多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2021年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。ごちうさの最新話を追い続ける身として中々に衝撃的だった先月号を乗り越えて、新たな局面に突き進み続けています。尤も、ごちうさが今後どうなっていくのかは本当に分からなくなってきていますが、例え五里霧中になっても突き進み続ける事を意識し続けたい所存です。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年12月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今回の内容は先月号の最後に衝撃を残したココチノの気持ちの答え合わせや、未来に向けた新たなる覚悟と決意と言う様に、中々に心打つ内容が多いのですが、その傍ら今年(2021年)のエイプリルフールに公開された「ナナラビ」が本編に登場すると言う中々に衝撃的な展開もあるので、今回は大きく「ナナラビ」と「ナナラビ以外の本編」の2つの観点から感想・考察を書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。尚、今回は前半と後半で大きく視点を変えていますので、その事もご了解お願い致します。

1.はじめに

 今回のお話は久々に木組みの街に帰還した青山ブルーマウンテンこと青山翠(みどり)さんがカギを握っているのがポイントであり、青山さんは今後のごちうさの展開を切り開く様な重要な提言をしてもいる。また、他にも今年のエイプリルフール企画だった「ナナラビ」が登場していたり、先月号で残されていた「ココチノそれぞれの本音」が明らかになったり等々、全体的に「今までの小括(あるいは統括)」という趣が強く存在している。その為、先月号の様な「ごちうさの中でも一二を争う程の衝撃的な描写」は鳴りを潜めており、所々に重要な要素は存在しながらも、何時ものごちうさらしいテイストになっており、ある意味安心して読み進める事の出来る様になっている。

 しかしながら、今月号とて「ナナラビ」と言う嘗て2021年のエイプリルフールで企画されたものが、今回唐突に本編に組み込まれたと言う事実があり、私的にはこれを見逃す事は出来なかった。その為、今回は「ナナラビ」に関する内容を独立した感想・考察項目としても扱うものとし、視点を大きく2つに区分けした形で、感想・考察を書き出したいと思う。また、ストーリー展開が「ナナラビ」の物語から始まり、そこからラビットハウスにおける「今までの小括」が始まっていく構成になっている中で、私が秘めている想いの関係上、ここでは敢えて「ナナラビ」に対する主たる想いは後半に書き出したい。

2.購読した感想・考察

現のセカイと現の館

 今月号はまず冬優ちゃんの意思が存在する猫が謎の館に迷い込む所から始まり、7人と1人の悪魔に出逢う事になる。これが所謂「ナナラビ(Seven Rabbits Sins)」であり、嘗て2021年のエイプリルフールであったものを踏襲している形になっている。ここでは前述の通り、私がこの展開を読んで何を思ったのかについては後述する事にするが、全体的に「ナナラビ」を知っている者なら思わずニヤリとなる展開が多く、この事からごちうさの作者であるKoi先生の粋な計らいが光る内容だと感じ取っている。因みに作中では「ナナラビの世界観は冬優ちゃんが見た夢」と言う設定になっており、故に「ナナラビ」とそれ以降で世界観が少々異なっている。

 今月号の中盤からは、今までの「ナナラビ」とはうって変わり、「青山さんの木組みの街帰還」が展開の中心である。旅行編において都会の街に留まり、そのまま都会に残っていた青山さんが木組みの街に久々に帰還し、道中ブライトバニーに寄り、そこで出逢った冬優ちゃんがあの7人と仲良しな事を知るや否や半ば巻き込む形でラビットハウスを訪れ、以降はラビットハウスでの様々なやり取りが中心となっている。尚、実際に青山さんと冬優ちゃんがラビットハウスに訪れる前に、青山さんが執筆した「Seven Rabbits Sins」をめぐって、モデルとなった7人の内、その場に居た初期組5人(特に周りからの視線を気にしがちなリゼシャロ)が内容に対して少々物申したそうにしている場面も存在しているが、それに対して当の青山さんは中々にしれっとしており、あくまでのらりくらりと躱(かわ)している。青山さんらしいと言えばらしいのだが、モデルに対してちょっとは耳を貸しても良いとは思わざるを得ない……。

 青山さんがラビットハウスに来たのには大きな意味があり、それは「心愛ちゃんにモカさんからの手紙を届ける為」であった。モカさんもまた、青山さんが都会に留まったタイミングに都会を訪れており、そこから手紙を授かったのである。また、ここから先月号最大の衝撃だった「心愛ちゃんの将来の進路」について改めて語られており、当然ながら智乃ちゃんを含めた木組みの街の住人は将来的に離れ離れになる事に対して寂しさと驚きを見せていた。だが、青山さんが大人として、ひいては木組みの街の指南役としての言葉をかけてあげる事で、皆は落ち着きを取り戻した。青山さんの言葉は、将来バラバラになってしまう事に対して不安の色が隠せなかった皆の動揺を落ち着かせ、皆の絆や将来への気持ちをより強固なものにしたのである。

 終盤は冬優ちゃんが目立った存在感を見せており、青山さんが自身の担当編集者であり、学生時代からの旧友でもある真手凜ちゃんに連れられる直前、冬優ちゃんは青山さんが紡いだ小説を「温かくて好き」と称賛の言葉を送ったのである。これに対して青山さんは嬉しそうにしており、凜ちゃんは青山さんがあのような小説が書ける理由を話している。その後も冬優ちゃんは智乃ちゃんに対して先導役を買って出たり、将来寂しくなったら友達がいるとかけてあげたりと、大きな成長を感じさせる行動が多く見受けられる。そして、それに負けじと心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「将来のサプライズ」を仄めかす発言をして、この物語は締められている。

 ここからはこの場面を見て私はこう思ったと言うのを細かく書き出していく。ただ「ナナラビ」に関する内容は、前述の通り後半部分に集約させるものとする。

青山さんと冬優ちゃん

 私が今月号を読んで特に気になった事の1つ目は「青山さんと冬優ちゃんのやり取りから見えるもの」についてである。2人は今月号で出逢うまで交わりがほぼ皆無であり、どの様な化学反応を起こすのか多少なりとも気になっていた。また、冬優ちゃんは青山さんの小説を中々に読み込んでおり、事実今月号においてもみんなの事を度々青山さんの小説内のキャラに落とし込んでいた場面があったので、その小説の作者と実際に会ったらどの様な反応を見せるのか。その意味でも気にはなっていた。

 そうして改めて読み込んでいくと、冬優ちゃんは青山さんに出逢った当初こそ緊張していたものの、自分が読んだ小説にモデルがいる事に冬優ちゃんが驚きを示すと、これ見よがしにと青山さんによって2人の距離感が一気に縮められていったのが印象的だった。何故この場面に引っ掛かったのかと言えば、青山さんとて心愛ちゃんの様に誰に対してもフレンドリーな人ではないどころか、寧ろ結構な恥ずかしがり屋で且つ自分の素性をやたらと隠したがるまでに照れ屋な人である事から、ここまで人を率先して引っ張る事はあまり無いからである。

 では、そんな青山さんが冬優ちゃんの事をここまで引っ張ったのには何か絶対深い訳があるとなるが、その理由としてストレートに言えば「冬優ちゃんが木組みの街の住人7人の事をもっと知りたがっている」というのがあったからだと考えている。青山さんもまた、木組みの街の住人7人に絶大な影響を受けている人物であり、それは彼女が描いたヒット小説の殆どは、その木組みの街の住人7人をモデルとしている*1事からも窺える。そんな7人ともっと仲良くなりたいと考えている上、人間的な意味でももっと親密になりたいとも思っている事を明かした冬優ちゃんを見て、最早いてもたってもいられなくなったのだろう。尤も、考え方によっては「小説家として、冬優ちゃんを7人と交わらせないなんてあり得ないと思ったから」と言う見方もあるが、何れにしても青山さんが冬優ちゃんの事を率先して引っ張ったのには、それ相応の青山さんの純真たる強い想いがあったのは間違いないと思う。だって青山さんのこの行動のお陰で、多くの人達の心境が良い意味で救われたと言うのだから……。

 また、そんな青山さんに対して冬優ちゃんが感謝の念とも言える気持ちを直接伝えている場面も非常に意味があると考えており、この場面がある事で「冬優ちゃんが青山さんに対して信頼を置いている事と、冬優ちゃんが木組みの街の住人7人が心から大切に思っている事」の2つが一挙に確認できるからである。ただ、後者に関しては以前から7人(特にココチノ)に対しては信頼を置いていた事と、ナツエルに対しても少しずつでも心を開き始めている事を鑑みるなら「今までの冬優ちゃんの心境の変化を鑑みれば、この様な発言は至極真っ当」となるかも知れないし、私も正直そう思う節はある。それなら「じゃあ何故そこまで大切な場面だと思ったのか?」となるが、それは私自身、事実関係の再認識以上に「青山さんに向けてその様な発言をした事」が重要だと考えているからである。

 抑々冬優ちゃんは青山さんに対して、最初からある程度話せていたとは言ってもほぼ初対面であり、今月号を通して2人は一気に距離が縮まったとはいえ、出逢った時には思わず強張った表情を見せてしまう程に緊張していた為、普通に考えるならその様な人に対して感謝の気持ちを述べるだけでも、恥ずかしがり屋で内気な冬優ちゃんにとっては相当勇気のいる事なのは想像に難くない上、ましてや「木組みの街の住人7人が大切に想っている事が分かる言葉を堂々とした表情をもってかけられる事」がどれ程凄い事なのか、それを想像しただけでも、正直私自身圧倒されてしまう。圧倒されるのには、冬優ちゃん自身どちらかと言えば内気で引っ込み思案な性格故に人に対して素直な気持ちを率直に伝えられない一面があったが故に、今まででも率直な気持ちを伝える事に躊躇していた場面がしばしば見受けられていた中で、今回青山さんに対しては、多少間をおいて話していたとはいえ、自分の率直な気持ちを躊躇いなく堂々とした表情で話していた事に「彼女の精神的な成長」を感じたからであり、ひいては自分にとって出逢ったばかりの人に対して「自分に手を差し伸べてくれた人達の事を好きだと言える想いの強さ」を話せる勇気を感じたからである。

 つまり冬優ちゃんがラビットハウスから凜ちゃんともども立ち去ろうとする青山さんに対してあの様な言葉を掛けたのには、彼女自身の精神的な成長と、彼女自身が7人の事を心から大切に想っている事の2つが読み解けるだけでなく、彼女にとって青山さんは自分にとって大切な世界をくれた人達を描いてくれた小説家であり、信頼出来る人だと言う認識もでき、ひいては彼女自身が木組みの街の住人に対して絶大な信頼を置いている証でもある事を読み解けると私は考えている。そして、そこに至るまではブライトバニーで冬優ちゃんと青山さんが出逢った時、冬優ちゃんの事情を知った青山さんが思い切ってラビットハウスに一緒に訪れようと引っ張ったのが大きかったとも考えている。

 この事を端的に言えば「青山さんと出逢い、そして導かれた事により、冬優ちゃんが確実に精神的な成長を歩んでいる事と、木組みの街に馴染めている事に幸せを感じている事が改めてはっきりと見えた」という事であり、その事実は冬優ちゃんの大きな成長を感じるには全くもって不足のない事例であり、冬優ちゃんがどれ程周りの人達に愛されているのかが良く分かる事例でもある。

大きな決断と決心

 2つ目は先月号とも大きく関わる内容でもある「心愛ちゃんの進路選択の真意について」である。先月号と言えば高校生組の進路問題が印象的だが、その中でも突出していたのが心愛ちゃんが発した「この街(木組みの街の事)を離れる」と言う衝撃的な発言であり、私としてもそれまでに紗路ちゃんの衝撃的なカミングアウトに散々痛めつけられてしまっていたが故に直ぐに理解する事は出来なかったものの、どう捉えるべきなのか思わず分からなくなってしまった記憶は辛うじてある。ただ、冷静になって考えてみると、心愛ちゃんは木組みの街の元来の住人ではない為、高校を卒業してしまえば木組みの街を出ていく事も全然あり得た話ではあったのだが、如何せんあまりにも唐突過ぎた事が、戸惑ってしまった要因だった事は間違いないと思う。その後、私としては何とか気持ちの整理をして乗り越えたのだが、先月号では「何故心愛ちゃんが木組みの街を離れようと思ったのか、その理由が明かされていなかった」為、今月号でその理由を知りたいとずっと思っていた。そして、今月号において遂に心愛ちゃんが木組みの街を離れる理由について遂に本人から明かされたのだが、その内容を知って、私は最早心愛ちゃんの立派な考えに納得する以外の選択肢は無かった。

 抑々心愛ちゃんが木組みの街を離れる理由を明かした直接のきっかけは、青山さんが代わりに届けてくれた、心愛ちゃんのお姉ちゃんであるモカさんからの手紙にあった。その内容は主に「姉としての努力を欠かさないモカさんの姿」が映し出されていたものであり、これを見て心愛ちゃんが「自分の姉とは違う道でパン作りを極める為に街を出る」と言ったのが、彼女が木組みの街から出ていくと言う事の真意であった。何故彼女がこの様な事を思ったかと言えば、私が思うに抑々心愛ちゃんは姉であるモカさんに一度も勝負事で勝てた試しが無く、それ故に何時かお姉ちゃんと対等な自分になりたいと言う強い願いがあったからと考えている。そして、その願いを果たす為には木組みの街に留まっていては何時までも叶えられないと何時しか考える様になり、それならば木組みの街を出ると言う決断と覚悟をも視野に入れる様にもなって、今回姉からの手紙を見てその覚悟を確固たるものにしたという流れを踏んだのだと推測している。勿論、本当の気持ちは心愛ちゃんのみぞ知る訳だが、高校3年生にしてここまで立派な事が言える心愛ちゃんは本当に凄い人だと思うし、誰よりも人生の先を見ているのだと思った事が、今回私が「心愛ちゃんの決断と覚悟を尊重する以外あり得ない。やはり心愛ちゃんは立派な人だ。」と考えた最大の理由でもある。

 だが、この様な心愛ちゃんの決断は、必然的に「木組みの街で出逢った、最早手放す事など絶対にできないファミリーと言うべき程の親友と離れ離れになってしまう事」を意味している。これに対し当の心愛ちゃんは「自分が目指したい姿に向けての大きな一歩」という事もあってか、親友と離れ離れになる道を進む事に対して覚悟を決めている姿を見せつけており、大人組を除けば基本的に一番年上の理世ちゃんも、心愛ちゃんの決断に対してしっかり後押しする程に、心愛ちゃんの覚悟に対して決心していた様子*2であったが、千夜シャロと智乃ちゃんはやはり戸惑いが隠し切れず、特に智乃ちゃんは表立ってこそ平静を保っていたが、最近の何処か元気がない智乃ちゃんを間近で見ていた冬優ちゃんから思わず心配の声を掛けられる程、動揺が隠せていなかった。この事は、どんなにクールであったとしても、どんなに心愛ちゃんに対して心配はかけさせまいと強がっていても、やはり智乃ちゃんも心愛ちゃんと離れ離れになるのは寂しい事と、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんがそれだけ大切な存在である事が良く分かる内容であり、それはその場で心愛ちゃんの話を聞いていた人全員も同様なのである。

 そんな状況のさなか、青山さんがある種の救いの手を差し伸べてくれたのには大きな意味があると考えている。それは青山さんがこの「心愛ちゃんの決断に対して皆の動揺が広がっている状況」に対して「どんなに離れていても、皆さんはここに戻ってくるはずです・・・ね?」と声を掛けてくれた事で、皆は安心した表情を一斉に浮かべ、千夜ちゃんに至っては目に涙を浮かべていた事だけでも良く分かるし、嘗て学生時代に都会から木組みの街を訪れ、その後様々な経緯を経てまた木組みの街に戻ってきた青山さんだからこそ、より深みのある言葉として皆の心を動かしたのだと思っている。故にこの場面には小説家としての言葉選びのセンスと、彼女自身が持つ皆に対する信頼が込められていると考えている。

 ただ、その直後に青山さんはかの「ナナラビの小説」をめぐってリゼシャロ2人から「良い事を言って誤魔化すな」と言わんばかりに「なぜあの様な視点をもって小説を書いたのか?」と再び詰問されている*3が、青山さんはまたもしれっと言い逃れている。それ故に先の感動シーンが若干薄れてしまう気がしないでもないが、私としては「感動するシーンでウルっとこさせてからの笑えるオチ」と言うある種のお約束だったので、全く躊躇なく受け容れられた。尤も、青山さんのそういう一面は、恐らく人によって受け取り方が結構変わるとは思うし、小説絡みの件だって冷静になって考えてみると、中々に笑えない側面もあるのだが……。ある意味「センス溢れるブラックユーモア」だと思う。

 色々散逸しそうなので、この項目の最後に改めてまとめると、私が考えたものとして心愛ちゃんが木組みの街を離れようと考えた理由は「パン作りで自分の姉であるモカさんを自分なりの方法で超える為」であり、そこには「木組みの街を出なければ何時までも姉を超えられない、だから都会に出て修行したいと言う彼女の決意と覚悟がある」と考えた。また、かけがえのない親友と離れる事に対しては「青山さんがかけてくれた言葉をもって、新たな決意を胸に秘める形で乗り越えた」と考えているという事である。何度も言う事であるが、本当の気持ちは彼女達のみぞ知る事であり、読者である私はどれ程頑張ってもその本当の気持ちを100%汲み取る事は不可能である。だが、それでも彼女達の本当の気持ちの理解度を限りなく100%に近づけていく事は可能である。つまり私が求めていくべき事は「全ては分からないかもしれないが、自分ができる最大限の理解は尽くしたい」と言う事である。

チノフユの友情と思いやり

 3つ目は「冬優ちゃんが見せた智乃ちゃんに対する思いやりと友情」である。この内容は2つ目と重複する部分が多分にあるが、心愛ちゃんがあのような発言をした事で多少なりとも揺れ動いている智乃ちゃんを、冬優ちゃんは如何にして親友として思いやり、声を掛けてあげたのか。それが特に印象的だった事から、敢えて2つ目とは独立させた形で書き出す事にしたのである。

 では、何が特に印象的に残ったのか。それは「心愛ちゃんと離れても、彼女の決断は旅行の時から薄々でも分かってはいたから寂しくないと強がる智乃ちゃんを心配して、最後の場面に至るまで智乃ちゃんに励ましの声を掛けていた場面」であり、冬優ちゃん自身心愛ちゃんが木組みの街を離れる決断をした事は今月号まで知らなかった中で、事実を知った途端に全てが繋がった様に智乃ちゃんの心情を察し、自分を引っ張ってくれた人に対して何かできる事はないかと試行錯誤する友達想いな所に心打たれたのである。

 そして、ここから読み解ける事を結論から言うと「冬優ちゃんは智乃ちゃんに対して、どんな時でも笑顔でいて欲しいと考えている事」である。これは特に最後の場面で言える事であり、皆が楽しそうに会話している中で一人どこか虚ろ気な表情を浮かべていた智乃ちゃんを見て声を掛けた冬優ちゃんが非常に印象的なのだが、冬優ちゃんは元々が内気で引っ込み思案な性格である為、冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して声を掛けてあげた事の意味がより大きくなっていると考えている。少々思い込みが強いとは思うが、以前から冬優ちゃんを見ていて「気恥ずかしさから度々思っている事を上手く言葉にできない場面」が見受けられると感じており、それ故に「心許せる友達であっても気恥ずかしさから、素直な気持ちを中々上手く伝えられない」のだと思っていた。なので、今回智乃ちゃんに対して多少言葉に詰まりながらも率直な言葉で智乃ちゃんに対する自分の想いを伝えられていたのには、冬優ちゃん自身の成長も勿論あるが、それ以上に冬優ちゃんが智乃ちゃんを想う気持ちの大きさと本気さが窺えると思っている。

 冬優ちゃんにとっても、智乃ちゃん達とは出逢った当初から何か特殊なものを感じ取っていたのは、描写を観れば何となくでも分かる事ではあった上、同年代の知り合いが1人もいない木組みの街の新生活で不安だらけだった中、自分を都会で導いてくれた智乃ちゃん達と木組みの街で再会した事の歓びと救われた気持ちを思えば察するに余りある。だって「もう二度と会えない」から「ずっと一緒の空間を共有できる」に様変わりしたのだから。勿論、嬉しいのは既に幾多のセカイを構築してきた木組みの街の住人7人にしても、冬優ちゃん以上に外のセカイの居場所がなかったナツメエルにしても同様なのだが、冬優ちゃんはナツメエルと同等あるいはそれ以上に、智乃ちゃん達に対して人一倍特別な想いがある様に感じている。

 だからこそ、冬優ちゃんには「自分を導いてくれた智乃ちゃんにはずっと笑顔でいて欲しい」と言う想いが強くあって、今回心愛ちゃんの事で少なからず寂しげな気持ちが智乃ちゃんを覆っていた事に気付いた時、自分にとって智乃ちゃんにはどんなふうに居て欲しいのか、私は智乃ちゃんをどんな形でサポートできるのだろうかと色々考えてみた結果、その答えが作中にある様な「率直な言葉で乗せた想い」なのだと思っている。無論、本当の気持ちは冬優ちゃんだけが知る事であり、果たしてこの考えが合っているのかは分からない。しかしながら、今月号を見るに冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して特別な想いを持っているのは紛れもない真実であり、そこには冬優ちゃんの優しさと思いやりが多分にあるのは間違いないと思う。

幻想の屋敷と罪うさぎ

 ここまでは「ナナラビ以降」の世界観の中で感じた事を書き出してきたが、ここからは今月号の前半を飾り、元々は2021年のエイプリルフールが初出の「ナナラビ(Seven Rabbits Sins)」について私が思った事を書き出したいと思う。前述の通り、この部分は「冬優ちゃんが見た夢」という設定になっており、その証拠に「ナナラビ」展開の終盤にはそれを示唆する表現がある。その為、今月号は前半と後半で世界観が少々異なる様相を見せている。

 そんな前半部分だが、まずは冬優ちゃんの意思が存在する猫が、悪魔の青山さんに導かれるがままに謎の屋敷に迷い込む所から始まる。その猫はどこから来たのかは全く分からず、ただ導かれるがままに屋敷に迷い込んだ存在であり、屋敷に入ってからと言うもの、色々な悪魔と対面する事になるのだが、その悪魔はかの木組みの街の住人7人と同じ見た目と名前を表しており、言うならば「悪魔になった木組みの街の住人7人」と言うべき存在だったのである。

 そんなこんなで現実世界にいる親友と同じ悪魔と触れ合い、冬優ちゃんの意思がこもった猫は悪魔の智乃ちゃんと出逢う。だが、そこで見た智乃ちゃんは、彼女が見ていたクールでも根は明るく友達想いな智乃ちゃんではなく、どこか寂しげな智乃ちゃんだった。その後、悪魔の心愛ちゃんに連れゆかれそうになった所で、また最初に出逢った悪魔が姿を現し、その悪魔の計らいで冬優ちゃんは現実に引き戻される事になる。

 現実に戻った(=目が覚めた)冬優ちゃんは、あの様な夢を見た理由に「Seven Rabbits Sinsを寝る前に読んだ事」だと悟り、現実の友達7人と重なったのは「彼女自身の深層心理で勝手に置き換えたから」だと謝っていた。だが、智乃ちゃんが最近元気が無いのは彼女も気付いていた事であり、どうすれば良いのか考えた矢先、「Seven Rabbits Sins」の作家青山さんの存在を知り、そこから今月号後半の展開に繋がっていくのである。

 ここからは前半部分と同様、「ナナラビ」について私が思っている事を細かく書き出していくものとする。但し、内容がエイプリルフール時代から溜め込み続けていたものも含めて書き出す為、結構膨大な量になる事は付け加えておく。抑々この「ナナラビ」について私は2021年のエイプリルフールで発表されてからと言うもの、私は「ナナラビ」の世界観について様々な想いを張り巡らせいたものである。元々ごちうさのエイプリルフール企画については予てから自分なりにでも考えを張り巡らせてはいたのだが、こと「ナナラビ」に関してはそれがいつも以上に顕著だった。その為、嘗てエイプリルフール企画で発表された時にこのブログで想いや考えをまとめようかと思ったが、結局断念した過去がある。なので、今回はそんな当時の想いもこの機会に出来る限り書き出したいのである。

罪の名の由来と意味

 この「ナナラビ」の最大の特徴とも言えるのが「罪の名」であり、悪魔の姿をした7人にはそれぞれ罪の名を冠している。心愛ちゃんは「グリード」、智乃ちゃんは「エンヴィ」、理世ちゃんは「グラトニー」、紗路ちゃんは「ラース」、千夜ちゃんは「プライド」、麻耶ちゃんは「スロウス」、恵ちゃんは「ラスト」と言う風に、それぞれ罪の名がある*4。因みにこの小説の作者たる青山さんの罪の名は「虚偽」である。また、青山さんの「虚偽」を除いた7つを総称して七つの大罪と作中では称されており、罪の名のモデルは現実のキリスト教とりわけカトリックの「七つの大罪」にあると思われる。その為、宗教知識を用いれば「ナナラビの由来と意味」はある程度推察できるのだが、あくまでここは多少無理矢理にでも「ごちうさの世界観」として推察するものとする。

 まずは心愛ちゃんの罪の名である「グリード」からである。グリードと言うのは「強欲」を意味する言葉であり、作中ではあらゆるモフモフを我が物にしようとする悪魔として描かれている。また、皆が私の妹だと豪語しており、あらゆる人や動物を見境なく妹して取り込もうとする一面がある。ただ、無邪気な一面は悪魔であっても変わらない為、罪うさぎの中では現実とのギャップが比較的少ない方。しかしながら、自分が「強欲」である事の自覚が殆ど無く、良くも悪くも「心愛ちゃんは悪魔であっても心愛ちゃん」だと言える。

 その由来はほぼ間違いなく現実における心愛ちゃんの「無類のモフモフ好きと姉に対する強い憧憬意識」だと思われ、この「ナナラビ」ではそれが色濃く出ているのが特徴的である。つまり「彼女が元来秘めている想いが欲望となった存在が悪魔心愛ちゃん」だと言える。

 次に智乃ちゃんの「エンヴィ」である。これは「嫉妬」を意味する言葉であり、作中ではあらゆるものを誰にも邪魔させない様に寵愛しようとする悪魔として描かれている。これだけだと少々分かりにくいが、要するに「自分が大切にしたいと思っている人や動物が他の悪魔と関わっているのを見るのが妬ましい」と言う訳であり、この事を鑑みるなら智乃ちゃんの行動は完全に「嫉妬の悪魔」なのだが、本人は嫉妬ではないと言い張っている。それ故に本編の智乃ちゃんとは大きくギャップがある様に見えるが、本編においても智乃ちゃんは(本人に自覚はあまり無いが)度々嫉妬を思わせる様なモヤモヤを抱える事があったり、精神的に大きく成長してもどことなく嫉妬を思わせる様な思想は存在していたりする為、悪魔智乃ちゃんはそんな現実の智乃ちゃんが持つ心の内に秘めているものを拡幅した存在だと言える。また、嫉妬以外にも寂しがりの一面も漂わせており、それを思うと彼女にとっては寂しさを紛らせているだけの事が、周りから見ると「嫉妬」となっているのかも知れない……。

 由来は現実の智乃ちゃんが持つ「密かながらも割としっかりしたやきもち焼きな面と、目掛けられない事に対する寂しさを覚えやすい面」だと思われ、彼女自身が本当はやきもち焼きな寂しがり屋且つ甘えん坊である事が窺える様になっている。そう思うと、悪魔でありながらいたたまれなくなる一面が強く現れている。

 3人目は理世ちゃんの罪の名である「グラトニー」である。これは「暴食」を意味する言葉であり、それ故に見境なく何でも美味しそうに見えてしまう程食べる事に飢えている一面があり、当然ながらかなりの大食い。ただ、容姿端麗且つストイックな一面がある理世ちゃんからは凡そ想像がつきにくい罪の名ではある為、何だか変な感じにも思えるが、実の所理世ちゃんは食べる事が好きだと思わせる一面がしばしば見受けられており、例えば初期だとティッピーのカフェ・ド・マンシー*5で指摘されており、今月号に至っては「買い食いが多く、つまみ食いもする事」を本人の口から暴露している。もっと言うなら、理世ちゃんは嘗て虫歯になった事があるのだが、それも「甘い物の食べ過ぎ」と思えばある意味納得がいく。そう思うと、悪魔である筈なのに、限りなく愛おしく思えてきてしまう。しかしながら、幾ら「可愛い」を前面的なコンセプトにしているごちうさとは言え、見境なく何でも食らおうとする悪魔はやはり恐ろしくもある為、何とも言い難い心境ではある。

 由来は「食べる事に対する際限なき欲望」だと思われ、普段のサバサバした理世ちゃんとも違い、ロゼという異名もとるお淑やかで乙女な理世ちゃんとも違う、第三の理世ちゃんと言える一面が良く現れているが、ここまで異なった一面を持つ人と言うのも珍しいと思う。

 4人目は紗路ちゃんの罪の名「ラース」である。ラースと言うのは「憤怒」を意味する言葉で、端的に言えば「ただならぬ怒り」である。その名の通り、悪魔紗路ちゃんは事あるごとに怒りを露わにする存在であるが、本人はカッとなる自覚こそあるものの、あくまで温厚だと自負している。何れにしても、普段の紗路ちゃんとは少しかけ離れている様にも思えるが、元々紗路ちゃんは感情の起伏や表現が7人の中でも特に激しく、事あるごとに声を荒げてしまう事もしばしばある為、ラースはそんな紗路ちゃんの怒りっぽい一面がブラッシュアップされた存在とも言えるが、根は悪魔想いである点は現実の紗路ちゃんと共通している。また、紗路ちゃん「ラース」の名を冠する理由として、7人の中でも特にツンデレ気質が強い事も要因にあると思われ、ある意味7人の中でも分かり易い属性持ちの悪魔でもあるからだろう。

 由来は紗路ちゃんが持つ「強いツンデレ気質故の怒りっぽい面」だと思われ、ある意味彼女の素直になれない一面がそのまま悪魔化したらどうなるのかを体現した存在とも言える。これを思えば、今月号の後半にあった様な、現実における紗路ちゃんが青山さんに対して怒るのも無理はないと思う……。正に「憤怒」の紗路ちゃんである。

 5人目は千夜ちゃんの罪の名である「プライド」を説明する。プライドは、ここでは「傲慢」の意味があてがわれており、そこには本編の誰よりも優しく献身的な千夜ちゃんはなく、そこにいるのは最早唯我独尊と言うほかない程の性質を持つ、悪魔の女王様千夜ちゃんである。それ故にナナラビにおいても優しさそのものは漂わせているが、言動が支配者のそれであり、正に女王様に相応しい独尊さを持っている。その為、元々が献身的かつ他人想いの千夜ちゃんだけあって、悪魔の意外性が7人の中でも特に際立っているが、女王様千夜ちゃんも中々様になっているので、ある意味それも千夜ちゃんらしさと言えるのかも知れない。

 由来は「甘兎庵拡大に向けたしたたかな野望」にあると思われ、これは現実の千夜ちゃんが甘兎庵を世界進出を見据えるまでに大きくしたいと言う大いなる野望があり、その為ならあの手この手で甘兎庵を宣伝しようとするしたたかさを持つが故なのだが、ある意味「途方もない事をしたたかにやってのけようとする面」が、彼女が傲慢と呼ばれる所以なのには違いないのだろう。

 6人目は「スロウス」の罪の名を持つ麻耶ちゃんである。スロウスは「怠惰」を意味する言葉であり、それ故に悪魔の麻耶ちゃんは何時も怠けていて、一日の大半を何か適当な理由をつけては寝てばかり過ごしている。元々小悪魔的な魅力をも併せ持っている麻耶ちゃんだけに「怠惰」も似合っているが、本編の麻耶ちゃんは確かにめんどくさがり屋な一面こそあるものの、一方で努力家で思慮深い一面もあり、何より好奇心旺盛な活動家である為、スロウスの様な何時も怠けている麻耶ちゃんとは全くの対照的とも言える。ただ、どちらのセカイでも恵ちゃんと一緒に居る事が多いのは共通している。

 由来が少し分かりにくいのだが、恐らく「麻耶ちゃん自身が持つ怠惰な気持ち」が大いにあると考えている。つまり彼女の心にある「怠け心」を引き出した存在がスロウスだと言う、何ともひねりのない直球の考えだが、これはごちうさ目線で罪の名を無理矢理考察しようとする弊害であり、意地っ張りな所がある私に対する試練でもあると思う。ただ、少々大げさだとも思うが。

 7人目は「ラスト」と言う罪の名を持つ恵ちゃんである。ラストは最後や過去を意味する「LAST」ではなく、切望や色欲(しきよく)を意味する「LUST」であり、罪の名も「色欲」を冠している。その為、本人にはよく理解していないが、その美貌故にあらゆる人を焚き付けて虜にしてしまう特性があり、最終的には国すらも滅ぼしてしまう事すらあるとかないとか……。本人が理解していない為に何とも言い難いが、その恐るべき潜在能力の高さを見るに、ある意味7人の中では誰よりも恐ろしく、誰よりも美しい悪魔なのかも知れない……。

 由来は「彼女も気付いていない無意識の美貌と潜在能力」にあると思われる。本編において恵ちゃんは他に人に比べて突出した個性がさほどない事を気にする面がしばしば見受けられるが、その実本人に自覚があまりないとは言え、何事もマイペースながらもそつなくこなせる高いポテンシャルと、7人の中でも一線を画す様な美貌を兼ね備えている事を窺わせる場面が度々存在しており、その潜在能力の高さは冬優ちゃんとナツメエルを加えた10人の中でもなお突出していると考えている。その為、恵ちゃんは才覚にも個性も十分あると言える。こう思うと悪魔の恵ちゃんは、ある意味彼女の無意識を表しているのかも知れない。

 最後は7人の罪うさぎとは別枠だが、この「ナナラビ」の作者である青山さんについても説明したい。青山さんは作中においては第三者視点の立ち位置におり、この「ナナラビ」の世界観を導く存在として描かれている。冠している罪の名は「虚偽」であり、小説家として「フィクション」を創り上げる存在と言う立ち位置を見せているが、その一方で「虚偽」らしく嘘か本当か良く分からない事を言って幻惑させたり、小説の世界に迷い込んだ者を現実の世界に引き戻す役割も担ったりもしており、その素性を完全に掴み取る事は最早不可能に近い。ミステリアスな青山さんらしいと言えばらしいのだが。

 由来は現実の青山さんの職業たる「小説家と言う名のセカイの生みの親であり、同時に小説内のセカイを司る者」と言う部分から来ていると思われる。ミステリアスな魅力をも持つ青山さんだけにあって多少怖くも思えてくるが、これも「青山さんらしい」と思えばなぜか納得がいく。尤も、そういう思想が何よりも恐ろしいのだが.……。

 以上が私が「ナナラビ」の「罪の名」に対して考えている事である。「罪の名」以前に悪魔を母体としているので、例え「罪の名」が無かったとしても多少なりとも恐怖はあったと思われる「ナナラビ」だが、実際の所はさほど恐怖心が芽生える事も無く、寧ろ「ナナラビ」の世界観にのめり込んでいく自分が怖かった位である。私ももう悪魔的な魅力すら上手く昇華させる、ごちうさエイプリルフール企画の虜なのだろう……。

冬優ちゃんの深層心理

 ここからは一気に視点を変え、冬優ちゃんがこの「ナナラビ」の世界観を知りゆく過程を読み進めていく中で、私が気になった事を中心に書き出したいと思う。

 冬優ちゃんは今月号の前半で「ナナラビ」の世界観の夢を見て、そして目が覚めるのだが、その目が覚めた後に夢の内容を振り返る中で「自分の中の深層心理であの7人を小説内における『罪の名を冠する悪魔』に置き換えてしまった」というくだりがやたら気になった。これが意味する所は「小説の内容と冬優ちゃんの深層心理が彼女の夢の中でリンクした」と言う事であるが、何故そのような事が起きたのかを自分なりにでも解明しようとした所、最早頭がパンクしかねない程に訳が分からなくなってしまった。なので「何故冬優ちゃんは夢の中でナナラビの世界観と木組みの街の住人7人がリンクしたのか」については最早私も良く分からないが、それでも後述する様な「冬優ちゃんは彼女の深層心理における智乃ちゃんのイメージをそのまま具現化した存在が悪魔として夢に現れた事を踏まえ、彼女は改めて何を思ったのか」については説明できる為、今回はそちらの観点から書き出していきたいと思う。

 冬優ちゃんが深層心理で捉えていた木組みの街の住人7人のイメージは、言うならば「ナナラビ」の世界観にいた罪うさぎの「罪の名」と全く同じものであり、それを裏付ける描写も存在している。具体的に言えば心愛ちゃんが「強欲」、智乃ちゃんが「嫉妬」と言った次第であり、これに則った形で言い換えると、作中に出てくる「罪の名」は「冬優ちゃんの深層心理で捉えていた7人のイメージ」を表している事になる。何と言うのか、出逢ってからまだ半年弱と思われる人達を相手に中々踏み込んだ事を深層心理ながら思い浮かべるとは、冬優ちゃんは人を見る目が人並み以上にあるのかも知れない。ただ、冬優ちゃん本人も深層心理で思っていた事が夢に出てきた事に対して申し訳なく思ったのか、自分の心の中で謝っている。尤も、夢の中に出てきた事自体は何も悪い事では無いと思うのだが……。

 そんな冬優ちゃんの深層心理内における木組みの街の住人7人だが、その中でも私が特に気になったのは、最早言わずもがなではあるが「エンヴィ(嫉妬)」の罪の名を持つ智乃ちゃんその人である。「ナナラビ」における智乃ちゃんは「嫉妬の悪魔」だが、冬優ちゃんの夢の中では「嫉妬」と言うより「羨望」という言葉が似合う程に根底に寂しさを隠し切れていない様子が見え隠れしており、冬優ちゃん自身も夢の中の智乃ちゃんがどこか寂しそうだった様子だと勘付いている。尚、智乃ちゃんがその様な寂しげな雰囲気を醸し出していたのは「心愛ちゃんが将来木組みの街を離れる事を決断した事を知ったから」なのだが、冬優ちゃんはこの時点ではまだその事実を知らなかった為、彼女はその後に青山さんに出逢い、ラビットハウスに行くまで謎を抱える事になるが、私としてはそんな冬優ちゃんの鋭い洞察力に改めて驚かされるばかりである。

 では、智乃ちゃんが夢の中で寂しそうにしているのを見て、冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して色々な想いが改めて駆けめぐったに違いないと思われる中で、具体的にはどんな事を思ったのか。それについては、私が思うに今月号にも描写されていた様な「智乃ちゃんの心の支えになってあげたい」と言うのが特に大きいと思うのだが、もう一つ私が大きく思っている事として「私を笑顔にしてくれた智乃ちゃんにも、不安を抱えている一面がある事が分かった」と言う、純粋に智乃ちゃんの内面を一つ知ったと言う事が挙げられ、そう思う理由として「冬優ちゃんは旅行編以前の智乃ちゃんをその目で見ている訳では無い為、昔の智乃ちゃんをよく知らない可能性が考えられる為」と言うのがある。但し、冬優ちゃんと一緒に居る時の智乃ちゃんが自分の内面性をどこまで明らかにしているか分からない(逆も然り)為、決定的な確証には欠けるのだが、冬優ちゃんにしても「どことなく元気がない上にスランプ気味の智乃ちゃんを心配する様子」は見受けられていた為、チノフユの間にあると思われる様々な諸事情を抜きにしても、冬優ちゃんが「自分を笑顔にしてくれた人にも、自分とは少し違う事で悩みがあると感じ取った」のは恐らく間違いないと考えている。

 ここまで冬優ちゃんの深層心理を見て私が考えた事を書き出したが、私としては上記の様な「地に足が着きそうなのにどこか着け切れない」形でしか考えがまとめられない事に対して、正直自分自身の力不足を悔いる想いもある。ただ、抑々冬優ちゃんはごちうさ旅行編(原作8巻)から登場したキャラである為にまだまだ分からない事も多く、煮詰まりそうで煮詰まれない場面に遭遇するのはある意味当然とも言える。だが、私としてはそれでも出来る限り煮詰めたいと考える傾向があり、ごちうさに対してはそれがより強めに出ている。幾ら冬優ちゃんが旅行編からの新キャラだと言っても、私としては木組みの街の住人7人にも匹敵する位の想いを持ちたいのである。

「ナナラビ」について思う事

 この「幻想の屋敷と罪うさぎ」という項目の最後に2021年エイプリルフール企画初出であり、今月号前半を飾る「ナナラビ」こと「Seven Rabbit Sins」について直接的にどう思ったかを少しだけでも書き出したい。また、他の年のエイプリルフール企画についても少し書き出すとする。

 抑々2021年のエイプリルフールに「ナナラビ」が舞い降りた時、私は純粋に喜ばしかった記憶がある。私がリアルタイムでごちうさエイプリルフール企画を知り始めたのは2019年の「クロラビ」と割と最近からなのだが、以降2020年にあった「今までのエイプリルフール企画総振り返り」からの「リプラビ」、2021年の「ナナラビ」と続けて追い続けている中で、この「ナナラビ」は初見時から特に好きだったエイプリルフール企画であり、ごちうさエイプリルフール企画全体の中でもクロラビと並んで最も好きなレベルである。

 何故クロラビとナナラビが並んで最も好きなのかと言えば、私自身「近未来的なハイテクノロジーの世界観と、悪魔的な雰囲気を帯びた世界観その両方が同じ位に好きだから」である。私は昔からテクノロジー好き且つゲーム好きで、最近は悪魔的な雰囲気を帯びたキャラひいては世界観にも惹かれている傾向がある*6為、それぞれマッチングした2つの世界観を好きになる以外の選択肢はなく、それがごちうさと言うなら尚更だった。ただ、実は私自身「ナナラビ」に関しては、最初に見た時7人に「悪魔を彷彿とさせる角としっぽの存在がある事」に気付かなかったと言う中々に恥ずかしい過去があり、今でもそれは少々恥ずかしいのだが、今となってはナナラビは正に悪魔或いは罪の力で蝕む様に、私の心を魅了させ続けている。

 また、私が言う「ナナラビ」の悪魔的魅力についてだが、実の所ナナラビは「罪うさぎ」と言うコンセプトの印象が私にとっては強かった為、私は当初ナナラビを「罪の名を冠した者達の物語」と捉え、悪魔的なコンセプトとは少し異なるものだと認識していた。これには前述の通り、私が抑々悪魔のコンセプトがある事を見落としていた為であり、本編を見る限りは悪魔と呼んで差し支えなかった訳だが、その様な事情を抜きにしても、罪うさぎ達が関する「罪の名」に対しては、初めてこの「ナナラビ」を知った時から私の心を掴んで離さなかった。恐らく他では中々お目にかかれない様な興味深い単語が並んでいたから*7だと思うのだが、初めて知った時から謎に心惹かれていたのである。その後、7人に「悪魔の角としっぽがある事」におそばせながらも気付いた事により一層心惹かれ、本編でも登場した事で更に心惹かれ、最早可愛く美しい悪魔によって心を蝕まれていると言っても差し支えない程に好きになる訳だが、ある意味悪魔的魅力を見出したきっかけは、私にとっては「罪の名」にあったのかも知れない。

 この様に「罪の名」と「悪魔」と言う2つのコンセプトによって、私は「ナナラビ」をエイプリルフール企画の中でも一二を争うレベルで好きになったのある。ここからは余談だが、実はナナラビもといエイプリルフール企画について、私が好きとしている要素は他にも存在しており、それは「7人のヘアスタイル(特に髪の長さ)が本編とは異なった形になっている事」である。例として「普段ロングヘアの智乃ちゃん、千夜ちゃんがショートヘアになったり、逆に普段ショートヘアの心愛ちゃん、紗路ちゃん、麻耶ちゃんがロングヘアになったり、普段と違う髪形を見せたりする理世ちゃん、恵ちゃん」と言った感じであり、普段とは一味違ったヘアスタイルを見る事ができるのが楽しみな上、皆の変化したヘアスタイルもとても似合っているし、何より普段とは違った可愛らしさが存分に発揮されている事が、私がエイプリルフール企画における髪形の変化を楽しみ且つ好きとしている理由である。

3.あとがき

 以上がきらま2021年12月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は衝撃的な展開の連続だった先月号の事もあって、実際に読んでみるまで不安もかなり大きかったのだが、いざ読み進めてみれば今後の展開を握る重要な描写を数多く記載しつつ、且つシリアスな風味を持たせつつもあくまで何時ものごちうさテイストに仕上がっていると言う良い意味で安心出来る内容だったのは記憶に新しい。また、今月号は大きく2部に分けられる物語の構成をしていたので、その意味でも大いに楽しめた記憶が鮮明にある。

 今月号は何と言っても2021年エイプリルフール企画の「Seven Rabbit Sins」が今回の物語の序盤を彩る要素として唐突に登場してきたのが印象的であり、しかも単に独立した構成に留めず、今月号の中盤にも深く関わる重要な局面としても機能させると言う意味でも中々に衝撃的であり、特に前半において夢と言う形で「Seven Rabbit Sins」の世界を体験した冬優ちゃんが、中盤以降「木組みの街の住人7人」の進路事情を知る中で自分にはどういった事ができるのかと、自分で模索して自分で行動に移していくのには、エイプリルフール企画を見事に感動局面に落とし込ませたと言う意味でも、冬優ちゃんの大きな成長が感じ取れると言う意味でも感涙深いものがある。

 また、今月号の扉絵は「Seven Rabbit Sins」における「エンヴィ(嫉妬)」の智乃ちゃんが描かれていたのだが、私はこの扉絵の智乃ちゃんにかつてない程の衝撃を受けた。理由はオッドアイにあり、左目が何時もの智乃ちゃんそのままに、まるでサファイアを彷彿とさせる透き通った蒼い色の瞳だったのに対して、右目がまるでルビーを彷彿とさせる色で大変に美しくありながら、彼女の奥底知れぬ嫉妬や怒りの感情が燃え上がっている様にも感じられるが故に、見る者を圧倒する瞳をしていたからである。その為、私自身智乃ちゃんのオッドアイに対して「簡単には忘れる事の出来ない様な美しさと恐ろしさを兼ね備えた、恐るべき2つの瞳の色」と認識しており、云わば凍てつく様な妖艶さに心惹かれたのである。

 そして先月号最大の衝撃たる「心愛ちゃんの進路選択の真相について」だが、それについても今月号で細かな理由がちゃんと明らかになったのはとても有難かった。また、その理由についてもひたむきな努力家でもある心愛ちゃんらしい理由であり、心愛ちゃん自身が持っているひたむきな熱意や姿勢を思えば、幾ら心寂しいとは言え、心愛ちゃんを引き止める事は最早誰にも出来ないと思う程であった。言い換えるならそれだけ「心愛ちゃんの熱意に心を打たれた」という事であり、彼女の決断を尊重したいと言う証拠でもある。

 最後に、きらま2021年12月号掲載のごちうさは本当に素晴らしい回であった事は書き出しておきたい。ごちうさに対しては今まで幾多の想いを抱いてきたものだが、今月号は特にその想いが強かった事と、今後新たな局面に向けて突き進む事に対して大きな想いも抱いたものであり、今後もその想いを持ち続けたいという事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙51枚分であり、これは現時点で過去4番目である。先月号より更に文量が増えた事から、いかに今月号に対して強い想いがあるかを物語っている。

*1:例外として「うさぎになったバリスタ」は、主に智乃ちゃんの祖父と父をモデルとしている。

*2:但しこれには、理世ちゃん自身が「以前に心愛ちゃんの決断を聞いていた事」も大きいと思われる。その為、もしこれが全くの初見だったのなら思わず圧倒されていた可能性も否定はできない。

*3:理由は言わずもがな、気恥ずかしいのが大きいのだろう。

*4:尚、この罪の名は全て英語であるが、大元はラテン語である。

*5:コーヒーカップに入れたコーヒーの残り柄を使った占いであり、初期にこれをモチーフにしたエピソードがある。

*6:これには私が大好きなゲームである「大乱闘スマッシュブラザーズSPECAL(略称はスマブラSP)」の参戦キャラの影響が多分にある。

*7:罪の名でである「ラース」や「エンヴィ」等。