多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。今月号で私がきらまを購読し始めてから2年となり、このごちうさ感想・考察ブログも今まで16カ月連続(累計すると19回)して書いており、今回で連続17か月目となりますが、今の所はどんなに私生活が多忙になっても、感想・考察を書く筆を止めるつもりはありませんので、どうか宜しくお願い致します。尚、私はプリマドールに登場する、皆のお姉さん的存在であり、まめに日記を付けている「箒星」の様な「筆まめ」ではないのですが、文章を書くのは何だかんだ言っても好きなので、気付いたら「筆まめ」みたく、継続してブログを書く様になっていたのです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年10月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今回も前回からの「海回」の続編となっておりますが、今回は過去のごちうさに登場した要素が再登場する、所謂「セルフオマージュ」が豊富な回であり、故に初期のごちうさから知っている人にとっては所々に懐かしさを感じられる構成となっていますが、一方で過去の内容を知らなくても今月号の内容は十分に楽しめる様になっていますし、もっと言うと今月号の内容だけでもごちうさが何を重要視しているのか」が良く分かる様になっているので、この「既存のファンと新規ファンのニーズを両立させる構成」は流石Koi先生だと思います。

 尚、今回も前回同様全体的な文章構成は「きらファンメインシナリオ第2部における感想・考察」と同じものでいきたいと思います。やはり16カ月も連続して書き続けていると、書式も度々変化していくものですが、個人的には「きらファンメインシナリオ第2部における感想・考察」で採用している書式が一番やりやすいので、しばらくはこの書式で一貫すると思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今月号は海を謳歌すると言う事で、「飛び込み」や「海での遊び」が登場しますが、現実においてこれらは言うまでも無く当日の気象条件の確認は必須であり、且つ安全性を確かめた上で無理のない範囲で楽しむものなので、今一度ご注意下さい。

1.はじめに

 今回のお話は前回に引き続き「海シスト編」の続編であり、故にシストの目的が記載されている街からスタートするのは前回と同様だが、前回と大きく違うのは「先月では未登場だったブラバ組が登場する事、過去に登場した場面や台詞のセルフオマージュが豊富な事、終始海を謳歌する7人がお話の中心である事等」であり、全体的な雰囲気も前回より更に過去(個人的には特に原作3巻から6巻辺り)ごちうさを思わせる傾向が強いものとなっており、近年のごちうさにしてはシリアスな雰囲気がかなり少ないのもそれに拍車を掛けている。

 今月号の扉絵は、前回に引き続き季節が夏と言う事で、ハイビスカスを思わせる要素が散りばめられている中で、千夜ちゃんと恵ちゃんの2人が、海に浸かりながら頬を寄せ合っていると言うもので、個人的には「常夏の雰囲気」をも感じさせる扉絵だと認識しているが、それ以上に私が気になったのは「千夜ちゃんの瞳がどこか不安げに見えた事」であり、瞳が不安げに見えた事自体は私の感想に過ぎない為、言ってしまえば「思い込み」が多分に含まれているのだが、他方で千夜ちゃんがそう遠くない未来に対して少なくない不安を抱いているのは紛れもない事実である為、何とも言い難い感触を覚えている。因みに今月号の扉絵にて千夜ちゃんが鍵を持っている点も気になると言えば気になるが、私はそれ以上に「心なしか不安げに見える千夜ちゃんの瞳」が気になった為、鍵についてはさほど気に留まる事はなかった。尤も、私はごちうさの扉絵における「鍵」については、正直しっかりと注目した事があまり無いのだが……。

 今月号は終始7人が海を謳歌するのが中心である事と、過去のセルフオマージュが豊富な事から、一つのお話を広い視野で見渡す事が重要だった前回とは異なり、過去との対比や意味付けの違いから何を見出せるのかが重要になると認識しており、故に前回と比べて物語を深く推し量る事が多少なりとも難しくはなっているのだが、近年のごちうさセルフオマージュを用いたキャラの成長や変化も描かれているケースも少なくない事から、コツさえ掴めば推し量る事は案外すんなりと出来るとも認識している。今回もそんな「精巧な工夫が凝らされた」ごちうさに対して思った事を率直に書き出したい。

2.購読した感想・考察

 まずは先月の感想・考察記事の時と同様に「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出していきたい。

今回の内容全体の感想・考察

海を謳歌せし局面

 今回は前回において遂にシストに記載された目的地に辿り着いた7人が、海を思いっ切り謳歌する場面から始まる物語であり、基本的に今回のお話は「7人が海を楽しむ」事に集約されているが、今月号で重要なのは「局面ごとに見える要素が異なっている事」であり、序盤は「飛び込みから見える新世界」が主なテーマなのだが、ここでは「勇気を出して、一歩を踏み出す事で見える世界がある事」を体現していると言える。また、ココチノの飛び込みの際には、最早ココチノでは常套句と化している「肝心な局面でのすれ違い」がここでも使われており、初期から知っている人にとっては懐かしさもある場面となっている。心愛ちゃんにとっては少々不憫ではあるが。

 中盤は浜辺ならではの事を各々が行う図式が中心であり、砂浜での追いかけっこや砂遊びがその最たる例だが、ここでは紗路ちゃんのはっちゃけぶりと千夜ちゃんの奇抜な提案が特に目立っており、千夜シャロそれぞれが持つ尖った個性が目に見えて分かる訳だが、もう一つ重要な要素として「今回のシストの宝物が何かという展開にも繋がっている事」が挙げられ、物語の中継ぎとして重要な役目を担っていると考えている。

 後半になるといよいよシストの宝物の真相について踏み込んでいく事になるが、その正体にはシストを手掛けた人の「粋」な想いが詰め込まれており、その後再び登場するソーダ組とレモン組、そして木組みの街において温泉プールを謳歌していたブラバ組をも併せて「形を残る思い出作りとは何か」を体現する様な構成となっている。因みに今回の「海シスト」の制作者も最後の最後に判明しており、今回の物語(ひいてはごちうさそのものの物語)において非常に重要な意味を担っている。

 全体的に見れば、今月号は「豊富なセルフオマージュと、各々の思い出作りを楽しむ回」だと考えており、故に全体的な雰囲気は過去のごちうさを思わせるものとなっている一方、思い出作りに対する向き合い方を覗かせる様な描写は正に近年のごちうさそのものであり、一昔前の雰囲気と現在の雰囲気の両方を感じる事ができる貴重な回だと考えている。

 また、今月号では近年のごちうさにしてはシリアスな雰囲気が殆どないのも特徴的であり、それ故に私が先月号時点で懸念していた「凄まじいシリアスさが襲い掛かってくる」という事態は今月号でも避けられているが、今月号は展開がやや特殊である為に、今後どこかでシリアスが襲い掛かる懸念が完全に払拭できた訳ではなく、気になる点ではある。尤も、今回に限っては変に気にしても仕方が無いのだが。

飛び込みから見える新世界

 ここからは今月号序盤に行われていた「飛び込み」について考察したい。抑々今月号は「理世ちゃんと麻耶ちゃんの2人が海に向かって飛び込むシーン」からスタートしており、その後に紗路ちゃんを除く4人*1が順番に飛び込みをする訳だが、飛び込みは当然ながら比較的高所から水面に向かってダイブする行為を指す為、作中においても安全面は当然ながらきちんと確保されているとは言っても、高所恐怖症の人や飛び込みの経験がない人にとっては多少なりとも恐怖を覚えるものであり、実際に千夜ちゃんと恵ちゃん(後にココチノ)は最初の場面で飛び込みに対して露骨なまでに恐怖心を剥き出しにしていた事からも、いかに飛び込む事が多少なりとも恐怖を伴う行為であるのか分かるだろう。

 そんな飛び込みだが、ここで重要なのは「どの様な条件下になれば飛び込む決心が付くのか」だと考えており、最終的には全員が飛び込みを実行する中で、真っ先に飛び込んだと思われる紗路ちゃんと、飛び込みに対してそこまで躊躇が無かったと思われる理世ちゃんと麻耶ちゃんを除いて、各自がどの様にして恐怖心をコントロールし、飛び込みと言う行為に一歩を踏み出したのか。それを考察するのが今回の意義である。

 まずは千夜ちゃんと恵ちゃんである。この2人は当初心臓が激しく鼓動を打つほどの恐怖心が隠し切れていなかったのだが、千夜ちゃんは紗路ちゃんが何かあっても助けてくれると分かると途端に躊躇なく飛び込みを行い、恵ちゃんは直前まで恐怖心を捨て切れずにいたが、最終的には恐怖心を抱え込んだまま勢い任せに飛び込みを行うと言う、ある意味「誰よりも度胸がある行動」に出ており、結果的には千夜ちゃんは信頼出来る人が助けてくれるなら躊躇なく飛び込みを実行できる事が分かり、恵ちゃんは恐怖心があっても、覚悟を決めればそれすらも抱え込んだまま、飛び込み実行できるだけの強さがある事が分かったと言える。

 そして、これが意味する所は、千夜ちゃんは「信頼出来る人の為なら躊躇なく実行できる力がある事」であり、恵ちゃんは「決心さえ整えば、どれ程躊躇する事でも己の意思だけで実行できるだけの丹力がある事」だと考えており、これだけでも千夜ちゃんが何故紗路ちゃんの進路選択に無理でも合わせようとしたのか、恵ちゃんが高校生になって着実に成長を遂げているのかの説明はある程度でも出来るのだが、何れにしてもこの飛び込みから千夜ちゃんは「友達や幼馴染を心から信用している事」が、恵ちゃんは「恐怖心すらもコントロールできるだけの強い意志を自ら生成できる事」が分かったと言える。

 次はココチノである。この2人は千夜メグ同様に当初は恐怖心故にお互いに先手を譲ろうとする場面もあるが、最終的には心愛ちゃんは「思い切れば楽しい」とワンクッション置いてから先に飛び込みを行い、智乃ちゃんは「おじいちゃん(ティッピー)に決意表明した上で思い切る形」で飛び込みを行っており、ここからこの2人は千夜メグとは違う決心の仕方をとっているのが見て取れるが、特徴として心愛ちゃんは「恐怖に思う事でも、思い切れば案外楽しいのではないのか」と思った上で実行する事があり、智乃ちゃんは「心愛ちゃんの決心の仕方を参考にしつつ、自分なりのルーティンで決意を固めている事」が挙げられ、ここから心愛ちゃんが如何にしてあらゆる物事を楽しいに変えられるだけの力があるのか、智乃ちゃんがいかに心愛ちゃんを信頼しているのかが良く分かる様になっている。

 そして、これが意味する所は、心愛ちゃんは「不安や恐怖に思う事があっても、思い切って実行してみれば案外楽しいと思える価値観を持っている事」であり、智乃ちゃんは「心愛ちゃんの価値観に影響を受けつつも、あくまで自分なりの決心の付け方を大切にしている事」だと見ており、ここから心愛ちゃんのあらゆる一面を智乃ちゃんは誰よりも知っているからこそ、ブラバ組に対して昔の智乃ちゃんなら出来なかったであろう先導者としての役割を智乃ちゃんは担える様にもなれたと言え、ひいては「信じてくれている人がいるから、一歩を踏み出せる事」にも繋がっていると言える。

 まとめると、心愛ちゃんと智乃ちゃん、千夜ちゃんと恵ちゃんの4人では、同じ「飛び込みに対する決心の付け方」でも大きく2つのタイプに分けられると見ており、具体的には心愛ちゃんと恵ちゃんが該当する「自らの力で恐怖心や躊躇いを律し、思い切って飛び込むタイプ」と言うものと、智乃ちゃんと千夜ちゃんが該当する「信頼出来る人がお手本若しくはサポートをしてくれているなら、恐怖や躊躇いをもはねのけられるタイプ」と言うものであり、それぞれのペアで対比関係となっている点も興味深い。尚、先行して飛び込みを実行した3人に関しては、抑々比較基準が異なってくるために難しいが、新しい事に対して変に怖気づく前に飛び込む辺り、どちらかと言えば心愛ちゃんと恵ちゃんに近いタイプだと思われる。

 余談だが、作中において飛び込んだ先に見える世界の事を「新世界」と形容されていたのを見て、クラシック音楽好きの私はドヴォルザーク作曲の交響曲第9番 ホ短調 Op.95/B.178 「新世界より*2が頭に思い浮かんだものである。また、大阪環状線新今宮駅大阪環状線ホームにおける発車メロディーにも採用されている「新世界より」だが、ここで採用されている楽章は第4楽章であり、同曲において特に有名なフレーズがあるのもこの楽章である。因みに「家路」として知られている楽曲も「新世界より」であり、楽章としては第2楽章にあたる。

置かれし宝物の意味

 次は今月号後半において遂に明らかとなった、今回の海シストにおける「宝物」についてである。通常シストは「地図に記載された目的地に宝箱が置かれており、その宝箱に入っている好きな宝物1つと、今自分が持っている一番の宝物1つを交換する」と言うのが原則なのだが、今回のシストは宝箱には手紙のみが入っており、且つその宝箱に自分の宝物は置いていかなくても良いと言うイレギュラーなものであり、手紙の内容自体も「この海の街に訪れた事自体が宝物であり、それは物によって確立される」と言わんばかりの内容である為、この地図を書いた人は中々に粋な想いを持っている事になる訳だが、今月号終盤にて明かされる作者を知れば納得ものである。

 肝心の海シストにおける宝物の意味についてだが、これは「海で思いっ切り楽しむ事自体が宝物」だと言う意味と「遠征先での思い出を形に残す事で、1日の思い出はずっと残るものとなる」と言う意味があると考えており、前者は作中でもある様に、ここのところバイトなり勉強なりで皆で一緒に羽を伸ばす機会が少なくなっていた中で、7人で一緒に羽を伸ばせる貴重な機会として機能していると言え、後者は云わば「7人で思い出の品を出先で作る」と言うもので、それをする事で「この日の思い出を形に残し、忘れない様にする」と言う意味合いがあったと言え、どちらをとっても「思い出を形に残す事も宝物」と言わんばかりの構図が成立する訳である。

 纏めると、今回の海シストにおける宝物は、手紙の内容にもある様に「シスト探求の軌跡そのものにある」と言え、そこには「友達と一緒に羽を伸ばせる事も貴重なひと時」とも見て取れる訳だが、それ以上に「何気ない日々の延長線上にある出来事も、工夫を凝らせば一生ものの思い出になる」と言う意味が込められている様に感じてならず、そこには海シストの制作者の熱意と粋な想いが込められていると言えよう。

今回の内容について思う事

ここからは前回同様主観的な展望や想いを中心に書き出したい。今回は前回程では無いとは言え、多少なりとも刺激がある内容も含まれているのでそこは了解して欲しい。

豊富なセルフオマージュ

 今月号を語る上で私が外せないと考えている要素として「近年のごちうさでも特に豊富なセルフオマージュ」と言うのがあり、抑々近年のごちうさは、嘗て登場していたお話を思わせる雰囲気や、過去にも登場していた台詞や言い回しを再登場させている場面が所々に存在するのだが、今月号は全体的に過去のごちうさに登場した展開や台詞が使われている場面が豊富且つ印象的であり、特にチマメ隊の3人全員が、現在の高校に通う重要な切っ掛けとなった台詞」「初期からの雰囲気を強く踏襲しているココチノの掛け合い」は、私としては特に印象的なセルフオマージュであり、過去のごちうさを知っている人ならニヤリとなる場面であり、過去のごちうさを知らなくとも、場面構成からごちうさにおいては何か意味を持つ場面」だと、何となくでも洞察できる上質な場面だと認識している。

 そんなセルフオマージュだが、このセルフオマージュがもたらす重要な要素として私は「過去と現在での描写の違いを思い起こす事で、登場人物や環境がいかに変化したのか読み解く事ができる」と考えており、これは「過去の物語の展開や、過去における登場人物の人物像」を少しでも知っている事が前提になるが、今月号においては前述の通り「勇気をもって、新世界に一歩を踏み出す事の意味を嚙み締める智乃ちゃん」と「2年以上の年月を経ても変わらないココチノ2人の擦れ違い」が特に分かり易い例だと考えている。

 前者の場合、智乃ちゃんは親愛なる人達と時間をともにしていくにつれて精神的にどんどん成長しているものの、新世界に一歩を踏み出す事に関しては未だ躊躇が多少なりともあった中で、嘗て麻耶ちゃんが中学生時代に智乃ちゃんに対して、後に麻耶ちゃんと恵ちゃん、そして神沙姉妹が新たに通う事になるお嬢様学校の紹介にて掛けた言葉でもある「飛び込まなければ分からないセカイもある」と言う後押しを今月号においても受けた事もあって、今月号において勇気を出した後に新世界に向けて一歩を踏み出した事に対して、彼女にしては珍しく不思議と笑いが止まらなかった事を鑑みると、智乃ちゃんも「新世界に一歩を踏み出す事の楽しさを知った」と言え、それは嘗ての彼女ならまずもって出来なかったと思われる事から、麻耶ちゃんが智乃ちゃんに対して中学生時代にも掛けた事がある台詞に対する智乃ちゃんの反応の違いから、智乃ちゃんの精神的な成長が読み解けると言ったものである。

 抑々麻耶ちゃんが智乃ちゃんに対して掛けた言葉である「飛び込まなければ分からないセカイもある」についてだが、これは元々お嬢様学校に対してどこか苦手意識があった麻耶ちゃんが、実際にお嬢様学校の紹介イベントに足を踏み入れた事で、麻耶ちゃんにとってお嬢様学校に対する見方が変わった事を智乃ちゃんに伝える為に発した言葉であり、故に智乃ちゃん自身がこの言葉を中学生時代に聞いた時は、恐らく「麻耶ちゃんがお嬢様学校に対する見方が変わった」と言う友達主体な考えを張り巡らせていたと思われ、それはある意味ごく自然な事なのだが、今月号においては麻耶ちゃんから直接自分の事を指す形で言われた事により、智乃ちゃんとしても「飛び込まなければ分からないセカイもある事の意味」を深く噛み締めたと思われ、嘗ての友達主体から自分主体の思想へと変化させた事で、智乃ちゃん自身も嘗て麻耶ちゃんが発した言葉の意味を嚙み締めると言う構図になっていると考えており、それが「嘗てのセルフオマージュ」から見えてくると言う訳である。

 一方後者の場合、抑々ココチノの2人は心愛ちゃんがラビットハウスに下宿している事から、基本的に一緒に居る時間が他の友達と比べて非常に長いにも関わらず、心愛ちゃんにとって何よりの悲願でもある「智乃ちゃんの笑顔や笑い声を、他の人がしっかりと見ている中で心愛ちゃんだけが何故か何時も見そびれたり、聞きそびれたりする事」が所以であり、これ自体は何故こうなるのかは一切不明であり、更に言えばこれ自体には前者の様な「良くも悪くも人の心情や思想さえも変えてしまいかねない*3程に絶大な影響力を持っている訳では無い」事から、どちらかと言えばコミカルな雰囲気が強くなっているが、今月号にてその様なセルフオマージュがあるお陰で、どんなに関係性が親密になったとしても、良くも悪くも変わらない部分はきちんと存在すると言う証明にもなっており、それは副次的に「彼女達の何時までも変わらない関係性」を表していると言える。

 ただ、今月号のココチノにおけるセルフオマージュは、心愛ちゃんにとっては智乃ちゃんが滅多に見せない表情をここでも見られなかったと言う、冷静に考えてみてもかなり気の毒なものであり、故に心愛ちゃんからしてみれば不憫な事この上ないと思われる訳だが、2年以上経過してもその辺りは全く変わっていないのはココチノらしいと言えばらしい為、微妙な所でもある。ただ、日頃からお互いを知っているが故に、肝心な時の擦れ違いも少なからずあるココチノとは言え、心愛ちゃんも何時かは智乃ちゃんの貴重な表情をこの目に収める日は必ず来ると思われるので、気長に待つのが良いのかも知れない。

変わらない関係性

 次は今月号における海を堪能せし7人から見える「普段と殆ど変わらない関係性」についてである。これは「何処に行っても普段と殆ど変わらない立ち振る舞いを見せる7人」に焦点を当てたものであり、今月号中盤における主体とも言える内容でもある。

 この中でも私が今回注目したのは千夜シャロとリゼシャロであり、どちらも紗路ちゃんが関わっていると言う共通点がある訳だが、これはひとえに紗路ちゃんの見せた立ち振る舞いがあまりにも特徴的だった為であり、その根拠は言わずもがな、紗路ちゃんはお嬢様学校時代からの先輩である理世ちゃんと、昔からお互いを知り尽くしている幼馴染たる千夜ちゃんの2人に対しては、普段の彼女とは一味も二味も違う一面が色濃く表れる事である。

 そして、そんな紗路ちゃんの普段と違う一面が最も色濃く表れる場面こそ「飛び込み」だと捉えており、その「飛び込み」でも象徴的なのは「千夜ちゃんの事をサポートすると公言した理世ちゃんを見て、先輩の手をかけさせないと言わんばかりに自分が千夜ちゃんのサポートに回る」と言うもので、これ自体は「良き先輩と後輩の関係」と言えるのだが、一方で紗路ちゃんには理世ちゃんに対する無性の尊敬だけでなく、先輩が居る場で自分の身に何かあったら尊敬している先輩に是が非でも助けてもらいたいと言う、良く言えば「先輩に対する信頼の表れ」、悪く言えば「独占欲すら醸し出す不純な動機」があるのも事実であり、紗路ちゃん自身が「飛び込み」をどの様なスタイルで行ったかの描写がない為に確実な断定はできないが、恐らく紗路ちゃんは理世ちゃんのサポートは借りていないと想定され、故に幼馴染たる千夜ちゃんが、私より先に理世ちゃんに助けて貰うのは、その様な思想は不純なものとは分かっていても、やっぱりどこか悔しいと考えていた可能性も十分に考えられる訳である。

 つまり紗路ちゃんが理世ちゃんに代わって千夜ちゃんのサポートに名乗り出たのは、単純に「先輩の手をかけさせない」と言う後輩としての使命感のみならず、幼馴染たる千夜ちゃんに、自分が尊敬する先輩の事で先を越されるのはどこか悔しいと言う「嫉妬心」が少なからずあった可能性も考えられるからと言う事であり、サポートを名乗り上げた際の紗路ちゃんの焦り具合が、紗路ちゃんには多少なりとも千夜ちゃんに対する嫉妬心があった事を助長させている。

 ただ、ここからが興味深く、千夜ちゃんは前述の通り「飛び込み」に対しては当初強い恐怖があった訳だが、幼馴染たる紗路ちゃんが何かあっても助けてくれると分かった途端、それまでの恐怖心が嘘の様に消えた様子で、一切の躊躇なく海面もとい紗路ちゃんに向かって飛び込むと言う荒業を披露しており、これには紗路ちゃんだけでなく、読み手である私もびっくりな訳だが、これはそれだけ「千夜ちゃんは幼馴染たる紗路ちゃんに対する信頼が人一倍厚い事」を意味しており、千夜ちゃんも理世ちゃんが傍にいる時の紗路ちゃんの心情は、人一倍洞察力のある千夜ちゃんの事なので恐らく分かっている筈なのだが、そんな状況下でも紗路ちゃんがどうにかしてあげると言えば、千夜ちゃんにとってそれに身を委ねる事に迷いはないと言うのは、千夜ちゃんが如何なる時でも紗路ちゃんの事を信頼している何よりの証と思えてならないし、それは正に「幼馴染の絆」なのだと思う。

 尚、この様に「千夜ちゃんは紗路ちゃんの事を心の底から頼りにしている」と考えると、千夜ちゃんが紗路ちゃんと将来一時的にであっても離れ離れになるかも知れない可能性があるのを誰よりも不安に思う事も、千夜シャロが違う高校に進学する事に対して千夜ちゃんがどこか不安げな表情を浮かべていた事も、紗路ちゃんが都会の国立大学に進学しようと検討している事を知って、誰よりも驚きとショックが隠せなかった事も、改めて整合性が取れる事になり、この事からも「千夜シャロは普段千夜ちゃんが紗路ちゃんを(形はどうであれ)引っ張っている事が大半である一方、実は精神的な意味では千夜ちゃんの方が紗路ちゃんを頼りにしている面も強い」*4と言えよう。

 また、もう一つの「リゼシャロ」に関しては、今月号中盤にて紗路ちゃん提案の下、先輩を相手にした正に「青春」*5を感じさせるやり取りがとても印象的であり、これに関してはセルフオマージュも多少なりとも関係しているとは思うが、それ以上に「何時までも先輩を憧れの対象であり続けている紗路ちゃん」と言う構図が強烈な印象を与えており、実際の所は寧ろ理世ちゃんの方が後輩である紗路ちゃんを頼りにしている面も意外と多いとは言え、理世ちゃんの高校卒業後も尚変わらない関係性であり続けるリゼシャロは正にごちうさにおける関係性の象徴」だと言える。

 因みに変わらない関係性と言うのは、今月号終盤にて木組みの街で温泉プールを謳歌していたブラバ組に対しても言える事であり、作中においてブラバ組3人が写真に写っている描写があるのだが、この際神沙姉妹は結構乗り気なのに対して、冬優ちゃんだけは明らかに怯えた表情を見せており、その違いとして考えられるのは、作中でも理世ちゃんが勘繰りをしている様に、冬優ちゃんにとっては苦手意識がある狩手結良ちゃんがブラバ組3人の写真を撮ったからだと思われる訳だが、ここから冬優ちゃんには未だ結良ちゃんに対してどこか恐怖を覚えてしまう傾向があると言え、それは初対面の頃から変わっていない為、結良ちゃんにとっては複雑だと思われる*6が、良くも悪くもブラバ組においても変わらない関係性は存在する事は証明されている。

粋な想いの象徴

 最後にこの海シスト編にて明かされた「粋な想い」について、私が思った事を言及したい。抑々この海シスト編において私が「この海シストには粋な想いが込められている」と思ったのは、ひとえに「今回のシストの作者が思ったよりも身近な存在だったから」であるが、その前に私は以前の記事でも言及した様に、私自身どこかで「今回のシストの作者の詳細は、もしかすると終ぞ分からないかもしれない」と思っていた事は書いておきたい。何故そう思っていたかと言えば、もし今回のシストの作者の詳細が判明しなかった場合、それはそれで神秘性がより増すのではないかと心の何処かで思ったからであり、今思えば如何にも自分が好みとする展開に対する願望がもろに出たものだと我ながら思うものである。また、ごちうさはこれまでも「重要な所は敢えて伏せる」傾向にある作品であった事から、今回の海シストにおいてもそれが適用されるのではないかと思ったのも理由として存在しており、一応客観的な根拠も持ち得てはいた訳である。

 しかし、実際に蓋を開けてみれば、海シストの地図の制作者は今月号の最後にてきちんと明かされ、しかも明かされた作者は思っていたよりずっと身近な存在だったと言うダブルパンチであり、私の予想は色んな意味で見事に外れてしまった訳だが、明かされた内容を思えば最早納得以外に道はないと感じた事から、故に予想が外れてしまった事に対して未練は一切ないし、時が進むにつれて粋な想いをストレートな形で表す事も増えてきたのに対して、どこか嬉しくも思う位である。

 肝心の海シストに込められている粋な想いについてだが、これはシストを書いた人が込めた「シンプルながらも奥深く洗練された想い」を見て私が感じた想いそのものを指し、言ってしまえば何の変哲もないごく普通の感想なのだが、抑々今月号のごちうさは、全体的にそれまでに登場した要素を今月号にて形を変えて再登場させる事で、ごちうさが大切にしている想いや成長、そして受け継がれていくものを改めて強調している面がある為、これまでも三度(みたび)ごちうさが大切にしているものについても想いを馳せてきた私にとって、自分の見解を改めて整理する良い機会になったのと同時に、最早どの様にして新たな見解を拵えれば良いのか分からなかった面があったのも正直事実であり、その結果が正直何の変哲もない様な感想に表れた訳だが、今回に関してはそれが私の許容範囲内での限界だった。もうどうやっても、今回の海シストの作者が明らかになった事に対して「粋な想いに溢れている」以上の事は、私の手では思い浮かばない。

 ただ、今回に限っては最早私の完全敗北は明確なので、今月号終盤で明らかになった内容を「粋な想いに溢れている」と言う形で受け取る事に抵抗はなかった。それ位、今回の海シスト編で見えてきた数々の軌跡は、シンプルながらもとても奥深く洗練されたものであった上、最終的な意味付けも納得がいくものだった。惜しむらくは、そんな美しき世界を十二分に説明できるだけの感性が私の手には及ばなかった事だが、何れにしても今月号終盤の展開は必見ものなので、ここは是非自分が読んで感じ取ったものを大切にして欲しい。

3.あとがき

 以上がきらま2022年10月号掲載のごちうさのを読んだ感想・考察である。今回も先月号以前から続いている海シスト編の流れを汲むものであり、その中でも今月号は終始海を謳歌している7人と言う構図と、セルフオマージュが豊富なのが特徴であり、それ故に過去のごちうさを思わせる雰囲気が色濃くある「海シスト編」の中でも特に過去の雰囲気が顕著に出ていたと思われ、古くからごちうさを知っている人なら「懐かしい」となり、他方で最近のごちうさから入った人なら「どこか新鮮」とも感じられる構図が大きな魅力でもある。

 今月号は過去のセルフオマージュが豊富な事が重要なポイントだと見ており、それはこれまでで説明してきた通りだが、何故ここまでセルフオマージュの説明に熱を入れていたかと言えば、私は昔からパロディや(セルフ)オマージュといった表現技法が好きだったからであり、他にも創作者のバイブルをも覗かせる様な表現美も好きだが、これらをしっかりと読み解く為には豊富な知識量と優れた洞察力及び連想力が必要になると私自身考えている為、私とて容易に推し量れる訳では無く、寧ろ推し量るのに苦労する事も少なくないが、それ故に読み解けた時の喜びは結構大きい且つ楽しいものであり、最近でも映画や音楽においてそれがカチッとハマった時の爽快感を嚙み締めている。

 また、今月号は構成上シリアスな雰囲気を醸し出す事も少なくない近年のごちうさにおいても特にシリアス色が薄く、豊富なセルフオマージュも相まって過去のごちうさを思わせる懐かしい雰囲気を多分に感じさせる内容だった為、私としても結構意外に思った訳だが、同時に私はシリアスな雰囲気がなくなる事はないとも思っている為、不穏な想いも捨て切れないのだが、何れにしても今月号においては、この懐かしい雰囲気を謳歌すべきなのだろう。

 そして、今月号においてもごちうさが昔から大切にしている「想いの継承」はここでも健在であり、特に今月号終盤にて明かされた「海シストの制作者」がその最たる例だと考えている。もっと言うと、セルフオマージュもある意味「想いの継承」に繋がっている側面もあると考えており、今月号は二重の意味で継承に溢れていると言えるのかも知れない。

 今回も前回に引き続ききらファンメインシナリオ第2部の感想・考察の書式を採用したが、今回で16カ月連続となるごちうさの感想・考察を書く事は止まらないと言う事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙34枚分である。今回は正直書き出すのに難儀する場面が少なくなく、それ故に比較的コンパクトな内容となったが、本来ならこの文量でも相当なものである為、16カ月連続して凄まじいまでの文量を書き続けてきた中で培ってきた感覚が、この文量でもどこか「コンパクト」と思わせるのだろう。感覚とは恐ろしいものである。

*1:紗路ちゃんは既に飛び込みを終えていたのか、作中において彼女の飛び込み描写は存在しない。

*2:ここでの「新世界」はアメリカを表している。

*3:尤も、ごちうさにおいては悪い方向に傾く事はまずもってないのだが、それでもあらゆる可能性があると言う事は、必ずしも良い方向ばかりに傾く訳では無い事を常々留意する必要自体はある。

*4:尚、この様な構図はごちうさにおいては割と見受けられるものであり、リゼシャロにもその様な傾向はある。

*5:余談だが、私が大好きなロックバンドである「↑THE HIGH-LOWS↓」にも「青春」と言う題名の楽曲があり、同バンドの名曲として知られている。

*6:ただ、結良ちゃんは「周りから驚かれる自分」や「闇を纏った自分」をわざと演じている節もある為、本当の心境は結良ちゃんにしか分からない。