多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

ごちうさ単行本10巻を読んで思う事

 こんにちは。今回はごちうさ10巻を読んだ純粋な感想・想いを書き出したいと思います。尚、私はきらまが発売されて最新話のごちうさが明らかになると、毎月の様に凄まじい想いと文量をもって感想・考察を書き出していますが、今回は敢えてコンパクトにまとめ上げたいと考えています。元々きらま勢になってから「単行本が発売された暁にはどんな感想を書こうかな」と考えていたのですが、今回は本当の意味でシンプル且つ率直に、そして短めに書き出したいと思います。

※注意※

ごちうさ10巻のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

表紙に対して思う事

 ごちうさ10巻はごちうさ連載10周年の節目年に発売された単行本であり、表紙には大人びた雰囲気を帯びた初期組5人が出迎えているが、5人共に後ろを振り返る様な形で描かれており、まるであらゆるものを顧みる(振り返る)様な雰囲気を提示している。また、コントラストが全体的に明るくなっており、暗に「明るい未来に向けて5人が踏み出し始めている」事を印象付けている様にも感じる。

 ただ、この様な表紙に対して私は、きらまでごちうさの最新話を常に追い続けている身であるが故に、ごちうさ10巻に収録されるお話も既にきらまで読み、その内容を知っていた為、正直な話「10巻でこの様な表紙を持ってくるとは、一体どう言う訳なのだろうか?」と、疑問を隠せなかった。と言うのも、私自身「表紙と10巻収録の本編のお話との繋がりを上手く見いだせなかったから」であり、結果的に「表紙と本編の内容に乖離(かいり)が見られるのかな?」と、あらぬ誤解(と言うか勘違い)をしていた為である。言うならば、私は私自身が恐れている「知識があるが故の思い違いや誤解」を地で行く様な真似をしてしまった訳であり、ある種の「一番恥ずかしいミス」恐れていながらやってしまった事から、誤解が無くなった今でもちょっと情けない。

 この様に私はごちうさ10巻の表紙をめぐっては、自分でも情けなくなる様なミスをやってしまった訳だが、それらの諸問題を全て解決してから心機一転、改めて「この10巻の表紙の意味は何だったのだろうか?」と、自分自身でもう一度考えてみた所、この表紙はごちうさ10巻の全体的な雰囲気でもある「回帰と成長に繋がっているのではないのか」と思い立った。これは私がきらまでごちうさ10巻収録分を読んでいた頃から度々思っていた事なのだが、10巻は「新しくもあり、懐かしくもある描写や展開が登場する事が多い」のである。これが意味する所は「過去にも経験した事を、成長した自分がもう一度経験する」と言う事であり、それ故に過去の自分と、今の自分との違いが如実に表れ、それに伴い彼女達の成長や変化がはっきり見える様になる。これを思えば、10巻表紙に描かれている5人がどこか大人びた雰囲気を帯びているのは「過去を踏まえて彼女は少しずつ成長している事を表している」と考える事が出来る上、5人が後ろを振り返る形で表情を見せているのも、彼女達が「もう後戻りはできない過去や決断を胸に、何があっても前に進んでいく事を暗示している」と思えば納得がいく上、全体的なコントラストが明るめなのも「彼女達が明るい未来に進もうとしている」と考えてみると整合がつく。

 つまり10巻の表紙を改めて考えてみて、私は「彼女達の確かな成長と、最早変える事の出来ない過去を鑑みながら、明るい未来を切り開くまでに力強い彼女達の歩み」を表していると感じた訳である。勿論これが合っているかは分からないし、何か絶対的な答えを持っている訳でも無い。しかしながら、私自身10巻の表紙を見て、上記の様に考えた根拠そのものは存在している。それは10巻の収録内容そのものであり、ここからはそんなごちうさ10巻の全体的な収録話の雰囲気や、それに対して思う事を簡潔に書き出したいと思う。

10巻の全体的な雰囲気について思う事

 10巻に収録されているお話が持つ全体的な傾向として、単刀直入に言えば私は「回帰と成長」が存在していると考えている。回帰と言うのは、10巻には主たる行事として「心愛ちゃん達が通う学校と、紗路ちゃん達が通う学校の合同球技大会」が2話分、「年上組と年下組に分かれたお泊り会」が2話分、計4話分収録されているが、どちらも「過去のごちうさにも描写された事がある」*1ものであり、どちらのお話もその過去を意識した描写が多く差し込まれているのも特徴である。

 その為、これら回帰の要素を持つお話では、主に「今までの木組みの街の住人7人の成長」が良く見えてくると考えている。抑々10巻は9巻後半に引き続き「新しく木組みの街にやってきたブラバ組3人との交流や、ブラバ組3人が木組みの街に慣れ親しんでいく様子」が色濃く描かれており、個人的には回帰の印象が強い「球技大会」「お泊り会」でもそれは例外では無い。だが、それ故に「今までの木組みの街の住人7人の変化や成長がはっきり見える」と捉えている。そして、全員が成長していると考えているのは前提として、その最たる例だと個人的に考えているのが智乃ちゃんであり、嘗ては心愛ちゃんを筆頭に周りの人がやる事についていくばかりで、自分から率先して意見を出したり行動を起こしたりする事がさほどなかった智乃ちゃんが、この10巻ではブラバ組とりわけ冬優ちゃんを相手に自分から率先して意見を出したり、自発的な行動を起こしたりしているのである。正直これ以上言う事はないと思う位の成長ぶりだが、智乃ちゃんも周りの大切な人達との時間や経験を共にする事で大きく変化していたのである。尚、ここでは主に智乃ちゃんについて書き出したが、他の6人についても全く引けを取らない成長を見せており、特に新しく木組みの街にやってきたブラバ組3人との交流から見えてくる成長は、見ていて何か感じるものがあると思う。

 また、10巻ではブラバ組3人の成長や変化も目覚ましく、ブラバの社長令嬢である神沙姉妹に関しては、姉である映月ちゃんは、木組みの街の住人ひいては私達神沙姉妹にとっても大切な場所であるフルール・ド・ラパンを守るために一肌脱いだり、妹の夏明ちゃんは、嘗ての経緯に想いに馳せつつも、自分達をきちんと見てくれる人達に心を許していき、最終的には良い影響をもたらしていたりする等が印象的である。嘗て自分達2人だけの世界しか無かった神沙姉妹も、木組みの街の住人との奇跡的な再会を経て、確かな成長を遂げているのである。

 そして、私としては特に冬優ちゃんの成長が際立っていると考えている。元々冬優ちゃんは内気で引っ込み思案な性格で、それ故に新しい街での新しい出逢いに対して強い恐怖感があったのだが、嘗て旅行編で出逢った木組みの街の住人との奇跡的な再会を経て、その木組みの街の住人との交流を深めていく事で徐々に打ち解けていき、10巻の後半になると、元来の内気さと恥ずかしがりこそそのままだが、友達に対して何か自分から見て気がかりな事があれば、自ずと率先して声を掛けてあげたり、他人に対して変に強張らずに接する事が出来る様になったりと、冬優ちゃんの大きな成長が目に見えて分かる様になる上、しかも冬優ちゃんにその様な成長をもたらした人に「智乃ちゃん」がいるという事も、智乃ちゃんの嘗ての性質*2を思えば中々に胸が熱くなる。

 また、10巻に収録されている中で最後のお話は、前半が嘗て2021年のエイプリルフール企画としてお披露目された「ナナラビ」が衝撃の本編登場を果たすと言う驚きの展開を見せる。エイプリルフール企画の世界観が本編にも登場するのは、単行本9巻収録のお話に登場し、恵ちゃんが体感した2019年エイプリルフール企画初出の「クロラビ」以来であり、今回の「ナナラビ」においては「冬優ちゃんの夢の中」のお話であり、ここで彼女の意外な一面を知る事が出来る様になっている。そして後半部分が凄く熱い展開になっており、ここで後述する様な「心愛ちゃんのある発言に込められた真意について」知る事になるのだが、ここで見せた冬優ちゃんの優しさや行動に彼女の確かな成長がはっきり表れており、見る者の心に彼女の成長を印象付ける様になっている。何というか、これ以上いう事はないと言う程の感情であり、私としても凄く印象的だった。

 ここまで「回帰と成長」について書き出してきたが、実はこれらこそ、私が「10巻の表紙に対して思った事の根拠」となっている。巡り廻る時の中で、過去の自分を振り返りながら、彼女達が確かな成長を遂げているとまざまざと感じ取る訳であり、この部分は大きな根拠としても機能している。

 だが、10巻はこれだけでは無いのである。ここからは、そんな10巻のもう一つの一面について書き出したいと思う。

10巻の異質な雰囲気について思う事

 10巻は先の様に「回帰と成長」を思わせる様な、前向きで力強い部分が多いが、その一方で10巻は異質な雰囲気が度々目立つ巻でもあると考えている。それは10巻で描かれた、数多くの「波乱とも言える回」であり、例を挙げると「結良ちゃんと心愛ちゃんを中心とした、ワルイ子が引き立つ回」「進路問題に年上組が衝撃を受ける回」であり、後者は先の「お泊り会」で判明した事でもある。また、全体的に見て「嫉妬」が浮かび上がってくる回が10巻には度々あり、これもまた、10巻が持つ異質な雰囲気に一役買っている。

 例えば結良ちゃんの回では、主に心愛ちゃんが自分自身の意識改革の為に「妖艶な雰囲気を纏ってみたい」と考えた事を結良ちゃんが聞きつけて、結良ちゃん共々「少しワルイ子じみた雰囲気になる」流れがあるのだが、その終盤に「結良ちゃんが心愛ちゃんの事を、私と2人だけの時位は自分だけの虜にさせたいと考えている」描写があり、これに対して心愛ちゃんはその提案を断っているが、その表情については一切明らかになっていない為、彼女が結良ちゃんの悪魔の様な誘いを断る際にどの様な意思を込めていたのが分からず、それ故にやや不穏な雰囲気を漂わせている。尤も、心愛ちゃん自身はそのあとすぐにいつもと同じ様な調子で、引き込もうとしてきた結良ちゃんの事を逆に自分が引き込んでいる位*3なので、過剰な心配は要らないだろうが、何れにしてもこの様な「独占欲的な感情を露わに出す」のはごちうさにしては異質*4であり、他にもこの結良ちゃん回は異質な雰囲気が多く漂っており、ある意味「人間の本質」が試されているとも言える。

 因みにそんな異質な雰囲気を纏う結良ちゃんを見て、私は最早「『ワルイ子』すら凌駕する、本物の美形悪役特有の美しさ」さえも結良ちゃんに対して覚え、心から恐怖に喘ぐ感情と、どこまでも暗く冷たい雰囲気に心を奪われていく感情と言う2つの感情に襲われたものである。無論、結良ちゃんは本物の悪人では断じてなく、寧ろ根底は木組みの街の住人と同じ「優しい心を持った良い人」なのだが、如何せんこの時は「ワルイ子」の雰囲気も相まって、彼女が持つ独特な雰囲気の虜となってしまっていた。やはり私自身「悪役が持つ、恐怖や憎悪を超えた、最早美しいとすら思う魅力が好き」な事が大きく影響しているのだろう。所謂「ヒーロー・ヒロインの美しさや魅力」があるのなら、悪役には「悪の美しさや魅力」がある様に、私は結良ちゃんが持つ「魔性の魅力の虜」となってしまった。言うならば「美魔女の虜」である。

 他にも「進路問題で年上組が衝撃を受ける事になる」お泊り会では、「都会の国立大学に進学する」と言う紗路ちゃんの将来の進路の都合上、心愛ちゃん達が高校を卒業すれば「(一時的ながらも)皆はバラバラになってしまう」と言う衝撃的な事実が判明し、紗路ちゃんと幼なじみである千夜ちゃんが相当に動じてしまっていたのが印象的であり、私自身もきらまで読んだ時には「心が痛くなるまでに」動じていた記憶がある。そして、この回の極めつけが「心愛ちゃんも高校卒業後に木組みの街を離れる事を決断していたと言う事実」であり、これには思わず言葉を失くしてしまった記憶がある。ここまでくると最早「異質」と言うより「波乱若しくは衝撃」だが、何れにしても10巻は「回帰の中で見える確かな成長」だけでなく、「異質な雰囲気が度々現れたり、様々な現実問題に揺れ動いたりする」側面があると言え、そこには成長の明るい面だけでなく、暗い面が確かに存在している。

 ただ、この様な「異質な雰囲気」を纏ったお話においても、最終的には何時ものごちうさらしい「優しさ」「悦び」が待ち構えているものであり、私自身10巻の異質な雰囲気を纏ったお話に対しても、多くの感情がせめぎ合いながらも最終的には「色々あったけど、皆の温かさや絆の強さを再認識できて良かった」となっていた。しかしながら、唯一心愛ちゃんの衝撃的な宣告で終わったお話に関しては、私自身も中々前向きに捉える事は難しかったものの、後に10巻収録分の最後のお話で明かされた心愛ちゃんの確固たる真意を知ってからは、それまでどことなく覆っていた悲観的な感情は一切なくなった。無論、私自身も心愛ちゃんの「高校卒業後に木組みの街を離れる」と言う決断に対して、寂しいと言う感情が全く無くなった訳では無いが、抑々街を離れると決めたのは他でもない心愛ちゃん本人であり、その決断には最早何物にも代えられない彼女自身の覚悟の意思が込められている。その事を思えば、私としても今後待ち受ける事実に対して一心に受け止めようと思えるし、最後まで心愛ちゃん達の選択を尊重し、見守り続けようと決意を固める事も出来る上、何よりごちうさの事を何があっても最後まで愛し続けようと、改めて思う事が出来るのである。

 ここまで10巻が持つ「異質な雰囲気」について書き出してきたが、個人的には10巻の雰囲気が持つ異質な雰囲気はごちうさ単行本1巻から10巻の中でも随一だと捉えており、それ故に様々な想いが駆け巡ったものだが、後々考えてみれば、10巻でこの様な描写が増えた事は、見方を変えれば「異質な雰囲気の中には、彼女達の成長の賜物と言う側面も備えているのではないのか」と考える様にもなった。これは成長を重ねていく中で、今まで見えなかったものが見える様になったが故に、それまでのごちうさでは考えられなかった異質な雰囲気も多く出てくる様になったという事であり、ひいては「異質な雰囲気が目立ったのも、彼女達が日々成長している事の証」でもあると捉えているという事である。尤も、これらはあくまで個人的な見解に過ぎないが、私としては「この様な見解もある」と、一瞬でも何か考えてくれるだけで十分に嬉しい。

あとがき(ごちうさ10巻の感想を書き出して思った事)

 以上が、今回ごちうさ単行本10巻を読んだ純粋な感想・想いの叙述である。今回は初めに書き出した様に「シンプルかつ率直な、短めの文章」を意識して、今まで私がきらま勢として、ごちうさの最新話を常にきらま本誌で購読し続けていた頃から秘めていた想いも思い起こしながら、単行本10巻の内容を「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と、個人的な観点からカテゴライズした上で、今回のブログ記事を書き出してきた。それ故に今回の記事は普段の記事よりずっとコンパクトになっており、内容も普段よりもずっと自由な構成になっているが、個人的にはこの様なサッパリした構成も悪くないと考えている。尤も、よくよく読んでみれば普段と全然変わりない書体でガチガチに書いている様な気がしない訳でも無いが、それは見逃して欲しい。

 ここから話は一気に変わるが、ごちうさ10巻は連載10周年の節目年に発売された単行本であるのと同時に、私自身にとっても「私が完全なるきらま勢になってから初めて迎える事になった新たなる単行本」と言うタイミングに当たっていた為、どの様にして書き出したらいいのか本当に悩ましかった。が、私自身単行本を読んだ感想をブログでも書こうと試みたのは、実はこれが初めてでは無いのだ。今だからこそ言える事だが、実は私自身ごちうさ単行本9巻を読んだ時も、今回と同じ様な「単行本を読んだ上での感想」を書き出してみたいと言う構想そのものは持っていた。ただ、あの時は2021年の年明け早々に書き始めながらも、書き上げるまでになんと2カ月近くも要し、現在でも私のブログ史上最も文量が多い「狩手結良ちゃんに対する想い」の叙述に手一杯で、その後も他の「きらファンメインシナリオ第2部」「きらま掲載のごちうさ最新話」等の感想・考察に追われている内に、段々ごちうさ9巻の内容をどの様に書き出せば良いのかも分からくなっていき、最終的には「もう時間的にもモチベーション的にも、ごちうさ9巻の感想を書き出す事は最早不可能だ……。」と悟り、遂にあえなく断念してしまったのだ。

 しかしながら、9巻でこの様な経緯を抱える事になってしまったが故に、この10巻では「何としてでもやり遂げたい」と言う想いが強くあり、10巻を読んだ上での感想をどの様に書き出そうか悩んでいた時から、「時間が掛かっても良いから、自分なりの答えは絶対に書き上げたい」と言う想いだけは捨てようとは思えなかった。ただ、実際には私自身単行本を読んだ感想を書き出す事に夢中で、意識的にどうしようかという事にはそこまで気が回っていなかったのだが、それでももし本当に「どうしよう。ドツボに嵌まって抜け出せない……。」となった時でも、あえなく諦めてしまう事だけはしなかったと思う。何故そのように思えるのかは自分でも良く分からなく、ただ一つ分かるのはごちうさ9巻の感想をブログで書き出す事を諦めた時に感じた屈辱的且つ虚無的な想いは、もう二度としたくないと考えていた事」だけだが、最早それが全てなのだろう。単純な事かも知れないが、私にとってはそれだけ大事だった。

 そして、この様な経緯を経て私は、このごちうさ10巻を読んだ上での感想を、まず「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と言う3つの大きな概念にカテゴライズした上で、今までになく「シンプルかつ率直な、短めの文章」を意識して書き出す事にした。「回帰と成長、そして異質な雰囲気」と言うのは、私が「きらまでごちうさの最新話を追い続けていた頃から感じていた概念」であり、10巻が全体的に「過去と意図的に結び付けた様な物語の展開や描写が多く、それに伴い『過去との違い』を表す事で皆の成長を印象付ける展開が多い」事も、その見解を後押しする事に繋がった。また「異質な雰囲気」と言うのは、10巻収録話で度々見られた「何時ものごちうさとは一線を画す描写や雰囲気」を指し、具体的には「結良ちゃん回」や「進路選択の回」が挙げられる。これらに関しては当然ながら扱いが難しくなるが、私はだからこそ「普段からどれだけ異質な雰囲気に対する見解を自分なりにでも張り巡らせてきたと思っているんだ」と、怯む事無く立ち向かった。

 つまり私は「きらま勢としてごちうさの最新話を追い続けていた頃から秘めていた想いを、そのままごちうさ10巻の感想を書き出す時の指針にする事」にした訳であり、またきらま勢として書いた感想・考察と一線を画す要素として「シンプルかつ率直な、短めの文章」で単行本を読んだ感想を書き出す事を意識したのである。その為、それがどの様に映るのかは初めての試み故に分からないが、個人的には「想いの整理になった」と考えている。私自身きらまでごちうさの最新話を追い続けている時は、我ながらびっくりする様な文量と情熱をもって毎月の様に感想・考察を書き出しているので、単行本の時には敢えて「シンプル且つコンパクトにまとめる」のも良いのではないかとは考えていたのだが、実際にそうしてみると思った以上に上手く行った様に感じた。本当の意味で「書きたかった事をシンプルに書き出せた」と言うか、普段以上に素直に書き出せたのではないかと実感しているし、他にもきらまでごちうさの最新話を追い続けていた時には気持ちの整理が付かずに中々無理があった「進路選択の回」についても素直な気持ちを書き出せる様になった事も追い風となり、総じて言うなら「初めてのごちうさ単行本を読んだ感想にして私が完全なるきらま勢になってから初めて迎える事になった新たなる単行本』の感想の構成は上出来だった」と捉えている。

 内容が重厚なものになったが、それだけ私自身「好きなものに対する情熱が大きい」という事でもあり、とりわけごちうさに対しては色々な意味で特殊な想いを持っている。実の所その特殊な想いの中には、なにも良い事や明るい事ばかりではなく、ごちうさを愛していくが故の苦悩や暗い影も含まれており、事実その暗き想いに対して苦しむ羽目になってしまった期間もあったが、それら苦悩や暗い影を自分の中で全て乗り越えてからは、暗い感情すらごちうさを紐解いていく為の強力な武器へと変貌し、ごちうさに対して苦しむ事なく、純粋に好きでいる事が可能になった。つまり「暗い感情を解消した」のではなく、「敢えて暗い感情をそのまま持ち続ける事にした」訳なのだが、これには下記の様な理由がある。

 実の所私は考察・感想を書く原動力は、正直に言えば「明るい感情を呼び起こして書き出すより、暗い感情を呼び起こして書き出す方がより深い内容を生み出せる」と言う性質が少なからず存在している。ただ、だからと言って「暗い展開だけしか好まない」と言う訳では無く、寧ろ「明るい展開の方が私にとっても精神的には良い」のだが、その一方で暗い展開は時に私にとって「心に宿る感情がじわじわと締め付けられ、そのまま握り潰される恐怖すら覚える程の痛み」「血気迫る様な怒りの感情や負の感情を呼び起こす事」があり、これらは一歩間違えれば自分の気持ちにも多大なる悪影響を及ぼしかねない危険性も孕んでおり、正しい使い方をするのが難しいのが難点だが、いざこれを上手くコントロールさえすれば、明るい感情をベースにして書き出した感想・考察以上に絶大な感情と想いを込めた、血気溢れる感想・考察を書き出す事ができる様になり、その内容は私にとって「燃え上がる想いを本当の意味でストレートに書き連ねた、その時の想いの結晶ともなり得る」と考えている。正に「怒りや負の感情がもたらす恐るべき原動力」と言う訳だが、これは使い方次第で「どこまでも恐れられるだけでしかない人望なき存在」にも「何者にも負けない程の原動力やカリスマ性を持った人望溢れる存在」にもなる可能性を常に秘めている。その為、一歩間違えれば「己の気持ちそのものにも多大な悪影響をもたらす危険性」も大いにある為、本当は明るい感情のみからでもこの様な血気溢れる想いを生み出せたら良いとは思うのだが、私の場合ここまで書き出してきた様な諸問題を抜きにしても、ごちうさに対しては「暗い感情を無理に抑圧し過ぎても、己の気持ちに多大なる悪影響を及ぼす事が判明した」為、最早どんな方法をとるにしても多少なりともリスクは避けられないのだ。ある意味「私が本気でごちうさを愛するが故の結果」でもあるのだが、それならば、ある程度のリスクは承知の上で、明るい感情と負の感情をバランス良く入り混じらせる様にするのが私には一番合っていると判断しており、それが上記の様な思想を生み出す事に繋がっているのだ。

 この様な経緯故に、私にとってごちうさを好きでいる為には「無理に可愛さや明るさだけに目を向けようとするのではなく、敢えて自分が思うままに暗さや苦悩をも取り込んでいく事も必要だった」と考える事も私自身少なくない。抑々私はあらゆる作品や芸術に対して「その作品の明るい所も暗い所も全て受け容れて、自分でも考えていこう」と言う思想を持っており、それはごちうさに対しても同じだった。勿論、作品の暗い部分を見つめる事は、当然の事ながら決して良い気分には全くと言って良い程ならないし、時には「思わず目を背けたくなる」様な場面に遭遇したり、「最早自分でも恐怖に打ち震える様な想像に辿り着いてしまったりする」事も少なくなく、それ故に私にとっては「明るさや可愛さが前面的に押し出された」ごちうさでもその様な「暗さや苦悩を取り込んでいく事」を実行していくのは中々容易な事では無く、それに伴い暗い感情をどの様に扱っていくかに困る様になり、結構な期間にわたって思い悩んだ訳である。

 ただ、冷静に考えてみればごちうさにも「苦悩」は少し言い過ぎでも、新しい人間関係を構築する事、見知らぬ世界へと飛び込んでいく事に対する不安、友達関係そのものに対する不安、友達に対するやきもち焼き、そして自分自身の将来の進路に対する不安等々、言うならば「人間なら誰しも少なからず持っている弱い部分」もきちんと描写されており、事実その様な感情や不安を前面に押し出したり、散りばめたりしているお話や場面も割と普通に存在している。これらを思えば、ごちうさに対して「暗さや苦悩を取り込んでいく事」は、何も全くもっておかしな事では無いのは明白であり、それよりも大切なのは「明るさと暗さの上手なバランス取り」だったのだが、私自身ごちうさ様な明るさや可愛さが前面的に押し出した作品に対しても、この様な「暗さや苦悩を取り込んでいく視点」を図らずしも持った事に対して「嗚呼、自分はこの様な視点からはいかなる場合でも逃れられないんだ……。」と思わずショックを大きく受けてしまい、それ故に本質を見失ったまま思い悩んでしまった上、改めて本質を探っていく余裕も無くしていた為、乗り越えるのに時間が掛かってしまった。

 その為、今見ると「昔の自分はある筈もない壁を勝手に作り、そこでずっと蹲っていたなんて、何やってたんだろうなぁ……。」と思うばかりだが、同時に「もしこの様な苦悩を私が一切経験しなかったとするなら、ごちうさに対して今の様な見識や情熱を持つ事は恐らくなかっただろうと思う事も多い。何故なら、今の私がこうしてごちうさに対して凄まじい熱意を持っているのも「あの時の苦悩があったが故」なのは当然の事ながら、あの苦悩で得た経験は計り知れない物があるからである。しかしながら、それは「結果的に上手く乗り越える事が出来たから」と言うのが大きい上、必要な苦悩だと言うのは少しばかり威力が強過ぎた様にも感じている。その事を鑑みれば、やはり「何事もバランスが大事」と言うのは明白だと思う。結局の所私自身「上手くバランスを取って明るい部分と暗い部分を取り込んでいけば、見識や情熱を持ち続ける為に多少の苦悩に苛まれる事はあっても、私が経験した程の重い苦悩に苛まれる事は無く、今の様な見識や情熱を持てた可能性もあった」訳であり、ある意味ごちうさを好きになって良かったと思うには色々な意味で十分であった。

 最早あとがきと言うより一つのカテゴリーとして成立する位に長くなったが、最後にごちうさ単行本10巻は本当に尊く、素晴らしい関係性によって輝いていた事は書き出しておきたい。尤も、今後の展開に関しては、きらま勢故に毎月の様にごちうさの最新話を追い続けている身であるとは言え、まだまだ分からない事が多いのだが、そんな中でも今の様な輝かしい関係性がもっと拡張されていき、尚且つそれが何時まで経っても続いて欲しいと願っている。そして、私としてはそんな彼女達の輝かしい世界観を素直な気持ちで見守る事が出来るなら本望である。尤も、不器用な私の事だから、この先もきっと真っ直ぐな道のりで彼女達の成長や決断を見守るなんて事は出来ないだろうけど、どんな紆余曲折があっても、この輝かしい世界観を、何時までも見守れるなら……。

 

おまけ

今回はコンパクトな文量を意識して書き出していこうと考えていたのだが、終わってみれば結局今回も400字詰め原稿用紙30枚分となった。本当なら10枚台半ばから後半位になれば良いと考えていたのだが、あとがきの部分があれよあれよと増えていき、気付いたら全部で30枚分になっていた。誇張抜きであとがきだけで全体の半分位になってしまった為、今後は気を付けなければ。

*1:球技大会は単行本2巻、お泊り会は単行本1巻や3巻等多数。

*2:智乃ちゃんも昔は10巻中盤までの冬優ちゃんを思わせる様な性質で、最近の智乃ちゃんが見せる様な誰かを引っ張る様な特性には程遠かった。

*3:これに対して結良ちゃんは思わず戸惑い気味なのを隠し切れなさそうな様子を見せていた。

*4:無論、ごちうさにおいても独占欲自体は描かれているが、結良ちゃんはそれを「嫉妬と深く絡ませているのをあからさまに滲みださせている点」が、他の登場人物との大きな違いである。