多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。今回からは注意書きを除いて初っ端から「~だ・~である」調の常体での記述とさせて頂く。よく考えてみれば、最初だけ「~です・~ます」の敬体で、途中から常体のみだなんて、書体として不揃いだし、「最初だけ」と言うのも、ハッキリ言えば「不揃いである事の言い訳」でしかないので、敬体と常体では書くニュアンスが全然違う事も相まって、ここで常体に統一する事にした所存である。

 今回は最初から重い話を書き出していくので注意してほしい。最近も私は例によって百合マンガを中心に読んでおり、先月末も当然の事の様に百合マンガを購入したのだが、その購入したマンガと言うのは、前から度々書き出していた、ゆあま先生の「君と綴るうたかた」(既刊5巻)と、あおのなち先生の「きみが死ぬまで恋をしたい」(既刊6巻)と言う2作品である。先に書いておくが、この2作品共に「私自身の意思」で手に取っており、前者はコミック百合姫で観た時の衝撃が忘れられなかった事」から、後者は「百合マンガを探している時、その強烈なタイトルに目を奪われ、何時かは手に取りたいと思っていた事」がきっかけだった。

 そうして購入した2作品だが、別に隠してもしょうがないから正直に言わせて欲しい。2作品共に読む前から既に読むのがすっごく怖かったのだ。と言うのも、タイトルや表紙から既に「作品が持つ雰囲気が概ね想像できたから」で、その想像から導き出された内容を思えば、とても普通の心意気で立ち向かうことなどできなかった。この時私は「嗚呼、己の心情に嘘は付けないんだ......。」と、この時の私が恐怖によって完全に打ち震えていた事を如実に示す様な事を思い浮かべている。だが実際には、その時感じた恐怖の予想なんぞ、あまりにも甘い事この上ないものだったとしか思えない。恐らくはあの時の自分に「油断」もあったのだろうが、正直言ってどんだけ苛烈なる恐怖を予想しようとも、圧倒的な世界観の前では全くもって無力だったとしか言いようがない。つまりは「恐怖に打ちのめされる運命から逃れる術なんぞ、初めから無かった」と言う事で、手に取った時点で後述するような事態になるのは最早必須の運命だったのであろう。

 そして、実際に読んでみればその予感は的中するどころか、私の想像を更に超える凄まじい世界観が待っており、きみつづの方ではその衝撃的且つ悲愴的な展開に打ちのめされつつも、事前に雑誌で読んでいた事もあってなんとか耐えていたが、初見だったきみ死ぬの方は最早どうにもならなかった。どちらのマンガも、とにかく心苦しくなる展開がしんどく、きみ死ぬに至っては正にハードボイルドを地でいく展開が山の様にあったので、己が持つマンガの価値観はおろか、己が持つ死生観でさえ変えてしまいかねない感触に、私はただ只管に圧倒されるしかなかった。とにかく苦しかった。己だけが持つ、何か強い考えを持たなければならない事も解っていたのだが、それさえも全然持てなかった。否、そういう考えを持っても、あっけなく崩れそうになるまで追い込まれいたと言う方が正しいだろう。極限の状況では、普段はどれ程屈強なる考えを持っていたとしても、それがあっけなく崩れる事は大いにあり得る事なのだから......。

 あまりに壮絶な展開に対して「もし逃げても許されると言われたら、私は多分逃げ出してしまうんだろうな......。」と思った程で、それに対しては「逃げてどうする。この手の事は一度踏み出したら、もう後には引けないと言う覚悟さえも持たなけばならなかった筈だ。弱さはあっても良いが、ここで逃げるのは違うんじゃあないのか。と、己を鼓舞する形で何とか乗り切ったが、普段からシリアス展開にも比較的耐性があり、怯えても前に進めるだけの気概をも併せ持っている私にとっては、この2作品によって受けたショックは大きく、読み終わった後もこの2作品の事を考えると、途端にちょっとナーバスな気持ちになる程で、今でも正直複雑な気持ちが蠢いている。尤も、シリアス耐性があると言ってもそれは「衝撃を受けた後の立ち直りが早い」と言う意味で、断じて「何があっても動じない」と言う意味ではなく、寧ろ衝撃自体には比較的脆い側面もあるのだが......。

 でも、きみつづにしろきみ死ぬにしろ、これだけは言える。それは「どんなに恐怖に打ちのめされようとも、どんなに心情がぐちゃぐちゃになろうと、読んだ事を後悔する事は絶対にしない」と言う事。本当にこれだけは譲れないし、周りから何を言われようと、曲げるつもりは一切ない。きみつづもきみ死ぬも、過酷な展開を含むマンガである事に違いはないが、同時に「過酷な環境だからこそ輝く矜持」「何があっても決して折れ切らない心の強さ、諦めの悪さ」がもの凄く印象に残るし、何より「相手の事を何があろうと想い続ける」と言う、百合作品としても凄くキーポイントとなる「真剣な想いを、真剣な恋の気持ちを、どんな運命が待っていようと大切にする」と言う所に心惹かれる。それを思えば、ちょっとやそっとの事で折れ切る訳にはいかないとなるし、どんな事があっても「己が決めた意思は最後まで大切にしよう」と心から思える。

 ここまで中々にヘビーな内容を書き出したが、何故この様な事を書き出したかと言えば、最近になって更にその熱意を高めている「百合」と言うものに対して、これ程衝撃を受けた百合マンガの事を書かない訳にはいかなかったからである。勿論、敢えてこの場では語らない選択肢もあったのだが、私としては1人の百合好きとして、これ程感銘を受けた百合マンガの事を書かない選択肢を採るのはあまりに酷な事だと思った為、ここで書き綴ったのである。これが正解かどうかは私にも分からない。だが、自分にとって一番後悔しない選択肢だったのは間違いない。

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。ここまで百合マンガに対する真剣な想いを綴ってきたが、ごちうさに対しても最近では熱意こそ全盛期に比べれば幾分少なくなってきたとは言え、その真剣な想いに関しては変わらずであり、その真剣な想いの最たる例として、今に至るまで書き続けているこの感想・考察ブログ記事でもあったりする。尤も、何時まで書き続けられるかなんて分からないと言うのが正直な所だが、余程逼迫しない限りはどんなに時間が掛かっててでも書き続けていくつもりである。

 

※注意※

最新話及び原作11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は多少なりともえぐみある内容を含むかもしれないので、そこもご注意ください。実際に書いていると、中々にえげつない一面をのぞかせたものとなりましたので......。

1.はじめに

 今回のお話はこれまで続いてきた文化祭直後の局面にあたり、主たる舞台はラビットハウスである。そこでは普段の日常と何ら変わらないやり取りを窺う事ができ、智乃ちゃんの様子が何時もと若干違う事以外には、何やら特段変わった事は無い様に思えてくる。しかし、今回のお話は序盤の中程から中盤にかけて、何やら心愛ちゃんが特殊な世界に迷い込む場面があり、ここの場面は明らかにテーマ性、雰囲気共にシリアスな方向へと深化している為、この時点で「今回は普通の日常回では無かった」と気付かされる。また、セリフ回しも全体的に「シンプルに受け取れば普通だが、ひとたび見方を変えると違う意味が浮かんでくる上、意味深長な雰囲気さえ感じ取れる」と言う内容のものが多く、その意味では「時の経過による人当たりの変化」を窺う事もできるが、何れにしても今回のお話は「二面性を持つ場面が多い」と言え、油断すると思わぬ角度から飛んでくる展開によってダメージを受けかねない。尤も、ダメージは受けるとは言ってもガチでえぐい展開を含むマンガに比べたら全然マシではあるのだが......。

 今回の扉絵は、おとぎ話(恐らく不思議の国のアリス)に出てくる様な雰囲気をモチーフにした心愛ちゃんが鏡の上で寝そべっていると言うものであり、これだけなら至って普通に見える。しかし、この扉絵では普通とは違う要素があり、それは「鏡に映る姿が、心愛ちゃんをそのまま映すミラーになっていない*1であり、ホラー系統では最早お約束とも言える「直後に待ち構えるおぞましい展開への布石」*2ともなっている事から、不気味な雰囲気は拭い切れない。まぁ、ごちうさではそんなおぞましい事にはならないだろうと思っていたら、まさか今月号でホラー作品程の恐怖ではないにしても、それに近いホラーテイストの展開を観る事になるとは、この扉絵からは想像だにしていなかったのは言うまでもない......。

 今月号は「昔と何ら変わらない日常のやり取り」「人なら誰もが持つ『人には簡単には言い出せない過去』の追想と言う二面性が特徴的であり、かたや懐かしい感触を感じる一方、かたや「人には言えない秘密を抱える事とは」と言う非常に難しい問題さえも考えさせてくる構図になっている。尤も、後者は「私ならそう思う」と言うだけの事ではあるのだが、個人的な主観を抜きにしても、今回の展開はただでは済まされない重厚な展開だと考えており、それは「今の智乃ちゃんからは想像だに出来ない程の過去」にある。ただ、智乃ちゃんの過去に関しては「初期の頃から現在に至るまでのごちうさを読んでいる人なら自ずと知る事」である為、内容自体は想像に難くないものではある。では、それを踏まえても尚ただでは済まされないとなるのは「その様な展開をストレートに描く事が、ごちうさではそこまで多くない寧ろ少ないから」であり、ここに来てストレートに描写された事実そのものも加味している。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は二面性を持つ物語と称している様に、場面によってテイストが大きく異なり、それに伴い己が感じる質感も全然違う事から、題目によって書く振り幅がかなり大きくなる事が予想されるので、どうか気を付けて欲しい。

変わりないやり取り漂うラビットハウス

 最初は今月号全体の骨子を成す「ラビットハウスにおける数々のやり取り」について書き出したい。今月号は全編にわたってラビットハウスが舞台となっており、特に序盤と終盤にかけてが、ごちうさ初期及び近年のごちうさどちらにも存在する「日常的な雰囲気」を色濃く体現している。

   まずは前者から記述する。前者はごちうさ初期からあるノリそのものであり、構図としては心愛ちゃんが振り回し役兼ボケ役、智乃ちゃんがそんな心愛ちゃんに振り回されるクールなツッコミ役、理世ちゃんがそんな2人を見守りつつも基本ツッコミ役*3となるのが基本となっている。今や「ラビットハウス3姉妹」と言われる事もある程仲が良い3人だが、そのノリは結構独特であり、若干ながらも人を選ぶ節はあるとは思う。観ている分には面白いが。

 そんなラビットハウス3姉妹だが、今回も例に漏れず「心愛ちゃんが智乃ちゃんの機嫌を損ねてしまったのか?!」と言う導入が用いられており、実際には全くもってそんな事はなかった(本当に心愛ちゃんの責任に帰さない事だった)とは言え、この手の導入が用いられる事に何の違和感も持たないのは、それだけ心愛ちゃんが何かと智乃ちゃんの機嫌を損ねたり、思わず呆れさせたりしてしまう様な事をこれまで再三にわたってやってきてしまっている証左とも言える。実際、この事に対して理世ちゃんも全くもって手慣れた感がもの凄く表れている態度を見せており、ある意味で最早「日常の一部」と化している事が窺える。また、私としても最初の頃はこの様なやり取りに対して「智乃ちゃんももうちょっとお手柔らかに......。」とか「心愛ちゃんももうちょっとしっかりした方が良いのでは?」とか思った事もあるが、今となっては特段変わった事は何も感じておらず、私とて理世ちゃんと同じ様に「いつもと変わらない事だ。」と思う様になった事を思い知らされている。

 尚、今回の理世ちゃんは心愛ちゃんに対して地味ながらも耳の痛くなる発言を飛ばしているが、私としては理世ちゃんの性格的にサバサバしたストレートな物言いが多い印象があったので、まさかやんわりとしつつ、ちょっとした毒を含む発言を飛ばすなんて「理世ちゃんもそういう事を言うんだな。」と思った。まぁ、理世ちゃんとて昔馴染みの結良ちゃんに対しては結構容赦ない毒味ある言葉を飛ばす事は少なくないので、私が気付かなかっただけの事も十分あるだろうし、心愛ちゃんにしても終盤智乃ちゃんの心情の真相を見抜けなかったのにもかかわらず、心愛ちゃんをしれっと攻撃する様な事を言った理世ちゃんに対して、心愛ちゃんも正にそのまま「ブーメラン」の如く、理世ちゃんめがけて毒のある一言を投げ返しているので、たまにはこういう事もやっているんだろうなぁとは思わなくもない。この様な事が出来るのも信頼関係があってこそなので、これもある意味「お互い気の知れた仲である事を示す事例」ともなるのかもしれない。無論、普段からお互い毒を含む言葉の応酬に明け暮れる心愛ちゃんと理世ちゃんを見たいかと言われれば、私はそれだけは絶対に見たくないと言わせてもらうが......。

 ここから後半範囲を記述する。後半のラビットハウスでは先の文化祭にて心愛ちゃんが披露したもちもちパンを求めて、ブラバ組と青山さんがラビットハウスに押し掛けると言う展開が描かれており、そこでは冬優ちゃんを除いて心愛ちゃんが作るもちもちパンの完全なる虜になっている事が窺える。流石は心愛ちゃんと言った所だが、ここに至るまでは多くの努力と苦労があった事が予想される中、心愛ちゃんはその事を全然表立って出さず、常にパン作りと言うものに真剣に向き合い続けている側面をも窺えるので、色んな意味でストイックな心愛ちゃんが凄いと思う所でもある。

 また、後半では中盤の展開を踏まえた展開もあり、ここだけを見ると何でもない日常的なやり取りの範疇に収まっている節はある。しかしながら、ひとたび中盤の展開を鑑みると、ハッキリ言って「これを何でもない日常的な範疇で済ませるのは些か無理がある。」と思わざるを得ず、深読みすればするほど何もかもが意味深長な展開を含むものに見えてきてしまう。尤も、改めて読み返してみれば、意味深長な雰囲気はそれほど感じなくなってきているが、少なくともサラっと受け流せる程易しい展開ではないとは思う。

ラビットハウスに秘められた過去

 次に今月号中盤の展開である「過去のラビットハウスでの出来事」について書き出したい。今月号中盤においては、鏡の前で何気なくおとぎ話に登場する呪文に準えた言葉を発した所、突然鏡が呼応して心愛ちゃんが昔のラビットハウスに迷い込むと言う展開があり、この様な展開は終盤にて「白昼夢」と称されているが、白昼夢と言うにはあまりにも内容がリアル過ぎる為、私は「この一連の出来事を白昼夢と言うには些か無理がある」と考えている。しかしながら、世の中一般の普遍的な概念で説明するなら、その白昼夢と言うのが最も適格である事も否定しない。何が言いたいのかと言えば、今回起こった事は「既存の概念では説明し難い事なのではないのか」と言う事であり、大元からし現実的な概念を超越したものだと捉えている。

 じゃあこれは一体何なのかと言われれば、それはあまりにも非科学的な事にはなるが、恐らくは「何らかの超常現象(魔法が一番有力か?)によって引き起こされた、時間さえも超えた観測」だと考えている。正直自分でも「そんな事が果たして起こり得るのか?」と考えているし、心のどこかではその様な現象を信じ切っていない自分がいるのも事実である。だが今回起こった出来事は、夢か現実かは分からないにしても、心愛ちゃんの身に降りかかった出来事であるのは紛れもない事実なのだ。これに関しては、一連の描写を見れば、どんなに信じ難いと言っても一旦はそう受け取るしかない。だって、仮に否定しようとしても、その否定するに足り得るだけの根拠もないのだから......。

 そして、今回は描かれた内容そのものにもかなり重いものが含まれている。今回心愛ちゃんが突然迷い込んだ時間軸で広がっていたのは、物語開始当初よりも昔のラビットハウスであり、そこには当時のマスターであった智乃ちゃんのおじいちゃんと、幼少期よりも大きく、恐らく中学生時代よりは幼い智乃ちゃん2人と、智乃ちゃんに抱きかかえられたティッピーがいたのである。この時点で心愛ちゃんが迷い込んだ時間軸が「智乃ちゃんのおじいちゃんがティッピーに乗り移る前、つまり存命時のラビットハウス」である事が解り、もっと平たく言えば「過去のラビットハウス」に来訪した事が読み解ける。

 そこでは主に智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとのやり取りが描かれているのだが、話のやり取り以上に気になるのは「智乃ちゃんが非常に暗い事」であり、物語開始当初のクールでやや素っ気ない雰囲気だった時とも違う、明らかに「何か哀しい事を抱えている様相」を漂わせているのである。この哀しい事と言うのは恐らく......、というか確実に「智乃ちゃんのお母さんであるサキさんが、智乃ちゃんがまだ幼くして亡くなってしまった事」だと考えられ、おじいちゃんの前では「寂しくない」とは言っていても、心の奥底では「寂しい」と言う感情が募っている事は、過去へと来訪した心愛ちゃんが間近で観た「暗い雰囲気を帯びていた智乃ちゃん」を見れば火を見るよりも明らかである。

 ただ、同時にこの時の智乃ちゃんは、おじいちゃんとの会話や時間を何よりも楽しそうにしていると言う一面をも見せており、これはそのまま智乃ちゃんが如何におじいちゃんっ子であったかを示す傍ら、智乃ちゃんにとっておじいちゃんと言う存在がどれ程大きかったのかも示している。これを思えば「智乃ちゃんのおじいちゃんの魂は何故ティッピーに乗り移ったのか」の理由が、また一つ理解させられるし、ティッピーからおじいちゃんがいなくなった後に、智乃ちゃんがどの様な心境に陥っていたのか、それが彼女にとってどれ程衝撃的な事であり、どれ程決心していてもなお簡単には受け止め切れない程の哀しき事実であったのか。読み手としても改めて思い知らされるものがある。

 他方で心愛ちゃんに関してだが、ある意味当然と言えば当然だが、彼女は当初何故この様な事態になったがよく理解できず、そそっかしい一面も相まって意図せず狼藉を働いてしまう場面もある。だが、途中から何が起こっているかに気付き始め、元の世界に戻る直前には、遂に嘗てのティッピーから発せられていた声の主が、智乃ちゃんのおじいちゃんであった事に勘付いた様子も見せており、その真意については物語の構成上、分からず仕舞いではあったものの、心愛ちゃんはこれまでもティッピーの正体について何か勘付いているような素振りを見せていた事から、私としては「心愛ちゃんは多分、ティッピーの声の正体に気付いたであろう。そしてそれは、例え確信を持ったものでは無かったとしても、時間を経るにつれてきっと自分の中で『そうとしか思えない』と言う確固たる意志になり得る。」と考えている。ただ、心愛ちゃんが直面した「過去を知った経緯」に対しては、私としてもただならぬ想いがあるのだが、それは後に記すとしよう。

 尚、終盤にて智乃ちゃんとしても、文化祭以来心愛ちゃんに対して機嫌を損ねているように心愛ちゃんから受け取られてしまっていた事を知り、智乃ちゃんからきちんと謝罪する局面があるのだが、その際に心愛ちゃんは今月号中盤で目撃した事を踏まえた発言を送っている。無論、智乃ちゃんは心愛ちゃんが何を見てきたのかを知らない為、智乃ちゃんとしては良く分からなかっただろうし、実際そういう反応を見せていたが、これは「もう嘗ての様に智乃ちゃんが暗くなる様な事にはならない」と言う意味だと考えている。無論、それを智乃ちゃん本人が理解しているかどうかが一番重要なのは言うまでもないが......。

 

今回の内容について思う事

ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。今回は場面によって受けた感情と言うもののふり幅が非常に大きく、故に嘗ての様な真っ直ぐな想いは正直全然抱けていないのだが、その代わりとして今回はかなり真面目且つ真剣な想いを馳せており*4、テーマ性・雰囲気共にシリアスな方向性へと深化する事も多くなったごちうさに対して、状況に応じたスタンスを柔軟にとる様にしている。そうでもしなければ今頃こんな事は出来ていない。

軽快さと重厚感漂う雰囲気

 まずは今月号全体の印象について書き出したい。今月号は先月まで続いていた「文化祭」と言うフェーズから遂に場面が完全に切り替わっており、文化祭の余韻を残すくだりもあるにはあるものの、基本的には文化祭後のストーリーとなる。その様な局面だけにあって、どの舞台でどの様な展開が繰り広げられるのかは気になる所だが、今回は全編にわたってラビットハウスが舞台となっており、さながら原点回帰色が漂う。内容もラビットハウス3姉妹が魅せる、昔と何ら変わらないくだりがあったり、先の文化祭で披露した心愛ちゃんのもちもちパン目当てにラビットハウスに押し掛ける面々がいたりと、所謂「日常的なやり取り」を思わせるものが主体で、ここだけを見るなら普通の日常回の様に感じられる。

 しかし、今月号中盤にて描かれる過去のラビットハウスでの出来事については、それまでの雰囲気から一変して暗い哀しみを帯びており、今回のお話が普通の日常回では無かったと思うには十分すぎる程の衝撃がある。また、今回の過去世界の描写は、心愛ちゃんが鏡に対して何気なく言葉を発した事がトリガーとなっているのだが、その際鏡の向こう側の心愛ちゃんが、無表情のままただ只管に現実の心愛ちゃんを一点に見つめていたと言う局面があり、これはこれで不気味且つ不穏なものを感じてやまない。過去世界編においても、年端もいかない内からおじいちゃんの為に尽力しようとする健気な強さを見せる智乃ちゃんや、智乃ちゃんとおじいちゃんの仲睦まじさが解るやり取り等、哀しみ一辺倒では断じてなかった事も解るのだが、いかんせん智乃ちゃんの過去に関わる事は、これまでのごちうさでもここまでガッツリ描かれた事は早々無かった為、そういった「衝撃」の方が強く印象に残っている節はある。

 この様な事から、今回のお話は一見すると普通の日常回に見えるが、ひとたび踏み込むと、人なら誰しも1つや2つは抱えているであろう「例え家族や家族同然の人が相手であっても言い出しにくい過去」に直面すると言う「二面性」があると捉えている。それ故今回のお話も近年のごちうさの例に漏れず、テーマ性や雰囲気がシリアスな方向性へと深化しており、深く捉えれば捉える程、深化していくテーマ性のドツボにハマっていき、やがて抜け出そうにも抜け出せなくなると言う事態にもなりかねない。実際にはここまで深刻な事態にはまずならないとは思われるが、油断していると本当にドツボにハマりかねない為、ある程度は気を付けた方が良いだろう。

過去を知りし心愛ちゃん

 最後に今月号中盤にて、鏡から過去のラビットハウスへと迷い込んだ心愛ちゃんが知った事について私が思った事を書き出したい。前述した様に、今月号中盤にて心愛ちゃんはふとした事から過去のラビットハウスの時間軸へと誘われ、そこで彼女は過去の智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんの関係性及びやり取りを直接目撃しただけでなく、真相は不明ながらも嘗ての銀河鉄道回の青山さんの時と同じ様に、心愛ちゃんもティッピーの声の主の正体が智乃ちゃんのお爺ちゃんであった事に気付いた節を見せていた。これだけでも中々に衝撃的な事だが、それで私が真っ先に思った事は「心愛ちゃんはラビットハウスに込められた過去を......、これまで触れられなかった『秘密』を知ったんだ。この事は、彼女は人には決して容易には言い出せない『秘密』を抱えた事を意味しているのではないのか。」と言うものだった。

 何故「秘密がどうのこうの......」と言う様な事を咄嗟に思ったのか。それはティッピーの声の主がおじいちゃんである事は、これまでごちうさの世界の中では徹底的に秘匿されていた事と、智乃ちゃん自身自分の過去を積極的に語る性格ではない事から、心愛ちゃんとしても今回明かされた「秘密」をこれまで知らなかった、と言うより知る由がなかった可能性が高かったと、私の中で想定された為である。そんな中で、今回心愛ちゃんは過去のラビットハウスにまつわる出来事に触れ、そこで過去の智乃ちゃんがどういう状態になっていたのか。智乃ちゃんのおじいちゃんが、自分の孫である智乃ちゃんに対してどれ程の想いを抱いていたのかを知った。そして、これは確証を得ているかどうかまでは分からないが、腹話術だと思っていたティッピーの声が、実は智乃ちゃんのお爺ちゃんではなかったのかと言う事に気付いた節を見せた。これらは正に「心愛ちゃんがラビットハウスにまつわる『秘密』を知った事に他ならない事案」であり、そしてそれは同時に「例え家族同然の人や親友であっても、簡単には言い出せない『秘密』を抱えた事にも他ならない」事から、私は思わず「秘密」との向き合い方に関する考えに囚われてしまったのである。

 先に書いておくが、これは「心愛ちゃん自身が考えてどうにかするべき事」であり、私ができる事と言えば、言ってしまうと「心愛ちゃんの決断を信じて見守る事」しかない。しかしながら、物語の根幹にも関わる「秘密」を知った心愛ちゃんを前にして、私としても黙っている事などできる訳も無く、どこまでいっても自分が持つ論理の展望にしかならない事も承知の上で、今回心愛ちゃんが知った「秘密」との向き合い方に関するあれこれを考えている。尚、今月号終盤にて、心愛ちゃんが中盤にて起こった出来事そのものは「白昼夢」として智乃ちゃん達にも共有されているが、そこで何が起こったかについての詳細を話している様子は「今月号の展開を観る限りは」描かれていないので、恐らくは今回心愛ちゃんが知った「秘密」は言及されていないものとする。

 私が思うに今回知った「秘密」との向き合い方は、1つ目は「誰1人にも『秘密』を知った事実を言わず、正に『秘密』を保持する事」、2つ目は「同年代の親友や家族同然の人に対して『秘密』を明かす事」、そして3つ目はタカヒロさんや青山さんと言った『大人』に対してだけ『秘密』を明かす事」の3つがあると考えている。前提として、これは「絶対的な正解は存在しない」ものであり、どの選択肢を選ぶにしても、その道を選ぶ勇気と覚悟は絶対に要るし、選んだ後は「その道を選んだ事を後悔してはいけない」と言う強い精神力が必要になる。

 1つ目の選択肢を選んだ場合、「その事実は何があっても、誰にも打ち明ける事は許されない」と言う重荷を背負う事になるので、その心の負担は並大抵のものでは無い。2つ目の選択肢は、この中では一番打ち明ける範囲が広いので、打ち明けるにはかなりの勇気がいるが、一度打ち明けてしまえば、信頼出来る仲間や家族同然の人と『秘密』を共有でき、心の負担はずっと軽くなると言う利点がある。3つ目の選択肢は、大人に打ち明ける事になる事から、同年代若しくは下の年代には相談しにくい事や、打ち明けにくい事でも相談したり、打ち明けたりする事の出来る可能性はある。但し「打ち明けた後」にどうなるかが読み辛く、考え方によっては「同時に同年代の人達にも打ち明けた方が良い」と諭される事もあるし、抑々事例によっては「大人相手だからこそ打ち明けられない」と言う難しさもあるので、ある意味では一番難しい選択肢とも言えなくはない。

 これらを踏まえた上で、私がもし心愛ちゃんと同じ様な形で過去のラビットハウスでの出来事を目撃し、且つ「ティッピーの声の主がおじいちゃんである事実が、この過去の出来事に触れるまで結び付かなかった」と言う前提*5があるとするなら、私は1つ目の「誰にも『秘密』を打ち明けずに保持し続ける」と言う選択肢を採る。何故なら、この様な事実は打ち明けるにしても、一体誰から話せばいいのかと言った順番の問題や、抑々打ち明けられた相手は一体何を思うのか。それを推し量るだけでも相当な困難を伴うのは想像に難くないし、ましてや当事者たる智乃ちゃんからしてみれば「どうやってその事実を知ったのですか?!」となるのはほぼ確実だし、もっと言えばティッピー周りの真実が白日の下に曝される事で、今まで腹話術と思っていたもの*6が、実は全然違うものだったと言う事実を目の当たりにした際の反応がどの様なものになるのか。それらを鑑みると、打ち明けるで生じるであろうリスクがあまりにも多過ぎる上に、リスク自体も高過ぎるのは想像に難くない事で、それを思えば、打ち明ける選択肢は、私にはとても取れないのだ......。

 なのでこれは正直「何でも打ち明ける姿勢は時に人を、人との関係性に大きく傷を付ける事もある。世の中には『分かった上で敢えて語らない』と言う選択肢が必要になる事もあるんだ......!」と言う考えの下、自分の中でその『秘密』を保持するべきだと私は思わざるを得ない。この考えに関しては、自分でも客観的に見て本当に正しいのかと言われれば、それは正直に「客観的に正しいかは分からない。」と言う。何が正しいかなんて、もし初めから分かっているならここまで苦悩しないし、ここまで真剣に悩む事もないだろう。しかしながら、分からないからこそ真剣に考えなければならないと思うし、分からないからこそ「自分が採るべき道を自分で掴み取る事が大切」なのだとも考えている。世の中「絶対的な正解がない中で選択を迫られる場面」なんて、成長するにつれて山の様に直面するし、どんなに苦しい中でもその「選択⇒決断」をしなければならない局面は多い。それを思えば、例え決断後にどれ程厳しい結果を背負う事になったとしても、己の意思なきまま時の流れに身を流されてしまう位なら、確かなる己の意思をもって突き進む方が私は良いと思う。

 繰り返しにはなるが、ここまでの事は「私ならこの様にする」と言うだけに過ぎず、この事態に対して何かする事が出来るのは、今回鏡から引き込まれてた過去のラビットハウスを唯一体感した心愛ちゃんその人だけである。先も言った通り、一読者に過ぎない私はその心愛ちゃんの選択を信じて見守る事しかできず、それはどう足掻いたって変わらない。でもだからこそ、心愛ちゃんひいては心愛ちゃん達を信じたい。これからどんなに過酷な運命が待っていようと、力を合わせて、支え合ってきっと乗り越えていくであろう彼女達の道筋を......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2023年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は直近の文化祭後のフェーズにあたるお話であり、全体的な舞台もラビットハウスとなっている。その為極普通の日常的な雰囲気を覗かせる局面も多いが、一方で中盤にはふとしたことから心愛ちゃん1人だけが過去のラビットハウスの時間軸に誘われ、そこで嘗ての智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとの関係性を目撃したり、その上で終盤の展開を踏まえると、何気ない発言が何やら意味深長なものに見えてきたりと、どう考えても普通の日常の空気感にはまず存在しないであろう要素もあり、全体的に物語に何かしらの「二面性」がある様に感じる。

 今回は昔と変わりない日常の雰囲気に着眼したと言うより、時を経る毎に雰囲気・テーマ性共にシリアスな方向性へと深化しゆく部分に着目した節が非常に強くあり、それは題目で言う所の「過去を知りし心愛ちゃん」で顕著に表れている。またこの題目を抜きにしても、今回は全体的に重厚な内容を書き出した部分が多く、結果的に文化祭篇の時の感想・考察記事よりも内容が遥かにえげつなくなっている。さながら私が昔書いていた、今や懐かしき「きららファンタジアメインシナリオ第2部『断ち切られし絆』」の感想・考察ブログ記事に匹敵する程のえげつない内容だとも我ながら思う所はあるが、今回の記事はそれらの記事に比べればまだマイルドにはなっている。ごちうさの感想・考察ブログ記事としてはかなり尖った内容が含まっている事には変わりないが。

 また、今まで通り今月もごちうさ以外のきらま作品も沢山堪能しており、今月で特に印象的だったのは先月で「次号最終回」と書かれていた、相崎うたう先生の「瑠東さんには敵いません!」(既刊2巻、完結巻となる3巻も発売予定との事)と言う作品で、先月号では最後の最後に衝撃的な事実が判明し、最終回となる今月号ではその衝撃的な事実から物語が始まるので、一体どうなるのかと言う不安があった。ところが実際に読み始めてみると、最初こそ重苦しい感触を抱く悲痛な展開があったものの、和村ちゃんが瑠東さんの為に思い切って今自分が持っている、瑠東さんに対する気持ちを伝えると決心してからは、一転して光り輝く2人の人間物語が映し出されはじめ、最終的にはお互いの気持ちを確かめ合い、その関係性はより一層深いものになったと言う、正に美しき集大成を魅せつけてくれたのである。勿論、完結した事に寂しさはあるし、きらまの中でも結構好きだった作品なので尚更そうではある。でも、一方で「完結をこの目で見届ける事が出来た」と言う事で胸がいっぱいにもなるし、物語自体は終わるとは言っても、瑠東さん達の日常は終わらない事を鑑みるなら、完結と言う事実も前向きに受け止められるものである。

 今回は最近のごちうさ感想・考察ブログ記事の中でも内容が特に重厚なものになった上、今回からはド頭から基本的に文面を常体書きに変えた事で、最初から最後まで硬派な内容となった。ただ、今回はいつも以上に真剣なる想いをもって書き出した所存であり、特に「過去を知りし心愛ちゃん」では、最近の記事の中ではかなりガチな方の展望を記したつもりである。それ故、私としても「今回はちょっとハードな内容となったなぁ......。」とは思っているが、それも真剣な想い故である事は改めて書いておきたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ37枚分である。今回はここ最近のブログ記事の中でも特に文量が多くなり、内容もかなり重厚となったが、書き始めた時には、まさかここまでになるとは正直思ってもみなかった。恐るべきは己に秘められし熱意と言った所か......。

*1:要は「鏡の中に映し出されているものが違う」という事。

*2:一番ベタだと思うのは「鏡の中から得体のしれない怪物が襲ってくる」だが、他にも「鏡の中へと引き摺り込まれ、そのまま閉じ込められる」と言ったものも思い浮かぶ。何れにしても、観た瞬間背筋が凍る様な恐怖が襲い掛かってくるものであり、ホラーにおいてはそれが面白味でもある。

*3:但し、何かのはずみに心愛ちゃんと一緒になって調子に乗る事も少なくなく、そこを心愛ちゃん共々智乃ちゃんに咎められた事もある。

*4:尤も、この手の記事を書く時にはいつも真面目に向き合う様には意識しているが。

*5:この様な前提を設けるのは、読者としては「ティッピーの声の主が智乃ちゃんのおじいちゃん」である事は最早周知の事実であるが、心愛ちゃん達からすればその様な事実を基本的に知る由がなかった為。

*6:但し、腹話術と言い切るには些か怪しい場面も少なくなかったが。