多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2024年9月号掲載のごちうさ感想・考察「お祭りと不穏な招待状」

 特定作品に対する帰属意識*1と言うのは、世間においてはどのくらい存在し得るものなのだろうか。私にとっては、昔は少なくとも「マンガ」においては間違いなくごちうさ」がその帰属意識の何よりの対象だったと思うが、今となっては個別の作品に対してというより、もっと幅広くまんがタイムきらら作品」と言うものに帰属意識があるのだと考えている。既にまんがタイムきらら4雑誌だけでも毎月合わせてのべ「60作品弱」を読むのが通例となり、それ相応に「あらゆる世界」を体感する様になった現状においては、そう言った方が実情に即しているだろうから。

 この影響もあってか、再三書いてきた様に今の私にとってごちうさと言うのは、最新話をゆったり読んで、今後もコンスタントに刊行されていくであろう単行本や完全版をマイペースに読んでいければそれで十分と言う意気込みのレベルに落ち着いており、何が何でもガッツリ追いかけていくという熱意は正直過去のものとなった。でも、今思えば「のんびりゆったり追っていく位が丁度良かった」のであって、一時期の様に無理をしてまでがっつく必要性は無かったんだと思えるので、こうなった事に後悔は一切ない。

 ただ、私としてはこれが普通なので何の違和感も覚えないのだが、傍から見ればマンガ好きでクラシック音楽及びロック音楽好き、百合マンガや百合作品好きで、他にも好きなジャンルを多く持つ人は、どういう風に映っているのかを気にかける事もある。単純に「多趣味な人」と思われる事もあるだろうし、或いは「風変わりな人」と思われる事もあるだろうが、私自身結局は「普段は凄く気にしいなくせに、いざ行動に移すと殆ど躊躇しない」と言う正に風変わりな人なので、別にどう思われても良いというか、事実を言い当てられている限り、名誉を著しく低下させるもの*2以外なら何でも良いと思っている節もある。

 本当、こう書くと私と言う人間が如何に「ごちゃごちゃ考えてしまう人間」なのかが露呈する様だし、実際「優柔不断」な部分もあるのだが、私は本来ごちゃごちゃ考えるのは「大嫌い」な方で、故にそんな自分は自ら蛇蝎の如く嫌っている。だって「今考えてもどうしようもない事」をごちゃごちゃ考えたって、ハッキリ言えば「時間の無駄」であり、尚且つ「労力の無駄遣い」にしかならない「愚行」でしかない訳で、そんな「何の生産性もない事に時間を割く自分」なんて、どこまで行っても「無駄ばっかりのダメな自分でしかない」ので大嫌いと思うのである。

 では「優柔不断な無駄だらけの自分」をそこまで嫌っておきながら、何故その嫌いな自分の特徴を何時までも背負い続けているのか。それは簡単に言うと「損をしたくないから」である。何も考えずに選び取った選択で後悔するのも私自身激しく嫌っていて、そうなる位なら「長考した上での選択で後悔した方が良い」と考えているタチなのだが、これが「後悔したくないが故に決断し切れない」と言う形で弱さとして表れ、結果的に「優柔不断」となってしまう。そして、そうなると今度は「ごちゃごちゃ考える大嫌いな自分」となり、ほぼ確実に激しい自己嫌悪に陥るという負のスパイラル。

 この「後先考えずにいい加減な選択をして後悔する自分」「慎重にいこうとして結局何もできない優柔不断な自分」どちらも「大嫌い」と言う特性には、当然ながらそれ相応に苦しめられる機会も多く、そんな自分が嫌いだと思った事は数知れず。こういう思想故に「決断は素早くそして信念強く」と言う思想をもって決断をする事も多いが、それは当然「生半可な意思では出来ない難しい事」であり、加えてまだ若いが故に当然失敗に終わる事も多く、その度に激しい自己嫌悪に陥るのは最早テンプレート。結局は「変な拘りを持つから必要以上に苦しめられる」のは明白で、ならばその拘りを捨てれば多少は楽になれる訳だが、こういうタイプの人に多い「プライドの高さ故に一度自分が決めた拘りを簡単には捨てられない」と言う例に私も当てはまっているが為に、たとえ「後に引いた方が最善と思われる状況」においても、後に引く選択が取れずに益々苦しみの道へと進んでいってしまう。

 こんな感じで私と言う人間は、自分でも「厄介」だと自認する程には大変に厄介な特性を背負っている訳だが、こんな不器用な自分でも最後まで愛せるのは「自分」な訳だし、厄介に思っても「こんな自分とは微塵も付き合いたくない」と考えている訳でも無いので、そこは僥倖だと思っている。厄介な特性に辟易する事が多くても、少しでもその自分を受容出来る心意気さえあれば、案外どうとでもなるから。

 

 こういった思想を持っている影響は、今回書き出していく「まんがタイムきららMAX9月号掲載のごちうさ最新話」に対しても多かれ少なかれ存在しており、特に「己の気持ちとの向き合い方」と言うものに激しい影響が表れている。とは言え、その影響はごちうさもといまんがタイムきららMAXによりも、奇数月故に先月よりも激烈な展開に心をひりつかせ、最後に待っていた「ロマンスコード」と言う読切作品に心を砕かれたコミック百合姫*3の方が更に上なのだが、このごちうさまんがタイムきららMAXの中では特に色濃く表れている作品である。

 その影響もあって、今回は良くも悪くも書き出すテーマには困っておらず、普段のほんわかした回よりも、不穏な雰囲気を覗かせる回の方が書き出すのが得意と言っている様には正直複雑な気持ちもあるが、今更どうにかなる話でも無いので、ここは甘んじて受け入れるしかない。ただ、甘んじて受け入れるもなにも、普段から「サスペンス」とか「インモラル」とか、不穏で不気味な雰囲気を内包する作品にばかり触れているのだから、そうなるのは当然という話でしかないのだが......。

 

※注意※

最新話及び単行本12巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 ごちうさにおいて今まででも重要な役割を果たしてきたのが、今回紡がれている「ハロウィン」回。以前のハロウィン回では、皆と逸れてしまった心愛ちゃん1人だけが、智乃ちゃんの母親である「サキさん」と巡り逢い、智乃ちゃんひいては「香風家」が持つ信条に垣間触れるという意味で大変重要な役割を担っており、純粋に感動するエピソードとしても名高い。ともすれば、今回のハロウィン回にも、総合的には何か大きなメッセージ性が込められていると見て間違いないと思われ、その意味での期待は大きい。

 今回の扉絵は、マジシャン姿をした智乃ちゃんが映し出されていると言うものだが、その智乃ちゃんが見せる表情は明らかに寂しげなのが気になる。よく見ると、智乃ちゃんが手を伸ばす先にハット帽を差し出している人物がおり、その人物は恐らく「手品」を披露しているものと思われるが、問題はその人物が誰かと言う事。考えられるのは「サキさん」「心愛ちゃん」の2人であり、サキさんは前回のハロウィンや他の回でも触れられていたので、ここでは心愛ちゃんの可能性が高く、ともすれば「この寂しげな表情は何か」となるが、この場合は恐らく「何れ街を離れる運命にある心愛ちゃんに対する寂し気な想い」という事になる。

 今回は冒頭の扉絵以外にも不穏な雰囲気を覗かせる場面が強烈に作用しており、全体としてはコミカルな展開になっているが、不穏な雰囲気に目を向けると、途端に何とも言えない複雑な想いに囚われる構図になっている。とは言え、コミック百合姫掲載作品の様に「人間のエゴが滲み出た地獄に叩き落される」とか「慣れた人でもドン引きしかねない脅威的な展開がある」とかそういうのではないので、その意味ではまだ耐えられる範疇には収まっている。逆に言えば、今回の脅威で怯え切っている様では、コミック百合姫の脅威にはとても耐えられない可能性が非常に高いという事。私とて「嫌という程思い知らされたタチ」だが、コミック百合姫の脅威に比べたら、ガチでごちうさの不穏は全然優しい。本当に優しいと言うしかない程、優しいんだよ......。

 

2.購読した感想・考察

今回は前回と違って書くテーマにも捉え方にも苦労していない。だが、苦労しない理由が「不穏な雰囲気があったから」というのは、我ながら何とも言えない気分にさせられるが、普段からそういった雰囲気と向き合わさせられる作品を当たり前の様に相手しているので、必然的にそういった視点から切り込んでいくのが得意になっていくのもまぁ、ある程度は仕方ないと言う訳で......。

 

個性溢れるハロウィン催し

 ハロウィンに限らず、クリスマスやイベント事等の何か特別な日があると、ごちうさにおいてはそれぞれの喫茶店が個性溢れる一面を見せてくれるという特徴があり、今回もその例に漏れず、ラビットハウスにフルール・ド・ラパン、甘兎庵にブライトバニーと、作中において何かしらの縁*4を持つ喫茶店全てがハロウィンの特別仕様となっている。要はごちうさの常套句を今回も行ってくれている」という事で、ある意味では安心の展開でもある。

 ネタもそれぞれの喫茶店の個性が溢れており、ラビットハウスでは魔女、甘兎庵では妖怪、フルールでは悪魔、ブライトバニーではコーヒーのプラスチック容器をモデルとした仮装となっている。個人的には「悪魔」をコンセプトとしたフルールが最も気になる所だが、他の喫茶店が行っているネタも捨て難いし、奇抜と言う意味ではブライトバニーは絶対外せない。

 尚、甘兎庵の妖怪ネタの喫茶店については、千夜ちゃんが九尾の狐、麻耶ちゃんが鴉天狗をモデルとしているが、これらはかの東方Projectに出てくるキャラクターを思わせるものとなっており、東方を知る者にとっては即座にピンと来ると思われる。因みに九尾の狐は八雲藍で、鴉天狗は射命丸文を思わせるものとなっている。

 ここで気になったのはブライトバニーにおける冬優ちゃんの発言にあり、敵情視察と称して喫茶店巡りをしていた心愛ちゃんの後姿を見て「どこか寂しそう」と呟いたのが何より引っ掛かった。細かい事は後述するが、これを見て「冬優ちゃんは『本質を見抜く観察力、洞察力』があるんだな......」と思ったし、同時に「多分その推察は当たっている」と思った。冬優ちゃんは経緯故に「観察能力」が鍛え上げられていたのは想像に難しくないし、性格的にも「他人をよく観察して、人が気付かない本質や性質を見抜けるタイプ」だと思うので、心愛ちゃんのそういう一面を感じ取っても何らおかしくないし、何れは気付いていたんだろうなとも思う。

隠された本質と不穏な招待状

 人間には誰しも「他人には簡単には言い出せない秘密」を抱えているもの。それはポジティブ思考で何があってもめげない心の強さが大きな強みの心愛ちゃんとて例外では無く、冬優ちゃんが「心愛ちゃんが抱える寂しさ」を見抜いていたのが何よりの証明となる。だが、心愛ちゃんがマジに寂しさに打ちのめされている場面と言うのは、良くも悪くも記憶にある限り殆ど無かったと思う。これは、それだけ心愛ちゃんが「本音の心情をひた隠しにするのがある意味上手い」という事の表れだと思っていて、普段は自身の感情や思っている事が態度に出やすい心愛ちゃんにしては意外な特性ではあるが、正直この様な特性は利点と欠点どちらもあるので、簡単には褒められない。

 心愛ちゃんは元々「周りを楽しませる事が自分の楽しさであり生きがい」と言う心情を覗かせてきた人なので、周りからしてみれば「何時も周りを楽しませてくれる人であり、自分も楽しそうな様子」を見せてくれる事から、心愛ちゃんが心の奥底で「寂しい気持ち」を覗かせているとは中々考えにくいとなり易い。そしてそれが、心愛ちゃんの「内なる心情に気付かない事」にも直結しており、今回の様に内には寂しさを覗かせつつも、洞察力の鋭い者を除けばその本質を窺い知る事さえできない事態へと繋がっていく。

 この様な事から、心愛ちゃんと言う人間は、一見すると楽観的且つ何事にも前向きで、近い将来に待つ「自分の成長の為に、親愛なる者達の元を離れて1人研鑽を積む」と言う事実に対しても、持ち前の明るさと前向きな気構えで既に乗り越えている強き人間の様に見えて、心の内には「誰にも見せる事のない寂しさを抱えた人間」だと言える。要するに周りが思っている程彼女は強い人間なんかじゃあないという事で、強い人間に見えるのは「弱さをひた隠しに出来てしまう特性を持っているだけ」でしかない。だが、それ故に彼女の本質を見抜くのは非常に困難で、本人も決して寂しさや弱さを表に出さないが為に、誰も心愛ちゃんがまさかそんな弱さを持っているとは思わないし、たとえ疑っても真相を聞き出すまでには至りにくい。これが「弱さをひた隠しに出来る危うさ」であり、ある意味では最も危惧すべき事案でもある。

 ここハッキリ書いておくが、もしこの様なスタンスを貫き続けた挙句、心愛ちゃん若しくは心愛ちゃん周りの人が、真相をひた隠しにした事が要因となって何かしらの不利益を被る事があったとするなら、それはいかなる理由があろうと心愛ちゃんの危惧に気付けなかった周りのせいなんかではなく、そういった心の弱さを最後までハッキリさせられなかった心愛ちゃん自身のせいだと私は見做す。何故なら、こういった問題を「人の本質を見抜けない周りが悪い」とするのはあまりに酷な話だからであり、また「自分の心情を周りに明かせなかったのを他人のせいにしてはならない」とも考えているからである。結局の所、周りの人がどんなに良かろうが悪かろうが、己の心情を打ち明けるのは何時だって「己の決断次第」なので、周りの環境に左右される事情も確かに鑑みるべきとは言え、最後はやはり「自分でとった決断の責任は自分で取るしかない」となる。故に酷な話かもしれないが、自分の心情を打ち明けられなかったのなら、その責任は打ち明けられなかった本人にあると思うのである。

 また、心愛ちゃんにはもう一つ懸念事項があり、それは今回のハロウィン回にて彼女は招待状を受け取っていたが、その招待状は恐らく「ブライトバニーが企画した招待状なんかではない」と考えられる事実。つまり彼女は「正体不明の招待状を受け取ってしまった」と言う訳で、その招待状によって心愛ちゃんはどの様な世界へと誘われてしまうのか。それが全く分からないのが何より怖い。

 だが、これまた酷な話になるが、この招待状をきっかけに心愛ちゃんが抱えていた「強がりな心情」が露呈すると言うなら、この出逢いもまた必要なものだったのかもしれない。ハッキリ言ってどうなるかなんて分からないし、ややもすれば「自身のアイデンティティ」や「己の生き様」にも関わる深刻な事態へと繋がる可能性も否定できないが、結局の所「何時かはどうにかしなければならなかった事」であり、今までそれを先延ばしにしていただけに過ぎなかった話でもある。そう思えば、今回のハロウィンでは「今までずっと先送りにしてきた諸問題と否が応でも向き合う時」という側面もあるのだろうし、その過程では心に大きな傷を背負い込む可能性さえあるが、それさえも乗り越えなければ多分、この先の道には進めない。生きる為に道を歩み続けるって事は、哀しみでさえも抱え込んで、それでも尚突き進んでいく事を求められるものだから。

信じたい心の強さ

 ここまで心愛ちゃんの、言ってしまえば「脆い部分」や「堅牢に見えて実は危なっかしい部分」に焦点を当ててきたが、それでも同時に心愛ちゃんが持つ「心の強さ」「何があっても折れ切らない強さ」と言うものを信じてもいる。尤も、これまでその様な強さがあったからどんな危機でも乗り越えてきたとして、今回も同じ様に乗り越えられると楽観的に考えるのはちと考えものだが、元々心愛ちゃんは、智乃ちゃんからどんなにあしらわれようとも、自分のスタンスを崩す事は無かったし、どんな危機的状況があろうとも、最後には全て楽しい思い出に変えてきた(或いは上書きしてきた)人なので、ある意味で「どんな状況でも決してめげない絶対的な強さ」を持っていると言える。

 もう一つ重要な事実として「ここまで来たら心愛ちゃんが持つ心の強さと覚悟を信じたい」のもある。私とてごちうさを読み始めてより6年、まんがタイムきららMAXで購読し始めて来月で連続4年、何があろうとごちうさが持つ世界観を信じ続けてここまで追いかけ続けてきた経緯があるので、故に「ここで彼女達を信じなくてどうする」と言う想いもそれなりに強い。ここだけは己の感性がどんなに変化してもぐらつかなかったし、今でも純真たる想いをもって「彼女達の強さを信じている」と言える。たとえその裏に「今信じなければ誰が信じるのか」と言う打算じみた想いがあったとしても......。

 

3.あとがき

 普段から情緒が破壊される様な作品を相手にしているだけあって、今回は心愛ちゃんが些細な事をきっかけに「己が抱える弱さ」と否が応でも向き合う事になるのを予想した内容が、書き進めるにつれて色濃く表れる様になったと思う。とても日常系作品には似つかわしくない見解だと思う人もいるかもだが、今の私はハッキリ言ってもう「日常系作品を主体に読んでいる人間ではない」ので、何を言われたってどうする事もできない。

 今回のハロウィン回を経て、心愛ちゃんが辿るであろう運命の道筋は何となくでも掴めてはいるのだが、もしそこで「苦難苦闘」が待っていたとしても特段驚く事は無い。何故なら、多少の苦難苦闘とはいずれ向き合う事が運命となる道筋を心愛ちゃんは既に選択しているからで、自分の特技に磨きをかける為に、自身の姉にも負けない立派な存在になる為に、木組みの街を離れて1人孤独に研鑽を積む道を選んだ時点でそれはもう決定していた。たとえ覚悟が甘かった事に気付いたとしても、もう後戻りはできない。

 だが、本当にヤバくなったら一旦は身を引いても良いとも考えている。一旦身を引く事で状況が改善すると言うなら、それに越した事は無い訳だし、意地を張って取り返しがつかなくなる領域まで突っ込んでしまう位なら、プライドもメンツもかなぐり捨て去ってでも一旦は退却するのが賢明とさえ思う。心愛ちゃんは普段頑張ろうとして空回りをする事が多いとは言え、平静さを完全に保てなくなるまで無理はしないという匙加減は出来る方だと思うので、そこは賢明な判断を下せると信じているし、そういう意味でも彼女には心の強さがあると捉えている。

 分かる人には分かるだろうが、今回私が書き出した一連の見解の根底にはジョジョの奇妙な冒険シリーズ」(特にParte5)コミック百合姫掲載作品」の影響があり、その影響力たるや、それらを抜きにしてごちうさの感想・考察ブログを書き連ねる事はほぼ不可能になっている程。これに関しては別に良い悪いの次元で話せる事でも無いので、今となっては無闇に考える事もしていないのだが、個人的にはごちうさひいては作品に対する解像度が飛躍的に上がった」と言う意味では良かったと思っている。幾多のトラウマを背負う機会も飛躍的に増えたのはちと笑えないが。

 ジョジョシリーズや百合姫掲載作品、きらら系統作品等々、多くの作品に触れる様になってごちうさはとんでもなく優しい世界観だった」と思う様になってから久しいが、ここにきてごちうさ「ガチな形での不穏」を滲ませてきたので、どう捉えるべきか困っているのも事実。だが、それでもごちうさに対しては「不穏な雰囲気になってもある種の優しさがあり救いがある」と感じると思う。何故なら、ここにきていきなり「一切の救いがない地獄へと叩き落す展開」ごちうさがやるとは、これまでの不穏な展開の描き方を鑑みるとまずもって考えられないからである。

 但し、これはあくまで「予想」であり、現実にどうなるかは全く見当もつかない。ともすれば、今やれる事があるとするならば「万が一にも地獄に叩き落されても耐えられる程の覚悟をする事だけ」である。もし、それでも心が砕かれる羽目になったとするなら、その時はもう「覚悟をしてもし足りなかった。完全にごちうさの方が上回っていた」と、潔く諦めるしかないだろう......。私も含めて......。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ22枚分である。ある意味でこのマイペースさは全くもって崩れないというか、どんな状況になってもこの感想・考察ブログ記事を書き続けているのを鑑みると、私は本当に「己が感じた事を文章で纏める」のが好きなんだと思わされる。ついでに、自分の伝えたい事を書くのが好きだからこそ、こういった事を年単位で続けてこれているんだとつくづく思う。

*1:端的に言えば「組織に対する仲間意識」の事。

*2:要するに「名誉棄損」若しくは「侮辱行為」に該当する事。

*3:尚、百合姫掲載の読切作品によって心を砕かれたのは、この「ロマンスコード」で3度目。1度目は「凪の果てにて」、2度目は「好きです、フッてください!」と言う作品。

*4:基本的には「誰かがアルバイトをしている」と言う形。