多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2026年3月号のごちうさ感想・考察「シュール劇場と魔法の本質」

 2026年初頭からマンガを読む事には事欠いていない私。何年も前からその兆候はあった中、去年の後半から遂に「マンガの感想を書く際には忌憚ない意見を叩き付ける」と「名実共に」決心したのだが、それは2026年でも全く変わっていないし、寧ろ去年より更に容赦はしなくなっている。

 容赦しないのは「人間の闇な部分」「無慈悲な現実」等々で、その際極力主観意見だけにしない為に「展開やキャラの心情が客観的に見てどう映るか」を分析し、その上で「外堀を埋めて逃げ道を失わせる」という形で、自分の意見を忌憚なく叩き付けている。最早私も大概悪魔だと思うが、元を正せば「吐き気を催す程の邪悪な手段に手を染めている奴が悪い」のであり、流石にこっちも度が過ぎれば「やり過ぎだ!」などと言われても仕方ないと思うが、糾弾する事そのものを悪く言われる筋合いはない。どんな理由があれ、邪悪な手段に手を染めた時点で、周りから糾弾される事は覚悟しなければならなかったのだから。

 また、その「吐き気を催す邪悪」についても線引きは決めており、その基準に乗っかるのは、基本的には「自分の利益の為に他人を使い捨てる事に何の躊躇もない上に、大義名分にかこつけて私利私欲のみを満たしている」とか「立場や世間における善を利用し、自らの思想を正しいと思い込み、それが間違った正義の可能性もあると少しも疑わない」という「都合の良い大義名分の正義を騙った独善者」或いは「自分の行動を客観視に疑義を呈さない傲慢な人間」だけである。その為、単純に「自分の欲望に無心でひた走ってしまう人間」とか「魔が差して悪事に手を染めてしまう人間」とかにはそこまで嫌悪意識は抱かないし、その時は「人間なら誰しも陥る可能性がある事」と思い、決して他人事では済まないと自戒を込めている。嫌いなのはあくまで「自分の行動を全く省みようとしない卑怯で独善的な人間」であって、欲望に忠実な部分や魔が差してしまう人間の特性自体は寧ろ「愛すべき存在」とすら思っている。

 こういうスタンスを持つ私だが、こうすると「じゃああなたはどうなんだ」と思われるのが世の常というもの。結論から言えば、私は「吐き気を催す邪悪では無いと思うが、だからといってそこまで優しい人間でもない」と考えており、基本的には卑怯な事を嫌い、ましてや世間の規範を都合よく解釈した上で自分の中に落とし込み、それをさも「世の中の正義」と言わんばかりの振る舞いをして私利私欲を満たすなんて事をする気なんてさらさらない。だが、嫌なものは嫌だとハッキリ思うし、周りからは「あらゆる立場や視点に立った物事の考え方ができる」なんて言われる事もあるが、それが出来るからと言った所で「分け隔てない愛情を持つには至れない」し、なにより私とて「欲望に忠実で、魔が差せばあっけなく流されてしまう人間らしい人間」な訳で、そんな立派な真人間ではない。

 ただ、結局の所「どうしようもない欠点も抱え込んで生きるしかないのが人間」とも思っており、それで「所詮ダメな部分は直んないからそのままでも良いんだ!」と胡坐をかくのは違うが、気にし過ぎる事もないだろうとは思えてきている。尤も油断しているとあっという間に「本当にどうしようもない人間」にまであっさり転落すると思うが、こうやって「一例を持ち出した際に必ずといって良い程反例も添える」というの、いかにも私らしい考え方だと思う。こうするのは「都合の良い解釈だけをして自堕落な人間にならない為」である。

 

 普段から凄まじい激情を抱え込んでマンガを読んでいる訳だが、そんな私も今月のごちうさには参ってしまった。元々ごちうさは激情を向けたくなる様な作品では無いのだが、今回は輪をかけて「シュール度」が増しており、特に前半のめちゃくちゃなボケ展開の上塗りから放たれる訳の分からなさには「前半部分を深く考えるのはもう止めにしよう」と思った程。ただ、舞台回しが訳の分からないものだったとは言っても、1つ1つの行動そのものは「舞台を盛り上げる為の要素」であり、しかもその要素の全てが「今までの物語を積み上げた先にあるもの」なので、登場してきた要素に対しては「今までの努力があったからこそこの舞台上で遺憾なく発揮出来た。これこそ成長の証」と捉えている。

 また、ごちうさにおけるシュール展開は作品初期から存続している貴重な部分の1つなので、ある意味では原点回帰かもしれない。本当、完全版1巻を読んだ時、とりわけ単行本1巻範囲が「改めて読むとシュールなボケとツッコミが多いのなんの」となった記憶があり、2巻範囲以降は今日良く知られるごちうさのテイストとほぼ同じな為、それをして「今となっては1巻範囲だけ良くも悪くも作品全体からは浮き過ぎている」とも捉えている。実際、1巻で描かれた要素や設定が、2巻以降実質的に影も形も無くなっているのはチラホラあり、その中で「シュール展開」が初期から一貫して存続していると思うのだが、ごちうさに対してこういった見解を持っているのは、ややもすれば珍しいのかもしれない。

 

※注意※

最新話及び単行本13巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 2026年当初からある意味ではブッ飛んだ展開を引っ提げてきたごちうさ。しかもそれを作中でも重要な展開として誉れ高い「クリスマス」の時に入れ込んでくるのだから恐れ入る。尤もクリスマスらしく「特別な瞬間」もちゃんと描かれており、特に「ココチノ」が魅せるある展開は必見。

 今回の扉絵はファンタジーというか何と言うか、楽しいおもちゃの世界を思い浮かべる様な世界観に心愛ちゃんが駐在しているというもので、素直に受け取るなら「楽しげで何より」となる。なのに私の場合、ひねくれているのか何なのか分からないが「これが嬉々としながら無感情という世界線だったら何よりも不気味だった」とか考えてしまう自分がいて、自分が少し嫌になる。完全に「その手の不気味な世界線の影響を受け過ぎ」だと思う。

 シュールでありこれまでの軌跡の積み重ねであり、今回の物語は一風変わったテイストを備えていると思うが、行き着く先はごちうさらしい温かみに溢れた瞬間」になっているので、めちゃくちゃな様でいて実は計算高い構成となっている。正直ごちうさは読んでいて爆発的に面白いとなる事は殆ど無いし、熱意自体も全盛期とは比べものにならない程微々たるものとなってしまった。掲載誌たるきらま全体としても、他の若い作品の方が爆発力もあって面白いのは沢山あると、私自身毎月20作品前後ずっと読み続けているからこそ思う時もある。しかしながら、それでも「これまで積み上げてきた軌跡があるからこそ出来る展開」「決める所はしっかり決める安心感と信頼性」があるので、単純な面白さ以外の部分で付き合い続けている。

 

2.購読した感想・考察

 前述の通り、今となっては作品に対する熱意も一昔前からは程遠いものとなり、面白いかどうかについても正直「他の若いマンガの方が面白い」と思う事は増えた。ブログ記事を書くのだって全く楽じゃない。ただ、それでもごちうさを読み続けて、ブログ記事も書き続けるのは、ひとえに「自分の運命を変えた作品への義理を通す為」であり、それがあり続ける限り、他のどんな要素が潰えたとしても大丈夫。そう言い切れるだけの矜持は持っている。

 

際限なきシュール劇場

 ごちうさは元々オーソドックスなボケとツッコミで笑いを展開するマンガではなく、斜め上のボケに対してどこかズレたツッコミをしたり、抑々展開されるボケの内容が荒唐無稽だったりと、所謂「シュール」な笑いを軸としたマンガだと認識しており、特に初期の頃はその傾向が顕著だった。だが、物語が進むにつれて唖然としてしまう程のシュールさは鳴りを潜め、代わりに今のごちうさには欠かせない「継承による美しさ」「成長の軌跡」が隆盛していったのはファンならお馴染みだろう。

 だが、今回のお話は作品初期を思わせる程にシュールな展開が盛り沢山で、例としては「場の空気を変える為に始めた事が、更なる混沌を呼び起こす」とか「ツッコミ役も場の混沌に付与する事しかやらなくなる」等がある。その為、正直に書くと「それぞれの展開の繋がりは全くもって荒唐無稽。理解しようとするだけ無駄な労力を割く事になる」と考えており、場の流れに任せ切ってしまった方が楽。元々シュールな作風は嫌いじゃないし、寧ろ好きな部類なのだが、ごちうさのシュール劇場ぶりには今回の様に困惑する事も多い。

 お世辞も万人受けはしないシュール劇場だが、ごちうさ「めちゃくちゃなボケとツッコミの掛け合わせをしつつ、物語全体としては違和感なく成立させる」という、何気に高度な事を平然とやってのけるマンガでもあり、実際に今回もシュール劇場でいて物語全体としては「作中で大切にされているテーマを余す事無く扱い切っている」ので、後半では普通に「今回も良いお話だった」とさせる構成がニクイ。前述の通り、笑いという観点では他のマンガに一歩譲るとは思うが、要素のめちゃくちゃなぶつけあいを綺麗にまとめ上げる力は未だ他の追随を許さない。とんでもない作品。

 本当はもっと書き出そうかと思ったが、思考を張り巡らせた末に「周りの理解を取り付けられる内容はこれ位しか書けない」となり、ここでストップする事に。シュールとは何かと考え続けた末に、ゲシュタルト崩壊でも引き起こした様な荒唐無稽且つ無意味な文章を製造した所で何の価値もないので。

 

思い通りにならない非情さ

 俗に「世の中は思い通りにならないもの」とはよく言われるが、ごちうさも今回に限ってはその「思い通りにならない現実」を反映した展開がある。ただ、ごちうさは良くも悪くも「辛い事や厳しい現実もポジティブに捉え、悲壮感漂わせる事なく処理させる」というのが多かったし、ご都合主義といえばそれまでだが、何らかのアクシデントも結果として「イベント当日には影響を与えない形で丸く収まる」となる事が殆どで、少なくとも「アクシデントが後のイベントにも直接的な悪影響を与える」というのは無かったと思う。

 だが、今回のごちうさは違った。というのも「智乃ちゃんの喉が治り切らずにコンサートが中止になってしまった」とあったからで、これこそ「アクシデントが大事なイベントにもろ悪影響を与える」という世の非情さを物語る展開にして、今までのごちうさとは一線を画す展開そのものだった。......否、もしかすればこれまでも似た様な事はあったかもしれないが、今回の様に「行事の根幹をひっくり返しかねない程のアクシデントを引き摺る」なんて事は本当に見た事が無かったし、ここまで何度も「アクシデントがどうのこうの」と反復させているのも、ひとえに「それだけ衝撃的な出来事だったから」に他ならない。

 ここでハッキリさせておくが、私としてはごちうさ「ネガティブな事もポジティブに捉えて乗り越えていく考え方」肯定的だが、他方で「そうやってなんでも都合の良い形で捉えれば嫌な事も乗り越えられる」と解釈する事に関しては否定的で、故にしょうがない部分もあるとは言え、作中において「厳しい現実と真正面から向き合う事になる前フリが少ない」のは気になる部分でもあった。言ってしまえば、私は「不都合な現実に真っ向から立ち向かうだけの意志の強さを涵養する機会も必要。世の中は『解釈次第でどうとでもなる』と思いながら成長してほしくない」と常々考えてしまう人間なので、今回の様に「思い通りにならない現実」が描かれた事に対しては、驚きもあった一方で正直に明かせば「時には厳しい現実と正面から向き合うのも必要」とも考えていた。

 だから今回の「智乃ちゃんの喉が不調故に歌が中止になってしまった」という展開に対してはごちうさでこういった展開をやるとは......」と思う自分と「遂にごちうさでもこういった展開をやってくれた。これは必要な事だったからむしろ遅い位」と思う自分の2通りがあった。これについては作風を思うならば前者の考え方が良いと思うが、真に作品を愛し、向き合っていくとするなら後者の考え方が巡り巡って良いと思うので、難しい問題だが、どっちか一方だけを採れと言われれば私は後者を採る。結局の所、更なる成長を望むならば「不都合な現実にも逃げずに立ち向かい、自分の意思を涵養していく試練をこなす必要」がある訳で、それを思うならば時に甘さは捨てなければならない。

 「智乃ちゃんの喉の調子が悪くて歌が中止になってしまった」という「事実」からよくここまで拡張したと思うが、ここで書き出した事は「私自身が普段から考えている事であり大切にしている矜持の1つ」なので、私としては至って普通の事。このブログ記事は「自分の想いを展望する事に意義がある」と考えているので、これもその一環。

 

魔法との向き合い方

 作中において度々言及されるキーワードとして「魔法使い」若しくは「魔法」がある。ファンタジー世界においては「剣と魔法」の「魔法」として「不思議な術の総称」となるだろうが、ごちうさにおける魔法を私は「人をどんな状況からでも前向きな気持ちにさせたり、楽しませたりする言動そのもの」と考えており、以降今回のブログ記事における魔法の定義とする。

 その魔法だが、作中においては過去現在どの時間軸においても幾度となく重要な概念として機能し続けている。今回の場合、智乃ちゃんの歌を代わりに心愛ちゃんが手品ショーを披露するものの、上手くいかずに意気消沈していた時、智乃ちゃんが心愛ちゃんをフォローする形で手品を華々しく披露して、場の空気を明るく楽しいものに変えたという形で「魔法」が生まれており、これはその夜心愛ちゃんに対して智乃ちゃんが「自分の手品を見た時に、心愛さんは魔法を見た様な顔をしていた」という言説から説明が付く。尤も智乃ちゃん本人が「魔法とは何か」について話そうとした際に、心愛ちゃんが別の話題を持ち出した為に真意は聞けずじまいに終わっているが、恐らくは「人をどんな状況からでも喜ばせたり、楽しませたりするもの」魔法の一要素として考えているとは言えるだろう。

 ただ、魔法に対する考え方として私には心愛ちゃんの言説で気になる点があり、それは「智乃ちゃんが手品の種を知ってしまった事で、魔法が解けた事となるのではないか」と考えていた点。正直私としては「それでなぜ魔法が解けたと考えるのか。それが全く分からない」となってしまい、強いて言えば魔法を「原理が分からない不思議な事象」とするなら、手品の種を知る事で魔法の原理を知ってしまったが為に魔法の成立条件を満たさなくなり、結果的に「魔法が解けた」と解釈したのかと考えたが、それでも「魔法の原理を知る事が、直ちにかけられた魔法が解けてしまう事にはならない」のも事実なので、結局の所私は心愛ちゃんの言説がそうとは思えない。

 また、他方で心愛ちゃんが「魔法が解ける事を誰よりも気にしている」のも気になる所。心愛ちゃんとしては「魔法を一瞬でも絶やしてしまうと智乃ちゃんが不安になってしまう」と思っているのか、心愛ちゃんの言動と態度から「魔法が消える事を何より恐れている」と見て取れる場面がある。ただ、私としては、万が一心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してかけた魔法が解けてしまう事があったとしても、今の智乃ちゃんならそこまで深刻な事にはならないだろうし、魔法そのものに対して執着心を見せる事も無いと考えているので、この事実をして「心愛ちゃんが魔法に対して妙な執着を持つ」のが引っかかってしまう。

 心愛ちゃんが魔法に対して妙な執着を持つのは、恐らく「心愛ちゃんが魔法使いとしての先導者だから」で、心愛ちゃん自身が周りの大切な人達に魔法をかけていくという重要な役回りを担っている以上、その責務を全うしなければならないと考えている事から、大元の自分が魔法に関してボロを出す訳にはいかない。故に魔法が一瞬でもとけてしまったのではないかと考えた際に、客観的に必要とされるもの以上の感情を表に出してしまった。そして、その瞬間が今回のお話で描かれた2人のやり取りにあった。私はこう考えている。

 ここまで心愛ちゃんの言説とは真っ向から対立する考えを展望しているが、私は別に「各々の考えに最大限寄り添う為に作品を考察している訳じゃない」し、あくまで「自分はこう考える」というのをしっかりと展望する事を目的としてやっているので、納得できない事に対してはそれ相応の言質を取りつつ、筋を通した考え方で反論じみた事だって書く。今回の「魔法に対する考え方」だって、私は心愛ちゃんが考えているであろう事とは全く違う事を考えたから結果的に対立構図になっただけで、自分の意見を提唱する為にはやむを得ない措置でもあった。故に私としても心愛ちゃんの考え方を真っ向から否定したいのではなく「彼女が考えている事も尊重するが、それでも私はそう思わない」と言いたいだけ。ここは誤解しないで欲しい。

 

3.あとがき

 事実上の2026年一発目から早々飛ばしにかかった記事となったが、別に狙ってやった訳ではない。結果的にこうなっただけで、冒頭を中心に忌憚ない意見を叩き付ける気は書き始めた当初はそこまで無かった。尤も早い段階から「心愛ちゃんが覗かせる『魔法に対する考え方』の異」「世の中都合の悪い事から目を逸らす事はあってはならない」と書くつもりだったので、どう足掻いてもただの感想・考察記事に留まる筈は無かっただろう。

 今年早々私の身の回りでは目まぐるしい出来事の数々で、それ故このブログ記事も執筆期間が相当に伸びてしまったが、起こった出来事の全てが「このブログ記事よりも優先しなければならない事だった」ので、記事を書く事は完全にプライベートの範疇である以上、伸びてしまった事は割り切るべきことと考えている。ただ、間延びした事で「先行して書いた部分」と「後から書き足した部分」でスタンスが変化した為、書く内容に若干の齟齬が生じている可能性もあるが、2025年最後の記事でも書いた様に「書き出した時の感情を重視するが故、推敲を除いて内容は極力そのままにする」と決めているので、ご了承願いたい。

 最近では以前にも増してキャラクターの傍若無人な振る舞いや独善的な言動に「ふざけるな!」だの「人の気持ちを踏み躙るのも大概にしろ!」だの、作品に対して本気で向き合おうとするがあまり、思わず「怒りの激情」を向けてしまう機会も多いが、今回のごちうさに限って言えば、そんな事は終始無かった。これは別に「ごちうさと本気で向き合っていない」のではなく「その様な激情を向けたくなる程の身勝手な振る舞いが見受けられなかったから」で、抑々論として「そんな激情は向けない方が良いに決まっている」ので、これで良い。

 良くも悪くもマイペースで、自分の意見を展望する為なら忌憚ない意見も平然と書き出す為に、ややもすれば「普段からこういう歯に衣着せぬ物言いをする奴」とか思われそうだが、普段は寧ろ「気を遣い過ぎて発言自体が少ない方」なので、外見と中身に酷い乖離が生じている。どっちに振り切りたいかと言われれば「多少の衝突は覚悟で自分の意見をはっきりと表明する方」で、それでしなくても良い苦労をする事も多いが、極端な事を言えば「何も言い出せずに傷付くより、めちゃくちゃに言いまくって傷付く方が遥かにマシ」なので、今後も忌憚ない意見を叩き付ける姿勢を崩す気は一切ない。ただ、気遣いも決して忘れたくはない。傍若無人な事を言いっ放しにしたい訳でもないから。

 

おまけ

2026年最初の記事文量は400字詰め原稿用紙のべ21枚分、執筆期間は「1月24日開始の2月7日完成」「15日間(14日後)」だった。途中1週間程度執筆を完全に中断する程の事があったとは言え、ここまで期間を要したのは2025年のきらま10月号以来。