多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 最近の私は、何かと「星の輝き」という言葉をマンガやアニメの感想文を書く際に使いたがる。この「星の輝き」と言うのは、ジョジョの奇妙な冒険シリーズ、とりわけPart6「ストーンオーシャン」(StoneOcean)の主人公「空条徐倫」及び、まんがタイムきらら連載の「星屑テレパス」の作風に影響され、私が「いかなる時でも逆境に負けじと前を向き続ける」「未来に待ち受ける運命や道筋を自分で切り拓く意思を持ち続ける」と言った意味合いで言及している言葉だ。どんなに辛い事が待ち受けていようと、どんなに厳しい道のりになろうとも、決して希望を捨てず、何ならその苦難さえも自分達の糧としてしまう。私はそういうタフで屈強な精神が好きだから、こういった言葉で表現したくなる。しかも両作品共に「星(スター)」と深き関わりを持つ作品だ。これは最早「宿命」なのだとすら思う。

 如何なる時でも希望を信じ続ける意思が「どんな過酷な運命にも負けず、最後まで諦めず、何か自分にとって大切なものを思い続けようとする意思」だとするなら、私が好きな百合マンガで好む作風もこれが多分に含まれているケースが少なくない。別に照準を絞っている訳でも無いが、私は何かと「過酷な運命が待ち受けている事も理解した上で、自分が好きな人を最後まで本気で思い続ける意思」が込められた百合マンガに心惹かれる事が多い。無論、そういうマンガを読んでいる最中は、過酷な運命に心を引き裂かれる様な思いが走ったり、無情過ぎる現実を前に、己の無力さ、運命の残酷さを恨み、そして呪いたくなる様な感情に苛まれる事はザラにある。時にはその様な苦しみに耐えかねて、自分の感性さえも恨みたくなる程の絶望に追い込まれる事もある。

 しかし、これはあくまで私が自分の意思で選んだ道なのだ。自分で選んだ道ならば、この様な残酷な現実も受け容れなければならない。初めからこんな痛みにぶち当たる事も覚悟の上で歩まなければならなかったのなら尚更だ。その事を思えば、私にとって今の「百合好き」としての道を歩む事を選んだ事実に、後悔は一切ない。私はもう何年も前から「百合」と言う概念がある事を知っていたので、今思えばその時から「何時かは百合の魅力に魅せられるのは運命」だったろうし、実際その道を歩いてみて、時に苦しみ時に泣き叫ぶ様な事があったとしても、無事にここまで歩いてこられた。

 でも、これからの事は全く分からない。これから書き出すごちうさの感想・考察でも言及するかもしれないが、私は「未来の事はやっぱり誰にも分からない」と思っていて、実際私も今となっては百合をこよなく愛する人となったが、これを数年前の自分に言っても、多分当時の自分は信じない(信じ切れない)だろうし、抑々想像すらできなかっただろう。未来の事を想像しようにも、それはやっぱり「今の自分が知っている範囲の想像図」だと思っていて、この先の時を歩んでいくとともに掴んでいくであろう新たなる見識とか、今まで自分が全く知りもしなかったものを想像する事なんて、今を生きる地点では出来ない事を思えば、完璧なる未来予想は不可能なんじゃあないかと私は思う。

 しかしながら、それ故に人生は面白いものだとも思っている。想像できない未来を歩む事に、時に苦しんだり、時に「未来が分かっていればいいのに......」と思う事も、私とて無きにしも非ずだとは言っても、やっぱり「未来には無限の可能性が広がっている」と思えた方が良い。どんなに人生と言う名の歩みを進めたとしても、何時までも「まだ見ぬ世界や見方が待っている」と思えて、未来を歩む事の好奇心が育まれ、良き人生を歩む事の契機になるのなら、私は「未来は分からないから面白いし、未来は自分で切り拓くものだから良いんだ」と言う考えを持つ事に躊躇いはない。何故なら、これこそ私が信ずる「星の輝き」と言うものだから。光りゆく未来に向けて、歩み続ける事なのだから......!

 

 さて、ここからはまんがタイムきららMAX2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出していく。今回は作中随一のトリックスターにして、未だその素性に謎が多い狩手結良ちゃんに焦点が当たった展開であり、雰囲気としては先の展開が読めないサスペンスチックな所がある印象だった。しかし、実際の所はサスペンス展開と言うよりシュールなコメディー展開であり、初見で観た時は思わず「どう捉えたら良いのかようわからん......」となってしまったが、結良ちゃんの今まで殆ど見せてこなかった意外な一面や、その謎多き素性が垣間見えた事は疑いなく、その意味ではかなり貴重な回とは考えている。尤も、サスペンス展開が好きな私にとっては「折角ならサスペンス展開もあった方がもっと面白かったのに」とも思ってしまったが、そんな事言ってもしょうがない。

 

※注意※

 最新話及び単行本11巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は前述した様に未だその素性に謎が多かった狩手結良ちゃんに焦点が当たった回であり、セリフ回しや場面構成も「読者側を意識した構成」(つまりメタ視点)になっている場面がある等、これまでのごちうさの中でも明らかに異色なテイストが含まっている。結良ちゃんは理世ちゃんとは幼馴染で、高校生時代は吹き矢の部長*1を務め、理世ちゃんと同じ高校及び大学に通っている等、一見すると距離感の近い幼馴染に見える。しかし、実際の所は「つかず離れず」と言った距離感であり、根底ではお互いに全く遠慮しなくても良いと言う信頼関係があるし、ましてや険悪な仲と言う訳では断じて無いのだが、表立っては別に仲良しこよしをする訳でも無く、同じ幼馴染である千夜シャロやマヤメグとは明らかに異なる雰囲気がある。

 今回の扉絵は、人を誑(たぶら)かす様な雰囲気を纏った結良ちゃんが、うさぎ若しくはバニーガールじみた衣装を身に纏って1人君臨していると言うもので、周りには理世ちゃん、紗路ちゃん、それに心愛ちゃんの人形が散りばめられている。よく見ると、それらの人形は結良ちゃんが操作するマリオネット(操り人形)である事が解り、結良ちゃんにとって「この3人は是が非でも自分の手中に収めたい」と言う願望が見え隠れしている様にも感じられる。ただ、実際の所紗路ちゃんはともかくとして、理世ちゃんと心愛ちゃんには逆に振り回されたり、返り討ちに遭ったりする事も多い訳だが、それを結良ちゃん本人がどう思っているのかは不明。抑々「実際に手中に収めたい」と本気で思っているのかも良く分からず、今回は人形とは言え、たまたまマリオネットになっていたからそう解釈したものの、真相は全く分からないのが実情である。だが、正直今となってはもう分かんなくても「ああ、そうか......。自分が力不足なだけなんだな......」としかならない。ただ単に「私には分からなかった」と言う事実がそこにあるだけの話なのだ。

 今月号は「ミステリアスな人物の素性」が垣間見えたのが何より重要であり、私としては「ここに来てそう出てくるの?!」と、この局面に来てこの様なテイストのお話が投げ込まれた事に、思わず意表を突かれた気分にもさせられているが、他方で「今まで謎が多かった人の素性が解る事の重要性」も解っているので、何も問題はない。思えば、ごちうさはほのぼのとした日常を描く傍ら、登場人物それぞれの内面を深く描き、一人一人の成長の軌跡や心境の変化、それに秘めたる内面にも迫る様なテイストを持つ作品*2なので、この様なテイストのお話が出てくる事自体は全くもって珍しい事では無い。ただ、それを結良ちゃんに対しても行ってくれると言うのがポイントであり、ごちうさが持つ凄みを改めて魅せ付けてくれた印象がある。

2.購読した感想・考察

 

今月の内容に対する感想・考察

 まずは「今月号の中でも特に深掘りしたいと思った事」から書き出していきたい。今回は結良ちゃんに終始焦点が当たった構成なので、二面性があった前回とは違い、基本的に一本筋を通す事になりそうだが、今まで素性が分からなかった結良ちゃんの意外なる一面が紐解ける絶好の機会と捉えて推し進めたいと思う。

ミステリアスな軌跡

 最初は結良ちゃんが「楽しかった事」と語る事象を踏まえて、原作前半の範囲から彼女のミステリアスな軌跡について書き出したい。今回は初っ端から狩手結良ちゃんが登場するのは前述した通りだが、まず目につくのはその「特殊な雰囲気」である。元々結良ちゃんは飄然とした態度と、それに付随する形で「ミステリアスで魔性の雰囲気を持った女性」というイメージが先行しがちだが、以前から「普通にしていれば上品な淑女」と言った雰囲気も兼ね備えている。ただ、今回は初っ端から持ち前の「魔性の雰囲気」がふんだんに醸し出されており、正にミステリアスな女性と言うに相応しい色気と魔性の雰囲気を持っている。

 そんなミステリアスな雰囲気が前面に押し出された結良ちゃんが語る「楽しかった事」の数々は、総じて「結良ちゃん自身の手によって人を誑かしたり、誑かされた相手の反応を楽しんだりしている」と受け取れる場面が殆どで、その事に対して結良ちゃん自身は「楽しい」だの「面白い」だの言っている。しかし、彼女の心情や表情をよく見ると、幼馴染である理世ちゃんを誑かし過ぎて、彼女が拗ねて口をきいてくれなくなってしまった事を内心凄く気にしていたり、自分の事を周りの人達が過剰に反応する事を無理に笑い飛ばしていたりしているのではないかと見えなくもなかったり、実は会った人を図らずも怖がらせてしまう事を気にしていたりと、トリックスターらしく道化師的な立ち振る舞いを自ら行っている面もありながら、実は繊細な心情の持ち主且つ気にしいな一面が窺える。また、幼馴染たる理世ちゃんが、年下であるマヤメグ2人に慕われているのを見て羨ましがったり、それを見て結良ちゃんの図星を指す様な言及をしてきた冬優ちゃんを思わず威圧してしまったりと、飄然とした雰囲気とは裏腹に「人から好かれたい」と言う情に飢えていると思える一面もあった。流石に「情に飢えている」は我ながらちょっと言い過ぎな気がするが、少なくとも「人間関係」に対して結良ちゃんが全くの無頓着では無く、寧ろそういった事を影ながら凄く気にしている事はこれでハッキリ解る。

 例外は神沙姉妹2人に対してであり、この2人は転校が多かったが故に人との距離感の取り方がよく分からない事情があった事、結良ちゃんが嗾けてくる様な「怖がらせ」に対してもある程度共感した事から、この2人に対しては普段と違う反応を見せていた。また、転校が多かったが故に人との距離感が分からないと夏明ちゃんから聞かされた際、結良ちゃんは何やら神妙な面持ちをしており、結良ちゃんとしても神沙姉妹2人の事情に対して何か思う事があったのを示唆している。尤も、結良ちゃんはその後すぐに自分のペースに神沙姉妹2人を持っていっているが、よく考えてみれば、それも神沙姉妹2人をこれ以上ナーバスにさせないと言う結良ちゃんなりの優しさとも言えるのかもしれない。人に手玉を取られるよりも、自分が手玉に取る事を好んでいる結良ちゃんからしてみれば、ある種願ってもみない好機だったとも言えるが。

 尚、今回神沙姉妹2人が「転校」に対してナーバスになっていた事や、その場面におけるセリフ回しも鑑みると、神沙姉妹2人は「現在でも『転校』と言う事実を唐突に突き付けられてもおかしくない事実」が読み解け、さりげなくながらも確実に「先の未来が分からぬ事の残酷さ」を示唆している。無論、現時点で神沙姉妹2人が転校する事実は一切ないので、これはあくまで「もしも」の話には収まるが、転校の可能性も「ゼロ」では無いのが容赦ない......。

深淵に潜む本心 

 ここからは原作後半の範囲から、結良ちゃん及び幼馴染である理世ちゃんそれぞれが持つ内なる本心、終盤で見せた結良ちゃんの意外なる一面について書き出していきたい。後半からは小説家の青山さんが登場し、実は今までの場面構成が、青山さんのもう一つの顔と言える「ラビットハウス勤務」にて、青山さんが自ら時折行っている「人生相談窓口」の一環として進んでいた事が判明し、そこではあくまでごっこと言う範疇であったとは言え、結良ちゃんの核心のつくものだったと言うのだから恐ろしい。因みに結良ちゃんは「ノンアルコール」でその雰囲気を体感しており、決して法に抵触する様な事はしていないので、そういう意味でも安心して見られる。

 結良ちゃんは後半部分では前日の睡眠不足から、自分が抱えるものを目一杯曝け出した暁には、そのまま転げ落ちる様に眠ってしまっており、理世ちゃんから若干悪態を突かれている。しかし、青山さんは結良ちゃんの隠された本心を見抜いており、それは「理世ちゃんとケンカした事を後悔している」と言う、結良ちゃんが実は人間関係に対して繊細であり、不器用である事を裏付ける様なものだった。だが、そうなると「結良ちゃんは何故理世ちゃんに対して、素直に謝らなかったんだ?」ともなるが、これは「それが簡単に出来たらこんなに苦労しない」と考えるべきで、初めから素直に謝れるなら、今回の前半部分の様なバータイムごっこなる事をやってまで、自分の行動を洗い浚い話す事なんてしなくてもいい筈だし、もし素直に謝れなかったとしても、理世ちゃんの言う様にここまでまどろっこしいなんてしなくても良かった筈である。

 恐らくだが、結良ちゃんの言ってしまえばこういうちょっと面倒な一面に、結良ちゃんが持つ内なる本心が見え隠れしているんじゃあないかと考えている。結良ちゃんが幼馴染である理世ちゃんに対してここまで面倒な事を仕掛けるのは、多分そうすれば「理世ちゃんは私だけを見てくれる」と解っているからで、遠回しに「時々で良いから自分の事だけを考えて接してきて欲しい」と言う、結良ちゃんが理世ちゃんに対して持っているであろう一種の独占欲の願望と、同時に自分が苦労している「人に好かれる事」で上手くいっている理世ちゃんが少なからず羨ましいと言う、理世ちゃんに対する嫉妬心の表れがあるんじゃあないかとも感じている。

 実際、結良ちゃんは今までも2人きりの局面になると、理世ちゃんに対して「心愛ちゃんに対する嫉妬心」を理世ちゃんにぶつける形で壁ドンを仕掛けた例や、心愛ちゃんに対して持ち前の魔性の雰囲気に加えて妖艶な雰囲気を混ぜ込んで、心愛ちゃんに「たまには自分だけのものになりなよ」と誑かした(心愛ちゃんには断られた)例と言った感じで、明らかに何かしらの「嫉妬心」若しくは「独占欲」を滲ませる様な行動をとった過去があり、何れも当時から「掴み所のない性格の結良ちゃんの本心を窺い知れる貴重な機会」として捉えていたが、今月号のくだりを見て、それは最早「疑念」から「確信」へと変わった*3。結良ちゃんは普段でこそ飄然とした立ち回りを見せ、人間関係を含めた様々な事象に対して気にかけていないと思わせる雰囲気を装っているが、本当は内に様々な事柄に対する「羨望」を持っていて、それは人間関係も例外では無いんだと思う。でも、実際には苦労も多くて、多分結良ちゃんは想像以上に人間関係に対して思う所があって、それは意図せずしてやってしまう「怖がらせ」や、自分の本心を素直に言えない「頑固さ」「不器用さ」等が起因しているんだと考えている。

 とどのつまり、結良ちゃんはその「不器用すぎる程に不器用な立ち振る舞い」と、全体的な立ち振る舞いから見えてくる「翻弄するのは得意だが、翻弄させられる事には苦手意識がある」のが要因となって、ああいったまどろっこしい事をしないと、自分の本心が上手く伝えられない事になってしまっているんだと考えている。何と言うか、結良ちゃんなりに本心を伝えようとする方法が、結果的に「不器用に不器用を重ねる」様な形になってしまっているのが何とも心苦しい所だが、そういう一面はある意味で「誰よりも人間らしい一面」でもある為、ミステリアス且つ飄然とした立ち振る舞いを採るが故に本心を窺い辛い傾向がある結良ちゃんの事を理解する過程にとっても非常に有難い、素直に共感できる所でもあるし、理解できる所でもある。

 この様な結良ちゃんの本心及び行動原理に対し、彼女の幼馴染である理世ちゃんとしては、表立ってこそやや素っ気ない態度を見せているが、前述した様なまどろっこしい方法を採った彼女を心配したり、彼女が素直な気持ちを言い表せば理世ちゃんとしても快く応じる気概を見せたりと、本心では幼馴染である結良ちゃんの事をちゃんと想っている素振りがしっかり読み解ける。尤も、理世ちゃんとて譲れない一面はある様で、彼女に誑かされた事をその時点でも根に持っていて、その事を彼女の方から謝るまでその気持ちには応えてあげないと、ある種当然でもあるが、意外と強情な一面を覗かせている。ただ、そういった事を言いながら結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる巻き付けると言う可愛い一面も見せており、理世ちゃんとて「結良ちゃんの事は何だかんだ言っても好き」である事と、その幼馴染には「もっと素直になって欲しい」と言う本心がある事を窺わせている。

 尚、後半部分では基本的にずっと眠りこけていた結良ちゃんは、神沙姉妹2人の手によって起こされる事になるのだが、その際この2人は普段結良ちゃんがやっている様な「怖がらせ」のマネと言わんばかりに、結良ちゃんをたたき起こした瞬間に神沙姉妹2人共が間近に映る様にすると言う、所謂「寝起きドッキリ」ながら、普通にホラー展開でもありそうな、仕掛けられたら誰でも恐らくはビックリするであろう事を実行している。実際に結良ちゃんは起きた瞬間に2人の顔を間近で見て、ビックリして思わず警戒心剥き出しの様相を見せると言う、普段の彼女なら絶対に見せないであろう姿を見せており、この時点で「翻弄するのが得意な一方、翻弄される事には慣れていない事」が窺えるが、おまけに神沙姉妹2人の手によって、結良ちゃんの寝顔まで撮られている事が判明した際には、恥ずかしい面が映っていた事もあって思わず絶叫していたと言う一面まで見せており、これらの事から「嗾けるのは得意な一方、嗾けられるのがとことん苦手」なのが結良ちゃんの特徴だとハッキリ解り、これは今までハッキリ断定できるものでは無かった事から、私としても「これは意外なる一面」だと捉えている。

 

 

今回の内容について思う事

 ここからは主観的な展望や想いを強めた内容を書き出していきたい。前回ではここの小題でありったけの想いを書き出した訳だが、今回はその方向性ではやや抑え気味にいこうかと思う。代わりにと言っては何だが、今回からはより自分の想いを素直に綴ったスタイルにして、どちらかと言えば抒情詩(叙情詩)的な文体にしようと思う。

秘めし一面の開放

 今までミステリアスだった人の意外な内面が知れるかもしれない。私が今月号全体を通じて思った事はそれだった。別に結良ちゃんが今まで何もかもが窺い知れないベールに包まれているとか、そこまで極端な事を言うつもりはないが、今までの結良ちゃんは「その『行動原理』をなんとなーく理解する事は出来るが、ハッキリと窺い知るにはちょっと難しいものがあった」と言う感触があったので、今回彼女の意外な内面がハッキリと知れた事は、率直に言えば嬉しかったし、どこか安心する面もあった。

 今回は全編を通じて狩手結良ちゃんに主軸が置かれていた訳だが、私はその昔「狩手結良ちゃん」と言う登場人物に対して、自分が思う彼女の心情や行動原理、それに「私自身が持つ彼女に対する想い」をこのブログにてありったけ書き出した事がある。もう2年と半年以上前の事にはなるが、改めて振り返ってみた所、流石に文章構成力は我ながら「今見ると拙い部分が非常に多い」*4と思わざるを得ないものだったが、書き出している内容は非常に重厚で、正直「昔の自分の方が分析力に長けていたんじゃあないのか?」と思う程だった。流石にそれは冗談だが、あの頃の情熱が今見ても尋常じゃあなかった事は確かである。

 思い立つ様に振り返ってみて思ったのは、私自身当時から結良ちゃんのミステリアスな部分に注目しつつも、他方で今と殆ど変わらない視点をもって結良ちゃんの「秘めし内面」や「中々素直になれないしがらみや不器用さ」をアプローチしようとしていた事だった。これは私が当時抱いていた結良ちゃんに対する想いや感情が、今に至るまで一貫して続いている事を示唆していると捉えていて、私としても「ああ、私はあの頃から結良ちゃんの事をもっと知りたいと思っていたんだな......」と、何とも言えない感慨深さを覚えた。まぁ、そこの真相に触れるまでに2年と半年以上かかっている訳で、正直当時の自分が何を思っていたのか、今となってはもう忘れてしまった部分も多いが、こうして昔抱いていた感情を思い起こし、2年と半年以上越しにその時思った事が実を結ぶ時が来るとは。本当に全くもって有難い事だし、喜ばしい事でもある。

百合との思いがけぬ遭遇

 「アネモネは熱を帯びる」と言う、まんがタイムきららフォワードにて連載されている王道学生百合マンガを手に取った事をきっかけに、私が「百合」に急速に魅せられて早1年と2ヶ月程度になる。今となっては毎月の様に百合マンガを購入しては、そこに描かれている百合を堪能すると言うのが半ばルーティンとなり、そこでは百合マンガとほぼ同時期に魅せられて、単行本を続々大人買いしていた「ジョジョの奇妙な冒険シリーズ」にて「人間が持つ美しさ、気高さ」や「人間ドラマの魅力」そして「最後まで決して諦めない、自分が倒れても後の者にその遺志を託す」等々が描かれていた事にいたく感銘を受けた影響もあり、百合マンガに対してもそういった「どんなに過酷な運命だろうと、決して折れない諦めない美しく気高き意志」「お互いがお互いの事を真剣に想い合っているのがしみじみ伝わってくる『百合』」等々を凄く好む様になった。ただ、それ故「破滅的で残酷な運命」や「世の不条理」と言った要素と向き合わなければならない機会も圧倒的に多く、時にはあまりの不条理さに憤りが隠し切れなかったり、どこまでも決して味方なんかしないし、一片の慈悲さえもない運命の残酷さに打ちのめされたりする事も少なくないが、今となっては「それも承知の上」である。

 そんな感じで今や私の読むマンガにおいては最早外せない存在となった「百合」だが、今回終盤にて描かれていた、眠っている結良ちゃんに対して幼馴染である理世ちゃんが、普段は言わない結良ちゃんに対する率直な本音と素直な想い、それに結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる回している所を見て、咄嗟に「これは百合なのでは!?」と思わずにはいられなかった。冷静に考えてみてみれば、あの場面は百合だとしてもライトな百合だし、こんな事を書くと若干語弊があるかもしれないが、事実として私自身普段からもっと距離感の近い百合は当たり前の様に観ているので、なまじそこまで驚く事でも無かった気がしない訳でも無いが、私はその一連の流れに対して「百合」だと思ったのは紛れもなき事実なのだ。

 今回結良ちゃんと理世ちゃんとのやり取りの中で、私がここまで「これは百合だ!」と思ったのは、直接的なきっかけは「理世ちゃんが幼馴染である結良ちゃんの髪を自分の指でくるくる回していた事」だが、それ以上に「お互いがお互いの事を想い合っていると解る構図」「幼馴染故の『特別な関係性』が見え隠れしていた」のが大きかったのだろう。百合と言うからには、やっぱり何かしらの特別さを求めてしまいたくなるものだし、それはなにも「幼馴染」じゃあなくても、例えば「一目惚れした側とされた側」とか「相手の好意に触れる内に自分も好意を抱く様になり、両想いの関係性になった」とか、他にも「色んな壁を乗り越えて掴み取った唯一無二の関係性」もあるだろうし、挙げ続けたらキリが無い位だが、今回「幼馴染」と言う関係性が、その「特別な関係性」と合致していた事もあって、私の目に「これは百合の雰囲気である」と刷り込ませた。本当に疑ってやまない感覚があった。

 その様な感覚に派生する形で、私自身「リゼユラ2人の『百合の雰囲気』はどんなのだろうか?」と思い立ってもいる。この2人の場合、前提として「幼馴染」なので、お互いの事は良く知っている仲柄であるのは想像に難くなく、実際に遠慮しない関係性であるのは今月号の描写からも明白である。ただ、その一方で「2人共素直な気持ちを出すのが恥ずかしい」と言う照れ屋気質な所がある為、雰囲気としては恐らく「お互いに『素直になれない感情』が交錯し合うツンデレ百合」と言った所になるだろうか。実際の所どうなるかは見てみないと分からないが、満更でもないのは多分間違いないと思う。

 ただ、1つ怖いのが理世ちゃんも結良ちゃんも「お互いに素直になれない」のが災いして「お互いがお互いを想う気持ちが双方共にうまく伝わり切らず、結果的に最悪な方向性へ擦れ違ってしまう事」であり、私としても「まさかそんな事にはならないよねぇ。ここは『ごちうさ』なんだから」とは思っているが、そんな展開になって「思わず目を背けたくなる程の残酷な展開」を見た事は、これまで何度もあるので、警戒心を完全にゼロにする事はできない。我ながら、なんと哀しいサガを持ってしまったのかとも思うが、これも「あらゆる経験を積んだ事による一種の代償」と思えば割り切れはする。人生経験を積んでいく過程を鑑みれば、ある程度はやっぱり「仕方ないと思うしかない」のである。

 実はこの様な思想が、私が「この世の中には『知らない方が幸せに生きられる事』の1つや2つはある」と言う考えを持つ要因でもあるのだが、こんな思想を持っても幸せには生きられているので、どんな思想も考え次第と言った所か。或いは、私が単に根が明るく楽観的な性格故か。世の中「なんでも楽観的にいれば済む訳なんてない」のは既に解っているが、それでも「悲観的なのも楽観的なのも、自分が『どう捉えるか』に大きく左右されている面もある」のを思えば、私はじゃあ楽観的で捉えたい。ちょっとでも前を向ける可能性が広がるなら、その方が絶対に良いからとなる訳であって......。

 

3.あとがき

 以上がきらま2024年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回はミステリアスな部分を多分に持つ狩手結良ちゃんが主軸となる物語であり、物語の回しもメタ視点を意識したり、結良ちゃんの本質に迫る内容だったりと、冒頭だけを見ると先の読めない、どうなるか分からないサスペンスチックで異質な雰囲気を漂わせている。しかし、実際の所はシュール且つコメディチックな展開が大半を占めると言った所であり、時々に受け手をビビらせる様な展開もあるにはあるものの、結良ちゃんの立ち振る舞いを知っている者からすればそれも「想定内」と言えばそうなので、初見時は「どう思えば良いのか良く分からん......」とならざるを得なかった。まぁ、これは完全に私がミスリードをやらかしたが故に起こった現象なので、普通に読めばこうはならなかったんだろうが......。

 今回は中盤までがミステリアスな結良ちゃんが持つ意外な素性の探求、終盤ではリゼユラ2人が持っているであろう百合の雰囲気の考察と、場面によって書く内容の振れ幅がかなり大きいが、別に狙ってやった訳でも無く、本当に「書きたい事を書いていたらこうなった」と言った感じである。あと、後半からの局面では多少なりとも自分の気持ちを率直に書き出そうと意識していたので、手法として抒情的(叙情的)な感情を乗せながら書こうと思い立ったが、実際にやってみると確かに普段と比べて幾分軟化した面こそあるものの、全体的にはそれでも硬派な雰囲気がベースにあったと見ている。意地でも「ガチガチな構成にしてやる!」と意気込んでいる訳でも無いのに、こうなってしまうのは宿命故か......。

 私の中で結良ちゃんのイメージは、以前からトリックスターと言うのも存在していて、今月号にて青山さんがその様な事を言った時、私としても「やっぱりそんな感じだよねー」と思った。ただ、トリックスターがもたらすイメージが「飄然した態度から放たれる、ミステリアスで底の知れない行動原理」とするなら、青山さんも十分トリックスターとしての条件を満たしている訳であり、ともすれば「これは既存の『トリックスター』が新たなる『トリックスター』を認定した瞬間なのでは!?」とも思えてきた。そして、それが妙に「怖い」と思うのは私だけだろうか......。

 抑々トリックスターは、登場するだけで物語が変幻自在に引っ掻き回されるだけでなく、トリックスターとされる人物も「行動原理が分からず、何をするか全く分からない」が通説だし、おまけに人間は「未知のもの、実態が把握できないものに限りなき恐怖を抱く傾向」がある生き物なので、1人いるだけでもそのインパクトは絶大なのに、今回それが2人もいる訳で、そうなれば一体どうなるのか。考えただけでも末恐ろしいから「怖い」と思うのである......。こんな事を最後の一幕で書いても仕方ない気もするが、何れにしても2人の「トリックスター」がそろい踏みした今回のごちうさは、その筋ではかなりヤバい回でもあったと思う。単に「私がこう思うだけの事でしかない」だろうが。

 こんな感じで、今回も自由気ままにごちうさの感想・考察を綴ったが、まさか2年以上連続して毎月の様に書き続ける事が出来ているとは、書き始めた当初は想像していなかった。根に情熱的なものが確かにあっても、その「情熱」を焚き付けるまでに「どこか気だるい」と思ってしまう私にしては良く出来ていると思うが、これは「始めるまでが気だるげ」な一方で「軌道にさえ乗れば後は只管続けたいと思う」と言う、所謂気分屋的で調子のいい感情があるからだと思う。別に私は普段気分屋の性分でも無いし、ましてや調子のいい奴でもないのだが、こと自分の趣味分野となると、そんな傾向が見え隠れするなんて、本当人間って分からないなぁと我ながら思う。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙のべ33枚分であり、記述にかかった時間は、きらま発売日を「1日目」と換算すると「8日分」である。ただ、今月はきらまを読んでから、このブログ記事を記述し始めるまでに若干タイムラグがあり、それを勘案すると「6日分」となる。何れにしても、今回は若干筆が遅かった節があるが、これは色々とやるべき事があったからである。

*1:名前が解る前は、肩書きをとって「吹き矢部長」等と呼ばれていた。しかしながら、名前が判明した後も周りから名前で呼ばれる事は少なく、結良ちゃんに起こった事象に絡めた呼ばれ方をするケースが圧倒的に多い。

*2:尤も、これはごちうさだけでなく、多くの日常系作品に対して言える事でもあるし、日常系以外のジャンルでもまた然り。

*3:余談だが「それは」より後のセリフ回しは、ジョジョPart1「ファントムブラッド」(Phantom Blood)の主人公「ジョナサン・ジョースター」が、後に1世紀以上にわたってジョースター家にとっては運命の宿敵となり、ジョナサンにとっては「青春」を共に過ごし、最期には奇妙な友情を抱く事にもなる「ディオ・ブランドー」(Part3「スターダストクルセイダース」≪Stardust Crusaders≫以降では「DIO」)を、とある事をきっかけとして問い詰めた際に発した台詞を意識している。

*4:こう思えるのも、私が昔と比べてちょっとは成長した証と言えるだろう。