多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。4月と言えば新生活の始まりと言う訳ですが、私自身は環境こそそこまで大きく変化していないものの、色々とやらなければならない事が増えた為に中々ゆっくりと時間が取れないなぁと思う事があります。ただ、暇なよりかは何かしていた方がなんだかんだ言っても楽しいと考えている様な人なので、結局の所は幸福に満ちているとは思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は青山ブルーマウンテンこと青山翠(みどり)さんが中心となる回ですが、その青山さんの周りに起こった出来事の衝撃度が半端なものでは無く、その威力たるやごちうさの物語の中でも屈指の美しさと衝撃さ、そしてどことない儚さを誇っていたのは疑いないと思う程で、故に今月号は圧倒的な描写に思わず良く分からなくなってしまった回でもありましたが、それでも素直な想いは確実に存在していたと思うので、今回もその素直な想いを率直に書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は重い内容も含まれているので、その点もご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は青山さんが中心となる回であり、それ故に今月号は全体的に「大人ならではの視点や経験」と言うのが多分に意識されており、この時点でも普段と異なった雰囲気だと言えるのだが、それ以上に今月号は「目を見張るまでに美しく圧倒的な光景」「避けられない命運が確実に迫っている事」「青山さんが普段明かす事のない心境が明かされた事」等、正に特異的と呼ぶに相応しい描写が盛り沢山であり、それは一見しただけでもその圧倒的な描写に思わず言葉を失ってしまうとすら言える程である。

 また、今回は扉絵に対しても特異的な感情を抱いており、全体的な雰囲気としては所謂銀河鉄道を思わせるものの中に、智乃ちゃんと青山さんが描かれていると言うものなのだが、今月号はその銀河鉄道」が重要なキーポイントとなっており、しかも現れた理由がかなり凄まじいものである為、今月号の内容を知らずして見るのと、今月号の内容を知ってから見るのとでは、その扉絵を見た際に抱く感情や想いがまるで変化すると確信した。何と言うか、私自身これまでもこの様な芸術的表現に思わず心惹かれた経験は幾度となくあるのだが、今回の扉絵も今月号の真意を知った後に見た際にはこれとほぼ同等の感触を抱いており、「やはりごちうさは凄まじかった」と言う想いを再認識するには余りにも十分過ぎるものだったし、同時に「私の中においては、ごちうさが日常系の見方を教えてくれた作品である事がどれ程幸せな事なのか」にも想いを馳せている。

 この様な事から、今月号のごちうさに対しては私自身相当な想いを抱いており、その想いの強さは最近のごちうさの中でも随一である。尤も、想いが強過ぎるあまりに取っ掛かりを掴むのが難しいと言う無視できない問題が生じるのも事実なので、一概に喜んでばかりもいられない訳でもあるが、今月号に関しては私の中でそれらの諸問題を無視できる程の強さがあるのであまり関係はない。しかしながら、それならば態々ここで言及する必要性も薄い訳だが、私には想いのコントロールをめぐってはかなり苦い経験があるので、自戒も込めて書き出した所存である。

2.購読した感想・考察

青山さんの物語

 今月号では何がどうなっても青山さんの存在は絶対に外す事は出来ないのは最早当然だろう。今月号は彼女が魅せてくれる様々な心境や胸の内に秘めし想い、そして彼女が持つ決して小さくないが、他の人には中々言い出せない悩みが合わさる事で凄まじい世界観が築き上げられており、その世界観は最早至高の領域に達していると思う程である。また、その世界観には度々彼女が抱える寂しさや引け目、そして絶対的な運命を悟っている節がそこはかとなく表れており、これには「大人ならではの悩み」が含まれていると捉えているが、それは同時に「普段の青山さんなら決して見せない弱さが存在している事の裏返し」でもある為、中々に考えさせられるものがあるとも認識している。

 その様な事から、今月号で魅せつけてくれた青山さんの世界観は、控えめに言っても普段のごちうさとは一線を画している特異的なものであり、その特異さはかの10巻終盤から11巻序盤にかけて表れていた世界観と同等若しくはそれすらも上回る程だと思われるが、今回は全体的に神々しいと思うまでに輝かしい展開や描写と、その輝かしさの裏返しとも言える暗さを感じさせる展開や逃れられない宿命を意識させられる描写そのどちらも多く存在しているのが特徴的でもあり、それ故に真面目に分類しようとすると何処までも混沌とした世界に連れていかれる危険性はあるものの、全体的に見れば「小説家の青山さんが見た美しき世界に果てしなく魅了される」のは疑いなく、前半はそんな青山さんが魅せた世界観について書き出していきたいと思う。

過去の記憶と変遷大きな現状

 今月号は冒頭からしていきなり学生時代の青山さんが、小説家としてのペンネームの案をマスターに依頼するシーンから始まる為、今月号も10巻終盤及び11巻序盤の話にあった様な「夢と現実による複合構成」である事は明白だが、今回は「夢」よりも重要な要素が登場する為、その趣旨はかなり異なっている。因みにここでのマスターは智乃ちゃんにとっての祖父を指し、このシーンではペンネームをマスターに付けて欲しいとせがむ青山さんに対して中々に粋な言葉を送っており、私としては以前から抱いていた想いも相まって「智乃ちゃんの祖父は結構粋な人で、人としても凄くかっこいい人だったんだな」と言う想いを馳せた。

 ただ、その様な夢を見ていた青山さんの現状は決して軽く済まされる様なものでも無く、結論から言えば大事には至らなかったとは言え、小説のスランプからの寝不足が祟ってラビットハウスで原稿の仕事*1をしていた際に倒れてしまったと言う状態であり、結果的に周りの人達(特に凜ちゃん)を心配させる状況を作ってしまっている。無論、これに関しては「青山さんが大事に至らなかった事が何よりも僥倖(ぎょうこう)だったのは明白」である為、私としても安堵に尽きた訳だが、同時に私も人の事は全然言えない身であるとは言え、青山さんには自分の身体も十分に労わって欲しいとも思った。理由は言わずもがな「倒れてしまう」と言う下手をすれば取り返しのつかない大事にも繋がりかねない事象を二度と起こして欲しくないからであり、私とて青山さんが倒れてしまうなんて言う事態は出来る事なら見たくないのである。

 そんな青山さんだが、今月号においては多少疲れが出た位でそれ以外は全くもって支障はなく、それ故に智乃ちゃんから「念のために」とラビットハウスに泊まる事になったとはいえ、本人は至って何時ものと変わらない調子を見せており、心からホッとする様になっている。また、ここから今月号の核心とも言える「幻想的な体験」が登場しているのもポイントであり、それは青山さんがお見舞いの品として、自身が行き詰まっていた題目たる「怪奇短編」に活かせるものである「皆様の幻想的な体験談」を注文した事から始まっている。何とも無茶な質問だが、今までごちうさを読み続けている人なら、彼女達が既に「その身で実際に経験した事すら思わず疑ってしまう程に摩訶不思議な体験」をしているのは直ぐに分かる事であり、事実今月号においても麻耶ちゃん、恵ちゃん、心愛ちゃんの3人がそれぞれ経験した「幻想的な体験」を難なく語っており、ごちうさが持つ摩訶不思議な世界観の一端を担っていると言える。尚、ここでは千夜ちゃんも登場しているのだが、彼女は青山さんに対して「幻想的な体験を聞かせて欲しい」とまさかの逆質問かましており、これ自体は千夜ちゃんらしいと言えばそれまでだが、これを4コマ漫画の構成的な視点としてみると、「千夜ちゃんは4人目として登場している⇒4コマ目つまり『オチ』の役目を担っている」と推察すれば合点がいく辺り、ここでもごちうさの恐るべき強みが隠れていると思う。

 また、ここでは学生組が自身が体験した「幻想的な体験」について語る一方で、大人たる凜ちゃんが深き意味を持つ言葉を発したのも重要だと考えている。ただ、その言葉は「大人になるにつれて想像力が育み辛くなる事で、昔なら気付けたものにも気付かなくなってしまった物が多くある事の儚さ」をストレートに表したものである為、私としてはそれをして「凜ちゃんが抱える心の寂しさを体現している」と思うのと同時に、それ故に「青山さんの事が小説家としても、人としても大好き」なのだと思った。何と言うのか、この事実は「大人としての知識や経験が豊かになればなる程、多くの現実が分かる様になる反面、知識や経験が豊かになった事で逆に見えなくなったものも確実に多く存在している」のを意味していると思うのだが、何れにしてもここで見せた凜ちゃんの心境は、大人になった事の矜持を指し示すものとしても捉えており、そこには凜ちゃんが持つ「大人としての諦観」「諦観故の歓び」が色濃く表れていると思う。

 ただ、凜ちゃんからは「今の私では見えなくなってしまったものを見せてくれる」と言った趣旨の言葉さえも賜った程の青山さんの書く小説だが、当の青山さん自身は凜ちゃんには絶対言えない様な後ろめたさを抱えており、しかもそれが凜ちゃん以上にえげつないインパクトがある点も無視できない。また、自身が抱えている後ろめたさに思いを馳せていた時の青山さんの表情と、青山さんが描く小説に対して誰よりも無垢な喜びを表していた凜ちゃんの表情を照らし合わせてみると、掴み所が無く子供っぽい感性を多分に持っている青山さんとて、どう足掻いても本質は凜ちゃんと同じ「大人」なのだと否が応でも思わせられるのもポイントであり、それ故に「大人である事で超えられない壁が存在している」と言う厳しい現実が見え隠れしていると言えるが、その様な一面はそれまでの青山さんが見せてきた事は殆ど無かった為、私としてもかなりインパクトのある内容であり、同時に「青山さんも多くの葛藤を抱えていたのか……。」と言う想いを馳せてもいた。

小説家としての悩みと一抹の不安

 ここからは青山さんが抱える小説家としての悩みの側面や、智乃ちゃんが明かした不安に思う事について書き出していきたい。先程の項目でも結構叙述しているのだが、青山さんは周りの友達や昔からの親友には中々言い出せない様な悩みを抱えている様子が今月号ではかなり見受けられており、しかもそれが中々にインパクトのある内容だった為、今回ここで事細やかに書き出そうと思い立った所存である。

 早速ではあるが、まずは青山さんが抱えている悩みについて書き出したい。青山さんは前述のような経緯からラビットハウスに泊まる事になっていたのだが、その際に心愛ちゃん達から聞いた「幻想的な体験談」が彼女のやる気に火を点ける事になり、そこから夜な夜なティッピーの制止を振り切って小説を嬉々としながら書き出そうとしているのだが、その際にふと漏らした本音がえげつなかったのである。何故なら「小説家としての私の発想は、何時も心愛ちゃん達からのアイデアに助けられているだけで、自分自身の経験に基づいた発想が殆ど無い」と言うものだったからであり、これには思わず言葉を失くす他なかった。因みにここでは「本物の不思議な体験に自分自身が巡り逢えない事に対する憂い」として青山さんの悩みがブラッシュアップされている為、今回の定義も「『幻想的な体験談』を元手にした小説を私自身の経験では生み出せない」と言う可能性も十分に考えられるが、後述する様な青山さん執筆の小説の特性や共通点を鑑みれば、恐らく「青山さん自ら執筆している小説全般」の事を指していると考えられる。

 思えば青山さんの小説と言えば、私が思い付くだけでも「うさぎになったバリスタ」や「怪盗ラパン」、それに「Seven Rabbits Sins(ナナラビ)」があり、他にも数多くのヒット小説を生み出している訳だが、私が思い付いた3つの小説には一つの共通点があり、そしてその共通点こそ彼女の悩みを解くキーポイントになっていた。そのキーポイントとは「全て青山さんが出逢った人達をモデルした小説」という事であり、言うならば「青山さんから見た光景を小説に落とし込んだ」訳である。そして、これが意味する事は「彼女だけの発想では数々のヒット小説は生み出せなかった可能性が高かった」という事であり、これが彼女が抱える「私には自分自身の経験に基づく発想が殆ど無い」と言う悩みもとい後ろめたさに繋がっていると考えている。因みにこの様な「自分自身を拠り所にした発想や思想の有無」と言うのは、私としても青山さんとは別分野ながらも悩んでいる事実そのものは多少なりともあり、もっと言うならこの手の悩みは人間なら誰しも少なからず抱えている可能性がある悩みでもあると思う。

 しかしながら、小説に限った話ではないが、この手の創作は「題目(テーマ)」が周りから与えられたからと言って、優れたものを生み出す為にはそれなりの技量が必要になってくるのは当然であり、それ故に「題目」が決まっていても誰しも簡単にできる様な事では無いのは当然の摂理である。その為、これまで数々のヒット作を生み出し、多くの人の心を掴んできた経緯を持つ青山さんは、私からしてみれば誰が何と言おうと十分な素質と腕を持った小説家なのであり、故に「嗚呼、そこまで自分の事を悲観に思わないで欲しい……。」とも思いもした。無論、青山さんの気持ちも大いに分かるのだが、私としては「悲観に暮れるより、少しでも前を向ける様な考えを持つ方が良い」と言う思想を強く意識している為、やはり青山さんには悲観に暮れる様な考えに嵌って欲しくないのである。

 話を戻して、ここまで悲観に暮れる様な一面をも見せていた青山さんだが、ここから「幻想的な体験」をその身で体感する事になり、己の中で再び自信を取り戻す事にも繋がっていく。その為、ここから更に重要な要素が飛び出してくる訳だが、そんな青山さんの「幻想的な体験」を書き出す前にココチノの2人が見せたお話の内容について書き出しておきたい。ココチノの2人のお話は、全体を俯瞰してみると「青山さんの心境変化における境界の位置」に存在していながら、その内容は今月号の根幹にも繋がってくる程に重要なものであり、絶対に外す事は出来ない訳である。

 肝心の内容についてだが、端的に言えば「智乃ちゃんは最近夜中に一瞬ながら光り輝く時があるのを知り、しかもそれが日に日に近付いている事から、『もしかしたら……』と言う不安に駆られている」と言うものであり、これだけでも智乃ちゃんが何やら不穏な予感を感じ取っているのは否が応でも分かる訳だが、この後に描写される今月号の流れを見ると、智乃ちゃんが不安に思っている事は「智乃ちゃんの祖父の『お迎えの時』が差し迫っているのでは……」と言う事なのは間違いなく、故にここで彼女が不安に思っているのは「おじいちゃんが完全にいなくなってしまった後でも、私は本当に自分が進むべき道を歩いていけるのか」という事だと分かる訳だが、この事実は「智乃ちゃんとしては、今でもおじいちゃんが完全にいなくなってしまうのが不安で仕方ない事」を意味しており、心に重く圧し掛かるものがあるのは最早言うまでもない。

 その様な事から、客観的に見て「現状の智乃ちゃんはおじいちゃんを必要としている」のは明白だと言えるが、抑々論としておじいちゃんが現世に留まり続けているのは、ひとえに「孫である智乃ちゃんがある程度成長するまで見守っていかなければ」と言う強い想いがあった故であり、それは青山さんのキャラソン「うさぎになったバリスタ」の歌詞を読み解けば見えてくる。そして、これが意味するのは「智乃ちゃんがある程度成長すれば、おじいちゃんは完全に『お迎え』の時を迎える」と言うものであり、この事から今月号の一連の描写は「智乃ちゃんは確実に成長しているのを表している」とも考えており、もっと言うなら今月号で智乃ちゃんが明かした不安は、智乃ちゃんにとって「この先も成長し続けていく為には必ず向き合わなければならない事」だとも考えている。

 ただ、智乃ちゃんが今まで経験してきた事を鑑みれば、彼女が強い不安に駆られる事を痛い程理解できるのもある意味当然の理であり、それ故に仮にも智乃ちゃんがイチ推しである私としてはどうあるべきなのか、自分が取っている立場が本当に良いのかと未だ悩む事も多いのだが、一読者である私としては「どんな時でも智乃ちゃんの選択を出来る限り尊重する」のは当然だし、ともすれば私が取るべき選択と言うのは既に決まっているのだろうし、恐らくは私自身も分かっているとは思うが、それでも迷いが完全になくなる事はない。人の心境を詳しく深掘りすると言うのはそういう事である。

幻想的な光景と青山さんが気付いたもの

 ここからも青山さん主軸の構成である事には変わりないものの、ここからは今月号の中でも絶大な威力を誇る「青山さんが見た幻想的な光景」や、物語全体のキーポイントでもある「ラビットハウスの『秘密』に対して何かに気付いた青山さん」について書き出していきたい。

幻想に対する想いと青山さんが持ちし想い

 ここまで智乃ちゃんが抱えている不安について書き出してきたが、ここからは遂に青山さんが誘(いざな)われた「幻想的な世界観」について書き出していきたい。これは青山さんが夜空に光る星々を眺めていた際に、ティッピーが突如ラビットハウスの屋上に出た事で始まる体験談であり、そこで青山さんが見たのは正に「幻想的」と呼ぶに相応しい光景なのだが、その光景は所謂銀河鉄道を思わせる様な幻想的な雰囲気で、それは正に「芸術」と呼ぶに相応しく、その場面で描かれた数々の事実も相まって、この場面を読んだ際には最早言葉にもならない程の衝撃が走り、あらゆる感情が手玉に取られる感覚すら覚える程である。因みにこの様な感覚は、私はクラシック音楽に対して覚える事が割と頻繁にある感情であり、こちらもやはり「言葉にすらできない程の衝撃に対して、最早音色に身を任せる様な感覚を覚える」と言った感じであるが、私が特に好きとするクラシック音楽「感情が激しく揺り動かされる曲調」*2である為、時に「心すらも乗っ取られてしまう程の恐怖と感銘を覚える」事もしばしばである。何故「感銘と恐怖」両方の感情が存在するのかと言えば、私自身も正直良く分かっていないのだが、恐らく「際限なくどこまでも見入ってしまう程に美しい世界観に対して、『どこまでもその美しさに見入っていたい(=何もかも奪われてしまいたい)と思う自分』『心すらも奪われてしまうと感じる美しさが少しばかり怖いと思う自分』の両方がいるから」だと思われ、ある意味「心酔と理性の狭間に立たされる程、その芸術が持つ魅力に心惹かれている事の証明」にもなっていると思う。要するに「その美しさが心から好き」なのである。

 ただ、実の所私は今回のごちうさにおける「青山さんが見た幻想的な雰囲気」に対しても、上記の様な「感銘と恐怖」両方の感情が存在しており、その圧倒的な雰囲気に最早心すらも乗っ取られる程の感銘を覚えている訳だが、やはりここでも何故「感銘と恐怖」両方の感情が芽生えたのかは自分でも良く分からない。作中の青山さんの様に「頭で理解する事が追い付かず、訳も分からないままにその幻想的な雰囲気に呑まれた事」が、冷静に考えてみると怖くなったが故なのか、この「幻想的な場面を読み解けば読み解く程に見えてくる衝撃的な事実」に対して一抹の不安と恐怖が脳裏を過ったが故なのか、はたまたその両方なのか。この様に心当たりは思いつくものの、果たしてそれが本当に正しいのかが自分でも良く分からないばっかりに、結局は自分が抱いている感情のくせに、自分自身でも良く分かっていない事になってしまうのである。変な話だと言えばそうなのだが、好きなものに対する感情と言うのは、時にして理論では説明する事が難しい程複雑なのだ……。

 かなり長くなってしまったが、今回青山さんが見た「幻想的な光景」と言うのは、それだけどの様な捉え方が正確なのか掴み辛く、それ故にどの様に捉えていけば良いのかすら良く分からなくなってくるのである。何故なら、青山さんが見た光景は、言うならば「智乃ちゃんのおじいちゃんが出来るならずっと秘密にしたかった事」であり、その中には「銀河鉄道の様に現れた列車に乗車していた女性」・「ティッピーの声の主がマスター(智乃ちゃんのおじいちゃん)な事」も含まれている事から、ここから作中を見る限り青山さんは「マスターの魂がティッピーに乗り移っている事」・「列車に乗っていた女性がサキさん(智乃ちゃんの母親)である事」に気付いたと考えられると言う、途方もないまでの衝撃的な事実が考察できる様になっているからであり、要するに話のインパクトが強過ぎる事が要因となって混乱してしまう事で、何が正確なのかすら良く分からなくなってしまうのである。

 しかしながら、冷静になってから作中の青山さんの言動や表情を捉えた上で、彼女が果たして衝撃的な真実にどこまで気付いているのかを考察してみた所、どの様にして考えてみてもこの「幻想的な体験」を経て、ラビットハウスもとい香風家が持っている「秘密」について自分なりにある程度気付いた(理解した)のは明白だと言う考えに行き着いた為、混乱して良く分からなくなりながらも仮定した考え方は、確証こそ無かったものの中々に核心を突いていた事になるのだろう。

 また、青山さん本人にしても数々の幻想的な光景から浮かび上がってきた事実関係や「秘密」を確かめようとして、マスター(ティッピー)に向けて質問攻めをしていた事からも、青山さんがラビットハウスやマスターが持つ「秘密」に関してある程度気付いている事は明白だと言える。尤も、当のマスターは「秘密」に対して興味津々の青山さんに対して黙秘を貫いていた為、青山さんが目に見える形で確証を得ている訳では無いのだが、他方でこの後度々見せる青山さんの口ぶりや、ティッピーに対して「様々な要因から、彼女がこれまで言えなかったありったけの想いを心を込めて言っている」のを見るに、彼女はこの幻想的な光景で見たものや、自分が知った事実に対して自分なりに確証を得ている可能性は十分にあると言え、この観点からもやはり青山さんは何かに気付いたのは間違いないと言って良いだろう。

 色々と書き出したが、結論をまとめると「青山さんは『ティッピーにマスターの魂が乗り移っている事』・『あの銀河鉄道の列車に乗っていた女性が智乃ちゃんの母親(咲さん)である事』に気付いた可能性が十分にある」という事であり、彼女が客観的にも分かる形で何かしらの確証を得た様子こそ描かれてはいないものの、青山さん自身の言動や、青山さんがマスターに対する感謝の気持ちを伝えられた事を嬉しく思う感情をティッピーに対して見せていたのを見るに、少なくとも彼女がティッピー=マスターだと捉えている事は明白であり、この事実からも青山さんは恐らくラビットハウスの「秘密」に対して何かしらの発見を得た事が考えられる訳である。

 余談だが、何だか最初で「どの様に捉えていけば良く分からない」と書いたのが嘘の様に思えてくるまとまり様だが、混乱してしまうと冗談抜きで普段ならまとまる考えも全くまとまらなくなり、普段ならすんなり理解できる事すらも全然理解できなくなるものである為、混乱は本当に恐ろしいのである。尤も、そんな状況でもあの美しい銀河鉄道及びミルキーウェイ*3はダイレクトに心を震撼させるのだが、冷静に考えてみて頭は混乱しているのに美しさには呑まれていると言うのも中々に怖い話……。

何かを悟りし青山さん

 ここからはその様な幻想的な体験を経て殆ど元通りになった青山さんが見せた「何か秘密を知っている」のを感じさせる一面について、私が思った事を書き出していきたい。

 これは昨夜の幻想的な体験を経て、ほぼいつも通りにラビットハウスの席に着いていた際に展開される話であり、この場面では昨夜青山さんが「幻想的な体験」をした事を「体調が悪かったからそんな光景を見たんだ」と言って、恐怖に慄く(おののく)心愛ちゃんと理世ちゃんを見て、2人が提唱した仮説に便乗する形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様な冗談をいつも通りほんわかしながら言って、2人を更に困惑させていたのが印象的だが、ここで私が気になったのは冗談(と言うかそう思いたい)を言う前の青山さんの反応であり、何故気になったかと言えば、本人は「多分」と付け加えていたとは言え、その反応がまるで「あの幻想的な光景が、自分ではなくティッピーに乗り移ったマスターを『お迎え』する為に現れた事を悟ったものだったから」である。つまり、彼女は「あの銀河鉄道は恐らくマスターを『お迎え』する為に現れた」と理解している訳であり、ここで私としても「青山さんはあの時の体験を経て、やはり『秘密』に対して何かしら気が付いた事がある」としみじみ思わされた訳である。

 ただ、そうなると個人的には「何故青山さんは、心愛ちゃんと理世ちゃんが提唱した話に対してそのまま乗っかる形であの様な冗談を言ったのだろうか」となる訳だが、これは抑々論として「この様な発言を青山さんがする事の意義」について考える必要があると思っており、それを紐解く重要なキーポイントとして、青山さんが少し考えた末にこの場では口を噤んだ「ティッピーの秘密」が存在していると推察している。どういう事かと言えば、青山さんはあの「幻想的な体験」を経て、恐らく「ティッピーと智乃ちゃんの祖父の秘密についても何か気付きを得たと考えられる訳だが、この事は当然ながらマスター(おじいちゃん)にとって「余計な心配をかけさせない為にも、できる事なら極一部の人だけが知っている、正に「秘密」として隠し通したい」と考えているのは、今まで本人の口から「ティッピーにおじいちゃんの魂が乗り移っている事」を明かしていない事や、その事実を知っている智乃ちゃんや智乃ちゃんのお父さんも、周りに対しては例え家族同然の大切な人であっても秘密を明かしていない事を見れば明白だと言え、青山さんにしてもその事は良く分かっていると考えている。つまり青山さんは秘密をバラしてはいけないと悟り、どうにかしてマスターの「秘密」に関わる様な視点を逸らそうとして、あの様な事を発したと考えられるのだ。

 この事から、青山さんが「お迎え」の件について「寝不足故に自分がその様な光景を見たのかも知れない」と、心愛ちゃんと理世ちゃんの仮説に対して肯定する形で冗談じみた事を発したのも、恐らくだが「智乃ちゃんの祖父が持つ『秘密』については何があっても言ってはいけない(=秘密を守らなければならない)と咄嗟に思い、それからそっと口を噤んでその上で敢えて視点をずらす様な事を発した」と考えられる訳であり、その事を鑑みれば、単に青山さんが何時もの様に掴み所のない事を言っただけでは無く、その発言に隠された青山さんのマスターに対する強き想いも見えてくるのである。

 因みに青山さんのこの様な立ち振る舞いに対して、コーヒーをせっせと淹れていた智乃ちゃんが何やら懸念を示していたのも気になるポイントだが、それに対するおじいちゃんの「何も変わっていない」と言うコメントも中々に考えさせられるものだった。この「何も変わらない」と言うのは、私が思うに「マスターと青山さんの関係性は、何時までも変わる事はない」と言う意味だと捉えており、要するに「マスターとしては、青山さんとはこれからも会話を敢えて交わさず、ただ只管に見守り続ける事の意思表示」な訳だが、それでも青山さん自身はマスターの「秘密」に対して何かしらの気付きを得ているのは事実であり、その意味では青山さんは変わった事にはなるのだが、マスターもとい智乃ちゃんのおじいちゃんとしては、今までと変わりなく青山ブルーマウンテンを見守る存在であり続ける。私はそんなおじいちゃんの意思を感じた所存である。

 また、今月号において青山さんが体験した「幻想的な光景」をして、心愛ちゃんと理世ちゃんが2人して「体調不良故にもしかして……」と慄いていた所に青山さんが乗っかる形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様なコメントを、あの青山さん特有のほんわかした雰囲気を見せながら言った事に対しては、元々所謂「ブラックジョーク」に対しても興味関心及び耐性があり、実際に青山さんのそういったコメントに対して、これまで割とすんなり受け止められていた私も今回のコメントには流石に顔が引きつった。と言うか、自分に関するブラックジョークをあんなにこやかな表情で言っているを見てビビらない筈が無いのだが……。

ペンネームの意味

 ここまでは青山さんの心境を中心に書き出してきたが、ここからは抑々論として、青山さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に込められた意味や由来について書き出していきたい。これは今月号の最後にして、今月号序盤に出ていた「マスターの粋な真相」が明らかになる局面であり、踏み込んで言えば「青山ブルーマウンテン」と言うペンネームにはどの様な想いが込められているのか、それが遂に明らかになる訳だが、ここではマスターの孫(智乃ちゃんのおじいちゃん)である智乃ちゃんが、高校生時代の青山さんに対して粋な想いを込めたペンネームを授けたマスターを彷彿とさせる様な言葉を送っているのがポイントであり、単純に見ても「やはり血は争えない」となる訳だが、それ以上に名称に対して厚い心意気を持っている事に対して熱くなるものがある。

 肝心の「ブルーマウンテン」の由来についてだが、これは私が思うに智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとでは、厳密には細かな部分は違っていると感じているものの、2人に共通しているのは「青山さんが誰からにも愛される様な小説家になって欲しい」と言う想いが込められている事だと考えており、それ故にバリスタらしくコーヒーの王様と呼ばれるブルーマウンテンの名称を使い、青山さんには幅広い層から絶大な支持を受ける様な小説家になって欲しいと言う想いからそう名付けたと思われる訳だが、個人的には「ブルーマウンテン」という名称を使ったのには、マスターが青山さんの小説家像について想いを馳せた時に、前述の様な「幅広い年代から支持を受ける様な小説家になって欲しい」以外にも、「誰にとっても親しみやすい存在であるように」と言う願いを込めて名付けたのではないかと考えており、それは智乃ちゃんにしても同じ事だと考えている。

 ただ、読者から「幅広い層から支持を受ける」のと、読者に対して「親しみやすさを覚えて貰う」のは往々にして深く結び付いているのも多い事から、態々きっちり分けて考える必要性はさほど無いのではとなるかも知れないし、事実その様な考え方も一理あると考えている。しかしながら、私としては周りの人達から支持をして頂けている事と、親しみをもって頂けている事は、やはりきちんと分けて考えるべき事だと考えており、それ故に結び付ける考え方もきちんと尊重している事は前提の上で、私は「それぞれに別の意味が込められている」と考えており、それがここで書き出した2つの項目と言う訳である。

 まとめると、私は「ブルーマウンテン」と言うペンネームに込められた意味を「誰からも愛される様な小説家になって欲しい」のと「誰にとっても親しみを覚えて貰える様な存在であり続けるように」の2つがあると捉えている訳であり、この内前者はマスター(おじいちゃん)や智乃ちゃんが提示していた考えであり、後者は言ってしまえば私の願望が色濃く表れている考えであるが、どちらの考えも私にとっては同じくらい重要であり、どちらか一方をとる事など、私にはとてもできない。それだけ青山さんのペンネームには名付け親の強い想いが込められていると感じられるからであり、正に今月号を締め括る場面に相応しいと言えよう。

 思えば青山翠さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に対しては、私自身「かなり変わったペンネームだ」と知った当初は思っていたが、時が経つにつれて段々ペンネームが私の中でも自然と馴染んでいく様になり、今となっては今月号における描写も相まって、凄く良い名前だと思う様になった程である。やっぱりペンネームと言うのは不思議なもので、最初はどこか変わっていると感じても、徐々に馴染んでいくとそれが絶対的な良さを持つものへと変貌していって、でも本質的には最初から全く一緒だった事に気付かされる。私にとってはそんな感覚だった。

3.あとがき

 以上がきらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は全体的に色々な意味でインパクトのある展開や描写が盛り沢山であり、故にその圧倒的な美しさと衝撃度はごちうさ全体の中でも随一だと思う事に異存はなく、あまりの衝撃の大きさに読んだ当初はどの様にして捉えていけば良いのか暫く分からなかった程である。尤も、いざ始めてみれば書きたい事が次々に思い浮かび、今回もいつも通り重厚な内容になった訳だが、私が今月号に対して凄まじい衝撃を受けたのは紛れもない事実であり、それは今回の内容がそれまでのごちうさ感想・考察とはやや違ったテイストになっているのが証左となっている。

 今月号は小説家の青山さん中心の回である為、普段のごちうさとは一線を画した展開が数多く存在していた印象があり、前半は青山さんの担当さんにして、学生時代からの旧友兼親友でもある凜ちゃんともども「大人から見た世界観」「大人であるが故の悲壮感」を感じさせていた点、後半はごちうさ全体でも有数の「幻想的な光景」「小説家としての洞察力と大人としての立ち振る舞い」がその例に当たっていると考えている。尚「幻想的な光景」を除いて共通しているのは「大人からの視点をもろに感じさせる描写である事」であり、高校生~大学生(嘗ては中学生~高校生)の視点が基本のごちうさにおいて、大人からの視点はかなり興味深いと考えている訳である。

 また、今月号は何と言っても圧倒的なまでに美しい描写が特徴的であり、銀河鉄道を思わせる幻想的な光景と、夜空に光り輝く星々の光景ときたら、それは正に「芸術たる至高の領域」と言っても全く差し支えなく、どれ程見入っても、その圧倒的な美しさを言葉で精巧に表現するのは困難を極めるとすら思う程である。因みにこの問題は語彙力不足で発生している側面もあると思うのだが、私が思うに語彙力が不足している以上に目の前に存在している圧倒的な芸術表現を余すところなく感受し、それを言葉巧みに表現するだけの感性がどうやっても手に入らないから発生していると考えており、言うならばボキャブラリーが足りない」のも理由としてあるが、それ以上に「圧倒的な芸術的表現の前に、抑々私自身が持つ感受性がどんなに頑張っても追い付けない」訳である。その為、私としては「語彙力と感受性」両方を向上させていきたい所存だが、現実はそう簡単にはいかないものである。

 ただ、この様に色々思う事はあっても今月号のごちうさに対して、近年のごちうさの中でも随一の魅力と衝撃を受けたのは事実であり、それ故に今月号に対しては最早言葉がまとまらなくなる程の感銘を受けている。つまり「今月号はあまりにも素晴らし過ぎた……。」と思った訳であり、最近きんモザ、スローループ、RPG不動産、ぼざろ等々のきらら系作品と、きらら系以外の趣味分野にも改めて力を入れ始めている私にとって、改めて「毎月ごちうさの最新話を読み続ける事の意味や有難み」についてもしみじみ考えさせられる機会にもなっており、この経験から今後の私は「上記に挙げたきらら作品と、きらら系以外の趣味分野、それにごちうさと、多趣味な私らしくあらゆる趣味分野に対して精力的に関心をもち続けようと思い立っている。尤も、その道のりは決して平坦では無いし、甘いものでも無いと理解しているが、それも承知の上で意識し続けるのが私のスタイルなのである。

 先月号の記事同様、最後まで深淵たる内容が続くものになったが、これも私がごちうさに対して煮え滾る想いを持ち続けている証左である事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙39枚分である。今回はややコンパクトにまとめている傾向にあるが、これは現時点では執筆途中のきらファンメインシナリオ第2部7章の感想・考察を13000文字当たり書いた時点で一旦書くのを中断して、地続きに当ブログ記事を作成した為であり、あまりにも膨大な記事を書いていると、時間が掛かり過ぎると判断したのも理由として存在している。尤も、当記事も1週間と少しで書き上げている上、この記事も普通に文量はかなりある為、感覚が多少なりとも麻痺しているのもあるだろうが……。

*1:青山さんは小説家としての仕事たる原稿の執筆を喫茶店で良く行っており、大抵は「甘兎庵」にいる事が多い様だが、ラビットハウスにいる事も多い。

*2:主に「短調(マイナー)」の曲が好きであり、その中でも「ロ短調」(B Minor)がお気に入りである。

*3:英語で「天の川」の意味なのだが、ごちうさならばフランス語の方が良い気もしないでもない……。ただ、そうは言っても私はフランス語表記の天の川は良く分からないのだが……。