多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

狩手結良の魅力と彼女のキャラソンについて思う事

 こんにちは。新年早々やらないといけない事に追われる日々が続いて中々想いをまとめる事が出来ませんでしたが、漸く書く時間を取れる様になったので少しずつ書き進めていけたら良いなと思っています。

 今回書くものは吹き矢部長こと狩手結良ちゃんです。結良ちゃんと言えば何と言ってもその不可思議さが特徴的で、何を考えているのか良く分からない即ち言い換えるならば掴み所が無い故の魅力がある人ですが、その本心は意外と素直な面もあり、個人的には多岐にわたる特徴を持つ人だと思っています。今回はそんな謎多き結良ちゃんの表面性質と本音を純粋に読んだ視点から思った事と、そこから更に自分はどう思うのかと言うスタンスの下、深く考える視点と言う大きく2つの視点から考察したいと思います。 あと、ネタバレを含むものなのでその事も十分注意して下さい。

狩手結良の想いについて

1.狩手結良が持つ魅力について

狩手結良とは

 軍人を父に持つ女の子であり、初登場は原作4巻だが、名前が判明したのは原作7巻とかなり後の方である。結良ちゃんの父と理世ちゃんの父は知り合いでもあり、同じ軍人でもある事もあって理世ちゃんとは昔なじみでなおかつ同級生でもある。容姿は長髪である事、髪の色や瞳の色は理世ちゃんと似ているが、理世ちゃん程髪の色は紫色が濃く無く、瞳の色もどちらかと言えば青みがかった色合いをしていると言った違いがある。とは言っても理世ちゃんと似ているのは事実で、差異点が細かい事もあって原作9巻においてラビットハウスの制服を理世ちゃんから借りて理世ちゃんに扮装した事があるのだが、その際今までずっと一緒に居た時間が長かった心愛ちゃんや智乃ちゃんですらすぐには気付かなかった程である。とは言っても理世ちゃんが髪を下した姿であるロゼちゃんが理世ちゃんと同一人物である事すら年単位で気付かなかった2人なので、ある意味当然とも言えるのだが・・・。

 登場自体が非常に少なく、原作でもアニメでも片手で数えられるくらいしか登場していない上、原作はアニメより更に登場が少なく、アニメでは高校説明会の時にも登場していたが、原作だと登場していない程。そのためいま一つはっきりしない部分も多いが、理世ちゃんとは高校、大学と同じ所に通っていて、高校では吹き矢部長を務め、勧誘や吹き矢勝負を持ちかける事もしばしばあったが、肝心の腕前はハッキリ言ってからっきし(下手)で、そのからっきし度たるや、まともに的の中心部に命中させられない程で、吹き矢名人たる千夜ちゃんの祖母直伝の腕前を持つ紗路ちゃんには(ある意味当然だが)何時も負かされていて、その図式は結良ちゃんが高校を卒業した後も全く変わらなかった。抑々相当の腕っぷしを誇る紗路ちゃんに吹き矢勝負を仕掛けること自体無謀なのだが、何故に繰り返すのか、大体結良ちゃん自身の腕前が何故向上しないのか、そしてなぜ結良ちゃんはあれだけ下手でも部長を務められたのか*1と謎は深まるばかりである。

 理世ちゃんとは幼なじみであり、昔なじみでもある*2ため最も仲良しの様に思えるが、実際の所理世ちゃんはともかく結良ちゃんの態度を見ると仲が悪い訳では決してないが、凄く仲良しでも無い様に感じる事がしばしばある。表立っては仲が良いのか悪いのかはっきりしないが、本当は心が通い合わせる事が出来る程凄く仲良しだと言うのはココチノを始めとした他の2人組にも言える事だが、理世ちゃんと結良ちゃんに関しては確かに仲良しなのだろうが、明らかに他の2人組とは違うどこか冷たい感触を覚える。謎多き結良ちゃんなのでそうだと断定する事はできないが、少なくとも結良ちゃんは人間関係に関して理世ちゃんをはじめとした他の皆とは違う何者にも染まらない考え方をしているのが伺える。しかしながらここでハッキリと言うと、先ほどの考え方は謂わば綺麗事を言っているだけに過ぎず、何者にも染まらない考えが人付き合いが下手だと言う免罪符にはなり得ない事は明らかであるとは思われる。

 まとめると狩手結良ちゃんは可愛い女の子である事には違いないが、同時に比類なき底知れぬ性質と本音を持つ人だと言え、その性質と本音は分からない面が多く、ミステリアスな魅力すら感じさせていると言える。またそれ故に周りと比べて異質であるために非常に浮いた存在になりやすく、どこにも染まる事の出来ない孤高な雰囲気をも醸し出している。それ故に本当の狩手結良ちゃんの姿があるのか中々見当をつけるのが難しく、これが表面性質の掴み所が中々ない事にも大きく関わっている。

掴み切れない表面性質

 一見すると普通のお嬢様の様に見える結良ちゃんだが、積極的に自分の事を語ろうとしない故に何を考えているのか分かりにくく、普段から一見するとのほほんとしている様に振舞っている事も相まって素性が全く掴めない。性格も分かりにくく、優しい人なのだか厳しい人なのだかはっきりしない面があり、やはり掴み所が無い。所謂神出鬼没を地で行く人でもあり、急に現れるのでますます惑わされる。また、理世ちゃんとは前述の通り同級生且つ昔なじみであるがその関係性は他のごちうさの2人組には無い冷たさが感じられる。この冷たさを感じる最たる例として、結良ちゃんも理世ちゃんと同じ学校に通っている*3のにもかかわらず、結良ちゃんから理世ちゃんと積極的に関わっている様子はあまり見受けられず、寧ろ1学年下である紗路ちゃんの方に話しかけに行っている印象が強い事が挙げられる。普通に考えるなら、いくら同じ学校に通っているとは言え、同学年の人よりも異学年に積極的に話しかけに行くこと自体イレギュラーで、しかも課外活動での関係性も無い所謂友達の友達と言える様な人に話しかけるのなら尚更である。もともと学年の差があまり気にならないごちうさ*4とは言え、結良ちゃんの行動はただならぬ信念が無いと中々行動には出来ない事であり、彼女の並々ならぬ想いを感じると同時に、理世ちゃんと結良ちゃんの間には埋める事の出来ない距離感がある様にも感じる。詳しくは後述。

 また、その掴み所の無さから他の人には無いかなり独特の雰囲気を醸し出しているのも特徴的で、ごちうさ登場する人物の人格が細かくは違えどライトで素直な印象を持つ者が多く、素直じゃない時があるにしてもそれは親しい人であっても弱い部分や甘えている部分を見せるのが恥ずかしい故だと言うのが多い中で、結良ちゃんはダークな雰囲気且つ誰に対しても容易には言えない様な奥底知れない何かを持ち合わせている。ダークで奥底知れない面は初期の智乃ちゃんや今の冬優ちゃん、神沙姉妹にもあるにはあるが、智乃ちゃんは皆との出逢いにより少しずつ変わって明るくなっていったので奥底知れない面は大分少なくなっている*5し、冬優ちゃん、神沙姉妹にしても出逢ってからまだ日が浅い事もあって当人らの事を良く知らない故に奥底知れない部分が発生すると言う仕方ない面もあるので、存在を知ってから特段日が浅い訳でも無い*6結良ちゃんのはより際立って見え、これは彼女の異色な雰囲気の裏付けに一役買っている。

 そのアクの強い雰囲気故に本人の性質を完全に理解するのは個性的なごちうさの登場人物の中でも特に難しく、抑々登場シーンが少ない事も起因しているのだが、掴み所のない性質も相まって中々理解が深まらない。智乃ちゃんが以前何かと(悪気が無いとは言え)人を振り回す、天然な言動をとる等の心愛ちゃんの事を呆れと皮肉を込めて「混沌の使者」だと評した事があったのだが、それすら結良ちゃんに比べたら最早子供騙しに過ぎない。本当の意味での「混沌の使者」と言うのは結良ちゃんがそう呼ばれる為に存在しているのだと言っても良い。最早そんなレベルである。但し他の人も掴み所のない面があるが故に性質を理解するのが難しい事自体は、積極的に自分の本心を他人に打ち明けたりするのが苦手な千夜ちゃんを代表にそうだと言えている面も確かにある。ただその場合においても性質を理解するのに支障をきたす程顕著なものではなく、強いて言うなら性質を理解するのがやや難しい面もある千夜ちゃんにしても本人が言わずとも紗路ちゃんとの関わりから掴める面も多く、抑々千夜ちゃん本人が自分の事よりも他人の事を優先して行動する人だと言う面が大きいと言う理由があるのに対して、理世ちゃんと言う身近な昔なじみの存在が居ながら、良く言えば誰にも染まらないが故の独創的な雰囲気、悪く言えば誰も本心を理解できないが故の孤独な雰囲気を持っていて、尚且つ見た所自分の本心を打ち明けるのがそこまで苦手でもなさそう*7なのに、性質を理解するのが特に難しくなっていると言う状況にある結良ちゃんは登場回数の少なさを鑑(かんが)みてもやはり他の人とは違う異彩な雰囲気を感じる。しかもその異彩な雰囲気ですら彼女の場合表面的なものに過ぎず、本心は結局誰にも分からない。

 表面的な部分の掴み所の無さは間違いなく他の人の比では無い狩手結良ちゃん。理解しようとしても全く掴み所を見せず、漸く掴めたと思ったらまた新たな一面それもすぐに流す事の出来ない程のものを理解しようとする人の心に刻み付け、彼女はまた掴み所を見せなくなる。そんなミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由でもあるのだが、これは後述。

謎多き彼女の意外な一面

 掴み所が無い故に謎が多い狩手結良ちゃんだが、本音だと思わせる様な言動は度々見せていて、特に原作9巻で登場した時には本音だと思わせる様な言動を多々とっている。しかしながら何れもごちうさとしては異色に感じるものなので戸惑いを感じるのは正直否定できない。裏を返せばそれだけ結良ちゃんが不器用な面があるという事でもあるのだが、素直じゃない方法で本心を伝えようとすると人から誤解されやすいのが世の常と言うもの。誤解されやすい面がある事は原作7巻の時点で既に察しが付く事であり、どうにもうまくいかないのを見ているのはもどかしささえ感じられる。言い換えるなら人間味に溢れている人間だとも言える。

 そんな結良ちゃんだが、原作7巻では卒業式の時に、紗路ちゃんに理世ちゃんの制服のボタンのスペアを渡したりしている*8。人気者である理世ちゃんの制服のスペアボタンを持っているとあって周りの人からはかなり怪しまれていた上、いくら相手が昔なじみとは言え、理世ちゃんの制服のボタンのスペアなんてどうやって入手したのかと言う疑念こそあるものの、結良ちゃんとてまがりなりにも全く人の気持ちを考慮せずに踏み倒してしまう人では無い事は伺える。方法こそ正統派とはかけ離れているとは言え、結良ちゃんとて人の為に何かをしたいと言う想いがあるという事であるとは考えられ、それは7巻後半の理世ちゃんが旅に出る時に結良ちゃんが理世ちゃんの家の給仕のバイトを率先して行ったり、ラビットハウスの穴埋めにも行った事にも関係していると思われる。勿論これは私の想像に過ぎないので本心は分からないが、結良ちゃんも本当は良い人だと思ったからこそ、こういう事を読んで思ったのである。

 そして結良ちゃんの更なる意外な一面が明らかになったのは9巻である。9巻で結良ちゃんは理世ちゃんに扮装した状態で理世ちゃんの友達と関わるのだが、抑々結良ちゃんが理世ちゃんに扮装した理由には多くの良き友達に囲まれている理世ちゃんが羨ましかったのだと本人の口から語られている。他にも親の立場を気にしている様な発言をしたり、自分は理世ちゃんの昔なじみと言うよりかは所謂理世ちゃんの護衛役としての役割の方が強かったと言う自認識があったと言わんばかりの事を言ったり、理世ちゃんを守るために吹き矢をやり始めた事を窺わせる様な事も言ったりしている。つまり結良ちゃんは普段から自分と言う存在を前面に出すと言うよりかは、自ら積極的に一歩引いて誰かのバックに回る様な振る舞いをしていると言う事であり、その事は心愛ちゃんからも指摘されている。因みに心愛ちゃんは誰か(理世ちゃんの事)のふりをする様な結良ちゃんでは無く、そのままの結良ちゃんを見たいという事を何時ものながら屈託なきにこやかな顔で結良ちゃん本人に伝えており、本人は戸惑い気味だったが、心愛ちゃん以外の後押しもあってかその顔は今まで見せた事の無かった柔和(にゅうわ)な表情だったのが印象に残っている。

 他にも理世ちゃんと2人きりになると心の底から分かり合える友達関係を築き上げた理世ちゃんに向けて突然壁ドンを仕掛け、腐れ縁*9とかじゃない普通の幼なじみに憧れがあった事、皆から愛される理世ちゃんを見ていると思わずひとり占めしたくなる願望が表れる事、誰とでも隔たり無く仲良くできる心愛ちゃん達に対して嫉妬する事等を打ち明けている。これらから考えられるのは結良ちゃん自身の強いコンプレックスであり、普段はのほほんとした結良ちゃんだが実のところ人間関係をうまく構築できない事に対して少なくない劣等感を抱いている事や、ひいて言うなら実は精細な面がある事を窺わせるものともなっている。結良ちゃんとて多感な時期故に人間関係に無神経であり続ける事は出来ないのである。なお、当の理世ちゃんはそんな結良ちゃんに対して「腐れ縁もとびきりの親愛の証」と言い、結良ちゃんも含めてみんな大切なのだと告げていて、もっと言うなら、理世ちゃんは結良ちゃんに対して面と向かって「お前(結良)も含めて大切だと思っているんだ」と多少怒り気味に言っている。尤も本当に怒っている訳では無い*10のだが、それだけ理世ちゃんにとって身近な人には「自分(理世)の事は信用しても良い存在」だと思って欲しいと言う事であると思われる。現実においても一考すると腐れ縁だと思う様な間柄の人こそ、色々と思う事はあってもここぞと言う時には実は一番頼りにしていたり、なんだかんだで息の合う気の知れた仲柄だという事は少なくは無いと思われるのだが、それ以上に実は誰よりも人に対して優しく気遣える器の広さを持っている理世ちゃんだからこそ、あくまでも上記の様な言葉を投げかけるのを可能にしているのであり、そんな理世ちゃんの事を良く知っている結良ちゃんが「私の事もきちんと考えてくれていた」と安堵の表情を浮かべていたのは非常に印象的だった。きっと結良ちゃん自身も理世ちゃんに気にかけてくれていた事は素直に嬉しかったのだろう。

 なお、結良ちゃん自身は理世ちゃんの反応に対して「揶揄った(からかった)つもりなのに真面目に返された」と顔を赤くして訴えたりしているが、壁ドンをしてまで言った事が初めから全て揶揄うつもりで言ったという事は正直考えにくい。更に言うなら、結良ちゃんはその後紗路ちゃんにも壁ドンを仕掛けて「紗路ちゃんは私にとってからかいがいがある大切な後輩。」だと何時もの調子混じりに言っているのだが、ここでも結良ちゃんにとって壁ドンが本音を言うルーティンかどうかは分からないし、そもそも何故に壁ドンをする必要があるのかどうかすら不明である。しかしながら、壁ドンと言う普通に考えるなら滅多にしない行動*11をするという事は、ただ普通に言うだけでは物足りない心の本音を言いたい事にも繋がるとも考えられるため、壁ドンをしながら言っている事は必ずしも全て結良ちゃんの本音だと言えなくても、一つも結良ちゃんの本音では無いとは考えにくいだろう。

 

※ここから先は自分がどう思ったのか深く考える視点となります。

2.狩手結良について思う事

何故結良ちゃんに惹かれるのか

 先において「ミステリアスを地で行く様な謎多き一面こそ、私が彼女に惹かれる理由」と叙述したが、これにはそもそも私自身結良ちゃんの様に決して手の内を完全には見せない様な人は結構好きである事と、そういうミステリアスな雰囲気を表立って醸し出している人は、実は心奥深く人には容易に言えない様な人間関係の悩みあれこれを抱えている事が多いと言うのが何となく理解できるからと言うのが関係している。但し前者はともかくとして後者は現実には考えにくい事なので、言ってしまえば私自身が考えている創作ロジックに当てはめていると言う事になるのだが、結良ちゃんに関してはロジック云々に関わらず昔からどんな人なのか気にはなっていた。単純にごちうさに新しい人が舞い込んできたと言うのもあったのだろうが、それ以上に掴み所が無いその表面性質に心惹かれたと言うのが大きな理由である。何故なら、表立って見せない性質と言うものの多くがその人の本心である事が多く、表面性質に掴み所が無いと言うのはそれだけ内に秘めし本心があるという事だと考えているからである。つまり結良ちゃんには何かとてつもない本心を秘めていると考えそんな一面に心惹かれたのだと言う事であり、それは今も昔も好きな理由として変わっていない。そして、たとえミステリアスな面があっても、どれ程ごちうさの中で異色な雰囲気を持っていようとも、その想いが揺らぐ事は無かった。それだけ結良ちゃんを想う気持ちに偽りは無かったという事である。

 纏めると、結良ちゃんに心惹かれた理由とは彼女が持つミステリアスな雰囲気と、内に秘めし本心に何かごちうさにおいて何物にも染まらない凄い力を持つものになり得ると感じたからである。尚、上記の事は主に9巻を読む前に思っていた事であり、9巻を読んでからは彼女の本心についてある程度推察できる様になった為に更に惹かれていく事になる。詳しくは下記にて。

他とは一線を画す幼なじみ

 今まで度々述べた様に結良ちゃんは理世ちゃんとは両方の父親の関係性から幼なじみであるのだが、その関係性は千夜シャロの様な「普段は振り回す振り回される漫才コンビの様な関係性だが、本当は誰よりもお互いを大切に想い合っている」ものでも無ければ、マヤメグの様な「一見片方がぐいぐい引っ張っている様に見えるが、本当はお互いに助け合っている様な関係性」でも無い。簡単に言うなら「陽の当たる幼なじみを陰から見守る関係性」と言うものであり、千夜シャロとマヤメグと言う2組の様な仲の良さや気の知れ様とはかなり一線を画しているものである。光の理世ちゃんと影の結良ちゃんと言う交わろうにも交わり切れない、しかし同時に切り離す事もできない表裏一体の概念*12を持ちながら、根底にあるどうにも超える事の出来ない距離感はさながら冷酷非情な命運を抱えた奇特な幼なじみだとすら思う事もある。なまじ千夜シャロとマヤメグが根が明るい幼なじみなのもリゼユラの暗き一面に拍車を掛けている要因となっている。

 但し、距離感自体は表立っては言われていないとは言え、ごちうさにおいては半ば当たり前の様に存在するものであり、(嘗ての)中学生組と高校生組ですら絶妙な距離感があった*13上に、抑々普段から何時も一緒に過ごす事の多い友達だとは言っても、基本的には四六時中一緒に居る訳では無いので実は結構距離感そのものはあったりする。しかしながら、その距離感と言うものがリゼユラの場合とそれ以外とで質が違っている様に感じられ、ごちうさの距離感と言うものは多くの場合物理的な距離感が多く、心理的な距離感においても友達関係には殆ど支障をきたさない若しくは解決できるものが多い中、リゼユラの場合物理的距離感こそあまり違和感は感じないが、心理的距離感に対する違和感が大きく、特に結良ちゃんが抱いている理世ちゃんに対する意識が深い溝で埋まり切っていない様に感じる事が多く、しかもそれがずっと変わっていない。更に言うと埋まり切らない溝はリゼユラと言う幼なじみの関係性にも影を落としており、たとえ腐れ縁でもそれは最高の親愛の証と考える理世ちゃんと、腐れ縁ではない普通幼なじみの関係性を憧憬(しょうけいまたはどうけい。憧れていること。)している結良ちゃんとでリゼユラと言う幼なじみに対する価値観がかなり異なっている事を始めとして、一番痛いのは「心から理解し合える友達関係を築き上げどんどん変化を遂げていく理世ちゃんに対して、幼なじみにすら本心を聞き出す事に強い躊躇いがあり、一人強いしがらみを抱え続ける結良ちゃん」と言う致命的な差異がある事により、結良ちゃんは何処までも自分をひた隠しにする等、最早当人同士のみではどうにもできないもどかしさを幾つも抱えている。理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろお互いに嫌い合っている犬猿の仲と言う訳では無いが、その仲柄が与える印象は限りなく冷たいものになってしまっている。

 上記の様な事からリゼユラに対しては正直負の印象をも感じていると言うのが私の本音であり、はっきり言って千夜シャロやマヤメグの様な「仲良しで気の知れあった良き幼なじみ」だとはリゼユラの場合素直にそうだと言えないし、言ってはいけないとすら思う事もある。そう思う理由に親同士の立場と言う複雑な事情と、理世ちゃんと結良ちゃんで心情理解がずれている事が、他の幼なじみとは違っていると言うのが大きな要因として存在しており、しかも大きく違う要因が悉く(ことごとく)マイナス方面に働いてしまっているのも痛い。更に心苦しいのがごちうさにおいては通常千夜シャロやココチノに代表される様に親子で仲が良いと言う良さがあったり、心情理解のずれが思わぬ良き結果を生み出したり、幾つものかけがえのないものを創り上げたりしていると言うのに、リゼユラは悉くそれらに一筋縄ではいかない事情を抱えていたり、望まぬ軋轢(あつれき)を生み出してしまっている事実が存在する事であり、それ故に「リゼユラは他とは違うどこか冷たい雰囲気がある」と言うのが私自身の心情に蠢いていた「非情だが紛れのない現実」なのである。

 しかしながら、私自身当人(理世ちゃんと結良ちゃん)らには何の落ち度も無いと理解している。これはリゼユラをとりまく環境は当人ではどうすることもできない(もしくはできなかった)ものも多く、結良ちゃんが影に隠れがちなのも理世ちゃんに対して多少なりとも「自分みたいな人が表立ってずっと付き合っていて良いのだろうか?」と言う懸念があるからではないかと私自身考えている為である。つまり結良ちゃんの心には理世ちゃんに対するどことない不安とも言える懸念が渦巻いていると言え、これさえ本人が克服できれば理世ちゃんとも何のしがらみも無く普通に仲良くできると考えていて、この事は結良ちゃんの幼なじみに対する考え方や、理世ちゃんと本当はどう接したいのかと言った様な言動や本音を汲み取ればある程度は裏付けできる。勿論結良ちゃんが本当に上記の様な事を考えてそれを切に望んでいるのかどうかまでは断定できないが、少なくとも理世ちゃんも結良ちゃんもお互いを軽視している訳では無いとは言える。本当に軽視しているならお互いに腫れもの扱いしているだろうし、結良ちゃんにしても理世ちゃんに拘る必要性は皆無なのだから。

 纏めるとリゼユラは千夜シャロやマヤメグの様な他の幼なじみとは一線を画している点が多く散見されるのは確かな事実であり、その一線を画す事情も腐れ縁と称する程に一筋縄ではいかない背景が存在しているとは言え、決して不仲では無いと思っていて、個人的には幼なじみだからこそお互いにもっと気兼ねなく距離を縮めてみると上手くいくのではないかと考えていて、結良ちゃんにしても理世ちゃんとは何の変哲もないしかし仲良しである様な幼なじみの関係性を求めている様な面があると感じている。この事は彼女の本心として下記により詳しく叙述している。

幼なじみ故の嫉妬心と本心

 結良ちゃんの本心は色々あると思うがその中でも「理世ちゃんとは腐れ縁じゃない普通の幼なじみでありたい」と言うのと「私(結良)にも皆(理世ちゃんの友達)の前で見せている様な理世ちゃんをありったけ見せて欲しい」と言うのが本心としてあると考えている。そして、その事を思わせるのが前述の原作9巻における理世ちゃんに対しての壁ドンであり、心愛ちゃん達に嫉妬してしまうのも、皆に愛される理世ちゃんを見ると独り占めしたくなるのも「幼なじみの私には見せた事のない一面を友達には見せているのは狡い。私にも友達に見せている様な一面を見せて欲しい。」と言う本心から口に出たのだと思うと(本人は揶揄ったのだと言っているとはいえ)ある程度は整合が付く。となると結良ちゃん本人は理世ちゃんに対して「心愛ちゃん達に対して嫉妬している」と言っているが、実際には理世ちゃんに対する嫉妬心も少なからず存在するという事になるだろうと私は考えている。何故なら結良ちゃんが心愛ちゃん達に嫉妬する理由として「幼なじみの私には見せた事のない様な理世ちゃんを引き出せているのが羨ましい」と言うのがあると考えられると前述したが、その一方で当然ではあるのだが、人に対してどういう立ち振る舞いをするのか最終的に決めるのは自分自身であり、心愛ちゃん達の前で見せている理世ちゃんと言うものは当然ながらあくまで理世ちゃん自身の意思によるものである。つまり立ち振る舞いと言うものはどんなに周りの人が提言しても最終的には自分が決める事だと言う事であり、この場合どれ程心愛ちゃん達周りの人が理世ちゃんに影響を与えたとしても、最終的にどうするかは理世ちゃんの意思に委ねられていると言う事である。

 この様に考えると、結良ちゃんが理世ちゃんに強く影響を与えている心愛ちゃん達に嫉妬するのは理世ちゃんを昔から知っている彼女からしてみればある意味至極当然だと確かな理解が得られる上に、「その影響を受けている事を分かった上で立ち振る舞っている(=理世ちゃん本人も自身の友達の前で今まで結良ちゃんには見せた事のない立ち振る舞いをする事を受け容れている)」理世ちゃんに対しても実は嫉妬しているとも考えられる事に繋がる。結良ちゃんからしてみれば今まで私(結良)には見せなかった一面を友達に対しては見せている理世ちゃんに対しても「何で友達には新しい一面を見せて、私(結良)には見せてくれないの?」と、言ってしまえばやや利己的な面があるとはいえ、やはり幼なじみとして長く関わってきた者としては多少なりとも嫉妬心を持ってしまうものだと言うのが私自身の個人的な見解である。また、その様な見解の根拠を示すものとして、ごちうさには代表的な幼なじみコンビとしてリゼユラ以外にも千夜シャロとマヤメグが存在するのだが、実はこの2つのコンビにも上記の様な嫉妬心と言って良い様な要素は存在しているのが挙げられる。

 まず千夜シャロの場合は、6巻の生徒会推薦や5巻の文化祭のお話に代表される様に紗路ちゃんが千夜ちゃんに対してやきもちを焼く事が多く、親友である心愛ちゃんや学校の仲間たちと連携し合ってどんどん自分の挑戦したい事を実践していく千夜ちゃんに対して紗路ちゃんは学校が違う事もあって「千夜が元気にやっているのは嬉しいけど、私の事も忘れずにきちんと構って欲しい」とやきもちを焼いているし、他にも学校が違うからこそ起こる事なのだが、千夜ちゃんが行っている行事関連の事について「どんな事をするのか私にも教えて欲しい」と紗路ちゃんが聞くと、千夜ちゃんは「(幼なじみである)紗路ちゃんにも教えられない私のクラスだけの秘密事」だと言い、すると紗路ちゃんは思わず「楽しそうな事しているのに私には教えてくれないなんて狡いっ!」と言わんばかりに顔をぷくーっと膨らませてあからさまに不満そうな態度を取った事もある*14し、逆に千夜ちゃんが紗路ちゃんに対してやきもちを焼く事も中学生組の職場体験など結構ある。なお、この時千夜ちゃんは紗路ちゃんに対してやはり膨れ顔で不満そうな態度を取っている。因みに時期で言えば職場体験の方が全然先*15なのだが、時期の違いに関係なくお互いやきもちを焼く事もあると言うのはどれほど仲良しであっても相手が羨ましいと思う事は別に珍しくない事を意味していると思われ、嫉妬心を持つ事が幼なじみの仲柄において駄目な事では決して無い事の裏付けとしても機能している。どれ程心の底から信頼出来る様な幼なじみ相手だとしても、相手のする事に全く嫉妬しないと言い聞かせるのは非常に困難な事なのである。

 幼なじみ相手に全く嫉妬心を持たない事が非常に困難だと感じ取れるのはマヤメグでも同じ事であり、マヤメグの場合は一見すると突き抜けた個性を持ち、好奇心旺盛で物怖じしない麻耶ちゃんに対して、これまた一見すると突き抜けた個性が無く、周りに比べて平凡になりがちな恵ちゃんがやきもちを焼くが多いと思われ、事実そうである事が多い。しかし実際には麻耶ちゃんが恵ちゃんに嫉妬している部分も多く、特に恵ちゃんの芯が非常に強く簡単にはめげない折れてしまわない部分や、目指す理想像に向けて確実に歩んでいる部分に麻耶ちゃんは嫉妬しているきらいがある。物怖じしなそうに見えて実は怖気づいてしまう事も少なくなく、本当は芯がそこまで強くない麻耶ちゃんにとって恵ちゃんの芯の強さはどんな時でも助けてくれる心の救いであるのと同時に、妬み嫉みの諸悪の根源にもなり得る危険性も孕んでいる。もっと言うなら複雑な感情に絡めとられ、どういう立ち振る舞いをすれば良いのか分からなくなり、誰が悪い訳でも無い為にやり場の無い怒りに苛まれる可能性も十分考えられ、メンタルがそこまで強くない麻耶ちゃんにとっては無視出来ない問題ともなり得る。
 しかしながら麻耶ちゃんは決して妬み嫉みに呑まれてしまう事は無いと思われる。何故ならマヤメグはお互いの利点欠点を上手く噛み合わせた絶妙なコンビネーションを持っているからである。コンビと言うのはお互いの良い所をもって互いの欠点を補え、且つそこから互いを尊重し合える関係性が長期間に亘って円滑且つ仲良しである為の何よりの秘訣であると思うのだが、マヤメグの行動面では麻耶ちゃんが恵ちゃんを引っ張り、心の部分では麻耶ちゃんが引っ張っている様に見えて実は恵ちゃんが麻耶ちゃんを引っ張っていると言うバランスの良いコンビネーションはお互いを認め合い、嫉妬をも超える事の出来る友情を育くめる最大の秘訣であると考えられ、この事は性格もタイプも違う2人の人間が何時までも仲良しでいる為のキーポイントだとも思われ、それはマヤメグにしろ千夜シャロにしろ、もっと言うならば全ての人間関係においても変わらない大切なものであると思う。

 この様にどんなに仲の良い幼なじみでも嫉妬心を持つ事は普通にある事であり、幼なじみ相手には嫉妬心を抱いてはいけないとは全く思わない。幾ら長年知り合いの人が相手でも嫉妬する時はするものだし、別にその感情を無理に押し殺してしまう必要性は無い。尤も結良ちゃん本人は幼なじみである理世ちゃんに対して嫉妬心があるとは直接的には言っていないが、実は理世ちゃんに対する本音を敢えて言っていないという可能性も十分考えられる。どうにも煮詰まりそうで煮詰まらないものになっているが、言ってしまうと9巻まででは推察できる要素が多くない故にどんなに考えてみてもどうしても埋まらない部分が存在するためにどう足掻いても100%この通りだと断言できないから。でも、もし結良ちゃんが理世ちゃんに対して本当に興味が無いと言うのなら、抑々理世ちゃんが誰と関わり、その結果どうなろうとも何の興味も湧かないだろうし、それ故に理世ちゃんに親しい人に対して嫉妬心を抱く必要性も全く無いのだから、理世ちゃんに対する嫉妬心が皆無だとは考えにくい。ただ、何度も述べた様に嫉妬する事=悪では決して無いと思っていて、その理由としては前述の通り嫉妬は心の反応として普通に想定できる反応だと言うのがあり、それ故に嫉妬そのものは問題ないと考えているから。ただ、普通の幼なじみに憧れていたと言う本心は結良ちゃんにとってかなり大きいものである事は容易に想像がつき、その事を9巻で知った時には「彼女はこんな事を思っていたのか」と思ったものである。また、それまで殆ど掴み所が無かった彼女においてより深く理解するために重要な役割を担うと思ったのは言うまでも無く、彼女に益々心惹かれる決定打ともなった。そう言う事もあってか、リゼユラに関してはどんなに嫉妬心があふれるものであろうと嫌いにはならないと思われる。この強い意思に関しては色々賛否が存在するだろうが、自分が一度こうだと決めたら変えない意志もまた、大切なものなのである。

結良ちゃんに対して抱く想いと共感

 結良ちゃんに対してはミステリアスな面が相まって昔から心惹かれる存在だった事もあってか早い段階から好意的な感情を抱いていて、それは最近になって更に増してきている。更には彼女には余計なお世話ながら幸せになって欲しいと思う事もしばしば。折角ごちうさと言う素晴らしい世界にいると言うのだから、幸せになれる様な切っ掛けを掴んで欲しいと思うのは何も結良ちゃんだけでは無いのだが、彼女に対しては智乃ちゃんと同様他の人より少しばかり抜きんでて思う事が多い。これは「前置きをしないと本心を中々言い出せない」智乃ちゃんにしろ、「壁ドンをしないと本心を中々言い出さない」結良ちゃんにしろ本心を人に伝えるのが下手過ぎる点が共通しているからと言うのが理由として挙げられるが、一番は私自身も人に本心を打ち明けるのが苦手故に人に本心をうまく伝えられないもどかしさを理解できる事にある。私自身も人に本心を打ち明けるのが凄く苦手で、その理由は「人に自分の弱い面を見せるのが怖いから」と言うもの。要するに人の失望を買って離れられてしまうのを異常なまでに恐れていると言う事であり、それ故に自分の弱い面が如実に表れる可能性がある所謂共同作業に苦手意識があるのだが、同時に共同作業が人のあらゆる一面を知り、より深い関係性になれる可能性を持つ機会である事も十分に理解しているので余計心苦しくなる事も多い。尤も結良ちゃんがどう思っているかは分からないが、私からしてみるとかなり心苦しそうにしている様に見える。と言うのも幼なじみたる理世ちゃんに対しても中々自分の事がどう思われているか分からなさそうで不安そうにしているのが多々感じ取れるからであるのと、理世ちゃんの本心を聞き出そうにも様々な事情故に聞き出せずに悶々と悩んでいるのも何となく感じ取れるからである。結良ちゃんも結良ちゃんで普段はのほほんとしているけど、本当は色々と思い悩んでいる事あるのだと思うと色々と共感できるものがある。言ってみるなら「自分もこういう面があったから理解できるし、分かってあげたい」と言う事である。

 また、人に本心をうまく伝えられず、あらぬ勘違いされてしまうもどかしさを痛い程思い知らされているからこそ特別な感情が芽生えるのであり、それはごちうさにおいても例外では無い。実際私自身ごちうさの登場人物の中で人に本心を伝えるのが下手では無いと思うのは大人を含めても心愛ちゃんや恵ちゃん等極少数だと思っていて、正直な所本心を伝えるのが(どちらにしても結局同じ事だが)下手若しくは不器用な人が多いと思う事が往々にしてあるのだが、だからこそ人として好きになれたりもする。別に本心を打ち明けるのが下手だから駄目だという事では決して無いと思うし、寧ろそういう面があるからこそ私自身智乃ちゃんや理世ちゃん、千夜ちゃんが自分自身が好きなごちうさの中でも一線を画(かく)して特に好きだと言う理由の一つにもなっているし、ひいては結良ちゃんに惹かれ続ける十分な理由にもなっている。しかしながら、どんな事があっても受け入れられる様になりつつあるとは言え、無条件に何でもかんでも好きになれると言う事や、何があっても直ぐに許せる寛大な心を持てる訳では無い事は分かって欲しい。確かに何があってもすぐに受け入れてあげられる様な心構えが出来た事に越した事は無いのだが、どんなに理解しようとする姿勢を心掛けていても急に新しきものが現れると戸惑ってしまうのは仕方のない事である。でもだからこそ、受け入れるのに個人差があると言う事情を鑑みて、時間が掛かっても急かさない寛大な心をもつ事も重要だと思う。

 そしてもう一つ重要な事として、私自身結良ちゃんは結構本心が素直な面があると思っていて、自分が心から思っている事を着飾る事無くそのまま人に伝えられれば分かってもらえる人だと思っている。結良ちゃんが人から警戒されるのは表立っては何を考えているのか良く分からない即ち掴み所が無い為で、そうなる理由として人は心理的に自分が確証を持てない掴めない様な存在を窺い知れないものを警戒する傾向にあるから。でもだからこそ、自分が思っているありのままの本心を素直に伝えて、「私はこういう者です。」と言うのを少しでも人に伝えられたら、人は結良ちゃんと言う人がたとえ表立っては良く分からない人でもその理由を理解できる様になるので受け入れる心の準備をする事が出来る様になると考えている。勿論そうする為には本人の努力が不可欠なのは当然の事なのだが、本心を伝えるのが様々な事情故に苦手意識がある人には中々容易には出来ない事であるのも私自身本心を打ち明けるのが苦手故に良く分かる。でも人から自分と言う存在をきちんと知ってもらい、分かってもらう為には自分から人に本心を打ち明けるしかなく、そうしなければいつまでも人から勘違いされたままになってしまう事にも繋がってしまう。しかしながら、人に分かってもらう為に無理してまで自分の本心を打ち明ける事をしなくても大丈夫だと考えていて、自分のペースでゆっくりでも良いから相手に自分の本心を打ち明ければ、幼なじみである理世ちゃんをはじめとして理世ちゃんの友達も含めて誰一人結良ちゃんの事を取り付く島もないと言わんばかりに突き放したりする事は絶対ないと思っている。何故そう思うかと言えば、理世ちゃんは正直に言うと所々きつい部分が存在するが本心は非常に心優しく、人を簡単に見捨てたりしない人であると言うのが感じ取れるからであり、理世ちゃん以外の皆にしても同じ様なものであると確信している為である。ハッキリ言えば何の客観性も持たせずに相手を全面的に信頼しているという事*16になるのだが、私自身ごちうさの皆は平気で人の気持ちを踏みにじる様な事をしたり、一切の罪の意識の欠片もなく友達や大切な人を裏切ったりする事は絶対にしないと本気で思っていて、そう思う理由としては普段の関わり合いの仲睦まじさにあって、普段から仲良し且つそれでいてお互いに尊重し合っていると言う仲柄を見れば、上記の様な感情を持つにあたって最早これ以上の理由は要らないだろう。こう思えるからこそ私としても皆を相当に信頼できる人だと思うのであり、結良ちゃんにしても信頼を寄せてみても大丈夫だと思うから是非に心を寄せて見て欲しいと思うのである。

想いの統括(狩手結良に対する想いのまとめ)

 ここまで狩手結良ちゃんに対する想いを様々な観点から叙述したが、正直想う事が膨大過ぎて中々上手くまとめられないもどかしさを感じていた。なので今回は丁寧に構成して書いたと言うよりかは、膨大な想いをどうやったらうまく伝えられるのか苦心しながら書いたものだと言え、事実その文量は今まで私が書いてきた他のあらゆるごちうさに対しての想いの文や感想文の追随を許さぬものとなったし、また今回は言いたい事をとことん追求しているので他の様々な比較要素を交えた過去に無かった想いの内容ともなった。それだけ結良ちゃんに対して本気で考えていた事の表れでもあるのだろう。

 言ってしまれば物語のメイン人物では決してない結良ちゃんだが、想う事がここまで膨大なのはそれだけごちうさを本気で愛している事の裏返しでもある。こんな事は自分で言う事では無いと思っているが、ごちうさは様々な意味で私自身影響を受けている作品である為、別に言っても構わないとも考えている。これは想いを無理にひた隠しにしてもその先に待っているのは「思い詰めるが故の苦悩」であり、どこにも発散する事の出来ない想いはやがて自分自身を苦しめ蝕んでいく存在にもなりかねず、最悪苦しみに耐えかねてファンである事も辞めてしまう可能性すらあり得ると私自身危惧している為である。実際に私は嘗てごちうさに対する自分の想いをどこにも発散する事ができずに抱え込み過ぎた上に、また好きであるが故に作品の事を深く考える様にもなったのだが、月日が経つにつれて「可愛いらしくて仲睦まじい」とは全く縁遠い負の側面、闇の一面に囚われてしまう事が多くなってしまった*17為に、一時期心苦しい感情を抱き続ける事になってしまった事があり、今は脱却しているとは言え何時だってまた苦悩に逆戻りするリスクが消える事はハッキリ言って無いと思っている。一度抱えてしまった負の側面はどう足掻いても完全には消え去る事は無いと言うのが一種の悲しき宿命で、たとえ全く気に留めようとしなくても、もう気にならなくなったとしても、事実そのものは永遠に付きまとい続けるのだから。

 この様に中々にシビアな話なのだが、それ故に「ごちうさが限りなく好きである事は同時に何時だって下手をすればごちうさが好きだと言う感情に心を蝕まれる危険性だってある」事を理解しているし、リスクがあるとは言っても今の様にごちうさに対しての感想や想いを度々Twitterやブログに書いている現在ではまず苦悩に苛まれる事は起きり得ないとも考えている。私の場合、結局の所「無理なくごちうさが好きであるためにはどうすればいいのか」と考えて様々な事をする様になったのが結果的にターニングポイントだったのであり、今ではごちうさに対する膨大な想いを上手くコントロール出来ている。でもまさかごちうさに対して本格的に好きになってたった1年程度でここまで激しい葛藤とも言える様な強い想いを持つ事になるとは想像だにしていなかったし、2年以上たった今では15年以上前から好きだったゲームや道路、クラシック音楽等の情熱にも最早全く引けを取らないまでになった。もしごちうさもそれこそ連載当初から10年来知っていたのならまた違った結果になったのだろうが、その場合多分ここまで好きになる事は無かったと思うし、抑々そんな事を考えてもどうにもならず、最早何も生み出さないのでこの場合正に机上の空論である。ごちうさが好きだと言う想いに年月の長さはさほど影響してこないし、寧ろどれ程昔から好きであったとしても途中でかなぐり捨ててしまえば何もならない。大切なのは「純粋にごちうさ(○○)が好き」だと言う各々が持つ想いなのであり、その事に関して私の意思が揺らぐ事は最早無いであろう。

 

※キャラ個人としての想いの叙述はここまでとなり、ここからは狩手結良のキャラソンである「Foooo are you?」の感想となります。

キャラソンの感想

3.狩手結良のキャラソン「Foooo are you?」の感想

題名について思う事 

 理世ちゃんの幼なじみにして「吹き矢部長」の異名をとる狩手結良唯一のキャラソンである「Foooo are you?」。この題名は歌詞にも使われている「Who are you?」と掛けられていると思われるのだが、実際の所この「Who are you?」と言うのは言語辞書で調べてみるとどうも「あんた誰?」と言った他人行儀的なニュアンスを持つものらしく、英語圏の人にとってこのフレーズを親しい間柄に使うのはいかなる場面、状況においても失礼にあたるのだと言う。日本語を母国語とする者にとっては実感が湧きにくいものだが、知っておかないと失敬を買う事態にもなりかねないので注意が必要だと思う。しかしながら、ただでさえ理世ちゃんと紗路ちゃん以外親しみが殆ど無い結良ちゃんの場合、正に状況を体現するものになっており、良くも悪くも彼女のどことない疎外感を表すのに一役買っている。

 因みに「Foooo are you?」と検索すると一番上にごちうさの「大西沙織と狩手結良の曲」と出てきた。大西沙織さんとは狩手結良の担当声優さんであり、如何にも「ごちうさのキャラソンで生み出されたものですよ」と言わんばかりの検索結果だったが、どうもFoooo自体はオノマトペつまり擬音語・擬声語と言ったニュアンスを持つものであり、それも基本的にはあまり使われる事の無いのが要因としてあるようで、辞書には載っていない単語と言う扱いのものもあった。何れにしても独特な題名だという事には間違いないだろう。

一線を画す曲調に感じる事

 この曲を聴いていの一番に思った事は、ごちうさ楽曲の中でもメロディーセンスが自分好みだと言う事だった。私は元々アップテンポ調のハイスピードリズミカルな曲が好きで、尚且つテンポ重視と言う拘りを持っているのだが、この結良ちゃんのキャラソンはそんな私の好みにドンピシャだった。それ故に個人的には結良ちゃんのイメージにバッチリ合っている曲調だと感じていて、彼女の事が更に好きとなるきっかけともなった。尚、上記の様な曲調はごちうさではあまり見られないものだと個人的には思うのだが、そんな曲調に出来るのも狩手結良だから可能だと思う事に異論は無かった。しかしこれはかなり異例な事であると思っている。

 そもそもごちうさは普段の何気ない日常から生まれるかけがえのない友情や友達との大切な居場所を丁寧に扱う事にコンセプトが置かれている作品である為、実際にはカッコイイ曲調の曲も多いし、誇張抜きに様々なジャンルの曲が存在しているとは言え、あくまで快活な曲調であっても、よくよく読み込んでみると感慨深い詩情をもつ曲が多い。そんな感触が基本的なイメージとして個人的には存在していて、特にOP・EDにその印象が強くあるのだが、そのイメージとは一線を画していると感じる曲もまた多く存在していると考えていて、「Foooo are you?」もまた、その一線を画すイメージを持つ曲の一つである。一線を画していると言っても「Foooo are you?」の場合、結良ちゃんのミステリアスな面がそうさせている節があるのも事実だが、既存の枠組みにとどまらない世界観はごちうさの世界観を更に広げるものとして機能するに違いないと個人的には思う。他の人とは違う世界観を持つからこそ生み出せる結良ちゃんの魅力。その事は曲調からもはっきりと理解する事が出来る。

 また、少し本筋からは外れるが、ごちうさの中でも一線を画すイメージを持つ曲と言えば個人的にはやはり青山さんの楽曲である「うさぎになったバリスタ」は外せない。この曲の場合全てが一線を画していると言っても過言ではなく、智乃ちゃんの祖父が抱えていた喫茶店の経営難と言う苦悩から、どんなに経営難であっても決して廃らなかった家族に対する強い想いと愛情*18、早世した*19母親の代わりに自分が智乃ちゃんを見守っていかないといけないと言う強い意思が彼をうさぎにさせたのだと考えさせる様な構成だったり等と、枚挙に暇(いとま)がなく、ごちうさの中でも特に一線を画している名曲であると考えているし、青山ブルーマウンテン役である早見沙織さんの歌声もこの厳しく悲しい過去を見事に受け止め、優しく包み込む様な不思議な感触を生み出しているのだと考えている。大人である青山さんが歌い上げる独特且つ深淵*20たる世界観を覗かせるには十分である。

 そして、「Foooo are you?」にしろ「うさぎになったバリスタ」にしろ、他とは雰囲気が異なっているとは言え曲の質は非常に高く、どちらも人の繋がりを大切にしている名曲であると思う。ごちうさにはこの2つ以外にも一線を画す様な楽曲は沢山あるが、個人的にはこの2つが特にお気に入りである。

歌詞に感じる事

 この「Foooo are you?」の歌詞に関して言えば、結良ちゃんの人柄が良く読み込む事の出来るものであると感じている。具体的に言えば一見すると掴み所が無くてちょっとあざといとも思えるけど、一方で無邪気な面があると言わんばかりに純真無垢だとも思えてくる内容も多く含まれていて、読めば読む程に彼女の気前の良さと根底にある人柄の良さが見えてくると言うものである。定まらない立ち位置故に疎まれる事も少なくない結良ちゃんだが、私自身昔から結良ちゃんの事をどうやっても悪く思う事は出来なかった。悪く思えない事自体は私自身の性格も関わっているのだが、それだけでは人を悪く思わない理由にはならない。幾ら優しいと言っても嫌なものは嫌だと思うのが人間だし、実際私も悪く思うとまではいかなくても苦手なタイプの人はごちうさのキャラでさえいた位*21である。でも、歌詞を読み込んでみるとそんな苦手意識や嫌悪意識が晴れる事だってある。この曲はそんな可能性を秘めているのだと感じている。

 全体的な歌詞構成としては吹き矢部長たる結良ちゃんらしく吹き矢関連の歌詞が多く登場するものとなっていて、そこからきっと誰かと吹き矢勝負をしているのかと想像させるものとなっているが、随所に出てくる彼女の心の本音らしき部分が何とも言えないロマンチックさに花を添えていて、その本音と言える歌詞を読み込んでいくと、彼女だって仲が良い人と何のしがらみもわだかまりも持たず、只々無邪気にずっと楽しい事を友達とやっていたいと考えていると言う本音を伺う事が出来る。普段からミステリアスな雰囲気を醸し出している彼女からは一見想像できないものだが、所謂建前と本音と言う関係性はそんなもので、一見すると口調がきつく少し関わりにくそうに見える人でも、実は誰よりも情に厚く優しかったりする*22様に、結良ちゃんにも純真無垢とも思える様な本音があってもおかしくは無いのであり、その事が読み解けるこの曲の歌詞は私にとって深淵たる世界観への誘いとなっている。

 そして、これは結良ちゃんのキャラソンに限らずごちうさ楽曲の歌詞を見て常々思う事なのだが、歌詞を読み込んでいると、ふとその楽曲の歌詞を紡いだ人のごちうさに対する想いや愛情が浮かび上がってくる様に感じる事がある。何とも突拍子も無い話だが、歌詞を読み解くと言うのは私にとって「歌詞を書いた人が秘めている想いへの探究」と言った事と同じで、歌詞を紡いだ人がどんな想いや感情を込めて書いたのかそれを考察する事だと考えている。その熱き想いを汲み取ると感情が込み上げてくる事もしばしばあるし、それは結良ちゃんのキャラソンだって同じ事である。想いの探究は歌詞考察も例外では無いのであり、キャラ考察にしても歌詞考察にしても、ごちうさが好きだと言う想いをもって行うのが何よりも大切だと思う。

 

余談

 狩手結良に関しては想う事がただでさえ多かった上に登場が極めて少ない為、その心情を読み解いたり考えたりするのに独自解釈をかなり含めないといけない位に想いをまとめ上げるのに苦労した。冒頭で「新年早々・・・」と書いているが、これは書き始めたのが1月上旬からだった為である。そこからまとめ上げる為に必要な時間も思考力も中々取れないと言った事や、他にもやりたい事の兼ね合いも考えていたらと様々な理由により遅々として進まず、気付けば2月中旬も後半に差し掛かっていた。ここまで掛かってしまったのも初めてである。また、書いた文量自体も多く、今までと比較しても圧倒的に多くなった。それほどまでに彼女に対して想う事があったという事である。

 狩手結良が巷でどういう風に見られているのかはある程度はきちんと把握していて、その上で私は結良ちゃんを好きだと言っている。別に周りがどう言っていたとしても、好きだと言う気持ちに嘘をつくつもりは余程の事が無い限り基本的に無いと言うのが私の意見である。勿論どういう意見でもむやみやたらに否定したりしないでまずは受け容れるのが原則であるが、同時に私は自分自身が思っている事はちゃんと言うべきだと考えているのでこうして公表しているのであり、それ以外にも色々思う事はあるが、あくまで各々が好きなものを自由に好きだと言える様な環境に出来たらそれで良いと言うのが私の思う楽しむためにおいての理想像である。

*1:人望や目標達成努力等人間として求められる事は沢山あるので、実力のみで部長が決められる事は考えにくいとは言え、部長たるものある程度は実力も必要不可欠であると思われるため。

*2:厳密に言うと昔なじみと幼なじみは定義付けが異なる(昔なじみは主に古くからの付き合いを指すが、幼なじみは子供の頃からの付き合いを指す事が一般的)ものではある。

*3:高校は勿論のこと、大学も同じである。

*4:気にならないとは言っても9巻で智乃ちゃんの当たり前の様に行っている異学年交流をクラスメイトは「凄い」と称賛している辺り、この場合当たり前の感覚が変化してきていると言った方が正しい。但しこの当たり前の感覚の変化を手放しに喜んで良いのかは分からない上に、これはある意味当然なのだが、いくらごちうさが年の差が気にならない関係性だからと言って、現実でも年の差事情に全くもって無神経になるのは厳禁である。

*5:但し、完全になくなっている訳では無い点には努々(ゆめゆめ)留意する必要があり、しかもその少ない部分がかなり強烈なインパクトを持つ事が予想される。

*6:特に理世ちゃんとは結良ちゃんと昔馴染みであるので尚更。

*7:実際の所は苦手と言うより忌避(きひ。嫌って避けること。)していると言う方が正しい。

*8:その際結良ちゃんは自分の制服のボタンはいらないかと紗路ちゃんに聞いているが、先輩(理世ちゃん)のボタンが手に入った事に夢中になっている紗路ちゃんには届かなかった。しかしながら結良ちゃんにしても紗路ちゃんに対して本気で自分の制服のボタンをあげたいのなら理世ちゃんのより先に自分のを出せば良いだけの話であり、結良ちゃんの行動はいまいちどうしたいのか良く分からない。

*9:一般にはどんな事があってもしぶとく続いている、縁を切ろうにも切れない悪縁の間柄・仲柄の事を揶揄的に指し示すものである。それ故にお世辞も良いイメージを持つとは言えない言葉なのだが、そんな言葉を用いた結良ちゃんには幼なじみに対して相当なコンプレックスがある事を示唆している。

*10:因みに何故に私が理世ちゃんの事を良く怒っていると思う事が多いのかと言うと、実は私自身昔から理世ちゃんに対しては「どこか怒りっぽい」と言うイメージがあるためであり、こうなった要因にサバサバした口調や硬派気味の表情等に対して「怒りっぽく気難しくて少しばかり怖い人」と言うイメージを先行して抱いてしまい、そのまま第一印象として固定されてしまったのがある。勿論本当は非常に心優しい事も、人をむやみやたらに傷つける様な事を絶対しない様な人なのも分かっているし、怒りっぽく見えるのも実は理世ちゃんが普段から気を張って強がって無理をしているからで、本当の意味で決して心の強い人なんかじゃないと言うのも感じ取っているし、ひいて言うなら不器用だが実は心優しく精細な部分が理世ちゃんが人として好きだと言う大きな理由にもなっているので、「怒りっぽくて怖い」と思っていた自分が正直恥ずかしくも思う。

*11:ごちうさにおいては原作でもアニメでも壁ドンは殆ど無く、しかもアニメの壁ドンには原作には存在しないアニオリ展開のものもある。

*12:無理矢理繋げるなら、表裏一体の関係性は一種の腐れ縁の証だとも言えてしまう。

*13:意識してみないと意外と気付きにくい事であるのだが、よく見ると中学生組と高校生組で行動が分かれている事が結構あり、そうでなくても絶妙な隔たりがある。尤も今となっては全員高校生以上なのでこの区分がおかしいのは明白だし、もっと厳密に言うなら学年差による距離感だと言った方が正しいのだろう。学年差なら進学による呼称変化の影響は無いので。因みに理世ちゃんと結良ちゃんは大学生で他は全員高校生なので、新たに高校生組と大学生組と設ける事はできる。尤も今後どうなっていくかはまだ良く分からない部分が多いが。

*14:アニメで顔を膨らます場面があったかまでは正直はっきり覚えていないが、少なくとも原作ではそういう場面がある。

*15:生徒会推薦も文化祭もチマメ隊が中学3年の話だが、職場体験はまだ中学2年の時である。しかしながら、そもそも文化祭も生徒会推薦も描写自体が中学2年の時には無く、これに限らずマラソン大会や花火大会等も中学2年の時には無かった(なお、花火大会はDMSにおいて「去年は雨のため中止だった」と青山さんが言及している。因みに中学2年の時にあった写生大会、球技大会等の話は逆に中学3年では言及されていない。)。因みに中学2年から3年に上がるタイミングは原作だと4巻の半ばくらい、中学卒業は7巻の終盤にあたるが、アニメと原作では構成が良い意味で別物と言える程異なっているが故に、時系列にも大なり小なり異なりが生じているので原作とアニメを比較する時は注意が必要。

*16:相手を全面的に信頼するので、万が一裏切られた時のダメージが非常に大きくなる。

*17:全てが可愛いと称されるごちうさだが、甘くない所は冗談にもならない程甘くない。見方によっては極端な事を言えば一種のハードボイルドだとすら感じられる。

*18:今考えるとこれも当時まだ幼かった心愛ちゃんの何気ない言葉が迷いを晴らさせ、その意思を確固たるものにさせたのかもしれないし、もっと言うならばこじ付けがましい面はあるが、その言葉が香風家の運命を変えた大きなきっかけだったのかもしれないとすら思えたりもする。

*19:そうせい。若くして亡くなること。

*20:しんえん。奥底知れない深みを持つこと。

*21:特に苦手意識があったのは今や人としても惹かれる面の大きい理世ちゃんであり、どうも口調がややきつい部分が中々慣れなかった。別に口調がきついからと言って嫌いにはならないのだが、怒られるのが頗る(すこぶる。「非常に」「とても」と言った意味合いを持つ。)嫌な私にとってはどうしても少しばかり苦手だと言う感情が働いてしまいやすい。

*22:これ完全に理世ちゃんの事を言っているのが丸わかりである。他にも麻耶ちゃんや夏明ちゃんがこれに当てはまる所があると思っている(特に夏明ちゃんが顕著)。

ごちうさBLOOM第10~12羽の感想とBLOOMについて思う事

 ごちうさの中でも重要なお話を構成するクリスマス回であった10羽と11羽。原作だと6巻にあたるお話で、ごちうさの中でも特に感動するストーリーとして名高い。何と言うべきか、彼女らの友情と言うものの真髄全てはこのクリスマス回に詰まっていると言っても過言では無いと思う程で、普段中々見られないペアリングや意外な一面も含めて尊きものとなっている。

 10羽は心愛ちゃんと紗路ちゃんがクリスマスに向けての資金をためる為にアルバイトを掛け持ちするものから、青山さんのサイン会に向けて皆で盛り上げるお話があり、マヤメグと理世ちゃんの絡みがあり、最終的には智乃ちゃんに視点が当たる構成となっている。この羽は云わばクリスマスの前哨戦にあたるものであるが、インパクトはかなりのものである。
 11羽は出だしから良い意味で飛ばしてきている。新しき制服でみんなが交代しながらラビットハウスに手伝いに行くと言うものだが、制服が完成した経緯や想いの継承を知れば知る程感極まるものがあり、後半にそんな制服姿が一挙に集まると言う圧巻の光景は正に七色の奇跡である。ここからはそんな感極まる要素が盛り沢山のクリスマス回において私自身が感じた事について書く。
 また、クリスマス回の感想の後には最終羽である12羽の感想とBLOOMを観て思った事を書きまとめる。

1.クリスマス回の感想

1.ココシャロの仲睦まじさについて

 心愛ちゃんと紗路ちゃんのペアであるココシャロ。普段からこのコンビに脚光が当たる事は多くはないうえ、性格も全く違う上に抑々2人だけと言う接点がさほど無いのでイメージには浮かびづらいが、いざ合わさると非常に息の合った仲良しコンビとなるのが特徴的で、これは心愛ちゃんと紗路ちゃんは実は性質が似ているからとか周りからは言われていて、確かにその傾向があるのは事実だが、実際は気配り上手な心愛ちゃんが紗路ちゃんの事をすごく気にかけていて、紗路ちゃんは紗路ちゃんで心愛ちゃんの事が心配である一方、自身の幼なじみである千夜ちゃんの良き友達としていてくれるのが嬉しいからと言うのが大きい。

 このお話はそんな実は仲良しこよしな2人がクリスマスに向けてバイトで資金を貯めると言うものなのだが、2人共資金を貯める理由が単純に資金枯渇(こかつ)故で、しかも枯渇した理由が3期の1羽にあったブロカント(古物市)で2人共に買い込み過ぎたからだと言う割と切ない理由。何と言うか、後に千夜ちゃんにも言われる事なのだが、紗路ちゃんが金銭難な理由に単純に裕福では無いだけでなく、こういうブロカント等で一気に散財してしまうのが一因としてあると思われる。極度な節約は逆にお金が貯まりにくくなるとしばしば言われるが、その理由が普段我慢している分の反動がハレ(非日常)の日に一挙に襲ってくるからだと言うのは紗路ちゃんを見れば納得である。とは言っても2人共クリスマスに向けての熱情は本物で、バイトを掛け持ちすると言う事を率先してやっているのもその証とも言える。まぁ単純にクリスマス商戦期は書き入れ時だから需要も給与も多いと言うのもあるだろうが、そういう現実主義な事はごちうさの世界観ではこれ以上探らない方が良いだろう。

 この2人の魅力が多分に表れているのは10羽であり、同じバイトをこなしていく事で徐々に心愛ちゃんなしの環境が考えられなくなっていく(=心愛ちゃんがいないと寂しいと言う感情が芽生えつつある証)紗路ちゃんが凄く印象的だった。普段紗路ちゃんが心愛ちゃんと接する時はどちらかと言えば厳しめの事が多いので紗路ちゃんが心愛ちゃんを心からいて欲しいと思う事の稀少さが余計目立っている感こそあるものの、紗路ちゃんは以前心愛ちゃんが実家に帰省する時でも涙を浮かべながら自分の想いを心愛ちゃんに伝えているので、紗路ちゃんにとって心愛ちゃんは普段は騒がしくて世話が焼けるけど、本当はいてくれるだけで有り難い大切な人だと思っている事が分かる。だったら普段からもっと優しくしろとなる気もするが、紗路ちゃんの性格上そうする事が苦手なので態度がきつくなる可能性もある。まぁそれが免罪符になると思ったら大間違いだが、紗路ちゃんは人を傷つける事を平気で言ったりしないので心愛ちゃんも大して気にしていないのだろう。そう考えるとココシャロは他のコンビにありがちな変な気遣いが無い故に緩い関係だと言え、特に紗路ちゃんの緩み具合が激しい。他にも10羽の中だけでも心愛ちゃんが紗路ちゃんにご褒美としてメロンパンを引き合いに出して釣り上げようとしたり、漫才のお手本の様なボケツッコミをしたりと、他のコンビ以上にじゃれあっている印象が強い。
 しかしながら、普段からじゃれあっていると言う事はそれだけ変に気を遣わないでたとえ下らない事でも全力で楽しめる事を意味していて、それ故にお互い素を出して関わる事も容易で、だからこそプレゼント交換等も気が進みやすかったりする面があるのだろう。尤もこの条件がかみ合うのは紗路ちゃんが主で、心愛ちゃんの場合誰に対してもフレンドリーな面があるのであまり意味をなさないのだが・・・。とは言っても最終的に11羽でシークレットサンタがココシャロとなった時に心愛ちゃんが紗路ちゃんからもらったプレゼントで心愛ちゃんが大喜びしていた時の紗路ちゃんの反応を見るに、お互い気を遣わないでいられる仲であるからこそ分かちあえるものもあるのかもしれない。普段から紗路ちゃんの不器用な面が目立っているココシャロだが、気遣いなく接せる程仲が良いという事は見ていて悪い気はしないであろう。

2.マヤメグが魅せる人としての器量

 10羽、11羽共にマヤメグの存在感は非常に大きな役割を果たしていたと思う。10羽では理世ちゃんに子供の如くねだってみたり、11羽では智乃ちゃんを思わず涙させる程に心の受け皿となったりと大きな存在感を見せていた。特に11羽で新しき制服を着て、これからもラビットハウスで働いていけると智乃ちゃんに言って、それを聞いた智乃ちゃんが思わず涙したのが非常に大きな衝撃だった。マヤメグと言う2人は智乃ちゃんにとって一体どれ程心の救いとなっているのだろうかと思うには十分だった。

 私としてはあの智乃ちゃんの涙は今まで我慢して堪えてきたものが耐えられなくなったのだと瞬時に感じ取った。そして同時に智乃ちゃんが今まで抱えていたものの大きさにも想いを馳せた。マヤメグに受け止められて号泣している智乃ちゃんを見て、何も思わないはずが無かった。あんなに泣いている智乃ちゃんを見るとこっちまで心苦しくなってきたのを覚えている。きっと智乃ちゃんはもっと泣きたかったに違いない。だって幼くして最愛の母親と死別し、自分の尊敬していた祖父も亡くなってしまうと言う、最愛の人との早過ぎる別れを2度も経験しているのだから・・・。2度にわたる最愛の人との別れは智乃ちゃんにとって大きなショックだった事は想像に難しくなかったし、智乃ちゃんの母親であるサキさんが生きていた頃に見せていた智乃ちゃんの無邪気な笑顔や幸せそうな顔を知っていたので尚更だった。
 抱えきれない程の悲しみを背負い、次第に表情も感情も暗くなっていった智乃ちゃんの前に突然現れたマヤメグと言う存在。始めは戸惑いを隠せなかったが、次第にマヤメグと言う2人に連れられて、新しき世界観に踏み出していった智乃ちゃん。勿論智乃ちゃんが本格的に新しき世界に踏み出せたのは心愛ちゃんを始めとした高校生組あってこそだが、同級生で高校生組もとい心愛ちゃんより長い付き合いであるマヤメグには特別な想いがあったのであろう。マヤメグにしても、出会った当初は非常に暗かったであろう智乃ちゃんに対して見捨てる事無く友達であり続けた。この事はマヤメグが智乃ちゃんのあらゆる面を受け止めて心から分かってあげられる存在になっている事が非常に素晴らしく感じる事も繋がっている。あの光景を見て、マヤメグは智乃ちゃんにとって心から大切な存在なのだと強く感じた。

3.聖夜の日に輝く七色のハーモニー

 10羽、11羽を通して新しき色の制服が作られていくのも印象的だが、一番印象的なのはやはり11羽でラビットハウスの七色の制服が揃う所であろう。ティッピーこと智乃ちゃんの祖父をもってして、「智乃の母親が想像していた以上の光景」だと言わしめる程の光景は荘厳さすら感じる。普段はバラバラの7人が一ヶ所それも同じ制服を着ると言う光景は特別なものだと思うし、ましてそれが聖夜を飾ると言うのだから特別で無い訳が無い。心打つものであったことは言うまでも無く、この当たり前の様でいて特別な光景と言うものは何と素晴らしいのであろうかとしみじみ思う事もしばしばである。題名にも書いた七色のハーモニーと言うのは異なった色の調和であるのと同時に、その異なる色はどんなに他の色(人)に染まっても個性を保ち続けるものとしてあると考えている。個々人の輝きを失う事無く人々を繋げるものとして素晴らしいと思うばかりである。

4.クリスマス回の感想まとめ

 10羽11羽の所謂クリスマス回は非常に心に残る回だったと記憶している。元々ごちうさにおけるクリスマス回は非常にウエイトが大きいものだったのである程度は想像できていたのだが、いざ観ると圧巻された事を覚えている。尤もそもそもが理想郷とも言えるごちうさの世界観においても特に理想的だと言えるであろうクリスマス回を観て何も思わないのも酷な話だと思われるが、私自身その昔(と言っても半年前位)、ごちうさの世界観をじっくりと心豊かに考える余裕が無く、思い詰めながらごちうさを読んでいた頃だったので仕方がないものもあるとは言え、原作で初めて観た時には碌(ろく)に良い事を思い浮かべられなかったし、今となっては当時一体何を思い浮かべて読み進めたのか殆ど覚えていないと言う悲惨な実態があるので、今回純粋に楽しめたのが何より嬉しかった。

 そして、全体として良かったと言える事は、やはり皆の友情の大きさと温かさである。この2つを柱として様々な事が展開されていくそんな図式が思い浮かべられる様で心温まる回だったと思う。

 

 ここから先は最終羽の12羽の感想と、3期BLOOMを観て思った感想を書く。

2.12羽(最終羽)の感想

5.美しき姉妹愛とアニオリの真骨頂

 12羽の前半はココチノやココモカ等、姉妹愛に溢れた内容が豊富だったと思う。ド頭から心愛ちゃんと智乃ちゃんが姉妹の様に仲良くしているものや、皆と仲良しそうにしている心愛ちゃんから送られた写真を見て羨ましがるモカさんなど、姉妹愛を多分に感じられるものであった。そして、アニメオリジナルの構成が最大限に活かされた回であったとも感じた。

 心愛ちゃんと智乃ちゃんに関しては、智乃ちゃんが笑顔で心愛ちゃんと接していたのが印象的だった。智乃ちゃんは別に笑顔を全く見せない様な能面では無いのだが、昔の暗かったイメージが多分に強いが故に多少違和感を覚えるのは否めないのはある。ただ、違和感が否めないと言っても智乃ちゃんが急激に明るい人になった様に見える事により多少なりとも戸惑いがあるだけで、智乃ちゃんの笑顔は見ていて非常に微笑ましい。智乃ちゃんが幼き頃の様な無垢な笑顔を再び見せる様になったのも心愛ちゃんと言うお姉ちゃんがいたからこそだったのかなぁなんて思うと感慨深いし、何より人として大好きで尊敬できる心愛ちゃんと智乃ちゃんが他愛もない様な事でも笑顔で語り合い、分かち合っているのが嬉しい。また、この2人に関しては姉妹関係が入れ替わっても違和感を感じない程仲が良いので、そういう面でも喜ばしく思える。

 些細な事でも喜び合える姿を見るのが嬉しいのは何も心愛ちゃんと智乃ちゃんだけでは無い。それは実の姉妹である心愛ちゃんとモカさんでも同じ事である。モカさんは心愛ちゃんから送られてきた、皆と仲良く映る写真を見て「私も輪の中に入りたい」とかなり寂しそうにしていて、事実ラビットハウスごっこをしたりするのも妹である心愛ちゃんがいない寂しさの埋め合わせをしているからだと言える。モカさんとて強靭なメンタルを持つ万能な人では無い*1ので、本人はあくまで姉としてそういう弱い面は見せられないとかなり強がっているとは言え、心愛ちゃんと離れて過ごす事に寂しさを覚えている様で、木組みの街で楽しそうにしている心愛ちゃんの事を思い浮かべると、昔姉妹でずっと一緒だと思っていた事を思い出したのちバラバラだと言う現実に引き戻されて寂しさに苛まれると言う、まるで心にぽっかり穴が開いている様子が伺える。やはり最愛の妹と一緒に居られないと言う寂しさを誤魔化す事は出来ないのである。まぁ実際問題上の子と言うのはそういう面があるものだとは個人的には思うのだが・・・。
 そんなモカさんだが、上記の様になるのも妹である心愛ちゃんの事を本気で大切に想っているが故であり、普段から心愛ちゃんの見本となる様に努力を重ねていく事を厭わない精神力は本物であり、そんな陰で頑張り続けるお姉ちゃんを見てきてからこそ、心愛ちゃんも努力家な人*2になったのだと思うと、心愛ちゃんとモカさんの姉妹関係の真髄は2人の母親も言っていた「離れている2人だから、高め合えるのかもしれない」と言う事に集約されるのだろう。そんな関係性は憧れ意識を持つには十分である。

 また、今までの姉妹関係とは別物だが、モカさんとモカさん(と心愛ちゃん)の母親とのやり取りの中で、智乃ちゃんの母親であるサキさんとは「姉妹のように仲が良かった」と言うのは原作を見ていた私には普通に受け取れたのだが、実は少し驚いた事があった。「あだ名がうさぎちゃん」と言うのがこのタイミングで語られた事と、智乃ちゃんが心愛ちゃんの中学時代の制服を見た事をきっかけに自分の母親のアルバムを見て、母親がずっと木組みの街で居た訳では無かった事を知った事である。そして、この事はアニメオリジナルの真骨頂を知るきっかけでもあったのである。
 抑々心愛ちゃんとモカさんの母親の昔話もとい智乃ちゃんと心愛ちゃんの母親同士の親交が明らかになるお話は、原作では単行本6巻の最終話にあたるものなのだが、「サキさんの渾名(あだな)がうさぎちゃん」と言うのは単行本9巻それも最終話*3で分かる事であり、更に言うならばアニメではモカがいた場面で語られているが、原作ではモカさんは旅行編で心愛達が滞在していたホテルに行っているのでモカさんは知る由が無かった上、アニメで描かれた智乃ちゃんが母親のアルバムを見返して母親がずっと木組みの街にいた訳では無かったと言う事実は同じタイミングの原作では無かった*4ものである。つまり原作とアニメが全く違うものになっているという事であるが、そもそもBLOOMはそれまでもアニメオリジナルの展開が多くあった*5のでそれほど違和感は無かった。それどころかアニメだからこそ活かせる持ち味をもって皆の成長や変化を最大限に活かせるものとしているので、原作を知っている人でも油断していると涙腺が思わず緩みかねないものにまでなっている。詳しくは後述の「心動かす物語」にて。

6.再び見るアニオリの力

 12羽の後半は原作7巻であったガレット・デ・ロワ*6のお話が中心であり、原作でもあった理世ちゃんの大学合格のお話もあったが、やはり印象的なのは智乃ちゃんが外の世界をみてみたいと皆に頼みかける所が非常に印象的だった。皆の友情が固いものであるという事の再確認と言う意味でもうまく機能しているし、アニメにおいても原作の旅行編を示唆するものを入れてきたと言う意味でも素晴らしいと思った。
 しかし、ここでの真骨頂はやはりアニオリなのである。そもそもこの場面でもアニオリは数多く存在していたが、まず智乃ちゃんが王*7となる展開は原作通りだが、アニオリな点は最終的な王の命令が原作のかなり先のお話を意識したものとなっている事である。原作では割と当たり障りない展開になっていたガレット・デ・ロワもアニメでは原作の旅行編ひいては作品そのものの根幹にも迫る様な重要な要素になっているし、これは却下されたが智乃ちゃんが発した最初の命令(と言うより願望)もやはり作品を紐解いていく上で非常に重要なものとなっている。なお最終的な命令は「ラビットハウスで朝まで遊ぶ事」と言うものであるが、これも実は原作の旅行編の終盤に発した命令を意識したものである。
 更に別のアニオリとして智乃ちゃんの父親であるタカヒロさんとそのタカヒロさんの旧友である理世ちゃんの親父さんが再びジャズ演奏のために話し合っている場面がある。詳しくはOVAであるSFY(Sing for you)を観ると分かるのだが、ラビットハウスは嘗て経営難の危機に陥った事があり、その時経営難を救ったのがタカヒロさんとサキさん、そして理世ちゃんの親父さんのトリオでのジャズ演奏だった*8。サキさんが亡くなってしまった後は披露する機会が無くなってしまったと予想されるが、成長していく智乃ちゃんを始めとした皆を見て思う事があったのだろう。こういう想像が膨らむのもアニメならではであると思われる。
 そして12羽最後つまり3期最後のシーンも特徴的なのだが、その内容は智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して今まで沢山良い事をしてくれたお礼を言うものだった。言い方こそ実は恥ずかしがり屋な面もある智乃ちゃんらしく素直になり切れないものだったが、その言葉が意味することは今まで原作を追い続けた人も3期から観始めた人も関係なく心打つものだったと思う。

3.3期BLOOMを観た感想

7.温かき人間関係

 3期を1羽から12羽全て観てまず思ったのは、大切な人を思い遣ったり受け止めたりできる温かい心や優しさが今まで以上に溢れていた事である。ごちうさには元々優しさに溢れている事には気付いていたが、BLOOMではそれがあふれていた印象が強くあった。はっきりと分かる優しさから気付きにくい優しさまで幅は広いが、その優しさは全て相手を大切に想い合っている証である事が証明されていくのが観ていて微笑ましかった。そしてその優しさを観て自分も優しい人間でいても良いのだと思えるのが余計嬉しかった。自分で言うのも変なのだが、私は元々人から優しい人だと良く言われてきたのだが、その実優しい事は本当にいい事なのだろうかと疑問に思った事もあった。勿論優しいに越した事は無いと思うのだが、世の中優しいだけでは駄目なのだと思う事が多かった故に疑念が絶えなかった事がある。BLOOMの優しさや温かさはそんな疑念を解消するのにも一役買った。自分が持っている優しい心はそのまま大切にすればいいのだと皆の優しさに触れれば触れる程思う様になっていった。
 実は私自身、そう言う経緯もあってかごちうさの登場人物の中で本当に優しくない人は一人もいない*9と思っていて、形がそれぞれ違うとは言え根が本当に優しい人の集まりである事が良く分かるのがBLOOMの良い所であるとずっと思っている。人間が持つ優しさや温かみに触れる事で、心温まる感触を実際に確かめる事が出来る。そんな事を強く思ったのである。彼女達はこれからもその優しさと温かさで多くの人の心を動かしていく事だろう。

8.上質なアニオリ展開

 BLOOMを語る上で外せないのはやはりアニオリ(アニメオリジナル)展開であろう。そもそも原作とアニメが違ってくるのはそう珍しい事でもない*10のだが、ごちうさとりわけBLOOMでは良い意味であまりにもアニオリの効果が活き過ぎていて原作を事前に読んでいた私も驚きを隠せなく、遂には原作とアニメは別物だと考えた方が良いと思う程であった。制作陣は一体どれ程読み込んでいるのかと思ったし、既にあるものを再構築する事の難しさを鑑みると、制作陣は何処まで素晴らしいを地で行く様な事をし続けるのかと称賛の一言に尽きるしかなかった。
 ごちうさのアニメは元々原作とアニメではお話の展開の組み立て方が違っていた事にはかなり前から気付いていて、それに伴い原作とアニメでどんな展開の違いがあるのかそんな事を楽しみながら観ると言う事もできたのだが、今回のBLOOMは少しばかり別格だった。DMSとSFYと言う劇場版とOVAを経て更に進化した表現力と構成力をもって更に上質なアニオリ展開を見せつけてきたのだから。その上質なアニオリ展開は正に恐るべきまでの読み込みと場数を踏んできた制作陣が大切にしてきたごちうさ愛の集大成と言っても良いものであると思う。読み手以上に制作陣がごちうさについて読み込んで、読み手の想像を遥かに超えるものを提供すると言う凄さ。私はこれ程凄い作品に出逢った事は今まで無かったと振り返ってみてもなお思うし、これからもごちうさ程凄い作品に出逢う事はそうそうないだろう。

9.心動かす物語

 ごちうさは可愛さに溢れているのと同じ位に大切な人がいる事の有難みや喜び、そして感動を伝えてくれるものだと思っているのだが、BLOOMはそういう面でも今までのごちうさアニメを超えるものだったと感じている。無論今までのごちうさアニメにおいても感動する展開は数多くあったのだが、今回は文化祭、クリスマス回をはじめとして些細な事に至るまであまりにも心動かされるものが多過ぎた上に、アニメだからこそ可能な持ち味をもって最大限に皆の成長や心の変化が描かれていた事も相まって、原作を読んでいて事前に内容をある程度知っているのにアニメの展開に追いつけないと言う状態になってしまった。
 これこそがBLOOMが心動かす物語としても感動する物語としてもごちうさ史上一二を争うものになっている最大の理由で、緻密(ちみつ)に計算され尽くされた構成になす術もなく心を奪われてしまうのである。そしてその緻密な構成を可能にしている原作のストーリーそのものも非常に重要であり、BLOOMはこの二大巨頭によって観る人の心をも動かすものに仕上がっている。
 なお、私自身は感動しても涙を流す事が無い人故に1羽から12羽を通して涙を流した事こそ無かったものの、その緻密且つ丁寧に構成され、アニメだからこそ持てる強みや良さを最大限詰め込んだ一つ一つのお話には思わず心を奪われた。昔原作で読んだ時はあれ程思い悩んだ過去があったと言うのに、アニメで再び観た時にはもう昔の様な事にはならなかった。これは多分アニメの丁寧な作りに感銘を受けたのと、自分の中でごちうさをどう扱っていけば良いのかをはっきりさせる事が出来たからだと思われる。ごちうさ3期を視聴していく中で私も変化していったのだろう。観る人をもごちうさワールドに引き込むその力には感服の一言に尽きる。

4.最後に

 私にとってごちうさ3期はリアルタイムで観る初めてのテレビアニメ版ごちうさだったので、非常に楽しみでありながらも今まで私自身のごちうさに対する想いの変遷を思うと「3期を観て、また長きにわたって思い悩む事になってしまうのでは?」と言う不安もあった。しかしその不安は見事に払拭された事は本当に嬉しかった。確かに成長し続ける皆を何のしがらみも無く微笑ましく見守れる喜びは思い悩んできた過去があってこそだったと思うと昔の苦悩の経験も無駄では無かったと思うが、それでもごちうさを追い続ける余裕が無くなった事も度々あった。しかしながらそれでも完全に離れてしまう事は無かったのは、多分色々思い悩んでいた頃から既にごちうさの事が既に心から好きになっていて、何より可愛らしい皆の事を思い浮かべるとこんな美しいものを手放してしまうのは勿体無いと思っていたからこそ、どんなに辛くてもごちうさと向き合い続けたのだろう。ごちうさが思い悩む原因になってしまって、それでもごちうさを好きであり続けたなんて我ながらごちうさとの向き合い方が不器用だとは思うが、結果的には上手くいっているので良かったと思う。

 思えば私が本格的にごちうさを愛そうと思ったのは2018年にOVAと3期制作が決定した事が発表された頃*11だった。本当にタイミングに恵まれていたと思っていて、もしタイミングがずれていたらここまでごちうさは好きにはなっていなかったと思う。と言うのも、ごちうさが好きだとは言っても私自身多くの趣味持ち*12故にごちうさ以外でも十分に心を満たす事は可能だと思っていたし、何より2018年は私にとって現在も大きなウエイトを占めているクラシック音楽の趣味が興味を持ってから10年以上の時を経て一気に躍進した時でもあったので、たとえごちうさを知らずとも十分満足して生きていけたと考えられるからである。しかし、現実はどうだろうか。私自身は紆余曲折*13を経ながらもごちうさを確固たるものとし、クラシック音楽共々今までもう2年以上も毎日嗜む(たしなむ)程にまで愛する様になった。ここまで愛せる様になったのは可愛さに心を癒されたのは勿論のこと、優しさや成長しゆくものをずっと見守っていこうと言う意識が強く芽生えたが故だと思っている。少し変わった感覚だとは思うが、これでこれからもごちうさをずっと愛せるのなら全然問題は無いと思う。

 最後に、ごちうさBLOOMは本当に素晴らしかったと言う事を書いて締めたいと思う。この様な世界観を生みだした制作陣は本当に素晴らしいと言う一言に尽きる。これからのごちうさにも期待して待っていたいと思う。

*1:寧ろ妹である心愛ちゃんよりも実はメンタルが弱い面があって、人から褒められたり慰められたりすると直ぐに涙目になってしまう辺り、多分モカさん自身本当はかなり心が弱い人なのだが、それを悟られない様に相当我慢しているのだと思う。

*2:普段からマイペースで移り気激しいので物事が長続きしづらい人に見えがちだが、心愛ちゃんは自分が目指したいと思う姿になる為ならどんな苦難も厭わない努力家な面があり、マイペースな性格に反して意思は結構堅牢である。

*3:きらまだと2020年11月号、つまり2020年9月発売のきらまに掲載されていたものであり、BLOOM放送直前で判明した非常にタイムリーな事なのである。

*4:原作でも中学生時代の制服を心愛ちゃんが披露する展開はあるが、智乃ちゃんがアルバムを見る展開は無い。

*5:天々座親子が仲直りするものや、青山さんと凜さんの学生時代のからのつきあいを振り返るもの等多数。これらも原作では一切無かったものである。

*6:パイの中に指輪を入れた状態で切り分けて、指輪が入っていた人がその年の王として他の人に命令できると言うもの。近いものが王様ゲームだろうが、多分色々違っているのはガレット・デ・ロワ王様ゲームどちらも全くと言っていい程知らない(=興味が殆どない)人間である私ですら思うのだが・・・。

*7:素朴な疑問として智乃ちゃんに限らずみんな女の子なのだから女王にしないとおかしいのでは?とならなくもないが、最早突っ込んではいけないだろう。

*8:なお、原作でも明らかにされていないサキさんの具体的な死亡時期だが、この事からラビットハウスが経営難だった時には生きていた可能性は高いと言え、もしそれが正しいならば智乃ちゃんの祖父がまだ幼い心愛ちゃんと会った時はまだ祖父が経営難に思い悩んでいる頃なのでサキさんは生きていたと推測できるが、如何せん判断材料が少ない故にあくまで個人的考察の域を出ない点にはご留意を。

*9:強いて言うなら昔は理世ちゃん、最近では結良ちゃんが若干厳しい人かと思った事もあったが、今は2人共心優しい人だと思っている。

*10:長寿アニメなら当たり前の様にあるし、もっと言うなら原作とアニメでキャラの性格や設定が全く違う事も結構ある。

*11:それ以前もごちうさ自体は知っていたが、あくまで存在を知っているだけで別に世界観を知っていた訳でも無かった。

*12:ざっくりと数えても10以上は持っているし、細かく数えるならもっとある。

*13:うよきょくせつ。事情が複雑で色々と込み入っている事。

ごちうさBLOOM第9羽の感想

 今回のごちうさ9羽は全体的に友情や絆を強調しているものが多かった印象がある。幼馴染で昔から思いを共有し合っていた千夜シャロ、イメチェンから試されるラビットハウス3姉妹の友情等様々だったが、それらを見てやっぱり仲睦まじい関係なんだと改めて思った。細かく見通せば更に仲睦まじい事である事の素晴らしさが見えてくるものなのだが、大雑把に見ても伝わってくると言うのだから驚きである。

 今回のお話は生徒会に千夜ちゃんと紗路ちゃんが推薦されたのと、理世ちゃんが千夜ちゃんに頼んでイメチェンして心愛ちゃんと智乃ちゃんの動向を探ると言うもので、前者は原作6巻、後者は原作7巻に当たるお話であり、今羽から原作7巻のエピソードも出てきている。先ずは後者から感想を書く。

1.ラビットハウス3姉妹の温かき友情

 このお話は、理世ちゃんが心愛ちゃんと智乃ちゃんに何時ものと違う姿所謂ロゼちゃんで現れ、何時正体に気づくか試すと言うものなのだが、結局心愛ちゃんも智乃ちゃんも全然気付かずじまいで、理世ちゃん自身割と寂しかった様だが、最終的に理世ちゃんだと気付いた心愛ちゃんがかけた言葉は人のどんな個性も否定しない温かなものだったと思う。元々心愛ちゃんは意識せずとも人の心にグッとくる様な言葉をかけてあげられる人なのだが、今回それが全面に出たと考えている。そしてそこから見えるものは、底抜けとも言える様な明るい性格の心愛ちゃんが持っている、人を思い遣る事の出来る優しい心。これは心愛ちゃんが何故あれだけ人から愛される人なのかと言う理由を解き明かすには十分過ぎるものだし、心愛ちゃん自身が親身になって人と接する事の出来る女の子である事も意味している。そしてそれは、最早見よう見まねでは絶対に真似出来ない心愛ちゃんの才能がなせる業とも言える。何故なら、普通ならあらゆる個性を否定しないと発言する時はもっと神妙な面持ちをするものであるのを、彼女は満面の微笑みを以て伝えているからだ。それも一切の邪念を感じさせないものを引っ提げて。この様な事はたとえ方法が分かっていても実行するのは至難の業で、どんな性質の人も受け容れられる器の大きさはもちろんの事、人の気持ちを思い遣れる事、そして親身になって人に寄り添える優しさ。これら一つでも欠けていると人に本心は伝わらない事が多いからである。しかし、心愛ちゃんはその高い壁を超える事が出来ている。それは周りの心愛ちゃんに対して抱いている温かな心情が証明している。

 とは言え、普段から楽観的でマイペースな事も相まって、人に本当に気を遣えるのか分かりにくい心愛ちゃんだが、人に本心を伝える時は満面の笑みを浮かべていても言葉にはしっかりとした想いを込めている事が多く、それは本当に人の気持ちを慮(おもんばか)る必要がある時に絶大な効果をもたらす。普段から楽観的な人の想いを込めた一言と言うのは想像以上に心に刺さるものがあるからだ。しかしながら、きっと心愛ちゃんはここまでは意識していないと思う。何故なら心愛ちゃんが人に発した大切な言葉を心愛ちゃん自身は憶えていない事が多く、これは人の心に突き刺さる言葉と言うものは、心愛ちゃんにとっては普段から人に対して何気なく想っていたりする事を口にしているだけである可能性も考えられ、何も意図的に人の心に刺さる言葉を吟味して発言しているとは断定できない為である。つまり心愛ちゃんは意識して人の心に刺さる様な言葉をかけているのではなくて、純粋に彼女自身が思った人の良い所をそのまままっすぐ伝えているという事だが、これは何も悪い事では無いと思う。心愛ちゃんの様に明るく真っ直ぐな人がそのまま伝える言葉は、言葉を吟味しなくても既に人の心に刺さるものとして十分であり、無理に言葉を選ばなくても純粋に伝えてくれるだけでも人にとっては有難いものだと思うからである。

 そんな心愛ちゃんの普段と変わらない笑顔から発せられた個性を認めてくれた温かな言葉は理世ちゃんにとってどんな感じだったのだろうか。あれだけ長い間ずっとそばにいて、一緒に様々な事を楽しんで、色々な困難も一緒に乗り越えてきた謂わば苦楽を共にした親友或いは戦友(?)とも呼んでもいい様な心愛ちゃんに、少しイメチェンしただけで全く気付いてもらえなくて(しかもロゼちゃん姿で会ったのは初めてでは無い)、内心泣きたくなる様な寂しさがこみあげてきていたのかもしれない。表立ってはロゼちゃんと理世ちゃんが同一人物だと気付いてもらえない事を逆手にとって心理戦を用いた作戦を立てて楽しんでもいた理世ちゃんだが、だからと言ってそれが理世ちゃんの本当の気持ちとは言い切れない。人の本心なんて正確には誰にも分からないのだから。それでも本当は寂しがりな理世ちゃんの事だから心愛ちゃんのみならず、智乃ちゃんも全く気付いてくれなかった事には多少なりともショックだったとは思う。ただ、心愛ちゃんと智乃ちゃんには何の悪気も無いのはもちろんの事、抑々「ロゼ」と言う名前自体も理世ちゃんがお淑やかな姿でそれこそ心愛ちゃんと智乃ちゃんに鉢合わせした時に心愛ちゃんから「理世ちゃんなの?」と聞かれて、正体を打ち明けるのが恥ずかしくて咄嗟に名乗ったものなので、2人からしてみればガーリーな理世ちゃんはロゼちゃんと言うそっくりの別人という事になっていただけだった。そう言う意味で考えると、理世ちゃん自身も心愛ちゃんと智乃ちゃんが人を疑わない素直な人*1である事と、2人がロゼちゃんが理世ちゃんが別人であると思い込んでいる発端を理世ちゃん自身が作ってしまった事も手伝って、本当は多少なりとも恐怖心があった可能性はある。些細なすれ違いが原因とは言え、結果的に心愛ちゃんと智乃ちゃんに嘘をついてしまった責任を理世ちゃんは感じていた可能性がある。でも心愛ちゃんは理世ちゃんに対して一切の怒りの感情をぶつける事無く、満面の笑みをもって温かな言葉を投げかけてくれた。それらを鑑みると、ロゼちゃん=理世ちゃんである事に気付いた心愛ちゃんが理世ちゃんにかけた温かな言葉に理世ちゃんは心の中で、自分自身の個性を大切な人に認めてもらえた喜びと、結果的にロゼちゃん=理世ちゃんを自分の口から直接心愛に遂に打ち明けられなかったばかりか、一度は確証が無いとは言え正体を見抜いた心愛に対して嘘をついてしまった事を心愛ちゃんは分かった上で受け止めてくれて、その上優しく接してくれたと言う器の広さに感慨無量になっていたのかもしれない。

 

 話を少し巻き戻して、智乃ちゃんの視点から見たロゼちゃんについての感想を書く。智乃ちゃんにしても理世ちゃんがいないラビットハウスは寂しい様で、その事を智乃ちゃん本人は気付いていないとは言え、理世ちゃん*2に話している場面があって、これは智乃ちゃん自身にとっても理世ちゃんは仕事仲間を超えたかけがえのない大切な存在であると同時に、そんな大切な人とは少しの時間も離れたくないと言う切な願いでもあると感じた。これは普段本心はさほど明かさない智乃ちゃんだが、理世ちゃんは心愛ちゃんが木組みの街に来る前にラビットハウスに来ているので付き合いが長く、それ相応に親近感と安心感を持っていたという事であり、智乃ちゃんにしても理世ちゃんのいない世界観は考えられなくなりつつあることを意味している。

 そんな智乃ちゃんの本音を聞いて、普段あれだけ同じ仕事場にいるのに聞けなかった本音と言うものが聞けて理世ちゃんも思う事はたくさんあったと思う。理世ちゃんが初めて会った頃の智乃ちゃんと比べてみれば圧倒的に変わったのは明白であり、成長している姿を見て一体何を思ったのだろう。以前に比べてアクティビティになった事だったり、心愛ちゃんとラビットハウスで日向ぼっこで競い合う様になる等良くも悪くも心愛ちゃんと似てきた事*3だったり、自分の意思を明確に人に言える様になれた事だったり、様々あると思われる。ただ何れにしても良い意味での成長を遂げていく智乃ちゃんを見て、私自身も一番年上として、仕事仲間として、そして大切な人に一緒に居て楽しくてずっと一緒に居て欲しいと思える様な人としてしっかりしないといけないと心に思ったと考えている。勿論理世ちゃん本人はそんな事は直接は言っていないのだが、今までの関係性や理世ちゃん自身の性格、そしてこれからも様々な面において大切だと思える人と一緒に居たいのであろうと感じ取れる事を考慮すると、上記の様に思っているのであると予想する事が出来る。智乃ちゃんが成長している事は、他の人にも影響を与えているのである。

 

 最後に、今回のお話のラビットハウス3姉妹について感想を書く。理世ちゃんはラビットハウスで働いているので、智乃ちゃんと心愛ちゃんとは他の人達よりも同じ時間空間を長く共有している事もあって3人共に非常に仲が良く、心愛ちゃんが3姉妹と言う程のものなのだが、その3姉妹たる心愛ちゃんと智乃ちゃんが「理世ちゃん=ロゼちゃん」と言う事実に最後まで気付いていなかったと言う点はかなり引っ掛かっていた。あれだけ仲が良く、何気ない事も共有し合っているのに、理世ちゃんがお淑やかになると途端に別人だと思い込むと言うのもなんだか不思議なものだと思っていた。もし理世ちゃんと親しい人全員が正体に気付いていないならまだしも、理世ちゃんと最も接点が多い2人以外が気付いていて、よりによって肝心の心愛ちゃんと智乃ちゃんが気付けてなかったと言う事実もそれを助長させていた。

 ただ、心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体が理世ちゃんだと気付かなかった理由は上記の通り理世ちゃんが咄嗟にロゼちゃんと誤魔化した事をそのまま真に受けた為なので、結果的に2人は人を無闇に疑わない人だという事を示している事になっている。理世ちゃんにその辺りの事情を根掘り葉掘り聴かなかったのも、2人の思いやり故だった可能性も否定できない。そういった事を鑑みると、心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体が理世ちゃんと気付かなかった事は、別に理世ちゃんの事が2人にとって本当は心の底から大切だとは思っていなかったと言う訳では無く、寧ろ心の底から大切な人だからこそ、無神経にデリケートな事を聴き出して、理世ちゃんの事を無闇に傷つけたくは無かった故だったと言えると思った。つまり3姉妹たる心愛ちゃんと智乃ちゃんがロゼちゃんの正体に気付かなかったのは3姉妹の間にある温かな関係性を重んじるが故だった可能性があると考えたのである。結果的に言えばその思いやりが皮肉にも悪い方向に進んでしまう事に箔を付けたのは事実だが、友情的・姉妹的には寧ろプラス効果だったと思う。誰が悪かったと言う問題でも無いし、そもそも3人共に全然事を深刻に捉えていなかった*4のもあったのだが、何よりも理世ちゃんの正体がロゼちゃんである事に気付かなかったのを、人はイメチェンすると何時も身近にいる人でも気付かないと分かったのを良い事に、一件落着した後に心愛ちゃんと理世ちゃんが調子に乗って*5智乃ちゃんを揶揄って一番年下である智乃ちゃんに怒られたりしている事が何があっても3人は仲睦まじい関係性なのだという事を証明している。別に必ずしも証明していなかったとしても、年上2人が節操も無く調子に乗って一番年下に怒られたりしているのを見たら「あれだけ年下が年上にものを言える位だから大丈夫だ」と私自身はなると思うが。

2.幼なじみだから持つ想い

 このお話は幼なじみである千夜ちゃんと紗路ちゃんがそれぞれ生徒会に推薦されるものであり、推薦された事を巡って様々な事が展開されていくお話*6である。とは言っても最終的には2人共に推薦は辞退しているのだが、ここで大きく関わってくるのは千夜ちゃんと紗路ちゃんが幼なじみであると言う事実そのものであり、幼なじみだからこそ抱く感情が多く存在するものになっている。しかしながら、抑々千夜ちゃんと紗路ちゃんは幼なじみと言えど当然ながら別人格の人間なので、性格や価値観はまるで別物である事は留意する必要がある*7。ただ、性格や価値観は違っていてもお互いに上手く擦り合わせられるのが幼なじみの凄さであると思っている。別に擦り合わせ自体は幼なじみでなくても普通に出来る事だが、幼なじみは何か特別な感触がするのだ。そう思うのは幼なじみは読んで字のごとく幼い頃からの知り合いなので、ある程度成長してからはどれだけ足掻こうと培う事は絶対不可能な事が関連しているのだろう。

 

 ここから本題に入る。千夜ちゃんと紗路ちゃんはそれぞれ生徒会の推薦に選ばれたのは前述の通りで、選ばれた理由は千夜ちゃんは文化祭でリーダーシップを発揮してクラスを統率するために努力している経緯を見て信頼されたからであり、紗路ちゃんの方は本人は何も語っていない為良く分からないが、普段から気配りできる人である事や真面目で何事にも手を抜かない一生懸命な所が信頼されたからだと思われる。どちらにしても人から信頼される人間性なのは明白であり、そう言う意味でくるなら人望溢れる幼なじみだと言える。

 ただ、千夜ちゃんはかなり乗り気でスピーチの内容を考えたりするなど熱の入れ様も本物だったが、紗路ちゃんはどうにも乗り気では無かった。それもそのはず紗路ちゃんは千夜ちゃんには直ぐには言いそびれたとはいえ既に推薦は辞退していた為である。紗路ちゃんが辞退した理由はそもそも私生活の多忙さから生徒会まで出来る余裕がないと言うのもあったが、紗路ちゃんが千夜ちゃんの生徒会推薦に乗り気でなかったのはもう一つの理由である幼なじみだからこそ持てる理由があった。

 紗路ちゃんが千夜ちゃんの生徒会推薦に乗り気でなかったのは、その時点では千夜ちゃんは忘れていた事だったが、その昔2人がまだ幼い頃に千夜ちゃんが将来の展望として甘兎庵の社長になって各地で(良い意味で)名を轟かせる*8と言うのを紗路ちゃんに誓っていて、その事を紗路ちゃんがずっと覚えていた事にある。紗路ちゃんとしては生徒会になって活躍する千夜ちゃんも別に嫌では無かったと思われる*9が、本心としてはやはり甘兎庵で活き活きとしながら活躍する千夜ちゃんで居て欲しいと言うのが切望する願いだったのだろう。ただ、その本心を紗路ちゃんは千夜ちゃんに直接打ち明けてはいない。理由としては自分(千夜ちゃんの事)が言った事だから自分で思い出してと言う紗路ちゃんの願いもあったのだろうが、言ってしまうと紗路ちゃん自身の願望でしかない事を千夜ちゃんに無理に押し付ける事になってしまう紗路ちゃん自身の想いを千夜ちゃん本人に言い出しにくかった可能性も考えられる。幼なじみの間柄とは言え、折角人から信頼されて貰った推薦をわがままで駄目にしてしまう事だけは人の意思を完全無視する事になるので絶対にやってはいけない事であり、これを考慮すると紗路ちゃんのとった行動は自分がどう思ってもあくまで相手の意思を尊重すると言う紗路ちゃん自身の強い意思を感じられ、同時にお互い幼い頃に誓った約束は忘れて欲しくないと言うジレンマをも強く感じ取れる。ただでさえ千夜ちゃんに対しては空回り気味の紗路ちゃんだが、この時はいつも以上に空回りしていた様に感じたのもジレンマ故だったのかもしれない。

 そんな紗路ちゃんに千夜ちゃんは初めは昔の記憶を忘れていた為、何の事か良く分からなさそうだったが、紗路ちゃんが生徒会の推薦を辞退した事に関してはきちんと理解を示していた。千夜ちゃんにしても想いは一緒で、あらゆる場面において活躍する事は喜ばしい事ではあるが、無理だけはして欲しくないと言う想いが強くある事が伺える。千夜ちゃんは紗路ちゃんの事を普段は揶揄う事が多いのだが、紗路ちゃんの想いを踏みにじったり、尊厳を傷つける様な事は絶対にしたりしないのも紗路ちゃんの事を大切に想っているからである。揶揄う理由に関しては単純に悪戯好きな面があるからだと思われるが、紗路ちゃんには揶揄う事が出来る程信頼できる人だと千夜ちゃんが考えている証拠でもあるかも。人を揶揄う事は相当仲良しで無いと通じない事もしばしばだし。

 そして、昔の記憶を忘れていた千夜ちゃんが思い出したきっかけは甘兎庵の看板うさぎである「あんこ」に付けている飾り付けが無くなってしまった事であった。個人的には「何故にうさぎで思い出すきっかけをつかめるのだ?」となるが、これは千夜ちゃんと紗路ちゃんにとってあんこと言ううさぎは幼い頃にずっと一緒に過ごした存在だった事が大きい*10。2人共に両親が仕事や経済上の都合でそれぞれ千夜ちゃんと紗路ちゃんと一緒に居られる時間が少なかった事が主な要因だが、それも千夜ちゃんと紗路ちゃんが並みの幼なじみの仲良さ以上に仲が良い事の理由なのだろう。そんな2人にとって特別な存在であるあんこに付けていた装飾品を巡って千夜ちゃんは過去に忘れていた記憶を呼び起こし、紗路ちゃんは思い悩む事もあれど、最終的には千夜ちゃんと言う幼なじみとの素敵な記憶をまた共有し合えると言う何ともロマンチックな展開になっている。まぁロマンチックな展開はアニメ劇中にもあったお花の種類や紅白饅頭等も関係しているが、如何せん私はその手の分野には感想考察できる程の知識がないのでノータッチとする。しっかりした知識も持たずに色々展望する事はあまり良くないので。ただ、ロマンチック展開そのものは好きなのでこのお話全体に相当心打たれた挙句、私自身も視聴後にロマンチックな思想を展開したのは言うまでも無かったのだが・・・。

 

 最後に、千夜ちゃんと紗路ちゃんの幼なじみ関係について今回のお話から思った事を書く。元々幼なじみとして心から分かり合った関係であった千夜ちゃんと紗路ちゃんだが、今回それが強調されていた回だったと思う。まず幼い頃に誓い合った約束ですら幼なじみだからこそであり、様々な事を巡って最終的な答えを合致させたのもお互いの事を大切に想っているからであり、最終的に2人共推薦を辞退して他の人の推薦祝いに参加する等、仲の良さで来るなら誰にも負けないものを感じた。今までも千夜ちゃんと紗路ちゃんと言う幼なじみの関係性は相当に気を惹かれていて、それ故に様々な可能性について考えてきたのだが、今回のお話を見て「この2人はこれからもずっと心の底から信頼し合える仲良しでいられる」と思った。どうか幼なじみの友情をずっと大切にしていってほしいと思うばかりである。

 

 次の10羽も非常に楽しみです。と言うか当日なんですけどね(12月12日なので)。

*1:心愛ちゃんと智乃ちゃん以外は、理世ちゃんとロゼちゃんが同一人物である事は気付いていた。尤も心愛ちゃんと智乃ちゃんからしてみれば、本人がロゼちゃんと言っているからこれ以上詰問するのは良くないと言う優しさもあったと思われるが、それが結果的に理解のすれ違いを招く羽目になってしまった。

*2:この時点では智乃ちゃんはロゼちゃんだと思っている。

*3:これを聞いた理世ちゃんは怒る事は無かった。怒ると理世ちゃんである事がバレるのも理由の一つだろうが、それ以上に智乃ちゃんが以前は絶対しなかった事を積極的にやろうとするそんな姿に感銘を受けていたのかもしれない。尤も智乃ちゃんが心愛ちゃんに影響されてきているのは実は原作3巻から見えていたのだが。

*4:一般的には悪い意味となる事が多いが、この場合は良い意味の方である。

*5:心愛ちゃんが割と調子に乗る事が多いが、実際は理世ちゃんもかなりの調子乗りであり、特におだてると直ぐにその気になる。理世ちゃんも心愛ちゃんも大人を除くと一番年上の2人なのだが・・・。

*6:ここで私は「そもそも生徒会メンバーは立候補で決める事が多いから、推薦で決めるものなのか?」と原作で初めてこのエピソードを見た時からずっと思っている。まぁそう思うだけ野暮と言うものだし、別に推薦で候補者を決めるのはいかんと言う気も無いが、純粋に気になる点ではある。

*7:これ自体はこちらも幼なじみである麻耶ちゃんと恵ちゃんにも同じ事が言える。

*8:こんな壮大な目標を立てたのは、バイヤーとして各地を飛び回っている千夜ちゃんの母親の影響の可能性が考えられる。無論その事は直接的な手掛かりは無いが、幼い頃に突拍子も無く世界進出関連の言葉を人に誓う事は考えにくく、母親の影響の可能性は否定できない。

*9:現に千夜ちゃんに推薦を辞退しろとは迫っていない。人の気持ちを全く考えずに自分の意思を押しつける事はしたくなかったのであろう。

*10:ただし、紗路ちゃんがうさぎにトラウマ意識がある理由もあんこなのだが。

きらま2021年1月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。ごちうさに対して真面目に考える事が多くなればなるほど、どの視点から見つめれば良いのか本気で考える事が多くなっていきます。元々自分としては人とは少し違った視点からアプローチする事をなるべく心掛けていて、それ故に躓(つまづ)く事も多いのですが、悲観的に考えても仕方ないので前向きに頑張りたいと思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年1月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。先月号に続いて新キャラに焦点が当たった回なので新鮮味溢れるものだったと記憶しています。今回の感想も新キャラを中心とした焦点のあてがい方をしたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上読んでいただくと幸いです。宜しくお願い致します。

1.今月のごちうさを購読した純粋な感想

 今回のごちうさを読んでまず重要だと思ったのが、ナツメ、エル姉妹*1の事について事細かく知れた事である。元々夏明・映月姉妹の事は単行本8巻で存在は知っていたが、事細かく知っている訳では無かった。2人共そこまで素性を積極的に明かすような人ではない事が主な理由なのだが、それ以上に私自身が8巻以降の話をきらまで購読していない故にブランクが存在する為でもある。因みに姉妹という事はどちらが姉でどちらが妹かとなるが、そこまでは情報に乏しく完全には分からなかった。これももしかするとブランクが影響している可能性がある。ただ、夏明ちゃんの方が映月ちゃんを引っ張っている面は良く見受けられるので夏明ちゃんの方が姉貴感はあるし、夏明ちゃんは映月ちゃんの事を呼び捨てしているが、映月ちゃんの方は夏明ちゃんの事をちゃん付けで呼んでいる為、夏明ちゃん方がお姉ちゃんだと言う可能性はある。尤もそれだけでは姉妹関係を断定する事は到底不可能なのだが・・・。

 そんな状態の私だったが、純粋な感想としては素晴らしい関係の織り合わせと言う一言に尽きた。言ってしまれば語彙力のごの字もない上に創造力にも乏しい様な陳腐(ありふれていてつまらないこと)な感想だが、ごちうさに限って言えばそんな言葉でまとめてしまうしかない程に濃密だからだと言える。要するに一言でまとめ上げるのが困難だという事であり、下手に独自性のある様な感想のまとめ方をしようとすると却って形が崩れる危険性が高いという事である。
 これ以上の細やかな説明はさておき、なぜ素晴らしい関係の織り合わせだと考えたかと言うと、夏明・映月姉妹の2人と麻耶と恵と言う幼馴染の2人と言う掛け合いが素敵なものだと思ったからである。元々2人だけの世界で生き続けてきた夏明・映月姉妹だったが、麻耶ちゃんと恵ちゃんの2人が同じ高校でそれぞれ心を通わせられる存在になった事はどれほど大きい財産なのか分からない。尤も麻耶ちゃんと恵ちゃんを始めとした皆には旅行先で出会っているので全くの初見でこそ無いが、当然ながらその時にはまさか再び出逢えるとは思っても見ない事であり、夏明・映月姉妹にとって皆との出逢いは確かに狭い世界に差し込んだ一筋の光だった事は疑いないとは言え、所詮は一時のものだと考えていた事は容易に窺い知れる上、本人らもその様に考えていたのが確認できる。だからこそ、この出逢いが益々素晴らしく見えるのであろう。

 まとめると、境遇も関係性も異なる2人2組の関係性の良さが素晴らしいという事である。ここからはそんな2組の今回見つけた様々な点を書き出す。

2.夏明・映月姉妹の人間関係について思った事

 前述の通り今回のお話は夏明・映月姉妹中心の構成となっているが、まず転校が多い故に友達が出来にくくそれ故に2人だけの世界観で生きていく事を余儀なくされ、更に関わってくれる人もどちらかと言えば家柄を見ていた上に、更には今まで所謂レールに敷かれた道を行くだけだった人生だったとあったのを見て何とも言えない気持ちになった。とは言っても転校が多いのも家庭の都合と考えれば納得がいくし、本人達よりも家柄を見られていた事も想像に難しくないが家が裕福であるが故であり、別に本人達が嫌われている訳でも、ましてや本人達に非がある訳でも無さそう*2だが、それらの要因はやはり人付き合いの大きな障壁ともなってしまっていたのは間違いないのだろう。
 その為か2人共(特に夏明ちゃん)にややドライな態度が目立つ印象が以前から存在した。本人達からしてみれば転校が多い故に友達を作っても直ぐに離れ離れになってしまうわ、そもそも友達を作ろうにも周りの人は家柄ばかりを見て私達の事は全然見ようとしないわで諸々重なった結果、人間関係を作ろうとする事が却って苦痛の種となってしまっていたのだろう。それ故にクールで近寄り難い雰囲気をまとう事で人を寄せ付けず、事前に苦痛の種をまかないようにしていたのであろう。
 ただ、周りの人は家柄ばかりを見ていたとは言っても、本人達は転校が多い故に編入も多いと推測される為、周りの人達からしてみれば夏明・映月姉妹の事を知ろうにも知れなかった*3事情もあったと考えられるため、一概に誰が悪いと言った責任問題には出来ない。周りの人達が家柄を見ていたのも夏明・映月姉妹の事で一番目立つのは育ちの良さだった故の可能性も十分に考えられ、2人の事をきちんと知ろうにも家柄を見つめる行程は避けられなかった可能性もある。勿論本当に家柄だけを見ていた人もいた可能性は十分にあるし、夏明・映月姉妹の気持ちも良く分かる事だとは言え、一概には結論を出せない事だと思われる。しかしながら、ただ一つ言える事とすれば、周りの人達は全員敵だと言ったそういう極端な考えに陥らないようにする為にも、冷静に状況を判断していく事が必要だという事であろう。極端な決め付けでは誰も幸せにはならないのだから・・・。

3.夏明・映月姉妹の人柄について思う事

 人間関係について長くなったが、ここからは夏明・映月姉妹を見て思った事を中心について書く。とは言っても人間性中心だが・・・。

 夏明ちゃんは普段から気を張っている事が強く、やや近寄り難い雰囲気を出していたのも否めなかった。ただ、本来は別に関わりにくい人では無いため、無理に演じていたと言える。その理由に少なくとも映月ちゃんと一緒にいる時には攻撃的な雰囲気は感じないし、基本的にはしっかりしている事から場に合わせて対応できる人である事等が挙げられる。そのため非常識な人では無く、寧ろ常識人だとも言える。このため夏明ちゃんはそのままでも十分人から好かれるとは思われるため、何故誤解される様な虚勢を張っていたかとなるが、恐らく実はかなりナイーブで傷付き易いタイプである事が関与している可能性がある。今までの経験から安易な人付き合いは厳禁だと思う様になって、それで人を寄せ付けないようにしていたという事だが、あくまで予想である。

 また、実は結構テンパリ屋な面があり、図星を指された時にはいつも慌てている。人に自分の気持ちを読み当てられる、面識ある人の動向には過剰に反応してしまう面があるのかも知れない。あとかなり感情が出やすいタイプで、見た目喜怒哀楽は割とはっきりしている。見た目と書いたのは夏明ちゃんは自分の本心を積極的に他人に見せる様な人ではない為である。とは言っても自己防衛のためなのである程度は仕方ない。気を張る為に無理をしていたらいつの間にか自分が分からなくなってしまった可能性も考えられるが・・・。

 他にも麻耶ちゃんと気質が似ている為か何だかんだ気が合う。2人共割に恥ずかしがり屋な面があるので、映月ちゃんや恵ちゃんが仲が良いと言うと互いに言い争う事もあるが、基本的にはお互い一緒にいて嫌だという事は無さそう。また、麻耶ちゃんは人の気持ちを考えずに軽はずみな事を言ったりしないので、夏明ちゃんとしてはそんな麻耶ちゃんの優しさに惹かれている*4のかも知れない。尤も普段は意地でも直接本人には言わないだろうが。

 一方映月ちゃんはと言うと、夏明ちゃんとは大きく異なりのんびりとしていて結構マイペース。普段はガツガツ来るような事も無く、全体的に控えめな印象が強く、また夏明ちゃんの様に気を張っている様子もあまりない。性格も基本的には穏やかで接しやすいタイプだが、物怖じせずに言いたい事はハッキリ言うので夏明ちゃんを含めた周りの人を驚かせることもしばしば。言い換えればそれだけ芯が強いという事でもあり、簡単には折れる様な人では無い事を窺えさせる。
 また、夏明ちゃん同様に感情性豊かだが、夏明ちゃんとは違ってテンパリ屋や面は見受けられない、何時でも物腰柔らかな雰囲気であり、人から好かれるタイプだと思われる。また同時に独特の感性の持ち主でもあり、感受性もかなり高い。あと、よく目をキラキラ輝かせている印象も強い。これに関しては好奇心旺盛と捉えるべきか夢溢れる人だと捉えるべきか分からないが、見ていて幸せそうなのが伝わると言う意味では良い点だとは言える。

 そののんびりとした気質は恵ちゃんと似ている為に気が良く合い、更に麻耶ちゃんと夏明ちゃんとは違いお互い言い争う事無く仲良くしている事が多い。2人共に感受性が優れている事や、争い事を好まないタイプだという事がその理由と思われるが、それ以上に一緒に居て気が合うのだろう。恵ちゃんにしても麻耶ちゃんとは幼馴染で仲良しとは言え、性格は異なっているので、波長が合っている映月ちゃんとは麻耶ちゃんとは違った楽しさがあるのであろう。私も恵ちゃんと映月ちゃんは良い2人組だと思うし、息も合っているので仲が悪くなる事は無いと思われる。ただ、2人共感性が良いが故に千夜ちゃんに才能があると見込まれている為、千夜ちゃんに影響される可能性は高いだろう。尤も千夜ちゃんとて悪気は無いし、寧ろ映月ちゃんならあっと言う間に仲良くなりそう。

 総じて言うならば、性格も気質も大分違うとは言え2人共基本的に人柄が良く、本当は誰とでも仲良くできるタイプだとは思う。強いて言うならば所謂温室育ちなので、世間とは多少なりともズレた感性だという事が玉に瑕となり得る*5が、2人共私が見る限りでは決してズレた感性がマイナスに働いている感じはしない。そもそも温室育ちだから必ず世間とズレている訳でも無いし、ましてやそれで多くの人と馬が合わなくなる事と言うのは私は絶対に無いと思っている。確かに環境は人の性格や気質に大きく影響するのは事実だとは思うのだが、だからといって環境が人の性格や気質を100%決めると言うのは言い過ぎで、どんな環境にいても人柄が良い人は良いし、言い方は良くないが、その逆もまた然りであるとは思う。大切なのは、環境で人を決めつけるのではなく、人をしっかり見つめてからその人の事を考えても遅くはないという事を意識する事である。夏明ちゃん・映月ちゃんの様な育ちの良い人はどうしても勘違いされやすい事も多いが、周りがどうこう思うよりも自分はこう思うから良いと言う確固たる意志をもつ事が重要だろう。

4.夏明・映月姉妹とチマメ隊の関係について思う事

 1月号のごちうさを読んでいて思ったのが、夏明ちゃん映月ちゃん共にやたらと智乃ちゃんにコンタクトを取りたがっているシーンが目立っていた印象がある事である。私は8巻以降のストーリーをまだ知らないので詳細は良く分からないのだが、1月号のごちうさを読む限りでは智乃ちゃんが淹れたコーヒーが相当に美味だった為にもう一度淹れてもらいたいという事なのだろう。それ自体は2人共味に詳しいとも言えるし、智乃ちゃん自身も2人に美味しいと言ってもらえた事を喜んでいるので良いのだが、どうしても堪能したいのかやや強引な手段(と言っても智乃ちゃんを家に招待して淹れてもらうと言うものなのだが・・・。)を用いようとする面がある。しかしその手段は現実的には無理があるものがあり、この辺りはどうしても思う所は多いのかも知れない。
 とは言ってもそうしようと麻耶ちゃんと恵ちゃんに持ちかける理由として智乃ちゃんの働いている場所であるラビットハウスを麻耶ちゃんと恵ちゃんが教えてくれないが故*6も理由の一つとしてはあって、2人共悪意がある訳では決して無く、この場合は単純に世間知らずなだけなので2人を無闇に責めるのも酷な話ではある。そして麻耶ちゃんと恵ちゃんにしても智乃ちゃんが働いているラビットハウスの事を教えないのは、夏明ちゃんと映月ちゃんが智乃ちゃんと私達より仲良くなってしまうと悔しいからと言う、智乃ちゃんとずっと仲良しだからこそ芽生える嫉妬があるが故であり、結果として両方共に気持ちが良く分かる事例であるために結論を出すのが非常に難しい事になっている。尤も高校生と言う年頃を考えるとある程度は仕方がない面もあるのだが・・・。
 しかしながら、最終的には麻耶ちゃんは夏明ちゃんと、恵ちゃんは映月ちゃんとそれぞれ打ち明け合っているので、外野が今更どうこう言う事も無いと思う。当事者同士できちんと心から分かり合ってより打ち解け合えたのならばそれで良いし、これ以上口出しする資格は最早誰にもないだろう。よって私としては優しく見守る。これが筋であろう。

 肝心の関係性に関してだが、何だかんだ言っても良い関係性が作れると思う。ここからは私の推測だが、チマメ隊としては夏明ちゃんと映月ちゃんの事は色々思う事はあっても悪くは思っていないし、それは夏明ちゃんと映月ちゃんからチマメ隊に関しても同様の事が言えるためである。チマメ隊にしても夏明ちゃん、映月ちゃんにしても全員人柄がとても良いので、きっとお互いの良い所を見つけ合って仲良くなれると思う。そんな気がしてならないのだ。勿論それは智乃ちゃんと深い関わりを持つフユちゃんも例外では無い。ひいてはチマメ隊を筆頭とした高校生組をも凌ぐグループとなる可能性も、もしかするとあるのかも知れない。勿論高校生組を交えた一つの仲良しグループとなる可能性も十分に秘めている。実際どうなっていくかはまだまだ未知数だが、皆が打ち解け合って仲良くなっていくと言うごちうさの良い所を前面に押し出した様な人間関係になってくれたら良いと言うのが、ささやかながら私の願いでもある。

5.今回のまとめ

 今回2回目となるきらま掲載のごちうさの感想を書きましたが、前回に次いでキャラの誕生日に合わせて書き上げると言う個人的なミッションを課した上で書きました。ただ、2回とも誕生日のキャラが主役じゃないのが若干引け目を感じてしまう要素としてありますね・・・。

 今回重視したのは人間関係と人間性についてで、元々私自身人間関係や人間性について思う事が多々あって、ごちうさでも例外では無かったのですが、今回それが顕著に表れたと思います。人間関係や人間性は一言でまとめ上げるのが非常に困難な分野で、それについて思う事は人の数だけあると考えています。そのため、一概に○○が正しいと言い切る事は非常に難しいのですが、それでも自分なりの考えはまとめてみたので見ていただけたならば幸いです。色々思う事はまだまだありますが、ごちうさが今後どんな風になっていくのか楽しみで仕方ありません。

 最後に投稿したのが12月4日という事で、香風智乃ちゃん。お誕生日おめでとうございます。

*1:本名はそれぞれ神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)と言い、双子の姉妹である。2人共難読の名前であり知らないと中々正しくは読めないが、個人的には好きなセンスの名前である。

*2:そもそも出自の事も転校の事も本人らの責任に帰させるのはあまりにも酷である。

*3:しかも知った時にはまた転校してしまう事も多かったのであろう。

*4:本編中にもハーブティーの優しさに包まれている場面がある。この事から夏明ちゃんは感受性豊かな面も窺えさせているが、これは同時に打たれ弱い面がある事にも繋がる。人の気持ちが分かると言う面では良いのだが、行き過ぎると苦痛の種にもなり得る。

*5:特に映月ちゃん。

*6:夏明ちゃんと映月ちゃんは見る限り高校生になってから高校生組と関わっている事が殆ど無いが故に、マメの情報が唯一の手掛かりとも言ってよい。一応紗路ちゃんとは同じ学校故に関わりは皆無では無いのだが、学年が違う故に難しいだろう。となると高校生組でも学年が1つ上である理世ちゃんはどうなるのかとなるが、寧ろそちらがイレギュラーだと言える。

ごちうさ3期のOP・EDのCD収録の楽曲感想文について

 こんにちは。ごちうさ3期が始まってごちうさ愛が更に高まっているのが感じ取れています。今まで相当分にあった苦悩も無くなって、ただただ幸せだと思える事がこんなに楽しい事だったのだと、今更ながら有難いと思っています。

 さて、今回はごちうさ3期のOP・EDである天空カフェテリアとなかよし!〇!なかよし!、更にそれぞれ収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイム、ワオワオ動物園の感想を書きたいと思います。ごちうさ楽曲に関して言えば今までも思う事は数あれど、中々その想いを書き起こすまでにはなれなかったのですが、今回遂にその壁を破りたいと思います。また今回は曲によって感想文の書式を変えています。今までの形から今回新しくしたものまであるので、それは最後にまとめて書きたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上、読んでいただくと幸いです。また今回は今まで私が踏み込んでいなかった部分も踏み込んでいるので、多少内容が重くなっている部分があります。その辺りもご了解の上、よろしくお願いいたします。

1.天空カフェテリアの感想

 ごちうさ3期を飾るOPである天空カフェテリア。冒頭からいかにもごちうさらしいフレーズで、彼女達の世界観の一端を担っていると言うには十分すぎる程である。その世界観と言うのは本来一義的に語る事は難しいと思うのだが、この曲ではそれを違和感なく受け入れさせてくれるばかりか、その言葉には何ら難しい表現は無く、どことなくファンシーで幻想的な雰囲気すら感じ取ることのできる言葉であると言うのだ。その傾向自体はこの曲全体に見受けられる事ではあるものの、冒頭からその事を強調させる歌詞作りは正に相当な読み込みと卓越したセンスのなせる技だと思う事に尽きるしかない。

 1番の歌詞からは人ならば誰もが思い浮かべる事から成長しゆく事まで様々思い浮かべられる歌詞だと思うのだが、その優しさに満ちた感触と思わず笑ってしまう様な、現実には決して起こりえない事だけど、もしそんな世界があったら行ってみたい楽しんでみたいと思わせる様な夢見心地な気分にさせてくれると言うものが非常に印象的で、聴いている立場であるはずなのにこちらまでごちうさが創り出す世界に連れられて行く様な感触まですると言う程である。
 また、1番の歌詞がもしごちうさの登場人物の誰かが書いた若しくはイメージが湧くとするならば誰かと聞かれれば心愛ちゃんと智乃ちゃんと答える程に2人の個性考え方が活きている歌詞であるとも感じた。まず心愛ちゃんらしさと言うのは一見すると冗談とも思える様な良い意味で飛んでいる発想を反映された歌詞だという事である。でもそれは人を楽しませるためであって、その人を楽しませたいと言う彼女の想いや理想形、そのいきさつと言ったものが読み解けるものなのではないかと考えられるからであり、何故そこに智乃ちゃんが加わるかと言えば、歌詞の文末に時々丁寧語が入っているからで、こう思うのは元々心愛ちゃんが皆に対して丁寧語を使う事なんて年上である理世ちゃんも含めて殆ど無くて、使うとするなら大人位なものであること、そして何よりもこの1番の歌詞に最も感銘を受けている人は誰かと言われれば智乃ちゃん以外に思いつかないからである。やはり心愛ちゃんが様々楽しいことを生み出し、それをはじめは戸惑いを隠せなかったが、次第に受け入れる様になっていった智乃ちゃんとの掛け合わせの意識が外せなかった。それだけ私自身がココチノに対して相当思い詰めていると言う傾向も見えるのだが、何にしても思い浮かべるものが心愛ちゃんを筆頭格に智乃ちゃんをはじめとした皆を巻き込んで発展しゆく世界観だという事には違いない。

 2番の歌詞は内面性とりわけ孤独な寂しさを思い浮かべられるものであり、また新しき世界観に少し躊躇(ちゅうちょ)している感触も窺(うかが)い知れる。ここから分かる事と言うのは恐らくは新しい環境・変化しゆく環境に対する一抹(いちまつ)の不安と言うものであり、心奥深くにある他人には容易には見せられない感情がうごめいている事が読み解ける。
 この構成から最も思い浮かべられるごちうさの登場人物は恐らく紗路ちゃんであると思う。元々紗路ちゃんは表立ったものこそしっかりしていて何事にも動じない人に見えるが、実はそれらは人に心配をかけさせたくないから虚勢を張っているだけと言う表現が的を射ている程に動じやすく思い詰めやすい人であり、また自分の気持ちを隠しがち*1な故に皆と歩調を合わせて進む事にどうしてもラグが生じやすくなってしまう。それ故に紗路ちゃんは高校生組の中でもやや地に足つかない面が否めない*2のだが、この2番の歌詞を読み解いていくとそんな紗路ちゃんを皆は嫌にも思わずに受け入れてくれるばかりか、いきさつがどうであれ、新しき世界観に皆で一緒に歩んでいく勇気があればそれで良いのだと感じ取れるその歌詞には大いなる優しさを想い馳せさせる。ただ今まで書いた事、実は智乃ちゃんも当てはまっているのが多い。然しながらこれもこの曲の興味深い特徴だと考えられる。それは後述。

 最後を締めくくる部分は夢いっぱいに広がる理想や、楽しく前に進めばきっといい未来が待っている等、この曲全体にある雰囲気を再確認させたうえでぱっと全曲を締めくくると言うもので、最後の部分の歌詞もやはりどこかぽわぽわしていてそこはかとなく不思議な感覚が巻き起こってくるものなのだが、最終的には彼女達の世界観は何処までも続いていくものだと理解できるものになっていて、個人的には最後に余韻を残さないでぷつっと締め括られた点が非常に印象に残っている。こういうのが非常に印象に残ると言うのもある意味クラシック音楽を聴いてきて培われた感覚故か。

 因みに個人的にこの天空カフェテリアと言うのに対して思い浮かべられるものは大きく分けて2つのイメージがあって、1つは正に空高く想い描いた様な想像上の理想郷、もう一つは空をも超える様な偉大なる友情の場という事。前者なら実際には存在し得ない物の為、言ってしまえば所詮絵に描いただけの理想郷で、現実はそれには程遠いと言う冷酷かつ無情なイメージとなってしまうが、後者なら現実にありながらも際限なく広がりを持つものをイメージできると言う正に無限の可能性を表すものとなるうえ、そのイメージには限りない幅の広さを持たせる事すら可能になる。どちらがごちうさの世界観を考えていく上で適当なのかは最早言うまでも無いが当然後者であり、私自身も後者の様なイメージがこの曲を考えていく中では適切なものであると思っている。では何故前者の様な言ってしまえば現実主義で夢の無い様な事を思ったのかと言えば、単純に一義的な見方には止めたくないと勝手に思ったからであり、別にこんな事は積極的にする必要なんてない。自分が理想だと思う世界観がひとつでもあれば本来はそれで十分。寧ろ無理に複数持つと自分自身の思考の中で異なる世界観同士で対立する可能性すら考えられるし、現に私自身もこの対立にしばしば悩まされる。上手くコントロールできるならともかく、実行するにはそれ相応の覚悟は必要だろう。

 最後にこの天空カフェテリアで私が感じた特徴である「歌詞に複数の人物が当てはまると思われる」事について説明する。これは読んで字のごとく歌詞を読み解いていくと歌詞に良く当てはまる人物が複数思いつくという事であり、 具体的には1番がココチノ、2番がチノシャロと言った感じである。個人的にこうなった要因はココチノの場合は心愛ちゃんが智乃ちゃんに与えた影響や長く一緒にいる環境下によるもの、チノシャロの場合は性質が似ている点である。前者に関しては最早細かくは説明不要であり、簡単に言えば心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して多大なる良き影響を与えたのが読み解けるからだったからなのだが、本当に興味深いのはここからだった。
 この曲の2番の歌詞を見てチノシャロを思い浮かべたのはそれだけ2人に共通している事通ずる事が多かった(つまり似ている点が多い)という事だが、ここで面白いのが、智乃ちゃんは紗路ちゃんに高校生組の中で憧れを持っているのだが、ここで私はチマメ隊が憧れを抱いている高校生組は共通して性質が似ている若しくは思想が近い事に気付いたのだ。智乃ちゃんは紗路ちゃんに憧れているが、2人共前述の通り思い詰めやすい点や自分の本心を隠してしまいがちな点が共通しており、麻耶ちゃんにしても憧れである理世ちゃんとはボーイッシュな点やサバサバしている点、そして何より本当は誰よりも優しく寂しがりな点が共通している。恵ちゃんが憧れている心愛ちゃんは先の2人に比べるとやや分かりにくいが、マイペースな点や努力家な面、2人共友達相手と向き合うのが上手な点が共通している。この事はこの曲の歌詞を読み解くまで意識しなかったと言うより本当に気付いていなかった事だった*3のだが、気付いてみたら何故こういうカップリングが成り立ったのかその答えが少し見えてきた様だった。ある意味一番大事だったのは、この曲を聴いてどんな世界観が見えてきたと言う「過程」よりも、どういう世界観を思い浮かべたのかという「基点(基準点のこと)」だったのかも知れない。

2.ユメ<ウツツ→ハッピータイムの感想

 この曲を初めて聴いた時、バラードの様なゆったりした歌い語りの曲だと思った。アップテンポで楽しげな天空カフェテリアとは大分異なるゆったりとした曲調だが、この曲全体の歌詞構成を考えるとそのマッチング度が半端じゃないほど高く、全体的な歌詞イメージも歌詞単体では個人的にはかなり悲愴的(ひそうてき)な感触*4があったのだが、それを感じさせない作曲構成なのが個人的には脱帽ものである。あれだけの歌詞をもってして悲しみを感じさせないものに仕上げるのは最早職人芸であると考えられ、それはこの曲と似た構成を持ち、ごちうさ屈指の名曲として知られる「うさぎになったバリスタ」とは似て非なるものだと思うには十分だった。

 しかし、だからと言って歌詞を読み解く限りでは相当心打つものであることに違いは無く、1番からして大切な人と少しでも離れるのが嫌だと言うのが感じ取れる構成になっているし、サビの部分ではユメよりもウツツ*5の方が良い!その方が人のぬくもりや優しさ、感謝を伝える事が出来るから。それができる現実はハッピータイムなんだと言う構成であり、訴えかけるものが非常に大きいのが印象的である。それ故に歌詞を読めば読む程に自分にとって大切な人とは別れたくない寂しくなってしまうからと言う悲痛な感触が襲ってくるのだが、同時にユメであうよりしっかり起きている即ちウツツが良いと言うのは、自分の心の中で止めるのではなく、溢れる気持ちを大切な人と一緒に分かち合いたいという事であり、それが何よりのハッピータイム即ち幸せな事なんだと言うのがしみじみ理解できる様になっていく構成なのが凄いと思った。悲愴的な感触を感じつつも根底にある人と繋がる喜びを得ていく様な構成は、作曲効果と相まって何の違和感も無く受け入れられた。
 2番では更に切望する想いがひしひしと感じ取れるもので、歌詞がまるで詩の様だと思った事もある。心落ち着かない気持ちをあったかい飲み物で諫(いさ)めようとするけど、全然治まる事は無い何故なら、ウツツにおいて何時も会えると言う安心が欲しいからと言うのは本当に感銘を受けるばかりである。ここでもやはり夢で終わってしまうのなんて嫌だとあり、曲全体の意義の再認識ができる。そして終わりの部分に突き進んでいく時、ウツツにあるハッピータイムがずっと続いてほしいと言いながら同時に離れていても想いは繋がっているともあり、やはり想いと言うのが繋がっていれば良いのだと思わせているのもさることながら、そこからユメであうよりココであう方が良いそれが幸せなのだとあるのには最早言葉を無くしてしまう。喜びと言うのはこういう事なのだと改めて思わされた様だった。

 この様に非常に心打つ名曲である事は明白だが、何故私はこの曲の歌詞を見て何故悲愴的に思ったのか。それにはきちんとした理由がある。それは私自身人間関係をうまく作るのが苦手で、人と一緒にいたくても恥ずかしくて上手く出来ないにも関わらずかなりの寂しがりな一面があり、もどかしい気持ちにしばしば駆られていた事も多かったからである。早い話が孤独を取って寂しさに苛(さいな)まれる即ち苦しむのか、人と一緒にいて直ぐに顔が赤くなってしまう程に恥ずかしくなってしまうかと言うジレンマ即ち相反する事のどちらとも決めかねる(決められない)状態で、それ故に人間関係にはかなり複雑な想いと考えを持っている*6のだが、この曲の歌詞を見た時にその複雑な想いが一挙に駆け巡った。簡単に言えばごちうさの皆の幸せを願う理想の気持ちと、現実たる私は全然上手くいっていないと言う交錯する想いであり、色々と心苦しかった。因みにごちうさに対して嘗て苦悩を抱いていた原因も理想と現実の乖離(かいり)が大きく関わっていて、それを克服したはずの現在でさえこの曲に対して初めは例外では無かったのだが、実際に聴いてみるとその考えはあっと言う間に晴れていった。一人で抱え込む事は無いと言った感じであり、非常に心温まる感触だったのは言うまでも無かった。それは、それまで痛々しい考えばかりを己自身に突き付けていて、心荒もうとお構いなしに痛ましい事ばかり心に言い聞かせていた私にとって非常に突き刺さるものがあった。そういう意味でこの曲に対する想いと言うのはある意味天空カフェテリア以上なのかもしれない。ただ、これは私自身両方共に深い感触と愛情を持っているのは前提だが、天空カフェテリアの様な明朗快活(めいろうかいかつ)で楽し気な曲調よりも、ユメ<ウツツ→ハッピータイムの様な心に直接響かせそして問いかける様な曲調により深い思い入れを注ぐ傾向があるため*7で、天空カフェテリアがOP(オープニング)として相応しい事に異存は無い。ただ、このユメ<ウツツ→ハッピータイムと言う曲は、切実な歌詞でありながらも悲観的な物にはならない、させないと言うごちうさならある意味当然*8だが、他ジャンルなら中々見られない稀有な構図をとっていると言う意味で並々ならぬポテンシャルを感じる。それ故に「もしこのユメ<ウツツ→ハッピータイムが3期のOPだったらどうなるのか」と思う事もあるが、それは自分の胸のうちに留めておこう。

3.なかよし!〇!なかよし!の感想

 3期のそれぞれのお話を締めくくるEDたるなかよし!〇!なかよし!だが、その第一印象は1期・2期でもあった様に何時ものチマメ隊で締める明るいEDだと言うものだった。元々ごちうさのEDと言うのは明るげ若しくは楽しげな始まり方をしているのもあったのだが、本編の感動的な終わり方から急に明るい曲が入る事が多かったのも明るいと言うイメージ形成に後押しをしていた。個人的にはそんな明るいイメージのチマメ隊は嫌では無かったし、2期・3期と年月(としつき)を重ねるにつれて大分変化しているとはいえ、昔は表情の変化に乏しかった智乃ちゃんの明るきイメージを思い起こす事の出来るものでもあったので、嫌いになる筈が無かった。だから今回のEDも既定路線に乗っかっているのだろうと考えていた。

 だが、今回のなかよし!〇!なかよし!ときたら、完全に今までのイメージを良い意味で裏切った。曲調は楽し気な感触そのままに、歌詞をチマメ隊に潜在する様々な面を全面的に引き出しつつそれを観る人の心を打つものにすると言う離れ業を肌身で感じたからだ。一体チマメ隊を形成している智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんと言う3人は何なのかと、末恐ろしくすら感じる。でも末恐ろしいと感じたのはある意味当然だったのかも知れない。だって3人の偉大なる友情は誰にも壊せないと言うのは序の口で、その上実は3人共凄まじい才覚の持ち主であるが故にそんな3人が集えば本当に無敵である事、どんなに紆余曲折があったとしても、私達は友達を絶対に裏切ったりしないと言う堅牢な信頼関係なんて見せられたら最早何も言えないのなんて明白なのだから。そういう意味でこの曲はチマメ隊が持つ無限の力を限りなく引き出した曲だとも言えるのかもしれない。これは最早私にとっては、私自身が羨望し、そして恐怖している声楽曲の恐るべき力を見せつけられているのと同じ事。そしてその姿の望まざる最悪の顛末は嘗てごちうさそのものに苦痛を感じていた頃の自分そのものなのである・・・。

 では、もしその恐れている声楽曲を始めとした恐るべき力に呑まれ続けると私はどうなるのか。どちらかと言えば声楽曲より器楽曲をより好む私だが、まず恐るべき事に声楽曲が本気を出せば私の中の器楽曲の優越なんて一瞬にして奪い去ってしまう。心に直接響かせ訴えかける様な声色はまるで心を掴まれているかの様だ。だがやがて心が蝕まれ始め、より良き心を掴んでくれる様な声色を求める様になる。更なる心好い(こころよい)感触が欲しいからだ。しかし癒しは徐々に痛みに変わっていく。理由としてはあまりの力に心が持たずに壊れ始めるからであるが、同時に癒し効果も依然ある為に痛みに喘(あえ)ぎながらも癒しを求めると言う不安定な構図になってしまう。正に破壊と再生の繰り返しであるが、どうなるかは検討がつく。破壊の力に遂に再生が追い付かなくなり、二度と元に戻る事が出来なくなる。そうなってしまえばもう楽しむ事も忘れてしまうであろう。

 ただ、幸いにもそうなった分野は存在しない。負のスパイラルにハマり切る前に何とか乗り越えてきたからだ。しかしながら、負のスパイラルにハマり切る前に乗り越えたという事は、過去に癒しと苦しみの葛藤があった事を意味するが、その葛藤こそごちうさであり、ごちうさの楽曲も勿論例外では無かった。だからこそ、本当はなかよし!〇!なかよし!を知りゆくのは相当怖かった。いくら葛藤を乗り越えた分野だとは言え不安定な心情を抱えもつ事に変わりはなく、ちょっとした事でまた元の木阿弥になってしまう可能性も正直今もある為である。でも、なかよし!〇!なかよし!にはそんな懸念を吹き飛ばしてしまう程に3人の仲睦まじさを感じ取れて、正に癒し一択の感覚に誘われた。ある意味原点である可愛いへの立ち返りだったのだろうが、もう一つの可能性として、チマメ隊全員が持つ確かな優しさに惚れたからだったのかも知れない。元々3人共優しい心の持ち主なのはこの曲を知る前から分かっていた事だったが、それが改めて認識させられた様な、そんな感じだった。させられたと言っても嫌な意味は全く無くて、私自身が持つ優しさの理想形を地で行く様な事をやっていたチマメ隊の人の良さに惹かれたと言う意味で、特に普段あれだけやんちゃっ子な感覚タイプである麻耶ちゃんが持ち前の性質を発揮しつつ優しさを発揮している物には本当に心惹かれた。ごちうさにおいて優しさを可愛さと同じ位或いはそれ以上に重要視している事、人に優しくするのは実は簡単な事では無い事を分かっている私にとって、優しい心を持っていると言う事は本当に素晴らしい事だと思っている。どれ程素晴らしいかと言われれば、もし優しさと言うのが分からなくなってきたのなら、ごちうさの皆の優しさを思い起こせば良いとすら考えている程に・・・。

 あれこれ考えを張り巡らせて、私がこのなかよし!〇!なかよし!で知った事で重要だと思ったのは、チマメ隊が持つ優しさはさることながら、一人孤独にいた智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんが新しき世界に連れ出してくれた事である。智乃ちゃんの母親である咲(サキ)さんがまだ智乃ちゃんが幼い時に早世(そうせい。若くして亡くなる事。)してしまった事により心を閉ざしていた*9智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人はたとえ智乃ちゃんが心を開こうとしなくても嫌な顔一つせず、良き友達であり続けた。これがどれ程凄い事なのか最早分からない。智乃ちゃんは心愛ちゃんと出会った中学2年生の時から確実に変わり始め、中学3年生になるとかなり成長が見える様になったが、 それ以前は心を閉ざしているが故に感情の起伏が少なく、かなり寡黙な人だったと思われる。解釈によっては麻耶ちゃんと恵ちゃんと出会った時から少しづつ変わってきたともとれるが、心愛ちゃんと初めて出会った頃の智乃ちゃんを見ると中々そうは言えないであろう。チマメ隊が事実上結成されてから心愛ちゃんと出逢うまでの1年間がどんな感じだったのかは想像するしかないが、少なくとも智乃ちゃんは今の様な明るさでは無かったのは確実だと思うし、麻耶ちゃんと恵ちゃんも智乃ちゃんの事情をどれほど本人から聞いていたか定かではないため断定しづらいが、智乃ちゃんと友達でいて本当に楽しかったのかどうかすら私には分からない。しかしながら、前述の通り麻耶ちゃんと恵ちゃんは、決して智乃ちゃんを見限ったりする事無く仲良しであり続けた事が私にとっては本当に凄い事だと思えてならない。何故なら、麻耶ちゃんと恵ちゃんは幼馴染であるため、たとえ智乃ちゃんと友達になれなかったとしてもそこまで寂しい思いをする事にはならないと考えられるからである。言い換えるならば智乃ちゃんと無理をしてまで付き合う必要は無いという事であるが、何度も言う様に麻耶ちゃんと恵ちゃんは智乃ちゃんと友達であり続け、新しき世界に引っ張り出してきた。勿論新しき世界に本格的に智乃ちゃんが飛び込んでいくのは心愛ちゃんが木組みの街に来てからだと思われるが、それ以前にも麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人の存在があったからこそ、智乃ちゃんは変われたのだと言うのは間違いないであろう。

 なんだか曲の感想と言うより、曲を聞いて何を思ったかを重視するものになったが、多分それだけチマメ隊の友情や根気強さ、そして友達を決して見捨てない偉大なる優しさが、曲を通して感じ取れて、そんなチマメ隊の優しさに心動かされたからなのだと思う。もう再三に亘って書いた事ではあるが、チマメ隊の優しさと言うのは別にこの曲を聴く以前からしっかり分かっていた事だった。しかし、改めて3人(特に麻耶ちゃん)がもつ優しさに触れた事で、内に秘めていた感情が一気にあふれたのであろう。優しい人は本当に素晴らしいのである。

4.ワオワオ動物園の感想

 この曲のイメージは一言で言えば完全なる未知数の領域。掴むに掴めない独特の世界観がものをいう良い意味でとんでもない曲だった。独特の味わいは正に自分好みにピッタリはまっていると言うのに様々交錯する世界観があると言う、まるで迷宮に誘い込まれる様な感触だったが、特に目まぐるしく変わりゆくテンポに曲調が目を引いた。私は元々クラシック音楽が好きだった影響からか、○短調、〇長調と言った曲調や、ワルツ、ポルカ交響曲と言った細やかな曲のジャンルに対して興味関心がかなり強いのだが、この曲はそういう視点から見ると半端な見識では圧倒されるばかりで、誇張抜きで理解するための掴みの糸口さえ見えないと思う程で、はっきり言ってこの曲にはビビらされた。一体どういう発想をもってすればこんな曲を書けるのかどうか、最早私には分からないと言う、正に未知数の領域だった。

 また、曲の歌詞から探るに、このワオワオ動物園は例えるなら3期のOPである天空カフェテリアと同じCDに収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイムと言うカップリングと似た様な対比関係にあると考えた。つまり3期のEDたるなかよし!〇!なかよし!とワオワオ動物園が何かしらの関係性があると考えたという事である。天空カフェテリアがカフェから始まる壮大な世界観とするならば、ユメ<ウツツ→ハッピータイムはそのカフェにいる人達の心情を歌っている様に、なかよし!〇!なかよし!はチマメ隊の友情と優しさを歌い、ワオワオ動物園ではチマメ隊の日常的な姿を歌っている。そんな風に思えてならないのだ。
 このワオワオ動物園と言うのがチマメ隊の日常的な姿を描いていると考えたのは他でもなく、普段のチマメ隊の掛け合いを思い起こすものであるためである。まずチマメ隊の行動源たる麻耶ちゃんが主導となって2人を率いていく姿が見えてきて、智乃ちゃんが様々な事にツッコミを入れて、恵ちゃんは持ち前のおっとりさを発揮しつつ3人の空気感を上手く取り持つ。そんなチマメ隊のいつもと変わらない空気感が、ひいては3人の変わらない不動の関係性にも繋がる事こそが、日常的な空気感を持つワオワオ動物園と言う曲が3期のEDであるなかよし!○!なかよし!との関係性があると言う根拠となっているのだ。

 また、 最初に未知数の曲だったと言ったものの、読み込んでいくとそこには何時ものチマメ隊の姿がはっきりと見える良い曲だった。そして、カップリングの面白さにも気づかせてくれたという意味では非常に重要な曲だと思う。そう言う意味でもこのワオワオ動物園と言うのは私の中でかなり異色さが目立っているが、同時に名曲でもあると考えている。

5.感想のまとめ

 今回初めてごちうさのOP・EDの楽曲感想を書きましたが、書いていて改めてごちうさの世界観を見つめた様な気がしましたね。アニメの顔とも言えるものであるのだからある種当然かも知れませんが、自分で体感する事で見える世界観もあると思うので、無駄にはできないことだと思いますね。

 また、今回曲によって感想文の書式を変えていると書きましたが、1つ目の天空カフェテリアは、楽曲から見えるごちうさ世界観と特定のキャラ重視の考察感想文、2つ目のユメ<ウツツ→ハッピータイムは、曲調と曲の歌詞を見て感じた人間関係に対する想いの考察感想文、3つ目のなかよし!○!なかよし!は、全体の曲のイメージから私自身が何を思ったかを叙述した感想文、そして4つ目のワオワオ動物園では、普段のチマメ隊の姿から思い浮かべた事と、OP・EDそれぞれのカップリング曲目の見解を重視した感想文になっています。それぞれ書式を変えている理由は、様々な視点から見つめる事でさらなる見識が得られるきっかけを掴みたいと考えたからです。実際1つ目と2つ目の書式こそ今まで書いてきたような考察感想文ですけど、3つ目と4つ目は今まであまりやらなかった書式方法で、特に3つ目の書き方はかつて私自身が書いていたごちうさの二次創作の小説の様な書き方を思い起こす様なものでした。色々な書式を用いると言うのは本当に楽しかったです。

  最後に、4曲の楽曲感想文を書くのにかかった期間は3週間程です。ちょっとかかり過ぎだと自分でも思うので、もう少し早く書かないといけないと思いました・・・。あとワオワオ動物園の感想が少し短いのも多少気にしていますが、全力で考えてあれなので仕方ありません。そして今後も感想文を書く時は、様々な事を思い浮かべながら書きたいと思います。

*1:本人には決して悪気は無いのだが・・・。

*2:自分の持つべき意思が定まっていないという意味ではなく、自分の立ち位置が上手く決められていないと言う意味。こう思うのは紗路ちゃんは普段は吹っ切れる勇気が無い様にも見えるが故にあたふたしている印象が否めない(カフェイン酔いをすると別なのだが)のと、他の高校生組と違い将来どうなりたいかも明確では無いからである。ただ実際問題高校生の時点で明確に将来なりたいものが断言できるのは容易な事では無いため、紗路ちゃんが特段意志の弱い人だと言う訳では無い。

*3:このときいつも思うのだが、自分が知っている世界観にも身近な部分それこそもう手にとる程に近いものでも気付かない世界観も多いのだとつくづく思わされている。灯台下暗しとはよく言ったものである。しかしながら、こういう経緯をもって会得したものの大半はかなりの期間記憶を保持する事ができる。

*4:悲しくも勇ましいを意味する悲壮(ひそう)とは違い、悲しく痛ましいを意味するのがこの悲愴(ひそう)であり、同音異義語とは言え意味合いは全く異なる。そしてこれは、私が抱いていた感触が非常に痛々しいものだった事の証左でもある。因みに私自身悲愴的な感触は特別たる想いを持っている。

*5:現実のことで、漢字では「現」と書く。ここでは起きている時を指す。

*6:ここでもそうなった経緯を少し書き出してみようと考えたのだが、内容があまりにも重くなる事を懸念して止めた。とは言ってもまたの機会に書くと思うのだが・・・。

*7:因みに深き思い入れを注いでいるからと言って同時に一番好きでもあるとはならないし、寧ろ思い入れを注げば注ぐほど好きでは無くなる危険性も上がっていく。これは深き思い入れを注ぐと言うのは否応なしに良きも悪きも全て知りゆく事であるが故に複雑な感情からの自己葛藤に苛まれる事(早い話がジレンマによる葛藤)も考えられるからである。よって私の中では心の崩壊を防ぐ意味合いも込めて、思い入れと好きと言うのは必ずしも同じ様式にはならない事が多い。

*8:少ないながら例外もあるが、その場合でも悲壮的といった方が適切であり、悲観的とまではいかないのが殆ど。痛み得る辛さも心打つもの且つ考えさせられるものなので大切だと思うが、ごちうさ楽曲の世界観においてはあまり適切だとは言えないのかも知れない。

*9:心を閉ざした要因には他にも祖父が他界した事も関連している可能性がある。祖父が亡くなったのは心愛ちゃんが智乃ちゃんと初めて出会った時から1年前の事なので、麻耶ちゃんと恵ちゃんと初めて出会った時には既に他界している可能性が浮上するためだが、これは定かではない。

ココチノに対して感じていた魅力の変遷について

 こんにちは。気付けば8月のきらま発売日から1か月ほど過ぎて、また新しいきらまの発売が迫っていると言う状態*1になっていました。思い迷っていた頃はあれだけ嫌だったきらまの発売日も全く怖くなくなり、今となれば楽しみな事この上ないですよ。人はやっぱり変わりますね。

 さて、今回のごちうさのココチノ2人組*2の想いを書こうかと思います。元々一人のポテンシャルも大きくありますが、誰かと掛け合わせる事によってまた違った魅力が見えてくると思うのですよ。本当は一人の想いを書きたい人もいるのですが、まだ理解考察の余地が残されているので、ある程度は確立できている方から書こうと思いました。もう恒例ですが、ネタバレを含む内容なので、その辺りの理解は宜しくお願い致します。

※注意

今回はただココチノが好きだと言うだけでなく、ココチノに対する葛藤等も多分にあります。私自身ココチノに対する想いは良い事ばかりでも無く、今思えば至らなかったと思う事も多く、今回それらを一挙に書き出しているため若干内容が重めです。見る時はそれらを了解の上と言うのはよろしくお願いいたします。

1.ココチノの魅力について

 1.普段のココチノ

 普段ココチノは心愛ちゃんがお姉ちゃん、智乃ちゃんが妹と言う立ち位置なのだが、これは完全に心愛ちゃんが勝手に言っているとも良く、智乃ちゃんは妹じゃないと言い張ると言う、かなりつっけんどん*3且つ否定的。智乃ちゃんは決して心愛ちゃんの事を全く信用してない訳でもないが、だからと言って馴れ馴れしい事も無く、寧ろ人として少し貶(けな)し過ぎと感じる事もある。元々智乃ちゃん自身、やや毒舌気味な面はあるにはあるのだが・・・。

 また、心愛ちゃんには普段から一緒に居る智乃ちゃんにはお姉ちゃんとして見て欲しいし、頼ってほしいと言う想いが強く存在するのが散見され、実際行動に移している事も多いのだが、調子乗り且つそそっかしい面が災いして毎回上手くいかない。そんな心愛ちゃんに対して智乃ちゃんはやや嘲笑(ちょうしょう)気味な対応をとる事もある位、やや冷たい(と言うか見下している)反応が多い。これは智乃ちゃん自身が心愛ちゃんの事が気に入らないからでは決して無いのだが、何と言うか、当人としては複雑な気持ちである・・・。しかも心愛ちゃん自身も智乃ちゃんが何時もツンツンだという事も分かっているのが余計に拍車を掛けている。

 智乃ちゃんとしては、心愛ちゃんには真面目にお姉ちゃんとしてしっかりして欲しいと思っているのが随所に出ていて、まるで心愛ちゃんの指導係であり、智乃ちゃんの方がお姉ちゃんとして見える要因にもなっている。これは元々心愛ちゃんは末っ子故に皆から可愛がられてきている経緯があるが故に妹気質である事が大きく、心愛ちゃんがお姉ちゃんの様に振舞うのに若干無理している面があるからである。智乃ちゃん自身がしっかりしたタイプである事も要因にある。

 総じて言うのなら、普段の関係は心愛ちゃんが智乃ちゃんの事を妹の様に可愛がろうとするのを智乃ちゃんが冷静に対応すると言うものが大半であり、心愛ちゃんと智乃ちゃんの間でやや壁がある様に感じる事も多い*4。ただ、実際は全く違うものなのである。

 2.本当のココチノの関係

 普段の智乃ちゃんの心愛ちゃんのあしらい方を見るに、心愛ちゃんが智乃ちゃんを本気で大切に想っているとは分かっても、その逆もまた然りとは言いにくいかも知れない。ただ実際の所、智乃ちゃんも相当に心愛ちゃんの事を大切に想っていて、尚且つ好きだとは言えると思う。ただ、心愛ちゃんがあまりにも私の妹だとせがんでくるためにどうしたら良いか分からないと言う面があるのは感じ取れる。どうすれば良いのか分からないからこそ、あしらい気味の対応になったり、やや毒のある一面が出たりするのだろう。そういう意味では智乃ちゃんは人付き合いがかなり下手とは言える。でも、そんな智乃ちゃんに対して嫌な顔一つせず本気で想いをぶつけられる心愛ちゃんは、本当に優しさと思い遣り、そして根気強さを兼ね備えていると言えるだろう。

 そんな智乃ちゃんにしても前述の通り本当は心愛ちゃんの事を大切に想っているし、かけがえのない人だとも心愛ちゃんにも伝えている程。また、本当は心愛ちゃんにもっとかまわれたい即ち妹としてもっと見ていて欲しいと思う気もある様で、心愛ちゃんが親友である千夜ちゃんの異変にはすぐ気づく癖に、私の異変には気付かない事にやきもちを焼いたりしている*5。じゃあなぜ普段からつっけんどんな態度を示す事も無く心愛ちゃんに接さないのか*6となるが、それが不器用且つ毒のある一面という事になるのだろう。

 一方で心愛ちゃんとしての本心は、智乃ちゃんが大切な妹であると言うのは常に一貫しているのだが、智乃ちゃんが本当は私の事をどう思っているのか気にしている面*7もある。普段から智乃ちゃんにお姉ちゃんと呼んでとせがんでいるのに矛盾しているのではと思わなくも無いが、これ自体は心愛ちゃんが本心から人の気持ちをないがしろになんてできないと考えている優しい女の子であるのと同時に、実はかなりの心配性且つ精細である事も窺(うかが)わせている。よくよく読み込んでみると分かる事でもあるのだが、心愛ちゃんは全体的には明るい性格だが決して楽観主義とは言えない部分も少なくなく、特に人間関係を心配に思う事がよく目立つ*8のだが、普段の心愛ちゃん自身誰とでもすぐに打ち解け合えるタイプ故に、周りから見るとどんな環境下においても直ぐに知らない人とでも仲良くなれると思われがちな事もあってか、そういう面で心配される事が殆ど無い。実際の所確かに人との対話に関しては怖気づく事は殆どないのだが、だからと言って親しい関係を直ぐに築けるかについては全くの別問題。怖いものは怖いし、心配なものは心配になるものである。だからこそ、智乃ちゃんが時々明かしてくれる本当の気持ちには相当救われているんだと思う。 

2.ココチノに対して想う事

 3.ココチノに対して昔思っていた事

※初めに伝えたい事
 ここで書く昔思っていた事は、今となっては記憶が曖昧な部分がある事、それ故に必ずしも当時の気持ちをすべて正しく言い表せているとも言い難い部分があるのはご了承願います。当時私自身が書いていた資料が残っていたのならそれを参考にしながらより当時の気持ちに近いものが書けるのですが、残念ながらそんなものはもう無いので今思い返すとこうだったと振り返りながら書いています。それ故にどうしても今の気持ちや豊富な見識が多少なりとも過去にも影響されてしまうんですよ。言ってしまうと、本当に過去の想いを書いていると自信をもって言えるのかと自分自身で考えてしまうという事です。
 とは言っても、昔の事は原則として昔に思った事そのままを書き出すのは当然ですし、また影響されるとは言っても限りなく抑える事は出来ます。あくまでこの内容は私自身の杞憂(きゆう)であって、下記に書かれている内容が現在の思想の影響を受けまくっていると言う訳ではありません。ただ、こういう気持ちになる事もあると言うのは理解してほしいと言うのが私の切な願いです。あともう一つ、この手の昔感じた想いと言うのは必ずしも人に言う必要がある事だとは思っていません。過去の自分も含めて人には知って欲しいのか、現在の自分だけを人には理解してほしいのか、それはまちまちですから。ただ、私自身は余程の事が無い限り昔感じていた想いを書き出したいと考えています。


     この下からが本文です。

 

 昔から智乃ちゃんの事は好きだったが故にこの2人組にも関心は強かったが、実の所昔はそこまで心愛ちゃんの事は言う程好きと言えるまでではなかった為、あまり深くまでは理解が無かったのも事実であった。更に言うなら、今となっては安直極まりない且つ情けないとすら思う考えだったと私自身思い馳せる程の事なのだが、何故に智乃ちゃんはもっと心愛ちゃんに優しく出来ないのかと思う事も正直少なくなかった。普段から心愛ちゃんに対してつっけんどんな態度且つあしらってばかりの智乃ちゃんを見るのは、はっきり言うと快く思えるものなんかじゃなかったし、特にその傾向が強かった初期に至っては、あまつさえ心愛ちゃんの事が智乃ちゃんは大して好きではないからあんな態度をとっているのかとすら思ってしまう程だった。ただ、読み進めていく内に何故に智乃ちゃんが心愛ちゃんに対してつっけんどんな態度を見せるのかその真意が分かる様になってからは印象は多少なりとも変わったのだが、それでも完全に快く思う事までには至れなかった。

 何故こうなったかと言えば、今思うと見識不足だったのも大きかったのだが、それ以上に人が好意的に接してきてると言うのに、それをあしらうかの如く冷たい態度をとる事自体、私自身後ろめたさを感じるが故の恐怖意識があった事も起因していたと思う。心愛ちゃんはあんなに好意的に接してきていると言うのに、智乃ちゃんはそれを少しも受け入れようとせず、つっけんどんな態度を見せると言うのが、もし私自身が智乃ちゃんの立場だったらどんなにか恐れ多い事をしているのかと思い、そんな意地悪な自分なんて嫌だと考えたのあろう。でも冷静に考えてみると、確かに心愛ちゃんも多少強引な面はあるにはあるし、急に妹扱いされても戸惑ってしまうのは分かる事である。もっと言うと心愛ちゃん自身もたとえ仕事中であっても智乃ちゃんにせがましく言ってくる事がある等、やや強引だからああいう態度をとらざるを得ないと言う事情があるのを思えば納得は出来るし、更に言うなら智乃ちゃんが人付き合いが苦手な事も加味すると、あって間もない頃から馴れ馴れしく接してくる心愛ちゃんに対して多少なりとも警戒してしまう事も仕方ない事ではある。しかしそれらを理解したとしても、人に冷たい態度をとって良いとは決して思えないのが私自身の考えであり、まして好意的に接してきてくれる人に対してなら尚更である。勿論駄目な事は駄目だと言うのも大切だし、ましてや極端に何時でも優しくしなさいとも思わない*9のだが、それでも少しだけでも良いから人の好意的な気持ちには応えてあげたいと思うべきだとも考えている。

 じゃあ何故、どんな事があっても人が自分自身に対して好意的に接してきてくれていると言うのなら、それには少しでも良いから応えるべきだと思うのかと言えば、それは簡単に言えば「自分を大切にしてくれている人に嫌われない様にするため」である。いくら自分に対して好意的に接してくれる相手と言えど、何時までもつっけんどんな態度ばかりとっている様ではやがて相手も嫌になっていき、最終的には全く関わってきてこなくなってしまう可能性も十分にある。そうなる理由は簡単。相手が自分と関わっても良い顔をしないのを見て、ひょっとして大して快く思ってくれていないつまり来ないで欲しいと思っているのではないかと考える様になるから。つまり相手が迷惑だと思って一切の関わりを止めてしまうという事である。当然ながらそうなってしまう事程切ない事は無い*10。そんな事に智乃ちゃんはなって欲しくないと思っていたからこそ、上記の様な多少なりとも厳しい考えを持つに至ったのであろう。付け加えると、私自身も人付き合いが苦手であり、つっけんどんな態度をとる事は無いにせよ人の気持ちに応えるのが苦手だったからこそ、どんなに状態が厳しくても人の気持ちを完全に無視し続ける事がいけない事だと考えるに至る経験があったのも大きかった。もしも自分自身この様な経験が無かったら、この様な事は思い馳せられなかった可能性は十分に考えられる。まぁ無かったら無かったでこんなに苦労する必要も無かっただろうが、今やそんな事は考えたくも無い。思っても仕方がない。

 纏(まと)めると、昔の自分はココチノの関係に対して智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して度々(たびたび)見せるつっけんどんな態度がどうにも快く思えなかったのだが、それは私自身、人の好意的な気持ちは少しでも良いから応えてあげたほうが良い、そうしないと自分に対して好意的に接してくれている人から本当に嫌われてしまうからだと考えていたからこそであり、そしてそれは決して智乃ちゃんが嫌いだから思ったのでは無くて、寧ろ智乃ちゃんが好きだったからこそ思った事であり、ひいて言うなら人の好意的な気持ちは大切にして欲しいと切に望んだのもあったのだろう。そしてその考えは、自分自身が人付き合いが苦手な故の経験があった事も大きく影響している。

 今思えば見識不足も甚だしいし、それだからこそ言ってしまえばこんな綺麗事を思えたのであって、今思い返すと情けなくもなるのだが、それだけ人の気持ちは大切にしないといけないとも思っていた証でもあったのだと思う。人の気持ちを全く大切にしようとしなかった時に巡り巡って自分に返ってくる壮絶な痛み(と言うか罰)を思うのなら尚更だった。でもそれは今思い返すと自分自身の理想形を当てはめているだけに過ぎなかった。そう思うと胸が痛い。結局自分の正義は間違いであったのにそれを修正できなかったという事でもあるのだから・・・。

 4.ココチノに対して今思う事

 言ってしまえば散々な言い方考え方もしていた嘗ての自分とは比較にならない程の見識を得た今では考え方が昔とは大幅に変わった。心愛ちゃんに対してつっけんどんな所が目立つ智乃ちゃんの事を悪く思う事*11も殆ど無くなり、好意的な気持ちになれる事が多くなった。また心愛ちゃんに対する理解も大幅に向上した事により、心愛ちゃんが智乃ちゃんの事を本気で大切に想っているが故にやや過剰気味になってしまう事、実は心愛ちゃんにしても智乃ちゃんにしても共通点が多い*12事、そしてたとえ智乃ちゃんがつっけんどんな態度であったとしても、心愛ちゃんは変わらずに智乃ちゃんの事を優しく接していく意味について見いだすことができた。特に一番最後のが重要であり、それまでの愛情ある見方もありながらやや批判的な見方も強かったのも否めなかったと言う状態からトゲ即ち批判的な見方を無くすことに成功した。

 今はココチノに対しては批判的に思う事は殆ど無く、好意的な気持ちでいっぱいになっている。これ自体は智乃ちゃん自身が心愛ちゃんの事を受け入れてきたのもあったのだが、それ以上に智乃ちゃんが本当は心愛ちゃんの事を大切に想っているのが分かった上で、心愛ちゃんとの互いの信頼を築き上げている事に気付けたのが大きかった。それまでココチノに対して批判的になる最大の理由だった「心愛ちゃんの気持ちを智乃ちゃんは分かろうとしないように思えてしまう」と言うのが無くなったのだからどれだけ大きいのかは察するに余りあるだろう。智乃ちゃんとしても本当は心愛ちゃんの好意には応えてあげたいけど、全てに応えるのは無理だからああいう感じになっていたんだと改めて思い直す事ができ、人の特性を鑑みた上で心愛ちゃんと智乃ちゃんと言う姉妹*13を愛そうと思えたのだ。

 これらを思えば昔ココチノを愛し切れなかった理由は単純な話で、2人の人となりを完全には理解し切れていなかった。それだけだったのだと強く思う。然しながら同時に私は元々人となりを理解する事を心掛けていて、なるべく人のあらゆる面を知った上で、相手の人間性を見つめていきたいと考えている。これは勝手な思い込みによる誤解を生みださないようにする為にも大切な事だと思っていて、それはごちうさにおいても例外では無かった。では何故ココチノではそれが上手くいかなかったのかと言われれば、それだけきちんと理解するのに大きな障壁が存在したという事なのであり、特に心愛ちゃんと智乃ちゃんに対する私自身の理解度の差が激しかった事が悪い方に作用したのが原因だったという事である。本来はココチノに限らずコンビなるものをより深く理解する為にはそのコンビとなっている各々個人を理解する事は必要不可欠であると思うのだが、私は心愛ちゃんの理解が圧倒的に足りなかった。それだけでなく、智乃ちゃんの本心の部分の理解が足りていなかった*14のも災いして、ココチノの在り方が理解し切れない状態が続いてしまったのだ。

 この事に関しては私自身、あれだけ普段から人となりもちゃんと見つめないとダメなんだと考える様にしていると言うのに、イチ推しが絡んでいる部分ですら満足に出来ていなかった恥辱的(ちじょくてき)な事として酷く苦しめられる。もっと言うなら、人となりを理解しないと強く思っているのも、私自身元々やや嫉妬心が強い傾向にあると自分自身で考えている*15からであり、嫉妬により向こう見ずの状態(早い話が視野狭窄)に陥り正しい理解が失われてしまう事をなんとしてでも避けなければならない*16と思っている事からでもあるのに、結局嫉妬心に負けているとも見てとれる様な事態にまた陥っていたと言うのも情けなく思ってしまう。昔色々ココチノに対して批判的な見方も多かったけど、それは結局ココチノに対する私自身の嫉妬によるものだったんだと思うとやっぱり心苦しくなる。然し、同時に何故ココチノに対して嫉妬をしていたのかとなるが、それは皮肉と言うべきか現在のココチノを愛する秘訣ともなっている。

 ココチノに昔嫉妬していた原因と思われる最大の要因に、どんな時でも智乃ちゃんを第一に大切に考えている心愛ちゃんの深き愛情にあったと思う。もう何度も記載した事ではあるが、心愛ちゃんは智乃ちゃんの事を実の妹の様に可愛がっている。別にそれ自体は問題ではないのだが、その心愛ちゃんの深き愛情を本心では受け止めているとは言え、そうは見えない対応をとる智乃ちゃんの態度がどうも気に食わなかった。あれだけ可愛がって貰っているのにも関わらず、それを否定するような態度は正直腹が立った。元々は赤の他人*17だった人に可愛がって貰える事がどれだけ有難い事か分かっていないと私の目に映ったのも原因かもしれない。更に言うなら、どれ程智乃ちゃんがつっけんどんであっても心愛ちゃんは変わらず優しくしてくれる点も正直嫉妬を覚えた。これは正直私の僻み(ひがみ)なのだが、普通あれだけ人につっけんどんな対応を取られ続けたら多少なりともその人の事を好きではいられなくなるものだと思うのだが、心愛ちゃんにはそれが無いのだ。これはそれだけ心愛ちゃんが性格が良い事を示しているのだが、自分にはこんな事は出来ないだろうなと思っていたため、とにかく自分に腹が立った*18結局ココチノに嫉妬していると言いながらも、実の所本当に嫉妬していたのはココチノの様な理想の人間関係が創れなかった自分自身だったと今は思う。しかし当時はそれを頑なに認めたくなかった。結局自分の弱い面を認めたくなかっただけなのだ。まぁ今となっては嫉妬を覚えていたものは全てココチノに対する愛情の拠り所になっているが。

 これらの葛藤を乗り越えた今、ココチノは大好きで大切な2人組だと心から思える様になっている。理想としては初めからこう思うべきだったのだろうが、自分は漸くである。ただ、葛藤のおかげでこれからもし、またココチノに対して嫉妬的な感情を抱く事があったとしてもきっと乗り越えられると考えている。葛藤を乗り越えて得た絶大な愛情と知見は伊達や酔狂なものではないのだから・・・。

 5.ココチノが好きであると言う事

 物語の主人公である心愛ちゃんと、もう一人の主人公とも言える智乃ちゃんの2人組であるココチノが好きだと言うのは偉大なる姉妹の友情が好きだという事だと私自身思っていたのだが、今はそれだけでなく、一見しただけでは分からないココチノの信頼関係が好きになれる秘訣なのではないかとも考えている。たとえ血が繋がっていなくても、何時も智乃ちゃんにあしらわれようとも、心愛ちゃんは参る事も無ければ嫌いになる事も無く、増して智乃ちゃんに対して意地悪な事をする事も無く、何時も優しく智乃ちゃんを可愛がり、智乃ちゃんが寂しい思いをしない様に気遣っている。何時もは人を振り回してばかりの心愛ちゃんだけど、智乃ちゃんと一緒にいる時は心愛ちゃんの良い面が全面的に出ているとも思っている。それは智乃ちゃんも同様で、普段こそ素っ気ないとは言え、本当は心愛ちゃんの事をすごく頼りにしているし、何より大切な存在だと思っている。これらの事から、ココチノと言うのは人の温かみを強く感じられるものなのではないと思うのだ。人が持つ温かみや優しさ。それが遺憾なく発揮されていると思う。

 あと、毎度書いている事なのだが、ここまで書いたココチノの想いと言うのはあくまで私の想いなのであって、別にこの考えは強制されるものでは無いし、まして他の考え許すまじ(許されないという意)という事では断じてない。各々の想いと言うのがあるからこそココチノ大好きだと言えるものだし、他の人の考えは本当に興味深いものがある。言いたい事は結局各々が持つ考えをどうか大事にして欲しいという事なのだが、それだけ重要視しているからこそ何時だって書くのである。

3.余談

 前述の通り実の姉妹ではないココチノだが、時間と共に智乃ちゃんがだんだん心愛ちゃんの影響を受け、本当の姉妹らしくなりつつある。尤も2人共姉妹である事をずる賢く利用して、理世ちゃんに怒られた事*19もあるのだが・・・。

 智乃ちゃんにとって心愛ちゃんと言う存在は想像以上に大きい様で、最早心愛ちゃんがいない生活は考えられないものとなっていて、心愛ちゃんが何らかの事情で少し智乃ちゃんの下から離れただけで通称ココアシックになる事からも良く分かる。尤もこの事は智乃ちゃん以外にも言えていて、心愛ちゃんと言う存在の大きさが垣間見える。

 実はココチノに対する想いを書くにあたっては相当コンセプトに思い悩んだ。初めにやや重めの内容になったと書いているが、これでもまだマイルドに抑えられている方ではある。とは言っても他の2人組と比べれば重めなのに違いはないだろうが・・・。また書く量も期間も長くなってきており、書き始めた頃は9月のきらま発売直前だったのに、気付いたら3期のBLOOM放送当日になってしまいました。つまり3週間程かかっているという事であり、ペースの遅さが目立つ結果でもある。今後はもうちょっと早く書かないとな・・・。

*1:この記事を書き始めたのが丁度9月のきらまの発売日の直前でした。気付けば10月のきらま発売の方が近くなってしまいました。時の流れは早いです。

*2:保登心愛と香風智乃の事。

*3:態度、言動共に愛想が無く刺々(とげとげ)しいという事。

*4:特に初期がその傾向が強かった。

*5:但し、やきもちを焼く事に関しては智乃ちゃん本人は無自覚。更に言うなら、心愛ちゃんが千夜ちゃんの異変に直ぐに気付いたのも実は千夜ちゃんが考えている事が顔に出やすいからであり、智乃ちゃんの様に顔に出にくい人は気付こうと意識していても中々気付きにくい事もある事も加味する必要性そのものはある。

*6:基本的に人と言うのはつっけんどんな態度を見せる人にはどうしても距離を感じてしまうため。

*7:ただしその旨を親しい友人と積極的に真面目に相談する事はあまり無い。基本的に人に自分の気持ちを包み隠す事が無く話す事の多い心愛ちゃんにしては珍しいが、他愛のない会話でその事を時々話していると言うのもあるのかも知れない。

*8:それでも親友である千夜ちゃんと比べると影に隠れがちではある。心愛ちゃんとしては自分が落ち込んだりすると周りの人達まで悲しませてしまうと気を遣っているのも大きいのだろう。ただ、それは言ってしまうと無理をしている事になる。

*9:仮にそう思うと今度は別ベクトルから辛さが来る・・・。と言うか実際そういう辛さを経験した事もあるのだが、それは別の機会。

*10:こうなる事で一番辛いのが、相手からしてみれば自分が何時までたっても不愛想(ぶあいそう)で心を開こうとしないだから距離を取ったんだという事なのだが、その事をめぐって自分と相手で理解の齟齬(そご)が発生してしまうケースが少なくない事である。互いに悪気が無いのなら尚の事である。

*11:私は元々イチ推しであったとしても贔屓(ひいき)はしない点があり、悪いと思う事ははっきりと悪いと思うタイプである。これは人の欠点を許せるつまり人のあらゆる面を知った上で受け入れる事と、人の欠点を無視するつまり人の一部分しか知ろうとしない事は全く違う事であると思っているのが大きく、別に好きだからって欠点を無視できるとは到底思えないからである。

*12:双方共に寂しがりで甘えん坊なのは勿論の事、どういう訳か好き嫌いが多い点も共通しており、2人共人参が嫌いだと言う子供っぽい面がある。挙句自転車も乗れなかった点までも・・・。尤も今は(少なくとも心愛ちゃんは)乗れる様にはなっているが、年の割に子供っぽい所が目立つ事には変わりない。大人って何なのだろうと思うには十分であるが、何もこういう点があるから大人にはなれないと言う事でもないとも思う。

*13:本当の姉妹では無いとは言え、この2人なら姉妹であっても良いと思う。

*14:私自身、元々智乃ちゃんは本心が分かりづらい面があるとは言え、深く考えてみればある程度の考えは立てられる程度のものではあると考えているため、理解が上手くいかなかったのは単に受け止めようとしていなかっただけだったとも思ってしまう。

*15:とは言っても普段は嫉妬する事を意識する事は殆ど無い。何故一見矛盾している様な事になっているのかと言えば、それは人に対して嫉妬はしない様にするべきと自分自身で心掛けているのが強過ぎて、本心の気持ちを蔑ろにしている故なのかもしれない。この辺りの詳しき事はまた別に機会に。

*16:一度こうなってしまうと修正するのがとても難しい。何故なら、自分でもこのままでは駄目だと思って改善するべきと自分で分かったとしても、いざ止めてしまえばもう自分自身の拠り所が完全に無くなってしまうと言う恐怖心が異常なまでに心を支配するから。

*17:いくら心愛ちゃんが姉妹みたいだと言っても最初は当然ながら赤の他人同士であり、その段階からお姉ちゃんだと思って何でも頼って良いとは中々言いづらいにも関わらず、心愛ちゃんは物怖じする事も無くやってのけた。これ自体はたとえ血の繋がっていない、言ってしまえば赤の他人同士でも本当の姉妹の様に信頼関係を築き上げられると言う好い例だと思うのだが・・・。

*18:これ自体は私自身の性格や考え方も大きく影響している。

*19:心愛ちゃんと智乃ちゃん2人共に好き嫌いが多い(心愛ちゃんはトマトジュース、智乃ちゃんはセロリが特に苦手。)のだが、共通して人参が嫌いであり、理世ちゃんが作ってくれたカレーの中に入っていた人参をのけた為。これ以外にも智乃ちゃんは心愛ちゃんにシチューの材料を買ってくるように頼むときに人参を買ってこない様にわざわざ買い物リストから外した事もある。

まんがタイムきららMAX2020年11月号掲載のごちうさの感想と想う事について

 こんにちは。きらまの発売日を迎えて更にごちうさ愛が高まっているのが実感に有ります。本格的に知り始めてより2年程経過しましたが、2年なんて別に取り立てて言う程でもないと考えています。だって、こういう趣味の原型はもっと昔からあるんですから。それは追々書いていきます。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX(以下、きらま)の2020年11月号掲載のごちうさについての感想を書こうと思います。きらま本格購読開始から2回目にして本格的な感想を叙述すると言うスピードの速さですが、今回は書きたい内容がとりたたて多いものだったからです。今回のきらまに掲載されているごちうさから何を思い、そしてどう考えたのか、書き出していきたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上、読んでいただくと幸いです。宜しくお願い致します。

1.きらま告知を見た段階より前の経緯

 先月からきらまでの購読を開始した私。元々は次のごちうさ単行本が発売されてから購読し始めようかとも考えていたのだが、先月までの時点できらまでもごちうさを読んで最新の内容を追っていきたいと言う願望が強く現れる様になった。それまでもきらまでもごちうさを読もうかと考えた事はあったのだが、如何せん雑誌を殆ど買わない人間だった私は長らく見送ってきた経緯がある。ただ、実の所それがごちうさに対するストレスの原因にもなっていた。しかもそのストレスは色んな意味でごちうさへの接し方の在り方もを揺るがす程に危険なもので、恐らくだがこの頃にごちうさから離れていたら多分二度と帰ってくる事は無かったか、若しくは戻ってきても何年後*1とかいう可能性すらあったと思う。

 そういう経緯もあって、先月からきらまでもごちうさを読み始めたのは大きなターニングポイントだった。今までの悩みは無くなり、ごちうさについてより前向きに自分が思いたい事を素直に思える様になれた。それまでもこのブログで自分のごちうさに対する想いを書く事で少しづつ前向きにはなっていたのだが、本格的に悪しき記憶から決別し、前を向いて進もうと決断できたのは先月のきらま購読を決断したタイミングからだった。

2.きらま告知を見た感想

 今月は曜日の関係で17日夜の告知そして18日の発売だったので、何時もより1日早かった。一日早く来るとだけあって楽しみが早くなると喜ばしかったが、緊張もあったのも事実だった。既に大きな決断をしたとは言えそんなに経っていた訳でもなかった為だ。とは言っても見ないと言うのは考えられなかったので、告知がなされるその時を待っていた。

 そしてTwitterできらまの告知を見た時、まぁ今月も凄いと感じ取った。更に画集の詳細情報もあったので、ますます喜ばしかった。ただ、あくまで平静を保っていた。元々私にはクールな平静を装う癖があり、今回の告知を見た時も例外では無かった。とは言っても内心喜んでいた事には変わりなく、絶対に買いに行くと決めた。

3.今月のごちうさを読んだ感想(大筋)

 こうして18日、本屋さんに行ってきらまを購入した。そして家に帰ってから早速購読した。ごちうさが表紙となっているきらまを購入するのは初めてだったので、表紙を見ただけで楽しめたのは嬉しかった。しかもそれが2カ月連続でなんて、考えるだけで楽しみである。

 さて、ここまで色々説明が長くなってしまったが、遂にここから今月号のごちうさの感想を書きます。ここから感想故に本格的なネタバレが含まれているので、その辺りのご理解は宜しくお願い致します。

 今月号のごちうさを一通り読んで思った事は、皆が本当に仲が良いんだという事である。元々その仲の良さは分かっていたのだが、先の旅行*2を経て更に仲良くなったような気がするのだ。さりとて言うなら心愛ちゃんも全く変わっておらず、最近7人*3で集まれてないという事で皆で進級記念パーティーをやろうと企てる等、皆を楽しませたいと言う想いに満ち溢れているのだと改めて思った。その計画を一緒に考えていた智乃ちゃんにしても、明るくノリも良く振舞っていたので、もう以前の様にクール一辺倒でも無いんだなと、改めて心に深く感じ取るものがあった。元々全くの無表情且つ無感情でも無かった*4のだが、やたらとクール且つやや不愛想でそこまで人当たりが良いとは思ってなかった。それだけに今の智乃ちゃんは本当に人として大きく成長してるんだと感銘を受ける。

 心愛ちゃんにしても、凛さん*5と出会った時に自分の心証を明かしたりと、凛さんとも良い関係である事が良く分かる。でも、その凜さんの事を心愛ちゃんは凜ちゃんさんと呼ぶあたりそれらしいと思った。
 その明かした心証とは、主に実は皆といつも一緒に居られなくて心細くなっていた事、今回しようと言ったパーティーも自分の為にやっている側面が強いという事である。心愛ちゃんは何時も明るいと言うイメージが強いが、その実割と心配性且つ零細な面もあり、私が楽しいと思って計画している事は皆はどう思っているのかについて心配する事も少なくない。それだけ人想いな人だという事なのだが、実は寂しん坊でもあるのでいつも誰か大切な人と一緒に居たいと言う願望も強いのもあるのだろう。

 そしてパーティー当日になって、皆がそれぞれプレゼントを持って来てくれた。そのプレゼントもそれぞれの個性が活きていて、各々の想いが伝わっていくのと同時に、皆でそれぞれの欠点をも補完し合っているんだなと思えた。そしてそのプレゼントは実は4月10日に誕生日を迎える心愛ちゃんの為のものであり、コップも紗路ちゃんの母親が作ってくれたコップを使ってお祝いする等、何とも粋な演出だと思った。そんなサプライズを知ってマジ泣きしたのも印象的だが、それ以上にそもそも自分の誕生日を忘れていたのが何とも心愛ちゃんらしいなと思った。

 その後新生活での新しい関係について皆で話し合うと、自分の関係こそ一番素晴らしいんだと言わんばかりに主張し始めるのだが、そういう事が出来るのも自分に自信があるからであり、それを言い合えるのも仲の良い証だと考えているので、本当にこの7人は仲の良い関係なんだと思った。その後に新しい制服*6で写真を撮っているのも、7人で迎える新しい門出だと言わんばかりの構図で誇らしいとすら感じ取れる。

 そこから一転して心愛ちゃんのお母さんに視点が向けられ、お母さんの友達だった香風咲さんの渾名(あだな)がうさぎちゃんである事が明らかになった。このうさぎちゃんについての考察は後述するが、やはり心愛ちゃんと智乃ちゃんの母親同士の関係として気になる点ではあるだろう。因みにこのタイミングではモカさんは以前皆が旅行していた場所に飛び込み旅行しているのだが、そこで心愛ちゃんらが盛り上げているのを聞きこんで自分も負けていられないと決意した辺り、流石姉妹だと思った。その様子を見た青山さんも触発されて仕事が捗(はかど)りそうで何よりだ。

 そして最後の場面も心打つ場面で、智乃ちゃんが心愛ちゃんに向かって一回しか言わないからよく聞く様にと釘を刺したうえで、お姉ちゃんと言おうとしたその時に、風衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃんが来店してきて、結果的に心愛ちゃんは聞きそびれてしまうのだが、智乃ちゃんが旅行先で知り合ったフユちゃんと心愛ちゃんが馴れ馴れしく接しているのを見て、智乃ちゃんはプレゼントはお預けだと言って怒ってしまうのだが、いつも通りで良いんだと思わせてくれる良きシーンだった。

4.今月のごちうさを読んだ感想(詳細)

 これまでは大筋の感想を書いてきましたが、ここからは自分が特に良いと思った部分の感想を詳しく書きたいと思います。先程と被る部分もありますが、その辺りはご了承ください。今月のごちうさにおいて良いと思った部分は多岐にわたりますが、特に良いと思ったものを3つ程度紹介したいと思います。

5.数字に秘められた無限の可能性と想い

 1つ目の見出しからいきなりなんだとなってしまうかも知れない。一体何の事か分かりにくいと思われるが、私個人的には数字には様々な可能性と想いが秘められていると思うのだ。

 そもそも私自身、実は数字と最も関わり深い数学は得意じゃない寧ろ苦手なくらいなのだが、どういう訳か昔から数字そのものに強い関心と拘りがあって、数字を使って色んな物事を手繰り寄(たぐりよ)せたり、考察等をしてきた過去がある。元々昔から好きだった趣味に道路があるのだが、道路には番号*7が付けられたり、キロポストが設置されたりしている。そこに書かれた数字を見るのが小さい頃から大好きだったと言う、少し変わった感性を持つ人だった。最近ではクラシック音楽の作品番号、整理番号、年代にも強い関心を持ち、沢山記憶している*8のだが、今月のごちうさにおいても気になる数字がいっぱいあったのだ。

 まず気になった数字は智乃ちゃんが言った「7人」という数字である。この7人と言うのは保登心愛、香風智乃、天々座理世、桐間紗路、宇治松千夜、条河麻耶、奈津恵の7人の事だが、この7人と言った事がなんだか嬉しかったのだ。原作の初期の方を知っている人は分かる事なのだが、元々は麻耶と恵を除いた5人で行動する事も多く、主要5人組ともいえる様なポジションも存在する程だった*9ので、2人の疎外感が否めないのが自分の中で存在したのだ。それが次第にマメを加えた7人で行動する事も多くなっていったのは原作を追えば分かる事なのだが、このタイミングで智乃ちゃんが7人と言った事には心を打った。心打つ要因には、やっぱり7人いてこそ皆が楽しめると言うのを、昔は中々自分からは言い出せなかった智乃ちゃんが望んでいると言うのが大きかったんだと思う。人の成長をも感じ取らせる可能性を秘めた数字だと思われるのだ。

 次に、心愛ちゃんの誕生日である「4月10日」と言う数字にも可能性を感じた。この4月10日と言うのが心愛ちゃんの誕生日だと言うのは最早周知の事実ではあろう。何時も明るく元気で人想いで、人を楽しませることを何よりも楽しみとしている心愛ちゃんらしい誕生日だと思う。しかし、本当にすごいと思うのは心愛ちゃんの誕生日が春だという事にある。
 春と言うのは出会いと別れの季節である。心愛ちゃんにとっては自分自身の誕生日である春に木組みの街にやってきて皆と出会い、そして今の関係を築いていった。別れと言うのは当然ながら生まれ育った故郷なのだが、その出会いと別れと言う節目時に誕生日を迎えると言うのはある種の奇跡とも言える。因みにこれは完全に余談なのだが、かのワルツ王「ヨハン・シュトラウス2世(1825ー1899)」が作曲したワルツ「春の声」はなんと作品番号が「410」なのである。数字がもたらす因果関係に惹かれる理由でもあり、美しいと思う理由でもある。

 この様に数字と言うのは様々な事象を示すと共に、その数字に込められている想いや可能性について考える事も出来るのだ。何気なく発している数字にも、色々な想いがあってその数字になるのだと思えば、数字が持つ無限の可能性の理解も難しくはないのである。

6.皆の確かな友情

 2つ目は皆の確かな友情についてである。ごちうさに登場する人達は仲がとても良いのだが、この回は特に強く現れている気がしたのだ。ただ、一から全て書き出すといくら何でも量が膨大になってしまうので、今回は私自身が特にこれが良いと思ったのを書きたいと思う。

 今回の話において特にこの友情が良いと思ったのは心愛ちゃんと真手凛(以下、凛さん)さん、紗路ちゃんと千夜ちゃん、心愛ちゃんと千夜ちゃん、青山さんとモカさん、そして心愛ちゃんと智乃ちゃん、フユちゃんである。先ず心愛ちゃんと凜さんから順に説明する。

 心愛ちゃんと凛さんの関係が良いと思った点は、心愛ちゃんが寂しそうにしているのを見て、何とか励ましてあげようと嘘まで言って凜さんが奮闘する点にある。本当は凜さんだって青山さんと離れて心底寂しくしていると言うのに、それでも尚人の為に奮闘する点が凄いと思うのだ。これは中々難しい事で、相手がたとえ仲良しな人であったとしても自分自身も元気じゃない時に人を励ます気になるのは容易な事では無い。そんな中で凜さんが心愛ちゃんの事を励ましたのも、心愛ちゃんの事を良く知ってて元気でいて欲しいと思っているからではないかと考えられるのだ。

 紗路ちゃんと千夜ちゃんの今回特に良い点は、幼馴染の友情を感じさせつつ今の良き関係を作っているのを感じさせる点である。今回各々が心愛ちゃんにプレゼントを持って来ているのだが、その際に千夜ちゃんがちょっと良いものを持って来て紗路ちゃんにマウントをとった*10辺りやっぱり千夜ちゃんが紗路ちゃんをエスコートしてたいんだと言うのが感じ取れる。そう感じとった要因は、昔から千夜ちゃんは積極的に紗路ちゃんを引っ張っていく存在だったが故もあるだろうが、紗路ちゃんには負けたくないと言うのもあったのであろう。千夜ちゃんにはああ見えて負けず嫌いな一面もあり、打たれ弱い面もあるのだが、紗路ちゃんにはそういう面を見せない様にしているのが散見される。ただ紗路ちゃんも何も言わないだけで千夜ちゃんのそういう所は分かっていて、自分が千夜よりあっと言わせるような事をすると面倒な事になると分かっているからこそ、千夜ちゃんが何時も自分より凄い事して圧倒されたとしてもそこまで深く言ったりしないし、また今に続く信頼があるからこそ、そういう事が可能になっているんだと改めて思わせられる関係であった。これが幼なじみの今に続く良き関係だと思える。

   次に心愛ちゃんと千夜ちゃんの関係についてだが、特に良い所は仲睦まじき親友の友情の再確認にある。旅行編において千夜ちゃんは心愛ちゃんに新学期を迎える不安を吐露しているのだが、心愛ちゃんはそんな千夜ちゃんを優しく励ましていた。そして時は流れ、新学期を迎えて、心愛ちゃんと千夜ちゃんは遂に別々のクラスとなり、多少なりとも心愛ちゃんは心が沈んでいた。今までずっと同じクラスであった親友な上、その出会い方も奇跡的なものであり、しかもその奇跡の出会いがあったからこそ、新境地で右も左も分からなった心愛ちゃんにとって相当な心の支えともなっていた。ショックを引きずるのは無理ないことである。そんな心愛ちゃんを優しく励ましたのは他でもない親友の千夜ちゃんだった。この事自体は千夜ちゃんにとっては以前私にしてくれた事のお返しとも言えるが、心愛ちゃんにとってこれがどれほど嬉しい事か、もはや想像には難しくないだろう。

   次は青山さんとモカさんで、この2人組の良い所は遠く離れていても実感出来る絆がある事を感じさせてくれる事である。青山さんもモカさんもこの回は以前心愛ちゃん達が泊まっていたホテルにいるのだが、そこで青山さんからモカさんに向けて伝えられる内容が良いのだ。青山さんはモカさんに向けて、大まかに言えば心愛ちゃん達の凄さについてモカさんに話しているのだが、それを聞いたモカさんは妹である心愛ちゃんが大切な友達と一緒に元気に楽しくやっているんだと喜びつつも、自分も負けていられないとホテルのオーナーに仕事をさせてくれと頼んでいる。ここから分かる事は、モカさんにとって妹である心愛ちゃんの成長は喜ばしいと同時に、お姉ちゃんとして負けていられないと思わせるきっかけでもあるという事である。姉妹というのは往々にして切磋琢磨し合う最も近しい存在となり得る事もしばしばあるのだが、これはその最たる例と言えるだろう。そんな関係を大人の目線で見守る青山さんの存在も重要である。モカさんも十分大人だが、しっかりとした大人な目線と言うのは青山さんの方が一枚上手である。そんな青山さんがモカさんを含めた仲睦まじき関係を優しく見守る存在であると言うのは非常に重要な事であろう。

 最後に心愛ちゃんと智乃ちゃん、フユちゃんの特に良かった点について書きたい。ここだけ3人となっているのは、3人でなければ伝わらないからである。

 事の流れとしては、智乃ちゃんが心愛ちゃんに対してサプライズだと言ってお姉ちゃんとして感謝を伝えようとするのだが、そのタイミングにフユちゃんが来店してきて、心愛ちゃんがフユちゃんを引き込む形で仲良く会話するのを見て智乃ちゃんが多少怒ってしまうと言う流れで終わっていると言うものである。なんとも心愛ちゃんらしいと言えばそうだが、ここにはごちうさの良い点がいくつもある。

 その良いと思う点と言うのは、心愛ちゃんが新しく街に来た子*11であっても全く壁をつくる事無く優しく接する点である。これは心愛ちゃん自身の性質も大きく、普通、たとえ相手が嘗て会った人でその上仲良くした事があるとは言ってもいきなりあそこまでするのは難しい。大半の人は多少なりともよそよそしくなるだろうし、警戒心が強い人なら尚更である。しかし心愛ちゃんは全く警戒する事も無く、まだ木組みの街にきて日の浅いフユちゃんを温かく迎え入れ、その上お姉とまで言える程打ち解け合っている。これはフユちゃんにとってどれほど嬉しい事なのか分からない。フユちゃんは恐らくだが恥ずかしがり屋な性格であり、少なくとも人と話すのは得意でない様子がしばしば覗かせている。そういうタイプの人と言うのは私自身もそうなのだが、兎に角人付き合いに苦労する。新しい場に行ってどうすれば良いのかも良く分からず、増して知っている人なんている筈が無い環境において人付き合いも上手く出来ない為、孤独でどうする事も出来ない辛さを味わう事も少なくない。そんなタイプの人にとって相手自ら自分に関わってくれる人と言うのは、多少は恥ずかしくてもありがたい存在であると思う。フユちゃんにとってそんな存在と言うのは智乃ちゃんが最初だが、そこから心愛ちゃんに繋がったのは大きな宝物になると思われる。

 その一方で、心愛ちゃんとフユちゃんが仲良くしているのは智乃ちゃんにとっては何だか嫉妬する気持ちになる様だが、それも心愛ちゃんと言うお姉ちゃんが大切な存在で、私の事もちゃんと見て欲しいと言う想いが心の底に存在しているからだと思うのだ。智乃ちゃんにとっても心愛ちゃんと言うお姉ちゃんは、今まで殆ど年上と接する機会しかなかった自分にとって同年代の信頼できる人達と共通の思い出を創っていく楽しさとかけがえのなさを教えてくれた大切な人である事が良く分かる場面でもある。

 つまりここで分かる事と言うのは、心愛ちゃんが智乃ちゃんにとってかけがえのない存在である事は勿論の事、成長した智乃ちゃんが出会ったフユちゃんとの良き関係を智乃ちゃん自身の力で良き関係を築き、その関係を心愛ちゃんが大切にする傍ら、心愛ちゃん自身もフユちゃんと関係を深めるという事が言える事である。自分が大切にしていた妹が成長して新しい関係を築いていくと言うのはモカさんから見た心愛ちゃんと言う構図でも言える事だと思うのだが、それを心愛ちゃんが実践していると言う訳なのである。

 ここまで皆の仲の良さを考察してきたが、ここで大事なのは常日頃から仲が良いと言う点である。普段から仲が良いからこそこういう時に見えてくるものも多いと思われるからこそこういう事を書いているのだが、これはあくまで自分の意見である事は留意してほしい。各々が持っている考えは絶対に良いものだと思うので、自分の考えは大切にして欲しいと言うのが私の想いである。

7.巡る想い

 最後は巡る想いについてである。やや少なめの内容だが、真面目な想いであるのは変わりない。想いは文量が全てではないのであると思う。

 今月のごちうさにおいて心愛ちゃんの母親も出ているのだが、そこで元気そうな子供たちを見つめて嬉しそうにする傍ら咲さんの渾名がうさぎちゃんである事が判明している。ここで思う事は、心愛ちゃんと智乃ちゃんの母親同士非常に仲が良かった事である。
 そもそも何故に心愛ちゃんの下宿先が香風家だったのかと言うのも気になっていた。あくまで予想に過ぎないが、もしかすると母親同士のよしみがあったからこそだったかもしれないと思うと、想いの伝達即ち巡る想いが成立すると思ってやまないのだ。もっと言うなら理世ちゃんと智乃ちゃんも父親同士の仲があってこそだし、紗路ちゃんと千夜ちゃんも母親同士の関係があってこそである。親から子に巡る想いと言うのがとても印象的なのである。

 巡りめく想いと言うのは心に沁みゆくものがある。ただ、やはりと言うか何と言うか、こういう想いは多くの人が沢山の見解を持ってらっしゃると思われるので、言い切る様な言い方は難しいとは考えている。だからこそ、ある程度の大筋は共通しているとは思われるが、突き詰めていくのは各々の色があって良いと思っている。細かくは違う人の意見を見るだけで得られるものはたくさんあると思うのだ。ただ私自身巡りゆく想いと言うのは、何というロマンティックな事なんだと言いたくなる程、偶然という名の奇跡が積み重なってできた正に奇跡の賜物(たまもの)なんだと思う。

8.今回のまとめ

 今回初めてきらまにおけるごちうさの感想を書きましたが、まぁ急ピッチでやったので大変でした。千夜ちゃんの誕生日が9月19日なのでそれに合わせてお祝いをしたいと思ったからなのですが、そういうのも本当はおかしいとは思います。そこから書きたいと思っていざ書き出してみたら「あっ、普段やっている事とさほど変わりないんだな。」と思いましたね。自分が普段ごちうさに対して想っている事を書き出す延長にあるような感覚で楽しかったです。

 内容によって書いた文の量の差はありますが、どうしても急ピッチで書き進めないといけなかったのと、単純に思う事の匙加減(さじかげん)の差があるからです。人間なんで興味のある無いによって思う比率と言うのは変わるものだとは思うのですが、今回それが結構出ていると思いますね。まぁ次回以降に生かせるものだと思えばいいのかと考えています。

 最後の締めくくりに、冒頭で言っていた「2年なんて別に取り立てて言う程でもない。私のこういう趣味の原型はもっと昔からある。」と言うものですが、私自身15年以上前から趣味を全力で楽しむ事をしています。その間には色々な事があって、時には人生の支えになったり逆に苦しむ要因にもなったり、趣味の対象も時と共に移り変わっていきましたが、嘗て全力でやった趣味は忘れる事無く覚えていて、いつかまた全力でやるその時まで温めたりしています。これら趣味のおかげで豊富な見識があり、今のごちうさの考察の礎ともなっているのは本当に良かったと思います。だって何かに活かせる趣味なんてそうそう簡単に作れる事では無いんですから。この長きにわたる経験があるが故に2年や3年と言うのはそんな取り立てて言う程のものでもないと思う事が多くなっていったのですが、やっぱり2年や3年と言うのは長いと言うのも同時にちゃんと分からされています。趣味でやる分にはあっという間ですが、他の分野はそうでもないんだと思う事もしばしばです。

 でもやっぱりこれだけははっきりしていて、それはごちうさの皆はこれから何時までもその良き仲を大切にして欲しいという事であります。良き仲がずっと続くと言うのは本当にすごい事だと思うし、それが様々な因果関係から成り立っていると言うのだから益々すごいですよ。本当に仲睦まじい姿を何時までも見ていたいです。

 

 最後に、9月19日、お誕生日おめでとうございます。宇治松千夜ちゃん。

 

 

 

*1:最低でも2年から3年程は掛かり、今まで多くの趣味をやってきた中で、一度離れてから本格的に帰ってきたのが離れてから10年近く経ってからと言うのもあった。

*2:主に単行本8巻に収録されている。

*3:この7人と言うのもキーポイントだと考えられ、5人ではなく7人で集まりたいと言う願望が良く伝わってくる。

*4:因みにあらゆる人間の感情の中で一番難しいのは無感情だとも言われている。更に言うなら、最も人が拒絶するものだったりする。

*5:青山さんの担当でもあり、自身も書き物をしている。青山さんとは学生時代からの付き合いで、所謂遅筆家の青山さんを統制する一方、実は青山さんの事をすごく大切に想っていて、青山さんと関わっている時が一番幸せそうにしている。

*6:理世ちゃんは大学生故に私服なのだが、それだから良いんだと言える心愛ちゃんはやっぱり凄い人だと思う。まぁ私自身は制服は好きでなかった寧ろ嫌いにすらなっていたけど・・・。

*7:インター番号、国道番号等本当に多種多様。

*8:一例をあげると、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」はOp.74等。

*9:尤もチマメ隊と言う中学生組もあるのだが。

*10:良い表現が思いつきませんでした・・・。

*11:この場ではフユちゃん。