多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近はごちうさに関して私の中では原点回帰と言わんばかりに、自分の率直な気持ちを書き出す事を意識して書き出してきましたが、今月号を読んだ後に私自身、また新たな境地に向かおうとしているのが感じ取れました。もう後戻りはできないと悟った以上、前に進み続けるのみです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年1月号掲載のごちうさの感想・考察を書きたいと思います。今月号も中々に衝撃的な内容で、私としてもどの様な角度から捉えれば良いのか。少々頭を悩ませている次第でありますが、以前から私は「率直な気持ちを平易な言葉を表す事」を強く意識しているので、今月号も今までと変わらない気持ちで書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作コミック9巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は先月号同様、大きく見ると序盤は心愛ちゃんが見ていた夢である「心愛ちゃんの過去の話」から始まり、途中で冬優ちゃんの手によって現実に引き戻されて、それ以降は「心愛ちゃんと冬優ちゃん」⇒「心愛ちゃんとナツメエル」⇒「心愛ちゃんと智乃ちゃん」と言うカップリングの変遷を見せつつ、現実世界でお話が進んでいくと言う構成をとっている。その為、先月号の展開を知っていると、今月号も「おお、先月号と同じ構成でやってきた。ここからどの様に世界観を見せてくれるのか楽しみだ。」と思える作りになっている。因みに括弧書きで書いた内容は私が今月号を読み進める中で実際に思った事である。

 この様な構造から、今月号は「心愛ちゃんが見た夢もとい心愛ちゃんの過去のお話と、心愛ちゃんと年下組のカップリングが光る現実のお話」の2つが主軸になっていると言え、そのどちらも非常に心打たれる内容になっている。今回は変則的な形態をとった先月号の感想・考察から一転して、物語の順序通りに私の思った事を率直に書き出したいと思う。

2.購読した感想・考察

奇跡の出逢いの過去

 今月号の序盤は(後から分かる事だが)心愛ちゃんの夢の中のお話であり、この内容には「どうして心愛ちゃんが木組みの街に行こうと思ったのか。どうして心愛ちゃんには不思議な想いや雰囲気を纏(まと)っているのか。」その事を読み解く上で特に重要な要素が散りばめられており、先月号から一新して新たな世界に踏み出した読者の心を思わず鷲掴みにする内容だと考えている。

 序盤の重要なポイントは「心愛ちゃんが小さい頃の世界観で紡がれる物語」「智乃ちゃんのお母さんである『サキ(咲)さん』と心愛ちゃんとの出逢い」の2つだと考えており、後者は特に後の心愛ちゃんの思想に大きな影響を与えた観点でも、不思議な縁に引かれて心愛ちゃんとサキさんが出逢ったと言う観点でも、とても重要な事だったと感じ取っている。因みにその出逢いは「迷子になって泣いていた幼少期の心愛ちゃんが、通りすがりのサキさんと出逢い、そのサキさんが披露した手品を見て、心愛ちゃんはサキさんのことをまるで「まほうつかい」の様に思った事」から始まっており、私としては何か不思議な想いを感じるばかりである。まるで「こんな幻想的な想いは本当に存在したんだ……。」とただひたすらに思う程に。

 また序盤においては、今まで謎に包まれていた心愛ちゃんのお母さんと、4兄弟の内兄2人の名前が遂に明らか)になっており、心愛ちゃんのお母さんはサキさんから「ちょこちゃん」と呼ばれており、心愛ちゃんの兄2人はそれぞれ「ケイ」「イツキ」となっている。因みにこの3人の名前を全て合わせて組み立てると「チョコケーキ」と言う何とも美味しそうな名前になる。

 この様に数々の謎が明らかになった序盤なのだが、個人的には序盤の展開の中に少し気になる描写があり、それを書き出すかどうかについては、内容が決して明るい事では無いが故に少々思い悩む所があるのだが、何度も言う様に私はあくまで「率直な気持ちを書き出す事」を信条としているので、思い切って書き出す事にする。ここからはそんな幻想的な雰囲気に溢れた序盤の展開を読む中で、私が何を感じ、思ったのか。その事を出来るだけありのままに書き出したいと思う。

揺り動かされし子供心

 今月号の序盤を読み進めていく中で、このカテゴリーは個人的には絶対に外せないと思うものであり、これは「幼少期の心愛ちゃんが、迷子のさなかにサキさんと出逢って一緒に木組みの街を探検していく中で、彼女がいったい何を感じ、何を思ったのか」を自分なりに考えたものである。

 抑々幼少期の心愛ちゃんは、基本的には全くと言って良い程今と変わらない好奇心旺盛さとマイペースさを併せ持っており、その好奇心旺盛さ故に、良くも悪くも興味のある事に対してどんどんのめり込んでしまう為、かつてトランプで姉に勝てない事に自分の非力さを覚え、修行と称して三輪車で途方もない修行の旅を計画して、姉であるモカさんに怒られたり、今月号の様に一人迷子になってしまったりしているのもこの幼き頃である。この事から心愛ちゃんは「成長した今でも、昔と何ら変わらない子供っぽい所がある」と言えるのだが、それと同時に「自分に足りないものがあれば、どんなに大変でも努力しようとする一面や、好奇心の赴くままに行動する事で、無意識の内に多くの出逢いの経験を重ねている事」が読み解け、これらも今の心愛ちゃんと何ら変わらない。ある意味心愛ちゃんは「昔から幼さと大人っぽさを持ち合わせており、それは今でも変わらない」と言えるのだろう。

 そんな幼少期心愛ちゃんだが、木組みの街での出逢いは彼女の人生観に多大なる影響を与えたのは間違いなく、それは今月号に描写されている彼女のキラキラした輝かしい反応が証明している。その感じた事たるや、一つ一つ辿ろうとしたら、恐らくいくら追いかけようとしても追いつけそうにない位であろう。それだけでも非常に輝かしい事なのだが、そこに「子供の頃の経験は、成長してもずっと何かしらの影響をもたらす」と言う私の考えを付け加えると、私としてはより輝かしいものになると考えている。

 抑々私は「三つ子の魂百まで」*1と言わんばかりに、幼い頃の記憶というものに対して特別な想いを抱いており、故に幼き時に体感したものを大切に扱いたい想いが強く存在している。こう思うのには「幼き時の想いは、年を重ねてもずっと忘れないで受け継がれていくものだから。」と言う自分なりの考え故であり、この様な考えに想いを馳せ、色々な出来事に身を重ねてみると、より輝かしく見えてくる。この場合なら、今の心愛ちゃんを想い浮かべながら、昔の幼き心愛ちゃんの経験や決意を知る事で「この様な経験があったから、今の心愛ちゃんの決意や覚悟に繋がっている」と知れる事が何よりも喜ばしいのであり、私にとって大きく心動かされる瞬間でもある。色々意見はあるとは思うのだが、やはり幼き頃に経験した衝撃は何物にも代え難いものだと思うし、それは心愛ちゃんにしても同様だと思っている。

 この様に幼き心愛ちゃんは、木組みの街での出逢いの中で、現在に至るまでの確固たる意志を築いたと私は考えているが、この時の幼き心愛ちゃんが築き上げた重要な意思はもう一つあると考えている。それは智乃ちゃんのお母さんであるサキさんが「大きくなったら何になりたいの?」と言う質問をした事に対して「大きくなったらまほうつかいとお姉さんになりたい」と言う願いを言った事である。そして、この心愛ちゃんの答えに対してサキさんはいつかなれる様にとおまじないをかけてあげているのだが、私はこのシーンに一体どれほどの意味があるのか。その事について理解を深く進めていく事になった。

 元々心愛ちゃんはDMSでもある様に、幼い頃はまほうつかいに強い憧れがあった事自体は既に明かされている事実であり、この時私は「心愛ちゃんはまほうつかいが好きなのか」とそこまで深く受け止めていなかったが、今月号を読んでから色々考えを張り巡らせてみてから真相に気付いた時、DMSのあのシーンには「嗚呼、これだけの深い意味があったのか……。」と、思わず身震いした。そして、この事実は同じくDMSオリジナルである魔法少女チノが幼き心愛ちゃんに対して色々な魔法を披露した事」にも繋がっており、恐らく心愛ちゃんにとってまほうつかいとは「誰かに夢や希望を与えてくれる大切な人」を指しているのだと思った。勿論、本当の事は心愛ちゃんのみぞ知る訳だが、これで分かるのは「魔法使いのステレオタイプ*2なイメージばかりしていると、何時まで経ってもごちうさにおけるまほうつかいの真意にはたどり着けない」という事だろう。

 ここまで心愛ちゃんが考えている「まほうつかい」について考えを馳せてみたが、こうしてみると気になる事が出てくる。それは心愛ちゃんは「何時から魔法使いに対して強い憧れを持つ様になったのか。」である。作中で描かれている所から判別するなら、幼少期である事は間違いないと思うのだが、ここからが地味に曲者。何故なら作中でも「まほうつかい」を象徴する代表的な描写であるDMSでのまほうつかいのくだり(魔法少女チノは除く)と、木組みの街に訪れた事の一体どちらが先なのか判断できない為に、断定するのが非常に困難を極めるからである。勿論、心愛ちゃん本人の反応を見ればある程度は推察できるとは思うのだが、それでも100%完璧に判別できる保証はどこにもない為、やはり困難だと思われる。

 だが、ごちうさにおいては「明確な時系列が分かりにくい事例」はこの他にも多くある上、幾ら「成長と変化を読み解くのが重要な作品」とは言え、明確に時系列を解き明かさなければならない程にガチガチのパターンが組まれている*3訳でも無いし、事実ごちうさは明確な時系列が全て明らかになっていなくても、きちんと物語として成立している事を思えば、時系列をガチガチに明確にする事に対して、そこまで必死になる必要は無いと考えられるかもしれない。

 しかしながら、今回の「まほうつかい」の件に関しては、時系列を明確に解き明かさなければならない理由があると私は考えている。何故なら木組みの街に訪れたのが、DMSでのまほうつかいのくだりよりも先の場合、サキさんとの約束が非常に意味を持つが、逆の場合(DMSでのまほうつかいのくだりが先な場合)だと意味合いが根底から全く違ってくるからである。言い換えるなら「サキさんの様なまほうつかいに憧れたからこそ、DMSであった様なまほうつかい姿を披露したのか。はたまた自分の中で元々まほうつかいに対して憧れがあり、それが木組みの街でサキさんと出逢った事で確固たるものになったのか。」と言う事であり、ここから「この2つは似て非なるもの」なのは明らかであり、時系列を解き明かさなければならないと私が躍起になる理由も分かると思われる。尤も「いくら説明されても、理解できないものは理解できない」と、突っぱねられてしまう可能性がある事も重々承知している。

 ただ、明かされる真相が何であっても、心愛ちゃんがまほうつかいに対して何か強い想いがある事には違いないと考えている。そうでなければここまで重厚に扱われる事はない訳であり、恐らくは物語の根幹に関わる様な、何か重要なメッセージがある様に感じているのである。

 因みに当の心愛ちゃん自身は、木組みの街に来た時にはあまりに幼かったが故なのか「自分が木組みの街に来た時の記憶は殆ど覚えていない」と公言しており、感覚として「凄くワクワクして楽しかった事だけはうっすら覚えている位」の記憶しかないそうだが、この序盤に描かれた彼女の夢の内容を見るからに、この様な事が言えるかもしれないと思った。それは

「彼女はもう嘗ての木組みの街の記憶は明確に思い出せないかもしれない。しかしながら、その記憶は彼女も気付かない様な心の奥深くに眠っている。」

という事である。ある意味彼女は嘗て体感した木組みの街での出来事を「記憶ではなく、感覚で覚えている。」のかも知れない……。

まほうつかいの意味

 ここまでは主に幼少期の心愛ちゃんに焦点を当ててきたが、ここからはその幼少期の心愛ちゃんにあらゆる未知の事を教えてくれた「サキさんもといまほうつかい」に焦点を当てたいと思う。

 抑々サキさんは名前を「香風咲」と言い、タカヒロさんの妻であり、智乃ちゃんのお母さんであるが、智乃ちゃんがまだまだ子供だった時に何らかの理由(尚、明確な理由・時期については一切明かされていない)で早世*4してしまっている。それ故に現在の時間軸では基本的に登場する事はないが、ハロウィンの時には、まるで魔法にかけられたかの様に心愛ちゃんの前に現れ、智乃ちゃんのお母さんとして心のこもった沢山のメッセージを心愛ちゃんにもたらしたのは、私にとっても深く心に刻まれている。あの世界観が一体何かについては分からないままだが、きっとハロウィンに伝えられた伝承が、一つの奇跡を起こしたのだと私は思っている。言うならば言葉では決して説明できない、文字通り「まほう」がもたらした奇跡のセカイを……。

 生前は心愛ちゃんのお母さんと学生時代から仲が良く、お互いに「うさぎちゃんとちょこちゃん」と呼び合う程の仲の良さであり、学生時代にはそれなりに羽目を外す事もあったそうである。ただ、大人になってからのサキさんは、時々学生時代の様な弾けた姿は見せつつも、基本的には上品な人だった様である。また、手品が非常に上手く、幼き頃の智乃ちゃんや心愛ちゃんを手品で喜ばせていた姿は非常に印象的である。因みに心愛ちゃんは無意識の内に嘗てサキさんが行っていた事を踏襲若しくは遺志を継ぐ様な行動をする場面*5がしばしば見受けられ、心愛ちゃん本人には全くと言って良い程自覚が無いが、これもある意味「サキさんから心愛ちゃんに『まほう』が受け継がれている証拠」と言えるのかも知れない。

 幼少期の心愛ちゃんと行動を共にしていた時のサキさんは、幼少期の心愛ちゃんを導く形で木組みの街を案内しており、この時にまだ幼い心愛ちゃんが多大なる影響を受けたと思われると言うのは先ほど書き出した通りである。ここで興味深いのは寧ろ心愛ちゃんがお母さんと合流した後*6であり、詳しくは割愛するが、私としてはサキさんとちょこちゃんのやり取りを見るに、ちょこちゃんは「物事には必ず理があると考えている」様な現実主義者である一方、サキさんは「誰にでも魔法を使える資質があると考えている」様なロマンチストな一面がある様に思える。

 私としてはこの事実は結構重要な事だと考えていて、極端な事を言うならサキさんが「まほうつかい」の力を信じている様なロマンチストな一面があったからこそ、幼少期の心愛ちゃんにも「まほうつかい」の想いが受け継がれたとすら言えるのではないかと思う程であり、ここからごちうさにおける「まほうつかい」の意味として私は

「無償の愛をもって人を導く様な、ロマン溢れる強き想いを持った人」

を言うのではないかと思っている。無償の愛とは「見返りを一切求めないで人に尽くす事」を言い、言うならば「人が幸せな想いをしてくれるなら、どの様な事でも厭わない(=ためらわない)」事を指す。ごちうさ他人に対してむやみやたらと見返りを求めず、人の意思を尊重する事を何よりも大切にしている作品でもあると考えており、人間である以上何時もその様なスタンスではない事は承知の上で、個人的には全員が基本的にその傾向にあると考えているのは大前提として、とりわけ心愛ちゃんや千夜ちゃんが特にその傾向が強くあると感じており、そして今月号のサキさんもそれが強く現れていると感じ取っている。そう思うなら、サキさんが言う様に「誰もがまほうつかいの資質を持っている」と言うのも説明がつく上、現在の登場人物の中ではサキさんを母に持つ智乃ちゃんを除いてそのまほうを特に身近で観ている描写が存在する心愛ちゃんが「サキさんのまほうの影響を色濃く受ける」のも、個人的には合点がいく。

 この様にごちうさにおける「まほうつかい」の意味に関しては「無償の愛をもって人を導く様な、ロマン溢れる強き想いを持った人」と言う、我ながらロマンチストな一面全開の見解を持っているとは思う。ただ、それにはきちんとした理由があり、それは過去の手痛い経験故である。

 抑々私はごちうさを読んでいる中で、ハロウィンでの出来事も何が何だか良く分からないままに魔法にかけられた気分ではあったし、他にも理論的に紐解こうにも最早不可能だと悟った場面は数多くあった。この時点で「ロマンチストな一面を出した方が良い見解が出る」と悟った上で、そちらの方向に舵を切ればある意味良かったのだが、どういう訳か私は変な意地を張って、ロマンチストな見解を無理矢理かなぐり捨ててまで何でもかんでも理論的に紐解こうとした。結果は最早自分でも分かり切っていたとは思うが、どうしようもなく錯綜した苦悩を引き起こしただけで、見るも無惨な結果になってしまったのは言うまでも無かった。言ってしまえば無駄な悪あがきであるが、出来レースとは分かっていても、どうにも認めたくなかった自分がどこかにいたのであろう。だが、結局は自分が本能的に気付いた事には勝てなかった。でも、その方がある意味良かったのかも知れない。何故ならそうでなければ、未だに錯綜した気持ちを持ち続けたまま、どうにもならない事で悩んでいたかも知れないのだから……。

 結局の所、この手痛い経験からごちうさを紐解く上で私に必要だったのは「緻密な計算を読み解く力と、ロマンを持ち続ける心意気」の両方だったと思い知らされ、苦悩を乗り越えた後はごちうさもといあらゆる物事に対して、ロマン溢れる見解を出す事に積極的になってきている。元々ロマンチストな一面に対して憧憬(しょうけい)意識があった私の事なので、ある意味当然の成り行きだとは思うが、この経験があったからこそ、今月号のサキさんの想いに対してここまでの見解を持つ事ができているのである。

一縷の悩みと希望

 この様に色々な意味で前向きな想いを書き出してきたが、最後にこの序盤を読んで少し気になった事を書き出したいと思う。とは言ってもそこまで深刻なものでは無い事は言っておきたい。因みに一縷(いちる)の悩みは、ここでは「僅かながらの悩み」の意である。

 序盤で私が気になったのは「心愛ちゃんとサキさんが一緒に木組みの街をめぐった描写がある場面」であり、ここでは後に心愛ちゃんが後に木組みの街で出逢い、かけがえのない物を一緒に創り上げていく事になる人達と、幼き時には知ってか知らずか既に巡り逢っていた事が分かる*7意味でも重要な局面なのだが、個人的により重要だと思ったのは、初期組の中で今まで存在さえ全くと言っていい程描写されていなかった「理世ちゃんの母親」が僅かながら描写されていた事であり、これ自体は良かったのだが、今まで明かされていなかった分、やはり少々複雑な気持ちだった訳である。

 ただ、ごちうさに対して様々な想いを持ち、多くの紆余曲折故に散々なまでに悩んできた過去を経て今がある私にとって、最早思い悩んで立ち止まる事は似つかわしくない。その為、これからどのような事が明かされたとしても、全力と受け止める気でいる。もう、思い悩む事にはなりたくないのである。

 因みにこれ以外にも、幼少期の心愛ちゃんとサキさんが木組みの街を散策中に狩手結良ちゃんとその結良ちゃんの母親らしき人物が描写されていたのも、個人的には気になった事の一つなのだが、いかんせん結良ちゃんについては謎が多過ぎる為に、どう捉えるべきなのか良く分からなかったのが正直な所である。ただ、私は結良ちゃんの事は結構好きなので、ここから結良ちゃんの色々な一面が見えてきたら良いなとは思っている。

継承されし想いで溢れる現在

 今月号の序盤は心愛ちゃんが見てみた夢の話だが、中盤からはベンチで白目をむいて寝ていた心愛ちゃんを見て、危険だと思って心配した冬優ちゃんにビンタで叩き起こされてからは、物語は現在の時間軸になり、以降は基本的に今月号の最後まで現在の時間軸となる。因みに心愛ちゃんは冬優ちゃんに叩き起こされた際、最初は寝起きという事も相まってかなりぽわぽわしていたが、その後はちゃんと話せているので、大丈夫な事が確認できる。ベンチで寝てしまうとは何とも心愛ちゃんらしくはあるが、冬優ちゃんの心配通り白目をむいている状態が本当に危険な状態のサインである事も十分に考えられる為、冬優ちゃんの行動に非はない。尚、冬優ちゃんにしても心愛ちゃんに対して殴って叩き起こした事を直ぐに謝っており、心愛ちゃんもそれを許している為、結果的には大事(おおごと)にならずに収まって良かったと言える。

 中盤からは心愛ちゃんを中心としたストーリー進行であり、そこに最初は冬優ちゃん、途中からナツメエル、最後は智乃ちゃんと、年下組が入れ替わり立ち代わりについていく形になっている。そんな中盤から今月号最後までの重要なポイントは「心愛ちゃんと年下組の化学反応」「受け継がれていく想い」の2つであり、どちらも序盤に匹敵するほど非常に重要な要素を持っていると考えている。私が「受け継がれる想いは本当にあった。」と改めて思わされたのもこの中盤以降の展開を読んだが故であり、やっぱりごちうさは凄い作品だと思わされてもいる。

 そんな中盤以降の展開だが、今回はまず「ココフユ」「ココアとナツメエル」「ココチノ」と言う感じに、3つのカップリングそれぞれから感じた事、考えた事を率直な気持ちをもって書き出し、最後にまとめて「この3つのカップリングから何を感じたのか」をまとめて書き出したいと思う。やや複雑そうに見えるが、まずは物語に沿った形で感想・考察を書き出し、そこから中盤以降の展開を通して見えた事を書きまとめる形態になっていると考えてくれれば幸いである。

心愛ちゃんと冬優ちゃん

 中盤最初のカップリングは「ココフユ」であり、この2人は旅行編の時に「知らないセカイに飛び込む勇気を授けた人と、授けられた人」と言う深き関係性を築き上げた経緯故に親交が深く、それは心愛ちゃんが冬優ちゃんの事を下の名前にちゃん付けする、心愛ちゃんのいつも通りの呼び方で呼び、冬優ちゃんは心愛ちゃんの事を「ココ姉」と呼ぶ事からも窺える。また、この2人は何気に「高校進学を機に外のセカイから木組みの街に来た」と言う意味でも共通しており、ある意味「運命に導かれた2人」と言えるだろう。

 そんなココフユだが、冬優ちゃんが心愛ちゃんを叩き起こしてからは2人で行動を共にしている。尚、叩き起こした際に心愛ちゃんは夢で見た内容を想起しており、物思いに耽っていた様子を見せていたが、冬優ちゃんにその内容を聞かれた途端にその夢の内容を忘れてしまっている。それだけ心愛ちゃんにしてみれば、嘗ての木組みの街の記憶をはっきりと思い起こす事がどれ程難しいのかが分かるだろう。ただ、冬優ちゃんはその事を全く責める事は無く、直ぐに心愛ちゃんに対して「自分に対して勇気を授けてくれた事」に対して感謝の気持ちを心愛ちゃんに直接表しており、かつて自分の気持ちを伝える事もままならなかった一面が見受けられた冬優ちゃんが、木組みの街の住人ひいては心愛ちゃんの勇気ある助言がきっかけでどれほど大きく成長したのか、それがはっきりと認識できる意味でも重要な意味を持っていると思う。

 尚、ココフユは途中から心愛ちゃんと逸れた*8智乃ちゃんを探しに行ったのだが、智乃ちゃんは自分より知らない年下の子を街案内しており、ここでも智乃ちゃんが他人を導けるまでに大きく成長している事が窺える。ただ、冬優ちゃんはその様な智乃ちゃんの行動を見て、自分以外にも丁寧に接している子がいる事に対してかなりの嫉妬の感情を滲ませており、冬優ちゃんにも「自分と智乃ちゃんだけの特別な何か」を渇望しているのが良く分かる。或いは、10代半ば特有の心情が表れたと言うべきか。何れにしても、冬優ちゃんのそういう一面は、10代半ばに良くある複雑な心境を上手く表していると、個人的には考えている。

 そんなココフユの2人を見て私としても色々考えたものだが、大事だと思ったのは「冬優ちゃんが精神的に大幅に成長している事が分かる」のと「冬優ちゃんにも智乃ちゃんに対して私だけにして欲しいと思っている事もある」の2つが分かった事だと考えている。前者は言うまでも無く「冬優ちゃんの精神的な成長」を表しており、木組みの街に来るまでは恥ずかしさ故に見知らぬ人とは腹話術なしでは中々会話できなかった状態から、自分に勇気を授けてくれた人に対して直接自分の言葉でお礼が言えるまでに精神的に成長した冬優ちゃんを見て私は

「冬優ちゃんは本当に人として大きくなった」

と思ったものである。思えば旅行編の時は高校進学を機に見知らぬ街に行かなければならない事実に対して嬉しさもある反面、1人孤独に涙を浮かべるまでに不安が滲み出ていた冬優ちゃんが、心愛ちゃんを始めとした木組みの街の住人との奇跡の再会を経てここまで精神的に成長した事は、個人的には非常に大きな意味を持つと考えている。

 また、もう一つの「冬優ちゃんにも智乃ちゃんに対して私だけにして欲しいと思っている事もある」と言うものについては、端的に言えば「冬優ちゃんにも割と嫉妬深い所があると分かった」という事であり、これは別にとりたたて言う事でもないとは思うが、ごちうさにおいて嫉妬は要所において結構重要な役割や意味を持っている事がある*9ので、個人的には覚えておいて損はないと思う。

 そして、最終的にココフユの2人は、冬優ちゃんがお使いに頼まれているという事で終わりを告げ、ここからは少しだけ心愛ちゃん1人での行動となるのだが、その際智乃ちゃんが見知らぬ子と一緒に木組みの街を仲良く楽しそうに散策しているのを心愛ちゃんが見た時に浮かべていた表情が、心愛ちゃんが普段見せない表情だったが故に色々と考えさせられる表情になっているのだが、これについては後に細かく書き出すとする。

心愛ちゃんと神沙姉妹

 冬優ちゃんと別れた心愛ちゃんが次に会った年下組は、ブライトバニーの社長令嬢であり、マヤメグと同じ学校の同級生でもある双子の妹の神沙夏明(ナツメ)ちゃんと、双子の姉の神沙映月(エル)ちゃんの2人であり、その2人は心愛ちゃんの横から2人合わせてひょこっと飛び出すと言うちょっとしたサプライズを仕掛けて、心愛ちゃんを驚かせている。因みにこの時の2人の表情は、多少差異があるとは言え、2人共とてもにこやかな顔を見せており、口調も結構弾んでいる様に感じられる。この事から、私としても神沙姉妹の2人が心愛ちゃんと会うのがとても楽しみしている事が窺える事にほっこりするのと同時に「心愛ちゃんはやっぱり天然で人を惹きつける魅力があるんだなぁ……。」と、思わずやきもちを焼く意識に駆られなくもない訳である。ただ、心愛ちゃんと神沙姉妹の可愛らしいやり取りを見れば、ある意味そんなやきもち焼きをも吹っ飛ぶくらいにほっこりする気もするのだが。

 今月号における「心愛ちゃんと神沙姉妹」と言うトリオの行動を簡単に言えば「現代版木組みの街散策」である。ただ、まず心愛ちゃんと神沙姉妹の3人は、夏明ちゃん曰く「不気味かわいいうさぎ」*10に近づいてみたいが、勇気が出ないから心愛ちゃんも一緒に行って欲しいと頼み、それを心愛ちゃんは快諾し、そこから木組みの街をあちこち散策しようと心愛ちゃんが提案して、神沙姉妹はそれを快諾すると言うのが事の流れとして存在している。因みにその際心愛ちゃんは「直ぐに迷うから元の場所に返ってこられる保証はない」と、割に威勢よく神沙姉妹に忠告しているが、正直極度の方向音痴な事を威勢よく言われても困ると思われる。

 そんな不安要素を抱えていた心愛ちゃんと神沙姉妹のカップリングだが、いざ散策を始めると3人共とても楽しそうにしており、街のあちこちで出逢う友達とすれ違ったり対面で声を掛け合ったりと、結果的には大成功を感じさせる描写があちらこちらにあったので、私としても安心だったし、心愛ちゃんにしても神沙姉妹にしても、3人で木組みの街を一緒に散策できたのは嬉しかったと思われる。

 この様な経緯から、私としては心愛ちゃんと神沙姉妹がこの様な形で楽しんでいた事に対して非常に悦び(よろこび)を感じている。抑々神沙姉妹は社長令嬢故に家柄を普通の人以上に見られやすく、また家の事情故に転校も多かったが為に2人だけの非常に狭いセカイで生きざるを得なかった経緯を持つ姉妹である為、旅行編で出逢った木組みの街の住人と木組みの街で奇跡の再会を果たすまで、同年代の人と殆ど馴染めない人生を歩んできた事は想像に難くなく、かなり窮屈な人生だったと考えられる。

 そんな人生を送ってきた中で、木組みの街で奇跡の再会を果たしてからと言うもの、同じ学校の同級生の友達がいて、違う学校の同級生にも友達がいて、年上にも沢山の友達がいて、そこから自分達の居場所も出来てきて、更に木組みの街の住人の心の温かさに触れて、どんどん自分を積極的に前に出していく神沙姉妹を見るのは、それだけでも非常に微笑ましい事なのだが、今回はそこから年上の心愛ちゃんにエスコートされる形で木組みの街を一緒に巡ると言う中々に貴重な経験をしている。その事は、神沙姉妹にとってきっとかけがえのないものになったと思うし、木組みの街で大切な人と大切な思い出を創れた事に大きな意味を持ったと考えられる。

 最終的に心愛ちゃんと神沙姉妹の3人は、神沙姉妹が木組みの街を走っている列車に乗る形で終わりを告げ、その後は心愛ちゃんが1人になるも、直ぐに智乃ちゃんと出逢って丸く収まるかと思いきや、そうは問屋が卸さないのである。

心愛ちゃんと智乃ちゃん

 心愛ちゃんが最後に出逢った年下組は今まで逸れていた智乃ちゃんであるが、心愛ちゃんと久々に再会した智乃ちゃんの顔はどこか曇っていた。それもそのはず、智乃ちゃんは心愛ちゃんが年下組(恐らく神沙姉妹)と楽しそうにしている様子を目撃しており、自分の知らない所で楽しそうにしていた心愛ちゃんに対してあからさまに嫉妬の感情を見せていたからである。ある意味「小説内において「エンヴィ(嫉妬)」の名を冠する事だけの事はある」とは思うが、やはりそういうお年頃と言う事なのだろうか。 尤も、年下組と仲良くしていたのは智乃ちゃんにしても同じ事であり、実際に心愛ちゃんは、その事を自分も多少嫉妬している事を思わせる表情を見せながら指摘している。ただ、その様な事で変にギスギスしないのもココチノの良い所でもある。

 今月号最後の主たるカップリングの「ココチノ」は、主に「逸れてからの行程をお互いに語り合う」形になっており、ここで色々な事が分かる様になっているのだが、個人的に重要だと思ったのは、心愛ちゃんが最早自力では思い出せなくなっている「嘗ての木組みの街で出逢った人」を智乃ちゃんは(ある意味当然だが)分かっている事であり、実際に智乃ちゃんは細かく特徴を言われてもいまいちピンと来ていない心愛ちゃんに対して、その「嘗て心愛ちゃんが出逢った人」を彷彿とさせる仕草を披露してもいる。それを見た心愛ちゃんは漸く嘗て出逢った人と、今の智乃ちゃんの仕草が良く似ている事に気付いたが、それでもそれが誰なのかをはっきりと分かっている様子は見受けられず、やはり彼女にとって「嘗ての木組みの街の記憶」を呼び起こすのはそれだけ困難を極めるのが窺える。ただ、嘗て木組みの街で出逢ったお姉さんと、智乃ちゃんの仕草が似ていた事を呼び起こしてくれた事に対して、心愛ちゃんは感謝の言葉を伝えている。

 個人的には心愛ちゃんが「嘗ての木組みの街で出逢った人をはっきりと分からないのはある程度致し方ない」と考えている。これはあくまで私の推測だが、ココチノにとって共通の存在である「まほうつかい(サキさん)」とは、智乃ちゃんにとっては自身の母親という事も相まって、ずっと身近で観てきた存在であったとしても、心愛ちゃんにとってはいくら自分の母親の友達だとは言え、まだまだ幼かった頃に何らかの理由で木組みの街を訪れ、そこで半ば奇跡的に出逢ったきりだった事が容易に想像できるのではないかと考えている。つまり出逢った回数が抑々違い過ぎるという事である。

 作中では殆ど言及されていないが、心愛ちゃんの実家がある地域と木組みの街とではかなりの移動距離がある事が想像でき、それ故にそう易々と頻繁に行き来する事は出来ないのは何となくでも理解できる。更に言えば、抑々心愛ちゃん達が何故家族で木組みの街に出掛けたのかも、詳しく言及されていない為に断定はできないが、恐らくは当時の幼き心愛ちゃんにとってはイレギュラーつまり非日常だったのは十分に考えられる事であり、その延長線上にサキさんひいては「まほうつかい」との奇跡の出逢いがあったと仮定するなら、抑々の出逢った回数の少なさが起因して、今の心愛ちゃんの様な「楽しくも大切にしたいと思った記憶はうっすら思い浮かべられるが、はっきりと思い出す事は難しい」と言う状態も個人的には納得できる。

 ただ、心愛ちゃんがはっきりと思い出せない一番の要因はやはり「月日の経過」が大きいだろうと考えている。これは先の仮定通り「心愛ちゃんとサキさんの対面的な出逢いがあの時以外基本的になかった事」が前提となるが、人間はどうしても月日が経過すればするほど嘗ての記憶は曖昧模糊になっていくものであり、自分では覚えておきたいと考えていた事でも、長い年月の経過とともにどうしてもその記憶は薄れていくのは避けられず、それ故に心愛ちゃんは思い出したくても思い出せない状態になってしまったのではないかと考えている。無論、記憶そのものは個人差が非常に大きい領域である為、一概には言えない事はきちんと理解しているし、それ故に心愛ちゃんが実際の所どうなのかは本人以外正確には分からないとは思うが、私はこの様に考えている。

 結論としては、心愛ちゃんは「嘗て自分が木組みの街に来た記憶そのものは覚えているが、頭で整理して言葉で伝えられるまでにはっきりとは覚えていない状態」にあると考えられ、それには「抑々出逢いの機会が僅少だった事と、絶対的な月日の経過」が大きく関わっていると考えられる。ともすれば、今後心愛ちゃんが自力で記憶をはっきりと思い浮かべ、尚且つそれを継続させるのは、今月号の描写を見る限りかなり難しいと思われるが、それでも心愛ちゃんがあの時の記憶を完全に忘れてしまう事はないと思える要素はあると感じている。それは先述した今月号最後の場面にある「心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してお礼を言う所」である。

 この場面は今月号の流れを汲めば分かるのだが、智乃ちゃんからしてみれば「何故心愛ちゃんからお礼を言われたのか良く分からない」という心境であり、それは智乃ちゃんの戸惑った反応を見れば良く分かる。言ってしまえば訳の分からない事に振り回されている訳だが、心愛ちゃん側からすると「例の仕草をした智乃ちゃんを見て何か思い起こした事があって、その事に対して感謝の気持ちを伝えた」のだと感じている。最早何が言いたいのか自分でも良く分からなくなりそうだが、私が言いたいのは「心愛ちゃん自身、嘗て木組みの街に来た事をはっきりとは思い出せなくても、感覚ではしっかり覚えているのではないか」という事である。要するに「理論で覚えているのではなく、感覚で理解しているのではないのか」という事であり、頭でははっきり思い出せなくても、心はしっかり記憶している事を物語っている様な、重要な場面だと感じているという事である。

 最後の最後に少々訳の分からない事になりかけたが、確実に言える事として「想いは確実に受け継がれている事」は、このココチノのやり取りからもはっきり確認できると考えている。サキさんが授けた想いは、その想いを直接的に見ていたココチノの2人は絶対に伝わっていると思うし、ココチノの周りの人にもその想いは伝わっていると私は思う。

中盤以降の心愛ちゃんに対して思う事

 ここまでは主に「ココフユ」「ココアとナツメエル」「ココチノ」と言う様に、大きく3つのカップリングそれぞれに分けた上で、考えた事を率直に書き出してきたが、ここからはまとめとして「中盤以降の展開を通して見えた事を書きまとめる」とする。尚、心愛ちゃんの心境は、作中では描写せずに敢えて伏せているケースも少なくない為に、どの様な角度から考察すれば良いのかを見極めるのが他の人以上に難しい傾向にあるが、それでも読み解ける所が皆無な訳では無いので、頑張って読み解くとする。

 中盤以降はカップリングの変遷はあれ、基本的な中心軸は「心愛ちゃん」なのだが、今月号の中盤からはその心愛ちゃんの様々な心境が垣間見えると私は考えている。ただ、最初の「ココフユ」からしていきなり心愛ちゃんの心境を読み解くのが容易ではなく、推し量るのに大分苦労したのだが、恐らくは「冬優ちゃんの成長に悦びを感じた」と考えている。心愛ちゃんも旅行編の時の引っ込み思案だった冬優ちゃんを知っているので、徐々に成長していく冬優ちゃんに対して何か特別な想いがある事は容易に想像できるうえ、今回面と向かって冬優ちゃんから感謝の気持ちを伝えられた時は、表立っては思わず圧倒されていた様子だったが、心の中ではきっと冬優ちゃんの成長を力強く噛み締めていたと思う。

 そして、冬優ちゃんと別れてからすぐに心愛ちゃんは知らない子と一緒に楽しそうに街を回っている智乃ちゃんを一人で見る事になるが、心愛ちゃん自身も凄く印象的な表情を浮かべていたが、個人的にはこの表情こそ今月号の中でも特に深い意味を持つものの一つと考えて間違いないと感じている。

 抑々この場面においては、智乃ちゃん自身も自分より年下の子と一緒に街を回りながら満面の笑みを浮かべているのが描写されており、その観点からも非常に微笑ましくも彼女の成長を強く感じさせるものなのだが、それ以上に心愛ちゃんが見せていた「智乃ちゃんが誰かを導けるまでに成長した事に対して嬉しくもありながら、どこか寂しげにも見える様な凛々しい表情」があまりにも印象的だった。恐らく心愛ちゃんとしても「お姉ちゃんがいなくても、智乃ちゃんは一人でも誰かを導ける様な立派なお姉ちゃんになっている」と改めて感じて、その成長に対して「何物にも代えがたい悦びを噛み締めていた」のと同時に、高校卒業を機に自分の更なる夢を掴み取る為にこの木組みの街を離れていく事を既に決めている心愛ちゃんにとっては「間近で妹の成長を見守れなくなる事に一縷の寂しさを覚えた」のだと感じている。明るい心愛ちゃんにしては珍しい事だと思うが、それだけ智乃ちゃんの成長が嬉しくもあり、その成長が間近で見守れなくなる事や、自分が知らない所で立派に成長していく事に対して寂しさを感じているのだと思う。

 ただ、私としてはあの表情には更なる意味が込められていると考えており、それは「年上としての、ひいてはお姉ちゃんとしての覚悟」と言うものである。抑々心愛ちゃんは四兄弟の末っ子である為、どちらかと言えば皆から可愛がられると言う妹キャラが強めなのだが、同時に姉と兄が身近にいた環境から「お姉ちゃん」に対しても強い憧れがあり、それはごちうさ初期の頃から一貫しているのは周知の事実であり、今月号の序盤を見ればその想いは幼い時に原点があった事が確認できる。その事を鑑みれば、今回心愛ちゃんがあの様な表情を浮かべたのには、上記2つ以外にも「お姉ちゃんは時にこんな気持ちで妹の成長を見守っていた事を肌身をもって理解した」のもあったと思うし、そこには強い覚悟がある事も窺う事ができる。その為、これらを思えばまだまだ至らない点はあるかも知れないが、心愛ちゃんはもう立派なお姉ちゃんと言って良いと思う。それ位、あの表情からはお姉ちゃんひいては年上としての覚悟ある表情をしていたと感じている。

 次は「ココアとナツメエル」だが、ここではどちらかと言うと「心愛ちゃんと神沙姉妹が、純粋に木組みの街の散策を楽しむ事」に重きが置かれている為、前後にあった様な心情をはっきりと表している様な描写は一旦鳴りを潜めている。ただ、心愛ちゃんにしても楽しそうなやり取りを見た智乃ちゃんから嫉妬の感情を剥き出しにされる位だった事から、神沙姉妹を導いていて凄く楽しかったと思うし、元々誰かと何かをする事自体が大好きな心愛ちゃんの事なので、その心境は「楽しいと発見で満たされていた」とは思う。ある意味「ココフユ」とは別ベクトルで心境を推し量るのが難しいが、今までの心愛ちゃんの気持ちの変化を知っていれば何とかなるものであり、それを鑑みると、ここでも心愛ちゃんのポジティブな心境があると考えている。

 最後は「ココチノ」だが、ここでは全体的に読み解けるものが今までと被るものが少なくない為、多少なりとも書き出す内容に難儀しなくもないが、重要なのはやはり心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して抱いた「感謝の気持ち」だと感じている。これは智乃ちゃんが「まほうつかい」という言葉を掛けてくれたおかげで、心愛ちゃんの中で何かが繋がった様に彼女は大きく声を上げていた場面から感じたもので、この時心愛ちゃんの心の中ではきっと「決して言葉では説明できない何か」を感じ取っていたのだろうと考えている。そして、その言葉で説明できない何かとは、それは恐らく「嘗て心愛ちゃんが木組みの街で訪れた時に得た、最早理論で説明しようにもできないが、心の奥深くに確かに存在している記憶」であり、ひいては「誰かを幸せにしたいと言う強き想いそのもの」なのであろう。それは最早、言葉ではいくら説明しても足りない程の輝かしさ即ち「まほう」を、何時だって秘めているのであると私は思う。

3.あとがき

 以上がきらま2022年1月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は今まで謎に包まれていた部分が明らかになった意味でも重要な回だと感じたが、個人的には今回ごちうさにおける「まほうつかい」の意味が垣間見えた事がとても重要だと感じており、それに合わせてロマンティックな文章テイストを意識した部分もある。その為、今までと比べても全体的な雰囲気が結構異なる側面も持っているとは思うが、これも自分なりの考え故である。

 今月号は先月号と同様に序盤と中盤以降で舞台背景も時間軸も大幅に違う構成をとっていた為、いかに序盤と中盤以降でどの様な違いや共通点があるのかを見いだしていくのが重要になると思うのだが、私としては「心愛ちゃんの心境変化や行動パターンの相違」或いは「どの様にして人の想いひいては『まほう』が受け継がれているのか」を見つけていく事が、今月号の序盤と中盤以降を比較していく上で大切な事だと考えている。元々ごちうさは全体的に時の流れを経た想いの変遷や伝播が特に重要な意味を持っている作品なのだが、今月号は特にその傾向が強く、その事も上記2つの様な精神をより一層大切に扱いたいと思わせた。その意味から捉えると、今月号も表立っては良い意味で異質な面もあるが、本質的にはいつもと何ら変わらないごちうさだと思うし、非常に可愛らしさあふれるお話だと思う。

 そして、今月号は色々な意味で新たな門出となるお話になっていると思われるのだが、今回はその意味でも門出を飾るに相応しい内容に仕上がっていたと感じている。色々な意味で衝撃的だった先々月号と先月号を越えて、新たなセカイへと突き進んでいく上での第一歩。それが今回この様な形で描かれたのには、私としても何か強い意味があると思うには十分であり、非常に心に残ったのは言うまでもない。

 最後に、今月号における「まほうつかいの意味の考察」や、今月号で色濃く描かれていた「心愛ちゃんの心境変化」は非常に心満たされるものであった事は書いておきたい。今までごちうさに対して紆余曲折じみた想いを持つ私としても、今月号のこの2つは本当に心満ちゆくものであったし、その事は非常に嬉しかった。その事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙49枚分であり、これは現時点で過去5番目の文量の多さである。先月号よりは多少コンパクトになったが、それでも膨大な量である事には変わらず、何よりこれを1週間足らずで書き上げた事実に我ながら驚く。

因みに文量上位10位をランキング付けすると以下の通り。

※この度見返した所、今まで原稿用紙枚数が1枚足りなかった事が判明したので、これを機に正しく修正しました。なのでこのランキングが最も正確となっています。

1位 400字詰め原稿用紙 60枚分

2位  以下同文   52枚分(文量が少し上)

3位         52枚分

4位            51枚分 (先月号の記事)

5位            49枚分(今回の記事)

6位            43枚分

7位            41枚分

8位         39枚分

9位         35枚分

10位         33枚分

*1:幼い間に身に付けた性質は、何時まで経っても変わらないという事。

*2:物事に対して定型にはめた見方をあてがう事。近いのが「思い込み」である。

*3:極端な事を言うなら、一つでも手順を間違えたら即解読不能になり、如何なる手段をもってしても積み状態から脱却できない程に。

*4:若くして亡くなること。

*5:サキさんが得意だった手品を努力したり、サキさんが作っていたラビットハウスの制服を完成させたりする等。尚、心愛ちゃんは手品も裁縫も初めから上手かったではなく、寧ろ下手な位だった。この事からも、心愛ちゃんが実は凄まじい努力家である事が窺える。

*6:この時心愛ちゃんは、心配した母に対して何食わぬ態度で「お母さんがはぐれた」と、あっさり人のせいにしている。この一面も昔と今でなんら変わらないのだが、幼子だった頃ならともかく、成長した今でもその様な態度をとり続けると、どれ程親しい人が相手であっても「自分勝手が過ぎる」と軽蔑される危険性がある為、少々心配である。尤も、人間には多かれ少なかれ自分本位な所がある生き物なのだが……。

*7:但し、当の本人達がその事を覚えている可能性はかなり低いと思われ、特に心愛ちゃんは「幼い時に木組みの街に来た事はもう殆ど覚えていない」と公言している為、尚更である。尤も、たとえ覚えていたとしても、幼子の記憶で止まっている状態からいきなり高校生になった姿を見ても咄嗟にピンとは来ないと思うが……。

*8:因みに逸れた(はぐれた)理由は明らかにされていないが、今までのパターンを鑑みるに心愛ちゃん自ら何らかの理由で勝手に逸れたのであろう。

*9:と言うか、先月号でもあった「ナナラビ」は嫉妬とも深い結び付きがあり、その「嫉妬」の名を持つ悪魔こそ、冬優ちゃんと同じ学校の同級生の智乃ちゃんがモデルである。

*10:因みにこの着ぐるみに入っていたのは理世ちゃんである。ただ、本人は着ぐるみバイトをやっている事を知られるのが照れくさい為か、3人に対して「内緒だぞ」と忠告している。