多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

ごちうさ3期のOP・EDのCD収録の楽曲感想文について

 こんにちは。ごちうさ3期が始まってごちうさ愛が更に高まっているのが感じ取れています。今まで相当分にあった苦悩も無くなって、ただただ幸せだと思える事がこんなに楽しい事だったのだと、今更ながら有難いと思っています。

 さて、今回はごちうさ3期のOP・EDである天空カフェテリアとなかよし!〇!なかよし!、更にそれぞれ収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイム、ワオワオ動物園の感想を書きたいと思います。ごちうさ楽曲に関して言えば今までも思う事は数あれど、中々その想いを書き起こすまでにはなれなかったのですが、今回遂にその壁を破りたいと思います。また今回は曲によって感想文の書式を変えています。今までの形から今回新しくしたものまであるので、それは最後にまとめて書きたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上、読んでいただくと幸いです。また今回は今まで私が踏み込んでいなかった部分も踏み込んでいるので、多少内容が重くなっている部分があります。その辺りもご了解の上、よろしくお願いいたします。

1.天空カフェテリアの感想

 ごちうさ3期を飾るOPである天空カフェテリア。冒頭からいかにもごちうさらしいフレーズで、彼女達の世界観の一端を担っていると言うには十分すぎる程である。その世界観と言うのは本来一義的に語る事は難しいと思うのだが、この曲ではそれを違和感なく受け入れさせてくれるばかりか、その言葉には何ら難しい表現は無く、どことなくファンシーで幻想的な雰囲気すら感じ取ることのできる言葉であると言うのだ。その傾向自体はこの曲全体に見受けられる事ではあるものの、冒頭からその事を強調させる歌詞作りは正に相当な読み込みと卓越したセンスのなせる技だと思う事に尽きるしかない。

 1番の歌詞からは人ならば誰もが思い浮かべる事から成長しゆく事まで様々思い浮かべられる歌詞だと思うのだが、その優しさに満ちた感触と思わず笑ってしまう様な、現実には決して起こりえない事だけど、もしそんな世界があったら行ってみたい楽しんでみたいと思わせる様な夢見心地な気分にさせてくれると言うものが非常に印象的で、聴いている立場であるはずなのにこちらまでごちうさが創り出す世界に連れられて行く様な感触まですると言う程である。
 また、1番の歌詞がもしごちうさの登場人物の誰かが書いた若しくはイメージが湧くとするならば誰かと聞かれれば心愛ちゃんと智乃ちゃんと答える程に2人の個性考え方が活きている歌詞であるとも感じた。まず心愛ちゃんらしさと言うのは一見すると冗談とも思える様な良い意味で飛んでいる発想を反映された歌詞だという事である。でもそれは人を楽しませるためであって、その人を楽しませたいと言う彼女の想いや理想形、そのいきさつと言ったものが読み解けるものなのではないかと考えられるからであり、何故そこに智乃ちゃんが加わるかと言えば、歌詞の文末に時々丁寧語が入っているからで、こう思うのは元々心愛ちゃんが皆に対して丁寧語を使う事なんて年上である理世ちゃんも含めて殆ど無くて、使うとするなら大人位なものであること、そして何よりもこの1番の歌詞に最も感銘を受けている人は誰かと言われれば智乃ちゃん以外に思いつかないからである。やはり心愛ちゃんが様々楽しいことを生み出し、それをはじめは戸惑いを隠せなかったが、次第に受け入れる様になっていった智乃ちゃんとの掛け合わせの意識が外せなかった。それだけ私自身がココチノに対して相当思い詰めていると言う傾向も見えるのだが、何にしても思い浮かべるものが心愛ちゃんを筆頭格に智乃ちゃんをはじめとした皆を巻き込んで発展しゆく世界観だという事には違いない。

 2番の歌詞は内面性とりわけ孤独な寂しさを思い浮かべられるものであり、また新しき世界観に少し躊躇(ちゅうちょ)している感触も窺(うかが)い知れる。ここから分かる事と言うのは恐らくは新しい環境・変化しゆく環境に対する一抹(いちまつ)の不安と言うものであり、心奥深くにある他人には容易には見せられない感情がうごめいている事が読み解ける。
 この構成から最も思い浮かべられるごちうさの登場人物は恐らく紗路ちゃんであると思う。元々紗路ちゃんは表立ったものこそしっかりしていて何事にも動じない人に見えるが、実はそれらは人に心配をかけさせたくないから虚勢を張っているだけと言う表現が的を射ている程に動じやすく思い詰めやすい人であり、また自分の気持ちを隠しがち*1な故に皆と歩調を合わせて進む事にどうしてもラグが生じやすくなってしまう。それ故に紗路ちゃんは高校生組の中でもやや地に足つかない面が否めない*2のだが、この2番の歌詞を読み解いていくとそんな紗路ちゃんを皆は嫌にも思わずに受け入れてくれるばかりか、いきさつがどうであれ、新しき世界観に皆で一緒に歩んでいく勇気があればそれで良いのだと感じ取れるその歌詞には大いなる優しさを想い馳せさせる。ただ今まで書いた事、実は智乃ちゃんも当てはまっているのが多い。然しながらこれもこの曲の興味深い特徴だと考えられる。それは後述。

 最後を締めくくる部分は夢いっぱいに広がる理想や、楽しく前に進めばきっといい未来が待っている等、この曲全体にある雰囲気を再確認させたうえでぱっと全曲を締めくくると言うもので、最後の部分の歌詞もやはりどこかぽわぽわしていてそこはかとなく不思議な感覚が巻き起こってくるものなのだが、最終的には彼女達の世界観は何処までも続いていくものだと理解できるものになっていて、個人的には最後に余韻を残さないでぷつっと締め括られた点が非常に印象に残っている。こういうのが非常に印象に残ると言うのもある意味クラシック音楽を聴いてきて培われた感覚故か。

 因みに個人的にこの天空カフェテリアと言うのに対して思い浮かべられるものは大きく分けて2つのイメージがあって、1つは正に空高く想い描いた様な想像上の理想郷、もう一つは空をも超える様な偉大なる友情の場という事。前者なら実際には存在し得ない物の為、言ってしまえば所詮絵に描いただけの理想郷で、現実はそれには程遠いと言う冷酷かつ無情なイメージとなってしまうが、後者なら現実にありながらも際限なく広がりを持つものをイメージできると言う正に無限の可能性を表すものとなるうえ、そのイメージには限りない幅の広さを持たせる事すら可能になる。どちらがごちうさの世界観を考えていく上で適当なのかは最早言うまでも無いが当然後者であり、私自身も後者の様なイメージがこの曲を考えていく中では適切なものであると思っている。では何故前者の様な言ってしまえば現実主義で夢の無い様な事を思ったのかと言えば、単純に一義的な見方には止めたくないと勝手に思ったからであり、別にこんな事は積極的にする必要なんてない。自分が理想だと思う世界観がひとつでもあれば本来はそれで十分。寧ろ無理に複数持つと自分自身の思考の中で異なる世界観同士で対立する可能性すら考えられるし、現に私自身もこの対立にしばしば悩まされる。上手くコントロールできるならともかく、実行するにはそれ相応の覚悟は必要だろう。

 最後にこの天空カフェテリアで私が感じた特徴である「歌詞に複数の人物が当てはまると思われる」事について説明する。これは読んで字のごとく歌詞を読み解いていくと歌詞に良く当てはまる人物が複数思いつくという事であり、 具体的には1番がココチノ、2番がチノシャロと言った感じである。個人的にこうなった要因はココチノの場合は心愛ちゃんが智乃ちゃんに与えた影響や長く一緒にいる環境下によるもの、チノシャロの場合は性質が似ている点である。前者に関しては最早細かくは説明不要であり、簡単に言えば心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して多大なる良き影響を与えたのが読み解けるからだったからなのだが、本当に興味深いのはここからだった。
 この曲の2番の歌詞を見てチノシャロを思い浮かべたのはそれだけ2人に共通している事通ずる事が多かった(つまり似ている点が多い)という事だが、ここで面白いのが、智乃ちゃんは紗路ちゃんに高校生組の中で憧れを持っているのだが、ここで私はチマメ隊が憧れを抱いている高校生組は共通して性質が似ている若しくは思想が近い事に気付いたのだ。智乃ちゃんは紗路ちゃんに憧れているが、2人共前述の通り思い詰めやすい点や自分の本心を隠してしまいがちな点が共通しており、麻耶ちゃんにしても憧れである理世ちゃんとはボーイッシュな点やサバサバしている点、そして何より本当は誰よりも優しく寂しがりな点が共通している。恵ちゃんが憧れている心愛ちゃんは先の2人に比べるとやや分かりにくいが、マイペースな点や努力家な面、2人共友達相手と向き合うのが上手な点が共通している。この事はこの曲の歌詞を読み解くまで意識しなかったと言うより本当に気付いていなかった事だった*3のだが、気付いてみたら何故こういうカップリングが成り立ったのかその答えが少し見えてきた様だった。ある意味一番大事だったのは、この曲を聴いてどんな世界観が見えてきたと言う「過程」よりも、どういう世界観を思い浮かべたのかという「基点(基準点のこと)」だったのかも知れない。

2.ユメ<ウツツ→ハッピータイムの感想

 この曲を初めて聴いた時、バラードの様なゆったりした歌い語りの曲だと思った。アップテンポで楽しげな天空カフェテリアとは大分異なるゆったりとした曲調だが、この曲全体の歌詞構成を考えるとそのマッチング度が半端じゃないほど高く、全体的な歌詞イメージも歌詞単体では個人的にはかなり悲愴的(ひそうてき)な感触*4があったのだが、それを感じさせない作曲構成なのが個人的には脱帽ものである。あれだけの歌詞をもってして悲しみを感じさせないものに仕上げるのは最早職人芸であると考えられ、それはこの曲と似た構成を持ち、ごちうさ屈指の名曲として知られる「うさぎになったバリスタ」とは似て非なるものだと思うには十分だった。

 しかし、だからと言って歌詞を読み解く限りでは相当心打つものであることに違いは無く、1番からして大切な人と少しでも離れるのが嫌だと言うのが感じ取れる構成になっているし、サビの部分ではユメよりもウツツ*5の方が良い!その方が人のぬくもりや優しさ、感謝を伝える事が出来るから。それができる現実はハッピータイムなんだと言う構成であり、訴えかけるものが非常に大きいのが印象的である。それ故に歌詞を読めば読む程に自分にとって大切な人とは別れたくない寂しくなってしまうからと言う悲痛な感触が襲ってくるのだが、同時にユメであうよりしっかり起きている即ちウツツが良いと言うのは、自分の心の中で止めるのではなく、溢れる気持ちを大切な人と一緒に分かち合いたいという事であり、それが何よりのハッピータイム即ち幸せな事なんだと言うのがしみじみ理解できる様になっていく構成なのが凄いと思った。悲愴的な感触を感じつつも根底にある人と繋がる喜びを得ていく様な構成は、作曲効果と相まって何の違和感も無く受け入れられた。
 2番では更に切望する想いがひしひしと感じ取れるもので、歌詞がまるで詩の様だと思った事もある。心落ち着かない気持ちをあったかい飲み物で諫(いさ)めようとするけど、全然治まる事は無い何故なら、ウツツにおいて何時も会えると言う安心が欲しいからと言うのは本当に感銘を受けるばかりである。ここでもやはり夢で終わってしまうのなんて嫌だとあり、曲全体の意義の再認識ができる。そして終わりの部分に突き進んでいく時、ウツツにあるハッピータイムがずっと続いてほしいと言いながら同時に離れていても想いは繋がっているともあり、やはり想いと言うのが繋がっていれば良いのだと思わせているのもさることながら、そこからユメであうよりココであう方が良いそれが幸せなのだとあるのには最早言葉を無くしてしまう。喜びと言うのはこういう事なのだと改めて思わされた様だった。

 この様に非常に心打つ名曲である事は明白だが、何故私はこの曲の歌詞を見て何故悲愴的に思ったのか。それにはきちんとした理由がある。それは私自身人間関係をうまく作るのが苦手で、人と一緒にいたくても恥ずかしくて上手く出来ないにも関わらずかなりの寂しがりな一面があり、もどかしい気持ちにしばしば駆られていた事も多かったからである。早い話が孤独を取って寂しさに苛(さいな)まれる即ち苦しむのか、人と一緒にいて直ぐに顔が赤くなってしまう程に恥ずかしくなってしまうかと言うジレンマ即ち相反する事のどちらとも決めかねる(決められない)状態で、それ故に人間関係にはかなり複雑な想いと考えを持っている*6のだが、この曲の歌詞を見た時にその複雑な想いが一挙に駆け巡った。簡単に言えばごちうさの皆の幸せを願う理想の気持ちと、現実たる私は全然上手くいっていないと言う交錯する想いであり、色々と心苦しかった。因みにごちうさに対して嘗て苦悩を抱いていた原因も理想と現実の乖離(かいり)が大きく関わっていて、それを克服したはずの現在でさえこの曲に対して初めは例外では無かったのだが、実際に聴いてみるとその考えはあっと言う間に晴れていった。一人で抱え込む事は無いと言った感じであり、非常に心温まる感触だったのは言うまでも無かった。それは、それまで痛々しい考えばかりを己自身に突き付けていて、心荒もうとお構いなしに痛ましい事ばかり心に言い聞かせていた私にとって非常に突き刺さるものがあった。そういう意味でこの曲に対する想いと言うのはある意味天空カフェテリア以上なのかもしれない。ただ、これは私自身両方共に深い感触と愛情を持っているのは前提だが、天空カフェテリアの様な明朗快活(めいろうかいかつ)で楽し気な曲調よりも、ユメ<ウツツ→ハッピータイムの様な心に直接響かせそして問いかける様な曲調により深い思い入れを注ぐ傾向があるため*7で、天空カフェテリアがOP(オープニング)として相応しい事に異存は無い。ただ、このユメ<ウツツ→ハッピータイムと言う曲は、切実な歌詞でありながらも悲観的な物にはならない、させないと言うごちうさならある意味当然*8だが、他ジャンルなら中々見られない稀有な構図をとっていると言う意味で並々ならぬポテンシャルを感じる。それ故に「もしこのユメ<ウツツ→ハッピータイムが3期のOPだったらどうなるのか」と思う事もあるが、それは自分の胸のうちに留めておこう。

3.なかよし!〇!なかよし!の感想

 3期のそれぞれのお話を締めくくるEDたるなかよし!〇!なかよし!だが、その第一印象は1期・2期でもあった様に何時ものチマメ隊で締める明るいEDだと言うものだった。元々ごちうさのEDと言うのは明るげ若しくは楽しげな始まり方をしているのもあったのだが、本編の感動的な終わり方から急に明るい曲が入る事が多かったのも明るいと言うイメージ形成に後押しをしていた。個人的にはそんな明るいイメージのチマメ隊は嫌では無かったし、2期・3期と年月(としつき)を重ねるにつれて大分変化しているとはいえ、昔は表情の変化に乏しかった智乃ちゃんの明るきイメージを思い起こす事の出来るものでもあったので、嫌いになる筈が無かった。だから今回のEDも既定路線に乗っかっているのだろうと考えていた。

 だが、今回のなかよし!〇!なかよし!ときたら、完全に今までのイメージを良い意味で裏切った。曲調は楽し気な感触そのままに、歌詞をチマメ隊に潜在する様々な面を全面的に引き出しつつそれを観る人の心を打つものにすると言う離れ業を肌身で感じたからだ。一体チマメ隊を形成している智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんと言う3人は何なのかと、末恐ろしくすら感じる。でも末恐ろしいと感じたのはある意味当然だったのかも知れない。だって3人の偉大なる友情は誰にも壊せないと言うのは序の口で、その上実は3人共凄まじい才覚の持ち主であるが故にそんな3人が集えば本当に無敵である事、どんなに紆余曲折があったとしても、私達は友達を絶対に裏切ったりしないと言う堅牢な信頼関係なんて見せられたら最早何も言えないのなんて明白なのだから。そういう意味でこの曲はチマメ隊が持つ無限の力を限りなく引き出した曲だとも言えるのかもしれない。これは最早私にとっては、私自身が羨望し、そして恐怖している声楽曲の恐るべき力を見せつけられているのと同じ事。そしてその姿の望まざる最悪の顛末は嘗てごちうさそのものに苦痛を感じていた頃の自分そのものなのである・・・。

 では、もしその恐れている声楽曲を始めとした恐るべき力に呑まれ続けると私はどうなるのか。どちらかと言えば声楽曲より器楽曲をより好む私だが、まず恐るべき事に声楽曲が本気を出せば私の中の器楽曲の優越なんて一瞬にして奪い去ってしまう。心に直接響かせ訴えかける様な声色はまるで心を掴まれているかの様だ。だがやがて心が蝕まれ始め、より良き心を掴んでくれる様な声色を求める様になる。更なる心好い(こころよい)感触が欲しいからだ。しかし癒しは徐々に痛みに変わっていく。理由としてはあまりの力に心が持たずに壊れ始めるからであるが、同時に癒し効果も依然ある為に痛みに喘(あえ)ぎながらも癒しを求めると言う不安定な構図になってしまう。正に破壊と再生の繰り返しであるが、どうなるかは検討がつく。破壊の力に遂に再生が追い付かなくなり、二度と元に戻る事が出来なくなる。そうなってしまえばもう楽しむ事も忘れてしまうであろう。

 ただ、幸いにもそうなった分野は存在しない。負のスパイラルにハマり切る前に何とか乗り越えてきたからだ。しかしながら、負のスパイラルにハマり切る前に乗り越えたという事は、過去に癒しと苦しみの葛藤があった事を意味するが、その葛藤こそごちうさであり、ごちうさの楽曲も勿論例外では無かった。だからこそ、本当はなかよし!〇!なかよし!を知りゆくのは相当怖かった。いくら葛藤を乗り越えた分野だとは言え不安定な心情を抱えもつ事に変わりはなく、ちょっとした事でまた元の木阿弥になってしまう可能性も正直今もある為である。でも、なかよし!〇!なかよし!にはそんな懸念を吹き飛ばしてしまう程に3人の仲睦まじさを感じ取れて、正に癒し一択の感覚に誘われた。ある意味原点である可愛いへの立ち返りだったのだろうが、もう一つの可能性として、チマメ隊全員が持つ確かな優しさに惚れたからだったのかも知れない。元々3人共優しい心の持ち主なのはこの曲を知る前から分かっていた事だったが、それが改めて認識させられた様な、そんな感じだった。させられたと言っても嫌な意味は全く無くて、私自身が持つ優しさの理想形を地で行く様な事をやっていたチマメ隊の人の良さに惹かれたと言う意味で、特に普段あれだけやんちゃっ子な感覚タイプである麻耶ちゃんが持ち前の性質を発揮しつつ優しさを発揮している物には本当に心惹かれた。ごちうさにおいて優しさを可愛さと同じ位或いはそれ以上に重要視している事、人に優しくするのは実は簡単な事では無い事を分かっている私にとって、優しい心を持っていると言う事は本当に素晴らしい事だと思っている。どれ程素晴らしいかと言われれば、もし優しさと言うのが分からなくなってきたのなら、ごちうさの皆の優しさを思い起こせば良いとすら考えている程に・・・。

 あれこれ考えを張り巡らせて、私がこのなかよし!〇!なかよし!で知った事で重要だと思ったのは、チマメ隊が持つ優しさはさることながら、一人孤独にいた智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんが新しき世界に連れ出してくれた事である。智乃ちゃんの母親である咲(サキ)さんがまだ智乃ちゃんが幼い時に早世(そうせい。若くして亡くなる事。)してしまった事により心を閉ざしていた*9智乃ちゃんを麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人はたとえ智乃ちゃんが心を開こうとしなくても嫌な顔一つせず、良き友達であり続けた。これがどれ程凄い事なのか最早分からない。智乃ちゃんは心愛ちゃんと出会った中学2年生の時から確実に変わり始め、中学3年生になるとかなり成長が見える様になったが、 それ以前は心を閉ざしているが故に感情の起伏が少なく、かなり寡黙な人だったと思われる。解釈によっては麻耶ちゃんと恵ちゃんと出会った時から少しづつ変わってきたともとれるが、心愛ちゃんと初めて出会った頃の智乃ちゃんを見ると中々そうは言えないであろう。チマメ隊が事実上結成されてから心愛ちゃんと出逢うまでの1年間がどんな感じだったのかは想像するしかないが、少なくとも智乃ちゃんは今の様な明るさでは無かったのは確実だと思うし、麻耶ちゃんと恵ちゃんも智乃ちゃんの事情をどれほど本人から聞いていたか定かではないため断定しづらいが、智乃ちゃんと友達でいて本当に楽しかったのかどうかすら私には分からない。しかしながら、前述の通り麻耶ちゃんと恵ちゃんは、決して智乃ちゃんを見限ったりする事無く仲良しであり続けた事が私にとっては本当に凄い事だと思えてならない。何故なら、麻耶ちゃんと恵ちゃんは幼馴染であるため、たとえ智乃ちゃんと友達になれなかったとしてもそこまで寂しい思いをする事にはならないと考えられるからである。言い換えるならば智乃ちゃんと無理をしてまで付き合う必要は無いという事であるが、何度も言う様に麻耶ちゃんと恵ちゃんは智乃ちゃんと友達であり続け、新しき世界に引っ張り出してきた。勿論新しき世界に本格的に智乃ちゃんが飛び込んでいくのは心愛ちゃんが木組みの街に来てからだと思われるが、それ以前にも麻耶ちゃんと恵ちゃんと言う2人の存在があったからこそ、智乃ちゃんは変われたのだと言うのは間違いないであろう。

 なんだか曲の感想と言うより、曲を聞いて何を思ったかを重視するものになったが、多分それだけチマメ隊の友情や根気強さ、そして友達を決して見捨てない偉大なる優しさが、曲を通して感じ取れて、そんなチマメ隊の優しさに心動かされたからなのだと思う。もう再三に亘って書いた事ではあるが、チマメ隊の優しさと言うのは別にこの曲を聴く以前からしっかり分かっていた事だった。しかし、改めて3人(特に麻耶ちゃん)がもつ優しさに触れた事で、内に秘めていた感情が一気にあふれたのであろう。優しい人は本当に素晴らしいのである。

4.ワオワオ動物園の感想

 この曲のイメージは一言で言えば完全なる未知数の領域。掴むに掴めない独特の世界観がものをいう良い意味でとんでもない曲だった。独特の味わいは正に自分好みにピッタリはまっていると言うのに様々交錯する世界観があると言う、まるで迷宮に誘い込まれる様な感触だったが、特に目まぐるしく変わりゆくテンポに曲調が目を引いた。私は元々クラシック音楽が好きだった影響からか、○短調、〇長調と言った曲調や、ワルツ、ポルカ交響曲と言った細やかな曲のジャンルに対して興味関心がかなり強いのだが、この曲はそういう視点から見ると半端な見識では圧倒されるばかりで、誇張抜きで理解するための掴みの糸口さえ見えないと思う程で、はっきり言ってこの曲にはビビらされた。一体どういう発想をもってすればこんな曲を書けるのかどうか、最早私には分からないと言う、正に未知数の領域だった。

 また、曲の歌詞から探るに、このワオワオ動物園は例えるなら3期のOPである天空カフェテリアと同じCDに収録されているユメ<ウツツ→ハッピータイムと言うカップリングと似た様な対比関係にあると考えた。つまり3期のEDたるなかよし!〇!なかよし!とワオワオ動物園が何かしらの関係性があると考えたという事である。天空カフェテリアがカフェから始まる壮大な世界観とするならば、ユメ<ウツツ→ハッピータイムはそのカフェにいる人達の心情を歌っている様に、なかよし!〇!なかよし!はチマメ隊の友情と優しさを歌い、ワオワオ動物園ではチマメ隊の日常的な姿を歌っている。そんな風に思えてならないのだ。
 このワオワオ動物園と言うのがチマメ隊の日常的な姿を描いていると考えたのは他でもなく、普段のチマメ隊の掛け合いを思い起こすものであるためである。まずチマメ隊の行動源たる麻耶ちゃんが主導となって2人を率いていく姿が見えてきて、智乃ちゃんが様々な事にツッコミを入れて、恵ちゃんは持ち前のおっとりさを発揮しつつ3人の空気感を上手く取り持つ。そんなチマメ隊のいつもと変わらない空気感が、ひいては3人の変わらない不動の関係性にも繋がる事こそが、日常的な空気感を持つワオワオ動物園と言う曲が3期のEDであるなかよし!○!なかよし!との関係性があると言う根拠となっているのだ。

 また、 最初に未知数の曲だったと言ったものの、読み込んでいくとそこには何時ものチマメ隊の姿がはっきりと見える良い曲だった。そして、カップリングの面白さにも気づかせてくれたという意味では非常に重要な曲だと思う。そう言う意味でもこのワオワオ動物園と言うのは私の中でかなり異色さが目立っているが、同時に名曲でもあると考えている。

5.感想のまとめ

 今回初めてごちうさのOP・EDの楽曲感想を書きましたが、書いていて改めてごちうさの世界観を見つめた様な気がしましたね。アニメの顔とも言えるものであるのだからある種当然かも知れませんが、自分で体感する事で見える世界観もあると思うので、無駄にはできないことだと思いますね。

 また、今回曲によって感想文の書式を変えていると書きましたが、1つ目の天空カフェテリアは、楽曲から見えるごちうさ世界観と特定のキャラ重視の考察感想文、2つ目のユメ<ウツツ→ハッピータイムは、曲調と曲の歌詞を見て感じた人間関係に対する想いの考察感想文、3つ目のなかよし!○!なかよし!は、全体の曲のイメージから私自身が何を思ったかを叙述した感想文、そして4つ目のワオワオ動物園では、普段のチマメ隊の姿から思い浮かべた事と、OP・EDそれぞれのカップリング曲目の見解を重視した感想文になっています。それぞれ書式を変えている理由は、様々な視点から見つめる事でさらなる見識が得られるきっかけを掴みたいと考えたからです。実際1つ目と2つ目の書式こそ今まで書いてきたような考察感想文ですけど、3つ目と4つ目は今まであまりやらなかった書式方法で、特に3つ目の書き方はかつて私自身が書いていたごちうさの二次創作の小説の様な書き方を思い起こす様なものでした。色々な書式を用いると言うのは本当に楽しかったです。

  最後に、4曲の楽曲感想文を書くのにかかった期間は3週間程です。ちょっとかかり過ぎだと自分でも思うので、もう少し早く書かないといけないと思いました・・・。あとワオワオ動物園の感想が少し短いのも多少気にしていますが、全力で考えてあれなので仕方ありません。そして今後も感想文を書く時は、様々な事を思い浮かべながら書きたいと思います。

*1:本人には決して悪気は無いのだが・・・。

*2:自分の持つべき意思が定まっていないという意味ではなく、自分の立ち位置が上手く決められていないと言う意味。こう思うのは紗路ちゃんは普段は吹っ切れる勇気が無い様にも見えるが故にあたふたしている印象が否めない(カフェイン酔いをすると別なのだが)のと、他の高校生組と違い将来どうなりたいかも明確では無いからである。ただ実際問題高校生の時点で明確に将来なりたいものが断言できるのは容易な事では無いため、紗路ちゃんが特段意志の弱い人だと言う訳では無い。

*3:このときいつも思うのだが、自分が知っている世界観にも身近な部分それこそもう手にとる程に近いものでも気付かない世界観も多いのだとつくづく思わされている。灯台下暗しとはよく言ったものである。しかしながら、こういう経緯をもって会得したものの大半はかなりの期間記憶を保持する事ができる。

*4:悲しくも勇ましいを意味する悲壮(ひそう)とは違い、悲しく痛ましいを意味するのがこの悲愴(ひそう)であり、同音異義語とは言え意味合いは全く異なる。そしてこれは、私が抱いていた感触が非常に痛々しいものだった事の証左でもある。因みに私自身悲愴的な感触は特別たる想いを持っている。

*5:現実のことで、漢字では「現」と書く。ここでは起きている時を指す。

*6:ここでもそうなった経緯を少し書き出してみようと考えたのだが、内容があまりにも重くなる事を懸念して止めた。とは言ってもまたの機会に書くと思うのだが・・・。

*7:因みに深き思い入れを注いでいるからと言って同時に一番好きでもあるとはならないし、寧ろ思い入れを注げば注ぐほど好きでは無くなる危険性も上がっていく。これは深き思い入れを注ぐと言うのは否応なしに良きも悪きも全て知りゆく事であるが故に複雑な感情からの自己葛藤に苛まれる事(早い話がジレンマによる葛藤)も考えられるからである。よって私の中では心の崩壊を防ぐ意味合いも込めて、思い入れと好きと言うのは必ずしも同じ様式にはならない事が多い。

*8:少ないながら例外もあるが、その場合でも悲壮的といった方が適切であり、悲観的とまではいかないのが殆ど。痛み得る辛さも心打つもの且つ考えさせられるものなので大切だと思うが、ごちうさ楽曲の世界観においてはあまり適切だとは言えないのかも知れない。

*9:心を閉ざした要因には他にも祖父が他界した事も関連している可能性がある。祖父が亡くなったのは心愛ちゃんが智乃ちゃんと初めて出会った時から1年前の事なので、麻耶ちゃんと恵ちゃんと初めて出会った時には既に他界している可能性が浮上するためだが、これは定かではない。

ココチノに対して感じていた魅力の変遷について

 こんにちは。気付けば8月のきらま発売日から1か月ほど過ぎて、また新しいきらまの発売が迫っていると言う状態*1になっていました。思い迷っていた頃はあれだけ嫌だったきらまの発売日も全く怖くなくなり、今となれば楽しみな事この上ないですよ。人はやっぱり変わりますね。

 さて、今回のごちうさのココチノ2人組*2の想いを書こうかと思います。元々一人のポテンシャルも大きくありますが、誰かと掛け合わせる事によってまた違った魅力が見えてくると思うのですよ。本当は一人の想いを書きたい人もいるのですが、まだ理解考察の余地が残されているので、ある程度は確立できている方から書こうと思いました。もう恒例ですが、ネタバレを含む内容なので、その辺りの理解は宜しくお願い致します。

※注意

今回はただココチノが好きだと言うだけでなく、ココチノに対する葛藤等も多分にあります。私自身ココチノに対する想いは良い事ばかりでも無く、今思えば至らなかったと思う事も多く、今回それらを一挙に書き出しているため若干内容が重めです。見る時はそれらを了解の上と言うのはよろしくお願いいたします。

1.ココチノの魅力について

 1.普段のココチノ

 普段ココチノは心愛ちゃんがお姉ちゃん、智乃ちゃんが妹と言う立ち位置なのだが、これは完全に心愛ちゃんが勝手に言っているとも良く、智乃ちゃんは妹じゃないと言い張ると言う、かなりつっけんどん*3且つ否定的。智乃ちゃんは決して心愛ちゃんの事を全く信用してない訳でもないが、だからと言って馴れ馴れしい事も無く、寧ろ人として少し貶(けな)し過ぎと感じる事もある。元々智乃ちゃん自身、やや毒舌気味な面はあるにはあるのだが・・・。

 また、心愛ちゃんには普段から一緒に居る智乃ちゃんにはお姉ちゃんとして見て欲しいし、頼ってほしいと言う想いが強く存在するのが散見され、実際行動に移している事も多いのだが、調子乗り且つそそっかしい面が災いして毎回上手くいかない。そんな心愛ちゃんに対して智乃ちゃんはやや嘲笑(ちょうしょう)気味な対応をとる事もある位、やや冷たい(と言うか見下している)反応が多い。これは智乃ちゃん自身が心愛ちゃんの事が気に入らないからでは決して無いのだが、何と言うか、当人としては複雑な気持ちである・・・。しかも心愛ちゃん自身も智乃ちゃんが何時もツンツンだという事も分かっているのが余計に拍車を掛けている。

 智乃ちゃんとしては、心愛ちゃんには真面目にお姉ちゃんとしてしっかりして欲しいと思っているのが随所に出ていて、まるで心愛ちゃんの指導係であり、智乃ちゃんの方がお姉ちゃんとして見える要因にもなっている。これは元々心愛ちゃんは末っ子故に皆から可愛がられてきている経緯があるが故に妹気質である事が大きく、心愛ちゃんがお姉ちゃんの様に振舞うのに若干無理している面があるからである。智乃ちゃん自身がしっかりしたタイプである事も要因にある。

 総じて言うのなら、普段の関係は心愛ちゃんが智乃ちゃんの事を妹の様に可愛がろうとするのを智乃ちゃんが冷静に対応すると言うものが大半であり、心愛ちゃんと智乃ちゃんの間でやや壁がある様に感じる事も多い*4。ただ、実際は全く違うものなのである。

 2.本当のココチノの関係

 普段の智乃ちゃんの心愛ちゃんのあしらい方を見るに、心愛ちゃんが智乃ちゃんを本気で大切に想っているとは分かっても、その逆もまた然りとは言いにくいかも知れない。ただ実際の所、智乃ちゃんも相当に心愛ちゃんの事を大切に想っていて、尚且つ好きだとは言えると思う。ただ、心愛ちゃんがあまりにも私の妹だとせがんでくるためにどうしたら良いか分からないと言う面があるのは感じ取れる。どうすれば良いのか分からないからこそ、あしらい気味の対応になったり、やや毒のある一面が出たりするのだろう。そういう意味では智乃ちゃんは人付き合いがかなり下手とは言える。でも、そんな智乃ちゃんに対して嫌な顔一つせず本気で想いをぶつけられる心愛ちゃんは、本当に優しさと思い遣り、そして根気強さを兼ね備えていると言えるだろう。

 そんな智乃ちゃんにしても前述の通り本当は心愛ちゃんの事を大切に想っているし、かけがえのない人だとも心愛ちゃんにも伝えている程。また、本当は心愛ちゃんにもっとかまわれたい即ち妹としてもっと見ていて欲しいと思う気もある様で、心愛ちゃんが親友である千夜ちゃんの異変にはすぐ気づく癖に、私の異変には気付かない事にやきもちを焼いたりしている*5。じゃあなぜ普段からつっけんどんな態度を示す事も無く心愛ちゃんに接さないのか*6となるが、それが不器用且つ毒のある一面という事になるのだろう。

 一方で心愛ちゃんとしての本心は、智乃ちゃんが大切な妹であると言うのは常に一貫しているのだが、智乃ちゃんが本当は私の事をどう思っているのか気にしている面*7もある。普段から智乃ちゃんにお姉ちゃんと呼んでとせがんでいるのに矛盾しているのではと思わなくも無いが、これ自体は心愛ちゃんが本心から人の気持ちをないがしろになんてできないと考えている優しい女の子であるのと同時に、実はかなりの心配性且つ精細である事も窺(うかが)わせている。よくよく読み込んでみると分かる事でもあるのだが、心愛ちゃんは全体的には明るい性格だが決して楽観主義とは言えない部分も少なくなく、特に人間関係を心配に思う事がよく目立つ*8のだが、普段の心愛ちゃん自身誰とでもすぐに打ち解け合えるタイプ故に、周りから見るとどんな環境下においても直ぐに知らない人とでも仲良くなれると思われがちな事もあってか、そういう面で心配される事が殆ど無い。実際の所確かに人との対話に関しては怖気づく事は殆どないのだが、だからと言って親しい関係を直ぐに築けるかについては全くの別問題。怖いものは怖いし、心配なものは心配になるものである。だからこそ、智乃ちゃんが時々明かしてくれる本当の気持ちには相当救われているんだと思う。 

2.ココチノに対して想う事

 3.ココチノに対して昔思っていた事

※初めに伝えたい事
 ここで書く昔思っていた事は、今となっては記憶が曖昧な部分がある事、それ故に必ずしも当時の気持ちをすべて正しく言い表せているとも言い難い部分があるのはご了承願います。当時私自身が書いていた資料が残っていたのならそれを参考にしながらより当時の気持ちに近いものが書けるのですが、残念ながらそんなものはもう無いので今思い返すとこうだったと振り返りながら書いています。それ故にどうしても今の気持ちや豊富な見識が多少なりとも過去にも影響されてしまうんですよ。言ってしまうと、本当に過去の想いを書いていると自信をもって言えるのかと自分自身で考えてしまうという事です。
 とは言っても、昔の事は原則として昔に思った事そのままを書き出すのは当然ですし、また影響されるとは言っても限りなく抑える事は出来ます。あくまでこの内容は私自身の杞憂(きゆう)であって、下記に書かれている内容が現在の思想の影響を受けまくっていると言う訳ではありません。ただ、こういう気持ちになる事もあると言うのは理解してほしいと言うのが私の切な願いです。あともう一つ、この手の昔感じた想いと言うのは必ずしも人に言う必要がある事だとは思っていません。過去の自分も含めて人には知って欲しいのか、現在の自分だけを人には理解してほしいのか、それはまちまちですから。ただ、私自身は余程の事が無い限り昔感じていた想いを書き出したいと考えています。


     この下からが本文です。

 

 昔から智乃ちゃんの事は好きだったが故にこの2人組にも関心は強かったが、実の所昔はそこまで心愛ちゃんの事は言う程好きと言えるまでではなかった為、あまり深くまでは理解が無かったのも事実であった。更に言うなら、今となっては安直極まりない且つ情けないとすら思う考えだったと私自身思い馳せる程の事なのだが、何故に智乃ちゃんはもっと心愛ちゃんに優しく出来ないのかと思う事も正直少なくなかった。普段から心愛ちゃんに対してつっけんどんな態度且つあしらってばかりの智乃ちゃんを見るのは、はっきり言うと快く思えるものなんかじゃなかったし、特にその傾向が強かった初期に至っては、あまつさえ心愛ちゃんの事が智乃ちゃんは大して好きではないからあんな態度をとっているのかとすら思ってしまう程だった。ただ、読み進めていく内に何故に智乃ちゃんが心愛ちゃんに対してつっけんどんな態度を見せるのかその真意が分かる様になってからは印象は多少なりとも変わったのだが、それでも完全に快く思う事までには至れなかった。

 何故こうなったかと言えば、今思うと見識不足だったのも大きかったのだが、それ以上に人が好意的に接してきてると言うのに、それをあしらうかの如く冷たい態度をとる事自体、私自身後ろめたさを感じるが故の恐怖意識があった事も起因していたと思う。心愛ちゃんはあんなに好意的に接してきていると言うのに、智乃ちゃんはそれを少しも受け入れようとせず、つっけんどんな態度を見せると言うのが、もし私自身が智乃ちゃんの立場だったらどんなにか恐れ多い事をしているのかと思い、そんな意地悪な自分なんて嫌だと考えたのあろう。でも冷静に考えてみると、確かに心愛ちゃんも多少強引な面はあるにはあるし、急に妹扱いされても戸惑ってしまうのは分かる事である。もっと言うと心愛ちゃん自身もたとえ仕事中であっても智乃ちゃんにせがましく言ってくる事がある等、やや強引だからああいう態度をとらざるを得ないと言う事情があるのを思えば納得は出来るし、更に言うなら智乃ちゃんが人付き合いが苦手な事も加味すると、あって間もない頃から馴れ馴れしく接してくる心愛ちゃんに対して多少なりとも警戒してしまう事も仕方ない事ではある。しかしそれらを理解したとしても、人に冷たい態度をとって良いとは決して思えないのが私自身の考えであり、まして好意的に接してきてくれる人に対してなら尚更である。勿論駄目な事は駄目だと言うのも大切だし、ましてや極端に何時でも優しくしなさいとも思わない*9のだが、それでも少しだけでも良いから人の好意的な気持ちには応えてあげたいと思うべきだとも考えている。

 じゃあ何故、どんな事があっても人が自分自身に対して好意的に接してきてくれていると言うのなら、それには少しでも良いから応えるべきだと思うのかと言えば、それは簡単に言えば「自分を大切にしてくれている人に嫌われない様にするため」である。いくら自分に対して好意的に接してくれる相手と言えど、何時までもつっけんどんな態度ばかりとっている様ではやがて相手も嫌になっていき、最終的には全く関わってきてこなくなってしまう可能性も十分にある。そうなる理由は簡単。相手が自分と関わっても良い顔をしないのを見て、ひょっとして大して快く思ってくれていないつまり来ないで欲しいと思っているのではないかと考える様になるから。つまり相手が迷惑だと思って一切の関わりを止めてしまうという事である。当然ながらそうなってしまう事程切ない事は無い*10。そんな事に智乃ちゃんはなって欲しくないと思っていたからこそ、上記の様な多少なりとも厳しい考えを持つに至ったのであろう。付け加えると、私自身も人付き合いが苦手であり、つっけんどんな態度をとる事は無いにせよ人の気持ちに応えるのが苦手だったからこそ、どんなに状態が厳しくても人の気持ちを完全に無視し続ける事がいけない事だと考えるに至る経験があったのも大きかった。もしも自分自身この様な経験が無かったら、この様な事は思い馳せられなかった可能性は十分に考えられる。まぁ無かったら無かったでこんなに苦労する必要も無かっただろうが、今やそんな事は考えたくも無い。思っても仕方がない。

 纏(まと)めると、昔の自分はココチノの関係に対して智乃ちゃんが心愛ちゃんに対して度々(たびたび)見せるつっけんどんな態度がどうにも快く思えなかったのだが、それは私自身、人の好意的な気持ちは少しでも良いから応えてあげたほうが良い、そうしないと自分に対して好意的に接してくれている人から本当に嫌われてしまうからだと考えていたからこそであり、そしてそれは決して智乃ちゃんが嫌いだから思ったのでは無くて、寧ろ智乃ちゃんが好きだったからこそ思った事であり、ひいて言うなら人の好意的な気持ちは大切にして欲しいと切に望んだのもあったのだろう。そしてその考えは、自分自身が人付き合いが苦手な故の経験があった事も大きく影響している。

 今思えば見識不足も甚だしいし、それだからこそ言ってしまえばこんな綺麗事を思えたのであって、今思い返すと情けなくもなるのだが、それだけ人の気持ちは大切にしないといけないとも思っていた証でもあったのだと思う。人の気持ちを全く大切にしようとしなかった時に巡り巡って自分に返ってくる壮絶な痛み(と言うか罰)を思うのなら尚更だった。でもそれは今思い返すと自分自身の理想形を当てはめているだけに過ぎなかった。そう思うと胸が痛い。結局自分の正義は間違いであったのにそれを修正できなかったという事でもあるのだから・・・。

 4.ココチノに対して今思う事

 言ってしまえば散々な言い方考え方もしていた嘗ての自分とは比較にならない程の見識を得た今では考え方が昔とは大幅に変わった。心愛ちゃんに対してつっけんどんな所が目立つ智乃ちゃんの事を悪く思う事*11も殆ど無くなり、好意的な気持ちになれる事が多くなった。また心愛ちゃんに対する理解も大幅に向上した事により、心愛ちゃんが智乃ちゃんの事を本気で大切に想っているが故にやや過剰気味になってしまう事、実は心愛ちゃんにしても智乃ちゃんにしても共通点が多い*12事、そしてたとえ智乃ちゃんがつっけんどんな態度であったとしても、心愛ちゃんは変わらずに智乃ちゃんの事を優しく接していく意味について見いだすことができた。特に一番最後のが重要であり、それまでの愛情ある見方もありながらやや批判的な見方も強かったのも否めなかったと言う状態からトゲ即ち批判的な見方を無くすことに成功した。

 今はココチノに対しては批判的に思う事は殆ど無く、好意的な気持ちでいっぱいになっている。これ自体は智乃ちゃん自身が心愛ちゃんの事を受け入れてきたのもあったのだが、それ以上に智乃ちゃんが本当は心愛ちゃんの事を大切に想っているのが分かった上で、心愛ちゃんとの互いの信頼を築き上げている事に気付けたのが大きかった。それまでココチノに対して批判的になる最大の理由だった「心愛ちゃんの気持ちを智乃ちゃんは分かろうとしないように思えてしまう」と言うのが無くなったのだからどれだけ大きいのかは察するに余りあるだろう。智乃ちゃんとしても本当は心愛ちゃんの好意には応えてあげたいけど、全てに応えるのは無理だからああいう感じになっていたんだと改めて思い直す事ができ、人の特性を鑑みた上で心愛ちゃんと智乃ちゃんと言う姉妹*13を愛そうと思えたのだ。

 これらを思えば昔ココチノを愛し切れなかった理由は単純な話で、2人の人となりを完全には理解し切れていなかった。それだけだったのだと強く思う。然しながら同時に私は元々人となりを理解する事を心掛けていて、なるべく人のあらゆる面を知った上で、相手の人間性を見つめていきたいと考えている。これは勝手な思い込みによる誤解を生みださないようにする為にも大切な事だと思っていて、それはごちうさにおいても例外では無かった。では何故ココチノではそれが上手くいかなかったのかと言われれば、それだけきちんと理解するのに大きな障壁が存在したという事なのであり、特に心愛ちゃんと智乃ちゃんに対する私自身の理解度の差が激しかった事が悪い方に作用したのが原因だったという事である。本来はココチノに限らずコンビなるものをより深く理解する為にはそのコンビとなっている各々個人を理解する事は必要不可欠であると思うのだが、私は心愛ちゃんの理解が圧倒的に足りなかった。それだけでなく、智乃ちゃんの本心の部分の理解が足りていなかった*14のも災いして、ココチノの在り方が理解し切れない状態が続いてしまったのだ。

 この事に関しては私自身、あれだけ普段から人となりもちゃんと見つめないとダメなんだと考える様にしていると言うのに、イチ推しが絡んでいる部分ですら満足に出来ていなかった恥辱的(ちじょくてき)な事として酷く苦しめられる。もっと言うなら、人となりを理解しないと強く思っているのも、私自身元々やや嫉妬心が強い傾向にあると自分自身で考えている*15からであり、嫉妬により向こう見ずの状態(早い話が視野狭窄)に陥り正しい理解が失われてしまう事をなんとしてでも避けなければならない*16と思っている事からでもあるのに、結局嫉妬心に負けているとも見てとれる様な事態にまた陥っていたと言うのも情けなく思ってしまう。昔色々ココチノに対して批判的な見方も多かったけど、それは結局ココチノに対する私自身の嫉妬によるものだったんだと思うとやっぱり心苦しくなる。然し、同時に何故ココチノに対して嫉妬をしていたのかとなるが、それは皮肉と言うべきか現在のココチノを愛する秘訣ともなっている。

 ココチノに昔嫉妬していた原因と思われる最大の要因に、どんな時でも智乃ちゃんを第一に大切に考えている心愛ちゃんの深き愛情にあったと思う。もう何度も記載した事ではあるが、心愛ちゃんは智乃ちゃんの事を実の妹の様に可愛がっている。別にそれ自体は問題ではないのだが、その心愛ちゃんの深き愛情を本心では受け止めているとは言え、そうは見えない対応をとる智乃ちゃんの態度がどうも気に食わなかった。あれだけ可愛がって貰っているのにも関わらず、それを否定するような態度は正直腹が立った。元々は赤の他人*17だった人に可愛がって貰える事がどれだけ有難い事か分かっていないと私の目に映ったのも原因かもしれない。更に言うなら、どれ程智乃ちゃんがつっけんどんであっても心愛ちゃんは変わらず優しくしてくれる点も正直嫉妬を覚えた。これは正直私の僻み(ひがみ)なのだが、普通あれだけ人につっけんどんな対応を取られ続けたら多少なりともその人の事を好きではいられなくなるものだと思うのだが、心愛ちゃんにはそれが無いのだ。これはそれだけ心愛ちゃんが性格が良い事を示しているのだが、自分にはこんな事は出来ないだろうなと思っていたため、とにかく自分に腹が立った*18結局ココチノに嫉妬していると言いながらも、実の所本当に嫉妬していたのはココチノの様な理想の人間関係が創れなかった自分自身だったと今は思う。しかし当時はそれを頑なに認めたくなかった。結局自分の弱い面を認めたくなかっただけなのだ。まぁ今となっては嫉妬を覚えていたものは全てココチノに対する愛情の拠り所になっているが。

 これらの葛藤を乗り越えた今、ココチノは大好きで大切な2人組だと心から思える様になっている。理想としては初めからこう思うべきだったのだろうが、自分は漸くである。ただ、葛藤のおかげでこれからもし、またココチノに対して嫉妬的な感情を抱く事があったとしてもきっと乗り越えられると考えている。葛藤を乗り越えて得た絶大な愛情と知見は伊達や酔狂なものではないのだから・・・。

 5.ココチノが好きであると言う事

 物語の主人公である心愛ちゃんと、もう一人の主人公とも言える智乃ちゃんの2人組であるココチノが好きだと言うのは偉大なる姉妹の友情が好きだという事だと私自身思っていたのだが、今はそれだけでなく、一見しただけでは分からないココチノの信頼関係が好きになれる秘訣なのではないかとも考えている。たとえ血が繋がっていなくても、何時も智乃ちゃんにあしらわれようとも、心愛ちゃんは参る事も無ければ嫌いになる事も無く、増して智乃ちゃんに対して意地悪な事をする事も無く、何時も優しく智乃ちゃんを可愛がり、智乃ちゃんが寂しい思いをしない様に気遣っている。何時もは人を振り回してばかりの心愛ちゃんだけど、智乃ちゃんと一緒にいる時は心愛ちゃんの良い面が全面的に出ているとも思っている。それは智乃ちゃんも同様で、普段こそ素っ気ないとは言え、本当は心愛ちゃんの事をすごく頼りにしているし、何より大切な存在だと思っている。これらの事から、ココチノと言うのは人の温かみを強く感じられるものなのではないと思うのだ。人が持つ温かみや優しさ。それが遺憾なく発揮されていると思う。

 あと、毎度書いている事なのだが、ここまで書いたココチノの想いと言うのはあくまで私の想いなのであって、別にこの考えは強制されるものでは無いし、まして他の考え許すまじ(許されないという意)という事では断じてない。各々の想いと言うのがあるからこそココチノ大好きだと言えるものだし、他の人の考えは本当に興味深いものがある。言いたい事は結局各々が持つ考えをどうか大事にして欲しいという事なのだが、それだけ重要視しているからこそ何時だって書くのである。

3.余談

 前述の通り実の姉妹ではないココチノだが、時間と共に智乃ちゃんがだんだん心愛ちゃんの影響を受け、本当の姉妹らしくなりつつある。尤も2人共姉妹である事をずる賢く利用して、理世ちゃんに怒られた事*19もあるのだが・・・。

 智乃ちゃんにとって心愛ちゃんと言う存在は想像以上に大きい様で、最早心愛ちゃんがいない生活は考えられないものとなっていて、心愛ちゃんが何らかの事情で少し智乃ちゃんの下から離れただけで通称ココアシックになる事からも良く分かる。尤もこの事は智乃ちゃん以外にも言えていて、心愛ちゃんと言う存在の大きさが垣間見える。

 実はココチノに対する想いを書くにあたっては相当コンセプトに思い悩んだ。初めにやや重めの内容になったと書いているが、これでもまだマイルドに抑えられている方ではある。とは言っても他の2人組と比べれば重めなのに違いはないだろうが・・・。また書く量も期間も長くなってきており、書き始めた頃は9月のきらま発売直前だったのに、気付いたら3期のBLOOM放送当日になってしまいました。つまり3週間程かかっているという事であり、ペースの遅さが目立つ結果でもある。今後はもうちょっと早く書かないとな・・・。

*1:この記事を書き始めたのが丁度9月のきらまの発売日の直前でした。気付けば10月のきらま発売の方が近くなってしまいました。時の流れは早いです。

*2:保登心愛と香風智乃の事。

*3:態度、言動共に愛想が無く刺々(とげとげ)しいという事。

*4:特に初期がその傾向が強かった。

*5:但し、やきもちを焼く事に関しては智乃ちゃん本人は無自覚。更に言うなら、心愛ちゃんが千夜ちゃんの異変に直ぐに気付いたのも実は千夜ちゃんが考えている事が顔に出やすいからであり、智乃ちゃんの様に顔に出にくい人は気付こうと意識していても中々気付きにくい事もある事も加味する必要性そのものはある。

*6:基本的に人と言うのはつっけんどんな態度を見せる人にはどうしても距離を感じてしまうため。

*7:ただしその旨を親しい友人と積極的に真面目に相談する事はあまり無い。基本的に人に自分の気持ちを包み隠す事が無く話す事の多い心愛ちゃんにしては珍しいが、他愛のない会話でその事を時々話していると言うのもあるのかも知れない。

*8:それでも親友である千夜ちゃんと比べると影に隠れがちではある。心愛ちゃんとしては自分が落ち込んだりすると周りの人達まで悲しませてしまうと気を遣っているのも大きいのだろう。ただ、それは言ってしまうと無理をしている事になる。

*9:仮にそう思うと今度は別ベクトルから辛さが来る・・・。と言うか実際そういう辛さを経験した事もあるのだが、それは別の機会。

*10:こうなる事で一番辛いのが、相手からしてみれば自分が何時までたっても不愛想(ぶあいそう)で心を開こうとしないだから距離を取ったんだという事なのだが、その事をめぐって自分と相手で理解の齟齬(そご)が発生してしまうケースが少なくない事である。互いに悪気が無いのなら尚の事である。

*11:私は元々イチ推しであったとしても贔屓(ひいき)はしない点があり、悪いと思う事ははっきりと悪いと思うタイプである。これは人の欠点を許せるつまり人のあらゆる面を知った上で受け入れる事と、人の欠点を無視するつまり人の一部分しか知ろうとしない事は全く違う事であると思っているのが大きく、別に好きだからって欠点を無視できるとは到底思えないからである。

*12:双方共に寂しがりで甘えん坊なのは勿論の事、どういう訳か好き嫌いが多い点も共通しており、2人共人参が嫌いだと言う子供っぽい面がある。挙句自転車も乗れなかった点までも・・・。尤も今は(少なくとも心愛ちゃんは)乗れる様にはなっているが、年の割に子供っぽい所が目立つ事には変わりない。大人って何なのだろうと思うには十分であるが、何もこういう点があるから大人にはなれないと言う事でもないとも思う。

*13:本当の姉妹では無いとは言え、この2人なら姉妹であっても良いと思う。

*14:私自身、元々智乃ちゃんは本心が分かりづらい面があるとは言え、深く考えてみればある程度の考えは立てられる程度のものではあると考えているため、理解が上手くいかなかったのは単に受け止めようとしていなかっただけだったとも思ってしまう。

*15:とは言っても普段は嫉妬する事を意識する事は殆ど無い。何故一見矛盾している様な事になっているのかと言えば、それは人に対して嫉妬はしない様にするべきと自分自身で心掛けているのが強過ぎて、本心の気持ちを蔑ろにしている故なのかもしれない。この辺りの詳しき事はまた別に機会に。

*16:一度こうなってしまうと修正するのがとても難しい。何故なら、自分でもこのままでは駄目だと思って改善するべきと自分で分かったとしても、いざ止めてしまえばもう自分自身の拠り所が完全に無くなってしまうと言う恐怖心が異常なまでに心を支配するから。

*17:いくら心愛ちゃんが姉妹みたいだと言っても最初は当然ながら赤の他人同士であり、その段階からお姉ちゃんだと思って何でも頼って良いとは中々言いづらいにも関わらず、心愛ちゃんは物怖じする事も無くやってのけた。これ自体はたとえ血の繋がっていない、言ってしまえば赤の他人同士でも本当の姉妹の様に信頼関係を築き上げられると言う好い例だと思うのだが・・・。

*18:これ自体は私自身の性格や考え方も大きく影響している。

*19:心愛ちゃんと智乃ちゃん2人共に好き嫌いが多い(心愛ちゃんはトマトジュース、智乃ちゃんはセロリが特に苦手。)のだが、共通して人参が嫌いであり、理世ちゃんが作ってくれたカレーの中に入っていた人参をのけた為。これ以外にも智乃ちゃんは心愛ちゃんにシチューの材料を買ってくるように頼むときに人参を買ってこない様にわざわざ買い物リストから外した事もある。

まんがタイムきららMAX2020年11月号掲載のごちうさの感想と想う事について

 こんにちは。きらまの発売日を迎えて更にごちうさ愛が高まっているのが実感に有ります。本格的に知り始めてより2年程経過しましたが、2年なんて別に取り立てて言う程でもないと考えています。だって、こういう趣味の原型はもっと昔からあるんですから。それは追々書いていきます。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX(以下、きらま)の2020年11月号掲載のごちうさについての感想を書こうと思います。きらま本格購読開始から2回目にして本格的な感想を叙述すると言うスピードの速さですが、今回は書きたい内容がとりたたて多いものだったからです。今回のきらまに掲載されているごちうさから何を思い、そしてどう考えたのか、書き出していきたいと思います。

※注意※

 ネタバレを含む内容なので、その辺りをご了承の上、読んでいただくと幸いです。宜しくお願い致します。

1.きらま告知を見た段階より前の経緯

 先月からきらまでの購読を開始した私。元々は次のごちうさ単行本が発売されてから購読し始めようかとも考えていたのだが、先月までの時点できらまでもごちうさを読んで最新の内容を追っていきたいと言う願望が強く現れる様になった。それまでもきらまでもごちうさを読もうかと考えた事はあったのだが、如何せん雑誌を殆ど買わない人間だった私は長らく見送ってきた経緯がある。ただ、実の所それがごちうさに対するストレスの原因にもなっていた。しかもそのストレスは色んな意味でごちうさへの接し方の在り方もを揺るがす程に危険なもので、恐らくだがこの頃にごちうさから離れていたら多分二度と帰ってくる事は無かったか、若しくは戻ってきても何年後*1とかいう可能性すらあったと思う。

 そういう経緯もあって、先月からきらまでもごちうさを読み始めたのは大きなターニングポイントだった。今までの悩みは無くなり、ごちうさについてより前向きに自分が思いたい事を素直に思える様になれた。それまでもこのブログで自分のごちうさに対する想いを書く事で少しづつ前向きにはなっていたのだが、本格的に悪しき記憶から決別し、前を向いて進もうと決断できたのは先月のきらま購読を決断したタイミングからだった。

2.きらま告知を見た感想

 今月は曜日の関係で17日夜の告知そして18日の発売だったので、何時もより1日早かった。一日早く来るとだけあって楽しみが早くなると喜ばしかったが、緊張もあったのも事実だった。既に大きな決断をしたとは言えそんなに経っていた訳でもなかった為だ。とは言っても見ないと言うのは考えられなかったので、告知がなされるその時を待っていた。

 そしてTwitterできらまの告知を見た時、まぁ今月も凄いと感じ取った。更に画集の詳細情報もあったので、ますます喜ばしかった。ただ、あくまで平静を保っていた。元々私にはクールな平静を装う癖があり、今回の告知を見た時も例外では無かった。とは言っても内心喜んでいた事には変わりなく、絶対に買いに行くと決めた。

3.今月のごちうさを読んだ感想(大筋)

 こうして18日、本屋さんに行ってきらまを購入した。そして家に帰ってから早速購読した。ごちうさが表紙となっているきらまを購入するのは初めてだったので、表紙を見ただけで楽しめたのは嬉しかった。しかもそれが2カ月連続でなんて、考えるだけで楽しみである。

 さて、ここまで色々説明が長くなってしまったが、遂にここから今月号のごちうさの感想を書きます。ここから感想故に本格的なネタバレが含まれているので、その辺りのご理解は宜しくお願い致します。

 今月号のごちうさを一通り読んで思った事は、皆が本当に仲が良いんだという事である。元々その仲の良さは分かっていたのだが、先の旅行*2を経て更に仲良くなったような気がするのだ。さりとて言うなら心愛ちゃんも全く変わっておらず、最近7人*3で集まれてないという事で皆で進級記念パーティーをやろうと企てる等、皆を楽しませたいと言う想いに満ち溢れているのだと改めて思った。その計画を一緒に考えていた智乃ちゃんにしても、明るくノリも良く振舞っていたので、もう以前の様にクール一辺倒でも無いんだなと、改めて心に深く感じ取るものがあった。元々全くの無表情且つ無感情でも無かった*4のだが、やたらとクール且つやや不愛想でそこまで人当たりが良いとは思ってなかった。それだけに今の智乃ちゃんは本当に人として大きく成長してるんだと感銘を受ける。

 心愛ちゃんにしても、凛さん*5と出会った時に自分の心証を明かしたりと、凛さんとも良い関係である事が良く分かる。でも、その凜さんの事を心愛ちゃんは凜ちゃんさんと呼ぶあたりそれらしいと思った。
 その明かした心証とは、主に実は皆といつも一緒に居られなくて心細くなっていた事、今回しようと言ったパーティーも自分の為にやっている側面が強いという事である。心愛ちゃんは何時も明るいと言うイメージが強いが、その実割と心配性且つ零細な面もあり、私が楽しいと思って計画している事は皆はどう思っているのかについて心配する事も少なくない。それだけ人想いな人だという事なのだが、実は寂しん坊でもあるのでいつも誰か大切な人と一緒に居たいと言う願望も強いのもあるのだろう。

 そしてパーティー当日になって、皆がそれぞれプレゼントを持って来てくれた。そのプレゼントもそれぞれの個性が活きていて、各々の想いが伝わっていくのと同時に、皆でそれぞれの欠点をも補完し合っているんだなと思えた。そしてそのプレゼントは実は4月10日に誕生日を迎える心愛ちゃんの為のものであり、コップも紗路ちゃんの母親が作ってくれたコップを使ってお祝いする等、何とも粋な演出だと思った。そんなサプライズを知ってマジ泣きしたのも印象的だが、それ以上にそもそも自分の誕生日を忘れていたのが何とも心愛ちゃんらしいなと思った。

 その後新生活での新しい関係について皆で話し合うと、自分の関係こそ一番素晴らしいんだと言わんばかりに主張し始めるのだが、そういう事が出来るのも自分に自信があるからであり、それを言い合えるのも仲の良い証だと考えているので、本当にこの7人は仲の良い関係なんだと思った。その後に新しい制服*6で写真を撮っているのも、7人で迎える新しい門出だと言わんばかりの構図で誇らしいとすら感じ取れる。

 そこから一転して心愛ちゃんのお母さんに視点が向けられ、お母さんの友達だった香風咲さんの渾名(あだな)がうさぎちゃんである事が明らかになった。このうさぎちゃんについての考察は後述するが、やはり心愛ちゃんと智乃ちゃんの母親同士の関係として気になる点ではあるだろう。因みにこのタイミングではモカさんは以前皆が旅行していた場所に飛び込み旅行しているのだが、そこで心愛ちゃんらが盛り上げているのを聞きこんで自分も負けていられないと決意した辺り、流石姉妹だと思った。その様子を見た青山さんも触発されて仕事が捗(はかど)りそうで何よりだ。

 そして最後の場面も心打つ場面で、智乃ちゃんが心愛ちゃんに向かって一回しか言わないからよく聞く様にと釘を刺したうえで、お姉ちゃんと言おうとしたその時に、風衣葉冬優(ふいばふゆ)ちゃんが来店してきて、結果的に心愛ちゃんは聞きそびれてしまうのだが、智乃ちゃんが旅行先で知り合ったフユちゃんと心愛ちゃんが馴れ馴れしく接しているのを見て、智乃ちゃんはプレゼントはお預けだと言って怒ってしまうのだが、いつも通りで良いんだと思わせてくれる良きシーンだった。

4.今月のごちうさを読んだ感想(詳細)

 これまでは大筋の感想を書いてきましたが、ここからは自分が特に良いと思った部分の感想を詳しく書きたいと思います。先程と被る部分もありますが、その辺りはご了承ください。今月のごちうさにおいて良いと思った部分は多岐にわたりますが、特に良いと思ったものを3つ程度紹介したいと思います。

5.数字に秘められた無限の可能性と想い

 1つ目の見出しからいきなりなんだとなってしまうかも知れない。一体何の事か分かりにくいと思われるが、私個人的には数字には様々な可能性と想いが秘められていると思うのだ。

 そもそも私自身、実は数字と最も関わり深い数学は得意じゃない寧ろ苦手なくらいなのだが、どういう訳か昔から数字そのものに強い関心と拘りがあって、数字を使って色んな物事を手繰り寄(たぐりよ)せたり、考察等をしてきた過去がある。元々昔から好きだった趣味に道路があるのだが、道路には番号*7が付けられたり、キロポストが設置されたりしている。そこに書かれた数字を見るのが小さい頃から大好きだったと言う、少し変わった感性を持つ人だった。最近ではクラシック音楽の作品番号、整理番号、年代にも強い関心を持ち、沢山記憶している*8のだが、今月のごちうさにおいても気になる数字がいっぱいあったのだ。

 まず気になった数字は智乃ちゃんが言った「7人」という数字である。この7人と言うのは保登心愛、香風智乃、天々座理世、桐間紗路、宇治松千夜、条河麻耶、奈津恵の7人の事だが、この7人と言った事がなんだか嬉しかったのだ。原作の初期の方を知っている人は分かる事なのだが、元々は麻耶と恵を除いた5人で行動する事も多く、主要5人組ともいえる様なポジションも存在する程だった*9ので、2人の疎外感が否めないのが自分の中で存在したのだ。それが次第にマメを加えた7人で行動する事も多くなっていったのは原作を追えば分かる事なのだが、このタイミングで智乃ちゃんが7人と言った事には心を打った。心打つ要因には、やっぱり7人いてこそ皆が楽しめると言うのを、昔は中々自分からは言い出せなかった智乃ちゃんが望んでいると言うのが大きかったんだと思う。人の成長をも感じ取らせる可能性を秘めた数字だと思われるのだ。

 次に、心愛ちゃんの誕生日である「4月10日」と言う数字にも可能性を感じた。この4月10日と言うのが心愛ちゃんの誕生日だと言うのは最早周知の事実ではあろう。何時も明るく元気で人想いで、人を楽しませることを何よりも楽しみとしている心愛ちゃんらしい誕生日だと思う。しかし、本当にすごいと思うのは心愛ちゃんの誕生日が春だという事にある。
 春と言うのは出会いと別れの季節である。心愛ちゃんにとっては自分自身の誕生日である春に木組みの街にやってきて皆と出会い、そして今の関係を築いていった。別れと言うのは当然ながら生まれ育った故郷なのだが、その出会いと別れと言う節目時に誕生日を迎えると言うのはある種の奇跡とも言える。因みにこれは完全に余談なのだが、かのワルツ王「ヨハン・シュトラウス2世(1825ー1899)」が作曲したワルツ「春の声」はなんと作品番号が「410」なのである。数字がもたらす因果関係に惹かれる理由でもあり、美しいと思う理由でもある。

 この様に数字と言うのは様々な事象を示すと共に、その数字に込められている想いや可能性について考える事も出来るのだ。何気なく発している数字にも、色々な想いがあってその数字になるのだと思えば、数字が持つ無限の可能性の理解も難しくはないのである。

6.皆の確かな友情

 2つ目は皆の確かな友情についてである。ごちうさに登場する人達は仲がとても良いのだが、この回は特に強く現れている気がしたのだ。ただ、一から全て書き出すといくら何でも量が膨大になってしまうので、今回は私自身が特にこれが良いと思ったのを書きたいと思う。

 今回の話において特にこの友情が良いと思ったのは心愛ちゃんと真手凛(以下、凛さん)さん、紗路ちゃんと千夜ちゃん、心愛ちゃんと千夜ちゃん、青山さんとモカさん、そして心愛ちゃんと智乃ちゃん、フユちゃんである。先ず心愛ちゃんと凜さんから順に説明する。

 心愛ちゃんと凛さんの関係が良いと思った点は、心愛ちゃんが寂しそうにしているのを見て、何とか励ましてあげようと嘘まで言って凜さんが奮闘する点にある。本当は凜さんだって青山さんと離れて心底寂しくしていると言うのに、それでも尚人の為に奮闘する点が凄いと思うのだ。これは中々難しい事で、相手がたとえ仲良しな人であったとしても自分自身も元気じゃない時に人を励ます気になるのは容易な事では無い。そんな中で凜さんが心愛ちゃんの事を励ましたのも、心愛ちゃんの事を良く知ってて元気でいて欲しいと思っているからではないかと考えられるのだ。

 紗路ちゃんと千夜ちゃんの今回特に良い点は、幼馴染の友情を感じさせつつ今の良き関係を作っているのを感じさせる点である。今回各々が心愛ちゃんにプレゼントを持って来ているのだが、その際に千夜ちゃんがちょっと良いものを持って来て紗路ちゃんにマウントをとった*10辺りやっぱり千夜ちゃんが紗路ちゃんをエスコートしてたいんだと言うのが感じ取れる。そう感じとった要因は、昔から千夜ちゃんは積極的に紗路ちゃんを引っ張っていく存在だったが故もあるだろうが、紗路ちゃんには負けたくないと言うのもあったのであろう。千夜ちゃんにはああ見えて負けず嫌いな一面もあり、打たれ弱い面もあるのだが、紗路ちゃんにはそういう面を見せない様にしているのが散見される。ただ紗路ちゃんも何も言わないだけで千夜ちゃんのそういう所は分かっていて、自分が千夜よりあっと言わせるような事をすると面倒な事になると分かっているからこそ、千夜ちゃんが何時も自分より凄い事して圧倒されたとしてもそこまで深く言ったりしないし、また今に続く信頼があるからこそ、そういう事が可能になっているんだと改めて思わせられる関係であった。これが幼なじみの今に続く良き関係だと思える。

   次に心愛ちゃんと千夜ちゃんの関係についてだが、特に良い所は仲睦まじき親友の友情の再確認にある。旅行編において千夜ちゃんは心愛ちゃんに新学期を迎える不安を吐露しているのだが、心愛ちゃんはそんな千夜ちゃんを優しく励ましていた。そして時は流れ、新学期を迎えて、心愛ちゃんと千夜ちゃんは遂に別々のクラスとなり、多少なりとも心愛ちゃんは心が沈んでいた。今までずっと同じクラスであった親友な上、その出会い方も奇跡的なものであり、しかもその奇跡の出会いがあったからこそ、新境地で右も左も分からなった心愛ちゃんにとって相当な心の支えともなっていた。ショックを引きずるのは無理ないことである。そんな心愛ちゃんを優しく励ましたのは他でもない親友の千夜ちゃんだった。この事自体は千夜ちゃんにとっては以前私にしてくれた事のお返しとも言えるが、心愛ちゃんにとってこれがどれほど嬉しい事か、もはや想像には難しくないだろう。

   次は青山さんとモカさんで、この2人組の良い所は遠く離れていても実感出来る絆がある事を感じさせてくれる事である。青山さんもモカさんもこの回は以前心愛ちゃん達が泊まっていたホテルにいるのだが、そこで青山さんからモカさんに向けて伝えられる内容が良いのだ。青山さんはモカさんに向けて、大まかに言えば心愛ちゃん達の凄さについてモカさんに話しているのだが、それを聞いたモカさんは妹である心愛ちゃんが大切な友達と一緒に元気に楽しくやっているんだと喜びつつも、自分も負けていられないとホテルのオーナーに仕事をさせてくれと頼んでいる。ここから分かる事は、モカさんにとって妹である心愛ちゃんの成長は喜ばしいと同時に、お姉ちゃんとして負けていられないと思わせるきっかけでもあるという事である。姉妹というのは往々にして切磋琢磨し合う最も近しい存在となり得る事もしばしばあるのだが、これはその最たる例と言えるだろう。そんな関係を大人の目線で見守る青山さんの存在も重要である。モカさんも十分大人だが、しっかりとした大人な目線と言うのは青山さんの方が一枚上手である。そんな青山さんがモカさんを含めた仲睦まじき関係を優しく見守る存在であると言うのは非常に重要な事であろう。

 最後に心愛ちゃんと智乃ちゃん、フユちゃんの特に良かった点について書きたい。ここだけ3人となっているのは、3人でなければ伝わらないからである。

 事の流れとしては、智乃ちゃんが心愛ちゃんに対してサプライズだと言ってお姉ちゃんとして感謝を伝えようとするのだが、そのタイミングにフユちゃんが来店してきて、心愛ちゃんがフユちゃんを引き込む形で仲良く会話するのを見て智乃ちゃんが多少怒ってしまうと言う流れで終わっていると言うものである。なんとも心愛ちゃんらしいと言えばそうだが、ここにはごちうさの良い点がいくつもある。

 その良いと思う点と言うのは、心愛ちゃんが新しく街に来た子*11であっても全く壁をつくる事無く優しく接する点である。これは心愛ちゃん自身の性質も大きく、普通、たとえ相手が嘗て会った人でその上仲良くした事があるとは言ってもいきなりあそこまでするのは難しい。大半の人は多少なりともよそよそしくなるだろうし、警戒心が強い人なら尚更である。しかし心愛ちゃんは全く警戒する事も無く、まだ木組みの街にきて日の浅いフユちゃんを温かく迎え入れ、その上お姉とまで言える程打ち解け合っている。これはフユちゃんにとってどれほど嬉しい事なのか分からない。フユちゃんは恐らくだが恥ずかしがり屋な性格であり、少なくとも人と話すのは得意でない様子がしばしば覗かせている。そういうタイプの人と言うのは私自身もそうなのだが、兎に角人付き合いに苦労する。新しい場に行ってどうすれば良いのかも良く分からず、増して知っている人なんている筈が無い環境において人付き合いも上手く出来ない為、孤独でどうする事も出来ない辛さを味わう事も少なくない。そんなタイプの人にとって相手自ら自分に関わってくれる人と言うのは、多少は恥ずかしくてもありがたい存在であると思う。フユちゃんにとってそんな存在と言うのは智乃ちゃんが最初だが、そこから心愛ちゃんに繋がったのは大きな宝物になると思われる。

 その一方で、心愛ちゃんとフユちゃんが仲良くしているのは智乃ちゃんにとっては何だか嫉妬する気持ちになる様だが、それも心愛ちゃんと言うお姉ちゃんが大切な存在で、私の事もちゃんと見て欲しいと言う想いが心の底に存在しているからだと思うのだ。智乃ちゃんにとっても心愛ちゃんと言うお姉ちゃんは、今まで殆ど年上と接する機会しかなかった自分にとって同年代の信頼できる人達と共通の思い出を創っていく楽しさとかけがえのなさを教えてくれた大切な人である事が良く分かる場面でもある。

 つまりここで分かる事と言うのは、心愛ちゃんが智乃ちゃんにとってかけがえのない存在である事は勿論の事、成長した智乃ちゃんが出会ったフユちゃんとの良き関係を智乃ちゃん自身の力で良き関係を築き、その関係を心愛ちゃんが大切にする傍ら、心愛ちゃん自身もフユちゃんと関係を深めるという事が言える事である。自分が大切にしていた妹が成長して新しい関係を築いていくと言うのはモカさんから見た心愛ちゃんと言う構図でも言える事だと思うのだが、それを心愛ちゃんが実践していると言う訳なのである。

 ここまで皆の仲の良さを考察してきたが、ここで大事なのは常日頃から仲が良いと言う点である。普段から仲が良いからこそこういう時に見えてくるものも多いと思われるからこそこういう事を書いているのだが、これはあくまで自分の意見である事は留意してほしい。各々が持っている考えは絶対に良いものだと思うので、自分の考えは大切にして欲しいと言うのが私の想いである。

7.巡る想い

 最後は巡る想いについてである。やや少なめの内容だが、真面目な想いであるのは変わりない。想いは文量が全てではないのであると思う。

 今月のごちうさにおいて心愛ちゃんの母親も出ているのだが、そこで元気そうな子供たちを見つめて嬉しそうにする傍ら咲さんの渾名がうさぎちゃんである事が判明している。ここで思う事は、心愛ちゃんと智乃ちゃんの母親同士非常に仲が良かった事である。
 そもそも何故に心愛ちゃんの下宿先が香風家だったのかと言うのも気になっていた。あくまで予想に過ぎないが、もしかすると母親同士のよしみがあったからこそだったかもしれないと思うと、想いの伝達即ち巡る想いが成立すると思ってやまないのだ。もっと言うなら理世ちゃんと智乃ちゃんも父親同士の仲があってこそだし、紗路ちゃんと千夜ちゃんも母親同士の関係があってこそである。親から子に巡る想いと言うのがとても印象的なのである。

 巡りめく想いと言うのは心に沁みゆくものがある。ただ、やはりと言うか何と言うか、こういう想いは多くの人が沢山の見解を持ってらっしゃると思われるので、言い切る様な言い方は難しいとは考えている。だからこそ、ある程度の大筋は共通しているとは思われるが、突き詰めていくのは各々の色があって良いと思っている。細かくは違う人の意見を見るだけで得られるものはたくさんあると思うのだ。ただ私自身巡りゆく想いと言うのは、何というロマンティックな事なんだと言いたくなる程、偶然という名の奇跡が積み重なってできた正に奇跡の賜物(たまもの)なんだと思う。

8.今回のまとめ

 今回初めてきらまにおけるごちうさの感想を書きましたが、まぁ急ピッチでやったので大変でした。千夜ちゃんの誕生日が9月19日なのでそれに合わせてお祝いをしたいと思ったからなのですが、そういうのも本当はおかしいとは思います。そこから書きたいと思っていざ書き出してみたら「あっ、普段やっている事とさほど変わりないんだな。」と思いましたね。自分が普段ごちうさに対して想っている事を書き出す延長にあるような感覚で楽しかったです。

 内容によって書いた文の量の差はありますが、どうしても急ピッチで書き進めないといけなかったのと、単純に思う事の匙加減(さじかげん)の差があるからです。人間なんで興味のある無いによって思う比率と言うのは変わるものだとは思うのですが、今回それが結構出ていると思いますね。まぁ次回以降に生かせるものだと思えばいいのかと考えています。

 最後の締めくくりに、冒頭で言っていた「2年なんて別に取り立てて言う程でもない。私のこういう趣味の原型はもっと昔からある。」と言うものですが、私自身15年以上前から趣味を全力で楽しむ事をしています。その間には色々な事があって、時には人生の支えになったり逆に苦しむ要因にもなったり、趣味の対象も時と共に移り変わっていきましたが、嘗て全力でやった趣味は忘れる事無く覚えていて、いつかまた全力でやるその時まで温めたりしています。これら趣味のおかげで豊富な見識があり、今のごちうさの考察の礎ともなっているのは本当に良かったと思います。だって何かに活かせる趣味なんてそうそう簡単に作れる事では無いんですから。この長きにわたる経験があるが故に2年や3年と言うのはそんな取り立てて言う程のものでもないと思う事が多くなっていったのですが、やっぱり2年や3年と言うのは長いと言うのも同時にちゃんと分からされています。趣味でやる分にはあっという間ですが、他の分野はそうでもないんだと思う事もしばしばです。

 でもやっぱりこれだけははっきりしていて、それはごちうさの皆はこれから何時までもその良き仲を大切にして欲しいという事であります。良き仲がずっと続くと言うのは本当にすごい事だと思うし、それが様々な因果関係から成り立っていると言うのだから益々すごいですよ。本当に仲睦まじい姿を何時までも見ていたいです。

 

 最後に、9月19日、お誕生日おめでとうございます。宇治松千夜ちゃん。

 

 

 

*1:最低でも2年から3年程は掛かり、今まで多くの趣味をやってきた中で、一度離れてから本格的に帰ってきたのが離れてから10年近く経ってからと言うのもあった。

*2:主に単行本8巻に収録されている。

*3:この7人と言うのもキーポイントだと考えられ、5人ではなく7人で集まりたいと言う願望が良く伝わってくる。

*4:因みにあらゆる人間の感情の中で一番難しいのは無感情だとも言われている。更に言うなら、最も人が拒絶するものだったりする。

*5:青山さんの担当でもあり、自身も書き物をしている。青山さんとは学生時代からの付き合いで、所謂遅筆家の青山さんを統制する一方、実は青山さんの事をすごく大切に想っていて、青山さんと関わっている時が一番幸せそうにしている。

*6:理世ちゃんは大学生故に私服なのだが、それだから良いんだと言える心愛ちゃんはやっぱり凄い人だと思う。まぁ私自身は制服は好きでなかった寧ろ嫌いにすらなっていたけど・・・。

*7:インター番号、国道番号等本当に多種多様。

*8:一例をあげると、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」はOp.74等。

*9:尤もチマメ隊と言う中学生組もあるのだが。

*10:良い表現が思いつきませんでした・・・。

*11:この場ではフユちゃん。

ごちうさ楽曲感想文紹介と今回企画を通して思った事

 こんにちは。自分の想いを言葉にするのを繰り返していると、いつの間にか文章力も自然と上がっていくと感じられますね。元々文章を書くのは凄い下手だったけど、文章の書き方を知り、実践していく事でみるみるうちに上達していきました。
 また、文章力を上げるきっかけになったものとして、元々の語彙力の豊富さも活きたと感じています。元々表現するもの自体は有ったけど、それをうまく表現できなかったが故の文書きの下手さだったので、とどのつまり所謂説明力をどうにかすれば良く、その説明力を鍛えた結果、こんなに上手くなったと言う訳です。とは言っても、まだまだ伸ばせる余地があるのも事実だと考えていて、更に経験を積み上げて、もっといい文章を書きたいと思っています。

 さて、今回は以前行われたごちうさ楽曲感想文の紹介をしたいと思います。とは言ってもそんな沢山書いた訳ではなくて、言ってしまうと1つの楽曲を複数枚にわたって書いた*1と言う訳なのですが、言ってみれば、それだけその楽曲に対する想いが強かったという事でもあり、当初からそうするつもりでもありました。

 そんな複数枚にわたって書くのに選んだのは、「うさぎになったバリスタ」です。この曲は数あるごちうさ楽曲の中でも特に名曲であり、そして感動する曲でもあると思うのですが、それ故に400字以内に纏めるのが難しいと考えたので、複数枚書く事にしたのです。

 これ以上前置きが長くなるのもあれなので、感想文を紹介したいと思います。前提として、曲に関わるネタバレがある事をご了承の上、見てもらうと幸いです。特に今回紹介する「うさぎになったバリスタ」はごちうさという物語の重要な部分が歌われていて、ある程度原作を知らないと分からない事もある上、内容も割と重めです。その辺りも了解をお願い致します。

※今回は常体文が楽曲感想文、敬体文が作品へのメッセージとなっている。3枚目だけメッセージも常体になっている部分があるのは見逃して・・・。

1.祖父の悩みと信念

 弾き語りの様に優しく歌い上げるこの曲。一番からいきなり人の心に直接訴えかける様な歌詞と音色が特徴的である。一番では祖父の苦悩と決心の姿が歌われているが、これはアニメでもあった通り、喫茶店が軌道に乗らない厳しい現実に対してうさぎになってしまえば楽になれるのにと言う祖父の苦悩である。しかしこの曲では同時に、大切な人がいるからこそ、守る為に頑張り続けるのだと言う決心も歌われており、苦悩と決心の二面性は、たとえ苦難に苛まれても、家族と言う守るべき大切な存在が居れば頑張れるのだと言うメッセージとすら思う。 祖父はどんな苦難があったとしても、愚痴を抱え込む事が有っても、心が折れ切ってしまう事は無かった。心折れずに踏みとどまれたのは、やはり家族とりわけ智乃ちゃんの存在は大きかったと思う。どんな苦難があったとしても、孫の前ではそんな弱い一面を見せる事は出来ないと言う強い信念が、今に繋がったのだと思う。

 

 初めての投稿ですが、うさぎになったバリスタについて3回に分けて書こうと考えています。このうさぎになったバリスタに対しては、とてつもない楽曲だと認識していて、初めて聴いた時に心が打ち震えました。そして、それは今も同様です。 そんな思いを感想文に送る為には、細かく分けた方が伝えられる事が多くなるから3回に分ける事にしました。何卒宜しくお願い致します。

2.孫を想う祖父の気持ち

 この曲の2番は、主に祖父の智乃ちゃんに対する強い思いが感じ取れる。たとえ自分の命が尽きる時が来たとしても、姿を変えてでも見守ってあげたいと思う程に、智乃ちゃんが心配だった。少なくとも、母親を早くに亡くした悲しみを完全に乗り越えきれるまでは見守っていたい。そんな強き想いが、うさぎになった大きな要因なのだと思う。
 祖父としては、何時までも見守っていたいが、それは叶わぬこと。ならばせめて安心して智乃ちゃんが前を向いて進めるその時まで、どうであってもそばで寄り添ってあげたい。2番の歌詞は、そんな事をも思い浮かべられる。

 この曲の題名でもある、うさぎになったバリスタ。そのバリスタが智乃ちゃんの祖父である事は疑いないが、その祖父が何故うさぎになったのか。その真相と言うのは、この曲の2番に大きく関わっていると思う。そしてそれは、うさぎになったバリスタの真骨頂でも有ると思う。

  

 2枚目は主に2番の歌詞についての感想を書きました。2番は主に母親を早くに亡くしてしまった智乃ちゃんの事を心配する祖父の心情について紡がれていますが、そのメッセージは、智乃ちゃんが成長していく中で、いったいどういう風に成長しているのか、その重要な骨格をなす部分であると思っています。
 それらを深く考えていくと、何故ごちうさを愛し続けているのか、その哲学的意義が少しわかる様な気がします。

3.これからに対する想い*2

 この曲の最後の部分は、何故人は苦しくても生きられるのか祖父その人自身が答えを示した上で、これからどうしていきたいのかその信念が伝わる歌詞であり、それはひいて言うなら全曲を締めくくる重要な要とも言えるのではないかと思う。今までの苦悩や人の悲しみ、それらを肌身をもって感じてきたバリスタが、己の命の終わりを迎えるにあたって、このまま身を引いていいのかと強く思ったのがうさぎになったきっかけだという事なのだと思うのだが、それが流れを汲んで理解できる曲であると思う。

 最後に、この曲を青山さんが歌っているのも中々なキーポイントであると感じる。元々青山さんはラビットハウスの常連であり、マスターには小説関連で良く頼っていた過去がある。生前のマスターの姿を見てきた人である青山さんが、いったい何を想っているのか。それに思いを馳せてみるのもまた、この曲の重要な点であると思う。

 

 3枚目はこの曲全体の感想と締めくくり、そして青山さんが歌う事に対する考察の可能性について言及しました。ごちうさの数ある楽曲でも特に心打たれる名曲であると思う、うさぎになったバリスタ
 この偉大な名曲にはごちうさが持つ人と人の繋がりがもたらす奇跡、想いを全面に押し出す力が有ると思う。そんな曲をしっかり思う事は、ごちうさを愛しゆく原動力でもあると思う。

4.楽曲感想文そのものについての感想・書くまでの経緯

 ごちうさサマーフェスの夏休みの前半の課題として行われた、ごちうさ楽曲感想文。詳細の説明はここでは割愛するが、簡単に言えば数あるごちうさの楽曲の中から各々各自が好きな楽曲の感想文を400文字以内、あるなら作品へのメッセージを200文字以内で、最大15回分まで投稿できると言うものであり、頭にもある様に同一楽曲の複数投稿も可能だった。ちゃんと説明してるじゃないかとは言わないで・・・。

 そんな楽曲感想文については早い段階から絶対に参加したいとは思っていた。然し、なかなか手につかなかった。と言うのも、8月の前半はまだ完全にごちうさに対する苦悩意識から脱却できていなかった*3うえに、元々楽曲分野は自分にとって近年の趣味分野の柱の一つでもあり、圧倒的なウエイトを占めるクラシックが存在しており、ごちうさ専属で楽曲を中々嗜めていなかった*4のも相まって、とっかかりにとにかく時間が掛かった。然しながら、絶対に書きたいと言う強い意思もまた、きちんと存在していた。ごちうさの皆に対する想いを書いていく内に、ごちうさに対する苦悩を乗り越える為には、文章で自分の思う事を相手にちゃんと伝える事それしかないのだと思っていたが故なのかも知れない。

 そして、思い悩みつつも書く決断をした。実際に書き始める決断をした段階でもう「うさぎになったバリスタ」にする事は決めていた。何故この曲にしたのかは既に説明してある通り、数あるごちうさ楽曲の中でも特に名曲であり、そして感動する曲でもあるのが大きいのだが、同時に智乃ちゃんの祖父がラビットハウスの事、孫である智乃ちゃんの事をどれほど大切に想っていたか、それが良く分かる曲でもあるからなのだ。今思えば、それだけ智乃ちゃん周りの事情が自分の中で特に気にしているのがまるわかりなのだが、智乃ちゃんが今まで感じてきたであろう寂しさの事を思えばそれも納得がいく。

 実際に書いている時に特に大事にしたのは、歌詞の深い読み込みである。この「うさぎになったバリスタ」は特に歌詞が重要な楽曲であると思うので尚更だった。深く読み込むことでわかる、祖父が秘めていた想い。それを少しでも理解したうえで書きたいと躍起になった。曲調もゆったりとしたバラードであるので、このゆっくりとしたテンポに乗せる歌詞はどの様になるのかという観点からもよく考えた。

 そして3枚にわたって「うさぎになったバリスタ」に対する感想を書きあげたのだが、書いた事そのものの感想即ちこの楽曲感想文そのものについての感想は、この手の機会の経験がごちうさでは初めてだったのでどうなるか多少不安があったのは事実だが、やってみるとその不安は杞憂に終わり、寧ろ大幅な世界観の整理にもなったので気持ちが楽になったくらいである。やはり思い抱えている気持ちはどんな形でも良いから相手に伝わる形で表現した方が良いと思わされるには十分だった。

 総じて言うならば、この楽曲感想文と言う機会は、ごちうさが好きな人がそれぞれ持っている感情を文章に乗せるという事であると同時に、自分自身がそれぞれ持っている想いの解放でもあると思うのだ。勿論、この楽曲感想文にかける想いは様々あって当然だ。ごちうさ好きな人がそれぞれ持つ一つ一つの想いが欠かす事の出来ない大切なものばかりであるのだから。

 最後に、この様な機会がまたあったらぜひ参加したいと思っています。今回のごちうさ楽曲感想文、本当にいい機会でした。

*1:同一楽曲の複数枚の提出も可能だった為。

*2:誤って元々の題名を消してしまい、しかもその題名も完全に失念してしまっていたので改めて書き直しました。すいません・・・。

*3:とは言っても最もひどい頃に比べたら大分マシではあり、最もひどい時は原作やアニメを見る事すらままならない程の恐怖意識すらあった。

*4:クラシックが自分にとってのあらゆる世界観を支配しているのも大きいのだが。

モカさんと言う頼れるお姉ちゃんについて

 こんにちは。年を1つ重ねたっていきなり大幅に変わってしまう事は無いですが、それでも少しずつでも変化していくのかと毎年思うのですが、その1年後に、結局大して変化していないのではないかと考えて、なんだか悲しくも嬉しくも思う事が最早繰り返し起こってますね。まぁ、1年で大幅に変わろうと思ってもかなり難しいので、ある程度はしょうがないのですけどね・・・

 さて、閑話休題と称して今回はモカさんに対する想いについて叙述したいと思います。心愛の姉でもあるモカさんですが、その姿は様々な面を持ち合わせています。今回もそれらを細かく考えていきたいと思います。
 あと、モカさんに対する自分の想いに関しては、最後まで見てくれると幸いです。様々兄妹観について考えていますが、最後まで読んでくれないと真意がきちんと伝わらないので・・・その辺りだけはよろしくお願いいたします。あと、ネタバレも含むものなので、その辺りの事も理解してから見てください。

1.モカさんの溢れるお姉さん感について

 1.お姉さんとしてのモカさん

 モカさんは心愛ちゃんのお姉ちゃんであり、パン作りが非常に得意な女性である。そのオーラと包容力は本物で、ひとたびその力を発揮すれば心愛のものが軽く見える程。性格は心愛と似ている部分も多いが、常に元気っ子な心愛とは異なり、どちらかと言えば落ち着いたしっかり者の典型的なお姉さん気質の持ち主*1である。

 パン作りの腕前は凄まじく、食べた者を思わず涙を流させる程*2知名度もある様で、雑誌にも掲載されている。その腕前は心愛ちゃんとはかなり水をあけられる程の差が有る。とは言っても心愛ちゃんもかなりの腕前である為、2人が結託すれば誰にも負けないコンビとなり得る。

 包容力に関しても心愛ちゃんとはやはり比較にならず、心愛ちゃんの場合だと嫌そうにする智乃ちゃんが、モカさんの場合は嫌悪感を覚えず、寧ろそのまま癒されてしまう程。この差はどうも相手を受け止めるか否かに表れており、心愛ちゃんの場合無理に包容しようとしてかえって相手が嫌がる程してしまう事により、モカさんとの明暗が分かれてしまうのだろう。ただ、心愛ちゃんと違ってモカさんは親しい人みんなをやたら積極的に包み込みたがる所があり、その辺りは理世ちゃんが苦手とする理由にもなっている。とは言ってもモカさんも心愛ちゃんも節操はきちんとある人なので、その辺りはご安心を。

 面倒見もとても良く、妹たちの憧れの存在となるには十分すぎる程である。これは元々4兄弟の面倒を見てきたからこそなのだが、特に心愛ちゃんの姉として長らく見守ってきたのが大きいのだろう。ただ心愛に対してはやや揶揄(からか)いたくなる様だが、心愛はそんな揶揄いはあまり好きではない。揶揄ってばかりのお姉ちゃんに怒った事すらある。

 2.モカさんの本当は・・・

 妹達*3のお姉ちゃんであり、姉として完璧にも思えてくるモカさんだが、その実相当な心愛好きであり、心愛に嫌われる事を何よりも恐れている面がある。事実、心愛に避けられるだけで相当へこんでしまう辺り、心愛以上に妹離れに対する恐怖が深刻な所があり、理世ちゃんから指摘されてもいる。その辺りモカさんは一人でも大丈夫そうに見えて、実は心愛よりも頼りになる人が必要なタイプなのかも知れない*4

 努力家でもあり、妹達の良き姉であるためならどんな努力を惜しまない。ただ、その努力を妹達に見せる事は無い。これは、姉と言うものは何時でも完璧な姿を見せないといけないと思っている面が有るからだと思われる。実際その事情を知る周りの人が事実を言ようとすると、慌てて遮ろうとする。ただ、その辺りの真意は心愛にはきちんと感じ取られてもいる。

 3.心愛ちゃんの友達との関わり

 モカさんが心愛ちゃんの友達皆と関わった時は、やはりその抜群の姉オーラを発揮して皆の心を掴みとり、とても良好な関係を築き上げた。但し、悪気が無いとは言え、あまりにも早く皆の心を掴みとったが故に心愛ちゃんからは心愛ちゃん自身が築き上げた努力の賜物を水泡に帰させかねないと思われ、ちょっとした姉離れをさせられた*5
 全体的に皆の反応は頼りになる姉と言うイメージが殆ど*6だが、やはり心愛ちゃんの姉という事で心愛ちゃんと似ている面も多いとも思われている。とは言っても、モカさんと心愛ちゃんは姉妹とは言っても人としては別人故に2人は全く同じ個性では無い為、心愛ちゃんが心配している、モカさんに何もかもとられてしまう事は無いと思われる。この辺りの詳しい考察は後述。
 

2.モカさんに対して何を思うのか 

 1.モカさんに対する昔の考え

 心愛ちゃんの姉であるモカさんについては、昔から可愛らしくて面倒見の良いお姉ちゃんだと思っていて、こんなお姉ちゃんがいたら良いなぁと思わせるには十分すぎる存在だと認識していた。今思えば兄妹に囲まれて幸せそうにしている姿が容易に浮かばれるモカさんの事が激しく共感できるが故にそう思ったのかも知れないが、本当に昔からそう思ってたのかは最早定かでない。ただ、昔からモカさんのお姉ちゃん姿が好きだったのは事実であり、こんなお姉ちゃんがいたからこそ、心愛ちゃんはあんなに明るくて皆を楽しませる事に長けているんだと、しみじみ思わされていた。憧れの姉の姿として惹かれていたのはやはり昔からあったのだと思う。

 2.モカさんに対する今の想い

 モカさんに対して様々な面から理解がある現在では、理想のお姉ちゃん像に関する考えや、実は兄妹がいるからこそ頑張れること、実は何でもできる訳では無いからこそ、努力を重ねていること、兄妹の事を大切に想っているからこそ、冗談でも嫌われるのは嫌なことに関して凄く理解が深められた。理解を深めていく内に、内に秘めし人間性にとても強く想う様になったのだ。

 理想のお姉ちゃん像に関して言えば、彼女の場合努力を重ねている事にも通ずるものがあり、どんな時でもお姉ちゃんとしてしっかり妹達の良い見本として頑張らなければならないと考えているが、その努力は積極的に人に見せるものではないとも考えているのだとも感じる。努力を重ねている事を積極的に見せたがらないのは、お姉ちゃんたるものそんな姿は見せられないと考えているからだろうが、それ以上に何時でも完璧な姉と言う意識も有るが故なのかも知れない。
 ただ、一番姉として尊敬している心愛はその辺りの事情はかなり分かっていて、モカお姉ちゃんが常に姉として妹達に恥ずかしくない様に頑張っているのを分かった上で、モカお姉ちゃんには敢えてその辺りの事は言及していないのである。それは、心愛自身にとって姉としての理想像とも言えるモカお姉ちゃんの姿を見続ける中で、そういう事は言わない方が良いと思っているからだと考えられる。元々心愛ちゃんは人の気持ちを汲み取れるので、その辺りは流石である。更に言うなら、心愛も実はかなりの努力家な一面があるのだが、これも日々頑張っている姉の姿を見て、自分も頑張らなければならないと強く思っているが故なのであろう。

 そして、より良い理想の姿に向けて努力が出来るのも兄妹がいるからこそである事も外せない点であり、誰か身近な大切な人が見てくれる、喜んでくれると思えるからこそ、たゆみない努力が重ねられるのは別に珍しい事では無い。モカさんの場合、心愛ちゃんと言う可愛くて、何時も私の真似ばかりする妹が心から私の事を見て喜んでくれるからこそ、何だって努力を重ねられる面は大いにあると感じている。その一方で、自分の真似ばかりしていると思っていた心愛が、確かに真似をしている面こそあれど、しっかりとした自分の意思や想いをもっている事を知って喜ばしくも寂しくも思う辺り、兄妹という喜ばしさと大切さ、そしてちょっとした寂しさが有るのだと強く感じた。

 そもそも兄妹と言うのは、何時までも関係が続いていく最も近しい存在である。そんな兄妹関係において、モカさんと心愛ちゃんみたいな関係が良いと思うには十分すぎる程に強い想いと絆が存在している。そういう近しい存在だからこそ、モカさんとしては例え冗談であっても兄妹に嫌われるのは嫌だと強く思うのであると思われる。モカさんからしてみれば、兄妹と言うのは可愛い存在であると同時に居てくれるだけで幸せを呼んでくれるかけがえのない存在でも有る*7。そんな兄妹*8に嫌われてしまうのは本人にとっては姉離れされてるみたいだから嫌な様だが、私としては切っても切り離せない様な大切な存在である兄妹に本当に嫌われてしまったら、相当な絶望感に苛まれると思われる。実際に上の子と言うのは、なんだかんだと言っても下の兄妹を大切に思っているものなのである。そんなさなかに突然嫌いなんて言われたらどんなにか辛いか、それは心中察するに余りある。モカさんからしてみれば、兄妹とりわけ心愛はいつまで経っても可愛い兄妹である事は変わりないのだから、嫌われてしまうのが怖いと思うのは当然である。だからこそ、モカさんは兄妹特に心愛ちゃんの事をとても大切に思っているし、兄妹とりわけ心愛ちゃんから好かれ続けたいとも思っているのである。

 これらのモカさんの特性を理解していく内に、内に秘めし人間性についても想う様になったのは先に述べた通りだが、それらを思っていく内に、心愛ちゃんが少し懸念していた、モカさんに心愛ちゃんが築き上げた大切な友達が、心も含めてすべて取られてしまう事は今後絶対にあり得ないと、強く思う様になった。確かに心愛ちゃんが危惧していた様に、モカさんが心愛ちゃんの友達皆の心も含めて何もかも奪っていってしまう懸念は確かに理解できるものではある。元々心愛ちゃんの根底にはモカさんの影響が強くある為、その元手であるモカさん本人には適うものではなく、それ故に何もかもお姉ちゃんに取られてしまうと言う懸念自体は仕方ないものとは言える。
 ただ、お姉ちゃんの影響を多分に受けているとはいえ、智乃ちゃんを始めとしたみんなとの友情や信頼を一から築き上げたのは他でもない心愛ちゃん自身の力である。そういった友情は、例えお姉ちゃんパワーをもってしても壊せない強固なものである事は間違いないし、そもそもお姉ちゃんとの比較すら要らない。心愛ちゃんの友達は、心愛ちゃんが築き上げたものである事は間違いないのだから、そこまでお姉ちゃんに取られる事を恐れる心配は無いし、ましてやモカさんも心愛ちゃんが築き上げた友情や信頼関係を壊そうなんてこれっぽっちも考えていない。寧ろその辺りの友情に関しては心愛の事を尊敬するほどであろう。

 では、何故そんなにモカさんが心愛ちゃんの友達皆を虜(とりこ)にしたがったかと言えば、妹が折角こんなに素晴らしい友達を持てたと言うのに、自分だけその輪の中に入れないのは寂しいからであろう。年が離れているとはいえ、お互いに女の子同士、兄妹・友達いつまでも一緒に楽しみたいと言う想いが有るのは特段珍しい事でもない*9。ただ、その想いが少し行き過ぎてしまって、心愛に勘違いさせてしまった所があるのだろう。その一方でモカさんだって、しっかりした女性である。心愛の交流関係に関しては非常に大切に考えているし、その点に関しては尊重している。でも、心愛の友達に関わろうとしなかったが為に、誰も構ってくれなかったら寂しい。そんなジレンマをモカさんは抱えていたのかも知れない。どちらにせよ、最終的にはその辺りの事は心愛ちゃん、モカさん、そしてみんなで一緒にしっかりと整理をしたうえで仲良く解決しているので、今となってはその心配は要らないであろう。最終的には心愛とモカお互いの良さを改めて分かり合って、心愛の友達をも巻き込んで更に信頼とつながりを深めたのだから、これ程良い人間関係は本当に素晴らしいと思う。

 モカさんにとって心愛ちゃんは、妹であると同時にかけがえのない大切な人でも有る*10という事である。そしてそれは、心愛ちゃんも同じである。物理的な距離はあれど、その姉妹愛は確かなものなのは間違いない。これからもそんな素敵な姉妹愛を見守っていきたい。

 3.モカさんが好きな事について

 モカさんが好きである事に様々な考えが有るのは、姉と言う関係上他の皆以上に有ると思うのだが、心愛ちゃんのお姉ちゃんである事、大人なお姉さんな魅力を十二分に持っている事、面倒見が良い事等大きく分けて考えるだけでも多くあると思う。しかしながら、その多種多様な魅力の感性は見る人の数だけあると思うので、ここで断言するのは避けたいと思う。こういう魅力と言うのは個々人が思う数だけの魅力が有ると思っているからこそ、やはり様々思う事があるべきだと思うのが個人的な想いでもある。 
 モカさんに感じている魅力がどんなのか。それは個人個人思う事が異なって当たり前である。それを認めるという事は、好きなものに対する自由な価値観の尊重だという事でもある。だからこそ、各々が抱いている魅力は、どうか大切にしてほしいと言うのが私の思う所でも有る。

3.余談

 お姉さんとして、心愛ちゃんも含めてみんなの憧れの的ともなっているが、その実モカさんもかなりの寂しがりの一面*11があり、妹である心愛ちゃんや心愛ちゃんの友達を頼りにしている面もある。尤もそれは心愛ちゃんや心愛ちゃんの友達を心から信頼していて、自分が頼りたい時に頼れる存在だからこそでもある。だからこそ、心愛ちゃんや心愛ちゃんの友達に嫌われてしまうのだけは嫌なのであろう。

 お姉さんとしては非常に優しいのはもちろんの事、怒る事も殆どない。その怒ると言っても感情を大いにぶつけていると言った感じであり、人を訓戒する意味で怒る事は更にない。但し、それは心愛ちゃんが大きくなった今の事であり、昔は怒る事も有った様だ。尤も、思慮分別は出来るに越した事は無いので、怒る事自体は仕方のない事ではあるのだが。

 パン作りは得意だが、コーヒーを淹れる事が特に苦手であり、泥水と称される程。その辺りはパン以外がまともに作れないとも言われる心愛ちゃんと似ていると言うべきか・・・やはり姉妹の血は争えない。

*1:実際姉だから当然と言えば当然だが。

*2:実際の所、涙が流れる感触ってどんなのだという話だが、相当に美味しいのには違いない。実際に智乃ちゃんと理世ちゃんはその辺りの事を言及している。

*3:ここで言う妹達と言うのは、心愛ちゃんを含めた皆の事である。そういう風になる理由は、モカさんからしてみれば、心愛ちゃんの友達も妹みたいなものだからだと本人も言っている。

*4:心愛も周りに支えてくれる人がいないと、一人では中々やっていけないタイプだが、モカさんはそれ以上であると思われる。要は周りに支えてくれる人がいてくれて初めて自分の持ち味が発揮できるタイプだと言う事。

*5:この事に対してモカさんは大変なショックを受けた。

*6:理世ちゃんだけが若干違っており、心愛と違って積極的にもふもふしようとしてくるのを抑え込めないが故にやや苦手意識がある。尤も、心愛に嫌われたり避けられたりする事を極度に怖がっているモカさんの事を心配してもいるが。

*7:それは心愛も含めた兄妹全員同様ではあると思うが。

*8:特に心愛。

*9:もっと言うなら、別にこれは姉妹関係で無くても普通に存在し得る感情でも有る。

*10:身近な大切な人を想う事は普通な事であるとも思われるが、それができるのも確かな信頼関係あってこそである。

*11:というか割とかまってちゃんだと感じる事もある。頼られる事が多いお姉ちゃんである事もその理由として有るのかも知れない。

恵ちゃんの深き魅力について

 こんにちは。この手の想いを書くと言うのは、内に秘めし想いの解放とも感じるんですよね。自分は普段心の中ではどんな事を想っているのか。その事を書き示す事によって、他人ひいては自分にも理解できるものになり得るという事です。何故自分の事なのに、書き出さないと理解できないのかについては、時と場合によっては往々に起こる事ですので、あまり気にはしないでね・・・

 さて、今回はごちうさの恵ちゃんに対する想いについて書きます。恵ちゃんは、皆の中でも結構独特の立ち位置にいますが、思う事については様々でも有ります。今回もその魅力を多くの視点から考察したいと思います。あと、ネタバレも含むものなので、その辺りの事も理解してから見てください。

1.恵ちゃんののびやかな魅力について

 1.のんびり屋な恵ちゃん

 恵ちゃんはとてものんびりとした女の子で、どんな時でも焦らずマイペースに物事を行うタイプである。そのマイペースっぷりはかなりのもので、いつも一緒に居る麻耶ちゃんからすると鈍いと感じる様だ*1。一方で、智乃ちゃんは肯定的ではある*2

 のんびりでマイペースなのは何処に行っても変わらずで、皆からとても可愛がられている印象がある。元々人の事をしっかり思い遣る事の出来る人なので、その辺も大きいのでしょうが、周りからすると関わっていて不快な思いにはならないのも有るだろう。ただ、不快な思いをしないからと言うのは、言い換えると尖った部分即ち目立つ様な強みに欠けるという事でもある。この点は、本人もかなり気にしている個性的な仲間の中で普通な自分だと言う事実であるが、この辺りは後述。

 更に言うととても素直な人でも有り、人から言われた事を真に受ける傾向が他の人以上に強い傾向がある。良く言えば人を疑わない純粋な女の子、悪く言えば騙されやすくノリとしても悪く映ってしまう事が有るとも言うべきか。その素直さは誰かれなしにボケをかまそうとする千夜ちゃんですらも戸惑う程。

 2.実は器用者?!な恵ちゃん

 のんびりしている恵ちゃんだが、実は割と何でも器用にこなせる人でもある。バレエが得意でボケもツッコミも両方こなせて*3、麻耶ちゃん程では無いとは言えかなり頭も良く、しなやかの身体の使い方が出来る事から表現美も上手い。また芸術表現の鑑賞力も高く、感極まって涙する程。
 更に、人の長所に気付くのも誰よりも得意で、心愛ちゃんの良さに真っ先に気が付いたのも恵ちゃんで、そこから心愛ちゃんが一番の憧れとなった程。因みに恵ちゃんが心愛ちゃんの事を好きなのは自分にとっての憧れの道を教えてくれるからだという事から*4

 この人の長所にいち早く気付ける恵ちゃんの利点だが、元々そこまで人の事を疑ったり悪く見たりしないのがみんなの中でも特に顕著なのが要因かも知れない。特にその差が現れるのは心愛ちゃんに対してで、元々心愛ちゃんに対しては何故か当たりが少々きつい傾向が見受けられる*5のだが、恵ちゃんは普段から心愛ちゃんの事をあしらったりせずに好意的に接している。尤も、恵ちゃんは千夜ちゃんとは違ってその千夜ちゃんとも違う斜め上のセンス*6には困惑気味だが・・・

 3.みんなの中では普通の立ち位置でも秘めし物は大きい

 恵ちゃんはのんびりマイペースな点を除けば割と常識人の感覚の持ち主で、それ故に個性が強くない事を気にしていて、皆みたいに独特の個性があったら良いと思う事がしばしばある。実際皆に憧れているのも個性の部分が大きく占められているのだが、恵ちゃんはもう既に十分に強みがあると思う。前述の通りに割と何でも器用にこなせるし、ゆっくりとしているとはいえ、芯もしっかりしている為である。まぁ、良くも悪くも皆の個性が強すぎるが故に相対的に霞んでしまうのも一理あるとは思うのだが・・・

 ポテンシャルは十分にあるのに発揮しきれてないのは恐らくあがり症が要因で、前に出たいのに怖がってしまって一歩引いてしまうと思われる為である。ただ、少しずつではあるが、あがり症を克服してきているので、将来は皆の中で一番大人になっているかもしれません。尤も一歩引いて皆の事を想う事が出来ている恵ちゃんチマメ隊でも高校生組でも大人に近い存在だと感じるし、そもそも何をもって大人と言うのかは個人個人違う為、言ってしまえば子供も大人も関係ないのかも知れない。ただ一つ言える事は、恵ちゃんは皆と違って露骨に子供っぽい所が少ない事*7も起因している事だろう。

 

2.恵ちゃんは自分の中でどう思うのか

 1.恵ちゃんの対する昔の想い

 基本的には麻耶ちゃんと同じ様な感じであり、さほど注目するべき存在でもないと言ったスタンスであり、しかも麻耶ちゃんと違って強烈な個性が少ないので、麻耶ちゃん以上に人物像が掴みにくく、理解を遠ざけていた様な気がする。元々私は、元来から興味のある事は自発的に好きな様に好きなだけ調べるのですが、興味・関心が薄ければ薄い程調べたり考察したりしない*8であり、趣味全体はおろか、ごちうさですら分野による知識の差が大きく、恵ちゃんはその知識が少ない方に入っていた。

 そんな状況のさなか、恵ちゃんがのんびり屋の優しい女の子である事はきちんと理解していて、その優しさをもってするなら誰もが仲良くしてくれるだろうし、少なくとも嫌と思う人はいないであろう、本当に人として徳の高い人だと思っていた。それに関しては今も大きくは変わっていないが、昔は特にそういう考えが有るのは珍しかったと思う。

 2.恵ちゃんの今について思う事

 恵ちゃんについてもきちんと理解がある今は、ただ優しいだけでなく他人の事を悪く見ないで長所について見抜く目利き力、実は何でもそつなくこなせる器用な一面ボケもツッコミ何でも来い*9の幅の広さ芸術鑑賞センスの高さ等が凄く魅力的に感じている。この幅広き利点は正に隠れたオールラウンダーなのだが、これを見て思う事が有りませんか。そうなのです。様々な利点が他の人と被ってしまっているのです。例えば何でもそつなくこなせる筆頭は理世ちゃんですし、実はボケもツッコミもこなせるのは心愛ちゃんを筆頭に多くの人が出来ていますし、芸術的センスにしても比類なきセンスの奇才千夜ちゃんがいます。まぁ長所を直ぐに見抜ける点はずば抜けていますし、バレエが出来るのも魅力ですが、どちらも普段から目立たせる事が出来るものではない。これらが重なり合って、結果として恵ちゃんが気にしている他のみんなに比べて普通だと思う要因になってしまっているのである。

 目立った個性が無いと言うのは本人も凄い気にしているが、恵ちゃんの場合本当に個性がないのでなく、偶々人と被って目立ってないだけ*10で、持つものは絶対に有ると思っている。そもそも個人的には個性が無い所謂没個性的とは何かとも思っている。
 抑々没個性的と言うのは、一般的には目立たせる強みが無い事だと思うのだが、そんなに自分が普通であり、目立った利点も欠点も無いと言い切れるかは果たして議論の余地があると考えている。これは個人的な意見だが、そういう目立った利点も欠点も無い人はとても珍しいと思っていて、大抵の人は何かしらの個性があると思っている。別にその個性は取り立てて言う必要も無くて、他愛のない事でも良いと思う。そういう意味では人の長所を見抜くのが得意な恵ちゃんには得意な事だとも感じる。

 みんなと比べてあまり個性が無いと感じるもう一つの要因にあがり症もとい人前に出るのが恥ずかしいと感じる*11のもかなり影響しているのだろう。ただでさえ人前でアピールしないと持ち味を発揮できない様な個性を持つ恵ちゃんにとってこれはかなり痛いから。他のみんなの個性が黙っていても感じ取りやすい*12のも煽りを受けているのだろう。これもかなり痛い点で、要は恥ずかしがり屋であっても目立つ皆と違ってアピールしないと目立たせられないのだから。多くの人が恥ずかしがり屋であっても個性が目立つ最大の要因ともなっている。

 つまり恵ちゃんの個性が目立たないのは皆と個性が被っている、自分からアピールしないと本領発揮しづらいのに恥ずかしくてなかなかできない。にも関わらず周りは黙っていても個性が分かり易く立場を喰われてしまいやすい。そもそも持ち味が普段から発揮しづらく目立たせにくい等、複合的な要因が重なった結果なのだ。

 色々個性が無い事について書いたが、その芸術鑑賞センスの高さとボケとツッコミの幅の広さは本物だと思っている。特に芸術鑑賞のセンスに関しては千夜ちゃんにも引けを取らない程のものがあると思っていて、そのセンスの高さの背景には元々バレエをやっていたのが大きいのは有るのでしょうが、それ以上に芸術を見た上で、何が感じ取れるのかと言う感受性がとても高いのだと思う。この感受性、実はそうそう簡単に身につくモノではないと考えていて、まず芸術を知りたいと言う想いが必要で、そこから自分が見て知った世界観もとい芸術から一体何が感じ取れて、それはいったい自分にとってどういう存在であり、どういう影響をもたらすのかをよくよく思わないと、身に付けて磨いていくには中々難しいものだと考えている。

 実際に自分もクラシック音楽と言う芸術表現を嗜んでいるが、理解が本当に大変で、何回も聞いて世界観を理解して、そこから感じ取れる事をこれまたゆっくりと考察していく形であり、特に大変なのはとにかく手間と時間が掛かる事。かかる期間はまちまちで、早ければ数回もあるが、中には半年、1年以上なんてのもあった。更に自分の良くない点に、圧倒的なこだわりを持つが故に中々新しい世界観を受け付けない面があり、それで全く新しい世界観の理解に苦労する事もしばしば。それ故に恵ちゃんのその感受性の高さは凄いと思うし、圧倒的な個性でも有り、長所でも有ると思える。

 また、ボケとツッコミの幅の広さだが、元々恵ちゃんは律儀に人の発言もといボケに乗っかる*13タイプなので、ボケ重ねがうまいと思うし、ツッコミに関してもベタながら流れそのものは上手くできているので、中々に器用なんだなと感じている。
 ツッコミにしろボケにしろ、恵ちゃんは本人の言動、反応がとても面白く、更に元々の性格から毒やトゲのあるボケ、ツッコミ*14と言うよりかは周りを和ませるもの*15なので、恵ちゃんらしい個性がとてもうまく合っていると感じる。そのほんわかとした雰囲気は思わず呑まれてしまいそうになる程。

 器用にボケ・ツッコミ出来る恵ちゃんだが、それぞれの専門にはひけを取ってるのは否定できず、器用貧乏とも言えるのは否定できないが、恵ちゃんの圧倒的なポテンシャルはそのほんわかとさせる優しい部分に有ると思う。心愛ちゃんや千夜ちゃんの様に鋭くキレのあるボケを言って皆を振り回す事でもなく、理世ちゃんなら例えツッコミ、キレのある一言を含めたツッコミ、智乃ちゃんならほんわかとしながらも的確に牽制する*16ツッコミや一言ですが、恵ちゃんはそれでも無く、ボケでもツッコミでも尖らずに人を楽しませる事が出来るタイプだと思う。元々恵ちゃんが心愛ちゃんに憧れているのには、心愛ちゃんが何でも楽しいに変えられる、所謂人を楽しませる天才だからなのだが、恵ちゃんも十分に人を楽しませる器用さは元々有ると思うし、それ故に心愛ちゃんの事が好きになったとも考えられる。

 総じて言うならば恵ちゃんは決して個性が無い訳では無く、強みとなる様な確かな個性は持っている。ただ、それが偶々他のみんなと被ってしまっていて、被ってないものも発揮しづらいものである為に目立たず無い様に見えてしまう節がある。これに関して言えば誰が悪いという事も無いのでどうにもならないのだが、別にそこまで気にする必要も無いものだとも思う。
 恵ちゃんが自分の確かな個性の感触をもって進み続けるなら、それを見守り続けるのが良いのではないのかと、個人的には思う。

 3.恵ちゃんが好きな事について

 恵ちゃんが好きな事に関しての自分の想いは上記の通りなのだが、恵ちゃんの魅力が好きなのだと言うのはどういうことなのかを自分の中で整理したくなるのはやはり逃れられない。

 その魅力として真っ先に挙げられるのはのんびり屋で優しい事だが、他にも身のこなしがうまい事、ボケもツッコミもこなせる事、なりたい理想の自分に向けてひたむきに努力できる事等様々あると思う。そういうのを見守っていきたいと思うのもまた、恵ちゃんが好きな事なのではないかと思う。その理想形に関しては多種多様であると思うが、それも味なのではないかと思う。

3.更に細かい話(余談)

 心愛ちゃんに憧れている恵ちゃんだが、無理にお姉ちゃんと言わせようとしたり、お姉ちゃんを無理に着飾ったりする様な点は憧れの対象にはしていない。恵ちゃんとしては無理に着飾って振舞う心愛ちゃんよりも、そのままの明るい心愛ちゃんの方が好きなのだろう。もっと言うなら心愛ちゃんの天然センスにも置いてけぼりである*17

 のんびり屋で優しい性格故か声を荒げて怒る事が殆ど無く、どんな時でも優しく立ち回る事が大半だが、麻耶ちゃんにだけには馬鹿にされるのは嫌な様で、その時は珍しく怒る。昔からずっと一緒に居る仲故なのかも知れない。

  心愛ちゃんの魅力に一番に気付いた時に皆からその事に関して様々言及されても意思を変えなかった*18辺り、流されやすい一面があるとはいえ、本当に大切に思った事は容易には変えない芯の通ったタイプでもあるのだろう。 

*1:これを知った恵ちゃんは珍しく膨れた。

*2:寧ろ理解を示して歩み寄ってもいる。

*3:但し、ツッコミに関してはかなりタイミングが遅い。テンポよくボケの訂正なりコメントなりを入れなければならないツッコミにおいて遅いのは致命傷なのだが、のんびり屋なのだから仕方ないとも言える。ただ、恐らくはノリツッコミなら上手くいくだろう。

*4:この辺りの事は、紗路ちゃんが理世ちゃんに憧れる事とよく似ている。

*5:特に智乃ちゃんが顕著で、時折毒舌とも言える程の口ぶりを発揮する。ただ、智乃ちゃんはどちらかと言えばせがましく接してくる事が苦手であり、本当は大切に想っている。これは智乃ちゃん以外の人も共通である。

*6:元々千夜ちゃんのセンスは芸術的とも言えるものだが、心愛ちゃんはどちらかと言えば天然ボケであるので、真面目な人程いちいち引っかかりやすい。とは言っても人を露骨に不快にさせる事はまず無いのだが・・・

*7:程度の差があるとはいえ、他のみんなはどこかしら子供っぽい所がある。特に目立つのは理世ちゃんであり、一番年上なのに一番子供っぽいと言う事になる。

*8:そういうのは本来良くないのだが・・・

*9:前述の通り、ツッコミはかなりマイペースだが。

*10:ただそれが非常に嫌な現実を生み出しているのも事実であり、当事者としては悩ましい点でも有る。誰が悪いと言う訳でもなく、それ故に怒りや悲しみのぶつけ所が殆ど無いのもそれに拍車を掛けている。

*11:但しあらゆる面で本当に恥ずかしがり屋じゃないのは心愛ちゃんくらいなものなのに、何故恵ちゃんだけ取りたてて目立つのかは良く分からないと感じるが、それは後述。

*12:特に紗路ちゃんと心愛ちゃんが顕著。

*13:ただ、本当に信じているとも思える反応の時もある。

*14:これに該当するのはキレキレのツッコミが魅力だが、やや言動がきつくも感じる理世ちゃん、実はかなりの毒舌発言もする事のある智乃ちゃんが代表的。ただ、人によって思う事は違うので一概には言いづらいし、もっと言うと2人共本当は優しいからこそ、こういうキャラが立つのである。これで本当に性格が悪いなら誰も関わろうとはしないだろうし、そもそも言動がきつくても優しい人は多い。

*15:これに該当するのは何時も人を楽しませる事を考えている心愛ちゃん、柔らかな物腰と良いノリ、かなりのボケセンスを持つ千夜ちゃんが顕著。いかにもな2人である。

*16:完全にこれは心愛ちゃんに対しての物なのだが・・・

*17:ただしこれに関しては、恵ちゃんがどちらかと言えば常識的な考えの持ち主故であろう。

*18:ただ、抑々憧れの人を誰にするかは個人の勝手なので、人に色々言及されて変える様な事でもないとは思うのだが。

麻耶ちゃんの色々な魅力について

 こんにちは。自分が書き表す世界観において、分かりやすさを第一にするのはもちろんの事ですが、どちらかと言えば哲学的な考えを述べてみたいとも思っています。尤も、今の時点でもかなり答えを出すのには難しい事を書いている様な気がしているんですけどね。

 さて、今回はごちうさの麻耶ちゃんに対する想いを書きます。麻耶ちゃんは一見分かり易そうで表裏の無い性格に見えますが、実際は良い意味で全く違います。その魅力や考察について、思い思いに書いていきたいと思います。あと、ネタバレも含むものなので、その辺りはご理解のほどよろしくお願いいたします。

1.麻耶ちゃんの溢れる魅力について

 1.元気いっぱいな普段の麻耶ちゃんについて

 麻耶ちゃんは、一言でいうと好奇心旺盛な元気っ子*1です。何時も元気いっぱいな明るい女の子で、何にでも興味を示しては直ぐに影響を受けてしまいます。特に戦隊モノが好きで、ヒーローモノが好きな一面が伺えます。

 その好奇心パワーは凄まじく、出会ったばかりの理世ちゃんにたまたま知ってたCQCの話題で理世ちゃんを惹きつけたり*2 、自己紹介の時に、バリスタになりたいと言った智乃ちゃんを仲間に引き込んだり*3と、そのエネルギーはとどまる事を知らない。ある意味麻耶ちゃんの好奇心が、皆の出会いとうちとけ合った親密な仲のきっかけとして働いているのだろう。

 チマメ隊*4の企画役でも有り、この3人の中でもとりわけ活動に関する意見案を出す事が多い。なんとも好奇心旺盛な麻耶ちゃんらしいのだが、だからと言って融通も利く一面も有る。これに関しては後述。

 2.実は凄い所いっぱいな麻耶ちゃん

 やんちゃっ子でありながら、実は相当に地頭が良く、かなり成績が良い模様。恵ちゃんが言うには、「好奇心が勉学にも向いているから」だという事だが、好奇心だけで勉学がうまくいくなら誰も苦労しない。ある意味これも才能なのだが、好奇心で勉学に関心を持ち、学修していくのは寧ろ大学向きであるとも思う。どちらにせよ、地頭は良いのは確かなのだろう。

 その元気っ子キャラからは想像する事は難しいが、実は相当精細な気遣い屋さんでも有り、人の事を気に掛ける様子はかなり多い。それだけ人の事を大切に想っている事の表れでも有るのだが、本人はこの事を言われるのは相当に恥ずかしいらしく、陰ながらでよさそうな態度をとっている*5
 かなりの寂しがり屋でも有り、仲の良い人と離れ離れになってしまう事を誰よりも嫌がる一面も有る。チマメ隊が別々の高校になるかも知れない事に危惧したのも麻耶ちゃんだった辺り、仲の良い人と離れ離れは嫌なのが良く分かる。これが、周りの人を気遣う精細な一面とも関与している*6のだろう。

 3.みんなの中でもその持ち味は健在

 麻耶ちゃんは元々そこまで高校生組との絡みは智乃ちゃん程多くは無いのですが、その持ち前の好奇心と行動力で、ちょくちょく絡みに入る事が多い。特に理世ちゃんとの絡みが多く、かなり頼りにしている様子がうかがえる*7

 その元気っ子ぷりは何処に出ても健在で、その行動力はやはり人を元気にさせる力が有ると思います。元気っ子の相手をするのは大変ですが、その元気さには相手もかなり影響されるもので、麻耶ちゃんの相手をしている時のみんなは本当にいい顔していると感じます。

 

2.麻耶ちゃんについてどう思うのか

 1.麻耶ちゃんに対する昔の率直な想い

 麻耶ちゃんは元々自分の中でそんなに注目的な存在では無かったです。やっぱり主要5人組で無い点がどうも理解を遠ざけていた様な気がしますね*8。中々知る事も出来なかったですし・・・

 そんな中でも元気っ子で好奇心旺盛な女の子である事は知っていて、そういう子はいた方が絶対に楽しいだろうし、それ故にチマメ隊は毎日楽しいのだろうなーなんて思っていた事も有りました。今思えばとんでもなく青かった自分だったなぁ*9と思いますね・・・

 それでも昔から変わってなかった想いと言うのはあって、それはやはりその元気さであり、周りを明るくしている麻耶ちゃんが良いなぁと思う点ですね。そもそも自分は元気っ子は好きなのですが、そういう子は行動力が凄すぎて関わる方はかなり体力を使いますが、同時にもの凄く楽しい時を共有できると考えています。その観点から、麻耶ちゃんは昔から好きな所は元気な所だったと、今になって思いますね。

 2.麻耶ちゃんに対する今の想い

 麻耶ちゃんをきちんと知った今は、元気で好奇心旺盛な所だけで無く、実はとっても精細な気遣い屋だったり、かなりの寂しがり屋だったり、そして誰よりも友達を大切に考えられるその人間性が、とても素晴らしいと思いますね。人って頭では分かっていても、中々行動に移す事が難しいのも有ります。麻耶ちゃんのしている事は、その典型例だと思うんですよね。だからこそ、麻耶ちゃんは実は相当人徳が高いのだと感じますね。

 麻耶ちゃんに対する今現在僕個人が想う事は色々ありますが、実は相当精細な気遣い屋、寂しがり屋で、友達の事を真剣に考えられる点が麻耶ちゃんの性格の中で、特に好きな点ですね。
 精細な気遣い屋だという事は、言い換えるならそれだけ人の立場になって、人の為に尽くせる事が出来るという事だと思うのですよ。現に麻耶ちゃんは、智乃ちゃんと恵ちゃんに気を配る事も結構見受けられます。それだけ智乃ちゃんと恵ちゃんの事を大切にしたいと彼女自身が想っている表れでもあると感じます。
 上記の点は、恐らく寂しがり屋である事も深く関与しており、仲の良い人が離れていくのが嫌だと強く思っているのは良く感じられます。でも、寂しがり屋だからみんな麻耶ちゃんみたいになるとは考えにくいのですよ。人の考え、性格と言うのは人それぞれですから*10
 そういう点で、麻耶ちゃんが麻耶ちゃん自身の良さを引き立て、それを決定的な物にしているのが、友達の事を真剣に想える点なんだと思うのです。麻耶ちゃんは普段はそこまで人に気を遣っている様には見えませんが、実は相当人を事を気遣っていて、配慮が上手な子なんだなと感じます。

 今の想いを見てみればわかる通り、自分は他人に気遣う事が出来て、他人の事を真剣に想える所が好きなんだと分かります。恐らくは自分に足りないのはこういう点なんだと、思わせてくれるのも有る*11のでしょうが、それ以上にこういう人間になりたいと思わせてくれる所が、麻耶ちゃんの事を大切に想える理由なんでしょうね。

 3.麻耶ちゃんが好きな事とは

 自分が感じる麻耶ちゃんが好きだと感じる理由は上記の通りだが、人それぞれまちまちなのは言うまでも無い。純粋に元気いっぱいなのが好きだったり、人なつっこい所が良かったり、はたまた実は頭が良い所が良かったりと、色々あると思う。別にそれは人によって思い描く姿が違うのだから当たり前ではある。
 更に言うなら、色々書いた例以外の好きになる点も絶対たくさんあると思う。色々例を書いたと言っても、どこまでも自分の考え、意見なのだから、やはり限界と言うのがある。実際に人の意見を知ると新しい発見がいっぱいで驚かされる。はっきり言って、自分はまだまだ理解が足りないとすら思う程に。

 とは言っても、人は人で自分の意見に対して思う事は有るだろうし、新しい視点だったと思ってくれる事も有るだろう。自分が思う事は、人も同じ様に思っている。そう考えると、自分の想いを書き連ねる事に意義があるのだと思わされるのです。自分は麻耶ちゃんに対してこう感じている、こういう所が好きなんだと、感じてくれるととても嬉しいです。

 

3.ちょっとした小話

 好奇心旺盛で直ぐに色んな影響を受ける麻耶ちゃんだが、飽きるのも早い所謂熱しやすく冷めやすいタイプでも有る。だからと言って友情関係に関しては全く違うのは言うまでもない。しかしながら、この様な何事にも興味を持ち、実践するスタイルは絶対に良いと思う。これが様々な教養や経験に繋がっていくのだから*12

 身のこなしも上手く、ちょっとした創作ダンスなら軽々こなせる。但し、これに関してはどうも智乃ちゃんと恵ちゃんとは上手く釣り合わない様*13で、よく麻耶ちゃんがつまんなそうにしている。尤も、無理強いは強要しない所は流石か。

 やんちゃで好奇心旺盛な一面が有るが故に、心愛ちゃんと似たタイプとも思えるが、心愛ちゃんと違って突拍子もない事を言う事は少ない。と言うか、あの心愛ちゃんの強すぎる個性を超えられるのは良くも悪くもそうそういない。

 お嬢様学校はごきげんようばかり言う様になるから自分がおかしくなると思っていたり、お嬢様は庶民を見下す様な態度をとるなど、お嬢様に対するイメージはあまりよく思ってない一面も有る。尤もそれは単純にお嬢様の人となりを知らないが故に、勘違いして勝手に決めつけているのが大きく、実態を知れば悪く思う事は無くなるなど、考え方が柔軟でもある*14
 この様に思うのには、自分が知らない人が自分の事をどう考えているのか分からなくて怖いのも有るのだろう。実際そういう点は人なら大なり小なりあるものだと思う。それを思えばある程度は仕方ないし、全然理解できる。ある意味そういう所も理解してあげるのが、人の優しさと言うものなのである。

*1:若干やんちゃっ子でも有る。

*2:尤も、これは理世ちゃんの早合点によるものが大きいのだが、これがきっかけとなり、理世ちゃんと麻耶ちゃんは息の合ったコンビとなる。

*3:但しそのきっかけは、智乃ちゃんのバリスタはコーヒーを淹れると言う職業的な事なのだが、麻耶ちゃんは兵器の方のバリスタと勘違いした事と言う何とも麻耶ちゃんらしい成り行き。然し、この些細な事が大切な出会いとなるとは思いもよらなかっただろう。

*4:香風智乃、条河麻耶、奈津恵の3人組の事。名付け親は理世ちゃん。いくら何でも名前の頭文字《チ、マ、メ》からとはやや安直過ぎないかと思う。尤も、理世ちゃんのネーミングセンスは、本来憧れの存在であるはずの紗路ちゃんですら、「カッコ悪い」と心の中で絶叫する程のものなのだが・・・。

*5:こういう所が、恥ずかしがり屋の理世ちゃんと気が合うのだろう。

*6:自分が傍若無人に振舞って、周りから嫌われて独りぼっちになるのが嫌だからこそ、どんな時でも他人の事を思い遣れるのである。

*7:実際に麻耶ちゃんが理世ちゃんを頼りにする事は多い。麻耶ちゃんにとって、気軽に相談できる存在が理世ちゃんなのだろう。

*8:同じ様な理由で恵ちゃんも同じ事が言えていた。

*9:今でも全然青いとは思うけど・・・

*10:実際に他のみんなも大なり小なり寂しがり屋の所が有るが、全員思う所が違う。

*11:別に自分自身が全くの気遣いできない人だとは思った事は無いが、気遣い下手だとは思う。他人の事も、勿論真剣に思う事はある。ただ、麻耶ちゃん程は出来ないだろうなとは思う・・・

*12:そういう様々な物事に触れゆき、尚且つ飲み込みもそれなり早い所も理世ちゃんとよく合う点だと感じる。

*13:そもそも智乃ちゃんは運動は苦手である。恵ちゃんもそこまで抜群な訳では無いが、元々バレエ経験がある為、身のこなし自体は優れている。

*14:実際に本当にお嬢様である理世ちゃんに対して全く嫌悪感が無いのも、入りがお嬢様からでは無かったからとは言え、物事に対して柔軟な理解ある麻耶ちゃんならではなのだろう。また、お嬢様な見た目の紗路ちゃんにも最初から嫌悪感は無い。これもきちんと内面性を見ている証拠である。