こんにちは。色々とやる事が立てこもると、たとえ時間が出来ても時間と労力を割く趣味事にまで気力が割けない痛さを痛感しています。とは言っても趣味事自体はどんな時でも心ゆくまで楽しんでいるので「単純にやる気の問題」とでも言われそうです……。情けない話ですよね。
さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年6月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月はまんがタイムきららMAXが記念すべき通巻200号と言う事で、かなりめでたい月になる訳ですが、今回もごちうさを読んで感じたこと思ったことを丁寧に書き出したいと思います。
※注意※
最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。
1.はじめに
今月のごちうさのお話は先月の球技大会で未登場だった理世ちゃんを中心とした構成であり、小学校の先生(=教師)を目指している理世ちゃんが、自身が今まで殆ど触ってこなかったであろうピアノの練習をし、上達する事が今回のお話の本筋としてある。(ある意味当然だが)お世辞もピアノの腕前が良いとは言えなかった理世ちゃんが周りの人々の力を借りつつ、如何にして少しずつ上達していったのか。それが主軸になるのは自明の理だが、それだけに留まらないのがごちうさクオリティ。ピアノ以外にも理世ちゃんのピアノ練習を巡った人間関係の交錯や、友達の意外な一面も垣間見る事ができるお話に仕上げられている。
今回は理世ちゃん中心にスポットライトが当てられている為ラビットハウスと理世ちゃん宅が中心で、中には登場していない登場人物もチラホラいるが、その一方でごちうさの中でも異彩な存在感を持つ狩手結良ちゃんが久々に登場する。今回異色部分は大分抑えられているが、それでも彼女のみが持つ独特の味は出している。
他にも双子姉妹である夏明ちゃんと映月ちゃんから、夏明ちゃんが1人で理世ちゃんのピアノ練習の為に中々に精を出していて、中々に貢献している。また、ここで私は少しばかり引っかかる事があったのだが、それは後々。
2.購読した感想
憧憬と現実
今回のお話では理世ちゃんがピアノの練習をする事にフォーカスが当てられているのだが、そもそも何故理世ちゃんが教師として必ずしも必須ではないピアノ*1を弾ける様になりたいと思うのか。その理由としては「ピアノが弾ける事に対する憧憬があるから」が挙げられる。また、本人は大して表に出していないが、元々子供好きな所があるので「ピアノが弾ける先生で、子供達から好かれたい」想いが故なのかもしれない。何にしても、ピアノが弾ける様になりたいと言う理世ちゃんの想いは、楽器好きである私としては共感出来る面も多く、私も理世ちゃんがピアノを弾ける様になるなら喜ばしい事であると思っている。
そして、ピアノに限らず楽器を練習する上で肝心なのはやる気だと思われるが、理世ちゃんはやる気こそ十分なものの、経験が無かったのもあるのだろうが、結良ちゃんから「うさぎのうめき声」と称されてしまう程に腕前はからっきしであった。当然理世ちゃんは反論するが、それに対して結良ちゃんは反論に対するお返しの如くピアノをあっさり弾きこなしてみせ、これに対しては理世ちゃんも思わず愕然とするしかなく、苦肉の策として結良ちゃんのド下手分野である吹き矢を引き合いに出した毒舌(と言うよりただのやっかみ)を吐くのが精一杯であった。お互い貶し合う幼なじみとは一体……。
この様に理世ちゃんはお世辞も腕前が良いとは言えず、ラビットハウスで心愛ちゃんにアコーディオンを借りて練習した時でさえも、当の本人はドヤ顔で自惚れた(うぬぼれた)事を言ったりしていたが、肝心のラビットハウス組は全然良い評価をしなかった上、智乃ちゃんに至っては「心愛さんみたいな事をするなんてどうしちゃったのですか」と軽く引いてすらいた。智乃ちゃん本人はあくまで心配しているつもりで声をかけたのだろうが、そこはかとなく心愛ちゃんも理世ちゃんも軽くディスるとは、智乃ちゃんも中々な毒舌家である。因みに一番年上故にしっかり者に見える理世ちゃんだが、実は結構なお調子者で、心愛ちゃんとは年が近い事*2もあってか一緒になって悪ノリする事がしばしばある*3ので、智乃ちゃんが思っている以上に理世ちゃんは心愛ちゃん寄りの人なのかもしれない。理世ちゃん、普段ツッコミだけど意外と人の事言えない……。
そんな理世ちゃんに対して智乃ちゃんは前述の通り引き気味だった*4が、心愛ちゃんは献身的であり、一度は何とか理世ちゃんのサポートをしようとするものの、自分が満足に教えられる腕前で無い現実に憂う結果になってしまい、理世ちゃんに対して自分が無力である事を詫びるまでにひどく落ち込む結果に終わってしまった。ただ明るいだけでなく、実は滅多な事ではめげないタフな器量を持ち合わせている心愛ちゃんにしては割と珍しい光景だが、理世ちゃんはそんな心愛ちゃんに対して嫌味の一つも言わずに、ただアコーディオンを貸した事を感謝する言葉を送った。本当は誰にも負けない位に優しい心を持つ理世ちゃんらしい言葉である。
ここまで纏めると「理世ちゃんはピアノを弾く為に周りの人達の助けを借りながら努力するものの、悉く徒労に終わる結果になってしまっている」のが目立つが、同時に理世ちゃんのピアノ上達の為に優しく付き合ってあげているのも目立っている。これは非常に有難い事であり、友達の夢のためにここまでしてあげる事が、一見簡単そうに見えて実は中々難しい事を思うと良く分かる。形や結果はどうであれ、人の事を想うのはその人が大切だからこそできる事なのであり、ここまででもそれは十分に感じ取る事ができる。とは言っても大きく行動に移しているのは心愛ちゃんくらいだったが、別に行動に移す事が必ずしも正義なのではない。お互いに貶し合う結良ちゃんにしろ、何かと怖がれがちな智乃ちゃんにしろ、どの様な形であっても理世ちゃんは、表立っては少しムッとする事はあっても、嫌味な態度をあからさまに示す事は無く、心からしっかり受け止めている。これは別にお世辞でもなんでもなく、彼女が本心から望んでやっている事であると、私は考えている。何故そう思えるかと言えば「理世ちゃんは人を信じる事の出来る人間である」と確信しているからである。彼女が見える器の大きさを見ているからこそ、こう思えるのであり、ひいて言うならそれは彼女が周りから信頼される理由の一つだとも言える。
一縷の光と蠢く闇
周囲の人の努力もむなしく腕前が向上せず、悶々としていた理世ちゃんのもとに現れたのは双子の姉妹が1人、夏明ちゃんだった。夏明ちゃんは初めこそ理世ちゃんに教えるのを渋っていたが、結局教えてくれる事に。が、その方法がかなりえげつなく、さながらスパルタ教育を地で行く熱血教師もので、理世ちゃんにして「ナツメは鬼教官」とまで思わせた程である。とは言ってもその甲斐あって理世ちゃんの腕前は大分向上した。正直夏明ちゃんがここまで熱血な面があるのには驚いたのだが、それだけ熱情的な想いがあったからこそ、理世ちゃんの腕前が向上したと思うと中々熱いものがある。
しかしながら、夏明ちゃんがなぜここまで理世ちゃんにピアノを教えられたか。それは自身も嘗てピアノを習っていたためである。元々理世ちゃんと同じ良家育ち*5なので、ピアノを習うのもある意味既定路線みたく所はあったのだろうが、先生が厳しかった事もあって長続きせず辞めてしまっている。この事を夏明ちゃんはかなり気にしていて、双子の姉妹である映月ちゃんより先に辞めてしまった事実も相まって「私はダメな子です」と自虐していたが、それを聞いた理世ちゃんは「ナツメはダメな子じゃないよ」と優しく諭しながら頭を撫でた。人の気持ちに寄り添い、優しく受け止めてあげられる理世ちゃんは正に先生の鏡であり、夏明ちゃんも「リゼさんみたいな人が先生だったら続いていたかも」と言っている。この言葉自体は理世ちゃんにとってとても嬉しい言葉だと思われるが、その一方で言い換えるなら夏明ちゃんが嘗てピアノを習っていた先生に対してそれだけ良い印象が無い事をも暗に示している。私が今月のごちうさの中で引っかかった数少ない要素はこれである。
引っかかった事について詳しく説明すると、夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、習っていたピアノを映月ちゃんより先に辞めてしまった事を「ダメな子」だと自らを卑下した事にある。個人的には辛い事を無理に続ける必要性は無いと思っているので、夏明ちゃんが選んだ選択が自ら卑下するまでに駄目だったとは全く思えず、やけに気になっていた。確かに夏明ちゃんが先生の厳しさに耐えかねて、逃げ出してしまった事に対して心の弱さと言う名の負い目を感じるのは分からなくも無いが、この場合最も問題になるのは「上達の早さもメンタルの強さも一人一人異なるのは当然である筈の生徒の事情や心境を一切考慮せず、スパルタ教育を施した事」なのであり、夏明ちゃん自身にたとえ心の弱さはあったとしても、彼女に非は一切無い。しかしながら、問題点が多いとは言え「厳しい教育に耐えてこそ、一人前の精神が得る事ができる」と言った考えが存在するのも事実であるため、ピアノの先生が夏明ちゃんに対しての指導方法に幾らか問題点があったとは断定できても、直ちに先生として資質が無いとまでは言えない。勿論その場合でも、たとえ厳しい教育をする事が人のためになると本人は考えていたとしても、本当の意味で人の気持ちを考えているのかは全くの別問題なのは当然のこと、抑々所謂スパルタ教育を容認する事自体、指導者としてはかなり厳しい立場に追いやられてしまう可能性は高い。当たり前の事なのだが、人を想うが故に厳しく指導する為には、指導者にもそれ相応の覚悟と気概が必要になる上、厳しく指導するのにあたってきちんとした考えを持つ事が必要になってくる。また、意味もなくデタラメに厳しく指導してはいけない事を念頭に置く事も大前提なのである。その為、意味もなくデタラメに厳しくしているのなら指導者として疑念を向けざるを得なくなるのは言うまでもないが、現実においては、普段はスパルタ教育みたく厳しくとも周りからは確かな信頼を得ている人も沢山いる。人に対して厳しい事そのものが悪なのでは無く、人の気持ちを一切考慮しない事が悪なのである。これらを鑑みると、本質的に考えて「私が悪いだの先生が悪いだの」そんな短絡的な思想では到底片付かないのである。
これらを考慮すると、夏明ちゃんと嘗て習っていたピアノの先生は「お互いに馬が合わなかった」と言うのが正しい見方であろう。誰が悪いかその責任はどうなるのかと言われれば、それは指導者であり大人である先生になってしまうのは事実だが、それ以前に人としてうまく噛み合わないなら例え先生が厳しくなくとも長続きする事は無かったと思われる。いくら先生と呼ばれる存在であっても人間である事に違いは無いので間違う事だってあるし、指導方法によっては夏明ちゃんの様に耐えかねて辞めてしまう人もいるかもしれない。これらはデリケートな問題ではあるが、少なくとも生徒の立場にあり、それ以上に子供である夏明ちゃんが「ダメな子」だと思い込む程に深刻に捉える必要は無いと私は思う。理由はどうであってもピアノを辞めたのは自分の意思であるのだから、当時は辞めるしか方法が無いと思ったのならそれで良いし、そもそも嫌な事から逃げ出しただけで夏明ちゃんが言う様に直ちに「ダメな子」になってしまうのなら、世の中どれ程完璧な人間がいるのかと言う話になってしまう。世の中何一つ失敗も現実逃避もしてこなかった完璧な人間などまずいないものであり、人間は大なり小なり挫折を経験して大人になっていくものだと私は考えている。ともすれば夏明ちゃんが言う様に、何かを諦める事が直ちに「ダメな子」になる訳では決してないし、寧ろ諦めた即ち挫折した経験が無いと、人間は本当の意味で成長できないとすら考えている。但し、その成長が何をもたらすかは当人次第である。成長次第では周りから尊敬される立派な人格者にも、人からただ恐れられるだけでしかない畏怖の存在即ち悪魔にもなり得る。尊敬と畏怖は何時だって紙一重なのである。
ではなぜ夏明ちゃんが自ら「ダメな子」だと言うまでに習っていたピアノを辞めてしまった事を気にしているのか。それは単純に夏明ちゃんが生真面目で実は何事にも一生懸命な性格だからであろう。夏明ちゃんは普段の強気とも高飛車ともとれる言動からは分かりづらいが、実は何事にも一生懸命且つ几帳面だと思われる面がしばしば見受けられるし、それこそ理世ちゃんに対して自らも疲労する程に熱血指導を行ったのも、夏明ちゃんがピアノを一生懸命やっていた裏返しだと言える。尤も理世ちゃんも思った様に「単にスパルタ指導の影響」の可能性も否定できないが、あれ程熱情的な想いを人からの影響だけで形成する事はまず不可能だと思われる為、夏明ちゃんが単に「努力してきた事に対しては熱血になる一面がある」と考えるのが良いだろう。何れにしても、真面目である事が駄目な訳では無いし、寧ろ真面目で何事にも一生懸命な一面は夏明ちゃんの良い所であると思うのだが、それ故に裏目に出てしまっている面がある。真面目な性格故に自分の弱さを痛烈に感じ取ってしまいやすく、自分を必要以上に責めてしまいがちなのである。そう思うと、理世ちゃんは夏明ちゃんのそういう一面を察した上で「そこまで気を揉む事は無いのだよ」と言う意味合いを込めて頭を撫でたと思われる。理世ちゃんも真面目で思い詰めやすい所があるので、夏明ちゃんの気持ちは痛い程理解できるのであろう。
以上が今回私自身読んでいて引っかかった事の全てである。夏明ちゃんの真面目で努力家故に自責の念に駆られる痛みは良く理解できる事である一方、彼女を取り巻く闇の一種であるとも認識している。夏明ちゃん自身がまだ不可解な点が多い為、断言こそ困難だが、例え真面目な努力家タイプであったとしても理世ちゃんとも紗路ちゃんとも被らない、良くも悪くも一癖も二癖もある相当に強い個性を持っている人である事は間違いないだろう。また、そこには夏明ちゃん自身が人間関係に対してドライになり切れない確固たる優しさを持っている事も含まれている。
嫉妬の友情
夏明ちゃんの指導の甲斐もあって理世ちゃんのピアノの腕前も上達し、2人で和気藹々としていた時、麻耶ちゃんが「チノに続いてリゼまで籠絡するつもりかー!」と、2人の中に割って入ってきている。籠絡(ろうらく。篭絡とも。)とは「相手を上手く丸め込んで自分の良い様に操る事」を意味する言葉で、要するに麻耶ちゃんは夏明ちゃんに対して「智乃ちゃんだけでなく、理世ちゃんも自分の良い様にする為に言葉巧みに丸め込んで操ろうとしているのか!」と言っているのである。因みに籠絡のニュアンスは「相手を賢く手なずけて良い様に従わせる」と言った狡猾(こうかつ。ずる賢い事。)なイメージを持っている。つまりストレートに言えば知的さを気取った悪口であり、それ故にちょっとした口論に発展しているのだが、この事は麻耶ちゃんが夏明ちゃんに対してどの様な先入観を抱いていたのかを影ながら物語っている。
麻耶ちゃんとしては恐らく「理世ちゃんを始めとした友達は私達がずっと長い時をかけて築き上げた大切な財産だから、それをどことも知らぬ高慢且つ高飛車の様に見える双子姉妹に何もかも奪い去られたくない」と言う想いがあるのだろう。とは言っても夏明ちゃんも映月ちゃんも悪気は一切ないし、実際2人共に本当は高慢でも高飛車でもない、心根が良く人を思い遣る事の出来る優しい人達なのだが、自分たちの目的を遂行する為なら手段を選ばない点*6があるので、麻耶ちゃんも少々決め付けがましいのは否めないとは言え、元々お嬢様や堅苦しいものに対して苦手意識がある彼女がある程度その様な意識を抱いてしまうのには無理もないのであろう。
但し、麻耶ちゃん自身夏明ちゃん映月ちゃん双子姉妹に多少苦手意識があり、特に夏明ちゃんとはいがみ合う事がしばしばあるとは言え、彼女らの事が嫌いな訳では無く、寧ろ麻耶ちゃん特有のフレンドリーさで2人に対してあっさり心開いているくらいである。一見つじつまが合わない様に見えるが、麻耶ちゃんにはお嬢様に苦手意識があるのは確かな事実である。では何故この様な事になるのかと言えば、それは彼女が「お嬢様はこんな奴らしかいない」と、確証バイアスがかかっている*7のがあると考えている。クレバー(賢明)な一面がある為、何でも明晰している様に見える麻耶ちゃんだが、その反面物事に対して確証バイアスがかかっているのがしばしば散見される*8。まだ10代半ばなのでバイアスがかかってしまっている事に気付かないのはある程度致し方ない面はあるのだが、大人になってもバイアスがかかる場面が人間関係には多い事に気付く事ができない場合はかなり問題となる。麻耶ちゃんの場合、先入観があってもそれを是正する事が出来ているのでそこまで危機意識を持つ必要は無いだろうが、バイアスがかかっている事に気付いている訳では決して無い為、ある程度の危機意識は持つ必要性そのものはある。尤も、「全てが可愛い」ごちうさにバイアスの話を持ってこられても「コメントに困る」に帰結するのみだろうし、バイアスの事を言うなら麻耶ちゃんだけでなく、他の皆にも言える事*9な訳だし、そもそもこんな事言っても仕方ないとは思うのだが、それを敢えて書いているのは、私自身麻耶ちゃんの事が少しばかり心配だからである。心優しく尚且つ思慮深い麻耶ちゃんに限ってそんな事は無いと思うのだが、人を自身の勝手な思い込みで判断して後に大きな後悔を背負い込む様な事にはなって欲しくないのである。
他にも麻耶ちゃんが他の人に比べてバイアスにかかっている場面が多く見受けられるのも心配する理由としてあるが、バイアスの心配自体は麻耶ちゃん以外の人にも基本的に存在していて、特に「お嬢様」に関するバイアスが強い様に感じている。理世ちゃんが抱いているガーリーでお淑やかな姿(所謂ロゼちゃん。ロゼはフランス語で「バラ」を意味する。)に対する悩みや、紗路ちゃんのお嬢様の見た目とそれとは全く違う生活状況に対する悩み意識等が正に「お嬢様」に対する確証バイアス*10によるものであり、何れも「お嬢様としての理想形に対しての自分達のギャップ」が大きなポイントになっている。理世ちゃんならお嬢様には思われない自分の性格・性質に対して、紗路ちゃんならお嬢様の様な見た目と庶民的な暮らしぶりのギャップの大きさに対してそれぞれ悩まされていると言え、初期の頃は特にその傾向が大きかった様に思える。現在はバイアスに対する悩みは克服していると言えるが、バイアスそのものが解消されている訳では無い(そもそもバイアス自体、解消する事が非常に難しいものだったりするのだが)為、どうも気になる所である。
何が言いたいのかと言えば、夏明ちゃん・映月ちゃん姉妹にも「お嬢様」と言う観点から何かしらのバイアスはかかっていると思われる事である。尤もバイアスそのものはこのごちうさの世界観だけでなく、人間社会なら当然の様に存在しているものである為、バイアスがもたらす何らかの影響は別としてバイアスがかかる事自体はある種の自然摂理的なものであるとも言える為、四の五の言っても全くの無駄とまではいかなくとも、やはり大した意味はなさない事なのかもしれない。それ故に素直に言ってしまえば余計なお節介である上に突飛な発想も良い所だと我ながら思っているのだが、この様な発想を抱いたのは「ごちうさを愛するが故」だと言う事は声を大にして言いたい。もし私が本当にごちうさを愛していないと言うならこの様な発想に辿り着く事も無かっただろうし、この様な事を思い立った所でどうも思わなかっただろう。表立ってはごちうさに対してやや冷淡な物の見方をしている面があるのは正直自覚しているのだが、それでも全くの冷血では無いし、心中では普段から純真たる熱き想いを滾らせている。冷淡な外殻を持つ熱血とは我ながら不器用だとは思うが、それが私なりの「何があっても折れ切らず、ごちうさを愛し続ける方法の答え」なのである。
話がかなり脱線したが、前述の通り麻耶ちゃんは夏明ちゃんとちょっとした口論になったのだが、その際理世ちゃんが仲介役として割って入り、「よしよし」と麻耶ちゃんの頭を撫でている。ただ、当の麻耶ちゃんは理世ちゃんの行為に対して「安易に頭撫でるなー!」「何もわかってない」と涙目になりつつ多少怒り気味に手を払いのけている。これには理世ちゃんも「どうしろと」と困惑気味だったが、これに関しては理世ちゃんが間違った対処をしたわけでは決してないのだが、麻耶ちゃんからしてみると「私達に対しても夏明ちゃん達に対しても分け隔てなく接する理世ちゃんに対して少しばかり妬けてくる」のであろう。勿論理世ちゃんの行いは道理的に至極当然の事であるので、麻耶ちゃんもそれはきちんと承知しているのは容易に推察できるが、やはり自分達より付き合いの時間が浅い人達に友達(理世ちゃん)の気を惹きつけられるのは、頭で分かっていてもどこか面白くなく、それが嫉妬となって表れているのであろう。この事は、智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して抱いた嫉妬の感情や、結良ちゃんが心愛ちゃん達に対して抱いた嫉妬の感情とほぼ同等のものだと言え、見方を変えると麻耶ちゃんにとってそれだけ理世ちゃんは「自分にとってかけがえのない人」なのであり、だからこそ「もっと私だけを目掛けて欲しい」「理世ちゃんは私だけに特別な感情を持っていて欲しい」と言った感情が彼女の心に渦巻かせる。しかし、理世ちゃんは特定の誰かをあからさまに贔屓する事を基本的にしない人*11なので、麻耶ちゃんが思う様な事には基本的にならないのが宿命である。そして、思い通りにならない事自体は甘んじて受け入れられても、理世ちゃんが私の気持ちを(私から見て)本当はまだまだ分かっていない癖に、不器用にも理世ちゃんなりに私の事を受け止めようとしてくれているのが嬉しくももどかしいのだと思われる。麻耶ちゃんにとって理世ちゃんは「私の事を受け止めてくれる人であるのと同時に、もっと自分の事を目掛けて欲しいと思っている存在」なのである。
この様に理世ちゃんと麻耶ちゃんそれに夏明ちゃんの関係性はかなり複雑に絡み合っているのだが、互いにやきもちを焼く事はあれど憎悪は一切なく、高い信頼関係を築き上げている*12。3人共実は真面目な努力家と言う様に性格が似たり寄ったりなのでちょっとした事で諍い(いさかい)になり易い面はある*13が、同時に周りが良く見える人達なので心配はあまりない。その辺りは正に高い信頼関係が感じられるからだと言える。
温かき友情
理世ちゃんと麻耶ちゃん、夏明ちゃんが少しばかり揉めつつもわいわいと楽しんでいた時、心愛ちゃんは落ち込んだままであった。それだけ人の為に何もできない無力な自分が大いに嫌だと言う証であるが、同時に何も出来ずとも最後まで夢を見届けたい想いも秘めており、ある意味心愛ちゃんが人から好かれる理由が垣間見えている。が、3人がわいわいしている所を見るや否な途端に何時もの調子に戻って3人の輪の中に飛び込んでいるので、智乃ちゃんからはあまり良い印象を持たれていない。しかしながら、その方が心愛ちゃんらしいので全然悪い気はしないし、何よりずっと落ち込んだ感情を引き摺ったままウジウジしている心愛ちゃんよりかはよっぽど何時もの元気で好奇心旺盛な心愛ちゃんの方が智乃ちゃんも内心好いとは思っているだろうけど。
何はともあれ3人のもとに飛び入り参加した心愛ちゃんは、早速いつも通りに調子の良い事を言いながら*14マラカスを持ち出し理世ちゃんに詰め寄っている。すると詰め寄った矢先、昔駄菓子屋でよく見かけたあの息を吹きかけている間「ピー」と笛の音が鳴りながら巻かれていた紙が伸びる、昔懐かしき紙の巻取り笛*15を鳴らし、理世ちゃんを驚かしつつも楽しませている。心愛ちゃん自身も楽しませるつもりでやった様で、理世ちゃんに「でも楽しくなったでしょ?」と尋ねている。これに対して理世ちゃんは「別の意味でな」と若干はぐらかしているが、それでもその後心愛ちゃんと2人で夏明ちゃんにして感銘を受けさせるほどに鮮やかな演奏をしているので理世ちゃん自身も心から楽しい気分になれたのは間違いないだろう。また、その後心愛ちゃんが呼び寄せた紗路ちゃんと千夜ちゃんも2人の演奏に参加して、理世ちゃんの頑張りに一役買っているが、その際紗路ちゃんは理世ちゃんに対して称賛の言葉をかけているのに対して、千夜ちゃんは心愛ちゃんが吹いていた笛を吹きながら〔甘兎(甘兎庵のこと)でも演奏して〕と理世ちゃんに伝えると言う中々にしたたかな一面を見せている。紗路ちゃんに関しては理世ちゃんを心から尊敬しているので如何にもといった感じだが、千夜ちゃんは流石名うての看板娘*16と言った感触である。ただ、個人的には2人共それぞれの特性を発揮しているので全然良いと思っているし、理世ちゃんも概ね同じだとは思われるが、これもある意味固き友情の賜物である。
尚、この様に皆でわいわいしていた時にむくれていた人が1人いる。それは智乃ちゃんである。とは言っても店を放置した事を怒っているのではなく、自分だけ理世ちゃんの夢に対して応援できない結果的に除け者にされている事を不満に思っているのである*17。そんな智乃ちゃんに対して理世ちゃんと心愛ちゃんは「智乃ちゃんが歌で理世ちゃんのピアノとセッションすれば良い」と提案し、智乃ちゃんもまんざらでもない反応を示している。その際、心愛ちゃんは「昔チノちゃんのお母さん〔咲(サキ)さんのこと〕達がやっていた様にすればいい」と言った趣旨の話をしており、かつてラビットハウスの経営難を救ったジャズを彷彿とさせるものになっている*18。このかつてラビットハウスで行なわれていたジャズのセッションに関しては原作ならコミックス5巻、アニメならOVAであるSFY(Sing For You)で詳しく知る事が出来る。因みに心愛ちゃんが自分の実家に帰るお話もコミックス5巻であり、アニメなら映画であるDMS(Dear My Sister)にあたる。
ここまで見ればわかる通り、心愛ちゃんにしろ智乃ちゃんにしろ基本的に理世ちゃんの周りの友達は人の夢を応援できる温かき心を持つ人達である事が良く分かる。ただ「友達の夢を応援すること」と言う一見友達なら当然の様にするべきだと思われる事を態々「温かき心を持つ」と思うまでに私が特別視しているのか。理解し難い人はいると思われるし、実際私も「友達なら友達の夢はどんな夢でも基本的に応援するべき」だと考えている。ではなぜこうなるのか。それは、今まで何度も書いた様に人の夢を応援する事は決して簡単な事では無いと私自身考えているから。人の夢を応援する事は、何時だって現実的な夢ばかりを応援するのではない。先ほど夢を応援する事に「どんな夢でも基本的に」と書いたが、時には壮大で無謀とも思える様な夢を応援する形になる事もあるかもだし、自分には全く理解できない夢を応援する形になるかもしれない。そんな時、私も含めてなのだが、相手を一切疑う事無く、このごちうさに出てくる人達の様に真っ直ぐ応援してあげる事が果たして出来るのだろうか。そう考えると、少なくとも私は「友達の夢はどんな夢でも応援するべき」と言うのが、簡単そうに見えて実はどんなに難しい事なのかをひしひしと思い知られる。それと同時に「人の夢を応援する事」を簡単に易々と口に出来るものでは無い事だと強く思わされる。何だか冷徹にも思えてくるが、かと言って簡単に人の気持ちを嘲る様な、無責任且つ不誠実な発言は厳に慎むべきである。友達関係は非常に難しい事は周知の事実だが、本当に友達の事を想うのなら、やはりいい加減な事は言うべきでないと思う。
しかしながら、だからこそ「友達の夢を応援できるのはその友達を本気で想っている証拠」にもなるのだと私は考えている。正直ごちうさでここまで真面目な事を書き出すのが良いのか悪いのか私には分からないが、少なくとも今回の理世ちゃんの夢(憧れ)に対する皆の反応は「理世ちゃんの事をしっかり想っているのが良く感じられる」ものであったと考えている。生半可な気持ちでは絶対に出来ない彼女達の想いは正に本物の友情であり、同時に温かき友情でもあるのだと、私は思う。
少し変わった信頼関係
それらの出来事から数日後、理世ちゃんは結良ちゃんに対して皆で結託して会得した、向上したピアノの腕前を披露している。その際結良ちゃんは上達した事について褒めてはいたものの、その褒め方については相変わらず顔色を殆ど変えない(=嬉しいのか悔しいのか全く分からない)冷淡な褒め方で、早速異彩ぶりを見せつけてくる。更に結良ちゃんは「まぁリゼに悔しがって貰うために努力したからね~」と言い放ち、その上「私のおかげで理世ちゃんが上達できたから喜ばしい」と言わんばかりの事を理世ちゃんに言い放ち、理世ちゃんを困惑させている。尤も理世ちゃんは冗談と認識している様で、結良ちゃんも半分冗談で言ったつもりなのだろうが、割と本気で言っている面は確実にあると思う。
結良ちゃんが上記のような反応をしたのは、そもそも結良ちゃんが理世ちゃんにピアノの事で悔しがらせた事から始まっているのだと私は考えている。結良ちゃんとしてはピアノで理世ちゃんを悔しがらせる為だけでなく、多分「理世ちゃんを私の手で悔しがらせて理世ちゃんの気を惹いて、私に関心を向けさせる」のもあったのだと思う。以前結良ちゃんは理世ちゃんに対して「幼なじみでありながら全く普通の幼なじみの関係性になれない事に対する嫉妬と羨望」をぶつけているので、幼なじみである理世ちゃんとの何かしらの真っ当な関係性を望んでいる可能性は高く、もしそれが本当だとするなら結良ちゃんが理世ちゃんに対してピアノで悔しがらせたのも「幼なじみである理世ちゃんの関心を惹かせるため」にやったと考えても何らおかしくはないし、あの顔色を殆ど変えない皮肉じみた褒め方についても、彼女としては理世ちゃんの気を惹かせる事が第一の目的で、腕前の向上については嬉しくもあるが、どうも妬ける部分があると考えればある程度納得がいく。
但し、結良ちゃんは手の内を容易には明かさない所謂飄々(ひょうひょう)としている人物であるため、実際に彼女がどう思っているかは正直全く分からない。私が今回彼女のあらゆる反応を「冷淡な反応」と捉えたのも、彼女が理世ちゃんに対してただならぬ特別な感情を抱いている事を明確に捉えているからであり、もし彼女が嫉妬も特別な感情も抱いてなかったとするなら、こんな事を思う事はきっと無かったであろう。ある意味私も結良ちゃんに対してただならぬ想いを持っている事になるのだろうが、これは別に特殊な事でもなんでもなく、ごく普通の事だと私は考えている。何かとごちうさの中で異彩を放っている存在だと見做されがちな結良ちゃんだが、私は結良ちゃんのそういった異彩な面を含めて好きである。
ここまで色々と書いたが、上記の様に飄々とした結良ちゃんにも悩みもといコンプレックスはあり、それは「人を好きになる程逃げられる」事である。抑々結良ちゃんは理世ちゃんと同じく将来は学校の先生を目指しており、その理由に理世ちゃんも指摘している様に、理世ちゃんと同じ子供好きな点*19が挙げられる。結良ちゃんが子供好きとは少し意外な気もするが、何が好きなのかどうかは人の自由なので、他人がどうこう言える道理はないのは自明の理。ただ、個人的には結良ちゃんが子供好きなのはそのまま彼女の良い所だと思っていて、結良ちゃんが明確な意思をもって先生を目指しているならそれは立派な事である。
肝心の結良ちゃんの悩みについてだが、その原因として理世ちゃんが「視線がねちっこいんだよ」と指摘している様に結良ちゃんの他人に対する接し方にある。実は結良ちゃん、人との接し方がかなり不器用且つ異質で、自分が好きな人をねちっこく見守ったり、何の前触れもなく突然現れたりするので人から距離を置かれがちなのだが、本人にはまるで自覚がない。つまり、これは中々に深刻な問題だったりするのだが、当の本人は理世ちゃんの指摘に対しても何時もののほほんとした口ぶり*20で理世ちゃんにアドバイスを求めている。尤も理世ちゃんにはにべにも無く断られてしまっているが、その際結良ちゃんはあしらわれた事を気にも留めず「お互い前途多難だね~」と発言して、理世ちゃんにも何やらただならぬ事情がある事を匂わせている。尤も当の理世ちゃんは否定しているが、何れにしても理世ちゃんにしろ結良ちゃんにしろ、越えなければいけない壁はまだまだ高い事は間違いないだろう。
この様に理世ちゃんと結良ちゃんの関係性はお互いにしばしば悪態を突く事を言い合ったり、核心部分をはぐらかしたりする事が多い為、他のごちうさ2人組に比べて異質に感じられる場面が多く、実際異質な面は多い。しかしながら、理世ちゃんと結良ちゃんは異質さこそあれどお互い信頼する事の出来ない仲柄では決して無く、幼なじみであり、夢を共に目指す友達であり、お互いを想い合う仲間である。理世ちゃんと結良ちゃんとではごちうさの目立つ要素とも言える仲睦まじい様子こそ少ないが、2人共お互いを大切な存在だと思っている事に偽りはなく、リゼユラも「お互いを想う気持ち」は確かに存在している。理世ちゃんも結良ちゃんも元々根が優しい人*21なのである意味当然の成り行きとも思えるが、もし幼なじみと言えど相手の事が本当に嫌いだの信用に値しないだのそんな状態だったとするならば、ここまでの付き合いには絶対にならず、どこかで縁は切れていた可能性が高かったと思われる。世の中そこまでお人好しな人はいないものである。その事を加味するならば、リゼユラは異質な面こそあれど、お互いを想い合う確かな友情と絆を持ち合わせていると言えるだろう。
3.あとがき
以上がきらま2021年6月号掲載のごちうさを読んだ私の感想である。今回は読んでいて気持ちの変遷が特に激しかった回でもあり、正に玉石混淆*22の心境だったと言える。「全てがかわいい」と言うキャッチコピーを持つごちうさにおいてこの様な心境は相応しいのか私には分からないが、私が一つ思う事として、可愛いだけを存分に堪能していたのなら多分ごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったと考えている。私はごちうさに可愛いだけに留めるのは勿体無いと思い、登場人物それぞれの人間性や関係性、内に秘めし本心やただならぬ願望等々、様々視点を広げて、そして思い悩んだ過去がある。
ただ、視点を様々広げるのは作品を楽しむ為には欠かせない事であるし、視点を広げる事で見える世界が多いのも事実である。しかし、私の場合それはなにもプラスばかりには働かなかった。色々考えを広げていく内、次第にごちうさファンとしての理想像を見失っていき、最早ごちうさに何を求めているのか良く分からなくなり、遂には原作もアニメも観るのが怖くなった。だが、その頃でもごちうさのグッズはコンスタントに買っていたし、どんなにストーリーを追うのが怖くても、毎日の様にごちうさそのものを堪能する事には全く変わりなかった。どんなに思い悩んでも、ごちうさの魅力溢れる世界を手放してしまうのは勿体無いと思い、ごちうさから離れる事はただの一度もなかった。そして苦節を経てごちうさの事が改めて心から好きになり、自分の気持ちや想いを書き出そうと思い始めた。そこから今に至るまで、私が考えた事、想った事を書き出す事を続けているのである。
これらの経緯が多分私に結良ちゃんや夏明ちゃんといった、一見すると一癖も二癖もある人物の心情理解をたきつけるのであろう。勿論心情理解そのものは冬優ちゃんや映月ちゃん、ひいてはごちうさの登場人物全員に対して示していきたいと考えているが、表立っては素性が良く分からず誤解されやすい人物の場合それはより顕著なものになる。ごちうさと言う作品を心から理解し、そして愛すると言うのならある種当然とも思えてくるが、私は心情理解を決して容易い事とは考えていない。だからこそ、ごちうさの登場人物の仲睦まじい関係性がどれ程凄い事なのかまざまざと思えるのかもしれないし、或いはその睦まじい様子に少し嫉妬を覚えるのかもしれない。何れにしても、これらは私がごちうさを心から愛している事の裏返しとも言える為、気にし過ぎる事は無いのだろう。
これらを思えば、可愛いだけを存分に堪能していればごちうさに対してここまで思い悩む事は無かったのだろうが、同時にここまでごちうさに対して愛する事の出来る感情を持つ事は多分無かったと思う。そう考えると、思い悩んだ過去も無駄では無かったのだと、今になって私は強く思う。そして、その強き思いを内に秘め、新しきごちうさの世界を待ち続けるとする。
*1:必須でないとは言っても、現実問題として弾けるに越した事は無いらしい。
*2:結良ちゃんを除けば基本的に学生組の中では年上の2人である。それでいて2人してふざける事も多いのは仲が良い証拠なのだろうが、年上としてはどうなのか……。
*3:この事は理世ちゃんが普段どれ程本心をコントロールしているのかを示唆している。真面目な性格故に普段から相当自分の気持ちを抑え込んでいる為、一度リミッターが外れると自分ではもう止められない。この辺りは紗路ちゃんにも同じ事が言え、ある意味箍(たが)が外れる怖さを示唆している。
*4:とは言ってもフォローの言葉はかけている。
*6:智乃ちゃんが淹れたコーヒーが美味だからと言って自分達の専属バリスタに召し上げようとしたり、何か問題が発生したら解決手段としてお金を持ちかけたりしようとする等。何と言うか、所謂社長令嬢なのである程度は致し方ない面があるとは言え、お金で物事を解決しようとするのはお金持ちの人のイメージが悪くなるので止めた方が良いだろう。
*7:心理学用語(心理学以外でも普通に用いられているが)であり、主に認知の歪み、思い込みの状態を指す。
*8:バリスタを「矢を打ち込む兵器」だと思い込んだり、お嬢様は「ごきげんようのお高くとまった堅苦しい存在」と思い込んだりする等。ただその一方で本当にお嬢様である理世ちゃんに対しては全く嫌悪意識は無く、お互いに厚い信頼を寄せ合っているのだが、これも「理世ちゃんがお嬢様には見えない事」がバイアスとしてかかっている事も否定できない。
*9:特にココチノがバイアス関連では目立っている様に感じる。
*10:厳密には無意識(アンコンシャス)のバイアスもかかっている。
*11:特定の誰かをあからさまに贔屓しないのには「彼女自身が友達の中では基本的に一番の年長者だから」もあるのだろうが、彼女自身が誰かを贔屓する事を苦手としているのも大きいのだろう。実は同級生組の中では一番年上である(=誕生日が早い)心愛ちゃんとは正反対である。
*12:嫉妬と言っても良い気もするが、嫉妬は本来「相手を憎む気持ち」と言うマイナスな意味合いを含む言葉である為、ちょっと使いづらい気がしなくもない。
*13:性格が似ている人と一緒に居ると合いやすいとは言うものの、それは適度な距離感が保たれている場合の話。性格が近い者同士(特に真面目で意志が固い人同士若しくは我が非常に強い一匹狼同士)の場合、距離感が近すぎるとお互いの嫌な所がやたら目に付く、互いに似た性格故に融通が利かない若しくは何事も決まらない等逆に上手く行かなくなる事も多い。当然、そこから絶交(交友関係を断つ事)にまで発展する事も断然あり得る。
*14:但し先ほど失敗した事についてはきちんと言及している。調子の良い人と言う印象が強い心愛ちゃんだが、失敗した事を隠蔽(いんぺい)しようとする事はあまりない。尤も失敗を平気で隠蔽する様な人は、最早調子の良い人では済まされないだろうが。
*15:正式名称失念。でも今はすっかり見かけなくなっているのは確か。これには抑々駄菓子屋自体今では中々見かけなくなってしまっているのもあるのだが、個人的に駄菓子屋の雰囲気はもう子供ではなくなった今でも好きであるので少々寂しい話である。他にもめんことかベーゴマ等が今はめっきり見なくなった昔懐かしき玩具だろうか。とは言っても物自体は中々奥が深く、長きにわたって愛され続けている。
*16:千夜ちゃんは看板娘なのは確かだが、名うては少々言い過ぎかもしれない。ただ、千夜ちゃん自身ノリが良過ぎるまでに良い人なので、案外さまになるのかもしれない。
*17:なら余計に駄目な気がしないでもないが。
*18:冷静に考えると、ジャズで経営難が救われるとは中々なサクセスストーリーである。これは暗にラビットハウスの経営は喫茶店よりバーの方が人気があると言う事なのかもしれないし、現にそれを示唆する描写もチラホラ見受けられる。尤も、物語が進むにつれてあまり関係なくなりつつある面が見受けられるが。
*19:理世ちゃんが子供好きだと明確に言及されている訳では無いが、本心的な思想や言動を見るに子供好きで間違いないと思われる。
*20:感情が読み取りにくい意味では中々に笑えない側面はあるのだが。
*21:結良ちゃんは明確に優しい一面を見せた訳でこそ無いが、根は優しい人だと個人的には考えている。
*22:ぎょくせきこんこう。良いものと悪いものまたは優れたものと劣ったものが同時に入り混じっていること。