智乃ちゃんとしても自分がやりたい喫茶店もといラビットハウスが存在する事を智乃ちゃん自身の言葉で発していた事を受け、おじいちゃんとしても「智乃はもうわしがいなくても大丈夫なだけの精神力と目標がある」と考え、最終的に智乃ちゃんが心愛ちゃんと共に眠りについたタイミングで、サキさんに導かれると言う決断をした訳であり、ここに物語全体としても、智乃ちゃんとおじいちゃんの関係としても、大きな節目が刻まれたのである。

 尚、今月号にておじいちゃんがサキさんに導かれたと言う事は、おじいちゃんは智乃ちゃんが新しく創り上げるラビットハウスを現世では見届けない事を意味している為、おじいちゃんは本当にそれで良かったのかと思わなくもないが、現実問題としておじいちゃんは物語開始時点で既に故人であり、本来ならに天国で智乃ちゃん達を見守っていた筈である所を、おじいちゃんが「智乃が1人でも大丈夫だと思える時まで、傍で見守っている必要がある」と考え、ティッピーに乗り移る形で現世に留まっていた経緯がある事から、おじいちゃんとしても「智乃が1人でも大丈夫だと分かった時が別れの時」と考えていた可能性は高く、それを思えばおじいちゃんがこのタイミングで現世を去る事に後悔や迷いはなかったと考えられる。また、おじいちゃんは孫世代*5がどんどんラビットハウスを自分達がやりたい喫茶店に変えていく事に、最初こそ自分がやりたい喫茶店と乖離していく寂しさを募らせていたものの、時が経つにつれて孫世代が創り上げるラビットハウスに対しても寛容的になり*6、最終的には智乃ちゃんに対して「自分がやりたい喫茶店をやるべき」などと持ち掛けていた事から、おじいちゃんとしても「これからのラビットハウスは孫世代に任せた方が良い」と考えていた可能性も十分にあり、それらを思うならば、おじいちゃんとしても、孫世代が創り上げるラビットハウスを現世で見届けず、天国でサキさんと一緒に見届ける為に、このタイミングでサキさんに導かれる事に後悔はなかったのだろう。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望な想いを強めた内容を書き出したい。今回は前半からかなり刺激的な内容が含まれていたが、後半では物語の構成上刺激的な内容は含みつつも、未来に向けた比較的明るい展望もしっかり書き出していきたい所存である。尤も、今となってはそこに一抹の不安が燻る訳だが......。

適応力が高い妹と見栄っ張り(?)な姉

 まずは今月号序盤における智乃ちゃんの立ち振る舞いが個人的には印象的だったので、それについて思う事を書き出したい。今月号は基本的に先月号からの「実家帰省編」の流れを汲む内容な為、智乃ちゃんも必然的に心愛ちゃんの実家で一体どの様な立ち振る舞いを見せているのか窺える訳だが、今月号では心愛ちゃんの実家で営んでいるパン屋の制服を智乃ちゃんも身にまとい、心愛ちゃんとモカさん2人からの可愛がりに思わずタジタジになる光景や、先月号終盤にて心愛ちゃんとモカさんの母親であるちょこちゃんと深淵たるやり取りをした事から、智乃ちゃんも「ちょこちゃん」と言う名前で呼ばせられている等、全体的に智乃ちゃんが如何に心愛ちゃんの実家に馴染んでいるかが良く分かる光景が多く、これに対して智乃ちゃんは多種多様な表情や感情表現を見せており、これらは一昔前の彼女ならまず見せなかった光景である為、今や感情豊かな智乃ちゃんが半ば当たり前の様になってきたとは言え、要所でコミカルな姿を見せる智乃ちゃんを見ると、今でも智乃ちゃんは心愛ちゃんと出逢ってから大きく変わったのだとまざまざ思わせられる。

 また、今月号序盤におけるモカさんが見せた立ち振る舞いも中々に飛んでおり、モカさんはパン作りの腕前は心愛ちゃんですら圧倒する程だが、コーヒーを淹れる腕前に関しては心愛ちゃんや自身の母親ですら固辞される程に壊滅的と言う一面があり、今月号においてもそんなコーヒーの下りが存在していたのだが、その際にモカさんが母親から「お客さんに提供するのはまだダメだ」とストレートに言われる程、コーヒーを淹れる腕前は未だからっきしであるにも関わらず、お客さんに対してコーヒーを提供しようとして母親から止められ、結局の所コーヒーを淹れる事に関しては確かな腕を持つ智乃ちゃんが淹れる事になると言う場面があり、これに対して私は「モカさんも心愛ちゃん同様、意外と見栄っ張りな所あるんだ」となっており、優しい顔をした母親から普通に辛辣な言葉を投げられていた事も相まって、モカさんとて「人から良く思われたい、妹達の前では完璧でありたいと思う事に変わりは無い。」のだと感じている。ただ、モカさんは同時に弛みない努力家な上、自分がやってみたいと思った事の多くを自分のものにしてきた経緯を持つ事から、将来的にはコーヒーを淹れる腕前も上昇する可能性はあるとは思うが、自身の腕前の無さに対して母親から辛辣な一言を投げ掛けられている現状を見ると、まだまだ時間はかかると思われる。

 こうして見ると、今回の実家帰省編では「些細な部分も含めて、変わっている部分と変わっていない部分」が細かく描かれている様にも感じており、今月号はなまじ終盤の展開のインパクトが強過ぎた事と、中々に刺激が強い内容であった先月号から地続きな展開である為、些細な日常における「変化と不変」に気付きにくい節があると思われるが、冷静になってみるとしっかりと描かれている為、この点は流石だと思う訳である。また、モカさんの意外な一面が見えた点も興味深い点であり、人から良く見られたい(=見栄っ張り)と言うのは、どちらかというとモカさんよりも心愛ちゃんの方が顕著なイメージがある中で、モカさんも心愛ちゃんに負けず劣らず見栄っ張りな所が見えた事で、やはり血は争えないとなった訳であり、姉妹の仲睦まじさを感じさせる要素としても良きものだと思う。

一種のココチノシックに見舞われる木組みの街組

 次に今月号中盤の主軸とも言える内容である木組みの街組の動向に対して思った事を書き出したい。抑々今月号中盤においては、ラビットハウスと甘兎庵の2箇所にて「ココチノ2人が不在故に困っている事がある」と明かされており、これに付随して私が「一種のココチノシック」と銘打ったのも、心愛ちゃんがいないが為に、智乃ちゃんを筆頭に心愛ちゃんの友達が大なり小なり一種のスランプ状態に陥る現象として「ココアシック」があった事を参考にしたものだが、今月号においてはラビットハウスと甘兎庵で完全に状態が二極化されており、ラビットハウスでは「心愛ちゃんがいないが為にパンが全くと言って良いほどうまく焼けない」と言う、誰がどう見ても完璧なるシック状態だったものの、甘兎庵では結良ちゃんによって「店員が首輪を付ける」と言う、普通の喫茶店ならまず考えられないコンセプトがもたらされた展開になっており、故にシック状態はほぼ感じられなかったが、代わりに千夜ちゃんと映月ちゃん2人が、結良ちゃんが持ち込んできた首輪を付ける案に興味を持つと言う、良くも悪くも2人が持つ常人離れした感性と発想が遺憾なく発揮されており、しかも2人共に目を躍らせるまでに楽しそうにしていると言うのだから、最早可愛らしいを通り越して不気味に思う程だが、2人共に楽しければそれで良いのかも知れない。でも、流石の私も和をコンセプトにした甘兎庵でその様なアクセサリーを採り入れるのはちょっと......、と思ってしまうが......。

 色々とややこしくなったが、要するにココチノ2人が不在な事で、ラビットハウスではパン作りにきちんとしたノウハウを持つ人がいない為に、パン作りがままならなくなり、甘兎庵では奇抜過ぎる発想にブレーキをかけられる人がいない為に、コンセプトがどんどんニッチな方向性に向かってしまうと言う訳であり、それをして私は「ココチノ2人がいないと、木組みの街組があらぬ方向に進む可能性がある(=混乱状態に陥る)」と言う意味で「ココチノシック」だと思った訳だが、大元の「ココアシック」は「心愛ちゃんがいない事で、普段の調子がどこか狂う」と言う意味で使われていた為、今思うと「ココチノシック」と呼ぶには些か足りない要素が多い気もしない訳でも無いが、他方でココチノ2人がいないが故に、木組みの街組が半ば混乱状態若しくは暴走状態になっていたのも事実である為、現時点でも「木組みの街の住人達は、誰かが一時的に離れるだけで調子がどこか狂ってしまうのは間違いない」と言え、それは心愛ちゃん達が如何に結束力が高く、またお互いに信頼し合っているのか、その事をまざまざと感じさせている。

 但し、現実問題として高校卒業後に心愛ちゃんと紗路ちゃんは木組みの街を離れ、心愛ちゃんはパン作りの腕を磨く為に研鑽を積み、紗路ちゃんは千夜ちゃんをしっかりと支えられるだけの知識を身に付ける為に、都会の国立大学に進学し、そこで更なる精進を図る展望を持っている為、一時期であっても心愛ちゃん達は一旦それぞれの道に向けて離れ離れになる事がほぼ確定している上、しかもその期間も長期になるのが予想される現実がある。その為、将来的には例えシック状態に陥っても、それを直接的に解決する手段はほぼ使えない事になり、結果的に自分で気持ちの整理を付けて何とか乗り越えるなり、その時点で頼る事の出来る友達を頼るなりして、どうにかして埋め合わせをしなければならなくなる事も起こり得る為、その意味では「彼女達は本当に大丈夫なのだろうか」と、今月号における木組みの街組の普通とは違う光景を見て、ふと心配に思ったのである。

 しかしながら、彼女達は何だかんだ言ってもあらゆる状況や困難にも適応し、力を合わせて乗り越えてきた経緯がある上、最近では一人一人が目まぐるしく成長を遂げていく姿を見せる事も多くなってきた事から、嘗てと比べてその胆力は著しく強固になっているし、他にも今までの経験と最近の現状を照らし合わせて「当たり前の様に友達と会える事が、実は決して当たり前の日々ではなかった事」を理解しているし、何より彼女達はこれまでの経験と、原作10巻終盤にて青山さんから授かった言葉から「一旦は離れ離れになっても、何時かは再び集結し合える日が来る事」を信じる事ができる様になっている事から、一時的には現実を改めて知らされる形で苦節を味わう可能性こそあるものの、最終的にはその様な逆境を乗り越え、大人っぽさではない、正真正銘本物の大人に一歩近付ける事にも繋がるだけの成長を遂げられると信じている。

 と言うか、からしてみればここまで彼女達の軌跡を真剣に追っておいて、今更彼女達の可能性や精神力を信じなくてどうするのかと言う訳であり、正直に言えば本当に大丈夫なのかと言う不安はずっとあるし、これからの彼女達の道筋を辿り続ける事に対する怖さだってある。だが、現時点でも既にもう後には引けない所まで来ている事は誰が見ても明らかであり、今月号終盤もそれを示唆する展開であった為、それを思うならば、彼女達の精神面に対して一抹の不安に駆られたり、更なる苦節や恐怖に慄いたりする事はあっても、自分が選んだ「これから何があっても彼女達の足跡を追い続け、彼女達の精神力と成長を信じる」と言う決断に対して、その決断が自分にとって間違いではなかったと思え、ましてその決断をした事に後悔はないと思える様にする為にも、最早少しの淀みも持ちたくはないのである。

終盤の展開に対して思う事

 最後に今月号終盤の展開である「おじいちゃんがサキさんに導かれた事」と、智乃ちゃんの今後の心境について私が思った事を率直に書き出したい。まずおじいちゃんが智乃ちゃんが持つ確固たる夢の意思を聞いた事で、遂に智乃ちゃんの元から離れる事を決意し、サキさんに導かれていった事に対しては、客観的事実として「何時かはおじいちゃんも智乃ちゃんの元から離れていくのは分かっていた」とは言え、いざそれを目の当たりにすると、その展開を想像できた時点で心の中で「えっ......。」と言う衝撃が走ったものであり、それに加えてサキさんに導かれるおじいちゃんの構図があまりにも流動的だったのと、4コマ漫画の構成としても非常に秀逸であった為、内容が心に刻まれていく感覚を覚えたものだが、その際に具体的に何を思ったかについては、正直この記事を執筆している時点*7でも全くと言っていい程覚えておらず、最早初めて読んだ時の感覚は遠い彼方に置いていかれた訳であり、人間の記憶の脆さを改めて思い知らされる訳でもあるが、少なくとも現時点では「これから智乃ちゃんはどうなっていくのだろうか......。」と言うのと「何時かは来ると分かっていたが、まさかこんなに早いタイミングでやって来るとは......。」と言う2つの思いが少なからずひしめいている。

 ただ、不思議な事に「哀しい」と言う悲観な感情よりも「今まで見守ってくれてありがとう」と言う感謝の感情が優位に立っており、それはおじいちゃんがうさぎになってからも、智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと思えるまで見守り続けた事に対する感謝と、おじいちゃんとしても智乃ちゃんの傍から離れて、サキさんと共に天国から見守る事に決して後悔はない様子を見せていた事から、私としてもおじいちゃんの遺志を汲むならば、ここで哀しみに暮れるだけに終わるのはどこか違うのではないかと思う感情があったからであり、正直これが本当に正しい道なのかは分からないが、だからと言って絶対不変的な正解がある様な事象でも無い事から、結果的に自分が信じた道を歩むしかない事は明らかなので、最早覚悟は決めている所存である。

 また、智乃ちゃんの今後の心境については、今月号においておじいちゃんは智乃ちゃん及び心愛ちゃんが眠りについたタイミングで、2人に気付かれない様にサキさんを導かれた事を鑑みると、智乃ちゃんはおじいちゃんがティッピーの元からいなくなる瞬間をこの目で見た訳では無い事から、まず直面するのは「おじいちゃんが自分の知らない内に既にいなくなっていると言う事実」であり、それをして智乃ちゃん自身の心境もかなり揺れ動く事が予想され、厳しい現実に打ちひしがれる可能性さえ範疇にあると思うが、何度も記述した様に智乃ちゃんには現時点でも自分で築き上げた夢の道筋があり、かけがえのない家族同然の友達や姉妹がおり、以前とは比べ物にならない精神的な強さを会得しつつある強さがある為、心情が大きく揺れ動く事は恐らくあるだろうし、それを乗り越える事は簡単ではないと考えているが、最終的にはおじいちゃんが見込んだ以上の精神的な強さと確かな目標を持った孫へと成長するのではないかと信じている。

 そして、私としても気になる「今月号以降の展開」だが、これに関しては「おじいちゃんが自らの意志をもってサキさんに導かれた」と言う、作品の根幹さえも変えてしまう程の大きな変化があった事もあり、私にとってはハッキリ言うと「今後の展開については地に足ついた予想は一切できず、またどの様な道筋を辿るのかさえ未知数」と言う状態であり、言ってしまえば「来月号を観なければ何も言及できないのが現状」である。しかしながら、そんな状態だからと言っても、これまで2年以上にわたってごちうさの最新話を追い続け、あらゆる角度から見識を深め続けた結果、今更逃げ帰る事に意義も意味もなくなったと判断している私からしてみれば、意地でもしがみ続けるだけの理由がある訳で、故に今は来月号の発売を待ち続けるだけである。消極的に映るかも知れないが、私が今ジタバタした所で、今後の展開を紐解く上で何か有効な見識が掴めるのかと言えば、残念ながら何も掴めないと言わざるを得ないのは自分が一番分かっているので、それならば潔く来月号を待ち続けると言うだけの話であり、決して初めからこの選択肢を採る気でいた訳ではない事は書いておきたい。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は「ココチノ2人の実家帰省編の完結編」と言うべき内容で、内容も序盤は先月号同様に心愛ちゃんの地元での出来事が中心となり、中盤は木組みの街組のてんやわんやぶりが明らかとなり、それをきっかけにココチノ2人が木組みの街に帰還する事を決意し、終盤には智乃ちゃんの確固たる意思を聞いたおじいちゃんが、サキさんの元に導かれる決断をし、智乃ちゃんの元から離れていくと言った様に、場面によって全くテイストが違うだけでなく、それぞれが別ベクトルで重厚だと言う特徴があり、正に「ハイボリューム」な構成であり、また「運命のターニングポイント」とも言うべき内容だったと思う。

 今月号は中盤までと終盤で物語のテイストが全く異なっており、中盤まではイレギュラーな要素こそあるものの、何だかんだ言って何時もの日常を感じさせるテイストになっていた一方、終盤は今後の展開を大きく左右するだけでなく、現状の関係性に大きな変化をもたらす内容であった為、私自身中盤までの感想・考察を書き出す事に対する不安はさほど無かったが、終盤がなまじインパクトが強烈な内容であった事もあって「これはどの様に書くべきか......。」と結構悩んだものだが、蓋を開けてみると普段のごちうさ感想・考察記事と比べればシリアスなテイストになったものの、きらファンメインシナリオ第2部の感想・考察記事の、冷酷且つ非情な想いさえ垣間見えるシリアスさと比べれば幾分マイルドになった為、結果的には上手く落とし込めて良かったと思っている。

 また、今月号のごちうさがかなりの波乱な展開を含みながら、今回の感想・考察記事において私が自分の揺れ動く気持ちを抑えつつ、何時ものテイストに上手く落とし込めた背景には、ごちうさと同じきらまに掲載されている「ぼっち・ざ・ろっく!」の特別編の存在が大きく関係しており、この特別編は正直今月のごちうさをも超える程のシリアスな内容だったのだが、その特別編に込められたメッセージを思うと、今月のごちうさも必要以上に刺々しく書くのではなく、シリアスな内容はそのままシリアス味を残しながら書きつつも、普段の温かみあるテイストもしっかり書き出すべきだと考えられる様になり、結果的にぼざろの特別編を読んだ事で、私は冷静さを失くし、感情に任せた記事を書く事を回避できたのである。

 因みに今月号のきらま全体を読み進める中で私が比較的平静さを保てたのは、ごちうさやぼざろを筆頭に中々にシリアスなテイストのお話が少なくなかった中で、私がきらまの中でも大好きな作品である「ななどなどなど」が何時も通り中々にぶっ飛んだテイストがふんだんに盛り込まれており、故に笑いながら楽しく読み進められたからであり、ある意味複数作品を読んでいたからこそ助けられたと言った所である。もしこれがごちうさのみを読んでいた身だったとするなら、記事の内容も己の理性を超えた、正に感情に任せた冷酷さと非情さが見え隠れする痛々しい内容になっていた事は想像に難くない為、洒落になっていなかっただろう。

 今回はあとがきの書き方も刷新し、今までの様に本編のまとめとも言うべきスタイルから、全体的に今月分の感想・考察記事にまつわる周辺情報をかなりフリーダムに書き出すスタイルにしているが、これも自分がやってみたかったスタイルの1つであった事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙42枚分であり、先月の感想・考察記事と比べてもかなり内容が増大する結果となった。因みに書き上げるスピードも最近になって極めて安定しつつあり、概ね1週間前後を目標に完成させるのが通例になってきている。何故一気に書き上げるかと言えば、時間が経てば経つ程、初めて読んだ時の感覚が二度と取り戻せない遥か彼方へ流されていってしまうからである。

*1:厳密には最初から本当に孤独だった訳では無かったのだが、彼女は心を閉ざしていたが故に孤独に思う事は少なくなかったと思われる為、この様な書き方をしている。

*2:具体的には物語開始時点から1年前。

*3:これに対して智乃ちゃんは最初こそあしらっていたが、徐々に心愛ちゃんの事をお姉ちゃんと認めていき、現在では恥ずかしさ故に心愛ちゃん本人の前では言いにくいものの、心の中では普通に「お姉ちゃん」だと受け容れている。

*4:後に語られる可能性はあるが、少なくともこれまでのごちうさでは語られた事は見た事がない。

*5:智乃ちゃんや心愛ちゃん達世代の事。

*6:尤も、実際には「自分の喫茶店像に拘るのは諦めた」と言うのが近い気もするが、それでも孫世代がやろうとしている事を本気で止めようとした事は、余程の事がない限り無かった為、案外おじいちゃんとしても変化していくラビットハウスを満更でもないと思っていたのだろう。

*7:この部分を執筆した際には、初めて読んだ日である17日から僅か6日しか経っていない。

きらま2022年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。ここ数カ月は新しいマンガを読む事を心情として、「アネモネは熱を帯びる」・「しあわせ鳥見んぐ」・「紡ぐ乙女と大正の月」・「ななどなどなど」等々、主にきららマンガを読んでいますが、10月中旬に直近数ヶ月で一気に熱意が湧き、10月から第6部「ストーンオーシャン」のアニメ2クール目が放送開始された「ジョジョの奇妙な冒険」の単行本1巻から20巻*1を一気に購入し、順番に読み進めた事により、私の中でジョジョ愛が一気に高まってきています。やはりジョジョは凄く面白く、読んでいて堪らないのです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は先月号終盤にて唐突に明かされた「心愛ちゃんの実家帰省宣言」に係る「ココチノ2人の実家帰省」から物語がスタートしており、その過程では「各々が秘めし心情と展望」と「未知たる道筋を歩む発端」が特に重要だと認識しているので、今回はその2つを軸にしつつ、割とフリーダムに書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前回の終盤にて唐突に明かされた「心愛ちゃんの実家帰省宣言」の流れを汲むものであり、前回にて実家に向けて出発した心愛ちゃんと智乃ちゃんの2人が、心愛ちゃんの実家で色々な事を確かめ合う事が主軸となっている。また、今月号にて心愛ちゃんの姉であるモカさんが久々に本格登場しており、モカさんと心愛ちゃんが見せる姉妹のやり取りは、2人の関係性ひいては作品全体の信条にさえも大きな意味を投げかけている。

 今月号の扉絵は、まるで童話に出てきそうな緑溢れる雰囲気の中で、これまた童話にありそうな服装の智乃ちゃん、心愛ちゃん、そしてモカさんの3人が一冊の本を一緒に見ていると言うもので、モカさんを中央にして、正面から見て左側に智乃ちゃん、右側に心愛ちゃんが、それぞれモカさんに寄り添う様にしているのが、恰も2人にとってモカさんがどの様な存在であるのかを暗示している様にも思えてくる、何処かメルヘンチックで不思議な扉絵である。因みにモカさんの頭についているお花にも意味はある様だが、お花に対する関心が無い訳では無いとは言え、ガーデニングにてお花を見ても、単純に「このお花は綺麗」だの「このお花は刺々しい魅力があり、その魅力は差し迫る絶対的な恐怖すらも与える」だの、ハッキリ言ってお花に対して全然明るくない(詳しくない)事が露呈している私が、お花に対する幅広い知識と教養を必要とするものを分析しようとすると、「デタラメばかりの全く信用ならない解説」となってしまうのは火を見るよりも明らかなので、その分野に長けた人に譲りたい。

 今月号ではそこかしこに「各々が持つ信条を分かち合い、そして確かめ合う物語」と言うテイストが存在していると私自身認識しており、それは単純に「心愛ちゃん達は相互作用的にお互いを感化し合い、そして高め合う」というメッセージが込められているのもそうだが、一番大きいのは「例え思い描いていた想像図と現実が違っていても、その意思を頭ごなしに否定せずに、全面的に受け容れるだけの覚悟と優しさが各々に備わっているのが証明された事」であり、特に心愛ちゃんの姉として、若き一人のパン職人として先導するモカさんがその様な信条を持っていた事に強烈な意味があると考えており、今回は割とフリーダムに書き出すつもりでいるが、その「信条」の部分は真面目に書き出したい。

2.購読した感想・考察

今回の内容全体の感想・考察 

 まずは「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出していきたい。ざっくり言えば「硬派」な項目である。

実家帰省と新たなる成長の軌跡

 今回は冒頭から完全に「実家帰省編」に突入しており、それ故に先月号にて登場していたキャラの大半が、今月号においては「心愛ちゃんの実家に向かったのがココチノ2人のみ」と言う構成故に一切登場せず、代わりにモカさんとちょこちゃん(心愛ちゃんとモカさんの母親の愛称)そして心愛ちゃんの実家の街の住人たちが登場すると言う、ごちうさと言う作品の性質を考えればかなりイレギュラーな展開になっているが、その内容は最近のごちうさの例に漏れず中々に重厚であり、途中までは所謂「シリアス展開」こそかなり控えめなものの、序盤から「自分を磨き続ける事に余念がないモカさん」「普段のクールで冷静沈着な雰囲気*2が嘘の様な、どこかおどけた立ち振る舞いを連続する智乃ちゃん」等々、インパクトさは健在である。また、序盤の展開は心愛ちゃんが持つ「明るく何事にも前向き」と言う人格形成の礎をも覗かせており、良くも悪くも人が如何に環境に依拠する部分が大きいのか、ひいては「慈愛と無慈悲」の違いがどこにあるのかと言う現実も思わせている。

 中盤は私が今月号の中でも特に重要視している「信条」を深く感じさせる展開になっており、ここで先ほど書き出した様な「心愛ちゃん達は相互作用的にお互いを感化し合い、そして高め合う」と言う訳だが、ここで重要なのは「自分の想像を遥かに超えた他者の意思を頭ごなしに否定せず、それを受け止めるだけの器量が存在する事の証明」であり、これをして私はモカさんの事を「若くして聡明で、尚且つ他者に対する慈愛にも溢れる人格者」とまで思わしめた程である。

 終盤になるとそれまでとは打って変わって「喜怒哀楽、様々な感情が入り乱れる物語」となり、その過程においては「屈託なき『奇跡の賜物』は明確に存在していた事がハッキリと証明」される展開や「ちょこちゃんが抱える、普段は決して見せる事のない心情」等と言った、中々にパンチが強い要素も多く、最終的には「更なる衝撃への幕開け」を示唆して、今月号におけるピリオドが打たれており、それ故に次回は「今まで謎だった部分が、何かしらでも遂に解明される事はほぼ確実となった」だと言えるが、他方でそれはあらゆる意味で「覚悟の強さ」を試される試練の時にもなり得る可能性があり、しかもそのハードルが途轍もなく高い可能性も否定できない為、決して楽観的にはなり切れない何かを醸し出している。因みに後半の見識はジョジョの受け売りである。

 全体的に見れば、今月号は「久々の実家帰省から見えてくる新たな一面」と言う趣旨がそこかしこに点在しており、割にイレギュラーな登場人物構成も相まってかなり特殊な要素が詰め込まれている様にも思われ、確かに特殊な要素もあるにはあるのだが、実際の所は作品の根幹さえもひっくり返してしまう要素よりも、今までの答え合わせと言うべき要素が多く詰め込まれている事から、それを思えば「何時もの延長線上にある物語」と言え、そこには「人生観」にさえも大きな影響を与えている。

姉妹に宿る確かな信条

 ここからは今月号の中でも特に私が重要視している「信条」について詳しく説明したい。抑々「信条」に対して私は「その人が信じている、或いは意思の拠り所にしている固き決意」と捉えており、以前からこの様な見識は篤く持っていたのだが、最近になって様々な漫画を読む様になってからと言うもの、この「信条」に対して更に篤い拘りを持つ様になり、ごちうさに対しても、登場人物それぞれが持つ「信条」を以前よりも更に色濃く意識する様になった経緯がある。その最中で、今月号にてモカさんと心愛ちゃんが持つ信条」が見え隠れしたと言うのだから、私にとって最早眼中に入れないと言う選択肢がある筈もなく、冗談抜きでその様な信条が見えた事だけでも、今月号のお話はごちうさ全体においても相当な意味があると考えた程である。何故なら、今回の信条に明らかになった事で、モカさんの思想が見え隠れした事も勿論重要だが、一番は心愛ちゃんが「普段は誰よりも楽観的でいて、実は『人生観』に対しては姉の涙を誘う程の、誰よりも篤い思想を持っていたのがハッキリと分かったから」であり、それまで明確な確証がなかっただけにどこか曖昧な懸念が拭い切れなかった中で、今月号にてハッキリと確証が持てる「信条」が本人のやり取りから得られた事で、これからは最早少しの迷いもなく、心愛ちゃんが持つ確かな信条を信じる事ができる様になった事があまりにも大きい。

 肝心の信条の中身についてだが、これはあくまで私が見て思った事である為、人によって考え方が違う事は百も承知の上で書き出したい。その上で内容について端的に書き出せば、モカさんの場合「姉として精進を惜しまない一方、大人として妹の信念や成長を全面的に肯定し、背中を後押しできるだけの人間である事を意識している」のを肌身で感じさせるもので、心愛ちゃんの場合「姉と対等の存在になる為には、姉の背中を追うだけではダメだと理解した上で、自分で道を切り開くと言う名の茨の道を選ぶ覚悟と決意をした」と言うもので、どちらもごちうさに魅せられて、1年以上もブログにて感想・考察を書き続けている私にとっては「嗚呼、私が切に望んでいた事をハッキリと読めた……。それが読めただけでも私にとっては幸せな事だ……。」と、心に沸き上がる感動と、自分が大切にして書き続けた事が決して無駄なものでは無かったと分かった事に対する安心感でいっぱいになったものである。尤も、原作において「これが私の信条」だと、直接的に誰かの信条が描写される事は基本的には無いし、今月号においてもあくまで「間接的にそういった信条が見える」と言うものだが、多くのマンガに触れゆく中で「信条」が色濃く見える場面に対して篤い拘りを持つ様になった私にとっては、それしきの壁など最早何があっても乗り越えるだけの対象にしか映らなかった。それだけ私にとって「信条」は、私をどこまでも突き動かすだけの原動力がある訳である。

 尚、モカさんが上記の様な信条を持っている事にも私自身相当に感心しており、理由としてはズバリモカさんが持つ信条は、ある意味で理想的な人間像の1つでありながら、それを成就するのは断じて簡単ではない為で、理想ではモカさんの様な立派な人格者でありたいと考えていても、現実は私も含めて自分が思い描いていた理想にはまだまだ及んでいないと言うのも珍しくない中で、モカさんとしても今回描かれた姿が、それが本人にとって本当の理想像かまでは分からないとは言え、少なくとも私には今月号時点でも既に「理想的な信条」だと見えており、姉と言う名の先駆者として、表立った華々しさを持ちつつもいぶし銀*3の如く常に自分を磨き続けている傍ら、妹に対する面倒見も良く、愛情にあふれている*4モカさんは正に素敵な大人であり、実は初めから何でも器用にこなせる訳では無く、裏では多くの努力を(表には見せない形で)積み重ねて今がある点も含めて、人として大きな魅力に溢れているのである。

 一方心愛ちゃんの場合は、前述した様に「彼女が持つ相当な信念」をハッキリ読み込める信条にも相当な関心を持っているが、一番凄いのは現時点でも「自分を更なる高みへと成長させる為には、誰かを追っているだけではダメな事に気付いている事」であり、心愛ちゃんは普段から感情豊かで積極的な言動を取る事が多い一方で、彼女自身の内面を窺わせる言動に関しては、他のキャラと比べてもかなり少なく、またその様な描写も心愛ちゃんの場合意図的に伏せられているケースもある為、心愛ちゃんの人生観に限って言えば、ある意味「分からないが故の魅力」があるのも事実だが、現実には「一見分かり易そうに見えて、実際には一体何を考えているのか全然分からない」となる事が他のキャラ以上に多く、掴み所のない飄々とした雰囲気を見せる事も意外に多いのも相まって、心愛ちゃんが自身の人生観に対してどこまで関心があるのか、それが分からないが為にいささか疑念が浮かび上がってくる事も正直しばしばあったのだが、今月号にて、弱冠18歳にして既に大人顔負けの達観的な思想を持っていた事が明らかになった事で、その様な懸念が無くなっただけでなく、心愛ちゃんが自身の人生観に対して、念密に練り上げた計画と思想を持っている事がハッキリと示された。その事だけでも大いなる意味があるのは間違いないだろう。

 思えば心愛ちゃんは原作10巻終盤での発言を筆頭に、旅行編前後辺りから「自身が持つ人生観」を強く想起させる発言が増えてきた印象があるが、これらも木組みの街での数々の経験と成長が、何時しか彼女自身の価値観にも大きな影響を及ぼした結果だと言え、その一つの答えが「誰かの背中を追うだけではいけないと気付き、自分で道を切り開く為に木組みの街を離れる覚悟さえも持つ」と言うものだったのだろう。そう思えば、彼女の突拍子のない衝撃発言の数々も、彼女が打ち立てている人生観に沿うものなら理解できる。何故「人生観に沿うものなら」と強調したかと言えば、彼女自身の人生観に沿わない意味での突拍子のない発言は相変わらず全然分からないからであり、この「奥底にある思想が全く読めない行動原理」が地味ながらもある種の恐怖をもたらしている。

 また、この様な深き信条を感じさせる内容を何気ない日常の延長線上で書き上げるごちうさもとい日常系作品はやはり凄まじいとも思わされており、私はジョジョの影響もあってか、どちらかと言えば「壮絶な局面で深き信条が突き刺さる様にして描かれるシチュエーション」の方が思い浮かびやすい*5のだが、ごちうさはそれを日常の延長線上でやってのけてしまう上、その影響力も上記と比べても遜色ないので、これもごちうさがきらら作品の中でも長きにわたって最前線を走り続ける事の出来る理由の一つとなっているのは最早疑いないだろう。

智乃ちゃんが知る足跡

 次に今回の実家帰省における智乃ちゃんの足跡について説明したい。先月号終盤にて、心愛ちゃんの実家帰省に飛び込む様にしてついていく道を選んだ智乃ちゃんだが、今回の実家帰省においても、最近の智乃ちゃんの例に漏れず心愛ちゃんと出逢いたての頃の彼女とは最早別人とも言える程の立ち振る舞いが目立っており、例を挙げると心愛ちゃんとモカさんから「妹」と呼ばれてもまんざらでもない表情をしていたり、一つ一つの局面に対してリアクションがとても大きくなっていたり等々があり、正直嘗てのクールさが時と共に鳴りを潜めつつあるのも事実だが、これは彼女が持っていたクールな雰囲気が後天的な物だったとも言え、ある意味彼女本来の感情豊かさが戻ってきているとも言える。ただ、感情の出し方が些か過剰になっていると思わなくもないが、それも良くも悪くも心愛ちゃんの影響なのだろうし、何があっても顔色一つ変えない無表情さと、どんな事があっても感情の欠片さえ見えてこない無感情さよりも、多少オーバーでも喜怒哀楽がはっきり見えた方が良いと思う。

 そんな智乃ちゃんだが、今月号において私が重要だと思うのは今月号終盤の展開であり、端的に言えば「ちょこちゃんとサキさんの嘗ての足跡を辿る事になる」と言うものだが、今月号においてはその導入で終わっており、故に実際に中身に入るのは次月号以降になる訳だが、個人的にはその導入だけでも既に「智乃ちゃんが遂に自分の母親と、その親友の過去を親友の口から知る」と言う意味で相当な事だと考えており、しかも智乃ちゃんの反応を見るに、智乃ちゃん自身嘗て心愛ちゃんの母親と自身の母親の関係性に関しては、彼女としても明確に知っている訳では無かった可能性が高く、その意味でも見逃せないと考えている。

 また、今月号終盤のやり取りで、智乃ちゃん自身頭の中に疑問符が浮かんでいたとはいえ、彼女も「心愛ちゃんとの出逢いが文字通り『運命的』なものであり、決してレールに敷かれた確定事項では無かった事」を知ったのも重要であり、前述の様に今月号は導入部分で終結している為に、上記の事実に対する智乃ちゃんの明確な反応が読み解ける訳では無いものの、自身の母親の足跡を辿る事の出来る話を母親の親友から聞けるとなって何も思わない筈がなく、恐らく智乃ちゃんとしても何か相当な想いがあると見ている。

 ただ、懸念事項として「智乃ちゃんだけがちょこちゃんの話を聞く事で、心愛ちゃんとの知識の差が生ずる事」「明らかになる内容で智乃ちゃんにどの様な影響をもたらすのかが全くの未知数である事」が挙げられ、どちらも必ずしも悪影響をもたらすとは言えない上、マイナスな方向に進むとも思えないが、少しの知識の差が後にとんでもない落差を生み、最終的に取り返しのつかない事態に発展する可能性があるのも事実である上、ごちうさとて破壊力のある事象は普通に容赦がないので、来月号を見れば恐らく分かる事だとは言え、分からないが故に懸念が燻っている訳である。

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回は前半も割と主観が入っている為、ここ数回のブログ記事とも少々異なっているが、後半は通常運転で行きたいと思う。

精進し続ける姉

 今月号を語る上で絶対に外せないのは、心愛ちゃんの姉であるモカさんの存在であり、モカさん自身は原作9巻終盤にて、旅行編にて心愛ちゃん達が滞在していたホテルにて研鑽を積んでいたのが記憶に新しいが、今月号時点でその研鑽は一区切りがついた様で、心愛ちゃん達を半ばサプライズと言う形で出迎えていたのも印象的である。因みにモカさんがホテルにてどのような事を行っていたかについては、今月号でも全く触れられていない為、いったい何をしていたのかは分からず仕舞いだが、ごちうさはあくまで心愛ちゃん達が主役の物語であり、その心愛ちゃん達が現在大きな岐路に立たされている事を思えば、その心愛ちゃん達よりずっと先をいくモカさんは、自身の過程については敢えて何も語らず、心愛ちゃん達が自ら歩む道を自身の手で決めて欲しいと願っていると仮定すれば、次回以降何かしら明らかになる可能性もあるとは言え、敢えて細かくは語らないのも1つの正解だと思う。

 モカさんの特徴として「心愛ちゃん達と出逢う度に何かがスケールアップする」と言うのがあり、これまでもおもちゃの楽器から本物の楽器を嗜む様になったり、自転車乗りからバイク乗り*6になったり、故に毎度見る人をびっくりさせる傍ら、モカさんが如何に普段から精進を意識している人なのかを窺わせる構図でもある。そして、今月号では「バイクから車に進化」しており、毎度進化を続けるモカさんは流石と言った所だが、この様な事をする背景の1つに「妹達を驚かせる為」もあると思われるのだから、姉としても大人としても精進し続けても、彼女の「妹を溺愛している」と言うのは何も変わっていないと言え、そこはモカさんの可愛い所であり、大人になっても妹想いの素敵な姉と思うには十分である。

 そして、妹達に恥じぬ姉でいる為に日々精進する事を意識し続けると言う事は、モカさんは決して最初から万能な人物では無かった事の裏返しでもある*7と考えており、実際にモカさんはこれまでも陰ながら相当な努力を重ねてきた経緯があり、その姿を本人は基本的に他人には見せたがらないが、私としてはモカさんのそういう所が、心愛ちゃんを秘かな努力家にした」と考えており、故に心愛ちゃんも「努力している所を人には決して見せない」と言う価値観が何時しか芽生えていた*8様だが、今月号にて姉であるモカさんと心の内を明かし合った事で、心愛ちゃんに対して新しい価値観を提供し、妹のさらなる成長を促進させた所を見るに、モカさんはやはり立派なお姉ちゃんと呼ぶに相応しく、心愛ちゃんもそんなお姉ちゃんがいるからこそ、持ち前の楽観思考とアクティブさで人を楽しませ、時には振り回す事もありながら、その一方で陰では努力を惜しまず、将来に対して理路整然とした展望を持つと言うしっかりした一面を持っているのだろう。正に「この姉あってのこの妹」であり、結構なネタバレ*9にはなるが、ジョジョ2部にも細かくは違うとは言え、2部の主人公「ジョセフ・ジョースター」が持つ、ある特長に対して血の繋がりを感じさせる局面があり、私にとってはそれが思い浮かぶ。

 尚、今回の実家帰省では心愛ちゃんに加えて、咄嗟に彼女に付いていく道を選んだ智乃ちゃんも来訪している訳だが、今月号においてもモカさんは智乃ちゃんに対しても心愛ちゃんと同じ「妹」として相当に可愛がっており、それに対して智乃ちゃんも多くの場面で満更でもない様子を見せていた為、以前よりもさらに成長した様子が窺えるのも良きポイントだと考えている。

新たな気付きを得た妹

 次はモカさんの妹たる心愛ちゃんに関する事である。心愛ちゃんは今月号においては、自身の実家に帰省した事もあってか、どこかテンションが高くなっている場面も印象的だが、それよりも印象的なのはモカさんとの対談を経て、精神的に更なる強みを得た事」であり、それについては先に書き出した通りだが、ここでは私自身もう一つ注目したいと思った事があり、それは心愛ちゃんが「姉は妹に対して完璧な姿を見せるだけでは無いと言う気付きを得ていた事が、本人の口から語られた事」である。

 心愛ちゃんは智乃ちゃんの事を初対面の時から「自身の妹」だと称する程に可愛がっているのは最早周知の事実だが、最初の頃は姉らしく自分の良い所を見せようとするも、心愛ちゃん自身の能力が伴わずに空回り若しくは失敗に終わってしまうケースが多く、それを見た智乃ちゃんから半ば呆れられてしまう事もしばしばだった。その後、時間の経過とともに心愛ちゃんと智乃ちゃんが心の底から信頼関係を築き上げていったことと、心愛ちゃん自身も成長を遂げていった事もあって、心愛ちゃんも姉らしい振る舞いを見せる事が多くなったが、心愛ちゃん自身はある段階まで「姉は良い所を見せ続けるべき」と言う考えが根強く残っていたとも考えており、それは心愛ちゃんが「自分は決して立派な姉ではない」と、自分が姉としては決して至らない存在であると弱気になった事が示していると考えている。

 ただ、心愛ちゃんが何時上記の様な考えを持ち始めたのかは最早私には分からないが、少なくとも旅行編後の智乃ちゃんを見て心愛ちゃんは姉に対する考え方を大きく変えたと認識しており、言うならば姉の良い所もそうでない所を見て、高校生になってハッキリと自分で歩みを進めている智乃ちゃんを見て、心愛ちゃんとしても「姉だからと言って、常に完璧である必要は無くても良い」と言う考えに至れたと見ている。そして、その構図は正に嘗て「心愛ちゃんが見ていたモカさん」でもあり、一見完璧に見える人物であっても、実は最初から完璧では無く、多くの失敗とたゆまない努力の上に今があると言う意味で姉妹そっくりだと捉えている。

 また、その様な事から、私自身「心愛ちゃんは所謂『完璧主義』とはちょっと違うんだな」とも思っており、それには完璧主義な人なら恐らく自分が努力している姿や、些細な失敗さえも妹には一切見せない所を、心愛ちゃんは最初こそ中々出来なかったとは言え、今となっては姉らしからぬ一面も智乃ちゃんに対して臆する事なく見せているし、自分が努力している姿も恐らく智乃ちゃんに対してむやみやたらに隠す事も無いだろうと考えているのが大きな要因だが、心愛ちゃんの性格的に「自分が今実行している事を、良い所も悪い所も全て妹に見せ付ける」と言うのは合っていると思うし、今後も一人の人間として、目標に向けて歩みを固める姿や、時には迷いを隠せない姿を妹達に見せる事を厭う必要は無いと思っている。

過去に向けた大きな一歩 

 最後に今月号終盤にて智乃ちゃんが直面していた「ちょこちゃんと自身のお母さんの過去」について思った事を書き出したい。これに関してはまず一番に「智乃ちゃんも遂にこの時が来たんだな」と言う、長期間ごちうさを追い続けているが故に、ある種の物思いに耽る様な感情を抱いたものであり、確固たる意志をもって成長を遂げ続けている智乃ちゃんにとって相当な意味を持つのは間違いないと考えているが、その一方で智乃ちゃんにとっては心を閉ざす大きな要因ともなった「嘗ての辛い記憶」にも繋がる事でもある為、その意味では「智乃ちゃんは本当に大丈夫なのだろうか……。」と言う不安もあり、今月号では詳細が語られるタイミングでピリオドが打たれている事もあって、正に「期待と不安」が錯綜する結果になっているが、それも次月号になれば分かる事なので、今はその時を待つだけである。

 ちょこちゃんとサキさんと言えば、学生時代からの大親友である事はこれまででも読み解ける事であり、そこから客観的に見れば今のココチノも「ちょこちゃんとサキさんの流れを継いだもの」と見る事ができるが、今月号を見ると、少なくとも智乃ちゃんに関しては、自身の母親と心愛ちゃんの母親がとても仲良しだった事を今まで知らなかった様な反応をしている事から、次月号で語られる事は、恐らく智乃ちゃんにとって自身の人生観にさえも多大な影響を与え、心愛ちゃんと一時的にでも離れ離れになると言う命題に対して、何か大きな突破口を見つける契機にもなるのではないかとも考えており、どうなるのかは未知数とは言え、智乃ちゃんが心愛ちゃんの実家に来訪した事で何か大きな経験を掴み取るとするなら、恐らく「ちょこちゃんと自身の母親の関係性」が関わってくると思われる為、大いなる可能性を掴み取る意味で私も智乃ちゃんの意思を受け止めたいと思った所存である。

 ただ、前述した様にちょこちゃんとサキさんの過去話を智乃ちゃんだけが耳にする事に対する結構な懸念点が私自身存在しており、理由としてはある意味でココチノのルーツにも関わる重要な事象にも関わらず、片方だけが知る事態になると、2人の知見に大きな差が生じたり、また自分達のルーツを知っているかそうでないかで、自分達の繋がりに対する想いが全く違ってきたりする可能性があるからで、今月号時点では智乃ちゃんが確実に知る事になり、心愛ちゃんは今の所不明慮と言った所だが、他方で2人の知見に差ができる位でどうかなるココチノではないとも考えている上、心愛ちゃんの事だから、今回のお話も何かしらの手段で何れは聞き付けるとすら思う側面もあり、要は「そこまで深刻に思う事も無いのでは?」と、私としても心の何処かで思っている訳だが、何れにしても本当に智乃ちゃんだけが「ちょこちゃんとサキさんの過去」を知る事になれば、ココチノの関係性にも何かしらの影響があるのはほぼ確実な事から、楽観視するのも考えものだとは思う。

 そして、お話を聞く事になる智乃ちゃんにしても「彼女がお話を聞いて一体何を思うのか、それが良く分からない」と言う不安要素が浮かんでおり、智乃ちゃんは嘗てに比べれば精神的にも大きく成長している上、育ちの環境故に最近では年相応の振る舞いも多いとは言え、現時点でもかなり大人びた雰囲気を持っているものの、客観的に見ればたった15歳の高校生である為、どんなに厳しい逆境や重い事実に対して、自分の力だけでも受け止められるだけの丹力が十分に備わっている訳では無く、増して智乃ちゃんは正に「成長途上」である事から、何があっても前を向いていけるだけの保障が、現時点でも完全に備わっているとは言えないと考えており、無論心愛ちゃんを始めとした、かけがえのない家族同然の人の存在が、新たな自分に向けて成長途上にある智乃ちゃんを支えているのは周知の事実だが、他方でどんなに大切な仲間が支えてくれていても「最後に自分の精神をどうにかするのは自分自身」と言うのも事実である為、どうにも不安な想いが燻る訳である。

 しかしながら、私は同時に智乃ちゃんが持つ心の強さを信じてもおり、現時点でも心愛ちゃんがあらゆる形で教えてくれたあるいは経験として自分の身へ会得したものを活かして、新しい環境に中々慣れず、戸惑っていたブラバ組とりわけ冬優ちゃんに安心感を与え、ブラバ組に対して精神的に躍動する後押しをした事からも分かる通り、智乃ちゃんは最早嘗ての心を閉ざしていた智乃ちゃんでは無いのは明らかな事から、私自身「智乃ちゃんならどんな事でもきっと乗り越えられる」と言う想いも存在しており、言うならば気持ちのせめぎ合いが生じているのだが、絶対的な気持ちの強さは「智乃ちゃんを信じる」方が大きく、どうなるか分からないとは言え、智乃ちゃんの心の強さを信じる気持ちだけは揺らがせるつもりなどないのは事実である。

3.あとがき

 以上がきらま2022年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は前回の「海シスト編」終盤にて唐突に明かされた「心愛ちゃんの実家帰省宣言」からの直接的な続編である為、普段のメンバーだとココチノのみしか登場せず、代わりにモカさんとちょこちゃん、そして心愛ちゃんの地元の人達が登場すると言うかなりイレギュラーな構成になっているが、内容自体はごちうさらしく「普段の日常から見える重要なもの」が散りばめられており、その意味では何時もと変わらない。

 今回は「モカさんとの掛け合い」が見所且つ重要な局面として機能しており、久々の姉妹再会ということもあって、時には和気藹々、時には姉妹喧嘩と、正にバラエティに富む雰囲気が流れていたが、1番印象的なのはなんと言っても「姉妹2人きりでお互いの心境や矜恃を確かめ合う姿」で、しかもそれを日常的な雰囲気の延長線上でやってのけてしまうので、別の意味でもインパクトは相当なものであり、今月号屈指の名場面と言って差し支えないと思う。

 また、今回の実家帰省では心愛ちゃんに加えて智乃ちゃんも同行している訳だが、ここで智乃ちゃんが見せた数々の行動もかなり印象的であり、しかもその多くは嘗ての智乃ちゃんなら実行に移す事はまずなければ、そんな素振りを見せる事さえ無かったであろう事ばかりである為、如何に今の智乃ちゃんが些か過剰とさえ思える程に感情豊かな人物へと変化したのか、心愛ちゃんひいては保登家が智乃ちゃんにとって全信頼を置ける環境にあるのか、その事を深く窺い知る事が出来る。

 そして、今月号終盤では智乃ちゃんが遂に「自身の母親とその母親の親友の過去」について向き合う事になるのが示唆され、今月ではその導入部分で締め括られているが、導入部分だけでも智乃ちゃんが相当な事と向き合うのは読み解ける為、一抹の不安はありつつも、彼女が成長と共に培ってきた精神力を信頼して、私も今後の展開を待ち望むだけである。

 今回は時間がさほど無かった事と、次月号の内容が判明してからでないと分からない事もあった為、ややコンパクトに纏めたが、ごちうさひいてはマンガに対する情熱は変わりなく存在する事を書き出して、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙34枚分であり、今回は最近の記事と比較するとコンパクト化しているが、本来ならばこの文量でも相当なものであり、如何に普段から多く書き出しているかが良く分かる。

*1:第1部「ファントムブラッド」及び第2部「戦闘潮流」の全編と、第3部「スターダストクルセイダース」中盤辺りまで。

*2:ただ、現在はともかくとして初期の彼女の雰囲気は、今思えば「クール」と言うより「心を閉ざしている」の方がより的確だったと考えており、「クールな状態と心を閉ざしている状態は全くの別物」だと思えば尚更である。

*3:本来「表立った華々しさ」と「いぶし銀」を並べるのは、言葉の意味的には噛み合っていないが、私にはこんな表現しか思いつかない。

*4:たまに溢れ過ぎてしまうのが玉に瑕だが、そんな所も人として好きになるポイントである。

*5:尤も、ジョジョも何気ないやり取りの中に至極の名言及び信条が詰まっている作品である。

*6:因みにバイクの運転に関しては、普段は普通の運転だが、弾みが付くとかなり荒くなり、割にお転婆な面を覗かせている。

*7:尤も、最初から才覚を持っていたとしても、日々努力を積み重ねる事を意識するケースも普通にある。

*8:ある意味、これも心愛ちゃんが何を考えているのか分からない行動を見せる理由の一つでもあるのだろう。

*9:とは言っても30年以上前に発表されている局面だが。

きらま2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。ごちうさが掲載されているまんがタイムきらら系統は「月刊誌」なので、基本的に次のお話まで1ヶ月期間が開く訳であり、基本的には1週間で次のお話が読める「週刊誌」と比べると、待つ期間が楽しみでもあり、待ちきれないと思う訳ですが、1か月期間があるお陰で私も存分にブログにて感想・考察を書けているのも事実なので、その意味では助けられています。もしこれが週間ペースで同じことをやれと言われたら、私は流石に辞退せざるを得ないです……。それ位、感想・考察を膨大な量書くと言うのも大変なのです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は大きく分けて「海シスト編におけるブラバ組の軌跡」と「海シストを経た海組の軌跡」の2つの展開があるのですが、前半はブラバでバイトしながらもその立ち位置は依然不明瞭な狩手結良ちゃんが登場する事と、終盤にて唐突に明かされた衝撃の事実が特に重要なものとなっているので、今回は主にその2つを軸にして書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前回までの「海シスト編」の流れを汲む内容であり、今回はその完結と言うべき立ち位置にあるが、前回までとは「海を堪能する7人と同時間軸に温泉プールを謳歌するブラバ組が中心的」と言う意味で今までとは大きく違っており、中盤からは今月号にて「海組」と称された、前回までの主軸たる7人が中心のお話となるが、終盤になるとそれまでの「海シスト編」においては全く素振りが無かった衝撃的な展開を迎えており、故に今月号は起伏が非常に激しい物語構成となっている。ただ、起伏が激しい事でイメージされやすい「シリアスな雰囲気」は、今月号においてもあまり無いのも特徴的である。尤も、そう言うのはすっかり忘れてしまった頃に一切の情けも容赦もなく、ただただ無慈悲に突き刺す様にしてやってくるものだが……。

 今月号の扉絵は、この「海シスト編」における流れを汲む形で、水着姿となったブラバ組の3人が各々の表情とピースサインを見せていると言うものだが、ピースサイン自体は4人分存在しており、これだけなら「どういう事?」となるが、これは今月号本編に謎を解くカギがあると言え、今月号本編においてはブラバ組で写真を撮ると言うくだりが存在しているのだが、その際に結良ちゃん自ら携帯カメラを持ち、自分はピースサインだけを写真に入る様にする形で、ブラバ組3人を被写体にしてシャッターを切るという行動に出ており、それ故に結良ちゃんはピースサインだけが写真に写る事になり、今回の扉絵はそれを反映したものと思えば、謎は解けると言う訳である。尤も、セルフタイマーなり自撮り棒なり、携帯カメラなら内カメラなりを使えば、結良ちゃんもブラバ組3人と一緒に写真に写る事は十分に可能だったのだが、何故か結良ちゃん本人はそれを遠慮しており、故にピースサインだけ映っているのは「結良ちゃん自身の意思」であり、そこには「結良ちゃんが思う自分とブラバ組3人との距離感」を彷彿とさせているのだが、抑々論として何故「自ら堰を造る」様な事を彼女が思い立ったのかは不明である。

 また、これまでの扉絵と大きく違うのは「夏を直接的に感じさせる要素の代わりに、冬優ちゃんが得意とするチェスの駒が散りばめられている事」だと捉えており、これが意味する事は正直見当もつかないのだが、強いて言えば冬優ちゃんが得意とするものが目立つように散りばめられていると言う事で、「ブラバ組の要は冬優ちゃん」と言う仮説が立てられなくもなく、根拠としても「ラビットハウスにおける高校1年生組のお泊り会」や「ブラバ組のブロカント」を筆頭に、それ相応に担保性がある場面は挙げられるが、それでも今月号の扉絵にチェスの駒が散りばめられている事に対して、絶対的な自信を持った見解は残念ながら持ち合わせていないとしか言えない。何とも残念な結果だが、今回の扉絵が3人分しか写っていないにもかかわらず、ピースサインが4人分ある事をみて、そのカラクリを知った上で「これって心霊写真?」等という、実際にその通りなら全然笑えない(何なら普通に背筋が凍る)ジョークを考える様な人なので、それはある意味当然の宿命なのかもしれない。

 今月号はその構成上、前半と後半で見方も推し量り方も大きく異なる手法を用いる必要があると考えており、この様な構成自体は原作10巻終盤から11巻序盤にかけてのお話とほぼ共通している。ただ、あの頃と違うのは「悲観的な雰囲気が少なく、良い意味で前向きな雰囲気が目立っている事」だと捉えており、これ自体は「各々が後悔なき未来を歩む為の意気込み」とも「自分自身と真剣に向き合っている事の表れ」の結果とも取れるが、何れにしても原作10巻終盤から11巻序盤を経て、彼女達には何か己の人生観にさえ多大なる影響を与える様な変化があったのは紛れもない事実だと考えており、今回もそんな短期間で大きな変化を遂げていく彼女達の事を、出来る限り率直に書き出していきたい。因みに私はジョークや人生観と言った要素は好きであり、出来るなら後者だけでなく、前者も(笑える範囲内で)ちょくちょく入れていきたい所存である。

2.購読した感想・考察

今回の内容全体の感想・考察

 まずはここ最近のブログ記事にて共通項となりつつある「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出していきたい。

温泉プールを謳歌するブラバ組と衝撃の幕開け

 今回は前回までの主軸たる「海シスト編」とは少し異なり、温泉プールをブラバ組3人(この後すぐに結良ちゃんも登場)で楽しむ局面からスタートしており、物語前半は「7人が海シストを探求する中で、ブラバ組はどの様な軌跡をたどっていたのか」と言う、いわば「もう一つの物語」と言うべき構成となっている。また、それ故に序盤ではブラバ組が温泉プールを謳歌するのが中心的である一方、ブラバでアルバイトをしていながらも、その立ち位置は依然不明瞭さが際立つ存在*1でもある狩手結良ちゃんもブラバ組にガッツリ関わっているのだが、ここでの結良ちゃんは相変わらず不穏な雰囲気を見せる事もありながら、ブラバにて先にアルバイトを始めたと言う意味で「ブラバの先輩」と称賛する神沙姉妹2人を目の前に、満更でもない様な面持ちで顔を赤らめると言う一面も見せており、結良ちゃんが実は照れ屋なのではないかと思う理由にもなっている。

 物語後半は前回までの主軸である「海組7人」が中心となるが、海シストの基本的な事項は前回までで既にほぼ完遂していた為、今回はその延長線上とも言うべき構成になっており、故に雰囲気も普段の日常とさほど変わらないものとなっているが、普段の日常と変わらないと言う事で、折角の休暇であるにもかかわらず、自分達の職場の宣伝を考えようとして、ティッピーに軽くお灸を据えられると言う場面があり、良く言えば「職場愛が強い」、悪く言えば「職場癖が抜け切れない」と言うべきこの場面は、何処に行っても変わらない7人の思想や関係性を色濃く表していると言える。

 そして、物語の終盤では心愛ちゃんが自分の実家に寄る事を突然カミングアウトしており、タカヒロさんは把握済みだとは言え、それを聞いた残りの面々が、心愛ちゃんが実家に帰省する素振りを一切見せていなかった事も相まって戸惑いを隠し切れなかったのはとても印象的であるが、更に衝撃的なのは、心愛ちゃんが以前発していた言葉を心に刻み込んでいた智乃ちゃんが、なんと心愛ちゃんと一緒に実家に寄る選択をした事で、ここから智乃ちゃんとしても自分で自分の道を切り開くと言う意味で大きく成長していると言え、そこには彼女とて「最早戻る事のない日々を後悔のない様に」と言う想いが強く存在している。

 全体的に見れば、今月号は「前半ではブラバ組が温泉プールにて更に親睦を深め、後半では『海組』が変わらない関係性と雰囲気を見せ付け、今月号終盤にて心愛ちゃんが衝撃的な事実をカミングアウトする」と言う、大きく分けて3つの柱が存在していると言え、故に場面における起伏がかなり激しくなっているが、前述の通り起伏が激しい事でイメージされる「シリアスな雰囲気」は、今月号においても鳴りは潜めており、全編にわたってほのぼのしながらも深みに溢れると言う、近年のごちうさが得意とする色を存分に謳歌する事ができる様になっている。

 因みに心愛ちゃんの実家に7人で行かなかった理由については、私自身仮説が1つあるのだが、それについては後述。

結良ちゃんの温泉プール謳歌

 ここからは今月号前半の要たる「ブラバ組の温泉プール編」において、未だ立ち位置が不明瞭な側面がある狩手結良ちゃんの立ち振る舞いについて書き出したい。抑々狩手結良ちゃんとは、お嬢様学校の吹き矢部長としての肩書きを持って登場したキャラであり、初登場は原作4巻だが、名前が判明したのは原作7巻であり、それまでは「吹き矢部長」の名で通っていた。また、理世ちゃんとは昔からの幼なじみ且つ(判明している限りでは)高校も大学も同じ所であり、大学生になる前後で結良ちゃんが理世ちゃん宅の使用人と言う立場になった事で、2人の距離感がより近くなりつつある。

 性格は一言で表すと「掴み所がなく飄々とした人」であり、自分の本心を相手には簡単に見せようとせず、何の前触れもなく現れたと思えば、意味深な言葉若しくは行動をもってごちうさ本編にも大きな影響をもたらすと言う、一種のトリックスター的な立ち振る舞いを主とする人だが、その一方で原作9巻の様に理世ちゃんが心愛ちゃん達に影響されるのを見て、影響を与えた存在である心愛ちゃんに思わず嫉妬の感情を覚えたり、今月号の様に自分の事を「ブラバの先輩」と称賛する神沙姉妹2人を前にして、思わず照れくさそうに顔を赤らめたりする等、その素性は割に感受性豊かであり、更に言えば何を考えているのか分からない人ではあるが、不器用ながらも友達や後輩を気遣う優しい側面もある。

 飄々とした雰囲気故に立ち位置が不明瞭な節があり、本格的に登場した後もどのコミュニティに属するのかが良く分からず、その意味でも頭を悩ませる存在であるが、現在は理世ちゃんとは幼なじみである事と、ブライトバニーでアルバイト勤務をしている事から、結良ちゃんは「リゼユラ」「ブラバ組の一員」と言う形でコミュニティに属していると考えるのが筋だと言える。

 ブラバ組である冬優ちゃんと神沙姉妹2人との関係については、結良ちゃん自身普段は掴み所のない不穏な雰囲気を纏っている事と、情報を手に入れるネットワーク網が広すぎる事もあって、元来他人に対する警戒心が強い冬優ちゃんからは「警戒すべき対象」と見做されている節がある(今月号にて多少は改善)が、神沙姉妹2人は冬優ちゃんと違って結良ちゃんに対する警戒心は殆どなく、せいぜい「雰囲気が独特な人」と言うイメージに留まっていると思われ、それは結良ちゃんに対して思わず頬を赤らめた顔をさせた事からも窺える。

 そんな結良ちゃんだが、今月号においてもその飄々とした掴み所の無い雰囲気は健在であり、元々自分に対してただならぬ警戒心を持たれている冬優ちゃんを揶揄ったり、神沙姉妹2人に対して自分がブライトバニーのバイト採用のイスに座った人物である事をカミングアウトしたりと、正に「結良劇場」と言わんばかりの立ち振る舞いを見せ付けており、その際どこか恐怖を感じさせる雰囲気を見せるのも変わっていないのだが、他方でこれまで何度も叙述した様に、自分の事を尊敬の眼差しで見詰めてくる事に対して、思わず照れくさそうな表情を見せると言う、これまでの結良ちゃんがあまり見せなかった立ち振る舞いをも見せ付けており、故に今月号にて「結良ちゃんはちょっと変わった所はあっても、根は優しくて尚且つ普通に可愛い一面を持っている人」と言う見解がまた一歩実を結んだと言える。

 そして、このブラバ組と温泉プールを謳歌していく内に、結良ちゃんもブラバ組と親睦を深めていき、最終的には神沙姉妹2人に誘われる形で結良ちゃんもブラバ組の正式な一員として歓迎される事になるのだが、そこでも結良ちゃんは「写真に自分のピースサインだけを写す」と言う所業に出ており、これは暗に「私(結良の事)はまだブラバ組を知らなければならない段階にいる(3人と同じステップにはまだ立てない)」と言っている様にも感じられ、これが真実なら如何にも飄々とした彼女らしい思想だが、何れにしても彼女はこの温泉プールで「ブラバ組の一員」としての籍を正式に築き上げた訳であり、故に今後のブラバ組は、既存の3人に加えて結良ちゃんを含めたコミュニティとして更なる飛躍を遂げていくと言えよう。

終盤の展開に対する私なりの見解

 次は今月号終盤にて明かされた「心愛ちゃんの唐突な実家帰省宣言」に係る事例として、前述した「何故7人で行かなかったのか、何故智乃ちゃんだけはついていく道を選んだのか」について細かく説明したい。その前に何故この「海シスト編」での主舞台だった海の街を訪れる為に鉄道を利用する事に目を付け、心愛ちゃんがこの機会を逃さまいと、海の街から木組みの街に直接帰らずに実家に帰省する事を「これは細かく説明するべき事象」だと判断したかと言えば、心愛ちゃんの実家帰省と言う物語は、このごちうさの物語に置いて何か重要な意味を付与させる可能性が非常に高いと推察した為である。

 ここから本題に入る。先ずは「心愛ちゃんの実家に何故7人で行かなかったのか」に対する私の見解だが、これは前提として今回までの「海シスト編」がキーポイントとなる。この「海シスト編」では、ごちうさの登場人物の新たな一面や現状が垣間見えたお話だった事は周知の事実であり、例を挙げるなら「飛び込みに対する意気込みや姿勢から見える各々の価値観」「海シストを探求する事で、不安が残る未来に対して希望的観測を掴み取った事」が挙げられると思われるが、忘れてはいけないのは海の街へと出発する前段階の事であり、ここで明らかになった、現時点でも心愛ちゃん達は既に「バイトや学校、そして受験の事等で多忙となり、大人数で集まる事がかなり難しくなっている事」こそ、「何故7人で心愛ちゃんの実家に行かなかったのか」に対する私の見解の柱となる重要なキーポイントである。

 何故この見解が重要になるのかと言えば、ここからは私が考える私なりの理論となるが、この「海シスト編」の時点で心愛ちゃん達7人が既にバイトや学校、受験勉強等々で多忙になり、大人数で集まる事が難しくなっている事実が存在しているのは、これまででも説明した通りであり、実際に今回の「海シスト編」でも、最終的には7人が揃って海シストを探求する事が可能になったのは「ブラバ組の尽力があったからこそ」であり、もしブラバ組の尽力が無ければ、作中でも描かれている通り少人数での探求は何とか可能だったとしても、7人で探求する事はまず不可能だったと思われる程だが、裏を返せば今の心愛ちゃん達にとってそれらの現状は「大人数で集まって何かをする事自体が貴重な機会であるが故に、どんなに些細な事でも当人達にとってかけがえのない大切な思い出となり得る」と言う事でもあり、それは「海シスト編」でしっかりと証明されている。

 しかしながら、現実問題として「友達と休みのタイミングを合わせる事」と言うのは、学校なら共通の休みである休日や長期休暇*2に合わせたり、受験勉強ならスケジュールを上手く調節すれば何とかなるものだが、バイトに関してはそう簡単では無く、ごちうさの世界観におけるバイトのシフトの組み方がどうなっているのか良く分からない為に断言こそ出来ないが、常識的に考えてみて近況のシフトをコントロールをするのは基本的に不可能なのは恐らく間違いないと言え、実際に今回の「海シスト編」でもバイトのシフトのタイミングが、7人で行く事の出来ない最大の壁として立ちはだかったと言っても決して過言ではないと思う程で、それ故にブラバ組の尽力が大きな意味を持ってくる訳なのだが、当然ながらブラバ組に長期間バイトのシフトを代替してもらうと言うのは、幾ら親しき者同士の仲とは言っても、代替してもらった側としては、長期にわたってシフトの交代を懇願するのはやはり申し訳ない事である為、代わってもらうのは1回若しくは精々2回が限度だと思われ、今回の「海シスト編」が1泊2日の日程だったのも、恐らくそれらの事情を鑑みた結果、その日程が一番妥当だと判断した結果だと思われ、勿論単純に「1泊2日が一番丁度良いから」と言うのもあっただろうし、寧ろそちらの方が的確だろうが、その背景には上記の様な事情もあったと考える事も十分可能であるし、実際に心愛ちゃんも「実家に帰省する日程を合わせたくても、皆の用事の都合上不可能だった事」を示唆する発言をしている為、それなりに論拠はある訳である。

 また、これはシナリオ構成そのものに論点を見出した見解になる上、本筋の見方からはかなり逸脱しているのかも知れないが、心愛ちゃん達が現状でも様々な事情により、大人数で集まる事が困難になっているが故に「大人数で集まる事自体が貴重な機会であり、かけがえのない宝物となり得る事」に着目して、海の街では7人でシストを探求したのに対して、心愛ちゃんの実家には心愛ちゃんと、心愛ちゃんの言動に強い影響を受けた智乃ちゃん(とティッピー)だけが行く事で、結果的に「海の街に7人で行けた事が、いかに奇跡の賜物であったのかを印象付けている」と言う見解も出来るのではないかと推察しており、前述の通り本筋からはかなり逸脱した推察とは私も思うものの、大人数で集まる事自体が難しくなりつつある現状を思えば、強ち的外れとも言い切れないとは考えている。

 つまり、心愛ちゃんの実家に何故7人で行かなかったのかに対する私の見解は、大きな軸として「海の街でのシスト探究から連続して心愛ちゃんの実家に帰省する為に必要な休暇期間が、7人全員一緒にではバイトのシフトや各々の用事の関係でどうやっても不可能だったから」と、脇の視点として「海の街で集まれた事実が如何に奇跡の賜物であった事を示す為」と言うものがあり、他にも単純に心愛ちゃんが唐突に自分の実家に帰省する事実を、正に帰省する直前にカミングアウトしたからと言うのもあるが、何れにしても心愛ちゃんの実家帰省まで7人共に行動する事は、各々のスケジュールの都合上最初から事実上不可能だったと言え、そこには心愛ちゃん達の現状が大きく関係していると言える。

 ただ、それならば何故智乃ちゃんだけは心愛ちゃんの実家帰省についていく道を選んだのかとなるが、その理由は心愛ちゃんが以前発していた「『夏の間はお互いの行動を見張る』と言う発言を心に強く刻んでいた為」であり、当の心愛ちゃんは智乃ちゃんに指摘されるまで心当たりがなかった様だが、智乃ちゃんはその発言をしっかりと心に刻んでおり、その背景には「心愛ちゃんが高校を卒業した暁には、木組みの街を一時的に離れる決意を秘めている事」があると考えられ、智乃ちゃんとて心愛ちゃんとのかけがえのない時間を1秒でも無下にしたくないと言う想いが強くあり、その想いを添い遂げる為なら、例え向こう見ずであっても咄嗟に心愛ちゃんについていく事も厭わないと言う、一昔前の彼女ならまず持つ事は無かったであろう程の凄まじい理念が見え隠れしており、そこには智乃ちゃんの精神的な成長と、彼女とて心愛ちゃんと一緒に過ごせる時間が何時までも続くものでは無かった事を受けて、「後悔が残る様な決断はしたくない」と言う理念が芽生えている事を示唆している。

 因みに前述する様な「直前になって長期休暇を取るのが中々に難しい」と言う状況下の中で、何故心愛ちゃんだけは海の街から自分の実家に帰省できるだけの休暇が取れたのかについても私自身見解を持っており、それは心愛ちゃんのバイト先が、自身の下宿先でもある「ラビットハウス」であり、そのラビットハウスにおける事実上のオーナーがタカヒロさん*3である事から、多少無理を言う形になったとしても、タカヒロさんが許可を出してさえくれれば、一応は直前での急な休暇申請も通してもらう事が可能だからと言うものであり、これは下宿先のオーナーとバイト先のオーナーが同じだからこそできる芸当である為、当初は心愛ちゃんだけが行く予定にしていたのも一応説明は付く訳である。尤も、実際には心愛ちゃんに加えて、彼女の発言に強く感化された智乃ちゃんも同行するのだが、これは最早「休みが云々」と言う問題すらも超越する程の智乃ちゃんの理念がそうさせたとしか言いようがないだろう。

今回の内容について思う事

ここからはここ数回の感想・考察ブログ記事と同様に、主観的な展望や想いを中心にして書き出したい。今回は前半部分がかなり真面目且つ硬派な書き出し方となった為、ここからは多少なりとも軟派となる様なテイストで記述したいと思う。尤も、そう言いながらも私の書く文章自体が相当に硬い為、効果は希薄かも知れないが……。

ブラバ組のもう1人のお姉さん

 小タイトルからして「一体何だ?」となるだろうが、これは「狩手結良ちゃん」を指す概念であり、それで「もう一人のお姉さん」と称する理由は、結良ちゃんがブラバ組3人よりも年上である事と、結良ちゃんがブラバ組に正式加入した時点で3人には既にお姉さん的存在がいるからであり、後者に関しては神沙夏明ちゃんのお姉さんであり、3人の中でも特におっとりしたお姉さん気質が強い神沙映月ちゃんを指している。因みに冬優ちゃんは、神沙姉妹2人を率先する行動が多い事と、人を惹き付けて離さない魅力を持っている事から、3人の中でも独自のカリスマ性を持ったリーダー的存在、夏明ちゃんはブラバ組の中で末っ子になる事と、溌溂(はつらつ)さと精細さを特に併せ持った人である事から、3人の中でも元気さと精細さ、そして甘えん坊気質を持つ存在と捉えている。

 話を本筋に戻して、私が結良ちゃんの事を「ブラバ組におけるお姉さん」と思うのは、先述の様に3人よりも年上である事と、本編においても冬優ちゃんが結良ちゃんの事を「普通のお姉さん」と称している事に依る所が大きいのだが、今までごちうさを読み続けている人なら分かる通り、結良ちゃんは「誰にも染まらない様な独創的且つ、見る者の不安や恐怖を掻き立てる不穏な雰囲気」を持ち、その上で「人付き合いに関して、心愛ちゃん達とは明らかに方向性が違う価値観を持っている人」なので、今月号でいきなりお姉さんと言われても、ミステリアスなイメージが強い結良ちゃんのイメージとは正直かけ離れ過ぎていて、どの様にして受け止めれば良いのか分からないと言うのは私としてもなくはなかった。尤も、結良ちゃんは冗談や揶揄いが好きそうな人なので、彼女にしてみればある意味これも想定の範疇かも知れないが。

 ただ、結良ちゃんはミステリアスな雰囲気を主とする一方で、実は結構なお節介屋だと思える程に面倒見が良い節があり、何を考えているのか良く分からない人であるが故に少々不気味に映る事もあるが、理世ちゃんが旅行に行く際には、理世ちゃん宅を警備(と言うより奉仕)する役目を担ったり、ブラバ組のブロカントでは、最後まで売れ残っていた商品を買い取ってあげたりと、何だかんだ言って優しいお姉さん的な役回りを担う事も少なくなく、また神沙姉妹2人から2つの意味*4で先輩としてチヤホヤされた事に対して、照れくさそうにしながらも割に満更でもない反応を見せていた*5為、本人としても「ブラバ組を見守るお姉さん」と言う立場である事を自負している可能性は十分にあると言え、何より結良ちゃんが「お姉さん」と言われる事自体割に様になっている事も相まって、結良ちゃんの事を「ブラバ組のもう1人のお姉さん」と称しても良いのではないかと思った次第である。

 色々ややこしい内容になってしまったが、ざっくり言うなら「私は結良ちゃんの事を『ブラバ組におけるもう1人のお姉さん』と思えるだけの理由がある」と言う事であり、作品でも随一の癖を持つキャラクター性とのギャップを見逃す事は出来なかった訳でもある。

ココチノが歩む直近の道筋仮定

 次はココチノ2人が行く「心愛ちゃんの実家帰省」に係る事であり、趣旨は今月号では出発するまでの所で終わっている事に着目して、ココチノの2人は心愛ちゃんの実家でどの様な道筋を辿るのだろうかと仮説を立てるものであり、故にこれらは全て「私の仮定論」となるが、個人的に今月号終盤にて心愛ちゃんが実家に帰省する(結果的には智乃ちゃんも同行)と判明して、多少なりとも気になるのはある意味当然の摂理なので、内容が多過ぎると冗長的なものとなってしまうので、ざっくりとしたものにはなるが、現時点で私が考えているちょっとした展望を紹介したい。

 抑々ココチノの2人が実家に帰省する事で最も気になるのは「実家にモカさんがいるのかいないのか」であり、モカさんは原作9巻終盤にて、自身の妹たる心愛ちゃんに後れを取らない為にも、旅行編にて心愛ちゃん達が滞在していたホテルにて研鑽を積んでいる事が判明しているのだが、その後の動向は現時点まででも全く判明していない事から、今でもモカさんは例のホテルで研鑽を積んでいるのか、それとも実家に戻っているのか、はたまた別の道を歩んでいるのかが分からないのが現状である。ただ、前提としてモカさんは言うまでも無く心愛ちゃんの価値観に多大なる影響を与えている人物である為、今回の実家帰省でモカさんがいるのかいないのかとでは、ココチノの実家帰省において辿る道筋が全く違ってくると考えており、今回はモカさんがいる場合といない場合でどの様な違いがあるのにかも軽く触れてみたいと思う。

 まずは「実家にモカさんがいる場合」であり、この場合は「心愛ちゃんにとっては目標の再認識」となるのではないと考えている。と言うのも、心愛ちゃんは自身の姉であるモカさんの事を昔から憧憬且つ目標としているのは最早周知の事実だが、最近ではこれに加えて「姉と対等だと思えるだけの存在になる」と言う明確な目標が彼女には存在しており、彼女が高校卒業後に木組みの街を離れる決意をしているのもその目標があってこそなのだが、その前段階とも言えるタイミングで、心愛ちゃんの一足先を行くモカさんの現状を知る事で、心愛ちゃんが目標とする指標がどこにあるのかを、改めて彼女が推し量るきっかけになるのではと言う事であり、それに伴って心愛ちゃんの意思は以前より更に堅牢なものとなり、それを間近で見る事になる智乃ちゃんとしても、心愛ちゃんの堅牢な意思に何かしらの触発を受けると考えている。

 ただ、1つ懸念なのが心愛ちゃん自身実はそこまで打たれ強くない事であり、モカさんの現状を知る事で更なる飛躍を誓えれば良いのだが、心愛ちゃんはこれまでも不確定要素の強い現実に対して少なからずショックを受けていた光景が存在していた為、現実を見せられる事で不安や恐怖が掻き立てられる可能性も否定できない懸念材料があるが、その時こそ心愛ちゃんの妹たる智乃ちゃんの存在が大きいと考えており、どんなにめげそうになる事があっても、自分を応援してくれる人は間近にいると言う事実が、これまでも心愛ちゃん達を幾度となく導いてきた様に、もし心愛ちゃんが本当にめげそうになった暁には、その時は智乃ちゃんがきっと心の支えになってくれる。そう思えるだけでも、気の持ち様はかなり変わるものである。

 次に「実家にモカさんがいない場合」であり、この場合は「実家帰省を通してかけがえのない経験を積むココチノが中心」になると考えている。ただ、私自身正直に言うと、今回の実家帰省においてモカさんが全く絡まないとは思えない為、具体的に何をするのかが正直殆ど想像できず、強いて言うなら「心愛ちゃんの生まれ故郷を智乃ちゃんが知る事で、これまででは得られなかった何かを得る」等が挙げられるが、これもモカさんがいる場合においても当てはめる事ができる為、独自性にはかなり欠けている訳だが、今月号までではモカさんの動向が探れない以上、実家帰省時にモカさんがいない可能性を否定する事は出来ない事から、たとえ五里霧中でも何か見識は引き出すべきだと考えた所存である。

 ここまで私が考える「ココチノの実家帰省に係る展望」を書き出してきたが、これらは全て私の想像である為、もしかすれば私の想像の遥か上を行く衝撃的な展開が待っているかもしれないし、或いは後に答えを知った時に「見るに堪えない程見当違いな事を考えていた」となってしまう可能性もあるが、少なくとも「今回の実家帰省は、2人にとって有意義な経験になる事は間違いない」と見ており、もっと言うと今回の実家帰省は、心愛ちゃんにとって「己の夢や展望と否が応でも向き合う事になる」とすら思っており、何れにしてもただの実家帰省で終わる事は最早ないのだろうと考えている。ただ、そこはごちうさなので、何だかんだ言っても最終的には「更なる堅牢な意思と覚悟を築き上げる」のだと思う。

後悔なき未来の為に

 最後に近年のごちうさひいては私が好きとするマンガやアニメを読んだり観たりする中で、私が特に意識している価値観について説明したい。とは言っても、価値観自体は実に多岐に渡るものを持っており、当然の事ながら作品によって比重を置く価値観はそれぞれ違う為、これから書き出す内容は必ずしも全てにおいてそうと言う訳では無い事は言っておきたい。ただ、程度の差はあっても私が意識する事の多い価値観なのは紛れもない事実である。

 肝心の価値観の内容についてだが、これは小タイトルにもある様に「後悔の残らない選択をする為に、私はどうあるべきか」と言うものであり、ハッキリ言うと私が持つ「どう足掻いても過去は変えられないと分かっているなら、後悔を残さない決断をする様に」と言う人生観に強く裏付けされた価値観でもある。とは言っても、普段から常に意識していると言うよりかは、主に心に強く感銘を受けた時にギアを一気に上げると言ったものであるし、マンガやアニメにおいては「後悔の残らない選択肢を登場人物が選んでいく事を、私はどの様にして受け止めるべきか」と言うべきだが、何れにしても付け焼き刃で培った価値観ではない事は確かな上、その価値観を「人生における指針の1つ」としているのも確かである。

 本題として何故近年のごちうさに対して上記の様な価値観を持つ様になったかと言えば、ひとえに近年のごちうさ「各々の人生観や今後の進路にも多大なる影響を与える決断や選択が見え隠れする場面が増えているから」であり、その決定打となったのは、心愛ちゃんと紗路ちゃんが将来的に「研鑽を積む為に木組みの街を離れる」と言う決断を秘めていた事にあり、ここから私は「どんな決断を下しても、それが自分にとって後悔のないものであって欲しい」と言う価値観を、ごちうさにおいても決定的なものにしたのだが、抑々論として絶対的な正解がない中でも絶対に向き合わなければならない事に対して、自分が最も成し遂げたい選択肢を貫き通したいと言う姿を見ておきながら、心の内では何も思わないと言うのが私にとっては土台無理な話であり、故に今回紹介した様な価値観では無かったとしても、私は恐らく何らかの価値観を築き上げていたと思うのだが、何れにしてもここで大事なのは「自分の意思で何かしらの価値観を築き上げる事」であり、そうして築き上げた「後悔なき未来の為の決断を受け容れる事」と言う価値観は、私のごちうさに対する大きな原動力となっている。

 また、上記の他につい最近改めて意識した価値観として「どんなに壮絶な運命を背負う事になっても、自分にとって後悔の残らない選択肢を受け止める心の強さ」と言うのも存在しており、これは私が好きとする「プリマドール」と、最近一気見をしたリコリス・リコイル」と言う、何れも執筆時に正に佳境を迎えているアニメ作品で意識した経緯があり、どちらの作品も「重い運命を背負う中でどの様な選択を決断するのか」が非常に重要な意味を持つ場面が印象的なのだが、私はその選択と決断を見て「どんなに壮絶な運命であっても、それが本人にとって一番後悔が残らない選択肢だと言うなら、それを受け止めるだけの強さがある事の凄さ」をまじまじと思い知らされており、無論その過程では「壮絶な命運に対する激しい動揺と葛藤」がある事は百も承知だが、それでも逃げずに受け止めるだけの器量を持つ事ができる意思と覚悟に、私は己の人生観にさえも影響を受ける程の強い感銘を受けている所存であり、それはごちうさに対する価値観にも影響を与えている。

3.あとがき

 以上がきらま2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今月号はここ数回のごちうさの主軸たる「海シスト編」の後日談及び別視点手の物語がメインテーマとなり、終盤はうって変わって「心愛ちゃんが自身の実家に帰省する事を突然カミングアウトする」と言う衝撃的な展開が待っていたと言う構成であり、それ自体は原作10巻終盤における「元来の高校生組4人による将来の進路回」を思わせるが、あの時と違うのは「楽観的な展望を脆くも打ち砕く程の事実が二段構えで待ち構えている訳では無かった」と言う点であり、前向きな意思も相まって、原作10巻までとは一味違う心愛ちゃん達を見る事ができる様になっている。

 今回は海組が海シストを探求している間に温泉プールにて親睦を深めていた「ブラバ組」がキーポイントだと見ており、ここではそれまで立ち位置が定まり切っていなかった結良ちゃんが正式にブラバ組の仲間入りを果たし、結良ちゃんの人となりを知らないが故に彼女に対する恐怖意識が否めなかった冬優ちゃんも、彼女の人となりを知って多少なりとも親近感を覚える等々、ブラバ組の今後の発展を印象付ける局面として機能していると考えており、特に結良ちゃんがブラバ組の一員として、既存の3人と親睦を深めた事が大きいと捉えている。

 また、今月号終盤にて智乃ちゃんが見せた思い切った行動は、それ自体が彼女の成長を物語るものとして体現されているだけでなく、彼女の中にある「心愛さんとの約束は固く守る」と言う想いや、彼女とて「心愛さんとの時間を大切にしたい」と言う想いが強く表れていると見ており、それは心愛さんと過ごせる時間が限りなく至高のものだった事を知った彼女の意思でもあると捉えている。

 そして、本筋の最後にて紹介した「価値観」についてだが、これは私にとっては近年のごちうさを読む上での大きな指針且つ道筋となっており、ここ最近のブログ記事の内容も、実の所今回紹介した様な私の価値観に大きく影響されている面がある位だが、このタイミングで書き出した理由については、最近になって色々な漫画やアニメと触れていく内に「自身の価値観を意識する機会が増えてきた事」を受けて、ここで1つ書き出しておこうと思い立ったからであり、そこにはごちうさに対する想いを率直に書き出したいと言う想いと、最近私が視聴している「プリマドール」リコリス・リコイル」で培った価値観を少しでも書き出したかったと言う想いが詰まっている。

 今回は前回までの流れに加えて、私が持つ独自の価値観についても言及する格好になったが、私のごちうさに対する想いは徹頭徹尾一貫していると言う事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙38枚分である。今回は前回と比べて割とサクサク書き進められた感触があり、内容も比較的コンパクトに収められ、何より1週間足らずで書き上げられた事が、今回のブログ記事の中で一番手応えがあったと捉えている。

*1:端的に言えば、どこのコミュニティに属するのかが良く分からないと言う事。

*2:「海シスト編」なら夏休み。

*3:「事実上のオーナー」と称したのは、ラビットハウスの大元のマスターが智乃ちゃんのおじいちゃんであり、タカヒロさんの親父さんである事は明白である一方、作中時間軸におけるマスターは、バータイムにて表立って顔を出す存在であるタカヒロさんだと思われる中で、智乃ちゃんは作中においては基本的にマスターの定義を「自身の祖父」を指して発言している事から、ラビットハウスの「現オーナー」がタカヒロさんなのか、それとも智乃ちゃんのおじいちゃんなのか、どちらを指すのか良く分からない為である。

*4:自分達が通う高校の先輩とブライトバニーのバイトの先輩と言う意味。

*5:これは結良ちゃんとしてもお姉さんと言う立場に多少なりとも憧れがあった事が関係していると思われる。