多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

ごちうさ3期のOP・EDのCD収録の楽曲感想文について

 こんにちは。ごちうさ3期が始まってごちうさ愛が更に高まっているのが感じ取れています。今まで相当分にあった苦悩も無くなって、ただただ幸せだと思える事がこんなに楽しい事だったのだと、今更ながら有難いと思っています。

 さて、今回はごちうさ3期のOP・EDである天空カフェテリアとなかよし!〇!なかよし!、更にそれぞれ収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイム、ワオワオ動物園の感想を書きたいと思います。ごちうさ楽曲に関して言えば今までも思う事は数あれど、中々その想いを書き起こすまでにはなれなかったのですが、今回遂にその壁を破りたいと思います。また今回は曲によって感想文の書式を変えています。今までの形から今回新しくしたものまであるので、それは最後にまとめて書きたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上、読んでいただくと幸いです。また今回は今まで私が踏み込んでいなかった部分も踏み込んでいるので、多少内容が重くなっている部分があります。その辺りもご了解の上、よろしくお願いいたします。

1.天空カフェテリアの感想

 ごちうさ3期を飾るOPである天空カフェテリア。冒頭からいかにもごちうさらしいフレーズで、彼女達の世界観の一端を担っていると言うには十分すぎる程である。その世界観と言うのは本来一義的に語る事は難しいと思うのだが、この曲ではそれを違和感なく受け入れさせてくれるばかりか、その言葉には何ら難しい表現は無く、どことなくファンシーで幻想的な雰囲気すら感じ取ることのできる言葉であると言うのだ。その傾向自体はこの曲全体に見受けられる事ではあるものの、冒頭からその事を強調させる歌詞作りは正に相当な読み込みと卓越したセンスのなせる技だと思う事に尽きるしかない。

 1番の歌詞からは人ならば誰もが思い浮かべる事から成長しゆく事まで様々思い浮かべられる歌詞だと思うのだが、その優しさに満ちた感触と思わず笑ってしまう様な、現実には決して起こりえない事だけど、もしそんな世界があったら行ってみたい楽しんでみたいと思わせる様な夢見心地な気分にさせてくれると言うものが非常に印象的で、聴いている立場であるはずなのにこちらまでごちうさが創り出す世界に連れられて行く様な感触まですると言う程である。
 また、1番の歌詞がもしごちうさの登場人物の誰かが書いた若しくはイメージが湧くとするならば誰かと聞かれれば心愛ちゃんと智乃ちゃんと答える程に2人の個性考え方が活きている歌詞であるとも感じた。まず心愛ちゃんらしさと言うのは一見すると冗談とも思える様な良い意味で飛んでいる発想を反映された歌詞だという事である。でもそれは人を楽しませるためであって、その人を楽しませたいと言う彼女の想いや理想形、そのいきさつと言ったものが読み解けるものなのではないかと考えられるからであり、何故そこに智乃ちゃんが加わるかと言えば、歌詞の文末に時々丁寧語が入っているからで、こう思うのは元々心愛ちゃんが皆に対して丁寧語を使う事なんて年上である理世ちゃんも含めて殆ど無くて、使うとするなら大人位なものであること、そして何よりもこの1番の歌詞に最も感銘を受けている人は誰かと言われれば智乃ちゃん以外に思いつかないからである。やはり心愛ちゃんが様々楽しいことを生み出し、それをはじめは戸惑いを隠せなかったが、次第に受け入れる様になっていった智乃ちゃんとの掛け合わせの意識が外せなかった。それだけ私自身がココチノに対して相当思い詰めていると言う傾向も見えるのだが、何にしても思い浮かべるものが心愛ちゃんを筆頭格に智乃ちゃんをはじめとした皆を巻き込んで発展しゆく世界観だという事には違いない。

 2番の歌詞は内面性とりわけ孤独な寂しさを思い浮かべられるものであり、また新しき世界観に少し躊躇(ちゅうちょ)している感触も窺(うかが)い知れる。ここから分かる事と言うのは恐らくは新しい環境・変化しゆく環境に対する一抹(いちまつ)の不安と言うものであり、心奥深くにある他人には容易には見せられない感情がうごめいている事が読み解ける。
 この構成から最も思い浮かべられるごちうさの登場人物は恐らく紗路ちゃんであると思う。元々紗路ちゃんは表立ったものこそしっかりしていて何事にも動じない人に見えるが、実はそれらは人に心配をかけさせたくないから虚勢を張っているだけと言う表現が的を射ている程に動じやすく思い詰めやすい人であり、また自分の気持ちを隠しがち*1な故に皆と歩調を合わせて進む事にどうしてもラグが生じやすくなってしまう。それ故に紗路ちゃんは高校生組の中でもやや地に足つかない面が否めない*2のだが、この2番の歌詞を読み解いていくとそんな紗路ちゃんを皆は嫌にも思わずに受け入れてくれるばかりか、いきさつがどうであれ、新しき世界観に皆で一緒に歩んでいく勇気があればそれで良いのだと感じ取れるその歌詞には大いなる優しさを想い馳せさせる。ただ今まで書いた事、実は智乃ちゃんも当てはまっているのが多い。然しながらこれもこの曲の興味深い特徴だと考えられる。それは後述。

 最後を締めくくる部分は夢いっぱいに広がる理想や、楽しく前に進めばきっといい未来が待っている等、この曲全体にある雰囲気を再確認させたうえでぱっと全曲を締めくくると言うもので、最後の部分の歌詞もやはりどこかぽわぽわしていてそこはかとなく不思議な感覚が巻き起こってくるものなのだが、最終的には彼女達の世界観は何処までも続いていくものだと理解できるものになっていて、個人的には最後に余韻を残さないでぷつっと締め括られた点が非常に印象に残っている。こういうのが非常に印象に残ると言うのもある意味クラシック音楽を聴いてきて培われた感覚故か。

 因みに個人的にこの天空カフェテリアと言うのに対して思い浮かべられるものは大きく分けて2つのイメージがあって、1つは正に空高く想い描いた様な想像上の理想郷、もう一つは空をも超える様な偉大なる友情の場という事。前者なら実際には存在し得ない物の為、言ってしまえば所詮絵に描いただけの理想郷で、現実はそれには程遠いと言う冷酷かつ無情なイメージとなってしまうが、後者なら現実にありながらも際限なく広がりを持つものをイメージできると言う正に無限の可能性を表すものとなるうえ、そのイメージには限りない幅の広さを持たせる事すら可能になる。どちらがごちうさの世界観を考えていく上で適当なのかは最早言うまでも無いが当然後者であり、私自身も後者の様なイメージがこの曲を考えていく中では適切なものであると思っている。では何故前者の様な言ってしまえば現実主義で夢の無い様な事を思ったのかと言えば、単純に一義的な見方には止めたくないと勝手に思ったからであり、別にこんな事は積極的にする必要なんてない。自分が理想だと思う世界観がひとつでもあれば本来はそれで十分。寧ろ無理に複数持つと自分自身の思考の中で異なる世界観同士で対立する可能性すら考えられるし、現に私自身もこの対立にしばしば悩まされる。上手くコントロールできるならともかく、実行するにはそれ相応の覚悟は必要だろう。

 最後にこの天空カフェテリアで私が感じた特徴である「歌詞に複数の人物が当てはまると思われる」事について説明する。これは読んで字のごとく歌詞を読み解いていくと歌詞に良く当てはまる人物が複数思いつくという事であり、 具体的には1番がココチノ、2番がチノシャロと言った感じである。個人的にこうなった要因はココチノの場合は心愛ちゃんが智乃ちゃんに与えた影響や長く一緒にいる環境下によるもの、チノシャロの場合は性質が似ている点である。前者に関しては最早細かくは説明不要であり、簡単に言えば心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して多大なる良き影響を与えたのが読み解けるからだったからなのだが、本当に興味深いのはここからだった。
 この曲の2番の歌詞を見てチノシャロを思い浮かべたのはそれだけ2人に共通している事通ずる事が多かった(つまり似ている点が多い)という事だが、ここで面白いのが、智乃ちゃんは紗路ちゃんに高校生組の中で憧れを持っているのだが、ここで私はチマメ隊が憧れを抱いている高校生組は共通して性質が似ている若しくは思想が近い事に気付いたのだ。智乃ちゃんは紗路ちゃんに憧れているが、2人共前述の通り思い詰めやすい点や自分の本心を隠してしまいがちな点が共通しており、麻耶ちゃんにしても憧れである理世ちゃんとはボーイッシュな点やサバサバしている点、そして何より本当は誰よりも優しく寂しがりな点が共通している。恵ちゃんが憧れている心愛ちゃんは先の2人に比べるとやや分かりにくいが、マイペースな点や努力家な面、2人共友達相手と向き合うのが上手な点が共通している。この事はこの曲の歌詞を読み解くまで意識しなかったと言うより本当に気付いていなかった事だった*3のだが、気付いてみたら何故こういうカップリングが成り立ったのかその答えが少し見えてきた様だった。ある意味一番大事だったのは、この曲を聴いてどんな世界観が見えてきたと言う「過程」よりも、どういう世界観を思い浮かべたのかという「基点(基準点のこと)」だったのかも知れない。

2.ユメ<ウツツ→ハッピータイムの感想

 この曲を初めて聴いた時、バラードの様なゆったりした歌い語りの曲だと思った。アップテンポで楽しげな天空カフェテリアとは大分異なるゆったりとした曲調だが、この曲全体の歌詞構成を考えるとそのマッチング度が半端じゃないほど高く、全体的な歌詞イメージも歌詞単体では個人的にはかなり悲愴的(ひそうてき)な感触*4があったのだが、それを感じさせない作曲構成なのが個人的には脱帽ものである。あれだけの歌詞をもってして悲しみを感じさせないものに仕上げるのは最早職人芸であると考えられ、それはこの曲と似た構成を持ち、ごちうさ屈指の名曲として知られる「うさぎになったバリスタ」とは似て非なるものだと思うには十分だった。

 しかし、だからと言って歌詞を読み解く限りでは相当心打つものであることに違いは無く、1番からして大切な人と少しでも離れるのが嫌だと言うのが感じ取れる構成になっているし、サビの部分ではユメよりもウツツ*5の方が良い!その方が人のぬくもりや優しさ、感謝を伝える事が出来るから。それができる現実はハッピータイムなんだと言う構成であり、訴えかけるものが非常に大きいのが印象的である。それ故に歌詞を読めば読む程に自分にとって大切な人とは別れたくない寂しくなってしまうからと言う悲痛な感触が襲ってくるのだが、同時にユメであうよりしっかり起きている即ちウツツが良いと言うのは、自分の心の中で止めるのではなく、溢れる気持ちを大切な人と一緒に分かち合いたいという事であり、それが何よりのハッピータイム即ち幸せな事なんだと言うのがしみじみ理解できる様になっていく構成なのが凄いと思った。悲愴的な感触を感じつつも根底にある人と繋がる喜びを得ていく様な構成は、作曲効果と相まって何の違和感も無く受け入れられた。
 2番では更に切望する想いがひしひしと感じ取れるもので、歌詞がまるで詩の様だと思った事もある。心落ち着かない気持ちをあったかい飲み物で諫(いさ)めようとするけど、全然治まる事は無い何故なら、ウツツにおいて何時も会えると言う安心が欲しいからと言うのは本当に感銘を受けるばかりである。ここでもやはり夢で終わってしまうのなんて嫌だとあり、曲全体の意義の再認識ができる。そして終わりの部分に突き進んでいく時、ウツツにあるハッピータイムがずっと続いてほしいと言いながら同時に離れていても想いは繋がっているともあり、やはり想いと言うのが繋がっていれば良いのだと思わせているのもさることながら、そこからユメであうよりココであう方が良いそれが幸せなのだとあるのには最早言葉を無くしてしまう。喜びと言うのはこういう事なのだと改めて思わされた様だった。

 この様に非常に心打つ名曲である事は明白だが、何故私はこの曲の歌詞を見て何故悲愴的に思ったのか。それにはきちんとした理由がある。それは私自身人間関係をうまく作るのが苦手で、人と一緒にいたくても恥ずかしくて上手く出来ないにも関わらずかなりの寂しがりな一面があり、もどかしい気持ちにしばしば駆られていた事も多かったからである。早い話が孤独を取って寂しさに苛(さいな)まれる即ち苦しむのか、人と一緒にいて直ぐに顔が赤くなってしまう程に恥ずかしくなってしまうかと言うジレンマ即ち相反する事のどちらとも決めかねる(決められない)状態で、それ故に人間関係にはかなり複雑な想いと考えを持っている*6のだが、この曲の歌詞を見た時にその複雑な想いが一挙に駆け巡った。簡単に言えばごちうさの皆の幸せを願う理想の気持ちと、現実たる私は全然上手くいっていないと言う交錯する想いであり、色々と心苦しかった。因みにごちうさに対して嘗て苦悩を抱いていた原因も理想と現実の乖離(かいり)が大きく関わっていて、それを克服したはずの現在でさえこの曲に対して初めは例外では無かったのだが、実際に聴いてみるとその考えはあっと言う間に晴れていった。一人で抱え込む事は無いと言った感じであり、非常に心温まる感触だったのは言うまでも無かった。それは、それまで痛々しい考えばかりを己自身に突き付けていて、心荒もうとお構いなしに痛ましい事ばかり心に言い聞かせていた私にとって非常に突き刺さるものがあった。そういう意味でこの曲に対する想いと言うのはある意味天空カフェテリア以上なのかもしれない。ただ、これは私自身両方共に深い感触と愛情を持っているのは前提だが、天空カフェテリアの様な明朗快活(めいろうかいかつ)で楽し気な曲調よりも、ユメ<ウツツ→ハッピータイムの様な心に直接響かせそして問いかける様な曲調により深い思い入れを注ぐ傾向があるため*7で、天空カフェテリアがOP(オープニング)として相応しい事に異存は無い。ただ、このユメ<ウツツ→ハッピータイムと言う曲は、切実な歌詞でありながらも悲観的な物にはならない、させないと言うごちうさならある意味当然*8だが、他ジャンルなら中々見られない稀有な構図をとっていると言う意味で並々ならぬポテンシャルを感じる。それ故に「もしこのユメ<ウツツ→ハッピータイムが3期のOPだったらどうなるのか」と思う事もあるが、それは自分の胸のうちに留めておこう。

3.なかよし!〇!なかよし!の感想

 3期のそれぞれのお話を締めくくるEDたるなかよし!〇!なかよし!だが、その第一印象は1期・2期でもあった様に何時ものチマメ隊で締める明るいEDだと言うものだった。元々ごちうさのEDと言うのは明るげ若しくは楽しげな始まり方をしているのもあったのだが、本編の感動的な終わり方から急に明るい曲が入る事が多かったのも明るいと言うイメージ形成に後押しをしていた。個人的にはそんな明るいイメージのチマメ隊は嫌では無かったし、2期・3期と年月(としつき)を重ねるにつれて大分変化しているとはいえ、昔は表情の変化に乏しかった智乃ちゃんの明るきイメージを思い起こす事の出来るものでもあったので、嫌いになる筈が無かった。だから今回のEDも既定路線に乗っかっているのだろうと考えていた。

 だが、今回のなかよし!〇!なかよし!ときたら、完全に今までのイメージを良い意味で裏切った。曲調は楽し気な感触そのままに、歌詞をチマメ隊に潜在する様々な面を全面的に引き出しつつそれを観る人の心を打つものにすると言う離れ業を肌身で感じたからだ。一体チマメ隊を形成している智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんと言う3人は何なのかと、末恐ろしくすら感じる。でも末恐ろしいと感じたのはある意味当然だったのかも知れない。だって3人の偉大なる友情は誰にも壊せないと言うのは序の口で、その上実は3人共凄まじい才覚の持ち主であるが故にそんな3人が集えば本当に無敵である事、どんなに紆余曲折があったとしても、私達は友達を絶対に裏切ったりしないと言う堅牢な信頼関係なんて見せられたら最早何も言えないのなんて明白なのだから。そういう意味でこの曲はチマメ隊が持つ無限の力を限りなく引き出した曲だとも言えるのかもしれない。これは最早私にとっては、私自身が羨望し、そして恐怖している声楽曲の恐るべき力を見せつけられているのと同じ事。そしてその姿の望まざる最悪の顛末は嘗てごちうさそのものに苦痛を感じていた頃の自分そのものなのである・・・。

 では、もしその恐れている声楽曲を始めとした恐るべき力に呑まれ続けると私はどうなるのか。どちらかと言えば声楽曲より器楽曲をより好む私だが、まず恐るべき事に声楽曲が本気を出せば私の中の器楽曲の優越なんて一瞬にして奪い去ってしまう。心に直接響かせ訴えかける様な声色はまるで心を掴まれているかの様だ。だがやがて心が蝕まれ始め、より良き心を掴んでくれる様な声色を求める様になる。更なる心好い(こころよい)感触が欲しいからだ。しかし癒しは徐々に痛みに変わっていく。理由としてはあまりの力に心が持たずに壊れ始めるからであるが、同時に癒し効果も依然ある為に痛みに喘(あえ)ぎながらも癒しを求めると言う不安定な構図になってしまう。正に破壊と再生の繰り返しであるが、どうなるかは検討がつく。破壊の力に遂に再生が追い付かなくなり、二度と元に戻る事が出来なくなる。そうなってしまえばもう楽しむ事も忘れてしまうであろう。

 ただ、幸いにもそうなった分野は存在しない。負のスパイラルにハマり切る前に何とか乗り越えてきたからだ。しかしながら、負のスパイラルにハマり切る前に乗り越えたという事は、過去に癒しと苦しみの葛藤があった事を意味するが、その葛藤こそごちうさであり、ごちうさの楽曲も勿論例外では無かった。だからこそ、本当はなかよし!〇!なかよし!を知りゆくのは相当怖かった。いくら葛藤を乗り越えた分野だとは言え不安定な心情を抱えもつ事に変わりはなく、ちょっとした事でまた元の木阿弥になってしまう可能性も正直今もある為である。でも、なかよし!〇!なかよし!にはそんな懸念を吹き飛ばしてしまう程に3人の仲睦まじさを感じ取れて、正に癒し一択の感覚に誘われた。ある意味原点である可愛いへの立ち返りだったのだろうが、もう一つの可能性として、チマメ隊全員が持つ確かな優しさに惚れたからだったのかも知れない。元々3人共優しい心の持ち主なのはこの曲を知る前から分かっていた事だったが、それが改めて認識させられた様な、そんな感じだった。させられたと言っても嫌な意味は全く無くて、私自身が持つ優しさの理想形を地で行く様な事をやっていたチマメ隊の人の良さに惹かれたと言う意味で、特に普段あれだけやんちゃっ子な感覚タイプである麻耶ちゃんが持ち前の性質を発揮しつつ優しさを発揮している物には本当に心惹かれた。ごちうさにおいて優しさを可愛さと同じ位或いはそれ以上に重要視している事、人に優しくするのは実は簡単な事では無い事を分かっている私にとって、優しい心を持っていると言う事は本当に素晴らしい事だと思っている。どれ程素晴らしいかと言われれば、もし優しさと言うのが分からなくなってきたのなら、ごちうさの皆の優しさを思い起こせば良いとすら考えている程に・・・。

 あれこれ考えを張り巡らせて、私がこのなかよし!〇!なかよし!で知った事で重要だと思ったのは、チマメ隊が持つ優しさはさることながら、一人孤独にいた智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんが新しき世界に連れ出してくれた事である。智乃ちゃんの母親である咲(サキ)さんがまだ智乃ちゃんが幼い時に早世(そうせい。若くして亡くなる事。)してしまった事により心を閉ざしていた*9智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人はたとえ智乃ちゃんが心を開こうとしなくても嫌な顔一つせず、良き友達であり続けた。これがどれ程凄い事なのか最早分からない。智乃ちゃんは心愛ちゃんと出会った中学2年生の時から確実に変わり始め、中学3年生になるとかなり成長が見える様になったが、 それ以前は心を閉ざしているが故に感情の起伏が少なく、かなり寡黙な人だったと思われる。解釈によっては麻耶ちゃんと恵ちゃんと出会った時から少しづつ変わってきたともとれるが、心愛ちゃんと初めて出会った頃の智乃ちゃんを見ると中々そうは言えないであろう。チマメ隊が事実上結成されてから心愛ちゃんと出逢うまでの1年間がどんな感じだったのかは想像するしかないが、少なくとも智乃ちゃんは今の様な明るさでは無かったのは確実だと思うし、麻耶ちゃんと恵ちゃんも智乃ちゃんの事情をどれほど本人から聞いていたか定かではないため断定しづらいが、智乃ちゃんと友達でいて本当に楽しかったのかどうかすら私には分からない。しかしながら、前述の通り麻耶ちゃんと恵ちゃんは、決して智乃ちゃんを見限ったりする事無く仲良しであり続けた事が私にとっては本当に凄い事だと思えてならない。何故なら、麻耶ちゃんと恵ちゃんは幼馴染であるため、たとえ智乃ちゃんと友達になれなかったとしてもそこまで寂しい思いをする事にはならないと考えられるからである。言い換えるならば智乃ちゃんと無理をしてまで付き合う必要は無いという事であるが、何度も言う様に麻耶ちゃんと恵ちゃんは智乃ちゃんと友達であり続け、新しき世界に引っ張り出してきた。勿論新しき世界に本格的に智乃ちゃんが飛び込んでいくのは心愛ちゃんが木組みの街に来てからだと思われるが、それ以前にも麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人の存在があったからこそ、智乃ちゃんは変われたのだと言うのは間違いないであろう。

 なんだか曲の感想と言うより、曲を聞いて何を思ったかを重視するものになったが、多分それだけチマメ隊の友情や根気強さ、そして友達を決して見捨てない偉大なる優しさが、曲を通して感じ取れて、そんなチマメ隊の優しさに心動かされたからなのだと思う。もう再三に亘って書いた事ではあるが、チマメ隊の優しさと言うのは別にこの曲を聴く以前からしっかり分かっていた事だった。しかし、改めて3人(特に麻耶ちゃん)がもつ優しさに触れた事で、内に秘めていた感情が一気にあふれたのであろう。優しい人は本当に素晴らしいのである。

4.ワオワオ動物園の感想

 この曲のイメージは一言で言えば完全なる未知数の領域。掴むに掴めない独特の世界観がものをいう良い意味でとんでもない曲だった。独特の味わいは正に自分好みにピッタリはまっていると言うのに様々交錯する世界観があると言う、まるで迷宮に誘い込まれる様な感触だったが、特に目まぐるしく変わりゆくテンポに曲調が目を引いた。私は元々クラシック音楽が好きだった影響からか、○短調、〇長調と言った曲調や、ワルツ、ポルカ交響曲と言った細やかな曲のジャンルに対して興味関心がかなり強いのだが、この曲はそういう視点から見ると半端な見識では圧倒されるばかりで、誇張抜きで理解するための掴みの糸口さえ見えないと思う程で、はっきり言ってこの曲にはビビらされた。一体どういう発想をもってすればこんな曲を書けるのかどうか、最早私には分からないと言う、正に未知数の領域だった。

 また、曲の歌詞から探るに、このワオワオ動物園は例えるなら3期のOPである天空カフェテリアと同じCDに収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイムと言うカップリングと似た様な対比関係にあると考えた。つまり3期のEDたるなかよし!〇!なかよし!とワオワオ動物園が何かしらの関係性があると考えたという事である。天空カフェテリアがカフェから始まる壮大な世界観とするならば、ユメ<ウツツ→ハッピータイムはそのカフェにいる人達の心情を歌っている様に、なかよし!〇!なかよし!はチマメ隊の友情と優しさを歌い、ワオワオ動物園ではチマメ隊の日常的な姿を歌っている。そんな風に思えてならないのだ。
 このワオワオ動物園と言うのがチマメ隊の日常的な姿を描いていると考えたのは他でもなく、普段のチマメ隊の掛け合いを思い起こすものであるためである。まずチマメ隊の行動源たる麻耶ちゃんが主導となって2人を率いていく姿が見えてきて、智乃ちゃんが様々な事にツッコミを入れて、恵ちゃんは持ち前のおっとりさを発揮しつつ3人の空気感を上手く取り持つ。そんなチマメ隊のいつもと変わらない空気感が、ひいては3人の変わらない不動の関係性にも繋がる事こそが、日常的な空気感を持つワオワオ動物園と言う曲が3期のEDであるなかよし!○!なかよし!との関係性があると言う根拠となっているのだ。

 また、 最初に未知数の曲だったと言ったものの、読み込んでいくとそこには何時ものチマメ隊の姿がはっきりと見える良い曲だった。そして、カップリングの面白さにも気づかせてくれたという意味では非常に重要な曲だと思う。そう言う意味でもこのワオワオ動物園と言うのは私の中でかなり異色さが目立っているが、同時に名曲でもあると考えている。

5.感想のまとめ

 今回初めてごちうさのOP・EDの楽曲感想を書きましたが、書いていて改めてごちうさの世界観を見つめた様な気がしましたね。アニメの顔とも言えるものであるのだからある種当然かも知れませんが、自分で体感する事で見える世界観もあると思うので、無駄にはできないことだと思いますね。

 また、今回曲によって感想文の書式を変えていると書きましたが、1つ目の天空カフェテリアは、楽曲から見えるごちうさ世界観と特定のキャラ重視の考察感想文、2つ目のユメ<ウツツ→ハッピータイムは、曲調と曲の歌詞を見て感じた人間関係に対する想いの考察感想文、3つ目のなかよし!○!なかよし!は、全体の曲のイメージから私自身が何を思ったかを叙述した感想文、そして4つ目のワオワオ動物園では、普段のチマメ隊の姿から思い浮かべた事と、OP・EDそれぞれのカップリング曲目の見解を重視した感想文になっています。それぞれ書式を変えている理由は、様々な視点から見つめる事でさらなる見識が得られるきっかけを掴みたいと考えたからです。実際1つ目と2つ目の書式こそ今まで書いてきたような考察感想文ですけど、3つ目と4つ目は今まであまりやらなかった書式方法で、特に3つ目の書き方はかつて私自身が書いていたごちうさの二次創作の小説の様な書き方を思い起こす様なものでした。色々な書式を用いると言うのは本当に楽しかったです。

  最後に、4曲の楽曲感想文を書くのにかかった期間は3週間程です。ちょっとかかり過ぎだと自分でも思うので、もう少し早く書かないといけないと思いました・・・。あとワオワオ動物園の感想が少し短いのも多少気にしていますが、全力で考えてあれなので仕方ありません。そして今後も感想文を書く時は、様々な事を思い浮かべながら書きたいと思います。

*1:本人には決して悪気は無いのだが・・・。

*2:自分の持つべき意思が定まっていないという意味ではなく、自分の立ち位置が上手く決められていないと言う意味。こう思うのは紗路ちゃんは普段は吹っ切れる勇気が無い様にも見えるが故にあたふたしている印象が否めない(カフェイン酔いをすると別なのだが)のと、他の高校生組と違い将来どうなりたいかも明確では無いからである。ただ実際問題高校生の時点で明確に将来なりたいものが断言できるのは容易な事では無いため、紗路ちゃんが特段意志の弱い人だと言う訳では無い。

*3:このときいつも思うのだが、自分が知っている世界観にも身近な部分それこそもう手にとる程に近いものでも気付かない世界観も多いのだとつくづく思わされている。灯台下暗しとはよく言ったものである。しかしながら、こういう経緯をもって会得したものの大半はかなりの期間記憶を保持する事ができる。

*4:悲しくも勇ましいを意味する悲壮(ひそう)とは違い、悲しく痛ましいを意味するのがこの悲愴(ひそう)であり、同音異義語とは言え意味合いは全く異なる。そしてこれは、私が抱いていた感触が非常に痛々しいものだった事の証左でもある。因みに私自身悲愴的な感触は特別たる想いを持っている。

*5:現実のことで、漢字では「現」と書く。ここでは起きている時を指す。

*6:ここでもそうなった経緯を少し書き出してみようと考えたのだが、内容があまりにも重くなる事を懸念して止めた。とは言ってもまたの機会に書くと思うのだが・・・。

*7:因みに深き思い入れを注いでいるからと言って同時に一番好きでもあるとはならないし、寧ろ思い入れを注げば注ぐほど好きでは無くなる危険性も上がっていく。これは深き思い入れを注ぐと言うのは否応なしに良きも悪きも全て知りゆく事であるが故に複雑な感情からの自己葛藤に苛まれる事(早い話がジレンマによる葛藤)も考えられるからである。よって私の中では心の崩壊を防ぐ意味合いも込めて、思い入れと好きと言うのは必ずしも同じ様式にはならない事が多い。

*8:少ないながら例外もあるが、その場合でも悲壮的といった方が適切であり、悲観的とまではいかないのが殆ど。痛み得る辛さも心打つもの且つ考えさせられるものなので大切だと思うが、ごちうさ楽曲の世界観においてはあまり適切だとは言えないのかも知れない。

*9:心を閉ざした要因には他にも祖父が他界した事も関連している可能性がある。祖父が亡くなったのは心愛ちゃんが智乃ちゃんと初めて出会った時から1年前の事なので、麻耶ちゃんと恵ちゃんと初めて出会った時には既に他界している可能性が浮上するためだが、これは定かではない。