多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」6章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部6章を読み進める中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、私の中ではのめり込む様に読み進められる気持ちと、その壮絶な背景や過去からくる痛みに多くの迷いが生じる気持ちが錯綜していますが、ある意味それが私なりのきらファンメインシナリオ第2部の嗜み方でもあるので、今回も「今思う事」を大切に、シナリオを読み進めて考えた事を書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、今回は前回の5章とは別ベクトルで重い内容になっているので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探すために新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的かつ、壮絶な展開の連続だったのである……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力は時に大きな痛みを伴った凄惨な展開*1もある程で、それ以外にも欺瞞に満ちた世界*2を正す為に禁呪魔法「リアライフ」を用いて暗躍する、第2部の敵対組織「リアリスト」の根底に蠢いている悲しき闇等、並の言葉では最早言い表せないと思う程に重い展開が印象的である。しかしながら、シリアスで壮絶な展開が続くからこそ、ドキドキしつつものめり込む様に楽しめる感覚が芽生える側面もあり、また感動的な場面も多い為、総合的に見れば非常に上質なシナリオであると私は感じ取っている。

 今回はそんな読み応えのあるシナリオを、前回の5章で採用した時と同じ様に、まずは今回の6章の展開をざっくりと書き出した上で、メインシナリオ第2部の重要人物と、敵対組織である「リアリスト」からと言う、大きく2つの視点を中心として、その後に6章を読んで私が思った事を纏めて書き出したいと思う。

2.第2部6章の感想・考察

6章全体の感想・考察

 まずは前回の5章同様、6章そのものについてや、その6章から読み解けることを中心に書き出したいと思う。内容としては前回の5章程重くはないが、それでも比較的重めな内容も含まれているので、注意して欲しい。

6章とは

 6章はこれまでのメインシナリオ第2部偶数章の様に「クリエメイトが一切登場せず、メインシナリオ第2部の世界観そのものを深く掘り下げていく」と言う構成とは異なり、これまでのメインシナリオ第2部奇数章と同様「禁呪魔法によって呼び出されたクリエメイトを助け出し、クリエメイトを元の世界に返す為に、きらら達がクリエメイトと行動を共にする」ものになっており、今回呼び出された作品はけいおん!である。また、6章の舞台はその「けいおん!」に因んで「音楽の都」となっており、前回の5章同様「クリエメイトに深い所縁があるもの=第2部における舞台」となっている。

 この章は序盤からリアリストの魔の手が既にエトワリアの広域範囲に伸びている事が判明しており、いきなり衝撃的な事実を突き付けられるが、その最中にこのメインシナリオ第2部2章における重要人物たるメディアちゃんとその護衛を務めるフェンネルと再会する。直ぐに分かる事だが、メディアちゃん達が「音楽の都」に向かっている事実は、そのまま「今やあちこちの地域に根ざしている聖典が酷く汚染され始めている」と言う事を意味しており、結果的に一瞬で2つの意味でリアリスト達の手によって聖典が破壊され始めている事を突き付けられてしまう。また、街に辿り着いても、既に街はリアリストの手に堕ちており、5章程凄惨ではないにしても、別ベクトルで絶望を叩き付けられる様になっている。

 街に着いてからは、エニシダの呪いによって記憶を改変されたクリエメイト達を順番に助け出していくのが主であり、最初は澪ちゃんと律ちゃんそれぞれの呪いを解き、その上で幼なじみ2人の絆を取り戻す事にも成功する。尚、その絆を取り戻したきっかけは、彼女達がずっと行っていた放課後ティータイム」と言う名称のバンド活動にあり、お互いの記憶がない中でも簡単なセッションを行う事でメンバーが持つ音楽に対する感情や想いを共有させ、それが無くしていた絆を再び呼び起こす事に繋がった訳である。そしてそれは、その後紬ちゃんや梓ちゃんとも邂逅し、彼女達を取り巻く呪いは払えても、その絆までは思い出す事は出来なかった中で、4人合わせて楽器のセッションを行う事で4人の絆を取り戻す事に成功する事にも大きく繋がっている。この事から、例え絆を断ち切られたとしても、音楽を通じて育まれた想いは決して断ち切る事の出来ないものである事は明白だと言えよう。

 そして、残すは唯ちゃんのみとなったが、聖典が汚染された影響により、クリエメイト達は疲労が募っており、きらら達一行は一旦「音楽の都」の神殿で一泊する事を決意する。そして、その夜中にうつつちゃんとメディアちゃん2人が、良く寝付けない事を理由に2人で話し合うシーンがあるが、そのシーンにおいて2章で発覚していた「メディアちゃんが嘗て女神候補生であった事」に加えて、リアリストの首謀者であるハイプリスは、嘗て「メディアちゃんと同じ女神候補生として学びを共にしていた」と言う衝撃的な事実が発覚する。また、この場面ではうつつちゃんとメディアちゃんに加えて「ランプちゃん」の3人が聖典の意義や聖典の在り方そのものについて考え合うシーンがあり、そのシーンはこの6章ひいては聖典そのものの意義について考えさせられるものとなっている。

 その様な経緯を経ながらも、一行は再び唯ちゃんを助けるために活動を再開するが、その道中は苦節が多く、中々そう簡単にはいかないと苦戦する最中、エニシダから言われた「『楽しい』だけの音楽なんて認めない」と言う言葉に対して悶々と悩む姿もあったが、「楽しい音楽があっても良い」と言うきらら達の励ましもあって乗り越え、その後も多くの不安はありながらも、唯ちゃんを救うためにライブの練習に勤しみ、遂にライブ当日を迎える。そのライブにおいては、きらら達はエニシダからの激しい猛攻に苦戦しつつも、うつつちゃんが上手く機転を利かせてエニシダもといリアリストの猛攻を上手く掻い潜り、遂にエニシダから唯ちゃんと唯ちゃんの大切なギターたる「ギー太」を取り返す事に成功する。そして、満を持して「放課後ティータイム」のライブは無事に始まり、あらゆる意味で万策尽きたエニシダは撤退する。その後、きらら達は完全に救い出した「放課後ティータイム」のメンバー達とひと時の完全たる平和を謳歌し、別れを告げる。そして、クリエメイト達を元の世界に返したきらら達は、リアリスト達が企てている驚愕の計画をリアリストの元から辛くも脱出したカルダモンから聞かされて、6章は幕を閉じる。

 全体的に見れば、6章は5章に比べれば多少マイルドな展開になっているとは言え、それでも展開が重いと言う事実そのものには全く変わりなく、あくまでメインシナリオ第2部らしいシリアスさは健在ではあるが、今までと大きく違うのは「クリエメイト一人一人の絆がサンストーンによってそれぞれ断ち切られた事」であり、今までの様に1人だけ絆がサンストーンによって断ち切られた訳では無く、その意味ではリアリスト達もいよいよ本気になっているのが窺える。また、6章はハードな展開が多い一方で結構ゆるい展開も要所で存在しており、「放課後ティータイム」のメンバー4人(唯ちゃんを救出してからは5人)が見せるゆるい雰囲気が特徴のやり取りや、メディアちゃんとうつつちゃんが見せるやり取りがその代表例である。ただ、その一方でこの2組共にしっかりした関係性である事を改めて印象付ける様な真面目なやり取りもしっかり用意されており、一義的な印象では留まらない仕掛けが施されている。

 更に、この6章ではこのメインシナリオ第2部の根幹にも関わる程に重要な要素が次々に明らかになった章でもあり、具体的には「聖典そのものの存在意義」や「リアリストの首謀者ハイプリスの過去」そして「リアリストが本気の計画に乗り出している事」等々であり、どれも今後の章ひいてはメインシナリオ第2部やエトワリアそのものにも深く関わってくる程重要なものばかりだと認識している。ただ、その一方でこれらの重要要素の多くは「只ならぬ何かを持つものばかり」である為、私自身も今後どうやって扱えば良いのか答えが出し辛い分野ではある。しかしながら、5章でも言った様にそれで私自身蹲ってそのまま何も行動できなくなれば何もならないので、今回の6章でも「私が思った事を率直に書き出す事」を意識して、ここからはメインシナリオ第2部の重要人物や、6章で登場したリアリストを中心とした感想・考察を書き出す事とする。

6章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部の重要人物の1人たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も名前以外の記憶は「自身が16歳の女子高生」である事以外は、何らかの要因で全て失ってしまっている。その為、きらら達ひいてはうつつちゃん本人にも「うつつ自身が抱えている本当の命運や定め」が分かっていない一方で、リアリスト達はうつつちゃんの事について何か知ってそうな素振りを見せているが、何れにしても現時点では確かめる術は何もない。しかしながら、6章において「うつつちゃんの記憶が無いのは、サンストーンに絆を断ち切られた可能性があるからだと推察されており、現時点ではまだ断定できないとは言え、それが本当なら真実へと大きく近付く事が出来る様になる。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に事あるごとに自分の事を卑下する様な発言をしがちな傾向にあるが、これは単に後ろ向きな性格だと言うだけでなく、彼女にとっては「自分自身に対する自信のなさの表れと、ある種の照れ隠し」とも言える特性で、本当は他者を想い合う事の出来る優しい心の持ち主であり、きらら達やメディアちゃん、そしてクリエメイトと親交を深めていく毎に、うつつちゃんが精神的にも大きく成長していく姿が印象的である。また、ネガティブ思考の持ち主故にポジティブ思考な人と一緒に居るのが苦手とは言え、完全に嫌がっている様子はなく、寧ろそう言うポジティブさを尊重している一面もある。

 物事を見つめる際の視野がかなり広く、聖典が必ずしも万人の希望にはなり得ない事や、聖典の意向に逆らった者は一体どうなるのかと言った、スクライブギルド長のメディアちゃんや女神候補生にして、聖典をこよなく愛するランプでも答えの出すことの難しい事に対しても臆せず思考を張り巡らせている。その為、その思考力と教養は実年齢以上のものであり、内に秘めた彼女の想いは果てしないものがある。また、その教養の高さと視野の広さに裏付けられている切れ味抜群の毒舌センスを持つ一面があり、自分自身に対する保険をかける時や、リアリストに対して容赦ない言葉を投げかける時にそのセンスが遺憾なく発揮されている。更に、6章においては「にんじんが嫌い」と言う特徴が判明しており、これがきっかけで6章ひいては聖典そのものに対する深い問いかけへと繋がっていく。

 6章では序盤からうつつちゃんにとって大切な存在であるメディアちゃんと再会したが、メディアちゃんはうつつちゃんとは正反対の性質を持った人物である為、うつつちゃんは思わず隠れると言う茶目っ気ある一面を見せている。その後、基本的にうつつちゃんはメディアちゃんと心を通わせているのが分かる描写が度々登場しており、それらからもうつつちゃんが精神的に大きく成長しているのが見てとれる。また、後半において律ちゃん達が唯ちゃんを救うためのライブに関して、上手く行くかどうかわからなくなってきて、悲観に暮れていた際には、思わず我慢ならなくなって檄(げき)を飛ばし、皆の弱気を吹き飛ばす役目を果たしており、うつつちゃんとしては「クリエメイト達には明るくいて欲しい」と言う彼女なりの想いや優しさがある事が改めて分かる様になっている。

 そして、6章終盤では「自分ができる事を全力で果たす」と言う事を思い起こしながら、唯ちゃんにとって大切なギターである「ギー太」をエニシダもといリアリストの元から取り返し、唯ちゃんの絆を取り戻す役割を果たしているが、この様な行動は嘗ての彼女なら、恐らく恐怖心故にやりたくてもやれなかったであろう行動なのは想像に難くなく、彼女の成長ぶりが改めて印象付けられる。尤も、怖いものはやはり怖いらしく、逃げ腰気味になる事もしばしばあるが、それでも最後は逃げずに自分ができる事を全力で果たそうと行動を決意するあたり、うつつちゃんもきらら達やクリエメイト達に触発されて、大きく変化を遂げようとしている事が読み解ける。

 尚、6章で彼女はエニシダがかけた呪いを目視で捉える事ができ、尚且つその呪いを外せる特性」を打ち明けており、彼女はきらら達にはそれが見えない事に困惑を隠せない様子を見せていた。他にもうつつちゃんには「ウツカイの字を読む事が出来る」・「リアリストの幹部の会話が突然聞こえる様になる(特定の条件下のみ)」・「リアリストの幹部ですら容易には生み出せない様な強力なウツカイを自身の力のみで呼び出せる(但し本人は無自覚で、この事実を知るのはロベリアのみ)」等、彼女特有の特殊能力が現時点でも複数判明しているが、何れも彼女にしてみれば何故この様な能力が自分に備わっているのか全く分からない為、真相は未だ謎に包まれているが、このうつつちゃんが持つ特殊能力は、このメインシナリオ第2部を解き明かす上で重要な要素になる事は想像に難くない為、恐らくこのまま完全に謎なままでは終わらないと個人的には考えている。

 また、うつつちゃんは6章の中程において、信頼出来る友達だからこそ聞ける事でもあり、うつつちゃんがずっと気になっていた事として「このエトワリアにも貧困や戦争があるのか」とメディアちゃんに尋ねており、メディアちゃんの口から聖典を信じない様な地域にそういった実例が多いと知り、彼女は口数は少ないながらも何か思う事があるような素振りを見せていた。元々彼女は5章において「エトワリアと言う世界は、少し神殿に依存し過ぎているのでは?」と言った懸念を抱いていた事が判明している為、うつつちゃんとしてもリアリスト達や世界の実情を見て、聖典によって必ずしも世界が救われるとは言えないのではないか」と考えてみる様になり、それに対する意見を自分にとって友達且つ神殿にも深く関わりがあるメディアちゃんに聞いてみたかったと思われるが、何れにしてもこの場面におけるやり取りは、このエトワリアの世界に対する深い問い掛けなのは間違いない。

メディアについて

 聖典を写本する役割を持つスクライブギルドのギルド長であり、女神候補生のランプと同じ位に聖典を愛しているのがメディアちゃんその人である。普段はスクライブギルドの一員として聖典を写本し、エトワリア全体に聖典の加護が届く様に勤めているが、メインシナリオ第2部においては聖典そのものの危機に対して、スクライブギルドのギルド長としての責務を全うする為に、自らの強い意思で「音楽の都」に赴く。その為、6章における重要人物の1人であり、彼女の意思や行動はこの6章において大きな影響をもたらす事になる。

 性格は基本的に明るく好奇心旺盛であり、誰に対しても分け隔てなく接する優しい女の子である。また、普段から自身が大好きな聖典の世界やその聖典の世界の住人に対して強い憧れと好奇心を寄せていると言う、所謂筋金入りの聖典オタクであり、それ故に同じく筋金入りの聖典オタクであり、聖典に対する学の高さが特に秀でているランプちゃんとは聖典関連の話が良く合い、共に聖典に対して高い愛情と尊敬の念を抱いているが、メディアちゃんはランプちゃんと異なり、聖典以外の分野に対しても幅広い知見を兼ね備えている。ただ、メディアちゃん自身は謙虚な姿勢を貫いており、それも人から愛される理由だと言える。

 正義感と責任感が強く、それ故にどの様な危機的状況でも自分のできる事を全力でやり遂げようとする、自分が決めた事は何があっても折れない等、非常に強い意思の持ち主でもある。また、その責任感の強さはスクライブギルドのギルド長としての姿勢にも表れており、自分がギルド長として果たさなければならない事は何かをよく考えた上で、その為なら多少のリスクも辞さないと言う心意気がその例である。尤も、メディアちゃんは自身が持つ正義感や責任感を他人には一切押し付けず、あくまで「自分と他人は別」と言う線引きはしっかりしている。

 6章においては「音楽の都」に危機が迫っている事を知り、スクライブギルドのギルド長としてできる事をすると言う意気で、メディアちゃん自ら「音楽の都」に乗り込む決断をする。そして、6章序盤においてうつつちゃんと再会してからは、うつつちゃんの良き理解者として彼女との親交を更に深めていく事になる。また、中盤にはスクライブギルドとして聖典の汚染をこれ以上悪化させないように食い止める」と言う役割も率先して請けており、それ故にきらら達とは一時別行動になる事もあるが、その際もきらら達に対する気配りは一切抜かりがなく、徳の高い人物である事が目に見えて分かる様になっている。

 6章終盤においても持ち前の正義感と責任感の強さは揺らいでおらず、どの様な状況でも怯まず立ち向かう強さを見せている。そして、クリエメイト達を完全に救出した後には、聖典オタクとしての一面を全開にして、ランプちゃん共々「放課後ティータイム」の演奏ややり取りを心から歓迎している。その為、終盤に見せる彼女の様々な一面は色々な意味で秀でており、彼女の良さが前面的に押し出されていると考えている。

 そんなメディアちゃんだが、嘗ては女神候補生として学んでいた過去があり、その持ち前のひたむきな姿勢から優等生に位置付けられる程に優秀だったのだが、何らかの事情で女神になる事は諦めざるを得なくなり、自分自身が持つ夢を別の形で果たす為にスクライブギルドとなった経緯を持つが、スクライブギルドはメディアちゃんに限らず女神候補生だった人が就任するケースも多い為、彼女の様なケースは特段珍しい訳でも無い。しかしながら、この事実は彼女にとっては数少ない弱みとなっており、普段はその様な弱みを見せないとは言え、心の底ではやはり弱みとして残されている様子が見受けられる。

 また、6章中程におけるうつつちゃんからの「エトワリアにも貧困や戦争はあるのか」と言う質問には、メディアちゃんとしても相当に気掛かりな事の様で、うつつちゃんに対して神妙な面持ちで終始トーンを変えず、自分が思う事を全てそのままに話している。メディアちゃんはその学の広さから、聖典の良さについてだけでなく、聖典が抱える幾多の問題についても理解が深く、それ故に彼女としても「今の聖典では救い切れない様な動乱地域もきちんと救われる様な聖典を生み出せる様になりたい」と言う心意気が強くある為、その言葉には説得力がある一方、彼女が抱えている葛藤を思わせる痛みをも感じ取れる。

エニシダについて

 「真実の手」が1人であり、「歌手(かしゅ)」の異名を持つ、リアリストが1人、エニシダ一人称は基本的に「ワタクシ」であり、その異名通り歌を歌う事を得意としているが、その歌には彼女が持つ呪いの魔法がかけられており、聴いた者をどんどん絶望に叩き落す効力が存在している。また、その呪いの魔法には「記憶を改変する事の出来る能力」も存在しており、故にこの2つの特性を上手く使う事で、エニシダは人々を絶望の淵に追い込み、且つそれを外部に悟られない様にする事が可能になる訳であり、その事を鑑みるなら、エニシダリアリストの中でも特に恐ろしい能力の持ち主だと言える。因みにこの2つ能力は、極端な話「エニシダが、自身の能力で絶望に叩き落した人々の記憶から、そのエニシダによって絶望に叩き落された記憶」エニシダの手によって上手く改変さえしてしまえば、後は『何事もなかった』と見せかける事だって出来る」とも考えられるが、エニシダ本人としては自身が持つ能力をリアリストの目的の為に惜しみなく使用する一方、内心では自身が持つ能力に対してコンプレックスと嫌悪感を抱いている節がある(詳しくは後述)。

 リアリストの中でもプライドが特に高く、それに裏付けられた自信家である事を窺わせる面が見受けられており、何でも一人でこなせると豪語する*3程で、それ故にきらら達にクリエメイト達を正気に戻されても殆ど動揺せず、恰も何事もなかったかの様にどっしりと構えている様子が描かれている。また、唯ちゃんをリアライフにかけて絶望のクリエを奪うと言う行動に出ているが、他のリアリストとは異なり「必要以上にクリエメイトを罵らない」と言う特徴があり、その代わりに「クリエメイトに対して執拗に『どうせあなたは何もできないから』と言い聞かせる」と言う用意周到且つ陰湿な手口を使っているが、何れにしても他のリアリストとは一線を画す様子は見受けられる。

 所謂「適材適所」(或いは「縦割り主義」)を意識した物の考え方をしている傾向が見受けられ、自分が得意とする分野は思慮深く考案するのに対して、他のリアリストの方が向いていると見做した分野は必要以上に深く考案しない所がある。ただ、その分「自分の役割は全力で果たすべき」と言う完璧主義な傾向があり、自分の役割を完璧に遂行出来なかったのなら、たとえサンストーン相手でも一切容赦のないダメ出しをする一面を見せる一方、その完璧主義な一面は彼女自身にも向けられており、自分の失敗を言い訳もせずあっさり認められる器量や、それに伴う罰を受ける覚悟も持ち合わせている。

 歌を歌う事が大好きだと言う一面があり、それ故に音楽に対して強い拘りがある。また、エニシダは前述の様な性格から、自分の歌に対して絶対の自信を持っており、それ故に「楽しい」だけの音楽を音楽として認めない節が見受けられるが、これはエニシダ自身が血反吐を吐く程の努力を積み重ねているのにも関わらず、自分の芸術(歌)が認められない事に激しい憤りを覚えているのが大きな理由であり、言うならば逆恨みなのだが、エニシダからすればこの事実が「けいおん!」の聖典を破壊しようとする動機と深く関わっているだけでなく、自身の抱える運命に対する怒りもある為、複雑なものがある。また、エニシダ「誰とも絆が得られなかった」経緯があり、その事もあってか、エニシダの歌い方は唯ちゃんからも苦しいと称される程に痛みを伴うもの*4となっている。

 6章においては「音楽の都」を根城として、自身が持つ特性を込めた歌を街の住人に聴かせる事で絶望を植え付け、またその歌を聴かせる住人に聖典を持ってこさせる事で、効率良く聖典を汚染させると言う中々に狡猾な手口を使って聖典を汚染させている。また、放課後ティータイムのメンバーにとって絶対に欠かす事の出来ない中心的存在である*5唯ちゃんを捕らえ、絶望のクリエを搾取して聖典の世界を破壊しようと目論んでいる。そして、6章においてもその絶対的な自信は終始全く揺らがず、如何なる状況になっても自分のペースは全く崩さない。その為、少なくとも5章で登場したリアリストのヒナゲシリコリススイセン、そしてサンストーンが見せた様な完膚なきまでの悪辣非道さは無く、それ故に(高飛車な点を除けば)リアリストの中でも比較的人格者であると言えるが、その思想は他のリアリスト同様聖典ありきの世界に対する復讐」に加えて「自身の音楽を分かろうとしない者に対する妬み嫉み」が滲み出ている為、やはりリアリストらしい一面は抜かりなく兼ね備えている。

 彼女は中盤まではその余裕綽々な雰囲気を殆ど崩す事はなかったが、終盤になって「自分の音楽が認められず、彼女が言うただ『楽しいだけの音楽』が大衆に喜ばれていた」際には、一転して彼女は動揺が隠せない様子を露わにしたばかりか、自身が持つ能力である「呪いが掛けられた歌声」に対して自ら恨み節を言う一面までも見せていた。この事実はエニシダにとっては「自分の音楽が認められない事が何よりも嫌な事」なのは勿論の事、自身が持つ特殊能力についても「それは自分が必ずしも望んで手にした能力では無かった事」を意味しており、それ故にエニシダある種の悲しき宿命を背負っているのを示している可能性がある。この事を思えば、彼女があそこまで強がっているのも、自身が持つ悲しき運命故なのかも知れない……。

ハイプリスについて

 リアリストの首謀者であり、聖典の世界の破滅を目論んでいるハイプリス。全体的に破滅的且つ退廃的、そして自暴自棄気味の思想を持つ者が多いリアリスト*6の中では珍しく、達観的な思想に裏打ちされた冷静な立ち振る舞いを主としており、その立ち振る舞いからは奥底知れない聡明さを感じさせ、同時に憧憬の的となり得るカリスマ性をも備えている。また、仲間内に対しては寛大な一面も持ち合わせており、部下である「真実の手」の幹部が再三失敗を重ねても、絶望のクリエが集められているのは事実である事から、必要以上に部下を咎めず、寧ろその働きを褒める事が多いのがその例である。そして、リアリストの名の通り、リアリストに所属するメンバーが現実主義に基づいた思想を持つ者が多い*7のに対して、ハイプリスは意外にもロマンチストな所が見受けられており、故に元々は理想主義を根底とした思想の持ち主だった様にも感じられる。

 上記の様な性質から、ハイプリスはリアリストの中でも比較的穏やかな人柄であり、それ故にどの様な事があっても決して波風を荒立てず、冷静に対処する事が殆ど。ただ、その様な穏健派(ハト派)の性質故か、リコリス等のどちらかと言えば急進派(タカ派のリアリストの幹部からは(思想が噛み合わない事も相まって)快く思われていない面もあるが、ハイプリス本人はその事実を知ってか知らずか、その事について気にかける様子は殆ど見せていない為、彼女の本当の心境は現時点では良く分からない。尤も、聡明で達観的な姿勢を貫き続けている彼女からしてみれば、例えどの様な事があっても聖典の世界を破壊すると言う計画そのものが揺らぐ事はまずないと思われる。また、幾らハイプリスの人柄が比較的穏やかとは言っても、その思想は冷酷非道を地で行く様なものに変わりはないのは言うまでもなく、言ってしまえば団栗の背比べである。

 自身の目的を果たす為にならあらゆる手段を尽くしてやまない面があり、その為になら労力を惜しみなく割く事を厭わない。また、その俯瞰的な物の見方から「あらゆる状況を想定した上で計画を練り上げていく事」にもある程度長けており、今回の6章においてカルダモンにリアリストの計画を知られた上で逃げられた際も、ハイプリスは意にも介さず「カルダモンに計画を知られたと言う前提を手早く組み込んでいる」辺りに良く表れている。その為、ハイプリスはあらゆる状況にも対応できる様にする為の頭の柔らかさと、どの様な状況になってもむやみやたらに焦らない冷静さを兼ね備えていると言え、多少の欠点はあっても流石はリアリストの首謀と言った所である。

 6章においては、ハイプリス自身がきらら達と直接接触する訳では無いとは言え、それまで謎に包まれていた彼女を取り巻く事情が一部遂に明らかになった重要な局面となる。その重要な局面についてだが、その一つに「各地にいる七賢者全てとの絆を断ち切る」と言う壮大な計画を策略している事があり、これは「リアリストが聖典の破滅に向けていよいよ本気で取りかかろうとしている事」を意味しており、その際に聖典との繋がりも深い七賢者の絆そのものを全て断ち切ろうと画策している辺り、ハイプリスもといリアリストの用意周到さが目に見えて分かる。尤も、その計画はスパイとして詮索していたカルダモンに知られるが、ハイプリスは全く怯まず、上記の様にカルダモンに知られた事を見越した計画を立てる事を示唆しているが。

 そして、6章で明らかになったハイプリスのもう一つの重要な事として、嘗ては自身も女神候補生として学んでいた過去があった事と、その際にスクライブギルド長のメディアちゃんと学友だった事であり、これは6章中盤において「メディアちゃんの女神候補生時代の記憶が呼び起こされた事」によって判明している。ハイプリスはメインシナリオ第2部でこそリアリストのトップとして聖典の破壊を目論んでいるが、嘗てはランプちゃんやメディアちゃんと同様、ハイプリスも聖典に対しては誰にも負けない程の底なしの愛と尊敬の念」を心から抱いており、リアリスト時代とは全く異なり聖典の世界に対して深い理解を示していたのである。また、ハイプリスもメディアちゃんと同じ優等生だったらしく、今の聖典が必ずしも全員の希望にはなっていない事実を知った際には、2人共に深き悩みを抱えつつも将来「自分が女神になった暁には、必ずそういった人達をも救える様な聖典を書ける様になりたい」と言う夢は共通していた。

 しかし、現実はあくまで厳しく、2人共に結局女神になる事は叶わず、ハイプリスは辺境で聖典の布教に努める神官となる事を、メディアちゃんはスクライブとなる事をそれぞれ決断し、お互いが持った夢に対して違う道から進む事を決断した格好となった。だが、時が流れたメインシナリオ第2部において2人は全く違う運命を辿る事になり、メディアちゃんはスクライブギルドのギルド長として聖典を写本する役割をする人達をまとめる存在になった一方、ハイプリスは今の聖典に何らかの事情で失望し、自分の理想の世界の為に聖典の破壊を望む存在の首謀者になり、それ故にかつて共に優等生として聖典に対して深い理解を示し、限りない程の憧憬意識を持っていたメディアとハイプリスは、何時しか聖典を愛そうとする事」と、「聖典を破壊しようとする事」の2つの相反する価値観によって分断されてしまった訳が、この事に関しては私が感じた事、思った事を交えて後述する。

6章について思う事

 ここからは6章全体に対して個人的に考えている事、思っている事を中心に書き出していく。ここはかなり重めな内容が含まれている為、注意して欲しい。

変化しゆく想い

 まずは6章全体の印象について書き出したい。6章は個人的には前回の5章に比べれば心の負担はある程度少なかったものの、それでもシリアスで重厚な内容は中々に刺さるものであり、特にリアリスト達が抱える壮絶な運命や切なき過去が明らかになった時は、ある程度予想のできた事だった*8とはいえ、いざ突き付けられた際にはショック以外の何物でも無かった。また、中盤でメディアちゃんとうつつちゃんのやり取りから明らかになった聖典の問題点や限界」に関しては、私としても容易には結論を出せないながらも良く考えるべき内容だと思いつつも、やはり事実そのものに対する衝撃はかなり大きく、そう易々と考えを張り巡らせられるものでは決して無かった。その為、6章もメインシナリオ第2部らしいシリアスさは健在であり、決して心の負担が全くない程甘くは無いのである。

 ただ、6章は心が重くなる様な展開が少なくない一方、メインシナリオ第2部の中でも特に思わずほっこりする様なゆるい展開が印象的な章でもあり、うつつちゃんとメディアちゃんの仲睦まじいやり取りや、「放課後ティータイム」のメンバーが魅せるゆるいやり取りがその代表格である。そして、私としてもその様なゆるいやり取りには思わずほっこりとした事も度々あった上、シリアスでハードな展開が多いメインシナリオ第2部において、ゆるいやり取りがどれ程私の心の緊張を解してくれたか分からなかった。元々私はほのぼのとした和やかな展開が好きなのは勿論の事、シリアスでハードな展開のシナリオにもある程度強い耐性と、他の趣味分野にも引けを取らない強い興味関心があり、故にこのメインシナリオ第2部のシナリオに対しても強い興味関心を今日に至るまで抱き続けているが、それでも私の心に全くダメージを負わない訳では無く、シリアス且つハードな展開を絶え間なく触れ続ければ、少なからず心にショックを受けるのは事実ではあるので、6章の様にゆるいやり取りが随所に登場してくれる事で心の負担が幾分軽くなる為、私としても相当に有り難かったのである。

 また、ゆるい展開が随所に登場すると言う事は、それだけキャラクター同士の楽しそうな掛け合いが多く見られる事でもある為、6章はメインシナリオ第2部の今までの章と比べてキャラクターの楽しそうなやり取りが一際目立っていた様に感じている。ただ、今までの章でもゆるい展開は随所に存在しており、それはメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶だった5章においても同じ事である為、何故6章を見た時にその様な感触を抱いたのか些か戸惑いがあったのだが、恐らく前回の5章が「メインシナリオ第2部随一のカタルシスを感じられるとは言え、途中までの展開がメインシナリオ第2部でも随一の壮絶さ*9と言う印象が強かった事もあって、6章も決してゆるい展開ばかりでは無く、重い場面はしっかり重いとは言え、それでも5章と比べて相対的にマイルドな展開だと感じたのが大きかったと考えられる。その為、「6章はゆるい展開がメインシナリオ第2部全体の中でも目立っていた」と言うのは、私自身の相対的な主観が多分に含められている事が否めないが、ただ一つ言える事として6章は前回の5章と比べて絶対的にマイルドである事は間違いないと考えている。

 この様な事から、私自身が6章に対して抱いている想いは実に多岐に渡り、一義的な見方に落とし込むのが非常に難しい状況になっているのが実情であるが、6章は個人的に「前回の5章に比べてシリアスでハードな展開は多少マイルドになり、メインシナリオ第2部の中でもゆるい展開が印象的である一方、本気で考えさせられる部分の内容はメインシナリオ第2部の中でも随一の重さ」があると捉えている為、私自身如何なる場合においても、自分自身が持つ多岐に渡る想いによって心が揺らいでいたと思う。言ってしまえば、6章全体の振れ幅があまりにも大き過ぎる為、どの様な視点や心構えをもって、この6章を受け止めれば良いのかさえ私には全然分からないのである。個人的には、この様な錯綜した心境から抜け出せない事に対して情けない限りだが、迷いがあっても想いそのものは堅牢なので、最早錯綜する想いすら強力な武器に変えてしまう程の強い意思をもっていきたいと思う。

やり場のない宿命と悲しき運命

 ここからは上記の項目で(詳しくは後述)と書いた、エニシダ本人が思わず見せた一面たる「自身が持つ特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感」と、元女神候補生にして、女神候補生時代には共に優等生として良き関係だった「メディアちゃんとハイプリス」について思う事を書き出していきたいと思う。

 

ここから先はこの記事全体の中でもトップクラスに重い内容が含まれているので、特にご注意ください。

 

 まずはリアリストの「真実の手」が1人であり、「歌手」の異名を持つエニシダが抱えているであろう「自身が持つ特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感」についてである。これは終盤に「放課後ティータイム」の演奏によって大衆の関心を根こそぎ奪われ、窮地に追い込まれた際に、エニシダ自身の特殊能力に対する憤りを露わにした言動を見せた事から考えたもので、正直私としては、この様な彼女の言動を見て「これはエニシダが抱える非情な運命を痛々しく体現するもの」と感じ取る以外に思う術がなかった。何故なら、エニシダ「自分の歌を周りの人達にも認められたいと願っているのに、自身が持つ呪い(特殊能力)故に、例え彼女が血反吐を吐くほどの努力を重ねたとしても、彼女が持つ呪いが効力を持ち続ける限りは認めて貰えないと言う、彼女が抱える「自分ではどうする事も出来ない非情な現実」を感じ取らずにはいられなかったからである。

 ただ、エニシダ「自身の特殊能力を使って」絶望のクリエを集めると言う行動に出ていた為、彼女には「自ら積極的に自分の能力を使っている一面がある」のも事実であり、それ故に一種の矛盾が生じている*10様にも考えられるが、エニシダ自身の願望と特殊能力を掛け合わせると「自分の音楽を認められたいと欲する事は、同時に周りの人達を否が応でも絶望に叩き落す事を意味する」と言う構図になる為、彼女は抑々ある種のジレンマを抱え続ける事を宿命付けられていると言え、故にどう足掻いても矛盾がほぼ避けられないと言う悲しき運命を背負う事に繋がってしまっている。つまり、彼女が自分の能力を積極的に使う事は、彼女にはそれだけ世の中の不条理に対する怒りや、自分自身に課せられたどうにもならない呪いに対する悲しみがあると言う事であり、表面的には矛盾が生じている様に見えて、その実態はエニシダが抱える深き闇を体現している訳である。

 また、エニシダ「自分の歌を周りの人達にも認めて欲しいし、喜んで貰いたい」と言う、人間なら誰しも少なからず望むであろう願望を持つ一方、自身の歌声には人々を絶望に追い込み、記憶すら改変できる特殊能力がある(呪いとも)と言う事実そのものも、私からしてみればあまりにも冷血かつ悲愴的な運命だと考えている。だって彼女の歌には、彼女自身が持つ呪いのせいでエニシダ本人の意思とは関係なく絶望に叩き落としてしまうわ、記憶を改変してしまうわの有様で、これだけでも既に彼女の歌を聴いて喜ぶ人間は殆どいない事が確定する為、「自分の好きなものが認められる可能性は絶無に等しい」と言う絶望に打ちのめされると言うのに、彼女はそれに加えて現在置かれている絶望的な状況から抜け出す為の方法が殆どなく、最早一縷の希望を抱く事すらまともにできないと言う八方塞がりな状況下に置かれている訳であり、これを思えば、エニシダが彼女自身に課せられた運命や特性を呪う事に対して僅かでも頷けるだろうし、なにより自分が大好きなものを、よりによって自分自身の能力で蔑ろにしてしまっている事実程、残忍で冷血な運命だと言うのも早々ないのだから。

 そして、これらを思えば、私が終盤におけるエニシダの憤りを見た際に、「彼女には自分の特殊能力に対するコンプレックス及び嫌悪感があるのではないのか」と確信付いたのはある意味当然だったとも思う。何故なら、エニシダは終盤に自暴自棄になり、自身がこよなく愛するだけでなく、誰にも負けないと思える程の自信とプライドに満ち溢れていた「歌」に対しても、破滅的で退廃的な思想を剥き出しにする事すら厭わない程に粗野粗暴な精神状態になっていたが、あれは彼女が抱える特殊能力に対するコンプレックスと嫌悪感が自分自身でも押さえ込めなくなった結果であり、同時に彼女が「本当は歌を純粋に認められたかっただけなのに、それを呪いのせいで自分の意思には関係なく叶わぬ物にされた」と言う怒りと悲しみを体現している事に他ならないと容易に考えられるからであり、これらの諸事情を思えば、エニシダが普段高飛車なのも「自身が抱えるコンプレックスと嫌悪感を周りには隠し通す為」だとも見てとれる。

 纏めると、私が考えているエニシダのコンプレックスと嫌悪感と言うのはエニシダが持つ特殊能力(呪い)に対して、エニシダ本人にとっても『自分の好きなものを周りには認められないものにする諸悪の根源である事』に対して憤りを覚えている」と言う事であり、これが果てしなき苦悩の呪縛としてエニシダを苦しめる要素として機能し、やがてエニシダ本人の思想にも多大な影響を及ぼす様になり、遂にリアリストの「真実の手」の「歌手」として、自分の歌を否が応でも聴衆に認めさせようと、過激な手段をもって人々を絶望に追いやる様になってしまったと考えられる訳である。尤も、これがどこまで真実に迫れているかは自分自身でも分からないのだが、エニシダが自分の歌に対して抱えている悲愴的な想いを思わずぶちまけたのは紛れもない事実である為、その真相が明らかになった時、手放しに喜べる事は恐らくないだろう……。

 また、この様なエニシダの心境から分かるもう一つの事例として、突き詰めると「特殊能力を持つ者全員が、各々望んでいた様な能力が備わっている訳では無い事や、抑々特殊能力を宿す事自体望んでいなかった事」を体現しているのではないかとも私自身捉えている。抑々私が言う特殊能力とは、基本的にはある特定の人でしか扱う事の出来ない特殊な力の事であり、私が思うその特殊能力をまとめると下記の通り。尚、ここではメインシナリオ第2部に深い関わりがある人物をピックアップしている。

  • きらら⇒「聖典の世界の登場人物の力を借りる為、エトワリアに実体を伴わない形*11で召喚するコール(きららが伝説の召喚士たる所以)や、人と人の繋がりを表すパスそのものの感知及び再度繋がりかけたパスの再接続」
  • サンストーン⇒「パスの強制断絶(即ち人と人の絆や繋がりを断ち切る能力)」
  • うつつ⇒「ウツカイが書いた文字の解読、強力なウツカイを自力で召喚(特定の条件下のみ)、エニシダの呪いを目視及び解除可能(解除については例外パターンあり)、リアリスト幹部の対話が突然聞こえてくる(特定の条件下のみ)」
  • エニシダ⇒「自身の歌声を聴いた者を絶望に追い込み、歌を聴いた者の記憶を改変する呪い」

 この様にこの4人は何れも(少なくとも物語上明言され、且つメインシナリオ第2部の時間軸においては)自分だけにしか備わっていない様な特殊能力を持っており、同時にそのどれもがメインシナリオ第2部ひいてはきららファンタジアの世界観そのものにも深い関わりを持つ重要なものなのだが、実の所現時点では「これら特殊能力をどうやって手にしたのか、抑々特殊能力を手にする条件は何なのか」と言うのが殆ど分かっていない為、特殊能力の真意は実にミステリアスなベールに包まれている訳だが、私はそんな特殊能力に対してどこか楽観的に捉えていた節があり、特殊能力によって運命の歯車が狂わされている人がいるとは、よもや思ってもみなかった。

 しかし、その様な楽観的な思考は、メインシナリオ第2部6章に登場したエニシダによって完全に崩壊した。エニシダ自分自身の特殊能力によって自分の好きな歌を周りには到底受け容れられないものにされ、且つ自分の運命さえも自身の特殊能力によってかき乱されていたからである。しかしながら、この事実は同時に今まで何度も書き出してきた様な「特殊能力を持つ者全員が、望んで能力を運用している訳では無い事や、抑々特殊能力を宿す事自体望んでいた訳では無かった人もいる事」に気付かせてくれた重要なきっかけともなり、結果的にエニシダの「特殊能力を持つが故の悲愴的な境遇を考える事」にも至れた訳である。

 

 次に「メディアちゃんとハイプリス」についてである。この2人はメインシナリオ第2部でこそ、かたや聖典を深く愛する者」と、かたや聖典を破滅に追い込もうと画策する者」と言う全く正反対の価値観を持った構図になっているが、元々は同じ女神候補生の優等生2人組にして、2人共にお互いの事をよく理解し合う良好な関係であるのと同時に、2人共に聖典を深く愛し、将来的にはエトワリア全域に届く様な聖典を生み出していきたいと志していた過去があり、故にメインシナリオ第2部の様な対立構図となってしまう気配は微塵も無かった。その為、私としても「あれほど仲が良く、お互いに聖典を深く愛していた過去があったと言うのに……、そんな残酷な話があるのか……。」と、この様な衝撃的かつ悲愴的な事実を信じたくはなかった気持ちも無くは無かったが、メディアちゃんの神妙な面持ちを見れば、最早信じる以外の選択肢は残されていなかった。何故なら、私にはメディアちゃんが勇気を出して打ち明けた事実を否定する事なんて、どう足掻いても出来ないと言うのだから……。

 この様に「メディアちゃんとハイプリス」の関係性や価値観の相違については、私としても心を強く揺さぶるものがあるのだが、その問題とは別に抑々「何故ハイプリスは自身が愛していた聖典を破壊しようと思い立ったのか」と言うのも気になったものである。元々私自身としては、5章以前からハイプリスに対して「元々は真っ当な思想を持ち、多くの人を惹きつける魅力があった人」と言う認識があり、5章で明かされた「ハイプリスも嘗ては聖典を深く愛していた」と言う事実を知った事でその想いは確固たるものとなった経緯があり、それ故にハイプリスは、同じリアリストに所属するリコリスを代表する様に聖典に対して抑々理解が示せなかった」のを理由に聖典を破壊しようと目論んでいる訳では無いとは何となくでも分かってはいた。その為、今回6章で明かされた事実は、私にとっては「やはりハイプリスは単に聖典が嫌いで破壊しようと画策した訳では無かったと確信できた」と言う意味でも重要なのだが、そうなってくると、「ハイプリスが聖典を破壊しようと言う考えを持つに至ったのは何故なのか」と言う疑念が益々尽きなくなる。

 だが、6章ではなんとご丁寧な事に、ハイプリスが「何故聖典に失望したのか」を辿る為の道がある程度示唆されている。尤も、本人の口から語られた訳では無く、メディアちゃんが見せた素振りからある程度は推察できると言うものだが、その様なものを見せられて黙っていられる様な私ではなく、自分の頭の中で色々と考えを張り巡らせたものである。そして、そうやって考えを張り巡らせた結果、私が思うにハイプリスが聖典に失望したのは、6章中盤で語られていた様な「現状の聖典では、エトワリア全域を救済しているとは言えない現実がある事」に訳が隠されていると言う考えに行き着いたのであり、その考えを箇条書きにすると以下の通り。(ナンバリング順となっています)

  1. ハイプリスは女神候補生時代に聖典が抱える問題を知り、自分はその様な問題も解決した聖典を生み出せる様になりたいと誓い、女神にはなれなかったものの、神官として聖典に対する拘りは貫いていた。
  2. しかし、彼女は「単に聖典の信仰を広めようと努力しているだけでは、何時まで経ってもエトワリア全域に届く様な聖典を作り出す事は不可能」と、現状の聖典の限界を悟る様になり、徐々に考えを変化させる様になる。
  3. 考えが変化した末、彼女は最終的に現状の聖典を破壊し、このエトワリアと言う世界の真実を、現状の聖典によって救われていた地域を含めたエトワリア全域に知らしめた後に、新たに誕生する世界の創造を望む様になった。

 箇条書きの構成があまり上手くないとは思うが、端的に言えば「ハイプリスは神官として過ごしていく内に、個人の信仰に頼り切った現状の聖典では、エトワリア全域を救える様にはなれないと悟り、それを解決するには現状の聖典を一度帳消しにして、現状の聖典に代わる新しい物を作らなければならないと考える様になった」と言うのが私の考えであり、私としてはこう考える事でハイプリスが聖典の破壊を望んている理由や、メディアちゃんとハイプリスで進んだ運命が分かたれた事も整合が付く訳である。尤も、この様な事を言うものでは無いが、ハイプリスが本当はどうだったのかをきっちり当てられているとは自分でも到底思う事は出来ないのだが、6章時点ではハイプリス本人の口から彼女自身の経緯について語られている訳では無い為、致し方ない面はある。

 ただ、ハイプリスが元々は聖典に対してメディアちゃん並みに深い理解があったのは紛れもない事実である為、ハイプリスが聖典に望みを失う形で聖典の破滅を望む様になったと言うのは恐らく間違いないと考えている。そうでなければ、彼女は態々「リアリスト」と言う組織体を作ってまで聖典の破壊を遂行する必要は無い訳であり、6章において明かされた衝撃の真実は、このメインシナリオ第2部の根幹にも関わる要素である事は疑いないと思われる。

 因みにメディアちゃんとハイプリスは、メインシナリオ第2部においては「聖典を愛する者と、聖典の破滅を望む者」と言う価値観が全くもって相違する2人となった訳だが、この事実をハイプリスはどう思っているのかは個人的に気になる所である。考えられるものは「メディアちゃんの様に、嘗てとの豹変ぶりに心を痛めている」か、或いは「過ぎ去った過去は最早顧みる事もない」と言うのがあると思うが、ハイプリス本人の言動を見るに、恐らくは後者の傾向が強いと思われ、もしそれが本当ならそれ程悲しい話は無い訳だが、私はハイプリスの人柄全てを知っている訳では無い為、6章時点で全てを決め付けるのは些か早合点だろう。

現状の聖典の限界

 最後に6章中盤でメディアちゃんとうつつちゃん、そしてランプちゃんの3人のやり取りから見えてきた「現状の聖典の限界」について私が思った事を書き出したいと思う。聖典の限界と言うのは「現状の聖典ではエトワリア全域に聖典の加護を届ける事は出来ない」と言う事であり、これは6章中盤におけるメディアちゃんとうつつちゃんのやり取りの中で明かされた聖典が信じられていない地域では、動乱や貧困と言った問題が根深く存在している」と言うものが裏付けとなっており、この問題を打ち明けた際のメディアちゃんとうつつちゃん、そしてその問題を少し遅れて聞き耳を立てたランプちゃんの3人が見せた神妙な面持ちは非常に印象的である。

 この様な聖典の限界をはっきり宣告された事に対しては、私としてもかなり複雑な心境なのだが、実の所メインシナリオ第2部は6章以前から、初登場の3章時点から「聖典の内容が理解できない」と宣告しているリコリスや、5章における聖典の信仰を捨ててリアリスト側に寝返った人物等、聖典が必ずしも万人の救いになっているとは言えないと感じさせる様な描写は確実に存在していた為、6章において聖典は必ずしも万能ではない」と宣告された事に対する驚きと衝撃こそ隠せなかったものの、私自身心のどこかで分かってはいたと思う。尤も、6章で宣告されるまでは聖典にはどうしても限界がある」と考える事に対してとても前向きにはなれなかったのも事実であり、ある意味6章で放たれた宣告は私にとって「狼狽えるな。自分の考えを信じて貫き通せ。」と言われた様なものだと思う。

 そんな吹っ切れた想いがあるからこそ言える事なのだが、私は聖典にはどうしても限界が存在し得る事実」に対して「ある程度は避けられない宿命」だと捉えている傾向がある。何故なら、聖典に記載されている内容を万人の価値観に迎合させる事は非常に困難なのは明白である上、聖典の内容をどの様に解釈するかは読み手の自由である事を思えば、聖典の内容が理解できないと考える人が一定数いる事はある意味当然の道理と考えられるからであり、端的に言えば「エトワリアに在住する人全員が、聖典の内容に対して理解を示す訳では無い」と考えている訳である。そして、その仮説を裏付けるものとして「メインシナリオ第2部において聖典の破壊を目論む『リアリスト』の存在」聖典の内容が理解できないと公言するリコリス、そして「エトワリアにおける動乱地域の大半は、聖典が信じられていない地域である事」等々が挙げられ、最早聖典にはどうしても限界がある事を思わざるを得ない実態が浮き彫りになっていると言わざるを得ないであろう。

 しかしながら、私はこの様な実態を聖典を生み出す存在である女神様や神殿関係者が黙っているとは到底思えないとも考えており、現時点でもその実態は殆ど描写されていないとは言え、女神様や神殿関係者としても「現状の聖典の限界に対する何かしらの対策」を講じていると考えている。だが、それでも聖典の問題は何故一向に解決されないかと言えば、女神様や神殿関係者としても聖典の問題に対して真剣に向き合っているが、問題が問題だけに有効な解決策が中々見つからずに苦慮しているから」だと考えており、もどかしい実態があるが故だと捉えている。

 また、元々は優秀な女神候補生であり、聖典には幾多の問題がある事を女神候補生時代に受けた授業で知り、それからその聖典の限界を克服出来る様な聖典を生み出せる様な存在になりたいと誓ったメディアちゃんとハイプリスにしても、メディアちゃんはスクライブギルドのギルド長として聖典の写本に精を出すも、聖典の問題に対しては中々もどかしい想いを抱え続けており、ハイプリスに至っては既存の聖典を見切りをつけ、リアリストの首謀として聖典の破壊を目論む様になった結果、今回のメインシナリオ第2部の事件を引き起こすまでに至った辺り、どんなに知見に溢れる人でも聖典の問題を解決する事が極めて難しいのを改めて印象付けさせている。

 この様な実態を鑑みれば、私としても現状の聖典が抱える問題の解消は非常に難しいと言う考えに異論はなく、その様な現状を鑑みれば、ハイプリスの様に「聡明で聖典に深き理解ある人物であっても、問題を解決する為には現状の聖典を一度チャラにしなければならない」と言う急進的な思想に至り、そして実行に移す事もあり得ないとは言い切れないと考えている。無論、その様な急進的な行動を実行する事は、出来れば無いに越した事はないと思うし、現状の聖典を維持したまま問題点を解決できるのが理想形であるのも事実だと思うが、言ってしまえばそれが出来たのなら、今回のメインシナリオ第2部の様なエトワリアの根幹を揺るがすまでの事態にはならなかった訳であり、それ故に今回の騒動は聖典はこのままで良いのか?」と言う長年の課題が急進的な形で表れている側面があるとも捉えている。

 ただ、それらの事情を加味しても、メインシナリオ第2部においてリアリスト達が遂行しようとしている聖典の破壊」は、エトワリアや聖典の世界に与える影響がはかり知れず、また多くの人の幸せや権利を無慈悲且つ身勝手な形で奪ってしまう事にも繋がってしまう事や、リアリストに所属する人々の思想があまりにも退廃的且つ自暴自棄が目立つだけでなく、私利私欲の為に聖典の破壊を望んでいる面が否めない事もあって、どう足掻いても許される様な行為ではないと言わざるを得ないと思われる。しかしながら、リアリストの行為が決して許される様なものでは無いとは言っても、リアリストの面々の様な現状の聖典に対して不満を抱く者や、抑々聖典に対して理解が示せない者もいるのもまた事実であり、メインシナリオ第2部ではその様な不満が「聖典の破壊への渇望」として具現化した側面がある為、リアリストが取った行動によって、結果的には聖典に対する課題や意義が大きく変わる可能性も考えられるのではないかと捉えている。尤も、6章時点でどうなるのかは正直まだまだ分からないが、最終的には聖典に対する何か大きな答えが示されると考えている訳である。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部6章で私が考えた事である。6章は前回の5章に比べると、想像を絶する程の痛みや悲しみ、そして怒りが迸る(ほとばしる)までにストレートできつい描写は幾分マイルドになっており、これに加えて6章ではメインシナリオ第2部でも随一のゆるい展開が全般的に見受けられている*12為、5章よりもかなりマイルドに進められる様になっているが、6章はもう一つの一面として精神的な意味でのシリアスさとハードさ加減がメインシナリオ第2部の中でも随一と言う面があり、特にリアリストのエニシダとハイプリスが抱える悲しき経緯や宿命、そして聖典をめぐってエトワリアに存在する問題点は、メインシナリオ第2部の根幹にも関わる内容なのも相まって、考えれば考える程に心がどんどん重くなっていく痛さを醸し出している。その為、6章はほんわかした展開と悲愴感溢れる展開との振れ幅が非常に大きいのが特徴的だと言え、全体的に見れば5章よりかはマイルドなものの、その恐るべき潜在力はメインシナリオ第2部の中でも随一である。

 その様な事から、6章はどの様に捉えていけば良いのか、その糸口を掴むのが悍ましいまでに難しく、捉え様によって「メインシナリオ第2部の中でもマイルドでゆるい展開が印象的だった」とも「よくよく考えてみれば、今までの章の中でも実はトップクラスに悲愴的な事実が散りばめられていた」ともなる振れ幅の大きさは、最早頭を抱えるほかなかった。なまじ前回の5章のインパクトが強烈過ぎるまでに強烈だった為、中々気付きにくかったが、6章も5章とは別ベクトルながらも本気で心を抉りにかかっていた訳であり、更に5章と違ってえげつなさが表立って表れにくい点を思えば、6章はある意味陰の実力者であり、その実力は5章すら上回る可能性すらあると思う程だが、今後の章で5章、6章よりも更にハード且つ悲愴的な展開を引っ提げたシナリオがやってくる可能性も否定できないと思わせてくれる点も、このメインシナリオ第2部の恐ろしい点であり、魅力的な点でもあると思う。

 また、私としてはこの6章でメインシナリオ第2部の根幹にも関わる情報が遂に示唆され始めてきたとも見ており、それ故に今後の章ではエトワリアを揺るがす程の重要な真実が見えてくるだけでなく、未だその全貌が見えないリアリストの存在意義や抑々の結成に至るまでの経緯、そしてうつつちゃんがエトワリアに来た経緯や、サンストーンときららの関係性等々、メインシナリオ第2部を取り巻く謎にも切り込んでいく様なシナリオが待っているのではないかと考えている。尤も、私には最早このメインシナリオ第2部がどの様な展開を迎えていくのか良く分からないのが正直な本音だが、私としてはどの様な展開になっても最後までメインシナリオ第2部を読み進めていく所存である。

 最後に、この6章は全体的に「音楽」と深い結び付きが感じられるシナリオ構成故に、様々なジャンルの音楽が好きな私にとっても、6章の舞台の「音楽の都」の人々や、きららちゃん達とりわけ聖典に対する深き愛を持つランプちゃんとメディアちゃんが「放課後ティータイム」の生演奏を大いに楽しみ、そして感銘を受けた場面や、感情的になりながらも自分の音楽に対する拘りを捨てなかったエニシダの熱き姿勢等々、心に直接響くまでに深き感銘を受ける様な内容が様が多かったのは改めて書いておきたい。そして、今回は非常に長い内容となったが、それもひとえにメインシナリオ第2部に対してそれだけ本気で向き合っている事だと思いつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

今回の文量はこのきらファンの感想・考察としても、私のブログ記事全体としても過去最大の400字詰め原稿用紙63枚分にもなった。今回は個人的に書きたい事が盛り沢山だったとはいえ、ここまでの文量になるとは正直私でも予想外であった為、今後の章ではここまで膨大な文量になる可能性はそこまで高くないと思われるが、次はどうなる事やら……。

*1:現時点では5章が最も顕著に表れていた印象があり、あの時の痛みは相当なものだった記憶がある。

*2:世界とは「エトワリア」の事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。ただ、それはあくまで「リアリストからすれば」と言う事を忘れてはいけない。

*3:但し、これは彼女自身「人間は所詮ひとりで生きていくしかない」と考えているのが大きく、ある意味強がっている可能性もある。

*4:恐らくエニシダ本人の特殊能力と、本人が抱える「運命に対する怒りと悲しみの感情」がそうさせている。

*5:抑々彼女の担当は「ギターボーカル」である為、その観点からもバンドには必要不可欠だと言える。

*6:特に5章で登場した「ヒナゲシリコリススイセン」が顕著であり、5章が凄まじくシリアスでハードな展開になっているのも、この3人が破滅的な思想に基づいた行動をとっている影響が大きい。

*7:世の中は金ありきと考えるスズランや、精神的な救いがあっても腹が膨れなければ意味が無いと考えるスイセンが顕著な例。

*8:ハイプリスが過去に聖典を愛していた事実そのものは、前回の5章最終盤で本人の口からうっすらながらも語られていた為。

*9:抑々5章がメインシナリオ第2部の中でも随一のカタルシスが感じられる事自体、その想像を絶する程の壮絶さに拠る所も大きいとは思うのだが……。

*10:エニシダが望む「自分の歌を周りの人達にも認めて貰いたい」と言うのは、彼女が6章で見せた様な「人々を絶望に追い込んだり、人々の記憶を改変させたりする」行為では到底望めない為。

*11:実体を伴う形での召喚は「オーダー」や「リアライフ」であり、どちらもエトワリアと聖典の世界に与える悪影響が計り知れない為、禁忌魔法としてその使用はいかなる場合でも固く禁じられている。つまり、メインシナリオはどちらも「世界の危機を救う為の冒険」と言う面が深く存在している。

*12:ゆるい展開自体はメインシナリオ第2部全体を見ても(5章も含めて)結構存在しているが、6章は特にそれが印象的である。