多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。遂に今年最後のきらまが発売され、2022年も終わりに差し掛かってきましたが、このタイミングで私が書き連ねたごちうさ感想・考察を振り返ってみた所、2022年はこれまで書かなかった月がただの一度も無かった(11か月分全て書いていた)様で、我ながら「よくもまあ毎月の様に続けてこられたなぁ」と思っていますが、この手の事はある一定の段階を超えると、最早書く事に対する特別意識も薄まってくるものなので、書いている時の悩みは相変わらず解消される事は無いとは言え、書く事を辞める発想は基本浮かばないものです。尤も、これはあくまで趣味の範疇での話であり、これで飯を食っていくとするならそうはいかないだろうと考えています。知らない世界とは言え、趣味と仕事では、同じ事でも気持ちの持ち様と責任が全く違うものになる事くらいは分かるので。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は原作5巻及び劇場版エピソードDMSに登場した「花火大会」のセルフオマージュを軸とした回であり、中盤までは割と日常的な雰囲気に沿った構成をしていますが、終盤になると先月号最後で見せ付けられた衝撃的な展開を復唱させる様に、今月号の随所に散りばめられた意味がどの様な形を示しているのか。先月号にて突き付けられた「事実」に対してどの様な心境になっているのか。それが一気に解放されているので、その衝撃はかなり強い訳ですが、そこに込められたメッセージ性はあまりにも凄まじいものがあるので、今回も中盤までと終盤とでテイストを変える形で書き出したいと思います。

※注意※

原作及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は物語上非常に重大な展開を迎えた先月号から地続きの内容である為、物語上重要な局面が多く含まれている事にはご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は原作5巻の範囲で描かれた「木組みの街の花火大会」のセルフオマージュ的な流れが強くあり、全体の流れとしても嘗ての花火大会の時を彷彿とさせる描写が多いが、大きく違うのは原作8巻から登場したブラバ組3人が加わっている事と、先月号終盤で木組みの街に帰還したココチノを含めて、最初から木組みの街の住人が揃い踏みしている点であり、先月号同様ごちうさの登場人物の殆どが登場しているのも特徴である。

 今月号の扉絵は、浴衣姿の心愛ちゃんと冬優ちゃんと智乃ちゃんが、大人びた雰囲気を帯びながらもそれぞれ違った表情を浮かべているのが中心にあると言うものだが、全体的にその表情はどこか儚げであり、暗に先月号終盤の出来事を経て揺れ動く心境と、それを受け止めて成長していく姿を物語っている様にも見える。また、この扉絵で目立つのは彼岸花と呼ばれるヒガンバナリコリス)であり、ギラギラと刺々しく光る真っ赤な雰囲気は、個人的には初めこそ美しく感じるが、他方でヒガンバナは有毒植物でもある事や、その真っ赤に燃え上がる様な花の形が、まるでこちらの事を冷酷且つ無慈悲に蝕んでくる様な雰囲気がある事によって、徐々にヒガンバナに対して恐怖を抱く様になり、故に最終的には一種の拒絶反応すら覚えかねない程に美しく、また残酷な雰囲気さえも暗示させる花だと言う認識に落ち着く事が多い為、今月号のリコリスにもそれ相応に美しさと不気味さの両方を覚えており、しかもそれが智乃ちゃんの浴衣にも描かれているのを見ると、彼女が先月号の展開を経て一体どの様な心境に陥っているのか、それが否が応でも読み解ける様で、その意味でも暗い影を落としている。尤も、ヒガンバナ花言葉は何もマイナスな意味で塗り固められている訳ではないが。

 今月号は中盤までの中心たる「セルフオマージュが豊富な日常の延長たる雰囲気」と、終盤の「運命の厳しさと、それさえも乗り越えていく信念が感じられる雰囲気」に大別されると考えており、特に終盤の雰囲気に関しては、それ自体はジョジョを読んでいる影響もあってそこまで珍しい認識は無いものの、ごちうさでは雰囲気からしてかなり異色なものであった為*1、読んでいる際の衝撃も結構あったものだが、他方でこの様な運命は最初から分かっていた(と言うより、本来ならば既に受け止めなければならなかった)ではある上、定められた運命を如何にして乗り越えていく事も今後のごちうさにおいては重要なテーマになってくる事から、最早逃れる事は出来ないとも認識しており、今回もその部分はしっかりと書き出していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容全体の感想・考察

 まずは「今月号全体について及びそこから読み解ける事」にを中心に書き出したい。今回は前回程では無いにしても、刺激の強い内容及びネタバレが含まれている為、注意して欲しい。

花火大会と来たる運命

 今月号は先月号までの連続的な展開から少々時間が経っている印象があり、冒頭からして原作5巻以来となる木組みの街での花火大会に伴う浴衣をめぐるエピソードである事からも、先月号の展開から地続きにはなっていない事は明らかであり、故に今月号からまた新たなフェーズに入ったと言える。しかしながら、先月号終盤にて描かれた「ティッピーの中に居たおじいちゃんが、サキさんに導かれた(=天国に導かれた)」と言う展開は智乃ちゃんに凄まじい影響をもたらしており、先月号の出来事が夢ではなく現実である事を物語るだけでなく、智乃ちゃんにとっておじいちゃんが現世から完全にいなくなった事実がどれ程の事なのかをも物語っている。その為、今月号は深い哀しみを帯びた雰囲気を感じさせる場面が少なくなく、ごちうさの中でもかなり異色な雰囲気を醸し出していると言える。

 序盤は前述の通り皆の浴衣姿のお披露目から始まり、浴衣姿と言えばハレの日、つまり非日常を象徴する姿でもある為、雰囲気としては比較的明るめに仕上がっており、最初は浴衣姿になる事に乗り気ではなかった神沙姉妹2人も、実際に千夜ちゃんに浴衣姿を着つけて貰った途端にはしゃぎ出した一方、智乃ちゃんの浴衣姿ときたら、とても15歳とは思えない程の艶かしさと、彼女の深淵にある深い哀しみを感じさせる驚異的な雰囲気を身にまとっており、明朗快活な性格の心愛ちゃんが選んだクールな浴衣姿を遥かに圧倒していたが、一方で智乃ちゃんが見せた雰囲気は、明らかにおじいちゃんがいなくなってしまった事と深い関係がある事を示唆するものである為、見れば見る程形容し難い複雑な感情が襲ってくる感覚を覚える点は、決して無視する事は出来ないであろう。

 中盤は花火大会に伴って開かれている屋台めぐり(所謂「縁日」)が中心であり、些細なトラブルやてんやわんやな出来事はちょくちょく起こっているとは言え、何れの内容も「かけがえのない思い出作りになった」なり「友達との絆を深められた」なりに持っていける内容にはなっている為、今月号の中ではごちうさにおける微笑ましい日常的な雰囲気を感じる場面の一つとなっている。ただ、その後すぐに描かれる青山さんと凛ちゃんの局面では、かの銀河鉄道回でティッピーの秘密に気付いた青山さんが、智乃ちゃんの浴衣に「ヒガンバナ」が描かれていた事を気にかける様子があり、暗に青山さんも智乃ちゃんの精神状態が不安定ではないのかと気にしているのが読み解ける様で、中々に刺さるものがある。因みに凛ちゃんは青山さんと違ってティッピー周りの事情を良く知らない為、青山さんの話にきょとんした顔を浮かべていたが、私としては、それは「知っている若しくは気付いている人と、そうでない人とで伝わる意図が全く違ってくる」と言う事象に意図せずして繋がってしまっている事から、何とも複雑な気持ちだった。

 終盤になると深い哀しみを帯びた雰囲気がピークに達する場面があり、打ち上がっていく花火を見ながら、おじいちゃんがいなくなってしまった事実に対して思わず涙を流した智乃ちゃんはその最たるものである。そして、この時心愛ちゃんは智乃ちゃんの肩に手を乗せようとしたが、手を重ね合わせる事に変えた様子が映し出されており、この時心愛ちゃんは何を思ったのか。それは本人にしか分からない事である。

 ただ、哀しみを帯びた雰囲気を象徴するような出来事ばかりでも無く、本来のティッピーが急に鳴き声を上げ、それに共鳴されるかの様に共鳴合戦が始まり、智乃ちゃんの頬を思わず緩めたり、心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して大人っぽい粋な言葉をかけたりする等、シュールな展開から粋な展開までと言った感じで展開のふり幅が大きく、途中気になる場面はあるものの、最終的な締め方は何時ものごちうさらしく明るい雰囲気を感じさせるものとなっている。

 全体的に見れば、今月号は智乃ちゃんのおじいちゃんが完全に現世からいなくなった後に描かれる最初の物語である事から、原作9巻以降顕著になったセルフオマージュを今月号においても「木組みの街の花火大会」と言う形で採り入れられつつも、智乃ちゃんの雰囲気はどこか深い哀しみを帯びており、物語としても新たな局面に入った事と、智乃ちゃんにとっておじいちゃんがいなくなってしまった事がどれ程衝撃が大きかったのかを物語っている。その為、緩い日常的な雰囲気が特徴的なごちうさとしてはかなり異色*2だが、そこでも今までのごちうさの雰囲気が崩れていない所は流石ごちうさだと思う。

 また、個人的に今月のごちうさからは「運命」「覚悟」、そして「勇気」に関わりを見出せる見識を打ち立てており、この様な見識は言ってしまうと私が大好きな「ジョジョの奇妙な冒険」の影響を大きく受けたものだが、これは私自身ジョジョの奇妙な冒険を好きになっていく過程の中で、ジョジョで描かれる「運命」や「覚悟」そして「勇気」の具体像が、ごちうさにおける感想・考察に対しても、何か活きるものがあるのではないかとしばしば考える事があるからであり、普段はごちうさジョジョはあくまで別物として考えているのは前提とは言え、己の深淵たる思想を構築していくにあたっては、この様に自分が読んでいる複数のマンガをかけ合わせていくのも一つの手だと考えている。

儚げさと悲しみを帯びた少女

 ここからは今月号全体に存在していた深い哀しみを帯びた雰囲気に大きく関わる「おじいちゃんがいなくなってしまった後の智乃ちゃんの心情」について考察したい。抑々智乃ちゃんは自身がまだ幼い時に母親のサキ(咲)さんを、物語開始時点の1年前におじいちゃんをそれぞれ亡くしており、それ故に元々は明るい雰囲気だった彼女は、物語開始当初には暗く心を閉ざしてしまっていたのだが、おじいちゃんに関しては、孫である智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと分かるその時まで、自分が傍で見守っていないといけないと言う強い意思があった事で、亡くなった後にその魂がティッピーに乗り移り、以降先月号終盤に至るまで智乃ちゃんをうさぎの姿に変えながら支え続けてきた経緯があり、それは青山さんのキャラソン「うさぎになったバリスタ」の世界観に深く描かれている。

 当の智乃ちゃんは心愛ちゃんとの出逢いをきっかけに、かけがえのない友達ひいては姉妹とともに少しずつ新しい一歩を踏み出していき、その過程で徐々に過去の哀しみをも受け入れられる様になった事で、昔の明るく感情豊かな自分へと変化していき、原作9巻以降は心愛ちゃんの手本にしつつ、ブラバ組を先導する役割を担う様になり、先月号終盤では自分がやりたい喫茶店の理想像をおぼろげながらも掴み取り始める等、嘗てとは最早別人と呼べるまでに成長著しい姿を見せ付けたのである。ただ、それはおじいちゃんにとっては「自分の孫は最早わしが傍にいなくても大丈夫なまでに成長した」と言う事でもある為、先月号終盤にておじいちゃんが一番聞きたかった「孫が持つ理想の喫茶店像」を孫の口から聞けた事で、智乃ちゃんは自分が傍に居なくても大丈夫と判断し、サキさんに導かれる形で遂にティッピーの元から去ったのである。

 ここから今月号の内容に入る。ここまで説明した様におじいちゃんはティッピーの元からもいなくなり、故に今月号からはおじいちゃんは完全に天国から孫を見守っている事になったのだが、その事実に対して智乃ちゃんは、何時かは受け容れなければならなかった事だったとは言っても、あまりにも突然の別れにどこか元気がない様子であり、今月号において智乃ちゃんが度々儚げ且つ深い哀しみを帯びた雰囲気を醸し出していたのも、作中では明確に語られていないとは言え、おじいちゃんがいなくなってしまった為だと見て間違いないと考えており、幾ら彼女が心愛ちゃんとの出逢いを経て、嘗てとは見違える程に成長したとしても、自分の夢に向けて自分で歩みを出せるだけの精神力を構築したとしても、おじいちゃんがいなくなってしまった事実をすんなりと受け止められるものでは無い事を示しており、彼女が如何におじいちゃんを頼りにしていたかが窺える。

 また、智乃ちゃんがヒガンバナが描かれた浴衣を着ていた事については、青山さんが言う様に敢えてその様な選択をしたのか、それとも偶然選んだ浴衣がその様なデザインだったのか、真相は本人にしか分からない。だが、それでも客観的に見れば、花言葉「独立」「故人」と言った今の智乃ちゃんに迎合する意味がある事や、何よりあの世を意味する「彼岸」の名が付いた花がデザインされた浴衣を、普通に考えて何の考えもなしに自分が着る浴衣として選択するとはとても思えない為、恐らくは「いなくなってしまったおじいちゃんの事と、自分が将来的に立派なバリスタとして歩みを進める事」の2つを、今回智乃ちゃんの浴衣に描かれたヒガンバナは暗示していると考えており、それは彼女が抱く喪失感と、彼女の根底にある未来に向けた強い意思を強く滲ませている。

 そして、智乃ちゃんのおじいちゃんに対する想いが溢れ出た場面である「花火が打ち上がるシーン」については、それだけで智乃ちゃんが持つおじいちゃんに対する想いが一挙に読み解けるものである為、態々細かく書き出す事も無いのだが、この場面はごちうさの中でも特に深い哀しみを帯びており、打ち上がる花火を見て、いなくなってしまったおじいちゃんを想って涙が頬を伝っていく智乃ちゃんと、それを見た心愛ちゃんが肩に手を乗せようとして、何を思ったかは分からないが肩に手を乗せるのではなく、下がっていた智乃ちゃんの手を重ね合わせる様にして、何も言わず寄り添いながら2人で同じ花火を見ていた光景は、今までにない哀しみの雰囲気を帯びながらも、その悲しみに寄り添う優しさを感じさせる、今月号屈指の名場面だと思う。

揺れ動く妹を見守る姉

 次は「儚げな雰囲気を帯びていた智乃ちゃんを傍で見守っていた心愛ちゃん」について考察したい。抑々今月号における心愛ちゃんは、儚げな雰囲気を帯びていた智乃ちゃんとは対照的に、何時通りの彼女らしい明朗快活な雰囲気が漂っていた印象が強くあるが、クールさを感じさせる浴衣を選んだつもりだった本人からしてみれば、周りからクール若しくは妖艶な雰囲気を纏っていると思ってくれない事に対してかなりショックだった様で、それを知った智乃ちゃんからは「自分だけ仲間外れにされるとすぐにいじけたり、機嫌を損ねたりする所は直した方が良い」と言わんばかりに呆れられているが、抑々論として普段の雰囲気を突然変える事は難しい事や、智乃ちゃんが帯びていた儚げな雰囲気は、前述の通り決して本人が望んで醸し出しているとは言い難いものである事を思えば、私としても智乃ちゃんの様に呆れるとまではいかなくても、そう悲観的になる様な事でも無いと思わざるを得ないが......。

 そんな心愛ちゃんだが、今月号終盤においてはその真価を存分に発揮しており、特に前述の花火を見て涙を流していた智乃ちゃんに寄り添う場面と、自分の事で周りに心配をかけさせてしまったのではないかと憂う智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんに対して心愛ちゃんらしい優しい言葉をかける場面は、智乃ちゃんを導く先駆者としての心愛ちゃんと、智乃ちゃんを妹の様に可愛がっているお姉ちゃんとしての心愛ちゃんが一挙に表れた場面でもあるが、その際に良い意味で気になったのは、花火を見て涙を流している智乃ちゃんに対して、心愛ちゃんは言葉を何もかけずにただ寄り添う選択を採った事であり、本人はあくまで「自分の手が寂しかったからやったまで」と言っていた為、その選択は心愛ちゃんにとって恐らく後悔の無いものだとは思うが、個人的には気になる所だったのである。

 心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して声を掛けずにただ寄り添う選択を採った理由として考えられるのは、1つは「傍で寄り添う事で、何も言わずとも私はそばで智乃ちゃんを支える事を示すため」と言うもの、もう1つは「智乃ちゃんが背負っている哀しみは、私がどうこう言える様な事では無いと判断し、ここは敢えて黙って寄り添うのが最適解だと考えたから」と言うものであり、どちらであっても心愛ちゃんは智乃ちゃんを支えるお姉ちゃんであり続ける事を示している事に違いは無い。ただ、大きく違うのは「智乃ちゃんが背負っている重い運命に対する考え方」であり、これに関しては心愛ちゃんがどう考えているのかが分からない為、推測の域を出ないものにはなるが、後者の場合は前者に比べて心愛ちゃんが「あまりにも窺い知れない事は首を深くまで突っ込まず、あくまで本人の意思に寄り添う姿勢を採る」と考えている事を強く滲ませるものとなる為、心愛ちゃんが智乃ちゃんの心中を深くまで察した上での行動と読み解く事ができる様になる上、作中の心愛ちゃんは「一旦は智乃ちゃんの肩に手を置こうとするが、何かを察すると手をつなぐ事に変更する」と言う行動を見せている事からも、心愛ちゃんが花火を見て涙を流している智乃ちゃんに対して、自分から声を掛けずにただ智乃ちゃんの傍に寄り添う選択を採ったのは、自分が智乃ちゃんに対してどうこう言える様な事では無いと心愛ちゃん自身判断していたのが大きいと考えられる。

 また、心愛ちゃんは今月号終盤にて自分の事で周りに心配をかけたのではないかと憂う智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんは何も心配しなくても良いと、如何にも心愛ちゃんらしい優しい言葉をかけており、これは「自分の事で周りの人達に心配を(できる事なら)かけさせたくはない」と思う智乃ちゃんの気持ちを汲み取っての行動だと思われる。ただ、その際に心愛ちゃんは「花火大会前後で見せた儚げな雰囲気を智乃ちゃんが身にまとっていた事」には一切言及していない点が非常に気になる所であり、理由は言わずもがな「智乃ちゃんが明らかに異色な雰囲気を纏っていた事(心配になる要素がある事)を知りながら、それを隠した事に他ならないから」だからであり、姉だからこそこっそりと「心配になる様子はあったけど、今はもう心配いらないよ。」と、正直な事をハッキリと言う道もあったと思う私からしてみれば、心愛ちゃんが取った行動に対して多少なりとも疑問符が付く事は否めないのである。

 ただ、今回心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してとった行動は、心愛ちゃん自身も真剣に考えた上でのものである事は明白である事と、私が思う様に事実をひた隠しにする事が必ずしも良い事をもたらすとは限らないのは事実とは言え、他方で諺(ことわざ)に「嘘をつかねば仏に成れぬ」がある様に、常に真実のみを伝える事が、必ずしも良い事でもないのもまた事実である事を思えば、疑問に思っても咎めようとは思えないものであり、ここはひとつ、心愛ちゃんの智乃ちゃんを真剣に思う気持ちをそっと見守るべきなのではないかとも思っている。言ってしまえば絶対的な正解は無い様な事なので、そうなるのはある意味で必然だとは思うが、今回に関しては強く思う所である。 

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回も前半は割と刺激的な内容となっていた様な気がするが、後半からは割と明るい内容にも触れていきたいと思う。

花火大会を謳歌する住人達

 まずは今月号の主軸とも言える花火大会において、その花火大会を謳歌していた木組みの街の住人達について書き出したい。今月号は前述の通り、智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんの手によって天国へと導かれた後の最初のお話にあたる為、智乃ちゃんだけはどこか儚げな雰囲気を帯びていたものの、その智乃ちゃんも含めて全体的には和気藹々とした雰囲気を持っている事が大半だった印象があり、特に最初は浴衣を着る事に全然乗り気ではなかった神沙姉妹の2人が、実際に千夜ちゃんに浴衣を着つけて貰った途端に乗り気になってはしゃぎだすと言う現金な一面が見えた場面と、智乃ちゃんの下駄の鼻緒が切れてしまった*3際に、友達総出で智乃ちゃんの為に縁日の景品にあった下駄を獲得しようと躍起になっていた場面は、皆の和気藹々さを良く感じる事の出来る場面として印象的である。

 また、今月号は比較的シュールなネタが多いと感じるごちうさの中でも特にシュールな展開が多かった印象があり、下駄の鼻緒が切れた事で歩く事に支障が発生し、万が一縁日の景品たる新しい下駄を獲得できなかった時(結果的には獲得できたのだが)に智乃ちゃんを助けるべく、ブラバ組とマヤメグがそれぞれ別の騎馬隊を結成し、智乃ちゃんを騎馬隊上にして運ぶ事を画策する場面や、新生ティッピーが突然鳴き出した事を見て、心愛ちゃんを先駆けに鳴きまねが伝染していく様にして、傍から見れば謎な鳴き声を上げている様にしか見えない集団と化した場面*4など、要所で「なんでそうなるの!?」なり「なんだこれ!訳が分からないけどなんか面白い!」となる場面がいつも以上に多かった印象だが、これらが凄いのは「友達を想うが為の行動」と「思わず笑ってしまう程に可笑しさに溢れている」が見事に掛け合わされている所であり、結果的に「笑える上に確固たる友情をも感じられる」と言う、ごちうさを上質な作品たらしめている要素に繋がっている所は流石だと思う。

 因みに今回の木組みの街の花火大会は、原作5巻における木組みの街の花火大会及び原作9巻の旅行編での花火大会が、何れもセルフオマージュとして取り入れられているが、どちらかと言うと舞台が同じの原作5巻の花火大会の展開が豊富に取り入れられていた印象があり、原作9巻の方もロマンチック且つ儚げな場面として印象的だが、前提としてどちらの花火大会も全く知らなかったとしても普通に楽しめる内容になっている為、改めて新規の人でも昔からファンの人でも楽しめるのがごちうさなのだと思わされる限りであった。

心愛ちゃんの意味深な言動に込められたもの

 次に今月号の心愛ちゃんが見せた意味深な言動について思った事を書き出したい。抑々心愛ちゃんは、その明朗快活な性格に違わず言動も比較的ストレートであり、故に普段は彼女の言動に対して良くも悪くも勘繰りを入れる必要は無いのだが、彼女は時々明朗快活な雰囲気のまま、私は何かを知っていると言わんばかりの意味深な口ぶりを見せたり、今月号終盤の様にあくまで「自分がやりたかったから」とは説明しつつも、良く考えてみれば明らかに他者を配慮若しくは意識した行動を起こす事があり、しかもそれらが全て何かしらの重要な意味を持った意味深な行動であるケースが少なくない為、これまでもその心愛ちゃんが見せる意味深な言動に注目した事はあったのだが、今月号においても彼女は明らかに意味ありげな行動に出ていた為、あらためて注目してみたいと思った次第である。

 今回心愛ちゃんが見せた言動の中で気になったのは、これまでも書き出してきた様に「智乃ちゃんに余計な心配をかけさせまいとして、敢えて彼女が気にしていた部分には触れずに、彼女の意思を尊重した優しい言葉をかけた事」や「花火を見て涙を流していた智乃ちゃんを見て、後に心愛ちゃんが『手が寂しかった』と称して智乃ちゃんの手をそっと繋いだ」等もそうなのだが、ここで取り上げたいのは、今月号終盤において心愛ちゃんが新生ティッピーに対して、まるでティッピーに起きた変化に気付いているかの様な感触で、改めてティッピーによろしくの挨拶をしていた事であり、それに対して智乃ちゃんも少し疑問に思いながらもスルーしていた事もあって、本当に心愛ちゃんがティッピーの正体及び変化に気付いていたと言う明確な確証こそ無いとは言え、ごちうさの核心にも繋がる事でもあるので、私としても決してスルーする事は出来ないのである。

 心愛ちゃんは香風家に居候をしている身である為、おじいちゃんがいた時のティッピーの頃から、図らずもティッピーと境遇を共にする機会が智乃ちゃんの次に多く、実際に智乃ちゃんがいない時は心愛ちゃんの上にティッピーもといおじいちゃんが乗っている事もしばしば見受けられたので、心愛ちゃんとしてもティッピーとは何かしらのシンパシーを感じていた可能性は十分にある上、普段からティッピーと触れ合っていく内にふと「ティッピーの正体」について、自分なりに思いを馳せていても不思議では無かった事から、個人的には心愛ちゃんもティッピーにおじいちゃんが乗り移っていた事、今月号時点でおじいちゃんは既にいなくなっている事に気付いていても、強ちおかしな話とは思えないと考えており、詳しい事は一切分からないが、今月号の明らかに何か知っている事を示唆する様な口ぶりを見れば、そう勘繰りたくなるものである。

 また、最近になって心愛ちゃんがみせる数々の意味深な言動に対して、かの狩手結良ちゃん並みに何を考えているのか分からないとなってしまう事もしばしば発生してきており、しかも結良ちゃんの場合は如何にも何を考えているのか分からないミステリアスな雰囲気を持っている為、ある意味でそれが彼女の既定路線だと解釈できる一方、心愛ちゃんは普段隠そうとしても隠せないと言う形で明け透けな事が多い事もあって「何を考えているのか分かり易そうで全然分からない」となりがちな為、分からない事に対する一種の恐ろしさが芽生えてくるのも特徴的であり、故に心愛ちゃんが時たま「作中人物の中で実は一番何を考えているのか分からない事がある」と私の中で定義付けられる事もあるが、他方で心愛ちゃんがその様な意味深な言動を取る時は、基本的に嘘偽りない彼女の真剣な想いが込められているとも思っているので、今回の意味深な言動にも彼女の真剣な想いが込められていると信じている。

厳しい運命と運命を乗り越える覚悟

 最後に私がジョジョ好きになっていく過程で強く意識する様になった「運命」「覚悟」に関わる事について思った事を書き出したい。ここで言う「運命」と「覚悟」とは、どちらも智乃ちゃんに深く関わる事であり、智乃ちゃんにとっては決してすんなりと受け容れられるものではなかった「おじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまった事」に関するものである。

 改めて説明すると、先月号終盤にて智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんに導かれる決断をしたのは「わしがいなくても孫はちゃんとやっていける程に成長したと確信できたため」であり、これは言ってしまえば「何時かはやって来る運命だった」のだが、たった15歳にして母親とおじいちゃんを亡くしている*5智乃ちゃんにとって、おじいちゃんがティッピーからもいなくなってしまった事を早々にして受け止められるものではない事は想像に難くなく、実際に今月号の智乃ちゃんはどこか儚げな雰囲気を身に纏っている事が度々あり、打ち上がる花火を見ていた際に思わずおじいちゃんの事を思って涙が溢れていた場面もあった事を思えば、彼女にとっておじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまったと言う事実が、見方によっては「おじいちゃんからお墨付きを貰うまでに成長した証」にもなる一方で、彼女にとっては「簡単には受け止められない厳しい運命」なのかを物語っている。

 智乃ちゃんが背負っている厳しい運命に関しては、何れは受け止めなければならなかった事は以前から分かっていた事だった為、客観的に見れば受け容れる心構えはしておいていた方が、実際に受け入れる際にその衝撃を緩和できるとは言及できる。ただ、事実問題としてその運命の当事者たる智乃ちゃんはかなりのショックを受けていた事を思えば、その様な言及をする事自体いささかお門違いな気がしない訳でも無いが、他方で私とて「大切な人がいなくなる哀しみ」がどれ程のものなのかは、当事者程ではないにしても理解はしているので、色々ややこしい事を書いてはいるが、ストレートに言うと「運命をめぐって哀しみに暮れる智乃ちゃんを見ると、客観的な冷静な意見を持ちながらも、彼女の感情も良く理解できる為、こちらも多少なりとも衝撃が走る」と言う訳であり、一言で表すと「あんなに儚げな姿を見て、何も思わない訳が無い」のである。

 ただ、智乃ちゃんにはその厳しい運命さえも乗り越えられるだけの「覚悟」があるとも思っており、これは智乃ちゃんはこれまでも心愛ちゃんを始めとした、かけがえのない人の存在のお陰で徐々に明るく前向きになった過程で「勇気をもって、自分が知らない外の世界を切り開く事の意味を知ったから」と言うのが主たる根拠であり、言うならば智乃ちゃんの中で「道を切り開く勇気が、そのまま自分の運命を乗り越える覚悟にも繋がっている」と言う事をもって、彼女には覚悟が備わっていると信じるものである。尤も、智乃ちゃん本人がどこまで自分にその覚悟があるのか、抑々智乃ちゃん自身その様な覚悟に気付いているのかどうかは未知数だが、彼女にはこれまでも大切な人との関わりをもって、自分の運命をも乗り越えてきた経緯がある為、今回も戸惑う事はあるとは言え、最後は成長した精神力と確かな覚悟をもって、更なる成長を遂げていくと信じている。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は「木組みの街の花火大会」及び「おじいちゃんが完全にいなくなってしまった後の智乃ちゃん」に着目が置かれている為、大きく分けて「セルフオマージュが豊富な場面」と「深い哀しみを帯びた雰囲気を大いに感じさせる場面」と言う、場面によって中々に感情の起伏が激しい作りになっており、特に智乃ちゃんが帯びていた儚げな雰囲気は、その背景も相まって強烈な印象を与えていたと思う。

 今月号は先月号同様、中盤までと終盤で物語の雰囲気が少々異なっており、中盤までは日常の延長線上みたいな雰囲気で花火大会を謳歌する様子が中心で、儚げな雰囲気も「大人っぽい雰囲気」として見られている一方、終盤になると深い哀しみをもった智乃ちゃんが直面する厳しい運命や、それに心愛ちゃんがどの様にして寄り添うかどうかに焦点が当てられており、儚げな雰囲気の意味も「おじいちゃんがいなくなってしまった事に対する深い哀しみ」となっており、それ故に先月号よりかは若干マイルドな印象はありながら、そのインパクトは中々に強烈だが、一方で今月号は心愛ちゃんの智乃ちゃんを真剣に思う気持ちも見られたので、その意味では精神的に助けられるものがあったと考えている。

 また、これは完全なる余談だが、今月号のごちうさ感想・考察を執筆する前に、今月のごちうさが比較的シュールに思える場面が多かった事をして、私自身ふと「ごちうさを読んでいる時は、作中のツッコミに対して笑い声をあげる事もありつつも、どちらかと言えば『何故にそうなる!?』『いや、そうはならんだろ!』などと、思わず作中のツッコミに対して更にツッコミに重ねる事が多い様な......?」と気付かされており、もっと言うとこんな感覚はきらら作品を読んでいる時はあまりないもので、他のきらら作品では声をあげて笑う事も多い事も相まって、随分と不思議な感覚を覚えたものである。まぁ個人的には声を上げるまでに笑いながら楽しむ事も、ごちうさを読む時の様に、半ば特殊な感覚をもって楽しむ事も、どちらも凄く楽しいマンガの読み方だと思えるタチなので、やっぱり何でも楽しんだもの勝ちとして殆ど気にしていない。単にそういう傾向があると言うだけの事である。

 更に言えば、今月号のごちうさ感想・考察においては、私が最近大好きになった「ジョジョの奇妙な冒険」に影響を受けた見識も幾分か入れてみたが、これは「ごちうさにも何か活かせるものがあるのではないのか」と思ったのもそうだが、それ以上に「単純に私自身ジョジョが大好きだから、好奇心でごちうさの感想・考察にも入れてみたかった」と言うのが大きく、最近もジョジョ原作41巻から47巻*6を購入し、それを読み進めた事に影響されているのが見透かされる様だが、好きなものは仕方ない。

 今回は前回のあとがきの書き方を引き継ぐ様にして、前回以上にあとがきをフリーダムにする様に意識したが、本編はあくまで真面目に書き出す事を意識している事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙35枚分である。今回は書く内容をどの様にして形付けるべきか悩む事もあったが、結果的にはハイスピードで完成させられた為、結果としては上出来である。

*1:ただ、実の所巻を重ねるにつれてその様な雰囲気を含ませるのは度々登場している事から、今更過度に驚けないと言えばそうなのだが。

*2:シリアスな雰囲気も増えてきた原作9巻以降に限ってみればそこまで異色でもないかもだが、深い哀しみを帯びた雰囲気は一部を除きさほど無かった。

*3:一般的に下駄の鼻緒が切れると不吉と言われている。

*4:これを見た智乃ちゃんは、今までの鬱々とした雰囲気からうって変わって思わず笑みをこぼしていた。

*5:但しおじいちゃんは亡くなった後にティッピーに乗り移り、智乃ちゃんを長らく支え続けた。

*6:4部「ダイヤモンドは砕けない」後半から5部「黄金の風」冒頭まで。