多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近も多忙な日々が続いていますが、夏の時期はまだ時間に余裕が生まれると思うので、9月までは一時期よりかは書き上げるスピードが上げられる様に努力したいと思います。因みに書いている時間帯は夜中が大半ですが、何時だって書いている時の想いは真面目且つ真剣です。ただ、たまに書いている内容が自分でも分からなくなる事がありますが、それに関しては夜中に書いている時だけでなく、真っ昼間に書いている時でも起こる時は起こるので、時間帯はあまり関係ありません。言ってしまえばただの処理パンクです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年9月号のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今回も前回からの「海回」の流れを引き継いだものになっていますが、今回は云わば「一部分だけで見るのではなく、全体を見る事が重要」になっており、そしてその全体像に隠された真意を読み解いた時、思わずアッとなる上質な構成が印象的でもありましたので、今回も今までと変わりなく想いを書き出していきたいと思いますが、今回からは書式を変化させて、全体的な文章構成を「きらファンメインシナリオ第2部における感想・考察」と同じ様に「初めに全体の感想を書き、後から個別の事象の考察を書く」と言うスタイルにしたいと考えています。勿論、内容そのものはごちうさ本編に準じたものなのでご安心下さい。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、最近のごちうさ感想・考察にはほぼ付き物となりつつありますが、今回も少々インパクトの強い考察や、ややショッキングな考察も含まれているので、十分に注意してください。尤も、他の人から言わせてみれば「私の冷酷さ等、世間一般で言われるものと比べれば大したものではない」と言われる事もあるので、何が本当の冷酷さなのか、私でも良く分からなくなりそうな時がありますが……。

1.はじめに

 今回のお話は木組みの街から飛び出し、海が見えてきた所で終了していた前回の直接的な続編話であり、故に今月号ではいきなりシストが記載されている街へ到着した場面からスタートしている。その為、前回のお話で木組みの街の住人7人に対して大きく貢献していたブラバ組3人は一切登場せず、あくまでも7人が主役のお話となっているのが特徴的であり、また今月号全体の流れを汲み取ると、この7人が如何にして自分達の選択を受け容れ、どの様な未来へと向かっていき、最終的にはどこに行き着くのか。その事を暗示しているとも考察できるのも特徴的である。

 今月号の扉絵は、夏らしく夏の風物詩を象ったアイテムが散りばめられた中で、紗路ちゃんと麻耶ちゃんが仲睦まじい様子を見せていると言うもので、紗路ちゃんは「レモン味の棒付きアイス」を、麻耶ちゃんは「コーンの上に異なるフレーバーを2つ乗っけたアイス」をそれぞれ持っているのだが、このアイスには、本来扉絵の考察をそこまで得意としない私でも重要な意味が隠されていると感じる事ができている。尤も、紗路ちゃんのアイスに関しては大体見当はついている一方、麻耶ちゃんのアイスに関しては今もぼやけた程度にしか理解が進んでいないのだが、何れにしてもこの意味を知った時、私は「こんな粋なメッセージを込めてくれるなんて。あれだけ意固地になって扉絵を深く考えようとしなかったのがバカみたいだぜ……。」と言わんばかりの痛い台詞が脳裏を過るのだろうが、それだけ今月号の扉絵には心を動かされたのである。

 そして、今月号は前述の通り「全体を見渡す事で重要なメッセージが見えてくる」と私自身考えており、そのメッセージがシストの目的地へと向けて、2つのグループに分かれて探し求める構図そのものに深い関わりがあると知った時には、それが彼女達にとっては多少なりとも寂しさと辛さを伴う事実だと言うのに、最早紡ぐ言葉が見付からない程の充足感と安堵感を抱いたのである。一見すると妙に思えてくるだろうが、視点を「分かれる事実そのもの」から「分かれた先に待っている未来」に変えてみると、きっとその意味がひしひしと伝わってくると考えている。勿論、視点を変えても「充足感と安堵感」の組み合わせは変に思うかもしれないし、人によっては「それでも辛いものは辛い」となるかもしれないし、それらに関しては私も重々承知している。でも、少なくとも私にとっては、それまで抱いていた彼女達が進む事になる進路に対する不安や恐怖が少しでも和らいだのは紛れもない事実であり、このメッセージから考えさせられる事も沢山あったのも事実である。今回は、そんな隠されたメッセージに込められた想いにも馳せながら、感想及び考察を書き出していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

 まずはこれまでのごちうさ感想・考察とは異なり、きらファンメインシナリオ第2部の感想・考察にて採用しているスタイルでもある「前半は今月号全体についてと、その今月号から読み解ける事実を中心に書き出していく」のを採用したいと思う。その為、今までのごちうさ感想・考察とは大きく異なる構成となるが、内容自体は今までと変わりなく書き出していく所存である。

今回の内容全体の感想・考察

海へと続く道とその道に隠された意味

 今回はシストの目的地たる「海」がある街に辿り着いた場面から始まる物語であり、序盤は新境地たる街の雰囲気を楽しむ姿が中心だが、ほどなくして今月号最大のキーポイントとなるソーダ組」と「レモン組」に分かれて、実は2枚存在したシストの地図の解明に挑む事になる。因みにこの分かれ方は単に「食べたい味を各々が選んだ結果」なのだが、図らずもこの分かれ方には副次的な意味が複数隠されており、それは単純に「大人と子供」と言う分かれ方だけでなく、「7人が必ず向き合わなければならない事」とも「それぞれが選んだ進展地」とも言うべきものだったと言えよう。

 2つのチームに分かれて以降は、各々がシストの目的地に向けて突き進んでいく事になった訳だが、その時の行動パターンもそれぞれの個性が色濃く反映されており、そこも見所の一つだと言える。そして、最終的にはどちらもチームも目的地にたどり着くのだが、実はあの2枚の地図には「目的地までの行程が異なるだけで、最終的に行きつく場所は共通していた」と言う仕掛けが施されており、仕掛け自体はシストの地図を記した人のちょっとした遊び心と思われるが、これも7人にとってはある意味「各々が選んだ将来の選択に対して漠然と存在する不安や恐怖を少しでも緩和する要素」として機能しており、確約された事では断じて無いとは言え、7人が進む道の新たなる可能性が見えてきた訳でもあろう。

 最終的には7人揃って目的地に存在していた浜辺を思い切り堪能する場面で今月号は締められており、それ故にシストに記載されていた宝物が結局何だったのかはお預けになったのだが、木組みの街の立地上海とは基本的に縁がなかったであろう7人にとって「海を楽しめるかもしれない」と言う事実はやはり魅力的であった筈だし、現に結局7人全員が水着を予め服の下に着用していた事からも、彼女達が「海で泳いだり、楽しんだりする事を大いに望んでいた事は明白」だと言え、故にそれが現実のものになって楽しまない選択肢なんて毛頭無かった(=絶対に海を楽しみたいと思っていた)のはある意味当然と言えるため、個人的には今月号の結末には彼女達の想いを鑑みれば納得ものである。

 全体的に見れば、今月号は「今回の物語全体を広い目で見渡す事が重要な回」だと考えており、故にちょっと独特な展開だとも感じているのだが、それでも新境地においても普段と殆ど変わらない7人*1や、それぞれのチームに分かれて目的地に向けて探究する姿等、今回も「いつもと変わらない」と思わせる雰囲気は随所にちりばめられており、近年のごちうさにしてはシリアス色が少々鳴りを潜めていた事も相まって、今月号は比較的読みやすい展開だったと捉えている。尤も、今月号にて判明した事実に衝撃が無かった訳でも無いが、今までと大きく違うのは「衝撃的な事実に対してそこまで後ろ向きになっていない事」であり、各々の成長がここでも見る事ができる。

 また、前回で仄めかされた謎*2は、今回のお話では基本的にお預けになっており、この事は今月号においてシリアスさが薄まっている要因の一つとなっているのだが、これはこれで少々懸念している事が私にはあり、それは「反動から次回以降凄まじいまでのシリアスストーリーが襲い掛かってくる事」であり、ごちうさシリアスな時は普通に容赦がない事からも、中々に戦々恐々している訳だが、何れにしてもこの懸念は次回以降に対してである為、今考えても仕方が無いが、肝に銘じておかなければならないのも事実なのだろう。

ソーダ組とレモン組

 ここからは今月号において随一のキーポイントと見ているソーダ組」「レモン組」について考察してみたい。抑々「ソーダ組」と「レモン組」と言うのは、今月号序盤にて人数分購入したアイスの味によって分けられたグループであり、メンバーはソーダ組が「心愛ちゃん、紗路ちゃん、麻耶ちゃん」の3人、レモン組が「智乃ちゃん、理世ちゃん、千夜ちゃん、恵ちゃん」の4人で構成されており、グループ分けそのものの意義は「2枚存在する宝の地図を手分けして探すため」なのだが、前述の通りこのグループ分けには2つの副次的意味が存在していると見ている。

 まずは「大人と子供」と言う構図からである。これは智乃ちゃんが今回の「ソーダ組」と「レモン組」に分かれた構図に何かしらの意味がある事を恵ちゃんが汲み取っていた際に、理世ちゃんが提唱した構図であり、理世ちゃんとしては「精神年齢が子供なソーダ組」「精神年齢が大人なレモン組」と恐らく考えていたらしく、これには千夜ちゃんも「ソーダ組は放っておけない雰囲気がある」と言う形で理世ちゃんの意見に同調していたが、私としては「ケースによって精神年齢と言う意味での大人組と子供組は入れ替わる」と見ており、普段は確かに「レモン組」の方が大人みたく精神的に落ち着いた雰囲気を持っており、「ソーダ組」は子供みたいな無邪気さと好奇心旺盛さを持つ雰囲気を持っているが、こと「将来の進路に対する展望や覚悟、ここぞと言う時の精神的な強さ」で言えば、今度は「レモン組」の方が子供らしさを思わせる弱さや不安が目立つ事となり、ソーダ組」の方が大人っぽさを感じさせる覚悟や展望を備えている事になる為、理世ちゃんの言う「精神的な意味での大人と子供の違い」は、それ自体は的を射た考えだと言えるものの、私としてはそれに加えて「その違いは時の場合によって変化する」と見ている。

 因みにソーダ組の中で紗路ちゃんは、普段はどちらかと言えば大人びた雰囲気を持っている為、上記の区分けに当てはまっていない節もあるが、紗路ちゃんはカフェイン酔い時や両親との時間を過ごしている時を筆頭に、彼女とて子供っぽい面をハッキリ持っているのは事実である為、半ば無理矢理だとは言っても強ち間違いではないとは言える。

 次は「7人が必ず向き合わなければならない事」についてである。これは「ソーダ組」と「レモン組」の分け方が、図らずも前者が「将来的には木組みの街を一時的にでも離れる未来を立てている者」と、後者が「木組みの街に留まり、研鑽(けんさん)を積む事を考えている者」に分かれていた事から、将来的に7人は今の様に容易に集まる事が難しくなる事を必ず受け入れなければならないのが改めて浮き彫りになった事を指しており、逃れられない運命の厳しさを体現している。ただ、今月号においては既にこの事実を何度も突き付けられてきた経緯がある為か、7人共にこの事実に対してある程度冷静に向き合っている姿を見せており、唯一千夜ちゃんだけは理世ちゃんの反応を見るに「思い出すとショックが蘇る」と言う懸念がある様だが、千夜ちゃんの場合自分にとっての幼なじみたる紗路ちゃんだけでなく、長らく心の拠り所となっていた人である心愛ちゃんの2人が街を離れる事になる為、他の人以上にショックが大きい事情がある事は容易に察せられるし、故にデリケートな状態が長く続いても全然おかしくないとは思うものの、彼女とて真正面から受け止めなければならない事実なのは変わりない為、その意味では千夜ちゃんに対する心配は多少なりともある。

 尚、今月号において理世ちゃんは「千夜ちゃん自身、心愛ちゃんと紗路ちゃんが街から離れる事を気にしている事」を気にかける場面があり、実際に千夜ちゃんがいる目の前でその話題が飛び出したため、理世ちゃんとしてはかなり不安そうな顔をしていたが、当の千夜ちゃんは得意のメニューの名付けに夢中になっていた事から、結果的には理世ちゃんも杞憂だと判断していたが、私としては、これだけでは千夜ちゃんとしても、2人が街を離れる事に対してある程度でも気持ちの整理が付いている証明がなされた訳では無い事から、杞憂はなくなっても懸念はなくならないと考えており、元来メンタルがあまり強くない事も相まって、色んな意味で千夜ちゃんの未来が本気で心配になってくる。しかしながら、千夜ちゃんとてメンタルは弱くてもその意志は寧ろ強い方で、親しき者の動向に合わせがちな面こそある*3ものの、親しき者の期待や願望の為なら、自分から簡単には意思を曲げない強さと親しき者の為に全力を尽くせる意思を彼女は持っている事から、千夜ちゃんも紆余曲折を経ながらも最終的にはきっと乗り越えられると信じている。

 因みにソーダ組の3人の中で心愛ちゃんと紗路ちゃんは木組みの街を出る決断は既に確定しているが、麻耶ちゃんは「将来の選択肢として『木組みの街を離れて、世界を駆け巡ってみたい』と言う願望もある」と言う形に留まっており、故に麻耶ちゃんとしては2人の様に「この時期になったら必ず木組みの街を離れる」と決断している訳では無い様だが、麻耶ちゃん本人の意図や恵ちゃんの分析を見るに将来的に恐らくは木組みの街を離れる決断をする可能性は高いと言え、麻耶ちゃんらしい展望と言える。しかし、その一方で彼女は決断こそ思い切りが良いが、実はチマメ隊の中でも一番将来に対して早い段階から不安が目立っていた過去もある程に精細且つ不安に駆られやすい面があり、故に現時点では木組みの街を離れて外のセカイをみてみたいとは考えていても、いざそれが現実に実行できる時期が迫ってくると、途端に不安が増大して意思が揺れ動く可能性も否定できず、故にその動向は慎重に見る必要があると思われる。ただ、麻耶ちゃんとて1度人生における進路選択を経験した高校生であり、中学生時代からは現時点でも一回りも二回りも成長した事から、最早彼女に迷いはそれ程ないのかも知れない。

 この様に「ソーダ組」と「レモン組」からは「精神年齢が(環境によって)大人組と子供組に分けられる事」と「将来的に木組みの街を離れる未来を選択しているのか否かの違い」と言う2つの副次的意味があると見ており、後者は今後のごちうさにも深く関わってくる要素として特に重要視している。因みにこれは完全に余談だが、「ソーダ組」と「レモン組」はそれぞれ「ボケ担当とツッコミ担当」がバランス良く分かれた構成にもなっており、技量の差を抜きにすれば、普段からボケツッコミ両方そつなくこなせる人がそれぞれ1人ずつはいるのも良きポイントである。

それぞれの道の結合点

 次は「実は2枚存在したシストの地図を探し求める中で見えてきたもの」についてである。これは「シストの地図に記載された目的地に『ソーダ組」と「レモン組」に分かれて向かっていく事そのもの」に意味を見出した考察であり、前述の「『ソーダ組』と『レモン組』が、木組みの街を離れる組と留まる組に分かれている事」も重要なキーポイントの一つである。

 では、上記の一体何が重要なのか。結論から言えば「2枚存在したシストの地図の目的地は2枚共に同じであり、その道中が違っていた事実」を鑑みて、視点を変えると「将来的に「ソーダ組」が木組みの街を離れても、また何時かは「レモン組」もとい木組みの街に留まる組と再び集結する時が来る事の示唆なのではないか」という事であり、要するに「7人はバラバラになってもいつかまた集結する」と言う事をシストの地図に記載された目的地を探す過程から見出せるのではと言う訳である。そして、この事実は嘗て原作10巻終盤で青山さんが発していた台詞とも大きく関わっていると見る事もでき、彼女達は「例え歩む道はそれぞれ異なっていても、やがては再び集まる時が来る」という事実にまた一歩近付いたとも言えよう。

 ただ、肝心の再集結時期に関してこれだけではハッキリ言って全く分からない。一番想像しやすいのは「『ソーダ組』が新たな拠点先で一定の成果を見出した時」と思われるが、これも具体的な時期を見出すには程遠く、それが数年後なのか、10年後なのか、はたまたもっと未来の話なのか。そればかりはどうやっても分からない。無論、その「具体的な時期が分からないと言う事実」が、心の不安をより掻き立てる事になってしまっているのは百も承知だが、分からないものは分からないとしか言いようがないし、分かりもしない事を適当に言った方が更に傷が深くなる事を思えば、下手に喜びを掻き立てる様な出鱈目(デタラメ)だけは彼女達の為にも言ってはいけないとすら思えてくる。

 しかしながら、具体的な時期こそ分からないとは言え、大人になってから再び集結する未来を見据えられる事自体に大きな意味があると考えている。何故なら、いま彼女達が過ごしている何気ない日々が実は奇跡の賜物である様に、何年後かに再び集結できる未来が見据えられる事もまた奇跡の様な賜物だからであり、故に決定的根拠は何も存在していなくても、ただ「私達ならたとえ一時は離れ離れになってもまた集結する時がやってくる」と思えるだけでも相当に凄い事だと考えており、それは7人がそれぞれ信頼し合っている証なのだとも感じている。

今回の内容に対して思う事

ここからは主観を中心的とした展望や想いを中心に書き出していきたい。その為、ここからはやや刺激の強い内容も多少なりとも含まれているので注意して欲しい。

ほのぼのさとシリアスさ

 今月号を読み進めていく中で私が真っ先に思ったものとして「今月号は近年のごちうさとしても、前回と比べてみてもシリアスな雰囲気が薄めで、嘗ての様なほのぼのした雰囲気が中心的だった」と言うのがあり、今月号においてもシリアスな展開はなくはなかったとは言え、かの原作10巻終盤から11巻序盤の回や「銀河鉄道回」のシリアスさと比べるとその印象はかなり薄く、代わりに嘗てのごちうさの中心たる雰囲気だったほのぼのとした感触が多くあったと感じている。尤も、比較対象がごちうさの中でも特に異質だった回な訳だが、私としてはその異質なまでのシリアスさが良くも悪くも基準となってしまっており、故にちょっとやそっとのシリアスさでは驚くに驚けなくなっているのである。

 そんな印象が私の中にある今月号のお話だが、私の中でシリアスさの基準がかなり高い事を抜きにしても、麻耶ちゃんが将来的に木組みの街を離れる展望がある事が判明した以外は基本的にほのぼのした雰囲気が漂っており、特に「千夜ちゃんのおっとりした雰囲気に押され、目的そっちのけで飲み食いばかりするレモン組」「良くも悪くも大雑把な道筋を選ぶ傾向にある心愛ちゃんと麻耶ちゃんに振り回される紗路ちゃん」完全に日常の延長線上にある雰囲気であり、これらからも「何時かは簡単には見られなくなる光景」と言う形でシリアスさを見出す事も一応できなくもないが、当然ながら「可愛い」を売りにした、正に日常系を体現している作品たるごちうさにおいてそこまでしてシリアスさを見出さなければならない理由はどこにもなく、故に「今月号はシリアスな雰囲気も多少あるが、全体的にはほのぼのした雰囲気が中心」と言う印象が私の中で存在している。

 また、今月号は全体的に「心に沁み渡る発言」がそこかしこに散りばめられている印象もあり、これは「何時かは7人が再集結する未来」「分かれた道は再び一つになる」と言うのがその代表格と見ているが、これらは粋な良さを持った発言と見るのが適切であり、シリアスとはまた別物である為、やはり今月号にシリアスな雰囲気は少ないとなるが、この「心に沁み渡る発言」には、彼女達の精神的な成長を色濃く感じる事ができ、シリアスとは別ベクトルながらも考えさせられる言葉として機能していると捉えている。

 この様な事から、今月号は「麻耶ちゃんが将来的に木組みの街を離れる事も視野に入れている事があきらかになった事」を筆頭にシリアスな雰囲気そのものはあるが、それ以上に彼女達7人の日常の延長線上とも言える雰囲気がそこかしこに漂っていると言え、その事からも「今月号はシリアスよりもほのぼのした雰囲気が中心的」だと捉えている。

 しかしながら、前述の通り私はそれ故に恐れている事があり、それは「次回以降に反動として凄まじいまでのシリアスさが襲い掛かってくる事」である。抑々この「海シスト編」においては前回のお話の時点で多少なりとも気になる要素が私の中で存在しており、それは「海が目的地のシストに記された宝物が表す意味」「海がある街に向かう際にティッピーが発した意味深な発言」の2つなのだが、今月号においてはそのどちらも詳細は明らかにはならず、次回以降にお預けとなった為、その正体が分からなかったのは当然の事ながら、正体が分からなかった事で「この明かされなかった2つには、もしかすると途轍もないまでのシリアスが待ち構えているのかも知れない」と言う、最早恐怖に近い不安が掻き立てられる事にも繋がっており、故に今月号のラストで「7人が思い切り海を堪能する」と言う描写を見た時でさえも、後々になって「あれもシリアスが襲い掛かってくる前の、ひと時の幸せなのかな……。」と、とんでもなく不吉な事を考えてしまっていた自分がおり、勿論私としてもそんな事は望んでいる筈も無い(なって欲しくない)訳だが、「もしかすると……。」と言う懸念が払拭し切れない事実に今でも多少なりとも恐怖が過る。

 更に言えば、私がシリアスな物の見方を普段からあらゆる物事に対して意識しているのも、今回に限っては多少なりとも暗い影を落としている要因となってしまっており、それは嘗て私がごちうさに対する向き合い方をめぐって悩んでいた時期を思い出す様な感覚だが、あの頃とは違って今の私は「どんなにシリアスな展開でもそれを受け止める覚悟」を持っている為、私が挙げた2つの未確定要素がどんな属性を持っていたとしても、私としては真正面から受け止めるだけである。

麻耶ちゃんが秘めし展望

 次は麻耶ちゃんが明かした彼女自身の将来の展望に対して思った事である。麻耶ちゃんは今月号にて「自分が知らないあらゆるセカイを探究する為に、将来的には木組みの街を飛び出すかもしれない事」を明かした事は今までに説明した通りだが、私としては確かに衝撃こそあったものの、麻耶ちゃんが7人の中でも好奇心旺盛である事と、彼女はあらゆる未知のセカイを以前から追い求めていた事を思えば、麻耶ちゃんがこの様な意思を持つのはある意味当然の道理と私自身考えており、故に前向きに彼女の展望を応援したいと思えている。勿論、不安もなくはないが、麻耶ちゃん自身がその様な展望を持つと言うのなら、それを尊重して受け止めてあげるのが私に課せられた役目だと思っている。

 ただ、幾ら麻耶ちゃんが持ち前の好奇心旺盛さ故に、まだ見ぬセカイを探究する為に木組みの街を離れる決断をする事さえ想定できる事だと言っても、それを受け止める事が誰にとっても容易ではない事もまた真実だと悟っており、それ故に麻耶ちゃんには木組みの街を離れては欲しくないと思うのもごく当たり前な事だと私も考えているし、私とて麻耶ちゃんまでも木組みの街を離れる検討をしている事に寂しさを覚えている事にも正直違いはない。それだけ慣れ親しんだ木組みの街において、かけがえのない仲間がいる中で街を一時的にでも離れる決断をする事は、それ相応に辛さや痛みを抱えなければならない事だと私も認識している訳である。

 しかしながら、何故麻耶ちゃんがその様な辛さをも伴う「一時的にでも木組みの街を離れると言う検討」をしている事を知った上で、それでも私が前向きに応援したいと思えたのか。その理由としては、今月号において麻耶ちゃんの幼なじみである恵ちゃんが既に麻耶ちゃんの将来の意思に勘付いていた様に、私としても「麻耶ちゃんがその様な展望を秘めているなら、たとえそれが多少なりとも痛みを伴うものであったとしても、彼女が持つ本気の意思を心から受け止めてあげたい」と思えているからであり、そこにはこれまでも飛躍的な成長を遂げてきた彼女達の軌跡や、原作10巻終盤において麻耶ちゃんより一足先に木組みの街を離れる決断を表明した心愛ちゃんと紗路ちゃん2人の「さらなる成長を目指す為に街を離れても、決して木組みの街を見捨てる事はない」と言う意思も大きく関わっており、要は「彼女達が持つ無限の可能性と、彼女達が秘めし木組みの街を愛する感情を私は心から信頼しているからこそ、麻耶ちゃんの大きな展望を知っても心から尊重できる」と言う訳である。

 勿論、私としても麻耶ちゃんがこのまま順風満帆の道筋を辿っていくとは正直想像できないし、故にこれから幾多の苦難や現実を知っていく中で、麻耶ちゃんの意思が揺れ動く事は確実にあると思っており、麻耶ちゃんは心愛ちゃんと紗路ちゃんよりも年下である為、云わば「先輩が直面する事になる現実を目の当たりにする運命」である事も拍車を掛けている。ただ、麻耶ちゃんには持ち前の好奇心に裏付けされた抜群の行動力があり、幾多の不安を解消できるだけの仲間が沢山おり、何より彼女は勇気を出して飛び込む事で見えるセカイがある事を中学生時代の進路選択の時に知っている。それを思えば、少々の不安があっても麻耶ちゃんを信じ抜こうと思える大きな原動力として最早不足は無いと思う訳である。

残された懸念事項

 最後に私の手では今月号時点では十分に読み解けず、且つそれが今後のごちうさにも関わる事として私が気になっている懸念事項について書き出したい。これは単刀直入に言えば「今月号時点でも私にとっては分からなかった謎」であり、私の中では「先月号で見せたティッピーの意味深な発言」「『海」が目的地のシストが示していた宝物」の2つがそれに当たっている。

 まずは前者である。このテーマが私の中で謎のままになったのは、抑々今月号においてティッピーが台詞を発する場面が基本的に無かったからなのだが、これに関しては私自身別に分かった事があり、それは「智乃ちゃんとしてもティッピーもといおじいちゃんに話しかけたい願望が、現時点でもかなり少なくなっている事」である。智乃ちゃんは元々自分の中で整理が付かない事があると、大抵はおじいちゃん相手に相談をしていた傾向があり、それは「おじいちゃんを自分の中での一番の拠り所としていたから」だと思われ、時期としては智乃ちゃんが周りの友達に対してまだ十分に心を開き切れていなかった頃に良く目立っていたと見ている。しかしながら、智乃ちゃんも心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない友達に対して少しずつでも心を開いていく中で精神的に少しずつ成長していき、その過程で徐々におじいちゃんだけを頼りにする事も減少していき、今となっては自分にとってかけがえのない家族同然の親友をまずは頼りにする事が彼女の基本となった事で、結果的にティッピーもといおじいちゃんと会話する事もかなり少なくなったと考えており、故に今月号においてティッピーの台詞が基本的に無かった事は、間接的に智乃ちゃんが嘗てとは見違える程に精神的に成長している事の証でもあると見ている。

 ただ、それによって智乃ちゃんが絶対に向き合わなければならない事として「おじいちゃんが完全にいなくなる事を受け容れなければならない事」があり、先月号におけるおじいちゃんの意味深な発言は、正にこの「来たる時に必ずやってくる別れ」を想起させる内容であったために、私としても今月号においてティッピーの台詞が基本的には存在しなかった事で、今月号を読んだ後でも謎が残る懸念事項として残り続けている。そして、これに関してはいつどのタイミングでその時が来るのか私自身殆ど分からないため、長らく懸念事項として燻り続けている大きな要因でもあり、正直私はこの事例をどの様にして向き合うべきなのか、良く分からなくなる事もあるのだが、それでも私はこの事例から逃げずに今後の動向を見守り続けたいと考えている。何故なら、ここまでごちうさを愛し続けたのなら、この事例も最後までしっかり見守らなければ、後から私は知ろうとしなかった事を絶対に後悔する事になると私自身考えているからであり、言ってしまえば自分で自分の思想に縛りを付けている訳だが、それだけ私にとっては絶対に知らなければならないと思っているのである。

 次は後者である。後者が私の中で謎のままになった理由は「果たして浜辺そのものが宝物」なのか、はたまた「浜辺周辺を探し求める事で見つかる宝物」なのか、今月号だけではその判断が付かなかった為であり、これに関しては本来そこまで懸念する必要も無いのだろうが、前述の通り私には「次回以降今月号の反動として凄まじきシリアス展開が襲い掛かってくるかも知れない恐怖」がある為、普段ならさほど気にせず流せる事も嫌に気になる懸念事項としてのし上がってくる訳である。尤も、これに関しては流石に次回明らかになると思われるので、そう長い事悩む事も恐らくはないと思われるが、その明らかになる内容がシリアスでない保証などどこにもない為、不安は心の片隅ながらも確実に燻り続けている。しかしながら、ごちうさに対するこの手の不安は別に今に始まった事でも無く、故に不安で己のごちうさに対する「好き」という気持ちを食い潰してしまう危険性はまずもってなくなっている現状である事から、やはりそこまで神経質になる必要も無いのかも知れない。

 余談だが、私がごちうさの中でも相当に異質且つ奇特な雰囲気を醸し出す狩手結良ちゃんや、作中でも特にシリアスさが顕著な原作10巻終盤や「銀河鉄道回」において、恐怖に慄く事はありながらも挫ける事はなかったのは、私自身普段からごちうさに対してもシリアスな思想を内在化させているが故に、いつの間にかシリアスに対する耐性が強くなった為で、シリアスな雰囲気が顕在的に表れる事も少なくない近年のごちうさにおいてはそれなりの効果をもたらしているが、当然ながら一筋縄ではいかない内容も大いに含まれる概念である事から、時に自分でも良く分からないままに、悪魔の様な感情に心をかき回される感覚に苛まれる事が度々あるのも事実である。尤も、それは人間なら誰しもが持つ感情に揺さぶられている事を意味するのだが……。

3.あとがき

 以上がきらま2022年9月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は先月号からの直接的な地続きの物語となっている事から、ごちうさでは珍しい「海」が序盤から物語に深い関わりを見せており、また先月号では正しく「陰の立役者」を演じたブラバ組の3人も今月号では一切登場していない事から、先月号よりも更に原作9巻以前のごちうさを思わせる趣が強くなった印象があり、それは一時的なものであっても深く心に残るのは言うまでも無いだろう。

 今月号は「『海』がある街に辿り着いた7人が、如何にしてシストに掲載された目的地を目指し、その目指す過程で何を思い、何を手にしたのか」が重要な要素だと見ており、「ソーダ組」と「レモン組」と言う、元々は食べたいアイスの味がどっちだったのかが発端だったグループ分けに隠された副次的意味や、7人が向かうべき道筋に待つ一種の試練やその先の結合点がそれに当たる訳だが、私にとってそれらの内容に対してより一層現実のものとなった一筋の希望も、未だに払拭できない一抹の不安もあったのは紛れもない事実であり、故にその心情は決して一つの色には染まらないのだが、それも「7人が必ず向き合わなければならない事が源流」だと言うのなら、期待も不安も全て抱え込む覚悟を私も一緒に持つまでである。

 また、今月号においては麻耶ちゃんが作中において、将来的に「新たなるセカイを見つけるため」に木組みの街を一時的にでも離れる事も視野に入れている事実が明確になった訳だが、これに対して私としても「少々寂しくなるものだ」なり「好奇心旺盛な彼女ならあり得る選択肢」だの、色々な想いが駆け巡ったが、それらをひっくるめて私から言える事は「麻耶ちゃんらしい展望である一方、彼女の想いは紛れもなく本物」だと思った事であり、故に私が麻耶ちゃんの展望を無理にでも止めなければならない道理が最早なくなった事を悟り、彼女の意思を全面的に尊重したいと思うのに時間はそれ程掛からなかった。勿論、彼女に対する不安が完全に消えた訳では無いが、彼女の底知れない想いの本気度を鑑みるならば、私にとって彼女の意思を尊重する以外の道はないと考えているのである。

 そして、今月号では一部を除いて近年のごちうさにしてはシリアスさが少々控えめであり、故に先月号の感想・考察にて私が立てていた「凄まじい展開」は登場していなかったが、何度も言う様に今後に反動として凄まじいまでのシリアスが襲い掛かってくる可能性もある上、私も今月号では解消し切れなかった2つの懸念事項がある事から、楽観的になれる程の感触は無いのだが、それでも新しいごちうさは毎月のようにやってくる事と、たとえ私が立ち止まってもごちうさは待ってはくれない事を思えば、あらゆる感情を秘めながらも走り続けるまでである。

 今回は私が書いているもう一つの分野でもあるきらファンメインシナリオ第2部の感想・考察の書式に合わせたスタイルを採用している為、今までのごちうさ感想・考察文とは異なる部分も多々あったと思われるが、書式が変わっても熱意は変わらない事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙36枚分である。今回は書式を変えているので単純な比較は難しいが、書式を変えた事で以前にも増して私の秘めたる想い(特にシリアスな雰囲気に関する事)が書き出せる様になったのも事実であり、良くも悪くもより自分に正直な内容にはなったと考えている。

*1:恐らく旅行編での経験が彼女達をそうさせるのだろう。

*2:海が目的地のシストの全貌、ティッピーの意味深な発言の真意等。

*3:これも彼女が実は寂しがり屋なことと、彼女は友達の為に一念発起できる人である事の表れでもある。

きらま2022年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。私自身更に多忙となり、先月もブログ記事を完成するまでにかなりの時間が掛かってしまいましたが、これは私の時間の使い方が上手くなかった為で、今月はそれなりにスケジュール調整を立てた上で書き進めようと考えていますので、時間こそかかるとは思いますが、先月よりかは早く進められるように努力したいと思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は先月号のブロカント(古物市)において、心愛ちゃんが購入したものから古いシストの地図が見つかった事で始まる回であり、テーマとしてもごちうさではとても珍しい「海」が登場したり、シストをめぐって今後の展開の布石になっていたりと、全体的に今後の展開を位置付ける重要なお話の雰囲気があり、それ故に今月号も思わず琴線に触れる様な事柄が多いので、今回も今までと変わらない想いを書き出していきたいと思います。

※注意※

 最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は比較的マイルドとは言え、やや暗い考察や重めの内容もなくはないのでご注意下さい。

1.はじめに

 今回のお話はシスト*1を発端にしたものであり、主軸となるメンバーも木組みの街の住人7人と、原作9巻中盤付近までのごちうさを想起させる様な構成になっているのがポイントである。その為、今月号はブラバ組を除いた既存メンバーに中心的な焦点が当てられているのだが、今月号はその既存メンバーの事情をめぐって中々スケジュールの折り合いつかないと言う描写が存在しており、最終的には丸く収まるとは言え、全体的な流れの見方によっては「原作10巻終盤から11巻序盤で明かされた『運命のターニングポイント』をどことなく意識している」とも見て取れ、それは「何れは向き合わなければならない命運」を暗示しているとすら思えてくる。

 今月号の扉絵は、先月号や先々月号の様な「扉絵の構成もその回のストーリーに深く絡んでくる」と言ったテイストから、「その時の季節に合わせた雰囲気が盛り込まれている」と言ったテイストになっており、故に今月号の扉絵は、私としては今月号全体のストーリーも鑑みて「今後の展開を暗示するとともに、作中の季節と現実の季節を採り入れた内容になっている」と捉えている。尚、ごちうさの扉絵は昔から意味付けが豊富なので、故に今月号の様な描写も至って普通に存在しているのだが、なまじ先月号までとテイストが変わっていたので、初めて見た時はそのテイストの変化っぷりに驚いた。

 そして、今月号を読んでいく中で私が特に気になったのは、良くも悪くも嘗てとは一線を画す雰囲気が増えてきた近年のごちうさにおいても、ハッキリと描かれている印象がさほど無かった「蠢く不安や後悔に対する向き合い方が、限定的とは言え今月号は割とハッキリ描かれていた事」であり、これは恐らく原作10巻から11巻にかけて描かれていた「高校3年生組が決断している進路選択に伴う運命の岐路」*2が大きく関係していると考えており、これを汲む事で今後の展開がある程度読めてきそうなものだが、ここでは「その『不安や後悔』に対する向き合い方がどの様なものか」を中心に書き出していきたい。

2.購読した感想・考察

新たなる世界への誘(いざな)いと厳しい現実

 今月号は「『海』が目的地のシストの地図を手にした心愛ちゃんが、皆を誘って『海』に向けて出発するまでの物語」が中心となっており、故に今月号では海は登場していないのだが、今回は『海』に行くまでの物語も非常に重要であり、そこには多くの苦節が見え隠れしている内容になっている。と言うのも、心愛ちゃんと紗路ちゃん、そして千夜ちゃんは現時点で高校3年生であることと、現時点でも結良ちゃんを含めた11人全員がアルバイト勤務を行っているもしくは検討を開始している為、抑々「皆でどこかに遠出する事」そのものが容易な事では無くなっているからであり、この事実は私が今月号に対して強く感じている「不安や後悔、そして運命のターニングポイント」にも深く関わっている。

 この様な背景もあってか、今月号前半はごちうさでは比較的珍しめの「現実はあくまで厳しいと思わせられる内容」が割とストレートに描写されており、ギャグ要素も散りばめられているとはいえ、全体的に見れば10巻終盤から11巻序盤程の異質さでは無いが、普段のごちうさの様な雰囲気とも言い難い構成になっているのは事実である。ただ、冷静に考えてみても殆どのメンバーが既に学業とアルバイトと言う二足の草鞋を履く環境下にあること、心愛ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの3人は高校3年生故に進路選択を迫られていること、神沙姉妹にしても将来的にアルバイト勤務を視野に入れていることから、現時点でも「全員揃って外出する事が難しいのはどう考えても明白」であり、それ故に今月号の展開も正直「何時かは必ずぶつかる事が分かり切っていた壁」とも言えるのだが、その壁にぶつかった時の心愛ちゃんの凹み具合は相当なものであり、その威力たるや、心愛ちゃんの涙ぐんだ反応を見せられたが故とは言え、少々の苦難・苦行ではまずもって動じない理世ちゃんですら思わず涙を見せる程だった*3為、私としてもその心中は中々に複雑なのだが、それでもこれまでのごちうさには早々無かった新鮮味溢れる展開は特筆すべきポイントであり、前半ではそんな新鮮味溢れる展開と、心愛ちゃん達が見せた絡みから見えてくる概念について書き出したい。

「海」へと導く道しるべ

 今月号前半の重要キーポイントは、何と言っても心愛ちゃんが先月号のブロカントで買った品物から見つけた「目的地が『海』のシストの地図」であり、これに関してはそれまでのごちうさでは殆どなかった『海』が登場してきた事もあって心愛ちゃん達の驚きと衝撃が入り混じっていたのも印象的だし、私としても「遂にごちうさでも海が登場してきたのか……!」と思ったものである。因みにシストの地図はかなりの年代物らしく、故にそれ相応の年季の入ったものが地図に記された所に眠っている印象が見受けられていたが、そうなってくると私としては心のどこかで「今回の地図は誰からの贈り物なのだろうか?」となってくる訳だが、当然の事ながら今月号時点では分からず仕舞いであり、今後のお話においてもそれが明かされるかどうかは正直不透明だと言うのが私の考えである。しかしながら、作中においてブロカントは「誰かの想いが熱烈に込められた物の交流場」と言う一面が強く存在しており、それは先月号のブロカントや原作5巻のブロカントを見れば一目瞭然な訳だが、私としてはそれ故に「今回の地図にも誰かの想いが熱烈に込められている」と思ってやまず、しかも目的地がそれまでのごちうさでは殆ど見かけなかった「海」ときたのだから、もし仮に誰が記した地図なのかは終ぞ分からなくても、その地図に記された場所に何か強い想いが込められているのは読み解けるし、ひいては「このシストの探究を通じて、彼女達は更なる高みへと躍動していく」とも思っている。

 そんな「海」への道が記されたシストの地図だが、これにはメッセージアプリを通じて情報が送られてきたマヤメグの2人もびっくりであり、フルールでバイトをしている麻耶ちゃんはその場に居た紗路ちゃんと夏明ちゃん2人に、甘兎さ庵でバイトをしている恵ちゃんは千夜ちゃんと映月ちゃん2人にそれぞれシストの事を伝えているが、神沙姉妹は2人してプライベートビーチで「海」を楽しんでいた過去がある為か、「海」に対してさほど興味がない様子*4であり、紗路ちゃんにしても予定が合わないと言わんばかりの趣旨の反応を示しており、千夜ちゃんに至っては新作メニュー名の創作に没頭且つ苦心惨憺*5していた為、抑々話を聞ける状態になかった(後に電話で不参加を表明)と言う結果であり、また冬優ちゃんにしても「海は苦手」という事で事実上の不参加表明をしており、これには智乃ちゃんも納得していたが、何れにしてもこの時点で「皆で集まって遠出をする事」が昔と比べて難しくなっているのは明白であり、結局この時点でラビットハウス3人だけで海を目指す事がほぼ確定し、理世ちゃんが気を利かせて結良ちゃんを誘ってみるも、彼女も不参加を表明する結果に終わる事となった為、この時点では完全にラビットハウス3人組だけでのシストとなってしまったのである。

 この様なシビアな現実が見え隠れした展開に対して私としてはごちうさにしては珍しい展開」とは思ったものの、前述した様に心愛ちゃん達は基本的に「学業とアルバイトを両立している身」である事から、全員でどこかに遠出する事が難しいのは明らかな事実であり、実際に今までのごちうさでも、誰かがバイト若しくは学校の都合で集合できない若しくは遅れてやってくると言う展開は度々存在していた事から、私自身「何時かは必ず直面する事だった」とも「今までがある意味奇跡だった」とも思わなくもなく、それ故に今回の事例に対してごちうさにしてはシビアな展開だが、彼女達が勤勉実直な事を鑑みれば、何時かはぶつかる事にならざるを得ない壁だった」と言うのが私の正直な想いだが、それでも今月号の様に「殆どの人が都合が付かずに行けないと言う意思表示をする」と言う展開はほぼ皆無であった為、シビアな現実そのものに対しては一定の理解を示せたものの、ラビットハウス3人組以外の予定が全く合わなかったと言うのは只管に衝撃的であり、この時点でも正直そこまで直視できる様な展開では無かったのだが、私が更なる衝撃を受けたのはこの先にあったのである。

落胆と再起

 ここまででもかなり衝撃の振れ幅が大きい展開であったが、私が衝撃を受けたのは皆が容易に集合できなくなっていると言う事実に打ちのめされた心愛ちゃんが力なく発した言葉にあり、その言葉からは普段の楽観的且つ前向きな心愛ちゃんの姿はなく、そこにあるのは「大人になる事の哀しみと悲愴感」をもろに感じさせる程に傷心した心愛ちゃんであった為、これだけでも相当なものだが、加えてそんな心愛ちゃんを励まそうと声を掛けた理世ちゃんでさえも、心愛ちゃんの痛い所を突く一言を涙ながらに訴えかけられた事で、普段滅多な事では弱らない彼女でも途端に涙目になっていた事も殊更に衝撃的であり、理世ちゃんとしても友達と集まれないのは寂しいとともに、心愛ちゃんには弱っていて欲しくないと思っているのが窺える場面でもある。

 心愛ちゃんが呟いていた「大人になる事の悲しみと悲愴感」について私としては、これはどう足掻いても「それが現実の厳しさ」だと言わざるを得ない内容だと思う程に、心愛ちゃんが核心を突く様な発言をしていた為、正直どの様に言及するべきなのか良く分からないのだが、事実問題として心愛ちゃんは自身の姉であるモカさんと対等だと思える存在になる為にも、高校卒業後に木組みの街を離れ、パンの修行に出る決断を内に秘めている事が原作10巻終盤において明らかになった訳だが、その決断をする事で否が応でも木組みの街にいる友達とは容易には集まれなくなる事も覚悟しなければならないのは自明の理である事から、今回の心愛ちゃんの発言に力が無かった事や、友達と容易には集まれない事に対して寂しさを覚える事自体は、人間なら誰しもなり得る事なので十分に理解及び納得できる訳だが、その一方で心愛ちゃんが立てている将来像を目指す為には、この様な厳しい現実もきちんと受け入れなければならないのも事実である為、やはり私としては「それも乗り越えなければならない試練」と思わざるを得ないのだが、この様な厳しい意見を持っているのは心愛ちゃんが本気で叶えたい夢がある事を知っているからであり、故に迷いはあってもその意思は堅牢である。

 また、心愛ちゃんの涙ながらの発言を聞いて思わず涙を浮かべていた理世ちゃんについても、理世ちゃんが情に脆い一面があるとは言っても、普段は直ぐに切り替えて気丈な振る舞いに戻り、心愛ちゃん達をフォローする役回りをする事が大半な為、今回の様に相手の感情に感化されたままその感情を引き摺るのは珍しく、故に中々に衝撃的だった訳だが、この様な事になったのは、恐らく理世ちゃんにしても心愛ちゃんの力なき発言が的を射た内容だと理解していた事と、フォローを入れようにもそれを確約できるだけの保証がどこにもないも分かっていた事から、彼女も心愛ちゃんと同じ様に友達と容易に集まれない事に対する寂しい気持ちが、心愛ちゃんの涙目を見た事で一気に増大したためだと考えられるが、何れにしても心愛ちゃんも理世ちゃんも「大人になるなら必ず背負わなければならない事実の一端」を今月号にて突き付けられた事に対して、かなりの寂しさと悲愴感に襲われていた訳であり、それは普段の2人からは想像だに出来ない程の痛々しさを感じさせる雰囲気となっている。

 ここまで悲しみに暮れる雰囲気が続く展開だが、ここで心愛ちゃんと理世ちゃんのやり取りを見ていた人が喝を入れ、そこから再起する流れとなっていくのだが、その喝を入れた人が智乃ちゃんなのかティッピーもとい智乃ちゃんの祖父なのかが私にはハッキリ分からず、多少なりとも困っているのだが、台詞の勢いや口調を見るに恐らくはティッピーだと思われ、その喝の内容は正に「酸いも甘いも噛み分ける様な人生を送ってきた智乃ちゃんの祖父の、正に『人生の大先輩』だからこそ言える事」と思うに相応しいものである。そして、その喝によって心愛ちゃんと理世ちゃんはネガティブな雰囲気からすぐに脱し、再び『海」が目的地のシストに対して邁進(まいしん)するのだが、冷静に考えてみてもかなり凹んでいた2人を一瞬にして元の2人に戻すだけの言葉を送れるティッピーはやはり凄いと思うし、ラビットハウスの良い関係性が良く分かる場面だとも思う。

 この様に今月号前半は場面によって登場人物の気持ちの浮き沈みが激しい面があり、故にどこを読んだり考察したりするかでその印象は大きく変わる訳だが、その中でもインパクトが大きいのは「新たなる目的地たる海に向かう事実に心を躍らせる場面」「友達と集まって遠出をする事が決して当たり前の様に出来る事では無かったと思わされ、その現実に少なからず意気消沈する場面」だと思われ、何れも今までのごちうさでは見られなかったインパクトを伴っていた印象があったが、この様な事実を突き付けられた上で更に複雑な気持ちにさせるのは、10巻終盤から11巻序盤で明かされた心愛ちゃんと紗路ちゃんの「自分の夢の為に木組みの街すらも離れる覚悟」が描写されている事を鑑みると、今回の苦難も「将来を見据えるなら必ず受け止めなければならないと否が応でも分かる事」であり、ストレートに現実の厳しさを物語らせる描写は見ていて心に刺さるものがあるが、一方でティッピーの「酸いも甘いも噛み分けてきた人生に裏付けされた喝」によって再び気概を取り戻す勇ましい場面もあり、故に今月号で垣間見えた厳しい現実は「例え受け入れ難い程の現実でも前を向いて進まなければならない時もある」とも「立ち止まっていては何時までも成長はしない」と言った厳しいテイストにも感じられる訳だが、これを一連の流れとして捉えると「厳しい現実に一度は気後れするものの、ティッピーの喝を受けて、現実を受け止めた上で再び歩みを進める」と言う流れになり、この場合単なる厳しさだけには留まらず、その厳しさをどの様に受け止めていくのかも見える様になる為、ここでも新たな「成長(と言うより覚悟)」が見て取れる訳である。

後悔なき選択と新たなる未来

 ここから今月号後半と行きたい。今月号後半では前半の「厳しい現実を目の当たりにされる」のとはうって変わり、数多くの「粋な計らい」によって一度は諦めた7人でのシストの探究が再び現実のものになったり、その前段階でもラビットハウス3人組のみでも前向きになっていたり、その過程で理世ちゃんが「今後のごちうさにおいては非常に肝要」となる発言をしていたりと、前半とは別ベクトルで胸を打たれる展開となっているのが特徴である。その為、後半では最近のごちうさではよく見かける「友達との繋がり」「一つ一つの出来事を大切に想う心意気」なるものがひしひしと感じられ、10巻終盤から11巻序盤で明かされた大きな決断を嚙み締めながら想いを馳せると、その想いはより一層大きなものとなるだろう。

 尚、今月号では「シストの目的地へ向けて出発するまで」に重点が置かれている為、今回のお話では「海」は最終局面で登場する程度の端役となっているが、その出発をめぐって今回は目立ったハプニングは発生していないものの、ティッピーの意味深長な発言が、最後の最後に一縷の不安を掻き立てているのが印象的であり、やはり「来たる現実からは絶対に逃れられない」と言う訳なのだろうが、一方でティッピーの発言は、それだけ「智乃ちゃんが精神的にも成長した証」でもある為、何とも言い難い感触はあるが、それは今後の展開に譲ると言う事なのだろう。

理世ちゃんの展望と後悔なき未来

 前述の様な紆余曲折を乗り越え、何時もの調子を取り戻したラビットハウス3人組は、遂に出発当日を迎える事になるのだが、そこで智乃ちゃんの父であるタカヒロさんが見せた立ち振る舞いが正に粋な計らいを地で行く印象があり、元々茶目っ気ある一面を見せていたタカヒロさんだが、今月号にてもそれは健在な事をまざまざと感じさせてくれている。そして、まずはココチノの2人がラビットハウスを出発し、後から理世ちゃんと合流するのだが、その時に理世ちゃんの口から明かされる、彼女が何故このシスト探究に参加しようと思ったのか。その理由が個人的には相当に感慨深かったのである。

 理世ちゃんが明かしたその理由とは、云わば「些細な事でも後悔が残らない決断を意識したい」と言うもので、これは普段の理世ちゃんならまず言い出さない事である上、客観的に見ても親密な仲柄相手に言い出すのは結構照れくさいのは明白な為、心愛ちゃんに指摘された際に理世ちゃんは思わず必死になって照れ隠しな行動に出ていたが、私としてはこの理世ちゃんの発言は「ある種の真髄」とすら受け取っており、照れくさいのも十二分に分かっていたが、それ以上にそう遠くない未来にやってくる「一旦は離れ離れの道を歩む事になると言う現実」に対して、「その現実が分かっているなら、私はその時までのきっかけ全てに対して後悔なき選択をしていきたい」と言わんばかりの彼女の強き想いに心を打たれたのである。

 今振り返ってみれば、ごちうさ「心愛ちゃんを中心にしてセカイがどんどん拡張されていき、その拡張はとめどなく続き、またそのセカイは永遠たるものである」と言う印象が強くあった様にも感じており、特に原作4巻以降心愛ちゃん達の親密度が更に濃いものになった事により、その印象はより鮮明になっていき、最初はそんなセカイに対して戸惑いと苦悩が隠し切れなかった私も、時が経つにつれて戸惑いも苦悩も消えていき、何時しか心の何処かで「このセカイはずっと続いていくもの」だと思う様になっていた。そして、原作8巻から9巻にかけての旅行にて後のブラバ組たる冬優ちゃん、夏明ちゃん、映月ちゃん3人との出逢いを果たし、9巻後半で木組みの街に来訪してからはその3人を含めたセカイの拡張となり、10巻では理世ちゃんの同級生兼幼なじみである狩手結良ちゃんも含めて、セカイはさらに拡張の一途を辿り、これからもそれが続いていくかと思いきや、10巻終盤から11巻序盤で明かされた事実は、そんな希望的観測を容赦なく打ち砕いたと言わざるを得なかった内容であり、そこで「今までのセカイは決して『当たり前』なんかではなく、何一つ欠かす事の出来ない要素の上に成り立っていた、云わば『奇跡の日々』だった」と改めて思い知らされた。尤も、その事実が全く予想できなかったと言えばそれは嘘になるし、事実原作10巻終盤で明かされた事実も、今までのごちうさを振り返ってみると「きちんと筋が通った堅牢な決断」だと分かる様になっており、もっと言うなら原作10巻終盤以前も「今のセカイは決して確約されたものではなく、幾つもの奇跡と運命的な選択の上に成り立っているもの」と分かる描写そのものはあったのだが、それでも原作10巻終盤の「2度にわたって時間差で衝撃的な現実を唐突に突き付けられる」に比べれば全然可愛いもので、あの衝撃に勝るものは正直無かったと思う。

 しかしながら、原作10巻終盤にて「今の優しさと幸せに満ちたセカイは、数々の奇跡と運命的な選択の上で成立していた、正に『奇跡』の日々であり、それはなにも確約されたものでは決してなかった」とハッキリと分かった事で、「その奇跡の様な日々に対して後悔の無い様にしていきたい」と言う想いがより鮮明に伝わるとも考えており、理世ちゃん自身がこの様な現実に対してどこまで考えているかは分からないものの、少なくとも「今の日々を後悔が無い様に過ごしたい」と思っているのは事実であり、そこには彼女なりの「これからやってくる現実との向き合い方」如実に示している様にも思えてくる。 

 ここまで色々と書き出してきたが、纏めると私が理世ちゃんの発言に対して「ある種の真髄」とまで思った背景には、彼女が原作10巻終盤にて「今まで当たり前の様にあったセカイが、実は奇跡のバランスの上に成り立っていた賜物だった」とハッキリ突き付けられ、今月号においてもそれを裏付ける様な現実に見舞われる中で、心愛ちゃんに触発されて涙を見せる一幕がありながらも最終的には「己の信念を強く反映した考えを構築していた事」が大きく、また理世ちゃんの「些細な事でも後悔なきように」という信念が、私自身が持つ信念とシンパシーを感じたのも理由として存在している。そして、理世ちゃんがその様な信念を掲げた理由として私は「これから必ずやってくる現実との向き合い方を示す為」とも認識しており、現時点ではまだそこまで重要ではないとは考えているが、今後の展開次第では重要になってくるとも認識している。

集結の時と粋な計らい

 紆余曲折がありながらも元の気概を取り戻したラビットハウス3人組とティッピーだが、ここから良い意味で衝撃の展開が続く。と言うのもラビットハウス3人組とティッピーで、シストに描かれていた「海」へと歩みを進めた矢先、まずはマヤメグの2人が合流し、そのあとすぐに千夜シャロの2人も合流する事で、一度は断念せざるを得なかった「7人でのシスト探究」が何と叶えられる事になったからであり、これには只管に驚きものだが、これにもちょっとした粋な計らいが存在しており、それは抑々千夜シャロとマヤメグが当初シストの探究には行けそうもなかった最大の理由として「バイトのシフトが上手く噛み合っていなかった事」があった中で、これを知ったブラバ組の3人が「代わりにバイトのシフトに入る」と言う形で4人の都合を付けられる様にして、7人でシストの探究を出来る様にしたと言うもので、ブラバ組3人にとっては「ありのままの私達を受け止め、理解ある友達として、私達に色々としてくれる事に対するお礼」だそうだが、私としては「これ程粋でかっこいい事も早々無い」と思うまでにブラバ組の行動は凄いと考えている。尤も、肝心の仕事の能力に関しては、神沙姉妹の2人して冬優ちゃんから「大丈夫ではない」と心配される面もあったが、何にしてもブラバ組の粋な計らいは相当にかっこいいと思う。

 ところでブラバ組の粋な計らいについては私自身相当に美しいものだと捉えているが、何故ブラバ組がこの様な事を行ったのかは気になる点であり、作中では「普段のお礼」として描写されているが、私が気になるのは「ブラバ組の3人は、木組みの街の住人7人が抱えている『現状や未来』を詳しく知っていたのかどうか」であり、最早容易には集まれなくなっている7人の現状を踏まえて、今回の様な粋な計らいを見せたのか、それとも純粋に普段の恩返しがしたくてこの様な計らいに出たのか。結論から言えばどちらであっても「ブラバ組は友達想いの優しい人が集まっている」となるのだが、この2つではブラバ組が木組みの街の住人7人に対して与える意義に若干の差異が生ずるため、何れの場合もブラバ組の人柄の良さを証明しているのは疑いない事実だとは言え、私としてはどちらであるのか少々気になった所存である。

 何れにしても肝心なのは「ブラバ組の3人がどちらの考えを重視しているのか」だと考えており、私は今月号の流れを踏まえた上で、冬優ちゃんは木組みの街の住人7人が抱える現状や未来の進路選択を目の当たりにしていることと、神沙姉妹2人は普段から7人に対して相当な恩義を感じていることを鑑みて、冬優ちゃんは7人の未来を見据えた思想寄りの、神沙姉妹2人は7人に対する恩義のお返し寄りの思想をしていると捉えており、これを組み合わせる事でブラバ組全体としては「7人の未来を見据え、普段からの恩返しも兼ねた粋な計らい」になっていると捉えている。勿論、冬優ちゃんも神沙姉妹2人の様な想いは絶対にあると考えているし、逆もまた真なりと考えているのは当然だが、冬優ちゃんと神沙姉妹2人とでは木組みの街の住人7人からもたらされたものの過程に若干ながら違いが存在している事から、今回はその7人から特に授かったものを冬優ちゃんと神沙姉妹2人、それぞれ強調して定義付けした次第であり、根底は同じ想いでも、何を強調して伝えたいのかは冬優ちゃんと神沙姉妹2人では少々異なっていると思う訳である。

新たな歩みと意味深長な言葉

 この様にして木組みの街の住人7人とティッピーは無事に全員で「海」が目的地のシストの探究に向けて歩みを進める事が可能になり、それに浮かれる様にして心愛ちゃんが智乃ちゃん目掛けて自分のテンションの高さをぶつけていたのは印象的だが、それを見ていた千夜ちゃんは少しばかり調子に乗り、紗路ちゃん目掛けて明らかに当たったら痛いであろう勢いで突っ込み、紗路ちゃんを若干怒らせている一幕があり、私としても「千夜ちゃんは変わっていないなぁ」と思った訳だが、何故千夜ちゃんが紗路ちゃんに対して心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してやった様に優しく突っ込まず、突っ込まれた方が明らかに痛いと分かる威力で突っ込んだのかは全くもって謎であり、分かっている事は「千夜ちゃんの行動には悪戯心はあっても悪意はない事*6と言うものだけである。因みに千夜ちゃんが突っ込んでいく様は格闘ゲームや対戦アクションゲームにおける「DA(ダッシュ攻撃)」を思わせるものであり、そりゃそんな姿勢で突っ込んだら紗路ちゃんが痛がるのも無理ないとはなるが、何度も言う様に千夜ちゃんが何故にそんな姿勢で紗路ちゃん目掛けて突っ込んだのかは不明であり、強いて言うなら「幼なじみ相手だからこそ仕掛けられる悪ノリ若しくは悪戯」となるのだろうが、何れにしてもその様な行動を何故に取ろうと思ったのか。その理由は作中からは殆ど窺い知れない為、考えたとて暗礁に乗り上げるだけなのかも知れない。ある意味「小悪魔」もとい「鬼畜和菓子」ここに到来である。

 そんな一幕もありつつ、一行は海に向かうべく列車に乗り込むのだが、その道中ボックスシート*7に揺られながら理世ちゃんが発していた「後悔なき未来への展望」を心愛ちゃんが皆に向けて話している場面があり、理世ちゃん本人はかなり照れていたものの、皆は理世ちゃんの考えに全面的に賛同しており、やはり「当たり前ではない、かけがえのない日常を一つ一つ大切にしたいと言う想いは皆同じ」と言うのが良く分かる。

 しかし、私が気になったのはこの先の「ティッピーと智乃ちゃんのやり取り」であり、理由としてその展開は少しばかりとは言え、二ヶ月前に想像を絶する程の衝撃をもたらしたかの銀河鉄道回で語られた内容」に通ずる雰囲気さえ持ち合わせている内容だったからであり、その場面は丁度遂に「海」が見えてきたタイミングだった事から、本来なら喜ばしいと思うのは当然だし、実際に智乃ちゃんとティッピーのやり取りからも「海が見られた事を智乃ちゃんが嬉しく思っている雰囲気」は存分に感じられる上、そこからは「智乃ちゃんの優しさ」さえも大いに感じられるのだが、如何せんティッピーが切り出した内容が内容だった為、私はそんなティッピーの意味深長な言葉に対してどこか「一抹の不安」を抱え込みながら、今月号の顛末を見守っていたのである。無論、不安を払拭する様に心がけて読む方法もあっただろうし、そうでなくても必要以上に不安を拡幅する必要も無かったのだろうが、元々私はごちうさに対しても良くも悪くも対比的な物の見方(早い話が光と影)を意識している事から、ここでも例外なくそれを意識した物の見方をした訳である。

 ただ、ティッピーの意味深長な発言が何時どのタイミングで確固たる現実となるのか。それについては私自身最早予測がつかない。何故なら、今後どの様な展開になっていくのかが、現時点でも全くと言って良い程分からなくなっているからであり、現に今月号だけでもあの「銀河鉄道回」から僅か2ヶ月後の掲載タイミングで、木組みの街を飛び出して「海」に向かう展開になったのも正直「全く予想だにしなかった展開」だったし、その過程の中で「ティッピーの意味深長な発言」が飛び出してくる事も当然全く想像つかなかった内容であり、挙句今月号にて心愛ちゃんと理世ちゃんの口からあの様な言葉が飛び出してくる事も、内容自体は予測できる下地こそあったとはいえ、今月号の段階で表立って出てくるとはやはり想像も出来なかったと、私にとって今月号は「想像だにしなかった事のオンパレード」である事を思えば概ね理解して貰えるだろう。

 しかしながら、今後のお話の展開予測そのものに関しては最早私の手には負えなくなっているのは事実でも、それぞれが歩んでいく未来や歩んでいく道筋の大まかな予測や、描写された現状を分析して、今のお話が未来に何をもたらし、どの様にして繋がっていくのかの考察に関しては十分可能であり、言うならば「新しいお話の展開そのものの予測は難しくても、明らかになったお話から、彼女達が置かれている現状を分析したり、彼女達の未来や将来像を考察したりする事は十分可能であり、そちらに注力する」という事であり、これが私の感想・考察のスタイルでもある。

 説明が長くなったが、これらを踏まえてティッピーの意味深長な発言を考察するなら、私としてはやはり「おじいちゃんは何時か智乃ちゃんの元から離れる時が来る」という事をあの意味深な発言から読み取っており、かの銀河鉄道回」で語られた内容は、嘘偽りのない真実である事が改めて確約されたとも見ているが、もう一つ重要な事として、おじいちゃんがティッピーの元から離れるのは、少なくとも「智乃ちゃんがおじいちゃんがそばにいなくても大丈夫なまでに精神的に成長した時である事」があり、故に最近のお話でこの様な話題が度々上がると言う事実は、それだけ智乃ちゃんが精神的にも大きく成長を遂げている事の証ともなっていると認識しており、現状智乃ちゃんはまだその事実に対して気持ちが揺れ動いている段階にあるが、何時の日にか必ずその現実と向き合わなければならない時は来ると思うし、そのタイミングの正確な予測については前述の通り私にとっては難しいものの、少なくとも心愛ちゃんの新たなる旅立ちのタイミング辺りまでには向き合う描写があるとは感じている上、今後のごちうさにおいても非常に重要な内容だと考えている。

3.あとがき

 以上がきらま2022年8月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は「シストに記載されている目的地たる『海』へと向かう」と言う流れから、舞台設定上「海」とは殆ど縁のなかったごちうさにおいてはかなり異色な回であるが、その雰囲気は原作9巻中盤までのごちうさを彷彿とさせるものである事から、テイストそのものはやはり何時ものごちうさであり、何時もの雰囲気を残したまま新たなセカイへと旅立つ構成はとても秀逸だと思う。

 今月号は再三述べて来た様に「『海」が目的地のシストを探究する段階のお話」である為、今月号では海は端役となっているが、代わりに「木組みの街の住人7人の現状や、それぞれが秘めている信念」が重要になっており、その過程では心愛ちゃんの凹み具合や、それに感化された理世ちゃんの涙目など、些かえげつないと言えなくもない内容も含まれていたと思うが、その内容からは「それぞれが持つ成長に関する事や現実との向き合い方」をも感じさせている為、私としても全く心が痛まない訳では無いが、心愛ちゃんや理世ちゃんをはじめとした木組みの街の住人7人の精神的な成長や将来像を改めて知れたのは大きな糧だったと考えている。

 また、今月号終盤ではティッピーがかの「銀河鉄道回」を彷彿とさせる程の意味深長な発言をしていたのもポイントであり、これもやはりえげつない含みがあると言えばそうだと思う上、これに関しても「何れは向き合わなければならない事」であるが、これも智乃ちゃんの精神的な成長を如実に物語っているが故である為、先ほど同様全く動じない訳は無いのだが、これも「智乃ちゃんが何時かは絶対に向き合わなければならない事」だと思えば、私としても逃げずに智乃ちゃんが持つその意思や決断を最後まで見届けるだけである。

 そして、今後の「海」が目的地のシストについてだが、私には前述の様な理由があるが為に予想を付ける事は難しく、故に今後どうなるのかは正直良く分からないが、「このシストが彼女達にとって大きなターニングポイントとなる」とは認識しており、現時点では正しく五里霧中と言える程に謎が多く立ち込めているとは言え、来月以降の展開次第では凄まじい事になるのではないかとも考えており、その過程においては正直ごちうさの根幹をも揺るがしかねない程に衝撃的な内容も出現する可能性もなくはないと考えているが、それも「逃れる事は出来ない絶対的な運命」だと言うなら、私としてはやはり受け止めるだけである。

 ここ最近最後まで今までのごちうさ感想・考察とは一線を画す様な締め方になっているが、これも私がごちうさに対してあらゆる感情を表に出せる様になったという事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙38枚分である。先月と比べると比較的コンパクトにまとまったが、その想いの強さは全盛期と比べると若干落ち着いているとは言え、依然として高い熱意を安定して保っている状態となっている為、この先もコンスタントに書き続けていくと思う。

*1:木組みの街のどこかに隠された地図を発見する事から始まり、地図を見つけたら、その地図に記載されている場所を探しに行き、その場所に辿り着いたら、そこにおいてある宝物と、自分が大切にしている宝物を交換すると言うもので、木組みの街では昔から知られているものだが、以前のお話で木組みの街の出身ではない心愛ちゃんはシストが何かを知らなかった経緯があった為、少なくとも心愛ちゃんの地元ではそういったものは知られていなかったと考えられる。

*2:事情はそれぞれ異なるが、心愛ちゃんと紗路ちゃんは高校卒業後に木組みの街から離れる事になる進路選択を決断しており、これが意味する事を鑑みれば、今月号にある「不安や後悔の正体」は大分見えてくる。

*3:ただ、理世ちゃんは情に脆い所がある為、情に訴えかけられると一転して綻んだり、心が揺らいだりする事も多いが、大抵は直ぐに元通りになる為、今回の様に情に流されたまま涙ぐんでしまう事は、印象的ではあるが絶対的な回数としては少ない。

*4:但し、夏明ちゃんは麻耶ちゃんが自身の斜に構えた様な発言に対して、意地になって「ナツメは誘ってあげない」と返すと、夏明ちゃんは明らかに不満そうな顔をしていたため、夏明ちゃんにしても「友達と遊びたい」と言う想いは強くある様だが、夏明ちゃんと麻耶ちゃんはお互いの事になると、性格が近い事もあってか2人共に意固地になってしまう傾向がある為、この様な不器用な事になりがちである。

*5:くしんさんたん。非常に気苦労すること。

*6:尤も、冷静に考えてみればある意味それが一番怖いのだが……。

*7:向かい合わせになっている4人掛け座席の事で、嘗ては旅情の雰囲気を掻き立てるものの代表格だったが、今ではすっかり見かけなくなってきている。とは言え、ごちうさコルマールをはじめとしたヨーロッパの都市をモデルとしているので、現実の鉄道事情とはまた違っているのだろう。

きらま2022年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近色々とこなさなければならない事が増えていき、それ故に趣味事自体はできても、ブログ記事の様に腰を据えて取り組まなければならない事が中々捗らず、この記事も執筆開始までが今までと比べても相当に遅くなった*1訳ですが、ごちうさに対する熱意そのものは殆ど変わっていないので、ブログ記事にて感想・考察を起こす事に関しても、これからは時間こそかなり掛かるとは思いますが、今までと変わりなく行っていきたいと考えています。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は主に「ブロカント(古物市)」が中心となる回で、一見すると先月号と比べて比較的マイルドな印象を受けますが、今月号は何と言っても「ブラバ組*2の動向や経緯」がキーポイントになっており、その威力たるや、その観点から見ればかなりのインパクトを誇っているのは疑いないと思う程で、故に今月号も先月号とは別ベクトルで普段のごちうさとは一線を画している雰囲気を持っている事になる訳ですが、何れにしても今月号も印象深い事は間違いないので、今回も率直な想いを書き出していきたいと思います。

※注意※

最新話及び原作10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は神沙姉妹2人と冬優ちゃんの計3人で構成される「ブラバ組」に終始焦点が当たっている回であり、それは今月号を大きく見ると「ブラバ組の3人がブロカントに出店し、そこでラビハ組や年上組を始めとした木組みの街の人々と交流していく」と言う構成になっている事からも窺える。要するに「今月号のメインはブラバ組3人」と言う訳であり、その中でも神沙姉妹の切実な過去が明かされる点はとても重要である。因みにブライトバニーで新たにバイトを始めた狩手結良ちゃんについてだが、結良ちゃんは今月号終盤にてブラバ組3人とコンタクトをとっており、冬優ちゃんは彼女の事を(勤務先が同じ事から)知っていた様子を見せていたものの、神沙姉妹は結良ちゃんとの接点が無かったためか、2人共に知らなそうな反応を見せていた。この事から、今月号時点において結良ちゃんと神沙姉妹の接点はまだまだ途上と言えるが、将来的に神沙姉妹もブラバで勤務する様になった暁に、神沙姉妹が結良ちゃんを見てどの様な反応を見せるか。そこも気になるポイントである。尤も、現状の結良ちゃんと冬優ちゃんの関係性を見れば半ばお察しな面もあるが……。

 今月号の扉絵は、私としては「ブラバ組の結束を強く意識したもの」だと感じており、3人がそれぞれ別々のポーズをとりながらもその想いは共通していると言わんばかりの雰囲気は正に圧巻ものだが、よく見ると神沙姉妹の2人が手に旗を1つずつ持っているのに対して、冬優ちゃんだけ旗を2つ持っているのも、個人的には中々に興味深く、私としては冬優ちゃんだけ旗を2つもっているのは「冬優ちゃんがブラバ組を先導しゆく事を暗示している」とも「冬優ちゃんがブラバ組の核を担っている」とも受け取れると捉えており、何れの場合も「ブラバ組においては、主に冬優ちゃんが神沙姉妹の2人を引っ張っていくと私自身認識している」と言うのが共通している。

 また、今月号を読み進めていく中で私が特に気になったのは「神沙姉妹の切実な過去」「狩手結良の立ち位置とその心境」であり、前者はブラバ組がメインとなっている今月号においては半ば自然な流れだと言え、故に私としても自然と深く入り込んでいける感覚があるのだが、後者はただでさえ普段から特異的な雰囲気を持っていると言うのに、今月号における雰囲気も「何者にも染まらず、不気味なまでに思想も素性も掴めない」ものだった為、流石に戸惑いは隠せなかったが、それでもこの2つが気になった事に対して躊躇いは殆ど無かった。この事からも私の想いの広域さとある種の奇特さが見えてくる様だが、何があっても私としてはブラバ組も結良ちゃんも大好きなのである。

2.購読した感想・考察

ブロカントにおけるブラバ組の軌跡

 再三にわたって記述してきた様に今月号は終始「ブラバ組のブロカント」に主軸が置かれている為、必然的にブラバ組に視点が当たる事になる訳だが、同じブラバ組のブロカントでも中盤までとそれ以降では内容の趣旨がかなり違っており、特にココチノと出逢う部分が大きなターニングポイントとなっている。また、前半では3人共にブロカントに出店する事は初めてだと言う事で、3人共に緊張が中々解れずに苦戦していた様子も見受けられていたが、後半とりわけココチノと別れた後は、心愛ちゃんがお客さんが来る様な仕掛けを施した事もあって3人共に元来の性質こそそのままながらも、ブロカントに対して強い意気込みと抜群のコンビネーションを見せており、ブロカントを通じてブラバ組の3人が色々な意味でスキルアップを遂げているのが良く分かる様になっている。

 その様な事から、今月号は「『ブロカント』と言うブラバ組の何れもが初めてチャレンジする舞台上にて、3人がどの様な変化と成長を歩んでいくのか」を読み解いていくのがキーポイントになると考えている。また、今月号では最後のコマを除いて基本的に「ブラバ組がブロカントに来訪、出店していた時間軸がメイン」となっており、それ故に大きく見れば「夢」と「現実」と言う2つの概念が存在し、その「現実」においても細やかな時間経過が存在していた先月号とは対極とも言える様な構成になっているが、私としては「同一の時間軸で起こった内容が緻密に描かれている事で、ブロカントに出店し、実際に展開していく中でブラバ組がどの様な事を思い、どの様な事がきっかけで新たな一歩を踏み出したのか、それがより強調されている」と考えており、前半ではそんなブラバ組が見せたブロカントにおける軌跡からみえてくるものを、ココチノと別れる付近まで書き出していきたいと思う。

マヤメグとの交わりと神沙姉妹の切実な過去

 今月号では冒頭からブラバ組3人で初めてブロカントに出店する事になった事実に対する意気込みが語られており、それと同時にブラバ組の3人が、このブロカントに出店するにあたってそれぞれが持ち寄った品物について見せ合っているのだが、前者に関しては接客業を主とする業種にバイト先にしながら、元来人見知りな傾向が強い冬優ちゃんにとってとても勇ましい意気込みが語られており、これに関しては称賛の一言に尽きるのだが、その一方で後者が中々にクセモノであり、冬優ちゃんは下宿先のオーナーに頼まれたもの、神沙姉妹は現在使っていない物を中心に持参してきたまでは良いのだが、その中で冬優ちゃんは自分の私物としてドラスティックなセンスの部屋着を、映月ちゃんはファッションアイテムと称しながらも相当に尖ったアクセサリーと、人を寄せ付けさせない印象を与えるまでに物騒な題材を扱った本を持参してきており、図らずも見る者を圧倒させる様な印象を植え付けさせる事になっている。尚、映月ちゃんがこの様な装飾品や本を所有していたのにはそれなりの理由があり、それも中々にえげつない。その為かどうかは定かではないが、ブラバ組の3人は出店してからと言うもの、マヤメグと出逢うまでは正に閑古鳥が鳴く程の有様であり、現実の厳しさが垣間見えてくる様である。

 そんなブラバ組が決定的なターニングポイントとなったのはマヤメグとの出逢いであり、最初こそ何時もの絡みの延長線上な雰囲気がしているが、ブロカントの出品物たるフォトフレームに「昔の神沙姉妹の写真」があった事をきっかけに大きく変貌を遂げていく。何故なら、その写真に写っていた神沙姉妹は、現在の神沙姉妹とは異なり「昔は2人共に髪が長かった事を証明するものだったから」であり、これに加えて神沙姉妹の2人の発言から「双子故に区別がつかないと言われてきた事から、区別できるようにする為にあくる日夏明ちゃんが髪を突然バッサリ切った」のも明らかになっており、この衝撃的な事実に対してマヤメグの2人も結構衝撃を受けていたが、2人以上に衝撃を受けていたのが同じブラバ組たる冬優ちゃんであり、マヤメグの2人が衝撃的な事実を知った後も、ありのままの2人を受け止めると言わんばかりに神沙姉妹が持つ元来の優しさを汲み取った行動をとっている*3のに対して、冬優ちゃんは「同じブラバ組でありながら、神沙姉妹の切実な過去や事情を全くと言っていい程知らなかった事」を痛感していたのは、私としても見ていて考えさせられるものがあったのは言うまでも無かったが、同時に決して晴れる事のないモヤモヤが心を覆う感覚がどことなくあった。これに関しては、私としても「人間関係のもどかしさに関して、冬優ちゃんと同じ様な経験をしてきた事」もあったのだろうが、一番に「同じコミュニティに属しているからと言って、相手の事を何でも知れる様になれる訳ではない」と言うごくごく当たり前の事を改めて知らされたのが心痛かったのだろう。無論、頭では「ただ時間と空間を共にするだけで相手の事を理解する程、世の中そう甘くはない」のは初めから理解しているのだが、心の方はそうはいかないのである。

 また、私としてはマヤメグ2人とブラバ組の交流を見ていて、映月ちゃんは特定の過去をオープンにする事にさほど躊躇いがない一方、夏明ちゃんは何かしら気にしている特定の過去があると感じた場面があり、それは「夏明ちゃんが『双子故に区別がつかない』と周りから言われ続けていた状態を何とか変える為に、自分の意思で髪をバッサリ切った過去」である。これに関しては「『切った本人』と『それを見ていた人』と言う立場の違い」も大きく関係していると考えられるが、それ以上に夏明ちゃんとしては「この事実を明かす事で、自分自身はそこまで後悔していないにもかかわらず、信頼できる大切な友達に対して変な気遣いをかけさせてしまうのが申し訳ない」と考えているのが大きいと捉えており、誰にとっても長い髪をバッサリ切る事がどれ程勇気のいる事なのか、その事に対して後悔はないと思い続ける事の大変さがどれ程のものなのか、その重大性を良く分かっているからこそ、この様な思想に繋がっていると考えている。

 なお、夏明ちゃんの双子の姉たる映月ちゃんにしても、夏明ちゃんがひしひしと感じていた事情は彼女なりに分かっていると思われるが、それでもこの事実を打ち明ける事に戸惑いを見せなかったのは、映月ちゃんとしては「信頼できる大切な友達相手だからこそ、その様な過去を戸惑いなく話せた」という事情があった様にも感じている。但し、今月号を見る限りでは映月ちゃんがこの過去に対してどの様に感じているのか、それが明確に分かる場面は基本的に存在していないため、断定はかなり難しいのだが、前提として映月ちゃんは外面と本来の自分の乖離が夏明ちゃん以上に激しい一面があり、自身が心を開いていない人とコンタクトをとる際には、普段の大らかで明朗な雰囲気が一転して、自身の本質を徹底して隠し、普段の映月ちゃんからは想像だに出来ない程に全く違う自分を作り上げる傾向にあるため、もしマヤメグの2人や冬優ちゃんに対して少しでも心を開いていなかった(=外面な自分として接していた)とするなら、自身にとっても多かれ少なかれ切実な想いを抱える過去を3人に対して戸惑いなく明かす事は考えにくく、故に映月ちゃんが何を考えて自分達の過去を割にあっさりと明かしたのか。その本心については分からない部分が多いのも事実ではあるものの、少なくとも映月ちゃんは「信頼出来る大切な友達だからこそ、自分達の切実な過去を明かしたのは紛れもない事実」だと言えよう。

 この様にブラバ組とマヤメグの交流は、初めて故に出だしから躓いていたブラバ組にとってその後の躍進の切っ掛けを掴んだだけでなく、ひょんなことから明かされた神沙姉妹の2人が抱える切実な過去にも触れていく意味でも重要であり、故に出だしからかなり飛ばしにかかっていると言えるが、一方で全員が同級生と言う事で、全体的に気が置けない*4雰囲気があるのもポイントであり、5人の良好な関係性が良く分かる場面でもある。その為、この序盤では僅かながら不穏な雰囲気を覗かせながら*5も、全体的には明るい雰囲気が中心的な印象が強く、5人の普段とほぼ変わらないやり取りと、そこから見えてくる各々が持つ優しさは必見である。

千夜シャロが魅せる情熱と拘り

 ここからは千夜シャロとの出逢いを書き出していきたい。ブロカントにおける千夜シャロとブラバ組の絡みは、一言で表すと最近のごちうさでは少しレアとなりつつあるシリアスとは全く無縁の明るい展開*6であり、幼馴染の仲柄を存分に発揮した軽快な掛け合いと、それぞれが持つ熱意を十二分に発揮する千夜シャロの2人と、その雰囲気に半ば呑まれながらも、ブロカントに対する確かな想いを目の当たりにするブラバ組の3人の雰囲気は、見ていてどこか微笑ましいものがある。

 そんな千夜シャロとブラバ組の絡みだが、ブロカントにおける出逢いの始まりは中々にぶっ飛んでおり、その出逢いは「ブラバ組が出店していた出品物から『お宝』を感じて、紗路ちゃんが千夜ちゃんと共に一目散に駆け寄ってくる」と言うもので、その「お宝」と言うのはもちろん、紗路ちゃんが心から好きとするティーカップもとい「陶器」*7であり、流石は陶器に対して凄まじい拘りを持っている紗路ちゃんと言った所である。因みに千夜ちゃんは登場時こそ割と平静なものの、品物の売買交渉となった途端に巧みな話術で、冬優ちゃんを見事に誘導させている場面があり、勿論すぐに紗路ちゃんによって突っ込まれていたものの、その話術の技巧さは流石千夜ちゃんと言った所であり、2人共に「やはり血は争えない」と言わんばかりに、親の影響が色濃く反映された強烈な特性を発揮していたのは印象的である。

 その様な事から、千夜シャロの2人はブロカントに「出品者」として構えていたブラバ組に対しても相当な影響を与えている。例えば紗路ちゃんは、上質なティーカップ「適正価格が良く分からないから」と言う理由で、所謂ダンピング*8と言わんばかりの破格の値段で良物を売ろうとした映月ちゃんに対して「そんな値段で売ろうとするなんて信じられない!」と言わんばかりに凄まじい剣幕と衝撃を露わにし、半ば怒りの説教と言う形で「ブロカントにおいて、良い品物を相応しい人に相応の値段で売ることの大切さ」を説いており、これに対して映月ちゃんや冬優ちゃんは、千夜ちゃん以外にはまず見せる事はなく、今回の映月ちゃんの様に年下相手になら尚更その傾向が強い紗路ちゃんが、烈火の如く鬼気迫る雰囲気を醸し出していた事におどおどしていたが、その鬼気迫る雰囲気をしてまで紗路ちゃんが熱弁をふるっていたのも、ひとえに「彼女がそれだけ物の価値(特に自身がこよなく愛する陶器)を大切に考えているから」であり、自分が心から愛する特定のものに対して際限なき情熱と拘りを爆発させているその姿は、一見何事にも冷静沈着に取り組んだり、捉えていたりしている様に見えて、実は誰よりも自分や友達が現時点で心から好きなものや、自分若しくは友達が将来的には到達したいと考えている目標に対して凄まじい情熱と拘りを持っている(=熱血)紗路ちゃんらしいものであると思うし、今回の様に時には相手を図らずも圧倒する事もあるとは言え、紗路ちゃんの事を良く知っている人からすれば、どこまでもひたむきな情熱を持ち、ここぞと言う所でそれを遺憾なく相手に伝える事ができるのが彼女の良い所なのであり、故に驚きはあっても嫌悪感は一切無かった。何と言うか、私としても最早紗路ちゃんが魅せた気迫に圧倒されたのだろう。

 また、千夜ちゃんに関しても紗路ちゃんが見せた様な血気迫る気迫は無かったとは言え、ブロカントもといマーケットにおける戦略構築の巧みさや、言葉巧みに出品者もとい相手の心を掴み取り、自分のペースにうまく誘導するだけの話術の上手さ等々に、紗路ちゃんとは別ベクトルで千夜ちゃんの情熱さ(したたかさ?)が表れており、作中では冬優ちゃん相手に冬優ちゃんが普段着として来ていたかの「ドラスティックなセンス」を感じさせるTシャツを褒めちぎり、冬優ちゃんの心を見事に掴み取り、その上で冬優ちゃんが好む感性に直接届けにいく様な喋りでますます冬優ちゃんの心を鷲掴みにさせて、終いには自分にとって有利な条件を、ごく自然な形をもって冬優ちゃんに承認させると言う凄まじいまでの口八丁*9ぶりとしたたかさぶりを見せ付けており、最早一抹の恐怖すら覚える程の喋りの上手さは流石千夜ちゃんと言わんばかりの話だが、当然ながら紗路ちゃんはそんな年下を誘導する様な流れを良しと思わなかった様で、冬優ちゃんに対して「流されてはダメ」と警鐘を鳴らしている。その為、この「これが商談における人心掌握術」と言うのを地で行く千夜ちゃんの立ち振る舞いは、私としては「この展開にはある種の毒が含まれている」とも正直思ったのだが、冷静になって考えてみれば、千夜ちゃんも冬優ちゃん相手だからこそ出来た事だと思われるし、何より千夜ちゃんは良識をきちんと弁えており、本当に人を騙す様な事は絶対にしない(と言うよりできない)人なので、必要以上に深刻に考え込むのはいささかお門違いだった気もするが、何れにしても千夜ちゃんの喋りや交渉術はそれ程までに上手かったと言う訳であり、やはり千夜ちゃんはブラバ組が設営しているブロカントにおいてもただ者では済まなかったのである。

 最早自分でも何が言いたいのか良く分からなくなってきそうだが、端的に言えば「千夜シャロそれぞれが持つブロカントに対する拘りと情熱はあまりにも凄かった」という事に尽きる訳であり、そこからベクトルこそそれぞれ違っているものの、紗路ちゃんは「ブロカントにおいて、上質な物若しくは大切な物を売る時に必要な心意気」を、千夜ちゃんは「ブロカントもといマーケットでの立ち振る舞い」をそれぞれブラバ組に向けて伝えているのではないかとも捉えており、千夜ちゃんのはブラバ組の反応が良く分からないが故に少々無理矢理な所はあるが、何れにしても千夜シャロの2人が持つブロカントに対する情熱と拘りは本物であり、その強き想いは確実に存在しているのである。しかしながら、紗路ちゃんのはともかくとして、千夜ちゃんのは「使い方を絶対に誤ってはならない。もし使い方を誤れば必ず後悔する未来が待っている。」と言う条件付きであり、考え様によってはライトながらもある種のブラックユーモアすら感じる程である。単に私が考え過ぎなだけな気もするが……。

ココチノの視察と運命の転換点

 前半最後の項目は何と言ってもブラバ組にとって多大な影響を与え、今回のブロカントにおいても大きな転換点を担う事になるココチノの2人との絡みである。ココチノとの絡みに関しては、どちらかと言えば「ブラバ組の現状視察」の意味合いがあり、故に前半では単純にココチノの2人が「お客さん」としてブラバ組の出品物を吟味する面が強いものの、後半では心愛ちゃんが「立役者」としての強みを誇示し、その後のブラバ組のブロカントの繁盛に貢献し、ブラバ組自体も大きく躍動すると言う展開を迎える事になる為、ここがブラバ組にとって大きなターニングポイントとなっているのは間違いないと思われ、名実共に重要な役割を担っているのは言うまでもないだろう。

 そんなココチノとの出逢いだが、前半ではブラバ組の出品物を割と興味津々に視察するココチノの2人が存在しており、ここでは「ブラバ組にとっての先導者」と言うより「買い物をしに来たお客さん」としての印象が強くあるが、心愛ちゃんが選んだものが「冬優ちゃんのオーナーさんが大切にしていたコーヒーミル」と言う、喫茶店に勤務する者としても、一人のお客さんとしても中々にお目が高い選択をしている一方、智乃ちゃんは例の映月ちゃん持ち込みの「拘束具」が目に留まっており、その様なものが存在する理由に神沙姉妹の2人がそれぞれ「間違えて買った」だの「ジョークグッズ」だの、冷静に考えてみても「そんな理由があるのかよ……。」となる場面は、私としても笑って良いのかよく分からなかった。ただ、この手のものは「2人してそう言っているのだから、きっとそうなんだ」と思い、場合によっては笑い飛ばしてでも受け止めておくのが吉なのは分かっているが、それを一旦立ち止まって真剣にあれこれ考えようとする辺り、私はやっぱりどこか感性がズレた変わり者なのだと思う。

 後半においてはそれまでとは毛色が一気に変わり、ブラバ組にとってこれまでの状況は正直芳しくないと言う大真面目な話になっており、ここから一気に真面目な展開になると思いきや、それを知った心愛ちゃんが取った行動が「にこやかな表情を見せ、その後突然凄まじい大声でブラバ組の出品物に掘り出し物がある事を宣伝する」と言う、シンプルながらも中々にぶっ飛んだものであり、当然ながら智乃ちゃんとブラバ組はそんな心愛ちゃんの行動に対して目が点になるまでに茫然とした様子を見せ、私としても「良くも悪くも心愛ちゃんのそういう所は高校1年生の頃と全然変わっていないなぁ。」と思ったものだが、更に凄いのはここからであり、なんと心愛ちゃんは大々的な宣伝をした直後にブラバ組に対する応援の言葉を言い残して智乃ちゃん共々その場を去ると言う、俗に言う「鬼畜和菓子」*10や「鬼畜こけし*11もびっくりの奇想天外と言うほかない行動を見せており、流石の私も「えぇ……。」と思わず困惑する展開がそこにはあったのだが、この様な行動を心愛ちゃんが取った理由として、直ぐに智乃ちゃんがフォローを入れていた様に、心愛ちゃんとしても「ブラバ組3人の事を心から全面的に信頼していたから」ではないかと考えている。尤も、今月号を見る限りではブロカントに対してそこまで自信がなさそうに感じられるブラバ組ではあったが、それでも心愛ちゃんはこれまででもブラバ組がどれ程の成長を遂げているのか、その事を良く知っているが故に「今のブラバ組なら、繁盛する状況でも適応できるだけのチームワークとポテンシャルがある」と信頼しており、故にブロカントに対してどこか尻すぼみ気味になっていたブラバ組に対して「自分達が秘めている力はとても凄いんだよ」と伝えたくて、ブラバ組を否が応でも一念発起させる様な事を仕掛けたのではないかと言う訳であり、勿論「万が一上手く行かなかった時に生じる多大なリスク」を鑑みれば、一概に称賛するのはいささか考えものだが、それでも心愛ちゃんの行動がブラバ組にとって更なる成長を踏み出すきっかけとなった事と、ブラバ組と心愛ちゃんの間にある確かな信頼関係を鑑みれば、今回の一連の流れは十分に称賛できるだろう。

 この様にココチノ2人との出逢いは、ブラバ組にとって大きな転換点となっているだけでなく、その後一気に繁盛する事になるブラバ組が展開するブロカントにおいて、3人がどの様な行動を見せていく事になるのかも重要な要素であり、故にここから毛色が一気に変化していく事になるのだが、その端境(はざかい)となるこの場面では心愛ちゃんがとにかくぶっ飛んだ行動を見せていたのが印象的であり、正直その印象があまりにも強過ぎる感は私自身否めないのだが、冷静に考えてみてもあの心愛ちゃんの立ち振る舞いがあったからこそ、その後のブラバ組の躍動にも繋がっている事と、ブロカント自体も大きく繁盛する事を思えば、ある意味当然だったのかも知れない。

ブロカントでブラバ組が得たものと一抹の不穏

 ここからはブロカントの後半部分を中心に書き出していきたい。前半では主に「ブラバ組と木組みの街の住人の絡み」が中心的だったが、後半では「繁盛したブロカントをブラバ組がどの様にさばいていくのか」にスポットライトが当てられており、故に「中盤とそれ以降では内容の趣旨がかなり違う」と言及したのだが、そんな中盤以降は心愛ちゃんによって繁盛する事になるブラバ組のブロカントに対して、冬優ちゃんが主導となって3人のポテンシャルを存分に引き出したコンビネーションを見せけていたのが印象的であり、ブロカントを通じてブラバ組の3人がどの様な成長の一歩を踏み出したのか。その事を思えば思う程、心に来るものが大きくなる。

 ただ、今月号の後半は前半には無かった「異質さ」も存在しており、それは理世ちゃんの幼馴染にして、現在はブラバでバイトをしている狩手結良ちゃんその人が見せる「雰囲気そのもの」である。結良ちゃんは言わずもがな、ごちうさの登場人物の中でも一際異彩を放つ人物であり、そのミステリアスな雰囲気と、何を考えているのか全然読み解けない行動原理は、一部の例外を除いて彼女が登場する度に途轍もない緊張感と異質な雰囲気をもたらしてきているが、その実結良ちゃんには「誰よりも人間らしい人」とまで思う程に人間味に溢れている一面があり、ある意味「不器用な人」でもあるのだが、ここではそんな狩手結良ちゃんが見せた立ち振る舞いについて考察したい。

屈託なきコンビネーション

 心愛ちゃんのシンプルながらも中々にぶっ飛んだ方法の呼び込みにより、ブラバ組の3人が展開するブロカントが一気に繁盛する事になり、3人は必然的にその対応に追われる事になったのだが、ここでは冬優ちゃんが凄まじいまでの主導権を見せ付けており、冬優ちゃん自身も意識しなければ平静を保つ事は難しい状況ではあったものの、未曽有の繁盛ぶりに混乱していた神沙姉妹の2人を励まし、冬優ちゃん自ら「冬優ちゃんが会計、夏明ちゃんが品物の実演宣伝、映月ちゃんが品物の説明」と言う形で、3人それぞれの適役を神沙姉妹の2人に指示をしている姿は正にブラバ組の柱であり、内気で大人しい冬優ちゃんが、木組みの街の住人との交流を経て新たなに身に付けてきている一面が窺える様になっている。

 その様な事から、私としては自分なりに培ったリーダーシップを発揮し、ブロカントにおいてはブラバ組の要として絶大な手腕を発揮していた冬優ちゃんに対して「彼女はなんて凄いのだろう……。」と思う事に異存は無かった。何故なら、原作8巻にて初登場した頃は、初対面の人と話す際には腹話術を用いなければ上手く会話ができないまでに人見知り且つ恥ずかしがり屋で、故に今月号で見せた冬優ちゃんの様相とは全くの別物だったからである。無論、冬優ちゃんはそこから自分にとってかけがえのない存在となった木組みの街の住人7人との出逢いと交流を経て、嘗ての自分とはまるで別人とすら思える程の凄みを会得していく訳だが、私が特に凄いと思うのは「冬優ちゃんの呑み込みと成長の驚異的な早さ」であり、彼女自身はまだまだ成長の余地があると考えているとは言え、現時点でも「最早旅行編の時の冬優ちゃんとは別人レベルに成長した」と思える程の驚異的な成長ぶりを遂げているのが只管に衝撃的なのである。

 そして、そんな爆発的な成長を遂げつつある冬優ちゃんに対して、同じブラバ組として冬優ちゃん程では無いとは言え、それなりにハイスピードで成長を遂げている神沙姉妹の2人が見せた立ち振る舞いも重要だと捉えている。神沙姉妹の2人に関しては、冬優ちゃんとは異なり繁盛したブロカントに対してどうすれば良いのか終始あたふたしていたが、その様な状況下でも、夏明ちゃんと映月ちゃん2人共に的確な指示と熱意あるリーダーシップを執っていた冬優ちゃんに対して彼女のリーダーシップ及び指示を全面的に尊重する反応を示していたのが印象的であり、これは考え様によって様々な捉え方があると思われるが、私は純粋に「神沙姉妹の2人にとっても冬優ちゃんはかけがえのない友達であり、同じブラバ組の仲間でもある」と言う、2人の冬優ちゃんに対する心に秘めた想いが見え隠れしていると感じ取っており、ここから私はこのブロカントを通してブラバ組の3人は、改めて自分達の絆が強固なものであり、お互いに助け合いながら成長していく関係性である事を認識していたと捉えている。

 尚、心愛ちゃんの呼び込みによって繁盛していたブラバ組のブロカントに関しては、最終的には冬優ちゃんの的確な指示と安定したリーダーシップによって見事大成功を収め、その後一段落した際にブラバ組3人で会話をする様子があるのだが、その会話は「神沙姉妹の2人が、心愛ちゃん達以外の木組みの街の人々にもちゃんと受け入れられていた事」「冬優ちゃんにもまだまだ可能性が秘められている事」が読み解けるものであり、前者はそれまで自分達以外の世界が殆ど無かった2人にとって、漸く見つける事の出来た新しい居場所の確立を意味し、後者は冬優ちゃんのさらなる成長の余地を意味しており、ブラバ組もとい神沙姉妹の2人が木組みの街で明確に受け入れられている事、既に飛躍的な成長を見せている冬優ちゃんも今後さらに飛躍していく可能性がある事を示唆する重要な局面だと思う。

一抹の不穏とブラバ組の絆

 心愛ちゃんの突飛ながらも熱烈な呼び込みによって、ブラバ組のブロカントは大盛況を迎えた訳だが、その様な大盛況を迎えても映月ちゃん持ち込みの「拘束具」や「人を避けるための道具」は、やはりあまりにも人を選ぶものである事が災いしてか、他の商品が全て売れた状態でも最後まで売れず仕舞いであり、3人共に諦める方向性に舵を切っていたが、そんな折に登場したのがブラバでバイトを始めながらも、その立ち位置はブラバ組3人とは全く別物である狩手結良ちゃんその人であり、彼女は何時もの様にどこか不気味とすら思える程の影たるオーラを纏いながら、ブラバ組のブロカントの中で唯一売れ残っていた「拘束具」や「人を避けるためのグッズ諸々」全てを購入していき、購入した後には、その影たる雰囲気を少しも変える事無く、ブロカントから去っていったと言う、ある意味彼女の予定調和とも言える行動を見せている。因みにブラバ組の3人の内、冬優ちゃんは神沙姉妹の2人がブラバのアルバイト採用の椅子が1つしかなかった為に、2人の仲の良さを知った店長が「2人をバラバラにする様な決断をしたくない」と言うある種の優しさを持った決断を下したのもあってその椅子には座れなかった所、結良ちゃんが後からその椅子に座った(=採用された)事*12からも、彼女の事はある程度知っていた様子を見せていたが、神沙姉妹の2人は結良ちゃんの事を全くと言っていいほど知らなかった為、彼女の事を「良い人」だと称していたのは印象的である。尚、結良ちゃんは本当に「良い人」な側面もあるし、少なくとも「根っからの悪人ではない」のは紛れもない事実だが、如何せん普段見せている性質が性質なので、どうしても歪んで見えやすい傾向がある。

 この様な展開を見て私が気になったのは、勿論と言うべきかやはり「狩手結良ちゃんが見せたダークな雰囲気」であり、単純に考えてみてもその何を考えているのか全く分からない雰囲気は正に彼女の十八番と言うべきものだが、結良ちゃんは何も四六時中ダークな雰囲気を帯びている訳では無く、寧ろ普段の彼女は(掴み所が無い点を除けば)そこまで逸脱した雰囲気を持った人物ではないことから、私としては「何故今回は終始ダークな雰囲気を帯びていたのだろうか」と、やたらと気になって仕方なかったのである。そして、今月号の結良ちゃんが終始影たる雰囲気を帯びていた事に対して、私は考察の末に2つの見解を持つに至り、1つ目は「冬優ちゃんひいてはブラバ組にとって結良ちゃんはまだまだ未知の部分が多いから」と言うもので、2つ目は「結良ちゃん自身が誰にも染まらない独自の立ち位置と世界観を貫き続けているから」と言うものである。

 1つ目の見解から説明すると、1つ目は今月号の結良ちゃんは最終コマを除いてブロカントにおけるブラバ組との絡みしか登場していないのに着目し、ここから「今月号で結良ちゃんが見せた雰囲気は、殆どがブラバ組から見た結良ちゃんのイメージ」と言う性質を持ち合わせている事が前提として、神沙姉妹の2人にとって結良ちゃんとは殆ど面識がなく、冬優ちゃんは同じバイト先と言う事もあって面識はあるものの、心愛ちゃんや智乃ちゃんとは何もかもが違っている事もあって、警戒心が解き切れない存在である事から、ブラバ組の3人共に「結良ちゃんとの絡みが少ない(若しくは内面が窺い知れない)が故に素性が良く分からず、故に3人共に多少なりとも彼女に対して影たる雰囲気を帯びている様にも感じられる」と考えられる事から編み出した仮定論であり、端的に言えば「ブラバ組3人にとって結良ちゃんは素性が知れない部分が多い事から、その掴み所のない行動と雰囲気がどこか影の属性たるものに見えた」と言う訳である。

 2つ目の見解は、結良ちゃんはこれまでにも心愛ちゃんや理世ちゃん達とは一線を画す様な言動や立ち振る舞いが多かった事からも、彼女が他の木組みの街の住人とは一線を画す様な価値観を持っているのは明白な中で、ブラバ組に対してもその様な影たる雰囲気を崩さずに現れた事によって、結良ちゃん自身「心愛ちゃん達とは一線を画す価値観と立ち位置を保ち続ける事を暗示している」と言う仮定論である。抑々論として今月号時点においては、結良ちゃんとしてもブラバ組3人の事はまだまだ知らない事が多いと思われる中で、結良ちゃんが上記の様な異質な雰囲気を見せたと言う事は、彼女自身が持つ「心愛ちゃん達とは一線を画す様な立ち振る舞い」をブラバ組に対しても見せる意思がある事の証明とも考えられる訳であり、良くも悪くも「結良ちゃんの一線を画す雰囲気はなくならない」と言う訳でもある。

 ここまで私が今月号の結良ちゃんに対して考察した内容を2つ書き出したが、1つ目と2つ目どちらをとるにしても「結良ちゃんの価値観や雰囲気は、心愛ちゃん達のそれとは全くもって異なっているのを示唆している側面がある」と言うのが共通点として存在しており、この事からも今月号で結良ちゃんが見せたダークな雰囲気を私自身「何者にも染まらない独自たる雰囲気や価値観を持ち、尚且つそれを貫き通そうとしている事の表れ」と捉えている訳だが、結良ちゃんはごちうさの登場人物の中でも、おっとりしつつもミステリアスな雰囲気を纏う青山さんと並んで特に素性が掴みにくい人物*13である為、果たしてこの様な見解がどこまで真相に迫れているのかは私自身も良く分からないのが実情である。しかしながら、学生組の中でも特に異質な雰囲気を持つ結良ちゃんの雰囲気は決して無視できるものではない事は明白であると私自身考えており、故に今月号だけでブラバ組と結良ちゃんの関係性を断言は難しいとは言え、それ故に今後の「ブラバ組と結良ちゃんの絡み」は目が離せないとも言えよう。

 そんなブラバ組と結良ちゃんとの絡みだが、今月号においては「結良ちゃんがブラバ組のブロカントの出展物の中で最後まで残っていた品物を買ってくれた人物」と言う事もあってか、神沙姉妹2人からの心証はとても良かった訳だが、それにより映月ちゃん持ち込みの物が遂に本人の手元から離れた事を意味する為、その事に対して心配を思う心情を冬優ちゃんから投げかけられているが、映月ちゃんからしてみれば、例のグッズは「自分を尖らせてみせるため(早い話がグレる)に買ったもの」であり、それは映月ちゃんもとい神沙姉妹の2人にとっては「人間関係の事で変に傷つかないようにする為の防衛手段」を意味する為、変に自分を偽る必要性もなくなった今の自分達にとっては最早いつまでも取って置く理由がなくなっているのは明白であり、故に今回売りに出して、結果的に自分の手元から離れて次の持ち主に受け継がれた事に対しても寂しい感情は全く無く、寧ろ「過去の悲しき自分を象徴するアイテムを断ち切る事ができた」と言う意味でも、映月ちゃんは晴れ晴れした気持ちを抱いていたとすら思えてくる。

 ただ、そんな映月ちゃん御用達の「拘束具」含めた「映月ちゃんの尖った意思を反映させたグッズ」を結良ちゃんが買っていた事実はそう簡単に流せるものでは無い。何故なら、ここでも映月ちゃん理論を適用するなら、結良ちゃんが例のブロカントで映月ちゃんが持っていた「拘束具」諸々を購入していったと言う事は、それだけ彼女には親しき仲柄の人物を自分のものだけにしたいと言う、所謂「親密な人物に対する独占欲」があるのを意味しているとも考察できるからであり、これに対して作中では「冬優ちゃんが神沙姉妹の2人を手懐ける結良ちゃんを想像して、彼女に対する警戒心を更に強める」と言う展開があるが、私としては結良ちゃんが手懐ける(或いは操り人形)対象としているのは、寧ろ彼女にとっての幼馴染である理世ちゃんの方なのではとも考えており、確かに結良ちゃんが神沙姉妹の2人を手懐けるのも可能性としてはなくはないが、結良ちゃんは「育ちの経緯故に親密な関係性に対して多少なりともコンプレックスを抱いている節がある」ため、彼女にとって幼馴染と言う特別な関係性にある理世ちゃんの事を束縛しようとしていると考えるのが自然な流れではないかと思い、この様な見解に至った訳である。しかし実際には作中においても「結良ちゃんは必ずこの様な未来を辿る事になる」と確証をもって言及されている訳では無く、私としても「確証は正直どこにもない」ため、言ってしまえばこれらは所謂取り越し苦労なのかも知れないが、現状では「否定するにしろ肯定するにしろ、それを確約するだけの証拠が十分にない」事もあって、何度も言う様にたとえそれが取り越し苦労だとしても、この「否定も肯定もできない」が故に頭のどこかで「もしかしたら……!」と言う想像が絶えないのである。

 因みに例の「拘束具」一式を買っていった結良ちゃんだが、その日の夜に理世ちゃんに見せびらかして、彼女をビビらせると言う一幕があるのだが、ここでも結良ちゃんはあくまで「ブラバの面接に落ちたっぽい2人がいたから助けた」と言っており、これにより結良ちゃんは神沙姉妹の2人の事をある程度知っている可能性が浮上した訳だが、何れにしても彼女は「人助けの為に買ったまでであり、別に変な趣味は全く持っていない」という事なのだろう。ただ、当の理世ちゃんはその辺の事情を良く知らないが故に、完全にドツボにハマっており、それ故に結良ちゃんの話に聞く耳を持つ余裕が無かった為、どこか心配にもなってくるが、そんな状況下でも結良ちゃんは理世ちゃんに対して彼女を嗾ける様な事を発しているので、やはり深く考えても取り越し苦労に終わるだけかも知れない……。

 この様に結良ちゃんの行動をめぐっては、ブラバ組もとい冬優ちゃんの見解に代表される様に多少なりとも不穏な見解もなくはないのだが、その一方でブラバ組が出展したブロカントが大成功の内に幕を閉じたのは紛れもない事実であり、その際に神沙姉妹の2人が冬優ちゃんに対して「私達の個性を考慮した指示をしてくれた事に対して、驚きつつも喜ばしそうな感情を表していた」のが特に印象的である。何故神沙姉妹の2人がこの様な事を発したかと言えば、言わずもがなではあるが、「2人には双子故に見分けがつかないと言われていた過去があったから」であり、夏明ちゃんが髪をバッサリ切ったのもそれに起因しているのだが、そんな中でも冬優ちゃんは2人の事をしっかり理解した上で、それぞれの特性に合った形で的確な指示を下していたため、それが2人にとっては何よりも嬉しかったのだと考えている。尤も、冬優ちゃん自身は「心愛ちゃん達が来てくれなければ不可能だった」と謙遜しており、実際に心愛ちゃん達が来てくれたからこそ、冬優ちゃんは一歩を踏み出す勇気が持てたと思う事からも事実だと思われるが、それでも冬優ちゃんが2人の事を内面からしっかり理解しようと思わなければ、双子である神沙姉妹の2人に対してそれぞれの個性や特性に合った的確な指示を下す事は、例え心愛ちゃん達の存在があったとしてもまず不可能である為、冬優ちゃんが言う様に「心愛ちゃん達の来訪があったからこそ」なのは前提だとしても、冬優ちゃんの心の中に夏明ちゃんと映月ちゃんそれぞれをしっかり理解しようとしていた自分がいたからこそ、今回の様な事ができたのは紛れもない事実だと言えよう。

3.あとがき

 以上がきらま2022年7月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は先月号に比べると圧倒的なまでの衝撃的な展開は控えめとなっていたが、代わりにブラバ組の軌跡と成長がブロカントを通してはっきりと分かる回になっており、それ故に今月号も先月号と比べて、別ベクトルながらも全く遜色ないインパクを私自身感じ取っており、ブログ記事自体も今月号の方が文量が多い程である。とは言っても、先月号のインパクトは相当なものであった為、甲乙つけ難いとは正にこの事だと思う。

 今月号はブラバ組中心にして、ブラバ組がかけがえのない存在でもある木組みの街の住人*14とブロカントを通じてどの様に絡みを見せ、成長していくのかが重要であるが、一方で「ブラバ組と木組みの街の住人」の関係性がかなり色濃く描かれている点も同じ位重要であり、ブラバ組を軸にしてブロカントに訪れる木組みの街の住人との絡みと言うのは、ブラバ組3人にとってはそれまで無かった経験*15でもある為に読み手にとっても結構新鮮であり、また関係性が濃縮されている事からも、読んでいて中々に重要だと思う訳である。

 また、ブラバ組3人の中でも冬優ちゃんがブロカントを通じて深い観察力、優れた洞察力、高い成長力、そして柔軟な適応力を見せていた点も印象的であり、それをもってそれまで双子故に区別がつかないと言われていた神沙姉妹それぞれの特性を上手く掴み取り、夏明ちゃんと映月ちゃんそれぞれが得意とする分野の仕事を託したり、心愛ちゃんの呼び込みによって空前の繁盛を迎えた局面においても、智乃ちゃんの励ましがあったとは言え、最後まで冷静さを失わず、柔軟な適応力をもって上手くお客さんを捌いていたりと、自然な形でブラバ組の要としての存在感を発揮していたのは見逃せないが、それらを超える程に衝撃的なのはその様な強みを心愛ちゃん達と出逢ってからたった数ヶ月で自ずと発揮していた事実であり、その成長スピードの早さはブラバ組はおろか、ごちうさの登場人物全体で見ても一二を争う驚異的なレベルだと思う程だが、更に凄いのが「冬優ちゃん自身がそれでも自分はまだまだ成長途上(未熟者)だと考えている事」で、今月号時点でも既に嘗ての自分とは比べものにならない程の成長を遂げながら、それでも自分はまだまだ未熟だと捉え、精進を決して怠らないその姿は、将来的に冬優ちゃんは何かしらの大物になるとすら思う程であるし、そうでなくても周りから尊敬される様な人であり続けると思う。

 尚、ブラバ組3人の中で誰が中心的存在なのかは人それぞれだと思われるが、私としては「人を導くだけの力を持ち、何があっても軸がブレない強さを持つ」と言う観点では冬優ちゃんが別格の強さを持っており、神沙姉妹の2人もその意味でも冬優ちゃんの事を信頼し、とても頼りにしている場面は少なくないことから、「有事の際の中心は冬優ちゃん*16で、普段も冬優ちゃんが割と中心的な存在感を持つ」と捉えているが、当然の事ながらそれぞれが信頼し合っているからこそ、冬優ちゃんがその象徴として存在しているのは言うまでも無く、その意味では「誰一人として欠かせない存在」だと考えている。

 そして、今月号においても異質な雰囲気を持ち、ブラバ組にも大なり小なり影響を与えていた結良ちゃんに関しては、今月号における行動から「心愛ちゃん達とは一線を画す価値観を持っている事がほぼ確定した」と言う意味で重要だと捉えているが、それ以前に結良ちゃんはブラバでバイトを始めたと言う経緯からも、ブラバにそれなりの関わりを持つ人物である事は明白である為、「結良ちゃんもブラバ組の一員」と言う考えもできながらも、現状結良ちゃんはブラバ組の3人とは一線を画す存在である事も気になっており、これに関しては「結良ちゃんは3人とは別学年だから」とも「抑々現段階では結良ちゃんと3人の接点が殆どないから」とも受け取れるが、何れにしても今月号で結良ちゃんは「ブラバ組の3人と接点を持った」訳であり、それ故に今後の動向次第では結良ちゃんも正式なブラバ組の一員若しくはそれに準ずる立ち位置になる可能性もある事から、結良ちゃんの今後の動向からはますます目が離せなくなったと言えよう。

 先月号と比べてもかなり膨大な文量となり、それに伴い書き上げるまでに相当な期間を要したが、これもいつ如何なる時もごちうさに対する想いが強くある事の証ともって、この感想・考察の締めとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙50枚分である。先月と比べてもかなり字数が増えているが、これよりも更に字数が多かった記事は沢山ある為、何とも言い難い側面はある。因みに書き切るまでにかかった期間は2週間程度であり、書き始めの遅さと多忙さも相まって今回はかなり遅いペースだった。

*1:今までがあまりにも早過ぎたとも言えるが……。

*2:ブライトバニーの社長令嬢たる神沙姉妹2人と、そのブライトバニーでバイトをしている冬優ちゃんから成る、都会から木組みの街へとやってきた3人組の通称。

*3:これに対して夏明ちゃんはかなり恥ずかしそうにしていた。

*4:気を遣わなくても良い程に仲が良いこと。

*5:尚、覗かせているとは言っても結良ちゃんの雰囲気に比べれば幾分かわいい方である。結良ちゃんがあまりにも特殊だとも言うが……。

*6:但し、考え様によっては多少毒を含んでいる展開だと言う印象もなくはない。

*7:紗路ちゃんは作品の初期の頃から「陶器を心から愛する」と言う一面があり、これ自体は旅行編で明らかとなる紗路ちゃんの両親の職種の影響と思われるが、彼女の「陶器好き」はそれを考慮しても並大抵のものでは無く、所謂「マニア」と呼ばれるレベルを軽く超えていると思われる程。

*8:採算性を無視した価格で品物を叩き売ることであり、「不当廉売」や「投げ売り」とも呼ばれる。

*9:喋りが優れていること。

*10:心愛ちゃんの親友である千夜ちゃんが持つ、悪戯(いたずら)好き且つ揶揄い(からかい)好きな一面から放たれる数々の鬼畜行動を指す言葉であり、本人には悪意のないケースが殆どなものの、純粋に悪戯や揶揄いを楽しんでいる面が見受けられる所が「鬼畜」と呼ばれる所以なのだろう。尤も、私としては言う程「鬼畜」だと思った事がないのだが、感覚が少々鈍いのだろうか。一通り書き出してみたら「鬼畜」よりも「小悪魔」の方が似合っているとは思ったが……。

*11:きんいろモザイクに登場する大宮忍ちゃんを指す言葉であり、彼女の場合悪意は一切ないのにも関わらず、客観的に見れば相手を容赦なく攻撃する言動が少なくないが故に「鬼畜」と呼ばれている。とは言っても、私としてはそんな一面もひっくるめて忍ちゃんが好きなのだが……。

*12:その事から、冬優ちゃんは結良ちゃんが神沙姉妹の2人が落ちてしまったブラバの面接に受かった事実も知っている訳だが、神沙姉妹の2人には「自分が話す事で生じるであろう彼女達が受ける精神的なショック」も鑑みて、敢えて黙る決断をとっている。

*13:尚、青山さんが大人である事を鑑みれば、学生組の中で一番素性が掴みにくいのは結良ちゃんとなる。

*14:尚、現在の高校生組及び大学生組の中で理世ちゃんだけはブロカントに訪問している描写がなく、結良ちゃんとの絡みのみ描写が存在する。また、先月号では要だった大人組も今月号は基本的に登場していない。

*15:抑々ブロカント自体、3人共に初めてなのだが。

*16:自分達の居場所を守る為なら映月ちゃんの方が行動力、度胸共に上だが、あらゆる事態に対処できる安定性を持っていると言う意味では冬優ちゃんに軍配が上がる。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」7章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部7章を読み進めていく中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、最早どの様な観点から捉えるべきなのか分からなくなる程に錯綜たる想いに駆られている側面がありますが、それでも私の中での嗜み方と信念は固く存在しているので、今回も「私が思う事」を大切にしながら書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。だが、その道中はあまりにも悲愴的且つ壮絶な展開の連続であり、これまでも幾度となく数々の事実が明らかになってきたが、7章では途轍もない展開が待ち受けていたのである……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、その威力はきららファンタジア全体の中でも随一である。そして、個人的にはそんなメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶だと感じているのは「欺瞞に満ちた世界*1を正す為に禁呪魔法『リアライフ』に手を染めてまで暗躍するが、その根底には蠢く悲しき闇と決して消える事のない痛く悲しい過去が滲み出ている『リアリスト』そのものの存在」であり、知れば知る程に悲惨な実態や心境が見えてくる痛みは筆舌に尽くし難い。ただ、それでもうつつちゃんが見せる精神的な変化や、どんなに悲愴的な状況に陥っても決して希望を捨てないきらら達を見れば、胸が熱くあるのは当然の事ながら、聖典そのものが抱えている問題について深く考えていく事等、きらファンメインシナリオ第2部には「私にとっては心惹かれてやまない要素が多く存在」しており、それ故に新章が出る度に凄まじいまでの感想・考察を書いている所存である。

 今回もそんな読み応えのあるシナリオを読んだ感想・考察を書き出していく訳だが、前回の6章があまりにも肥大化し過ぎていた為、今回は幾分コンパクトにまとめようと考えている。勿論、コンパクトとは言っても書き出す内容に妥協をするつもりは無いのは当然である。

2.第2部7章の感想・考察

 まずはこれまで同様、7章そのものについてや、その7章から読み解ける事を中心に書き出したいと思う。内容はメインシナリオ第2部の例に漏れず重い内容になっているので、注意して欲しい。

7章全体の感想・考察

7章とは

 7章はメインシナリオ第2部2章及び4章同様、メインシナリオ第2部の世界観そのものが深く掘り下げられているものであり、冒頭から6章終盤に明かされた「リアリストの次なる標的は七賢者」に対する対抗策を練る場面から始まっている辺り、いよいよ激動の展開に突入していく事が窺い知れる。

 その様な事もあってか、この章は序盤から「神殿チームVS真実の手」と言う構図の激しい応戦が繰り広げられており、冒頭からいきなり波乱の展開を迎えている。だが、序盤は完全にリアリスト達が一枚上手であり、神殿チームは七賢者が新たに3人も毒牙に蝕まれ、きららちゃん本人に遂にサンストーンの手によって彼女が見えるパスが断ち切られ、更に6章時点で既に毒牙を喰らっていたカルダモンも毒が完全に治癒していなかった事から、一時は窮地に立たされる事になってしまう。

 正しく悪夢のような状況下に、ただ一人きららちゃんとの絆を覚えていたうつつちゃんは、自分の無力さと不甲斐なさに対して激しい自己嫌悪に陥ってしまうが、スクライブギルドのギルド長であり、うつつちゃんにとっての親友でもあるメディアちゃんの励ましによって再び希望を取り戻し、更にうつつちゃんに秘められていた強い想いが、彼女に新たな力を授ける事になった。そしてここから、七賢者の中でも特殊魔法の使い手であり、人の夢にも入る事の出来る力(夢幻魔法)を持つハッカの計らいによって、うつつちゃん達はきららちゃんを救う為にきららの夢の世界に乗り込む事を決意する。

 夢の世界においては、新たな力を会得したうつつちゃんの手によって、きららちゃんは自分の能力で絆を取り戻し、きららちゃん本人が見ていた悪夢から解放する事に成功する。因みにサンストーンからしてみればこれは大誤算だった様で、真実の手の面々は思わず憤りと焦りを隠せなかった様だが、直ぐに平静を取り戻している。また、7章中盤では「悪夢の魔法をかけられたきららと七賢者を助ける事」が主軸となっているが、ここでは敵のスズランが一目置く程の実力を持つ七賢者「ハッカ」の存在もあって神殿チームが反撃に転じる事に成功し、リアリスト側が徐々に追い詰められていく事になる。そして、リアリストの抵抗を乗り越えて遂に全員の悪夢を開放する事に成功するが、未だダチュラによって蝕まれた毒が残っており、依然として予断は許さない状況下にありつつも、神殿チームは解毒の為に奔走する事を決意する。

 解毒の為には高純度の星彩石が必要だと言うが、それは既に真実の手が1人であるダチュラの手に奪われていた。しかしながら、ロベリア達が企画していた作戦は失敗に終わったと本人の口から告白した辺り、リアリスト側も追い詰められているのが窺える。そして、神殿チームが黙って手を拱いている筈もなく、ダチュラを追う為に奔走し続け、その過程で真実の手が1人、エニシダと邂逅し、きらら達はこれを退ける事に成功する。ただ、敵の抵抗も凄まじく、道中幾多の困難がありつつも、きらら達は遂にダチュラの下に辿り着く事を果たし、ダチュラの手から星彩石を取り戻す事にも成功する。だが、ダチュラが見せた雰囲気は、今までのリアリストは無かった悲しみを帯びていた……。

 星彩石を手に入れた神殿チームは、早速ダチュラの毒に侵された面々を救う為に神殿に持ち帰り、無事に処置を果たす事に成功する。だが、その矢先にエトワリアのあちらこちらでリアリスト達が仕向けた刺客に襲撃されていると言う情報が入り、緊迫の展開のままに7章は唐突に終わりを告げる。つまり、7章は、言ってしまえば「『七賢者VS真実の手』におけるほんの序曲に過ぎなかった」訳であり、今後の章で更なる壮絶な展開が待っているのだろう……。

 全体的に見れば、7章は「真実の手VS神殿チーム」という対立構造が全編にわたって意識されている事からも、リアリスト側もいよいよ本気で聖典及び神殿を潰しにかかっているのがハッキリと分かり、それ故に全編にわたって高い緊張感が漂っている。また、7章は全体的に見て物語の進行スピードが、今までと比べて多少なりとも速くなっている印象があり、これも「7章は劇的な展開が休む間も殆どなく続いている」という印象に花を添えていると考えている。因みに7章のシナリオの雰囲気そのものについてだが、7章は凄まじいまでの悲愴的で過激な展開こそ無いものの、全編を支配する高い緊張感や、7章で本格登場したダチュラが抱える悲しき境地を鑑みれば、7章も今までの章と変わらない重さが含まれていると言える。

 また、7章では6章と違ってメインシナリオ第2部の根幹にも関わる程に重要な要素が明らかになる側面は控えめになっているのだが、それ故に「7章では七賢者に狙いを定めたリアリスト達が本気で襲い掛かってきている事実」ダチュラが抱える悲しみの境地」がより印象に残りやすくなっている。また、7章中盤においてうつつちゃんが更なる境地へと歩みを進めている描写もあるのも見逃せない点であり、ここからはこのメインシナリオ第2部7章で重要だと思った事を中心に書き出していくが、まずはうつつちゃんとダチュラについて書き出したい。

7章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部の重要人物たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「名前と年齢と女子高生である事」以外は全て記憶を失くしてしまっている。その為、現時点でも彼女は一体何者かは分からず仕舞いな訳だが、7章においてリアリスト達も彼女の奥底知れない特性に戸惑いを隠せなかった辺り、彼女の全てを知る者は殆どいないのだろう。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に度々後ろ向きな発言をする事がしばしば見受けられるが、きらら達と冒険を重ねている事と、自分の事を心から理解してくれているメディアちゃんの存在や、出逢うクリエメイトの存在が、彼女を精神的に大きく成長させており、今でもネガティブキャラである事を自負しているとはいえ、フェンネルやアルシーヴからも一目置かれる程に立派な人物へと変化している。そして、7章では後述の通り、彼女の強い想いが彼女独自の強みを持つ事に繋がっている。

 物事を見つける際の視野の広さや、言葉選びの巧みなセンスが持ち味でもあり、7章においてはどちらも6章に比べると控えめとはなっているものの、高い緊張感が続く7章においても彼女が見せるその様な雰囲気によって多少なりとも緊張が解れるのは言うまでも無く、良い特性を発揮していると考えている。因みに彼女はその巧みな言葉選びに裏付けされた毒舌センスも度々感じさせているのだが、これも7章においては控えめになっている。尤も、彼女の毒舌は中々に切れ味が鋭い為、鳴りを潜めていた方が良い様な気もするのだが……。

 そんなうつつちゃんだが、7章においては数々の劇的な展開を迎える事になる。まずはアルシーヴとセサミが気付いていた「うつつは一定以上のネガティブ感情になると、本人の意思とは関係なくウツカイを召喚する」と言うものであり、この事実に彼女は思わず狼狽えてしまっていたが、アルシーヴは「それも(うつつ本人の事を知る上で)手掛かりになる」と付け加えた上で、ウツカイを召喚するからといって敵視する事はない(=うつつを変わらず信じ続ける)とうつつ本人に告げており、それ故にうつつちゃんとしてもその言葉に救われたものはあったと捉えている。

 次に「うつつちゃんにとってはかけがえのない存在でもあるメディアちゃんの励ましによって、彼女は新たな力に目覚めた」と言うものである。これは7章中盤において絶望的な状況下にも関わらず、自分には何もできない事に対して自己嫌悪に陥ってしまう中で、メディアちゃんに凄まじい勢いで励まされた事で自己嫌悪から脱し、改めて前を向く決断をした際に表れたものであり、その際にメディアちゃんとの絆を象徴する「2章におけるペンが光り輝いた」と言うのは、色々な意味で輝かしいの一言に尽きる。

 この様な事から、うつつちゃんは全体的に「7章においては、一度は闇に呑まれかけるものの、最終的には光を手にしていく存在」としての一面があると捉えており、彼女の変化は非常に輝かしいと言えるが、この事実はここから叙述していくダチュラ」が抱えている影との対比をより明確なものにしており、それは同時に運命の残酷ささえも示唆している。

ダチュラについて

 「真実の手」が1人であり、毒手の異名を持つ、リアリストが1人、ダチュラ。一人称は基本的に「ワタシ」であり、話し方が片言なのも彼女の特徴。その異名通り自分の手で毒を生産できると言う恐るべき特殊能力を持っているが、彼女はその能力故に自分ではどうする事も出来ない無情な現実にも立たされている。尚、毒の用途法は7章を見る限り様々存在する様だが、どうやら「強力になればなる程、準備の手間暇や生産性の効率低下が表れる様になる」という欠点がある様で、7章ではその弱点をカバーする為にダチュラ以外の真実の手の面々が協力して「毒で相手を弱らせ、スズランの夢幻魔法で悪夢を見せさせ、エニシダの歌声でどこまでも絶望に叩き落す」と言う陰湿且つ悪辣な手口を使っている。

 その能力故にリアリストの中でも実力はかなりのものとは言えるものの、当の本人は大の寂しがり屋で、スキンシップで得られる温もりを求めている一面がある。しかし、ダチュラが持つ能力は作中を見る限り「本人の意思で毒を体外に放散するかコントロール出来る」ものでは無く、「本人の意思とは関係なく、体外には常に毒を帯びている」ものである事が窺え、それ故に彼女には誰も触れる事が出来ないと言う。何故なら、ダチュラに触れようものなら毒によってそのまま命までも奪われてしまうからであり、リアリストの面々がダチュラの事を褒める事はあっても、ダチュラがどんなに雰囲気を醸し出していたとしても頑なにスキンシップに応じないのは、リアリストの面々もダチュラの毒に蝕まれてしまう事実が存在しているからだと見てとれ、それはエニシダが見せた反応が裏付けとなっている。

 この様な事情から、ダチュラ本当の意味で打ち解け合える仲間内がいない(即ち孤独)と言う状況に追い込まれており、それ故にリアリスト内でも孤独感を滲ませている。また、彼女は自身が立たされている境遇故に人と人の繋がりを激しく憎んでおり、故に人と人が密接に繋がっているのが狡いから世界を破壊したいと言う願望を強く滲ませているのも大きな特徴であり、その悲愴度はリアリストの中でも群を抜く。因みに特殊能力が原因でやり場のない怒りと悲しみを抱える事になってしまっているのは、ダチュラの他に「自身の歌声に呪いがかけられている」エニシダも該当するが、エニシダはまだ仲間を作ろうと思えば作れる余地は残されているのに対して、ダチュラ「毒故に触れる事さえできない」と言う特性上、仲間内を作る事すらままならないと言う境遇に立たされている為、ダチュラの方がエニシダと比べても遥かに悲愴的且つ無慈悲な運命を課せられていると言える。

 彼女はリアリストにおける「真実の手」の一員ではあるものの、悲愴的な命運を抱えている事や、他のリアリストとは明らかに違う境遇に立たされている事から、リアリストに対しては基本的に寛容的な態度を見せない*2きらら達も、7章で彼女と初めて直接対峙した際に彼女が見せた悲愴的な現実に思わず悲しみを覚えており、きらら達にとってもダチュラが抱える悲愴的な境地は痛々しいものであった事は明白である。その為、ダチュラはリアリストの中でも一線を画す存在だと言えるが、今後どうなるかは現時点では分からない……。

7章について思う事

ここからはいよいよこのメインシナリオ第2部7章で私が重要だと思った事、思わず心打たれた事を中心に書き出していきたいと思う。ここからも重い内容が含まれているので、注意して欲しい。

急進の展開と鬩ぎ合い

 まずは7章全体の印象について書き出したい。7章は大きく「七賢者VS真実の手」の構図が存在している為、序盤から波乱の展開が続き、それが終盤まで続く展開となっており、それ故に私としては終始その高い緊張感に呑まれながら、劇的な展開に痺れていくと言う構図が存在していた。ただ、私自身実際に7章を読み進めていく前は、正直この様なビジョンは見えておらず、それ故に驚きと戸惑いが隠せないままにどんどん進んだ印象があったのだが、元々私は今回の7章の様な展開を好みとしていた為、さほど支障は出なかった所存である。

 また、7章は劇的な事実や展開が立て続けに出てきたのも印象的であり、特に印象的だったのは「七賢者があっという間に『真実の手』の搦め手に嵌められる」・「きらら自身の絆がサンストーンによって一時的ながらに断ち切られる」・「紆余曲折を経て、うつつちゃんが更なる力を会得する」・「七賢者と『真実の手』がお互いに激しく削り合う」と言うものであり、とりわけきららちゃんの絆が断たれてしまった事と、うつつちゃんが新たな力を会得した事は衝撃的であり、正直展開が急進的すぎて良く分からなかったのも否めなかったが、この事実が今後のメインシナリオ第2部において多大なる影響をもたらす事はほぼ間違いないとみている。

 更に、7章において本格登場したダチュラの存在は、彼女が抱えている悲愴的な境地や命運を鑑みて、彼女はリアリストの中でも突出して悲しいものを抱えていると思うのと同時に、7章ではうつつちゃんが大きく光り輝いたものを手にしていたのを鑑みれば、うつつちゃんとダチュラ「7章における光と影の対比になっているのではないか」とも捉えている。尤も、これは完全に個人的な観点なのだが、7章ではきらら達が数々の危機がありつつも、協力して乗り越えて更に強いものを手にしている一方、リアリスト達は最初こそ優勢だったものの、徐々に劣勢を強いられて最終的には一時撤退を余儀なくされている事からも、何かしらの対比構造があるのは明確である為、今回この様な仮説を立てた訳である。

 この様な事から、私の中で7章は前回の6章と比べてコンパクトにまとめているとはいえ、今回も「終始激震走る目まぐるしい展開」と「新たな境地に達する者と(最終的に一時撤退しているとはいえ)追い込まれた者」を始めとして心打つ展開が多い印象があり、それ故にこの7章もメインシナリオ第2部に相応しいものが多く詰め込まれていると認識している。また、7章では神殿側、リアリスト側共にやたら気になる台詞が多かったのも見逃せないポイントであり、色々な意味で今後の章において表れるのが楽しみでもある。

輝きたる新境地

 7章を読み進めた上で私が感じた若しくは考えた事を叙述していくにあたって、7章で今まででも指折りの凄まじい成長と意気込みを見せた住良木うつつちゃんの事を省くわけにはいかないだろう。彼女は7章において、敵の策略によって自分が無力である事を自ら責める様な状況に追い込まれ、元来のネガティブ思考も相まって半ば自暴自棄気味の思考に陥ってしまった際、自分にとってかけがえのない存在でもあるメディアちゃんによって励まされた事と、その励ましによって、きらら達と一緒に旅をしていく中で育まれてきた強い意思を取り戻し、絶望的な状況を打開しようとしてありったけの想いを解放した所、その想いに呼応するかの様に、うつつちゃんがメディアちゃんと初めて出逢った2章で登場したあの時のペンが光り輝き、うつつちゃんは新たなる力を手にしているのだが、その時の流れが凄まじいまでに印象に残るものであり、後になって振り返ってみれば「あの時うつつちゃんは遂に自分の強い意思を具現化たるものにした」と思える様になった。それ位、あの時のうつつちゃんは凄かったのである。

 個人的にはうつつちゃんがこの様な力を手にした事実は、うつつちゃん自身が人を思い遣る事の出来る優しい心の持ち主である事、大切な人の為に自分が力になりたいと考えていた事、リアリストとはやはり共感できないと考えている事の3つが明確になったと捉えており、それは同時に自分に自信が無い一面が目立つうつつちゃんにとって確固たる信念の指標ともなり得るだけでなく、未だに彼女の素性が本人も含めて分からない中で、うつつちゃんはリアリストとは一線を画す信念を持つ事の証明にもなり得る。勿論、本当の所は明らかになってみないと分からないのは当然だが、それでも彼女にとって相当な心の救いとなっているのは間違いないと思われる。

 また、うつつちゃんは7章において確固たる想いを築き上げるまでに凄まじいまでの気持ちの乱高下を見せつけていた事から、私はそれをして「一度は闇に呑み込まれかけたうつつちゃんだが、メディアちゃんの励ましや自分が持つ強い意思の再認識もあって、闇を脱し確固たる光の輝きを会得した」と過程付けており、ここから私はうつつちゃんの事を「7章において光を手にした人物」という位置付けにしている。ただ、彼女は元来ネガティブ思考の持ち主であるが、ここで重要なのは「元々ネガティブな傾向が強かった彼女が、自らの想いと自らを大切に想う友達の想いをもってして、光り輝くものを手にしている事」である為、今回の事例はより一層意味のある事だと捉えている。

 ところで光があるならその対比の存在たる影(闇)があるのも当然の摂理だが、7章においては光り輝くものをうつつちゃんが担っていたのに対して、暗く闇を滲ませるものを感じさせていたのは、下記において詳しく書き出している「リアリストもといダチュラが抱える悲愴的な境地」であり、しかもその闇はまるで7章におけるうつつちゃんが手にした光に対比するものだと思う程に、どこまでも無慈悲で冷酷だったのである……。

心の甘さと非情な運命

 ここからは上記の項目で(詳しくは後述する)と書いた、エニシダがきらら達を称するうえで「彼女達は甘い」と言い放った事と、ダチュラが抱えている悲愴的な境地について思う事を書き出していきたいと思う。ここから非常に重い内容が含まれているので、特に注意して欲しい。

 

 まずはエニシダが仲間内に対して言い放った「彼女達(きらら達の事)は甘い」と言うものである。これはダチュラの毒を治す為の星彩石をダチュラの手によって奪われ、それをきらら達が取り返しに来るのを迎え撃つ際の作戦会議の中で言及されたもので、実の所言葉自体はそれ程スポットライトが当てられていた訳では無かったのだが、私としては「それは一体どういう意味だ?」と気になってやまなかった。尤も、エニシダが元来傲慢且つ高飛車な人なのは6章時点で既に分かっていた事であり、故にこの様な事を発するのはある意味既定範囲ではあった為、別に怒っている訳では無く、ただ単純に「きらら達の事を『甘い』と称する理由は何なのか?それを明らかにしなければ」と思い立っただけなのだが、何れにしてもエニシダがきらら達の事を軽く見ているのは事実である為、私なりに少し解き明かしてみたいと思った所存である。

 何れの場合にしても、ここで気になるのは「抑々きらら達がどの様な意味で甘いのか」という事である。これに関しては抽象的な題目故に断定する事は難しいのだが、恐らく「きらら達が世の中の厳しさを良く分かっていない」と言う意味で言い放った側面があると捉えている。リアリストとりわけ「真実の手」の面々は、その自暴自棄且つ破滅的な思想が先行しがちとは言え、元々は「現実の非情さや聖典の無力さに絶望して、聖典の破壊を望む様になった」「抑々聖典を理解できない様な環境下にいた中で、聖典ありきの世界は現実の厳しさから目を背けていると思う様になった」と言った過去を持つ者が殆どであり、それは曲がりなりにも「現実の厳しさ」はその身をもって解らせられている事を意味する。但し、解らせられているとは言っても、真実の手の面々の言動や行動を見る限り、彼女達の思想にはかなりの曲解及び思い込みが入っているのは否めず、それ故に「本当の意味で彼女達は現実を分かっている訳では無い。」と思う面はあるのも事実だが、何れにしてもリアリスト達がきらら達と比べて「現実の厳しさそのもの」を知っているのもまた事実である為、エニシダがきらら達を見下す発言をしたのも、歪んでいながらも確かな根拠があってこそとは言えよう。

 ここで整理すると、エニシダがきらら達を軽視する様な発言をした事に対して私としてはエニシダを含めたリアリスト達は良くも悪くも現実の厳しさを知らされるような経験をしてきているが、その様な経験をしていないきらら達は、私達リアリストと比べて考え方が甘いと見縊(みくび)っていたから」という推察をしている訳であり、エニシダがその様な発言をしたのは「彼女が傲慢且つ高飛車な一面があるから」と見ている訳だが、ここできらら達はエニシダが思っている程甘い人達では断じてない事だけでは言っておきたい。無論、きらら達にも甘さがあるのは事実であり、7章においてもその甘さが原因で危うい状況に陥ってしまった事も何度かあったのだが、それでもきらら達は数々の旅の中で培ってきた多くの経験があり、また多くの人々との確かな繋がりを持っている。更に言えば、きらら達もリアリスト達が抱えている様な悲惨な現実から目を背ける様な人達では無く、厳しい現実にも目を向けられるだけの覚悟と度胸を持ち合わせていると思わせるものは必ずあると考えている上、何よりきらら達も「何でもかんでも無批判に受け止める様な人達では無く、ここぞと言う時にダメなものはダメだとハッキリ言えるだけの器量はある」とも感じている。

 この事から、私としては「きららちゃん達は、エニシダひいてはリアリストが思っている程甘い人達ではない。」と言う意見を持っており、幾ら私がエニシダもといリアリスト達が抱えている事情に対しても理解を示そうと意識しているとしても、きらら達にもエニシダが言う様に甘さがあるのは疑いない事実だとしても、やっぱり私としては「きららちゃん達がどこまでも甘い人達だと思いたくないし、実際リアリストが思う程甘い人達では断じてない。」と思ってやまない訳であり、そこには強い信念が確かに存在しているし、もっと言うなら、きらら達を殊更に見下したエニシダひいてはリアリストにしても、その壮絶な人生経験故に人間的に大きく成長する可能性を秘めておきながら、頭ごなしに聖典は破壊しなければならないもの」だと思い込んでいる時点できらら達を見下す資格はないと思っている。結局のところ、何かにつけて殊更に人を見下そうとする事を、私としてはどうであっても看過できないのである。

 

 次はダチュラが抱えている悲愴的な境地についてである。これは「自身の特殊能力故に誰も彼女に触れる事が出来ず、寂しがり屋な彼女にとって、どこに行っても何をしても埋める事の出来ない寂しさを抱え続けている」と言うものであり、ここから私自身ダチュラに対して「彼女はリアリストと言う仲間内に対しても、ヒナゲシ同様本当の意味で自分の居場所は見つけられていない可能性が高い事」「彼女もまた、エニシダ同様自身の特殊能力によって苦しめられている側面がある事」の2つを思い浮かべているが、この様な考えに至ったのはある程度冷静になって考えられる様になってからで、初見ではその悲愴的な境地に思いを馳せながら、その痛みを嚙み締めるので手一杯だった事は先に言っておく。

 話を戻して、ダチュラに対して上記2つの様な事を思い浮かべた事を詳しく説明したい。まず一つ目の「リアリスト内でも彼女は本当の意味で自分の居場所を見つけられていない」と言うのは、彼女はその特殊能力故に「真実の手」でも実力は確かなのにも関わらず、「真実の手」の中でもどこか孤独じみた雰囲気を醸し出しているのが見受けられ、故に同じ志を持つ仲間と共にいながら、その心の溝が全く埋まっていない様に見えた事から考えたものである。ただ、彼女には「毒」があるが故に誰にも触れる事が出来ないと言う事情を抱えている為、物理的な観点で捉えるなら致し方ない側面もあり、実際に彼女が寂しさを抱いているのには「誰も私の事を物理的に抱きしめる事は、私自身が『毒を持つ』が故に不可能だから」と言う理由がある。

 しかしながら、私が本当に気になったのは、ダチュラは物理的な観点だけでなく、精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出していた様に感じられた事である。幾ら彼女が毒を生み出す特殊能力を持つが故に物理的な接触は不可能だとしても、物理的な接触を伴わない(=毒の影響を受けない)精神的な観点から心を通わせたり、心の距離を近付けたりする事(早い話が対談による心の通わせ合い)は可能な筈だからであり、実際にダチュラは片言混じりの話し方とは言え、仲間内では会話を交わす場面も普通に見受けられている為、ダチュラも精神的な観点から心を通わせたり、極端な事を言えば自身が抱える寂しがりな面を紛らわす事だって可能な筈である。その事から、身体的な意味での孤独を醸し出すのはある意味必然だとしても、精神的な意味でも孤独な雰囲気を醸し出していたのが妙に気になって仕方なかったのである。

 このダチュラが精神的な観点からも孤独な雰囲気を醸し出している」に対する私の考えは2つあり、1つ目は「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がいない上、その心情を理解しようとしてくれている人も殆どいないから」と言うもの、2つ目はダチュラは精神的な観点からと言うより、身体的な観点における人の温もりに意味を感じている可能性が考えられるから」と言うものであり、これだけならどちらにしろ「私は重い事実を頭の中で思い描いている」となるが、この様な考えを抱いたのにはきちんとした理由がある。

 まず1つ目の「リアリストの面々の中で、ダチュラの心情全てを知っている者がおらず、その心情を理解しようとしている人も殆どいないから」と言うのは、これまでリアリストの面々が嫌という程見せ付けてきた「同じ志を持つ仲間に対しても慈愛が殆ど無く、何かに理由を付けては容赦なく攻撃する上、その事に対して反省や後悔する様子も殆どない」(ロベリア、リコリスが顕著)・「仲間の心情や気持ちさえまともに推し量る事をせず、自分の思い込みで人の心情や気持ち、そして物事の因果関係を勝手に決め付ける」スイセンリコリスが顕著だが、「真実の手」の大半はこの傾向にある)・「同じ志を持つ者が集まっているのにも関わらず、自分の存在意義を明確にできていない」ヒナゲシダチュラが顕著)と言うのが主な根拠となった考えであり、これらに対しては私自身「そう簡単に許せる筈もない」と言う怒りの思いも正直あるが、一方で彼女達はその壮絶な経緯から「他人の心情を知る事に意味を見出せなくなったケースも多い」と考えられる事から、私としても結局の所「嗚呼、この無情な運命をどの様にして捉えるべきなのか……。」となってしまうのだが、何れにしてもダチュラは明らかに仲間内に対してもどこか疎外感を醸し出しており、その理由として「精神的な意味での理解者が仲間内にいないから」と言う可能性が高く考えられる為、この理由を採用したのである。

 但し、何度も言う様にダチュラ「誰にも触れる事が出来ない存在」であり、それ故にリアリストの面々にしてもどうやっても越えられない壁が存在しているのも事実である為、リアリストの面々にも致し方ない事情が存在している事はきちんと考慮しなければならない事も忘れてはいけない。無論、リアリストの面々としてもダチュラの事を良く知ろうとしていない様に見える思想を醸し出している事自体は決して褒められはしないが、抑々ダチュラを含めてリアリストの面々が「絆や聖典を破壊しようと望んでいる事」を思えば、ある意味「こうなる事も覚悟しなければならない事」でもある為、何とも言い難い話ではあるが、何れにしてもダチュラにとって現状が決して良いものでは無い事は明らかである。

 そして、2つ目の「ダチュラは精神的観点よりも身体的な観点における人の温もりにこそ意味を感じている可能性があるから」と言うものは、もしこれが本当なら彼女が本当の意味での温もりを感じられる事は、自身が抱える特殊能力故に皆無に等しいと言えてしまう程に残酷なもので、私としてもダチュラの希望を為す術なく削っていく様な、正に己が持つ悪魔的な考え方を積極的に想像する事に思わず躊躇いを感じる程である。その為、私としてもこの様な考えを展開していく事は、最初は平気でも段々と己の心から人間味溢れる感性がなくなっていき、それを埋める様に悪魔的な思想が徐々に心を染め上げられていく危険性があることからも推奨できないのだが、四の五の言ったところでダチュラの真意を知りたければ、この様な残忍且つ冷血な思想すらも展開できるだけの勇気を持つほか道はないのも事実であり、相当なジレンマがそこには存在している訳である。

 また、私自身2つ目の考えに関しては正直確証がそこまで無く、言っても曖昧な感覚が存在しているのが否めず、これは抑々論としてダチュラ「精神的な観点から寂しさを覚えているのか、身体的な観点から寂しさを覚えているのかすら良く分からないから」なのだが、それでも7章における彼女の言動を見る限りは「身体的な観点」である可能性が高く、如何なる場合であっても「そこに深き闇が存在しているのは事実」だろうが……。

 この様にダチュラに対しては私自身リアリストの面々の中でもかなり複雑な感情を抱いており、温情にも非情にもなり切れないもどかしく、ある意味人間らしい想いがそこには存在しているが、これはダチュラサンストーンの様に目的の為なら手段を選ばず、対峙する存在を無慈悲にいたぶる事さえ厭いがない冷酷な一面を持ちながら、リコリスエニシダの様に底知れぬ感情にものを言わせる様な感傷的な想いも強く持っている為であり、この「冷酷さと感傷さの混在」が私の心を際限なく突き動かすのである。尤も、突き動かされている感情があまりにも複雑な為、最早自分でも一体どうしたいのかさえ分からない面もあるが、ただひとつ分かる事は「私はリアリストに対しても凄まじい想いを持っている事」であり、これがリアリストを「単なる敵対組織」と捉えられなくなり、あらゆる一面や思想を模索する様になった私の答えでもあるが、その成れの果てはいかに……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部7章で私が考えた事である。7章は6章、5章と比べると精神を抉るまでにストレート且つ壮絶な展開や、じわじわと痛みが襲い掛かってくる展開は幾分マイルドになっている一方、7章には6章終盤で明かされた衝撃的な展開から地続きとも言える高い緊張感が7章全編にわたって存在している事や、リアリストの「真実の手」が「七賢者」を相手に直接嗾けた事、7章で本格登場したダチュラが持つ壮絶な命運等々、今までの章と比べて「激動の展開が終始続く」と言う意味では5章、6章を上回っている。また、7章はうつつちゃんが「新たな力を会得した」と言う意味で大きな一線を越えた事でも重要であり、総じて7章は「新たなる局面の幕開け」という印象が強くある。

 その様な事から、7章は今までの章と比べて心の負担は、読み進めている最中は少なめであり、高い緊張感を裏付けされた重厚なシナリオ構成にのめり込む様に読み進めており、全てクリアした際には「あれ、もう終わってしまったの?」と、それだけシナリオに入り込んでいた事を証左する様な事を思った程である。ただ、太字で「読み進めている最中は」と書いているからも分かる通り、7章は深く考えれば考える程に心の負担が途端に増大する感覚を覚えており、決して甘くはなかった事実を見せ付けられている。やはりメインシナリオ第2部は「いかなる時でもシリアスで壮絶なテイストからは逃れられない」と言う訳だが、読み進めている最中は本当に心の負担が(5章、6章と比べて)少なめと考えていたのは事実である。尤も、その見立てはいささか甘かったのは言うまでも無かったが……。

 また、私自身7章は所謂「対比関係」がメインシナリオ第2部の中でも色濃く表れているとも見ており、私が特に意識しているのは「多くの経験や出逢いを経て、新たなる力と自分に目覚めたうつつちゃん」と、「壮絶な命運と悲劇的な過去を持ち、7章において更に救いのない境地へと追い込まれるダチュラもといリアリスト」と言う構図であり、言わずもがな前者が光、後者が影を表している。私は元来あらゆる物事に対して「光があるから影があり、影があるから光がある」と言う所謂「表裏一体」を意識した考えを展開する傾向にあり、今回それが前面に出た格好な訳だが、7章はそれだけ両者の違いがハッキリと表れたからでもある。

 そして、7章において本格登場したダチュラに対しては、リアリストの中でも特異的な境遇に置かれている事、自分にはどうする事もできない悲愴的な運命を抱えている事から、ダチュラに対して私自身例にも漏れず「単にきらら達神殿側と敵対する人物」とは思えず、凄まじい想いを馳せたものである。メインシナリオ第2部も7章ともなると、リアリスト側の思想もかなり分かってくるものなのだが、どうもリアリストの面々に対して複雑な想いを抱え続ける傾向は一向に変わらない為、最早これが私の宿命かも知れない……。

 最後に、この7章は今までになく劇的な展開と終始高い緊張感が支配するシナリオ構成に、多くの人々が迎える事になる新境地が光る構成は非常に心打つものであり、メインシナリオ第2部らしくのめり込む様に読み進められた事は改めて書き出しておきたい。そして、その衝撃的な終わり方故に今後の章からますます目が離せなくなった事をもって、今後の章を待つ事としたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙39枚分であり、前回の6章に比べるとかなりコンパクトになった訳だが、その想いの強さは健在であり、今までの章と比べても決して見劣りしない。と言うより、前回はあまりにも膨大になり過ぎた為、今回程のまとめ方が丁度良い気もするのも事実である。

*1:世界とは「エトワリア」の事であり、欺瞞とは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。ただし、それは「リアリストからすれば」という事を忘れてはいけない。

*2:ただ、7章においてエニシダはきらら達の事を「彼女達は甘い」と称しているが、この事は後述。

きらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。4月と言えば新生活の始まりと言う訳ですが、私自身は環境こそそこまで大きく変化していないものの、色々とやらなければならない事が増えた為に中々ゆっくりと時間が取れないなぁと思う事があります。ただ、暇なよりかは何かしていた方がなんだかんだ言っても楽しいと考えている様な人なので、結局の所は幸福に満ちているとは思います。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は青山ブルーマウンテンこと青山翠(みどり)さんが中心となる回ですが、その青山さんの周りに起こった出来事の衝撃度が半端なものでは無く、その威力たるやごちうさの物語の中でも屈指の美しさと衝撃さ、そしてどことない儚さを誇っていたのは疑いないと思う程で、故に今月号は圧倒的な描写に思わず良く分からなくなってしまった回でもありましたが、それでも素直な想いは確実に存在していたと思うので、今回もその素直な想いを率直に書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は重い内容も含まれているので、その点もご注意ください。

1.はじめに

 今回のお話は青山さんが中心となる回であり、それ故に今月号は全体的に「大人ならではの視点や経験」と言うのが多分に意識されており、この時点でも普段と異なった雰囲気だと言えるのだが、それ以上に今月号は「目を見張るまでに美しく圧倒的な光景」「避けられない命運が確実に迫っている事」「青山さんが普段明かす事のない心境が明かされた事」等、正に特異的と呼ぶに相応しい描写が盛り沢山であり、それは一見しただけでもその圧倒的な描写に思わず言葉を失ってしまうとすら言える程である。

 また、今回は扉絵に対しても特異的な感情を抱いており、全体的な雰囲気としては所謂銀河鉄道を思わせるものの中に、智乃ちゃんと青山さんが描かれていると言うものなのだが、今月号はその銀河鉄道」が重要なキーポイントとなっており、しかも現れた理由がかなり凄まじいものである為、今月号の内容を知らずして見るのと、今月号の内容を知ってから見るのとでは、その扉絵を見た際に抱く感情や想いがまるで変化すると確信した。何と言うか、私自身これまでもこの様な芸術的表現に思わず心惹かれた経験は幾度となくあるのだが、今回の扉絵も今月号の真意を知った後に見た際にはこれとほぼ同等の感触を抱いており、「やはりごちうさは凄まじかった」と言う想いを再認識するには余りにも十分過ぎるものだったし、同時に「私の中においては、ごちうさが日常系の見方を教えてくれた作品である事がどれ程幸せな事なのか」にも想いを馳せている。

 この様な事から、今月号のごちうさに対しては私自身相当な想いを抱いており、その想いの強さは最近のごちうさの中でも随一である。尤も、想いが強過ぎるあまりに取っ掛かりを掴むのが難しいと言う無視できない問題が生じるのも事実なので、一概に喜んでばかりもいられない訳でもあるが、今月号に関しては私の中でそれらの諸問題を無視できる程の強さがあるのであまり関係はない。しかしながら、それならば態々ここで言及する必要性も薄い訳だが、私には想いのコントロールをめぐってはかなり苦い経験があるので、自戒も込めて書き出した所存である。

2.購読した感想・考察

青山さんの物語

 今月号では何がどうなっても青山さんの存在は絶対に外す事は出来ないのは最早当然だろう。今月号は彼女が魅せてくれる様々な心境や胸の内に秘めし想い、そして彼女が持つ決して小さくないが、他の人には中々言い出せない悩みが合わさる事で凄まじい世界観が築き上げられており、その世界観は最早至高の領域に達していると思う程である。また、その世界観には度々彼女が抱える寂しさや引け目、そして絶対的な運命を悟っている節がそこはかとなく表れており、これには「大人ならではの悩み」が含まれていると捉えているが、それは同時に「普段の青山さんなら決して見せない弱さが存在している事の裏返し」でもある為、中々に考えさせられるものがあるとも認識している。

 その様な事から、今月号で魅せつけてくれた青山さんの世界観は、控えめに言っても普段のごちうさとは一線を画している特異的なものであり、その特異さはかの10巻終盤から11巻序盤にかけて表れていた世界観と同等若しくはそれすらも上回る程だと思われるが、今回は全体的に神々しいと思うまでに輝かしい展開や描写と、その輝かしさの裏返しとも言える暗さを感じさせる展開や逃れられない宿命を意識させられる描写そのどちらも多く存在しているのが特徴的でもあり、それ故に真面目に分類しようとすると何処までも混沌とした世界に連れていかれる危険性はあるものの、全体的に見れば「小説家の青山さんが見た美しき世界に果てしなく魅了される」のは疑いなく、前半はそんな青山さんが魅せた世界観について書き出していきたいと思う。

過去の記憶と変遷大きな現状

 今月号は冒頭からしていきなり学生時代の青山さんが、小説家としてのペンネームの案をマスターに依頼するシーンから始まる為、今月号も10巻終盤及び11巻序盤の話にあった様な「夢と現実による複合構成」である事は明白だが、今回は「夢」よりも重要な要素が登場する為、その趣旨はかなり異なっている。因みにここでのマスターは智乃ちゃんにとっての祖父を指し、このシーンではペンネームをマスターに付けて欲しいとせがむ青山さんに対して中々に粋な言葉を送っており、私としては以前から抱いていた想いも相まって「智乃ちゃんの祖父は結構粋な人で、人としても凄くかっこいい人だったんだな」と言う想いを馳せた。

 ただ、その様な夢を見ていた青山さんの現状は決して軽く済まされる様なものでも無く、結論から言えば大事には至らなかったとは言え、小説のスランプからの寝不足が祟ってラビットハウスで原稿の仕事*1をしていた際に倒れてしまったと言う状態であり、結果的に周りの人達(特に凜ちゃん)を心配させる状況を作ってしまっている。無論、これに関しては「青山さんが大事に至らなかった事が何よりも僥倖(ぎょうこう)だったのは明白」である為、私としても安堵に尽きた訳だが、同時に私も人の事は全然言えない身であるとは言え、青山さんには自分の身体も十分に労わって欲しいとも思った。理由は言わずもがな「倒れてしまう」と言う下手をすれば取り返しのつかない大事にも繋がりかねない事象を二度と起こして欲しくないからであり、私とて青山さんが倒れてしまうなんて言う事態は出来る事なら見たくないのである。

 そんな青山さんだが、今月号においては多少疲れが出た位でそれ以外は全くもって支障はなく、それ故に智乃ちゃんから「念のために」とラビットハウスに泊まる事になったとはいえ、本人は至って何時ものと変わらない調子を見せており、心からホッとする様になっている。また、ここから今月号の核心とも言える「幻想的な体験」が登場しているのもポイントであり、それは青山さんがお見舞いの品として、自身が行き詰まっていた題目たる「怪奇短編」に活かせるものである「皆様の幻想的な体験談」を注文した事から始まっている。何とも無茶な質問だが、今までごちうさを読み続けている人なら、彼女達が既に「その身で実際に経験した事すら思わず疑ってしまう程に摩訶不思議な体験」をしているのは直ぐに分かる事であり、事実今月号においても麻耶ちゃん、恵ちゃん、心愛ちゃんの3人がそれぞれ経験した「幻想的な体験」を難なく語っており、ごちうさが持つ摩訶不思議な世界観の一端を担っていると言える。尚、ここでは千夜ちゃんも登場しているのだが、彼女は青山さんに対して「幻想的な体験を聞かせて欲しい」とまさかの逆質問かましており、これ自体は千夜ちゃんらしいと言えばそれまでだが、これを4コマ漫画の構成的な視点としてみると、「千夜ちゃんは4人目として登場している⇒4コマ目つまり『オチ』の役目を担っている」と推察すれば合点がいく辺り、ここでもごちうさの恐るべき強みが隠れていると思う。

 また、ここでは学生組が自身が体験した「幻想的な体験」について語る一方で、大人たる凜ちゃんが深き意味を持つ言葉を発したのも重要だと考えている。ただ、その言葉は「大人になるにつれて想像力が育み辛くなる事で、昔なら気付けたものにも気付かなくなってしまった物が多くある事の儚さ」をストレートに表したものである為、私としてはそれをして「凜ちゃんが抱える心の寂しさを体現している」と思うのと同時に、それ故に「青山さんの事が小説家としても、人としても大好き」なのだと思った。何と言うのか、この事実は「大人としての知識や経験が豊かになればなる程、多くの現実が分かる様になる反面、知識や経験が豊かになった事で逆に見えなくなったものも確実に多く存在している」のを意味していると思うのだが、何れにしてもここで見せた凜ちゃんの心境は、大人になった事の矜持を指し示すものとしても捉えており、そこには凜ちゃんが持つ「大人としての諦観」「諦観故の歓び」が色濃く表れていると思う。

 ただ、凜ちゃんからは「今の私では見えなくなってしまったものを見せてくれる」と言った趣旨の言葉さえも賜った程の青山さんの書く小説だが、当の青山さん自身は凜ちゃんには絶対言えない様な後ろめたさを抱えており、しかもそれが凜ちゃん以上にえげつないインパクトがある点も無視できない。また、自身が抱えている後ろめたさに思いを馳せていた時の青山さんの表情と、青山さんが描く小説に対して誰よりも無垢な喜びを表していた凜ちゃんの表情を照らし合わせてみると、掴み所が無く子供っぽい感性を多分に持っている青山さんとて、どう足掻いても本質は凜ちゃんと同じ「大人」なのだと否が応でも思わせられるのもポイントであり、それ故に「大人である事で超えられない壁が存在している」と言う厳しい現実が見え隠れしていると言えるが、その様な一面はそれまでの青山さんが見せてきた事は殆ど無かった為、私としてもかなりインパクトのある内容であり、同時に「青山さんも多くの葛藤を抱えていたのか……。」と言う想いを馳せてもいた。

小説家としての悩みと一抹の不安

 ここからは青山さんが抱える小説家としての悩みの側面や、智乃ちゃんが明かした不安に思う事について書き出していきたい。先程の項目でも結構叙述しているのだが、青山さんは周りの友達や昔からの親友には中々言い出せない様な悩みを抱えている様子が今月号ではかなり見受けられており、しかもそれが中々にインパクトのある内容だった為、今回ここで事細やかに書き出そうと思い立った所存である。

 早速ではあるが、まずは青山さんが抱えている悩みについて書き出したい。青山さんは前述のような経緯からラビットハウスに泊まる事になっていたのだが、その際に心愛ちゃん達から聞いた「幻想的な体験談」が彼女のやる気に火を点ける事になり、そこから夜な夜なティッピーの制止を振り切って小説を嬉々としながら書き出そうとしているのだが、その際にふと漏らした本音がえげつなかったのである。何故なら「小説家としての私の発想は、何時も心愛ちゃん達からのアイデアに助けられているだけで、自分自身の経験に基づいた発想が殆ど無い」と言うものだったからであり、これには思わず言葉を失くす他なかった。因みにここでは「本物の不思議な体験に自分自身が巡り逢えない事に対する憂い」として青山さんの悩みがブラッシュアップされている為、今回の定義も「『幻想的な体験談』を元手にした小説を私自身の経験では生み出せない」と言う可能性も十分に考えられるが、後述する様な青山さん執筆の小説の特性や共通点を鑑みれば、恐らく「青山さん自ら執筆している小説全般」の事を指していると考えられる。

 思えば青山さんの小説と言えば、私が思い付くだけでも「うさぎになったバリスタ」や「怪盗ラパン」、それに「Seven Rabbits Sins(ナナラビ)」があり、他にも数多くのヒット小説を生み出している訳だが、私が思い付いた3つの小説には一つの共通点があり、そしてその共通点こそ彼女の悩みを解くキーポイントになっていた。そのキーポイントとは「全て青山さんが出逢った人達をモデルした小説」という事であり、言うならば「青山さんから見た光景を小説に落とし込んだ」訳である。そして、これが意味する事は「彼女だけの発想では数々のヒット小説は生み出せなかった可能性が高かった」という事であり、これが彼女が抱える「私には自分自身の経験に基づく発想が殆ど無い」と言う悩みもとい後ろめたさに繋がっていると考えている。因みにこの様な「自分自身を拠り所にした発想や思想の有無」と言うのは、私としても青山さんとは別分野ながらも悩んでいる事実そのものは多少なりともあり、もっと言うならこの手の悩みは人間なら誰しも少なからず抱えている可能性がある悩みでもあると思う。

 しかしながら、小説に限った話ではないが、この手の創作は「題目(テーマ)」が周りから与えられたからと言って、優れたものを生み出す為にはそれなりの技量が必要になってくるのは当然であり、それ故に「題目」が決まっていても誰しも簡単にできる様な事では無いのは当然の摂理である。その為、これまで数々のヒット作を生み出し、多くの人の心を掴んできた経緯を持つ青山さんは、私からしてみれば誰が何と言おうと十分な素質と腕を持った小説家なのであり、故に「嗚呼、そこまで自分の事を悲観に思わないで欲しい……。」とも思いもした。無論、青山さんの気持ちも大いに分かるのだが、私としては「悲観に暮れるより、少しでも前を向ける様な考えを持つ方が良い」と言う思想を強く意識している為、やはり青山さんには悲観に暮れる様な考えに嵌って欲しくないのである。

 話を戻して、ここまで悲観に暮れる様な一面をも見せていた青山さんだが、ここから「幻想的な体験」をその身で体感する事になり、己の中で再び自信を取り戻す事にも繋がっていく。その為、ここから更に重要な要素が飛び出してくる訳だが、そんな青山さんの「幻想的な体験」を書き出す前にココチノの2人が見せたお話の内容について書き出しておきたい。ココチノの2人のお話は、全体を俯瞰してみると「青山さんの心境変化における境界の位置」に存在していながら、その内容は今月号の根幹にも繋がってくる程に重要なものであり、絶対に外す事は出来ない訳である。

 肝心の内容についてだが、端的に言えば「智乃ちゃんは最近夜中に一瞬ながら光り輝く時があるのを知り、しかもそれが日に日に近付いている事から、『もしかしたら……』と言う不安に駆られている」と言うものであり、これだけでも智乃ちゃんが何やら不穏な予感を感じ取っているのは否が応でも分かる訳だが、この後に描写される今月号の流れを見ると、智乃ちゃんが不安に思っている事は「智乃ちゃんの祖父の『お迎えの時』が差し迫っているのでは……」と言う事なのは間違いなく、故にここで彼女が不安に思っているのは「おじいちゃんが完全にいなくなってしまった後でも、私は本当に自分が進むべき道を歩いていけるのか」という事だと分かる訳だが、この事実は「智乃ちゃんとしては、今でもおじいちゃんが完全にいなくなってしまうのが不安で仕方ない事」を意味しており、心に重く圧し掛かるものがあるのは最早言うまでもない。

 その様な事から、客観的に見て「現状の智乃ちゃんはおじいちゃんを必要としている」のは明白だと言えるが、抑々論としておじいちゃんが現世に留まり続けているのは、ひとえに「孫である智乃ちゃんがある程度成長するまで見守っていかなければ」と言う強い想いがあった故であり、それは青山さんのキャラソン「うさぎになったバリスタ」の歌詞を読み解けば見えてくる。そして、これが意味するのは「智乃ちゃんがある程度成長すれば、おじいちゃんは完全に『お迎え』の時を迎える」と言うものであり、この事から今月号の一連の描写は「智乃ちゃんは確実に成長しているのを表している」とも考えており、もっと言うなら今月号で智乃ちゃんが明かした不安は、智乃ちゃんにとって「この先も成長し続けていく為には必ず向き合わなければならない事」だとも考えている。

 ただ、智乃ちゃんが今まで経験してきた事を鑑みれば、彼女が強い不安に駆られる事を痛い程理解できるのもある意味当然の理であり、それ故に仮にも智乃ちゃんがイチ推しである私としてはどうあるべきなのか、自分が取っている立場が本当に良いのかと未だ悩む事も多いのだが、一読者である私としては「どんな時でも智乃ちゃんの選択を出来る限り尊重する」のは当然だし、ともすれば私が取るべき選択と言うのは既に決まっているのだろうし、恐らくは私自身も分かっているとは思うが、それでも迷いが完全になくなる事はない。人の心境を詳しく深掘りすると言うのはそういう事である。

幻想的な光景と青山さんが気付いたもの

 ここからも青山さん主軸の構成である事には変わりないものの、ここからは今月号の中でも絶大な威力を誇る「青山さんが見た幻想的な光景」や、物語全体のキーポイントでもある「ラビットハウスの『秘密』に対して何かに気付いた青山さん」について書き出していきたい。

幻想に対する想いと青山さんが持ちし想い

 ここまで智乃ちゃんが抱えている不安について書き出してきたが、ここからは遂に青山さんが誘(いざな)われた「幻想的な世界観」について書き出していきたい。これは青山さんが夜空に光る星々を眺めていた際に、ティッピーが突如ラビットハウスの屋上に出た事で始まる体験談であり、そこで青山さんが見たのは正に「幻想的」と呼ぶに相応しい光景なのだが、その光景は所謂銀河鉄道を思わせる様な幻想的な雰囲気で、それは正に「芸術」と呼ぶに相応しく、その場面で描かれた数々の事実も相まって、この場面を読んだ際には最早言葉にもならない程の衝撃が走り、あらゆる感情が手玉に取られる感覚すら覚える程である。因みにこの様な感覚は、私はクラシック音楽に対して覚える事が割と頻繁にある感情であり、こちらもやはり「言葉にすらできない程の衝撃に対して、最早音色に身を任せる様な感覚を覚える」と言った感じであるが、私が特に好きとするクラシック音楽「感情が激しく揺り動かされる曲調」*2である為、時に「心すらも乗っ取られてしまう程の恐怖と感銘を覚える」事もしばしばである。何故「感銘と恐怖」両方の感情が存在するのかと言えば、私自身も正直良く分かっていないのだが、恐らく「際限なくどこまでも見入ってしまう程に美しい世界観に対して、『どこまでもその美しさに見入っていたい(=何もかも奪われてしまいたい)と思う自分』『心すらも奪われてしまうと感じる美しさが少しばかり怖いと思う自分』の両方がいるから」だと思われ、ある意味「心酔と理性の狭間に立たされる程、その芸術が持つ魅力に心惹かれている事の証明」にもなっていると思う。要するに「その美しさが心から好き」なのである。

 ただ、実の所私は今回のごちうさにおける「青山さんが見た幻想的な雰囲気」に対しても、上記の様な「感銘と恐怖」両方の感情が存在しており、その圧倒的な雰囲気に最早心すらも乗っ取られる程の感銘を覚えている訳だが、やはりここでも何故「感銘と恐怖」両方の感情が芽生えたのかは自分でも良く分からない。作中の青山さんの様に「頭で理解する事が追い付かず、訳も分からないままにその幻想的な雰囲気に呑まれた事」が、冷静に考えてみると怖くなったが故なのか、この「幻想的な場面を読み解けば読み解く程に見えてくる衝撃的な事実」に対して一抹の不安と恐怖が脳裏を過ったが故なのか、はたまたその両方なのか。この様に心当たりは思いつくものの、果たしてそれが本当に正しいのかが自分でも良く分からないばっかりに、結局は自分が抱いている感情のくせに、自分自身でも良く分かっていない事になってしまうのである。変な話だと言えばそうなのだが、好きなものに対する感情と言うのは、時にして理論では説明する事が難しい程複雑なのだ……。

 かなり長くなってしまったが、今回青山さんが見た「幻想的な光景」と言うのは、それだけどの様な捉え方が正確なのか掴み辛く、それ故にどの様に捉えていけば良いのかすら良く分からなくなってくるのである。何故なら、青山さんが見た光景は、言うならば「智乃ちゃんのおじいちゃんが出来るならずっと秘密にしたかった事」であり、その中には「銀河鉄道の様に現れた列車に乗車していた女性」・「ティッピーの声の主がマスター(智乃ちゃんのおじいちゃん)な事」も含まれている事から、ここから作中を見る限り青山さんは「マスターの魂がティッピーに乗り移っている事」・「列車に乗っていた女性がサキさん(智乃ちゃんの母親)である事」に気付いたと考えられると言う、途方もないまでの衝撃的な事実が考察できる様になっているからであり、要するに話のインパクトが強過ぎる事が要因となって混乱してしまう事で、何が正確なのかすら良く分からなくなってしまうのである。

 しかしながら、冷静になってから作中の青山さんの言動や表情を捉えた上で、彼女が果たして衝撃的な真実にどこまで気付いているのかを考察してみた所、どの様にして考えてみてもこの「幻想的な体験」を経て、ラビットハウスもとい香風家が持っている「秘密」について自分なりにある程度気付いた(理解した)のは明白だと言う考えに行き着いた為、混乱して良く分からなくなりながらも仮定した考え方は、確証こそ無かったものの中々に核心を突いていた事になるのだろう。

 また、青山さん本人にしても数々の幻想的な光景から浮かび上がってきた事実関係や「秘密」を確かめようとして、マスター(ティッピー)に向けて質問攻めをしていた事からも、青山さんがラビットハウスやマスターが持つ「秘密」に関してある程度気付いている事は明白だと言える。尤も、当のマスターは「秘密」に対して興味津々の青山さんに対して黙秘を貫いていた為、青山さんが目に見える形で確証を得ている訳では無いのだが、他方でこの後度々見せる青山さんの口ぶりや、ティッピーに対して「様々な要因から、彼女がこれまで言えなかったありったけの想いを心を込めて言っている」のを見るに、彼女はこの幻想的な光景で見たものや、自分が知った事実に対して自分なりに確証を得ている可能性は十分にあると言え、この観点からもやはり青山さんは何かに気付いたのは間違いないと言って良いだろう。

 色々と書き出したが、結論をまとめると「青山さんは『ティッピーにマスターの魂が乗り移っている事』・『あの銀河鉄道の列車に乗っていた女性が智乃ちゃんの母親(咲さん)である事』に気付いた可能性が十分にある」という事であり、彼女が客観的にも分かる形で何かしらの確証を得た様子こそ描かれてはいないものの、青山さん自身の言動や、青山さんがマスターに対する感謝の気持ちを伝えられた事を嬉しく思う感情をティッピーに対して見せていたのを見るに、少なくとも彼女がティッピー=マスターだと捉えている事は明白であり、この事実からも青山さんは恐らくラビットハウスの「秘密」に対して何かしらの発見を得た事が考えられる訳である。

 余談だが、何だか最初で「どの様に捉えていけば良く分からない」と書いたのが嘘の様に思えてくるまとまり様だが、混乱してしまうと冗談抜きで普段ならまとまる考えも全くまとまらなくなり、普段ならすんなり理解できる事すらも全然理解できなくなるものである為、混乱は本当に恐ろしいのである。尤も、そんな状況でもあの美しい銀河鉄道及びミルキーウェイ*3はダイレクトに心を震撼させるのだが、冷静に考えてみて頭は混乱しているのに美しさには呑まれていると言うのも中々に怖い話……。

何かを悟りし青山さん

 ここからはその様な幻想的な体験を経て殆ど元通りになった青山さんが見せた「何か秘密を知っている」のを感じさせる一面について、私が思った事を書き出していきたい。

 これは昨夜の幻想的な体験を経て、ほぼいつも通りにラビットハウスの席に着いていた際に展開される話であり、この場面では昨夜青山さんが「幻想的な体験」をした事を「体調が悪かったからそんな光景を見たんだ」と言って、恐怖に慄く(おののく)心愛ちゃんと理世ちゃんを見て、2人が提唱した仮説に便乗する形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様な冗談をいつも通りほんわかしながら言って、2人を更に困惑させていたのが印象的だが、ここで私が気になったのは冗談(と言うかそう思いたい)を言う前の青山さんの反応であり、何故気になったかと言えば、本人は「多分」と付け加えていたとは言え、その反応がまるで「あの幻想的な光景が、自分ではなくティッピーに乗り移ったマスターを『お迎え』する為に現れた事を悟ったものだったから」である。つまり、彼女は「あの銀河鉄道は恐らくマスターを『お迎え』する為に現れた」と理解している訳であり、ここで私としても「青山さんはあの時の体験を経て、やはり『秘密』に対して何かしら気が付いた事がある」としみじみ思わされた訳である。

 ただ、そうなると個人的には「何故青山さんは、心愛ちゃんと理世ちゃんが提唱した話に対してそのまま乗っかる形であの様な冗談を言ったのだろうか」となる訳だが、これは抑々論として「この様な発言を青山さんがする事の意義」について考える必要があると思っており、それを紐解く重要なキーポイントとして、青山さんが少し考えた末にこの場では口を噤んだ「ティッピーの秘密」が存在していると推察している。どういう事かと言えば、青山さんはあの「幻想的な体験」を経て、恐らく「ティッピーと智乃ちゃんの祖父の秘密についても何か気付きを得たと考えられる訳だが、この事は当然ながらマスター(おじいちゃん)にとって「余計な心配をかけさせない為にも、できる事なら極一部の人だけが知っている、正に「秘密」として隠し通したい」と考えているのは、今まで本人の口から「ティッピーにおじいちゃんの魂が乗り移っている事」を明かしていない事や、その事実を知っている智乃ちゃんや智乃ちゃんのお父さんも、周りに対しては例え家族同然の大切な人であっても秘密を明かしていない事を見れば明白だと言え、青山さんにしてもその事は良く分かっていると考えている。つまり青山さんは秘密をバラしてはいけないと悟り、どうにかしてマスターの「秘密」に関わる様な視点を逸らそうとして、あの様な事を発したと考えられるのだ。

 この事から、青山さんが「お迎え」の件について「寝不足故に自分がその様な光景を見たのかも知れない」と、心愛ちゃんと理世ちゃんの仮説に対して肯定する形で冗談じみた事を発したのも、恐らくだが「智乃ちゃんの祖父が持つ『秘密』については何があっても言ってはいけない(=秘密を守らなければならない)と咄嗟に思い、それからそっと口を噤んでその上で敢えて視点をずらす様な事を発した」と考えられる訳であり、その事を鑑みれば、単に青山さんが何時もの様に掴み所のない事を言っただけでは無く、その発言に隠された青山さんのマスターに対する強き想いも見えてくるのである。

 因みに青山さんのこの様な立ち振る舞いに対して、コーヒーをせっせと淹れていた智乃ちゃんが何やら懸念を示していたのも気になるポイントだが、それに対するおじいちゃんの「何も変わっていない」と言うコメントも中々に考えさせられるものだった。この「何も変わらない」と言うのは、私が思うに「マスターと青山さんの関係性は、何時までも変わる事はない」と言う意味だと捉えており、要するに「マスターとしては、青山さんとはこれからも会話を敢えて交わさず、ただ只管に見守り続ける事の意思表示」な訳だが、それでも青山さん自身はマスターの「秘密」に対して何かしらの気付きを得ているのは事実であり、その意味では青山さんは変わった事にはなるのだが、マスターもとい智乃ちゃんのおじいちゃんとしては、今までと変わりなく青山ブルーマウンテンを見守る存在であり続ける。私はそんなおじいちゃんの意思を感じた所存である。

 また、今月号において青山さんが体験した「幻想的な光景」をして、心愛ちゃんと理世ちゃんが2人して「体調不良故にもしかして……」と慄いていた所に青山さんが乗っかる形で、正に「ブラックユーモア」を地で行く様なコメントを、あの青山さん特有のほんわかした雰囲気を見せながら言った事に対しては、元々所謂「ブラックジョーク」に対しても興味関心及び耐性があり、実際に青山さんのそういったコメントに対して、これまで割とすんなり受け止められていた私も今回のコメントには流石に顔が引きつった。と言うか、自分に関するブラックジョークをあんなにこやかな表情で言っているを見てビビらない筈が無いのだが……。

ペンネームの意味

 ここまでは青山さんの心境を中心に書き出してきたが、ここからは抑々論として、青山さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に込められた意味や由来について書き出していきたい。これは今月号の最後にして、今月号序盤に出ていた「マスターの粋な真相」が明らかになる局面であり、踏み込んで言えば「青山ブルーマウンテン」と言うペンネームにはどの様な想いが込められているのか、それが遂に明らかになる訳だが、ここではマスターの孫(智乃ちゃんのおじいちゃん)である智乃ちゃんが、高校生時代の青山さんに対して粋な想いを込めたペンネームを授けたマスターを彷彿とさせる様な言葉を送っているのがポイントであり、単純に見ても「やはり血は争えない」となる訳だが、それ以上に名称に対して厚い心意気を持っている事に対して熱くなるものがある。

 肝心の「ブルーマウンテン」の由来についてだが、これは私が思うに智乃ちゃんと智乃ちゃんのおじいちゃんとでは、厳密には細かな部分は違っていると感じているものの、2人に共通しているのは「青山さんが誰からにも愛される様な小説家になって欲しい」と言う想いが込められている事だと考えており、それ故にバリスタらしくコーヒーの王様と呼ばれるブルーマウンテンの名称を使い、青山さんには幅広い層から絶大な支持を受ける様な小説家になって欲しいと言う想いからそう名付けたと思われる訳だが、個人的には「ブルーマウンテン」という名称を使ったのには、マスターが青山さんの小説家像について想いを馳せた時に、前述の様な「幅広い年代から支持を受ける様な小説家になって欲しい」以外にも、「誰にとっても親しみやすい存在であるように」と言う願いを込めて名付けたのではないかと考えており、それは智乃ちゃんにしても同じ事だと考えている。

 ただ、読者から「幅広い層から支持を受ける」のと、読者に対して「親しみやすさを覚えて貰う」のは往々にして深く結び付いているのも多い事から、態々きっちり分けて考える必要性はさほど無いのではとなるかも知れないし、事実その様な考え方も一理あると考えている。しかしながら、私としては周りの人達から支持をして頂けている事と、親しみをもって頂けている事は、やはりきちんと分けて考えるべき事だと考えており、それ故に結び付ける考え方もきちんと尊重している事は前提の上で、私は「それぞれに別の意味が込められている」と考えており、それがここで書き出した2つの項目と言う訳である。

 まとめると、私は「ブルーマウンテン」と言うペンネームに込められた意味を「誰からも愛される様な小説家になって欲しい」のと「誰にとっても親しみを覚えて貰える様な存在であり続けるように」の2つがあると捉えている訳であり、この内前者はマスター(おじいちゃん)や智乃ちゃんが提示していた考えであり、後者は言ってしまえば私の願望が色濃く表れている考えであるが、どちらの考えも私にとっては同じくらい重要であり、どちらか一方をとる事など、私にはとてもできない。それだけ青山さんのペンネームには名付け親の強い想いが込められていると感じられるからであり、正に今月号を締め括る場面に相応しいと言えよう。

 思えば青山翠さんのペンネームたる「青山ブルーマウンテン」に対しては、私自身「かなり変わったペンネームだ」と知った当初は思っていたが、時が経つにつれて段々ペンネームが私の中でも自然と馴染んでいく様になり、今となっては今月号における描写も相まって、凄く良い名前だと思う様になった程である。やっぱりペンネームと言うのは不思議なもので、最初はどこか変わっていると感じても、徐々に馴染んでいくとそれが絶対的な良さを持つものへと変貌していって、でも本質的には最初から全く一緒だった事に気付かされる。私にとってはそんな感覚だった。

3.あとがき

 以上がきらま2022年6月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は全体的に色々な意味でインパクトのある展開や描写が盛り沢山であり、故にその圧倒的な美しさと衝撃度はごちうさ全体の中でも随一だと思う事に異存はなく、あまりの衝撃の大きさに読んだ当初はどの様にして捉えていけば良いのか暫く分からなかった程である。尤も、いざ始めてみれば書きたい事が次々に思い浮かび、今回もいつも通り重厚な内容になった訳だが、私が今月号に対して凄まじい衝撃を受けたのは紛れもない事実であり、それは今回の内容がそれまでのごちうさ感想・考察とはやや違ったテイストになっているのが証左となっている。

 今月号は小説家の青山さん中心の回である為、普段のごちうさとは一線を画した展開が数多く存在していた印象があり、前半は青山さんの担当さんにして、学生時代からの旧友兼親友でもある凜ちゃんともども「大人から見た世界観」「大人であるが故の悲壮感」を感じさせていた点、後半はごちうさ全体でも有数の「幻想的な光景」「小説家としての洞察力と大人としての立ち振る舞い」がその例に当たっていると考えている。尚「幻想的な光景」を除いて共通しているのは「大人からの視点をもろに感じさせる描写である事」であり、高校生~大学生(嘗ては中学生~高校生)の視点が基本のごちうさにおいて、大人からの視点はかなり興味深いと考えている訳である。

 また、今月号は何と言っても圧倒的なまでに美しい描写が特徴的であり、銀河鉄道を思わせる幻想的な光景と、夜空に光り輝く星々の光景ときたら、それは正に「芸術たる至高の領域」と言っても全く差し支えなく、どれ程見入っても、その圧倒的な美しさを言葉で精巧に表現するのは困難を極めるとすら思う程である。因みにこの問題は語彙力不足で発生している側面もあると思うのだが、私が思うに語彙力が不足している以上に目の前に存在している圧倒的な芸術表現を余すところなく感受し、それを言葉巧みに表現するだけの感性がどうやっても手に入らないから発生していると考えており、言うならばボキャブラリーが足りない」のも理由としてあるが、それ以上に「圧倒的な芸術的表現の前に、抑々私自身が持つ感受性がどんなに頑張っても追い付けない」訳である。その為、私としては「語彙力と感受性」両方を向上させていきたい所存だが、現実はそう簡単にはいかないものである。

 ただ、この様に色々思う事はあっても今月号のごちうさに対して、近年のごちうさの中でも随一の魅力と衝撃を受けたのは事実であり、それ故に今月号に対しては最早言葉がまとまらなくなる程の感銘を受けている。つまり「今月号はあまりにも素晴らし過ぎた……。」と思った訳であり、最近きんモザ、スローループ、RPG不動産、ぼざろ等々のきらら系作品と、きらら系以外の趣味分野にも改めて力を入れ始めている私にとって、改めて「毎月ごちうさの最新話を読み続ける事の意味や有難み」についてもしみじみ考えさせられる機会にもなっており、この経験から今後の私は「上記に挙げたきらら作品と、きらら系以外の趣味分野、それにごちうさと、多趣味な私らしくあらゆる趣味分野に対して精力的に関心をもち続けようと思い立っている。尤も、その道のりは決して平坦では無いし、甘いものでも無いと理解しているが、それも承知の上で意識し続けるのが私のスタイルなのである。

 先月号の記事同様、最後まで深淵たる内容が続くものになったが、これも私がごちうさに対して煮え滾る想いを持ち続けている証左である事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙39枚分である。今回はややコンパクトにまとめている傾向にあるが、これは現時点では執筆途中のきらファンメインシナリオ第2部7章の感想・考察を13000文字当たり書いた時点で一旦書くのを中断して、地続きに当ブログ記事を作成した為であり、あまりにも膨大な記事を書いていると、時間が掛かり過ぎると判断したのも理由として存在している。尤も、当記事も1週間と少しで書き上げている上、この記事も普通に文量はかなりある為、感覚が多少なりとも麻痺しているのもあるだろうが……。

*1:青山さんは小説家としての仕事たる原稿の執筆を喫茶店で良く行っており、大抵は「甘兎庵」にいる事が多い様だが、ラビットハウスにいる事も多い。

*2:主に「短調(マイナー)」の曲が好きであり、その中でも「ロ短調」(B Minor)がお気に入りである。

*3:英語で「天の川」の意味なのだが、ごちうさならばフランス語の方が良い気もしないでもない……。ただ、そうは言っても私はフランス語表記の天の川は良く分からないのだが……。

きらま2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。毎月の様に「ごちうさの最新話をきらまで読んでは、その感想と考察をブログにて書き出す」のを繰り返している内に、いつの間にか19日が近付くと「そろそろ今月号のごちうさを読んだ感想・考察を書く時が近付いてきた。」と思う様になってきました。私のちょっとしたルーティンとなりつつある訳であり、毎回の様に自分なりに楽しみながら書き進めている所存です。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察を書き出したいと思います。今月号は元々は同じ高校の先輩後輩であり、理世ちゃんが大学生になった現在でも、昔と全く変わりなく親密な関係にある「リゼシャロ」ペアが中心となる回であり、そこから見えてきた様々な魅力は正に感銘の一言に尽きる訳ですが、その一方で私としては最近のごちうさでは度々盛り込まれる事も多い「変化と不変」が今月号においても重要な要素として存在していた事や、理世ちゃんの幼なじみである狩手結良ちゃんがまた新たな一面を見せてきた事にも大きく惹かれた経緯がある為、今回は様々な要素を詰め込んだものになると考えられますが、今回もいつも通り率直に書き出していきたいと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話はリゼシャロが中心となる回であった為、最近のごちうさにおいて度々見かける「どことない異質な雰囲気」は大分控えめになっており、それ故に今回は概ね何時ものごちうさらしい日常だと言える様になっていると感じたが、それでも異質な雰囲気そのものは今月号においてもきちんと存在しており、理世ちゃんの幼なじみである狩手結良ちゃんが見せたリアリスト(現実主義)としての一面や、木組みの街の住人の中でも随一の異色な雰囲気を纏う結良ちゃんに対して、人見知り故に警戒心を剥き出しにしてビクビク怯えていた冬優ちゃんがその最たる例である。因みに結良ちゃんに対して警戒心を剥き出しにしていた冬優ちゃんの怯えぶりは、嘗て冬優ちゃんがまだ木組みの街に対して殆ど慣れていなかった頃に見せていたものとも大分異なるものであるが、それでも冬優ちゃんが結良ちゃんに対して抱いていたであろう怖さは何となくでも伝わってくる上、その恐怖度は折り紙付きな事も中々に笑えない。ある意味「ブラックユーモア」*1である。

 また、今月号は扉絵に関しても先月号とは全く違った感触を抱いており、先月号は神沙姉妹が見せた悪魔的な雰囲気に対して、深く考える事も出来ないままに惹き込まれた*2訳だが、今月号は割と冷静さを保ったままに扉絵と向き合う事が出来たと自負しており、そこで私は今月号の扉絵に対して「紗路ちゃんと結良ちゃんにとって、理世ちゃんはこれからもずっと大切な存在。」だと感じ取った。ただ、素性が掴みにくいが故に何を考えているのか良く分からない結良ちゃんが、この関係性に対してどう思っているのかと考えたくもなったが、もしそれを実行した場合、少しでも判断を間違えると訳も分からない恐怖と不安に追い回されると考えた為、今回は止めておいた。当たり前の事だが、訳の分からない恐怖や不安程、恐ろしいものも早々無いものであり、故に回避できるなら回避するべきである為、今回は回避した形を取った訳だが、結良ちゃんに対しても屈託なき想いを持つ私にとっては、正に気持ちを整える為の一時しのぎに過ぎず、何れは逃げられずに呑み込まれゆく、或いは自ら覚悟を決めて飛び込んでいく運命にあるかも知れない……。

 そこはかとなく尖った内容になったが、これはあくまで私自身がその様な考えを持っているだけであり、今月号はリゼシャロの高校時代から変わらない良好な関係性や、ラビットハウスの変わらない雰囲気等、思わず安心する展開も多く、また異質な雰囲気があるとは言っても、10巻終盤から11巻序盤にかけてのそれと比べれば、私が思うに正直かなりマイルドであり、故に今月号は最近のごちうさの中でも比較的穏やかな展開だと捉えている。つまり今月号においては異質な雰囲気は少なく、ほのぼのとした雰囲気の方が多い訳なのだが、これを「一時的ながらも結良ちゃんが見せた雰囲気に根こそぎ持っていかれた人」が書くとこうなってしまうのである。尤も、後半部分は完全に私の主観なので、そういう見方もあると言った感触で捉えてもらえると幸いである。

2.購読した感想・考察

リゼシャロユラが魅せる関係性

 今月号を語る上で外せないのは、何と言ってもリゼシャロの存在であろう。リゼシャロは2人共に同じお嬢様学校に通っていた頃から、学年の垣根を超えた親友であり、それは理世ちゃんが大学生となった今でも全く変わらず、良好な関係性を保ち続けている。また、紗路ちゃんにとっては自身が苦手とするうさぎと膠着状態になっていた際に、たまたま通りかかった理世ちゃんの手によって助けられた経緯から、自分にとっての大いなる憧れでもあり、彼女が理世ちゃんから「別に先輩と呼ばなくても良い」と言われながら、頑なに「先輩」と言う呼称を外さないのも、単純に理世ちゃんは自分より年上(理世ちゃんは早生まれの為、厳密には一学年上)だからというだけでなく、「彼女にとって理世ちゃんは憧れの先輩故に、先輩抜きでは呼べない」と言う彼女の信念がある為であり、理世ちゃんもそれはきちんと理解している。

 そんなリゼシャロだが、今月号においては正に主軸と呼ぶべき存在感を発揮しており、故に大学生になった理世ちゃんと高校生の紗路ちゃんと言う、今までとは一線を画した関係性がより深く見えてくる意味でも重要なのだが、今月号では更に理世ちゃんの幼なじみであり、ごちうさの登場人物の中でも独特の雰囲気を持つ結良ちゃんが少しながらも割って入る事で、今までのリゼシャロとは一線を画した雰囲気を見られるのが最大の特徴であり、前半はそんなリゼシャロを中心に思った事を書き出していきたいと思う。

新しくなった関わり方

 今月号は冒頭いきなり理世ちゃん周りの関係性の変化について言及されており、そこから大学生になって多少なりとも人間関係の変化は理世ちゃんにもあったのだと思いもしたが、そこで一番気になったのはやはり「大学生になってから、結良ちゃんが理世ちゃんに対して絡みを増やしてきた事」だろう。尤も、結良ちゃんは理世ちゃんとは幼なじみである為、本来そこまで違和感は無い筈なのだが、これが「私が知らないだけなのか、本当にそうだったのか」は、抑々の描写や言及自体が少ない為に分からないものの、理世ちゃんと結良ちゃんは幼なじみでありながら高校時代は変に絡みが少なかった印象があり、故に大学生になって急に絡みを増やしてきた事に対して少なからず違和感を覚えた。

 これに関しては、恐らく結良ちゃん自身が抱えている一種のコンプレックスが関係していると考えている。結良ちゃんは原作9巻で理世ちゃんに対してかなり衝撃的な事実を告白しており、それは私が思うに「上下関係や立場の違いも関係ない、対等な幼なじみの関係性になりたかった」と言う想いが込められていると捉えている。ただ、言っても結良ちゃんは何を考えているのか良く分からない性質故に、彼女が大学生になってから何故に理世ちゃんとの絡みを増やしたのかは分からないが、他方で結良ちゃんは最近になって理世ちゃん宅にてメイド服姿で御奉仕している一面があり、これを鑑みると「結良ちゃんは理世ちゃんとの特別な関係性を見出す為に絡みを増やしているのではないのか。」と思えなくもなく、結良ちゃんにとっての特別な関係性が正に幼なじみとの普通の関係性だと言うならある程度は納得できる。そして、そこに大きく関わっているのが心愛ちゃん達の存在であり、理世ちゃんは心愛ちゃん達との出逢いを経て大きく変化しているが、結良ちゃんは心愛ちゃん達の世界観に深く染まっている訳では無い為、結良ちゃんは理世ちゃんとのある種の距離感を感じている可能性も高く、その距離感を埋める為に理世ちゃんとの2人の時間をより密接なものにして、幼なじみとの関係性を改めて強固なものにしたいと願っている事もあり得る。

 つまり結良ちゃんが理世ちゃんとの絡みを大学生になってから急に増やしたのは、結良ちゃんにしても幼なじみの理世ちゃんとの関係性を現状維持のままではなく、もっと深淵たるものにしたいという願望の表れではないかと言う訳であり、これだけならさほど逸脱している様には見えず、故に私が違和感を覚えたのも変な気がしてくるが、結良ちゃんは自分が願うものの為ならあらゆる手段も辞さない所があり、詳しくは後述するが今月号においても理世ちゃんを嗾ける様な発言を見せたり、今までも理世ちゃんに対して妬み嫉みを滲ませた本音を本人相手に躊躇いなくぶつけたり、理世ちゃんの世界観を大きく変えた存在でもある心愛ちゃんに対しても自分の手中に収めたいと言わんばかりに誑(たぶら)かしたりと、他の登場人物なら恐らくできないであろう事も、殆ど臆する事なく実行に移せる一面があり、これが彼女を「異質な雰囲気を持つだけでなく、他の人とはあらゆる意味で違っているミステリアスな人物」と言うイメージにさせているのであろう。

 ただ、これらは言い方を変えると「結良ちゃんも理世ちゃんと幼なじみらしいもっと親密な関係性を築きたいと思っている事」でもあり、故に結良ちゃんがミステリアスな雰囲気の中でも度々見せる本心は、結良ちゃんも本当なら仲睦まじい関係性を真っ当に築き上げたいと考えている事の表れでもあると考えている。結良ちゃんは人間関係に関しては決して器用な人物ではなく、人間関係をめぐっては順風満帆では無い事は直ぐに分かる上、本人も周りの人達をどんどん自分の世界に取り込んでいく心愛ちゃんに対してどことなく嫉妬が芽生える事を言及していたが、これも結良ちゃん自身紆余曲折無く、スッと人間関係を育んでいく事に憧憬意識があるからだと思えば、結良ちゃんに対するイメージも大きく変わるものである。

 ここまでリゼシャロと言うよりリゼユラになったが、ここからはリゼシャロといきたい。リゼシャロは理世ちゃんにとってもリゼユラと異なり「高校時代から変わらない良好な関係性」と位置付けており、今月号においてもそれは強調されている場面が多くある。また、元々は同じお嬢様学校の先輩と後輩と言う関係性である為、理世ちゃんが大学生となった現在でも紗路ちゃんは一貫して理世ちゃんの事を「先輩」と付けているが、その距離感は異学年同士である事を鑑みるととても近く、結良ちゃんが多少なりとも揶揄いたくなるのも納得である。

 そんなリゼシャロだが、今月号においては「不変の関係性」として扱われており、全般的に高校時代から変わらない2人の関係性と言うのが良く分かる構成となっている。ただ、冒頭においては変化した理世ちゃんの髪型と、高校時代から変わらず元来のくせ毛の紗路ちゃんをめぐってかなりあたふたした様子が見受けられていたが、今思えば「不変の関係性の象徴たる2人でも、昔と変化している部分がある事の序曲になっていた。」と考えている。因みにその変化とは、理世ちゃんは今までも度々言及されてきた様に「大学生になってから髪型をチェンジ」している事であり、紗路ちゃんは変化してゆく理世ちゃんに引けを取らない様に、自分が出来る範囲でオシャレに磨きをかけていきたい事であるが、今月号でも後述される様にイメージチェンジに伴う知識や、オシャレのトレンド(流行)に対する知識は紗路ちゃんの方が上である為、それをして「色々あってもリゼシャロはやっぱり良い関係性だ。」と思うばかりである。

意気込みと嗾けと空回り

 今月号はリゼシャロが中心となる回である事は先も言及した通りだが、その2人が合流して最初に立ち寄った「ブライトバニー」で結構衝撃的な事実が判明しており、それは「神沙姉妹が落ちたブラバの面接に結良ちゃんが受かっていた」と言うものである。先月号にて詳しく言及されているが、神沙姉妹がブラバの面接に落ちたのは「採用人数が1人の所に仲睦まじい2人が来た事により、どっちを採るのか天秤にかける事などできる筈がなかったため」であり、要は神沙姉妹の事を想った店長が見せた一種の優しさだった訳だが、現実問題としてアルバイト採用と言う名の椅子に誰か1人が座るのに変わりは無く、結果として今回その椅子に座ったのが結良ちゃんその人だった事が判明した訳である。

 そんな結良ちゃんだが、ブラバ勤務時には持ち前の独特な雰囲気と愛想の良さを武器に中々な接客術を見せており、リゼシャロ2人の接客を行う場面では、幼なじみと同じお嬢様学校の後輩故に2人の事を良く知っている事*3を利用して、理世ちゃんに対して一種のマウント(優越性)をとる一面を見せている。また、ただマウントをとるだけに留まらず、理世ちゃんに対して「後輩がいつまでも慕ってくれると思わない方が良い」と、正に悪魔の囁きと言うに相応しい魔性の雰囲気をもって、理世ちゃんにだけ聞こえる様にヒソヒソ話していたのは印象的であり、私としてもここで見せた結良ちゃんの悪魔的な雰囲気に一時根こそぎ持っていかれてしまった。尤も、結良ちゃんが一体どの様な趣旨をもってあんな事を言ったのかは分からず仕舞いだが、可能性としては恐らく2つあり、一つは「自分が先輩だからと驕っていると、人は簡単に幻滅して離れていってしまうから、驕らず精進し続ける意思は絶対に忘れるな」と言って理世ちゃんに対して一種の警鐘を鳴らすもので、もう一つは「慕ってくれるからって油断しているなら、紗路ちゃんの事を私の方に気を惹かせる様にするよ」と言って理世ちゃんを嗾けるもので、どちらにしても一種の牽制になる訳だが、前者は抑々理世ちゃんが驕りを見せる様な人物では無い事と、流石に思想がえげつないものとなってしまう為、恐らくは後者だと思われる。と言うか、実の所前者の思想は「出来るならあって欲しくない仮定論」として私自身位置付けている為、寧ろ外れていた方が有難いのが正直な所である。

 そして、そんな結良ちゃんの言葉を聞いた理世ちゃんは思わず冷静さを失くしたのか、その後の紗路ちゃんとの行動では「自分が先輩としてエスコートしようとするが、買い物先が紗路ちゃんの得意分野たる食器店だった為、あっけなく失敗に終わる」・「紗路ちゃんが何を考えているのか良く分からず、思わず平静さを失くした行動をとる」と言った感じでらしくない空回りぶりを披露しており、完全に結良ちゃんの言葉に踊らされた格好となってしまっている。その為、ブラバ直後からのリゼシャロはいつも通り理世ちゃんが先導をとっているものの、その先導者がいまいち空回りしているのが否めず、結果的に先輩らしさはあまり発揮できていないが、それでも年上らしい一面は覗かせており、それは「新たな客層の為に、ラビットハウスや私自身を変化させていく」と言う理念であり、これが理世ちゃんが食器を買いに行った理由でもある。

 ただ、その様な理世ちゃんの理念に対して紗路ちゃんはかなり複雑な様相を呈しており、その理由として紗路ちゃんとしては「理世ちゃんが昔の理世ちゃんでは無くなっていくのが寂しい」と言う想いがあったからなのだが、この事を紗路ちゃんは理世ちゃんにハッキリ伝えるのに抵抗を感じていた風に見えたのも印象的である。恐らく紗路ちゃんとしても「大学生になってからどんどん変化を遂げていく先輩が嬉しくもあるが、それ故に昔の先輩では無くなっていくのがやっぱり寂しい」と言う心の葛藤があり、それ故に理世ちゃんに対して自分の本心を伝える事に対して気が進んでいる訳では無かったと思われる。また、紗路ちゃん本人も先輩の成長や変化を自分の勝手な意思で阻害してはならない事は重々承知していたと考えられる事や、紗路ちゃんとしても恐らくながら「私が言ってどうにかなる様な事でもない」と分かっていた事と思われ、その事も本心を明かす事に躊躇いを生じさせていたのだろう。

 しかしながら、紗路ちゃんが大学生になってから更に成長しゆく理世ちゃんに対して一抹の寂しさを覚えているのが事実な一方、どんどん大人になっていく先輩を嬉しく誇りに思っているのもまた事実であり、元々オシャレに対するセンスが良い紗路ちゃんが更にオシャレに磨きをかけていたのも、今月号において元来のくせ毛を気にかけていたのも、今月号においては偏(ひとえ)に「大人な雰囲気を持つ理世ちゃんの傍にいて恥ずかしくない自分であるため」であり、これは紗路ちゃんが大人な雰囲気を帯びていく理世ちゃんをきちんと受け止め、自分の中でしっかり呑み込まなければ出来ない事でもある為、紗路ちゃん本人としても理世ちゃんがどんどん大人になっていく事に対して一抹の寂しさや迷いはあっても、その事実から完全に目を背ける事はしない覚悟を決めていると言えよう。

 因みにそんな気概を持った紗路ちゃんの事を知った理世ちゃんは、紗路ちゃんに対して「お前みたいな可愛い後輩をもって、私は幸せだ。」と言わんばかりに紗路ちゃんの事を可愛がって彼女を思わず困惑させている。思えば先輩と後輩とは言っても1学年差であり、しかも理世ちゃんは早生まれ*4な為、2人の年の差は凡そ5ヶ月*5しか無く、故に抑々論として「リゼシャロが魅せる良き先輩と後輩と言う関係性」に対してどこか不思議な感覚を抱く事もあるが、もし理世ちゃんが紗路ちゃん達と同学年だった場合、今月号の様な関係性はおろか、今の理世ちゃんが築き上げた関係性も全く違っていたものになっていたのはほぼ確実だったと考えられる為、今の先輩と後輩という図式があるのも一種の奇跡なのだろう。

変化と不変の象徴

 前半では今月号を語る上で外せない要素として「リゼシャロの存在」を挙げたが、後半では主たる舞台のラビットハウスの雰囲気ひいては最近のごちうさにおいて度々登場してくる「変化と不変」が非常に重要な要素として機能していると見ており、それは今月号の後半の至る所に散りばめられていると考えている。尤も、私としては急に「変わっているのに変わらない」なんて言われると、思わず「変化しているのかそうでないのか分からなくなる」となって混乱しそうになるので、それを避ける為に私は「『変わっているのに変わらない』の意味」について考えを馳せており、最終的に「変化と不変」の意味について私は「中身は変化しながらも骨格は変化せずに保たれていると言う意味」だと位置付けて答えを出している。これは言うならば「例え一部が変化しても全体は変わらない」と言う事であり、今月号のラビットハウスが魅せつけた新たな雰囲気と言うのはそういうものに位置付けられていると個人的には考えている。尤も、これはあくまで「私ならこう考える」と言うだけのものである為、この考え方がどうなのかは人それぞれ意見があると思うし、まして「これが本当に良い結果をもたらす選択なのか」と言うのも非常に難しい話ではあるが、私としては「この様な意見もある」と思ってくれれば幸いである。

 ここから一気に話題が変わるが、後半からは私自身今月号の要と称したリゼシャロの関係性にも変化が生じており、前半においては多少頼りない部分はありつつも、基本的に理世ちゃんが先導をとると言ういつも通りのスタイルであったのに対して、後半においてはカフェイン酔いを起こした紗路ちゃんによって完全に立場が逆転し、それまで先導を切っていた理世ちゃんが、カフェインに酔った紗路ちゃんによって逆に懐柔されてしまうと言う、いつもと立場が完全に逆転したリゼシャロを見る事が出来るのも特徴的であり、前半との対比と相まって印象的なものとなっているといえよう。

変化と不変の雰囲気

 今月号後半において外せない要素と言うのは、何と言っても智乃ちゃんの祖父が建てた喫茶店であるラビットハウスなのは先にも説明した通りだが、肝心の内容についてそれぞれ解釈を入れると、変化は「最近増えてきたお客さん(特に子供さん)のニーズに応えるために中身を少しずつ変化させている事」で、不変は「高校生時代の理世ちゃんにとってはある種のチャームポイントでもあったツインテを始めとした、ラビットハウスの骨格を変えずに維持している事」だと捉えており、どちらも今後のラビットハウスの世界観を創り上げていく上で大変重要な要素だと認識している。因みにこの事実は言うならば「今まで築き上げた世界観を残しつつ、今後私達が創り上げていかなければならないラビットハウスを模索している事」も意味している為、この事は智乃ちゃん自身の喫茶店創りにも大きく影響するものがあると思う。

 また、今月号においては理世ちゃんのツインテが割と頻繁に取り沙汰されているが、そのツインテをめぐっては私自身興味深い事が一つあり、それはツインテ即ち今まで通りの理世ちゃんの方が子供さんには好評な事」である。抑々最近のラビットハウスは元来のシックで落ち着いた雰囲気から一転して、多くの「楽しい」で溢れた喫茶店へと変化しつつある事や、「ラビットハウス3姉妹」を始めとしたキュートでほんわかした印象が、雑誌や周りからの評判等々を通して世間一般に広まった事もあってか、何やら新しい客層として子連れさんが増えている様で、故に子連れのお客さんにも楽しんでもらえる様にする為の新しい工夫が随所になされており、それ故に今月号で度々出て来ている様に、細やかな部分が正に「変化」していく事にも繋がっているのだが、理世ちゃんのツインテだけは例外的に「昔の雰囲気を残したままの方が新しい客層には好評」と言う事実があり、細かな理由は何であっても「不変の方が新しい人達にも受け容れて貰いやすくなる」と言うのは中々に興味深かったし、単純にツインテの方が子供受けが良いと言うのは、子供好きな一面を持ち、将来は小学校の先生になると言う夢を持つ理世ちゃんにとっても(本人は照れ隠すと思われるが)嬉しいと考えている。

 その為、現在のラビットハウスは「変化した方が良い場合と、敢えて変化させない方が良い場合もあるのが混在している」と言え、今月号においてもそれが意識された構成となっているが、個人的にはそれ故に「ラビットハウスは中身が変化しても骨格は変わらない」とも捉えており、それが与える安心感は紗路ちゃんが見せた反応が証明していると思う。尤も、その紗路ちゃんはコーヒーを飲んでやはりと言うか何と言うか、カフェイン酔いを起こしてしまう事になるのだが、それは後述。

逆転の関係性

 ここからはラビットハウスにおけるリゼシャロの関係性について書き出したい。今月号前半においては、度々逆転している部分はありつつも理世ちゃんが先導をとり、紗路ちゃんがそれに追従すると言う体裁が保たれていたのに対して、後半においてはカフェイン酔いを起こした紗路ちゃんの手によって完全に逆転し、理世ちゃんが紗路ちゃんの手によって調子を狂わされ、紗路ちゃんから自分の本心をストレートに言われて思わず赤面すると言うレアな展開が多くあり、色々な意味で可愛さが溢れる展開になっている。因みに紗路ちゃんがカフェインに酔いやすい体質*6だと言うのは昔からなのだが、彼女は自ら「カフェインを摂取しても大丈夫」だと言いながらカフェイン入りの喫食物を摂取して、結果的にカフェイン酔いを起こしてしまう事もある。ただ、これは「友達の想いを無下にする様な事はしたくない」と言う彼女なりの優しさと固い意思故である事も少なくない為、彼女の友達想いな一面が良く表れている。

 そんな一面を持つ紗路ちゃんだが、今月号においてもカフェイン酔いを起こしやすい一面は健在であり、今回も諸事情あってカフェイン酔いを起こしてしまう訳なのだが、紗路ちゃんはカフェイン酔いを起こすと普段の紗路ちゃんとはまた違った面が表れる特徴があり、例を挙げると「自制心が弱くなり、自分の気持ちに正直な言動をストレートに取る様になる」・「テンションが桁違いに高くなり、周りを振り回す事もしばしば」・「ノリが普段とは比べ物にならない程良くなり、普段からノリの良い心愛ちゃんや千夜ちゃんですら凌駕する程」等々があるが、今回のリゼシャロにおいて良く見えていたのが「自分の気持ちに正直な言動をストレートに取っていた事」であり、仕事姿が昔のままの理世ちゃんの事を「さっきのお返し」と言わんばかりに手懐けて、彼女を思わず赤面させたり、自分の素直な気持ちを理世ちゃんに伝えて、やはり彼女を恥ずかしさでいっぱいにさせる等、普段のリゼシャロからは想像もできない様な場面が連続して登場しており、挙句の果てには紗路ちゃんが理世ちゃんの事を多少ながらも揶揄っている面すらも表れている為、私としては驚かされる事ばかりであった。

 この様な事から、後半のリゼシャロは完全にカフェインに酔った紗路ちゃん優位のペースになっているケースが大半なのだが、個人的にはそれ故に前半との対比を成しているだけでなく、紗路ちゃんが「先輩である理世ちゃんや、皆の憩いの場たるラビットハウスが変わらない一面を備えている事に対して安心感と歓びを覚えている事が良く分かる」と捉えている。紗路ちゃんは今月号の前半において明かしていた様に、先輩がどんどん大人になっていくにつれて、先輩の昔の雰囲気や特徴が見られなくなっていく事に少なからず寂しさを覚えていた為、彼女が変わらぬものを見て安心感や歓びを覚える事は、普段以上に重要な意味を持つのは明白であり、紗路ちゃんが珍しく理世ちゃんの事を少しばかり揶揄っていたのも「彼女が変わらないものに対して安心感を覚えている証拠」だとするならば、ラビットハウスで見せたリゼシャロの関係性はある意味「不変の意義、ここにあり」となる訳だろう。

 ところで、個人的には紗路ちゃんがいくらカフェイン酔いの状態だったとは言え、先輩である理世ちゃんの事を手懐けたり、揶揄ったりして大丈夫なのだろうかと一瞬過りもしたが、当の理世ちゃんは後輩から懐柔させられる事で恥ずかしそうにしていたり、揶揄われる事で照れ隠しに走ったりしていたものの、この様な事に対して本気で怒りを覚えた様子は一切無く、寧ろ満更でもない様子を見せていたので、理世ちゃんとしても表立っては恥ずかしさ故に上手く表現できないとは言っても、本心では紗路ちゃんから「昔のツインテのままの方が良い」のをハッキリと言われたり、ツインテであり続ける事を喜んでくれたり、ちょっとからかってくれたりした事が嬉しかったと言えよう。そう考えると、リゼシャロはやっぱり良き先輩と後輩なのだと思う。

 尚、抑々理世ちゃんが紗路ちゃんに対して頼りない一面が出ていたのも、結良ちゃんの言葉によって心が少なからず動揺していたからなのだが、この頃には結良ちゃんから言われた言葉の内容をすっかり忘れてしまっていた事が明らかになっており、結果的に曖昧模糊な結果に終わっている。

幼なじみ故に持つ特性

 今月号は基本的にリゼシャロが中心となる回であるが、最後の局面はブラバで結良ちゃんと千夜ちゃん、それに冬優ちゃんの3人が登場するものであり、これだけでもかなり異色な組み合わせだと思うのだが、内容も例によって異色であり、流石はミステリアスな雰囲気を持つ結良ちゃんの存在ありと言った所である。また、個人的には今月号序盤において結良ちゃんを書き出し、今月号終盤においても結良ちゃんを書き出すとは、今月号の構成上そうなるのは明白だったとはいえ、それを律儀にしっかり書き出している私としても、それだけ結良ちゃんの事がお気に入りなのだろう。

 この最終局面では意外な事実が明らかになっており、それは結良ちゃんが明かしていた「幼なじみを相手にするといつも揶揄い過ぎる節がある事」であり、これには同じく幼なじみコンビを擁する千夜ちゃんも同調している。元々千夜ちゃんは紗路ちゃんに、結良ちゃんは理世ちゃんに対して他の友達や親友にも見せない一面や言動を度々見せており、どちらも己の内面がもろに表れている為、2人共に「幼なじみだからこそ見せられる一面がある事」は何となくでも察しはついていたが、今回本人の口からそれが語られた事で正式に裏付けが取れる様になり、同時に結良ちゃんが顕著に見せる「異質な立ち振る舞い」に対して、一定の根拠をもった説を設ける選択肢が広がった意味でも重要である。尤も、それで結良ちゃんが見せた数々の衝撃的な行動例えば9巻後半で見せた「理世ちゃん相手に嗾けた壁ドン」の説明が出来るのかはまた別の話な上、今月号においては深く掘り下げると言うよりは、話の流れを端的に説明すると言った流れであった為、私としてもこれ以上の事は何とも言えないが、何れにしても幼なじみ相手だからこそ見せられる一面が、ごちうさにおける幼なじみコンビにも存在している事実が明らかになった事は、何か意味があると思うし、今月号では登場していないマヤメグと言う幼なじみコンビにも同じ事が言えると思う。

 但しこの様な意外な一面を見せたとて、今月号では主に理世ちゃんを引っ掻き回した結良ちゃんが異質な雰囲気そのものを持っている事には変わりなく、冬優ちゃんが結良ちゃん相手にビクビクしていたのがその根拠である。尤も、冬優ちゃんはその場に居た千夜ちゃんも言及していた様に、人見知り故に人と話す事が苦手な一面があり、実際に異質な雰囲気とは無縁とも言える心愛ちゃんや智乃ちゃん相手にも出逢った頃は警戒心を緩める事はそこまで無かった事から、例え結良ちゃんが異質な雰囲気を持っていなかったとしても、冬優ちゃんはある程度警戒していた可能性もあった為、冬優ちゃんと同じく人見知りな面がある私としては、冬優ちゃんが結良ちゃんに対して警戒していたのは、確かに結良ちゃんが異質な雰囲気を持っていた事もあったのは紛れもない事実だと思うが、単純に冬優ちゃんが人見知りなのが大きかったと考えている。人見知りな人からしてみれば、単純に良く知らない人に対して自分から積極的に話したり、関わったりするのが苦手なのであり、相手がどの様な特性および雰囲気を持っているのかはまた別である為、冬優ちゃんがどう考えているかは分からないとは言え、少なくとも私から見ればこう思った訳である。

 因みに今月号後半においては人見知りな一面を強く見せていた冬優ちゃんだが、腹話術を用いると途端に言いたい事はハッキリと言う様になる一面も健在であり、これは「仮面を被る事で恥ずかしさが少しでも払拭できる」とも「年上相手でも物怖じせずに指摘できる様になる」ともとれるが、何れにしてもこの時の冬優ちゃんのコメントは的を射たものであり、その的確なコメント力は千夜ちゃんと結良ちゃん相手でも普通に納得させている事が証明している。この事を思えば、冬優ちゃんと結良ちゃんのコンビは冬優ちゃんが本領発揮さえすれば案外バランスが取れるのかも知れないが、本領発揮の結良ちゃんはかなりの迫力がある為、実際の所は分からない……。

3.あとがき

 以上がきらま2022年5月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察である。今回は全体的にほのぼのとした雰囲気であった為、実の所今までの様に素早く取っ掛かりを掴むのが難しかった印象があったものの、私も日常系作品に対して後れを取らない為にも自分が持つ見識に磨きをかけている上、ことごちうさに対してはどんなに苦労する事があっても、自分の想いをしっかり表現する事を忘れないと言う意識が強くある為、結論から言えば今回も前半と後半では書式が多少変化しているとは言え、今までと比べても遜色ない様に纏められたと考えており、故に私としては満足たる所存である。

 今月号は同じ高校の先輩後輩のペアたるリゼシャロが中心な回であり、その高校時代から今に至るまで全く変わらない強固且つ良好な関係性は正に「尊き関係性」の一言に尽きる訳だが、今月号では更に理世ちゃんが先導を切る先輩主導の構成だけでなく、紗路ちゃんが理世ちゃんの事を可愛がってみせる後輩主導の構成もあると言う中々に贅沢な組み合わせが披露されていた為、私としては最早これ以上ない位の良き関係性を観察できたと捉えており、また色々な意味で激震走る展開も度々表れてくる最近のごちうさにおいて、ここまで昔と変わりない関係性を見られた事も嬉しいものだと感じている。尤も、今月号とて決して異質な雰囲気と無縁な訳ではない事も忘れてはいけないが、それを考慮してもなお今月号のリゼシャロは良き雰囲気に満ちていたと思う。

 また、今月号においても最近のごちうさでは度々表れる「変化と不変」がきちんと登場してきた事も中々に重要だと考えており、今月号では主に「リゼシャロとラビットハウス」が「変化と不変」に対する何かしらの関わりを見せていた傾向にあったが、個人的にはそのどちらも「称賛」の一言に尽きる程のクオリティであったのは勿論の事、そこから改めてごちうさにおける変化と不変とは何かについて意識していかなければならない」と思い浮かべてもいる。尤も「変化と不変」は極めて抽象的な概念でもある為、その答えに辿り着くのは至難の業ではあるのだが、それでも事あるごとに意識を張り巡らせるのは、偏にごちうさに対してどんな事でも自分の考えを馳せ続けようと考えている私の矜持故であり、私が持つ限りない情熱故でもある。

 そして、今月号において限定的ながらも登場していた理世ちゃんの幼なじみにして、ごちうさの中でも特異的な雰囲気を持つ結良ちゃんの存在は、個人的には色々な意味で「劇的な程に効果てきめん」であり、結良ちゃんが魅せる異質な雰囲気と立ち振る舞いと、私自身結良ちゃんに対して並々ならぬ想いを持っている事が相まって、今月号においては最早リゼシャロと肩を並べる程の想いを叙述した訳であるが、これは私自身結良ちゃんが特異的な雰囲気を持ちながら、その内心は誰よりも人間味溢れる所が好きだからであり、そこには確固たる信念が存在している。ただ、その信念は「特異的な雰囲気を帯び続ける事に対する畏敬(若しくは畏怖)」或いは「孤高な雰囲気に対する心酔」なのか、それとも「純真たる想いの結晶ゆえ」なのか、はたまた「複雑に絡み付いた恐るべき想いから」なのか、何を拠り所としているのかは良く分からないが、それでも分かる事があるとするなら「私が持つ狩手結良に対する想いは、良くも悪くも最早一義的な物では説明できない程に複雑なものになってしまった事」だけであり、その錯綜たる心意気は他の追随を許す事はないだろう……。

 最後の項目でも中々に深淵たる内容になったが、これも私自身ごちうさに対する屈託なき想いがあるが故であり、今後もその想いが揺れ動く事があっても、ごちうさを読み続ける事には変わりは無い事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙37枚分である。今回は正直内容を推し量るのが難しかった為、ここまで書くのは容易ではなかった。やはり何気ない日常から何かを読み解いていく事程、簡単そうに見えて実は難しいものも早々無いのであろう。

*1:笑いの後に恐怖が走る事。

*2:これには私が悪魔的な雰囲気を好みとしているのが大きいが、それは同時に悪魔的な雰囲気に触れた際に冷静さを失いやすい事を意味する為、扱いには我ながら気を付ける必要があると思う。

*3:ここでは紗路ちゃんがオシャレのトレンドに詳しい事と、理世ちゃんが紗路ちゃんとは対照的にオシャレのトレンド(と言うかトレンド全般)に弱い事。

*4:因みに理世ちゃんの幼なじみである結良ちゃんも早生まれであり、もっと言うなら智乃ちゃんの親友たる冬優ちゃんも早生まれである。

*5:尚、4月生まれの心愛ちゃんに至っては僅か2ヶ月程度の差しかない。

*6:コーヒーは勿論の事、カフェインが少量でも入っているならお菓子でも酔う。

きらま2022年4月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近私自身の生活環境が変化した事もあって、以前より時間に余裕がある訳では無くなり、それに伴い趣味事だけに時間を割くと言うのは中々に厳しくなりましたが、どれ程多忙になってもこの様な趣味事を完全に辞めてしまうつもりは毛頭ないので、以前より感想・考察を書き出すペースが多少遅くなると思いますが、何卒宜しくお願い致します。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年4月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号はブラバ組が誇る神沙姉妹が中心となる回であり、それ故に神沙姉妹の様々な一面がより深く明かされる様になっていますが、そこから見えてくるものが、何と言うか私の心に凄い勢いで刺さる様なものだったので、今回は書式を今までとは少し変化させて、より私自身が持つ心情を率直に書き出そうと思います。

※注意※

最新話及び単行本10巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は神沙姉妹を主軸として描かれているお話であり、それ故に今月号も大筋は日常系らしい展開だと言える。だが、一つ一つの内容自体の起伏はかなり大きく、また単行本10巻以降に現れる様になり、とりわけ単行本10巻終盤から単行本11巻序盤にあたるお話にかけて多く存在している「独特な異質さ」を少なからず感じる場面そのものは存在しており、その独特な雰囲気は、どことなく「絶対に逃れられない運命は、ゆっくりでも確実に差し迫っている。」とも感じ取れる。その為、私としてはどの様に捉えるべきなのか、それが自分でも正直良く分からないと言うのが本音ではある。

 また、今月号の扉絵に対しても、私は「悪魔的とすら感じるまでの妖艶な雰囲気に対する心酔」と、「悪魔的な雰囲気を持つ妖艶な2人に心までも奪われてしまうかも知れないと言う恐怖」と言う二種類の感情を抱いており、ある意味悪魔に対して私が持っている「恐怖と心酔」と言う両極端な価値観が如実に表れている。因みにこの様な両極端な価値観は、悪魔とは対比の存在である「天使」に対しても私には存在しており、天使の場合は「その輝かしい雰囲気に対する癒し」と、「その奥底知れない輝かしさに対する一抹の恐怖」と言う、やはり悪魔同様「心酔と恐怖」と言う形で存在している。どうも私は際限なき魅力を心酔と恐怖と言う観点から捉えるのが好きな様で、私が所謂「美形悪役」若しくはそれに準ずる雰囲気に惹かれやすいのもここから来ているのかも知れない。

 話が色々とややこしくなったが、要するに私は今月号のごちうさに対して深く心酔する一方、どこか引っかかる感触を抱いている訳であり、これだけ聞くと何やら物々しく思えてくるかも知れないが、これらはあくまで私が何となく抱いている感触であり、一通り読み終えた後には、何時もの様に「今月号掲載のごちうさも良かった……。」と思えたものである。故にここで書き出した内容はそこまで重要では無いのだが、私がこの様な感触を抱いたのも疑いなき事実である為、その事を忘れない為にも書き残しておく必要があると考え、記載した所存である。正直私としてもこれで良いのかさっぱり分からないが、私にはごちうさに対する気持ちを無理に隠したが為に、危うく取り返しのつかない事態を招きかねなかったまでに苦労した経緯がある為、私としてはこれで良いと言う確信はある。

 ここからはいよいよ今月号のごちうさを読んだ感想・考察の本題に入りたいと思う。今回は前述の通り、今までとは少々書式を変化させ、自分の感じた事を率直に認める(したためる)様にして書き出したいと思う。

2.購読した感想・考察

神沙姉妹の苦悩と歓び

 いきなり衝撃的な項目となったが、これは今月号前半の神沙姉妹を見て私が率直に感じた事であり、この部分における神沙姉妹が見せた立ち振る舞いが、私には「2人が抱える葛藤や苦悩が滲み出ている」と感じずにはいられなかった事が所以となっている。

 彼女達はブライトバニーの社長令嬢である事から、育ちの環境そのものはかなり恵まれているものの、親の仕事の都合で転校が多いが故に固定的な人間関係が作りにくかっただけでなく、周りの人達からは夏明ちゃんと映月ちゃんの2人よりも、その2人が持つ裕福な家柄の方を見るケースも多かった為、木組みの街で旅行先で出逢った心愛ちゃん達と奇跡の再会を果たすまでは、実質的に「神沙姉妹の世界観は自分達だけの閉鎖的なもの」にならざるを得ない状況に追い込まれており、それ故に2人共「これ以上人間関係の事で傷つかない為にも、周りの人達を寄せ付けない立ち振る舞いをする様になった」と考えられる程、彼女達には人間関係に対する辛い経緯があったと私自身ひしひしと感じており、今回も冒頭でその嘗ての2人を思わせる様な雰囲気が出ていた為、何やらただ事ではないと気になったのである。

 そして、そうして私は神沙姉妹のみに何があったかを知る為に、神沙姉妹の心境を辿る事にした訳だが、そこで待っていたのは、私が考えていた様な事を遥か上を行く内容だった訳だが、途中からその真実が明かされていくにつれて、悲愴的な感情から徐々に喜びを伴った明るい感情へと変化していき、これが後半の「神沙姉妹の歓び」と言うものに繋がっている。その為、ここの項目では感情の振れ幅が非常に大きくなっている事には留意して欲しい。

偽りの外面と溢れ出た本音

 悪魔的な雰囲気を持つ神沙姉妹の扉絵に迎えられ、今月号を読み進め始めた私だったが、冒頭いきなり私の気を揉む程に気になった事があった。それは神沙姉妹の2人共が見せた「極端なまでの閉鎖的な雰囲気」であり、その雰囲気からは、2人が木組みの街の学校に通う様になって見せ始めたありのままの自分とは程遠い、嘗ての自分達の世界観に閉じこもらざるを得なかった頃の2人を強く感じさせる雰囲気であり、それ故に2人共に映月ちゃんは心愛ちゃんから、夏明ちゃんは理世ちゃんからそれぞれ話しかけられても、まるで社交辞令的な対応で、その雰囲気からは「クール」を通り越して最早「他人に冷たく閉鎖的」と思わざるを得ない程だった。

 ただ、2人共に好きで閉鎖的な自分を演じていた訳では無く、それどころか相当無理をしていたのに気付くのは、そう時間は掛からなかった。何故なら、神沙姉妹の2人の異変に気付いた心愛ちゃんと理世ちゃんが、それぞれ2人の事を心配して保護していた事から、神沙姉妹にとって「閉鎖的な立ち振る舞いが2人にとっても望まざる形だったのは明白だったから」である。そして、保護された2人が見せた様子は、今までになく深刻なものであり、映月ちゃんも混乱の末に実際にやろうものなら大問題に発展しかねない事を口にすると言う精神状態だったが、とりわけ「理世ちゃんに自分の閉鎖的な立ち振る舞いについてコメントされ、悪意は全く無かったとはいえ、閉鎖的な立ち振る舞いをした事に対する罪悪感に耐え切れず、思わず目に涙を浮かべていた夏明ちゃんの様子」が、私にとっては心が突き刺されるものだった。元々夏明ちゃんが「気丈に見えて実はデリケート」と言うのは私自身ある程度読み解いてはいたのだが、今回あくまで心配の意で言葉を投げかけた理世ちゃん相手でも、本心では無かったとはいえ、友達に対して不義理な事をしてしまった罪悪感に耐え切れず、思わず目に涙を浮かべ、更にはラビットハウスに着いてからも、最早どの様な立ち振る舞いで生きていけば良いのか分からず、悲観に暮れて泣いてしまっていた辺り、夏明ちゃんがとても精細な心の持ち主だと思い知らされるには十分だった訳である。

 何れにしても、気になるのは「何故神沙姉妹の2人がここまで精神的に不安定になってしまったのか」だが、その答えはやはりと言うか何と言うか、2人が受けたブライトバニーのアルバイト面接に落ちてしまった事であり、それが2人にとっては「ありのままの自分を認めて貰えなかったからダメだった」と、自分達の素の人格が良くなかったから落とされたと思い込み、それ故にどの様な立ち振る舞いを人前で見せれば良いのか分からなくなり、昔の様に傷付いてしまう事に対する恐怖から、あの閉鎖的な立ち振る舞いをしようとした訳である。私もアルバイトの面接で普通に落ちてしまった苦い経験がある為、ある程度は分かるのだが、落とされた際には本当に「自分の何がいけなかったんだ。はっ!もしかして自分は、ありのままの自分ではダメなのか……。」と、神沙姉妹の2人の様に自責の念が働き過ぎてしまうが故に、必要以上に自分自身を追い詰めてしまう事も、経験が少ない内は十分あり得るものであり、それ故に私としても神沙姉妹の2人が見せた混乱ぶりが痛い程良く分かった。尤も、私の場合は今回神沙姉妹が見せた様な極端な発想までには至っていないのだが、それは私が「たまたま神沙姉妹の様にはならなかっただけ」で、私自身の立場や性格、そして置かれている状況が違えばどうなっていたのかは全く想像がつかず、故に私も神沙姉妹の様に視野狭窄に陥り、冷静に考えてみればあり得ない発想に囚われてしまっていた可能性は十分にあったと思う。

 また、今月号序盤における神沙姉妹の立ち振る舞いを見ていて、彼女達は自暴自棄気味な事を口に出していたとは言え、本当は2人共「ありのままの自分でいられるのが何よりも嬉しく思っている事が分かる」のが、個人的には凄く嬉しくもあり、凄く安心したものである。繰り返す様に神沙姉妹は前述した様な経緯から、長らく自分の気持ちを偽る様な人生を送っていた為、本来の自分を周りにもきちんと見せながら生きていく事に対して恐怖心や抵抗感を抱いていないかと、私自身懸念が少なからずあったのだが、今月号において他者からの評価に対する恐怖心はあったとしても、どれ程自分を偽り続けていた過去があったとしても、神沙姉妹は自分を偽る様な生き方は望んでおらず、ありのままの自分を見せられる人生を送りたいと考えていた事が分かったのは、私にとっては心に突き刺さる様な内容であるだけでなく、長らく私自身の心のどこかで抱えていた、根拠不足故に肯定も否定も出来ないと言うもどかしい懸念を払拭してくれる様な有り難い内容でもあった訳である。

 しかしながら、この時点では神沙姉妹の本来の性質が、育ち故にやや世間とズレている点を除けば基本的に良き人格者である事が判明したのと同時に、その本質が否定されてしまったと言う構図が成立していた為、私としてはかなり複雑な気持ちだった。勿論、私は「本来の神沙姉妹が真っ当な人格者なのだから、素の性質が相応しくなかった為に面接に落ちてしまったなんてあり得ない」と思っていたし、実際に神沙姉妹の性質が問題で面接に落ちてしまった訳では無かったのだが、この時点ではまだ知る由は無く、複雑な気持ちである事から脱却するのは叶う筈もなかった。

真実を知る恐怖と真実を知る重要性

 ここまで序盤で見せた神沙姉妹が陥ってしまった憔悴ぶりについて書き出してきたが、抑々神沙姉妹がここまで憔悴する羽目になってしまったのは、神沙姉妹の2人が面接に落ちた理由をお店側から聞く前に、真実を知る事に対する恐怖故に逃げ帰ってしまったからなのだが、神沙姉妹は真実を知る事に対して恐怖を感じている一方、真実から逃げてはいけないとも自覚している事から、如何なる場合でも2人を責める事は出来ない。私もそうなのだが、真実を知るべきだと分かっていても、いざ知ろうとすると途端に知るのが怖くなってしまうのは良くある事であり、私としても神沙姉妹の様に「真実はどんなに怖くても知るべきだ」と意識していても、いざ知ろうとすると「やっぱり真実を知るのは怖い。逃げられるなら逃げたい……。」と思う事はザラにあるし、何なら「このまま知らない方が人生幸せに生きられるよ」と、自分の中で真実から完全に目を背ける事を正当化してしまいたいと思う事すら、条件が重なれば全然あり得ると思う。無論、そんな正当化は本当に一時しのぎなもので、本質的には全然意味をなさない行為である為、私としてはそんな逃げの手は出来るなら使いたくないのだが、真実を知る恐怖と言うものは、時に自分の中で固く誓った価値観すら都合良く解釈を変えてしまればどんなに楽かと思う程凄まじく、また文字通り恐ろしいものなのである。

 だが、今月号の中盤で神沙姉妹が面接に落ちた本当の理由が明かされた時、私としては改めて「真実を知る事の重要性と、そこから逃げてはいけない理由」について考えさせられたと思う。何故なら、明かされた本当の事実と言うのは、神沙姉妹がブライトバニーの採用面接で落ちた理由に「彼女達の性質の問題」と言うのは一切無く、本来は「店長が見せたある種の優しさ故」だったからだ。これがもし神沙姉妹が真実を知る事から恐怖故に何時までも逃げ続け、それ故に彼女達が何時までも「ありのままの自分がいけなかったんだ……。」と言う誤った思い込みをやり続けていたらどうなっていたのか……、想像するだけでもかなり恐ろしい話であり、私としては私自身の考えがあまりにも悲愴的である事から、ごちうさは所謂「もしも」の話が豊富にあるとは言え、容易には記事に書き出せないと思う程である。

 尚、自分達が面接に落ちた本当の理由を知った神沙姉妹は、「ありのままの自分達を見せた事が原因で落とされた訳では無かった事」を知れた事で、思わず堰を切った様に涙を流しており、お互いがありのままでも良いのだと噛み締めていたが、これもある意味「真実を知る事から完全に目を背けなかったから知れた事」であり、そこに至れたのには、神沙姉妹にとっては自分達の人生を大きく変えてくれた存在でもある「心愛ちゃん達の協力」があってこそだったのは言うまでも無いだろう。尤も、神沙姉妹としては友達に自分達の悩みや何か自分が躓いている事を共有させるのは迷惑にならないかと考えている節があり、私もその気持ちは良く分かるが、心愛ちゃん達にとっては「悩みや何か自分が躓いている事を気軽に相談できる相手こそが、自分達を大切に想ってくれる友達」である為、神沙姉妹としてはもっと気軽に友達の事を頼って良いと私は考えている。

 また、「神沙姉妹としても友達に対して自分の悩み事に関する事で頼っても良い」と言う事に関しては、冬優ちゃんが智乃ちゃんとの電話で見せた反応が象徴的であり、冬優ちゃんとしても同じブラバ組として、神沙姉妹が何かに躓いているのなら力になりたいと考えているのだが、当の神沙姉妹は「自分達が面接に落とされた理由が分からず悩んでいる事」を冬優ちゃんには直接相談してはいなかった為、冬優ちゃんがそれをしてかなり不満そうな心境を智乃ちゃんにぶつけていたのである。私としては「冬優ちゃんの気持ちも分かる」と言った限りだが、神沙姉妹は「たまたまそれぞれ心愛ちゃんと理世ちゃんに引き止められたから話せたとはいえ、もし誰にも引き止められなければ、恐らく自分達が抱えている悩みを誰にも話す事はなかった」と言った事が、今月号の流れや彼女達が明かした心境からある程度は想定できる為、神沙姉妹に悪気は一切無かったと私は考えているが、一方で同じブラバ組でありながら気軽に相談してこない事に対して不満に思う程に神沙姉妹2人の事を考えてくれる友達がいる事は、神沙姉妹にとっては凄く幸せな事実である事を物語っているとも考えている。その為、今回の件でブラバ組が多少言い合いになる可能性こそあるものの、真実をきちんと話せば、本格的な争いとまでは至らずに丸く収まるとは思う。

神沙姉妹が見据える境地

 真実を知る事に対して恐怖に慄きながらも、友達と共に聞くと言う形で真実を知る道を選び、最終的には元の自信を取り戻した神沙姉妹だが、そんな2人を見て私が凄いと思ったのは、どの様な理由にしても、ブライトバニーの面接には落ちてしまい、次に採用されるチャンスが何時になるかすら分からないにも関わらず、神沙姉妹の2人はそれでも諦めずに更なるリベンジを誓った事である。私の場合、神沙姉妹の2人の様に「たとえ何度落ちてしまっても、諦めずに同じ所に挑戦し続ける」という発想をとても実行には移せないと思うし、それこそ「際限なく落ち続ける可能性が常につきまとう恐怖」を考えれば、やはり私にはとても無理だと思ってしまう為、神沙姉妹の2人は凄いと思った訳だが、神沙姉妹も全く理由なくその様な誓いを立てている訳では無く、しっかりとした信念があるからこそ、その様な事が可能になる訳であり、その理由に関しては、映月ちゃんと夏明ちゃんでは少々異なっているとはいえ、共通しているのは2人共に「2人してブライトバニーで働く事こそ、今の自分が目指したい理想の境地」という事であり、それに向けてはどんな努力も苦労も惜しまないのがはっきりと分かる様になっており、その事を思えば、神沙姉妹にとってブライトバニーで採用されると言う事は、自分達にとって大きな意味を持つ事であるのは明白だと言える。

 ただ、この時の神沙姉妹は2人共に「ありのままの自分でいても良い」と認められた事を知れた悦びもあってか、今月号前半で見せていた様な悲観的な姿が嘘かの様に、浮かれ気味且つ自信過剰気味な姿を見せていた為に理世ちゃんから心配されており、私としてもその浮かれぶりから理世ちゃん同様「こんな調子で本当に大丈夫?」と心配になったものだが、一方で「神沙姉妹が見せる様な自信を持った方が、物事は案外上手くいきやすいものだ」という考えも私にはある為、結局の所私は理世ちゃんと違って、自信満々の神沙姉妹に対して、多少は心配に思いつつも最終的には「そうだよ。その意気だよ!」と言う考えに行き着いた為、理世ちゃんからはお灸を据えられそうだが、私はなんだかんだ言って根が楽観的なタイプなので、神沙姉妹が過剰なまでの自信に満ち溢れているのが純粋に喜ばしかった上、誇張もボケも抜きで「本人達がその位自信があるならそれで良いと思う。」と言う結論に行き着いたのである。

 思えば神沙姉妹は「ブライトバニーの社長令嬢」である為、父親(社長)からしてみれば必然的に娘達2人が、自分が社長と務めている会社に(アルバイトとは言え)入社しようとしている構図が成立する事から、ブライトバニーの社長としてもそうだが、神沙姉妹の父親としても2人の事をどう思っているのか少々気になる所ではある。私としては、何だかんだ言っても神沙姉妹の父親が、厳しそうに見えて実はとても家族想いな所が度々現れているを思えば、色々思う事があっても最終的には2人が選んだ道を尊重してくれる(と言うかそうあって欲しい)と考えているが、真相はいかに。

皆で作り上げる新境地

 今月号の後半では、心愛ちゃん達の尽力もあって元の自信を取り戻した神沙姉妹の2人が、自らの夢の実現のために尽力する姿がとても印象的であり、しかも神沙姉妹の2人の為に心愛ちゃん達が「神沙姉妹の猛特訓の計画」を立ててあげており、これは神沙姉妹もといブラバ組が、木組みの街の住人にとっては「かけがえのない友達」である事を改めて感じさせる場面としても機能していると考えている。

 ただ、私としてはここでも気になった事がいくつかあり、一番大きかったのは、心愛ちゃんが言う「神沙姉妹の猛特訓と言うのが何か、その詳細が本人の口から読み手に分かる形で言及されていない事」であるが、実の所これまでも重要な場面で心愛ちゃんの心境が伏せられる事は少なくなく、今回も本人の口からは「何故その様な計画を思い立ったのか、またその意義は何か」と言った具体的な言及が、読み手に直接分かる様な形では言及が無かった事で、心愛ちゃんの計画の真意を探るのが難しくなっている訳だが、今回も伏せられているが故に興味深い考察が出来る様にもなっている為、私としては正直「敢えて大事な所を伏せてくれて有難うございます。」と言う気持ちも無くは無いのだが、何れにしても今回の「神沙姉妹の猛特訓」は、「友達を想い、友達の為にできる事は何か、それをよく考え、全力で行なっていく」と言うごちうさの良さが前面に表れた内容だと考えており、非常に尊き内容になっていると捉えている。

 そして、今月号の最後では、智乃ちゃんとティッピーが対話をすると言うシーンがあるのだが、個人的には「そこで語られた内容こそ、この物語の真髄を体現すらしている」と思う程に考えさせられる内容であった為、個々の場面で明かされた内容についても考察を深めてみたいと考えている。因みにティッピーは、作中を見る限り「元々は普通のうさぎだったが、何らかの理由によって智乃ちゃんの祖父の魂が乗り移った存在に変化した」となるのだが、何故ティッピーに智乃ちゃんの祖父の魂が乗り移ったのか、その事については物語開始から現時点での最新話に至るまで一切言及されていない為、ティッピー周りに関する真相は殆ど分からないのが現状である。しかしながら、青山さんのキャラソンである「うさぎになったバリスタ」では、孫である智乃ちゃんの事を強く想う祖父の心境が見え隠れしており、私としては「このキャラソンには、智乃ちゃんの祖父が何故うさぎになったのかと言う問いに対する、何か重要な答えが隠されている」と思う程、謎を解く重要なカギとして捉えており、故に「全くもって解き明かす術がない訳ではない」のは明白だと思う。尤も、それでも非常に難解なのは事実だが……。

猛特訓の真意

 今月号後半においては、神沙姉妹がブライトバニーの面接合格を勝ち取る為に、心愛ちゃん発案のもと、心愛ちゃんが甘兎庵の看板娘である千夜ちゃんと、フルール・ド・ラパンでアルバイト勤務をしている紗路ちゃんに働きかける形で協力を依頼し、それぞれの喫茶店の合意*1を経て、神沙姉妹の猛特訓計画を遂行するものであり、私は「これで神沙姉妹の面接スキルがさらに向上するのだろうなぁ。」等と考えていた。因みに甘兎庵では恵ちゃんが、フルール・ド・ラパンでは麻耶ちゃんが既にアルバイト勤務を始めており、今月号においてもそれぞれ神沙姉妹の猛特訓に協力しており、これも中々に心打つ内容となっている。

 だが、私が立てた上記の様な考えは本編を読み進めていくにつれてどんどん陰りが見える様になり、最終的には「これは一体何の特訓なのだ?私にはもう全然分からないよ。」と、思わず困惑を隠さずにはいられなかった。と言うのも、神沙姉妹が面接に受かる為に猛特訓をすると言うのだから、私はてっきり「『面接官と面接を受ける側』と言う構図を見立てた上で練習を積み重ねる、所謂よくある面接対策の猛特訓」かと思っていたのだが、本編を見る限りでは、どちらかといえば「喫茶店における接客や、接客の際に見せる態度や笑顔に関する特訓」が中心に描写されていた為、言うならば「喫茶店で働く事そのものの特訓」という趣旨が強くあり、それ故に自分が想像していたものと違っていたと言う印象が強く刻まれたからである。しかしながら、冷静になって考えてみれば、今月号で描写されていた様に「喫茶店で働く事を見据えた特訓」を中心に行う事は、茶店で実際に働く為に必要なスキルや意気込みをより実践的な形で経験を積めると言う事に繋がっている為、今月号で行っていた事の方が、私が想像していた方法より遥かに理に適っているのは明白であり、それ故に最終的には「単に私が早合点をしていただけだった」と言う情けない結果に終わった訳だが、同時にそれをして「心愛ちゃんはなんて凄い提案力の持ち主なのだろう。」と考えたものであり、ここから「詳細が伏せられている、心愛ちゃんが提案した猛特訓の内容の真意」について考察してみようと思い立ったのである。

 そして、私は「抑々心愛ちゃんがどの様な真意を込めて、神沙姉妹に計画を提案したのか」と言うものを考察してみる事にしたのである。ただ、これに関しては、明かされている情報が少ないが故に解き明かすのが難しく、私としてもかなり悩ましかったが、それでも心愛ちゃんの計画を聞いた千夜ちゃんと恵ちゃん、紗ちゃんと麻耶ちゃんそれぞれの喫茶店組が見せた行動を読み解けば、心愛ちゃんは「神沙姉妹にガチガチの面接対策を施したかった」と言うより、神沙姉妹には「面接に受かる様な訓練だけでなく、実際の喫茶店で働く経験を通して、喫茶店で働く事の楽しさを知って貰いたかったのではないのか」と思えてやまない。何故なら、これにより神沙姉妹は「より面接に受かる為のスキルアップができるだけでなく、喫茶店で働く事の楽しさや境地を知れる」と考えられるからであり、この事はそれぞれの喫茶店組が見せた猛特訓の内容を見れば大方推察できると捉えている。

 つまり、私は心愛ちゃんが発案した「神沙姉妹の猛特訓の真意」と言うものを「神沙姉妹には実際の現場で経験を積む形で『喫茶店で働く事の意義』をその身で体感して、その経験を活かして面接のスキルアップに繋げてくれれば良いのではないか」と言う形で捉えている訳であり、この根拠は前述の通り「今月号における猛特訓の内容が、単に面接に受かる為の対策とは一味違うものだった」と言う所から来ている。その為、私としては「心愛ちゃんとしては、神沙姉妹には実際の喫茶店で働く楽しさを教える形で、面接に向けて頑張ると言う意思をもって欲しかったのかな。」とも感じ取っているのだが、本当の所は心愛ちゃんのみぞ知る事であり、私はそれを推察しているだけに過ぎない。しかしながら、今月号の流れを見るに、心愛ちゃんには神沙姉妹の猛特訓に対してただならぬ想いがあったのはほぼ間違いないだろうし、神沙姉妹にしても心愛ちゃんが込めた思いが伝わっているとは感じている。尤も、最終的にはどうなるか現時点では全く分からないが、個人的には神沙姉妹が良い結果を勝ち取れる様に願っている。

神沙姉妹の意外な素性

 ここまで心愛ちゃんが立てた「神沙姉妹の猛特訓」について考察した内容を書き出してきたが、この他にも個人的にはその猛特訓中に見せた「神沙姉妹2人の意外な一面」も見逃せなかった。その意外な一面と言うのは、映月ちゃんなら「接客の際のノリがかなり良く、それぞれの喫茶店が持つ独自の雰囲気にもいとも簡単に馴染める事*2、夏明ちゃんなら「紗路ちゃんと麻耶ちゃんの前では威勢の良い面持ちだったのに、いざ接客となると途端に舌足らずになって狼狽えてしまうと言うかなりの内弁慶ぶりを見せた事」であり、どちらの場合も2人がその様な傾向にある事自体は今までもちょくちょく見えていたとは言え、今回この様な形ではっきりと突き付けられた事は、私としては「何か意味が込められている事かな。」とも感じている。

 また、神沙姉妹が見せた意外な一面に対して私としては、映月ちゃんの場合は「ノリが良く、店の雰囲気に染まりやすい事は良い事だと思うし、心配に思う事があるとするなら、ノリが良過ぎるが故に却って支障をきたしてしまう事がある事位。」なもので、故に「映月ちゃんなら大丈夫だと思う。」と言った所だが、夏明ちゃんの場合は全く別で、「気を張り過ぎていると感じられるし、それ故に裏方では威勢よく出来ているのに、いざ表に出ると途端に舌足らずになっているから、もう少し普段からリラックスして接客に望んだほうが良いのでは?」と思う程、夏明ちゃんに対しては心配に思う事が沸き起こったものである。ただ、夏明ちゃんに関しては元々「普段から気丈に振舞っているが、実はそこまで気が強い訳では無い」と言うのは分かっていた為、ある意味この猛特訓で夏明ちゃんの素性がもろに出た事になるのだろうが、それ故に自分の特性を推し量る良い機会と巡り逢えたとも考えられる為、夏明ちゃんが生真面目且つ面倒見の良い性格故に気をどうしても張りがちなのは理解できるのだが、喫茶店で勤務をする時位は自分の無理なく、映月ちゃんの様にのびのびと望んで欲しいと思うばかりである。

 更に言えば、甘兎庵で特訓した映月ちゃんにとっては恵ちゃんと、フルール・ド・ラパンで特訓した夏明ちゃんにとっては麻耶ちゃんと言う同学年と一緒に頑張っていると言う構図があるのだが、映月ちゃんと恵ちゃんはお互いに波長が合う事もあってか、今回も普段通りおっとり仲良しな雰囲気が中心的だったのに対して、夏明ちゃんと麻耶ちゃんに関しては、本来はお互いの事を想い合った良き友達関係なのだが、お互いに「負けず嫌い」と言う部分が似ている事と、性格が似ているが故にどうしても意地を張りがちな事もあってか、お互いが自分の主張を一切曲げずにヒートアップして、そのまま言い争いに発展する事も少なくなく、今回の特訓においても例に漏れず、お互いに接客態度についてダメ出しされる事にイライラしながら言い争いをして、先輩である紗路ちゃんを思わず複雑な気持ちに追い込んでいる。ただ、それでも恐らく紗路ちゃんも麻耶ちゃんと夏明ちゃんの関係性については、自分にとっての幼なじみたる千夜ちゃんとの関係性の事もあって良く理解しているとは思うのだが、やはり麻耶ちゃんと夏明ちゃんは同学年と言う事もあって、お互いに「麻耶(夏明)だけには言われたくない!」と言う気持ちがどうしても芽生える上に、同学年があるが故にお互いに大人な対応を見せにくくなり、更にお互いに中々素直になれない性格なのも相まって、本当はお互いに友達として大切に想っているとは言え、2人の性格上どうしても言い争いになってしまう事があるのも、ある程度は仕方ないのだろう。

 そんな神沙姉妹だが、この色々な意味で盛り沢山な猛特訓を経て「絶対にブライトバニーの面接に受かってみせる」と言う決意を新たにした様で、2人共に冬優ちゃんに向けて「いつか必ず3人でブライトバニーで勤務しよう」とメッセージを送っていたのは大変に印象的であり、この事実は神沙姉妹にとっても冬優ちゃんは大切な存在である事と、冬優ちゃんと神沙姉妹2人を合わせたブラバ組を神沙姉妹も大切に想っている事が良く分かると捉えている。今月号において冬優ちゃんは、神沙姉妹に対して自分の事をどう思ってくれているのか不安に思っていた場面があった為、この様な事実は冬優ちゃんにとっても凄く嬉しかったと思うし、今後ブラバ組が更なる成長を遂げていくのは明白だと考えており、総合的に見るならば、神沙姉妹の猛特訓はブラバ組の結束を高める意味でも大成功だったと思う。

目指すべき理想像

 今月号は基本的に「神沙姉妹の奮闘」が中心となっているが、終盤の局面は例外的に「智乃ちゃんと、ティッピー(智乃ちゃんの祖父)の対談」となっており、ここでは個人的に「人生観」について本気で考えさせられるものがあると思う程、ティッピーから放たれた言葉にいたく感銘を受けた。と言うのも、自分(智乃ちゃんにとってのおじいちゃん)がずっと掲げていた理想を大切に慮り、どの様な事があってもその意思を継ごうとする智乃ちゃん相手に智乃ちゃんの祖父は、「目指すべき理想像は人それぞれあるのではないか」と言った趣旨の言葉を投げかけたからであり、これに対して智乃ちゃんはその抽象さ故に困惑気味だったが、私としては「これこそごちうさの根幹にも関わる思想だ……!」と感じるほかなかったからである。

 抑々智乃ちゃんの祖父は、喫茶店に対する理想像を所謂「隠れ家的な喫茶店に置いており、ラビットハウスがシックで落ち着いた雰囲気をイメージして調律されているのも、正に智乃ちゃんの祖父の理想像が込められている証であり、故にその様な環境で育ち、祖父の影響を受けてバリスタになる事を夢みた智乃ちゃんが「祖父の理想像が込められた喫茶店を守りたい」と思うのはある意味当然の成り行きだっただろうし、またその事を智乃ちゃん自身の意思で決めていた事に、智乃ちゃんの祖父としても嬉しかったのはまず間違いなかったと考えている。

 しかしながら、智乃ちゃんは現在の高校1年生の時から遡る事2年前(つまり物語開始時点)、自身にとって最早欠かす事など出来ない存在であり、人生の大きな分岐点ともなった心愛ちゃんとの出逢いを経て、心身共に大きく成長し、そして嘗てとは見違える程様変わりした。勿論、智乃ちゃんは今でも現在進行形で成長を遂げているのは言うまでも無いが、彼女がその成長の過程を歩んでいく事に伴う形で、昼間のラビットハウスの雰囲気も「シックで落ち着いた雰囲気」から、徐々に「沢山のまほうで溢れた、幸せを象徴する賑やかな空間」*3に変化した事で、智乃ちゃんの祖父は徐々に「自分が持っていた喫茶店の理想像と、智乃ちゃんがやるべき喫茶店の理想像は全く違うのではないか」と考える様になり、今月号において智乃ちゃんが「喫茶店の理想像」についての話を持ちかけた事で、遂に智乃ちゃん本人に向けてあの様な事を言ったのではないかと私は考え、そして同時に私はこの様な考えに至った事で、智乃ちゃんの祖父が智乃ちゃんに向けて送った言葉を「これこそ正に豊富な人生経験に裏付けされた言葉であり、人生観をも覗かせる力を秘めている。」だと考えた訳である。

 色々と長くなったが、まとめると私は今月号における智乃ちゃんの祖父の発言を、簡単に言えば「智乃は自分(智乃ちゃんの祖父)とは違う理想像の喫茶店を作っても良い、寧ろ作るべきなんだ。」と捉えた訳であり、その様な事を祖父が発した理由として「今まで智乃ちゃんが心愛ちゃんと出逢ってから作りあげてきた数々のラビットハウスの姿を見て、智乃ちゃんには智乃ちゃんにしか作れない喫茶店の理想像があると考えたから」と言うのが考えられる訳である。ただ、当の智乃ちゃんは自信の祖父がくれた言葉に対して、その難解さ故に困惑の色を隠せていなかった訳だが、これに関しては智乃ちゃんも成長著しいとは言え、それでもまだ高校1年生の10代半ばである為、ある意味良く分からないのが普通なのであり、故に私としても違和感は殆どなかったし、同時に「これから智乃ちゃんが大人になった時、この時自身の祖父からかけられた言葉の意味をその身をもって理解すれば良い」と考えている。そして、その時彼女はどんな想いを抱くのか、それは現時点では誰にも分からないが、きっと彼女にとって感慨深いものになると思う。

3.あとがき

 以上がきらま2022年4月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は前回同様「ほのぼのとした雰囲気」が中心的ながらも、近年のごちうさにおいて度々表れている「独特ながらも異質な雰囲気」がそこはかとなく存在していたとも感じ取っており、故に今月号においてもどの様な角度から捉えるべきなのかを推し量るのが難しかった面があったのだが、その一方で今月号も非常に心温まる結末が待っていた事から、何だかんだ言っても最終的には「今月号もとても良き内容だった。」となったのは言うまでもなく、総じて言えば今月号もごちうさらしい上質なお話だったと捉えている。

 今月号は神沙姉妹の2人が中心的な回であり、それ故に神沙姉妹の様々な一面が見えてきた回でもあったと考えているが、個人的にはその内容全てが凄く意味のある事だと考えており、その中でも今まで2人がさほど見せてこなかった本心からの想いや、偽りの自分を演じるより、ありのままの自分でいる事の方がよほど楽しく幸せだと言う想いをはっきりと知る事が出来た時、私はとても喜ばしかったのと同時に、神沙姉妹もこの様な想いをずっと秘めていた事を知って何処か安心した想いもあった。何故安心したのかと言えば、神沙姉妹が本当にこの様な想いを持っているのかハッキリと分かったからというのもあるが、それ以上に神沙姉妹も長らく不本意な環境下に置かれ続けながらも、根本に持ち続けていた想いは、今に至るまで変わる事はなかった事に感銘を受けたのが大きかったからである。

 そして、今月号の最後では智乃ちゃんと智乃ちゃんの祖父が「目指す喫茶店の理想像」について対談をしていたが、個人的にはこの場面にはごちうさと、ごちうさにおける人生観の真髄にも通ずる何かがある」と思う程に感銘を受けた一方、智乃ちゃんの祖父にしても高校1年生の智乃ちゃん相手にその様な「理想ひいては人生観にも通ずる話」を持ちかけてくるのも中々凄いとも思った。無論、私には智乃ちゃんの祖父がどの様な心境や想いをもって智乃ちゃんにあの様な話を授けたのかを知る由はない訳だが、どの様な事情があるにしても「何か深い意味がある」と考えるにあたって不足はないだろう。

 最後に、今月号では神沙姉妹がとても感情性豊かで様々な一面を見せてくれたのがとても印象的だった事と、終盤の展開に秘めた「人生観と理想像」について考えさせられる事はとても感銘を受ける内容だった事を改めて強調して、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙39枚分であり、前回の3月号のごちうさを読んだ感想・考察に比べると多少増えた結果となった。毎度の事だが、ここまで安定して書き出せているのも私が持つごちうさ愛がなせる技だと思えば、私としても感慨深い。

*1:フルール・ド・ラパンなら店の店長だと言及されているが、甘兎庵に関しては特に何も言及されていないのが地味に気になる点である。尤も、あのノリの良い看板娘と、実はその看板娘をも超えるノリの良さを持つ千夜ちゃんの祖母の事だから、何だかんだ言ってもあっさり快諾するのは容易に想像できるが。

*2:但し、あまりにも馴染み過ぎたが故に支障をきたしていた場面も見受けられる為、一長一短気味なのが玉に瑕。

*3:ラビットハウスにおける2度目のクリスマスパーティーや、ラビットハウスで開かれる誕生日会が代表的であるが、他にも度々開かれる「集まり会」でもその雰囲気は十分兼ね備えていると思うし、他にも挙げれば枚挙に暇がないと思う。