多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2021年4月号掲載のごちうさを読んだ感想

 こんにちは。最近ごちうさに関する事をまとめようにも時間が取れず、中々まとめられない時が続いていますが、本当はもっと手短にまとめようと思えばいくらでもできるのですけどね。変な拘りを持つと苦労するばかりです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年4月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月のごちうさにははっきり言って驚かされる事ばかりだったのですが、今回はその事について流れを追って書き出したいと思います。

※注意※

 ネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで出てくる様々な推測や考察は個人的な見解も含まれている事もご了解お願い致します。

1.読んだ感想について

複雑な心境

 今月のごちうさのお話は生徒会長の計らいで心愛ちゃん達が通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校が合同となって球技大会を行うと言うのがメインテーマだった。ごちうさの球技大会と言えば心愛ちゃんが高校3年生である今の時系列から見て2年前つまり高校1年生の時の球技大会があった時以来で、この時はまだ合同では無かったうえ、高校2年生の時は抑々球技大会の「き」の字も無かったので正直驚いた。でもきっと今月も楽しいと思える様なお話なのだろうと期待していた。しかしそれは正しい期待であったが、同時に甘すぎる想定でもあった。何故なら、実際に読んで私自身が感じたのは、楽しい微笑ましいだけでなく、何も思わない程にぼんやりとした心境と、久々にもどかしさ全開と言わんばかりに複雑な感情に苛まれた心境も含められていたのだから・・・。

 今回のごちうさの感想は一言で言うなら「衝撃と失意」。衝撃は今まで中々なかった路線で展開された物語に抱いた素直な感情。失意は凄まじい勢いで変わりゆく展開に正直全くついていけそうにないと悟った感情である。最近怒涛のラッシュで良い展開が続いていた為、先月の時点で「今後は展開が少し変わっていくだろう。」とある程度は推察していたのだが、いざ今月を迎えて読んでみると、あまりの展開に当初内容が正直全く頭に入ってこなかった。この時点で「あの忌まわしき記憶*1」が脳裏をよぎったのは言うまでも無く、闇を引きずり込まれるのだけは駄目だと持ち直し、改めて内容について考える事にした。

どことないもどかしさ

 私が気になったのは兎にも角にも何故に今月のごちうさに対して「あの忌まわしき記憶」が脳裏をよぎる程にそこまで複雑な心境に至ったのかであり、そこ事を突き止めなければまた悪夢の再来だと本気で思った為、そこはかとなく真面目に考えた。そして、改めて読んでみる内に原因にはなんと心愛ちゃんと千夜ちゃん、それに紗路ちゃんと言う同級生組が関係している事が分かり、そこから精査してみるととりわけ紗路ちゃんの心情に引っ掛かる点が多い事に気付いた。

 気付いた要因としてあったのは球技大会に対する紗路ちゃんの切実たる心情故にあった。折角同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんの学校と球技大会が出来るのに、2人が選ぶであろうバレーボールは自分の中で無い(=出場しない)と割り切っていて、まるで2人の事を避けている様にコンタクトを取るのを嫌に忌避していたのが気になり、「本当に嫌だと言う訳では無さそうなのに、嫌と言うのは何故なのか」と私の中で引っ掛かった。よくよく考えれば気付く事だが、これ以前にも紗路ちゃんは心愛ちゃんと千夜ちゃんのやる事に呆れる事もありつつも仲睦まじい事に対してどこか羨ましそうにしているだの、なんだか私だけ爪弾きにされているとモヤモヤしていると感じ取れることも少なくなかったので、この時点で「同級生組の関係性に何か理由があるのでは?」と勘ぐっていたのだが、その予感は的中する事になる。

 紗路ちゃんの心情に対して何故引っ掛かった事自体は早い段階から勘ぐれるものではあったのだが、その理由がはっきりと分かったのは実際にバレーボールの試合を行っている場面だった。抑々紗路ちゃんはバレーボールには参加する予定では無かったのだが、欠員が出たという事で本人は当初こそあの2人の事もあって躊躇っていたが、周りの期待に応える形で急遽出場する事を決意し、図らずも心愛ちゃんと千夜ちゃんと対決する事になったのである。因みに欠場自体は2年前での球技大会でもあったものであり、この時は千夜ちゃんがドッジボールに出場していた。幼なじみ同士、奇しくも同じ欠員の応援役に買って出ると言う運命を辿る辺り何かあるのだろう。

 そしてチマメ隊とナエちゃん、そしてフユちゃんと言う高校1年生組の声援を受けてバレーボールの試合が始まったのだが、紗路ちゃんが打ったサーブをココ千夜の2人が「ダブルブロック」と称して止めた*2時に紗路ちゃんが見せた表情が明らかにおかしく、まるで仲良しこよしな2人を妬んでいる様にも思える陰湿な表情に見えて驚いた。そしてこの事こそ紗路ちゃんに対して抱いた違和感の根源であり、普段滅多に人に対して妬み嫉みを陰湿な印象をもって出したりしない紗路ちゃんがそんな事をしたとあって、「あの紗路ちゃんがあんな陰湿な印象をもって同級生である心愛ちゃんと千夜ちゃんを見つめるなんて・・・」と思ったものである。

 抑々紗路ちゃんはどちらかと言えば自分から積極的に親友や友達に対して前に出る事を不得手としている人故に自分の想いを上手く人に言えない面があり、変に溜め込んでしまいやすい所があるのだが、今回感じた違和感にそれは関係なかった……否、正確には無関係では無いのだが、主要因では無いと言う方が正確だろうか。では何が主要因として関係していたかと言えば、それは「紗路ちゃんが11人*3の中で唯一同じ学校に心置きなく接する事の出来る同級生がいない」事だった。思えば紗路ちゃんはココ千夜やマメナエ*4、チノフユ、リゼユラの様に同じ学校に心置きなく接する事の出来る同学年のペア若しくはトリオ*5がいない(異学年にはいる)のだが、実際問題それ自体はチマメ隊が中学生2年生時代の時からそうであったため、もっと早くに不満がはちきれても全くおかしく無かったはず。にもかかわらず何故に2年も経ったこのタイミングで突然あからさまに不満を見せたのか気になった。ここまで気になった背景に紗路ちゃんはそういう不満をあからさまに人にぶつけたりしない人であると言う変なレッテルを私が勝手に貼っていたのが関係していたのだろうし、単純に紗路ちゃん自身そこまで孤独に喘いでいる様には見えなかったのもあったのかも知れない。言ってみるなら、心の中で意識せずとも勝手に決め付けていたのである。

 しかしながら、冷静に考えてみれば紗路ちゃんも中学生の時*6は幼なじみである千夜ちゃんと同じ学校であり、紗路ちゃんにも同学年に心置きなく接する事の出来る友達がいた時期があるのを無視する事は出来なかった事から、彼女があからさまに不満を見せた理由が分かっていく。そして、その理由が分かった大きなきっかけは、紗路ちゃんとしては「本当なら高校でも千夜ちゃんと同じ高校が良かった」と望んでいたのではないかと言う事だった。抑々彼女がお嬢様学校に通う事になったのも経済的な事情による所が大きかった事が要因としてあるだろうし、経済的事情すら無ければ紗路ちゃんだって千夜ちゃん達が通う学校に通う事だって多分問題無かったと思えるのだから、こういう考えに行きつくのはある意味当然の成り行きなのだろう。誰だって心置きなく接する事の出来る友達と同じ学校に通えるなら、それを望むものなのだから。

 しかし、現実はあくまでも無情だった。高校生になり、別の学校に通う様になり、2人共孤立した状態になってしまった*7。それだけでもお互い相当にショックが大きいのに、新しく街にやってきた心愛ちゃんが千夜ちゃんと同じ学校だった事により、自分だけ取り残された様になってしまった。尤も心愛ちゃんと出逢ったこと自体はそこから交友関係が広がった事もあって何も問題視はしないのだろうし、紗路ちゃん本人も「千夜にとって波長の合う心愛がいるのは有難い事だと思う。」などと心愛ちゃんに言ったりもしているので、別に千夜ちゃんが新しく親友を作れた事には何の恨みも無いのだろうが、紗路ちゃんとて「交友関係が広がれば広がる程、自分だけ同じ学校の同級生で心置きなく接する事の出来る仲の人がいない」と言う逃れられない現実に少なからず妬みを感じていたに違いないし、それに今思えば紗路ちゃんが心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して少なからず不満を抱いている様に見える場面はしばしば散見された。言ってみるなら、同級生組ひいては3人組と言うもの自体が抱えている影な一面である。

同級生組が持つ影な一面

 前述した様に紗路ちゃんはバレーボールの時に仲良しこよしのコンビネーションを見せる心愛ちゃんと千夜ちゃんに対して陰湿とも見てとれる表情をしていたのだが、その時に紗路ちゃんはなんと珍しく2人に対して「別に寂しいわけではないのだけど、私の事気にもせず楽しそうに・・・」と言うかなり不満ながら切実な本音を内心秘めているのが分かったのは衝撃的だった。そして、言葉を聞いて私は思わず「これはトリオが抱える闇な一面」だと思った。どれ程仲良しだってトリオと言うものは一度その中で2人組が出来てしまうと残りの1人はポツンと孤立するものであり、しかもその状態は一度固定化されてしまうと中々改善しにくい。紗路ちゃんの本音は正にそんな状態の心情を指し示しているのだと感じた。

 私としては心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんの所謂同級生組3人の仲自体はこれ以上ないくらいに良いと思うのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんとではやはり「通う学校が違っている」事もあってかどうしても紗路ちゃんだけポツンと孤立する傾向にある様に感じる事が多かった。ただ、そう感じるのには他にも単純にボケとツッコミの役割分担の関係もあるのも考えられるし、抑々あの天然ボケたる2人組をしっかり者のツッコミ担当が相手をする関係上、紗路ちゃんだけ良い意味でも悪い意味でも別枠に見えるのはある意味必然とも言えるのだろうが、なんにせよ紗路ちゃんだけ心愛ちゃんと千夜ちゃんとはかなり違った色をしているのは間違いないし、それ故に孤立を感じやすい面はあるのだろう。

 また、この3人組は更に細分化される組み合わせとしてしばしば「心愛ちゃんと千夜ちゃん」「千夜ちゃんと紗路ちゃん」と言うそれぞれ「親友兼同じ学校の同級生」と「昔からの幼なじみ」と言った縦割りになっている印象が強くあり、この場合千夜ちゃんが両方に跨っている事が影響して、3人揃った場合に2人組で会話等をすると「心愛ちゃんと紗路ちゃん」どちらかはあぶれてしまう事が起こり得る構造が成立する。そして、心愛ちゃんと千夜ちゃんは同じ学校と言う事情もあってどうしてもこの2人組になる事が自然と多くなりがちであり、決まって紗路ちゃんがあぶれてしまう事になるのである。これが同級生組の中で紗路ちゃんが2人に対して決まって「心なしか私だけ除け者にされている様でつまらない」と言った様な不満が芽生える理由として考えられるものであり、これはたとえどれ程心愛ちゃんと千夜ちゃんが意識して気を付けていたとしても完全に防げるものではない。

 抑々この3人組内部での孤立と言うものは恐ろしく難解且つ複雑な問題だと個人的には考えていて、解決するのは不可能だと言っても良い。何故なら早い話、3人集まったら何から何まで常に3人で行動をピッタリ合わせでもしない限り、2人組と1人と言う構図はごく当たり前に起こり得るものだからだ。例えば3人組の中で2人だけで行動したり、会話をしたりする事もあるだろうが、この場合ですら1人だけ孤立は仕組み上成立している。しかしながらある意味当然ではあるのだが、いくら3人組で行動しているからと言って、常に3人共全く同じ動作、情報を共有すると言うのはまずあり得ない事であり、同級生組も勿論例外では無い。人間である以上各々の意思はあくまで尊重すべきなのが鉄則なのであり、もし3人共全く同じ動作、情報を共有させるなら一つの思想にガチガチに束縛させる必要性が発生してくるが、これは当然ながら意思尊重の原則に反する。しかし、だからと言って逆に各々の我が強過ぎると今度はその場にただ集まっているだけの統率も連携も無いものとなり、所謂烏合の衆となってしまう。これが問題の解決が不可能と言っても良いと思う理由なのであり、人の事を大切に思うのなら3人組の中においてもある程度の自由は認めるのは当たり前、でもそれが行き過ぎると2人組と1人と言う構図が常態化する恐れを孕んでいる、若しくは烏合の衆の如くただの集合体になってしまう可能性があると言うシビアな問題に直結している。

 では上記の組み合わせの中で唯一存在が無かった「心愛ちゃんと紗路ちゃん」を日常的に組み込んだならある程度は改善するのかとなるし、実際組み込んだらある程度は形として変わる事は変わると思う。但し、実際にはかなり難しいものがあるだろう。そう思う背景には抑々「心愛ちゃんと紗路ちゃん」は同じ学校でも無ければ昔からの幼なじみ、知り合いでも無いのでやや距離感がある様に感じられるのが否めなかったのが理由としてある。尤も実際には「心愛ちゃんと紗路ちゃん」共に実は大のお人好しで、尚且つ根っから心優しいと言った人間的な面が共通しているので一緒にいて嫌に思う事は無いと思うし、もっと言うなら2人だけの親交を深められても全然おかしくないとすら思うのだが、やはり2人だけの接点や機会が少ない事が仇となっているのか普段から際立って目立つ様なペアとまではなっていないし、抑々これを言ったら止めを刺す事になるのだが「新しいペアを作った所で、同級生組3人が集まった時に決まって特定の人が孤立しやすい状況は何も変化しないと思う」と言ってしまればそもそもが無意味となってしまう。心愛ちゃんと紗路ちゃんの仲自体はこの上なく良いのだが・・・。

 ただ、何度も重ねて言う様に同級生組の仲は3人共とても良好であり、心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんの気持ちを一切無視する気は無いのは2人を見ていればはっきりと分かる事であるし、寧ろ2人共紗路ちゃんの事をかなり気に掛けている*8。しかしながらそれでも2人だけが仲睦まじそうにしている所を見ると「私だけ除け者にされている」と言う様な焼き餅を紗路ちゃんが焼くとのは何と言うか、実は相当な寂しがり屋である事の裏返しでもあると思うし、何ならそれを下手に隠そうとするから余計にジェラシーが強くなってしまうのは自明の理なのに態々自分から無理をしてしまっているとすら感じられる。尤も私もそういう傾向はあるので気持ちは分かるのだが、何とも不器用な紗路ちゃんである。

同級生組が持つ輝く一面

 同級生組の中でも特異的な立ち位置にいる紗路ちゃんであるが、前述にもあった通りバレーボールの試合中に心愛ちゃんと千夜ちゃんの仲睦まじさに珍しくあからさまに嫉妬を見せていたのだが、その際嫉妬に気を取られ過ぎた為に、ボールが紗路ちゃんの方に向かって飛んできているのに気付かず、見事にボールが直撃した。しかも飛んできたボールは心愛ちゃんがトスを上げてそれを千夜ちゃんがスパイクで打ったもので、よりによって心愛ちゃんと千夜ちゃん2人で連携して打ったボールがその2人に対して嫉妬を抱いている人に当たってしまう、何とも皮肉且つ奇妙な展開である。

 ボールが当たった紗路ちゃんは嫉妬の念を抱いていたのもあって完全にノーガードだったためにもろに顔面直撃と手痛い結果に。当然そのまま試合続行とはいかないので保健室に連れて行こうとなったのだが、その際に真っ先に名乗り出たのは他でもない心愛ちゃんと千夜ちゃんの2人組だった。しかもこの2人、紗路ちゃんを抱えるや否や直ちに紗路ちゃんを助けようと言わんばかりの必死の形相*9で保健室に連れて行かせようとしていた*10のがとても印象的であり、その場面を見ていた生徒会長は「これが学校の垣根を超えた友情」と称していた辺り、やっぱりこの同級生組3人はただの仲良し3人組なんかじゃないのだと改めて認識させられた。因みにこの「周りからの見え方や評価を知る事で再認識に至る価値観」たるや、正直私としては自分の想いや感情の錯綜を招きかねないのを懸念しているが故に闇雲に進んで取り入れる事は避けているのだが、この場面においては殊更取り入れる以外の選択肢は無かった。それだけハッキリ刻まれるものがあったのである。

 では同級生組の一体何が凄いとなるのか。普通に考えてみるならば、確かにわざとでは無いとは言えボールをぶつけたのは連携してボールを放った千夜ちゃんと心愛ちゃんの2人な事に違いないので、2人が紗路ちゃんを保健室に連れていくのはある意味当然の道理であり、周りから特段称賛される様な事では無いと扱われる事も当然ながらあり得た筈である。なのに周りは称賛した。何故なら、それは「学校の垣根を超えた友情の証」を体現するものであったから。これこそが同級生組の凄さの根幹なのであり、最早それ以外に早々答えは見つからないであろう。

 この学校の垣根と言うものは現実問題として、些細な問題事の様に思えて実際にはかなり大きな問題事であり、垣根とは名ばかりにその実態は最早塀だと言っても差し支えないかもしれない程に厚く険しい面がしばしば存在する。尤も学校の垣根と言ってもその形態は多岐に渡るが、心愛ちゃんと千夜ちゃん、そして紗路ちゃんと言う同級生組の様に、他校の人同士で仲良くなると言うものであっても、同校の人と比べて絶対的な接点が少ないと言う関係上良好な関係性を生み出し継続する為には相当の努力を要する。最近では携帯電話やスマホ、インターネットを用いたコミュニケーションツールの隆盛もあって人と人が直接出会わなくても関係性を認識し合い、保つ事は昔よりずっと容易になったとは言え、それでも努力を要する事には変わりない。どんなに便利なツールが誕生して人間関係を創り出し、維持する事が容易になっても最後は「お互いに人として信頼出来るか」に大きく懸かっている事には変わりないのだから。

 これらを勘案すると、同級生組3人がどれ程凄い関係性なのか良く分かってくるものなのだが、良さはそれだけには留まらない。同級生組の良さは大小様々あるのだが、心愛ちゃんと千夜ちゃんが紗路ちゃんを保健室に連れて行った*11後も2人が紗路ちゃんの為に(やり方のスタイルはどうであれ)献身していたのがこの場合最も象徴的であると言える。普段紗路ちゃんの事を良くも悪くも振り回し続ける心愛ちゃんと千夜ちゃんだが、大切な人が怪我をしたと言う事態において真っ先に心配し献身する態度を取った事は2人が紗路ちゃんの事を心の底から大事に思っている証拠と言え、それは逆もまた真なりなのだが、何にしても同級生組の信頼関係の強さを示している物として最早不足は無いだろう。なお、紗路ちゃんのケガは幸いにも大したものでは無く、涙も怪我とは全く関係なかったのだが、その事が分かった途端に2人は保健室のベッドに寝かしつけた紗路ちゃんの両脇に2人共寝転んでいる。正しく「同級生組だけが共有する時間と空間」となった訳だが、2人がこの行動をとったのには理由があり、しかもその理由は紗路ちゃんがそれこそ2人に対して抱いていた嫉妬の感情に深い関わりがある。

 紗路ちゃんが2人に対して抱いていた「どこか仲間外れにされている」と言うべき類の感情は、実は球技大会においては心愛ちゃんと千夜ちゃんも紗路ちゃんに対して抱いており、これは紗路ちゃんがテニスの試合でかの理世ちゃんを彷彿とさせるフォーメーションで試合を沸かせた*12際、その試合終了後に紗路ちゃんの学校の友達に紗路ちゃんを取られてしまい、話しかけられなかったのが要因としてある。勿論紗路ちゃんの学校の人達は紗路ちゃんを独占しているとかそんな事は全く無く、単純に学校が違うから発生した事案であるのだが、2人はどこか寂しい感情を抱いていた。やはり普段から密接な関わりを持つ人とその場の感情を直ぐに分かち合えないのは寂しいのが良く分かる事例である。この事を千夜ちゃんは紗路ちゃんに向けて彼女特有の不満そうな表情を浮かべて「友達に囲まれて話しかけられなくて寂しかった」と言っているが、紗路ちゃんは何故か嬉しそうにしていた。これは紗路ちゃんからしてみれば「2人も私と同じ様な寂しい感情を覚えていた」と理解できたからである。尤もこの事を2人は知る由は無い*13のだが、何れにしてもお互いの手の内を心から安心して知れ合う仲であるのは良く分かるのだから、それで良いのかもしれない。

 因みにこの時心愛ちゃんは理世ちゃんのお土産話として「同級生組3人で保健室で球技大会をサボった」事を報告しようとしたが、カッコ悪い姿を先輩に曝す形になってしまうので当然と言うべきか、紗路ちゃんに制止されている*14。そして智乃ちゃん達にもっとかっこいい所見せようと提案した紗路ちゃんにより、3人共にまた球技大会の舞台に戻りに行く所で終わりとなっていた。舞台に戻る時も3人は何時もの調子で掛け合いをしているので、次回も期待に溢れるものになると予想できる終わり方なのが印象的だった。

2.感想のまとめ

 今回は心愛ちゃんと千夜ちゃん、紗路ちゃんと言う同級生3人組に焦点が当たったお話だった訳だが、元々千夜ちゃんが理世ちゃんと肩を並べる程に特に好きな私*15にとって喜ばしいお話だったのは言うまでも無かった。私がそう思うのには軽快なボケツッコミの掛け合いがあるのも一因として存在するが、一番は人間的な意味での良さが特に表れる関係性なのが大きい。尤も3人共性格がとても良いので良さが出てくるのは当然だと思われるかもしれないが、幾ら普段から性格が良い人だと言っても、友達関係と言う環境下において人から性格が良いと常に思われる様にするには相当な困難がつきまとう。何故なら、人間である以上感情の起伏による気分の変化は日常茶飯事であるが、それ故に例え友達に対してであっても例外では無いからである。ただ、友達関係に部外者があれこれ口出しするのは不適当だと思う所はあるし、私がここで思っている事は完全に余計なお節介なのだが、この同級生3人組の関係性に関してはお節介である事は承知の上で本当に素晴らしい関係性だと思っているし、それは今回の球技大会においても揺らがなかった。

 一見するとボケツッコミのトリオにも見える*16のだが、その実3人共に互いを信頼し合える固い絆があり、信頼も同様に厚く、有事の際にはあらゆる物事の垣根を超えて助け合う。周りから見ても正に理想的とも言える様な友達(親友)関係で、正直こんな3人組を持てたら人生幸せなのだろうとすら思う程である。

 今回のごちうさは人間関係を如実に描き出しているスタイル故に思い悩む事が多かったのは事実だが、それ故に時間が経つにつれて思い悩んでいた事が、何時しか心から好ましきものに変化するのだと思えるのだと言える。それらを勘案すると、今回の同級生組を中心とした球技大会は正にごちうさの良き一面の一端を担うものとして名を馳せるのであろう。やっぱりごちうさは凄い作品なのである。

3.余談(私がこの様な感想を抱いた背景)

 ここからは私自身が「なぜ今回のごちうさのお話においては中核とも言える同級生組=トリオに対して並々ならぬ想いを馳せた」のか。その事について記す。

 

 今月のごちうさは何故だか複雑な心境に苛まれてしまった訳だが、その原因にはトリオ即ち3人組の難しい側面を理解し経験していた事が大きかったのかもしれない。と言うのも元々私は一時期、とは言ってもまだまだ子供の頃だったが、3人組で行動すると心なしかどこか置いてけぼりにされてしまう事が多かったからだ。何時も他の2人で楽しそうにしているのを只々見ている若しくは何となく一緒に行動しているだけ。尤も見方を変えるとそれだけでも小規模ながら団体行動出来るのだから、ある意味3人組は幸せなのかもしれないが、私はそれが兎に角嫌だった。そこにいるのは確かに3人なのに、何だか自分だけそこにいない様な感触がするからその理由だった。勿論他の2人だって3人いる内の2人だけで楽しみ過ぎない様にするべきだと考えてくれてはいただろう。でもそれは何処までも思い上がりも甚だしく、まだまだあどけない子供には高過ぎる理想でしかなく、現実はあくまでも厳しかった。しかし当時の私は子供故にそんな事は経験不足故に良く分からなかったので、今思えばある程度は仕方がない面もあったのだろうが、自分なんて3人組の中においてはいてもいなくても同じ様なものだと自分勝手に思う事すらあった。

 でも、月日を経て客観的に考える力と余裕が身について来て、改めて昔の事について考えてみたら、それは当然の結果だったと思わされた。だって3人組において他の2人に積極的に自分の意見や考えを言ったりしなかったのは他でもない自分だったから、はっきり言って除け者扱いにされたって文句を言う資格なんてある訳が無くて当然だった。自分の事は何も言わない癖に人には良くしてもらおうなんていくらなんでも厚顔無恥が過ぎる。昔から近親者には「自分から積極的に話しかけないと人は気に掛けてくれない」と言われてきたものだが、漸くそれが痛い程理解できた。昔の自分はそんな言葉を聞いても「自分の事を何も分かろうとしていない。自分をただ傷付けようとしているだけなのだ。」と思い込んで子供ながらに全く聞く耳を持とうとしなかったのだが、今考えると利己的な考えも甚だしいと思うばかりである。人の事を考えていないと思っていた自分自身が実は一番自分本位な考えを持っていたのだから孤独になるのは当然の事だった。

 ただ、私が自分の事を言わない背景には、人と話すのが極度に恥ずかしいからと言うのと、これは私の単なる勝手な思い込みなのだが、人がなんて言い返すか分からなくて傷付くのが怖いからと言うのが理由としてあって、本当は人に上手く話しかける事が出来ない事と、私の勝手な思い込みとは言え人に傷つけられる事を極度に怖がっている事に対して理解を得て貰えたらまた違った結果になったのかもしれない。それでも「自分の意見を言わないのを恥ずかしがり屋だからとか、傷つくのが怖いからと言って、自分の意見を言う事から逃げたりするのは狡い。」とは言われただろうが、同時に自分の課題について親身になって考えてくれていたのかもしれない。勿論どうなっていたのかは分からないが、どんな事柄も悩みもまずは人に打ち明けないと何も進展しないのであり、人に打ち明けさえすれば何か新しい道が開けたかもしれないと言うのに、私は何ら改善しようとしなかった。「人に頼らなくても自分で何とか出来る。たとえ辛くても無理矢理にでも何とかしてやる。」と高を括っていただけでなく、意固地にもなっていたのが原因であり、実は頑固者でもあった私は月日の経過で心境が変わりつつあっても、このままでは駄目だと分かっていても、根本的な部分は何が何でも変えようとはしなかったし、できなかった。元来真面目で几帳面な性格であるが、その一方で変な所で我慢するだの頭が固過ぎる面があるのと、所謂頑固者な面も半端じゃなかった事が重なって出来た「自分で決めた事を途中で変えるのは意志が弱い証拠だ」と言う自分の昔からの考え方が悪い方向に働いてしまった結果だった。そんな自分が只々情けなかった。その後に頑固な考えはきちんと改められたのだが、この愚かと言うべき考えは自分の心に深い訓戒と失意を刻み付ける事になった。

 だが訓戒と失意は必ずしも悪い事ばかりでは無かった。何故なら、この経験があるお陰で3人組の中で1人だけ輪に入れていない辛さもどかしさがちゃんと理解できる様になれたのだし、自分の考えている事は例え恥ずかしくても、自分の勝手な思い込みで傷ついてしまうのが怖くても、きちんと言わないと人には伝わらない事も改めて身をもって思い知られたし、勝手な思い込みで人を判断してはいけない事も痛い程思い知らされた。その事は本当に大きかった。この事をまだまだ子供の内にある程度理解した事は多分今後の人生においても少なくない糧になると思われるし、何より人の気持ちを汲み取る若しくは理解する上で非常に活かされている。それ故にこれを書いている現在では上記の様な利己的な考え方は基本的に良しとしていない事はここで明言しておく。

 この様にごちうさを通じて正しく人として心の成長を遂げている事を私はまざまざと思い返している訳だが、一方で心の成長に際限は無いと言うのが通説である為、これからも人としてどの様にすれば良いのか模索していく事になると思われる。その模索の結果どの様な人格者になるのかは未知数だが、少なくともごちうさにある様な優しさと思いやりをもった人にはなりたいと常々考えている事はきちんと明言する。これは、元々人から優しい人だと言われる事に対して嬉しさもありつつ「本当にこれで良いのだろうか」と疑問も抱いていた所に、ごちうさに可愛さだけでなく、優しい人間でいる事の大切さと必要性を私は学ばされたことが背景としてある。やはり人に優しくする事は人付き合いにおいては何よりも大切な事なのである。

 思えば私が智乃ちゃんがイチ推しなのも人間関係に対してこの様な考えを持っているが故なのではなかったかもしれないと思いを馳せつつ、この本文を終わりとする。

*1:私が嘗てごちうさに対して抱いていた心苦しい感情の事。

*2:但し6人制バレーボールの場合、相手のサービスをブロックするのはれっきとした反則行為にあたる。

*3:この11人は、現在の大学生組の理世ちゃん、結良ちゃん(何れも大学1回生)の2人と、高校生組の心愛ちゃん、千夜ちゃん、紗路ちゃん(ここまで何れも高校3年生)、智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃん、夏明ちゃん、映月ちゃん、冬優ちゃん(何れも高校1年生)の9人を指す。

*4:細かくは麻耶ちゃんと夏明ちゃん、恵ちゃんと映月ちゃんだが、4人全員仲がとても良い。

*5:尤もチマメ隊がバラバラになった事により、現在この区分におけるトリオは消滅している。カルテット(4人組)は新しく創設されているが。

*6:小学校も同じ学校だったかは明確な描写が無いが、恐らくは同じ学校だった可能性が高い。但し、小学生時代は紗路ちゃんは黒歴史扱いしている。

*7:しかしながら、8巻の旅行編で千夜ちゃんが紗路ちゃんの事について「本当は仕事の都合でここ(輝きの都のこと)に引っ越すつもりだったが、お嬢様学校に受かったからあの街に残った。」と、かなり衝撃の事実を言っているので、紗路ちゃんにとって学校選びは色々な意味でまさしく運命の分岐点だったと言える。都会に引っ越すのは恐らくそうした方がもっと稼ぎが良くなるからと言うものだろうが、仮にそうなったのなら紗路ちゃんは心愛ちゃん達と出逢う事も、心から分かり合う事も無かったに違いなかっただろう。ただ真面目な話、金銭事情を勘案すると街に残ったのはお嬢様学校に特待生で受かったからと言うべきだと思うし、他にも紗路ちゃんが中学生の時、両親は何処でどうしていたのだと、疑念をあげるとキリがない。ただ、その辺りの事情は敢えてぼかされているとも思う為、無理に根掘り葉掘り探るのは野暮だろう。

*8:と言うか、あの3人に限ってそんな事は無いと思うのだが、あれだけ気に掛けておいて実は仲が悪いだの心から嫌悪しか感じないだのその様な事を言われたら只管恐怖でしかない。

*9:千夜ちゃんに至っては目に涙を浮かべていた。

*10:ただ、その際に紗路ちゃんに保健室の場所を尋ねたのはどうなのかとならなくもないが、元々球技大会の会場が紗路ちゃんの学校の方なので致し方ない面はある。心愛ちゃんも千夜ちゃんも紗路ちゃんの学校の保健室の場所は詳しく把握は出来なかった事情も容易に察する事が出来るので。

*11:理由は不明だが、保健室を担当している先生はどういう訳かいなかった。

*12:こういう事が出来るのも理世ちゃんと深い親交があるからこそなのは当然だが、もう一つの要因として本編内でも言われている様に、実は理世ちゃんに勝るとも劣らない身体能力の高さを紗路ちゃんは持っているのもあると思われる。そうでなければ高い身体能力を持つ理世ちゃんが放つ技を見よう見まねであっても全く成立しないと思われ、現に2年前には智乃ちゃんが中学校のバドミントンの試合において理世ちゃん直伝の技(因みにアニメではこの技で理世ちゃんは誤ってラケットを飛ばしてしまい、自分の家のガラスと父のコレクションワインを誤って割ってしまっている。尚、原作でもワインは割ってしまっているが、理由は「身近な虫(通称、G)が突然出てきた故の咄嗟の対応の為」と言うものであり、アニメとは異なる。が、いくら理世ちゃんが大の苦手とする虫が突然出てきたからと言って、ワインで攻撃するとはやっぱりやる事がお嬢様には思えない・・・。)のサーブを切り札として発動するものの、元々運動が不得手だった事が災いし、サーブ自体は空振りしなかったのだが、打った先でシャトルがネットに引っ掛かってしまい失敗に終わっている。

*13:実際問題、嬉しそうな紗路ちゃんの反応を見た千夜ちゃんは悔しそうな反応をしている。

*14:抑々折角の球技大会に「3人で保健室でサボっていました。」なんて報告しようものなら理世ちゃんから確実に制裁を下される事になるだろうが。

*15:私自身最推しは智乃ちゃんなのだが、それと同じ位に理世ちゃんと千夜ちゃんも好きである。

*16:個人的にはこの3人組で漫才若しくはコントをすると周りから中々に好評なのではとすら思っている。ただ、ツッコミたる紗路ちゃんの負担が大変そうだが、心愛ちゃんが実はボケツッコミどちらもそつなくこなせる天才肌なので割に心配ないのかもしれない。