多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」7章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部7章を読み進めていく中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、最早どの様な観点から捉えるべきなのか分からなくなる程に錯綜たる想いに駆られている側面がありますが、それでも私の中での嗜み方と信念は固く存在しているので、今回も「私が思う事」を大切にしながら書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的且つ壮絶な展開の連続であり、これまでも幾度となく数々の事実が明らかになってきたが、7章では途轍もない展開が待ち受けていたのである……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力はきららファンタジア全体の中でも随一である。そして、個人的にはそんなメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶だと感じているのは「欺瞞に満ちた世界*1を正す為に禁呪魔法『リアライフ』に手を染めてまで暗躍するが、その根底には蠢く悲しき闇と決して消える事のない痛く悲しい過去が滲み出ている『リアリスト』そのものの存在」であり、知れば知る程に悲惨な実態や心境が見えてくる痛みは筆舌に尽くし難い。ただ、それでもうつつちゃんが見せる精神的な変化や、どんなに悲愴的な状況に陥っても決して希望を捨てないきらら達を見れば、胸が熱くあるのは当然の事ながら、聖典そのものが抱えている問題について深く考えていく事等、きらファンメインシナリオ第2部には「私にとっては心惹かれてやまない要素が多く存在」しており、それ故に新章が出る度に凄まじいまでの感想・考察を書いている所存である。

 今回もそんな読み応えのあるシナリオを読んだ感想・考察を書き出していく訳だが、前回の6章があまりにも肥大化し過ぎていた為、今回は幾分コンパクトにまとめようと考えている。勿論、コンパクトとは言っても書き出す内容に妥協をするつもりは無いのは当然である。

2.第2部7章の感想・考察

 まずはこれまで同様、7章そのものについてや、その7章から読み解ける事を中心に書き出したいと思う。内容はメインシナリオ第2部の例に漏れず重い内容になっているので、注意して欲しい。

7章全体の感想・考察

7章とは

 7章はメインシナリオ第2部2章及び4章同様、メインシナリオ第2部の世界観そのものが深く掘り下げられているものであり、冒頭から6章終盤に明かされた「リアリストの次なる標的は七賢者」に対する対抗策を練る場面から始まっている辺り、いよいよ激動の展開に突入していく事が窺い知れる。

 その様な事もあってか、この章は序盤から「神殿チームVS真実の手」と言う構図の激しい応戦が繰り広げられており、冒頭からいきなり波乱の展開を迎えている。だが、序盤は完全にリアリスト達が一枚上手であり、神殿チームは七賢者が新たに3人も毒牙に蝕まれ、きららちゃん本人に遂にサンストーンの手によって彼女が見えるパスが断ち切られ、更に6章時点で既に毒牙を喰らっていたカルダモンも毒が完全に治癒していなかった事から、一時は窮地に立たされる事になってしまう。

 正しく悪夢のような状況下に、ただ一人きららちゃんとの絆を覚えていたうつつちゃんは、自分の無力さと不甲斐なさに対して激しい自己嫌悪に陥ってしまうが、スクライブギルドのギルド長であり、うつつちゃんにとっての親友でもあるメディアちゃんの励ましによって再び希望を取り戻し、更にうつつちゃんに秘められていた強い想いが、彼女に新たな力を授ける事になった。そしてここから、七賢者の中でも特殊魔法の使い手であり、人の夢にも入る事の出来る力(夢幻魔法)を持つハッカの計らいによって、うつつちゃん達はきららちゃんを救う為にきららの夢の世界に乗り込む事を決意する。

 夢の世界においては、新たな力を会得したうつつちゃんの手によって、きららちゃんは自分の能力で絆を取り戻し、きららちゃん本人が見ていた悪夢から解放する事に成功する。因みにサンストーンからしてみればこれは大誤算だった様で、真実の手の面々は思わず憤りと焦りを隠せなかった様だが、直ぐに平静を取り戻している。また、7章中盤では「悪夢の魔法をかけられたきららと七賢者を助ける事」が主軸となっているが、ここでは敵のスズランが一目置く程の実力を持つ七賢者「ハッカ」の存在もあって神殿チームが反撃に転じる事に成功し、リアリスト側が徐々に追い詰められていく事になる。そして、リアリストの抵抗を乗り越えて遂に全員の悪夢を開放する事に成功するが、未だダチュラによって蝕まれた毒が残っており、依然として予断は許さない状況下にありつつも、神殿チームは解毒の為に奔走する事を決意する。

 解毒の為には高純度の星彩石が必要だと言うが、それは既に真実の手が1人であるダチュラの手に奪われていた。しかしながら、ロベリア達が企画していた作戦は失敗に終わったと本人の口から告白した辺り、リアリスト側も追い詰められているのが窺える。そして、神殿チームが黙って手を拱いている筈もなく、ダチュラを追う為に奔走し続け、その過程で真実の手が1人、エニシダと邂逅し、きらら達はこれを退ける事に成功する。ただ、敵の抵抗も凄まじく、道中幾多の困難がありつつも、きらら達は遂にダチュラの下に辿り着く事を果たし、ダチュラの手から星彩石を取り戻す事にも成功する。だが、ダチュラが見せた雰囲気は、今までのリアリストは無かった悲しみを帯びていた……。

 星彩石を手に入れた神殿チームは、早速ダチュラの毒に侵された面々を救う為に神殿に持ち帰り、無事に処置を果たす事に成功する。だが、その矢先にエトワリアのあちらこちらでリアリスト達が仕向けた刺客に襲撃されていると言う情報が入り、緊迫の展開のままに7章は唐突に終わりを告げる。つまり、7章は、言ってしまえば「『七賢者VS真実の手』におけるほんの序曲に過ぎなかった」訳であり、今後の章で更なる壮絶な展開が待っているのだろう……。

 全体的に見れば、7章は「真実の手VS神殿チーム」という対立構造が全編にわたって意識されている事からも、リアリスト側もいよいよ本気で聖典及び神殿を潰しにかかっているのがハッキリと分かり、それ故に全編にわたって高い緊張感が漂っている。また、7章は全体的に見て物語の進行スピードが、今までと比べて多少なりとも速くなっている印象があり、これも「7章は劇的な展開が休む間も殆どなく続いている」という印象に花を添えていると考えている。因みに7章のシナリオの雰囲気そのものについてだが、7章は凄まじいまでの悲愴的で過激な展開こそ無いものの、全編を支配する高い緊張感や、7章で本格登場したダチュラが抱える悲しき境地を鑑みれば、7章も今までの章と変わらない重さが含まれていると言える。

 また、7章では6章と違ってメインシナリオ第2部の根幹にも関わる程に重要な要素が明らかになる側面は控えめになっているのだが、それ故に「7章では七賢者に狙いを定めたリアリスト達が本気で襲い掛かってきている事実」ダチュラが抱える悲しみの境地」がより印象に残りやすくなっている。また、7章中盤においてうつつちゃんが更なる境地へと歩みを進めている描写もあるのも見逃せない点であり、ここからはこのメインシナリオ第2部7章で重要だと思った事を中心に書き出していくが、まずはうつつちゃんとダチュラについて書き出したい。

7章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部の重要人物たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「名前と年齢と女子高生である事」以外は全て記憶を失くしてしまっている。その為、現時点でも彼女は一体何者かは分からず仕舞いな訳だが、7章においてリアリスト達も彼女の奥底知れない特性に戸惑いを隠せなかった辺り、彼女の全てを知る者は殆どいないのだろう。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に度々後ろ向きな発言をする事がしばしば見受けられるが、きらら達と冒険を重ねている事と、自分の事を心から理解してくれているメディアちゃんの存在や、出逢うクリエメイトの存在が、彼女を精神的に大きく成長させており、今でもネガティブキャラである事を自負しているとはいえ、フェンネルやアルシーヴからも一目置かれる程に立派な人物へと変化している。そして、7章では後述の通り、彼女の強い想いが彼女独自の強みを持つ事に繋がっている。

 物事を見つける際の視野の広さや、言葉選びの巧みなセンスが持ち味でもあり、7章においてはどちらも6章に比べると控えめとはなっているものの、高い緊張感が続く7章においても彼女が見せるその様な雰囲気によって多少なりとも緊張が解れるのは言うまでも無く、良い特性を発揮していると考えている。因みに彼女はその巧みな言葉選びに裏付けされた毒舌センスも度々感じさせているのだが、これも7章においては控えめになっている。尤も、彼女の毒舌は中々に切れ味が鋭い為、鳴りを潜めていた方が良い様な気もするのだが……。

 そんなうつつちゃんだが、7章においては数々の劇的な展開を迎える事になる。まずはアルシーヴとセサミが気付いていた「うつつは一定以上のネガティブ感情になると、本人の意思とは関係なくウツカイを召喚する」と言うものであり、この事実に彼女は思わず狼狽えてしまっていたが、アルシーヴは「それも(うつつ本人の事を知る上で)手掛かりになる」と付け加えた上で、ウツカイを召喚するからといって敵視する事はない(=うつつを変わらず信じ続ける)とうつつ本人に告げており、それ故にうつつちゃんとしてもその言葉に救われたものはあったと捉えている。

 次に「うつつちゃんにとってはかけがえのない存在でもあるメディアちゃんの励ましによって、彼女は新たな力に目覚めた」と言うものである。これは7章中盤において絶望的な状況下にも関わらず、自分には何もできない事に対して自己嫌悪に陥ってしまう中で、メディアちゃんに凄まじい勢いで励まされた事で自己嫌悪から脱し、改めて前を向く決断をした際に表れたものであり、その際にメディアちゃんとの絆を象徴する「2章におけるペンが光り輝いた」と言うのは、色々な意味で輝かしいの一言に尽きる。

 この様な事から、うつつちゃんは全体的に「7章においては、一度は闇に呑まれかけるものの、最終的には光を手にしていく存在」としての一面があると捉えており、彼女の変化は非常に輝かしいと言えるが、この事実はここから叙述していくダチュラ」が抱えている影との対比をより明確なものにしており、それは同時に運命の残酷ささえも示唆している。

ダチュラについて

 「真実の手」が1人であり、毒手の異名を持つ、リアリストが1人、ダチュラ。一人称は基本的に「ワタシ」であり、話し方が片言なのも彼女の特徴。その異名通り自分の手で毒を生産できると言う恐るべき特殊能力を持っているが、彼女はその能力故に自分ではどうする事も出来ない無情な現実にも立たされている。尚、毒の用途法は7章を見る限り様々存在する様だが、どうやら「強力になればなる程、準備の手間暇や生産性の効率低下が表れる様になる」という欠点がある様で、7章ではその弱点をカバーする為にダチュラ以外の真実の手の面々が協力して「毒で相手を弱らせ、スズランの夢幻魔法で悪夢を見せさせ、エニシダの歌声でどこまでも絶望に叩き落す」と言う陰湿且つ悪辣な手口を使っている。

 その能力故にリアリストの中でも実力はかなりのものとは言えるものの、当の本人は大の寂しがり屋で、スキンシップで得られる温もりを求めている一面がある。しかし、ダチュラが持つ能力は作中を見る限り「本人の意思で毒を体外に放散するかコントロール出来る」ものでは無く、「本人の意思とは関係なく、体外には常に毒を帯びている」ものである事が窺え、それ故に彼女には誰も触れる事が出来ないと言う。何故なら、ダチュラに触れようものなら毒によってそのまま命までも奪われてしまうからであり、リアリストの面々がダチュラの事を褒める事はあっても、ダチュラがどんなに雰囲気を醸し出していたとしても頑なにスキンシップに応じないのは、リアリストの面々もダチュラの毒に蝕まれてしまう事実が存在しているからだと見てとれ、それはエニシダが見せた反応が裏付けとなっている。

 この様な事情から、ダチュラ本当の意味で打ち解け合える仲間内がいない(即ち孤独)と言う状況に追い込まれており、それ故にリアリスト内でも孤独感を滲ませている。また、彼女は自身が立たされている境遇故に人と人の繋がりを激しく憎んでおり、故に人と人が密接に繋がっているのが狡いから世界を破壊したいと言う願望を強く滲ませているのも大きな特徴であり、その悲愴度はリアリストの中でも群を抜く。因みに特殊能力が原因でやり場のない怒りと悲しみを抱える事になってしまっているのは、ダチュラの他に「自身の歌声に呪いがかけられている」エニシダも該当するが、エニシダはまだ仲間を作ろうと思えば作れる余地は残されているのに対して、ダチュラ「毒故に触れる事さえできない」と言う特性上、仲間内を作る事すらままならないと言う境遇に立たされている為、ダチュラの方がエニシダと比べても遥かに悲愴的且つ無慈悲な運命を課せられていると言える。

 彼女はリアリストにおける「真実の手」の一員ではあるものの、悲愴的な命運を抱えている事や、他のリアリストとは明らかに違う境遇に立たされている事から、リアリストに対しては基本的に寛容的な態度を見せない*2きらら達も、7章で彼女と初めて直接対峙した際に彼女が見せた悲愴的な現実に思わず悲しみを覚えており、きらら達にとってもダチュラが抱える悲愴的な境地は痛々しいものであった事は明白である。その為、ダチュラはリアリストの中でも一線を画す存在だと言えるが、今後どうなるかは現時点では分からない……。

7章について思う事

ここからはいよいよこのメインシナリオ第2部7章で私が重要だと思った事、思わず心打たれた事を中心に書き出していきたいと思う。ここからも重い内容が含まれているので、注意して欲しい。

急進の展開と鬩ぎ合い

 まずは7章全体の印象について書き出したい。7章は大きく「七賢者VS真実の手」の構図が存在している為、序盤から波乱の展開が続き、それが終盤まで続く展開となっており、それ故に私としては終始その高い緊張感に呑まれながら、劇的な展開に痺れていくと言う構図が存在していた。ただ、私自身実際に7章を読み進めていく前は、正直この様なビジョンは見えておらず、それ故に驚きと戸惑いが隠せないままにどんどん進んだ印象があったのだが、元々私は今回の7章の様な展開を好みとしていた為、さほど支障は出なかった所存である。

 また、7章は劇的な事実や展開が立て続けに出てきたのも印象的であり、特に印象的だったのは「七賢者があっという間に『真実の手』の搦め手に嵌められる」・「きらら自身の絆がサンストーンによって一時的ながらに断ち切られる」・「紆余曲折を経て、うつつちゃんが更なる力を会得する」・「七賢者と『真実の手』がお互いに激しく削り合う」と言うものであり、とりわけきららちゃんの絆が断たれてしまった事と、うつつちゃんが新たな力を会得した事は衝撃的であり、正直展開が急進的すぎて良く分からなかったのも否めなかったが、この事実が今後のメインシナリオ第2部において多大なる影響をもたらす事はほぼ間違いないとみている。

 更に、7章において本格登場したダチュラの存在は、彼女が抱えている悲愴的な境地や命運を鑑みて、彼女はリアリストの中でも突出して悲しいものを抱えていると思うのと同時に、7章ではうつつちゃんが大きく光り輝いたものを手にしていたのを鑑みれば、うつつちゃんとダチュラ「7章における光と影の対比になっているのではないか」とも捉えている。尤も、これは完全に個人的な観点なのだが、7章ではきらら達が数々の危機がありつつも、協力して乗り越えて更に強いものを手にしている一方、リアリスト達は最初こそ優勢だったものの、徐々に劣勢を強いられて最終的には一時撤退を余儀なくされている事からも、何かしらの対比構造があるのは明確である為、今回この様な仮説を立てた訳である。

 この様な事から、私の中で7章は前回の6章と比べてコンパクトにまとめているとはいえ、今回も「終始激震走る目まぐるしい展開」と「新たな境地に達する者と(最終的に一時撤退しているとはいえ)追い込まれた者」を始めとして心打つ展開が多い印象があり、それ故にこの7章もメインシナリオ第2部に相応しいものが多く詰め込まれていると認識している。また、7章では神殿側、リアリスト側共にやたら気になる台詞が多かったのも見逃せないポイントであり、色々な意味で今後の章において表れるのが楽しみでもある。

輝きたる新境地

 7章を読み進めた上で私が感じた若しくは考えた事を叙述していくにあたって、7章で今まででも指折りの凄まじい成長と意気込みを見せた住良木うつつちゃんの事を省くわけにはいかないだろう。彼女は7章において、敵の策略によって自分が無力である事を自ら責める様な状況に追い込まれ、元来のネガティブ思考も相まって半ば自暴自棄気味の思考に陥ってしまった際、自分にとってかけがえのない存在でもあるメディアちゃんによって励まされた事と、その励ましによって、きらら達と一緒に旅をしていく中で育まれてきた強い意思を取り戻し、絶望的な状況を打開しようとしてありったけの想いを解放した所、その想いに呼応するかの様に、うつつちゃんがメディアちゃんと初めて出逢った2章で登場したあの時のペンが光り輝き、うつつちゃんは新たなる力を手にしているのだが、その時の流れが凄まじいまでに印象に残るものであり、後になって振り返ってみれば「あの時うつつちゃんは遂に自分の強い意思を具現化たるものにした」と思える様になった。それ位、あの時のうつつちゃんは凄かったのである。

 個人的にはうつつちゃんがこの様な力を手にした事実は、うつつちゃん自身が人を思い遣る事の出来る優しい心の持ち主である事、大切な人の為に自分が力になりたいと考えていた事、リアリストとはやはり共感できないと考えている事の3つが明確になったと捉えており、それは同時に自分に自信が無い一面が目立つうつつちゃんにとって確固たる信念の指標ともなり得るだけでなく、未だに彼女の素性が本人も含めて分からない中で、うつつちゃんはリアリストとは一線を画す信念を持つ事の証明にもなり得る。勿論、本当の所は明らかになってみないと分からないのは当然だが、それでも彼女にとって相当な心の救いとなっているのは間違いないと思われる。

 また、うつつちゃんは7章において確固たる想いを築き上げるまでに凄まじいまでの気持ちの乱高下を見せつけていた事から、私はそれをして「一度は闇に呑み込まれかけたうつつちゃんだが、メディアちゃんの励ましや自分が持つ強い意思の再認識もあって、闇を脱し確固たる光の輝きを会得した」と過程付けており、ここから私はうつつちゃんの事を「7章において光を手にした人物」という位置付けにしている。ただ、彼女は元来ネガティブ思考の持ち主であるが、ここで重要なのは「元々ネガティブな傾向が強かった彼女が、自らの想いと自らを大切に想う友達の想いをもってして、光り輝くものを手にしている事」である為、今回の事例はより一層意味のある事だと捉えている。

 ところで光があるならその対比の存在たる影(闇)があるのも当然の摂理だが、7章においては光り輝くものをうつつちゃんが担っていたのに対して、暗く闇を滲ませるものを感じさせていたのは、下記において詳しく書き出している「リアリストもといダチュラが抱える悲愴的な境地」であり、しかもその闇はまるで7章におけるうつつちゃんが手にした光に対比するものだと思う程に、どこまでも無慈悲で冷酷だったのである……。

心の甘さと非情な運命

 ここからは上記の項目で(詳しくは後述する)と書いた、エニシダがきらら達を称するうえで「彼女達は甘い」と言い放った事と、ダチュラが抱えている悲愴的な境地について思う事を書き出していきたいと思う。ここから非常に重い内容が含まれているので、特に注意して欲しい。

 

 まずはエニシダが仲間内に対して言い放った「彼女達(きらら達の事)は甘い」と言うものである。これはダチュラの毒を治す為の星彩石をダチュラの手によって奪われ、それをきらら達が取り返しに来るのを迎え撃つ際の作戦会議の中で言及されたもので、実の所言葉自体はそれ程スポットライトが当てられていた訳では無かったのだが、私としては「それは一体どういう意味だ?」と気になってやまなかった。尤も、エニシダが元来傲慢且つ高飛車な人なのは6章時点で既に分かっていた事であり、故にこの様な事を発するのはある意味既定範囲ではあった為、別に怒っている訳では無く、ただ単純に「きらら達の事を『甘い』と称する理由は何なのか?それを明らかにしなければ」と思い立っただけなのだが、何れにしてもエニシダがきらら達の事を軽く見ているのは事実である為、私なりに少し解き明かしてみたいと思った所存である。

 何れの場合にしても、ここで気になるのは「抑々きらら達がどの様な意味で甘いのか」という事である。これに関しては抽象的な題目故に断定する事は難しいのだが、恐らく「きらら達が世の中の厳しさを良く分かっていない」と言う意味で言い放った側面があると捉えている。リアリストとりわけ「真実の手」の面々は、その自暴自棄且つ破滅的な思想が先行しがちとは言え、元々は「現実の非情さや聖典の無力さに絶望して、聖典の破壊を望む様になった」「抑々聖典を理解できない様な環境下にいた中で、聖典ありきの世界は現実の厳しさから目を背けていると思う様になった」と言った過去を持つ者が殆どであり、それは曲がりなりにも「現実の厳しさ」はその身をもって解らせられている事を意味する。但し、解らせられているとは言っても、真実の手の面々の言動や行動を見る限り、彼女達の思想にはかなりの曲解及び思い込みが入っているのは否めず、それ故に「本当の意味で彼女達は現実を分かっている訳では無い。」と思う面はあるのも事実だが、何れにしてもリアリスト達がきらら達と比べて「現実の厳しさそのもの」を知っているのもまた事実である為、エニシダがきらら達を見下す発言をしたのも、歪んでいながらも確かな根拠があってこそとは言えよう。

 ここで整理すると、エニシダがきらら達を軽視する様な発言をした事に対して私としてはエニシダを含めたリアリスト達は良くも悪くも現実の厳しさを知らされるような経験をしてきているが、その様な経験をしていないきらら達は、私達リアリストと比べて考え方が甘いと見縊(みくび)っていたから」という推察をしている訳であり、エニシダがその様な発言をしたのは「彼女が傲慢且つ高飛車な一面があるから」と見ている訳だが、ここできらら達はエニシダが思っている程甘い人達では断じてない事だけでは言っておきたい。無論、きらら達にも甘さがあるのは事実であり、7章においてもその甘さが原因で危うい状況に陥ってしまった事も何度かあったのだが、それでもきらら達は数々の旅の中で培ってきた多くの経験があり、また多くの人々との確かな繋がりを持っている。更に言えば、きらら達もリアリスト達が抱えている様な悲惨な現実から目を背ける様な人達では無く、厳しい現実にも目を向けられるだけの覚悟と度胸を持ち合わせていると思わせるものは必ずあると考えている上、何よりきらら達も「何でもかんでも無批判に受け止める様な人達では無く、ここぞと言う時にダメなものはダメだとハッキリ言えるだけの器量はある」とも感じている。

 この事から、私としては「きららちゃん達は、エニシダひいてはリアリストが思っている程甘い人達ではない。」と言う意見を持っており、幾ら私がエニシダもといリアリスト達が抱えている事情に対しても理解を示そうと意識しているとしても、きらら達にもエニシダが言う様に甘さがあるのは疑いない事実だとしても、やっぱり私としては「きららちゃん達がどこまでも甘い人達だと思いたくないし、実際リアリストが思う程甘い人達では断じてない。」と思ってやまない訳であり、そこには強い信念が確かに存在しているし、もっと言うなら、きらら達を殊更に見下したエニシダひいてはリアリストにしても、その壮絶な人生経験故に人間的に大きく成長する可能性を秘めておきながら、頭ごなしに聖典は破壊しなければならないもの」だと思い込んでいる時点できらら達を見下す資格はないと思っている。結局のところ、何かにつけて殊更に人を見下そうとする事を、私としてはどうであっても看過できないのである。

 

 次はダチュラが抱えている悲愴的な境地についてである。これは「自身の特殊能力故に誰も彼女に触れる事が出来ず、寂しがり屋な彼女にとって、どこに行っても何をしても埋める事の出来ない寂しさを抱え続けている」と言うものであり、ここから私自身ダチュラに対して「彼女はリアリストと言う仲間内に対しても、ヒナゲシ同様本当の意味で自分の居場所は見つけられていない可能性が高い事」「彼女もまた、エニシダ同様自身の特殊能力によって苦しめられている側面がある事」の2つを思い浮かべているが、この様な考えに至ったのはある程度冷静になって考えられる様になってからで、初見ではその悲愴的な境地に思いを馳せながら、その痛みを嚙み締めるので手一杯だった事は先に言っておく。

 話を戻して、ダチュラに対して上記2つの様な事を思い浮かべた事を詳しく説明したい。まず一つ目の「リアリスト内でも彼女は本当の意味で自分の居場所を見つけられていない」と言うのは、彼女はその特殊能力故に「真実の手」でも実力は確かなのにも関わらず、「真実の手」の中でもどこか孤独じみた雰囲気を醸し出しているのが見受けられ、故に同じ志を持つ仲間と共にいながら、その心の溝が全く埋まっていない様に見えた事から考えたものである。ただ、彼女には「毒」があるが故に誰にも触れる事が出来ないと言う事情を抱えている為、物理的な観点で捉えるなら致し方ない側面もあり、実際に彼女が寂しさを抱いているのには「誰も私の事を物理的に抱きしめる事は、私自身が『毒を持つ』が故に不可能だから」と言う理由がある。

 しかしながら、私が本当に気になったのは、ダチュラは物理的な観点だけでなく、精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出していた様に感じられた事である。幾ら彼女が毒を生み出す特殊能力を持つが故に物理的な接触は不可能だとしても、物理的な接触を伴わない(=毒の影響を受けない)精神的な観点から心を通わせたり、心の距離を近付けたりする事(早い話が対談による心の通わせ合い)は可能な筈だからであり、実際にダチュラは片言混じりの話し方とは言え、仲間内では会話を交わす場面も普通に見受けられている為、ダチュラも精神的な観点から心を通わせたり、極端な事を言えば自身が抱える寂しがりな面を紛らわす事だって可能な筈である。その事から、身体的な意味での孤独を醸し出すのはある意味必然だとしても、精神的な意味でも孤独な雰囲気を醸し出していたのが妙に気になって仕方なかったのである。

 このダチュラが精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出している」に対する私の考えは2つあり、1つ目は「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がいない上、その心情を理解しようとしてくれている人も殆どいないから」と言うもの、2つ目はダチュラは精神的な観点からと言うより、身体的な観点における人の温もりに意味を感じている可能性が考えられるから」と言うものであり、これだけならどちらにしろ「私は重い事実を頭の中で思い描いている」となるが、この様な考えを抱いたのにはきちんとした理由がある。

 まず1つ目の「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がおらず、その心情を理解しようとしている人も殆どいないから」と言うのは、これまでリアリストの面々が嫌という程見せ付けてきた「同じ志を持つ仲間に対しても慈愛が殆ど無く、何かに理由を付けては容赦なく攻撃する上、その事に対して反省や後悔する様子も殆どない」(ロベリア、リコリスが顕著)・「仲間の心情や気持ちさえまともに推し量る事をせず、自分の思い込みで人の心情や気持ち、そして物事の因果関係を勝手に決め付ける」スイセンリコリスが顕著だが、「真実の手」の大半はこの傾向にある)・「同じ志を持つ者が集まっているのにも関わらず、自分の存在意義を明確にできていない」ヒナゲシダチュラが顕著)と言うのが主な根拠となった考えであり、これらに対しては私自身「そう簡単に許せる筈もない」と言う怒りの思いも正直あるが、一方で彼女達はその壮絶な経緯から「他人の心情を知る事に意味を見出せなくなったケースも多い」と考えられる事から、私としても結局の所「嗚呼、この無情な運命をどの様にして捉えるべきなのか……。」となってしまうのだが、何れにしてもダチュラは明らかに仲間内に対してもどこか疎外感を醸し出しており、その理由として「精神的な意味での理解者が仲間内にいないから」と言う可能性が高く考えられる為、この理由を採用したのである。

 但し、何度も言う様にダチュラ「誰にも触れる事が出来ない存在」であり、それ故にリアリストの面々にしてもどうやっても越えられない壁が存在しているのも事実である為、リアリストの面々にも致し方ない事情が存在している事はきちんと考慮しなければならない事も忘れてはいけない。無論、リアリストの面々としてもダチュラの事を良く知ろうとしていない様に見える思想を醸し出している事自体は決して褒められはしないが、抑々ダチュラを含めてリアリストの面々が「絆や聖典を破壊しようと望んでいる事」を思えば、ある意味「こうなる事も覚悟しなければならない事」でもある為、何とも言い難い話ではあるが、何れにしてもダチュラにとって現状が決して良いものでは無い事は明らかである。

 そして、2つ目の「ダチュラは精神的観点よりも身体的な観点における人の温もりにこそ意味を感じている可能性があるから」と言うものは、もしこれが本当なら彼女が本当の意味での温もりを感じられる事は、自身が抱える特殊能力故に皆無に等しいと言えてしまう程に残酷なもので、私としてもダチュラの希望を為す術なく削っていく様な、正に己が持つ悪魔的な考え方を積極的に想像する事に思わず躊躇いを感じる程である。その為、私としてもこの様な考えを展開していく事は、最初は平気でも段々と己の心から人間味溢れる感性がなくなっていき、それを埋める様に悪魔的な思想が徐々に心を染め上げられていく危険性があることからも推奨できないのだが、四の五の言ったところでダチュラの真意を知りたければ、この様な残忍且つ冷血な思想すらも展開できるだけの勇気を持つほか道はないのも事実であり、相当なジレンマがそこには存在している訳である。

 また、私自身2つ目の考えに関しては正直確証がそこまで無く、言っても曖昧な感覚が存在しているのが否めず、これは抑々論としてダチュラ「精神的な観点から寂しさを覚えているのか、身体的な観点から寂しさを覚えているのかすら良く分からないから」なのだが、それでも7章における彼女の言動を見る限りは「身体的な観点」である可能性が高く、如何なる場合であっても「そこに深き闇が存在しているのは事実」だろうが……。

 この様にダチュラに対しては私自身リアリストの面々の中でもかなり複雑な感情を抱いており、温情にも非情にもなり切れないもどかしく、ある意味人間らしい想いがそこには存在しているが、これはダチュラサンストーンの様に目的の為なら手段を選ばず、対峙する存在を無慈悲にいたぶる事さえ厭いがない冷酷な一面を持ちながら、リコリスエニシダの様に底知れぬ感情にものを言わせる様な感傷的な想いも強く持っている為であり、この「冷酷さと感傷さの混在」が私の心を際限なく突き動かすのである。尤も、突き動かされている感情があまりにも複雑な為、最早自分でも一体どうしたいのかさえ分からない面もあるが、ただひとつ分かる事は「私はリアリストに対しても凄まじい想いを持っている事」であり、これがリアリストを「単なる敵対組織」と捉えられなくなり、あらゆる一面や思想を模索する様になった私の答えでもあるが、その成れの果てはいかに……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部7章で私が考えた事である。7章は6章、5章と比べると精神を抉るまでにストレート且つ壮絶な展開や、じわじわと痛みが襲い掛かってくる展開は幾分マイルドになっている一方、7章には6章終盤で明かされた衝撃的な展開から地続きとも言える高い緊張感が7章全編にわたって存在している事や、リアリストの「真実の手」が「七賢者」を相手に直接嗾けた事、7章で本格登場したダチュラが持つ壮絶な命運等々、今までの章と比べて「激動の展開が終始続く」と言う意味では5章、6章を上回っている。また、7章はうつつちゃんが「新たな力を会得した」と言う意味で大きな一線を越えた事でも重要であり、総じて7章は「新たなる局面の幕開け」という印象が強くある。

 その様な事から、7章は今までの章と比べて心の負担は、読み進めている最中は少なめであり、高い緊張感を裏付けされた重厚なシナリオ構成にのめり込む様に読み進めており、全てクリアした際には「あれ、もう終わってしまったの?」と、それだけシナリオに入り込んでいた事を証左する様な事を思った程である。ただ、太字で「読み進めている最中は」と書いているからも分かる通り、7章は深く考えれば考える程に心の負担が途端に増大する感覚を覚えており、決して甘くはなかった事実を見せ付けられている。やはりメインシナリオ第2部は「いかなる時でもシリアスで壮絶なテイストからは逃れられない」と言う訳だが、読み進めている最中は本当に心の負担が(5章、6章と比べて)少なめと考えていたのは事実である。尤も、その見立てはいささか甘かったのは言うまでも無かったが……。

 また、私自身7章は所謂「対比関係」がメインシナリオ第2部の中でも色濃く表れているとも見ており、私が特に意識しているのは「多くの経験や出逢いを経て、新たなる力と自分に目覚めたうつつちゃん」と、「壮絶な命運と悲劇的な過去を持ち、7章において更に救いのない境地へと追い込まれるダチュラもといリアリスト」と言う構図であり、言わずもがな前者が光、後者が影を表している。私は元来あらゆる物事に対して「光があるから影があり、影があるから光がある」と言う所謂「表裏一体」を意識した考えを展開する傾向にあり、今回それが前面に出た格好な訳だが、7章はそれだけ両者の違いがハッキリと表れたからでもある。

 そして、7章において本格登場したダチュラに対しては、リアリストの中でも特異的な境遇に置かれている事、自分にはどうする事もできない悲愴的な運命を抱えている事から、ダチュラに対して私自身例にも漏れず「単にきらら達神殿側と敵対する人物」とは思えず、凄まじい想いを馳せたものである。メインシナリオ第2部も7章ともなると、リアリスト側の思想もかなり分かってくるものなのだが、どうもリアリストの面々に対して複雑な想いを抱え続ける傾向は一向に変わらない為、最早これが私の宿命かも知れない……。

 最後に、この7章は今までになく劇的な展開と終始高い緊張感が支配するシナリオ構成に、多くの人々が迎える事になる新境地が光る構成は非常に心打つものであり、メインシナリオ第2部らしくのめり込む様に読み進められた事は改めて書き出しておきたい。そして、その衝撃的な終わり方故に今後の章からますます目が離せなくなった事をもって、今後の章を待つ事としたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙39枚分であり、前回の6章に比べるとかなりコンパクトになった訳だが、その想いの強さは健在であり、今までの章と比べても決して見劣りしない。と言うより、前回はあまりにも膨大になり過ぎた為、今回程のまとめ方が丁度良い気もするのも事実である。

*1:世界とは「エトワリア」の事であり、欺瞞とは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。ただし、それは「リアリストからすれば」という事を忘れてはいけない。

*2:ただ、7章においてエニシダはきらら達の事を「彼女達は甘い」と称しているが、この事は後述。