多趣味で生きる者の雑記帳

現在は主にごちうさに対する想いについて書いています。

きらま2022年2月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。遂に今年最後のきらま発売日を迎えましたが、私自身は特に変わりなく、今まで通りごちうさについて思った事・感じた事・考えた事を率直に書き出すのみです。それが、私がごちうさに対して成し得たいと考えている事でもある限りは、余程の事がない限り永久にと……。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年2月号掲載のごちうさの感想・考察を書き出したいと思います。今月号は先月号や先々月号とは異なり、一貫した時間軸の中で物語が進んでいく構成の中で、成長について考えていくお話となっていますが、それ故に自分自身の人生観にも大きく関わってくると個人的には考えているので、今月号は先月号と同様にロマンチックな感性を意識しつつ、己の人生観や価値観にも問いかける様な内容にしたいと思います。

※注意※

最新話及び原作コミック10巻まで及び11巻の範囲のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は全て個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は、先月号や先々月号の様な「場面によって時間軸や世界観が大きく異なる構成」を採っておらず、終始現実世界でお話が進んでいく構成を採っている。それ故にある意味「何時ものごちうさらしさ」が久々にお目にかかれると言う訳になっているが、今月号も先月号や先々月号の様な感動的な描写や、原作10巻収録話の様な回帰を意識した描写もしっかり用意されており、総じて言うなら11巻の序盤に相応しい内容になっていると言える。

 また、今月号はチマメ隊とりわけ麻耶ちゃんに焦点が当てられており、その内容も「精神的な成長における悩み」と言う部分が色濃く表れており、高校生になって徐々に大人と言うものを意識していく中で、今の自分とのギャップに想いを馳せるのが良く分かる様になっている。今回なそんな麻耶ちゃんの心境に深く焦点を当てつつ、先月号の様な感性を持った率直な想いを書き出したいと思う。

2.購読した感想・考察

お茶会までの歩み

 前述の通り今月号は主にチマメ隊に焦点が当てられているが、序盤と終盤においては他にも神沙姉妹の2人にも焦点が当てられており、それぞれが精神的に成長した大人っぽい一面や、まだまだ年相応の子供らしい一面を見せる部分がポイントになっている。因みに今月号の全体を通して高校1年生組は冬優ちゃん以外の5人が登場している。今月号においては冬優ちゃんだけが一切登場しないのは、冬優ちゃんは今までにも深く焦点が当てられたお話があった事や、マヤメグに関しては最近そこまで中心的な焦点が当たってこなかった為、そのマヤメグを中心に焦点を当てる構成にした為に敢えてそうした事が考えられる。また、冬優ちゃんは同じ学校の同級生の智乃ちゃんと特に深い親交があるので、チマメ隊3人の繋がりをフォーカスしようとする際に冬優ちゃんも一緒に登場させると、どうにも中途半端な状態になる可能性も大いに考えられる事や、実際にその中途半端な状態になる事を未然に回避するパターンとして、今月号において登場している神沙姉妹も、基本的には学校が同じであるマヤメグの2人のみに絡みがあり、智乃ちゃんとの絡みは意図的とも思える位に描写がされていないのである。この事からも、上手くバランスをとる為にはある程度仕方が無いのだろう。

 そんな今月号だが、序盤からして早速「大人なのか子供なのか」と言わんばかりにマヤメグの掛け合いが始まり、そこに夏明ちゃん、映月ちゃんと加わっていき、神沙姉妹とは智乃ちゃんの合流前に別れるものの、そこからすぐに智乃ちゃんが加わり、最終的にはココ千夜を加えて「大人と子供」についての掛け合いがあると言う展開がお茶会直前まで続く様になっている。ここからそんな5人が見せる「序盤における大人っぽさと子供っぽさの傾向」を個人的な解釈で細かく紐解いていこうと思う。尚、中盤以降における変化はその都度書き出すものとする。

 まず麻耶ちゃんは序盤においては子供らしい一面が強く表れていると考えている。これは久々のお茶会を一番楽しみにしているのが麻耶ちゃんである事や、自分が一番小柄な事を利用して心愛ちゃんに可愛がられるように誘導させている事や、何より麻耶ちゃん本人が「子供っぽい事を自認して肯定的に捉えている(=子供で良いと考えている)事」や、彼女が持つ子供っぽさや小悪魔さが色濃く表れているが根拠であり、元々人から可愛がられるのが上手い麻耶ちゃんの子供っぽさが特に表れている事からも、序盤における麻耶ちゃんは「子供っぽさが色濃く表れている」と言える。ただ、そんな子供っぽい一面をポジティブに捉えている麻耶ちゃんも夏明ちゃんに子供だと思われるのだけは心底嫌な様で、夏明ちゃんから子供扱いされた時は血相を変えて子供っぽい一面がある事を否定している。尤も、「子供っぽい」と人から言われて、やたらムキになって必死に否定する一面を見せれば見せる程、自分が「子供っぽい一面がある」と言いふらしている様なものなので、ある意味夏明ちゃんの思う壺なのだが……。

 一方そんな麻耶ちゃんとは幼馴染の恵ちゃんは、序盤においては子供っぽい麻耶ちゃんを見てやや客観視した態度をとっている事や、どの様な場面においてもむやみやたらに感情を表に出さずに冷静な立ち振る舞いを見せている事から、序盤においてはどちらかと言えば「大人っぽさ」が目立っており、それを感じさせる姿としてあらゆる場面の受け答えや状況に対して極めて冷静な立ち振る舞いを見せており、それは智乃ちゃんと合流した後、どんどん成長していく高校1年生組を見てやたら子供っぽい振る舞いや発言をする心愛ちゃんを見ても殆ど変わっていない*1。その為、序盤においてはチマメ隊の中でも「一番大人っぽく落ち着いた雰囲気」を持っている印象が強いが、そんな恵ちゃんも夏服バージョンの制服智乃ちゃんを見てぴょこぴょこ喜ぶ等、子供みたくはしゃぐ場面も存在している。

 次は序盤においてマヤメグのみが合流している神沙姉妹についてである。序盤において神沙姉妹は「ブライトバニーのバイト面接に行く事」をマヤメグに報告する為に合流しており、それ故にマヤメグからも「大人っぽい」と思われる程大人びた雰囲気を帯びている。因みに神沙姉妹はブライトバニーの社長令嬢(つまり社長の娘)である為、コネクションを使えばなんとかなりそうなのは想像に難くない事であり、実際麻耶ちゃんからもそれ(コネがある事)を指摘されているが、本人達はあくまで「実力勝負」に拘っており、権力やコネに溺れたり驕(おご)ったりせずに、正々堂々と真正面から戦いに身を投じる姿は、マヤメグが言う様に私も神沙姉妹は大人っぽくてかっこいいと思う。勿論、結果が伴うかどうかは全くの別問題だが。

 次は智乃ちゃんである。マヤメグと合流した後の智乃ちゃんはやや複雑だと感じており、そう思うのはマヤメグと言う2人でやり取りしている時には「大人っぽさ」が目立っているが、そこに心愛ちゃんが絡むと途端に「子供っぽい」一面が垣間見える様になっていると感じられる為である。そして、それを象徴するのが「智乃ちゃんの表情の違い」であり、マヤメグとやり取りをしている時の智乃ちゃんは、成長した姿の賜物とも言える様な「凛々しく堂々とした大人な表情」を見せているが、心愛ちゃんがチマメ隊の成長を見て子供っぽい振る舞いをしている際には、智乃ちゃんも「どこか妬いている様にも見える、子供っぽい膨れ顔」をしているのである。この事実は、智乃ちゃんにとって「心愛ちゃんにはどうやっても敵わない」とも見て取れるが、一方で智乃ちゃんも「心愛ちゃんには何か特別な想いを抱いている事の証」とも見て取れる。勿論智乃ちゃんにとっては最早姉と言っても差し支えない心愛ちゃんを含めた友達皆が同じ様に大切なのだが、こと心愛ちゃんに対しては、自分にとってのお姉ちゃんなのも相まってどこか特殊な想いを持っているのが読み解ける。

 ここまでがお茶会までの高校1年生組5人の「子供っぽさと大人っぽさ」の違いである。大雑把に傾向を説明するなら「映月ちゃんを除き、普段の立ち振る舞いがそのまま反映されている傾向にある」と言え、普段から大人びた雰囲気を持つ智乃ちゃん*2、恵ちゃん、夏明ちゃんの3人に関しては序盤においてもそのまま大人びた雰囲気が中心に、一方で普段からやや子供じみた雰囲気が目立つ事も多い麻耶ちゃんはそのまま子供っぽさが色濃く表れている。唯一違うのが映月ちゃんで、映月ちゃんはどちらかと言えば子供っぽさが目立つ人物*3であるが、こと今月号の序盤においては嘗て原作10巻にあたるお話の様に、フルール・ド・ラパンの為に一大決心した上で、自身の父親でもあるブライトバニーの社長に直訴した時の様な大人っぽさを帯びている。また、智乃ちゃんに関しても今月号における心愛ちゃんとの絡みを見れば、普段とは違う「子供っぽさ」が出ている様に見えるが、あくまでそれは基本的に「心愛ちゃんに対してだけのもの」なので、今回は敢えて枠組みから外している。因みにココ千夜についてだが、千夜ちゃんに関してはいつも通り「皆のお姉さん」と言った感じであり、ある意味平常運転なのだが、心愛ちゃんが色んな意味でエンジンがかかっており、いつも以上に「子供っぽさ」が目立つ様になっている。一応心愛ちゃんは9巻の途中から高校3年生に進学しており、9巻の最終収録話時点で既に18歳の誕生日を迎えているのだが、ある意味この様な子供っぽさが18歳になっても遺憾なく発揮出来ると言えば良いのだろうか。ただ、何れにしても智乃ちゃんが心愛ちゃんの事を何かしら心配するのも分かる気は確実にするが……。

お茶会で見せるそれぞれの姿

 チマメ隊がココ千夜と別れた後は、いよいよ高校生になったチマメ隊によるお茶会と言う展開が描写されている。尚、お茶会については嘗て原作4巻で描かれていた様に、チマメ隊が中学生時代に高校生組4人と一緒に楽しんでいたのが印象的であり、今月号においてもその嘗てのお茶会を踏襲する側面があり、「先輩としてのエスコート」はその最たる例である。

 そんなお茶会だが、今月号のごちうさの主たるメインとなる展開であり、チマメ隊の様々な一面が改めてフォーカスされている意味でも非常に重要である。全体的な流れとしては「麻耶ちゃんの将来の理想像」から始まり「高校生になってからのイメチェン」⇒「大人と子供に対する見解」⇒「先輩としての立ち振る舞いと、嘗てのお茶会の想起」⇒「麻耶ちゃんの数々のお茶会における行動の真意の探り合い」と言った感じになっており、多くの場面でチマメ隊の成長が感じ取れる様になっているのだが、その中でも麻耶ちゃんの心境変化が大きな意味を持っていると考えている。ここからはそんな心境をチマメ隊3人のそれぞれの視点から書き出したいと思う。

智乃ちゃんの心境

 まずは智乃ちゃんからである。智乃ちゃんは最初の麻耶ちゃんの展望に対しては割と肯定的であるが、やや抽象的な褒め方ではある為、クールな智乃ちゃんらしい褒め方だとは思う。また、高校生になってからの変化をイメチェンと言う形で提唱した張本人でもあり、智乃ちゃんは高校生になってからは、髪型を嘗ての様に長髪をそのまま下ろしている形*4ではなく、髪を下ろす形をベースにしながらも、両側に髪を結って下ろすと言う変化形のツインテ―ルみたくの髪型に変化しており、これは心愛ちゃんに毎朝やってもらっていると言う。その為、これをして智乃ちゃんは「髪型を誰かに整えてもらうのは子供っぽい」と、少々気にしている節があったが、恵ちゃんも麻耶ちゃんもこの事に対して子どもっぽい訳では無いと言う考えを表明しており、それに対して智乃ちゃんは多少戸惑いを見せている。やはり智乃ちゃんとて甘えている様に見えるのが多少恥ずかしいのであろう。

 麻耶ちゃんの悩みや先輩としての振る舞いに対しては、智乃ちゃんは恵ちゃんと共に悪意は無いとは言え、図らずも麻耶ちゃんの悩みを茶化してしまった事を謝った上で、悩み事に対して親身になって考えたり、麻耶ちゃんの後輩に対するストレートで飾り気ない気遣いに感謝しつつも、後輩が麻耶ちゃんの事を気になっている素振りを見せると、麻耶ちゃんの事を一番良く知っているのは私達だと、どこか嫉妬心を隠し切れなかったりと、麻耶ちゃんと長年にわたる付き合いの中で確固たる信頼関係がある事と、それ故に麻耶ちゃんの事を独占したいと言う欲がどこかしら存在している事を窺わせる描写が見受けられており、最終的に智乃ちゃんは恵ちゃんと共に麻耶ちゃんを子供扱いみたく褒めると言う行動に出ている。何だかチノメグの方が子供っぽく思えてくるが、これらは智乃ちゃんも麻耶ちゃんの事が大切なのが良く分かる描写であり、子供っぽい麻耶ちゃんも含めて好きだという事が窺える。

 今回のお茶会は全体的に麻耶ちゃんに主軸が当てられている為、智乃ちゃん本人に深いフォーカスが当てられていると言うよりかは、麻耶ちゃんに付随した形でフォーカスが当てられている格好になっているといった方が適切だと思う。しかしながら、そのフォーカスの当たり方は非常に重要なものであり、特に麻耶ちゃんに対する切なる想いが垣間見えたのが意味のある事だと考えている。無論、智乃ちゃんにとって麻耶ちゃんがどの様な存在かは本人のみぞ知る訳だが、智乃ちゃんにとって麻耶ちゃんは嘗て心を閉ざして塞ぎ込んでいた自分を引っ張り出してくれた存在である事や、その後も数々の楽しい事を教えてくれた親友でもある事を鑑みれば、どれ程意味のある事かは凡そでも窺い知れるだろう。

 因みに私が最も印象的だったのは、智乃ちゃんがこのお茶会において「心愛ちゃんに毎朝髪を結って貰っている事を恥ずかしそうに話していた」ものだった。ただ、智乃ちゃん自身元々甘えん坊な所がある事を分かっていた事や、私自身も誰かに髪を結ってもらう事は別に恥ずかしい事でも何でもないと考えている為、私もマヤメグ同様「それで良いと思う」と言う感情が沸き上がっていたものである。また、このお茶会における智乃ちゃんの属性ぶりだが、これも序盤同様全体的には大人っぽさが目立っているとは言え、要所で心愛ちゃんに髪を結ってもらう事を恥ずかしそうに打ち明ける等、子供っぽい振る舞いをする場面もある。尤も、成長しても子供っぽさを持ち合わせた方が人(特に心愛ちゃん)から可愛がられる傾向にあるので、無理に捨て去る必要も無いとは思う。積極的に推奨できる様な事でも無いが、子供っぽさ溢れるあざとさも中々武器にはなるし、特に姉の心愛ちゃんに対しては最適だと思う。何だか心愛ちゃんに申し訳ない気もするが、智乃ちゃんは本当に可愛らしいから、ある程度は仕方ないのである。

恵ちゃんの心境

 次は恵ちゃんである。恵ちゃんは麻耶ちゃんとは幼馴染である為、麻耶ちゃんの展望に対しては、基本的には智乃ちゃんと同じ様な事を言いつつも、どこか慣れているかの様な対応を見せていたのが印象的であった。また、恵ちゃんも高校生になってから髪型をイメージチェンジしており、嘗てのトルネードから理世ちゃんを彷彿とさせるツインテールになっている。因みにその事について本人はあれこれ理由を立てているが、2人からは割に大元を突く様な冷静な評価を下されている。ただ、それもチマメ隊ならではの絆がなせる技であり、恵ちゃんも2人からどの様なコメントを貰っても終始乗り気である事がそれを裏付けている。要するに3人でそう言ったやり取りをするのが楽しいのである。

 麻耶ちゃんの悩みや先輩としての振る舞いに対しては、大体は智乃ちゃんと同様の振る舞いをしていたが、恵ちゃんらしいマイペースな振る舞いは健在でありながらも智乃ちゃん以上に熱のこもった言動をとっていた風に感じ取れた。また麻耶ちゃんとは幼馴染である事から、麻耶ちゃんがどんどん遠い人になってしまわないかと言う懸念に対しては、智乃ちゃん以上に恐れを見せていただけでなく、智乃ちゃんから思わず驚かれるまでにあからさまな膨れ顔(やきもち焼き)をも見せていた。やはり麻耶ちゃんが自分の傍から離れていってしまうのが嫌なのが良く分かり、それは恵ちゃんもまた、麻耶ちゃんのあらゆる一面をひっくるめて好きだという事がはっきり分かる様になっている。

 先の繰り返しになるが、今回のお茶会は全体的に麻耶ちゃんに主軸が当たられているような構成になっている以上、恵ちゃんにしても智乃ちゃん同様麻耶ちゃんに付随した形でフォーカスが当てられている格好になっているとは思うが、恵ちゃんは麻耶ちゃんとは幼馴染だと言う関係性の違いがある為、一見智乃ちゃんと同じ様な言動を取っている様に見えても、恵ちゃんのそれは智乃ちゃん以上に熱のこもったものになっており、また親密な関係性故に麻耶ちゃんが何らかの要因で自分の傍から離れていってしまう事にやきもちを焼く傾向がより強く出ているが窺える様になっている。これを思うなら、やはり「幼馴染故に深く想う事はあるのだなぁ」と心から思うのは言うまでも無い。

 因みにお茶会における恵ちゃんの属性だが、全体的には序盤同様「大人っぽさ」を思わせる様な言動を取る傾向がチマメ隊の中でも随一であり、これは余談だが、要所ではロッカー*5の様な精神で麻耶ちゃんに立ち振る舞いを提案する場面があり、ある意味一番「大人っぽい」と思わせるには十分な描写が多く目立つ。ただ、そんな恵ちゃんにもこのお茶会において「子供っぽい振る舞い」をした場面があり、それは麻耶ちゃんに後輩のファンが沢山いる事を改めて知って、一番麻耶ちゃんの事を知っているのは私達だと顔を膨れさせながら不満そうな感情を露わにした場面である。これには智乃ちゃんも思わず「子供っぽい」と指摘している位の子供っぽさであり、普段不満そうな感情をそこまで露わにしない恵ちゃんにしては珍しいが、ある意味自分の中に潜在する子供っぽさが思わず露わになる程、恵ちゃんは麻耶ちゃんの事が大好きだと言える。尤も、それを麻耶ちゃんに知られるのは凄く恥ずかしいと思うし、事実恵ちゃん本人も麻耶ちゃんには知られない様にする為の立ち振る舞いを見せている。

麻耶ちゃんの心境

 最後は麻耶ちゃんであり、ここからがある意味本番だという事になろう。尤も、今回チマメ隊3人の中で麻耶ちゃんを一番後に据えたのは私の意図的な事であるし、そうでなくてもこのお茶会における主軸的存在である事には変わりないので、ある意味予定調和ではあるが、何れにしてもチマメ隊の中でも比類なき想いを書き出したいと思う。

 まずこのお茶会において麻耶ちゃんは、将来この様な人になりたいと言う理想像を2人に展開する。そのなりたい人と言うのは勿論理世ちゃんであり、麻耶ちゃんは年上組の中でも理世ちゃんの事を特に尊敬且つ心の拠り所としているので、麻耶ちゃんからしてみれば理世ちゃん以外に思いつく答えは無いのである。ただ、2人は言葉は少し違っているが、2人共端的に言えば「目指す理想は高い方が良い」と言ったコメントを麻耶ちゃんに送っており、これは暗に「麻耶ちゃんが理世ちゃんみたいになるのは無理があるのでは?」と言われている様なものである。これに対して麻耶ちゃんは自分の本心を隠す形で必死に取り繕っていたが、私としては「人から何と言われようとも、自分が決めた理想は絶対大事にした方が良い」と思った。抑々誰を尊敬するかは人の自由であるし、現に麻耶ちゃんの幼馴染である恵ちゃんが特に憧憬している年上組は心愛ちゃんだが、当初その事に対して智乃ちゃんから「本当に良いのですか?」等と心配され、また悪気は全く無いとは言え、心愛ちゃんに対する辛辣な毒舌もとい欠点を列挙し、暗に「尊敬する人はよく考えた方が良い」とまで言われている。ただ、この時は智乃ちゃんもまだ心愛ちゃんに対して完全に心を開いている訳では無かったや、それ故に現在の様な親密な関係性が築かれる前の事でもあった為、ある程度は仕方ない側面もあったのだが、これに対して恵ちゃんは一切ブレる事無く、初めて心愛ちゃんを年上組の中で憧憬している事を明かしてから現在に至るまで心愛ちゃんを最も憧憬する人で一貫し続けている。この事からも「自分が一番尊敬したいと思えるなら、それを貫き通せば良い」事は明白であり、それ故に麻耶ちゃんも無理に隠したり、本心とは異なる形で周りに合わせたりせずに、自分の想いをしっかり伝えた方が良いと私は考えている。勿論麻耶ちゃんが無理にでも人に合わせるのは、それだけ友達を想う事の出来る心の持ち主な事を示しているのは分かっているが、それで自分の本心を偽る様になってしまえば本末転倒である。親密な相手程、自分の本心を伝える事は様々な要因から難しくなるものだが、私としては親密な相手だからこそ、自分の本心はストレートに伝えるべきだと思うのである。

 次に話題は「高校生になってからのイメチェン」になるが、麻耶ちゃんは高校生になってからもショートヘア故に容姿を殆ど変えていない事や、中身としてもチノメグと比べて殆ど変わっていない事から、自分だけ容姿も中身も昔と殆ど変わっていない事をコンプレックスに思う傾向が見受けられていた。また、この様なコンプレックスを抱える麻耶ちゃんが理世ちゃんに憧れているのも「年を重ねても殆ど変わらない自分でも、理世ちゃんとは対等だと思える様な存在になりたい」と言う強い想いがある為で、真意を知ったチノメグは(悪気は無かったとは言え)図らずも麻耶ちゃんを揶揄ってしまった事を詫びていたが、これに対して麻耶ちゃんは悟ったかの様な態度を見せており、かなり凹んでいるのが窺える様な雰囲気を醸し出していた。これに関しては「誰が悪い」とかそういう問題では無いので、チマメ隊の誰かが無理に気負いする必要性は無いと思うが、事実問題として「麻耶ちゃん自身、子供っぽく見える自分の特性が何時まで経っても変化しない(できない)事を気にしている」事は明白であり、チマメ隊の中では麻耶ちゃんが一番先導している様に見えて、実はチマメ隊の中で一番壁にぶつかって悩んでいる事が窺える様になっている。ただ、普段麻耶ちゃんは自分が悩んでいる素振りをチノメグの2人にはあまり見せないので、チノメグの2人が麻耶ちゃんの言葉を冗談半分に受け取ってしまったのも無理はなかったのだろう。

 この様に自分の将来の姿に対してかなり悲観的になっていた麻耶ちゃんだったが、注文したアフタヌーンティーのお菓子が到着するや否や、大層幸せそうな顔を浮かべつつ、今までの悲観的な雰囲気からは想定できない様な明るさをもってお菓子を食べている光景を見せつけている。さっきまで悲観に暮れていたのが嘘みたいな変貌ぶりだが、麻耶ちゃん本人も言っている様に人間お腹が空くとちょっとした事で悲観に暮れたり、イライラに苛まれてしまったりする事も少なくないので、その事を思えばあの時の麻耶ちゃんはちょっと危ない方向性に足を踏み入れかけていたとも見て取れる為、2人は戸惑っていたとはいえ、私としては普段の元気な麻耶ちゃんに戻って良かったとは言えると思う。因みに美味しそうにお菓子を頬張る麻耶ちゃんの幸せそうな顔は、本当の子供みたく無邪気だが、その屈託なき喜びの表情は本物であり、麻耶ちゃんの絶対的な強みが垣間見える様にも感じられる。

 そしてここから、麻耶ちゃんの絶対的な個性の強みがどんどん目に見えて分かる様な場面が多く登場してくる。まずはティースタンドの食べ方をめぐって後輩の中学生が高校生たるチマメ隊の姿を参考にしようとしている事を知った時、戸惑うチノメグをよそに麻耶ちゃんはまどろっこしさも飾り気も全くなく、ド直球も良い所とまで言える様なストレートな言葉をかけて、後輩達を釘付けにしているのである。これは麻耶ちゃんが「スマートに言葉を伝える事や、堅苦しい事が苦手な事」が大きく関わっているが、麻耶ちゃんの場合それが良い方向に働いており、麻耶ちゃんが持つサッパリした立ち振る舞いも相まって、人を惹きつける雰囲気を醸し出している。また、その威力はチノメグの嫉妬具合や、2人が「麻耶ちゃんは今のままで良い」とか「麻耶ちゃんの数々の行動は私達に気を遣ってやった事」だとのべつ幕無し(絶え間なく)に言って、その後ご奉仕と言う形で子供扱いみたく麻耶ちゃんを手懐けていた事からも良く分かる事であり、これらに対して麻耶ちゃん本人は大分恥ずかしそうに戸惑いを隠し切れていない様子や、2人があからさまに子供扱いしている様にしか見えない事をしてくる事に不満そうな態度をとる様子が見受けられていたが、これは「麻耶ちゃんが遠い存在になってしまう」と言う2人の焦りも多少なりともあるが、それ以上に「麻耶ちゃんは今の麻耶ちゃんで十分だよ」と言う2人の気持ちの裏返しでもある為、私としては麻耶ちゃんも十分大人っぽい所を兼ね備えていると感じている。

 全体的な立ち振る舞いについてだが、麻耶ちゃんは途中まで「自分がチノメグに比べて子供っぽいままである事を気にしている」様子が彼女の言動から見え隠れする印象があったが、アフタヌーンティーのお菓子を食べて調子を取り戻してから、一転してチノメグが思わず妬いてしまう程に「麻耶ちゃんの絶対的な強み」を披露していき、最早「大人と言っても全く遜色ない麻耶ちゃん」が表れていた印象が強かった。ただ、それでも麻耶ちゃん本人は子供扱いされる事にかなり不満そうにしていたが、その一方で本調子になった麻耶ちゃんの数多くの行動は間違いなく大人っぽいものであった為、麻耶ちゃんも自分が大人っぽい一面がある事に気付いていない可能性が高い。何だか奇妙にも思えるが、人間自分の事は案外分かっていない所もあるものなので、それを思えば案外あり得る事だと思うし、なにより麻耶ちゃん自身大人っぽさと子供っぽさに対してコンプレックスがある傾向を見せていたので、自分を低く見がちな事も鑑みると、ある種の視野狭窄に陥っている可能性すらあるとも言えるが、何れにしても麻耶ちゃんはこのお茶会で「自身も気付かない様な特性を発揮していた」と言えるだろう。

繰り返す出逢い

 ここまでチマメ隊のお茶会について書き出してきたが、そんなお茶会が終わった後、チマメ隊は(恐らく)帰り道の関係上智乃ちゃんとマヤメグの2人に別れ、以降はマヤメグに視点が当たる構成になるが、このタイミングでマヤメグに対して威勢よくバイトの面接に行く事を報告してきた神沙姉妹と再会する。ただ、神沙姉妹はかなり落ち込んでおり、その理由は言わずもがな、面接の結果がふるわなかった為である。本人達は何故駄目だったのか心当たりは無い様だが、私としてはこの様な失敗も後々絶対に良い経験にはなると思う。尤も、惨めな記憶が無くなる訳では無いが……。また、この時の神沙姉妹の凹み具合はかなりのものであり、面接前の2人が如何にも成し遂げてやりますよと言う空気感が滲み出ていた為に落差が激しいが、一方でその様な逆境にも凹まずに2人共にリベンジを誓っている。ただ、泣きながらリベンジを誓った事が災いして、まるで子供の如く泣きじゃくるような格好になってしまった為、マヤメグから「子供っぽい」と指摘されている。

 だが、そこから恵ちゃんは神沙姉妹に「面接の練習相手になってあげる」と言う感じで手を差し伸べており、さながら面倒見の良さを発揮している。また、そこで麻耶ちゃんに対しては「先に帰っても良い」と言う声かけもきっちりしており、やはり恵ちゃんは大人みたくしっかりしていると思うには十分である。これに対して1人になった麻耶ちゃんはそんな恵ちゃんの大人っぽさに憧憬意識を持ちつつも、そこから彼女は再び自分自身の「子供っぽさを何時まで経っても変えられない」と言うコンプレックスを思い浮かべてしまい、1人暗い影を落とす事になってしまう。やはり麻耶ちゃん自身のコンプレックスは早々解消できるものでは無い事が良く分かるが、普段明るく先導的な行動力もある麻耶ちゃんがここまでしょげているのは、私自身も中々心にくるものがある。

 そして、そんな時である。麻耶ちゃんにとって、幼なじみの恵ちゃんとも、同級生の智乃ちゃん、神沙姉妹、そして冬優ちゃんとも違う、年上組の中でも一線を画す様な信頼を置いている人と突然出逢うのは……。

一線画した信頼関係

 恵ちゃんに大人っぽい一面を見せつけられ、再び自身のコンプレックスに囚われてしまった麻耶ちゃんだが、その折に年上組の中でも最年長であり、麻耶ちゃんにとって特別な信頼関係を置いている理世ちゃんと出逢う事になる。ただ、理世ちゃんは麻耶ちゃんが思い悩む事を知ってか知らずか、麻耶ちゃんの悩み事を悟ったかの様な言葉を発しながら麻耶ちゃんの傍に突然現れている為、麻耶ちゃんは思わず自分の悩みが口に出ていたのではないかと、焦った素振りを見せていた。直ぐに分かる事だが、理世ちゃんもあくまで当てずっぽうで言った事に過ぎず、それ故に合致したのは全くの偶然だったのだが、何れにしても周りから見て何となくでも分かる程、麻耶ちゃんが思い悩む素振りをしていたのは疑いないし、何より理世ちゃんが近くまで来ても麻耶ちゃんは理世ちゃんに全く気付かなかった辺り、麻耶ちゃんは自身のコンプレックスの事になると周りが碌に見えなくなる(つまり視野狭窄)程に思い詰めてしまう傾向にある事も疑いないと言える。言ってしまえば、チマメ隊の中では麻耶ちゃんが見た目一番強そうに見えて、実は一番脆弱な部分が露呈しやすい(=打たれ弱いのかも知れない。

 そんな異質な状態から始まった麻耶ちゃんと理世ちゃんの唐突な出逢いだが、この出逢いは今月号終盤のメインにして今月号全体でもお茶会に並んで重要な局面だと捉えている。尤も、終盤の展開はお茶会に比べてシリアスと言うよりポジティブ寄りになっているが、それ故に麻耶ちゃんのカッコ良い一面も見る事ができる様になっているので、ここからはそんな麻耶ちゃんのカッコ良さや大人っぽさを重視して書き出したいと思う。

 前述の通り、麻耶ちゃんと理世ちゃんの出逢いは些か唐突なものであったが、その後理世ちゃんは麻耶ちゃんの顔を見て、2年前の夏の事を思い浮かべていた。理世ちゃんが言う2年前の夏と言うのは、嘗て麻耶ちゃんがまだ中学2年生だった時にチマメ隊で将来の進路について話し合いをした際に、ふと「高校生になって学校が違えば3人はバラバラになってしまうのではないか」と、一抹の不安を覚えて理世ちゃんに思い切って相談しに行った時の事である。尚、その時のことを振り返って理世ちゃんは、麻耶ちゃんが昔と悩んでいる時の顔つきが全く変わっていない事を指摘して、麻耶ちゃんを揶揄っているが、その一方で「あの時より成長している」とも声を掛けており、自分もまだまだ子供である事*6を引き合いに出してしっかりフォローしているが、当の麻耶ちゃんは理世ちゃんの大切な後半の言葉はそっちのけでアイスを買いに行っており、理世ちゃんにして「中身は全く変わっていない」と言わしめている。麻耶ちゃんらしいと言えばそれまでだが。

 ただ、麻耶ちゃんがアイスを買いに行ったのには複数の理由があり、まずは素直に自分が食べたかったのも当然ながらあったと思われる。よくよく考えれば、さっきお茶会でお菓子を食べていたと言うのに、そこから更にアイスを食べるとは如何にも麻耶ちゃんらしいが、それ以上に「理世ちゃんに奢りたかった」と言う気持ちがあったと考えている。また、ただ奢るだけでなく「日頃の感謝の気持ちを込めて」と言うのが重要であり、それを垣間感じさせる要素として、麻耶ちゃん本人はアイスが1つ分なのに対して、理世ちゃんの分はアイスが3つ分となっており、理世ちゃんに対して多くなる様に奢っているのである。ある種の大盤振る舞いだが、その時の麻耶ちゃんの表情は大変に凛々しいものであり、さながらの「大人を余裕」感じさせる程に眩しくカッコ良く、思わず理世ちゃんを魅了させている程である。因みに理世ちゃんはその際、そんなカッコ良い麻耶ちゃんを見て自分が送れる最大限の言葉を顔を赤らめながら麻耶ちゃんに送っているが、その際に麻耶ちゃんの頭を撫でていた為、麻耶ちゃん本人は困惑していた。麻耶ちゃんが困惑していたのは「理世からも子供扱いされている?!」*7と彼女が感じとったからと考えられるが、当の理世ちゃんからしてみれば子供扱いと言うより、今後への期待として頭を撫でている。因みに物語はここで終わっており、最後はリゼマヤの良き関係性が光る内容になっている。尚、ここまで書いていなかったが、麻耶ちゃんと出逢った理世ちゃんも髪型をイメージチェンジしており、印象的だったツインテールから、ロゼちゃんの時と同じ様な髪を下ろすのをベースにサイドテール(?)を結う髪型をしており、より大人っぽくてお淑やかな印象が強くなっている。尤も、良くも悪くも髪型が変わっても理世ちゃんのサバサバした特性は何も変わっていないが。

 これらを見て私が思ったのは、理世ちゃんも「麻耶ちゃんに対して子供っぽい事を過度に気にする必要は無い」と考えている事であり、これは麻耶ちゃんをフォローしつつ「自分もまだまだ子供」だと言った事がその裏付けとなっている。何故理世ちゃんがこの様な言葉をかけたのかは本人のみぞ知る所だが、年上組の中でも一番の年上である理世ちゃんでも「子供みたいな一面はまだまだある」と言う事で、高校1年生の麻耶ちゃんが「子供っぽい所があるのはごく普通な事」だと伝えたかったのではないかと考えている。年上だからこそできる芸当だが、理世ちゃんらしい優しき言葉だと感じ取った。

 また、理世ちゃんと一緒に居る麻耶ちゃんの立ち振る舞いについてだが、理世ちゃんが話をしているさなかにアイスを買いに行くあたり、ここでも自由奔放で子供みたいな一面を見せている。だが、その一方で理世ちゃんを思わず魅了させる程にカッコ良く、且つ大人っぽい一面も見せており、麻耶ちゃんも同級生組にも引けを取らないまでに大きく成長しているのがここでも窺える。ただ、それでも本人は自分が周りから一目置かれる程に大人っぽくなっている(=成長している)面がある事に対して自覚がない様な反応を見せている為、麻耶ちゃんは周りに対する視野は広い一方で、やはり自分の事になると案外鈍感になるのかも知れない。ただ、そんな麻耶ちゃんも含めて人を惹きつけるとは感じている。

大人っぽさと子供っぽさに対して思う事

 今月号の感想・考察として書き出す主なテーマの最後として、今月号において度々登場して取り巻いていた「大人っぽさと子供っぽさ」について、私が思う事を書き出したいと思う。

 抑々「大人っぽさと子供っぽさ」については、ごちうさにおいては今月号に限らず初期の頃から度々言われてきた事なのだが、今月号では全体的なテーマとして採用されていた事から、改めて関心が湧いてきた所存である。因みに「大人と子供」と言う観点で私がごちうさを読みながら思う傾向としては、全体的な観点として「大人っぽい所もあるが、全体的には子供っぽい部分が多く目立っている」と言うのがあり、特に年上組(とりわけ心愛ちゃんと理世ちゃん)に対してその様に思う事が度々あった。尤も、年上組が年下組に対して時に年下組より子供の様に振舞える事は、それだけ信頼関係がしっかり存在している(=自分の内側を見せられる)証(逆もまた然り)でもあるので、悪い気は全くしないのだが、単純な感想として子供っぽい感じになっている時にそのまま「子供っぽくて可愛い」と思う事もしばしばである。まぁ相手は可愛いを前面に押し出してくる様な個性派の美少女なので、ある程度は致し方ないのだろう。

 そして今月号では、全体的に麻耶ちゃんが「子供っぽい自分を気にしている事」が強く印象にあった。麻耶ちゃんとしては「周りがどんどん大人っぽいと思われる様な落ち着いた雰囲気や、しっかりした統率力を兼ね備えてつつあると言うのに、自分だけ昔と全く変わらない子供っぽさが色濃く残っていて、ちっとも成長していない様に思える事」を気にしていると思うのだが、今月号の麻耶ちゃんが取った数々の行動を見る限り、私としては麻耶ちゃんが子供っぽいままだとは決して思わないし、寧ろしっかり大人っぽい所を発揮できるまでに成長していると感じている。にもかかわらず麻耶ちゃんが子供っぽい事を気にしているのは、今月号の台詞を見る限り、恐らくだが麻耶ちゃん自身が自分自身の事を良く分かっていないのが要因にあると思われる。何とも難しい話なのだが、何度も記述した様に麻耶ちゃん自身がそういう変化に意外と鈍いのも要因の一つなのではないかと考えている。

 尚、私が「大人っぽいと子供っぽいをどの様に捉えているか」についてだが、私が考える大人っぽいと言うのは「物事を冷静に捉えて客観的に判断できる力を持ち、且つ周りに対してもきちんと気配りできる様な人」と言うものである。これは私が考えている大人の理想像のほんの一部なのだが、要するに「自分で物事を多角的に考えられて、誰かの為に自分には何ができるかをよく考えられる人」が、私が考える大人っぽいという事である。何だか変に難しい話になりかけたので手短に切り上げた次第だが、この様な価値観を持つが故に麻耶ちゃんに対しても、たとえ本人が「何時まで経っても子供っぽいまま」だと嘆いていても、私は「麻耶ちゃんにも大人っぽい所はきちんとある」と思い続けられる根拠にもなっている。

 一方で子供っぽいと言うのも、私自身色々思う所はあるのだが、一番は「幾つになっても信頼できる人に対して遠慮なく甘える事が出来たり、幼心を忘れずに大切にできたりする事が出来る様な人」だと考えている。何だか「人に対して甘い」と思われそうなので誤解なきよう書いておくが、私としても子供っぽいと聞いて真っ先に思いつく様な「マイナスイメージ(わがままや自己中心的等)」も持っているのも事実であり、人に対して何でもかんでも甘い訳では無い事は言っておく。その為、あくまで「人としてある程度はちゃんとしている事」は前提としての話にはなるが、赤文字で書いた事は言うならば「信頼できる人にその身を委ねる事や、何時までも子供の時の事や記憶を大切に維持する事」を表している。この価値観を今月号の麻耶ちゃんに当てはめると、麻耶ちゃんは「何時までも幼心を忘れずに子供みたく無邪気に何でも楽しめる所」が子供っぽい部分になるが、私としてはこの様な特性も麻耶ちゃんの絶対的な強みとして捉えている。とどのつまり、そこまで悲観に暮れる必要は全く無いと思う訳である。

 ここまで私が思う「大人っぽさと子供っぽさ」について叙述してきたが、もう気付いている方もいるかもしれないが、今回実は私が持つ価値観の中から、特に麻耶ちゃんの良い所がより光る様な価値観を抽出して書き出している。勿論ここで書き出した内容は全て「私が心から思っている事」なのだが、態々(わざわざ)麻耶ちゃんに合った価値観に拵(こしら)えたのは、それだけ麻耶ちゃんに対して思う事があったからである。その思う事とは、今月号の麻耶ちゃんの言動を見て「麻耶ちゃんは自分の事を少し過小評価し過ぎ(=子供っぽく捉え過ぎ)なのでは?」と言うものであり、私としても自分で自分の事を頗る(すこぶる)蔑む様な見方をしてほしくないと言う想いが存在していた。これは別に麻耶ちゃん以外に対しても等しく思っている事なのだが、麻耶ちゃんは皆の中でも自分の事になるとネガティブ思考に陥る傾向がやや強い為、それに伴い麻耶ちゃんに対しての想いも強めに表れる訳である。

 ただ、私としても麻耶ちゃんが自分の事になると悲観的になり易い傾向にあるとは思いつつも、同時に麻耶ちゃんが持ち前の好奇心と前向きな思考をもって、どんな状況でも楽しく出来る様な強みを持っている事や、麻耶ちゃん自身に自覚はあまり無いとは言え、思わず人をアッと思わせる様な大人な気遣いができる事も知っている。人間自分の事は意外と分からないものだから、麻耶ちゃんが思い悩むのも良く分かるが、私としてはそれでも「自分の良くない所ばかりではなく、良い所にもちゃんと目を向けて欲しい」と、麻耶ちゃんに対して考えており、その表れが今までの内容と言う訳である。

3.あとがき

 以上がきらま2022年2月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は全体的にチマメ隊とりわけ麻耶ちゃんにフォーカスが当たったお話になっていた印象があり、また個人的にはもう一つのテーマとして「大人っぽさと子供っぽさ」と言うものが存在していたと捉えている。その為、今月号は先月号や先々月号とはテイストが幾分異なり、所謂「何時ものごちうさらしいお話だったと考えているが、その中でもごちうさの重要要素はしっかり含まれていると認識している。

 今月号は先月号や先々月号と異なり、「一つのお話の中における時間軸と舞台は基本的に同一のもの」*8となっている為、終始同じ時間軸の中で登場人物の心境がどの様に移ろいゆくのかを観察していくのが重要になると考えており、今回の場合麻耶ちゃんの心境変化を追っていく事が該当すると感じている。再三書き出してきた様に今回は麻耶ちゃんが所謂「大人と子供」の違いについて思い悩むのがキーポイントになっていると捉えており、彼女がどの様に悩んでいるのか、彼女の子供っぽい所、大人らしい所は何かをどの様にして捉えていくのが重要だと考えている。

 そして、今月号は「悩みながらも成長する麻耶ちゃん」という観点が非常に重要だと捉えており、「子供から大人」へ成長していく年頃だからこその悩みに対して彼女がどの様に考えていき、周りはそれに対してどの様な助言を与えていて、そこから彼女は最終的に何を思うのか。それを自分なりに拵えていく事を目標として今回私は書き出してきた。それがどの様な結果になったかは分からないが、個人的にはありったけの想いを書き出してきた所存である。私とて麻耶ちゃんに対する想いは、決して他の登場人物に引けを取らない様な位にはもっていたいのである。

 最後に、今月号で魅せつけられたチマメ隊の成長具合」や、麻耶ちゃんの本人も気付いていない様な「カッコ良さ」は本当に心打たれるものであった事は改めて書いておきたい。また、今後物語の展開がさらに進めば、チマメ隊以外の年上組やブラバ組においてもさらなる成長や葛藤が見られる事も予想する事が出来るし、それもどの様に描かれるか、今から楽しみである事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙46枚分であり、これは現時点で過去6番目の文量の多さである。先月号よりも少しコンパクトになったが、それでも膨大な量である。

*1:それどころか、上手く心愛ちゃんを言い包める麻耶ちゃんと、言い包められている心愛ちゃんを見て若干引いている様にも見える。

*2:前述の通り、智乃ちゃんは心愛ちゃんが絡むと意味合いが変化する。

*3:規律正しく朝を迎える事が苦手な事や、普段から妹である夏明ちゃんを頼る傾向に多い事が顕著な例。

*4:尤も、彼女とて中学生時代の時からヘアスタイル自体はツインテ―ルやポニーテール等々、割と豊富だったが、学校に登校する時やラビットハウスで働いている時も含めて、基本的には髪をそのまま下ろしている事が多かった。

*5:尚、学校の「ロッカー」ではなく、音楽の「ロッカー」なのでそこは悪しからず。

*6:因みに理世ちゃんの実年齢は「18」なので、本来は大人と言われても遜色ない年齢ではあるが、精神的な意味で子供と言ったものだと思われる。

*7:因みに麻耶ちゃんが友達の名前を呼ぶ時は、たとえ自分より年上であっても呼び捨てな事がしばしばある。ある意味彼女なりの親近感の表れとも言えるが。

*8:言い方を変えれば、一つのお話の中で「過去と現在」と言った形で時間軸や舞台が変化しないこと。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」5章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部5章を完走したので、その中で抱いた感想と考察について書き出したいと思います。この第2部に関しては、私の中ではのめり込む様に読み進められる反面、確かに存在している壮絶さや怖さに対して多少なりとも心が痛む面もあります。ただ、それで考えるのを止めてしまえば何もならないので、今回もシナリオを読み進めて考えた事を書き出したいと思います。

※注意※

きららファンタジアメインシナリオのネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、今回は内容が全体的に非常に重くなっており、言葉もきつくなっている部分が度々あるので十分注意してください。尚、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語を指します。

1.はじめに

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。しかし、その道中はあまりにも壮絶且つ、悲愴的だった……。因みに「悲愴」とは「悲しくも勇ましい」事を意味する「悲壮」とは違い、只々「悲しくそして痛ましい」事を意味している。たった一文字の漢字違いでここまで意味が異なるのは、ある意味言葉の力の凄まじさを物語っている。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、感動する展開も多いが、壮絶な展開も多い重厚なストーリーに、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界*1を正す為に禁呪魔法「リアライフ」を用いて暗躍する、第2部の敵対組織「リアリスト」の思想の根底にある悲しく壮絶な闇等、非常に重い展開がとても印象的である。しかしながら、シリアスで壮絶な分、先の見えない展開にどきどきしながら、のめり込む様に楽しむ事ができる様になっており、また感動するシナリオも多い為、総合的にはカタルシス(精神の浄化)を感じる事の出来る上質なシナリオになっていると感じている。

 今回はそんな読み応えのあるシナリオを、まずはざっくりと展開を説明した上で、メインシナリオ第2部の重要人物のうつつちゃんからと、敵対組織である「リアリスト」からと言う、大きくは2つの視点を中心にして、全体として5章を読んで私が思った事を書き出したいと思う。

2.第2部5章の感想・考察

5章全体の感想・考察

 まずは5章そのものについてや、その5章から読み解けることを中心に書き出したいと思う。当然ながら内容は大分重めなので、その辺りは十分に注意して下さい。

5章とは

 5章はメインシナリオ第2部奇数章と同様、禁呪魔法によって呼び出されたクリエメイトを助け出し、クリエメイトを元の世界に返す為に、きらら達がクリエメイトと共に冒険する内容になっており、今回呼び出された作品は「ご注文はうさぎですか?」である。その事もあってか、5章の舞台は「美食の交易都市」となっており、全体的なストーリーも「喫茶店」に因んだものがしばしば登場している。

 この章はシリアスで壮絶な展開が多いメインシナリオ第2部の中でも特に壮絶な展開が多い章であり、初っ端から「嫌がる心愛ちゃんに対して一切の情を見せず、冷血な心をもって執拗に絆を断ち切り、絆を『脆いもの』と一蹴するサンストーン」と言う、かなりショッキングなシーンが存在している。しかもサンストーンは、この5章全体のストーリーを見ると分かる事だが、他のリアリストのメンバーの提案から「徐々に心を蝕んで苦しめさせる為に、心愛ちゃんの絆を少しずつ断ち切る」と言う悪趣味な事を行っており、この事からもリアリストの冷酷非道さが垣間見える。

 この様にド頭からメインシナリオ第2部でも随一と言える程の衝撃的な展開から始まる5章だが、そのド頭を乗り越えても「まともに食べ物が手に入らなくなってしまった街」や「聖典の信仰を捨てリアリスト側に寝返った構成員」、そして「大切な人の記憶が奪われていく友達を見て、悲しみに打ちひしがれる智乃ちゃん」と言う様に、思わず心を抉られる壮絶な展開は度々登場し、それだけでも辛いのだが、物語の中程に存在するリアリストの「真実の手」が1人「射手(しゃしゅ)」の名を持つ「スイセン」が「リコリスヒナゲシ」も併せた3人で心愛ちゃんの事を「絆なんて所詮紛(まが)いものだ」等と言って絶望に叩き落そうとする場面の悲惨さは、心愛ちゃんの心からの切実な叫びも相まって、この5章全体はおろか、メインシナリオ第2部1章から5章全体でも特に群を抜いている。

 中盤以降も心が抉られる程の壮絶な展開は鳴りを潜めず、特に心愛ちゃんと最後まで絆が繋がっていた智乃ちゃんとの絆をサンストーンによって切られ、完全に絆を失くした心愛ちゃんは完全なる絶望に染まり、パスを切られた智乃ちゃんは「何者かも分からない人の為に頑張る事は出来ない」と無気力になってしまう展開は、考えるだけでも心が痛く締め付けられる程の絶望的な状況だが、そんな悲愴的な状況下でもある事をきっかけにはっきりとは思い出せないながらも、確かな想いを受け取った智乃ちゃんが再び希望を取り戻した場面は、それまでの絶望的な展開もあって非常にカタルシスと勇ましさを感じられる。

 そして、最終的には皆で力を合わせて敵の本拠地に乗り込み、多くの仕掛けや強敵に苦戦しながらも心愛ちゃんを絶望から救い出す展開は、王道ながらも胸が熱くなる内容であり、特に心愛ちゃんを救い出した後の智乃ちゃんとのやり取りは、原作を知っている人も、知らない人も心温かくなると個人的には思う。そして、最終的には様々な立場の人々の思想が垣間見えて、5章は幕を閉じる。

 全体的に見れば、5章は「今まででも随一の壮絶な展開が多い章」である事は疑いなく、特に序盤から中盤が非常に重い。シナリオ進行としても、何時も明るく元気な心愛ちゃんが、リアリストのあくどい手口によってじわじわと絶望に堕とされていき、最終的には闇に堕ちてしまう展開から、人によって感じ方に個人差があるので一概には断定できないが、ごちうさが好きな人や、心愛ちゃんが好きな人にとっては非常に辛い展開が多い。因みに私の場合は、智乃ちゃんがイチ推しである事と、元々シリアスで壮絶なシナリオに対しても強い耐性がある事から、正直かなり辛い想いが頭を駆け巡ったとはいえ、絶望的なまでに辛かった訳は無かったが、それでも智乃ちゃんが「お姉ちゃん」と呼ぶまでに大好きな心愛ちゃんとの絆が引き裂かれるのはかなりショックだったし、何より心愛ちゃんの心からの悲痛な叫び声は、フルボイスである事も相まって最早トラウマになる程のショックを心に植え付けられている。幾ら私がシリアスで壮絶な展開にも耐性があるからと言っても、それはあくまでどれだけ悲痛な想いに叩きのめされても心から挫けないだけでしかなく、心が痛む事には変わりないのである。

 しかしながら、その一方で智乃ちゃんが新たに決意を表明してからは、それまでの鬱屈したものを払拭するべく、一気に解放へと突き進んでいく展開へと変貌する為、最終的には感動的な展開も相まって凄まじいカタルシスを感じる事ができる様になっている。また、重い展開が続く序盤から中盤も含めた5章全体として、重苦しい展開が続く中でもきらら達(特にうつつちゃん)の力強い言葉には凄く助けられるものがあるし、クリエメイト達(今回ならごちうさの登場人物)の普段通りのやり取りも「どんなに重い状況でも、変わらないものはきちんとある」と思えて、思わず肩の荷が下りる様な安心感があり、その安心感たるや、これらがあるお陰で私の場合「メインシナリオ第2部がどんなに壮絶でもある意味ちゃんと読み進める事ができる様になっている」と思う位である。

 

ここからはメインシナリオ第2部の重要人物のうつつちゃんやリアリストを中心とした感想・考察を書き出す事とする。

ここからも重い内容が含まれているのでご注意ください。

5章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部における重要人物たる住良木うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も何らかの理由で「自分の名前や年齢、そして女子高生」であること以外は記憶を失ってしまっている。その為、うつつが一体何者なのかを知る者は自分も含めて誰もいない。ただ、リアリストはうつつの事も何か知ってそうな素振りをしばし見せているが、リアリストは敵対組織である為、きらら達が知る由はないと言える。

 性格は極端なまでのネガティブ思考であり、それ故に事あるごとに自分を卑下する様な発言をしがちな傾向にある。また、中々に切れ味ある毒舌の持ち主でもあり、主に自分に対して毒を吐いている傾向にあるが、傍若無人なリアリストに対して中々容赦ない言葉を投げかける事もしばしばあり、その様にリアリストを冷たく突き放す様はある意味かっこよくもあるが、その冷たさは普段のうつつちゃんからは中々想像できないものである為、個人的には誰よりも恐ろしいとすら思う事もある。ただ、本質的には5章の中盤において智乃ちゃんからも言われている様に他者を思い遣れる優しい人である為、私自身うつつちゃんがリアリストを冷たく突き放す姿を見て、どこか恐ろしいと思うのは、ある意味普段のうつつちゃんなら絶対にしない事をやっているのを見て、「彼女の底知れない怒り」を感じているが故なのだろう。

 度々実年齢以上の教養と思慮深さを感じさせる人でもあり、それ故にきらら達を始めとした「自分を大切に想っている人達」に対しては基本的に毒舌を飛ばす事は基本的になく、この事は彼女が毒舌は「大切に想っている人には向けたくないと考えている」のを窺わせる。つまりうつつちゃんは、きらら達の事を大切に想っているのである。尤も、ランプとずっと行動を共にしている「マッチ」だけは、うつつちゃん本人も心からは大切に想っているとはいえ、うつつちゃんに対して度々余計な一言を添える*2為か、普段はマッチに対してやや素っ気ない態度をとっている事が多く、怒って膨れる事もしばしばである。ただ、マッチも言ってしまえば「毒舌家」の傾向にあるだけなのだが、マッチとうつつでは馬が合わないのだろうか?

 彼女は自分を思い遣ってくれるきらら達やメディアちゃんと接して、親交を深める事で大きく成長してきており、4章終盤や5章では自分なりに落ち込んでいる人に対して励ましてあげたり、うつつちゃんから積極的にコミュニケーションを取ったりする等、自身の成長を活かしたうつつちゃんの前向きな行動も多くなってきている。ただ、彼女は大の恥ずかしがり屋でもある為、人から感謝されるとツンデレみたくはぐらかすのがお決まりだが、当然相手はうつつちゃんの気持ちは読み取っており、うつつちゃんの意思を汲み取った上で優しく受け容れている。

 5章では根底にあるネガティブ思考こそ変わらないものの、今まできらら達と共に多くの困難を乗り越え、また多くの人からの信頼を築き上げてきた事から、窮地に陥っている人に対して自分なりに寄り添い、何だかんだ言っても人の気持ちを慮って自分事の様に捉えて考えてあげている等、確実に成長を感じさせる場面が多くある。また、智乃ちゃんとは今回の一件で他の人以上に交流を深めており、それ故に智乃ちゃんと心愛ちゃんのパスが切られた時は、深い悲しみを滲ませながらも、自分には何かできる事はないかと尽力しようとする心の強さも見せている。ただ、智乃ちゃんが新たなる決意を秘めて立ち上がって以降、うつつちゃんは自分が活躍できない事を引け目に感じてややネガティブ色が強まるが、それでも嘗ての様に弱り切って逃げる事はなく、ここでも彼女の覚悟と成長が窺える。

 終盤においては、数々のトラップやウツカイにより消耗していた皆を励ます事を行っており、ここでも彼女の確固たる成長を窺う事ができる。そして、スイセンと再び出会った時には、絆を断たれても尚絆を手繰り(たぐり)寄せようとしているクリエメイトを見て「意味が分からない」と言っていた彼女を「今のあなたには分からない」と毒舌全開でスイセンを切り捨てた上で「自分もこの世界に来た当初は『自分が不幸なら、他人も不幸にしたい』とは思っていたが、やっぱりそうは思いたくない」と、うつつちゃん自身「自分が不幸なら、他人も不幸になって良いと思いたくない(己の身勝手な理由で他人を不幸にしてはいけない)」と考えが変わった事を告白している。やはりリアリストとうつつちゃんとでは、メインシナリオ第2部開始当初(1章や2章)なら同じだったかもしれないが、数多くの経験と優しさに触れて成長した今のうつつちゃんとリアリストでは、最早絶対に越えられない壁が出来たのであろう。

 因みに余談だが、彼女は5章の途中で神殿の管理が行き届いていた所では比較的安定した生活をしていたのを知っていた事から、今回訪れた街の荒廃ぶりと、その荒廃ぶりが神殿の管轄が行き届いていなかった事を重ね合わせた上で「エトワリアと言う世界は少し神殿に依存し過ぎなのでは?」と言う疑念を心の中で抱いてもいる。この事はうつつちゃん自身他の誰にも話していない事であり、あくまでうつつちゃん本人が考えた事に過ぎないのだが、私としてはうつつちゃんのこの考えも、このメインシナリオ第2部を紐解く上で何か重要な足掛かりになるのではないかと考えている。尤も、それがどの様に活きるかは未知数だが、何れにしても「うつつちゃんの何気ない考え事」とスルーするには惜しい何かがあると私自身考えている。

スイセンについて

 「真実の手」が1人であり、「射手(しゃしゅ)」の異名を持つ、リアリストが1人、スイセン一人称は基本的に「ウチ」であり、とにかく食べ物に目がなく、リアリストにいるのも「美味しいものが沢山手に入るから」と言う程。ある意味「魔手(ましゅ)」の異名を持ち、お金に目がない「スズラン」とは一つのものに執着していると言う意味では同じであり、それ故に2人はある種意気投合しそうにも思えるが、2人の関連性については一切不明。尤も、絆を重んじないのがリアリストの基本理念みたいなものなので、深い関係性はないと言って良いのかも知れないし、それを度外視しても「一つの物に執着する人同士は案外そりが合わない事も少なくない」事を思えば、やはり2人は深い関係性は無いとなってしまうが……。

 飄々(ひょうひょう)とした性格の持ち主であり、食べ物以外に何を考えているのか分かりにくい雰囲気を醸し出している。それ故にリアリストの中では暗さをあまり感じさせず、スズランの様に比較的明るくさっぱりしている様に見えるが、根底の思想は間違いなくリアリストのそれであり、リアリスト特有の卑劣さ及び残忍さが滲み出ている。そして、スイセンはその明るそうな雰囲気の内にリアリストの中でも中々にえげつない冷血な本性を秘めており、目的の為なら一切の慈悲なくクリエメイトを絶望に叩き落す様な冷酷さを持っていたり、ぶっきらぼうな物言いで相手を容赦なく追い詰めたりする等、やはりリアリストの一員だと感じさせる本性は存在している。

 5章においては同じくリアリストの「真実の手」の「リコリス」と「ヒナゲシ」と共に「美食の交易都市」を荒廃させ、またご注文はうさぎですか?の世界が描かれた聖典を汚染させる事で、絶望のクリエを搾取しようと暗躍する。それに加えてスイセンは心愛ちゃんを利用して、自分が大好きな美味しい食べ物(パン)を作らせて独り占めにもしている。尚、この時も心愛ちゃんの姉のモカさんを引き合いに出してモカさんのパンの方がもっと美味しいだろうな~」と、心愛ちゃんが姉にかなわない事を気にしている事を知りながら陰湿且つ悪辣な精神攻撃を行い、それに付随してリコリスヒナゲシが2人して「心愛ちゃんと智乃ちゃんは偽物の姉妹」だの「偽物の姉妹なんて誰でも良い」等と言って追い打ちをかけると言う悪逆非道な手口を使っており、リアリストの退廃ぶりが如実に表れている。その後、完全に闇落ちした心愛ちゃんを利用して自分の欲望を際限なく満たそうとするが、きらら達が再び攻め入る事を知り、決戦に臨む事になる。

 決戦では「ガーディアンウツカイ」と呼ばれる、闇に堕ちた心愛ちゃんが持つ絶望のクリエを動力源にしたウツカイを用いて、きらら達と対峙する。ここで遂に彼女が聖典を嫌う理由が明かされたが、それは聖典ではお腹いっぱいにならず、空腹に喘いでいた彼女を一切助けてくれなかった聖典や神殿に失望したから」と言うものであった。確かに聖典は書物である為、お腹が満たせるものでは無いのは事実だし、彼女が言う様に満足な食事さえ碌に手に入らない中で、書物内で美味しそうな食べ物を見せられたら激しい憎悪を覚える*3のも納得は出来るが、だからと言って彼女の行動は決して看過できる様な事では無い。ただ、他方でこの事実そのものは、私が考えているスイセンひいてはリアリストには「何か壮絶な過去を抱えている」と言う仮定論がより現実味を帯びた形になるが、果たして真実は一体どうなのだろうか……。

 その後の展開についてだが、彼女はガーディアンウツカイを用いて一度はきらら達を退ける事に成功する。だが、きらら達の発想の転換により心愛ちゃんの絆を取り戻されたのが運の尽きとなり、スイセンは一転して窮地に立たされるが、再三にわたって大切な人達を罵り続けたスイセンに向けて、智乃ちゃんからトドメの一言を言われた事により、激怒しながらガーディアンウツカイと共にきらら達に襲い掛かると言う往生際の悪さを見せつけるものの、最早原動力の源たる絶望のクリエを失くしたガーディアンウツカイでは、例えタッグを組んでも力不足であり、あえなく返り討ちに遭ってしまう。そして、術を失くした彼女は捨て台詞を言い残して逃亡するのだが、例えこの一件が済んだとしても、彼女の非道な行動が許される事は最早無いだろう……。

 この様にスイセン表立っては飄々とした比較的明るい人物に見えるが、その一方でクリエメイトを地獄の果てまで追い詰めにかかる様な冷酷非情さも持ち、更にクリエメイトを都合良く自分のものに仕立て上げようとするしたたかさをも併せ持っており、そこには彼女が持つ悲痛な過去が大きく関連していると思われる。その為、他のリアリストの例に漏れず、一筋縄ではいかない経緯を持つ人物だと言えるが、一方で内に秘める冷血さはリアリストの中でもトップクラスである為、彼女を理解するためのハードルは途轍もなく高い。

5章について思う事

 ここからは5章全体とりわけリアリストに対して個人的に考えている事、思っている事を中心に書き出していきます。ここも非常に重い内容が含まれているのでご注意ください。

錯綜と清涼の想い

 ここでは5章についての全体的な印象を書き出したいと思う。まずはこのメインシナリオ第2部全体の印象についてであり、5章に限った事では無いが、メインシナリオ第2部は全体的にシリアス且つ非常に重い展開が多く、それがメインシナリオ第2部の魅力でもあるのだが、やはりその重さに辛さを全く感じないと言えば嘘になる。しかしながら、それでも私はシリアスで重い内容ながらも重厚で非常に読み応えのあるシナリオ構成に心惹かれ、今まで1章から4章を全力で読み進めながら攻略をしてきた。特にメインシナリオ第2部2章、4章は今までにないシナリオ構成*4をしていた為、驚きながらもどんどん世界観にのめり込んでいる自分がいたものである。

 しかし、5章のシナリオに私がきらら系の中でも特に好きな作品で、原作・アニメ共に今まで嗜んできたご注文はうさぎですか?が登場する章だと分かってからと言うもの、心から拒絶反応を覚えたとまではいかなかったものの、多少なりとも不安な気持ちが芽生えていた。ただ、メインシナリオ第2部1章から4章を見るに、絶対に重い展開になるとは正直分かっていた上、メインシナリオ第2部のプロモーションビデオを見るに、どこかのタイミングでごちうさが登場する事も把握していた為、不安な気持ちはありながらもある程度気構えは出来ていたので、覚悟を決めてシナリオをがっつり読みながら攻略する事にした。

 そうして攻略した5章だが、結果から言えば私の想像を遥かに上回る辛い展開が待ち受けていた。シナリオ自体が非常に重いのもあるが、とにかく心が締め付けられる様な苦しさを覚える場面が多く、特に章の冒頭及び中盤にある「金切り声を上げてまで嫌がる心愛ちゃんに対して、サンストーンは一切の慈悲なく絆を断ち切り、絆を断ち切られたショックで悲鳴を上げ、そのまま気絶した心愛ちゃんを見て容赦ない言葉で切り捨てた」場面や、章の後半初めの「智乃ちゃんと心愛ちゃんの絆が断たれた事により、何もかも絶望に染まっていく」場面は、思わず目を背けられるものなら背けたいと本気で思った程で、この場面に関してはもし私がごちうさを全く知らなかったとしても、この凄惨さに対しては「絶対にショックを受ける」と咄嗟に思った程である。その為、私としても正直ここまで心苦しくなるとは予想できなかった事もあって、メインシナリオ第2部を今までがっつり読み進めていながらここまでショックを受けた事実には、最早言葉を無くす以外に無かった。正直重苦しい展開に心からどんなに打ちのめされても、根底は決して挫けないと思っていた私だったが、そんな事はないのかも知れないと本気で思い知らされてしまった。

 この様に相当心苦しい想いを抱える事になってしまった5章だったが、一方で要所にあるきらら達とりわけうつつちゃんの力強い言葉や、クリエメイト(ここではごちうさの登場人物)の何時もと変わらないやり取りには、重い展開が続く中であっても心の負担が少し軽くなったし、後半「ある事をきっかけに智乃ちゃんが新たな決意を誓った」場面以降、それまでの鬱屈したものを全て晴らしていく様に展開が進んでいくのに対しては、思わず強いカタルシスを感じたものである。そして、章の終盤にある感動的な展開には、今までの辛い展開もあって心動かされたのは言うまでも無かった。その為、総じて言うなら、この5章は「メインシナリオ第2部らしく前半は非常に重い展開が続くが、後半からは劇的な展開に強いカタルシスを感じる事の出来る」構成をしていると考えており、それ故に最後の最後に壮大な感動を噛み締める事の出来る展開に仕上がっていると考えている。

傍若無人なリアリスト

ここは特に言葉がきつい内容になっているので、特にご注意ください。

 

 リアリストに対しては、これまでも悪逆非道の限りを尽す様な傍若無人に思わず憤りが隠せなかった事もしばしばあったが、その一方でリアリストの一部メンバーから感じ取る事の出来る、自暴自棄とも言える立ち振る舞いから見える彼女達の壮絶な過去と闇について思いを馳せるなら、自分勝手な行動である事には変わらないとは言え、一概に否定する事は出来ないという良心の呵責(かしゃく)に思い悩まされる事もしばしばあった。尤も、だからと言って私がリアリスト達を看過できる訳ではなく、寧ろ決して看過してはならないと考えている部分の方が多い位なのだが、何にしてもリアリスト達に対しては色々な意味で複雑な想いを抱き続けているのである。

 しかしながら、5章におけるリアリストを見た時の私は、これまでとは違う感想を抱かざるを得なかった。と言うのも、5章におけるリアリストの振る舞いが、あまりにも横暴が過ぎていた為であり、それはこれまで書き出してきた通りだが、それに加えて個人的にはリアリストに自分自身の想いをも踏みにじられたのがショックだった。無論、リアリスト達からしてみればそんな事は全く関係無いとは理解しているし、所詮は自分自身の思い込みに過ぎない事も分かってはいるが、それでも一度はリアリスト達に対して抱いた慈愛をリアリストの手によってあっけなく潰されてしまったのは悲しかった。

 特にショックだったのはスイセンであり、嘗て私はスイセンに対して「癖のある人物で、お世辞にも褒められた性格ではない」とは思いつつも、その一方で「根っからの悪人ではない」と思っていたのだが、今回心愛ちゃんに対して執拗な精神攻撃を平然と仕掛け、挙句「自分の腹だけはどうなってでも満たせ」等と言う身勝手極まりない様を見て、最早かける言葉が無かった。尤も、彼女自身も過去に壮絶な体験をしているが故にあのような思想を持つに至ったと言うのは想像に難くない為、一概に彼女を悪く見る事は出来ないが、それでも彼女の傍若無人な横暴ぶりには流石に失望感を覚えた。と言うか、改めてストーリーを見返してみれば、失望する以外に道は無いと思わざるを得ない程、彼女があくどい行動を繰り返した事に気付かされ、もう彼女に対して快く思える事はないとすら思った。因みに私が「やっぱりリアリストはリアリストだった」と思ったのもこの経緯故であり、その事実も余計ショックを大きくさせる事となってしまった。

 また、5章におけるサンストーンも中々に冷酷非情な行動が多く見受けられ、自分達の願いの為に心愛ちゃんの絆を容赦なく断ち切り、そのショックで心愛ちゃんが気絶しようものなら容赦ない言葉を投げつけるのはその最たる例である。更に彼女は5章において「自らの存在意義を他者に依存するのは情弱」とも言っており、これは私なりに解釈すれば「誰かに頼り切る形で自分の存在意義を見出すのは弱い人間がやる事だ」という事であり、彼女が絆ひいては「人間同士の繋がり」と言うものを全くもって軽視しているのが良く分かるが、勿論私としてはこの様な意見は看過出来ない。その為、正直幾らリアリストに対して理解を深めたいと考えていて、実際に自分なりに理解を深めてきた私としても、流石に怒りを隠せなかった。いくら何でも絆もとい「人間同士の繋がり」と言うものを侮辱し過ぎだと本気で思ったし、抑々「そこまで人間同士なり世界なり、それらの繋がりをそこまで憎んで一体何がしたいのか?」と、本気で彼女の思想を疑った程である。ただ、サンストーンからしてみれば「他人に自分の思想についてとやかく言われる筋合いはない」と思うだろうが……。

 他にも5章で再び登場していたリコリスヒナゲシについても、正直やり過ぎにも程があると思わざるを得なかった。作中において「自分達が絆なんて大切にしなかったし、自分の気持ちを紛らわせてくれるなら誰でも良かったから、心愛ちゃんだって私達リアリストと同じ様なものだ」等と言って心愛ちゃんを罵っている場面があるのだが、これには流石に「いくら何でも心愛ちゃんを侮辱し過ぎだ」と、心の中で怒りを滲ませながら読み進めたものである。元々リコリスヒナゲシに関しては、今までの章でも登場してきており、それ故にある程度は人物像も理解していたし、今回の様な悪逆非道な言動も見受けられてはいた為、正直「彼女達がこの様にクリエメイトを罵る事は分かっていた」のだが、5章における数々のあくどい言動はあまりにも常軌を逸しており、流石に見逃す事は出来なかった。「腸(はらわた)が煮えくり返る」*5とは正にこの事である。

 この様に5章におけるリアリストは、最低限の思慮分別さえ平気で無視した上で、人を侮辱する場面が他の章に比べても質・量共に高レベルであり、それ故に怒りやショックも他の章以上に大きく表れる様になっている印象が強くある。この時点では「リアリストは人の心をどこまでも悪びれる事も無く平気で踏みにじる組織」と言う印象を強く抱かざるを得ないが、ここにリアリストが抱えるであろう「壮絶な過去や背景、それに大きく蠢く闇」を加えると、多少なりとも見方が変わってくるものである。無論、それでリアリストに対する怒りが完全に治まるかどうかは全くの別問題だし、正直私自身も5章においてあまりにも度が過ぎた横暴な振る舞いを見せつけられた事により、怒りの感情が完全に消える事はないと思うが、それでも何か少しでも変化するならそれに越した事はないので、ここからはそんなリアリストの壮絶な背景について書き出したいと思う。

悲しきリアリスト

 前述する様にリアリストは悪逆非道の限りを尽す様な傍若無人が目立つ一方で、リアリストに属する面々の言動と、一部メンバーの自暴自棄とも言える立ち振る舞いを見るに、彼女達には何か壮絶な過去を抱えている様に感じられる事が多々あり、ここではリアリストの背景に存在しているであろう壮絶な過去や闇について書き出したいと思う。

 但し注意点が一つあり、これらは基本的にリアリストの言動を土台に、自分なりに整理をしたものである為、リアリストの面々が自ら口にした「過去に聖典や絆に裏切られたり、蔑ろにされたりした経緯がある」と言う趣旨の内容が、実際には彼女達の思い込みが多分に含まれている可能性もザラにある事を承知しておく必要がある。勿論、彼女達の言う事が全くの出鱈目とは思えないし、本当に聖典や絆に裏切られた若しくは蔑ろにされた環境にいた事も恐らくは間違いないとは思うが、あくまで「その可能性がある」と言う域を出ない事は理解しておいて欲しい。

 ここから改めて本題に入る。抑々リアリストの面々が基本的に聖典や絆を忌み嫌っている」のはここまで書き出してきた通りだが、これを見て個人的には「何故ここまで忌み嫌うのか」と気になった事が今までも多々あった経緯があり、これこそ「リアリストには何か壮絶な過去を抱えているのではないか」と私が思い立ったきっかけでもあり、それを紐解く為に使ったのがリアリスト自身の言動と言う訳である。

 その様にしてリアリストの背景や過去について考えてきた所、リアリストの大半は過去に「絆(聖典)に対して何かしらの形で裏切られた若しくは蔑ろにされた経験がある」事が分かったのである。尚、リアリストは現時点でもスズランやロベリア、エニシダダチュラも登場しているが、彼女達については過去にどのような経緯があったか明確には分かっていない為、ここでは記載していない。因みにこの4人については何れも4章でお目にかかる事ができ、その中でもスズランとロベリアの2人は4章の重要人物である。尚、基本的にダチュラを除いて性格に関しては概ねお察しで、何れもリアリストらしい曲者である。

上記の太字を自分なりに解釈した結果は下記の通り。

  • スイセン「自身が空腹に喘いでいた時に、聖典は一切助けてくれないどころか、聖典内に美味しい食べ物が沢山記載されていた事に憎悪した」
  • リコリス聖典を理解できないだけで周りから駄目な人扱いされた」
  • ヒナゲシ「どの世界*6からも自分を必要としてくれなかった」
  • サンストーン「過去に聖典には記載されていなかった世界の真実を知り、それ故に聖典に失望した」

 この様に何れも聖典若しくは絆に蔑ろにされた若しくは裏切られたと言う過去が共通している。因みにリアリストの首謀たるハイプリスについては、5章最後において過去に自身も聖典を愛していた時期があった事を仄めかしている。ただ、ハイプリス本人はリアリストの首謀者らしく聖典を愛していた事を既に「過去の事」と割り切っているが、やはりハイプリスにも何か痛々しい過去を持っている可能性は捨て切れない上、この事実は「リアリストが聖典に絶望し、それを根絶やしにしようとする理由」にも深く関わっている可能性も大いにあるとも考えられる為、リアリストの真意を解き明かしていく上でも非常に重要な手掛かりになる可能性すら秘めていると思う。

 これらの事から、私自身リアリストに対しては悪逆非道とも言える様な傍若無人な振る舞いに対して怒りを覚える事はありながらも、同時に決して看過できない様な行動に走るまでに自暴自棄で退廃的な言動、そして上記の様な壮絶な経緯に思わず複雑な想いを抱える事も少なくなく、この意味でもリアリストに対して心が痛くなる事も、過去の章の感想・考察を書く時からしばしば発生していた。これには上記の様な数々の複雑な想いが私自身にあるのもそうだが、それ以上にリコリスヒナゲシ、そしてスイセンに代表される様に「どの様な事になってでも、自分達の理想の目標を手段を選ばず遂げようとする自暴自棄とも言える姿」があまりにも痛々しい且つ悲しく感じた事が大きかった。

 また、リアリストに対して複雑な想いを抱える理由は他にもあり、それは自暴自棄とも言える様な状態になってしまったリアリストとて「元々は人間らしい優しさを持った人格者」であった事を、リアリスト達の過去や言動から感じ取れる事が挙げられる。尚、ここでも5章未登場のスズラン、ロベリア、エニシダダチュラについては詳細が良く分からない為、掲載しない事とする。

太字の具体例は下記の通り。

  • リコリスヒナゲシの場合、本人達はお互いを「たまたま都合良くそこにいただけの関係」などと称しているとはいえ、少ないながらもリコリスヒナゲシを、ヒナゲシリコリスを想っていると感じさせる言動が存在しており、それ故に昔は今ほど絆を憎んではいなかった可能性を思わせる。また、2人共根は優しい一面も覗かせており、環境が彼女達を変貌させた可能性も十分考えられる。
  • スズランの場合、5章においては冷酷非情な本性を見せつけてきたとは言え、普段は比較的明るく人柄も決して悪いとは言えない為、元々の彼女は多少自分勝手な部分はありながらもここまで劣悪非道な人物ではなかったが、聖典への強い憎しみが彼女をその様に変貌させた可能性がある。
  • サンストーンの場合、特殊な経緯故に断定は難しいが、元々は絆を尊ぶ能力持ちのきららと深い関係を持っていた為、聖典に対する理解がある故に聖典を捨てた可能性がある。その為、元々は聡明で真っ当な人格者だった可能性も十分に考えられ、本来なら周りから憧憬されてもおかしくなかったとすら言える。
  • ハイプリスの場合、リアリストのトップながら、元々はランプと同じく聖典に対して無償の愛を持っていた過去」があった事を本人が明かしており、それ故に元々は聖典に対する理解が深く、慈愛に溢れる人だったが、何らかの理由でサンストーン同様聖典を見限った可能性が考えられる。

 この様にリアリストも元々は自暴自棄でも無ければ悪辣非道でも無く、人間らしい優しさを持った真っ当な人物だった事を窺わせる発言やそれを思わせる描写は少なくなく、それ故に私はリアリストに対して「最初から聖典を憎んでいた人達が、聖典を破滅させようと画策した」と言うより「元々は至って真っ当な人格者だったが、何らかの理由で聖典に失望し、その聖典を破滅させようと願う内に、徐々に心や性格までも醜くさせてしまった」という事もあり得るのではないかと考えている。尤も、それは後述する様な「推察による思い込み」の可能性もあるが、私はどうにもどうしてもその様にも思えてやまないのだ。

 ここまで私が感じている「リアリストは嘗て真っ当な人物だったと思う例」について書き出してみたが、当然の事ながらこれらは全て「自分が感じ取っている事」である為、実際にリアリストが過去にどの様な人柄であり、過去にどのような経緯があったから今の様な人格と思想に至ったのか、その真相は本人のみぞ知る事であり、私はそれを推察しているに過ぎない。しかしながら、どんな事があろうと私にとってはリアリストが抱えているであろう重い過去について、彼女達の言動から度々心が痛くなる事もある程に感じ取れる事には変わりなく、それはこの文章を書いている時でもそうである。尤も、何故そこまでしてリアリストに対してここまで真剣に考察するのかに関しては、最早自分でも理由が良く分からなくなる事も時にはあるのだが、何れにしても私は「リアリストに対して複雑な想いを持っている傍ら、深き想いを持とうともしている」と理解して貰えると幸いである。尤も、その果てに何が待っているのかは私でも分からず、一方では「紆余曲折ありながらも、結末はしっかり噛み締められるものだった」と思うかも知れないし、また一方では「結末までも非常に重く、最後まで重い心が晴れやかになる事は遂に無かった」となるかも知れない。全てはこの物語の終着点に委ねられている……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部5章で私が考えた事である。5章は今までの章の中でも特に壮絶で、特に序盤から中盤までの悲惨さは今までの章の中でも群を抜いていると思う程であり、リアリストのあまりにも度が過ぎた横暴さも相まって、今までのメインシナリオ第2部の中でも途轍もなく辛い章になっているとは正直思う。ただ、その一方で中盤以降の劇的な展開は、今までの鬱屈したものを全て晴らしていく様な清涼感と勢いがあり、ここから「物語の中ほどまで鬱屈した展開が続く分、中盤以降怒涛の勢いで全てを取り返しに行き、終盤に改めて絆を認識し合う事に大きな意味が生まれてくる」とも言える為、言うならば「途中まで展開が非常に辛いが故に、最後の感動的な展開がより意味を持ったものになる」と感じている。

 この5章に関しては、私としてもどの様な視点から捉えるべきなのか、今でも思い悩む節があるまでに内容を推し量る事にとにかく苦労した章であったのだが、冷静に考えてみても、まずメインシナリオ第2部5章の重い展開は1章から4章を比較しても尚頭一つ抜けていると思う位だし、5章のリアリストは今までになく悪辣非道でどこまでも無慈悲、そしてどうしようもない程に自暴自棄な一面が色濃く表れているし、5章の要所で襲い掛かる悲惨な場面の凄惨さと来れば、最早言葉にもならない程のショックを受けると言うのだから、ある程度苦労するのは当然だったのだろう。そして感想・考察が出来上がってみれば「過去に類を見ないまでに難解な二字・四字熟語や諺が多く、内容もメインシナリオ第2部本編に負けず劣らず重く、喜怒哀楽が凄まじく煮え滾っているのがすぐに分かる」までに異質な内容になり、それ故に私が同じくブログで書いているごちうさ感想・考察文の様な「温かみある世界観」だけではなく、そこに「只管(ひたすら)に複雑な想いが錯綜する冷たき世界観」が加わり、結果的に非常に重い内容となった。我ながらこの違いには驚くばかりだが、どちらも私の本質*7であり、決して無理をしている訳では無い事は言っておく。

 また、私自身ごちうさに関しては原作、アニメ共に観ていた事によりごちうさファンとしての色を強めたメインシナリオ第2部5章の感想・考察か」、はたまた「きららファンタジアファンとしての色を強めたメインシナリオ第2部5章の感想・考察か」と言う二重苦があった事も更なる苦心を招いた。尤も、この様な「きらファンの世界観を重視するか、参戦作品の世界観を重視するか」と言う二重苦は、私にとってはごちうさだけでなく、きららファンタジアに参戦している作品全てに言える事なのだが、この様なある意味クロスオーバー作品ならではとも言える悩みは、私にとっては本来なら天秤にかけたくないモノを使った厳しい決断を余儀なくされる*8為、非常に難しい問題ではあったが、決断としては、私自身が「クロスオーバー作品においては、クロスオーバー作品そのものの舞台も重視する」考えの持ち主であった事や、元々メインシナリオ第2部においては「メインシナリオ第2部の世界観を紐解きたい」と言う想いが強くあった事から、いったんは「きららファンタジアファンとしての色を強める」事にしたのだが、それでも私自身「どんな事があっても、参戦作品の世界観は絶対に尊重していきたい」と言う想いもまた、強くある事には違いない為、最終的には「きらファン色を強めに出しつつも、きらファンとごちうさ、どちらの色もしっかり持たせる様な感想・考察」にする事にした。ただ、私自身もこの様な形で気持ちをはっきり決めた上で書き出す経験がさほど無いので、どれ程上手く行ったのか良く分からないが、少なくとも自分の中では出来る限りを尽くしているし、今後もこの様なスタイルにより磨きをかけたいと考えている。

 最後に、5章は今までの章の中でも特に壮絶で、筆舌に尽くしがたい痛みを感じたり、怒りを覚えたりする描写も少なくなかった事も確かだが、最終的な章の結末は非常に感動的であり、全体的に見れば深き感銘を受ける様な内容だった事は、1人の熱心な「きららファンタジア」と「ご注文はうさぎですか?」両方のファンとして改めて言いたい。色々思う事はあっても、やっぱり私はこの5章含めたメインシナリオ第2部の世界観が好きな事に変わりは無い事を改めて書き出して、今後の章を待つとしたい。

 

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙44枚分であり、これは過去6番目の文量の多さであるが、きらファンの感想・考察としては最も多くなった。因みに今回のブログは前回のごちうさ感想・考察ブログから地続きに書いており、書いた文量は文字数にしてのべ36000文字強になっている。

*1:世界とは「エトワリア」の事で、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。因みに欺瞞は読んで字のごとく「人をあざむくこと」を意味する。

*2:特にうつつちゃんがイメージに似合わない前向きな行動・発言をした時に顕著。

*3:因みに作中ではもっと凄惨な言葉が使われており、彼女の聖典に対する際限なき憎しみが滲み出ている。

*4:何れもクリエメイトが登場せず、それ故にきららファンタジア独自の世界観が色濃く光る章になっている。ただ、どちらの章も内容がかなり重い上、最後には重苦しい結末を受け止めなければならない辛さも襲い掛かってくる。

*5:怒りが堪え切れない事。

*6:ここでは聖典の世界を含めた既存の世界全てを指す。

*7:と言うか、様々な感情を遺憾なく発揮できると言う意味ではきらファン感想・考察の方が、良くも悪くも私の煮え滾る想いがより深淵まで解放された内容になっている。

*8:ただ、この様な決断力も時には絶対に必要になるものだが……。

きらま2022年1月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。最近はごちうさに関して私の中では原点回帰と言わんばかりに、自分の率直な気持ちを書き出す事を意識して書き出してきましたが、今月号を読んだ後に私自身、また新たな境地に向かおうとしているのが感じ取れました。もう後戻りはできないと悟った以上、前に進み続けるのみです。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2022年1月号掲載のごちうさの感想・考察を書きたいと思います。今月号も中々に衝撃的な内容で、私としてもどの様な角度から捉えれば良いのか。少々頭を悩ませている次第でありますが、以前から私は「率直な気持ちを平易な言葉を表す事」を強く意識しているので、今月号も今までと変わらない気持ちで書き出したいと思います。

※注意※

最新話及び原作コミック9巻以降のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。

1.はじめに

 今回のお話は先月号同様、大きく見ると序盤は心愛ちゃんが見ていた夢である「心愛ちゃんの過去の話」から始まり、途中で冬優ちゃんの手によって現実に引き戻されて、それ以降は「心愛ちゃんと冬優ちゃん」⇒「心愛ちゃんとナツメエル」⇒「心愛ちゃんと智乃ちゃん」と言うカップリングの変遷を見せつつ、現実世界でお話が進んでいくと言う構成をとっている。その為、先月号の展開を知っていると、今月号も「おお、先月号と同じ構成でやってきた。ここからどの様に世界観を見せてくれるのか楽しみだ。」と思える作りになっている。因みに括弧書きで書いた内容は私が今月号を読み進める中で実際に思った事である。

 この様な構造から、今月号は「心愛ちゃんが見た夢もとい心愛ちゃんの過去のお話と、心愛ちゃんと年下組のカップリングが光る現実のお話」の2つが主軸になっていると言え、そのどちらも非常に心打たれる内容になっている。今回は変則的な形態をとった先月号の感想・考察から一転して、物語の順序通りに私の思った事を率直に書き出したいと思う。

2.購読した感想・考察

奇跡の出逢いの過去

 今月号の序盤は(後から分かる事だが)心愛ちゃんの夢の中のお話であり、この内容には「どうして心愛ちゃんが木組みの街に行こうと思ったのか。どうして心愛ちゃんには不思議な想いや雰囲気を纏(まと)っているのか。」その事を読み解く上で特に重要な要素が散りばめられており、先月号から一新して新たな世界に踏み出した読者の心を思わず鷲掴みにする内容だと考えている。

 序盤の重要なポイントは「心愛ちゃんが小さい頃の世界観で紡がれる物語」「智乃ちゃんのお母さんである『サキ(咲)さん』と心愛ちゃんとの出逢い」の2つだと考えており、後者は特に後の心愛ちゃんの思想に大きな影響を与えた観点でも、不思議な縁に引かれて心愛ちゃんとサキさんが出逢ったと言う観点でも、とても重要な事だったと感じ取っている。因みにその出逢いは「迷子になって泣いていた幼少期の心愛ちゃんが、通りすがりのサキさんと出逢い、そのサキさんが披露した手品を見て、心愛ちゃんはサキさんのことをまるで「まほうつかい」の様に思った事」から始まっており、私としては何か不思議な想いを感じるばかりである。まるで「こんな幻想的な想いは本当に存在したんだ……。」とただひたすらに思う程に。

 また序盤においては、今まで謎に包まれていた心愛ちゃんのお母さんと、4兄弟の内兄2人の名前が遂に明らか)になっており、心愛ちゃんのお母さんはサキさんから「ちょこちゃん」と呼ばれており、心愛ちゃんの兄2人はそれぞれ「ケイ」「イツキ」となっている。因みにこの3人の名前を全て合わせて組み立てると「チョコケーキ」と言う何とも美味しそうな名前になる。

 この様に数々の謎が明らかになった序盤なのだが、個人的には序盤の展開の中に少し気になる描写があり、それを書き出すかどうかについては、内容が決して明るい事では無いが故に少々思い悩む所があるのだが、何度も言う様に私はあくまで「率直な気持ちを書き出す事」を信条としているので、思い切って書き出す事にする。ここからはそんな幻想的な雰囲気に溢れた序盤の展開を読む中で、私が何を感じ、思ったのか。その事を出来るだけありのままに書き出したいと思う。

揺り動かされし子供心

 今月号の序盤を読み進めていく中で、このカテゴリーは個人的には絶対に外せないと思うものであり、これは「幼少期の心愛ちゃんが、迷子のさなかにサキさんと出逢って一緒に木組みの街を探検していく中で、彼女がいったい何を感じ、何を思ったのか」を自分なりに考えたものである。

 抑々幼少期の心愛ちゃんは、基本的には全くと言って良い程今と変わらない好奇心旺盛さとマイペースさを併せ持っており、その好奇心旺盛さ故に、良くも悪くも興味のある事に対してどんどんのめり込んでしまう為、かつてトランプで姉に勝てない事に自分の非力さを覚え、修行と称して三輪車で途方もない修行の旅を計画して、姉であるモカさんに怒られたり、今月号の様に一人迷子になってしまったりしているのもこの幼き頃である。この事から心愛ちゃんは「成長した今でも、昔と何ら変わらない子供っぽい所がある」と言えるのだが、それと同時に「自分に足りないものがあれば、どんなに大変でも努力しようとする一面や、好奇心の赴くままに行動する事で、無意識の内に多くの出逢いの経験を重ねている事」が読み解け、これらも今の心愛ちゃんと何ら変わらない。ある意味心愛ちゃんは「昔から幼さと大人っぽさを持ち合わせており、それは今でも変わらない」と言えるのだろう。

 そんな幼少期心愛ちゃんだが、木組みの街での出逢いは彼女の人生観に多大なる影響を与えたのは間違いなく、それは今月号に描写されている彼女のキラキラした輝かしい反応が証明している。その感じた事たるや、一つ一つ辿ろうとしたら、恐らくいくら追いかけようとしても追いつけそうにない位であろう。それだけでも非常に輝かしい事なのだが、そこに「子供の頃の経験は、成長してもずっと何かしらの影響をもたらす」と言う私の考えを付け加えると、私としてはより輝かしいものになると考えている。

 抑々私は「三つ子の魂百まで」*1と言わんばかりに、幼い頃の記憶というものに対して特別な想いを抱いており、故に幼き時に体感したものを大切に扱いたい想いが強く存在している。こう思うのには「幼き時の想いは、年を重ねてもずっと忘れないで受け継がれていくものだから。」と言う自分なりの考え故であり、この様な考えに想いを馳せ、色々な出来事に身を重ねてみると、より輝かしく見えてくる。この場合なら、今の心愛ちゃんを想い浮かべながら、昔の幼き心愛ちゃんの経験や決意を知る事で「この様な経験があったから、今の心愛ちゃんの決意や覚悟に繋がっている」と知れる事が何よりも喜ばしいのであり、私にとって大きく心動かされる瞬間でもある。色々意見はあるとは思うのだが、やはり幼き頃に経験した衝撃は何物にも代え難いものだと思うし、それは心愛ちゃんにしても同様だと思っている。

 この様に幼き心愛ちゃんは、木組みの街での出逢いの中で、現在に至るまでの確固たる意志を築いたと私は考えているが、この時の幼き心愛ちゃんが築き上げた重要な意思はもう一つあると考えている。それは智乃ちゃんのお母さんであるサキさんが「大きくなったら何になりたいの?」と言う質問をした事に対して「大きくなったらまほうつかいとお姉さんになりたい」と言う願いを言った事である。そして、この心愛ちゃんの答えに対してサキさんはいつかなれる様にとおまじないをかけてあげているのだが、私はこのシーンに一体どれほどの意味があるのか。その事について理解を深く進めていく事になった。

 元々心愛ちゃんはDMSでもある様に、幼い頃はまほうつかいに強い憧れがあった事自体は既に明かされている事実であり、この時私は「心愛ちゃんはまほうつかいが好きなのか」とそこまで深く受け止めていなかったが、今月号を読んでから色々考えを張り巡らせてみてから真相に気付いた時、DMSのあのシーンには「嗚呼、これだけの深い意味があったのか……。」と、思わず身震いした。そして、この事実は同じくDMSオリジナルである魔法少女チノが幼き心愛ちゃんに対して色々な魔法を披露した事」にも繋がっており、恐らく心愛ちゃんにとってまほうつかいとは「誰かに夢や希望を与えてくれる大切な人」を指しているのだと思った。勿論、本当の事は心愛ちゃんのみぞ知る訳だが、これで分かるのは「魔法使いのステレオタイプ*2なイメージばかりしていると、何時まで経ってもごちうさにおけるまほうつかいの真意にはたどり着けない」という事だろう。

 ここまで心愛ちゃんが考えている「まほうつかい」について考えを馳せてみたが、こうしてみると気になる事が出てくる。それは心愛ちゃんは「何時から魔法使いに対して強い憧れを持つ様になったのか。」である。作中で描かれている所から判別するなら、幼少期である事は間違いないと思うのだが、ここからが地味に曲者。何故なら作中でも「まほうつかい」を象徴する代表的な描写であるDMSでのまほうつかいのくだり(魔法少女チノは除く)と、木組みの街に訪れた事の一体どちらが先なのか判断できない為に、断定するのが非常に困難を極めるからである。勿論、心愛ちゃん本人の反応を見ればある程度は推察できるとは思うのだが、それでも100%完璧に判別できる保証はどこにもない為、やはり困難だと思われる。

 だが、ごちうさにおいては「明確な時系列が分かりにくい事例」はこの他にも多くある上、幾ら「成長と変化を読み解くのが重要な作品」とは言え、明確に時系列を解き明かさなければならない程にガチガチのパターンが組まれている*3訳でも無いし、事実ごちうさは明確な時系列が全て明らかになっていなくても、きちんと物語として成立している事を思えば、時系列をガチガチに明確にする事に対して、そこまで必死になる必要は無いと考えられるかもしれない。

 しかしながら、今回の「まほうつかい」の件に関しては、時系列を明確に解き明かさなければならない理由があると私は考えている。何故なら木組みの街に訪れたのが、DMSでのまほうつかいのくだりよりも先の場合、サキさんとの約束が非常に意味を持つが、逆の場合(DMSでのまほうつかいのくだりが先な場合)だと意味合いが根底から全く違ってくるからである。言い換えるなら「サキさんの様なまほうつかいに憧れたからこそ、DMSであった様なまほうつかい姿を披露したのか。はたまた自分の中で元々まほうつかいに対して憧れがあり、それが木組みの街でサキさんと出逢った事で確固たるものになったのか。」と言う事であり、ここから「この2つは似て非なるもの」なのは明らかであり、時系列を解き明かさなければならないと私が躍起になる理由も分かると思われる。尤も「いくら説明されても、理解できないものは理解できない」と、突っぱねられてしまう可能性がある事も重々承知している。

 ただ、明かされる真相が何であっても、心愛ちゃんがまほうつかいに対して何か強い想いがある事には違いないと考えている。そうでなければここまで重厚に扱われる事はない訳であり、恐らくは物語の根幹に関わる様な、何か重要なメッセージがある様に感じているのである。

 因みに当の心愛ちゃん自身は、木組みの街に来た時にはあまりに幼かったが故なのか「自分が木組みの街に来た時の記憶は殆ど覚えていない」と公言しており、感覚として「凄くワクワクして楽しかった事だけはうっすら覚えている位」の記憶しかないそうだが、この序盤に描かれた彼女の夢の内容を見るからに、この様な事が言えるかもしれないと思った。それは

「彼女はもう嘗ての木組みの街の記憶は明確に思い出せないかもしれない。しかしながら、その記憶は彼女も気付かない様な心の奥深くに眠っている。」

という事である。ある意味彼女は嘗て体感した木組みの街での出来事を「記憶ではなく、感覚で覚えている。」のかも知れない……。

まほうつかいの意味

 ここまでは主に幼少期の心愛ちゃんに焦点を当ててきたが、ここからはその幼少期の心愛ちゃんにあらゆる未知の事を教えてくれた「サキさんもといまほうつかい」に焦点を当てたいと思う。

 抑々サキさんは名前を「香風咲」と言い、タカヒロさんの妻であり、智乃ちゃんのお母さんであるが、智乃ちゃんがまだまだ子供だった時に何らかの理由(尚、明確な理由・時期については一切明かされていない)で早世*4してしまっている。それ故に現在の時間軸では基本的に登場する事はないが、ハロウィンの時には、まるで魔法にかけられたかの様に心愛ちゃんの前に現れ、智乃ちゃんのお母さんとして心のこもった沢山のメッセージを心愛ちゃんにもたらしたのは、私にとっても深く心に刻まれている。あの世界観が一体何かについては分からないままだが、きっとハロウィンに伝えられた伝承が、一つの奇跡を起こしたのだと私は思っている。言うならば言葉では決して説明できない、文字通り「まほう」がもたらした奇跡のセカイを……。

 生前は心愛ちゃんのお母さんと学生時代から仲が良く、お互いに「うさぎちゃんとちょこちゃん」と呼び合う程の仲の良さであり、学生時代にはそれなりに羽目を外す事もあったそうである。ただ、大人になってからのサキさんは、時々学生時代の様な弾けた姿は見せつつも、基本的には上品な人だった様である。また、手品が非常に上手く、幼き頃の智乃ちゃんや心愛ちゃんを手品で喜ばせていた姿は非常に印象的である。因みに心愛ちゃんは無意識の内に嘗てサキさんが行っていた事を踏襲若しくは遺志を継ぐ様な行動をする場面*5がしばしば見受けられ、心愛ちゃん本人には全くと言って良い程自覚が無いが、これもある意味「サキさんから心愛ちゃんに『まほう』が受け継がれている証拠」と言えるのかも知れない。

 幼少期の心愛ちゃんと行動を共にしていた時のサキさんは、幼少期の心愛ちゃんを導く形で木組みの街を案内しており、この時にまだ幼い心愛ちゃんが多大なる影響を受けたと思われると言うのは先ほど書き出した通りである。ここで興味深いのは寧ろ心愛ちゃんがお母さんと合流した後*6であり、詳しくは割愛するが、私としてはサキさんとちょこちゃんのやり取りを見るに、ちょこちゃんは「物事には必ず理があると考えている」様な現実主義者である一方、サキさんは「誰にでも魔法を使える資質があると考えている」様なロマンチストな一面がある様に思える。

 私としてはこの事実は結構重要な事だと考えていて、極端な事を言うならサキさんが「まほうつかい」の力を信じている様なロマンチストな一面があったからこそ、幼少期の心愛ちゃんにも「まほうつかい」の想いが受け継がれたとすら言えるのではないかと思う程であり、ここからごちうさにおける「まほうつかい」の意味として私は

「無償の愛をもって人を導く様な、ロマン溢れる強き想いを持った人」

を言うのではないかと思っている。無償の愛とは「見返りを一切求めないで人に尽くす事」を言い、言うならば「人が幸せな想いをしてくれるなら、どの様な事でも厭わない(=ためらわない)」事を指す。ごちうさ他人に対してむやみやたらと見返りを求めず、人の意思を尊重する事を何よりも大切にしている作品でもあると考えており、人間である以上何時もその様なスタンスではない事は承知の上で、個人的には全員が基本的にその傾向にあると考えているのは大前提として、とりわけ心愛ちゃんや千夜ちゃんが特にその傾向が強くあると感じており、そして今月号のサキさんもそれが強く現れていると感じ取っている。そう思うなら、サキさんが言う様に「誰もがまほうつかいの資質を持っている」と言うのも説明がつく上、現在の登場人物の中ではサキさんを母に持つ智乃ちゃんを除いてそのまほうを特に身近で観ている描写が存在する心愛ちゃんが「サキさんのまほうの影響を色濃く受ける」のも、個人的には合点がいく。

 この様にごちうさにおける「まほうつかい」の意味に関しては「無償の愛をもって人を導く様な、ロマン溢れる強き想いを持った人」と言う、我ながらロマンチストな一面全開の見解を持っているとは思う。ただ、それにはきちんとした理由があり、それは過去の手痛い経験故である。

 抑々私はごちうさを読んでいる中で、ハロウィンでの出来事も何が何だか良く分からないままに魔法にかけられた気分ではあったし、他にも理論的に紐解こうにも最早不可能だと悟った場面は数多くあった。この時点で「ロマンチストな一面を出した方が良い見解が出る」と悟った上で、そちらの方向に舵を切ればある意味良かったのだが、どういう訳か私は変な意地を張って、ロマンチストな見解を無理矢理かなぐり捨ててまで何でもかんでも理論的に紐解こうとした。結果は最早自分でも分かり切っていたとは思うが、どうしようもなく錯綜した苦悩を引き起こしただけで、見るも無惨な結果になってしまったのは言うまでも無かった。言ってしまえば無駄な悪あがきであるが、出来レースとは分かっていても、どうにも認めたくなかった自分がどこかにいたのであろう。だが、結局は自分が本能的に気付いた事には勝てなかった。でも、その方がある意味良かったのかも知れない。何故ならそうでなければ、未だに錯綜した気持ちを持ち続けたまま、どうにもならない事で悩んでいたかも知れないのだから……。

 結局の所、この手痛い経験からごちうさを紐解く上で私に必要だったのは「緻密な計算を読み解く力と、ロマンを持ち続ける心意気」の両方だったと思い知らされ、苦悩を乗り越えた後はごちうさもといあらゆる物事に対して、ロマン溢れる見解を出す事に積極的になってきている。元々ロマンチストな一面に対して憧憬(しょうけい)意識があった私の事なので、ある意味当然の成り行きだとは思うが、この経験があったからこそ、今月号のサキさんの想いに対してここまでの見解を持つ事ができているのである。

一縷の悩みと希望

 この様に色々な意味で前向きな想いを書き出してきたが、最後にこの序盤を読んで少し気になった事を書き出したいと思う。とは言ってもそこまで深刻なものでは無い事は言っておきたい。因みに一縷(いちる)の悩みは、ここでは「僅かながらの悩み」の意である。

 序盤で私が気になったのは「心愛ちゃんとサキさんが一緒に木組みの街をめぐった描写がある場面」であり、ここでは後に心愛ちゃんが後に木組みの街で出逢い、かけがえのない物を一緒に創り上げていく事になる人達と、幼き時には知ってか知らずか既に巡り逢っていた事が分かる*7意味でも重要な局面なのだが、個人的により重要だと思ったのは、初期組の中で今まで存在さえ全くと言っていい程描写されていなかった「理世ちゃんの母親」が僅かながら描写されていた事であり、これ自体は良かったのだが、今まで明かされていなかった分、やはり少々複雑な気持ちだった訳である。

 ただ、ごちうさに対して様々な想いを持ち、多くの紆余曲折故に散々なまでに悩んできた過去を経て今がある私にとって、最早思い悩んで立ち止まる事は似つかわしくない。その為、これからどのような事が明かされたとしても、全力と受け止める気でいる。もう、思い悩む事にはなりたくないのである。

 因みにこれ以外にも、幼少期の心愛ちゃんとサキさんが木組みの街を散策中に狩手結良ちゃんとその結良ちゃんの母親らしき人物が描写されていたのも、個人的には気になった事の一つなのだが、いかんせん結良ちゃんについては謎が多過ぎる為に、どう捉えるべきなのか良く分からなかったのが正直な所である。ただ、私は結良ちゃんの事は結構好きなので、ここから結良ちゃんの色々な一面が見えてきたら良いなとは思っている。

継承されし想いで溢れる現在

 今月号の序盤は心愛ちゃんが見てみた夢の話だが、中盤からはベンチで白目をむいて寝ていた心愛ちゃんを見て、危険だと思って心配した冬優ちゃんにビンタで叩き起こされてからは、物語は現在の時間軸になり、以降は基本的に今月号の最後まで現在の時間軸となる。因みに心愛ちゃんは冬優ちゃんに叩き起こされた際、最初は寝起きという事も相まってかなりぽわぽわしていたが、その後はちゃんと話せているので、大丈夫な事が確認できる。ベンチで寝てしまうとは何とも心愛ちゃんらしくはあるが、冬優ちゃんの心配通り白目をむいている状態が本当に危険な状態のサインである事も十分に考えられる為、冬優ちゃんの行動に非はない。尚、冬優ちゃんにしても心愛ちゃんに対して殴って叩き起こした事を直ぐに謝っており、心愛ちゃんもそれを許している為、結果的には大事(おおごと)にならずに収まって良かったと言える。

 中盤からは心愛ちゃんを中心としたストーリー進行であり、そこに最初は冬優ちゃん、途中からナツメエル、最後は智乃ちゃんと、年下組が入れ替わり立ち代わりについていく形になっている。そんな中盤から今月号最後までの重要なポイントは「心愛ちゃんと年下組の化学反応」「受け継がれていく想い」の2つであり、どちらも序盤に匹敵するほど非常に重要な要素を持っていると考えている。私が「受け継がれる想いは本当にあった。」と改めて思わされたのもこの中盤以降の展開を読んだが故であり、やっぱりごちうさは凄い作品だと思わされてもいる。

 そんな中盤以降の展開だが、今回はまず「ココフユ」「ココアとナツメエル」「ココチノ」と言う感じに、3つのカップリングそれぞれから感じた事、考えた事を率直な気持ちをもって書き出し、最後にまとめて「この3つのカップリングから何を感じたのか」をまとめて書き出したいと思う。やや複雑そうに見えるが、まずは物語に沿った形で感想・考察を書き出し、そこから中盤以降の展開を通して見えた事を書きまとめる形態になっていると考えてくれれば幸いである。

心愛ちゃんと冬優ちゃん

 中盤最初のカップリングは「ココフユ」であり、この2人は旅行編の時に「知らないセカイに飛び込む勇気を授けた人と、授けられた人」と言う深き関係性を築き上げた経緯故に親交が深く、それは心愛ちゃんが冬優ちゃんの事を下の名前にちゃん付けする、心愛ちゃんのいつも通りの呼び方で呼び、冬優ちゃんは心愛ちゃんの事を「ココ姉」と呼ぶ事からも窺える。また、この2人は何気に「高校進学を機に外のセカイから木組みの街に来た」と言う意味でも共通しており、ある意味「運命に導かれた2人」と言えるだろう。

 そんなココフユだが、冬優ちゃんが心愛ちゃんを叩き起こしてからは2人で行動を共にしている。尚、叩き起こした際に心愛ちゃんは夢で見た内容を想起しており、物思いに耽っていた様子を見せていたが、冬優ちゃんにその内容を聞かれた途端にその夢の内容を忘れてしまっている。それだけ心愛ちゃんにしてみれば、嘗ての木組みの街の記憶をはっきりと思い起こす事がどれ程難しいのかが分かるだろう。ただ、冬優ちゃんはその事を全く責める事は無く、直ぐに心愛ちゃんに対して「自分に対して勇気を授けてくれた事」に対して感謝の気持ちを心愛ちゃんに直接表しており、かつて自分の気持ちを伝える事もままならなかった一面が見受けられた冬優ちゃんが、木組みの街の住人ひいては心愛ちゃんの勇気ある助言がきっかけでどれほど大きく成長したのか、それがはっきりと認識できる意味でも重要な意味を持っていると思う。

 尚、ココフユは途中から心愛ちゃんと逸れた*8智乃ちゃんを探しに行ったのだが、智乃ちゃんは自分より知らない年下の子を街案内しており、ここでも智乃ちゃんが他人を導けるまでに大きく成長している事が窺える。ただ、冬優ちゃんはその様な智乃ちゃんの行動を見て、自分以外にも丁寧に接している子がいる事に対してかなりの嫉妬の感情を滲ませており、冬優ちゃんにも「自分と智乃ちゃんだけの特別な何か」を渇望しているのが良く分かる。或いは、10代半ば特有の心情が表れたと言うべきか。何れにしても、冬優ちゃんのそういう一面は、10代半ばに良くある複雑な心境を上手く表していると、個人的には考えている。

 そんなココフユの2人を見て私としても色々考えたものだが、大事だと思ったのは「冬優ちゃんが精神的に大幅に成長している事が分かる」のと「冬優ちゃんにも智乃ちゃんに対して私だけにして欲しいと思っている事もある」の2つが分かった事だと考えている。前者は言うまでも無く「冬優ちゃんの精神的な成長」を表しており、木組みの街に来るまでは恥ずかしさ故に見知らぬ人とは腹話術なしでは中々会話できなかった状態から、自分に勇気を授けてくれた人に対して直接自分の言葉でお礼が言えるまでに精神的に成長した冬優ちゃんを見て私は

「冬優ちゃんは本当に人として大きくなった」

と思ったものである。思えば旅行編の時は高校進学を機に見知らぬ街に行かなければならない事実に対して嬉しさもある反面、1人孤独に涙を浮かべるまでに不安が滲み出ていた冬優ちゃんが、心愛ちゃんを始めとした木組みの街の住人との奇跡の再会を経てここまで精神的に成長した事は、個人的には非常に大きな意味を持つと考えている。

 また、もう一つの「冬優ちゃんにも智乃ちゃんに対して私だけにして欲しいと思っている事もある」と言うものについては、端的に言えば「冬優ちゃんにも割と嫉妬深い所があると分かった」という事であり、これは別にとりたたて言う事でもないとは思うが、ごちうさにおいて嫉妬は要所において結構重要な役割や意味を持っている事がある*9ので、個人的には覚えておいて損はないと思う。

 そして、最終的にココフユの2人は、冬優ちゃんがお使いに頼まれているという事で終わりを告げ、ここからは少しだけ心愛ちゃん1人での行動となるのだが、その際智乃ちゃんが見知らぬ子と一緒に木組みの街を仲良く楽しそうに散策しているのを心愛ちゃんが見た時に浮かべていた表情が、心愛ちゃんが普段見せない表情だったが故に色々と考えさせられる表情になっているのだが、これについては後に細かく書き出すとする。

心愛ちゃんと神沙姉妹

 冬優ちゃんと別れた心愛ちゃんが次に会った年下組は、ブライトバニーの社長令嬢であり、マヤメグと同じ学校の同級生でもある双子の妹の神沙夏明(ナツメ)ちゃんと、双子の姉の神沙映月(エル)ちゃんの2人であり、その2人は心愛ちゃんの横から2人合わせてひょこっと飛び出すと言うちょっとしたサプライズを仕掛けて、心愛ちゃんを驚かせている。因みにこの時の2人の表情は、多少差異があるとは言え、2人共とてもにこやかな顔を見せており、口調も結構弾んでいる様に感じられる。この事から、私としても神沙姉妹の2人が心愛ちゃんと会うのがとても楽しみしている事が窺える事にほっこりするのと同時に「心愛ちゃんはやっぱり天然で人を惹きつける魅力があるんだなぁ……。」と、思わずやきもちを焼く意識に駆られなくもない訳である。ただ、心愛ちゃんと神沙姉妹の可愛らしいやり取りを見れば、ある意味そんなやきもち焼きをも吹っ飛ぶくらいにほっこりする気もするのだが。

 今月号における「心愛ちゃんと神沙姉妹」と言うトリオの行動を簡単に言えば「現代版木組みの街散策」である。ただ、まず心愛ちゃんと神沙姉妹の3人は、夏明ちゃん曰く「不気味かわいいうさぎ」*10に近づいてみたいが、勇気が出ないから心愛ちゃんも一緒に行って欲しいと頼み、それを心愛ちゃんは快諾し、そこから木組みの街をあちこち散策しようと心愛ちゃんが提案して、神沙姉妹はそれを快諾すると言うのが事の流れとして存在している。因みにその際心愛ちゃんは「直ぐに迷うから元の場所に返ってこられる保証はない」と、割に威勢よく神沙姉妹に忠告しているが、正直極度の方向音痴な事を威勢よく言われても困ると思われる。

 そんな不安要素を抱えていた心愛ちゃんと神沙姉妹のカップリングだが、いざ散策を始めると3人共とても楽しそうにしており、街のあちこちで出逢う友達とすれ違ったり対面で声を掛け合ったりと、結果的には大成功を感じさせる描写があちらこちらにあったので、私としても安心だったし、心愛ちゃんにしても神沙姉妹にしても、3人で木組みの街を一緒に散策できたのは嬉しかったと思われる。

 この様な経緯から、私としては心愛ちゃんと神沙姉妹がこの様な形で楽しんでいた事に対して非常に悦び(よろこび)を感じている。抑々神沙姉妹は社長令嬢故に家柄を普通の人以上に見られやすく、また家の事情故に転校も多かったが為に2人だけの非常に狭いセカイで生きざるを得なかった経緯を持つ姉妹である為、旅行編で出逢った木組みの街の住人と木組みの街で奇跡の再会を果たすまで、同年代の人と殆ど馴染めない人生を歩んできた事は想像に難くなく、かなり窮屈な人生だったと考えられる。

 そんな人生を送ってきた中で、木組みの街で奇跡の再会を果たしてからと言うもの、同じ学校の同級生の友達がいて、違う学校の同級生にも友達がいて、年上にも沢山の友達がいて、そこから自分達の居場所も出来てきて、更に木組みの街の住人の心の温かさに触れて、どんどん自分を積極的に前に出していく神沙姉妹を見るのは、それだけでも非常に微笑ましい事なのだが、今回はそこから年上の心愛ちゃんにエスコートされる形で木組みの街を一緒に巡ると言う中々に貴重な経験をしている。その事は、神沙姉妹にとってきっとかけがえのないものになったと思うし、木組みの街で大切な人と大切な思い出を創れた事に大きな意味を持ったと考えられる。

 最終的に心愛ちゃんと神沙姉妹の3人は、神沙姉妹が木組みの街を走っている列車に乗る形で終わりを告げ、その後は心愛ちゃんが1人になるも、直ぐに智乃ちゃんと出逢って丸く収まるかと思いきや、そうは問屋が卸さないのである。

心愛ちゃんと智乃ちゃん

 心愛ちゃんが最後に出逢った年下組は今まで逸れていた智乃ちゃんであるが、心愛ちゃんと久々に再会した智乃ちゃんの顔はどこか曇っていた。それもそのはず、智乃ちゃんは心愛ちゃんが年下組(恐らく神沙姉妹)と楽しそうにしている様子を目撃しており、自分の知らない所で楽しそうにしていた心愛ちゃんに対してあからさまに嫉妬の感情を見せていたからである。ある意味「小説内において「エンヴィ(嫉妬)」の名を冠する事だけの事はある」とは思うが、やはりそういうお年頃と言う事なのだろうか。 尤も、年下組と仲良くしていたのは智乃ちゃんにしても同じ事であり、実際に心愛ちゃんは、その事を自分も多少嫉妬している事を思わせる表情を見せながら指摘している。ただ、その様な事で変にギスギスしないのもココチノの良い所でもある。

 今月号最後の主たるカップリングの「ココチノ」は、主に「逸れてからの行程をお互いに語り合う」形になっており、ここで色々な事が分かる様になっているのだが、個人的に重要だと思ったのは、心愛ちゃんが最早自力では思い出せなくなっている「嘗ての木組みの街で出逢った人」を智乃ちゃんは(ある意味当然だが)分かっている事であり、実際に智乃ちゃんは細かく特徴を言われてもいまいちピンと来ていない心愛ちゃんに対して、その「嘗て心愛ちゃんが出逢った人」を彷彿とさせる仕草を披露してもいる。それを見た心愛ちゃんは漸く嘗て出逢った人と、今の智乃ちゃんの仕草が良く似ている事に気付いたが、それでもそれが誰なのかをはっきりと分かっている様子は見受けられず、やはり彼女にとって「嘗ての木組みの街の記憶」を呼び起こすのはそれだけ困難を極めるのが窺える。ただ、嘗て木組みの街で出逢ったお姉さんと、智乃ちゃんの仕草が似ていた事を呼び起こしてくれた事に対して、心愛ちゃんは感謝の言葉を伝えている。

 個人的には心愛ちゃんが「嘗ての木組みの街で出逢った人をはっきりと分からないのはある程度致し方ない」と考えている。これはあくまで私の推測だが、ココチノにとって共通の存在である「まほうつかい(サキさん)」とは、智乃ちゃんにとっては自身の母親という事も相まって、ずっと身近で観てきた存在であったとしても、心愛ちゃんにとってはいくら自分の母親の友達だとは言え、まだまだ幼かった頃に何らかの理由で木組みの街を訪れ、そこで半ば奇跡的に出逢ったきりだった事が容易に想像できるのではないかと考えている。つまり出逢った回数が抑々違い過ぎるという事である。

 作中では殆ど言及されていないが、心愛ちゃんの実家がある地域と木組みの街とではかなりの移動距離がある事が想像でき、それ故にそう易々と頻繁に行き来する事は出来ないのは何となくでも理解できる。更に言えば、抑々心愛ちゃん達が何故家族で木組みの街に出掛けたのかも、詳しく言及されていない為に断定はできないが、恐らくは当時の幼き心愛ちゃんにとってはイレギュラーつまり非日常だったのは十分に考えられる事であり、その延長線上にサキさんひいては「まほうつかい」との奇跡の出逢いがあったと仮定するなら、抑々の出逢った回数の少なさが起因して、今の心愛ちゃんの様な「楽しくも大切にしたいと思った記憶はうっすら思い浮かべられるが、はっきりと思い出す事は難しい」と言う状態も個人的には納得できる。

 ただ、心愛ちゃんがはっきりと思い出せない一番の要因はやはり「月日の経過」が大きいだろうと考えている。これは先の仮定通り「心愛ちゃんとサキさんの対面的な出逢いがあの時以外基本的になかった事」が前提となるが、人間はどうしても月日が経過すればするほど嘗ての記憶は曖昧模糊になっていくものであり、自分では覚えておきたいと考えていた事でも、長い年月の経過とともにどうしてもその記憶は薄れていくのは避けられず、それ故に心愛ちゃんは思い出したくても思い出せない状態になってしまったのではないかと考えている。無論、記憶そのものは個人差が非常に大きい領域である為、一概には言えない事はきちんと理解しているし、それ故に心愛ちゃんが実際の所どうなのかは本人以外正確には分からないとは思うが、私はこの様に考えている。

 結論としては、心愛ちゃんは「嘗て自分が木組みの街に来た記憶そのものは覚えているが、頭で整理して言葉で伝えられるまでにはっきりとは覚えていない状態」にあると考えられ、それには「抑々出逢いの機会が僅少だった事と、絶対的な月日の経過」が大きく関わっていると考えられる。ともすれば、今後心愛ちゃんが自力で記憶をはっきりと思い浮かべ、尚且つそれを継続させるのは、今月号の描写を見る限りかなり難しいと思われるが、それでも心愛ちゃんがあの時の記憶を完全に忘れてしまう事はないと思える要素はあると感じている。それは先述した今月号最後の場面にある「心愛ちゃんが智乃ちゃんに対してお礼を言う所」である。

 この場面は今月号の流れを汲めば分かるのだが、智乃ちゃんからしてみれば「何故心愛ちゃんからお礼を言われたのか良く分からない」という心境であり、それは智乃ちゃんの戸惑った反応を見れば良く分かる。言ってしまえば訳の分からない事に振り回されている訳だが、心愛ちゃん側からすると「例の仕草をした智乃ちゃんを見て何か思い起こした事があって、その事に対して感謝の気持ちを伝えた」のだと感じている。最早何が言いたいのか自分でも良く分からなくなりそうだが、私が言いたいのは「心愛ちゃん自身、嘗て木組みの街に来た事をはっきりとは思い出せなくても、感覚ではしっかり覚えているのではないか」という事である。要するに「理論で覚えているのではなく、感覚で理解しているのではないのか」という事であり、頭でははっきり思い出せなくても、心はしっかり記憶している事を物語っている様な、重要な場面だと感じているという事である。

 最後の最後に少々訳の分からない事になりかけたが、確実に言える事として「想いは確実に受け継がれている事」は、このココチノのやり取りからもはっきり確認できると考えている。サキさんが授けた想いは、その想いを直接的に見ていたココチノの2人は絶対に伝わっていると思うし、ココチノの周りの人にもその想いは伝わっていると私は思う。

中盤以降の心愛ちゃんに対して思う事

 ここまでは主に「ココフユ」「ココアとナツメエル」「ココチノ」と言う様に、大きく3つのカップリングそれぞれに分けた上で、考えた事を率直に書き出してきたが、ここからはまとめとして「中盤以降の展開を通して見えた事を書きまとめる」とする。尚、心愛ちゃんの心境は、作中では描写せずに敢えて伏せているケースも少なくない為に、どの様な角度から考察すれば良いのかを見極めるのが他の人以上に難しい傾向にあるが、それでも読み解ける所が皆無な訳では無いので、頑張って読み解くとする。

 中盤以降はカップリングの変遷はあれ、基本的な中心軸は「心愛ちゃん」なのだが、今月号の中盤からはその心愛ちゃんの様々な心境が垣間見えると私は考えている。ただ、最初の「ココフユ」からしていきなり心愛ちゃんの心境を読み解くのが容易ではなく、推し量るのに大分苦労したのだが、恐らくは「冬優ちゃんの成長に悦びを感じた」と考えている。心愛ちゃんも旅行編の時の引っ込み思案だった冬優ちゃんを知っているので、徐々に成長していく冬優ちゃんに対して何か特別な想いがある事は容易に想像できるうえ、今回面と向かって冬優ちゃんから感謝の気持ちを伝えられた時は、表立っては思わず圧倒されていた様子だったが、心の中ではきっと冬優ちゃんの成長を力強く噛み締めていたと思う。

 そして、冬優ちゃんと別れてからすぐに心愛ちゃんは知らない子と一緒に楽しそうに街を回っている智乃ちゃんを一人で見る事になるが、心愛ちゃん自身も凄く印象的な表情を浮かべていたが、個人的にはこの表情こそ今月号の中でも特に深い意味を持つものの一つと考えて間違いないと感じている。

 抑々この場面においては、智乃ちゃん自身も自分より年下の子と一緒に街を回りながら満面の笑みを浮かべているのが描写されており、その観点からも非常に微笑ましくも彼女の成長を強く感じさせるものなのだが、それ以上に心愛ちゃんが見せていた「智乃ちゃんが誰かを導けるまでに成長した事に対して嬉しくもありながら、どこか寂しげにも見える様な凛々しい表情」があまりにも印象的だった。恐らく心愛ちゃんとしても「お姉ちゃんがいなくても、智乃ちゃんは一人でも誰かを導ける様な立派なお姉ちゃんになっている」と改めて感じて、その成長に対して「何物にも代えがたい悦びを噛み締めていた」のと同時に、高校卒業を機に自分の更なる夢を掴み取る為にこの木組みの街を離れていく事を既に決めている心愛ちゃんにとっては「間近で妹の成長を見守れなくなる事に一縷の寂しさを覚えた」のだと感じている。明るい心愛ちゃんにしては珍しい事だと思うが、それだけ智乃ちゃんの成長が嬉しくもあり、その成長が間近で見守れなくなる事や、自分が知らない所で立派に成長していく事に対して寂しさを感じているのだと思う。

 ただ、私としてはあの表情には更なる意味が込められていると考えており、それは「年上としての、ひいてはお姉ちゃんとしての覚悟」と言うものである。抑々心愛ちゃんは四兄弟の末っ子である為、どちらかと言えば皆から可愛がられると言う妹キャラが強めなのだが、同時に姉と兄が身近にいた環境から「お姉ちゃん」に対しても強い憧れがあり、それはごちうさ初期の頃から一貫しているのは周知の事実であり、今月号の序盤を見ればその想いは幼い時に原点があった事が確認できる。その事を鑑みれば、今回心愛ちゃんがあの様な表情を浮かべたのには、上記2つ以外にも「お姉ちゃんは時にこんな気持ちで妹の成長を見守っていた事を肌身をもって理解した」のもあったと思うし、そこには強い覚悟がある事も窺う事ができる。その為、これらを思えばまだまだ至らない点はあるかも知れないが、心愛ちゃんはもう立派なお姉ちゃんと言って良いと思う。それ位、あの表情からはお姉ちゃんひいては年上としての覚悟ある表情をしていたと感じている。

 次は「ココアとナツメエル」だが、ここではどちらかと言うと「心愛ちゃんと神沙姉妹が、純粋に木組みの街の散策を楽しむ事」に重きが置かれている為、前後にあった様な心情をはっきりと表している様な描写は一旦鳴りを潜めている。ただ、心愛ちゃんにしても楽しそうなやり取りを見た智乃ちゃんから嫉妬の感情を剥き出しにされる位だった事から、神沙姉妹を導いていて凄く楽しかったと思うし、元々誰かと何かをする事自体が大好きな心愛ちゃんの事なので、その心境は「楽しいと発見で満たされていた」とは思う。ある意味「ココフユ」とは別ベクトルで心境を推し量るのが難しいが、今までの心愛ちゃんの気持ちの変化を知っていれば何とかなるものであり、それを鑑みると、ここでも心愛ちゃんのポジティブな心境があると考えている。

 最後は「ココチノ」だが、ここでは全体的に読み解けるものが今までと被るものが少なくない為、多少なりとも書き出す内容に難儀しなくもないが、重要なのはやはり心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して抱いた「感謝の気持ち」だと感じている。これは智乃ちゃんが「まほうつかい」という言葉を掛けてくれたおかげで、心愛ちゃんの中で何かが繋がった様に彼女は大きく声を上げていた場面から感じたもので、この時心愛ちゃんの心の中ではきっと「決して言葉では説明できない何か」を感じ取っていたのだろうと考えている。そして、その言葉で説明できない何かとは、それは恐らく「嘗て心愛ちゃんが木組みの街で訪れた時に得た、最早理論で説明しようにもできないが、心の奥深くに確かに存在している記憶」であり、ひいては「誰かを幸せにしたいと言う強き想いそのもの」なのであろう。それは最早、言葉ではいくら説明しても足りない程の輝かしさ即ち「まほう」を、何時だって秘めているのであると私は思う。

3.あとがき

 以上がきらま2022年1月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は今まで謎に包まれていた部分が明らかになった意味でも重要な回だと感じたが、個人的には今回ごちうさにおける「まほうつかい」の意味が垣間見えた事がとても重要だと感じており、それに合わせてロマンティックな文章テイストを意識した部分もある。その為、今までと比べても全体的な雰囲気が結構異なる側面も持っているとは思うが、これも自分なりの考え故である。

 今月号は先月号と同様に序盤と中盤以降で舞台背景も時間軸も大幅に違う構成をとっていた為、いかに序盤と中盤以降でどの様な違いや共通点があるのかを見いだしていくのが重要になると思うのだが、私としては「心愛ちゃんの心境変化や行動パターンの相違」或いは「どの様にして人の想いひいては『まほう』が受け継がれているのか」を見つけていく事が、今月号の序盤と中盤以降を比較していく上で大切な事だと考えている。元々ごちうさは全体的に時の流れを経た想いの変遷や伝播が特に重要な意味を持っている作品なのだが、今月号は特にその傾向が強く、その事も上記2つの様な精神をより一層大切に扱いたいと思わせた。その意味から捉えると、今月号も表立っては良い意味で異質な面もあるが、本質的にはいつもと何ら変わらないごちうさだと思うし、非常に可愛らしさあふれるお話だと思う。

 そして、今月号は色々な意味で新たな門出となるお話になっていると思われるのだが、今回はその意味でも門出を飾るに相応しい内容に仕上がっていたと感じている。色々な意味で衝撃的だった先々月号と先月号を越えて、新たなセカイへと突き進んでいく上での第一歩。それが今回この様な形で描かれたのには、私としても何か強い意味があると思うには十分であり、非常に心に残ったのは言うまでもない。

 最後に、今月号における「まほうつかいの意味の考察」や、今月号で色濃く描かれていた「心愛ちゃんの心境変化」は非常に心満たされるものであった事は書いておきたい。今までごちうさに対して紆余曲折じみた想いを持つ私としても、今月号のこの2つは本当に心満ちゆくものであったし、その事は非常に嬉しかった。その事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は全て合わせてのべ400字詰め原稿用紙49枚分であり、これは現時点で過去5番目の文量の多さである。先月号よりは多少コンパクトになったが、それでも膨大な量である事には変わらず、何よりこれを1週間足らずで書き上げた事実に我ながら驚く。

因みに文量上位10位をランキング付けすると以下の通り。

※この度見返した所、今まで原稿用紙枚数が1枚足りなかった事が判明したので、これを機に正しく修正しました。なのでこのランキングが最も正確となっています。

1位 400字詰め原稿用紙 60枚分

2位  以下同文   52枚分(文量が少し上)

3位         52枚分

4位            51枚分 (先月号の記事)

5位            49枚分(今回の記事)

6位            43枚分

7位            41枚分

8位         39枚分

9位         35枚分

10位         33枚分

*1:幼い間に身に付けた性質は、何時まで経っても変わらないという事。

*2:物事に対して定型にはめた見方をあてがう事。近いのが「思い込み」である。

*3:極端な事を言うなら、一つでも手順を間違えたら即解読不能になり、如何なる手段をもってしても積み状態から脱却できない程に。

*4:若くして亡くなること。

*5:サキさんが得意だった手品を努力したり、サキさんが作っていたラビットハウスの制服を完成させたりする等。尚、心愛ちゃんは手品も裁縫も初めから上手かったではなく、寧ろ下手な位だった。この事からも、心愛ちゃんが実は凄まじい努力家である事が窺える。

*6:この時心愛ちゃんは、心配した母に対して何食わぬ態度で「お母さんがはぐれた」と、あっさり人のせいにしている。この一面も昔と今でなんら変わらないのだが、幼子だった頃ならともかく、成長した今でもその様な態度をとり続けると、どれ程親しい人が相手であっても「自分勝手が過ぎる」と軽蔑される危険性がある為、少々心配である。尤も、人間には多かれ少なかれ自分本位な所がある生き物なのだが……。

*7:但し、当の本人達がその事を覚えている可能性はかなり低いと思われ、特に心愛ちゃんは「幼い時に木組みの街に来た事はもう殆ど覚えていない」と公言している為、尚更である。尤も、たとえ覚えていたとしても、幼子の記憶で止まっている状態からいきなり高校生になった姿を見ても咄嗟にピンとは来ないと思うが……。

*8:因みに逸れた(はぐれた)理由は明らかにされていないが、今までのパターンを鑑みるに心愛ちゃん自ら何らかの理由で勝手に逸れたのであろう。

*9:と言うか、先月号でもあった「ナナラビ」は嫉妬とも深い結び付きがあり、その「嫉妬」の名を持つ悪魔こそ、冬優ちゃんと同じ学校の同級生の智乃ちゃんがモデルである。

*10:因みにこの着ぐるみに入っていたのは理世ちゃんである。ただ、本人は着ぐるみバイトをやっている事を知られるのが照れくさい為か、3人に対して「内緒だぞ」と忠告している。

きらま2021年12月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。ごちうさの最新話を追い続ける身として中々に衝撃的だった先月号を乗り越えて、新たな局面に突き進み続けています。尤も、ごちうさが今後どうなっていくのかは本当に分からなくなってきていますが、例え五里霧中になっても突き進み続ける事を意識し続けたい所存です。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年12月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今回の内容は先月号の最後に衝撃を残したココチノの気持ちの答え合わせや、未来に向けた新たなる覚悟と決意と言う様に、中々に心打つ内容が多いのですが、その傍ら今年(2021年)のエイプリルフールに公開された「ナナラビ」が本編に登場すると言う中々に衝撃的な展開もあるので、今回は大きく「ナナラビ」と「ナナラビ以外の本編」の2つの観点から感想・考察を書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。尚、今回は前半と後半で大きく視点を変えていますので、その事もご了解お願い致します。

1.はじめに

 今回のお話は久々に木組みの街に帰還した青山ブルーマウンテンこと青山翠(みどり)さんがカギを握っているのがポイントであり、青山さんは今後のごちうさの展開を切り開く様な重要な提言をしてもいる。また、他にも今年のエイプリルフール企画だった「ナナラビ」が登場していたり、先月号で残されていた「ココチノそれぞれの本音」が明らかになったり等々、全体的に「今までの小括(あるいは統括)」という趣が強く存在している。その為、先月号の様な「ごちうさの中でも一二を争う程の衝撃的な描写」は鳴りを潜めており、所々に重要な要素は存在しながらも、何時ものごちうさらしいテイストになっており、ある意味安心して読み進める事の出来る様になっている。

 しかしながら、今月号とて「ナナラビ」と言う嘗て2021年のエイプリルフールで企画されたものが、今回唐突に本編に組み込まれたと言う事実があり、私的にはこれを見逃す事は出来なかった。その為、今回は「ナナラビ」に関する内容を独立した感想・考察項目としても扱うものとし、視点を大きく2つに区分けした形で、感想・考察を書き出したいと思う。また、ストーリー展開が「ナナラビ」の物語から始まり、そこからラビットハウスにおける「今までの小括」が始まっていく構成になっている中で、私が秘めている想いの関係上、ここでは敢えて「ナナラビ」に対する主たる想いは後半に書き出したい。

2.購読した感想・考察

現のセカイと現の館

 今月号はまず冬優ちゃんの意思が存在する猫が謎の館に迷い込む所から始まり、7人と1人の悪魔に出逢う事になる。これが所謂「ナナラビ(Seven Rabbits Sins)」であり、嘗て2021年のエイプリルフールであったものを踏襲している形になっている。ここでは前述の通り、私がこの展開を読んで何を思ったのかについては後述する事にするが、全体的に「ナナラビ」を知っている者なら思わずニヤリとなる展開が多く、この事からごちうさの作者であるKoi先生の粋な計らいが光る内容だと感じ取っている。因みに作中では「ナナラビの世界観は冬優ちゃんが見た夢」と言う設定になっており、故に「ナナラビ」とそれ以降で世界観が少々異なっている。

 今月号の中盤からは、今までの「ナナラビ」とはうって変わり、「青山さんの木組みの街帰還」が展開の中心である。旅行編において都会の街に留まり、そのまま都会に残っていた青山さんが木組みの街に久々に帰還し、道中ブライトバニーに寄り、そこで出逢った冬優ちゃんがあの7人と仲良しな事を知るや否や半ば巻き込む形でラビットハウスを訪れ、以降はラビットハウスでの様々なやり取りが中心となっている。尚、実際に青山さんと冬優ちゃんがラビットハウスに訪れる前に、青山さんが執筆した「Seven Rabbits Sins」をめぐって、モデルとなった7人の内、その場に居た初期組5人(特に周りからの視線を気にしがちなリゼシャロ)が内容に対して少々物申したそうにしている場面も存在しているが、それに対して当の青山さんは中々にしれっとしており、あくまでのらりくらりと躱(かわ)している。青山さんらしいと言えばらしいのだが、モデルに対してちょっとは耳を貸しても良いとは思わざるを得ない……。

 青山さんがラビットハウスに来たのには大きな意味があり、それは「心愛ちゃんにモカさんからの手紙を届ける為」であった。モカさんもまた、青山さんが都会に留まったタイミングに都会を訪れており、そこから手紙を授かったのである。また、ここから先月号最大の衝撃だった「心愛ちゃんの将来の進路」について改めて語られており、当然ながら智乃ちゃんを含めた木組みの街の住人は将来的に離れ離れになる事に対して寂しさと驚きを見せていた。だが、青山さんが大人として、ひいては木組みの街の指南役としての言葉をかけてあげる事で、皆は落ち着きを取り戻した。青山さんの言葉は、将来バラバラになってしまう事に対して不安の色が隠せなかった皆の動揺を落ち着かせ、皆の絆や将来への気持ちをより強固なものにしたのである。

 終盤は冬優ちゃんが目立った存在感を見せており、青山さんが自身の担当編集者であり、学生時代からの旧友でもある真手凜ちゃんに連れられる直前、冬優ちゃんは青山さんが紡いだ小説を「温かくて好き」と称賛の言葉を送ったのである。これに対して青山さんは嬉しそうにしており、凜ちゃんは青山さんがあのような小説が書ける理由を話している。その後も冬優ちゃんは智乃ちゃんに対して先導役を買って出たり、将来寂しくなったら友達がいるとかけてあげたりと、大きな成長を感じさせる行動が多く見受けられる。そして、それに負けじと心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「将来のサプライズ」を仄めかす発言をして、この物語は締められている。

 ここからはこの場面を見て私はこう思ったと言うのを細かく書き出していく。ただ「ナナラビ」に関する内容は、前述の通り後半部分に集約させるものとする。

青山さんと冬優ちゃん

 私が今月号を読んで特に気になった事の1つ目は「青山さんと冬優ちゃんのやり取りから見えるもの」についてである。2人は今月号で出逢うまで交わりがほぼ皆無であり、どの様な化学反応を起こすのか多少なりとも気になっていた。また、冬優ちゃんは青山さんの小説を中々に読み込んでおり、事実今月号においてもみんなの事を度々青山さんの小説内のキャラに落とし込んでいた場面があったので、その小説の作者と実際に会ったらどの様な反応を見せるのか。その意味でも気にはなっていた。

 そうして改めて読み込んでいくと、冬優ちゃんは青山さんに出逢った当初こそ緊張していたものの、自分が読んだ小説にモデルがいる事に冬優ちゃんが驚きを示すと、これ見よがしにと青山さんによって2人の距離感が一気に縮められていったのが印象的だった。何故この場面に引っ掛かったのかと言えば、青山さんとて心愛ちゃんの様に誰に対してもフレンドリーな人ではないどころか、寧ろ結構な恥ずかしがり屋で且つ自分の素性をやたらと隠したがるまでに照れ屋な人である事から、ここまで人を率先して引っ張る事はあまり無いからである。

 では、そんな青山さんが冬優ちゃんの事をここまで引っ張ったのには何か絶対深い訳があるとなるが、その理由としてストレートに言えば「冬優ちゃんが木組みの街の住人7人の事をもっと知りたがっている」というのがあったからだと考えている。青山さんもまた、木組みの街の住人7人に絶大な影響を受けている人物であり、それは彼女が描いたヒット小説の殆どは、その木組みの街の住人7人をモデルとしている*1事からも窺える。そんな7人ともっと仲良くなりたいと考えている上、人間的な意味でももっと親密になりたいとも思っている事を明かした冬優ちゃんを見て、最早いてもたってもいられなくなったのだろう。尤も、考え方によっては「小説家として、冬優ちゃんを7人と交わらせないなんてあり得ないと思ったから」と言う見方もあるが、何れにしても青山さんが冬優ちゃんの事を率先して引っ張ったのには、それ相応の青山さんの純真たる強い想いがあったのは間違いないと思う。だって青山さんのこの行動のお陰で、多くの人達の心境が良い意味で救われたと言うのだから……。

 また、そんな青山さんに対して冬優ちゃんが感謝の念とも言える気持ちを直接伝えている場面も非常に意味があると考えており、この場面がある事で「冬優ちゃんが青山さんに対して信頼を置いている事と、冬優ちゃんが木組みの街の住人7人が心から大切に思っている事」の2つが一挙に確認できるからである。ただ、後者に関しては以前から7人(特にココチノ)に対しては信頼を置いていた事と、ナツエルに対しても少しずつでも心を開き始めている事を鑑みるなら「今までの冬優ちゃんの心境の変化を鑑みれば、この様な発言は至極真っ当」となるかも知れないし、私も正直そう思う節はある。それなら「じゃあ何故そこまで大切な場面だと思ったのか?」となるが、それは私自身、事実関係の再認識以上に「青山さんに向けてその様な発言をした事」が重要だと考えているからである。

 抑々冬優ちゃんは青山さんに対して、最初からある程度話せていたとは言ってもほぼ初対面であり、今月号を通して2人は一気に距離が縮まったとはいえ、出逢った時には思わず強張った表情を見せてしまう程に緊張していた為、普通に考えるならその様な人に対して感謝の気持ちを述べるだけでも、恥ずかしがり屋で内気な冬優ちゃんにとっては相当勇気のいる事なのは想像に難くない上、ましてや「木組みの街の住人7人が大切に想っている事が分かる言葉を堂々とした表情をもってかけられる事」がどれ程凄い事なのか、それを想像しただけでも、正直私自身圧倒されてしまう。圧倒されるのには、冬優ちゃん自身どちらかと言えば内気で引っ込み思案な性格故に人に対して素直な気持ちを率直に伝えられない一面があったが故に、今まででも率直な気持ちを伝える事に躊躇していた場面がしばしば見受けられていた中で、今回青山さんに対しては、多少間をおいて話していたとはいえ、自分の率直な気持ちを躊躇いなく堂々とした表情で話していた事に「彼女の精神的な成長」を感じたからであり、ひいては自分にとって出逢ったばかりの人に対して「自分に手を差し伸べてくれた人達の事を好きだと言える想いの強さ」を話せる勇気を感じたからである。

 つまり冬優ちゃんがラビットハウスから凜ちゃんともども立ち去ろうとする青山さんに対してあの様な言葉を掛けたのには、彼女自身の精神的な成長と、彼女自身が7人の事を心から大切に想っている事の2つが読み解けるだけでなく、彼女にとって青山さんは自分にとって大切な世界をくれた人達を描いてくれた小説家であり、信頼出来る人だと言う認識もでき、ひいては彼女自身が木組みの街の住人に対して絶大な信頼を置いている証でもある事を読み解けると私は考えている。そして、そこに至るまではブライトバニーで冬優ちゃんと青山さんが出逢った時、冬優ちゃんの事情を知った青山さんが思い切ってラビットハウスに一緒に訪れようと引っ張ったのが大きかったとも考えている。

 この事を端的に言えば「青山さんと出逢い、そして導かれた事により、冬優ちゃんが確実に精神的な成長を歩んでいる事と、木組みの街に馴染めている事に幸せを感じている事が改めてはっきりと見えた」という事であり、その事実は冬優ちゃんの大きな成長を感じるには全くもって不足のない事例であり、冬優ちゃんがどれ程周りの人達に愛されているのかが良く分かる事例でもある。

大きな決断と決心

 2つ目は先月号とも大きく関わる内容でもある「心愛ちゃんの進路選択の真意について」である。先月号と言えば高校生組の進路問題が印象的だが、その中でも突出していたのが心愛ちゃんが発した「この街(木組みの街の事)を離れる」と言う衝撃的な発言であり、私としてもそれまでに紗路ちゃんの衝撃的なカミングアウトに散々痛めつけられてしまっていたが故に直ぐに理解する事は出来なかったものの、どう捉えるべきなのか思わず分からなくなってしまった記憶は辛うじてある。ただ、冷静になって考えてみると、心愛ちゃんは木組みの街の元来の住人ではない為、高校を卒業してしまえば木組みの街を出ていく事も全然あり得た話ではあったのだが、如何せんあまりにも唐突過ぎた事が、戸惑ってしまった要因だった事は間違いないと思う。その後、私としては何とか気持ちの整理をして乗り越えたのだが、先月号では「何故心愛ちゃんが木組みの街を離れようと思ったのか、その理由が明かされていなかった」為、今月号でその理由を知りたいとずっと思っていた。そして、今月号において遂に心愛ちゃんが木組みの街を離れる理由について遂に本人から明かされたのだが、その内容を知って、私は最早心愛ちゃんの立派な考えに納得する以外の選択肢は無かった。

 抑々心愛ちゃんが木組みの街を離れる理由を明かした直接のきっかけは、青山さんが代わりに届けてくれた、心愛ちゃんのお姉ちゃんであるモカさんからの手紙にあった。その内容は主に「姉としての努力を欠かさないモカさんの姿」が映し出されていたものであり、これを見て心愛ちゃんが「自分の姉とは違う道でパン作りを極める為に街を出る」と言ったのが、彼女が木組みの街から出ていくと言う事の真意であった。何故彼女がこの様な事を思ったかと言えば、私が思うに抑々心愛ちゃんは姉であるモカさんに一度も勝負事で勝てた試しが無く、それ故に何時かお姉ちゃんと対等な自分になりたいと言う強い願いがあったからと考えている。そして、その願いを果たす為には木組みの街に留まっていては何時までも叶えられないと何時しか考える様になり、それならば木組みの街を出ると言う決断と覚悟をも視野に入れる様にもなって、今回姉からの手紙を見てその覚悟を確固たるものにしたという流れを踏んだのだと推測している。勿論、本当の気持ちは心愛ちゃんのみぞ知る訳だが、高校3年生にしてここまで立派な事が言える心愛ちゃんは本当に凄い人だと思うし、誰よりも人生の先を見ているのだと思った事が、今回私が「心愛ちゃんの決断と覚悟を尊重する以外あり得ない。やはり心愛ちゃんは立派な人だ。」と考えた最大の理由でもある。

 だが、この様な心愛ちゃんの決断は、必然的に「木組みの街で出逢った、最早手放す事など絶対にできないファミリーと言うべき程の親友と離れ離れになってしまう事」を意味している。これに対し当の心愛ちゃんは「自分が目指したい姿に向けての大きな一歩」という事もあってか、親友と離れ離れになる道を進む事に対して覚悟を決めている姿を見せつけており、大人組を除けば基本的に一番年上の理世ちゃんも、心愛ちゃんの決断に対してしっかり後押しする程に、心愛ちゃんの覚悟に対して決心していた様子*2であったが、千夜シャロと智乃ちゃんはやはり戸惑いが隠し切れず、特に智乃ちゃんは表立ってこそ平静を保っていたが、最近の何処か元気がない智乃ちゃんを間近で見ていた冬優ちゃんから思わず心配の声を掛けられる程、動揺が隠せていなかった。この事は、どんなにクールであったとしても、どんなに心愛ちゃんに対して心配はかけさせまいと強がっていても、やはり智乃ちゃんも心愛ちゃんと離れ離れになるのは寂しい事と、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんがそれだけ大切な存在である事が良く分かる内容であり、それはその場で心愛ちゃんの話を聞いていた人全員も同様なのである。

 そんな状況のさなか、青山さんがある種の救いの手を差し伸べてくれたのには大きな意味があると考えている。それは青山さんがこの「心愛ちゃんの決断に対して皆の動揺が広がっている状況」に対して「どんなに離れていても、皆さんはここに戻ってくるはずです・・・ね?」と声を掛けてくれた事で、皆は安心した表情を一斉に浮かべ、千夜ちゃんに至っては目に涙を浮かべていた事だけでも良く分かるし、嘗て学生時代に都会から木組みの街を訪れ、その後様々な経緯を経てまた木組みの街に戻ってきた青山さんだからこそ、より深みのある言葉として皆の心を動かしたのだと思っている。故にこの場面には小説家としての言葉選びのセンスと、彼女自身が持つ皆に対する信頼が込められていると考えている。

 ただ、その直後に青山さんはかの「ナナラビの小説」をめぐってリゼシャロ2人から「良い事を言って誤魔化すな」と言わんばかりに「なぜあの様な視点をもって小説を書いたのか?」と再び詰問されている*3が、青山さんはまたもしれっと言い逃れている。それ故に先の感動シーンが若干薄れてしまう気がしないでもないが、私としては「感動するシーンでウルっとこさせてからの笑えるオチ」と言うある種のお約束だったので、全く躊躇なく受け容れられた。尤も、青山さんのそういう一面は、恐らく人によって受け取り方が結構変わるとは思うし、小説絡みの件だって冷静になって考えてみると、中々に笑えない側面もあるのだが……。ある意味「センス溢れるブラックユーモア」だと思う。

 色々散逸しそうなので、この項目の最後に改めてまとめると、私が考えたものとして心愛ちゃんが木組みの街を離れようと考えた理由は「パン作りで自分の姉であるモカさんを自分なりの方法で超える為」であり、そこには「木組みの街を出なければ何時までも姉を超えられない、だから都会に出て修行したいと言う彼女の決意と覚悟がある」と考えた。また、かけがえのない親友と離れる事に対しては「青山さんがかけてくれた言葉をもって、新たな決意を胸に秘める形で乗り越えた」と考えているという事である。何度も言う事であるが、本当の気持ちは彼女達のみぞ知る事であり、読者である私はどれ程頑張ってもその本当の気持ちを100%汲み取る事は不可能である。だが、それでも彼女達の本当の気持ちの理解度を限りなく100%に近づけていく事は可能である。つまり私が求めていくべき事は「全ては分からないかもしれないが、自分ができる最大限の理解は尽くしたい」と言う事である。

チノフユの友情と思いやり

 3つ目は「冬優ちゃんが見せた智乃ちゃんに対する思いやりと友情」である。この内容は2つ目と重複する部分が多分にあるが、心愛ちゃんがあのような発言をした事で多少なりとも揺れ動いている智乃ちゃんを、冬優ちゃんは如何にして親友として思いやり、声を掛けてあげたのか。それが特に印象的だった事から、敢えて2つ目とは独立させた形で書き出す事にしたのである。

 では、何が特に印象的に残ったのか。それは「心愛ちゃんと離れても、彼女の決断は旅行の時から薄々でも分かってはいたから寂しくないと強がる智乃ちゃんを心配して、最後の場面に至るまで智乃ちゃんに励ましの声を掛けていた場面」であり、冬優ちゃん自身心愛ちゃんが木組みの街を離れる決断をした事は今月号まで知らなかった中で、事実を知った途端に全てが繋がった様に智乃ちゃんの心情を察し、自分を引っ張ってくれた人に対して何かできる事はないかと試行錯誤する友達想いな所に心打たれたのである。

 そして、ここから読み解ける事を結論から言うと「冬優ちゃんは智乃ちゃんに対して、どんな時でも笑顔でいて欲しいと考えている事」である。これは特に最後の場面で言える事であり、皆が楽しそうに会話している中で一人どこか虚ろ気な表情を浮かべていた智乃ちゃんを見て声を掛けた冬優ちゃんが非常に印象的なのだが、冬優ちゃんは元々が内気で引っ込み思案な性格である為、冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して声を掛けてあげた事の意味がより大きくなっていると考えている。少々思い込みが強いとは思うが、以前から冬優ちゃんを見ていて「気恥ずかしさから度々思っている事を上手く言葉にできない場面」が見受けられると感じており、それ故に「心許せる友達であっても気恥ずかしさから、素直な気持ちを中々上手く伝えられない」のだと思っていた。なので、今回智乃ちゃんに対して多少言葉に詰まりながらも率直な言葉で智乃ちゃんに対する自分の想いを伝えられていたのには、冬優ちゃん自身の成長も勿論あるが、それ以上に冬優ちゃんが智乃ちゃんを想う気持ちの大きさと本気さが窺えると思っている。

 冬優ちゃんにとっても、智乃ちゃん達とは出逢った当初から何か特殊なものを感じ取っていたのは、描写を観れば何となくでも分かる事ではあった上、同年代の知り合いが1人もいない木組みの街の新生活で不安だらけだった中、自分を都会で導いてくれた智乃ちゃん達と木組みの街で再会した事の歓びと救われた気持ちを思えば察するに余りある。だって「もう二度と会えない」から「ずっと一緒の空間を共有できる」に様変わりしたのだから。勿論、嬉しいのは既に幾多のセカイを構築してきた木組みの街の住人7人にしても、冬優ちゃん以上に外のセカイの居場所がなかったナツメエルにしても同様なのだが、冬優ちゃんはナツメエルと同等あるいはそれ以上に、智乃ちゃん達に対して人一倍特別な想いがある様に感じている。

 だからこそ、冬優ちゃんには「自分を導いてくれた智乃ちゃんにはずっと笑顔でいて欲しい」と言う想いが強くあって、今回心愛ちゃんの事で少なからず寂しげな気持ちが智乃ちゃんを覆っていた事に気付いた時、自分にとって智乃ちゃんにはどんなふうに居て欲しいのか、私は智乃ちゃんをどんな形でサポートできるのだろうかと色々考えてみた結果、その答えが作中にある様な「率直な言葉で乗せた想い」なのだと思っている。無論、本当の気持ちは冬優ちゃんだけが知る事であり、果たしてこの考えが合っているのかは分からない。しかしながら、今月号を見るに冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して特別な想いを持っているのは紛れもない真実であり、そこには冬優ちゃんの優しさと思いやりが多分にあるのは間違いないと思う。

幻想の屋敷と罪うさぎ

 ここまでは「ナナラビ以降」の世界観の中で感じた事を書き出してきたが、ここからは今月号の前半を飾り、元々は2021年のエイプリルフールが初出の「ナナラビ(Seven Rabbits Sins)」について私が思った事を書き出したいと思う。前述の通り、この部分は「冬優ちゃんが見た夢」という設定になっており、その証拠に「ナナラビ」展開の終盤にはそれを示唆する表現がある。その為、今月号は前半と後半で世界観が少々異なる様相を見せている。

 そんな前半部分だが、まずは冬優ちゃんの意思が存在する猫が、悪魔の青山さんに導かれるがままに謎の屋敷に迷い込む所から始まる。その猫はどこから来たのかは全く分からず、ただ導かれるがままに屋敷に迷い込んだ存在であり、屋敷に入ってからと言うもの、色々な悪魔と対面する事になるのだが、その悪魔はかの木組みの街の住人7人と同じ見た目と名前を表しており、言うならば「悪魔になった木組みの街の住人7人」と言うべき存在だったのである。

 そんなこんなで現実世界にいる親友と同じ悪魔と触れ合い、冬優ちゃんの意思がこもった猫は悪魔の智乃ちゃんと出逢う。だが、そこで見た智乃ちゃんは、彼女が見ていたクールでも根は明るく友達想いな智乃ちゃんではなく、どこか寂しげな智乃ちゃんだった。その後、悪魔の心愛ちゃんに連れゆかれそうになった所で、また最初に出逢った悪魔が姿を現し、その悪魔の計らいで冬優ちゃんは現実に引き戻される事になる。

 現実に戻った(=目が覚めた)冬優ちゃんは、あの様な夢を見た理由に「Seven Rabbits Sinsを寝る前に読んだ事」だと悟り、現実の友達7人と重なったのは「彼女自身の深層心理で勝手に置き換えたから」だと謝っていた。だが、智乃ちゃんが最近元気が無いのは彼女も気付いていた事であり、どうすれば良いのか考えた矢先、「Seven Rabbits Sins」の作家青山さんの存在を知り、そこから今月号後半の展開に繋がっていくのである。

 ここからは前半部分と同様、「ナナラビ」について私が思っている事を細かく書き出していくものとする。但し、内容がエイプリルフール時代から溜め込み続けていたものも含めて書き出す為、結構膨大な量になる事は付け加えておく。抑々この「ナナラビ」について私は2021年のエイプリルフールで発表されてからと言うもの、私は「ナナラビ」の世界観について様々な想いを張り巡らせいたものである。元々ごちうさのエイプリルフール企画については予てから自分なりにでも考えを張り巡らせてはいたのだが、こと「ナナラビ」に関してはそれがいつも以上に顕著だった。その為、嘗てエイプリルフール企画で発表された時にこのブログで想いや考えをまとめようかと思ったが、結局断念した過去がある。なので、今回はそんな当時の想いもこの機会に出来る限り書き出したいのである。

罪の名の由来と意味

 この「ナナラビ」の最大の特徴とも言えるのが「罪の名」であり、悪魔の姿をした7人にはそれぞれ罪の名を冠している。心愛ちゃんは「グリード」、智乃ちゃんは「エンヴィ」、理世ちゃんは「グラトニー」、紗路ちゃんは「ラース」、千夜ちゃんは「プライド」、麻耶ちゃんは「スロウス」、恵ちゃんは「ラスト」と言う風に、それぞれ罪の名がある*4。因みにこの小説の作者たる青山さんの罪の名は「虚偽」である。また、青山さんの「虚偽」を除いた7つを総称して七つの大罪と作中では称されており、罪の名のモデルは現実のキリスト教とりわけカトリックの「七つの大罪」にあると思われる。その為、宗教知識を用いれば「ナナラビの由来と意味」はある程度推察できるのだが、あくまでここは多少無理矢理にでも「ごちうさの世界観」として推察するものとする。

 まずは心愛ちゃんの罪の名である「グリード」からである。グリードと言うのは「強欲」を意味する言葉であり、作中ではあらゆるモフモフを我が物にしようとする悪魔として描かれている。また、皆が私の妹だと豪語しており、あらゆる人や動物を見境なく妹して取り込もうとする一面がある。ただ、無邪気な一面は悪魔であっても変わらない為、罪うさぎの中では現実とのギャップが比較的少ない方。しかしながら、自分が「強欲」である事の自覚が殆ど無く、良くも悪くも「心愛ちゃんは悪魔であっても心愛ちゃん」だと言える。

 その由来はほぼ間違いなく現実における心愛ちゃんの「無類のモフモフ好きと姉に対する強い憧憬意識」だと思われ、この「ナナラビ」ではそれが色濃く出ているのが特徴的である。つまり「彼女が元来秘めている想いが欲望となった存在が悪魔心愛ちゃん」だと言える。

 次に智乃ちゃんの「エンヴィ」である。これは「嫉妬」を意味する言葉であり、作中ではあらゆるものを誰にも邪魔させない様に寵愛しようとする悪魔として描かれている。これだけだと少々分かりにくいが、要するに「自分が大切にしたいと思っている人や動物が他の悪魔と関わっているのを見るのが妬ましい」と言う訳であり、この事を鑑みるなら智乃ちゃんの行動は完全に「嫉妬の悪魔」なのだが、本人は嫉妬ではないと言い張っている。それ故に本編の智乃ちゃんとは大きくギャップがある様に見えるが、本編においても智乃ちゃんは(本人に自覚はあまり無いが)度々嫉妬を思わせる様なモヤモヤを抱える事があったり、精神的に大きく成長してもどことなく嫉妬を思わせる様な思想は存在していたりする為、悪魔智乃ちゃんはそんな現実の智乃ちゃんが持つ心の内に秘めているものを拡幅した存在だと言える。また、嫉妬以外にも寂しがりの一面も漂わせており、それを思うと彼女にとっては寂しさを紛らせているだけの事が、周りから見ると「嫉妬」となっているのかも知れない……。

 由来は現実の智乃ちゃんが持つ「密かながらも割としっかりしたやきもち焼きな面と、目掛けられない事に対する寂しさを覚えやすい面」だと思われ、彼女自身が本当はやきもち焼きな寂しがり屋且つ甘えん坊である事が窺える様になっている。そう思うと、悪魔でありながらいたたまれなくなる一面が強く現れている。

 3人目は理世ちゃんの罪の名である「グラトニー」である。これは「暴食」を意味する言葉であり、それ故に見境なく何でも美味しそうに見えてしまう程食べる事に飢えている一面があり、当然ながらかなりの大食い。ただ、容姿端麗且つストイックな一面がある理世ちゃんからは凡そ想像がつきにくい罪の名ではある為、何だか変な感じにも思えるが、実の所理世ちゃんは食べる事が好きだと思わせる一面がしばしば見受けられており、例えば初期だとティッピーのカフェ・ド・マンシー*5で指摘されており、今月号に至っては「買い食いが多く、つまみ食いもする事」を本人の口から暴露している。もっと言うなら、理世ちゃんは嘗て虫歯になった事があるのだが、それも「甘い物の食べ過ぎ」と思えばある意味納得がいく。そう思うと、悪魔である筈なのに、限りなく愛おしく思えてきてしまう。しかしながら、幾ら「可愛い」を前面的なコンセプトにしているごちうさとは言え、見境なく何でも食らおうとする悪魔はやはり恐ろしくもある為、何とも言い難い心境ではある。

 由来は「食べる事に対する際限なき欲望」だと思われ、普段のサバサバした理世ちゃんとも違い、ロゼという異名もとるお淑やかで乙女な理世ちゃんとも違う、第三の理世ちゃんと言える一面が良く現れているが、ここまで異なった一面を持つ人と言うのも珍しいと思う。

 4人目は紗路ちゃんの罪の名「ラース」である。ラースと言うのは「憤怒」を意味する言葉で、端的に言えば「ただならぬ怒り」である。その名の通り、悪魔紗路ちゃんは事あるごとに怒りを露わにする存在であるが、本人はカッとなる自覚こそあるものの、あくまで温厚だと自負している。何れにしても、普段の紗路ちゃんとは少しかけ離れている様にも思えるが、元々紗路ちゃんは感情の起伏や表現が7人の中でも特に激しく、事あるごとに声を荒げてしまう事もしばしばある為、ラースはそんな紗路ちゃんの怒りっぽい一面がブラッシュアップされた存在とも言えるが、根は悪魔想いである点は現実の紗路ちゃんと共通している。また、紗路ちゃん「ラース」の名を冠する理由として、7人の中でも特にツンデレ気質が強い事も要因にあると思われ、ある意味7人の中でも分かり易い属性持ちの悪魔でもあるからだろう。

 由来は紗路ちゃんが持つ「強いツンデレ気質故の怒りっぽい面」だと思われ、ある意味彼女の素直になれない一面がそのまま悪魔化したらどうなるのかを体現した存在とも言える。これを思えば、今月号の後半にあった様な、現実における紗路ちゃんが青山さんに対して怒るのも無理はないと思う……。正に「憤怒」の紗路ちゃんである。

 5人目は千夜ちゃんの罪の名である「プライド」を説明する。プライドは、ここでは「傲慢」の意味があてがわれており、そこには本編の誰よりも優しく献身的な千夜ちゃんはなく、そこにいるのは最早唯我独尊と言うほかない程の性質を持つ、悪魔の女王様千夜ちゃんである。それ故にナナラビにおいても優しさそのものは漂わせているが、言動が支配者のそれであり、正に女王様に相応しい独尊さを持っている。その為、元々が献身的かつ他人想いの千夜ちゃんだけあって、悪魔の意外性が7人の中でも特に際立っているが、女王様千夜ちゃんも中々様になっているので、ある意味それも千夜ちゃんらしさと言えるのかも知れない。

 由来は「甘兎庵拡大に向けたしたたかな野望」にあると思われ、これは現実の千夜ちゃんが甘兎庵を世界進出を見据えるまでに大きくしたいと言う大いなる野望があり、その為ならあの手この手で甘兎庵を宣伝しようとするしたたかさを持つが故なのだが、ある意味「途方もない事をしたたかにやってのけようとする面」が、彼女が傲慢と呼ばれる所以なのには違いないのだろう。

 6人目は「スロウス」の罪の名を持つ麻耶ちゃんである。スロウスは「怠惰」を意味する言葉であり、それ故に悪魔の麻耶ちゃんは何時も怠けていて、一日の大半を何か適当な理由をつけては寝てばかり過ごしている。元々小悪魔的な魅力をも併せ持っている麻耶ちゃんだけに「怠惰」も似合っているが、本編の麻耶ちゃんは確かにめんどくさがり屋な一面こそあるものの、一方で努力家で思慮深い一面もあり、何より好奇心旺盛な活動家である為、スロウスの様な何時も怠けている麻耶ちゃんとは全くの対照的とも言える。ただ、どちらのセカイでも恵ちゃんと一緒に居る事が多いのは共通している。

 由来が少し分かりにくいのだが、恐らく「麻耶ちゃん自身が持つ怠惰な気持ち」が大いにあると考えている。つまり彼女の心にある「怠け心」を引き出した存在がスロウスだと言う、何ともひねりのない直球の考えだが、これはごちうさ目線で罪の名を無理矢理考察しようとする弊害であり、意地っ張りな所がある私に対する試練でもあると思う。ただ、少々大げさだとも思うが。

 7人目は「ラスト」と言う罪の名を持つ恵ちゃんである。ラストは最後や過去を意味する「LAST」ではなく、切望や色欲(しきよく)を意味する「LUST」であり、罪の名も「色欲」を冠している。その為、本人にはよく理解していないが、その美貌故にあらゆる人を焚き付けて虜にしてしまう特性があり、最終的には国すらも滅ぼしてしまう事すらあるとかないとか……。本人が理解していない為に何とも言い難いが、その恐るべき潜在能力の高さを見るに、ある意味7人の中では誰よりも恐ろしく、誰よりも美しい悪魔なのかも知れない……。

 由来は「彼女も気付いていない無意識の美貌と潜在能力」にあると思われる。本編において恵ちゃんは他に人に比べて突出した個性がさほどない事を気にする面がしばしば見受けられるが、その実本人に自覚があまりないとは言え、何事もマイペースながらもそつなくこなせる高いポテンシャルと、7人の中でも一線を画す様な美貌を兼ね備えている事を窺わせる場面が度々存在しており、その潜在能力の高さは冬優ちゃんとナツメエルを加えた10人の中でもなお突出していると考えている。その為、恵ちゃんは才覚にも個性も十分あると言える。こう思うと悪魔の恵ちゃんは、ある意味彼女の無意識を表しているのかも知れない。

 最後は7人の罪うさぎとは別枠だが、この「ナナラビ」の作者である青山さんについても説明したい。青山さんは作中においては第三者視点の立ち位置におり、この「ナナラビ」の世界観を導く存在として描かれている。冠している罪の名は「虚偽」であり、小説家として「フィクション」を創り上げる存在と言う立ち位置を見せているが、その一方で「虚偽」らしく嘘か本当か良く分からない事を言って幻惑させたり、小説の世界に迷い込んだ者を現実の世界に引き戻す役割も担ったりもしており、その素性を完全に掴み取る事は最早不可能に近い。ミステリアスな青山さんらしいと言えばらしいのだが。

 由来は現実の青山さんの職業たる「小説家と言う名のセカイの生みの親であり、同時に小説内のセカイを司る者」と言う部分から来ていると思われる。ミステリアスな魅力をも持つ青山さんだけにあって多少怖くも思えてくるが、これも「青山さんらしい」と思えばなぜか納得がいく。尤も、そういう思想が何よりも恐ろしいのだが.……。

 以上が私が「ナナラビ」の「罪の名」に対して考えている事である。「罪の名」以前に悪魔を母体としているので、例え「罪の名」が無かったとしても多少なりとも恐怖はあったと思われる「ナナラビ」だが、実際の所はさほど恐怖心が芽生える事も無く、寧ろ「ナナラビ」の世界観にのめり込んでいく自分が怖かった位である。私ももう悪魔的な魅力すら上手く昇華させる、ごちうさエイプリルフール企画の虜なのだろう……。

冬優ちゃんの深層心理

 ここからは一気に視点を変え、冬優ちゃんがこの「ナナラビ」の世界観を知りゆく過程を読み進めていく中で、私が気になった事を中心に書き出したいと思う。

 冬優ちゃんは今月号の前半で「ナナラビ」の世界観の夢を見て、そして目が覚めるのだが、その目が覚めた後に夢の内容を振り返る中で「自分の中の深層心理であの7人を小説内における『罪の名を冠する悪魔』に置き換えてしまった」というくだりがやたら気になった。これが意味する所は「小説の内容と冬優ちゃんの深層心理が彼女の夢の中でリンクした」と言う事であるが、何故そのような事が起きたのかを自分なりにでも解明しようとした所、最早頭がパンクしかねない程に訳が分からなくなってしまった。なので「何故冬優ちゃんは夢の中でナナラビの世界観と木組みの街の住人7人がリンクしたのか」については最早私も良く分からないが、それでも後述する様な「冬優ちゃんは彼女の深層心理における智乃ちゃんのイメージをそのまま具現化した存在が悪魔として夢に現れた事を踏まえ、彼女は改めて何を思ったのか」については説明できる為、今回はそちらの観点から書き出していきたいと思う。

 冬優ちゃんが深層心理で捉えていた木組みの街の住人7人のイメージは、言うならば「ナナラビ」の世界観にいた罪うさぎの「罪の名」と全く同じものであり、それを裏付ける描写も存在している。具体的に言えば心愛ちゃんが「強欲」、智乃ちゃんが「嫉妬」と言った次第であり、これに則った形で言い換えると、作中に出てくる「罪の名」は「冬優ちゃんの深層心理で捉えていた7人のイメージ」を表している事になる。何と言うのか、出逢ってからまだ半年弱と思われる人達を相手に中々踏み込んだ事を深層心理ながら思い浮かべるとは、冬優ちゃんは人を見る目が人並み以上にあるのかも知れない。ただ、冬優ちゃん本人も深層心理で思っていた事が夢に出てきた事に対して申し訳なく思ったのか、自分の心の中で謝っている。尤も、夢の中に出てきた事自体は何も悪い事では無いと思うのだが……。

 そんな冬優ちゃんの深層心理内における木組みの街の住人7人だが、その中でも私が特に気になったのは、最早言わずもがなではあるが「エンヴィ(嫉妬)」の罪の名を持つ智乃ちゃんその人である。「ナナラビ」における智乃ちゃんは「嫉妬の悪魔」だが、冬優ちゃんの夢の中では「嫉妬」と言うより「羨望」という言葉が似合う程に根底に寂しさを隠し切れていない様子が見え隠れしており、冬優ちゃん自身も夢の中の智乃ちゃんがどこか寂しそうだった様子だと勘付いている。尚、智乃ちゃんがその様な寂しげな雰囲気を醸し出していたのは「心愛ちゃんが将来木組みの街を離れる事を決断した事を知ったから」なのだが、冬優ちゃんはこの時点ではまだその事実を知らなかった為、彼女はその後に青山さんに出逢い、ラビットハウスに行くまで謎を抱える事になるが、私としてはそんな冬優ちゃんの鋭い洞察力に改めて驚かされるばかりである。

 では、智乃ちゃんが夢の中で寂しそうにしているのを見て、冬優ちゃんが智乃ちゃんに対して色々な想いが改めて駆けめぐったに違いないと思われる中で、具体的にはどんな事を思ったのか。それについては、私が思うに今月号にも描写されていた様な「智乃ちゃんの心の支えになってあげたい」と言うのが特に大きいと思うのだが、もう一つ私が大きく思っている事として「私を笑顔にしてくれた智乃ちゃんにも、不安を抱えている一面がある事が分かった」と言う、純粋に智乃ちゃんの内面を一つ知ったと言う事が挙げられ、そう思う理由として「冬優ちゃんは旅行編以前の智乃ちゃんをその目で見ている訳では無い為、昔の智乃ちゃんをよく知らない可能性が考えられる為」と言うのがある。但し、冬優ちゃんと一緒に居る時の智乃ちゃんが自分の内面性をどこまで明らかにしているか分からない(逆も然り)為、決定的な確証には欠けるのだが、冬優ちゃんにしても「どことなく元気がない上にスランプ気味の智乃ちゃんを心配する様子」は見受けられていた為、チノフユの間にあると思われる様々な諸事情を抜きにしても、冬優ちゃんが「自分を笑顔にしてくれた人にも、自分とは少し違う事で悩みがあると感じ取った」のは恐らく間違いないと考えている。

 ここまで冬優ちゃんの深層心理を見て私が考えた事を書き出したが、私としては上記の様な「地に足が着きそうなのにどこか着け切れない」形でしか考えがまとめられない事に対して、正直自分自身の力不足を悔いる想いもある。ただ、抑々冬優ちゃんはごちうさ旅行編(原作8巻)から登場したキャラである為にまだまだ分からない事も多く、煮詰まりそうで煮詰まれない場面に遭遇するのはある意味当然とも言える。だが、私としてはそれでも出来る限り煮詰めたいと考える傾向があり、ごちうさに対してはそれがより強めに出ている。幾ら冬優ちゃんが旅行編からの新キャラだと言っても、私としては木組みの街の住人7人にも匹敵する位の想いを持ちたいのである。

「ナナラビ」について思う事

 この「幻想の屋敷と罪うさぎ」という項目の最後に2021年エイプリルフール企画初出であり、今月号前半を飾る「ナナラビ」こと「Seven Rabbit Sins」について直接的にどう思ったかを少しだけでも書き出したい。また、他の年のエイプリルフール企画についても少し書き出すとする。

 抑々2021年のエイプリルフールに「ナナラビ」が舞い降りた時、私は純粋に喜ばしかった記憶がある。私がリアルタイムでごちうさエイプリルフール企画を知り始めたのは2019年の「クロラビ」と割と最近からなのだが、以降2020年にあった「今までのエイプリルフール企画総振り返り」からの「リプラビ」、2021年の「ナナラビ」と続けて追い続けている中で、この「ナナラビ」は初見時から特に好きだったエイプリルフール企画であり、ごちうさエイプリルフール企画全体の中でもクロラビと並んで最も好きなレベルである。

 何故クロラビとナナラビが並んで最も好きなのかと言えば、私自身「近未来的なハイテクノロジーの世界観と、悪魔的な雰囲気を帯びた世界観その両方が同じ位に好きだから」である。私は昔からテクノロジー好き且つゲーム好きで、最近は悪魔的な雰囲気を帯びたキャラひいては世界観にも惹かれている傾向がある*6為、それぞれマッチングした2つの世界観を好きになる以外の選択肢はなく、それがごちうさと言うなら尚更だった。ただ、実は私自身「ナナラビ」に関しては、最初に見た時7人に「悪魔を彷彿とさせる角としっぽの存在がある事」に気付かなかったと言う中々に恥ずかしい過去があり、今でもそれは少々恥ずかしいのだが、今となってはナナラビは正に悪魔或いは罪の力で蝕む様に、私の心を魅了させ続けている。

 また、私が言う「ナナラビ」の悪魔的魅力についてだが、実の所ナナラビは「罪うさぎ」と言うコンセプトの印象が私にとっては強かった為、私は当初ナナラビを「罪の名を冠した者達の物語」と捉え、悪魔的なコンセプトとは少し異なるものだと認識していた。これには前述の通り、私が抑々悪魔のコンセプトがある事を見落としていた為であり、本編を見る限りは悪魔と呼んで差し支えなかった訳だが、その様な事情を抜きにしても、罪うさぎ達が関する「罪の名」に対しては、初めてこの「ナナラビ」を知った時から私の心を掴んで離さなかった。恐らく他では中々お目にかかれない様な興味深い単語が並んでいたから*7だと思うのだが、初めて知った時から謎に心惹かれていたのである。その後、7人に「悪魔の角としっぽがある事」におそばせながらも気付いた事により一層心惹かれ、本編でも登場した事で更に心惹かれ、最早可愛く美しい悪魔によって心を蝕まれていると言っても差し支えない程に好きになる訳だが、ある意味悪魔的魅力を見出したきっかけは、私にとっては「罪の名」にあったのかも知れない。

 この様に「罪の名」と「悪魔」と言う2つのコンセプトによって、私は「ナナラビ」をエイプリルフール企画の中でも一二を争うレベルで好きになったのある。ここからは余談だが、実はナナラビもといエイプリルフール企画について、私が好きとしている要素は他にも存在しており、それは「7人のヘアスタイル(特に髪の長さ)が本編とは異なった形になっている事」である。例として「普段ロングヘアの智乃ちゃん、千夜ちゃんがショートヘアになったり、逆に普段ショートヘアの心愛ちゃん、紗路ちゃん、麻耶ちゃんがロングヘアになったり、普段と違う髪形を見せたりする理世ちゃん、恵ちゃん」と言った感じであり、普段とは一味違ったヘアスタイルを見る事ができるのが楽しみな上、皆の変化したヘアスタイルもとても似合っているし、何より普段とは違った可愛らしさが存分に発揮されている事が、私がエイプリルフール企画における髪形の変化を楽しみ且つ好きとしている理由である。

3.あとがき

 以上がきらま2021年12月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は衝撃的な展開の連続だった先月号の事もあって、実際に読んでみるまで不安もかなり大きかったのだが、いざ読み進めてみれば今後の展開を握る重要な描写を数多く記載しつつ、且つシリアスな風味を持たせつつもあくまで何時ものごちうさテイストに仕上がっていると言う良い意味で安心出来る内容だったのは記憶に新しい。また、今月号は大きく2部に分けられる物語の構成をしていたので、その意味でも大いに楽しめた記憶が鮮明にある。

 今月号は何と言っても2021年エイプリルフール企画の「Seven Rabbit Sins」が今回の物語の序盤を彩る要素として唐突に登場してきたのが印象的であり、しかも単に独立した構成に留めず、今月号の中盤にも深く関わる重要な局面としても機能させると言う意味でも中々に衝撃的であり、特に前半において夢と言う形で「Seven Rabbit Sins」の世界を体験した冬優ちゃんが、中盤以降「木組みの街の住人7人」の進路事情を知る中で自分にはどういった事ができるのかと、自分で模索して自分で行動に移していくのには、エイプリルフール企画を見事に感動局面に落とし込ませたと言う意味でも、冬優ちゃんの大きな成長が感じ取れると言う意味でも感涙深いものがある。

 また、今月号の扉絵は「Seven Rabbit Sins」における「エンヴィ(嫉妬)」の智乃ちゃんが描かれていたのだが、私はこの扉絵の智乃ちゃんにかつてない程の衝撃を受けた。理由はオッドアイにあり、左目が何時もの智乃ちゃんそのままに、まるでサファイアを彷彿とさせる透き通った蒼い色の瞳だったのに対して、右目がまるでルビーを彷彿とさせる色で大変に美しくありながら、彼女の奥底知れぬ嫉妬や怒りの感情が燃え上がっている様にも感じられるが故に、見る者を圧倒する瞳をしていたからである。その為、私自身智乃ちゃんのオッドアイに対して「簡単には忘れる事の出来ない様な美しさと恐ろしさを兼ね備えた、恐るべき2つの瞳の色」と認識しており、云わば凍てつく様な妖艶さに心惹かれたのである。

 そして先月号最大の衝撃たる「心愛ちゃんの進路選択の真相について」だが、それについても今月号で細かな理由がちゃんと明らかになったのはとても有難かった。また、その理由についてもひたむきな努力家でもある心愛ちゃんらしい理由であり、心愛ちゃん自身が持っているひたむきな熱意や姿勢を思えば、幾ら心寂しいとは言え、心愛ちゃんを引き止める事は最早誰にも出来ないと思う程であった。言い換えるならそれだけ「心愛ちゃんの熱意に心を打たれた」という事であり、彼女の決断を尊重したいと言う証拠でもある。

 最後に、きらま2021年12月号掲載のごちうさは本当に素晴らしい回であった事は書き出しておきたい。ごちうさに対しては今まで幾多の想いを抱いてきたものだが、今月号は特にその想いが強かった事と、今後新たな局面に向けて突き進む事に対して大きな想いも抱いたものであり、今後もその想いを持ち続けたいという事をもって、この感想・考察の締めとしたい。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙51枚分であり、これは現時点で過去4番目である。先月号より更に文量が増えた事から、いかに今月号に対して強い想いがあるかを物語っている。

*1:例外として「うさぎになったバリスタ」は、主に智乃ちゃんの祖父と父をモデルとしている。

*2:但しこれには、理世ちゃん自身が「以前に心愛ちゃんの決断を聞いていた事」も大きいと思われる。その為、もしこれが全くの初見だったのなら思わず圧倒されていた可能性も否定はできない。

*3:理由は言わずもがな、気恥ずかしいのが大きいのだろう。

*4:尚、この罪の名は全て英語であるが、大元はラテン語である。

*5:コーヒーカップに入れたコーヒーの残り柄を使った占いであり、初期にこれをモチーフにしたエピソードがある。

*6:これには私が大好きなゲームである「大乱闘スマッシュブラザーズSPECAL(略称はスマブラSP)」の参戦キャラの影響が多分にある。

*7:罪の名でである「ラース」や「エンヴィ」等。

きらま2021年11月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。きらま勢になってごちうさを毎月楽しく読み進める事が習慣となりましたが、今月はそんな悠長に楽しむ余裕を見せるには少々見立てが甘かった訳であり……。とまぁ、その内容は追々書き出すとして、この様な状態でもごちうさ購読は先月にも書いた通り、辞めるつもりは全く無いので私としては過度に心配する事も無いでしょう。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年11月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。今月号の内容は先月号にあった高校1年生組(ブラバ組とラビハ組)によるラビットハウスでのお泊り会と対応する形で、甘兎庵における年上組(元来の高校生組4人)の勉強会を中心としたものですが、先月号と違って真面目な話が非常に多く、全く異なるテイストになっているので、今回は先月号との違いを意識して書き出したいと思います。

※注意※

最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。そして、今回は真面目な内容だけでなく、比較的重い内容も含まれているので、読み進める際にはその事を了解の上でお願いします。
なお、高校生組4人とは心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの4人を指します。理世ちゃんは既に大学生ですが、今回はお話の構成上高校生組4人が中心となっている為、便宜上含めています。

1.はじめに

 今回のお話は元来の高校生組たる心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃん4人による甘兎庵における勉強会が主であり、そこで様々な事柄が巻き起こっていくと言うのが大筋である。また、先月号であったラビハ組とブラバ組の「懐かしさも新鮮味もある」と言える様な回帰を思わせるラビットハウスのお泊り会と比べてテイストが全く異なっており、今月号は高校生組4人の「大きなターニングポイント」を意識させる様なテイストになっている。

 今月号の特徴は心愛ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの高校生3年生組3人の将来のターニングポイント(主に高校卒業後の進路選択)が描かれている事と、久々に高校生組4人のやり取りが勉強会と言う形で見られる事が主に挙げられる。この時点でも既に先月号にあったラビハ組とブラバ組によるラビットハウスでのお泊り会の時とはテイストが異なっているのは明白だが、大きく違うのは、今までのごちうさと比べてみても、思わず目を疑う様な衝撃発言が多かった事であり、故に「今までのごちうさとは一線を画す」テイストになっている。

 そして、今月号のごちうさの感想・考察を書く上で絶対に外せないのが上記にもある通り、思わず目を疑う様な衝撃発言である。尤も、過去にも思わず目を疑う様な衝撃発言は幾つもあったのだが、それでも多少の紆余曲折はあったとしても最終的には丸く収まるケースが大半だった。しかし、今月号の衝撃発言は到底丸く収まらないどころか、ごちうさの世界観そのものにも多大なる影響をもたらす程のものであり、故に今月号は読んだ者を思わず混沌の世界に引き摺り込ませる程の力を持っている。今回はそんな衝撃発言やごちうさの今後について考察していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

衝撃の勉強会

 今月号は先月号のラビットハウスにおける「ブラバ組とラビハ組」のお泊り会との対比として、甘兎庵における「高校生組4人」のお泊り会もとい勉強会が主な内容になっており、つまりは同一の時間軸に起こった出来事を別視点から描写されている。

 ただ、今月号の内容は初めからいきなり衝撃的なものであり、私としても思わず混乱してしまい、しばらく不安定な心境に陥ってしまった*1ものである。先ずはそんな不安定な心境に陥った事を書き出したい。

空虚が見据えるもの

 いきなり衝撃的な項目だが、これは紗路ちゃんからの衝撃的な告白を受けた千夜ちゃんの反応をもとにしたものである。と言うのも勉強会に年上の理世ちゃんが参加する事から、勉学が捗るとして紗路ちゃんが「都会の国立大学行く為に私頑張ります!」と言うある種の衝撃発言を至って普通に話した時の千夜ちゃんの反応が、私にとってはあまりにも衝撃的だったのだ……。

 まず一番印象的だったのは、紗路ちゃんの衝撃的発言を聞いた直後に千夜ちゃんが見せた、奥底が全く知れない空虚(=虚ろ)な目だった。その虚ろな目は千夜ちゃん本来の明るさと優しさを全く感じさせず、代わりに我が耳を疑うと言わんばかりの戸惑いと、幼なじみと離れ離れになってしまう事を瞬時に悟ったと思える様な暗さが、彼女の瞳を支配していた。なお、私がこの様に思ったのは、雷鳴が轟(とどろ)いたと同時のタイミングだった為に、彼女の劇的な気持ちの変化と雷鳴を重ね合わせたのが大きかった。

 これを見て、私としては千夜ちゃんがあの様な空虚な目を見せたのには、千夜ちゃんにとって紗路ちゃんはそれだけ「何時いかなる時でも近くにいて欲しい大切な存在」である事が感じ取れた。事実、千夜ちゃんは紗路ちゃんと同じ大学に行くと言っており、この時はすぐに心愛ちゃんに甘兎庵の事でツッコまれ、本人も「ボケ」だと弁明し、紗路ちゃんにしても少々懐疑的ながらも「ボケ」として捉えているが、千夜ちゃんのトーンからして、実際の所は決して全くの冗談ではなく、ある程度は本気で考えていたと思われ、それだけ千夜ちゃんにとって紗路ちゃんは幼なじみを超えて、最早心の支えであるのは明白なのが読み解けるし、それは紗路ちゃんから千夜ちゃんの場合にしても本音としては同じだと考えられる。

 何れにしても、千夜ちゃんがみせたあの空虚に満ちた様な瞳の感触は早々見かけないものであり、あの空虚な瞳をきらまの告知タイムの時に紹介されたコマで見た時、私自身しばらく焦燥していた事は記憶に新しく、心が痛む様な感覚だった。決して頭から離れる事が無く、あの瞳に込められた想いを考えれば考える程に言葉は無くなっていく。本来ならセクシーな魅力溢れる高校生組4人の扉絵すらも、何だか千夜ちゃんだけ心なしか空虚な雰囲気を纏っているとすら思った時は、最早言葉にもならなかった。元々彼女が実は動揺に弱い事は知っていたのだが、いざそれを目の当たりにすると、簡単に受け止められる様なものでは無かった。やはり普段気丈に振舞っている事が多く、いかなる時でも自分の手の内を簡単には見せない*2千夜ちゃんだけに、目に見えて戸惑っている千夜ちゃんを見るのがショックだったのだろう。

 その後も心愛ちゃんと理世ちゃんが紗路ちゃんの進路選択を応援する一方で、1人何も考えがまとまっていなさそうだった千夜ちゃんがとても印象的だったし、私としても千夜ちゃんが普段からやっているやり取りが1ページ8コマに渡って連続で描かれていると言うのに、何時もの様に明るく楽しむだけに留めおく事は出来なかったが、それは作中の高校生組も同じだった様で、上記の1ページ8コマを見ると、千夜ちゃん以外の面々も千夜ちゃんの事が心配そうな様子を感じる事ができた。尚、この時の様に何かで悩んでいる時、困っている時に心配してくれる友達がいるのは幸せな事だと思うのは、大体このような場面に遭遇した時である。

頼れる上官

 この項目は紗路ちゃんの衝撃告白に動揺と無理が隠せない千夜ちゃんを見兼ねた(=心配した)理世ちゃんが、2人きりで話す場として「理世ちゃんと風呂で進路相談」と言う名目で千夜ちゃんに見事な助け舟を出した、理世ちゃんの優しさを見て付けたものである。尚、理世ちゃんがこの様な事を考えたのには、理世ちゃんは3人より1つ年上*3なのもあると思われるが、それ以上に重い空気の中で思い切った事を提案できる強さを理世ちゃん自身が持っている事が大きいと考えられる。そして、この場面において千夜ちゃんは困惑しぱなっし(当たり前だが)であり、心愛ちゃんは何とか場の空気を変えようと全く違う事を自らの行動で提示し、それを広めようとするが全く上手く行かず、紗路ちゃんはそんなココ千夜を見て戸惑っていると言う状況であった為、理世ちゃんの提案は正に英断だったと言えよう。

 因みに2人でお風呂に入ると言うのは先月号のラビットハウスお泊り会でも行われたものであり、この時は智乃ちゃんと冬優ちゃんのやり取りが印象的なものだった。同じ空間や時を共有する者同士、図らずも考える事は似ると言う訳である。

空虚な瞳の真実

 先の様な提案をした理世ちゃんは、空虚に思える様な瞳を見せるまでに気が動転していた千夜ちゃんを最初の相談相手とし、最初こそ理世ちゃんの真意を知った千夜ちゃんに「リゼちゃん絶対良い先生になれるわ」と、逆に励まされる等の振り回されている場面もあったが、やがて千夜ちゃんは赤裸々な本音を理世ちゃんに対して語り始め、そこでは幼なじみである紗路ちゃんと離れ離れになる事はいつかやってくるとは思っていたが、いざ聞くとやっぱり気が動転してしまう事と、紗路ちゃんが私と離れ離れになる事を対して気に留めていない様に感じられた事を気にしている事を理世ちゃんに語っていた。これに対し理世ちゃんは紗路ちゃんが離れ離れになる事を気に留めていない訳が無いと、千夜ちゃんの懸念を力強く払拭しようとしていたが、同時に私(理世ちゃんのこと)とも同じ進路にならない事に対して寂しさを浮かべてもおり、これが千夜ちゃんにとって「理世ちゃんが寂しさを共感してくれた」と、少しすっきりした表情を見せていた。尤も、当の理世ちゃんはどっちが励まされているか分からないとやや消化不良気味だったが、これは元々リゼ千夜が最終的には理世ちゃんの方が励まされる事も多い為であり、千夜ちゃんにしても弱った隙を不用意に見せないからなのだが、何れにしても千夜ちゃんにとっては嬉しかったに違いない。

 私はこの一連の場面を見て、千夜ちゃんはやはり幼なじみの紗路ちゃんと離れ離れになるのは「頭では受け入れられても、それが現実味を帯びるとやっぱり動揺してしまう」程に、できる事ならあって欲しくない事だと言うのが良く分かるものだと考えていて、それは千夜ちゃんにとって紗路ちゃんはできるならずっと私のそばにいて欲しいと思える程に、大切な幼なじみだと言うのが読み解ける内容だと感じ取っている。それを思えば、紗路ちゃんが私と離れる事をあまり気に留めていない様な反応をした事を凄く気にしていたのも理解できるし、彼女がそれだけ幼なじみ想いだからこそ、紗路ちゃんの衝撃的な発言に対してあの様な空虚な瞳を見せたと思えば私自身納得がいく。

 無論、上記にある様に千夜ちゃん本人もいつか紗路ちゃんとは離れ離れになってしまう可能性がある事は理解しており、その事を理世ちゃんにも打ち明けている。だが、実際にその事を紗路ちゃんから告げられると、千夜ちゃんは彼女の意思に反して動揺してしまい、それをして千夜ちゃん自身は「やっぱり動揺しちゃってだめね」と、自分で決めた覚悟すらまともに貫き通せない自分自身を自ら卑下(ひげ)していたが、そんな千夜ちゃんに対して私は「いくら幼なじみ相手だとは言え、自分自身を卑下するまでに思い詰めなくても良い」と言いたいと思わず考えたものである。勿論、幼なじみに限らず、友達想いの千夜ちゃんだけにあって、友達や幼なじみの決断を動じることなく尊重し、送り出す事を想うのは良く分かるし、打たれ弱い面もあると言っても、簡単にすぐ諦念(ていねん)してしまう様な弱腰とは全く違う事も、大切な人を心から大切に想っているからこそ、その友達や幼なじみに対して不安な思いをさせたくないと言う千夜ちゃんの強い想いがある事も理解している。

 しかしながら、私としてはだからこそ千夜ちゃんには友達や幼なじみの事で自分自身を必要以上に追い詰めて欲しくないと考えている。その訳は自分自身を必要以上に追い詰めてしまっても良い事は何も無いからなのだが、そんな風にしてどんどん心を痛めていく千夜ちゃんは私自身見たくないのも存在している。思う事は色々あれ、やはり千夜ちゃんには何時も優しいお姉さんとして、心に余裕をもって居て欲しいと言うのが私の願いなのである。

幼なじみの本音

 次の相談相手は千夜ちゃんの幼なじみであり、理世ちゃんにとっては高校時代の直属の後輩でもある紗路ちゃんであるが、彼女は最初からいきなり「先輩は私が街を出ると言っても驚かないんですね」と、ある種理世ちゃんを試す様な発言をしている。これは紗路ちゃんが人の反応や動向に対して気にしい*4な所がある為で、裏を返すと紗路ちゃん自身も街を出る事に対して気になる事項があるのを意味している。これに対し理世ちゃんは確かに少し驚いたが、紗路ちゃんらしいと思った事と、旅行から帰ってきた後の切り替わった紗路ちゃんを見ればある意味納得のいく決断だったと答えており、これには紗路ちゃんも思わず返す言葉が無かった様で、先輩には敵わないと答えている。

 その後紗路ちゃんは理世ちゃんに対して町の外の大学に行こうと思い立った理由として「その方が将来千夜ちゃんの仕事をサポートできるのではないのか」と述べている。ただ、その事を千夜ちゃんには言わず、理世ちゃんにも秘密にする様に頼んだのには、本人曰く「言ったらつけ上がるに決まっているから」らしいが、本当の理由として恐らくだが「この事を千夜ちゃんに言えば、千夜ちゃんは絶対私に無理にでも合わせようとすると考えたから」*5だと思われ、紗路ちゃんにしても彼女なりに千夜ちゃんの事を想って街の外の大学に行く事を決意した事が良く分かる場面になっている。尚、紗路ちゃんは理世ちゃんに対して終始緊張気味で、それをして理世ちゃんから「もっと心を開いてほしい」と言われてもいるが、紗路ちゃんにとって理世ちゃんは「尊敬する先輩であり、憧れの対象でもある」為、多少よそよそしくなってしまうのは仕方ないとも言える。ただ、理世ちゃんはそんな紗路ちゃんの複雑な心境がどうやっても理解できなかった様で、紗路ちゃんに対して直接「分からん」と言っている。この違いは理世ちゃんがサバサバしているのも大きいのかも知れない。

 私はこの一連の場面を見て、紗路ちゃんはやっぱり千夜ちゃんに負けず劣らず「人(幼なじみ)想い」で、その幼なじみの為に自分は何ができるかを自分なりに考えた結論が、今月号の衝撃発言の一つでもある「都会の国立大学を目指す事」だったと理解した。尤も、例えこの様な真実に触れていなかったとしても、紗路ちゃんの事だから何か絶対に深い訳があるとは何となくでも察しが付いたのだろうのだが、何れにしてもあの様な衝撃発言の後だった為、明かされた真実が余計に印象的だった。

 また、紗路ちゃんが何故都会の国立大学に行こうと思い立ったのか。その理由を事細やかに千夜ちゃんには言わないのも、表向きには「つけ上がるに決まっているから」と、余計なお節介をされるのを避けようとしている理由にしているが、本当は千夜ちゃんに正直に告げると、彼女が「自分の事をそっちのけにしてまでも私に合わせようとする」と紗路ちゃんが考えたのが大きいと私は感じている。理由としては、千夜ちゃんは世話焼きでどこまでも人想いな女の子であり、それ自体は彼女の利点なのだが、時に彼女は自分の事よりも他人の事を優先し過ぎてしまう傾向にあり、それを幼なじみ故に良く知っている紗路ちゃんは、千夜ちゃんの事を想って敢えて真意を告げないと決めたと私自身考え付いた為であり、ごちうさを深く知りゆく中で「千夜シャロという幼なじみが、お互いを想い合う深い絆と尊重がある事」を思えば、この様な考えに行き着くまでそう時間は掛からなかった。無論、これらは私の推察なのだが、千夜シャロの確かな絆と信頼を鑑みるならば、自ずと答えは見えてくると考えている。

 尚、紗路ちゃんが理世ちゃんに対して終始緊張気味だった事と、それをして理世ちゃんから紗路ちゃんに「もっと心を開いてほしい」と発言した事についてだが、これは紗路ちゃんからして理世ちゃんは「尊敬する先輩であり、憧れの人」である為に、どれ程親しい関係であっても紗路ちゃんの性格上多少なりとも気を遣ってしまう事と、2人だけで空間を共有する事にどうしても緊張してしまう事が大きいと考えている。その為、紗路ちゃんは理世ちゃんに対して心を開いていない訳では無く、寧ろ普通に開いているのだが、そんなデリケートな事を怖気づく事無く本人に直接聞くとは、理世ちゃんは度胸があると言うのか勘が鈍いと言うのか。何れにしても、紗路ちゃんの雰囲気の変化に鋭く勘付いていた理世ちゃんが、紗路ちゃんの人間関係に対する心境や照れに関しては割と鈍いと言うのも少し意外である。

聞きそびれた本音

 最後の相談相手はごちうさの中心人物であり、ラビットハウスに下宿している女の子である心愛ちゃんだが、長くお風呂に入り続けていた事が原因となって理世ちゃんがのぼせてしまい、まともにやり取りができないままに終了してしまう事になってしまう。因みにその後理世ちゃんは同級生組3人に団扇で扇がれて涼まされているので直ぐに立ち直っている。

 その為、心愛ちゃんの本音は中途に終わる事になるのだが、その本音はかなり意味深なもので、これは今月号の最終局面で大きなカギを握る事になる。そのポイントは、後から思えば彼女が言った「シャロちゃんに先越されたから言いにくかったんだよね」に隠されていたのだろう。

高校生組のやり取り

 この項目は理世ちゃんとの進路相談を終えた後の高校生組のやり取りを文字通り書き出している。内容としてはそれまで比較的シリアスな内容が多かった中で、ここでは真面目な内容ながらもごちうさらしい雰囲気で、元来の高校生組4人のやり取りを見る事ができる様になっている。また、ここでは先月号と今月号がリンクしている場面や、今月号の内容の山場が描かれており、それ故にここまでの答え合わせと言える重要な局面にもなっている。 

同級生組3人の優しさ

 千夜ちゃん、紗路ちゃん、心愛ちゃんの進路相談と称して、それぞれの心の負担を軽くしようと奮起したためにのぼせてしまった理世ちゃんは、その後その3人に助けられて元に戻るのだが、その際に理世ちゃんはちゃんと相談に乗れなかった事で「教師志望失格」とまで称する程に悔いていた。何と言うか、いくら何でも極端すぎる様にも思えるが、理世ちゃんは生真面目で自分に厳しい人なので、この様に考えるのも無理はないのだろう。しかしながら、それでも3人は理世ちゃんに対する感謝の想いを各々の言葉で伝えており、その想いに対して理世ちゃんは助けられた事と、皆が明るくなってくれた事に対する喜びの感情として、目に嬉し涙を浮かべながら笑顔を見せていた。皆の年上である理世ちゃんだが、やはり皆の優しさには救われているのである。

 その後、心愛ちゃんは智乃ちゃんに電話をすると言って電話をかけているのだが、この場面、心愛ちゃんの台詞を見るに先月号に描写されていた、智乃ちゃんと心愛ちゃん2人の電話でのやり取りを心愛ちゃん側からの視点で描いているものとみて間違いないと思われ、心愛ちゃんの心境について探る事ができる場面になっている。尚、心愛ちゃんとしては智乃ちゃんの事を「私がいなくて寂しくても強がるのだろう」と考えていた様で、先月号の様な成長した智乃ちゃんの話を聞いて圧倒されていた。普通に考えれば微笑ましいと言えるのだろうが、なんだか気にはなる場面でもある。そして、その気になる予感は後々思わぬ形で的中する事になる。

想いの交差

 衝撃発言に多少なりとも揺れ動いていた千夜シャロだが、就寝体制に入った時に紗路ちゃんは千夜ちゃんに対して起きている事を確認した上で、あの様な進路にした理由こそ伏せた*6と言え、進路の事で動揺させてしまった事をはっきり自分の言葉で謝ったのである。この言葉に対し千夜ちゃんは柔和な表情で受け容れ、その上で紗路ちゃんの事を応援し、信頼する事を告げている。やはり千夜ちゃんは幼なじみ想いの優しい人なのである。但し、他方で「でも落ちたら甘兎の従業員になっていいのよ?」と、紗路ちゃんを嗾(けしか)ける様な発言もしており、これに対し紗路ちゃんは思わず布団から身を起こすまでに怒りを露わにし「絶対受かってやるから余計な気遣いは要らない」と言う趣旨を千夜ちゃんに言い放つ。傍から見れば結構な言い争いの様にも感じるが、これも本来の千夜シャロの姿の一つなのであり、事実そんなやり取りを隣で寝ていたが故に聞いていたココリゼにして、心愛ちゃんが「いつもの二人に戻ってよかったね~」と言わしめている事からも見てとれる。

 因みにそんなココリゼに勘付いた千夜ちゃんは、目を光らせながら夜更かしの提案をしており、これには紗路ちゃんとの友好の証に言い合いをした事が要因となり、言い合いをする内に目が覚めてしまった事でその様な提案をしたと考えられる。そんな提案に対して心愛ちゃんは乗り気だったが、リゼシャロは「早く寝ろ」と一蹴している。尤も、興奮状態に陥ればそんな簡単に寝られるとは思えないのだが……。

 この一面の場面に対して私としては、端的に言えば「千夜シャロはやはり千夜シャロだった」と言う印象を強く抱いた。やはり千夜シャロにとって激動の連続だった今月号において、千夜シャロがお互いに気持ちを確かめ信頼し合った後に何時もの千夜シャロのノリが見られたのは、私にとっても安堵ものだったのである。因みに千夜シャロの何時ものノリの中で私が特に印象的だったのは、千夜ちゃんが紗路ちゃんに対して言い放った「でも落ちたら甘兎の従業員になっていいのよ?」であり、千夜ちゃんの揶揄い好きな一面が遺憾なく発揮されていた事が特に印象に残った理由だった。ただ、それを言われて思わずブチ切れた反応を見せた紗路ちゃんは中々に鬼気迫るものであった為、その意味でも印象に残ったのかも知れない。しかしながら、千夜ちゃんが紗路ちゃんに対して、言ってしまえば失礼極まりない物言いをしたのも、その方がある意味紗路ちゃんが俄然やる気になると分かって敢えてやったとも感じ取れるので、その様に思えるのも千夜シャロの凄さなのかも知れない。尤も、それならば何を言っても許されるとはならないのは当然だが……。

再訪の衝撃

 ここまでは高校生組4人による甘兎庵の勉強会が描かれていたが、今月号の終盤8コマはそんな勉強会も無事に終わり、ラビットハウスに帰宅した心愛ちゃんと、同じくラビットハウスにおけるお泊り会を無事に終えた智乃ちゃんとのやり取りが中心的になっている。その為、普通に考えれば「お互い過ごした中で得られた経験や糧を話し合う」様なほっこりした光景が思い浮かべられるだろうし、実際にそんな風に思える描写も存在している。

 しかし、最後の最後で待ち受けていた事実は、今月号に出てきたどんな衝撃や、今までごちうさで存在していた衝撃的な描写と比べてみても尚、勝るのではないかと考える程に衝撃的な内容だった……。因みにこの様な描写を最後の最後に持ってくるのは他ジャンルではさほど珍しくないが、日常系たるごちうさにしてはかなり異例の事だと思う。

衝撃の宣告

 今月号の最終局面たる8コマの流れとしてはココチノがそれぞれのお泊り会*7についてそれぞれ語り合うもので、最初は心愛ちゃんと智乃ちゃんがそれぞれ今回のお泊り会であった事をチェス*8をしながら話し合うのが描写されており、ココチノのみならず、先月号と今月号を購読した読者にとっても思い入れある内容となっている。尚、ここでの智乃ちゃんは普段とは全く異なる饒舌(じょうぜつ)ぶりであり、その事を心愛ちゃんに指摘されると思わず赤面していたが、それだけ心愛ちゃんに対して話したい事があった事が認識できる様にもなっている上、ココチノが今や本物の姉妹の様にお互いを想い合い、大切にしたいと心から思っている事がはっきり分かる様にもなっている。その為、ここまでだけを見るなら完全に何時ものごちうさであり、とても目を疑うような衝撃展開が待っている様には思えない。だが、衝撃の事実と言うのは、何時だって思わぬ所からやってくるものなのである……。

 一連のやり取りが一段落した頃、心愛ちゃんが智乃ちゃんに対して「私がいなくても問題なかったか~」という何気ない言葉を掛けたのである。これに対して智乃ちゃんは自信たっぷりに「当然です!」と答えており、智乃ちゃんが1人で何でも出来る様に成長できた事を窺わせる内容になっている。だが、そんな智乃ちゃんの言葉に「そうだよね」と言いながら安心した心愛ちゃんが次に言葉は、予想だにしなかった衝撃的な内容だった。何故なら、何時もの様に晴れ晴れとしたにこやかな表情をしていた心愛ちゃんがかけた言葉は「じゃあ安心してこの街を離れられるよ!」と言う、一瞬我が目を疑う言葉だったからであり、これに対して智乃ちゃんは当然ながら戸惑いの言葉しか出てこず、その直後に心愛ちゃんの言葉に何か思う事を察した様に見えるティッピーと、智乃ちゃん相手にチェックメイト*9をする事ができて、智乃ちゃんにチェス勝負で勝つ事ができるまでに実力が上がった事に対する喜びと、明日からも頑張ろうと決意を露わにした心愛ちゃんの描写をもって、今月号は締められている。

錯綜と冷静の狭間

 この今月号における最後にして最大の衝撃とも言って良い内容を初めて読んだ時、私はあっけにとられた訳でも無く、悲しみに打ちひしがれた訳でも無く、正直自分自身この様な衝撃的な内容に触れてどう思ったのか、はっきり言って自分でも良く分からなかった。恐らくは幾多の衝撃を連続で受け続けた事によって、最早感覚が麻痺していたのだろうし、或いは突然告げられた衝撃の事実に体が思わず拒否反応を示していたのかも知れないし、はたまた自分自身を騙してでも「私の中では想定内」だと思い込みたかった結果なのかも知れないが、何れにしても今月号にあった数々の衝撃に打ちのめされてきた私の感情は、最後にして最大ともいえる衝撃に対する考えを整合する気力も、自分はどう思ったのか考えを張り巡らす想いも、抑々この衝撃的な内容をシンプルに受け止める力すら削られていたと言える。

 その様にして、既にあらゆる感情を削られていた私は結局「心愛ちゃんはそういう考えを持っていたのか。」と、ある意味一周回った形でしか受け容れる事が出来なかった。と言うか、あの時私は何を思ったのか、その記憶が初めて今月号のごちうさを読んでから全然経っていないと言うのに、もう殆ど思い出せない。その為、上記の括弧書きの内容とて最早「断片の中の一かけら」とも言うべき記憶の内容でしかなく、全貌は最早自分自身にも分からなくなってしまっている。どれ程記憶を手繰り(たぐり)寄せようとしても、もう戻る事は無いだろう……。

 だが、時が経てば少しずつ冷静な感情は戻ってくるものであり、それに伴い、初めて読んだ時はまともに受け止める事すらままならなかった心愛ちゃんの大きな決断も、こと冷静にしっかり受け止める事ができる様になった。そして、冷静になって考えてみれば、心愛ちゃんが街を出ていく決断をする事が、何も突飛な話でも何でもないと気付くのに時間は掛からなかった。

 抑々心愛ちゃんは元来の木組みの街の住人では無く、高校進学を機にラビットハウスもとい香風家に下宿している身である。つまり高校を卒業してしまえば、現実問題として今の様な事情や立場でラビットハウスに下宿する意義がなくなる事実が存在する訳であり、それを機に彼女がラビットハウスを出て木組みの街で一人暮らしを始める事や、或いは木組みの街自体を去りゆく事だって、冷静に考えてみればあり得る話である。勿論、木組みの街にある大学に通う等してラビットハウスに継続して下宿する理由を作ると言う方法も無くは無いのだろうが、心愛ちゃん自身はあくまで自分の夢の為にも木組みの街を出る選択も視野に入れているという事なのだろう。

 また、心愛ちゃんは以前にも自分の夢や将来やりたい事*10の為に将来的には木組みの街の外に身を置く意思を度々見せた事があり、特に旅行編における心愛ちゃんの「パン作りの為にこの街(都会)に残る」と言う趣旨の発言は印象的である。尤も、何れも友達(特に智乃ちゃん)から本気で止められている*11為、今まで心愛ちゃんは木組みの街から離れていなかったが、それ故に自分が高校卒業と言う節目時に改めて街を離れる選択を取って置く決断をした可能性も十分あり得る話であり、同時に心愛ちゃんが木組みの街から離れる理由の裏付けにもなる。

 尚、心愛ちゃんのこの様な決断に対して、香風家の一人娘にして、心愛ちゃんによってかけがえのない経験や財産を授かり、大きく成長を遂げた智乃ちゃんは、これまでは時に怒りを露わにするまでに心愛ちゃんを窘める*12事もあった*13が、今回は今までとは異なり、あまりの衝撃発言に只々言葉が出てこない様子であったのがとても印象的だった。普段何かと心愛ちゃんに対してお灸を据える様な態度を示す事も少なくない智乃ちゃんだが、本心では心愛ちゃんを大切な存在として捉えているのが良く分かる内容だと言え、彼女のあっけにとられたような反応と同時に描かれていたティッピーに関しても、心愛ちゃんに対しては特別な想いを抱いていた事は、想像に難くない内容だと感じ取っている。

 つまりこの衝撃発言から分かる事を大きくまとめると、心愛ちゃんが自分の夢の為になら将来木組みの街をも離れる覚悟を持っている事と、智乃ちゃんにとって心愛ちゃんは最早かけがえのない存在にまでなった事であり、この2つは恐らく間違いない事だと思われる。しかしながら、今月号だけでは智乃ちゃんが「将来木組みの街を離れようと検討している心愛ちゃんの事をどう思ったのか」が殆ど分からない為、個人的にはこの事も今月号を読んでもどかしい思いに駆られる理由の一つになっているのは間違いないと考えている。

これからの想い

 この様に今月号最後にして最大の衝撃描写に対して何とも言えない状態になってしまった私だったが、内に秘める想い自体は初めて今月号を読んだ時から今に至るまで一貫しており、それは「これから何があってもごちうさを読み進める事を決してやめない」という事である。

 抑々私はごちうさに対して紆余曲折した想いの変遷があり、本格的に知ったのが今から約3年前にも関わらず、今までもごちうさを読み進める事に苦悩を覚えた事は正直2年前の2019年に発売されたOVAのSing For You(SFY)の頃から度々あった。僅か1年でごちうさから目を逸らしたくなる程の苦悩を抱え、事実原作もアニメも恐怖感から全く視聴できなくなってしまった時期もあった(現在は平気である)が、その間に実はごちうさの二次創作小説を書いたり、ごちうさの絵を模写したりする事にチャレンジしており、現在はどちらも鳴りを潜めているとはいえ、この2つのお陰でごちうさを好きでいる気持ちは変わらず持ち続けていられた。もしこの2つ共やっていなければ、今ほど深い想いを持つ事は出来なかったかも知れない。

 それから2020年になり、ブログで考察や想いを書き出す様になってから大きく変わっていき、この年の8月に単行本勢からきらま勢になってからその変化は決定的なものとなった。ごちうさを読み進める事に対して迷いがなくなり、苦悩や恐怖を乗り越え更なる境地へと邁進(まいしん)できたからだ。そして、そんな自分自身の変化のさなかにアニメ3期が始まり、素直な気持ちで3期を堪能する事ができた事で、自分の中でごちうさを見守りたい、見届けたいと言う想いがより一層強くなり、それはアニメ3期初回放送から1年近く経った現在に至るまで一貫して続いている。

 この様な経緯故に、ごちうさに対する想いは私の数多くの趣味の中でも特に強く、そこから上記の太字鍵括弧の様な強い拘りを持つまでに至った為、今月号の内容にどれ程揺り動かされようとも、どれ程受け容れたくない様な運命や現実が待ち望んでいようとも、心に深く根付いた想いが変わり切ってしまう事は基本的にあり得ないと言える。勿論、これらは決して楽な事では無いのだが、最早今に始まった事でない事実が私を突き動かす。また、今更引き返そうにも、深淵たる世界に足を踏み入れた以上、もう戻る事は出来ないと考えているし、その事実にもめげない覚悟を持っている事も後押しする上、そして何より今の私が意識している「着飾らない想いを書き出す事」を実行するなら、その時の自分が思った事を極力ありのままに書き出すのが一番良いと考えているのが大きい。

 その為、今月号にあった幾多の衝撃事実・発言に対しても、初めて見た時にこそショックはショックだったものの、それでも進路と言う誰しもが経験する大きなターニングポイントに対して同級生組3人が真剣に検討した上での意思表明だと思えば、不思議とショックも和らいでいき、次第に彼女達が選んだ決断をしっかりこの目で確かめたい、見届けたいと言う想いが強くなった。尤も、その背景には私自身「新たな描写を受け容れられずに目を逸らしても描かれている事実は変わらない」と言う中々に厳しい考えを持っている事も大きいのだが、何れにしても私の中でのごちうさを最後まで読み続ける意思」は堅牢なのである。

3.あとがき

 以上がきらま2021年11月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は先月号のラビットハウスにおけるお泊り会の続きとも言える回である為、先月号が「ラビハ組とブラバ組の親交を深める回」だった様に、今月号は「高校生組4人の友情を改めて確かめあう回」テイストに共通点があると認識している。しかしながら、ごちうさの根幹たる友情を改めて再認識するテイストは共通している一方で、全体的に「高校1年生組の新たな友情の結束」がテイストとして強かった先月号とはうって変わって、今月号は「嘗ての高校生組4人が進路問題に多少なりとも揺れ動く」と言うはっきりとした違いもあり、総合的には先月号との対比も含めて非常に印象深い回だと考えている。

 今月号は何と言っても紗路ちゃんと心愛ちゃんの2人に関して「将来木組みの街を離れる進路を考えている事が明かされた」のが衝撃的且つ印象深い内容であり、しかも紗路ちゃんに関しては今月号である程度展開が描かれていた為、今後の予測がある程度立て易くなっているが、心愛ちゃんに関しては最後の最後に唐突に明かされた為、今月号だけでは今後の展開が予想し辛くなっているのも見逃せない点だと考えている。私としてもこの衝撃的な内容に対して色々と考えを張り巡らせたものだが、実の所きらまタイムで紗路ちゃんのだけを知った時は「今までに無く壮絶な内容になる」とすら予想し、そして覚悟していた為、今回書き出した内容以上に重い考えを張り巡らせてもいた。だが、いざ本編を読んでみると、簡単には受け止められる内容では無かった上、あまりの衝撃に平静さを失くしてしまっていた時もあったとは言え、それでもまだ耐えられる内容ではあった*14為、重い考えの大半は書き出す事を止めたのだが、もしその時の予想が100%的中していたらと思うと、私は自分自身が怖くもある。

 だが、ここで迷っても仕方が無い。何故なら衝撃的な事実が明かされたとはいえ、ごちうさにはまだまだ謎が多く残されているからだ。例として今月号最大の衝撃たる「心愛ちゃんが何故木組みの街を離れるのか」や、よくよく考えてみれば連載開始から10年という歳月の中で、これまで全くと言っていい程明かされていない「理世ちゃんの母親の事」*15もそうだし、旅行編でチラッと仄めかされたとは言え、殆ど素性が分からない「千夜ちゃんと紗路ちゃんの父親」について等々、枚挙に暇がない。一応紗路ちゃんの父親は、紗路ちゃんの母親と同じく陶器職人らしく、千夜ちゃんの父親は、千夜ちゃんの祖母と同じ和菓子職人だと言及されているが、これはこれで私としては千夜ちゃんが言うお婆ちゃんとは、千夜ちゃんの父親が和菓子職人である事から、千夜ちゃんにとっては「父方の祖父」になるのだろうかとなるし、地味な事だとは言え、ごちうさの登場人物の父親は「何故そこまで喫茶店と縁深いのか」*16ともなる。この様に私にはまだ多くの謎が残されている以上、ここで挫けて立ち止まっている場合では無い事も大きな強みとなり、苦節あれども今までごちうさ好きとしてここまで走って来られているし、これからも走り続けようと思える原動力にもなっている。

 最後に、これからのごちうさがどうなるのか私には最早分からないが、これからもごちうさ好きとして出来る限り最新話を追い続けたいと考えている事は書いておきたい。これには色々な想いがあるのだが、大きな要因として2021年8月26日に発売された完全版たるComplete Blend1巻と、同年9月27日に発売されたComplete Blend2巻を、一時期原作・アニメ共に恐怖意識故に全く見られなくなってしまったのが嘘の様にのめり込んだのがあり、結局1巻・2巻共に読み終えるのに3時間弱程度掛かってしまった程。色々あるとは言っても、やはりごちうさ好きとしての私の想いは変わらないのである。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙41枚分であり、これは現時点で過去5番目の文量である。先月号の感想・考察記事と比べても字数にして3000字以上増えており、枚数にして9枚分も増えている辺り、如何に今月号で混沌とした気持ちになっていたのか、客観的に見ても良く分かる。

因みに上位5位をランキング付けすると下記の通り。

1位 400字詰め原稿用紙 60枚分

2位   以下同文     52枚分(文量が上)

3位            52枚分

4位            43枚分

5位            41枚分(今回の記事)

*1:それでも嘗てに比べれば幾分マシだった。

*2:ただ、本当は友達(特に紗路ちゃん)からも見透かされている事も少なくない。

*3:但し、理世ちゃんは早生まれ(2月14日が誕生日)な為、厳密に言えば一学年上の方が適切。

*4:何かと気にし過ぎる事。

*5:実際に千夜ちゃんは、先の様に紗路ちゃんが都会の国立大学に行きたいと思った理由や経緯を話す前から紗路ちゃんと同じ進路に進みたいと言い出している事も裏付けとなる。

*6:これは前述の通り、彼女自身が持つ強い想い故の敢えての行動である。

*7:厳密に言えば高校生組4人は勉強会だが、広義で言えばお泊り会でも間違いではない。

*8:智乃ちゃんの趣味の一つであり、実力は大人顔負けの腕前。また、元々チェスに馴染みが無かった心愛ちゃんも智乃ちゃんに触発されて、徐々に腕前を上げてきている。因みに智乃ちゃんの親友である冬優ちゃんもチェスがとても強く、腕前は智乃ちゃんと互角。

*9:所謂詰み{相手のチェック(将棋で言う王手)をどうやっても回避不能な状態}であり、こうなるとそれ以上ゲームを継続する事が不可能になる為、即対局終了(チェックを宣言した方の勝ち)となる。

*10:実家がパン屋さんであるが故にパン作りの修行や、兄妹が弁護士や憧れの存在であるが故にその兄妹に近づく為に努力する等々。

*11:抑々心愛ちゃんはまだ高校生在学中である為、余程の理由が無ければ実行しない方が良いとも言える(学業に影響が避けられない為)。ただ、友達が引き止める理由はシンプルに「大切な友達だから離れて欲しくない」と言う想いが強いが故だとも考えている。

*12:たしなめる。軽く叱ること。

*13:これは智乃ちゃんにとってそれだけ心愛ちゃんが大切な存在である事の裏返しでもある。

*14:とは言え心愛ちゃんが木組みの街を離れると言い出した時に動揺はあった。あくまで受け入れられない程のショックには至らなかったと言うだけである。

*15:因みに初期組5人の中で、両親の事が全くといい程明かされていないのは理世ちゃんの母親のみ。

*16:智乃ちゃんの父親のタカヒロさんはラビットハウスのバータイムのマスター、千夜ちゃんの父親は和菓子職人、神沙姉妹の父親は喫茶店ブライトバニーの社長である事から。

きらファンメインシナリオ第2部「断ち切られし絆」4章の感想・考察

 こんにちは。今回はきららファンタジアのメインシナリオ第2部4章を完走したので、その中で抱いた感想と考察について書きたいと思います。この第2部に関しては、私の中では続きを読むのが楽しみな反面、少し怖くもあると言う程に特別な立ち位置を持ったシナリオになっているのですが、それ故にしっかりとした想いを抱けると考えているので、今回もシナリオを読み進めて考えた事を素直に書き出したいと思います。

※注意※

 きららファンタジアメインシナリオ第2部のネタバレを含むものなので、その事を了解の上、読み進める事をお願い致します。また、内容も重めなので十分注意してください。また、本文中に出てくる「リアリスト」は「現実主義、写実主義」を意味するものではなく、「ゲーム内に登場する組織体」です。今回は括弧の有無に関わらず、特に脚注や注意書きが無い場合は全てゲーム内で使われる単語の意味合いを指します。

1.はじめに

 「断ち切られし絆」の名を持つ、きららファンタジアメインシナリオ第2部。どの聖典にも載っていない謎の存在である住良木(すめらぎ)うつつと共に、きらら達はうつつの故郷を探す為に新たな旅に出る。しかし、その道中壮絶な運命に翻弄される事の連続だった……。

 特徴は何と言っても大筋を支配しているシリアスなシナリオで、一筋縄ではいかないストーリー展開も多い上、第2部の敵対組織であり、欺瞞(ぎまん)に満ちた世界*1を正す為に活動し、ひいては禁呪魔法「リアライフ」を用いて全ての聖典とその世界を破滅させようと目論む「リアリスト」にしても、蠢く深き闇や壮絶な過去を思わせる展開が多く、特に4章ではそれが顕著に表れている。その為、きららファンタジア全体だけでなく、メインシナリオ第2部に絞っても特に重いシナリオが特徴的なのだが、その分ストーリー展開は先がどうなるのかどきどきしながらものめり込む様に楽しむ事ができる様になっており、また重いシナリオだけでなく、感動するシナリオも多く含まれており、総じて言えば今回も非常に読み応えのあるシナリオだと感じ取っている。

 今回はそんな読み応えのあるシナリオを、新キャラであるスズランとロベリアを中心とした観点と、最後にして以前から気になっていたハイプリス様の右腕たるサンストーンときららの関係性を中心とした観点の大きく2つを中心に、4章を読んで私が思った事を書き出したいと思う。

2.第2部4章の感想・考察

4章とは

 4章は2章と同様にリアライフによって呼び出されたクリエメイトが登場せず、オリジナルキャラクターによるストーリー展開となっている。また、この章では七賢者が1人であるカルダモンが登場しており、4章の重要人物となっている。そして、何故クリエメイトが登場する章と、登場しない章があるのか。それを解読するための足掛かりも存在しているのが4章の特徴だと推察している。

 この章はこれまでと比べても特に壮絶な章であり、いわれも無い様な噂によってきらら達が物理的に引き放され、うつつちゃんが今までにない程の絶望に苛まれるのを筆頭に、物語の中程までは身構えずに読むと思わずショックを受けるまでの描写が多く存在している。しかし、それ以降は再びきらら達が物理的に集まり、より絆を深める様子を窺う事ができる事を筆頭に、うつつちゃんの事を七賢者やアルシーヴ様、ひいては女神ソラ様全員が信じている事を記した手紙を読み上げる場面や、それ等を受け止めたうつつちゃんが新たな決意を胸に秘める等、心動かされる場面も多い。尤も、終盤はまた壮絶なテイストが復活するが、序盤と違うのは数多くの謎が少し明らかになった事と、また新たな深き謎が生み出された事である。

 また、この4章においてはリアリストが何故聖典とその世界の破壊を目論んでいるのか、その事を理解・考察する故で重要な事が明かされた章でもあり、総合的に見ればメインシナリオ第2部を解くに当たって重要な章である事は間違いない。ただ、何度も読み込むには強い意思がいるまでに過酷なストーリーである事もまた、間違いない真実だと思うのだが……。

4章におけるうつつちゃん

 メインシナリオ第2部における重要人物である住良木(すめらぎ)うつつ。どの聖典にも載っていない謎の存在であり、本人も「住良木うつつ」という自身の名前と「16歳の女子高生」と言う自身の年齢・属性以外の記憶を失っている。その為、自らが何者なのかを周りの人も彼女自身も良く分からず、多くが謎に包まれている。性格は極度のネガティブ思考故に根暗だが、きらら達と一緒に旅をする事で、言動こそ変わらないと言えど、前向きな事を提案したり、挫けそうな時にも励ます事も忘れなかったりと、彼女自身も確実に変化している。また、いざという時に折れ切らない芯の強さも併せ持っており、教養も時に実年齢以上のものを感じさせる程。更に、彼女はリアリストの人間では無いが、ウツカイが使う文字を解読する特殊能力持ちであり、他にも特定条件下でリアリスト幹部の会話を聞き出せたり、リアリストの面々ですらあらゆる手段をもってしても呼び出せない強力且つ特別なウツカイを己自身の力で呼び出せてしまったり(但し、この能力はロベリアの分析である為、うつつちゃん自身に自覚は全く無く、きらら達もこの能力は知らない。)と、潜在的なポテンシャルの高さが恐ろしいまでに優れている人でもある。

 4章においては、序盤においてはネガティブ思考こそ変わらないものの、きらら達の旅路に同行する事で楽しみを見いだしている様子を覗わせている。うつつちゃんもきらら達の事を信頼している事の証左であり、この信頼と言うのは後のうつつちゃんを大きく左右する事にもなる。

 しかし、4章において彼女は窮地に瀕する事になる。水路の街においてうつつちゃんは何故か「ウツカイを呼び出す張本人」扱いされ、どこに行っても全く相手にしてもらえない。後から分かる事だが、これはリアリストが仕組んだ悪辣極まりない罠であり、本人は「これこそ住良木うつつ絶望計画」だと考えている。そして、リアリストの罠により、うつつちゃんは孤独に追いやられ、自分は一体どうするべきなのか苦悩する事になってしまうのだが、その際になんとリアリストですら召喚出来ない強力かつ特別なウツカイを絶望のクリエも無しに召喚すると言う、ロベリアも驚愕の技を成し得てしまう。尤も、その事をうつつちゃん自身は知る由も無かったのだが、うつつちゃんは一体何者なのか……。

 そして、その後なんとかきらら達と再会し、きらら達はうつつの事を信じているとハッキリ告げたが、うつつちゃんはそれでも再び同行する事を渋っていた。ただ、その理由としてうつつちゃんとてきらら達の事が嫌な訳では無く、寧ろきらら達の事は好きなのだが、うつつちゃん自身が水路の街で疎まれている現状を鑑みて、きらら達にも迷惑をかける事になるかも知れないと、彼女なりに気にしていたのがあった。そんなうつつちゃんに対して、七賢者が1人カルダモンは「アルシーヴ様からの手紙」と称して、うつつちゃんに手紙を渡したのだが、その手紙には「うつつを信じる」と記されてあった。また、そこには「女神ソラ様や七賢者*2もうつつを信じているから負けるな」とも記されており、それを読んだうつつちゃんは自分の事を信じている人がいる事を知って思わず泣いてしまっていたが、同時にきらら達と再び旅をする事を決断し、新たに決意を大きく固める事にも成功している。

 決意を秘めてからと言うもの、以前より人の心配をする様子が多く見受けられており、本人は恥ずかしさから何かと理由を付けて誤魔化そうとしているが、うつつちゃんも確実に変化・成長しているのである。また、陰湿な手口ばかり使うリアリストに対して、遂に我慢の限界を超え、珍しく怒りを滲(にじ)ませる場面も存在しており、うつつちゃんが以前より人に対して感情を抱く様になったのもポイントだと思う。尤も、うつつちゃん自身の根っこは変わっていないのだが、それも味だときらら達からは評価されており、絶対的な個性と認知されている。

 また、最後の場面においては、衝撃的な展開続きに参り気味だったきらら達を励ます役目も果たしており、この事から全体的に自分は一体どうするべきなのか、その事を悩み、受け入れそして成長して、自分なりに前に進んでいく姿が、4章におけるうつつちゃんの特徴と言える。

スズランとロベリアについて

 「魔手(ましゅ)」の名を持つのがスズランであり、一人称は「オレ」。また、「妙手(みょうしゅ)」の名を持つのがロベリアであり、一人称は「私」。言ってみるならスズランが実行役、ロベリアが軍師(策士)なのだが、連携意識こそ持っているものの仲はお世辞にも良いとは言えず、ロベリアは「根暗」だとバカにするスズランを快く思っていない上、お互いに価値観が全く違うと言うのに、その擦り合わせも碌にしようとしない。性格は2人共にリアリストの例に漏れずかなりの曲者であり、所々に傲岸不遜*3な面が目立っている。

 スズランは「生きるのに必要なのは金」と言うまでに金に目がなく、それ故にあらゆる行動原理が報酬を得る為となっており、ロベリアからは「強突く張り」*4と称されている。リアリストに所属しているのも「キラキラなアクセサリーをリアリストの活動の見返りに沢山入手するため」と、他のリアリストと比べて思想や行動原理が明らかに異なっている。それ故に他のリアリストに比べれば、根本的な思想は変わらないと雖も(いえども)まだマシな部類であるが、金以外のものや概念(無性の愛や感謝の気持ち等)に対して全くと言っていい程慈しみを持ち合わせていない為、結局は五十歩百歩である。また、言うならば「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」*5を地で行く様な人である為、リアリストに金の魅力が無くなればリアリストをも離反する可能性も否定はできない。だからと言って、たとえリアリストにいる意義をスズランの中で失ったとしても、きらら達に寝返るとは到底思えないが。

 また、頭の回転が速いが故に物事の呑み込みも早く、戦闘能力及び魔力もリアリストの中でも高い実力持ちで、それでいて冷静な判断能力もきちんと持ち合わせている事から、策士且つ陰湿なロベリアさえもその部分は一目置いている。ただ、前述の通り目的の為に見返りをしつこく要求する程の金至上主義な所と、やや短絡的な所があるのが欠点。因みに冷静な判断能力があるという事は、力ある者を認める事にも繋がっており、最終的にきらら達を強敵だと認めている。

 尚、スズランが金に執着する理由としては「金は裏切らない」という本人の信念があるからであり、これは「人や聖典よりも、ものを信じている」という事を意味するのだが、それがよりによって人が価値を付けたものである「金」と言うのは何なのだろうか……。もっと言うなら、作中を見る限り「金」と言うより「宝石」に目が無いようにも見える。因みに金以外のものに対しては絆のみならず、地位や名誉、手柄をあげる事にも興味が無い様子で、地位を渇望しているロベリアとは正反対である。

 一方、ロベリアは陰湿且つ根暗な性格で、目的の為なら人を騙す事も罠に嵌める事も平然と行い、他人の不幸を呪詛(じゅそ)を唱えながら望んだり、他人の不幸は蜜の味と言わんばかりに他人の不幸を喜んだりする等、リアリストの中でも特に陰険さと負のオーラに満ちた人である。その為、リアリストのメンバーである「エニシダ」からは「根暗女」と疎まれている。また、前述した様に根暗だと周りからは評されている*6が、本人は否定している。ただ、客観的に見て「呪ってやる」が口癖な人を見て、根暗なのを否定するのは難しいと思うのだが……。

 スズランと異なり「金」には興味がなく、代わりにハイプリス様に対して強い羨望意識と信仰意識があり、ゆくゆくはハイプリス様の右腕になる事を目論んでいる。その為、現在右腕の座に就いているサンストーンの事を目の敵にしており、何とか手柄を挙げて右腕の座を奪おうと企んでいる。また、地味に嫌な不幸や、不吉を暗示させる様な呪詛を並べたてる事も多いのも特徴的であるが、どれもみみっちいものばかりで、陰湿とは雖も、どことなく愛嬌を感じなくもなく、どこか憎めない性質を醸し出している。とは言え実力は「妙手」と呼ばれるだけあって中々のもので、特に策力に関してはハイプリス様にして「失う程惜しい事は無い」とまで称している程。

 最終的にはどちらかと言えば直接戦闘よりも策を講じるのを得意としている彼女もきらら達と直接対決を繰り広げる。尚、倒されると「人を呪わば穴二つってわけ……?」という台詞を言う事があるのだが、これは「人を呪う者は、自らもその呪いを受ける覚悟をしなければならない。」と言う意味を持つ戒めの諺であり、この様な台詞がある理由としてロベリアは「呪ってやる」が口癖な程、事ある毎に人に対して呪詛を唱えているためだと考えられ、彼女自身も呪詛を唱える事の恐ろしさは自覚している事が窺える。

 水路の街においては、スズランはロベリアの立てた策略の実行役として、ロベリアからの見返りの報酬を条件にきらら達に立ちはだかり、ロベリアは影からあらゆる策略を練り、その策略を円滑に遂行させるための策士(軍師)としてきらら達に立ちはだかる。その為、実質的には2人一組での活動なのだが、表立って活動するのがスズランだけである関係上、きらら達はスズランは物語の中程から認識していたが、もう一人のロベリアの存在については終盤まで知らなかった。そして、水路の街に術式をかけ、外部からの転移による侵入と通信を拒ませる(=使えなくさせる)作戦を実行した張本人でもあり、策略を立てたのはロベリアだが、実行者はロベリアとスズランのやり取りを見るにスズランと思われる。そして、その作戦があえなく失敗すると、今度はプランBと称して聖典との繋がりが強い神官達を嵌めようとする(実際には既にロベリアが魔法をかけていたが)。結局プランBは、ロベリアが七賢者が1人カルダモンを絶望の対象に決め、カルダモンの弱みにつけこんで絶望に堕とす事を行う事になったと読み解ける。理由としては「リアリストと一番近いのがカルダモンだから」という事らしいが、これはカルダモンも元々は長らく動乱地域に過ごしてきた経緯や、七賢者になってからも調停者として世界の多くを知っている事から、リアリストと同様に「世の中は幸せな事ばかりではない」という真実を知っている事が背景にある。勿論リアリストのこの様な理論は人の心を弄ぶとんでもないものであり、結局はもっともらしい事を並べただけの、ただの横暴論に過ぎない。だが、それでもカルダモンも支配するには十分であり、結局彼女は神官とともにリアリストの手に堕ちてしまう……と思いきや、カルダモンは呪詛に完全には掛かり切る事は無かった*7。その為、最終的には正気になっており、自身の役目でもある「調停者」としてリアリストの真実と、うつつちゃんの真実をリアリスト内部から詮索する役を買って出ているのだが、カルダモンを少し正気に引き戻すきっかけがうつつの声だったと本人が述懐しているのは非常に興味深い。

 最終的にはスズランもロベリアもきらら達に苦心惨憺(くしんさんたん)の末、窮地に陥る事になるが、そのタイミングでサンストーンが助けに入って撤退をはかる。尚、その際にサンストーンは、恐れながらも自身に立ち向かおうとしたうつつちゃんの勇気*8に免じて「クリエメイトのパスを断ち切るだけでなく、自分自身の絆をも断ち切った」とうつつに向けて話し、そして、その後きららに向けて「・・・・・・さよなら、姉さん」と意味深な事を宣告している。しかし、きららとの絆を完全に断ち切る事は出来ず、結局きらら達、サンストーン達共に不本意さを残しつつ、この対決にひとまずの終止符が打たれる事になった。

 この様に4章においてスズランとロベリアは実質的に2人一組で行動している為、一見するとリコリスヒナゲシの様に何かしらの関係がある様に思えるが、リコリスヒナゲシとつるんでいる事をスズランは「一銭の得にもならない」と言い、ロベリアは「我らリアリストにふさわしくない見せつけようだった」と言っている事から、リコリスヒナゲシと同じ様な関係は無いと言って良い。正にビジネスライクな関係である。

リアリストの目的とその目的について思う事

 ここからはリアリストに対して個人的に考えている事、思っている事を中心に書き出しています。重い内容も含まれているので、それを了承の上読み進めて下さい。

リアリストの目的について

 4章はリアリストの真の目的が垣間見えた意味でも重要な章でもあり、スズランとロベリア以外にも、4章そのものに深く絡んでいる訳では無いが、リアリストのメンバーとしてエニシダダチュラが登場してくる。尤も「エニシダ」と「ダチュラ」は、前述の通り4章には直接的に関わっている訳では無いので、ここでは詳しくは触れないでおくが、4章を読んだ人なら「エニシダ」の言動には衝撃が走った事だろう……。

 ここから本題に入る。抑々リアリストは聖典を汚染して、聖典とその世界の破壊を目論んでいるのだが、深淵たる領域としてこの世界(エトワリア)と聖典の世界を破壊して、この世界の「絆」を断ち切る事を真の目的としていると4章では明らかになった。要するに「エトワリアに存在する「絆」と言う名の繋がりを断ち切る事」を真の目的としているのであり、これが部下曰く「ハイプリス様の望み」だという。これにより、リアリストがクリエメイトをリアライフで呼び出し、絶望のクリエを集めるだけでなく、エトワリアの根源たる聖典と深い関わりを持つスクライブギルドや神官をも絶望に引き摺り込もうとする理由がより明確になったと言え、この物語を解く上重要な手掛かりになるのは疑いない。因みにリアリストが言うには聖典を汚染し、世界を破壊したその先にあるものが「絆」の喪失」らしく、言い換えればエトワリアと聖典の世界の絆は相当堅牢なものだと言える。

 また、ロベリアによれば聖典との繋がりが深い存在たるスクライブと神官では求めている役割に差異がある様で、スクライブは「汚染された聖典を模写する事で汚染を広げる」役割、神官は「汚染された聖典を受け入れ、憎悪を滲ませる様になる」役割を期待していると言う。つまり聖典をスクライブを使って効率良く汚染させ、神官がその汚染を増幅させて世界中に広めさせる事で、効率的に聖典を汚染させ、世界を絶望に染め上げていくと言う事であり、ここでリアリストがスクライブギルドと神官を狙った理由がはっきりと理解できる様になっている。

 では、リアリストは何故聖典を汚染させ、聖典の世界を破壊したいと思うまでに聖典を憎んでいるのか。それは聖典の描かれている内容は、リアリスト達からしてみれば「世の中をソラ様の都合の良い様に描き出し、それを真実だと偽らせ、人々を騙す形で希望を与え、自分(ソラ様)の都合の良い様に世界を操る為の偽りの書物だから」だと明らかになっている。つまりリアリスト達は聖典に描かれている様な幸せな世界とは程遠い、厳しい現実に生きてきたと言うのに、それを意味のないものとして無視扱いする聖典を正す為に聖典を汚染させ、そして聖典の世界を破壊する事で、エトワリアに『世の中幸せな事ばかりではない』と言う世界の真実を突き付ける事」を最終的な目標にしていると考えられる。何だか腑に落ちる様で落ちない様にも感じられるものだが、何れにしてもリアリストがただならぬ過去を抱えているのは間違いないのだろう。

リアリストに対して思う事

 4章においてリアリストの様々な一面が明らかになった事はここまで書き出してきた内容の通りなのだが、私としてはこれらの内容について、正直どう捉えるべきなのかがよく分からなかった。何故なら、リアリストの思想について深く考えれば考える程、一概に否定できるものでも無いと思い知らされるからである。勿論、リアリストのやっている事は決して許される様な事では無いのだが、リアリストの思想を辿ると、決して見過ごしてはいけないものがあるのも事実である為、板挟みとなってしまい、結果的に思い詰める事になってしまうのである。

 抑々リアリストがどうして聖典とその世界を破滅させようと望んでいるのか、その理由を知った時も衝撃が走ったものである。端的に言えば「エトワリアに幸せばかりではない、厳しい現実を思い知らせる為に聖典を闇に染め上げて、幸せの供給源たる聖典との絆を断ち切り、世界の真実を見せつけさせる」と言うのだから、驚くのはある意味当然だったのだが、同時に時間が経つにつれてそれがどれ程切ない事なのか、ひしひしと思い知らされるようになってきた。何故切ない事だと思い知らされたかと言えば、冷静に考えてみて、リアリストが聖典を憎む理由として聖典が幸せな事しか描いていない(=辛い現実を無視している)偽りの書物」と言うのは、リアリストの面々が暗に「昔から聖典に載っている様な幸せとは程遠い、厳しく切ない現実ばかりに直面してきた事」を示唆している可能性があると思い立ったためである。元々リアリストに対しては、1章の時からただならぬ何かを感じていたのだが、章が進むにつれてそのただならぬ何かが徐々に明らかになっていくとともに、リアリストの深く悲しみに包まれた闇がどんどん見えていくのも感じ取っている。この2つの要素をどう捉えるかによって、リアリストに対する印象は大きく変わってくると考えている。

 また、4章までのリアリスト達の台詞をよくよく汲み取っていくと、リアリストの面々が抱えている事情として下記が挙げられると考えている。

  • リアリストの面々は絆を重んじておらず、それ故に断ち切る事を目的としているが、その背景に絆をめぐって余程の痛い過去を持っている事が関係している可能性があり、それはリアリストの面々が口にしている「絆は下らないもの」若しくは「絆は理解できないもの」という発言が裏付けとなる。
  • リアリストに所属している多くが過去に辛く厳しい出来事を経験している事から、それ故に現実世界の厳しさ辛さが基本的に描かれていない聖典に対して「私達の様な描かれない存在を無視している」として激しく憎んでおり、これがリアリストが聖典を汚染させて、聖典の世界とエトワリアの絆を断ち切りたい大きな理由にもなっている。
  • リアリストの面々は一癖も二癖もある性質持ちが殆どなのだが、これも今まで過酷な環境に置かれていた為に、性質をも歪ませてしまった可能性も十分あり得る。つまり元々は尖った人達では無かったのだが、環境が彼女達を豹変させてしまった、という事である。

 1つ目は「リアリストが絆を重んじない理由」について考えたものであり、考えた理由としてリアリストは「聖典の世界とこの世界(エトワリア)絆を断ち切る事」を目的としており、それはハイプリス様をはじめとして、真実の手の面々やそれ以外の人達全員が望んている事だと本編では読み解ける中で、冷静に考えてみても、聖典の世界との絆を生きる気力を得る為の何よりの拠り所としているエトワリアにおいて絆を断ち切ると言うのは、たとえ絆に対して甚(いた)く屈辱的な経験があっても、実行にまでは中々移せない事なのは想像に難くないのに、リアリストは何故そのような事を実行にまで移せているのか、それを自分なりに理解したいと言うのが存在している。そして、その仮定に対する自分なりの答えが上記の箇条書きと言う訳であり、今回の4章を読んだ上で改めて思い立たせた考えでもある。

 2つ目は「リアリストが聖典を嫌う根拠」について考えたものであり、これは個人的に一番気になっていた事でもある為、4章においてその真意に迫れる場面があった事には思わずドキドキしたものである。結果的には色々知れた気持ちと、また新しい悩みが出来た気持ちの両方が芽生えた訳なのだが、それでも今まで分からなかった多くの事が明らかになった為、大幅な進歩となったのは言うまでもなかった。また、私は3章に対する感想・考察を書いた記事の中で「何故リコリス聖典を理解できないのか」と称してリアリストが聖典を理解できないのかと言う内容の考察を書いたのだが、その推察内容と今回の4章を見比べてみると、結論から言えば「当たらずとも遠からず」であり、特に「リアリストの価値観にとって聖典は理解できる代物では無かった」と言うのは、抽象的ながらも大筋を掴めてはいた事を示していると、個人的にはそう捉えている。

 3つ目は「リアリストの面々は何故一癖も二癖もある性質持ちなのか」について考えたものである。これに関しては個人的に最も突き詰めたい項目で、リアリストのメンバーを見ていると、すんなりと受け止める事の出来る性質をしている人は殆どおらず、一人一人は異なりながらも共通して恐ろしく尖った性質を持っていると感じているのだが、それ故にその様な性質になった経緯を考えたいと意識している。と言うか、そうでもしなければ、今後私はこのメインシナリオ第2部をどの様にして読み進めていけば良いのか、全く分からなくなってしまう。何故なら、この項目は私がこのメインシナリオ第2部を読み進めていく中において、心に激しく揺さぶりをかけてくる要素でもある為であり、ある意味メインシナリオ第2部における私にとっての大きな鬼門の一つにもなっている。ただ、心を揺さぶる分、メインシナリオ第2部における私にとっての大きな考察点の一つともなっており、このシナリオを読んで一体何を思うのか。その事を大きく突き詰めていく分野にもなっている。

 そして、私にとってはこれら3つに共通して言える信念があり、それは「リアリストの真意をあらゆる観点から考察し、そして見極めたい事」である。何故この様に考えるかと言えば、私はリアリストの動向を章ごとに追っていく中で、次第にリアリストに対して「もっと彼女達の真意や目的に対して理解を深めたい。もし理解を深めなければ、リアリストだけでなく、恐らくこの物語全体を通しての真実からも遠ざかる事にもなる。」と意識する様になってきているからであり、それはこの記事を書いている時も変わらない。

 ただ、一方でリアリストに対して「何故聖典をそれ程憎むのか……。」とか「何故リアリストは仲間意識を持ち、同志を労わる事ができないのか……。」と言う様に、リアリストに対して私自身決して看過する事は出来ない事象も確かに存在しており、それ故に私とて断じてリアリストの事を全て無条件に受け容れる事はない。どんなにリアリストに対して理解を示す様に意識して読み進めていても、どれ程寛容な心をもって読み進めていても、看過できない事を見過ごす事は出来ないのである。

 だが、リアリストが置かれてきた環境やリアリストに所属している面々の過去、そして彼女達が抱えているであろう闇や影を思えば、リアリストの事を無条件に否定する事も断じてない。何故なら、リアリストとて人間の集まりであるが故に、一義的な見方をもって断定する事は出来ない程の複雑な事情が絡み合っていると考えているからであり、それだけリアリストに対して深淵たる見識をもって、私はあらゆる事柄を見極めたいと考えているのである。

サンストーンときららの関係

 サンストーンはハイプリス様が最も信頼を寄せる存在であり、自身もハイプリス様に絶対の忠誠を誓っている。リアリストの「真実の手が右手」でもあり、人と人の繋がりである「パス」を断ち切る事の出来る能力を持っている。メインシナリオ第2部における「パスの喪失」は彼女の能力によるものであり、それ故にリアリストにとって「計画遂行のためには必要不可欠な人物」でもある。

 そんなサンストーンだが、4章においては終盤まで表舞台には登場しない上、登場する意義もあくまで「仲間を助けるため」であり、きらら達と対峙する為に現れた訳では無い。だが、サンストーンと再び対面したきららは、何故かまた勝手に涙を流した。何故またかと言えば、2章においてきららとサンストーンが対面した際もきららは勝手に涙が流れたからである。尚、2章においてきららが涙を流したのは「昔のはっきりしない記憶を急に呼び起こされ、胸が苦しくなる感覚を覚えたため」であり、これは4章でもほぼ同じである。その為、私としてはサンストーンときららの関係性は2章を見た時点からずっと気になっており、今回4章でサンストーンときららが邂逅(かいこう)した事により、この2人の関係性を知る何かしらのきっかけが掴められるのではないかと考えた。だが、その様な考えは、4章において明らかになったサンストーンときららの関係性を理解するには少々覚悟が足りなかった……。

 まずサンストーンが「絆など・・・・・・必要ないのだ。」ときらら達に対して言い放ったのも中々にショックであったが、それ故にサンストーンはクリエメイトの絆を断ち切るだけでなく、自分自身の絆をも断ち切ってしまったと知った時、私は思わず言葉を失くしてしまった。サンストーンがクリエメイトの絆を断ち切るだけでなく、自分自身の絆を何もかも断ち切ってしまったと思い込んでしまったからである。勿論これは誤解であり、サンストーン本人が言うには、自分自身の絆と言うのは「きららとの絆」であり、自分自身の絆を何もかも断ち切った訳では無い事だと分かり、ひとまず冷静さを取り戻した。が、その後のサンストーンがきららに対して発した「・・・・・・さよなら、姉さん。」という言葉に、私は今度こそ言葉を失う程の衝撃を受ける事になってしまった。

 私は色々と思い知らされた。サンストーンときららは本当に近しい関係性だった事、サンストーンはきららとのパス(絆)を自身の能力で本当に断ち切っていた事もそうなのだが、なによりかつて私がメインシナリオ第2部2章の感想・考察を書き記した際に仮定した「嘗ては深い関係性にありながら、サンストーンが自らの能力を用いて絆を断ち切った昔なじみ若しくは近しい存在」と言うサンストーンときららの関係性の内容と、今回明らかになったサンストーンときららの関係性の内容とで合致する部分が多かった事に対して一番ショックが大きかった。理由としては、私がこの仮定論を書いた項目の中に「もし本当ならば残酷且つ悲愴的なものであり、出来る事ならこうであって欲しくないと願いたくなる程の考え」と記す程に、メインシナリオ第2部の新章をこの目で見るまで決して信じたいとは思えなかったのが大きかった。

 ただ、私がこの様な考察を思い立った時点で、実は既に心の何処かでもしかすると、きららとサンストーンは私の想像以上に深い関係性があるのかも知れない」と気付いていたのだろう。そうでなければ、私が2章で書いた様なきららとサンストーンの関係性の仮定論は恐らく思い立たなかっただろうし、書き出す事も無かっただろう。結果的にはサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼ぶまでに2人は普通の関係性では無かった訳だが、よくよく考えてみれば私がきららとサンストーンの関係性を考察した時点でこうなる事も承知の上でやるべき事だったと言えるのだろうし、私もそれを理解していたので後悔はない。なのでショックはショックだったものの、それで心が折れる様な事はもう起こり得ない。あり得るのは、きららとサンストーンの関係性の真理を想像する事だけである。

 ところでサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼んでいた事についてだが、きらら本人は「妹がいると言う事実に対して自認は無く、周りの人達からも妹の事は聞かされていない」*9と言っており、きららからしてみればサンストーンが妹だと言う認識は今まで無かった事を窺わせているが分かる。しかしながら、きららにしてもサンストーンと対面するとなぜか涙が零れると言う状況があった為、何とも言い難い靄(もや)がかった感覚があったが、4章においてサンストーンがきららの事を「姉さん」と呼んだ事と、サンストーンが「きららとの絆が完全には断ち切れていなかった事」を示唆する発言をした事で、サンストーンときららがどの様な経緯や事情があれど、サンストーンがきららの事を「姉さん」と呼ぶまでに深い絆が存在した関係だった可能性が高くなったと言え、同時にきららがサンストーンと対面すると「サンストーンに対して掴むに掴めないもどかしさに胸が締め付けられ、涙が零れる」のも「サンストーンがきららとの絆を断ち切ったが、実は完全には断ち切れておらず、パスを感じる能力を持つきららにとっては不完全に断ち切られた絆を感じて涙を流している」と考えれば合点がいく。

 つまりサンストーンときららは、嘗ては「絆を断ち切る能力を持つ者と、絆を感じる能力を持つ者の深き関係」だったが、サンストーンがきららとの絆を一方的に断ち切った事により、きららはサンストーンに関する絆や関係をすべて忘れてしまったが、絆は完全には断ち切れておらず、それによりきらら特有の絆(パス)を感じる能力で微かに残るサンストーンとの絆を感じる事で、きららはサンストーンと出逢うと涙を流してしまう様になったと、私は考えている。4章で言及されたのが主にサンストーンである事と、きららはサンストーンとの関係性について殆ど分からない事もあって、視点がどうしてもサンストーン側に偏ってしまうのが個人的にはもどかしいが、それでもサンストーンときららの関係性はただならぬものだった事が明白なのは疑いなく、それ故に今後の章が更に目が離せなくなったと言えよう。

 サンストーンときらら。一方は絆(パス)を断ち切る能力を持ち、絆を破壊する者、もう一方は絆(パス)を感じる能力を持ち、絆を愛する者。相反する能力を持つこの2人の関係性の真実とはいかに……。

3.あとがき

 以上が今回メインシナリオ第2部4章で私が考えた事である。この4章は今までのメインシナリオ第2部1章・2章・3章と比べても特にシリアスであり、それ故に心にのしかかってくる重荷が今まででも随一だったが、その分読み応えのあるシナリオは心に残る場面も多く、総じて言えば喜びも悲しみもふんだんに込められた内容だったと考えている。

 尚、私が上記の様に考える理由としては、4章はうつつちゃんの成長をはっきりと感じ取る事の出来る場面を代表する様な前向きな描写も多いが、その一方でリアリストに存在する隠し切れない闇が露呈する場面を代表する様な暗い描写も多かったからである。その為、理解のとっかかりを掴む事が難しく、それ故に内容の推し量る事も決して容易では無いのだが、その様な状況でも私はあらゆる観点からこのメインシナリオ第2部4章の内容を推し量る事を意識している。勿論、シリアスな内容故に内容を推し量れば量る程精神的にも負担が増していくのは否めない上、考えた先にあるのが何も喜びだけでは無い事も理解している。だが、それでも私はメインシナリオ第2部を深く考える事に意義を見出しているので、どの様な事があっても推し量り続けようと考えている。

 また、4章に対する考えとして「リアリストの核心にも迫る様なシナリオだったと認識している」と記したが、他方でリアリストを紐解く上で重要な事柄として私の中で大きく蠢いている。元々リアリストに対しては1章の時から様々な思いが錯綜(さくそう)しており、それ故にリアリストをどの立場から考察するべきなのかはっきりさせられずにいるのだが、4章でリアリストの真の目的が垣間見えた事により、リアリストが秘めている真の意味での真実を見極めたいと思い立った。勿論、客観的に見てリアリストが決して褒められる様な存在では無い事も、決して許される事では無い様な事を遂行している事も分かっているが、それでも私はリアリストの真実をこの目で確かめたい。何故なら、このメインシナリオ第2部に限った話では無いが、創作物をどの様に受け取るか、それを最終的に決断するのは、何時だって自分自身の意思に委ねられているのだから……。

 以上が、今回のメインシナリオ第2部4章で私が抱いた感想・考察である。4章は今までの章の中でも特に印象的な場面が多く、メインシナリオ第2部の真相にも迫る様な題材が散りばめられていたとも捉えている。私はそれらを胸に秘めつつ、今後の章を待つとしたい。

 

おまけ

 今回の文量は400字詰め原稿用紙39枚分であり、これは現時点で過去6番目の多さにあたる。徐々に字数の多い記事が増えていく事で、ランキング順位も多少変化しているのだが、1位から3位は今の所変化しそうにない。何故なら3位以上は全て400字詰め原稿用紙50枚分以上(つまり20000文字以上)であり、1位に至っては400字詰め原稿用紙60枚分にも及ぶのだから。

*1:世界とはエトワリアの事であり、欺瞞はここでは「嘘と偽りに満ちた状態」を指す。

*2:勿論その中には2章において確執が否めなかったフェンネルも含まれており、フェンネルもうつつちゃんの事を信じてくれている。

*3:ごうがんふそん。威張っていて人を見下している事。

*4:業突く張り(ごうつくばり)とも言われるもので、非常に欲が深く、意地汚い事を意味する。

*5:世の中金があれば大抵解決できると言う意味で、金の力は絶大だと言う例え。

*6:この事は、リアリストの仲間に対する尊敬意識のなさを示唆しているとも考えられる。

*7:とは言え危うく掛けられそうになったのは事実らしく、本人曰く「一時は本気でリアリスト側からソラ様を見極めようと思い立った」らしい。

*8:ただ、サンストーン本人は「情けない勇気」と冷たい言葉をうつつちゃんに送っているが。

*9:ただ、その一方で「サンストーンなら今まで謎に包まれていた私の両親の事を何か知っているかもしれない」ともきららは言っている。

きらま2021年10月号掲載のごちうさを読んだ感想・考察

 こんにちは。きらま勢になって丁度1年が経ち、ごちうさに対して一体何を追い求めるべきなのか、今一度考える時が来たのかも知れないと感じている今日この頃です。具体的には日々趣味を堪能しゆくにあたって新しい嗜みを常に取り入れていく事を強く意識している私にとって、ごちうさは自分の中でどの様な位置付けで扱い、どの様に考えていくべきなのか。それを改めて考える時なのだと感じています。尤も、ごちうさ好きを辞めようとは全く考えていないので、あくまで自分の中でごちうさを再確認したいという事です。こうもしないと満足しない気質持ちなので……。

 さて、今回はまんがタイムきららMAX2021年10月号掲載のごちうさの感想を書きたいと思います。このきらま2021年10月号のごちうさは、旅行編からの新キャラを掘り下げる内容ながらも構成や展開が初期の頃のごちうさを思わせる内容が多く、新しくも原点回帰的な雰囲気が漂うお話になっているので、今と昔の違いも意識しながら書き出したいと思います。

※注意※

 最新話のネタバレを含むものなので、その辺りをご了解お願い致します。また、ここで書き出した推察や考察は個人的な見解です。更に、今回のお話は仕組み上、初期の頃の構成ネタバレも一部ありますのでご注意下さい。尚、文中の高校生組は心愛ちゃん、理世ちゃん、紗路ちゃん、千夜ちゃんの4人を指し、ラビハ組は智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人を指します。

1.はじめに

 今回のお話は旅行編からの新登場キャラである冬衣葉冬優(ふいばふゆ)、神沙夏明(じんじゃなつめ)、神沙映月(じんじゃえる)の3人(ブラバ組)が、雷を伴った大雨が降っている事からチマメ隊*13人(ラビハ組)が店番をしていたラビットハウスに泊まる事になり、更に心愛ちゃん率いる高校生組が、新キャラ3人と同様の理由で千夜ちゃんの甘兎庵で泊まる事になった為、結果的に新高校生組6人によるラビットハウスで色々楽しみながらも親睦を深めていくと言うのが大まかな流れであり、今月号はラビットハウス即ち新高校生組6人に焦点が当てられている。

 今月号の特徴(と言うより旅行編後の単行本9巻後半辺りからその傾向は表れている)は何と言っても回帰であり、今月号の作中展開は過去に登場した場面・構成を同じ様に踏襲している部分が今までより多く、同じ場面・構成(特に構成)でも絶妙な変化が付けられる*2事も少なくないごちうさとしては少し異色ではある。ただ、構成そのものは回帰を思わせる部分が多いとは言っても登場人物が異なっている事や、既存の登場人物が過去と比べて大きく成長しているが故に中身は別物であり、故に「懐かしさも新鮮味もある」と言う仕上がりになっている。

 つまり今月号のごちうさは、大きく言えばごちうさの根幹たる緻密な構成を維持しつつ、新キャラの新鮮味も初期の雰囲気を思わせる懐かしさまで網羅すると言う構成を持つお話になっている。この事から最終的には最早回帰を超えた新しい構成になっていると言っても過言では無いとすら思うのだが、今回はそんな「回帰」について思う事を中心に、新キャラの魅力についても考察していきたいと思う。

2.購読した感想・考察

ブラバ組の新たな魅力

 前述の通り、今月号のごちうさのお話はラビットハウスにチマメ隊(ラビハ組)3人とブラバ組3人の計6人が天候の都合上泊まる事になると言う、所謂「お泊り会」を主軸にしたものだが、今までブラバ組とラビハ組は同じ学校の付き合いこそあった*3が、異なる学校同士の付き合い*4はあまりなく、実際に智乃ちゃんが神沙姉妹がブラバの社長令嬢である事を知らなかった*5様に、お互いに知らない部分も多かった。そんな2つの組がお泊り会と言う形で交流し、親睦を深める事は、それだけでも大きな進展なのだが、個人的には新キャラの新たな魅力が発掘された事が大きいと考えている。ここからは、そんなブラバ組1人1人の新たな魅力について書き出したい。

冬優ちゃんの変化

 まずはブラバでアルバイトをしている、智乃ちゃんと同じ学校の同級生にして友達を超えた仲でもある冬衣葉冬優ちゃんである。彼女は内気且つ内向的な性格で、恥ずかしがり屋故に他人に対する警戒心がとても強く、同じ学校の智乃ちゃんや智乃ちゃんと深い親交のあるマヤメグとは比較的打ち解けてきているものの、神沙姉妹とは社長令嬢という事もあって警戒心を解くのに難儀している様子が見受けられ、実際に本人の口から智乃ちゃんにそう伝えてもいる位である。ただ、冬優ちゃんは神沙姉妹ともっと交流を深めたいと考えており、神沙姉妹に対して警戒心こそあるものの、嫌悪感は無い様子を窺う事ができる。

 そんな冬優ちゃんだが、このお泊り会でも途中まで神沙姉妹に対して苦手意識が強く存在していた。やはり恥ずかしがり屋故に打ち解ける為の一歩が中々踏み出せないのだろう。この部分はかつての智乃ちゃんにも重なるものがある。しかし、智乃ちゃんが時間節約のためにと提案した、お風呂を交代で2人ずつ一緒に入ると言う場面から徐々に変化していく。冬優ちゃんは智乃ちゃんと一緒にお風呂に入る事になったのだが、その際に智乃ちゃんから「距離を置くのはあのふたりも寂しいんじゃないでしょうか」とハッキリ言われたのである。あのふたりと言うのは勿論神沙姉妹の事であり、智乃ちゃんからの「遠慮はいらないと思います!」と言う後押しもあって、冬優ちゃんは神沙姉妹に対して気恥ずかしさはあっても、勇気を出して神沙姉妹と親交を深めようと決意を表した。なお、この決意には冬優ちゃん自身が「智乃ちゃんに気を使わせて申し訳ない」と言う気持ちが芽生えた事も関係しており、自分を応援して気遣ってくれている人の為にも頑張らないといけないと言う、冬優ちゃんの強い意思を感じ取る事ができる。

 それからの冬優ちゃんは気恥ずかしさこそあったものの、自分と言う特性を遺憾なく神沙姉妹に見せつけていた。智乃ちゃんの中学生時代の制服を着て顔を赤らめている*6夏明ちゃんや、心愛ちゃんが実家(?)から持ってきた、可愛らしい服を着ている映月ちゃんをみて、腹話術を用いて「ふたりとも思ったより威厳ないね」本当に遠慮もなければ容赦もないコメント*7を出したり、ボードゲーム対決でラビハ組とブラバ組に分かれ、ブラバ組には負けられないと闘争心を剥き出しにする智乃ちゃんを見て、智乃ちゃんがその気ならと言わんばかりに冬優ちゃんも勝負の為に闘争心を滾(たぎ)らせ、神沙姉妹を統率したりする等、持てる自分を時に智乃ちゃんの力も借りながら発揮していたのである。何とも凄い力だが、その様な力を秘めていた冬優ちゃんは勿論の事、その特性を引き出した智乃ちゃんも中々に成長していると言える。

 まとめると、今回のお泊り会で冬優ちゃんは「神沙姉妹とはもっと交流を深めたいと思っている事や、気恥ずかしささえなければ、誰であっても交流・統率できる程の強い意志を持っている事」が判明したと言え、特に神沙姉妹に対してもっと交流を深めたいと思っていた事が明確に確認できたのは非常に大きいと言える。人間は、他人に対してどう思っているかで交流を深める事の難しさが往々にして大きく変わるものだと私は思っているのだが、今回冬優ちゃんが神沙姉妹に対して気恥ずかしさはありつつも好意的な感情を抱いていたという事は、今後冬優ちゃんと神沙姉妹の距離を縮めていく上で有利に働くと思われ、今月号の終盤にある様なブラバ組3人だけのやり取りがもっと増えていく事も考えられる。

 これらの冬優ちゃんに対する神沙姉妹の反応としては、結論から言えば「少し戸惑いはありつつも冬優ちゃんの意志を尊重する」ものだったと考えている。つまり冬優ちゃんの事を認めるという事であり、神沙姉妹とて冬優ちゃんとはもっと交流を深めたかった事が分かる様になっている。ここからは視点を変えて、神沙姉妹から見た魅力を書き出したい。なお、神沙姉妹はこのお泊り会ではほぼ全ての場面で2人一緒に行動している*8為、今回は2人共一挙に書き出すものとする。

神沙姉妹の歓喜

 次に書き出す魅力はブラバことブライトバニーの社長を父に持つ、所謂社長令嬢の神沙姉妹である。姉妹関係は姉が映月ちゃん、妹が夏明ちゃんであるのだが、普段は夏明ちゃんが映月ちゃんを引っ張っている事が多い事や、夏明ちゃんの方が普段からしっかりしている事から、本来の姉妹関係を知らずして姉妹関係を見抜く事は中々に難しい。尚、神沙姉妹は今までの経緯から2人で一緒に行動している事が多く、長らく2人だけの孤立した世界しか無かったが、旅行編において木組みの街の人々と出逢い、そこから自分達も木組みの街の住人になる事で徐々に世界観が広がりつつあり、それは2人にとって非常に大きな糧になっていると思われる。

 性格は、映月ちゃんは普段の時はマイペース且つのんびり屋で、おっとりした性質を持った穏やかで物腰柔らかな人であり、それ故にお姉さんと言うより妹キャラと言う印象が強めだが、その実自分が思った事を躊躇なく人に言える度胸の強さと、何があっても決して折れない芯の強さを併せ持っており、優しさだけに留まらない姉御肌的な気質をも持っている。やはりお姉さんはお姉さんなのである。また、その性質故に同じおっとりした性質たる恵ちゃんと仲が良く、普段から気が合った様子である事が多い。

 一方夏明ちゃんは普段の時はしっかり者且つ常識人であり、はきはきとした性質故にのんびり屋なお姉ちゃんを引っ張っている事が多いのだが、その実ナイーブで寂しがり屋な一面も併せ持っている。また、客観的に自分がどう見られているのかを気にしがちな人でもあり、良くも悪くも普段から立ち振る舞いを意識しているのが他の人以上に目立っている。実は熱血な一面もあり、自分の使命を果たす為には時に燃え上がる一面も持っている。学校では麻耶ちゃんと仲が良く、お互いに照れ屋な性質持ち故に無理に意地を張って言い合いになる事も少なくないが、なんだかんだ言ってもお互いを認め合っている。

 そんな神沙姉妹だが、このお泊り会では会そのものを智乃ちゃんから提案された時から前向きであり、戸惑い気味だった冬優ちゃんとは対照的にマヤメグ以上の乗っかり具合を見せていた。何故この様な反応を示したかと言えば、神沙姉妹は旅行編において美味しいコーヒーを智乃ちゃんが淹れてくれたことから、智乃ちゃんが住むラビットハウスに強い関心があり、かねてからラビットハウスに来訪してみたいと言う願望があって、それがお泊り会と言う形でより深く適えられる絶好のチャンスだと思ったからだと考えられる。その為、終始友達の家に泊まれる事に対する楽しげな様子が窺える場面が多いが、その一方で、ボードゲーム対決で冬優ちゃんとチームを組む前は、冬優ちゃんが私達(神沙姉妹)に対して引き気味である事を気にかける様子もあった。これは良くも悪くも神沙姉妹が友達に対して割とグイグイ行きがち(裏を返せば友達と積極的に関わりたいとも言える)な事*9が、内気で内向的な冬優ちゃんにとっては苦手だと言うのが大きく、実際の所は冬優ちゃんも神沙姉妹に対して好意的な感情を抱いているのだが、仕方ない事だとは言え、冬優ちゃんの心境を知る術もなかった神沙姉妹は冬優ちゃんに対して気にかける様子がしばしば見受けられていた。

 しかしながら、ボードゲーム対決においてブラバ組で冬優ちゃんと一緒のチームになった時から、状況は一変する。前述の通り冬優ちゃんは智乃ちゃんに触発されて闘争心を滾らせ、神沙姉妹に対してリーダーシップを発揮すると言う状況に、神沙姉妹は乗り気な反応を見せているのだが、心なしか表情が嬉しそうに見えるのである。これは神沙姉妹にとってどこか距離を取られている様に思えた冬優ちゃんが、自分から私達と距離を縮めてくれた事に対して嬉しく感じている為だと思うのだが、何れにしてもボードゲーム対決でブラバ組として3人が一緒になれたのを契機として、冬優ちゃんと神沙姉妹の距離感が縮まったのは確実だと言え、今月号の終盤には前述の通り、ブラバ組で会話する様子も見受けられる。今後どの様になるかは未知数だが、きっとブラバ組もより距離が近い関係性になると思われる。

 まとめると、今回のお泊り会で神沙姉妹は「冬優ちゃんともっと交流を深めたいと考えているが、どうしたらもっと距離を縮められるか悩んでいる面」が判明したと言え、結果的に言えば冬優ちゃん・神沙姉妹共にお互いもっと距離を縮めたい即ちもっと親交を深めて仲良くなりたいと考えていた事になる。この事からも今後冬優ちゃんと神沙姉妹はもっと親交が深まっていくと予測できるうえ、ひいてはお互いに様々な一面を知りゆく事で、かけがえのない関係性が構成されていく事も十分に考えられると言えよう。今後のブラバ組の動向に注目したい。

ラビハ組の覚醒した魅力

 ここまでは旅行編からの新キャラ3人であるブラバ組に焦点を当てていたが、ここからは古くはチマメ隊であり、今月号はラビハ組と紹介された智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人が持つ、ずっと変わらない魅力と新たな成長について書き出したいと思う。

智乃ちゃんの魅力と成長

 まずはラビットハウスのマスター(祖父)の孫である智乃ちゃんから書き出したい。智乃ちゃんは嘗てはクールと言うよりどこか素っ気ない雰囲気の持ち主であり、何事に対しても感情の起伏をさほど表さない淡白な人だったが、その実マヤメグと友達になってから少しずつ変わり始めており、心愛ちゃんを始めとした高校生組と出逢った事で変化は決定的なものになり、それからの智乃ちゃんは様々な人の特性を採り入れ、自身の良き特性を前面に発揮した、感情豊かな明るい人へと変化・成長した。因みにこの変化・成長だが、原作だと大きくは4巻以降、アニメなら2期の中程から見えてくると考えている。ただ、細かく見るなら原作だと3巻、アニメでも1期の終盤から既に智乃ちゃんの変化は所々に表れていたとも考えられる為に悩ましい面もあるが、何れにしても智乃ちゃんは心愛ちゃんと出逢った時から今までの自分とは確実に変化し始めていたと思われる。もっと言うなら、智乃ちゃんの母親の性質を見るに、智乃ちゃんも元々は明るい特性を持っていた人だったと言え、心愛ちゃんを始めとしたかけがえのない人との出逢いが、嘗ての明るいとくせいを持った自分を呼び起こす事に繋がったとも言えよう。

 そんな智乃ちゃんだが、このお泊り会においては大きく成長、変化した智乃ちゃんを見せつけていた。事あるごとに感情をオーバーなまでに表に見せる様になった*10のもそうなのだが、自分から率先して友達を誘ったり、友達の悩みを聞いてあげた上で後押ししてあげたりと、お泊り会企画の発起者ならびに頼れるお姉ちゃんとして、他の5人を率先して引っ張っていたのである。また、これ以外にも以前は甘えたがり屋な一面がありながらも気恥ずかしさから中々甘える事の出来なかった自身の父親(タカヒロさん)にも甘える事ができる様になったり、事あるごとに何かと人に対して気に掛けたりと、細かな成長もこのお泊り会からは沢山読み解く事ができる。

 しかし、これらは一昔前とりわけ中学2年生時代前半(原作初期)の頃ならまず考えられなかった事であり、それ故に智乃ちゃんの大きな成長と変化をひしひしと感じる事の出来る場面の一つになっている。一つと書いたのは、これ以外にも智乃ちゃんの大幅な成長を感じ取る事の出来るお話が数多く存在するためで、これ以外にも智乃ちゃんが成長したと感じる事の出来る要素はまだまだ存在する。ただ、その中でも今月号の成長は智乃ちゃんの成長の中でも特に大きなものである事は間違いなく、智乃ちゃんが高校生組のあらゆる個性や良い所をふんだんに採り入れて、大きく変わろうとしている事を見せつけてきた。そして、その事実が一体どれ程凄い事なのか、最早全てを推し量る事は困難になりつつあるのだろう……。そんな未知数の成長を遂げる智乃ちゃんは、今後ラビハ組とブラバ組を合わせた6人の中でも、高校生組をも凌ぐ程の能力を発揮していくに違いないと個人的には考えている。

 ところで高校生組についてだが、智乃ちゃんはラビットハウスに心愛ちゃんが下宿している事や、そのラビットハウスに理世ちゃんも働きに来ている事から、マヤメグやブラバ組と同じ学年ながらも年上である高校生組との関わりが他の5人より圧倒的に突出しており、現在ではあまり見なくなったが、最初の頃は高校生組4人に中学生の智乃ちゃん5人と言う組み合わせの方が良く見られた程。その為、智乃ちゃんは高校生組の影響を特に色濃く受けており、ここから今回のお泊り会で見せた智乃ちゃんの数々の行動は、高校生組が智乃ちゃんに対して見せてくれた数々の行動や友情、他人を想う事の大切さや尊さを参考にして行ったものだと見る事ができ、それは智乃ちゃん自身が心愛ちゃんとの通話越しに「ある人達をお手本にがんばりました」と語っている事から推測できる。尤も、智乃ちゃん本人は「ご想像にお任せください」と、どの人達を参考にしたのかについてはぼかしているのだが、智乃ちゃんにとって年上である高校生組が自分の手本となり得る様なものをどれ程見せてくれたのか。その事を思うならば、自ずと答えは見えてくるものだろう。

 ここからはチマメ隊(ラビハ組)の幼なじみコンビ、マヤメグについての魅力を書き出したいと思う。

マヤメグの魅力について

 マヤメグは幼なじみコンビである麻耶ちゃんと恵ちゃんの2人を指し、麻耶ちゃんはボーイッシュな魅力を持つ元気っ子で、持ち前の好奇心旺盛を活かしてチマメ隊における企画発案者として2人を引っ張っていく事も多く、持ち前の好奇心を活かしたクレバー(賢い)な一面も持つ傍ら、実は寂しがり屋で人想いな一面を持ち、人の気持ちを誰よりも気遣える優しい一面もあり、友達を愛し、友達に愛されと言う女の子である。一方恵ちゃんは元気っ子たる麻耶ちゃんとは対照的におっとりしたのんびり屋な女の子であり、チマメ隊の中では癒しキャラ的な立ち位置にいる事が多いが、実はマイペースながら何事もそつなくこなせる器用な一面を持っており、頭の良さも相まってチマメ隊の中でもトップクラスの潜在的な能力の高さが光る女の子である。

 そんなマヤメグだが、ラビットハウスにおけるお泊り会前後を描く今月号においては他の4人に比べて描写がやや少なめだが、それでもラビハ組を構成するメンバーとして外せない存在感と可愛さを見せており、智乃ちゃんと心愛ちゃんのパジャマを借りたマヤメグの場面において、麻耶ちゃんが普段のボーイッシュさと真逆の女の子らしい可愛さを放ち、恵ちゃんは心愛ちゃんのパジャマを借りてふわふわした可愛さを見せたり、ボードゲーム対決においてはマヤメグ共に智乃ちゃんの熱血さに同調し、特に恵ちゃんは智乃ちゃんの熱意に触発されて燃え上がったりと、要所でパンチのある一面を見せてくる。

 また、マヤメグはブラバ組がラビットハウスに訪れる前と後で主たる存在感を発揮しており、抑々マヤメグの2人がラビットハウスにいたのも「ラビットハウスにおける2人のバイト始め」だからであり、その際にチマメ隊の団結力をもってお客さんをおもてなししようと一念発起したのもマヤメグの提案であり、その存在感を遺憾なく発揮している。更にお泊り会後にブラバ組がラビットハウスから去った後、昨日十分に働けなかった挽回策として、気合を入れ直すと言う提案をしたのもマヤメグであり、そこからラビハ組もといチマメ隊は智乃ちゃん、麻耶ちゃん、恵ちゃんの3人が揃って初めて完全体になり得ることを証明した格好になっているとも捉える事ができる。この事から、マヤメグは成長を続ける智乃ちゃんを同学年として支え続ける良き親友としての立ち位置を今月号で改めて見せつけてきたと言える。因みに気合を入れ直した時にチマメ隊が各々声を上げているのだが、その掛け声はバラバラになってしまっている。尤も、バラバラであっても想いは一つと言うのはチマメ隊らしい友情の形だと言えよう。

 ここからは今月号もとい最近のごちうさを形成している要素でもある「回帰」について個人的に考えている事を書き出したいと思う。

回帰について思う事

 私自身、ごちうさを語る上で外せない要素の一つだと考えているのが回帰(かいき)。回帰とは「繰り返すこと、一回りして元に戻ること」を意味する言葉で、最近のごちうさは原作初期にあった様な出来事や描写を思い起こす様な場面構成や描写が所々に登場している事からそう定義付けたのである。

 では、何故今月号を読む事で「回帰」について思いを馳せたのかと言えば、何度も言う様に今月号のごちうさはラビットハウスでのお泊り会が主軸なのだが、今回のお泊り会は原作初期・前期にあった、高校生組4人と智乃ちゃんの5人によるものと、チマメ隊3人によるラビットハウスでのお泊り会を強く想起させる展開・場面が多く、それに加えて過去のエピソードをそのまま持ってくるコマも多く存在している事から、回帰の流れが強くなった昨今のごちうさの中でもそのコンセプトが特殊だと言う印象を抱くものになっていたからである。先にも述べた事だが、ごちうさにおける回帰と言うものは往々にして絶妙な変化を付けられる事が多く、今月号の様にある一つのコマをそのまま持ってくる事は無くは無いが少ない為、それがふんだんに盛り込まれていた今月号に対しては何か特殊な想いを抱いた。尤も、冷静になって考えてみれば特殊と言うまでに変わった想いと言うのとはまた違うのだろうが、何にしても今月号を読んで心動かされるものがあったのは事実である。

 思えばチマメ隊(ラビハ組)が名実ともに高校生になった原作9巻中盤からと言うもの、原作のテイストがそれまでと若干変化した事は私自身感付いてはいた*11。今思えばそれが私の言う様な「本格的な回帰の流れの始まり」なのであり、その要因としては旅行編からの新キャラであるブラバ組の3人が本格的に登場したタイミングと重なっているのもあると思うのだが、一番はチマメ隊3人全員が大幅に成長している姿や一面が、高校生になってより際立つ様になったためだと考えている。普段何気なく読んでいても、高校生になったラビハ組を見ると、過去と比べて明確な成長を遂げたのを感じる事は多く、しかもその表し方が昔高校生組4人が当時中学生だったチマメ隊にお披露目した事を、今度は成長したラビハ組(チマメ隊)が新しく木組みの街の住人となったブラバ組にお披露目すると言う中々に粋な継承の姿を表している事も多く、ここから私は「回帰」を編み出している。尤も、この様な形を回帰と言うのが適切かどうかは私には分からないが、ごちうさ私にとって日常系の面白さ、輝かしさの真髄を教えてくれた作品でもある為、最早一義的な言葉では表す事の出来ない特別な何かに突き動かされているのだろう。

 そして、上記の様な形の回帰の描写が多くなっている事は、ごちうさにおいては同時に新しい人間関係の描写を促す事をも意味していると捉えており、実際にラビハ組の高校生生活が本格描写されてから今月号まででもチノフユ、マヤナツメ、メグエルと、ラビハ組とブラバ組の同級生交流が描かれており、他にも千夜フユ、リゼナツメ、シャロエル等といった高校生組4人とブラバ組との交流や、ココアユラ等の異色な交流も描かれている。この様に多くの成長を描く為に嘗てを思わせる様な回帰描写を用いるだけでなく、そこに新しい人間関係の交流を加えて描く事で、古くからのファンにも新鮮味を提供してくれると言うのは、ごちうさが特に深き魅力を持つ理由の一つにもなっていると私は考えている上、その魅力はこれからも増大していくと予測している。因みに新しい人間関係を描き出すと言うのは原作初期から今に至るまでコンスタントに描かれてきた事でもあり、ここでも回帰の要素は入っていると言える。

 ただ、私には回帰について気にしている事が1つあり、それは「回帰の流れが進むにつれて、今後どの様にごちうさが進んでいくのか最早私には分からなくなっている」事。昨今のごちうさが昔を思わせる回帰の流れが存在している事は自分なりには理解しているのだが、その構成があまりに緻密な為に毎月ごちうさを読み進めるにつれてどの様に展開が進んでいくのかが徐々に分からなくなってきており、それ故に直近のきらま掲載のごちうさを読む時、私は敢えて先の展開を殆ど考えないままに堪能する事が多くなっている。尤も、見方を変えてみれば最早容易に先の展開が読めなくなった作品を、いかにして楽しむ事の真髄を見出すのか、その絶好のチャンスだとも言えるのだろうが、私にはどうも引っ掛かってやまないのだ。

 しかしながら、我ながら細かい事を深刻に捉え過ぎていると思っているし、実際にこの細かい事を気にし過ぎる性格故に、ごちうさに対して良い意味だけでなく、悪い意味でもど壺にはまってしまった事もある*12為、そこまで気にし過ぎない方が良い事もよく分かっている。その事を思うならば、この先の展開が分からなくとも変に気を揉まずにごちうさを純粋に楽しむ気持ちをもって楽しむのが適切だと言うのは自明の理だろうし、それこそ自分自身にも「自分がごちうさを知りたての頃の気持ちに回帰してみる」と言う風に課して、ごちうさを象徴するものたる「かわいい」を全力で堪能していた頃の気持ちを呼び起こし、ごちうさは可愛い世界なのだから無理に気を揉む必要は無いと思い起こすのも良いと考えているが、何れにしても、無理のない範囲で楽しむ事を意識するのが一番良いと言えるのだろう。

 この様に回帰という考え方は、私にとっては今月号のごちうさにおいて強く感じ取った概念としてだけでなく、私自身がごちうさに対して思い悩む事があった時に、ごちうさの純真たる楽しさを呼び起こす概念としても機能していたとも言え、ある意味昔からごちうさに対して私が何となく抱き、時には知らず知らずの内に助けられていた概念だったと言える。その様な概念が今回急に表舞台に呼び起されたと言うのは、何とも不思議な感覚だが、それを何の違和感もなく受け止められると言うのも、私がごちうさに対して特別な感情を抱いているが故なのだろう。

3.あとがき

 以上がきらま2021年10月号掲載のごちうさを読んだ私の感想・考察である。今回は旅行編からの新キャラ3人たるブラバ組と、古くはチマメ隊であり、今月号ではラビハ組とも称された3人が一緒になって、高校1年生組6人でラビットハウスでお泊り会をする回であり、言うならば高校1年生組6人の結束を高め、親交を深める回だったと認識している。その為、全編にわたって異質な雰囲気があった先月号とはうって変わり、何時ものごちうさらしい構成となっているが、よくよく読み込んでいくと新しい展開にも懐かしさを感じる描写が多く含まれており、それ故に嘗てとは一線を画す構成になっている事は見逃せないだろう。

 お話の構成上高校1年生組6人を中心に焦点が当てられている中で、特にブラバ組の心境や意外な一面が明らかになったのは、個人的には大きなキーポイントだと考えている。無論、それまでもブラバ組の3人が少しずつ木組みの街に馴染んでいく様子は多く存在しており、馴染んでいく過程の中で木組みの街の住人やその人達が構成する空間にも大きな影響を与えてもいる*13のだが、今回ラビハ組3人とお泊り会と言う形で交流する事で、今までの馴染んでいく過程では見られなかったブラバ組3人の意外な内面性や心境が明らかになった事は、ブラバ組3人がより木組みの街の住人としての色を付けるにあたって非常に意味のあるものだと考えていて、ともすれば今後このお泊り会が大きなキーポイントになる可能性も十分に考えられる。勿論、そう簡単に断言できるものでも無いのは承知の上だが、何らかの可能性を秘めたお話である気がしてやまないのは事実である。

 また、今月号ではお話の構成を見て「回帰」と言う概念を強く意識したと書き出したが、実はここまで「回帰」を意識する作品と言うのも私の中では珍しく、またごちうさ程概念の定義付けを意識しないと、現在まで読み進められなかった可能性が高かった作品も今まで無かったと言うのもあって、ごちうさにおいてこの様な見識が合っているのか、今でもふと立ち止まる事がある。幾らごちうさに対して全力で読み込む事を意識しているとは言っても、悩ましい事はあるものである。ただ、全力で読み込んだ結果回帰と言う概念を強く思い起こしたと言うのなら、悩む事があってもそれを貫き通す事も大事だと考えている。まだまだ分からない事も大いにあるのだが、現時点では貫ける所まで貫き通したいと考えている。

 最後に、今月号のブラバ組とラビハ組を合わせた6人はとても輝かしいものだったという事は改めて書いておきたい。特にラビハ組の場合、原作初期を知っていると、その輝きがより分かる様になっているのもポイントである。思えば、2021年8月26日にはごちうさの完全版であるComplete Blendの1巻が発売されたが、これは通常版の1巻・2巻が収録されており、9月27日にはComplete Blendの2巻が発売予定となっている事を踏まえると、原作最新話が回帰を思わせ、懐かしさを感じる構成になっているのも、ある種のファンサービスと言えるのかもしれない。

 

おまけ

今回の文量は400字詰め原稿用紙33枚分であり、これは現時点で過去8番目の文量である。毎月の様にここまで安定して書けると言うのもごちうさ愛がなせる業だと言えるのだろう。

*1:ノ、ヤ、グという名前から一文字ずつ取って理世ちゃんが名付けた、いわば小隊の通称名。因みに提案された最初こそは3人共乗り気ではなかったが、今では作中に留まらず、読者ファンにも広く浸透しており、3人も普通にチマメ隊と自称するまでに乗り気になっている。

*2:球技大会やクリスマスが最たる例であり、どちらも過去2回登場しているが、1回目と2回目の繋がりを意識した描写こそ多い反面、2回共に殆ど合致する様な構成・場面は意外と少ない。ただ、2回描写された行事・出来事の構成・場面に絶妙な変化が設けられているのは「同一登場人物の心境変化と成長を表すため」だと言えよう。

*3:心愛ちゃん達の高校である智乃ちゃんと冬優ちゃん、紗路ちゃんの高校であるマヤメグと神沙姉妹は同じ学校故に良き仲である。

*4:冬優ちゃんとマヤメグ、智乃ちゃんと神沙姉妹。

*5:この事実を知った時、智乃ちゃんは神沙姉妹がブラバの社長令嬢だった事に驚愕していた。

*6:これは嘗て高校生組と智乃ちゃんの5人で行ったお泊り会の時の理世ちゃんを彷彿とさせるもので、顔を赤らめているのも、わざわざ智乃ちゃんの中学生時代の制服を着た理由も同じである。

*7:冬優ちゃんは腹話術を用いると、内向的で躊躇いがちな普段とは打って変わり、自分の思った事を相手に対して一切の遠慮も躊躇もなくストレートに言う様になるのだが、ここから冬優ちゃんは「物の力を借りると恥ずかしさと物怖じを振り払う事ができる」と言える。

*8:これに限らず神沙姉妹は2人一緒に行動する事が多く、それ故に単独で行動する事もあると言えど、神沙姉妹は常に2人一緒に居ると言うイメージが湧きやすい。

*9:特に映月ちゃんが顕著であり、他にも言いたい事を躊躇いなく言う事から周りを驚かす事もしばしばである。尤も、2人共に人が嫌と思う様な事は基本的にしない良い人である。

*10:神社姉妹が社長令嬢だった事を知った時の反応が顕著な例。

*11:尤も、原作のテイストが絶妙に変化するターニングポイントは原作9巻以前にも存在しており、その一つ一つがごちうさの良さを更に引き立てている。

*12:しかしながら、そんな悪い意味でど壺にはまってしまった時でも、ごちうさの可愛さを忘れてしまう事は一切無く、寧ろ可愛さにどんどん魅了されていた。この事から私が思い悩んでいた頃には、ごちうさは私の中では既に別格な存在だったのだろう。

*13:きらま2021年8月号の映月ちゃんがその代表格。