多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年3月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。2022年最初のきらまの発売日を迎えましたが、私は2022年になってから、パンク・ロックひいてはロックに対するマイムーブメントを更に強めています。その為、徐々に趣味の軸が移りつつある状況にありますが、ごちうさ含めた日常系に対する熱意はこれからも継続させていく所存なので、何卒宜しくお願い致します。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年3月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号は先月号同様、一貫した時間軸の中で物語が進んでいく「何時ものごちうさ」と言ったテイストになっていますが、その中でも中々「これは重要だな」と思わせてくれる要素も散りばめられているので、今回は私が重要だと思った所を中心に書き出していきたいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は正に日常系を地で行く様な構成であり、それ故に激震が走る展開も少なくなかった最近のごちうさの中で「ほのぼのしたごちうさが中心的に表れてきた」と述懐させられる印象が強くあるが、その一方で「確実に成長している皆の姿」「運命の分岐点には確実に近付いている」と思わせる様な描写もしっかり用意されており、総じて言うなら、今月号は「全体を見るなら比較的大人しめだが、こと焦点を絞ると重要な何かが見えてくる」と言う中々に奥が深い構成になっていると考えている。

 また、今月号は主に「チノフユ」に焦点が当てられたお話になっているが、他の登場人物に関しても今まで見せなかった意外な一面を見せる場面も登場しており、その要素も個人的には絶対に外せないと思える程重要なものだと捉えている。今回は最初に大筋を書き出した上で、途中からは「私が重要だと思った事」を書き出すものとする。

2.購読した感想・考察

お弁当から見える想い

 今月号は心愛ちゃん達が通う学校において「お弁当を食べ合う」事から始まるのだが、今月号のキーポイントはその「お弁当」なのは明白であり、お弁当をめぐっては今後終盤まで非常に重要な要素として機能している。尚、お弁当を食べ合う場面で様々な一面が見えているが、その中で一際目立っていたのは冬優ちゃんであり、彼女は他の4人がお弁当を食べているのをよそに一人小さなベーグル一個だけを頬張っているのである。普通に考えても、お昼に小さなベーグル一個だけではいくら何でも流石に足りないと思われるが、冬優ちゃんはどうも「食に対して興味があまりない」らしく、故に冬優ちゃんからしてみれば、小さなベーグル一個だけでも別にそこまで気にする様な事でも無いのだろう。何だか心配にもなるが、千夜ちゃん達のお弁当を貰う際には普通に喜んでいた為、冬優ちゃんは抑々「食事そのものが嫌い」な訳では無く、単純に「食に対して興味があまりないだけ」だと思われる。

 そんな中、千夜ちゃんが手作りお弁当を交換し合うのはどうかと持ちかけるが、この手作りお弁当を交換し合う事は今月号の主軸であり、その展開は今月号の終わりまで続いている。尚、手作りお弁当の交換し合う組み合わせは、双方向は「ココフユ」、一方向は確認できる限り「理世ちゃんから心愛ちゃん」「紗路ちゃんから理世ちゃん」「心愛ちゃんから千夜ちゃん」「千夜ちゃんから紗路ちゃん」と言う構図になっており、それぞれ自分が作ったお弁当を食べて貰う為に奮闘する様子が窺える。また、組み合わせを見ると「心からの親友」「同じバイト仲間にして良き親友」・「同じ高校の先輩と後輩」*1「昔からの幼なじみ」とバラエティー豊かであり、改めてごちうさが魅せる人間関係の広さが良く分かる。

 そして、その中でも特にフォーカスが色濃く当てられているのは「チノフユ」であり、お互いに手作りお弁当で喜んでもらう為に尽力しようとする中で、2人共に理由は違えど「私が本当に上手く出来るのか」と思い悩む場面もあるのだが、そんな2人に対して智乃ちゃんには心愛ちゃんと理世ちゃんが、冬優ちゃんには千夜ちゃんと紗路ちゃんがそれぞれサポートしてあげており、それ故に手作りお弁当の為に友達が集結し、尽力すると言う形で「友達を想い合える優しさ」が目に見えて分かる様になっている。ただ、智乃ちゃんと冬優ちゃんではそのサポートの受け方に違いがあり、この違いに智乃ちゃんと冬優ちゃんそれぞれの現在の成長度や、木組みの街が持つコミュニティに対してどの程度馴染んでいるかが色濃く表れていると言える。しかしながら、全体を通してみれば「お弁当を通じた繋がりの再認識が非常に意味のあるもの」なのは明白であり、ここからはそんな「お弁当」を中心とした繋がりを読み込んでいく中で、私が特に重要だと考えた事を書き出したいと思う。

チノフユの想い合い

 まず今月号においては、何があっても「手作りのお弁当を作り合う事」に対して最も描写が多かったチノフユを外す訳にはいかないであろう。チノフユは「同じ高校の同級生にして大切な親友」であり、その関係性は旅行編を経て10巻で更に深められている様子が描かれている。性格は両者で共通している部分も多いが、智乃ちゃんが精神的な成長の甲斐あって、あらゆる物事に対して割と能動的なのに対して、冬優ちゃんは内気さ故にやや受動的だと言う違いがある。ただ、その構図は智乃ちゃんにとって「自分の事を妹の様に可愛がってくれている心愛ちゃんとの関係」を思わせるものである為、その事も2人の仲をより深めていく中でプラスに作用していると思われる。また、2人共にチェスが強いと言う共通点があり、特に冬優ちゃんは大人顔負けの腕前の持ち主だが、2人共に嫉妬の感情に駆られると、途端に本来の実力を発揮できなくなると言うのも共通している。

 そんなチノフユだが、この「お弁当の作り合い」に対しては2人共に前向きであり、とりわけ食に対する興味が全然ない冬優ちゃんが興味を示したのは非常に意味がある事だと考えている。何故なら私からしてみれば、自分が興味がない分野に対して「友達が何やら楽しそうな事をやっているからやってみたい」と思えるのは非常に凄い事だと考えているからと言うのもあるが、それ以上に冬優ちゃんが「智乃ちゃん達がやっている事に私も飛び込んでみたい」と言う意思を持っているのが改めて確認できるからである。10巻で目まぐるしい成長を見せた冬優ちゃんだが、元々は恥ずかしがり屋且つ引っ込み思案な性格である為、木組みの街に来たばかりの頃だったら、恐らく今月号の様な事は中々難しかったのではないかと考えている。つまり、今月号での冬優ちゃんの行動は、それだけで「彼女の成長を示している」訳なのである。

 ただ、こと「お弁当作り」に関しては2人共に中々苦慮していた様子を見せていたのが印象的であり、苦慮していた理由は、智乃ちゃんは主に「どうやっても自分の父親のお弁当作りの腕には敵わない事*2であり、冬優ちゃんは主に「抑々食に興味がない故に、どの様なお弁当を作れば良いのか全く分からなかったから」なのだが、その様な形で苦慮していたのも「冬優ちゃん、智乃ちゃん共にお互いの事をきちんと想い合っているが故」なので、それだけ「美味しいお弁当を食べて貰いたい」と言う想いが存在している証でもある。ここからはそんな2人のお弁当作りについて、私が重要だと考えた事を書き出したいと思う。

 智乃ちゃんのお弁当作りに関して私が重要だと考えた事は、前述の内容とかなり被っているが、智乃ちゃん自身が「冬優ちゃんには自分が作った最高のものを食べて貰いたい」と言う妥協なき想いが強く存在している事である。何故智乃ちゃんには「妥協なき想いがある」と考えたかと言えば、抑々智乃ちゃんは料理上手な事もあって、心愛ちゃんと理世ちゃんからはそこまで心配されていなかった中で、智乃ちゃんはそれでも「自分の父親にはどうしても敵わない為に、自分の作ったお弁当が、果たして冬優ちゃんに満足して貰えるか不安」と言う心境を明かしていたからである。これが意味する所は智乃ちゃんが「やるからには、例え自分の父親であっても負けない物を作りたい想いがある事」であり、智乃ちゃんの負けず嫌い且つ一切の妥協を許さないストイックな一面が垣間見えている訳である。

 また、智乃ちゃんは心愛ちゃんと理世ちゃんとも相談をした上で、最終的にキャラ弁を冬優ちゃんに作ってあげるが、智乃ちゃんは芸術感性がドラスティックとも、オルタナティブとも呼べる程に超個性的なものである為、冬優ちゃんを思わず驚かせた上で彼女を圧倒させている。尤も、そんな冬優ちゃんをよそに智乃ちゃんは自信に満ち溢れた良い表情を見せているのだが、これは智乃ちゃんが「自分の芸術的感性に自信を持っている証」であり、私としても非常に重要な意味を持つ場面だと考えている。と言うのも、一昔前の智乃ちゃんはそのドラスティックな芸術的感性を気にしていた為であり、それ故に今回の智乃ちゃんの自信に満ち溢れた表情が、彼女自身が持つ芸術的感性に絶対の自信を持てた事の表れになっているからである。勿論、そこに至れたのは智乃ちゃんにとって大切な人達の尽力があったからなのだが、その意味では心愛ちゃんと、智乃ちゃんの母親であるサキさんは、智乃ちゃんの芸術感性を同じ様な観点から絶賛している事実があり、心愛ちゃんはその事を知る由は無く、智乃ちゃんも「同一のものでは無い」と否定していたとは言え、智乃ちゃんが見せたその時の表情は和やかなものであった*3為、今思えば心愛ちゃんにもその独創的な芸術感性を褒められた時から、智乃ちゃんの中でも少し変化が起こり始めたのかも知れない。

 一方冬優ちゃんのお弁当作りに関して私が重要だと考えた事は、本人は半ばその場の勢いで、自分の興味関心について良く考えずに決めてしまったと焦っていたとは言え、抑々「食に興味があまりなかった彼女が、親友の為にお弁当作りに励もうと決意した事」である。何故なら、最早説明するまでも無いと思われる程に当たり前の事だが、自分にとって興味が全くと言って良い程無かった事をやりたいと決断するには、それ相応の強い決意が必要になるからであり、それ故に半ば勢いに助けられたとはいえ、冬優ちゃんの決断にはそれだけ「智乃ちゃんと色んな事にチャレンジして、どこまでも親交を深めたい」と言う確固たる想いが込められていると感じさせられたからである。

 ただ、それでも「お弁当を誰かの為に作る事」が、冬優ちゃんにとっては智乃ちゃんとそう言った約束を付けるまで興味が無かった事が災いして、智乃ちゃん以上にお弁当作りに苦戦している様子が見受けられ、一時は最早分からなさ過ぎて「カップラーメン」を手に取りながら悩んでいた程である。手作りのお弁当を作ろうと言うのに、カップラーメンを手に取りながら悩むとは、冬優ちゃんがそれ位「食に興味が無かった事」が良く分かるが、それにしてもインスタント食品を手に取るとは驚く。そして、路頭に迷った彼女は、偶然同じスーパーに買い物に来ていた紗路ちゃんに頼る事を決め、ここから冬優ちゃんは紗路ちゃん(この後直ぐに千夜ちゃんと合流して千夜シャロ2人)と一緒にお弁当作りに励む訳だが、私としては勇気を出して紗路ちゃんに助けを求められたのも冬優ちゃんの大きな成長の一つだと感じている。私も恥ずかしがり屋な傾向があるが故に経験があるのだが、恥ずかしがり屋な傾向にある人は、咄嗟に人に話しかける事に恥ずかしさから戸惑いが生じて、そのまま話しかけられずに終わってしまうケースが起こり得る事が多く、それ故に私もそれでかなり苦労した過去がある*4が、今回冬優ちゃんは恥ずかしくても勇気を出して紗路ちゃんに助けを求める事が出来た訳である。それは、恥ずかしがり屋な冬優ちゃんにとっては大きな一歩だと思うには、私にとっては十分なのである。

 そんな冬優ちゃんだが、紗路ちゃんに助けを求めて後に千夜シャロと一緒にお弁当作りの練習に励む事になるが、ここでも冬優ちゃんはそれまで食に興味が無かったが故なのか、お弁当作りに悪戦苦闘する様子が見受けられ、そんな中でも冬優ちゃんが一生懸命に作った試作品は、作った本人ですら驚いてしまう程の見た目であり、味にしても自他共に認める程の愛想笑いの達人である紗路ちゃんでさえ、思わず笑顔が崩れてしまう程のものとなってしまったが、それでも冬優ちゃんは、千夜シャロが見せた優しさと2人のお互いを想い合ったやり取りを見て「友達の為にお弁当作りに励む事に対して、喜びと楽しみを覚えた様子」を見せており、例え失敗を重ねても、出来るまでずっとサポートしてくれる千夜シャロに対して感謝の気持ちを込めた言葉を送っているのは印象的であり、私としても「冬優ちゃんの熱意や友達を想う気持ち、そして自分の事を思ってくれる友達に対する想い」が汲み取れる事が重要な事だと認識しているし、やはり「新しい事をまずはやってみる事が大切」と思わされる限りである。

 そして、冬優ちゃんは最終的に自分なりの全力を尽くして智乃ちゃんへのキャラ弁を完成させるが、その見た目は智乃ちゃん程では無いにしても、結構ドラスティックな傾向が強めに表れたものになっていた。やはり誰かの為に料理を作る興味が今まで無かったが故に苦慮が大きかった事が窺えるが、智乃ちゃんはそんな冬優ちゃんの涙ぐましい努力を感じ取ったのか、冬優ちゃんが作ったキャラ弁のキャラクターが何かを一発で当てて、冬優ちゃんを感動させているのである。何というか、正にこれ以上ない位の友情であり、想い合いと言うに相応しい場面であると思うばかりだが、それ以上に「想いが込められていれば、見た目のクオリティは問題にならない」と、改めて突き付けられた様な感触であり、私としても新しい事にも怖気づいて蹲っているのではなく、勇気を出して精進しなければならないと思うばかりである。

多種多様な関係性から見える想い合い

 ここからは「ココリゼ」・「リゼシャロ」・「ココ千夜」・「千夜シャロ」の構図の中で私が重要だと感じた事を書き出したいと思う。因みにこの4ペアだが、それぞれ「異学年同士のバイト仲間にして良き親友」・「同じ高校の先輩と後輩」・「同じ学校の心からの親友」・「昔から苦楽を共にしてきた幼なじみ」と言った感じで、十人十色の構図を成している。

 まずはココリゼから書き出したいと思う。ココリゼは「同じラビットハウスで働いているバイト仲間にして良き親友」であり、基本的には自由でマイペースな心愛ちゃんを真面目且つ几帳面な理世ちゃんがツッコミを入れる事が多いが、理世ちゃんもお調子者な一面がある為、心愛ちゃんと一緒になる若しくは心愛ちゃん以上に調子に乗る事もしばしばあり、結果的に年下である心愛ちゃんや、場合によっては2人共智乃ちゃんから窘(たしな)められる(=軽く怒られる)事も少なくない。その為、ココリゼはある種のお姉ちゃんコンビ*5でありながら子供っぽい所が目立っていると言えるが、これはそれだけココリゼの2人が学年の違いを超えた仲良しである事の裏返し*6でもあるが。

 そんな2人は今回のお弁当作りにおいては、アドバイスを懇願してきた智乃ちゃんに対して的確なサポートを行っているが、この2人にもお弁当作りの構図は存在しており、それは「理世ちゃんが心愛ちゃんのお弁当を作ってあげる」と言うものである。因みに心愛ちゃんは当初理世ちゃんに作ろうとしていたが、理世ちゃんはこの時紗路ちゃんから作ってもらう約束を付けていた為、結果的に「理世ちゃんから心愛ちゃん」の一方向になっている。

 ただ、ココリゼは今月号において表立った描写が他のペアに比べてそこまで多くない為、それ故に様々な事を洞察するのは容易では無いのだが、そんな中でも個人的に良かったと感じたのは「通っている学校も違う異学年同士でありながら、気軽にお弁当作りの約束をし合える事そのもの」である。これは言うならば「異学年同士とは思えない位に仲が良い」という事であり、我ながら「今更それを言うのか」と言った感じではあるが、冷静に考えてみても理世ちゃんは他の高校生組より1学年先輩である為、それ故にある程度距離感が生まれてもおかしくない筈な中で、こと心愛ちゃんと理世ちゃんは、元々学年若しくは年の差がそこまで気にならないごちうさの中でも、ココチノ程では無いにしても、元々誕生日が2カ月程度しか離れていない*7のもあってか、ココリゼは特に距離感が近い異学年同士の2人組と言う印象が強くあり、今回もそんな2人の距離感の近さが如実に表れていた為、今回私はココリゼの「異学年の壁を超えた仲の良さ」を重要な事として取り上げたのである。

 次はリゼシャロである。リゼシャロは元々「同じお嬢様学校の先輩と後輩」と言う関係性であり、紗路ちゃんにとっては憧れの人でもある。ただ、理世ちゃんは既に大学生となっている為、「同じ学校に通う先輩後輩」と言う構図は既に無くなっているが、紗路ちゃんが理世ちゃんの名前を出す時は、一部の例外を除いて現在に至るまで一貫して名前の後ろに「先輩」を付けている。その為、他のペアに比べて距離感が若干ある様に見えるが、これはあくまで「他のペア」と比べてであり、常識的に考えてみればリゼシャロの距離感はかなり近く、それは他の学校の同級生の反応を見れば一目瞭然と言える。因みにリゼシャロは2人共に容姿端麗且つ頭脳明晰、更には運動神経も良い事から、お嬢様学校の中でも有名な存在であり、紗路ちゃん自身にその自覚はあまりない様だが、今やリゼシャロ共に憧憬の的となっている。また、この様な構図はお嬢様学校にはもう一つ存在しており、それが巷では伝説とも称される「青山さんと凜ちゃん」と言う訳である。

 そんなリゼシャロだが、今回は「紗路ちゃんが進学の為に勉強を理世ちゃんから教えて貰っている事に対する恩返しとして、理世ちゃんからお弁当作りをリクエストされた」という事で、彼女は半ば浮かれているとも言える程に張り切っており、お弁当作りに関して教えを請いた冬優ちゃんに対してもそんな浮かれ気味のテンションを見せていた。確かに憧れの人から直々にリクエストを受けた暁には、誰だって多少なりともテンションが上がって浮かれ気味にはなるものだが、それにしても紗路ちゃんのテンションの上がり具合は些か突出していると思う。ただ、紗路ちゃんのその様な心境は、それだけ「理世ちゃんの事を憧憬し、同時に大切に想っている事の表れ」でもあり、それはそのまま冬優ちゃんが気付いた「友達の為に何かをする事の楽しさ」にも大きく関わっている為、結果的には非常に重要な意味を帯びていると考えている。つまり、紗路ちゃんが持つ「世話焼きとも、人想いとも言える程、人に対して何かをする事に対して一生懸命さと楽しさを見せられる」と言うのは、普段はそこまで顕在化する事はないかも知れないが、友達の心には確実に響いているのである。

 尚、そんな紗路ちゃんが理世ちゃんの為に作った弁当だが、紗路ちゃんの幼なじみであり、仕掛け(細工)を施すのが好きな千夜ちゃんと作った事により、ロシアンルーレットなる仕掛けを千夜ちゃんの手によって施される。だが、その仕掛けに嵌まったのは理世ちゃんでは無く、理世ちゃんの昔なじみ且つ大学の同級生の、私にとってはごちうさ界のオルタナティブ的存在」とまで捉えている狩手結良ちゃんであり、結良ちゃんは揶揄い半分に理世ちゃんのお弁当からひょいとおかずを摘まんだばっかりに、千夜ちゃんの細工に見事嵌まってしまったのである。正に「因果応報」と言う訳だが、その時の結良ちゃんのリアクションが中々に良かった為、私としては「結良ちゃんはリアクション芸に向いているのでは?」と思う反面、心の何処かでは「これは千夜ちゃんに直接見られなくてよかったかも……。」とは思った。何故なら、この様な反応を千夜ちゃんに見られたら最後、結良ちゃんはノリが良いターゲットとして千夜ちゃんからその様なロシアンルーレットを頻繁に嗾けられる様になるのは明白なのだから。尤も、千夜ちゃんには悪気も悪意も一切合切ないのだが……。

 3番目はココ千夜である。ココ千夜と言えば「同じ高校に通う大親友」であり、お互いに波長が合ったマイペース名コンビであるが、2人共に天然ボケ気質が強く、そのマイペースさ故に突拍子も無い様な言動を突然する事も少なくない為、図らずも周りの人達を振り回す事もしばしばある。ただ、2人共に悪意がある訳では無い上、振り回されている方にしても「振り回されていても楽しいから良い」と言う意思が確かに存在している為、結果的に多くの楽しいを生み出す原動力となっている。また、2人共マイペース且つ天然ボケな気質が強いとは言っても、その洞察力や言霊力は目を見張るものがあり、それ故にその2つに裏打けされた心愛ちゃんと千夜ちゃんの真面目な言動は、時に友達の人生観や価値観にも大きく影響を与える事すらある程のもので、そのインパクトさでこの2人の右に出る者は早々いない*8その為、このコンビは「単にマイペースだけに留まらない、あらゆる可能性を秘めた恐るべきコンビ」とも言える。

 そんなココ千夜だが、今回のお弁当作りでは「心愛ちゃんが自らの意志で千夜ちゃんの為にお弁当を作った」と言う形になっており、その為に心愛ちゃんが千夜ちゃんに対してその様な趣旨を込めた態々メールを送っている程。因みにココ千夜のお弁当作りに関しては、メールのやり取りや学校で見せたココ千夜のやり取りを見るに「元々緻密な計画の上で練られたものでは無く、半ば突発的に練り上げたもの」だと思われるが、個人的には「だからこそ見えてくるものもあるのではないか」と考えている。どういう事かと言えば、心愛ちゃんにとって「誰かの為に何かをしてあげる事は、別に事前計画を必要とする事ではない」という事であり、心愛ちゃんの良さが前面的に表れていると言う訳である。

 ただ、今回のココ千夜において最も重要なのは、心愛ちゃんの手作りのお弁当を受け取った千夜ちゃんが発した言葉であり、この言葉に対して心愛ちゃんは「どういう事?」と言った感じで良く分からなさそうな反応をしていたが、私にとっては「今回の手作りお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と捉えたのだが、この事は後述する。

 最後は千夜シャロである。千夜シャロと言えば「幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた幼なじみ」であり、普段はボケ気質で悪戯好きな千夜ちゃんに対して紗路ちゃんが振り回されたり、ツッコミを入れたりする姿が印象的であり、それ故に所謂漫才コンビ*9の様な立ち振る舞いが多い千夜シャロだが、それは「2人がお互いの事を心から大切に想い合っている事の証」であり、2人の仲は非常に良好且つ強固なものである。抑々千夜シャロが漫才コンビの様な立ち振る舞いが出来るのも、2人の確かな信頼関係があってこそであり、その意味でも絆の固さは紛れもなく本物だと言える。

 そんな千夜シャロだが、今回のお弁当作りでは半ば唐突に「千夜ちゃんから紗路ちゃんに作ってあげる」事になったのだが、実は今月号において紗路ちゃんがその千夜ちゃんが作ったお弁当を喫食(きっしょく)するシーンはどういう訳か描写されていないのである。その為、果たして紗路ちゃんが食べた千夜ちゃんお手製のお弁当がどの様なものだったのかを直接的に知る術は無いのだが、それにより千夜ちゃんはロシアンルーレットを仕込もうとして、紗路ちゃんは当然ながらそんな事はするなと拒否する展開があったのだが、それも結局どうなったのかは、今月号においては描写が無い為分からず仕舞いである。その為、謎だらけと言えばそうなのだが、その中でも千夜シャロの2人が「友達の事を想ってお弁当のメニューを考えている事」はハッキリと分かる事であり、それは冬優ちゃんの価値観にも「友達を気遣う事の大切さと喜ばしさ」と意味で大きく影響を与えている。分からない事が多くても、分かる事がはっきり意味を持っているならそれで良いのである。

 ここまで「ココリゼ」・「リゼシャロ」・「ココ千夜」・「千夜シャロ」の4ペアが見せたお弁当作りに関して書き出してきたが、それぞれが全く違う姿を見せているのが特徴的であり、そこから多かれ少なかれ他の人物にも影響を与えてもいる。今回はあくまでチノフユが主軸である所が大きい為、チノフユ以外のペアはチノフユに比べると一歩引いた立ち位置になっていると思うが、その影響力は確かなものがあり、それ故に決して外す事の出来ないものなのである。

千夜ちゃんの発言について思う事

 今月号を読んで私が重要だと思った事の最後として、先の部分で「後述する」と記述した「心愛ちゃんの手作りのお弁当を受け取った千夜ちゃんが発した言葉」について、私が感じた事、思った事を書き出したいと思う。また、その言葉は私にとって「今回の手作りのお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と称した理由についても書き出すものとする。

 抑々今回私が重要視した千夜ちゃんの言葉は、お弁当交換について心愛ちゃんと学校で話し合っていた場面で発せられたものであり、内容としては「お弁当交換から見える友達の輪」を意識したものである。前述の通り、この言葉を聞いた心愛ちゃんはその様な千夜ちゃんの言葉に対して良く分かっていなさそうな反応を見せていたのだが、こと私にとっては千夜ちゃんの優れた洞察力や卓越した言葉のセンスに改めて驚かされるとともに、全体的にほのぼのしていた今月号の中でも特に私の心に刺さった言葉として印象に残っていた。因みにこの様な優れた洞察力を窺わせる発言が、私がココ千夜の2人を「あらゆる可能性を秘めた恐るべきコンビ」と評している理由の一つでもある。尤も、それが表立って表れる事は決して多くは無い(特に心愛ちゃん)が、いざ表れた時の力は一際目立っている。

 ただ、私は今月号において千夜ちゃんが提唱した「お弁当から見える友達との繋がり」についてだが、私は「お弁当以外でも、今月号の様な繋がりは見えてくるのではないか」と考えている。抑々私は今回の「お弁当」を「人と人との繋がりを意識する為のツール」として捉えている側面があり、それはどういう事かと言えば「人との繋がりを意識する為なら、どの様なツールでも他人を想う気持ちがあればきちんと成立する」という事である。とどのつまり、他人との繋がりをきちんと意識できるなら、そのツールはどの様な物でも良いと言う訳である。勿論、今回の「お弁当」も私自身尊重している事はここで改めて記載しておく。

 私が思う繋がりを意識する為のツールの例として、遠い友達や知り合いとのやり取りの代表格として昔から存在していた「手紙」があり、今やTwitterFacebook等のSNSや、LINEやMessenger等の「メッセージアプリ」に取って代わられた傾向こそあるものの、依然として特別な意味を持つやり取りの手段だと私は考えているのだが、私自身その手紙でも今月号の様な繋がりは成立すると考えているという事である。因みにSNS」や「メッセージアプリ」でも手紙と同じ様に成立すると私自身考えているが、SNSやメッセージアプリの特性を考えると、手紙と同じ様な効力を持つかは時と場合による所が大きいとも考えている。ただ、何れの場合も大切なのは「友達や他人の事をしっかり想っているかどうか」であり、その気持ちさえあればどの様な手段でも本質的なものはきちんと見えてくると思う。

 また、ここまで繋がりを意識する為の例について書き出したが、抑々私が何故今月号の様な繋がりは「お弁当以外のツールでも成立する」と思ったのか。それは「千夜ちゃんの発言を見て、この様な事象は様々な事に当てはめられるのではないのかと純粋に考えたから」である。早い話が私自身の好奇心であり、ごちうさの実例から普遍的にも使える捉え方も出来るのではないのかと考えて行った訳である。私はこの様な「一つの事象から、何か普遍的な物の見方、捉え方に活かせないか」とはごちうさ以外の日常生活でも度々意識する傾向にあり、それが私自身が持つ幅広い知見にも深く関わっているのだが、これを意識している理由は「その様な物の捉え方を意識する事で、幅広い知見を育むとともに、多くの捉え方を理解できる様になるから」であり、それは私にとっては欠かせないものである。

 そして、私はお弁当交換に対する千夜ちゃんの本質を迫る様な言葉を「今回の手作りのお弁当交換ひいては人と人との繋がりを体現する様な重要な言葉」と私が称した理由については、その様な千夜ちゃんの発言は「友達との繋がりを改めて意識する過程において非常に興味深い言葉だと認識したから」である。元々千夜ちゃんは物事の本質を突く様な言葉を紡ぐ事が誰よりも優れている傾向にある為、今までも千夜ちゃんが紡ぐその様な言葉に思わず考えさせられた事は多く、今回もその一環で考えさせられた訳だが、何れの場合も共通している事として「千夜ちゃんが見据えるその本質蠢く世界観に何時も驚かされ、そして心惹かれた」と言うのがあり、これが上記の理由を裏付ける要因である。言うならば「千夜ちゃんの言葉によって、私は改めて人との繋がりとは何かを意識する事になった」という事であり、再三同じ事の繰り返しで最早食傷気味ではあるが、私にとってはそれだけ千夜ちゃんの言葉に改めて気付かされる事が多かった経緯があり、それ故に今回も重要な要素として、どの様な事があっても外す訳にはいかなかったのである。

3.あとがき

 以上がきらま2022年3月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は全体的にほのぼのしたお話だと言う印象が強く、それ故に私自身「激震が走る様な展開も少なくなかった最近のごちうさにおいて、ここに来て急に全体にわたって大人しめな展開が中心の回が到来してきた」と感じたのは最初に紹介した通りだが、読み進めた後には「細かく見れば重要なものが多く散りばめられた回」と言う印象に取って代わられたのも最初に紹介した通りである。何が言いたいのかと言えば、今月号はほのぼのした展開の中からも、何かごちうさの重要な本質が改めて見えたのではないかという事であり、今回はそれを意識して本文を書き出してきたつもりである。尤も、それにしては後半部分が些か混乱気味になったのは否めないが、それについては勘弁願うばかりである。

 今月号で重要だと思うのは、何と言っても今月号の大部分を担っていた「手作りのお弁当交換」であるのは明白だが、私自身としてはこの様な案が提唱された時点でごちうさの登場人物が凄く良い関係性である事が表れている」と感じたものである。よくよく考えてみれば、登場人物の関係性が凄く良好なのは、もうごちうさを数年にわたって本気で好きであり続けている私にとってもこれまで何度も何度も見てきた筈なのに、今回の「お弁当交換」と言った友達同士のやり取りを見ると改めて「やっぱりいい関係性だなぁ」と思うのは割と不思議な事だと思う気もするが、それだけ私がごちうさに対して強い想いを持っている事の証拠でもあるとも思えば、ある意味持つべくして持った不思議な想いとも言えるのだろう。

 そして、今月号は個人的に「千夜ちゃんの言葉にまたしても考えさせられた回だった」と認識している。元々私自身物事の本質を突く様な言質が好きであり、それ故に千夜ちゃんに限らずその様な言質を見た暁には、それだけでも「意味のあるものを知る事が出来た」と思う事すらある位なのだが、今月号において千夜ちゃんが提唱した「お弁当交換で見える人との繋がり」と言うのは、正に私の心に響くものであり、印象に残るものであったのは言うまでもなかった。その為、今後どの様な事があっても千夜ちゃんのそういう詩的な一面を好きであり続けているのだろうと思う位である。

 最後に、今月号の大半を占めていた「手作りお弁当交換」は、ほのぼのとした展開ながらも、その本質は最近のごちうさにおいて度々提唱される様な重要な何かを含んでいたと感じた事は書き出しておきたい。また、最近のごちうさは時に異質な雰囲気を纏う事もあるが、それでも多くの重要な事が存在している事を私自身まじまじと感じている事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙36枚分である。今回はややコンパクトとなった訳だが、普通に考えればこれでも十分多い方だと思うし、私としてもこのブログで書き始めた当初はこんなに多く書く事はまず無かった。つまり、ごちうさの影響力は私にとっても最早計り知れない程大きいのである。

*1:現在理世ちゃんは同級生である狩手結良ちゃん共々大学生だが、高校時代は紗路ちゃんと同じ学校に通っていた。因みに結良ちゃんも理世ちゃんと同じ高校に通っており、そこで吹き矢部の部長を務めていた。

*2:タカヒロさんの料理の腕前はかなりのものであり、お弁当作りでは誰もが目を見張り、お菓子作りに至ってはあの千夜ちゃんですら思わずその美味に動揺してしまう程。

*3:因みにこの時の智乃ちゃんは、現在の様な姿とは全く異なり、今の様な和やかで感性豊かな一面を表立って見せる事は殆ど無い位に暗かった。その為、この時の和やかな表情は今以上に意味のあるものだったと思う。

*4:尤も、今でも私自身恥ずかしがり屋な傾向は残っているが、昔程ではない。

*5:理世ちゃんが1学年上である事と、心愛ちゃんがリゼユラを除いて最も誕生日が早い事から。

*6:因みに心愛ちゃんはまだ木組みの街に住み始めたばかりの頃、理世ちゃんが自分より年上である事に全く気付いていなかった事が判明しているが、これもある意味2人が年の差をあまり感じない要因なのだろう。

*7:理世ちゃんが2月14日生まれであるのに対し、心愛ちゃんは4月10日生まれである。

*8:いるとするなら、ごちうさの中で別格な存在感と立ち位置を持つ狩手結良ちゃんただ一人だけだろうが、結良ちゃんの場合インパクトがあまりにも強過ぎる事や、抑々見据えている世界観が他の友達とは大きく違い過ぎる事から、抑々比較対象として成立するのかどうかすら怪しい。

*9:千夜シャロの場合、基本的に千夜ちゃんがボケ担当、紗路ちゃんがツッコミ担当であり、ボケとツッコミが入れ替わる事は、他のコンビに比べると普段は少なめだが、紗路ちゃんがカフェイン酔いをおこした時は別である。