多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。つい先日予てから読みたかったジョジョの奇妙な冒険第7部「STEEL BALL RUNスティール・ボール・ラン)」の単行本を遂に購入致しまして、執筆開始時点で全24巻中15巻まで読んでいる*1のですが、読んでいる最中は「これぞ凄味だッ!」となる場面が多く、改めてジョジョの凄さに打ちひしがられている所存であります。そして、現時点で「7部のここにシビれたァッ!」と言うのは、私としてはやはり「リンゴォ・ロードアゲイン」との戦いは外せません。戦いと書く様に、リンゴォ自体は敵として現れるのですが、正しく1人の男の美学を体現した様な思想に、終始正々堂々たる姿勢を貫き、敵対する人物であっても敬意を払う事を忘れず、敗北した際にも最後の最後まで自分の美学に付き従った姿を見せ付けたその姿には、私としても「カッコイイと言うのは、きっとこういう人の事を言うのだろう......。」と思い、敵味方の垣根を越えた、1人の人間としての矜持に対して敬意と尊敬の念を示したいと思った程でした。本当、思わず泣きそうになる位にカッコイイんですよ......。

 私自身ジョジョの奇妙な冒険に関しては、私が観ている他のマンガやアニメと比較しても尚、圧倒的な頻度で何度も涙腺を緩まされてきた経験をしてきており、先ほど挙げた7部のリンゴォ・ロードアゲインもそうですが、1部「ファントムブラッド」はジョナサン・ジョースターの最期、2部「戦闘潮流」はシーザー・アントニオ・ツェペリの誇り高き勇士と、柱の男「ワムウ」が貫いた漢の美学、3部「スターダストクルセイダース」はモハメド・アヴドゥル及びイギーが見せた誇り高き精神と、騎士としての風格溢れるカッコ良さと悲哀を持つポルナレフ、4部「ダイヤモンドは砕けない」は虹村形兆が見せた涙、5部「黄金の風」はブローノ・ブチャラティの最後の最後まで変わる事のなかった偉大なる精神、6部「ストーンオーシャン」はウェザー・リポートにまつわる壮絶な過去と、最期に明かされる壮絶な人生の中でも幸福だった空条徐倫との出逢い等々、今でも思い返しただけで涙しそうな場面は沢山あります。無論、その中には心苦しくなるものもありますが、その苦しささえを超えた何かを強く感じさせられる事もあります。ただ、その苦しみを超えた何かと言うのは、最早単純な言語では説明できないものとなってしまっているのですが、その様な中でも一つ言える事はジョジョの奇妙な冒険と出逢って、私は本当に変わった。」と言う事です。本当、この漫画と出逢った事で、私のマンガに対するあらゆる思想が本当に変わった事は屈託なき確かなんです。

 長くなりましたが、今回もまんがタイムきららMAX2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回は原作9巻以降の雰囲気として私が度々思い浮かべている「濃密な人間物語」と言う流れを踏まえつつ、かなり概念的な書き方にはなりますが、作品全体を俯瞰して見ると、何時ものごちうさらしい日常的な雰囲気をも覗かせる構成になっているので、その意味では結構安心して見られるのではないかと思っています。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は嘗て原作5巻にて、智乃ちゃんの進路を心愛ちゃんと同じ高校に行く決定打として大きく作用した文化祭絡みの展開が登場しており、故に大筋としては文化祭絡みとなっている。ただ、今回のメインは文化祭に直接関係する事では無く、文化祭実行委員へと立候補した智乃ちゃんと冬優ちゃんが、文化祭にて行う出し物のヒントを掴む為にフルール・ド・ラパンに職場体験する事にあり、端的に言うと「チノフユのフルール職場体験」と言うのが今回のメインとなる訳である。無論、そこはごちうさなので普通の職場体験に留まらず、智乃ちゃんの確かな信念や、冬優ちゃんの大きな成長等、しみじみする場面は多い。

 今回の扉絵は、お淑やかなお姫様をイメージした冬優ちゃんと、勇ましき戦士(騎士)をイメージした智乃ちゃんの2人が、お互いに肩を寄せ合って仲睦まじい姿を見せ付けていると言うもので、まんがタイムきららフォワードにて連載されている百合マンガアネモネは熱を帯びる」をきっかけとして百合に魅せられ、そこから百合マンガを多く読む様になった身としては「この距離感でも良いんだけど、2人してもっともーっと、仲睦まじく尊い姿を見せ付けてくれても良いんだよ。」と、普通に百合好きとしての願望丸見えな感情を抱いてもいるが、チノフユの距離感としてはこれが絶妙なのかも知れない。尚、冬優ちゃんの手には(物騒だが)毒リンゴが、智乃ちゃんの手には剣が握られているので、これらのモチーフは本編中にも出ている様な童話である事は明らかだと思われる。

 だが、私としてはどういう訳か「うわぁぁ。私にジョジョ6部『ストーンオーシャン』にて登場する、DIOの息子が1人、ウンガロのスタンド『ボヘミアン・ラプソディー(自由人の狂想曲)』を思い起こさせないでくれぇぇぇ。」となってしまっている。と言うのも、このボヘミアン・ラプソディーと言うスタンド能力、簡単に説明すると「絵本やマンガ、そして童話と言った空想上の物語を現実のものとする能力」だからであり、ジョジョをこよなく愛する私にとっては、今回の扉絵とマッチングするものを見出してしまったからである。尚、このスタンドは攻撃を受けた者の肉体と精神を強制的に分離させる能力もあり、更に分離させた者の精神だけをその空想上物語の筋書きに組み込んでしまう*2と言う恐ろしい側面もあるのだが、勿論私はその様な事にはなっておりませんので悪しからず。本当にそんな事になったら怖いのなんの......。

 今月号はチノフユの2人とりわけ智乃ちゃんが顕著に見せる「過去の出来事を踏まえた上で、自分の足で進むべき道を歩んでいくと言う意味での成長」が特に輝いていると思う回であり、その意味ではやはり原作9巻以降顕著になった「新たな日常における一歩」を体現していると言える。また、先月では散々悩んだ末に取っ散らかった内容になってしまった「お話をどの様に捉えていくか」についてだが、今回は迷いなく「新たな日常の一部」だと自信をもって言えるだけの自負を持っている。と言うか、今となっては「なんで先月号はあんなに悩んだんだ?冷静になって考えてみりゃあ、別にそうドツボにハマる様な事でも無かったのに......。」となっており、そう思うと私は今のごちうさに対して「積み上げてきた日常や経験をもって、確かな成長を伴いながら新しい日常へと突き進み続けている」と言う信念を、迷いがあった時でも実はしっかり持っていたと言えるのだろう。

2.購読した感想・考察

 

今回の内容に対する感想・考察

まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。今月号は最近のごちうさには最早欠かせない概念とも言える濃密な心情描写を元手にした成長の歩みが印象的であり、ここまでくるとそれが当たり前過ぎて動じなくなってくる程だが、濃密な世界観と言うのは、色々言っても何かしら琴線に触れさせてくるのである。

勇気ある前進

 まずは今月号序盤において智乃ちゃんが見せ付けた勇気ある行動について書き出したい。今月号序盤においては来たる文化祭に向けて実行委員を誰にするかを立候補で決めようとするくだりがあり、これは当然ながら責任が問われる事でもある為、そう簡単に立候補できる程簡単な事では無い。だが智乃ちゃんはその様な重役に対して怯えがありつつも、自ら実行委員をやると名乗りを挙げた訳であり、それに追従する形で実行委員に名乗りを挙げた冬優ちゃんも含めて、この勇気ある行動は2人の大きな成長と変化を指し示していると思った次第である。

 智乃ちゃんも冬優ちゃんも、性格的には内気で積極的に前に出ていく事は不得手なタイプではある為、以前の彼女達なら恐らくやりたいと思う事も無かった可能性は十分にあるし、やりたいと思っても勇気が足りず、結果的に出来ないまま終わっていた可能性も十分にあった。それが今回2人共に多少なりとも怯えつつも実行委員に立候補したと言う事は、前述の様に彼女達が勇気ある一歩を踏み出せる様になった証でもあるし、物語を俯瞰して見ると「過去にそれで輝かしい人達を見てきたからこそ、今度は自分達がやりたいと思った」と言う、いわば先人達(と言っても1年・2年の先輩だが)の想いを自分達が継ぐ構図があるのも良きポイントだと思う。

 この先人達と言うのは、智乃ちゃんと冬優ちゃんにとっては言わずもがな心愛ちゃん達高校生組4人の事を指し示しており、心愛ちゃん達は嘗て原作5巻にて、学校の垣根さえ超えた友情と結託を見せ付けており、これは後にごちうさにおいては最早十八番とも言える「あったかもしれない日常」を体現するお話として、私としても今でも相当なターニングポイントとして印象に残っている。そして、智乃ちゃんはその心愛ちゃん達の奇跡とも言える関係性をずっと間近で見てきた訳であり、故に智乃ちゃんとしても本人からも度々言っていた様に「何時かは心愛さん達の様な人になりたい」と言う願望があった事は想像に難くなく、今回の立候補は、そんな智乃ちゃんの内なる憧憬を自分の手で獲得する第一歩でもあるのではないかと思った。

 また、その勇気ある一歩を切り開いた智乃ちゃんに追従する形で、普段の内気な自分を打ち破る程の勇気ある行動を示した冬優ちゃんに関しては、彼女は原作8巻の旅行編以降にて登場した人物である為、智乃ちゃんと比べると心愛ちゃん達と共に過ごした時間こそ少なめなのは事実である。しかしながら、冬優ちゃんは心愛ちゃん達だけでなく、その心愛ちゃん達に感銘を受けて既に大きな成長を遂げつつある智乃ちゃんやマヤメグと共にしている為、嘗ての智乃ちゃん達と比べると成長の切っ掛けを掴むのが圧倒的に早いと言う傾向があると考えており、今回の勇気ある行動は、自分よりも先に成長を遂げる事の意味を知っている智乃ちゃんを支える為の行動でもあったと捉えており、そこには成長の切っ掛けを掴むのが早い冬優ちゃんの強みが活かされているとも思う。尤も、冬優ちゃんとしては「智乃ちゃんが自分じゃない人と一緒に実行委員をやる位なら、自分がやる」と言わんばかりの意思を見せていた為、どちらかと言えば智乃ちゃんを他の人にはとられたくない心情が大きかったようにも思えるが、それはそれで私としては「親友をとられたくないから実行委員を名乗り出るなんて、冬優ちゃんも可愛い所あるじゃん。」となる案件でもある。やっぱり普段から仲良くしている友達なり親友なりが、自分と違う人と仲良くしようとする光景を見ると「友達をとられたようで面白くないッ!」と、それが何処までも一方的なやきもち焼きでしかないとは分かっていても、そう言った心情は少なからず生まれるものなのだろう。

フルール・ド・ラパンで掴んだもの

 次にチノフユの2人が職場体験先として選んだフルール・ド・ラパンにて、2人がそれぞれ掴んだものについて書き出したい。抑々フルール・ド・ラパンと言うのは、紗路ちゃんが主たるアルバイト先*3をしているハーブティーを専門とした喫茶店であり、制服がロップイヤーにメイド服を彷彿させるものと中々に趣向性の強いものではあるが、お店としては普通に雰囲気の良い喫茶店*4であり、個人的には趣向性さえ理解すれば後はとんとん拍子に楽しめるタイプのお店だと思う。尚、これらの趣向性の強い雰囲気は基本的に店長考案のものらしく、嘗ては紗路ちゃんがそう言及するのみに留まっていたが、今月号を含め最近になって店長本人が登場する事もあり、一見するとお淑やかで物腰柔らかい雰囲気を持ちながら、紗路ちゃんの言及通り強烈なまでに個性的な価値観を持った人で、人より若干ズレた感覚の持ち主である事も相まって中々にぶっ飛んでいる*5。ただ、ハーブティーに対する熱意は本物であり、それは嘗てブラバにどんなに良い買収案を持ちかけられても決して自分の意思を曲げなかった(=フルールの看板を捨てなかった)事や、今月号の智乃ちゃんに対する約束事からも窺える。

 そんなフルール・ド・ラパンだが、今回はチノフユ両者の確かなる成長とそれに付随する意思が明確に描かれており、特にそれまで笑顔を見せようにも顔が強張ってしまい、上手く笑顔を見せる事ができなかった中で、今回フルールにて紗路ちゃんと智乃ちゃんの幸福論を聞いて、ハッピーとは何かについて自分なりの答えを掴み、遂にお客さんに対しても美しき笑顔を見せられる様になった冬優ちゃんの成長は著しいものがある。本当、私自身人間はきっかけ1つで大きく自分を変えられると信じている*6とは言え、まさかここまで成長した姿を見せ付けてくれるとは思いもよらなかったし、ここに至るまでは冬優ちゃんの不断の努力があってこそだが、何と言うのか、個人的には「そういう美しき笑顔を見せてくれてありがとう。」と言う気持ちが芽生えている。

 一方の智乃ちゃんは今までの自分の成長の軌跡を見せ付ける様な姿を見せつつ、文化祭の実行委員として「自分達がやるべきものとは何か」を明確に見付けた姿が印象的であるが、他方で初期の頃の智乃ちゃんではまず考えられなかった姿も多く見受けられており、正直に言うと「まるで別人だ......。」とすら思う程である。何と言うか、智乃ちゃんが感情豊かな人物へと変化し始めたのは割と早い段階からだったのに、原作11巻も越えて未だその事実に戸惑いがあるのは、私自身何年経っても昔の智乃ちゃんのイメージが未だ残り続けている事を指し示している様で情けない気持ちにはなる。まぁ、今の智乃ちゃんが過去とは比べ物にならない位に成長したのは事実だし、その成長スピードも中々に早い事も事実なので、ここはひとつ「智乃ちゃんの成長に追いつけない者の心情」として思っておいて欲しい。

 色々と書きまくっているが、今回の智乃ちゃんは冬優ちゃんを勇気づけるとともに、自分だって屈強な人間ではなく、普通にプレッシャーがかかる人間だと冬優ちゃんに告げる所が凄く印象的且つカッコイイ所だと思っており、ここから智乃ちゃんは「先導者だからと言って完璧な姿でいる必要は無い」と考えている事と「自分にも不安がある事を伝える事が、友達を勇気づける事にも繋がる」と考えている事が良いのである。そう思えば、フルール・ド・ラパンにおける智乃ちゃんが見せ付けたのは、彼女が思う友達に対する矜持の一端とも言えるのかも知れないし、自身にとっては姉同然の存在たる心愛ちゃんとは大きく違う点でもある。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今となっては前半、後半共に主観的な展望をちょくちょく入れ込んでいる為、この様な区分けをする意味も薄れてきている気はしない訳でも無いが、他の区分として前半は具体的な題目をもった記述、後半は抽象的若しくは俯瞰的な題目をもった記述となっているので、今後はその様な区分の方が合っているのかもしれない。今の所はどうこうしようと言う気は特段無いし、今回に限ってはその区分さえも曖昧な気がするが......。

新境地へ馳せゆく新世代の高校生

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号は嘗て原作5巻で開催されていた文化祭が、1年の時を経て再び準備期間に突入すると言う流れになっている為、今後の物語の骨子としては原作3巻と6巻にあったクリスマス回、原作5巻と先月号のマラソン大会回等々を彷彿とさせる「過去と現在の違いと成長」を色濃く感じさせるになるのではないかと思っている。ただ、今月号時点では文化祭のくだりが云々と言うより、フルール・ド・ラパンの職場体験にて新境地へと飛躍していく切っ掛けを掴んだ2人の高校生の方が印象的かつ重要だと思っており、それを思えば今回は文化祭回における重要な下地を構成した回とも言える。

 今回はフルール・ド・ラパンにおける2人の高校生の躍進も印象的だが、それ以上に今年も文化祭の描写がある事の方が個人的には驚いた。と言うのも、正直な所「季節的には文化祭の描写があってもおかしくはないけど、今年も文化祭を描写する可能性はあるのかなぁ......。」と、2年連続文化祭が描写される事に確信も根拠も無かった為で、前提として「文化祭回を見たくないと言う訳では無かった」のは当然だが、他方で文化祭が描写されると言うビジョンが見えていた訳でも無かったので、結果的に驚きの感情をもって、今回の文化祭実行委員の立候補の描写を見ていたのである。ただ、結果論にはなってしまうが、私としても最終的には「今年も文化祭の描写があって良かった。」となっており、理由は言わずもがな智乃ちゃん達新世代の高校生の更なる躍進が見られる事がほぼ確実となった為であり、現金な自分に対して我ながら「単純」と思わなくもないが、新世代の高校生の更なる成長が見られると言うのなら、別に細かい事はもう気にならない。極論を言うなら、気にしても最早時間と気力の無駄である。

 思えば心愛ちゃん達が嘗て文化祭にて大活躍していた姿を見て、智乃ちゃんとしても心愛ちゃん達と同じ様になりたいと言う事で文化祭実行委員に立候補するなんて、智乃ちゃんの行動力は凄いなぁと思ってもいる。尤も、心愛ちゃんみたく何の恐怖感も感じさせない程力強い立候補ではなく、元々が内気な彼女を色濃く反映するかの様に多少なりとも恐怖心を感じさせるものではあったが、個人的には「例え恐怖心があっても行動に移せるのが凄い。」と思っており、そこには「人間頭で分かっていても、(私も含めて)そう簡単には行動に移せはしない」と言う、私自身の経験則としても世間一般論としても身に沁みる程解らせられてきている厳しい現実が関係しているが、今回に限ってはその厳しい見解があるが故に智乃ちゃんの凄みを称賛できるので、そこは利点と言えよう。

理想像への邁進

 次は今月号終盤にて智乃ちゃんが見せ付けた文化祭に対する意気込みと、智乃ちゃん自身がやろうとしている事に自ら思いを馳せていた事に対して思った事を書き出したい。これまでも度々書き出してきた様に、智乃ちゃんは今回の文化祭に対して熱烈たる想いを見せ付けており、それは勇気を出して文化祭の実行委員に立候補した事からも明らかだが、個人的には今月号終盤で見せた「去年の心愛ちゃん達の姿に憧れて立候補した」と言う事実も非常に重要だと思っており、それに対して智乃ちゃんは恥ずかしそうな態度を見せていたが、個人的には「去年の心愛ちゃん達に触発されて今年は自分が積極的に文化祭を推し進めたいなんて、智乃ちゃんも自分の道を歩み進めているんだな。」と思っている。

 また、智乃ちゃんは終盤にてフルール・ド・ラパンに職場体験に行った事、そのフルール・ド・ラパンにて自分が推し進めたい新たなセカイを開拓した事を思い浮かべ、これがもしおじいちゃんがこの場にいたらこう言っていただろうと思いを馳せていたのも印象的であり、その際の智乃ちゃんがさほど悲観的な印象を受けなかったのも印象的だった。ただ、後者に関しては智乃ちゃんの明確な感情表現がある訳では無いので、智乃ちゃんの気持ちを文章で表されたものから吸い上げたに過ぎないが、前後関係や当該文章を見る限りは、智乃ちゃんが悲観的な状況に陥っているとはとても思えないし、何より智乃ちゃんは根底に確かな強さを持った人間なので、そこは彼女の強さを信じたい。

 そして、個人的に気になったのは、智乃ちゃんとしてもおじいちゃんに対して「コーヒーへの拘りが強いあまり、他の喫茶店と協力したがらない」と言う認識がある事である。これに関しては智乃ちゃんのおじいちゃんは元来コーヒーに対して強い拘りを持つ職人気質であったので、おじいちゃんの事を良く知る智乃ちゃんがそう思うのはある意味普通ではあるし、おじいちゃんとしても智乃ちゃん達が新たに創り上げようとしているものに対して、自分が創ったものを変えられていく事に時たま寂しさを覗かせる事はあっても、真っ向から否定する事はなかったので、私としてもおじいちゃんが他の喫茶店と協力したがらなかった事そのものは、彼の強き信念として理解しているし、智乃ちゃん達がやろうとしている事にもきちんと理解を示してくれていた以上、それに対してどうこう言うつもりは毛頭ない。

 では、何がそこまで私の気を引き留めたのか。それは智乃ちゃんとしてもおじいちゃんの信念をよく理解した上で、彼女はおじいちゃんとは違う道を進む事を胸に秘めていると言う事実である。これに関しても、智乃ちゃんが自分の理想像を持っている事を確かめたからこそ、おじいちゃんはサキさん*7に導かれたと言う経緯がある為、今月号における描写は「智乃ちゃんが持つ理想像の再確認」となる訳だが、私としては例の花火回において、おじいちゃんが現世から完全にいなくなってしまった事に対して智乃ちゃんが少なからずショックを受けていた事に対して鮮明に刻み付けられるものがあった為、今回智乃ちゃんが持つ理想像を改めてみて、私としても「一時的に悲しみに打ちひしがれる事はあっても、彼女は強い信念に基づいた理想像がある。彼女はもう昔の心を閉ざした彼女には戻らない。」と思えたのはあまりに大きいものがあり、これがそのまま私の気を引き付けた理由なのである。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は嘗て智乃ちゃんの進路を決定付けるターニングポイントとして、あったかもしれない日常を体現するものとしてその名をほしいままにしている文化祭が、1年の時を経て再び始動すると言う流れになっており、その意味では原作12巻範囲における中盤から後半の見せ所の始まりにあたるのが今月号になるのだろう。また、ここ最近のごちうさは、先々月号のメグエル、先月号のマヤナツメと言う様に、新世代の高校生組に焦点が当たったお話が多く、今月号もその流れを汲む様にチノフユ2人に焦点が当たっていたので、その意味でも順当な流れを踏んでいると見ている。尤も、今後は文化祭へとシフトしていくと思われるので、その道筋は分からないが、個人的には色々な人にスポットが当たった方が、物語としてはやはり面白いと思う。

 今月号も最近のごちうさの例に漏れず「濃密な人間物語」と思う描写が少なくなかったが、慣れと言うのはやはり恐ろしいもので、読んでいて心のどこかで「今回は先月号や先々月号に比べて濃密さは若干鳴りを潜めているかな?」と思いもした。客観的に見れば、今月号も先月号や先々月号にひけを取らないレベルで濃密な人間物語が描かれているのだが、そう感じさせないのが人間の感覚のある意味で凄い所であるし、恐ろしい所でもある。

 今回は智乃ちゃんの理想像を改めて裏付ける様な展開が登場したのが印象的だったのだが、私としては、自分自身のも含めた人間が持つ「理想像」に対しては2つの展望を持っており、大きく分けて「理想像があるならそれに邁進すべき」と言うのと「理想ばかり見ていても、現実に落とし込むには困難が多い」と言うのであり、いわば「理想像に対して肯定的な自分」「理想像に対して多少なりともストッパーをかける自分」がいる訳である。こういう事になっているのは、私が常日頃から複数の見解を持つ様に意識しているからで、今回の智乃ちゃんの展望に対しても、基本的には彼女の理想像に対して「目指したい世界があるならそれを目指すのが一番。」と思っているが、他方で多少なりとも「嘗ての特徴を残したまま、その上に新たな特徴をラビハに取り込もうとする事は、果たして本当に可能なのだろうか?」と言う懸念もあり、そこは理想と現実のせめぎ合いとなっている。

 しかしながら、私としては「諦める事で分かる事もあるし、理想を捨てる事も強さの一つ。」とは思いつつも、突き詰めると「最終的に己が立てた理想像を掴み取るのは、現実を見つつも最後まで己の理想像を捨てなかった者だけだ。」とも思っており、故に現実を見て打ちのめされる事はあっても、それで理想像を捨ててしまえばその先の道は開けないと言う立場をとっている人間でもある。その中で、今の智乃ちゃんが採っている行動は、正しく「自分の成し遂げたい事に向けてのもの」である事は明らかである為、私としては「智乃ちゃんなら将来きっと自分が立てた理想像を、多少形が変化する事はあってもきっと掴み取れる。」と思っており、そこは私としても譲れはしない信念でもある。

 今回は序盤においてはジョジョの影響を強く受けた内容となったが、進むにつれてごちうさオンリー色が強くなっていった*8と言う結果になった。正直何でこうなったかは自分でも良く分からないし、それを正当化するつもりも無いのだが、それ位フリーダムに書いているからこそ、今まで書き続けられている様にも思えている。だからかどうかは分からないが、今回はこれまででも一二を争うレベルの執筆スピードだった事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙28枚分である。今回の感想・考察記事の執筆スピードは歴代でも随一のものだが、今回に限らず最近の記事は大体数日で書き上げる事が多いので、意外とお手のものだったり。尚、ここまで素早く執筆するのは「記憶が無くならない内に書きたい」と言うのもあるが、一番は「他にも沢山のマンガを気兼ねなく読みたいから」と言うのが大きかったり。今やきらら連載作品だけでも20以上読んでいるなんて、このごちうさ感想・考察記事を書き始めた頃には考えられなかったが、あの時から大きく変化したのだ。

*1:完成時点では24巻まで全て読み終えていました。面白くてとんとん拍子に読んでいたもので。

*2:例えばごちうさに引き込まれた場合、ごちうさに登場するキャラクターの誰かと全く同じ行動を辿る事が決定付けられると言った具合である。こう言えば聞こえは良いかも知れないが、原作を読めば分かる通り、実際にはそんな甘い話ばかりでは無い訳で......。後、非常に難解なスタンド能力なので、解釈違いがあったらすみません......。

*3:紗路ちゃんは度々アルバイトをフルール・ド・ラパン以外にも掛け持ちしている様子がある為。ただ、基本的にはフルールが主たるものらしい。

*4:恐らく好立地でもあると思われ、後述する様にブラバサイドが喉から手が出る程欲しがるのも納得できる。

*5:ただ、人よりズレた感覚の持ち主なのは、ごちうさにおいてはフルールの店長以外にも多数該当する事ではあるが......。

*6:無論、そこには「良い意味でも悪い意味でも」と言う両方の観点があるのは言うまでもない。これに関しては現実を踏まえた見解でもある為、嘘をつく事はできない。

*7:智乃ちゃんのお母さんの事。智乃ちゃんが幼い時に亡くなってしまっているが、智乃ちゃんはその事実を乗り越えている。

*8:但し水面下ではジョジョの影響をもろに受けており、あくまで顕在化した形で表れた頻度が減少したに過ぎない。