多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

ごちうさBLOOM第10~12羽の感想とBLOOMについて思う事

 ごちうさの中でも重要なお話を構成するクリスマス回であった10羽と11羽。原作だと6巻にあたるお話で、ごちうさの中でも特に感動するストーリーとして名高い。何と言うべきか、彼女らの友情と言うものの真髄全てはこのクリスマス回に詰まっていると言っても過言では無いと思う程で、普段中々見られないペアリングや意外な一面も含めて尊きものとなっている。

 10羽は心愛ちゃんと紗路ちゃんがクリスマスに向けての資金をためる為にアルバイトを掛け持ちするものから、青山さんのサイン会に向けて皆で盛り上げるお話があり、マヤメグと理世ちゃんの絡みがあり、最終的には智乃ちゃんに視点が当たる構成となっている。この羽は云わばクリスマスの前哨戦にあたるものであるが、インパクトはかなりのものである。
 11羽は出だしから良い意味で飛ばしてきている。新しき制服でみんなが交代しながらラビットハウスに手伝いに行くと言うものだが、制服が完成した経緯や想いの継承を知れば知る程感極まるものがあり、後半にそんな制服姿が一挙に集まると言う圧巻の光景は正に七色の奇跡である。ここからはそんな感極まる要素が盛り沢山のクリスマス回において私自身が感じた事について書く。
 また、クリスマス回の感想の後には最終羽である12羽の感想とBLOOMを観て思った事を書きまとめる。

1.クリスマス回の感想

1.ココシャロの仲睦まじさについて

 心愛ちゃんと紗路ちゃんのペアであるココシャロ。普段からこのコンビに脚光が当たる事は多くはないうえ、性格も全く違う上に抑々2人だけと言う接点がさほど無いのでイメージには浮かびづらいが、いざ合わさると非常に息の合った仲良しコンビとなるのが特徴的で、これは心愛ちゃんと紗路ちゃんは実は性質が似ているからとか周りからは言われていて、確かにその傾向があるのは事実だが、実際は気配り上手な心愛ちゃんが紗路ちゃんの事をすごく気にかけていて、紗路ちゃんは紗路ちゃんで心愛ちゃんの事が心配である一方、自身の幼なじみである千夜ちゃんの良き友達としていてくれるのが嬉しいからと言うのが大きい。

 このお話はそんな実は仲良しこよしな2人がクリスマスに向けてバイトで資金を貯めると言うものなのだが、2人共資金を貯める理由が単純に資金枯渇(こかつ)故で、しかも枯渇した理由が3期の1羽にあったブロカント(古物市)で2人共に買い込み過ぎたからだと言う割と切ない理由。何と言うか、後に千夜ちゃんにも言われる事なのだが、紗路ちゃんが金銭難な理由に単純に裕福では無いだけでなく、こういうブロカント等で一気に散財してしまうのが一因としてあると思われる。極度な節約は逆にお金が貯まりにくくなるとしばしば言われるが、その理由が普段我慢している分の反動がハレ(非日常)の日に一挙に襲ってくるからだと言うのは紗路ちゃんを見れば納得である。とは言っても2人共クリスマスに向けての熱情は本物で、バイトを掛け持ちすると言う事を率先してやっているのもその証とも言える。まぁ単純にクリスマス商戦期は書き入れ時だから需要も給与も多いと言うのもあるだろうが、そういう現実主義な事はごちうさの世界観ではこれ以上探らない方が良いだろう。

 この2人の魅力が多分に表れているのは10羽であり、同じバイトをこなしていく事で徐々に心愛ちゃんなしの環境が考えられなくなっていく(=心愛ちゃんがいないと寂しいと言う感情が芽生えつつある証)紗路ちゃんが凄く印象的だった。普段紗路ちゃんが心愛ちゃんと接する時はどちらかと言えば厳しめの事が多いので紗路ちゃんが心愛ちゃんを心からいて欲しいと思う事の稀少さが余計目立っている感こそあるものの、紗路ちゃんは以前心愛ちゃんが実家に帰省する時でも涙を浮かべながら自分の想いを心愛ちゃんに伝えているので、紗路ちゃんにとって心愛ちゃんは普段は騒がしくて世話が焼けるけど、本当はいてくれるだけで有り難い大切な人だと思っている事が分かる。だったら普段からもっと優しくしろとなる気もするが、紗路ちゃんの性格上そうする事が苦手なので態度がきつくなる可能性もある。まぁそれが免罪符になると思ったら大間違いだが、紗路ちゃんは人を傷つける事を平気で言ったりしないので心愛ちゃんも大して気にしていないのだろう。そう考えるとココシャロは他のコンビにありがちな変な気遣いが無い故に緩い関係だと言え、特に紗路ちゃんの緩み具合が激しい。他にも10羽の中だけでも心愛ちゃんが紗路ちゃんにご褒美としてメロンパンを引き合いに出して釣り上げようとしたり、漫才のお手本の様なボケツッコミをしたりと、他のコンビ以上にじゃれあっている印象が強い。
 しかしながら、普段からじゃれあっていると言う事はそれだけ変に気を遣わないでたとえ下らない事でも全力で楽しめる事を意味していて、それ故にお互い素を出して関わる事も容易で、だからこそプレゼント交換等も気が進みやすかったりする面があるのだろう。尤もこの条件がかみ合うのは紗路ちゃんが主で、心愛ちゃんの場合誰に対してもフレンドリーな面があるのであまり意味をなさないのだが・・・。とは言っても最終的に11羽でシークレットサンタがココシャロとなった時に心愛ちゃんが紗路ちゃんからもらったプレゼントで心愛ちゃんが大喜びしていた時の紗路ちゃんの反応を見るに、お互い気を遣わないでいられる仲であるからこそ分かちあえるものもあるのかもしれない。普段から紗路ちゃんの不器用な面が目立っているココシャロだが、気遣いなく接せる程仲が良いという事は見ていて悪い気はしないであろう。

2.マヤメグが魅せる人としての器量

 10羽、11羽共にマヤメグの存在感は非常に大きな役割を果たしていたと思う。10羽では理世ちゃんに子供の如くねだってみたり、11羽では智乃ちゃんを思わず涙させる程に心の受け皿となったりと大きな存在感を見せていた。特に11羽で新しき制服を着て、これからもラビットハウスで働いていけると智乃ちゃんに言って、それを聞いた智乃ちゃんが思わず涙したのが非常に大きな衝撃だった。マヤメグと言う2人は智乃ちゃんにとって一体どれ程心の救いとなっているのだろうかと思うには十分だった。

 私としてはあの智乃ちゃんの涙は今まで我慢して堪えてきたものが耐えられなくなったのだと瞬時に感じ取った。そして同時に智乃ちゃんが今まで抱えていたものの大きさにも想いを馳せた。マヤメグに受け止められて号泣している智乃ちゃんを見て、何も思わないはずが無かった。あんなに泣いている智乃ちゃんを見るとこっちまで心苦しくなってきたのを覚えている。きっと智乃ちゃんはもっと泣きたかったに違いない。だって幼くして最愛の母親と死別し、自分の尊敬していた祖父も亡くなってしまうと言う、最愛の人との早過ぎる別れを2度も経験しているのだから・・・。2度にわたる最愛の人との別れは智乃ちゃんにとって大きなショックだった事は想像に難しくなかったし、智乃ちゃんの母親であるサキさんが生きていた頃に見せていた智乃ちゃんの無邪気な笑顔や幸せそうな顔を知っていたので尚更だった。
 抱えきれない程の悲しみを背負い、次第に表情も感情も暗くなっていった智乃ちゃんの前に突然現れたマヤメグと言う存在。始めは戸惑いを隠せなかったが、次第にマヤメグと言う2人に連れられて、新しき世界観に踏み出していった智乃ちゃん。勿論智乃ちゃんが本格的に新しき世界に踏み出せたのは心愛ちゃんを始めとした高校生組あってこそだが、同級生で高校生組もとい心愛ちゃんより長い付き合いであるマヤメグには特別な想いがあったのであろう。マヤメグにしても、出会った当初は非常に暗かったであろう智乃ちゃんに対して見捨てる事無く友達であり続けた。この事はマヤメグが智乃ちゃんのあらゆる面を受け止めて心から分かってあげられる存在になっている事が非常に素晴らしく感じる事も繋がっている。あの光景を見て、マヤメグは智乃ちゃんにとって心から大切な存在なのだと強く感じた。

3.聖夜の日に輝く七色のハーモニー

 10羽、11羽を通して新しき色の制服が作られていくのも印象的だが、一番印象的なのはやはり11羽でラビットハウスの七色の制服が揃う所であろう。ティッピーこと智乃ちゃんの祖父をもってして、「智乃の母親が想像していた以上の光景」だと言わしめる程の光景は荘厳さすら感じる。普段はバラバラの7人が一ヶ所それも同じ制服を着ると言う光景は特別なものだと思うし、ましてそれが聖夜を飾ると言うのだから特別で無い訳が無い。心打つものであったことは言うまでも無く、この当たり前の様でいて特別な光景と言うものは何と素晴らしいのであろうかとしみじみ思う事もしばしばである。題名にも書いた七色のハーモニーと言うのは異なった色の調和であるのと同時に、その異なる色はどんなに他の色(人)に染まっても個性を保ち続けるものとしてあると考えている。個々人の輝きを失う事無く人々を繋げるものとして素晴らしいと思うばかりである。

4.クリスマス回の感想まとめ

 10羽11羽の所謂クリスマス回は非常に心に残る回だったと記憶している。元々ごちうさにおけるクリスマス回は非常にウエイトが大きいものだったのである程度は想像できていたのだが、いざ観ると圧巻された事を覚えている。尤もそもそもが理想郷とも言えるごちうさの世界観においても特に理想的だと言えるであろうクリスマス回を観て何も思わないのも酷な話だと思われるが、私自身その昔(と言っても半年前位)、ごちうさの世界観をじっくりと心豊かに考える余裕が無く、思い詰めながらごちうさを読んでいた頃だったので仕方がないものもあるとは言え、原作で初めて観た時には碌(ろく)に良い事を思い浮かべられなかったし、今となっては当時一体何を思い浮かべて読み進めたのか殆ど覚えていないと言う悲惨な実態があるので、今回純粋に楽しめたのが何より嬉しかった。

 そして、全体として良かったと言える事は、やはり皆の友情の大きさと温かさである。この2つを柱として様々な事が展開されていくそんな図式が思い浮かべられる様で心温まる回だったと思う。

 

 ここから先は最終羽の12羽の感想と、3期BLOOMを観て思った感想を書く。

2.12羽(最終羽)の感想

5.美しき姉妹愛とアニオリの真骨頂

 12羽の前半はココチノやココモカ等、姉妹愛に溢れた内容が豊富だったと思う。ド頭から心愛ちゃんと智乃ちゃんが姉妹の様に仲良くしているものや、皆と仲良しそうにしている心愛ちゃんから送られた写真を見て羨ましがるモカさんなど、姉妹愛を多分に感じられるものであった。そして、アニメオリジナルの構成が最大限に活かされた回であったとも感じた。

 心愛ちゃんと智乃ちゃんに関しては、智乃ちゃんが笑顔で心愛ちゃんと接していたのが印象的だった。智乃ちゃんは別に笑顔を全く見せない様な能面では無いのだが、昔の暗かったイメージが多分に強いが故に多少違和感を覚えるのは否めないのはある。ただ、違和感が否めないと言っても智乃ちゃんが急激に明るい人になった様に見える事により多少なりとも戸惑いがあるだけで、智乃ちゃんの笑顔は見ていて非常に微笑ましい。智乃ちゃんが幼き頃の様な無垢な笑顔を再び見せる様になったのも心愛ちゃんと言うお姉ちゃんがいたからこそだったのかなぁなんて思うと感慨深いし、何より人として大好きで尊敬できる心愛ちゃんと智乃ちゃんが他愛もない様な事でも笑顔で語り合い、分かち合っているのが嬉しい。また、この2人に関しては姉妹関係が入れ替わっても違和感を感じない程仲が良いので、そういう面でも喜ばしく思える。

 些細な事でも喜び合える姿を見るのが嬉しいのは何も心愛ちゃんと智乃ちゃんだけでは無い。それは実の姉妹である心愛ちゃんとモカさんでも同じ事である。モカさんは心愛ちゃんから送られてきた、皆と仲良く映る写真を見て「私も輪の中に入りたい」とかなり寂しそうにしていて、事実ラビットハウスごっこをしたりするのも妹である心愛ちゃんがいない寂しさの埋め合わせをしているからだと言える。モカさんとて強靭なメンタルを持つ万能な人では無い*1ので、本人はあくまで姉としてそういう弱い面は見せられないとかなり強がっているとは言え、心愛ちゃんと離れて過ごす事に寂しさを覚えている様で、木組みの街で楽しそうにしている心愛ちゃんの事を思い浮かべると、昔姉妹でずっと一緒だと思っていた事を思い出したのちバラバラだと言う現実に引き戻されて寂しさに苛まれると言う、まるで心にぽっかり穴が開いている様子が伺える。やはり最愛の妹と一緒に居られないと言う寂しさを誤魔化す事は出来ないのである。まぁ実際問題上の子と言うのはそういう面があるものだとは個人的には思うのだが・・・。
 そんなモカさんだが、上記の様になるのも妹である心愛ちゃんの事を本気で大切に想っているが故であり、普段から心愛ちゃんの見本となる様に努力を重ねていく事を厭わない精神力は本物であり、そんな陰で頑張り続けるお姉ちゃんを見てきてからこそ、心愛ちゃんも努力家な人*2になったのだと思うと、心愛ちゃんとモカさんの姉妹関係の真髄は2人の母親も言っていた「離れている2人だから、高め合えるのかもしれない」と言う事に集約されるのだろう。そんな関係性は憧れ意識を持つには十分である。

 また、今までの姉妹関係とは別物だが、モカさんとモカさん(と心愛ちゃん)の母親とのやり取りの中で、智乃ちゃんの母親であるサキさんとは「姉妹のように仲が良かった」と言うのは原作を見ていた私には普通に受け取れたのだが、実は少し驚いた事があった。「あだ名がうさぎちゃん」と言うのがこのタイミングで語られた事と、智乃ちゃんが心愛ちゃんの中学時代の制服を見た事をきっかけに自分の母親のアルバムを見て、母親がずっと木組みの街で居た訳では無かった事を知った事である。そして、この事はアニメオリジナルの真骨頂を知るきっかけでもあったのである。
 抑々心愛ちゃんとモカさんの母親の昔話もとい智乃ちゃんと心愛ちゃんの母親同士の親交が明らかになるお話は、原作では単行本6巻の最終話にあたるものなのだが、「サキさんの渾名(あだな)がうさぎちゃん」と言うのは単行本9巻それも最終話*3で分かる事であり、更に言うならばアニメではモカがいた場面で語られているが、原作ではモカさんは旅行編で心愛達が滞在していたホテルに行っているのでモカさんは知る由が無かった上、アニメで描かれた智乃ちゃんが母親のアルバムを見返して母親がずっと木組みの街にいた訳では無かったと言う事実は同じタイミングの原作では無かった*4ものである。つまり原作とアニメが全く違うものになっているという事であるが、そもそもBLOOMはそれまでもアニメオリジナルの展開が多くあった*5のでそれほど違和感は無かった。それどころかアニメだからこそ活かせる持ち味をもって皆の成長や変化を最大限に活かせるものとしているので、原作を知っている人でも油断していると涙腺が思わず緩みかねないものにまでなっている。詳しくは後述の「心動かす物語」にて。

6.再び見るアニオリの力

 12羽の後半は原作7巻であったガレット・デ・ロワ*6のお話が中心であり、原作でもあった理世ちゃんの大学合格のお話もあったが、やはり印象的なのは智乃ちゃんが外の世界をみてみたいと皆に頼みかける所が非常に印象的だった。皆の友情が固いものであるという事の再確認と言う意味でもうまく機能しているし、アニメにおいても原作の旅行編を示唆するものを入れてきたと言う意味でも素晴らしいと思った。
 しかし、ここでの真骨頂はやはりアニオリなのである。そもそもこの場面でもアニオリは数多く存在していたが、まず智乃ちゃんが王*7となる展開は原作通りだが、アニオリな点は最終的な王の命令が原作のかなり先のお話を意識したものとなっている事である。原作では割と当たり障りない展開になっていたガレット・デ・ロワもアニメでは原作の旅行編ひいては作品そのものの根幹にも迫る様な重要な要素になっているし、これは却下されたが智乃ちゃんが発した最初の命令(と言うより願望)もやはり作品を紐解いていく上で非常に重要なものとなっている。なお最終的な命令は「ラビットハウスで朝まで遊ぶ事」と言うものであるが、これも実は原作の旅行編の終盤に発した命令を意識したものである。
 更に別のアニオリとして智乃ちゃんの父親であるタカヒロさんとそのタカヒロさんの旧友である理世ちゃんの親父さんが再びジャズ演奏のために話し合っている場面がある。詳しくはOVAであるSFY(Sing for you)を観ると分かるのだが、ラビットハウスは嘗て経営難の危機に陥った事があり、その時経営難を救ったのがタカヒロさんとサキさん、そして理世ちゃんの親父さんのトリオでのジャズ演奏だった*8。サキさんが亡くなってしまった後は披露する機会が無くなってしまったと予想されるが、成長していく智乃ちゃんを始めとした皆を見て思う事があったのだろう。こういう想像が膨らむのもアニメならではであると思われる。
 そして12羽最後つまり3期最後のシーンも特徴的なのだが、その内容は智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して今まで沢山良い事をしてくれたお礼を言うものだった。言い方こそ実は恥ずかしがり屋な面もある智乃ちゃんらしく素直になり切れないものだったが、その言葉が意味することは今まで原作を追い続けた人も3期から観始めた人も関係なく心打つものだったと思う。

3.3期BLOOMを観た感想

7.温かき人間関係

 3期を1羽から12羽全て観てまず思ったのは、大切な人を思い遣ったり受け止めたりできる温かい心や優しさが今まで以上に溢れていた事である。ごちうさには元々優しさに溢れている事には気付いていたが、BLOOMではそれがあふれていた印象が強くあった。はっきりと分かる優しさから気付きにくい優しさまで幅は広いが、その優しさは全て相手を大切に想い合っている証である事が証明されていくのが観ていて微笑ましかった。そしてその優しさを観て自分も優しい人間でいても良いのだと思えるのが余計嬉しかった。自分で言うのも変なのだが、私は元々人から優しい人だと良く言われてきたのだが、その実優しい事は本当にいい事なのだろうかと疑問に思った事もあった。勿論優しいに越した事は無いと思うのだが、世の中優しいだけでは駄目なのだと思う事が多かった故に疑念が絶えなかった事がある。BLOOMの優しさや温かさはそんな疑念を解消するのにも一役買った。自分が持っている優しい心はそのまま大切にすればいいのだと皆の優しさに触れれば触れる程思う様になっていった。
 実は私自身、そう言う経緯もあってかごちうさの登場人物の中で本当に優しくない人は一人もいない*9と思っていて、形がそれぞれ違うとは言え根が本当に優しい人の集まりである事が良く分かるのがBLOOMの良い所であるとずっと思っている。人間が持つ優しさや温かみに触れる事で、心温まる感触を実際に確かめる事が出来る。そんな事を強く思ったのである。彼女達はこれからもその優しさと温かさで多くの人の心を動かしていく事だろう。

8.上質なアニオリ展開

 BLOOMを語る上で外せないのはやはりアニオリ(アニメオリジナル)展開であろう。そもそも原作とアニメが違ってくるのはそう珍しい事でもない*10のだが、ごちうさとりわけBLOOMでは良い意味であまりにもアニオリの効果が活き過ぎていて原作を事前に読んでいた私も驚きを隠せなく、遂には原作とアニメは別物だと考えた方が良いと思う程であった。制作陣は一体どれ程読み込んでいるのかと思ったし、既にあるものを再構築する事の難しさを鑑みると、制作陣は何処まで素晴らしいを地で行く様な事をし続けるのかと称賛の一言に尽きるしかなかった。
 ごちうさのアニメは元々原作とアニメではお話の展開の組み立て方が違っていた事にはかなり前から気付いていて、それに伴い原作とアニメでどんな展開の違いがあるのかそんな事を楽しみながら観ると言う事もできたのだが、今回のBLOOMは少しばかり別格だった。DMSとSFYと言う劇場版とOVAを経て更に進化した表現力と構成力をもって更に上質なアニオリ展開を見せつけてきたのだから。その上質なアニオリ展開は正に恐るべきまでの読み込みと場数を踏んできた制作陣が大切にしてきたごちうさ愛の集大成と言っても良いものであると思う。読み手以上に制作陣がごちうさについて読み込んで、読み手の想像を遥かに超えるものを提供すると言う凄さ。私はこれ程凄い作品に出逢った事は今まで無かったと振り返ってみてもなお思うし、これからもごちうさ程凄い作品に出逢う事はそうそうないだろう。

9.心動かす物語

 ごちうさは可愛さに溢れているのと同じ位に大切な人がいる事の有難みや喜び、そして感動を伝えてくれるものだと思っているのだが、BLOOMはそういう面でも今までのごちうさアニメを超えるものだったと感じている。無論今までのごちうさアニメにおいても感動する展開は数多くあったのだが、今回は文化祭、クリスマス回をはじめとして些細な事に至るまであまりにも心動かされるものが多過ぎた上に、アニメだからこそ可能な持ち味をもって最大限に皆の成長や心の変化が描かれていた事も相まって、原作を読んでいて事前に内容をある程度知っているのにアニメの展開に追いつけないと言う状態になってしまった。
 これこそがBLOOMが心動かす物語としても感動する物語としてもごちうさ史上一二を争うものになっている最大の理由で、緻密(ちみつ)に計算され尽くされた構成になす術もなく心を奪われてしまうのである。そしてその緻密な構成を可能にしている原作のストーリーそのものも非常に重要であり、BLOOMはこの二大巨頭によって観る人の心をも動かすものに仕上がっている。
 なお、私自身は感動しても涙を流す事が無い人故に1羽から12羽を通して涙を流した事こそ無かったものの、その緻密且つ丁寧に構成され、アニメだからこそ持てる強みや良さを最大限詰め込んだ一つ一つのお話には思わず心を奪われた。昔原作で読んだ時はあれ程思い悩んだ過去があったと言うのに、アニメで再び観た時にはもう昔の様な事にはならなかった。これは多分アニメの丁寧な作りに感銘を受けたのと、自分の中でごちうさをどう扱っていけば良いのかをはっきりさせる事が出来たからだと思われる。ごちうさ3期を視聴していく中で私も変化していったのだろう。観る人をもごちうさワールドに引き込むその力には感服の一言に尽きる。

4.最後に

 私にとってごちうさ3期はリアルタイムで観る初めてのテレビアニメ版ごちうさだったので、非常に楽しみでありながらも今まで私自身のごちうさに対する想いの変遷を思うと「3期を観て、また長きにわたって思い悩む事になってしまうのでは?」と言う不安もあった。しかしその不安は見事に払拭された事は本当に嬉しかった。確かに成長し続ける皆を何のしがらみも無く微笑ましく見守れる喜びは思い悩んできた過去があってこそだったと思うと昔の苦悩の経験も無駄では無かったと思うが、それでもごちうさを追い続ける余裕が無くなった事も度々あった。しかしながらそれでも完全に離れてしまう事は無かったのは、多分色々思い悩んでいた頃から既にごちうさの事が既に心から好きになっていて、何より可愛らしい皆の事を思い浮かべるとこんな美しいものを手放してしまうのは勿体無いと思っていたからこそ、どんなに辛くてもごちうさと向き合い続けたのだろう。ごちうさが思い悩む原因になってしまって、それでもごちうさを好きであり続けたなんて我ながらごちうさとの向き合い方が不器用だとは思うが、結果的には上手くいっているので良かったと思う。

 思えば私が本格的にごちうさを愛そうと思ったのは2018年にOVAと3期制作が決定した事が発表された頃*11だった。本当にタイミングに恵まれていたと思っていて、もしタイミングがずれていたらここまでごちうさは好きにはなっていなかったと思う。と言うのも、ごちうさが好きだとは言っても私自身多くの趣味持ち*12故にごちうさ以外でも十分に心を満たす事は可能だと思っていたし、何より2018年は私にとって現在も大きなウエイトを占めているクラシック音楽の趣味が興味を持ってから10年以上の時を経て一気に躍進した時でもあったので、たとえごちうさを知らずとも十分満足して生きていけたと考えられるからである。しかし、現実はどうだろうか。私自身は紆余曲折*13を経ながらもごちうさを確固たるものとし、クラシック音楽共々今までもう2年以上も毎日嗜む(たしなむ)程にまで愛する様になった。ここまで愛せる様になったのは可愛さに心を癒されたのは勿論のこと、優しさや成長しゆくものをずっと見守っていこうと言う意識が強く芽生えたが故だと思っている。少し変わった感覚だとは思うが、これでこれからもごちうさをずっと愛せるのなら全然問題は無いと思う。

 最後に、ごちうさBLOOMは本当に素晴らしかったと言う事を書いて締めたいと思う。この様な世界観を生みだした制作陣は本当に素晴らしいと言う一言に尽きる。これからのごちうさにも期待して待っていたいと思う。

*1:寧ろ妹である心愛ちゃんよりも実はメンタルが弱い面があって、人から褒められたり慰められたりすると直ぐに涙目になってしまう辺り、多分モカさん自身本当はかなり心が弱い人なのだが、それを悟られない様に相当我慢しているのだと思う。

*2:普段からマイペースで移り気激しいので物事が長続きしづらい人に見えがちだが、心愛ちゃんは自分が目指したいと思う姿になる為ならどんな苦難も厭わない努力家な面があり、マイペースな性格に反して意思は結構堅牢である。

*3:きらまだと2020年11月号、つまり2020年9月発売のきらまに掲載されていたものであり、BLOOM放送直前で判明した非常にタイムリーな事なのである。

*4:原作でも中学生時代の制服を心愛ちゃんが披露する展開はあるが、智乃ちゃんがアルバムを見る展開は無い。

*5:天々座親子が仲直りするものや、青山さんと凜さんの学生時代のからのつきあいを振り返るもの等多数。これらも原作では一切無かったものである。

*6:パイの中に指輪を入れた状態で切り分けて、指輪が入っていた人がその年の王として他の人に命令できると言うもの。近いものが王様ゲームだろうが、多分色々違っているのはガレット・デ・ロワ王様ゲームどちらも全くと言っていい程知らない(=興味が殆どない)人間である私ですら思うのだが・・・。

*7:素朴な疑問として智乃ちゃんに限らずみんな女の子なのだから女王にしないとおかしいのでは?とならなくもないが、最早突っ込んではいけないだろう。

*8:なお、原作でも明らかにされていないサキさんの具体的な死亡時期だが、この事からラビットハウスが経営難だった時には生きていた可能性は高いと言え、もしそれが正しいならば智乃ちゃんの祖父がまだ幼い心愛ちゃんと会った時はまだ祖父が経営難に思い悩んでいる頃なのでサキさんは生きていたと推測できるが、如何せん判断材料が少ない故にあくまで個人的考察の域を出ない点にはご留意を。

*9:強いて言うなら昔は理世ちゃん、最近では結良ちゃんが若干厳しい人かと思った事もあったが、今は2人共心優しい人だと思っている。

*10:長寿アニメなら当たり前の様にあるし、もっと言うなら原作とアニメでキャラの性格や設定が全く違う事も結構ある。

*11:それ以前もごちうさ自体は知っていたが、あくまで存在を知っているだけで別に世界観を知っていた訳でも無かった。

*12:ざっくりと数えても10以上は持っているし、細かく数えるならもっとある。

*13:うよきょくせつ。事情が複雑で色々と込み入っている事。