多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近も新しいきらら作品を堪能したり、ジョジョの奇妙な冒険を大いに堪能していたりしていますが、今月号から「ごちうさ」と「ななどなどなど」に加えて、遂に「ぼっち・ざ・ろっく!」もきらまで読む決断をした次第であり、このブログ記事執筆時点で何れも読了していますが、どれも凄く面白い作品であり、特に「ななどなどなど」は個人的に大好きな作品でもあります。また、今月号のぼざろ特別編に関してはかなりシリアスな内容なので、決して気軽に読める内容ではありませんでしたが、伊地知姉妹が如何にしてバンドに対する心情を持つ様になったのか、姉妹の過去に何があったのか、そして今でも伊地知姉妹が、2人してバンドを大切に想う理由とは何か、それらが一挙に読み解ける内容になっていたので、ぼざろが好きなら是非お勧めだと自信をもって言えます。特にこれを読めば、虹夏ちゃんの姉である星歌さんに対する解釈と理解が大きく変わります。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は先月号の「ココチノ2人の実家帰省」の完結編とも言うべき内容で、中盤まではハプニングはあっても、あくまで日常的な雰囲気の延長線上にあるテイストになっていますが、終盤になると物語の根幹にも関わる程の展開が待っており、それは「ティッピー」もとい「智乃ちゃんのおじいちゃん」に起因するものですが、その内容はあまりにも凄まじく、また印象的だったので、今回は中盤までのある意味日常の延長にある展開と、終盤の凄まじい展開の2つを中心として、後者の凄まじい展開を深く掘り下げる形で書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は物語上非常に重大な展開を迎えている為、刺激がかなり強い内容になる事と、物語上重要なネタバレが存在する事にはご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は前回の「心愛ちゃんの実家帰省」の流れを汲むものであり、先月号から続いてモカさんやお母さんと共に保登ベーカリーの手伝いや実家帰省を満喫する姿が主軸となるが、先月号と違うのは「木組みの街組もきちんと登場している事」であり、故に先月号には無かったごった煮感が存在しているが、それでもごちうさの世界観が全く崩れていない点は流石だと思う。

 今月号の扉絵は、まほうつかいの様相をした心愛ちゃんが、まだ幼い智乃ちゃんを抱きかかえているのを中心に、美しい背景がバックにあると言うもので、これは嘗て智乃ちゃんが幼い心愛ちゃんを抱きかかえていた扉絵と逆の構成をしている訳だが、当の私は正直それ程興味を掻き立てられた訳ではない為、単純に「今月号の扉絵も印象的だ」と言う当たり障りのないシンプルな感想しか思い浮かんでいないが、絵から様々な事を思い浮かべる事は純粋に楽しい事である為、私もそれなら思い浮かべられるが、パッと思い付いたのが星形を見てジョースターが連想されたと言うものである為、いかに私がジョジョの奇妙な冒険好きになったのかを改めて思い知らされる結果になった。

 今月号は中盤までと終盤の2つで大きくテイストが違っており、中盤までは「実家帰省から見えてきた絆と結託力」、終盤は「これからの過程において乗り越えなければならない事」と言う意味で重要な要素が存在していると認識しており、前者はそのまま絆や結託力の深さと直結する為、割と褒めやすい内容ではあるが、後者は言ってしまえば容赦ない現実をもろに反映したものである為、悲しみだけで終わってしまう道では無いとは言え、直ぐに前を向いて進めるとは限らない内容でもある。ただ、どちらも「決して避けては通れない道」であり、それらを乗り越えられなければ更なる成長は最早望めない為、今月号も真面目に書き出す所は真面目に書き出したいと思う。

 

2.購読した感想・考察

 

今月の内容全体の感想・考察

 まずは「今月号全体について及びそこから読み解ける事実」を中心に書き出したい。今回は刺激の強い内容も含まれている上、ごちうさと言う物語を紐解く上で非常に重要なネタバレも含まれている為、この2点は注意して欲しい。

実家帰省の続きと一つのピリオド

 今月号は先月号から開始した「実家帰省編」の直接的な続きであり、先月号では智乃ちゃんが心愛ちゃんのお母さんであるちょこちゃんが持っていた、学生時代のちょこちゃんと、自身の母親であるサキさんとの思い出のアルバムを観た所で終結していたが、今月号は唐突に智乃ちゃんが自身の幼い時の夢から始まっており、その後も先月号終盤の展開には一切触れられないまま、ココチノ2人の心愛ちゃんの実家での活動の続きが描かれている為、結果的に私には今月号と先月号の繋がり方がイマイチ良く分からなかったが、ごちうさは単行本化されると、お話の合間に雑誌掲載時には無かった挿絵が描かれる事があり、その挿絵でお話とお話の間の流れを把握できるケースもある為、ここは今一つ単行本化を待つべきだろう。

 そんな今月号だが、あくまで一つのお話としては極めて高いクオリティを誇っており、序盤では前述の通り智乃ちゃんが幼い頃の夢を見る展開があるのだが、この展開は今月号終盤において大きな意味を持っており、絶対に外せない局面でもある。その後は再び「実家帰省編」の本筋の物語となっており、そこでは心愛ちゃんの実家のパン屋さんの制服を身にまとった智乃ちゃんの姿が印象的であり、他にもコーヒーを淹れる腕前が未だ壊滅的にも関わらず、見栄を張って自身の母親から辛辣なコメントを送られるモカさんや、先月号に引き続いて町の人々から好かれるココチノ2人等、全体的にほのぼのした内容のお話が多くなっており、移り変わりの局面ではココチノ2人が「嘗ての夢」について語り合うシーンもあるが、この内智乃ちゃんの「おじいちゃんの跡継ぎになる事」と言う内容は終盤に繋がる重要な要素の一つとなっている。

 中盤からは木組みの街組がどうしているのかが描かれており、端的に言えば「ココチノ2人がいない事でそれぞれ困っている事がある」と言うので、まず理世ちゃん筆頭のラビットハウスでは、心愛ちゃんがいない為にパンの焼き加減が分からず、パン作りが全く上手く行かない事態に直面しており、一方の冬優ちゃん筆頭の甘兎庵では結良ちゃんが物騒な話をして困っている事態に直面している事が判明しており、この事がココチノ2人を木組みの街へと帰還させる大きな契機付けとなる。因みに中盤では大人組2人を除いて木組みの街組全員が登場しており、それぞれ良くも悪くも普段と変わらない立ち振る舞いを見せているが、その中でも結良ちゃんの物騒な誘いに興味津々の映月ちゃんと千夜ちゃん2人は特に印象的であり、2人が持つ良い意味で常人離れした発想力と価値観が存分に生かされている場面と言える。

 終盤では木組みの街へ向かう列車の中でココチノ2人が実家帰省の事を振り返るシーンから始まり、ここで遂に智乃ちゃんが目指すべき喫茶店についても触れられる事になり、まだ漠然としながらも智乃ちゃんが自分だけの道を歩み始めるだけの体制が整っている事如実に示している。そして、それに呼応する様にティッピーが反応を見せ、ココチノ2人が列車の中で眠りについたのを見計らって、孫を想う気持ちは変わらないのをひしひしと感じさせる言葉を遺し、ティッピーの中に居たおじいちゃんが、サキさんの手に引かれて本来の世界へと導かれていく様子が描かれており、ごちうさと言う物語にも一つの大きなピリオドが打たれた所で今月号は幕を閉じている。尚、ティッピー自体はおじいちゃんの魂がサキさんに導かれた後も健在であり、元のメスうさぎに戻った事が示唆されている。

 全体的に見れば、今月号はあらゆる意味で「大きなターニングポイントを迎えた」と捉えており、特に智乃ちゃんが自分の進むべき道を漠然としつつも見出している事を聞いたティッピーもといおじいちゃんが、遂に智乃ちゃんの傍から離れる時が来た事はかなり衝撃的であり、今後の物語の展開にも大きな影響を与える事は間違いないと思われる。ただ、冷静になってみると、智乃ちゃんのおじいちゃんは物語開始の1年前に他界していた事が智乃ちゃん本人の口から語られていた為、本来ならば物語開始時点で既に智乃ちゃんの傍にはいない筈の人であった訳であり、それ故に「今までが奇跡の様な日々だった」となるのだが、現実には物語開始から2年以上にわたっておじいちゃんはティッピーに乗り移って智乃ちゃんを支え続けていた事実があり、それは作中において半ば当たり前の様に描かれていた為、ゆくゆくは智乃ちゃんの傍から離れる事は確実だったとはいえ、いざ別れの時を迎えると、やはり寂しい気持ちが心に沸き出てくるのである。

 だが、去り際にティッピーもといおじいちゃんが口にしていた様に、智乃ちゃんは自分がやりたい理想の喫茶店を見付けており、彼女はあのマスターが認める自慢の孫でもあり、何より智乃ちゃんには心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない人達がいる訳であり、最初こそおじいちゃんが完全にこの世からいなくなった事実に悲嘆する可能性は大いにあるが、智乃ちゃんはもう孤独では無い*1これからもずっと一緒に道を歩んでいく大切な人もいるし、何よりも智乃ちゃんには自分が成し得たい夢が出来ている。それを思えば、おじいちゃんが言う様に智乃ちゃんはきっと別れの事実も乗り越えられると私は心から信じている。

智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店

 いきなり重厚な内容になったが、ここからは今月号にて智乃ちゃん本人もその道筋を掴んでいた「智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店とは何か」について考察してみたい。抑々智乃ちゃんがこの様な事を考えたきっかけと言うのは、以前のお話にて智乃ちゃんが「ラビットハウスの跡継ぎとして、おじいちゃんが大切にしてきたラビットハウスを大切にしたい」とおじいちゃんに持ちかけた際、おじいちゃんから「智乃は自分の喫茶店をやるべき」と言われた事がきっかけであり、これは客観的に見るなら「智乃ちゃんはおじいちゃんがやってきたスタイルのラビットハウスをそのまま受け継ぐのではなく、智乃ちゃん自身がやりたいスタイルに変化させた上でラビットハウスを受け継いでいくべき」と言う事だと思われ、言うならば「智乃ちゃん自身がやりたいと思う喫茶店のスタイルに変えても良いと言うおじいちゃんの優しさ」が垣間見える言葉でもあるのだが、これは非常に抽象的な概念を多分に含む事から、15歳の智乃ちゃんにとってすんなり理解できるものとは言い難く、実際に彼女はこれまでその答えを出せずにいたが、今月号にて彼女は漠然した形であるとは言え、自分がやってみたい喫茶店がある事に気付いており、これを契機におじいちゃんはサキさんの元へと導かれる決断を固めた訳だが、ここで気になるのは智乃ちゃんの新たな夢となった「彼女がやりたい喫茶店の具体像」である。

 智乃ちゃんは渋い雰囲気を持つおじいちゃんがマスターを務める、シックな隠れ家的喫茶店であるラビットハウスにて憧れのバリスタ像を築き上げている為、彼女の根底には「誰もが落ち着いてコーヒーを楽しめる喫茶店があるのは疑いなく、故におじいちゃんから指摘を受けるまでは、おじいちゃんが大切にしていたシックな隠れ家的雰囲気を大切にした喫茶店を受け継ぐべきだと考えていたと思われ、彼女としてもそれを疑う事はまずなかったと考えている。

 しかしながら、明朗快活で行動力がある心愛ちゃんがラビットハウスにやってきたタイミングから、ラビットハウスは落ち着いた雰囲気と言うより、良い意味で和気藹々とした賑やかな雰囲気へと変化していき、また喫茶店で働く店員が全員可愛らしい事と、まるで姉妹の様に仲がとても良い事に着目して、雑誌を通じて宣伝をする事でシーズンによってはお客さんで賑わう事も増え、同時に度重なる工夫で子供ウケも良いお店へと変化した事から、最早ラビットハウスは昔の様な雰囲気とは全くの別物になったと言っても過言ではなく、その様な喫茶店へと変えた最初のきっかけは心愛ちゃんにあるとは間違いないが、智乃ちゃんも変化していく喫茶店の雰囲気を愛していたのもまた紛れもない事実だったと思われ、事実最初こそ変化していくラビットハウスに戸惑いを示す事も少なくなかった智乃ちゃんも、時が経つにつれて賑やかになったラビットハウスに馴染んでいく様になり、最近では率先してラビットハウスの賑やかな雰囲気に一役買う行動に出る事もある事からも、智乃ちゃんも「賑やかで楽しい雰囲気の喫茶店に良さと憧れを見出した事は疑いない事実だと言える。

 だが、ラビットハウスには変えてはいけないものがあるとも思っており、それはラビットハウスがシックな雰囲気を持つ喫茶店である以上、賑やかで楽しい雰囲気を採り入れつつも、他方で「ここに来れば何時でもコーヒーが落ち着いて楽しめると思える空間を維持する事」であり、これはおじいちゃんが大切にしていた理念とも重なる内容である為、理想としてはおじいちゃんが大切にしてきた理念を残しつつ、新しい要素を採り入れていく事が一番良いのだが、智乃ちゃんとしてはおじいちゃんが大切にしてきた理念も大切である一方、心愛さんがもたらしてくれた賑やかで楽しい雰囲気も大切だと思っている中で、それらをどの様に調合していくべきなのか、一体何が正解なのか、自分ではそれをどう折り合わせていけば良いのか良く分からないとなっていた可能性が考えられ、故に「自分では理想の喫茶店が分からない」となっていた可能性も十分にあると考えている。

 では、最終的に何が智乃ちゃんを決断させたのか。それは私が思うに原作11巻後半の内容である「海シスト編」から、今回の「実家帰省編」までの一連の流れの中で、自分達の夢に向けて確かな歩みと覚悟を見せる仲間達を見て、智乃ちゃん自身も「自分が本当にやりたいと思っている事をやるべき」と思える様になり、その結果が智乃ちゃん自身がやりたい理想の喫茶店の全体像を漠然としながらも掴むと言うものだったと見ており、その理想の喫茶店に関しては具体的に分かる要素は今月号時点ではまだ判明していないが、彼女は恐らくおじいちゃんの意思を受け継いで「誰にとっても何時でもコーヒーが楽しめる雰囲気」を維持しつつも、心愛さんを始めとした自身にとってかけがえのない友達ひいては家族同然の人と一緒に培ってきた「誰にとっても気軽に喫茶店に立ち寄りたいと思える賑やかで楽しい雰囲気」を採り入れていき、昔からの良さと新しい良さを調合したラビットハウスを目指していきたいと言う夢があると考えており、これが私が考えている「智乃ちゃんが目指したい理想の喫茶店」についてである。

おじいちゃんが知りたかったもの

 次は「智乃ちゃんのおじいちゃんがサキさんに導かれる前に知りたかったもの」について考察したい。抑々智乃ちゃんのおじいちゃんは、喫茶店ラビットハウスを開業した初代マスターであり、おじいちゃん子だった智乃ちゃんにとっては憧れの存在であり、家族としても大切な存在であったが、物語開始時点(心愛ちゃんが香風家に初めて来訪した時)で既に他界してしまっている事が智乃ちゃんの口から語られており*2、これ自体は心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「お姉ちゃん」と思って欲しいと思った直接のきっかけ*3でもあるが、現実には詳細な経緯は終ぞ語られなかった*4とは言え、おじいちゃんが亡くなった後も、その魂はティッピーに乗り移っており、物語開始時点で「ティッピー=おじいちゃん」として、智乃ちゃんを支える存在として見守っていた経緯がある。尤も、ティッピーにおじいちゃんの魂が乗り移った事を正確に知っていたのは智乃ちゃんとタカヒロさんのみで、他には原作11巻中盤にあたる「銀河鉄道回」で青山さんが自力で答えに辿り着いた位で、抑々智乃ちゃんもティッピーが喋る事を「腹話術」として周りには通していた事もあって、心愛ちゃん達もふと疑問に思う事はあったと思われるが、結局の所最後まで周知の事実では無かった訳である。ただ、何れにしてもティッピーもといおじいちゃんは高校1年生の夏に至るまでの3年以上にわたって智乃ちゃんを支え続けたのである。

 説明が長くなったが、今月号にておじいちゃんは遂に智乃ちゃんの元から離れ、サキさんに導かれていった(天に昇っていった)訳であり、それは「自分が一番知りたかった言葉を智乃ちゃんが発した事で、自分が智乃の傍から離れても大丈夫だろうと確信した事」でもあるのだが、そうなると、おじいちゃんは何故今まで現世に留まる必要があると思っていたのか、おじいちゃんが最後に聞きたかった智乃ちゃんの言葉とは何だったのか。その事が改めて気になってくるのであり、前者に関しては青山さんの楽曲「うさぎになったバリスタ」を聴けばある程度読み解く事ができ、それをして私はおじいちゃんが「智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと思えるその時まで、自分が傍で見守っていないといけないと思っていた事」が、おじいちゃんがティッピーに乗り移ったきっかけだったと考えているのだが、後者に関しては原作11巻の範囲に至るまで殆ど推察できる要素が無く、故に内容に沿った考察しか思い浮かばないが、これは恐らく「智乃ちゃんがやってみたいと思う喫茶店に起因していると考えている。

 おじいちゃんは以前(とは言っても原作11巻範囲だが)智乃ちゃんに対して「智乃は自分がやりたい喫茶店をやるべき」だと説いており、これは先程考察した様に「智乃ちゃん自身がやりたい喫茶店を創り上げれば良い」と言うおじいちゃんのメッセージである事は間違いない訳だが、この様な言葉を智乃ちゃんに投げかけた理由として、智乃ちゃんはおじいちゃんのバリスタ姿に相当な憧れを抱いてバリスタになりたいと思い立ち、将来的におじいちゃんの様な存在になりたいと考えている訳であり、それ自体は紛れもなく智乃ちゃんの意思だが、当たり前の事として智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんはそれぞれ違う人間と言う前提があり、それに付随して智乃ちゃんとおじいちゃんとでは、物事に対する価値観や性格、将来的に目指したい理想の喫茶店の姿や、周りの人達から求められているものに至るまで、何もかも異なっているのは明らかである為、それを思うならば、智乃ちゃんには単におじいちゃんの様な立派なバリスタになりたいと思う意思に加えて「智乃ちゃん自身が考える理想の喫茶店像」なるものが必要になる訳であり、それは「単におじいちゃんの意思を継ぐだけでなく、そこから彼女はどうしたいのか」という事でもあるが、彼女は原作11巻中盤においても、ラビットハウスを将来的に継ぎたいと言う意思は明確にあっても、自分がやりたい理想の喫茶店については、まだ15歳故に仕方ない面も大きいが、大まかな構図すら掴めずにいた為、おじいちゃんとしても「智乃は本当にわしの喫茶店を受け継いでいける程に成長しているのか。このまま安心して天に導かれて良いのだろうか。」と、心の何処かで心配していた節もあったからこそ、智乃ちゃんに自分がやりたい夢(理想の喫茶店)を持ち、友達の助けを借りながらも彼女一人の力でも夢を目指して歩める事を見せ付けて貰う為に上記の様な言葉を投げかけたと考えており、それは智乃ちゃんの更なる成長を促すだけでなく、結果的におじいちゃんが傍に居なくても、智乃ちゃんが歩みを進められる事への試金石にもなっていたと捉えている。

 つまり、おじいちゃんが知りたかったものとは「智乃ちゃんが自分の意思をもって考えた理想のラビットハウス像を持っているかどうか」と言う訳であり、今月号にてまだ曖昧な面も大きいとは言え、智乃ちゃんとしても自分がやりたい喫茶店もといラビットハウスが存在する事を智乃ちゃん自身の言葉で発していた事を受け、おじいちゃんとしても「智乃はもうわしがいなくても大丈夫なだけの精神力と目標がある」と考え、最終的に智乃ちゃんが心愛ちゃんと共に眠りについたタイミングで、サキさんに導かれると言う決断をした訳であり、ここに物語全体としても、智乃ちゃんとおじいちゃんの関係としても、大きな節目が刻まれたのである。

 尚、今月号にておじいちゃんがサキさんに導かれたと言う事は、おじいちゃんは智乃ちゃんが新しく創り上げるラビットハウスを現世では見届けない事を意味している為、おじいちゃんは本当にそれで良かったのかと思わなくもないが、現実問題としておじいちゃんは物語開始時点で既に故人であり、本来ならに天国で智乃ちゃん達を見守っていた筈である所を、おじいちゃんが「智乃が1人でも大丈夫だと思える時まで、傍で見守っている必要がある」と考え、ティッピーに乗り移る形で現世に留まっていた経緯がある事から、おじいちゃんとしても「智乃が1人でも大丈夫だと分かった時が別れの時」と考えていた可能性は高く、それを思えばおじいちゃんがこのタイミングで現世を去る事に後悔や迷いはなかったと考えられる。また、おじいちゃんは孫世代*5がどんどんラビットハウスを自分達がやりたい喫茶店に変えていく事に、最初こそ自分がやりたい喫茶店と乖離していく寂しさを募らせていたものの、時が経つにつれて孫世代が創り上げるラビットハウスに対しても寛容的になり*6、最終的には智乃ちゃんに対して「自分がやりたい喫茶店をやるべき」などと持ち掛けていた事から、おじいちゃんとしても「これからのラビットハウスは孫世代に任せた方が良い」と考えていた可能性も十分にあり、それらを思うならば、おじいちゃんとしても、孫世代が創り上げるラビットハウスを現世で見届けず、天国でサキさんと一緒に見届ける為に、このタイミングでサキさんに導かれる事に後悔はなかったのだろう。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望な想いを強めた内容を書き出したい。今回は前半からかなり刺激的な内容が含まれていたが、後半では物語の構成上刺激的な内容は含みつつも、未来に向けた比較的明るい展望もしっかり書き出していきたい所存である。尤も、今となってはそこに一抹の不安が燻る訳だが......。

適応力が高い妹と見栄っ張り(?)な姉

 まずは今月号序盤における智乃ちゃんの立ち振る舞いが個人的には印象的だったので、それについて思う事を書き出したい。今月号は基本的に先月号からの「実家帰省編」の流れを汲む内容な為、智乃ちゃんも必然的に心愛ちゃんの実家で一体どの様な立ち振る舞いを見せているのか窺える訳だが、今月号では心愛ちゃんの実家で営んでいるパン屋の制服を智乃ちゃんも身にまとい、心愛ちゃんとモカさん2人からの可愛がりに思わずタジタジになる光景や、先月号終盤にて心愛ちゃんとモカさんの母親であるちょこちゃんと深淵たるやり取りをした事から、智乃ちゃんも「ちょこちゃん」と言う名前で呼ばせられている等、全体的に智乃ちゃんが如何に心愛ちゃんの実家に馴染んでいるかが良く分かる光景が多く、これに対して智乃ちゃんは多種多様な表情や感情表現を見せており、これらは一昔前の彼女ならまず見せなかった光景である為、今や感情豊かな智乃ちゃんが半ば当たり前の様になってきたとは言え、要所でコミカルな姿を見せる智乃ちゃんを見ると、今でも智乃ちゃんは心愛ちゃんと出逢ってから大きく変わったのだとまざまざ思わせられる。

 また、今月号序盤におけるモカさんが見せた立ち振る舞いも中々に飛んでおり、モカさんはパン作りの腕前は心愛ちゃんですら圧倒する程だが、コーヒーを淹れる腕前に関しては心愛ちゃんや自身の母親ですら固辞される程に壊滅的と言う一面があり、今月号においてもそんなコーヒーの下りが存在していたのだが、その際にモカさんが母親から「お客さんに提供するのはまだダメだ」とストレートに言われる程、コーヒーを淹れる腕前は未だからっきしであるにも関わらず、お客さんに対してコーヒーを提供しようとして母親から止められ、結局の所コーヒーを淹れる事に関しては確かな腕を持つ智乃ちゃんが淹れる事になると言う場面があり、これに対して私は「モカさんも心愛ちゃん同様、意外と見栄っ張りな所あるんだ」となっており、優しい顔をした母親から普通に辛辣な言葉を投げられていた事も相まって、モカさんとて「人から良く思われたい、妹達の前では完璧でありたいと思う事に変わりは無い。」のだと感じている。ただ、モカさんは同時に弛みない努力家な上、自分がやってみたいと思った事の多くを自分のものにしてきた経緯を持つ事から、将来的にはコーヒーを淹れる腕前も上昇する可能性はあるとは思うが、自身の腕前の無さに対して母親から辛辣な一言を投げ掛けられている現状を見ると、まだまだ時間はかかると思われる。

 こうして見ると、今回の実家帰省編では「些細な部分も含めて、変わっている部分と変わっていない部分」が細かく描かれている様にも感じており、今月号はなまじ終盤の展開のインパクトが強過ぎた事と、中々に刺激が強い内容であった先月号から地続きな展開である為、些細な日常における「変化と不変」に気付きにくい節があると思われるが、冷静になってみるとしっかりと描かれている為、この点は流石だと思う訳である。また、モカさんの意外な一面が見えた点も興味深い点であり、人から良く見られたい(=見栄っ張り)と言うのは、どちらかというとモカさんよりも心愛ちゃんの方が顕著なイメージがある中で、モカさんも心愛ちゃんに負けず劣らず見栄っ張りな所が見えた事で、やはり血は争えないとなった訳であり、姉妹の仲睦まじさを感じさせる要素としても良きものだと思う。

一種のココチノシックに見舞われる木組みの街組

 次に今月号中盤の主軸とも言える内容である木組みの街組の動向に対して思った事を書き出したい。抑々今月号中盤においては、ラビットハウスと甘兎庵の2箇所にて「ココチノ2人が不在故に困っている事がある」と明かされており、これに付随して私が「一種のココチノシック」と銘打ったのも、心愛ちゃんがいないが為に、智乃ちゃんを筆頭に心愛ちゃんの友達が大なり小なり一種のスランプ状態に陥る現象として「ココアシック」があった事を参考にしたものだが、今月号においてはラビットハウスと甘兎庵で完全に状態が二極化されており、ラビットハウスでは「心愛ちゃんがいないが為にパンが全くと言って良いほどうまく焼けない」と言う、誰がどう見ても完璧なるシック状態だったものの、甘兎庵では結良ちゃんによって「店員が首輪を付ける」と言う、普通の喫茶店ならまず考えられないコンセプトがもたらされた展開になっており、故にシック状態はほぼ感じられなかったが、代わりに千夜ちゃんと映月ちゃん2人が、結良ちゃんが持ち込んできた首輪を付ける案に興味を持つと言う、良くも悪くも2人が持つ常人離れした感性と発想が遺憾なく発揮されており、しかも2人共に目を躍らせるまでに楽しそうにしていると言うのだから、最早可愛らしいを通り越して不気味に思う程だが、2人共に楽しければそれで良いのかも知れない。でも、流石の私も和をコンセプトにした甘兎庵でその様なアクセサリーを採り入れるのはちょっと......、と思ってしまうが......。

 色々とややこしくなったが、要するにココチノ2人が不在な事で、ラビットハウスではパン作りにきちんとしたノウハウを持つ人がいない為に、パン作りがままならなくなり、甘兎庵では奇抜過ぎる発想にブレーキをかけられる人がいない為に、コンセプトがどんどんニッチな方向性に向かってしまうと言う訳であり、それをして私は「ココチノ2人がいないと、木組みの街組があらぬ方向に進む可能性がある(=混乱状態に陥る)」と言う意味で「ココチノシック」だと思った訳だが、大元の「ココアシック」は「心愛ちゃんがいない事で、普段の調子がどこか狂う」と言う意味で使われていた為、今思うと「ココチノシック」と呼ぶには些か足りない要素が多い気もしない訳でも無いが、他方でココチノ2人がいないが故に、木組みの街組が半ば混乱状態若しくは暴走状態になっていたのも事実である為、現時点でも「木組みの街の住人達は、誰かが一時的に離れるだけで調子がどこか狂ってしまうのは間違いない」と言え、それは心愛ちゃん達が如何に結束力が高く、またお互いに信頼し合っているのか、その事をまざまざと感じさせている。

 但し、現実問題として高校卒業後に心愛ちゃんと紗路ちゃんは木組みの街を離れ、心愛ちゃんはパン作りの腕を磨く為に研鑽を積み、紗路ちゃんは千夜ちゃんをしっかりと支えられるだけの知識を身に付ける為に、都会の国立大学に進学し、そこで更なる精進を図る展望を持っている為、一時期であっても心愛ちゃん達は一旦それぞれの道に向けて離れ離れになる事がほぼ確定している上、しかもその期間も長期になるのが予想される現実がある。その為、将来的には例えシック状態に陥っても、それを直接的に解決する手段はほぼ使えない事になり、結果的に自分で気持ちの整理を付けて何とか乗り越えるなり、その時点で頼る事の出来る友達を頼るなりして、どうにかして埋め合わせをしなければならなくなる事も起こり得る為、その意味では「彼女達は本当に大丈夫なのだろうか」と、今月号における木組みの街組の普通とは違う光景を見て、ふと心配に思ったのである。

 しかしながら、彼女達は何だかんだ言ってもあらゆる状況や困難にも適応し、力を合わせて乗り越えてきた経緯がある上、最近では一人一人が目まぐるしく成長を遂げていく姿を見せる事も多くなってきた事から、嘗てと比べてその胆力は著しく強固になっているし、他にも今までの経験と最近の現状を照らし合わせて「当たり前の様に友達と会える事が、実は決して当たり前の日々ではなかった事」を理解しているし、何より彼女達はこれまでの経験と、原作10巻終盤にて青山さんから授かった言葉から「一旦は離れ離れになっても、何時かは再び集結し合える日が来る事」を信じる事ができる様になっている事から、一時的には現実を改めて知らされる形で苦節を味わう可能性こそあるものの、最終的にはその様な逆境を乗り越え、大人っぽさではない、正真正銘本物の大人に一歩近付ける事にも繋がるだけの成長を遂げられると信じている。

 と言うか、からしてみればここまで彼女達の軌跡を真剣に追っておいて、今更彼女達の可能性や精神力を信じなくてどうするのかと言う訳であり、正直に言えば本当に大丈夫なのかと言う不安はずっとあるし、これからの彼女達の道筋を辿り続ける事に対する怖さだってある。だが、現時点でも既にもう後には引けない所まで来ている事は誰が見ても明らかであり、今月号終盤もそれを示唆する展開であった為、それを思うならば、彼女達の精神面に対して一抹の不安に駆られたり、更なる苦節や恐怖に慄いたりする事はあっても、自分が選んだ「これから何があっても彼女達の足跡を追い続け、彼女達の精神力と成長を信じる」と言う決断に対して、その決断が自分にとって間違いではなかったと思え、ましてその決断をした事に後悔はないと思える様にする為にも、最早少しの淀みも持ちたくはないのである。

終盤の展開に対して思う事

 最後に今月号終盤の展開である「おじいちゃんがサキさんに導かれた事」と、智乃ちゃんの今後の心境について私が思った事を率直に書き出したい。まずおじいちゃんが智乃ちゃんが持つ確固たる夢の意思を聞いた事で、遂に智乃ちゃんの元から離れる事を決意し、サキさんに導かれていった事に対しては、客観的事実として「何時かはおじいちゃんも智乃ちゃんの元から離れていくのは分かっていた」とは言え、いざそれを目の当たりにすると、その展開を想像できた時点で心の中で「えっ......。」と言う衝撃が走ったものであり、それに加えてサキさんに導かれるおじいちゃんの構図があまりにも流動的だったのと、4コマ漫画の構成としても非常に秀逸であった為、内容が心に刻まれていく感覚を覚えたものだが、その際に具体的に何を思ったかについては、正直この記事を執筆している時点*7でも全くと言っていい程覚えておらず、最早初めて読んだ時の感覚は遠い彼方に置いていかれた訳であり、人間の記憶の脆さを改めて思い知らされる訳でもあるが、少なくとも現時点では「これから智乃ちゃんはどうなっていくのだろうか......。」と言うのと「何時かは来ると分かっていたが、まさかこんなに早いタイミングでやって来るとは......。」と言う2つの思いが少なからずひしめいている。

 ただ、不思議な事に「哀しい」と言う悲観な感情よりも「今まで見守ってくれてありがとう」と言う感謝の感情が優位に立っており、それはおじいちゃんがうさぎになってからも、智乃ちゃんが1人でも大丈夫だと思えるまで見守り続けた事に対する感謝と、おじいちゃんとしても智乃ちゃんの傍から離れて、サキさんと共に天国から見守る事に決して後悔はない様子を見せていた事から、私としてもおじいちゃんの遺志を汲むならば、ここで哀しみに暮れるだけに終わるのはどこか違うのではないかと思う感情があったからであり、正直これが本当に正しい道なのかは分からないが、だからと言って絶対不変的な正解がある様な事象でも無い事から、結果的に自分が信じた道を歩むしかない事は明らかなので、最早覚悟は決めている所存である。

 また、智乃ちゃんの今後の心境については、今月号においておじいちゃんは智乃ちゃん及び心愛ちゃんが眠りについたタイミングで、2人に気付かれない様にサキさんを導かれた事を鑑みると、智乃ちゃんはおじいちゃんがティッピーの元からいなくなる瞬間をこの目で見た訳では無い事から、まず直面するのは「おじいちゃんが自分の知らない内に既にいなくなっていると言う事実」であり、それをして智乃ちゃん自身の心境もかなり揺れ動く事が予想され、厳しい現実に打ちひしがれる可能性さえ範疇にあると思うが、何度も記述した様に智乃ちゃんには現時点でも自分で築き上げた夢の道筋があり、かけがえのない家族同然の友達や姉妹がおり、以前とは比べ物にならない精神的な強さを会得しつつある強さがある為、心情が大きく揺れ動く事は恐らくあるだろうし、それを乗り越える事は簡単ではないと考えているが、最終的にはおじいちゃんが見込んだ以上の精神的な強さと確かな目標を持った孫へと成長するのではないかと信じている。

 そして、私としても気になる「今月号以降の展開」だが、これに関しては「おじいちゃんが自らの意志をもってサキさんに導かれた」と言う、作品の根幹さえも変えてしまう程の大きな変化があった事もあり、私にとってはハッキリ言うと「今後の展開については地に足ついた予想は一切できず、またどの様な道筋を辿るのかさえ未知数」と言う状態であり、言ってしまえば「来月号を観なければ何も言及できないのが現状」である。しかしながら、そんな状態だからと言っても、これまで2年以上にわたってごちうさの最新話を追い続け、あらゆる角度から見識を深め続けた結果、今更逃げ帰る事に意義も意味もなくなったと判断している私からしてみれば、意地でもしがみ続けるだけの理由がある訳で、故に今は来月号の発売を待ち続けるだけである。消極的に映るかも知れないが、私が今ジタバタした所で、今後の展開を紐解く上で何か有効な見識が掴めるのかと言えば、残念ながら何も掴めないと言わざるを得ないのは自分が一番分かっているので、それならば潔く来月号を待ち続けると言うだけの話であり、決して初めからこの選択肢を採る気でいた訳ではない事は書いておきたい。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は「ココチノ2人の実家帰省編の完結編」と言うべき内容で、内容も序盤は先月号同様に心愛ちゃんの地元での出来事が中心となり、中盤は木組みの街組のてんやわんやぶりが明らかとなり、それをきっかけにココチノ2人が木組みの街に帰還する事を決意し、終盤には智乃ちゃんの確固たる意思を聞いたおじいちゃんが、サキさんの元に導かれる決断をし、智乃ちゃんの元から離れていくと言った様に、場面によって全くテイストが違うだけでなく、それぞれが別ベクトルで重厚だと言う特徴があり、正に「ハイボリューム」な構成であり、また「運命のターニングポイント」とも言うべき内容だったと思う。

 今月号は中盤までと終盤で物語のテイストが全く異なっており、中盤まではイレギュラーな要素こそあるものの、何だかんだ言って何時もの日常を感じさせるテイストになっていた一方、終盤は今後の展開を大きく左右するだけでなく、現状の関係性に大きな変化をもたらす内容であった為、私自身中盤までの感想・考察を書き出す事に対する不安はさほど無かったが、終盤がなまじインパクトが強烈な内容であった事もあって「これはどの様に書くべきか......。」と結構悩んだものだが、蓋を開けてみると普段のごちうさ感想・考察記事と比べればシリアスなテイストになったものの、きらファンメインシナリオ第2部の感想・考察記事の、冷酷且つ非情な想いさえ垣間見えるシリアスさと比べれば幾分マイルドになった為、結果的には上手く落とし込めて良かったと思っている。

 また、今月号のごちうさがかなりの波乱な展開を含みながら、今回の感想・考察記事において私が自分の揺れ動く気持ちを抑えつつ、何時ものテイストに上手く落とし込めた背景には、ごちうさと同じきらまに掲載されている「ぼっち・ざ・ろっく!」の特別編の存在が大きく関係しており、この特別編は正直今月のごちうさをも超える程のシリアスな内容だったのだが、その特別編に込められたメッセージを思うと、今月のごちうさも必要以上に刺々しく書くのではなく、シリアスな内容はそのままシリアス味を残しながら書きつつも、普段の温かみあるテイストもしっかり書き出すべきだと考えられる様になり、結果的にぼざろの特別編を読んだ事で、私は冷静さを失くし、感情に任せた記事を書く事を回避できたのである。

 因みに今月号のきらま全体を読み進める中で私が比較的平静さを保てたのは、ごちうさやぼざろを筆頭に中々にシリアスなテイストのお話が少なくなかった中で、私がきらまの中でも大好きな作品である「ななどなどなど」が何時も通り中々にぶっ飛んだテイストがふんだんに盛り込まれており、故に笑いながら楽しく読み進められたからであり、ある意味複数作品を読んでいたからこそ助けられたと言った所である。もしこれがごちうさのみを読んでいた身だったとするなら、記事の内容も己の理性を超えた、正に感情に任せた冷酷さと非情さが見え隠れする痛々しい内容になっていた事は想像に難くない為、洒落になっていなかっただろう。

 今回はあとがきの書き方も刷新し、今までの様に本編のまとめとも言うべきスタイルから、全体的に今月分の感想・考察記事にまつわる周辺情報をかなりフリーダムに書き出すスタイルにしているが、これも自分がやってみたかったスタイルの1つであった事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙42枚分であり、先月の感想・考察記事と比べてもかなり内容が増大する結果となった。因みに書き上げるスピードも最近になって極めて安定しつつあり、概ね1週間前後を目標に完成させるのが通例になってきている。何故一気に書き上げるかと言えば、時間が経てば経つ程、初めて読んだ時の感覚が二度と取り戻せない遥か彼方へ流されていってしまうからである。

*1:厳密には最初から本当に孤独だった訳では無かったのだが、彼女は心を閉ざしていたが故に孤独に思う事は少なくなかったと思われる為、この様な書き方をしている。

*2:具体的には物語開始時点から1年前。

*3:これに対して智乃ちゃんは最初こそあしらっていたが、徐々に心愛ちゃんの事をお姉ちゃんと認めていき、現在では恥ずかしさ故に心愛ちゃん本人の前では言いにくいものの、心の中では普通に「お姉ちゃん」だと受け容れている。

*4:後に語られる可能性はあるが、少なくともこれまでのごちうさでは語られた事は見た事がない。

*5:智乃ちゃんや心愛ちゃん達世代の事。

*6:尤も、実際には「自分の喫茶店像に拘るのは諦めた」と言うのが近い気もするが、それでも孫世代がやろうとしている事を本気で止めようとした事は、余程の事がない限り無かった為、案外おじいちゃんとしても変化していくラビットハウスを満更でもないと思っていたのだろう。

*7:この部分を執筆した際には、初めて読んだ日である17日から僅か6日しか経っていない。