多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。ごちうさが掲載されているまんがタイムきらら系統は「月刊誌」なので、基本的に次のお話まで1ヶ月期間が開く訳であり、基本的には1週間で次のお話が読める「週刊誌」と比べると、待つ期間が楽しみでもあり、待ちきれないと思う訳ですが、1か月期間があるお陰で私も存分にブログにて感想・考察を書けているのも事実なので、その意味では助けられています。もしこれが週間ペースで同じことをやれと言われたら、私は流石に辞退せざるを得ないです……。それ位、感想・考察を膨大な量書くと言うのも大変なのです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は大きく分けて「海シスト編におけるブラバ組の軌跡」と「海シストを経た海組の軌跡」の2つの展開があるのですが、前半はブラバでバイトしながらもその立ち位置は依然不明瞭な狩手結良ちゃんが登場する事と、終盤にて唐突に明かされた衝撃の事実が特に重要なものとなっているので、今回は主にその2つを軸にして書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前回までの「海シスト編」の流れを汲む内容であり、今回はその完結と言うべき立ち位置にあるが、前回までとは「海を堪能する7人と同時間軸に温泉プールを謳歌するブラバ組が中心的」と言う意味で今までとは大きく違っており、中盤からは今月号にて「海組」と称された、前回までの主軸たる7人が中心のお話となるが、終盤になるとそれまでの「海シスト編」においては全く素振りが無かった衝撃的な展開を迎えており、故に今月号は起伏が非常に激しい物語構成となっている。ただ、起伏が激しい事でイメージされやすい「シリアスな雰囲気」は、今月号においてもあまり無いのも特徴的である。尤も、そう言うのはすっかり忘れてしまった頃に一切の情けも容赦もなく、ただただ無慈悲に突き刺す様にしてやってくるものだが……。

 今月号の扉絵は、この「海シスト編」における流れを汲む形で、水着姿となったブラバ組の3人が各々の表情とピースサインを見せていると言うものだが、ピースサイン自体は4人分存在しており、これだけなら「どういう事?」となるが、これは今月号本編に謎を解くカギがあると言え、今月号本編においてはブラバ組で写真を撮ると言うくだりが存在しているのだが、その際に結良ちゃん自ら携帯カメラを持ち、自分はピースサインだけを写真に入る様にする形で、ブラバ組3人を被写体にしてシャッターを切るという行動に出ており、それ故に結良ちゃんはピースサインだけが写真に写る事になり、今回の扉絵はそれを反映したものと思えば、謎は解けると言う訳である。尤も、セルフタイマーなり自撮り棒なり、携帯カメラなら内カメラなりを使えば、結良ちゃんもブラバ組3人と一緒に写真に写る事は十分に可能だったのだが、何故か結良ちゃん本人はそれを遠慮しており、故にピースサインだけ映っているのは「結良ちゃん自身の意思」であり、そこには「結良ちゃんが思う自分とブラバ組3人との距離感」を彷彿とさせているのだが、抑々論として何故「自ら堰を造る」様な事を彼女が思い立ったのかは不明である。

 また、これまでの扉絵と大きく違うのは「夏を直接的に感じさせる要素の代わりに、冬優ちゃんが得意とするチェスの駒が散りばめられている事」だと捉えており、これが意味する事は正直見当もつかないのだが、強いて言えば冬優ちゃんが得意とするものが目立つように散りばめられていると言う事で、「ブラバ組の要は冬優ちゃん」と言う仮説が立てられなくもなく、根拠としても「ラビットハウスにおける高校1年生組のお泊り会」や「ブラバ組のブロカント」を筆頭に、それ相応に担保性がある場面は挙げられるが、それでも今月号の扉絵にチェスの駒が散りばめられている事に対して、絶対的な自信を持った見解は残念ながら持ち合わせていないとしか言えない。何とも残念な結果だが、今回の扉絵が3人分しか写っていないにもかかわらず、ピースサインが4人分ある事をみて、そのカラクリを知った上で「これって心霊写真?」等という、実際にその通りなら全然笑えない(何なら普通に背筋が凍る)ジョークを考える様な人なので、それはある意味当然の宿命なのかもしれない。

 今月号はその構成上、前半と後半で見方も推し量り方も大きく異なる手法を用いる必要があると考えており、この様な構成自体は原作10巻終盤から11巻序盤にかけてのお話とほぼ共通している。ただ、あの頃と違うのは「悲観的な雰囲気が少なく、良い意味で前向きな雰囲気が目立っている事」だと捉えており、これ自体は「各々が後悔なき未来を歩む為の意気込み」とも「自分自身と真剣に向き合っている事の表れ」の結果とも取れるが、何れにしても原作10巻終盤から11巻序盤を経て、彼女達には何か己の人生観にさえ多大なる影響を与える様な変化があったのは紛れもない事実だと考えており、今回もそんな短期間で大きな変化を遂げていく彼女達の事を、出来る限り率直に書き出していきたい。因みに私はジョークや人生観と言った要素は好きであり、出来るなら後者だけでなく、前者も(笑える範囲内で)ちょくちょく入れていきたい所存である。

2.購読した感想・考察

今回の内容全体の感想・考察

 まずはここ最近のブログ記事にて共通項となりつつある「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出していきたい。

温泉プールを謳歌するブラバ組と衝撃の幕開け

 今回は前回までの主軸たる「海シスト編」とは少し異なり、温泉プールをブラバ組3人(この後すぐに結良ちゃんも登場)で楽しむ局面からスタートしており、物語前半は「7人が海シストを探求する中で、ブラバ組はどの様な軌跡をたどっていたのか」と言う、いわば「もう一つの物語」と言うべき構成となっている。また、それ故に序盤ではブラバ組が温泉プールを謳歌するのが中心的である一方、ブラバでアルバイトをしていながらも、その立ち位置は依然不明瞭さが際立つ存在*1でもある狩手結良ちゃんもブラバ組にガッツリ関わっているのだが、ここでの結良ちゃんは相変わらず不穏な雰囲気を見せる事もありながら、ブラバにて先にアルバイトを始めたと言う意味で「ブラバの先輩」と称賛する神沙姉妹2人を目の前に、満更でもない様な面持ちで顔を赤らめると言う一面も見せており、結良ちゃんが実は照れ屋なのではないかと思う理由にもなっている。

 物語後半は前回までの主軸である「海組7人」が中心となるが、海シストの基本的な事項は前回までで既にほぼ完遂していた為、今回はその延長線上とも言うべき構成になっており、故に雰囲気も普段の日常とさほど変わらないものとなっているが、普段の日常と変わらないと言う事で、折角の休暇であるにもかかわらず、自分達の職場の宣伝を考えようとして、ティッピーに軽くお灸を据えられると言う場面があり、良く言えば「職場愛が強い」、悪く言えば「職場癖が抜け切れない」と言うべきこの場面は、何処に行っても変わらない7人の思想や関係性を色濃く表していると言える。

 そして、物語の終盤では心愛ちゃんが自分の実家に寄る事を突然カミングアウトしており、タカヒロさんは把握済みだとは言え、それを聞いた残りの面々が、心愛ちゃんが実家に帰省する素振りを一切見せていなかった事も相まって戸惑いを隠し切れなかったのはとても印象的であるが、更に衝撃的なのは、心愛ちゃんが以前発していた言葉を心に刻み込んでいた智乃ちゃんが、なんと心愛ちゃんと一緒に実家に寄る選択をした事で、ここから智乃ちゃんとしても自分で自分の道を切り開くと言う意味で大きく成長していると言え、そこには彼女とて「最早戻る事のない日々を後悔のない様に」と言う想いが強く存在している。

 全体的に見れば、今月号は「前半ではブラバ組が温泉プールにて更に親睦を深め、後半では『海組』が変わらない関係性と雰囲気を見せ付け、今月号終盤にて心愛ちゃんが衝撃的な事実をカミングアウトする」と言う、大きく分けて3つの柱が存在していると言え、故に場面における起伏がかなり激しくなっているが、前述の通り起伏が激しい事でイメージされる「シリアスな雰囲気」は、今月号においても鳴りは潜めており、全編にわたってほのぼのしながらも深みに溢れると言う、近年のごちうさが得意とする色を存分に謳歌する事ができる様になっている。

 因みに心愛ちゃんの実家に7人で行かなかった理由については、私自身仮説が1つあるのだが、それについては後述。

結良ちゃんの温泉プール謳歌

 ここからは今月号前半の要たる「ブラバ組の温泉プール編」において、未だ立ち位置が不明瞭な側面がある狩手結良ちゃんの立ち振る舞いについて書き出したい。抑々狩手結良ちゃんとは、お嬢様学校の吹き矢部長としての肩書きを持って登場したキャラであり、初登場は原作4巻だが、名前が判明したのは原作7巻であり、それまでは「吹き矢部長」の名で通っていた。また、理世ちゃんとは昔からの幼なじみ且つ(判明している限りでは)高校も大学も同じ所であり、大学生になる前後で結良ちゃんが理世ちゃん宅の使用人と言う立場になった事で、2人の距離感がより近くなりつつある。

 性格は一言で表すと「掴み所がなく飄々とした人」であり、自分の本心を相手には簡単に見せようとせず、何の前触れもなく現れたと思えば、意味深な言葉若しくは行動をもってごちうさ本編にも大きな影響をもたらすと言う、一種のトリックスター的な立ち振る舞いを主とする人だが、その一方で原作9巻の様に理世ちゃんが心愛ちゃん達に影響されるのを見て、影響を与えた存在である心愛ちゃんに思わず嫉妬の感情を覚えたり、今月号の様に自分の事を「ブラバの先輩」と称賛する神沙姉妹2人を前にして、思わず照れくさそうに顔を赤らめたりする等、その素性は割に感受性豊かであり、更に言えば何を考えているのか分からない人ではあるが、不器用ながらも友達や後輩を気遣う優しい側面もある。

 飄々とした雰囲気故に立ち位置が不明瞭な節があり、本格的に登場した後もどのコミュニティに属するのかが良く分からず、その意味でも頭を悩ませる存在であるが、現在は理世ちゃんとは幼なじみである事と、ブライトバニーでアルバイト勤務をしている事から、結良ちゃんは「リゼユラ」「ブラバ組の一員」と言う形でコミュニティに属していると考えるのが筋だと言える。

 ブラバ組である冬優ちゃんと神沙姉妹2人との関係については、結良ちゃん自身普段は掴み所のない不穏な雰囲気を纏っている事と、情報を手に入れるネットワーク網が広すぎる事もあって、元来他人に対する警戒心が強い冬優ちゃんからは「警戒すべき対象」と見做されている節がある(今月号にて多少は改善)が、神沙姉妹2人は冬優ちゃんと違って結良ちゃんに対する警戒心は殆どなく、せいぜい「雰囲気が独特な人」と言うイメージに留まっていると思われ、それは結良ちゃんに対して思わず頬を赤らめた顔をさせた事からも窺える。

 そんな結良ちゃんだが、今月号においてもその飄々とした掴み所の無い雰囲気は健在であり、元々自分に対してただならぬ警戒心を持たれている冬優ちゃんを揶揄ったり、神沙姉妹2人に対して自分がブライトバニーのバイト採用のイスに座った人物である事をカミングアウトしたりと、正に「結良劇場」と言わんばかりの立ち振る舞いを見せ付けており、その際どこか恐怖を感じさせる雰囲気を見せるのも変わっていないのだが、他方でこれまで何度も叙述した様に、自分の事を尊敬の眼差しで見詰めてくる事に対して、思わず照れくさそうな表情を見せると言う、これまでの結良ちゃんがあまり見せなかった立ち振る舞いをも見せ付けており、故に今月号にて「結良ちゃんはちょっと変わった所はあっても、根は優しくて尚且つ普通に可愛い一面を持っている人」と言う見解がまた一歩実を結んだと言える。

 そして、このブラバ組と温泉プールを謳歌していく内に、結良ちゃんもブラバ組と親睦を深めていき、最終的には神沙姉妹2人に誘われる形で結良ちゃんもブラバ組の正式な一員として歓迎される事になるのだが、そこでも結良ちゃんは「写真に自分のピースサインだけを写す」と言う所業に出ており、これは暗に「私(結良の事)はまだブラバ組を知らなければならない段階にいる(3人と同じステップにはまだ立てない)」と言っている様にも感じられ、これが真実なら如何にも飄々とした彼女らしい思想だが、何れにしても彼女はこの温泉プールで「ブラバ組の一員」としての籍を正式に築き上げた訳であり、故に今後のブラバ組は、既存の3人に加えて結良ちゃんを含めたコミュニティとして更なる飛躍を遂げていくと言えよう。

終盤の展開に対する私なりの見解

 次は今月号終盤にて明かされた「心愛ちゃんの唐突な実家帰省宣言」に係る事例として、前述した「何故7人で行かなかったのか、何故智乃ちゃんだけはついていく道を選んだのか」について細かく説明したい。その前に何故この「海シスト編」での主舞台だった海の街を訪れる為に鉄道を利用する事に目を付け、心愛ちゃんがこの機会を逃さまいと、海の街から木組みの街に直接帰らずに実家に帰省する事を「これは細かく説明するべき事象」だと判断したかと言えば、心愛ちゃんの実家帰省と言う物語は、このごちうさの物語に置いて何か重要な意味を付与させる可能性が非常に高いと推察した為である。

 ここから本題に入る。先ずは「心愛ちゃんの実家に何故7人で行かなかったのか」に対する私の見解だが、これは前提として今回までの「海シスト編」がキーポイントとなる。この「海シスト編」では、ごちうさの登場人物の新たな一面や現状が垣間見えたお話だった事は周知の事実であり、例を挙げるなら「飛び込みに対する意気込みや姿勢から見える各々の価値観」「海シストを探求する事で、不安が残る未来に対して希望的観測を掴み取った事」が挙げられると思われるが、忘れてはいけないのは海の街へと出発する前段階の事であり、ここで明らかになった、現時点でも心愛ちゃん達は既に「バイトや学校、そして受験の事等で多忙となり、大人数で集まる事がかなり難しくなっている事」こそ、「何故7人で心愛ちゃんの実家に行かなかったのか」に対する私の見解の柱となる重要なキーポイントである。

 何故この見解が重要になるのかと言えば、ここからは私が考える私なりの理論となるが、この「海シスト編」の時点で心愛ちゃん達7人が既にバイトや学校、受験勉強等々で多忙になり、大人数で集まる事が難しくなっている事実が存在しているのは、これまででも説明した通りであり、実際に今回の「海シスト編」でも、最終的には7人が揃って海シストを探求する事が可能になったのは「ブラバ組の尽力があったからこそ」であり、もしブラバ組の尽力が無ければ、作中でも描かれている通り少人数での探求は何とか可能だったとしても、7人で探求する事はまず不可能だったと思われる程だが、裏を返せば今の心愛ちゃん達にとってそれらの現状は「大人数で集まって何かをする事自体が貴重な機会であるが故に、どんなに些細な事でも当人達にとってかけがえのない大切な思い出となり得る」と言う事でもあり、それは「海シスト編」でしっかりと証明されている。

 しかしながら、現実問題として「友達と休みのタイミングを合わせる事」と言うのは、学校なら共通の休みである休日や長期休暇*2に合わせたり、受験勉強ならスケジュールを上手く調節すれば何とかなるものだが、バイトに関してはそう簡単では無く、ごちうさの世界観におけるバイトのシフトの組み方がどうなっているのか良く分からない為に断言こそ出来ないが、常識的に考えてみて近況のシフトをコントロールをするのは基本的に不可能なのは恐らく間違いないと言え、実際に今回の「海シスト編」でもバイトのシフトのタイミングが、7人で行く事の出来ない最大の壁として立ちはだかったと言っても決して過言ではないと思う程で、それ故にブラバ組の尽力が大きな意味を持ってくる訳なのだが、当然ながらブラバ組に長期間バイトのシフトを代替してもらうと言うのは、幾ら親しき者同士の仲とは言っても、代替してもらった側としては、長期にわたってシフトの交代を懇願するのはやはり申し訳ない事である為、代わってもらうのは1回若しくは精々2回が限度だと思われ、今回の「海シスト編」が1泊2日の日程だったのも、恐らくそれらの事情を鑑みた結果、その日程が一番妥当だと判断した結果だと思われ、勿論単純に「1泊2日が一番丁度良いから」と言うのもあっただろうし、寧ろそちらの方が的確だろうが、その背景には上記の様な事情もあったと考える事も十分可能であるし、実際に心愛ちゃんも「実家に帰省する日程を合わせたくても、皆の用事の都合上不可能だった事」を示唆する発言をしている為、それなりに論拠はある訳である。

 また、これはシナリオ構成そのものに論点を見出した見解になる上、本筋の見方からはかなり逸脱しているのかも知れないが、心愛ちゃん達が現状でも様々な事情により、大人数で集まる事が困難になっているが故に「大人数で集まる事自体が貴重な機会であり、かけがえのない宝物となり得る事」に着目して、海の街では7人でシストを探求したのに対して、心愛ちゃんの実家には心愛ちゃんと、心愛ちゃんの言動に強い影響を受けた智乃ちゃん(とティッピー)だけが行く事で、結果的に「海の街に7人で行けた事が、いかに奇跡の賜物であったのかを印象付けている」と言う見解も出来るのではないかと推察しており、前述の通り本筋からはかなり逸脱した推察とは私も思うものの、大人数で集まる事自体が難しくなりつつある現状を思えば、強ち的外れとも言い切れないとは考えている。

 つまり、心愛ちゃんの実家に何故7人で行かなかったのかに対する私の見解は、大きな軸として「海の街でのシスト探究から連続して心愛ちゃんの実家に帰省する為に必要な休暇期間が、7人全員一緒にではバイトのシフトや各々の用事の関係でどうやっても不可能だったから」と、脇の視点として「海の街で集まれた事実が如何に奇跡の賜物であった事を示す為」と言うものがあり、他にも単純に心愛ちゃんが唐突に自分の実家に帰省する事実を、正に帰省する直前にカミングアウトしたからと言うのもあるが、何れにしても心愛ちゃんの実家帰省まで7人共に行動する事は、各々のスケジュールの都合上最初から事実上不可能だったと言え、そこには心愛ちゃん達の現状が大きく関係していると言える。

 ただ、それならば何故智乃ちゃんだけは心愛ちゃんの実家帰省についていく道を選んだのかとなるが、その理由は心愛ちゃんが以前発していた「『夏の間はお互いの行動を見張る』と言う発言を心に強く刻んでいた為」であり、当の心愛ちゃんは智乃ちゃんに指摘されるまで心当たりがなかった様だが、智乃ちゃんはその発言をしっかりと心に刻んでおり、その背景には「心愛ちゃんが高校を卒業した暁には、木組みの街を一時的に離れる決意を秘めている事」があると考えられ、智乃ちゃんとて心愛ちゃんとのかけがえのない時間を1秒でも無下にしたくないと言う想いが強くあり、その想いを添い遂げる為なら、例え向こう見ずであっても咄嗟に心愛ちゃんについていく事も厭わないと言う、一昔前の彼女ならまず持つ事は無かったであろう程の凄まじい理念が見え隠れしており、そこには智乃ちゃんの精神的な成長と、彼女とて心愛ちゃんと一緒に過ごせる時間が何時までも続くものでは無かった事を受けて、「後悔が残る様な決断はしたくない」と言う理念が芽生えている事を示唆している。

 因みに前述する様な「直前になって長期休暇を取るのが中々に難しい」と言う状況下の中で、何故心愛ちゃんだけは海の街から自分の実家に帰省できるだけの休暇が取れたのかについても私自身見解を持っており、それは心愛ちゃんのバイト先が、自身の下宿先でもある「ラビットハウス」であり、そのラビットハウスにおける事実上のオーナーがタカヒロさん*3である事から、多少無理を言う形になったとしても、タカヒロさんが許可を出してさえくれれば、一応は直前での急な休暇申請も通してもらう事が可能だからと言うものであり、これは下宿先のオーナーとバイト先のオーナーが同じだからこそできる芸当である為、当初は心愛ちゃんだけが行く予定にしていたのも一応説明は付く訳である。尤も、実際には心愛ちゃんに加えて、彼女の発言に強く感化された智乃ちゃんも同行するのだが、これは最早「休みが云々」と言う問題すらも超越する程の智乃ちゃんの理念がそうさせたとしか言いようがないだろう。

今回の内容について思う事

ここからはここ数回の感想・考察ブログ記事と同様に、主観的な展望や想いを中心にして書き出したい。今回は前半部分がかなり真面目且つ硬派な書き出し方となった為、ここからは多少なりとも軟派となる様なテイストで記述したいと思う。尤も、そう言いながらも私の書く文章自体が相当に硬い為、効果は希薄かも知れないが……。

ブラバ組のもう1人のお姉さん

 小タイトルからして「一体何だ?」となるだろうが、これは「狩手結良ちゃん」を指す概念であり、それで「もう一人のお姉さん」と称する理由は、結良ちゃんがブラバ組3人よりも年上である事と、結良ちゃんがブラバ組に正式加入した時点で3人には既にお姉さん的存在がいるからであり、後者に関しては神沙夏明ちゃんのお姉さんであり、3人の中でも特におっとりしたお姉さん気質が強い神沙映月ちゃんを指している。因みに冬優ちゃんは、神沙姉妹2人を率先する行動が多い事と、人を惹き付けて離さない魅力を持っている事から、3人の中でも独自のカリスマ性を持ったリーダー的存在、夏明ちゃんはブラバ組の中で末っ子になる事と、溌溂(はつらつ)さと精細さを特に併せ持った人である事から、3人の中でも元気さと精細さ、そして甘えん坊気質を持つ存在と捉えている。

 話を本筋に戻して、私が結良ちゃんの事を「ブラバ組におけるお姉さん」と思うのは、先述の様に3人よりも年上である事と、本編においても冬優ちゃんが結良ちゃんの事を「普通のお姉さん」と称している事に依る所が大きいのだが、今までごちうさを読み続けている人なら分かる通り、結良ちゃんは「誰にも染まらない様な独創的且つ、見る者の不安や恐怖を掻き立てる不穏な雰囲気」を持ち、その上で「人付き合いに関して、心愛ちゃん達とは明らかに方向性が違う価値観を持っている人」なので、今月号でいきなりお姉さんと言われても、ミステリアスなイメージが強い結良ちゃんのイメージとは正直かけ離れ過ぎていて、どの様にして受け止めれば良いのか分からないと言うのは私としてもなくはなかった。尤も、結良ちゃんは冗談や揶揄いが好きそうな人なので、彼女にしてみればある意味これも想定の範疇かも知れないが。

 ただ、結良ちゃんはミステリアスな雰囲気を主とする一方で、実は結構なお節介屋だと思える程に面倒見が良い節があり、何を考えているのか良く分からない人であるが故に少々不気味に映る事もあるが、理世ちゃんが旅行に行く際には、理世ちゃん宅を警備(と言うより奉仕)する役目を担ったり、ブラバ組のブロカントでは、最後まで売れ残っていた商品を買い取ってあげたりと、何だかんだ言って優しいお姉さん的な役回りを担う事も少なくなく、また神沙姉妹2人から2つの意味*4で先輩としてチヤホヤされた事に対して、照れくさそうにしながらも割に満更でもない反応を見せていた*5為、本人としても「ブラバ組を見守るお姉さん」と言う立場である事を自負している可能性は十分にあると言え、何より結良ちゃんが「お姉さん」と言われる事自体割に様になっている事も相まって、結良ちゃんの事を「ブラバ組のもう1人のお姉さん」と称しても良いのではないかと思った次第である。

 色々ややこしい内容になってしまったが、ざっくり言うなら「私は結良ちゃんの事を『ブラバ組におけるもう1人のお姉さん』と思えるだけの理由がある」と言う事であり、作品でも随一の癖を持つキャラクター性とのギャップを見逃す事は出来なかった訳でもある。

ココチノが歩む直近の道筋仮定

 次はココチノ2人が行く「心愛ちゃんの実家帰省」に係る事であり、趣旨は今月号では出発するまでの所で終わっている事に着目して、ココチノの2人は心愛ちゃんの実家でどの様な道筋を辿るのだろうかと仮説を立てるものであり、故にこれらは全て「私の仮定論」となるが、個人的に今月号終盤にて心愛ちゃんが実家に帰省する(結果的には智乃ちゃんも同行)と判明して、多少なりとも気になるのはある意味当然の摂理なので、内容が多過ぎると冗長的なものとなってしまうので、ざっくりとしたものにはなるが、現時点で私が考えているちょっとした展望を紹介したい。

 抑々ココチノの2人が実家に帰省する事で最も気になるのは「実家にモカさんがいるのかいないのか」であり、モカさんは原作9巻終盤にて、自身の妹たる心愛ちゃんに後れを取らない為にも、旅行編にて心愛ちゃん達が滞在していたホテルにて研鑽を積んでいる事が判明しているのだが、その後の動向は現時点まででも全く判明していない事から、今でもモカさんは例のホテルで研鑽を積んでいるのか、それとも実家に戻っているのか、はたまた別の道を歩んでいるのかが分からないのが現状である。ただ、前提としてモカさんは言うまでも無く心愛ちゃんの価値観に多大なる影響を与えている人物である為、今回の実家帰省でモカさんがいるのかいないのかとでは、ココチノの実家帰省において辿る道筋が全く違ってくると考えており、今回はモカさんがいる場合といない場合でどの様な違いがあるのにかも軽く触れてみたいと思う。

 まずは「実家にモカさんがいる場合」であり、この場合は「心愛ちゃんにとっては目標の再認識」となるのではないと考えている。と言うのも、心愛ちゃんは自身の姉であるモカさんの事を昔から憧憬且つ目標としているのは最早周知の事実だが、最近ではこれに加えて「姉と対等だと思えるだけの存在になる」と言う明確な目標が彼女には存在しており、彼女が高校卒業後に木組みの街を離れる決意をしているのもその目標があってこそなのだが、その前段階とも言えるタイミングで、心愛ちゃんの一足先を行くモカさんの現状を知る事で、心愛ちゃんが目標とする指標がどこにあるのかを、改めて彼女が推し量るきっかけになるのではと言う事であり、それに伴って心愛ちゃんの意思は以前より更に堅牢なものとなり、それを間近で見る事になる智乃ちゃんとしても、心愛ちゃんの堅牢な意思に何かしらの触発を受けると考えている。

 ただ、1つ懸念なのが心愛ちゃん自身実はそこまで打たれ強くない事であり、モカさんの現状を知る事で更なる飛躍を誓えれば良いのだが、心愛ちゃんはこれまでも不確定要素の強い現実に対して少なからずショックを受けていた光景が存在していた為、現実を見せられる事で不安や恐怖が掻き立てられる可能性も否定できない懸念材料があるが、その時こそ心愛ちゃんの妹たる智乃ちゃんの存在が大きいと考えており、どんなにめげそうになる事があっても、自分を応援してくれる人は間近にいると言う事実が、これまでも心愛ちゃん達を幾度となく導いてきた様に、もし心愛ちゃんが本当にめげそうになった暁には、その時は智乃ちゃんがきっと心の支えになってくれる。そう思えるだけでも、気の持ち様はかなり変わるものである。

 次に「実家にモカさんがいない場合」であり、この場合は「実家帰省を通してかけがえのない経験を積むココチノが中心」になると考えている。ただ、私自身正直に言うと、今回の実家帰省においてモカさんが全く絡まないとは思えない為、具体的に何をするのかが正直殆ど想像できず、強いて言うなら「心愛ちゃんの生まれ故郷を智乃ちゃんが知る事で、これまででは得られなかった何かを得る」等が挙げられるが、これもモカさんがいる場合においても当てはめる事ができる為、独自性にはかなり欠けている訳だが、今月号までではモカさんの動向が探れない以上、実家帰省時にモカさんがいない可能性を否定する事は出来ない事から、たとえ五里霧中でも何か見識は引き出すべきだと考えた所存である。

 ここまで私が考える「ココチノの実家帰省に係る展望」を書き出してきたが、これらは全て私の想像である為、もしかすれば私の想像の遥か上を行く衝撃的な展開が待っているかもしれないし、或いは後に答えを知った時に「見るに堪えない程見当違いな事を考えていた」となってしまう可能性もあるが、少なくとも「今回の実家帰省は、2人にとって有意義な経験になる事は間違いない」と見ており、もっと言うと今回の実家帰省は、心愛ちゃんにとって「己の夢や展望と否が応でも向き合う事になる」とすら思っており、何れにしてもただの実家帰省で終わる事は最早ないのだろうと考えている。ただ、そこはごちうさなので、何だかんだ言っても最終的には「更なる堅牢な意思と覚悟を築き上げる」のだと思う。

後悔なき未来の為に

 最後に近年のごちうさひいては私が好きとするマンガやアニメを読んだり観たりする中で、私が特に意識している価値観について説明したい。とは言っても、価値観自体は実に多岐に渡るものを持っており、当然の事ながら作品によって比重を置く価値観はそれぞれ違う為、これから書き出す内容は必ずしも全てにおいてそうと言う訳では無い事は言っておきたい。ただ、程度の差はあっても私が意識する事の多い価値観なのは紛れもない事実である。

 肝心の価値観の内容についてだが、これは小タイトルにもある様に「後悔の残らない選択をする為に、私はどうあるべきか」と言うものであり、ハッキリ言うと私が持つ「どう足掻いても過去は変えられないと分かっているなら、後悔を残さない決断をする様に」と言う人生観に強く裏付けされた価値観でもある。とは言っても、普段から常に意識していると言うよりかは、主に心に強く感銘を受けた時にギアを一気に上げると言ったものであるし、マンガやアニメにおいては「後悔の残らない選択肢を登場人物が選んでいく事を、私はどの様にして受け止めるべきか」と言うべきだが、何れにしても付け焼き刃で培った価値観ではない事は確かな上、その価値観を「人生における指針の1つ」としているのも確かである。

 本題として何故近年のごちうさに対して上記の様な価値観を持つ様になったかと言えば、ひとえに近年のごちうさ「各々の人生観や今後の進路にも多大なる影響を与える決断や選択が見え隠れする場面が増えているから」であり、その決定打となったのは、心愛ちゃんと紗路ちゃんが将来的に「研鑽を積む為に木組みの街を離れる」と言う決断を秘めていた事にあり、ここから私は「どんな決断を下しても、それが自分にとって後悔のないものであって欲しい」と言う価値観を、ごちうさにおいても決定的なものにしたのだが、抑々論として絶対的な正解がない中でも絶対に向き合わなければならない事に対して、自分が最も成し遂げたい選択肢を貫き通したいと言う姿を見ておきながら、心の内では何も思わないと言うのが私にとっては土台無理な話であり、故に今回紹介した様な価値観では無かったとしても、私は恐らく何らかの価値観を築き上げていたと思うのだが、何れにしてもここで大事なのは「自分の意思で何かしらの価値観を築き上げる事」であり、そうして築き上げた「後悔なき未来の為の決断を受け容れる事」と言う価値観は、私のごちうさに対する大きな原動力となっている。

 また、上記の他につい最近改めて意識した価値観として「どんなに壮絶な運命を背負う事になっても、自分にとって後悔の残らない選択肢を受け止める心の強さ」と言うのも存在しており、これは私が好きとする「プリマドール」と、最近一気見をしたリコリス・リコイル」と言う、何れも執筆時に正に佳境を迎えているアニメ作品で意識した経緯があり、どちらの作品も「重い運命を背負う中でどの様な選択を決断するのか」が非常に重要な意味を持つ場面が印象的なのだが、私はその選択と決断を見て「どんなに壮絶な運命であっても、それが本人にとって一番後悔が残らない選択肢だと言うなら、それを受け止めるだけの強さがある事の凄さ」をまじまじと思い知らされており、無論その過程では「壮絶な命運に対する激しい動揺と葛藤」がある事は百も承知だが、それでも逃げずに受け止めるだけの器量を持つ事ができる意思と覚悟に、私は己の人生観にさえも影響を受ける程の強い感銘を受けている所存であり、それはごちうさに対する価値観にも影響を与えている。

3.あとがき

 以上がきらま2022年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今月号はここ数回のごちうさの主軸たる「海シスト編」の後日談及び別視点手の物語がメインテーマとなり、終盤はうって変わって「心愛ちゃんが自身の実家に帰省する事を突然カミングアウトする」と言う衝撃的な展開が待っていたと言う構成であり、それ自体は原作10巻終盤における「元来の高校生組4人による将来の進路回」を思わせるが、あの時と違うのは「楽観的な展望を脆くも打ち砕く程の事実が二段構えで待ち構えている訳では無かった」と言う点であり、前向きな意思も相まって、原作10巻までとは一味違う心愛ちゃん達を見る事ができる様になっている。

 今回は海組が海シストを探求している間に温泉プールにて親睦を深めていた「ブラバ組」がキーポイントだと見ており、ここではそれまで立ち位置が定まり切っていなかった結良ちゃんが正式にブラバ組の仲間入りを果たし、結良ちゃんの人となりを知らないが故に彼女に対する恐怖意識が否めなかった冬優ちゃんも、彼女の人となりを知って多少なりとも親近感を覚える等々、ブラバ組の今後の発展を印象付ける局面として機能していると考えており、特に結良ちゃんがブラバ組の一員として、既存の3人と親睦を深めた事が大きいと捉えている。

 また、今月号終盤にて智乃ちゃんが見せた思い切った行動は、それ自体が彼女の成長を物語るものとして体現されているだけでなく、彼女の中にある「心愛さんとの約束は固く守る」と言う想いや、彼女とて「心愛さんとの時間を大切にしたい」と言う想いが強く表れていると見ており、それは心愛さんと過ごせる時間が限りなく至高のものだった事を知った彼女の意思でもあると捉えている。

 そして、本筋の最後にて紹介した「価値観」についてだが、これは私にとっては近年のごちうさを読む上での大きな指針且つ道筋となっており、ここ最近のブログ記事の内容も、実の所今回紹介した様な私の価値観に大きく影響されている面がある位だが、このタイミングで書き出した理由については、最近になって色々な漫画やアニメと触れていく内に「自身の価値観を意識する機会が増えてきた事」を受けて、ここで1つ書き出しておこうと思い立ったからであり、そこにはごちうさに対する想いを率直に書き出したいと言う想いと、最近私が視聴している「プリマドール」リコリス・リコイル」で培った価値観を少しでも書き出したかったと言う想いが詰まっている。

 今回は前回までの流れに加えて、私が持つ独自の価値観についても言及する格好になったが、私のごちうさに対する想いは徹頭徹尾一貫していると言う事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙38枚分である。今回は前回と比べて割とサクサク書き進められた感触があり、内容も比較的コンパクトに収められ、何より1週間足らずで書き上げられた事が、今回のブログ記事の中で一番手応えがあったと捉えている。

*1:端的に言えば、どこのコミュニティに属するのかが良く分からないと言う事。

*2:「海シスト編」なら夏休み。

*3:「事実上のオーナー」と称したのは、ラビットハウスの大元のマスターが智乃ちゃんのおじいちゃんであり、タカヒロさんの親父さんである事は明白である一方、作中時間軸におけるマスターは、バータイムにて表立って顔を出す存在であるタカヒロさんだと思われる中で、智乃ちゃんは作中においては基本的にマスターの定義を「自身の祖父」を指して発言している事から、ラビットハウスの「現オーナー」がタカヒロさんなのか、それとも智乃ちゃんのおじいちゃんなのか、どちらを指すのか良く分からない為である。

*4:自分達が通う高校の先輩とブライトバニーのバイトの先輩と言う意味。

*5:これは結良ちゃんとしてもお姉さんと言う立場に多少なりとも憧れがあった事が関係していると思われる。