多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。6月上旬になって、遂にジョジョの奇妙な冒険Part8(第8部)ジョジョリオン」(JoJolion)の単行本を購入致しまして、現時点では全27巻中、1巻から14巻までを購読したのですが、序盤からして緊張感の高い雰囲気と先の読めない展開に、読み始めて早々に「何だこの展開はッ!こんな展開が続いたら、ドキドキで心が持たないぞッ!」となる程に、その圧倒的な世界観に魅了されました。また、序盤では東方定助(8部の主人公)の周りに起こる不穏な展開の数々から、思わず「一体何を信用すればいいんだ……!」とまで思いましたが、巻数を重ねるにつれて「良かった……、信用していい所は信用してもいいんだな……。」と思える様になったので、そこは精神的な意味で助かりました。因みに8部の「ジョジョリオン」と言う副題は、ジョジョシリーズの中で一番語感の響きが好きな副題だったりします。なんか「リオン」と言う響きが良いんですよね。

 また、5月末には最近の百合マンガ好きが高じて、嘗てコミック百合姫にて連載されていた、まにお先生の「きたない君がいちばんかわいい」(全5巻)と言う作品を全巻一気買いして読んでみたのですが、1巻からして百合SM*1を彷彿とさせる様な、歪んだ性癖に満ち溢れた描写が出てくる光景には、そういう描写が出てくるマンガに対しても比較的耐性がある私とて驚きましたし、この時点で「あっ、このマンガは今まで私が読んできたマンガの中でもえげつない方だ。」と思いました。まぁ、実際には私が想像していたよりも遥かにえげつなかった訳ですが......。

 巻数を重ねるにつれて徐々に破滅的な愛情が剥き出しになっていき、3巻の展開に関しては、正直あまり思い出したくない程に凄まじく、また悲愴的な展開であり、多くの因果が絡み合って起こった出来事だったと認識しています。なので、それはもう単純な概念で話せるものではありませんが、刺さる内容であったのも事実です。尚、個人的には全5巻の内、3巻が一番インパクトが強い上にしんどい展開が一番多いとも認識しています。最終巻も辛いは辛いのですが、順当に読み進めると3巻が一番ヤバかったです......。

 最終巻である5巻の最終話を読んだ時には、そのあまりにも悲愴的な結末に、それまでの感情が堰を切った様になだれ込んできて、只管に泣き喚きました。10分以上はそんな状態だったと記憶しています。本当に「こんな……、こんな結末だなんて……。」と、正に感情も顔もぐちゃぐちゃになるまでの錯綜した想いが込み上げてきて、何とか立ち直るまでに1時間近くはかかりました。こんな事は今までマンガを読んできた中で経験した事はありませんでした。それだけショックを受けたと言う事です。

 ただ、作品としては非常に名作だったと認識しており、悲愴的な結末故に読む際にはかなりの覚悟が必要となると言うのが正直な所ですが、例え歪んだ形であったとしても、例え全てを失う結果になったとしても、お互いに歪んだ愛を信じて貫き通す事を選んだ2人の軌跡は、一般的な理屈を超えた(或いは常軌を逸した)何かを持っているのも事実なので、私は最終巻を読んだ直後こそ、あまりに衝撃的な結末故に「最終巻だけは読まない方が良かったかも……。」とは正直思いましたが、今では「最終巻含めて読んだ事に後悔はない。」と思えています。但し、感情がぐちゃぐちゃになったトラウマが無くなる事は決して無いですし、あの結末を完全に受け容れられたかと言えば、今でもそうではないと言うのが正直な所ですが......。

 尚、私が最近読んでいる百合マンガで特に好きなのは、きたかわと同じ百合SM要素を含みつつ、各々の葛藤や心情が丁寧に描き出されているが故に、ちょっと(と言うよりかなり)背徳感のある百合を堪能できる上にマンガとしても読みやすい、COMIC FUZにて連載中の、みら先生の「百合SMでふたりの気持ちはつながりますか?」(既刊3巻)と、1人の女の子が、とある経緯故に嫌いから始まった女の子を好きになる過程と努力が丁寧に描き出されており、私にとっては正真正銘の百合好きとなったきっかけを作ってくれた、まんがタイムきららフォワードにて連載中の、桜木蓮先生のアネモネは熱を帯びる」(既刊4巻、今年7月には5巻が発売予定)の2作品です。勿論、他にも好きな百合マンガは沢山あるのですが、この2作品には強い思い入れがあるのです。

 色々と書き連ねましたが、ここからは恒例のまんがタイムきららMAX2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していきたいと思います。今回は前回からの文化祭の準備の流れを汲むと言う事で、私が思い浮かべている事で最早恒例化してきた「濃密な人間物語」と言う概念を適応したくなるような場面も沢山あり、正直な所毎回の様にあり過ぎて、その様な場面を見てもあまり心が動かなくなりつつある(=慣れが生じてきている)のも事実だったりはしますが、それでもこれまでの経験に裏打ちされた感情があるが故に、今月号においても感じ取る事の出来るものはきちんと存在しているので、今回も出来る範囲で書き出していこうと思います。

 

※注意※

最新話及び原作単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前回に引き続き、心愛ちゃん達の文化祭の準備回と言った立ち位置にあり、前回と違うのはお話のキーパーソンがチノフユから、同じ学校の上級生たるココ千夜に変化している事、お話の本軸としても文化祭がガッツリ関わる様になっている事等がある。その為、前回と違って嘗て原作5巻の文化祭との繋がりがよりハッキリと見える様になっており、その意味では嘗てとの繋がりを意識した、昨今のごちうさらしい作風と言える。まぁ、個人的には嘗ての繋がりひいては「時や世代をも超えた繋がり」と聞くと、世代を超えた物語たるジョジョの奇妙な冒険を思い浮かべるのが常なのだが、ジョジョを知っていると、ごちうさが内包する「人との繋がり」「世代を超えた繋がり」と言うものの理解が更に深淵なものとなる*2ので、物は何でも活かし様と言う訳である。

 今回の扉絵は、お互いに大人びた雰囲気を見せているココ千夜2人が、心愛ちゃんが奥の方で、千夜ちゃんが手前側にいると言うもので、2人の手元にはそれぞれ赤い糸が絡み付いており、これは嘗てマヤメグの扉絵にも描かれていたのだが、これらは「2人の強固な繋がり」を示していると言え、今後一時的に離れ離れになる事があっても、心までは離れ離れにはならない(=友情は無くならない)と言う暗示とも捉えられる。ただ、私としては今回の扉絵で一番印象的だったのは千夜ちゃんが見せた雰囲気そのものであり、まるで百合マンガの表紙に出てきそうな雰囲気を身に纏った彼女に思わずびっくりしたのである。本当、違う百合マンガならば良くも悪くも何の違和感もなく受け容れられたのだろうが、ごちうさにおいてここまで百合マンガを彷彿とさせる様な千夜ちゃんを見た事は、少なくとも私の記憶では無かった為に、完全に不意を突かれた格好になってしまった。

 更に言うと、扉絵における「瞳」の雰囲気に対しても、私の中では多少なりとも引っ掛かるものを覚えており、心愛ちゃんの瞳の雰囲気の方はそれ程懸念する事は無かったのだが、千夜ちゃんの瞳の方は、個人的には見れば見る程「恐怖」とまではいかなくても、どことなく「不安」になる雰囲気を帯びている様に感じられたのである。もっと言うと、扉絵に描かれた千夜ちゃんの瞳を見てどこか不安な雰囲気を感じたのはこれが初めてでは無い。以前も恵ちゃんと一緒にいる形で千夜ちゃんが描かれた扉絵を見た時、千夜ちゃんのどこか儚げな感触を思わせる瞳の雰囲気に、やはりどことなく不安を感じた事があり、その時には私の思い込みが多分に入っていたと思う(「思いたい」とも言う)のだが、今回に関しては大人びた雰囲気が故の悲哀を感じさせるものである為、過去の記憶が引き摺り出される形で不安げな感触を抱いたのである。正直、扉絵に描かれた千夜ちゃんの瞳を見て、何でここまで不安に駆られているのか自分でも全く分からないのだが、考えてみればその「何の理由で不安に駆られるのかが分からないと言う事実」が恐怖の要因なのだろう。シンプルな理由だが、これが結構えげつないのだ......。

 今月号は文化祭準備期間特有とも言える、どこかわちゃわちゃした雰囲気と、ココ千夜2人にとっての文化祭ひいては同じものは一つとてない日常の日々をどの様に彩っていくのか。その2つが混在した回であると言え、故に前半と後半では同じ文化祭の準備であったとしても、受け取る印象はだいぶ違うと考えている。とは言っても、私としては先月号の様に「感想・考察を書いていく為の原動力」を今月号では上手く捉えられていない為、書く内容には相当に苦心惨憺*3している様(ザマ)ではあるが、こんな事は過去に何度もあった為、今回も「長くやっていればそんな事もある。」と思いながら、何とか書きまとめたい。ここまで来ると、どんなに苦労しても簡単に諦めようとは思えないんだよねぇ......。往生際が悪いと言うのか何と言うか。今となっては大分変わったけど、やっぱりごちうさには色々と思い入れがあるからね。それを簡単に手放す事程勿体ない事は無いと思うんだよ。

 それに、一度手放したら例え後に復帰する事があっても、多分嘗ての様には二度と戻れないと思う事も、簡単にごちうさを手放したりしない理由としてあるんだと思う。まぁ、嘗ての様には二度と戻れないとは言っても、他方で「一度手放して、再び戻ってきたからこそ得られるものもある」と言うのもまた事実だし、そこから「一度は手放さなければ絶対に得られないものも、世の中には存在する」という言説を己自身にも構築する事だって出来るのだが、私にはそれをする事が出来なかった。自分が築き上げてきたものを自ら崩してしまう事が怖かったのだろう。こうして今日に至るまで走り続けてきた事を「悩みつつも手放さなかった判断は素晴らしい」と受け取るか。はたまた「ただの優柔不断が引き起こした、どっちにも舵を切れなかった情けない姿」と受け取るか。私としてはどちらにも自覚があるので別に何でも良いし、どちらにしても結果は「今でもごちうさファンであり続けている」と言う事には変わらないのだから、過程に対しては四の五の言う事はあっても、今この瞬間もごちうさを好きである事こそが、結果的には一番の幸せであるのかもしれない......。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中で特に深掘りしたいと思った内容」から書き出していきたい。先月も書いた事だが、最近のごちうさは濃密な心情描写が描かれる機会がとても多く、しかもそれが連続して描かれるが故に、それらの描写に対して何時しか慣れが生じてきて、結果的に動じる事が無くなっていっているのが私の現状でもある。しかしながら、慣れが生ずるとは言っても琴線に触れる感覚を失った訳では無い。単にものの見方が変わったと言うだけの事である。あと思い当たる節があるとするなら、サスペンスホラーテイストのマンガ作品の観過ぎ故に、驚きや恐怖に対する感覚が変化しているせいだろうか......。

ハチャメチャさと精細さの共存

 まずは今月号の要たる「文化祭準備期間における軌跡」について書き出したい。今回の文化祭準備期間は、兎に角ハチャメチャな雰囲気が目立っていた部分と、ココ千夜2人が持つ繊細な心情が色濃く描き出されていた部分の2点が骨子(こっし)になっていると考えており、前者は嘗て原作5巻で行われた文化祭の流れを、後者は原作5巻の文化祭及び原作8巻から9巻にかけての旅行編の流れを汲んでいると思われる。

 ハチャメチャな雰囲気と言うのは、前提として心愛ちゃん達が通う学校には、学年が上がる度にクラス替えが存在する事が関係している。流れを言うと2年生(原作5巻時の文化祭)の時に同じ仲間だったクラスメイトが、3年生(今回の文化祭)には違うクラス即ちライバル関係になり、ライバル関係になったからには、互いに1歩も引かないせめぎあいの精神を持つ事を意識するようになり、それが今回のハチャメチャな雰囲気にも繋がっているという訳である。まぁ、別のクラスになったからせめぎ合い云々とは書いたが、何と言うのか、クラスは変わっても根底にある信頼関係は強固なままなんだなぁと思う関係性でもある。

 ハチャメチャさを具体的に言えば、ココ千夜2人が接触しようものなら、実際にはノリの範疇(はんちゅう)とは言っても、どこぞの不良マンガの雰囲気みたく一触即発の雰囲気を出したり、ノリとは知らず(?)に同じ学校同士でギスギスしあう雰囲気を制止しに来た委員長が、事実を知った途端、およそ委員長と言う立場の人が言う事ではないセリフを飛ばしたりと言った感じで、一見すると「これやばくねェか?!」とならなくもないし、抑々そういうノリはごちうさにおいてはあまり見ないが故に、その意味でも意外性を感じてならない*4。だが、それは逆を言えば日常系のノリで、ちょっとした不良マンガの雰囲気をも堪能出来る絶好の機会ともなる為、ここは1つのマンガに様々な雰囲気を採り入れ、尚且つそれらを絶妙に落とし込んでいるごちうさの強きポテンシャルと言うべきだろう。私としてはそんなの見せられると、ジョジョ4部「ダイヤモンドは砕けない」を思い浮かべるのは言うまでも無いが。

 中盤からはココ千夜2人を中心とした物語像へと変化しており、途中同じ学校の年下のチノフユや、理世ちゃんの同級生にして未だ素性に謎が多い結良ちゃん等も登場し、何れも心愛ちゃんよりも千夜ちゃんに対してより大きな影響を与えている。ただ、あくまで軸となるのはココ千夜2人の「心情」にあり、その心情において共通している事の中で重要なのは「誰かの為に何かをする事に喜びを感じている事」「『この喜びの時がずっと続けば良いのに......』、と思う事もある事」で、前者はそのままごちうさが持つ「受け継ぐ物語」にも通ずるもので、後者は将来的にほぼ確実に直面するであろう「一時的に別々の道を歩む事」に通ずるものである。

 前者に関しては、原作5巻における文化祭や、原作8巻から9巻にかけての旅行編に挙げられる様に、自分から何かをする事で、相手の成長を促したり影響を与えたり、巡り巡って相手から自分に影響を与え返して貰ったりする事で、これは言わずもがなではあるが、ごちうさの物語の根幹をなす要素の1つであり、この要素があったからこそ、智乃ちゃんや冬優ちゃんは大きく成長を遂げた訳だし、心愛ちゃんや千夜ちゃんにしても、精神的に大きく成長を遂げてきた訳でもある。

 しかし、これらは「同じ時と空間を共有している事」が非常に重要な要素として機能している為、どちらか一方が欠けると今まで同じ様にはいかなくなるのも事実であり、現実問題として心愛ちゃんと紗路ちゃんは、高校を卒業した暁には、心愛ちゃんはパン作りの更なる精進の為に、紗路ちゃんは都会の国立大学に進学する為に、それぞれ木組みの街を離れる事がほぼ確実視されている為、今回の文化祭の準備も含めて「今この瞬間しか出来ない大切な日々」と言う事実が、ココ千夜2人ひいては木組みの街の住人には存在している訳である。そしてそれは、できる事なら無くなって欲しくないずっと続いてほしいと願うのは至極当然のものでもある為、結果的に「今この時がずっと続けばいいのに......。」と願う事にも繋がるのであり、これが後者の「将来的には一時的とは言えど別々の道を歩む事実」を引き寄せるのである。

 だが、一方でココ千夜2人は「自分達の活躍を見てくれている人の為にも、支えてくれている人の為にも、前に進まないといけない」と言う意思も見せており、これが何気に重要だと認識している。何故なら、先の現実に対して多少なりとも狼狽える事はあっても、その様な覚悟に裏付けられた意思があるならば、自ずと進むべき道も切り拓けるからであり、ココ千夜2人にもその様な意思が備わっていると分かる事は、繊細な気持ちを持ちながらも前へと進む気概と覚悟がある事の根拠ともなる意味で重要だと思うのである。最早当たり前の様にジョジョ5部「黄金の風」の主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」の影響をあっぴろげにしているが、この様な概念を説明する際に、ジョジョ5部にてジョルノが展望した概念程的確なのも早々存在しないのだ。

一線を画し続ける者の到来

 次はこのごちうさにおいて、同級生にして昔なじみの理世ちゃんをはじめとして、皆とは一線を画し続ける者、もとい狩手結良ちゃんが見せた動向について書き出したい。結良ちゃんと言えば、理世ちゃんと同じお嬢様学校の高校生時代には吹き矢部長を務め、現在は理世ちゃんと同じ大学に通う傍ら、理世ちゃん宅にて奉仕活動に勤しんでいると言う人物であり、第一印象としては容姿端麗な淑女と言った所である。また、理世ちゃんとは昔なじみでもあり、現在でもその縁で同じ大学に行ったり、理世ちゃん宅に奉仕活動する事にも繋がっていると言える。

 しかしながら、掴み所のない性格に加えて、普段から何を考えているのか良く分からないが故に、彼女が起こす行動はしばしば(一時的なものとは言え)混沌をもたらしたり、ごちうさにおいては異色とも言える雰囲気をもたらす事も多い。更に言えば、彼女自身も自分の事を積極的に見せようとせず、それでいてあくまで自分独自の路線を貫き続けている様な姿勢も相まって、結果的に「作中随一のトリックスターとなっている印象が強くある。その為、混沌と不気味な要素をもたらす人物として描かれる事もしばしばだが、一方で何者にも染まらず、自分独自の色を持ち続ける結良ちゃんは、正に「皆とは一線を画し続ける者」と言えよう。

 そんな結良ちゃんだが、今回は文化祭の題材に関して滞っていた千夜ちゃんを手助けする形になる......、のだが、そこに至るまでの経緯も彼女らしい颯爽(さっそう)とした雰囲気故に掴み所のない様子が見え隠れしており、どこにいっても変わらない結良ちゃんには最早安心感すら覚える。ただ、今回の千夜ちゃんとのやり取りにおいて、今までと違った事として「妙に緊張感あふれる雰囲気にならなかった事」があり、結良ちゃんはその掴み所のない雰囲気に加えて、何を考えているのか分からない飄々(ひょうひょう)とした言動で、理世ちゃんをはじめとした木組みの街の住人達を多少なりとも圧倒する事もしばしばあった*5のだが、今回の千夜ちゃんに関しては、一部を除いてその様な雰囲気は存在していなかったので、ある意味このカップリングは稀有なものなんだと思った。まぁ、私としては結良ちゃんの何を考えているのか分からないミステリアスな雰囲気は、何だかんだ言っても凄く好きなので、今回の大人しめの雰囲気はちょっと寂しい(?)と思わなくもないが、世間一般ではそういう感覚の方がコアでニッチだと思われる訳で......。

 結良ちゃんが皆とは一線を画す存在であり続ける事は、私自身彼女が何故にそうしているのかさっぱり分からないのだが、考えられるとするなら「本来は別の色を持ちながら、自分から敢えてそういう色を演じている」か、若しくは「自分にとって一番性に合った色がそういうのだから」と言う2つが挙げられる。簡単に言えば、前者は「素の自分とはまるで違う、正に演技をしている自分を見せている」と言う事で、後者は「素の自分に限りなく近い姿を見せている」と言う事だが、この2つはあくまで「私なら結良ちゃんの雰囲気をその様な観点で捉える」と言う事に過ぎないので、個人の憶測の域を出る事はないと思われる。でも、そのキャラしか持っていない独自の色を考えてみると言うのは、やはり大切な事なのである。

 ところで結良ちゃんと千夜ちゃんが楽しそうにしているのを見て、理世ちゃんと紗路ちゃんは思わずその空間に入れずにいたと言うくだりもあり、ここは「何時もの結良ちゃん」を思わせる雰囲気だが、他方で「相変わらずだなぁ。」と思う所でもある。普通に考えて紗路ちゃんはともかくとして理世ちゃんは結良ちゃんとは昔馴染みなのだから、別にそこまで戦々恐々とする事も無かったんじゃあないのかと思うが、それはある意味「幼馴染が認める恐るべきミステリアス、それが狩手結良の魅力」とも表現できるのかもしれない。些かこじ付けがましい気はするが......。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出したい。今回は書き出しにおいてどの様なテーマで書き出すべきか。その事について悩ましい思いをした為に、今回こちらのテーマにおいても果たして書き出していけるのか。多少なりとも不安はあったのだが、いざ書き出してみると現時点でも割と上手くいっているので、あまり不安に思う事も無かったのかもしれない。

嘗てと今を思う上世代の高校生

 まずは今月号の印象について書き出したい。今月号は先月号に引き続いて文化祭の準備期間の流れになっており、故に先月同様「過去と現代の違いと成長」を思わせる構成になっている。ただ、過去から更なる成長を遂げ、自分のやりたい事や進みたい道に向けて邁進していくチノフユ2人に対し、今回のココ千夜2人は、チノフユ2人と同じ様に自分のやりたい事や進みたい道に向けて邁進する様子もありつつも、他方で「今この時をずっと堪能していたい」と言う、未来に進む事に対する寂しさを覗かせる場面もあり、ここは高校を卒業した暁には、一時的にでもそれぞれ別々の道を歩んでいく事実をひしひし物語らせていると考えている。要するに今回のココ千夜2人からは、ある種の「悲哀」さえ感じさせる雰囲気があると言う事であり、前向きに未来へと邁進していく気概も持っているとは言え、チノフユ2人とは異なる様相がある訳である。

 今回は文化祭の準備に主たる焦点が当てられており、前半は心愛ちゃんと千夜ちゃん、それぞれのクラスメイトとわちゃわちゃしつつも楽しそうな雰囲気を色濃く覗かせ、中盤以降はココ千夜2人の心情に改めて深く迫っていくと言う構成が、読めば読む程その凄みが解ってくる印象がある。こう書くのは、最初読んだ時には、正直今回の内容に対してあまりピンと来ず、感想・考察を書く為に何度か読み返していく内に、今回の内容も今までのごちうさ同様確かな凄みに溢れていると理解したからで、それをして「やはり何度か読み返す事で解る魅力はあるよなぁ......。」と思った所存である。本当、ジョジョをはじめとして、多数のきらら系作品や百合系マンガと触れる様になり、ごちうさに対するウエイトも正直かなり減少してきているとは言っても、今でもごちうさに対する想いは失っていないのだと思えるのが何より良い事だと思うよ。

 思えばこれまで書いてこなかったが、今月号前半においては千夜ちゃんがやたら喜怒哀楽のふり幅が激しい印象がある。例えば、何時もの明るい雰囲気をはじめとして、クール且つダークな雰囲気を帯びたカッコいい姿、威勢の良い事を言った後、必ずと言って良い程に自ら威勢負けをしてしまう姿、年下のチノフユ2人に声を掛けられて、思わず声を上げるまでにビックリしていた姿等々、挙げ出すと枚挙に暇がない。特に一番最後の思わずびっくりした際に上げていた驚きの言葉に関しては、私としては正直何をもってこの様な言葉が飛び出してくるのかさっぱり理解できない有様だったが、千夜ちゃんにとってはそれだけ驚く様な事だったと言う訳なのだろうし、言葉の内容は理解できずとも、腰を抜かす程の驚きであった事は理解できるので、それはそれでいいのかもしれない。惜しむらくは、私に謎な言語を楽しむセンスが些か足りていなかった事だろうか......。そんな事実を突き付けられても、どうしようもない気もするが......。

未来へと邁進しゆく意思

 次に終盤にて見せていた「ココ千夜2人の、迷いを抱えつつも確かに存在する未来へと邁進(まいしん)しゆく意思」について思った事を書き出したい。これに関しては先の部分でも書き出した事ではあるが、ここでも改めて書き出すのは、その様な意思がそれだけ重要だと思っているからである。

 ココ千夜2人が進もうとしている未来と言うのは、ココ千夜2人だけでなく、現在登場している登場人物全員にも深く関わってくる事でもあり、その題目は「心愛ちゃん達の代が高校を卒業した暁には、今の環境からガラリと変わる事」である。判明して既に久しくなりつつあるが、心愛ちゃんは己のパン作りの腕前を更に向上させる為、紗路ちゃんは都会の国立大学に進学する為に、それぞれ木組みの街から一時的に離れる事を決断している現状があり、それは即ち今の環境は「有限」であると言う事を示している。ともすれば、一時的なものとは言っても心愛ちゃん達は離れ離れになる訳であり、そうなれば今のように気軽に会いに行く事もできなくなれば、何気ない日々を同じ時と空間で共有する事も非常に難しくなる訳で、心愛ちゃん達は「それも承知の上」でこの様な進路を決断している事は至極当然とは言っても、やはり寂しさは募るものであり、故に今回ココ千夜2人が「今の楽しい時がずっと続けばいいのに......。」と思うのはある意味当然だとも思っている。解っていても、楽しい時がずっと続くならそうであって欲しいと思うのは極普通の事なのだから。

 でも、ココ千夜2人は確かに上記の様な意思は覗かせつつも、私達の活躍を見てくれる人の為に、私達を支えてくれている人の為に、前へと進まなければいけないと言う意思を持っている。これは先も書き出した通り本当に大事だと思っていて、それには抑々論として「そう言う意思がなければ前には進めない」と言うのもあるのだが、それ以上に現状でも一定の凄みを既に持ち得ていながら、それに驕らず更なる精進と成長を望み、今自分達が構築しているかけがえのない環境を、一時的なものであったとしても、少なからず大きな影響を与えるまでの変化を覚悟してまでも行動を起こそうとしているその意思があまりにも素晴らしいのである。何と言うか、その様な意思を持っていれば、どんな事があっても決してめげない強さにも繋がると思うし、それならば最早2人には敵わないなぁ......って、思えてくるよ。人としての強みに溢れていると言う意味でも、気概と覚悟を持った憧憬すべき人と言う意味でも。

 そして、その様な2人を見ると、自分としても「迷いがあっても、自分がやりたいと思う事、やらなければならない事があるならば、最後はきっちりと前に進んでいかなくちゃあいけないなぁ。」とも思うんだよね。こう思うのは、以前から要所でそんな事を意識しながら日々を過ごしている事もあるのだろうが、単純にそういう思想を見ると、改めて気が引き締まると言うか何と言うか、地に足つく形で確かな歩みを続けていく事はやっぱり大切だと思うのが大きいんだと思う。まぁ、これは「私の場合は」と言うだけの事だが、こんな形でごちうさの影響を昇華する形もあると言う事で。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は前回に引き続いて文化祭の準備期間にあたるお話であり、前回よりも更に直接的に文化祭絡みの描写が描かれている上、主軸としても現在の高校3年生組たるココ千夜2人になっている為、先月とはまた違った形で文化祭に向けた過程を見る事ができたのが印象的である。また、先月号までは現在の高校1年生組に主軸が当たったお話が多かった中で、今回は高校3年生組であるココ千夜2人に焦点が当たっていたのも、お話の流れを考えれば順当と言え、ココ千夜2人のファンにとっては嬉しい所でもある。

 今月号はお話の捉え方に苦労した回でもあり、一番初めに読んだ時は確かにその重厚な人間物語に心動かされる場面もあったものの、先月と比べると明らかに内容を推し量る勢いが無かったのが正直な所だった。尤も、そこから感想・考察を書く為に読み返していく内に、今回のお話も最近のごちうさの要素を兼ね備えた回であると認識した為、結果的には「今月号も素晴らしい内容だった。」と言う見解に落ち着いている。但し、感想・考察ブログに関しては、終盤になって再び書く内容に手間取ってしまう事態に陥ったが、紆余曲折あっても最後には「今月号もやっぱり良かった。」となるのは有難い事なのだろう......。

 今回は何かと「未来に対する気の持ち様や、未来に対して向き合う際の考え方」に対して書き出す事がしばしばあったが、これはシンプルに「私がそういう見解を好んでいるから」である。また、私が好きな考えである「未来に対する気の持ち様や、未来に対して向き合う際の考え方」の骨子つまり重要な構成要素となっているのは、現在ではジョジョの奇妙な冒険となっているが、ジョジョを知る前からこの様な見解はずっと持ち続けており、それこそごちうさが1番の骨子だった時もあるし、それ以外にも「自分自身の人生の軌跡や経験」と言うのもある。要するにこれまでの自分が触れてきたものから構成していると言う訳であり、それこそ心愛ちゃんの様な考え方でもあるが、時系列としては心愛ちゃんがそういう考えの持ち主である事を、私が知るから私自身持っていた考えなので、そこはあしからず。まぁ、心愛ちゃんみたく根が明るく楽観的な考え方をしていると言われて否定はしないが。

 最近になってきらら系や百合マンガ、それにジョジョといった沢山のマンガを読んでいる事実を鑑みて、我ながら「相変わらず嗜むジャンルが広いなぁ。」とか思う事もしばしばあり、特にゆるふわな日常系と緊張感溢れるサスペンスホラー系みたいに、およそ全くかけ離れた特性や雰囲気を持つ作品を近いタイミングで嗜むと、我ながら「心を癒したいのか、心を緊張させたいのかどっちなんだ。」と、セルフツッコミみたく思う事もある。まぁ、答えとしては「癒しと緊張、その両方を体感したいので両方あるのが良い。」と言うものなので、客観的に見るとかなり変わった感性の持ち主となるのだろうが、好きなものは仕方が無い。一応、緊張感あふれる作品を連続で摂取すると、癒される作品が欲しくなると言うごく普通の感覚もあるが、それにしたって......、と言った所にしかならないか......。

 そして、今回のブログ記事の冒頭にて書き出した事でもある、6月上旬になってから、ジョジョの奇妙な冒険第8部「ジョジョリオン」の1巻から14巻を読んだ事に関しては、私としては「本当にここまで来たんだな......。」とは思ったものだった。第1部「ファントムブラッド」(単行本1巻~5巻)や第2部「戦闘潮流」(単行本5巻~12巻)を読んでいた頃には、ジョジョリオンなんて本当に「何時になったら辿り着くのか......。」と思っていたし、実際辿り着くまでには半年以上かかったのだが、それでも1部から累計して100巻以上の巻数を経て、今こうしてジョジョリオンを読んでいると言う事実を思うと、アニメの方も1部から6部全て*6を視聴した事も相まって、やはり感慨深いものがある。尤も、現時点ではまだジョジョリオンの全てを読んでいる訳では無いし、なにより今は第9部「The JOJOLands」(ザ・ジョジョランズ)がウルトラジャンプにて連載中なので、まだまだジョジョを追いかけていく所存でもある。

 最後までフリーダムな内容となったが、現状でも数多くのマンガ作品を読んでいる上、この感想・考察ブログにしても長期間にわたって書き続けている事、ごちうさに対する熱意にしても、良くも悪くも落ち着いたものになっている事もあり、こうでもしないと中々取っ掛かりが掴めないのである。また、きらまを読む意義にしても、嘗てと今では全く別物に変貌している*7為、今後は書く取っ掛かりを掴むのに苦労する機会は更に増えると思われるが、それでも書き続ける為の熱意を完全には絶やさない所存である事をもって、この感想・考察記事の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙35枚分である。今回も書き上げるスピードは相当に速かったが、流石に先月の様にはいかなかった模様。とは言っても文量を考えると、それに匹敵する速さではある。また、最近は書きたい事を詰め込んでいく傾向が強くなっているが、それも多くのマンガを読んでいる環境が故と言う事で。

*1:後述するマンガの方ではなく、そう言う概念の方である。

*2:ただ、私の場合同時にジョジョシリーズの影響をもろに受ける様にもなったが。

*3:くしんさんたん。非常に気苦労する事といった意。

*4:但し、心愛ちゃん達の学校のクラスメイトが見せるノリに限れば、この手のノリは実の所案外珍しくはないのだが……。

*5:尤も、理世ちゃんの場合は圧倒されてばかりでも無く、普通に結良ちゃんに対抗する事もしばしばだが。

*6:尚、こちらも全て合わせるとかなりの話数である。

*7:昔は「ひとえにごちうさを読む為」だったが、今では「自分の好きな沢山のマンガを読む為」になっている。