多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近も多忙な日々が続いていますが、夏の時期はまだ時間に余裕が生まれると思うので、9月までは一時期よりかは書き上げるスピードが上げられる様に努力したいと思います。因みに書いている時間帯は夜中が大半ですが、何時だって書いている時の想いは真面目且つ真剣です。ただ、たまに書いている内容が自分でも分からなくなる事がありますが、それに関しては夜中に書いている時だけでなく、真っ昼間に書いている時でも起こる時は起こるので、時間帯はあまり関係ありません。言ってしまえばただの処理パンクです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年9月号のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回も前回からの「海回」の流れを引き継いだものになっていますが、今回は云わば「一部分だけで見るのではなく、全体を見る事が重要」になっており、そしてその全体像に隠された真意を読み解いた時、思わずアッとなる上質な構成が印象的でもありましたので、今回も今までと変わりなく想いを書き出していきたいと思いますが、今回からは書式を変化させて、全体的な文章構成を「きらファンメインシナリオ第2部における感想・考察」と同じ様に「初めに全体の感想を書き、後から個別の事象の考察を書く」と言うスタイルにしたいと考えています。勿論、内容そのものはごちうさ本編に準じたものなのでご安心下さい。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、最近のごちうさ感想・考察にはほぼ付き物となりつつありますが、今回も少々インパクトの強い考察や、ややショッキングな考察も含まれているので、十分に注意してください。尤も、他の人から言わせてみれば「私の冷酷さ等、世間一般で言われるものと比べれば大したものではない」と言われる事もあるので、何が本当の冷酷さなのか、私でも良く分からなくなりそうな時がありますが……。

1.はじめに

 今回のお話は木組みの街から飛び出し、海が見えてきた所で終了していた前回の直接的な続編話であり、故に今月号ではいきなりシストが記載されている街へ到着した場面からスタートしている。その為、前回のお話で木組みの街の住人7人に対して大きく貢献していたブラバ組3人は一切登場せず、あくまでも7人が主役のお話となっているのが特徴的であり、また今月号全体の流れを汲み取ると、この7人が如何にして自分達の選択を受け容れ、どの様な未来へと向かっていき、最終的にはどこに行き着くのか。その事を暗示しているとも考察できるのも特徴的である。

 今月号の扉絵は、夏らしく夏の風物詩を象ったアイテムが散りばめられた中で、紗路ちゃんと麻耶ちゃんが仲睦まじい様子を見せていると言うもので、紗路ちゃんは「レモン味の棒付きアイス」を、麻耶ちゃんは「コーンの上に異なるフレーバーを2つ乗っけたアイス」をそれぞれ持っているのだが、このアイスには、本来扉絵の考察をそこまで得意としない私でも重要な意味が隠されていると感じる事ができている。尤も、紗路ちゃんのアイスに関しては大体見当はついている一方、麻耶ちゃんのアイスに関しては今もぼやけた程度にしか理解が進んでいないのだが、何れにしてもこの意味を知った時、私は「こんな粋なメッセージを込めてくれるなんて。あれだけ意固地になって扉絵を深く考えようとしなかったのがバカみたいだぜ……。」と言わんばかりの痛い台詞が脳裏を過るのだろうが、それだけ今月号の扉絵には心を動かされたのである。

 そして、今月号は前述の通り「全体を見渡す事で重要なメッセージが見えてくる」と私自身考えており、そのメッセージがシストの目的地へと向けて、2つのグループに分かれて探し求める構図そのものに深い関わりがあると知った時には、それが彼女達にとっては多少なりとも寂しさと辛さを伴う事実だと言うのに、最早紡ぐ言葉が見付からない程の充足感と安堵感を抱いたのである。一見すると妙に思えてくるだろうが、視点を「分かれる事実そのもの」から「分かれた先に待っている未来」に変えてみると、きっとその意味がひしひしと伝わってくると考えている。勿論、視点を変えても「充足感と安堵感」の組み合わせは変に思うかもしれないし、人によっては「それでも辛いものは辛い」となるかもしれないし、それらに関しては私も重々承知している。でも、少なくとも私にとっては、それまで抱いていた彼女達が進む事になる進路に対する不安や恐怖が少しでも和らいだのは紛れもない事実であり、このメッセージから考えさせられる事も沢山あったのも事実である。今回は、そんな隠されたメッセージに込められた想いにも馳せながら、感想及び考察を書き出していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

 まずはこれまでのごちうさ感想・考察とは異なり、きらファンメインシナリオ第2部の感想・考察にて採用しているスタイルでもある「前半は今月号全体についてと、その今月号から読み解ける事実を中心に書き出していく」のを採用したいと思う。その為、今までのごちうさ感想・考察とは大きく異なる構成となるが、内容自体は今までと変わりなく書き出していく所存である。

今回の内容全体の感想・考察

海へと続く道とその道に隠された意味

 今回はシストの目的地たる「海」がある街に辿り着いた場面から始まる物語であり、序盤は新境地たる街の雰囲気を楽しむ姿が中心だが、ほどなくして今月号最大のキーポイントとなるソーダ組」と「レモン組」に分かれて、実は2枚存在したシストの地図の解明に挑む事になる。因みにこの分かれ方は単に「食べたい味を各々が選んだ結果」なのだが、図らずもこの分かれ方には副次的な意味が複数隠されており、それは単純に「大人と子供」と言う分かれ方だけでなく、「7人が必ず向き合わなければならない事」とも「それぞれが選んだ進展地」とも言うべきものだったと言えよう。

 2つのチームに分かれて以降は、各々がシストの目的地に向けて突き進んでいく事になった訳だが、その時の行動パターンもそれぞれの個性が色濃く反映されており、そこも見所の一つだと言える。そして、最終的にはどちらもチームも目的地にたどり着くのだが、実はあの2枚の地図には「目的地までの行程が異なるだけで、最終的に行きつく場所は共通していた」と言う仕掛けが施されており、仕掛け自体はシストの地図を記した人のちょっとした遊び心と思われるが、これも7人にとってはある意味「各々が選んだ将来の選択に対して漠然と存在する不安や恐怖を少しでも緩和する要素」として機能しており、確約された事では断じて無いとは言え、7人が進む道の新たなる可能性が見えてきた訳でもあろう。

 最終的には7人揃って目的地に存在していた浜辺を思い切り堪能する場面で今月号は締められており、それ故にシストに記載されていた宝物が結局何だったのかはお預けになったのだが、木組みの街の立地上海とは基本的に縁がなかったであろう7人にとって「海を楽しめるかもしれない」と言う事実はやはり魅力的であった筈だし、現に結局7人全員が水着を予め服の下に着用していた事からも、彼女達が「海で泳いだり、楽しんだりする事を大いに望んでいた事は明白」だと言え、故にそれが現実のものになって楽しまない選択肢なんて毛頭無かった(=絶対に海を楽しみたいと思っていた)のはある意味当然と言えるため、個人的には今月号の結末には彼女達の想いを鑑みれば納得ものである。

 全体的に見れば、今月号は「今回の物語全体を広い目で見渡す事が重要な回」だと考えており、故にちょっと独特な展開だとも感じているのだが、それでも新境地においても普段と殆ど変わらない7人*1や、それぞれのチームに分かれて目的地に向けて探究する姿等、今回も「いつもと変わらない」と思わせる雰囲気は随所にちりばめられており、近年のごちうさにしてはシリアス色が少々鳴りを潜めていた事も相まって、今月号は比較的読みやすい展開だったと捉えている。尤も、今月号にて判明した事実に衝撃が無かった訳でも無いが、今までと大きく違うのは「衝撃的な事実に対してそこまで後ろ向きになっていない事」であり、各々の成長がここでも見る事ができる。

 また、前回で仄めかされた謎*2は、今回のお話では基本的にお預けになっており、この事は今月号においてシリアスさが薄まっている要因の一つとなっているのだが、これはこれで少々懸念している事が私にはあり、それは「反動から次回以降凄まじいまでのシリアスストーリーが襲い掛かってくる事」であり、ごちうさシリアスな時は普通に容赦がない事からも、中々に戦々恐々している訳だが、何れにしてもこの懸念は次回以降に対してである為、今考えても仕方が無いが、肝に銘じておかなければならないのも事実なのだろう。

ソーダ組とレモン組

 ここからは今月号において随一のキーポイントと見ているソーダ組」「レモン組」について考察してみたい。抑々「ソーダ組」と「レモン組」と言うのは、今月号序盤にて人数分購入したアイスの味によって分けられたグループであり、メンバーはソーダ組が「心愛ちゃん、紗路ちゃん、麻耶ちゃん」の3人、レモン組が「智乃ちゃん、理世ちゃん、千夜ちゃん、恵ちゃん」の4人で構成されており、グループ分けそのものの意義は「2枚存在する宝の地図を手分けして探すため」なのだが、前述の通りこのグループ分けには2つの副次的意味が存在していると見ている。

 まずは「大人と子供」と言う構図からである。これは智乃ちゃんが今回の「ソーダ組」と「レモン組」に分かれた構図に何かしらの意味がある事を恵ちゃんが汲み取っていた際に、理世ちゃんが提唱した構図であり、理世ちゃんとしては「精神年齢が子供なソーダ組」「精神年齢が大人なレモン組」と恐らく考えていたらしく、これには千夜ちゃんも「ソーダ組は放っておけない雰囲気がある」と言う形で理世ちゃんの意見に同調していたが、私としては「ケースによって精神年齢と言う意味での大人組と子供組は入れ替わる」と見ており、普段は確かに「レモン組」の方が大人みたく精神的に落ち着いた雰囲気を持っており、「ソーダ組」は子供みたいな無邪気さと好奇心旺盛さを持つ雰囲気を持っているが、こと「将来の進路に対する展望や覚悟、ここぞと言う時の精神的な強さ」で言えば、今度は「レモン組」の方が子供らしさを思わせる弱さや不安が目立つ事となり、ソーダ組」の方が大人っぽさを感じさせる覚悟や展望を備えている事になる為、理世ちゃんの言う「精神的な意味での大人と子供の違い」は、それ自体は的を射た考えだと言えるものの、私としてはそれに加えて「その違いは時の場合によって変化する」と見ている。

 因みにソーダ組の中で紗路ちゃんは、普段はどちらかと言えば大人びた雰囲気を持っている為、上記の区分けに当てはまっていない節もあるが、紗路ちゃんはカフェイン酔い時や両親との時間を過ごしている時を筆頭に、彼女とて子供っぽい面をハッキリ持っているのは事実である為、半ば無理矢理だとは言っても強ち間違いではないとは言える。

 次は「7人が必ず向き合わなければならない事」についてである。これは「ソーダ組」と「レモン組」の分け方が、図らずも前者が「将来的には木組みの街を一時的にでも離れる未来を立てている者」と、後者が「木組みの街に留まり、研鑽(けんさん)を積む事を考えている者」に分かれていた事から、将来的に7人は今の様に容易に集まる事が難しくなる事を必ず受け入れなければならないのが改めて浮き彫りになった事を指しており、逃れられない運命の厳しさを体現している。ただ、今月号においては既にこの事実を何度も突き付けられてきた経緯がある為か、7人共にこの事実に対してある程度冷静に向き合っている姿を見せており、唯一千夜ちゃんだけは理世ちゃんの反応を見るに「思い出すとショックが蘇る」と言う懸念がある様だが、千夜ちゃんの場合自分にとっての幼なじみたる紗路ちゃんだけでなく、長らく心の拠り所となっていた人である心愛ちゃんの2人が街を離れる事になる為、他の人以上にショックが大きい事情がある事は容易に察せられるし、故にデリケートな状態が長く続いても全然おかしくないとは思うものの、彼女とて真正面から受け止めなければならない事実なのは変わりない為、その意味では千夜ちゃんに対する心配は多少なりともある。

 尚、今月号において理世ちゃんは「千夜ちゃん自身、心愛ちゃんと紗路ちゃんが街から離れる事を気にしている事」を気にかける場面があり、実際に千夜ちゃんがいる目の前でその話題が飛び出したため、理世ちゃんとしてはかなり不安そうな顔をしていたが、当の千夜ちゃんは得意のメニューの名付けに夢中になっていた事から、結果的には理世ちゃんも杞憂だと判断していたが、私としては、これだけでは千夜ちゃんとしても、2人が街を離れる事に対してある程度でも気持ちの整理が付いている証明がなされた訳では無い事から、杞憂はなくなっても懸念はなくならないと考えており、元来メンタルがあまり強くない事も相まって、色んな意味で千夜ちゃんの未来が本気で心配になってくる。しかしながら、千夜ちゃんとてメンタルは弱くてもその意志は寧ろ強い方で、親しき者の動向に合わせがちな面こそある*3ものの、親しき者の期待や願望の為なら、自分から簡単には意思を曲げない強さと親しき者の為に全力を尽くせる意思を彼女は持っている事から、千夜ちゃんも紆余曲折を経ながらも最終的にはきっと乗り越えられると信じている。

 因みにソーダ組の3人の中で心愛ちゃんと紗路ちゃんは木組みの街を出る決断は既に確定しているが、麻耶ちゃんは「将来の選択肢として『木組みの街を離れて、世界を駆け巡ってみたい』と言う願望もある」と言う形に留まっており、故に麻耶ちゃんとしては2人の様に「この時期になったら必ず木組みの街を離れる」と決断している訳では無い様だが、麻耶ちゃん本人の意図や恵ちゃんの分析を見るに将来的に恐らくは木組みの街を離れる決断をする可能性は高いと言え、麻耶ちゃんらしい展望と言える。しかし、その一方で彼女は決断こそ思い切りが良いが、実はチマメ隊の中でも一番将来に対して早い段階から不安が目立っていた過去もある程に精細且つ不安に駆られやすい面があり、故に現時点では木組みの街を離れて外のセカイをみてみたいとは考えていても、いざそれが現実に実行できる時期が迫ってくると、途端に不安が増大して意思が揺れ動く可能性も否定できず、故にその動向は慎重に見る必要があると思われる。ただ、麻耶ちゃんとて1度人生における進路選択を経験した高校生であり、中学生時代からは現時点でも一回りも二回りも成長した事から、最早彼女に迷いはそれ程ないのかも知れない。

 この様に「ソーダ組」と「レモン組」からは「精神年齢が(環境によって)大人組と子供組に分けられる事」と「将来的に木組みの街を離れる未来を選択しているのか否かの違い」と言う2つの副次的意味があると見ており、後者は今後のごちうさにも深く関わってくる要素として特に重要視している。因みにこれは完全に余談だが、「ソーダ組」と「レモン組」はそれぞれ「ボケ担当とツッコミ担当」がバランス良く分かれた構成にもなっており、技量の差を抜きにすれば、普段からボケツッコミ両方そつなくこなせる人がそれぞれ1人ずつはいるのも良きポイントである。

それぞれの道の結合点

 次は「実は2枚存在したシストの地図を探し求める中で見えてきたもの」についてである。これは「シストの地図に記載された目的地に『ソーダ組」と「レモン組」に分かれて向かっていく事そのもの」に意味を見出した考察であり、前述の「『ソーダ組』と『レモン組』が、木組みの街を離れる組と留まる組に分かれている事」も重要なキーポイントの一つである。

 では、上記の一体何が重要なのか。結論から言えば「2枚存在したシストの地図の目的地は2枚共に同じであり、その道中が違っていた事実」を鑑みて、視点を変えると「将来的に「ソーダ組」が木組みの街を離れても、また何時かは「レモン組」もとい木組みの街に留まる組と再び集結する時が来る事の示唆なのではないか」という事であり、要するに「7人はバラバラになってもいつかまた集結する」と言う事をシストの地図に記載された目的地を探す過程から見出せるのではと言う訳である。そして、この事実は嘗て原作10巻終盤で青山さんが発していた台詞とも大きく関わっていると見る事もでき、彼女達は「例え歩む道はそれぞれ異なっていても、やがては再び集まる時が来る」という事実にまた一歩近付いたとも言えよう。

 ただ、肝心の再集結時期に関してこれだけではハッキリ言って全く分からない。一番想像しやすいのは「『ソーダ組』が新たな拠点先で一定の成果を見出した時」と思われるが、これも具体的な時期を見出すには程遠く、それが数年後なのか、10年後なのか、はたまたもっと未来の話なのか。そればかりはどうやっても分からない。無論、その「具体的な時期が分からないと言う事実」が、心の不安をより掻き立てる事になってしまっているのは百も承知だが、分からないものは分からないとしか言いようがないし、分かりもしない事を適当に言った方が更に傷が深くなる事を思えば、下手に喜びを掻き立てる様な出鱈目(デタラメ)だけは彼女達の為にも言ってはいけないとすら思えてくる。

 しかしながら、具体的な時期こそ分からないとは言え、大人になってから再び集結する未来を見据えられる事自体に大きな意味があると考えている。何故なら、いま彼女達が過ごしている何気ない日々が実は奇跡の賜物である様に、何年後かに再び集結できる未来が見据えられる事もまた奇跡の様な賜物だからであり、故に決定的根拠は何も存在していなくても、ただ「私達ならたとえ一時は離れ離れになってもまた集結する時がやってくる」と思えるだけでも相当に凄い事だと考えており、それは7人がそれぞれ信頼し合っている証なのだとも感じている。

今回の内容に対して思う事

ここからは主観を中心的とした展望や想いを中心に書き出していきたい。その為、ここからはやや刺激の強い内容も多少なりとも含まれているので注意して欲しい。

ほのぼのさとシリアスさ

 今月号を読み進めていく中で私が真っ先に思ったものとして「今月号は近年のごちうさとしても、前回と比べてみてもシリアスな雰囲気が薄めで、嘗ての様なほのぼのした雰囲気が中心的だった」と言うのがあり、今月号においてもシリアスな展開はなくはなかったとは言え、かの原作10巻終盤から11巻序盤の回や「銀河鉄道回」のシリアスさと比べるとその印象はかなり薄く、代わりに嘗てのごちうさの中心たる雰囲気だったほのぼのとした感触が多くあったと感じている。尤も、比較対象がごちうさの中でも特に異質だった回な訳だが、私としてはその異質なまでのシリアスさが良くも悪くも基準となってしまっており、故にちょっとやそっとのシリアスさでは驚くに驚けなくなっているのである。

 そんな印象が私の中にある今月号のお話だが、私の中でシリアスさの基準がかなり高い事を抜きにしても、麻耶ちゃんが将来的に木組みの街を離れる展望がある事が判明した以外は基本的にほのぼのした雰囲気が漂っており、特に「千夜ちゃんのおっとりした雰囲気に押され、目的そっちのけで飲み食いばかりするレモン組」「良くも悪くも大雑把な道筋を選ぶ傾向にある心愛ちゃんと麻耶ちゃんに振り回される紗路ちゃん」完全に日常の延長線上にある雰囲気であり、これらからも「何時かは簡単には見られなくなる光景」と言う形でシリアスさを見出す事も一応できなくもないが、当然ながら「可愛い」を売りにした、正に日常系を体現している作品たるごちうさにおいてそこまでしてシリアスさを見出さなければならない理由はどこにもなく、故に「今月号はシリアスな雰囲気も多少あるが、全体的にはほのぼのした雰囲気が中心」と言う印象が私の中で存在している。

 また、今月号は全体的に「心に沁み渡る発言」がそこかしこに散りばめられている印象もあり、これは「何時かは7人が再集結する未来」「分かれた道は再び一つになる」と言うのがその代表格と見ているが、これらは粋な良さを持った発言と見るのが適切であり、シリアスとはまた別物である為、やはり今月号にシリアスな雰囲気は少ないとなるが、この「心に沁み渡る発言」には、彼女達の精神的な成長を色濃く感じる事ができ、シリアスとは別ベクトルながらも考えさせられる言葉として機能していると捉えている。

 この様な事から、今月号は「麻耶ちゃんが将来的に木組みの街を離れる事も視野に入れている事があきらかになった事」を筆頭にシリアスな雰囲気そのものはあるが、それ以上に彼女達7人の日常の延長線上とも言える雰囲気がそこかしこに漂っていると言え、その事からも「今月号はシリアスよりもほのぼのした雰囲気が中心的」だと捉えている。

 しかしながら、前述の通り私はそれ故に恐れている事があり、それは「次回以降に反動として凄まじいまでのシリアスさが襲い掛かってくる事」である。抑々この「海シスト編」においては前回のお話の時点で多少なりとも気になる要素が私の中で存在しており、それは「海が目的地のシストに記された宝物が表す意味」「海がある街に向かう際にティッピーが発した意味深な発言」の2つなのだが、今月号においてはそのどちらも詳細は明らかにはならず、次回以降にお預けとなった為、その正体が分からなかったのは当然の事ながら、正体が分からなかった事で「この明かされなかった2つには、もしかすると途轍もないまでのシリアスが待ち構えているのかも知れない」と言う、最早恐怖に近い不安が掻き立てられる事にも繋がっており、故に今月号のラストで「7人が思い切り海を堪能する」と言う描写を見た時でさえも、後々になって「あれもシリアスが襲い掛かってくる前の、ひと時の幸せなのかな……。」と、とんでもなく不吉な事を考えてしまっていた自分がおり、勿論私としてもそんな事は望んでいる筈も無い(なって欲しくない)訳だが、「もしかすると……。」と言う懸念が払拭し切れない事実に今でも多少なりとも恐怖が過る。

 更に言えば、私がシリアスな物の見方を普段からあらゆる物事に対して意識しているのも、今回に限っては多少なりとも暗い影を落としている要因となってしまっており、それは嘗て私がごちうさに対する向き合い方をめぐって悩んでいた時期を思い出す様な感覚だが、あの頃とは違って今の私は「どんなにシリアスな展開でもそれを受け止める覚悟」を持っている為、私が挙げた2つの未確定要素がどんな属性を持っていたとしても、私としては真正面から受け止めるだけである。

麻耶ちゃんが秘めし展望

 次は麻耶ちゃんが明かした彼女自身の将来の展望に対して思った事である。麻耶ちゃんは今月号にて「自分が知らないあらゆるセカイを探究する為に、将来的には木組みの街を飛び出すかもしれない事」を明かした事は今までに説明した通りだが、私としては確かに衝撃こそあったものの、麻耶ちゃんが7人の中でも好奇心旺盛である事と、彼女はあらゆる未知のセカイを以前から追い求めていた事を思えば、麻耶ちゃんがこの様な意思を持つのはある意味当然の道理と私自身考えており、故に前向きに彼女の展望を応援したいと思えている。勿論、不安もなくはないが、麻耶ちゃん自身がその様な展望を持つと言うのなら、それを尊重して受け止めてあげるのが私に課せられた役目だと思っている。

 ただ、幾ら麻耶ちゃんが持ち前の好奇心旺盛さ故に、まだ見ぬセカイを探究する為に木組みの街を離れる決断をする事さえ想定できる事だと言っても、それを受け止める事が誰にとっても容易ではない事もまた真実だと悟っており、それ故に麻耶ちゃんには木組みの街を離れては欲しくないと思うのもごく当たり前な事だと私も考えているし、私とて麻耶ちゃんまでも木組みの街を離れる検討をしている事に寂しさを覚えている事にも正直違いはない。それだけ慣れ親しんだ木組みの街において、かけがえのない仲間がいる中で街を一時的にでも離れる決断をする事は、それ相応に辛さや痛みを抱えなければならない事だと私も認識している訳である。

 しかしながら、何故麻耶ちゃんがその様な辛さをも伴う「一時的にでも木組みの街を離れると言う検討」をしている事を知った上で、それでも私が前向きに応援したいと思えたのか。その理由としては、今月号において麻耶ちゃんの幼なじみである恵ちゃんが既に麻耶ちゃんの将来の意思に勘付いていた様に、私としても「麻耶ちゃんがその様な展望を秘めているなら、たとえそれが多少なりとも痛みを伴うものであったとしても、彼女が持つ本気の意思を心から受け止めてあげたい」と思えているからであり、そこにはこれまでも飛躍的な成長を遂げてきた彼女達の軌跡や、原作10巻終盤において麻耶ちゃんより一足先に木組みの街を離れる決断を表明した心愛ちゃんと紗路ちゃん2人の「さらなる成長を目指す為に街を離れても、決して木組みの街を見捨てる事はない」と言う意思も大きく関わっており、要は「彼女達が持つ無限の可能性と、彼女達が秘めし木組みの街を愛する感情を私は心から信頼しているからこそ、麻耶ちゃんの大きな展望を知っても心から尊重できる」と言う訳である。

 勿論、私としても麻耶ちゃんがこのまま順風満帆の道筋を辿っていくとは正直想像できないし、故にこれから幾多の苦難や現実を知っていく中で、麻耶ちゃんの意思が揺れ動く事は確実にあると思っており、麻耶ちゃんは心愛ちゃんと紗路ちゃんよりも年下である為、云わば「先輩が直面する事になる現実を目の当たりにする運命」である事も拍車を掛けている。ただ、麻耶ちゃんには持ち前の好奇心に裏付けされた抜群の行動力があり、幾多の不安を解消できるだけの仲間が沢山おり、何より彼女は勇気を出して飛び込む事で見えるセカイがある事を中学生時代の進路選択の時に知っている。それを思えば、少々の不安があっても麻耶ちゃんを信じ抜こうと思える大きな原動力として最早不足は無いと思う訳である。

残された懸念事項

 最後に私の手では今月号時点では十分に読み解けず、且つそれが今後のごちうさにも関わる事として私が気になっている懸念事項について書き出したい。これは単刀直入に言えば「今月号時点でも私にとっては分からなかった謎」であり、私の中では「先月号で見せたティッピーの意味深な発言」「『海」が目的地のシストが示していた宝物」の2つがそれに当たっている。

 まずは前者である。このテーマが私の中で謎のままになったのは、抑々今月号においてティッピーが台詞を発する場面が基本的に無かったからなのだが、これに関しては私自身別に分かった事があり、それは「智乃ちゃんとしてもティッピーもといおじいちゃんに話しかけたい願望が、現時点でもかなり少なくなっている事」である。智乃ちゃんは元々自分の中で整理が付かない事があると、大抵はおじいちゃん相手に相談をしていた傾向があり、それは「おじいちゃんを自分の中での一番の拠り所としていたから」だと思われ、時期としては智乃ちゃんが周りの友達に対してまだ十分に心を開き切れていなかった頃に良く目立っていたと見ている。しかしながら、智乃ちゃんも心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない友達に対して少しずつでも心を開いていく中で精神的に少しずつ成長していき、その過程で徐々におじいちゃんだけを頼りにする事も減少していき、今となっては自分にとってかけがえのない家族同然の親友をまずは頼りにする事が彼女の基本となった事で、結果的にティッピーもといおじいちゃんと会話する事もかなり少なくなったと考えており、故に今月号においてティッピーの台詞が基本的に無かった事は、間接的に智乃ちゃんが嘗てとは見違える程に精神的に成長している事の証でもあると見ている。

 ただ、それによって智乃ちゃんが絶対に向き合わなければならない事として「おじいちゃんが完全にいなくなる事を受け容れなければならない事」があり、先月号におけるおじいちゃんの意味深な発言は、正にこの「来たる時に必ずやってくる別れ」を想起させる内容であったために、私としても今月号においてティッピーの台詞が基本的には存在しなかった事で、今月号を読んだ後でも謎が残る懸念事項として残り続けている。そして、これに関してはいつどのタイミングでその時が来るのか私自身殆ど分からないため、長らく懸念事項として燻り続けている大きな要因でもあり、正直私はこの事例をどの様にして向き合うべきなのか、良く分からなくなる事もあるのだが、それでも私はこの事例から逃げずに今後の動向を見守り続けたいと考えている。何故なら、ここまでごちうさを愛し続けたのなら、この事例も最後までしっかり見守らなければ、後から私は知ろうとしなかった事を絶対に後悔する事になると私自身考えているからであり、言ってしまえば自分で自分の思想に縛りを付けている訳だが、それだけ私にとっては絶対に知らなければならないと思っているのである。

 次は後者である。後者が私の中で謎のままになった理由は「果たして浜辺そのものが宝物」なのか、はたまた「浜辺周辺を探し求める事で見つかる宝物」なのか、今月号だけではその判断が付かなかった為であり、これに関しては本来そこまで懸念する必要も無いのだろうが、前述の通り私には「次回以降今月号の反動として凄まじきシリアス展開が襲い掛かってくるかも知れない恐怖」がある為、普段ならさほど気にせず流せる事も嫌に気になる懸念事項としてのし上がってくる訳である。尤も、これに関しては流石に次回明らかになると思われるので、そう長い事悩む事も恐らくはないと思われるが、その明らかになる内容がシリアスでない保証などどこにもない為、不安は心の片隅ながらも確実に燻り続けている。しかしながら、ごちうさに対するこの手の不安は別に今に始まった事でも無く、故に不安で己のごちうさに対する「好き」という気持ちを食い潰してしまう危険性はまずもってなくなっている現状である事から、やはりそこまで神経質になる必要も無いのかも知れない。

 余談だが、私がごちうさの中でも相当に異質且つ奇特な雰囲気を醸し出す狩手結良ちゃんや、作中でも特にシリアスさが顕著な原作10巻終盤や「銀河鉄道回」において、恐怖に慄く事はありながらも挫ける事はなかったのは、私自身普段からごちうさに対してもシリアスな思想を内在化させているが故に、いつの間にかシリアスに対する耐性が強くなった為で、シリアスな雰囲気が顕在的に表れる事も少なくない近年のごちうさにおいてはそれなりの効果をもたらしているが、当然ながら一筋縄ではいかない内容も大いに含まれる概念である事から、時に自分でも良く分からないままに、悪魔の様な感情に心をかき回される感覚に苛まれる事が度々あるのも事実である。尤も、それは人間なら誰しもが持つ感情に揺さぶられている事を意味するのだが……。

3.あとがき

 以上がきらま2022年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は先月号からの直接的な地続きの物語となっている事から、ごちうさでは珍しい「海」が序盤から物語に深い関わりを見せており、また先月号では正しく「陰の立役者」を演じたブラバ組の3人も今月号では一切登場していない事から、先月号よりも更に原作9巻以前のごちうさを思わせる趣が強くなった印象があり、それは一時的なものであっても深く心に残るのは言うまでも無いだろう。

 今月号は「『海』がある街に辿り着いた7人が、如何にしてシストに掲載された目的地を目指し、その目指す過程で何を思い、何を手にしたのか」が重要な要素だと見ており、「ソーダ組」と「レモン組」と言う、元々は食べたいアイスの味がどっちだったのかが発端だったグループ分けに隠された副次的意味や、7人が向かうべき道筋に待つ一種の試練やその先の結合点がそれに当たる訳だが、私にとってそれらの内容に対してより一層現実のものとなった一筋の希望も、未だに払拭できない一抹の不安もあったのは紛れもない事実であり、故にその心情は決して一つの色には染まらないのだが、それも「7人が必ず向き合わなければならない事が源流」だと言うのなら、期待も不安も全て抱え込む覚悟を私も一緒に持つまでである。

 また、今月号においては麻耶ちゃんが作中において、将来的に「新たなるセカイを見つけるため」に木組みの街を一時的にでも離れる事も視野に入れている事実が明確になった訳だが、これに対して私としても「少々寂しくなるものだ」なり「好奇心旺盛な彼女ならあり得る選択肢」だの、色々な想いが駆け巡ったが、それらをひっくるめて私から言える事は「麻耶ちゃんらしい展望である一方、彼女の想いは紛れもなく本物」だと思った事であり、故に私が麻耶ちゃんの展望を無理にでも止めなければならない道理が最早なくなった事を悟り、彼女の意思を全面的に尊重したいと思うのに時間はそれ程掛からなかった。勿論、彼女に対する不安が完全に消えた訳では無いが、彼女の底知れない想いの本気度を鑑みるならば、私にとって彼女の意思を尊重する以外の道はないと考えているのである。

 そして、今月号では一部を除いて近年のごちうさにしてはシリアスさが少々控えめであり、故に先月号の感想・考察にて私が立てていた「凄まじい展開」は登場していなかったが、何度も言う様に今後に反動として凄まじいまでのシリアスが襲い掛かってくる可能性もある上、私も今月号では解消し切れなかった2つの懸念事項がある事から、楽観的になれる程の感触は無いのだが、それでも新しいごちうさは毎月のようにやってくる事と、たとえ私が立ち止まってもごちうさは待ってはくれない事を思えば、あらゆる感情を秘めながらも走り続けるまでである。

 今回は私が書いているもう一つの分野でもあるきらファンメインシナリオ第2部の感想・考察の書式に合わせたスタイルを採用している為、今までのごちうさ感想・考察文とは異なる部分も多々あったと思われるが、書式が変わっても熱意は変わらない事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙36枚分である。今回は書式を変えているので単純な比較は難しいが、書式を変えた事で以前にも増して私の秘めたる想い(特にシリアスな雰囲気に関する事)が書き出せる様になったのも事実であり、良くも悪くもより自分に正直な内容にはなったと考えている。

*1:恐らく旅行編での経験が彼女達をそうさせるのだろう。

*2:海が目的地のシストの全貌、ティッピーの意味深な発言の真意等。

*3:これも彼女が実は寂しがり屋なことと、彼女は友達の為に一念発起できる人である事の表れでもある。